文学批評 「遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」

遠藤周作『沈黙』はわかりやすいのか ――『沈黙』は三度終らない」

f:id:akiya-takashi:20190201114215j:plain f:id:akiya-takashi:20190201114226j:plain f:id:akiya-takashi:20190201114238p:plain




                                    

 十七世紀中頃、ユダヤ教を破門されたスピノザは『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由』に、《これから、われわれは何びとをもその人の行為にしたがってでなくては信仰者あるいは不信者と判断しえぬということが再び出てくる。すなわち、その人の行為が善なれば、たとえ信条において他の信仰者たちと違っていても、やはり信仰者であり、反対に行為が悪なれば、たとえ言葉においては他の信仰者たちと合致しても、やはり不信者なのである。》と書いたが、地理的にはユーラシア大陸の西端と極東と離れても、時間的には同時代(江戸時代初期)を描いた遠藤周作の『沈黙』にも、他者との関係の倫理が色濃く現れている。(アムステルダムの人スピノザイベリア半島ポルトガルを出自とするユダヤ教からの(偽装)改宗者、蔑称「マラーノ」(豚の意)だったが、『沈黙』に登場する史実上の人物フェレイラにもマラーノという噂がつきまとう。)

 同じく十七世紀にイエズス会と争ったフランス、ポール・ロワイヤルのジャンセニストだったパスカルは『パンセ』に《あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。》(69)と書いたが、それこそ『沈黙』の「読み」にあてはまるだろう。

 大多数の人は、遠藤周作『沈黙』を読んで、題名からストレートにくる「神の沈黙」というテーマへの感想として、善悪や良し悪しを一言では言いあらわし難かったり、真のカトリック教徒ならあるまじき行為と批難したりはしても、全体の見取り図、構成、作者が表現したかったことはわかりやすかった、という思いを抱く。

 しかし『沈黙』は本当にわかりやすい小説だろうか。

 たしかに、出版元である新潮社の『沈黙』(文庫本)紹介欄の、《島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。》のとおり、巧みな構成と語り口、象徴的に書きこまれた自然描写のもと、思考しやすい二項対立、二律背反を背負ったパッション(受難、情熱)に涙させるのだけれども、それをもってわかりやすい、と言えるのか。

 遠藤は、小説の読みを補完するように、いくつものエッセイで、執筆動機や意図を解説しているからなおさらわかりやすいと感じるのだろうが、実は「右手で差し出したものを左手で隠すような」発言もしている。ここで、わかりやすいから良い、わかりにくいから悪い、と単純に結びつける気がないのは勿論である。あえて言えば、遠藤は「わかりにくいこと」を目論んだ気配がある、なかば意識的に、なかば無意識に。

 また『沈黙』は遠藤のある種の告白小説ととらえることができ、告白の本質が問われている。その告白の読みの鍵は、わかりやすそうに装って「わかりにくいこと」という帷子を感動的な物語の装いの下から剥ぎ出すことにある。

 まず、ささいにみえる「わかりにくいこと」から入ろう。ささいなことかもしれないが、だからこそ真実が宿っているかもしれない。

 一、遠藤がはじめにつけた本の題名は「日向(ひなた)の匂い」だったが、出版元がマーケティング面から『沈黙』に変更を主張したと言う。作品中に一度も表出されない「日向(ひなた)の匂い」とは何なのか。

 二、長崎市外海地区出津(黒崎村)は、遠藤が小説取材中にかくれキリシタンに出会ったことから、ロドリゴが潜伏したトモギ村に変容した。現在では遠藤周作文学館と「沈黙の碑」があって、見下ろせば、モキチとイチゾウが水磔(すいたく)の刑にあった海岸を想わせる。碑には「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」と遠藤の筆致で彫りこまれているけれども、『沈黙』にその言葉はないばかりか、繰りかえされる海の描写は碧ではなく、黒もしくは鈍色ばかりである。

 三、「切支丹屋敷役人日記」は、読まれることを拒むかのように、「岡田三右衛門儀、宗門の書物相認(あひしたた)め申し候様(やう)にと遠江守申付けられ候」といった候文、古文書のまま改変しなかったのはなぜか。

 四、単行本には「あとがき」があって、小説にとりかかった経緯、ロドリゴの最後の信仰の対する作者の立場表明、ロドリゴ(日本名岡田三右衛門)のモデルのジュゼッペ・キャラ(日本名岡本三右衛門)についての説明、最終Ⅸ章の二つの日記の原典紹介があるが、なぜか文庫本では省略された。

 次に、構造的に見てゆく。『沈黙』は、小説としての真実味を醸し出す技巧的工夫が、一人称と三人称の語り口の使い分け、歴史書、手記、第三者の日記引用などから構成されている。

「まえがき」は疑似歴史的な解説であり、次のⅠ章からⅣ章までの一人称による司祭ロドリゴの書簡とあいまって史実の額縁小説的な雰囲気に読者は投げ込まれる(「まえがき」末尾の《今日、われわれはポルトガルの「海外領土史研究所」に所蔵された文書の中にこのセバスチャン・ロドリゴの書簡を幾つか、読むことができる》に相当するこの書簡が、上陸後のつなぎのない逃走のさなかで、どうやって海外に届けられたのか、という疑問はさておいて)。しかしロドリゴが逮捕されるや(逮捕の瞬間はⅣ章とⅤ章のあいだの空白にあって、リアルに描写せずに読者の想像力に委ねる)、Ⅴ章からⅧ章まで「彼」または「司祭」と三人称で呼んで客観性をもたせて(時に神のごとき小説家の声が入りこむので、小説家が翻案した神の声なのかロドリゴの内面の声なのか解釈が分れてしまう)物語は進行する。最終章のⅨ章には、「長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記」を挿入して客観性、歴史的史実性をもっともらしく補強したうえで、いったん物語に戻り、最後また「切支丹屋敷役人日記」で囲って額縁を閉じ、全編の終りとなる。さらに単行本では「あとがき」がある。

 こう見てくると、巧みな構成によって、十分にわかりやすく出来ているように思えるだろうが、より「沈黙」というテーマに集中するならば、もっと早く全編を終えるほうが強度を増していたに違いない。

『沈黙』は三度(ど)終らない。あたかも、ペトロにむかってイエスが「今夜、鶏鳴く前に、汝三度我を否まん」と言われたように。終れない、というべきなのか、終らせない、終ることができない、なのか、終らない終りを見てゆくことで、「わかりにくいこと」の含意が見えてくる。

 

<一度目の終り――「(神の)沈黙(の声)」>

「沈黙の声」の有無については、谷崎潤一郎賞受賞時の審査委員談話が論点をついている。みな『沈黙』の小説としての完成度は受賞にふさわしいとしながらも、こと沈黙の声に関して、大岡昇平は「しかし私個人としては、この小説成立の動機について、疑問がある。踏絵に刻まれたキリストの顔が、踏むがよい、といったというのは感動的場面になるが、作者の筆は棄教者の怯懦を正当化する幻想という世俗的解釈を排除する説得力を持っていないようである。これは作者の力量のせいではなく、思いつき自身いつわりだからだ、と私は思っている」とスタンダリアンらしい冷静さで手厳しく指摘し、三島由紀夫は「遠藤氏の最高傑作と云えよう」と讃えてから、「同時に、末尾の「あの人は沈黙していたのではなかった」という主題の転換には、なお疑問が残る。神の沈黙を沈黙のまま描いて突っ放すのが文学ではないのか? それへの怨みと慨きだけで筆を措くのが、文学の守るべき限界ではないのか?」と不道徳的諧謔をもって疑問を呈した。

 神の声は、神の音声は、小説家遠藤によって二度文字にされる。

 一度目はⅧ章の最後、大岡の言う「感動的場面」で、ロドリゴに囁きかけるように、

《司祭は足をあげた。足に鈍い重みを感じた。それは形だけのことではなかった。自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、最も聖らかと信じたもの、最も人間の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。

 こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。》

二度目の神の声は、Ⅸ章の最後の「切支丹屋敷役人日記」の前で、ユダのようなキチジローが泣きながら告悔(コンヒサン)を願うのを見ながら、転びの記憶をロドリゴと神とが対話形式の文として反復、確認するかのように、

《(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」

「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」》

 どちらにしても「沈黙」ではなく「沈黙を破った声」が重要であり、神の沈黙の声はロドリゴ自身の内面の声の描写に過ぎない、という意見も自然と出てきて、神学論、宗教論、あるいはカント道徳論からなる議論は当時すでに出尽したといえよう。ここで議論を蒸し返す気はないが、あえて言えば、「神はなぜ沈黙したか」、「神の声はなぜなかったのか」という問いは、踏んでもよいという「神の声」の是非、内容よりも存在論として根源的であった。

(問いへの答えとしては、アウシュヴィッツ後の、レヴィナスの、「神は私たちを見捨てたのではない。むしろ神は私たちを信じたのだ」という解釈の敬意を込めた声を持って乗り越えたい。《ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人社会が600万人のユダヤ人の死によって、物質的にも精神的にも瓦解状態にあったときのことでした。生き残ったユダヤ人の多くは、彼らの神が彼らを襲った民俗的な規模の災厄のときにも奇跡的な介入によって彼の民を救うことなく、虐殺されるに任せたことを理由に信仰に背を向けました。そのときレヴィナスはこう言って、その背教をなじったのです。あなたがたはいったいどのような幼児的な神をこれまで信じていたのか。「善行をしたものには報償を与え、過ちを犯したものを罰し、あるいは赦し、その善性ゆえに人間たちを永遠の幼児として扱うもの」をあなたがたは神だと信じてきたのか。だが、よく考えて欲しい。ホロコーストは人間が人間に対して犯した罪である。人間が人間に対して犯した罪は人間によってしか贖(あがな)うことはできない。それは神の仕事ではなく、人間の果たすべき仕事である。人間たちの世界に人間的価値を根づかせるのは人間の仕事である。(中略)神がその名にふさわしい威徳と全能を備えたものであるならば、神(・)は(・)必ず(・・)や(・)神(・)の(・)支援(・・)抜き(・・)で(・)この(・・)地上(・・)に(・)正義(・・)と(・)慈愛(・・)の(・)世界(・・)を(・)作り出す(・・・・)こと(・・)の(・)できる(・・・)人間(・・)を(・)創造(・・)された(・・・)はず(・・)で(・)ある(・・)。だから、成人の信仰は、神が世界を負託できるものたることを自らの責務として引き受ける人間の出現によって証しされるのである。(中略)レヴィナスは「神の沈黙」を、「神のその被造物に対する絶対的な信頼」と読み替えました。》(内田樹『呪いの時代』))

「(神の)沈黙(の声)」が聞えたⅧ章の感動的クライマックスで、遠藤はなぜ全編の終りとしなかったのか。

 谷崎潤一郎は『『越前竹人形』を読む』と題して、まだ新進作家だった水上勉越前竹人形』を《私は近頃これほど深い興味を以て読み終ったものはなかった》と絶賛したが、技法的助言も忘れなかった。

 宇治川の舟の上で、玉枝の赤子がおりてしまった場面を引用した後、

《全体の叙述がおおまかで、こせつかないように書かれているのだから、このあたりの景色などを特に絵画的にこまごまと描写するのも如何かと思うが、やはり私の好みからいえば少し物足りないのである。次に、

  船頭は櫓を早めた。

で十七章は終り、十二月十七日の夕刻、玉枝が越前武生在の竹神部落へ帰って来るところから十八章が始まっているが、むしろこの十七章を以て全編の終りとし、十八章以下は省略した方が余韻がありはしないだろうか。》

 この伝でゆけば、遠藤の景色の描写は、《作家の秘密は、往々にして、その自然描写に発見されるのですが、モーリヤックの自然の描写のなかには、異端的(パガニスム)自然観と基督教的自然観のあつくるしいたたかいがあります。》(「『カトリック作家の問題――現代の苦悩とカトリシズム』」)の影響のもとで十分に描写されてはいるが、『沈黙』もまたⅧ章の、

《その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。

 こうして司祭が踏絵に足をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。》

で全編の終りとした方が、余韻があるばかりか、「沈黙」をフレームアップすることができたのに違いない。しかし、水上が十八章以下で、在所生まれの、説経節に耳馴染んだ小説家として、玉枝をさらに薄幸にせずにはいられなかったように、遠藤もまたⅧ章で終るわけにはいかず、Ⅸ章以下で、十字架の引き裂きのように「沈黙」に対立するテーマを書き継がずにはいられなかった。

 それが、当初の題名だった「日向(ひなた)の匂い」が象徴するものだ。

 

<二度目の終り――「日向(ひなた)の匂い」>

「日向(ひなた)の匂い」という題名について、遠藤は次のようなことを語っている。

「人生がすべて裏目に出てしまったフェレイラ……いわば屈辱的な日々を送っている男が、あるとき自分の家のひなたのなかで腕組みしながら、過ぎ去った自分の人生を考える。そういうときの<ひなたの匂い>があるはずだと思った。言いかえれば<孤独の匂い>だろうが、私はそのイメージをタイトルにしたかったのである。」(「沈黙の声」)

 遠藤は『切支丹の里』で、『沈黙』執筆のきっかけとなる踏絵に出あう逸話に続いて、「日記(フェレイラの影を求めて)」でフェレイラの晩年を味わう旅について書いている。出島のオランダ商館跡を訪ね、そこでの日記に晩年のフェレイラの記録があり、彼の屈辱の極みのような場面を疼くような気持で考えながら、「私の作品の最後の章に入れるかもしれない」とした(のちに『沈黙』の最後の章Ⅸ章の「長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記」がそれである)。また、ロドリゴがフェレイラと始めて会う場所を、フェレイラが証人の一人になっている転び証文の写しを見た長崎の西勝寺に決めたと記している。さらには『孤里庵 歴史夜話』の「南からきた人」でも、フェレイラの「顕偽録」のたどたどしい苦しげな論理や、ロドリゴのモデルだったイタリア人神父キャラの、棄教後の切支丹屋敷での陰惨な生活を新井白石『西洋紀聞』から読み取り、いつか二人を小説の中で歩かせたいと願うばかりか、ナポリ旅行の際には、地中海の青い海を見て、彼等が日本に向けて出航した時の青い海(「沈黙の碑」の「碧」に通じるだろう)に思いをはせている。このように、遠藤にとって、棄教してからのフェレイラとロドリゴの心理は重要な主題で、それを象徴するイメージが「日向(ひなた)の匂い」だったのだろう。

 一九二三年生まれの遠藤周作、その十八歳の論文『形而上的神、宗教的神』(「上智」第一号、一九四一年十二月号)にはじまって、一九五〇年からのフランス留学、体調を崩して帰国後の一九五五年の『白い人』での芥川賞受賞、一九六六年の代表作『沈黙』、そして一九九六年の死に至るまでの著作を読みこめば、一貫して二項対立、二律背反の下での「あつくるしいたたかい」に、カトリック小説家として悩み、生き、書いた人であると知る。初期には、ジャック・マリタンを師とする中世哲学研究で有名な吉満義彦神父の指導を受けていたこともあって聖トマス主義(トミズム)の厳格な父なる宗教の立場だったが、後期は留学時からの親友井上洋治神父への共感から日本人にあう母の宗教を追究した、と説明する向きもあるが、十字架の引き裂かれは幼少時から存在していた。ごく初期からすでに違和感を抱いていて、後期に至って宗教多元主義を求める気持ちが一層強まったにすぎない告白をいくらでも見出すことができる。

 違和感、身に合わなさを遠藤は「距離感」という言葉を多用して説明してきた。たとえば『異邦人の苦悩』(「別冊新評」一九七三年十二月号)では、

キリスト教の文学を勉強すればするほど、私は彼らと自分との間の距離感というものをかえって深めていったのである。この距離感はもちろん、キリスト教に対してだけでなく、外国の文化に対してすべていえることだろう。けれども、とりわけキリスト教の場合は、それがわれわれの感覚とはあまりに離れた部分があるだけに、私は西洋と自分というものの距離をかえって感ぜざるを得なかったのかもしれない。

 こうした距離感は、大学を出て、戦後、初の留学生としてフランスに渡ったとき、さらに強められた。(中略)そのときから私は、自分が小説家になろうと考えたのである。つまり私にとって生涯やらなければならない自分だけのテーマができたような気がしたからである。

 そのテーマとは、私にとって距離感のあるキリスト教を、どうしたら身近なものにできるかということであり、いいかえれば、それは母親が私に着せてくれた洋服を、もう一度、私の手によって仕立てなおし、日本人である私の体にあった和服に変える、というテーマであった。(中略)

 私は『沈黙』を書くことによって、自分とキリスト教の距離感の一たんをうずめたような気がした。つまりそれは父の宗教から、母の宗教への転換ということであり、私の主人公が心の中でもっていた父の宗教のキリストが母の宗教のキリストに変っていくというテーマである。

 おそらく私がおいたこの石は――この小説が発表されると、この小説をいちばん批判したのは、他ならぬカトリックの人たちであったし、私はそれを当然と思うけれども――しかしこの問題を通過しなければ日本人とキリスト教という問題は解決されないという気がするのである。》

 

 遠藤の『キリスト教作家としての立場から』(『現代キリスト教講座6 キリスト教と文学』一九五六年六月、修道社)は、他のエッセイとは少し違って「中世の芸術家」という切り口から対立軸を明晰に照射している。

《みじかい仏蘭西滞在中、印象のふかかった一つのことはシャルトルとブルジュの聖堂を観た時だ。》から文章ははじまって、カテドラルの色硝子、焼絵硝子の作者の無署名性からキリスト教の「精神的共同体の芸術」のあり方へと思いをはせる。

《中世のスコラ哲学者は芸術について積極的な発言をしなかったが、それでも彼等の考えは一致している。それは一言でいえば行為の二つの形態「創る(フエイル)」ということと「為す(アジイル)」ということとを混同しなかった点だ。「為す」という行為はモラルのみにむすばれ、一方「創る」という行為は美と芸術とだけに従う。この二つはハッキリ区別されていたのである。(中略)それでは中世の芸術家たちに芸術家的闘いがなかったかと言うとそうではない。創る芸術家である以上、彼の芸術的目的は最高の美をつくることであった。(中略)だが彼は制約ある素材を神ならぬ人間の影像や視力でこれを表現せねばならぬ。人間的不完全さと絶対的美表現のたたかい、この二律背反を中世の芸術家はたえず味わさせられたが、しかしその闘いが彼の創るエネルギィとなった。芸術はそういう意味で人間的の仕事なのである。中世の芸術家は芸術家として、その点、他のキリスト者と同様、十字架を背負わされたのである。なぜならば十字架とは四方に引き裂かれることであり、亡くなったクロオデルの言葉を藉りるならば「キリスト教の力はまずそれが矛盾律たる点に存する。十字架上の人はその索引をうけ四方へと極端な引き裂かれを感ずる」ことだからである。》

 ついで「「為す」と「創る」の近代的混淆」と題して、《ルネッサンスから人間は神を拒んだ。個人を主張することによって中世の精神共同体を破壊させた。(中略)すくなくとも芸術家は自分の作品にたいして神と世界との関係そのままを持ち込んだのである。そこから彼が作品の中に美だけではなく自分だけのモラル、自分だけの痕跡をもちこみ、最後には署名をしたのだった。この典型的なあらわれこそ浪漫主義の天才意識であり、ルッソーの個人的自己告白意識である。》とし、「創る」ことと「為す」ことが混同され、混乱に陥ったが、《だが中世のキリスト教的精神共同体から離脱したその後の西欧文学のなかには、あのキリスト教的芸術家の痕跡が二つ残っている。それは先に述べた十字架の分裂的意義である。後世の芸術家は神を捨てもし、美やモラルについての観念も中世の工匠たちと意見を異にしたが、絶対性への憧れだけは決して放棄しなかった。彼等はこれらの美とか善とかを中世の芸術家たちと同様、つねに最も無限の彼方におき、それを自分の手前にまでひきさげて妥協をしなかった。美であれモラルであれ、それらを人間的世界の面で解消し、とりすましておくことをしなかった。なるほど、それらの美やモラルは中世の芸術家とちがい、神より来るものではなく、彼等作家が創るものであったが、その究極は常に人間を超えた(トランスサンダント)世界におかれたのである。つまり彼等芸術家は神を捨てたのではなく、神にたえず嫉妬し神にかわろうとしたのである。マルキ・ド・サドはその作品のなかで新しい悪の美を創ろうと試みたが、その美は神の美のごとく絶対性をもち完全でなければならなかった。》

(フランス留学時に、サルトルボーヴォワールに触発されて、アウシュヴィッツホロコーストにおける神と悪への関心からマルキ・ド・サドについて興味を抱き、サド研究の第一人者レリイを訪問、『わが隣人サド』を上梓したクロソウスキーとも親交を結んでいる。帰国後に「サド伝」を刊行し、サドの居城だったラ・コストを夫人と再訪した異常なまでの熱意は知る人ぞ知るところだ。)

《第二の痕跡は十字架のもっている別の性格、つまり対立の意識である。人間は無限の分裂を孕んだ十字架の結び目にあるという人間観はたとえば霊と肉との対立、善と悪との対立、ロゴスとパトスなどのような対立関係によって支えられている。極言を弄するならば相反した一方(テーゼ)がなくなれば他方(アンチテーゼ)は闘いの場を失い、色あせ、朽ち果てるものだ。ルネッサンス以後の芸術家はなん等かの形でこの十字架の対立関係を自己の創造力の雛型としたのである。》

《モウリヤックやJ・グリーンの場合、彼等の創造力を動かすものは中世の芸術家のように美への憧れというよりは、むしろ悪の恐怖である。中世の芸術家たちも悪を描かなかったわけではないが、その悪は常に支配される悪であった。けれどもモウリヤックや、グリーンなど二十世紀キリスト教作家の前にたちはだかったのはルネッサンス以後、浪漫主義を通して更に拡がり、更に深まっていった悪の世界である。(中略)「人間のドラマは悪と恩寵との闘いである。」とモウリヤックは言っている。「キリスト教文学はそのドラマを描かねばならぬ」、だが、もしそうならばキリスト教文学は作中人物がよりよきキリスト者や聖者になればなるほど、その素材としては消滅していくと言うことになる。》

 遠藤の「対立」と「引き裂かれ」には、「父の宗教と母の宗教」、「(父性的な)聖トマス・アクィナスと(母性的な)聖アウグスティヌス」、「(西欧の厳格な)一神教と(日本という多神教的風土の)汎神論」、「悪と恩寵」、「悪と神」、「憐憫と罪」、「弱者と強者」、「フロイトユング」などがある。

『沈黙』の自然描写において、赤や青などの色彩描写が極端に少なく、「白と黒」ばかりであるのも、「異端的(パガニスム)自然観と基督教的自然観のあつくるしいたたかい」という対立関係を際立たせる効果を発揮している。たとえば、海は碧くはなくて「海がその黒いつめたい色を増し」、「海はただ向うまで陰鬱に黒く拡がり」、「空も海も真っ黒」という沈黙の象徴であり、一方、ロドリゴは「フェレイラの眼に突然白い泪が光ったのを見た」。フェレイラに促されてロドリゴが踏絵を踏む直前、《今まで闇の塊りだったこの囲いにもほの白い光がかすかに差しはじめた。(中略)司祭は大声で泣いていた。閂が鈍い音をたててはずれ、戸が開く。そして開いた戸から白い朝の光が流れこんだ。》という恩寵が救いのように差しこむ。

 Ⅷ章でドラマチックに終えることなく、「日向(ひなた)の匂い」の母親の抱擁のような恩寵の光と匂いのイメージで漂わせた最終Ⅸ章が必要だったのは、「二項対立」による対話の末に、「母の宗教」、「ゆるす宗教」、「聖母マリア信仰」、「汎神論」、「弱者」、「裏切り(ユダとペテロ)」、「憐憫」、「うしろめたさ」、「やましさ」、「二重生活」、「東洋的諦念」、「ユングの集団的無意識」の方へ歩み寄る遠藤の思惑からだった。

 それは、《いろいろな批評家から、さまざまな解説や分析を受けたけれども、私にとって一番大切なことは、外国人である主人公が、心にいだいていたキリストの顔の変化である。(中略)しかしさまざまの困難や挫折(ざせつ)のうちに、彼はついに捕らえられて、踏絵の前に立たされた。彼がはじめて日本で見た、日本人の手によって作られたキリストの顔は、彼がヨーロッパ人として考えていた、秩序があり、威厳があり、力強いキリストの顔ではなくて、くたびれ果てた、そしてわれわれと同じように苦しんでいるキリストの顔だったのである。》(『異邦人の苦悩』)という「主題の縦糸」であり、江藤淳が「この踏絵のイエスの顔は、日本の母親の顔である」、「踏絵のイエスの顔の中には、遠藤氏と母親との関係が描かれている」と指摘したことを、「見破られたな」と悦ぶ。

 その顔はまた、《L’AUDATE EUM壁に顔を押しあて彼は例のようにあの人の顔を心の中に思い描く。青年が遠い旅先で親友の顔を思い描くように、司祭は昔から孤独な瞬間、基督の顔を想像する癖があった。だが捕らえられてから――特にあの雑木林の葉ずれの音が聞える夜の牢舎ではもっと別の欲望からあの人の顔をまぶたの裏に焼きつけてきた。その顔は今もこの闇のなかですぐ彼の間近にあり、黙ってはいるが、優しみをこめた眼差しで自分を見つめている。(お前が苦しんでいる時)まるでその顔はそう言っているようだった。(私もそばで苦しんでいる。最後までお前のそばにいる》という「人生の同伴者」の顔でもあったのだが、ここで「別の欲望」には近親相姦的な匂いさえする。

 

 たとえⅨ章に「日向(ひなた)の匂い」という表現が使われず、取材時に想起したフェレイラの「日向(ひなた)の匂い」の場面もなく、主人公ロドリゴの方に温もりの情景が転移されてはいても、情緒としては充分に母の乳白色に包まれていないか。

 たとえばⅨ章冒頭の「日向(ひなた)の匂い」。

《この年の夏は、雨が少なかった。

 夕なぎの時刻には、長崎の町全体がむし風呂のようになる。黄昏(たそがれ)がくると湾の海で反射する光が余計に暑くるしさを感じさせた。街道から内町に入ってくる俵をつんだ牛車の輪が光り、白い埃がまいあがる。牛糞の臭いがこの頃どこに行っても臭った。(中略)

 列を作って遊んでいた子供たちは、格子窓に靠れた彼を見て、転びのポウロと口々にはやしたてる。中には小石を投げつけようとする者もあった。

「悪か子じゃ」

 垂髪の女がこちらを向いて叱ったので子供たちは逃げ去った。それを彼は寂しそうに微笑しながら見送った。》

 許可なく自由に外出することは奉行所から許されず、フェレイラとも、自由に会うことは禁じられていて、顔を合すのは、奉行所からもらった着物を着せられ、乙名(おとな)(町の代表)に伴われて奉行所に出かける時だった。

《「ははははは」とフェレイラは役人にむかって卑屈な笑い声をいつもたてていた。「オランダ商館のルコックはもう江戸に参りましたかな。先月出島に赴きました折、さよう申しておりましたが」

 彼はフェレイラの嗄れた声とくぼんだ眼とそして肉のおちた肩を黙ってみつめる。その肩に陽が落ちていた。あの西勝寺で彼と始めて会った時も、この肩に陽差しがあたっていた。》

 ロドリゴを転ばせた井上筑後守からの申し出、近く江戸送りになり、邸を与えられ、岡田三右衛門という日本人の名をもらい、終生不犯(ふぼん)の司祭であった自分が妻をもらうことを「よろしゅうございます」と肩をすぼめてうなずいたロドリゴは、《黄昏まで窓に靠れて、彼は子供たちを眺めていた。子供たちは凧につけた糸を持って坂を走りまわるが、風がないために凧はただ地面に引きずられる。

 黄昏になって雲が少し割れ、弱々しい陽がさした。凧あそびにあきた子供たちは門松につけた竹を手にもち、家々の門口を叩きながら唄を歌っている。

 もぐら打ちぁ、科(とが)なし科なし

(中略)

「もぐら打ちぁ、科(とが)なし科なし」目の見えぬくせに地面を這いずりまわるあの愚かな動物が自分とよく似ているような気がする。》

 という寂しさ、惨めさは、「日向(ひなた)の匂い」というよりも「黄昏の匂い」「夕暮の匂い」ではあるけれども。

 

 キチジローが泣きながら告悔(コンヒサン)を願うのを見ながら、転んだのだからもうパードレではないと言うロドリゴの神の声を反復しての、

《「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」

「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」》

 を受けた内面描写には、牢獄に呻吟したマルキ・ド・サドの「恩寵と悪」という「望郷的無信仰」が作家の魂に侵入し、筆を動かしている。

《その時彼は踏絵に血と埃とでよごれた足をおろした。五本の足指は愛するものの顔の真上を覆った。この烈しい悦びと感情とをキチジローに説明することはできなかった。》

 そして、「この国にはもう、お前の告悔をきくパードレがいないなら、この私が唱えよう。すべての告悔の終りに言う祈りを。……安心して行きなさい」と言うと、怒った(なぜ「怒った」のかも読解を待っている)キチジローは声をおさえて泣き、やがて去ってゆき、次の文章をもって終わる(かのようである。三島由紀夫すら、「切支丹屋敷役人日記」があとに続くにも関わらず無視して、「末尾の「あの人は沈黙していたのではなかった」という主題の転換」と発言している)。

《自分は不遜にも今、聖職者しか与えることのできぬ秘蹟をあの男に与えた。聖職者たちはこの冒瀆の行為を烈しく責めるだろうが、自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。私はこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。》

 遠藤は『カトリック作家の問題――現代の苦悩とカトリシズム』で、一章を割いて「憐憫(れんびん)の罪――グレアム・グリーン[事件の核心]」を解説している。英国現代小説の傑作の一つ『権力と栄光』以後、憐憫の持つ光の面ではなく、苦悩や悲劇、もっと正確にいえば、憐憫が生む地獄を描きはじめたグリーンは、『事件の核心』で、姦通の大罪を犯し、告悔の秘蹟を受けぬまま聖体を拝領し、のみならず、自殺というカトリック者にとって怖ろしい永遠の刑罰の深淵に身を投じた主人公スコウビイが「憐憫」によって、かえって数々の過ちと罪とに陥たけれども、ある瞬間は真の信仰者に近く、間違いを仕出かした人なのに、本当に神を愛したと思える、という転倒した解釈は、あきらかに『沈黙』における転倒した解釈と同一だ。

「憐憫」についてはⅦ章で、はだけた胸の奥から小さな白瓜をロドリゴに差し出した洗礼名モニカ(「有名な聖アウグスティヌスの母親の名」)という女とガルペ司祭らの殉教の後で、《自分は信徒たちを救うこともできなかったし、ガルペのように、彼等を追って波浪の中に消えていくこともしなかった。自分はあの連中への憐憫にひきずられて、どうしようもなかった。しかし憐憫は行為ではなかった。愛でもなかった。憐憫は情慾と同じように一種の本能にすぎなかった。そのくらいはもうずっとずっと昔、神学校の固いベンチの上で習ったのに、それは書物の上の知識だけにとどまっていたのだ。》とロドリゴに内省させて、のちの憐憫からの転びという行為を予兆させるが、「書物の上の知識だけにとどまっていた」という批判精神は、十八歳の時の論文にすでに現われていた。

(グリーン『権力と栄光』の『沈黙』への影響は、登場人物の関係構造であって、主人公ウィスキー坊主に対応する司祭ロドリゴ、還俗のホセ神父がフェレイラ、追いつめる警部が井上筑後守であり、とりわけ執拗に現れるユダ役の混血児(メスティソ)がキチジローに似すぎていると、アップダイクは『沈黙』を好意的に批評しつつ指摘した。)

 踏絵をしたところでの「一度目の終り」が引き延ばされ、「二度目の終り」を迎えたのは、「対立構造」という「二項対立」、「二律背反」、および「転倒した解釈」で理解しうる。対話を引きおこす二元論は西欧的でもある。しかし、日本風土の沼地のようにわかりにくいのは、「日向の匂い」を書きあげたところで終りにせずに、そのあとに読解が難しい古文書形式の「切支丹屋敷役人日記」を掲げて、またも引き延ばしたことである。しかも、ほとんどの読者は、そして少しだけ注意深い読み手は、《私の今日までの人生があの人について語っていた》とはどういう意味なのかが心の隅にひっかかりながらも、続く「切支丹屋敷役人日記」の古文書形式を読もうとして難しくて読めず、ここで読書を終えてしまうだろうに。

 

<三度目の終り――「切支丹屋敷役人日記」>

 遠藤は三好行雄との対談で次のように告げている。

「最後に「切支丹屋敷役人日記」というのがございますね、自分としてはあそこも大切なんです。ところがたいていの読者は「切支丹屋敷役人日記」の前のところで、もうこの小説を読むのをおやめになってしまうんです。」、「彼ら二人は転んでもまた立ちなおって、また転んでもまた立ちなおって、また転んで、ということを繰り返したのだと暗示しておきたかった」(「文学――弱者の論理」)。

 なぜ明示ではなく、「暗示しておきたかった」にとどまるのか。

《寛文十二年壬子(みずのえね) このごろ、拾人扶持岡田三右衛門、七人扶持づつ卜意(ぼくい)、寿庵、南甫、二官、閏(うるふ)六月十七日、遠江守(とおたふみのかみ)へ出(いだ)す、》で始まる「切支丹屋敷役人日記」の問題となる部分を読んでゆこう。

《一、正月廿日より二月八日迄、岡田三右衛門儀、宗門の書物相認(あひしたた)め申し候様(やう)にと遠江守申付けられ候、之により鵜飼庄左衛門、加用伝右衛門、星野源助、御番引き、右の用懸り申付けられ候、》

 遠藤は「宗門の書物」の意味が、作品中のフェレイラ(日本名沢野忠庵)の『顕偽録』から類推される背教の書とは違って「信心戻し」の誓約書であると告白している。

「「書物」というのを私の『沈黙』英訳本なんかを見ましても、「ブック」と訳している。「ライト・ア・ブック」というふうに。私、ブックのつもりではなかったのです。「誓約書」という意味だったのです。誓約書というのはもう一度、拷問にかけられて、また「私は転びます」といった誓約書です。しかし拷問にかけられたというのは、「私はやっぱりキリスト教徒です」ということを宜言したためです。「私はけっして棄てたのではない」と言ったために拷問にかけられたんです。私はこの誓約書を書かされたということを、この「書物」という「書き物」ということばで暗示しておったんです。」(「文学――弱者の論理」)

 またしても「暗示」、なぜはっきりわかるように「日記」を書き直さなかったのか。

 ロドリゴ(岡田三右衛門)のモデルのキャラ神父(岡本三右衛門)について、「彼にはフェレイラの「顕偽録」のような著書はない。しかし先にのべた北条安房守が編した井上の秘密文書「契利基督記」は、この岡本三右衛門の供した多くの史料を使っていると言われている。この「契利基督記」の中に岡本三右衛門の判形(判ヲ押シテ認メルコト)を行った文書の写しがふくまれていて、これによって我々は幾らかではあるが三右衛門の生涯の一部分をうかがい知ることができる。」(「南からきた人」)とあり、続く文章で、「キャラ神父とその伴侶はオランダ人の目撃者がはっきりと報じているとおり、後で棄教を取り消そうとしたが、当局はこれを認めず、神父たちをその後も棄教者として扱っている。」とも述べている。三右衛門が「書物」を認めたのは、延宝二年の「正月廿日より二月八日迄」の他にも、《二月十六日、岡田三右衛門書物仕(つかまつ)り候に付き、加用伝右衛門、河原甚五兵衛に申付けられ、両人とも御番引き、三右衛門宅へ廿八日より三月五日迄立合ひ、》および《六月十四日より七月廿四日迄、宗門の書物、岡田三右衛門に山屋敷書院に於て相認(あひしたた)めさせ候に付き、加用伝右衛門、河原甚五兵衛、御番引き立合ひ、》とあるように長期間をかけていることから簡単な誓約書とは考えられず、信仰の正当性を訴えたのではないかとも推察しうるが、いずれにしろ「わかりにくい」ように遠藤は書いている。

 岡田三右衛門自身の「信心戻り」についても、

岡田三右衛門召連れ候中間吉次郎へも、違ひ胡乱なる儀ども故、牢舎申し候、囲番所にて吉次郎懐中の道具穿鑿仕り候処、首に懸け候守り袋の内より、切支丹の尊み申し候本尊みいませ一、出で申し候、サレハウラサンヘイト口、裏にジャンピヱルアン女之有り候、吉次郎牢より呼出(いだ)し、国所(くにどころ)、親類の様子相尋ね候、生国九州五島の者、当辰五拾四歳に罷(まか)り成り申し候、》

とキチジローについてはあいかわらずと納得させ、

《一、同十八日、山屋敷へ御頭遠江守御出で、書院に於て、中間三人の口を御聞き、一橋又兵衛御呼出し穿鑿致され、次に吉次郎、徳右衛門穿鑿致され、其の後、岡田三右衛門女房ならびに下女、小者御呼出し穿鑿を遂げられ、三右衛門も御呼出し、吉次郎を勧め申さず候やと相尋ねられ候処、少しも勧め候儀之なき由申し候に付き、勧め申さざる由の手形を申付け候、》

と岡田三右衛門(ロドリゴ)については否定的に記述しておいて、しかし、

《寿庵儀、日ごろ我儘(わがまま)仕り、今度加用源左衛門へ不届の仕方致し候段、重畳(ちようでう)不届者に思召(おぼしめ)され候間、つめ牢に仰付(おほせつ)けられ候間、左様に相心得申すべく候、寿庵申し候は、日ごろの望みに御座候へば、忝(かたじけな)く存じ候由申し候に付き、則ち牢前へ遣(つかは)し候処、(中略)寿庵所持の内、ちりちよ一つ、りしひりな二つ、こんたす二連、星の図一幅之有り、》

のとおり、寿庵入牢の記事は、「日ごろ我儘(わがまま)」「日ごろの望み」と所有物によって、一度棄教を誓いながらその後「信心戻し」を申し立てたと推測させ、そこから遠まわしに岡田三右衛門(ロドリゴ)もまた「信心戻し」をほのめかすような揺れ動く記述。

 また、ロドリゴの最後についても、

切支丹屋敷に籠りあり候伴天連岡田三右衛門儀、南蛮ほるとがるの者、三拾余年以前未(ひつじ)年、井上筑後守へ始めて御預け、囲屋敷に当酉(とり)年まで三拾年罷りあり候処、当月初めより不食致し相煩(わずら)ひ候に付き、牢医石尾道的、薬用ひ申し候へども、段々気色(けしき)さし重り、昨廿五日昼七つ半時過ぎ、相果て申し候、右三右衛門、六拾四歳に罷りなり候、》

と、「不食」による死は、カトリックの大罪である「自殺」とは異なるというのが常識的な解釈としても、最後まだカトリックだったのか、「わかりにくいこと」を残して幕引きした。

 あたかも、ユダに対するイエスの言葉、「去れ、行きて汝のなすことをなせ」や、ペトロにむかってイエスが「今夜、鶏鳴く前に、汝三度我を否まん」と言った言葉の謎のように、「切支丹屋敷役人日記」の暗示もまた不透明な謎として存在し、うしろめたい「告白」のように機能する。

 ポール・ド・マンは『読むことのアレゴリー』の「第二部ルソー」の「読むことのアレゴリー(『サヴォワの助任司祭の信仰告白』)で指摘している。

《問題の核心は、まさに他の声を反復する声、すなわち他の意味の読み直しや書き直しである意味を理解できるか否かという点にあるので、『信仰告白』を読むことはルソーの宗教的・政治的著作の解釈の場合ほど(むろん、わずかな例外もあるが)独白的=単一論理的であってはならない。例えば、ルソーの有神論的な信念の証拠として『信仰告白』から頻繁に引用される一節があるが、それを口にしているのはルソー本人ではなく虚構の人物であり、その「声」が著者のそれと必ずしも一致しないことは明らかである。ジュリの手紙についても、もちろん同様である。いわゆる虚構作品では、そのことはあまりに自明であり、こうした所見をあえて付け加える必要はない。さらに深い問題がなければ、誰もプルーストとマルセル、フロベールとエンマ・ボヴァリーを単純に同一視しようとは思わない。だが、『信仰告白』のような説教的=論証的なテクストの場合、虚構的な代弁者の利用は――いやしくも読者がそれに気づけば、の話だが――転覆的な意見への報復から作家を守るためのアリバイとして経験的に説明されてしまう。》

 虚構の人物がうごめき、ロドリゴの声も神の声も作家遠藤の声でないのは自明だが、説教的=論証的なテクストという一面もある『沈黙』の解釈の場合は、独白的=単一論理的であってはならない。「切支丹屋敷役人日記」の数々の暗示、なかなか終わらない引き延ばしが、転覆的な意見(「沈黙の声」、「日向(ひなた)の匂い」)への報復(カトリックの人たちや作家・評論家の批判)から作家を守るアリバイとしての作用も果たしてはいないか。

 そして、単行本に関していえば、「切支丹屋敷役人日記」の死亡記事でも終わらない。まだ「あとがき」がキチジローのようにぐだぐだと付いてまわる。

「しかし、すべてを語るだけでは、まだ不十分である。告白すること(・・・・・・)[confess]に加えて、言い訳すること(・・・・・・・)[excuse]が求められる」、「自己告発する者は自己弁解する(・・・・・・・・・・・・・・)」(ド・マン『読むことのアレゴリー』「言い訳(『告白』)」)かのように。

 

<最後の終り――「あとがき」>

「あとがき」がある単行本はすでに絶版で、手に入れることができる文庫本では、「あとがき」は省略されてしまった。「まえがき」は「序」として必須だが、「あとがき」は余談のようなものだから、そうしてもよいということか。削除は作者の無意識の検閲だったのか、単なる慣習にすぎないのか。

 単行本の正味一頁ほどの短いものなので、ここに引用する。

《あとがき

数年前、長崎で見た摩滅した一つの踏絵――そこには黒い足指の痕も残っていた――がながい間、心から離れず、それを踏んだ者の姿が入院中、私のなかで生きはじめていった。そして昨年一月からこの小説にとりかかった。ロドリゴの最後の信仰プロテスタンティズムに近いと思われるが、しかしこれは私の今の立場である。それによって受ける神学的な批判ももちろん承知しているが、どうにも仕方がない。

 次にこの小説のモデルである岡本三右衛門について少し書いておく。本文の岡田三右衛門ことロドリゴとちがって彼は(本名、ジョゼッペ・キャラ)シシリヤに生れ、フェレイラ神父を求めて一六四三年六月二十七日、筑前大島に上陸し、潜伏布教を試みたが、ただちに捕縛され、長崎奉行所から江戸小石川牢獄に送られた。ここで井上筑後守の訊問と「穴吊り」の刑をうけて棄教、日本婦人を妻として切支丹屋敷に住み、一六八五年八十四歳にて死んだ。彼と共に布教に渡日したアロヨ、カッソラの二人も皆、拷問の後、転んでいる。小説中のロドリゴやガルペと史実のキャラとの違いのためにこの点を指摘しておく。

 また第九章中の「長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記」は村上博士訳の『オランダ商館日記』から、「切支丹屋敷役人日記」は『続々群書類従』中の査祅余禄から抜萃し、書きなおしたことを付記しておく。

  昭和四十一年二月二十日  著者》

 なにが問題なのか。執筆の経緯や史的モデルや二つの日記の来歴ではなく、《ロドリゴの最後の信仰プロテスタンティズムに近いと思われるが、しかしこれは私の今の立場である。》というところなのか、《それによって受ける神学的な批判ももちろん承知しているが、どうにも仕方がない。》ということに関しては、終生、そして年を追うごとに揺るぎなかったのだから原因とは思いがたい。いずれにしろ、ここにもわかりにくい告白と弁解がある。

 

 本来、遠藤はそのわかりやすさゆえに批判されてきた作家だ。

 柄谷行人は『中野重治と転向』で、中野の「わかりにくさ」と(マルクス主義からの)転向を論じている。

《たしかに中野の世界の文章には近代小説にはないような「古さ」がある。しかし、その「古さ」は「短歌の世界の古さ」ではない。中野の表現が近代文学のものでないとしたら、それが似ているのはたとえば「マルコ伝」のような表現である。それは断片の集成からなっていて、その断片は多義的で矛盾にみちている。それを一義的に統一する視点はない。にもかかわらず、それらの断片群は「キリスト教」といった教義にないような、人間の生の構造を指し示すのである。

  ペテロは下の方の中庭にいたのだが、そこに下女の一人が来て、たき火にあたっているのを見つけ、しげしげと顔を見ていった、

 「あんたもナザレ人イエスと一緒だったね。」ペテロはこれを否定し、「そんな人は知らんよ。お前さんは何を言いたいのかわからないね」と言いそらして、前庭のところまで出ていった。ところがその前庭でまた同じ下女に見つかってしまった。彼女はまわりに立っている人々に、「こいつはあの男の一味だよ」と言った。ペテロはまたもそれを否定した。だがまたしばらくしてから、まわりに立っている人々が、「いや、やはりこいつはあの男の一味だ。ガリラヤ人なのだからな」といった。ペテロは誓いの言葉を繰り返しつつ、言った。

 「あんた達の話している者のことなどわしは知らん。」

  すると、すぐに鶏が二度目に鳴いた。ペテロは、鶏が二度鳴く前にお前は三度私を否認するだろう、と言ったイエスの言葉を思い出して、泣き出し、泣き続けたのであった。

 たぶんこれは転向が描かれた最初の文章であろう。ペテロはイエスを三度否認し、そして泣く。ここでは、彼の心理は描かれず、たんに言葉と行為だけが書かれている。だが、内面的・心理的でないこの文章は、ある内面的態度をはらんでいる。逆に遠藤周作のような近代小説家が書けば、「マルコ伝」にある「わかりにくいもの」が消えてしまうほかない。それは「自意識」を独立させそれをリアルに「説明」することになる。しかし、「マルコ伝」のこの部分が不透明なのは、まさにそれが不透明なものに出会っているからだ。それは「罪」というようなものではないし、むろんキリスト教的思想でもない。言ったことと違ったことをやってしまっていたというちぐはぐさ、その埋めようのない空白=ズレが露出しているのである。》  

 続いて柄谷はアウエルバッハが「旧約聖書」とホメロスを比較して、後者は出来事の過程が因果的に写実的に描写されるが、聖書はそういうことになんら関心を抱かず、たとえば、ペテロがいかにして逃げたか、彼がこの三度の裏切りをあとでどのように意味づけたかも書かれていないが、強力な「遠近法」があり、それによってつかまれる重層的なリアリティがある、と論じた。

 柄谷は『沈黙』か『イエスの生涯』あたりを念頭においたのだろうが、『沈黙』だとすれば、その「(神の)沈黙(の声)」は「自意識」の声に過ぎず、「自意識」をリアルに「説明」しているだけと捉えてのことだろう。たしかに、「(神の沈黙)の声」にしろ、「日向(ひなた)の匂い」にしろ、そこで終れば「自意識」を「内面的・心理的な」文章で「説明」しているにすぎない。透明なもの、出来事の過程が因果的に写実的に描写されているにすぎないともいえる。

また、柄谷は『マルコ伝について――田川建三『原始キリスト教史の一断面――福音書文学の成立』の書評で遠藤の“読み”を批判した。

《田川氏は、イエスガリラヤで活躍し、エルサレムへはただ受難のためにしかおもむかない、というマルコ伝の著述の底に、エルサレム教会に対立するガリラヤ地方の精神風土を見出す。》、《書記者は、当時の初期エルサレム教会のボスであったペテロら直弟子やイエスの家族(母、兄弟)を批判することによって、生けるイエス像をとりかえねばならなかった、というのが、田川氏の論の骨子である。(中略)ところで、私は同じ『マルコ伝』に、もう一つ別の“深読み”がなされる可能性があることをも知っている。ペテロらは、イエスの真意を素朴な民衆よりも解しておらず、しかも、転向――再転向をくりかえしたくせに、ユダ的な苦悶すらも感じず、教会の権威者としてのさばっている。そのように『マルコ伝』が強調すればするほど、ただちに逆の解釈がなされるのである。ペテロらはもっと卑小でダメな人間であってかまわぬ。そもそも神の前で「人間」はそのような存在でしかありえないではないか、と。すなわち、ペテロらのマイナスがより大であればあるほど、大なるプラスに転化されるのである。

 遠藤周作はそういう“読み”をする作家であって、たとえば『沈黙』において何度も転向する卑小な人物にペテロ的なイメージを仮託しているのだが、『マルコ伝』について次のように書いている。

  十二人の弟子を主人公にして聖書を読みなおしてみると、そのテーマは「弱者はいかにして強者になったか」ということになる。ダメな人間だった彼等は最後には自分を最も愛してくれた人を裏切り、見すてたほどダメな人間だった。そのダメな人間たちがやがて死と迫害にも屈せず原始キリスト教団を結成する強者となる。(「弱虫と強者について」「文学界」五月号)

 こういう“読み”にあっては、マルコ伝の書記者がいかに意を尽して弟子たちを批判しようとも、そのためかえって彼らはわれわれにいっそう近い者として救出されてしまうのである。》

『沈黙』において柄谷が想定した、ペテロ的なイメージを仮託した何度も転向する卑小な人物が、ロドリゴ(鶏が鳴く場面を重ねあわせてペテロ的なイメージが仮託されているが、単純に「卑小な人物」とは言い難い)なのかキチジロー(「卑小な人物」という形容にふさわしいが、小説中ではユダのイメージが仮託されている)なのかは不明で、たとえロドリゴだとしても、ロドリゴもフェレイラも「弱者はいかにして強者になったか」というペテロにはなりえず敗残者のまま生を終えたけれども、やましい良心の二重生活が、ニーチェが批判したようなルサンチマンによる弱者の逆説として「日向(ひなた)の匂い」から嗅ぎ取れることは確かだ。

(さらに、直接的ではないが、柄谷は『日本精神分析』で、芥川龍之介の『神神の微笑』という、イエズス会の宣教師オルガンティノが、日本では、外から来たいかなる思想も、たとえば儒教も仏教も、この美しい風景の国で造り変えられることに不安を覚えるという小説を批評しつつ、「造り変える力」の日本文化について丸山真男本居宣長和辻哲郎河合隼雄西田幾多郎時枝誠記谷崎潤一郎坂口安吾などを検討しながら、漢字仮名併用に解を見出してゆくが、河合隼雄ユング精神分析の「集合的無意識」による「日本人の自我構造」や「母性社会」、和辻哲郎の『風土』に代表される日本回帰の文化論を批判した。『神神の微笑』のテーマは『沈黙』の日本的多元論や泥沼の先行であり、「日本人にあったキリスト教」を求めて「距離感」をなくそうと河合や和辻に近づいた遠藤への批判に通じる。)

 柄谷の批判はわかりやすいのかもしれない。だが柄谷はそこまで読みこまなかったのだろう、あの「切支丹屋敷役人日記」という日記の存在は、なかなか終らないことは、不透明で、断片が幾重にも重なりあい、あるいは対立しあった形であらわされ、埋めようのない空白=ズレでわかりにくいことを再出現させてしまっているのではないか。ぐずぐずと、ちぐはぐに、「右手で差し出したものを左手で奪い去る」、「謎を解く」ためではなく「謎を深める」ための、「円環的」で「転倒的」、「多声的」、「多起源的」な終りのない終り。

 なかば意識的に、なかば無意識に、わかりにくいことによって、読者を沼地のような限りない「問い」へと導く小説、それが『沈黙』である。

                               (了)

            ******引用または参照文献******

遠藤周作『沈黙』(新潮社)

*『遠藤周作文学全集1~15巻』(新潮社)

遠藤周作『切支丹の里』(「日記(フェレイラの影を求めて)」所収)((中公文庫)

*『遠藤周作『沈黙』作品論集』石内徹編(クレス出版

*『遠藤周作文学論集 宗教編』(『形而上的神、宗教的神』、『カトリック作家の問題――現代の苦悩とカトリシズム』、『キリスト教作家としての立場から』、『異邦人の苦悩』所収)加藤宗哉、富岡幸一郎編(講談社

遠藤周作遠藤周作と歩く「長崎巡礼」』とんぼの本(新潮社)

遠藤周作三好行雄対談「文学――弱者の論理」(『国文学』昭和48年2月号)

遠藤周作『狐狸庵 歴史の夜話』(「南からきた人」所収)(PHP文庫)

新井白石『西洋紀聞』(東洋文庫

内田樹『呪いの時代』(新潮文庫

*『谷崎潤一郎随筆集』(『『越前竹人形』を読む』所収)篠田一士編(岩波文庫

フランソワ・モーリアック『テレーズ・デスケルウ』遠藤周作訳(講談社文芸文庫

グレアム・グリーン『権力と栄光』斎藤数衛訳(早川書房

グレアム・グリーン『事件の核心』小田島雄志訳(早川書房

柄谷行人『ヒューモアとしての唯物論』(『中野重治と転向』所収)(講談社学術文庫

柄谷行人『畏怖する人間』(『マルコ伝について』所収)(講談社文芸文庫

柄谷行人『日本精神分析』(講談社学術文庫

*E・アウエルバッハ『ミメーシス――ヨーロッパ文学における現実描写』篠田一士、川村二郎訳(ちくま学芸文庫

ニーチェ道徳の系譜学』中山元訳(光文社古典新訳文庫

パスカル『パンセ』前田陽一、由木康訳(中央文庫)

スピノザ『神学・政治論――聖書の批判と言論の自由』畠中尚志訳(岩波文庫

ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』土田知則訳(岩波書店