文学批評 「三島由紀夫『金閣寺』の声、顔、乳房」

 「三島由紀夫金閣寺』の声、顔、乳房」

    

f:id:akiya-takashi:20190201160126j:plain f:id:akiya-takashi:20190201160137j:plain



                   

 まるで花道(はなみち)七三(しちさん)のスッポンからせり出してくるように、三島由紀夫金閣寺』を三分(さんぶ)ほど読み進めたところで、柏木という男が登場する。内飜足(ないほんそく)の片足ごと、ぬかるみからようやく引き抜くように、仰々しい舞踏を演じはじめる。三ノ宮近郊の出身で、公案南泉斬猫(なんせんざんみよう)』について持論を述べ、横笛ではないが尺八が得意だ。となれば、おのずと『源氏物語』の柏木衛門督を思い浮かべたくなる。色悪のごとき女たちとのあくどい情事、諍(いさか)いから、同じく内飜足だったロマン派詩人バイロン卿を連想させもするのだが、夢想家だった柏木衛門督、バイロンとは違って、夢想を否定する打ち明け話を会っていきなり主人公溝口(以下、「私」とする)に滔々と語ってみせた。ほんの一部分だけを引用すれば、

《われわれと世界とを対立状態に置く怖ろしい不満は、世界かわれわれかのどちらかが変れば癒(い)やされる筈だが、変化を夢みる夢想を俺は憎み、とてつもない夢想ぎらいになった。しかし世界が変れば俺は存在せず、俺が変れば世界が存在しないという、論理的につきつめた確信は、却(かえ)って一種の和解、一種の融和に似ている。》

 柏木衛門督は許されぬ恋路の果てに光源氏に睨まれて衰弱死するのだが、『金閣寺』の柏木はそのような柔(やわ)ではなく、恋愛事件で自殺するのは、同じ大学同級生の鶴川という「私」の陽画のような存在(先の柏木は陰画と言えよう)の方という登場人物の捩れを、ポリフォニックな逆説家三島は設定している。

金閣寺』では、他にも謡曲説経節、能、歌舞伎などに関係する名称と解説が、行く先々で登場する。嵐山の『小督(こごう)』の局の墓、裏日本の海辺の『山椒太夫』の邸跡、『弱法師(よろぼし)』で盲目の俊徳丸が見た日想観(じつそうかん)の夕陽の景色に比す金閣の輝き、『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で石川五右衛門(ごえもん)が満目の花を賞美した南禅寺山門楼上の欄干として。これらはみな、時間と儚さの遠近感覚をもたらす。とりわけ、歌舞伎演目『祇園祭礼信仰紀(ぎおんさいれいしんこうき)』の四段目、その名も『金閣寺』に登場する雪姫の美学は生きているだろう。それは追々述べるとして、まずは順を追って小説を読んでゆく。

 

金閣寺』は、いっけん何気ない文章ではじまる。

《幼児から父は、私によく、金閣のことを語った。》

 書きだしに凝る三島である。この一人称小説が、手記なのか、語りなのかは明かされないが、澱みない一行とは言いがたい。そうだろう、これは作為なのだ、三島らしい交叉、交錯からなる文体の平滑さの欠如は、主人公「私」が吃(ども)りだからに違いない。

 父の出自に続いて、父の故郷の叔父の家に預けられて、東舞鶴中学に徒歩で通っていること、あたりの岬、峠の簡潔な地理的説明に続いて、吃りに関する省察がはじまる。主人公の性格説明の役割を担うとともに、小説『金閣寺』のライト・モティーフを早くも露わにしている。

 内界と外界のことである。それは、内面と外面(外見)、表と裏(私のあらゆる不幸と暗い思想の、あらゆる醜さと力との源泉だった裏日本の海)、などと表現を変える。そもそも三島は二項対立の人だが、内界と外界が物語を動かし、内界と外界との界面を、声、顔、乳房、峡谷、鍵、鏡、扉といった表徴で語りだす。

金閣寺』を美への復讐の物語として読み解いた批評ばかりを目にするが、たとえそう読むことを作者が仮面をかぶって導いている節があったとしても、本質は認識の手袋の内と外を矯めつ眇めつしつづけた小説と言えよう。

 

<声/遅延>

 内界と外界は、いきなり「口」という開孔部として現われる。

《吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍(しょうがい)を置いた。最初の音(おん)がうまく出ない。その最初の音(おん)が、私の内界と外界との間の扉の鍵(かぎ)のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆(さ)びついてしまっているのである。》

 吃りは「遅延」によって、内界と外界に「ずれ」を生じる。認識の、感情の、美と官能の「ずれ」は、すなわち、「時間」もまた重要な役を演じていると教える。

《吃りが、最初の音(おん)を発するために焦(あせ)りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐(もち)から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。》

 父の死に際して、腕の《外側が可成日に焦(や)けているのに、内側は静脈が透けて見えるほどに白かった》友人鶴川に慰められた私からは、「何も悲しいことあらへん」という言葉がすらりと出たが、

《私の感情にも、吃音(きつおん)があったのだ。私の感情はいつも間に合わない。その結果、父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬもののように思われる。一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらな状態に引き戻してしまう。私の悲しみというものがあったら、それはおそらく、何の事件にも動機にもかかわりなく、突発的に、理由もなく私を襲うであろう。……》

 目の前の乳房が、次第に無意味な断片に変貌するいたましい経過の果てに、ようやくそれが美しく見えだした時、

《私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出(みいだ)すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との聯関(れんかん)を取戻し、……肉を乗り超え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。》

 

 内界と外界に戻ろう。叔父の家から二軒へだてた家に美しい娘、有為子(ういこ)がいた(「有為」とは仏語(ぶつご)からくる、因縁によっておこる現象、現象世界の一切といった意。この小説の登場人物全員が三島にしては野暮なほどに意味をもたせられている)。有為子は舞鶴海軍病院の特志看護婦として、夜のしらじら明けに自転車で家を出る。ある晩、有為子の体を思って、暗鬱(あんうつ)な空想に耽(ふけ)って、ろくに眠ることのできなかった私は、夏の暁闇(ぎょうあん)の戸外へ出た。

《有為子の体を思ったのは、その晩がはじめてではない。折にふれて考えていたことが、だんだんに固着して、あたかもそういう思念の塊のように、有為子の体は、白い、弾力のある、ほの暗い影にひたされた、匂いのある一つの肉の形で凝結して来たのである。私はそれに触れるときの自分の指の熱さを思った。またその指にさからってくる弾力や、花粉のような匂いを思った。(中略)    

 私は待って、何をしようとしたのでもない。息をはずませて走ってきたのが、欅の木蔭(こかげ)に息を休めてみて、自分がこれから、何をしようとしているのかわからなかった。しかし私には外界というものとあまり無縁に暮らして来たために、ひとたび外界へ飛び込めば、すべてが容易になり、可能になるような幻想があった。》

 欅のかげから、自転車の前へ走り出た。自転車は危うく急停車をした。

《そのとき、私は自分が石に化してしまったのを感じた。意志も欲望もすべてが石化した。外界は、私の内面とは関わりなく、再び私のまわりに確乎(かっこ)として存在していた。》

 ここで、「言葉」、「声」があらわれる、のちに「認識」とせめぎ合う「行動」と伴に。

《言葉がおそらくこの場を救う只(ただ)一つのものだろうと、いつものように私は考えていた。私特有の誤解である。行動が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。それというのも、私の口から言葉が出にくいので、それに気をとられて、行動を忘れてしまうのだ。私には行動という光彩陸離たるものは、いつも光彩陸離たる言葉を伴っているように思われるのである。》

 有為子はといえば、私の核心だけを見つめるのだった。

《私は何も見ていなかった。しかし思うに、有為子は、はじめは怖(おそ)れながら、私と気づくと、私の口ばかりを見ていた。彼女はおそらく、暗闇のなかに、無意識にうごめいている、つまらない暗い小さな穴、野の小動物の巣のような汚れた無恰好(ぶかっこう)な小さな穴、すなわち、私の口だけを見ていた。そして、そこから、外界へ結びつく力が何一つ出て来ないのを確かめて安心したのだ。

「何よ。へんな真似(まね)をして。吃りのくせに」》

鶴川こそが、私の言葉の解説者、「誤解に充ちた解説者」、「まことに善意な通訳者」、「現世の言葉に翻訳してくれる」かけがえのない友であった。

《ひとたび彼の心に濾過(ろか)されると、私の混濁した暗い感情が、ひとつのこらず、透明な、光りを放つ感情に変るのを、私は何度おどろいて眺めたことであろう! 私が吃(ども)りながら躊躇(ためら)っているうちに、鶴川の手が、私の感情を裏返して外側へ伝えてしまう。》

 すぐあとに、こういう文章もあり、メルロ=ポンティの交叉(キアスム)を思わずにはいられない。

《なぜ露出した腸が凄惨(せいさん)なのであろう。何故(なにゆえ)人間の内側を見て、悚然(しょうぜん)として、目を覆ったりしなければならないのであろう。何故血の流出が、人に衝撃を与えるのだろう。何故人間の内臓が醜いのだろう。……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。……私が自分の醜さを無に化するようなこういう考え方を、鶴川から教わったと云ったら、彼はどんな顔をするだろうか? 内側と外側、たとえば人間を薔薇の花のように内も外もないものとして眺めること、この考えがどうして非人間的に見えてくるのであろうか? もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のように、しなやかに飜(ひるが)えし、捲(ま)き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……》

 

 この内と外の感覚は、有為子の体を思った肉の記憶と結びつく。

祇園祭礼信仰紀(ぎおんさいれいしんこうき)』の四段目『金閣寺』の雪姫を連想させる情景だ。敗戦後の最初の冬。ある金曜の晩から雪が降りはじめ、土曜にも降りつづき、あくる日曜の朝、泥酔している外人兵の見物が来て、英語となると吃らなかった私が案内役となった。ジープの踏台の上へ、細いハイヒールの脚がさし出された。女は外人兵相手の娼婦(しょうふ)だと一目でわかる真赤な炎いろの外套(がいとう)を着、足の爪も手の爪も、同じ炎いろに染めていた。こんな商売の女を、私が美しいと感じたのははじめてである。有為子と似ているからではなかった。ひとつひとつちがっていた。米兵と女のあいだに、口論が起り、だんだん諍いが烈しくなっていった。そうして、『金閣寺』で松永大膳に踏まれて、後ろ手に縛られ身悶える雪姫ばかりか、同じく歌舞伎演目『鷓山姫捨松(ひばりやまひめすてまつ)』の中将姫雪責め、また新内『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』の遊女浦里への折檻をも連想させる場面となる。

 女は仏倒(ほとけだお)しに雪の上に仰向けに倒れた。下からじっと、雲つくような男の高所の目を睨(にら)んでいた。私はやむなく、ひざまづいて、女を扶(たす)け起そうとした。温かい潤(うる)みのある声が、英語でこう言った。「踏め。おまえ、踏んでみろ」 彼の太い手が下りて来て、襟首をつかまえて、私を立たせた。

《「踏め。踏むんだ」

 抵抗しがたく、私はゴム長靴の足をあげた。米兵が私の肩を叩(たた)いた。私の足は落ちて、春泥(しゅんでい)のような柔らかいものを踏んだ。それは女の腹だった。女は目をつぶって呻(うめ)いた。

「もっと踏むんだ。もっとだ」

 私は踏んだ。最初に踏んだときの異和感は、二度目には迸る喜びに変っていた。これが女の腹だ、と私は思った。これが胸だ、と思った。他人の肉体がこんなに鞠のように正直な弾力で答えることは想像のほかだった。》

 視覚の人三島にしては珍しく、愛撫というには暴力的にすぎるが、のちの五番町の娼婦まり子との行為においても表現されなかった触覚、《その媚びるような弾力、その呻き、その押しつぶされた肉の花ひらく感じ、或る感覚のよろめき、そのとき女の中から私の中へ貫いて来た隠微な稲妻のようなもの》の甘美な感覚が、悪を犯したという明瞭(めいりょう)な意識として私に備わった。

 

 最終第十章にいたっての金閣放火決行の夜、昭和二十五年七月二日午前一時。私は一人、敷いた寝床の上に坐って夜を計った。言葉がようよう現われる。

《私は口のなかで吃(ども)ってみた。一つの言葉はいつものように、まるで袋の中へ手をつっこんで探すとき、他のものに引っかかってなかなか出て来ない品物さながら、さんざん私をじらせて唇の上に現われた。私の内界の重さと濃密さは、あたかもこの今の夜のようで、言葉はその深い井戸から重い釣瓶(つるべ)のように軋(きし)りながら昇って来る。『もうじきだ。もう少しの辛抱だ』と私は思った。『私の内界と外界との間のこの錆びついた鍵がみごとにあくのだ。内界と外界は吹き抜けになり、風はそこを自在に吹きかようようになるのだ。釣瓶はかるがると羽搏かんばかりにあがり、すべてが広大な野の姿で私の前にひらけ、密室は滅びるのだ。……それはもう目の前にある。すれすれのところで、私の手はもう届こうとしている。……』》

 私は行為のただ一歩手前にいた。激甚の疲労に襲われた。身は痺れたようになりながら、心はどこかで記憶の中をまさぐっていた。何かの言葉がうかんで消えた。臨済録示衆の名高い一節である。

《『裏(うち)に向ひ外に向つて逢著(ほうちゃく)せば便(すなは)ち殺せ』》

 

<顔/見る>

 内と外との境界としての顔。しかし、ありきたりに顔が内面を反映しているというわけでもない。

 弁当包みを持って、隣りの部落へ行こうとしていた有為子が憲兵につかまっている。脱走兵と海軍病院で親しくなり、そのために妊娠したので病院を追い出されたという有為子は、弁当を届けるに違いない脱走兵の隠れ場所を言えと憲兵に詰問(きつもん)されているが、頑(かたく)なに押し黙っている。

《私はといえば、目ばたきもせずに、有為子の顔ばかりを見つめていた。彼女は捕われの狂女のように見えた。月の下に、その顔は動かなかった。

 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思っている。しかるに有為子の顔は世界を拒んでいた。月の光りはその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れていたが、不動の顔はただその光りに洗われていた。一寸(ちょっと)目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒もうとしている世界は、それを合図に、そこから雪崩(なだ)れ込んで来るだろう。》

 レヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦訳、岩波文庫)の「第三部 顔と外部性」にある《顔が現前すること――つまり表出――は、内部[内面]的世界を開示するものではない。内面[内部]的世界とはあらかじめ閉ざされており、したがって理解され把握されるべき新たな領域をつけくわえるものであるが、そのような内部的な世界を開示するものではないのである》、および、「第四部 顔のかなた」の《女性的なものが呈示する顔は、顔のかなたへとおもむく顔である。愛される女性の顔は、<エロス>によって冒瀆される秘密を表出するのではない。その顔は表出することをやめてしまう。あるいはこう言った》ほうがよければ、愛される女性の顔が表出するものは、表出することの拒否に他ならない》ではないのか。

《私は有為子の顔がこんな美しかった瞬間は、彼女の生涯にも、それを見ている私の生涯にも、二度とあるまいと思わずにはいられなかった。しかしそれが続いたのは、思ったほど永い時間ではなかった。この美しい顔に、突然、変容が現われたのである。

 有為子は立上った。そのとき彼女が笑ったのを見たように思う。月あかりに白い前歯のきらめいたのを見たように思う。私はそれ以上、この変容について記すことができない。立上った有為子の顔は、月のあからさまな光りをのがれて、木立の影に紛れたからである。》

 

 面上に現われる拒みは死の場面にも出現する。自分の命のあるあいだに、中学生の私を金閣寺の住職に引合わせたかった肺患の父は金閣から戻ると、寂しい岬の寺で夥しい喀血をして死んだ。母からの電報で駆けつけたとき、父はすでに棺(ひつぎ)の中に横たわっていた。

《父の顔は初夏の花々に埋もれていた。花々はまだ気味のわるいほど、なまなましく生きていた。花々は井戸の底をのぞき込んでいるようだった。なぜなら、死人の顔は生きている顔の持っていた存在の表面から無限に陥没(かんぼつ)し、われわれに向けられていた面(めん)の縁(ふち)のようなものだけを残して、二度と引き上げられないほど奥のほうへ落っこちていたのだから。物質というものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かないものであるかということを、死顔ほど如実(にょじつ)に語ってくれるものはなかった。》

 母や寺の檀那(だんな)たちは、私と父との最後の対面を見戍(みまも)っていた。

《屍(しかばね)はただ見られている。私はただ見ている。見るということ、ふだん何の意識もなしにしているとおり、見るということが、こんなに生ける者の権利の証明でもあり、残酷さの表示でもありうるとは、私にとって鮮やかな体験だった。》

 そのとき涙ひとつこぼさなかったのは、父の掌(てのひら)への律儀(りちぎ)な復讐(ふくしゅう)だという。母の縁者の倉井という男が、事業に失敗して父の寺に身を寄せていた。母と私は結核の父と一つ蚊帳に寝、それに倉井が加わった。深夜、蚊帳は海風を孕みかけては、不本意に揺れていた。漣(さざなみ)のように広がる、風ではない動きが、内側から見た大きな蚊帳の一面を、不安の漲(みなぎ)った湖のおもてのようにしていた。

《私はおそるおそる目をその源のほうへ向けた。すると闇(やみ)のなかにみひらいた自分の目の芯(しん)を、錐(きり)で突き刺されるような気がした。(中略)

 父が目をさましているのに気づいたのは、咳(せき)を押し殺している呼吸の不規則な躍り上がるような調子が、私の背に触れたからである。そのとき、突如として、十三歳の私のみひらいた目は、大きな暖かいものにふさがれて、盲(めく)らになった。すぐにわかった。父のふたつの掌(てのひら)が、背後から伸びて来て、目隠しをしたのである。

 今もその記憶は活(い)きている。たとえようもないほど広大な掌。背後から廻されて来て、私の見ていた地獄を、忽(たちま)ちにしてその目から覆(おお)い隠した掌。他界の掌。愛か、慈悲か、屈辱からかは知らないが、私の接していた怖(おそ)ろしい世界を、即座に中断して、闇のなかに葬(ほうむ)ってしまった掌。》

 

 七月一日の夜に、老師と僧堂の友であった禅海和尚(おしょう)が客人として来る。出先にいた老師のかえりを待つあいだ、亡父とも僧堂で友であったことから私と話したいという。私はためらった。和尚の単純で澄明(ちょうめい)な目が、今夜に迫った私の企てを見抜きはしないかとおそれたのである。和尚には老師の持たぬ素朴さがあり、父の持たぬ力があった。一度も人に理解されたいという衝動にはかられなかったのに、この期に及んで、禅海和尚にだけは理解されたいと望んだのである。

《そして和尚が何より私に偉大に感じられたのは、ものを見、たとえば私を見るのに、和尚の目だけが見る特別のものに頼って異を樹(た)てようとはせず、他人が見るであろうとおりに見ていることであった。和尚にとっては単なる主観的世界は意味がなかった。》

「私を見抜いて下さい」ととうとう私は言った。和尚は盃(さかずき)を含んで、私をじっと見た。

《「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」

 和尚はそう言った。私は完全に、残る隈(くま)なく理解されたと感じた。私ははじめて空白になった。その空白をめがけて滲(し)み入る水のように、行為の勇気が新鮮に沸き立った。》

 皮膚より深いものはない、とヴァレリーは言ったが、顔ほどに深い表層はないのだった。

 

 見ることこそが三島の原点だったのは、何もこの小説に始まったことではないが、さまざまな場面で、見ることのエピソードを意味ありげに書かずにはいられなかった。

金閣の北側の板戸を外して、内部の闇へ身をひたした。足川義満(あしかわよしみつ)の国宝の木像がある。座像で、目をみひらいた剃髪の小さな頭が法衣の襟に首を埋めている。私は漱清(そうせい)へ通ずる西の扉をひらいて、微風にみちた紺いろの夜気を導き入れた。

《『義満の目、義満のあの目』と、その扉から戸外へ身を躍らして、大書院裏へ駈(か)け戻るあいだ私は考えつづけた。『すべてはあの目の前で行われる。何も見ることのできない、死んだ証人のあの目の前で……』》

 見ること、それはおのずと認識に結びつく。たとえば柏木に、鏡の語を借りて、こう言わせる。

《鏡を借りなければ自分が見えないと人は思うだろうが、不具というものは、いつも鼻先につきつけられている鏡なのだ。その鏡に、二六時中、俺の全身が映っている。忘却は不可能だ。》

 目になることで、認識に関するカントのコペルニクス的転回ともいえる蜂と夏菊のエピソードとなる。あるとき私は、庫裡の裏の畑で作務(さむ)にたずさわっていた手すきに、小輪の黄いろい夏菊の花を、蜂がおとなうさまを見ていた。

《私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾(かきん)もない黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌(へんぼう)することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確乎(かっこ)たる菊、一個の花、何ら形而上(けいじじょう)的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。形のない、飛翔(ひしょう)し、流れ、力動する欲望の前に、こうして対象としての形態に身をひそめて息づいていることは、何という神秘だろう! 形態は徐々に稀薄になり、破られそうになり、おののき顫(ふる)えている。それもその筈、菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたものであり、その美しさ自体が、予感に向って花ひらいたものなのだから、今こそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。

のだ。……蜜蜂はかくて花の奥深くに突き進み、花粉にまみれ、酩酊に身を沈めた。蜜蜂を迎え入れた夏菊の花が、それ自身、黄いろい豪奢(ごうしゃ)な鎧(よろい)を着けた蜂のようになって、今にも茎を離れて飛び翔(た)とうとするかのように、はげしく身をゆすぶるのを私は見た。》

 

 三島の認識に関する思考がよってきたところは、不安によるだろう。ハイデガー的な「存在」の「不安」を底流に、太平洋戦争前後という時間もさることながら、金閣寺という空間そのものが不安の源だった。

 父に連れられて、物悲しい保津峡という境界を抜けて京都に入る少年の頭は、理解できるだけのことについて金閣に通暁していた。通りいっぺんの美術書は、こんなふうに金閣の歴史を述べていた、と書き下されているが、重要なのは建築構造の破調の記述だろう。

金閣はひろい苑池(えんち)(鏡湖池)にのぞむ三層の楼閣建築で、一三九八年(応永(おうえい)五年)ごろ出来上ったものと思われる。一・二層は寝殿造(しんでんづくり)風につくり、蔀戸(しとみど)を用いているが、第三層は方三間の純然たる禅堂仏堂風につくり、中央を桟唐戸(さんからど)、左右を花頭窓(かとうまど)として屋根の釣殿(漱清(そうせい))を突出させ、全体の単調を破っている。》

 父の遺言どおり、私は京都へ出て、金閣寺の徒弟になった。昭和十九年の戦争末期に置かれたふしぎにしん(・・)とした夏休み。つぎつぎと戦争の悲報が届いてくる。

《戦乱と不安、多くの屍と夥(おびただ)しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持主が企てた建築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂(ほうせつ)することができずに、とっくに崩壊してしまっていたにちがいない。》

 不安は心象と現実という問題に直面せざるをえない。

 サイパンが陥(お)ちてこのかた、本土空襲は免れないものとされていた。やがて金閣は、空襲の火に焼き亡(ほろ)ぼされるかもしれぬ。

《この美しいものが遠からず灰になるのだ、と私は思った。それによって、心象の金閣と現実の金閣とは、絵絹を透かしてなぞって描いた絵を、元の絵の上に重ね合せるように、徐々にその細部が重なり合い、屋根は屋根に、池に突き出た漱清(そうせい)は漱清に、潮音洞の勾欄(こうらん)は勾欄に、究竟頂の華頭窓は華頭窓に重なって来た。金閣はもはや不動の建築ではなかった。それはいわば現象界のはかなさの象徴に化した。現実の金閣は、こう思うことによって、心象の金閣に劣らず美しいものになったのである。》

 鶴川が柏木へ宛てた手紙を見せられた私は、三年前の鶴川の自動車事故と思われていた死が、親の許さぬ相手との不幸な世間知らずの恋愛事件による自殺だったと知ることになる。

 不気味な男柏木は私を見下ろしながら嘲笑も交えて言う。

《「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったのだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」》

 そして、世界を変貌させるのは認識ではなく行為なんだ、と言い返す私に対して柏木は冷たい貼りついたような微笑で受けとめて、公案南泉斬猫(なんせんざんみょう)』の猫の解釈に移ってゆき、《「しかし個々の(・・・)認識、おのおのの(・・・・・)認識というものはないのだ。認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。」》と言ってのける。

 

<乳房/時間>

 時間を脇役(ワキ)にして、乳房もまた内界と外界の境界を演じる。

 戦争末期の京都の、或る挿話。目撃者は私一人ではない。五月のよく晴れた日、鶴川と一緒に南禅寺へ行った。クランクインに跨(またが)る木橋を渡った。私たちはその小さな橋の上で、何の意味もなしに、水のおもてを眺めていた。

《戦争中の思い出のほうぼうに、こういう短い無意味な時間が、鮮明な印象でのこっている。何もしていなかった放心の時間が、時たま雲間にのぞかれるほうぼうに残っている。》 寺内にはどこにも人影がなかった。《戦争というものが、この瞬間には何だったろう。ある場所、ある時間において、戦争は、人間の意識の中にしかない奇怪な精神的事件のように思われるのであった。》

 石川五右衛門(ごえもん)がその楼上の欄干(らんかん)に足をかけて満目の花を賞美したという『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』の山門の急傾斜の段を昇って二人は楼上へ出、堂裡を見学し、南むきの勾欄(こうらん)にもたれていた。眼下には、道を隔てて天授庵(てんじゅあん)があった。座敷には緋毛氈(ひもうせん)があざやかに敷かれていた。戦争中に見ることはたえてなかった派手な長振袖を着た一人の若い女が端然と坐っている。奥から、軍服の若い陸軍士官があらわれ、女の一二尺前に正座して、女に対した。作法どおりに薄茶をすすめても、男はなかなか茶を喫しない。

《その時間が異様に長くて、異様に緊張しているのが感じられる。女は深くうなだれている。……

 信じがたいことが起ったのはそのあとである。女は姿勢を正したまま、俄(にわ)かに襟元をくつろげた。私の耳には固い帯裏から引き抜かれる絹の音がほとんどきこえた。白い胸があらわれた。私は息を呑(の)んだ。女は白い豊かな乳房の片方を、あらわに自分の手で引き出した。

 士官は深い暗い色の茶碗を捧げ持って、女の前へ膝行した。女は乳房を両手で揉むようにした。

 私はそれを見たとは云わないが、暗い茶碗の内側に泡立っている鶯いろの茶の中へ、白いあたたかい乳がほとばしり、滴たりを残して納まるさま、静寂な茶のおもてがこの白い乳に濁って泡立つさまを、眼前に見るようにありありと感じたのである。

 男は茶碗をかかげ、そのふしぎな茶を飲み干した。女の白い胸もとは隠された。(中略)

 私はあの白い横顔の浮彫と、たぐいなく白い胸とを見た。そして女が立去ったあとでは、その一日の残りの時間も、あくる日も、又次の日も、私は執拗に思うのであった。たしかにあの女は、よみがえった有為子(ういこ)その人だと。》

 見る人三島の目はつねに白に焦がれた。手の届かない、不可能で高貴な白として、《有為子一人が、石灰石の百五段の石段を登って行った。狂人のように誇らしく。……黒い洋服と黒い髪のあいだに、美しい横顔だけが白い》で現れたように。

 数年が過ぎ、女は、柏木の下宿の近所の、「戦争中、軍人と出来ていて、子供は死産だったし、軍人は戦死するし、その後は男道楽がやまないのだ」という生花の女師匠として柏木の招きでやって来る。

《……このとき私を襲った感動は錯乱していた。南禅寺の山門の上からその人を見たとき、私のかたわらには鶴川がいたが、三年後の今日、その人は柏木の目を媒介として、私の前に現われる筈(はず)なのである。その人の悲劇はかつて明るい神秘の目で見られたが、今はまた、何も信じない暗い目で覗(のぞ)かれている。そして確実なことは、あの時の白い昼月のような遠い乳房には、すでに柏木の手が触れ、あの時華美な振袖(ふりそで)に包まれていた膝(ひざ)には、すでに柏木の内飜足(ないほんそく)が触れたということだ。確実なのはその人がすでに、柏木によって、つまり認識によって汚(けが)されているということだ。》

 さて女がやって来ると、諍いになり、柏木が女の髪をつかみ、平手打ちを頬にくれた。女は両手で顔を覆(おお)うて、部屋を駈(か)けて出た。私は女を追った。涙のためにかすれた声で、永々と柏木の非行を女は愬(うった)え、当てもなく歩いた。ようよう女の一人暮しの住居の前まで来ると、女が強いて引止めるままに上った。

南禅寺の山門から天授庵(てんじゅあん)の客間までは、鳥でなければ飛べぬ距離があった。数年の時をかけて私は徐々にその距離を近づき、今ようやくそこに達したような心地がした。あのときから微細に時を刻んで、私は天授庵の神秘な情景の意味するものへ、確実に近づいて来たのだった。》

 そこで私は語った。息せき切って、吃(ども)りながら語った。「時間」はときに「記憶」と言いかえられよう。

《今度は女の目は昂(たか)ぶった喜びの涙に充(み)ちた。今しがたの屈辱を忘れて、思い出の中へ逆様に身を投げ、同じままの昂奮(こうふん)のつづきを別の昂奮に移し変えて、ほとんど狂気のようになった。藤棚霞の裾(すそ)は乱れていた。

「もうお乳も出えへんわ。ああ、可哀想(かわいそう)なやや子! お乳は出えへんけど、あんたに、あの通りにして見せたげる。あのときから、うちを好いててくれはったんやもん、今、うち、あんたをあの人と思いますわ。あの人と思うたら、恥かしいことあらへん。ほんまにあの通りにして見せたげる」(中略)

 かくて私は、目の前で帯揚げが解かれ、多くの紐(ひも)が解かれ、帯が絹の叫びをあげて解かれるのを見た。女の襟(えり)は崩れた。白い胸がほのみえるところから、女の手は左の乳房を掻(か)き出して、私の前に示した。》

 私は見ていた。私の目はあまりにも詳(つぶ)さに見、乳房が女の乳房であることを通りすぎて、次第に無意味な断片に変貌するまでの、逐一を見てしまった。いたましい経過の果てに、ようやくそれが美しく見えだした。私には美は遅く来る。そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。

《私は初秋の宿直(とのい)の、台風の夜を思い出した。たとえ月に照らされていても、夜の金閣の内部には、あの蔀(しとみ)の内側、板唐戸(いたからど)の内側、剥(は)げた金箔(きんぱく)捺(お)しの天井の下には、重い豪奢(ごうしゃ)な闇(やみ)が澱(よど)んでいた。それは当然だった。何故なら金閣そのものが、丹念に構築され造型された虚無に他ならなかったから。そのように、目前の乳房も、おもては明るく肉の輝(かがや)きを放ってこそおれ、内部はおなじ闇でつまっていた。その実質は、おなじ豪奢な闇なのであった。》

 

 この小説の、見ることに対しての、肉への愛撫の欠如、あるいは愛撫という行為の表現の欠如と言い直すべきかもしれないけれど、『金閣寺』が三島作品の典型に他ならないことを雄弁に語っている。

 豪奢な闇としての乳房は、次に示すような下層民を書くことで月並みな肉に失墜するのだが、三島はしばしば、嫌悪しているのか、奇妙に憧れているのか、チャリ場に近い、ツメ人形のような端役を登場させ、社会小説、経済小説、全体小説へも昇華させるユーモアの味付けの腕前を発揮する。

 私は、老師から手渡された授業料、通学電車賃、文房具購入代を懐ろにして、金閣寺から歩いても三四十分の距離にある通例五番町と呼ばれる北新地へ行った。童貞を捨てるためである。この一角に、有為子がなお生きていて、隠れ棲んでいるという空想にとらわれていた。私の足がみちびかれてゆくところに、有為子はいる筈だった。とある四つ辻の角店に、「大滝」という家があった(歌舞伎『金閣寺』で、大膳が雪姫に龍の絵の手本だといって、舞台下手の滝に剣をかざすと、たちまち龍の姿が滝にあらわれ、探し求めていた倶利伽羅丸(くりからまる)という家伝の名剣だと雪姫が知る、という名場面がある)。

 有為子は留守だった。その留守だったことが私を安心させた。有為子が留守だとすれば、誰でもよかった。今ここに留守である以上、今どこを探しても、有為子はいないに相違なかった。私には有為子は生前から、そういう二重の世界を自由に出入りしていたように思われる。

 近くでみると、女は鼻の下のところが、こすれて少し赤くなっていた。「まり子」という名を告げた。

《暗い枕(まくら)行燈(あんどん)のあかりの中でも、私は見ることを忘れなかった。見ることが私の生きている証拠だったから。それにしても他人の二つの目が、こんなに近くに在るのを見るのははじめてだった。私の見ていた世界の遠近法は崩壊した。他人はおそれげもなく私の存在を犯し、その体温や安香水の匂(にお)いもろとも、少しずつ水嵩(みずかさ)を増して浸水し、私を涵(ひた)してしまった。私は他人の世界がこんな風に融けてしまうのをはじめて見た(・・)のである。》

 私からは吃りが脱ぎ捨てられ、数限りない脱衣が重ねられ、たしかに快感に到達していたが、その快感を味わっているのが私だとは信じられなかった。事の後で、

《乳房は私のすぐ前に在って汗ばんでいた。決して金閣に変貌(へんぼう)したりすることのない唯(ただ)の肉である。私はおそるおそる指先でそれに触った。

「こんなもの、珍しいの」

 まり子はそう言って身をもたげ、小動物をあやすように、自分の乳房をじっと見て軽く揺(ゆす)った。》

 あたかも、快楽の最中には乳房を愛撫することはおろか、触れもしなかったかのような表現しかない。

 同じ店の同じ女を訪ねて、その明る日も私は行った。今度は私も快楽を瞥見(べっけん)したように思ったが、それは想像していた類(たぐ)いの快楽ではなく、自分がそのことに適応している感じる自堕落(じだらく)な満足にすぎなかった。「一ト月以内に、新聞に僕のことが大きく出ると思う。そうしたら思い出してくれ」と言い了(おわ)ると、まり子は乳房をゆすって笑った。話題が途絶えたので、乳房をあらわにしたまま、まり子は鼻歌をうたった。

《蠅が彼女のまわりを飛んでいて、たまたま乳房にとまっても、まり子は、

「くすぐったいわねえ」

と言うだけで、追うでもなかった。乳房にとまるとき、蠅はいかにも乳房に密着していた。おどろかされたことには、まり子にはこの愛撫(あいぶ)が満更でもないらしかった。(中略)

 蠅は腐敗を好むなら、まり子には腐敗がはじまっているのか? 何も信じないということは腐敗なのか? まり子が自分だけの絶対の世界に住んでいるということは、蠅に見舞われることなのか? 私にはそれがわからなかった。

 しかし突然、死のような仮睡(まどろみ)に落ちた女の、枕もとの明りに照らされた乳房の明るみの上では、蠅も亦(また)、急に眠りに落ちたかのように動かなかった。》

 七月一日の夜、私もまた、この蠅のようになる。

 私は行為のただ一歩手前にいた。激甚の疲労に襲われた。

金閣はなお輝(かが)やいていた。あの「弱法師(よろぼし)」の俊徳丸が見た日想観(じつそうかん)の景色のように。

 俊徳丸は入日の影も舞う難波(なにわ)の海を、盲目の闇(やみ)のなかに見たのであった。曇りもなく、淡路絵島、須磨(すま)明石(あかし)、紀の海までも、夕日に照り映えているのを見た。

 私の身は痺(しび)れたようになり、しきりに涙が流れた。朝までこのままでいて、人に発見されてもよかった。私は一言(ひとこと)も、弁疏(べんそ)の言葉を述べないだろう。》

 認識の人三島はここで『金閣寺』を終えることなく、主人公を行動に駆り立てる。

 それから私は初層の法水院に運び込んだ藁(わら)の束に燐寸(マッチ)で火をつけた。

《法水院の内部には、大きなゆらめく影が起った。中央の弥陀(みだ)、観音、勢至(せいし)の三尊像はあかあかと照らし出された。義満像は目をかがやかせていた。その木像の影も背後にはためいた。(中略)

 潮音洞にただよう煙は次第に充ちた。私は更に階を上って、究竟頂の扉をあけようとした。

 扉は開かない。三階の鍵(かぎ)は堅固にかかっている。 (中略)

 ある瞬間、拒まれているという確実な意識が私に生れたとき、私はためらわなかった。身を飜(ひるが)えして階を駆け下りた。煙の渦巻く中を法水院まで下りて、おそらく私は火をくぐった。ようやく西の扉に達して戸外へ飛び出した。それから私は、自らどこへ行くとも知らずに、韋駄天(いだてん)のように駆けたのである。》

 認識の果て、ついに行動し、しかし最後に「拒まれている」という確実な意識こそが重要であった。

                            (了)