<「これ1冊だけ読めばいいから」>
伊集院静が、読書ノートをつけていた娘の西山繭子に、「これ1冊だけ読めばいいから」と語ったという。(讀賣新聞オンライン:本よみうり堂、2024.9.27)。
《女優や作家として活動する西山さんは現在、読んだ本のことを忘れないため「読書ノート」をつけている。あるときノートを見た父の伊集院静さんは、「こんなにたくさん読んでいるの」と驚いたという。
その後、ふと言った。
「何だか、読む意味のない作家が多い気がする。これ1冊だけ読めばいいから」
名前を挙げた本は、無頼派作家のイメージからは意外な一冊だった。20世紀を代表するアイルランド生まれの作家、ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』(ダブリナーズ)である。
長い歴史が息づくこの街に暮らす市井の人々を描く短編集だ。ある人と街を出ることを夢見て叶(かな)わない女性。大人になって出会った愛に応えられなかった男性。人生の大切な一瞬を取り逃がし、苦い味わいを残す作品も目立つ。
「人間って本当に、昔から変わらないんだと思う短編ばかりですよね。自分はここにいる人間ではない、何者かになりたいと思ったり、今いる場所が身の丈に合っていないと悩んだり」
思うに任せない人生に寄り添うこと。それは、人生の哀歓をつづる短編集『乳房』をはじめ、伊集院さんの作品世界と静かに響き合うのかもしれない。長く会わなかった父娘を描く「クレープ」なども、この一冊には収められている。》
伊集院静が『ダブリン市民』を薦めた理由は、ジョイス文学の「エピファニー」にあるのではないか。
ジョイス『ダブリン市民』(新潮文庫)の訳者安藤一郎が「エピファニー」を解説している。
《『ダブリン市民』は、十五編の短篇から成り、ことごとくダブリンとダブリン人を題材にして、幼年、思春期、成人もしくは老年の人間によって、愛欲・宗教・文化・社会にわたる「無気力」(麻痺(パラリシス))の状況を鋭敏に描いたものである。二十代の初期におけるジョイスは、詩のほかにスケッチ風の短い散文を書きはじめていて、これを彼自身が「エピファニー」と称していた――「エピファニー」というのは、宗教上の意味でキリストの降臨を言うのであるが、それから何か神聖な、もしくは超自然的存在の顕示あるいは出現をさすのである。ジョイスは、『スティーヴン・ヒアロウ』の中でつぎのように述べている。「エピファニーということで彼の意味するのは、ことばまたは身ぶりの俗悪においてでも、精神それ自身の記憶すべき様相においてでも、突然の精神的顕示のことである。彼は、そういうものそれ自身が時々(ときどき)の中でもっとも微妙でつかのまのものであることを見て、極度の注意深さでこれらのエピファニーを記録することは、文学者の役目であると信じていた」 つまり、感情の宗教的昂揚(こうよう)を、文学の創造におけるインスピレイションに変えているわけで、「美の最高の特質を見いだすのは、まさしくこのエピファニーにある」とも言う。文学を宗教におき換えているのが、ジョイスの思想の根本だったのである。》
また、リチャード・エルマンは『ジェイムズ・ジョイス伝』の中で「エピファニー」を次のように論じた。
《彼の言うエピファニーは、神の顕現、すなわちキリストが東方の三博士の前に姿を現わしたことを意味するものではなかった。ただ、それは彼の頭にあったもののメタファーとして有用であった。エピファニーとは、突然の「ものの本質の顕現」、「きわめて卑俗なものの魂がわれわれに輝いて見える」瞬間のことであった。彼の考えでは、芸術家はこのような顕現の瞬間の感知を委ねられているのであり、芸術家はそれを神でなく人間の中に、それも何気なくさりげない、時には不快でさえあるような瞬間に求めねばならなかった。「突然の精神的顕現」は「卑俗な言葉やしぐさ」か「精神それ自体の記憶すべき相」の中にあるかもしれない。時にはエピファニーは「聖体拝領的(ユーカリスティック)」であるかもしれない。この言葉もジョイスがおこがましくもキリスト教から借りて、世俗的な意味を与えたものであった。このような瞬間は充溢もしくは情熱の瞬間である。エピファニーは、時には不快な体験の匂いを正確に伝えるという意味でも重要であった。ジョイスの特徴的な主張でもあったが、精神は両方のレベルにおいて顕われ出るのである。これらのエピファニーは文体的にも多様である。あるものは見慣れない言語を用いたメッセージのように読める。そのようなエピファニーの秀逸さは、独特の大胆さと、意味を即座に明白にしてしまうような技法はすべて妥協の余地なく拒否している点にある。しかし中には意図的に暗号性を解除され、抒情に傾いているものもある。(中略)平凡な言葉と、人と場所の不思議な夢のような不確かさを巧みに対照させ、その結果、全体の効果は奇妙で、ほとんど不気味と言える。このようなスケッチの面白みがジョイスやこれを見せられた少数の者の心に刻みつけられた。(中略)
短篇「姉妹」の方法は完全に非妥協的である。叙情的エピファニーがジョイスを『芸術家の肖像』に導いたとすれば、飾らない抑制されたエピファニーが『ダブリンの人びと』の最初の物語へ彼を導いた。物語の中では一度もそうは言っていないが、彼は司祭の麻痺をアイルランドが病んでいる「狂った社会の全体的麻痺」の徴候にした。アイルランド人は違うことには目を向けず、一つ事にしがみついて、衰えてゆく。ジョイスは司祭の性格を、それぞれ異なる証言者――子供時代の不安な記憶を甦らせる語り手、疑り深い一家の知人、伯父、最後に、司祭と一緒に暮らしていた姉妹――の証言によって作り上げてゆく。それぞれの証言は読者に、司祭の落伍や、彼の破滅感、感じやすい子供に何気ないそれとない仕方で堕落を移し植えようとしている司祭の態度を暗示している。しかしこの不健康さは示唆にとどまっており、それは何もかも承知の二人の姉妹の不死身な様や、言葉の誤用と敏感さの混合する彼らの様子と対照をなしている。単語は平明だが、文章は精妙な律動性を持ち、言葉の抑制を捉えるジョイスの能力が現れている。》
デイヴィッド・ロッジは『小説の技巧』の「エピファニー」の項目で、ジョン・アップダイク『走れウサギ』の一節を引いて説明する(ここでは『走れウサギ』での具体的解説は割愛)。
《カトリック背教者ジェイムズ・ジョイスにとって、作家という天職は司祭職の俗世版のようなものだったから、エピファニーという言葉にしてもジョイスは、ありふれた出来事や思いが、作家が技巧を駆使することによって時を越えた美を帯びるに至る過程を言い表わすのに用いた。「ごくありふれたものの魂が、我々の目に光り輝いて見えるとき」と彼の小説上の分身スティーヴン・ディーダラスも言っている。現在この語はもっと広く、見る者にとって外的世界が一種超越的な意味をたたえているような場面一般について使われる。物語やエピソードにクライマックスや結末をもたらすという、伝統的な物語では何か決定的な行為や事件が果たしていた役割を、現代小説ではエピファニーが引きうけることも多い。この点でも先駆者はジョイスである。『ダブリン市民』の短篇の多くは、一見アンチクライマックス(敗北、挫折、あるいは何かささやかな出来事)で終わっているように見えるが、言語によってそのアンチクライマックスが、主人公あるいは読者にとって――またはその両方にとって――真実の瞬間に変容するのである。(中略)エピファニーにおいて、小説は抒情詩の言語的緊密さに限りなく近づく(現代の抒情詩の大半は実のところエピファニー以外の何物でもない)。》
先の記事は続いて、《西山さんにとって、良い本とは「読み終わった後に、周りの景色が違って見えるもの」だという。》とあるが、娘は父の言うことの奥義をよく理解していたのではないだろうか。それこそが、「エピファニー」だからだ。
では、伊集院文学において「エピファニー」とはどうであったのか。初期短編小説集『乳房』に収められた作品はどれも密度が高い秀作だが、とりわけ本の題名ともなった『乳房』はまさに「エピファニー」からなる。
書き出しはこうだ。
《里子(さとこ)は何度も声を上げて笑った。
三郎の旅での失敗談が、あんまり可笑(おか)しすぎて、涙をこぼしている時もあった。
七月の陽差しが窓にまぶしかった。
久しぶりの妻の笑顔だった。
里子の喜びように三郎は興が乗ったのか、病室の中のボールペンをマイク替りにして、歌手のモノマネをはじめた。その芸は以前に何度か見たことのある三郎の得意芸であったが、腰を振りながら歌う恰好に、私も思わず吹き出してしまった。》
ある種、ありふれたなごやかな情景のようで、「病室」という語の現す空間が物語の端緒となり、「ボールペン」という物と「腰を振りながら」の形容が、侘しさを醸す。ここでの「陽差し」「窓」にはまだ死の予兆はないが、それだけにクライマックスと照応する技巧的表現である。
《妻が癌だと医師に言われてから、私は一切の見舞い客を断っていた。妻に病気のことを勘づかれることがいやだった。自分はどこまでも知らぬ振りをしとおせる自信があったが、見舞い客にほんの少しでもあわれむようなそぶりをされてはかなわないと思った。
里子は妙に第六感が働くところがあって、他人がほんの一瞬でも見せる普段と違う表情を見逃さなかった。
――今日の午後ね、由比(ゆい)ヶ浜(はま)通りのお豆腐屋さんに行ったの。あそこのおばさん少し変だったわ。
新婚まもない頃に、彼女がそう話したことがあった。
――変だって、何が?
――いつもと違うんだわ。釣銭を渡す時に、いつもなら、ありがとうさん、と男っぽく喋るおばさんなんだけど、今日は、ありがとうございます、って言ってから、何か別のことを考えてるみたいに、目線を外(はず)していたもの。
――気のせいだろう。
――そうかな。
それから数日して、豆腐屋の主人が亡くなった。私は通夜へ行った帰り道に、里子の話していた顔を思い出して、彼女の勘が当っていたことに感心した。》
「勘づかれる」「知らぬそぶり」「あわれむようなそぶり」「第六感」「気のせい」といった微妙な直観が、「真実の瞬間」「ものの本質の顕現」として他ならぬ里子に秘密を教えてしまうことを男は怖れていて、それを言語表現で掬いあげることこそが「エピファニー」であろう。
《三郎を病室に呼んだのは、彼の屈託のない性格なら、少し湿りがちになっている私たちの病室を明るくしてくれそうに思ったからだった。
「サブちゃん、次はどこへ旅に行くの?」
里子は大きな目を丸くして言った。三郎が来るというので頭の上につけたピンクのリボンが、彼女がうなずくたびに揺れていた。
殺風景な病室の中で、リボンの色彩がはなやいで見えた。化粧をしなくなった妻の顔に、艶(つや)のようなものが感じられた。
「次はロンドンだっぺ」
「えっ、本当に?」
「と言いたいところだけど、東北ドサ回りなんだよ」
「ハハハハでもいいわね。旅ができるんだもの」
「こう毎日が旅じゃ、疲れるだけだよ」
「退院したら、また前みたいに皆で旅に行こうよね」
退院という言葉で、三郎の顔が一瞬表情を変えた。
「ねえパパ。そうしようよね」
妻は私の顔を見て言った。私はうなずきながら、三郎の顔を見つめた。》
「ピンクのリボン」のはなやぎが、クライマックスの「リボン」と連動することになるのだが、妻の顔に艶のようなものを感じてしまうことで、性的な匂いが漂い始める。
《私は病院の正門前にある蕎麦屋に、どんぶりを持って蕎麦をもらいに行った。戻ってみると、妻と三郎はビデオ映画を二人で観ていた。
妻が蕎麦を食べ終るまで、私と三郎は待合い室のソファーに並んで座った。
「大変だね、憲さんが蕎麦を買いに行くなんて、想像もしなかった」
「しようがないさ。あれなら食べるからな」
そうは言ったものの、私は気になって病室へ戻ってみた。食事の間に目をはなすと、彼女はたいがい半分近くを遺した。案の定妻はビデオを点(つ)けて、半分近く残った蕎麦を片隅に寄せていた。
「何をやってるんだ。ちゃんと食べないとだめだろう」
私は声を荒(あらら)げた。妻は私の怒りの度合いを計るように、私の目をのぞいた。
「この次の治療がはじまるまで体力をつけないとだめだって、先生が言ってたろう。退院したくないのか」
私がビデオのスイッチを切ると、妻は蕎麦を手元に寄せ直して食べはじめた。入院した時から叱ることが半分私の役目のようなところがあった。》
「妻は私の怒りの度合いを計るように、私の目をのぞいた」というこれだけの些細なエピソードで、「私」と「妻」の性格、立場が映像をもってくっきりと表現され、情景が違って見えてくる。
《栗崎三郎は私が歌手の舞台演出する時に舞台監督をしてくれていた。
彼は彼でちゃんと他の場所では演出の仕事をしていて、歌手の公演に付いて全国を旅していた。栗崎とはもう十五年余りのつき合いだった。私たちが出逢った頃は、二人とも二十代で、地方へ行くと二人して酒場や遊郭のような場所へ遊びに出かけた。
酒場は別として、栗崎は女のいるところに対しては、妙な嗅覚(きゅうかく)を持っていた。
(中略)
「憲さんさ、少し善人過ぎるんじゃないか」
三郎は酎ハイのジョッキを掴(つか)んで、それを宙に浮かしたまま、口をとがらせて言った。その顔は彼が何かに不服がある時にする表情だった。
「善人過ぎるって?」
「善人過ぎるよ、今の憲さんは……」
三郎の言っているのは私が仕事をやめて、里子につきっきりになっていることだろうとぼんやりとわかった。
「善人過ぎるとまずいかな」
私も手の中のグラスの氷を見つめて言った。
「やっぱりまずいよ」
三郎はそう言ってうなずいてから、ジョッキの酒を一気に飲んだ。三郎の喉(のど)が鳴る音を聞きながら、私は氷を指でさわった。三郎は空(から)になったジョッキをかかげて、カウンターの中の男に酎ハイを注文した。
「まずいか、やっぱり」
私もグラスを空(あ)けた。
「急に善人なんかになっちゃうと、上手(うま)く行くものも上手く行かなくなるんでないの」
向島で生れた三郎が、東北弁だか北海道弁だか正体不明の言葉遣いをする時は、決って言いにくいことを私に言っている時だった。
「だって、もうサッちゃんが入院してから半年以上になるんじゃないの。憲さんが仕事をやめてつきっきりになるのはわかるけど、それは少し違っているんじゃないの」
三郎が私に言いたいことはおぼろ気にはわかる気がした。それでも、私は善人になっているつもりはなかったし、自分が無理に何かをしているとも思っていなかった。》
「善人」とか「上手く行く」とか「無理に何かをしている」とか、ぼんやりとした、ささやかな倫理観、道徳意識、人生とは何か、いかに生きるべきかの問いに、「氷」のイマージュはメタファーたりえている。
《私と里子は、彼女がまだ十代の時に出逢った。十一歳も彼女は年下だった。彼女は舞台照明の人間の中でも珍しい女性の助手として、私の前にあらわれた。少年のような少女だった。
その頃、私は結婚をしていたが、別の女のアパートで暮していた。
短大を退(や)めて照明の勉強をはじめた里子は、私の仕事をやりはじめて一ヵ月後にその女のアパートを訪ねて来た。
「話があるんですけど……」
里子はトレードマークのアポロ帽子に、ジーンズでドアのそばに立っていた。近くの喫茶店で里子の話してきた照明プランのことを聞き、そのまま酒場へ行き、朝方二人で渋谷の連れ込みホテルに行った。
「抱かれたかったんだ」
と里子はジーンズをはきながらつぶやいた。
(中略)
或る時、彼女の雑記帳をめくった私はそこに記(しる)された一行の文に目を止めた。
“憲一は私のキリストであるのだ”
それが私の目の中に飛び込んで、それからずっと私の頭の中に引っかかっていた。
私は里子の一途(いちず)な気持ちを利用していたような気もした。
私たちは入籍して、鎌倉にアパートを借りた。里子は犬を買って来て、その犬に私の名前をつけた。七年の間に里子は私の子供を四度堕(おろ)していた。子供はもうできないと医者に言われたと彼女は言った。
私は黙ってその話を聞いていた。
「私はそれでいいの、子どもができてパパがその子に夢中になると怖いから」
そんなことを里子は言っていた。》
先の「善人」と「キリスト」に対称的な「私」の不快で無頼漢で自堕落で露悪的な告白が、里子の無垢さによって、「魂が輝いてみえる」瞬間として読者の心に響いて来てしまう危うくも妖しい会話。
半年の間に二度の化学療法が行われたが、結果は芳(かんば)しくなかった。
《うがいを終えて、コップを洗っていると、
「でもね、我慢できなかったら、遊んで来ていいんだよ」
私は妻の声が聞えないふりをして、水道の蛇口をよけいにひねって、水音を立てた。
ベッドに戻って来ると、妻はパジャマのボタンを外して、自分の乳房を出して眺めていた。
「何してんだ、風邪(かぜ)を引くぞ」
「ちいちゃくなったな」
私は妻のそばに寄って、パジャマのボタンをかけてやった。すると彼女は私の胸元へ犬がするように鼻を寄せた。
「何をしてるんだ」
「パパの匂いがする」
「風呂に入ったんだけどな」
「変な匂いじゃないよ。パパの匂いはいい匂いだもの」
私は自分の脇やシャツを嗅いでみた。
「しないけどな」
「ちゃんとあるんだよ。パパの匂いはずっと知ってるもの」
そんなものかと思った。妻が就寝し、私は病院のそばの定食屋へ食事に出かけた。酒を一本注文して飲んだ。
――遊んで来ていいんだよ。……パパの匂いはずっと知ってるもの。
里子の先刻の言葉が浮かんで、自分の性欲と妻の性欲のことを考えた。健康だった頃の妻の肉体と、二人のセックスをしている姿がビデオを見ているように頭の中にあらわれた。》
激しい嘔吐(おうと)を伴う三度目の治療に、妻はよく耐えて、治療を終えた。
浄めのような「うがいの準備」、「パジャマ」「乳房」の語はここではじめて登場してクライマックスへ下準備される。「匂い」という、微妙でつかのまのもの。
《うがい薬の準備をした。ドアが開いて、先刻の看護婦が体温を計りに入って来た。
「あっ私がやります」
「いいですよ」
「いいえ、やりますから」
洗面所の前で看護婦は私の手からコップを取ろうとした。その時彼女のうなじのあたりから、香水だかファンデーションの甘い匂いが鼻を突いた。私の二の腕にあたった彼女の弾力のある肩先が、私をあとずさりさせた。》
良い経過を続けていた妻のデータが足踏みをしていた。そこに容赦なく匂いが醸し出す性欲のエピファニー。暗がりの中で待合い室のソファーで横になっていた私は、むかいの公衆電話から、先刻の看護婦が恋人と会話を交わす艶のある妖しい声を聞いて、白衣の下に隠れている肉体を想像し、息苦しくなる。「急に善人なんかになっちゃうと、上手く行くものも上手く行かなくなるんでないの」といつぞや忠告した三郎の横顔が思い浮かぶのだった。
《私たちはホテル街を歩いていた。月が空に浮んでいた。
「憲さん、少し遊んで行かない?」
遊ぶという意味が、女を指すのはわかっていた。
「そうだな、ずいぶんとご無沙汰だな」
「二時半か、まだ大丈夫だよ。ねえ行こうよ」
私は三郎の目を見た。先刻までの泥酔ぶりと違って、彼の目はネオンサインの灯りを映して光っていた。どこか私に挑(いど)んでいるようにも見えた。私はくたびれた自分の靴を見ながら言った。
「少し遊んで行くか」
「よし、ならまかしといて」
三郎は急に背筋を伸ばして歩きだした。
(中略)
窓を閉め切ったホテル独特の畳の臭いがしていた。私は女があらわれるまで、小さな窓を開けてそこからわずかにこぼれるむかいのホテルのネオンを眺めていた。
どんな女があらわれるのだろうか。どんな女であれ、私は女を抱いてセックスをしてここを引き揚げればいいのだ。
ふいに、ドアが開いて里子があらわれるような気がした。
――パパ、遊びに来たの。
そう言われると、たぶん私は黙ってうなずけばいいのだと思った。私はそういう人間なのだ。道徳心もなければ信じるものもないのだ。以前もそしてこれからも、こうやって生きて行くのだ。
(中略)
「何してんの、早く来て」
と言う女の顔と乳房がネオンの灯りに揺れた。
「キスはしないでね」
私は女の乳房をさわった。やわらかい大きな乳房だった。女が急に声を出した。喉に何か引っかかったような声だった。私は女の上に乗っかると、乳房を摑み、肩の肉を摑んだ。色の黒い女だったが、それが女のたくましさを感じさせた。この女は健康なのだと思った。どんな男をも受け入れる健康な肉体が、私が摑むたびに号令のようにあえぎ声を上げていた。病巣を拒絶する強い肉体を女は持っているのだ。それだけで、この女はゆるぎない自由を持ち合わせている。
私は里子があわれに思えた。悪い籤(くじ)を引かされた妻とこんな自分が、情なかった。肉体のかたちなどどうでもいいのだ。トランプの総とっかえのように、里子の肉体とこの女の肉体をかえることはできないのだ。
「ねえ早くしてよ」
私は女の身体から離れた。
「飲み過ぎたんでしょう」
煙草を吸いはじめた女は、急にやさしくなった。こころ根のいい女なのだと思った。大きくて頑丈(がんじょう)な背中に、ネオンの灯りが映っていた。》
ここでは「匂い」ではなく「臭い」である。伏線の回収。「月」と「ネオンサイン」。もっとも卑俗な場所で、色黒なたくましい肉体を持つ健康な女の大きな「乳房」と頑丈な「背中」にネオンの灯りが映る諦念の底からの真実のエピファニー。
《「このパジャマ着換えようかな」
「可愛いパジャマだな」
妻はこくりとうなずいた。細い折れそうな首だった。
「少し汗をかいたみたい。熱帯夜が十六日も続いているんだって」
私はナースセンターへ蒸しタオルをもらいに行った。タオルを受け取り洗面所で水道の蛇口をひねると、ふいに涙があふれて来た。タライを持った手が震え出し、奥歯を噛みしめても身体が震えた。自分に対する憤(いきどお)りと、見えない何者かへのどうしようもない怒りがこみ上げて、拳(こぶし)を握り続けた。水音だけが洗面所に響いた。
顔を上げると鼻汁をこぼした醜い自分の顔が鏡の中にあった。
私は深呼吸をして、顔を洗った。
病室に戻って、妻の身体をふいた。
私を待ち続けたちいさな背中が月明りに小鹿の背のような影をつくっていた。背後からパジャマを着させると、妻は私の手を両手で摑んで、その手を自分の乳房にあてた。細い指が私の手を乳房におしつけるようにした。掌の中に、妻のたしかな重みがあった。里子は静かに私の手に頬ずりをしながら、顔を少し斜めにして窓の外を見上げて言った。
「なんか、ロマンチックだね」
私は妻の髪に頬を寄せた。赤いギンガムチェックのリボンから、木綿(もめん)の匂いがした。》
可愛いパジャマ。汗、蛇口の水、涙、鼻汁という湿った水のイマージュ。ネオンではなく月明り。先刻の健康な女とは対蹠的な、細い折れそうな首、小鹿の背のような死の予兆の影、細い指、それでも押しつけられた掌の中の「たしかな重み」という命の肉感。顔を少し斜めにして窓の外を見上げる里子。「なんか、ロマンチックだね」のひとつ間違えば鼻白む抒情の台詞が浮きあがり、ピンクのはなやかさではなく「赤いギンガムチェックのリボン」の可憐さに寄り添って清潔な「木綿の匂い」が放たれるエピファニーの連鎖。
たしかにここには、「読み終わった後に、周りの景色が違って見えるもの」がある。
(了)
******引用または参考文献*****
*街田晋哉「西山繭子さん 伊集院静さん、読書ノートをつける娘に「この1冊だけ読めばいい」……と語ったその本は」(讀賣新聞オンライン:本よみうり堂、2024.9.27)
*デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』柴田元幸・斎藤兆史訳(白水社)
*ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』安藤一郎訳・解説(新潮文庫)
*ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』柳瀬尚紀訳(新潮文庫)
*ジェイムズ・ジョイス『『若い芸術家の肖像』の初稿断片 スティーヴン・ヒーロー』(付録:エピファニーズ)(永原和夫訳(松柏社)
*金井嘉彦・吉川信編著『ジョイスの罠 『ダブリナーズ』に嵌る方法』』(言叢社)
*リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』宮田恭子訳(みすず書房)