文学批評 「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」

 「田辺聖子の三部作『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』」

  

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田辺聖子全集』全24巻から、どれか3巻を選んでみようとしても迷うばかりだ。それほどに田辺文学は広がりと多様性に満ちているのだが、田辺文学、とりわけ小説への批評性の貧困、欠如は驚くばかりである。いくつかの対談が収められてはいるものの、いわゆる評論家・作家の「田辺聖子論」はなく、解題、自作解説、書誌的なものしか目にできない。全集につきものの「月報」を見れば(のちに取りあげる)、当世人気の女性作家たちがどれほど田辺文学を愛しているかよくわかり、本質をつく指摘に霧が晴れるけれども、エッセイないしコラムであって批評というには物足りない。

 批評の欠如、それはひとつには、田辺が「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)」で芥川賞をとったのに、いわゆる中間小説・大衆小説的な方面(その奇妙な分類、色分けについて田辺はあちこちで異議を唱えていて、たとえば、《私にとっては純文学と中間小説(と、当時いわれた)の区別などは、全くなかった。「うたかた」に続くいろんな私の小説をある評論家が貶(おとし)めて、<純文学修行の辛(つら)さに負けて大衆小説書きに堕(だ)した>などと書いていたが、私は、きょとんとするばかりだった。まあ、文壇的には、芥川賞直木賞の二種類があるのだから、そのどちらかに染め分けされる運命なのだろうが、私にとっては無意味である。》(全集5自作解説))を開拓したからとされているが、より重要な理由は、「月報」で熱と力がこもっているのは女性作家のものばかりなように(男性作家では隣近所で親しい宮本輝ぐらい)、男性の作家、批評家、もしかしたら読者もが田辺の小説の魅力を理解できていないところにあるのではないだろうか。なにより、芥川賞以後の受賞が旺盛な小説執筆ではいっさいなされず、男性にも理解しやすい評伝を書き始めたとたん、にわかに受賞が相次いだという出来事に象徴されているに違いない。

 たしかに田辺聖子の小説を論じようとすると、女性読者のたまらない悦びとトキメキ、「まるで私のことのよう」、「わかる、わかる」と一体感を覚える独特にして普遍的な感受性、時々刻々と変化する感情の千変万化は、大阪弁のようになまぬるくて批評の焦点を当てにくい。一例として、宮本輝がそのあたりの不思議な感覚をこんなふうに表現している。《私は田辺さんの短編小説のほとんどに、その登場人物のちょっとしたひとことや、階段ののぼり方や、すき焼きの食べ方や、プラットホームでの電車の待ち方に、いかんともしがたい寂しさを見てしまって、小説世界とは異なる世界の舞台に載せられてしまうのである。それはつかのまの「この世ならぬもの」である。これは考えてみれば摩訶(まか)不思議な手品にひっかかったのに似ている。そしてこのような手品にはタネも仕掛けもない。というよりも、手品使い自身がどんなタネや仕掛けを使ったのかを気づく隙(すき)を持たない。手と心は同時に瞬時に動いている。この手品師が持っている技は幻術に近いものかもしれない。》(全集5月報)

 さらには、大阪弁サガンコレットラブロマンスを描こうとの、精神風俗まですくいとった風俗小説は、いまだ文学的市民権が薄弱だから面と向かって論じられないという背景もあるだろう。

 それでもなお、田辺作品で最も人気が高い乃里子(のりこ)三部作の『言い寄る』『私的生活』『苺をつぶしながら』を男が論じてみることは、いまだ勘違いしている風潮に一石を投じることになるのではあるまいか。

 

<現代版『細雪』『続・細雪』『続々・細雪』>

 谷崎潤一郎細雪』の中公文庫(中央公論社、1983年初版)は、「上巻」「中巻」「下巻」が全一冊900ページ強からなる分厚いものだが、その「文庫本解説」を田辺聖子が「解説――おんな文化の「根(ね)の堅州国(かたすくに)」」と題して6ページにわたって寄せている。解説執筆の白羽が立った理由は知る由もないが、田辺もまた「おんな文化」「阪神間」「源氏物語」を描いた作家だから、といったあたりだろうか。解説はこんなふうにはじまる。

《『細雪』を久しぶりに読み返してみて、私はやっぱり面白かった。いや、昔、若いころに読んだ時にはさして興を催さなかった登場人物にも、情景にも、共感と愛着をおぼえて(たとえば貞之助や鶴子のごとき)さらにこの小説の奥行が広まったかに思えた。

 この小説には谷崎さんの(と、心安く呼ばせて頂こう。そのほうがこの柔媚な女手の仮名文字にふさわしい)好奇心がいきいきと躍動している。猛烈な、といっていいほど、貪欲な好奇心である。》

 という貪欲な好奇心は田辺自身にも言えることだが、つづいて、

《谷崎さんは上方に住み、上方の女の発想法や呼吸や肌ざわりや教養やプライドに触れ、訓化することによって、その「おんな文化」に目を開かされた。》

 というだけにとどまらず、民俗の心の奥ふかく下りて、さながら「根の堅州国(かたすくに)」」、地底世界と言った「王朝文化」をさぐりあて、谷崎を歓喜させたに違いない、としたうえで、この解説の嚆矢というべき文章となる。

《とりわけ谷崎さんは「雪子」なる女性を、上方文化、おんな文化の象徴のように活写していて、上方者がこの「雪子」のくだりを読むときは微笑を禁じ得ないところがある。大阪の女にはこの雪子型がじつに多くて、まさしくこれは大阪女の一典型なのだ。

「はにかみやで、人前では満足に口が利けない」くせに「見かけによらない所があって、必ずしも忍従一方」ではなく「黙ってて何でも自分の思うこと徹(とお)さな措(お)かん人」であり、「見かけによらず出好き」で「内気なようで花やかなことの好き」な女、そして電話ぎらいで縁談相手の男とろくにものもいえず、そのくせ、人の骨折りに対しても、すまなかった、とか、感謝やねぎらいの言葉もいえぬ気位高さ。(中略)

 こういう手に負えぬ女のおもしろさをもつ雪子に(小説の中では一見、奔放で大胆な軌跡をみせる妙子のほうが、手に負えぬ女のようにみえるが)谷崎さんはいたく興をそそられ、渾身の力と愛着をこめて描いている。》

 雪子に大阪女の一典型を見、妙子と雪子の「手に負えぬ女」の逆転といった見事な指摘は、谷崎文学を語りつつ、田辺文学の本質について言及、宣言しているに違いない。それは次のような言説に発揮されていて、

《雪子に象徴される「おんな文化」は、従来、男たちの文化の中では、黙殺されたり貶(おと)しめられたり、看過されたりしてきたものである。ま、女流だから「おんな文化」を発揚するとは限らない。むしろ女流文学者は「男文化」の場で男性文学者と肩をならべる、という姿勢をとりやすい。だから、とるに足らぬ蒙昧なもの、と黙殺されてきた「おんな文化」は近代になってはじめて、谷崎さんというすぐれた通訳を得て、まことに雄弁に言い弘められたということもできる。》

 田辺聖子はまた、まわりくねった女性心理の複雑なひだ、相手とこちらの間で時々刻々と変化する多様な気持を発見した谷崎を賞揚する。

《男から見れば、単にわがままにすぎないとみえるが、おんな文化には独特の屈折した発想のすじ道があり、「そら、あたしかて……」ではじまる、実にこまごました複雑な思考経路、ゆきつもどりつしながら、心理のひだひだをくまなくすくいとって、相手の反応も敏感にキャッチしつつ、こちらの気持もいうべきはいい、伏せるべきは伏せる、<こうこういうわけやよってにこう>という、その結論に達するまでの道のりが、おそろしく長い。

 最短距離の対角線を突っぱしる男文化にはとてもついてゆけない、というような、ながながしく、まがりくねった女性心理なのだ。

 しかしその、まがりくねりかたに谷崎さんは、何とも優雅な美しさや面白さ、おかしみや真理を発見する。派手で豪奢を愛する心、情深くもあり、やさしみも充分たたえながら、取りつきにくい気位高さをもつ、そんな女たちの考えかた、生きかた、さらにいえば化粧のしかた、立居振舞、呼吸のしかた、しゃべりかたに谷崎さんは酩酊し、陶酔する。谷崎さんはその興奮を、どうやって書きとどめようかと苦労して、文章に「、」を多用する。(中略)私たちは『細雪』に、『源氏物語』の口吻を、また近松門左衛門のセリフの揺曳を感ずる。》

 まがりくねった女性心理のひだをくまなくすくいとること、おかしみや真理を発見すること(アフォリズム)、やさしみをたたえながら気位高さを持つ女たちというのは、田辺文学の一大特徴であろう。

「豪奢」という経済活動、反禁欲への言及は、田辺の三部作における中谷剛(ごう)の羽振りのよい「俗臭」(と決めつけられない複雑な味わいがあるのだけれども)と比較しうるものに違いない。やがて寂しき、というせつない清々しさも田辺の小説の深い味わいである。

《また、この姉妹たちのたたずまいには、いかにも人生の豪奢、というものが感じられるが、その生家がいまは没落している、というのもいい。豪商の実家がいまも手堅くつづいている、というのでは、この『細雪』の世界は成り立たない。商家が羽振りのよい時期は、必ずどこかで禁欲の俗臭があるもので、全盛時代が終ったときに、退廃の豪奢がはじまる。姉妹たちの生活の豪奢に臭味がなく、澄んだ印象を与えられるのは、そのせいである。》

阪神間」にも言及するが、それは《終戦後、大阪商家の節倹ぶりや封建性が小説や芝居で歪曲され、伝聞されたため、大阪人はケチな守銭奴のように今以て誤解されている》(『田辺写真館が見た“昭和”』)ことへの反発、抵抗が言わしめている。

《また、阪神間独特の明るさとハイカラさが、時折り点綴される外国人らの描写と相まって、主人公たちにのびやかさと花やかさを添える、これもいい。これが大阪市内の暗い老舗の家の内が舞台であれば、「おんな文化」は陰にこもった発現をするであろう。商家、などというものは、もともと「男社会」の分野なのだから。》

 男や脇役の批評にも意を割いて、田辺文学にしばしば登場する中年男の包容力をなぞる。

《こんど久しぶりで読んで、昔より興をおぼえたのは、貞之助の過不足ない描かれ方であった。時折り、まことにあたたかな男性の目で「おんな文化」を認識し、おんなを理解する。男性感覚で、ゆきすぎを調整したり、とりなしたりする。その度合いがまことに適切で、まさに「おんな文化」の扇の要(かなめ)のようになっているのを発見した。》

 そして、最後をこう締めくくる。

《読み了って、私は、谷崎さんの女人讃歌の豊饒なふところに抱きとめられた思いがする。この世の中にかくれて見えぬが、鬱然としてある「根の堅州国」の、恐ろしくも柔媚な、巨(おお)きな魔力を、かいまみた気がする。小説は社会の風雲ただならぬ時代の、トバ口(ぐち)にさしかかったところで擱筆されるが、この女主人公たちは将来する世俗の嵐に負けることなく生きぬくのではあるまいか、そう思わせる朗々とした力づよい感じを与えられる小説であろう。》

 田辺聖子は、1973年から81年にかけての乃里子三部作『言い寄る』、『私的生活』、『苺をつぶしながら』を、『細雪』「上巻」「中巻」「下巻」の現代版として書きあげたのだ、と言ってしまえば簡単だが、そうは単純ではない。

というのも、第一に、文庫本解説から約30年後、2010年5月の宮本輝との対談(「上方―かみがた―に上品―じょうぼん―のあり ――ことばとこころの美しさに向けて」(『ユリイカ 特集田辺聖子』2010年10月号)では、めったに人のことを喋らない田辺には珍しく谷崎をこき下ろしているからだ。

宮本 僕は谷崎の失敗作と呼ばれるものが割と好きなんですね。『猫と正造と二人のおんな』とか。ぐだぐだっとした文章で「このおっさん何を言いたいねん?」っていう小説のほうが谷崎の作品としては好きですね。

田辺 私は谷崎でこれはというものはないですね。やっぱりぐちゅぐちゅと書くところなんかは面白いと思うけど、でもこれが一番というものは特にありません。『細雪』の大阪弁にしても無理があったと思うし。

宮本 あれは大阪弁というよりも京都弁に近い時がありますね。

田辺 何より品(ひん)が悪いですね。あれは谷崎に大阪言葉を教えた人も悪いんでしょう。

宮本 どうしても下町言葉のような感じで、芦屋に住んでいる金持ちの名家のお嬢さんの言葉づかいではない。

田辺 それは全然違いますよね。それにやっぱり大阪弁を文字にする時に「こうは書かない」というのがあるんですけど、谷崎は東京の人間だからそれが分かっていない。例えば「そうでんねん」だったら、「ん」は軽い音になるので、そこを小さなカタカナの「ン」を右寄せにして「そうでンねン」としておけば実際の音に近くなるのに、ひらがなの「ん」をそのままで「そうでんねん」と大きく使ったりしてしまうと。大阪の人間からみたらカッコ悪いんです。

 やっぱり耳から入った言葉をそのまま書くことはとっても難しい。しかも、大阪弁にはものすごくいろんな抑揚があるので一日や二日で通じられるはずがないのに、谷崎はそれができると思ったんでしょうか? ちょっと自分が賢いと思い込み過ぎな気がしますね。半分アホです。だから、私は谷崎が偉いとは全然思いませんね。》

 あの文庫本解説は何だったのかと思えてきて、30年の歳月が、田辺を変節させたのか、より深い所に到達したのか、頑迷になったのか、もともとそれほどでもなかったのか、それ以上は分らないが、いずれにしても、谷崎が成し遂げられなかったこと(正しい大阪弁にしろ、現代版にしろ)を自分がやって見せようと意気込んだということだけは芯に残る。

 第二に、『言い寄る』(1973年)、『私的生活』(1976年)、『苺をつぶしながら』(1981年)という乃里子三部作は、『細雪』「上巻」「中巻」「下巻」にそれぞれ対応しているわけではないからだ。

 では両者がどういう関係にあるのかを解きほぐす前に、やはり阪神間に生まれ育った須賀敦子が「作品のなかの「ものがたり」と「小説」谷崎潤一郎細雪』」と題して「上巻」「中巻」「下巻」の構成について卓抜に解析した書評を一部分だけ引用する。

《まず、『細雪』が上、中、下の三巻に分けられていることに注目しよう。それぞれの巻が、明確な意図のもとにまとめられているからである。上巻では、過去―現在に続く伝統的な美の価値が披露され、その存続を脅かすものがあることが示唆される。登場人物たちは伝統がやがて破綻にいたるのを(そして破綻がある意味で当然の成行きであるのを)意識しながらも、その継続を祈っている。しかし、中巻は、上巻で提示された「美の世界」に対抗して、これを蝕むとされる現実=現代の世界を確認し、水害と、妙子の堕落(妙子の赤痢と板倉の悶死――両者とも発病の原因は細菌の感染=穢れに触発されることに注目)による、破綻の具体化・表層化を語っている。下巻では、身近な目標の達成(雪子の見合いの成功)が、同時に、雪子との別れにつながっている。上巻で賞賛された世界は、この別れによって終りを告げることになるが、一方では新しいかたちでの継続が約束されているようである。とくに見逃してならないのは、雪子の「ものがたり」の終焉とほとんど共時的に、作者が妙子の「プロット」を終わらせている点である。(後略)》

 翻(ひるがえ)って田辺聖子の三部作構成はどうか。

 第一部『言い寄る』は、三十一歳のフリーデザイナー乃里子をめぐって、「世の中には二種類の人間がある。言い寄れる人と、言い寄れない人である」ことから繰り出される、ままならないがユーモアたっぷりのラブロマンスだ。「言い寄れるのは、あんまり愛してない人間の場合である。失敗したってどうせモトモト、というような、間柄のときだけである」ゆえに失敗できずに五郎に言い寄れない乃里子のはがゆくせつなく恋、「廂(ひさし)を貸して母屋(おもや)をとられる」ように親友美々(みみ)とは会って二度目で言い寄ってしまう五郎とのあざとくもかなえられない三角関係、かと思えば「会いとうて、会いとうて、もう、とうとう辛抱たまらんようになって」なんて言い寄る成金一族のがっしりした色男剛(ごう)と、渋い中年男水野との淫靡な関係は、やや年をくってはいても永遠の「女子」の密かなメルヘンでもある。

「乃里子はあのあとどうなりましたか」という手紙を何通も貰った田辺は、「乃里子のそのあと」を読みたいとの読者の求めに応じて第二部『私的生活』を書いた。だから、はじめから「上巻」「中巻」「下巻」のような三部作にする意図を持っていたわけではないので、『細雪』全一冊に相当する「現代版『細雪』」は『言い寄る』に集約されている。だからこそ『細雪』「下巻」で妙子が死産し、雪子の結婚が決った、という出来事の田辺現代版は、第一部『言い寄る』の女主人公乃里子、親友美々の性格と役割が、妙子、雪子のそれと交錯しながら重なる。

 ところで、『言い寄る』の結末は、乃里子が剛と結婚することになるのかははっきりせず、次の文章で終る。

《私はキズが引き攣って笑うと痛かった。けれども私は、もう一回、剛と一からやり直すだろう自分を知っていた。》

 一方、『細雪』の有名な結末は、

《そういえば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しそうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、嬉しいことも何もないと云って、きょうもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき、という歌を書いて示したことがあったのを、はからずも思い浮かべていてが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。》

 もともと谷崎は、各章、各巻末を多くの可能性を含んで切るのだが、この結末はとりわけ象徴的だ。谷崎は《実は最後を結婚式で終らせようかといふ考えもあつたが、やはり、あのへんで止めておいたほうがよからうと思つて、つい結婚式まで出さずにしまつた。》(「『細雪』瑣談」「週刊朝日」昭和24・4)と語っている。田辺もまた多くの可能性を含んで切れる形式で『言い寄る』を終わらせ、さらに「現代版『続・細雪』」として、乃里子と剛の結婚式(《五百人ぐらい出席した結婚式をした》、《私はウェディングドレスを着てた》、《新婚旅行はヨーロッパへ二週間いった》)という結婚生活を『私的生活』として書き継いだことになる。

 第二部『私的生活』は、文庫本あとがきに、《「言い寄る」では私はまだラブロマンスを書いてるつもりだったが、「私的生活」ではもはやロマンスは書けず、苦瓜(にがうり)のようなあと味がのこる小説になってしまった。しかしそのにがみは私にとって好ましいもので、そうなると女主人公の乃里子のこのあとが気になり、私は近々、再び「小説時代」に「続・私的生活」を書くつもりでいる。(中略)「ラブロマンス」と「愛の苦瓜」の小説のちがいは、ラブロマンスは、一緒になることが小説の結末であるが、苦瓜は一緒のものがはなればなれになってゆく過程である。》と書いたように、海が見える豪華なマンションを剛に見せられ、「結婚する、する!」と叫んでしまった乃里子が、三年たってゴージャスな結婚生活を蝕む傲慢な剛と中谷一族にうんざりし、贅沢にも次第に飽きて、愛の破綻が具体化する一方で、「幸福は一人暮らしにしか、ないのかもしれない。女(あるいは男)と、いつまでも仲よくしようとすると、追いつめてはいけない」という、本当に自分を幸せにしてくれるものに気づくまでである。「現代版『続・細雪』」として田辺は、《<もう愛していない……ということのむつかしさ>を書いた。それが『私的生活』だった》(全集6自作解説)と解説するが、サガンコレットの甘さだけではない苦い世界に似ているけれども、そこで田辺は「男の暗部」を鋭く新鮮に見せつけはするが、他のどの小説と同じように乃里子という女をうじうじした情念に染まらせず、恨み節など唸らせないから、メルヘンの香りは消え去らない。

 第三部『苺をつぶしながら』は、第一部「恋愛」、第二部「結婚・別れ」を経て、「新 私的生活」との副題もあった「私的生活のそのあと」で、「現代版『続々・細雪』」とも言える。剛と結婚解消して三十五歳になった乃里子は、仕事も昔の友情も取り戻し、自立して一人で生きる自由を謳歌している。若い男ばかりを愛する女や、コレットのような同性愛的な女も、乃里子のシングル生活に気安く出入りして、新しい世界が開ける。そんなとき、《別れてからの剛と乃里子が再会する。しかし、どちらも昔のままではあり得ないのは当然である。共通の感覚はよみがえるけれども、今や、それは友情、というべきものになっている。(中略)「人は自分が愛したもののことは忘れても、自分を愛した人のことは忘れないものである」》(全集6自作解説)という展開となって、飄々として軽妙なのに辛辣、ふてぶてしくさえもある成熟した乃里子が、すっきりくっきりとした説得力をもって清々しく立ちあらわれる。

 ここで須賀敦子の書評をなぞれば、『言い寄る』(「上巻」)では、過去―現在に続く伝統的な「恋愛」「結婚」の価値が披露される。『私的生活』(「中巻」)は、『言い寄る』(「上巻」)で提示された「恋愛」に対抗して、これを蝕むとされる現実=現代の世界を確認し、結婚生活の破綻の具体化・表層化を語ったもの。さらに『言い寄る』(「上巻」)で賞賛された恋愛世界は、『私的生活』(「中巻」)での別れによって終りを告げることになるが、一方では新しいかたちでの継続が約束されて、『苺をつぶしながら』(「下巻」)となった、ともいえる。ならば乃里子三部作は、第一部が『細雪』全巻を包含し、そのうえさらに「一部」「二部」「三部」がそれぞれ「上巻」「中巻」「下巻」に照応しているという、マトリョーシカ人形とはちょっと違うが面白い構造になっている。

 よく三(四)姉妹が登場しただけで、「現代版『細雪』」と喧伝されるが、なにも姉妹たちが醸しだす物語ばかりが「現代版『細雪』」でないのは、田辺が文庫本で解説したように、第一に「おんな文化」を書きあげているかどうかであり、できることなら東京という場所ではなく、「阪神間」という地域、都市空間での、明るさとハイカラさが、その精神風俗とともにすくいとられているべきだろう。『細雪』の京都の花見、大垣での蛍狩り、東京見物、富士・箱根旅行にかわって、「乃里子三部作」には淡路島の海水浴、六甲山の山荘、軽井沢の別荘、心斎橋筋ヨーロッパ村という観光案内がある。田辺の三部作には姉妹たちこそ登場しないものの、妙子、雪子を、女主人公乃里子、親友の美々(みみ)、および何人かの女性たちが交錯して『細雪』的役割を担う。貞之助を思わす中年男性陣として渋い水野、中杉氏がいる。さらには華族に連なる御牧氏とは対照的にアクが強く、奥畑(おくばたけ)の啓坊や板倉を混ぜ合わせたような中谷剛がいる。

細雪』「下巻」の末尾に近い部分に劇的に書かれた妙子の死産が、『言い寄る』では妙子に似て現代的な乃里子ではなく、雪子以上におっとり、あっけらかんとした美々の赤ん坊の死として表出されている(さらに交差の一例として、金持ちと結婚するのは雪子と乃里子であり、妙子と美々は文化住宅かアパート住まいとなる)が、死んでしまった美しい赤ん坊の既視感には驚かされる。

細雪』では、

《赤ん坊は髪の毛をつやつやに撫でつけられ、さっきの産衣を着せられているのであったが、その髪は濃く黒く、顔の色は白く、頬が紅潮を呈していて、誰が見ても一と眼であっと嘆声を挙げたくなるような児であった。三人は次々にその赤ん坊を抱き取ってみたが、突然妙子が激しく泣き出したのにつられて、幸子も泣き、お春も泣き、三好も泣いた。まるで市松人形(いちま)のような、………と、幸子は云ったが、その蝋色(ろういろ)に透き徹った、なまめかしいまでに美しい顔を視詰めていると、板倉だの奥畑だのの恨みが取り憑(つ)いているようにも思えて、ぞっと寒気がして来るのであった。》

『言い寄る』では、田辺に特有の諧謔と寂しさと死の予感がめまぐるしく変化する情感あふれる文章となって、

《赤ん坊は、未熟児なので保育器に入れられていた。私がいってみると、五郎は先にいて覗いていた。

 そうして私はびっくりしたのだ。赤ん坊というものは、兄の子を見て私も知っているけれど、赤黒くて皺(しわ)くちゃ、眼は腫(は)れぼったく閉じられ、まっ赤な口をあけ泣きわめいているか、スヤスヤ眠ってるものだった。あたまの髪の毛はポヨポヨして、人間の子かネズミの仔か分らないのが、産まれ立ての赤ん坊だった。

 しかしガラスの箱の中に入ってるのは、さながら人形のように美しい。

 私は不吉な気がした。あんまり美しすぎるので、(おかしいな、これはちがう)という気がする。(中略)

 帰ってみると、病室は大さわぎであった。美々が、目をさまして、ひとりで、保育器のある部屋へ赤ん坊をさがしにいき、白いきれを掛けられてベッドにうつされてる赤ん坊を見て倒れたんだそうだ。

 お医者さんや看護婦さんに抱えられ、連れ帰られていた。

 そうして、まわりの看護婦さんに、よってたかって慰められていた。美々は私をみつけるが早いか、

「乃里子、赤んぼ、死んでんよ!」

 と私の手をつかんで、わァわァ泣いた。私もまだ、知らないと思っていたらしかった。

 私の目に、(鬼の目に涙、というべきか)涙が浮かんだ。

 もらい泣き、というよりも、深いところからあふれてくる涙。

 それは、彼女の不幸に同情して、というよりも、もっと切ない感じ。

 つまり、彼女は、こうやってわァわァ泣きわめいて、たくさんの人に慰められ、五郎に同情され、彼の心を傷つけられることのできる人間のなのだ。

 生きたいように生きることのできる、うらやましい人生なのだ。

 私の目に浮かんだ涙は、うらやましさ、自己憐愍(れんびん)というようなものでもあるのだ。

 でも、泣いているうちに、私も、あの赤ん坊がかわいそうになってきて、ほんきに泣けた。段ボールの箱に詰められて天国へゆく小ちゃな京人形が。》

  

<「虹色の万華鏡」の間(あわい)>

 春風に誘われて宝塚大劇場花組公演を観ていると、得も言えぬ幸福感が甦って来て、田辺聖子を読むとき頬をかすめる匂い、トキメキと同じと気づく。共通するのは「万華鏡」のように劇的に変化する「虹色」の景色と、変化と変化の間(あわい)という精妙かつ玄妙な瞬間の魔法である。

 田辺聖子は、《はかないすずろごとに、ここまで手のこんだモノを作るフランス人をつくづく私は尊敬してしまう。手中の虹、万華鏡を覗いているときは今のところ私の最高の贅沢である。》(「手のなかの虹」)という「万華鏡」(あるいは「色めがね」「プリズム」)について語りながら、自分がいかにフランス小説をお手本としてきたか、そこを目指して来たかを、熱をこめて語る。

《私は若いころから、小説のお手本は、フランスの女流作家の作品だと思っていた。

 十七八のころに「クレーヴの奥方」を読んでその印象が強かったからかもしれない。

 ジョルジュ・サンドからマルグリット・デュラスからフランソワーズ・サガンに至るまで、どれも好きだった。

 コレットの作品も、私の中にある「フランスの女流作家」という概念にもっともよくあてはまる。

 デリケートでやさしく、甘いくどさをもっていて、それから何より、あの自然描写のきめのこまかさ。(そういえば、サンドはともかく、デュラスやサガンなど現代の人は自然描写はずっと簡潔になっている)

 コレットの小説を読んでいると、まるで見たこともないふしぎなモノや世界がひろがって、たとえ自分がようく知っているはずのものでも、色めがねをかけたように、べつなものに変貌する。そんな魔術がひそんでいる。そしてそれは、男性作家の作品には決してないことである。(中略)

 窓の外の景色、ベッドを吹く風、娘たちの長い髪、夜のローソク、新しいドレス、ばら色の頬、それらはコレットの手にかかると、金箔や銀箔の細片となって、ページの上を浮遊し、プリズムをのぞくように、ふしぎな虹をたちのぼらせる。(中略)

 いろんな人が影絵のように動いていて、しかし、なぜか、その人々は現実ではなく、美しい嘘の世界の住人であるような、しかも、まがうことないリアリティをもちながら、私の眼には紗の幕の向うで動いている人のようにみえる。(中略)

 何か、ちょっといいようのない、不透明な熱狂が彼女の文体にはあって、フランスの男性作家たちのもっている透徹した論理が欠けている。》(『コレット著作集』月報)

まるで自作解説のようではないか。サガンもまた、夢みさせる存在だったという。

サガンは私より七歳年少であるが、文学的出発は、一九五四年、十八歳の時の『悲しみよこんにちは』だから、私よりずっと早く世に出、しかもその出現は衝動的で、たちまち全世界に愛されて五百万部も出ている。なんでそう愛されたのだろう。もちろん私もたちまち、とりこ(・・・)になった。いま思えば、世界は<少女手>、とでもいうべき小説の魅力にはじめて開眼、魅惑されたからではないか。

 小説には男手・女手、というのがある。(と思う)。(中略)

 しかしサガンはデビュー時から、オトナとコドモ、また男と女の、あやうい間(あわい)にいる妖精だった。――それでいて、まがうことなき思春期の少女の息遣いが著く、<少女手>という所以である。しかもそれなりに小説の完成度は高かった。愛も憎しみも、好意も邪念も、そこからこぼれる人生の真実も。(エスプリさえあった。エスプリは批判から生まれ、本来、それはオトナの領域の才能なのに)。人々は、その<少女手>の魅力を初めて発見、愛執したのだ、と思う。

――やがて私も<こんな少女手で表現できるなら>と勇気を貰った。私はもう中年で少女ではなかったが、本質は夢みる<夢見手>の物書きであった。》(「読売新聞」夕刊、2004・9・28、サガン追悼文)

 田辺文学の過小評価は、小説家でいえばサガンコレットへのそれと似ているし、画家でいえばブラックやピカソからフォービズムやキュビズムを吸収して造形性がきっちりしているのに、甘美にして軽やか、優美なかわいらしさを芸術に高めたことがかえって軽薄に見られ、詩人アポリネールとの恋愛にばかり関心がもたれたマリー・ローランサンを連想させる。

「多面性」ということであれば、丸谷才一田辺聖子『道頓堀の雨に別れて以来なり』上・下(中公文庫)の書評を書いていて、田辺文学の「なんでもあり」の系譜を示唆している。

《新しい文化の型は上方で発明される。料理人の包丁さばきを見ながら美食を味はふ腰掛け割烹は大阪人の発想だった。少女歌劇は小林一三の独創。そして一冊の本のなかに多様な要素を平気で混在させる書き方は司馬遼太郎にはじまる。田辺聖子の新著は、この系統の、なんでもありの史的研究である。

 その多面的な性格を列挙してみよう。第一に岸本水府の伝記である。(中略)人望はあったが銭勘定は下手で、周囲に人を得て、大きくなりすぎた結社をつづけた。さういふ男、水府はんの一生を、著者は、小説の名手にふさはしい筆づかひで書く。

 当然、第二に水府川柳名作選とその鑑賞。(後略。こういった調子で、第十二である近代日本世相史の中核まで列挙される)》(「灯の色がはたちではない戎橋」田辺聖子『道頓堀の雨に別れて以来なり』上・下(中公文庫)毎日新聞1998・4・19)

 田辺は風俗小説家という面から、もっと評価されるべき存在だ。同じく丸谷が、『日本近代文学大事典』の「風俗小説」の項目を書いていて、少し長いが、田辺風俗小説がどれほど本質的かを論じているように読める。

《『小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ』と坪内逍遙は『小説神髄』(明治十八年)で述べたが、この風俗の重視は逍遙の発見ではなく、彼が十八、十九世紀のイギリスの小説および小説論を読んで身につけた常識を、いはば祖述したものにすぎない。風俗を描くことは小説の異端では決してなく、本筋なのである。社会のなかにある人間をとらへようとすれば、社会的動物である人間の行動の様式、ないし文明の約束事としての風俗をぬきにするわけにゆかない。そしてこの場合、風俗とは、さまざまの社会階層、さまざまの職業における、服装、髪型などからはじまり、挨拶のし方や話し方を経て、つひにはものの考え方、つまり精神風俗にいたるまでの広汎な領域を含んでゐる。この精神風俗においては、風俗はほとんど倫理とすれすれのものになり、あるいは完全に一致するといつてもよい。かう考える場合、風俗とは、うつろひやすくて表面的な、どうでもよい現象ではなくなり、むしろ人間の本質の最も具体的なあらはれ方となる。ディケンズサッカレーの小説の頑丈な社会性は、常に、風俗へのかういう関心によって保証されてゐた。そして風俗を描く場合、ある社会階層や職業の代表として(あるいはそれにみづから反撥するものの代表としての)人間的な局面が注目されがちだから、当然、型による処理といふことが大事になる。また、さういふ処理のし方は誇張や戯画化をともなひがちだから、ユーモアが重要な味つけになる。(中略)わが近代文学では、とかく風俗が蔑視されてきた。『小説神髄』からはじまる小説史がかうなるのは一見をかしな話だが、これは、一、明治末葉以後、フランスとロシアの小説が好んで読まれ、イギリス小説が遠ざけられたこと、二、西欧十九世紀後半の西欧小説を極端な形で移植した結果、自然主義私小説によつて支配されたため、孤独な自我の表明が小説の眼目となり、社会のなかの人間をとらへることがおろそかにされたこと、三、この二つと密接にからみあふものだが、わが近代の社会には、急激な時勢の変転のため、小説の題材となるにふさはしいだけの、完成した、洗練された風俗が乏しかつたこと、などによるものだらう。(中略)花柳小説や藝術家小説ではない、広い市民社会を舞台に取つた風俗小説は、わが国にきはめて乏しいし、たとえすこしあるとしても、イギリス型のそれのやうな、笑ひと知性による社会批評、文明批評といふ機能をうまく果たしてゐない。このゆゑをもつて、正統的な近代小説はまだこの国に根をおろしてゐないと嘆くことも、あるいは可能かもしれない》と結論づけている。

 丸谷は「イギリスふう風俗小説、精神風俗を含めた意味での風俗を扱って、小説の具体性を増し、厚みのある小説を書きたいと思っている」とばかり果敢に実作したわけだが、田辺聖子もまた、精神風俗を含めた意味での大阪や阪神間の風俗を、ユーモアを重要な味つけにして扱うことで小説の具体性を増し、新鮮かつ鋭い客観的な批評精神で、厚みのある小説を書いたのは繰りかえし力説しても足りない。

「全集月報」で女性作家たちはみな、田辺聖子を幸福に語るふりをしながら自分のことを語ってやまない。それは決して批評精神が欠如しているからではなく、現代の閨秀作家というまるはな蜂が、田辺聖子が開墾した花園から蜜を運んでいるからに相違ない。それらの論調には共通したものがあって、「AかBか」「CではなくD」といった二項対立、二律背反の、硬直し如何に生きるべきかと辛苦する「おとこ文化」ではなく、相反している事などどこ吹く風とばかり「AなのにB」「Cである、でもDでもある」という柔らかな多様性とうつろいの間(あわい)を抱擁する「おんな文化」の讃美者になっていることだ。

 田辺はいかに「間(あわい)」の人であったか。

 第一に、人と人との間にある。田辺が生まれ育った《私のウチは写真館である。モルタル塗りの洋館になっていて、スタジオは二階である。(中略)たいそう大きな家で、多いときは二十なん人住んでいた。曾祖母の祖父母、それから父の弟たち、妹たち、店員といいか、技師見習いというか、写真技師が四、五人から六、七人、いつもいた。女中さんが二人、それに、私たち親子五人が加わるわけである。》(『欲しがりません勝つまでは』)

 第二に、中間の時間を好む。《いったい私が中年時代を好んで書くのは、中年にこそドラマがあるからであり、それは息子との確執や、妻との反目・対立、そこまでいかなくても無関心な関係から、中年男が家庭で孤立している、そのことにもよるのである。》(『中年の眼にも涙』あとがき)。《私は、ハイ・ミスを主人公にした小説を好んで書くが、それは実に、「微妙な年頃」にかぎりない魅力を感じているからにほかならない。(中略)若さが目にみえず褪せてゆくとき、そして女がひとりで生きてゆくとき、女ははじめて深く、人生を、男を、女を、考える。決して、それ以前もそれ以後も考えない。》(『世間知らず』あとがき)

 第三に、中間の場所を扱う。《私のうちは大阪・福島区の福島西通にあった。大阪の西北部で、この辺は何と呼ぶのか。大阪にはキタ・ミナミ・船場などという呼称はあるが、ここらはキタと呼ぶより、阪神文化圏の東限、というべきだ。私たちは子供時分(昭和十年代半ば頃まで)、ミナミもよく連れていってもらい、心斎橋や道頓堀に親昵(しんじつ)していたが、阪神阪急電車で淀川を越えて西行することも多く、夏の海水浴や花火大会は甲子園だったし、(父もテニスに甲子園まで通っていた)十日(とおか)戎(えびす)は今宮サンや野田へいくよりも、西宮の戎サンへ参る人も多かった。第一、宝塚歌劇もあった。私は母や叔母に連れられて早くから宝塚に通う。》(『楽天少女 通ります』)、《戦前の大阪というのは、実にもう、未開で、蒙昧で、ハイカラの気もない。谷崎さんの『細雪』がハイカラなのは、小説の中の一家が富豪だからではなく、阪神間に住んでいるからである。開明的な神戸の匂いが漂ってくる上に、阪神間の住宅地というのは新興住宅地で、土地の伝統に呪縛されていない。歴史の因習から断ち切られているから、花見や芝居見物やホテル泊り、と豪奢な生活絵巻をくりひろげることができる。》(『ぼちぼち草子』)

 第四に、中間小説と純文学との境界領域で書いた。《当時、私はある種の人びとに、<芥川賞もらいながら、あんなトコロへ書いて>と陰口を叩(たた)かれた。現代では、純文学(という言葉も気恥ずかしいが)も、いわゆる中間小説も、境目があいまいになり、興趣ある内容、わかりやすく美しい文章(簡潔にして、情趣の汲(く)みとれるもの)で、テーマが明快に把握でき、多くの読者の納得できるものであれば、その小説は愛され、世の中に受け入れられる。純も不純もないだろう。》(全集6自作解説)

 第五に、感情と感情、出来事と出来事の間に箴言を読みとる。《<人間にはふたつのタイプがある。だまし、だまし、人生を持っていける人と、持っていけない人である>ということ。どっちも腕力が要る。その腕力は、どちらが上、どちらが下、ということはない。だって、人間のタイプはさまざまだし、人生のたたずまいもつがう。人生には<これぞ、きわめつけの定理!>というものはないのだ。人生には文法や、数学・幾何の定理はないのだ。》(全集6自作解説)、《この乃里子は若い男とも仲よくなるけれど、中年男ともそんな機会を持つ。目がさめて風呂場を覗(のぞ)くと、男は髪を洗っていた。乃里子はびっくりする。なぜ驚くか。恋は箴言を生む。「『髪を洗う』などといったごく日常的な次元の習慣が、私とのさっきの『とても愉しいこと』と当位置にならんでいる。そこに、男の強靭な神経というか、ずぶとい処世の態度みたいなものを感じたからである」》(全集6自作解説)

 第六に、男と女の間のことに人生の深淵を見る。《私にとって男と女の関係は尽きぬ興味の源泉である。それも波瀾万丈(はらんばんじょう)の運命よりも、日常のただごとのうちに心がわりしてゆく、という、そのあたりのドラマが私の心を惹きつける。(中略)愛の生活、などという卑小なものは、小説にとりあげるに価(あたい)しない、という考え方もあることだろうと思う。しかし、もと愛し合っていた、あるいはやさしくし合っていた男と女のあいだに、冷たい言葉がはじめて出たときの衝撃は、世界のどんな大事件にも匹敵する。もしまた、片方が夢にも思っていないとき、片方がそういう言葉で傷つけたとすれば、これは犯罪にひとしい。しかも普通の犯罪とちがって、愛の問題におけるそれは、誰も裁くことができないから、むつかしい。》(『私的生活』文庫本あとがき)、《私はただ、<私の夢>を書き綴りたいばかり、夢の尖鋭は<恋ごころ>である。人間の生態は恋するときと、自己弁明にあらわれる(というのが私の所信だが)。自己弁明は、<こんな私ですが、どうかして生きたいんです>という訴えである。男性を描くと、自己弁明になり、女性を主人公にすると、恋のいきさつ(女は、これをしゃべりたくてたまらない)になる、という按配(あんばい)。》(全集5自作解説)

 それら様々な「間(あわい)」の妙を、女性作家たちは読者を代弁するように、全集月報で語る。

《万華鏡をまわしてみて、こんかい目ざましかったのは、なんといっても水野や剛との関係だった。五郎と美々と乃里子の三角関係だけに目がいっていたころはわからなかった、あとの二人の男たちとに、時々刻々と変わる玄妙な関係。五郎を失った乃里子、または、五郎を失うということすらできなかった乃里子。水野への不可思議な執着をもつ乃里子。剛への軽みをともなった親愛の情を感じる乃里子。それら全部の乃里子の、どれが本気で、どれが恋で、どれが恋でなくて、どれが嘘(うそ)か、なんて、たぶん乃里子にもわかっていないのだ。じつはどれも本気で、どれも恋で、でもどれもうたかたのようなもの……。》、《三部作全体に通底しているのは、「人が生きてゆくときの、自尊心のもちかた、ありかた」の問題だと、わたしは思っている。自尊心、ひとっ飛びに書いてしまったが、自尊心とはつまり、愛すること、愛されること、傷つけること、傷つけられること、楽しむこと、苦しめられること、死にたくないとあがくこと、死を受容すること、それら全部について発揮されるものであり、この三部作では、特に人を愛すること愛されることを通して、自尊心のつくられゆく道、発揮される道、どうやって維持してゆくかの道を、田辺さんはこまやかにまた大胆に、描いているのである。愛することはつらい、愛されることもつらい、そして自尊心を保って生きてゆくことはさらにつらいと、三部作を読み終えて思う。つくづく、思う。》(寄るべない接吻のようなあわあわとした無常と睦み合う川上弘美による「自尊心のありどころ」(全集6月報))

《ヘンな顔をしていたんだろうなあ、このときの乃里子は。こんな顔を自分がしたことも、他人がしているのも見た記憶はないけれど、読んだとき、胸にしみた。感情がキレイに発色しているなと思う。淡いむらさき色から失恋の藍色(あいいろ)へとゆっくりと変化していく、感情の虹(にじ)。物語の初めは若さいっぱいの元気なレモン色だったのに、いつの間にこんな濃い寒色に変化したんだろう。そう思うと『言い寄る』はいつついたか分らない、指の切り傷のような小説だ。読み終えて初めて、冒頭のコミカルな場面から傷はつけられているんだ、と気づく。傷口に朱(あか)い血がにじんで、舌の先で舐(な)めた時に初めてじんとした痛みを感じる。痛みはいつも新鮮で、だから何度も、初めての気持ちでこの小説を読む。》(独特の感受性と天然のアフォリズムが田辺に親しい綿矢りさによる「生れた頃に書かれた本」(全集6月報))

《たとえば、田辺さんの小説にでてくる女たちは、しばしば男を甘やかす。気がまわりすぎたり、その男を好きすぎたり、それ以上に自分を好きだったりするからである。そのように育てられているから、ということもあるようだ。一方の男たちは、説明のつかない、世にも貴重な賢さで、上手に甘やかされようとする。そのことの味わい深さ、不思議さ。こわい。たとえば、赦(ゆる)したり赦されたりすることの、哀(かな)しみとこわさ、淋(さび)しさ。それにくらべれば、赦してあげられないことや、赦してもらえないことなどちっともこわくない。さらにたとえば、大切なものを失っても生きていかれることの、苦しさとこわさ、淋しさ。私は立ち竦(すく)む。身も凍る、とはこのことではないか。それにくらべれば、失うことそれ自体など、いっそこわくない。》(一時間で溶けてしまう冷たいムース菓子のような江國香織による「こわさと火花」(全集2月報))

《京都のはずれの仄暗(ほのぐら)い料理宿に漂う、しんじんと冷えこむ空気。食のあと、大庭(おおば)という五十男に抱かれて、からだの芯(しん)から火照(ほて)っている以和子(いわこ)の愛らしさ。四十六になるこの独身の女は、ふだんは目立たず、誰も気にもかけない「おばはん」に過ぎないのに、実はきちんと歯の手入れをし、株でもうけた金をしっかり預金している。結婚など考えもしない。 一人のびのび暮らしながら、いろいろな男と情事を繰り返し、今は大庭との情交に溺(おぼ)れている。そして「いまがいちばん、いい」と思うのである。いまがいちばん、いい……このセリフこそが、田辺さんの作品世界の底に流れているものを象徴しているのではないか、と私は思う。》(過ぎた愛恋と禁色の男女の話に囚われた小池真理子による「いまがいちばん、いい」(全集5月報))

《彼女たちは男たちを鋭く見抜くのと同じように、日常の小さな一場面もおろそかにせず、そこに隠された幸福をすくいあげてゆく。ふっくらとたき上がった高野豆腐、ガラス瓶の中で香りを放つ矢車草(やぐるまそう)の空色、一針一針丁寧に縫われた「親指姫のボート」、西洋棟割(むねわ)り長屋のテラスでのお喋(しゃべ)り、ブティック・ジュリーに並ぶ黒いベルベットのポシェット……。そうしたものたちを彼女らは心から慈しむ。たとえ夫の無理解や姑(しゅうとめ)との行き違いに打ちひしがれても、ちょっとしたきれいなもの、美味(おい)しいものを見つけるだけで、すぐさま自分を立て直すことができる。世界は小難しい論理などによって構成されているのではない。細部に宿る喜びの積み重ねこそが人生を支えているのだ。》、《男と女が究極の関係を結び合った時、そこには当然喜びが訪れるのだが、なぜか次の瞬間、濃密な喜びが悲しみの色を帯びていることに気づかされる。アキラはこんなふうに言っている。(恋の極まりは悲しみに気化してゆくものらしい)(あんまり幸福なときは、すぐ過去になってしまう)(こんなきれいな灯の海みてて、死にたくならないですか?) 私の愛する短編「雪の降るまで」のヒロインは、愛してやまない不倫相手との関係を、(大庭(おおば)とのことは、会う片端から前世のように遠い過去になるのであった)ととらえている。(中略)田辺さんの描くエロスが、肉体的次元を越えてこちらに迫ってくるのは、喜びと悲しみ、現在と過去、生と死、という相反する事柄をやすやすと突き抜けてしまうほどの、奥深さを隠しているからだろう。ヒロインたちは皆賢い瞳で、その奥深い一点を見つめている。静かに見つめる心を持って、人生を切り開いてゆく。》(イマジナリーな細部と病室の臭いの漂う小川洋子による「彼女たちの賢い瞳」(全集12月報))

《アキラは思う。<私は彼を愛していて、彼も私を愛しているということ。それはなぜか嬉(うれ)しさよりも悲しみに近かった。恋の極まりは悲しみに気化してゆくものらしい> そうなのだ。人は、あまりにも幸せだと、何だか悲しくなってしまうものなのだ。るみ子の方は、こんなふうに思う。<現実に再会した舷が、私にとって色褪(いろあ)せ、魅力のないものになっていたのは、私にとって淋しくもあるが満足でもあった> ここでも私は頷(うなず)いてしまう。そこはかとない淋しさは、どこか満ちたりた落ち着きをもたらす。》(モラリストの、やるせなさ、せつなさ、いとおしさを持つ山田詠美による「可愛げを知る女たち」(全集12月報))

《虚子の発言や資料をこれでもか、これでもかと読者に提示し、そして結局、「虚子は久女がキライだった」とひと言にいいきる。(中略)そうなのだ。すべてのことはこれに過ぎないのだ。権力者というものは、人に好悪(こうお)を持つことの快感を知っている。(中略)当然ながら田辺さんは、そういう人間の心の暗黒もちゃんとご承知である。そして暗黒と暗黒が重なっても、そこにあるのは絶望ではない。人間の心はまた自然に、正反対のものを求みていくのだ、という動きもきちんとわかっていらっしゃる。》(見栄と嫉妬、征服と支配のゴシップの情熱力学をドラマ化する林真理子による「“やわらやわら”の文学」(全集13月報))

 そして数少ない男性作家からひとつあげれば、これもまた「湖面」という境界の「間」(あわい)について言及していて、

《まさに現実に有り得るであろう素材でありながら、その小説を読んでいるときは、やはり異次元としか言い様のない世界に迷いこまされている。にもかかわらず作品そのものはいささかも現実から外れてはいない。私のような読み方をしない人も、おそらく無意識のうちに、それに似た陶酔を得ているはずで、だからこそ田辺文学はかくも息長く多くの読者の支持を得てきたのである。それもこれも、田辺文学の斬新性と不思議な寂しさが、凛(りん)と光る静かな湖面と化して作品を波立たせているからだと思う。》(「精神の底に七五調がある」「ミヤモっちゃんは浪曲やからね」と田辺にいじくられた宮本輝による「田辺文学の湖面」(全集5月報))

 

 豊かな語彙で難しいことを簡単に言ってのけ、サガンコレットの世界を阪神間に移植して、いささかも古びない精神風俗・ラブロマンスを大阪弁で書き、「現代版『細雪』」で女心をトキメカせ、市井の食文化、「かわいげ」のあるハイ・ミスの仕事と恋愛、中年のおっさんや姥(うば)、「ただごと」に文学的市民権を与え、『源氏物語』をはじめとする古典文学に親しみを与え、杉本久女、岸本水府のごとき不当に貶められるか陽が当たらなかった人物に評伝の花束を捧げ、あの戦争・昭和を語りつくし、カンボジア虐殺に筆鋒鋭く、娘時代に空襲を経験した昭和三年生れの田辺さんの、独特の感受性とチャーミングさ、虹色万華鏡のような多面的な間(あわい)の魅力は、持ち重りのする全集の装幀にあらわれている。七色ボンボンのような夢見色の布表紙、小倉遊亀(ゆき)による全集の装画は宝塚のトップ・スターみたいに華があって、感覚的にも知的にも大胆、ガツンとくる。それにしても実物のお聖さんは、ご自身大好きなスヌービーのぬいぐるみ(スヌーピーもまた実と虚の間(あわい)のよう)みたいに大きなソファにすっぽりとはまりこんで、鈴の鳴るような声と同じほど「かわいい」のだった。

                                 (了)

           *****参考または引用文献*****

*『田辺聖子全集 1~24巻+別巻1および月報』(集英社

*『ユリイカ 特集田辺聖子 2010年7月号』(田辺聖子宮本輝対談(「上方―かみがた―に上品―じょうぼん―のあり ――ことばとこころの美しさに向けて」所収)(青土社

*『須賀敦子全集4』(書評「作品のなかの「ものがたり」と「小説」谷崎潤一郎細雪』」所収)((河出文庫

谷崎潤一郎細雪』(田辺聖子「解説――おんな文化の「根(ね)の堅州国(かたすくに)」」所収)(中公文庫)

丸谷才一『快楽としての読書[日本篇]』(書評「田辺聖子『道頓堀の雨に別れて以来なり』上・下(中公文庫)」所収)(ちくま文庫

*『日本近代文学大事典 第四巻』(丸谷才一執筆項目「風俗小説」)(講談社