文学批評 水村美苗『続明暗』から夏目漱石『明暗』へ(資料ノート)

 

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 《読むということから、書くということが生まれる。私はしつこくそれを言い続けている。》

 水村美苗は『日本語で書くということ』の「あとがき」で、そう宣言している。「読むということ」から「書くということ」への連なり、転移、そしてまた「書くということ」から「読むということ」へのメビウスの輪のような循環。

 

 辻邦生水村美苗の往復書簡『手紙、栞を添えて』の第一回は、辻邦生からの「なぜ恋愛小説が困難に?」(一九九六年四月七日)だった。

《あなたへのお手紙の冒頭に、闇から白刃を斬り下ろすように、およそエレガントな雰囲気もなく、いきなり恋愛論と様式論を持ち出してきましたのは、あなたのお書きになった『続明暗』と『私小説from left to right』に強烈な印象を受けたからでした。

 それは、あまりに多くの問題が複合していて、いちいち検証してゆくには大部の書物が必要なほどです。いずれ、この書簡の中でも、折にふれてそれらに戻ってくると思いますが、最初に申し上げたいのは、この二作品に凝集している情念の火についてです。

『続明暗』は、日本の小説家の中で、真の恋愛小説を書いたただ一人の人ではないかと思える夏目漱石の最後の小説『明暗』を、信じ難いロマネスクの離れ業と文体的パロディーの才で、書きついだものでした。それは不可能になった恋愛の情熱を、批判意識の下に持ちだすことによって、つまり素朴喪失を逆手にとって、燃え上がらせた試みと私などには見えます。》

 対する水村の返事は、

《今、恋愛小説を描く困難――それが私の小説の根本にもあるというのは、ご指摘どおりです。『続明暗』ではこの時代に『明暗』を書くことの不可能が、『私小説from left to right』では男女の物語の喪失が、それぞれの小説を形作っているからです。恋愛小説の「終わり」というものは意識していました。》

「書くことの不可能性」、「恋愛小説の終わり」とは、「批判意識の下」でとは、どういう意味だろうか?

 

『続明暗』の文庫本で水村が自ら解説したように、《漱石のふつうの小説より筋の展開というものを劇的にしようとした。筋の展開というものは読者をひっぱる力を一番もつ》は正しい選択であったし、そのうえ《心理描写を少なくした。これは私自身『明暗』を読んで少し煩雑(はんざつ)すぎると思ったことによる。語り手が物語の流れからそれ、文明や人生について諧謔(かいぎゃく)をまじえて考察するという、漱石特有の小説法も差し控えた》、さらには、《もちろん漱石の小説を特徴づける、大団円にいたっての物語の破綻は真似しようとは思わなかった。漱石の破綻は書き手が漱石だから意味をもつのであり、私の破綻には意味がない》は賢明で戦略的でもあった。それもこれも、《我々が我を忘れて漱石を読んでいる時は、漱石を読んでいるのも忘れている時であり、その時、漱石の言葉はもっとも生きている》に違わぬ水村の筆力、言語能力がすべてを可能とした。

 評論『「男と男」と「男と女」――藤尾の死』で、《『虞美人草』とは、基本的には、中上流階級に属する何組かの若い男女が正しい結婚相手と一緒になるという話に過ぎないからである。それはまさにジェーン・オースティンの世界にほかならない》と書いた水村は高橋源一郎との対談『最初で最後の<本格小説>』で、『細雪』はなぜさきへさきへ読みたいという気をあんなに起こさせるのか、同時に、どうやってあのようなリアリズムを得られるのかを考えたとき、《意味もない物や場所の名前が、固有名詞で、やたら丁寧に入っていることと無関係ではないのに思いあたりました》と語っているが、なるほど漱石は細部が面白く、『明暗』にも見てとれるし、『続明暗』もまた当然である。

 

 とはいえ、「書くということ」の前に「読むということ」がある。

 対談『『續明暗』と小説の行為』で、《この『續明暗』を読むために『明暗』を読んでみたんですけれど、漱石を読みだしたらとまらなくなっちゃったのね》と語る高橋源一郎に水村は、

《そうなの。それをねらっていたの。出版社の方からは『明暗』の粗筋を入れないかという話がずっとあったんです。でもできれば私は『續明暗』をきっかけにみんなが『明暗』を読み始め、それで病みつきになって「漱石がこんなにおもしろくっていいのかしら」という感じで全部読んでほしい》と応じた。

 

(註:1990年9月に単行本として出版された題名は『續明暗』だったが、文庫化にあたって文庫の漱石『明暗』に準じて旧字を新字体に、旧仮名づかいを新仮名づかいに改めることで、題名も『続明暗』とされた。従って下記文中では、取りあげられた時期によって、『續明暗』と『続明暗』の両表記が混在する。)

 

加藤周一漱石に於ける現実――殊に『明暗』に就いて』>

 漱石『明暗』の評価ははっきりと二分されている。

『明暗』を評価した、最も的確かつ明晰な批評は加藤周一の以下の文章につきる。それは意表をついた発端で始まる。

《新しい現実は、『明暗』のなかにある。私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。嘗て、汎神論的世界の中央に坐し、詩と真実とを悠々と眺め得た、ヴァイマールの大臣のアポロ的知性さえも、しばしばデーモンの秘かな協力に就いて語り、創造のからくりのなかに潜むデモーニッシュな力の大きな役割に就いて語った。そのデーモンは、『明暗』の作者を、捉えたのであり、生涯に一度ただその時にのみ捉えたのである。》

《『明暗』の場面の構成は、ことごとく、見事に計算され、見事ではあるが、多少に拘らず作者の手の見え透くものである。若し、この小説のなかに、何らかの現実が捉えられ、我々を一つの世界へ招待する魅惑がはたらいているとすれば、それは、場面の構成の劇的効果ではあるまい。夫婦喧嘩の事件、その事件を組みたてている背景や人物の出会いや投げあう言葉や、要するに、事件と事件の条件とが現実的なのではなく、ここで現実的なものは、喧嘩をする人物たちのなかに燃えている虚栄心や憎悪やあらゆる種類の偏執の激しさそのものに、他ならないであろう。かくの如き情念の激しさは、日常的意識の表面に浮んでは来ない。別の言葉で言えば、日常的意識が現実として受けとるものではない。批評家が、第一に『明暗』の知的構成を指摘し、第二にその観念的特徴を注意する所以である。

 しかし、真に現実的なものは、日常的意識の表面にではなく、その奥にあり、観念的なものこそ、現実的であり得るただ一つのものだ。》

《『明暗』は、心理小説として、深いものであるが、その深さは、ありそうな現実を観察して獲得されたものではない。しかし、注意すべきことは、漱石の他のあらゆる小説と異り、この場合にのみ、登場人物の心理が、作者の抽象的思考の単純な反映ではないということである。そこには、動かし難い現実感がある。その現実感は、何処から来るのか。ありそうもない心理的葛藤の観念的な展開のなかに、現実があるとすれば、その現実は、日常的意識の彼方、この場合には更に客観的観察と分析との捉える世界の彼方、作者の内部に深く体験された現実でなければならない。その現実は、表現をもとめ、漱石は、『明暗』を書いた。》

《文学に於ける現実は、観察の結果そのもの、生の表面に無秩序に相次ぐ印象の系列そのものではない。我々の自然主義小説家たちは、そこから何ら本質的なものを帰納しなかったのであり、従ってモラリストではなかった。しかし、叙事詩的に展開するほど壮大な観念を、自己の内心に蔵(かく)していたわけでもない。不完全にしか成熟しなかった市民社会の文学者は、周囲に交際社会を見出さず、自己に浪漫派的個人を見出さず、その告白的私小説は、遂に如何なる人間の現実を捉えるにも到らなかった。資料の記録のようなものはあるし、現に才能ある批評家は、小説を研究して小説家の私生活を発(あば)いている。しかし、資料の蒐集からは、一個の人間の歴史も導き出すことはできない。単なる事実は、常に無秩序であり、現実とは、必ず何らかの秩序でなければならないから、現実を認識することは、事実のなかに秩序を見出す、或はむしろ創るであろう。その能力は、自然主義小説家の記録的文学には認められないものである。明治文学のなかで、真に深く現実的であり得たものは、陰鬱執拗な『明暗』の観念的な葛藤のなかに憑かれた小説家の歌った魂の歌の他にはない。そして、歌うためには、計画と構成と知性のあらゆる努力とが必要であった。》

《しかし、『明暗』の時代的意味は、以上の要点に尽きない。その多くの特徴は、ヨーロッパの市民社会に発達した小説という形式の今日から見ても、もっとも完璧な範例を、我々に示している。

 第一に、小説の世界は、市民の日常生活の日常的な事件のなかに展開する。事件に就いて言えば、主人公津田の入院とその後の転地療養という以外に、事件というほどの事件はない。勿論所謂自然主義の作家も又、このような世界を描き、意識してこのような世界のみを描いた。しかし、彼等は、それをヨーロッパの自然主義の理論から必然的に導かれるものと考えた。その考えの誤りであることは言うまでもない。正しく意識して、小説の世界を、本来あったし、又あるべき、もっとも典型的な背景のなかに展開したのは、イギリスの小説を知っていた漱石だけであろう。

 第二に、同じ日常生活を描いても、明治の小説の多くは、家を背景とし、親子の関係を人間関係の主な要素として扱った。別の言葉で言えば、人物は近代的な市民的環境のなかに生きていない。然るに『明暗』に於ける心理的葛藤の舞台は、主として夫婦間にあり、僅かに兄弟の間にもあるが、親子の間には殆どない。既に親子の関係を軸として小説を試みたことのあるこの作家が、自己の方法を自覚し、最大の野心を以てはじめた最大の実験を、比較的純粋に近代的な市民生活のなかで行ったとすれば、近代小説の本質に係る小さくない意味がそこにあろう。

 第三に、少くとも、現在我々の読むことの出来る『明暗』の主な葛藤は、金をめぐる動機によって惹き起される。主人公の入院費は、殆ど全体を貫くライト・モティーフであるし、小林という無頼の友人と主人公との交渉にも、金のやりとりが、目立つ。何も『明暗』に限らないが、貧窮の問題としてではなく、中産階級の家庭に於ける心理的交渉の主な動機として、金を扱った場合は、少くとも日本の小説では稀である。『明暗』の特徴の一つは、そこにもある。

 しかし、第四に、最も重大な特徴は、絵画的描写が、この小説に甚だ乏しいということである。引用の煩を避けるが、冒頭の部分に散見する女主人公お延の表情の印象的な描写の如きは、殆ど例外に属する。他の人物に就いては、如何なる表情、如何なる衣裳、如何なる動作も、読者は想い描くことが出来ない。この文体の、視覚に訴えることは、極めて少い。日本語の散文が到達したもっとも視覚的な成功である志賀直哉の文体とは、その意味で、著しい対照を示す。必然的に『明暗』は、人間の心理を扱い、しかも心理のみを扱わねばならなかった。》

 

谷崎潤一郎『藝術一家言』>

 ここまで言うか、というほど辛辣な批判は、すでに二十四歳にして『『門』を評す』という小文で、《先生の小説は拵へ物である。然し小なる真実よりも大いなる意味のうそ(・・)の方が価値がある。『それから』はこの意味に於いて成功した作である。『門』はこの意味に於いて失敗である》と漱石文学を批評していた谷崎潤一郎によるものだろう。

《私は死んだ夏目先生に対して敬意をこそ表すれ、決して反感を持つては居ない。にも拘わらず、「明暗」の悪口を云はずに居られないのは、漱石氏を以て日本に於ける最大作家となし、就中その絶筆たる「明暗」を以て同氏の大傑作であるかの如くに推賞する人が、世間の知識階級の間に甚だ少くないことを発見したからである。》

《たとえば主人公の津田と云ふ男の性格はどうであるかと云ふに、極めて贅沢な閑つぶしの煩悶家であるに過ぎない。作者は第二回の末節に於いて予め物語の伏線を置き、津田をして下のやうなことを独語させてゐる。――

  「何(ど)して彼(あ)の女は彼所(あすこ)へ嫁に行つたのだらう。それは自分で行かう と思つたから行つたに違ひない。然し何うしても彼所へ嫁に行く筈ではなかつたのに。さうして此己は又何うして彼の女と結婚したのだらう。それも己が貰はうと思つたからこそ結婚が成立したに違ひない。然し己は未だ嘗て彼の女を貰はうと思つてゐなかつたのに。偶然? ポアンカレーの所謂複雑の極致? 何だか解らない」

   彼は電車を降りて考へながら宅(うち)の方へ歩いて行つた。

 此れが津田の煩悶であつて、事件は此れを枢軸にして廻転し、展開して行くかのやうに(・・・・・・・)見える。が、作者は此の伏線の種を容易に明かさないで、ところどころに思はせ振りな第二第三の伏線を匂はせながら、津田にいろ/\の道草を喰はせて居る。若しあの物語の組み立ての中に何等か技巧らしいものがあるとすれば、此れ等の伏線に依つて読者の興味を最後まで繋いで行かうとする点にあるのだが、その手際は決して上手なものとは云へない。読者は第一の伏線に依つて、津田が現在の妻に満足して居ない事と、彼には嘗て恋人があつた事とを暗示される。さうして其処から何等かの葛藤が生ずるのであらうと予期する。ところが津田はそれとは関係のない入院の手続きだの、金の工面だのにくよくよして、吉川夫人を訪問したり、妻の延子と相談したりしてぐづぐづして居る。と、第十一回に於いて、突如として吉川夫人の口から第二の伏線が現れる。

  「嘘だと思ふなら、帰つて貴方の奥さんに訊いて御覧遊ばせ。お延さんも屹度私と同意見だから。お延さんばかりぢやないわ、まだ外にもう一人ある筈よ(・・・・・・・・・・・・)、屹度」

   津田の顔が急に堅くなつた。唇の肉が少し動いた。彼は眼を自分の膝の上に落したぎり何も答へなかつた。

  「解つたでせう、誰だか」

   細君は彼の顔を覗き込むやうにして訊いた。彼は固(もと)より其誰であるかを能く承知してゐた。………

 此の第二の伏線は、津田が吉川夫人に暇乞ひをして自宅へ帰る途中に於いて、再び彼の頭の中で繰り返される。(中略)

 が、此の先へ来ると又も金の工面だの病院の光景だの、それに関聯して岡本だの藤井だの堀だの吉川だのと云ふ家族の人々や一種不思議な小林と云ふ人物だのが飛び出して来て場面はます/\賑やかになるが、所謂あの事件なるものは当分の間何処かへはぐらかされてしまって居る。(中略)出て来る人間も出て来る人間も物を云ふのに一々相手の顔色を判じたり、自他の心理を解剖したり、妙に細かく神経を働かせたりして、徹頭徹尾理智に依つて動いて行く。》

《私に云はせればあの物語中の出来事は、悉くヒマな人間の余計なオセツカヒと馬鹿々々しい遠慮の為めに葛藤が起つてゐるのである。たとへば津田は、どういふ訳からか知らぬが、結婚しようと思つてゐなかつたお延と結婚してしまひながら、いつ迄も以前の恋人の清子のことを考へてゐる。そこへ吉川夫人と云ふ頗る世話好きの貴婦人型の女が出て来て、津田の未練を晴らさせる為めと称して、延子には知らせずに、彼を清子に会はせようとする。(中略)

「明暗」の読者は、此の場合をよく考へて見るがいゝ。此の婦人は立派な社会的地位のある、思慮に富み分別に富んだ相当の年配の女である。それがどんな事情があるにもせよ、既に他人の妻になつてゐる清子の所へ、そつと津田を会はせにやらうとする事は、而も津田の妻たる延子に内證で、いろ/\の手段を弄したりしてまで、そんな真似をさせようとする事は、余りに乱暴な処置ではあるまいか。彼女はまるで若い書生ッぽのやうに他人の心理解剖に興味を持ち、一時の気まぐれからハタの迷惑も考へずに、余計なオセツカヒをしに来たとしか受け取れない。然るに、彼女と同様に思慮に富んでゐるらしい津田が、又ノコノコと彼女の云ふなり次第になつて、お延の前を云ひ繕つて、清子に会ひに行くのである。彼はなぜ、吉川夫人などゝ云ふイヤに悧巧振つた下らない女を、尊敬したり相手にしたりしてゐるのか。それほど未練があつたとしたら、なぜ始めから自分独りで、お延になり清子になり正直に淡泊にぶつからぬか。さうすれば問題はもつと簡単に解決すべきではないか。斯くの如きまどろつこしさ(・・・・・・・)は、それが彼等の性格から来る必然の経路と云ふよりも、たゞ徒に事端をこんがらかし(・・・・・・)て話を長く引つ張らうとする作者の都合から、得手勝手に組み合はされたものとしか思はれないのである。》

 書かれたのは大正九年関東大震災(大正十二年)によって谷崎が関西に移住する以前の、ややスランプに陥っていた横浜時代のころにあたる。面白いのは、関西に移住してからの円熟期に書きあげた『卍』、『蓼喰う虫』、そして戦中戦後の『細雪』が、谷崎がここで批判したような、貴族趣味の、くよくよ、ぐずぐず、くだくだ、煮え切らない、ヒマな、オセツカヒの、こんがらかして、まどろっこしさの色調に染めあがり、そこにこそ文学の、読むことの、悦びが溢れていることである。しかし、水村の『続明暗』を谷崎が読んだならば、当時の谷崎の批判を免れたであろう。

 

古井由吉漱石漢詩を読む』>

 古井由吉漱石漢詩、とりわけ漱石が『明暗』執筆と同時並行で盛んに作詩した漢詩を読みながらの、『明暗』についてのエッセイは、一読者の素直な感想であるとともに、実作者としての直観に満ちている。

《最初の八月十四日の漢詩が詠まれた頃、吉川幸次郎氏が解説に書いておられる通り、『明暗』の次の箇所、「津田の妻お延が、夫のいない二階で、夫の秘密をさぐり出そうとするあたり」がかかっていた。そのさらに一週間後には、病院の二階で寝ている主人公のもとを、妹が訪れて、兄を猛烈に批判する、まくし立てる、おおよそその場面にあたる。この箇所は、『明暗』を何度読み返しても、ここまでくると放擲(ほうてき)する人がたくさんいる。長々と妹がまくし立てる。一連の漢詩の最初の一篇を詠んだ時、漱石は小説の方では最も騒々しい場面にとりかかっていたわけです。ところで、『明暗』という作品自体、ひとまずは騒々しい小説であるとは言えませんか。》

漱石の作品をとおして読み比べてみると、『明暗』は最も無理をしている小説だということが見える。『明暗』以前の小説は、主人公、あるいは他の登場人物にしても、漱石が選んだのは、自身がかなり自己投影をできる、そういう人物です。ところが『明暗』は、主人公の津田、その細君、妹、それからどこぞのマダム、これらの人びとに、漱石は違和感を覚えながら書いていると思います。

 時は大正の初めです。そのとき、三十歳であった人間、あるいはそれを囲む人間たちは、漱石とは世代が隔たっている。いわば、大正の人です。大正期に人となった人です。永井荷風の『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の「作者贅言」にも、大正の人間にたいして、明治の人間の違和感が述べられている。『明暗』では、それほど隔たった人間を、あえて主人公にした。

 そういう登場人物の生活や言動をつぶさに書いていこうとするけれども、筆がなかなかしっくりなじまない。そこで、いろいろな説明、形容、分析を重ねていくものですから、文章もかなり冗漫になってしまった。乱れもあります。しかしおそらくは、作家として自分を突き放す覚悟で書かれたものだろうと思います。一回ごとの消耗度は、そんな次第ですから、それまでの作品に比べて、格段に強かったと思います。》

《『明暗』についてまずいえることの一つは、人の暗愚を描いているということです。身も蓋もないことをいえば、主人公をはじめとしてよくもまあ、あれほどどうしようもない人間たちを続々と登場させるものだ、と感じます。関係のもつれや葛藤を、なまじ深刻に受け止めたりせずに、またエゴイズムなどという観念にも縛られずに、その主人公をはじめとするもろもろの人物の暗愚さの絡み合いを描き、そこから何が出てくるかを待つという態度に見えます。未完に終わっています。最後にはようやく「明」が現れ、明暗が対立しながら一つにまとまった小説になったかもしれない。それはしかし、私たちにはしょせんわからないことです。》

 無理やりに漢詩の意味と結びつけることなく、「しょせんわからないことです」と結んだ。

 

大岡昇平『小説家 夏目漱石』>

 大岡昇平は、《さてそれでは『明暗』はどういう風に終ったろうか》と推理し、その最後に《いくつかの詩案を提示しましたが、それは少し突飛で、『明暗』のこれまでの調子とは必ずしも一致していません》と断っているが、それら試案よりも、『明暗』に対する率直でリアルな感想の方が重要ではないか。

《私は人並に漱石の作品が文学入門でして、大正十二年、中学三年頃までにひと通り読みました。大抵は面白かったのですが『明暗』はどうも面白くありませんでした。諸人物の丁々発止の言葉のやり取りが、あまり理屈っぽく、わざとらしくて、子供の目には、現実でないように見えたのです。そのためずっと読み返さなかったのですが、昭和十八年、森田草平の回想や滝沢克己さんの『夏目漱石』第一版が出て、ちょっとリヴァイヴァルになった時、読み返したが、やはり会話がわずらわしかった。人物がむりにエゴイストにされているようで、吉川夫人や小林のような狂言廻し的人物の言動はわざとらしく、どうしても面白くない。やっと最後の湯河原の旅館の廊下で津田が迷うところが、実感があって面白かったが、まもなく小説は中断するのです。戦後のブームで、みなが日本の近代小説の元祖、記念碑的作品というのがふしぎでした。

 ところでこんどこの講演をするために、読み返したら、面白かった。もっともその意味は複雑でして、諸家の異なった様々な議論を導き出すテクスト、パズルとしてのテクストの興味でした。》

 

柄谷行人『意識と自然』、『『明暗』解説』>

 柄谷行人は、「漱石試論」としての『意識と自然』の中で、《漱石の小説は倫理的な位相と存在論的な位相の二重構造をもっている》、《行きどまりの先にまだ奥がある。こうした書き出しのなかに『明暗』のモチーフがいい尽されている》と書き、

《津田が温泉宿の廊下を迷路のようにさまようことからみても、われわれはここに『坑夫』のモチーフを確認できるであろう。津田が清子に会うのはほとんど「夢」の世界、異次元の世界である。泊り客に一人も出会わないような広大な宿屋をさまよう条りは、このリアリスティックな小説を暗喩的なものに変えてしまう。そのとき、われわれは漱石のなまの存在感覚が露出してくるのを感じざるをえない。「冷たい山間(やまあひ)の空気と、其山を神秘的に黒くぼかす夜の色と、其夜の色の中に自分の存在を呑み尽された津田とが一度に重なり合つた時、彼は思はず恐れた。ぞつとした」(『明暗』[百七十二])。

 この「恐れ」は、お延や小林との間で生じている倫理的(・・・)な葛藤とはまた異質であり、存在論的なものである。いうまでもないが、『明暗』もまた終末において(未完ではあるが)、漱石の二重のモチーフを露わにしはじめるのである。しかし、漱石は『門』や『行人』や『こゝろ』のようにこの小説を終了させたとは考えられない》としたうえで、

漱石は『明暗』において、「わが全生活」を「大正五年の潮流」のなかに注ぎこんだことは疑いがない。そして、漱石にもう少しの寿命があれば、われわれは『明暗』のなかにある包括的な世界像をもつことができたかもしれない。そこから見たとき、漱石以後の文学と人間の分裂と喪失の形態がより明瞭に浮き彫りされるであろうことは疑いをいれないのである》とした。ここで、夢中歩行者(ソムナンビュリスト)のような津田には漱石の投影があるに違いない。

 また、漱石『明暗』の文庫本解説で柄谷は、

《「『明暗』は、大正五年に朝日新聞に連載され、漱石の死とともに終わった、未完結の小説である。これが未完結であることは、読むものを残念がらせ、その先を想像させずにおかない。しかし、『明暗』の新しさは、実際に未完結であるのとは別の種類の“未完結性”にあるというべきである。それは、漱石がこの作品を完成させたとしても、けっして閉じることのないような未完結性である。そこに、それまでの漱石の長編小説とは異質な何かがある。

 たとえば、『行人(こうじん)』、『こゝろ』、『道草』といった作品は、基本的に一つの視点から書かれている。わかりやすくいえば、そこには「主人公」がいる。したがって、この主人公の視点が同時に作者の視点とみなされることが可能である。しかし、『明暗』では、主要な人物がいるとしても、誰(だれ)が主人公だということはできない。それは、たんに沢山の人物が登場するからではなく、どの人物も互いに“他者”との関係におかれていて、誰もそこから孤立して存在しえず、また彼らの言葉もすべてそこから発せられているからである。

“他者”とは、私の外に在り、私の思い通りにならず見通すことのできない者であり、しかも私が求めずにいられない者のことである。『明暗』以前の作品では、漱石はそれを女性として見出(みいだ)している。『三四郎』から『道草』にいたるまで、きまって女性は、主人公を翻弄(ほんろう)する。到達しがたい不可解な“他者”としてある。文明批評的な言説がふりまかれているけれども、漱石の長編小説の核心は、このような“他者”にかかわることによって、予想だにしなかった「私」自身の在りよう、あるいは人間存在の無根拠性が開示されるところにあるといってよい。だが、それらの作品は、結局一つの視点=声によってつらぬかれている。

『明暗』においても、津田(つだ)という人物にとって、彼を見すてて結婚してしまった清子という女は、そのような“他者”としてある。しかし、この作品はそれほど単純ではない。たとえば、お延(のぶ)にとって、夫の津田がそのような“他者”であり、お秀にとって津田夫妻がそのような“他者”である。

 注目すべきことは、それまでのコケティッシュであるか寡黙(かもく)であった女性像、あるいは、一方的に謎(なぞ)として彼岸におかれていた女性像に対して、まさに彼女らこそ主人公として活動するということである(最後に登場する清子にしても、はっきりした意見をもっている)。さらに注目すべきなのは、これらの人物のように「余裕」のある中産階級の世界そのものに対して、異者として闖入(ちんにゅう)する小林の存在である。『明暗』の世界が他の作品と異なるのは、とくにこの点である。いいかえれば、それは、知的な中産階級の世界の水準での悲劇に終始したそれまでの作品に対して、それを相対化してしまうもう一つの光源をそなえている。

 さらに、このことは、津田が痔(じ)の手術を受ける過程の隠喩(いんゆ)的な表現にもあらわれている。それは、たんに、津田の病気が奥深いもので「根本的の手術」を要するという示唆(しさ)だけではない。たとえば、彼の病室は二階にあるが、一階は性病科であり、「陰気な一群の人々」が集まっている。そのなかに、お秀の夫も混じっていたこともある。それは、津田やお延、あるいは小林が求める「愛」とは無縁な世界であり、津田の親たちの世界と暗黙につながっている。

 このように『明暗』には、多種多様な声=視点がある。それは、人物たちののっぴきならない実存と切りはなすことができない。つまり、この声=視点の多様性は、たんに意見や思想の多様性ではない。『明暗』には、知識人は登場しないし、どの人物も彼らの生活から遊離した思想を語ったりはしない。むろん彼らが“思想”をもたないわけではない。ただ彼らは、それぞれ彼ら自身の内奥から言葉を発しているように感じられる。その言葉は、何としても“他者”を説得しなければならない切迫感にあふれている。もはや、作者は、彼らを上から見おろしたり操作したりする立場に立っていない。どの人物も、作者が支配できないような“自由”を獲得しており、そうであるがゆえに互いに“他者”である。

 明らかに、漱石は『明暗』において変わったのである。だが、それは、小宮豊隆(こみやとよたか)がいうように、漱石が晩年に「則天去私」の認識に達し、それを『明暗』において実現しようとしたから、というべきではない。「則天去私」という観念ならば、初期の『虞美人草(ぐびじんそう)』のような作品において露骨に示されている。そこでは、「我執」(エゴイズム)にとらわれた人物たちが登場し悲劇的に没落してしまうのだが、彼らは作者によって操作される人形のようにみえる。

『明暗』において漱石の新しい境地があるとしたら、それは「則天去私」というような観念ではなく、彼の表現のレベルにおいてのみ存在している。この変化は、たぶんドストエフスキーの影響によるといえるだろう。事実、『明暗』のなかで、小林はこう語っている。

  「露西亜(ロシア)の小説、ことにドストエヴスキの小説を読んだものは必ず知ってる筈(はず)だ。如何(いか)に人間が下賤(げせん)であろうとも、又如何に無教育であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれる程有難(ありがた)い、そうして少しも取り繕わない、至純至精の感情が、泉のように流れ出して来る事を誰(だれ)でも知ってる筈だ。君はあれを虚偽と思うか」

 小林の言う「至純至精の感情」は、漱石のいう「則天去私」に似ているかもしれない。しかし、ドストエフスキー的なのは、そのような認識そのものではなく、そう語る小林のような人物そのものである。小林は、津田やお延に対して、「尊敬されたい」がゆえに、ますます軽蔑(けいべつ)されるようにしかふるまえない。傲慢(ごうまん)であるがゆえに卑屈となり、また、卑屈さのポーズにおいて反撃を狙(ねら)っている。彼の饒舌(じょうぜつ)は、自分のいった言葉に対する他者の反応にたえず先(さき)廻(まわ)りしようとする緊張から生じている。

 これは、大なり小なりお延やお秀についてもあてはまる。彼らは、日本の小説に出てくる女性としては異例なほどに饒舌なのだが、それは彼らがおしゃべりだからでも、抽象的な観念を抱いているからでもない。彼らは相手に愛されたい、認められたいと思いながら、そのように素直に「至純至精の感情」を示せば相手に軽蔑されはすまいかという恐れから、その逆のことをいってしまい、しかもそれに対する自責から、再びそれを否定するために語りつづける、といったぐあいなのである。彼らの饒舌、激情、急激な反転は、そのような“他者”に対する緊張関係から生じている。いいかえれば、漱石は、どの人物をも、中心的・超越的な立場に立たせず、彼らにとって思いどおりにならず見とおすこともできないような“他者”に対する緊張関係においてとらえたのである。

『明暗』がドストエフスキー的だとしたら、まさにこの意味においてであり、それが平凡な家庭的事件を描いたこの作品に切迫感を与えている。実際、この作品では、津田が入院する前日からはじまり、温泉で清子に会うまで十日も経(た)っていない。人物たちは、何かがさし迫っているかのように目まぐるしく交錯しあう。われわれが読みながらそれを不自然だと思わないのは、この作品自体の現実と時間性のなかにまきこまれるからである。そして、この異様な切迫感は、客観的には平凡にみえる人物たちを強(し)いている。他者に対する異様な緊張感に対応している。

(中略)お延もまた津田に対して小林と同じような態度を示す一瞬がある。彼女は、津田に自分を「愛させる」という自尊心をすてて、「貴方(あなた)意外にあたしは憑(よ)り掛り所のない女なんですから」と叫びはじめる。

   お延は急に破裂するような勢で飛びかかった。

  「じゃ話して頂戴(ちょうだい)。どうぞ話して頂戴。隠さずにみんな此処(ここ)で話 して頂戴。そうして一思いに安心させて頂戴」

   津田は面喰(めんくら)った。彼の心は波のように前後へ揺(うご)き始めた。彼はいっその事思い切って、何もかもお延の前に浚(さら)け出してしまおうかと思った。と共に、自分はただ疑れているだけで、実証を握られているのではないとも推断した。もしお延が事実を知っているなら、此処まで押して来て、それを彼の顔に叩(たた)き付けない筈はあるまいとも考えた。》

 つまり、どの人物も(津田をのぞいて)、「至純至精の感情」を一瞬かいまみせるのだが、たちまち“他者”との関係に引きもどされてしまうのである。おそらく津田自身があらゆる自尊心を捨ててかからねばならぬ一瞬があるだろう。小林が津田に、「今に君が其処(そこ)へ追い詰められて、どうする事も出来なくなった時に、僕の言葉を思い出すんだ」というように。しかし、同時に、小林が「思い出すけれども、ちっとも言葉通りに実行は出来ないんだ」というように、それはまともなかたちで生じることはありえないだろう。しかし、われわれにとって重要なのは、書かれていない結末ではなく、どの人物も“他者”との緊張関係におかれ、そこからの脱出を激しく欲しながらそのことでかえってそこに巻きこまれてしまわざるをえないような多声的(ポリフォニック)な世界を、『明暗』が実現していることである。それは、一つの視点=主題によって、“完結”されてしまうことのない世界である。》

 

江藤淳夏目漱石』>

 どうもテキストから離れて人間と人生に関する自己主張を強化しがちな江藤淳だが、『夏目漱石』の「第八章「明暗」――近代小説の誕生」で次のように指摘した。

《お延の情熱的な意志は、次のような場面で端的に爆発している。ここで彼女は夫の津田に、彼の隠している過去を一切うちあけることを要求していう。

  《「ぢや話して頂戴。どうぞ話して頂戴。隠さずにみんな此処で話して頂戴。さうして一思ひに安心させて頂戴」

  津田は面喰(めんくら)つた。彼の心は波のやうに前後へ揺(うご)き始めた。彼はいつその事思ひ切つて、何も彼(か)もお延の前に浚(さら)け出してしまはうかと思つた。……彼は気の毒になつた。同時に逃げる余地は彼にまだ残つてゐた。道義心と利害心が高低を描いて彼の心を上下へ動かした。すると其一方に温泉行の重みが急に加はつた》(「明暗」百四十九章)

 津田はここで清子との過去を一切お延に告白して、お延によって救済されることも出来た。お延はあらゆる情熱を傾けてそれを求めている。ここは感動的な場面である。同時に極めて悲劇的な場面でもある。何故なら告白は行われず、お延も津田も元のままの孤独のうちに放置されるから。彼女の努力は挫折する。漱石は執拗にここでも「愛」の不可能性――現実の日常生活の世界に於ける不可能性を証明しているかに見える。しかしこのように積極的に愛情を生み出させようとしているお延の姿は、冷静に相手の感情を打算している津田の姿より、はるかに魅力的である。不思議なことには、ここには漱石その人の横顔すら二重映しになっているかのようだ。》

 

水村美苗『人生の贈物』>

《あの作品(筆者註:『続明暗』)は、一番楽しみながら書けた作品です。まずは日本語で書く喜びがありました。次に、言葉を拾うために、漱石を毎日読む喜びがあった。でも漱石と同じようにしようとは思いませんでした。漱石は物語を離れた細部がとてもいいのですが、私はまず物語を強く出さねばと。》

《同じように未完の「浮雲」(二葉亭四迷)や「金色夜叉」(尾崎紅葉)は作品が勢いを失い、途切れている。でも「明暗」は、ちょうど勢いづいたところで途切れている。続きが読めないのが毎回腹立たしく、それが書き継ぐことを可能にしたと思います。》

《作家の意図より書かれたものを重視するという、学生時代に学んだ文学理論に助けられ、漱石がどう「明暗」を終えようとしていたかより、すでに書かれたテキストの流れを大事にさえすればよいと、そう考えることもできました。

 漱石なら少し違う展開になっていたでしょうね。古い時代の男性だから。私は女だから、女性にも精いっぱい花を持たせてしまいました。》

学生時代に学んだ文学理論とは、ポール・ド・マンの批評理論である。

 ここからはたとえばの羅列にすぎないが、『続明暗』は物語を強く出したとはいえ細部描写も『明暗』にひけを取らず、『明暗』で津田の頭に浮かぶ吉川家の応接間の調度品の光景に対置するかのような、『続明暗』で人通りと電車の響きを横切って向う側へ渡ったお延の官感を出鱈目に刺激する物や人、硝子(ガラス)越しの視線の絡(から)み合い、「寝巻(ねまき)の裾(すそ)から華やかな長襦袢(ながじゅばん)の色が上靴(スリッパー)を突っ掛けただけの素足の甲にこぼれている」、「清子の胸元を飾る派手な伊達巻(だてまき)の縞(しま)」の艶やかさ。テキストの流れとは「津田の使った妥協という言葉」、「津田の出した絵端書(えはがき)」、「慰撫(いぶ)せねばならない」、病院での関の伏線。女性に花持たせたとは、呉服屋の訪れで「細かい蛤(はまぐり)の地紋」の反物を求め、下女お時にも銘仙を一反買ってやる場面の幸福な情景や、最後の抱きしめずにはいられない愛すべきお延の「明」へと向かう救い、であろうか。

 

<対談『『續明暗』と小説の行為』(対談相手 高橋源一郎

 対談での水村の言葉は、すぐれた文学・小説・テクスト批評となっている。(以下、水村の言葉のみ引用する。)

漱石はこうは書かなかった」という反応に対して。

《まずは今おっしゃったことのうちの、最大公約数的な反応ですね。漱石はこうは書かなかっただろうという反応。それには私、私もそう思うんです、というふうにお答えするしかないの。漱石が終えたであろう形で『續明暗』を終えることは、私の目的ではないんです。この前、『ちくま』にエッセイを頼まれたときに、あんまり長くなるから、結局やめたんですですけど、初めは「私が『續明暗』でやろうとしたこと」というタイトルで書こうと思っていたんです。そこでは、私が『續明暗』でやろうとしたことは、漱石が終えたようには終えないようにした、というふうにいいたかったんですね。

 それには二つの位相があるんです。まずは原理的な問題なんですけれど、作家のオリジナルな意図というのは日記からも、手紙からも知りようがない。そんなものは実証研究的にわかるようなものではないんですね。最終的には漱石の内面にあったであろう意図のようなものを想像するしかない。でもそんなふうに考えて行ったらおそれ多くて書けないですよ。しかも、問題はもっと複雑で、作家自身、自分の意図通りの作品を書くわけではないんですね。漱石の意図を推し量りながら、漱石を書きつぐということは原理的に不可能なんです。漱石って何しろ作品の終え方の下手な人でしょう。私もおしまいは苦労して、ああ、漱石もいつも大変だったんだなって同情しましたが、それにしてもまずいですよね。》

 この「原理的な問題」とは、ポール・ド・マンから来たものに違いない。

 

《でも、いきなり小説の中に入ってしまって、ここがいいとか、あそこが変だとかいう読み方は、ふつうの読者の方ならそれで当然ですけれど、批評家だったらどうでしょうね。小説に関してのどういう前提の変容が、今、漱石を続けることを可能にしたかぐらいは、一応踏まえてもらえればと思います。別の言いかたをすれば、そういう前提の変容が『續明暗』につながることに対する驚きぐらいは持ってほしい。

 私、なぜ高橋さんがこういうことに敏感でいらしたかということはよくわかるんです。『續明暗』は裏切りとか、愛とか、結婚とか、そういうものがもちろんテーマになっているわけですけれど、それと同時に文学自体がテーマになっていると思うのね。いかに小説を書くか、この時代にいかにおもしろい小説が可能か、小説とはそもそも何なのか、そういうこと自体がテーマになっているの。その部分にある程度目をやってもらわないと、コメントとしてはちょっとつまらないと思うんですね。》

 

「完結性」、「終わり方」について。

《私、そこから漱石の思想の深遠さなんかを取り出すよりも、単に連載していたとか、アメリカみたいにエディターがついてないで文句をつけたりするようなことがなかったとか、いろんなことが言えると思うんですね。もちろん、日本人がそもそも、ディッケンズの作品にあるような完結性を追求しないということがその基本にはあるでしょうけど。》

《『彼岸過迄』なんかめちゃくちゃだし、『行人』だって『抗夫』だって、あれっていう感じで終わっちゃう。『それから』なんかも、急にメロドラマチックになってしまって実にいい加減な終わり方をしている。誰だって、あんなふうに終わってほしくないでしょう。

 今、アメリカで日本文学を研究する人たちはショーセツとノベルというのは別に考えているんですね。だから漱石の小説の多くがノベルとして見たときには破綻しているわけです。でも、『明暗』というのは日本文学の中では相当ノベルに近い。ノベルに近いからこそ破綻させずにどうにか終えたいという気持ちが起るわけです。漱石自身が書いたとしたら、それ以前の傾向から考えて、『明暗』をちゃんとおしまいまで持って行けたかどうかはあやしいもんでしょう。根気が尽きるというか、どうでもよくなっちゃった可能性の方が確率的には高いんじゃあないかしら。その方が漱石らしい終わり方にもなったと思う。でも私は『明暗』は日本の中では数少ない、ノベリスティックな小説だから、一応まともな結末を与えたかった。》

 

 結末の、「お延が死ぬ説」、「津田が死ぬ説」、「清子が死ぬ説」について。

《一読者としておしまいまで読んだときに、多分、お延は死なないだろうと思ったんです。三人とも殺さずにおこう、と書き始めたときからそう思ってました。大岡昇平の説は偶然読みましたけれど、その時はそれが私のに近いというふうには思わなかったんです。実際には私のにとても近いんですけれど、私は多くの人がああいうふうに考えているだろうと思っていた。ほとんど『明暗』に関するものを読まずにいたのも、そんなにいくつも結末のヴァリエイションはないと思っていたからなんですね。いくつかはありますが、無限にはないんです。高橋さんは先日『明暗』はすべての伏線をはり終わったところで終わっているとお書きになりましたけれど、本当にそうなんです。そして伏線をはるということはプロットの自由を奪うということなんです。だから私は個人的な結末を書こうとしたのではなくて、宿題をとくように書こうとしたのよね。話の進め方が本編にはりめぐらされている伏線と矛盾しないようにと。一番多くの人が一番納得できる、もっとも当り前な結末を、と思っていました。

『明暗』は漱石の他の本の倍の長さがありますね。漱石自身珍しく破綻しないようにすごく気をつけて進んでいると思うんです。せっかくあんなに伏線をはってあるんだから、という感じで。だからある程度のところまではちゃんと進んだかもしれないけれど、どうでしょう。》

 テキスト(『明暗』)からテキスト(『続明暗』)を生み出すということ、日記や手紙や漱石解釈者からではなく。

 

ジェンダーについて」、漱石作品はみな最後は男で終わるが、『続明暗』をお延という女で終わらせたこと、会話について。

《『明暗』がお延で終わっていたという可能性は結構あったと思いますよ。と同時に私が女の書き手だから漱石よりもお延により同情がいっただろうということは当然ありうると思います。実際津田の内面なんかを書くのは面倒くさくてしょうがなかったんです、こんなくだらん男などどうでもいいって。》

《ほんとうに面倒くさいと思って書いていた。今思えば『明暗』を続けたいと思った大きな理由に、『明暗』が二本立ての主人公だったということがあると思います。主人公が二人いて、一人が女性、しかもそっちのほうがすでに漱石自身によってより同情的に描かれている。でも割合と男の人たちって、身勝手ですよね。津田と清子はどうなるんだろうって、そっちの方にばかり神経が行っているような読み方ってありますよね。》

《お延で終わらせるというのは、そういう読者に対する批判にもなりうるでしょう。本当に男の人たちってなぜ津田と清子の運命ばっかり気にしているんだろ。それ自身津田のエゴイズムの反復でしょう。》

《女性の持つ他者性みたいなものがすごくよく出ていると思うの。色気も何もなくなっちゃったようなおばさんたちなどに妙な存在感があるでしょう。「由雄さんは一体ぜいたくすぎるよ」と津田を批判する藤井の叔母さんとかね。》

《会話がおもしろいんです。会話の場面がプロットの重要な構成要因となるでしょう。単に場の穴埋めのためにあるんじゃなくて、それがどんどん物語を進めていく役割をになっているから。》

漱石の会話は真の意味において劇的ですね。だから漱石の中では登場人物の沈黙も劇的に機能するんですね。私、他の作家について教えて初めてわかりました、会話がやっぱり十分に生きていない。》

 ジェーン・オースティンとの類似は「会話」において顕著であって、とりわけ岡本家での賑やかな会話は読む人を幸福感に誘う。

 

<インタビュー『水村美苗氏に聞く 『續明暗』から『明暗』へ』(聞き手 石原千秋

 インタビューの最後の、

《作家の意図したことというのが、一方にあって、テクストというのは必ずしも作家の意図した通りに意味を生産してはくれないものでしょう。その辺りのところを、やはり批評家とか、研究者の方は、お読みになるんだと思います》を認識したうえで、それでもなお作者の言葉に耳を傾けるならば……。

 

《この作品に対しては、いろんな批判がありますが、物語が発展しないとか、当り前の終え方でしかないとか、極端な場合には主要登場人物が同じじゃないかとか(笑い)、そういうご意見もあるのです。でも、少しでも想像力のある人間なら、そんなところで独創性を発揮するのは、少しもむずかしいことではないんです。そもそも物語などというものは、いくらでもひとりで暴走するものなんですから。ただそんなところで独創性を発揮してしまったら「續」である必然性がない。「續」を書く困難も楽しみもありません。たとえば私の『續明暗』の結末と大岡昇平さんのお書きになった「明暗の結末」とが似ているという御指摘をいろいろなところで受けますが、似ているということ自体を否定的にとらえようとなさるのは、まったく的をえていないと思います。私が独創的であろうとはしなかったように、大岡さんも独創的であろうとはなさらなかった。そして二人とも『明暗』を丁寧に読んだ。それだけのことです。私自身『明暗』で与えられた与件、それだけでやろうと最初から思っていました。》

 

 現在小説を書くことの意義について。

《長い話になると思うんです。また文学理論上、非常に常識的なことも入ってくると思うんですが。

 まず、文学の読み方が変わったということが一番基本にあると思います。作家中心の読み方からテクスト中心の読み方へと移行したということですね。ここ二十年くらいの間の変化です。まず、そういう理論的背景が『續明暗』の根底にある。それをぬきにしては、漱石のテクストなどには、おそれ多くて手をつけられなかったと思います、私なんか。それと、もうひとつ、これも読み方が変わったということと基本的には関係していることですが、もう新しいことは何も言えないというたぐいの認識ですね。これはちょっと不幸な認識です。でも現代の意識的な作家には共通した認識だと思います。もちろん近代小説とは、新しいことは何も言えないという問題を、常に内在的に含んでいたものだと思うんですが……》

《要するに、近代小説は、新しいこと、オリジナルなこと、そういうことを言うのに意味を見いだすジャンルとして成立した。だからかえって、新しいことは何も言えないっていう問題、つまりオリジナルな言説の不可能性というような問題も抱え込むことになったんだと思います。何しろ、既にフローベールなんかが、新しいことは何も言えないっていう認識自体を小説の主題にしたりしているわけですよね。

 いずれにしろ、そういうオリジナルな言説がある。その背後にそういう言説を発した一人の人間を見ることになるのです。つまり、『明暗』の背後に漱石を見る。「則天去私」という境地に達した漱石でも、達することのできなかった漱石でも、どっちでも同じことです。小説の背後に作家を見る。それが作家中心主義ですね。小説の解釈の中心にあるべきものが、作家という一個人であるという……。

 そして、そういう作家中心主義を可能にしているのは、こんなの言うまでもないことかもしれませんが、人間中心的な言語観ですね。それ自身、近代文学の根底をなす言語観です。言葉を個人の意識の表現としてとらえるという……。そういう言語観のなかでは、言葉はいわば二次的なものでしかない。そのかわり、個人の意識というものが、一時的となってくる。だから当然のこととしてテクストよりも作家の方が中心になるわけです。デリダにロゴセントリズム批判っていうのがありますよね。書き言葉を話し言葉よりもおとしめるのが、ロゴセントリズムであるっていう。難しいような、やさしいような話です。そんなものも、今申し上げたような人間中心的な言語観に対する、批判のひとつとしてとらえられるものだと思います。

 作家中心主義というのは、表現する側から言えば、まず自分というものがある。自分のなかにあるのは、悲しみでも、苦しみでも、何でもいいんですけれど、究極的には「言葉に言い表せないような」思いです。極めてオリジナルな、かつて言語化されたことのないような思い。そんな思いを不十分な形ではあっても、言葉によって言い表わしたのが作品だというわけです。読者に求めるものは、作品を通じての自分への理解というところに行き着かざるをえない。

 もちろん少しでも言葉に敏感な作家は、作家と作品の関係なんてそんなものじゃないっていうことを、常に言い続けています。例えばそういう作家中心主義的な解釈の第一人者サント=ブーブに対して、プルーストなんかでも『サント=ブーブに反対する』というのを書いていますね。しかもプルーストは『失われた時を求めて』の中に、そういう作家中心的な読み方をする人のクリティックというか、茶化すような部分を入れています。『赤と黒』を読むよりも、スタンダールと一緒にディナーのテーブルに座っていたほうが、より『赤と黒』についての理解が深まっていると思っている公爵夫人が出てきたりして。そして、もちろん漱石自身このような作家中心主義的な読み方をされてきた。神格化されてきたわけです。

 神格化されるということには、いろんな意味がありますよね。偉い人だって思われたり、教科書に出てきたりするのも、神格化の一部だし、お札に顔がのったりするのも、もちろんそうですね。こんなふうに『文学』が特集を組むのも、それと無関係ではない。でも、作家とテクストの関係で言えば、要は作家が神のような立場にある人間として見られるということですね。テクストの創造主。創造主であるからこそ、テクストの本当の意味を知っている人間。極端に言えば、『明暗』の本当の意味を知ってるのは、漱石のみだということになります。まさに神のみぞ知る。(笑い)『明暗』は犯してはならないものとして、存在してしまうんです。

 ところで今、作家たちを見ると、まず一方には、自分がこういうことを経験したということを、ナイーブにそのまま書いている作家がいます。もう一方には、書けないということ自体がテーマとなっているもう少し意識的な作家がいる。私はどっちかというと、書けないということがテーマにならざるを得ないようなところで、訓練は受けているわけです。それをどうつき破るか、それを書けるという状態に持ってくるのにはどうしたらいいかというところで『續明暗』なんていうものが出てきたのも、こういう作家を中心とする読み方が、すでに過去のものとなりつつあるせいですね。

 ポストモダニズムという概念がありますね。ポストモダニズムって意味の戯れなどというふうに理解されていますが、あれは根本的には歴史的な概念なんですね。新しいことはもう何も言えないという……。実際に新しいことが何も言えないかどうかということではなくて、新しいということに意味がない。そもそも、新しいことの意味がわからない。進歩というテロスを失ったときに出てきた歴史的な概念です。その時、過去のすべての芸術形態が同じ価値をもって目の前に並ぶわけです。》

 

「引用」について問われ。

《そもそも『續明暗』自体が広義の意味の引用そのものなんです。私自身が書いている時の大部分は、意味の中にどっぷり浸かって書いている。でも、そういうこととは別に、引用で書けるということを、やっぱり言いたかったんですね。『續明暗』に入っている引用というのは、偶然入っているんじゃなくて、引用が多ければ多いほどおもしろいというふうな意味があって入っているわけですね。

 私たちが言語をつくるんじゃなくて、私たちは言語の中に生まれてきただけである。私たちは与えられた言葉を必然的にしようがなくて使っているだけで、言葉というものは私たちがつくるものじゃないわけですね。そういう意味ではオリジナルな発話(エナンセーション)というのはまったくあり得なくて、全部が引用なわけですよね。引用する以外に自己表現がないですから。というよりも、引用、つまり、言語によってしかそもそも自己などというものも概念として構築されない。『續明暗』での引用は、いわば、そういう理論的な意味が、その中心にあるわけですね。もちろん引用だからといってパロディー的に引用してしまったら、その意義も薄れます。ふつうの読者におもしろく読んでいただけるように書きながら、それが引用であるという、その二つが両立していないと私が問題にしているような点がはっきり出てこないと思うんですね。パロディーというのはパロディーとしてできるとは思うんですけど。》

 たとえば、『行人』からの三味線の音、「東京辺(へん)の安料理屋より却(かえ)って好(い)い位ですね」、パロディー的には安永の義太夫日高川」(清姫安珍を恋慕い、蛇体となって日高川を渡り道成寺へ向かう)、『二百十日』からの豆腐屋の剳青(ほりもの)とヂッキンスと仏国(ふつこく)の革命の会話、『夢十夜』からのぴちゃぴちゃという冷飯草履(ひやめしぞうり)、などなど。

 

 津田と清子の小旅行における漱石『行人』の嵐の場面の暗闇の中の性的緊張、清子の二重瞼(ふたえまぶち)と『三四郎』の美禰子のそれ、などの引用の効用を問われて。

《それはやっぱり、引用するブロックの大きさによると思うんですね。『續明暗』には単語の単位の引用もあれば、文章の単位の引用もあります。引用が状況全体におよんだときには、今おっしゃったような部分は当然生まれるだろうと思います。大体自分としても、『行人』のあの場面が極めて性的な場面だったという印象が強いので、ああいうふうに使おうという発想も生まれてくるわけですから。引用の範囲のブロックの大きさによるんじゃないでしょうか。》

 

「終わり方」について聞かれると。

《私、『明暗』に関する研究書をほとんど読まなかったんですが、それはひとつには先ほども少し申し上げましたように、終わり方にそんなにバリエーションがないと思っていたからなんです。だからほかの意見を参考にするまでもないと思いました。『明暗』という小説は、要は三角関係の話ですから、終わり方の基本的なバリエーションというのは、二つの軸線をめぐってあるだけだと思うんです。津田と清子が一緒になるかどうかがひとつ。お延がどうするのかがもうひとつ。自殺をするのかどうかとか。『續明暗』がもっとも明確に否定しているのは、津田と清子が一緒になるという終わり方です。私自身、そこでは別の可能性というものは考えられませんでした。

 津田は顔も頭もいいし、まったく魅力のない主人公だとは思いません。現実世界であの程度の男に会ったとしたら、恋愛だって可能だと思う。むこうが何というかはわかりませんが。(笑い)でも作中人物として愛されてはいない。というよりも、愛するべきではないというサインが、テクストのなかに散りばめられていますね。例えば重役室で吉川の煙草にマッチをぱっと擦るところとか。》

《何しろ津田というのはそういう俗物性というものが、はっきり出ている主人公ですね。だから清子のような女と一緒になる、ロマンスの主人公たりえないと思うんです。三四郎でも、代助でも、いろんな欠点はあるわけですが、でも、俗物ではない。小林が一生懸命、朝鮮行きだかドストエフスキーだかのことをしゃべっているときに、どうしても襟飾りが気になって直してしまう場面もありますね。そういう主人公は、漱石としてもちょっとめずらしい。

 そもそも『明暗』というのはひとつの問をめぐって展開する小説だと思うんです。なぜ清子が津田のもとを去っていったのか、という問ですね。冒頭で津田自身が自分に問いかける問です。そして、重要なのは、その問が実はふたつのレベルで問いかけられているということです。津田という作中人物の意識のレベルと、津田のあり方を、ほかの作中人物との関係のなかで見ることの出来る読者の意識のレベルです。

 津田には自分の倫理性の欠如というものがよく見えない。ところが読者には、それがはっきりと見える。津田がどういうふうに他者とかかわり合うかを見ているうちに、だんだんと見えてくるんです。冒頭では読者も津田と同じようにまだ無知のなかにいます。でも先を読むにつれて、読者の方はわかっていくわけですね。こういういい加減な人間だから女に捨てられたんだろうということが。

 ですから、清子が津田と一緒になってしまったら、そもそも何のために清子が津田を捨てたのかわからない。津田は自分の問に対する答を、まさに「事実其物に戒飭され」て知る必要のある人物だというふうに設定されているんですね。》

 

 マイナスの主人公(津田)をマイナスのままで終わるのは、ちょっと芸がないなと思った、と言われると。

《最後はあれで救ったつまりなんです。真剣に話している小林の襟飾りを直すというのは、要するに他者の問題に飛び込めずに、常につまらないことが気になるということですね。それは結局彼の自意識と同じことだと思うんです。だから最後の場面では、一応自己の体の危険をおかしてもお延を……。肉体的にそういう反応に出てしまったということで、私はそれを一応自己改革の一歩としてとらえようとしたわけです。死ぬことに対して恐怖心を持っているのは当り前ですが、「自己の快楽を人間の主題」とするというふうに規定されている人物です。しかもみっともない格好は絶対したくない男でもある。それが、下血しながらガニまたで追いかけていくことによって、そういう小自我みたいなものをどこかにうっちゃってしまっている。ひたすらお延の許しを乞うしかないところに自分の身を置くわけです。そんな所を描いて、私はある程度救ったつもりでした。》

 

 恋愛至上主義、恋愛結婚について。

《清子のほうも、いったん恋愛というものをあきらめた上で関と一緒になっている。けれども恋愛による結婚が理念であることには、変わりはない。最初は、私も迂闊に読んでいたから、病院での関の伏線というのがわからかったんですね。何回か読んでいるうちにようやくピンときて、理想形態じゃないというのがわかりました。より理想的な人を選んだのではなく、『三四郎』の美禰子と同じようにコンヴェンショナルな結婚を選んだわけです。だから、恋愛至上であることには変わりはない。でも、恋愛相手だったらこうあらまほしいというのがあって、それに津田はちゃんと応えてくれない。温泉まで追いかけてきたくせに応えてくれない。お延ももちろん恋愛至上です。》

 

 蓮實重彦がテマティックな批評で指摘した漱石のテーマである「水」(『明暗』、『続明暗』でもここぞという場面では雨が降り、温泉の洗面所では四つの金盥(かなだらい)から水が溢れ)や「縦の構図」(『明暗』における梯子段(はしごだん)の上り下り、滝)と同じくらい「鏡」漱石のテーマで、病院の「顕微鏡」、歌舞伎見物の「双眼鏡、オペラグラス」、津田が温泉で迷ったときに姿を映す「鏡」、清子の部屋の黒柿(くろがき)の縁(ふち)と台のついた「三面鏡」(『続明暗』では宿に到着したお延のために同じものが運び込まれる)があり、そして『続明暗』の最後には「手鏡」を持つお延が出てくる。

《お延は、美人じゃないという自己規定がある女の人で、だから内面がある。劣等感と内面とは同じものですから。お延によって漱石の中で初めて強烈に内面を持った女性が誕生したわけです。漱石の美人型の女性というのは、存在感はあるけれども、内面に深く入り込むことは不可能でしょう。しかしお延は入り込みやすいわけです。

 津田が清子と一緒になれるかどうかというところへ主眼を置いた読みというのは、美人というサインを特権化する、すごく素朴な、ほとんど神話的な読み方です。私は『明暗』は、そういう読みを不可能にしている小説だという気がします。だから最後までお延の容姿の劣等感も出したかった。》

 電燈のスウィッチを捻り点(つ)けることで明と暗の場面転換を繰り返すのと同じほどに、水村は、清子の二重瞼(ふたえまぶち)と相対する、お延の細い眼、一重眼(ひとえまぶち)を反復描写する。

 暗喩ということでは、『明暗』で執拗に反復、変調される、津田が帰宅時に玄関を開け、お延が迎えるという日常行為における津田の性向と結婚生活の力学や、偶然とポアンカレーと御神籤と予言や、《「あたしはどうしても絶対に愛されて見たいの。比較なんか始めから嫌いなんだから」》とお秀に主張したお延が、温泉行きの津田に持たせた褞袍(どてら)より宿の方が上等であったと津田が深層心理的に連想する「お延と清子」を「較(くら)べる」アイロニー

 

「お金」は、漱石が読みふけった、英国ヴィクトリア朝時代、資本主義勃興期の、ジェーン・オースティンの世界の土台である。岡本から小切手を貰ったお延は、岡本の差し金で来た呉服屋から反物という商品を買い、それをまた質屋へ入れて金に変える。

《お延の場合は、彼女自身の存在のあいまいさのようなものが、岡本が実家ではないということから出てきていると思うんです。もし実家だったら、彼女の交換体系の中での嫁としての立場はもっと強いものになったでしょう。》

《嫁入りのときに岡本がずいぶん負担したとあります。岡本が実家ではないから吉川との関わりも薄い。そのかわり、岡本が実家ではないからこそ、愛があっての結婚だと思い込めるんです。岡本の後光のもとでやりながらもそのことに無意識でいられるというような構造になっていますね。好都合な盲点を生み出せるような構造になっている。

 いずれにせよ、強い父親がいないということは、最後には決定的に作用してきますね。温泉場に岡本が行かないのは継子の見合いによるものですから。やっぱり岡本は親ではない。》

《お延が結婚の交換体系の中で、弱い立場にあることが露呈されて行くわけです。そもそも岡本が実家だったらもっと簡単に戻れるわけです。戻る場所を失っている女だから……。》

《しかも同時にお延には自己のアイデンティティというものがあって、彼女は利口な女、取り仕切れる女という、そのアイデンティティを保ちたいというところが強くありますでしょう。》

《そうそう、愛人的ですね。だからそれは必ずしも主婦的ではなくて、要するに女の人の価値というのは、男の人から絶対的に愛されているときに、それは社会的に意味のある男性のほうがいいわけですけれども、そのときに生じるというような構造があるんです。だからお延が愛されたいという気持ちと、彼女の見栄というのは切り離せない。》

《片方だけで読むと、非常に功利的なつまらない女になるし、もう片方だけで読むと、これまたメロドラマの女主人公みたいで馬鹿みたいですよね。そこが分かちがたく結びついているのがリアリティーを生んでいると思います。》

《必然性はないんですけれど、質屋というものが本編の出だしに出てきますし、何となくあんなふうにやりたくって。結果的にはお延に自由になるお金の性質というものが、それでさらにはっきりしてきたと思うんですね。主婦は基本的にはお小遣いがないんですよ。ああいうお金しか自由になるお金がないから、それを使ってしまったら、それをまた現金にかえるしかない。ことに、実家にも岡本にも甘えるのをいさぎよしとしないお延にとっては、もうあのお金しかないわけです。》

《必需品ではあるけれども、今年は京都からも仕送りを期待できない、となると同時に、贅沢品だというふうにも見られる。要するに、どちらともとれる、あいまいなお金ですね。私はあそこで、主婦としての自己よりも、愛人としての自己、アイデンティティの確立というものをそこでもう一度試みようとしたというふうに、まずは考えたかったんですけれども。

 あの呉服は春の日の光の中で夫に見られるということを意識して買っているわけです。津田に対して女として魅力的に見えるかなというところでもう一回賭けてみよう。お延がそういう決断を下しているというふうに、私は思っていたんです。

 ところが、無残にもそれどころではなくなる。あたふたと現金にかえて行かなくてはならない。一筋の希望が見えた後の失望ということでしょうか。》

 

水村美苗『「野間文芸新人賞」受賞スピーチ』>

《さて、その「大教授」(筆者註:水村『私小説from left to right』(野間文芸新人賞受賞)に「大教授」として出てくる人物、ポール・ド・マンのことで、イェール大学の「脱構築(deconstruction)」批評の中心にいて、水村は深い畏怖の念と尊敬を抱いていた)によれば、文学というものはふつう私たちが考えているものとちがって、徹頭徹尾空虚なものなのです。それを空虚なものだと思わないのは、私たちの、言葉に対する認識が足りないからだけなのです。「大教授」は言います。言葉とは私たちが意図したことを言っているとは限らない。それどころか、私たちの意図を越え、しばしば、まるで反対のことを言ってしまう。そして、それは、言葉というものはその本質において、記号と意味とが乖離せざるを得ないものだからである。

 もちろん、人間とは言葉を使う存在である限り、意味にとらわれざるをえない存在です。それでいて、言葉の本質というものは、意味にとらわれた人間の意図を裏切らざるをえないものなのです。

 ところで、その「大教授」が一番やりだまに挙げたのはThe language of selfhood――すなわち、人が「私」というものにかんして語る時の言葉でした。人は「私」というものにかんして語る時ほど、誤謬におちいる時はない。なぜなら、人は「私」というものにかんして語る時ほど、自分の意図した意味の自明性を信じることはないからです。

 だから文学というものは、作家が何を意図しようとも、作家の自己認識に通じるということはあり得ない。解放につながることもあり得ない。癒すこともあり得ない。そもそも、作家が自分に言いたいことがあると思うのも、そして、それ以前に、自分というものがあると思うのも、疑わしい。たとえば、ルソーの『告白』といえば、私小説の元祖のようなものですが、その『告白』について「大教授」は、そこに出てくる「自分」などという概念は、たんに言葉の副作用のようなものでしかないかもしれないとも言っています。

 要するに、「私」というものにかんして言えば、ないないづくめなのが文学なのです。

 今思えば、『續明暗』を最初に書いたのも、「私」というものをかけ離れたところで書くことによって、そのThe language of selfhoodを通らずに済ますことが出来ると思ったからかも知れません。》

 

水村美苗漱石と「恋愛結婚の物語」』>

《恋愛結婚の物語を一言で要約すれば、人がいかに理想の結婚にゆきつくかという物語です。理想の結婚とは、もちろん、相思相愛の結婚をさします。でもそれはたんに好きな者同士の結婚ではない。それは、男女の現実の出会いに先行する理念なのです。相手を絶対的に愛するもの同志――相手が自分にとって神のように絶対的であるもの同志の結婚という、理念なのです。そして、人は自らの自由意思を正しく行使することによって、その理想の結婚にゆきつく。いいかえれば、どのような結婚にゆきついたかでもって、人がいかに正しく、あるいはまちがって、自らの自由意思を行使してきたかが見えるのです。恋愛結婚の物語では、結婚こそが、その人の人間としての価値を映し出す鏡となるのです。(中略)このような恋愛結婚の物語が、英国ヴィクトリア朝で花ひらいたのも当然のことでした。そこではいち早く資本主義が発達し、いち早く個人主義が確立し、いち早く女が自分で自分の生を生きるのが可能になった。しかも、そのような女の中には作家がおり、彼女らはまさに恋愛結婚をめぐる物語を書いて、食べてゆこうとしたのです。恋愛結婚の物語が、何よりもまず、自分で自分の人生を切り開いてゆこうとする女の物語であるのは、このような女の作家たちの存在と切りはなせません。

 明治維新のあと、西洋の文芸が日本に入ってくるや否や、恋愛結婚という理念は若い世代を熱病のようにとらえました。でも、そもそもの核をなす、絶対的な愛などというキリスト教を背景とした理念が、いかに異質なものであったか。何しろ見合い結婚という汎理念的な結婚――漱石の言葉でいえば「お手軽」な結婚がゆきわたっていた国です。そしてそれは、うまく機能しており、日本の女もとりたてて不自由を感じていない。日本の現実の中で、見合い結婚に是が非でも反対し、恋愛結婚の理念を高く掲げねばならないような必然はどこにもなかったのです。事実、その後の人々の結婚は、恋愛結婚でも見合い結婚でもあるような、不分明な結婚に落ち着きました。作家が文学の中で恋愛結婚を大まじめにとりあげることもありませんでした。

 驚くべきは文学の力です。

 その中で唯一漱石だけが、恋愛結婚というものを大まじめにとりあげたのです。英文学を嫌い、英文学に反発しながら書いた漱石ですが、英文学を当時のどの作家よりもよく読み、よく読んだことによって、理解してしまったのです。そのあげく、気がついたときは、恋愛結婚という理念にとらえられていた。そして、見合い結婚と不分明な恋愛などはありえないことに、こだわり続けて書くにいたった。しまいには、なんとヴィクトリア朝の女の作家たちの、息吹が感じられるような小説を書くにさえいたったのです。

 それがあの『明暗』です。漱石の中で初めて、女主人公の視点からも物語が語られたというだけではない。お延は、まさに、「自分の眼で自分の夫を撰」ぶという女――自分で自分の人生を切り開こうという女なのです。同時に、まさに、絶対的な愛という理念を心に掲げている女でもあるのです。彼女はたんに夫に充分愛されていないのが不幸なのではない。絶対的な愛という理念にかんがみて、自分が理想の結婚をしていないという自覚が、彼女を不幸にしているのです。

「何うしても絶対に愛されて見たいの。比較なんか始めから嫌ひなんだから」

 何しろこのように、翻訳小説のようなせりふをはく女です。だからまわりの女たちからは疎まれる。夫からはうんざりされる。怖がられもする。この日本の現実にどうして絶対的な愛など要るのか。ところが、『明暗』の世界にとりこまれてしまった読者にとって、お延の理念の必然は自明のものになってしまっているのです。私たちはお延の運命に一喜一憂して、文章を追ってゆくのです。

 小さいころ少女小説によって耕された心の一部を、漱石の『明暗』は知らぬまに掘り起こしていたのでした。そしてそれが『續明暗』につながっていたのでした。それに気がついたとき、時代を越えて、海を越え、男女の差を越える文学というものの力――言葉というものの力を知ったように思います。》

 

水村美苗『女は何をのぞんでいるのか――ジェーン・オースティン高慢と偏見』>

 ジェーン・オースティン高慢と偏見』を漱石は好み、その『文学論』で繰り返し引用しつつ「写実」について論じた。水村美苗『女は何をのぞんでいるのか――ジェーン・オースティン高慢と偏見』』に書かれていることは、『明暗』のハイライトともいうべき津田という男の問題であった。小島信夫も『漱石を読む』で指摘したが、『明暗』で津田は聡明であると漱石のお墨付きをもらっていながら、あることがわかっていない、そのことには少しも気がついていない、お延はそのことを感じていないというわけではないが、よくは分かっていない、分かる時がくるであろう、しかし清子はわかっていた、『続明暗』で問われ、答えて東京へ帰って行く。

《「いったい女は何をのぞんでいるのか」――女の欲望を前に困惑したフロイトの問いは有名です。『高慢と偏見』という小説は、まさに、「いったい女はどんな小説が読みたいのか」という問いに対する答えのような小説なのです。そしてそれは、「女は何をのぞんでいるのか」という問いそのものに答える小説だからにほかなりません。(中略)

 いったいこの娘は自分を愛しているのだろうか――この問いが究極的に、「いったい女は何をのぞんでいるのか」という問いにつながることはいうまでもありません。実際、「女は何をのぞんでいるのか」を問わずに、女を愛せるでしょうか。というよりも、「女は何をのぞんでいるのか」を問おうとすることこそ、女を愛することではないでしょうか。

 女は何をのぞんでいるのか。

 女は何よりもまず、男が「女は何をのぞんでいるのか」という問いを問うてくれるのをのぞんでいるのです。

 その問いを問わずにいたダーシーの「罪」は重くて当然です。しかしダーシーは幸い現実の男ではありません。女の作家の描いた男なのです。「女は何をのぞんでいるのか」を問わなかった自分の「罪」を深く恥じ入る心をもっている。深く恥じ入る心をもっているがゆえに、女にとっての理想の男となるのです。》

 いわば、漱石という男が『明暗』で焦点化した問題に、水村という女が『続明暗』で答えを示したとも言える。津田の「盲目」の罪と、かろうじて最後に下血しながらもお延を追う恥じ入る心との。

 

***<附>***

ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』>

 ニュークリティシズムの精緻な読解の土壌に脱構築(ディコンストラクション)批評を開花させたポール・ド・マンの、イェール大学での最後の生徒の一人だった水村美苗の小説を論じるとき、水村がド・マンに関する評論を発表していることを忘れるべきではない。

《――あまり速く読んだり、あまりゆっくり読んだりすると、何もわからない――(パスカル

『読むことのアレゴリー』は、右の、『パンセ』からの引用をそのエピグラフとして本の冒頭に掲げている。ところで、このエピグラフ自体、はたしてわれわれは読むこと=理解することができるのであろうか。》

 この問いかけから水村は、ブックガイドとしての『ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー』を論じている。

《たとえばわれわれは『パンセ』に即してこう言えるかもしれない。

 人間は無限に大きなもの(「無数の宇宙」)と無限に微細のもの(「自然のなかの最も小さなもの」)、すなわち「無限と虚無」という「二つの無限」の「中間」に在る。それは、人間が「無限に対しては虚無……虚無に対してはすべて」だというような中途半端な存在であり、「両極端を理解することから無限に遠く離れて」いるということにほかならない。人間にとっては自分の大きさに見合ったことをかろうじて理解することしか能わず、「事物の究極もその原理も……立ち入りがたい秘密のなかに固く隠されて」いるのである。したがって、速すぎてもゆっくりすぎてもわからない、という読む行為に見いだされるあやうさは、両極端の間のきわどいバランスの上でしか成り立たない人間の理性のあやうさのひとつの比喩だと言えるだろう。》

 そのような警句として捉えることはパスカルからの引用であればなおさら自然ではあるが、もし字義どおりに、あまりにゆっくり読みすぎてしまったらどうなるのであろうか、と水村は問いかける。

《読めば読むほど、「あまりゆっくり読んだりするとわからなくなる」という言葉をモラルのこもった警句として読むべきか、そのまま真にうけて読むべきか、すなわち、比喩的に読むべきか文字どおりに読むべきかがわからなくなる。そしてその結果、「あまりゆっくり読んだりするとわからなくなる」という言葉が文字どおりに理解され、パスカルからの引用は同じ形をしていながらまったく違う文章としてその姿をわれわれの前に現すのである。

 しかもこの同じでありながら違うふたつの文章の違いはどうでもいいような違いではない。あやうさは、はたして人間の理解力に内在しているのか。人は言葉か。主体としての作家かテクストか。言わんとしていることか、言っていることか。意味か記号か。解釈か詩学か。パスカルの引用は現代批評のアポリアへとまっすぐわれわれを導いていくものである。》

 水村を、あまりド・マンにつきすぎて読んでも、離れて読んでも、わからなくなる。とはいえ、ド・マンにつきながら水村を論じた批評を目にしないので、ここでは少しばかりド・マンに添ってみる。

『続明暗』の物語構造においても、水村の次のような文章と共鳴しあうだろう。さらには『明暗』と『続明暗』の恋愛もまた「理解することの不可能性」の物語として姿をあらわす。

《読み手としてのわれわれはテクストを読むことができないし、ナラティブ(物語り)としてのテクストは――まさにパスカルからの引用のように――読むことの不可能性、そして、みずからを読まれることの不可能性をものがたっているのである。しかも、われわれは、その不可能性の前に安住していることはできない。言語が言語であるかぎり、それは、読まれること=理解されること、つまり意味をなすことをわれわれに要求し続けるものである。意味と意味とのあいだのアポリアとは、究極的には、読むことの不可能性と理解されることの絶対的必然性とのあいだのアポリアにほかならない。そのアポリアは決してスタティックなものではありえず、永久運動を続けながら、より高度な(アイロニカルな)アポリアへと突き進んでいくものなのである。》

 

水村美苗『リナンシエイション(拒絶)』>

 水村の評論『リナンシエイション(拒絶)』(「註」によれば、《このエッセイはド・マン教授が亡くなって間もなく行われた筆者の口頭試験において、同教授のために用意された主題の代わりに発表したものから生まれた》)にこうある。

《ある書き手の死がかれを読むことにおいて何らかの差をもたらすとする。かれの手で書かれたものをそれなりの歴史(history)を持つものとして把握したいという衝動がやみくもにわれわれを捉えるのは、そのひとつの表れであろう。終わりは始めを、そして始めと終わりとを結ぶ面白い物語り(story)を求める》と、漱石という書き手の死で中断された『明暗』の続編としての『続明暗』という小説を書くことを暗示しているかのような文章で始まる。

 

《「再生の悦びを感じたと思うとき、そのような変化が実際にあったのか、それとも、以前の未解決なままのオブセッションを微妙にちがう形で繰り返しているに過ぎないのか、それは私自身には最後までわからないであろう。」》

 水村が強調した語彙は、ド・マンを読むことへの水村の関心のありかを明らかにしているだろう。『続明暗』とは「再生の悦び」によって書かれており、最終章のお延に「再生の悦び」を感じはしないか。

「再生の悦び」、「未解決なままのオブセッション」、「繰り返し」、「拒絶(リナンシエイション)」、「誘惑」、「犠牲」、「存在を引き裂く亀裂」、「近代の『衰え』」など、《死、苦悩、悲哀、内面性、内省、意識、自己認識といった懐かしい言葉が棲息する文学の古典へと再び舞い戻ってきたという気がするのである》とは、ド・マンを読んだ水村の素直な感想と結びつく。

 そしてまた、「拒絶(リナンシエイション)」に清子の「拒絶」を連想しうる。

 

ポール・ド・マン『盲目と洞察』>

 ド・マン『盲目と洞察』の第Ⅶ章『盲目性の修辞学』のエピグラフは、《「……解釈をまじえずに、テクストをテクストとして読みうるということ、それは<内的経験>のもっともおくれてあらわれる形式――おそらくはほとんど不可能な形式であるかもしれない……。」 ニーチェ、『力への意志』四七九[1]》である。

 

ルカーチブランショ、プーレ、そしてアメリカの「新批評」の著作家たちからは、文学言語のきわだった特性についての膨大な洞察を学ぶことができるが、それは文学作品の観察や理解から引き出された認識を明白な仕方で言明するような、彼らの直接的言表によるものではない。どの場合でも必要なのは、断定的な傾向の強いいくつかの言明にとらわれることなく読み、それらを他の、はるかにためらいがちな発話、ときには危うく断定的言明に矛盾しそうに思えるいくつかの発話に対置してみることである。とはいってもそうした矛盾は、互いを排除し合うものでもなければ、弁証法的総合の力学に入って行くこともない。矛盾や弁証法的な運動が始動しえないのは、顕在性のレベルが基本的に異なるために、二つの言表が言説の共通のレベルで出会うことがないからである。ちょうど影の中で太陽が、あるいは誤謬の中で真理が隠れてしまうように、ひとつの言表の内部では見えなくなってしまうのだ。それに対して、洞察は、批評家の思考を活気づける否定的な運動から得られてきたように見える。それは暗黙の原理として、批評家の言語を言明された立場から連れ出し、彼の表明した見解を転倒・解消して、その内実が空洞化され、あたかも断定する可能性そのものが疑問視されるような地点にまで至らしめる。だが、正しく洞察と呼ばれてしかるべきものへと導くのは、こうした否定的で見たところ破壊的な活動にほかならないのだ。》

《奇妙なことにこれらの批評家たちはすべて、彼らが言おうとしたこととはまったく別なことを言ってしまう宿命になっているようだ。彼らの批評的立場――ルカーチの予言者的傾向、プーレの起源的コギトの力への信念、ブランショのメタ・マラルメ的な非個人性への要求――が、彼ら自身の批評の結果によってくつがえされてしまうのである。そして後に残るのは、文学言語の本性に対する透徹した、しかし困難な洞察だ。けれどもこの洞察がえられたのは、まさに批評家がそうした独特の盲目性にとらわれていたからなのである。彼らの言語がある程度まで手探りで洞察に向かって進みえたのは、まさに、彼らの方法論があくまでそうした洞察に気づきえなかったからにほかならない。そうした洞察は、読者にとってのみ存在する。読者は、著者の盲目性――自分が盲目かもしれないという問いは、著者には定義上問うことができない問いだ――を、それ自体意味のあるひとつの現象として見ることができるし、したがって言表と意味とを識別することができるという、特権的な立場にあるからである。読者のしなければならないことは、ある視覚のもたらす明示的な成果を解体することである。そうした視覚は、すでに盲目であり光の脅威を恐れる必要がなかったからこそ、光に向かって進むことができたわけだ。けれどもその視覚は、その旅の過程で自分が何を見てきたかを、正しく報告することができないのである。このように、批評家たちについて批評的に書くことは、盲目の視覚とでもいったものの逆説的な有効性について考察するための、ひとつの方法となるのであり、そうした視覚はみずからが意図せずにもたらした洞察の力によって矯正されなければならないのである。》

《批評家は作品が言っていないことを言うだけではなくて、自分自身が言うつもりのないことを言っているのである。(中略)批評家たちが、彼ら自身の批評的前提に関してもっとも盲目となる瞬間は、同時にまた彼らが最高の洞察に到達する瞬間でもある。トドロフが正しく述べているように、素朴でありながら批判的な読書とは、実は「エクリチュール」の現実的あるいは潜在的形態なのであり、読書が行われた瞬間から、新たに発生したテクストはオリジナルを無傷のままにしてはおかない。二つのテクストは、互いに闘争状態に入ることすらありうるのだ。》

 この「盲目」に津田の問題を見ることは可能であろうか。

 

《ルソーは、常に体系的に誤読されている一群の作家の一人である。わたしはこれまで、批評家たち自身の洞察にかかわる彼らの盲目性、彼らの述べた方法と彼らの感知したものとの隠された不一致について語ってきた。文学の歴史においてもその歴史編集においても、こうした盲目性はある特定の作家についての、くりかえし起こる異常な解釈のパターンという形をとることがある。このパターンは、高度に専門的な注釈家から、その作家を一般的な文学史の中に位置づけ分類するための曖昧な「通念(idées reçues)」にまで及んでいる。それは、その作家に影響を受けた他の作家たちを含むことすらある。もとの発話が両面的なものであればあるほど、その追随者や注釈家たちの一致した誤りのパターンは、画一的で普遍的なものになる。すべての文学言語、そしていくつかの哲学言語は本質的に両面的なものだという観念を、人は原則的にはあっさりと認めるにもかかわらず、ほとんどの文学の注釈や文学的影響に含まれている機能は、いぜんとしてこうした両面性を矛盾へと還元したり、作品の中の混乱を招く部分を隠蔽したり、あるいはもっと微妙な仕方で、テクストの内部で働いている価値づけの体系を操作することによって、何とかして両面性を払いのけようとしているのである。特にルソーの場合そうであるように、両面性がそれ自体哲学的命題の一部をなすときには、こうしたことは非常に起こりやすい。この点からみればとりわけルソー解釈の歴史は、彼が言っていないことを言ったかのようにみせるための多種多様な戦略と、そして意味を確定的に輪郭づけようとするこうした誤読の収束とに、満ち満ちているのである。それはまるで、ルソーが生前苦しんでいたと想像されるパラノイアが、彼の死後に現れて、敵も味方もこぞって彼の思想を偽装するという陰謀に駆り立ててでもいるかのようだ。(中略)ルソーの場合、そうした誤読にはほとんど常に、知的あるいは道徳的な優越性のニュアンスがつきまとっているということだ。あたかも注釈者たちは、いちばんましな場合でも、彼らの著者が取り逃がしてしまったものについて弁解したり、処方箋を出さなければならないかのように思っているのである。ある本質的な弱点のために、ルソーは混乱と背信と隠遁に陥ってしまったというのだ。と同時に、まるでルソーの弱点を知っていることが何らかの形で自分自身の強さを反映するかのように、判断を下す方は自信を回復していることが見てとれるだろう。彼は何がルソーを苦しめていたのかを正確に知っているから、あたかも自民族中心主義的な人類学者が原住民を観察したり、医者が患者に忠告するときのような、揺るぎない権威という立場からルソーを観察し、判断し、補助することができるのである。批評的態度は診断的なものとなり、ルソーはまるで、自分から助言を与えるよりも、むしろ助けを求めている存在であるかのように見なされる。批評家はルソーについて、ルソーが知りたいと望まなかった何かを知っているのである。》

 この「ルソー」は、完全に「漱石」に置換しうる。                                       

                             (了)

      *****引用または参考文献*****

水村美苗『続明暗』(新潮文庫

水村美苗『續明暗』(筑摩書房

夏目漱石『明暗』(解説 柄谷行人)(新潮文庫

水村美苗『日本語で書くということ』(『漱石と「恋愛結婚の物語」』、『「男と男」と「男と女」――藤尾の死』、『見合い恋愛か――夏目漱石『行人』論』、『ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー』、『リナンシエイション(拒絶)』所収)(筑摩書房

水村美苗『日本語で読むということ』(『女は何をのぞんでいるのか――ジェーン・オースティン高慢と偏見』』、『自作再訪――『續明暗』』、『「野間文芸新人賞」受賞スピーチ』所収)(筑摩書房

辻邦生水村美苗『手紙、栞を添えて』(朝日新聞社

水村美苗ポール・ド・マン 読むことのアレゴリー』(『現代思想』1998年4月号所収)(青土社

水村美苗『リナンシエイション(拒絶)』堀口豊太訳(『現代思想』1986年9月号所収)(青土社

ポール・ド・マン『盲目性の修辞学』吉岡洋訳(『批評空間』1993年No.8所収)(福武書店

ポール・ド・マン『盲目と洞察』宮崎裕助、木内久美子訳(月曜社

ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』土田知則訳(岩波書店

ポール・ド・マンロマン主義と現代批評 ガウスセミナーとその他論稿』中山徹、鈴木英明、木谷厳訳(彩流社

水村美苗『人生の贈物』(「朝日新聞(夕刊)」2014年8月11日)

*対談:高橋源一郎水村美苗『『續明暗』と小説の行為』(『すばる』1990年12月号所収)(集英社

*インタビュー『水村美苗氏に聞く 『續明暗』から『明暗』へ』聞き手・石原千秋(『文学』季刊1991年冬)(岩波書店

*対談:高橋源一郎水村美苗『最初で最後の<本格小説>』(『新潮』2002年11月号所収)(新潮社)

水村美苗私小説from left to right』(新潮文庫

水村美苗本格小説』(新潮文庫

辻邦生水村美苗『手紙、栞を添えて』(ちくま文庫

夏目漱石三四郎』(新潮文庫

夏目漱石『行人』(新潮文庫

夏目漱石二百十日』(新潮文庫

夏目漱石夢十夜』(新潮文庫

夏目漱石『文学論』(岩波文庫

蓮實重彦夏目漱石論』(青土社

大岡昇平『小説家 夏目漱石』(「明暗の結末」所収)(ちくま学芸文庫

江藤淳夏目漱石』(角川文庫)

加藤周一漱石に於ける現実――殊に『明暗』に就いて』(『加藤周一選集1 1937~1954』)(岩波書店

古井由吉漱石漢詩を読む』(岩波書店

谷崎潤一郎『藝術一家言』(谷崎潤一郎全集9(2017))(中央公論新社

柄谷行人『増補 漱石論集成』(『意識と自然』等所収)(平凡社ライブラリー

小島信夫小島信夫批評集成8 漱石を読む』(水声社

*『漱石研究18 特集『明暗』』(『[鼎談]加藤周一小森陽一石原千秋』等所収)(翰林書房

佐伯順子『「色」と「愛」の比較文化史』(岩波書店)