文学批評 「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」

 「三島由紀夫『愛の渇き』論 ――歌右衛門の手/ラシーヌの光」

  

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 三島由紀夫『愛の渇き』は園丁の三郎を鍬で殺した悦子が、深い眠りから目をさましたところで終る。

《きこえるのは遠い鶏(にわとり)の鳴(なき)音(ね)である。まだ夜明けには程とおいこの時刻を、鶏が鳴き交わしている。遠くの、いずこともしれぬ一羽が鳴く。これに応ずるように、また一羽が鳴く。また一羽が鳴く。また別の一羽が鳴く。深夜の鶏鳴(けいめい)は、相応じて、限りを知らない。それはまだつづいている。際限なくつづいている。……。 ……しかし、何事もない。》

「鶏鳴」は、新約聖書マタイ伝のペテロの言葉、「イエス言(い)ひ給(たま)ふ『まことに汝(なんじ)に告(つ)ぐ、今宵(こよひ)、鶏(にはとり)鳴(な)く前(まへ)に、なんじ三(み)たび我(われ)を否(いな)むべし』」、「爰(ここ)にペテロ盟(うけ)ひ、かつ契(ちか)ひて『我(われ)その人(ひと)を知(し)らず』と言(い)ひ出(い)づるをりしも、鶏(にはとり)鳴(な)きぬ」を想起させる。聖書を連想するのは突飛ではない、なぜなら『愛の渇き』の表紙裏には黙示録第十七章から「かくてわれ……緋色(ひいろ)の獣に乗れる女を見たり」が引用されているからだ(「緋色(ひいろ)の獣」を題名にしたいと三島は拘泥していた)。それは三島由紀夫作品集あとがきのどこか他人事のような「唯一神なき人間の幸福といふ観念を実験するために、日本が好適な風土であることを参照しつつ、希臘(ギリシヤ)神話の女性に似たものを、現代日本の風土に置いてみようと試みたものと思はれる」の回想によってラシーヌ劇に結びつくだろう。

 この最後の文章で大事なのは、「……しかし、何事もない」である。「何事もなし」という言葉が創作ノートに数ヶ所、執拗に書き残されていて、巷間伝わるところの、三島は最後の一行を決めてから書き始めるという月並みな期待にそうとともに、遺作『豊饒の海』最終巻の『天人五衰』末尾を思わす。

「これと云って奇功のない、門雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を繰(く)るような蝉の声がここを領している。 そのほかには何一つ音とてなく、寂莫(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。…… 「豊饒の海」完  昭和四十五年十一月二十五日」

 昭和四十五年の「何もない」ところへ、ちょうど二十年前の昭和二十五年、『愛の渇き』の悦子を来させていたのは、「何もない」こそが三島の生涯の通奏低音であり、「何もない」ところから「何もない」ところへ、ものごころついていらい夢の通い路を歩みつづけていたからに違いない――なるほど三島は、『豊饒の海』のつぎに、藤原定家を主人公に小説を書こうとしていて、定家こそ、「見渡せば花も紅葉もなかりけり」の作者であった。

 三島によれば、『愛の渇き』は昭和二十四年夏、関西から上京した叔母の話から、突然、物語の筋が浮かび、十月には関西地方へ取材に出掛けている。翌二十五年の早春に書きはじめ、出来上がったのは四月二十五日、六月に新潮社から刊行された。ちょうど同じ時期、のちの六世中村歌右衛門のために『中村芝翫(しかん)論』を「季刊芸術」(昭和二十四年二月)に上梓している。『愛の渇き』は『中村芝翫(しかん)論』の影の下にある。というよりも、歌舞伎役者歌右衛門を女主人公悦子に仮託した――さらには、ギリシャ神話、エウリピデスギリシャ悲劇を基としたラシーヌ悲劇のアダプテーションの試みと、当時一時的に心酔していたフランソワ・モーリヤックの心理小説の影響もある(作品集あとがき)――のが、小説『愛の渇き』といってよかろう。

 たとえば『中村芝翫(しかん)論』にこうある。

芝翫のお三輪や墨染や滝夜叉には、たおやかな悪意が内にこもって、その優柔な肉を力強く支えている。人はそれを陰性という。しかしただの陰性にこのような力はない。彼の演技の中心は、人間の理性をも麻痺させるような力強い・執拗な感性の復讐にあるように思える。」 

 悦子のことではないのか。

『愛の渇き』には、「美とナルシシスムと悪がいかに結びつき、いかに関わりあうか」(昭和三十四年『六世中村歌右衛門序説』)を小説という形式のなかで演じきる女主人公(ヒロイン)悦子がいる。

長編小説――といっても、新潮社は『仮面の告白』につづく著者第二作目の書下ろし長編と銘打って売り出したものの、三島当人は「ジャンルとしては短編小説に属するものである。主題の統一に意を須(もち)ひ、横道へ入るのを避け、挿話を避け、すべてが必然の理法に従つてカタストロフへ導かれるやうに組み立てられる必要のあるこのジャンルは、ハイゼのいふやうに戯曲に一番近いジャンルである」と回想している――に、どれほど歌右衛門の姿があるか、歌右衛門論がどのように『愛の渇き』に表象されているかをみてゆきたい。

『愛の渇き』には、「悦子は」ではじまる段落が百ほどもあって、ほぼ毎頁(ページ)ごとに現れる。あえて主語を明示しながら展開する文体は、ラシーヌ悲劇のように戯曲的に語ることと、フランス心理小説――とりわけカトリック小説家モーリヤックのボルドーを中心としたランド地方の乾いた風土を思わす文体――風の客観描写を狙ったからであろう。そのいくつもの「悦子は」を道標に読み進める。読みの道行の同行者は、歌右衛門の旅路においては渡辺保歌右衛門 名残りの花』であり、ラシーヌ劇の旅路においてはロラン・バルトラシーヌ論』である。

 

《悦子(えつこ)はその日、阪急百貨店で羊毛の靴下(くつした)を二足買った。紺のを一足。茶色を一足。質素な無地の靴下である。》

『愛の渇き』はこの文章ではじまる。しかし、読み進める前に、「愛」とはなにか、「渇き」とはなにか。題名を『愛の渇き』と認め、表紙裏の黙示録第十七章、「かくてわれ……緋色(ひいろ)の獣に乗れる女を見たり」を読めば、「悦子」という名前の、どうやら女主人公らしき人物に、「悦楽」、「悦び」から共示(コノテート)される「淫婦」を連想するのは容易であって、これは三島のありがちな計算といえよう。単純な名前を、いかにもありきたりな名前をつけること、園丁に三郎、女中に美代、という型にはまった名前をもたせることで、登場人物は読者の期待を裏切らない。それは、「類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。(中略)戦後の道徳混乱期の芸術が甚だ弱力なのは、悪のエネルギーも亦(また)分散して、悪人もまた単に個性の限界を出ないからである」(「悪のエネルギー」『歌舞伎』芸術新潮、昭和二十五年)の応用である。

 物語を一日刻みで、原稿枚数を計算しつつ――創作ノートにあらわであるが、官僚の血なのか、三島の生涯の習慣で、遺作『豊饒の海』の創作ノートにもあきらかだ――進行させたこの小説には悦子の記憶、時間が入れ子のように折り畳まれている。追憶された(誰によって?)「その日」とは、「九月廿二日から、十月廿九日の深夜にいたる約一ケ月の経過をしか持たない」物語の九月二十二日のことである。

 昭和二十四年に、阪急百貨店で羊毛の質素な無地の靴下を二つ買うことで、悦子が生きている日常世界(地方、経済、倫理)がはやくもいきいきと現出する。「紺」と「茶」はのちの二人の登場人物(若者と老人)を、あたかも中等部にあがってはじめて観劇を許された歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』大序(たいじょ)の衣装の色、「師直の我の強い黒、若狭之助の凛とした浅葱、判官の温和な玉子色」(『芸づくし忠臣蔵』関容子)のように象徴している。

 

《悦子は更紗(さらさ)の買物袋を幅広にあけた。買った靴下を袋の底へ深く蔵(しま)った。そのとき稲妻が、開け放たれた窓にはためいた。つづいて売場の硝子(ガラス)棚(だな)がかすかにわななくほどの厳(いか)めしい雷鳴があった。》

「深く蔵った」でドラマがはじまる。闇に対してさしこむ「光」はこれからいろいろな場面であらわれるが、それはこの小説がラシーヌ劇の影と光の「明暗法(テネブローゾ)」の下にあるからだ。「影は侵入しては来ない。反対なのだ。影が光によって射し貫かれ、影が浸食され、抵抗し、ついには身を任せる」(『ラシーヌ論』)。

 

《悦子は買い物袋を腕にとおした。大まかに彎曲した竹が、手首から腕をこすってずり落ちるにまかせたまま、彼女は両の掌を頬(ほお)にあてた。頬は著しく熱い。よくこういうことがある。》

 悦子の手。その手(掌)は、このあと幾度もひらひらとあらわれる。何かに触れ、火傷を負い、若者の背に爪を立て、胴に絡みつき、鍬を奪いとり、ふりあげる悦子の手。それは三島を魅了した歌右衛門の手だ。『中村芝翫(しかん)論』の「芝翫を見て、いつも印象に彫り込まれるのは、あの目づかいと、あの肩と、あの手だ。 終戦後間もない東京劇場で、幸四郎の忠信(ただのぶ)を向こうへ廻した道行(みちゆき)の静(しずか)の演技は、私に春立ち返る思いをさせた。この役でも、関(せき)の扉(と)の小町姫でも、紫ちりめんで巻いた銀杖を握る手に、芝翫の手以上にふさわしいものはあるまいと思われた。あのためらいがちに袖口からのぞいた繊細な白い手が、紫ちりめんを握るときに、それに散らすであろう白粉(おしろい)の匂いが、想像された」という艶めいた手である。

 

《悦子は出口へ近づいた。冷静を取り戻し、安心しきって、軽い目まいのするような疲労をおぼえて近づいた。彼女は傘(かさ)をもたない。外へ出ることはもうできない。……そうではない。もうその必要がなくなったのである。》

否定形「ない」で畳みかけてくる心理描写は、モーリヤックの文体の影響といってよいだろう。大阪梅田駅の出口のかたわらに立つ悦子は、「外界」と「内部」との境界で、あたかも劇場内部で踊る歌右衛門のようである。「現代というものの虚相、現代が必然的に担っている大きな暗澹たる欠如の相そのものを、代表しているように思われる。 かりに私が、昼間の銀座街頭を散策して、現代の雑多な現象に目を奪われ、人もなげな様子で腕を組んで歩く若い男女や、目つきの鋭い与太者の群や、(中略)ようやく劇場の前に達して、外光に馴れた目を一旦場内の薄闇に涵し、むこうにひろがる光りかがやく舞台の上に、たとえばそれが「娘(むすめ)道成寺(どうじょうじ)」の一幕でもあって、ただひとり踊り抜く歌右衛門の姿を突然見たとする。このとき私の感じるのは、時代からとりのこされた一人の古典的な俳優の姿ではなくて、むしろ今しがたまで耳目を占めてきた雑然たる現代の午(ひる)さがりの光景を、ここに昼の只中の夜(・・・・・・)があって、その夜の中心部で、一人の美しい俳優が、一種の呪術のごときものを施しつつ、引き絞って一点に収斂(しゅうれん)させている姿である」(『六世中村歌右衛門序説』)。この「外界」と「内面」の問題は、「現代というものの虚相、現代が必然的に担っている大きな暗澹たる欠如の相」の認識者だった三島、しかしながら「娘(むすめ)道成寺(どうじょうじ)」の一幕を「ただひとり踊り抜く歌右衛門」のようにはなれなかった三島のライト・モティーフに違いない。

 

《悦子は各駅停車の宝塚行に乗って座席に掛けた。窓外はとめどない雨である。前に立っている乗客がひろげている夕刊新聞の印刷インクの匂(にお)いが彼女を物思いからよびさました。うしろぐらい人のような動作で、彼女は自分のまわりを見まわした。何事もない。》

「何事もない」は、このさきたびたび現れる。

 二度目は枇杷の袋作りの夜のこと。『ラシーヌ論』《エロス》についての「この呪縛は常に視覚的な次元のことであり、愛するとは、見ることなのだ」のごとく、

《『あのとき私は安心した。そうだ、決して嫉妬(しっと)なんか感じはしなかった。負担を免(まぬ)かれたかすかな軽快さを感じたほどだ。……私は今度は意識的に三郎のほうを見ないように努めた。この努力は造作もなかった。……私の沈黙と私のかがみ込んだ姿勢と私の熱中とが、三郎を見ないでも、しらずしらず三郎の沈黙と姿勢とを模倣していたからには、……』 ……しかし何事もない。》

 三度目は四月十八日の花見の日。ここでもまた『ラシーヌ論』の「それは突然に生まれる。その形成はいかなる潜伏期も許さず、絶対的な事件のように出現する。それを表現するのは、常に、荒々しい定過去だ(あの人を見た(・・・・・・)とか、あの人はわたしの心に叶った(・・・・・・・・・・・・・)とか)」のように、

《……あの山(やま)行(ゆき)の一日、あの日も何事もなかった。 それから一週間のちに三郎は例年のとおり三日間の暇をもらって、四月二十六日の大祭に参列するために天理へ行った。(中略)『……そんなことはどうでもよい。 あのたった三日間の三郎の不在、あの不在が齎(もたら)した感情、あれこそは何はともあれ私にとって新しい感情だった。』〉

 四度目は三郎に靴下を与えた時。

《「あたくしに貰ったなんて誰にも言ってはだめよ」 と悦子は言った。 「はい」 と彼は答えた。そして新しい靴下をズボンのポケットへ無造作にねじこんで立去った。 「……それだけだ。何事もない。 きのうの晩から悦子の待ち望んだことはこれっぽちのことだろうか。いやそんな筈はない。彼女にとっては、この些事(さじ)は儀式のように周到に企てられ綿密に予定されたものだった。この些事を堺(さかい)として、彼女のなかで何らかの変貌(へんぼう)がおこる筈だった。(中略)……彼女はまだ肯(うべな)おうとしない。われわれが人間の目を持つかぎり、どのように眺め変えても、所詮は同じ答えが出るだけだということを。》

 五度目は祭りの日。

《悦子は髪に火がついて大声で笑っている女を見たように思う。それからは確かな記憶が辿(たど)れない。ともかく彼女は逃げ了(おお)せて、拝殿の石段の前に立っていた。目に映る空が火の粉で充たされた一刹那(せつな)を思いうかべた。(中略)群衆は今しがたの恐怖も忘れたように又ぞろぞろとそのあとをついて歩いてゆく。……何事もない。》

 そして最後は小説の最後、《深夜の鶏鳴は、相応じて、限りを知らない。それはまだつづいている。際限なくつづいている。…… ……しかし、何事もない。》

「何事もない」を感じる悦子は、そのとき三島その人となる。靴下を与えた悦子は肯おうとしなかった。では、最後の三島はどうだったというのか。

 

《悦子は姙婦(にんぷ)のような歩き方をする。誇張したけだるさの感じられる歩き方をする。》

 妊婦になったことのない女、これからも妊婦にならない女が、妊婦のような歩き方で人目に立つと、《見る人は、よほど自堕落な過去をもった女だと決めてかかった。》

 淫蕩な想像力を刺激し、悪と禍を匂わせる悦子は、実際に妊婦となる女中美代が健康的なのと対照的である。

 美代は果実のような腰の実り具合のほかに、《つつけば崩(くず)れそうなほど真赤にふくれた頬、薄い貧しい眉毛(まゆげ)、何も語ることのできない鈍感な大きな瞳(ひとみ)、つまらない鼻》と田舎娘の型で語られるのに対して、悦子はと言えば「悦子の唇はふつうよりも薄手である」だけである。しかしそれは、『中村芝翫(しかん)論』における芝翫の風貌への言及と同じといってよく、「錦絵で見る四代目岩井半四朗に似た些(いささ)か冷(れい)艶(えん)なその風貌は、歌舞伎女形の典型とは必ずしも云いがたい。傾城(けいせい)ともなればぼんじゃりした風情に欠け、町娘ともなれば目もとや鼻が気高すぎる。(中略)たとえば芝翫の赤姫は、狐のように吊り上がった目と受け口との伝統的な女形の顔とは似ていなくても、その時代にそういう役者が扮した赤姫から民衆が想像しえたような赤姫の原型へと現代のわれわれを連れてゆく。芝翫はそうした意味で古典的なのであり、また近代的なのである」のように、読み手の想像力が悦子を古典的であり、かつまた近代的な女に造形するからである。

 

《悦子は畳に坐(すわ)って帯に手をさし入れた。歩行のほてりで、帯の内側は室(むろ)のように体温が籠(こも)っている。彼女は自分の胸が汗ばんでいるのを感じた。寝汗のような密度の濃い冷(さ)めはてた汗。まわりの空気を匂(にお)わすほどに漂いながら、それ自身は冷(さ)めはてた汗である。》

 手が、歌右衛門頌としての「冷たい情熱」を探りだす。それは、『愛の渇き』刊行翌年の『新歌右衛門のこと』(昭和二十六年四月、歌舞伎座プログラム)にあきらかだ。「今度の歌右衛門の特徴というべきは、あの迸(ほとばし)るような冷たい情熱であろう。芝翫の舞台を見ていると、冷静な知力や計算のもつ冷たさではなくて、情熱それ自身の持つ冷たさが満溢(まんいつ)している。道成寺のごとき蛇身の鱗(うろこ)の冷たさがありありと感じられ、氷結した火事を見るような壮観である。芝翫の動くところ、どこにも冷たい焔がもえあがり、その焔は氷のように手を灼(や)くだろうと思われる。」

 

《悦子は不断着の名古屋帯を結びながら、机のそばへ行って、片手はうしろへ廻(まわ)して帯を押えながら、片手でものぐさらしく日記帳の頁(ページ)をめくった。するとその唇にすこし意地のわるそうな微笑がうかんできた。(中略)銅貨の裏側が表側に達しようとする努力ほど辛(つら)い苦しいものがどこにあろう。一番簡単な方法は穴のない銅貨に穴をあけてしまうことだ。それは自殺だ。》

 ねじれる動きがある。渡辺保が指摘したように、日本の踊りでもっとも大事な「ねじれの美学」は、三島においてはことさら、肉体のねじれにとどまらず、熱いのに冷たい、不幸なのに幸福である、醜いのに美しい、悪なのに善である、といった多重映像をともなう。たとえば、「この楽天的な女は、不幸というものを空想する天分に欠けていた。彼女の臆病はすべてそこから来るのだ」にみられる、ねじれにねじれたマニエリスティックな観念、アクロバティックな逆説の論理。歌右衛門の当たり芸「娘道成寺」の花子にみられる三人の女「生娘――白人(娼婦)――人妻」のように、悦子は「良人を失った女――義父に身を委ねた女――若き園丁を恋する女」の三役をくどく。

 また、貨幣の裏側と表側という比喩、三島の好きな二項対立、二律背反を形成し、「それは自殺だ」と言わしめた比喩は、三島に深く穿たれた心理だったがゆえに『中村芝翫論』にもあらわれる。「歌舞伎の芸なり型なりが盲目的に伝承されて来たのには理由がある。それはその型が正しくて絶対的なものだからとは思えない。歌舞伎の芸が純粋に演劇的なもので、見る感動と演ずる感動とが貨幣の表裏のように離れがたい近くにあって、この二つの感動をつなぐ人為的な橋がありえないからである。その橋にたよっての伝承がなく、盲目的な伝承しかありえないからである。」 これは、歌舞伎の芸の「見る感動」と「演ずる感動」を語りつつ、自身のことを、「見る三島」と「演ずる三島」の表裏の辛い苦しみを語っている。

 

《悦子は闇に次第に馴(な)れた目であたりを見廻した。弥吉はいびきもかかない。》

 この一段落前に、表層、境界、触角に関わる愛撫の現象学が記述されている。

《悦子の全身は、今もって、弥(や)吉(きち)の頑(かたく)なな節くれだった乾燥した指の触感に包まれていた。一二時間の睡眠でそれは拭(ぬぐ)い去られはしない。骸骨(がいこつ)の愛撫(あいぶ)をうけた女は、もうその愛撫からのがれることはできない。悦子の全身には、蝶(ちょう)が脱ぎ去らんとしている蛹(さなぎ)の殻(から)よりもさらに薄い、或(あ)る目に見えない絵具を塗られたあとのような、生(なま)乾(がわ)きの、透明な、皮膚の上の仮想の皮膚の感触がのこっていた。身うごきするとそれが闇のなかで一面にひびわれるさまが目に見えるようだ。》

 ここで、《さらに薄い、或(あ)る目に見えない絵具を塗られたあとのような、生(なま)乾(がわ)きの、透明な、皮膚の上の仮想の皮膚の感触》という、ミルフィーユみたいな形容詞の重層、羅列の文体を三島の悪癖とすませることは簡単であるが、レヴィナスが論じた、愛撫はけっして対象に届きえない、ことの悲喜劇的暗喩といえないか。

 愛撫の現象学、「外面」と「内部」は、「拒否」という形式を伴ってあらわれる。

《悦子は掻巻で身を鎧うて弥吉を近寄らせなかった。(中略)すべては目をつぶった悦子の周囲で、その肉体の周辺で行われるのだった。悦子にとっては、外界の出来事とは、自分の肉体の上に行われることをも包含していた。どこから悦子の外部がはじまるのか? この微妙な操作をわきまえた女の内部は、幽閉され、窒息させられ、爆発物のような潜在的な力を包むにいたった。》

 

《悦子はあの夥しい光が地上に存在することになお嫉妬を感じたのであろうか? この嫉妬の感動が、彼女の唯一(ゆいいつ)の永きにわたる感動の習癖であったために?》

《悦子はあのときこう考えたようにおぼえている。 『私は良人を焼きにゆくのではない。私の嫉妬を焼きにゆくのだ』》

『六世中村歌右衛門序説』の「われわれが歌右衛門の舞台に、真に切々たる愛恋のひらめきを感じるのが、相手役のいる場合よりも、「娘道成寺」のクドキのように、その場に相手役のいない恋慕の表現の場合に多いのは、そう考えるとふしぎではあるまい。「金閣寺」の雪姫でも、「十種香(じつしゆこう)」の狐火でも、「妹背山(いもせやま)」御殿のお三輪でも、目前にはすでに恋する人の姿はないのである」そのものである。エロス的嫉妬の情景。『ラシーヌ論』によれば、「想像力は常に過去に遡り、追憶は映像(イマージュ)の鋭さを備えている。これが、現実と非現実の交換を律する儀式上の約束である」であり、また「ラシーヌ劇の幻覚症状はいかなる場合であれ、影と光の結合を想定し――あるいは作り出す。」

 

《悦子は良人の見知らぬネクタイがふえてゆくのを見た。ある朝、良人が姿見の前へ妻を呼んで、ネクタイを結んでくれと言った。悦子は喜びと不安にかられて、指が慄(ふる)えて、ネクタイがうまく結べない。》

 まるで、『中村芝翫(しかん)論』の「妹背山(いもせやま)のお三輪がいじめの官女たちにいじめられる。裾(すそ)を乱し、身もだえし、息も絶えんばかりに見える。そのたおやかさが、今にも崩(くず)折(お)れそうな迫力を押しだす」のようであり、それはここでもまた、「悪意は常に明確で(・・・)あり、そこから人は、ラシーヌ悲劇を悪意の芸術だと言うこともできる」(『ラシーヌ論』)という見世物の下にある。

 

《悦子は狂おしく良人の笹くれ立った唇に接吻(せっぷん)した。唇は地熱にまがうたえまない熱気を吹き上げていた。悦子の唇は棘(とげ)だらけの薔薇のような、血のにじんだ良人の唇を潤(うる)おした。……良輔の顔は妻の顔の下でもがいた。》

《悦子はむさぼるようにこの悪臭と死のなかに生活した。良人はたえず失禁し、入院の翌日には血便を見た。(中略)悦子はといえば、……彼女の存在は、もはや一つの眼差、一つの凝視であった。》

 嫉妬の黒ミサのごとき乱行。嫉妬は相手の女に向かわず、裏切られた欲望の強化に向かう。『中村芝翫(しかん)論』の「妹背山(いもせやま)のお三輪がいじめの官女たちにいじめられる。裾(すそ)を乱し、身もだえし、息も絶えんばかりに見える。そのたおやかさが、今にも崩(くず)折(お)れそうな迫力を押しだす」のそれ。「合邦」、歌右衛門の玉手御前が俊徳丸に生血を飲ませようと自栽する場面を渡辺保は『歌右衛門 名残りの花』で、「夜の闇に包まれた汚い庵室のなかで、この世ならぬ血だらけの女の、化け物が世界を操っている。これは世界を呪詛(じゅそ)する密室の儀式なのではないかとさえ思った。たとえば黒ミサ。」とは、悦子ではないか。それはまた、バタイユ的な汚辱にまみれていて、「そこで「エエ未練な容赦」と大きくいった玉手が、自分で胸を切り裂こうとする瞬間である。歌右衛門はここで十分突っ込んでおそろしいエネルギーを発散した。こういう汚辱にまみれ、残酷のきわみから聖なるものがあらわれてくるのだという実感があふれている」の、この世のものではない悦子のことだ。

 

《悦子は一寸(ちょっと)ふりむいて、「まあ、御免あそばせ」と言った。 「御免あそばせ、と言うようなもんじゃあない」 大へん機嫌(きげん)のよい声音でそう呟(つぶや)きながら、つぎつぎと日めくりを破る音がきこえた。その音が途絶えた。悦子は忽(たちま)ち肩先を抱かれて、冷たい篠(しの)竹(たけ)のような手が胸もとに入ってくるのを感じた。彼女は体ですこし逆らったが、声は立てなかった。立てようとして出なかったのではなく、立てなかったのである。》

《悦子は日に焦けた三郎のしなやかな頸(くび)をじっと見戍(みまも)った。鍬をとらずにはいられない彼の内面の過剰が好もしかったのである。》

 否定交差恋愛。『ラシーヌ論』の「葛藤こそが、ラシーヌにおいては最も根底的なものであり、(中略)本質的な関係は、権力に基づく関係であり、恋はそれを啓示する役を果たすにすぎない」、「AはBに対してすべての力を持っている。AはBを愛しているが、BはAを愛していない」、「ラシーヌ演劇は、恋愛劇ではない。その主題は、一般的には恋愛関係にある情況の内部で暴力を行使することだ」のどれもが、『愛の渇き』ではないか。

 

《悦子は一帳(いっちょう)羅(ら)の矢絣(やがすり)を着ている美代のほうを見る自分の目が、われしらず険(けん)のある目になっていはしまいかと警戒した。》

「憎悪はあからさまに身体のレベルに関わり、それは他の身体に対する研ぎすまされた感情である。恋と同じく憎悪は、見ることから生まれ、見ることによって育ち、また恋と同じく憎悪は、歓喜の波を作り出す。」(『ラシーヌ論』)

 見る人、三島。見る人とは、「外界」と「内面」とを視線で結ぶ人。

 

《悦子は彼の、決して悦子のほうへは向けられていない瞳(ひとみ)にも、照り映えている篝火を見るのであった。》

 ここから、前半のクライマックスである火祭りの情景となる。

《悦子の足は、彼女の意志の羇(き)絆(はん)を離れて、このひしめき合う一団のあとを追った。(中略)三郎は悦子に気づいていなかった。たまたま彼の浅黒い肉附きの見事な背中は、おしよせる見物のほうへむけられて、その顔は叫びながら中心の獅子頭へ向かって挑んでいた。(中略)悦子の指はそれに触れたいとひたすらにねがった。どういう種類の欲望かはわからない。比喩(ひゆ)的にいうと、彼女はあの背中を深い底知れない海のように思い、そこへ身を投げたいとねがったのである。(中略)……うしろの群衆がさらに押してきたので、彼女の爪(つめ)が鋭く三郎の肉に立った。興奮から三郎は痛みも感じない。この狂おしい揉(も)み合いのなかで自分の背中を支えている女が誰であるかをも知ろうとしない。……悦子は彼の血が彼女の指のあいだに滴(したた)るのを感じた。(中略)悦子はうつむいて、膝(ひざ)の上で自分の爪をそろえて見ている。爪のひとつに既に乾いて、代赦(たいしゃ)いろになった血がこびりついている。彼女は殆(ほとん)ど無意識にその爪を唇にあてた。》

『六世中村歌右衛門序説』の次の一節が照応する。「一人の俳優の中で、美とナルシシスムと悪がいかに結びつき、いかに関わりあうか、それはおそらく俳優の天分と価値とを決定する基本的な条件である。美は存在の力である。客観性の保証である。悪は魅惑する力である。佯(いつ)わりの、人工と巧智の限りをつくして、人を魅し、憑(つ)き、天外へ拉(らつ)し去る力である。そしてナルシシスムは、彼自身のなかで、美と悪とを強引に化合させる力である。すなわち、彼自体であるところのものと、彼自体ではないもの、すなわちあらゆる外界を、他人を、他人の感動と情緒とを、一つの肉体の中に塗り込めて維持する力である。こうしてはじめて俳優は、一時代の個性になり、魂になる。私は六世歌右衛門にこの三つの要素の、間然するところのない複合体を見るのである。」

 

《悦子は答えないで、口のなかであるかなきかに「さあ」と言って、端麗な黒い目を空中に見出(みい)だした無意味な焦点にじっと据(す)えていた。》

 渡辺保は『歌右衛門 名残りの花』で、『合邦』幕切れの玉手御前を論じる。「玉手の見ている視線の先にはなにが見えているのか。無明の闇だろう。 全ての誤解が解けても、玉手の罪、宿業が消えるわけではない。彼女は確かに精一杯生きてきた。しかしたとえ彼女が聖女であったとしても、その人生が汚辱にまみれていたことは否定できない」の果てしない闇である。それはまた、「ラシーヌにおいて、目に対する物神崇拝(フェティシズム)とも呼び得るものが存在する理由も理解できる。目とは、本性上、闇に対してさし出された光である。牢獄によって翳り、涙によって曇る。ラシーヌ劇の《明暗法(テネブローゾ)》の完璧な状態とは、涙に濡れ、天を仰ぐ瞳である」(『ラシーヌ論』)の稲妻の光でもある。

 

《悦子は昼食の支度をしながら小皿(こざら)を一つ割った。また指にささやかな火傷(やけど)を負った。》

《悦子はその一つを援(たす)けおこして、立てた添木に元結(もとゆい)で結(ゆわ)えた。幸いに折れていない。指にふれた花弁のしっとりした重たさは、弥吉が自慢するだけのことはあった。》

 またしても手、そして指。のちに、とうとう悦子は掌を焼く。

《悦子は掌の皮膚を焔で焙(あぶ)っていたのである。(中略)おそれげもなく火の中をみつめ、おそれげもなく火の中へ手をさしのべていた悦子の平静さは何処から来たものだろう。あの頑固な彫塑(ちょうそ)的な平静さは。感情のさまざまな惑乱に身を委ねているこの女が、一刹那(せつな)そうしたあらゆる惑乱から自由になった。ほとんど倨傲(きょごう)なほどの平静さは。》

 それは、『歌右衛門 名残りの花』の、「歌右衛門の手数は、梅幸にくらべて倍以上細かく、あの流れるようなクネクネした踊りである。しかしそのことを認めた上で、歌右衛門の「道成寺」の、というよりも歌右衛門の踊りの独特の世界は、あのクネクネにあると私は思う。ことに手の繊細微妙な、流れるようなヒラヒラの美しさにある。あの手が空間に歌右衛門独自の世界を作った。手が踊り手の身体を語り、芸の心境を語り、忘れることの出来ない精神の光景を語った」の手である。

 

《悦子はわが耳を疑った。 彼女の顔に歓喜がかがやくさまは、まるで苦痛が漲(みなぎ)っているさまを思わせる。三郎は漸く定かに眺(なが)められる阪急電車が木の間がくれに疾駆するさまに目を奪われて、このときの悦子の表情を見なかった。もし見ていたら、彼は自分の言葉が不可解にも悦子に与えた烈(はげ)しい苦痛におどろいて、あわてて言葉を翻(ひるが)えしたにちがいない。 「愛していないって……」――と悦子は自分の喜びをゆっくりと噛(か)みしめるように言った。》

ラシーヌ的世界は、二項対立の世界であるが、そのあり方は逆説的であって、弁証法的ではない。つまり第三項が、欠けているのだ。この自動詞性を、恋の感情を表す動詞表現以上にうまく表現しているものはない。恋は、文法的に目的語をもたない状態なのだ。わたしは愛している(・・・・・・・・・)、愛していた(・・・・・)、あなたは愛している(・・・・・・・・・)、ともあれ(・・・・)、おれは愛するのだ(・・・・・・・・)、といった表現からして、ラシーヌにおいては、愛するという動詞は、本性上自動詞ではないかと思われる。」(『ラシーヌ論』)

 悦子ばかりか、『愛の渇き』の登場人物の誰もが、愛するという動詞が自動詞に他ならない。

 

《悦子は凡てをそこに立って計算した。しらずしらず弥吉の自己流の正義を信奉していた。三郎は美代を愛していないが故(ゆえ)に、美代と結婚しなければならない、と彼女は考えた。しかも偽善者の仮面に隠れて、『愛してもいない女に子供を孕(はら)ませた男の責任は、彼女と結婚することだ』という道徳的判断を、三郎に押しつけることを喜びとした。》

 ときに三島は近代的になりすぎた。六代目菊五郎を次のように評しておいて、自身が菊五郎と化す。『中村芝翫(しかん)論』の次の一節で、「観客」を「読者」、「演者」を「作者」、「菊五郎」を「三島」に置き換えてみるがよい。「「性根」はあくまで役の性根であるべきであり、俳優の性根であってはならない。菊五郎の演技はこの点で疑問を起させる。彼が政岡(まさおか)を演ずるとする。彼は政岡という役を央(なか)にして、知慮ある観客と競争をしてみせるのである。彼が見巧者(みごうしゃ)の観客に与える感動は、観客が政岡を観ることの感動ではなくて、観客自身が菊五郎に倣って政岡を演ずることの感動なのである。却(かえ)って政岡という役は観客と演者との間に介在する魂のない土偶になる。」 幸い、悦子は菊五郎ではなく歌右衛門であったが、『鏡子の家』の鏡子はそうではなかった。

 それはまた、次の文章の裏返しでもある。「「中村芝翫(しかん)論」という題名が、そもそも矛盾しているのである。私が宗十郎芝翫を好きなのは、いわゆる「宗十郎論」や「芝翫論」が不可能な役者であるからである。(中略)歌舞伎役者の才能は、分析されたり研究されたり説明されたりし得るものであっては嘘の筈である。他のものに言い直され得たり、翻案され得たりする才能は、歌舞伎役者そのものの才能ではなくて、付随的な、第二次的なものである筈である。」

 なるほど三島は女主人公「悦子」を、小説ノートに残されたように、説明、分析、計算しつつ造形をした。悦子が三郎を殺すにいたる論理の道筋が箇条書きされているにも関わらず、悦子が殺人を犯してしまう理由が不明確であると世人がなじったとしても、三島は、説明できないところにこそ、才能ある「歌舞伎役者」としての「悦子」の魅力が存在すると認識していたので、小説形式のなかで魑魅魍魎な振る舞いをさせることができたのだ。そのとき次のような感動があらわれる。「こういうといかにも難解な物言いになるが、演者の形而上形而下のあらゆる「計算」が観客の「感動」に無限の近似値をもつようになる状態、そういう状態では計算そのものが一つの感動に化身しなければならない。真の技術というものはそれ自身一つの感動なのである。」 

 

《悦子は自分自身で作った幻影にあざむかれ、彼女の強制によって三郎が心ならずも(・・・・・)美代と結婚するという倖せな事態に酔った。》

《悦子は美代が不幸になるのを、美代の不幸が黴(かび)のように生い育ってその身を蝕(むしば)むのを、時間をかけて、執拗(しつよう)に、心たのしく待っているつもりだった。》

《悦子は湯槽(ゆぶね)に身を沈めて、足の指先で栓(せん)を探した。あとは三郎と美代が入るだけである。悦子は頬(ほお)のあたりまで湯に浸し、繃帯をしていないほうの腕(かいな)をのばして湯槽の栓を抜いた。》

《悦子は喜びとも恐怖ともつかない烈(はげ)しい己(おの)れの鼓動を聞いた。自分の待っているものが禍いであろうか幸福であろうか、見分けがつかない。ともかくも待っていたものがとうとう来たのである。来るべきものが来たのである。烈(はげ)しい胸さわぎが、言うべき言葉も容易に言わせない。》

ラシーヌ論』の「恋はすでに出発点において、その目的から逸脱しており、裏切られて(・・・・・)いる。繰り返されるばかりであって、展開を見ることはない」や、「フェードルの努力のことごとくは、おのが罪過を満たすことにある。つまり、<神>を免罪することにあるのだ」を悦子は演じている。

《湯は徐々に、きわめて徐々に排水口へ流れ落ちていた。肌にふれている空気と湯の境界が、悦子の肌を舐めるように、くすぐるように、わずかずつ肩から乳房へ、乳房から腹へと下りて行った。この繊細な愛撫のあとには、ひしひしと緊縛するような肌寒さが身を包んだ。彼女の背中は今では氷のようである。湯がやや急調子に渦巻いて、腰のあたりを退いて行きつつある。…… 『これが死というものだわ。これが死だわ』》

 

《悦子は十畳の座敷の掃除がすんだかどうかを見に行った。まだ灯(あか)りの来ないがらんとした十畳は、夕明かりに委(ゆだ)ねられているさまが、索漠(さくばく)として、大きな空っぽの厩(うまや)のように思われる。三郎が一人で庭のほうを向いて箒(ほうき)を使っていた。(中略)彼女の胸は罪の思いに噛まれ、それと同等の強さの恋心に燃え立った。苦痛をとおしてはじめて悦子は素直に恋に悩んでいたのである。(中略)「あのね」と悦子が苦しげに言った。「今晩、夜中の一時にね、済まないけれど裏の葡萄畑で待っていてくれないこと? あたくし旅へ出る前に、どうしてもあなたに話したいことがあるの」》

 ラシーヌ劇には三つの悲劇的な場があるという。「奥の間」は(弥吉という)権力の棲処(すみか)。「控えの間」がここ十畳の座敷で、待つ場所、伝達の場、内部と外界の、言語の空間。最後に「外界」。「外界」は三つの空間であって、死の空間、逃走の空間、事件の空間となる葡萄畑である。

 

《悦子は、この最後の一夜に、形式上の秘密にもあれ、秘密をもちたいのだ。三郎との間に、最初で最後のものかもしれない秘密を持ちたいのだ。三郎と秘密を頒ちたいのだ。三郎がついに彼女に何一つ与えてくれぬにもせよ、彼からこの些か危険でないこともない秘密を与えてもらいたいのだ。それくらいの贈物は、是が非でも彼から要求する権利を、悦子は感じるのだ。……》

 悪魔的な悦子。女形としての悦子。『中村芝翫(しかん)論』の「狂言作者がいかほど時の支配者に阿諛(あゆ)しようとも、歌舞伎を支える根柢の力は、愚かさと悪と禍(わざわ)い、つまり何かしら悪魔的なものである。 そこに登場する女形、わけても花やかな若女形は、甘美の中に暗い恍惚を、優婉(ゆうえん)の中に物憂い陰翳(いんえい)を匂わせねばならない。その生命の根元の力が悪でなければならない」のそれ。

 

《悦子は竹藪の外れに出て、しばらく勾配(こうばい)をのぼって、葡萄畑の一劃が、月かげに隈(くま)なく見渡される樫(かし)の木かげへ来た。硝子(ガラス)のおおかた壊れた温室の入口に、三郎が腕組みをしてぼんやり立っている。(中略)悦子は近づいた。しかし物を言うことができない。》

《悦子は月光の下へ掌の傷あとをさし出した。三郎は怖いものにさわるように、反(そ)らした悦子の指さきにそっと指を触れて、またすぐ離した。》

 悦子は、『ラシーヌ論』の「最も見栄えのする動揺、すなわち悲劇に最も適した動揺は、ラシーヌ劇の人間をその生の中心、すなわちその言語において襲う動揺である。口がきけなくなることは、ある学者たちの説によれば性的な要因をもつものだとされているが、ラシーヌ劇の主人公においては、非常に頻繁に起きる。それはエロス的関係の不毛性を、その不動性を、完璧なまでに表現している」であり、三郎もまた、「ラシーヌ劇の主人公は、他者の身体を前にして正しい(・・・)[適合した]行動をとることが、ついにできない。それでは、ラシーヌ的《エロス》の幸せな時は、まったく存在しないのか。それは存在するのであり、相手の身体は、ただ影像(イマージュ)である場合にのみ幸せとなる」である。

 

《悦子は体を捩(ねじ)って、三郎の瞳を刺すように覗(のぞ)いた。 藻(も)の生い茂る暗い水のなかで、ボートの櫂(かい)が、ほかのボートの船底にぶつかるように、このとき、何枚かの衣類を隔てながら、彼の固い腕の筋肉と、悦子の胸もとの柔軟な肉とが、明瞭(めいりょう)にぶつかりあうのが感じられたのである。(中略)何故(なぜ)こうまで抵抗しているのか自分でもわからずに、悦子は抗(はむか)った。抵抗することでむしろ何かに凭(よ)りかかってでもいるように。》

 ここにいたって、いよいよ悦子は『中村芝翫(しかん)論』における丈の分身と化している。「中村芝翫の美は一種の危機感にあるのであろう。 金閣寺の雪姫が後手に縛(ばく)されたまま深く身を反らす。ほとんどその身が折れはしないかと思われるまで、戦慄的な徐(ゆる)やかさで、ますます深く身を反らす。その胸へ桜が繚乱と散りかかる。 妹背山(いもせやま)のお三輪がいじめの官女たちにいじめられる。裾(すそ)を乱し、身もだえし、息も絶えんばかりに見える。そのたおやかさが、今にも崩(くず)折(お)れそうな迫力を押しだす。 かごつるべの見染めで八ツ橋が花道へかかる。八文字(はちもんじ)を踏みはじめる合図に、男衆の肩で右手を立てて、本舞台を見込んで嫣然(えんぜん)とする。踏み出す足に華麗な衣裳がグラグラと揺れる。 こうした刹那(せつな)刹那に、芝翫のたぐいなく優柔な肉体から、ある悲劇的な光線が放たれる。それが舞台全体に、むせぶようなトレモロを漲(みなぎ)らす。妖気に似ている。墨染や滝夜叉が適(かな)うのは当然である。」 三島が歌右衛門についてもっとも書きたかった一節はこれであり、したがって近代小説の制約の中とはいえ、悦子は雪姫の、お三輪の、八ツ橋の多重映像となって、身を反らし、身もだえ、揺れて妖気を放つ。

 

《悦子は弥吉の目の中を怖れげもなく見返した。 老人の体は慄(ふる)えていた。彼は悦子の視線に耐えきれずに目を伏せた。 この弱々しい逡巡(しゅんじゅん)は悦子を激怒させた。老人の手から鍬を奪いとると、彼女のかたわらに、何も待たず、何も理解せずに呆然(ぼうぜん)と立っている三郎の肩へふりあげた。鍬のよく洗われた白い鋼(はがね)は、肩を外れて三郎の頸筋(くびすじ)を裂いた。》

《悦子は狂おしい目で弥吉を見返した。(中略)「早まることはない。考えられる処置はいくらもある。それにしても、何だって、此奴(こいつ)を殺さなくてはならなかったんだ」 「あたくしを苦しめたからですわ」 「しかしこいつに罪はない」 「罪がない! そんなことはございません。こうなったのは、あたくしを苦しめた当然の報いですの。誰もあたくしを苦しめてはいけませんの。誰もあたくしを苦しめることなぞできませんの」》

ラシーヌ論』によれば「ラシーヌ演劇は、恋愛劇ではない。恋愛関係にある情況の内部で、権力を行使することだ。」 美のくろぐろとした塊りと化す悦子。「思えば丈の女方としての決意と、現代に対する態度決定は、否定されつつ否定する者(・・・・・・・・・・・)として生きることにほかならなかった。 この否定の報復的な過程に、丈の創造のあらゆる力がこめられていた。それは現代における美の非生産性ではなく、美に対する(・・・・・)非生産性への不断の抵抗であり、おのれ自身があらゆる犠牲を払って、美のくろぐろとした塊りに化することであった。」(『六世中村歌右衛門序説』)。

 歌右衛門という存在は『愛の渇き』の悦子に仮託されているばかりか、三島由紀夫という小説家の存在意義を『六世中村歌右衛門序説』の最後の言葉で露わに示す。「現代で一つの宿命を引き受け、それを生き抜くことは、思うだに至難の業で、それだけでも敬重に値する。歌右衛門女方の宿命を身に引き受けることによって、貴重な宝石のような存在となった。不幸にして、われわれの国には、こうした宿命的芸術家は、暁天の星ほどに稀である。」

                              (了)

            ***引用または参考文献***

三島由紀夫『愛の渇き』(新潮文庫

三島由紀夫天人五衰』(新潮文庫

*『三島由紀夫全集』(『愛の渇き』、『豊饒の海』、『六世中村歌右衛門序説』、『中村芝翫(しかん)論』所収)(新潮社)

渡辺保『名残りの花』(マガジン・ハウス)

ロラン・バルトラシーヌ論』渡辺守章訳(みすず書房

*関容子『芸づくし忠臣蔵』(文藝春秋

*『舊新約聖書』(日本聖書協会

レヴィナス『全体性と無限』(岩波文庫