文学批評) 三島由紀夫『絹と明察』とハイデッガー

 

 

『絹と明察』(昭和三十九年)を書き終えた三島由紀夫は、「新たな生」を奮い起こすかのようにライフワーク『豊饒の海』シリーズ(昭和四十年から四十六年)の執筆に取り組んだ。

『絹と明察』は、昭和二十九年に起きた近江(おうみ)絹糸(けんし)の「戦後版の女工哀史労働争議をあつかった「企業小説」の走りであるとか、本人が「著者と一時間」で語った、戦後においても西欧化されない家父長的、封建主義的な社長駒沢善次郎にみる「父親」の問題(ひいては父としての「天皇」の戦前・戦後問題)というばかりではなく、登場人物岡野に語らせたハイデッガーヘルダーリンの詩の解明」から解きほぐされる「源泉」「帰郷」としての「日本回帰」(ヘルダーリンの詩『帰郷(ハイムクンフト)』のボーデン湖は琵琶湖に、リンダウの町は大津・彦根に、「ドイツ的なもの」は「日本的なもの」へ重なる)を読みとることもできよう。

 三島は戦前、戦中から浪漫派志向によってヘルダーリンへの愛着が強かったものの、戦争中はハイデッガーを、そんなに詳しく読んでないと語っているが、蔵書目録から推察するに、昭和三十年代からハイデッガーへの関心が高まったようである。

しかし、三島が『絹と明察』から『豊饒の海』へと「新たな生」に向ったといっても、『絹と明察』で岡野に仮託して言及させたハイデッガー存在と時間』からくる「死への存在」意識は基底に流れ続けて変容されることなく、「死」と「時間性」に対する「唯識論」での新たなアプローチを試みることで『豊饒の海』四部作は書きつがれ、見る人から行動への転回と思想の探求、葛藤の末に生を閉じたと言えないか。

 それは、『絹と明察』の終り方と、絶筆でもあった『豊饒の海』最終巻『天人五衰』の終り方の精神的風景が一致していることからも見てとれる。

 

『絹と明察』の終末を見る前に、岡野とハイデッガーの関係性をどのように書いたかをみておく。すでに第一章から説明がなされる。

《今でこそこうして政財界にやたらに顔のひろい面妖な人物として通っているが、岡野もかつてはハイデッガーの学風を慕ってドイツに遊び、フライブルク大学に学んだことがある。そのときハイデッガーは、主著「存在と時間」(筆者註:1927年)によって世界的名声を得てから十年を経ており、ナチスへの傾倒の度を深めていた。

 帰朝する。「聖戦哲学研究所」という研究所まがいのものをひらく。少壮軍人がここに蝟集(いしゅう)して、軍人を通じて、政治家や実業家や役人に顔が売れる。戦後たちまち、占領軍接待のためのクラブをひらく。ますます政界や財界や官界に顔が売れる。(中略)

 一方、岡野は、今もハイデッガーの新著を取り寄せて読み、何かと研鑽(けんさん)を怠らなかった。一九五一年に出た「ヘルダアリンの詩の解明」を読んでからは、ハイデッガーを通じて、ヘルダアリンの詩の愛好者になった。酔えばあの難解な「帰郷(ハイムクンフト)」の一節を朗唱して、並居る人を煙に巻いたりした。》

 

 第三章では、むかし聖戦哲学研究所の所員であった正木が最近あらわした本を読んで、この著者のロマン派的構想を批判する。

《無神の神学といわれるハイデッガー哲学の荒涼たる世界は、時間性において本来的存在への決意を引受けるところに生れたものであって、芸術や信仰の実存はこれに反して時間に対する超越的契機を秘め、もっと豊饒な恍惚へ導くというのが、著者の結論であるらしい。……(中略)

 ハイデッガーの神なき神秘主義こそ、かつての岡野の聖戦哲学のイローニッシュな支えであったが、その二重底の哲学で人々を瞞着(まんちゃく)し、甘い汁(しる)を吸った思い出は、その後のどんなに人の悪い行動の思い出よりも、彼のなかに甘美に澱(よど)んでいた。行動はただの行動で、それをしたたかに味わい直してたのしむには思想が要った。

ハイデッガーの脱自(エクスタージ)の目標は』と彼は考えつづけた。

『決して天や永遠ではなくて、時間の地平線(ホリツォント)だった。それはヘルダアリンの憧憬(しょうけい)であり、いつまでも際限のない地平線へのあこがれだった。俺(おれ)はこういうものへ向って、人間どもを鼓舞するのが好きだ。不満な人間の尻(しり)を引っぱたいて、地平線へ向って走らせるのが好きだ。あとから俺はゆっくり収穫する。それが哲学の利得なのだ』

 車窓には一向にそんな壮大な地平線はあらわれなかった。石山と草津のあいだで、十一月のなめらかな日ざしの靄(もや)に、近江(おうみ)富士の影が浮ぶのを見た。》

 

 見る人岡野は背後から駒沢紡績に組合を結成させ、ストライキを起こさせて勝利させる。従業員の反抗を感恩報謝の気持ちの忘恩と感じた駒沢善次郎は争議後に脳血栓で倒れる。京大病院を見舞った岡野は、今しがた死んだばかりの駒沢を目の当たりにし、逃げるように鴨川の川端へ出たが、ハイデッガーが『存在と時間』で、「死への存在」として人間存在(「現存在」)の「先駆的自覚」を説いている部分(『存在と時間』第48節、52節、62節)の事象に遭遇して、「代理できない」「自分のこと」として動揺するハイデゲリアン岡野がいる。

『絹と明察』の巻末、第十章の末尾の一節前の文章はこうだ(これが実質的な終わりであり、そのあとの一節、駒沢の後釜として岡野が社長に滑り込むこともできるという挿話は、三島が忌み嫌った、番(つが)う蠅のような永遠の退屈、いつわりの利得からなる生の現実の、矮小な暴露である)。

《彼はハイデッガーが死について要約している三つの提言を思い出した。それはこれまで死について究明されたことの全部なのであるが、その第三の提言は、「終ってゆくことは、自分のうちに、その都度の現存在にとって全く代理できない、存在の様態を含んでいる」と云(い)うのである。「自分の死を回避しながら、終りへの日常的存在もまた、……死を確信しているのである」

 岡野はたしかに駒沢を、未済の箱から既済の箱へと移したのだが、今彼は駒沢の死から必死に遁走(とんそう)しようとしている自分を感じていた。生きているあいだの駒沢は、決して岡野と相犯すことのない、笑うべき遠い人格だったが、死が突然駒沢を不気味に普遍化し、駒沢の存在を、岡野の内部にも外部にも、日常生活のいたるところに滲(し)み込んでゆく悪い香料のようなものにしてしまった。駒沢の匂いは、このまわりの風景の隅々(すみずみ)にさえ染(し)みついていた。堤の上の並木にも、黄ばんだ草にも、川面(かわも)をわたる微風にそよいでいる蘆にも。

 岡野はハイデッガーがあの「帰郷」に註(ちゅう)して、「宝、故郷のもっとも固有なもの、『ドイツ的なもの』は、貯(たくわ)えられているのである。……詩人が、貯えられたものを宝(発見物)と呼ぶのは、それが通常の悟性にとって近づき難(がた)いものであることを知っているからだ」と書いたときに、見かけは「清澄(せいちょう)な言葉で語りながら、実はもっとも不気味なものに行き当ったのではないかと疑った。

「されどわが心にいやまさる楽しみは、

 聖なる門よ! 汝(なれ)をくぐりて故郷(ふるさと)へ帰りゆくこと」

 そういう「帰郷」の詩句自体が、至高の晴れやかさの裡(うち)に、言いがたい暗さ、恐怖、不安、愚かしさ、滑稽(こっけい)さの総体を秘し蔵(かく)しているように思われる。

 駒沢の死はきっと伝染(うつ)る、というような気が岡野にはした。菊乃(筆者註:岡野が間諜役として寮母に送り込んだ元芸者だが、駒沢と関係を持つようになって必死に看護した)が死ぬという突拍子もない直観も、せめてその死を菊乃に托(かず)けて安心したい彼のひそかな願いかもしれなかった。もっとも駒沢の伝染(うつ)す死は、必ずしも肉体的な死ばかりではあるまい。岡野の心のほんの一小部分でもそれに犯されたら、彼の得る利得はただ永久に退屈な利得につらなり、彼の思想はただ永久に暗い深所の呟(つぶや)きにおわって、二度とその二つが輝やかしく手を握ることはないだろう。……

 へんな、いつわりのよみがえりの時代がはじまっていた。彼は一度はその蘇生(そせい)の印象にだまされたが、生きのびたものも蘇ったものも仲よく轡(くつわ)を並べて歩き出すこんな時代に、何事も起らないだろうということはほとんど確実だった。(中略)

 ふと、堰の水音に呼びさまされた岡野は、目の前の堰へ目をやった。

 堰を越える前の水は一際(ひときわ)まどやかで、対岸の木叢(こむら)を色深く映していた。その水が平坦(へいたん)で滑らかなまま速度を早めて堰の上まで来て、堰の石組のかるい凹凸(おうとつ)を、羅(うすもの)のようにはっきりと透かして見せ、さて揃(そろ)って端麗になだれ落ちるのだが、枯葉や小さな芥(あくた)や、フィルムの空箱や、割箸(わりばし)の片方などが、ゆるゆると移って、少しも予感のない姿で堰に近づき、いよいよ近づくときに自分が何故(なぜ)かわからない速度を急にわがものにし、忽(たちま)ち滝に引き入れられてゆくのは、いつまで見ていても見飽かなかった。

 しかも水は上流の友禅染に染められて、堰を落ちるときはわけてもその藤紫(ふじむらさき)の色を、白い飛沫(ひまつ)と共に鮮明にあらわした。秋の雲を映すなめらかな黒い水面が、堰を越えると共に急にその本性を示すところを、飽かず眺めているうちに、岡野は自分の心までもその色に染められるような、不快な、それと共に抒情(じょじょう)的な酔いに充ちた、危険な眩暈(めまい)を感じた。色と光りと、ものうい静けさと、すべてを収斂(しゅうれん)する水音のうちに、この藤紫の水の流れのうちに、社会も思想も人間もみんな吸い込まれるこんな感覚的体験は、岡野にとってはじめてのものではなかった。

 彼の眉(まゆ)をかすめて飛ぶ蜻蛉(とんぼ)。蘆の葉末によろぼう小さな蝶(ちょう)。対岸に深い木蔭(こかげ)をつくる考え深い樹々(きぎ)。紫の水。その水の斑紋(はんもん)。この世界には、帆影もなければ、何らかの憧(あこが)れもなく、……自分が征服したものに忽ち擦(す)り抜けられる無気味な円滑さしかない、と岡野は思った。》

 

「時間」の果てに、何もないところへ、自分は来てしまった、という虚無の感覚は、『豊饒の海』第四巻『天人五衰』で反復された。八十一歳の老人になった見る人本多の裡に隅々まで記憶がよみがえって、六十年前、一人の青年として、松枝清顕がなお帯解の宿で、病熱に浮かされながら本多の月修寺訪問と帰宅を待ち侘びている(『豊饒の海』第一巻『春の雪』)ように思う。

天人五衰』の巻末、すなわち『豊饒の海』四部作はこう終る。

《「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

 ようやく門跡が、本多の口から清顕について語らせようとしているのだろうと察した。本多は、失礼に亘(わた)らぬように気遣いながら、多言を贅(ぜい)して、清顕と自分との間柄やら、清顕の恋やら、その悲しい結末やらについて、一日もゆるがせにせぬ記憶のままに物語った。

 門跡は本多の長話のあいだ、微笑を絶やさずに端座したまま、何度か「ほう」「ほう」と相槌(あいづち)を打った。途中で一老が運んできた冷たい飲物を、品よく口もとへ運ぶ間(ま)も、本多の話を聴き洩(も)らさずにいるのがわかる。

 聴き終った門跡は、何一つ感慨のない平淡な口調でこう言った。

「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違いでっしゃろ」

「しかし御門跡は、もと綾倉(あやくら)聡子(さとこ)さんと仰言(おっしゃ)いましたでしょう」

 と本多は咳(せ)き込みながら切実に言った。

「はい。俗名はそう申しました」

「それなら清顕君を御存知でない筈(はず)はありません」

 本多は怒りにかられていたのである。(中略)

「いいえ、本多さん、私は俗世で受けた恩愛は何一つ忘れはしません。しかし松枝清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしゃらなかったのと違いますか? 何やら本多さんが、あるように思うてあらしゃって、実ははじめから、どこにもおられなんだ、ということではありませんか? お話をこうして伺っていますとな、どうもそのように思われてなりません」(中略)

「たしかに六十年前ここへ上った記憶がありますから」

「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」

「しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば」と本多は雲霧の中をさまよう心地がして、今ここで門跡と会っていることも半ば夢のように思われてきて、あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去ってゆくように失われてゆく自分を呼びさまそうと思わず叫んだ。「それなら、勲(筆者註:『豊饒の海』第二巻『奔馬』の、清顕の転生)もいなかったことになる。ジン・ジャン(筆者註:『豊饒の海』第三巻『暁の寺』の、勲の転生)もいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」

 門跡の目ははじめてやや強く本多を見据えた。

「それも心々(こころごころ)ですさかい」

 

――永い沈黙の対座ののちに、門跡はしめやかに手を鳴らした。御附弟があらわれて、閾際(しきいぎわ)に指をついた。

「折角おいでやしたのやし、南のお庭でもご覧に入れましょう。私がな、ご案内するよって」

その案内する門跡の手を、さらに御附弟が引くのである。本多は操られるように立って、二人に従って、暗い書院を過(よぎ)った。

 御附弟が障子をあけ、縁先へ本多を導いた。広大な南の御庭が、たちまち一望の裡にあった。

 一面の芝の庭が、裏山を背景にして、烈(はげ)しい夏の日にかがやいている。

「今日は朝から郭公(かっこう)が鳴いておりました」

 とまだ若い御附弟が言った。

 芝のはずれに楓を主とした庭木があって、裏山へみちびく枝折戸(しおりど)も見える。夏というのに紅葉している楓もあって、青葉のなかに炎を点じている。庭石もあちこちにのびやかに配され、石の際に花咲いた撫子(なでしこ)がつつましい。左方の一角に古い車井戸が見え、又、見るからに日に熱して、腰かければ肌を灼(や)きそうな青緑の陶(すえ)の榻(とう)が、芝生の中程に据えられている。そして裏山の頂きの青空には、夏雲がまばゆい肩を聳(そび)やかしている。

 此れと云って奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠(じゅず)を繰るような蟬(せみ)の声がここを領している。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞(じゃくまく)を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……》

 

                                     (了)

       *****引用または参考文献*****

三島由紀夫『絹と明察』(新潮文庫

ハイデッガーヘルダーリンの詩の解明』(『ハイデッガー選集3』に所収)手塚富雄、他訳(理想社

高坂正顕ハイデッガーニヒリズムか』(創文社

西谷啓治ニヒリズム』(国際日本研究所) 

ハイデガー存在と時間熊野純彦訳(岩波文庫

ハイデガー存在と時間』桑木務(岩波文庫

三島由紀夫天人五衰』(新潮文庫

野口武彦三島由紀夫の世界』(講談社

平野啓一郎三島由紀夫論』(新潮社)

*井上隆史『三島由紀夫 虚無の光と闇』(試論社)

小野紀明ハイデガーの政治哲学』(岩波書店