文学批評 「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」

 「藤原審爾『秋津温泉』――白と紅の濡れた時間」

 

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<レジメ>

二つの秋津温泉がある。藤原審爾の小説『秋津温泉』と吉田喜重監督の映画『秋津温泉』だ。両作品に共通するのは美しい風景とたまゆらの時間ではないか。

 秋津温泉は岡山県の津山から山あいにわけ行った奥津温泉がモデルといわれている。実際、映画は津山市の協力のもと、雪積もる奥津温泉でロケが開始された。映画に原作小説があることは忘れられている。近年、語られることのない小説『秋津温泉』について語りたい。

『秋津温泉』はたしかに詩情に流れすぎている。だが通俗的といって侮れないことに、近代日本文学の特徴がほとんどすべて仕込まれている。いわゆる記号にみちていて、若書きのナルティシズムゆえに同情を誘う。白と紅のテーマがある。

 そのいくらか低い湯温のように、そして単純泉だからとりたてて薬効もないように慎ましくはじまる。冬ともなれば白は紅を蔽う。白い風景は白い少女直子の硬質な内面を透かす。耳を澄まして生の諧調を聴きとろうとする形而上学的な希求がある。

 二十歳を越えたばかりの私は、三年ぶりに秋津の旅館秋鹿園を訪れ、おかみの新子と知りあう。白と紅との性愛をほのめかす、紅がらが塗りこめられた部屋、お新さんの白い腕。

 この小説のライト・モティーフは時間だろう。思いがけぬ終戦、断続的な出会いと別れ。回想。新子は熟れるほどに紅く染まってゆく。

 すべてが夢まぼろしであるかのように揺らめき、遠ざかる。自然・時間・神、そして母に向かっての告白の語りのような物語は、小説のはじめの白と環を結ぶように、淡紅に染まった時間のうちに終わる。

                     *

  二つの秋津温泉がある。小説『秋津温泉』と映画『秋津温泉』だ。

 吉田喜重監督の映画を見てから、原作の藤原審爾の小説を読むか、その逆なのか、それによって思うこと感じることが入り乱れはしても、繰りかえし、小説を読み、映画を見ることで、どちらが先かなどはどうでもよくなり、繰りかえすたびごとに新たな発見がある。だいいち『秋津温泉』は豊田四郎監督による、多くの原作小説とその文芸映画という関係からは遠く離れているのだから。

 どちらの『秋津温泉』にも名前が登場する新子(しんこ)(小説の中で新子は仁王像がある格子に閉じこめられた黒揚羽を見て、「名前なんて変なものね、あんなに苦しんでいる黒い蝶蝶が極楽蝶で、――こんなに古いあたしが、新子で」と喉の奥で言った)と周作(「私」)という人物像の、とりわけ吉田脚本の造形の妙に感心しつつも、けっきょく両作品に共通するのは、美しい風景とたまゆらの時間ではなかったと思いいたる。

 秋津温泉は岡山県の津山から山あいにわけいった奥津温泉がモデルといわれている。実際、映画は津山市の協力のもと、雪積もる奥津温泉でロケが開始された。その風景の美しさに接して吉田は、戦後という時代に対する教養主義的な問いかけは、美しさのなかに埋没し、遠景化されてしまうことを懸念し、徹底して情念の映画に昇華させなければ、この谷間の空間美に対抗しえないと思ったそうだ。

 だから、三つの秋津温泉がある、というべきなのかもしれない。

 今では吉田監督の映画のほうが岡田茉莉子の新子とともにまだしも話題にのぼるだろう。雑誌『ユリイカ』の吉田喜重特集(2003年4月臨時増刊号)で、映画『秋津温泉』はいくつか論じられたし、NHK・BSでTV放映もされた。さらに文庫の絶版という事情もあいまって、映画『秋津温泉』に原作小説があることは忘れられている。

 しかし先ほど少しだけ触れたように、映画と小説は同じところよりも違うところを見つけるほうがずっと容易なのだ。たとえばだが、映画における清冽な激流は小説では静かな淵であり、映画で新子が何度も駆けてゆく橋は小説にはなく、直子も伯母も映画にあらわれず……とまあ、きりがないからよそう。

 近年、語られることが久しくない、小説『秋津温泉』について論じてみたい。

 映画に繰りかえし速度感と運動のダイナミズムを与える新子が小走りに駆けてゆくシーンの芽となったかのような、《小さい掌で胸をたたいていたようだったが、いきなり、「先にかえりますわ!」と言うなり小走りに駆けだした》という一文や、映画の中で吉田喜重の評論『見ることのアナーキズム』を象徴する鏡像演出の原型を小説の中に探しだす悦び――主人公の伯母は湯室から戻るなり《次の部屋の朱い鏡のまえに、湯疲れした体をもてあましてぺったり膝を崩して坐りこみ、気遠い目色で化粧をする》とか、「ほんとうにそれでいいの! お新さん!」と言い過ぎると《その途端、首すじを流していたお新さんが、湯舟の中ですっくと、胸の下まで見せて立ちあがった。鏡の中でそのお新さんは、私を見据え、きっと息をとめ、動かなかった》とか、《立ち止まって覗くと、奥の襖もあけ放し、お新さんは化粧をしに鏡台のまえに坐っていた。化粧しかけたその手をとめ、鏡の中へ顔を入れ、おはいりなさいな、と虚しくなっている私をよびこんだ》――ではなく、映画を忘れてまずは小説に没頭したい。

 また、川端康成『雪国』との共通点――「底」という語の頻出、身勝手に現れては去ってゆく男の倫理観、薄幸な女に愛され続ける生活力の不明な「私」のお気楽さ、温泉場という異界、別世界が女を見る目にもたらす卑猥さ――や、両者の差異を分析することではなく、ただストイックなまでに「私」の視点で書かれたこの小説の時間に身をひたす。

『秋津温泉』(ここからはもう小説しか指さない)は、甘いといえば甘いのだ。

 叙情的にすぎる。言葉が詩情に流れすぎている。同じ形容が効果をみすかすようにページ内で繰りかえし使われ、そのリフレインは演歌のようにあざとい。月並みで型にはまった暗喩。しかしそれらは物語の特徴であって、だからこそ安心して、筋書がわかっていても何度でも楽しめ、同じところで涙を流すことができる。

 通俗的といって侮れないことに、藤原の『秋津温泉』には日本近代文学の特徴がほとんどすべて仕込まれている。たとえば、柄谷行人日本近代文学の起源』で章立てされた『Ⅰ 風景の発見』『Ⅱ 内面の発見』『Ⅲ 告白という制度』『Ⅳ 構成力について』『Ⅴ 児童の発見』『Ⅵ 構成力について』のどれもが、この小説を題材に論じなおせるだろう。

『秋津温泉』はいわゆる記号に満ちている。そのコノテーション(共示的意味)は若書きのナルティシズムと結びつき、それゆえに知らず同情を誘う。すぎるほどの清新さに驚かされる。静謐であやうい感覚は、一歩間違えれば、偽物臭となるほどの自意識でリルケ『マルテの手記』を思いださせさえする。

『秋津温泉』の「感じられる時」は、おそらくは10ほどのテーマから成り立っているに違いない。

 ここでは「白」と「紅」という色をライト・モティーフに、文章をできるだけ引用することで小説を読む悦びを味わいつつ、他のいくつかのテーマも絡めとりたい。

          

(1)

『秋津温泉』はそのいくらか低い湯音のように、そして単純泉だからとりたてて薬効もないように、すべての色を吸収した「白」の静けさで慎ましくはじまる。

《山峡の谷間を拓いた町にしては広過ぎる表通り、その表通りの両側へ軒々を並べた宿という宿が、一様に広い格のある古びた庭と、厚みのある白壁の多い、棟の頑丈な家なので、――むかし城下町であったような、ものさびた落着きをもっている。》

 これだけで秋津温泉の風景的特徴が言いつくされている。「古びた」とか「むかし城下町であったような」の気分で読者を小説の「時間」に否応なく引きずりこんでしまう。

 冬ともなれば白は紅を隠す。それはこの小説の前半の心象風景を象徴しているだろう。

《降りしきる雪は、秋津の山々を屋根屋根を白く埋め、広い前庭の赤い土肌を蔽い、葉の無い樹々の枝をつつみながら、別館の全ての窓の外へ終日白い幕を垂れていた。白く冷たい雪に閉じこめられ、人の気少なく沈んだ別館の空気は、日ごとに冷え込みながら気重くこもってきた。》

「埋め」「蔽い」「つつみ」「垂れ」「閉じこめられ」「沈んだ」「冷え込み」「こもってきた」といった内向の気。

 白い風景は白い少女の硬質な内面を透かす。

《晴れて薄い冬陽が射してくると、朝から、大野屋さんの痩せたわりに豊かな髪の孫娘は白い猫のように跫音をたてず長い廊下をわたって、渓流の上のサンルームに出て行った。私と一つ二つ年下のこの頬の蒼白い少女は、いかにも山峡の湯の宿の澄んだ気配を乱さず、ひっそりと、サンルームの片隅の藤の寝椅子の上で静臥した。そこで少女は黒い睫をとじ、秋津の澄んだ気配の底へ、一途に身をよせかけ、永い間、身じろぎもしなかった。》

「気配の底」の少女、それが直子だった。深く沈んだ気息の中で、自分だけの時間をかたくなに生きようとする直子を眺めて、私の伯母はそっと囁く。

「――鍵のかかった白い筐(はこ)みたいだねえ――あの子!」

 ここに白の処女性、閉塞感が明示されている。

 春の秋津の山々はいかにも中国地方といったのびやかなたたずまいで描かれる。次の文章などはモンスーン的湿度が加わっているものの『マルテの手記』を連想させる、深く耳を澄まして生の諧調を聴きとろう、内面への光の降臨を凝視しようとする形而上学的な希求がある。

《時には、その杉林の中の小道の消えかかる山の奥深くまで、白い朝靄のなかを登りつめる灌木の露に濡れて肌のじめじめしている私は、その杉林の繁みの中で、ひとりひっそり、白い濃い朝靄につつまれ、息を細めながら、朝陽の射しはじめるのを心静かに待つ。(中略)と、杉林の暁方の静謐(せいひつ)の果より、名状し難い生の諧調が私の心の耳へひびいてくる。(中略)私に見覚え薄い父母の姿が戻って来る。そして、慈愛に満ちた声で囁いてくれるのだ。

「もっとしっかりしておくれ!」》

 この小説は「私」の精神的彷徨、ビルドュングス・ロマンともいえ、だからこそ主人公は小道を登って行く。

 旅館秋鹿園のサンルーム――トーマス・マン魔の山』のサナトリウムの極小空間――で、「丸い白塗りの木卓」「少女の胸の白いリボン」「白い服と麦藁帽子の直子さん」「白いパジャマ」「蒼白いうなじ」「白百合の花弁に頬をよせ瞼をとじ花の香をにおう直子さん」といったぐあいに、直子はダンテ『新生』のベアトリーチェのごとく白をまとってあらわれた。

 だがここまで白一色の世界だったのに、五つある章のはじめの一章の終わりで早くも直子は、やはり『新生』の中の紅(くれない)の愛の心臓のような紅を差しだす。

 まず、東京の学校への私の入学を祝う小宴の席で、横に座った直子は、《赤のしぼりの赤模様の羽織の直子さんだけが、盃も手にせず、相も変らぬ冷たい身じまいであった。カリエスがよくなり、肌の色艶も頬のふくらみも出来て、軀の隅々から娘の匂いをたてている。》 しかしそれに続いて、《そんなあたたかい直子さんが、その美しさに似ずとりつくしまもなかった》というステレオ・タイプな人物像で、白と紅のドラマを作者はひらいてゆく。

 激しい村雨が町を濡らしていった翌日の午後、秋津から帰る心を決めていた私はサンルームで静かに目を閉じて瀬音に身を沈める。低い跫足で女の人が入って来て、本を音高く投げ置き、ゆっくりと出て行った。

《直子さんが出て行くと、急に疲れを覚える心を弛めて、私はぼんやり目をあけた。その目先へ、眩(まぶ)しく春陽に光りながら赤い分厚い本が、白い木卓の上で背文字を見せていた。「チャタレー夫人の恋人」寝椅子の上で身を起こし、それをとりあげると、その拍子、赤い本はその重みだけで、私の掌の上で二つに展いた。春陽に光るその白い頁のなかには、まだ青い四つ葉のクローバが插(はさ)んであった。》

 正面のガラスの向うで、緑の服の直子が手を挙げ、白い指へ春陽がまとわりつく。ここで作者は白と紅のせめぎあいからすうっと逃げるように、青と緑で情熱を中和する。

 

(2)

 二十歳を越えたばかりの私は三年ぶりに秋津を訪れた。新しい女中に案内された部屋は茶室風にしつらえられ、「紅がら」が塗りこめられていた。鴨居の額の『酒中味』の文字をどうしたはずみか『色中味』と読み違えてしまう――紅色は私の深層で「色」(性愛)と照応していると予感させる。

《白い固い足袋で爪立ちして》服を吊していた女中と思った人は、秋鹿園の去年亡くなったおかみ、お谷さんのお嬢さんなのだった。

《「新子と申します。先程は――」

 終りまで言えずに小さくなった。着物もこの家の娘らしいよい品に着替えて、風呂も浴びてきたものであろう。肌が匂うように艶々しくなっていた。なにもかもが眩(まぶ)しいように赤い着物のお新さんは顔を伏せたきり黙り込んだ。》

 白と紅のまだら模様は、《紅がらの塗りこめられた部屋で(中略)まだ点していない灯へ、お新さんは白い腕の肌を薄暗の中でのばして、スイッチを入れ、体に毒だと言うのだった》や《白い手と薄紫に紅の縞の袖を振った》の新子の姿でエロティシズムの余韻を醸す。

 肺尖の病を癒すために秋津へ出かけ、微熱がようやくとれたころ――肺の病はいつも官能のロマンの隠喩をもつ――、親身に看病してくれたお新さんがやって来て、「戦争がはじまったのよ! 戦争よ!」と私を揺り起しながら、ぽろぽろ綺麗な涙を、私の頬へ唇へおとした。

『秋津温泉』のライト・モティーフは「時間」に違いあるまい。

《そうした、過ぎ去った時間を待ち侘びているような、いたずらな私を、お新さんはもてあましながらもあきらめず、はては小唄を教えると言い出した。

 赤い鹿の子で包んだ三味線を抱いて、嫩葉の蔭からお新さんは縁側へ上って来て、縁側へ座布団を出して行儀よく坐り、(中略)音(ね)じめを合せた。》 美しくも冷たい女(直子)を失ったことで気のよい女(新子)の情をひくというよくあるストーリーではある。

『秋津温泉』は見たことと同じほどに聴いたことから成りたっている。それも声音によって主人公の魂は爪弾かれている。《胸のふくらみの判る声音》、《三味線の張った切れ味のよい音色に似合わず、小さい声音で》、《ガラス戸の揺れる音にまじり、姦(かしま)しい声音が別館へ響いた》、等々。

 私にとっては、思い出の神聖な空間であるサンルームを三人の小学生の男の子たちが、「少年飛行兵になるんに、なにが勉強やこしとれるか!」散華(さんげ)じゃ散華じゃ、と歌まじりにせせら笑って走り廻る。

 そんなある日、秋鹿園が日赤(ここにも赤)の軍医の宿舎に徴用されてしまうことから、お新さんは別れの会として小宴を催した。

《泊り客すべてへ挨拶に廻り、やがてお新さんは淡紅の地へ漆の花模様のある着物に帯をしめ、現れるなり部屋の下手で行儀正しく坐った。

「永々とお世話になりまして――」》

 その夜の画家の岡田さんの「あんな絵になる人はいませんし――しかし、肉体のないひとですよ、生理のないひとですよ、いつまでたったって――」という声音さえかすかに遠く、いちずに虚しい感慨が私を濡らす。

 泥酔で途中からの記憶も途絶えている私の横にやはり泥酔した誰かが寝ていて、向きをかえると、思いがけなくお新さんだった。

《仄暗い暁方の部屋のうちで、黝(くろず)みながら淡紅の着物が、浮きたっていた。緑の帯と真紅の帯上げが、お新さんの枕元に重ねてあるのだった。》

 紅、そしてまたも添えられた緑。やがてお新さんは肩でする深い息を吸いこんだ。

 その昼のバスで、まだ酔って熱っぽい身体の私は秋津を発った。《バスの走り出した窓から、春陽に輝く秋津の湯宿の、見馴れた表通りを眺めていると、とある白壁の倉の蔭から、櫺子格子のうちの仄暗い中から、幹立ちのよい木蔭から、私を見つめて放さぬ視線を、しきりと感じてならなかった。》

 

(3)

 思いがけぬ終戦がやって来た。年があけ、陽射しが暖かくなった頃、新聞広告の「秋津温泉、秋鹿園、新装いたしました、おまちいたしております、高崎新子」という記事に秋津の記憶が戻ってきて私をはげしく揺りはじめる、ここ数年の暗い時間を梳くように。

 秋鹿園に近づくと、白塗りの木柵が闇の中へ仄白んでいた。白い犬のクミが足もとへもつれて来た。覚えているのだった。玄関へお新さんがやって来た。

《肉づきがよくなり、稚い感じからすっきりと抜けきって、お新さんの空色に赤い小花模様の着物のうちの体は、まるで熟れているようだった。それがお召のしなやかな着物の上の線に滲み出ていた。》

 空色と赤。『妹背山婦女庭訓』お三輪の衣裳を想わせるではないか。

 湯室の渓水の冷たさが、柘榴のように裂けた心の赤肌へ沁み徹り、つかのま私を痺らす。

 その次の日から、夜ごとお新さんの部屋で心づくしの酒を飲みながら、三味線でおさらいをはじめた。

 軍医の宿舎になった五年の歳月の中のお新さんを想ってみて、口をすべらすと、いきなり私を睨んで、袋に入ったバチを投げつけた。

《紅い炬燵蒲団の向うで、片手を畳についたお新さんのうつむけた横顔に、涙が流れ出した。永い間、そのまま顔もあげず、身じろぎもしなかった。》

 夢まぼろしのような人間の生活の中では、美しくなまめいた体のあやうさ、虚しさはかなさこそが、全てを美しく飾るものと思われてくる。清新な感受性と透明な精神とを備えた堀辰雄のロマンの系列につらなる生の本質的体験。

 新子は熟れるほどに紅く染まる。

《素裸のように肌身の緒を解いたお新さんが、見るうちに酔って来て、目もとを頬を心のほてりのように赫々(あかあか)と赤らめた。みのりよい体を妖しくなまめかし、荒い色づいた呼吸をはずませ、あの別れの夜の、私の忘れはてたことなど語り出した。(中略)そういうふうに、あの夜のことを忘れもせず、ありありと語ってくれるお新さんを見ると、私はあの夜お新さんとはなにごともなかったと決めているのに枕元にきちんと畳んであったお新さんの帯と真紅の帯あげの、そのきちんと畳まれたことに気が曳かれてきた。(中略)酔うほどに肉感の濃くなるお新さんを、そんな気持で眺めていると、綸子(りんず)の淡紅の着物にくるまった、熟れたお新さんの体つきのほどまで知っているふうに、私はなるのだった。》
 そのすぐあとの文章は、メルロ=ポンティ『知覚の現象学』を思わせて美しい。
《そう遠くなよやかに言うお新さんをまえに、私は掌を瞼の上へ横に蔽って抑えてみた。その掌がお新さんの肌のしまりやなめらかさを知っていると私に言うのだった。瞼へきつくのせた掌は、酒気で汗ばみ温かく、酔で熱っぽい脈博がその掌から高く瞼へひびいた。それさえもなにかあの夜のお新さんのときめきのように思われるのだった。》
 とりとめもなく乱れて行く自分をあやぶみ、私は部屋から逃げ帰って――「私」はいくたび逃げたことだろう、漱石の多くの主人公たちのように誰も傷つけぬ倫理的で中庸な解がそこにしかないかのように――湯舟につかり、《――ほどよい倖せを!》と心小さく希う。
『秋津温泉』における何度目かの、そしてこれからも繰りかえされるドアの開閉の心理劇の幕がひらく。それは他者の心への出入りを象徴するだろう。運命の逡巡の一歩。そんなとき「私」はいつも待っているだけだ。
《ドアの外で衣ずれの静かな音がして、すぐドアがあいて、お新さんが入りかけた。入りかけた裸のお新さんは、はじめて湯室の人の気を知って、はっと身をひいた。(中略)紅い格子縞のタオルでまえを覆い、白い?を明るい灯の光に浮きたたせたお新さんは、斜めに背をむけている私の横へ入ってきて、湯の中へ?を沈めた。(中略)紅い格子縞のタオルは、ほどよくぼけて白地を淡紅に染めていた。そのほどよさがみょうに色っぽく、煽るようなやわらかいなまめかしさを見せていた。》
 格子縞とは囚われの欲望の記号であって、青洞寺(せいどうじ)の仁王像が入った格子の中の極楽蝶とオーヴァーラップするだろう。
 鏡の中で、デフォルメされたお新さんの?がタオルをぴたりと巻きつけて、激しく揺らめく。私の気持と困ってきた体が離反し、すべてが夢幻であるかのように遠ざかる。「ほんとにそれでいいの! お新さん!」と言い過ぎてしまった。
 色ガラス――中と外、他界を隔てつつ繋ぐ――のドアを押して外へ出、「明日発ちます!」心のたけを踏みにじり湯室の中のお新さんに言うのだった。
 翌朝、子供が鳴らす玩具の、かろりん、かろんとわたるひびきに、鏡台での化粧をすませたお新さんは炬燵の紅い蒲団の前で、「ゆうべみえたのよ」と直子が来たことを告げる。では、あの入浴の前に、あの深酒の前に、新子はその来訪を知っていたのか、と推理したくなる。その答えなどない。
 自分だけの時間を生きようとする直子のかたくなな心は変っていない。黒髪を弾いていたのに、戦死の公報が入ったご主人のあとに養子を貰えという祖母が琴の横に座りこむや、子供を抱いたままチッチッパッパを自棄になって弾きだす。思いこめば身も心も捨ててかかる女のいのちのいちずさに、まるでお三輪の、疑着(ぎちゃく)の相(そう)のごとく、
《と、目のまえのお新さんが、炬燵の上へばったり突然顔と胸を伏せ、私の足を痛いほど握り締め、伏せた化粧あざやかな顔を紅い蒲団に埋めてもだえさしながら、
「ああ! あたしはどうしたって! あんなになれやしないわ! あんなに!」
 どうしたって! と烈しく血の吹くように肌を掻きむしる声をあげた。お新さんの痙攣した白い頬が裂けるようだった。紅い蒲団のその紅の中で、化粧したばかりの美しい血の気の引いた顔が、女の生身が、ああ、ああ!とひきつりながら、裂けんばかりに身もだえするのだった。》

(4)
 それで別れてはじめてお新さんから便りが来たと小説の時間を進めておいて、身もだえたお新さんの部屋からサンルームへ私を歩ませることで八年ぶりの直子にあわせる、といった時間の遡り挿入の構成を作者はとった。一夏ぶりの新子への回想と、八年ぶりの直子への回想が、入れ子となって多重映像化される。
 姿をあらわした直子は――この「直子」という名前は、志賀直哉『暗夜行路』の直子、村上春樹ノルウェイの森』の直子を思いださせ、三人の直子はみなそれぞれに愛の運命のもと哀しい性(さが)に引きずられた――は、サンルームの端のガラス窓へ近づく。
《艶色よい髪をアップに結い、目に沁みるほど襟足の白さを春陽に光らせているのだった。美しく成熟した襟足の肌、女の色香を見せている繊細ながらなだらかに流れている双つの肩》で、襟足から肩にかけての線にフェティッシュを感じる私を刺激するのだが、直子はもはや白ではなく、《薔薇模様の淡紅の袂をゆらりと振って、私へ向きなおった》のだった。
 私は八年前のこのサンルームでの赤い部厚い『チャタレー夫人の恋人』にまつわる記憶にとらわれる――がしかし、四方田犬彦が指摘したように、この秋津温泉という土地が作者の「私」にとってコンブレであったにしても、記憶はプルースト失われた時を求めて』の話者における無意識的回想というドラマのもとにはない。
 そこへお新さんの上ずった声がかん高く飛んで来て、《お新さんの姿は、入るなり白足袋と赤いスリッパの足が木卓の端につまづいて、くらりと宙で揺らめいた。》 つまづいて乱れた足のさきが、お新さんの心の乱れとなって射込んでくるのだけれど、これら白と紅の螺旋の競演は二人の女をめぐる私の心の乱れでもあった。《昔はついぞ見かけなかった母なる女の無造作で、二の腕のあたりまで白い肌がすらりとのぞかした》、《延ばしたお新さんの白い手にせかされて縁側に上ると》、《背を向けて子供に茶菓子を食べさしている直子さんのうしろで、その白い襟足の肌を見てから》、《白い小さい人差指が黒い柱の上の刃物のあとを》、《はずんだ調子の声が目の前の横顔の紅い唇から飛び出し》、お新さんはお三輪のようにとり乱れて、官能の穽(わな)の中へたあいなく陥ち込んでしまう。
 帰るバスを三つ見送ったのち、お新さんを誘ってその母親が眠っている青洞寺へ出かけて行った。高い石段の麓でお新さんは白い美しい耳もとの肌を見せ、その白が見るうちに苦しいほど、知らずに紅く染まって行った。初春の松の枝ごしの陽をうけ、妖しい蒼艶な情火が燻り立って来るお新さんに、松の花粉の蠢動の幻影が、自然の巨大な性の営みの象徴と化して脆弱な私の性感をみじめに翻弄しはじめてくる――感情や感覚が、「行く」「来る」といった私への遠ざかりと近づきから成り立つのは、私からの「時間」と関係しているからだろう。
 秋風が立ちはじめるころになって、お新さんは青洞寺の次男と結婚すると手紙で伝えてくるのだが、墓参のときその父の住職がうごめかした《酒毒で赤い鼻頭》と、酌婦じみた大黒が運んできた《どぎつい苺の赤》の淫らさの記憶がお新さんのみのりのよい――『暗夜行路』の前編末尾で主人公が乳房の重みを掌に感じ手の「豊年だ! 豊年だ!」を連想させる「みのりのよい」という表現は何度でてくることだろう――と結びついた。
 そんな生理へこたえた紅を思いだしながら、私はお新さんの結婚をはばむ手紙を書きつづけると、三町ほど離れたポストへ憑かれたように出かけて行く。途中、昨夜の雨――いつも夜に雨が降って時計の針が動きだす――と風で吹き落とされた柘榴の花が点々と散っていた。橙赤色(とうせきいろ)の落花は私の下駄の歯跡の窪みで踏み砕かれ平たくつぶれていて、お新さんの無惨な行く先の姿の象徴となって映ってくる――恋する男はあらゆることを意味の炎で燃え立たせたがるものだ。
《柘榴の樹の下で、しばらく私は立ちつくして、土塀の白く走った道の遥かの、岐道の角にある雨に洗われた瑞々しいポストの赤を眺めていた。》
 この赤は漱石『それから』末尾の、「赤い郵便筒(ゆうびんづつ)」が目につき、たちまちくるくると回転しはじめ、世の中が真っ赤になって炎の息を吹いて回転する神経症的赤に似ている。が、『それから』の代助は自分の頭が焼きつきるまで電車に乗って行こうと決心したのに、この私は、そこから一足も肢は進まず、よろめくほどの足どりで、部屋へ帰って行った。

(5)
 すぐに旅費を工面して秋津へ発った。見知らぬ女中に「別館の南天の間がいい」と言う。お新さんは踊りの稽古をしている。
《印度更紗の壁飾りの渋茶色の模様を背景に、金扇を翻し袖を波うたせては、白い二の腕の肌をちらつかせていちずに舞う。ととんと白足袋が紅い裾裏を蹴って床を鳴らせる。》
 ひと風呂浴びて、しつけの白糸が胸へ一糸挘(むし)り残った真新しい丹前で部屋へ戻ると、明るい灯の下に朱塗りの小さい食卓が置かれていた。
《「美味しい?」
 お新さんはまともに私の口もとを見ながら、紅い唇を自分で飲んでいるふうにつぼめて、盃があきさえすれば、まるで心のたけを移すように酒を盃へ注ぐのだった。》
 さっきの踊りは静御前だという。義経が死んだという偽の噂に自刃した静の気持ちがよっく判るわ!とお新さんはふるえた細い声で言う。「あたしはこれでいいのだけど」と声を落とし、滲んでくる涙を白い指で拭いてお新さんは小さく淋しく笑いながら、見るうち卓子へのめって声を耐えていたが耐えきれず、身もだえながら欷(すす)り哭(な)きはじめた。《白いうなじの肌が紅潮して灯に光り、痙攣のまにまに青い血管が耳朶の下で浮き上るのであった。》
 青洞寺の次男との行末の倖せを願っての、心にもない言葉にお新さんは火達磨のように炎(も)え上って、庭の夜へ白足袋を閃めかして降り、ひるまず白足袋のまま母屋のほうへ駈けだした。
 やがて遅い月が昇り、低い下駄音が近づいてくる。うしろ手で障子を閉めると、そこでお新さんは息をはずませながら、立ちつくして身じろぎしなかった。
《「いけないお新さん、いけないことだ!」
 しかし咄嗟のその言葉が声にならぬうち、お新さんは最後の生身の抗いやら羞恥を踏み越え、緋縮緬(ひぢりめん)の長襦袢の胸へ枕をかかえ、私の寝床へよろめき込んで来た。湯を浴びて来たらしく、洗いたての冷たい水気の残った垂れ髪が、お新さんの心のように私の首すじへ乱れかかった。》
 襟足の肌の白、雪景色のような冴えた白が沁み入る音をたてて私の膚へ徹り、みのりのよい肩を抱き寄せると、思いがけなく可憐に肩は小さかった――視覚的には肉感的で、いざ抱けば思いがけず可憐なのが好ましい男性原理が如実である。
《「濡れる、濡れる、濡れちゃうわ!」
 すべてを絞りつくすように叫びながら、私の胸から大きく反り返り、わが身を私から放して夜具の端へ投げ出した。水気をふくんで重いお新さんの髪が、夜の畳の表でばさりっと鳴った。》
『秋津温泉』をふりかえれば、直子は髪を濡らすことで肉の匂いを消し、時間を律してきた。少女だった直子は、万灯ヶ原の咲き残った淡紅の蓮華躑の花野を仰ぎながら、私の影の水面で、《ふいにカリエスの背を曲げ、乱暴な身ぶりでふさふさした黒い髪を、清冽な渓水へつけた。》 また、女学校を卒業した直子が夏にやって来て、出発の前の日、親しくなった新子と万灯ヶ原へ出かけたという。「髪を洗ってくれと仰言って――」、とてもやわらかい髪で、とても渓水が冷たくてと、新子は飾り気のない短い言葉で話したことがあった。
 いつか湯舟の二人の男に酒気のこもった大声で「汁がたれてそうじゃねえか!」と卑猥に値踏みされた新子が、濡れた髪で情を解き放つ。
「それだよ、そんなたあいもないものだよ、それっきりのものだよ!」
「これなのね、たったこれきりのことなのね!」
 これまでも「私」は「時間」のまわりをめぐってきた。《私は私自身の時間をとり戻す》、《「時間」の鞭に追いたてられ》、《いっさんにあてもなく時間を急ぐ雪》、《自分だけの時間》、《瑞々しかった昔の時間》。
 秋鹿園の常連で、伯母が恋心を寄せていた大学講師の板野さんは、存在と時間を語らせるための人物設定であったに違いない。戦争がはじまったことへの心の動揺をさらけだしてしまった私に板野さんは、「人間の生死を司る権利の所有者は、自然だけです、或いは時間と言っても、神と言ってもよいでしょう」、そう言ったきり二度と戦争の話はしない。
 秋鹿園が徴用になることへの別れの宴で板野さんは、お新さんの脆い稚さに情が流れたのか、「時間が全てを解決すると誰でも言う通りです。じっと生きて行けばよいのです。あせらず悩まずに――」と言う。
「私」もまた、伯母の亡くなったこと、木綿のような妻晴枝のことをお新さんに語りながら、「――もっとも、時間のほうが勝手に過ぎてくれてんだろうけどね、――」と口にする。
 自然・時間・神の三位一体、時の無常観。いかにも日本人の時間に対する考え方なのだが、戦争という時代背景がそれを永遠と結びつける。
 あの湯室の中のお新さんに「明日発ちます!」と言った翌朝、私は深い朝靄に覆われた秋津の山峡の道で、目まいを覚えてしゃがみこんだ。
《――おまえはそこで何を守ろうというのか!
 深い濃い朝靄の中から、そんなあざわらう声がひびいてくるのだった。誰をも傷つけまいと努力している私に、つつましい餓えのない生活と夜寒や病のない日常を約束もしないで、私をあざわらうのであった。
「私はあなたを憎悪します!」
 いきなり身もだえして叫んだ私の声は、なんの余韻もなく、力もなく巨大な朝靄に呑まれて、あえなく消えた。》
 ポストの赤に立ちつくし、結婚相手だという青洞寺の次男を自分の目で見極めることで諦観をもとうとする私は、十七の春からの秋津の気配にひたり、ひとりの想へ落着いてゆく。ここ十年の私の魂の求め探しつづけたものは、それをこそ神とよぶものであろうか、私の孤独を等しく味わい苦しんでくれる神は、所詮この世には在(おわ)さぬものであろうか――しかしそれはみのりのよい白い?として迫ってくる母神のようなものでもあったろう。
『秋津温泉』は誰かに向って語るという語り物ではないが、自然・時間・神に向っての告白の物語ともいえる。そして母への。
 秋雨がやがて通り過ぎてから、私たちは起き上って湯殿へ入った。
《「朝焼けはその日の雨。あなた、雨が降って、どんどん降って帰れなくなるわ、あなたが」
 稚くはしゃぐお新さんの斜めになってきた肩の白いまるみへ、淡紅の花びらが散っていた。目を近づけると花ではなく、かすかにあかい掌がたなのであった。掌がたがつくほど抱きしめた昨夜の激情が、俄かに蘇えって晴れきらぬ私の心を煽って来た。》
『秋津温泉』のはじめの白い風景が、淡紅に染まるたまゆらの時間のうちに環を結び、この小説を名作に押し上げる。
《「あたしはこれでいいのよ、これで倖せだわ、あたしは死ねるわ、あなたが亡くなったって噂で死ねるわ、……」
 お新さんは独り裸のままとめどなくつきぬ話題の中へ、日頃になく饒舌になりながら、いかにも倖せそうに、真一文字に入って行った。
 そのお新さんの純白な裸身の遥かで、朝焼けはその紅を映えかわし、その紅いの色を深めながら、次第と秋津の空へ瀾(ひろ)がって行った。》
                               (了)