文学批評) ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』のよるべなさ

 

 

 ロラン・バルトの『彼自身によるロラン・バルト』(『ロラン・バルトによるロラン・バルト』)に収められたバルトの講演写真には、「よるべなさ」(「孤独の苦悩」)(Détresse)というキャプションが添えられている。

 

 ロラン・バルト『偶景』のなかに「パリの夜」という、日記形式をとった省察とも「小説的なもの」ともつかぬロマネスクなテクストがある。そこでバルトは繰りかえし、パスカルの『パンセ』を読んでいる。

パリ、一九七九年九月二日

 きのうの午後、ユールト(筆者註:バルトはフランス南西部バイヨンヌ近郊の村ユールト(U)に母と住み、一九七七年十月に最期を看取った)から帰る。飛行機は愚かな客で一杯だ。子供、家族連れ、私の隣りで紙袋に吐いた女、システラ〔バスク地方の球技に用いるラケット〕を持ち帰る若者。座席に小さくなって、ベルトさえはずさず、身動きせず、一時間の間、私はパスカルの『パンセ』を少し読んだ。《人間のみじめさ》の行間から、私の悲しみ全体、マムのいないUでの私の《胸ふたぐ気持》がよみがえってきた。(こうしたことはまったく書くことができない。パスカルの簡潔さと緊張を思うと……)着くとどんよりと曇っていた。(後略)》

一九七九年九月三日

 ドゥー・マゴがまた店を開けたので、フロールの客が少なくなっている。中はほとんど空だ。私は、中で、パスカルの『パンセ』を読む。何度も顔を上げながら、しかし、収穫がないわけではない。遠くない所に、騒いでいる一群(前に見たことがある)。流行りのタイプのホモたちだ。(中略)口惜しさから、寛大さから、諦めから、殿様風の瘦せ我慢から、私は彼に発つよう説得する。彼は九時に私と別れる。私はまた一人きりだ、かなり淋しい――諦める決心をする(しかし、そのことを彼にはどう告げたらいいのか。何かの口実でもう逢わないというのはひどいだろうか。しかし、これは私が望んでいることなのだ。自分の生活から失敗の名残りを一掃したくて)。私はフロールに行って、葉巻をふかしながら、またパスカルの『パンセ』を読み始めた。私が見知っている、背の高い、褐色の髪の男娼(ジゴロ)がやって来て、私に挨拶をした。(後略)》

一九七九年九月十日

 きのうの夕方、フロールでパスカルの『パンセ』を読んでいた。私の脇に細身の青年がいた。とても色白でひげがなく、不思議な美しい顔だが、官能をそそらない(合成皮革のズボンをはいている)。ばらばらの紙に書いてあるセンテンスや図式をせっせとノートに写している。見たところ、詩なのか、数学なのか、よくわからない。(後略)》

 

 バルトは『パンセ』のどこを読んでいたのだろうか。九月二日の記述にあるように、《人間のみじめさ》(「第二章 神なき人間の惨めさ」)に違いなく、そこではバルトの常の心情に近いいくつかの断章を読むことができる。

六九 あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。》

一一〇 今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむなしさに対する無知とが、定めなさの原因となる。》

「定めなさ」、それは「よるべなさ」であるだろう。

 

ジュンパ・ラヒリ

 ジュンパ・ラヒリは1967年ロンドン生まれ。両親はカルカッタ出身のベンガル人。2歳でアメリカに渡り、家庭ではベンガル語、外では英語を使った。1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞を受賞、同作収録の短編集『停電の夜に』でピュリツァー賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年長篇小説『その名にちなんで』を発表、その後『見知らぬ場所』、『低地』など、アメリカのインド系移民の世界を英語で発表した。

 家族と共にイタリアに移住し、イタリア語で、2015年にエッセイ集『べつの言葉で』、2018年に長篇小説(生れ育ったローマと思しき街に暮らす45歳の独身女性の日常生活を描いた46の断章からなる)『わたしのいるところ』、2020年に詩集『思い出すこと』、2022年にエッセイ『翻訳する私』。

 

出世作の短篇集『停電の夜に』(原書表題『病気の通訳』“Interpreter of Maladies”)は、「停電の夜に」「ビルサダさんが食事に来たころ」「病気の通訳」「本物の門番」「セクシー」「セン夫人の家」「神の恵みの家」「ビビ・ハルダーの治療」「三度目の最後の大陸」という9篇からなる。

 堀江敏幸は、《たがいの傷をまさぐるように展開していく。彼女の小説に登場するのは、多くの場合、カルカッタ出身のベンガル人を両親に持ち、ロンドンで生まれて幼少時にアメリカへ渡った彼女自身の来歴に近しい、移民とその周辺の人々である。新天地の環境や文化や人間関係を受け入れ、そこに順応しようと試行錯誤を繰り返しつつ、けっして容易ではないその道筋のあちこちで登場人物が直面する、いわば存在の根にかかわる身の置きどころのなさを、ラヒリはひとつひとつ丁寧に見つめる――関係のどんづまりや、癒しがたい孤独を描くばかりでなく、そこからの再生の可能性をも絶妙のさじ加減でほのめかしながら。》、《ラヒリの世界が読者に信頼感を抱かせる理由のひとつは、親たちの祖国にも、また米国にも心の底では馴染めず、自分の「家」は「ここ」にないとの喪失感が、そうした現実にこれから直面しようとしている世代の無垢と感応し、双方を一段成長させるところにある。》、《ラヒリの世界を独創的なものに仕立てているもうひとつの大きな理由は、移民として「はるかに遠い人を思う」ことと、身近な他者である夫や妻への無理解が表裏の関係に置かれている点だ。》《「ここ」と「むこう」の遠さを炙(あぶ)りだしている。その手つきの巧みさは、原書の表題である「病気の通訳」や「神の恵みの家」を一読すれば明らかだが、先の「停電の夜に」において、それはいっそう強く感じられるだろう。》、《作者はその闇の可能性に賭け、彼らが「はるかに遠い人を思う」ようにたがいを見つめあえる関係に移行するのか、それとも完全に離反してしまうのかを宙づりにしたまま、物語を切りあげる。》と書評した。

 そこにあるのは、ラヒリの「よるべなさ」と「新生(ヴィタ・ノーヴァ)」、再生への希望である。

 

 はじめてイタリア語で書かれたエッセイ集『べつの言葉で』で言及された小説家、詩人はモラヴィアパヴェーゼ、そしてエミリー・ディキンソンであり、共通するのは孤独の「よるべなさ」だろう。

『わたしのいるところ』で、小説言語が英語からイタリア語に変わり、登場人物がポスト・コロニアルなインド系アメリカ人たちから45歳のイタリア人独身女性となって、さらには名前や場所の固有名詞を剥ぎとられ(

ロラン・バルトは1977年以降に「小説的なるもの」を書こうとして、登場人物の名前、固有名詞を発見できず、ついにバルトの「小説」は書かれずに終わるのだけれど)、ニューヨーカー的なストーリーテラーぶりから離れた回想主体で起伏が乏しくとも、堀江敏幸が書評で指摘したことは通底している。

『わたしのいるところ』の「トラットリアで」「ネイル・サロンで」「文房具店で」「駅で」にみる他者(客商売の父娘・夫婦、客の父親と幼い娘など)への細やかな視線と揺れ動く感情、慈しみ、意地悪ともいえる神経質さ、痛み、そして「広場で」「本屋で」「バルコニーで」「道で」「わたしの家で」「レジで」「ヴァカンス中に」で繰り返される、彼女を取り囲む結婚・離婚・再婚の男女・親子の人間関係に対する冷静かつ辛辣な観察の密度は、変わらないばかりか深みを増している。しかし大切なのは、「よるべなさ」の先に、ほのかなアイロニーの暖かみ、再生への光があることで、読者が救われることだ。

 

 ラヒリは『わたしのいるところ』についてのインタビューで次のように答えている。

《――『わたしのいるところ』では場所にも人物にも名前がありませんね。

 少し前から、イタリア語で書くときにはすべてをより抽象的、より開かれたものにするために、特殊性をできるだけ排除しようとしてきました。わたしが執筆を始めたころは、あらゆるものごとがアイデンティティーを中心に回っていました。ある名前をもつことをめぐって一冊の本を書いたこともあります[訳者:長篇小説『その名にちなんで』のこと。「ゴーゴリ」と名づけられたインド系アメリカ人の少年とその家族の物語]。名前は一つのレッテルで、何かを説明するけれど、生まれや母語と同じように、自分で選ぶことができません。でも、一人の人間の本質は、押しつけられたものとは別のものですから、そこに衝突が生まれます。この衝突に興味があるんです。いまわたしは、すべてをより抽象的なものにしようとする段階にいます。わたしにとって名前を取り去ることは、ある種の重荷からの解放なのです。『わたしのいるところ』では、ローマのようでローマでなくてもかまわない、ある町の名前を取り去っています。名前がなければ、境界ももはや成り立ちません。何かを取り除くことで、いろいろなものの意味が広がる。わたしはこの穴だらけの開かれた状態が気に入っています。》

《――主人公は自分をさらけ出したい欲求と自制する必要とのあいだでつねに揺れ動いています。外からの刺激を求めながら、そこから逃れなくてはといつも感じていますね。

 ええ、それはこの本に出てくる数多くの矛盾の一つです。あらゆる意味で揺れ動いている作品なんです。ここで描かれる町にも二つの顔があって、生き生きしていながら死んでもいる。主人公は、外にでかけてはまた帰宅します。それが彼女の日常ですが、たぶんこれは誰にでも当てはまるでしょう。わたしたちは自分の内と外の両方に空間をもっています。二つの空間の境界を突き止めたい。彼女はいつも境にいます。外に引きつけられ、それからまた内側に引っ込むのです。》

《――小説は道端の碑板という死のイメージで始まります。あなたはしばしば碑板、服喪、墓などの言葉を使いますね。この作品では場所が重要な役割を果たしていますが、死ももう一つの場所なのでしょうか?

 主人公の女性は場所とつながり、死や、もう存在しないものともつながっています。そして光のほうへも向かうのです。

《――彼女を外の世界と隔てる境は生と死を分けている境と同じということですか?

 もちろんその通りです。これが境です。この本には、存在することとしないことの絶え間ない緊張があります。自分が世界に存在していると感じるのは、彼女にとって一つの挑戦です。》

《――彼女は結びつきや従属関係を望まず、自分の家族にも属していないと感じています。彼女を不安にさせるのは、この根無し草の状況なのでしょうか?

 そうとも言え、違うとも言えます。彼女は住んでいる地区、自分の日常生活に強く結びついていますが、そこに属することと離れることとのあいだでいつも揺れ動いています。英語で小説を書くようになってから、ずっと考えつづけているこのテーマを発展させ、掘り下げてみようと思いました。彼女は根を張ることの難しさに苦しんでいると同時に、自分の家を離れることに不安を感じてもいます。とどまりたい欲求とあらゆる境界を越えたい欲求に突き動かされているんです。》

《――この小説では、時を表すタイトルのいくつかの章を例外として、多くの空間を表すタイトルがつけられています。また、「自分のなかで」というタイトルの章もいくつか出てきます。彼女がほんとうに生きているのは「自分のなかで」だけと言ってもいいのでしょうか?

「自分のなかで」というのは、このような二重構造の中で彼女が存在している世界です。彼女がいて、べつの自分がいます。これらの章を「わたしのなかで」ではなく「自分のなかで」と呼ぶところに彼女の疎外感があります。このようなタイトルを選んだのは、彼女があらゆるものにより困惑した、よそよそしい視線を向けるようにしたいと思ったからです。不安定な状態がつづくのです。》

 

 ラヒリが語った、揺れ動き、自分の内と外/存在と存在しないこと/生と死の境界、不安、根なし草、疎外感、困惑した不安定とは、「孤独の苦悩」、「よるべなさ」に違いない。

 

ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』(”Dove mi trovo”)>

 ラヒリ『わたしのいるところ』の46編から、ロラン・バルトのロマネスクな断章を想わす文章をいくつか読むことで、「よるべなさ」の息遣いを感じてみたい。

 エピグラフからして、

《場所を移動するごとに、とてつもなく大きな悲しみを覚える。苦しみや喜びの思い出がある場所を離れるとき、もっとも悲しいわけではない。壺の中で揺れる液体がわたしを混乱させるように、変化そのものがわたしを不安にする。 ――イタロ・ズヴェーヴォ「エッセイと雑稿」》

 

道で

 住んでいる地区の通りで、恋愛をして、ことによるとずっといっしょにいることになったかもしれない一人の男性にときどき行き会う。彼はわたしの女友だちと暮していて、子どもも二人いる。わたしたちの関係は歩道での長いおしゃべりやコーヒーの立ち飲み、それにせいぜいちょっと並んで歩くくらいのものだ。彼は自分の計画のことをジェスチャーたっぷりに熱心に語り、歩いているとき、すでにかなり接近している体がシンクロして、ときには軽く絡みあったりもする。

 一度、彼がランジェリーの店につきあってくれたことがある。わたしは新しいスカートの下にはくストッキングを選ばなければいけなかった。スカートを買ったばかりで、その晩の夕食のためにストッキングが必要だった。わたしたちはいっしょに、台に並べられたありとあらゆる色のサンプルにざっと目を通した。サンプルはか細い透明な生地の切れ端でいっぱいの本のようだった。ブラジャーやネグリジェに囲まれた彼は、まるでわたしたちが下着屋ではなく金物屋にでもいるかのように、すっかりくつろいでいた。わたしはグリーンにするか紫にするか決めかねていた。紫を買うようにわたしを説得したのは彼だった。そして店員は、ストッキングを袋に入れながら、「ご主人は見る目がおありですね」と言った。

 このような出会いで、わたしたちのいつものそぞろ歩きは気持ちよく中断される。わたしたちは罪のないつかのまの情愛を味わう。これでは前へ進めないし、追い風もけっして受けられない。彼は清廉な男性で、わたしの友だちと子どもたちを愛している。

 わたしは誰かと人生を分かちあっているわけではないけれど、それでも強く抱きあうだけで十分だ。両頬へのキス。いっしょに歩くわずかな距離の道だけで、二人とも言葉には出さないが、望みさえすれば、何かまちがった、無益でもある冒険に乗り出すことができるとわかっている。

 今朝、彼はぼんやりしているように見える。自分の真ん前に来るまでわたしに気がつかない。橋を渡っていて、彼は一方から、わたしは反対側からやってくる。真ん中で立ち止まり、川沿いの塀に映る通行人の影を眺める。それは列になって揺れ動く亡霊、一つの世界から別の世界に移動する従順な魂のようだ。橋は平らなのに、影――固い塀に映る実質のない形――は絶えず高いところへと上っていっているように見える。不吉なゴールに向かって黙って進む囚人たちのようだ。

「いつかこの行列を撮影してみたいね。いつでも起きるわけじゃなくて、太陽の位置によるんだよ。毎回感動して見とれてしまう。魅惑的な何かがあるんだと思う。急いでいるときでもつい立ち止まってしまうんだ」と言う。

「わたしもよ」

 彼は携帯電話を取り出し、わたしに聞く。「撮ってみようか?」

「うまく撮れた?」

「ぜんぜんだめだ。こいつじゃ何も捉えられない」

 わたしたちはこの音のない光景、止まることなく動くいくつもの黒い人影を見つづける。

「これからどこへ?」

「仕事に」

「コーヒーでも飲もうか?」

「今日はもう時間がないわ」

「それじゃあチャオ、またね」

 わたしたちはあいさつをして別れる。そしてわたしたちもあの塀に映る二つの影になる。それは捉えることの不可能な日常の光景。》

 

待合室で

 四十五歳を過ぎ、ほとんど医者へ行かなかった長い幸運な時期が終わり、健康が優れないとはどういうことかわかり始める。原因不明の痛みがつづいたり、突然具合が悪くなったと思うとすぐによくなるというような、わけのわからないことが起こる。目の後ろの圧迫感は消えず、肘には激痛が走り、しばらくのあいだ顔の一部がちょっと痺れているような気がしたこともあった。お腹のあちこちに丸くて赤い斑点ができて痒くてたまらず、救急病院へ行ったことも一度ある。結局、軟膏を塗るだけで治ったのだけれど。

 何日か前から、喉の皮膚の下が不規則に脈打つような変な感じがしている。家のソファに座って本を読んでいるときだけに起きる。(中略)

 待合室は少し暗くて灯りは消えている。わたしはどちらかと言えば暑いのが好きなのだけれど、暖房が強すぎる。すぐにジャケットを脱ぐ。それにスカーフも。待っている患者はほかに一人しかいない。部屋に閉じ込められているもう一人もご婦人だ。わたしより二十歳くらい年上らしい。わたしをじっと見ている。そのまなざしに親しみはなく、冷淡な目をしている。スカーフがネックレスに絡まってしまって脱ぐことができない。ああみっともない。まるでわたしたちのあいだにテレビ画面があって、わたしが番組の登場人物であるかのように、その婦人はわたしを見つづけている。自分が間抜けだと感じながらネックレスの留め金を外し、腰を下ろす。

「このお医者さんはどうですか? いい先生ですか?」

「さあ」

 十五分、いやそれ以上待つ。婦人も待っているが呼ばれない。本も読まず、何もしない。もうテレビ画面を通してわたしを見ることもない。

 わたしも残念ながら、バッグに本を入れてくるのを忘れた。雑誌は見ない。健康や心臓病予防に関するいくつかのパンフレットに目を通すだけだ。

 この婦人はどんな病気なのだろう? 不安はあるのだろうか? 重苦しい空気を破るためにそのことを聞いてみようかとも考えた。何しろ二人だけなのだから。でも、やめておく。

 いまこのとき、喉の鼓動はぜんぜん感じないが、心臓と脳をつなぐ血管がある皮膚の下の、はっきりしない、でも心配な震えがいつかもどってくるのは確かだ。

 この婦人には誰もつき添っていない。ヘルパーも友だちも夫もいない。そして、二十年後にわたしが何らかの理由でこのような待合室に来ることになったとき、横には誰もいないだろうということを、彼女が見抜いているのではないかとわたしは気にしている。》

 

自分のなかで

 孤独でいることがわたしの仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも完璧に実行しようとし、慣れているはずなのに落胆させられる。母の影響なのだろう。彼女はいつも孤独を恐れていた。いまでは老年の暮らしに疲れ果て、わたしが電話して具合をたずねても、答えは「一人ぼっちよ」の一言だけだ。彼女には心をときめかして楽しむ機会がない。とはいっても、実際には仲のいい友だちはたくさんいて、わたしよりよほど多面的で活発な社会生活を送っているのだけれど。最後に彼女を訪ねていったときなど、電話がひっきりなしにかかってきていた。それでも、何かはわからないが、母はいつも待っているように見える。時間の流れが彼女の重荷になっている。

 わたしが小さくて、父も生きていたころ、母はわたしをいつもしっかり抱いていて、ほんのわずかなあいだでも離れたがらなかった。わたしの世話をし、一人にしないように守ってくれた。まるで孤独が悪夢やスズメバチででもあるかのように。わたしが自立した生活を築くために家を離れるまで、わたしたちは変質したアマルガムのようなものだった。わたしは彼女とあの不安、あの埋めることのできない空白とのあいだの盾だったのだろうか? わたしがこんな生活をするようになったのは、彼女の不安を恐れているからなのだろうか?

 いま、わたしたちは二人とも一人暮らしをしていて、母が心の底ではあのアマルガムをつくり直して孤独を追い払いたいと思っていること、そして彼女にとってはそれが二人のために正しい答えなのだろうとわかっている。だが、わたしが頑固に母と同じ町に住むことを拒否しているので、彼女は苦しんでいる。家ではずっと無言だし、外出のとき灯りやラジオを消し忘れることもあるけれど、自分の時間と空間を自由にできる一人の暮らしがわたしにはありがたいのだと母に言ったとしたら、信じられないという目でわたしを見て、孤独は欠乏以外の何物でもないと言うだろう。議論しても無駄だ。わたしが得られる小さな満足など、彼女は理解できない。わたしに愛着を感じてはいるが、私の考え方には関心がない。その隔たりがわたしに本当の孤独を教えてくれる。》

 

チケット売り場で

(前略)予約したい演目のリストをつくる。

「どれも一席だけでよろしいですか?と従業員が聞く。

「どれも一席で」

 来年の五月十六日の二十時三十分にはどんな気分でいるだろう? そんなことを知るのは不可能だ。チケットを手にきれいな服を着てここにもどり、座り心地のいい椅子に腰掛けることを期待しながら予約をつづける。

 わたしが劇場というものを知るようになったのは、郵便局員として窓口の向こう側で働いていた父のおかげだった。父は愛好家だったが、母は絶対に劇場へ行かなかった。

 昔、国境のすぐ向こう側にある町の公演のチケットを父が予約したことがあった。わたしの誕生日を早めに祝うためにどうしても連れていきたかったのだ。

「先にお祝いなんかするもんじゃない。縁起が悪い」と母は言っていた。だが、私の誕生日――十五歳になるところだった――には、その公演はもう終わってしまう。というわけで、わたしたちは電車を予約し、カバンに荷物を詰め、身分証明書を用意しておいた。

 出発の前夜、父は体調を崩して高熱を出した。インフルエンザのようだったが、頭を上げることもできなかった。そして何日か入院した。悪い細菌が血液に入りこんでしまい、わたしは彼と劇場へは行かず、遺体安置所にいることになった。電車での長旅、ホテル、公演の代わりに、葬儀の一部始終があった。葬式で、少し酒に酔った伯母が言った。「予想外のできごとから逃げる道はないんだからね。その日その日を生きるしかないさ」

 現金で支払いをすると、従業員がおつりをくれる。コインが一枚、地面にではなく傘の中に落ちたようだ。でも、傘は長いし濡れているので、腕を突っ込んで骨のあいだを探す気にはなれない。

 わたしの後には老人のグループがいる。劇場見学を希望する人たちで、十五分後に始まるガイド・ツアーがある。くだらないツアーだと前から思っていたが、外は土砂降りなので、わたしもそのチケットを買う。料金はとても安い。グループについていき、父の思い出につながるその場所の歴史を初めて知る。ガイドが劇場の形、緞帳の様式、天井の美しいフレスコ画の後ろに空間があることなどを説明してくれる。二世紀前に劇場をつくらせた王の名前や、大部分が焼失した火事がいつ起きたかを教えてくれる。

 いっしょにいる人たちはまるで大聖堂を見るように劇場を眺め、いろいろ質問する。設計図のオリジナルはどこにありますか? 火事のあと、違う形で再建されたのですか? 雨のせいで見学者は大勢いる。舞台は広く、散らかっている。二、三人の作業員が何かをこしらえていて、しきりに金槌で釘を打っている。

 しばらくして、ロイヤルボックスに集合する。ツアーのハイライトだ。この観光客の一団に飲み込まれ、わたしは気分が悪くなる。たちまち憂鬱になり、なんでこんなことをしていなければいけないのかと思う。ロイヤルボックスでポーズを取っている人たちがいる。昔は限られた人しか入れない特殊な場所だったが、いまではお金さえ払えば数分間、誰でも迎え入れてくれる。一人の男性はまるで女王のように自分の妻の写真を撮っている。わたしは移動しようとするが、すし詰め状態で動けない。わたしは現場を押さえられ、一人余計な共犯者として写真に収まってしまう。》

 

海で

 海沿いの村のレストランにいる。ガラス窓から今日は灰色の空と海が見える。もう冬だが、あまり風も強くなく、気持ちのいい日曜日だ。太陽は輝いていないが、雨も降っていない。

 今日は同僚の娘の洗礼式だ。彼女はわたしに来てもらいたがっていて、ほんとうは辞退したかったのだけれど、招待に応じた。べつの男の同僚が車に乗せてきてくれた。煩わしいが、残念ながらわたしは車をもっていない。(中略)

 食べて、少しワインを飲む。となりに座った人と話をする。自己紹介をして、いつから友だちと知りあいかとか、仕事の計画などを説明する。海を覆い、水平線で海と溶けあっている曇り空を眺める。この大騒ぎの彼方の安らぎ。わたしのほか誰も海の輝きに気がついていないことに驚く。

 わたしは閉所恐怖症なのだけれど、集まっている人びとから引き離され、彼らの永続的で深い結びつきから疎外されていると感じる。それなのに、よく知らない人たちの話に耳を傾けることを強いられている。肉体的にも居心地が悪い。座っているのは苦痛だし、首の上の頭が妙に重く感じられる。何もないのに喉に何か詰まっているような気がする。息をするとおなかが上下するのが見えるが、胸が苦しいような感じもする。外へ出て新鮮な空気を吸う必要がある。

 あたりを見まわす。何かつかまるもの、動かないものが必要だ。ベビーカーで眠っていた女の子は目を覚ましていて、友だちの夫の腕の中で丸くなっているのが見える。泣きだす。祖母があやしに来る。

 わたしは急に立ち上がる。トイレを探す。外にある。よかった。それならどうしても外に出なければいけない。

「奥さん、寒いですから何か羽織ったほうがいいですよ」ウェーターが注意してくれる。

 コートを着て手洗いに行き、それから姿をくらまして浜辺へ下りる。海は荒れていて雄大だ。わたしがいるのは皇帝の邸宅の廃墟の中だ。かつては海に面していて、皇帝が夏を過ごしたいくつかの部屋の境が見え、その規模がなんとなくわかる。

 今日の午後の主賓を務める女の子のことを考える。その子は自分の人生の陽気な幕開きにも気づかず、世界の歴史も知らないでいる。

 屋外の下のほうから見ると、人工的な明かりで照らされたレストランは、人でいっぱいの水族館のように見える。そこでは誰もが違う色の服を着て、誰もがゆっくりとした動きを強いられている。

 いまはもう浜辺にいるのはわたし一人ではなくて、子どもたちもこのガラスの立方体から抜け出してきている。波打ち際を走ったり、叫んだり、小石を投げたりしている。住む人のない邸宅の頑固な痕跡に囲まれた洞窟でかくれんぼしたりしている。

 野外は荒々しい音がする。風と海の激しい音、何もかも浸食する波がぶつかる音。どうしてこの荒れた海がわたしたちの気持ちをこんなに晴れやかにするのだろうと考える。》

 

ベッドで

 夜ベッドで本を読んでいると、家の下を車の轟音が聞こえる。彼らの往来がだんだんわたしの固定観念のようになってきている。とにかく、この騒音を聞きながらでないと眠れなくなっている。そして目を覚ますと――それはいつも真夜中の同じ時刻だ――、あまりにも静かで眠気が吹き飛んでしまう。その時間に車は一台も道を走っていないし、どこかへ行く人も誰もいない。眠気はだんだん消えていき、ついにはわたしから離れていく。誰でもいい、誰かが現われるのを待ちつづける。その真っ暗な時間に頭を占めるのは、暗く明晰でもある考えばかりだ。静けさが黒い空といっしょにわたしを押さえつけている。明け方の光がその考えを薄め、人生の仲間たちが家の下を通る音が再び聞こえてくるまで。》

 

《主人公の女性は場所とつながり、死や、もう存在しないものともつながっています。そして光のほうへも向かうのです。》ともラヒリはインタビューで答えている。「よるべなさ」の暗さから、覚醒の兆しが光のあたたかみとしてあらわれ、「夜明けに」からの「自分のなかで」「彼の家で」「バールで」……「すぐ近くに」「どこでもなく」「電車の中で」の最後の10あまりの断章によって、彼女は恩寵に向かって行くかのようだ。

 

夜明けに

 わたしが住んでいる建物の屋根に上れば、日が昇るのが見られる。普段わたしはとても面倒くさがりで、ベッドのぬくもりから離れるのが嫌なので、早起きして着替えて、間に合うように準備することがなかなかできない。冬は一日の始まりが遅いので、ほかの季節よりは日の出を見にいくことが多い。パジャマの上に急いでコートを羽織り、マフラーとブーツを身につけてエレベーターに乗り、建物のほかの住人たちのテーブルクロス、タオル、ジャージ、ショーツなどの洗濯物が干してあるあいだに腰を下ろす。正面の丘の起伏の多い輪郭の一部が金色にくっきりと染まるのを待つ。すべてはわずか数秒のあいだに起こる。卵の黄身のようにまんまるで光り輝く球体が姿を現し、光が解き放たれる。整然と上昇し、昇るにつれて色が白くなっていく。太陽は一ミリも動いてなどいなくて、目の錯覚、幻想だとわかってはいるのだけれど。目が痛くて見ていられなくなるまで眺めている。

 痛みを感じるのは目だけではなく、夜明けはわたしの心も締めつける。町に照りつける光が、顔を打つだけでなく骨の髄まで暖めるのを感じる。太陽が高く昇るにつれて、わたしの視線はほかの住人たちの乾いて固くなった使い古しの衣類と交差する。無精のせいで普段この日々の現象を楽しめないでいることを悔いながら、また毎日こんな風に朝を迎えるのがわたしには大変すぎることも知りながら、まぶたを通して光だけを見ようと目を閉じる。目がくらむと同時にぐったりして、蔵書に下線を引いておいたある偉大な作家の言葉を思い出す。「しばらくして、恐れおののいたわたしは、燃え上がる炎を逃れて物陰に隠れる。その炎はわたしを飲み尽くし、捕らえ、この大地のより小さい要素、虫や植物に変えてしまうのではないかと思う。……何も考えることができない。何もかも無駄に思える。人生はきわめて容易なものに見え、もう誰も気遣ってくれないとしても、誰も手紙をくれないとしてもかまわないと思う」(原注 コッラード・アルヴァーロ作『海』より。ジェーノ・パンパローニ編、ポンピアーニ社、ミラノ、一九九四年)わたしも同じように消耗しきって家にもどり、普段どおりの一日の始まりにこの文を書いている。》

 

電車の中で

 ぜんぶで五人。男が四人に女が一人、みんなだいたい同じ年頃だ。よく似ていて、浅黒い肌で小太り、よく笑う。女の子が窓際のわたしの向かいに座る前にあいさつをしてくれる。そして、わたしが本を読んでいた客室は急に活気づく。この人たちがどういう関係なのかわからない。兄弟だろうか? いとこ? 三人兄弟とカップル? 仲のいい五人の友だち?

 乗ってきて落ち着くと、みんなとてもおなかがすいているらしく、すぐに食べはじめる。クルミ、ブラッドオレンジ、乾燥イチジクなど、健康にいいのに味もいい食べ物の袋をいくつもテーブルの上に広げ、まるで二日間何も食べていなかったようにおいしそうに食べている。この食糧をみんなで分けあっている。チョコレートや果物をちぎって仲間の口に入れてやったりして、全員が母親であると同時に子どもででもあるようだ。度を越したとも思えるほどにの愛情が彼らのあいだをおおらかに流れていることに心を打たれる。彼らが生きることに夢中で、いっしょにいることに喜びを感じているのがわかる。ほかには何もいらないように見える。(中略)

 わたしにもクルミ、イチジク、チョコレート、ブラッドオレンジを勧めてくれる。どの食べ物も新鮮でとてもおいしそうに見える。けれども、わたしは冷たくて味気ないパニーノをすでに食べてしまったので、おなかがすいていない。(中略)

 テーブルの、わたしの眼鏡が入ったハードケースの横に、彼女がサングラスを置く。安物のプラスティック製で、額のしわとか、とても遠くや高いところから見た海のさざ波のように、レンズは傷だらけだ。わたしのは値段も高いし、すべすべしている。彼女はよく笑い、そのはじけた笑い方は魅力的だ。いろいろと愉快な話をこと細かに長々と語っている。男の子たちはうっとりとその話に聞き入っている。

  リュックが置かれた彼らの足下には、ポリ袋が一つあり、捨てるオレンジの皮でもういっぱいになっている。食べ物はもう何も残っていない。もってきたものはぜんぶ食べてしまった。

 つぎの駅で、彼らはあわてて立ち上がると、わたしにあいさつをし、お礼を言い、謝る。そして荷物をぜんぶもって電車を降りていく。わたし一人が本とハードケースと中身が少ししかないスーツケースといっしょに席に残される。

 その外国人グループの食欲ほどの喜びも、わたしには何も残っていない。テーブルはまたきれいになり、まわりの席は空いている。あり余るほどあったあの食べ物を少しでも味わっておかなかったことを、いまになって後悔する。彼らはわたしに、わずかなパン屑さえ残していってはくれなかった。》

 

「どこでもなく」でわたしは「よるべなさ」を自省する、《まごついて(・・・・・)、迷って(・・・)、戸惑って(・・・・)、混乱して(・・・・)、孤立して(・・・・)、うろたえて(・・・・・)、途方にくれて(・・・・・・)、自分を見失って(・・・・・・・)、無一文で(・・・・)、呆然として(・・・・・)。これらのよく似た表現のなかに、わたしは自分の居場所を見つける》ではまだあるものの、待っているばかりでなく、時の移り変わりとともに「変身」しようと動きだす、読者に寄り添って……

                                                                                     (了)

       *****引用または参考文献*****

ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』中嶋浩郎訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『別の言葉で』中嶋浩郎訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『翻訳する私』小川高義訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『思い出すこと』中嶋浩郎(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』小川高義訳(新潮文庫

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』小川高義訳(新潮文庫

*インタビュー「ジュンパ・ラヒリ 孤独が背中を押してくれる。」聞き手:カロリーナ・ジェルミーニ、翻訳・注解:中嶋浩郎(「月刊読書情報誌 波」2019年9月掲載(新潮社))

堀江敏幸「『停電の夜に』書評 処方箋を出さない観察者」(2017/07/05、ALL REVIEWS掲載)

パスカル『パンセ』前田陽一、由木康訳(中公文庫)

ロラン・バルト『偶景』(「パリの夜」所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房

ロラン・バルト『私自身によるロラン・バルト佐藤信夫訳(みすず書房

ロラン・バルトロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子訳(みすず書房