映画批評 成瀬巳喜男『浮雲』論 ――デュラス/林芙美子/成瀬巳喜男

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成瀬巳喜男浮雲』論

      ――デュラス/林芙美子成瀬巳喜男

                                

《この作品は、ある時代の私の現象でもあるのだ。よいものか、悪いものかは、読者がきめてくれるものであろうが、私は、この**のあと、非常に疲れた。めまぐるしく私の周囲の速度は早い。こんな地味な仕事をこつこつやっているうちに、歴史はぐるぐる変化してゆく。だが、私は、この作品は、私にとって、最も困難な仕事でもあった。四囲のこともかまわずに、この仕事にむきあっていた。いわゆる、誰の眼にも見逃されている、空間を流れている、人間の運命を書きたかったのだ。筋のない世界。説明の出来ない、小説の外側の小説。誰の影響もうけていない、私の考えた一つのモラル。そうしたものを意図していた。(中略)神は近くにありながら、その神を手さぐりでいる、私自身の生きのもどかしさを、この作品に描きたかったのだ。(中略)一切の幻滅の底に行きついてしまって、そこから、再び萌え出るもの、それが、この作品の題目であり、**といふ題が生まれた。……》

 マルグリット・デュラスを読む者の誰もが感じる作者の言葉ではないか。

 と欺いてもおかしくないこの言葉は、実は林芙美子浮雲』のあとがき(1951.3.3、下落合にて。芙美子は1951.6.29に死去)で、上記**には「浮雲」が入る。

 報道記者として南京(陥落の虐殺事件直後)、上海、漢口(一番乗り)、ジャワ、ボルネオなどに出向き、「ペン部隊」、「文芸銃後運動」に勤(いそ)しんだ芙美子について、田辺聖子は『ゆめはるか吉屋信子 秋灯机の上の幾山河』で、従軍作家としての吉屋信子林芙美子を比較しながら、芙美子の「報国文学」の本質を次のように断定した。

《いま芙美子の二冊の従軍記を読むと、小説よりも芙美子の資質がよくわかって面白いところがある。運命的な軍令一下、遮二無二つき進んでゆく男の、野性的生命力に触れて芙美子は甘美な戦慄を感じている。野性の中の人間味に恍惚とし、男たちのエネルギイに陶酔する。芙美子は 従軍記の体裁をとって〈兵隊〉と寝たのである。》

「<兵隊>と寝た」女と、ナチス・ドイツのパリ占領下、レジスタンスの一員として逮捕された夫アンテルムスの生還を待ち続けたデュラス(小説『かくも長き不在』『苦悩』、手記『戦争ノート』)とは正反対ではないかと言いたくもなろうが、絶筆となった『浮雲』を読んでみれば(成瀬巳喜男監督映画『浮雲』を観れば)、「小説の外側の小説」「一つのモラル」「神を手さぐりでいる、私自身の生きのもどかしさ」「一切の幻滅の底」と通奏すると気づかずにいられようか。

 だいいち、芙美子の『戦線』『北岸部隊』に支那兵の死体描写(《ダウンと、何かに乗りあげては突き進んでいますが、此狭い路では、何度となくアジア号は支那兵の死体の上を乗り越えて行きました。(『戦線』)》、《畑の中にはあっちにも支那兵の死体がごろごろしていた。なかには眼をあけているような死体もあった(中略)。此死体達は、犬よりもみじめな死にかたをしようとは夢にも思わなかっただろう。(中略)城内へ這入って行くと、軒なみに、支那兵の死体がごろごろしていた。(中略)此辺には往来の到る処、折りかさなった支那兵の死体ばかりだ。(『北岸部隊』)》)があっても日本兵は皆無なことは、藤田嗣治の戦争記録画「アッツ島玉砕」の累々たる死体の群れがアメリカ兵ばかりで、一つも日本兵の死体が描かれなかったと同じ戦意高揚の表現規制があったからとみるべき面もあろう(もちろんデュラスのレジスタンスと比較して、あまりに無邪気で腰が引けているとの非難を免れることはできない)。

 とりわけ『浮雲』は、事後とはいえ反戦的でさえある。ジャン・ドゥーシェが「成瀬について」で語っているように、《カップルの話を通して、一九四五年から一九五五年にかけて日本人を襲った精神的、道徳的悲しみを語っている映画なのだ。現在時が全面を支配しているのは、現在というものが、口にはされないあの大きな出来事から生まれているからだ。つまり敗戦のことである。敗戦は、ほとんど喚起されていないが、つねに明白に存在している。(中略)しかし敗戦が心理的構造を揺り動かす。男性は職を失い、自分の目にも社会的な正当性を失ってしまった。彼は煮え切らない男になり、とりわけ無責任になってしまう。ゆき子は逆に、アメリカ占領軍の兵士に身を売りさえしてまで、生きていくために戦っている。(中略)『浮雲』は間違いなく、日本人の精神性にかんするもっとも内奥の赤裸々な真実を、服従する心と傲慢な心という相対立する二つの側面に沿って語った証言なのである。》

 

 映画監督吉田喜重が、成瀬『浮雲』とデュラスを、別個の場で無関係に論じているのだが、並べてみればなんと似ていることだろう。(ちなみに、吉田の妻は『浮雲』で伊香保のバーの若妻おせいを演じた岡田茉莉子。)

 吉田は小津安二郎と成瀬を比較しながら、『浮雲』について次のように書いている。

《それでも、『浮雲』が、決して声高ではない成瀬の映画を、誰もが黙って見つづけてしまう、その名状しがたい魅力を、この作品がみずから解きあかしていると言えなくもない。

 人間を狂気に走らせる戦争と、敗戦後の日本の混乱。そうした激動期に男と女が出会い、別れ、そしてふたたび会い、また別離してゆく。それは女との死別のときまで続くのだが、こうした反復が強いられるなかに、誰しもが見出すものは、あの時代の日本の悲劇でもなければ、男と女との愛の行く方といったものでもない。

 それはあくまでも表面に浮かぶ上澄みでしかなく、真底は別離を心に決めながら、別れきれない人間の業といったものが深く秘められていたのである。

 小津の映画もまた、人生は別離であることを繰り返し描いてきた。それを非条理なものとは考えず、人間の自然なありようとして受け入れ、淡々と表現してきた。それをいま成瀬が、測り知れない人間の非条理な業として描くのを知ったとき、小津はみずからの視点が危うく揺らぐのを感じたに違いない。それが『浮雲』への称賛となって現れたのだろう。

 それにしても「業」という言葉の意味を、西欧の人びとにどのように伝えればよいのだろうか。もちろん「業」という言葉は仏教に由来するものであり、おそらく西欧の人びとにはキリスト教における、「原罪」という言葉に相等するのかもしれない。

 だが成瀬は宗教に依存し、救いを求めたりはしない。こうした人間の非条理なありようを限りなくオクターブを低く、むしろ沈黙のうちに見つめようとするところに、偉大なる影としての成瀬巳喜男の存在がある。》

 一方、デュラスについては次のような発言をした。

《「人間が抱く愛、それはデュラスの場合、セックスと同義語と言ってもよいのですが、彼女自身次のように述べています。『人間はセックスをとおして、みずからが孤独であることを思い知らされ、そしてセックスはわれわれを雷のように打ちのめす』のだと。そして彼女自身、そうした拷問に耐えて生きてゆくことこそ、それをデュラスはモラルと呼んでいるのです。

 第二次世界大戦のさなか、彼女の夫がドイツの収容所に送られ、何時その死の知らせが届くか、不安におののく日々、夫の悲報を聞かされ絶望に打ちのめされるのか、あるいは無事な生還を歓喜しながら迎えることができるのか、この相反する苛酷なはざまに身を置き、その苦痛に耐え続けながら、ついには待つことの不安に打ちのめされ、デュラスは別の男と関係をもってしまう。まぎれもなくこうした行為は裏切りであり、反モラル、非道徳のきわみであり、決して許されないと多くの人びとは批判するでしょう。しかし、夫の生死いずれかの知らせを待つことの苦痛に耐えきれない、その悲しき弱さこそが人間の偽らざるありようであり、それを裏切りという行為で示してしまうこともまた、夫へのかぎりない愛の反転した証しであり、それほど夫を愛したという自負の表れでもあったのではないか。おそらくデュラスは、このようにモラルのはざまをまぎれもなく生き抜くことこそ、生身の人間としての真のモラルと考える人だった……」》

 デュラスはインタビューで《「小説のなかでも映画のなかでも、あなたはセックスに大きな意味をあたえています。あなたご自身が、「セクシュアリティのなかに浸されていない小説は存在しない」と主張しています。」》を受けて、《「わたしの興味を引くのはセックス……人びとが脱色された官能のようなもののなかですることではない。エロティシズムの源泉にあるもの、欲望です。セックスでは鎮められないもの、おそらくは鎮めてはいけないもの、欲望は隠れた活動であり、その点で書くこと(エクリチュール)に似ています。人は書くように欲望する、いつも。

 だいいち、書く気になっているときのほうが、そのあと実際に書いているときよりもなお強く書くこと(エクリチュール)によって満たされていると感じます。欲望と官能の歓びのあいだには、書くことの最初のカオス、完全な、判読不能のカオスと、ページのうえで自由になるもの、明らかになるものの最終結果のあいだにあるのと同じ違いがあります。」》と答えた。

 芙美子もまた「書くように欲望する、いつも」だった。

 

 ところで、田辺聖子は『浮雲』について、《私は若いときから林芙美子のファンだった》と前置きしてから、次のように慶賀した。

《芙美子の代表作といえば、私は短編としては初期の『風琴と魚の町』、長編は晩年の、詩性とリアリズムが美しく融合し、芙美子の持てる佳(よ)きものが集大成された『浮雲』だろうと思う。いろんな男を見てきた芙美子は、インテリだけども元来がアナーキーな富岡という男をみごとに造型する。祖国の敗亡という運命に遭遇して呆然自失、為すすべもなく、雪崩(なだれ)おちてゆく何かを手放しで見ているだけ、といった荒廃の男。

 それこそ日本の敗残そのものの象徴である。

 芙美子はよく日本の<敗戦>を描き切った。それは、彼を愛した幸田ゆき子というヒロインを鏡として反映させたから、可能だったのかもしれない。ゆき子は富岡と違って、混乱の世を果敢に生きぬく。(中略)

 男と女の流転を前景に、敗戦前後の日本の崩壊がそのうしろに描き込まれている。芙美子の人生、芙美子の才華(さいか)のすべてはこの一作に結実した。》

 さらには富岡について、《再生の道を女に求め、どの女にも救われないで、孤独の深淵をのたうちまわっている。これは陰画の『源氏物語』であり、現代の光源氏ではないか。救いようのない虚無と孤独にたちすくんでいる男。その心象風景は寒々しく、やりきれずくらい。だが、人間の面白いところは、ふとした拍子に心が明るみ、また昂揚感と生きる気力をとりもどすことである。富岡にはそれが酒であり、新手の女である。その空しさを知りつつ、空しさにまた賭けてしまう……。底をついた男の本音を耳もとできく気がする。男の体臭のぷんぷん匂う、そしてそのやりきれなさが男そのものの魅力になっているのが<富岡>である。私はしみじみと富岡に共感する。》

 田辺は芙美子を「人間を描くのに、情が濃い」、「作品に熱っぽさを与える」と形容しているが、デュラスが、虚無的なのに情が濃い、極北の冷たさなのに芯は熱っぽい、ことの手袋の裏表だったのではないか。

 

 瀬戸内寂聴はデュラスについて、《私がデュラスに惹かれつづけて今も飽きないのは、デュラスの作品の行間から覗く、彼女の「極度の孤独」と「放心」とそれも上廻る「愛の密度」のせいである。(中略)「無」や「空」というと仏教用語が、デュラスの作品の中から漂ってくると感じるのは、私が出離者であることとは何の関係もない。

 この世で生きることは人間が孤独だということを思い知ることであるということを、デュラスは常に語っている。

 他者との理解など彼女はあり得ないと信じているのではないだろうか。彼女の作品の中から、女の極限状況から発せられるような恐怖の叫びがひびくのは、人間存在の闇をデュラスが見きわめてしまった恐怖からではないだろうか。

 デュラスの愛は死を呼びこむ。死の裏づけがあってはじめてデュラスは愛を認める。デュラスが何を書こうと、何にアンガージュしようと、デュラス自身の告白するように、たくさんの男たちと、激しい情熱的な性愛を持ったとしても、デュラスが常に充たされきれず、愛に渇き、孤独に沈潜していたことを私は信じずにはいられない。》と語った。

 一方、芙美子のことは、瀬戸内晴美前田愛『対談紀行 名作のなかの女たち』(「『放浪記』と林芙美子」)で、こう語っている。

《『放浪記』は非常にどん底を書きながら明るいでしょう。だけども、林芙美子は虚無的なんですね。その虚無的なものが、だんだん、だんだん沈殿(ちんでん)していって、どん底のときは明るいのに、功成り名遂げたときに非常に暗くなってきてますね。

浮雲』は、私は本当に傑作だと思うんですけれども、『浮雲』には明るさがまったくないんです。それはやはり、林芙美子の最期の死の影を感じつつ書いた、自分は意識しないけれども、もう死の前の作品で、そのとき林芙美子の行き着いた境地というのは非常に暗い虚無的な世界、救いのまったくない世界です。》

 要するに二人の本質は「アウトサイド(外側)」なのだ。

 

 ところで、デュラス『愛人 ラマン』も『浮雲』も仏印インドシナ)を舞台とし、どちらからもインドシナ・フルーツの爛熟が匂いたつ。

『愛人 ラマン』のデュラスは欲望する。フルーツのイマージュは世界を記述するために存在するだろう。

《エレーヌ・ラゴネルの身体は重い、まだ無垢だ、彼女の皮膚の滑らかさはさながらある種の果物のようだ、そんな皮膚の滑らかさは、感じとれるかとれないかの境い目にあるもの、すこし非現実的なもの、この世界をはみだした余計なものだ。》

 サイゴンの中華街チョロン地区の一室で《彼は言う、この国で、この耐えがたい緯度で何年もの年月をすごしたために彼女はこのインドシナの娘になってしまった。この国の娘たちのようなほっそりした手首をしているし、この国の娘たちの髪と同じように、まるで張りのある力のすべてを引き受けて身につけてしまったかのような、濃く、長い髪をしている。とりわけこの肌、全身の肌といつたら、この国で女や子供たちのために取っておく雨水を使っての水浴を経験してきた肌だ。彼は言う、フランスの女たちの身体の肌は、この国の女たちとくらべると、固く、ほとんどざらついている。彼はさらに言う、魚と果物だけの熱帯の貧しい食物も、それにいくらか役立っている。》

 一方の『浮雲』。

 義兄との不倫から抜けきりたい気持ちでタイピストとして仏印行きを決心した幸田ゆき子(高峰秀子の演技の凄み)が、サイゴンを経てダラットの高原に着いたのは昭和十八年だった。しかしじきに妻ある農林研究技官富岡と男女の仲になってしまう。

 戦後敦賀から東京へ引き揚げて来たゆき子は富岡を訪ね、諍いと未練の腐れ縁を繰りかえしてしまう。あげく、心中してしまうつもりでゆき子を伊香保に誘った富岡(有島武郎の長男で京大哲学中退の俳優森雅之のなんと太宰治に似ていることか)は温泉で知り合ったバーの若妻おせいとも関係してしまう(してしまう(・・・・・)こそ情痴の本質だ)。

 愛の象徴なのか二人は林檎を買い求め、皮をむく。

《マンゴスチーンを上品な果実とすれば、その正反対な果実に、臭気ふんぷんとしたドゥリアンと云う珍果のある事をも書かねばならぬ》といった雑文で富岡は稿料を稼ぐ(成瀬作品につきまとう「金銭」をめぐる葛藤)が、その半分はゆき子に送られて子供をおろす費用となってしまう。

 いかさま新興宗教から六十万円(映画では二十万円)を盗んだゆき子は富岡と島流しのように屋久島へ向かう。途中、鹿児島で買った林檎はまずく、富岡は芯をかっと吐き出す。胸を病み、熱に浮かされるゆき子に蜜の記憶があらわれる。《窓の外に、大きな樹の実の落ちる音がした。二人は、その音にもおびえる。井戸の底にでもいるような、静かな、高原のビアンホアのホテルの一夜は、ゆき子にとっては、夢の中にまで現われて来る。房々とした富岡の頭髪の手触りが、いまでもじいっと思いをこらすと、掌のなかに匂ってきた。》(喘ぐように息継ぎが多いが、吹っ切れた芙美子の文体。)

 ゆき子が、ああ生きたいとうめいているとき、小説の富岡は土砂降りの山の営林所で薯焼酎を飲みながら、八重岳の山容がアンコール・トムのバイヨン宮に似ていると話しだす。《山の石肌(いしはだ)には、巨大な、人面を現した石積の塔が聳(そび)えていてね、部屋々々の石柱は、傾き、石梁(せきりょう)は落ちかけて、この山石の、廃墟(はいきょ)の前庭には、巨(おお)きな樹が、倒れかけた擁壁を支えているし、ここの、杉のミイラと少しも変りはない。》

  やっと官舎に戻るとゆき子は冥府へ走り去っていた。

 

 さて、成瀬監督自身が高峰秀子との対談で『浮雲』のあらすじを紹介している(成瀬は高峰にあまりいい感じを持っていなかった、ただ演技だけはかっていた、だから普通のときはあまり話をしなかった(他の女優にも似たような逸話が残っている)、という「成瀬組」の打明け話を頭の片隅に置いたうえで)。

「[対談]『浮雲』について 成瀬巳喜男高峰秀子」から(東宝の正月文芸作撮影中の、東宝撮影所のセットに二人を訪ねて)。

《高峰 まさかあたしに、ゆき子の役がまわってくるとは思わなかったし、とてもむずかしくて演れそうもなかったので再三ご辞退したんですけど……でも女優だったら誰でも一度は演りたい役でしょうね。

成瀬 主人公のゆき子は、秀ちゃんより他にはいないよ。

高峰 あたし、いままで、情痴というと大ゲサだけど、べったりした恋愛ものに出たことがないの。富岡謙吾になる森さんと、仏印から東京、伊香保また東京、伊豆長岡から鹿児島へ行き、屋久島で病死するまで、二人がついたり離れたりする、大恋愛劇なんですもの。それに、森さんと一緒におふろに入ったり、接ぷんシーンをやったり、酔っぱらって、くだまいて口説いたり、生れて初めてのことばかりなんですもの……

 先生は、林さんの作品を『めし』『稲妻』『妻』『晩菊』と手がけられて、これで五度目、一人の監督さんが、一人の作家の作品を五回も手がけられるということは珍らしいことですね。

成瀬 余程、林さんの作風と肌が合うんでしょう。でも、恐らくこれが最後の作品になるでしょう。ほかのどの小説をもってきても同じでしょうから……

高峰 先生の作品は、いつも下町情緒で、淡々としていらっしゃるんですけど、『浮雲』は随分油っこい……

成瀬 『あにいもうと』も相当アクドイものだったけれど……ゆき子という主人公は、少女時代に義理の兄さんに犯され、農林省タイピストとして仏印に赴任し、そこで富岡と結ばれる。富岡を生涯の男として慕うが、帰国した男には妻があって結婚できない。この男と同棲するが、生活のためにパンパンになったり、再び義兄の世話になったりするが、結局屋久島で病死するまで離れられない。男の方も離婚できないまま同棲し、生活能力がないので女と心中しようとするが、バアの若妻にずるずると惹かれて死ねない。再起しようと発憤して屋久島に渡り、そこで女に死なれて初めて女の愛情というものをしみじみと感じる。というように、あちこちと場所がうつり、その間、ほとんどゆき子と富岡の二人の話ばかりなので、相当ねつっこいものになりますね。でも、一人の人間が、全然別個の境地に進むということは、なかなかできるものじゃないから、この映画もできあがってしまうと、案外ぼくのいつもの作品と同系統のものになってしまうかもしれない。》

 

 蓮實重彦は「二〇〇五年の成瀬巳喜男――序にかえて」で、《その中心になるのは、林芙美子の原作を田中澄江水木洋子などの女性脚本家の協力をえて脚色した作品である。それはまた、脚本家が書き込んだ文学的、演劇的な台詞を可能な限り削除し、言葉よりも視線や身振りの交錯ですべてを語ろうとするサイレント映画を体験した成瀬巳喜男だけに可能な演出技法が見事に開花した一時期でもあった。》と述べているが、その実際は、田中澄江他編『成瀬巳喜男――透きとおるメロドラマの波光よ(映画読本)』の「[採録]『浮雲』撮影台本より」(伊香保の場面)から知ることができる。

《言葉よりも視線や身振りの交錯ですべてを語ろうとする》演出技法は、とりわけ「視線」の演技に顕著である。日本に戻って来たゆき子が富岡の家を訪ねると、富岡の妻は彼女を隈なく見つめて値踏みする。フラッシュバックした回想のベトナムで、富岡は欲望の眼差しを現地の女中やゆき子に注ぐ。その眼差しは伊香保で知り合ったおせいと無遠慮なまでに交錯しあい、その互い違いの見つめ見つめられに、ゆき子の疑いの凄まじい視線が十字に交差する。屋久島の官舎で、病の床にありながらも、富岡と手伝婦が何か示しあわせているのではないかと疑いを向けずにはいられないゆき子のせっぱつまった凄惨な視線。

 実際、デュラスはインタビューで、《「他の視線と絶えず交差し、そして他の視線へと吸いこまれるひとつの視線。視線は、それによって登場人物と物語の現実が明らかにされる真の認識手段にとどまっています。たがいに重なり合う視線。登場人物のひとりひとりがだれかを見つめ、そのだれかから見つめられる。(中略)男女一組のあいだに情熱が燃えあがるのを目撃する、第三の人物の絶えざる存在という仮説を確認したいかのようですね。」》と聞かれて、次のように答えている(『私はなぜ書くのか』)。

《「わたしはつねに、愛は三人で実現すると考えていました。一方から他方へと欲望が循環するあいだ、見つめているひとつの目。精神分析は、原風景の執拗な繰り返しについて語ります。わたしは、ひとつの物語の第三の要素としての書かれた言葉(エクリチュール)を語るでしょう。だいいち、わたしたちは、自分がしていることと完全に一致することは決してありません。わたしたちは自分がいると信じているところに完全にいることはない。わたしたちとわたしたちの行動のあいだには、隔たりがある。そしてすべてが起こるのは外部において(・・・・・・)なのです。登場人物たちは、自分たちの眼前でさらにもう一度、展開する「原風景」から除外されていると同時に、そのなかに包含され、自分もまた見られるためにそこにいることを知りながら、見るのです。」》

 

 ミッシェル・フーコーとエレーヌ・シクススの対談「外部を聞く盲目の人デュラス」で、シクススは、《デュラスの作品でとても美しい言回しがあると思うと、それはきまって受動態、つまり、誰かが見つめられている、といった文章でなんです。《彼女》は見つめられ、見つめられているのを知らない。ここで視線は主体の上に投げかけられているんですが、主体は視線を受けとっていない。》と語ったが、成瀬映画の視線にも当て嵌まる。

 郷原佳以は「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」で、《デュラスの文体は、物語を書き込まないことによって、語らないことによって、むしろ、まるでト書きのように可能な限り文飾を削ぎ落として書くことによって、行間から恐ろしいほどの余韻を響かせる》と書いたが、成瀬の《言葉よりも視線や身振りの交錯ですべてを語ろうとする》演出法に通じるところがある。

 またシクススは、《私は、デュラスの創り出すものを《貧素(pauvreté)》と呼んでもいいと思います。作品を読み進むにつれ、豊かさや巨大な構築物を徐々に棄ててゆくという作業があるんです。余計なものを次第次第に取り払ってゆき、舞台装置や装飾や物が順々に少なくなっていくんですね。》と論じたが、それは成瀬が心の底で望んでいたものに違いなく、屋久島での臨終場面のミニマライズな「撮影設計」に表れが見える。さらには高峰秀子の思い出のエピソードがある。高峰『わたしの渡世日記』の「イジワルジイサン」こと成瀬との『浮雲』撮影時の回想で、成瀬との最後の仕事になった松山善三脚本『ひき逃げ』撮影中の会話がある。イジの悪いほど喋らない彼が珍しく口を開いた。《「ねえ秀ちゃん」「へえ?」「ボクはね、いつか……装置も色もない、一枚の白バックだけの映画を撮ってみたいのよ」「白バック?」「なんにも邪魔のない、白バックの前で芝居だけをみせるの……。そのとき秀ちゃん演(で)てくれるかな?」「……」》

 実現しなかったとはいえ、削ぎ落とすことで響かせたいという思いが強かったのだ。

 

 ここで、郷原「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」に戻れば、《『ロル・V・シュタインの歓喜』を読んで驚喜したラカンが喝破したように、しかし、そこで指摘された事実自体についてはラカンに言われるまでもなくデュラスの読者であれば誰しも気づいていたように、デュラス的な愛を不可能なものとして成り立たせているのはある三角形、三項関係である。T・ビーチの舞踏会でロルの婚約者マイケル・リチャードソンがロルの眼の前でアンヌ=マリー=ストレッテルに吸い寄せられ、ロルの前から姿を消したこと。(中略)寄宿舎の友人エレーヌ・ラゴネルを自分の愛人の中国青年に抱かせ、自分はそれを見ていたいという少女の激しい欲望。(中略)こうした反復される三角形の主題は、なるほどデュラスとアンテルムスとマスコロの友愛に結ばれたトリオを想起させずにはおかないが、しかし、おそらくそれも含めていずれの三角形も、互いを追いかけ合うことで嫉妬の力学と戯れを作用させるような恋の三角関係とは別の位相にある。三角形があったとしても、三角関係はそこで脱臼されて「愛の物語」がいかにしても成就しない<外>へ、無限定の<外>へ開かれている。》

浮雲』においても、富岡・ゆき子・富岡の妻の三角形は、富岡・ゆき子・外国人ジョオ、富岡・ゆき子・おせい、富岡・ゆき子・義兄とくるくる回転し、富岡は、妻、おせい、ゆき子の三人の女たちに、つぎつぎと命を落とさせることしかできず、恋というよりは脱臼している。

<外>へということであれば、ベルナール・エイゼンシッツが「成瀬巳喜男におけるさまざまな移動――日本を縦断して」で論じているように、成瀬映画は、とりわけ芙美子作品では、たゆまず「遁走」「流浪」「放浪」「移動」する。『浮雲』でも富岡とゆき子の二人は、自分の過去を背負ってあてもなく何度も、並んで道を歩く。

 成瀬の《映画の筋書きは戦前においては、社会の網目のなかで、空間のなかに展開されるのと同じように厳密に展開していた。一九四五年以降は、歴史のなかでそれは展開されていく。成瀬は「国を挙げての記憶喪失」にはまったく加わらない。逆に、以後すべては戦争に端を発するように見えてくるのだ。》

 はじめから内地を離れた仏印で出会い、日本に戻ってからも都内を遁走するようにいく度も転居し、伊香保へ、伊豆の湯へ、ついには鹿児島、そして屋久島へと、時間の中に生きているのに、時間から逃げるように移動する(『めし』や『浮雲』では、使い古した靴の映像が、「遁走」「流浪」「放浪」「移動」する庶民の生活感と恋愛の徒労感を表象する)。

 

 ふたたび、成瀬と高峰の対談に戻る。

《高峰 割り合い長い映画になるようで……

成瀬 ぼくのものとしては、異例の作品となりそうで、二時間以上の長さになる予定です。それだけ長いとね、途中でどうしてもダレるでしょう。今、心配しているのは、富岡が病気のゆき子を連れて屋久島へ渡る連絡船に乗って鹿児島を離れていくシーンで、お客はここで終るんじゃないかと思われそうなんです。どうにかお客を立たせないように、いま一生懸命やっているんですがね。それにあれだけの長編小説を、二時間余りの映画の中に全部盛り込もうとするとストーリーを追うことと、セリフを言わせるだけでも一杯です。いま、シナリオを再整理しながら撮影している始末です。》(昭和29年12月24日)

 そうして成瀬は、「お客を立たせない」どころか、「金子正且 プロデューサーが語る、企画・キャスティング術」で金子が、《「いま見てもキレイですよねえ、『浮雲』のデコは。僕なんか日本映画最高の一本だと思います。」「――終わりに行けば行くほどキレイになるんですよね。」「そう、死ぬときなんかね。だから、あの役はやっぱりデコしかないと思ったんじゃないでしょうか。あの頃はもう三十ぐらいになって、ちょうど脂が乗り切っているという感じだし。」》と語った女優高峰秀子(《この仕事が終わって松山善三と結婚したら、女優をやめて女房業に専心したいと希(のぞ)んでいた》、愛称デコ)の最高に美しい顔であるうえに、《映画史上最も美しいクローズ・アップの一つ》(蓮實)となった。

(付け加えれば、林芙美子原作の「最後の作品」とはならなかった。八年後の昭和三十七年、同じく高峰で『放浪記』を撮っていて、興行的にはヒットしなかったものの、高峰は甲乙つけがたく、監督はむしろこちらに愛着を抱いていたという。)

 蓮實重彦は「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」で、こう述べている。

《『浮雲』の最後で人が目にするものは、何の飾りけもない殺風景な風景で息を引き取ろうとする病床の若い女と、それをなすすべもなく無言で見まもるしかない中年の男性ばかりである。二人の間に、言葉はおろか、視線さえかわされることがない。男にできることといえば、東南アジアの熱帯雨林での最初の出会いを回想しながら、動こうともしない女の唇に口紅を塗ってやることぐらいだ。舞台は、日本の南端に位置する亜熱帯の孤島に設定されており、そこには電気さえ通っていない。戸外には夕暮れ近くの嵐が吹き荒れている。

 だが、アルコール・ランプに照らしだされる二人の翳りをおびた孤立ぶりは、これという装飾もない無味乾燥な室内装飾がそうであるように、そうした特殊な地理的条件とも、例外的な気象状況とも、原作となった小説の描写ともいっさい無縁である。彼らは、あらゆるものから見放されたかのような無防備で、同じ時間と同じ空間を共有しあう一組の男女としての時分を受け入れているにすぎない。そこには、それさえあれば映画が成立すると成瀬が信じている男と女が、途方もない豊かさを実現しうる希有の単純さとして露呈されている。だから『浮雲』を見るものは、その最後での二人の男女の孤立が、豊かな単純さへの確固たる意志が導きだした一つの実践的な形式であることを理解せざるをえない。

 成瀬巳喜男にとって、映画が成立するためには、何よりもまず、画面を構成するすべての要素が一組の男女に還元されねばならない。『浮雲』の最後で、女の身を気遣う近隣のものたちが、男の指示でことごとく部屋から遠ざけられているのは、そのためである。実際、ここでは、すべてが呆気ないほど簡素な構造におさまっており、画面に息づまるような震えを導入するのは、森雅之が床からたぐりよせてそっと枕元に置く何の変哲もないランプばかりなのだ。それが投げかける弱い光を受けとめながら、ことによると、成瀬巳喜男は、男と女をつつみこむこの光によって映画を定義しようとしているのかもしれないと人はつぶやく。

 実際、あくまでもつつましい動きで位置を変えるこの鈍い光源が死の床に横たわる高峰秀子の表情に微妙な照明を投げかけるとき、誰もがそう思わずにはいられない。視線を交わしあうことすらなくなった二人に向けられるキャメラが、それぞれの顔を微妙な陰影の推移の中に浮かび上がらせ、そこに、映画史上最も美しいクローズ・アップの一つが生まれ落ちることになるからである。二人の不運な境遇をここまでたどってきた者たちは、終わりを迎えつつある物語が煽りたてる情動の高まりを超えて、薄暗がりに浮かびあがる女の相貌のものいわぬ白さに無媒介的に惹きつけられる。》

 さらに蓮實は成瀬賛を次のように結ぶ。

成瀬巳喜男の的確な演出は、目をそむけずにはいられない凄惨な女の修羅場を、ありうべき現実の再現には到底おさまりがつかぬ透明な虚構として、何度でもスクリーンに推移させてみせるだろう。それが、世界で誰もやったことのない寡黙な雄弁さともいうべきもので映画をひときわ輝かせる。》

 

「寡黙な雄弁さ」。それを象徴するかのような「浮雲」の映像は、映画にはないが、原作では「浮雲」という語が二か所あらわれる。

《富岡が歩き出すと、ゆき子もそのまま、水溜(みずたま)りのなかへはいって来た。――富岡は孤独に耐えられない気持ちで、一人でさっさと歩きながらも、後から濡れた道をびちゃびちゃと歩いて来るゆき子の表情を、素通しにして、心で眺(なが)め、自分の孤独の道づれになって貰(もら)いたい気持ちになっていた。そのくせ、ゆき子と歩いている時は、何となく犯罪感がつきまとう気さえしてくる。

 自分の孤独を考えてゆきながら、その孤独に、ひどく戦慄(せんりつ)しているような、おびえを、富岡は感じていた。現在に立ち到(いた)って、何ものも所有しないと云う孤独には、富岡は耐えてゆけない淋(さみ)しさだった。自分を慰めてくれる、自己のなかの神すらも、いまは所有していないとなると、空虚なやぶれかぶれが、胸のなかに押されるように、鮮(あざやか)かにうごいて来る。

 ゆき子と、二人きりで、いまのままの気持ちで、自殺してしまいたかった。――若い日本の男が、外国の女とかけおちをして、追手に反抗して、郊外の駅で劇薬をのんだ事件があったのを、富岡は思い出していた。

 人間と云うものの哀しさが、浮雲のようにたよりなく感じられた。まるきり生きてゆく自信がなかったのだ。二人は、何処へ行く当てもなく、市電の停留所までぶらぶら歩いた。》

屋久島へ帰る気力もない。だが、ゆき子の土葬にした亡骸(なきがら)をあの島へ、たった一人置いて去るにも忍びないのだ。それかと云って、いまさら、東京に戻って何があるだろうか……。

 富岡は、まるで、浮雲のような、己れの姿を考へていた。それは、何時、何処かで、消えるともなく消えてゆく、浮雲である。》

 これらがデュラス『モデラート・カンタービレ』や『北の愛人』の一文であってもなんの違和感もないだろう。そして、デュラス『破壊しに、と彼女は言う』や『インディア・ソング』のフィルムのシーンであったとしても。

 

<補遺>

 成瀬巳喜男の映画についての重要な言説、証言は、蓮實重彦山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房)がほぼカバーしている。参考までに、蓮實の文章から断章的に引用しておく。

 

<蓮實「二〇〇五年の成瀬巳喜男――序にかえて」から>

・《『めし』、『お国と五平』、『おかあさん』、『稲妻』、『妻』、『あにいもうと』、『山の音』、『晩菊』、『浮雲』、『流れる』、『あらくれ』、『杏っ子』という彼の一九五〇年代の十二本をとってみると、たんに日本映画にとどまらず、世界的に見ても、この時期にこれほど充実した作品を撮り続けた映画作家はごく稀だということが、すぐにも明らかになるはずだ。これにとどまらず、この時期のそれぞれの作品に発揮されている演出的な手腕の確かさはいうまでもなく、現実把握の豊かな拡がりという点でも、比類なき映画作家の現存に眼も眩む思いがするほどだ。》(P6)

・《『めし』原節子よりも今井正監督の『青い山脈』(一九四九)の原節子を、『浮雲』の高峰秀子より木下恵介監督の『二十四の瞳』(一九五四)の高峰秀子を、より身近で、より現実的なものと感じとる感性というものが、ある時期まではまぎれもなく存在していたのである。》(P6)

・《成瀬巳喜男の作品には、悲劇的な題材をあつかった場合でも、その画面にはペシミズムとは無縁の透明感が漂っている。彼の外景撮影におけるやや逆光ぎみの光線への感性や、室内撮影における人物に向けられた照明へのこだわりは、サイレント期からつちかわれたキャメラへの揺るぎない確信からくるものである。》(P7)

・《成瀬巳喜男の演出は、物語をたくみに語ることとは別に、被写体となった人物の表情や、舞台となった地方の風景を捉えたショットそのものの生なましさによって、いわゆる社会的な題材のリアリズム性とは異なる映画ならではの現実をフィルムにおさめている。》(P14)

・《その中心になるのは、林芙美子の原作を田中澄江水木洋子などの女性脚本家の協力をえて脚色した作品である。それはまた、脚本家が書き込んだ文学的、演劇的な台詞を可能な限り削除し、言葉よりも視線や身振りの交錯ですべてを語ろうとするサイレント映画を体験した成瀬巳喜男だけに可能な演出技法が見事に開花した一時期でもあった。》(P16)

・《一九六九年、成瀬巳喜男が六三歳で他界したとき、やがて東宝の撮影所はほとんど貸しスタジオと化して、子会社の映画やテレビ向けの作品しか撮影されてはおらず、やがて東宝そのものも製作会社から配給会社へと変貌してゆく。こうした撮影所システムの崩壊や、新人監督の登場とともに、成瀬巳喜男が丹精こめて取りあげた作品は、映画界の前景からゆっくりと遠ざかってゆく。成瀬の作品が改めて「発見」されるのには、彼自身の死後、二十余年の歳月をまたねばならなかったのである。》(P18)

・《成瀬巳喜男は、「映画は、封切られてから、一、二週間で消えてしまう」という言葉で、その特徴が儚さにあることを強調したことがある。だが、その言明が彼の生涯で犯した唯一の誤りであったことが、いま明らかになろうとしている。》(P20)

 

<蓮實「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」から>

「曖昧」

・《成瀬巳喜男の代表作とみなされている『浮雲』の位置は、一見したところ、きわめて曖昧である。中流以下の階級の素朴な生活描写に優れた手腕を発揮するといわれ、ときには「庶民劇」などという言葉でその作風を定義されているこの映画作家が、たとえば『おかあさん』や『稲妻』の舞台となる「庶民」の家庭などをこの作品にはまったく登場させていないからだ。また、『めし』の成功以後、『夫婦』、『妻』、あるいは『驟雨』などの作品で、結婚した男女間の微妙な心理の綾を分析することで、「夫婦もの」と呼ばれるべきジャンルを確立したとされる成瀬が、この作品では結婚という主題そのものを視界から遠ざけているからでもある。さらには、『女が階段を上る時』や『妻として女として』に代表される「水商売もの」の雇われ女将のように、男たちに媚を売ったり、彼らの欲望に弄ばれるようなこともないからである。だとするなら、『浮雲』は、成瀬巳喜男にとって例外的な作品とみなされるべきなのだろうか。》(P62)

・《豊かな陰影をこめて高峰秀子が演じている『浮雲』のヒロインは、落ち着くべき家庭もなく、夫と呼ぶべき男性も持てず、だからといって異性にへつらうこともない一本気な女として描かれている。彼女は、他人の家庭を崩壊させかねない自分の振る舞いに深く悩んだりすることもなく、妻のある男と二人だけの時間をすごしたいという執拗な意志をひたすらはぐくみ続ける。戦時中の仏印のジャングルから戦後の焼け野原まで、伊香保のうらぶれた旅籠から伊豆の温泉宿まで、そして雨季の屋久島の殺風景な宿舎へと、彼女はいっときもこの意志を見失わぬままに流浪し、そのあげくに病に倒れ、駆けつけた男に見とられて静かに息をひきとる。》(P62)

・《その死の床のまわりには亜熱帯の湿った嵐が吹き荒れ、「庶民劇」にふさわしい行商人が物を売り歩く下町の街並みもなければ、「夫婦もの」にふさわしい買い物帰りの女たちが無言で歩む一本道やたて込んだ細い路地もなく、「水商売もの」の舞台装置を彩る虚飾のネオンサインも輝いてはいない。こうして、その最後のイメージにおいて、『浮雲』のヒロインは成瀬巳喜男ならではの「庶民」からも、「夫婦」からも、「水商売」からも思い切り遠い世界へと孤独に旅だってゆくかにみえる。》(P63)

・《『浮雲』が示唆しているのは、成瀬巳喜男にとっての映画が、家庭を遠く離れた一組の男女だけで成立するという事実にほかならない。》(P63)

 

「二間続きの部屋」

・《部屋に落ちかかる照明の作品ごとの微妙な変化は、美学的な要請であると同時に、登場人物の経済的な背景をほとんど唯物論的に反映する視覚的な細部をかたちづくることになる。》(P66)

・《成瀬巳喜男の映画がしばしば舞台装置としているこの二間続きの生活空間は、日本のある時期のしかるべき和風の建築様式の再現ということもあろうが、それにもまして、監督がキャメラを向けようとする人物たちを、心理的というよりむしろ経済的に規定するものなのである。》(P66)

・《『浮雲』のヒロインが家庭を持たず、結婚とも無縁な存在だということは、彼女がこうした生活空間のなめらかな連続性の中に位置することを拒む人物だということを意味する。彼女は、そこから排斥されているというより、そうした空間に位置することを意図して回避しているかに見える。

 実際、高峰秀子は、まず、東南アジアの熱帯雨林の木洩れ日の中で、男との最初の愛を確かめあう。それは回想として語られる挿話にほかならず、物語そのものは、戦後の混乱期の日本の首都で、彼女が焼け跡の住居に男を訪ねるところから始まるのだが、玄関さきでのその妻との気づまりなやりとりの後に、戦争直後の荒廃しきった街路を誘いだした男とたどりながら、盛り場の小さな旅館で初めて二人だけの時間を見いだす。その小さな部屋に身をおいた男女に対して、生活の連続的な空間性をきわだたせる演出が行なわれていないことは、誰の目に

も明らかだろう。男に肩を寄せて並んで歩いていても、男とともに粗末なテーブルを囲んでみても、窓辺にたたずんで戸外に視線をはせてみても心の安定が見いだしがたいのは、成瀬巳喜男が、いまみた二間続きの構図の中にヒロインの人物像を描きだしてはいないからだ。》(P67)

・《実際、娼婦同然の生活に陥り、蝋燭しかない仮説のバラックに男を迎え入れたりする高峰秀子に向けられたキャメラは、照明からしても、奥行きの不在という点からしても、彼女を二間続きの日本間とはまったく異質の空間に位置づけている。不意に狭くるしい下宿に姿を見せて男を戸惑わせたりするときも、自殺するといって男を地方の宿に呼びつけるときも、死ぬ気で男とともに温泉町に逗留するときも、そこに二間続きの生活空間が姿を見せることはないだろう。》(P68)

・《ヒロインの思いつめたような表情にわずかな安堵感が漂うのは、鉄道や船を乗り継いで亜熱帯の孤島まで落ち延びようとするときからでしかない。実際、混雑した車内で男に身をあずけたまま眠りふけっている彼女を正面からとらえたショットは、ほんの短く挿入されているにすぎなくとも、充分すぎるほど美しい。長旅に疲れて眠りこけている男の存在をかたわらに感じながら、車窓を流れる風景に目をやっている女をとらえたショットも文句なくすばらしい。だから、島への出発を待つ鹿児島で病に倒れ、男に介抱されて力無く布団に横たわるしかないヒロインの無表情な相貌に初めてやすらぎの影がよぎるとき、見ている者は思わずほっとため息をつく。》(P68)

 

「生活空間を遠く離れて」

・《『浮雲』の最後で人が目にするものは、何の飾りけもない殺風景な風景で息を引き取ろうとする病床の若い女と、それをなすすべもなく無言で見まもるしかない中年の男性ばかりである。二人の間に、言葉はおろか、視線さえかわされることがない。男にできることといえば、東南アジアの熱帯雨林での最初の出会いを回想しながら、動こうともしない女の唇に口紅を塗ってやることぐらいだ。舞台は、日本の南端に位置する亜熱帯の孤島に設定されており、そこには電気さえ通っていない。戸外には夕暮れ近くの嵐が吹き荒れている。

 だが、アルコール・ランプに照らしだされる二人の翳りをおびた孤立ぶりは、これという装飾もない無味乾燥な室内装飾がそうであるように、そうした特殊な地理的条件とも、例外的な気象状況とも、原作となった小説の描写ともいっさい無縁である。彼らは、あらゆるものから見放されたかのような無防備で、同じ時間と同じ空間を共有しあう一組の男女としての時分を受け入れているにすぎない。そこには、それさえあれば映画が成立すると成瀬が信じている男と女が、途方もない豊かさを実現しうる希有の単純さとして露呈されている。だから『浮雲』を見るものは、その最後での二人の男女の孤立が、豊かな単純さへの確固たる意志が導きだした一つの実践的な形式であることを理解せざるをえない。

 成瀬巳喜男にとって、映画が成立するためには、何よりもまず、画面を構成するすべての要素が一組の男女に還元されねばならない。『浮雲』の最後で、女の身を気遣う近隣のものたちが、男の指示でことごとく部屋から遠ざけられているのは、そのためである。実際、ここでは、すべてが呆気ないほど簡素な構造におさまっており、画面に息づまるような震えを導入するのは、森雅之が床からたぐりよせてそっと枕元に置く何の変哲もないランプばかりなのだ。それが投げかける弱い光を受けとめながら、ことによると、成瀬巳喜男は、男と女をつつみこむこの光によって映画を定義しようとしているのかもしれないと人はつぶやく。》(P70)

・《実際、あくまでもつつましい動きで位置を変えるこの鈍い光源が死の床に横たわる高峰秀子の表情に微妙な照明を投げかけるとき、誰もがそう思わずにはいられない。視線を交わしあうことすらなくなった二人に向けられるキャメラが、それぞれの顔を微妙な陰影の推移の中に浮かび上がらせ、そこに、映画史上最も美しいクローズ・アップの一つが生まれ落ちることになるからである。二人の不運な境遇をここまでたどってきた者たちは、終わりを迎えつつある物語が煽りたてる情動の高まりを超えて、薄暗がりに浮かびあがる女の相貌のものいわぬ白さに無媒介的に惹きつけられる。》(P71)

・《成瀬巳喜男の演出が冴えわたるのは、キャメラ玉井正夫と、照明の石井長四郎と、美術の中古智のたぐい稀な技術的達成に支えられながら、光という単純な要素だけで男女をつつみこもうとする瞬間である。この寡黙な雄弁さともいうべきものが、映画だけに許された豊かな単純さにほかならず、成瀬巳喜男はそれに身をまかせる喜びを知っている数少ない映画作家の一人なのだ。》(P71)

・《物語の水準でいうなら、事態は必ずしも単純なものとはいえない。女の最期を見とるこの優柔不断な男にはれっきとした妻がいた身であり、行きずりの情事の相手となる女も一人や二人でなかったことを、見るものは知っているからである。だが、決して単純なものとはいえないこうした劇的状況の内部で、監督は、宿命的な出会いを演じた男女を、空間的にも時間的にも、あえて孤立させている。『浮雲』にとどまらず、彼の作品には、主人公たちの意志というより周囲の状況に身をまかせることで、一組の男女が不意に二人だけの空間と時間を見いだし、たがいの存在を身近に確かめあおうとする場面が決まって挿入されている。そんな二人にキャメラを向けるとき、成瀬巳喜男は、それこそが映画の豊かさの証左にほかならぬというかのように、そのシークェンスを特権的にきわだたせずにはいられないのである。》(P72)

 

・「病に倒れる」「看病」「木漏れ日の下での出会い」「並んで道を歩くという再会」「移動画面」「遁走」「たびかさなる転居」「父親の不在」「母系家族」「寝穢(いぎたな)く」「せっぱつまった関係」「ためらいを欠いた思い切りのよさ」(P74~。いくつかのキーワード)

 

「凄惨さ」

・《その一連の仕草にキャメラを向けるとき、女たちが演じ立てるおだやかな凄惨さともいうべきものへの成瀬巳喜男の異常な執着が生なましく目覚めるかのようだ。彼は、男なら逃げてしまうであろう気づまりな対話や居心地のよくない出会いを、思い切りよくはしたなさに徹してみせる女たちのためらいの不在を擁護するかのように、真正面から揺るぎなくキャメラにおさめる。》(P104)

・《成瀬巳喜男の的確な演出は、目をそむけずにはいられない凄惨な女の修羅場を、ありうべき現実の再現には到底おさまりがつかぬ透明な虚構として、何度でもスクリーンに推移させてみせるだろう。それが、世界で誰もやったことのない寡黙な雄弁さともいうべきもので映画をひときわ輝かせる。》(P104)

                                 (了)

 

          *****引用または参考文献*****

蓮實重彦山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(蓮實重彦「二〇〇五年の成瀬巳喜男――序にかえて」、「寡黙なるものの沈黙」、ジャン・ドゥーシェ「成瀬について」、ベルナール・エイゼンシッツ成瀬巳喜男におけるさまざまな移動――日本を縦断して」、玉井正夫「成瀬さんの本領は、一歩歩いて振り返る、独特の振り返りのポジションですね」、中古智「美術監督の語る成瀬巳喜男」、吉田喜重「反転する光と影、あるいは人間の別離をめぐって――小津安二郎成瀬巳喜男」、他所収)(筑摩書房

高峰秀子『わたしの渡世日記』(文春文庫)

川本三郎成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮社)

川本三郎林芙美子の昭和』(新書館

*スザンネ・シェアマン『成瀬巳喜男 日常のきらめき』(キネマ旬報

村川英編『成瀬巳喜男 演出術――役者が語る演技の現場』(ワイズ出版

*中古智/蓮實重彦成瀬巳喜男の設計――美術監督は回想する』(筑摩書房

田中澄江他編『成瀬巳喜男――透きとおるメロドラマの波光よ(映畫読本)』(「[対談]『浮雲』について 成瀬巳喜男高峰秀子」(「日刊スポーツニッポン」昭和29年12月24日)、「『浮雲』撮影台本より」、「金子正且 プロデューサーが語る、企画・キャスティング術」他所収)(フィルム・アート社)

林芙美子浮雲』(新潮文庫

*『日本文学全集41 岡本かの子林芙美子宇野千代』(筑摩書房

*『林芙美子全集16』(「「浮雲」あとがき」所収))(文泉堂出版)

*『マルグリット・デュラス 生誕100年愛と狂気の作家』(吉田喜重「モラルと反モラルのはざまで」、郷原佳以「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」所収)(河出書房新社

*『ユリイカ 増頁特集 マルグリット・デュラス』(ミッシェル・フーコー/エレーヌ・シクスス「外部を聞く盲目の人デュラス」、ジャック・ラカンマルグリット・デュラス賛――ロル・V・シュタインの歓喜について」、瀬戸内寂聴「デュラス、愛と孤独」所収」(青土社

*デュラス『愛人 ラマン』清水徹訳(河出文庫

*デュラス『私はなぜ書くのか』聞き手レオポルディーナ・パッロッタ・デッラ・トッレ、北代美和子訳(河出書房新社

瀬戸内晴美前田愛『対談紀行 名作のなかの女たち』(「『放浪記』と林芙美子」所収)(角川選書

*『ちくま日本文学020 林芙美子』(「解説 慰藉の文学 田辺聖子」所収)(筑摩書房

田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子 秋灯机の上の幾山河』(朝日新聞社

田辺聖子『ほのかに白粉の匂い 新・女が愛に生きるとき』(「冷酷な男の色気――林芙美子浮雲』の富岡」所収)(講談社文庫)

菅聡子林芙美子『戦線』「北岸部隊」を読む ―戦場のジェンダー、敗戦のジェンダー」(「表現研究」92号)

林芙美子『戦線』(中公文庫)

林芙美子『北岸部隊』(中公文庫)