文学批評 水村美苗『本格小説』の「誘惑と拒絶」――虚構の世界の優位性

f:id:akiya-takashi:20190201111737j:plainf:id:akiya-takashi:20190201111931j:plain f:id:akiya-takashi:20190201111748j:plain



                              

 水村美苗の『本格小説』は、ニューヨーク郊外で東(あずま)太郎の成功(サクセス)を眼のあたりにした「水村美苗」という作者と同名の登場人物が、その男の半生に関する「小説のような話」を若い元文芸誌編集者の加藤祐介から、カリフォルニアで雨夜に聞く(そこまでが「本格小説が始まる前の長い長い話」)、という構成になっている。

 

<ほんとうらしさ>

「序」にこうある。

《結局私はそのとき与えられた「小説のような話」をもとに小説を書き進めたが、それは、のちに述べるように、天の啓示を受けたという昂揚感のなかで書き進めたのではなく、書くべきではないものを書いているという後ろめたさや、おそらくはうまくはいくまいという敗北感を抱えながらのことだったのである。》

 ところで「本格小説」とはもはや聞きなれない言葉だから、あまりこの言葉にこだわる必要はないのかもしれない。いくつかの時評も一言触れるか触れないかで小説の筋の紹介に筆を移してしまうものがほとんどだった。しかし仮にも作者が題名として選択したものであり、そのうえ前作に「私小説」という言葉が織り込まれ、かつ本作品中でも「本格小説」と「私小説」について批評家を挑発するような――高橋源一郎との対談『最初で最後の『本格小説』によれば、水村は批評家に期待はしていないそうだが――文章が数ページあるからには、そう簡単に通り過ぎてよいものではないだろう。

 まずは「本格小説」と「私小説」をめぐる教科書的なことを確認しておく。

本格小説」は大正末年に「心境小説」――荒く括ってしまってもよいだろう、「私小説」の一境地にすぎない――に対立する批評概念として使われた。「本格小説」は『戦争と平和』、や『罪と罰』、『ボヴァリー夫人』のようなもので、高級は高級だが、結局、偉大なる通俗小説に過ぎない、作り物であり、読み物である、とまで「心境小説」や「私小説」から遠かった夏目漱石――『道草』ぐらいであろうか、それらに近く、しかも失敗作――のいわくある弟子久米正雄に批判されている(そこに芥川龍之介が末期の芭蕉と弟子達を描いた『枯野抄』の漱石版が狙いどおり透けて見える)。

 心境小説というのは、実はかくいう私が、仮りに命名したところのもので、という久米は『「私」小説と「心境」小説』で、《例えばバルザックのような男がいて、どんなに浩瀚(こうかん)な「人生喜劇」を書き、高利貸や貴婦人やその他の人物を、生けるが如く創造しようと、私には何だか、結局、作り物としか思われない。そして彼が自分の製作生活の苦しさを洩らした、片言隻語(へんげんせきご)ほどにも信用が置けない》とまで言っている。

 私小説なら、そのうえ不幸であればあるほど真実があるという情緒が形成され、それは逆に、幸福には嘘がある、となってしまう。こうして日本近代文学は知的で愚かな中産階級――漱石の世界はそれだった――の幸福な日常を小説化することなしに、作家自ら求めた不幸な心境を、形式に無頓着に、主体も他者もなく――それだからこそ漱石は英国でも日本でも神経を衰弱した――だらだら売りつける名人芸となってゆく(そのこと自体まことに不幸な文化状況に違いない、と水村は他でも語っている)。

 久米の「私小説」を擁護する論調がいかに日本人の、即物的、生理的な感覚に根ざした価値観の動員を計っているかは容易に気づく。

《第一に、私はかの「私小説」なるものを以て、文学の、――といって余り広汎(こうはん)過ぎるならば、散文芸術の、真の意味での根本であり、本道であり、真髄であると思う。というのは、私が文筆生活をする事殆ど十年、まだ文学の悟道に達するには至らないが、今日までに築き上げ得た感想を以てすれば、自分は自分の「私小説」を書いた場合に、一番安心立命(・・・・・・)をその作に依って感ずる事が出来、他人が他人の「私小説」を書いた場合に、その真偽の判定は勿論最初に加えるとして、それが真物であった場合、最も直接に(・・・・・)、信頼(・・)を置いて読み得るからである。》

 ここまで無邪気に自分の感想、感ずるところだけで「道」をもちだし、「私小説」への信頼を評論として発表できるのだ。

《結局、凡て芸術の基礎は、「私」にある。それならば、その私を、他の仮託なしに、素直に表現したものが、即ち散文芸術に於いては「私小説」が、明に芸術の本道であり、基礎であり、真髄であらねばならない。》

 そしてこのあたりから。心境や不幸を求める小説家としての「私」が顔をあらわしてくる。しかも殉教者のごとく、「信ずる」という評論からもっとも遠い言葉をもちだし、「腰を据えて」人生論のように語る。

《即ち私は、「私小説」の本体たる「私」が、如何にツマラヌ、平凡な人間であってもいいと極言したい。そして問題とすべきは、ただその「私」なるものが、果して如実に表現されているか否か、にかかる。本ものの「私」しか、偽ものの「私」か、にかかる。》

 水村の評論『「男と男」と「男と女」――藤尾の死』には、『虞美人草』――暗いところに生まれ、ある人は私生児だとさえ言い、袖筒を着て学校へ通う時から友達に苛められていた『虞美人草』の小野さんより『本格小説』の太郎はツマラヌ人間ではないが、誘惑への葛藤には水村の模倣と変容がある――を書く漱石を語って、揺れ動く自分の心情を語ってしまう文章がある。《大学をやめ、職業作家になり、「眞の日本文学」はどうあるべきかという問を問える場で書いた『虞美人草』は、それ自身、不本意な人生を離れ、自分の本然に立ちかえった人生を選ぶ男の物語である。小野さんの直面する倫理的葛藤は、小夜子を選ぶか藤尾を選ぶか、二人の女のうちどちらを選ぶかという葛藤ではなく、孤堂先生との約束に忠実でいるか藤尾の誘惑に負けるかという葛藤であり、それはまさしく、「漢文学」という恩義あるものへのつながりを再認識するか、それとも「英文学」に鼻面を引き回されて盲従するか、という問の転化したものである。》

本格小説』では、私小説めいた「ほんとうらしさ」の印象の上で「小説のような話」を利かされることになる――私小説めいた部分が百数十ページあまりもの長い長い仕掛けとなっているけれども、誰かから偶然もたらされた物語りというスタイルは西欧近代文学の古典的なそれだ。加藤祐介の話はすぐに土屋冨美子の「関係ないこともたくさんお話していい?」で始まる限定的な視点のストーリーに渡され、信州での祐介の一週間と絡みあいながらプロットが構成されていく。

 水村美苗は「私小説」が日本でもちうる「ほんとうらしさ」にやるせなさを感じたあげく、「物語り」というありかたに思いをはせる。《日本語で書かれた小説は、たとえそれが三人称で書かれたものであっても、そこに小説家の具体的な「私」が読みこまれてしまい、「書く人間」としての主体によって構築された小宇宙とはみなされにくかったのではないか。別の言い方をすれば、日本語の小説では、小説家の「私」を賭けた真実はあっても、「書く人間」としての「主体」を賭けた真実があるとはみなされにくかったのではないか》につづくさりげない文章だが、案外と水村の心情を吐露してはいまいか。

《だからこそ、日本近代文学には、小説家の「私」と切り離されただけでなく、そもそも小説がもちうる「真実の力」とも切り離された、「物語り」の系譜というものが別に脈打つ必然があったのではないだろうか?》――ここでの「物語り」とは、水村が辻邦生との往復書簡『手紙、栞を添えて』でとりあげた、米国でのハイスクール時代、年に一度は儀式のように読み返していたという吉川英次『宮本武蔵』のようなものを指しているに違いない。

 恩寵のようにもたらされた「小説のような話」を「私」は、「私小説」的なものから遠く隔たった「本格小説」にしたいと、日本語による困難を感じつつ書き始める。

 それら全体が作者の「序」と「あとがき」に挟まれ、まるで幾重にも折りたたまれたパイ生地のように、話の中に話が、聞き手の中に話し手が、話し手の中に聞き手が、あまやかで艶っぽい空気をはさんで焼きあげられている。

 しかし「私」とは、よう子の次の言葉を聞くとき、いったい何なのであろうか。

《――なんだか、あたし自身が、どこかに消えちゃったような気がする。太郎ちゃんは……太郎ちゃんは……あたしがあたしであるよりも、もっと、あたしそのものだったの。》

 

<疑惑とアポリア

 ニュークリティシズムの精緻な読解の土壌に脱構築(ディコンストラクション)批評を開花させた――と単純に美化できない背反的な愛憎劇があったにしても――ポール・ド・マンの、イェール大学での最後の生徒の一人だった水村の小説を論じるとき、水村がド・マンに関する評論を発表していることを忘れるべきではない。

 おそらく『本格小説』にはド・マンにおける「理解するという行為そのものに常に内在するあやうさ」、「誘惑と拒絶」、「アレゴリー」などが隠されたテーマとなっているに違いないからである。

《――あまり速く読んだり、あまりゆっくり読んだりすると、何もわからない――(パスカル) 『読むことのアレゴリー』は、右の、『パンセ』からの引用をそのエピグラフとして本の冒頭に掲げている。ところで、このエピグラフ自体、はたしてわれわれは読むこと=理解することができるのであろうか。》

 この問いかけから水村は、ブックガイドとしての『ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー』を論じている。

《たとえばわれわれは『パンセ』に即してこう言えるかもしれない。 人間は無限に大きなもの(「無数の宇宙」)と無限に微細のもの(「自然のなかの最も小さなもの」)、すなわち「無限と虚無」という「二つの無限」の「中間」に在る。それは、人間が「無限に対しては虚無……虚無に対してはすべて」だというような中途半端な存在であり、「両極端を理解することから無限に遠く離れて」いるということにほかならない。人間にとっては自分の大きさに見合ったことをかろうじて理解することしか能わず、「事物の究極もその原理も……立ち入りがたい秘密のなかに固く隠されて」いるのである。したがって、速すぎてもゆっくりすぎてもわからない、という読む行為に見いだされるあやうさは、両極端の間のきわどいバランスの上でしか成り立たない人間の理性のあやうさのひとつの比喩だと言えるだろう。》

 そのような警句として捉えることはパスカルからの引用であればなおさら自然ではあるが、もし字義どおりに、あまりにゆっくり読みすぎてしまったらどうなるのであろうか、と水村は問いかける。

《読めば読むほど、「あまりゆっくり読んだりするとわからなくなる」という言葉をモラルのこもった警句として読むべきか、そのまま真にうけて読むべきか、すなわち、比喩的に読むべきか文字どおりに読むべきかがわからなくなる。そしてその結果、「あまりゆっくり読んだりするとわからなくなる」という言葉が文字どおりに理解され、パスカルからの引用は同じ形をしていながらまったく違う文章としてその姿をわれわれの前に現すのである。 しかもこの同じでありながら違うふたつの文章の違いはどうでもいいような違いではない。あやうさは、はたして人間の理解力に内在しているのか。人は言葉か。主体としての作家かテクストか。言わんとしていることか、言っていることか。意味か記号か。解釈か詩学か。パスカルの引用は現代批評のアポリアへとまっすぐわれわれを導いていくものである。》

 しかし水村を、あまりド・マンにつきすぎて読んでも、離れて読んでも、わからなくなる。とはいえ、ド・マンにつきながら水村を論じた批評を目にかけないので、ここでは少しばかりド・マンに添ってみる。

本格小説』の物語り構造において、幾層もの、しかし限定された視点での、そのうえ小説化された「小説のような話」の読者は、水村の次のような文章と共鳴しあうだろう。さらにもっと先回りして言ってしまえば、よう子と太郎の恋愛もまた「理解することの不可能性」の物語りとして姿をあらわす。

《読み手としてのわれわれはテクストを読むことができないし、ナラティブ(物語り)としてのテクストは――まさにパスカルからの引用のように――読むことの不可能性、そして、みずからを読まれることの不可能性をものがたっているのである。しかも、われわれは、その不可能性の前に安住していることはできない。言語が言語であるかぎり、それは、読まれること=理解されること、つまり意味をなすことをわれわれに要求し続けるものである。意味と意味とのあいだのアポリアとは、究極的には、読むことの不可能性と理解されることの絶対的必然性とのあいだのアポリアにほかならない。そのアポリアは決してスタティックなものではありえず、永久運動を続けながら、より高度な(アイロニカルな)アポリアへと突き進んでいくものなのである。》

「雨の夜におそうめんなんておいや?」と冨美子が誘う最後の章で、三枝三姉妹の三女冬絵が祐介に明かした疑惑の心理的伏線となるさりげない言葉が、物語りの始まりの章「小田急線」ですでに予告されている。それは冨美子による源次オジへの回想にすぎない。だが、冨美子の物語りを、万平ホテルのBARでの冬絵の大人のお話を、さらには三軒茶屋のアパートの三十がらみの顔色の悪い女の露骨な言葉を、それらすべてを、でっちあげ、と疑わせてしまうアポリアへの気づかせがある。

 女中の職を得させようと成城学園前の三枝家を冨美子と訪れた源次オジが、「実はハルエ、ナツエ、アキエという名の三人の才色兼備で評判の姉妹が軽井沢にいるという話を、昔、外国人の船客たちから噂で聞いたことがある」、「一人ぐらい射止めて本国に連れて帰りたかったなどと言っていたかたもいらっしゃいましたよ。金髪のかたで」などと話すと、「まあ、ペーターかしら」と姉妹は、のちにも登場する名前をあげて反応した。《オジが亡くなってから、あるときふと思いました。客船に乗った外国人から三姉妹のことを聞いたというあの日のオジの話が本当の話である保証はどこにもありません。オジのことですから、三姉妹の一人が》「ナツエ」と呼ばれているのを聞き、その瞬間にふぇっちあげた話だったとしても、ありえないことではないのです。今となっては真相を知りようもありませんが、唯一たしかなのは、オジ自身そのような話が三姉妹のうえにもちうる力を熟知していたということです。》

 あるいは、「不始末」について考えたとき、冨美子一人の分析からだけでも、真実はどこにもない、またはたった一つの真実などない、というアイロニカルなアポリアにたどりつく。

《あんな風に太郎ちゃんを入り浸りにさせたお祖母さまがいけない、と夏絵さんは旦那さまを責められたそうですが、そもそも夏絵さんがお祖母さまによう子ちゃんをあてがってご自分が成城に入り浸っていらしたのがいけないとも言えます。でも夏絵さんとお祖母さまと両方知っているわたしからすれば、その方があの長い年月お互いに幸せであったことは疑いないのです。それに夏絵さんが成城に入り浸るようになったこと自体、宇田川家の没落に加えて、旦那さまが仕事熱心で家にほとんどいらっしゃらないという事情がありますので、実際、誰が悪いということは簡単には言えません。》

 太郎と冨美子に肉体関係があったと冬絵から聞いた祐介が、《記憶に呼び起こすにつれ、同じ言葉が同じ意味をもたなくなって》と混乱する冨美子のなんでもなかったはずの言葉たち。《太郎ちゃんが扉へ向かおうとするのをわたしは全身で押し戻そうとし、それからしばらく争ううちに、二人とも畳のうえに重なって転がり、太郎ちゃんはその場で畳に額を押しつけたまま、まるで少年のころに戻ったようにオイオイと声をあげて泣き始めました》や、《あの日から太郎ちゃんがアメリカに発つまでの半年間のことは、今思い出してもぼんやりしています》や、《わたしへの拒絶を若い背中に露わに勉強しようとします。そんな姿を見ると無性に腹が立ち、声を荒げて言うべきではないことを言ったりもしてしまいました。恥ずかしいことですが、果ては泣いて頼んだりもしてしまいました》や、源次オジと春絵のじろじろ見る視線の饒舌さ。

 十五年ぶりに帰ってきた太郎があの時から一滴も呑んでないと知った冨美子は《わたしのアパートに転がりこんで呑んだくれていた六ケ月を恥じて呑まないということでしたら、あの六ケ月は記憶から拭い去ってしまいたい日々なのでしょうか》と女心が動いてしまい、《――あなたは、あたしに失礼にならない形で、お礼なんかできないの。一生できないの。それがあなたの運命なの》と皮肉ってしまう。よう子との再会をはたし、年に二回はニューヨークから帰ってきていた太郎が、よう子と《大人の関係に入るようになったのかどうかわたしにはわかりません。ただ太郎ちゃんはよう子ちゃんと一緒にいるところをわたしにあまり見られたくないようです。わたしも見たくもありませんから丁度いいのです》と言いたくなる。

 また、屋根裏部屋に登る階段の途中で引き返してしまった冨美子――その瞬間、妙な感じがしたのです、幼いころのよう子ちゃんが亢奮して一人でしゃべっている声が聞こえてきた気がしたのです――に嫉妬の深層心理を読みとるのが正しい読みなのかどうか。屋根裏部屋で発見されたよう子に押し重なって太郎が泣く姿に、水を浴びせられたような気がした、のをどの深さまでで理解すべきなのか。

 これも完全に黙殺されているのだけれど、よう子は二人の関係をどう思っていたのだろう。冨美子の口から差しだされているのは、十七年連れ添った再婚相手が亡くなり、太郎のアシスタントとして東京で働くことになった冨美子を見ながら、チンチンという音に合わせて小田急線の踏切の赤い光が顔の上で点滅するよう子の大声だけだ。《――太郎ちゃんは、ほんとうはフミ子お姉さんの面倒をずっと見たかったんだと思うのよ。それが旦那さまがいらしたんで、遠慮してたんだと思うのよ。だからこれくらいのことはさせてあげなきゃあ。》

 そうして、十七年ものバランタインが半分残ったタンブラーを前に、冬絵がぼんやりと眼を宙に浮かせて自分と対話しているように言った「愛されないっていうのはとても不幸なことだと思う」は誰の人生のことなのか。

ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー』で論じられたことと『本格小説』との共通点をもうひとつだけあげてみれば、形式性に対する強い意志が感じられることだ。

《『読むことのアレゴリー』(一九七九年)の構成は、いかにこの本が全体的な統制への強い意志で貫かれているかをものがたっている。その完璧にシンメトリカルでありながら規則正しいプログレッションを含んだ構造は、全体の構造がすべてであるという意味において音楽的ですらある。ド・マン自身、レトリカル・ディコンストラクションのことをティラニカル(圧政的)とかトタリタリアン(全体主義的)という表現を使って形容しているが、この、綿密に構成しつくされたテクストの感じさせるものは――たとえ、ド・マンの言う通り、テクストが自分で自分をディコンストラクトするものであったとしても――まさに、そのテクストの背後に(・・・)ある、ひとりの人間の、ティラニカルでもトタリタリアンでもある意志にほかならない。》

「小説のような話」との類似性に作家自身気づいた『嵐が丘』の形式性はよく研究されているところで、特にその時間的、系図的シンメトリカル性などがあげられるが、綿密に構成された『本格小説』というテクストが自分で自分をディコンストラクトするものであったとしても、そのテクストの背後にある、ひとりの芸術家の、ティラニカルでもトタリタリアンでもある意志が見てとれる。

《東太郎という名は実名である》と「水村美苗」が念をおすとき、最後の聞き手としての読者は、「本格小説」と「私小説」、作り物と「ほんとうらしさ」の境界を、くりかえされる未解決のオブセッションのもと、はてしなく揺れ動く。

 

<月の光>

 いかにもアメリカらしい影の欠如をとりもどすかのように、日本人加藤祐介がカリフォルニアの水村美苗の家を訪れたところから陰翳礼讃の世界が醸しだされる。

《四方の壁についている、十ワットあるかないかの黄色い小さい電球がうすぼんやりと四囲を照らし出している。入居してすぐに家中の電球を明るいものと取り替えたが、この部屋では本を読むこともないので、そのままにしておいたのである。二人は小さな家ごと雨と闇に閉ざされ、さらに蝋燭のように仄暗い光に閉ざされた。(中略)やがて祐介はぽつぽつと話し始めた。そうしていったん話し始めるともういつまでもやまなかった。私は深い眠りを眠りながら聞くように祐介の話を聞いていた。今という時間も消え、祐介も私も消えた。現実がすっかり消えてしまった眼に、四方の壁についた小さい電球が黄色い光を放つのが、闇夜にちらちらと揺れる鬼火のように見える。家の外から自然の猛威が押し寄せてきているのも、自分を離れたどこか遠い出来事のようであった。》

 最終章「ハッピーヴァレイ」でも冨美子がいったん話を止めると、雨夜になっている――自然現象と時間の融合した雨夜が『源氏物語』さえ連想させてしまう日本の物語りの情緒を、カリフォルニアでも信州でも水村は戦略的に利用した――が、嵐の一夜というところに、魂を揺るがす漱石文学のドラマティックさが匂ってくる。

 追分の山荘で祐介が冨美子、太郎と出会う「迎え火」の章からは、月の光が重要な役割をはたす。信州での祐介の奇妙な一週間は、「迎え火」の満月の夜の不思議から始まり、「ハッピーヴァレイ」の白い月をめがけてお椀の中のものを投げる太郎を目撃するところでとじられた。

《月は満月であった。 満月なのに行く手がよく見えないのは、あたり一帯が夜空に影絵のように高く聳える雑木林だからである。満月の光は黒々とした梢の合間をぬって、白い砂利を敷いた狭い山道をまだらに照らすだけであった。》

 月の光は妖しさのアレゴリーとして機能する。そればかりでなく、過ぎてゆく時とくりかえしのアレゴリーでもあろう。

 折りたためば重なりあうかのように構成した小説家の意思が細部にまで散りばめられ、よう子と太郎のこの世を越えた愛の行方が予兆されている。

《まわりの庭も月の光に照らされて静まり返っている。人の歩くところは辛うじて砂利が撒かれ雑草も抜いてあるが、その外は荒れ放題であった。背の高いススキがかたまって生え、透き通った穂が月の下で銀色に光っているのが凄まじかった。 ふいに別の気後れが祐介の心の中に生まれた。眼の前の朽ち果てそうな山荘が、今の時を離れ、この世を離れ、何か別の世界に息づいているような気がしてくる。今日一日珍しく鄙(ひな)びた光景ばかり眼にしてきたせいかもしれないが、長旅のあと幽かな光を頼りに野中の一軒家にようよう辿り着けば、実はそこには死んだ人間の怨霊が棲み、朝になると白骨の亡骸(なきがら)がその辺に転がり、下地の竹格子を露わにした土壁の間を風がひゅうひゅうと音を立てて通り抜けるばかりだったといった、どこかで読んだことのあるような日本の昔話まで思い起こされる。きっと『今昔物語』か『雨月物語』からの想起であろう。

嵐が丘』でロックウッドの悪夢のうつに窓の外にあらわれたキャサリンの亡霊そのまま、緋鯉の浴衣――小さい糸切り鋏をもった冨美子が、年相応に微かに血管が浮いた手(水村は指に執着する)で浴衣をほどき、樟脳の懐かしい匂い(水村は匂いの官能に疼く)とともに「茶箱からこんなものが出てきたわよ」、「絹だったらおしまいだったけど、綿だからもったのよね。こんな柄、もう見ないから、何かに再生させようと思って」と話す場面をさりげなくくりかえしたあとで――を着た女の子が祐介の前にあらわれた。

 夏の夜の大地が重く生温く匂い立つようであった。《どれぐらい眠ったであろうか。 納屋の扉がさっと風で開いた。 寒くもないのに肌がふわっと粟立つ感覚があり、戸口に透きとおる月の光が斜めに射しこんでいた。そしてその透きとおる月の光の中に浴衣を着た女の子が立っていた。縮れたおかっぱ髪を獅子のようにそそり立て、たじろぐようなまなざしで、上に寝ている祐介を睨んでいる。うちわをもった小さいこぶしが固く握られていた。気がつけば遠くから「東京音頭」が聞こえてくる。上半身を起こした祐介が息を呑んで見つけていると、女の子は声にならない声で何か二、三言狂ったように叫ぶなり、ふいに納屋の外へと長い袂を翻して躍り出た。》

 動物のように精悍な顔をした男東太郎が、ヒースクリフのようにこの世そのものとまったくそぐわない、敵意としか呼びようのないものを表情に浮かべ、生きとし生けるものすべてを拒む眼付きで祐介の前にあらわれる。あなただってまだこれから生きていかなきゃあならないんじゃない、と冨美子の声が奥から聞こえてくる。ふたたびあらわれた太郎は祐介の職業を知って、一人の女の小説家のことを尋ねる。ヒースクリフのように酒を勧め、「もう呑んでもいいんじゃないかって思った……。今まで長い間禁煙していたんですけど、丁度いい機会です」と語る――十五年ぶりに日本に帰ってきや太郎が冨美子に《――生きていることに何の意味もないってことがわかったら、そのときに飲み始めようって思ってる》と話す場面がのちにでてきて、敏感な聞き手(読み手)ならなにかしら意味を欲望するに違いない。

 低くなった月の光が蒼く太郎の顔を照らす。緋鯉の浴衣を着た少女があらわれたことを伝えるや、少女が去った方に向かい月に憑かれたようにその白いワイシャツ――隠れる人太郎は成功してからさえ、いつも白いシャツで影の底からぼうっと浮き上がる――の背中をみせて坂道を駆け上がって行った。

東京音頭」の歌が太古の音と共に聞こえてくる。別荘の台所で、お味噌汁の入った小さな赤いプラスティックのお椀を両手でもった小学五年生のよう子はお祖母さまに脱ぎなさいと言われても緋鯉の浴衣を脱がずに着ている。真暗な納屋の中に一歩入ったところによう子が立って、上のベッドに寝ころんで天井を見ている太郎をもの凄い眼つきで睨んでいる。よう子の背中から真暗な納屋の中へと白い月光が低く入りこんでいた。あたし一人で行く、迷子になったって知らないからっ、と長い袂をふわっと翻して外に出たよう子の後を追って太郎が駆け出す。ここからが谷崎『春琴抄』を思わせもする愛の形だ。

《でも最終的にはよう子ちゃんの方が無限に強い立場にあるのです。そしてそれを太郎ちゃんだけが知りすぎるほど知っているのです。 アヤマンナサイッ、と一際高く響きます。 ふいに満月が白い光を集めて太郎ちゃんを照らし出しました。太郎ちゃんがすとんと跪いたと思うと、両手をついて地べたに頭をこすりつける姿勢をとったのです。下に置いた懐中時計が小石を照らします。(中略)はだしの片足を手にとって下駄をはかせ、ゆかたの裾からいとおしそうに泥をはらう細い姿が満月の許に透き通るように輝きました。》

 よう子はいつだって太陽の光よりも狂気の色を秘めた月の光を集める女だった。ハイ・ティーの晩に照り渡る月の光を白い服に集めて、マリア・カラスの好きな春絵に嫌みを言われながら歌を歌ったこともあった。それは「桜の園」の章で、雅之の父雅雄と京大で知りあいだった老紳士白河が、もう二十年以上も前のことになるけれど、「この辺りの言い伝えで娘が一人きりで長いこと月に照らされていると物に憑かれるというのがあるそうですが、あのときのよう子ちゃんはまさに何かに憑かれたようでしたな」と回想するコロラトゥーラのルチア――城主の妹ルチアは兄と敵対関係にあるエドガルドと恋仲だったのに引き裂かれて別人と政略結婚させられる、が婚礼の夜ルチアは夫を殺したあと狂い死にし、エドガルドも後を追う――を歌う姿だ。そのときよう子は雅之に見初められたのだった。

 十五年ぶりに帰国した太郎が、雅之と結婚して娘深雪がいるよう子と追分の別荘で再開したときも、子供だった太郎が両膝を地面につけて跪いたところに月光の下で二人の影ができた。

「雪の上の二本の轍」の章から、はかなさと滅びの月が姿をみせる。

 死んだのは夜中の二時過ぎでした。《非常口を出て冬の夜空の降るような星のあいまから細い月が清(さや)かにアスファルトの駐車場を照らしているのを見たときです。 よう子ちゃんが死んでしまった。 その事実がふいにわたしに襲いかかりました。その瞬間地面が揺らぎ、満点の星が月を中心にぐるぐると頭上で回り、思わず両手で顔を覆ってその場に蹲ってしまいました。》

 そして最終章で祐介の眼に月は二度あらわれ、二度物語りをとじる。

 はじめは、最後に東太郎をもう一度見たいという欲望をもった祐介の眼に映るそれとして。《やがて太郎がふいに立ち上がるのが見えた。小さな赤いお椀を片手に勢いよくベランダの階段を降りて来て庭の中心まで進んで来る。逃げる機会もなかった祐介は櫟井の裏で身をすくめた。太郎は十メートルと離れていない所に立ったが、そのガラス玉のような眼は現実の世界は見ていなかった。つと天を見上げると、白い月をめがけてお椀の中のものを力の限り投げた。 粉々になった人骨は透き通って宙を舞い、やがてパラパラと落ちてきた。月の下に立った太郎はじっと目を閉じていた。白い細かい人骨を頭から浴びて岩のように不動であった。》

 二度目はすぐ次のページ、奇妙なお盆休みから十ヶ月後の梅雨に入る前、アメリカの永久居住権に当たったけれど行くべきか決めかねて今一度信州を訪れたさいのこと。《ふいの空白が祐介の眼を射た。朽ち果てそうだった山荘は影も形もなかった。二本の杭とあたりの藪はそのままに、山荘があった跡に黒々と剥き出しになった土があるだけだった。そのとき初めて祐介の胸にあの一週間が苦しいほど生々しく、荒々しく蘇った。祐介は杭の脇に立って長い間その黒々とした土を見ていた。やがて白骨の細かい破片が地からふわっと浮き上がると、眼に見えない月の光を受け透明に舞った。》 祐介がアメリカに発ったのはそれから三ヶ月後だった。

 

<再生の悦び>

 美しい光は月の光ばかりではない。水村が日本語を読んでいたり書いていたりして感じる、五感にうったえてくる圧倒的な快楽、とは四季の自然描写だった。むせ返るような緑を貫く朝の透明な光が五感を襲う。

《沈黙とともに透明な陽の光につつまれた光景がいよいよ光を増した。あたりの緑は神々しいまでに輝いた。 シジミ蝶はまだぐるぐると舞っている。 微かに風があるのか、高い梢の葉が、さわさわ、さわさわ、と葉裏を返しながら動くのが、鳥の音を縫って聞こえてくる。透明な陽の光は梢の合間を通ってベランダの床を照らし、梢の葉が、さわさわ、さわさわ、と動くのにつれ、チラチラと輝く光がベランダの床の上でうねるように揺れた。光がささめきあっているようであった。 はっと思ったときはすでに隣の女の肩が細かく震えていた。》

 人は身に浴びる光の質で人生を決め、光の震えで世界を知るのかもしれない。

 ここにあるのは再生の悦び、幸福感だ。満州からの引揚げ、蒲田の孫請け工場、三軒茶屋の共用便所アパート、駆け落ち事件、恋人の死などがあるにしても、否応なく襲ってくるステレオタイプな不幸で泣かせる――日本精神分析すべき、あいも変わらぬベストセラーの泉――小説ではない。成城学園前の太陽の眩しさ、軽井沢の西洋館にある屋根裏部屋の鎧戸の隙間から差し込む朝の光がある。

 十七歳の冨美子の前にうららかに広がる光景。

成城学園前の駅を降りたときの印象からしてちがいました。明るいのです。しかも空気がちがうのです。五月の暖かい陽の光の中に風がすうっと通りぬけるのに幸福感すら覚えます。》

《突然五月の太陽が眩しく世界を照らしました。 色とりどりの花――戦争中にテニスコートを野菜畠に変えたのが、今は花畠になったということで、フリージア、チューリップ、グラジオラスなど、のちになって名を知った花が初夏の日をあふれるほどに浴びて咲き乱れています。その向こうの芝生のうえに、幸福というものを絵に描いたような光景が広がりました。(中略)あのときわたしの一生が決まってしまったのでしょう。》

 働きはじめて最初の二週間に一度の休日、感傷にかられて足を伸ばした上野公園の午後の光や、さんざん歩いたすえ、ぼんやりとベンチに坐って午後の光に夕闇がせまってくるのを感じるところなどは、そのすぐあとの宇田川家のぬくもりとともに光で情を爪弾く。

本格小説』は本を読む悦びを書きつづった小説でもある。小説を読むという幸福が溢れている。現代小説のうんざりする果てしない退屈さではなく、なんども読み返したくなる近代小説のそれである。

 三月十日の東京大空襲から玉音放送にかけての源次オジの立ち回りを冨美子――わたしが誰よりもオジの話を熱心に聞くので可愛がってくれたのだろう、というところに幼い頃から物語りを好んだ昭和十二年生まれの冨美子の性格が素描されている――は時代と社会に寄り添って話す。

《ある日軽井沢まで行ってきたと汗だくになって帰り、リュックサックから紐でくくった本の束をとり出し、わたしのまえに置きました。東京の本屋からはもう本らしい本は消えてしまったと聞いているのに、さすが軽井沢だね、と駅のそばの古本屋で手に入れたそうで、疎開してきた東京のお嬢さんたちの本だ、読んで「レディ」らしくなるのだと言います。また、もうじき戦争が終わる、だからこういう本を先生や友達に内緒で読む必要もなくなるとも言います。ぶあつい表紙に色刷りの挿絵のついた綺麗な本で、教科書しか知らなかったわたしはびっくりしました。「レディ」が何物であるかもわからないまま、源次オジも読んだのかと訊くと、いいやあ、と照れて応えました。少女のための小説だったのです。翻訳された外国の小説もあれば、日本の人が書いた小説もありました。》 この疎開してきた東京のお嬢さんたちが三枝三姉妹とはどこにも書かれていないが、そう思いたくもさせるではないか。

《そのうちに父の弟が復員し、母はその弟と結婚しました。わたしの眼には母が喜んで結婚したように思えました。(中略)学校から帰ると今度は母が新しい父との間に作った弟を背中にくくりつけ、家の用のあいまあいまに家族に隠れて本を読む毎日でした。》 昭和二十七年、新制中学を卒業すると源次オジを頼って立川の米軍基地に出てくる。オジの家で《週日でも寝る前に小一時間本を読むことができます。いかがわしい雑誌と並んで売られている文庫本の古本です。週末も掃除と洗濯を済ましたあと陽がある間は縁側に出て本を読んでいました。》

 ずっと冨美子は本を読みつづける。昭和三十一年ともなれば、三枝三姉妹の次女夏絵が嫁いだ、成城学園の二つ新宿寄りの駅、千歳船橋の宇田川家の女中として、東京の言葉も大分楽に出てくるようになる。《でも何よりも有り難かったのは、お三時のあと夕食の支度にとりかかる前、一時間ほど読書するのが公然と許されるようになったことです。女中部屋の桑箪笥の上にいつも読みかけの本が置いてあったり、夜遅くまで本を読みすぎて赤い眼をして起きてきたりするのに気がついたお祖母さまが、おまえは本が好きなんだね、ここじゃあそんなにすることもないんだから、読んだらいいじゃないか、とおっしゃって下さったのです。それを聞いた旦那さまも、家の中にある本は自由に読むようにとの仰せです。》

 三軒茶屋のアパートでも、軽井沢の屋根裏部屋でも、蒲田をよう子と訪れたときでさえも冨美子は本を手放さなかった。

 そのうえ、亢奮症で寝付きの悪いよう子が本を読んでもらう場面が二度、三度とオブセッションのようにくりかえされる。あるときは雅之に、そしてあるときは太郎によって。

 ところでこの小説は太郎という魅力的な男の匂いと指――触覚の代理だろう――の美しさをくりかえし描写する。「本格小説の始まる前の長い長い話」の太郎がすでにそうだった。《黒っぽい背広姿が私のまえを通ってバスルームへ行くとき、一瞬マンダリンみかんのような甘酸っぱい匂いが鼻をついた。》、《――Did you see his fingers?》、《――So-o beautiful! 長くて優雅なの。》

 冨美子の記憶はいつも匂いとともにある。よう子が最初に太郎の匂いにうっとりしたのは、冨美子が昨夜のお風呂の湯で幼い太郎を洗ってあげ、よう子の二歳違いの姉ゆう子のパジャマを着せた場面だ。よう子は、《よかった、きれいになって、と襟のあたりに顔をもってきて、いい匂い、と鼻孔を膨らませて嗅ぎます。》

 尿と汗とが混ざったなんともいえない悪臭がむっと漂ってくる東家の四畳半。蒲田では、太郎の若々しさが清々しさと通じず、よどんだ澱となり、それが妙に生臭く全身から匂ってきてしまう。廊下の突き当たりにある共用便所を拠点にいくら掃除しても取れない尿臭が鼻を衝く三軒茶屋のアパートで、壁に頭をぶつけ、体重を支える長くて美しい十本の指を見せて焼酎の匂いをさせる太郎。

 十五年も前のことなのに昨日のことのように、太郎が自分を置いて出ていってしまった悲しみが蘇ってくるよう子。《――ほんとうに結婚してないの? 太郎ちゃんの右手と左手とを代わる代わる自分の手に取っては指に尋ねるように、一本ずつ摘まんでいっています。まるで狂女が人の指でもって花占いでもしているようです。》

 悦びといえば音楽が大切だ。マリア・カラスやルチアの挿話はもちろんのこと、章の名前ともなったブラームスの「クラリネットクインテット」は、二十歳前後だった三姉妹が揃って光源氏として恋をし、垣根を越して聴こえてくる音に心ときめかせ、しかし戦死してしまった重光典之の吹いた楽器からくる。冬絵も、よう子の姉ゆう子もピアノで身を立てる。よう子の歌う唱歌の数々。お祖母さまの子守歌。「東京音頭」とお祭りの太鼓の音が心を騒がす。

 

<存在を引き裂く深い亀裂>

 冨美子の話は千歳船橋の宇田川家の日常に移ってゆく。プーッと間の抜けた豆腐屋の喇叭(ラッパ)の音が朝の空気を破る。「もはや『戦後』ではない」という言葉が巷で流行った昭和三十一年、宇田川の先代が世話をしていた車夫六さんの弟の息子の、そのまた妹が中国人との間に作った子供、つまりは「車夫の甥の甥」である東太郎が、宇田川家の裏の貸家に出現する。ここからは、いつでも青い鼻汁を二本垂らし、そばに寄るのもはばかられるほど汚らしいうえに、ガラス玉のような眼をして無表情な太郎という子供が背負った悲しみが胸に迫る。乞食の集団が移りこんできたような東一家。性根のよくない、計算高く野卑で、太郎のママハハにあたるおかみさんの常さん。二人の乱暴な兄たちの虐め。誰にも見られていないだろうと、大きな切り株に細い棒切れを、右と左と終始持ち替えて振り下ろす太郎の姿に本人は想像の中で色々な人に復讐しているにちがいないと冨美子は気にかかるのだった。

 太郎はよう子と同じ桜ヶ丘小学校の二年生に編入され、クラスも一緒になる。『嵐が丘』のキャサリンヒースクリフにそうだったように、よう子もはじめは太郎をいやがった。《――東くんをさわっちゃった子がいて、あわててほかの子をさわったんだけど、こんどはその子に、あたしがさわられちゃったの。だからエンガチョ切ってくれなきゃあ、あたしがエンガチョのまんま》と訴える。

 夏絵、よう子、ゆう子、旦那さま、お祖母さま、そして冨美子の、西洋風朝食を食べながらの会話はすべて引用したいほど生き生きとして人情の機微をすくいとっている。《――汚いからって、男の子たちがこないだ白墨の粉をかけてね、DDTだっていうの》と教えるよう子に旦那さまが《――みんなと一緒にいじめちゃだめだよ。みんながいじめていたら、止めに入るくらいじゃなきゃいけない》とさとす言葉や、その後、《――今日ね、放課後にまたみんなして東くんのことからかってたの。しつこいの。それで、日本人なんかじゃない方がよほどいいって、パパが言ってたって、そう言ったの》とよう子が旦那さまが靴を脱ぐのも待てずに、一人ではにかんで、両手を後ろで組み身体をくねらせながら報告する様子は、読者の記憶を突き刺すだろう。

 体育の時間のリレーのエピソードや鉛筆を二本あげた話もさることながら、切り株の上に置かれた揚げパンの茶色い包みが雨に濡れて汚らしく半分溶けてしまう場面は読み手の胸内もしとどに濡らす。そのすぐあと、お祖母さまの袂の下から顔を出したよう子に太郎が左手のこぶしを差しだし、パッと開いて見せた白い小石は白い小石。やがて二人は学校の教科書を広げている。キャサリンヒースクリフのように、《よう子ちゃんの熱に浮かされたようなおしゃべりがずっと続き、それが太郎ちゃんが、至福と煉獄の間を生涯さまようことになる関係に引き込まれていく始まりでした。》

 まだ「戦後」の負の部分、貧しさ(遠足に行けない子、鉛筆のない子)、下品さ(鼻たらし、黄ばんだシャツ)という悪目立ちが残っていた昭和三十年代から四十年代の記号――それは貧乏だけでなく、たとえば「カーディガン」が纏う良家の少女の清楚で虚弱という記号まで――が過剰なまでにあらわれる。「水村美苗」が『縦書き私小説』に書こうとしていた「時」の玉手箱――十二歳で渡米した水村にとって、よう子が成城学園中学にあがるまでが「私が育った日本」に重なる――の蓋が開く。ブランコ、鞠つき、ゴム跳び、縄飛び、どんぐり拾い、紙芝居、空地、防空壕跡、リリアン編み、おはじき、ままごと、ケン玉、西部劇ごっこ、たき火、フラフープ、ソースせんべい、貸本屋、……。裏庭でお祖母さまが団扇を使いながら七輪で焼く秋刀魚から立ち昇る白い煙。日曜日に冨美子は太郎を伊勢丹の「お好み食堂」につれてゆき、日の丸の立った「お子さまランチ」を奮発する。作者は歌っているのだ。

 子供どうしの虐めよりもっと子供の心を悲しくさせる、それと意識されない大人のサディズムが書かれている。自分ではどうしようもできない世界の違いを一瞬にして嗅ぎとる太郎。

 東家の臭い四畳半で、ゴムの人形にスカートをはかせる内職を手伝わされていた太郎を遊びに来て手伝っていたよう子がお祖母さまに見つかった。常さんが言い訳を口にする。《太郎ちゃんは先ほどからゴム人形の足をもった手を止め、怒りと屈辱とがごちゃごちゃになった顔を赤くして常さんを睨んでいます。ほんとうはよう子ちゃんを一刻も早く東家から追い出したかったでしょうに、追い出したらもう二度と仲良しになれないのではないかとの懼(おそ)れが先に立ったのかもしれません。胸のなかをどういう思いが駆け巡っていたのかよくわかりませんが、遊びもお手伝いも仕事も区別のつかないよう子ちゃんがぺちゃくちゃと話しかけるのにはろくすっぽ返事もせず、早く仕事を終えようと焦っていたのだけは察せられます。》

 お太鼓を締めなおしたお祖母さまが常さんに接した、一度でも芸者という生業をしたことからくるものなのか、人生の裏街道を歩んだことのある人間特有のうら寒い強さ――そうして利発な冨美子は学んでいった――が書きこまれ、お祖母さまは太郎の庇護者としての役割をぐいぐいとになうようになり、太郎は抜きん出た資質を開花させていく。

 宇田川家が追分に山荘を建てることになったのは、東京タワーが建った昭和三十三年のことだった。翌夏、完成したばかりの山荘にお祖母さまが太郎をおともに着く。そして軽井沢の三枝家の洋館に二人が寒い影のようにあらわれた。《太郎ちゃんは継ぎが当たった黄ばんだ半袖のシャツに短くなった黒い長ズボンといういでたちで、その下から細い足首が二本出て、それが素足のままズック靴へと続いています。言葉でいえばそれだけのことですが、「貧乏」という看板を胸からぶらさげてそこに立っているようでした。しかもその貧乏以上に目立つのは、心の引け目です。みなさんの視線を集めた刹那に何か感じたらしく、自分がいるべきではない場所に自分がいるという、そういう心の引け目が無惨に太郎ちゃんの顔に現れています。》 重光家のオニと呼ばれる女中は、《太郎ちゃんがナイフ・フォークの使い方も知らないのを瞬時に見てとると、軽蔑を隠すほどの親切心もない乾いた声で、ナイフは右、フォークは左、わたくしの真似をして食べなさい、と命令します。太郎ちゃんは耳たぶを赤く染めていますが、逆らわずに言われた通りにナイフ・フォークを操ります。》

 脚立のてっぺんに立ち、食堂の電球から始まって、隣の重光家の屋根裏の電球まで左手で順繰りに替える太郎。《弥生さんはどういう心のかたなのでしょう。(中略)高いところに登った男の子を見て、その子のその日一日の悲しさのすべてを一瞬にして把握なさったようです。》 雅之の母の弥生さんは身を少しかがめて太郎の目線まで自分の顔を落とし、電球を替えてくれたことのお礼を言う。うちの子がちっとも似合わないのよ、着てもらえるかしら、と二枚抱えたセーターのうちから一枚、モス・グリーンのを差しだすと、太郎は急に身を硬くし、一瞬弥生さんの顔をうち守ると、次の瞬間、身を振りほどいてぱあっと逃げ出した。《表の庭に同い年ぐらいの男の子が一人いたこと、この若くて、美しくて、優しい女の人がその男の子のお母さんであること、もう一つの空色のセーターはその男の子に着せるためのものであったこと――そのような事実を太郎ちゃんはあの瞬間にどれぐらい把握したのかはわかりません。ただ人間には自分が知っている以上のことを知らずして知ってしまう瞬間があり、あの瞬間がそういう瞬間だったのに違いありません。どうしようもない羨望と本能的な敵対心とが縒り合わさり、太郎ちゃんの身体をそのとき貫いたのだと思います。》 大きな門に寄りかかって爪先で小石を弄び、白いアンゴラのカーディガンを着たよう子に手を引っぱられても表の庭にいこうとせず、虚空を睨んだままの太郎の悲しさは普遍的な子供の悲しさでもあり、そしてまた水村の「瞬間」の心の動きで筋を動かす巧みさの見せどころでもあった。

 そのあとも、春絵の《――ゴルフ場のキャディーもこんな子を使ったらいいのに、そう思いません? ちゃんとした服を着せて》や《――まあ、この子、車のドアの開け方も知らないのよ》の声が響く。

《こんなのをもらったと、夕食のとき太郎ちゃんが懐紙の包みを二つポケットから出してわたしたちに見せます。重光家からと三枝家からで、五十円札が一枚づつ入っており、当時はラーメン一杯五十円が高く感じられた時代ですから、小学生のお駄賃としては悪くはありません。お祖母さまは複雑な顔をされましたが、取っておいてお前の小遣いにしたらいいじゃないか、とおっしゃいます。太郎ちゃんが初めて自分で稼いだお金でした。太郎ちゃんは凄絶なほど陰惨な顔でテーブルの上のそのお金を見つめていました。》 それは世界の違いが「お金」という具体的な形をもっていて、しかも世界の価値を自分の働きによって転換しうる可能性として太郎の前にあらわれた瞬間だった。

 

<時間と世界>

「戦後五十年を迎えて」という新聞の見出しから一九九五年(平成七年)とわかる夏の夜、《身体が時をすうっとさかのぼったのであった。》

 この小説のライト・モティーフのひとつが「時」であるのは間違いない。

「関係ないこともたくさんお話ししてもいい?」「もちろんです」「たくさんよ。たくさん」「もちろん」 しばらくしてベランダに出てきた女はそうして話し始めた。

 冨美子が話し始める「小田急線」の章からは、ストーリーを分断してプロットにしてしまう祐介の数日間――友人久保とともにあらわれては風俗を刻印してゆく久保の親族とバブルな逸話はそれだけで軽妙な小説の体をなしている――と、よう子と太郎の恋愛小説であるのと同じほどに、それを物語る土屋冨美子の半世紀の年代記でもある。源次オジは冨美子の人生と太郎の世界を転換するきっかけを与え、お初サン、小石川の旦那「安東さん」。重光家の女中オニといった人生の走馬燈の模様のかけらにすぎない脇役も広さと厚みを感じさせるために機能している。

 オニによる「まともなお家」重光家と、「聞いたこともないお家」三枝家が、どのような家で、どのようにお互いにかかわっているかから冨美子の話しは始まった。

 進めばたくさん思いあたるだろう。緋鯉を散らした浴衣、左利き、電球、少女文学全集、英語、ドクター・アズマ、ロングアイランド、屋根裏部屋、「おばあちゃん」したげる、禁酒をといて呑み始めた理由、小さな赤いお椀、……。

 水村が第一作『続明暗』の文庫本でみずから解説したように、筋の展開というものは読者をひっぱる力を一番もつ――あわせていえば、その解説における《我々が我を忘れて漱石を読んでいる時は、漱石を読んでいるのも忘れている時であり、その時、漱石の言葉はもっとも生きている》との言説は「私小説」から限りなく遠い。筋の展開とは予感を的中させたり裏切ったりすることであり、よう子の死にしてからが、追分の山荘に迷いこんだ最初の「迎え火」の章で、フユエと電話で話すフミコの声を祐介に聞かせることでさりげなく告知される。散骨の遺言についても同様だ。

 三四郎には三つの世界が出来た、ではないが、「本格小説の始まる前の長い長い話」が《思えばあのころの私には三つの世界があった》という分析的な文章で始まったのは理由のあることだ。《太郎ちゃんにとっての軽井沢とは、ある日気がついたらよう子ちゃんが自分から引き離され、そこへ消えていってしまうかもしれない世界、生まれながらにして自分が閉め出された世界、自分がそこに属すことも永遠にありえない世界を象徴せざるをえなかったのです。》

 子供は成長してゆく「時間」の流れにつれ、それぞれの「世界」に所属してゆくことになる。

 よう子が中学に進むと、平和で単調な月日がお祖母さまが亡くなるまで続く。二人は「少女文学全集」を読んだりもする。《私は男の人の長い骨ばった指が「少女文学全集」のやや黄ばんだページを繰るのを不思議な思いで見ていた。》 桐朋の付属高校に上ってピアノを学ぶ姉ゆう子とは別々の世界に生きていてあまり会わない。太郎の兄たちは、二番目の兄も中学を出たところで働き始め、兄弟揃って大人の世界が開けてきたせいか、以前ほど太郎を虐めるのに情熱を燃やすこともなくなる。ゆるゆると流れ、進むとも進まぬともはっきりしない緩慢な時の中で、一番どうしようもなく変化していったのは太郎の身体だ。汗をかいたりすると腋から甘酸っぱい匂いが闇夜の動物のように濃く匂い立つようになる。その色男ぶりから春絵は夏絵に、よう子とあんまり遊ばせない方がいいと忠告し、夏絵はよう子にあんな子と遊んでばかりいちゃダメですよと言う。すると旦那さまは、あのタローって子は心配ないよ、あんな家に育っているけど、品が悪い子じゃないよと庇う、《高校生になれば自然と世界がちがってくるからね。》

 宙づりになった時間が突然流れ始めたのは昭和三十八年の夏からだ。老人性黄疸がでたお祖母さまが学費と通学費を出してあげるからと太郎は都立新宿高校を受けることになっていて、よう子に訊けば、太郎は東大へ行き、医者になって人類に役立ち、ドクター・アズマとなるのだと言う。そしてお祖母さまの遺言は太郎の勉強を援助することだけではなかった。夏絵さんたちには内緒だけどと冨美子に言う。《――もしね、よう子ちゃんが一緒になりたい……一緒になってもいいっていうことだったらね、一緒になれるようにフミ子さんが力になってやっておくれね。》、《――フミ子さんには負担かもしれないけど……》、《――あれじゃあ、あんまり、可哀想だからね。》

 宇田川の旦那さまを北大教授にすることでよう子を札幌の高校に進ませ、春絵一家をニューヨークの三菱商事に転勤させることで、『縦書き私小説』の千歳船橋でのそれからを書くことは作者によって巧妙に回避される。

 どれも同じような長さの章なのに、「電球」の章が太郎の十歳から十二歳までの二、三年ほどのことにすぎなかったのが、「蒲田の孫請け工場」は中学、高校に相当する六年あまりの出来事となり、その次の「桜の園」では十五年もが一気に過ぎてしまうのだけれど、それは年齢をとるほどに短くかつ希薄に感じる時間と心理の加速度に忠実といえる。

 昭和三十九年二月に入ってお祖母さまは亡くなり、翌月冨美子はサラリーマンと結婚する。秋の東京オリンピックを控え、東京中工事に継ぐ工事で土埃と騒音がひどく、狭いアパートで主人と鼻をつきあわせて過ごす暑い夏がある。その年の秋、千歳船橋の宇田川家を売るというので手伝いに行くと、夏に起きた太郎の「不始末」を冬絵から教えられる。それは東一家と縁を切るいい口実となり、お祖母さまの遺言である太郎の学資を渡して、借家を立ち退くよう、今後太郎がよう子と連絡をとらないように監督するよう、言い渡したそうである。冨美子は結婚前から女の問題があった夫と離婚し、三軒茶屋の「第二みどりアパート」を借りて、渋谷にある計量機メーカーの事務職を得る。盆休みに佐久の実家に帰り、軽井沢にも二年ぶりに顔を出せば冬絵を手伝いながらおしゃべりがはずみ、冬絵と少し別の関係に入ったように感じる――この冬絵との親近感は小説の最後に効いてくるだろう。しかし東京へ戻れば単調な生活のくり返しで、《週六日間、日のある間は事務所に閉じこめられて働いて、文庫本を買い、たまに洋画を観るのが最高の贅沢だという生活です。(中略)廊下の突き当たりにある共用便所を拠点にいくら掃除しても取れない尿臭が鼻を衝くのにも神経がなれませんでした》という女一人で東京で食べていく現実の惨めな世界がある。

 次の年の夏の軽井沢で、二年数か月ぶりに高校三年生になっていたよう子と会う。新しいおウチも綺麗だし、教会で歌うのも楽しいし、蟹もおいしい、という札幌の世界。よう子は眼の回りを赤く染めながら、千歳船橋の家は壊されて消え、防空壕のあった空地ももうないと教えてくる。ある日冨美子は決心して東一家の引っ越した蒲田の町工場に出かけていけば、すでに外は真暗なのにウィーンというモーターの音やらドスッドスッという何かに穴を開けるような音が切れ目なく耳に入り、赤黒い顔に皺のきざまれた男たちが長年の疲れを溜めこんだ身を忙しそうに動かす、「いざなぎ景気」と呼ばれる日本の驚異的な繁栄の始まりの渦中の蒲田がある。そういう世界で青年になってゆけば、若々しさが清々しさと通じず、よどんだ澱となり、それが妙に生臭く全身から匂ってきてしまう。一方で、春休みを利用してニューヨークに遊びに行ったよう子がリムジンでマンハッタンをまわり、姉のゆう子が無事ジュリアード音楽院に受かったという世界も共存している。

 よう子は冨美子に連れられて蒲田で、新宿高校定時制もやめて働かざるをえない太郎と会う。《――あんな顔をしてあんなことばかりしゃべっているのが、なにしろいやなの。検定試験がいつあるだの、東大の試験が何科目あるだの、リサンがなんだかしらないけどソコに入るのはとくに難しいだの、授業料がいくらで生活費がいくらで、ドーノコーノ、ドーノコーノって、どうだっていいじゃない! そんな話!》、《――お金のことは、どうでもよくありませんよ。》、《――そりゃあそうだけど、なんだか小さいの。狭いの。貧しいの。精神が俗になっちゃったの。それが顔に出ちゃってるの……。》

「あとがき」はこの小説が時間をテーマとしたものだと作者に語らせている。一九九八年一月に加藤祐介の話を聞いた水村美苗は九月に信州を訪れる。《追分の山荘の方はなかなか見つからなかった。最後にここではないかと思うと場所に辿り着いたが、二本の杭が立っているからそう思うだけで、確かにそこだという確証はない。背の高いススキが銀色の穂を競って並べる中に、そこだけぽこっと穴が空いたように低くなっており、回りを遠巻きに数件の廃屋が建っていた。だが祐介が言っていた黒々と剥き出しになった土はどこにもなかった。伸び放題の蔓や雑草と共に赤マンマやら女郎花やらの秋の野花がすっかり地面を覆い尽くしていた。たった三年前そこに建物があったとは信じ難いほど、「時」そのものがすべてを浸食していた。》

 

<近代小説>

 時間が世界を消滅へと導くならば、小説家は本を読む悦びで回りの時間が消え、作家の名前も消えてしまうのは本望として、どのように小説の世界を読者の中で消滅させないかには腐心するだろう。

 評論『「男と男」と「男と女」――藤尾の死』に、《『虞美人草』とは、基本的には、中上流階級に属する何組かの若い男女が正しい結婚相手と一緒になるという話に過ぎないからである。それはまさにジェーン・オースティンの世界にほかならない》と書いた水村は高橋源一郎との対談で、『細雪』はなぜさきへさきへ読みたいという気をあんなに起こさせるのか、同時に、どうやってあのようなリアリズムを得られるのかを考えたとき、《意味もない物や場所の名前が、固有名詞で、やたら丁寧に入っていることと無関係ではないのに思いあたりました》と語っている。

 金と暇のある女たちの日常をリアルな固有名詞――軽井沢だけでも、「ラーメン大学」、地酒の「治助」、「万平ホテル」、「紀ノ国屋」、「浅野屋」のパン、フランス料理屋「セリール」、イタリア料理屋「スコルピオーネ」、中華料理屋「営林」、日本料理屋「大桝」、「松葉タクシー」など――で子細に描き、それ以上の高みも深みもないのに、さきへさきへとページを繰らせてしまう春絵、夏絵、冬絵三姉妹の耳を楽しますサロン風会話に、「女人救いがたし」と思いつつも微笑みを禁じえない。そのとき『桜の園』や『三人姉妹』を連想さえする読者の頭に小説の世界は存続しつづけ、何度でも読みかえしてそのほんとうらしい虚構の世界に戻ってふたたび小説の時間を経験しなおしたいと思わせる。

 揃って色白で、揃って大きな黒目がちの二重瞼と、立派に通った鼻筋と、うすい締まりのいい唇をして、そして揃って白粉と口紅を濃くぬり、ふつうの日本男児ならたじろがざるをえないような自己主張の強い雰囲気を漂わせた三老女のプライドと偏見の会話をいくつか紹介しよう。

 祐介のためのブランチを台所に用意しようとした冨美子に、「だめよ、ダメダメ、おフミさん。若い男の子だからって、色気出して独占しようとしちゃあ。このかたはわたくしたちとご一緒に、ぜひベランダの方で」

 クロネコヤマトが来れば、「たばこ、たばこ」「おフミさんお菓子かなんかある? それともポチ袋に五百円玉を入れて渡す?」

 冨美子がゴーン、ゴーンと銅鑼を鳴らすと老女たちは、ああ、お腹が空いた、余ハ腹ペコジャ、などと口々に言いながら立ち上がる。

 軽井沢本通りの話になれば、もう、ウジャウジャ、と春絵が気味悪そうに言う。「そうですよ。だから群馬ナンバーなんかがやたらに多い。なんとかダッペだかダベだかの人たち」、「でしょう。いかにも肥桶かついでたって顔。ドン百姓でございますって顔」

 冨美子の孫にあたる地元育ちの娘が手伝いに来ると、昔はこの辺りの人なんて、いかにもムラビトっていう感じだったのに、堀辰雄の『美しい村』にも出てくるじゃない、「そうよ。あたくし、あれをムカーシムカシに読んだときは、なんとも思わなかったのに、十年ぐらい前に読み返したとき、驚いちまったわ。何かのお駄賃じゃないのよ。たんにパラパラって村の子供たちに小銭を与えるの」、「インドか何かみたいじゃない」

「女中」のシゲ、チヨ、ヒサ、ミエをめぐる谷崎『台所太平記』のようなブックラコイタ思い出話の数々。ここには緩やかとはいえ階級へのシリアスかつユーモラスなこだわりがそこかしこに顔をのぞかせている――階級性こそ近代文学の原動力なのは言うまでもない。三姉妹の会話の英国近代文学風な大人のおもしろさは、祐介が感じた次のような成熟心理のあらわれに違いない。《三人の老女たちはともすると祐介という客の存在を忘れたように自分たちだけで話していた。しかもふつうなら気心の知れた人の前でしか話さない傍若無人なことを口にしていた。あたかも祐介がそこにいないかのようであった。それでいて祐介は。この三人が、自分という観客を前提としてこのように話しているであろうことを感じていた。》

「今じゃあ追分の先までがナントカ軽井沢って名前がついているんですって、ご存知でらっしゃいます? 追分の先までですのよ」

「じゃあ京大?」 京都ならそれしか大学がないような質問のしかたであった。自分が京都大学を出ていなかったらどうするのだろうと内心考えながら祐介は応えた。「それで、今はどこにお勤めでいらっしゃいますの?」 勤め先の大手出版社の名前を言うと、京大という言葉を出したときと同様の効果があったらしく、長女はまた、へえ、と眼を瞠り、はからずも祐介は、自分がどんどんと人間扱いされていくのを目の当たりにすることとなった。

 風俗と背を接して、ここにはそれぞれ違った性格をもつ三姉妹――春絵、冬絵に比べて夏絵が、さらには雅之やゆう子の人物が書きこまれていないとの批評を眼にしたことがあるが、ジェーン・オースティンの『プライドと偏見』でジェーンとエリザベスに比較してリディアもキャサリンも希薄なことは小説の技法として当然なことゆえ的外れ――の姦しい口を通しての時代批判――『女中』と『お手伝いさん』の言葉をめぐって、など――と、祐介の高校時代からの親友久保とその兄嫁の両親の別荘生活というバブルの時代――大口を開けたら一口で終いになるオマール蝦の何とかという前菜や、氷水にドンペリを何十本と浮かべたガーデン・パーティーに象徴される――への揶揄もある。太郎は平成という時代は軽薄さを通り越して希薄と嘆き、冬絵はそれをツァトストゥラのいう「小さき人々」にたとえる。

 日本近代文学本格小説』は金銭をめぐる――明治近代文学尾崎紅葉なども連想してみたい――年代記でもあって、重光家、三枝家、宇田川家、東家、土屋冨美子、そしてよう子が太郎に追分までの電車賃を同封するさりげない経済的援助から始まって、東太郎の成り上がり、さらには久保とその兄嫁を囲むありそうな人々、金銭的な発展、没落、女性の経済的自立と社会進出、賃貸関係、相続、贈与などが、戦後日本が向かっていった方向性や資本主義の倫理のあらわれとともに書かれている。

 冨美子がサラリーマンとの結婚を報告したさいのお祖母さまの忠告は、この小説が金銭小説でもあることのひとつの証左である。貯金は充分にあるのかと尋ねたお祖母さまに、はい、定期にしてありますと答えると、《――フミ子さん、余計なお世話かもしれないけどね、人の知らないお金っていうのを、少しは自分のためにとっておいた方がいいよ。人間はね、自分のお金があるのとないのじゃあ、いざっていうときに大違いだからね。》 翌年の春、冨美子は内緒にしていた通帳を何度も引き出しから出して眺め、離婚する。計量器メーカーの事務員として働く。春絵が中心となって始め、夏絵が手伝う洋裁学校「プリマヴェーラ」は銀座や青山にも洋服を卸すようになっていく。経済活動が人生と戯れる。

 とくに「桜の園」と「キャリア・ウォマン」の章は金銭をめぐる関係性の悲喜劇を描いている。十五年ぶりに帰国した太郎は「金を稼ぐ」自分を嘲笑しつつ、冨美子にお礼するため次のようにしか言えない。《――金で買えるもの。》

 

<誘惑と拒絶>

現代思想』一九八六年九月号に掲載された水村の評論『リナンシエイション(拒絶)』は英語で書かれたもの――「註」によれば、《このエッセイはド・マン教授が亡くなって間もなく行われた筆者の口頭試験において、同教授のために用意された主題の代わりに発表したものから生まれた》――の堀口豊太による和訳である(なぜ水村本人が和訳しなかったのか、まだ知名度が低かったからなのか、いきさつはしらないが、わかりにくい生硬な日本語なのは残念だ)。

《終わりは始めを、そして始めと終わりとを結ぶ面白い物語り(story)を求める》という東太郎の倒叙ミステリーを暗示するかのような文章で始まる『リナンシエイション(拒絶)』を要約するのがここでの目的ではないから、論理の絡みあいを丁寧にほぐすことではなく、断片的になってしまうが語彙や断章を拾いあげながら『本格小説』との関わりを見てゆく。

 水村が「 」で強調したド・マンの語彙は、水村の二作目の小説に、ぬきんでた頭脳はもとより、その教養の広さと深さでほかの教授連を圧倒していた「大教授」のモデルに違いなきド・マンを読むことへの水村の関心のありかを明らかにしているだろう。「再生の悦び」、「未解決なままのオブセッション」、「繰り返し」、、「拒絶(リナンシエイション)」、「誘惑」、「犠牲」、「存在を引き裂く亀裂」、「近代の『衰え』」などである。そして、《死、苦悩、悲哀、内面性、内省、意識、自己認識といった懐かしい言葉が棲息する文学の古典へと再び舞い戻ってきたという気がするのである》とは、ド・マンのエッセイを読んだ水村の素直な感想と結びつく。

 ド・マンがくりかえし論じたルソー『新エロイーズ』後半の牧歌的にみえて燻(くすぶ)る情熱の三角関係もまた小説中に練りこまれている――水村は漱石の未完の遺作『明暗』の完結編『続明暗』で鮮やかにデビューしたが、漱石文学のライト・モティーフは三角関係の倫理であった。よう子と太郎と雅之の幸福な三角関係に、『新エロイーズ』との関連性を見てとること――《あたかも太郎ちゃんが現れたのを境に、よう子ちゃん、太郎ちゃん、雅之ちゃんの三人が、手と手を取り合って濃い霧の向こうの眩しい光の世界へと駆け抜けていってしまったような気がしました》、《あのころのよう子ちゃんは、わたしの眼には、日常とは別の現実をどこかで生きているように思えました。ふつうに生活している部分と別の部分で何かが息づき、それが内側からよう子ちゃんを照らし出し、よう子ちゃんのいるところだけ光がちがうような、その回りの空気だけは何ものかの恩寵を受けているような、そんな印象を受けました。太郎ちゃんも雅之ちゃんもそのよう子ちゃんの幸せにまじないをかけられていたのにちがいありません》――はそれほど難しいことでも不自然なことでもない。

 もちろん『本格小説』には、ありきたりの倫理的葛藤や勧善懲悪もある。たとえば、よう子と太郎の二度目の不始末のさいの冨美子の《――あんたが馬鹿にしている東さんだって、あのお兄さんたちだって、あんたたちが鬼ババって呼んでるあの常さんだって、みんな真面目に働いているのに、あんたたち二人はいったい何をやってんのよ》という言葉や、よう子と太郎を成城学園前のプラットフォームで三姉妹が目撃して《――だって、伯母としての責任がありますよ。少しは人目っていうものを考えるべきですよ。だいたいあまりに変ですよ。あんまり雅之ちゃんがお人好しすぎますよ。 春絵さんはふだんは常識も世間も馬鹿にしているのに、こういうときは雅之ちゃんの顔色を窺いながらそういうものすべてを動員して、先ほど目撃した場面を生々しく雅之ちゃんの眼の前に描き出したのにちがいありません》といった、健全な社会の側からの恋愛という情熱への糾弾である。

《いずれにしろ、春絵さんの言葉の毒が全身を巡るうちに、十年来のよう子ちゃんのまじないがじわじわと解け、世間の眼から見た自分の姿というものが眼の前に描き出されてしまったのでしょう。すると今までよう子ちゃんの幸せのために進んで受け容れてきた様々の事柄が一つ一つくるくると背を返し、自分の馬鹿らしいほどの人のよさも嘲笑うものに見えてきたのにちがいありません》となり、《――言ってはいけないことを、言ってしまったのです。》 「言ってはいけないこと」は明らかに水村の関心のひとつであって、「言ってはいけないこと」を言ってしまった人、言われた人、言われなかった人の三角関係が複雑に共鳴する。そうして《確かなのは、どういう言葉を使ったにせよ。その言葉を聞いたよう子ちゃんが、雅之ちゃんがついに躓(つまず)きの石に躓いてしまったのを一瞬のうちに悟ったことです》という愛の質の差の悲劇を引き起こしてしまう。

《「拒絶(リナンシエイション)」という概念に対するド・マンのこだわりは、ルソーの書簡体小説『ジュリーまたは新エロイーズ』に対するかれのこだわりと分かちがたく絡み合っている。『新エロイーズ』はド・マンにとって拒絶(リナンシエイション)という行為そのものを主題とした小説を意味するのである。》

 ド・マンの『新エロイーズ』についてのエッセイと、そこからの水村の読解を辿ってみよう。

まず水村の評論に引用されたド・マンの短いエッセイ『マダム・ド・スタールとジャン=ジャック=ルソー』からである。

《自己正当化を自己認識にもっていくには内省が拒絶(リナウンス)せねばならない。悲しみに打ち克てるだろうという望みだけではなく、悲しみによって自己を正当化できるという、すなわち、自己の栄光のために悲しみを仕えさせたいという望みをもである。ルソーはそれをよく知っていた。かれは自分の小説の中心にジュリーの拒絶(リナンシエイション)を位置づけた。そしてこの拒絶(リナンシエイション)を通じて殉教者を創り上げることを、敢えて拒んだのである。『新エロイーズ』第二部を支配する、醒めた幸福感は、泣きごとを訴えてやまないデルフィーヌの不幸とは対照的である。舞台となるクラランスの空気は本質的なそれである。官能の悦びや英雄的行為などという疑わしい快楽にしがみつく替わりに内省そのものを選ぶことによって、小説家は、かれ個人の成功よりも、かれの虚構物である小説の成功を選んでいるのである。クラランスの世界は純然たる虚構の世界であり、それは困難な認識に基づいている。そこで人々は、幸福の破綻は他社のせいではなく、存在の律動そのものに帰するということを知っている。虚構の世界の優位性は、自己を拒絶(リナウンス)することによって確立される。》

アレゴリー(ジュリー)』というド・マンの『新エロイーズ』読解に関するエッセイもまた、『本格小説』におけるよう子の拒絶(リナンシエイション)を語るものとなる。

《『新エロイーズ』は、従って、拒絶(リナウンス)する必然性があるにも関わらず同じ誘惑のなかに不可避的に陥り続けてしまう人間の物語りとなる。ジュリーは、小説の終わりで、もはや『死角と明察』に出てくる「ソクラテスのような心の落ち着きをもって死に直面しようとする」人物ではない。ド・マンはこのエッセイのなかで初めて、以前の読解では常に無視しつづけてきたことに言及している。それは過去の恋人であるサン・プルーへ宛てたジュリーの最後の手紙にほかならない。「自己本位の言葉」で書かれているその手紙は人生の最後の瞬間における彼女の失墜を示しているのである。》

 アメリカでの太郎の禁欲的な生き方を知るとき、そこにド・マンの生徒だった水村が想像を逞しくして直感した――この評論は、一九四十年代初頭、ベルギーを出てアメリカに渡る前に、親ナチス感情をもった新聞『る・ソワール』に寄稿された文章、とりわけ『現代文学におけるユダヤ人』という反ユダヤ的文章が死後明るみに出される前のものだ――ド・マンの「禁欲の終わりなき高みへ向かおうとする要求」の下にある、暗い誘惑の過去と犠牲の臭いを嗅ぎとることができよう。

本格小説の始まる前の長い長い話」で、父の権威を借りてダンスを強制するボストンの大学一年生水村美苗に対して、《確かなのは東太郎が私のサディズムを一瞬のうちに感じとったということである》という文章に眼をとめるだけでも、そういうことを一瞬に察知する太郎の深淵がみえてはこないか。ついで肉感的なイタリア系アメリカ人のシンディーにすがりつかれて踊るとき、《溢れ出るものを押さえこんでいた反動であろうか……暗いところへ堕ち、身の破滅につながるのがわかっているのに、もうそれでも構わないといった、この世を離れ、生を離れた思い――死への凶々(まがまが)しい欲情にそのまま全身を委ねてしまったかに見えた》に、隠れる人の深い裂け目がある。

《禁欲はド・マンのテクストのもつ背反構造そのものなのである。誘惑されることがなかった者は拒絶(リナンシエイション)の必然性――そして不可能性――についてこれほど執拗に、またこれほどの権威をもって語ることはなかったであろう。事実、ド・マンはその人生の初めから拒絶(リナンシエイション)についてよりも誘惑について語ることに、はるかに深く携わってきたようにすら今は思えてくるのである。》

 エミリー・ブロンテ嵐が丘』の女中ネリーと俗物ロックウッドの役回りに一工夫した――なぜなら利発な冨美子は物語りに深く介入し、祐介も俗物ではなく別の物語りを生きて冨美子の物語りをメタ化する――合わせ鏡のような語りの構造の美学のなかで、これ以上さきへ行ってはならないぎりぎりのところまで連れてゆかれるヒースクリフとキャサリンの狂気の恋愛、そのゴシック的恐ろしさと「眼に見えない世界」への情念の火が、よう子と太郎の身分違いのロマンスにもはっきりと感じられる。幼なじみ恋と憎しみ、この世を越えた魂の融合、結ばれなかった男女の死後の交わり、……。

《二人はもともとふつうには抱えきれないほどの暗闇を抱えて生まれてきたのでしょうか。(中略)そのときわたしが理解したのは、二人の愛は二人の力だけでは救われなかったということ、二人の力だけではゆるされないもの、暗いもの、狂ったもの、蔑むべきもの、冥界でしか結ばれないものに留まっているよりほかはなかったということ、そしてそれを太郎ちゃんもどこかで知っていたということでした。》 太郎と雅之という二人の男に同時に愛されたよう子という物語りは、『源氏物語』の薫と匂宮に同時に愛され、三角関係の悲劇のはて、最後に暗い出自をもつ薫と逢うことを拒絶(リナウンス)する浮舟の物語りをも連想させる。

 

<恋愛小説>

 ド・マンが言語に内在する問題に移行してしまう前の著作『死角と明察』のエピグラフは「永遠に続く誤り、それが人生だ」(プルースト)だったけれど、純粋な愛は様々な罪を許すものである。

 よう子と太郎の未来を予告するかのような幼い二人の場面が印象的だ。よう子の喘息はいつも太郎を絶望させた。《ある日、発作が治まってよう子ちゃんが寝ていたとき、誰も見ていないと思ったのでしょう、枕元に顔を寄せた太郎ちゃんがよう子ちゃんの耳元で、よう子ちゃん、死なないでね、死なないでね、と囁いていたのを覗いたことがあります。よう子ちゃんの首のあたりの匂いでも嗅いでいるのか、そのあともしばらく枕元に顔を寄せたまま身動きもしません。あれほど愛らしい太郎ちゃんは見たことがありませんでした。生れて初めて友達というものが出来て、愛情で心臓が破裂しそうだったのだと思います。》 それはやがて最後の事件での太郎の姿と、まるで過ぎた時間など存在しなかったかのように同一化する。

 二人の最初の「不始末」はお祖母さまが亡くなった夏に起こった。

《冬絵さんの運転で追分に駆けつければ、車を降りたとたんによう子ちゃんが裸足でベランダに飛び出し、そのよう子ちゃんをつきとばすようにして夏絵さんが前へと進めば、太郎ちゃんが板の間にぬっと立っている姿が見えたそうです。 ――さかりがついた雌犬みたいなことをして! ふだんは品がいい夏絵さんの口からどうしてこんな言葉が出てくるのか、ヒステリーを起こしてよう子ちゃんを打擲(ちょうちゃく)しようとすると太郎ちゃんが飛んできて夏絵さんの腕を抑えます。 ――太郎ちゃんは悪くないの。あたしが手紙で誘ったの。 これまたヒステリーを起こしたよう子ちゃんが泣きながら訴えます。》

 二度目の「不始末」はもっと決定的なものだった。追分への「駆け落ち」事件だ。事件の後、三軒茶屋のアパートで壁に頭をぶつけ、体重を支える長くて美しい十本の指を見せながら、焼酎の匂いをさせて聞こえないぐらいの声で言う。《――僕なんかと結婚するのはいやだって。こんなに品がなくって育ちが悪くって俗っぽい男はいやだって。僕なんかと結婚したら、みんなに恥ずかしくって死んじまうって。なにしろ、僕なんかと一緒になったら、未来永劫、何の夢もないって。ミ・ラ・イ・エ・イ・ゴ・ウって、わざわざ強調して……》、《よう子ちゃんなんか、死んじまえばとかった、殺しちまえばよかった。そして僕も死んじまえばよかった。》

「駆け落ち事件」で肺炎になって大蔵病院に入院させられたよう子は言う。《――太郎ちゃんの名誉のために言っとくけど、あたしが誘ったのに、太郎ちゃんは何もしなかったのよ。》、《――あの人たちにはわからないことだから。あの人たちには太郎ちゃんをわかりようもないから……あんな人が存在するなんて理解しようもないから。》

「駆け落ち事件」の半年後、太郎は冨美子のアパートを出てパナマ経由の貨物船で渡米し、ハイスクール十一年生(日本でいう高校二年生)だった水村美苗の前に、父の知人アットウッドの「お抱え運転手」として紺の制服を着て陰気にあらわれたのだった。

 現代における恋愛小説の困難さは、高揚する情熱が自己分析的な覚めた意識の眼にさらされ、物語りという表現形式の崩壊、素朴さの喪失が、恋愛の絶対性を支える力を失わせてしまったからである、といったようなことを辻邦生は(祐介と出会う前の)水村へ往復書簡としてしたためた。それは「近代の『衰え』」と言い換えてもよいだろう。

 だが、よう子の愛の声を聞き、月下の太郎が灰を浴びる姿を眼にするとき、恋愛小説はまだ可能だと思いしらされる――そしてこの恋愛小説としての『本格小説』こそが、今は亡き辻邦生への最後の返信である。

《――あたし、もう絶対に、絶対に、許さない。一生許さない。》

《――あのあとだって、ずっと、ずっと、待っていたのに。》

《――どれぐらい? どれぐらい不幸だって? 死ぬほど不幸だった?》

《――でも、死ななかったじゃない! オメオメとこうして生きて帰ってきたじゃない!》

 思えば太郎はずっと誘惑から隠れる人、光から隠れる人だった。

《――もう一度よう子ちゃんに会って、ほんとうに絶望すべきなのかどうかを確かめようと思ってた。》

 そして、最後の事件。雅之が屋根裏部屋に謝りに来てくれることを期待しつつ絶望のうちに朦朧としていたよう子をニューヨークから駆けつけた太郎が見つける。《縮れ毛を振り乱したよう子ちゃんが仰向けになり何かを叫びながら大きな声で泣いていたのはそんなに愕きではありませんでした。そのよう子ちゃんの上に太郎ちゃんが分厚いコートを着たままうつぶせに押し重なっていたのもそんなに愕きではありませんでした。愕いたのは――愕いたという以上に、水を浴びせられたような気がしたのは、よう子ちゃんの甲高い悲鳴に重なって身も世もなく泣く声がもう一つ聞こえ、それが太郎ちゃんの泣き声だとわかったときでした。》

 よう子が自分の胸の中を吐き出すように言う。《――あたしはずっと怖かった。小さいころからずっと怖かった。太郎ちゃんと二人でいると世の中がどんどんと遠くなるような、あたしたちだけがどんどんとみんなから離れて行ってしまうような、そんな気がして、怖かった》とはこの愛の本質だった。

 快復したかと思われたよう子の容態が急変し、近親者が呼ばれる。すでによう子はわかっている。死相があらわれたよう子が太郎を呼ぶ――ジュリーとは逆に、ずっと「自己本位の言葉」の人だったよう子が「ソクラテスのような心の落ち着きをもって死に直面しようとする」。

《――自殺したら駄目よ。自殺したら一生……永遠に、永遠に許さないわよ。》

 雅之ちゃんも死んだら? 《――だって雅之ちゃんは死ねないじゃない深雪ちゃんがいるんだから。》 でも、もし死んだら? 《――そうしたら、いいわ。》、《――でも、変な死に方はだめ。あんまり悲しいから。》、《――いい人生だって、そう思えるような、死に方。》

《――あたしが死んでも、殺したいって思い続けてちょうだい。》、《――ああ、なんて幸せなんだろう。》、《――雅之ちゃんのことお願い。》

 しかし最後の最後の瞬間、恋は「自己本位の言葉」を要求する。

《――でも、ああ、まだ死にたくない。死んじゃったら、幸せも何もないじゃない…… もう一度太郎ちゃんの腕に囓りついて上体を起こそうとしますが、もう力がないようです。ベッドの上で腕に囓りついたまま僅かにえび反りになっただけでした。そしてまた精根尽き果てて平らになると、ああ、死にたくない、死にたくない、死にたくない、……と声にならない声をいつまでも上げ続けました。》

 

 よう子と雅之の灰を浴びた太郎はどこに隠れてしまったのだろう。

《――消えちゃったの。》 「本格小説の始まる前の長い長い話」で水村美苗が父の元秘書ミセス・コーヘンからそれとなく教えられたこと――《東太郎は突然皆の前から消えてしまったのであった。皆を仰天させたロングアイランドの館もすでに売られており、やがて、カリフォルニアに移住すると言っていたという噂が風の便りで流れてきたそうである。人々はただ呆然とした。今はもう誹謗中傷する人もなく、さまざまな憶測が飛び交うだけであった。ただあまりに何の跡も残さず消えてしまったので、すべての憶測が不毛にしか見えなかったという》――と、月の光を集めて歌ったルチアの歌と、祐介が見た黒々とした土から白骨の細かい破片がふわっと浮き上がって眼に見えない月の光を受け透明に舞った光景とが、『嵐が丘』末尾でロックウッドがキャサリンエドガー、ヒースクリフの三つの墓石を見つける場面の記憶とともに、永遠のあやうさをもって迫ってくる。

                                   (了)

   ****主な参考または引用****

*『「私」小説と「心境」小説』久米正雄(『日本近代文学評論選 明治・大正編』岩波文庫より)

*『「男と男」と「男と女」――藤尾の死』水村美苗(『批評空間』6、1992年7月、福武書店

*『手紙、栞を添えて』辻邦生水村美苗朝日新聞社

*『ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー水村美苗(『現代思想』1998年4月、青土社

*『リナンシエイション(拒絶)』水村美苗、堀口豊太訳(『現代思想』1986年9月、青土社

*『最初で最後の<本格小説>』高橋源一郎水村美苗(『新潮』2002年11月、新潮社)

*『続明暗』水村美苗新潮文庫解説)

*『私小説 from left to right』水村美苗(新潮社)