文学批評 大江健三郎初期小説の皮膚的な表層/深層(引用ノート)

 

 

 

                                   

 まず、皮膚、表皮、表層に関わる種々言説を反芻してから、大江健三郎の初期小説における皮膚的な表層/深層について読み直し(リリーディング)してゆこう。

 

《…おお、このギリシア人! 彼らは、生きるすべをよくわきまえていた。そのためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること、仮象を崇めること、形式や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信仰することが、必要だったのだ! このギリシア人らは表面的であった――深さからして(・・・・・・)!》(ニーチェ『悦ばしき知識』序文)

《表皮性(・・・)。――深みのある人間はすべて、いつかは飛び魚のようになって波浪の切っ先にたわむれ遊ぶことに、至福の思いをいだくものだ。彼らが事物における極上のものとして評価するのは、――それらが表面を、つまりその表皮性(この表現を咎(とが)めなさるな)をもつということだ。》(ニーチェ『悦ばしき知識』第三書、断章二五六)

《動物的意識の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、――意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、郡畜的標識に化する(・・・)。》(ニーチェ『悦ばしき知識』第三書、断章三五四)

《皮膚を取った人間の内側にある美的不快さ――血の固まり、糞尿の腑、吸い込み吐き出す無数の怪物たち――ぐにゃぐにゃと醜く、グロテスクで、そのうえ、不快な臭気を発している。それゆえそのようなものは考えない(・・・・)ようにするというわけだ。》(ニーチェ『遺された断想』一八八一年春~秋)

 

《「皮膚はあなたの外脳ともいえます、よろしいですか、――発生学的にはあなたの頭蓋骨のなかのいわゆる高等器官の装置と同一の性質のものです。中枢神経も、よろしいですか、表皮層がすこしばかり変形したものにすぎません。そして、下等動物にあっては、中枢と末梢の区別はだいたいまだ存在していなくて、かれらは皮膚で嗅ぎもし、味わいもするのです、そうお考えになるべきでして、だいたいにおいてかれらは皮膚感覚を持っているだけなんです」》(トーマス・マン魔の山』第五章)

 

《人間においてもっとも深いもの、それは皮膚だ》(ポール・ヴァレリー固定観念』)

 

精神分裂病の患者の身体の第一の様相は、一種の濾過機としての身体である。フロイトは、精神分裂病の患者は、自分の身体の表層や皮膚に無数の小さな孔が開いているのを察知できる能力があることを強調している。その結果、身体すべてが深層そのものになり、基本的な退化を表象する、口の開いたこの深層のなかへすべてを導入して、くわえ込む。すべてが身体であり、身体的である。すべてが身体の混淆であり、身体のなかにあり、嵌入であり、浸透である。》(ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』第13のセリー 精神分裂病の患者と少女)

 

《ところで、深層の歴史は最も恐ろしいもの、メラニー・クラインが忘れられない場面を描いた恐怖の演劇によって始まる。そこでは生後一年の幼児が、同時に舞台であり俳優であり劇である。口唇性、つまり口と乳房は、底のない深層である。母の乳房と身体のすべてが、良い対象と悪い対象とに分裂しているだけでなく、攻撃的に空虚になり、切断されて断片化し、こま切れの食べものになる。こうした部分対象を乳児の身体のなかに入れると、内的な対象に攻撃性の投射が生じ、それらの対象が逆に身体のなかへ投射される。こうして注入された断片がまたいわば有毒で迫害的であり、爆発しやすく毒性の物質であって、子どもの身体を内部から脅かし、母の身体のなかでたえず作り直される。そこで、たえまなく注入をくり返す必要がある。注入と投射のシステムのすべてが、深層での、深層による身体のコミュニケーションである。そして口唇性は、自然に人肉を食べる風習と肛門愛へと延長される。肛門愛においては、部分対象は、子どもの身体も破裂させうる糞便である。なぜなら、一方の断片はつねに他方への迫害者になり、乳児の《受難》を作るこの忌わしいまぜものでは、迫害者がいつも迫害される者になるからである。普遍的な下水だめである、口唇=肛門、または食物=糞便というシステムでは、身体が破裂したり、破裂させたりする。内的で、注入され、投射され、食物的で糞便的であるこの部分対象の世界を、われわれはシミュラークル(・・・・・・・)の世界と呼ぶ。メラニー・クラインはこれを子どものパラノイア分裂病的態勢として記述している。》(ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』第27のセリー 口唇性について)

 

 

 一般に、『東京大学新聞』に掲載されて批評家の注目を集めた処女作『奇妙な仕事』(1957)から、『死者の奢り』(1958)、『飼育』(1958)等の短編小説、初の中長編小説『芽むしり仔撃ち』(1958)、転回点となった長編小説『個人的な体験』(1964)ないし『万延元年のフットボール』(1967)までを初期小説と呼んでいる。これら初期小説群には一つの特徴がある。それは「皮膚」だ。「皮膚」が発する激しい「臭い」であり、「液体」がしたたり、まとわりつく「濡れる」イメージである。表層と深層の表裏一体性。

中期、および後期において、それらはあからさまではなくなるが、それでも「口唇性」「肛門愛」のような徴候となって顔をもたげる。

 

<『奇妙な仕事』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 師渡辺一夫訳のピエール・ガスカール『けものたち』に影響を受けたと作家自身が回顧している処女作『奇妙な仕事』からして、すでに「皮膚」をめぐる表徴に噎せかえっている。「皮膚」には、きまって「臭い」と「液体」が付随している。「皮剝ぎ」の場面は、初期小説で強迫的に繰り返される。

14《犬殺しが棒をさげて待っている仮囲いの中へ犬を引っぱって僕は入って行く。背にすばやく棒を隠して犬殺しはなにげなく近づいて、僕が紐をもったまま充分に距離を犬からあけると、さっと棒を振りおろし、犬は高く啼(な)いて倒れた。それは息がつまるほど卑劣なやりかただった。腰の革帯から抜きとった広い包丁を犬の喉にさしこみ、バケツへ血を流し出してから、あざやかな手なみで皮を剥ぎとる犬殺しを見ながら僕は生あたたかい犬の血の臭いと特殊な感情の動揺とを感じた。》

15《まっ白く皮を剝がれた、こぢんまりしてつつましい犬の死体を僕は揃えた後足を持ちあげて囲いの外へ出て行く。犬は暖かい匂いをたて、犬の筋肉は僕の掌(て)の中で、跳込台の上の水泳選手のそれのように勢いよく収縮した。》

16《それに、毒を使うとね、死んだ犬が厭(いや)な臭いをたてるんだ。犬には良い匂いをたてて、湯気をあげながら皮を剝(む)かれる権利があるとは思わないか。》

17《洗うための毛皮をさげて女子学生が出て来た。彼女の厚ぼったく血色の悪い皮膚は青いままで上気していた。血に濡れ、厚く脂のついた毛皮は重く、ごわごわしていた。それは濡れた外套(がいとう)のように重かった。僕は女子学生が水洗場へ運ぶのを手伝った。》

 ここにはすでに「皮」、「臭い(匂い)」、「血濡られた液体」イメージが頻出し、殺される犬ばかりでなく、一緒に仕事をした女子学生を特徴づける皮膚の健康状態として表れた。

 

 

<『死者の奢り』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 次の引用こそ、初期大江の文体を明示するものはあるまい。ここには、『奇妙な仕事』の二番煎じと揶揄されながらもリライトせずにはいられなかった内容・表現を濃密化させた「皮膚」、「臭い」、「液体」の3点セットが融けあっている。

31《死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴(な)じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向かって凝縮しながら、しかし執拗に体をすりつけあっている。彼らの体は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼(まぶた)を硬く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘つく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。》

 

 それらは、「光」と「熱」と「触感」で動物的に強化される。

32《開かれたドアの向こうから夜明けの薄明に似た光と、濃くアルコール質の臭いのする空気が、むっと流れ出て来た。その臭いの底に、もっと濃く厚ぼったい臭い、充満した重い臭いが横たわっていた。それは僕の鼻孔の粘膜に執拗にからみついた。その臭いが僕を始めて動揺させたが、僕は白っぽい光のみちた部屋の内部を見つめたまま、顔をそむけないでいた。》

34《羞恥からのほてりが皮膚の奥の根深いところで、しこりのように固まり、そのまま熱くひそんでいた。》

34《僕は彼らの裸の皮膚に天窓からの光が微妙なエネルギーに満ちた弾力感をあたえているのを見た。あれは触れた指に弾んだ反撥を感じさせるだろうか。脚気の腓(ふくらはぎ)のようにぐっと窪むのかな。》

 

 ふたたび登場する女子学生は、さらに皮膚状態という「外部」で特徴づけられ、妊娠という「内部」と結びつく。

53《「あなたは、ほんとうに若々しいわ」と笑わないで女子学生はいった。

 僕は女子学生の厚ぼったい皮膚が黄ばんでいる広い顔を見た。顔一面の注意力が弛緩しているように、女子学生は疲れてだらけきった表情をしていた。僕よりきっと二つは年上なのだろう、と僕は思った。

「私、艶のない皮膚をしてるでしょう?」と女子学生が、まばたかない強い眼で僕を見かえしていった。「妊娠しているせいよ」》

62《僕は女子学生の濃い隈のある瞼やざらざらした頬の皮膚をまぢかに見ると、疲れが濡れて重い外套(がいとう)のように体を包むのを感じた。しかし僕は低い声で笑った。

「するとね」と女子学生は自分も声だけ笑いながら粗い睫(まつげ)を伏せていった。「私のお腹の皮膚の厚みの下にいる、軟骨と粘液質の肉のかたまり、肉の紐につながって肥っている小さいかたまりが、この水槽の人たちと似ているように思えてくるのよ」》

 

《物》に推移し始めている少女の死体の「内側へ引きしまる褐色の皮膚」という「包み」。セクスという「裂け目」。外部/内部の「境界」、皮膚的な「界面」。

58《僕は体中が拭いきれないほど汚れているような気がし、また体中のあらゆる粘膜が死者の臭いのする微粒にこびりつかれて強張(こわば)っているような、いたたまれない気がした。

 隣の部屋でドアを開き、出て行く靴音がした。僕は水槽の縁についていた手を離し、古い水槽の部屋に戻って行った。管理人は運搬車を押して先に帰っていた。解剖台には、濡れた麻布が覆ってあり、あの傍に教授だけが残っていた。あの布の下で、あんなに生命にみちたセクスを持つ少女が《物》に推移し始めているのだ、すぐにあの少女は、水槽の中の女たちと同じように堅固な、内側へ引きしまる褐色の皮膚に包まれてしまい、そのセクスも脇腹や背の一部のように、決して特別な注意を引かなくなるだろう、と僕は考え、軽い懊悩(おうのう)が体の底にとどこおるのを感じた。》

 

 

<『飼育』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 情景、風景、天候描写においても、霧、雨が頻出し、登場人物たちの皮膚を濡らす。

102《僕と弟は、谷底の仮設火葬場、灌木の茂みを伐り開いて浅く土を掘りおこしただけの簡潔な火葬場の、脂と灰の臭う柔らかい表面を木片でかきまわしていた。谷底はすでに、夕暮と霧、林に湧く地下水のように冷たい霧におおいつくされていたが、僕たちの住む、谷間へかたむいた山腹の、石を敷きつめた道を囲む小さな村には、葡萄色(ぶどういろ)の光がなだれていた。》

120《金属の味を口腔にひろげる、雨のように大粒の霧がなだれかかり、僕を息苦しくし、髪を濡らし、襟が垢で黒ずみ捩(よじ)れているシャツの毛ばだちに、白く光る水玉を作った。そこで僕らは足うらに柔らかい腐った落葉のすぐ下を流れる清水が布靴をとおして、足指を凍えさせることよりも、荒あらしく群生した羊歯(しだ)類の鉄の茎で皮膚を鋭く傷つけられること、その執拗にはりつめた根の間でひっそり眼をひらいている蝮(まむし)を刺激して跳びつかれたりしないように気を配らねばならなかった。》

149《僕らの古代めいた水浴の日の夕暮、夕立が激しく谷間を霧の中へとじこめ、夜がふけても降りやまなかった。翌朝、僕と弟と兎唇は降り続く雨を避けて倉庫の壁ぞいに食物を運んだ。(中略)僕らはたえまなく笑っている黒人兵の腕を引いて広場に出た。谷間を霧が急速に晴れて行き、樹木は雨滴を葉の茂りいっぱいに吸いこんで厚ぼったく雛(ひな)のようにふくらんでいた。風がおこると樹木は小きざみに身ぶるいして濡れた葉や雨滴をはねちらし、小さく瞬間的な虹を作り、そこを蟬が飛びたつ。僕らは嵐のような蟬の鳴き声と回復しはじめる暑気の中で、地下倉の降り口の台石に腰かけたまま、長い間、濡れた樹皮の匂う空気を吸った。》

 

とりわけ『飼育』においては、「臭い」という生理的な感官刺激が強烈だ。まず、これまでの都会小説からワープした「村」の火葬場の死者の臭いから始まる。それも《甲虫の一種が僕らの硬くなった指の腹にしめつけられてもらす粘つく分泌液のような》という感官。

102《僕は二日前、その火葬場で焼かれた村の女の死者が炎の明るみのなかで、小さい丘のように腫れた裸の腹をあおむけ、哀しみにみちた表情で横たわっているのを、黒ぐろと立ちならぶ大人たちの腰の間から覗き見たことを思い出した。僕は恐かった。弟の細い腕をしっかり掴み僕は足を速めた。甲虫の一種が僕らの硬くなった指の腹にしめつけられてもらす粘つく分泌液のような、死者の臭いが鼻孔に回復してくるようなのだ。》

 

「僕」の生理的感覚も、「皮膚」と「瑞々しい液体」と、「袋」「膜」という表現によって監禁状態となり、内包化される。

107《僕も弟も、硬い表皮と厚い果肉にしっかり包みこまれた小さな種子、柔らかく瑞みずしく、外光にあたるだけでひりひり慄(ふる)えながら剥かれてしまう、甘皮のこびりついた青い種子なのだった。》

110《失望が樹液のようにじくじく僕の体のなかにしみとおって行き、僕の皮膚を殺したばかりの鶏の内臓のように熱くほてらせた。》

118《僕らは疲れきって食欲もなかった。そして体いちめんの皮膚が、発情した犬のセクスのようにひくひく動いたり痙攣(けいれん)したりして、僕らをかりたてるのだった。黒人兵を飼う、僕は体を自分の腕でだきしめた。僕は裸になって叫びたかった。

 黒人兵を獣のように飼う……。》

157《ねばねばした袋の中で、僕の熱い瞼(まぶた)、燃える喉、灼けつく掌が僕自身を癒合(ゆごう)させ、形づくり始めた。しかし僕には、そのねばつく膜を破り、袋から抜け出ることができない。僕は早産した羊の仔のように、ねとねと指にからむ袋につつまれているのだった。僕は体を動かすこともできない。》

161《「臭うなあ」と兎唇はいった。「お前のぐしゃぐしゃになった掌、ひどく臭うなあ」

 僕は兎唇の闘争心にきらめいている眼を見かえしたが、兎唇が僕の攻撃にそなえて、足を開き、戦いの体勢を整えたのも無視して、彼の喉へ跳びかかってはゆかなかった。

 「あれは僕の臭いじゃない」と僕は力のない嗄(しゃが)れた声でいった。「黒んぼの臭いだ」》

 

 黒人兵の臭いは、獣のように飼う「飼育」にふさわしい。ここでも液体イメージが溢れ、濡れて美しい。「熟れすぎた果肉」、「しみとおって」、「脂っこい」、カラバッジオバロックの降下する光を浴びたような熱い映像。

129《しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ばし、背に剛毛の生えた太い指で広口瓶を取りあげると、手もとに引きよせて匂いをかいだ。そして広口瓶が傾けられ、黒人兵の厚いゴム質の唇が開き、白く大粒の歯が機械の内側の部品のように秩序整然と並んで剝き出され、僕は乳が黒人兵の薔薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを見た。黒人兵の咽(のど)は排水孔に水が空気粒をまじえて流入する時の音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を糸でくくったように痛ましくさえ見える唇の両端からあふれて剝き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を流れ、黒く光る強靭な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひりひり震えた。僕は山羊の乳が極めて美しい液体であることを感動に唇を乾かせて発見するのだった。》

130《喉から胸へかけての皮膚は内側に黒ずんだ葡萄色の光を押しくるんでいて、彼の脂ぎって太い首が強靭な皺を作りながらねじれるごとに、僕の心を捉えてしまうのだった。そして、むっと喉へこみあげてくる嘔気のように執拗に充満し、腐食性の毒のようにあらゆるものにしみとおってくる黒人兵の体臭、それは僕の頬をほてらせ、狂気のような感情をきらめかせる……》

 

146《僕らの村には、一つの市を焼く火より熱い空気が終日たちこめていたのだ。そして、黒人兵の体の周りには、風の吹きこまない地下倉で一緒に坐っていると、気が遠くなるほど濃密で脂っこい臭い、共同堆肥場で腐った鼬の肉のたてるような臭いがぎっしりつまってきていた。僕らはそれをいつも笑いのたねにして涙を流すほど大笑いするのだったが、黒人兵の皮膚が汗ばみはじめると、僕らは傍にいたたまれないほど、それは臭いたてた。》

 

 父の仕事である鼬の「皮剝ぎ」に僕は誇りを持っている。《父の太い指さきで乾きやすいように脂をしごかれる皮の襞(ひだ)ひだを見つめている。そして板壁に干された毛皮が爪のように硬く乾き、そこを血色のしみが地図の上の鉄道のように走りまわっている》という映像的で官能が臭いたつ表現。

145《黒人兵がやって来ると、僕と弟は皮剝ぎ用の血に汚れ柄に脂のこびりついたナイフを握りしめた父の両側に息をつめて膝をつき、反抗的で敏捷な鼬の十全な死と手際よい《皮剝がれ》を見物客の黒人兵のために期待するのだった。鼬は死にものぐるいの最後の悪意、凄まじい臭気をはなちながら絞め殺され、父のナイフの鈍く光る刃先で小さくはじける音をたてながら皮が剝がれると、そのあとには真珠色の光沢をおびた筋肉にかこまれた、あまりにも裸の小さく猥らな体が横たわる。僕と弟がその贓物をこぼさないように注意して、それを共同堆肥場へ棄てに行き、汚れた指を広い木の葉でぬぐいながら帰って来ると、すでに鼬の皮は脂肪の膜と細い血管を陽に光らせ、裏がえされて板に釘づけられようとしている。黒人兵は唇を丸め鳥のような声をたてながら、父の太い指さきで乾きやすいように脂をしごかれる皮の襞(ひだ)ひだを見つめている。そして板壁に干された毛皮が爪のように硬く乾き、そこを血色のしみが地図の上の鉄道のように走りまわっているのを見て黒人兵が感嘆する時、僕と弟は父の《技術》をどんなに誇りに思ったことか。》

 

 

<『芽むしり仔撃ち』>(冒頭数字は『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫)引用ページ数)

 大江文学にしばしば登場する小動物とその「死骸」、天候は雨や霧といった液体に閉じ込められている。どろどろした膠質の「粘液」、「べとべと」、死んだ血と皮、「腐蝕」、「あふれ」、「化膿」、皮膚の下のせめぎあい、「吐いた」というおぞましき穢(けが)れ(アブジェクション)。

7《夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。そして僕らは、夜のあいだに乾かなかった草色の硬い外套を淡い朝の陽に干したり、低い生垣の向うの舗道、その向う、無花果(いちじく)の数本の向うの代赭色の川を見たりして短い時間をすごした。前日の猛だけしい雨が舗道をひびわれさせ、その鋭く切れたひびのあいだを清冽な水が流れ、川は雨水とそれに融かされた雪、決壊した貯水池からの水で増水し、激しい音をたてて盛りあがり、犬や猫、鼠などの死骸をすばらしい早さで運び去って行った。》

39《犬たち、猫、野鼠、山羊そして仔馬まで、数かずの動物の死骸が小さい丘のように積みあげられ静かに辛抱強く腐敗しようとしている。獣たちは歯をくいしばり瞳をとろけさせ肢をこわばらせている。膠質の粘液にかわって流れ、まわりの黄色く枯れた草と泥土をべとべとさせる彼らの死んだ血と皮、そして、そこだけ奇妙に生きいきして激烈におそいかかる腐蝕から耐えぬいている数しれない耳。

 動物たちには太く肥えた冬の蠅が黒い雪のように降りつもってくりかえし低くまいたち沈黙にみちた音楽を僕らの驚きに感覚を失いはじめる頭へあふれこませた。》

40《しかし僕らは獣たちのかたまりから力強く噴出し、濃い液体の層のように鼻孔はもとより顔の皮膚にまでむっと触れてくる臭気のなかで茫然と立っているだけだった。その猛然とふきあげうねりをおこす悪臭は僕らをかりたてる要素をはらんでいた。発情した牝犬の下肢に小さい鼻をおしあてて熱心にその臭いをかいだことのある子供ら、昂奮している犬の背をあわただしくなでさすって短い時間とはいえ危険なその快楽を享受する勇気と向う見ずな欲望をもった子供らだけが獣たちの死骸のたてる臭気から、優しく人間的な信号、誘いかけを受けとることができるのだ。僕らは眼をはりさけるほど見ひらき、音をたてて鼻孔を膨張させた。》

144《始め、毛皮の焼けるひそかな乾いた音がしていた。それから脂が溶けて流れ、じゅうじゅう音をたてて燃え、火の粉が弾け散り、肉の塊りの焼ける濃厚な匂いがたちこめて僕らのまわりの空気をねばっこくした。それは鳩やモズ、雉を焼いた時たちのぼった、生きいきして精気にみちた匂いではなく、重い死の味をたたえているのだった。僕は屈みこんで、野菜の芯、米粒、鳥の肉の硬い筋などを少し吐いた。手の甲で唇をぬぐう僕を李は疲れきってうつろな眼で見ていた。そこから洪水のように疲れが僕の躰の中へ流れこんでき、皮膚の下でせめぎあった。しかし犬を焼く匂いのなかに屈みこんでいることにも耐えられないのだ。》

176《村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。

「いいか、お前のような奴は、子供の時分に絞めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」

 彼は陽に焼けた皮膚に汗をうかべ青ざめて高熱の発作に苦しむ病人のようだった。そして化膿した歯茎の臭いたてる息を僕の顔いちめんに唾と一緒に吐きつけ、彼自身震えていた。》

 

 

<『個人的な体験』>(冒頭数字は『個人的な体験』(新潮文庫)引用ページ数)

 アフリカの地図の説明が頭部のイメージを喚起する。それも、《腐蝕(ふしょく)しはじめている死んだ頭》、《皮膚を剥(は)いで毛細血管をすっかりあらわにした傷ましい頭》という、主人公の受難を先取りするかのような部位を持って。

5《アフリカ大陸は、うつむいた男の頭蓋骨(ずがいこつ)の形に似ている。この大頭の男は、コアラとカモノハシとカンガルーの土地オーストラリアを、憂わしげな伏眼で見ている。地図の下の隅の人口分布を示す小さなアフリカは腐蝕(ふしょく)しはじめている死んだ頭に似ているし、交通関係を示す小さなアフリカは皮膚を剥(は)いで毛細血管をすっかりあらわにした傷ましい頭だ。それらはともに、なまなましく暴力的な変死の印象をよびおこす。》

 

 次の会話は、メラニー・クラインの「良い乳房」「悪い乳房」を連想させる。

128《「あなたは、自分でこしらえあげた性的な禁忌を、早く壊してしまわなければならないわ。そうしなければ、あなたの性的な世界は歪(ゆが)んでしまうわ」

「そうだよ、いまぼくはマゾイズムについて考えていたところなのさ」と探りをいれるように鳥(バード)はいった。(中略)

「あなたが恐怖心の対象をヴァギナおよび子宮に限るなら、あなたの戦うべき敵はヴァギナと子宮の国にしか住んでいないわ、鳥(バード)。それで、あなたはヴァギナと子宮のどういう属性を恐れているの?」

「いま、いったようなことさ。その奥不覚に、きみの好きな言葉を使うと、もうひとつ別の宇宙があるように感じられるんだ。暗黒やら無限やら、ありとある反・人間的なものがつまっている奇怪な宇宙があるという気がするね。そこへ入ってゆくと別の次元の時間体系におちこんで、戻ってこれなくなりそうだから、ぼくの恐怖心には宇宙飛行家のもの凄(すご)い高所恐怖症に似たところがあるよ」

 火見子の論理の先に自分の羞恥(しゅうち)心(しん)を刺激するものを予感して、それをはぐらかそうと韜晦(とうかい)的なことをいっている鳥(バード)を火見子は直截に追撃した。

「ヴァギナおよび子宮を除外すれば、あなたは女性的な肉体に対してとくに恐怖心をもたないと思う?」

 鳥(バード)はためらってから顔を赭くして、

「とくに重要じゃないが、乳房……」といった。

「もしあなたが、わたしに背後から近づくなら恐怖心をかきたてられないですむわけね」と火見子はいった。》

 

 

<『万延元年のフットボール』>(冒頭数字は、『万延元年のフットボール』(新潮社)引用ページ数)

 ここにも、メラニー・クライン的な口唇性=肛門愛がある。肛門愛、マゾイズムは大江にとって持続するテーマであり続ける、作者が少年時代に亡くなった「父」が初期小説(『飼育』『芽むしり仔撃ち』など)では重要な役割を果たす(後期小説でも『水死』(これもまた液体に濡れるイメージ)などでリライトされ続けるが)のに対して、奇妙なまでに不在だった「母」が、中・後期小説において、村の神話的な物語の語り手として立ち現れて来るのを、精神分析的な観点からどう捉えるべきだろうか?

7《それから.僕は自分が火葬に立ちあった友人を、観照した。この夏の終りに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死したのである。(中略)

どろどろにとけてなにかえたいのしれぬものにかわった甘酸っぱい薔薇色の細胞を、涸渇した皮膚がダムのようにせきとめている。朱色の顔をした友人の肉体は、かれが憐れにも勤勉に狭い暗渠をくぐりぬけるように生きて、しかも向うがわに脱け出すまえに、突然おしまいにしてしまった二十七年の生涯のいかなる時においてよりも緊迫した、危険な実在感をたたえて、軍隊風の簡易ベッドに横たわり、傲岸に腐敗しつづけた。皮膚のダムは決潰をせまられている。発酵した細胞群が肉体そのものの真に具体的な死を、酒のように醸している。生き残った者らはそれを飲まねばならない。友人の肉体が百合のように匂う腐蝕菌とあい関って刻む濃密な時間は、僕を魅惑する。》

 

                                (了)

       *****引用または参考*****

*『大江健三郎自選短編』(『奇妙な仕事』『死者の奢り』『飼育』所収)(岩波文庫

大江健三郎『死者の奢り・飼育』(江藤淳「解説」所収)(新潮文庫

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫

大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫

大江健三郎万延元年のフットボール』(新潮社)

大江健三郎『懐かしい年への手紙』(講談社文芸文庫

*『大江健三郎全小説4』(『水死』所収)(講談社

*『大江健三郎全作品1』(『運搬』所収)(新潮社)

*『ニーチェ全集8 悦ばしき知識』信太正三訳(ちくま学芸文庫

*『ニーチェ全集 第1期第12巻』(『遺された断想』所収)(白水社

*『ニーチェ全集 第2期第5巻』(『遺された断想』所収)(白水社

*谷川渥『鏡と皮膚』(ちくま学芸文庫

ガストン・バシュラール『水と夢 物質的想像力試論』及川馥訳(法政大学出版局

*J・P・サルトル存在と無』松浪信三郎訳(人文書院

*ピエール・ガスカール『けものたち・死者の時』渡辺一夫、佐藤朔、二宮敬訳(岩波文庫

トーマス・マン魔の山』関泰祐、望月市恵訳(岩波文庫

*『すばる』(2021年3月号)(「文芸漫談 奥泉光いとうせいこう 大江健三郎『芽むしり仔撃ち』を読む」所収)(集英社

*ディディエ・アンジュー『皮膚―自我』福田素子訳(言叢社

ポール・ヴァレリー固定観念』菅野昭正、清水徹訳(『ヴァレリー全集3』に所収)(筑摩書房

*『大江健三郎 作家自身を語る』聞き手・構成:尾崎真理子(新潮社)

*尾崎真理子『大江健三郎 全小説全解説』(講談社

蓮實重彦大江健三郎論』(青土社

柄谷行人『終焉をめぐって』(『大江健三郎アレゴリー』『同一性の円環――大江健三郎三島由紀夫』所収)(講談社学術文庫

合田正人『法のアトピー』(『現代思想 特集:表層のエロス』1994年12月号に所収)(青土社

ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』岡田弘宇波彰訳(法政大学出版局

ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力 <アブジェクシオン>試論』枝川昌雄訳(法政大学出版局