文学批評 「鴎外『雁』の涙する視線」

  「鴎外『雁』の涙する視線」

 

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<1.1 藍色>

 運命は青でひらかれてゆく。森鴎外『雁』のなかで青系の色は肯定的なはじまりの色としてあらわれる。いつでも青の語があらわれるとき、物語を読むものは恋のはじまりの予感を抱く。まず紺からはじめよう。

《紺縮(こんちぢみ)の単物(ひとえもの)に、黒繻子(くろじゅす)と茶献上との腹合せの帯を締めて、繊(ほそ)い左の手に手拭(てぬぐい)やら石鹸箱(シャボンばこ)や糠袋(ぬかふくろ)やら海綿やらを、細かに編んだ竹の籠(かご)に入れたのを懈(だる)げに持って、右の手を格子に掛けたまま振り返った女の姿が、岡田には別に深い印象をも与えなかった。》

 なにほどでもないかのように青をまとった女が登場する。つづいて、

《しかし結い立ての銀杏返(いちょうがえ)しの鬢(びん)が蟬(せみ)の羽(は)のように薄いのと、鼻の高い、細長い、稍(やや)寂しい顔が、どこの加減か額から頬に掛けて少し扁(ひら)たいような感じをさせるのとが目に留まった。岡田は只それだけの刹那(せつな)の知覚を閲歴したと云うに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまう頃には、もう女の事は綺麗に忘れていた。》

 プンクトゥム(刺すもの)の気配に恋かと思わせて、忘れたと突き放す。

《しかし二日ばかり立ってから、岡田は又無縁坂の方へ向いて出掛けて、例の格子戸の家の前近く来た時、先の日の湯帰りの女の事が、突然記憶の底から意識の表面に浮き出したので、その家の方を一寸見た。》

 意味は深いところの眠りから時間を経て、突然の恋情となることがあるけれど、ここでの感情はいったい何と呼ぶべきなのか。

 そしてまた青が顔をだす。

《竪(たて)に竹を打ち附けて、横に二段ばかり細く削った木を渡して、それを蔓(かずら)で巻いた肘掛窓(ひじかけまど)がある。その窓の障子が一尺ばかり明いていて、卵の殻を伏せた万年青(おもと)の鉢が見えている。》

 万年青は妾宅の記号でもあったという。

《そして丁度真ん前に来た時に、意外にも万年青の鉢の上の、今まで鼠色(ねずみいろ)の闇に鎖されていた背景から、白い顔が浮き出した。》

 徐々にお玉に焦点が合わさってゆく。お玉にとってはなおのこと、あのめくるめく感情の震えを告げる青なのだ。

《お玉の家では、越して来た時掛け替えた青簾(あおすだれ)の、色の褪(さ)める隙(ひま)のないのが、肘掛窓(ひじかけまど)の竹格子の内側を、上から下まで透間(すきま)なく深く鎖(とざ)している。》

 お玉の心を激しく収斂しながら、同時におおらかに開放する青は、岡田にとってもある種の符号を秘めていて、たとえば「小青」という名前で深層心理を語る。

《同じ虞初新誌の中(うち)に、今一つ岡田の好きな文章がある。それは小青伝であった。その伝に書いてある女、新しい詞で形容すれば、死の天使を閾(しきい)の外に待たせて置いて、徐(しず)かに脂粉の粧(よそおい)を凝(こら)すとでも云うような、美しさを性命にしているあの女が、どんなにか岡田の同情を動かしたであろう。》

 青は狂言回しのように物語を展開させる。たとえばある日印絆纏(しるしばんてん)を裏返しに着た男が金を無心するので、お玉は青い五十銭札を二枚渡す。このことがきっかけで隣の裁縫のお師匠さんと親しくなり、岡田の名前を教わる。お玉は一歩踏み出そうとしている自分を知ってか知らずか、檀那の留守を千載一遇ととらえて女中の梅を親もとに泊まらせようと浮き立つ。お玉は洗い物をはじめる梅が気が気でない。待つことは苦痛にして、しかし快楽であると感じつつあるお玉は梅に、髪はゆうべ結ったからそれでよい、早く着物をお着替えよ、なんにもお土産がないからこれを持ってお出、と追い出すようにせかして紙包を渡すが、その中にもまた半円の青い札がはいっていた。さらには、青大将が、二人が言葉を交すきっかけとなったのは知ってのとおりである。

 

<1.2 空宇(くうう)を見上げる>

 季節は九月から寒い時候へと移る。お玉は見上げたりしない。空宇というひろがりを感じとることは彼女の人生に存在しえないのだ。いつでもうつむいて箱火鉢という箱庭で心をいやしている。せいぜいが窓という枠に区切られた外側を覗くのが精一杯。空の彼方、海の向こうのヨーロッパまでを見上げて一夜にして実行に移す男と、恋する相手を待って坂上を見上げ、一生に一度と上気する女の交錯の場、それが無縁坂だった。お玉の囲われている妾宅が坂の上でも下でもなく、坂を降りかかった宙ぶらりんの場所に位置することの象徴性。その密かな場所は、しかし裁縫を教える為立物師(したてものし)でべちゃくちゃ盛んにしゃべる娘たちで騒がしい、という静と動の隣接。排除され隠されるべき部分と社会性という生産の場が坂という境界に設定されている。

 お玉は空宇を見上げない。かわってお玉は振りかえる。《戸を明けようとしていた女が、岡田の下駄の音を聞いて、ふいと格子に掛けた手を停めて、振り返って岡田と顔を見合わせたのである。》 だが坂という境界では決して振り返ってはならないのは神話にあきらかな禁忌の古層であった。

 

<1.3 この世ならぬもの>

 お玉にとってこの世ならぬものなどないはずだった。この世ならぬものを空想することさえ宥されていなかったのだから。けれども、それは不意にあらわれた。

《それでもお玉は毎日見るともなしに、窓の外を通る学生を見ている。そして或る日自分の胸に何物かが芽ざして来ているらしく感じて、はっと驚いた。意識の閾(しきい)の下で胎を結んで、形が出来てから、突然躍り出したような想像の塊(かたまり)に驚かされたのである。》

 この世ならぬものは無意識の領域から唐突に溢れだして混乱を引きおこす。それはお玉において一撃とでもいった恋心を目覚めさせ、もしかしたら自我というものに気づかせる、妾という身分に甘んじるためには危険な瞬間かもしれなかった。

《とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中に若し頼もしい人がいて、自分を今の境界(きょうがい)から救ってくれるようにはなるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽(ふけ)る自分を、忽然(こつぜん)意識した時、はっと驚いたのである。》

 

<1.4 刹那(せつな)

 岡田にとっての刹那とお玉にとっての刹那は意味が違う。岡田は刹那の感覚を無意味に変換する方程式を身につけていて、たとえば銀杏返しの鬢の寂しい顔のお玉を芽に留めたその刹那、

《岡田は只それだけの刹那(せつな)の知覚を閲歴したと云うに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまう頃には、もう女の事は綺麗に忘れていた。》

 ところで、愛すべき初心(うぶ)なお玉を描く鴎外は漱石より女をわかっていたと言えるのかどうか。

《そしてふと自分の方から笑い掛けたが、それは気の弛んだ、抑制作用の麻痺した刹那の出来事で、おとなしい質のお玉にはこちらから恋をし掛けようと、はっきり意識して、故意にそんな事をする心はなかった。》

 ついでお玉は錯覚する。つまり恋とは錯覚からはじまるときが哀しくも甘い。

《岡田が始て帽子を取って会釈した時、お玉は胸を躍らせて、自分で自分の顔の赤くなるのを感じた。女は直感が鋭い。お玉には岡田の帽子を取ったのが発作的行為で、故意にしたのではないことが明白に知れていた。》

 女の直感は鋭くとも、岡田が故意にしなかったということがのちのちどういう結果をもたらすかまでは想像が及ばない無垢さ。二人の真摯さの質が違う。言質をとられないというずるさが行為にまであらわれる岡田にひきかえ、お玉の刹那は一瞬の悦びがすべてである。それは末造とはじめて目見えした場面でもあきらかで、高利貸しというおぞましき言葉に思い至らない。

《お玉の方では、どうせ親の貧苦を救うために自分を売るのだから、買手はどんなでも構わぬと、捨身の決心で来たのに、色の浅黒い、鋭い目に愛敬(あいきょう)のある末造が、上品な、目立たぬ好みの支度をしているのを見て、捨てた命を拾ったように思って、これも刹那(せつな)の満足を覚えた。》

 

 <1.5 わたしは決めた>

 お玉は決めた。末造が千葉へ往って留守になる機会をとらえて梅を親もとへ泊まらせようと。お玉ははじめて自分から動く。天動説は恋によって地動説にかわる。

《お玉はじっと梅の顔を見て、機嫌の好い顔を一層機嫌を好くして云った。「あの、お前お内へ往きたかなくって」》

 とうとうお玉は本能のようにたくらみの一歩を踏みだす。神の眼は「僕」の名を借りる。

《家の前にはお玉が立っていた。お玉は寠(やつ)れていても美しい女であった。しかし若い健康な美人の常として、粧映(つくりばえ)もした。僕の目には、いつも見た時と、どこがどう変っているか、わからなかったが、とにかくいつもとまるで違った美しさであった。》

 おそらくお玉は恋という言葉を知っていて、それゆえに本当の恋で知らず美しくなった。暗くなってからもお玉はそこに在り続けた。雁を外套の下に隠して、ふたたび戻って来た僕と岡田は坂の中程に立ってこちらを見ている女の姿を認める。

《なぜだか知らぬが、僕にはこの女が岡田を待ち受けていそうに思われたのである。果して僕の想像は僕を欺かなかった。女は自分の家よりは二三軒先へ出迎えていた。》

 この二三軒のなんと大きな距離であったことだろう。時間ばかりか空間もまた伸び縮みするのだ。立ち続けることは少しも耐えることではない。恋する者にとってそれは悦楽の時間。

 

<1.6 ユニコーン

 クリュニー中世美術館のタピスリーに織りこまれたユニコーンといえば、リルケ『マルテの手記』の一節が思い浮かぶ。鴎外は明治42年(1909年)の時点でまだ無名に近かったリルケの戯曲を「家常茶飯」として翻訳し、ついで小説『白』(明治43年)、戯曲『白衣の夫人』(大正5年)を紹介した。それは『雁』がスバルに連載された明治44年から大正2年にオーバラップする。リルケへの関心は、リルケが師事していたロダンへの興味(明治43年にはロダンを主人公に短編『花子』を書いている)にもよるのだろうが、なによりも内と外とを往き帰しつつ内へ内へと掘り下げてゆく芸術家の象徴的でいてしかも明晰な生の歓喜と退廃の共存する言語の詩に共感したからだろう。

鴎外はそのくわだての果ての怖ろしさを岡田のごとく直感的に認識して史伝へと向かったに違いない。作品が作家を作ることは医学者鴎外にとって科学ではなかった。あくまで鴎外にとっては作家が作品を作らねばならなかった。そして、それを選んでゆくことになる。鴎外が『雁』を連載しはじめた明治44年(1911年)9月は大逆事件幸徳秋水らが処刑された半年後だった。近代日本が大きくカーブを切る変曲点だと自身感づいていたはずで、ゆえに『雁』は作家にとっての変曲点に位置している。

 

 <2.1 視線は通過したがる>

 他の多くの作家がそうであるように鴎外もまた五感のうちの視覚の作家である。同じ医学者の斉藤茂吉が視覚的であるとともに皮膚感覚としての赤の触覚を示しているのとは違い、他の感覚をあらわさない。感覚の重要性を鴎外は美学者ハルトマンの援用で承知していたが、頭で理解していることと生理的に身につけていることとは自覚していたとおり異なる。

 ここにある視線は幾何学的だ。拡散するというよりは焦点を結ぶ。視線に温度や硬度があるならばそれはダイヤモンドの冷やかさと硬さである。あるいはバカラグラスのようにたっぷりと鉛を含んだクリスタルの重さと透明さ。スピノザ的な構築の視線はレンズに屈折する光線のごとき直進性であって、螺旋を描いたりメビウスの輪となって欲情することはない。無機的な視線は蛇のように絡みあうことなく、ユークリッド幾何学として一点で交差するか永遠にすれちがうかである。多重映像やぼやけによって粘りつく官能の視線ではない。鴎外の視線は静かな抒情と理知のそれだがときに恋する女は裏切るように歪める。

 お玉のまなざしははじめあてもなく泳いでいる。作者はそれを溺れさせずに一点に焦点を合わせよう、実体を確認させようとレンズを調整してゆく。はじめはこうだった。

《無聊(ぶりょう)に苦しんでいるお玉は、その窓の内で、暁斎(ぎょうさい)や是真(ぜしん)の画のある団扇を幾つも挿した団扇挿しの下の柱にもたれて、ぼんやり往来を眺めている。》

 いつしか目的を持ちはじめ、像を求める。音が目覚めさせた。

《三時が過ぎると、学生が三四人ずつの群をなして通る、その度毎に、隣の裁縫の師匠の家で、小雀の囀(さえず)るような娘達の声が一際喧(やかま)しくなる。それに促されてお玉もどんな人が通るかと、覚えず気を附けて見ることがある。》

 焦点距離が合った映像は今度は名前を持ちたがる。まずは「あの人」という代名詞から、ついで「あの人」だけの固有名詞を。

《お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、自惚(うぬぼれ)らしい、気障(きざ)な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初(そ)めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。》

 裁縫の師匠お貞の「あなた岡田さんがお近づきですね」のひと言で、「あの人」のことだと知ったお玉は「岡田」と口の内で繰りかえした。名を知ることでもはや「あの人」の半分を手に入れたかのように。

 ついで登場人物たちの見るという所作が交錯する一節がある。「見る」という語が毎行のように主語を入れかえてはあらわれ、見たがる。見えるものを確認してやまない。

《小僧は岡田の顔を見て、「蛇を取りましょうか」と云った。「うん、取るのは好(い)いが、首を籠の真ん中の所まで持ち上げて抜くようにしないと、まだ折れていない竹が折れるよ」と、岡田は笑いながら云った。小僧は旨く首を抜き出して、指尖(ゆびさき)で鳥の尻を引っ張って見て、「死んでも放しゃあがらない」と云った。

 この時まで残っていた裁縫の弟子達は、もう見る物が無いと思ったか、揃(そろ)って隣の家の格子戸の内に這入った。

「さあ僕もそろそろお暇(いとま)しましょう」と云って、岡田があたりを見廻した。

 女主人はうっとりと何か物を考えているらしく見えていたが、この詞(ことば)を聞いて、岡田の方を見た。そして何か言いそうにして躊躇(ちゅうちょ)して、目を脇へそらした。それと同時に女は岡田の手に少し血の附いているのを見附けた。》

 ついに恋する女の視線は細部まで見届けるほどの顕微鏡的視力を持つにいたった。

 岡田の視線は《「さようなら」と云って、跡を見ずに坂を降りた》のように通過してしまう。お玉の視線は今では注視どころか凝視したがる。二人の視線の性質が恋することで入れ換わってしまったのだ。鴎外のポーズを裏切るように、作家の本質にありつづけたロマンティシズムと官能性が滲みでてしまう。声が出ないお玉の心は震え、視線は光を集める。

《お玉の目はうっとりとしたように、岡田の顔に注がれた。岡田は慌てたように帽を取って礼をして、無意識に足の運(はこび)を早めた。

 僕は第三者に有勝(ありがち)な無遠慮を以て、度々背中(うしろ)を振り向いて見たが、お玉の注視は頗(すこぶ)る長く継続せられていた。》

 その後ふたたび無縁坂で、瞑目するお玉の視線が涙する。

《そして彼は偶然帽を動かすらしく粧(よそお)って、帽の庇(ひさし)に手を掛けた。女の顔は石のように凝っていた。そして美しく睜(みは)った目の底には、無限の残惜しさが含まれているようであった。》

 恋をすると思わなくては恋にならない。目に心をこめなくては恋するものにならない。恋するものの視線だけが涙する。

 

<2.2 覗くことは卑しい行為か>

 窓から覗くことの意味はすでに語りつくされているし、窓の格子に似た鳥籠の象徴性も通俗すぎるので追わない。ここでは、団扇挿しの下の柱にもたれて、肘掛窓の竹格子から、ぼんやり往来を眺めているお玉には。『一遍聖絵』などにある扇の骨のすきまから公界の場を覗き見る人物像との関連があるだろうことを指摘しておきたい。また蛇によってあけられた鳥籠の穴が、他ならぬ岡田の手で、お玉の元結(もとゆい)を使って鎖されたエピソードは幾重にもフロイト的な解釈を適用できるが、あえて立ちどまる必要もないだろう。

 ところで岡田は跡を見ずに坂を降りてしまうが、それはあまりに『金瓶梅』と違う。岡田はじゅうじゅうわかっていたはずだ、蛇退治をした日の午前中、寝転んで『金瓶梅』を読んでいて頭がぼうっとして来たのでぶらぶら出掛けて妙な事に出逢ったのだから。その『金瓶梅』の金蓮もまた簾のそばにたたずみ、往来を眺めることで西門慶に出会ったのは周知のとおりだ。『金瓶梅』の《かねてから金蓮は念入りにめかして、武大が出かけるとすぐ門口の簾のそばにたたずみ、男が帰って来そうなころおい、簾をはずして部屋に引きさがるのがつねでしたが、ある日、さもありそうなことですが、ひとりの男が簾の向うを通りかかった。昔からちょうどいいことがなければ、物語にならないと申します。夫婦の縁とて当然めぐりあいというわけ。女がちょうど掛け竿を手にして簾を掛けていると、さっと吹いて来た一陣の風に掛け竿を吹きたおされ、それが、しっかり持っていなかったものですから、まともにその男の頭巾にぶつかってしまった。》 この男こそが西門慶で、彼は跡を見ずに去ることなどなく《帰りぎわに七八ぺんも振り返って、そのまま肩をふりふり扇をかざしながら去ってゆきました》というありさまで、金蓮もまた《簾のそばに立ちつくして、男の見えなくなるまでに恋しげに見送り》といったぐあいだ。ここから両人抱き合って蛇のように舌を吸いあい、春ごころがきざすまでの時間のなんと短いことか。

『雁』の視線がいかに近代明治の抑圧の下にあるかがこれでわかる。しかしもっと言えば江戸の爛熟とて、近松の姦通物三篇にみるとおり、遊女にあらざる妻に対しては恋愛感情存在しえないパラダイムで、金蓮の自由意思との差異にあらためて驚かされる。

 

<2.3 黙っている自分に赤面する>

 お玉はたびたび赤面する。京都盆地の寒暖の差が美しい紅葉をもたらすように、黙っていることが頬を染める。音になって外気へ発せられない声の粒が赤い色素に沈潜して肌に散る。

《「あら、わたくしが掃きますわ」と云って、台所から出た梅を、「好いよ、お前は煮物を見ていておくれ、わたし用が無いからしているのだよ」と云って追い返した。そこへ丁度岡田が通り掛かって、帽を脱いで会釈をした。お玉は帚を持ったまま顔を真っ赤にして棒立に立っていたが、何も言うことが出来ずに、岡田を行き過ぎさせてしまった。》

 思考が停止する。恋の言葉を与えられていない女がいる。《檀那の前では間の悪いような風はしていても、言おうとさえ思えば、どんな事でも言われぬことは無い》のに。

《お玉は手を焼いた火箸(ひばし)をほうり出すように帚を棄てて、雪踏を脱いで急いで上がった。お玉は箱火鉢の傍(そば)へすわって、火をいじりながら思った》の「思った」は無意識に近く、《それに岡田さんにはなぜ声が掛けられなかったのだろう。あんなにお世話になったのだから、お礼を言うのは当前(あたりまえ)だ。それがきょう言われぬようでは、あの方に物を言う折は無くなってしまうかも知れない》から延々とつづく内的独白の最後、《お玉はこんな事を考えて火をいじっているうちに、鉄瓶の蓋(ふた)が跳(おど)り出したので、湯気を洩(も)らすように蓋を切った》の火は欲情の炎であり、湯気は情動でしゅうしゅういっている。

 そもそもお玉はすぐに赤面するのだった。はじめからそうだった。

《通る度に顔を見合せて、その間々にはこんな事を思っているうちに、岡田は次第に「窓の女」に親しくなって、二週間の立った頃であったか、或る夕方例の窓の前を通る時、無意識に帽を脱いで礼をした。その時微白(ほのじろ)い女の顔がさっと赤く染まって、寂しい微笑(ほほえみ)の顔が華やかな笑顔になった。》

 その後も《女中の立った跡で、恥かしさに赤くした顔に、つつましやかな微笑を湛(たた)えて酌をするお玉》、《お玉はふいと自分の饒舌(しゃべ)っているのに気が附いて、顔を赤くして、急に話を端折(はしよ)って、元の詞数の少い対話に戻ってしまう》、《お玉の顔はすぐに真っ赤になった。そして姑(しばら)く黙っている。どう言おうかと考える。細かい器械の運転が透き通って見えるようである》の初々しさ。

 恋の成就の期待から《ほんのりと赤く匀(にお)った頬のあたりをまだ微笑(ほほえみ)の影が去らずにいる》お玉は、梅を実家に戻したあと洗い物をはじめるが《取り上げた皿一枚が五分間も手を離れない。そしてお玉の顔は活気のある淡紅色に赫(かがや)いて、目は空(くう)を見ている》という法悦の表情である。

 

<3.1 うすうすと緑が立つ>

『雁』に登場する植物のなんとうらがなしいことか。鴎外は花日記のたぐいをつけていた人であったのに。高野槇(こうやまき)、ちゃぼ檜葉(ひば)、梧桐(あおぎり)、側栢(ひのき)といったほこりっぽい庭木があるばかりだ。

 末造がお玉と目見えする松源の床の間に生けられた一輪挿の山梔(くちなし)の花とてはかなげで、万年青(おもと)といい、青大将の下半身がばたりと落ちた麦門冬(りゆうのひげ)にせよ、寂しさばかり際立つ。「僕」の父が裏庭に作っていた女郎花(おみなえし)やら藤袴(ふじばかま)やらにしても華やかとは言いがたく、冬へと近づけばあの雁のいた池の葦は枯葉となって死霊ただようばかりとなる。

《その頃は根津に通ずる小溝(こみぞ)から、今三人の立っている汀(みぎわ)まで、一面に葦が茂っていた。その葦の枯葉が池の中心に向って次第に疎(まばら)になって、只枯蓮(かれはす)の襤褸(ぼろ)のような葉、海綿のような房(ぼう)が基布(きふ)せられ、葉や房の茎は、種々の高さに折れて、それが鋭角に聳(そび)えて、景物に荒涼な趣を添えている。》

 ここには芽生えがない。灰色に濁った夕(ゆうべ)の空気を透かしてお玉はあらわれ、闇にとざされる宵に希望のようなものを見送ったのだ。

 

<3.2 水音が聞こえる>

 すでに指摘されていることではあるが、鴎外には溺死への希求がある。そのイマージュは『うたかたの記』のルートヴィッヒ二世とマリイの事件、『山椒大夫』の安寿の入水、『於母影』の翻訳詩『オフェリアの歌』にみられるとおりだ。『高瀬舟』とて黄泉への流出ととれなくもない。その演繹から池の水面で死んだ雁をお玉の運命の符号と読み取ることは実直な反応ではあるが、水葬のイマージュよりも『雁』に何度かあらわれる「洗う」ことの隠喩(メタファー)にひかれる(同じように、岡田がなぜ雁に石を当てたかを道徳的に考えたがるよりも、《学科の外の本は一切読まぬ》石原という男、《そう物の哀(あわれ)を知り過ぎては困るなあ》と岡田に石を投げさせ、《女を見ることは見たが、只美しい女だと思っただけで意に介せずにしまった》らしい《雁を肴に酒を飲む》石原とは、近代日本における何者であったのかを考えるべきであろう、鴎外がそのような男を自己に引きよせてどう思っていたかとともに)。

 お玉はまず洗い清められた湯帰りの女として男の前に立ちあらわれたことを思いだすべきだ。ついでお玉は青大将を退治した岡田に小指についた血を洗い落とすよう促す。これは《あなたの手は血で穢れ》、《あなたの指は不義で穢れ》(『イザヤ書』)と同じ古層のおぞましきもの(アブジェクシオン)を、夢みた岡田がもたらしたことで、魅かれつつも排除しようとしたのではないか。

 また、洗物ですぐに手が荒れることは、女中梅が自分よりさらに下層な階級の出であると教えて優越感を持たせたりもする。

《「なんでも手を濡らした跡をそのままにして置くのが悪いのだよ。水から手を出したら、すぐに好く拭いて乾かしてお置。用が片附いたら、忘れないでシャボンで手を洗うのだよ」こう云ってシャボンまで買って渡した。》

 鴎外は、《横着になると共に、次第に少しずつじだらくになる》お玉を洗いの所作だけで活写する。《末造はこのじだらくに情欲を煽られて、一層お玉に引き附けられるように感ずる》の女の変化(へんげ)の怖さで人物は深まる。

《お玉はしゃがんで金盥(かなだらい)を引き寄せながら云った。「あなたは一寸(ちょっと)あちらへ向いていて下さいましな」

「なぜ」と云いつつ、末造は金天狗(きんてんぐ)に火を附けた。

「だって顔を洗わなくちゃ」

「好いじゃないか。さっさと洗え」

「だって見ていらっしゃっちゃ、洗えませんわ」

「むずかしいなあ。これで好いか」末造は烟(けぶり)を吹きつつ縁側に背中を向けた。そして心中になんと云うあどけない奴だろうと思った。

 お玉は肌も脱がずに、只領(えり)だけくつろげて、忙がしげに顔を洗う。》

 いつのまにか檀那になじんでしまった女の手の動きが、恋の出逢いを待てなくて知らず胸の締めつけと高鳴りに妄想をたぐりよせる。

《梅をせき立てて出して置いて、お玉は甲斐甲斐(かいがい)しく襷を掛け褄を端折(はしよ)って台所に出た。そしてさも面白い事をするように、梅が洗い掛けて置いた茶碗や皿を洗い始めた。こんな為事は昔取った杵柄(きねづか)で、梅なんぞが企て及ばぬ程迅速に、しかも周密に出来る筈のお玉が、きょうは子供がおもちゃを持って遊ぶより手ぬるい洗いようをしている。》

 女は恋の観念を自ら弄んでいる。《そしてその頭の中には、極めて楽観的な写像が往来している》となって、《思い続けているうちに、小桶の湯がすっかり冷えてしまったのを、お玉はつめたいとも思わずにいた》というほど一途な女をどうして棄てられようか。

 

<3.3 ふたひらの耳が捉えるもの>

『東京方眼紙』を著した鴎外が地誌的視覚の持ち主であったのは見てきたとおりである。五感の第一といわれる視覚は別格として、聴覚について考察してみれば、訳詩にみる音感の確かさは疑うべくもないが、生理的本質において耳の作家であったかといえば首をかしげざるをえない。『雁』のなかで作家の耳が捉えた音はほんのわずかでしかないからだ。これらの音たちは時間と添い寝して記憶を呼びさます。音が記憶を覚醒する。音が過去を刻印する。

《その時末造が或る女を思い出した。それは自分が練塀町(ねりべいちよう)の裏からせまい露地を抜けて大学へ通勤する時、折々見たことのある女である。(中略)最初末造の注意を惹(ひ)いたのは、この家に稽古(けいこ)三味線の音(ね)のすることであった。それからその三味線の音の主が、十六七の可哀(かわい)らしい娘だと云うことを知った。》

三絃の音を響かせる娘は処女だったころのお玉だった。生娘ではなくなっているのを知り、お玉を妾にしたくて松源で目見えをしたさいのこと、

《突然塀の外に、かちかちと拍子木を打つ音がした。続いて「へい、何か一枚御贔屓様(ごひいきさま)を」と云った。二階にしていた三味線の音が止まって、女中が手摩(てすり)に摑(つか)まって何か言っている。下では、「へい、さようなら成田屋の河内山(こうちやま)と音羽屋(おとわや)の直侍(なおざむらい)を一つ、最初は河内山」と云って、声音を使いはじめた。》

 音が氾濫していなかったあの時代、声音を書きわけることが小説家の耳であったから、この場面はよしとして、お玉の声を鈴虫の鳴くようだと感じ、妻の声が狸が物を言うようだと思う末造の心の戯画の耳は通俗といってよかろう。

 印象的なのは、夜を切り裂く人わざのノイズと動物たちの鳴き声だ。

《岡田は不精らしく石を拾った。「そんなら僕が逃がして遣る」つぶてはひゅうと云う微かな響をさせて飛んだ。僕がその後方をじっと見ていると、一羽の雁が擡げていた頸をぐたりと垂れた。それと同時に二三羽の雁が鳴きつつ羽たたきをして、水面を滑って散った。》

 だが一番聞きたい音、岡田がはじめてお玉を見たときの格子戸があく音が聞こえてこない。

 

<4.1 体内にはガラスがある>

 レンズ研磨職人でもあったスピノザを思う。レンズ・プリズムから虹の光学理論を導いたゲーテに思いをはせる。光学と幾何学はクリスタルな婚姻を結び、屈折光学という美しい物理学を構築した。『ファウスト』を翻訳した鴎外は、ゲーテスピノザを愛読していたのを知っていた。スピノザの名は自ら創刊した文学評論誌『柵(しがらみ)草子』に、お気に入りのハルトマン、レッシングの泉として湧き出ている。《わが第十九基督世紀のハルトマンが唯一論(モニスムス)に取るところあるは、それ猶レッシングが第十七基督世紀のスピノツアが唯一論に取るところありしがごときか。》

 レンズは顕微鏡にも望遠鏡にもなる。顕微鏡を発明したオランダのレーウェンフック(1632年生)は事物を見えるがままに調べ、記録するためには真摯な手、忠実な目のみが必要だと語ったが、それは鴎外のことでもあった。スピノザ(1632年生)の『エティカ』の静謐な哲学体系は、フェルメール(1632年生)の絵の技法としてのカメラ・オブスキュラの、一点の穴から円錐形となって拡がって平面に像を結んだその写像の明晰さと同一の精神にある。

 鴎外の合理的精神、つまりは独逸医学をを学んだ勤勉な精神は、『東京方眼図』のような測量士の科学精神で事物をXY軸にプロットせずにいられない。そうしておけば自己の内面に土足で踏み込まれずに表層にとどめておけるという防衛本能もあった。

『雁』には円錐の立方積の公式が唐突に持ちだされたり、雁を取りに池に入るとき「延線」という科学用語が使われたり、岡田に「Parallaxe(パララツクセ)」のような理屈だな」(「Parallaxe(パララツクセ)」とは視差のこと)と言わせたりする場面がある。レンズそのものは登場しないが「Parallaxe(パララツクセ)」を先駆けとして、『雁』という物語を二枚のレンズで見るように要求してくる。

《僕は今この物語を書いてしまって、指を折って数えてみると、もうその時から三十五年を経過している。物語の一半は、親しく岡田に交(まじわ)っていて見たのだが、他の一半は岡田が去った後(のち)に、図らずもお玉と相識になって聞いたのである。譬(たと)えば実体鏡の下にある左右二枚の図を、一(いつ)の影像として視(み)るように、前に見た事と後に聞いた事とを、照らし合せて作ったのがこの物語である。》

 空間の混沌をレンズによって認識論的秩序に変換することはできても、時間の混沌を感覚のレンズによって秩序だてることなどできない。事物は「exact」とならず、万華鏡のなかの千万の花びらのようにくるくると廻っては形象をかえる。『雁』の冒頭文《古い話である》と、さきほどの最後の文とが二枚のレンズで焦点を合せることなく、ただの言い訳にしか聞こえてこないのと似ている。このずれこそが『雁』という小説を繰りかえし読みうるものにしている理由であって、新生の徴候の中に、私たちは見えないものを見なくてはならない。

 

<4.2 壊れるのを待つ>

 ガラスはオブジェになる。お玉は「美術品」のような壊れやすいオブジェである。道学者めいてお玉の自我の覚醒など見たがるのは田舎者というもので、とりわけ末造に対する心の変化を描いた文章を引用して力説するなどは野暮のかぎりだ。

 小説家のよく見える眼は神宿る細部に向かってプンクトゥムを穿つ。

《結い立ての銀杏返(いちょうがえ)し鬢(びん)が蟬(せみ)の羽のように薄いのと、鼻の高い、細長い、稍(やや)寂しい顔が、どこの加減か額から頬に掛けて少し扁(ひら)たいような感じをさせるのが目に留まった。》

 まるでガラス細工のようではないか。そのうえ檀那になる末造は値踏みしているのか、床の間の置き物に魅入っているのか、

《ふっくりした円顔の、可哀らしい子だと思っていたに、いつの間にか細面になって体も前よりはすらりとしている。さっぱりとした銀杏返(いちょうがえ)しに結(い)って、こんな場合に人のする厚化粧なんぞはせず、殆ど素顔と云っても好(よ)い。それが想像していたとは全く趣が変っていて、しかも一層美しい。末造はその姿を目に吸い込むように見て、心の内に非常な満足を覚えた。》

 オブジェはお眼鏡(めがね)にかなったのである。江戸の粋の血をひく掘出し物は恍惚と壊れるのを待つガラスだった。

 ついで紅雀も雁も壊れるのを待ち、青大将もまたそうだった。岡田は出刃包丁を手に、

《包丁で蛇の体を腕木に押し附けるようにして、ぐりぐりと刃を二三度前後に動かした。蛇の鱗(うろこ)の切れる時、硝子(がらす)を砕くような手ごたえがした。》

 そういえばお玉の父はかつて飴細工の床店を出していたそうだが、それもまたはかない工芸品である。

 ところで岡田も石原も僕も決して壊れないだろう。彼らは知っている。何が壊れやすいかを、壊れやすいものを壊れやすい場所に置いてはいけないことを。《女と云うものは岡田のためには、只美しい物、愛すべき物であって、どんな境遇にも安んじて、その美しさ、愛らしさを護持していなくてはならぬように感ぜられた。》 壊すことが恋であるのだから、岡田は恋から逃げている。彼らを裏切るようにお玉はなぜ落下して壊れなかったのだ、自ら。

 

<4.3 抱きしめます>

 五感のうちの触覚はどうだろう。それは他にもまして欠けている。言いすぎかもしれない。鴎外が性的事象に関心を寄せていたのは医学論文から容易に知れるところであるし、自身エロティックな官能を承知していたのは経歴の教えるところで、だからこそ溺れることを警戒したのだ。それは承知しているといった類いの、粋とは無縁の実直な理解でしかない。理知の人ヴァレリーが『カイエ』にエロスを書き残したのに対し、鴎外は世間と己れをあざむきつづけたか、もしくはあくまでも都会人でも地中海文明人でもなかったというまでか。

 それでも『雁』には何ヶ所かエロスが溢れだしてしまった文章がある。二つばかり引用する。ひとつは自然主義風のおぞましき肉感としての末造のお上さんお常にあらわれ、いまひとつは目の悦びが触感をともなった妾お玉のそれとして。

《丸髷の振動が次第に細かく刻むようになると同時に、どの子供にも十分の食料を供給した、大きい乳房が、懐炉を抱いたように水落(みずおち)の辺(あたり)に押し附けられるのを末造は感じながら、「誰が言ったのだ」と繰り返した。

「誰だって好いじゃありませんか。本当なんだから」乳房の圧はいよいよ加わって来る。》

《「あら、ひどい方ね」とお玉は云ったが、そのまま髪を撫で附けている。くつろげた領の下に項(うなじ)から背へ掛けて三角形に見える白い肌、手を高く挙げているので、肘の上二三寸の所まで見えるふっくりした臂(ひじ)が、末造のためにはいつでも厭きない見ものである。》

 お玉を見る末造の視線、鏡で自分の顔をみつめるお玉の視線、鏡に映った末造の顔を見つけたお玉の視線、これら三つの視線からなる三角形は鏡像の悦楽の図形である。《そこで自分が黙って待っていたら、お玉が無理に急ぐかも知れぬと思って、わざと気楽げにゆっくりした調子で話し出した。「おい急ぐには及ばないよ(後略)」》にはくつろぐ領(えり)や袖口といった開口部の駘蕩を鴎外がかつて味わったことをあかしている。

 けれど総じていえば、鴎外『我百首』の相聞歌には、すべらかでしたたるような繊細さや甘さはなく、ごつごつざわざわしたぽっと出を隠しきれていない。たとえば、「君に問ふその唇の紅はわが眉間なる皺を熨(の)す火か」、「掻い撫でば火花散るべき黒髪の縄に我身は縛られてあり」、「処女(しよぢよ)はげにきよらなるものまだ售れぬ荒物店の箒(はゝき)のごとく」では芥川龍之介に、詩人よりも何か他のものだった、と批評されても仕方あるまい。それでもお玉や『舞姫』エリスのような薄幸の女を書くときには詩が宿ったのは、作家が俗物ではなく、一級の古典的教養、文体からくるものであったろう。

 

<5.1 あの骨>

 供犠の場で骨は聖別される。腰骨、頭蓋骨、脛骨などは祭壇に捧げられる。火葬した灰のなかから遺骨を拾い上げることは神聖な行為に違いない。お玉は繰りかえし火箸で灰をいじる。灰をいじくりまわすときお玉は根源的な神話に近づく。

《お玉は火箸で灰をいじりながら、偸(ぬす)むように末造の顔を見ている。「でもいろいろと思って見ますものですから」》

 思っているうちに知らず火箸の先が動き、灰の表に文字が描かれては掻き消される。

《箱火鉢の傍に据わって、火の上に被(かぶ)さった灰を火箸で掻き落していたお玉は、「おや、何をあやまるのだい」と云って、にっこりした。》

 考えが啓示のようにやって来たのだ。梅を許して早く家に帰らせ、秘密の時を持とうと。ためらいの灰を掻き落して情熱の赤をあらわにするとき、姦通という文字が神話として炎をあげる。そして神話に従う女に罪の意識は微塵もない。

《膳を膳棚にしまって箱火鉢の所に帰って据わったお玉は、なんだか気がそわそわしてじっとしてはいられぬと云う様子をしていた。そしてけさ梅が綺麗(きれい)に篩(ふる)った灰を、火箸で二三度掻き廻したかと思うと、つと立って着物を着換えはじめた。》

《どうしたのが男に気に入ると云うことは、不為合(ふしあわせ)な目に逢った物怪(もつけ)の幸(さいわい)に、次第に分かって来ている》お玉の火箸を握る指さきは、すでにためらいのない覚悟の動作となって今宵の官能への期待に汗ばんでいる。鴎外は反撥を買うエリート男性の身勝手ばかりでなく、色売る女の恋心と生理さえも書けた男だった。

 

<5.2 惚れ惚れするような白さ>

 ダンテの前に白い衣装であらわれたヴェアトリーチェのように、ここぞという場面で白はお玉とともにあらわれ、作家によって書きこまれるべき隠喩(メタフア)を求める。意味の光を反射している。

《その窓の障子が一尺ばかり明いていて、卵の殻を伏せた万年青(おもと)の鉢が見えている。》

 万年青の鉢につきものな卵の殻の白のおぞましさ。檀那が昨夜勇んで飲みこんだ生卵、その生命の凝集体を包む鉱物質の殻を植物が糧とするグロテスク。

《そして丁度真ん前に来た時に、意外にも万年青の鉢の上の、今まで鼠色(ねずみいろ)の闇に鎖されていた背景から、白い顔が浮き出した。》

 この幽かさは現(うつつ)のものではないのかもしれない。実際お玉は夢の女であって、『雁』一編が「僕」のたわごとであっても不思議ではない入れ子回想物語構造がとられている。

 お玉にとって白は大切な色であり、また彼女自身も惚れ惚れするような白の女であった。

《暫(しばら)くするとお玉は起って押入を開けて、象皮賽(ぞうひまがい)の鞄(かばん)から、自分で縫った白金巾(しろかなきん)の前掛を出して腰に結んで、深い溜息(ためいき)を衝(つ)いて台所を出た。》

 前掛の白はこの時代に当然かもしれないが、それ以上の意識でお玉は腰を覆っているだろう。

《くつろげた領の下に項(うなじ)から背へ掛けて三角形に見える白い肌、手を高く挙げているので、肘の上二三寸の所まで見えるふっくりした臂(ひじ)が、末造のためにはいつまでも厭(あ)きない見ものである。》

 鴎外-荷風-谷崎の系譜といわれるのはこの感覚への眼差しと気づかせる白い肌は、『雁』の深層の図形としての三角形で、陰翳の底の白磁のごとくそこにある。もはや静謐の器ではなく、誘う白の器へと女体は変貌し、眼を誘う。

 

<5.3 甘くもなんともなくて>

 では味覚と臭覚はどうなのか。平安文学のおける食の位置に等しく、味覚の悦びに無頓着な作者がいる。とくに『雁』には偏った味覚が存在していて、雁を肴に酒を飲んだり、青魚(さば)の未醤煮が晩飯の膳に上ったりもしたが、菓子についての記述が目につく。鴎外は青魚(さば)嫌いだったらしいが、菓子好きであったかはわからない。いずれにしろ菓子は登場しても食の悦びのためではなく小道具のようである。いくつか引用するが、つねに場所の名前が付随していることに気をつけたい。

《赤門を出てから本郷(ほんごう)通りを歩いて、粟餅(あわもち)の曲擣(きよくづま)をしている店の前を通って、神田明神の境内に入る。》

《爺いさんは起って、押入からブリキの鑵(かん)を出して、菓子鉢へ玉子煎餅を盛っている。

「これは宝丹のじき裏の内で拵(こしら)えているのだ。この辺は便利の好(い)い所で、その側の横町には如燕(じよえん)の佃煮(つくだに)もある」》

《お玉は小鳥を助けて貰ったのを縁に、どうにかして岡田に近寄りたいと思った。最初に考えたのは、何か品物を梅に持たせて礼に遣ろうかと云う事である。さて品物は何にしようか、藤村の田舎饅頭(いなかまんじゆう)でも買って遣ろうか。それでは余り智慧(ちえ)が無さ過ぎる。》

《お玉はきょう機嫌の好(い)い父親の顔を見て、阿茶(あちゃ)の局(つぼね)の話を聞せて貰い、広小路に出来た大千住(おおせんじゆ)の出店で買ったと云う、一尺四方もある軽焼の馳走になった。》

 さて五感の最後に残るは臭覚だが、ここにあるのは食の臭いだけと言ってよく、闇の香からなる平安文化に大きく劣る。あの松源の床の間にあった山梔(くちなし)の花の香すら匂わない。雅などは排すべきものであった時代の精神は、料亭においてさえ生活の臭いから離れない。

《初め据わった時は少し熱いように思ったが、暫く立つと台所や便所の辺(あたり)を通って、いろいろの物の香を、微かに帯びた風が、廊下の方から折々吹いて来て、傍(そば)に女中の置いて行った、よごれた団扇(うちわ)を手に取るには及ばぬ位であった。》

 また、合力をしてくれと無遠慮に上がって来る印袢纏(しるしばんてん)を裏返して着た男は、《酒の匀(におい)が胸の悪い程するのである。》 そして、これはどうだろう。

《どんな風通しの好(い)い座敷で、どんな清潔な膳の上に載せて出されようとも、僕の目が一たびその菜を見ると、僕の鼻は名状すべからざる寄宿舎の食堂の臭気を嗅(か)ぐ。煮肴(にざかな)に羊栖菜(ひじき)や相良麩(さがらぶ)が附けてあると、もうそろそろこの嗅覚(きゆうかく)のhallucination(アリユシナシヨン)が起り掛かる。そしてそれが青魚の未醤煮に至って究極の程度に達する。》

 幻覚(アリュシナション)は食に誘発されても、いわゆる「脂粉の粧(よそおい)」には動じないらしい。

 

<5.4 エクスタシーを待つ器>

 欲情の在りか、それが「箱火鉢」に違いない。おそらく箱火鉢は他の直截的な言葉に置換しうるほどに性的な意味を担っている。フロイト的解釈をテーマ批評として振りかざすことは好むところではないし、すでに教条的であろう。そもそも鳥籠に首を突っ込む蛇や、お玉の少し内廻転をさせた膝の間に寄せ掛けたこうもり傘や、差さずにしまわれているお常のそれに抑圧された性欲動の象徴を読みとることは安易であるし、夫末造が夕食に帰らなかったときお常がいつでも火鉢に鉄瓶を掛けて置くことを深読みすることも類型化をたどるだろう。それでもこの語にはお玉と女の精神構造をかたどった姿が見てとれる。

 事実関係から考察すれば、『雁』執筆当時(1911年から15年)の鴎外は1900年発刊のフロイト『夢判断』を、ドイツから性欲論の書籍をたくさん輸入していたとはいえ、当時のフロイト知名度からいったら入手していないと考えるのが自然だ(鴎外文庫にある書きこみつきのフロイトの著作は、もっとのちのものだろう)。しかしフロイトを知らなくてもフロイト的なことは書けてしまう。なによりも、「箱火鉢」の語で鴎外の文体は艶めく。

《檀那は朝までいることはない。早い時は十一時頃に帰ってしまう。又きょうは外(ほか)へ行かなくてはならぬのだが、ちょいと寄ったと云って、箱火鉢の向うに据わって、烟草を呑んで帰ることもある。》

《末造が来て箱火鉢の向うに据わった。始ての晩からお玉はいつも末造の這入(はい)って来るのを見ると、座布団を出して、箱火鉢の向うに敷く。末造はその上に胡坐(あぐら)を掻(か)いて、烟草(たばこ)を飲みながら世間話をする。お玉は手持不沙汰なように、不断自分のいる所にいて、火鉢の縁(へり)を撫(な)でたり、火箸(ひばし)をいじったりしながら、恥かしげに、詞数(ことばかず)少く受答(うけこたえ)をしている。》

《それに三四日立った頃から、自分が例の通りに箱火鉢の向うに胡坐を掻くと、お玉はこれと云う用もないに立ち働いたり何かして、とかく落ち着かぬようになったのに、末造は段々気が附いて来た。はにかんで目を見合せぬようにしたり、返事を手間取らせたりすることは最初にもあったが、今晩なんぞの素振には何か特別な仔細(しさい)がありそうである。

「おい、お前何か考えているね」と、末造が烟管(きせる)に烟草を詰めつつ云った。

 わざわざ片附けてあるような箱火鉢の抽斗(ひきだし)を、半分抜いて、捜すものもないのに、中を見込んでいたお玉は、「いいえ」と云って、大きい目を末造の顔に注いだ。》

 まるで、閨房の機微、男女の睦言のようではないか。

《末造が来ていても、箱火鉢を中に置いて、向き合って話をしている間に、これが岡田さんだったらと思う。最初はそう思う度に、自分で自分の横着を責めていたが、次第に平気で岡田の事ばかり思いつつも、話の調子を合せているようになった。それから末造の自由になっていて、目を瞑(つぶ)って岡田の事を思うようになった。》

 これは一体何事だろう。「自由になっていて」とか「目を瞑(つぶ)って」の婉曲表現と過去形とで、作為の内実を書きこまずに想像させる表現はのちの川端康成『雪国』のエロティシズムで極限に達するものだ。

 

<5.5 ここにもある>

 いたるところに発見がある。お玉と女中梅の名前は、小説に出てきた『金瓶梅』の、金蓮といっしょに武大に買われた小娘白玉(・)蓮と、金蓮づきの女中春梅(・)に由来がありそうだし、鴎外『ヰタ・セクスアリス』で古道具屋の娘に恋するが、その屋号「秋貞」は裁縫の師匠貞(・)の名前に活きているのではないかと思える。

 いたるところに符号がある。『柵(しがらみ)草子』で評論家鴎外の百戦百勝の矛(ほこ)となったハルトマン美学とは、鴎外自身の紹介によればこうだ。《ハルトマンは理想派、実際派の別を認めず。彼は抽象を棄てゝ結象を取り、類想を卑みて個想を卑めり。(中略)美は実を離れたる映像なれば、美術に実を取らむやうなし。想の相をなすとき、実に似たることあるは、偶然のみ。個物の美、類の美より美なるは、実に近きためにあらず。実の美なることは類美の作より甚しきは、実の結象したる個物に適えること作に勝りたればなり》であって、その実戦がこの時期の小説だった。鴎外という人間、文学者は、この思想を軸に揺れ動き、ときに反動したのだった。

 偶然は符号として二度あらわれるだろう。徴候は次には症状となる。神のごとき作家が掌を小さく開いたり、大きく開いたりしている。悦楽は明晰な頭脳に制御されていて、いかに鴎外が構成や細部に目配りしていたかがわかろうというものだ。

 二度あらわれる事象を順に、(-1)、(-2)と示す。鴎外という医者のカルテは凡帳面に書かれていて、処方箋は二度の投薬までしか許可していないかよようで、それは効能と副作用を熟知していたからに違いない。

 

(1)松源(まつげん)

(1-1)岡田の散歩の道筋の一軒としてあらわれる。《それから松源(まつげん)や雁鍋のある広小路》。

(1-2)松源で末造はお玉と目見えする。

 

(2)雁

(2-1)(1-1)にみる雁鍋

(2-2)岡田の投じた石に当たって雁は酒の肴にされる。

  • (3)蕎麦屋の蓮玉庵(れんぎよくあん)

(3-1)お玉のための借家候補のひとつは《その頃名高かった蕎麦屋の蓮玉庵との真ん中位の処で》

(3-2)殺した雁を暗くなってから取りに戻るまでの時間をつぶすため、《「蓮玉へ寄って蕎麦(そば)を一杯食って行こうか」と、岡田が提案した。》 蕎麦を食いつつ岡田はヨーロッパ行きを僕に伝える。

 

(4)肴屋

(4-1)梅は坂下の肴屋で高利貸の妾に売る肴はないと言われたとお玉に告げる。

(4-2)お常は末造が妾を囲っていると訴え、末造に誰が言ったのだと聞かれると、《「魚金(うおきん)のお上さんなの」》と答える。

 

(5)蝙蝠傘

(5-1)父を初めて訪れた帰り路、《お玉は持って来た、小さい蝙蝠(こうもり)をも挿(さ)さずに歩いているのである。》

(5-2)女中が指さして教えた店の前の女は《蝙蝠傘を少し内廻転をさせた膝(ひざ)の間に寄せ掛け》ているお玉で、いつかお常に末造が横浜みやげで買ってきたのと同じ《白地に細かい弁慶縞(べんけいじま)のような形(かた)が、藍(あい)で染め出して》ある(ここでも青と白)傘だった。この件で末造夫婦はまたひともんちゃくを起こす。

 

(6)印半纏(しるしばんてん)の男

(6-1)印半纏を裏返して着た三十前後の男がお玉の家に上って来て金を無心する。

(6-2)お常と喧嘩(けんか)をして内をひょいと飛び出した末造は、印半纏を来た攫徒(すり)とぶつかりそうになる。

 

(7)天狗

(7-1)《お玉を目の球よりも大切にしていた爺いさんは、こわい顔のおまわりさんに娘を渡すのを、天狗(てんぐ)にでも撈(さら)われるように思》うが、そのおまわりさん(お玉の初婚の相手)には国に女房子供があった。

(7-2)檀那となった末造は最上級の煙草「金天狗(きんてんぐ)」を愛好する男である。

 

(8)雀斑(そばかす)

(8-1)末造はお玉に似ている芸者を見とめるが、よく見れば雀斑だらけで、やっぱりお玉の方が別品だと思い、心に愉快と満足を覚える。

(8-2)その直後、末造は飼鳥を売る店で、インコでもカナリアでもなく、紅雀(べにすずめ)をお玉に飼わせるために買い求める。

 

(9)爼(まないた)

(9-1)紅雀を買った店は爼橋(まないたばし)を渡ったところにあった。

(9-2)紅雀を口から吐こうとしない蛇に対して、《岡田は手を弛めずに庖刀を五六度も前後に動かしたかと思う時、鋭くもない刃がとうとう蛇を爼上(そじよう)の肉の如くに両断した。》

 

(10)泥

(10-1)あの最後の夜、僕は岡田のように逃げはしない、逢って話をする、《彼女を淤泥(おでい)の中(うち)から救済する》と思う。

(10-2)絶命した雁を石原は太股(ふともも)を半分泥に汚しただけで獲ものとして引き上げた。

 

<6.1 銀色を帯びる>

 いわゆる光りものが事態を急転回させてしまう。狂言廻しのような銀色の光りもの、それは市井の食材にすぎないのにデモーニッシュである。

《店に新しそうな肴が沢山あった。梅は小鯵(こあじ)の色の好(い)いのが一山あるのに目を附けて、値を聞いて見た。すると上さんが、「お前さんは見附けない女中さんだが、どこから買いにお出(いで)だ」と云ったので、これこれの内から来たと話した。上さんは急にひどく不機嫌な顔をして、「おやそう、お前さんお気の毒だが帰ってね、そうお云い、ここの内には高利貸の妾なんぞに売る肴はないのだから」と云って、それきり横を向いて。烟草を呑んで構い附けない。》

 肴屋の上さんの口上をきれぎれに繰りかえす梅によって、お玉は自分が高利貸の妾であるとはじめて知り、《顔の色が脣(くちびる)まで蒼くなった。》

 

<6.2 狂気を孕む>

 お玉がかつて狂気を孕んだということはありえることなのか。

《近所の噂を、買物の序(ついで)に聞いて見ると、おまわりさんには国に女房も子供もあったので、それが出し抜けに尋ねて来て、大騒ぎをして、お玉は井戸へ身を投げると云って飛び出したのを、立聞をしていた隣の上さんがようよう止めたと云うことであった》というのは本当なのか。お玉の悔しさは、衝動という濃縮された時間に集中化せずに、あきらめという拡散された時間に薄まる性質のものであったけれども、それは生来のものであったのか、この事件をきっかけとしてであったのかわかるよしもない。

 しかしお玉はよりによって妾になってから恋を覚えた。隠しごとを知り、夢見ることを知る。鴎外作品の男たちが、攫徒(すり)から巧みに身をかわすように人生を選ぶのに比べて女たちは恋することに溺れる。恋するものはファナティックである。理解し、説明することは、もはや恋ではない。

《末造が帰った跡で見た夢に、お玉はとうとう菓子折を買って来て、急いで梅に持たせて出した。その跡で名刺も添えず手紙も附けずに遣ったのに気が附いて、はっと思うと、夢が醒(さ)めた。》

 情が理に勝っている。虚と実の皮膜のあわいで揺らぐのが恋だ。

《折々は夢の中で岡田と一しょになる。煩わしい順序も運びもなく一しょになる。そして「ああ、嬉しい」と思うとたんに、相手が岡田ではなくて末造になっている。はっと驚いて目を醒まして、それから神経が興奮して寐(ね)られぬので、じれて泣くこともある。》

《煩わしい順序も運びもなく》とは女の心というより鴎外という男の本心の断片であろう。恋は人を涙もろくさせる。イマージュは涙でふくれあがり、素晴らしいという感情によって恋する女の瞳は月の妖しい光を帯びる。

《朝目を醒まして起きずにはいられなかったお玉も、この頃は梅が、「けさは流しに氷が張っています、も少しお休みになっていらっしゃいまし」なぞと云うと、つい布団にくるまっている様になった。(中略)お玉の想像もこんな時には随分放恣(ほうし)になって来ることがある。そう云う時には目に一種の光りが生じて、酒に酔ったように瞼(まぶた)から頬に掛けて紅(くれない)が漲(みなぎ)るのである。》

 

<6.3 閉じられたその奥から>

 鴎外にとって女はひとところにいなければならない存在だ。閉じられた場所だけが女にとっての宥された空間である。

 お玉にとっての安逸の場、それは無縁坂の妾宅であり、もっと狭義には箱火鉢の前でしかなかった。散歩の距離にある父の家まで出向くことさえためらう。最後の夕べ、《女は自分の家よりは二三軒先へ出迎ていた》のその十数歩がお玉にとっての開かれだったのだ。

『普請中』の異国の女のように閉じられたところから出てきてはならない。類まれな官能性をもつ閨秀詩人魚玄機が長安から遠く山西省や江陸にまで遊んだのを知っていながらも小説『魚玄機』では長安郊外の外には出たことのない薄幸の女に仕立てあげた鴎外。

 境界部や周縁部から自己統御不能で溢れだすもの(そういったおぞましきもの(アブジエクシオン)で女はなりたっている)に鴎外は怖れをいだき、終生そこから身を遠ざける努力を惜しまなかった。

 

<6.4 金色のことば>

 銀が不吉の予兆ならば、金は通俗への変容の輝きである。

《金の事より外、何一つ考えたことのない末造》は《女房の逆上したような顔を見ながら、徐(しず)かに金天狗に火を附けた。》 その末造はお玉を《あの金縁目金(きんぶちめがね)を掛けて、べらべらした着物を着ていた人》吉田の女ということにして女房お常の追及をかわす。妾だの囲物だのとお常に焚(た)きつけた「魚金(うおきん)のお上さん」。 僕は《金瓶梅を読みさして出た岡田が、金蓮(きんれん)に逢ったのではないかと思ったのである》が、金蓮が淫蕩な美人であったのは周知のとおりである。

 

<6.5 闇の濃い密度>

『雁』の漆黒の闇とは何か。お玉が身を投じようとした井戸の底。小僧に蛇を棄てさせた坂下のどぶ。十羽ばかりの雁が緩やかに往来している黒ずんだ上に鈍い反射を見せている水の面(おもて)。しかし一番の闇は心の闇、関係性の闇である。男の社会的幸福感が女にとっては闇の密度をましてゆく。

源氏物語』の『夕顔』巻との類似性を、隣家のかしましさや半蔀(はじとみ)ならぬ簾のかげから浮かぶ白い顔と夕顔の白さの類比から論じる見方は興味深くはあるが、貴種が身をやつしてあらぬ女と出逢い、戯れの果てに危機に陥るといった神話的古層ゆえならば、当然道具立ても似てこよう(しかしながら岡田は光源氏と違って、夕顔としてのお玉に真の意味では「逢う」ことをしなかったし、女の死の穢れにあわてふためくこともなかった。明治のエリートは禁忌を犯しもしないちっぽけな貴種たるにすぎない)。

『夕顔』巻には、夜深く人を寝しずめて男が身もとを明かさず女のもとに通う昔話への言及があるが、それは男が夜な夜な蛇に化身して女を襲う神話とつながっていて、『雁』のあの蛇もその一種であろう。「夕顔」と『雁』は闇で通じる。

 源氏は八月十五日(仲秋の名月)の夜、夕顔の家に泊る。砧の音が聞こえ(裁縫の家を思わす)、雁の渡る声もする。抱きあげて夕顔を連れだした五条に近い院は池も水草でうずめられ凄いものであった。突然灯りが消える。女は身を震わせ、びっしょり汗をかいて意識を失っている。紙燭をつけてもっとこっちへ来い、いつもとは違うと従者に命じる若き源氏。女の体は冷えてゆく。ゴシック・ロマンとしての『夕顔』の濃い闇は、神事の多い時期に思いがけず女に死なれて身が穢れたことの怖れから、女を残してまで保身を図ったという闇であった。物の怪のために夕顔という女が死んでしまったことを怖れたのではなかった。源氏は非日常の闇で死という穢れに触れてしまい、あわてて日常の論理を振りかざして境界のあちら側から戻ったのだ。

 漆を流したような『雁』のこの世の闇、それは女には非日常の渚があったのに、男には日常しかなかったということである。けれども『雁』を。裏切った男の書としてではなく、恋する女の書として読むとき、そこには悦びが見える。たしかにお玉には天上の渚が見えたのだ。

                                (了)

         ***参考または引用***

*『雁』森鴎外新潮文庫

*『森鴎外全集』(ちくま文庫

*『森鴎外石川淳岩波文庫

*『森鴎外高橋義孝(新潮社)

*『鴎外 闘う家長』山崎正和河出書房新社

*『鴎外の坂』森まゆみ(新潮社)

*『金瓶梅』笑笑生、小野忍・千田九一訳(平凡社

*『漢詩体系15 魚玄機』(集英社