文学批評 「漱石『それから』の目覚め(読書ノート)」

 「漱石『それから』の目覚め(読書ノート)」              

 

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 夏目漱石『それから』は、主人公代助の視点と内面を基調に書かれた小説であるのは間違いのないところだが、三千代という存在をどうとらえるかで様相は大きく変って来る。

 三千代は魅力のない女だという意見を見かけるのは、女性の自立性、自己主張に乏しく、受け身に思えるからだろうが、代助の見合い相手の佐川の娘(令嬢)と比較すれば、趣味の人たる教育を他ならぬ代助から受けた、恋する人にふさわしい近代的な内面の力、心理の綾を持っていたのではないか。それからの三千代がどうなったかを漱石はあえて書かなかったから、幕切れに続く三千代の時間と空間は読者に委ねられていることも含めて、気にかかる女、であったことは間違いない。

 漱石論をひととおり読み進めると、次のような前置きからはじまる批評があった。「代助の<恋>を中心にした読み方にさからって、代助と<家>との関係を中心に読んでみたら、「それから」はどのような相貌を見せてくれるだろうか。」(石原千秋『反=家族小説としての「それから」』) 

 しかし多くの『それから』論は、意外なことにも「恋」については「姦通罪」の執筆時の法律的な位置づけの解説などをするや、月並みを避けるかのように話題は「恋」、「姦通」から離れ、他のテキスト分析、テーマ批評しやすい項目、たとえば、「百合」「鈴蘭」「香り」「落下」「心臓」「血潮」「身体感覚」「ジェンダー」「同性愛」「郵便」「新聞」「電車」「金銭」「真珠の指環」「赤と青」「母の不在」「知識人」「不安」「神経衰弱」「自然」「明治という時代」「家」などに移ってしまう。

『それから』の恋、とりわけその内面に踏み込まなかった三千代の恋は、作者があえて語りすぎなかったところではあるものの、注意深く読めば、その内面が、女の恋の自覚と誘惑が、愛の質の差が、テキストそれ自体に書きこまれているのではないか。

 十八世紀を代表するルソー、カントの「自然」「倫理」に関する普遍命題から百年後、二十世紀を迎えた明治四十二年(一九〇九年)の朝日新聞に連載された『それから』は、見合い結婚と恋愛結婚が対立した(していた)日本社会を舞台に、近代小説の核心に他ならない「男と女」の「恋愛」が、漱石が執拗に書き続けた「三角関係」という欲望の巴の回転の下で悲鳴をあげる様を小説にしたものである。

 それにしても、読めば読むほど、「~だろうか」という疑問符ばかりついてまわる作品だ。小説家があえて書いていない空白や、象徴的な記号表現への、ひとりよがりで強引な解釈、読解の欲望は、可能な限り抑制して読み進めてゆこう。漱石はさすがに一本調子な語りではなく、多声的な撚糸から小説を織りあげていて、それら撚糸をほぐさずに、芯に隠れた三千代に触れることはかなわない。明治近代文学の中では稀有なことに、精神のある人間として呼吸した女によって、致命的に自覚の遅い男が、いかに目覚めさせられてゆくか、という認識のドラマとして読むことは可能であろうか。

 

  • 二十歳位の女の半身

 

<誰か慌《あわ》ただしく門前を馳《か》けて行く足音がした時、代助《だいすけ》の頭の中には、大きな俎下駄《まないたげた》が空《くう》から、ぶら下っていた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退《とおの》くに従って、すうと頭から抜け出して消えてしまった。そうして眼が覚めた。

 枕元《まくらもと》を見ると、八重の椿《つばき》が一輪畳の上に落ちている。代助は昨夕《ゆうべ》床の中で慥《たし》かにこの花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬《ゴムまり》を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更《ふ》けて、四隣《あたり》が静かな所為《せい》かとも思ったが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋《あばら》のはずれに正しく中《あた》る血の音を確かめながら眠《ねむり》に就いた。

(略)

 それから烟草《たばこ》を一本吹かしながら、五寸ばかり布団を摺《ず》り出して、畳の上の椿を取って、引っ繰り返して、鼻の先へ持って来た。口と口髭《くちひげ》と鼻の大部分が全く隠れた。烟《けむ》りは椿の弁《はなびら》と蕊《ずい》に絡《から》まって漂う程濃く出た。それを白い敷布の上に置くと、立ち上がって風呂場へ行った。

(略)

 代助はそのふっくらした頬を、両手で両三度撫《な》でながら、鏡の前にわが顔を映していた。まるで女が御白粉《おしろい》を付ける時の手付と一般であった。実際彼は必要があれば、御白粉さえ付けかねぬ程に、肉体に誇を置く人である。>

 

 小説『それから」は目覚めのシーンからはじまる。覚醒と半意識、そして眠り。プルーストフロイト漱石は知らなかったが、小説家ヘンリー・ジェームスは『黄金の盃』などを原書で読んでいて『文学論』の中で論じたり、また『明暗』の登場人物に類似性があると言われたりしているが、その兄で心理学者・哲学者、「意識の流れ』の先駆者ともいえるウィリアム・ジェームスについては英国留学中に感銘を受け、随筆『思ひ出す事』に敬愛の念を綴っている。

 題名が示すように、これは時間をめぐる小説でもある。代助の何時のまにか無意識から浮上した恋、三千代への致命的に遅くなった恋の告白は適時性の問題といえる。代助と違って、はじめから三千代は恋に気づいていた。今度こそ、代助に告白されるように、三千代は代助のもとを訪問し、あることを申し出、百合の花の香で昔を思い出させ、三千代の恋に気づかせる。小森陽一らは、三千代に策略家を発見している。

「それから」とは男女それぞれにとっていつの時点からのことなのかは多様に理解すればよいのだが、男と女の「それから」が意識の裡にあったか、半意識下であったかの違いがこの小説のアクセルとなる。

 八重の椿。落下する花。落下するイメージに囚われつづけた漱石。時間から、世間から、人生からの、死へ向かっての落下。花の落ちる音。主人公代助は音に過剰なまでに敏感だ。これらは、代助と三千代の恋の行末を暗示していて、西洋小説でいえば漱石が英国留学中に研究した『アーサー王伝説』、北欧神話『ヴァルキイル(ワルキューレ)』の筋立てに近い。

 心臓。紅。血潮。頻出する赤のイメージの魁。血潮は、この小説が、動くもの(主人公をあちこちへ向かわせる電車)、回転(三角関係という巴の回転、時計の針)で脅迫されるようにせき動かされていることの象徴である。

 椿を取って鼻の先へ持って来て、煙草の烟りを吹きかけると、弁と蕊に絡まって漂う程濃く出た、という官能的な行為と描写は、それを白い敷布の上に置くこととあいまって、漱石が恋愛における肉の臭い、行為の描写を『それから』文中で忌避宣言しているだけに興味深い。

 代助とは何者か。肌。皮膚。光沢。香油を塗り込む。黒い髪。初々しい髭。ふっくらした頬。得意な身体感覚。鏡の前にわが顔を映してみとれる。まるで女が御白粉を付ける時の手付と一緒なことにみる、代助の両性具有的な女性性。代助という主人公のアイロニカルな貴族的位置づけ(父、兄に代表される台頭してきたブルジョアへの反感)でもある。

 

<「歯切れのわるい返事なので、門野はもう立ってしまった。そうして端書と郵便を持って来た。端書は、今日二時東京着、ただちに表面へ投宿、取敢えず御報、明日午前会いたし、と薄墨の走り書の簡単極るもので、表に裏神保町《じんぼうちょう》の宿屋の名と平岡常次郎《ひらおかつねじろう》という差出人の姓名が、表と同じ乱暴さ加減で書いてある。

「もう来たのか、昨日着いたんだな」と独り言の様に云いながら、封書の方を取り上げると、これは親爺《おやじ》の手蹟《て》である。>

 

 郵便がこの小説をはじめら終りまで動かし続ける。まず、葉書と封書が同時に届く。小説の最後には赤い郵便ポストが狂気のようにあらわれる。葉書は三千代の夫、平岡が上京してきた知らせであり、封書は父からの呼び出しだった。

 郵便によってもたらされた二つの話が、このあと蝮のように絡みあう。忘れることはできなかったが忘れていた、とも表現しうる三千代の登場による恋愛結婚と、父の催促と嫂の肉薄による見合い結婚という対立する二つの車輪を原動力として。

 

<落椿《おちつばき》も何所《どこ》かへ掃き出されてしまった。代助は花瓶《かへい》の右手にある組み重ねの書棚の前へ行って、上に載せた重い写真帖《ちょう》を取り上げて、立ちながら、金の留金を外して、一枚二枚と繰り始めたが、中頃まで来てぴたりと手を留めた。其所《そこ》には二十歳《はたち》位の女の半身がある。代助は眼を俯《ふ》せて凝《じっ》と女の顔を見詰めていた。>

 

 目覚めの小説は、追想の小説でもある。漱石プルーストを知らなくとも、『失われた時を求めて』で、話者が傾倒したジョン・ラスキンラスキンの本を読んでのヴェネチア詣で、広場の敷石によって無意識的回想がひきおこされる)は読んでいて、影響の濃い作品は『草枕』『文学論』だったが、さきのジェームスとともに、無意志的回想への関心を持ち合わせていたはずだ。

 眼を俯せて凝と女の顔を見詰めていた、に代表される凝視の最初のあらわれ。神経症を思わすまでに音、匂いに敏感であるとともに、眼の描写、凝視の小説でもあって、小説の最後では幻覚的なクライマックスを迎えるのだが、そこにいたる病理的テキストと読めないこともない。

 美しい眼を持った三千代は、百合の花と銀杏返しと真珠の指環で代助の記憶を刺激し、彼の自覚されていない恋を目覚めさせたのだった。

 

  • 君はもう奥さんを持ったろうか

 

<「細君はまだ貰《もら》わないのかい」

 代助は心持赤い顔をしたが、すぐ尋常一般の極めて平凡な調子になった。

「妻《さい》を貰ったら、君の所へ通知位する筈《はず》じゃないか。それよりか君の」と云いかけて、ぴたりと已《や》めた。

(略)

 一年の後平岡は結婚した。同時に、自分の勤めている銀行の、京坂《けいはん》地方のある支店詰になった。代助は、出立《しゅったつ》の当時、新夫婦を新橋の停車場《ステーション》に送って、愉快そうに、直《じき》帰って来給《きたま》えと平岡の手を握った。平岡は、仕方がない、当分辛抱するさと打遣《うっちゃ》る様に云ったが、その眼鏡の裏には得意の色が羨《うらや》ましい位動いた。それを見た時、代助は急にこの友達を憎らしく思った。

(略)

 それでも、ある事情があって、平岡の事はまるで忘れる訳には行《ゆ》かなかった。時々思い出す。そうして今頃はどうして暮しているだろうと、色々に想像してみる事がある。然《しか》しただ思い出すだけで、別段問い合せたり聞き合せたりする程に、気を揉む勇気も必要もなく、今日まで過して来た所へ、二週間前に突然平岡からの書信が届いたのである。

(略)

「子供は惜しい事をしたね」

「うん。可哀想《かわいそう》な事をした。その節は又御叮嚀《ていねい》に難有う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かった」

「その後はどうだい。まだ後は出来ないか」

「うん、未《ま》だにも何にも、もう駄目だろう。身体《からだ》があんまり好くないものだからね」

「こんなに動く時は子供のない方が却って便利で可いかも知れない」

「それもそうさ。一層《いっそ》君の様に一人身なら、猶《なお》の事、気楽で可いかも知れない」

「一人身になるさ」

「冗談云ってら――それよりか、妻《さい》が頻《しき》りに、君はもう奥さんを持ったろうか、未だだろうかって気にしていたぜ」>

 

 思わせぶりな言葉の断片がクレッシェンドのように度々あらわれる。「それよりか君の」と言いかけてやめる心理はどこから来て、この時点でどこまで三千代への思いは自覚されていたのか。『それから』は自覚の文学、自覚の現象学でもある。

 終局に向かって代助は嫉妬しない。恋は嫉妬に後押しされたのではないかのように、あくまで論理的考察による三千代への愛の申し出のようにみえるが、三年前の新橋の停車場《ステーション》の場面には、憎しみという嫉妬があからさまに表出されている。

忘れる訳には行かないある事情という謎かけ、その時はっと思った、の後に説明をしないという小説的技法を漱石はよく心得ていた。

 色々に想像し、然しただ思い出すだけというのは、その女を、その恋を忘却していたということであり、忘れることがなければ人は恋で死んでしまう。

 別れぎわになってようやく代助は、三千代のこと、子供のことを会話する。別れ際でなくては話せないという代助の性格、平岡との現在の人間関係の変化をみせたあとの、「未だにも何にも、もう駄目だろう。身体があんまり好くないものだからね」は、平岡と三千代の夫婦間に性生活がなくなっていることを暗示している。「こんなに動く時は子供のない方が却って便利で可いかも知れない」、「一人身になるさ」と代助は未来を予告するかのようにノー天気に言い放ったが、わかっていたのか、幼稚なのか。

「それよりか、妻が頻りに、君はもう奥さんを持ったろうか、未だだろうかって気にしていたぜ」と平岡の口から聞かせることで、代助の意識下で自然に青い炎が揺らがせるとともに、読者にもまた、まだ見ぬ三千代の姿と、このさきの物語を想像させてやまない。

 

  • 自分の拵えた因縁

 

<「佐川にそんな娘があったのかな。僕も些《ち》っとも知らなかった」

「御貰《おもらい》なさいよ」

「賛成なんですか」

「賛成ですとも。因縁つきじゃありませんか」

「先祖の拵《こし》らえた因縁よりも、まだ自分の拵えた因縁で貰う方が貰い好《い》い様だな」

「おや、そんなものがあるの」

 代助は苦笑して答えなかった。>

 

 嫂に、先祖の拵らえた因縁よりも、まだ自分の拵えた因縁で貰う方が貰い好い様だな、と仄めかし、苦笑する高等遊民の代助は、誰かに自分の恋を語りたくて仕方がない、という恋する人のモードに入りつつある。

 早くも、制度に対する自然、というテーマがあらわれる。

 連載小説で培った、次も買わせて読ませる技術で、章の末尾は浄瑠璃の「をくり」のように、閉じつつも開かれて、読者を離さない。

 

  • 少し御願があって上がったの

 

<代助は机の上の書物を伏せると立ち上がった。縁側の硝子戸《ガラスど》を細目に開けた間から暖かい陽気な風が吹き込んで来た。そうして鉢植のアマランスの赤い弁《はなびら》をふらふらと揺《うご》かした。日は大きな花の上に落ちている。代助は曲《こご》んで、花の中を覗《のぞ》き込んだ。やがて、ひょろ長い雄蕊《ゆうずい》の頂きから、花粉を取って、雌蕊《しずい》の先へ持って来て、丹念に塗り付けた。>

 

 アマランス(アマランサス)は和語でヒユ科の葉鶏頭とされるが、ここでの描写からはアマリリスのことではないかという説もある。花の中を覗き込み、ひょろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取って、雌蕊の先へ持って来て、丹念に塗り付けた、という隠微なイメージを、代助が三千代を訪ねる直前にさりげなく持ってくる漱石の抑圧されたいやらしさ。

 

<代助の方から神保町の宿を訪ねた事が二返あるが、一度は留守であった。一度は居《お》ったには居った。が、洋服を着たまま、部屋の敷居の上に立って、何か急《せわ》しい調子で、細君を極《き》め付けていた。――案内なしに廊下を伝って、平岡の部屋の横へ出た代助には、突然ながら、たしかにそう取れた。その時平岡は一寸《ちょっと》振り向いて、やあ君かと云った。その顔にも容子《ようす》にも、少しも快よさそうな所は見えなかった。部屋の内《なか》から顔を出した細君は代助を見て、蒼白《あおじろ》い頬をぽっと赤くした。代助は何となく席に就き悪《にく》くなった。まあ這入れと申し訳に云うのを聞き流して、いや別段用じゃない。どうしているかと思って一寸来てみただけだ。出掛けるなら一所に出ようと、此方《こっち》から誘う様にして表へ出てしまった。>

 

 急しい調子で、極め付けられていた三千代は、おそらく三年ぶりに代助を見て蒼白い頬をぽっと赤くしたが、自分から表へ出てしまう代助は何から逃れようとしているのか。まだ三千代と何も起こって居ないにもかかわらず、さきを見通して罪の意識が芽生えているというのか。

 三千代の心理は、<5章>のダヌンチオによる赤/青論をあてはめたような、赤くなったり蒼くなったりする顔色の変化でしかうかがえないが、代助が出ていった後のそれからの三千代の心境の記述は、空白であるだけに読み手の想像力をいかようにも羽ばたかせる。

 

<平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面《ほそおもえて》に眉毛《まみえ》の判然《はっきり》映る女である。一寸見ると何所《どこ》となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似ている。帰京後は色光沢《つや》がことに可《よ》くないようだ。始めて旅宿で逢った時、代助は少し驚いた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思って、聞いてみたら、そうじゃない、始終こうなんだと云われた時は、気の毒になった。

 三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はじき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、とかく具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶらぶらしていたが、どうしても、はかばかしく癒《なお》らないので、仕舞に医者に見て貰《もら》ったら、能《よ》くは分らないが、ことに依《よ》ると何とかいうむずかしい名の心臓病かも知れないと云った。もしそうだとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しずつ、後戻りをする難症だから、根治は覚束《おぼつか》ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来るだけ養生に手を尽した所為《せい》か、一年ばかりするうちに、好《い》い案排《あんばい》に、元気がめっきりよくなった。色光沢も殆《ほと》んど元の様に冴々《さえざえ》して見える日が多いので、当人も喜こんでいると、帰る一カ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為《ため》ではない。心臓は、それ程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなっていない。弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないという診断であった。――これは三千代が直《じか》に代助に話した所である。代助はその時三千代の顔を見て、やっぱり何か心配の為じゃないかしらと思った。

 三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼《ふたえまぶた》を持っている。眼の恰好は細長い方であるが、瞳《ひとみ》を据えて凝《じっ》と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助はこれを黒眼の働らきと判断していた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代のこう云う眼遣《めづかい》を見た。そうして今でも善く覚えている。三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、顔の輪廓《りんかく》が、まだ出来上らないうちに、この黒い、湿《うる》んだ様に暈《ぼか》された眼が、ぽっと出て来る。>

 

 色白、黒髪、細面、判然とした眉毛、何所となく淋しい感じ、古版の浮世絵に似ている、とは漱石の中の江戸趣味が分ろうというもの。

 色光沢《つや》、顔色に拘り続ける代助。心臓から流れ出る血、血色、心臓の弁の不調は三千代の身体と心の不調、循環の滞りを意味する。それを三千代が直に代助に話すというのは、身体と心の不安を告知して何かを求めているととれないこともない。

 二重瞼の眼の格好は日本的に細長く、瞳を据えて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える眼遣、その黒い、湿んだ様に暈された眼はたしかに魅力的だ。今でも善く覚えている、三千代の顔を頭の中に浮べようとすると、ぽっと出て来るという、記憶に働きかける三千代の眼こそが、それからにおける恋の目覚めの鋭利な武器であろう。これほどに眼を美しく表現した文章は日本文学にそうはないだろう。愛情にあふれた文章は、具体的な誰かの眼を思い浮かべて描いたかのようだ。

 

<廊下伝いに座敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。そうして奇麗な手を膝《ひざ》の上に畳《かさ》ねた。下にした手にも指輪を穿《は》めている。上にした手にも指輪を穿めている。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛った当世風のもので、三年前《ぜん》結婚の御祝として代助から贈られたものである。

 三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思わず瞬《またたき》を一つした。

(略)

 代助は両手を頭の後へ持って行って、指と指を組み合せて三千代を見た。三千代はこごんで帯の間から小さな時計を出した。代助が真珠の指輪をこの女に贈ものにする時、平岡はこの時計を妻に買って遣《や》ったのである。代助は、一つ店で別々の品物を買った後、平岡と連れ立って其所《そこ》の敷居を跨《また》ぎながら互に顔を見合せて笑った事を記憶している。

(略)

「実は私《わたくし》少し御願があって上がったの」

 疳《かん》の鋭どい代助は、三千代の言葉を聞くや否や、すぐその用事の何であるかを悟った。実は平岡が東京へ着いた時から、いつかこの問題に出逢う事だろうと思って、半意識《はんいしき》の下で覚悟していたのである。

「何ですか、遠慮なく仰《おっ》しゃい」

「少し御金の工面が出来なくって?」

 三千代の言葉はまるで子供の様に無邪気であるけれども、両方の頬はやっぱり赤くなっている。代助は、この女にこんな気耻《きは》ずかしい思いをさせる、平岡の今の境遇を、甚だ気の毒に思った。>

 

 上にした手の大きな真珠の指環。下にした手にも指環を穿めている。隠すような下の手の指環は誰からのものなのか語られることはないが、下であることに、いや代助からの真珠の指輪がこれ見よがしに代助に見せつけられたことに意味がある。意味を語らないことに意味があるとはいえ、ここはわかりやすすぎる。

 代助は三千代の例の眼を認めて思わず瞬を一つするとは、初心な、幼稚な代助であって、そもそもこれは代助という男の、明治と言う時代の男たちの小児性を書いた小説なのかもしれない。

 代助が真珠の指輪を贈ったその時、結婚相手の平岡は永遠不変の指環ではなく移ろう時をしるす時計を贈っている。普通は逆であるから、予兆の行事ということになる。しかもこれを奇妙に感じない当事者たち三人であったと、いささか月並みな解釈もできる。<十一章>で代助が自分を測りがたき変化を受ける人であると認識していることで、指環と時計の意味合いがよりアイロニカルとなる。

 明治の小説によくある、しかし考えるまでもなく江戸の浄瑠璃、歌舞伎もそうであったように、金銭の貸し借りが原動力となった物語でもある。

 贈与は、指環、金銭だけではないことがこのさき証明される。結婚を纏める周旋は、姦通は、贈与なのか、交換なのか、はたまた、賃貸なのか。契約はどうなのか。物なのか。

 半意識の下で覚悟していた代助は、鋭い男だから三千代との賃貸のさきのそれからも覚悟していなくてはおかしいが、漱石はじわりじわりと小説に映す。 

 金を工面するのは常に女である。金銭の授受をするのも女である。女を通して男は金を受け取る。あるいは、男には内緒で、かげから渡される。男の知らない授受はなんども行われるだろう。代助もまた父と兄に内緒に嫂から受け取り、三千代に渡るだろう。

 

  • 手拭を姉さん被りにして

 

<平岡は驚ろいた様に代助を見た。その眼が血ばしっている。二三日能《よ》く眠らない所為《せい》だと云う。三千代は仰山《ぎょうさん》なものの云い方だと云って笑った。代助は気の毒にも思ったが、又安心もした。留めるのを外へ出て、飯を食って、髪を刈って、九段の上へ一寸寄って、又帰りに新宅へ行ってみた。三千代は手拭を姉《ねえ》さん被りにして、友禅の長襦袢《ながじゅばん》をさらりと出して、襷《たすき》がけで荷物の世話を焼いていた。旅宿で世話をしてくれたと云う下女も来ている。平岡は縁側で行李《こり》の紐《ひも》を解いていたが、代助を見て、笑いながら、少し手伝わないかと云った。

(略)

 実を云うと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依《よ》って、枕《まくら》の傍へ置いた袂《たもと》時計が、大変大きな音を出す。それが気になったので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。その音を聞きながら、つい、うとうとする間に、凡ての外の意識は、全く暗窖《あんこう》の裡《うち》に降下した。が、ただ独り夜を縫うミシンの針だけが刻み足に頭の中を断えず通っていた事を自覚していた。ところがその音が何時かりんりんという虫の音に変って、奇麗な玄関の傍《わき》の植込《うえご》みの奥で鳴いている様になった。――代助は昨夕の夢を此所《ここ》まで辿《たど》って来て、睡眠と覚醒との間を繋《つな》ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。>

 

 平岡と三千代が引っ越しの片づけをするのを見に来た代助は、手拭を姉さん被りにして、友禅の長襦袢をさらりと出して、襷がけで荷物の世話を焼いていた三千代に刺激されたのか、帰りが遅くなる。赤坂で芸者買をして帰宅が遅くなったようだ。「学校を出た時少々芸者買をし過ぎて、その尻を兄になすり付けた覚はある」という、ちょうど平岡と三千代が結婚した時期に、し過ぎた芸者買の記憶が、「夫婦」を見せつけられて蘇ったからではないのか。「肉の臭い」は書かれていないだけに、気づいてしまえば、より湿度の高いものとなる。

 帰って来てからも寝つかれない神経質な男の、睡眠と覚醒と夢をつなぐプルースト的な意識下の恋が手繰り寄せられてゆく。

 

  • 少し胡麻化していらっしゃる様よ

 

<代助は露西亜《ロシア》文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。仏蘭西《フランス》文学に出てくる不安を、有夫姦《ゆうふかん》の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表される以太利《イタリー》文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安と云う側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物《とうぶつ》の様に見傚《みな》した。

(略)

 代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでいる。今日は紅茶茶碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢《ぜいたく》の結果ああ云う悪戯《いたずら》をしても無理とは思えないが、「煤烟」の主人公に至っては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所《あすこ》まで押して行くには、全く情愛の力でなくっちゃ出来る筈《はず》のものでない。ところが、要吉という人物にも、朋子《ともこ》という女にも、誠の愛で、已《や》むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であろうと考えると、代助は不審である。ああいう境遇に居て、ああ云う事を断行し得る主人公は、恐らく不安じゃあるまい。これを断行するに躊躇《ちゅうちょ》する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があって然るべき筈だ。>

 

「姦通」といわず「有夫姦」という。不安の比較文学論的な類別化とは、硬い『文学論』をもとに不人気な講義をした漱石らしい。

 森田草平は、漱石の推薦で『煤烟』を朝日新聞に連載し、文壇デビューとなった漱石一門の人である。代助が「煤烟」評で指摘した「肉の臭い」を、「誠の愛」、「内面の力」、「不安」を、他ならぬ朝日新聞の直後に連載した『それから』で作者漱石が実演してみせるというアイロニカルな姿勢は、文学から文学を作り出す態度、ある種の枠入り小説、ハイジャック小説、パロディーといえる。

 漱石は、代助を不安の人として心理小説を書いたが、三千代という女の不安は、内面に踏み込まず、顔色、心臓の具合、喉の渇き、といった生理上の身体現象でしか書かなかった。

 

<其所《そこ》へ三千代が出て来た。先達《せんだっ》てはと、軽く代助に挨拶《あいさつ》をして、手に持った赤いフランネルのくるくると巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。

「何ですか、それは」

「赤ん坊《ぼ》の着物なの。拵えたまま、つい、まだ、解《ほど》かずにあったのを、今行李の底を見たら有ったから、出して来たんです」と云いながら、附紐《つけひも》を解いて筒袖を左右に開いた。

「こら」

「まだ、そんなものを仕舞っといたのか。早く壊して雑巾にでもしてしまえ」

 三千代は小供の着物を膝《ひざ》の上に乗せたまま、返事もせずしばらく俯向《うつむ》いて眺めていたが、

「貴方《あなた》のと同じに拵えたのよ」と云って夫の方を見た。

「これか」

 平岡は絣《かすり》の袷《あわせ》の下へ、ネルを重ねて、素肌に着ていた。

「これはもう不可《いか》ん。暑くて駄目だ」>

 

 三千代の姿を探し求めている代助。軽く挨拶する三千代。手に持った赤いフランネルのくるくると巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、夫平岡ではなく、代助に見せるのは三千代の無邪気さなのか。

 平岡は、三千代が死んだ子供のために拵えていた着物と同じ赤いフランネルを着ていたことを知らなかったという夫婦の関係。

 

<代助は一寸《ちょっと》息を継いだ。そうして、一寸窮屈そうに控えている三千代の方を見て、御世辞を遣った。

「三千代さん。どうです、私の考は。随分呑気《のんき》で宜《い》いでしょう。賛成しませんか」

「何だか厭世《えんせい》の様な呑気の様な妙なのね。私《わたし》よく分らないわ。けれども、少し胡麻化《ごまか》していらっしゃる様よ」

「へええ。何処《どこ》ん所を」

「何処ん所って、ねえ貴方」と三千代は夫を見た。平岡は股《もも》の上へ肱《ひじ》を乗せて、肱の上へ顎《あご》を載せて黙っていたが、何にも云わずに盃を代助の前に出した。代助も黙って受けた。三千代は又酌をした。>

 

 三千代は、「何だか厭世の様な呑気の様な妙なのね。私よく分らないわ。けれども、少し胡麻化していらっしゃる様よ」と応える。胡麻化しているのは三千代への思いではないか、と暗に指摘したわけでもないだろうが、本心が発露したのかもしれない。

 酌をする、窮屈そうな三千代。会話をとおした三人の関係。平岡・三千代・代助。第三者に欲せられることで恋の欲望が燃えあがるという三角関係の特徴が欠けていると早合点してはいけない。平岡が存在すること、ただそれだけで、第三者が所有していることで、代助の欲望はたらりたらりと油を注がれるのだ。

 

  • 詩や小説と同じように

 

<代助は其所へ能く遊びに行った。始めて三千代に逢《あ》った時、三千代はただ御辞儀をしただけで引込んでしまった。代助は上野の森を評して帰って来た。二返《へん》行っても、三返行っても、三千代はただ御茶を持って出るだけであった。その癖狭い家《うち》だから、隣の室《へや》にいるより外はなかった。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がいて、自分の話を聴いているという自覚を去る訳に行《ゆ》かなかった。

 三千代と口を利《き》き出したのは、どんな機会《はずみ》であったか、今では代助の記憶に残っていない。残っていない程、瑣末《さまつ》な尋常の出来事から起ったのだろう。詩や小説に厭《あ》いた代助には、それが却《かえ》って面白かった。けれども一旦口を利き出してからは、やっぱり詩や小説と同じ様に、二人はすぐ心安くなってしまった。

(略)

 四人《よったり》はこの関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母と云うのが、田舎から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊っていた。この母は年に一二度ずつは上京して、子供の家に五六日《ごろくんち》寐起《ねおき》する例になっていたんだが、その時は帰る前日から熱が出だして、全く動けなくなった。それが一週間の後窒扶斯《チフス》と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為附添として一所に病院に移った。病人の経過は、一時稍《やや》佳良であったが、中途からぶり返して、とうとう死んでしまった。そればかりではない。窒扶斯が、見舞に来た兄に伝染して、これも程なく亡《な》くなった。国にはただ父親が一人残った。

 それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かった代助とも平岡とも知り合になった。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々に訪ねて、暇乞《いとまごい》旁《かたがた》礼を述べた。

 その年の秋、平岡は三千代と結婚した。そうしてその間に立ったものは代助であった。尤《もっと》も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連なって貰《もら》ったのだが、身体を動かして、三千代の方を纏《まと》めたものは代助であった。>

 

 ひととおりの、菅沼、平岡、三千代、代助のいきさつの紹介である。「男・男・男・女」の四人が、一人欠けて、「男・男・女」あるいは「男・女・男」の巴となって、巴の回転は、電車のように登場人物をどこかへ運んで行ってしまう。

 三千代の兄菅沼と話しながら代助は、隣の室の三千代の存在を意識しつづけていた。三千代と口を利き出した機会は代助の記憶に残っていないが、瑣末な尋常の出来事から起ったらしい。詩や小説に厭いた代助には、それが却って面白く、口を利き出してからは、詩や小説と同じ様に、すぐ心安くなってしまった。代助も三千代も詩や小説と現実の区別がつきかねていて、それこそが気づかぬ恋だったのかもしれない。

 三千代は母と兄をほぼ同時に失い、その秋、三千代と平岡の間に立って結婚を纏めたのは代助だった。纏める行為は平岡への三千代の贈与とも言えるが、贈与ならばいったんは代助の所有でなければならないから、そうでない以上は、内心の独りよがりの、あるいは自覚しきれていない身勝手な贈与にすぎない。

 

  • 私が悪いんです

 

<平岡の玄関の沓脱《くつぬぎ》には女の穿《は》く重ね草履が脱ぎ棄ててあった。格子《こうし》を開けると、奥の方から三千代が裾《すそ》を鳴らして出て来た。その時上り口の二畳は殆んど暗かった。三千代はその暗い中に坐って挨拶《あいさつ》をした。始めは誰が来たのか、よく分らなかったらしかったが、代助の声を聞くや否や、何方《どなた》かと思ったら……と寧ろ低い声で云った。代助は判然《はっきり》見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた。

 平岡は不在であった。それを聞いた時、代助は話してい易《やす》い様な、又話してい悪《にく》い様な変な気がした。けれども三千代の方は常の通り落ち付いていた。洋燈《ランプ》も点《つ》けないで、暗い室《へや》を閉《た》て切ったまま二人で坐っていた。三千代は下女も留守だと云った。自分も先刻《さっき》其所《そこ》まで用達《ようたし》に出て、今帰って夕食《ゆうめし》を済ましたばかりだと云った。やがて平岡の話が出た。

(略)

 代助は平岡の今苦しめられているのも、その起りは、性質《たち》の悪い金を借り始めたのが転々して祟《たた》っているんだと云う事を聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通っていたのだが、三千代が産後心臓が悪くなって、ぶらぶらし出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、それ程烈《はげ》しくもなかったので、三千代はただ交際《つきあい》上已《やむ》を得ないんだろうと諦《あきら》めていたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度《ほうず》が無くなるばかりなので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩《ほうとう》が猶募る。不親切なんじゃない。私が悪いんですと三千代はわざわざ断わった。けれども又淋しい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞ可《よ》かったろうと、つくづく考えた事もありましたと自白した。

 代助は経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方《こっち》から問うのを控えた。帰りがけに、

「そんなに弱っちゃ不可《いけ》ない。昔の様に元気に御成んなさい。そうして些《ちっ》と遊びに御出《おいで》なさい」と勇気をつけた。

「本当《ほんと》ね」と三千代は笑った。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。平岡はとうとう帰って来なかった。>

 

 誰が来たのか、よく分らなかったらしかったが、代助の声を聞くや否や、何方かと思ったら……と低い声で言う三千代の姿を、はっきり見えないのに常よりは美しく眺めた代助は、すでに恋の幻想(イリュージョン)の中にいるのではないか。

 平岡は不在だった。というより、平岡の不在を、意識的にしろ、無意識にしろ、望んでいたのかもしれない。

 洋燈《ランプ》も点けないで、暗い室を閉て切ったまま二人で坐っている。聞かれもしないのに、三千代は下女も留守だと言った。

 平岡の話がでるときは、つねに経済問題となり、賃貸関係に到る。

 私が悪いんです、とわざわざ断わる三千代。淋しい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞ可かったろうと、自ら告げる女を愛しく感じないでいられようか。

 互の昔を互の顔の上に認め、代助は三千代に、三千代は代助に昔の出来事を思い出させ、そうして三千代は代助の意識下の感情を浮き上がらせるのだった。

 

<代助は鋏《はさみ》を持って縁に出た。そうしてその葉を折れ込んだ手前から、剪《き》って棄てた。時に厚い切り口が、急に煮染《にじ》む様に見えて、しばらく眺めているうちに、ぽたりと縁に音がした。切口に集ったのは緑色の濃い重い汁であった。代助はその香《におい》を嗅《か》ごうと思って、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ。縁側の滴《したたり》はそのままにして置いた。立ち上がって、袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出して、鋏の刃を拭《ふ》いている所へ、門野が平岡さんが御出ですと報《しら》せて来たのである。代助はその時平岡の事も三千代の事も、まるで頭の中に考えていなかった。只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調の下《もと》に動いていた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えてしまった。そうして、何だか逢いたくない様な気持がした。

(略)

 三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。それを当時に悔《くゆ》る様な薄弱な頭脳ではなかった。今日に至って振り返ってみても、自分の所作は、過去を照らす鮮かな名誉であった。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人《ににん》の前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、ちらりちらりと何故《なぜ》三千代を貰ったかと思うようになった。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云う声を聞いた。>

 

 君子蘭の折れ込んだ葉を剪って棄て、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ代助が、その時平岡の事も三千代の事も、まるで頭の中に考えておらず、比較的世間に関係のない情調の下に動いていたというが、この情調とは何のことなのか説明はなく、言い訳のように書かれることでかえって無意識のうちに平岡、もしくは夫婦関係を剪って棄てたいという欲望を仄めかす。

 そうして平岡は、「ちらりちらりと何故三千代を貰ったかと思うようになった」と、漱石はこれまで入り込んでいなかった平岡の心情をあっさりと作者の特権で書いてしまう。ついで「代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云う声を聞いた」と追いかける。ときに漱石は、うだうだねちねち書き連ねていたかと思うと、物語の神輿を江戸っ子らしく一気に揉む。

 

  • 財産が欲しくはないか

 

<代助は次に、独立の出来るだけの財産が欲しくはないかと聞かれた。代助は無論欲しいと答えた。すると、父が、では佐川の娘を貰《もら》ったら好かろうと云う条件を付けた。その財産は佐川の娘が持って来るのか、又は父がくれるのか甚だ曖昧であった。代助は少しその点に向って進んでみたが、遂《つい》に要領を得なかった。けれども、それを突き留める必要がないと考えて已めた。

 次に、一層《いっそ》洋行する気はないかと云われた。代助は好いでしょうと云って賛成した。けれども、これにも、やっぱり結婚が先決問題として出て来た。

「そんなに佐川の娘を貰う必要があるんですか」と代助が仕舞に聞いた。すると父の顔が赤くなった。>

 

 漱石は英国留学中にジェーン・オースティンの『高慢と偏見』『分別と多感』『エマ』マンスフィールド・パーク』を読んで、のちの『文学論』で『高慢と偏見』第一章を取り上げ、何気ない夫婦の会話が「夫婦の全生涯を一幅のうちに縮写し得たる」意味深いもの、写実の泰斗と絶賛した。なるほど『それから』における平岡と三千代の何気ない会話で夫婦の三年間を縮写するところに活かされている。オースティン小説の、一族で正しい結婚を探すというテーマが、父、兄、嫂によって繰り広げられる、日本風土版でもある。

 

  • 何時からこの花が御嫌になったの

 

<代助は大きな鉢へ水を張って、その中に真白な鈴蘭《すずらん》を茎ごと漬けた。簇《むら》がる細かい花が、濃い模様の縁《ふち》を隠した。鉢を動かすと、花が零《こぼ》れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。そうして、その傍に枕《まくら》を置いて仰向けに倒れた。黒い頭が丁度鉢の陰になって、花から出る香《におい》が、好い具合に鼻に通《かよ》った。代助はその香《におい》を嗅《か》ぎながら仮寐《うたたね》をした。>

 

 鈴蘭。英語で”lily of valley”。花の香が好きな男は仮寝によって世間から遠ざかろうとする。鈴蘭を浸した水の下に寝るのは、あたかも花を浮かべた青い水底に横たわる女、オフェーリアのようだ。

失われた時を求めて』で、コンブレーの家のてっぺんのアイリスの香るトイレで、密かな悦楽に耽る少年のごとく。

 

<「どうかしましたか」と聞いた。

 三千代は何にも答えずに室《へや》の中に這入て来た。セルの単衣《ひとえ》の下に襦袢《じゅばん》を重ねて、手に大きな白い百合《ゆり》の花を三本ばかり提げていた。その百合をいきなり洋卓《テーブル》の上に投げる様に置いて、その横にある椅子へ腰を卸した。そうして、結ったばかりの銀杏返《いちょうがえし》を、構わず、椅子の脊に押し付けて、

「ああ苦しかった」と云いながら、代助の方を見て笑った。代助は手を叩いて水を取り寄せようとした。三千代は黙って洋卓の上を指した。其所には代助の食後の嗽《うがい》をする硝子《ガラス》の洋盃《コップ》があった。中に水が二口ばかり残っていた。

「奇麗なんでしょう」と三千代が聞いた。

「此奴《こいつ》は先刻《さっき》僕が飲んだんだから」と云って、洋盃を取り上げたが、躊躇《ちゅうちょ》した。代助の坐っている所から、水を棄てようとすると、障子の外に硝子戸が一枚邪魔をしている。

(略)

 三千代は例《いつも》の通り落ち付いた調子で、

「難有《ありがと》う。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だったから」と答えて、鈴蘭の漬けてある鉢を顧みた。代助はこの大鉢の中に水を八分目程張って置いた。妻楊枝《つまようじ》位な細い茎の薄青い色が、水の中に揃《そろ》っている間から、陶器《やきもの》の模様が仄《ほの》かに浮いて見えた。

「何故《なぜ》あんなものを飲んだんですか」と代助は呆《あき》れて聞いた。

「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持った洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。

「毒でないったって、もし二日も三日も経《た》った水だったらどうするんです」

「いえ、先刻《さっき》来た時、あの傍まで顔を持って行って嗅《か》いでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、桶《おけ》から移したばかりだって、あの方が云ったんですもの。大丈夫だわ。好い香《におい》ね」

 代助は黙って椅子へ腰を卸した。果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかった。よし前者とした所で、詩を衒《てら》って、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかったからである。>

 

 手にした大きな三本の白百合を投げるように洋卓の上に置く三千代。結ったばかりの銀杏返しは、この日のためであるのだが、構わず、椅子の脊に押し付けられた。

代助の飲みかけの水を飲もうとする三千代、無意識のようにそれを躊躇し、棄てようとする代助。 

 鈴蘭を沈めた鉢の水を飲んでしまった三千代は、あたかも鈴蘭の花に化身したかのようであるばかりか、「だって毒じゃないでしょう」と手に持った洋盃を代助の前へ出して透かして見せた、とは媚薬を飲みほしてしまったイゾルデのようだ。

 代助は三千代の行為の意味を直感してしまう、だからこそ、詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出ず、前者とした所で、詩を衒って、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかったからである。すでに二人は、西洋の恋愛文学を通じて恋愛の相手を見出そうとしているのであって、<十三章>で西洋の小説の男女の情話の露骨さ、放肆さ、濃厚さを批判するにも関わらず、この情話はなかなかなものなのが漱石の危険そうでないのに危険な魅力かもしれない。

<七章>に代助が実家の欄間に描かせたヴァルキイル(ワルキューレ)の画をつくづく眺める場面がでてくるが、北欧神話ヴァルキイルでは百合と指環が重要な役割を果たしていることが隠されている。『それから』は文学ばかりでなく、絵画、歌舞伎劇とも、決して声高ではないがポリフォニックに響きあう芸術小説となっている。

 

 <「この花はどうしたんです。買て来たんですか」と聞いた。三千代は黙って首肯《うなず》いた。そうして、

「好い香《におい》でしょう」と云って、自分の鼻を、弁《はなびら》の傍《そば》まで持って来て、ふんと嗅《か》いで見せた。代助は思わず足を真直に踏ん張って、身を後の方へ反《そ》らした。

「そう傍で嗅いじゃ不可《いけ》ない」

「あら何故」

「何故って理由もないんだが、不可ない」

 代助は少し眉《まゆ》をひそめた。三千代は顔をもとの位地に戻した。

「貴方、この花、御嫌《おきらい》なの?」

(略)

「僕にくれたのか。そんなら早く活《い》けよう」と云いながら、すぐ先刻《さっき》の大鉢の中に投げ込んだ。茎が長すぎるので、根が水を跳ねて、飛び出しそうになる。代助は滴《したた》る茎を又鉢から抜いた。そうして洋卓《テーブル》の引出から西洋鋏《はさみ》を出して、ぷつりぷつりと半分程の長さに剪《き》り詰めた。そうして、大きな花を、鈴蘭の簇《むら》がる上に浮かした。

「さあこれで好い」と代助は鋏を洋卓の上に置いた。三千代はこの不思議に無作法に活けられた百合を、しばらく見ていたが、突然、

「あなた、何時《いつ》からこの花が御嫌になったの」と妙な質問をかけた。

 昔し三千代の兄がまだ生きていた時分、ある日何かのはずみに、長い百合を買って、代助が谷中《やなか》の家を訪ねた事があった。その時彼は三千代に危《あや》しげな花瓶《はないけ》の掃除をさして、自分で、大事そうに買って来た花を活けて、三千代にも、三千代の兄にも、床へ向直って眺めさした事があった。三千代はそれを覚えていたのである。

「貴方だって、鼻を着けて嗅いでいらしったじゃありませんか」と云った。代助はそんな事があった様にも思って、仕方なしに苦笑した。>

 

「好い香でしょう」と自分の鼻を、弁の傍まで持って来て、ふんと嗅いで見せると、思わず足を真直に踏ん張って、身を後の方へ反らし、「そう傍で嗅いじゃ不可ない」と注意し、「あら何故」と聞かれても、「何故って理由もないんだが、不可ない」と反応した代助には、自覚していないからこその動物的な怖れがある。

 代助が百合の茎が長すぎるので、半分程の長さに剪り詰め、大きな花を、鈴蘭の簇がる上に浮かすと、三千代は突然、「あなた、何時からこの花が御嫌になったの」と質問をかける。

 三千代は、兄が生きていた時分の二人を思い出して欲しいと、百合を持参したのだった。その昔、危しげな花瓶に、長いまま活けられた百合が、いまは半分に切断されて、横たわる死体のようである。まるで記憶を葬るかのような、媚薬のような妖しいにおいを忌避するかのような、あたかも三千代という存在を葬るかのような、危しげな花瓶がイメージさせた疼きが、「貴方だって、鼻を着けて嗅いでいらしったじゃありませんか」と責めるような声となる。

 

<そのうち雨は益《ますます》深くなった。家を包んで遠い音が聴えた。門野が出て来て、少し寒い様ですな、硝子戸を閉めましょうかと聞いた。硝子戸を引く間、二人は顔を揃えて庭の方を見ていた。青い木の葉が悉《ことごと》く濡れて、静かな湿り気が、硝子越に代助の頭に吹き込んで来た。世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ち付いた様に見えた。代助は久し振りで吾に返った心持がした。

「好《い》い雨ですね」と云った。

「些《ちっ》とも好《よ》かないわ、私《わたし》、草履を穿《は》いて来たんですもの」

 三千代は寧ろ恨めしそうに樋から洩《も》る雨点《あまだれ》を眺めた。

「帰りには車を云い付けて上げるから可《い》いでしょう。緩《ゆっく》りなさい」

 三千代はあまり緩り出来そうな様子も見えなかった。まともに、代助の方を見て、

「貴方《あなた》も相変らず呑気《のんき》な事を仰《おっ》しゃるのね」と窘《たしな》めた。けれどもその眼元には笑の影が泛《うか》んでいた。

 (略)

「どうせ貴方に上げたんだから、どう使ったって、誰も何とも云う訳はないでしょう。役にさえ立てばそれで好いじゃありませんか」と代助は慰めた。そうして貴方という字をことさらに重くかつ緩く響かせた。三千代はただ、

「私、それで漸く安心したわ」と云っただけであった。

 雨が頻《しきり》なので、帰るときには約束通り車を雇った。寒いので、セルの上へ男の羽織を着せようとしたら、三千代は笑って着なかった。>

 

 閉じ込められた雨の室内で恋の話をすることは『源氏物語』の『雨夜の品定め』のように妖しい物語りに人を導きがちだ。青い木の葉が悉く濡れ、世の中の浮いているものは残らず大地の上に落ちる、青と落下の世界。

「好い雨ですね」と言う男に、「些とも好かないわ、私、草履を穿いて来たんですもの」と恨めしそうに樋から洩る雨点を眺める三千代は、ずっと現実的である。男は夢みるようで、だから女は「貴方も相変らず呑気な事を仰しゃるのね」と窘めた。自覚をそれとなく促しているのに、代助は鈍感だ。

 今まで三千代の陰に隠れてぼんやりしていた平岡の顔が、代助の心の瞳に映って、急に薄暗がりから物に襲われた様な気がするが、ここには嫉妬ではなく不安がある。はじめから代助は三千代の黒い影を欲望していて、三千代がそれに応え、欲望の三角形は不安によって形成される。

 二人だけの昼間の逢瀬のあと、セルの上に男の羽織を着せようとする代助の心理をどう理解すべきか。平岡のことをなんとも思っていないのか、なにもやましいところはないということからか。兄菅沼との同性愛感情が不意に蘇ったからという説はにわかには信じがたい。代助という外界の刺激には鋭い男の、他者意識の乏しさ、無意識の偽善が、優しくも奇妙な行為にあらわれている。

 三千代は笑って着なかった。代助が発した「貴方」という音に三千代は、代助と夫との現在の距離を確信したからに違いない。

 

<十一章> 突然三千代の姿が浮んだ

 

<実を云うと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍逢《あ》っていた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取った時であった。それには、第一に着京以来御世話になって難有《ありがた》いと云う礼が述べてあった。それから、――その後色々朋友《ほうゆう》や先輩の尽力を辱《かたじけの》うしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣ってみたい様な気がする。然《しか》し着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断では宜《よろ》しくあるまいと思って、一応御相談をすると云う意味が後に書いてあった。代助は、その当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、そのままにして、断わりもせず今日まで放って置いた。ので、その返事を促されたのだと受取った。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡過ぎると云う考もあったので、翌日出向いて行って、色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念してくれる様に頼んだ。平岡はその時、僕も大方そうだろうと思っていたと云って、妙な眼をして三千代の方を見た。

 いま一遍は、愈《いよいよ》新聞の方が極まったから、一晩緩り君と飲みたい。何日《いくか》に来てくれという平岡の端書が着いた時、折悪《あし》く差支《さしつかえ》が出来たからと云って散歩の序《ついで》に断わりに寄ったのである。その時平岡は座敷の真中に引繰り返って寐ていた。昨夕《ゆうべ》どこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと云って、赤い眼をしきりに摩《こす》った。代助を見て、突然、人間はどうしても君の様に独身でなけりゃ仕事は出来ない。僕も一人なら満洲《まんしゅう》へでも亜米利加《アメリカ》へでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。>

 

 色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念してくれる様に頼むと、平岡はその時、僕も大方そうだろうと思っていたといって、妙な眼をして三千代の方を見た。

 人間はどうしても君の様に独身でなけりゃ仕事は出来ない、僕も一人なら満洲へでも亜米利加へでも行くんだがと妻帯の不便を平岡が鳴らしたとき、三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。

 経済的、階層的に落ちて行きつつも、どうにか踏みとどまる男のステレオタイプ平岡のすさみつつある会話を、あからさまに、またはそれとなく聞かされる三千代の心境は、慣れてしまっていただろうとはいえ、雨の日の百合の「それから」の後では、いかばかりだったことか。読者の同情も買うように漱石は書いているのである。

 

幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人は盥《たらい》で酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであった。梅子はそれを聞くたんびに笑っていた。代助は不図二三日《にさんち》前新聞で見た、ある文学者の劇評を思い出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでいるので、楽に見物が出来ないと書いてあった。代助はその時、役者の立場から考えて、何もそんな人に見て貰う必要はあるまいと思った。作者に云うべき小言を、役者の方へ持ってくるのは、近松の作を知るために、越路《こしじ》の浄瑠璃《じょうるり》が聴きたいと云う愚物と同じ事だと云って門野に話した。門野は依然として、そんなもんでしょうかなと云っていた。

 小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であった。そうして舞台に於《お》ける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用いべきものと狭義に解釈していた。だから梅子とは大いに話が合った。時々顔を見合して、黒人《くろうと》の様な批評を加えて、互に感心していた。けれども、大体に於て、舞台にはもう厭《あき》が来ていた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方《あっち》を見たり、此方《こっち》を見たりしていた。双眼鏡の向う所には芸者が沢山いた。そのあるものは、先方《むこう》でも眼鏡の先を此方へ向けていた。

 代助の右隣には自分と同年輩の男が丸髷《まるまげ》に結《い》った美くしい細君を連れて来ていた。代助はその細君の横顔を見て、自分の近付のある芸者によく似ていると思った。>

 

 漱石は劇評『明治座の所感を虚子君に問れて』および『虚子君に』で、この劇評家と同じような所感を書いているので、さきの『煤烟』と同じ入れ子構造という英国風ユーモアであるが、二十世紀文学でボルヘスが完成した、評論と小説の境界の曖昧な文学をさきどりしていたともいえる。

 観劇した演目は、「盥で酒を飲む」とすれば有名な『当時今桔梗旗揚《ときはいまききょうのはたあげ》』の「馬盥《ばだらい》」の場、「何故坊さんが急に大将になれるんだ」となれば『絵本太功記』の十段目「尼ヶ崎閑居」の場(俗に言う「太十《たいじゅう》」)が思い浮かぶが、どちらも光秀の謀反を題材としたものであって、『それから』の代助もまた、父に、兄に、余の掟に謀反を起こしたのだった。

 歌舞伎座に連れて来られていた美しい細君は丸髷だった、意味ありげな銀杏返しではなかった。

 

<代助はたった一人反対の赤坂行へ這入った。

 車の中では、眠くて寐《ね》られない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにも拘《かか》わらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜を恣《ほしいまま》にする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、交《かわ》る交《がわ》る痕《あと》を残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるか慥《たし》かに解《わか》らなかった。彼は眼を眠《ねむ》って、家へ帰ったら、又ウイスキーの力を借りようと覚悟した。

 彼はこの取り留めのない花やかな色調の反照として、三千代の事を思い出さざるを得なかった。そうして其所にわが安住の地を見出《みいだ》した様な気がした。けれどもその安住の地は、明らかには、彼の眼に映じて出なかった。ただ、かれの心の調子全体で、それを認めただけであった。従って彼は三千代の顔や、容子《ようす》や、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分を一纏《ひとまとめ》にしたものを、わが情調にしっくり合う対象として、発見したに過ぎなかった。

(略)

その真理から出立《しゅったつ》して、都会的生活を送る凡《すべ》ての男女《なんにょ》は、両性間の引力《アットラクション》に於《おい》て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対《いっつい》は、双方ともに、流俗に所謂《いわゆる》不義《インフィデリチ》の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞《な》めなければならない事になった。代助は、感受性の尤《もっと》も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓《げいしゃ》を選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝《かわ》らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。

 此所まで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。その時代助はこの論理中に、或因数《ファクター》は数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑った。けれども、その因数《ファクター》はどうしても発見する事が出来なかった。すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭は正《まさ》にこれを承認した。然し彼の心《ハート》は、慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。>

 

 都会人代助は、佐川の令嬢との見合いを兼ねた歌舞伎見物のあと、電車で赤坂へ這入った。芸者買をしたらしいが、漱石らしい説明文章の空白があるから詮索するしかない。

 帰りに三千代を思い出す。結婚に関することが刺激となって、しかも歌舞伎座で右隣に見た女の横顔が「自分の近づきのある芸者によく似ている」と思ったからか、赤坂で芸者を買わずにいられなくなり、それら花やかな色調が、また淋しげな三千代の引力に戻ってしまうという、結婚・芸者・三千代という巴の回転。

 代助という明晰な男、理論家は、都会的な男女は引力(アットラクション)において、測りがたき変化を受けてしまうのだから、不義(インフィデリチ)は避け難く、不幸を始終甞めなければならなくなる。だから自分は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な芸妓を選ぶ。そして、不変の愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。

 倫理は論理であるかのように。この論理は不変であるから、導かれた倫理も不変であるかのごとくに。

 けれども三千代の姿を思い浮かべた代助は、この論理中に、ある因数(ファクター)を数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑ってみて、その因数をどうしても発見する事が出来なかった。とはいっても、モテ男、放蕩息子は浄瑠璃のなかでも、一途な女に何故かほだされることがままあるではないか。その「何故か」の因数を発見したがる代助は、あくまでも不安と分裂と混乱の人で、ある意味、病理学の対象でもある。

 ここで<十一章>は閉じるが、次の<十二章>もまた「をくり」のように始まる。「代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。」 三千代の引力は、このさき測り難き変化を二人に及ぼすことになる。

 

<十二章> 貴方には、そう見えて

 

<平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙蝠《かわほり》の如《ごと》く静かに其所、此所《ここ》に動いた。粗末な板塀の隙間《すきま》から、洋燈《ランプ》の灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今頃新聞を読むのかと聞いたら、二返目だと答えた。

「そんなに閑《ひま》なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移して、縁側へ半分身体《からだ》を出しながら、障子へ倚《よ》りかかった。

 平岡は居なかった。三千代は今湯から帰った所だと云って、団扇《うちわ》さえ膝《ひざ》の傍に置いていた。平生《いつも》の頬に、心持暖い色を出して、もう帰るでしょうから緩《ゆっ》くりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風に結《い》っていた。

 平岡は三千代の云った通りには中々帰らなかった。何時でもこんなに遅いのかと尋ねたら、笑いながら、まあそんな所でしょうと答えた。代助はその笑の中に一種の淋《さみ》しさを認めて、眼を正して、三千代の顔を凝《じっ》と見た。三千代は急に団扇を取って袖《そで》の下を煽《あお》いだ。

 代助は平岡の経済の事が気に掛った。正面から、この頃は生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと云って、又前の様な笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、

「貴方《あなた》には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊《ほそ》い指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指環《ゆびわ》も、他《ほか》の指環も穿《は》めていなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。

「仕方がないんだから、堪忍《かんにん》して頂戴《ちょうだい》」と云った。代助は憐《あわ》れな心持がした。

 代助はその夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先ず何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずに攫《つか》んで、これを上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。三千代は、下女を憚《はば》かる様な低い声で、

「そんな事を」と、却《かえ》って両手をぴたりと身体へ付けてしまった。代助は然《しか》し自分の手を引き込めなかった。

「指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。紙の指環だと思って御貰いなさい」

(略)

「大丈夫だから、御取んなさい」と確《しっか》りした低い調子で云った。三千代は顎《あご》を襟の中へ埋《うず》める様に後へ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛《まつげ》を二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。>

 

 新聞を読む女とは、三千代の知的レベルを共示するとともに、暇なために二遍もということで、夫平岡の帰宅が遅くて手持無沙汰なことを暗示している。

 西洋風に結った髪は三千代のどんな意思をあらわしていると表現したかったのか、読者の心になんとなく届いてくる漱石の細部にこそ真意は宿る。

 この頃は生活費には不自由はあるまいと代助が尋ねてみると、貴方には、そう見えて、と湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せたが、その指には代助の贈った指環を穿めていなかった。普通ならば、指環を外していれば、夫婦の愛情の現在を想像することになるのだが、代助が贈った指環ということで複雑になる。ならば代助外しなのかといえばそうではなく、残るは金銭の都合、質入れとなるのは代助でなくとも簡単な推量だ。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をして、「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と言う。

「指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。紙の指環だと思って御貰いなさい」と差し出した金の受け取りを三千代は躊躇する。「そんなに閑なんですか」もそうだが、ことさら嫌われることばかり言ったり、行ったりするところまではいかないが、イケスカナイ残酷な表現をしてしまう代助。夫に秘密に生活費を受け取ることは、いわば妾のような金銭依存になってしまうと躊躇しているのか、三千代の倫理は代助よりも自然である。贈与が交換となりかねない瞬間。

 三千代は無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛を二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。まるで三千代の何かが陥落したかのように、拒みつつも誘う三千代の手がひらひらと舞う。

 顎を襟の中へ埋める様に後へ引いてから長い睫毛をニ三度打ち合わした、までのシネマの映像のように流れる文章のすばらしさ。

 

<すると兄が突然、

「一体どうなんだ。あの女を貰《もら》う気はないのか。好いじゃないか貰ったって。そう撰《え》り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡《すべ》てあの時代の人間は男女《なんにょ》に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、そうでもなかったのかい。――まあ、どうでも好いから、なるべく年寄を怒らせない様に遣《や》ってくれ」と云って帰った。>

 

 何だか元禄時代の色男の様で可笑しい、凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、という兄の言説に代助は同意見であった、というのは最終章でもう一度力説されるだろう。けれども、この先の代助の行動は、近松門左衛門『曾根崎心中』でお初が徳兵衛に道行を覚悟させたことに似て、違った道を歩むことになる。その小説構成としての布石だ。

 

<十三章> 罪のある人

 

<彼はその晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、さる男と関係して、その種を宿した所が、愈《いよいよ》子を生む段になって、涙を零《こぼ》して悲しがった。後からその訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答えた。この女は愛を専《もっぱ》らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲って来たのに、一種の無定《むじょう》を感じたのであった。それは無論堅気《かたぎ》の女ではなかった。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧《ささ》げて、その他を顧みぬ女の心理状態として、この話を甚だ興味あるものと思った。

 翌日になって、代助はとうとう又三千代に逢いに行った。>

 

 佐川の令嬢が神戸へ帰るのを見送りさせられた後、家に帰っていつもの仮眠をとったものの興奮さめやらず、電車に乗って、またしても赤坂の待合で芸者買をする。

そこで聞いた話は、堅気の女のことではなかったにしても、肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、その他を顧みぬ女の心理状態として、代助に興味ある話だった。女の心理への無理解でとどまったのか、それとも理解へと進んでいったのか漱石は例によってはっきり書いていないが、翌日になって、とうとう又三千代に逢いに行ったということは、近松『冥途の飛脚』の梅川のもとに羽織落して気もそぞろで逢いに行く忠兵衛、『心中天網島』の小春のもとにふらふら引き寄せられる徳兵衛と、近代人代助の恋は、三千代が堅気の女であるということ以外に何が違おう。

 漱石は、少なくとも三度は赤坂で芸者買をさせているようだが、芸者の顔がまったく見えない。代助になじみはいなかったのか、会話は「そこで聞いた話」以外に何があったのか。漱石が花柳小説とまでゆかなくとも、花柳社会の断片すら書こうとしなかった、という物足らなさがことさらに意味を帯びてくるのだが、書かれたことは論じられても、書かれなかったことは、誰もあまり論じない。

 

<「又来ました」と云った時、三千代は濡れた手を振って、馳け込む様に勝手から上がった。同時に表へ回れと眼で合図をした。三千代は自分で沓脱《くつぬぎ》へ下りて、格子の締《しまり》を外しながら、

「無用心だから」と云った。今まで日の透《とお》る澄んだ空気の下で、手を動かしていた所為《せい》で、頬の所が熱《ほて》って見えた。それが額際へ来て何時もの様に蒼白《あおしろ》く変っている辺に、汗が少し煮染《にじ》み出した。代助は格子の外から、三千代の極めて薄手な皮膚を眺めて、戸の開くのを静かに待った。三千代は、

「御待遠さま」と云って、代助を誘《いざな》う様に、一足横へ退いた。代助は三千代とすれすれになって内へ這入《はい》った。座敷へ来て見ると、平岡の机の前に、紫の座蒲団がちゃんと据えてあった。代助はそれを見た時一寸厭な心持がした。

(略)

 三千代は水いじりで爪先《つまさき》の少しふやけた手を膝《ひざ》の上に重ねて、あまり退屈だから張物をしていた所だと云った。三千代の退屈という意味は、夫が始終外へ出ていて、単調な留守居の時間を無聊《ぶりょう》に苦しむと云う事であった。代助はわざと、

「結構な身分ですね」と冷かした。三千代は自分の荒涼な胸の中《うち》を代助に訴える様子もなかった。黙って、次の間へ立って行った。用箪笥《ようだんす》の環を響かして、赤い天鵞絨《ビロード》で張った小《ち》さい箱を持って出て来た。代助の前へ坐って、それを開けた。中には昔し代助の遣った指環《ゆびわ》がちゃんと這入っていた。三千代は、ただ

「可《い》いでしょう、ね」と代助に謝罪する様に云って、すぐ又立って次の間へ行った。そうして、世の中を憚《はば》かる様に、記念の指環をそこそこに用箪笥に仕舞って元の座に戻った。代助は指環に就ては何事も語らなかった。>

 

 三千代は濡れた手を振って、馳け込む様に勝手から上がり、表へ回れと眼で合図をした、自分で沓脱へ下りて、格子の締を外しながら、「無用心だから」と言う。来訪の悦びに弾むような躍動感。頬の所が熱って見えたが、額際へ来て何時もの様に蒼白く変っている辺に、汗が少し煮染み出した、という代助の微細まで観察する官能の視線を、三千代の薄手な皮膚はどう受けとめたのだろう。

 主人が留守がちだから用心のために格子の締をかけている三千代、平岡の居場所は代助の頭の中ではないはずなのに、平岡の机の前に紫の座蒲団がちゃんと据えてあって、その座布団は青と赤の混ざりあった不安な紫色だった。三角関係とは、第三者が場所を空間を占有していること、ただそれだけで許せなく感じて欲望の強度が増すと三千代は打算的なまでに知っていたとの解釈はこういったところから生じる。

 次の間へ立って、用箪笥の環を響かし、赤い天鵞絨で張った小さい箱を持って出て来て、「可いでしょう、ね」と言って、また記念の指環を用箪笥に仕舞って元の座に戻るまでの三千代の健気さ。しかし、水いじりで爪先の少しふやけた手に、ふたたび指に穿めてみせないのも、焦らしとでもいうのか。

 

<「この間の事を平岡君に話したんですか」

 三千代は低い声で、

「いいえ」と答えた。

「じゃ、未《ま》だ知らないんですか」と聞き返した。

 その時三千代の説明には、話そうと思ったけれども、この頃平岡はついぞ落ち付いて宅《うち》にいた事がないので、つい話しそびれて未だ知らせずにいると云う事であった。代助は固より三千代の説明を嘘《うそ》とは思わなかった。けれども、五分の閑さえあれば夫に話される事を、今日までそれなりに為てあるのは、三千代の腹の中に、何だか話し悪《にく》い或蟠《わだか》まりがあるからだと思わずにはいられなかった。自分は三千代を、平岡に対して、それだけ罪のある人にしてしまったと代助は考えた。けれどもそれはさ程に代助の良心を螫《さ》すには至らなかった。法律の制裁はいざ知らず、自然の制裁として、平岡もこの結果に対して明かに責《せめ》を分たなければならないと思ったからである。>

 

 法律の制裁(すでに姦通罪が頭をかすめているのか)はいざ知らず、自然の制裁(「自然」とはカントの定言命法、無条件の「~せよ」のようなものであろうか)として、平岡もこの結果に対して明かに責を分たなければならないと思ったから代助の良心は痛まなかったというのは、漱石得意の自己本位(エゴイズム)のテーマに接近する。

 平岡を悪者にし、三千代を平岡に対して罪のある人にしてしまうことで、欲望は他者の欲望の尻尾に噛みついて、三角関係の巴を激しく回転させる。

 

<夫婦の間に、代助と云う第三者が点ぜられたがために、この疎隔《そかく》が起ったとすれば、代助はこの方面に向って、もっと注意深く働らいたかも知れなかった。けれども代助は自己の悟性に訴えて、そうは信ずる事が出来なかった。彼はこの結果の一部分を三千代の病気に帰した。そうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与えたものと断定した。又その一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩《ゆうとう》に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒《ほうらつ》から生じた経済事状に帰した。凡《すべ》てを概括した上で、平岡は貰《もら》うべからざる人を貰い、三千代は嫁ぐ可《べ》からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中《うち》で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻《さい》から離れたとは、どうしても思い得なかった。>

 

 三角関係の、三つの頂点のひとつであることを否定したがる代助。三千代の心を動かしつつも、自分に都合よく状況を理解し、責任を回避しようとする態度がこのあとも何度か現われる。漱石文学に執拗にあらわれる知識人の煩悶のさまを演じる代助への好悪をリトマス試験紙のように試す。それは漱石文学への好悪を判定するものともなる。

 

<同時に代助の三千代に対する愛情は、この夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつつある事もまた一方では否《いな》み切れなかった。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度まで進んでいたかは、しばらく措《お》くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着《むとんじゃく》でいる訳には行かなかった。彼は病気に冒された三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は小供を亡《な》くなした三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は夫の愛を失いつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。彼は生活難に苦しみつつある三千代をただの昔の三千代よりは気の毒に思った。但《ただ》し、代助はこの夫婦の間を、正面から永久に引き放そうと試みる程大胆ではなかった。彼の愛はそう逆上してはいなかった。>

 

『それから』に瑕があるとすれば、「三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度まで進んでいたかは、しばらく措くとしても」という「しばらく措くとしても」が、小説の最後まで永遠に来ないという罪だ。作家が無意識に書いてしまった読解不可能性なら重層的な魅力ともなろうが、これは明らかに逃げている。逃げるくらいなら、この一行は書かなければよかった。

 さきの赤坂で聞いた女の心理とは違って、代助がかように冷静なのは、三千代への愛というよりも同情なのではないかとさえ思えて来る。効果を狙って四度も繰りかえされる「ただの昔の三千代よりは気の毒に思った」の「ただの昔」とは「気の毒」とはいったいなんだろう。ドストエフスキー罪と罰』のラスコーリニコフは、はじめソーニャを「気の毒」と同情し憐憫を感じたが、のちには宗教的な愛という内面の力に押されてゆく。代助に愛の力はあったのか、宗教的な愛は。「愛」とか「恋愛」などという西洋からの概念がいかに明治の男女のそれぞれの心と身体にさまざまな影響を、軋轢をあたえていったかの物語を書こうと漱石は格闘し続けた、とも言える。

 

<三千代は又立って次の間から一封の書状を持って来た。書状は薄青い状袋へ這入《はい》っていた。北海道にいる父から三千代へ宛《あて》たものであった。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。

 手紙には向うの思わしくない事や、物価の高くて活計《くらし》にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云う事や、――凡て憐《あわ》れな事ばかり書いてあった。代助は叮嚀《ていねい》に手紙を巻き返して、三千代に渡した。その時三千代は眼の中に涙を溜《た》めていた。>

 

 北海道の父からの憐れな事ばかりが書いてある手紙を自分から見せて、いったい三千代は代助に何を望んでいるのか。三千代の涙が代助の前でしばしば溢れ出るようになる、ということは関係が一段階進んだということではないか。たとえ肉体関係はなくとも、三千代の恋は精神的に代助に開かれていった、もしくは強く依存するところまで来てしまった。それが女だった。天与と自然を自在に往き来しつも、人の世の掟を前に涙に溺れる、代助にとって分りやすくも不可解な女。

 

<「貴方《あなた》は羨《うらや》ましいのね」と瞬《またた》きながら云った。代助はそれを否定する勇気に乏しかった。しばらくしてから又、

「何だって、まだ奥さんを御貰いなさらないの」と聞いた。代助はこの問にも答える事が出来なかった。

 しばらく黙然《もくねん》として三千代の顔を見ているうちに、女の頬から血の色が次第に退ぞいて行って、普通よりは眼に付く程蒼白くなった。その時代助は三千代と差向で、より長く坐っている事の危険に、始めて気が付いた。自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆って、準縄《じゅんじょう》の埒《らつ》を踏み超えさせるのは、今二三分の裡《うち》にあった。代助は固《もと》よりそれより先へ進んでも、猶《なお》素知《そし》らぬ顔で引返し得る、会話の方を心得ていた。彼は西洋の小説を読むたびに、そのうちに出て来る男女《なんにょ》の情話が、あまりに露骨で、あまりに放肆《ほうし》で、かつあまりに直線的に濃厚なのを平生から怪んでいた。原語で読めばとにかく、日本には訳し得ぬ趣味のものと考えていた。従って彼は自分と三千代との関係を発展させる為に、舶来の台詞《せりふ》を用いる意志は毫《ごう》もなかった。少なくとも二人の間では、尋常の言葉で充分用が足りたのである。が、其所《そこ》に、甲の位地から、知らぬ間に乙の位置に滑り込む危険が潜んでいた。代助は辛うじて、今一歩と云う際《きわ》どい所で、踏み留まった。>

 

 ここでまた、「煤烟」を評したのと同じ比較文学というより比較文化的な感想がでてくる。漱石は『それから』のこの場面で批評のとおり実践してみせた。原語で読めばとにかく、日本には訳し得ぬ趣味のものと考え、舶来の台詞を用いる意志は毫もなく、尋常の言葉で充分用が足りたのである、という代助にして漱石の日本語論ともなるわけだが、漱石の何がそう言わしめたのだろう。

 素知らぬ顔で引返し得る、会話の方を心得ていた代助、自然の情合から流れる相互の言葉が、無意識のうちに彼等を駆って、準縄の埒を踏み超えさせる危険から、今一歩と云う際どい所で、踏み留まってしまう代助。漱石文学によくあらわれる男の型は、「羨ましい」人にすぎないと、女の口で語らせる漱石こそが際どい。

 

<彼は三千代と自分の関係を、天意によって、――彼はそれを天意としか考え得られなかった。――醗酵《はっこう》させる事の社会的危険を承知していた。天意には叶《かな》うが、人の掟《おきて》に背《そむ》く恋は、その恋の主の死によって、始めて社会から認められるのが常であった。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然《りつぜん》とした。

 彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像してみた。その時は天意に従う代りに、自己の意志に殉ずる人にならなければ済まなかった。彼はその手段として、父や嫂《あによめ》から勧められていた結婚に思い至った。そうして、この結婚を肯《うけが》う事が、凡《すべ》ての関係を新《あらた》にするものと考えた。>

 

 天意には叶うが、人の掟に背くという対立に生きる恋は、その恋の主の死によって、始めて社会から認められるのが常であった、というのが、近松劇のような心中をイメージしているかは、近松の道行は「恋の手本」ではあっても、「社会的に認められ」たわけではないから疑わしい。むしろ、ヴェルキイルのような西洋悲劇をイメージしていると考えるのが妥当だろう。

 

<十四章> 残酷だわ

 

<もし、三千代に対する自分の態度が、最後の一歩前まで押し詰められた様な気持がなかったなら、代助は父に対して無論そう云う所置を取ったろう。けれども、代助は今相手の顔色如何《いかん》に拘《かか》わらず、手に持った賽《さい》を投げなければならなかった。上になった目が、平岡に都合が悪かろうと、父の気に入らなかろうと、賽を投げる以上は、天の法則通りになるより外に仕方はなかった。賽を手に持つ以上は、又賽が投げられ可《べ》く作られたる以上は、賽の目を極めるものは自分以外にあろう筈《はず》はなかった。代助は、最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで定めた。父も兄も嫂も平岡も、決断の地平線上には出て来なかった。>

 

 論理的なはずの男が、賽を投げるとか、天の法則とかを持ちだしてくる。持ちだしてきたうえで、「賽の目を極めるものは自分以外にあろう筈はなかった」、「最後の権威は自己にあるものと、腹のうちで決めた」となる。

 ここに世人は漱石の自己本位(エゴイズム)を見て、悩みつつも積極的な自立的生き方の教則本として国民作家に祭りあげ、はたまた人生論集などを編纂して売り出す。読者の道徳感にわかりやすく届くフレーズを書いた漱石ではあったが、そんな単純なものではないのを一番わかっていたのは漱石である、と気づかないことの不幸。それは愛に気づかない代助に似ている。

 

<「今日始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で云った。こう云い得た時、彼は年頃にない安慰を総身に覚えた。何故《なぜ》もっと早く帰る事が出来なかったのかと思った。始から何故自然に抵抗したのかと思った。彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出《みいだ》した。その生命の裏にも表にも、慾得《よくとく》はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった。雲の様な自由と、水の如き自然とがあった。そうして凡《すべ》てが幸《ブリス》であった。だから凡てが美しかった。

 やがて、夢から覚めた。この一刻の幸《ブリス》から生ずる永久の苦痛がその時卒然として、代助の頭を冒して来た。彼の唇は色を失った。彼は黙然《もくねん》として、我と吾手《わがて》を眺めた。爪《つめ》の甲の底に流れている血潮が、ぶるぶる顫《ふる》える様に思われた。彼は立って百合の花の傍へ行った。唇が弁《はなびら》に着く程近く寄って、強い香を眼の眩《ま》うまで嗅《か》いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽《む》せて、失心して室《へや》の中に倒れたかった。>

       

「今日始めて自然の昔に帰るんだ」というときの「自然」とは、ルソー的な自然状態で、「純一無雑に平和な生命」、「慾得はなかった、利害はなかった、自己を圧迫する道徳はなかった」ということのことなのだろうか。ここでは、カントの定言命法の意ではなさそうである。どちらにしろ、ルソー、カントという十八世紀の人間の普遍的命題に、二十世紀を迎えたばかりの百年後の漱石は今日的命題として格闘し続けたわけである。

 代助に「帰る」ような「昔」が、三千代の兄がいた時分にはあって、そこでは「自然」が支配していたとでも錯覚しているのか。男女の「自然」の感情とは、世間の掟と対立する恋愛感情だと、今日気づいたというわけでもあるまい。分裂と混乱の人代助は、雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出す。血潮が顫え、百合の香が誘い、追憶の沼に倒れかかる。もしかしたら、これまでのすべては、それからのことは夢なのだ。

 

<三千代は玄関から、門野に連れられて、廊下伝いに這入って来た。銘仙の紺絣《こんがすり》に、唐草《からくさ》模様の一重帯を締めて、この前とはまるで違った服装《なり》をしているので、一目見た代助には、新らしい感じがした。色は不断の通り好くなかったが、座敷の入口で、代助と顔を合せた時、眼も眉《まゆ》も口もぴたりと活動を中止した様に固くなった。敷居に立っている間は、足も動けなくなったとしか受取れなかった。三千代は固《もと》より手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜《よろこび》と、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもって漲《みなぎ》っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代にそれだけの打衝《ショック》を与える程に強烈であった。>

 

 どうしたことかここではじめて、漱石は三千代の内面心理に入り込んで、書く。「三千代は固より手紙を見た時から、何事をか予期して来た。その予期のうちには恐れと、喜と、心配とがあった。車から降りて、座敷へ案内されるまで、三千代の顔はその予期の色をもって漲っていた。三千代の表情はそこで、はたと留まった。代助の様子は三千代にそれだけの打衝《ショック》を与える程に強烈であった。」

 代助の特別な様子を三千代の目を通して描きたかったのか、そのためには三千代の心の動きを説明することが必要だったのか。これがあるから、登場人物二人の間で交錯した心理が、このあとの時間をめぐる会話をリアリズムで支える。

 

<「先刻《さっき》表へ出て、あの花を買って来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随《つ》いて室の中を一回《ひとまわり》した。その後で三千代は鼻から強く息を吸い込んだ。

「兄さんと貴方《あなた》と清水町にいた時分の事を思い出そうと思って、なるべく沢山買って来ました」と代助が云った。

「好《い》い香《におい》ですこと」と三千代は翻がえる様に綻《ほころ》びた大きな花弁《はなびら》を眺めていたが、それから眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。

「あの時分の事を考えると」と半分云って已《や》めた。

「覚えていますか」

「覚えていますわ」

「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返《いちょうがえ》しに結っていましたね」

「だって、東京へ来立《きたて》だったんですもの。じき已めてしまったわ」

「この間百合の花を持って来て下さった時も、銀杏返しじゃなかったですか」

「あら、気が付いて。あれは、あの時ぎりなのよ」

「あの時はあんな髷《まげ》に結いたくなったんですか」

「ええ、気迷《きまぐ》れに一寸《ちょいと》結ってみたかったの」

「僕はあの髷を見て、昔を思い出した」

「そう」と三千代は耻《は》ずかしそうに肯《うけが》った。

 三千代が清水町にいた頃、代助と心安く口を聞く様になってからの事だが、始めて国から出て来た当時の髪の風を代助から賞《ほ》められた事があった。その時三千代は笑っていたが、それを聞いた後でも、決して銀杏返しには結わなかった。二人は今もこの事をよく記憶していた。けれども双方共口へ出しては何も語らなかった。>

 

 思い出させたのは、気迷れに一寸結ってみたかったという銀杏返しの髷を結って、「百合の花を持って来」た三千代の方である。国から出て来た当時の髪型であって、代助に誉められたことがあったにも関わらず決して銀杏返しに結わなかった理由は、都会では芸者もする髪型であって、兄菅沼が三千代の性を芸者買をする代助の前で封印したのではないかという深読みもある。銀杏返しは、当時の東京の中産階級以上の女がする髪型ではなく、どちらかというと貧しい人たちがよくした髪型であるとか、夫から心が離れている女ならではの髪型と誰もが感づいた、などという市井の声もあって評判はよろしくないが、漱石好みではあったらしく、他の小説でもしばしば現われるというところに漱石の複雑さがでている。なにしろ作者漱石が謎めいた書き方をしているのだから、書いていないことをあれこれ邪推してみても正解はなく、ただ三千代がまるでヴェニスの敷石、紅茶に浸したマドレーヌのように代助に見せつけたという事実だけが確かだ。

 

<国から連れて来て、一所に家を持ったのも、妹を教育しなければならないと云う義務の念からではなくて、全く妹の未来に対する情合と、現在自分の傍に引き着けて置きたい欲望とからであった。彼は三千代を呼ぶ前、既に代助に向ってその旨《むね》を打ち明けた事があった。その時代助は普通の青年の様に、多大の好奇心を以《もっ》てこの計画を迎えた。

 三千代が来てから後、兄と代助とは益《ますます》親しくなった。何方《どっち》が友情の歩を進めたかは、代助自身にも分らなかった。兄が死んだ後で、当時を振り返ってみる毎《ごと》に、代助はこの親密の裡《うち》に一種の意味を認めない訳に行かなかった。兄は死ぬ時までそれを明言しなかった。代助も敢《あえ》て何事をも語らなかった。かくして、相互の思わくは、相互の間の秘密として葬《ほうむ》られてしまった。兄は存生《ぞんしょう》中にこの意味を私《ひそか》に三千代に洩らした事があるかどうか、其所《そこ》は代助も知らなかった。代助はただ三千代の挙止動作と言語談話からある特別な感じを得ただけであった。

(略)

「僕は、あの時も今も、少しも違っていやしないのです」と答えたまま、猶しばらくは眼を相手から離さなかった。三千代は忽《たちま》ち視線を外《そ》らした。そうして、半ば独り言の様に、

「だって、あの時から、もう違っていらしったんですもの」と云った。

 三千代の言葉は普通の談話としては余りに声が低過ぎた。>

 

 ヘンリー・ジェームスのゴシック・ロマンのような、兄と妹の近親相姦的な、菅沼と代助の同性愛のような、「一種の意味」とは「相互の間の秘密」とは「三千代に洩らした事があるか」、「約束」、「特別な感じ」とは、「違っていらしった」とは何か。禅問答のようでもある。読者はいかようにも推理できるし、推理する気もおきずに読み飛ばしてしまいたくもなる。

 兄の菅沼は、代助を「arbiter《アービター》 elegantiarum《エレガンシアルム》」(=ラテン語で趣味の審判者)と名付けて妹三千代の教育を任せていたというが、二人して同じ趣味を持つことで男女の世界がはじまるという教理があるとすれば、少なくとも教えられる三千代にとっての恋は、「アベラールとエロイーズ」のエロイーズ役としてこのとき身心に染みこんでいったのかもしれないが、ここでもまた、代助による三千代の趣味の教育の内容は書かれていないために、漱石が避けたかった性的な匂いさえしてくるではないか。

 

 <代助は黙って三千代の様子を窺《うかが》った。三千代は始めから、眼を伏せていた。代助にはその長い睫毛《まつげ》の顫《ふる》える様《さま》が能く見えた。

「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」

 代助の言葉には、普通の愛人の用いる様な甘い文彩《あや》を含んでいなかった。彼の調子はその言葉と共に簡単で素朴であった。寧ろ厳粛の域に逼《せま》っていた。但《ただ》、それだけの事を語る為に、急用として、わざわざ三千代を呼んだ所が、玩具《おもちゃ》の詩歌に類していた。けれども、三千代は固より、こう云う意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった。その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは、事実であった。三千代がそれに渇いていなかったのも事実であった。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫える睫毛の間から、涙を頬の上に流した。

「僕はそれを貴方に承知して貰《もら》いたいのです。承知して下さい」

(略)

 三千代はその膝の上を見たまま、微《かす》かな声で、

「残酷だわ」と云った。小さい口元の肉が顫う様に動いた。

「残酷と云われても仕方がありません。その代り僕はそれだけの罰を受けています」

 三千代は不思議な眼をして顔を上げたが、

「どうして」と聞いた。

「貴方が結婚して三年以上になるが、僕はまだ独身でいます」

「だって、それは貴方の御勝手じゃありませんか」

「勝手じゃありません。貰おうと思っても、貰えないのです。それから以後、宅《うち》のものから何遍結婚を勧められたか分りません。けれども、みんな断ってしまいました。今度もまた一人断りました。その結果僕と僕の父との間がどうなるか分りません。然《しか》しどうなっても構わない、断るんです。貴方が僕に復讎《ふくしゅう》している間は断らなければならないんです」

「復讎」と三千代は云った。この二字を恐るるものの如くに眼を働かした。「私《わたくし》はこれでも、嫁に行ってから、今日まで一日も早く、貴方が御結婚なされば可《い》いと思わないで暮らした事はありません」と稍《やや》改たまった物の言い振であった。然し代助はそれに耳を貸さなかった。>

 

 漱石はなぜ恋愛の告白のクライマックスにおいてさえ、普通の愛人の用いる様な甘い文彩を含ませなかったのか。簡単で素朴な、寧ろ厳粛の域に逼っていた、潔癖な文章を書かねばならなかったのか。あまりに露骨で、あまりに放肆で、かつあまりに直線的に濃厚で、尋常の言葉で充分用が足りたのであると理解した西洋の小説へのアンチ・テーゼがこれだとすれば、俗でないことで、かえって俗ではないのか。

 漱石は、ここでまた客観描写を離れて三千代の内面を少しだけ書いている。「三千代は固より、こう云う意味での俗を離れた急用を理解し得る女であった、その上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持っていなかった、代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかったのは「事実であった」、三千代がそれに渇いていなかったのも「事実であった」と、「事実」を力説することができるのが、作者の神がかった特権だとでも言うのか。そうして、「代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した」とは、三千代・代助の間には官能の授受はあってはならない、心だけが通い路である、と決めつけるのか。

 代助の口から、漱石が生涯にわたって格闘した言葉、「罪」と「復讎」と「懺悔」が溢れ出てくるが、これらはみな、三千代が言うように、「だって、それは貴方の御勝手じゃありませんか」に違いなく、代助の思いがそこに及ばないのは、父と兄と変わらない時代的心性であると、漱石は書きたかった。

 

<「ただ、もう少し早く云って下さると」と云い掛けて涙ぐんだ。代助はその時こう聞いた。――

「じゃ僕が生涯黙っていた方が、貴方には幸福だったんですか」

「そうじゃないのよ」と三千代は力を籠《こ》めて打ち消した。「私だって、貴方がそう云って下さらなければ、生きていられなくなったかも知れませんわ」

 今度は代助の方が微笑した。

「それじゃ構わないでしょう」

「構わないより難有《ありがた》いわ。ただ――」

「ただ平岡に済まないと云うんでしょう」

 三千代は不安らしく首肯《うなず》いた。代助はこう聞いた。――

「三千代さん、正直に云って御覧。貴方は平岡を愛しているんですか」

 三千代は答えなかった。見るうちに、顔の色が蒼《あお》くなった。眼も口も固くなった。凡《すべ》てが苦痛の表情であった。代助は又聞いた。

「では、平岡は貴方を愛しているんですか」

 三千代はやはり俯《う》つ向いていた。代助は思い切った判断を、自分の質問の上に与えようとして、既にその言葉が口まで出掛った時、三千代は不意に顔を上げた。その顔には今見た不安も苦痛も殆《ほと》んど消えていた。涙さえ大抵は乾いた。頬の色は固《もと》より蒼かったが、唇は確《しか》として、動く気色はなかった。その間から、低く重い言葉が、繋《つな》がらない様に、一字ずつ出た。

「仕様がない。覚悟を極めましょう」

 代助は背中から水を被《かぶ》った様に顫えた。社会から逐《お》い放たるべき二人の魂は、ただ二人対《むか》い合って、互を穴の明く程眺めていた。そうして、凡てに逆《さから》って、互を一所に持ち来たした力を互と怖《おそ》れ戦《おのの》いた。>

 

 すべては適時性の問題なのかもしれない。もう少しどころか、あまりにも致命的な遅れは、代助が罪と名付ける第一のものだろう。

「仕様がない。覚悟を極めましょう」と言ったのは誰なのか、私は読解に自信がない。唇は確として、動く気色はなく、その間から、低く重い言葉が、繋がらない様に、一字ずつ出たとあるので、三千代らしいが、代助がその言葉を発し、発した自分の言葉を浴びて背中から水を被った様に顫えたかのように受け取れるし、だいいち「仕様がないわ」の女言葉ではないこと、三千代の覚悟はとっくに決っていて、覚悟を仕様がなく極めたのは、愛のない夫婦関係は無意味であるという近代的な観念に酔っている代助だ、と思うのが素直でもある。どちらの言葉かで大きく変るのに、漱石ははっきり書かずに、読者を源氏物語の読解のような迷宮に落し込む。

 

 <十五章> 何故それからいらっしゃらなかったの

 

 <三日目にも同じ事を繰り返した。が、今度は表へ出るや否や、すぐ江戸川を渡って、三千代の所へ来た。三千代は二人の間に何事も起らなかったかの様に、

「何故《なぜ》それからいらっしゃらなかったの」と聞いた。代助は寧ろその落ち付き払った態度に驚ろかされた。三千代はわざと平岡の机の前に据えてあった蒲団を代助の前へ押し遣《や》って、

「何でそんなに、そわそわしていらっしゃるの」と無理にその上に坐《すわ》らした。

 一時間ばかり話しているうちに、代助の頭は次第に穏やかになった。車へ乗って、当もなく乗り回すより、三十分でも好いから、早く此所《ここ》へ遊びに来れば可《よ》かったと思い出した。帰るとき代助は、

「又来ます。大丈夫だから安心していらっしゃい」と三千代を慰める様に云った。三千代はただ微笑しただけであった。>

 

「何故それからいらっしゃらなかったの」と「それから」を用いた三千代は二人の間に何事も起らなかったかの様に、わざと平岡の机の前に据えてあった蒲団を代助の前へ押し遣って、「何でそんなに、そわそわしていらっしゃるの」と無理にその上に坐らせた。しかし、「わざと」「無理に」という漱石の形容は三千代の心理に土足で上がり込んでいるではないか。

「又来ます。大丈夫だから安心していらっしゃい」と三千代を慰める代助はお目出度い人だ。そして、「三千代はただ微笑しただけであった」という三千代はそこに、対等な男女関係を前にすると幼稚になってしまう代助、その父、兄の、明治の男として無意識の偽善を嗅ぎ取ったがゆえに、言葉がなかったのではあるまいか。

 

<十六章> 死ねと仰しゃれば死ぬわ

 

<彼は又三千代を訪ねた。三千代は前日の如く静に落ち着いていた。微笑《ほほえみ》と光輝《かがやき》とに満ちていた。春風はゆたかに彼女《かのおんな》の眉《まゆ》を吹いた。代助は三千代が己を挙げて自分に信頼している事を知った。その証拠を又眼《ま》のあたりに見た時、彼は愛憐《あいれん》の情と気の毒の念に堪えなかった。そうして自己を悪漢の如くに呵責《かしゃく》した。思う事は全く云いそびれてしまった。帰るとき、

「又都合して宅《うち》へ来ませんか」と云った。三千代はええと首肯《うなず》いて微笑した。代助は身を切られる程酷《つら》かった。

 代助はこの間から三千代を訪問する毎《ごと》に、不愉快ながら平岡の居ない時を択《えら》まなければならなかった。始めはそれをさ程にも思わなかったが、近頃では不愉快と云うよりも寧ろ、行《ゆ》き悪《にく》い度が日毎に強くなって来た。その上留守の訪問が重なれば、下女に不審を起させる恐れがあった。気の所為《せい》か、茶を運ぶ時にも、妙に疑ぐり深い眼付をして、見られる様でならなかった。然し三千代は全く知らぬ顔をしていた。少なくとも上部《うわべ》だけは平気であった。>

 

「春風はゆたかに彼女の眉を吹いた」とは漢詩をよくした漱石らしい美文であるが、外見うんぬんよりもこの状況で爽やかな三千代は気にかかる女に相違ない。魅力がない、とは言いがたい。

 代助が、不愉快ながら平岡の居ない時を択まなければならず、下女に不審を起させる恐れを持っていたのに対し、三千代は全く知らぬ顔をしていて、少なくとも上部だけは平気であった、というのは、古今東西の姦通小説の決ったパターンである。

 ただ代助の顔を見れば、見ているその間だけの嬉しさに溺れ尽すのが自然の傾向であるかの如くに思われた、というのは、ボヴァリー夫人でも、カレーニン夫人でも、チャタレー夫人でもそうだった。三千代は元来神経質の女であったのに、昨今の態度は、どうしてもこの女の手際ではないと思うと、三千代の周囲の事情が、まだそれ程険悪に近づかない証拠になるよりも、自分の責任が一層重くなったのだと解釈せざるを得なかった、という代助の論理は倫理といえるのだろうか。「この女の手際」とは、いったい何を代助は言いたいのか。

 

<三千代はこの暑《あつさ》を冒して前日の約を履《ふ》んだ。代助は女の声を聞き付けた時、自分で玄関まで飛び出した。三千代は傘をつぼめて、風呂敷包を抱えて、格子《こうし》の外に立っていた。不断着のまま宅《うち》を出たと見えて、質素な白地の浴衣《ゆかた》の袂《たもと》から手帛《ハンケチ》を出し掛けた所であった。代助はその姿を一目見た時、運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の眼の前に持って来た様に感じた。われ知らず、笑いながら、

「馳落《かけおち》でもしそうな風じゃありませんか」と云った。三千代は穏かに、

「でも買物をした序《ついで》でないと上り悪《にく》いから」と真面目な答をして、代助の後に跟《つ》いて奥まで這入って来た。代助はすぐ団扇《うちわ》を出した。照り付けられた所為《せい》で三千代の頬が心持よく輝やいた。>

 

 代助の気づくことへの怖れが持ちこたえられなくなって、「運命が三千代の未来を切り抜いて、意地悪く自分の眼の前に持って来た様に感じた」と被害者意識にまで成長し、ありきたりの倫理的動揺を誤魔化すために、「馳落でもしそうな風じゃありませんか」という言葉についあらわれてしまった。

 

<「貴方はそれ程僕を信用しているんですか」

「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」

 代助は目映《まぼ》しそうに、熱い鏡の様な遠い空を眺めた。

「僕にはそれ程信用される資格がなさそうだ」と苦笑しながら答えたが、頭の中は焙炉《ほいろ》の如く火照《ほて》っていた。然し三千代は気にも掛からなかったと見えて、何故《なぜ》とも聞き返さなかった。ただ簡単に、

「まあ」とわざとらしく驚ろいて見せた。

(略)

「徳義上の責任じゃない、物質上の責任です」

「そんなものは欲しくないわ」

「欲しくないと云ったって、是非必要になるんです。これから先僕が貴方とどんな新らしい関係に移って行《ゆ》くにしても、物質上の供給が半分は解決者ですよ」

「解決者でも何でも、今更そんな事を気にしたって仕方がないわ」

(略)

 代助は急に三千代の手頸《てくび》を握ってそれを振る様に力を入れて云った。――

「そんな事を為《す》る気なら始めから心配をしやしない。ただ気の毒だから貴方に詫《あやま》るんです」

「詫まるなんて」と三千代は声を顫《ふる》わしながら遮《さえぎ》った。「私が源因《もと》でそうなったのに、貴方に詫まらしちゃ済まないじゃありませんか」

 三千代は声を立てて泣いた。代助は慰撫《なだ》める様に、

「じゃ我慢しますか」と聞いた。

「我慢はしません。当り前ですもの」

(略)

「これから先まだ変化がありますよ」

「ある事は承知しています。どんな変化があったって構やしません。私はこの間から、――この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」

 代助は慄然《りつぜん》として戦《おのの》いた。

「貴方はこれから先どうしたら好いと云う希望はありませんか」と聞いた。

「希望なんか無いわ。何でも貴方の云う通りになるわ」

「漂泊――」

「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」

 代助は又ぞっとした。

「このままでは」

「このままでも構わないわ」

「平岡君は全く気が付いていない様ですか」

「気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫なのよ。だって何時《いつ》殺されたって好いんですもの」

「そう死ぬの殺されるのと安っぽく云うものじゃない」

「だって、放って置いたって、永く生きられる身体《からだ》じゃないじゃありませんか」

 代助は硬くなって、竦《すく》むが如く三千代を見詰めた。三千代は歇私的里《ヒステリ》の発作に襲われた様に思い切って泣いた。>

 

 三千代の言葉は、冷静な自己認識からはじまっている。

「信用していなくっちゃ、こうしていられないじゃありませんか」、「そんなものは欲しくないわ」、「解決者でも何でも、今更そんな事を気にしたって仕方がないわ」、「私が源因でそうなったのに、貴方に詫まらしちゃ済まないじゃありませんか」、「我慢はしません。当り前ですもの」。

 自己本位(エゴイズム)の人代助はここに及んで、三角関係の巴を逆回転しかねない、意識と自然の葛藤に二人を誘いこもうとするが、三千代はすでに終局に向かっている。

「ある事は承知しています。どんな変化があったって構やしません。私はこの間から、――この間から私は、もしもの事があれば、死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの」、「希望なんか無いわ。何でも貴方の云う通りになるわ」、「漂泊でも好いわ。死ねと仰しゃれば死ぬわ」、「気が付いているかも知れません。けれども私もう度胸を据えているから大丈夫なのよ。だって何時殺されたって好いんですもの」、「だって、放って置いたって、永く生きられる身体じゃないじゃありませんか」には、柄谷行人が指摘した漱石文学の特徴としての「おそれる男」と「おそれる女」というパターン、が如実にあらわれている。「この間」からは「それから」である。

 

<「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」

 平岡は茫然《ぼうぜん》として、代助の苦痛の色を眺めた。

「その時の僕は、今の僕でなかった。君から話を聞いた時、僕の未来を犠牲にしても、君の望みを叶《かな》えるのが、友達の本分だと思った。それが悪かった。今位頭が熟していれば、まだ考え様があったのだが、惜しい事に若かったものだから、余りに自然を軽蔑《けいべつ》し過ぎた。僕はあの時の事を思っては、非常な後悔の念に襲われている。自分の為ばかりじゃない。実際君の為に後悔している。僕が君に対して真《しん》に済まないと思うのは、今度の事件より寧ろあの時僕がなまじいに遣り遂げた義侠心《ぎきょうしん》だ。君、どうぞ勘弁してくれ。僕はこの通り自然に復讎《かたき》を取られて、君の前に手を突いて詫《あや》まっている」

代助は涙を膝《ひざ》の上に零《こぼ》した。平岡の眼鏡が曇った。>

 

「平岡、僕は君より前から三千代さんを愛していたのだよ」とは滑稽ではないか。『それから』は「時間」の小説であるが、前から、後から、という通時的な意味で愛の価値を計るとは。

『それから』は、「妙な言い方だが倫理的な姦通小説である」と亀井勝一郎は評したが、そこにあるのは代助のありきたりの倫理的葛藤である。倫理的でない姦通小説などない。だが、いまだ肉体の関係に到らない、精神的にも裏切ったといえるのかあやしいそれを、あえて「姦通」「有夫姦」と呼ぶのならば、「妙な言い方だが論理的な姦通小説である」ではないか。愛情の変化(これも時間の因数(ファクター))や愛情の時期の、早い、遅い、で価値判断してみせる代助の奇妙な論理が、ありきたりの宿命に負けてゆく物語ではないのか。

 代助の論理と倫理に翻弄された三千代の側の倫理と論理を漱石はほとんど書こうとしなかったが、その内面を書かなかったからこそ、三千代はより魅力的に思えて来る権利をもった。

 

<「では云う。三千代さんをくれないか」と思い切った調子に出た。

 平岡は頭から手を離して、肱《ひじ》を棒の様に洋卓《テーブル》の上に倒した。同時に、

「うん遣ろう」と云った。そうして代助が返事をし得ないうちに、又繰り返した。

「遣る。遣るが、今は遣れない。僕は君の推察通りそれ程三千代を愛していなかったかも知れない。けれども悪《にく》んじゃいなかった。三千代は今病気だ。しかも余り軽い方じゃない。寐ている病人を君に遣るのは厭《いや》だ。病気が癒《なお》るまで君に遣れないとすれば、それまでは僕が夫だから、夫として看護する責任がある」

(略)

「じゃ、時々病人の様子を聞きに遣っても可《い》いかね」

「それは困るよ。君と僕とは何にも関係がないんだから。僕はこれから先、君と交渉があれば、三千代を引き渡す時だけだと思ってるんだから」

 代助は電流に感じた如く椅子《いす》の上で飛び上がった。

「あっ。解《わか》った。三千代さんの死骸《しがい》だけを僕に見せる積りなんだ。それは苛《ひど》い。それは残酷だ」

 代助は洋卓《テーブル》の縁《ふち》を回って、平岡に近づいた。右の手で平岡の脊広《せびろ》の肩を抑えて、前後に揺《ゆ》りながら、

「苛い、苛い」と云った。>

 

「残酷」と言う言葉は、代助が三千代に愛を告白した時に三千代が発した言葉だったが、いま代助によって平岡に発せられた。狂ったように手足を掻くハツカネズミのように言葉は三角関係の愛憎の巴を回転させる。

 

<十七章> 焼け尽きるまで

 

<代助は守宮に気が付く毎《ごと》に厭《いや》な心持がした。その動かない姿が妙に気に掛った。彼の精神は鋭さの余りから来る迷信に陥った。三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつつあると想像した。三千代は今死につつあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢いたがって、死に切れずに息を偸《ぬす》んで生きていると想像した。代助は拳を固めて、割れる程平岡の門を敲《たた》かずにはいられなくなった。忽《たちま》ち自分は平岡のものに指さえ触れる権利がない人間だと云う事に気が付いた。>

 

 三千代は危険だと想像した。三千代は今苦しみつつあると想像した。三千代は今死につつあると想像した。三千代は死ぬ前に、もう一遍自分に逢いたがって、死に切れずに息を偸んで生きていると想像した。三千代は、三千代は、と代助の頭の中はパラノイアックに燃えあがる。

 

<「実は平岡と云う人が、こう云う手紙を御父さんの所へ宛《あて》て寄こしたんだがね。――読んでみるか」と云って、代助に渡した。代助は黙って手紙を受取って、読み始めた。兄は凝と代助の額の所を見詰めていた。

 手紙は細かい字で書いてあった。一行二行と読むうちに、読み終った分が、代助の手先から長く垂れた。それが二尺余《あまり》になっても、まだ尽きる気色はなかった。代助の眼はちらちらした。頭が鉄の様に重かった。代助は強いても仕舞まで読み通さなければならないと考えた。総身《そうしん》が名状しがたい圧迫を受けて、腋《わき》の下から汗が流れた。漸く結末へ来た時は、手に持った手紙を巻き納める勇気もなかった。手紙は広げられたまま洋卓《テーブル》の上に横わった。

「其所《そこ》に書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はただ、

「本当です」と答えた。兄は打衝《ショック》を受けた人の様に一寸扇の音を留《とど》めた。しばらくは二人とも口を聞き得なかった。良《やや》あって兄が、

「まあ、どう云う了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆《あき》れた調子で云った。代助は依然として、口を開かなかった。

「どんな女だって、貰《もら》おうと思えば、いくらでも貰えるじゃないか」と兄がまた云った。代助はそれでも猶黙っていた。三度目に兄がこう云った。――

「御前だって満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今まで折角金を使った甲斐《かい》がないじゃないか」

 代助は今更兄に向って、自分の立場を説明する勇気もなかった。彼はついこの間まで全く兄と同意見であったのである。

(略)

 彼は彼の頭の中《うち》に、彼自身に正当な道を歩んだという自信があった。彼はそれで満足であった。その満足を理解してくれるものは三千代だけであった。三千代以外には、父も兄も社会も人間も悉《ことごと》く敵であった。彼等は赫々《かくかく》たる炎火の裡《うち》に、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、この燄《ほのお》の風に早く己れを焼き尽すのを、この上もない本望とした。>

 

 兄誠吾は、近松の世話浄瑠璃にでてくる兄のステレオタイプをなんら疑問もなく演じ続けた。『心中天網島』、『女殺油地獄』のよくできた長男は、人生の模範として、道を外れた弟に意見する。ということは逆に、不出来な次男の、江戸ではなく明治という時代における、しかも英国を代表とする海外の近代ではなく、遅れて来た日本の近代における、権威と社会への相克を、恋愛を通して、漱石は書いてみせたということになる。

<十二章>の佐川の令嬢との歓談の場面で、エマーソンとホーソーンが話題にあがったが、ホーソーンの姦通小説『緋文字』を思わせる「正当」と、その結果としての「炎火」のイメージである。

 

<「焦る焦る」と歩きながら口の内で云った。

 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直に走り出した。代助は車のなかで、

「ああ動く。世の中が動く」と傍《はた》の人に聞える様に云った。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従って火の様に焙《ほて》って来た。これで半日乗り続けたら焼き尽す事が出来るだろうと思った。

 忽《たちま》ち赤い郵便筒《ゆうびんづつ》が眼に付いた。するとその赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘《こうもりがさ》を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲るとき、風船玉は追懸《おっかけ》て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺《す》れ違うとき、又代助の頭の中に吸い込まれた。烟草屋《たばこや》の暖簾《のれん》が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄《ほのお》の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行《ゆ》こうと決心した。>

   

 恋する私は狂っている、そう言える私は狂っていない、というのであれば、代助はいまや狂っている。

 最終章の三千代の不在は、その自然な感情を、その未来を、生死を、意識しつつ遠ざけようとした漱石の、書くことかなわなかった空白という解だった。代償として、避けられない愛の純粋が様々な罪を犯してしまった代助の、幻覚のような赤と電車の強迫観念《オブセッション》を現出させて、どこかへ運ぶ。

 疑問符だらけの作品を、漱石はあえて読者に差し出した。あの日、誘惑者三千代が持参した三本の百合の香のように。

                                 (了)

        ***主な引用または参考文献***

*『それから』夏目漱石新潮文庫

*『それから』夏目漱石(「作品解説」角川源義、「「それから」について」武者小路実篤、「「それから」を読む」阿部次郎)(集英社文庫

*『漱石作品集成 それから』(「長井代助――現代文学にあらわれた智識人の肖像」亀井勝一郎)(桜楓社)

*『漱石研究10 それから』(翰林書房

*『増補 漱石論集成』柄谷行人平凡社

*『漱石記号学石原千秋講談社

*『反転する漱石石原千秋青土社

*『漱石 母に愛されなかった子』三浦雅士岩波書店

*『漱石を読みなおす』小森陽一筑摩書房

*『漱石論 21世紀を生き抜くために』小森陽一岩波書店

*『夏目漱石を江戸から読む』小谷野敦(中公論新社)

*『夏目漱石論』蓮實重彦講談社

*『夏目漱石の時間の創出』野網摩利子(東京大学出版)

*『小説家夏目漱石大岡昇平筑摩書房

*『日本語で書くということ』水村美苗(「見合いか恋愛か――夏目漱石『行人』論」、「『男と男』と『男と女』――藤尾の死」)(河出書房新社

*『百年後に漱石を読む』宮崎かすみトランスビュー

*『漱石とその時代』江藤淳(新潮社)

*『闊歩する漱石丸谷才一講談社

*『夏目漱石を読む』吉本隆明筑摩書房

*『「色」と「愛」の比較文化史』佐伯順子岩波書店