

大岡昇平が無類のスタンダリアンであり、スタンダール『パルムの僧院』の翻訳、小論集『わがスタンダール』(「バルザックとスタンダール」、「『パルムの僧院』について」、「スタンダールの女性観」、「スタンダールとモーツァルト」、「再び『パルムの僧院』について」、「再び『赤と黒』について」、「『饒舌録』におけるスタンダール」、「日本のスタンダール」、など)があるばかりか、『武蔵野夫人』のヒロインの夫をスタンダール研究家に設定するなどもしたが、大岡の遺稿が「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私(1)」だったことは、まず知られていないであろう。
「愛するものについてうまく語れない」とはロラン・バルトの遺稿からとられた題名で、大岡はこのようにはじめている。
《《人はいつも愛するものについてうまく語れない》――これはロラン・バルトが、一九八〇年二月十五日に急死した時、タイプライターにセットされていた論文の題だった。彼は三月十九―二十一日ミラノで行われた「国際スタンダール学会」で特別講演をする予定で、そのために作った草稿があった。タイプに挿まれていたのは清書原稿で、少し訂正してあった。草稿と合せて「テル・ケル」一九八〇年秋号に掲載された。「みすず」八一年5月号に、三好郁朗訳が出たという。(後に Le Bruissement de la Langue,Seuil,1984所収)。
私はこれを立命館大教授、西川長夫氏の『ミラノ人スタンダール』(小学館創造選書、一九八一年)によって書いている。バルトの趣旨はスタンダールが愛する「イタリア」についてどうどもりながら語っているかを、美しく指摘しているのだが、いま私にとって、それは問題ではない。愛するものについてうまく語れない――これは私にとって、スタンダールその人について実感されることである。
私は『パルムの僧院』を読んだ一九三三年以来、いくつかの彼の著書、もしくは彼に関する論文を訳して来た。》
この導入を受けて大岡は、自己のスタンダール受容史、とりわけ一九三三年の『パルムの僧院』の衝撃を語って行く。《それはただ感動的で面白い小説であるだけではなく、『ユリシーズ』『失われた時を求めて』の小説の解体の問題に新しい視点を提供するものと私には映った。この即興の連続形式、物語が次々と現われ、統一がないようで、いわば一種の詩とでもいうほかはない統一を持っている小説、垂直な文体で綴られた詩的小説――しかも五十三日で口述されたという伝説自体、価値を形成したのであった。》
なにぶん、「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私」で遺されたのは(1)だけなので(初出は『海燕』新年特大号(一九八九年一月一日、福武書店)で、文末に《(隔月または二ヶ月おきに発表します。著者)》とあるものの、著者急逝(一九八八年十二月二十五日)のため、(1)だけで未完となった)、このさき大岡が持ち前の明晰さで、衝撃が無類である謎をどのように展開してゆくのか、「うまく語れなかった」とはどういうことなのかは不透明なのだが、ロラン・バルトがスタンダールについて批評したのは次のとおりである(ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(『ロラン・バルト『テクストの出口』所収』沢崎浩平訳(みすず書房)より)。
<ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」>
《スタンダールのイタリアは、実際、一つの幻想(ファンタスム)です。彼が部分的にはそれを実現したとしてもです(しかし、彼はそれを実現したのでしょうか。どのようにしてかは、最後に述べましょう)。幻想的(ファンタスマティック)なイメージが、突然、雷のように、彼の生活に侵入してきたのです。この雷撃はイヴレアでチマローゼの『秘密の結婚』を歌っていた女優の姿で現れました。この女優は前歯を一本欠いていたのですが、実際、そんなことは雷撃にとってはたいした問題ではないのです。ウェルテルは、ドアの蔭から、シャルロッテが弟たちのためにパンを切っている所を見て、恋に陥りました。この最初の光景は取るに足らないものでしたが、それが彼を最も激しい情熱へ、そして、自殺へと導いたのでした。御存知のように、イタリアは、スタンダールにとって、真の転移の対象でした。また、ご存知のように、転移を特徴づけるのはその無償性です。転移は明白な理由なく始まるのです。音楽は、スタンダールにとって、彼が転移を始めることになる謎めいた行為の兆候です――兆候、つまり、情熱の非合理性を暴露し、同時にそれを隠蔽するものです。というのは、最初の情景が定着すると、スタンダールはそれを絶えず繰り返したからです。まるで、あれほど多くのわれわれの行動を規定する大事なもの、つまり、最初の快楽をふたたび見出そうとする恋する男のようにです。《夕方、七時に着いた。疲れ果てて。スカラ座に駆けつける。来ただけのことはあった。等々》。自分の情熱を満たすために好都合な町で下船し、着いたその晩に、すでに目星をつけていた悪所に駆けつける偏執狂のようなものです。》
《ミラノ的イタリア(そして、彼の至聖所、スカラ座)は、文字通り、「天国」であり、「悪」のない所であり、あるいは――ひっくり返していえば、「至高善」であるのです。《ミラノの人と一緒にいたり、ミラノ弁をしゃべっていると、私は人間が邪悪であることを忘れる。わたしの心にある邪悪な部分はすっかり、一瞬のうちに、眠ってしまう》。
しかし、この「至高善」は語られなければなりません。全然無垢ではない一つの力、言語活動(ランガージュ)と対決しなければなりません。それは必要なことです。なぜならば、第一に、「善」はもともと拡張しようとする力を持ち、絶えず表現に向かって噴出し、何が何でも伝達されたい、共有されたいと望むからです。次に、スタンダールは作家であり、彼にとって、言葉が欠けているような充実は存在しないからです(この点で、彼のイタリア的喜びには神秘的な所が全然ないのです)。ところで、逆説的にみえますが、スタンダールはイタリアを語る術をまったく知らないのです。(中略)絶えず、《自分の考えを表現》できないことを思い知らされます。自分の情熱がミラノとパリの間に設ける差異を説明するのは《至難の業である》ことを確認します。だから、抒情的欲望の行く手にも不能(フィアスコ)が待ち構えているのです。イタリア旅行記は、皆、このように、愛の告白と表現の失敗とで織りなされています。文体の不能には名前があります。平板さです。スタンダールが思いのままにできるのは《美しい》といった空虚な言葉だけです。《私はこれまでこんなに美しい女性たちの集まりを見たことがない。彼女たちの美しさに私は思わず目を伏せる。》《わが生涯で出逢った最も美しい眼、私は、今夜、それを見たのだ。その眼は、テアルディ夫人の眼と同じ位美しく、また、それ以上に天国的表情をたたえている……》。
《このように、言語活動に対する懐疑は愛の過剰から生ずる失語症と合流します。イタリアや「女性たち」や「音楽」を前にして、スタンダールは、文字通り、唖然(・・)とする、つまり、絶えず、言葉を中断されるのです。この中断は、実際、間歇的です。スタンダールは間歇的にイタリアのことを語ります。ほとんど毎日、しかし、永続的に。彼はそのことを自分で(例によって)大変上手に説明します。《どんな態度を取るべきか。気違いじみた幸福をどう描くべきか……。まったく、私は続けることができない。主題が言葉の限界を越えている。わたしの手はもう書くことができない。私は明日に延ばす。私はもう自分の絵の一角を描く勇気を持たない画家のようだ。他の部分を駄目にしないように、彼は自分の描けないことを精一杯に(・・・・)alla meglio素描する……。》この精一杯に描かれたイタリアの絵はスタンダールのイタリア旅行記のすべてを占めていますが、それはなぐり描きのようなもので、いってみれば、愛と愛を語る力のないことを同時に語っています。この愛がその激しさで息を詰まらせるからです。(中略)
イタリアへの愛を語ってはいるが、それを伝えてくれないこれらの「日記」(これは少なくとも私自身の読後感ですが)だけを読んでいると、悲しげに(あるいは、深刻そうに)、人はつねに愛するものについて語りそこなうと繰り返すのももっともだと思うでしょう。しかし、二十年後、これも愛のねじれた論理の一部である一種の事後作用により、スタンダールはイタリアについてすばらしい文章を書きます。それは、私的日記が語ってはいたが、伝えてはくれなかったこの喜び、あの輝きでもって、読者である私(私だけではないと思いますが)を熱狂させます。この感嘆すべき文章とは『パルムの僧院』の冒頭の数ページのことです。フランス軍の到着とともにミラノに《侵入した大量の幸福と快楽》とわれわれ自身の読む喜びとの間に奇跡的な調和があります。要するに、語られる印象と生み出される印象とが一致するのです。どうしてこのような転回が生じたのでしょうか。それは、スタンダールが、「日記」から「小説」へ、(マラルメの区別を採用すれば)「アルバム」から「書物」へと移り、生き生きとした、しかし、構成不能の断片である感覚を切り捨て、「物語」という、もっと適切にいえば、「神話」という、大きな媒介的形式に近づいたからにほかなりません。》
《要するに、「旅日記」と『パルムの僧院』との間で生じたこと――そこを通り過ぎたもの――はエクリチュールです。エクリチュールとは何でしょう。長い入門儀式の後に得られると思われる一つの力です。愛の想像物(イマジネール)の不毛な不動性を打ち破り、愛の体験に象徴的な一般性を与える力です。スタンダールは、若かった頃、『ローマ、ナポリ、フィレンツエ』を書いた頃、《……嘘をつくと、私はド・グーリ氏のようだ。私は退屈する》と書くことができました。彼はまだ知らなかったのです。真実からの迂回であると同時に――何という奇跡でしょう――、彼のイタリア熱の、ようやくにして得られた表現であるような嘘が、小説的な嘘があるということを。》
<「モデル小説」>
大岡昇平『花影』(『中央公論』一九五八年八月~一九五九年八月号、中央公論社刊一九六一年)といえば、モデルとされた人物(ヒロイン葉子、脇役高島)の描写が不満であるという白洲正子の随筆(モデルとされた女性の死の直後に書かれた「銀座に生き銀座に死す」と、その三十余年の後、大岡没(一九八八年一二月)後に書かれた「いまなぜ青山二郎なのか」)が話題になりがちだが、『花影』は伝記でもルポルタージュでも、あのスタンダールが語りそこねた「日記」でもなく、『パルムの僧院』と同じ「小説」であることを忘れてはならない。
「いまなぜ青山二郎なのか」に、《「坂本睦子(むつこ)という女性がいた。私たちの間では、「むうちゃん」と呼ばれていたが、大岡昇平作『花影(かえい)』のモデルといえば、一般には通りがいいと思う。『武蔵野夫人』にも、その俤(おもかげ)があるということだが、小説の出来不出来とは別に、むうちゃんを知るほどの人々は、みな不満に感じていた。モデルが現実の人間に似ている必要はないとはいうものの、魔性のものと呼びたくなるほどの魅力を備えていた女性が、そこではただの平凡な女にひきずりおろされ、人生に疲れはてて自殺する。これではむうちゃんも浮ばれまいと、誰しもそう思うのであった」》、あるいは《「彼女のヒモの高島先生に至っては、青山さんに何か含むところがあって、小説の中で日頃の恨みつらみの仇(かた)きをとったように見え、不愉快なことおびただしい。人間には誰にでも欠点があり、特にジィちゃんのような天才には欠点の方が多かったかも知れないが、そんなものをほじくりだして何になろう。もし、ほじくりだすなら徹底的にやっつけて、殺してしまうのならわかるが、これもまたむうちゃんと同じように、ただの下らないヒモで終っているのが私には何とも歯がゆくてならないのだ」》とある。
このような読み方に対しては、丸谷才一が「女人救済といふ日本文学の伝統」で、《戦後日本最高の作家は、やはり大岡昇平なのではないか》と始め、今回『野火』を何回目かに読み返して、またしてもその威容に打たれた、と断言したうえで、《長篇小説でもう一つ選ぶとすれば『花影』(講談社文芸文庫)。これはわたしのいはゆる新花柳小説に属するもので、銀座のバーのホステスがマダムとなり、落魄し、自殺するといふ筋である。哀れ深い名篇だが、発表当時の反響には納得できないものがかなりあつた。これをモデル小説と見なし、女主人公の描き方が冷酷だとか、作者が自分を甘やかしてるとか、誰それに迷惑をかけるとか、そんなことをしきりに言つたのである。文学の専門家およびその周辺にある人々のかういふ反応は、素人つぽくて滑稽だつた。大岡が住み馴れた大磯から東京へ居を移したのもこれに厭気(いやけ)がさしたせい、といふ噂を耳にしたことがある。
しかしわたしの見る所では、女の流転の姿を描いた名篇で、女主人公への愛情にみちてゐる。読んでゐてまことに切ないが、しかし読後に一種のカタルシスが訪れる。これは多分、日本文学伝来の女人往生の物語なのだらう。『野火』におけるキリスト教への関心といひ、『花影』の女人救済といひ、大岡には意外に宗教的なものへの思慕があるのかもしれない。》の言葉だけで十分であろう。
だいいち大岡『花影』は、白洲正子の私的にべとついた二つの随筆や、坂本睦子に関する久世光彦『女神』のゆるんだ平板さとは比較にならない「簡潔達意」の文章であり、生彩を極めている。美しさ、哀れさに冴えたヒロイン葉子への愛情に充ちあふれ、「愛の過剰から生ずる失語症」に陥ることなき、「小説的な嘘」による「鎮魂歌」「女人救済」の神話的物語となった。
菅野昭正『小説家 大岡昇平』の、《葉子以外の人物までふくめて、「モデル」の詮索は小説の理解を歪める無用な、というよりはむしろ有害な廻り道にさえなりかねない。人間という存在の「根本的条件」としての「不幸」の普遍性に昇華した折角の人物を、特殊な個人に引きもどしてしまうからである》を持ちだすまでもなく、モデルに関連づけての小説の外在的なことではなく、作品の内在的なことを第一に批評すべきなのはあらためて言うまでもない。
<『花影』>
《葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったかも知れない。
「だからさ、露子の足がしびれちゃったんだよ。ひどい熱だった。便所へ行こうとしたら、立てなかったんだ」
松崎が前から自分と別れたがっているのはわかっていた。子供はいい時に病気になったともいえる。
黙って編棒を動かす手に、松崎の眼がついて離れないのを、葉子は感じている。なにか自分がいうのを待っているのだ。しかしいくら葉子が人が好くても、別れ話を出し渋っている男に、きっかけをつくってやるほど、人は好くない。》
冒頭の《葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったかも知れない。》に、葉子のすべてがあるのかもしれない、あるいは大岡が書こうとした葉子のすべてが。
《葉子には自殺未遂の経験があって、死のうと思うことと、死ぬこととはちがうのを知っていた。戦争中、若い葉子が銀座へ出るとすぐ、川崎のある鉄工所主がバーを持たせてくれた。母と祖母と三人暮しの家にも、離れを建て増した。葉子のマダムでは心もとなかったので、工場主の差金で母のてつが勘定掛として、毎晩店へ出張って来た。同時に葉子の監督も兼ねていたわけで、彼女が客の小説家酒井志朗と親しくするのを、てつは好まなかった。(中略)工場主というのも、女は葉子一人ではなく、馴染みの芸者もいれば、映画女優もいた。(中略)てつとはもともと生(な)さぬ仲であるし、酒井にそれほど未練があるわけではない。死んでしまおうとは少女の時からの夢だったが、眼の前がただもうわずらわしくなった時、ほんとに死ぬ気になった。
祖母と母が三島の菩提寺へ墓参に行った留守、気分が悪いといって店を休み、夜の九時ごろ離れでカルモチンを飲んだ。バーテンの柿崎が運よく酒井の使いで呼び出しに来て、すぐ医者を呼んだので、彼女は三日目に意識を取り戻した。》
大岡は「『花影』限定版あとがき」(一九七二年九月)に、この作品には故三島由紀夫にからんだ個人的な思い出があります、として、《ヒロインが早くから自殺の決意を固め、準備をしていたことは、最後の章まで明かされません。人物が物語の時間の中でしていたことを書かないのは、小説のルールに違反しているかも知れません。(中略)最後の章に突然それを出したことに、三島さんは作者の技巧と認めてくれました。(中略)自殺の支度をしながら、それを誰にもいわずに普通に生きている、そういう人物を描いたこの作品がなんとなく気に入ったのだと思います。》と書いたが、葉子にはカルモチンの前歴があり、その後も男たちに死をほのめかす言葉を呟かっせていることから、必ずしも当たっていないのではないか。
《葉子の顔立ちは一応整っていたが、よく見ると造作にちぐはぐなところがあった。お凸の額は細い鼻と不釣合にせり出しているし、かわいらしい口元を下から支える顎は、利かん気らしく張っていた。殊にちぐはぐな感じを強めるのは、左右の眼の形が違うことだった。普段は目に立つほどの違いでもないが、人の顔を長く見詰める時なぞ、片側の瞼が下って来て、眼がちんばになってしまうのである。
こういう欠点をかくしたのは、結局肌の白さである。子供の時から、家へ来る大人達に縹緻よしといわれ、道傍で遊んでいると、通りすがりの夫婦づれが「かわいい子ね」と囁きながらすぎて行ったりするので、その頃から自分に人を惹きつける力があるのを、葉子は知っていた。ただ近所の男の子が「白(しろ)っ子(こ)、白っ子」とはやすのは、あんまりほめているようではなかったから、
「白っ子って、なあに?」と母にきくと、
「誰がそんなことをいうんだい」とてつは眉をひそめた。「白っ子ってのは、眉毛まで白い子供さ。お前は少し髪が赤いだけで、白っ子なんかじゃないやね。東京の子は口が悪いよ」
ある日、目黒の不動様の縁日で、「ほら、あれが白っ子さ」と指さして教えられたのは、齢は葉子と同じの七つぐらい、丈の低い男の子だった。(中略)
そんな不具みたいな子でもない葉子が「白っ子」と呼ばれたのは、拾いっ子にかけた、棘のある言葉だと、彼女に教えたのは、神田の生れの高島先生だった。
「東京弁じゃ、ひろ(・・)うはしろ(・・)うになるからな」》
《彼女が最初その事実を知ったのは、十四歳の春、同じ家にいた一つ年上の従兄と喧嘩した時である。
「おれはお前の従兄でもなんでもない」
と、その男の子は切り出したのである。
葉子の父は静岡から三里ばかり山へ入った小さな村の地主であった。掛川の商家から来た母は、酒乱の夫の虐待に堪えられず、一男一女を残して出奔していた。そこへ後妻に行ったのが、てつである。彼女には子供はなく、二年後にはその家を去ったが、三歳の葉子は彼女になついていて、てつが家を出る時も、離れようとしなかった。いずれは返すつもりで、一旦三島の実家へ連れて帰ると、こんどは祖母が葉子を離さなくなった。(中略)
てつと血のつながりがないのを知ると、十四歳の葉子は、家の中で祖母のほかは、口を利かない子になった。よそ者という意識から、自分の中へ閉じ籠っただけではなく、それまでにてつに向けていた愛情が裏切られた理由をそこに見つけて、てつを憎むようになったのだ、と松崎は解釈している。
葉子が自分を虐め、自分を汚すことによろこびを見つけるようになったのも、この憎悪からだと松崎は思っている。》
《葉子を棄ててしまおうと思ったこともあった。するとこん度は葉子の部屋に眠る晩でも、新橋駅前の路地を、泣きながら自分を探して歩く露子の夢を見たりするのである。するとそういう自分の苦しみを知らぬげの、葉子の笑顔が癪にさわって来る。
しかしもともと松崎が葉子に惹かれたのは、そういう無智、感情のとめどのないだらしなさのせいなのである。多分祖母さん子だったためだろう、子供のまんまに固まってしまったような人の好さがあって、それが今日なお葉子の表情や仕種に、娘のような初々しさを持たせることがある。
三十すぎて郵便貯金のかけ方一つも知らない葉子に、通帳を持たせたのは、松崎である。祖母の手から、そのまま銀座の真中に投げ出され、男達に蔽われていた葉子は、大人になるひまがなかったわけである。
葉子に男出入の絶えないのも、結局この人の好さで触れ合うものを男のどこかに見つけて来るからだ、と松崎は思っている。そして葉子は元来頼まれれば、断り切れないたちなのである。》
このあたりの葉子の生い立ちと(継)母への愛憎、そして大人になってからの性格描写、人格描写の筆致は確かであり、葉子の破綻的、破滅的な、しかし魅力的な人間性をよく表している。
《坂道はゆるやかに上って、小学校の正門に突当ると、その塀に沿って左右に分れる。或いは松崎が二度と通ることはないかもしれない道である。心に悩みを抱いて、この坂を上下した日々の思い出が群がり起った。
機嫌のいい日なら、葉子は買物籠をぶら下げて、電車通まで送って来る。新橋行のバスへ乗るまで、商店の軒下で立っている。バスが走り出る瞬間、歯をむいて見せる、そんな日もあったのだが……
目前の風景とはなんの関係のない、吉野の桜の影像が不意に浮んだのは、なぜだったろうか。三年前の春、京都大阪へ講演旅行をした帰り、奈良で待ち合せて、寺を見て廻り、翌日吉野まで足を延した。
それが葉子のいっしょの、たった一度の旅行らしい旅行だった。中の千本が満開な頃で、大勢の酔客も気にならぬくらい美しかった。奥の西行庵まで行って、降りて来た時は、風が落ち、夕闇が迫っていた。花見客の散った後の閑散な山上の道は、花の匂いでむせるようだった。
「吉野へ行ったってことは、行かなかったよりいいわ」
と、葉子はいったことがある。自分を忘れることはあっても、吉野は忘れないであろう。
二人で吉野に籠ることは出来なかったし、桜の下で死ぬ風流を、持ち合せていなかった。花の下に立って見上げると、空の青が透いて見えるような薄い脆い花弁である。
日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重って、揺れていた。
もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影(かえい)を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。》
名文の誉れに恥じない文体である。葉子の住む赤坂の市居の坂道から吉野の壮大で歴史的な坂道を思い浮かばせるところなどプルースト的な無意識的記憶の喚起でもあり、吉野での一日のあいだに、そして葉子との記憶のなかで移り行く、陽の光、風、匂いの「感じられる時」がある。
《冷たい鏡の底から、自分を見返している自分の眼に、葉子は見入っている。十一月の夕暮の外気は、打てば響きそうな固い一体となって、この一室を閉じ籠めている気配である。子供達はもう家に帰ったと見えて、隣接した小学校から潮騒のようにひびいて来る声も絶えた。昼の音は死に、夜の音はまだ生れない、そのあわいの静けさの一瞬が、葉子の支度の時なのである。
鏡の中の顔は、もう昔の葉子ではない。若く美しく、鏡に向うのが楽しみだった頃は、足袋も真さらでなければ、穿かなかった頃だ。茗荷屋の店先で穿いてから、店まで今の言葉でいえばツー・ブロック歩く間によごすのがいやで、待たせておいた車を、銀座の裏通りを走らせたこともあった。(あの頃は銀座裏も空いていて、タクシーはノン・ストップで走り抜けることが出来た)それが今では、自分の手で何度も洗い、裏がほつれかかるまで穿く。
睨むように見なければ、鏡の中の顔は、むかしの眼の張りを取り戻さないのだが、まさか人前で絶えず睨んでいるわけには行かない。何を睨めばいいのか。しかもその顔はいつも人に見られているのである。(中略)
ただもう一度色を売る支度にかかるのがものういと、鏡の中の葉子の顔はいっている。昔は形ばかりパフではたけばよかった頬に、ホルモン・クリームを十分延さなければ、白粉が乗らない。唾で濡れるに任せておけば、果物のような色艶を保っていた脣は痩せて退いた。明るいルージュで描かなければ、形が出て来ない。
眼の下の袋、眼尻の三本の皺は、なるべく見ないようにしている。眉毛もだんだん延びて来て、いつの間にか、への字眉になってしまったのを、シャドウでごまかす。高くなった額に刻まれた條も、丹念に白粉で埋めるほかはない。げらげら笑えば、顔中皺だらけになってしまうから、葉子は常にほほえんだ女になるほかはない。(中略)
立ち上って、帯を結ぶ時になると、少しは華やかな姿になる。六畳の部屋一杯に投げ出した帯を、きりきり体を廻してしめて行く立姿が、鏡の中で、人形のように旋回して、最後に両足を揃えて正面を向いた格好は、はち切れるように肥っていた二十歳の頃より、味があるという人もいるかも知れない。その姿に満足の一瞥を与えてから、肩を黒の肩掛にくるみ、電燈を消して、暗い階段を降りる。鍵をていねいにハンドバッグにしまうと、すぐせかせかした足取りになって、冷たい十一月の風の中を、バスの停留所へ向って歩いて行く。それはもう勤めに出る女の姿なのである。》
《ほかの女の恋人から親切にされるのは、葉子にはいつもいい気持だった。それが亜矢子の男であれば、なおさらである。彼女は体を延して、わざと清水の身体に、よりかかるようにした。
タクシーに乗ってから、清水は、
「畑さんは見かけほど景気はよくありませんから、気をつけなさい」
と、なん度もいっていた。葉子は清水にもたれて眠ったらしい。赤坂のアパートの前でゆり起され、車を降りても、清水がまだ隋いて来るのに、葉子は満足した。
部屋へ入ると、葉子はすぐ帯を解き出した。足を投げ出し、足袋を脱ごうとして、眼の前の鏡を見ると、外套のままの清水の姿が、近づいて来るところだった。
うしろから抱きしめられて、あとはいつものことになった。》
大岡の恋愛ものはロマネスクが基本ではあるが、肉体感覚が抑制された筆致で描かれて、葉子の平凡な所作、日常性からかえって生身が匂いたつ。肉体が、衰えてゆくや濃厚になって、その果てで、ついに自死へと至るのだ。
丸谷才一は『文章読本』の「第九章 文体とレトリック」で、《大岡の長篇小説では『野火』がレトリカルであることをあらはに目ざしてゐるのに対して『花影』は一見レトリックを避けてゐる、といふことにならうか。銀座のバーのホステスの生涯が気取らないのを気取るといふ筆致で語られてゐるとすれば、レイテ島の敗兵の彷徨はずいぶん気取つた文体で書かれてゐるわけだ。》として、多くの例文を『野火』から引用して説明を加えたが、下記の文章には気取った結句反復(エピフォーラ)のレトリック手法がとられている(「ああ、いやだ、いやだ」)。
《路が交錯した林を抜けると、富士の白雪の解けた水といわれる地下水を、豊かにたたえた池があり、堰から音をたてて流れ出していた。(中略)
自分の生涯はたしかに三島から始まっていたが、海へは出ないで、溝や沼で澱んでしまった。二度と三島に来ることはないだろうと、てつと肩を並べて岸に蹲り、痛いほど澄んだ流れを眺めながら、葉子は思った。
各駅停車の東京行の列車は混んでいて、葉子はやっと席を見つけることが出来た。向いに坐った男達から、葉子はじろじろと見られた。
十七歳の葉子は、自分の美しさを意識し、男達の視線はみんな快かった。美が快い重荷に感じられたが、いまはわずらわしいだけだった。
真鶴で海が暮れかかり、小田原で夜になった。葉子は眠ったらしい。(中略)
しかし列車は動き出すと、瞼が自然に合さって来る。明るい目黒の家の離座敷だ。最初の「旦那」が、卓子の向うに胡坐をかいて、飯を食っている。箸を口へ運ぶそばから、ぼろぼろこぼしてしまう。肩から襟へいっぱいに白い飯粒だ。ああ、いやだ、いやだ。
電車に乗っていても、高架線を走っているから、これもやはり夢だ。映画館の屋根に載った「白雪姫」の広告が、窓の外を廻って行く。あれはあたしが主演だから是非見なければならないのに、電車は止ってくれない。いや、そんなはずない。あたしは映画になんか、出たことはない。そんなに出世したことはない。これは夢なのだから、覚めなければならない。女が汽車の中で居眠りするのはみっともない。早く覚めなければならないのに、「白雪姫」の看板が、瞼に張りついて、どうしても取れない。ああ、いやだ、いやだ。》
大岡は「『花影』限定版あとがき」の末尾に、《すでに死んでしまった人間から見た描写になっているところが二個所あります。第四章の鏡の前で化粧する場面と第八章の三島へ帰るところ、特に「白雪姫」の夢を見るところです》と書いている。
また丸谷才一は「水のある風景 大岡昇平」で、大岡昇平の作品には水のイメージがよく出て来る、としてガストン・バシュラール『水と夢――物質の想像力についての試論』を参照しながら、『ハムレット』のオフィーリアのイメージを絡めて、大岡の『母』『野火』『黒髪』『花影』『武蔵野夫人』『沼津』を解読してゆく。『花影』においては、葉子の三島への道行の、白雪と澱んだ沼の水のポエジーが、さらには湯河原の温泉、自殺の前に飲む「二つのコップ」の水に、やや牽強付会ではあるが、作者の水のイメージへの執着を読みとっている。
《葉子もいつか、ほだされていた。看板になって、外へ出ると、
「あたし、今日はアパートへ帰りたくないわ」といった。
清水の行きつけの本郷の旅館で、葉子は松崎と別れてから、はじめて打ち解けた気分で、男と寝た。若い清水はずいぶん女をよろこばせることを知っていたつもりだが、葉子の体には、男の欲望を吸いつくす深さがあった。欲望は繰り返し前のめりに突き進んで、崩折れる。清水はそこに見出す快楽が、彼の毎日の不安を解きほぐすように感じた時、彼は葉子に溺れかけていたのである。
葉子の愛撫に芝居じみたところがなかったとはいえない。しかし清水はそれをみな葉子が自分の若さに負けたくないためと取った。愛されたいからだと自惚れた。
翌る日も、弱い冬の日射が障子窓に移るのを眺めながら、部屋にこもっていた。(中略)
その夜清水は、葉子のアパートへ泊った。「もう、だれに知られたっていいの」と葉子はいった。清水は葉子の匂いの染みた蒲団の中で目をさますのが、うれしかった。
出勤の時間になって、鏡の前に座る葉子を、清水はうしろから抱いた。乳房にあてた手の手を重ね、頬を合せた顔が、鏡の中で笑っていた。
「葉子ちゃん、髪はこうすると、いいんだ」
といいながら、葉子の乱れた髪をうしろにたばねると、楕円形の顔の輪郭があきらかになった。
「いや」
葉子は衰えた皮膚が、清水の眼の前に際立つのを避けたかった。首を振ってのがれようとするのだが、清水は離さない。
「結ってあげよう。これでも、女の髪はくわしいんだ」
タレントと親しむために、清水はスタジオで時々化粧室へ入って行く。ヘア・スタイルを指定することもあったので、いつの間にか、葉子を、リハーサルの前に、女優を扱うような気になっていた。
赤みがかった髪を数えるように、ブラシですき上げて、上の方でたばねた。一本一本抜くのに、追いつかなくなった白髪がまじっていた。清水にとって、少年の頃、死んだ母親の頭に見出して以来である。
葉子は清水がこれまでに知った女の中で、一番年をとっていた。朝、眼の下の袋のようなたるみを間近に見て、どきっとすることもあったが、それが気にならなくなった時、彼はますます深くなっていたのである。
清水が結ってくれた髪を、葉子は変えなかった。彼女が男の意を迎えて化粧するのは、これが初めてであった。》
『花影』の後を追うように発表された「花柳小説」の名短篇『黒髪』(『小説新潮』一九六一年十月号)のヒロイン久子もまた、男遍歴の果てに、最後は自死ではなく尼寺の門をくぐるのだが、久子は葉子の「赤みがかった髪」ではなく、《彼女は当時の美人の条件はいちおう具えていたが、なによりも特徴は、その豊かな髪に会った》、《毎日鏡の前へ坐って、お昼まで、髪をすいているの。静かに静かに櫛をかけていると、だんだん緑色に光って来るような気がして、あたしの心は静まります。》であったが、モデルへの後ろ髪を引かれた、うまく語れないことへのなごりおしみ、があるのかもしれない。
《日曜日の歌舞伎座の空気に、葉子の気分を引き立てるものがあるわけはない。折詰の弁当と酒の匂いの流れる客席では、「妹背山」の華やかな舞台にも、以前松崎と二人で見た時のような、甘い興奮は感じられなかった。
野方が連れて行った築地のふぐ料理屋で、葉子はその夜もしたたか酔払ってしまった。その夜の汽車で甲府へ帰る予定の野方が心配そうに腕時計をのぞいている姿と、高島のにやにや笑った顔に向って、なにか怒鳴っている自分の声が、五杯目の鰭酒が出てから、葉子のおぼえているすべてだった。そして翌朝は、待合らしい室で、野方と同じ蒲団に寝ている自分を見出した。
これも葉子にとってめずらしいことではない。銀座に出てからは、よくあった段取りにすぎなかった。自分が酔ってしまえば、野方が帰りはしないのはわかっていた。帰さないために酔うのだということが、野方にわかりそうな飲み方をしたつもりだった。その結果も予想の通りで、ただその間の記憶が落ちているにすぎない。
待合は大川の岸にあるらしく、欄間だけ明るい室内に、ディーゼル船の音がひびいていた。やがて眼をさました野方は葉子を抱いて、型通り、
「後悔してるんじゃないかい」
ときいた。黙って首を振ってみせる葉子の動作も、やはり型通りのものだった。五十男としては少し異常な情熱に、それに応える葉子の体も型通りだった。或いは二十代の自分の面影を抱いている男をよろこばすために、殊更昔のままの無邪気を装ったところがあったかも知れない。》
中村眞一郎は『文学の擁護』の「『花影』の位置」で、
《「さまざまの職業の人間が一堂に会する」「さまざまの男女が自己を主張する」「市民生活のドラマの場」風俗小説の舞台たり得る場の問題である。そして、丸谷氏説によれば、大岡氏は「銀座のバアを最初の手がかりにして、みごとに現代日本の鳥かん図を描きあげている」ということになる。
しかし、私はこのバアの絵巻のなかに、「心理小説」を発見できなかったように、「風俗小説」も、残念ながら発見できなかった。もし発見できたら、私も躊躇なく『花影』を「文句なしに傑作」として推しただろう。
何故、『花影』が風俗小説とならなかったか。それは心理小説とならなかったのと同じ理由である。つまり、人物たちが、作者によって注意深く、バアのなかに閉じこめられているからである。一般社会の中のひとつの場としてのバアではなく、バアが別世界として、作者の孤独な夢の場として設定されているからである。人物はこの特殊な場から一歩出ると、現実の闇のなかに消えてしまう。バアの背後に、より大きな複雑な世界が拡がっているという感じが少ない。だから『花影』は「現代日本の鳥かん図」にはならない。
そして私は、それは作者が企てて及ばなかったのだ、とは思わないのである。そうではなくて、作者は「鎮魂歌」を書きたかったから、故意に、この環境を外界から切り離して、純粋化したのだろう、とそうぞうするのである。》と論じたが、そのとおりに違いない。
《「桜が咲いてる」と彼はささやいた。「お濠端は満開じゃないかな」
二人は三宅坂から九段まで、街燈に照し出された花を、タクシーで見て廻った。
「まあ、綺麗」
と葉子は、首を左右に振って、呟いた。松崎の膝へ手を突いて、
「とうとう吉野へは、連れてってくれなかったわね。うそつき」といった。
青山墓地の桜並木の下で、車を停めた。ヘッドライトで照し出された花が、輝かしい白を重ねて、梢の方へだんだん暗くなっていた。
葉子は口を開け、喉を反らして、幹から幹へよろけながら、退いて行った。
「綺麗だなあ、綺麗だなあ」と繰り返した。
「食べちゃいたい」ともいった。桜の木の下に死骸が埋っているという、詩人の幻想を「とっても綺麗」といった。
神明町の旅館で休んで、葉子を抱くと、屍のような感じがしたので、松崎ははっとした。葉子は長く松崎を離さなかった。
「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。
「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまってるの」
「ばかはおよし。桜はまだ咲いてる。来週また来るから、それまでは、死なないと約束してくれないか」
「来なくたっていいわ。遊んであげるの、今日だけよ。桜が咲いてたからだわ。あなたは奥さんとお嬢さんのとこへ、帰っちゃった人。心配しなくていいの。死ぬ前に、まだ一つ、しとかなきゃならないことがあるの」
それは湯河原に行くことだ、と松崎は思った。高島のために、身を売るつもりなのだ。その当てがある以上、心配しなくてもいい、と彼は判断した。》
この場面を白洲正子は、《先の吉野山に比べると、この夜桜は作りものみたいで、葉子の言葉も空(うつろ)に聞える。小説のスタイル上ここで再び花を咲かすことはたしかに効果的ではあろうが、それが見え見えの感じがして、ちっとも実感が伝わっては来ない。死の直前に見た花は、常の花とは違って見える筈だのに、そういう感動を読者に与えることは古臭いとでも思っているのだろうか》と書き残しているが、大岡は自暴自棄を抑制しつつも空(うつろ)になってゆく葉子を「小説的な嘘」として描ききって十分に感動的であるから、先生である青山二郎をうさんくさい嫌な奴に書かれた(たしかに作者大岡は、《「湯河原には行かないことにしたわ。高島先生がまたやっちゃったの」》の「また」のような最小の言葉で最大の暴露、嫌味を葉子に言わせもしたが)と思い込んでの、美の目利きにあるまじき、文学とは無関係の批判というものだろう。
こうして二度あらわれる、花見といい、後に出て来る目黒の不動様での「白っ子」の声といい、絶え間なく見続ける夢といい、カルモチンによる自死といい、「反復と差異」の傷ましさがある。
さらに言えば、二度目の現象はマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』の冒頭に記した、《ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。》を「小説的な嘘」によって、抑制された文体で人工的に書きこんだ小説家大岡の、茶番も辞さない冷徹な眼があり、たとえ葉子は大事件、大人物ではないとしても、《人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。》のように生きて、死んでいったことを伝えてやまない筆の冴え。
《ずっと前から、支度はすんでいたのである。薬の量は、若い時未遂の経験がある葉子には、わかっていた。松崎と別れてから、少しずつ買っていた。好きな時いつでも死ねる、と思えなければ、この齢になって、銀座へ出られるはずはない。
葉子はこれが大変子供っぽい考え方のような気がしていた。自分を欺くことではないか、とも思うこともあった。(中略)
しかし葉子が薬を飲むときめるまでには、時間がかかった。
まだなにか、しておかなければならないこと、しのこしたことがあるような気が、始終した。洗張りに出した冬の着物が、戻って来るのを待たなければならなかったし、バー・クララの同僚に、借りたままになっている本を返し、一寸ばかりになってしまった蝋燭も捨てなければならなかった。
男の手紙や写真を焼いて行くうちに、読んで見たくなったりした。窓を明けて、煙と匂いが出て行くのを待つ時間が、むやみと長く感じられた。火鉢にいっぱいになってしまった黒い灰を塵取に取って、表の芥箱に捨てて来るまでは、気が落着かなかった。
死んでしまう前に医者を呼ばれるのも困るけれど、時間が経ちすぎて、あまり醜い姿で見つけられるのも、いやだった。(中略)
土曜の夜、葉子はしたたか酔っぱらった。店がしまってから、二人の若い女給といっしょに、新橋駅前のキッチンへ連れて行った客は、いつも酔うと食べない葉子が、大きなビフテキを一枚とハヤシライスを平らげてしまったのに驚いた。死ぬときめてから、葉子は急に大食になっていた。
アパートの前で車を降りてからも、葉子は窓を叩き、呂律の廻らない舌で、車の中の客と女給を、いつまでもからかい続けた。髪が額にかかり、化粧はくずれていたが、朗らかな笑顔であったという。それが彼女が同僚に見られた最後であった。(中略)
整頓を終って、床を敷き終ると、部屋がひどく狭く、息苦しいように感じた。こんな部屋によく三年も住んでいられたものだと思った。世の中の重みに、押し潰されたような、狭い部屋に、自分はずっと生きていたような気がした。
外へ出ると、薄い雲が、空一杯にひろがっていた。埃っぽい春先の風が、家々の隙間を吹き抜けて行った。
祖母が生きていた頃住んだ、目黒の家のあたりへ行ってみる気になった。タクシーで東京の街を通る間にも、もうすぐ自分がこれらのものを見なくなるということが、ぴんと来なかった。自分が死んでも死ななくても、家や道が存在を続けるのは。あたりまえのことだった。(中略)
路地は、見覚えのある切れ方をしているのだが、ひどく狭く見えた。祖母やてつに連れられて行った神社の森が、意外に近かった。
境内には休み茶屋や飲み屋が増えていた。樹々は枝を切られて、申訳ほどの葉をつけているだけだった。桜はもうあら方散り盡して、貧相な汚れた花弁しか残していなかった。
縁日の日、髪も眉も亜麻色で、お盆のような顔の、「白っ子」を見たのを思い出した。たしかに自分は「白っ子」だったと、葉子は思った。通りすがりの人が振り返って行くような綺麗な子供だった。拾われて、可愛がられた「白っ子」が、これから死のうとしているのだ。》
《狭い部屋で葉子は絶え間なく夢を見続けた。また戦争中へ戻っていた。砂埃の立つ広い道を、モンペを穿いた葉子は一人で歩いていた。どこかから逃げ出したところだった。行く先はわからなかった。誰かに会って、なにかを貰わなければならないはずだった。前にも後にも、同じ方角を歩いて行く人があった。空襲に会って、東京を逃げ出したところかも知れなかった。
だからそこに線路があったら、すぐ電車に乗らなければならなかった。乗っているのは男ばかりで、葉子の腰から下を、じろじろ見ていた。葉子がモンペの下にズロースを穿いていないのを知っているらしかった。(中略)
手を握られたので、振り返ると、丈が低い禿頭の男が千円札をつかんで、笑って差し出していた。男といっしょに行けば、電車へ乗らなくても目的地へ着けるのはたしかだった。札を手に取って、裏を返すと、変な絵が刷ってあった。
そこで葉子は目が覚めた。死の部屋でこんないやな夢を見なければならないのが、腹が立った。夢は葉子の少女時代の経験に基いていた。てつが経営していた支那料理店の勘定を、女学生の葉子が取りに来れば払うという客があった。その応接間で見せられた絵と関係があった。
禿頭は目黒の家で、飯を口の端からぼろぼろこぼしながら食べる工場主にちがいなかった。野方にもどうせ同じようなことをしなければならないにきまっていた。どうして湯河原へ行く気になったのだろうと、葉子は疑った。》
加賀乙彦も『花影』解説で指摘しているが、最後の文章などは、有島武郎『或る女』の、同じ名前のヒロイン葉子の(『花影』の葉子が受動的なのに対して『或る女』の葉子はいたって能動的という違いはあるが)、男性遍歴の末に死にいたる、現実と夢幻のあわい、交錯の手法を思わす。それは大岡の『パルムの僧院』の衝撃、《それはただ感動的で面白い小説であるだけではなく、『ユリシーズ』『失われた時を求めて』の小説の解体の問題に新しい視点を提供するものと私には映った。この即興の連続形式、物語が次々と現われ、統一がないようで、いわば一種の詩とでもいうほかはない統一を持っている小説、垂直な文体で綴られた詩的小説》という探求の一つの形であるに違いない。
《日は高く、花の影はまっすぐに地上に落ちて、重なっていた。その桜の根元に埋っているのは葉子だった。影は葉子の上にも落ち、重い光線が体を貫いて、地中に滲み通って行った。そしてはるか下の方で、裸身の像に集るのを見た。
(まさか、裸じゃ死ねないわ)と目覚めて、葉子は呟いた。
四時に近所の風呂屋が開くのを待って、葉子は出掛けた。体の隅々まで洗い、髪を洗った。新しい肌着に替え、古いのは棚の中において来た。
部屋へ帰ると、振り分けに編めるまで、扇風機でかわかして、時間を使った。
編みながら、胸元からこみ上げて来るものがあったので、やっと泣けるかと思ったら、低い声が洩れただけで、やんだ。
部屋の中をもう一度見廻して、乱れがないのをたしかめてから、寝巻に着替え、着物と帯をたたんで、箪笥にしまった。水と薬と手紙を盆に載せて、枕元に持って来た時、部屋が暗くなりかけているのに気がついた。
一本残してあった煙草に火をつけたら、灰皿が洗ったまま流しに重ねてあるのを思い出して、取りに行った。寝床に横たわって、ゆっくり吸っている間に、枕元の水を呑んでしまったので、灰皿といっしょに流しへ持って行き、二つのコップへ水を持って来た。
この時はもう電燈をつけなければ、洗いものをする手許が見えないくらい暗くなっていた。時計を見ると七時だった。薬はもし吐いてしまったら、もう一度飲むだけの量を買ってあった。その時、スタンドがついていないと、失敗するかもしれないと思った。朝、明るくなってからの方がいい、それでも間に合うと思った。
それまでの時間をつぶす予定がなかったので、薬の一部を飲んで寝てしまうことにした。
子供達の声で、覚めて行った。窓は明るくなっていた。夢はあったが、それをもう思い出そうとしまかった。
鏡の前へ行って、もう一度顔を直してから、まっすぐ寝床へ向った。腿と足首を腰紐で縛り、仰向けに寝て、首だけねじって、枕元の薬へ手を延ばした。
どこかに手違いがあって、死に損うのではないかという危惧があった。二十年前目黒の家でカルモチンを飲んだ時も、この瞬間に来た危惧であった。そこには失敗して助かればいいという望みがあったと、葉子は思っていた。
こんどは同じ望みはないつもりだが、危惧がやはり来たことが、腹立たしかった。一度腹は立ち出すと、止めどがなく、なにからなにまで、無性に腹が立って来た。高島にも松崎にも潤子にも亜矢子にも、腹が立って来た。こんなに手間をかけて、用意したことまで、腹が立って来た。葉子は少しずつ、しかし急いで飲んで行った。
すぐ目がくらんで、部屋の中が廻り出したのも、この前の時と同じだった。「汚い部屋」と葉子は思った。窓の外で子供達の声が高くなった。頭も体もしびれて感覚がなかったが、声だけはひびいていた。窓からのぞいて、呼んでいる。
「白っ子、白っ子」
からかうような声だった。それから闇が来た。》
(了)
*****引用または参考文献*****
*『大岡昇平集5』(『花影』、「『花影』限定版あとがき」、『黒髪』、加賀乙彦「<解説>『花影』論」所収)(岩波書店)
*『大岡昇平全集20 紀行・評論Ⅶ』(「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私(1)」所収)(筑摩書房)
*『大岡昇平全集18 評論Ⅴ』(「思い出すことなど」所収)(筑摩書房)
*ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(『ロラン・バルト『テクストの出口』所収』沢崎浩平訳(みすず書房)
*白洲正子『精選 女性随筆集 白洲正子』(「いまなぜ青山二郎なのか」、「銀座に生き銀座に死す」所収)(文藝春秋社)
*久世光彦『女神』(新潮社)
*中村眞一郎『文学の擁護』(「第六回『花影』の位置」所収)(河出書房新社)
*『丸谷才一全集10 同時代の文学』(「水のある風景 大岡昇平」、「女人救済といふ日本文学の伝統」所収)(文藝春秋)
*マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』伊藤新一、北条元一訳(岩波文庫)