文学批評 加賀乙彦『フランドルの冬』の「精神医学」と「世界投企」(引用ノート)

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 加賀乙彦の「『フランドルの冬』 新しいあとがき」は次のようにはじまる。

《長編小説『フランドルの冬』は私の処女作である。一九六七年八月筑摩書房から出版された。翌六八年四月芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。一九七四年に文庫化され、その後十年ほど経ってからと思うが、いつのまにか絶版になった。今年(二〇一九年)の夏、小学館から再販される事になった。そこでこの作品についての思い出話を書いてみたい。》

 昨今、多くの小説の文庫本が絶版になってしまうとはいえ、この長編小説作家の処女作は、のちの『宣告』等に比べて不遇で、ほとんど批評されることもなかったが、遣り過ごしてよい作品ではない。

「あとがき」を続けよう。

《まずは事実の世界として、作者である私のフランス留学があった。(中略)一九五七年九月、私は、横浜港からフランス船カンボジ号に乗って船出した。この船は四〇日の航海の末、やっとマルセイユに着いた。パリは秋たけなわであった。公園には紅葉が欠けていたが、豪勢な銀色の森が光り、そして美しかった。

 パリ市内南方にある精神医学センターで精神病理学犯罪心理学を学ぶ毎日となった。

 午前中は臨床医として働いた。その当時、パリ大学精神科のドレイ教授の発見した一連の向精神薬物に薬効があることが全世界に知られて、精神医学センター内のパリ大学精神科には、三〇ヵ国もの医師たちが新薬による治療法を学ぼうと集まっていた。同時にアンリ・エー、ジャック・ラカンなどの諸外国にも名の聞こえている優秀な精神科医が、公開臨床や講義をして、精神医学の新時代を謳歌し、また宣伝していた。

 午前中は病室に入り、臨床に励んだ。ドレイ教授が発見した向精神薬をどのようにして用いているかを学び、母校の精神医学教室にそれを伝えた。が、午後になるとセンターの図書館に籠り、精神医学史の最新の情報を読み、またフランス革命時代の古文献に始まり、十九世紀の研究業績の束を夢中になって読んだ。精神医学という医学分野は、数多くの患者の診察から生まれてきた。日本のように、他国の医師たちの観察、治療、失敗、成功の末に成り立つ医学を後追いすればよいのではなく、研究者たちの先取特権で成り立つ医学を追い求めるのがフランスという文明国の実情だった。(中略)

 一九五九年の春になって東京大学医学部精神医学教室から助手席が空いたので帰国しないかという誘いが来た。その気になって帰国の準備に忙殺されている時に、パリで親しくなった精神科医から、彼が医長をしているフランドル地方の精神病院で働かないかと誘われた。(中略)

 一九五九年の春からほぼ一年間、私はフランドル地方の精神病院で医師として働いた。そして、一九六〇年の春、航空機に乗って帰国した。しかし『フランドルの冬』という小説を書き出し、コバヤシという中年男の物語を書きあげたのは一九六八年の夏である。その小説の主人公コバヤシと私加賀乙彦とは余り似通ってはいない。私はむしろ実在しない人物を仕立てあげたのだ。ドロマール、エニヨン、ブノワ、クルトンも、私が会ったこともない人物になっている。

 まずコバヤシという日本人の医師が登場する。彼は日本に帰ろうとは思っていない。帰国して安定した医師として過ごすよりも、ドロマールという風変わりな医師についてフランスの精神医学の歴史を研究し、少し長い時間をかけて彼の精神医学の世界を探ろうとしている。

 ドロマールは独身である。精神科病院の一番古参の医師でありながら、電話のない質素な家に住み、天井まで書物で埋まった図書館を持ち、十九世紀の精神医学の歴史を細密に追うことができた。

 ドロマールより若いが、活発で時とすると憤怒で叫んだり、逆にすぐ機嫌を直して笑ったりするのがロベール・エニヨンである。彼は子福な人、妻のスザンヌとの間に五人の子供がいる。で、子供たちを優れたパリ近郊の学校に通わせたく、彼自身もパリの精神科医長になって幸福な一生を送りたいと思っている。(中略)

 この二人の医長の元に若い医師たちの日常があった。コバヤシ、ブノワ、ヴリアン、女医のアンヌ・ラガン、さらにアルジェリア戦争より帰還したクルトンなどである。医師ではないが、医師の助手として患者の世話をするカミーユという娘はコバヤシと仲がよかった。アルジェリアで重傷を負ったクルトンは春から夏へ、移ろう季節にそそのかされるように、自殺への願望に取りつかれていく……。》

 作者のエッセイなどから、小説ではドロマール(フランス精神医学界にはドロマールという名の人物がいて、ラカンも学位論文『人格との関係からみたパラノイア性精神病』の第一部3章で「妄想的解釈」について論じているが、小説のドロマールも「解釈妄想の成立機序」という論文を書いたことになっている)に誘われてフランドルに来たことになっているが、現実ではロベール・エニヨンのモデルに誘われたこと、コバヤシの自動車事故は加賀自身の体験だったことなどがわかる。虚実を巧みに配合(著名な精神科医アンリ・エーやジャン・ドレイは実名で登場する)して小説を作りあげていて、彼らはまんざら「私が会ったことがない人物」というわけではないだろう(これは直観にすぎないが、加賀はカミーユのモデルに特別な感情を抱いていたのではないか、というのも、コバヤシが妊娠させたニコルの名をあげるべきなのに、カミーユしかあげておらず、その描写には人肌の温もりがある)。

 コバヤシの精神医学史に関する読書遍歴が、加賀の本名、小木(こぎ)貞孝(さだたか)による『フランスの妄想研究』(コバヤシが自動車事故を起こし、二度の大戦の激戦場ゆえ、いたるところにある軍隊墓地に迷い込んで、野犬の群れに遠巻きにされた場面の描写こそ「妄想」描写である)に結実し、ドロマールがコバヤシにメルロ=ポンティは読んだかと問いかけると、「『知覚の現象学』を」と答えさせているが、その共訳者に本名を見出せるように。

 

 篠田一士による「解説」をみておこう。

《もちろん、コバヤシひとりの内外だけが、この小説の主要な関心事ではない。むしろ、主人公のいない小説としてコバヤシ以外の何人かの人物にもよく目配りして読む方がこの作品のうま味を知ることができるかもしれない。たとえば、クルトンという若い医師がいる。アルジェリア戦線で瀕死の重傷を負い、やっと退院して、この病院に復帰するが、彼にはもうだれをも愛することができなくなってしまっている。「黒い炎」がたえず自分を悩ますと口走りながら、なにかといえば、とっ拍子もない行動をしでかしては周囲の人々をおどろかす。彼にのこされた道は自殺しかなく、とうとう何度目かの失敗ののち、みずから命を絶つ。この実存的決断を当然の「世界投企(ヴエルト・エントヴルフ)」と、冷ややかな口調で、しかも、あますところなく説明するのはドロマール医長である。この怪物的医師はおどろくべき学識と鋭い洞察力をもち、また、だれにも屈することのない自尊心と無気味なシニシズムをもって孤高の毎日を送っているが、コバヤシが留学年限を延長してまで、わざわざ、僻地の病院にやってきたのは、ひとえに、この人物に牽かれたためである。だが、このきらめくような知性の持主は、生まれてこの方、女性に愛を感ずることができない、やはり呪われた人間だったのである。クルトンやドロマールのような人物に象徴される、愛を見失い、神の死の下に精緻な観念を組み立てながら、ついに精神の自由を失ったヨーロッパ精神の悲劇的情況――それにコバヤシは敏感に反応することはできる。だが、反応することは、かならずしも理解することではない。》

 ここで、ドロマールを「女性に愛を感ずることができない、やはり呪われた人間だったのである」と同性愛をおぞましく表現したのは、書評を書いた当時の限界で、二十一世紀の現在なら、問題とすべきは小児性愛的なところであろうが、ドロマールをめぐる正常か異常か、普通か異邦人かは、ミステリアスに読ませる。

 この「黒い炎」と「世界投企」については、後に見てゆく。

 

 小説の構成や技法に関しては、平岡篤頼(同じカンボジア号に乗船してマルセイユに向かった一人で、他には辻邦夫も同船していた)の解説が的確だ。

《それは必ずしもストーリーの一貫性や視点の統一を目指した努力ではなく、むしろ孤独な各人物の視線は融和することなく多元的に交叉するだけで、どの人物の内面も他の人物にとっては不透明なままである。クルトンの自殺やカミーユの幻覚やコバヤシの錯乱が、人間のこころの奥に口を開けている深淵を垣間見せさせるのにたいして、一家団欒のなかでクリスマスの準備が議論されるという、とりわけ平和な光景が冒頭を照らし出しているのも、対照の妙によって、どんな悲劇や苦悩をも呑みこんで事もなく過ぎゆく不動の日常の手応えを感じさせる。時間構成の点でも、物語の展開順序の中途から書きはじめるなど、単線的なストーリー性をむしろ混乱させるような工夫が凝らされている。》

 平岡が最後に賞賛しているように、第一章の冒頭はクリスマスのロベール・エニヨン一家の団欒からはじまり、第二章で時間は遡ってコバヤシのフランドルへの赴任、第三章でさまざまな出来事が起こり、第四章は、第一章の後を単純に継ぐのではなく、第一章と同じ時間を、違う登場人物の違った視点と行為によって絡み合いながら、いつしか追い抜いて結末へ向かって行くという離れ術は、処女作とは思い難い完成度である。

 平岡は先の文に続けて、《それでいて、どの部分をとってみてもその範囲内ではきわめて明解である。作品を夢の形に近づけようとするならば、究極的には、言語自体も夢の論理にしたがった、輪郭も意味も曖昧でそのくせ呪縛力をもつ不透明な言語、例えばコバヤシの錯乱の描写で部分的に実験されている言語に行きつくのかも知れないが、そこまで行くと読者とのコミュニケーションは不可能になってしまう。恐らくはそう考え、作品とは読者にとって理解可能な範囲に留らねばならないとも考えているらしい作者は、夢と正気との際どい分水嶺に沿って歩くという、これまた処女作とは到底思えないような芸当を見事にやってのけている。》

 自動車事故を起こして戦争墓地に迷いこんだコバヤシの妄想の描写は、《犬どもは明らかに接近して来て、風声を貫いて彼らの荒い息つかいまでがきこえてきた。それは冷えきった清潔な気流のなかで、妙に生暖ったかな野蛮さを感じさせた。寒さも痛みも麻痺(まひ)し、内側にはすでに重い疲労と眠りがひろがっていたが、彼は知覚をかきたて、耳をすまし朦朧(もうろう)とした風景に目をこらした。彼の体のうち生き残っている部分――頭蓋骨(ずがいこつ)の容器の底にちぢこまった小さな脳と背骨の管内で紐(ひも)のように垂(た)れさがっている脊髄(せきずい)――を彼は連想した》といった表現に続いて、部分的に実験された詩的表現、《皮膚の表面を快感が走っていく。さわさわと下のほうから肉感的な刺激(しげき)がのぼってくる、若い女の手になぜかなぜられているような快感。乳色の精液が睾丸(こうがん)に充ち溢(あふ)れ、さわさわと皮膚をしめらせていくような。それは時間を忘れさせる快感なのだ。》などいくつかのフレーズが重なる。

 作者は、カミーユリゼルグ酸を飲んだ(ドロマールによれば、ただの水だったのに、「今のはリゼルグ酸だ」と言ってみたところ、《まるであの強烈な幻覚剤を五十ガンマーも飲んだみたいな状態になった。精神医学的には錯乱と幻覚をともなうヒステリー性朦朧状態(もうろうじょうたい)なんだ。これは学問的に実に興味ある現象だ。ぼくは機会をのがさない。ただちに観察を続行し記録をとった》)場面でも、《カミーユは従った。どうしてだか、ドロマールに従うのが気持よかった。歩きながら、下腹部と乳房に甘い快感を覚えた。全身の皮膚は極度に敏感で、ストッキングとブラジャーは電気を帯びているようにピリピリし、下着がぴったり皮膚に貼りつくようだ。まるで素裸で歩いている感じ、つまり衣類の中で裸の肉体だけが孤立して感じられるのである。カミーユは快感に酔いながら全身をほてらせた。》といったぐあいに、ただの文学的表現を越え、投与実験に立会って記録した経験を基に表現している。

 

 精神科医でもある神谷美恵子の書評は、『フランドルの冬』の希有な特徴をとらえている。

《「この世は巨大な牢獄で、わたくしたちすべては無期徒刑因……なのに、その不安の本態を自覚する人はごくわずかです」

 この小説の終りのほうで、主人公とみられる精神科医ドロマールのいうことばである。この世界の退屈と無意味さからの脱出、というと、現代のわたくしたちにとって、すでにかなりなじみ深い実存哲学的なひびきが感じとられる。

 事実、この小説をつらぬく基本的な主題はこの脱出の問題と思われるが、長年死刑囚の精神状況探究に打ちこんだ著者の筆にかかると、右のことばは決して単なる抽象的思考ではなくなってくる。北フランスの荒涼たる自然、そこに一般社会から隔絶されて立つ精神病院内部の人物や情況。そうしたものの、めんみつにかきこまれた描写と構成を通して、この主題はどっしりした現実感をもってせまってくる。長編小説の持つ威力をあらためて感じさせる作品である。

 脱出の方法は患者たちの狂気の姿及び数人の特異な人物の生きかたによって、きわめて具体的に描き出されている。それは作中の多くの普通人とあざやかな対照をなす。(中略)

 フランスの精神病院と精神科医、フランスの精神医学とその歴史などを、その地で学び、働いた精神科医の手によって、内部から照らし出してもらえたのは、わたくしたち精神科医にとって、とくにありがたいことであった。ただ文献を読んだり、行きずりにフランスの精神病院を見学するくらいでは、到底わかりえないことである。一国の学問というものが、決してただ孤立した専門的な知的作業だけでできあがるものでなく、その国全体の社会と文化のありかたを基盤として築きあげられるものであることを、この書物は強い説得力をもって示している。》

 それは例えば、治療の対象とならない、患者をただ収容して生かしておくだけの「不潔病棟(メゾン・ド・ガチスム)」で、「看護尼」が献身的に働いている、というキリスト教世界の事を知るだけでも、フランスの社会と文化のありかたがわかる。

 また、神谷はドラボルド神父の「描写は希薄に感じられた」と指摘し、「著者にとってかなり無縁な、したがって重要性の少ないありかたなのかも知れない」とは、著者が晩年になって洗礼を受けていることから、キリスト教および神父という存在に重要性、ひっかかりは当時から十分にあったが、著者の内面で、モーリヤックやベルナノスのようにまで小説の言語表現するほどには煮詰まっていなかった、ということを示しているのかもしれない。

 篠田や平岡のように「主人公のいない小説」、「孤独な各人物の視線は融和することなく多元的に交叉するだけ」と捉えるか、あるいは安直にコバヤシを主人公と考えるか、に反して神谷のように、ドロマールを主人公とみる、というのは異論のあるところだろうが、端的に言われてしまえば、神谷の指摘した世界をもっとも貫いている人物と理解しうる。

 

 ここからは、この作品をもっとも特徴づけ、他に類を見ない学識と深度の、神谷的な視点である「精神医学」に関する記述を、「実存哲学的なひびき」(「黒い炎」)とともに取りあげる。

精神病院が舞台となった小説はいくつかあるが、たとえ医者が主役の場合でも、病理学的見識にまで達した作品はまずみかけないからである(未達の代表例としては、北杜生『楡家の人々』、武田泰淳『富士』、埴谷雄高『死霊』があげられよう)。

 

<フランスの「精神医学」>

 これから引用する部分が、この小説ならではの記述といえる。

新潮文庫P162)《コバヤシがドロマールの名を知ったのは、《医学心理学雑誌(アナル・メディコ・プシコロジック)》の書評欄においてである。一八四三年に創刊され、世界でもっとも古くから永続したこの精神医学雑誌(因(ちな)みに日本の《精神神経学雑誌》は一九〇二年の創刊である)は、コバヤシのいた大学の医学図書館の書架に、第一巻から揃えられ、百年以上にわたるその量と権威とすぐれた内容でコバヤシの興味をひいた。精神病理学を専攻する若い彼にとって、何よりも便利であったのは、この雑誌が世界各国の新しい論文や単行本を紹介し解説する立派な書評欄を備えていたことで、それさえ読めば世界中の学問の趨勢(すうせい)がたちどころにつかめるのであった。そして月々出る厖大(ぼうだい)な書評の末尾に必ず書かれているJ・V・ドロマールの名を、コバヤシは驚嘆と賛美(さんび)の念をもって眺めたのである。

 J・V・ドロマールとは何者か。彼は教授名鑑に出ていないから教授ではないらしい。といって若い学者ではなさそうだ。読まれた文献から推すと、英独仏露をはじめスペイン・イタリー・ポーランド・オランダ・デンマーク・ノールウェーの各国語を自由に読めるらしい。おそるべき語学者である。全ヨーロッパ語に通じた、ヨーロッパそのもののような怪物をコバヤシは思い描いた。

 そのうち、J・V・ドロマール著の《幻覚剤リゼルグ酸の正常人および分裂病者に対する影響》という論文が医学心理学雑誌にのりはじめた(筆者註:リゼルグ酸=LSD25。「分裂病」は2002年に「統合失調症」と名称変更されているが、執筆当時のママとする)。これは数回にわたって連載された長大な論文で、彼一流の該博(がいはく)な知識で古今の文献を引用しながら証拠として自分の症例を報告していくという体裁をとっていた。とくにハシシュ・メスカリン・モルヒネ・アルコールとリゼルグ酸との異同を論じた部分は、多数の文学者(たとえば、バルザックユゴー、ゴーチェ、ボードレール、ド・クィンシイ、コールリッジ、ポオ、その他きいたこともない人々)の病誌(パトグラフイー)が詳細に分析されていた。学生時代、誰でもやるよう飜訳(ほんやく)小説を耽読(たんどく)したことのあるコバヤシは、それらの記述をそれはそれとして面白く思ったし、ドロマールに或る種の親密感さえいだきはしたものの、大論文全体を読みおえると、まるで玉石混淆(ぎょくせきこんこう)の美術館を丹念に見終えたときのような、苛立(いらだ)たしい疲労にうちのめされてしまった。それは、たとえばヨーロッパとは何かと問いつめられ答に窮した場合の困惑に似ていた。たしかに何か独創があるらしい。しかし、その正体が皆目わからない。《この男は、とてつもなく偉いか、よほどの莫迦(ばか)にちがいない》コバヤシは呟いた。

 けれども、この大論文の文献表のおかげでコバヤシはドロマールの百余りもある他の著作を知り、暇をみては少しずつ読みすすむことになった。そして十五年も昔の《解釈妄想(もうそう)の成立機序》を読んだとき目から鱗(うろこ)が落ちる思いをしたのである。そこで述べられている《拡散と放射(ディフュージョン・エ・レイヨンスマン)の理論》は、断固たる独創であり、ドロマールの全業績を解く鍵なのである。そして《リゼルグ酸》の漠然(ヴァーグ)として巨大な(ヴァースト)(ヴァーグ・エ・ヴァーストという形容詞をドロマールは好んで用いた)様相も、一個の芯(しん)から放射(・・)された拡散(・・)にほかならないのである。ドロマールは漠然として巨大な樹のような男だ。無数の枝葉を茂らせた幻惑するほどの多様さの中央で、一本の太い幹がどっしり根をはっている。コバヤシは今度は心から感嘆した。

 二年前、彼がフランス政府の給費留学生となってパリのサンタンヌ病院で勉強することになったとき、同僚の誰彼は一様にいぶかしがった。戦前、日本の精神医学は完全にドイツ精神医学の影響下にあった。敗戦後は、アメリカ精神医学こそが規範たるべきである。それが通念であった。若い研究者はアメリカの力動精神医学(ダイナミック・サイカイアトリ)や精神分析を習うため競って留学を志していた。

「フランスだって? もう古いよ、きみ。あの国が全盛だったのは、十九世紀だろう。ピネル、エスキロール、モレル、マニャン、彼らの時代にはフランスは世界の中心だった。が、ドイツに大天才クレペリンが出現してからは、もう駄目だね」

「仏文学者や画かきや音楽家ならまだしも、なにも医学をやるものがパリくんだりまででかけることはなかろう」

 もちろん、心ある者たちは、クロールプロマジンという劃期(かっき)的な向精神剤を発見したジャン・ドレイやネオ・ジャクソン主義をとなえて有名なアンリ・エイの名前ぐらいは心得ていた。しかし、J・V・ドロマールとなると誰一人、全く何一つ知らないのであった。ドロマールはあまりに漠然として巨大なるが故(ゆえ)に彼らの目に見えないのだ――そう考えて、コバヤシは自分を慰めた。

 パリ大学附属サンタンヌ病院は監獄なみの高い頑丈(がんじょう)な塀(へい)に囲まれた、古い大きな精神病院である。病院というより病院群といったほうが正確かもしれない。カバニス街に開いた鉄門からマロニエの並木道をかなり行くと、右に救急病棟(アドミッション)と称するパリ市に発生した精神病者を収容する平べったい漠(ばく)とした建物が見えて来る。左には、アンリ・ルッセルという独立した病院が、品のよい女性のような風格で建っている。さらにその奥へ歩いていくと、ようやくパリ大学附属精神科のくすんだ四角い病棟(クリニック)に到達する。最初、サンタンヌ病院の規模の広大さに驚いたコバヤシは、この大学附属精神科の、建物の古さと小ささにも、また吃驚(びっくり)した。ともあれ、コバヤシの留学生活は規則正しく続けられた。午前九時から正午まで患者の診察、昼食をサル・ド・ギャルドという職員食堂で食べ、午後は図書館へ出向く、そんな生活である。(中略)

 毎週火曜日の朝、主任のジャン・ドレイ教授の診察が行なわれる。クロールプロマジンを発見し精神病治療の革命をやりとげ、国際的名声をもつうえ、若くして最短コースで教授になり、《アンドレイ・ジイドの青春》で批評家大賞をうけた文学者でもあり、やがてはアカデミイの会員たらんとする、このドレイ教授の権勢たるや、それはもう大したものであった。》

 

 サンタンヌ病院の図書室での様子からはじまって、フランス精神医学史を、フーコー『狂気の歴史』や『監獄の誕生』を読むような感覚であらわしている。

(P169)《コバヤシは、黒や青や赤の地味な書物の列の間を、その背表紙の金文字を追って、書棚(しょだな)から書棚へとゆっくり歩むのが好きだった。そんな散策の途次、ひょいと掘出物を発見する。ピネルの《哲学的疾病分類学》や《マニーにかんする医学哲学論》の初版本やジョルジュの《狂気について》やJ・P・ファレルの《循環性精神病》など、世界の精神医学を創始した輝かしい先達たちの名著が、日本ではとても読めないと思ってあきらめていた古書が、現実に手の中に握られるのである。

 はじめは手当り次第に、そのうち系統的に、コバヤシは古い文献を読みはじめた。かつて、《医学心理学雑誌》を読みあさっていた頃とは、またちがった様相のもとに、フランス精神医学の歴史がその広く深い奥底を現わしてきた。それは単に、広く深いだけではない。何よりもこの国に育ち経過した出来事であり、コバヤシが注意深く探究さえすれば、その痕跡(こんせき)を現に目で確かめられる歴史であった。

 早い話が、日本にいたとき、コバヤシにとっては、精神医学は、他の医学の全領域と同じように、ヨーロッパ語の飜訳語を用い、病気をなおすという明確な目的をもち、まとまりをもった体系と知識の集成であった。彼は、それがそこにあるからという理由だけで、精神医学に臨床に研究に、熱中すればよかったのである。確かに、それがよそ(・・)から到来したという意識はどこかにあった。が、すべての科学が到来品である以上、彼は別に精神医であるということに不思議も迷いも感じなかった。

 今、パリのサンタンヌの図書室で、古書に埋れながらコバヤシを打った驚きと眩暈(めまい)は、美しく完成された作品の背後に、血まみれの苦悶(くもん)に彩られた莫大(ばくだい)な屑(くず)と習作を発見した観賞家のそれであった。ヒッポクラテス以来、二千三百年の間に、何と多くの過誤が、愚劣な意見が、血と死がばらまかれていることか。

 ギリシャ、ローマでは、狂人はまだしも病人とみなされ、医者の手にゆだねられていた。しかし、長い中世においては、狂人は魔法使い・悪魔(あくま)憑(つ)き・魔女とみなされ、外科手術が理髪師の手で行われたように、乱暴にも、悪魔(あくま)祓(ばら)いの僧侶(そうりょ)によって処理されることになった。錬金術と並んで鬼神論(デモノロジー)が登場するのである。鬼神論は最初、狂人に対して寛大であった。人々は神を愛すると同じくらい、悪魔を怖れていたのである。狂人を救うために、聖人の墓の奇蹟(きせき)的な霊験が求められ、呪文(じゅもん)がかけられ、修道院は庇護(ひご)を与えた。魔女や魔法使いが大量に死刑になり、火に投ぜられるのは、十三世紀の法王イノセント四世の時代に宗教裁判の制度ができて以後、なかんずくルネサンスの科学復興の行われた十五世紀と、続く二世紀の間であった。

 この十五世紀に現れた二人のドミニコ派の僧侶、ヨハン・シュプレンガーとハインリッヒ・クレーマーの《魔女の槌(つち)》という法皇公認の書物こそ、中世の鬼神論とルネサンスの科学精神の見事な化合物なのであった。宗教裁判の教典となったこの四折判の分厚い書物のあらゆる頁(ページ)から、狂信的で一方的な、しかし整然とした観察と推論と結論が溢(あふ)れだし来た。人間は何をしようとも、たとえ狂気にかかったとしても、それは自分の自由意思で行う。人間は自由意思で悪魔の要求に服従する。だから、狂人は責任をとるべきであり、罰せらるべきである。しからば、狂人を悪魔の手より救う道は? 狂者の霊魂は堕落したみだらな意志によって肉体の中に罪深く囚(とら)われているから、再び解放してやるべきだ。つまり肉体は焼かれねばならない。宗教裁判は、こうして、もっとも慈悲深い宗教的判決ともっとも科学的な処置として、火刑を宣告した。何十万という狂人たちが、魔女や魔法使いの烙印(らくいん)をおされて焔(ほのお)の中に消えていった。魔女の槌音は強大な反響をヨーロッパ中にこだまさせながら、長い間、ほとんど三百年の間、鳴りひびいた。最後の魔女がスイスのグラルスで殺されたのは、実に一七八二年のことである。

 もちろん、魔女裁判的な狂人の集団殺戮のみが当時の風潮のすべてであったのではない。数は少ないがそれに反対する先覚者もいたのである。十六世紀のパラケルスス、ファン・ルイス・ヴィヴァス、ヨハネス・ワイヤーなどの進歩的な――といってもたかだかギリシャ、ローマ的なものではあったが――人々は、十七世紀にはさらに多く、十八世紀にはもっと多かった。ただ、先覚者たちの抗議や叫びにもかかわらず、一般世人の狂者への考え方は、依然として中世的・ルネサンス的なものにとどまったのである。そして、十八世紀の末、フィリップ・ピネルが登場した頃でも、精神病者のための真の病院はヨーロッパに一つもなく、患者たちは重罪犯同様監獄に終身拘禁され、鎖でつながれ、鞭打(むちうち)・殴打(おうだ)・絶食の折檻(せっかん)をうけていた。たまに治療が行われても、それは残酷な瀉血(しゃけつ)であり、灌水浴や回転椅子であった。

 ピネルにいたって、はじめて、狂人(フー)が病者になり、監獄が病院になり、折檻と拷問が治療になった。そして、十九世紀こそフランスを中心として近代精神医学が発達し、現代精神医学への重要な橋渡しの役をつとめるのである。コバヤシは、ルネ・スムレーニュの《フランスの偉大な精神医たち》を指標に、十九世紀の原典を読みふけり、その豊饒さと複雑さに完全に圧倒されてしまった。つまり、奥深い出口のない迷路に迷いこんでしまったのである。

ピネルの前には、全人格論者ピェール・カバニス(サンタンヌ病院前の道は彼の名前で呼ばれている)、人道主義的精神医ジャン・コロンビエ、ジョセフ・ダカン、そしてジャック・ルネテノンがいた。ピネルの弟子(でし)には《医学心理学会》の創設者であり一八三八年の法律をつくったギョーム・フェルュスと、精神医学の体系の基礎をきずいたエスキロールがいた。エスキロールの伝統のもとに、若き天才ジョルジェ、完璧(かんぺき)な臨床医ジャン・ピェール・ファルレ、《医学心理学雑誌》の創刊者バイヤルジェ、それから有名な変質論者モレルとマニャンが来る。彼らはすべて、熱烈な研究者であり、創造的な人々で、その点でフランス精神医学の太い幹をつくっている。が、彼らの意見には、何という対立と矛盾と混乱が充(み)ちていることだろう。それは、一つの意見が創見とも偏見ともなり、一つの臨床的記述が立派な学問的資料とも単なる空想ともなる時代であった。

 困惑しきったコバヤシは、或る日、埃(ほこり)にまみれた小冊子を発見し、救われたのである。それは、パリ大学博士論文(テーズ)紀要中の一冊で《十九世紀のフランス性維新医学と精神病院》という、コバヤシにとってお誂向(あつらえむ)きの表題であった。著者はジャン・ヴァンサン・ドロマール!(中略)

 たとえば次のような記述がある。

 普通、偉大なる人道主義者で狂人を鎖より解放し、精神医学の創始者とみなされているフィリップ・ピネルが、ビセートル監獄に来たのは一七九三年、サルペトリエール病院にのりかんだのは一七九五年である。ピネルの事業はトニ・ロベール・フルーリーの画(その複製をコバヤシは東京の松沢病院で見たことがあった)やサルペトリエール前の銅像(それは一八八五年《医学心理学会》の手で除幕された)によって全世界に一般化され有名である。しかし、ピネルの弟子ギョ-ム・フェルュスが一八二六年ビセートルの医長となったとき、つまりピネルの改革後三十年たったとき、フェルュスがみたのは、依然として暗く湿った不潔な独房であり、壁に鉄の輪でくくりつけられ強制的に立ったままの生活をさせられている狂人たちであった。フェルュスは、ピネルと同じ熱意で病院を改革した。フェルュスの創始した作業療法用の農場、それこそ現在のサンタンヌ病院の敷地なのである。サンタンヌには牧場と豚小屋と畑、搾乳場や薬局があった。しかし、フェルュスがビセートルを去ったとたん、サンタンヌの農場は忘れられ、患者たちは治療も監督もなしに、うろつきまわり、ついにこの世界最初の作業療法場は閉鎖されてしまった……》

 

 後の一九六九年に、フーコー『狂気の歴史』(一九六一年)に対して、「精神医学の正当性に異議を申し立て、精神疾患概念や精神医学の治療機能の存在理由をおびやかす「精神医学殺し」」として激しく反論、非難したアンリ・エーに関する記述もある(対してフーコーは、一九七三年度、七四年度のコレージュ・ド・フランスの講義『精神医学の権力』と『異常者たち』で「権力装置」としての精神医学の告発をし、さらにエイは晩年の一九七八年に『精神医学とは何か――反精神医学への反論』を刊行した)。

(P192)《アンリ・エイというのは、ピェール・ジャネなきあと、フランスの生んだ最も世界的に高名な精神病理学者の一人である。英国の神経学者ジョン・ヒューリング・ジャクソンの理論を精神医学に導入し、神経学と精神医学の総合を企てた彼の理論体系は、ネオ・ジャクソン主義という名で知られていた。確かに骨太で広範な可能性をもつ体系で、それは、フロイト精神分析、ジャネの心的緊張論、ビンスワンガーの現存在分析(ダーザインスアナリーゼ)、ミンコフスキーの現象学など、すべての二十世紀精神病理学を自分の体系の中に併呑してしまった。エイと個人的には仲の悪いドレイ教授すら、《リボーの心理学とジャクソン主義》という論文で暗にエイの学説を讃(たた)えている。それもコバヤシのみたところ、無理もないことで、エイとドレイはともに、サンタンヌ病院に根拠を置く、《サンタンヌ学派》なのである。そしてサンタンヌ学派はクレランボーやオイエを中心とする《サンペトリアール学派》と鋭く対立していた。たとえば、ついさっきヴリアンが暗唱していたクレランボーの学説は、エイによって《十九世紀的脳局在論、デカルト的機械論、時代錯誤の分子論(アトミスム)》として激しく論難されていたのである。ヴリアンがクレランボーの精神自動症を丸暗記するかたわら、エイの講義プリントに随喜する、その矛盾した態度が、コバヤシには、半ば滑稽で半ば不可解なものに思えたのである。》

 

<診察/治療>

 実際の診察、治療や、医長資格試験(メディカ)についての記述も重要だ。ここで、フランスにおける「医長」の位置づけを知っておいた方がよい。

(P328)《精神科医長(メトサン・デ・ゾピトウ・プシキアトリック)、それはフランスにおいて大学教授の資格と同等の重みを持っている。いやそれ以上かも知れない。現に国際的名声をもつ、J・V・ドロマールやアンリ・エイは精神科医長ではあるが教授ではない。医長の資格こそは最高の名誉であり出世であり、広いれっきとした公舎と自動車二台を保証する身分なのである。》

(P263)《六月中旬に行われる《メディカ》がもっぱらの関心の的なのである。ラガンはまだ若すぎ、ブノワは自信がない。そこで今年運試しをするヴリアンの勉強を助けるという名目で寄集っていた。或る日、ドロマールの発案でコンクールの模擬が行なわれた。もちろん、ヴリアンが受験者で、医長連が審査委員になった。

 その日の午後、会場の閲覧室に、病院の全医師が集った。正面にドロマール、エニヨン、マッケンゼンの三医長、その前にヴリアン、傍聴席には、ブノワ、ラガン、クルトン、エニヨン夫人、コバヤシの内勤医全員が坐った。

 面々の顔ぶれが揃ったところでドロマールが右手をあげパチリと指をならした。それを相図に、ヴァランチーヌとニコルに前後をはさまれた患者が入室した。ドロマールがストップウォッチを押し、診察が始った。

 ヴリアンはさすが緊張し、すでに汗ばみながら、患者に向ってとってつけたような微笑をつくり、老練な精神医らしい形を演じていた。

「あなたのお名前は? その、ここに居るのはみんなお医者さんですから、別に心配しなくてもいい。で、あなたのお名前は?」

マドモワゼル・リフラール

「おとしは?……」

「…………」

「これは失礼。それでは、その、あなたはいつ入院しましたか」

「…………」

「それでは、なぜ入院したか、わかりますか」

「…………」「なにかあったからでしょう。それでは、うかがいますが、あなたは病気ですか。つまりどこか悪い?」

 マドモワゼル・リフラールは沈黙した。ヴリアンは何とか喋らせようと患者の横に椅子を移動させ、その顔をのぞきこんだ。患者は化石したように動かない。まばたきだけが彼女が生きていることを証拠だてていた。

 リフラールはコバヤシの患者である。いわゆる慢性妄想病者(デリラン・クロニック)で、病室内では模範的な――つまり従順で物静かで、昔お針子だった技術を生かして他の患者の作業を指導する立場の――患者であった。模擬コンクール用の患者として彼女が選ばれたのは、ヴリアンが患者を知らないという理由のほかに、彼女がきわめて人当りよく、《よく話す》患者であったからだ。一見正常人と変らない彼女の内側に匿(かく)れた病的な被害妄想(もうそう)をききだすこと、それがヴリアンに課せられた使命なのである。

 しかし、ヴリアンは最初からつまずいたようだ。彼の禿頭(はげあたま)に吹出した吹出物のような汗と、憐(あわ)れな切れぎれの低音と、沈黙を続けるリフラールの硬(かた)い姿勢がそれを物語っていた。

 ドロマールは無表情にストップウォッチに見入っている。エニヨンは自分の内勤医の不手際(ふてぎわ)に不満なのかしきりと尻の位置を変えて椅子をミシミシさせ、マッケンゼンは眠ったように目を閉じた。そしてコバヤシは患者の後に立っているニコルを食入るように見詰めていた。

 どうしても返答をえられないので焦ったヴリアンは、意を決して患者の肩をたたいてみた。

「ねえ、マドモワゼル。ぼくの質問が……」患者は、やにわに肩を引き、のけぞりながら立上った。ニコルがそれを椅子に連戻した。

「さあ、こわがらないで、ルイーズ。この方はドクトゥールなのよ。いつも私にお話しするつもりで、答えてごらんなさい」

 するとエニヨンが鋭く叱責(しっせき)した。

「看護婦は黙って! 今は、ドクトゥール・ヴリアンだけに発言の権利がある」

 ニコルはさっと赤くなった。コバヤシは自分自身が叱(しか)られたように顔に血がのぼるのを感じた。その一刹那(いっせつな)、リフラールが椅子を倒してとびあがり叫びだした。

「もうたくさん! なんだって皆さんは、わたしを見世物にするんです。おんなじ質問をばっかみたいに繰返してさ」

 亢奮(こうふん)した患者は、支離滅裂に喋(しゃべ)りまくり、ニコルを突除(つきの)け、出口に駈けだそうとした。すると今までスイスの番兵式に直立不動の姿勢でいたヴァランチーヌがひょいと振子のように手を伸ばして患者の腕首をつかみ、部屋の中にぐいっと引戻した。その、あまりに鮮(あざや)かな早技(はやわざ)に患者も驚いたらしい。急に喋りやめ、当惑したように周囲を見回した。中腰になったヴリアンは安心して腰を降し急いで記録をとりだした。今の突発的亢奮は明らかに彼に有利だった。少なくとも錯乱状態と思考障害と被害妄想の要点はつかみえたはずだ。

 意外にもマドモワゼル・リフラールの目はコバヤシのところで止った。生気のない曇った目に不穏な光がさしこむ――コバヤシは自分の受持患者の目についぞ見たことのない激しい敵意を見てとった。

「お前だ。お前みたいにきたならしい黄色人種がわたしを駄目にする。お前が医者だって? なにさ、女みたいに毛のないくせに。知ってるよ。お前は男じゃないんだ。くやしかったら黄色い子供でも生ませてみりゃいい」

 彼女は後からあとから淫猥(いんわい)な侮蔑(ぶべつ)の言葉をコバヤシになげつづけた。が、コバヤシは努めて平静を装い、その努力のため、もう何もきいていなかった。《たかが狂った患者の言葉じゃないか。誰も本気にとりはしない》そう自分に言聞かせると同時に、《精神病者というものは、正常人のひそかにいだく観念を異常に拡大するものだ》という知識が彼を苦しめた。火のないところに煙は立たないのである。

《ニコルがきいている。みんなどうしてやめさせないんだ。みんなどうして黙ってるんだ。あのヴリアンの奴(やつ)はどうして落着き払って速記してるんだ。ああ、やめさせてくれ……》その時リフラールの声が耳に入った。「みんな言ってるよ。マドモワゼル・ラガンの時は良かったって。お前の患者じゃ恥ずかしくってとってもやりきれないとさ。本当だよ……」

 その一分か二分のあいだ、コバヤシは人々みんなの視線が自分に注がれていると感じ、その場にいたたまれぬ思いをした。けれども、リフラールが鉾先(ほこさき)を変え、今度はブノワを攻撃しだしたこと、彼女の言葉が彼が聞き取ったよりも存外にまとまりを欠き到底一貫した意味を持たないことを悟ると、自分が平然とした態度をとり、医師の高みから患者の病気を見下しえたことに満足した。そうして自分の心の中に弱点が――医学でいうLocus minoris resistentiae――があり、その点に触れられることに極端に敏感に反応しすぎることを反省した。

 何事もおこらなかった。ニコルも顔色一つ変えなかった。彼女は患者の混乱した言語を聞いただけで意味などわかりはしなかった。《そうだ。これが例の病気なのだ。ぼくだけが、ぼく一人だけが何かを怖(おそ)れている》

 患者の亢奮はますます激しくなった。もうヴァランチーヌとニコルの力だけでは及ばず、数人の看護婦が総掛りで患者の腕を押えつけねばならなかった。その前でヴリアンは、なすすべもなく、しかしうわべは冷静を装って記録をとっている。それはいかにも見世物めいた醜悪な情景となってきた。

 ドロマールが顔をあげ、右手で合図した。

「あと五分だ。ヴリアン。それから別室でリポートを作成したまえ」

 ヴリアンは会釈した。彼は実に困惑しきっていたのだ。なるほど患者の錯乱状態は十二分に観察しえた。だが、この種の妄想患者においてもっとも重要な症状――過去から現在までの経過――については何ひとつききだしていなかったのである。

マドモワゼル・リフラール。もう一度おたずねしますが、その、あなたが入院した理由はなんですか」

 またしても型通りの質問である。亢奮患者には立上って大声で話しかけるべきなのに、彼は坐ったまま、間のびした低音で訊(たず)ねたのである。患者は質問を無視し歯をむきだした。そして看護婦たちの隙(すき)をみると、机上からヴリアンのノートをひったくり投げ捨てた。看護婦たちが一団となって机に倒れこみ、インク瓶(びん)が転(ころ)がり落ち、インクまみれの憐れなヴリアンが悲鳴をあげた。ドロマールが苦々しげに叫んだ。

「患者をつれて行きたまえ。何ということだ」

 それからどうなったかコバヤシは知らない。彼は、看護婦二人が躍起となって患者に拘束衣(カミゾール)を着せようとしていた。患者は抵抗し、唾(つば)を吐き、悲鳴をあげて荒れ狂っていた。丁度そんな騒ぎの最中にコバヤシは来合わせたのである。

《あの、おとなしい患者が、どうしたことだ》一歩、近付いてみた。すると患者は煮湯でもかけられたように一層激しく暴(あば)れ、危く、ベッドの鉄枠(てつわく)に頭をぶつけそうになった。

 ヴァランチーヌは、いかにも邪魔だというようにコバヤシを肘(ひじ)で押し、拘束衣(カミゾール)を持って待機していたニコルに「ラルガクティルの五十ミリグラムを筋注、いそいで」と命じた。そして、ニコルが注射器と薬をとりに去ると、言訳がましく「医長先生の指示です。亢奮したときはラルガクティルを注射するように」と言った。

 とっさに、自分でも思いがけない強い言葉がコバヤシの口から飛出した。

「さあ、手を放して。みんな部屋から出てもらいたい」

 看護婦たちはすぐにはコバヤシの命令に従わず、ヴァランチーヌの顔色をうかがった。それがコバヤシの癇(かん)に触(さわ)った。

「放せといったら、放すんだ。そしてみんな出て行きたまえ」

「しかし、ドクトゥール」ヴァランチーヌが批難の目付で睨(にら)んだ。「医長先生が……」

「かまわん。とにかく、ぼくとマドモワゼル・リフラールの二人だけにしてくれ」

 ふと、あの感覚、憲兵を言含めたときの、昂揚(こうよう)した気分が復活した。どこかの半透明な別世界から、すぽっと明確な現実世界に落ちて来た、あの気持である。彼は、自尊心を傷つけられた尼さんの手負猪(ておいじし)のような身のこなし、看護婦たちの驚きの表情、そして――これが最も重要なことだったが――不意に身じろぎをやめたリフレールの好奇のまなざしを、ありありと意識した。

「出てゆきたまえ、みんな。あとはぼくがやる」

 二人きりになると患者は顔をそむけた。が、暴れ出そうとはしなかった。コバヤシは力を得て、話しかけてみた。

マドモワゼル・リフラール。ぼくは後悔してますよ、あなたを、あんな場所に連れだしたことを」

 患者はちらっと視線を走らせたがすぐ傍(わき)を向いてしまった。天井をにらんでいる頑(かたく)なな横顔が枕の上にあった。しかし、その顔の中には、もう荒々しい狂乱のきざしは見られなかった。コバヤシは辛抱強く待った。《彼女は迷っている。こういうとき何かを尋ねてはならぬ。待つんだ……》

 三十分ほどした頃、リフラールはにんまりと笑い、上目遣(うわめづか)いにこちらを見た。

「どうして、あなたはそこにばっかみたいに立ってるんですの?」

「あなたと話がしたいからですよ」

「おかしなひと」

 彼女は枕に顔をうずめてくっくと笑いこけた。笑いやめると、今度は身を起して真正面からコバヤシを見詰めた。(中略)

 次第に頬の病的な赤らみが消え、怒張して不自然な笑いをつくっていた顔面筋が和(なご)み、彼女が目を開くまでの数十分、コバヤシは立ったまま待った。何も考えなかった。ただそうしなければならぬという義務感だけが彼を駆立てていた。

 彼女は彼を認めた。そこには気持のよい驚きの表情があった。

「気がつきましたね」

「ああ、ドクトゥール・コバヤシ。わたしどうしたんでしょう」

「何があったか、思い出してごらんなさい」

「いいえ、何もおぼえてません。何も……」

「それでいいのです」

 コバヤシは微笑した。》

 

(P278)《コバヤシは、自分がこの国に来てからの勉強方針が、全くの誤謬(ごびゅう)だったとはいえないにしても、何かあまりに一面的すぎていたことに気付いた。《精神医学史も結構、精神薬理学も結構、でも、それが医学である以上、病気を癒すという点に力点があるのだ。そして、医学をつくるのは医者だ。もっともっとこの国の医者(・・)について学ばねばならない》そう考えて、彼は医者としてのエニヨンとクルトンに興味を持った。

 ロベール・エニヨンは、ドロマールとまた違った意味で、学者であり医者であった。大の勉強家で最近の精神医学、ことに治療法や病院管理法の文献には精通している。コバヤシは、エニヨンの病棟を見学に行き、その明るい整然とした病室と活気に充(み)ちた雰囲気と高価な治療器具が所狭しと並べてある壮観に圧倒された。サンタンヌの病室などより、よほど近代化されている。

「どうだね」案内を終えたエニヨンは誇らしげに肉付のよい肩をそらした。

「大変、近代的(モデルヌ)だと思います」

 ところがエニヨンは不満げにこちらを睨みつけた。

「いいや、きみ、近代的(モデルヌ)じゃない、現代的(アクチュエル)だと言ってほしいね」

「なるほど、大変に現代的(アクチュエル)ですな」

 エニヨンは、ヒッヒと鋭く空気を切断するように笑った。それはつい、こちらも誘いこまれるような、あけすけに快活な笑い方であった。

 エニヨンは白衣を嫌(きら)い、ペンキ職人のようなジャンパー姿で病室内をぶらつく。それは、医者という権威を捨て、一個の人間として患者と平等な立場で話合うためである。彼が、家庭で大勢の子供たちに囲まれているように、嬉しげに近寄ってくる患者たちの中央で目を細めている。そんな姿をコバヤシは何度もみかけた。

 エニヨンの現代治療法は、確かに目覚(めざま)しい成果をあげていた。院内で彼のところが一番退院患者が多く、従って入院患者も多く、ベッドの回転率が高いのである。このことは、彼をはじめ看護婦たちをいやがうえにも多忙にし、他方では病室内に生き生きとした熱気をかもしだしていた。退院患者のアフター・ケアー、入院患者の環境調査で、家庭訪問員(アシスタント・ソシアル)のカミーユ・タレは、ほとんどエニヨンのためにとびまわっていた。コバヤシは、あの陰鬱(いんうつ)なカミーユが、エニヨンのところでは、別人のように明朗でお喋りなのにも一驚した。エニヨンの強力な影響は、看護婦たちにも明白に及んでいた。彼女たちは、電気をかけられたようにきびきびと立回り、しかも陽気であった。

 あらゆる科学と同じく、医学にも不能の領域がある。そのことをエニヨンとて知らぬわけではあるまい。しかし、彼は好んで光の当った明るい部分に目を向けていた。それだけでも為すべきことが山積みされているのだ。ところで、クルトンは、逆に、暗い翳(かげ)の部分に一層の関心を示していたといえよう。

 或る日、コバヤシが診察に熱中しているところへ電話がかかってきた。精神薄弱者病棟の患者が一人食事をせず衰弱しているからどうしたらようかと当直医としての彼に問合せてきたのである。いつものように電話で指示するだけで厄介払いしようとしているうち、相手の声が急にクルトンの声に変った。

「なあんだ君か。声色を使っていたな」

「まあそう怒るな。ところでこんな場合、当直医としてはどうするかね」

「いったい君は今どこに居るんだ」

「不潔病棟だ」

「そんなら、君が診てくれればいいじゃないか」

「そうはいかない。急患は当直医の仕事でね」

「わかったよ。今行く」

 そしてコバヤシは、例の素裸の白痴を収容した保護室や、廊下と壁に滲みこんだ糞臭(ふんしゅう)のほかに、大部屋につめこまれた《軽傷》の精薄者たちの集団を見たのだった。それはまさしく見た(・・)のであり、それ以上の何かをしたい(・・・)と思ったわけではなかった。医者というものは、重い病者をみると、それをどうにかして癒(なお)さねばならぬ義務感を覚えるものである。ところが、不潔病棟では、一目見たときから、あきらめを、まるで一般の人々が重病人に感じるような、重苦しい当惑感を覚えるだけだった。

 薄汚れた制服の彼らは、仄暗(ほのぐら)い室内で、青い虫のように無秩序にうごめいていた。ガラス玉をはめこんだように冷い不動の目、古ゴムのように弾力を失って開きっぱなしの唇(くちびる)、蝕(むしば)まれた黄色い歯から石鹸水(せっけんすい)のような唾液(だえき)が胸のあたりまで垂れている。そんな彼らの間から、意味のわからぬ動物の吠声(ほえごえ)に似た奇声が起っては消えた。

 壁側には木製の奇妙な椅子に患者たちが縛りつけられていた。この椅子というのは、尻の当るところに大きな穴があり、下に便器を挿入(そうにゅう)できるようになっている。腰から上は、袖(そで)の閉じられた拘束衣を着せられ、下半身は裸の患者たちが、椅子に腰かけて一列に並んでいる光景を、コバヤシは無感動に眺めた。彼は、わずか一、二分でこの場の異様さに馴(な)れてしまった。《これはどうにも仕様がない。そうするのが当然なのだ》、と、そんな気になってしまったのである。

「やあ来たね。当直医殿」

 隣室からクルトンが現われた。彼はコバヤシを、ユースホステルめいた二段ベッドの立並ぶ寝室にひっぱって行った。ベッドには一人の痩せ細った真白な少女が横になっていた。

「ジョゼットだ。症状を説明しよう」「いや、ぼくはいい。大体覚えている」

 病棟づきの老いた看護尼が差出した病歴をクルトンは、コバヤシに手渡した。ジョゼットは脳性小児麻痺(しょうにまひ)だった。以前からあった痙攣発作(けいれんほっさ)が三日前から頻発するようになり、今朝からはのべつに発作をおこし続けている。

「つまり、てんかん発作の重積状態だね」コバヤシは自信なげに、眠っている少女の白い顔を見た。

「そうだ。抗痙攣剤を大量に使ったが、効(き)き目(め)がない。これ以上は危険だ。心臓がもたないだろう。あっ、またおこった」

 少女のほっそりとした美しい顔が、醜く痛ましくゆがんだ。歯をくいしばって叫び、ベッドからころげ落ちようとする。コバヤシとクルトンはベッドの両側から少女を押えつけた。発作は数分続いたのち一度鎮(しずま)ったかにみえたが、すぐ再発してきた。少女の血の気のない皮膚は、これだけ暴れているのに汗さえかかず乾燥してざら紙のようだった。水分の不足なのである。三度目の発作の嵐(あらし)が去ったとき、コバヤシはクルトンに言った。

「どうだろう。まず水分の補給だ。葡萄糖とビタミン剤を注射しておいて、脊髄液を抜いてみたら?」

「しかし、どうやって注射するね。こう絶え間のない発作じゃあねぇ。ほら、またおこった」

「君が押えていてくれたまえ。ぼくがやってみる」

 ところでこの不潔病棟には、十分な薬も脊髄穿刺針(せきずいせんししん)も備えられてなかった。それどころか看護婦すらいない。誰もこんなところで働こうという者がいなかったのである。篤志の老看護尼が三人夜昼泊りこんでいるだけでは、収容者の身のまわりの世話で手一杯で到底医療にまで手がまわらない。誰かが病気になると一応当直医の指示をあおぐものの、それは形式であって、実際には病人は放置され自然にまかされるだけであった。驚きあきれているコバヤシにクルトンが言った。

「そうなんだよ、君、これが現実だ」

 看護尼の控室まで行き、電話でA一病棟の看護婦に必要な薬と器具を持って来るように言付け、戻ってみると患者の容態(ようだい)はさらに悪化していた。といって、ただもう押えつけて以外に為(な)すすべがない。ふとコバヤシの心に疑念が浮んだ。

クルトン、君はずっとここにいたのかね」

「一時間前からだ。この病棟付の看護尼にとっちゃ、君よりまずぼくのほうが呼びやすかったんだろうね。ぼくは時々、この病棟に来てやるから」

「その一時間のあいだ、君は何もしなかったのかね。つまり何か処置をしようと……」

「したさ。抗痙攣剤を大量にうってみたと言ったろう」

「でもそれだけじゃ……」

「不足かね」クルトンは窪(くぼ)んだ小さな目をしばたいた。「たしかに不足だ。医者としては怠慢だ。ぼくは自分の受持病棟から看護婦を呼びよせることだって出来たわけだから。わかってるよ、君の疑問は。君は、ぼくがなぜ君を読んだか知りたがってるんだ」

「そうだ。なぜだ?」

「それはだね」クルトンはぐったり仰向いている少女の髪を撫(な)でた。「君の助けをかりたかったから、と言うと半分以上は嘘(うそ)になる。君にこの病棟を見てもらいたかったというと、真実により近いが、それでも半分ほどは嘘だ。ぼくはね、ただ、君に来てもらいたかったのさ。そう、それだけだ」

 クルトンは疲れたように言葉を切った。コバヤシは、それを弁解ととった。《要するにこの男は何もしなかったのだ。しようとする気力もなかったのだ。そして、面倒なことは当直医に押付けようとしている》

「できるだけのことは、やるべきじゃないか」コバヤシの言葉には強い憤慨がこめられていた。クルトンは首を傾(かし)げ肩をすくめた。このフランス人特有の曖昧(あいまい)な動作をコバヤシは腹立たしげににらみつけた。

 看護婦が必要なものを持ってくると、コバヤシは、クルトンと看護婦に少女を押えさせ、注意深く、細い透き徹(とお)るような静脈に高調葡萄糖を注射した。小止(おや)みのない痙攣に邪魔されながら、ともかくは注射は成功した。心なしか発作が弱まり、蒼白(あおじろ)い皮膚に血の気がもどってきた。血圧と心臓の鼓動に注意し、少女が安らかな寝息をたてているのを見て、コバヤシは思い切って脊髄液を抜きにかかった。太い針を背中に刺し、脊椎(せきつい)と脊椎との狭い柔い部分の奥に針が到達するとすぐ、ポタポタと生暖い水が流れだした。この脊椎穿刺は、精神医となってから何百回も実施し、コバヤシの手技は完全な熟練の域に達していた。みていた老看護尼が「ほう!」と感嘆したほど、コバヤシの手並は正確で堂に入ったものであった。

 この治療が効いたのか、少女の発作は消え、やがて目を開いて不思議そうにあたりを見回した。コバヤシは、老看護尼や看護婦の前で、医師としての自分の手腕を誇ることができた。そして、その看護婦がニコルでないことを残念に思った。

 ところが、翌早朝に不潔病棟から電話があり、患者が死んだと知らせてきた。仰天したコバヤシは、隣室のクルトンをたたき起した。

「すぐ行こう。そんな筈(はず)はないんだ」

「何をそんなに、じたばたしてるんだ」

「患者が死んだんだよ」

「だから、死んだものを今さら診(み)に行ったって仕方がなかろう」

「それはそうだが、何故(なぜ)死んだか知る必要がある」

「ジョゼットは死ぬべき運命にあったんだよ。あそこじゃ、こんなふうにしてたくさんの患者が死んだのさ」

「何だと」

 コバヤシは、クルトンの落着き払った微笑(ほほえ)みをにらんでいるうちに睡気(ねむけ)がとれ頭がはっきりしてきた。《ぼくも、あの少女が助からないことを何となく知っていた。それを強いて治療してみせただけなのだ。昨日、ぼくのやったことは全くのお芝居だった》そう思うと、吐気のような自己嫌悪(じこけんお)がおこってきた。

「知ってたんだな、君は。彼女が助からないってことを……」

「まあいいじゃないか。もう一度ゆっくり寝たまえ。死んだものは仕方がない」

 クルトンは、美しい歯をみせて欠伸(あくび)した。そして、扉から顔を出したカミーユに手をふった。

「何でもない。死ぬべき患者が、死んだだけなんだ」》

 

<「黒い炎」/「世界投企」>

 精神医学の世界は、二十世紀の実存的、現象学的な哲学に結びついて来た、ハイデガーヤスパースメルロ=ポンティ、……。

(P136)《「わからないな」ドロマールは怖(おそ)ろしく生まじめに言った。「彼が自殺すると言うとどうして異常なんだ。どうして治療しなくちゃならないんだ」

「なぜなら……」エニヨンは面喰(めんくら)ってくちごもった。

「なぜなら、神がそれを禁じているから、なぜなら、医者は患者を治療すべきであるから……ああ、エニヨン、君は大層有能な人物であるのに、惜しいかな、無数の格言と常識的定義で雁字搦(がんじがら)めだ。目を開きたまえ。もっと素朴で、子供のように無邪気な目で物を見たまえ。そうすればクルトンの深淵(しんえん)に燃える黒い炎もみえるだろう」

「黒い炎だって。深淵だって。まあ、何を言い出すんだ」エニヨンは叫んだ。この若い医長は他人との議論で負けたためしがなかった。いつだって運営会議を自分の意志どおりに動かしてきたのである。こんな具合に手玉にとられるのは大いなる屈辱である。今やエニオンは精力的な身体に闘志を漲(みなぎ)らせてドロマールを睨めつけていた。

「黒い炎と言ってわるければ、ドイツ人のいう世界投企(ヴエルト・エントヴルフ)といってもいい」ドロマールは淡々とした調子で言った。》

 

(P391)《「それが彼のいう黒い炎ですか」コバヤシは、ほてって燃えあがるような意識の中で、ドロマールのドイツ語を、現存在分析(ダーザインスアナリーゼ)の用語を反芻(はんすう)し、それをクルトンの不可解な言葉と結びつけた。

「ほう」ドロマールは、彼としては異例なことだが、目を輝かして溜息をもらした。「あなたはわかるんだね、あの男が」

「いいや」コバヤシは目を伏せた。「わかりません。ただそんな言葉を彼がよく使うものだから……ただそう言ってみただけです」

「わかってますよ。ね、コバヤシ。あなたにはわかっている。それは言葉の問題じゃない。思想の、否、感覚の、いかんまだ言葉だ。なにか手垢(てあか)にまみれた言葉でない言葉が必要だが……」

 ドロマールは、外科帽の下でぎろりと目をむき考えこんだ。その目を義眼とばかり思いこんでいたコバヤシは赤い血管の走るなまなましい眼球を驚いてみつめた。しばらくしてドロマールは目を細めた。すると、見馴(みな)れた顔付、能面のような無表情になった。

「あなたは《存在と時間》を読みましたか」

「いいえ、まだです。詠みはじめたことはありますが……」

サルトルは?」

「まあ大体よみました」

「メルロ・ポンチは?」

「初期のものだけ、《知覚の現象学》なんかを……」

「それでは、《世界内存在(イン・デア・ヴェルト・ザイン)》という用語がわかりますね」

「わかっているというほどではないのですが」

「それで充分です。この用語を借用しましょう」ドロマールは断固として言った。「要するに、当り前の単純なことなんです。どんな人間も、この世に生きている。無数の物体や生物や他人とかかわりなしには生きられない、人間のこの運命的なありさまが世界内存在でしょう。つまり人間のアプリオリな規定は世界内存在です。ここまでは哲学者の考えたことだ。ところがこの凡庸な人間の規定に満足せず、そこから脱出しようとする人間もいる。それが狂人と自殺者です。前者は異常という事実性に転落することによって世界を拡大し、後者はもっとも正常な(正常が平均値という意味ならこれも異常ですが)投企によって、世界から脱出する。そのことを知っているのは狂人や自殺者と暮しているわれわれ精神医です。つまり現代のように人間が、実にうんざりするほどの物体や生物や他人の組立てた牢獄(ろうごく)にがんじがらめになって平均化されている時代には、狂人と自殺者こそは、英雄です。彼らは牢獄を拡大したり破壊したりできる。つまり、ひとにぎりの哲学者の存在論的定義の網の目からもれて、未知の暗黒の宏大無辺な世界を所有しうるのです。しかも、これが大切なところだが、この操作は、彼らの主観(なんという古くさい言葉でしょう)や精神の内側で行われるのではなく、主観も客観も、精神も肉体も、(ああこんな二元論的言葉は使ってはいけない)こういいましょう、彼らの世界内存在すべてをひっくるめておこなわれる。ここまでくると普通の精神医ですらもうわからない。なぜって、もう言葉がないからです。残るのは行為のみ! 狂人になる(・・)か自殺者になる(・・)かどちらかです。この場合、便法がないわけではない。それは……あなたを前にしていいにくいが、しかしあなたを誹謗(ひぼう)するわけじゃないからいいましょう……それは、異邦人になる(・・)ことです。つまり、この牢獄的世界からはじきだされ表面に浮びあがることです。ただし、この便法はあくまで便法です。それは本当の英雄的行為ではない。少し卑怯(ひきょう)な、まあ比較的安全な行為です。それでも、なお、普通の正常の(こういったときドロマールは苦々しげに口をゆがめた)そこらにうようよしている人間どもより、どれだけまし(・・)か知れん。それはともかくこの世ではない別世界をつくる。たとえばすぐれた科学者や芸術家のように……さて、クルトンだが、彼の黒い炎というのは、思想でも感覚でもない。そうだ、うまい言葉がある。それは行為なのですよ。炎は動くでしょう。燃えるでしょう、そして燃えつきるでしょう。わかりましたか。黒い炎とは自殺するという行為なのです」

「なるほど……」コバヤシはドロマールの断定的な雄弁に圧倒され、自分がフランス語の網で包みこまれたような気がした。》

 

 そして実存文学、サルトル『嘔吐』やカミュ『異邦人』との類縁性を、コバヤシが幾度も精神に異常をきたしそうに感じる場面に見出しうる。

(P214)《何か異常な変質が世界におこっていた。病棟内の雰囲気がただならぬものに感じられるのである。《疲れているせいだ。不眠のせいだ》とコバヤシは理由を自分の心や体の中に無理に探し求めた。が、それらの理由を越えた何かの変化が外界そのものから醗酵してきた。そのことに気がついたのは病棟内を巡回しているときだった。

 コバヤシを驚かしたのは外界の景色ではなかった。病棟はいつものようにそこにあった。彼はそれを微細に描写することができる。看護婦たち、ヴァランチーヌ尼の服装や動作。クレゾール石鹸水(せっけんすい)とシーツの糊(のり)の匂(にお)い。ことにも雨にたたかれている新緑の庭。コバヤシはヴェランダの端に立って、注意深く庭を眺(なが)めてみた。梨(なし)の花は散ったが、花々は今盛りであった。マロニエの蝋燭(ろうそく)型(がた)の白い花、薄紫のリラの花、浅緑の葉に隠れるような菩提樹(ぼだいじゅ)の花、それらの背後にトネリコの赤い葉が見えた。それらの花々や緑の木々は、雨の中で一際(ひときわ)冴(さ)え、何か――例(たと)えば春――を表現していることは疑いなかった。けれども、コバヤシを驚かしたのは、その景色が自分の心を、もはや少しも動かさないということだった。美しいはずの景色が美しくなかった。といって醜いのでもない。強(し)いていえば、それは嫌らしく《死滅》していた。色も形もそっくりそのままそこに見えていたが、もはやコバヤシとは無関係な、興味のない画のような、別世界なのであった。コバヤシは何かを見ているのに、何も見ていなかった。(中略)

 スープを一匙(ひとさじ)口に入れたとき、常ならぬ味と匂いがした。苦くて石油くさく、毒物でも混入してあるのかと思われた。二匙目を流しこんで慎重に味わってみた。それはごくあるふれた豆入りポタージュの味だった。肝腎(かんじん)なことは、それがおいしい豆入りポタージュの味であるという完全な資格――青くささと食塩とバターのふっくらとした厚みのある味――を持っていなかったことである。それは単なる豆入りポタージュの味で、それだけだった。コバヤシの舌は、正確に味を分析しながら、石油や毒物のもつ《味気なさ》や《胸のむかつく感じ》を知覚していた。(中略)

 どうでもいい会話、どうでもいい人間ども、自分とは無縁だと思っていた彼らを、六か月後にはすっかり忘れてしまうはずの彼らを、どうしてこうもうるさい嫌な存在として、時には今のようにくだらない迫害者として意識しなくてはならないのか。今、自分が異常であることを彼らに知られることを、どうして自分は怖れるのだろうか。

 その時、あの奇怪な壁画が、切断された裸女と無数の目が、何か親しい、よく見知っている世界としてコバヤシの目に迫ってきた。あれほど醜悪で病的だと思っていた画が、今や彼の側に(・・・・)あるのだった。何もかもよく理解できる。この無数の目は人々の、他人の、彼らの目であり、この若い女患者は、見詰められ、さいなまれ、ついには視線の刃物で体のあらゆる部分まで切断され、解剖しつくされたのである。この完全な被害妄想(もうそう)の世界には、この世と同じ温和な中間色はありえない。徹頭徹尾、原色で塗りつぶされた非現実の世界でなくてはならない。彼女は、もはや彼女であること、人間であることをやめたのである。彼女は《切断される存在》に変身しきってしまったのだ。《ぼくは狂ってしまったのだろうか》コバヤシは呟(つぶや)き、必死で強靭(きょうじん)な画の魔力から逃げだそうと焦(あせ)った。目をつぶり、又開いてみる。こんなことを何度か繰返した末、ようやく壁画が以前の醜悪な病的な世界にみえてきた。

 コバヤシはほっとした。《ぼくはまだ狂っていない》それとともに慄然(りつぜん)とした思いがこみあげてきた。《自分が自分でなくなることを怖れている今の状態、こいつはひょっとすると自分が自分で全然なくなってしまった狂気の世界の一歩手前なのだ。そして、おそろしいことにぼくは、その世界に逃げだそうとしていた。ちょうど便器の中に排泄されたものが、一瞬前まで自分のものであったものが、もはや自分のものでなくなる――あの快感、そいつをぼくは望んでいたのだ。排泄すること、つまり変身が完全ならば、ぼくは爽快なのだ。ぼくの不幸はぼくの不快は不徹底な変身のせいだ。だがなぜだろう?なぜ?》

 

 ニコルの弟、ジャンマリー少年への男色行為に関するドロマールの弁明・考察には、加賀乙彦の精神医としての生涯のテーマ「死刑囚と無期囚の心理」が反映している。

(P477)《「たしかあの子が」ドロマールは無表情だった。「十ぐらいのときだったかな。デュピベルが診察をたのみに来た。学校の成績がだめなうえ、盗癖と放浪癖があるのでなおしたいということだった。学校から友達の文房具を盗んでは持帰る、叱りつけると家を飛出し夜おそくでないと帰らない。色々検査してみると知能がわるいだけではすべてが説明つかない。どうしても、反社会的な異常性格が背景にあるとしか考えられない。そこでぼくは治療にかかった。週一回精神療法にかよわせることにしたんだ。もちろんグルクロル酸やフエノチアジン系の向精神薬など精神薄弱や性格異常に効ありとされる薬物もずいぶん試みてみた。二年前からは催眠術もつかっている。砂時計をみつめさすとあの子はたあいなく催眠状態におちるのだよ。そしてどんどん退行現象をおこす。いつだったか二歳の記憶まで再現させることができたよ。あの子は若く美しい母親に抱かれて眠っている。その闇の中へ、誰かが入ってくる。あの子は泣き、母親が獣のようなものにおさえつけられるのを見たんだ……」

「そんなことは……」エニヨンが口を挿(はさ)んだ。「そんなことは治療と関係ない。いったい、君は催眠術であの子をなおすことができたのか。あの子の素行は依然としておさまってないぜ。去年の夏はバスターミナルから切符を盗みだしたという。学校では劣等生で、とくに悪いのは善良なクラスメイトまで悪の道にひきこんでしまう。どうやらジャンマリーの非行性は悪質化の一途をたどっているようだが……」

「それはだね」ドロマールは珍しく口籠(くちごも)った。そこへエニヨンが畳み掛けた。

「失礼だが、君は患者をなおしもせず、ただいじくりまわしている。君は催眠術を乱用しているようだ。今、思い出したが、あのカミーユ・タレだって催眠術で意のままにしたのじゃないかね。クルトンが死んだ今、あの件は、時効だとしよう。しかし、ジャンマリーは、あの子の治療に関してはぼくも関心がある。いったい君はどの点まで治療に成功したと言えるんだ」

「治療は不成功だった」ドロマールはそう言うと、ひょっこり立上った。そして前掛をとり、外科帽をはねのけ灰色の髪をむきだしにした。「わたくしはあの子を治療する能力を失ったのだ。なぜなら、わたくしはあの子を愛しはじめたからだ。或る日、それは黄金の光のさす午後だったが、あの子は生れたままの形になった。美しい。実に美しい。わたくしはあの子を愛さずにはおれなかった」

 不意にドロマールの語調に不思議な抑揚がつきまとい目に顔に全体に張りができた。まるで、コメディ・フランセーズの舞台で俳優が長詩を朗読しているような具合にである。エニヨンは訝(いぶか)り顔(がお)をフージュロンへ向けた。

「ドロマール」「ムッシュ・ドロマール」二人は示し合わしたように呼んだ。「大丈夫ですか」

「大丈夫です。大丈夫ですとも」ドロマールは二人のあわて顔を面白そうに見下した。というより、夢見るような目で微笑した。

「大丈夫です。わたくしは狂ってやしません。ごく当り前の真面目(まじめ)な話をしてるのです。つまり、何故(なぜ)、自分がジャンマリーを愛しはじめたかについて考察しようというのです。よくきいてください。一度しか言いませんからね。ね、あなたがた、この世界は退屈です。愚劣で無意味です。科学は進歩するが文化は荒廃するばかり、そして誰もが目標を失って生きている。夏は去り冬が、暗い冷い死の冬が来た。そして春はもう……いや、慎重にまだといっておきましょう……まだ来ない。できることはどこかへ逃げていくことです。現にコバヤシは去ろうとしている。利巧なつまり卑怯(ひきょう)なやりかたです。彼は逃げていく国があるかのように錯覚している。しかし、この世界に逃げていく国が存在するわけがない。この世は巨大な牢獄(ろうごく)で、わたくしたちすべては無期徒刑囚なのですから。よく譬(たと)えられるように人間を死刑囚とみるのは不正確な比喩(ひゆ)です。切迫した確実な強力な死、苦悶と恐怖に圧縮された時間、いやどうも、それはあまりにも芝居じみた比喩です。誰だって狭いところにとじこめられれば狭所恐怖(クロウストロフォビイ)をおこすでしょう。時間のクロウストロフォビイの場合も同じことです。しかし、無期囚は……ああ、みなさん(ドロマールは大勢の人人の前にいるようにあたりを見廻した)、あなたがたすべたは無期囚なのにその不安の本態を自覚する人はごくわずかです。それは無限に続くかにみえる水平線にかこまれた大洋のただなかに投げこまれた人の不安です。死という予測不能な終末までの時間を牢獄の陰鬱(いんうつ)な壁の中に拘禁される。残された自由といったら自分の寿命を短くすることだけである。それは時間の広場恐怖(アゴラフォビイ)です。それこそあなたがたの正体なのです。この人間に残された唯一の自由を行使する。それが自殺です。クルトンはこの世を憎悪しました。そして未知の世界を愛した。で、彼は自殺しました。それも一つの解決法でしょう。でも、わたくしに言わせれば、彼が死を選んだのは一片のつまらない錯覚です。なぜって、この世を憎んであの世を愛したところでつまり憎悪の対極に愛を置いたところで、結局事態は何ひとつ変りはしなかった。彼は世界を変えたと錯覚して実は自分が変っただけです。もちろんこんな言い方は正確じゃありません。なぜなら、個人の知覚と無関係な、独立した世界――それは科学者の迷信ですが――などどこにもありゃしないのですから。クルトンが死んだことで、わたくしたちのこの世界は血を流したというのが正確な表現でしょう。ところで、このわたくしは他国へ逃亡もしないしあの世へ飛躍もしない。この世界にただもうじっと生きています。この世の不安をすべて受けとめ、それどころか、わずかながらも科学を愛し、それとともにジャンマリーを愛し、その他たくさんのものを愛してね。もうおわかりでしょう。愛の裏側には憎悪などない。あるのはただ不安、永劫(えいごう)に癒(いや)されぬ人間の不安なのです」

 隙間のない早口で一気に喋りおえるとドロマールは再び疲労しきったような無表情にかえり、顕微鏡のライトをカチリとつけ、標本をのぞきはじめた。》

                                                                       (了)

        *****引用または参考文献*****

加賀乙彦『フランドルの冬』(新潮文庫

加賀乙彦『フランドルの冬』(加賀乙彦「『フランドルの冬』新しいあとがき」)(小学館

*『新潮現代文学76 加賀乙彦』(平岡篤頼「解説」所収)(新潮社)

加賀乙彦『頭医者留学記』(毎日新聞

加賀乙彦『宣告』(新潮文庫

加賀乙彦『自伝』(ホーム社

加賀乙彦『死刑囚の有限と無期囚の無限 ―精神科医・作家の死刑廃止論』(コールサック社)

加賀乙彦『死刑囚の記録』(中公新書

*小木(こぎ)貞孝(さだたか)『フランスの妄想研究』(金剛出版)

ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社)

*『ミシェル・フーコー講義集成4 精神医学の権力(コレージュ・ド・フランス講義1973-74)』慎改康之訳(筑摩書房

*『ミシェル・フーコー講義集成5 異常者たち(コレージュ・ド・フランス講義1974-75)慎改康之訳(筑摩書房

ミシェル・フーコー精神疾患と心理学』(みすず書房

ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と処罰』田村淑訳(新潮社)

*『神谷美恵子コレクション 本、そして人』(「加賀乙彦『フランドルの冬』書評」所収)(みすず書房

*アンリ・エー『精神医学とは何か―反精神医学への反論』藤元登四郎他訳(創造出版)

*佐々木滋子『狂気と権力 フーコーの精神医学批判』(水声社

ジャック・ラカン『人格との関係からみた パラノイア性精神病』宮本忠雄、関忠盛訳(朝日出版社

*モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学竹内芳郎、小木貞孝、他訳(みすず書房

ハイデガー存在と時間熊野純彦訳(岩波文庫

ヤスパース精神病理学原論』西丸四方訳(みすず書房

サルトル『嘔吐』鈴木道彦訳(人文書院