オペラ批評 プッチーニ『トスカ』に関するノート

f:id:akiya-takashi:20200211164216j:plain f:id:akiya-takashi:20200211164307j:plain

f:id:akiya-takashi:20200211164326j:plain

 

 一九〇〇年にプッチーニのオペラ『トスカ Tosca』がローマで初演されるや、ワーグナー崇拝が濃い北ヨーロッパの評論家、音楽家たちはこぞって批難した。グスタフ・マーラーの「巨匠の駄作」、リヒャルト・シュトラウスの「たちの悪い札つきの低俗作品」、ユリウス・コルンゴルトの「最も腹黒い恐怖からなる大げさな芝居」「苦悩のドラマ」、オスカー・ビーの「好意を装った虐殺者の仕業、冷笑を浮かべながらの殺人」、リヒャルト・シュペピトの「嘘つきな通俗劇場」、アンドレ・メサジュの「音楽がほとんど自分を見出すひまもないほど、矢継ぎ早に進む筋を喘ぎながら追いかけ(なければならない)」、悪しき意味合いを込めての「ヴェリズモ」「南国的劇場オペラ」「血まみれのスリラー・ドラマ」と悪評は長く続いた。(アッティラ・チャンパイ「拷問部屋と協和音――プッチーニの《トスカ》と歌唱オペラの危機」より)

 けれども、『トスカ』は不動の人気を保ち続け、現在でも有名オペラハウスのシーズン・オープニングを飾ってやまない。なぜ人々を魅了し続けるのか。

 音楽的には、ワーグナーが活用したライト・モティーフ(動機)の応用で、幕開けの「スカルピアの動機」からはじまり、「トスカの登場の動機」「拷問の動機」など何十ものライト・モティーフが織りあわされ、情景描写を醸しつつ、スピード感(現代まで残るには極めて重要)をもって、追うものと追われるものの手に汗握る逆転が心はやらせる。第一幕幕切れ、「テ・デウム Te Deum」では、教会による戦勝を感謝する大合唱に、スカルピアの欲望のモノローグが臆面もなく重なって、荘厳な音楽と視覚的スペクタクルが相乗効果を生む。第二幕では、トスカのカンタータが外から聴こえてくると、被さるようにスカルピアがトスカへのサディスティックな性的欲望を歌いあげる。スカルピアがトスカを強迫、凌辱しようとする場面では、カヴァラドッシの処刑台を組立てる音がこだまし、演劇的な効果がいたるところに散りばめられている。第三幕冒頭の羊飼いが歌う牧歌的夜明けの情景は、血なまぐさい死の欲動の南国的ドラマに間奏曲として息抜きを与える。エンターテイメント性が綿密に練り込まれた現代風の、心躍らすミュージカル音楽とも、琴線に触れる映画音楽の「アンダースコア(背景に音楽を入れる)」を先取りしている(『風と共に去りぬ』のスタイナーの音楽を思い起そう)とも称されよう。そして、プッチーニ第一次世界大戦前後のスランプを越えた遺作『トゥーランドット』の未完の大詰めに象徴される「オペラの終焉」へ向けた、彼特有の永遠の「謎」を残す、世紀の変換期の到達点とも言えよう。

 だが、文芸的、演劇的、思想・形而上学的にはどのように受容されるべきか、いかなる批評が可能なのだろうか。

 

スタンダールパルムの僧院』の一八〇〇年>

『トスカ』の時代背景は一八〇〇年六月十七日、ナポレオンがマレンゴーの戦い(六月十四日)で勝利したとの報告が届くローマの一日で、ちょうど百年後の一九〇〇年一月十四日、同じローマでの初演として企画された。一八〇〇年のイタリア、ローマの歴史的、政治的状況は、「ナポリ国王フェルディナンド四世の王妃マリイ・カロリーヌに代表されるオーストリア帝国ハプスブルク家ナポリ=ブルボン王朝とローマ教皇の旧思想保守勢力」対「ナポレオン率いるフランス軍ヴォルテール、ルソーといった共和主義者による新思想革命勢力」の対立構造と解説書には書かれているが、一八〇〇年当時の、民衆、貴族らの精神状態、気質、情熱については、スタンダールの小説『パルムの僧院』を読むのがよい(惜しむらくはオーストリアにより近いミラノとパルムが主な舞台で、ローマではないことだが)。

 ロラン・バルトが遺稿「人はつねに愛するものについて語りそこなう」で賞賛した『パルムの僧院』の冒頭部分を引用する(バルトの賞賛理由は『トスカ』の本質と関係しているので後述する)。

《一七九六年五月十五日、ボナパルト将軍は、ロジ橋を渡ってシーザーとアレクサンダーが幾多の世紀を経て一人の後継者をえたことを世界に知らしめたばかりの、あの若々しい軍隊をひきいてミラノに入った。イタリアが数か月にわたって見てきた勇気と天才の奇蹟は眠っていた民衆の目をさました。フランス軍到着のまだ八日前まではミラノの人たちはフランス兵とはオーストリア皇帝軍にあえば必ず敗走する盗賊の集りとしか考えていなかった。少なくとも、汚(きた)ならしい紙に刷った掌(てのひら)くらいの大きさの小新聞が二三度そういうことをくりかえしていた。

 中世には、共和国のロンバルジア人はフランスに負けぬ勇気を示したものだ。そのためついに彼らの都市はドイツ諸皇帝によって完全に破壊されてしまった。さて彼らが忠実な臣民(・・・・・)となってからは、目ぼしい仕事といえば貴族や富豪の娘が結婚するときにばら色琥珀織(タフタ)の小さいハンカチに四行詩を刷りつけるといったことになってしまった。こういう娘が一生のたいせつな時期を経て二三年たつとそれぞれ忠実な騎士をもつようになる、ときには夫の家からちゃんと選んだ扈従(こじゅう)騎士(きし)の名が結婚の証書にれいれいしく載っていることさえあった。思いがけぬフランス軍到着があたえた深刻な感動は、こんな柔弱な風習とはおよそ縁遠いものだった。やがて新しい情熱的な風習が勃然(ぼつぜん)と起ってきた。一七九六年五月十五日に、全国民はいままで自分たちが尊重していたあらゆることは、じつにばからしく、ときにはいとわしいことだったと知った。オーストリアの最期の連隊が撤退すると同時に旧思想はまったく没落し、命を敢然と投げ出すことが流行しだした。数世紀間を味もそっけもない気持ですごしたのち、幸福になるためには祖国を現実的な熱情をもって愛し、英雄的な行為を求めねばならないことを人びとはさとった。シャルル・カン皇帝とフィリップ二世の猜疑(さいぎ)心のつよい専制政治によっていままで深い闇におしこまれていたのだ。その像をひっくりかえした。と、人々はたちまちかがやかしい光につつまれた感じだった。五十年来『百科全書』やヴォルテールがフランスで跳梁(ちょうりょう)するにつれて、僧侶たちはミラノの善良な市民にむかって読むことを習い世間の何かを知ることは無用の骨折りで、めいめいが司祭さんにとどこおりなく十分一税を納め、犯した小さな罪を忠実にざんげしてさえいれば未来は天国で結構にしていただけることはまず確実だと、声高く説いていた。(中略)

 一七九六年五月十五日にフランス軍がミラノに入ってから、一七九九年四月カッサノの戦いの結果追っぱらわれるまで、狂気じみた歓喜や、快活と官能の楽しみがはなはだしかったこと、あらゆる陰鬱(いんうつ)な感情、ただもう分別くさくなることさえも忘れられたことの証拠に、この期間には、陰気くさい顔をやめ、金儲(もう)けのことを忘れてしまった老千万長者、老金貸、老公証人たちを指摘できるほどだ。(中略)

 こうした熱狂と幸福の二年間がすぎると、パリの執政官政府は、権威の確立した君主づらをして、すべて凡庸でないものにはげしい憎悪を示しはじめた。政府からイタリア軍に派遣した無能な将軍たちは二年前アルコーレやロナートの異常な勝利をえたこの同じヴェロナの平原で、あいついで敗北した。オーストリア軍はまたミラノに迫ってきた。(中略)

 こうしてまた、ミラノ人がi tredici mesi(十三か月)と呼ぶ、反動と旧思想への復帰の時代がはじまった。こう呼ぶのはさいわいこの愚劣への復帰が、マレンゴーの戦いまで、十三か月しかつづかなかったからである。旧式で信心深くて陰気なすべてのものが再びあらゆることを支配しはじめ、社会の指導権をもつにいたった。まもなく保守主義に忠実だった連中は、ナポレオンがそうなる資格がじゅうぶんにあったごとく、エジプトでモメルク人に絞殺されたと村々に発表した。(中略)

 われわれの主人公の物語をはじめるにあたって、多くのきまじめな作家たちの手法にならい、まずその出生一年前から説き起したことを、作者は告白する。この主要人物というのは、ミラノでデル・ドンゴ小侯爵(マルケジノ)と呼んでいるファブリス・ヴァルセㇽラその人にほかならない。彼はちょうどフランス軍が撃退されているときにこの世に生れ、偶然にも、大貴族デル・ドンゴ侯爵の次男となったのである。父侯爵の蒼白い大きな顔や、意地の悪そうな微笑や、新思想にたいするかぎりない憎悪のことはすでに読者が知っておられる。一家の全財産は、父に生き写しの長子アスカニオ・デル・ドンゴに譲られることにきまっていた。この兄が八歳、ファブリスが二歳のときのことである。家柄のいい人たちがみなもうとっくに絞殺されたものと信じていたボナパルト将軍が、突如としてサン・ベルナール山を降ってきた。そしてミラノに入城した。これまた史上類をみない一瞬であった。全民衆がいかに熱狂したか想像していただきたい。その後、幾日もたたぬうちにナポレオンは、マレンゴーの戦いに勝った。その余のことはいうまでもない。ミラノ人の陶酔は絶頂にたっした。が、こんどの陶酔には復讐の念がまじっていた。この善良な民衆は憎悪ということを教えられていたからだ。》

 

<バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」の「神話」>

 ロラン・バルトは、スタンダールのイタリア、ローマ・ナポリフィレンツェをめぐる「旅日記」をめぐって、「人はつねに愛するものについて語りそこなう」というエッセイをタイプライターに挟んだまま不慮の事故で世を去った。

 バルトが『パルムの僧院』について語る「神話」は、ほとんどオペラ『トスカ』そのもののようだ。『トスカ』に、「英雄」ナポレオン・ボナパルト本人は姿を見せないが、第一幕、マレンゴーの戦いでナポレオンが敗戦したと教会の番人(堂守)が誤報し(史実としては、オーストリア軍のメラス将軍は、六月十四日昼過ぎに勝利を確信してウィーンに勝報を伝えたが、大逆転を受けて十五日に降伏する。ナポレオンが負けたとの一報はフランス、パリでも権力闘争騒ぎを引き起こす)、勝利の祝宴で歌姫トスカは歌を披露する。第二幕の拷問の場面で、実はボナパルトが勝利し、メラスは逃げたとの報が入り、「勝利だ、勝利だ!」と叫んだカヴァラドッシは処刑へ運ばれてしまうが、その間ずっとナポレオンは登場人物たちの心と脳の中を闊歩している。白馬にまたがった「英雄」ナポレオンの幻像を背景に見ている。そして「対立」には事欠かない、初めから終わりまで「対立」によってオペラは加速度的に幕切れへ急ぐ。『トスカ』は悲劇であっても「祝祭」のようではないか。

《イタリアへの愛を語っているが、それを伝えてくれないこれらの「日記」(これは少なくとも私自身の読後感ですが)だけを読んでいると、悲しげに(あるいは、深刻そうに)、人はつねに愛するものについて語りそこなうと繰り返すのももっともだと思うでしょう。しかし、二十年後、これも愛のねじれた論理の一部である一種の事後作用により、スタンダールはイタリアについてすばらしい文章を書きます。それは、私的日記が語ってはいたが、伝えてはくれなかったこの喜び、あの輝きでもって、読者である私(私だけではないと思いますが)を熱狂させます。この感嘆すべき文章とは『パルムの僧院』の冒頭の数ページのことです。フランス軍の到着とともにミラノに《侵入した大量の幸福と快楽》とわれわれ自身の読む喜びとの間に奇跡的な調和があります。要するに、語られる印象と生み出される印象とが一致するのです。どうしてこのような転回が生じたのでしょうか。それは、スタンダールが、「日記」から「小説」へ、(マラルメの区別を採用すれば)「アルバム」から「書物」へと移り、生き生きとした、しかし、構成不能の断片である感覚を切り捨て、「物語」という、もっと適切にいえば、「神話」という、大きな媒介的形式に近づいたからにほかなりません。「神話」を作るにはどうすればいいのでしょう。二つの力の作用が必要です。まず第一に、英雄です。偉大な解放者の姿です。それはボナパルトです。スタンダールが、もっとみじめな姿でしたが、自分自身で体験したように、サン=ベルナール峠を下って、ミラノに入り、イタリアに侵攻するボナパルトです。次に、対立です。アンチテーゼです。つまり、範列(パラデイグム)です。それは、「アルバム」には欠けていて、書物に属する「善」と「悪」との戦いを、すなわち、意味を登場させます。『パルムの僧院』の最初の数ページでは、一方に、倦怠、富、吝嗇、オーストリア、「警察」、アスカニオ、グリアンタがあり、もう一方には、陶酔、ヒロイズム、貧困、「共和国」、ファブリス、ミラノがあります。とりわけ、一方には、「神父」が、もう一方には、「女性たち」がいます。「神話」に身を委ね、書物に身を任せて、スタンダールは、かつて、いわば、アルバムではしくじったこと、つまり、印象の表現を見事に回復したのです。この印象――イタリアの印象――はついに名前を持つに至ります。それはもう、「美しい」というような、きわめて平板な名前ではありません。それは祝祭という名です。イタリアは祝祭です。これこそが『パルムの僧院』のミラノでの序幕がついに伝えてくれたものです。》

 

「善」と「悪」の「対立」の問題は後でとりあげるが、《一方には、「神父」が、もう一方には、「女性たち」がいます》の「女性たち」にはトスカと、アッタヴァンティ侯爵夫人が相当する。「善」の側の侯爵夫人は兄アンジェロッティの逃亡を幇助し、たまたまカヴァラドッシが描く「マグダラのマリア」像のモデルとなり、紋章の入った扇子を残すことでトスカの嫉妬を誘引してしまう重要な役割を果たすものの、舞台上には登場しないことで、かえって観客の想像力は嫉妬するトスカと同一化する。

 この消去法をさらに推し進めて、ドラマの複雑化を避けるためであろう、戯曲で大活躍する「悪」の側のマリイ・カロリーヌ王妃にいたっては、オペラでは登場はおろか言及すら一切されない。

 もう一方の「神父」には第一幕の大詰めでの枢機卿の登場、壮大な大合唱「テ・デウム Te Deum」の聖なる儀式が託されている。

 

三島由紀夫の「劇場といふ祭壇に捧げられたミサ曲」「可憐なるトスカ」>

 戯曲『トスカ』の原題はヴィクトリアン・サルドゥ作『ラ・トスカ La Tosca』で、一八八七年、サラ・ベルナールラシーヌのフェードル役などで名高く、プルースト失われた時を求めて』で話者に多大な影響を与える女優ラ・ベルマのモデル)をタイトル・ロールにパリで初演されたが、その本質を、脚本翻訳を潤色した三島由紀夫が公演プログラムで解説している。

《戯曲「トスカ」は文学的には二流の本だが、そのシアトリカル(劇場的)な効果は絶大の本である。サラ・ベルナアルや、音にきく十九世紀の名女優たちは、文学的には二流でも、おのれの技芸を最高度に発揮できる本を求めて、かういふ舞台効果そのものに集中した本を得たのだつた。この戯曲では、すべてがフットライトのために、壮麗な書割のために、名女優の一挙手一投足の光りかがやく顫動(せんどう)のために、劇場全体のわれを忘れた熱狂のために、きちがひじみた拍手のために捧げられてゐる。これはいはば、劇場といふ祭壇に捧げられたミサ曲である。(中略)

 内容は他愛がないといへばないが、熱血の革命党と残酷な圧政との対立、その背後にかがやくナポレオンのアルプス越え、全ヨーロッパの変革の嵐を背景にして、情熱そのもののやうな美しい歌姫の悲恋を、たえざるサスペンスを孕(はら)ませつつ描いて、事件は一直線に高まって破局に達し、アレヨアレヨとばかり、退屈する暇がない。(中略)

 日本での「トスカ」の上演史は、原作そのままによる上演は、今回が最初であるが、明治初年にすでに、円朝の口演によつて紹介され、歌姫トスカを女狂言師に直した翻案物として、「舞扇恨之刃」といふ外題の歌舞伎になつたことがあるさうだ。その後の、歌劇トスカの再々の上演も入れれば、「トスカ」が、日本人に親しまれてきた歴史はかなり古い。この愛すべき女の嫉妬が捲き起す悲劇は、「道成寺」以来、女の嫉妬の舞台表現を愛してきた日本人の、心をそそるものがあつたのであらう》(なお、本上演が本邦初演としているが、松居松葉訳「トスカ」が大正二年六月に川上貞奴らによって上演されている)

 

 さすが三島は鋭い。《戯曲『トスカ』は二流の本だが、そのシアトリカル(劇場的)な効果は絶大》だというのは、プッチーニのオペラでは更に数段高められている。《すべてがフットライトのために、壮麗な書割のために、名女優の一挙手一投足の光りかがやく顫動(せんどう)のために、劇場全体のわれを忘れた熱狂のために、きちがひじみた拍手のために捧げられてゐる。これはいはば、劇場といふ祭壇に捧げられたミサ曲である。(中略)内容は他愛がないといへばないが、熱血の革命党と残酷な圧政との対立、その背後にかがやくナポレオンのアルプス越え、全ヨーロッパの変革の嵐を背景にして、情熱そのもののやうな美しい歌姫の悲恋を、たえざるサスペンスを孕(はら)ませつつ描いて、事件は一直線に高まって破局に達し、アレヨアレヨとばかり、退屈する暇がない。》とは、三島らしい語彙による的確な指摘である。

 とりわけ「劇場といふ祭壇に捧げられたミサ曲」との形容は、『トスカ』の「聖性」と「悪」の悲劇的な婚姻関係、「死の欲動」を見事に言いあてている。オペラでは戦勝を祝う「テ・デウム Te Deum」で教会が感謝を捧げるなか、国家権力の暴力装置を司る警視総監スカルピアはトスカへの性的欲望を蝮(まむし)が絡み合うように恥じらいもなく歌いあげる。

 チャンパイが、《プッチーニはスカルピアの活動とカトリック教会の儀式の間に音楽的にも作劇手法的にもいくつもの結合線を引いて、紛れようもなくはっきりとした社会批判的アクセントを置いている。スカルピアの血なまぐさい警察テロと倒錯した性的幻想が、聖なる儀式のわく内の神聖化された土壌で育まれる。

 このようなわけで作曲者と台本作者は、スカルピアのサディスト的渇望に対して、第1幕の壮大な大詰め場面での100人の咽喉から響きわたる「テ・デウムTe Deum」で、音楽的雰囲気と共に精神的環境も形成する》とはこのことだ。

《熱血の革命党と残酷な圧政との対立、その背後にかがやくナポレオンのアルプス越え》とは、バルトが指摘した「対立」と「英雄」による「神話」に他ならない。

 

 チャンパイは「妨害」が重要な要素だとの卓抜な見解を示したが、「妨害」は「対立」があってこそだ。それは「侵犯」という見立てもできよう。

《『トスカ』のストーリーで一番多く用いられ、しかも最も重要な演劇作法的構成手段は妨害である。これは全編にわたって挿入されていて、モノローグやディアローグがまだ終らないうちに、新しい場面の突然の開始や、人物の予期しない登場によって中断され、強引にさえぎられる。ロマンティックな俗受け作品のこの基本原則は、脚本原案段階で有力だった。つまり舞台の強いコントラスト効果が緊張をもたらし、ストーリーを先へ先へと進めてくれる。オペラでは、ふつう妨害によって演奏のきっかけが作りだされる。ベルリーニBelliniやドニゼッティDonizettiの作品、初期と中期のヴェルディのオペラのカバレッタは、例外なく、使者や召使いなどの突然の登場によって妨げられる。(良かれ悪しかれ)扇情的な知らせによって、主人公はそのつど驚き、続いて感情を爆発させる動因がもたらせられるのである。従って、妨害はたいてい音楽を引き起こすという意図を持っている。ところが『トスカ』では全く事情が違っている。妨害は正反対の目的、つまり阻止、歌唱の唐突な中断、人物と場面の感情面での後退のために使用されている。このオペラでは絶え間のない妨害が歌唱に向けられ、しかも演劇作法的な審美的意図をもっている。それらは、登場人物の感情の流れを中断し、またその歌唱をもおびやかす。》

 

「対立」とは、ロラン・バルトラシーヌ論』における「逆転」でもある。

《舞台上演たる悲劇の仕掛けは、神の摂理に基づく形而上学のそれと同一だということである。すなわち、逆転である。すべてのものを反対のものに変えてしまうこと(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、それは神の権力の処方であると同時に、悲劇の定石にほかならない。(中略)純粋な行為として、逆転にはいかなる持続もない。それは点であり、電光の炸裂であり――古典期の用語で言えば、「突然の行為・事件」(coup)と呼ばれるもの――、ほとんど、同時性(・・・)と言ってよいものである。(中略)《運命》は、まるで鏡に映ったもののように、いかなるものをもその正反対の姿へと導く。逆転させられても世界は存続するのであり、ただ世界の構成要素の意味(・・)=方向(・・)が、入れ替わるだけだ。打ち倒された主人公を恐怖せしめるのは、まさにこの対立の相称(シンメトリー)の自覚にほかならない。(中略)彼が変化の極限=絶頂と呼ぶものは、常に命運をまさしく(・・・・)正反対の位置へと導くかに見える、あのすべてを知った力のことだ。(中略)世界は、悪意によって支配されており、それは幸せのなかにさえも、その否定的な核心を探しに行く術を心得ている。悲劇の世界の構造は、あらかじめ構図ができており、ために世界は、絶えず不動性のなかに沈められてしまう。対立の相称(シンメトリー)は、調停の不在と、挫折と、死と、不毛性の造型術にほかならない。

 悪意は常に明確であり、そこから人は、ラシーヌ悲劇を悪意の芸術だと言うこともできる。神が対立の相称(シンメトリー)を操るからこそ、神は見世物を与えてくれる、すなわち人間が押し潰されて沈んでいく光景の見世物である。》

 

 文学座の上演プログラムを「可憐なるトスカ」と題した三島の文章は、「世界」と「悪意」に向き合うトスカを表現しているのではないか。そしてプッチーニのオペラ『トスカ』もまたラシーヌ悲劇と同じく「悪意の芸術」ではなかったか。「悪意の芸術」家に違いなかった三島は生理的によくわかっていた。

《従つて私は、大詰の、投身自殺直前のトスカに、もつとも興味を惹かれる。ここに、この錯誤悲劇が真の悲劇にいたる重要なモチーフが伏在してゐる。投身自殺直前のトスカは、全世界を敵にしてゐる。恋人はすでに殺され、この世にもはや希望もなく、トスカは自分が人生で果した役割が何だつたのか、最後の結着を迫られる。今まで彼女は無意識に、奔放に、野生の命ずるままに恋を貫ぬき、(この点でトスカは「貞節カルメン」ともいふべきか)、自分に対する誠実によつて一直線に行動したのだが、その結果はすべてイスカの嘴と喰ひちがひ、かくて死の直前に、はじめてトスカは自分の役割を意識することになる。そのトスカこそ、可憐なトスカではなく、悲劇のヒロインとしての壮大なトスカである。

 投身直前のトスカの目には、もはや恋人の亡骸も映らず、絶対の拒否を以て世界に直面してゐる。作者のサルドゥはそこまで書いてゐないかもしれないが、潤色者の私はどうしてもさう思ふ。そしてトスカなる女性は、この汚れた権力の争奪の世界を一筋の純愛で引つかきまはさうとして立ち現はれたイタリアの民衆の力の、その力の霊媒であつたかもしれないのだ。》

 

啓蒙主義ロマン主義/理性の不安/「カントとサド」>

 一八〇〇年の歴史的、精神的状況はどうであったのか。

『トスカ』の「対立」は、思想・哲学的には一七〇〇年代中ごろに顕在化しつつあった「亀裂」の顕在化といえる。

 柄谷行人は、《カントが啓蒙主義ロマン主義の「間」に立っていた》と論じている。

《カントが『視霊者の夢』を書いた一七六〇年代には、ライプニッツ形而上学には埋めようのない亀裂があいていた。ライプニッツにおいて感性と理性が連続的な進化の段階にあるとしたら、この亀裂は、感性と悟性の間にある。(中略)

 この「亀裂」を具体的に象徴したのは、一七五五年十一月十一日のリスボン地震である。ヨーロッパですべての聖人たちを祭るこの日、まさに信者が教会で礼拝していたときに起こったため、この地震は神の恩寵に対する疑いを巻き起こした。それは大衆的なレベルにとどまらず、文字どおり、全ヨーロッパの知的世界を震撼させた。たとえば、ヴォルテールは数年後に『カンディード』を書き、ライプニッツ的予定調和の観念を嘲笑し、ルソーも、地震は人間が自然を忘れたことへの裁きであると書いている。そのなかで、カントは地震に対して一切の宗教的な意味を与えることを拒絶し、その自然科学的原因と耐震対策を説いた。にもかかわらず、別の意味で彼がそれに揺すぶられたことは疑いがない。それは二つの面から言える。第一に、哲学を二度と瓦解しないような建築にしようとするカントのメタファー(建築術)はそこから来ているといってもよい。第二に、先に述べたように、この地震を予言した視霊者スウェーデンボルグの「知」に惹きつけられたことである。

 しかし、以後の長い沈黙のあとに発表された『純粋理性批判』には、一見してこうした「問題」は消えている。それをむしろ後退として見るべきだろうか。もしこの本が、ライプニッツ的な合理論とロック的な経験論への批判として書かれたと読むなら、そう見えるだろう。しかし、彼はそれとは違った文脈に生きていたはずである。たしかにカントは、経験論と合理論の「間」に立っていた。彼は合理論者から見れば経験論的であり、経験論者から見れば合理論者である。むろん、誰もがいうように、彼はそのいずれでもない。しかし、むしろ注目すべきことは、彼が啓蒙主義ロマン主義の「間」にも立っていたことである。

 カントの芸術論(『判断力批判』)は、美を主観性において見いだすことにおいてロマン主義的であり、事実、ロマン主義美学の基盤を与えている。しかし、厳密には、彼は古典主義とロマン主義の「間」に立っている。それは、ゲーテが古典主義的であると同時にロマン主義的であるといわれるのと、或る意味で似ているだろう。しかし、カントが古典主義とロマン主義の「間」に立っていたと私がいうのは、彼がそれらの過渡期に生きていたという意味ではなく、それらのいずれをも「批判」する視点に立っていたという意味である。

 カントが啓蒙主義ロマン主義の「間」に立っていたというのも、同じ意味である。彼がロマン主義者から見れば啓蒙主義者であり、啓蒙主義者から見ればロマン主義者と見えることは疑いがない。》(柄谷行人「探究Ⅲ」)

 

 スウェーデンボルグを前にしたカントの揺らぎを柄谷は次のように捉える。

《カントがこうした理性の欲動を見いだしたのは、『形而上学の夢によって解明されたる視霊者の夢』(一七六六年)においてである。これは、スウェーデンの視霊者スウェーデンボルグを論じた論文である。彼は基本的に、視霊という現象を「夢想」あるいは「脳病」の一種と見なしている。そこでは、ある思念が感官を通して外から来たかのように受けとめられている。だが、このヴィジョンはその鮮明さにおいて、知覚にあることがあるし、実際にそれらは区別できない。形而上学も同じことではないかと、カントはいう。なぜなら、形而上学は、なんら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように扱っているからである。このエッセイは、その意味で「視霊者の夢によって解明されたる形而上学の夢」であるといってもよい。

 しかし、彼はスウェーデンボルグの「知」を否定すると同時に、それを否定することができない。霊という超感性的なものを感官において受けとることは、たんに想像(妄想)でしかないが、他方、霊が直観されるということは、構想力による錯覚が混じっているにせよ、それをもたらす霊の影響を推定することができないわけではない。しかし、カントは態度を決定できない。彼は、それを精神錯乱と呼んだにもかかわらず、「視霊者の夢」を真面目に扱わずにいられない。同時に、そのことを自嘲せずにもいられない。(中略)

 この『視霊者の夢』に、カントの「批判」の先駆を見いだせることはいうまでもない。すでに、ここで、彼は、主観によって構成された外部(現象)とそうでない外部(物自体)の区別について語っている。あるいは、恣意的な空想と、ヌーメナルなものを感性的に把握する構想力との区別――それはのちに、自由と自然を媒介するものとして「判断力」を措定することにつながるだろう。しかし、『視霊者の夢』を特徴づけるのは、たとえば、スウェーデンボルグを肯定すると同時に、肯定する自分を嘲笑するというような書き方である。》(柄谷行人「探究Ⅲ」)

 

 十九世紀まで俗悪なだけと言われてきたサドが二十世紀に入ると、アドルノ(『啓蒙の弁証法』)、クロソウスキー(『わが隣人サド』)、バタイユ(『エロティシズム』)、ブランショ(『ロートレアモンとサド』)、ボーヴォワール(『サドは有罪か』)、フーコー(「侵犯への序文」)、ラカン(「カントとサド」)、ドゥルーズ(『ザッフェル=マゾッホ紹介』)、パゾリーニ(『ソドムの市』)、バルト(『サド、フーリエロヨラ』)らによって評価が逆転した。

カントとサドが同時代人であると伝えるラカン精神分析の倫理』の、メビウスの輪のような言説を知ろう。

《ショックを与えて皆さんの目を開かせるために――そういうことは我々の進歩に不可欠ですが――ここでは次のことに注目していただくだけで結構です。つまり『実践理性批判』は『純粋理性批判』の初版の七年後、一七八八年に出版されましたが、その七年後の一七九五年、<テルミドール>(訳注:フランス革命期の一七九四年七月二七日(共和歴第二年テルミドール九日)にロベスピエール派を失脚させたクーデターのこと)の直後にもう一つの著作、『閨房哲学』と呼ばれる著作が出版されているということです。

 皆さんご存じのように、『閨房哲学』は様々な理由で有名なサド侯爵の著作です。彼のスキャンダラスな名声は、最初いくつかの不運に伴われていました。彼は二五年のあいだ囚われの身でしたから、彼に対しては権力が濫用されたと言うこともできます。(中略)サド侯爵の著作は、ある人々の目には一種の気晴らしの方法と見えるかも知れませんが、実はそれほど面白いものでもありませんし、最も評価されている部分などはきわめて退屈なものです。しかし、彼の著作が筋が通らないと言うことはできません。むしろそこではまさしくカントのクライテリアが、一種の反‐道徳とも言うべき立場を正当化するために強調されているのです。

 反‐道徳パラドックスは『閨房哲学』と題された作品においてきわめて筋の通ったやり方で擁護されています。ここにいらっしゃる方々を考慮すると、ここだけは是非ともお読みいただきたいのは、「フランス人よ、共和主義者たらんとせばいま一息だ」と題された部分です。

 この部分は、当時革命下のパリで暴れ回っていた小組織のパンフレットと考えられています。このアピールに続けてサド侯爵は、権威の失墜を考慮すれば――真の共和制の到来は権威の失墜からなるというのがこの著作の前提となっています――実現可能な一貫した道徳生活の最低限度とこれまで考えられてきたものとは正反対のものを我々の行動の普遍的格率とするように提唱しています。

 実際、彼はそれをなかなか見事に擁護しています。誹謗への賛辞が『閨房哲学』のこの部分の最初に見られるのも決して偶然ではありません。彼によれば、当然向けられるべきよりもさらに悪いものを誹謗は隣人に負わせるとしても、誹謗は決して有害なものではありません。というのは、誹謗は誹謗の企てに対して用心させてくれるからです。さらに彼は続けて、道徳的法則の基本的な命令を覆すことを徐々に正当化し、近親相姦、姦通、盗み、およびそれらに付け加えることのできるものすべてを褒めそやします。十戒が定めるあらゆる法の正反対を考えてみて下さい。そうすると首尾一貫したものが得られますが、それは最終的にはこうなります。「誰であろうと他者を我々の快楽の道具として享楽する権利を我々の行為の普遍的格率とすべし」。

 サドは、この法が普遍化されて、同意しようとしまいと、あらゆる女性を誰彼なしに自由に所有する権利をリベルタンに与えるとしても、逆にこの法は、文明化された社会が夫婦関係の中で課すあらゆる義務から女性たちを解放するのだということを、きわめて筋の通ったやり方で論証します。この構想は、サドが空想的に欲望の地平に措定している水門を全開にするものであり、誰もがその貪欲さを最大限に高め、実現することを要請されるということです。

 万人にこの解放がもたらされると、そこに現われるのが自然社会です。これに対する我々の嫌悪感は、カント自身が道徳的法則のクライテリアからは除外すると称したもの、つまり感情的な要素と見なすことができるでしょう。

 もし我々があらゆる感情的要素を道徳から除外し、我々を感情的に導くあらゆる案内を消去し失効させるなら、極限においてサドの世界は――たとえその裏面であり戯画であるとしても――あるラディカルな倫理、一七八八年に起草されたカントの倫理によって統治される世界の一つの可能な達成と考えることのできるものです。

 よろしいですか、リベルタンと呼ばれる人々が残した膨大な文献、快楽人間のそれに見いだすことのできる道徳の分節化のさまざまな試みにはカントの影響がはっきりと認められるのです。》(ラカン精神分析の倫理』(上))

 

 カント学者の坂部恵が、十八世紀の終りのカントの理性の不安を考察している。

ミシェル・フーコーは、『古典主義時代における狂気の歴史』において、サドの体現する「サディズム」という現象が、けっして、「エロスと同じだけ古い」ものではなく、まさに十八世紀のおわりという西欧の古典的理性の爛熟の時代に、「西欧的想像力のもっとも大きな転換の一つを構成する」集団的文化現象としてあらわれたのであること、すなわち久しく日常の理性的生活から隔離されいまや沈黙のうちに追いやられた「非理性」が、今度は世界のなかに姿をあらわす形象としてではなく、「ことばと欲望」(discours et désir)として、いいかえれば、「魂の錯乱、欲望の狂気、欲望の再現のない専横における愛と死との狂気じみた対話」としてふたたび姿をあらわしたものにほかならぬことをいい、(中略)ジャック・ラカンは、”Kant avec Sade”と名づけられた卓抜な小論において、カントの『実践理性批判』とその八年後に出されたサドの『閨房哲学』(La philosophie dans le boudoir)を対比させながら、『閨房哲学』は、まさに、『実践理性批判』の世界の底にかくされた「真実」を示すものにほかならぬこと、すなわち、カントの道徳の自律的主体を構成する一切対象にとらわれぬ形式的命法としての道徳法則は、サドのいわば主体なき思考としての幻想世界を生んだ果てしのない一種求道者的な欲望と、じつは、同一の欲望の変換過程の構造のなかに、表裏の関係をなすものとして位置づけうるものにほかならないことをあきらかにする。

 これらの見方は、いずれも、十八世紀のおわりといういわば光の時代、理性の時代ののぼりつめた頂点といってもよい時期におけるサドの存在がけっして偶然ではなく、むしろ、時代の必然的裏面あるいは陰画の部分にほかならぬことを示す点において、軌を一にするといってもよいだろう。》(坂部恵『理性の不安――サドとカント――』)

 

 スラヴォイ・ジジェクが『オペラは二度死ぬ』で、スカルピアについて言及しているが、スカルピアのサディズムは、時代の理性の不安の一症例であろう。

モーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』にでてくる二人の男は、自分のフィアンセに彼女たちが屈辱をうけるところを想像させたいのである。ポイントは、単にフィアンセの貞節を試すことではなく、人前でみずからの不貞行為に向き合わせることのよって彼女たちを困惑させることである(フィナーレを思い出そう。[彼らのフィアンセと]二人のアルバニア人が婚約したあと、二人の男は彼ら本来の服装で登場し、アルバニア人に変装していたのは自分たちであったことをフィアンセに教える)。ここで得体が知れないのは、女の欲望(それは堅忍不抜なものなのか、かりそめのものなのか)ではなく、男の欲望である。女性にそうした残酷な試練を受けさせる、二人の若い男の天邪鬼な心理とは、いったいいかなるものなのか。なぜ彼らは、平和で牧歌的な恋愛関係を混乱におとしいれるように強いられるのか。彼らは明らかに、フィアンセとよりを戻したいと思っている。しかし、彼らはあくまで、女性的欲望がはらむ虚栄心に直面してからでなければ、そうしないのである。このようにして彼らは、厳密な意味で、サド的倒錯者の立場にいる。彼らの目的は、欲望する主体の分裂を<他者>(犠牲者)の側に置き換えることである。つまり、あわれなフィアンセたちは、みずからの欲望に嫌悪感をおぼえるという苦痛を引き受けなければならないのである。

 後期ロマン派に典型的な悪漢(たとえば、プッチーニの『トスカ』に出てくるスカルピア)とともにわれわれが手にするのは、これとはまったく異質な関係構造である。それは、猥褻のかぎりをつくした第一幕のフィナーレだけでなく、第二幕全般にわたっても認められる。スカルピアはトスカを性的に支配したいだけでなく、トスカが彼の行為によって苦しんだり、無力な怒りを爆発させるところを見たいのである。「君はなんと私を憎んでいるのだろう!……私は、そんな君が欲しいのだ!」。スカルピアの望みは、自分の[欲望の]対象のなかに、無力な状態にされたことへの怒りからくる憎悪を発生させることである。彼が欲しいのは彼女の愛ではなく、むしろ、彼女がマリオへの――彼へのではない――愛のために彼に身を任せるという、徹底した屈辱行為なのである。彼の望みは、女性という対象への憎悪である。スカルピアの本当のパートナーは、女性によって欲望される/愛される男である。だからこそ、マリオが彼への愛からスカルピアに身をゆだねるトスカの姿を目にし、それを理由に彼女を罵倒/拒絶するとき、スカルピアは無上の勝利を手にすることになるのだ。スカルピアとヴァルモンの差異は、ここからでてくる。ヴァルモンは、女が身をまかせながら自己嫌悪におちいることを望むが、スカルピアは、女が彼を、つまり誘惑者を嫌悪することを望むのである。》

 

<「悪」の三つの形式/「根源的<悪>」/「エルサレムアイヒマン」>

 警視総監スカルピアや警部スポレッタにどのような「悪」を見るべきなのか。

 ジジェクが『否定的なもののもとへの滞留』の中で、カントの「悪」に関連して、「悪」の三つの形式を解説している。

《<悪>の第一の、最も穏やかな形式は、「人間本性の弱さ」への訴え掛けを通じて自己を表現する。私は自分の義務が何であるかを知っている。私はその義務を完全に承認している、しかし私はその呼び掛けにしたがい、「病理的」な誘惑に屈せぬほどには強くないのだというわけである。このポジションの誤りは、もちろんその底にある自己客体化の身振りにある。私の性格の弱さは、私の所与の[持って生まれた]本性の一部ではない。私の本性が何を許容しているのかを確証することができるような、メタ言語のポジション、自分自身の客観的な観察者のポジションに立つ権利は私にはないのだから。私の「自然な傾向性」が私の行動を決定するのは、自由で、自律的な存在として私がそれを承認するかぎりにおいて、それに対して私が一切の責任を負うかぎりにおいてである。この責任こそ<悪>の第一の形式が回避するものなのである。

 第二の形式は、比べものにならないほど危険であるのだが、第一の形式の転倒を行う。<悪>の第一の形式では主体は、自分の義務が何であるのかについての十分な概念をもちながらも、自分にはそれを実行する能力がないことを告白するのであった。ところが、この第二の形式では主体は、実際には病理的な動機づけによって導かれているのにもかかわらず、義務のために行動し、ただ倫理的関心にのみ動機づけられていると主張するのである。典型的な例は、実際には自分のサディスティックな衝動を満たしているだけなのに、子供たち自身の道徳的な向上に資するものと自らは信じて生徒をいじめる厳格な教師である。この自己欺瞞は第一の形式よりも深い、というのは主体が誤認しているのは義務の輪郭そのものなのだから。

 第三の最悪の形式は、特殊な道徳的な作用因としての義務に対する内的感覚、内的な関係の一切を主体が失ってしまい、道徳を利己的な「病理的」利害の追求を抑制するために社会が設けた単なる外在的なルールの一式、障害物の一式としか捉えなくなってしまうというものである。このようにして「正しい」「間違い」という概念そのものがその意味を失う。主体が道徳的ルールにしたがうとしても、それは、ただ単に苦痛を与えるその諸帰結を回避するために過ぎない。しかしもしも、彼が捕まることなく、「法を曲げることができる」なら、彼にとってはその方がずっといいのだ。この態度をとる主体が、何か残酷な、あるいは不道徳なことをしたといって非難されるときによく用いるいいのがれは、「法を破ったわけじゃない。難癖をつけるのはやめてくれ!」というものである。》

 

 スポレッタは第一の悪だろう(ところどころで人間性、弱さを見せる)。では、スカルピアは? ファルネーゼ宮殿の部屋で一人夕食をとるスカルピアは、窓外からの(誤った)戦勝の祝宴で歌うトスカの声を聴いて、モノローグ「彼女は来る」を征服の思いから歌うスカルピアはどうなのか? 第二の形式を明らかに越えている。第三の形式のような論理性はない。

 チャンパイは「スカルピア、すなわち応報でない偶然の死」と題して、スカルピアの「悪」を考察し、《スカルピアは、ベートーヴェンのピツァロPizarroから引用され、オペラでの市民拷問役人の長い系列の中でも最後のところに位置する最悪人の一人である。たしかに男爵ではあるが貴族的出生は何の役割も果たしていない。その精神は市民階級権力者の疾患を示す。つまりスカルピアは警官だからサディスト的なのではなく、サディストだから警官なのであるとベルナール・ボヴィエ‐ラピエールが、その試論に書いている》と書いているが、スカルピアの「悪」とは三つの形式を越えたもの、「根源的<悪>」とカントが定式化したそれではないのか。

 

 ジジェクモーツァルトドン・ジョヴァンニ』をとりあげながら「悪」について解説する。

《われわれがここでまのあたりにしているのは、もちろん、カントがその『理性の限界内の宗教』で初めて定式化した「根源的<悪>」の問題である。カントによれば、人間のうちに<善>へと向かう彼の性向に逆行する実定的な力が現前していることの究極の証拠となるのは、主体が彼自身のうちなる道徳<法[則]>を、彼の自尊心や自己愛を踏みにじる耐えがたいトラウマ的なプレッシャーとして経験することである。つまり、<自己>の本性そのもののうちにある何かが道徳<法[則]>に抵抗するのでなければならない、いいかえるならエゴイスティックで「病理的」な傾向を、道徳<法[則]>にしたがうとする性向よりも優位に置く何かが存在するのである。カントは、<悪>に対するこの傾きのア・プリオリな性格を強調している(これは後にシェリングによって展開される契機である)。私が自由な存在であるかぎり、私は、私のうちで<善>に抵抗する何かをただ単に客体化することはできない(たとえば、それは私には責任のとりようのない私の本性=自然の一部であるということによって)。私が自分の悪に対して、道徳的に責任があると感じるという、まさにその事実こそが、私が非時間的な超越論的行為において<善>よりも<悪>のほうを好む性向を与えるというかたちで、自分の永遠の性格を自由に選んだに違いないということを証拠立てているのである。これがカントが考えるところの「根源的<悪>」である。それは、あるア・プリオリなのであって、人間本性の、<悪>へと向かう経験的‐偶然的な性向にすぎないものではない。しかしながら、「悪魔的な<悪>」の仮説を退けることで、カントは根源的<悪>の究極の逆説から後退してしまっている――その内容に関しては「悪」であるにもかかわらず、倫理的な行為の形式的基準を完全に満たしてしまうような行為の不気味な領域から。そのような行為はいかなる病理的な考慮によっても動機づけられていない、つまりその唯一の動機づけの根拠は原理としての悪であり、それゆえに自分の命を犠牲にすることさえ厭わぬほどの、自分の病理的な関心=利害の根源的な破棄を遂行することができるのである。

 モーツァルトドン・ジョヴァンニのことを思い起こそう。コメンダトーレ(騎士長)の石像との最後の対面の場面で、ドン・ジョヴァンニは、彼の罪深い過去を悔い改め、否認することを拒むとき、根源的な倫理的な立場としか呼ぶ以外にはない何かを完成させるのである。そのときの彼の頑強さは、カント自身が『実践理性批判』で挙げた、代償が絞首台であると知るや否やすぐさま自分の情熱の満足を断念する覚悟を決めるリベルタンという例を、嘲笑いながら転倒させるかのようなのだ。ドン・ジョヴァンニは、彼を待ち受けているものが、ただ絞首台のみ(・・)であって、いかなる満足でもないということをはっきりと知っているまさにそのときに、自らのリベルタン的態度に執着する。つまり、病理的な利害の立場からするなら、なすべきことは改悛の身振りをかたちばかりしてみせるということであったはずだ。ドン・ジョヴァンニは死が近いことを知っている。したがって自らの行いを悔い改めたところで失うものは何もなく、ただ得るばかりである(つまり、死後に責め苛まれることを避けることができる)。しかし、彼は「原理にしたがって」リベルタンの反抗的なスタンスを一貫させることを選ぶ。石像に対する、この生ける死者(リヴイング・デツド)に対する、彼の不屈の「ノー」を、その内容が「悪」であるにもかかわらず、非妥協的な倫理的態度のモデルとして経験しないことなど、どのようにできようか。

 もしもわれわれがこのような「悪」である倫理的態度の可能性を受け入れるとするならば、根源的<悪>を、<善>への性向と同様に主観性の概念そのものに内属するものとだけ捉えるのでは不十分である。さらにいま一歩歩みを進めなければならず、根源的<悪>を<善>に存在論的に先立って、それ[<善>]のための空間を開く何かとして捉える必要がある。いいかえるならば、正確なところ<悪>とは何である(・・・)のか。<悪>とは、「死の欲動」に対する別名、つまりわれわれの通常の生の循環を脱線させてしまう<モノ>への固着に対する別名なのだ。<悪>によって、人間は動物的な本能のリズムから自らを引き剥がす。つまり、<悪>は「自然」な関係に対する根源的な転倒を導入するのである。》(ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』)

 

 

 アイヒマンはどうなのか。ハンナ・アーレントは『エルサレムアイヒマン』のなかで、《自分はこれまでの全生涯をカントの道徳の教え、特にカントによる義務の定義にのっとって生きてきたと彼が突然ひどく力をこめて言明した》というアイヒマンが、判事に質問されて、

《ところが誰もが驚いたことにアイヒマンはカントの定言的命令のおおよそ正しい定義を下してみせた。「わたしがカントについて言ったことは、わたしの意志の原理はつねに普遍的な法の原則となりうるようなものでなければならないということです」(中略)それから彼は、「最終的解決」の実施を命じられたときから自分はカントの原則に従って生きることをやめた、そのことは自覚していたが、自分はもはや「自らの行為の主人(あるじ)」ではなく、「何かを変える」ことは自分にはできないと考えて自分を慰めていたと説明を試みた。彼が法廷で言わなかったことは、この「国家によって犯罪が合法化されていた時代」――今は彼自身もそう言っていた――においてカントの公式をもはや適用し得ぬものとしてしりぞけてしまっただけでなく、これを次のように読み曲げていたということである。すなわち、汝の行動の原理が立法者の、もしくは国法の原則と同一であるかのごとく行為せよ、――あるいはハンス・フランクの述べた「第三帝国の定言的命令」――アイヒマンもこれを知っていたものと思われるが――にあるように、「総統(フューラー)が汝の行為を知ったとすれば是認するように行為せよ」と。カントにはもちろん、このような種類のことは全然言う気がなかった。反対にカントにとってはすべての人間はその<実践理性>を用いることによって、法の原理となり得る原理、法の原理となるべき原理を見出すのであった。しかしアイヒマンのこの無意識の歪曲が、彼自身が「凡人の日常の用に供するための」カント解釈と呼んでいたものと一致することは事実である。この日常の用においてカントの精神のうち残されたものは、人間は法に従うだけではあってはならず、単なる服従の義務を越えて自分の意志を法の背後にある原理――法がそこから生じてくる源泉――と同一化しなければならないという要求である。カント哲学においては、この源泉は実践理性である。アイヒマンのカント哲学の日常の用においては、それは総統(フューラー)の意志である。最終的解決の実施におけるおそろしく入念な徹底ぶりの多くは――これは典型的にドイツ的なものとして、あるいはまた完璧な官僚に特徴的なものとして人の目を引く徹底さであるが――、法を遵守するということは単に法に従うということだけではなく、自分自身が自分の従う法の立法者であるかのように行為することを意味するという、事実ドイツではごく一般的に見られる観念に帰せられ得るのである。少なくとも義務の命ずる以上のことをしなければならないという信条は、ここから来る。》

 

 第三帝国にあっては《総統の言葉は法律の力を持っていた》ということを何度となく説明しようと試みたアイヒマンの主張が認められるならば、戯曲の警視総監スカルピアにとっての総統ヒトラーはマリイ・カロリーヌ王妃だっただけではないか、ということになる。たかだか「悪」の第一の形式にすぎない弱き人間、「凡庸な悪」とさえ表現しうる人間にすぎないとばかりに。

 アーレントは、大多数の人間が、正常な欲望や傾向に反するので、殺さないこと、奪わないこと、隣人を死に赴かせないことのほうに、誘惑を感じていたにちがいなく、これらの犯罪すべての共犯者になりたくない、という誘惑を感じていたにちがいないのに、だが、なぜか、彼らは誘惑に抵抗して、殺してしまった、とアーレントらしい誤解を生みがちな逆説的言い回しで主張している。「だが、なぜか」こそが、「根源的<悪>」の由縁ではないのか。「凡庸な悪」と「根源的<悪>」は「だが、なぜか」によって背中合わせではないのか。

《人間の自然な欲望や傾向が時として殺人に向かうことがあるにもかかわらず、良心の声はすべての人間に「汝殺すべからず」と語りかけるものと前提しているのとまったく同じく、ヒトラーの国の法律は良心の声がすべての人間に「汝殺すべし」と語りかけることを要求した。殺戮の組織者たちは殺人が大多数の人間の通常の欲望や傾向に反するということを充分知っているにもかかわらず、である。第三帝国における<悪>は、それによって人間が悪を識別する特性――誘惑という特性を失っていた。ドイツ人やナチの多くの者は、おそらくその圧倒的大多数は、殺したくない、盗みたくない、自分たちの隣人を死におもむかせたくない(・・)(なぜならユダヤ人が死に向かって運ばれていくのだということを彼らはもちろん知っていたからだ、たとえ彼らの多くはその惨(むご)たらしい細部を知らなかったとしても)、そしてそこから自分の利益を得ることによってこれらすべての犯罪の共犯者になりたくない、という誘惑を感じたに相違ない。しかし、ああ、彼らはいかにして誘惑に抵抗するかということを学んでいたのである。》(アーレントエルサレムアイヒマン』)

 

 

<隠すことと現われること>

 作曲家ジャコモ・プッチーニと台本作者ジャコーザとイッリカの手慣れた三人組は、戯曲『ラ・トスカ』の原作者サルドゥと相談しつつも、戯曲の冗長な部分を大胆に削除、改変することで、オペラの密度を限りなく高めた。 

 登場人物は二十三人から九人(演技しない羊飼いを除けば八人)へ大幅に減らし、しかも主な登場人物はトスカ、カヴァラドッシ、スカルピアの三人で、第一幕にアンジェロッティと教会の番人(戯曲ではヱウゼヱベとゼッナリイノという名を持つ二人で、冒頭に掛け合いで時代・人物の背景説明をするが、オペラでは一人に集約され名前も与えられない)、そして警部スポレッタに、脇役の憲兵シャローネと看守が絡むだけだ。

 全五幕は三幕になり、場面や出来事の、時間的、空間的入れ替えによって緊迫感を持たせ、ドラマティックになっている。

 戯曲第二幕「パラッツオ・ファルネーゼの祝宴の場」と第三幕「マリオの別邸」を概ね省略し、必要な部分のみオペラ第一幕「サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会」と第二幕「パラッツオ・ファルネーゼ、スカルピアの部屋」に「同時性」の劇的効果を狙って移動(例えば、マレンゴーの戦いのナポレオン勝利の報を戯曲第二幕の祝宴の場からオペラ第二幕のカラヴァドッシ拷問の場面に、スカルピアが扇子によってトスカの嫉妬心を煽る場面を戯曲第二幕からオペラ第一幕へ、など)。

「同時性」の最大効果は、トスカがカヴァラドッシの死に気づく直後の、「刺し殺されたんだ! スカルピアが? 女はトスカだ! 逃がすな」の声が外から聞えてくる場面だろう(オペラ『トスカ』は、トスカの外からの声「マリオ! マリオ! マリオ!」で始まることを思い出そう)。

 戯曲第四幕「カステル・サンタンジェロ、スカルピアの部屋」をオペラ第二幕「パラッツオ・ファルネーゼ、スカルピアの部屋」に収斂。

 しかし削除することで、なくなったわけではない。かえって、隠すことで演劇的効果がより強く現われる。あたかも藤原定家「見渡せば花も紅葉 もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮」の「見せ消ち」のように。

 

 フロベールボヴァリー夫人』の第二部の終り近く、恋人レオンとの逢引を描くフロベールが「隠すことと現われること」のイリュージョン技法を駆使しているとジジェクは論じる。

 エンマはルーアンでオペラ『ランメルモールのルチア』を田舎者の夫と観劇したさい、旧知のレオンと偶然出会う。翌々日には大聖堂で逢引し、馬車に乗るよう促された。

《恋人たち二人が馬車に乗り込み、御者にただ街中を走り回るように命じたあと、われわれは馬車の完全にとざされたカーテンの背後で何が起こっているのかを聞かされることはない。後のヌーヴォー・ロマンを思い起こさせるディテールへのこだわりをもって、フロベールは馬車が当てもなくさまよう周囲の都市の様子をただひたすら描写していく。舗装された通り、教会のアーチ、等々――ただひとつの短いセンテンスだけが、ほんの一瞬、カーテンから突き出した何もつけていない手に言及するだけである。この場面は、「公式」の機能としてはセクシュアリティを隠すはずの言葉が、実際には、その秘密の出現=現われを生み出すという、あるいは、フーコーのテーゼがそれへの批判として目論まれて当の精神分析の用語を用いるなら、「抑圧された」内容は抑圧の効果であるという、『性の歴史』第一巻におけるフーコーのテーゼをあたかも図解するかのようにできている。作家のまなざしが、どうでもよい退屈な建築のディテールに限定されればされるほど、われわれ読者は責め苛まれ、馬車の閉ざされたカーテンの背後の空間で何が起こっているのかを知りたいという熱望に駆られる。『ボヴァリー夫人』をめぐる裁判で、この作品の猥褻性の一例としてまさにこのパッセージを引いたとき、検事はこの罠に掛かってしまった。フロベールの弁護士にとって、舗装した道や古い家の中性的な描写にはいささかも猥褻なところはないことを指摘するのは容易なことであった。いかなる猥褻性も、カーテンの背後の「本当の[現実の]ものreal thing」に取り憑かれた読者(この場合は検事)の想像力にその存在をすべて負っている。今日われわれには、フロベールのこの方法がきわだって映画的(・・・)に思えるのは、たぶん偶然ではないだろう。それはあたかも、映画理論が「視野外hors-champ」と呼ぶもの、まさにそれ自身の不在において見られうるもののエコノミーを組織するものである。視野に対する外在性を利用しているかのようなのだ。》(ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』)

 

 たしかに『トスカ』は、「視野に対する外在性を利用し」、観客の「想像力にその存在をすべて負って」映画的である。

 以下、三島潤色の戯曲から適宜引用し、オペラでいかに「隠すことと現われること」が処理されて効果を発揮しているかを見てゆく。

 

<マリイ・カロリーヌ王妃の命令>

『トスカ』は全体に史実に忠実で、登場人物たちもモデルがいたとされている。オペラの舞台に登場することはないが、戯曲では大活躍のマリイ・カロリーヌ(マリア・カロリーナ)王妃(女王)は、夫のナポリ国王フェルディナンド4世が病弱で政治に関心がなかったことから牛耳っていた。オーストリア帝国マリア・テレジア女帝の娘で、一七九三年にフランス革命で断頭台の露と消えたマリー・アントワネットのすぐ上の姉にあたる。ナポレオンがローマにローマ共和国を、その翌年にナポリ王国を倒してパルテノペア共和国を樹立するとナポリから追い出されてしまうが、ナポレオンの撤退とともに勢力を回復し、ローマが教皇の権力下に戻ると、反動政治を操って共和主義者を一万人投獄し、千人以上処刑したとされる。

 戯曲《マリイ・カロリイヌ どう、アンゼロッティについて、何かしらせでも?

スカルピア 陛下、それがまだ、しかとは、ローマにをらぬことは確かでございますが。

マリイ・カロリイヌ この事件が、命とりにならぬやう気をおつけ。お前には敵が沢山あるから。

スカルピア 陛下と同じ敵でございますな。

マリイ・カロリイヌ さういふ人たちがお前の悪い噂をね。

スカルピア 女王陛下に悪声を放つ輩(やから)は、容赦なく引括(ひつくく)つてをります。

マリイ・カロリイヌ アンゼロッティは、一年も牢に入つてゐたのに、お前の赴任一週間後に、もう牢破りが出来たと、世間では云つてゐるさうな。》

《群衆の声 女王陛下、万歳! (続いて)アンゼロッティ!……アンゼロッティ!……殺してしまへ!……

(中略)

群衆の声 スカルピア!……斃(たふ)せ、スカルピア!

マリイ・カロリイヌ (前と同じく)今度はお前の首だわ。(列席者笑ふ)

スカルピア (冷然として、そして、左手にカプレオラ、トリヴルチェ、及びその他の彼を嘲笑する一群を傲然と見つめながら)醜い、きたならしい人民ども。(叫び声は少しづつ静まり、音楽は尚ほ続く。スカルピア、独りテーブルの前に再び来る。他のすべての者は、或ひは起ち、或は坐つて、広場の方にむいてゐる)アンゼロッティをとりにがせば、次はこの俺が不興を蒙(かうむ)るばかり。腑抜けの大宮人どもが、この俺のつまづくのを待つて喜んでゐる。しかしおそろしいのは女王ぢやない。むしろハミルトンのあま(・・)だ。あの女、アンゼロッティの頸(くび)を締める喜びをのがしたとなれば、今度はこつちへかかつてくる。》

 

 この件があると、スカルピアは主人に従う悪の第一の形式となるが、オペラではより悪の強度を高めて劇的にしている。すべては劇的であること、が優先されるから、《群衆の声 女王陛下、万歳! (続いて)アンゼロッティ!……アンゼロッティ!……殺してしまへ!》といった、長く教皇の支配を受けたローマの庶民、群衆の信心深い保守性は、冒頭の教会の番人(堂守)の呟き程度に抑え、「善」「悪」の境界がぼやけてしまう役柄の錯綜は許さなかった。

 

 戯曲では、スカルピアが恐れる人間はマリイ・カロリーヌの他にもう一人いる。

《しかしおそろしいのは女王ぢやない。むしろハミルトンのあま(・・)だ。あの女、アンゼロッティの頸(くび)を締める喜びをのがしたとなれば、今度はこつちへかかつてくる。》と唾棄した「ハミルトンのあま(・・)」である。戯曲でアンジェロッティは、初対面(オペラでは旧知)のカヴァラドッシに、昔ロンドンで、エンマ・リヨンという娼婦まがいの女と関係を持ったが、その後、女は英国大使ハミルトン卿夫人にのし上がってレディ・ハミルトンとなった、女はカロリイヌ王妃の威光を借りて革命党弾圧を煽動した。自分は出来心からこの女に挑んでやろうと女の素性を喋ったので家宅捜査され、ヴォルテールの著作を本棚に差し挟む陰謀によって三年間の服役をくらわされた、とながなが自己紹介する。

 オペラで、マリイ・カロリーヌ以上にレディ・ハミルトンがオペラで消されている理由を述べることはもう不要だろう。

 

<ルソー『新エロイーズ』>

 戯曲ではルソーと『新エロイーズ』の逸話が登場するけれど、オペラでは隠されている。

 戯曲《フロリア(トスカ) よござんす、どうせ私のいふことなんぞ茶化しておしまひになるんだから。でもそれが一番私は苦になるの。あなたつて、本当は心はいゝ方なのに、考えへ方が悪いのね。ヴォルテエルの本なんか読むんですもの! それにまあ、怖ろしい。この間下さつたもう一冊のあの本。

マリオ(カヴァラドッシ) 「新エロイーズ」か。

フロリア いつもざんげをきいていただくカラファ様にお話ししたら、「早くそんなけがらはしい本を焼き捨てないと、その本があなたの身を焼くことになる」と仰言つたわ。

マリオ で、焼いちやつたのか?

フロリア いいえ。

マリオ よかつた。僕の大事にしてゐる本なんだから、あれは、ルウソウから父への贈物なんだ。

フロリア 私、あれを読んだわ。でもあんな本、ちつとも身を焼いたりしなかつたわ。だつて何でもないんですもの。

マリオ (半ば横になるやうに、フロリアに寄りそひ、足場の上で)そりやさうだ。

フロリア おしやべり揃ひね。あの中へ出てくる人たちは、しじゆう口を利いてるくせに、ちつとも愛し合はない。》

 

 戯曲のトスカは、三島由紀夫が「可憐なるトスカ」で形容した野育ちとはいえけっこう弁が立ち、しっかり者なのに対して、オペラでは美徳が高められている。一方のカヴァラドッシは、第一幕で「さまざまな美の隠れた調和」、「巧みはその神秘の中でさまざまな美を融け合わす」などとアリア「妙なる調和」を歌い、政治思想的に穏健で、美に殉じる純情な人間にすぎないことが強調されている。第三幕のサン・タンジェロ城の牢獄で、死を前にしたカヴァラドッシは、トスカとの永遠の別れを惜しんでアリア「星は光りぬ」を甘く歌いあげる。こういった二人の間に危険思想としてのルソーおよび『新エロイーズ』の出番はない。

 それでも、ドゥルーズが『新エロイーズ』について、

《美徳への愛とは、状況に逆らって善性を保ち続けようとすることである。この自然的善性は美徳ではなく、美徳への愛に他ならない。

 これこそ『新エロイーズ』の問題である。ジュリは善良であり、彼女の父も同様だ。しかし、彼女らの置かれた客観的な社会的状況ゆえに、ジュリは過ちを犯さずにはサン=プルーを愛することはできない。サン=プルーも過ちを犯さずにはジュリを愛することができない。彼らに残っているのは美徳への愛である。これは道徳的な問題である。》(ドゥルーズ『基礎づけるとは何か』(「ルソー講義 1959-1960 ソルボンヌ」)

と語ったように、「美徳への愛」という観点から、オペラで一言ぐらいあってよさそうなものだが、ここでも複雑化と政治思想を避けたのだろう。

 

 カヴァラドッシの出自説明がオペラにないことも同じような理由だろう。

 戯曲《ヱウゼヱベ(教会の番人) いやいや、わしのはうがよく知つてる。わしが若いころに名の高かつた、あの人のお父さんから云へば、そりやあ、ローマ人とも云へるだらう。だがおつかさんはパリー生れでそつちの血筋からはフランス人さ。》

《ヱウゼヱベ ゼッナリイノ、あれぢやまるでジャコバン党だ。まるで本物だ。血筋は争はれぬもの、あの方のお父さんが誰知らぬもののない進歩派でな。永いことパリでくらして、あの怖ろしいヴォルテエルめや、同じ徒党の悪漢どもと友だちづき合いをしてをられた方なんだから。それにつけてもゼッナリイノ、気をつけろよ、不信心者と交はると、地獄へ逆落しだぞ。》

 

 チャンパイは「カヴァラドッシすなわち遮断された退路」で、オペラのカヴァラドッシが「小者」だと言う。

《カヴァラドッシのトスカとの親密な間柄は、ただ外面だけである。2人の間には、<純粋で>、<完全で>、<絶対的な>愛情関係は存在せず、むしろその反対である。今日の尺度に照らせば、2人の関係はかなり当世風のものと格づけされるに違いない。その関係は古典的というよりもむしろ現代的である。2人の愛情はときたま激しく燃え上がるが、根本的にはゆるやかで色情的な引力と美的な関心に基づいている。トスカは美しく、歌がうまく、情熱的な女性である。これがカヴァラドッシを満足させた。しかしトスカに秘密を全部もらすほどにはなっていないと思われる。このことは第1幕における2人の<愛の場面>がはっきり証明している。(中略)

 というわけでカヴァラドッシの悲劇性は、トスカとの関係の妨害にではなく、政治組織の不条理と専横によるその死の完全な無意味さにある。そういえるのは、最後までカヴァラドッシは客観的にも主観的にも(スカルピアの術策の内で)小者である。すなわち彼は偶然に政治的紛争にまきこまれ、考えられる限り賢明には振舞わなかったので死ぬほかないという、政治的に重要ではない人物にとどまっている。もともとスカルピアは自分にとっての危険の源であるアンジェロッティの首とトスカの人身御供だけが欲しいのだ。カヴァラドッシに対してはサディスト的情欲だけを満足させた。拷問によってトスカに憎まれるほど怒らせる。この憎悪を必要とし、愛する対象に憎み嫌われたい、とスカルピアはただこのようにして必要な性的刺激を手に入れるのである。従ってカヴァラドッシの死はスカルピアの快楽獲得に役立つだけで、本来の意味での悲劇的死ではない。意味をなし、跡を残す劇的な死ではない。無意味である。神経症患者たちが握る権力機構の無名の犠牲者と言える。》

 

 戯曲ではカヴァラドッシの不信心ぶりが表現され、教会がスカルピアの側であることが如実にわかる。

 戯曲《神のお情にすがるやうにとのありがたいお説教にも、あの男は、神にゆるしてもらふ必要はない、自分は虐政に苦しめられた犠牲者を助けて、義人の道を歩んできたのだ》、《もしこの事件で科のあるのは誰かといへば天に対する自分ではなく、自分に対する天の罪だ》などと答え、スカルピアに「過激党に限ってそんなことをいふのさ!」、「怖ろしい冒瀆(ぼうとく)だな」、「いやはや立派なキリスト教徒だな」と断定されるが、オペラでは省略されてしまう。しかしプッチーニに思想性は乏しく、それがオペラのカヴァラドッシの人物像に反映されて、政治思想的に透明な存在として、ひたすらスカルピアの引立て役に廻っている。

 

<スポレッタとトスカの「告白」>

 警部スポレッタは「パルミヱリの時と同じやうに」の秘密をトスカに告白し、トスカは「スカルピアを殺してやりました」とスポレッタに告白する。

 戯曲《フロリア 血だわ! 死んだ! ああ、マリオ!……殺されたのね! 殺された! 大事なこの人をあいつたちが! (スポレッタ、スキャルロオネ、軍曹、兵士等を引き連れて再び登場。フロリア、スポレッタに飛びついて)

 人殺し! 助けると約束しておきながら!

スポレッタ あなたのさう思わせ、そしてパルミヱリの時と同じやうに銃殺すること。これが閣下からの命令でございました。

フロリア 悪魔! もう一度あの男を殺してやりたい。もう一度!(皆、驚く)

スポレッタ あいつを殺す?

フロリア さうです。殺してやりました。お前たちの大将のスカルピアを。》

 

 ところがオペラには告白の場面はない。

「パルミエリのように」とは具体的にどうだったのか疑問のまま、観客に残される。いわばエーコの「開かれた作品」やバルトのテクスト論の「ゼロ度」のように、観客は想像力で作品を完成させなくてはならない。

 スカルピア殺害は、タイミングよく(「同時性」)外部からの声だけで、ヒッチコック映画のように巧みに処理される。

 オペラ《声 ああ! 殺されたんだ! スカルピアが? 女はトスカだ! 逃がすな。階段の出口に注意しろ!》という外からの「声」、「妨害」とも「侵犯」ともいえる「同時性」によって、劇的速度は速まり、緊張度は極限に達する。

 

<「ああスカルピア、神様の御前で!」>

 オペラで、死の間際に最後の言葉として(マリオ)カヴァラドッシの名ではなく、「ああスカルピア、神様の御前で!」とスカルピアの名を出したのは、実はスカルピアに愛情を抱いていたから、との穿った見方がある。戯曲には「ああスカルピア、神様の御前で!」の叫びはなく、かわって相当する(フロリア)トスカの強い予告があるのだが、オペラでは消されてしまった。その隠す作劇術は抜群の効果を生んでいる。

 プッチーニは「謎」を残すのが巧い。とりわけラスト・シーンはつねに謎を孕んで幕が下りる。だから新プロダクション(演出)のラスト・シーンで、多様な解釈というだけでなく、むしろ「対立」する解釈、過去の解釈への「侵犯」を纏って演じられることがよくある。最近でも、『蝶々夫人』のラストで自裁した蝶々夫人が、彼女を愛し続けたピンカートンとあの世で手を取り合うハッピー・エンドだったり、『トゥーランドット』でトゥーランドット姫はカラフ王子と結ばれる(プッチーニの死後、アルファーノが補筆完成させたハッピー・エンド)ことなく自害したり、『トスカ』でサン・タンジェロ城から身を投げたトスカは下降することなく昇天する、といった「逆転」、「転倒」さえ可能となっている。オーソドックスな演出であったとしても、観客は決して解けない謎を今度こそ解けるのではないか、心理的に納得できるか、と何度でも劇場に足を運んで確認したくなる。

「ああスカルピア、神様の御前で!」の(フロリア)トスカの予言の言葉とは、

 戯曲《スカルピア で、その男はアンゼロッティだな。

フロリア いいえ……

スカルピア (嘲笑しながら)つまり、アンゼロッティだな。

フロリア いいえ。私はいいえ、と言つています。

スカルピア (同じやうに)その力をこめて「いいえ」といふ処が、とりもなほさず「さうです」といふことになる。

フロリア ああ、お前が神様の御前(ごぜん)で、最後のお審(さば)きをうける時にわかるだらうよ。その時は一緒に立ち会つてあげるわ。……それに私がアンゼロッティの顔を知るわけがないぢやないの。お前の探すアンゼロッティの。》

 

 オペラでは第二幕で、拷問室のカヴァラドッシを見させられたトスカがスカルピアに嘆くと、戯曲のトスカに代わってスポレッタが審判者について言及する(スポレッタの人間性の一面で、悪の第一の形式の証左)。

 オペラ《トスカ これまで私が貴方に何をしたというのですか。

貴方がこんなふうに苦しめているのは私なのです…

貴方は魂を苦しめて…そう、私の魂を

苦しめているのです。

スポレッタ (祈る姿でつぶやく)

だから審判者が席にお付きになる時

隠されていたこともみんな現れ、

報いを受けないことはない。

報いを受けないことはない。

(スカルピアはトスカの落胆を利して拷問室の近くに行き、ふたたび拷問を始めるよう合図する)》

 

 戯曲では、トスカの出自ははっきりと語られるが、オペラではトスカの歌(「歌に生き、愛に生き」 Vissi d’arte ,vissi d’amore のamoreとは、カヴァラドッシへの「恋」ではなく、信仰深き神への「愛」に他ならないから「歌に生き、恋に生き」という訳は間違い)や、カヴァラドッシのさまざまな発言で、彼女の信心深さは容易にわかるよう仕組まれている。

 戯曲《マリオ 立派な歌ひ手で、しかも、女、女そのものです。

むかしは野育ちのまま、羊の番をしてゐたところを、修道院に拾はれて、そこのオルガン弾きの坊さんに歌を教はる。

十六の時には評判の歌ひ手で、信心者でした。

それから四年、あれはラ・ニイナ座で花々しくデビューし、その後はラ・スカラ座、サン・カルロ座、ラ・フェニツェ座など到る処で有名になりました。僕たちの馴染(なれそ)めは、ここローマのラルジェンティヌ座へ急に彼女が出ることになつたとき、お互ひに、一目(ひとめ)惚(ぼ)れ、と、いふやうなわけで。》

 

 オペラ第三幕冒頭で羊飼いが歌う牧歌的夜明けの情景(実際、一八〇〇年当時はローマ市中を羊飼いが歩いていたという)に、戯曲のトスカは《むかしは野育ちのまま、羊の番をしてゐたところを》の余韻が残されていたとしても、もしも《修道院に拾はれて、そこのオルガン弾きの坊さんに歌を教はる》があれば、一八〇〇年頃には、トスカは娼婦になるしかないような境遇だったと、観客は容易に想像しただろう。そもそも、当時の歌姫という職業が放埓で、仕事を得るためには劇場主や作曲家と懇ろになるのは普通のことであり、もちろんスカルピアはそのことを十分知っていたのは間違いない。教会でカヴァラドッシが描く「マグダラのマリア」の、「聖女と娼婦」の両義性、「娼婦たちの守護神」像もそれを暗示している(「マグダラのマリア」について後述する)。

蝶々夫人』が芸者より低い、契約された現地妻にすぎない(たとえ芸者だとしても不見転(みずてん)だろう)から捨てられて当然なのに、未練がましくもお涙頂戴できるよう純情可憐に設定したように、プッチーニ(一九〇〇年のローマ初演でトスカを演じたルーマニア出身のソプラノ、ハリクレア・ダルクレに色男プッチーニはすかさず手を付けている)は色情的官能性をスカルピアだけに負わせて、トスカの純情可憐さを研ぎすました。

 教皇領ローマでは、十八世紀後半まで女性が舞台に上がることは禁止され(「教会の中で婦人たちは黙っていなさい」という聖書のパウロの教えから、聖歌は男性によって歌われた)、オペラ劇場では去勢男性歌手が女の声で歌うカストラートが興隆していた(その性的倒錯性は、一七五八年のカストラートが活躍するローマとその後を描いたバルザック『サラジーヌ』、および精妙な読解であるロラン・バルト『S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析』に詳しい)。ナポレオンによって去勢を伴うカストラートが禁止され、女性が舞台に上がれるようになったことで、歌姫トスカは存在したのであって、ここにもオペラの舞台には登場しない英雄ナポレオンの神話的な幻影が背景にある。

 

<隠された三角形の一つの頂点>

 三角関係は恋愛小説あるいは姦通小説のエンジンになるのだが、デュラスの小説には「三角関係の脱臼」があるという(郷原佳以「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」)。

《『ロル・V・シュタインの歓喜』を読んで驚喜したラカンが喝破したように、しかし、そこで指摘された事実自体についてはラカンに言われるまでもなくデュラスの読者であれば誰しも気づいていたように、デュラス的な愛を不可能なものとして成り立たせているのはある三角形、三項関係である。T・ビーチの舞踏会でロルの婚約者マイケル・リチャードソンがロルの眼の前でアンヌ=マリー=ストレッテルに吸い寄せられ、ロルの前から姿を消したこと。(中略)寄宿舎の友人エレーヌ・ラゴネルを自分の愛人の中国青年に抱かせ、自分はそれを見ていたいという少女の激しい欲望。(中略)こうした反復される三角形の主題は、なるほどデュラスとアンテルムスとマスコロの友愛に結ばれたトリオを想起させずにはおかないが、しかし、おそらくそれも含めていずれの三角形も、互いを追いかけ合うことで嫉妬の力学と戯れを作用させるような恋の三角関係とは別の位相にある。三角形があったとしても、三角関係はそこで脱臼されて「愛の物語」がいかにしても成就しない<外>へ、無限定の<外>へ開かれている。》

 

 オペラ『トスカ』にも「三角関係の脱臼」がある。常に「三角関係の脱臼」が起こり、「三角形の一つの頂点」が消失、不在、外部にある。

 

 オペラ「第一幕」から見て行こう。

・冒頭、アンジェロッティが逃げて来るが、番人が現われるとアンジェロッティは隠れ、番人が去ると現われる。

・カヴァラドッシ、アンジェロッティが話していると、トスカの声が外から聞えてくる。

・アンジェロッティが礼拝堂に隠れるとトスカが現れ、トスカが去るとアンジェロッティが現われる。

・教会でカヴァラドッシが描いている「マグダラのマリア」の絵のモデルは青い目のアッタヴァンティ侯爵夫人(アンジェロッティの妹)だが、登場することはなく、黒い目のトスカは想像力だけで嫉妬する。

・スカルピアがアッタヴァンティ侯爵夫人の扇をトスカに示して嫉妬を煽ることで、姿を見せないアッタヴァンティ侯爵夫人の存在は濃くなる。この時、カヴァラドッシは外に出ている。

 

「第二幕」

・スカルピアがカヴァラドッシを拷問する時、トスカの祝祭の歌声が窓の外から聴こえてくる(トスカの不在と歌声)。

・トスカが入って来ると、カヴァラドッシは隣の(演出によっては階下の)拷問室へ連れて行かれる(カヴァラドッシの不在、拷問室からの呻き声)

・スカルピアがトスカに迫る場面で、カヴァラドッシは処刑のために出されている。

・スポレッタは退場させられ、二人きりになったスカルピアはトスカに迫るが、殺される。

 

「第三幕」

・カヴァラドッシとトスカが牢獄で再会する場面で、スポレッタは席を外して不在を作り出す。

・外から、スカルピアが殺されたという声が聞こえてくる。

 

<「マグダラのマリア」>

 戯曲では、カヴァラドッシは共和主義者の象徴の鬚をはやしていることから胡散臭い男と見られていて、トスカと逢えなくなる事態を避けるために、無料奉仕で「マグダラのマリア」の壁画を描くことで信心者の保証をもらっていた。

 オペラで教会の番人は、礼拝堂で敬虔な祈りを奉げる金髪のアッタヴァンティ伯爵夫人を、人知れずモデルにして「マグダラのマリア」像を描くカヴァラドッシに、

 オペラ《番人 ふざけるなら俗人を相手にして、聖人には手を触れるな!》と二度、三度呟くように差し挟む。

《どいつもこいつも悔い改めない奴ばかりだ! 十字でも切ったほうがいい》、《聖母と競う これらの裳裾は 地獄の臭いがする》とも言う。

 茶色の髪で黒い目をしたトスカはカヴァラドッシが描いている絵を目にして、《あの金髪の女は誰なの?》と彼に尋ねるが、《マグダラのマリアだ。気に入ったかい?》と返答され、《美しすぎるわ!》と言う。《あの青い目は、見たことがあるわ》、《アッタヴァンティだわ!》、《彼女に逢うの、貴方を愛しているの? 彼女を愛しているの?》、《あの尻軽女、見てらっしゃい!》、《あれを黒い目にして!》と嫉妬する。

 ここで、「マグダラのマリア」の表象するものは何か。

岡田温司マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』によれば、「マグダラのマリア」は下記のように整理できる。

(1)実在した女性のようだが、脚色、書換え、加工によって、キャラクター形成された性格が強い。両義性をもつ(「聖と俗」「聖女と娼婦」「敬虔と官能」「禁欲と快楽」)。ジェンダーの葛藤(女性をどう位置づけるか)が刻印されている。

(2)福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)のキリストの磔、埋葬、復活に名が記載されているが、娼婦で、罪深い女であったという記載はない。ルカ福音書「女どもの言うことは信じられない」との、やや悪意あるものから、ヨハネ福音書「「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」(キリストの言葉)」の好意的なものまで、ずれの温度差、振れ幅がある。一方、二世紀に作られ、二十世紀に発見された外典(「マリアによる福音書」「トマスの福音書」「フィリポの福音書」)では、神秘的な預言の能力、キリストの良き伴侶、男の弟子たちのうち、とりわけペテロとの確執が記載されている。しかしまだ娼婦、罪深き女ではない。

(3)六世紀から七世紀の変換期の教皇大グレゴリウス(グレゴリウス一世)(在位五九〇~六〇四年)による重大な加工(でっちあげ)があった。マグダラのマリア以外の女性のイメージ、ルカ福音書の「罪深い女(パリサイ人の家で食卓についているイエスの足元に駆け寄り、涙で濡らした髪の毛で拭って口づけをし、罪を悔い改めようとした)」、ヨハネ福音書の「ベタニアのマリア(香油をイエスの足元に注いで自分の髪の毛で拭った。姉マルタ、兄ラザロという家族がいる)」などをハイブリッドに組み合わせた。罪深き女がキリストによって回心する、両義性・二面性があり、苦行者and/or豊かな裸体と美しい金髪を持ち、キリストの足元に駆け寄り、油壺を持つ、といった多重映像は、時代が下るごとに回心前後のギャップを膨らませ、より劇的になってゆく。

(4)十三世紀初め、第四回ラテラノ公会議で、少なくとも年一回の告解(懺悔)の義務付けが決まると、マグダラのマリアは宗教的役割を担った。「罪を悔い改めたマグダラのマリアは悔い改めの模範」、「告解してマグダラのマリアにならうこと(イミタティオ)」、「キリストの受難の苦しみを共有する(コンパッシオ)」をフランチェスコ修道会がプロモートした。

 当時の女性たちには限られた選択肢しかなく、①結婚(持参金制度が重荷)、②修道女、③娼婦、のうち娼婦の可能性は高かった。悔悟娼婦を収容、救済する女子修道院などで、「かつて娼婦だった」イメージが作られ、しかし悔い改めによって聖母マリアに近づいている「守護聖女」となった。

 十六世紀ごろのローマ、ヴェネツィアでは、王侯貴族や高位聖職者の愛人であり、文化教養度も高かった高級娼婦(コルティジャート)の肖像画パトロンが画家に描かせた。

(5)次第に信仰の対象から、「美とエロスの象徴」、「波瀾に富んだ生涯と劇的な運命の逆転劇」としてファム・ファタール(運命の女、妖婦)性を増し、時代が下るごとに美術、演劇、オペラ、小説、映画での鑑賞の対象となった。アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』、フロベールの『ボヴァリー夫人』、トルストイアンナ・カレーニナ』などに「マグダラのマリア」のイメージが見てとれるが、プッチーニはオペラ『マノン・レスコー』を残し、『蝶々夫人』、『トゥーランドット』のタイトル・ロール、『ラ・ボエーム』のミミにそのイメージを見てとれることを想えば、オペラ『トスカ』にどうして「マグダラのマリア」の表象を感じないでいられよう。

『トスカ』の「マグダラのマリア」には「両義性」(「聖と俗」「聖女と娼婦」「敬虔と官能」「禁欲と快楽」)、「美とエロスの象徴」、「波瀾に富んだ生涯と劇的な運命の逆転劇」や、トスカという女とスカルピアという男のジェンダーの葛藤、告解(懺悔)といったものが織り込まれている。

 

 オペラで教会の番人が《ふざけるなら俗人を相手にして、聖人には手を触れるな!》と二、三度となく差し挟むのは、聖なる主題のマグダラのマリアのなかに、俗なるアッタヴァンディ侯爵夫人をモデルにする混入をするな、聖と俗の境界線を脅かすな、というトレント公会議(一五六三年終結)以降の忠告であり、《どいつもこいつも悔い改めない奴ばかりだ! 十字でも切ったほうがいい》、《聖母と競う これらの裳裾は 地獄の臭いがする》は、「悔い改めのマグダラのマリア」を前にしての、不遜な絵描きに対する教会権力の警告だろう。

 トスカの《美しすぎるわ!》と《あの尻軽女、見てらっしゃい!》には、アッタヴァンディ侯爵夫人と「マグダラのマリア」のダブル・イメージが読みとれる、さらには歌姫トスカ自身の娼婦性も多重映像化して。

 

<「ローマの女」>

 戯曲第五幕第二場、フロリア(トスカ)はマリオ(カヴァラドッシ)にスカルピアから得た通行証を示し、続く第三場でフロリアはスカルピアをナイフで殺したこと、チヴィタ・ヴェッキオから海へ出られることをマリオに告げると、《マリオ ああ、おまへ、本当に勇ましい! 本当のローマの女だ。昔のローマそのままの勇ましい女だよ!》と感嘆する。

 オペラ第三幕に「ローマの女」の台詞はなく、ひたすら甘美な二重唱で「ああ柔らかくて汚れのないやさしい手」と「手」を賛美する。

 オペラ《トスカ (堰を切ったように)

あの人は、貴方の血か私の愛かを

望んだのよ。嘆願も涙も無駄でした。

私は恐怖に気も狂わんばかりに、

聖母様と聖人たちにお祈りしましたが、それも無駄で…

あの悪党の鬼は

言ったのよ。“もう絞首台が天に腕を拡げているぞ”って。

太鼓の音がしていました…

笑ってたわ、あの悪党の鬼は…笑ってたわ…

獲物をひっ捉えようと身構えて。

“君は私のものかね”―“ええ。”―

私は彼の望みどおりにする約束をしました。

傍に刃が光っていました…

あの男は自由を約束する書類を作り、

怖ろしい抱擁をしにやって来ました…

私は刃を心臓に突き刺しました。

カヴァラドッシ 君が?

君の手で殺したのか。

信心深くて善良な君が、僕のために?

トスカ 手がすっかり血に塗(まみ)れて!

カヴァラドッシ(情愛を込めて、トスカの両手を自分の両手のあいだに取り)

ああ柔らかくて汚れのないやさしい手、ああ、立派な敬虔な仕事のために選ばれ、

子供を愛撫し、薔薇を摘み、不幸に際しては合わせて祈るために選ばれた手、

愛によって強くなったお前の手に、

正義はその神聖な武器を与えたのか。

お前は人に死を与えた、ああ勝利に溢れた手、

ああ柔らかくて汚れのないやさしい手!》

 

 ここで戯曲の「ローマの女」は何を意味するのだろうか。ローマの女戦士のことと素直に思うだろうが、シェイクスピアが詩劇に残し、ティツィアーノ、ティントレット、レンブラントルーベンスクラナッハといった巨匠たちが題材として倦むことがなかった「ルクレティアの凌辱」「タルクイニウスとルクレティア」の逸話を思い起こすべきではないか。「ルクレティアの凌辱」「タルクイニウスとルクレティア」とは、次の通りである。

 紀元前五百九年、ローマはルトゥリ人を攻撃中で、ルクレティアの夫コッラティヌスも参戦していた。陣中でルキウス・タルクイニス・スペルブス王の王子セクストゥス・タルクイニスらとコッラティヌスは妻を比べあい、陣営を抜け出して妻たちのもとへ行き、その貞淑を確かめる。王家の妻たちは宴会に興じていたが、ルクレティアは夫の留守をよく護って貞節だった。だが、ルクレティアの姿を見たセクストゥス・タルクイニスは横恋慕し、後日。一人でルクレティアのもとを訪れた。セクストゥスはルクレティアを強姦しようと侵入し、剣で脅したがルクレティアは死をおそれなかった。しかし、奴隷の裸の死体をおいて姦通の最中に殺されたようにするとセクストゥスに脅され、ルクレティアは恥辱に耐えることができずに凌辱される。セクストゥスの去った後、ルクレティアはローマの父と夫を呼び出すと告白し、彼らに復讐を誓わせるや、短剣で自害した。

 

 クロソウスキーが、タルクイニウスに凌辱され、恥じて自害するローマの女ルクレティアについて考察している、とりわけ身振りの両義性、官能的な「手」をめぐって。クロソウスキー『歓待の掟』で、トネールが描く「ルクレティとタルクイニウス」の絵について、オクターブは次のように語る。

《トネールの描くルクレティアは、寝台に横になり、片ひじに体をもたせかけ、横顔だけ見せて頭をもたげ、一方の脚を長々とのばし、片方の脚で不安そうに腿を持ちあげ、まるで自分に襲いかかっている男を押しのけようとしているかのようだが、その実、さあ、いつでもいらっしゃいと言っているようにも、観客には見えるのだ。すでに彼女に襲いかかったタルクイニウスは、自分の顔をルクレティアの頬に近づけ、腕いっぱいに彼女の胴体をとらえ、ひとつの手は彼女の乳房をつかんでいる。いっぽう彼女のほうでは、ひじをもたげた腕と、開かれた手で、この青年の唇を押しのけようとしているけれども、片方の腕は胴体にそって下のほうにたれている。そして下のところではいっぱいにのびひろげられた指は、ありありと見える恥部をおおいかくしているのではなく、むしろ何かを待ちもうけているように見える。》

 

 トスカがスカルピアを殺したのは正当防衛のためではなく、自らのスカルピアへの欲望に屈しないためで、その証拠に、トスカの最期の言葉はカヴァラドッシの名前ではなく、「ああスカルピア、神様の御前で!」であったし、スカルピアを刺し殺す時の「トスカのキスよ!」に表現されている、といった精神分析学的解釈は馬鹿馬鹿しくはあっても、「死の欲動」の婚姻関係が見てとれ、下品だが蠱惑的な官能的誘惑が『トスカ』の通奏低音にあることを否むことはできない。

 

<バルト『ラシーヌ論』の「明暗法(テネブローゾ)」と「受容可能性」>

 作者が意識したかどうかはともかく、『トスカ』はラシーヌ劇の「三単一の法則」に従って、「時の単一」(一八〇〇年の六月十七日昼から翌十八日早朝までの丸一日)、「場所の単一」(ローマ市内で、戯曲は三キロ四方、オペラは一キロ四方)、「筋の単一」(トスカ、カヴァラドッシ、スカルピアの死へ向かう悲劇で、オペラでは枝葉がより刈り込まれて一直線)が成立している。

 しかし、そういった法則よりも、バルト『ラシーヌ論』のスリリングな「明暗法(テネブローゾ)」に、『トスカ』と同じ世界を感じとることができる。

《こうして我々はラシーヌ的幻覚の核心に入る。影像はその基質の配置のなかに、死刑執行人と犠牲者(いけにえ)の対立そのもの、いやより正しく言えば、その弁証法を、置き換えている。映像は、絵のように描かれ、演劇化された葛藤であり、それは相対立する基質という形で、現実を演じる。エロス的場景は演劇のなかの演劇であり、葛藤の最も活々とした、しかし同時に最も脆い瞬間、すなわち、影が光の輝きによって刺し貫かれる瞬間を表わ(・・)そうとする。というのも、ここでは通常の隠喩が完全に逆転している。つまりラシーヌ劇の幻覚状態にあっては、光が影に呑み込まれるのではない。影は侵入しては来ない。反対なのだ。影が光によって射し貫かれ、影が侵蝕され、抵抗し、ついに身を任せる。(中略)ラシーヌ劇の壮大な絵画的場景は、常に影と光の壮大な神話的(かつ演劇的な)葛藤を提出している。すなわち、一方には夜と影、灰燼と、涙、眠り、沈黙、おずおずとした優しさ、断絶のない現前がある。もう一方には、鋭さを感じさせるあらゆる物体、すなわち、武器、鷲の印を戴く旗印、束桿(そつかん)、松明、軍旗、叫び声、きらめく衣裳、亜麻布(リンネル)や緋色の衣、金(きん)、鋼(はがね)、生贄を焼く祭壇、焔、血がある。二つの相異なる階層に属する基質のあいだで、常にまさに起きようとして、しかも決して成就することのない交換が想定されており、それをラシーヌはきわめて適切に、際立たせる(・・・・・)という動詞で表しているが、それこそ、《明暗法(テネブローゾ)》を構成する(しかもいかにも味わいのある)行為を指し示すものにほかならない。

 ラシーヌにおいて、目に対する物神崇拝とも呼び得るものが存在する理由も理解できる。目とは、本性上、闇に対してさし出された光である。牢獄によって翳り、涙によって曇る。ラシーヌ劇の《明暗法(テネブローゾ)》の完璧な状態とは、涙に濡れ、天を仰ぐ瞳である。》

 

 スカルピアを刺殺した直後のトスカの、燭台と十字架による、敬虔だからというだけでは済ましがたい行為は「明暗法(テネブローゾ)」が際立ち、影が光によって射し貫かれている。バロックのサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会やサン・タンジェロ城の牢獄ばかりでなく、聖性と殺人が影と光に戯れながら葛藤しつつ結びつき、カヴァラドッシの死を知って、涙に濡れ、天を仰ぐトスカの黒い瞳は「マグダラのマリア」のようだ。

 オペラ《トスカ この男の前でローマが震え上っていたんだわ!

(外に出ようとするが、考え直し、左手の腕木にある2本のろうそくを取りに行き、食卓の上の燭台でそれに火を付け、燭台のほうの火を消す。スカルピアの頭の右に火の付いた1本のろうそくを置き、もう1本は左に置く。また辺りを捜して十字架を見つけ、壁から外し、うやうやしく運び、跪いてスカルピアの胸の上に置く。立ち上がり、とても用心しながら、扉を閉めて外に出る)》

 

 バルトが自らの立場を表明した「前書き」が『トスカ』に当て嵌まる。たとえサルドゥの原作戯曲が三島が言うまでもなく二流で、ラシーヌほどのフランスが誇る古典ではなく、オペラ『トスカ』がイタリア作品であるにしても、この「前書き」の「ラシーヌ」を『トスカ』に置き換えて読むことが可能で、そこに魅力の根源的な秘密、「受容可能性」を嗅ぎとることができよう。

《最後に一言、ラシーヌの今日性について触れておかねばならない(なぜ、今日ラシーヌについて語るのか)。この今日性は、周知のごとく、きわめて内容豊かである。ラシーヌの作品は、過去十年間にフランスでなされた批評的企てのうちで、何らかの重要性をもつすべてのものによって取り上げられてきた。社会的な批評はリュシアン・ゴールドマンが、精神分析学的批評はシャルル・モーロンが、伝記的な批評はジャン・ポミエとレーモン・ピカールが、深層心理学的批評はジョルジュ・プーレとジャン・スタロビンスキーが、それである。その結果、驚くべき逆説によって、フランスの作家のうちでおそらく、古典主義的透明さ(・・・)という思想に最も結び付けられている作家が、今世紀のあらゆる新しい言語を、自分の上に集中させ得た唯一の作家となっているのである。

 というのも実は、透明さとは両義的な価値にほかならないからだ。それは、もはやそれについてなにも語ることがない事柄であると同時に、最も多くの語るべきことがある事柄でもあるのだ。したがってそれは、結果的には、その透明さそのものが、ラシーヌをして、わが国の文学の文字通りの通念、批評の対象としてのゼロ度、空無ではあるが、永遠に意味作用へと差し出されている一つの場たらしめている。文学というものが、私の信じるように、その本質において、確定された意味であると同時に失敗した意味であるとするならば、ラシーヌはおそらくフランスの最大の作家である。その天才は、次々と彼の財産となった美徳のどの一つの中にも、特別には存していない(いかにも、ラシーヌについての倫理的な定義は、変化することを止めなかったのだから)、そうではなくて、むしろ誰も比肩し得なかった受容可能性(disponibilité)の術にあり、これがラシーヌに、どのような批評的言語の領域においても、永遠に持ちこたえることを可能にしているのである。

 この受容可能性は、取るに足らぬ美徳ではない。それどころか、絶頂にまで高められた文学の、存在そのものである。書くとは、世界の意味を揺さぶること、そこに間接的な(・・・・)問いを仕掛けることであり、この問いに対して作家は、究極の宙吊りにより、答えることを控えるのだ。答えを与えるのは、我々の一人ひとりであり、そこに自分の歴史、自分の言語、自分の自由をもたらすことによってなのだ。しかし、歴史も言語も自由も、無限に変わるのだから、作家に対する世界の解答もまた無限である。(中略)

 暗示と断言、語る作品の沈黙と、聴き取る人間の言葉、これが世界と歴史の内部における文学の無限の息である。そして、まさにラシーヌが、文学作品の暗示的な原則を完璧に履行したからこそ、彼は我々に、我々の断言的な役割を十全に果たすことを要求するのだ。》

                                (了)

          *****引用または参考文献******

アッティラ・チャンパイ、ディートマル・ホラント編『名作オペラブックス プッチーニ トスカ』(アッティラ・チャンパイ「拷問部屋と協和音――プッチーニの《トスカ》と歌唱オペラの危機」、モスコ・カーナー「プッチーニの《トスカ》の現代性」、ベルナール・ボヴィエ‐ラピエール「《トスカ》はオペラにおける革命か?」など所収)戸口幸策、嶺崎章郎訳(音楽之友社) (適宜、改訳のうえ引用)

*『決定版 三島由紀夫全集25』(「「ヴィクトリアン・サルドゥ作トスカ 五幕」安堂新家訳、三島由紀夫潤色、解題(「『トスカ』上演について」《労演》昭38・6・10)所収)(新潮社)

*『三島由紀夫全集31』(「「可憐なるトスカ」文学座プログラム・昭和三十八年六月」所収)(新潮社)

白崎容子『オペラのイコノロジー トスカ イタリア的愛の結末』(ありな書房)

*加藤浩子『オペラでわかるヨーロッパ史』(平凡社新書

スタンダールパルムの僧院生島遼一訳(岩波文庫

ロラン・バルト『テクストの出口』(「人はつねに愛するものについて語りそこなう」所収)沢崎浩平訳(みすず書房

ハンナ・アーレントエルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』大久保和郎訳(みすず書房

スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』酒井隆史田崎英明訳(太田出版

スラヴォイ・ジジェク、ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』中山徹訳(青土社

*『カント全集10』(「たんなる理性の限界内の宗教」所収)北岡武司訳(岩波書店

*リチャード・J/バーンスタイン『根源悪の系譜 カントからアーレントまで』菅原潤他訳(法政大学出版局

岡田温司マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』(中央公論新社

ピエール・クロソウスキー『歓待の掟』若林真、永井旦訳(河出書房新社

柄谷行人「探究Ⅲ」第十八回(「群像」1996年3月号に所収)(講談社

坂部恵坂部恵集2 思想史の余白に』(「理性の不安――サドとカント――」(岩波書店

ジャック・ラカン精神分析の倫理』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之他訳(岩波書店

ミシェル・フーコー『狂気の歴史――古典主義時代における』田村俶訳(新潮社)

*『マルグリット・デュラス 生誕100年愛と狂気の作家』(郷原佳以「三角関係の脱臼――書くことと愛、ブランショとデュラス」所収)(河出書房新社

ジル・ドゥルーズ『基礎づけるとは何か』(「ルソー講義 1959-1960 ソルボンヌ」所収)國分功一郎他訳(ちくま学芸文庫

ロラン・バルト『S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析』(バルザック『サラジーヌ』も収録)沢崎浩平訳(みすず書房

ロラン・バルトラシーヌ論』渡辺守章訳(みすず書房

*エリック・マルティ『サドと二十世紀』森井良訳(水声社

*T.W.アドルノ、M.ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』徳永恂訳(岩波文庫

ピエール・クロソウスキー『わが隣人サド』豊崎光一(晶文社

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』酒井健訳(筑摩書房

モーリス・ブランショ『文学と悪』山本功訳(筑摩書房

モーリス・ブランショロートレアモンとサド』小浜俊郎訳(国文社)

*S・D・ボーヴォワール『サドは有罪か』白井健三郎訳(現代思潮社

ミシェル・フーコーフーコー・コレクション2 文学・侵犯』(「侵犯への序文」所収)小林康夫他訳(筑摩書房

ジル・ドゥルーズ『ザッフェル=マゾッホ紹介』堀千晶訳(河出書房新社

ピエル・パオロ・パゾリーニ監督映画『ソドムの市』

ロラン・バルト『サド、フーリエロヨラ』篠田浩一郎(みすず書房