「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」
谷崎潤一郎は回想録『幼少時代』で、「団十郎、五代目菊五郎、七世団蔵、その他の思い出」という章を設けて歌舞伎経験を語っているが、そのハイライトは明治二十九年に観劇した『義経(よしつね)千本(せんぼん)桜(ざくら)』にまつわる、谷崎文学の根幹ともいえる「母恋し」だろう。
《御殿の場で忠信から狐へ早変りになるところ、狐がたびたび思いも寄らぬ場所から現われたり隠れたりするところ、欄干渡りのところなどは、もともと多分に童話劇的要素があって子供の喜ぶ場面であるから、私も甚しく感嘆しながら見た、ここで私はもう一度旧作「吉野葛」のことに触れるが、あれは私の六歳の時に「母と共に見た団十郎の葛の葉から糸を引いている」のみではない、その五年後に見た五代目の「千本桜」の芝居から一層強い影響を受けたものに違いなく、もし五代目のあれを見ていなかったら、恐らくああいう幻想は育まれなかったであろう。私はあの旧作の中で、津村という大阪生れの青年の口を借りて、次のようなことさえ述べているのである。――
自分はいつも、もしあの芝居のように自分の母が狐であってくれたらばと思って、どんなに安倍(あべ)の童子を羨(うらや)んだか知れない。なぜなら母が人間であったら、もうこの世で会える望みはないけれども、狐が人間に化けたのであるなら、いつか再び母の姿を仮りて現れない限りもない。母のない子供があの芝居を見れば、きっと誰でもそんな感じを抱くであろう。が、「千本桜」の道行(みちゆき)になると、母――狐――美女――恋人――と云う連想がもっと密接である。ここでは親も狐、子も狐であって、しかも静(しずか)と忠信狐とは主従のごとく書いてありながら、やはり見た眼は恋人同士の道行と映ずるように工(たく)まれている。そのせいか自分は最もこの舞踊劇を見ることを好んだ。そして自分を忠信狐になぞらえ、親狐の皮で張られた鼓の音に惹(ひ)かされて、吉野山の花の雲を分けつつ静御前の跡を慕って行く身の上を想像した。自分はせめて舞を習って、温習会(おんしゅうかい)の舞台の上ででも忠信になりたいと、そんなことを考えたほどであった。》
谷崎は『幼少時代』に『吉野葛』から上記文章を引用、紹介したが、もとの『吉野葛』では直前にこう書いている。
《徳川時代の狂言作者は、案外ずるく頭が働いて、観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであったのかも知れない。この三吉の芝居なども、一方を貴族の女の児(こ)にし、一方を馬方の男の児にして、その間に、乳母(うば)であり母である上臈(じょうろう)の婦人を配したところは、表面親子の情愛を扱ったものに違いないけれども、その蔭に淡い少年の恋が暗示されていなくもない。少くとも三吉の方から見れば、いかめしい大名の奥御殿に住む姫君と母とは、等しく思慕(しぼ)の対象になり得る。それが葛の葉の芝居では、父と子とが同じ心になって一人の母を慕うのであるが、この場合、母が狐であるという仕組みは、一層見る人の空想を甘くする。自分はいつも、もしあの芝居のように自分の母が狐であってくれたらばと思って、どんなに安倍(あべ)の童子を羨(うらや)んだか知れない。(後略)》
さすがに谷崎は鋭い。
「徳川時代の狂言作者は、案外ずるく頭が働いて、観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであったのかも知れない」とは、人間精神の構造の深い真理に届いている。
谷崎がジャック・ラカンの精神分析を知らなかったのは時代的に当然のことだが、そこにはラカンの精神分析への気づきのようなものがある。「案外ずるく頭が働いて」という狂言作者を介して「潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであった」には、ラカンの<象徴界>と<大文字の他者>という、女人のような足先が透けて見える。
イラクの大量破壊兵器に関するラムズフェルド国務長官の発言(2003年に英国の「意味不明な迷言(Foot in Mouth)大賞」に選ばれて有名になった)はまだ記憶に残っているであろうか。
《二〇〇三年三月、ドナルド・ラムズフェルドは、知られていることと知られていないことの関係をめぐり、発作的にアマチュア哲学論を展開した。
知られている「知られていること」がある。これはつまり、われわれはそれを知っており、自分がそれを知っていることを自分でも知っている。知られている「知られていないこと」もある。これはつまり、われわれはそれを知らず、自分がそれを知らないということを自分では知っている。しかしさらに、知られていない「知られていないこと」というのもある。われわれはそれを知らず、それを知らないということも知らない。
彼が言い忘れたのは、きわめて重大な第四項だ。それは知られていない「知られていること」、つまり自分はそれを知っているのに、自分がそれを知っているということを自分では知らないことである。これこそがまさしくフロイトのいう無意識であり、ラカンが「それ自身を知らない知」と呼んだものであり、その核心にあるのが幻想である。もしラムズフェルドが、イラクと対決することの最大の危険が「知られていない『知られていないこと』」、すなわちサダム・フセインあるいはその後継者の脅威がどのようなものであるかをわれわれ自身が知らないということだ、と考えているのだとしたら、返すべき答えはこうだ――最大の危険は、それとは反対に「知られていない『知られていること』」だ。それは否認された思い込みとか仮定であり、われわれはそれが自分に付着していることに気づいていないが、それらがわれわれの行為や感情を決定しているのだ。》(スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』)
谷崎も、『義経千本桜』の狂言作者も、われわれの行為や感情を決定している「知られていない「知られていること」の機微の下で書いていた。
これから、『義経千本桜』と『伽羅(めいぼく)先代(せんだい)萩(はぎ)』における、ラカン精神分析の<象徴界>と<大文字の他者>の顕れを見てゆく。『義経千本桜』からは前半のクライマックス、「渡海屋(とかいや)の場・大物浦(だいもつのうら)の場」を、『伽羅先代萩』からは「竹の間の場・御殿の場」をとりあげるが、その理由は、<象徴界>と<大文字の他者>が跋扈しているからである。
しかしその前に、ラカンによる<象徴界>と<大文字の他者>について共通理解を計りたい。
ラカン自身の著作は誰もが認めるように(そして本人も「謎」による学びを企んでいるかのように)あまりに難解だ。解説書はあまたあるが、「あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない」(パスカル『パンセ』69)と同じように、あまり簡単すぎても、あまり難しくても、何もわからない。おそらくはスラヴォイ・ジジェクと大澤真幸の著作が最も任に適っているだろう。
《ラカンの思想は、主流の精神分析思想家たちと、またフロイト自身と、どのように異なっているのだろうか。ラカン派以外の諸派と比較したときにまず眼を惹くのは、ラカン理論がきわめて哲学的だということだ。ラカンにとって、精神分析のいちばんの基本は、心の病を治療する理論と技法ではなく、個人を人間存在の最も根源的な次元と対決させる理論と実践である。精神分析は個人に、社会的現実の要求にいかに適応すべきかを教えてくれるものではなく、「現実」なるものがいかにして成立しているのかを説明するものである。精神分析は、人が自分自身についての抑圧された真理を受け入れられるようにするだけでなく、真理の次元がいかにして人間の現実内に出現するのかを説明する。》
精神分析への誤った先入観をリセットしてから先へ進もう、耐えざる自問と貪欲な解釈者となって。
《ラカンによれば、人間存在の現実は、象徴界・想像界・現実界という、たがいに絡み合った三つの次元から構成されている。(中略)<大文字の他者>は象徴的次元で機能する。ではこの象徴的秩序は何から構成されているのか。われわれが話すとき(いや聞くときでもいいのだが)、われわれはたんに他者と一対一でやりとりをしているだけではない。われわれは規則の複雑なネットワークや、それとは別のさまざまな前提を受け入れ、それに依拠しており、それがわれわれの発話行為を下から支えている。(中略)第一のタイプの規則(と意味)に、私は盲目的・習慣的に従うが、反省する際には、それを少なくとも部分的に意識することができる(一般的な文法規則など)。第二のタイプの規則と意味は私に取り憑いて、私は知らないうちにそれに従っている(無意識的な禁止など)。私はさらに第三の規則と意味を知っているが、知っていることを他人に知られてはならない。たとえば、然るべき態度を保つためには、汚い猥褻なあてこすりは黙って無視しなければならない。
この象徴空間は、私が自分自身を計る物差しみたいなものである。だからこそ<大文字の他者>は、ある特定のものに人格化あるいは具象化される。彼方から私を、そしてすべての現実の人を見下ろしている「神」とか、私が身を捧げ、そのためなら私には死ぬ覚悟ができている「大義」(自由主義、共産主義、民族)とか。私が誰かと話をしているとき、たんなる「小文字の他者」(個人)が他の「小文字の他者」と二人で話しているわけではない。そこにはつねに<大文字の他者>がいなければならない。(中略)
そのしっかりとした力にもかかわらず、<大文字の他者>は脆弱で、実体がなく、本質的に仮想存在である。つまりそれが占めている地位は、主観的想像の地位である。あたかもそれが存在しているかのように主体が行動するとき、はじめて存在するのだ。その地位は、共産主義とか民族といったイデオロギー的大義と似ている。<大文字の他者>は個人の実質であり、個人はその中に自分自身を見出す。<大文字の他者>は、個人の存在全体の基盤である。それは究極の意味の地平を供給する評価基準であり、個人はそのためだったら生命を投げ出す覚悟ができている。にもかかわらず、実際に存在しているのは個人とその活動だけであって、個人がそれを信じ、それに従って行動する限りにおいてのみ、この<大文字の他者>という実体は現実となるのだ。》
大澤真幸の説明は多くをジジェクに拠っているが、より丁寧である。大澤が頻繁に用いる<第三者の審級>という概念は<大文字の他者>と等しいので、頭の中で読み替えればよい。
《たとえば、古典派経済学が念頭においている市場を考えてみる。アダム・スミスによれば、市場に参入している個人が、それぞれ勝手に自身の利益を最大化すべく利己的に行動することによって、社会一般にとっても最も大きな利益が得られる。各個人は、社会全体の利益のことを考える必要もないし、そもそも、どのような状態が社会にとって最も望ましいかをあらかじめ知ってはいない。彼は、ただ、自分の利益の極大化にだけに専念しているのだ。
しかし、結果として、社会一般の利益もそれによって最大になる。このように、個人の勝手な行動――全体への配慮を欠いた利己的な行動――が、結果的に社会にとって都合のよい結果へと収束するため、アダム・スミスは、こうした状況を、社会(市場)に対して「見えざる手」が働いているかのようだ、と記述したのである。
こうした市場のメカニズムを、歴史のメカニズムとして一般化してとらえたのが、ヘーゲルの歴史哲学である。ヘーゲルに、「ずるがしこい理性」という有名な概念がある。この概念の意義は、実例から見ると、わかりやすい。
ヘーゲルが援用している、きわめて顕著なケースは、ブルータス等によるカエサルの暗殺である。カエサルは、大きな軍功をあげ、ライバルのポンペイウスを打ち負かし、ローマ市民にも圧倒的な人気があったため、ついに終身独裁官の地位に就いた。ブルータスたちは、カエサルにあまりにも大きな権力が集中し、ローマの共和政の伝統が否定されるのではないかと懸念し、カエサルの暗殺を決行した。クーデタは成功し、カエサルは殺害された。
しかし、この出来事をきっかけとして、歴史が大きく動き出し、紆余曲折の末に結局、暗殺から17年後にあたる年に、政争を勝ち抜いたオクタヴィアヌスが事実上の皇帝に就任し、ローマは帝政へと移行する。
これはまことに皮肉な帰結だと言える。ブルータスたちは、最初、カエサルが皇帝になってしまうのを防ぐために――つまりローマが帝政へと移行することがないようにと――カエサルを暗殺した。そして、その暗殺は、実際に成功した。しかし、まさにその成功こそが、共和政から帝政へのローマの移行を決定的なものにしたのだ。オクタヴィアヌスが初代の皇帝に就位するに至る出来事の連なりは、この暗殺によってこそ動き出すからである。
ヘーゲルは、この過程を、次のように分析している。カエサルが個人的な権限を強化し、さながら皇帝のようにふるまっていたとき、実は、本人は気づいてはいないが――つまり即自的には――歴史的真理に合致した行動をとっていたのだ。共和政はすでに死んでいたのだが、カエサルや暗殺者たちを含む当事者たちは、まだそのことに気づいていなかったのである。
したがって、暗殺者たちは、カエサル一人を排除すれば、共和政が返ってくると思ったのだが、しかし、実際には、カエサル殺害こそがきっかけとなって、共和政から帝政への転換が決定的なものになった――即自的なものから対自的なものへと転換した。それによって、「カエサル」は、個人としては死んだが、ローマ皇帝の称号として復活したのだ。
「カエサルの殺害は、その直接の目的を逸脱し、歴史が狡猾にもカエサルに割り当てた役割を全うさせてしまった」(Paul Laurent Assoun, Marx et répétition historique, Paris, 1978, p.68)。この場合、まるで、歴史の真理を知っている理性が、ブルータスやカエサルを己の手駒として利用し、歴史の本来の目的(ローマ帝国)を実現してしまったかのようである。これこそが、ずるがしこい理性である。
こうした考え方の原型は、プロテスタント・カルヴァン派の「予定説」であろう。キリスト教の終末論によれは、人間は皆、歴史の最後に神の審判を受ける。祝福された者は、神の国で永遠の生を与えられ、呪われた者には、逆に、永遠の責め苦が待っている。これが最後の審判である。神による最終的な合否判定だ。
予定説は、このキリスト教に共通の世界観に、さらに次の2点を加えた。第一に、神は全知なのだから、誰が救われ(合格し)、誰が呪われるか(不合格になるか)は、最初から決まっている。しかし、第二に、人間は、神がどのように予定しているかを、最後のそのときまで知ることができない。このとき、人はどうふるまうか。それぞれの個人は、神の判断を知ることもできないのだから、ただ己の確信にしたがって、精一杯生きるしかない。彼らは、歴史の最後の日にしかるべき判決を受けるだろう。
これら三つの例に登場している第三者の審級(見えざる手、ずるがしこい理性、予定説の神)には、共通の特徴がある。第一に、どの例でも、第三者の審級が何を欲しているのか、何をよしとしているのか、渦中にある人々にはまったくわからない。つまり、人々には、その第三者の審級が何者なのか、何を欲望する者なのかが、さっぱりわからないのである。
これは、第三者の審級が、その本質(何であるかということ)に関して、まったく空白で、不確実な状態である。しかし、第二に、にもかかわらず、第三者の審級が存在しているということに関しては、確実であると信じられている。第三者の審級の現実存在に関しては、百パーセントの確実性があるのだ。
本質に関しては空虚だが、現実存在に関しては充実している第三者の審級、これがあるとき、リスク社会は到来しない。三つのケースのどれをとっても、内部の個人には、ときにリスクがある。たとえば、市場の競争で敗北する者もいる。カエサルもブルータスも志半ばで死んでしまった。カルヴァン派の世界の中では、神の国には入れない者もたくさんいる。だから、個人にはリスクがある。
しかし、全体としては、第三者の審級のおかげで、あるべき秩序が実現することになっている。全体が崩壊するような、真のリスクはありえない。見えざる手は、最も望ましい資源の配分を実現するだろう。ずるがしこい理性は、歴史の真理に従った目的を実現するだろう。神は、しかるべき人を救済し、そうでない人を呪うだろう。》(大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』に関する朝日出版社ブログ「大澤真幸 時評」)
《民主主義は、討議によるそれであれ、投票によるそれであれ、第三者の審級の知として真理の存在を前提にしている。「われわれ」は、その真理が何であるかを知らない。だが、それを知っている人がいる。
誰か? 第三者の審級である。第三者の審級の(「われわれ」にとっては不可知の)知を前提にすれば、討議や投票を機能させることができる。その知が、討議や投票が、そこへと収束し、または漸近するための虚の焦点となるからである。
だから、民主主義は、単一の第三者の審級の存在を前提にしているに等しい。民主主義が、多元主義を表面上は標榜しながら、結局は、排除を伴わざるをえない理由は、ここにある。単一の第三者の審級を前提にした途端に、真理(という名前の虚偽)による支配を容認したことになるからだ。》(大澤真幸『逆説の民主主義』)
うっすらとでも理解できただろうか。
<大文字の他者>は、<大他者>、<他者>あるいは「A(Autre)」とも表記されることがあって、いっそうの混乱をまねいている。「超越的な他者」、「超絶的な他者」、「絶対的な第三者としての他者」、「掟」、「社会の不文律」、「第三者の審級」とも表現される。顕れとしては他に、「言語」、「天皇制」、「(ロラン・バルト『記号の国』の空虚な中心)皇居」、「(近親相姦タブーの)外婚制」、「中国の皇帝は天の意志の反映(=天子)」、「(折口信夫の)まれびと」、「御霊信仰」、「(エコロジストの)信仰対象としての自然」、「(やめられない)原子力発電」、「(日本が心理的負債を負っている)日米同盟」、「(人間天皇に代った)進駐軍」、「(山本七平が指摘した)空気」、「世間」などもあげられるかもしれない。
それは、《ここで、あの『裸の王様』の寓話のことを考えてみよう。王が裸であるということを知らないのは誰なのか? 任意の個人が、本当は王が裸であることを知っている。王自身すらも知っているのである。それにもかかわらず、彼らは、皆、王が裸であることを知らないかのように振る舞うのだ。どうしてか? どの個人も、「他の者は、王様が服を着ていることを知っている(皆は、王様が裸であることを知らない)」という認知を持っているからだ。知らないのは、だから「皆」である。それは誰なのか? それは、王国を構成する個人たちの総和では断じてない(何しろ、どの任意の個人も「知っている」のだから)。私が「第三者の審級」と呼んできた、超越的な他者こそは、任意の個人から独立して機能するこの「皆」である。》(大澤真幸『逆説の民主主義』)のような「うまく説明できないもの」、「鈍い意味」、「あるはずのないものがある」、「ないはずのものがある」世界である。同じような譬としてマルクスは『資本論』で、《ある人間が王であるのは、他の人間たちが彼にたいして臣下として相対するからに他ならない。ところが一方、彼らは、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思いこんでいる》や、《彼らはそれを知らない。しかし、彼らはそれをやっている》と書いている。
ジジェクに戻る。
《ラカンいわく、症候なる概念を考え出したのは誰あろうカール・マルクスであった。このラカンのテーゼは、ただの気のきいた言い回しだろうか、あるいは漠然とした比喩だろうか、それともちゃんとした理論的根拠があるのだろうか。もし、精神分析の分野でも用いられるような症候の概念を提唱したのが本当にマルクスだとしたら、われわれとしては、このような組み合わせが可能であるための認識論的な諸条件は何かという、カント的な問いを発しなければならない。商品の世界を分析したマルクスが、夢とかヒステリー現象とかの分析にも使えるような概念を生み出すなんて、どうしてそんなことがありえたのだろうか。
答えはこうだ――マルクスとフロイトの解釈法は、より正確にいえば商品の分析と夢の分析とは、根本的に同じものなのだ。どちらの場合も、肝心なのは、形態の背後に隠されているとされる「内容」の、まったくもって物神的(フェティシスティック)な魅惑の虜になってはならないということだ。分析によって明らかにすべき「秘密」とは、形態(商品の形態、夢の形態)の後ろに隠されている内容などではなく、形態そのものの「秘密」である。夢の形態を理論的に考察することは、顕在内容からその「隠された核」すなわち潜在的な夢思考を掘り起こすことではなく、どうして潜在的な夢思考がそのような形態をとったのか、どうして夢という形態に翻訳されたのか、という問いに答えることである。商品の場合も同じだ。重要なことは商品の「隠された核」――つまり、それを生産するのに使われた労働力によって商品の価値が決定されるということ――を掘り起こすことではなくて、どうして労働が商品価値という形態をとったのか、どうして労働はそれが生産した物の商品形態を通じてしかおのれの社会的性格を確証できないのか、を説明することである。》
歌舞伎においても、『義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」で、どうして平知盛は二度死なねばならないのか、どうして安徳天皇は不死なのか、どうして安徳天皇は娘お安になりすましていたのか、どうして桜の季節でもないのに千本桜なのか、どうして義経は武の主役のようではないのか、どうして後白河法皇は気配すら見せないのか、『伽羅先代萩』「竹の間の場・御殿の場」で、どうして栄御前は政岡が取り替え子をしたと誤認したのか、どうして「竹の間の場」で八汐に失敗させてみせるのか、に「症候」と「秘密」を読み取らねばなるまい。
《もう何十年も前からラカン派の間では、<大文字の他者>の知がもつ重要な役割を例証する古典的ジョークが流布している。自分を穀物のタネだと思いこんでいる男が精神病院に連れてこられる。医師たちは彼に、彼がタネではなく人間であることを懸命に納得させようとする。男は治癒し(自分がタネではなく人間だという確信をもてるようになり)、退院するが、すぐに震えながら病院に戻ってくる。外にニワトリがいて、彼は自分が食われてしまうのではないかと恐怖に震えている。医師は言う。「ねえ、きみ。自分がタネじゃなくて人間だということをよく知っているだろう?」患者が答える。「もちろん私は知っていますよ。でも、ニワトリはそれを知っているでしょうか?」》(ジジェク『ラカンはこう読め!』)に、にやっと笑えるようになっていれば、この先の『義経千本桜』と『伽羅先代萩』を、ラカンの眼差しを持って観劇できる。
<『義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」>
『義経千本桜』の作者は竹本グループの(二代目)竹田出雲・三好松洛・並木千柳による合作で、人形浄瑠璃として1747(延享4)年11月 大坂・竹本座上演、歌舞伎としては翌1748(延享5)年1月 伊勢の芝居、同年5月 江戸・中村座の上演だった。
『義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」のあらすじはこうだ。
頼朝の疑惑を受け、とうとう都落ちすることになった義経主従は、九州に逃れるべく、摂津国大物浦(現在の尼ケ崎市)の廻船(かいせん)問屋(どんや)の渡海屋(とかいや)で日和待ちをしている。渡海屋の主人は銀平(ぎんぺい)、女房お柳(りゅう)、娘お安(やす)。銀平は身をやつした義経一行を嵐が来るのに船出させた後、白装束に長刀(なぎなた)を持った中納言平知盛の姿で現れる。実は、銀平こそ西海に沈んだはずの知盛であり、やはり合戦中に入水(じゅすい)したとされていた安徳天皇とその乳人(めのと)典侍局(すけのつぼね)を、自分の娘お安、女房お柳ということにして、ひそかに平家復興を目論んでいたのだ。源氏に対する復讐の機会到来と知盛は、嵐を狙って得意の船戦(いくさ)で義経を討とうと、勇んで出かけて行く。(「渡海屋の場」)
典侍局と安徳帝は装束を改め、宿の襖を開け放って海上の船戦(いくさ)を見守る。しかし義経はとうに銀平の正体を見破っていて返り討ちにしてしまう。典侍局は覚悟を決め、安徳帝に波の底の都へ行こうと涙ながらに訴えるが、義経らに捕えられてしまう。死闘の末、悪霊のごとき形相となった知盛が戻ってくると、安徳帝を供奉(ぐぶ)した義経が現れて、帝を守護すると約束する。帝の「義経が情、あだに思うなコレ知盛」との言葉を聞いて、典侍局は自害し、知盛は平家再興の望みが潰えたことを悟る。知盛は「大物の浦にて判官に、仇をなせしは知盛が怨霊なりと伝えよや」と言い残すと、碇(いかり)もろとも海に身を投げ、壮絶な最後を遂げる。義経は安徳帝を供奉して大物浦を去る。(「大物浦の場」)
能『船弁慶』で悪霊となって義経一行を襲う知盛の扮装をふまえ、最後に碇もろとも海に身を投げるのは、能『碇潜(いかりかずき)』で知盛が亡霊として入水するさまから取っている。
「渡海屋の場・大物浦の場」には平知盛、安徳天皇、源義経が登場するが、三人の一人一人から<象徴界>、<大文字の他者>が見てとれる。同じくらい重要なことは、不在に意味があることで、それらは後白河法皇、桜、義経の智と武である。
大澤は『THINKING「O」第9号』の特集「天皇の謎を解きます なぜ万世一系なのか?」で、大澤社会学の概念<第三者の審級>(=<大文字の他者>)の視点から天皇制を論じている。
《天皇は、日本の歴史の最大の謎である。天皇は、いまだに謎のままに現前している》のであり、《天皇の謎は、その最も顕著な特徴として挙げられている「万世一系」に集約されている》。しかし、皆が知るように、天皇家がずっと他を寄せ付けない強大な権力を持っていたわけではない。むしろ日本史の教科書では、脇役である時代の方がはるかに長い。だからかえって、その継続性が「謎」なのである。
《「空虚な中心x―実効的な側近p」の形式が、日本史の中で、執拗に反復され》、そして《中心の支配者としての地位は、多くの場合、世襲され》たことが、継続性の理由であり、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式が非常に有効だったことが、謎を解く鍵である。
《天皇とは、従属者たちが、臣下たちが自身の意志をそこへと自由に遠心化し、そこに投射することができるような空白の身体ではないか、と。臣下たちは、自分たちの意志を、直接にではなく、「天皇は何を欲しているのか」という問いへの答えとして探求するのだ。客観的に見れば、臣下たちが見出しているのは、臣下たちの主観的で集合的な意志である。しかし、彼らは、それを、「天皇の意志」として発見する。しかし、ほんとうは「天皇の意志」は、臣下たち、従属者たちの間身体的な関係性を通じて、構成されているのである。これこそ、公儀輿論の状況である。》
重要なのは、従属者たちは、自分たちの意志を直接に見出すことはできない、ということである。《それは、他者の意志、天皇の意志という形式でのみ見出される。というのも、「天皇の意志」という形式から独立した、固有の「自分たちの意志」など存在しないからである。天皇の身体に投射し、帰属させることを通じて、従属者たちは初めて、自分たちの集合的で統一的な意志を形成することができるのである。》
大澤は<第三者の審級>の典型的モデルを、天皇制に見いだす。この構造を、天皇の側から見ると、天皇にとっても、すべてが「自分の意志」と表明されるにも関わらず、それはみな、従属者の意志なのだ。日本の歴史において、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式は、常にその終点は天皇の身体に置かれながらも、それぞれの時代の権力構造が共有している。平安時代は「天皇(x)―摂政・関白(p)」、鎌倉時代は「将軍(x)―執権(p)」、室町時代は「将軍(x)―三管領・四職(p)」、江戸時代は「将軍(x)―老中・大老(p)」といったように。
赤坂憲雄『王と天皇』は、日本のアポリアである天皇制に関して鳥瞰した論考だが、天皇制の象徴性論のヴァリエーションの一つとして山口昌男「天皇制の象徴空間」(『知の遠近法』所収)に言及している。
《 天皇(・・)の(・)役割(・・)が(・)民族(・・)の(・)宗教的(・・・)集中(・・)を(・)行なう(・・・)者(・)と(・)すれば(・・・)、天皇(・・)は(・)当然(・・)現実(・・)の(・)社会的(・・・)政治的(・・・)な(・)面(・)から(・・)の(・)自己(・・)疎外(・・)を(・)行う(・・)。つまり、あらゆる政治的世界の権力を一点に集中して「中心」をつくり、なおかつ、その中心から彼自身の肉体を抜き取ってしまう。しかし、彼自身は歌舞伎の座頭のごとく、司祭として同じ一点に坐っているのである。そして政治世界とは異なる次元の「中心」を形成しているのである。ここに、天皇制の鵺的性格の一つの側面が秘められているのである。(山口昌男「天皇制の象徴空間」(『知の遠近法』所収、傍点筆者)
この部分は渡辺保『女形の運命』に寄り添いつつ書かれており、はたして山口の地の文といえるのか判断がつきにくい。これに続けて、山口(=渡辺)は天皇制のそうした“両棲類的側面”を、菅原道真と藤原時平そして醍醐天皇の三項関係を例にとって説明する。すなわち、“通史が説くように道真配流事件の責任はすべて藤原時平に転嫁されて、天皇そのものには傷がつかない。天皇は時平の書いた政治的筋書に署名した立場から見抜きをして政治的世界からは不可視の空間に這入ってしまい、同じ一点にとどまりながら、民俗的想像力の世界に転移して「荒ぶる道真の霊をなぐさめ、その災害から民衆を救うために」取引する司祭の立場に立つのである”と。》
赤坂は、醍醐天皇についての伝承には誤りがあると批判しつつも、《“空無化された深淵”(渡辺)である「中心」に、歌舞伎の座頭のごとく鎮座する天皇のイメージ》はたいへん魅力的であって、全く否定しているというわけではないとしている。正面きった天皇論に劇評家の渡辺保の文章が引用されていることに少し驚くが、渡辺の『女形の運命』の該当部分は、天皇制を論じることが主目的ではなく、歌舞伎における「三角形」の「中心」としての「座頭」市川團十郎家を論じ、次いで後を襲った女形の六世中村歌右衛門へと話を進めるための歌舞伎の構造論、回り道であった。ここには、<第三者の審級>や<大文字の他者>という概念は出てこないが、「昏い世界のふるさと」、「歌舞伎の構造」という表現が近いものを言い表している。いずれにしろ、天皇の外観と役回り、関係性は、大澤が論じていることに似ている。
渡辺保ならば、『千本桜 花のない神話』の、まさしく「渡海屋の場・大物浦の場」の安徳天皇から天皇制に言及した部分が同じことを「超越的」、「ブラック・ホール」、「日本人の深層」として語っているので、こちらから引用しよう。
《「千本桜」は『平家物語』の再現であると同時に、人間にとって戦争とはなにかを問うすぐれた戦争劇なのである。
しかし「千本桜」がすぐれているのはさらにその先にあって、その戦争の原因がなんであり、どういう本質をもっていたかを語る。すなわち入水しようとした天皇と局を義経が助けるところ以後に本当のドラマのクライマックスがくる。(中略)天皇はだれも捕虜にすることができない。それにもかかわらず天皇の源氏討伐、平家討伐の命令によって、ある者は官軍になり、ある者は賊軍となって、戦争の勝敗に決定的な影響が出る。現にさきほどまで安徳天皇を供奉していた知盛は官軍であり、いま義経が天皇を供奉してしまった以上、知盛は賊軍にならざるをえない。(中略)しかしその権力闘争に決定的な役割を果たしたのは、実は天皇制の超越性と、どちらの側にもつく両義性であった。
その事実が明らかになるのは、あくまで義経を討とうとする知盛の目前にあらわれた安徳天皇の言葉と、それにつづく典侍の局の自殺による。まず天皇はどういうことをいったのか。
御幼稚(ようち)なれ共天皇は、始終のわかちを聞こし召し、知盛に向はせ給ひ、朕を供奉(ぐぶ)し、永々の介抱はそちが情(なさけ)、けふ又丸を助けしは、義経が情なれば、仇(あだ)に思ふな知盛……
天皇の「始終のわかちを聞し召し」とは悲惨な潜行をつづけてきた天皇の流浪の悲しみをいった言葉ととれるかも知れないが、実はそうではない。普通の子供だったらばとても考え及ばなかったかも知れないが、「御幼稚なれ共」さすがに「天皇」で、前後の状況を正確に判断したというのである。その判断の結果、天皇はこれまでの「介抱」の苦労は知盛の「情」として認めるが、今日ただ今の時点では自分を供奉するのは義経であるといったのだ。(中略)それこそ天皇制という社会政治制度のメカニズムをもっともよくあらわした言葉であって、状態が悪くなってくると自分を推戴している権力を自由に切り捨て、のりかえて行くのである。そして人間に「情」をささげさせて、その「情」をまた与え返すという形をとりながら、この功利的な装置が作動していくのだ。
天皇は決してそれ自体が権力として機能するものではない。あくまで権力から超越的であって、なんらかの権力に支えられている。それでいてその権力を選択する力を保有している。したがって現実には権力それ自体よりももっと強力に作動する権力のブラック・ホールなのである。こういう天皇制のもつ政治的な構造について、このドラマほど的確にその実態を描いているドラマは他に類がない。
「千本桜」は単に「戦争」を描いただけではなく「天皇制」そのものの性格を描いている。その意味で、このドラマは日本人の深層に深く根ざしたものをもっているのだ。》
安徳天皇の「朕を供奉(ぐぶ)し、永々の介抱はそちが情(なさけ)、けふ又丸を助けしは、義経が情なれば、仇(あだ)に思ふな知盛」という無邪気そうな言葉は、あたかもラカンによる次の笑話の、パン屋で金を払わない男のようなキョトンとさせる虚にして異を唱えさせない力がある。《彼は手を出してケーキを要求し、そのケーキを返して、リキュールを一杯要求し、飲み干します。リキュール代を請求されると、この男はこう言います、「代わりにケーキをやっただろう」。「でもあのケーキの代金はまだいただいていません」。「でもそれは食べていない」。》(ラカン『自我(下)』)
山口が寄り添った『女形の運命』からも引用しておく。天皇制の鵺のような、両棲類的な実体のなさばかりでなく、「御霊」もまた<大文字の他者>として機能することがあるからである。渡辺自身の私的な追想と実感から来るだけに、よりなまなましく「昏い世界のふるさと」、「関係の心情の構造」という<大文字の他者>の不気味さが、日本人が弱い「情」の贈与交換の儀式を伴って、高温多湿の心情にアメーバのようにぬめぬめともたれてくる。
《私にとって天皇は一つの危険な罠のようにみえる。現実の市民生活の中で多少とも戦前の怖ろしい記憶をもつ人間にとっては、天皇が今日存在すること自体がたえられぬ痛みである。しかし一方で古代以来天皇がもっていた神話的な闇は、歌舞伎役者の背負っていた闇にも通っているのではないか。私は天皇を少しも愛さず、歌舞伎役者を愛している。しかし歌舞伎役者とは実はあの怖ろしい記憶の根源にあるものの似姿ではないのか。
二代目団十郎がその「特殊な象徴的意味」を獲得するために利用した御霊信仰とは、本来現世に怨みを抱いて不慮に死んだ人間の霊をなぐさめるものだそうである。もしそうだとすれば、この信仰の対象の霊の中には、当然現世に対する批判が含まれるだろう。たとえば菅原道真の霊は、雷(いかずち)となって京都を襲った。道真の霊は御霊の典型的なものである。
雷は道真を九州に左遷した当の政敵に及んだだけでなく、上下の民心、ことに天皇自身を畏怖せしめたという。伝説によれば藤原時平が一人わるい奴のようであるが、実はこういう伝説はつねに天皇制の永遠なる維持のためと、のちにのべるように天皇を宗教的次元にとどめるために、政治的実務家の側近に罪をなすりつけて終わる。むろん道真の怨念のおもむく先は、側近ばかりでなく、現体制の権威の根源である天皇自身にまで及ぶべきものである。天皇自身そういうことを知っているから、慌(あわ)てて道真の官位を復し、天神社を造営し、祭祀(さいし)をとり行って、災をさけようとしたのである。(中略)
しかもここで大事なことは天皇が道真の霊に表面的には敵対しているようであるが、そう見えるのは政治的な次元のことであって、宗教的な次元では荒ぶる霊とそれをまつる祭主というような形になって、必ずしも対立してはいないことである。むしろ道真の霊はいつのまにか天皇と手を握ってしまう。そういう関係の心情の構造を考えると、私には天皇とたとえば道真の霊が必ずしも対立した二つのものではなく、一つのものの二つの側面だという気がする。》(渡辺保『女形の運命』)
醍醐天皇と藤原時平の関係性と瓜二つなのが、『義経千本桜』における後白河法皇と左大臣藤原朝方(ともかた)の関係性だ。後白河法皇の御所へ、平家を討って帰京した義経が、弁慶とともに参上するところから始まる「序段」の発端において、後白河法皇は気配さえ見せず、かわって朝方(ともかた)が院宣(いんぜん)だとして「初音(はつね)の鼓(つづみ)」を陰謀のごとく与える。
<大文字の他者>の具象化である「御霊信仰」に関して補足すれば、『義経千本桜』(1747年)の前年(1746年)に同じ竹田出雲グループによる『菅原伝授手習鑑』は道真の物語であり、『義経千本桜』の翌年(1748年)の『仮名手本忠臣蔵』が『曾我物語』の流れを汲んだ怨霊に関わる物語なのは、丸谷才一『忠臣蔵とは何か』に詳しい。間に挟まった『義経千本作』にもまた、平家一門、義経、安徳天皇が御霊信仰として機能していることを感ぜずにはいられない。
そしてまた、作者が竹田出雲・三好松洛・並木千柳の三人による合作であることが、それぞれに他者の眼をより意識させて、<大文字の他者>を強く発動させたのではないか。
知盛の反復する死と、安徳天皇の不死には、作者が「観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)び」た、<象徴界>と<大文字の他者>が表現されている。知盛は反復しなければならず、安徳天皇は反復してはならなかった、そればかりか天皇の最初の死もあってはならなかったのだ。
ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』で次のように解説している。
《ヘーゲルは、ユリウス・カエサルの死について論じながら、その反復理論を発展させた。(中略)反復の問題のいっさいがここに、すなわちカエサル(ある個人の名)から皇帝(カエサル)(ローマ皇帝の称号)への移行にある。カエサル――歴史的人格――の殺害は、その最終的結果として、皇帝支配(カエサリスム)の開始の引き金となった。カエサルという人格が(・・・・・・・・・・)皇帝(カエサル)という称号として反復される(・・・・・・・・・・・・・)。この反復の理由、動力は何か。一見すると答えは簡単そうにみえる。「客観的」歴史的必然性に関する、われわれ人間の意識の立ち遅れである、と。その隙間から歴史的必然性がちらりと見えるようなある行為は、意識(「民衆の意見」)からは、恣意的なものとして、すなわち起こらずともよかったものとして捉えられる。こうした捉え方のせいで、民衆はその結果を捨て去り、かつての状態を復元しようとするが、この行為が反復されると、その行為は結局、底にある歴史的必然性のあらわれとして捉えられる。言い換えれば、反復によって、歴史的必然性は「世論」の目の前にあらわれるのである。
しかし、反復についてのこうした考え方は、認識論的に素朴な前提にもとづいている。すなわち、客観的な歴史的必然性は、意識(「民衆の意見」)とは関わりなくしぶとく生き残り、最終的に反復を通して姿をあらわす、という前提である。こうした発想に欠けているのは、いわゆる歴史的必然性そのものが誤認(・・)を(・)通して(・・・)つくりあげられる(・・・・・・・・)、つまりその真の性格を最初に「世論」が認識できなかったということによってつくりあげるのだということ、要するに真理そのものが誤認から生まれるということである。ここでも核心的な点は、ある出来事の象徴的な地位が変化するということである。その出来事が最初に起きたときには、それは偶発的な外傷として、すなわちある象徴化されていない<現実界(リアル)>の侵入として体験される。反復を通じてはじめて、その出来事の象徴的必然性が認識される。つまり、その出来事が象徴のネットワークの中に自分の場所を見出す。象徴界の中で現実化されるのである。だが、フロイトが分析したモーセの場合と同じく、この反復による認識は必然的に犯罪、すなわち殺人という行為を前提とする。カエサルは、おのれの象徴的必然性の中で――権力―称号として――自身を実現するために、血と肉をもった経験的な人格としては死ななければならない。なぜなら、ここで問題になっている「必然性」は象徴的必然性だからである。(中略)
言い換えれば、反復は「法」の到来を告げる。死んだ、殺された父親の代わりに「父―の―名」があらわれる。反復される出来事は、反復を通じて遡及的に、おのれの法を受け取るのである。だからこそ、われわれはヘーゲルのいう反復を、法のない系列から法的な系列への移行として、法のない系列の取り込みとして、何よりも解釈の身振りとして、象徴化されていない外傷的な出来事の象徴的専有として、捉えることができるのだ(ラカンによれば、解釈はつねに「父―の―名」の徴のもとにおこなわれる)。》
だからこそ、歴史的事実から遅れて来た『義経千本桜』において、「父―の―名」の徴のもと、知盛は父清盛の「悪」の象徴として反復して二度死ななければならなかったし、対して安徳天皇は日本の<大文字の他者>として不死であらねばならなかった。
知盛は、《ナポレオンが最初に敗北してエルバ島に流されたとき、彼は自分がすでに死んでいることをつまり自分の歴史的役割が終わったことを知らなかった。それで彼は、ワーテルローでの再度の敗北によってそれを思い出さなければならなかった。この時点では彼は二度目の死を迎えた。つまり現実に死んだのである。(中略)ラカンは、この二つの死の差異を、現実的(生物学的)な死と、その象徴化・「勘定の清算」・象徴的運命の成就(たとえばカトリックの臨終告解)との差異と捉える。》(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)のナポレオンと同じように、現実的な死と、その象徴的運命の成就としての死という二つの死を『義経千本桜』で果たしたことになる。
『義経千本桜』(人形浄瑠璃は1747(延享4)年11月 大坂・竹本座。歌舞伎は1748(延享5)年1月 伊勢の芝居、同年5月 江戸中村座)の「渡海屋の場・大物浦の場」に反戦のメッセージを読みとることに対して、応仁の乱から150年以上続く戦国時代の終結(「元和偃武(げんなえんぶ)」)を最後の内戦(「大阪夏の陣」(1615(慶長20)年))によって成し遂げ、それから100年以上が経過した徳川の平和の中に生活する観客の、同時代の意識の解釈として、「反戦」という現代的な概念はおかしいのではないかとも考えられよう。しかし、ベンヤミンが、歴史記述は未来から見て遡及的に記述されているのだという視点や、「メシヤ的な歴史」と表現した期待をこめた時間の見方もある。
《歴史をテクストと見なしさえすれば、現代の一部の作家たちが文学的テクストについて述べていることを、歴史についても言うことができる。過去は歴史のテクストの中に、写真版上に保たれているイメージに譬えられるようなイメージを置いてきた。写真の細部がはっきりあらわれてくるような強い現像液を処理できるのは未来だけである。マリヴォー、あるいはルソーの作品にはところどころに、同時代の読者には完全に解読できなかった意味がある。》(ベンヤミン)
マリヴォーやルソーの作品が期待している未来がなんであるのか、同時代には確定していないからだ。過去の出来事は未来の出来事への期待を孕んでいる。竹田出雲・三好松洛・並木千柳という竹本グループが、同時代の観客には完全には理解できなかった意味を含んで語っていたとしても不思議ではない。
『義経千本桜』というタイトルと「不在」にも意味がある。本来、歴史的にも作品本文も桜の季節ではないのに「千本桜」。見せ場が少なくて主役には見えず、武がなく智も少なく仁だけで、あまり魅力のない「義経」。
《モスクワのある絵画展に一枚の絵が出品されている。その絵に描かれているのは、レーニンの妻のナジェージダ・クルプスカヤがコムソモール〔全連邦レーニン共産主義青年同盟〕の若い男と寝ているところだ。絵のタイトルは「ワルシャワのレーニン」。困惑した観客がガイドに尋ねる。「でも、レーニンはどこに?」。ガイドは落ち着き払って答える。「レーニンはワルシャワにいます」。(中略)この観客の誤りは、あたかもタイトルが一種の「客観的距離」から絵について語っているかのように、絵とタイトルの間に、記号とそれが指し示す対象との間と同じ距離をおき、タイトルが指し示す実体を絵の中に探したことである。だから観客はこうたずねる、「ここに書かれているタイトルが示している対象はどこにあるんですか」。だがもちろんこの小話の急所は、この絵の場合、絵とタイトルの関係が、タイトルが描かれているものを単純に指し示す(「風景」「自画像」)ような普通の関係ではないということである。ここでは、タイトルはいわば同じ表面上にある。絵そのものと同じ連続体の一部である。タイトルの絵からの距離は厳密に内的距離であり、絵に切り込んでいる。したがって何かが絵から(外へ)抜け落ちなくてはならない。タイトルが落ちるのではなく、対象が落ちて、タイトルに置き換えられるのである。》(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
「千本桜」という名前が「吉野の花の爛漫」という地理的な古代信仰を喚起し、武家文化と公家文化の両方を兼ね備えた貴種流離の英雄「義経」の武を期待させておいて、その観念と理念のうえでの「不在」は「謎」を生み「不安」を呼び覚まして、観客を幕切れまで引っ張るとは、「徳川時代の狂言作者は、案外ずるく頭が働いて」いたか、「知られていない「知られていること」」の下で奇跡的な3年間が訪れた。
さらに、ここでは多くを割かないが(詳細は渡辺保『千本桜 花のない神話』「第三章 安徳天皇は女帝か」)、安徳天皇が実は女であったという伝承を利用しての知盛の今際(いまわ)の告白、「これというも、父清盛、外戚の望みあるによって、姫宮を男(おのこ)宮と言い触らし、権威をもって御位につけ、天道をあざむき」にも、現代に通じる女帝問題の象徴として<大文字の他者>が通奏底音を奏でていることを忘れてはならない。
<『伽羅先代萩』「竹の間の場・御殿の場」>
作者の奈河亀輔(ながわかめすけ)は、あまり実像が知られていない。歌舞伎上演は1777(安永6)年4月大坂・中の芝居。義太夫狂言は人形浄瑠璃で初演されてから歌舞伎に移植された作品がほとんどだが、これは歌舞伎で先に上演された。江戸時代に仙台藩で起こったお家騒動「伊達騒動」を脚色した話で、登場人物にはほぼ実在のモデルがいる。現行上演では1778年江戸・中村座初演の『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』などの別作品や、人形浄瑠璃に移し替えられたものをさらに歌舞伎に逆輸入、転移することで成立していて、主要な登場人物の名前においてすら歌舞伎と人形浄瑠璃、時代時代で異同がある。そのような混合、淘汰ないし洗練の過程で、<象徴界>と<大文字の他者>が、台本や役者の型に暗に働きかけたであろうことは容易に想像できる。
「竹の間の場・御殿の場」は(幼い子供二人を別にして)女ばかりの登場人物であり、後に続く「対決の場・忍傷(にんじょう)の場」は一転、男ばかりの登場人物であって、三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』のような、女たちの嫉妬・陰謀と男たちの血で血を洗う政治劇といった対になっている。
『伽羅先代萩』の「竹の間の場・御殿の場」のあらすじはこうだ。
足利頼兼(よりかね)は放蕩の末に隠居を命じられてしまい、幼い鶴千代が家督を相続した。鶴千代の命を狙ってお家乗っ取りを企む者がいるため、乳人(めのと)政岡(まさおか)は鶴千代が男を嫌う病気にかかったと偽って男を遠ざけ、食事も毒を警戒して自ら用意し、息子千松とともに出された膳には決して手を付けさせない。竹の間へ鶴千代の病気見舞いに訪れた仁木弾正(にっきだんじょう)の妹八汐(やしお)が、抱えの医師大場道益の妻小槙に鶴千代の脈をとらせると危険をしめした。八汐はあらかじめ天井に忍ばせていた嘉藤太を発見し詮議すると、政岡の依頼で鶴千代の命を狙ったと白状する。さらに偽の願書を提出して自分が乳人になろうと企てるが、鶴千代が八汐を嫌って政岡をかばうことで失敗する。(「竹の間の場」)
政岡は空腹に耐える鶴千代と千松のために茶釜で飯を炊く(「飯炊(ままた)き」)。そこへ足利本家の管領(かんれい)山名宗全(やまなそうぜん)の妻栄(さかえ)御前(ごぜん)が見舞いの菓子を持ってやって来る。政岡は鶴千代に手を付けさせるわけにはゆかず、さりとて管領からの下され物を断ることもできない。すると「常々母が云うたこと、必ず共に忘れまいぞや」と毒見をするよう言い含められていた千松が突如駆け寄って菓子をほおばり苦しみだす。八汐は陰謀が発覚するのを恐れて懐剣で千松をなぶり殺す。千松が息絶えた後、栄御前は秘かに政岡を呼び寄せ、乗っ取り一味の連判状を預けて帰って行く。栄御前は千松が目の前で殺されても顔色一つ変えなかった政岡の様子から、二人を取り替え子にして鶴千代を殺させたと誤認したのだった。 一人になった政岡は、主人のため進んで身替りにという教えを守った千松を褒め、母としての悲しみにくどき、泣き崩れる。様子を見ていた八汐が斬りかかってくるが政岡は返り討ちする。(「御殿の場」)
クライマックスを見てゆこう(昭和63年12月国立劇場開場40周年公演記録集からで、政岡を六代目中村歌右衛門が一世一代で演じた)。
栄御前が見舞いの菓子を持ってやって来て、八汐が菓子箱を差し出す。
《八汐 テモマァ見事、結構なこのお菓子、イザ召しませ。
ト 八汐二重の上に置く
〽いざ召しませと差し出(いだ)す、流石(さすが)童(わらべ)の嬉しげに、手を出し給えば
ト これにて鶴千代手を出しそうにするを政岡留める。
栄 コリャ政岡、そちゃなぜ留(と)めた。
政岡 サァそれは。
栄 管領家より下されしこのお菓子、怪しいと思うて留(と)めたか。
政岡 まったくもって左様では。
(中略)
栄 政岡なんと。
〽と権柄(けんぺい)押(お)し、奥より走って千松が
ト バタ/\にて奥より千松走り出て来り、
千松 この菓子ひとつ下されや。
〽なんの頑是(がんぜ)もただひと口、けちらかしたる折は散乱
〽八汐はすかさず千松が首筋片手に引き寄せて懐剣ぐっと突っ込めば
〽わっと一声七転八倒、驚く沖の井政岡が仰天しながら一大事と若君抱き守り居る
ト 千松、菓子を喰う事あって苦しむ。八汐驚き、千松を引き付け、胸元へぐっと突っ込む事。政岡は鶴千代を囲い腰元皆々守護する。沖の井キッとなって、
沖の井 ヤァ事の実否(じっぷ)も糺(ただ)さぬ内、なにゆえあって千松を、
松島 手にかけられし八汐、
沖の井 ご返答が、
二人 承りたい。
〽と詰めよれば
八汐 何をざわ/\、騒ぐことはないわいの。忝(かたじけな)くも管領家より下されしこの折、踏みわりしは上への無礼。小さいがきでも、このままには捨ておかれぬ。手にかけたはお家を思う八汐が忠節、可愛そうに、痛いかいのう、痛いかいやい。他人のわしさえ涙(なんだ)がこぼれる。コレ政岡、現在のそなたの子、悲しうはないかいのう。
政岡 なんのマァ、お上へ対し慮外せし千松、御成敗(ごせいばい)はお家のお為。
八汐 ムム、スリャこれでも、なんともないか。これでもか/\。
〽なぶり殺しに千松が苦しむ声の肝先(きもさき)へ、こたゆるつらさ、無念をじっと堪(こた)ゆる辛抱も、ただ若君が大事ぞと涙一滴目にもたぬ、男まさりの政岡が、忠義は先代末代まで、またあるまじき列女の鑑(かがみ)今にその名は芳しき。栄は始終政岡がそぶりに気を付け打ち微笑(ほほえ)み
栄 オオでかした八汐、管領家よりくだされし、この御菓子。よしない小児(しょうに)が差し出たゆえ、大事の企(たく)みを、イヤサァ大事の菓子をあらせし科(とが)。手にかけしは八汐が働き、オオあっぱれ/\。
八汐 さまでもない事、お誉めに預かりありがとう存じまする。
栄 この上は政岡に云い聞かす仔細もあれば、皆の者はしばらく次へ。
(中略)
〽跡先見廻し栄御前、政岡がそばへすり寄って
栄 政岡近う。
政岡 ハァー。
栄 年頃仕込みしそなたの願望成就(じょうじゅ)して、さぞ満足であろうのう。
政岡 なんと御意遊ばす。
栄 イヤ、隠すに及ばぬ。東西分かぬその内より取(と)り替(か)え子(こ)と云う事は、とくよりそれと知ったれども、もしやと思い、最前から終始の様子窺(うかが)いみるに、血を分けた我が子の苦しみ、なんぼ気強い親々でも、堪(こら)えられるものではない。慥(たし)かな証拠を見る上にはそなたに見(み)する一品(ひとしな)あり。
ト 懐中より連判状を出して
栄 サ、披見(ひけん)しや。
政岡 ハアー。ヤァ、コリャ、鬼貫公(おにつらこう)を始めとして家中の諸武士は過半お味方。
栄 アア、コレ密かに/\。何かの事は八汐に申し付けおいたれば、万事よしなに。
(中略)
〽跡にはひとり政岡が奥口伺い/\て、我が子の死骸打ち見やり、堪え/\し悲しさを、一度にわっと溜涙、せき入りせき上げ歎きしが
ト 政岡思い入れあって、千松の骸を見て、
政岡 コレ千松。でかしやった/\/\/\よのう。そなたが命捨てたので、邪智深い栄御前、取り替え子と思い違い、己の企み打ち明けて連判までも渡せしは、親子の者の忠心臣を神や仏もあわれみて、鶴千代君の御武運を守らせ給うか。チェ忝い/\/\わいのう。コレと云うのもこの母が常々教えおいた事、幼な心に聞きわけて手詰めになった毒薬を、よう試みてたもったのう。でかしゃった/\/\/\よなぁ。コレ千松、そなたの命は出羽奥州五十四郡の一家中、所存のほぞを固めさす、まことに国の、
(中略)
八汐 政岡、覚悟。
ト 懐剣にて斬ってかかるを早舞になる。一寸立廻り、八汐をひと刀斬る。この時政岡連判状を落とす。鼠出て連判状をくわえ消える。(後略)》
政岡が千松の死骸を抱いてくどくサワリの場面は、爾来、我が子を犠牲にしてまでもの「忠義」(時に<大文字の他者>として働く)の鑑とされてきて、ここが見どころと思いがちだが、違う。芸談の数々が語っているように、真のクライマックスはその直前の、八汐が千松をなぶり殺すのを政岡がじっと堪えている場面、「政岡-栄御前―八汐」の三角形における、栄御前の眼差しと政岡の眼差しが織りなすドラマ、<象徴界>の存在に違いない。
芸談を紹介する。
五代目中村歌右衛門は、《政岡のしどころとしては、八汐が千松を殺すのを、じっと堪(こら)えるあいだが性根どころで、一方には栄御前が見張っている。それに悟られてならないのは、こゝのせりふにもある通り、「なんのまあ、お上へ対し慮外せし千松、御成敗は御家(おいえ)のお為」といっているくらいで、腹の中では千松はよく死んでくれたの心持を充分に持っていることは、義太夫の文句の「涙一滴目に持たぬ、男まさりの政岡が……」のところになって、いよ/\我慢の出来なくなるのを、尚もこらえにこらえて、若君を引き寄せて守護し、わざと千松の死体から目を離して、遠くの方を眺めながら歯を喰いしばっているのです。(中略)栄御前が帰ったあとを見送って、「跡には一人政岡が……」で奥口を窺い、下手から上手へ目を移して、若君の無事を心に喜んで、さてその目が千松の死骸へ行く、こゝで真(しん)の女にもどってしまって、「こらえ/\し溜(ため)涙一度にわっと……」で、襠(うちかけ)を脱いで泣き入る順序で、これからは「さわり」になるのですから、動きもあれば芝居も面白く出来て、こゝまで来ればもう楽なものです。》(『歌舞伎オン・ステージ 伽羅先代萩・伊達競阿国戯場』)
六代目尾上梅幸は、《女形の役のうちにむづかしいものが沢山ありますが、立役で言へば『忠臣蔵』の大星由良之助に当て嵌るのが、『先代萩』の政岡でせう。この政岡の演所(しどころ)は、「御殿の場」で倅の千松が八汐に殺されるのを、じっと辛抱をして涙一滴こぼさずに、御主君鶴喜代君(筆者註:鶴千代の事)を大切に守護するといふ所が性根になってゐますが、これには昔からいろ/\の型があって、中には随分取り乱した仕科を見せて、見物受を狙ふやり方も行はれますが、團十郎あたりになりますと、裲襠の襟へ手をかけて、それが肩からはづれるのを掛け直して、片手を膝へ置いてじっと辛抱するくらゐな、渋いゆき方を見せてゐました。(中略)何しろ長丁場の場面を持ちこたへるので、余程腕前がなければ仕終せない役になってゐますが、最後に栄御前が心を許して連判状を残して立帰った跡、わが子の千松の死骸に取付いて愁嘆を見せる件になれば、実はもうしめたもので、動きも多く見物も喜んで下さるので、見た眼は派手でありながら、こゝへ来れば役者の方はずっと楽になるのです。》(尾上梅幸『女形の事』)
歌舞伎では、栄御前は政岡に「取(と)り替(か)え子(こ)と云う事は、とくよりそれと知ったれども」と言うが、「とくよりそれと」がどこから来たのか、「謎」は結局明かされない。しかし人形浄瑠璃では、八汐が政岡に切りかかる直前に、小巻(=小槙)が登場して、栄御前に「鶴喜代君(=鶴千代)と千松を入替子と云ふたも小巻、それゆゑに栄御前うま/\此場を帰りしも、裏の裏行く匙加減」と宣言し、種明かしをする。
《後にすつくと八汐の大声「何もかも様子は聞いた。此方の工みの妨げ女、己も生けては置れぬ」と詞の一間押明けて「ヤア不忠不義の銀兵衛夫婦、工みの次第白状せよ」と立出づる沖の井「ヤアこの八汐に白状とは」「オヽその証人は此処に在り」と云ひつヽ出づる顔見て恟り「ヤア、そちや小巻」「オヽよい証人であらうがの、夫道益に云付けて無理に毒薬調合させ、この事外へ洩らさうかと、よう夫を殺したな。夫の敵と思へども女の身の討つ事叶はず、わざと悪事に一味して、まつかう手目を上げふため、鶴喜代君と千松を入替子と云ふたも小巻、それゆゑに栄御前うま/\此場を帰りしも、裏の裏行く匙加減、サア真直に白状」と忠と不忠の喰合せ、毒薬却つて薬となる顔に似合ぬ配剤は、類ひないぎの手柄なり。「モウこれまで」と八汐が懐剣、心得政岡請流す、互に嗜む太刀さばき手を尽くしたる二人の女、我子の恨み一心に突込む懐剣打落し直に切込む八汐が肩先き、ひるむを取つて、突通され虚空を掴んで、もがき死に悪の報ひは忽ちに心地よくこそ見へにけり。「》
歌舞伎は、このようなごてごてした説明をせずに、八汐はくどきを見届けて現われるや、「政岡、覚悟」で立廻りして、政岡にえぐられ、絶命する。「謎」は「謎」でよい。「邪智深い栄御前」に対して、観客は自由に空想と謎解きに耽ることができる。明晰につじつまをあわせられ、登場人物の内面を透明に見せつけられるや、絵空事のようで詰まらない。観客に何かを感じさせ、惹きつけることが重要で、合理的な説明が真理を表しているとは限らないのは、ここまでラカンを通して見てきたとおりである。
「御殿の場」は、他者の欲望が交錯するゲームの場となっている。政岡も栄御前も八汐も幻想の渦中にいる。それもこれも「竹の間の場」で八汐が政岡を陥れようとして失敗するゲームがまずあるからで、「御殿の場」の「飯炊き」の、退屈にも感じられる動きの少ない内面を語る所作による透明な時間の後に、再び栄御前と八汐によって二度目のゲームが開始されるとき、「政岡-栄御前―八汐」の三角形が象徴的な意味を求めて発光する。したがって、「竹の間の場」が時代劇には珍しい台詞劇で地芸が上手でないと難しいのと、「御殿の場」だけで十分に長丁場であるということから、滅多に上演されないのは片手落ちである。
たしかに政岡が主人公ではあるが、次の三島由紀夫の言葉、《悪のエネルギー 「合邦」前半の玉手(たまて)御前(ごぜん)や、「御殿」の八汐は、浄瑠璃作者が想像した性格といふよりは、人形の機巧が必要上生み出したデスペレエトな怪物であるが、それはもちろん義太夫節の怪物的性格にも懸つてゐる。しかし何といふ情熱的なエネルギッシュな怪物であらう。類型的であることは、ある場合、個性的であることよりも強烈である。儒教道徳やカソリック道徳の支配下においては、悪は今日よりも、もつと類型的でさうして強烈であつた。》(注:デスペレエト=死にもの狂いの、絶望的な、自暴自棄の)のように八汐の役割の強烈さも重要なのである。
《幻想の中にあらわれた欲望は主体自身の欲望ではなく他者の欲望、つまり私のまわりにいて、私が関係している人たちの欲望だということである。幻想、すなわち幻の情景あるいは脚本は、「あなたはそう言う。でも、そう言うことによってあなたが本当に欲しているのは何か」という問いへの答である。欲望の最初の問いは、「私は何を欲しているのか」という直接的な問いではなく、「他者は私から何を欲しているのか。彼らは私の中に何を見ているのか。彼ら他者にとって私は何者なのか」という問いである。幼児ですら関係の複雑なネットワークにどっぷり浸かっており、彼を取り巻く人びとの欲望にとって、触媒あるいは戦場の役割を演じている。父親、母親、兄弟、姉妹、おじ、おばが、彼のために戦いを繰り広げる。母親は息子の世話を通して、息子の父親にメッセージを送る。子どもはこの役割をじゅうぶん意識しているが、大人たちにとって自分がいかなる対象なのか、大人たちがどんなゲームを繰り広げているのか、は理解できない。この謎に答を与えるのが幻想である。どんなに単純な幻想でも、私が他者にとって何者であるのかを教えてくれる。どんなに単純な幻想の中にも、この幻想の相互主観的な性格を見てとることができる。たとえばフロイトは、苺のケーキを食べることを夢想する幼い娘の幻想を報告している。こうした例は、幻覚による欲望の直接的な満足を示す単純な例(彼女はケーキがほしかった。でももらえなかった。それでケーキの幻想に耽った)などではけっしてない。決定的な特徴は、幼い少女が、むしゃむしゃケーキを食べながら、自分のうれしそうな姿を見て両親がいかに満足しているかに気づいていたということである。苺のケーキを食べるという幻想が語っているのは、両親を満足させ、自分を両親の欲望の対象にするような(両親からもらったケーキを食べることを心から楽しんでいる自分の)アイデンティティを形成しようという、幼い少女の企てである。》
ゲームの佳境で、「とくよりそれと知ったれども」という栄御前は、なぜ取り替え子と誤認識したのか。
第一に、栄御前は「他者の欲望」を欲望している。取り替え子であれ、という「皆」の欲望を欲望している。
《しかし、「人間の欲望は<他者>の欲望である」という公式にはもうひとつの意味がある。主体は、<他者>を欲望するものとして、つまり満たしがたい欲望の場所として、捉えるかぎりにおいて、欲望できる。あたかも彼あるいは彼女から不透明な欲望が発せられているかのように。他者は謎に満ちた欲望を私に向けるだけでなく、私は自分が本当は何を欲望しているかを知らないという事実、すなわち私自身の欲望の謎を、私に突きつける。ラカンはここではフロイトに従っているが、そのラカンにとって、他の人間の底知れぬ次元――自身のように愛せという命令をもったユダヤ教においてである。フロイトにとってもラカンにとっても、この命令はひじょうに多くの問題を含んだ命令である。次のような事実を曖昧にしてしまうからだ。その事実とは、私の鏡像としての隣人、私に似ている人、私が共感できる人の裏には、根源的な他者性の、つまり私がその人については何も知らないという、計り知れぬ深淵が口を開けているということである。》(ジジェク『ラカンはこう読め!』)
第二に、「自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすい」ということだ。
《自分の眼だけを信じていると、肝腎なことを見落としてしまう。この逆説は、ラカンが「知っている[騙されない]人は間違える(Les non-dupes errent)」という言葉で言い表そうとしたことだ。象徴的機能に目を眩ませることなく、自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすいのである。自分の眼だけを信じている冷笑者が見落としているのは、象徴的虚構の効果、つまりこの虚構がわれわれの現実を構造化しているというとである。美徳について説教する腐敗した司祭は偽善者かもしれないが、人びとが彼の言葉に教会の権威を付与すれば彼の言葉は人びとを良き行いへと導くかもしれない。》
だから、「最前から終始の様子窺(うかが)いみるに、血を分けた我が子の苦しみ、なんぼ気強い親々でも、堪(こら)えられるものではない。慥(たし)かな証拠を見る上には」という自分の眼は、たとえ政岡がそのように見えたにしても、すでに小槙の言葉を信じていた。
第三に、政岡は、「血を分けた我が子の苦しみ、なんぼ気強い親々でも、堪(こら)えられるものではない」という見せかけではないと思いこませる無心の、何かを隠しているかのように思わす気配によって、栄御前にあらぬものを見させた。隠蔽の行為が欺くのは、何かを隠しているかのように思わせるゆえである。
《ラカン的な視点からすると、最も根源的な見かけとは何か。妻に隠れて浮気をしている夫を想像してみよう。彼は愛人と密会するときは、出張に行くふりをして家を出る。しばらくして彼は勇気を奮い起こし、妻に真実を告白する――自分が出張に行くときは、じつは愛人と会っていたのだ、と。しかし、幸福な結婚生活といううわべが崩壊したこのとき、愛人が精神的に落ち込み、彼の妻に同情して、彼との情事をやめようと決心する。妻に誤解されないようにするためには、彼はどうすべきだろうか。出張が少なくなったのは自分のもとに帰ってきたからだと妻が誤解するのを阻止するためには、どうすべきだろうか。情事が続いているという印象を妻に与えるため、彼は情事を捏造する。つまり、二、三日家を空け、実際には男友達のところに泊めてもらわなければならない。これこそが最も純粋な見せかけである。見せかけが生まれるのは、裏切りを隠すために偽りの幕を張るときではなく、隠さなくてはならない裏切りがあるふりをするときである。この厳密な意味において、ラカンにとっては幻想そのものからして見せかけである。見せかけとは、その下に<現実界>を隠している仮面のことではなく、むしろ仮面の下に隠しているものの幻想のことである。したがって、たとえば、女性に対する男性の根本的な幻想は、誘惑的な外見ではなく、この眼も眩むような外見は何か計り知れない謎を隠しているという思い込みである。》
歌舞伎の「型」の変遷をみてゆくと、役者の身体を通して<大文字の他者>が機能していることがわかる。渡辺保は『歌舞伎 型の魅力』で、『伽羅先代萩』の型の変遷を論じているが、それは一演目に限らず歌舞伎全体に波及する論点ともなっている。
《政岡の型には、三つの流れを見ることができる。
第一に、江戸時代から明治時代へ、すなわち近代化。第二に、上方と江戸との対立から東京一極集中化へ。そして第三に立役から女形へ。
九代目団十郎と五代目菊五郎によって多くの者が捨てられ、歌舞伎はよりリアルになり、より内面的になった。たとえば雀の唄で忍びの者がからむ型は、本来江戸の伝統的な菊五郎型であったにもかかわらず淘汰(とうた)され、今日では梅玉型と猿翁に残るのみである。
第二点。上方の型は、むろん荒唐無稽な点があるにしても、一方で本文に忠実(たとえば千松殺しの時に自分の部屋へ鶴千代を入れる)であり、一方で江戸時代以来の本流の型(たとえば梅玉型の雀の唄で忍びの者がからむこと、あるいは仁左衛門型のくどきに鶴千代が出ること)であるにもかかわらず、今日の舞台からは排斥されている。これは東京の、それらの型をリアルでないとする感覚のためであり、要するに中央の権威主義であり、文化の一極集中に他ならない。
そして第三点。立役から女形へ。政岡の初演は中山来助(らいすけ)という立役であった。本来は立役の役であるにもかかわらず、女形である五代目岩井半四郎、四代目菊五郎という傑作が出て、さらには五代目、六代目歌右衛門、六代目梅幸その他の女形によって政岡の型が統一されたために、今日では純然たる立役の演ずる政岡はわずかに猿翁のみになった。(中略)
以上三つの流れによって、政岡の型は、熊谷の型が芝翫型と団十郎型と対照的なのとは違って、混雑輻輳(ふくそう)している。しかしその混乱の中でも一点明確なのは、リアルなものへの志向である。五代目歌右衛門が、九代目団十郎型を吸収して女形の型にしたように、立役から女形へ、荒唐無稽なものから、あるいは本文から離れても、リアルな感情へという変化がおきている点である。
その結果、たとえばくどきで鶴千代を退場させるということがおこった。この方が役者はやりやすいのは、いうまでもない。たとえ子供とはいえ殿様のいる前で我が子を手放しでほめるのはテレるにきまっているからである。しかし本文をよく読めばわかるが、殿様がいる前での政岡のなげきだからこそ、これは政岡の忠義批判、体制批判になるのである。そういう登場人物の一心理をはなれて、劇的宇宙のもつ意味を喪失したことも忘れるべきではない。
そこまで考えると、政岡の型の変化は、単に役者の好みの問題ではなく、その背景に歌舞伎の歴史、ひいては日本の文化の、あるいは社会の価値観の大きな変化を思わせるのである。》
付け加えれば、ここで「皆」に働いているのは、近現代のサイエンスや民主主義における「(あるはずの)真理」に匹敵する、象徴的秩序から来る「リアル」というもっともらしさを纏った<大文字の他者>だろう。
歌舞伎には嘘も真実もある。しかし、嘘と真実、現象と隠れたもの、虚と実という二項対立ではない。ラカンはこう書いている。
《患者の主張はすべてそれ自体二面性を持っています。真理の次元がうちたてられるのを我われが見るのは、まず初めにある嘘という形で、そして嘘を介してすら打ち立てられるものとしてなのです。厳密にいえば、嘘の中でも真理の次元は揺らぐわけではありません。というのは、嘘はそれ自体真理の次元で自らを示すからです。》(ラカン『精神分析の四基本概念』)
古代ギリシャの画家ゼウキシスとパラシオスの、どちらがより真に迫ったリアルな絵を描くことができるかという競争をラカンは喩えに引いた。はじめにゼウキシスが本物そっくりな葡萄の絵を描いたので、鳥が飛んできて葡萄を啄もうとしたほどだった。出来栄えに勇んだゼウキシスはパラシオスに君の番だと急かす。ところが、パラシウスが壁に描いた絵には覆いがかかっていた。そこでゼウキウスは「その覆いを取って、何を描いたのか早く見せてくれ」と言った。そこで勝負はついた。なぜなら、パラシウスは壁の上に「覆いの絵」を描いていたからである。ゼウキシスの絵では、騙し絵がじつに完璧だったので、実物と間違えられたのだったが、パラシオスの絵では、自分が見ているこの月並みな覆いの後ろに真理が隠されているのだという思い込みそのものの中に錯覚がある。この喩えの教えるところは何か。
《パラシオスの例が明らかにしていることは、人間を騙そうとするなら、示されるべきものは覆いとしての絵画、つまりその向こう側を見させるような何かでなければならない、ということです。》(ラカン『精神分析の四基本概念』)
『伽羅先代萩』でも『義経千本桜』でも、真に向こう側を見なければならないのは私たち観客であって、そこにこそ芝居という「魅惑する者」と「魅惑される者」の交換関係、魅惑と欲望の運動、享楽がある。
(了)
*****引用または参考文献*****
*スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳(紀伊國屋書店)
*スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳(河出文庫)
*スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ』鈴木晶訳(青土社)
*大澤真幸『思想のケミストリー』(紀ノ国屋書店)
*大澤真幸『社会システムの生成』(弘文堂)
*大澤真幸『THINKING「O」第9号』(左右社)
*ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』小出浩之他訳(岩波書店)
*渡辺保『千本桜 花のない神話』(東京書籍)
*吉本隆明『<信>の構造3 全天皇制・宗教論集成』(春秋社)
*『折口信夫全集3 古代研究(民俗学編2)』(「大嘗祭の本義」所収)(中公文庫)
*『新潮日本古典集成 平家物語(上)(中)(下)』(新潮社)
*『歌舞伎オン・ステージ 伽羅先代萩・伊達競阿国戯場』諏訪春雄編著(白水社)
*『国立劇場歌舞伎公演記録集 義経千本桜(上)(下)』(ぴあ株式会社)
*『文楽床本集 義経千本桜』(平成十五年九月文楽公演)(日本芸術文化振興会)