文学批評/演劇批評 泉鏡花『天守物語』について――三島由紀夫による新しい鏡花像

 

 

 2024年12月歌舞伎座三部、鏡花『天守物語』を観て来た。ついては渡辺保の端正な劇評がある。

天守夫人富姫の恋

 「鷹には鷹の世界がある」

 泉鏡花の「天守物語」の後半、玉三郎の富姫が團子の姫川図書之助にいうせりふである。図書之助は、姫路城の城主武田播磨守の家臣。主人播磨守秘蔵の白鷹の鷹匠である。その鷹を富姫は自分の所へ遊びに来た猪苗代の亀姫の土産に攫った。図書之助は、その鷹が行方不明になった責任を問われて天守閣へその行方を捜しに来る。

 もとより図書之助が生きるのは人間の世界の封建制、忠義一途の階級社会であり、「人間には人間の世界がある」。しかし富姫は人間ではなく精霊、ましてや鷹は天空を飛ぶ自然のもので、そこには独自の世界がある。鷹であれ精霊であれ人間であれ、自由に成るためにはその世界の独自性を超えなければならず、超えるには時にその世界を捨てなければならない。鷹は鷹匠の手にある時は、自由ではない。もし鷹が自由に成ろうとすれば「鷹の世界」に生きなければならない。泉鏡花はそのことを書いた。したがってその言葉は富姫と図書之助、二人の男女の関係を変え世界を変えて、その恋に至り、二人は私たちの目の前で見る見るうちに恋に落ち、成長して変身して行く。

 私がこの一節を取り上げるのは、今度の「天守物語」の舞台で玉三郎の富姫が團子初役の図書之助を導いてその新しい可能性を開いたからである。今度の「天守物語」の白眉の一つはここにある。図書之助の人間像が新しく刻まれ、團子はその新しい図書之助になると同時に俳優としても大きく変身した。図書之助はそのせりふによって恋に目覚めて行く。たとえば何度目かに富姫のもとへ戻って来た時、せりふではあなたの許しを請うために戻って来たといいながら、実はその言葉とは裏腹に富姫に一目逢いたい、逢って死にたいという本心がムクムクと湧き上がって来るのが目の当たりに見える。そう見せることによって図書之助が変身し、同時にその図書之助を演じる役者としての團子自身が開花したのである。(中略)

 玉三郎の富姫は再三の当たり芸、今更いうまでもないが、何回かの舞台で大きく飛躍したのは、現團十郎の図書之助の時がはじめであった。この時はじめて「天守物語」は一編の恋物語として舞台に実質的に成立した。それまでは単なる夢物語、幻想的なファンタジーに過ぎなかったのである。それ以来大きく飛躍した玉三郎の富姫は、今度は更に変化した。さすがに以前の團十郎を引き上げる緊迫した力は無くなったが、今度は團子に対して子の手を引く母親の如く、図書之助を包み込む鷹揚な大きさと寛容が漲っている。その言外の美いわんかたない。(後略)》

 

 泉鏡花天守物語』を、三島由紀夫『作家論』(初出は、三島由紀夫編集『日本の文学4 尾崎紅葉泉鏡花』(中央公論社)の解説「尾崎紅葉泉鏡花」)をとおして見てゆく。

 

<三島「尾崎紅葉泉鏡花」から>

《さるにても鏡花は天才だった。時代を超越し、個我を神化し、日本語としてもっとも危きに遊ぶ文体を創始して、貧血した日本近代文学の砂漠の只中に、咲きつづける牡丹園をひらいたのである。しかもそれを知的優越や、リラダン風の貴族主義や、民衆への侮蔑や、芸術至上主義の理論から行ったのではなく、つねに民衆の平均的感性と相結びながら、日本語のもっとも奔放な、もっとも高い可能性を開拓し、高度な神秘主義象徴主義の密林へほとんど素手で分け入ったのである。そしてその文体は、とりわけ知的な反時代性を気取ったものでも何でもないのに、日本近代文学が置き忘れた連歌風の飛躍とイメージに充ちた日本語の光彩を復興し、身を以て、芸術家の反時代的精神の鑑(かがみ)になった。言葉と幽霊とを同じように心から信じたこの作家は、もっとも醇乎たるロマンティケルとして、E・T・A・ホフマンの塁を摩するものである。(中略)

 鏡花は一方では、秋成以来の怪奇小説の伝統と、師紅葉ゆずりの硯友社風写実小説の骨法を伝えながら、一方では、夢や超現実主義の言語的体験という稀有な世界へ踏み入っていた。「天守物語」の妖怪たちが言うあのような人間蔑視のセリフや、「風流線」の通俗的布置を一挙に破砕するギリシア悲劇風な大団円は、新らしすぎて(!)当時の読者はおろか批評家にも理解されなかった。

 私は今こそ鏡花再評価の機運が起るべき時代だと信じている。

 そして、古めかしい新派劇の原作者としてのイメージが払拭された果てにあらわれる新らしい鏡花像は、次のようなものであることが望ましい。

 すなわち、鏡花は明治以降今日にいたるまでの日本文学者のうち、まことに数少ない日本語(言霊)のミーディアムであって、彼の言語体験は、その教養や生活史や時代的制約をはるかにはみ出していた。これは同時代の他の文学者と比べてみれば、今日もっとも明らかなことである。風俗的な筋立ての底に、鏡花はいつも浪漫的個我を頑なに保ち、彼の自我の奥底にひそむドラマだけしか追求しなかった。それはかぎりなく美しく、かぎりなくやさしく、同時にかぎりない怖ろしさに充ちた年上の美女と、繊細な美少年との恋の物語である。女性は保護者と破壊者の両面をつねに現わし、この二面がもっとも自然に融合するのはカーリ神のごとき女神でなければ日本的妖怪に於てである。作者の自我は、あこがれと畏怖の細い銀線の上を綱渡りをしている。つねに敵としてあらわれるのは権力や世俗(すなわち「野暮」)であるが、実は鏡花は本当の意味ではこれらの敵と相渉ることがない。彼は敵の内面を理解しようという努力を一度たりとも試みないからだ。前衛的な超現実主義的作品の先蹝

であると共に、谷崎潤一郎の文学よりもさらに深遠なエロティシズムの劇的構造を持った、日本近代文学史上の群鶏の一鶴。》

 

 ついで三島は、全集の限られた頁数に、『天守物語』を以て戯曲を代表せしめた他に、『黒百合』を初期作品から選び、『高野聖』を以て短篇小説を、晩年の作品から『縷紅新草』を執ったが、それらにおいても、『天守物語』について評したような記述がある。

 たとえば、『黒百合』の、

《我慾や利害の世界に生きる人間と、無私のロマン的情熱とが、正当に対比されている。そのロマン的情熱を、恋愛に置き代えることしかできなかった師紅葉とちがって、鏡花ははじめから、ロマン的情熱の現世における不可能を知悉していた点で、師よりもリアリストであったかと思われるふしがある。》

高野聖』の、

《「優しいなかに強(つよ)みのある、気軽に見えても何処にか落着(おちつき)のある、馴々しくて犯し易からぬ品の可い、如何なることにもいざとなれば驚くに足らぬといふ身に応(こたへ)のあるといつたやうな風(ふう)の婦人(をんな)」(十七)

 これこそ鏡花の永遠の女性であろうが、これが小説中に具体的にあらわれると、手を触れただけで人を癒やす聖母的な存在が、その神聖な治癒力の自然な延長上に、今度は息を吹きかけるだけで人を獣に変える魔的な力の持主になり、しかも一方では、白痴の良人に対する邪慳ともやさしさともつかぬ母性愛的愛情を残している。そして作者の本音としては、こういう勝気でやさしく、「薄紅ゐの汗」もしたたりそうな無上の肉体の美をそなえた女に、生命と人間性の危機を孕んだ愛し方で愛してもらい、しかも自分だけの特権として、格別の恩寵によって、命を救われて帰還したいのである。(中略)鏡花は、かくて、芸術家としての矜りをここに賭け、そのような免罪符的な愛を受ける自分の資格は、あの馬に変えられる憐れな富山の薬売などとはちがって、美を直視し表現する能力、いかなる道徳的偏見にも屈せず、ありのままに美を容認する能力が自分に恵まれているからだと考えたにちがいない。では、そのような芸術家とは何物であろうか。彼自身が半ばは妖鬼の世界に属し、半ばは妖鬼を支配し創造する立場に立つことである。このような決意が、次に述べる「天守物語」で、劇的機構を破って幕切れに人間性(鏡花にとっては、化物だけが純粋に保持しうるところの特性)の擁護者として登場する彫師桃六を造型するのである。》

『縷紅新草(るこうしんそう)』の、

《鏡花の一生の仕事はこのような淡い美しい白昼夢にすぎなかったかもしれないが、白昼夢が現実よりも永く生きのこるとはどういうことなのか。人は、時代を超えるのは作家の苦悩だけだと思い込んでいはしないだろうか。言葉だけを信じて困難な時代を生き抜いてきた作家が、老いに臨んで、永遠不朽の女性美の神秘を、白昼の幻想の裡に垣間(かいま)見た詩は、近代日本の同じく困苦と夢想に充ちた歴史の中で何を意味したであろうか。私は世阿弥が理想としたあの真の花を思い出すのである。「これ真(まこと)に得たりし花なるが故に、能は、枝葉も少く、老木(おいき)になるまで、花は散らで残りしなり。これ、眼(ま)のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」(風姿花伝)》

 そして『天守物語』については、

《「天守物語」(大正六年九月「新小説」)は、鏡花の戯曲の最高傑作であるが、戦後新派によって、花柳章太郎天守夫人、水谷八重子の亀姫の配役、千田是也の演出(筆者註:筋書には演出伊藤道郎とあり、実際には伊藤道郎演出に千田が途中から加わったようである。なお伊藤は千田の長兄)、ドビュッシーの「雲」を伴奏音楽に使った上演が、おそらく初演であろう。その後歌舞伎でも上演されたが、私にはこの初演のすばらしさがいつまでも目に耳に残っている。それというのも鏡花のセリフは、歌舞伎の抽斗(ひきだし)のセリフ廻しや様式的演技で処理されると、その真の詩を逸することになるのである。

 それまで鏡花は、小説を脚色した通俗劇をとおしてのみ劇壇に知られていたのが、死後はじめて、ユニークな、すこぶる非常識で甚だ斬新な、おどろくべき独創性を持った劇作家として知られるようになった。未上演の戯曲の中にも、今上演されたら人を瞠目せしめるような佳作が残っている。戦後の世界に、鏡花はまずこの「天守物語」を以てよみがえったと云ってよい。

 幕あきの女童(めのわらわ)の手鞠唄から、天守の五重に、五人の侍女(いずれも実は妖怪)が、松杉の間へ五色の釣糸を垂れている導入部はすばらしい。露で秋草を釣るという卓抜なイメージ。そこへ忽ち雷雨が襲ってきて、簑(みの)を被(かつ)いだ美しい天守夫人富姫(妖怪の主)が還ってくる。……

 これも亦、もし魔力を恣(ほしいまま)にすれば、どんな残酷なこともできる無道徳な美的存在である妖怪たちが、人間の若者の真情に搏たれて、彼を人間界の悪から守護する物語である。

 しかし、獅子頭の目が傷つけられて、共に失明する恋人同士は、桃六によって救われるが、このようなデウス・エクス・マキナの手法を用いて、しかもその救済の神を芸術家と規定する鏡花の気稟の高さには、ロマンティケルとしての面目が躍如としている。

 セリフとして、えもいわれず見事なのは、帰ってきた天守夫人が、雨に襲われた鷹狩の人たちを描写する長いセリフである。このような強い、リズムのある、イメージに富んだすばらしいセリフの前に、日本の新劇の作家たちは慚死すべきであろう。》

 

 三島は補完するように、「鏡花の魅力」(三島由紀夫編集『日本の文学4 尾崎紅葉泉鏡花』月報)で澁澤龍彦を対談相手にして、ざっくばらんに語っているが、まさに『天守物語』をイメージしている。

三島 女の凛々(りり)しさとか、女の男っぽさとか、なんかきりっとした感じ、ああいう美しさというのはずっと忘れられていたんだね。凛然として人を寄せつけない、そして惚(ほ)れた男のためには体も張るけれども、金力、権力には絶対屈しないというイメージですね。》

三島 ニヒリストの文学は、地獄へ連れていくものか、天国へ連れていくものかわからんが、鏡花はどこかへ連れていきます。日本の近代文学で、われわれを他界へ連れていってくれる文学というのはほかにない。文学ってそれにしか意味はないんじゃないですか。》

三島 鏡花は、煉獄界で、いろんな形で変わっていく。ですから、たとえばお化けと人間との交渉も、「天守物語」の中で一番人間的なのは、お化けになっちゃうでしょう。ああいうアイロニーで転換しちゃう。ラストでは、純粋な愛というものを表現するのは、お化けの女と人間の侍、それを保障するのが芸術家の木彫師ですね。それで芸術家というのは、鏡花の場合、変なヒューマニズムがありますから、人間的な情熱とか、誠実とか、恋、美、純粋なものを保持する側に立つんですよ。》

 

泉鏡花天守物語』から>

 具体的に『天守物語』から三島の言説の源を辿って行こう。

 

<五色の釣糸を垂れている導入部はすばらしい>

 奇抜な情景で幕があく。

《女童(めのわらわ)三人――合唱――

  ここはどこの細道じゃ、細道じゃ、

  天神様の細道じゃ、細道じゃ。

――うたいつつ幕開あく――

  侍女五人。桔梗(ききょう)、女郎花(おみなえし)、萩(はぎ)、葛(くず)、撫子(なでし こ)。おのおの名にそぐえる姿、鼓の緒の欄干に、あるいは立ち、あるいは坐(い)て、手に手に五色の絹糸(きぬいと)を巻きたる糸枠(いとわく)に、金色銀色の細き棹(さお)を通し、糸を松杉(まつすぎ)の高き梢を潜(くぐ)らして、釣(つり)の姿す。》

 

<強い、リズムのある、イメージに富んだすばらしいセリフ/連歌風の飛躍とイメージに充ちた日本語の光彩>

《夫人 その雨を頼みに行きました。――今日(きょう)はね、この姫路の城……ここから視(み)れば長屋だが、……長屋の主人、それ、播磨守(はりまのかみ)が、秋の野山へ鷹狩(たかがり)に、大勢で出掛けました。皆(みんな)知っておいでだろう。空は高し、渡鳥、色鳥(いろどり)の鳴く音(ね)は嬉しいが、田畑と言わず駈廻(かけまわ)って、きゃっきゃっと飛騒ぐ、知行(ちぎょう)とりども人間の大声は騒がしい。まだ、それも鷹ばかりなら我慢(がまん)もする。近頃(ちかごろ)は不作法(ぶさほう)な、弓矢、鉄砲(てっぽう)で荒立(あれた)つから、うるささもうるさしさ。何よりお前、私のお客、この大空の霧(きり)を渡って輿(かご)でおいでのお亀様にも、途中失礼だと思ったから、雨風と、はたた神で、鷹狩の行列を追崩(おいくず)す。――あの、それを、夜叉ヶ池のお雪様にお頼み申しに参ったのだよ。

薄 道理こそ時ならぬ、急な雨と存じました。

夫人 この辺(あたり)は雨だけかい。それは、ほんの吹降(ふきぶ)りの余波(なごり)であろう。鷹狩が遠出をした、姫路野の一里塚(いちりづか)のあたりをお見な。暗夜(やみよ)のような黒い雲、眩(まばゆ)いばかりの電光(いなびかり)、恐(おそろ)しい雹(ひょう)も降りました。鷹狩の連中は、曠野(あらの)の、塚の印の松の根に、澪(みお)に寄った鮒(ふな)のように、うようよ集(たか)って、あぶあぶして、あやい笠が泳ぐやら、陣羽織(じんばおり)が流れるやら。大小をさしたものが、ちっとは雨にも濡(ぬ)れたがいい。慌(あわ)てる紋(もん)は泡沫(あぶく)のよう。野袴(のばかま)の裾(すそ)を端折(はしょ)って、灸(きゅう)のあとを出すのがある。おお、おかしい。(微笑(ほほえ)む)粟粒(あわつぶ)を一つ二つと算(かぞ)えて拾う雀(すずめ)でも、俄雨(にわかあめ)には容子(ようす)がいい。五百石(こく)、三百石、千石一人で食(は)むものが、その笑止(しょうし)さと言ってはない。おかしいやら、気の毒やら、ねえ、お前。

薄 はい。

夫人 私はね、群鷺(むらさぎ)ヶ峰(みね)の山の端(は)に、掛稲(かけいね)を楯(たて)にして、戻道(もどりみち)で、そっと立って視(なが)めていた。そこには昼の月があって、雁金(かりがね)のように(その水色の袖(そで)を圧(おさ)う)その袖に影(かげ)が映った。影が、結んだ玉ずさのようにも見えた。――夜叉ヶ池のお雪様は、激(はげし)いなかにお床(ゆか)しい、野はその黒雲、尾上(おのえ)は瑠璃(るり)、皆、あの方のお計らい。それでも鷹狩の足も腰も留めさせずに、大風と大雨で、城まで追返しておくれの約束(やくそく)。鷹狩たちが遠くから、松を離れて、その曠野(あらの)を、黒雲の走る下に、泥川のように流れてくるに従って、追手おいての風の横吹(よこしぶき)。私が見ていたあたりへも、一村雨(ひとむらさめ)颯さっとかかったから、歌も読まずに蓑をかりて、案山子の笠をさして来ました。ああ、そこの蜻蛉(とんぼ)と鬼灯(ほおずき)たち、小児(こども)に持たして後(のち)ほどに返しましょう。》

 

<つねに敵としてあらわれるのは権力や世俗(すなわち「野暮」)/妖怪たちが言うあのような人間蔑視のセリフ>

 倫理的対立の言葉は反復される。

《夫人 (打頷(うちうなず)く)お亀様、このお土産は、これは、たしか……

亀姫 はい、私が廂(ひさし)を貸す、猪苗代亀ヶ城の主、武田衛門之介(たけだえもんのすけ)の首でございますよ。

夫人 まあ、あなた。(間)私のために、そんな事を。

亀姫 構いません、それに、私がいたしたとは、誰も知りはしませんもの。私が城を出ます時はね、まだこの衛門之介はお妾(めかけ)の膝(ひざ)に凭掛(よりかか)って、酒を飲んでおりました。お大名の癖(くせ)に意地が汚(きたな)くってね、鯉汁(こいこく)を一口に食べますとね、魚の腸(はらわた)に針(はり)があって、それが、咽喉(のど)へささって、それで亡(な)くなるのでございますから、今頃ちょうどそのお膳(ぜん)が出たぐらいでございますよ。(ふと驚(おどろ)く。扇子を落す)まあ、うっかりして、この咽喉に針がある。(もとどりを取って上ぐ)大変なことをした、お姉様(あねえさま)に刺(さ)さったらどうしよう。

夫人 しばらく! せっかく、あなたのお土産を、いま、それをお抜(ぬ)きだと、衛門之介も針が抜けて、蘇返(よみがえ)ってしまいましょう。

朱の盤 いかさまな。

夫人 私が気をつけます。ようござんす。(扇子を添えて首を受取る)お前たち、瓜を二つは知れたこと、この人はね、この姫路の城の主、播磨守とは、血を分けた兄弟だよ。》

 

《薄 武士が大勢で、篝(かがり)を焚(た)いております。ああ、武田播磨守殿、ご出張(しゅっちょう)、床几(しょうぎ)に掛(かか)ってお控えだ。おぬるくて、のろい癖(くせ)に、もの見高な、せっかちで、お天守見届けのお使いの帰るのを待兼ねて、推出(おしだ)したのでござります。もしえもしえ、図書様のお姿が小さく見えます。奥様、おたまじゃくしの真中で、ご紋着(もんつき)のご紋(もん)も河骨(こうぼね)、すっきり花が咲(さ)いたような、水際立ってお美しい。……奥様。

夫人 知らないよ。

薄 おお、兜あらためがはじまりました。おや、吃驚(びっくり)した。あの、殿様の漆(うるし)みたいな太い眉毛が、びくびくと動きますこと。さっきの亀姫様のお土産(みやげ)の、兄弟の、あの首を見せたら、どうでございましょう。ああ、ご家老が居ます。あの親仁(おやじ)も大分百姓を痛めて溜込(ためこ)みましたね。そのかわり頭が兀(は)げた。まあ、皆みんなが図書様を取巻いて、お手柄(てがら)にあやかるのかしら。おや、追取刀(おっとりがたな)おっとりがたなだ。何、何、何、まあ、まあ、奥様奥様。》

 

<かぎりない怖ろしさに充ちた年上の美女と、繊細な美少年との恋の物語>

 天守夫人富姫は登場シーンからすでに夢幻の美しさ、きりっとした感覚にみち、鏡花劇のひとを寄せつけない凛然たる女の典型である。

《女郎花 あれ、夫人(おくさま)がお帰りでございますよ。

  はらはらとその壇(だん)の許(もと)に、振袖(ふりそで)、詰袖(つめそで)、揃(そろ)って手をつく。階子(はしご)の上より、まず水色の衣(きぬ)の褄(つま)、裳(もすそ)を引 く。すぐに蓑(みの)を被(かつ)ぎたる姿見ゆ。長(たけ)なす黒髪、片手に竹笠(たけがさ)、半ば面(おもて)を蔽(おお)いたる、美しく気高き貴女(きじょ)、天守夫人、富姫。》

 

 鏡花劇の少年または青年は、きまって美しく、純朴、真情にみなぎっている。

《舞台一方の片隅(かたすみ)に、下の四重に通ずべき階子(はしご)の口あり。その口より、まず一(ひとつ)の雪洞(ぼんぼり)顕(あらわ)れ、一廻りあたりを照す。やがてつと翳(かざ)すとともに、美丈夫(びじょうふ)、秀(ひい)でたる眉(まゆ)に勇壮(ゆうそう)の気満(み)つ。黒羽二重(くろはぶたえ)の紋着(もんつき)、萌黄(もえぎ)の袴はかま、臘鞘(ろざや)の大小にて、姫川図書之助(ひめかわずしょのすけ)登場。唄をききつつ低徊(ていかい)し、天井を仰ぎ、廻廊を窺(うかが)い、やがて燈(ともしび)の影を視(み)て、やや驚く。ついで几帳(きちょう)を認む。彼が入(い)るべき方(かた)に几帳を立つ。図書は躊躇(ちゅうちょ)の後(のち)決然として進む。瞳(ひとみ)を定めて、夫人の姿を認む。剣夾(つか)に手を掛け、気構えたるが、じりじりと退(さが)る。》

 

 その二人が、城の天守の垂直的な空間構造と妖怪と人間との境界を越境して、恋に落ちる。

《夫人 (莞爾(にっこり)と笑む)ああ、爽(さわや)かなお心、そして、あなたはお勇(いさま)しい。燈(あかり)を点(つ)けて上げましょうね。(座を寄す。)

図書 いや、お手ずからは恐(おそれ)多い。私が。

夫人 いえいえ、この燈(ともしび)は、明星(みょうじょう)、北斗星(ほくとせい)、龍(りゅう)の燈(ともしび)、玉の光もおなじこと、お前の手では、蝋燭(ろうそく)には点きません。

図書 ははッ。(瞳(ひとみ)を凝(こ)らす。)

  夫人、世話めかしく、雪洞(ぼんぼり)の蝋を抜き、短檠(たんけい)の灯(ひ)を移す。燭(しょく)をとって、じっと図書の面(おもて)を視(み)る、恍惚(うっとり)とす。

夫人 (蝋燭を手にしたるまま)帰したくなくなった、もう帰すまいと私は思う。

図書 ええ。

夫人 あなたは、播磨があなたに、切腹を申しつけたと言いました。それは何の罪でございます。

図書 私が拳(こぶし)に据(す)えました、殿様が日本一(にっぽんいち)とてご秘蔵(ひぞう)の、白い鷹を、このお天守へ逸(そら)しました、その越度(おちど)、その罪過(ざいか)でございます。

夫人 何、鷹をそらした、その越度、その罪過、ああ人間というものは不思議な咎(とが)を被(おお)せるものだね。その鷹はあなたが勝手に鳥に合せたのではありますまい。天守の棟(むね)に、世にも美しい鳥を視(み)て、それが欲しさに、播磨守が、自分であなたにいいつけて、勝手に自分でそらしたものを、あなたの罪にしますのかい。

図書 主(しゅう)と家来でございます。仰(おお)せのまま生命をさし出しますのが臣(しん)たる道でございます。

夫人 その道は曲っていましょう。間違(まちが)ったいいつけに従うのは、主人に間違った道を踏ませるのではありませんか。

図書 けれども、鷹がそれました。

夫人 ああ、主従(しゅうじゅう)とかは恐(おそろ)しい。鷹とあの人間の生命とを取とりかえるのでございますか。よしそれも、あなたが、あなたの過失(あやまち)なら、君と臣というもののそれが道なら仕方がない。けれども、播磨がさしずなら、それは播磨の過失(あやまち)というもの。第一、鷹を失ったのは、あなたではありません。あれは私が取りました。

図書 やあ、あなたが。

夫人 まことに。

図書 ええ、お怨(うら)み申上ぐる。(刀に手を掛く。)

夫人 鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜(つゆしも)の清い林、朝嵐(あさあらし)夕風の爽(さわや)かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯(だいみょう)なんどというものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、ただ一人じめに自分のものと、つけ上(あが)りがしています。あなたはそうは思いませんか。

図書 (沈思(ちんし)す、間)美しく、気高い、そして計り知られぬ威(い)のある、姫君。――あなたにはお答が出来かねます。

夫人 いえ、いえ、かどだてて言籠(いいこ)めるのではありません。私の申すことが、少しなりともお分りになりましたら、あのその筋道の分らない二三の丸、本丸、太閤丸(たいこうまる)、廓内(くるわうち)、ご家中(かちゅう)の世間へなど、もうお帰りなさいますな。白銀(しろがね)、黄金(こがね)、球(たま)、珊瑚(さんご)、千石万石(せんごくまんごく)の知行(ちぎょう)より、私が身を捧げます。腹を切らせる殿様のかわりに、私の心を差上げます、私の生命(いのち)を上げましょう。あなたお帰りなさいますな。

図書 迷いました、姫君。殿に金鉄の我が心も、波打つばかり悩乱(のうらん)をいたします。が、決心が出来ません。私は親にも聞きたし、師にも教えられたし、書もつにも聞かねばなりません。お暇(いとま)を申上げます。

夫人 (歎息(たんそく)す)ああ、まだあなたは、世の中に未練(みれん)がある。それではお帰りなさいまし。(この時蝋燭(ろうそく)を雪洞(ぼんぼり)に)はい。

図書 途方(とほう)に暮れつつ参ります。迷(まよい)の多い人間を、あわれとばかり思召(おぼしめ)せ。

夫人 ああ、優しいそのお言葉で、なお帰したくなくなった。(袂(たもと)を取る。)

図書 (きっとして袖を払う)強(し)いて、断(た)って、お帰しなくば、お抵抗(てむかい)をいたします。

夫人 (微笑(ほほえ)み)あの私に。

図書 おんでもない事。

夫人 まあ、お勇ましい、凜々(りり)しい。あの、獅子に似た若いお方、お名が聞きたい。

図書 夢(ゆめ)のような仰(おお)せなれば、名のありなしも覚えませぬが、姫川図書之助と申します。

夫人 懐(なつか)しい、嬉しいお名、忘れません。

図書 以後、お天守下の往(ゆき)かいには、誓(ちか)って礼拝(らいはい)をいたします。――ご免。(つっと立つ。)

夫人 ああ、図書様、しばらく。

図書 是非(ぜひ)もない、所詮(しょせん)活(い)けてはお帰しない掟(おきて)なのでございますか。

夫人 ほほほ、播磨守の家中(かちゅう)とは違います。ここは私の心一つ、掟なぞは何にもない。》

 

《夫人 今まで、あの人を知らなかった、目の及ばなかった私は恥かしいよ。

薄 かねてのお望みに叶(かの)うた方を、何でお帰しなさいました。

夫人 生命いのちが欲(ほし)い。抵抗(てむかい)をすると云(い)うもの。

薄 ご一所(いっしょ)に、ここにお置き遊ばすまで、何(なん)の、生命(いのち)をお取り遊ばすのではございませんのに。

夫人 あの人たちの目から見ると、ここに居るのは活(い)きたものではないのだと思います。

薄 それでは、あなたのご容色(きりょう)と、そのお力で、無理にもお引留めが可ようございますのに。何の、抵抗(てむかい)をしました処で。

夫人 いや、容色(きりょう)はこちらからは見せたくない。力で、人を強(し)いるのは、播磨守なんぞの事、真(まこと)の恋(こい)は、心と心、……》

 

<女性は保護者と破壊者の両面をつねに現わし>

 《夫人 (獅子頭とともにハタと崩折(くずお)る)獅子が両眼を傷つけられました。この精霊(しょうりょう)で活(い)きましたものは、一人も見えなくなりました。図書様、……どこに。

図書 姫君、どこに。

  さぐり寄りつつ、やがて手を触(ふ)れ、はっと泣き、相抱(あいいだ)く。

夫人 何と申(もう)そうようもない。あなたお覚悟をなさいまし。今持たせて遣(や)った首も、天守を出れば消えましょう。討手は直ぐに引返して参ります。私一人は、雲に乗ります、風に飛びます、虹(にじ)の橋も渡ります。図書様には出来ません。ああ口惜(くやし)い。あれ等(ら)討手のものの目に、蓑笠(みのかさ)着ても天人の二人揃(そろ)った姿を見せて、日の出、月の出、夕日影にも、おがませようと思ったのに、私の方が盲目(めくら)になっては、ただお生命(いのち)さえ助けられない。堪忍(かんにん)して下さいまし。

図書 くやみません! 姫君、あなたのお手に掛けて下さい。

夫人 ええ、人手(ひとで)には掛けますまい。そのかわり私も生きてはおりません、お天守の塵(ちり)、煤(すす)ともなれ、落葉になって朽(く)ちましょう。

図書 やあ、何のためにあなたが、美しい姫の、この世にながらえておわすを土産に、冥土(めいど)へ行くのでございます。

夫人 いいえ、私も本望でございます、あなたのお手にかかるのが。

図書 真実のお声か、姫君。

夫人 ええ何の。――そうおっしゃる、お顔が見たい、ただ一目。……千歳(ちとせ)百歳(ももとせ)にただ一度、たった一度の恋だのに。

図書 ああ、私も、もう一目、あの、気高い、美しいお顔が見たい。(相縋(あいすが)る。)

夫人 前世(ぜんせ)も後世(ごせ)も要(い)らないが、せめてこうして居(い)とうござんす。

図書 や、天守下で叫(さけ)んでいる。

夫人 (きっとなる)口惜(くや)しい、もう、せめて一時(いっとき)隙(ひま)があれば、夜叉(やしゃ)ヶ池のお雪様、遠い猪苗代(いなわしろ)の妹分に、手伝を頼もうものを。

図書 覚悟(かくご)をしました。姫君、私わたくしを。……

夫人 私はあなたに未練(みれん)がある。いいえ、助けたい未練がある。

図書 猶予(ゆうよ)をすると討手の奴(やつ)、人間なかまに屠(ほふ)られます、あなたが手に掛けて下さらずば、自分、我が手で。――(一刀(いっとう)を取直す。)

夫人 切腹はいけません。ああ、是非(ぜひ)もない。それでは私がご介錯(かいしゃく)、舌を噛切(かみき)ってあげましょう。それと一所(いっしょ)に、胆(きも)のたばねを――この私の胸を一思いに。

図書 せめてその、ものをおっしゃる、あなたの、ほのかな、口許(くちもと)だけも、見えたらばな。

夫人 あなたの睫毛(まつげ)一筋なりと。(声を立ててともに泣く。)》

 

 いつもいつも鏡花の世界では、能もある浄瑠璃もある、連歌的なダイナミックな発想のもとで、美しい女は一途な男を庇護した果てに、他界、異界へと連れ去ってしまうだろう、天上的な幽艶に包まれながら…… 

                                           (了)

     *****引用または参考*****

泉鏡花天守物語』(『ちくま日本文学011 泉鏡花』(筑摩書房)より。原本は『鏡花全集巻二十六』(岩波書店))

三島由紀夫『作家論』(三島由紀夫編集『日本の文学4 尾崎紅葉泉鏡花』(中央公論社)の解説「尾崎紅葉泉鏡花」所収)(中公文庫)

*月報「鏡花の魅力(澁澤龍彦三島由紀夫対談)」(三島由紀夫編集『日本の文学4 尾崎紅葉泉鏡花』月報)(中央公論社

渡辺保の歌舞伎劇評「2024年12月歌舞伎座第二部・第三部 天守夫人富姫の恋」

*笠原伸夫『評釈「天守物語」 妖怪のコスモロジー』(国文社)

泉鏡花『夜叉ケ池・天守物語』(解説澁澤龍彦)(岩波文庫

*『ユリイカ 特集泉鏡花 2000年10月号』(青土社

*『演劇界 1994年3月号』(「今月この舞台 天守物語」所収)(演劇出版社
*市川祥子『「天守物語」初演の実際――使用台本の検討から――』(群馬県立女子大学紀要 第四十五号別刷(令和六年二月二十九日))