短歌習作

*「角川短歌」佳作 (1998~1999)

ベイビーブルーのペディキュア塗れば天使たち舞いおりてくる息も乱さず (江畑實選)

共に生きるもののけ姫の問いかけにインターネットの豊かさの意味 (高瀬一誌選)

コンパクトに顔みつめいる美少女のめじりくちびる盗まれてゆく (藤井常世選)

情熱のざわめき隠し知られかつ知られぬ想いは仮面の動揺 (内藤明選)

愛もとめ愛をあたえて世紀末伝説となる白きダイアナ (江畑實選)

近親相姦の匂いゆらめくマドレーヌ紅茶にふくらむ愛の倦怠 (辺見じゅん選)

寝ちがえた腿に女の官能の舞台静まり小さな叫び (小池光選)

ウルビーノのヴィーナスの指は折れ曲がり自分一人の螺旋階段 (香川ヒサ選)

腫れぼったい目をして恋の終るときポニーテールの髪の弾力 (松坂弘選)

光の底サドは天使のように書く無感動な反復の不義 (塚本邦雄選)

喘ぐときかつて彼女にそそがれしすべての視線のひそかな残影 (佐々木幸綱選)

 

*「角川短歌」秀逸 (1998)  

ウィンケルマンはアポロの高貴な美に焦がれ茂吉はひとり女體を愛づる (片山貞美選)

 

*「短歌研究」新人賞佳作 (1999)

システィーナのボッティチェリの絵かソナタかと愛する人は所有する人 

口蓋が目覚めて恋の晴雨計嫉妬することあるいは書くこと

ぬばたまの文目も分かたぬ闇のなか淫売宿に長椅子きしみ

悪徳を懐胎しつつ解釈を誘う無数のアルベルチーヌ

囚われの愛とは心に感じうる時間の擁護と名前のシラブル

 

*「塔」選 (1999~2000)

ホメロスを読む日常の穏やかさ待ちつづけている心が誇り (「シャルロッテの手触れし」連作)

子供らにパンを切り分け果樹園の梨の実落とす美徳の固着

ゆきすぎた緊張はなぜ弱さかと倫理はひとつの倫理にすぎず

説教を垂れる小役人アルベルト恋する者はひとつの構造

テーブルの下で二人の足指がいたるところで意味の祝祭

意味こそが彼を戦慄せしめてる選ばぬことを選ぶ接触

隣席の女に分けるオレンジの一切れごとに痛みの祭典

従僕は愛するがゆえ罪犯し変奏される涙の賛美

あの人の眼の陶酔に溺れてる私のものではないと知りつつ

シャルロッテのシルエットから追放すわれとわが身の恋の変質

クリスマスまでは訪ねて来ぬように一杯のワイン黄色のベスト

シャルロッテの手触れしピストルに口づけを僧侶はひとりも従わぬ夜

 

クリネックスみたいに消費される愛聖母は柘榴の粒を確かむ

 

曲線に無数に接する直線のせつない言葉自堕落な恋

マスカラは違う男のキスに濡れずっと昔に見た夢にじむ

愛はみな見つめることで生まれくる矢を持つ天使の清らかな汗

親指でワイングラスの縁ぬぐうルージュの跡も言葉の澱も

そそり立つ極楽寺切通し前行く二人の指は戯れ

 

似合わないことをするのが恋だからいくつもの嘘唇は知り

抱擁はとかれて異国の残り香に震えて踊るレースのフリル

官能のほとりに向かう一筋の染みて透けゆく夜の匂いに

 

ひとつずつ口に含まれ悪をしる百合のコンポートのかすかな悲鳴

スピノザを読むように源氏を読む女おんな二十九のラビリンス

崩れゆく襟もと鏡の奥すべりカサブランカの多面の告白

後ろから読むミステリーよりつまらない外見さえも裏切らぬ愛

ブロンドのビールの泡が光る唇(くち) 男の唯一ぬれた場所ゆえ

 

夕ぐれにまどろむ女の脚長しジェルソミーナの目を見たくなる

やわらかな関節を夢は長びかせ複数名詞を鏡は生みだす

ゆき違う思いは言葉に駆りだされまだらの嫉妬は野うさぎとなる

接線を生み続けてるあやうさか愛の微分方程式とけず

 

白象が抱擁しあう歓喜天(かんぎてん)曼荼羅きみのくちびる赤し

発すれば響くを名づけて声という退蔵曼荼羅フラクタルかも

むりやりに口づけしたき夕暮れに格子のかげをよもぎ猫よぎる

目薬の滴ふくらみ君の目に吸いこまれゆく私を揺らし

そのときの自分の顔は見えなくて鏡の記憶で愛語りゆく

 

あおむけで君の重みを胸に受く存在感とは重量感なり

柔らかく髪撫でられて眠くなる器が壊れる全部感じる

悪いこと考えていると君見つむ君も共犯君こそ主犯

 

いちオクターブがやっとの指が握る愛小さな耳に溜息溶かす

君はその星座の生まれ獅子座流星群氷雨に煙る

四時にしてプラハは暗し君の声黄金小路に置いてきたくて

「救い」とう言葉さえも傲慢か死にゆく子供に生吹きかけん

死と生を理解しようと考える 言葉が多いとテレサは去りぬ

 

終るべき恋物語を予告して君の名前が彼女にかわる

 

忘れるにちょうどの長さと気づいたり逢って別れて四十九日過ぐ

夢のなか白いスリップ翳ふくみ問診受ける君の背に立つ

妊娠の兆しの夢か母のこと語りだしつつ君が注射受く

ほんの少し愛されることを分析す色鉛筆に指すべらせて

夜深く忘れられずに覚めるとき忘れるために君は閉じゆく

 

手のひらは際立つ恥骨を隠しつつ啓示している月の鋭角

 

*「未来」岡井隆選 (2000~2002)

あとずさりしながら入る死の国か写真は物理と化学の交合

あの人の写真を眺めるわたしの眼かつて啓示を覗きし眼なり

まなうらに修辞と美学は蝶のごと麻酔かけられ銀を欲する

くちびると心の襞で微笑むも皮膚はそこからオブジェとなりぬ

紫の髪のまなざし右手もてきみを抱くよ柘榴を腐(くた)し

あふれだす香油あやかし閉じた園サフラン菖蒲シナモンミルラ

すき間から指入れしかば紅(くれない)の糸と蜜房(みつふさ)動きそめきて

サンダルの足さき美(は)しく銀散らし金の雅歌なる帷帳(とばり)ににたり

 

秘めやかな記号の花園ゆめのなか舌は触れゆく意味の蕾に

乳の香の唇の息が唇に メールのもつれ倒錯者めく

口の端に冒瀆の声のぼりそめブルジョア香る所有願望

あの人の眼の陶酔に溺れるか 生理二日目のラブ・マシーン

「今日の夜」蜜たれるごと囁くも 罪の通知書金庫に眠る

新古今ひらかれてあり恋歌五 語られぬことが兆候となる

 

十七のこの恋はじめもどかしく肌(はだえ)よせしに花ちりぢりに

恋しらずくちびるふるえ男帯ほどけばとける雪の肌(はだえ)よ

あやめなきうたた寝枕かりそめの小指そらして 契りなり

たまきわる命と添いし乱れ床むかう鏡に翳るひかがみ

なかりけり覚えぬ男の肌ふれて恋路の闇に白猫はなつ

 

蜜たらす恋文が欲(ほ)し「言わずもがな」などと柘榴な言葉凝(こご)えよ

狂雲の森女(もりじょ)の快楽(けらく)知りにしがザッハトルテを知らぬきみはも

紅ひらききみが性差(ジェンダー)かたるとき原罪しるやと歯列なぞらむ

編物をするとき何を思うかと思いてフェルメールの乳思いつ

詩のようなきみのメールにスクロールかさね愛撫の律かなでたり

紫のビオラ食(は)みけり『中世の秋』と添わずに童話と淫す

 

受胎告知待つかのように人を待つお雪にあらずナオミと呼べり

紅差し指のゆびのながさの肩傷をかくすともなく桜花(さくらばな)ちる

都橋、黄金橋すぎラビリントス更紗のカーテンはつかめくらむ

頬骨は高きにちちふさあふれだす桃のちくびは陥没のわな

チュンマイに雪は降らずも昼たけて沈みこんでくしろき喉みせ

 

線描のほそき鼻すじ君ににた女ヨウコを黙してなぶる

君ににた瞳なれどもその胸乳(むなち)みなみのしるしの褐色であり

まぶたから君の見たもの吸うせつな眉毛の切りくち海馬に刺さり

胸あわせ髪かきやるも結びめを確かめたくて失いゆくか

くずれゆくうす紅(くれない)を濡らしめて移ろうそびらの重心を受く

 

知る知らぬわたしの肉に入りしは神にはあらず死者の書の白

胸飾るブッダズ・アイは曼荼羅の女神(じょしん)のごとき足先見つむ

眠り薬さくらの胸乳(むなち)を過ぎぬれば始めと終りのあるのが情事

眼差しはただこよいこそ火矢にぎり君を見つめて見ないでいられる

かきやりしふりわけ髪も木の床に見も世も投げすてマニ車をまわす

 

てのひらはきわだつ恥丘を隠しつつ啓示している月の鋭さ

説明は接吻となり一重ずつ匂いおこせよ濡れ八重桜

醒めたゆめ蜜の狩人くるおしく泉の淵で垣間見はじむ

角笛は腿でためらい身ごもれる下腹あえかに照らす手すさび

手弱女を言葉の術で励ますはあやうき誘(いざな)い意味の指にて

 

肌しらぬ天使ガブリエル鉤形の小指を花粉に染めてうつむく

唇を避けるてのひら抗うもほそい手くびに蜜がしたたる

傲慢な百合の蕾は天をさしカサブランカの多面にまよう

クリヴェッリのマリアの眉のほそさもつ蜥蜴の舌が瞳を撫でる

耳たぶの縁なぞりゆく唇にすくいとられて性愛かすか

 

無花果の燻るあまさ熱帯夜ロゼシャンペンで欲情はじむ

ポマールはすべてを忘れさせる味忘れられない恋語りつつ

ポマールの深き官能 挑発の香りにルージュは悪をしりそめ

ブルゴーニュ王国の秘めし葡萄の種ピノノワールこそ神が恩寵

フロマージュ撓める指にて押してみる押し戻されるインタイムとは

 

手の甲に愛の糖蜜したたらせあらわな腋窩に蛍が沈む

冷やされた白い果肉は夢のうち夢としらせず夢を匂わす

ジュネセパ、とうそぶく女の雛めいた上唇のうすさをめくる

秘められた花芽と見まがう乳白のアスパラガスの柔肌くずす

はみだしたルージュは蠟の舌ざわり夢の甘皮アリュール香る

 

巨大バッタがとまっているにあらず小人の国の帆でセレナーデ

垂直に落ちくる水は床面で泡とひろがりオフェーリアおもう

般若心経顔に写経しその果てに顔面真黒く白眼が光る

うずくまるクローン羊の群れが鳴き発砲スチロールの脳(なずき)を愛でる

マネキンの股間の銀紙剥がしみることを忘れて悔いある帰路に

 

有楽の町のガラスの箱舟に三女晶子のトラウマ満ちる

大鏡増鏡から恋まなぶ女ひとりの時間おもえば

小指ささぐ遊女のごとし口移しされた言葉に男は酔いて

振りむけば死の歌うたうふりもなし雲母(きらら)の瞼に夕顔ひらく

ヴォルヴィック愛飲してる恋人の細き腕(かいな)が言葉を絞る

 

スパークリングワイン一杯で酔ってるの結婚告げる女の果てなさ (「未来」60周年記念10首連作)

スプーンとフォークで合鴨サーブする女の本音を探さなければ

血の色の葡萄の分子に誘われてグラスに飛びこむ雨夜の女

うつむいた女の横顔モンラッシェに小指ひたしてわし鼻なぞる

アイスバインの罪の脂身とりわける女の指の骨をほぐせば

女からいくつもの徴(しるし)読みとりて反復しつつ差異と添寝す

本当を本当らしく見せるため見えてる女を見えなくしてみる

中心へ誘(いざな)う視線は中心がぼやけた女に誘い 眩む

すべて見たと歌う女は闇のなかリアリティより音を求める

あかねさすジョーゼット手首にちらつかす女の白磁の恥骨を鳴らし

(真理(まり)という十七歳の舞妓の京舞を見た。舞妓になって二年目だという。細面の大人びた美しさを崩すように、 一年目の舞妓はアイラインを入れず、上唇に紅を差さないとはにかんだ。目も上唇も愛を与える器官だ。だからきっとその習慣は、一年目の舞妓は愛を与えるには幼なすぎるので、愛を受けるところだけに印を付けているのだろう。紅を入れた下唇はたっぶりと愛を受け、二年目には惜しみなく愛を与えるために、上唇にも紅を入れる。そして焦点を定めない舞妓の目は、同じ紅を引かれて愛を放つ。両目尻の紅と唇の紅との三角形に舞妓の美のあやうさが秘められているに違いない。)

 

神話とは言葉の浮橋わたつみにあかき矛から精したたりぬ

いざなうは誘(いざな)う女君(めぎみ)御柱(みはしら)を臼ひくように右から廻る

美夜受(みやず)姫ミューズなりしか繊細(ひそほそ)の撓む腕(かいな)が首にまきつく

夢枕すれど思えど君が着る肌着の裾に月立ちにけり

あらたまの君を諾(うべな)う紅差しの指這う裾に月立たなむよ

 

七草をひたした水につける爪よる切る爪は雲母の灯り

スピノザが磨きしレンズ焦点に蟻のこげるはレモンの匂い

サンマルコ広場の前に立ちつくすマルセルみたいに桜花ちる

雪、白磁、初花、羽二重、目でたしかめる指先はなお

アーレント鶏ふたたび鳴く前になんじは三たび邪恋するなり