文学批評 「谷崎『細雪』の畳紙(たとう)の紐を解く」

  「谷崎『細雪』の畳紙(たとう)の紐を解く」

  

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細雪』を読むとは、畳紙(たとう)を紐(ひも)解いて、谷崎文学のすべてを目の前に繰りひろげることである。谷崎は美しい蒔岡姉妹の囀りのような会話を、俗っぽい間投詞まで聴きとろうと耳をそばだて、女たちの口唇から内奥へもぐりこんで、語りを官能で染めあげる。

 ロラン・バルト『記号の国』の日本をめぐるエクリチュールを読んでいると、これは『細雪』について書いているのではないかと思う文章があらわれる。たとえば「包み」という断章の、《箱の機能は、空間のなかで保護することではなく、時間のなかで延期してゆくことであるかのようだ。包装にこそ制作の(技巧の)仕事が注ぎこまれているのであるが、それゆえに品物のほうは存在感をうしなって、幻影になってゆく。包みから包みへとシニフィエは逃れ去り、ついにシニフィエをとらえたときには(包みのなかには、ささやかな何か(・・)がつねにあるのだから)、無意味で、つまらなくて、値打ちのないものであるように見える。》

 姉妹たちの生活、四季の移ろい、行事を描く文体といった包みの豪華さにひきかえ、政治、思想、形而上のことには無関心にみえ、物語は散漫で、ぐずぐずと引き延ばされる。それは、《お金と暇のある女たちに日常を子細にわたって描くこと、それ以外の高みも深みも要らない》(水村美苗『手紙、栞を添えて』)というジェーン・オースティンの世界の日本版といえよう。

 次の断章、「中心のない食べ物」はどうだろう。《日本の料理では、すべてがべつの装飾をまた装飾するものとなっている。その理由は、まず、食卓のうえでも大皿のうえでも、食べものは断片の集まりにすぎず、どの断片も、食べる順序によって優劣の序列をつけられているようには見えないからである。(中略)第二の理由は、この料理が――これこそが独自性なのだが――調理する時間と食べる時間とをただひとつの時間のなかで結びつけていることである。》

 蒔岡姉妹たちの誰も、数々のエピソードのどれも、中心(メイン)たりえない。まず、主人公はだれなのか。須賀敦子が『作品のなかの「ものがたり」と「小説」』で論じたように、雪子の「ものがたり」と妙子の「小説」がないまぜになって進行しているとはいえ、主人公は幸子であるといってもまたおかしくはない。舞台も、京阪神と東京の二点を楕円軌道でめぐってゆく。見合いは、病いは、花見は、たちどころに消費され(贔屓の鮨屋与兵(よへい)の親爺は《二番目の鮨が置かれるまでの間に、最初の鮨を食ってしまわないと、彼は御機嫌が斜めである》し、雪子の好きな「おどり鮨」は同時性そのものだ)、繰りかえされる。

 

<衣えらびに迷う>

細雪』下巻、蛍狩への序章、大垣への雪子の見合いに、東京在の鶴子をのぞく三姉妹が向かうところで、幸子の夫貞之助が三十三の厄年になる雪子のきもの姿をしげしげと見守りながら、「若いなあ」と嘆声を発した。

《二尺に余る袖丈(そでたけ)の金紗(きんしゃ)とジョウゼットの間子織(あいのこおり)のような、単衣(ひとえ)と羅物(うすもの)の間着を着ているのが、こっくりした紫地に、思い切って大柄な籠目(かごめ)崩(くず)しのところどころに、萩と撫子(なでしこ)と、白抜きの波の模様のあるもので、彼女の持っている衣装の中でも、分けて人柄に嵌(は)まっているものであったが、これは今度のことがきまると同時に東京へ電話をかけ、わざわざ客車便で取り寄せたのであった。

「若いでっしゃろ」

と、幸子も鸚鵡(おうむ)返しに云って、

「―――雪子ちゃんの年で、あれだけ派手なもん着こなせる人はあれしませんで」》

 この長編小説は衣えらびの迷いと悦びで染めあげられている。きものの悦びとは、人前に出てからのことはもちろんのこと、きものを選び、ついで帯を、それから帯揚げ、帯締めをあわせること、いやその前に長襦袢を選びかね、半襟の色柄に悩むところからはじまっている。『細雪』のきものは、雪子のたび重なる見合いのように、選びとることの理不尽、決めることの不可能性を象徴しているが、その優柔不断の迷いの時間こそが文化というものの本質であり、女たちは迷いの悦びを生理的に知っているのだ。

 この上、中、下巻からなる長編小説は、《日支事変の起る前年、即ち昭和十一年の秋に始まり、大東亜戦争勃発の年、即ち昭和十六年の春、雪子の結婚を以て終る》(谷崎松子『倚松庵の夢』)のだが、まずその幕あけから見てゆこう。

《「こいさん、頼むわ。―――」

 鏡の中で、廊下からうしろへはいって来た妙子(たえこ)を見ると、自分で襟(えり)を塗りかけていた刷毛(はけ)を渡して、そちらは見ずに、眼の前に映っている長襦袢(ながじゅばん)姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据えながら、

「雪子(ゆきこ)ちゃん下で何してる」

と、幸子(さちこ)はきいた。》

 この導入部の見事さは後述するとして、小説の最後、やっと決まった婚礼の儀式のために雪子が東京へ向かうこととなり、誂えておいた衣裳ができてくる場面はこうだ。

《小槌屋に仕立てを頼んでおいた色直しの衣裳も、同じ日に出来て届けられたが、雪子はそんなものを見ても、これが婚礼の衣裳でなかったら、と、呟(つぶや)きたくなるのであった。そういえば、昔幸子が貞之助に嫁ぐ時にも、ちっとも楽しそうな様子なんかせず、妹たちに聞かれても、嬉しいことも何ともないと云って、きょうもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき、という歌を書いて示したことがあったのを、はからずも思い浮かべていたが、下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。》

 冒頭の場面の続きだが、ピアノを聞く集りのためにめかしこもうと、顔があらかたできた幸子は「小槌(こづち)屋呉服店」と記してある畳紙(たとう)の紐(ひも)を解いて、妙子に話しかける。

《「な、こいさん、―――」

と、幸子は、引っかけてみた衣裳が気に入らないで、長襦袢の上をぱっと脱ぎすてて別な畳紙(たとう)を解きかけていたが、ひとしきり止んでいたピアノの音が階下から聞えて来たのに心付くと、また思い出したように云った。

「実はそのことで、難儀してるねん」

「そのことて、何のこと」》

 幸子の、「引っかけてみ」「ぱっと脱ぎすてて」「解きかけて」「心付くと」「思い出したように」のリズミカルな気まぐれさ、唐突な「そのこと」の一語の、相手も当然わかるはずと思いこむ女心の短絡さと可愛らしさを活写しきる文章力。「そのこと」という雪子の見合い話について会話していると当人がはいってきて、上巻第五章はまるごと帯選びとなる。

《「中姉(なかあん)ちゃん、その帯締めて行くのん」

と、姉のうしろで妙子が帯を結んでやっているのを見ると、雪子は云った。》

 これが端緒となって、「中姉(なかあん)ちゃんが息するとその袋帯がお腹のところでキュウ、キュウ、云うて鳴るねんが」の追い打ちで、女の一大事の帯えらび騒動となるのだが、谷崎は姉妹三人の性格をいきいきと書きわける。

《「そんなら、どれにしょう。―――」

 そう云うとまた箪笥(たんす)の開きをあけて、幾つかの畳紙(たとう)を引き出してはそこら辺へいっぱいに並べて解き始めたが、

「これにしなさい」

と、妙子が観世水(かんぜみず)の模様のを選び出した。

「それ、似合うやろか」

「これでええ、これでええ。―――もうこれにしとき」

 雪子と妙子とは先に着附けを終っていて、幸子だけが後れているので、妙子は子供を賺(すか)すように云いながら、またその帯を持って姉のうしろへ廻ったが、ようやく着附が出来たところで、幸子はもう一度鏡の前に坐ったかと思うと、

「あかん」

と頓狂(とんきょう)な声を出した。》

 ついには口も腰も重い雪子まで口添えしだし、

《「そんなら、あの、露芝(つゆしば)のんは」

「どうやろか、―――ちょっとあの帯捜してみて、こいさん

 三人のうちで一人洋装をしている妙子は、身軽にあちらこちらと、そこらに散らばった畳紙の中味を調べてみて、それを見つけるとまた姉のうしろへ廻った。幸子は結ばれたお太鼓の上を片手でおさえて、立ったまま二三度息をしてみて、

「今度はええらしい」

と、口に咬(くわ)えていた帯締めを取って中へ通したが、そうしてきちんと締めてしまうと、またその帯もキュウキュウ云い出した。》

 観世水とか露芝とかの模様に精しい谷崎には感心するやら、男のくせにいやらしいやら、なかでもお太鼓の上を片手でおさえて、口に咬えていた帯締めを取って中へ通すところなどは、よく観ていた、としか言いようがない。事実、松子夫人(幸子のモデル)が『倚松庵の夢』につづったように、谷崎は松子の姉妹の会話を緻密、克明にメモして、小説の美と神が宿る細部に活かしたのである。

《「何でやろ。これもやわ」

「ほんになあ、うふゝゝゝゝ」

 幸子のお腹のあたりが鳴るたびに三人がひっくり覆(かえ)って笑った。》

 しらず幸せな気分が伝播してくる。谷崎文学には笑いの場面がないという批評を読んだことがあるけれども、こと『細雪』についてならば、笑いの場面はそこかしこにある。

 そして妙子が別な帯を引っ張り出すと、幸子はこれまた微笑を禁じえないのだが、

《「あゝ忙しい。解いたり締めたり何遍もせんならん。汗掻いてしもたわ」

「阿呆(あほ)らしい、うちの方がしんどいがな」

と、妙子がうしろで膝をついて、きゅうっと締め上げながら云った。》

 中公文庫にはこの場面を描いた田村孝之介のすばらしい挿絵が添えられていて、「うしろで膝(ひざ)をついて」のほんの一行で、三人の女たちを構図化させる作家の眼の確かさを如実に示す。

《まだ鏡の前に立ってお太鼓に背負(しよ)い上げを入れさせている幸子の左の腕をとらえて》雪子が脚気(かっけ)予防のヴィタミンBの注射の針を入れると、

《「こっちも済んだで」

と、妙子が云った。

「この帯やったら、帯締めどれにしょう」

「それでええやんないか、早う、早う、―――」

「そない急からしゅう云わんといて。急かされたらなおのことかあッとしてしもて何も分らんようになるがな」》

 こうすればああなって、ああすればこうなってと頭の中がパニックとなる贅沢な悩みをこの姉妹たいは愉しんでいる。結局は妙子の「古うなって、地がくたびれてるよってに音せえへんねん」との見さだめで一件落着するのだけれども、「少し頭を働かしなさいや」の妙子の捨てぜりふによる、三人の関係性と性格描写の見事さ。

 しかしこの出立はまだ完成していない。「そのこと」の仲人口の井谷からちょうどかかってきた電話を幸子は切れず、雪子と妙子を呼んだ自動車の前で待たせている。

《そこへどたどたと足音がして、

「あ、ハンカチわすれたわ、誰か持ってきて。

ハンカチハンカチ」

と、はみ出した長襦袢の袖をそろえながら、幸子が門口(かどぐち)へ飛んで出た。

「お待ち遠さん」》

 愛しさにあふれた場面だが、《はみ出した長襦袢の袖をそろえながら》という作家の視線を見落としてはならない。いよいよ「そのこと」の当日がきて、仕度に立ちあう貞之助の姿は谷崎の化身であった。

《当日雪子は姉妹たちに手伝って貰って三時頃から拵えにかかったが、貞之助も事務所の方を早じまいにして帰って来て、化粧部屋に詰めるという張り切り方であった。貞之助は着物の柄とか、着附とか、髪かたちなどに趣味を持っていて、女たちのそういう光景を眺めることが好きなのであるが、一つにはこの連中が時間の観念を持たないことに毎度ながら懲りているので、午後六時という約束に遅れないように監督するためでもあった。》

 衣えらびに夢中な女たちに時間の観念などあるはずもなく、『細雪』は「遅延の物語」(渡部直己谷崎潤一郎 擬態の誘惑』)であるが、流れゆく時間と循環がライト・モティーフであることの徴候がここにもある。

 谷崎好みは随所に顔をのぞかせ、たとえば、《そういう雪子も、見たところ淋しい顔立ちでいながら、不思議にも着物などは花やかな友禅縮緬(ゆうぜんちりめん)の、御殿女中式のものが似合って、東京風の渋い縞物(しまもの)などはまるきり似合わないたちであった》などは、幸田文が好んだ織によるかたいきものの対極、友禅染めによるやわらかなきものが似合う女こそが谷崎好みであることを投影したものに違いなく、桜、鯛を好むといってはばからなかった谷崎らしい、ある種俗物的な、しかし正統の肯定美学の表象である。

 関西の「おんな文化」の手に負えぬ一典型(田辺聖子による中公文庫解説)と評された雪子の性格も衣えらびにあらわれる。長姉鶴子について東京へ転居している雪子が、見合いのために、蘆屋の幸子の家に出てくる。見合いを済ませ、結局は縁談を打ち切ったあとも、四月三日の関西の遅い雛の節句を済ましたら東京へ帰るといっていたのに、もう三四日で祇園の夜桜が見頃だそうだから、ということになった。

《京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまでに帰るのやら帰らないのやら、例の一向にはっきりともせずにぐずぐずしていて、結局土曜日の朝になると、幸子や妙子と同じように化粧部屋へ来てこしらえを始めた。そして、顔が出来てしまうと、東京から持って来た衣裳鞄を開けて、一番底の方に入れてあった畳紙(たとう)を出して紐(ひも)を解いたが、何と、中から現れたのは、ちゃんとそのつもりで用意して来た花見の衣裳なのであった。

「何(なん)やいな、雪姉(きあん)ちゃんあの着物持って来てたのんかいな」

と、妙子は幸子のうしろへ廻ってお太鼓を結んでやりながら、雪子がちょっと出て行った隙にそう云っておかしがった。

「雪子ちゃんは黙ってて何でも自分の思うこと徹さ措かん人やわ」

と、幸子が云った。》

 言及しておかねばならないのは、『細雪』のきものがふわふわと浮ついたものばかりではないということだ。谷崎は地方風土や社会風俗、時代背景や流行観察の手がかりとして、きものを機能させている。それは幸子が雪子の見合い相手の月給、財産といった経済状態について大阪人らしい会話(谷崎『私の見た大阪及び大阪人』)を交わし、妙子の「それ、あやしいなあ、よう調べてみんことには」で、『細雪』全編に散りばめられた調べることの悲喜劇を予告したものだけれども、他にも、渡月橋の水辺で花見する朝鮮服を着た半島の婦人たちが酔って浮かれている様子や、踊りの師匠を見舞うために訪れた天下茶屋あたりの樹木の少なさの描写や、見合いの相手たちの職業にパラダイム化された思考様式のすくいとり、白系露西亜(ロシア)人カタリナ・キリレンコによばれた食事会、チェッコ問題に直面するヒットラー独逸へ戻ってゆくシュトルツ一家との交流とシュトルツ夫人からの手紙などとともに、小説に広がりと厚みを加える。上方の富裕な家では、大正の末年頃には婚礼の儀のために三枚襲ねを調える贅をつくしていて、東京渋谷に住みはじめた鶴子からの手紙の、《しかしこちらは大阪に比べると埃(ほこり)が少く空気の清潔なことは事実にて、その証拠には着物の裾(すそ)がよごれません、こちらで十日ばかりに一つ着物を着通していましたけれども、わりに汚(よご)れませんでした》とは、大阪の埃は関西の白い土のせいであり、関東ローム層の黒い土と違って、明るく派手やかな上方好みのきものの色を映えさせもすることに通じる。上方の女が東京に出てきたとき、どんな店で買い物をしたがったかは、《午後には四人で池(いけ)の端(はた)の道明(どうみよう)、日本橋三越、海苔(のり)屋の山本、尾張町の襟円(えりえん)、平野屋、西銀座の阿波屋(あわや)を廻って歩いたが》でわかるが、しかし彼女たちは「みんな東京々々と云うけど、行ってみたいとこもあらへんなあ」と歌舞伎見物に落ちついてしまうように、上方文化を背負った女たちは東京の流行になんの憧れもなく、「東京はえらい矢絣(やがすり)が流行(はや)るねんなあ。今ジャアマンベーカリーを出てから日劇の前へ来るまでに七人も着てたわ」とどこか田舎者を観察するような口調となる。文化が骨身にしみこんでいる姉妹たちが、国民総動員を叫ぶ時代の要請にさからってどんなふうにお洒落の工夫をしていたか、法事のさいの《女たちは皆、姉が黒羽二重、幸子以下の三姉妹がそれぞれ少しずつ違う紫系統の一越縮緬(ひとこしちりめん)、お春が古代紫の紬(つむぎ)、という紋服姿であった》が語っている。戦局は日ましに悪化し、国民生活を圧迫してゆくのだけれども、『細雪』最終章は世相を織りこみつつ雪子の婚礼の準備に流れこむ。

《現に雪子の色直しの衣裳なども、七・七禁令に引っかかって新たに染めることができず、小槌屋(こづちや)に頼んで出物を捜させたような始末で、今月からはお米も通帳制度になったのであった。それに今年は菊五郎も来ず、花見は去年でさえ人目を憚ったくらいなので、なおさら遠慮しなければならなかった。》

 そうして、すでに引用した「きょうもまた衣えらびに日は暮れぬ嫁ぎゆく身のそぞろ悲しき」の、地の文にとけこんだ、うまいとはいいがたい歌が妙に胸に沁みてくる。

 

<うつす/のぞく>

 書きだしは何度読んでも素晴らしい。

《「こいさん、頼むわ。―――」

 鏡の中で、廊下からうしろへはいって来た妙子(たえこ)を見ると、自分で襟(えり)を塗りかけていた刷毛(はけ)を渡して、そちらは見ずに、眼の前に映っている長襦袢(ながじゅばん)姿の、抜き衣紋(えもん)の顔を他人の顔のように見据えながら、

「雪子(ゆきこ)ちゃん下で何してる」

と、幸子(さちこ)はきいた。》

 鏡を出入りする妙子と幸子のまなざしと声音が、読むものを脂粉ただよう化粧部屋のただなかに立たせる。「鏡の中で」からはじまって、「見ると」「見ずに」「見据えながら」と屈折しつつ、主語「幸子は」が文の最後にあらわれるという複雑な構図なのに、まるでベラスケス『ラス・メニーナス』のような臨場感と奥行きがある。なにより人を幸せにする文章だ。すぐ次の一行、「悦(えつ)ちゃんのピアノ見たげてるらしい」の声までで、もう四人の登場人物が動きだしていて、その家族構成、性格、社会階層、住居構造までわからせる。姉妹が鏡の表(おもて)に自分の顔や人の顔を見るとき、本当は何を見ているのか。鏡の前のやりとりだから、より艶っぽくなる。

《「なあ、こいさん、雪子ちゃんの話、また一つあるねんで」

「そう、―――」

 姉の襟頸(えりくび)から両肩へかけて、妙子は鮮やかな刷毛目をつけてお白粉(しろい)を引いていた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆(うずたか)く盛り上っている幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしている色つやは、三十を過ぎた人のようでもなく張りきって見える。》

 観音さまのように肉づきのよい皮膚は、「表層の美に憑かれた作家」(谷川渥『谷崎潤一郎 文学の皮膚』)谷崎の好みだ。

《先方の写真ないのんか》

 階下のピアノがまだ聞えているけはいなので、雪子が上って来そうもないと見た幸子は、

「その、一番上の右の小抽出(こひきだし)あけてごらん、―――」

と、紅棒(べにぼう)を取って、鏡の中の顔へ接吻しそうなおちょぼ口をした。》

 ついで、「B足らん」「脚気(かっけ)」「強力ベタキシン」等の語からなる病気恐怖テーマの前触れがあり、文庫本にして5ページにもみたない第一章は、部分が全体を映したうえで、人形浄瑠璃の段切のように唐突に切れる。

《ピアノの音が止んだと見て、妙子は写真を抽出に戻して、階段の降り口まで出て行ったが、降りずにそこから階下を覗(のぞ)いて、

「ちょっと、誰か」

と、声高(こわだか)に呼んだ、

「―――御寮人(ごりょうにん)さん注射しやはるで。―――注射器消毒しといてや」》

 少しとんで上巻第九章、翌日の見合いのために頭髪(あたま)を拵(こしら)える雪子と幸子は井谷の美容院にいる(折り畳まれるように、下巻第二十章では、二人は銀座資生堂の美容室でパアマネントをかけている)。

《待合室には幸子が一人いただけでほかには誰も聞いている者はなかったけれども、すぐ隣の室の間仕切りに垂れているカーテンが絞(しぼ)ってあって、雪子がその部屋の椅子にかけつつ頭からドライアーを被せられている姿が、鏡に反射して二人の方へまともに見えていた。井谷のつもりでは、ドライアーを被っているから当人に聞えるはずはないと思っているのらしいけれども、二人がしゃべっている様子は雪子の方にもよく見えていて、何を話しているのかしらんと、上眼づかいに、じっとこちらに瞳を据えているらしいので、幸子は唇の動き具合からでも推量されはしないであろうかとハラハラした。》

 三島由紀夫が指摘した谷崎の「けれども」調はさておき、いつも見られるばかりの雪子が、眼で、唇で、鏡を出入りするまなざしと声の絡みあいをほどいている。

 見合いの当日になると、学校帰りの悦子が鞄を応接間へ投げ出しておいて、「今日は姉ちゃんお婿さんに会うのんやてなあ」と化粧部屋に勢い込んではいって来る。幸子ははっとして、鏡の中の雪子の顔色がすぐに変ったのを看(み)てとった。女中のお春からそれを聞いたと知って雪子は、「悦ちゃん、下へ行ってらっしゃい」と鏡を視つめたままの姿勢で言うが、鏡には女の決意を確信に、想像を現実に変える力があるらしい。雪子はお春をしかりつけたかと思うと、女中に立ち聞きされ噂されることの辛さから《涙が一滴鏡の面に影を曳(ひ)きながら落ちた》というぐあいに、ほんの短い時間に彼女は万華鏡のように心模様を変化させるのだった。

 雪子の眼の縁のシミについて、心配しなくてよい、と書かれた婦人雑誌を当人に読ませ安心させたい妙子は、《雪子の顔にシミが濃く現れていた或る日、彼女がひとり化粧部屋で鏡に向っている時に》、「心配せんかてええねんで」と小声で言ってみたりする。ところが雪子は「ふん」と言っただけであったものの、「ふん」は肯定の「ふん」であって。その千年の文化を秘めた「ふん」のニュアンスを汲みとれないと『細雪』の快楽も汲みとれない。

 中巻第一章もまた鏡(と病い)からはじまる。しばしば鏡は映すというより覗きこまれる、鏡面が心の井戸であるかのように。

《幸子(さちこ)は去年黄疸(おうだん)を患(わずら)ってから、ときどき白眼(しろめ)の色を気にして鏡を覗(のぞ)き込む癖がついたが、あれから一年目で、今年も庭の平戸の花が盛りの時期を通り越して、よごれて来る季節になっていた。》

 その幸子が東京へ出たおりのこと、奥畑(おくばたけ)の啓坊(けいぼん)(五六年前、妙子と家出をして、「新聞の事件」を起した)から、妙子が写真家の板倉(もとこの男は奥畑貴金属商店の丁稚だった)とつきあっていると告げ口する手紙を受けとる。あれこれ思案したあげくに、《やがて、彼女は、歌舞伎座の方から橋を渡って河岸通りをこちらへ歩いてくる雪子の日傘が眼に留まると、徐(しず)かに座敷の中へはいって、自分の顔色を見るために、次の間の鏡台の前に坐った。そして紅の刷毛(はけ)を取って二三度頬の上を撫でたが》、という行為は、自分の顔色を見るというよりも、顔の輪郭に触れることで確かめるといったある種の所作であり、そうでもしなければ消入りそうな自分、消えないまでも血の気を失ってゆきそうな自分を見出したいからに違いなかった。

 あるとき、幸子と貞之助は夫婦して河口湖のホテルに泊り、「時間」を忘れる。そこで谷崎のまなざしの遠近法は、自意識のプリズムをとおして、現実世界を想像世界に封じこめる。《魔法瓶の外側のつやつやとしているのが凸面鏡の作用をなして、明るい室内にあるものが、微細な物まで玲瓏(れいろう)と影を落しているのであるが、それらが一つ一つ恐ろしく屈曲して映っているので、ちょうどこの部屋が無限に天井の高い大廣間のように見え、ベッドの上にいる幸子の映像は、無限に小さく、遠くの方に見えるのであった。》

 鏡を自在に出入りする女たちを書きたくて谷崎は、発表のあてもなく戦時中も『細雪』を書きついだのだった。

「美しき姉妹(おとどい)三人(みたり)居ならびて写真とらすなり錦帯橋の上」

 絵日記風の短歌(擬古典調の、子規におとしめられた香川景樹を好んだ谷崎らしい)に詠まれた「写真」は『細雪』のテーマのひとつである。谷崎の映画好きはつとに知られるところで、この小説にも東西の映画女優名があがり、姉妹に洋画を見て歩かせもするが、静止画(スティル)としての写真、時間とともにうつろう映像ではなく対象を瞬間として固着し、愛玩させる写真に、カメラ好きの善良さを装いつつ悪魔的いかがわしさが機能する。

 その端的なあらわれが雪子の胸のレントゲン写真だ。見合い相手から雪子が病身と思われたことに対して貞之助は、《胸に何の曇りもないところを写真で一目瞭然と》示したいからと、阪大でレントゲン写真を撮らせたのだった。しかしなによりもネガフィルムに雪子の乳房の下のあばら骨と肺を透かして見たかったのは、誰あろう貞之助当人だったのに違いない(暑さに、濃い紺色のジョウゼットを着た雪子の、肩甲骨(けんこうこつ)の透いている、骨細な肩や腕を見たことがあった)。

 貞之助のライカは姉妹たちのあとを追いかけ、ゆるゆると流れる時間から、はかない時間を盗みとっては、快楽の脳髄に「収める」。《まず廣沢の池のほとりへ行って、水に枝をさしかけた一本の桜の樹の下に、幸子、悦子、雪子、妙子、という順に列(なら)んだ姿を、遍照寺(へんじょうじ)山を背景に入れて貞之助がライカに収めた。(中略)以来彼女たちは、花時になるときっとこの池のほとりへ来、この桜の樹の下に立って水の面をみつめることを忘れず、かつその姿を写真に撮ることを怠らないのであった》というわけで、失われた時は、毎年の行事という形式によって多重映像化される。平安神宮の紅枝垂(べにしだれ)こそは花見の行事の象徴であって、《門をくぐった彼女たちは、たちまち夕空にひろがっている紅(くれない)の雲を仰ぎ見ると、皆が一様に、「あー」と感嘆の声を放った。この一瞬こそ、二日間の行事の頂点であり、この一瞬の喜びこそ、去年の春が暮れて以来一年に亘って待ちつづけていたものなのである。》 桜樹のつきたあたりから、《貞之助は、三人の姉妹や娘を先に歩かして、あとからライカを持って追いながら、(中略)いつも写す所では必ず写して行くのであったが、ここでも彼女たちの一行は、毎年いろいろ見知らぬ人に姿を撮られるのが例で、ていねいな人はわざわざその旨を申し入れて許可を求め、無躾(ぶしつけ)な人は無断で隙をうかがってシャッターを切った。》

 ライカはいくどとなく登場する、まるで貞之助や姉妹たちが贔屓(ひいき)にした六代目(菊五郎)のように。妙子の人形制作写真を一手に撮影している板倉が、妙子の舞姿を写しにやってくると、

《「こいさん、そのままじっとしてとくなさい。―――」

と、すぐ閾際(しきいぎわ)に膝(ひざ)を衝(つ)いてライカを向けた。そしてつづけざまに、前から、後ろから、右から、左から、等々五六枚シャッターを切った。》

 崇拝するかのように、膝を衝き、《前から、後ろから、右から、左から》、舐めまわすライカのレンズは、鏡がうつすことをこえて覗くものになったように、表層をうつすというよりも奥底を覗きこんで表層にうつしこむ道具、それもかなりいかがわしい道具となっている。

 その一ヶ月後、阪神地方は豪雨にみまわれる。最も被害甚大と伝わってくる住吉川東岸の洋裁学校に通う妙子を案じて、奥畑の啓坊が幸子を訪ねてきた。

《と、式台のところに伏せてあったパナマ帽の下から、慌てて奥畑は何か二た品を取り出すと、一つを手早くポッケットに入れた。一つは懐中電灯であったが、ポッケットに入れた方は確かにライカコンタックスに違いなく、こんな時にそんなものを持っているのをバツが悪いと感じたのであろう。》

 奥畑が行ってしまったあと、幸子は何を思ったか二階へ上って、板倉が《いろいろと姿態の注文を附けて、何枚も撮った》妙子の写真を眺めた。彼女は四枚ある「雪」の舞姿の中で、「心を遠き夜半(よわ)の鐘」のあとの合の手のところを撮ったものが一番好きであった。《結いつけない髪に結い、舊式な化粧を施しているせいで常とは変って見える顔つきに、持ち前の若々しさや潑剌(はつらつ)さが消えていて、実際の年齢にふさわしい年増美といったようなものが現れているのにも、一種の好感が持てるのであった。が、今から思うとちょうど一箇月前に、あの妹がこんな殊勝な恰好をしてこんな写真を撮ったということが、何だか偶然ではないような、不吉な豫感もするのであった。》

 この写真のプンクトゥム(突き刺すもの)は、ロラン・バルトのいう「それはかつてあった」という時間のふりかえりだけではなく、「それはいつかある」という豫感でもある。《持ち前の若々しさや潑剌(はつらつ)さが消えていて》には、のちに赤痢を病む妙子の肌の前兆が、「皮膚より深いものはない」という言葉のとおり、うつされていたのではないか。そして、《姉の婚礼の衣裳を着けた妹の姿に、何ということもなく感傷的にさせられて、泣きそうになって困ったことを覚えているが、この妹がいつかはこういう装いを凝らして嫁に行く光景を見たいと願っていたことも空(むな)しくなって、この写真の姿が最後の盛装になったのであろうか》にも、のちの妙子の、《この家に預けておいた荷物の中から、当座のものをひとりでこそこそと取り纏め、唐草(からくさ)の風呂敷包に括(くく)って》、バアテンダア三好との兵庫の方の二階借りの家へ行くことのアイロニカルな豫感がある。

 見せられることで不快を与えた写真も登場した。雪子はじじむさい野村との見合いの晩、家へ引っ張って行かれ、亡くなった奥さんや子供たちの写真を目にする。《あの人は写真を急いで隠しでもすることか、わざわざあれが飾ってある佛壇の前へ案内するとは何事だろう、あれを見ただけでも、とても女の繊細な心理などが理解できる人ではないと思う》と愛憎(あいそ)を尽かす。

細雪』で嫉妬するただ一人の人物、それは奥畑の啓坊に他ならず、彼によって板倉のライカが壊されてしまう事件は次のようにして起きた。妙子の舞の師匠の追善の会が大阪三越で催されることになり、こいさんの「雪」だけでも見たい、と貞之助は駈けつけるが、《見物人の最後列に立って、ライカを舞台の方に向けて、ファインダーに顔を押し着けている男のいるのが、板倉に紛れもなかった。貞之助ははっとして、先方から見つけられないうちに遠い隅の方へ逃げて来て、時々こっそり窺(うかが)うと、板倉は外套(がいとう)の襟を立てて顔を埋め、めったにキャメラから首を挙げないで、つづけざまに妙子を撮っている。》 と、貞之助は、舞が終ったとたんに、慌ててライカを小脇に挟んで急ぎ足に廊下へ出て行く板倉を認めたが、その後影を追うように出て行った紳士が奥畑であったと心付くと、貞之助もすぐあとから廊下へ出た。「………何でこいさんの写真撮った。………撮らんいう約束したやないか。………」と板倉を詰(なじ)った奥畑は、「そのキャメラ僕に貸せ。………」と言うと、《刑事が通行人を検(しら)べるように板倉の体を撫で廻して外套のボタンを外すと、上衣のポッケットへ手を挿し入れて、素早くライカを引っ張り出した。》 まるで情事の現場を取り押さえ、勃起したペニスを引っ張り出したかのようで、奥畑は、指先をがたがた顫わせながらレンズの部分をいっぱいに引き伸ばすと、コンクリートの床へ、カチンと、力任せに叩き着けて、後も見ずに行ってしまった。

 二三日後、妙子は《この間の舞姿を写真に撮っておきたいからもう一遍あの衣裳を貸してくれと云って、畳紙(たとう)の包を取り揃えて衣裳行李に入れ、それと鬘の箱と、あの時の傘とを自転車に積んで出掛けた》が、幸子が「きっとこいさん、あの荷物持って板倉の所(とこ)へ写しに行くねんで」としゃべりだすと雪子は「そんならあのライカ壊れたやろか」、「フィルムもあかんようになったのんで、撮り直すのんと違うやろか」と噂しあうが、あたかも色ごとの噂話のようではないか。

 

<形代(かたしろ)>

 妙子は、製作した人形が百貨店の陳列棚へ出るようになり、夙川(しゅくがわ)に仕事部屋を借りることから、多方面に発展する。幸子は、娘悦子の寝台と同じ高さに寝床を敷いて雪子を寝させるのは、雪子ちゃんの孤独を慰める玩具の役を悦子にさせているから、と夫に打ちあけるが、自己のさまざまな欲望を姉妹たちに投影し、自分の形代(かたしろ)としてたくみに操る人形遣いだったのではないか、とうがった見方もできる。雪子は、ある日、二階の欄干から庭の芝生で悦子と隣家シュトルツ氏の娘ローゼマリーが西洋人形で遊んでいるところを見おろしていると、ローゼマリーが「ベビーさん来ました、ベビーさん来ました」と言いながら、ママ役の人形のスカートの下から赤ん坊を取り出したので、西洋の子供も赤ん坊がお腹から生れることを知っているのだなと微笑(ほほえ)ましさを怺(こら)えてひっそりと見守る(この叙情的なシーンは、幸子の流産と妙子の死産の前触れでもある)。悦子は、飯(まま)事遊びをするのに、注射の針の使いふるしたのを持って来て、芯(しん)が藁(わら)で出来ている西洋人形の腕に注射したり、雪子が東京から帰ってくると知って、「姉ちゃんお節句にやって来やはった。お雛さんと一緒やわ」と無邪気にはしゃいだり、と人形を介して神経衰弱と紙一重の、真実を見抜く気味悪さを発揮する。

 それぞれが人形という対象に幻想を注ぐ女たちのなかで、雪子は自身もまた人形のような存在だった。大概な暑さにはきちんと帯を締めている雪子がどうにも辛抱しきれず洋服となったところを、どうかした拍子に見ることがあった(とは、しらじらしい)貞之助は、《濃い紺色のジョウゼットの下に肩甲骨の透いている、傷々しいほど痩せた、骨細な肩や腕の、ぞうっと寒気を催させる肌の色の白さを見ると、にわかに汗が引っ込むような心地もして、当人は知らぬことだけれども、端の者には確かに一種の清涼剤になる眺めだとも、思い思いした。》 そして雪子は、長姉鶴子と一緒に東京へ立ってほしいと言われて、《黙って項垂(うなだ)れたまま、裸体にされた日本人形のように両腕をだらりと側面に沿うて垂らして、寝台の下にころがっていた悦子の玩具の、フートボール用の大きなゴム毬(まり)に素足を載せながら、時々足の蹠(うら)が熱くなると毬を廻して別な所を蹈んでいた》とはまた、たくみなカメラ・アイによる見事な人形ぶりである。この透けるエロティシズムは『源氏物語』の「蜻蛉」巻の、薫大将が女一の宮の着ていた羅(うすもの)に執着したエピソードを想わせる。

 過ぎた時間がしらず積もるように、『細雪』のいくつものくりかえしのひとつとして、同じ情景が翌夏にも紡ぎだされる。《七月も二十五六日頃となると、雪子の洋服嫌いまでがとうとう我を折って、観世縒(かんぜより)で編んだ人形のような胴体にジョウゼットの服を着始めた》のだけれども、このジョウゼットという素材は、人形のようにのっぺりした身体の線を消却することでかえって想像力を刺激するのであって、裸同然のみなりのまま蜂に追われて逃げ廻った《彼女の脚気の心臓がドキドキ動悸を搏(う)っているのが、ジョウゼットの服の上から透いて見えた》という視線は、ちょうど居あわせた板倉のものなのか、作者のものなのかは「見えた」の主語がなくあいまいだが、まなざしより深い触感はない、と語ってやまない。

 この雪子の体型こそは『陰翳礼讃』における谷崎の美しい母のそれに近い。《私は母の顔と手の外、足だけはぼんやり覚えているが、胴体については記憶がない。それで想い起すのは、あの中宮寺(ちゅうぐうじ)の観世音の胴体であるが、あれこそ昔の日本の女の典型的な裸体美ではないのか。あの、紙のように薄い乳房の附いた、板のような平べったい胸、その胸よりも一層小さくくびれている腹、何の凹凸(おうとつ)もない、真っ直ぐな背筋と腰と臀(しり)の線、(中略)私はあれを見ると、人形の心棒を思いだすのである。事実、あの胴体は衣裳を着けるための棒であって、それ以外の何物でもない。》 この人形は文楽の人形をさしていて、『蓼食う虫』で文楽を視る主人公の感想に託された《元禄(げんろく)の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。(中略)昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎しみ深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があってはむしろ妨げになるかも知れない》という「永遠女性」のおもかげであった。個性的色彩を消して一層の美を見させようとした雪子なのに、個性的な妙子の恋の逃避行のせいで、無名的な雪子の名前が取り違えられるという「新聞の事件」は、だからアイロニカルに機能している。

 形代にまつわるクライマックスは妙子の出産の場面だろう。三好との死産した女の児の件りで、もっとも近代的な末娘妙子に『源氏物語』の原動力となったもののけ(・・・・)と同じ古層が働きかける呪術性、境界領域の溢れだしもまた『細雪』物語の魅力である。

《三人は次々にその赤ん坊を抱き取ってみたが、突然妙子が激しく泣き出したのにつられて、幸子も泣き、お春も泣き、三好も泣いた。まるで市松人形(いちま)のような、………と、幸子は云ったが、その蝋色(ろういろ)に透き徹った、なまめかしいまでに美しい顔を見詰めていると、板倉だの奥畑だのの恨みが取り憑(つ)いているようにも思えて、ぞっと寒気がして来るのであった。》

 さて、足フェティシズムは今さら取りあげるのも陳腐だが、『細雪』にその徴候はなさそうにみえる。けれども注意深く読みこめば、形代としての足が螺鈿のような妖しい虹色で底光りしている。

 まずは男たちが担うものからあげれば、板倉が足を切り落とすのは、かなわぬ欲望の大胆な象徴であろう。申し分ない見合い相手と思われた橋寺氏は、神戸元町のとある雑貨店で靴下を買いたいから一緒に見てくれないかと雪子を誘ったのに、彼女はモジモジして困ったような顔つきで衝(つ)っ立っているばかりなので憤然となるのだが、このささいなエピソードの小道具として、女に男の足を連想させる靴下を選ばせるところに、橋寺のありきたりな淫蕩さが臭ってくる。奥畑の啓坊は、病みあがりの妙子を見舞ったとき、片脚をすっかり縁側の閾(しきい)に載せて、まっすぐに伸ばし、新調の靴が妙子の方へよく見えるようにするのだが、この男の自意識と性格がポーズで表現されている。

 姉妹の足に移る。巻頭の「B足らん」は足の病、脚気ゆえだった。雪子の足は作家の偏執的視線に晒される。見合い相手の飲みっぷりに意を強くして、白葡萄酒に目立たぬように折々口をつけていた雪子が、《雨に濡れた足袋の端がいまだにしっとりと湿っているのが気持が悪く、酔が頭の方へばかり上って、うまい具合に陶然となって来ないのであった》の隠微に湿った触感。悦子を学校へやるために雪子が《鞐(こはぜ)も掛けずに足袋(たび)を穿(は)いたまま玄関まで送って出ると》のきらめく細部。悦子が飼っている兎の一方の耳が立たないため、《そのぷよぷよした物に手を触れるのが何となく不気味だったので、足袋を穿いている足を上げて拇(おやゆび)の股に耳の先を挟んで摘み上げた》の、微笑ましくはあっても奇妙な感覚。あまりの暑さに雪子は、《悦子の玩具の、フートボール用の大きなゴム毬に素足を載せながら、時々足の蹠が熱くなると毬を廻して別な所を蹈んでいた》の、蹈まれるゴム毬に化身したい作者の欲望。『細雪』でもっとも美しい場面は、姉妹たちの自然な仲のよさを貞之助が覗くように見てしまう情景だろう。

《ある日、夕方帰宅した彼は、幸子が見えなかったので、捜すつもりで浴室の前の六畳の部屋の襖(ふすま)を開けると、雪子が縁側に立て膝して、妙子に足の爪を剪(き)って貰っていた。

「幸子は」

と云うと、

「中姉(なかあん)ちゃん桑山さんまで行かはりました。もうすぐ帰らはりますやろ」

と、妙子が云う暇に、雪子はそっと足の甲を裾の中に入れて居ずまいを直した。貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑(くず)を、妙子がスカートの膝をつきながら一つ一つ掌(てのひら)の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、また襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた。》

 悦子もまた、《クリーム色の毛織のソックスを穿いた可愛らしい脚》、《紅いエナメルの草履》、ペーターからの小さすぎて嵌まらなかった《上質のエナメルの靴》といった描写のまわりをうろつく。

 形代ということでは髪もまたそうである。たとえば鬘(かつら)とは、仮装のための、仮託された死からなるものなのか。愛猫を剥製にした谷崎にとって、包む表層に魂が宿っていた。

《「この鬘、あたしも時々髷(まげ)に結うて被らして貰おうと思うて、こいさんと共同で拵えてん」

「よろしかったら、雪姉(きあん)ちゃんにも貸したげるわ」

「お嫁入りの時に被りなさい」

「阿呆らしい、あたしの頭に合うかいな」

 幸子が冗談を云ったのを、雪子は機嫌のいい笑顔で受けた。そう云えば彼女の頭の鉢は、毛が豊かなので見たところでは分らないけれども、飛び抜けて容積が小さいのであった。》

 鬘のエピソードは『細雪』の最後でふたたびあらわれる。妙子が死産した《赤ん坊は髪の毛をつややかに撫でつけられ、さっきの産衣を着せられているのであったが、その髪は濃く黒く、顔の色は白く、頬が紅潮を呈していて、誰が見ても一と眼であっと嘆声を挙げたくなるような児であった》、のその黒髪に形代として魂が宿ったあと、雪子が《大阪の岡米(おかよね)に誂(あつら)えておいた鬘(かつら)が出来てきたので、彼女はちょっと合わせてみてそのまま床の間に飾っておいたが、学校から帰って来た悦子がたちまちそれを見つけ、姉ちゃんの頭は小さいなあと云いながら被って、わざわざ台所へ見せに行ったりして女中たちをおかしがらせた。》

 悦子という情緒不安定な少女を一脇役にして、姉妹たちのどうということのない会話をいつまでも聴いていたい、何度でも聴きたい、と不健康なことをも健康な文体で表現し、なめらかに水平移動するカメラワークによって、感じられる時間がここにある。

 

<おぞましさ/あふれ>

 不安症と思わせる偏執的言辞の羅列をもって、『細雪』にも病名と薬名が呪文のように唱えられている。クリスティヴァ『恐怖の権力』から引用すれば、《作家とは隠喩による表現に成功した恐怖症患者であり、これによって彼は恐怖のあまり死んでしまうことなく記号のなかに宿ることができるのである》は谷崎にもあてはまる。

 妙子と女中お春は、おぞましさを産みだしつづける。暑い季節、妙子は、《汗で肌に粘(ねば)り着いた服を、皮を剥(は)ぐように頭からすっぽり抜ぎ、ブルーマー一つの素っ裸になって洗面所へ隠れたが、しばらくすると濡れ手拭で鉢巻をし、湯上り用タオルを腰に巻いて出て来て》といったぐあいで、《ひどい時は胡坐(あぐら)を掻(か)くような形をして前をはだけさせたりする。》 赤痢で寝つくと、《どんよりと底濁りのした、たるんだ顔の皮膚は、花柳病か何かの病毒が潜んでいるような色をしていて、何となく堕落した階級の女の肌を連想させた》のだが、中村眞一郎が《プルーストをして嫉妬せしめるに足る病気の妙子の描写に、限りない美しさを感じないだろうか》(『谷崎と細雪』)とした淫蕩陰影の美さえある。表層の汚れは内部からの穢れのあらわれであるから、雪子は、《妙子が入浴した後では決して風呂に入らなかったし、幸子の肌に触れたものなら下着類なども平気で借りて着る癖に、妙子のものは借りようともしなかった。》

 一方、お春の物臭(ものぐさ)は生来で、《女中部屋の押入に汚れ物がいっぱい溜るようになって、穢(きたな)くてしようがない、(中略)中から御寮人様のブルーマーが出て来たのにはびっくりした。あの人は洗濯するのが面倒臭さに、お上のものまで穿いていたのだ、(中略)始終買い食いや摘(つま)み食(ぐ)いをするので、胃を悪くしているとみえて、息の臭いのが鼻持ちがならない》などと苦情が絶えない。悦子が猩紅熱(しょうこうねつ)に罹ったときなどは、病人が食べ残した鯛の刺身をこの時とばかり貪(むさぼ)り食べるという風で、あげくは伝染も怖がらず、《悦子の手だの足だのを掴まえて、瘡蓋を剥がしては面白がっていた。お嬢ちゃん、まあ見てごらん、こんな工合に何ぼでも剥がれますねんと云いながら、瘡蓋の端を摘まんで引き剝がすと、ずるずると皮がどこまでも捲(めく)れて行く。》

 やがて、赤痢から回復した妙子を《もう、以前の彼女が持っていた性的魅力を完全に取り返していた》とする文章は、貞之助の眼とは言い切れないないように書かれているが、おぞましさ(アブジェクション)を覗き、言葉にする谷崎は、やはりクリスティヴァの《窃視症はアブジェクションのエクリチュールの同伴者である。このエクリチュールの停止は即、窃視症の倒錯化につながる》をよく認識していたからこそ、エクリチュールに人生を捧げた。

 結婚式のために夜行で上京する雪子の《下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた》で『細雪』が終るのは有名だが、豪華絢爛たる『細雪』には美と同じほどの汚穢がどろどろと垂れ流され、あふれている。

 大正期、中国エキゾチズムに惹かれた谷崎らしく、貞之助の眼に飛びこんで来た水害の景観は《水は黄色く濁った全くの泥水で、揚子江(ようすこう)のそれによく似ている。黄色い水の中に折々餡のような色をした黒いどろどろのものも交っている》と描写されるが、水害で九死に一生を得た妙子にまつわって、どろどろはあふれでる。啓坊のところで発病した妙子のところへお春が行ってみると、《昨夜からもう二三十回も下痢したそうであるが、あまり頻繁なので、起きて、椅子に摑まって、御虎子(おまる)の上へ跨(また)がったきりであった。もっともこれは、そんな恰好をしていてはよろしくない、安静に横臥して挿込便器を用いなければならぬという医師の忠告があったそうで、お春が行ってから、彼女と奥畑とで無理に説きつけて、ようよう臥かすことができたが、お春がいた間にも何回となく催した。》 お春からの待ち遠しい電話(電話もまたあれこれ不吉な事件を垂れ流す)を受けた幸子は、容態の変化が案じられ、《どんな大便をするのん、血が交(まじ)っていないのん、と云うと、少し交っているようでございます、血のほかには鼻汁のようなどろどろした白い粘(ねば)っこいものが出るばかりでございます、と云う。》 神をも怖れぬ探究心だが(谷崎は厠(かわや)をたびたび題材化している)、『源氏物語』がけしからぬ汚物で女御(にょうご)のきものの裾が汚れる桐壷の話からはじまったことを気にとめたい。

 あるときは膣や口腔からの排出となる。愛猫の鈴のお産のために獣医を呼んで陣痛促進剤を注射してもらい(医者は妙子に注射することをためらって危ないめにあわすのに、猫には簡単に注射する)、《辛うじて口もとまで出かかった胎児を、幸子と雪子で代る代る引っ張り出した。(中略)そして、二人が血腥(ちなまぐさ)い手をアルコールで消毒し、臭(におい)のついた着物を脱いで寝間着に着換え、これから寝床へはいろうとしているときであった》にみる臭覚にもうったえてくる聖俗の混沌。不意に電話のベルが鳴ったので、幸子が取ると、お春の声で、妙子が陣痛微弱で苦しんでいて独逸製の陣痛促進剤を注射してもらえずに弱っているという。手足を踠(もが)いている妙子は、《何かえたいの分らぬものを嘔吐するやらした。それは物凄(ものすご)く汚いどろどろのかたまりのようなもので、三好が看護婦から聞いたのでは、胎児の毒素が口の方へ出るのだということであったが、幸子が見ると、赤ん坊が分娩後に始めて排泄する蟹屎(かにくそ)というものに似ていた。》

 口という開口部が無意識の裂けめなのは今さらのことだが、思いかえせば『細雪』の上巻第一章で、幸子は《紅棒(べにぼう)を取って、鏡の中の顔へ接吻しそうなおちょぼ口をした》と印象づけている。とくに妙子(パロディーみたいに口唇欲動と肛門欲動の記号を垂れ流す、幼くして母を亡くした末娘)の唇は、くりかえしクローズアップされる。舞「雪」の衣装を着た妙子がちらし鮨(「中心のない食べもの」の代表)を食べる場面では、《妙子は衣装を汚(よご)さないように膝の上にナフキンをひろげて、分厚い唇の肉を一層分厚くさせつつ口をOの字に開けて、飯のかたまりを少しづつ口腔へ送り込みながら、お春に茶飲み茶碗を持たせて、一と口食べてはお茶を啜(すす)っているのであった。》 貞之助に「こいさんそんなに食べてええのんかいな」と聞かれて、「兄さん、うち、そんなに食べてえしませんねんで。口紅に触らんように少しづつ何遍も持って行くよってに、たんと食べてるみたいに見えますねん」と言いかえして、「藝者が京紅(きょうべに)着けたら、唇を唾液(つばき)で濡らさんようにいつも気イ付けてるねんて。もの食べる時かて、唇に触らんように箸で口の真ん中へ持って行かんならんよってに、舞妓(まいこ)の自分から高野(こうや)豆腐で食べ方の稽古するねん」と教える。

 しかし、口唇という外/内が境界侵犯する開孔部に、時間がたつと浄から不浄へ変化する食物を送り込む行為は、何がしかの穢れを肉体に交らせるため、腐敗を引きおこす。幸子はビフテキを食べて黄疸になる。ロシア人との会食で生牡蠣(なまがき)におびえる。鯖の血合は妙子の肝臓に膿瘍(のうよう)を起こす。なのにこの姉妹はことあるごとに、「オリエンタルのグリル奮発しんかいな」「出し巻の玉子、どうもなってへんやろか」「それよりサンドイッチが怪しいで、この方を先に開けよう」と口を動かし続け、流れだすどろどろをおぎなおうとばかりに、血と肉を所望してやまない(板倉の大腿部が脱疽(だつそ)のために切られる手術に立ち会った妙子は「当分牛肉の鹿(か)の子(こ)のとこ―――」という比喩さえ口にする)。おとなしそうな雪子(しかし田辺聖子によれば関西の女のふてぶてしさの典型)はといえば、《切り身にしてまで蝦の肉が生きてぷるぷる顫えているのを自慢にするいわゆる「おどり鮨」なるものが、鯛にも負けないくらい好きなのではあるが、動いている間は気味が悪いので、動かなくなるのを見届けてから食べるのであった》の、けっきょくはおぞましさを口腔にとりこんでしまう現実さこそ彼女の真骨頂であった。

 

<めぐり>

 おぞましさを引きたてるかのように、白が美しい。雪子の顔のシミをかえって目立たせてしまう京風厚化粧のお白粉。家族で飲みあう白葡萄酒。切り口が青貝のように底光りする白い美しい肉の色の鯛。白兎。白が零れる小手毬、梔子(くちなし)、白萩、さつまうさぎ、雪柳、平戸つつじ。いっこうに雪が降らないこの小説の細雪とは、これら白い散乱ではないか。たとえば次の場面には季節のめぐりと日常行事を背景にして、白と穢れの対比、移ろいがある。

《幸子(さちこ)は去年黄疸(おうだん)を患(わずら)ってから、ときどき白眼(しろめ)の色を気にして鏡を覗き込む癖がついたが、あれから一年目で、今年も庭の平戸の花が盛りの時期を通り越して、よごれて来る季節になっていた。或る日彼女は所在なさに、例年のように葭簀(よしず)張りの日覆(ひおお)いの出来たテラスの下で白樺の椅子(いす)にかけながら、夕暮近い前栽(せんざい)の初夏の景色を眺めていたが、ふと、去年夫に白眼の黄色いのを発見されたのがちょうど今頃であったことを思い出すと、そのまま下りて行って、あの時夫がしたように平戸の花のよごれたのを一つ一つむしり始めた。》

 住吉川と蘆屋川は氾濫し、幸子は流産したあげくにぐずぐずと出血し、雪子の見合い話はいくたびも流れ、誤った新聞記事が流布され、妙子は絞り腹になり、雪子の下痢はとうとう止まらない、というように、なにもかも流れてゆく『細雪』だが、もっとも流れてゆくのは「時間」であって、その流れゆく時間の観念において、下痢が肛門括約筋を自己統制不能におちいらせるように、姉妹たちの時間観念の括約筋も緩みきっている。『細雪』は、はじめ『三寒四温』という題名が考えられていたくらい、はてしない循環、「めぐり」の律に従っていて、無情の時の感覚は、暗黒小説(ノヴェル・ノワール)としての宇治十帖の浮舟をのみこんだ黄泉(よみ)めく不気味さを思わす。

 絵巻物としての『細雪』の雪月花は、小説の題名、雪子、舞の「雪」、毎年の欠かせない行事としての花見(年々散文化して最後はたった一行となる)、そして月の病で象徴される。『細雪』の美しいおぞましさは、母なるものに、妊娠のために内奥の子宮が準備した層が剥がれることによる経血(月のめぐり)に帰着する。陰暦のめぐりに幸福に支配されて、濃く豊かな稔りを生んでいた上巻が、ゆるゆる中巻、下巻へと流れてゆくうちに、のっぺりとして味気ない戦時の統制された禁欲の現実に日常が拡散してしまう(《菊五郎も来ず》)といった文化的悲劇がゆるみなき筆力で書きあげられている。そういった希薄さへの隠喩(メタファー)が雪子の顔のシミであった。

《雪子の左の眼の縁、―――委(くわ)しく云えば、上眼瞼(うわまぶた)の、眉毛の下のところに、ときどき微かな翳(かげ)りのようなものが現れたり引っ込んだりするようになったのは、つい最近のことなので、貞之助などもそれに気が付いたのは三月か半年ぐらい前のことでしかない。(中略)ふっと、一週間ばかりの期間、濃く現れる期間は月の病の前後であるらしいことに心づいた。》

 と、上巻では月のめぐりに重なっていたのに、下巻ともなると、

《以前は月の病(やまい)の前後に濃くなる傾向があり、大体週期的に現れるようであったのに、近頃は全く不規則になって、どういう時に濃くなるとも薄くなるとも予測が付かず、月のものとは関係がなくなったようにさえ見える。》

 というように、めぐりの喪失へ変化してしまう。

 雪子の見合いとは、写真からはじまる品定めの行事であるが、シミは商品価値のいちじるしい低下をもたらす。『細雪』は、結婚を要(かなめ)とする家族制度における未婚女という商品の、価値とフェティシズムをめぐる徴候的読み方(見えないものを見る、見そこないを見る)の宝庫でもある。

 帝国ホテルまで出てきた幸子は、その商品価値を落とすまいと、雪子の月のめぐりまで熟知しているのがわかる。《ずっとあれから続けている注射が利いて来たのであろうか、このところいいあんばいに眼の縁の翳(かげ)りが、完全に消えたとはとはいえないけれども大分薄くなっているのであるが、多分もう月の病が近づいている頃でもあるし、汽車旅行の窶(やつ)れで冴えない顔色をしているのを見ると、こういう時にはよくあのシミが濃くなることを思い合わせて、何よりこの場合雪子を疲れさせないことが第一であると考えられた。》

 そういう幸子もまた月のめぐりの下にある。有馬(ありま)温泉で病後の療養をしているある奥さんを見舞うためにバスで六甲越えをした幸子は、《その夜寝床へはいってから、急に出血を見て苦痛を訴え始めたので、櫛田医師に来診して貰ったところ、意外にも流産らしいと云う》事態におちいってしまう(のちに、妊娠五ヶ月と診断された妙子は山越しをして有馬に雲がくれさせられる)。《このところ二度ばかり月のものを見なかったので、ひょっとしたら、という豫感がしないでもなかったのであるが、何分悦子を生んでから十年近くにもなるし》といった女性器官の豫感のハズレを書きこむ谷崎(たしかに谷崎は、河野多恵子が指摘したように、小説が人生を豫感した文学者であったけれども)は、女の裂けめからあふれだす穢れに畏怖と憧憬をないまぜにしつつ臨床学的関心を隠せない。雪子の見合い前日になっても、《まだ時々少量の出血を見、臥(ね)たり起きたりしているという程度であった》の文章を皮切りに、《貞之助は朝起きるとから、出血はまだ止まらんのか、と、第一にそれを気にしていたが、午後にも早く帰って来て、どうや、出血はと、また尋ね、(中略)幸子はそう聞かれるたびに、いくらかずつ良い方で、出るものも微量になりつつあると答えてはいたものの、実は昨日の午後あたりから何度も電話口へ立ったりして体を動かしたのが障(さわ)ったらしく、今日はかえって量が殖えているのであった。》

 なめまわすように検分し、世話を焼く身はいったいどういった存在なのか。見合いがはじまってからも、《幸子はそれから化粧室へはいって行ったきり、二十分ほど姿を隠していたが、やがて一層青い顔をして戻って来た。》 支那料理屋に移ってからも、《幸子はできるだけ何気ないようにはしていたものの、トーアホテルで一回、ここへ来てから食卓に就く前に一回検(しら)べたところでは、明らかに今夕家を出てから以後出血が殖えつつあって、急に体を動かしたことが原因であるに違いなく、それに、案じていた通り、背の高い堅い食堂の椅子に腰かけているのが工合が悪く、その不愉快を怺(こら)えるのと、粗相をしてはという心配とで、じきに気分が塞いで来るのを、どうにもしようがなかった。》

 いっしょになって粗相を心配し、化粧室にまで押しかけて行きかねないブルーな女谷崎がいる。これほどに女の出血について書きつらねた小説は女性作家のものでもみたことがあるだろうかと考えているうちに、『源氏物語』の「浮舟」がそうだったと思いあたった。その現代語訳に心血を注いだ谷崎がこの古典から吸収した最大のものは、めぐり、あふれる女の生理と、物語の終り方だったのに違いない。

                                     (了)

        ***引用または参考***

ロラン・バルト『記号の国』、石川美子訳(みすず書房

・辻邦夫・水村美苗『手紙、栞を添えて』(ちくま文庫

須賀敦子『作品の中の「ものがたり」と「小説」』(河出文庫

渡部直己谷崎潤一郎 擬態の誘惑』(新潮社)

・谷川渥『谷崎潤一郎 文学の皮膚』、現代思想、1994・12月号(青土社

ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力』枝川昌雄訳(法政大学出版局

中村眞一郎『谷崎と『細雪』』、中村眞一郎評論全集(河出書房新社