
島崎藤村『夜明け前』は『中央公論』に昭和四年四月から年四回連載され、第一部、第二部の構成をとって、昭和十年十月に完結し、昭和十年十一月に新潮社から刊行された。
<小林秀雄「日本の作家だ」>
刊行翌年の昭和十一年五月、「文學界」主催で開催された「「夜明け前」合評会」はそうそうたる面々で、村山知義/舟橋聖一/林房雄/河上徹太郎/島木健作/阿部知二/小林秀雄/武田麟太郎の名前を見ることができる。
口火を切った林房雄の、《林 「夜明け前」はまことに大作だから、その批評は、合評会では第一できないし、やつても群盲魚を評する結果に終るかもしれぬ。だが、群盲も象の属性だけはそれぞれ言ひあててるんだから「夜明け前」にたいしてあんまり縮みあがらずに、思つたまゝのことを言つてもらいたい》ではじまって、林に導かれたわけではなかろうが、それぞれが好き勝手に意見した感がある(今読めば、昭和十一年の文学・思想・時制状況が透けて見える)。が、ひとり小林秀雄だけは終始黙っていて、最後に《小林 もう時間だ。》で合評会は閉じた。
しかし、付記のような形で、「日本の作家だ(小林後記)」が掲載されていて、これがよく「合評会」での議論の要点をあげつつ、小林らしい詩的な飛躍と啖呵による目利きの一文となっている。
《この座談会で、僕は終始沈黙といふ事になつてゐる。実は当日までに「夜明け前」を通読する暇がなかつたので、傍聴してゐたのである。今、読了して後記を書くのだが、いろいろ意見を聞いてしまつて特に僕が新しく言ふところはない様である》と拍子抜けさせて始まるが、続けて読むと、藤村『夜明け前』批評のキーワード(「退屈」「思想」「詩的」「人間が描けているか」「技法」「気質」「歴史」「一切は神の心」など」)がほぼすべて表出されている。
《途中かなり退屈を感じたが、この小説の底には強く人をひきつける力がかくされてゐるらしく、知らぬうちにその力に捕へられてゐるといふ具合に、三日間何もせず一気に読んで了つた。いかにも静かな小説である。》
ここで退屈というのは第一部の歴史記述のあたりであろう。
《成る程全編を通じて平田篤胤の思想が強く支配してゐるといふ事は言へる。(中略)僕にはどうもこの小説に流れてゐるものが思想とよぶべきものかどうかがそもそも疑問なのである。少くとも僕等の耳にひゞいてゐる思想といふ音は、この小説にはひゞいてゐない。「夜明け前」のイデオロギーといふ言葉自体が妙にひゞくほど、この小説は詩的である。この小説に思想を見るといふよりも、僕は寧ろ気質を見ると言ひたい。作者が長い文学的生涯の果に自分のうちに発見した日本人といふ絶対的な気質がこの小説を生かしてゐるのである。個性とか性格とかいふ近代小説家が戦つて来た、又藤村自身も戦つて来たものゝもつと奥に、作者が発見し、確信した日本人の血といふものが、この小説を支配してゐる。この小説の静かな味ひはそこから生れてゐるのである。》
藤村は青野季吉との対談「一問一答」で、《結局、私も庄屋の子なんですね、それで、さういふ所から片ッ方のお百姓、農民といふやうなものの考へ方とか、いろいろな点で、ちよつと考えへ方が違ふ。現に今の時代に居ても、やつぱり自分は庄屋の子のやうな所がありましてね、そこがプロレタリアの方の人たちの時勢を観る見方なんかとも、多少違ふ所ぢやないか思ひますね。まあいいか悪いか分りませんが、兎に角私が庄屋の子に生れたといふことが、いろんな事に就て、かう立場をそこへ作らせるやうな所がありましてねえ。若しさうでなかつたならば――ああいふ家に生れなかつたならば、ああいふ小説は出て来ないかも知れませんね》と話しているが、権力階級でも下層階級でまない中間層としての庄屋の子であることの他に、街道の中継ぎという本陣の子であること、藤村自身の穏健な性格などがあいまって、小林の言う「日本人」「静かな味わひ」の発見があったのではないか。
《人間が描けてゐないといふ様な議論もあつたが、これは作者が意識して人物の性格とかを強調しなかつたところからくる印象ではあるまいか。みんな生き生きとしてゐる、概念的な人物は一人も出て来ない。》
《お粂の自殺や半蔵の発狂の経過を述する筆が不充分だといふ説もあるが、僕はさう思はなかつた、両方とも見事に描かれてゐると思つた。お粂の自殺の動機が不明瞭なのもあれでいゝと思ふ。明瞭であつたらかへつて不自然になる。(中略)半蔵の発狂にしてもさうである。深く心理に立入つてゐない事は、恐らく作者が極めて注意深く行つた技法で充分成功してゐると思ふ。》
重要な場所における藤村の抑制された冷静な筆致、理性的な技巧への指摘である。
《もう一つ感服したのは、作者が日本といふ国に抱いてゐる深い愛情が全篇に溢れてゐる事、而も歴史の複雑な流が非常に綿密に客観的に描かれてゐる事で、林君の所謂この小説のライト・モチフ「一切は神の心」が決して単なる詠嘆として聞えてゐない点である。》
こうして小林秀雄の常として、「日本人」「一切は神の心」などについて、論理的に解説することなく、威勢よく詩的な言葉を読者へ放り投げて批評を終えてしまう。
ロラン・バルトに「人はつねに愛するものについて語りそこなう」という遺作があって、イタリアへの情熱ゆえにスタンダールはその日記文学においてイタリアへの愛を語りそこなった(が、小説『パルムの僧院』で実現した)という内容だが、その実証例であるかのように、古今東西の文学に通じた評論家篠田一士は愛する『夜明け前』について珍しく語りそこなっている。篠田は『夜明け前』の舞台、岐阜の出身であった。郷土愛への幻想(ファンタスム)ゆえか、語りそこなってはいる(激賞しつつも疑念、否定を挟まずにはいられず、しかし賞賛へと絶えず揺れ動く)が篠田ならではの地球儀的視野、伝統と前衛への歴史的展望がある。
《『夜明け前』は何度読んでもぼくを感動させる。陶酔はますます深くなり、ぼくの月並みな思念は千々(ちぢ)にみだれ、目前の言葉と言葉の合間に、意味しえぬ意味がひろやかに、しかも幾重(いくえ)にも層をなして透(す)けてくるように思える。(中略)ぼくが想いみたものは、あるときは、ありとあらゆるものを食い尽してゆく時間についての作者の毅然(きぜん)たる形而上学であり、あるときは主人公青山半蔵の悲愴な劇的生涯であり、またあるときは、ぼくたちの祖国が、黒船の到来とともにヨーロッパから押し寄せてきた近代の巨大な波濤に身をさらしながら切り拓いてきたぼくたち自身の近代の困難さであった。(中略)
ぼく個人の経験を語らせてもらうなら、『夜明け前』が誘いこむ陶酔は『白鯨』のそれのように、めくるめくものであり、『戦争と平和』のそれのように広大であり、さらに『失われた時を求めて』のそれのように深々たるものであった。》
《とりあえず、順を追って『夜明け前』が予想させる近代ヨーロッパ小説の骨法――具体的にいえば、あの十九世紀後半期のナチュラリスムが開花させた「幻滅小説」について書かねばならない。そう、青山半蔵はぼくたちのフレデリック・モロー(筆者註:フロベール『感情教育』の主人公)である。半蔵もモローもひとしなみにいえば、幻(まぼろし)を夢みることによって生をはじめ、ついにはその幻のために死を迎えたひとだ。》
《『夜明け前』を歴史小説と定義してみたところでなにが分るというのだろう。『戦争と平和』を同じ定義でよんでみても、あの小説の核心はなにひとつとして明らかにはならないのだ。なるほど、『夜明け前』にはぼくたちが歴史的事件、あるいは歴史的事実と名附けるものがくわしく書きこまれている。(中略)
たしかに、『夜明け前』における明治開国をめぐる歴史的事件の扱い方はヨーロッパのいくつかの近代小説を念頭にうかべた場合異常である。
たとえば、ワーテルローの戦いを闇夜にきらめく稲妻のようにとらえた『パルムの僧院』や、同じ戦いの黒々とした影をその側面的な波動だけで生々しく暗示した『虚栄の市』にくらべれば、『夜明け前』における歴史的事件の扱い方を小説の常道を逸していると非難することもあながち不当ではないかもしれぬ。もちろん『戦争と平和』におけるナポレオンのモスクワ侵攻の歴史がある。だが、ここでは歴史的事件の主動者が同時に小説の主要人物であるように構成されている。ナポレオンが叱咤するボロジノの戦いはもはや歴史的事件ではなくて、ともかく一応、『戦争と平和』という小説のなかで再構成されている。
しかし、いま同じようにぼくたちは『夜明け前』にえがかれる、武田耕雲斎一派の水戸浪士の反乱をはじめ、公武合体、大政奉還をめぐる対立意見や事件の推移、あるいは京阪における外国公使の動きなどを、なんの躊躇もなしに小説的事件とみなすことができるだろうか。
『夜明け前』の主人公をかりに青山半蔵とし、その劇的な生涯をえがいた小説だと考えた場合、こうした歴史的事件の記述は少くとも純粋に小説構成のうえからは不様(ぶざま)であり、不要であるといってもいいのかもしれない。》
《また、この半蔵を作者藤村の思想的分身と見たてて、彼の進歩性を賛美したり、一方でその陰にたくみに秘められた反動的な事大主義を摘発し、非難しようともしない。
半蔵の存在は小説のコンテクスストのなかにきわめて複雑な形で密着し、このような単純な、いわゆる思想的図式化を許さないし、また『夜明け前』そのものを粗(あら)っぽい思想小説とするには、これまたあまりにも複合した構造と精緻な内容を具えている。》
《この種の小説の主人公を「環境から切り離すことはできない」といい、さらに「この環境、そしてまた、そこに住んでいる人物は、観察の結果生れた非常に多くの特殊的な事実、言いかえれば現実の世界から出来上がっている。この世界が消えれば、この人物も消滅する」と断定したエリオット(筆者註:T・S・エリオット「ベン・ジョンスン論」)の言葉を読み返してみよう。もし「幻滅小説」をある批評家のひそみ(・・・)にならって「環境小説」とよぶならば、『夜明け前』ほど徹底した「環境小説」はほかのどこをさがしても一寸見附からないだろう。藤村は幕末から明治にかけての日本の歴史の断面を書こうとしたのではなくて、主人公半蔵の脳髄と感覚を囲繞(いぎょう)し、またそうしうると予想され、そして彼の想念を育むはずの環境をできうるかぎり精緻につくりだそうとしたのである。》
《もしかしたら藤村は半蔵の生涯を物語ることに小説の主眼をおいたのではなく、むしろ歴史的事件の錯雑を、そして近代日本の夜明け前の断面をえがこうとしたのではないか。こういう設問に対してぼくはいまの場合どちらも化だといっておこう。》
《この小説を「環境小説」たらしめ、主人公の夢想を客観化する切点(せってん)は外ならぬ街道であり、また、この「環境小説」を「特殊な事実」の集積に外ならぬうつろな「現実」から解き放って、永遠の相の下にその現実を再構築しようとする形而上小説に高めるのも、またこの街道であった。》
《想ってもみたまえ。この厖大な長篇はあの旧い街道について書かれた、かぎりなく荘重な文章ではじまり、もはや主人公とよぶにはあまりにも悲惨な最期をとげた人間を母なる土に復帰させる墓造りの場面をもって終る。そして、その丁度中間のところで、さまざまな歴史的記述の騒音や主人公をめぐるこちたき生の彩(いろど)りをあざ笑うかのように、あの聖句が高らかにひびきわたるのである。
「一切は神の心であらうでござる」
しかし、神とはなにか。ぼくたちはここでほとんど反射的に、あのヨーロッパ文学の頂点に厳として座を占めるダンテの一句、
la sua volontate é nostra pace (主の御意思(みむね)はわれらの平和(やすき))
を想いだす必要がある。これを知ったかぶりと笑いすてていいのだろうか。黒船の幻影につかれて狂死した半蔵。幕末の大変動をヨーロッパ文明の挑戦によるものとして、南蛮人の渡米以後の歴史を『夜明け前』第二部の冒頭に長々と書き、また、篇中いたるところに、黒船に乗ってやってきた新しいヨーロッパ人との接触にまつわるさまざまな歴史的記述を苦心の仮構をまじえながら書きつづける藤村。ヨーロッパはついに幻影であるかもしれない。だがそれが幻影であるにしろ、その幻影のうえに成立したのがぼくたちの近代に外ならぬ。『夜明け前』の作者はこの幻影を底まで洗いたてて、そのむなしさを究明しようとはしなかった。むしろ、幻影をひとつの現実として受けいれることによって、その現実に堪えうるおのれの本体とはなんであるかを探求しようとしたのだ。
「主の御意思(みむね)」と「われらの平和(やすき)」のふたつの句に明示されるふたつの人称のあいだには無限のディアレクティークを予想させ、また事実生んだが、「一切は神の心であらうでござる」という人称のまったくなく、また同時にあらゆる人称を包含する、尊大なゆるやかさをもった断定句は、ぼくたちが語りかけるべき神の姿を示すどころか、暗示することもなく、ただただおのれを空しゅうして、そこに帰依し、同化することを命ずるばかりである。》
小林秀雄一流のレトリック的な言いまわし、「日本の作家だ」「日本的」「静かな味ひ」、そして「「一切は神の心」が決して単なる詠嘆として聞えてゐない」の核心を、篠田は「うまく語ることができない」ながらも論理的に解き明かそうと四苦八苦しているのではないか。
ところで、「歴史小説」か「主人公の生涯」かに関して、藤村は青野季吉との対談「一問一答」で、巧い喩えを述べている。
《普通或る主人公を描いて行く場合には、その時代の動きといふやうなものは、それは一つの背景として扱はれるといふやうなのが、ちよつと普通でございますね。私はあれを書いてゐるうちに、主人公は主人公、背景は背景といふ風に考へないで、例へばそれを一つの楽譜に譬へてみれば、主になるメロディとそれから伴奏のやうなもの。或る時は殆ど主になる音は極く僅かしか聞こえないで、伴奏の方が主になつて居るやうな所もある。全然主人公よりも寧ろ実際の動きのやうなものの方が主もに書かれて居る所もありますけれども、私はそれを背景といふ風にはだんだん考へなくなつたんです。
例のルービンシュタインといふ人が演奏をした時に、行って聴いてみましたが、あの人はピアノですから、もう或る時は全く左右の手の指が、寧ろ伴奏の低い方の音に集まつて居る時があるのですね。それから或る時は、今の主になる符音――基調になる方の音に集まつて居ると、さういふ風になつて居るやうでございましたが、してみると、やっぱり何も主人公の生涯だけを主にして、あとは背景だと、さう考へなくてもいいかと思つて参りましてね。そんな点がちよつと普通の長篇の書き方とは、考へ方でも違ふかも知れませんねえ。》
<加賀乙彦「故郷と山と狂気・『夜明け前』――日本の長篇小説」>
加賀乙彦は、自らが長篇小説作家であるばかりか精神医でもあることによって『夜明け前』を批評している。
《島崎藤村の小説、とくに長篇小説には、初めに全体的な展望があって、それが次第に一人二人の主要人物へとクローズアップされていく、そんな構成が多い。丁度、峠の上から広々とした平野を見渡し、次第に遠景から近景へと移ってきて、そこに佇む孤独な人物へと視点を移していくような趣きである。(中略)この点の際立つのは、『家』と『新生』と『夜明け前』である。いずれの作品も最初に大勢の人々が次々に描かれ、おもむろに、それらの人々が組立てている集団からはじき出された孤影悄然とした人物が示されてくる。(中略)この集団と離脱の関係を、もっとも大きな規模でしかも徹底した形で仕遂げたのが『夜明け前』である。ここでは集団は国家になり離脱は狂気になっている。》
「集団と離脱」を藤村文学のライト・モチーフとみるのはユニークで、本質的かつ今日的である。
《一つの何げない記述が、実は作品の構成のうえで必須な伏線となっていることは複雑な長篇を組立てていく上に不可欠の配慮だが、さすが藤村はそこを抜け目なく押さえている。しかも一つの記述はその次に来る全く別な記述の下に潜みながらどこかで生き続け読者に影響を及ぼしていく。記述は重層し、徐々に奥行きの深い世界へと分け行っていく。
この手法がことに鮮やかに使われているのは半蔵についての記述である。それははじめのうちほんの一行か二行の描写でありながら確実に後へ後へと響いていき、多くの人物の記述の中に埋れながらも次第に脈絡を太くしていく。(中略)
半蔵以外の登場人物も通常の意味でのドラマを形成しない。旅行く人にとって山路の風景が並列的に移動していくように、人々は現れては消える。通常の大河小説のように多くの人物が、複雑にからみあい、親和と対立しながら、多くの支流が合さって大河となる趣がここにはない。多くの人物が現われるが、彼らは結局木曽路とそれを囲む幕末の変革期の世相を表現するための点景人物の感がある。このように長篇小説の正当的な結構とは懸け離れた方法は、或る意味で欠点とも言えるのであるが、他方ではこれが藤村独自の新しい方法となっている。多くの人物をまるで森林や橋や石畳のようにして用いることにより、かえって木曽路の有機的な活力は鮮かに描出されてくるのは不思議である。》
「街道」に象徴される、常に移動する空間的、歴史に押し流される時間的な、「継起」としての文学技法。
ここからは精神医的な批評であるが、加賀は小説の読み方への注意を喚起せずにはいられない。
《それは家督を息子の宗太に譲ったのにその後の財務運営が不如意で、しかもその責任を半蔵が「公共の事業のみ奔走して家を顧みない」せいにされたときである。彼は扇で息子を打とうとして、間に入った妻のお民の眉間を打ってしまう。(第二部、第十四章)
この怒りから狂気へは一直線である。民衆のみならず家族までが彼を敵視する。最初の異常体験はそういった状況のなかで出現している。
「彼の内部(なか)にはいろいろなことも起つて来るやうになつた。妙に気の沈む時は、部屋にある襖の唐草模様なぞの情(こころ)の無いものまでが生き動く物の形に見えて来た。男女両性のあろう筈もない器物までが、どうかすると陰と陽との姿になつて彼の眼に映つて来た。」(同)
「……なにしろ、お前、変な奴が来てこの庭の隅に隠れてゐるんだらう。彼奴は恐ろしい奴さ。この俺を狙つてゐるやうな奴さ」(同)
前者は実際に周囲にある物、「襖」とか「器物」が、その物の日常的な意味とけたはずれた物、「生き動く物の形」に見えたり、「陰と陽の姿」になって見えたという体験である。これは精神医学のほうでは妄想知覚といわれる現象で、この成因については知覚は正常だが判断が異常なためにおこるという二節性の主張をする学者と、知覚と判断とを含めた意識状態そのものの変容を問題にする学者とがあって、議論の分れるところであるが、私が感心するのは、作者が何気ない筆致でありながらこの種の異常体験を的確に描いているところである。
後者は「変な奴」が隠れているという体験で、隠れている以上、「変な奴」の姿は見えず、その正体も見極められない。これは正常者に見えぬものが見えるという幻覚ではなく、そこに誰かが存在しているという存在感覚だけがあるので、精神医学の方では実体験的意識性と呼ばれる体験である。この実体験的意識性は幻覚の一歩手前にあって、その母体となる体験である。「変な奴」は、次第に確乎とした実体性を備え、ついには姿を現わしてくる。万福寺での月見の宴で、半蔵は「庭の暗い隅に蹲る黒いものの動き」を見る。「変な奴」がついに姿を現わしたのだ。この幻視に加えて幻聴も出現する。彼は「夜の空気を通して伝はつて来る遠い人声」に驚き両耳に手で蓋をしたりする。
民衆と家人より離れ、孤独の極に追いやられた半蔵にはもはや誰一人として親しい人がいない。妻のお民までが「何となく遠くの方にゐるやうな」気がする。こうして「敵」の存在が確定する。言いかえれば自分以外の人間が敵であるような被害妄想の構築が完成するのである。万福寺への放火と座敷牢への幽閉は妄想世界から来る必然的な結果である。
青山半蔵の狂気は、西丸四方(『島崎藤村の秘密』)も言っているように、医学的診断がなかなか難しい。遅発性分裂病とも神経症とも偏執病ともとれる。この問題は、藤村の父の正樹の病気を調べ、藤村自身の病跡学的研究の参考にするという意味では興味がある。しかし『夜明け前』という作品の評価にとっては診断はどうでもいいことである。ここではその狂気と作品の構成や主題との係りのみを注目すれば足りる。
また、半蔵が作者の父をモデルにしたという事実も、小説の鑑賞にとってはどうでもいいことである。(中略)ついでに言えば、藤村が父の狂気についてどれほどまで知っていたかは極めて疑わしいと思っている。彼が父と分れて上京したのは十歳の時だし、父が亡くなったのは数年後である。むろん人づてに父の最期の様子を聞いたであろうし、執筆に当って家人に当って調べもしたであろう。しかし私が精神医として経験して来たことだが、すでに死んだ人の狂気の様子を家族から聞き出しても精神内面のことはほとんど分らないのが常である。藤村の場合も知り得たのはせいぜい寺の障子に火を付けたとか座敷牢で死んだとか、糞合戦をしたとか、外面的な事実のみであろう。(中略)
直接のモデルは姉の園子であったかも知れない。園子は藤村が親しく知りえた唯一の病者であった。しかし『ある女の一生』を読んでも狂気の内面についてほとんど立入った分析がなされていないことに気付く。それよりも半蔵の狂気のモデルは藤村自身ではなかったかと私は思う。藤村が狂ったというのではない。半蔵の狂気に感情移入できるほどに藤村が苦悩したということである。半蔵の幻覚のところを読んだ時、私が連想したのは『新生』の一節であった。それは、孤独な旅を続けリモオジュの田舎町に来た主人公の岸本が覚える幻覚である。
「不思議な幻覚が来た。その幻覚は仏蘭西の田舎家に見る部屋の壁を通して、夢のやうな世界の存在を岸本の心に暗示した。曽ては彼が記憶に上るばかりでなく、彼の全身にまで上つた多くの悲痛、厭悪、畏怖、艱難なる労苦、及び戦慄――それらのものが皆燃えて、あたかも一面の焔のやうに眼前の壁の面を流れて来たかと疑はせた。」
岸本の幻覚は、『エトランゼ』や『海へ』の藤村の孤独へと連なっている。半蔵の悲哀は藤村の悲哀であったろう。だからこそ、あれほどの奥行きをもって半蔵の狂気が描かれたのだと私は思う。》
篠田一士は「藤村全集月報」に「『夜明け前』小論」と題して、前述と似たような論旨を掲載したが、そこでは次のように結んだ。
《究極的にいうならば、『夜明け前』の自然は郷土的なものではない。半蔵の胸にくりかえしよみがえってくる、あの先師篤胤の言葉――「一切は神の心であらうでござる」こそは、まさにこの自然に対する最大のオマージュだったはずだ。「黒船」に乗ってきた人々の国では、自然は神に屈服すべきものであって、また、人間の営為の所産である文明の原理とは対立する。
「黒船」の人々の信仰をもたないわれわれにとって自然は文明を治(しろ)しめし、文明の原理をそこに仰ぐべきだと『夜明け前』の作者は言いたげである。この恆なる自然の目からみれば、想像的小宇宙も事実の世界をいかほどの逕庭があろうか、と彼は反問するだろう。『夜明け前』の発端はペリー来航の年で、終末の頃にはイギリス人の鉄道測量師が木曽路を調査している。この間に近代日本の出発点は定まった。そして、以来半世紀にわたってここには文明と名づけるべきものが築かれてきた。
『夜明け前』の作者はこの近代日本文明の成果に誇りをもち、そこに安堵感さえ味わっている。そして彼は、一方では、この文明の指導原理となった「黒船」の人々の思想を受け容れながら、他方では、これを当然拒むはずの思想をなおかつ、おのれの文明の根底に据えなければならない必然を倦むことなく語りつづけている。
『夜明け前』は大変気味の悪い小説である。》
篠田は以前に、こうも論じた。
《藤村の文学はかなり懇切丁寧な批評の篩(ふるい)にかけられ、従って評価もそれ相応に行われているが、この『夜明け前』だけはつねにこうした手続きから外されているのである。それならば『夜明け前』はとるに足らぬ作品だという判定が下されているのかというとそうでもない。大方の批評はこれを傑作といわないまでも大作とよんで、敬意と賛美を怠らないが、だからといって、たとえば、『破戒』や『家』や『新生』に対する場合のように批評家が身をのりだして、この作品が大作であり、藤村文学のクライマックスであるゆえん(・・・)を究明しようとはしない。(中略)現在藤村は近代作家のなかでもっともくわしく研究されている作家のひとりだといっても言い過ぎではないだろう。にもかかわらず『夜明け前』になると、ほとんど読むに値するものがないというのは、いったいどういうことだろうか。『夜明け前』をめぐる空白は藤村の文学のみならず、近代日本文学の底にひめられた謎を無気味に指示しているようにぼくには思えてならないのだ。》
たしかに藤村『夜明け前』は鵺のような気味の悪い作品、謎かもしれない。
(了)
*****引用または参考文献*****
*島崎藤村『夜明け前 第一部(上)(下)、第二部(上)(下)』(岩波文庫)
*剣持武彦編『島崎藤村『夜明け前』作品論集成Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』(大空社)
*小林秀雄「日本の作家だ(小林後記)」(村山知義/舟橋聖一/林房雄/河上徹太郎/島木健作/阿部知二/小林秀雄/武田麟太郎「「夜明け前」合評会」(「文學界」第三巻第五号 昭和一一年五月一日(文學界社)に所収)
*篠田一士「『夜明け前』――伝統と前衛の狭間に」(「文學界」第一七巻第七号 昭和三八年七月一日、第一七巻八号 昭和三八年八月一日号(文藝春秋社)に所収)
*篠田一士「『夜明け前』小論」(「藤村全集月報」1 昭和四一年九月(筑摩書房)に所収)
*加賀乙彦「故郷と山と狂気・『夜明け前』――日本の長篇小説(4)」(「文芸展望」第八号 唱和五〇年一月一五日(筑摩書房)に所収)
*島崎藤村/青野季吉「「夜明け前」を中心として 一問一答」(「新潮」第三二年一二号 昭和一二年一二月一日(新潮社)に所収)