子兎と一角獣のタピストリ(13)「インドシナ・フルーツ」

  「インドシナ・フルーツ」

 

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 誰にでもいつか行かずにはいられない場所がある。

 アンコール。「一番素晴らしかったところならアンコール・ワットだわ」 女の夢みる声を忘れない。《カンボジヤのアンコール・トムを訪れ、熱帯の日の下に黙然と坐している若き療王の美しい彫像を見たときから、私の心の中で、この戯曲の構造はたちまち成った》とは三島由紀夫『癩王のテラス』だ。

 べトナム反戦デモで催涙弾に目を腫らした十五歳半の私は、デモ隊の自己陶酔にも違和感を覚え、そのとき私はすでに老いた。のちにサイゴン(現ホーチミン)はデュラス『愛人(ラマン)』の空間としてあらわれた。

 印度支那の土地の名からはパッション(受難そして情熱)が滴って唇の端を汚す。爛熟したフルーツ(チャイ・コイ)の芳香に引き寄せられ、甘い果汁に溺れた男と女のいくつもの物語がある。

 二二歳のアンドレ・マルローは考古学調査のため仏領インドシナヘ渡った。 一二世紀後半に栄華を極めたクメール王朝の古寺院へと王道を分け入り、バンテアイ・スレイで、東洋のモナリザと呼ばれる1トンもの浮彫女神像デヴァターの盗掘に成功するが、帰途プノンペンで積荷を押収、逮捕される。七年後の一九二〇年、この経験をもとに『王道』が書かれた。冒険の果てに「ないさ……死なんて……ただあるのは……おれ……」と死の際で唇を開くペルケンこそ、実存の不条理を征服しようとする自意識こそが人間の条件であるとするマルロー思想の導き手である。《ペルケンの相手を説得しようという気持ちが、夜の間に沈んで姿が見えないあの寺院のように、ひしひしとクロードにのしかかってきていた。「それに、この国がどんな国かつてことを知らなくちゃいけない。おれにしても、やっと連中のエロス崇拝がわかりかけてきたんだ。自分が抱く女と、感覚のすみずみまで溶けあって、自分自身でありながらも自分を、女だと思うようになる男の同化作用のことだよ。これ以上は耐えきれなくなりはじめる人間存在のこうした官能の喜びに比べられるものはないんじゃないかね。それは肉体じゃない、女たちは……何というか……可能性だな、そうだよ。おれの望みは・・・・・。」 》

 肉体/精神、生/死、善/悪、西洋/東洋、自己/他者、男/女といった階層秩序的な二項対立構造が、アンコール遺跡夕・プロームの石/樹のように境界を侵食しあい解体してゆく。

『愛人(ラマン)』のデュラスは欲望する。フルーツのイマージュは世界を記述するために存在するだろう。《エレーヌ・ラゴネルの身体は重い、まだ無垢だ、彼女の皮膚の滑らかさはさながらある種の果物のようだ、そんな皮膚の滑らかさは、感じとれるかとれないかの境い目にあるもの、すこし非現実的なもの、この世界をはみだした余計なものだ。》 サイゴンの中華街チョロン地区の一室で《彼は言う、この国で、この耐えがたい緯度で何年もの年月をすごしたために彼女はこのインドシナの娘になってしまった。この国の娘たちのようなほっそりした手首をしているし、この国の娘たちの髪と同じように、まるで張りのある力のすべてを引き受けて身につけてしまったかのような、濃く、長い髪をしている。とりわけこの肌、全身の肌といつたら、この国で女や子供たちのために取っておく雨水を使っての水浴を経験してきた肌だ。彼は言う、フランスの女たちの身体の肌は、この国の女たちとくらべると、固く、ほとんどざらついている。彼はさらに言う、魚と果物だけの熱帯の貧しい食物も、それにいくらか役立っている。》

 林芙美子の『浮雲』を読んでみてほしい(あるいは成瀬巳喜男監督『浮雲』を見てほしい)。義兄との不倫から抜けきりたい気持ちでタイビストとして仏印行きを決心した幸田ゆき子(高峰秀子の演技の凄み)が、サイゴンを経てダラットの高原に着いたのは昭和十八年だった。しかしじきに妻ある農林研究技官富岡と男女の仲になってしまう。戦後敦賀から東京へ引き揚げてきたゆき子は富岡を訪ね、諍いと未練の腐れ縁を繰りかえしてしまう。あげく、心中してしまうつもりでゆき子を伊香保に誘った富岡(有島武郎の長男で京大哲学中退の俳優森雅之のなんと太宰治に似ていることか)は温泉で知り合った女おせいとも関係してしまう(してしまうこそ情痴の本質だ)。愛の象徴なのか幾度も二人は林檎を買い求め、皮をむく。《マンゴスチーンを上品な果実とすれば、その正反対な果実に、臭気ふんぷんとしたドゥリアンと云う珍果のある事をも書かねばならぬ》といった雑文で富岡は稿料を稼ぐが、その半分はゆき子に送られ子供をおろす費用となってしまう。いかさま新興宗教から六〇万円を盗んだゆき子と富岡は島流しのように屋久島へ向かう。途中、鹿児島で買った林檎はまずく、富岡は芯をかっと吐き出す。胸を病み、熱に浮かされるゆき子に蜜の記憶があらわれる。《窓の外に、大きな樹の実の落ちる音がした。二人は、その音にもおびえる。井戸の底にでもいるような、静かな、高原のビアンホアのホテルの一夜は、ゆき子にとっては、夢の中にまで現われて来る。房々とした富岡の頭髪の手触りが、いまでもじいっと思いをこらすと、掌のなかに匂ってきた。》(喘ぐように息継ぎが多いが吹っ切れた芙美子の文体)ゆき子が、ああ生きたいとうめいているとき、富岡は土砂降りの山の営林所で薯焼酎を飲みながら、八重岳の山容がアンコール・トムのバイヨン宮に似ていると話しだす。「山の石肌には、巨大な、人面を現した石積の塔が聳えていてね、部屋々々の石柱は、傾き、石梁は落ちかけて、この山石の、廃墟の前庭には、巨きな樹が、倒れかけた擁壁を支えているし、ここの、杉のミイラと少しも変りはない。」 やっと官合に戻るとゆき子は冥府へ走り去っていた。

『おとなしいアメリカ人』(グレアム・グリーン)にならって、マジェスティック・ホテルのバーから夕暮れのサイゴン川を見下ろした。街中でモーターバイクが雲霞のごとくわいてくる。その無数の無名性にアメリカは負けたのだ。早朝から海鮮、焼肉、香草の臭いが混じりあい果実が道端に転がるチョロンで、目があっただけで知り合ったピンクのアオザイを着た黒い髪の美しい女の平和が長く続くことを祈った。

 アンコール・ワットの日の出は美しく、「帰る日の朝、あまりに素晴らしかったので無理してもう一度行ってしまったの」というあの女の感嘆の声が耳もとに甦ってくるのだった。