文学批評 「きものの悦び」(ノート)

   「きものの悦び」(ノート)

  

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(1)からだ

   ―――『きもの』幸田文

   ―――『序の舞』宮尾登美子

   ―――『真砂屋お峰』有吉佐和子

   ―――『女坂』円地文子

 視覚と観念できものを語った三島の装飾美の対極にあるのが、きものを愛する女性作家たちの小説だろう。彼女たちのきものはどちらかといえば日常着、生活着であり、からだが覚えたきものの感覚なしに小説は成り立たない。一度袖を通され、肌からすべり落ちたきものの匂いとぬくもりの生なましさがある。

 幸田文の『きもの』。娘の青木玉による『幸田文の箪笥の引き出し』にある文のきもの姿の数々を見れば、胸もとのゆったり感や裾のぐあいからいかにもきものは日常着であったといまさらながら気づく。

『きもの』は自伝的ヴィルドゥングス・ロマンであつて、それゆえに教訓めいたところが好き嫌いの分かれるところとなるが、主人公のるつ子はきものによって自我を確立し、心身ともに大人の女になってゆく。文にとってのきものは父露伴の好みをたたきこまれた娘の必然として、からだが覚えたきものだった。全編これきものにまつわる話だから、どこをどう紹介すべきか迷うが、選ばなければならないならばやはりからだのことだろう。

《正装でも不断でも、紐が多くなくては形がだせないというのは、未熟だというのがおばあさんの主義だった。長くできている着物をはしょりあげる腰紐が一本、衣紋の形をきめる平ぐけが一本、そのほかは帯あげと帯どめが各一本、合わせて四本だが、このうち着物とからだを結びつけているのは、腰紐と平ぐけの二本で、これは着物にもからだにも決め手になる、大事な紐。あとの二本は帯の形を整えるだけの軽い役しかない。だから着物は、紐二本で着るものであり、何本もでしばるのは、下手がこしらえた小包のようで、うすみっともないとけなした。》

 こういった調子だ。向島仕込みのきっぷのよさは悪くない。

 紐という線と、布という面で女は自分になってゆく。

《なでしこの柄の、柔かい錦紗(きんしゃ)縮緬のひとえをまとって、腰に紐をしめれば、それはるつ子には初めての触感で、なにか一足とびに大人になったようなぎこちない気がした。》

 直線断ちのきものだからこそ、からだという生の感覚への信頼が大事なのだ。

《おばあさんはしきりに、からだで覚えなさい、といった。踵(かかと)にさわる感じで。着丈のちょうどよさがわかる。ふくらはぎへ纏(まと)いつく感じをおぼえれば、裾のしまり具合がわかる。腰の何処(どこ)へ紐をわたせば、きりりと軽快に感じるか。どんな強さにしめればいいか。みんなからだで覚えてしまえ、という。

「からだにぴたりとしたのが好きな人もいれば、ざくざくに着るのが好みだ、という人もいるし、気持のよしわるしは、自分でしかわからないものなんだからね。」 だから今ここで根をつめて練習して、一度ではっきり身にこたえて覚えてしまえば、あとは苦労なく着られる、といって介添され、止(や)むを得ずといった有様ながら、るつ子はこつ(・・)らしいものをおぼろに感じとっていった。袖口明をひけば襟の線が立ち、袖付をひけば胸のまるみが浮く、とおばあさんはぐいぐい教えこんだ。》

「ぐいぐい」とはいいではないか。幸田文の肌ざわりがここにある。

 

 宮尾登美子はきもののエッセイをいくつか書いているが、小説の中ではきものについて書くことをあえて自重しているかのようだ。それでもふいにあらわれる。

『序の舞』は女流日本画家の上村松園をモデルとした小説である。《女子の三十三は人から七色の帯〆(おびじ)めか腰紐かもらうもんや》と中京(なかぎょう)のしきたりを教えてくれるが、ヒロイン津也の画家の目を通したきもの描写がめざましい。生涯、黄人丈(きはっちょ)を手離さなかった画家の筆は女を描くとき、平面画でありながらもきものの生地の張りや、体温、湿りけといった肌ざわりまでも描きこまずにはいられなかった。からだが覚えているきものの感覚が画家の手と目を深めている。

《津也は丸髷(まるまげ)の若妻が床几(しょうぎ)に腰を下し、団扇(うちわ)片手に月を眺めている「美人観月」を仕上げて出品した。

 このとき、子供の頃から不思議でならなかった、下着に羅物(うすもの)を重ねた色を出すことができ、それを見た勢以が、

「まあよう涼しそうに描かはって。手でさわってみたいようやなあ」

と褒めてくれたときの嬉しかったこと。

 これは紗かいなあ明石縮みかいなあ、と着物の生地まで想像しているのを聞いて、これからはただ色を塗るだけやのうて、着物は絹か木綿か、帯はつづれか黒締子か、そこまで判るよう描きたいもんやなあと津也は思った。》

それは明治二十四年のことだった。幾多の苦難をへて昭和八年ともなれば、

《津也の絵はすみずみまで微細に、というのが定評で、たとえば頭の飾りや帯上げの鹿の子も、津也が描けばその角(つの)のひとつひとつがぴんと立っており、男の画家ではとてもここまで及ばなかった。鹿の子は一度洗えば角が寝てしまうので、新しい鹿の子は女の夢であり、津也はその夢を、いま心を遊ばせながら楽しんで描いている。》

「角(つの)のひとつひとつがぴんと立って」いる女たちを、たとえ色街の最下層の女だったとしても気丈な女として、宮尾は一貫して書きつづけている。

 

 やはりきもの好きだった有吉佐和子の場合、『紀ノ川』における三代の婚礼衣装の移り変わりも興味深いが、やはり『真砂屋お峰』の「衣装合わせ」(衣装くらべ)をはずせまい。江戸時代に実際にあった出来事といわれ、鹿の子を悦ぶ女心がここでは「京鹿子(きょうがのこ)江戸紫」への欲望として物語られる。京(みやこ)で絞った総絞りを武蔵野に自生する紫草の根で染めあげたものだが、お峰は二十反も注文したのだ。

《京鹿子という総絞りは、広幅の絹を右手の爪の先で細かく捻(ひね)っては糸で括(くく)り、一人の女が一反を絞り上げるのに二十日以上もかかる贅沢な品物である。関東の人間は気が荒いせいか、こればかりは都の女たちの手仕事にかなわなかった。都の女でも月厄のあるときは絞りにむらができるので業者は目敏く見付けては突き返すという。しかし絞りは、やり直しがきかない。京鹿子は技術と同時に女たちの精魂が傾けられていた。》

 女たちの精魂を吸いとって作られたきものはそれを着た女の魂をもう一度奪う。しかし美術品ではなく工芸品であるきものはからだに纏いつくことで作り手の魂に報い、着る人の魂に息を吹きこむともいえる。

『真砂屋お峰』はよい意味での見栄の話だ。高価なものに見せまいとする江戸者らしいやつし(・・・)の粋(いき)は、現代の紬好みに通じている。

享保以来ほとんど毎年のように倹約令が出て、絹織物の業者たちへの締めつけが厳しくなる一方で、商人たちの懐は潤おうばかりだったから「木綿に見える絹」を作る智恵はもうずっと前から磨かれていた。結城紬がその中で最も上質のものだと言われていた。貧しい百姓が冬場の空いた時間を、荒れた手で繭から糸をひき、唾で撚り、藍に染めて、織る。》

 平安の昔から権力者のきものは絹で、庶民は麻布(あさふ)か藤布(ふじふ)か科布(しなふ)、そうして桃山の終わりぐらいにようやく木綿がやってきたという。木綿はこんなにも近世の賜物なのだ。柳田國男の『木綿以前の事』は木綿を着ることでからだが変化していったことを論じた美しい文章なのでここに少しだけ引用したい。

《以前の麻のすぐな突張った外線はことごとく消えてなくなり、いわゆる撫(な)で肩と柳腰(やなぎごし)とが、今では至って普通のものになってしまったのである。それよりも更に隠れた変動が、我々の内側にも起こっている。すなわち軽くふくよかなる衣料の軽い圧迫は、常人の肌膚(はだ)を多感にした。(中略)心の動きはすぐに形にあらわれて、歌うても泣いても人は昔よリー段と美しくなった。》

 それは文化をも多感にした。

 

 円地文子『女坂』のきものは、女のからだが深くなじんだきものの感覚はときに屈折すると囁く。からだの底で性(さが)を煮つめたような「呪誼(じゅそ)」とか「怨念(おんねん)」とかが美しいきものの裏地に執着している。

 行友と倫(とも)のあいだの少し足りない虐、子通雅の後妻として嫁いできた質屋の総領娘美夜の婚礼の晴衣装を、行友の女中兼妾である由美と須賀が倫と一緒に品定めする場面は、きものによって美夜とその母を見定める儀式でもあった。

《地赤の襠を着せたが、下着の白無垢(しろむく)とは袖(そで)が三、四寸も違っていた》、《畳んでいた白無垢の振袖にうすく茶色のしみの残っているのをそっと指さした》、《「この襠も質流れらしいのね、御覧なさい。袖裏の紅絹(もみ)があせていてよ」》。

 ここには嫉妬と羨望がふすぶっていて、きものは女を良くも悪しくも遠くまで運ぶ。

 あるいはこんな場面。倫の甥に嫁いだばかりの、藤色(ふじいろ)の手絡(てがら)の丸髷(まるまげ)に銘仙の縞(しま)ものの袷(あわせ)をきりりと着た由美の店を、美夜と須賀が訪れる。店を出るとすぐに美夜が、

《「お由美さん、もうこれ(・・)ね」

といって帯の上を手でふくらして見せた。

「あら……私、ちっとも気がつきませんでしたけど……」

といいながら、須賀は眩(まぶ)しそうにまたたいた。そう言えばあの家にいる間ずっと由美が黄八丈の前垂をとらなかったのにその時気づいた。美夜の眼の早さが多淫(たいん)な肉欲を語っているようにみだらに感じられ、同時に由美の胎(はら)の児(こ)が行友の子ではないかという疑惑が鳥影のように須賀の頭を掠(かす)めた。それは並んで歩いている美夜が身ごもった時にも感じる疑惑であった。》

 きものが女のからだを作り、そのからだが女の心を否応なく染めあげてしまう。

 

2)悲しい

―――『雪国』川端康成

 眼の作家といわれた川端康成のきものはどうだろう。「美しい日本の私」などと講演し、京都ものや鎌倉ものを代表作としていることだから、さぞやきものの美も書き遺していると思うかもしれない。たしかに『古都』は京都の呉服問屋と西陣の織屋を舞台としていて、「竜村の帯」なども会話にのぼるけれど、職業としての、あるいは商品としてのものであって、双子の姉妹のきもの描写に工芸的精緻を極めるといったわけではなかった。同じく京都を舞台とした『美しさと哀しみと』では川端の感覚がきものの中でもっとも情が端的になりがちな帯の意匠に向かっていると気づかせるが、それ以上ではない。鎌倉ものにいたっては、女たちは茶会に、訪間にときものを召しているはずなのに、まったくといってよいほど描写されていないことにむしろ驚かされる。

 ここはやはり『雪国』のきものについて書くしかあるまい。川端のきものは涼しさのさきの冷たさにまで届いて、ついに悲しさになってしまう。島村がはじめて駒子を呼んだときの印象、そこにすでに川端のきもの感がある。

《女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪(くぼ)みまできれいであろうと思われた。(中略)着つけにどこか芸者風なところがあったが、無論裾はひきずっていないし、やわらかい単衣をむしろきちんと着ている方であった。帯だけは不似合に高価なものらしく、それが反ってなにかいたましく見えた。》

 川端好みの女は端正なのにどこか破綻している。削ぎおとした文と文のあわいから女の色気がこぼれる。「襟」ひとつとってもこんなにも清潔で、しかしエロティシズムが滲みだす。

《その顔は眩(まぶ)しげに含み笑いを浮かべていたが、そうするうちにも「あの時」を思い出すのか、まるで島村の言葉が彼女の体をだんだん染めて行くかのようだった。女はむつとしてうなだれると、襟をすかしているから、背なかの赤くなっているのまで見え、なまなましく濡れた裸を剥(む)き出したようであった。》

 別なところでも島村の視線は駒子の魂を盗み見る。「ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから」と少し顔を赤らめうつむいた駒子は、

《襟を透かしているので、背から背へ白い扇を拡げたようだ。その自粉の濃い肉はなんだか悲しく盛り上がって、毛繊物じみて見え、また動物じみて見えた。(中略)背に吸いついている赤い肌襦袢が隠れた。》

 袖はどうか。

《駒子は窓を抱くように片腕をあげた。袖口が辷って長襦袢の色が厚いガラス越しにこぼれ、寒さでこわばった島村の瞼(まぶた)にしみた。》

ついで帯。行と行のあいだで説明もなく数時間が経過している。それも性愛の時が過ぎている。帯の深い意味を、余自の美を読みとれなくては何も感じていないのと同じだ。

《部屋に戻ってから、女は横にした首を軽く浮かして鬢(びん)を小指で持ち上げながら、

「悲しいわ。」と、ただひとこと言っただけであった。

 女が黒い眼を半ば開いているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫毛(まつげ)であった。

 神経質な女は一睡もしなかった。

 固い女帯をしごく音で、島村は目が覚めたらしかった。》

その直後の駒子の心変わりは帯を鳴かせながら幾重にも体に巻きつける行為がもたらすものではないのか。

《「早く起して悪かったわ。まだ暗いわね。ねえ、見て下さらない?」と、女は電燈を消した。(中略)

「嘘よ。よく見て下さらなければ駄目よ。どう?」と、女は窓を明け放して、

「いけないわ。みえるわね。私帰るわ。」

(中略)ひとりごとを言いながら、女は結びかかつた帯をひきずって歩き、

「今の五時の下りでお客がなかったわね。宿の人はまだまだ起きないわ。」

帯を結び終ってからも、女は立ったり坐ったり、そうしてまた窓の方ばかり見て歩き廻った。それは夜行動物が朝を恐れて、いらいら歩き廻るような落ちつきのなさだった。妖(あや)しい野性がたかぶって来るさまであった。》

 小説『雪国』は数ページにわたってエッセイのように「縮(ちぢみ)」を語ったことで味わいをました。「雪晒し」された縮は駒子の清潔さの底にある。川端のきもの描写には色彩が乏しいのだが、岸恵子主演の映画『雪国』のようにモノクロームこそが無限(夢幻)の色を想わせる。

《雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒(さら)す、績(う)み始めてから織り終るまで、すべては雪のなかであった。雪ありて縮(ちぢみ)あり、雪は縮の親というべし、と昔の人も書いている。》  

 昔の人とは天保の鈴木牧之、その『北越雪譜』である。

《毛よりも細い麻糸は天然の雪の湿気がないとあつかいにくく、陰冷の季節がよいのだそうで、寒中に織った麻が暑中に着て肌に涼しいのは陰陽の自然だという言い方を音の人はしている。島村にまつわりついて来る駒子にも、なにか根の涼しさがあるようだつた。そのためよけい駒子のみうちのあついひとところが島村にはあわれだった。》

夜中の三時に島村の胸の上にばったり倒れてきて、「火みたいじやないか、馬鹿だね」と言われる駒子。

《島村が立ち上って電燈をつけると、駒子は両手で顔を隠して畳に突っ伏してしまった。

「いやよ。」

 元禄袖の派手なめりんすの袷(あわせ)に黒襟のかかった寝間着で伊達巻をしめていた。それで襦袢の襟が見えず、素足の縁まで酔いが出て、隠れるように身を縮めているのは変に可愛く見えた。》

 なんとも野暮な格好の駒子。《「もう着る着物がないの。あんたのとこへ来る度に、お座敷着を変えたいけれど、すっかり種切れで、これお友達の借着なのよ。悪い子でしょう?」》といじらしく口走って島村に言葉を失わせた駒子は、《「いい女だよ」》と言われ、《「それどういう意味? ねえ、なんのこと?」》と聞きちがえて激しい怒りに顫え涙した。

《島村は去年の暮のあの朝雪の鏡を思い出して鏡台の方を見ると、鏡のなかでは牡丹雪の冷たい花びらが尚大きく浮び、襟を開いて首を拭いている駒子のまわりに、白い線を漂わした。

 駒子の肌は洗い立てのように清潔で、島村のふとした言葉もあんな風に聞きちがえねばならぬ女とは到底思えないところに、反って逆らい難い悲しみがあるかと見えた。》

 瀬戸内寂聴がどこかに書いていたのだが、あるとき川端は瀬戸内の目の前で反物の生地を放心したように指先でいつまでも撫でていたという。その指が右手だったか左手だったかは覚えていなくて、だから「左手の人差指」が左利きのせいなのかそうでないのかわからずに残念という談話だったと記憶しているけれど、川端は眼の作家であると同じくらい触感の作家だった。きものの生地を年若い乙女の肌を愛しむように、人目もはばからずに愛撫しつづけるという魂の交感が、幼くして両親を亡くし、天涯孤独な小説家の生きる拠りどころだったに違いなかった。

 どこまでもその語りは、女の肌のようなきものの悲しい性で織られている。男にとって都合のよい女でありすぎると批難されようとも、それとは無関係に『雪国』を発表後も際限なく書きなおしつづけたのは    その肌理を撫でつづけたかったからではないのか。まるで赤子が母の乳房を弄(いら)うように。

 

(3)とく

―――『京まんだら』瀬戸内晴美

 瀬戸内晴美『京まんだら』のきものは祗園が舞台だからという以上に、作者のサービス精神がゆきとどいた結果である。四季の行事の折々に名所旧蹟を女たちに歩ませ、おそらくは数十か所できものの柄と生地、そして帯の仔細を書き添えている。そればかりかきものにまつわる文化を――祗園という文化を書きつくしたかった瀬戸内にとって欠かせない要素だった――季節の決まりごと、帯締めの色の選び方、水揚げの長襦袢の誂えなどまで日配りを忘れないので、男性作家が書いたものとはひと味もふた味も違って膝を打たせるものに満ちている。

 ここでは染帯(そめおび)についてと、帯や紐をとかれる女の感覚を選んでみた。

 今ではどうなのか、京都では娘の嫁入りの荷飾りにと、ことあるたびに親がひとつずつ染帯を誂え、数揃えたという。玄人さんが普段着のきもの姿になるとき、決まって素人っぽい紬で、織りのきものには染めの帯をということから自然と染帯を締めることが多くなる。こういった事柄には社会的な記号を読みとることもできるだろう。

 泉湧寺(せんにょうじ)でふいにあらわれた普段着の舞妓美弥子からはじめよう。西洋風の美人とは違った京の舞妓特有のきわどい美をよくとらえている。

《大島の着物の衿をきゅっと細い首につめて緋色と緑で牡丹唐草を鬼縮緬に染めた帯をしめている。髪は舞妓の頭から、飾り物をとっただけなので。昔の桃割れの娘のように初々しい。いつもの舞妓姿の白塗りの時とはちがってほとんど素顔に近い頬や首筋が琥珀色にすきとおっている。つぶらな彫ったような張りのある目が、近眼なので、眦いっぱいに見開いてみつめるのがあどけなさを増し、人形のような整った顔に可憐さをそえている。》

 瀬戸内の筆致は、女の日で見ても魅惑的な同性に対して、美しいと素直に表現することで好感を呼ぶ。

 この作品はきものの美しさと同じほど、日本の女の美しさを称えた小説である。

 高い鼻筋をくっきりと涼しそうに見せて、長いまつ毛のかげを頬に落した、喪服映えのする芸者のゆり乃は《結城の着物に塩瀬の染帯をした首の長い女》だった。

 色っぽい目をしたえん子も同じように組みあわせる。

《今日のえん子は、自地の結城紬に、さび朱のはっかけをつけて、さび朱の塩瀬に、野草を染めた面白い帯を締めていた。ふっくらした髪型が、いつものえん子より三つ四つ若やがせている。切れ長の大きな目が艶をふくんで、通路を通る女客が、思わず、目を吸いよせられていくような美しさだった。》

 染帯を締めるときは見えないところの色にも気遣いを怠ってはならない。

 七月の鴨川の床を楽しむ女四人の夏衣を書きわければ、ひとりひとりの年齢や仕事を説明しなくとも、これまでの生き方までも語ってしまおうというものだ。

琉球芭蕉布の絣をゆったりと着つけた鈴江は、昔の美しさがまだしおれた薔薇のように残りの色香を匂わせる。

 橙の色がしっとりと艶を増す時刻を選んだので、鈴江が、朱塗りのぼんぼりに燈をともすと、女たちの顔は一様に、河原の月見草のようにふわっと夜の中に花開いた。

 えん子は白地に墨一色で芙蓉を描いた駒紹の着物につづれの青磁色の帯をしめていた。さと次は、うぐいす茶に、露草を置いた着物に、博多の白い献上をあわせている。今夜の芙佐は白い夏大島に、紫の絽の染帯をしていた。》

 染帯はこのくらいにして、帯をとかれる悦びに移ろう。

 女将の芙佐の帯をとく劇作家洋平の手つきの水際立った動きは、京舞に似ている。能の舞と通底する、感情を洗練された型として定めたなまめきである。

《向いあって洋平の手がすっとのび、まず、帯締の結びめに指がかかった時、芙佐は肌に直接、洋平の指がふれたように身震いをみせた。芙佐の手が思わず、手伝おうとのびるのを洋平の手が払いのけた。はじめて、それが洋平のやり方なのかと納得して、芙佐はすなおの坐ってされるままになった。

 結びめのとけた帯締を洋平の片手がすっとひきぬいた。帯と帯締がきしりあう音が、なまめかしく夜の気をひきさいた。

 洋平はひきぬいた帯締を片手で畳に置く時、するりと二つに折り、ついで四つに折った。

 その次、帯あげが同じようにひきぬかれ、それもふわっと畳に端からおろされると四つ畳みにされた。芙佐は感嘆を押えて、その器用な洋平の手つきに見惚れていた。帯も同じように畳まれたが、愕いたことに、洋平は、ちゃんと太鼓と、前の帯の模様のところは、折目がはいらないように気をつかって畳むのだ。》

 女の心情を底の底までみきわめた洋平のきものへの心づかいに、芙佐は自分自身が大切に扱われているような錯覚を覚え、心が一挙にほとびてきて、女に生まれたことが有難くなる。きものにはそんな力があるのだ。

 ところでこの二人は帯をとかない拘束の悦びも経験している。黒紋付の正装の女が帯をとかないまま男に身をまかせることを「昆布巻き」というが、華やかな名をもつ「孔雀」は愛の儀式だ。五十三次を染めさせた黒紋付に佐賀錦の帯をしめた芙佐。

《一瞬、帯に手をあててためらった芙佐に、洋平が気ぜわしくいった。

「何をぐずぐずしてる。元旦じゃないか。孔雀になればいい」

 芙佐は首から血がかけ上ってくるのを感じた。よく、座敷で、芸者と客が話しているのは聞いたことがある。松の内、髪を結いあげ、黒紋付で裾をひいている時、客が芸者に逢いにきて、その姿のままで縁起を祝うというのであった。芸者は正装のまま、帯も解けない。髪もくずせない。客が床の間を枕にして仰臥した上へ、黒紋付の裾を両手で持って、さっと開いた芸者が、かぶさっていく。その姿が華麗で豪華で、丁度孔雀が羽を広げた時のように見えるというのであった。

 芙佐は話としては聞いていたが、自分がそんな経験をしたことはまだなかった。

「さ、早く、何をぐずぐずしてるんだい」

「ごめんやす」

 芙佐は着物の棲を両手の指につまみあげ、すっと洋平に背をむけて、思いきって、両腕をのばしそれを左右に押しひろげた。》

 盆に水を入れ、大文字の炎を写して呑みほす五山送り火の宵のことだった。白地に墨絵の桔梗の絽小紋を着た芙佐。

《洋平が、卓を壁ぎわへ押しやり、無言で芙佐を座敷の真中に倒した。

「見えるかい」

 洋平が低い声で訊いた。芙佐は背中を浮かせ、大文字の火が見える位置に自分の頭を廻して軀をずり上げていった。

「へえ、見えます」

 芙佐がつぶやいた時、洋平が芙佐の着物の裾を割った。

 締めたままの帯が腰枕の代りをして、芙佐は頭をのけぞらせ、白い咽喉をむきだしにした。洋平がすぐ入ってきた。芙佐は思わず目を閉じた。

「目をあけて、大文字が燃えるのを見てごらん」

「へえ……」

 芙佐は声を咽喉にもつれさせた。

「お前の日の中に大文字が写っているよ」》

 きものと帯は嗜虐性の呼び水となる。はたして男が女を呑みほしたのか女が男を呑みほしたのか。それはきものが見せるためにあるのか見られるためにあるのかに似ている。

 それにしても、瀬戸内が場面場面で着せるきものの端正さは、京の花街の女たちの凛とした清潔さと同じ気配にある。

 しごきをとかれる舞妓照香のあどけない様子と心づかいを紹介しておこう。照香は矢島が持ち上げた蒲団の右へ「こっち、右どすなあ」と問いて入る。

《えり萬でつくった長襦袢にはこれもえり萬の塩瀬の衿がつけられている。

 照香はその長襦袢の衿をその夜左前に合わせて、ピンクのしごきをしめて矢島の先に入っていた床の中に入ってきた。

(中略)横になった照香を抱こうとして、矢島ははじめて、照香の長襦袢が左前に合わさっていることに気づいた。矢島の右手がのびると、左前の照香の胸は何の抵抗もなく受け入れることになる。しごきに指をかけると、それは結ばずはさみあわせただけなので、力もいれないのに、待ちかねたようにすっととけてしまう。すると、左前の長襦袢はそれが合図のように自然に下前になった右側が、ぱらりと胸をすべり落ち、照香の白い軀は、むきたての葱のようななめらかさと白さで、矢島の胸の中に落ちるのであった。》

 つぎの、『京まんだら』の中でもっとも濃厚な場面は、この作家のこまやかな視線が実感のさきの魔のような世界に届いていると確信させる。男たちに官能を開発されたえん子の軀にまつわる紐いろいろは、とかれるために締められている。足袋のこはぜは外されるためにはめられている。

《いつのまにか水浅葱色に朱しぼりのえり萬の帯あげがほどけ、脇の方にたれている。えん子のあげた腕の身八口がひらき、どこよりも白い脇の肌がのぞいている。

(中略)やがてあえぎが静まり、死んだようになったえん子の軀から、黒川は帯締をとき、帯あげをぬき、帯をといてやる。えん子はどうされても自分からは身動きもしないで横たわっている。

 ひとつずつ、鎧の紐をとき放つたび、えん子の軀の奥からかぐわしい匂いがあふれてくる。

 最後にナイフをいれたバナナの皮をむくような手つきで、黒川がえん子の最後の布をとき放ってやると、えん子の裸身は酒に酔ったようなほの紅さを滲ませながら燈を集めて輝いた。》

 男が視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚をひとつひとつ順を追って求めるのに対して、女は一挙に、わがただひとつの望みを手に入れてしまう。きものは魔物と女はわが身で知っている。

 

(4)凄艶

―――『金色夜叉尾崎紅葉

―一―『日本橋泉鏡花

 モードとしてのきものの豪華絢爛さでは、『春色梅暦』あたりから尾崎紅葉に流れこんだ硯友社の水脈がある。それは泉鏡花をへて永井荷風から谷崎潤一郎へと伏水化して流れこんだ。

 古くさいと思いこまずに虚心に紅葉をひもといてみれば、そのおもしろさに、こういった小説の熱量を文体もふくめて排除してしまった近代文学のストイックな歪みに気づかされる。

金色夜叉』は名のみことごとしく今ではまったくといってよいほど読まれないが、きものの描写ひとつ読んでみても、小説を読む愉しさとはどうでもよさそうなことへの饒舌から成り立っていると教える。紅葉の文章は、模様や色づかい、飾りもののあれこれが絶妙のリズムのうちに躍動していることで読み手をぐいぐいと引っ張ってゆく。

《髪を台湾銀杏(たいわんいちょう)というに結びて、飾(かざり)とては故(わざ)と本甲蒔絵(ほんこうまきえ)の櫛(くし)のみを挿したり。黒縮緬の羽繊の夢想裏(むそううら)に光琳風(こうりんふう)の春の野を色入に染めて、納戸縞(なんどじま)の御召(おめし)の下に濃小豆(こいあずき)の更紗(さらさ)縮緬、紫根七糸(しこんしちん)に楽器尽(がくきづくし)の昼夜帯(ちゆうやおび)して、半襟は色糸の縫(ぬい)ある肉色(にくいろ)なるが、頸(えり)の白さを匂わすようにて、化粧などもやや濃く、例の腕輪(うでわ)のみは燦爛(きらきら)と煩(うるさ)し。》

 うねるように昇ってゆく明晰なバロックの文体を失って久しいのだが、この文体の難しさはきものに飾りものを合わせるのに似た使いこなしの難しさで、ゆえに下品になることを恐れるあまり、今の実用の文体一辺倒になってしまったとともに、多様な語彙を、名詞も形容詞も助動詞も、もろとも失ってしまった。

 

 尾崎紅葉の美文調を門下生として受け継いだのが泉鏡花だった。鏡花といえばその幻想性ばかりが異端として云々されるが、淡島千景山本富士子若尾文子で映画化もされた『日本橋』は写実の腕の確かさを存分にみせつけている。江戸小紋のような切れと粋からなる。この小説は花柳界が舞台なこともあってきもの描写が多いのは当然として、鏡花は長襦袢を、それもそこからかいまみえる肌の凄艶を愛した。

 文章は「、」と「。」の使い方が独特なうえに、微薫をおびたほろ酔い加減の息づかいが、慣れるまではとっつきにくいけれども、ひとたびその肉声に身をまかせてしまうと、しらず血が騒ぎだす。

 小説『日本橋』は、お千世、清葉、お孝の二人の女による狂気をも秘めた長襦袢をめぐる物語といよう。

《お考が一声応ずるとともに、崩れた棲(つま)は小間を落ちた。片膝立てた段(だん)鹿(か)の子(こ)、浅黄(あさぎ)、紅(くれなひ)、露(あら)はなのは、取乱したより、蓮葉(はすは)とより、薬玉(くすだま)の総(ふさ)切れ切れに、美しい玉の緒の縫(もつ)れた可哀(あはれ)を白々地(あからさま)。》

 いかにも鏡花好みの水と火(浅黄と紅)の長襦袢で狂ってゆくお考は、《寛(ゆる)い衣紋(えもん)を辷(すべ)るやう、一枚小袖の黒繻子(くろじゅす)》で、《色は抜けるほど白いのが、浅黄に銀の刺繍(ぬひとり)で、此が伊達(だて)の、渦巻(うづまき)と見せた白い蛇の半襟で、幽(かすか)に宿す影が蒼(あを)い》とは、「凄さも凄いが、艶である」鏡花好みの意匠となっている。

                  (了)