子兎と一角獣のタピストリ(4)「メイクの言葉」

  「メイクの言葉」

 

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1. シーンにあわせて季節にあわせて洋服を選ぶようにメイクもチエンジ。カラーの持つ威力を知って自由自在に自分をプロデュースしてみましょう!

 数行を読むだけでわくわくしてくるのはなぜだろう。これから私はメイクのテキストを読みながらメイクについて考えてゆきたい。それが実際にメイクアップする快楽の百万分の一にしかすぎないと言われようと.「皮膚より深いものはない」と理知の人ヴァレリーは逆説を語ったが、そのような深みから美を表層へ浮き上がらせる魔術にはまってみる。

 山本浩未『キレイを見つける! メイク術』と25ans『Elegance Book No.14,COSMETICS』の二冊を選んだ。毎月出版される旬のメイク情報はこれらのパターン変奏にすぎない。

 

1.1 ベーシック。だれもがひとつは持っているカラーでほどよい甘さを作る。透明感があってちょっぴりフエミニン。

 メイクのテキスト用語は女性の肩脚骨をたくみに後押しする。「だれもが」なんて言われれば自信も回復する。「ほどよい」が育ちの良さの定番。メイクの言葉はひとつひとつが含意的な意味を担っている。ボードリヤール『誘惑の戦略』によれば初期教会の教父達は化粧を悪魔的だと非難したし「自分の体のことに専心し、それに気を使い、化粧することは神と競おうとすることであり、創造されたものに異議を唱えることである」、そう、化粧こそ女の誘惑の戦略の宝石箱。

 

1.2 ナチュラル。自然光のなかでひときわ光り輝く健康的で若々しいメイク。多彩なオレンジが大人っぽい決め手。

 ナチュラルメイクとはなんと矛盾した言葉だろう。ボードレールはわかっていた,『化粧礼賛』で「美徳は人工的であり超自然的だ……女はより良く人々の心を屈服させ精神を感嘆させるために自然の上にぬきん出る手段をあらゆる技巧から借りてくるべきである」と。

 

1.3  深いまなざしとモーブな唇が作り出すクールビューティ。ディートリッヒを思わせる粋なまなざしが印象的。

 クールは粋の要件でブルーはその代表格だが、江戸の粋はもっと成熟していて九鬼周三『「いき」の構造』によれば「第一に鼠色、第二に褐色二続の黄柄茶と媚茶、第三に青系統の紺と御納戸とである」である。「過去を擁して未来に生きている」ディートリッヒのそれ。

 

2. 色のすべて。顔にのせて間違いなく美しい31色。

 メイクのテキストはフーリエやサドのように数字好き。「8大トラブル対処法」「3ステップ洗顔」「コスメ50のルール」。列挙し分類し規範化することで快楽は伝導される。

 

2・1  日本人の肌を一番きれいに見せるフクシア・ピンクの口紅。YSLの19番、ディオールのアマラント。

 青みを含んだ口紅といえば谷崎『陰騎礼賛』だ。「私が何よりも感心するのは、あの王虫色に光る青い口紅である。もう祇園の芸妓などでさえ殆どあれを使わなくなったが、あの紅こそはほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その魅力を解し得ない」。谷崎は化粧師になりたかったのだ。化粧は穏やかな『刺青』であり、『秘密』では女装したうえ乳液が毛孔へ泌みいる皮膚の悦びを格別と書く。『鍵』『白狐の湯』『幼少時代』『春琴抄』にみる白い肌への崇敬を見よ。

 

2.2 塗ると思いがけない赤。ひねった赤が最高に美しい。唇に置くと朱赤っぽくなってしまうのは肌の黄色のせい。

 山田詠美はメイクのハートを書きうる数少ない作家である。『熱帯安楽椅子』の「私は、朝だというのに赤い口紅をひいた」や「イブは小指で紅をすくうと、それで私の唇を染めた。そして、その残りで私の両の乳首を」のせつないニュアンス。『唇から蝶』では「彼女の唇の皮に紅をのせた」と男には書けない皮膚感覚をしめす。

 

2.3 ネイルはクセのある色ほど手によく映える。暗すぎるボルドーを2度塗りしたときの感じがよい。

 西脇順三郎の「(覆された宝石)のやうな朝 何人か戸口にて誰かとさヽやく それは神の生誕の日。」のルビーやオパールの煌めき。鉱物の硬度をもつ爪には皮膚の柔らかさを犯すように沈み込む禁忌のくすみ色が許されている。

 

2.4 アーデンのアメジスト、ローダーのジンジャー、ランコムのビュアレッド58番、コティのゼテュゥムレッド。

 デュラス『愛人』には印象的なシーンがある。「あの日は唇にルージュも塗っている、あのころ流行っていたような暗赤色のルージュ、桜桃色のルージュ」、「十五歳半 身体はほっそりしている、貧弱と言っていいくらいだ、胸はまだ子供のまま、淡い薔薇色のお化粧をしてルージュを引く」。もしかしたら女はあの日のことを、何を着ていたかではなく何色のルージェを引いていたかで記憶しているのだろうか。

 

2.5 ブルーのベースカラーを使って人工的な白い肌を作って下さい。日本人の肌色にはパープルのニュアンスが必要。

 白さは文化である。『源氏物語』の女の美しさには白をめぐる言葉以外存在しない。「(紫上夫人の)青みを帯びた白い顔は美しくてすきとおるような皮膚つきである」「(大姫君の腕は)白く美しくなよなよとして」「(六の君の)色はいよいよ白くて上品に美しい」。

 

3 唇、色のバランス計算。

「いき」なるためには、眼と口と頬とに弛緩と緊張とを要する。……瞳はかろらかな諦めと凛乎とした張りとを無言のうちに有力に語っていなければならぬ。……「いき」の無目的な目的は、唇の微動のリズムに客観化される。そうして口紅は唇の重要性に印を押している」にみる九鬼の経験論。

 

3.1 唇を主役にすると40年代風ハリウッド女優顔。輸郭をしっかクととることが大切です。

 まだ人々が激しく生きていた時代の風俗を荷風はメイクを(女をも)道具立てとして活写する。『ひかげの花』の「牛乳がわきかけた時、女は髪を直した上に襟白粉までつけ、鼻歌を唱いながら上って来て鏡台の前に座り……眼の縁の小跛と雀斑とが白粉で塗りつぶされ、血色のよくない唇が紅で色どられると」の今にも音が聞こえてきそうな動きの巧みさ。

 

3.2 60年代メイクは目元に凝る。目元のグリーンと唇のベビーピンクが上品な60年代風。

 二十一世紀は目力メイクに回帰して幕をあけた。中上健次『化粧』には生臭い力がある。「夕方、普段より母の化粧が濃かった。病弱で極端に色の白かった姉に、「戸閉まりをちゃんとしとけ」と母は言いつけた。その夜から二日間、母は家にいなかつた。……化粧は女に奇妙な働きをすると思った」。それは歓喜天曼茶羅の朱と白からなる性的呪術性に通じた神秘力学であろう。

 

3.3 あえて服と脣。どちらにもポイントをおかず、90年代風、超ナチュラルメイク。

 レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』によれば、宣教師はカドゥヴェオ族が猟も家庭も忘れて体に絵を描くことを非難したが、彼らは宣教師こそ野蛮と言う。「顔の絵模様は各人に人間としての資格を授けるものである。彼らは眉や睫毛をも含めて顔全体を脱毛していて、むさくるしい眼をしているヨーロッパ人を陀鳥の輩として毛嫌いした」。だがカドゥヴェオ族よ、宣教師を侮るなかれ。彼らの末裔はヴォリューム・マスカラという美学を生みだしたのだよ。

 

4 至上の色の組み合わせ。

 スピノザ哲学のように美しい体系。[定理1]眼と唇に同系色。[定理2]原色や肌になじみすぎる色は避ける。[定理3]顔の中の色を青や赤に傾かせない。「定理4]限と唇、両方に

目立つ色を入れてはダメ。[定理5]……

 

5. 8大トラブル対処。

 皮膚のパラドックスは表層的/深層的なだけではない。透過性/不透過性、滑らかさ/毛穴、老化/再生.きっと皮膚には自我がある。

 

5.1 ドライ肌は小ジワからシワに発展、オイリー肌は一挙に1本ジワに。とにかくたつぷり水分補給。

失われた時を求めて』の最終章は記憶の顔に容赦なく見出された時の痕跡であって、肌の地質学が展開される。

 

5.2 肌ストレス化粧品はエグゼクティブ・フェイスに必須。睡眠時間が素肌美を決定。

 オスカー・ワイルド曰く、「浅薄な人間に限って自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、日に見えるもののなかにある」。

 

5.3 女性の70%が自称「敏感肌」という事実。

 肌は、あたかも大脳皮質の装が官能の触覚として外界にさらされているのだから敏感なのは至極当然だ。「女がふっと顔を上げると、島村の掌に押しあてていた瞼から鼻の両側へかけて赤らんでいるのが、濃い白粉を透して見えた。それはこの雪国の夜の冷たさを思わせながら、髪の色の黒が強いために、温かいものに感じられた」の『雪国』駒子の男のイマージュとしての敏感肌。  

 

6. 自分のなりたい顔をイメージしで手を動かす。自分の指で肌状態を知る。

 能役者は面の裏の木肌を顔につけることで感情の人り口に誘い込まれてゆく、と土屋恵一郎『能』で読む。すると女は掌で顔に触れるとき誘惑に身をゆだねているに違いないとリルケ『マルテの手記』の女が掌から顔を上げる場面を思う。

 

7. 眉の毛並みを整え黄金バランスで描こう。

万葉集』には眉の歌がたくさんある。『源氏物語』若紫の「眉のわたり、うちけぶり」のぼうぼう眉はほほえましい。『序の舞』の上村松園は「美人画を描く上でも、いちばんむつかしいのはこの眉であろう。口元や鼻目ことに眉となるとすこしでも描きそこなうと、とんだことになるものである」と述懐している。

 

8. 最後の仕上げは横顔チェック! 人の目線を意識して。

 世阿弥『花鏡』の「眼(まなこ)を見ぬ所を覚えて、左右前後を分明に安見せよ」の離見の見であろう。だが鏡は、近松堀川波の鼓』お種の「乱れぬ顔もほかつきて、重たき頭撫櫛や、向かふ鏡に余情あり、殿待ち顔の夕べかな」でも『鑓の権三重帷子』おさいの「開く櫛箱鏡台の、この鏡より世の中は人こそ人の鏡なれ」でも姦通へと導く魔物だ。

 

 メイクにとつて花とは何であろうか。あまりに名高い「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」の花とは。