オペラ批評 「モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト」

モーツァルト・オペラの思想的考察(引用ノート)――カントとサドとモーツァルト

  

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スウェーデンボルグ(一六八八~一七七二)、ヒューム(一七一一~一七七六)、ルソー(一七一二~一七七八)、ディドロ(一七一三~一七八四)、カント(一七二四~一八〇四)、カサノヴァ(一七二五~一七九八)、サド(一七四〇~一八一四)、ラクロ(一七四一~一八〇三)、ゲーテ(一七四九~一八三二)、モーツァルト(一七五六~一七九一)、ジェーン・オースティン(一七七五~一八一七)。

 

モーツァルトが晩年の十年間に作曲した七つのオペラ。初演順に、『イドメネオ』一七八一年、『後宮からの誘惑』一七八二年、『フィガロの結婚』一七八六年、『ドン・ジョヴァンニ』一七八七年、『コシ・ファン・トゥッテ』一七九〇年、『ティート帝の慈悲』一七九一年、『魔笛』一七九一年。

 

・《われわれの世紀(筆者註:二十世紀)は、歴史上で最も忌み嫌われる世紀となろうが(もちろん今世紀で今後の歴史が中断してしまわなければ、やがてそれを憎む者が現れる、としての話だが)、こういう肩書きをもっている――それはモーツァルトを認めた世紀である、と。》(ブローフィ『劇作家モーツァルト』p1)

  

<カント>

――『視霊者の夢』/啓蒙主義ロマン主義の「間」/自嘲

・《カントが『視霊者の夢』を書いた一七六〇年代には、ライプニッツ形而上学には埋めようのない亀裂があいていた。ライプニッツにおいて感性と理性が連続的な進化の段階にあるとしたら、この亀裂は、感性と悟性の間にある。(中略)

 この「亀裂」を具体的に象徴したのは、一七五五年十一月一日のリスボン地震である。ヨーロッパですべての聖人たちを祭るこの日、まさに信者が教会で礼拝していたときに起こったため、この地震は神の恩寵に対する疑いを巻き起こした。それは大衆的なレベルにとどまらず、文字どおり、全ヨーロッパの知的世界を震撼させた。たとえば、ヴォルテールは数年後に『カンディード』を書き、ライプニッツ的予定調和の観念を嘲笑し、ルソーも、地震は人間が自然を忘れたことへの裁きであると書いている。そのなかで、カントは地震に対して一切の宗教的な意味を与えることを拒絶し、その自然科学的原因と耐震対策を説いた。にもかかわらず、別の意味で彼がそれに揺すぶられたことは疑いがない。それは二つの面から言える。第一に、哲学を二度と瓦解しないような建築にしようとするカントのメタファー(建築術)はそこから来ているといってもよい。第二に、先に述べたように、この地震を予言した視霊者スウェーデンボルグの「知」に惹きつけられたことである。

 しかし、以後の長い沈黙のあとに発表された『純粋理性批判』には、一見してこうした「問題」は消えている。それをむしろ後退として見るべきだろうか。もしこの本が、ライプニッツ的な合理論とバロック的な経験論への批判として書かれたと読むなら、そう見えるだろう。しかし、彼はそれとは違った文脈に生きていたはずである。たしかにカントは、経験論と合理論の「間」に立っていた。彼は合理論者から見れば経験論的であり、経験論者から見れば合理論者である。むろん、誰もがいうように、彼はそのいずれでもない。しかし、むしろ注目すべきことは、彼が啓蒙主義ロマン主義の「間」にも立っていたことである。

 カントの芸術論(『判断力批判』)は、美を主観性において見いだすことにおいてロマン主義的であり、事実、ロマン主義美学の基盤を与えている。しかし、厳密には、彼は古典主義とロマン主義の「間」に立っている。それは、ゲーテが古典主義的であると同時にロマン主義的であるといわれるのと、或る意味で似ているだろう。しかし、カントが古典主義とロマン主義の「間」に立っていたと私がいうのは、彼がそれらの過渡期に生きていたという意味ではなく、それらのいずれをも「批判」する視点に立っていたという意味である。

 カントが啓蒙主義ロマン主義の「間」に立っていたというのも、同じ意味である。彼がロマン主義者から見れば啓蒙主義者であり、啓蒙主義者から見ればロマン主義者と見えることは疑いがない。》(柄谷行人「探究Ⅲ」)

・《カントがこうした理性の欲動を見いだしたのは、『形而上学の夢によって解明されたる視霊者の夢』(一七六六年)においてである。これは、スウェーデンの視霊者スウェーデンボルグを論じた論文である。彼は基本的に、視霊という現象を「夢想」あるいは「脳病」の一種と見なしている。そこでは、ある思念が感官を通して外から来たかのように受けとめられている。だが、このヴィジョンはその鮮明さにおいて、知覚にあることがあるし、実際にそれらは区別できない。形而上学も同じことではないかと、カントはいう。なぜなら、形而上学は、なんら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように扱っているからである。このエッセイは、その意味で「視霊者の夢によって解明されたる形而上学の夢」であるといってもよい。

 しかし、彼はスウェーデンボルグの「知」を否定すると同時に、それを否定することができない。霊という超感性的なものを感官において受けとることは、たんに想像(妄想)でしかないが、他方、霊が直観されるということは、構想力による錯覚が混じっているにせよ、それをもたらす霊の影響を推定することができないわけではない。しかし、カントは態度を決定できない。彼は、それを精神錯乱と呼んだにもかかわらず、「視霊者の夢」を真面目に扱わずにいられない。同時に、そのことを自嘲せずにもいられない。(中略)

 この『視霊者の夢』に、カントの「批判」の先駆を見いだせることはいうまでもない。すでに、ここで、彼は、主観によって構成された外部(現象)とそうでない外部(物自体)の区別について語っている。あるいは、恣意的な空想と、ヌーメナルなものを感性的に把握する構想力との区別――それはのちに、自由と自然を媒介するものとして「判断力」を措定することにつながるだろう。しかし、『視霊者の夢』を特徴づけるのは、たとえば、スウェーデンボルグを肯定すると同時に、肯定する自分を嘲笑するというような書き方である。坂部恵は、ここに、このエッセイに固有の「二義的」な態度を見いだし、次のように述べている。

 みずからのぎりぎりの信念に対しても、「心があらかじめ偏して」いる可能性を留保し、したがって、みずからのどんな「正当化の根拠」をも警戒することを止めない、というこの著作をいろどる二義性の究極の底にある態度は、けっして批判前期の過渡的なものとして割り切ってしまえるものではなく、むしろ、批判期には「実践理性の要請」とか、「実践的定説的形而上学」とかいう形でただちに普遍的なものとしてドグマ化されることによって、失われてしまった、きわめて積極的な貴重な本来の「知恵」あるいは、みずからをみずからたらしめる ratio(理性‐根拠)をもあえて疑問に付し、夢とうつつの区別すらさだかでなくなる無定形な不安のうちにたゆたうことをあえてする、最もラディカルな思考のあらわれと見なされるべきではないのか。これ以上の判断は、わたしは、カントにならって、読者にゆだねることにしたい。(坂部恵「『視霊者の夢』の周辺」)

 私はこの判断に同意する。》(同上)

・《私の『トランスクリティーク――カントとマルクス』という著作は、『視霊者の夢』からカントの可能性を見る坂部氏の本なしにありえなかった、といっても過言ではない。しかし、最初に『理性の不安』を読んだとき、私はむしろそれを文学評論として読んだのである。というのも、坂部氏は、カントの『視霊者の夢』に関して何よりも、「自己を嘲笑する」ことから始めるカントの書き方に注目していたからである。氏はそこに、ディドロやスターンの文学との共時的な類似を見出している。十八世紀の小説では、サタイヤや書簡体など多種多様な表現形式がとられたが、十九世紀に「三人称客観」の手法が確立したとき、それらは未熟な形式として抑圧されてしまった。

「三人称客観」の視点は仮構であるが、それはカントでいえば、「超越論的主体」という仮構に対応するものである。逆にいうと、カントが超越論的主体を仮構した時点で、小説に生じたのと同じことが哲学におこった。坂部氏がとらえたのはそのような変化である。『視霊者の夢』に見られるカントの「理性の不安」や多元的分散性は、『純粋理性批判』では致命的にうしなわれてしまった、と坂部氏はいう。カントの柔軟な思考と文体は、「学校の文体といわば妥協し、伝統的形而上学の枠どりに何らかの程度復帰して、自己の防衛と自己の思考の社会化に乗り出すと同時に、必然的に捨て去られることになる」(坂部恵「カントとルソー――時代に先駆けるものの喜劇と悲劇――」)。

 とはいえ、坂部氏は、『純粋理性批判』よりも『視霊者の夢』のほうが重要だといっているわけではない。坂部氏がいいたいのは、『純粋理性批判』あるいは「批判哲学」は、それよりも前の『視霊者の夢』から見るとき、別の可能性、つまり、近代哲学を超える可能性をもちうるということである。すなわち、坂部氏は、近代批判の鍵を、近代以前にさかのぼるかわりに、十八世紀半ば、すなわち、啓蒙主義ロマン主義の境目の一時期に求めたのである。そこでは、もはや啓蒙的合理性が成り立たなくなっている。にもかかわらず、そこであくまで啓蒙的スタンスを維持しようとするならば、「自己嘲笑」的なスタイルによってしかありえない。カントが『視霊者の夢』でとった文体は、そのような苦境が強いたものである。》(柄谷行人「近代批判の鍵」)

  

<サド>

――『閨房哲学』と『実践理性批判

・《ミシェル・フーコーは、『古典主義時代における狂気の歴史』において、サドの体現する「サディズム」という現象が、けっして、「エロスと同じだけ古い」ものではなく、まさに十八世紀のおわりという西欧の古典的理性の爛熟の時代に、「西欧的想像力のもっとも大きな転換の一つを構成する」集団的文化現象としてあらわれたのであること、すなわち久しく日常の理性的生活から隔離されいまや沈黙のうちに追いやられた「非理性」が、今度は世界のなかに姿をあらわす形象としてではなく、「ことばと欲望」(discours et désir)として、いいかえれば、「魂の錯乱、欲望の狂気、欲望の再現のない専横における愛と死との狂気じみた対話」としてふたたび姿をあらわしたものにほかならぬことをいい、(中略)ジャック・ラカンは、”Kant avec Sade”と名づけられた卓抜な小論において、カントの『実践理性批判』とその八年後に出されたサドの『閨房哲学』(La philosophie dans le boudoir)を対比させながら、『閨房哲学』は、まさに、『実践理性批判』の世界の底にかくされた「真実」を示すものにほかならぬこと、すなわち、カントの道徳の自律的主体を構成する一切対象にとらわれぬ形式的命法としての道徳法則は、サドのいわば主体なき思考としての幻想世界を生んだ果てしのない一種求道者的な欲望と、じつは、同一の欲望の変換過程の構造のなかに、表裏の関係をなすものとして位置づけうるものにほかならないことをあきらかにする。

 これらの見方は、いずれも、十八世紀のおわりといういわば光の時代、理性の時代ののぼりつめた頂点といってもよい時期におけるサドの存在がけっして偶然ではなく、むしろ、時代の必然的裏面あるいは陰画の部分にほかならぬことを示す点において、軌を一にするといってもよいだろう。》(坂部恵『理性の不安――サドとカント――』p189)

・《ショックを与えて皆さんの目を開かせるために――そういうことは我々の進歩に不可欠ですが――ここでは次のことに注目していただくだけで結構です。つまり『実践理性批判』は『純粋理性批判』の初版の七年後、一七八八年に出版されましたが、その七年後の一七九五年、<テルミドール>(訳注:フランス革命期の一七九四年七月二七日(共和歴第二年テルミドール九日)にロベスピエール派を失脚させたクーデターのこと)の直後にもう一つの著作、『閨房哲学』と呼ばれる著作が出版されているということです。

 皆さんご存じのように、『閨房哲学』は様々な理由で有名なサド侯爵の著作です。彼のスキャンダラスな名声は、最初いくつかの不運に伴われていました。彼は二五年のあいだ囚われの身でしたから、彼に対しては権力が濫用されたと言うこともできます。(中略)サド侯爵の著作は、ある人々の目には一種の気晴らしの方法と見えるかも知れませんが、実はそれほど面白いものでもありませんし、最も評価されている部分などはきわめて退屈なものです。しかし、彼の著作が筋が通らないと言うことはできません。むしろそこではまさしくカントのクライテリアが、一種の反‐道徳とも言うべき立場を正当化するために強調されているのです。

 反‐道徳パラドックスは『閨房哲学』と題された作品においてきわめて筋の通ったやり方で擁護されています。ここにいらっしゃる方々を考慮すると、ここだけは是非ともお読みいただきたいのは、「フランス人よ、共和主義者たらんとせばいま一息だ」と題された部分です。

 この部分は、当時革命下のパリで暴れ回っていた小組織のパンフレットと考えられています。このアピールに続けてサド侯爵は、権威の失墜を考慮すれば――真の共和制の到来は権威の失墜からなるというのがこの著作の前提となっています――実現可能な一貫した道徳生活の最低限度とこれまで考えられてきたものとは正反対のものを我々の行動の普遍的格率とするように提唱しています。

 実際、彼はそれをなかなか見事に擁護しています。誹謗への賛辞が『閨房哲学』のこの部分の最初に見られるのも決して偶然ではありません。彼によれば、当然向けられるべきよりもさらに悪いものを誹謗は隣人に負わせるとしても、誹謗は決して有害なものではありません。というのは、誹謗は誹謗の企てに対して用心させてくれるからです。さらに彼は続けて、道徳的法則の基本的な命令を覆すことを徐々に正当化し、近親相姦、姦通、盗み、およびそれらに付け加えることのできるものすべてを褒めそやします。十戒が定めるあらゆる法の正反対を考えてみて下さい。そうすると首尾一貫したものが得られますが、それは最終的にはこうなります。「誰であろうと他者を我々の快楽の道具として享楽する権利を我々の行為の普遍的格率とすべし」。

 サドは、この法が普遍化されて、同意しようとしまいと、あらゆる女性を誰彼なしに自由に所有する権利をリベルタンに与えるとしても、逆にこの法は、文明化された社会が夫婦関係の中で課すあらゆる義務から女性たちを解放するのだということを、きわめて筋の通ったやり方で論証します。この構想は、サドが空想的に欲望の地平に措定している水門を全開にするものであり、誰もがその貪欲さを最大限に高め、実現することを要請されるということです。

 万人にこの解放がもたらされると、そこに現われるのが自然社会です。これに対する我々の嫌悪感は、カント自身が道徳的法則のクライテリアからは除外すると称したもの、つまり感情的な要素と見なすことができるでしょう。

 もし我々があらゆる感情的要素を道徳から除外し、我々を感情的に導くあらゆる案内を消去し失効させるなら、極限においてサドの世界は――たとえその裏面であり戯画であるとしても――あるラディカルな倫理、一七八八年に起草されたカントの倫理によって統治される世界の一つの可能な達成と考えることのできるものです。

 よろしいですか、リベルタンと呼ばれる人々が残した膨大な文献、快楽人間のそれに見いだすことのできる道徳の分節化のさまざまな試みにはカントの影響がはっきりと認められるのです。》(ラカン精神分析の倫理』(上)p117)

  

<オペラ>

――近代哲学/空想

・《オペラは「エキゾチックで不合理な気晴らし」であるというジョンソン博士の有名な見解は、オペラはもっとも高度な芸術形式であるギリシア演劇のもっとも低俗なカリカチュアであるというシェリングの主張とともに、オペラに関する通説となっていた。オペラが三世紀にわたって試みてきたのは、魅惑すること、想像的なものを使って誘惑すること、空想によって魔法をかけることであった。それに対して哲学の仕事は、このオペラの幻想と魔法からひとびとを目覚めさせること――その幻想と魔法を脱構築すること――であった。オペラと近代哲学が、十七世紀から二〇世紀にいたる同じ歴史的時間を生きてきたとは、なんと皮肉なことだろうか。

 オペラが哲学者とは相容れないものであるとすれば、ルソー、キルケゴールニーチェは、この一般論における例外である。二つの精神をもった男ルソーは自分でもオペラを書いており、彼のオペラ『村の占い師』は、今日でもときどき上演されている。キルケゴールはオペラに心底魅了されており、そのため彼にとってオペラは、美学的で官能的な魅惑を引き起こすパラダイムとなっていた。しかし、だからこそ彼は、倫理的なもの、宗教的なものへと上昇することによって、最終的にそのパラダイムを首尾よく乗り越えることができた。そしてニーチェは長いあいだ、自分の哲学はワーグナーのオペラにおいて実現されていると実際に考えていたのだが、最終的には、この誤信を仰々しく(別種のオペラ、ビゼーの『カルメン』に依拠しながら)撤回してみせたのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p14)

・《オペラは三世紀ものあいだ、神話的共同体という空想を上演するための特権的な場所であった。そしてこの上演によって(ベネディクト・アンダーソンのいう)「想像の共同体」は、「現実の」共同体のなかにあふれ出していった――はじめは絶対君主制を支える空想として、そのあとは国民国家の基盤となる神話として。宮廷オペラは「国家オペラ」へと発展したのである。神話的共同体は、現実の共同体を構成するうえで必要な、糧となる空想――単なる現実の共同体の代替物やその神話的な写像ではなく、その原動力としての空想――を提供することができたのである。》(同上p18)

・《オペラの世界に入ったわれわれが扱わねばならないのは、哲学が取り組むにはあまりに馬鹿げてくだらないもの、しかし精神分析がみずからの課題として掲げてきたものである。つまりそれは、空想の論理である。そしておそらく、オペラの没落と精神分析の出現が時期的に一致しているのは偶然ではないのだ。》(同上p20)

・《オペラが誕生した世紀(筆者註:一七世紀。モンテヴェルディが一六〇七年に初演した『オルフェオ』)の変わり目は、二つの時代のあいだの、きわめて劇的な移行を表してもいる。音楽および芸術全般におけるルネサンスバロックのスタイルの違いは、比較的マイナーな問題にみえるかもしれない。というのも、その時代はガリレオデカルトの時代(ちなみにガリレオの父、ヴィンチェンツォ・ガリレオは音楽家であり、モノディの創設者のひとり、つまり古代悲劇の再生という思想の担い手のひとりでもあった)、すなわち近代科学が誕生し、近代的主体の基盤となる構造が出現し、ブルジョア社会の創始と勃興――そのもととなる要素は数世紀前につくられていた――が集中的かつ顕著に現れた時代であるからだ。オペラは、この時代の支えとなった新たな空想を提供したのであり、その途方もない力が一般的に理解されるまであまり時間はかからなかった。劇場という空想のメカニズムは、その単純さゆえに強烈な力をもつわけだが(実際、舞台とは、ラカンのいう「空想の窓」のフレームを形成する必要最小限の身ぶり以外の何であるというのか)、それは音楽という要素、世俗を超えた世界へじかに上昇していく要素によって、超越性やユートピア的な和解の場へと祭り上げられる。音楽は、あらゆる芸術のなかでもっとも時間に縛られたものであると同時に、レヴィ=ストロースが書いているように、神話のような「時間を抑圧する機械」でもある。》(同上p23)

 

――オペラ・セリアとオペラ・ブッファ

・《モンテスキューによれば、君主は最高位の審判者になるべきではない。そうではなく、君主は、真の<他者>という比類なき存在としなければ機能できない。しかし君主は、法の上に位置する最後の審級である。彼はひとつの例外という位置を占めており、だからこそ、みずからも例外的行為を行えるのである。オペラ・セリアが目指しているのは、まさにそうした崇高の瞬間、愛という次元が開かれる瞬間である。慈悲の行為は、法を超えた愛の証となる。慈悲の行為は、その見返りに愛を要求する。そして愛の真の媒体となるのは音楽なのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p50)

・《オペラ・セリアは、主体と<他者>、社会とそれを超越したものとのあいだの距離を基盤にしている。オペラは、この二つのものが象徴的に交換される空間を舞台にしてはじまり、両者の距離が慈悲の行為を通じて崇高なかたちで保証されたときに終わる。民主主義的なジャンルであるオペラ・ブッファは、一般的な人間社会に枠を限定したうえで平等という視点を提示する。オペラ・ブッファの武器は、個人としての人間性とその社会的地位とのあいだに齟齬がある人物、一般的な人間社会の仲間入りをする資格のない人物を嘲笑することである。確かに、これは両者の対立のおおざっぱな、図式的な記述にすぎない。》(同上p59)

 

 モーツァルト

――多様性/フィナーレと二つの世界

・《彼(筆者註:モーツァルト)の一七八〇年八月二六日の日記の断片(正確には、彼が妹の日記帳に書いたメモ)を引用することにしよう。

post prandium la sig'ra Catherine chéf uns. Wir habemus joué colle carte de Tarock. Á sept heur siamo andati spatzieren in den horto aulico. faceva la plus pluchra tempestas von der Welt.

 昼食のあと、カテリーヌ夫人がやってきた。ぼくらはずっとタロックカードをして遊んだ。七時に庭に出た。この世で稀に見る素晴らしい大あらしだった。

 この断片のもつ圧倒的なユーモアと魅力は、ひとつの文を構成する単語一語一語に、ドイツ語、イタリア語、フランス語、ラテン語といった異なる言語が使われているという単純な事実からきている。モーツァルトは、正式な教育を受けなかったにもかかわらず、三ヵ国語を流暢に使いこなし、その三ヵ国語を駆使して巧みな言葉遊びをすることができた。そうした彼の瞠目すべき余裕と感受性にまさるものは、彼の音楽的才能だけであった。

 この引用の狙いは、モーツァルトの音楽全体、とくに彼のオペラはこの断片と同じように解釈されるべきであるという仮説、すなわち、それは種々多様な伝統――イタリア・オペラ、ドイツのジングシュピール、フランスのギャラント様式、ローマ・カトリックの教会音楽――の組み合わせ、より合わせとして解釈されるべきであるという仮説を提示することである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p61)

・《モーツァルトはそれぞれのオペラ作品において、異なる伝統同士の衝突だけでなく、それらの伝統におけるイデオロギー的、構造的前提をも緻密に提示していった。この変化を考察するうえでもっとも示唆的な要素は、オペラの最後の瞬間、つまりフィナーレである。それこそは、二つの論理がぶつかり合う場である。(中略)オペラの結末になると、主要人物は一堂に会し、プロット上の緊張は高まり、オペラのテンポは上ってゆく。しかし、結末に向かって出来事が次々に起こってゆくさなかにあっても、すべての人物はアイデンティティを保っており、明確に見分けがつくようになっている。そのようなフィナーレを可能にした装置、それはアンサンブルであった。

 音楽は、モーツァルトのアンサンブルにおいて新しい機能を獲得する。それは、もはや<他者>に向けられた悲嘆として歌われるアリアではないし、感情表現の瞬間、つまりアクションの一時的な停止状態でもない。それは、以前からあった二重唱(あるいは、稀ではあるが三重唱や四重唱)のような二重化されたアリアでもなく、全体的な共鳴状態をつくりだす合唱、個を超えた共同体という媒介物でもない。アンサンブルの発明によってもたらされたのは新しい共同体であり、そこでは、すべての人物が自分の個性、自分のモチーフ上のアイデンティティ、自分のリズムとメロディを保持しながら、なおかつひとつのアンサンブルにおいて他者と向かい合い、他者と対立するが、しかし同時にこの対立をアンサンブルを通じて解決する。そしてその際には、全体の調和も維持されるのである。》(同上p65)

・《モーツァルトのフィナーレを概括的にとらえるうえで有効な第二の要素は、モーツァルトが、伝統によって提示された前提条件同士の対立をいかに解決しているかということである。モーツァルトの全作品は明らかに啓蒙主義に属しており、オペラ・ブッファの主題もまたそうである。その論理は、上からの慈悲という崇高な行為に起源をもつもの、共同体を超えた超越的な審級に基礎づけられたものとはまったく対照的である。したがって、この特異な歴史的、音楽的契機は、二つの哲学、二つの社会理論、さらにいえば「二つの存在論」の出会いと対立を表している。個人はすでに(啓蒙化された)主体であるにもかかわらず、慈悲という枠組みは、依然として一般的な参照枠として維持されているのである。》(同上p69)

・《モーツァルトのオペラには、二つの世界が共存している。ひとつは、みずからの勝利にうかれている、いままさに創造されつつある世界。もうひとつは、いまなお完全には消滅しきっていない世界である。後者の世界は、その実質を失ってはいるものの、依然としてその輝かしい形式を保持している。モーツァルトのオペラにおいて、この二つの世界およびその基本となる二つの原理は、音楽によって支えられたユートピア的な和解を達成しているようにみえる。モーツァルトのオペラが舞台上で描き出すのは、ブルジョア的世界が非全体主義的な共同体のなかで神話的なものを出発点にして勃興してくる様であり、そしてもちろん、それ本来のあり方からずらされた慈悲の論理――これは前者と結合あるいは共存し、穏やかな調和を形成しているようにみえる――これは、ヨーロッパ史におけるユートピア的な一時代であった。そこでは啓蒙主義と伝統とのあいだの、二つの存在論、二つの社会理論のあいだのどっちつかずの調和が可能であったように思われるのである。しかし、それと同時にモーツァルトのオペラは、この調和の限界を提示している。彼のオペラは、みずからの価値を評価し、みずからの矛盾した前提条件を指摘しているのである。》(同上p161)

 

 <『フィガロの結婚』>

――啓蒙主義と封建主義/慈悲と放蕩、和解と赦し

・《『フィガロ』のプロット全体は、主人と従僕の境界線を破ることに関わっている。

 伯爵の置かれた立場は二重である。一方において彼は――ハーレムという専制君主的な権利を彼に保証するあらゆる特権の源泉、つまり初夜権を含む――自分の特権を公的かつ形式的に無効にしたいと思っている。それによって彼は、慈悲に満ちた寛大な行為を通じて自己を正当化できるからである。実際、第一幕において臣下たちは、合唱によって伯爵の寛大さに謝意を表すのである。だが、他方において彼は、特権を維持すること――公的な慈悲と私的な放蕩を両立すること、封建主義的かつ(・・)啓蒙主義的な主人になること――を密かに望んでいる。伯爵の適役であるフィガロの社会的身分は、当然ながら伯爵よりも低い。しかし、彼は最終的に、従僕という役割においてまさに主人を打ち負かすのである。和解は身分差の解消を通じてはじめて達成される。(中略)しかし、もっとも重要なのは、最後の和解が古典的な慈悲の行為によって成し遂げられるのではないということである。和解のメカニズムは根本的な変容を遂げ、文字通り逆転されている。それはもはや、神によって与えられるgrazia(慈悲)、君主や貴族によって示されるclemenza(寛大な措置、雅量)、臣下が請い求めるpietà (同情、慈悲)とは関係がない。それはむしろ、perdono(寛容pardon、赦しforgiveness)に関わっているのだ。赦しとは人間的な慈悲であり、そこではもはや[赦しを与える側と受ける側を隔てる]距離が保たれる必要はない。それは、ひと同士のつながりを作り出すこと、[超越性ではなく]内在性を肯定することに基づくのである。赦しは、世俗化された慈悲、人間が人間に対して示す慈悲である。赦しこそが、[『フィガロ』の終わりで形成される]共同体を平等の共同体にするのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p79)

・《「みなこれで満足できよう」――これはブルジョア的共同体の、驚くべき強度をもったユートピア的瞬間であり、和解と平等の瞬間、自由、平等、博愛の瞬間である。革命はすでにはじまっている。侍女に変装した伯爵夫人が伯爵に赦しを与えたとき、主人はすでにその地位から転落し、共同体の一員になっているのである。『フィガロ』の三年後に起きたフランス革命は、ただ主人の抜け殻を処理するだけでよかった。主人はすでに舞台の上で、みんなに見守られながら死んでいたのだ。殺されるのではなく、赦しを与えられたことによる死。それによって主人の死は、なおいっそう確かなものになるのである。そしてバスチーユはすでにその力を失っていた。ナポレオンは「フィガロの結婚はそれ自体ですでに革命の実践である」といい、また、自分が統治しているかぎり、ボーマルシェは監獄で一生を終えることになると断言したわけだが、それはすこしも不思議なことではない。》(同上p81)

・《オペラにおける哲学について語ること――ここには、その最高の例がある。ヘーゲルの『精神現象学』、とくにそのなかの精神を扱った章には、この赦しの瞬間に対応するものがある。その章はこの作品の中心となる章であり、「良心――『美しい魂』、悪、悪の赦し」というセクションで結ばれている。ここにおいて赦しは、精神の最高次の現れ、精神の最高段階としてとらえられている。ヘーゲルの考えでは、赦しにはUngeschehenmachenの力、つまり「[あること]をなかったことにする」力が備わっている。それゆえに「精神の傷は癒え、傷跡も残らないのである」。共同体をまとめる力と分解する力との弁証法が、赦しを通じて、共同体をまとめる新しい力に生まれ変わるという事態は――私はここで哲学用語を散発的に用いている――ヘーゲルの『精神現象学』のこの部分に見出すことができる。そしてこの事態は、『フィガロ』のフィナーレにおいて、これみよがしに音楽化されているのである。》(同上p82)

 

――セクシュアリティ/ケルビーノ

・《『フィガロ』にはもうひとつの軸、ジェンダーの軸があり、そこからは、モーツァルトのオペラにおけるセクシュアリティ構造と政治学の問題が出てくる(モーツァルトのオペラにおいては、すべての政治学が性の政治学であることを銘記しよう。それは、支配関係とも交叉するオペラのロマンティックな筋立てを背景にして展開されている)。伯爵とフィガロは、主要人物として対立しあう存在であるかもしれないが、その対立の解決は、第二の軸――それは伯爵夫人とスザンナとの関係によって規定される――を通じてはじめて可能になる。(中略)すべての糸を操っているのは、結局のところ女たちなのである。音楽的にもドラマトゥルギー的にも、モーツァルトの心は女の側にある。伯爵夫人は、赦しという崇高な行為を行う主体であるだけではない。彼女は、紋切り型と化したオペラ的な失望の身振りに頼ることなく、あらゆる面において威厳を保ち続ける人物でもある。またスザンナは、最大の共感をもって描かれている。(中略)また『フィガロ』のフィナーレは、和解の行為と主人の没落は女を通じて実現するという要点を提示している。主人の没落を引き起こしたのは、小賢しい反抗的な従僕ではなく、女である。したがって、従者であり女でもあるスザンナは、このオペラの中心に位置する存在である。女性的要素が、共同体全体のあり方を決めるひとつの特徴として全体を媒介する要素とならなければ、共同体は生み出されないのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p86)

・《オペラ全体のセクシュアリティ構造は、ケルビーノという人物によって複雑になっている。二組のカップルが四角形を形成しているときに(そして仕上げにバルトロとマルチェリーナのカップルがこれに加わるときに)、まったく存在する必要のない、それでいながら話の展開の中心にいるこのケルビーノという人物がこの四角形に付け加えられる意図は何かという疑問、それがここで浮上するのである。(中略)このように、一方においてケルビーノは――フロイトの言葉でいえば――Störer der Liebe(恋路をじゃまする者)、ロマンティックな計画を妨害する厭わしい要素である。また他方において彼は、クピド(キューピッド)とアモルのイメージ、セクシュアリティの卓抜な象徴でもある。彼は、相手が伯爵夫人だろうと、スザンナだろうと、バルバリーナだろうと、同じように言い寄ってゆく。対象を差異化しない彼の性的欲望は、女性という類そのものに向けられているのである(のちにキルケゴールは、ケルビーノのなかに「若き日のドン・ファンの肖像」を見出すことになる)。彼は、セクシュアリティの世界に足を踏み入れながら、子供と大人の閾に立っているが、それと同時に男と女の境界線の上にも立っている。彼の役が女性歌手――ドイツ語でいうズボン役Hosenrolle(ズボンをはいた女)――のために書かれているというだけではない。物語を急展開させる重要な契機は、彼の女装――『ヴィクター/ヴィクトリア』の十八世紀版のような、女の格好をした男を演じる女――によってもたらされるのである。彼のキャラクターは、クピドと(ケルビーノの親愛のこもった指小辞として用いられる)ケルビムが奇妙なかたちでひとつに圧縮された状態を表している。つまり、彼においては、性的欲望が純粋なナルシシズムと一致するように(フィガロは彼のもっとも有名なアリアのなかで、ケルビーノをナルキッソスアドニスになぞらえている)、性とは無関係の天使とセクシュアリティそのものの象徴が一致するのである。セクシュアリティの目覚め、セクシュアリティの神話的起源、性と性のない状態とのあいだの境界、男と女のあいだの境界――彼は、そうしたフェティッシュの凝縮状態の生きた事例なのである。また、それと同時に彼は、セクシュアリティそのもの、セクシュアリティの本質を具現するだけでなく、主人の誘惑行為の成功を妨げるセクシュアリティにおける障害、躓きの石を具現してもいる。ここに変装という要素を加えれば、精神分析においてファルスの要素を定義する上で必要なものは、すべてそろうのである。》(同上p88)

・《私は拙著“地獄への黒い船”の中で、キューピッドは男根崇拝の最も集約的な象徴なので、彼のサイズについての伝説の不確かさは、そのこと自身、勃起と膨張の力を象徴している、と主張した。ケルビーノの胸さわぐアリア<もうわからない>(non so più)は、いわばペニスの独白である。「ぼくはなにものか、なにをしているのか、もうぼくにはわからない。一瞬、火と燃えるかと思えば、次の瞬間には氷となる。女と見ればぼくの色は変わり、ぼくの胸は騒ぐ」(一幕第六番アリア)》(ブローフィ『劇作家モーツァルト』p132)

・《第一幕でケルビーノは大胆にも、伯爵夫人、スザンナ、そして城館のすべての女たちに彼が作った小唄が披露されるように求め、感極まって彼の心は乱れに乱れる。この聴覚を通じた接触によって、彼の心は高鳴る。未来の歌の希望は恋心で満ち溢れる状態であり、アジタートへ道をひらく。「ぼくはもう分からない、自分が何か、何しているのか」(Non so più cosa son,cosa faccio)……あたかも即興で作ったかのように、この歌は奇跡的な剰余を響かせるのだが、そこでは肉体と物体にとどまることなどありえないエネルギーが消費されまた新たに息を吹き返すのだ。激情に駆られてはるか遠くの空間めがけて飛翔する愛の欲望は、最終的には自分自身に立ち戻るのだが、それは逃げ去るものの彼方にある目標に到達する必要があるからなのだ。》(スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』p108)

 

――逸脱と回帰/階層と変装

・《回帰。再認。昔ながらの作劇法の法則が見出される。だが音楽という名のもう一つの時間芸術についても同じことが当てはまる。ディドロによれば、作曲は一連の逸脱と回帰の法則によって統括されなければならない。モーツァルトはこのオペラの幕ごとの調性およびオペラ全体の調性に関して、そのとおりのやり方で臨んだのである。新たな愛の幻に翻弄されたあげく、伯爵は本当の妻の足元にひれ伏す。不貞の罠にはまり、鳥刺し(uncelatore)は自分で鳥かごのなかに入ってしまう。そして混乱のきわみに達したあげく、最後には秩序が戻る。伯爵が欺かれたとしても、それは召使やお小姓のせいではない。自分の欲望の対象そのものによって欺かれたのである。ニ長調は岸辺であって、いったんそこから離れたとしても、最後にまた上陸する陸地でもあるのだ。

 このように時間は軽々とした足取りで走り去り、そのあいだに気紛れと取り違えの増殖をたえず絶体絶命の状況に引き込んでゆく。瞬間が瞬間を次々と消し去り、捉えがたい未来に向かってゆく加速度的で密な展開にあって、見出された秩序はそれじたいが偶然の出来事でしかなく、サスペンスのための余地もまた用意されている。》(スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』p88)

・《ダ・ポンテとモーツァルトはたとえ登場人物の数を原作の十六人から十一人に減らしても、さまざまな社会的身分からなる一世界、種々の情念の広い音域を動かす余地をちゃんと残しておいた。

 彼らはボーマルシェが登場人物を動き回らせる空間をそのまま利用した。庭師から伯爵にいたるまで、あいだには医者(バルトロ)や裁判官(ドン・クルツィオ)、フィガロや「黒い帽子、僧衣と長いマント」(それによってボーマルシェオルガニストに多少なりとも聖職者風の雰囲気をあたえている)といういでたちの音楽教師バジリオを挟んで、さまざまな社会階層の人々がじつにみごとに表現されている。貴族は伯爵だけであり、バスからソプラノまで、自分の声を明確に聞き届かせる民衆(合唱)に対峙する。第三身分、僧侶、貴族、すなわち一七八九年の三部会の役者がすべて出揃って、陽気な無意識のなかで舞台稽古をしようというわけだが、その役割とは、大革命の幕が上がる際には、まったく違った獲得目的のために再び彼らが演じるはずのものだったのである。

 誰も自分本来の居場所に留まろうとはしていない。誰もが快楽のため、金銭のため、城館の階段を上ったり降りたりする。ケルビーノの場合には飛び降りたりもする。伯爵とケルビーノは恋敵として庭師の娘の部屋に出入りする。彼らは庭師の姪であるスザンナの部屋でも鉢合わせをする。庭師が踏み潰されたナデシコを手にして主人たちが住まう城館の一角に飛び込んでくる。伯爵の伝言を携えたバジリオは何も見逃さない。世の中の動きを窺い見ることに慣れてしまった彼は自分でも経験十分と思い込み、やがて「哲学者」ドン・アルフォンゾがそうするように、「すべての美しい女たちはこうしたもの」(Cosí fan tutte le belle)と口にする。小さな「蛇」、「悪魔のようなお小姓」、小悪魔(demonietto)すなわちケルビーノはといえば、うまい具合に偶然も味方に引き入れ、どこであろうとも、巧みに身を滑り込ませる。彼は最初の場面が始まる以前に暇を出されているのだが、こっそり舞い戻り、衣裳をとっかえひっかえ段々と近くに姿をあらわし、騒動を起こし、皆を困らせ、彼が通り過ぎたあとには、じつに独特な苛立ちが生じる。ケルビーノのうちに見るべきは、特定の対象に密着できず、宇宙全体に向かう、定まった居場所をもたぬエロスの姿であって、彼が登場すれば厄介事が生じ、彼の接吻は夜の闇の混乱にまぎれる。(中略)この城館では跨ぎこしてはならない敷居というものがない。どの人物も、必要とあれば、役柄を取り替えることができる。ケルビーノの場合は男女の性を取り替え、マルチェリーナの場合は結婚相手から母親へと役柄を変える。》(同上p93)

 

――欲望の代数学

・《誰もが自分なりに恋心を燃やし、愛の姿は一様ではないが、それに見合った音楽を得ている。複数の形態をもつ欲望のイントネーション、そしてまたありとあらゆる種類の情念のアクセントに場は自由にひらかれている。あらゆる状態の愛のかたちから出発して、陽気さ、メランコリー、色欲、恐れ、抜け目なさ、虚栄心、後悔、赦しなどがそれぞれ場を得るのである。

 われわれは眼と耳をもって感情の小宇宙が回転するのを体験する。奇跡とも思われるようなかたちで、この小宇宙は独自の律動、響き、音色を見出すのである。伯爵の貴族としての怒りは、フィガロの場合の反逆の怒りとは別の感情の領域に位置していて、心の痛みと恨みを深くとどめている。モーツァルトがただひたすら待ち受けていたのは、このように自分にそなわっていると彼が意識していた表現能力をことごとく作品に投入する機会だった。》(スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』p96)

・《幕が開いた瞬間から、序曲の躍動はフィガロが歌う「五……十……二十……三十……三十六……四十三……」(Cinque…dieci…venti…trenta…trentasei…quarantatre…)の最初の音符にすでに伝わっていた。みごとな律動によってもたらす陶酔が認められる。上昇音階はそのことをみごとに表現している。それは欲望の代数学であり、数によって象徴される男性的欲望なのである。すべては計算に始まる。それは計算可能な現実への従属というよりも愛の快楽への期待、愛の膨張によって運ばれる計算を意味しているのだ。モーツァルトにあっては力動感が何と強まっていることだろう。ボーマルシェの原作の冒頭にあらわれる無味乾燥な「二十六ピエ☓十九ピエ」と比べると何と違いが際立つことか。》(同上p98)

 

――フェティッシュな表象

・《夢の出来事のように、女性の化粧(ボードレールの表現によるならばmundus muliebris)に関係する品物のすべてが、沸き立つような全体の動きのなかで置き換えを引き起こす。「オレンジの花の小さな冠」(ボーマルシェ)もしくは白の縁なし帽、つまり最初の小二小節で歌われるスザンナが結婚式のために作る帽子(モーツァルトとダ・ポンテ)は午後の儀式の際には伯爵の手でもってスザンナの頭の上に置かれることになるだろう(第三幕第十四場)。それらは夜の闇のなかで伯爵夫人がかぶることになるだろう。花に誘われる蝶のように(第四幕第十一場)、ケルビーノは取り違えてしまうし、伯爵もまた同様だ。それは舞台の明るい中心点をなしている。

 これとは別の女物の装身具にリボンがある。もともとは伯爵夫人の持ち物なのだが、ケルビーノはこれをスザンナの手から奪い取る。お小姓はこのリボンを腕に巻き、引っかき傷のせいで出た血がそこに染みをつくる。伯爵夫人がよく理解したように、貴重な接触であり、彼女はその回帰を願う。でなければ、なぜ伯爵夫人は第二幕で、他のリボンと交換するという口実のもと、躍起になってこのリボンを取り戻そうとするのだろうか。ケルビーノは伯爵夫人と間接的に肉体の接触があるのを望んでいたわけであり、伯爵夫人は彼女の代子のようなケルビーノが流した知の滴にわが身で触れていたいと思うのである。指標は雄弁に語り、魔術の伝染力をおびた官能の儀式は無言のうちに執り行われる。》(スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』p101)

・《化粧小部屋に閉じ込められたケルビーノを伯爵は剣でもって威嚇するわけだが、女性陣のほうは剣ではなくてピンで応じる。切っ先には切っ先をもってというわけだ。ピンの刺し傷は、周知のように、「甘美な痛み」であり、事細かに痛みのある箇所がわかる。(中略)第一幕第五場のレチタティーヴォで、ケルビーノは伯爵夫人の衣裳と髪の世話をするスザンナの特権をうらやむ。「なんと幸せなんだろう[……]朝は彼女の身繕いのお手伝いをし、夜は夜で衣裳を脱ぐお手伝いをする、ピンやら刺繍レースをつけてあげたりする」(Ferice[…]che la vesti il mattino,che la sera la spogli,che le metti gli spilloni,I merletti)。(中略)婚礼の宴が最高に盛り上がった瞬間、このピンは不実な夫を突き刺すことになるだろう。(中略)伯爵はスザンナの頭に処女のあかしの帽子をかぶせてやろうとすると、密会の手紙を滑り込ませようとするスザンナの手にそのとき触れる。伯爵の指に刺し傷ができる。そして彼はすぐに相手が自分を待っているのだと理解する。「女たちはどこでもピンを用いるわい……ああ、ああ、わかったぞ目論見が」(Le donne ficcan gli aghi in ogni loco…Ah! Ah! Capisco il gioco)。》(同上p103)

  

<『ドン・ジョヴァンニ』>

――「欲望に対して妥協しないこと」

・《ドン・ジョヴァンニフィガロとのあいだには、直接的な関係がある。この関係から生じるのは、モチーフを敷衍し極端なかたちに変えることによって起こる関係全体の転倒である。ドン・ジョヴァンニとは、伯爵がそうなりたいと思っていながら意気地がなくてなりきれないでいるものの総体である。おのれの欲望をすべて実現させた伯爵、それがドン・ジョヴァンニなのだ。(中略)いかなる欲望も断念せず、世のすべての女性を手中に収めることを望む大胆不敵な主人ドン・ジョヴァンニは、快楽原則の彼岸へと向かう契機を表わしている。それこそが彼のパラドクスである。彼は、快楽原則を断念することなく徹底的に追及することによって、この原則をその極限にまでもってゆく。つまり、この原則を、そのためになら命を懸けても惜しくないと思えるような倫理的姿勢に変えるのである。この倫理的姿勢は、既存の体制と、その道徳的原則および宗教的議論に反抗する主体の絶対的な自律性を示している(伝統的にドン・ファンは、女たらしとしてだけでなく――それだけであったなら、彼は最悪の人間とはされなかっただろう――無神論者としても描かれてきた)。彼は人間の道徳律と<神>の命令に背くだけではない。彼は、アンティゴネがいう意味での「神の掟」をも破っているのだ。すなわち、彼は、死者の埋葬、死者の不可侵性、死者の神聖さを規定する法を破るのであり、死者に割り当てられた象徴的な場所を踏みにじるのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p90)

・《ドン・ジョヴァンニは、「欲望に対して妥協しないこと」(のちにふれるように、これはキルケゴールが知っていたことである)というラカンのスローガンに則して読むことが可能であるような倫理的立場をとっている。彼に関してわれわれを当惑させるのは、彼が膨大な数の女性と関係をもったということではなく――それぐらいのことは貴族ならあたりまえだろう――彼が快楽の追求を倫理原則のレヴェルにまで、それを断念するくらいなら死んだほうがましだという次元にまで高めたことである。

 ドン・ジョヴァンニにとって、和解や慈悲は存在しない。『フィガロ』のフィナーレと比べると、状況が逆転している。(中略)ドン・ジョヴァンニのなかには二つのものが凝縮されている。一方において、彼は旧体制の典型である。これは伯爵と共通するが、ただしドン・ジョヴァンニのほうは本心を隠したりせずに、欲望の実現に向けて突っ走る。彼は絶対的な特権、初夜権ius primae noctisだけでなく、すべて夜の権利を要求する。慈悲と寛容を隠れ蓑にしなければならない主人とは対立する、あるいはそれよりも情けない、自分から赦しを求めなければならない主人とは対立する本物の主人――彼は、そうした古風な主人のイメージとして登場するのである。したがって彼は、啓蒙主義運動の敵ともいうべき、旧体制の特権的な権利を具現している。また他方において彼は、啓蒙主義の土台である自律的な主体を具現している。彼は自らを立法者とし、ただ自分の欲望だけに付き従ってゆく。結局彼は、ブルジョア主体にはとうてい真似できないほど根源的=急進的なやり方で旧体制に反抗しているのである。『フィガロ』は自由、平等、友愛の精神をもって幕を閉じる。それに対して、ドン・ジョヴァンニにとっての自由は、平等と自由を超えたところに、そして平等と自由に対立するものとして設定されている。自由は、純粋な自由が邪悪な悪と一致する場所に置かれているのである。》(同上p92)

 

 <『コシ・ファン・トゥッテ』>

――当惑と不信感

・《『フィガロ』のフィナーレは、ブルジョア体制の喜びにみちたユートピア的なはじまり、君主の退位、音楽におけるフランス革命、新たな共同体における和解を提示しながら、「これでみな満足できよう」と請け負ってみせる。しかし、それからわずか一年後、『ドン・ジョヴァンニ』のフィナーレは、新しい局面を提示する。つまり、旧体制のあらゆる特権を体現する放蕩者との和解は不可能であるという局面を。この放蕩者にとっては、慈悲や赦しは存在しない。彼のもつ絶対的な自律性、社会の基本的な価値観を疑問に付す彼のラディカルな身振り、彼のみせる倫理的な姿勢――こうしたものと和解することは不可能なのである。彼は、旧体制の放蕩とジャコバン急進主義とを合わせもった人物である。共同体は、超越的なものの回帰によって、父性的な人物の家父長的な権威や<彼岸>からの報復が復活することによって、はじめて救済される。この結末は、共同体を救済するというよりは、むしろ破壊する。輝かしい未来には、暗雲が立ちこめるのである。

 モーツァルトの次の作品、『コシ・ファン・トゥッテ』は、まちがいなく彼の全オペラ作品のなかでもっとも奇妙な作品である。過去二世紀のあいだ、この作品はつねに見る者を当惑させてきた。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p112)

・《不信感の理由は、はっきりしている。この作品は心理学的な信憑性を欠いており、不自然な偏った作り方がなされている――それが第一の理由である。二人の女性は、なるほどまぬけで愚かなのかもしれない。しかし、彼女たちがアルバニア人の男に偶然会ってから数時間しかたっていないのに彼らに身をあずけ、お粗末な策略にはまってしまうというのは、いささかやりすぎだろう。(中略)『コシ』は、オペラにとって都合のよい、遠く隔たった何らかの神話的な時空間に舞台が設定されていない(とくにオペラ史の初期における)数少ない作品のひとつである。またそこには、神も君主も登場しない。作品の舞台は完全に同時代に置かれているのだ。アクションは、ナポリ風のアパート、庭、カフェといったブルジョア的な舞台で起こっている。この作品にかぎっては、観客は自分たちと何ら変わらない人物を目にするのである。『コシ』が不自然であるという印象は、二組のカップルが対称的な関係にあること、そしてオペラ全体が対称を意識した構成になっていることによって強まっている。(中略)『コシ』が話題にされなかった第二の理由は、物語のあからさまな不道徳性にあった。『フィガロ』と『ドン・ジョヴァンニ』が、すくなくとも表面的には、軽薄な放蕩者を非難し罰するのだとすれば、『コシ』のほうは、いかがわしい行為を容認しているようにもみえる。この作品が証明しようとしているテーゼは、愛、貞節、忠誠といった高尚な、不可侵の価値観を疑問に付してしまう。(中略)三つ目の躓きの石は、近年出てきたものであり、作品がつくられた当時は、そこから多くの問題が発生するようなことはおそらくなかっただろう。『コシ』には、女は本質的に不義を犯すものであり、その貞節も疑わしいという反フェミニズム的な視点が盛り込まれている。》(同上p114)

 

――人間機械論/贈与から交換へ

・《哲学者(筆者註:ドン・アルフォンソ)は、単なる快楽主義を超えたその先にあるものを見ており、ラ・メトリの『人間機械論』に代表される、一八世紀哲学の唯物論的、決定論的思考をみずからの足場にしている。決定論は、自由と表裏一体の関係にある。熱烈な賞賛をもって迎えられた自律性の背後には、無機的な機械がひそんでいる。自律性というもっとも崇高な感情は、機械的に生み出される。つまり、経験的に、人工的に喚起されるのである。自由を熱烈に賛美した一八世紀が、その反面で機械的なものに魅了されていたということ――すこしだけ例をあげていえば、帽子をかぶったデカルトの自動人形と、知らず知らずのうちに精神をもって動いているパスカルの自動人形からはじまって、ラ・メトリとヴォーカソンに移り、最後にホフマンのオリンピアにいたる流れ――は、きわめて逆説的な事態にみえるかもしれない。機械仕掛けの人形は、自律的な主体性の隠喩であり、また自律的な主体と対比されるものでもある。(中略)そして過去二世紀のあいだ、『コシ・ファン・トゥッテ』の批評としてもっとも頻繁にいわれてきたのは、まさに『コシ』の主要人物は単なる人形にすぎない、ということなのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p119)

・《『コシ・ファン・トゥッテ』は、マリヴォーがややもすれば曖昧に提示しがちであったメッセージを過激なかたちで押し出している。それは、愛はすべてを打ち負かすのではなく、むしろ簡単にうち破られる、というメッセージである。愛を操作するのに手間はかからない。少々のねたみ、わずかな懐疑、受け入れないわけにはいかない愛の告白、ちょっとしたお世辞、自分の身を犠牲にするふり――こうしたものがあれば十分なのである。第一幕の終わりで、二人の将校は、みずからの愛が報われないことを理由に自殺するふりをする。すると二人の婦人は、彼らを哀れに思うことしかできなくなり、結局、策略におちてしまう。愛のなかには、予測しえない感情の集合というよりも、むしろ機械に近い何かが存在している。愛は実験によって誘発されるものであり、愛の発生は機械論的に予測可能なのである。》(同上p120)

・《策略をしたつけは払わなければならない。彼らは、自分たちでは制御できない装置をつくり、それに捕らえられてしまうのである。ここにあるのは、啓蒙主義にかかわる、もうひとつの大きな主題である。それは、自尊心、つまり自己愛に対する批判という、パスカルラ・ロシュフコーにはじまる長い系譜をもった主題である。自尊心は、現代的ないいかたでいえばナルシシズムへの一撃とでも呼びうるものを経験しなければならない。人間の本性を正しく理解するためには、自然のうちに発生する自己欺瞞を取り除かねばならない。愛とは、この自己欺瞞を隠蔽するための、いまひとつの仮面である。そして[『コシ』における]反フェミニズム的な視点は、その裏の面を表に出す。二人の若い男は、女たちの不貞を証明するためにみずからのナルシシズムを破壊しなければならない、つまり、おのれの自我を傷つけねばならないのである。彼らは、偶像としての、また特権化された愛の対象としての自分の地位がいかに造作なく崩壊するかということを経験するのである。ロココ的な悪巧みは、突然、苦痛と欺瞞をもたらす結果におわる。》(同上p121)

・《平等というスローガンは、『コシ』においては予期せぬ結果をもたらしている。平等とは、人同士の交換が可能であることを意味する。ひとりの女は他の女に等しく、ひとりの男は他の男に等しい。あらゆるひとは、他のひとに置き換えることができる。ここには、特権化された愛の対象も存在しない。「男はどれも同じもの、値打ちのあるひとなんかいやしませんもの」とデスピーナ(筆者註:侍女)はいっている。このひともあのひとも変わりはない、どちらも価値なんてないんだから、というわけだ。》(同上p124)

・《変装は、『フィガロ』の最終幕にも、『ドン・ジョヴァンニ』の第二のフィナーレにも出てくる。変装という、この遍在する複雑な操作の背後には、確固とした啓蒙主義的な考え方が存在している。それは価値観の見直しである。これは要するに、主人と従僕が社会的地位を交換するには、彼らの服を交換するだけでよい、ということである。人間を作るのは服である。疎外状況にある社会体制において基準となるのは、イメージであって、内在的な価値ではない。(中略)たとえば、ドン・ジョヴァンニはレポレッロと、伯爵夫人はスザンナと服を交換する。しかし、『コシ』にいたって状況は変化する。服装交換は、同じ身分の二人の主体のあいだで起こるのである。イタリア人にしてアルバニア人でもある二人の将校のあいだに、身分の差はない。彼らの変装は、ただ彼らの人間としての個性だけに、愛し愛される者としての彼らの特権的な地位だけにかかわっている。》(同上p125)

 

――「否定の否定」/倒錯と享楽

・《この哲学者は、冷笑家というよりも、むしろ道徳家である。みずからがもたらした最後の和解において、彼は、もともとの秩序を擁護している。その秩序がまったく恣意的なもので、二番目の秩序(筆者註:交換された恋人たち)をより良いというわけではないことが遡及的に明らかになったにもかかわらず、である。あるいはむしろ、にもかかわらず、ではなく、まさに(・・・)それゆえに、といったほうがよいだろう。哲学者という立場にふさわしく、彼は否定の否定を擁護する。つまり、最初の立場は、それと対象をなし、且つそれを逆転させた否定性(アンチテーゼ)と、すなわち、みずからの鏡像のような限定された否定性と出会うのである。(中略)既存の秩序はまったく恣意的なものであり、物語はその恣意性を明示してみせる。しかし、まさにそのかぎりにおいて、その既存の秩序は、みずからに対する自己否定となっている。そして、この恣意性に対する唯一の対処法は、その恣意性を無条件に受け入れることである。このようにしてドン・アルフォンソは、一方の手をラ・メトリに、もう一方の手をヘーゲルに差し出すのである。》(ドラー『オペラは二度死ぬ』p128)

・《『フィガロ』においては、無垢な者は、罪を犯した者を赦すことにおいてみずからの寛大さを示していた。しかし、『コシ』においては、誰も無垢ではない。モーツァルトが崇高の瞬間を、欺瞞のもっとも高まる場面のただなかに置かねばならなかったのは、そして最後の身振りを曖昧なままにしておかねばならなかったのは、おそらくそのためである。『コシ』における和解には、Ungeschehenmachen(物事を遡及的に無化すること)の力――それは、乾杯の場面においては、まやかしの徴候としてぼんやりと現れていた――が備わっていない。フィナーレは支離滅裂であり、説得力も欠いている。つまり、それはアンチクライマックス[漸降法]になっているのである。》(同上p129)

・《哲学者は、<他者>の、普遍的知の代理として行動している。彼は、普遍的なテーゼを証明するために科学的な実験をはじめるのだ。しかし、この実験には、どこかしらいかがわしいところがある。すなわちそれは、彼の悪意に満ちた中立性(「それはあなた自身の誤りです。私はそういったはずです」)、彼はあえて可視化しようとしている人間の欠陥に関する、見た目だけ客観的な観察である。彼は、自分は人間本性に関する普遍的法則の単なる道具にすぎない、という姿勢をとっている。しかし彼の享楽ぶりや笑いは、この姿勢をうさんくさいものに変える。「さ、四人とも笑いなさい/これまでの私のように、そしてこれからの私のように」。彼はこれまでも笑ってきたし、これからも笑いつづける。なぜなら、彼は人間的な情念や弱さを超越しているからである。ただし彼は、最悪の、もっとも陰険な情念ないし弱さだけは超越していない。それは、人間の弱さを見せ物として享受することである。彼は、中立的な立場にたつ普遍性の代理人であるだけでなく、<他者>の眼差しと享楽の代行者、つまり、舞台で演じられるこの人間の欠陥をめぐるスペクタクルの観客として想定された主人の、不在の眼差しでもあるということ――彼のいかがわしさは、最終的にこの点に存するのである。人形は主人の享楽のために存在する。そして哲学者は、最終的にはこの享楽の代行者であり、また、密かにこの享楽に奉仕している。このような構造をもった立場は、まさしく、精神分析における倒錯の定義と一致する。》(同上p130)

・《自由に使えるということと、分かりやすいということは、『コシ』における操り人形がもつ主要な特徴でもある。ここからパノプティコン[一望監視施設]の空想までは、つまり、誰もがその場所に立つことのできる、この<他者>の普遍化された眼差しまでは、ほんの一歩であるということ――それが、フーコーがいわんとしている要点である。》(同上p135)

・《ヘーゲルの『精神現象学』における啓蒙主義の分析を思い出そう。そこにおいて啓蒙主義は、あらゆるものを有用性Nützlichkeitへと、つまり主体にとっての利用しやすさへと還元することとみなされている。そしてここから啓蒙主義が取りつかれていたもうひとつの大きな主題までは、ほんの一歩である。その主題とは、計算されるべきものとしての享楽という主題、享楽の計算le calcul des jouissancesという主題である。このようにして、この空想――その核には、その掛け金enjeuとなる<他者>の眼差しと享楽が備わっている――は、わずかな変更を加えるだけで、その機能を完全に変えることができた。モーツァルトにおいてわれわれが目にすることができるのは、この空想の、消滅しかかった背景である。そこにおいてこの空想は、依然として、衰えゆく旧体制を下支えすることができた。しかし、それは同時に、新たな時代の前兆になることもできたのである。モーツァルトとは、この重大な分岐点であったのだ。》(同上p135)

 

――反復

・《『ドン・ジョヴァンニ』が(キルケゴールが、『あれかこれか』においてこのオペラを詳細に分析しながら論じていたように)美的なものを具現しているとすれば、『コシ・ファン・トゥッテ』の教義は倫理的である。なぜか。オペラの冒頭で二組のカップルを結びつけている愛は、アルバニア人の将校に扮装したパートナーに対する二人の姉妹の愛――これは哲学者アルフォンソの策略によって生まれた愛であり、その際の男女の組み合わせは互い違いになっている――と同様に人工的であり、機械的に生み出されているということ、それが『コシ』の要点である。この二つの愛においてわれわれは、操り人形と化した主体が盲目的に従うメカニズムを扱っている。ここには、ヘーゲルのいう「否定の否定」がある。最初われわれは、アルフォンソの操作によって生まれた人工的な愛は冒頭の真正な愛と対立していると考える。だが、その後われわれは、その二つの愛のあいだに差異はないということに突然気づく。つまり、二つの愛の価値に差はないのであり、それゆえに、カップルは最初に決まっていた結婚の段取りにもどることができるのである。(中略)この意味で倫理的なものは、象徴的なものとして反復の領域である。美的なものにおいては、ひとはひとつの特異性をもった瞬間をとらえようと努めるのだとすれば、倫理的なものにおいてひとつの事物は、反復されることによってはじめてその事物そのものとなるのである。》(ジジェク『オペラは二度死ぬ』p279)

・《モーツァルト一世一代の到達点といってよい、『コシ・ファン・トゥッテ』第二幕においては、フィオルディリージの卓絶したロンド‐アリア「お願い、ゆるして、恋人よ」の場面――それは、アルバニア人の格好をしたフェルランドに対する欲望を、彼女がひっしに抑えようとする最後の場面である――が、真の心理的キャラクターの現れる瞬間となっている。ここでは次の二点が決定的に重要である。第一に、「お願い」はフィオルディリージにとって、誘惑に断固抵抗するための二回目(・・・)の試みであるということ。一回目の試みは第一幕の「岩のように」であり、そこで彼女は、自分の非凡さは、彼が常套的な反復の論理(一度目は深刻な悲劇として、二度目は喜劇として)を転倒している点に求められる。最初のアリア(「岩のように」)は、感傷的な、誇張された喜劇性を示す典型的な例である。それに対し「お願い」は、悲劇本来の誇張を表現している。二点目は、フィオルディリージが完全な主体化を果たすのは、つまり完全なキャラクターとして出現するのは、自らを圧倒する抗しがたい情動を正面から受け入れることにおいてではなく、この情動の爆発を抑えようと必死に努力する過程においてであるということ。主体性が本来もっている深みには、内的な緊張が、心の内奥にひそむ欲望との戦いが備わっているのである。したがって、フィオルディリージは、『コシ』における唯一の(・・・)真のキャラクターである――それ以外の人物たちは、深みのないステレオタイプの集団にすぎない――という主張は、ある意味において正しい。たとえば、デスピーナは世俗的で日和見主義的な使用人であり、ドラベッラはわがままな恋多き女である。》(同上p403)

 

――「カントとサド」

・《モーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』にでてくる二人の男は、自分のフィアンセに彼女たち自身が屈辱をうけるところを想像させたいのである。ポイントは、単にフィアンセの貞節を試すことではなく、人前でみずからの不貞行為に向き合わせることによって彼女たちを困惑させることである(フィナーレを思い出そう。[彼らのフィアンセと]二人のアルバニア人が婚約したあと、二人の男は彼ら本来の服装で再登場し、アルバニア人に変装していたのは自分たちであったことをフィアンセに教える)。ここで得体が知れないのは、女の欲望(それは堅忍不抜なものなのか、かりそめのものなのか)ではなく、男の欲望である。女性にそうした残酷な試練を受けさせる、二人の若い男の天邪鬼な心理とは、いったいいかなるものなのか。なぜ彼らは、平和で牧歌的な恋愛関係を混乱におとしいれるように強いられるのか。彼らは明らかに、フィアンセとよりを戻したいと思っている。しかし、彼らはあくまで、女性的欲望がはらむ虚栄心に直面してからでなければ、そうしないのである。このようにして彼らは、厳密な意味で、サド的倒錯者の立場にいる。彼らの目的は、欲望する主体の分裂を<他者>(犠牲者)の側に置き換えることである。つまり、あわれなフィアンセたちは、みずからの欲望に嫌悪感をおぼえるという苦痛を引き受けなければならないのである。》(ジジェク『オペラは二度死ぬ』p206)

・《エドワード・サイードは、一七九〇年九月三〇日以降にモーツァルトが妻コンスタンツェに宛てた書簡への注意を喚起しています。それはまさに、彼が『コシ・ファン・トゥッテ』を作曲している時期に当たります。近いうちに妻と再会する悦びを綴ったモーツァルトは、「もし誰かが私の心の裡を覗きこむようなことがあれば、私は恥じ入らねばならないだろう」と書き継ぎました。この一文に、明敏なサイードは感じ取るのです。人びとはこの一文にある種の汚れた私的秘密(モーツァルトが妻に再会するに当たって行うであろうことについての性的なファンタジーなど)の告白を感じ取るだろう、と。ですが、手紙は続きます。「私にとってすべてが冷たいのです――まるで氷のように」と。まさにここで、モーツァルトは「カントとサド」という不気味な領域、性(セクシュアリティ)がその情熱に溢れ、張り詰めた特性を失い、冷たい距たりに処刑された快楽のもとでの「機械的な」行為というその対極に転化する領域、情熱に溢れる(パソロジカル)いかなる関与も欠いて義務の実効を担うカント的な倫理主体にも似た領域に、這入り込むのです。

 これが『コシ・ファン・トゥッテ』の根底にある考え方ではないでしょうか? 主体がその情熱(パトス)に溢れる関与ではなく、そうした情熱を規制する盲目のメカニズムによって規定されるような世界ではないでしょうか? 『コシ・ファン・トゥッテ』と「カントとサド」の領域との間に平行関係を打ち立てることを私たちに強いるのは、その権限によってその徴候をすでに仄めかされている普遍的な次元にほかなりません。「人びとはみな(・・)、同じことをしている」。同一の盲目のメカニズムによって決められている、と。約めて言えば、『コシ・ファン・トゥッテ』における変更された同一性のゲームを組織し操作する哲学者アルフォンソは、放蕩という技法のもとで自分の若き弟子たちを教育するサド的な教師(ペダゴーグ)という形象をめぐる一箇の解釈なのです。ですから、この冷たさを「道具的理性」の冷たさと考えるのは、あまりに単純にすぎ、不適切です。

コシ・ファン・トゥッテ』のトラウマの核芯は、パスカル的な意味におけるその根源的な「機械的唯物論」なのです。つまり、信仰をもたない者への助言――「あたかも信じているかの如くに振る舞い、跪き、儀式に随え。そうすれば、信仰はおのずと到来するであろう!」――です。『コシ・ファン・トゥッテ』はこの論理を愛に適用しています。愛の内的感情を外に向けて表出することとはまったく異なり、愛の儀式と身振りが、愛を生みだす(・・・・)のです。つまり、恋に落ち、手続きを踏んだかの如くに行為せよ。そうすれば、愛はおのずと出現するだろう。》(ジジェクワーグナー反ユダヤ主義、「ドイツ観念論」――後書き」p276)

・《モーツァルトは「盲目的なロマンティックな愛」を信じていないため、「それを容赦なく茶化す」ことまでおこなっている(その最たるものが『コシ・ファン・トゥッテ』である)。しかしステプトーが引用する『コシ』作曲時の書簡群は、もっと複雑な物語に関係している。ある手紙のなかでモーツァルトはコンスタンツェに、君と再会できると思うと心躍ると書き、こう付け加えている――「もし誰かがわたしの心のなかを覗きこむようなことがあれば、わたしは恥ずかしくてほとんど赤面するだろう」と。そこでわたしたちとしても、このあとモーツァルトが煮えたぎる情念や官能的な妄想について一言あるものと期待するかもしれない。ところが彼はこうつづけるのだ――「すべてが冷たい――氷のように冷たい」と。そして彼はこう記す、「すべてがとても空虚だ」と。それにつづく手紙、これまたステプトーが引用している手紙のなかで、モーツァルトはふたたび「感情」について、「わたしをひどく傷つける、一種の空虚感――、決して満たされることのない、決して止むことのない、つねに残存する、いやむしろ日々大きくなる一種の憧憬――」について語っている。モーツァルトの書簡には、ほかにもこれと同様のものがあって、静まらぬエネルギー(空虚感や、増大するいっぽうの満たされぬ憧憬ということを言わんとしているらしい)と冷静な制御とが一対になってあらわれる。こうした特徴は、モーツァルトの生涯と全作品における『コシ』の位置ととりわけ重要な関連があるように、わたしには思われる。》(サイード『晩年のスタイル』p107)

・《アルフォンソの立場とは、ただたんに幻滅しうんざりして夢や理想を失った世俗の男というだけでなく、みずからの思想を徹底して説いてまわる教師でもある。自分の思想を実証するために人間と空想を必要としているかにみえて、その実、自分がお膳立てする余興は、珍しくもなんともないことをあらかじめ知っている。そんな人物なのだ。余興はわくわくするような面白いものかもしれないが、彼にはうんざりするほどわかっていることを、ただ確証するだけなのである。

 この点でドン・アルフォンソは、彼とほぼ同時代の人間であるサド侯爵の、やや控えめなヴァージョンといえなくもない。このリベルタンについて、フーコーは、つぎのような印象的な記述を残している――

   欲望のあらゆる空想に、また欲望の猛威のひとつひとつに身をゆだねながら、[このリベルタン]は欲望のほんのわずかな動きにも、明晰かつ用意周到に準備された表象によって、光をあてることができるし、またそうしないではいられないのだ。リベルタンの人生を統御する厳格な秩序が存在する。あらゆる表象は、欲望の生きた肉体のなかでただちに生命を付与されなければならないし、あらゆる欲望は表象的言説[このオペラでいえば、第二幕における愛の言語あるいは言説]の純粋な光のなかで表現されねばならない。ここから「場面」の厳密な連続が生れる(サドにおけるこの場面は、表象の秩序に従属した放蕩である)、そして場面の内部で、肉体の結合と理由づけの集合との間に入念に配慮された均衡が生まれるのである。(筆者註:フーコー『言葉と物』)

(中略)『コシ』のプロットは、場面の厳密な連続であり、そのすべてがアルフォンソと、彼と同じように冷笑的な援助者デスピーナによって操作され、性的欲望は、フーコーが示唆しているように、表象の秩序に従属した放蕩となる――ここでいう表象は、恋人たちが甘い幻想を失くしつつも、それでも胸躍る恋を通して教訓を学ぶことを示す演劇物語のことだ。そのゲームがフィオルディリージとドラベッラに明かされたとき、彼女たちは、自分たちが経験したことの真実を受け止める。そしてその韜晦的な両義性によって解釈者や演出家を困らせてきた結論部において、彼女たちは理性と喜びの歌をうたうのだが、ふたりの女性とふたりの男性がもとの恋人といっしょになるのかどうか確証となるものをモーツアルトは何も示していないのである。

 このような結論部は、やっかいな未来の可能性を垣間見せることになる。いかなる絆もアイデンティティも、いかなる安定性もしくは思想堅固の概念も、無傷のまま残ることはない以上、さらなる恋人の入れ替えや混乱があってもおかしくないからだ。フーコーは、こうした文化的契機について次のように語る。すなわち、言語は名づける能力を維持するが、それは「必要最低限の正確さにまで切りつめられる堅苦しい虚礼において」のみ可能になるとともに、言語は「その能力を際限なく拡張する」のだ、と。つまり恋人たちは、他のパートナーを探しつづける、なぜなら愛のレトリックと欲望の表象は、存在の本源的に不変の秩序にみずからをつなぐ錨を失ったということだからだ。「わたしたちの思惟はきわめて断片的となり、わたしたちの自由は隷属化され、わたしたちの言説は繰り返しとなる……わたしたちは、足もとの影の広がりが、実際には底なしの海であるという事実に直面せねばならないのだ」。》(同上p108)

・《ここでわたしたちは、モーツァルトがこのオペラ作曲時に語っていた孤独な憧憬と冷たさの異常な感覚を思い出してもいい。『コシ』をめぐってわたしたちが感銘を受けるのは、もちろんその音楽である。それはモーツァルトが奏でようと用意した状況よりも、不釣合いなほど興味ぶかいものに思われる。例外は(とりわけ第二幕において)四人の恋人たちが、高揚、悔悟、恐怖、激怒といった複雑な感情を表現するときだが。しかし、そのような瞬間ですら、フィオルディリージの「岩が不動であるように」にみられる信頼と献身の主張と、彼女が巻き込まれる心底とるに足らぬゲームとの不一致は、彼女から発せられる高貴な心情吐露とその音楽とを歪曲してしまい、音楽を、ありえないほど粉飾的でありながら、同時に扇情的なほど美しいものにしてしまう――この組み合わせは。満たされぬ憧憬と冷徹な支配とが混在するモーツァルトの感情に照応しているのである。アリアに耳を傾け、真摯な要素と滑稽な要素とが舞台で角突き合わせる騒動を観ながら、わたしたちは思弁にも絶望にも迷い込むことなく、ただモーツァルトの厳格な音楽の完璧な統治ぶりを追うことしかできない。》(同上p121)

                            (了)

           ******主な引用または参考文献*****

柄谷行人「探究Ⅲ」第十八回(「群像」1996年3月号に所収)(講談社

柄谷行人「近代批判の鍵」(『坂部恵集1 生成するカント像』月報に所収)(岩波書店

坂部恵坂部恵集1 生成するカント像』(「『視霊者の夢』の周辺」所収)(岩波書店

坂部恵坂部恵集2 思想史の余白に』(「理性の不安――サドとカント――」、「カントとルソー――時代に先駆けるものの喜劇と悲劇――」所収)(岩波書店

ジャック・ラカン精神分析の倫理』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之他訳(岩波書店

ミシェル・フーコー『言葉と物』渡辺一民佐々木明訳(新潮社)

ミシェル・フーコー『狂気の歴史――古典主義時代における』田村俶訳(新潮社)

スラヴォイ・ジジェク、ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』中山徹訳(ドラー「音楽が愛の糧ならば」、ジジェク「私はその夢を、見たくて見たのではない」「昼が考えたよりも深い」「共同体永遠のアイロニー」「走れ、イゾルデ、走れ」所収)(青土社

*ジャン・スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』千葉文夫訳(みすず書房

エドワード・W・サイード『晩年のスタイル』大橋洋一訳(岩波書店

アラン・バディウワーグナー論』(スラヴォイ・ジジェクワーグナー反ユダヤ主義、「ドイツ観念論」――後書き」所収)長原豊訳(青土社

*ブリジット・ブローフィ『劇作家モーツァルト』高橋英郎、石井宏訳(東京創元社

*ミヒャエル・ハンペ『オペラの学校』井形ちづる訳(水曜社)

*ミヒャエル・ハンペ『オペラの未来』井形ちづる訳(水曜社)

岡田暁生『恋愛哲学者モーツァルト』(新潮社)

岡田暁生『オペラの運命』(中央公論新社

河上徹太郎ドン・ジョヴァンニ』(講談社

*ゼーレン・キルケゴールドン・ジョヴァンニ』浅井真男訳(白水社

大岡昇平大岡昇平全集16 評論Ⅲ』(「ケルビーノ礼賛」所収)(筑摩書房

カール・バルトモーツァルト』小塩節訳(新教出版社

アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント編『名作オペラブックス モーツァルト フィガロの結婚』畔上司訳(音楽之友社

アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント編『名作オペラブックス モーツァルト ドン・ジョヴァンニ』竹内ふみ子、藤本一子訳(音楽之友社

アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント編『名作オペラブックス モーツァルト コシ・ファン・トゥッテ田中純訳(音楽之友社

*『ユリイカ 総特集モーツァルト<没後200年記念>(1991年8月臨時増刊)』(小林康夫「『フィガロの結婚』と様々なる衣裳」、千葉文夫「『コシ・ファン・トゥッテ』の曖昧さ」、大澤真幸「荘厳と透明――転換期のモーツァルト」、等所収)(青土社

マルキ・ド・サド『閨房哲学』渋沢龍彦訳(河出書房新社

イマヌエル・カント実践理性批判中山元訳(光文社)

イマヌエル・カント『視霊者の夢』金森誠也訳(講談社学術文庫

モーツァルトモーツアルトの手紙――その生涯のロマン』柴田治三郎編訳(岩波文庫