2019-02-01から1日間の記事一覧

文学批評 「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」

「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」 <レジメ> 二つの秋津温泉がある。藤原審爾の小説『秋津温泉』と吉田喜重監督の映画『秋津温泉』だ。両作品に共通するのは美しい風景とたまゆらの時間ではないか。 秋津温泉は岡山県の津山から山あいにわけ行…

文学批評 「中上健次『枯木灘』の果てしなき「反復」」

「中上健次『枯木灘』の果てしなき「反復」」 中上健次『枯木灘』を読む者は、否が応でも冒頭から、「~った」「~った」「~だった」「~だった」と連続する文章に接して、酷い文体だ、なんたる悪文か、という思いに襲われずにはいられない。 《空はまだ明…

文学批評 「山田詠美『風味絶佳』味読」

「山田詠美『風味絶佳』味読」 山田詠美はメルロ=ポンティに似たところがある。そう言ったら怪訝な顔をされるだろうか。早すぎた晩年に『見えるものと見えないもの』を残したメルロ=ポンティに、《人間のかもし出すそれ》を《体のすべての器官を使って、そ…

文学批評 「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」

「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」 『崩れ』幸田文 幸田文『崩れ』のはじめの一節は、なんととぎれとぎれだろう。 《ことし五月、静岡県と山梨県の境にある、安部峠へ行った。これは県庁の自然保護課で、ふとした雑談のうちに、その峠…

文学批評 「水上勉『雁の寺』『五番町夕霧楼』『越前竹人形』を吉田健一と読む」

「水上勉『雁の寺』『五番町夕霧楼』『越前竹人形』を吉田健一と読む」 「英国三部作」(『英国の文学』『シェイクスピア』『英国の近代文学』)などの批評、『時間』『変化』といった形而上学的でもある散文、洒脱な随筆、『金沢』『東京の昔』をはじめとし…

文学批評 「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」

「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」 『田辺聖子全集』全24巻から、どれか3巻を選んでみようとしても迷うばかりだ。それほどに田辺文学は広がりと多様性に満ちているのだが、田辺文学、とりわけ小説への批評性の貧困、欠如…

文学批評 「吉田健一『英国の近代文学』からの賜物」

「吉田健一『英国の近代文学』からの賜物」 吉田健一の「英国三部作」は順に、『英国の文学』『シェイクスピア』『英国の近代文学』からなるが、成立時期はそれぞれが複雑な時間を持つ。まだ商業的な成功を得ていなかったことから、どれも書き下ろし単行本で…

文学批評 「向田邦子の『思い出トランプ』」

「向田邦子の『思い出トランプ』」 向田邦子は無類の猫好きだった。早すぎた晩年のポートレートはいつも猫と一緒だ。けれども、向田はドラマや小説に犬は登場させても、猫はまずなかった。さすがに2、3のエッセイには、たとえば『猫自慢』というようなあま…

文学批評 「G・グリーン『情事の終り』の終らない情事(ノート)」

「G・グリーン『情事の終り』の終らない情事(ノート)」 ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』の「この書物はどのように作られているか」で、《すべては次のような原則から出発している。恋するものを単なる症候主体に還元するのではなく、むしろ…

文学批評 「瀬戸内寂聴『場所』 ――感じられる場所を求めて」 

「瀬戸内寂聴『場所』 ――感じられる場所を求めて」 瀬戸内寂聴は少なくとも二度、自伝的作品を書いている。 最初は五十一歳で出家する前の四十代半ば過ぎに瀬戸内晴美の名で『いずこより』を書いた。二度目は七十七歳にして、舞台となった土地を五十年余りか…

文学批評 「遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」

「遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」 十七世紀中頃、ユダヤ教を破門されたスピノザは『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由』に、《これから、われわれは何びとをもその人の行為にしたがってでなくては信仰者あるいは不信者…

文学批評 「宇野千代『おはん』の歓びの声」

「宇野千代『おはん』の歓びの声」 鷲田清一に『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』という本がある。ターミナル・ケアの現場で、「もうだめなのではないでしょうか?」という患者の言葉に対して、励ますこと、なぜと聞き返すこと、同情を示すことではなく、患…

文学批評 水村美苗『本格小説』の「誘惑と拒絶」――虚構の世界の優位性

水村美苗の『本格小説』は、ニューヨーク郊外で東(あずま)太郎の成功(サクセス)を眼のあたりにした「水村美苗」という作者と同名の登場人物が、その男の半生に関する「小説のような話」を若い元文芸誌編集者の加藤祐介から、カリフォルニアで雨夜に聞く(そ…

文学批評 「ナボコフ『ロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」

「ナボコフ『ロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」 横浜桜木町の紅葉坂(もみじざか)を能楽堂へと上るとき、有島武郎『或る女』(明治44年(1911年)から大正2年(1913年)にかけて雑誌「白樺(しらかば)」に『或る女のグリ…

文学批評 「川端康成『雪国』の死と官能」

「川端康成『雪国』の死と官能」 川端康成はそれと語らないことで語る。 『雪国』といえば、誰もがまず左手の人差指のエビソードを思い浮かべるが、作品のなかには《この指だけは女の触感で今も濡(ぬ)れていて》の具体となる愛撫の場面はもちろんのこと、な…

文学批評 「古井由吉『槿』の花散らす天使」

「古井由吉『槿』の花散らす天使」 講談社文芸文庫に『槿』が収められるにあたって古井由吉は、「著者から読者へ 朝顔に導かれて」という短文を「あとがき」のように添えた。「槿(あさがお)」という表題にした理由や、主人公が四十を越したばかりの端境(はざ…

文学批評 「見果てぬ夢としての荷風『腕くらべ』」

「見果てぬ夢としての『腕くらべ』」 小説『腕くらべ』は、『濹東綺譚』や『断腸亭日乗』に比べて冷遇されている。荷風を読む悦びが『断腸亭日乗』、『日和下駄』といった日記、随筆により多くあることを否む気はないものの、『腕くらべ』の二十二章は、荷風…

子兎と一角獣のタピストリ(19)“Caress the details,the divined details!”

“Caress the details,the divined details!” r音を転がす、ざらざらした猫の舌の愛撫みたいなナボコフの声。「私たちはロシア散文の巨匠たちに次のような順位をつけることができる。一番、トルストイ、二番、ゴーゴリ、三番、チェーホフ、四番、ツルゲーネフ…

子兎と一角獣のタピストリ(18)「雪のうちに春はきにけり」

「雪のうちに春はきにけり」 チューリップで有名な北国から手紙が届いた。里に帰って心のリハビリをしています、中国語の勉強をはじめました、わたし『夜来香(イエライシャン)』を歌えるの。 一九四〇年ごろ大陸で李香蘭が歌った『夜来香』。 ♪那南風吹来…

子兎と一角獣のタピストリ(17)「よるべなさ」

「よるべなさ」 ロラン・バルトを読むこと――それも繰り返し読むこと――の快楽は「よるべなさ」をともにすることにある。『恋愛のディスクール・断章』にしても、『明るい部屋 写真についての覚書』『サド、フーリエ、ロヨラ』『テクストの快楽』『神話作用』…

子兎と一角獣のタピストリ(16)「或日の芥川龍之介」

「或日の芥川龍之介」 《それから何分かの後である。厠へ行くのにかこつけて、座をはづして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかつて、寒梅の老木が古庭の苔と石との間に、的礫たる花をつけたのを眺めてゐた。日の光はもううすれ切つて、植込みの竹のか…

子兎と一角獣のタピストリ(15)「彼岸花」

「彼岸花」 <里見弴/小津安二郎> 映画『彼岸花』に白と赤の文字で「原作里見弴」と流れる。だが一緒に湯ヶ原に泊り込んで、テーマと人物設定を共通項に小津と相棒野田高梧が脚本を、里見が小説を書きあげたという。『文藝春秋』昭和三十三年六月号に小説…

子兎と一角獣のタピストリ(14)「来ないものを待つ」

「来ないものを待つ」 小池昌代の詩から歩く速さで声が聞こえて来る。 詩集『永遠に来ないバス』(1997)。《八月は、金魚売り。/湯気の立つ/アスファルトの上を/小柄な老人の金魚売りがいく/路地の端から端にわたるだけの/淡いささやかな声を上げて》(「ゆれ…

子兎と一角獣のタピストリ(13)「インドシナ・フルーツ」

「インドシナ・フルーツ」 誰にでもいつか行かずにはいられない場所がある。 アンコール。「一番素晴らしかったところならアンコール・ワットだわ」 女の夢みる声を忘れない。《カンボジヤのアンコール・トムを訪れ、熱帯の日の下に黙然と坐している若き療王…

子兎と一角獣のタピストリ(12)「まれ男の「おかる勘平」」

「まれ男の「おかる勘平」」 三年ぶりという團菊祭、豪華絢爛な『外郎売』の團十郎復活口上に胸熱くなりながら歌舞伎十八番のバロックを愉しんだ。菊之助『保名』の清元に血が騒いだのは東京生れのせいか。海老蔵の『藤娘』、雀右衛門のプロンプター添揚巻に…

子兎と一角獣のタピストリ(11)「恋愛小説 from 私小説 to 本格小説」

「恋愛小説 from 私小説 to 本格小説」 《太郎は十メートルと離れていない所に立ったが、そのガラス玉のような眼は現実の世界は見ていなかった。つと天を見上げると、白い月をめがけてお椀の中のものを力の限り投げた。粉々になった人骨は透き通って宙を舞い…

子兎と一角獣のタピストリ(10)「きものは魔物」

「きものは魔物」 京に遊ぶ昼下がり、祇園切通し〈権兵衛〉の親子丼か、〈おかる〉のカレーうどんでご飯たべすると、きまって芸妓か舞妓が前を行く。抜き衣紋から凛と零れた襟足に吸い込まれるように花見小路へ追いながら、ああ、男衆(おとこし)になりたか…

子兎と一角獣のタピストリ(9)「谷崎からみる桐竹勘十郎の顔」

「谷崎からみる桐竹勘十郎の顔」 三世を襲名するばかりのとき、桐竹勘十郎と虎ノ門のレストランでお話する機会をえた。十三歳から三十七年あまり親しんだ吉田簑太郎という名前とも二月公演が最後かと思うと感じるものがあります、と神妙に話しはじめた。舞台…

子兎と一角獣のタピストリ(8)「鈴の鳴るような」

「鈴の鳴るような」 あれは小学二、三年のころ。母にお供してのSKD。すぐ左脇の通路を網タイツのレヴューの女たちが嬌声をあげ跳ねるように駆け抜けていった。春風に誘われて宝塚大劇場で花組公演を観ていると、あのときの得も言われぬ幸福感が甦って来て…

子兎と一角獣のタピストリ(7)「おはんの喜びの声」

「おはんの喜びの声」 鷲田清一に『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』という本がある。ターミナル・ケアの場で、「もうだめなのではないでしょうか?」という患者の言葉に対して、励ますこと、なぜと聞き返すこと、同情を示すことではなく、患者の言葉を聴き、…