文学批評) 鷗外『舞姫」の異和感

   

 

 平野啓一郎が「〈インタビュー〉平野啓一郎 聞き手:高橋龍夫 文学とは「問い」である ──鷗外の魅力と普遍性」で次のように発言している。

《──「舞姫」を学校で読むと、「エリスがかわいそう」「豊太郎はひどい男だ」という感想になりがちですが、あらためて、今の時代に「舞姫」を読む意味は何でしょうか。

平野:「エリスがかわいそう」だということをいちばん強調しているのは、作者の鷗外自身です。だから、作者である鷗外がひどい、と非難する読み方はよくわからないですね。「エリスがかわいそう」という読みは、鷗外の意図どおりの読みなのに、作者の意図どおりに読んだ人が作者へ反発しているところが、あの作品の妙なところです(笑)。

 ただ逆に、多くの古典的な作品は現代の読者にはリアリティのない話になりがちなのに、これだけ多くの人が「豊太郎ひどい」とか「エリスがかわいそう」とか、感情を揺さぶられて読んでいるというのはすごいことです。文学作品としての力強さがあります。あれほど難解な文体の作品が、今でも読者の心を動かすんだ、ということの意味こそ、もっと考えるべきだと思います。》

 この「「エリスがかわいそう」という読みは、鷗外の意図どおりの読みなのに、作者の意図どおりに読んだ人が作者へ反発しているところが、あの作品の妙なところです(笑)。」には、鷗外『舞姫』のすっきりしない「異和感」、ざわざわした「奇妙な感じ」、「ひねり」、「逆説」がある。

 

 また、「〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が読む 森鷗外『舞姫』『阿部一族』──「反自己責任論」人間への優しい眼差し」講演録では、下記のように語っている。

《────このライヴ配信に先立って行われた『舞姫』の読書会※では、「主人公・太田豊太郎は”身勝手な男”なのか」をテーマに掲げて話し合いました。結果的には、身勝手であるし、大事な時に決められない男だ、という声が多く出ました。どう思われますか。(※「文学の森」では、平野啓一郎によるライヴ配信の他に、メンバー限定の読書会も定期開催しています。)

平野啓一郎(以下、平野):僕もその意見には賛成です。『舞姫』の文章はまさに名文で、非常に好きな小説ですが、この作品の内容を良いとする人は決して多くないですね。

 エリスは身ごもった自分が太田に置いて行かれると知り、精神が破綻した状態になりますが、太田は結局エリスを残して帰国しました。

 ただ注目すべきは、鷗外は決して太田を美化して書いてはいないということです。十人が十人とも、エリスが可哀想だという気持ちになる書き方をあえてしています。

 鷗外は文学者ですから、何か夢のようないいお話を拵えようというのではなく、ひとつの問題提起として書いているんです。「こんな一人の日本の青年がいて、どう思いますか?」と読者に問いかけている。徹頭徹尾、文学者の姿勢を崩さずに書いているところは、さすが鷗外だと思います。》

《平野:『舞姫』の主人公・太田はたしかに問題のある人物です。立身出世のためにエリスを見捨てた悪い輩だということになっていますが、その実、太田は出世欲が強かったわけではありません。では彼の何が悪いかというと、主体性がないことです。『舞姫』の最後の部分では、相沢のような良い友達はこの世に得難いものだけれど、(エリスと別れた一件について)彼を憎む一点の心が今日まで残っていると、書かれています。

「嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳理に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」(『舞姫』森鷗外全集1/筑摩書房)

 太田は、親に報いるがため勉学をし、人に役立つ仕事を持ちながらも、それは自ら渇望したものではなく自分の人生ではないと感じています。エリスとの関係も成り行き任せなようで、世話になった友人や大臣に帰国を強く促され、いよいよ手立てがなくなり帰国します。この「主体性のなさ」を表す象徴的な一文があります。

「余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決断ありと自ら心に誇りしが、此決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。」(同上)   

「自分の人生の決断がある」というふうに心密かに思っていたが、この決断は、たしかに物事が順調にいっている時にはあるが、逆境になった時にはほとんどないのだと、追い詰められて認識しています。

これは『舞姫』だけのテーマではなくて、鷗外文学の一つの核心です。鷗外は徹底した”反自己責任論者”ではないかと僕は考えます。結論としては、”仕方がなかった”という感じなんです。他人に対しては、同情や憐憫であり、自分に関しては”諦念”、諦めの境地というようなところがあります。

 人間は、社会構造や、因習、偶然性、病、感情、義理、無意識、制度や法律的なもの、歴史やイデオロギーなど諸事情の中に構造的に位置づけられているから、順調な時でさえ、自由意志というものが一体ありえるのか、ということが鷗外の生涯の関心事だったと思います。そういう様々な枠組みの中で太田を見ると、結局、太田はほとんど自由意志がないような書き方になっているんですね。

 鷗外は主人公を自分の名前に重ねて描いているくらいなので、一種の自己批判と言えます。ただしあくまで客観視して、問題として提示している。しかし同時に、太田は腑抜けた奴だとして突き放して書いているわけでけではなく、共感を込めて、”仕方がなかった”ということを受け入れつつ、誰もがエリスの状況に心打たれ哀感を持つ。この矛盾を描こうとしたのが『舞姫』ではないかと思います。》

 そう説明されても、太田の有り様、「共感をこめて、“仕方がなかった”」と「一種の自己批判」の体裁であることに、ある種の「異和感」が残る。むしろというべきか、かえってというべきか、鴎外はあえて「異和感」を持つように書いているのではないか、とさえ思えてくる。この、誰しもが『舞姫』を読む時に感じざるをえない「異和感」について考えるために、柄谷行人「歴史と自然――鷗外の歴史小説」を辿ってみよう。

 

<転回/拡散/“やってしまってから”/在るがままに在る/動的な文体/不透明さの直視>

 柄谷行人は『意味という病』所収の「歴史と自然――鷗外の歴史小説」で、《作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切りはなして作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。これは眼には見えない。われわれは作品の内側に入りこむことによってしかそれに触れられないのである。

 ここで私がとりあげるのは森鷗外であるが、ごく大ざっぱにいえば、歴史小説以前の鷗外は、小説という形式によって自分の考えを述べただけのようにみえる。こういう断定はいささか乱暴かもしれない。しかし、そこに鷗外という個人の秘密はあるとしても、作家としての秘密を私は感じないのである。作家としての秘密とは、彼がなぜこういう作品を書いたとか、どんな考えをもっていたかというようなもとではない。ただ作品を通してあらわれ、しかもその作品をそれ以外のものでなくしている根源、つまりある精神の形態であり創造過程の秘密である。

 歴史小説以後の鷗外の作品には、すでに鷗外という個人の生活や思想から透視(とうし)することも、逆にいえば作品を通して鷗外という人間を透視することもできないような要素がある。このとき何か突然といってよいような転回が鷗外の創造上の姿勢に生じたように思われる。それはどこにも書かれているわけではないが、作品そのものが確実にそれを証しているのである。これは一つの事件であるが、どんな外的な事件とも直接には結びつけられないような性質のものである。》

 続いて柄谷は「たとえば」として、『興津弥五右衛門の遺書』の改稿の意味を、『歴史其儘と歴史離れ』の文章を引用しながら論じる。

《鷗外は自作をふりかえっていう。《これは小説には、事実を自由に取捨して、纏(まと)まりを附けた迹(あと)がある習であるに、あの類の作品にはそれがない》。これは「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」(『追儺』明治四十二年)というような認識とは別個のものである。鴎外は、小説というものは何をどんなふうに書いてもよいという考えをあらためたわけではない、しかし、右にいうような小説観においては、鴎外は「事実を自由に取捨して、「纏(まと)まりを附ける」という「習」を拒絶しているのである。》

 では、歴史小説以前の小説はみな「事実を自由に取捨して、「纏(まと)まりを附ける」という「習」に従ったものだったのだろうか。少なくとも『舞姫』は、あの「異和感」から察知できるように、「纏(まと)まりを附ける」からあえて逸脱した精神で書かれているのではないか。もう少し柄谷の論を読み進めてみよう。

 

《『興津弥五右衛門の遺書』の初稿と改稿を読みくらべてみると、「自然を尊重する」という事件が一つの中心(主題)に収斂(しゅうれん)されるかわりに拡散している。それは読み手の感情移入を拒むし、乃木殉死の解釈を読もうとすることも許さない。(中略)ただ、この改稿の意図が事件の自己完結性を極力排除するところにあったことは疑いがない。現実の世界に自己完結なものはなにもないからである。鷗外が事件を一つの中心的な主題や観念に集約することを拒んだのは、いいかえれば事件に対して透過的(とうかてき)であるような視点を拒んだということである。ここに、鴎外の歴史小説が内包している方法的な懐疑がある。》

『舞姫』の太田の心情は「収斂(しゅうれん)されるかわりに拡散し」、「事件に対して透過的(とうかてき)であるような視点を拒ん」ではいないだろうか。

 

『山椒大夫』では、安寿らの母親が人買いにだまされる過程が描かれているが、柄谷は《ここに描かれているのはべつに複雑な心理ではなく、ごくありふれた人間の行動過程なのである。母親はまず身構えまず体を動かし、そのあとから考えている。つまり彼女はまず太夫がいうがままに従ってしまい、そのつどどうしてなのかと考えているのだ。理由はいかようにも考えられるが、それはそのつどやってしまったことを合理化することにしかならない。そして、そこに見出される「動機」は結果から見出される仮構物にほかならないのである。

 右の心理描写にリアリティがあるのは、鴎外がたとえば「相反する心理のせめぎ合ひ」などという仮構によって母親の行動をとらえるのではなく、行動するたびにただちに動機や理由がつくり出されるという動的な過程そのものをみているからである。いいかえれば、母親の行為を内在的な場所でとらえようとしているからである。》

 後半の太田の行動を描く鷗外の記述もまた、「相反する心理のせめぎ合ひ」を越えて、「行動するたびにただちに動機や理由がつくり出されるという動的な過程そのものをみている」うえに、「内在的な場所でとらえようとしている」。

 

《鷗外の歴史小説は基本的に“やってしまってから”の小説である。ここでつけ加えるなら、漱石もまた乃木殉死に触発されて書いた小説『こゝろ』のなかで、“やってしまってから”を書いている。(中略)

 しかし、私が今見きわめたいのは、鴎外の個人的な感慨ではなく、“やってしまってから”を書くということがふくむ一つの転倒(てんとう)である。ここには反アイディアリスティックな姿勢、すなわちイデアであれ主題であれ概念であれ、そういうものが先行するのではなく、“やってしまう”という人間の行為の結果がそれらしきものをつくり出すのだという姿勢がある。小説に「纏(まと)まりを附ける習」を拒絶したとき、鴎外は歴史であれ現実の人間であれ、それらを透過的にみる視点、つまりアイディアリスティック(プラトニック)な視点を基本的に否定したといってよいのである。自分の考えを小説的に書くというようなやり方を鷗外が一掃してしまったのはいうまでもないが、しかし歴史小説のなかには明らかに彼の思想(パンセ)がある。哲学があるといってもよい。が、それはむろんドイツ哲学から学んだものではなく、創作という過程から生まれそれと切りはなすことのできない哲学である。》

よく知られているように『舞姫』は、冒頭の名文《石炭をば早(は)や積み果てつ》のあとすぐ、《五年前(いつとせまへ)の事なりしが》で時間が遡り、《あらず、これには別に故あり。》、《あらず、これには別に故あり。》と二度韻を踏んだうえで、《これのみは余りに深く我心に彫(ゑ)りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴(ばうど)の来て電気線の鍵を捩(ひね)るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。》と“やってしまってから”を綴って行く。歴史小説以後に「転回」があり、「歴史小説のなかには明らかに彼の思想(パンセ)がある」のだろうが、『舞姫』にはすでに鷗外の思想(パンセ)、哲学があったのではないだろうか。でなければ、あのような「異和感」は生まれることなく、アイディアリスティック(プラトニック)な視点で終わるだろう。

 

 柄谷は『阿部一族』から阿部一族と家族ぐるみのつきあいのあった隣人柄本又七郎の、一族を討ったあとの様子を描いた場面を引用し、《われわれはここで一種の異和感をおぼえるだろう。なぜあれだけの惨事のあとで、柄本は笑っているのか、なぜ複雑な表情をしないのか、と。しかし、彼は心底から笑っていてよいのである。われわれがはぐらかされたように感じるのは、作品を読みながら倫理的にであれ美的にであれ、一つの合目的性を予期してそれが裏切られるからである。作品を読むときだけではない。われわれの行為はつねに目的措定的なのであって、むしろそれがくいちがったときにかえって現実性を感じるのである。そうだとすれば、奇怪なことが生じるのは絵空事の世界ではない、現実の世界だ。実際の世界では、整理のつかないことがつねにおこっており、むしろそれだけがおこっている。

 鴎外の歴史小説は各所で右のような異和感をわれわれに与える。鷗外は世界は不条理だといっているのだろうか。そうではない。ただ世界は在るがままに在るといっているのだ。彼は《物語化》以前のわれわれの経験をとらえようとしているのである。いいかえれば、われわれが鷗外の歴史小説を読んでそこに現実的なものの感触をおぼえるとすれば、それは作品が与える異和感と切りはなすことができないのである。

 鴎外のいう「自然」が、あるいは「ありの儘(まゝ)」が、自然主義者や心理家のいうそれとはまったく異なることはすでに明瞭であろう。「自然」とは、ひとが恣意的に区切ったり整理できないもの、矛盾していようがいまいがその矛盾自体が生きた姿であるようなもののことだ。鷗外の文体はそういう直接的な“現実”に肉薄しようとする努力が生みだしたものである。》

「作品を読みながら倫理的にであれ美的にであれ、一つの合目的性を予期してそれが裏切られるからである」、「われわれの行為はつねに目的措定的なのであって、むしろそれがくいちがったときにかえって現実性を感じるのである。」のとおり、「ただ世界は在るがままに在る」ゆえに、「《物語化》以前のわれわれの経験をとらえようとしているのである。いいかえれば、われわれが鷗外の歴史小説を読んでそこに現実的なものの感触をおぼえるとすれば、それは作品が与える異和感と切りはなすことができないのである。」として太田は現実性を纏う。

 

 また『阿部一族』の、内藤長十郎という、かつて失錯(しっさく)をしたのに主君忠利に許され、「その報謝(ほうしゃ)と賠償(ばいしやう)との道は殉死の外無いと牢(かた)く信ずるやうになつた」青年を描いて、《鷗外は右のように殉死を自律的・他律的であると同時に、また利己的なものとしてとらえている。それらを一挙に同時に(・・・)みようとしているのである。この青年の感情は一つの全体性であって、分析(分解)することができない。分析すれば矛盾に陥(おちい)るが、当人にとっては何も矛盾していないのである。

 鴎外はそういう全体性を直観している。しかし、ここに言葉というもののわながある。それは分解できないものを分解し、あたかも三つの相反的な感情から構成されているかのような外見を与えるからである。それらは仮構にすぎないが、常識的にはそういう仮構で構成するかわりに、次々と否定し粘(ねば)っこくうねりながらすすむことによって、それらのいずれでもない一つの全体性を開示している。つまりこれは弁証法的な表現であって、もともと弁証法はすでに直観していることを伝えようとする努力、分析的な言葉で分析しえぬものを伝えようとする努力が生みだした智慧にほかならない。

 鴎外は感情をあるがままの場所でとらえようとする。そこに彼の文体、分析しながら分析しがたいものを指し示し、透明にみながら不透明なものを分泌(ぶんぴつ)するその文体が生れる。それが鷗外の思想(パンセ)なのだ。》

 鷗外『舞姫』において、「自律的・他律的であると同時に、また利己的なものとしてとらえている。それらを一挙に同時に(・・・)みようとしている」、「分析しながら分析しがたいものを指し示し、透明にみながら不透明なものを分泌(ぶんぴつ)するその文体」とは、たとえば、

《二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢(あへ)て訪(とぶ)らはず、家にのみ籠り居(をり)しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、魯西亜行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心なきか、君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留の余りに久しければ、様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることなしと聞きて落(おち)居(ゐ)たりと宣ふ。其気色辞(いな)むべくもあらず。あなやと思ひしが、流石に相沢の言ことを偽なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋すがらずば、本国をも失ひ、名誉を挽(ひ)きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝(つ)いて起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承(うけたま)はり侍(はべ)り」と応(こた)へたるは。

 黒がねの額(ぬか)はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。「ホテル」を出でしときの我心の錯乱は、譬(たと)へんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱しつせられ、驚きて飛びのきつ。暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍(かたはら)に出でたり。倒るゝ如くに路の辺べの榻(こしかけ)に倚りて、灼くが如く熱し、椎(つち)にて打たるゝ如く響く頭(かしら)を榻背(たふはい)に持たせ、死したる如きさまにて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、夜に入りて雪は繁く降り、帽の庇(ひさし)、外套の肩には一寸許(ばかり)も積りたりき。(中略)

 後に聞けば彼は相澤に逢ひしとき、余が相澤に與へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豐太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵(たふ)れぬ。相澤は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髮をむしり、蒲團を噛みなどし、また遽に心づきたる樣にて物を探り討(もと)めたり。母の取りて與ふるものをば悉く抛ちしが、机の上なりし襁褓を與へたるとき、探りみて顏に押しあて、涙を流して泣きぬ。

 これよりは騷ぐことはなけれど、精神の作用は殆全く廢して、その痴(おろか)なること赤兒の如くなり。醫に見せしに、過劇なる心勞にて急に起りし「パラノイア」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院に入れむとせしに、泣き叫びて聽かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり/\思ひ出したるやうに「藥を、藥を」といふのみ。

 余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行(ちすぢ)の涙を濺ぎしは幾度ぞ。大臣に隨ひて歸東の途に上ぼりしときは、相澤と議(はか)りてエリスが母に微かなる生計を營むに足るほどの資本を與へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。

 嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に一點の彼を憎むこゝろ今日までも殘れりけり。》というような「次々と否定し粘(ねば)っこくうねりながらすすむ」文体であろう。

 

《先に述べたように、鴎外は長十郎の殉死を義腹であり論腹であり同時に商腹であるといったことになる。鷗外は「義」をめざす行動が利己的な内実をもつことを暴露して得意になる心理家ではない。鷗外のいう「自然」が自然主義者(これも心理家の一種である)のいう自然と異なるのはそこであって、彼は人間あるいはその行為を、分析すれば矛盾にみちているけれども実践的にはそれをやすやすとのりこえているものとして、いわば分(わか)ちがたい「自然」としてみようとしたのである。

 しかし、もっと正確にいえば、鴎外は人間(行為)をたんに自律的・他律的・利己的なものとしてみたのではなく、意志的にふるまいながらたえず何かに強いられており、逆に何かに強いられていながらそこに自由な決断があるというような人間のあり方を動的にとらえようとしたのだ。われわれのどんな行動も自律的であるか他律的であるかの明瞭な区別はつかない。たとえば自殺は意志によると同時に生きる意欲を奪われたためでもある。われわれは截然とそれを区別しえないのである。

『山椒大夫』の母親は、自分の意思でそうしているのか強いられてそうしているのかよくわかっていない。だが、われわれは現に、強制が恣意としてあらわれ恣意が強制としてあらわれることをたえず経験しているのではないだろうか。自発的にやっているのか強いられてやっているのかがあいまいな所につねにいるのではないだろうか。鷗外の歴史小説のリアリティは、そういう不透明さを直視するところから生れる。そこに、ひとが動かそうとして動かされ、わかっていながらどうすることもできず、逆にどうすることもできないが故に自由な決断があるというような世界が浮んでくる。『阿部一族』はそういう世界であり、その他の作品もまたそうである。》

「利己的な内実をもつことを暴露して得意になる心理家ではない」鷗外は、太田を「ひどい人間」と読者に思わすよう描きながらも、彼を「たんに自律的・他律的・利己的なものとしてみたのではなく、意志的にふるまいながらたえず何かに強いられており、逆に何かに強いられていながらそこに自由な決断があるというような人間のあり方を動的にとらえようとしたのだ」という世界に漂わせることで、その「不透明さを直視」した動的な揺らぎは、透過性、合目的性、目的措定的断定を求めがちな読者に、すっきりしない「異和感」を抱かせ、ときには作者をひどいとさえ思わせるのかもしれない。

 

<告白>

『舞姫』を「告白」の書、「贖罪」の書として考察する人たちがいる。

「告白」は、真理の産出が期待される主要な儀式の一つとして、広まり、かつ高まった、とフーコーは『知への意志(性の歴史Ⅰ)』で述べる。

《少なくとも中世以来、西洋社会は、告白というものを、そこから真理の産出が期待されている主要な儀式の一つに組み入れていた。(中略)いずれにしろ、試練の儀式の傍らで、伝統のもつ権威によって与えられる保証というものの傍で、証言の傍で、いやそればかりではなく、観察と立証の学問的方法の傍で、告白は、西洋世界においては、真理を産み出すための技術のうち、最も高く評価されるものとなっていた。それ以来、我々の社会は、異常なほど告白を好む社会となったのである。告白はその作用を遙か遠くまで広めることになった。裁判において、医学において、教育において、家族関係において、愛の関係において、最も日常的次元から最も厳かな儀式に至るまでである。自分の犯した犯罪を告白する。宗教上の罪を告白する。自分の幼児期を告白する。自分の病いと悲惨を告白する。人は懸命に、できる限り厳密に、最も語るのが難しいことを語ろうと努める。》

 フーコーが言う「異常なほど告白を好む社会」の、「最も語るのが難しいことを語ろうと努める」例をルソー『告白』に見ることができる。

 ポール・ド・マンは『読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』の第十二章「言い訳(『告白』)」でルソー『告白』の中心的な一節を批評的=批判的に読む。

《ルソーは、『告白』冒頭の三書[三つの章]で語られる幼年期および思春期のいくぶん恥辱的で当惑的な数々の場面から、マリオンとリボンにまつわるエピソードをとりわけ重要な感情的意味を有するもの――物語の中に戦略的に位置づけられ、独特のひけらかし[panache]によって語られた、嘘とまやかしの紛れもない原光景――として選り出している。(中略)

 このエピソード自体は一連の軽窃盗譚の一つだが、そこには一つのひねりが加わっている。トリノの貴族の家庭で使用人として雇われていたとき、ルソーは「薔薇色と銀色の小さなリボン」を盗む。窃盗が発覚したとき、彼は若い女中[マリオン]からそれをもらったと主張し、彼女に罪をなすりつけるが、そうした彼の主張には、彼女が彼を誘惑しようとしていたことをほのめかすような含みがともなっている。彼は公衆の面前で彼女と対面した際、自分の作り話を執拗に押し通し、自分に少しの害も与えなかったこの無実の少女の品行方正さを完璧なきまでに踏みにじる。しかし、彼の卑劣な非難を前にしても、彼女の崇高な善良さはたじろぎさえ見せない。「ああ、ルソーさん! 私はあなたを気立てのよい方だと思っていました。あなたは私をとても不幸になさっていますが、あなたと立場を交換したいとは思いません」。この話は二人の人間の解雇という悲惨な結末に行き着くが、ルソーはそれによって、この不運な少女の人生にその後生じたに違いない事柄について長々と――いくばくかの興味を噛みしめながら――思いをめぐらすことができるのである。

 この教訓的な物語によって最初に確認されるのは、『告白』はそもそも告白的なテクストではない、ということである。告白するとは、真実の名において罪や恥を克服することである。つまり、それは認識論的な言語使用であり、そこでは善意という倫理的価値が真偽という価値に置き換えられる。(中略)

「私はありのままに告白したつもりである。だから、私がここで大罪の卑劣さを糊塗したと思われることは決してないだろう」。しかし、すべてを語るだけでは、まだ不十分である。告白すること[confess]に加えて、言い訳すること(・・・・・・・)[excuse]が求められるのだ。(中略)

 言い訳の随行もまた、第二書の結末でなされるルソーの熱心な釈明にもかかわらず(「この件について言う必要があったのはこれだけだ。もう二度とこのことを口にせずにいられますように」)、この弁解的なテクストを終結させることはできない。こう述べたルソーは、それよりおよそ一〇年ほどのちに『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で嘘の「免責」可能性について省察する際、この話をまたまるごと口にしている。弁解は明らかに彼自身の罪の鎮圧に失敗しており、彼がそれを忘却できるまでには至っていない。(中略)

 ルソーが本当に(・・・)欲していたのは、リボンでもマリオンでもない。彼が欲していたのは、現実に入手することになる人前での暴露の場面なのだ。》

 ただし、フーコーの言う「語ることによって語られた過ちが消去されてゆく儀式」は暴露の場面と、『告白』中の「この件について言う必要があったのはこれだけだ。もう二度とこのことを口にせずにいられますように」という願いに託されたわけだが、十年後に『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で省察しなおすことで、完全な「消去」など不可能であったことを示していて、そこにルソーの人間的な魅力を見出すこともできる。

 ド・マンの考察は、鷗外の『舞姫』と、およそ二十年後に発表された『普請中』(エリスのモデルらしき女性が来日した時の面会光景)にほぼそのまま適用できるだろう。

 よく『舞姫』を、「告白」の私小説であるとか、出世のために愛を犠牲にしたとか、最後には個人よりも社会を尊重したとか、エリスへの悔恨であるとか、陸軍省での噂を封じるために先回りして(私小説性を脱した文学として)打ち明けたとか、気の進まない婚姻への当てこすりだとか、いろいろ取沙汰されるが、最新の西洋文学に通じていた鷗外は一つ理由で文学を為すほど単純ではない。鷗外の妹小金井喜美子の手記「森於菟に」を読めば、帰朝の後を追うように『舞姫』エリスのモデルとされる女性が来日し、いろいろ説得もあったらしく、快く帰国させたあとで『舞姫』を書きあげた鷗外は、その発表前に本人は不在だったが家族みんなに読んで聞かせたという。明治近代文学とその周辺に暗くじめじめした悲惨と勤勉を求めがちな読者をあざ笑うかのように、小説『舞姫』の「告白すること[confess]に加えて、言い訳すること(・・・・・・・)[excuse]が求められる」悲恋ストーリーに二重に被せるように、「告白すること[confess]に加えて、言い訳すること(・・・・・・・)[excuse]が求められる」露出症的な暴露の場面を作った。

 小金井喜美子の手記「森於菟に」は森一族の様子も窺えておもしろいので朗読の場面を紹介する。

《年の暮近く私が千住の家へ行つて居ます時、叔父さんが車で上野の家からかけつけて、私の居るのを見て「来て居たのか丁度よかつた」、「何があつたのですか。」心配さうな顔を見て笑ひながら「何、あの舞姫の事を今度兄さんがお書きになつたから、まつ先に皆に聞せて呉れといふお使ひに来たのですよ、お父さんは往診の御留守だつて、じやああとにしてさあさあ集まつて下さい、勧進帳もどきで読み上げるから」、何でも芝居掛りになるのはいつもの癖でした。

「石炭をはや積み果てつ中等室の卓のほとりはいと静かにて熾熱燈の光の晴れがましきもやくなし。」中音に読み初めたのを、誰も誰も熱心に聞いて居ました。だんだん進む中、読む人も情に迫つて涙声になります。聞いてゐる人達も、皆それぞれ思ふことはちがつても、記憶が新しいのと、其文章に魅せられて鼻を頻にかみました。「ああ相沢兼吉の如き良友は世に又得難かるべし、されど我が脳裡に一点の彼を憎む心は今日までも残れりけり」。読み終つた時は、誰も誰もほつと溜息をつきました。暫く沈黙の続いた後、「ほんとによく書けて居ますね」といひ出したのは私でした。お祖母様はうなづきながら、「賀古さんは何と御言ひになるだらう」、「何昨夜見えたので読んで聞せたら、己れの親分気分がよく出て居るとひどく喜んで、ぐづぐづ蔭言をいふ奴等に正面からぶつつけてやるのはいゝ気持だ。一つ祝ひ酒をご馳走にならうと又夜が更けました。

 それが春の国民之友に出て評判がよいものですから、今迄の何か心の底にあつたこだはりがとれて、皆ほんとに喜んだのでした。》

 ここには、フーコーの言う「語ることによって語られた過ちが消去されてゆく儀式」があるが、過ちをルソーが十年後に『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で省察しなおしたように、鷗外もまた二十年後に『普請中』で蒸し返すことで、消去の困難さを証明している。

 

『知への意志(性の歴史Ⅰ)』で、性は告白の特権的な題材であった、とされる。

《キリスト教の悔悛・告解から今日に至るまで、性は告白の特権的な題材であった。それは、人が隠すもの、と言われている。ところが、もし万が一、それが反対に、全く特別な仕方で人が告白するものであるとしたら? それを隠さねばならぬという義務が、ひょっとして、それを告白しなければならぬという義務のもう一つの様相だとしたなら? (告白がより重大であり、より厳密な儀式を要求し、より決定的な効果を約束するものとなればなるほど、いよいよ巧妙に、より細心の注意を払って、それを秘密にしておくことになる。)もし性が、我々の社会においては、今やすでに幾世紀にもわたって、告白の完璧な支配体制のもとに置かれているものであるとしたなら? すでに述べた性の言説化と、多様な性的異形性の分散と強化とは、恐らく同じ一つの装置=仕組みの二つの部品なのである。》

『舞姫』は性的「告白」としても読める。しかし、自伝的な『ヰタ・セクスアリス』を手に取って、性的「告白」の綺麗事にがっかりした者は多かろう。鷗外の告白とは、表向きそういったところに留まっているゆえ、『舞姫』における性的「告白」もまた巧妙に隠蔽(回避)されている。小説よりもかえって、鷗外の医学論文(「公娼廃後の策奈何」、「「公娼廃後策」の原材」、「公娼廃後策とフリイドリヒ、ザンデルと」、「性欲雑説」、「女子の衛生」)や、ルソー『告白』の鷗外による翻訳に目を向けたほうが、より鷗外のセクシュアルなものへの関心に近づく。

 ルソー『告白』は明治二十四年、森鷗外がレクラムのドイツ語訳から部分翻訳した『懺悔記』として、「立憲自由新聞」に連載されたが、第1 巻の冒頭と、一七一二年から一七一九年までの一部、一七四三年の一部にすぎない。全文翻訳は、その11年後の大正元年、ルソー生誕二百年と連動して、石川戯庵訳『懺悔録』として翻訳された。鷗外がルソー“Confessions ”を『懺悔記』と訳したことは、その後の『告白』受容を、キリスト教的な「告白」ではなく、罪を意識して裁きを乞う仏教的「懺悔」という印象に固定したのではないか。それは「懺悔」の方が「告白」よりも日本人の耳と心に馴染み深かったゆえだろう。

 明治二十四年といえば、まさに『舞姫』などドイツ三部作を執筆、発表した時期と重なるから、『懺悔記』の影は、その作為性も含めて『舞姫』にかかるだろう。鷗外翻訳の『懺悔記』(『鷗外全集2』)は、ルソー『告白』中の性的体験に関する部分を中心に選出したもので、八歳の時のランペルシエ嬢による鞭笞(べんち)で快楽を覚えた有名な挿話と、ヴェネチアで遊んだ娼婦の片方の乳房に乳首がないのを発見して驚くといった挿話である。鷗外は『懺悔記』発表に先立つ明治二十二年に「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」という文章を「東京医学新誌」に「医学士 森林太郎」の名で発表していて、グラーツ大学精神及び神経病教授クラフト=エービングを参照して、井戸に水を汲みに来る若い娘たちへの露出症を論じたあと、ランペルシエ嬢による鞭笞の快美を論じ、「想フニジャン、ジャック、ルーソーハ被打兼露呈症ヲ患ヒシモノナリ」と診断している(『鷗外全集29』)。有名なリボンにまつわるエピソードにはまったく触れていないことからも、鷗外にとってのルソー『告白』は性の「懺悔」以外のものではなかったようだ。

 謹厳な鷗外というイメージを覆す朗読の場面のエピソードを知ると、『舞姫』を「告白」の書、「贖罪」の書として実直に読むことへの「異和感」を拭いようもない。

                                        (了)

     ******引用または参考文献****

*森鷗外『鷗外全集 全38巻』(岩波書店)

*森鷗外『椋鳥通信』池内紀編(岩波文庫)

*柄谷行人『柄谷行人集1 日本近代文学の起源』(岩波書店)

*柄谷行人『意味という病』(「歴史と自然――鷗外の歴史小説」所収)(講談社文芸文庫)

*小金井喜美子「森於菟に」(「文学」第4巻第6号〈特輯 鷗外研究〉昭和11年6月)(岩波書店)

*フーコー『知への意志(性の歴史Ⅰ)』 渡辺守章訳(新潮社)

*ルソー『告白』桑原武夫訳(岩波文庫)

*スタロバンスキー『透明と障害 ルソーの世界』山路昭訳(みすず書房)

*ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』(「言い訳(『告白』)所収」土田知則訳(岩波書店)

*「〈インタビュー〉平野啓一郎 聞き手:高橋龍夫 文学とは「問い」である ──鷗外の魅力と普遍性」(大修館書店WEBサイト『国語教室』第118号)

*「〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が読む 森鷗外『舞姫』『阿部一族』──「反自己責任論」人間への優しい眼差し」講演録(平野啓一郎公式サイト)

 

文学批評) 「秋声的時間」(ノート)

 

 

<『春水=秋声的時間』>

 丸谷才一『輝く日の宮』の第2章、ヒロインの国文学専任講師杉安佐子は元禄文学学会で、『芭蕉はなぜ東北へ行ったのか』という題で芭蕉『奥の細道』論を発表した。

《そんなわけですから、『奥の細道』は「月日は百代の過客なり」という時間論にはじまり、「蛤のふたみに別れ行(いく)秋ぞ」という時間についての叙情で終るのでしょう。》と締めくくる。

 その第3章で、ふと徳田秋声の名があがる。

《安佐子の考へたのはかういふことである。

 為永春水の『春色(しゅんしょく)梅児(うめご)誉(よ)美(み)』四編、お由が五つの年に別れた母と二十一年後の対面するくだりで、お由と米八が姉妹であることが明かされ、

   よく/\かんがへよみたまはねば、作者の綴りがあしきゆゑ、わかりがたかるくだりもあるべし。凡(すべて)予(おのれ)が作為の癖は発端にいふべきすぢを後にしるすが常なれば、よろしく察して高覧をねがふのみ。

といふ断り書がある。これは春水が構成の才の乏しさをみづから認め、かつ詫びた箇所として有名で、「日本古典文学大系」本の注釈者は、頭注で、同じ作者の『春色湊(みなと)の花』の三編に、批評家ないし読者の難詰と作者の返答が記してあるのを紹介する。「彼の人情本には、始まりから終りまでのつづき具合を上手に語ったものは一つもない。いつも話が前後するし、物語を途中からはじめて途中で止めるし、手に負へなくなると拾遺とか続編とか称してあとで付け足すし、まるで完本ではなく端本を読むやうな気持だ」といふのが批評家ないし読者の言ひ分。これに対して作者の言ふには、端本を読んでもそれなりの楽しみはあるやうに書く。一回を読めばそれなりにおもしろくて、あとは読まなくてもすむやうに書く。かうして何とかかんとか恰好をつけたのがわたしの作風である」と。

 安佐子はこれまで『梅ごのみ』もの五部作のうち二つしか読んでなかつたので、五部作以外の『春色湊の花』にまで目を通して行き届いた注をつける態度に敬服してばかりゐた。しかし、『いろは文庫』を読み出して、事情は違ふのかもしれないと疑ひはじめたのだ。》

 ここで丸谷は、歌舞伎仕立ての忠臣蔵義士外伝で、春水が講釈師為永金龍でもあったことを思い出させる流暢な話術とすぐれた情景描写からなる『いろは文庫』の筋立てを説明して、

《かういふ調子で縷々(るる)語つて行つて、巻の四の末尾に至り、討入りの翌日薫代(かをよ)御前について述べてから作者は言ふ。

   偖(さて)此(この)つゞきは総巻の終(おはり)にいたりてくはしくするす。是(これ)より次の物がたりは、安蘇(あそ)貝(がひ)氏(うぢ)の伝にして、又仇討ちより以前の段なり。すべて忠臣蔵の始(はじめ)より順に綴らず。後前(あとさき)にしるしいたすは例の狂訓亭(さくしゃ)が筆癖にて、看官をはやく佳境にさそはん為なり。その意(こころ)にて読みたまはねば、紛(まぎ)らはしき条下(くだり)もあるべし。

 これでわかるやうに過去から大過去へさかのぼつたり、また現在へ戻つたり、この人物からあの人物へと転じてさながら主役が大勢ゐる趣だつたり、紆余曲折しながら巧みに筋をあやつる語り口は、自覚的なものであつた。ひよつとすると、ヨーロッパの二十世紀小説が探求した新しい世界像を江戸後期において模索してゐたのではないかと思はれたし、特に時間の扱ひ方の新しさには強い感銘を受けた。こんなふうに思案してゐるうちに、ふと、春水の直線的に進むのではない複雑な時間処理が徳田秋声の『あらくれ』その他における語り口と似てゐることに思ひ当り、秋声はこれを春水に学んだのではないか、少年時代に『梅ごよみ』ものその他を濫読した(きつとさうだらう)せいでの影響が自然主義作家になつてから出て来るのは充分にあり得ると推測したのである。そこから安佐子は、これは日本人の伝統的な時間感覚を春水が直観的に探り当て、それがまた秋声を刺激したのではないか、どちらもあまり格式の高い学問を身につけてゐない小説家だから、かへつて自分の体験と実感を頼りに自由な試行と実験ができたのかもしれないなどと考へた。そして、二人の作家が時間をどう捉へたかといふおもしろい課題を解くためには哲学の教養が必要だけれど、あれはどうも苦手だなあ、もつと勉強して置けばよかつたと悔んだり、それでも、これはいい線らしいと喜んだりした。》

 翌年、安佐子は論文『春水=秋声的時間』を書きあげて、学会誌に載り、その翌年には学会の賞を受けることに決った。《安佐子は冷静にしてゐたが、内心かなり得意になつて受賞作を読み返し、不出来なのに愕然とした。春水の時間についての説明はまあまあだが、秋声の時間がどういふややこしいものなのかは、相手が相手とはいへ、叙述がうまく行つてゐないし、それに彼らの小説作法と日本人の時間意識との関係は扱ひ方が幼稚だつた。二十世紀西欧小説と十九世紀日本小説との対比も無器用で、解釈が浅かつた。》

 

 安佐子の論文『春水=秋声的時間』についての記述はここまでなので、読み直して不出来に感じた、秋声の時間についての説明の具体については推察するしかない。

 また、安佐子は《秋声はこれを春水に学んだのではないか、少年時代に『梅ごよみ』ものその他を濫読した(きつとさうだらう)せいでの影響が自然主義作家になつてから出て来るのは充分にあり得ると推測した》のだけれど、秋声が生い立ちを記した自伝小説『光を追うて』を読む限りは、主人公等(ひとし)にその気配は窺えない。ただ青年時代、《等(ひとし)はまた棚田(たなだ)に勧(すゝ)められて春(しゅん)水(すゐ)の「梅暦(うめごよみ)」や、梅暮里谷峨(うめほりこくが)の「傾城(けいせい)買(かひ)二筋(ふたすぢ)道(みち)」をも読(よ)んでみたが、「梅暦(うめごよみ)」は十枚(まい)も読(よ)むと反感(はんかん)が起(お)きる癖(くせ)に谷峨(こくが)の才能(さいのう)には感心(かんしん)した。》とあるばかりだ。

 となると、《安佐子は、これは日本人の伝統的な時間感覚を春水が直観的に探り当て》の、「日本人の伝統的な時間感覚」を丸谷がどう考えていたのかが鍵になる。

『輝く日の宮』の中には、これを明確に定義した文はないけれども、安佐子の『芭蕉はなぜ東北へ行ったのか』の発表は、芭蕉が近代的な個人としての自己を持ってなかったこと、連句に顕わな風雅、嗜み、四季の循環、社交性、遊戯性、混沌として複合的なこと、祭祀性、西行五百年忌、御霊(ごりょう)信仰、義経びいきのこと、などを諄々と説いたのち、《こんなふうに義経五百回忌の旅としての『奥の細道』を考えますと、あの旅行記の主題は実は時間であったことがわかります。芭蕉は四十代になって衰えを自覚し、厄年などということもあり、それに義経五百年忌という条件も加わり、自分史をかえりみ、歴史を思い、過去から現在へをつづく、そして未来へと至る、時間という不思議なものをしみじみと味わいました。「さまざまの事おもひ出す」の句はその心境の俳諧的集約です。(中略)

 芭蕉はそれほど、時間という観念に執着していたのです。郷里に帰ってお花見に招かれて、若いころのあのことこのことを思い出しているうちに、時間という主題に襲いかかられました。でも、時間について思索するとか、時間の哲学を書くとかいうことは彼には向きません。自分にとり憑いたその観念を具体的に表現するためには、歌人、連歌師、徘徊師の伝統的な方法――旅しかありません。空間をたどることで時間を実感しようと思い立ったのです。つまり時間の空間化とでも言うんでしょうか。行く先は、遥かな過去のある、悠遠の昔の名残りをとどめている、つまりたっぷりと時間をたたえている……十和田湖が水をたたえているように縄文以前からの時間をたたえている……辺境が選ばれました。義経も西行も行ったし、もっと前には源義家や安倍貞任(あべのさだとう)や宗任(むねとう)はいた、そしてもっとずっと前には坂上田村麻呂や悪路王(あくろおう)が活躍した荒々しい地域、はじめて踏む土地なのにじつに懐しい国に旅して、人生と歴史双方の厖大な時間をいわば空間に翻訳し、身体的に対応し経験し認識すること、それがあの大旅行でした。そんなわけですから、『奥の細道』は「月日は百代の過客なり」という時間論にはじまり、「蛤のふたみに別れ行(いく)秋ぞ」という時間についての叙情で終るのでしょう。これでおしまいです。有難うございました〔聴衆、儀礼的な拍手〕。》のとおり、「時間」がモティーフとなっている。

 

 ここで、もともと丸谷自身が『笹まくら』、『年の残り』、『樹影譚』、『今は何時ですか?』など、執念ともいえるほどに「時間」がモティーフともいえる小説を書き続けたこと、いや小説ばかりではなく、小説・和歌などの評論においても、T・S・エリオットの『伝統と個人的な才能』の《この歴史的な感覚は、過去が過去であるというだけでなくて、過去が現在に生きているということの認識を含むものであり、それは我々がものを書く時、自分の世代が自分とともにあるということのみならず、ホメロス以来のヨーロッパ文学全体、及びその一部をなしている自分の国の文学全体が、同時に存在していて、一つの秩序を形成していることを感じさせずには置かないものなのである。この歴史的な感覚は、時間的なものばかりでなくて、時間を越えたものに対する感覚であり、そして又、時間的なものと時間を越えたものを一緒に認識する感覚でもあって、それがあることが文学者に伝統というものを持たせる。そしてそれは同時に、時間の流れの中で彼が占めている位置と、彼自身が属している時代に対して、彼を最も敏感にする者なのである。》を土台としたものであったし、とりわけ『笹まくら』はそういった歴史的な感覚による表現であって、さらには、現在と過去との人間的な「時間」をめぐる構造となっていた。また『たった一人の反乱』では、美術史家に時間についての長い長い演説をさせる件があって、西洋においては市民社会の象徴である時計塔が、日本では吉原に作られたという話や、文学賞の賞品として時計を贈る習慣は、文学者を市民社会に適合するように飼い馴らそうとする陰謀である、という話をさせる。

 実際、徳田秋声は、「菊池寛賞を受けて」で、市民社会・市民生活の象徴である「時計」をめぐって、

《茲(ここ)で日本文学振興会から出る菊池寛賞の意義なぞについて、その第一回の受賞者たる私が、彼此言うべき筋合いのものではない。私はただ常に特別の友情を文壇人にもち、文学仲間を公私共に愛護することを忘れない菊池君を意志から出た菊池寛賞を受けることに心からの悦びを感じるものである。銓衡委員が若い人達から成り立っていることも心持が好いし、その態度にも感謝しないではいられない。他にも人があるのに私の詰まらない仕事を取りあげられたことについては、多少忸怩(じくじ)の思いもするが貰ったことは正直やっぱり嬉しいのである。

 元来私は文学生活が長いというだけで、これと言って傑れた仕事をしたという訳ではない。何か一つ世間をあっといわせる傑作を書こうと思って、計画的に仕事をしたということもないし、しても駄目だと自分に見切りをつけている。ただ愚鈍な私は、六十を越えてから、やっといくらか文学が解りかけて来るのじゃないかという気がする。人が三十代で仕上げる仕事を、その倍以上の年月をかけて、やっと多少目鼻がつくと言った形で、花形になりえなかっただけに割合怠けても来られたし、怠けて来ただけに、精力も済し崩しで、長持ちがしたようなものである。

 これは又私の体質と能(よ)く照応しているもので、決して体がいいから長生きしたという訳ではなく、何時(いつ)ほんとうに生き効(がい)があると思ったこともないほど、生活力には恵まれていないのである。自然の美などについても、私の目はいつも曇っており、人生の幸福についても、それを享楽するには、感覚が清鮮ではなかったのである。今私がもっている三つか四つの病気も、病気というよりも、素質の弱点が年と共に表面化されたのに過ぎない。しかし今七十に垂(なんな)んとして来て見ると、反って老衰の朗らかさと言うようなものが出て来て本質的にまだそうは成り切れないながらに、大分好々爺(こうこうや)に成りかけて来たことは争われない。世に死慾というものがあるが或いはそれも手伝っているかも知れない。それが今度の菊池賞を殊に嬉しがらせるのではないかと思う。

 本賞に花瓶がいいか置時計がいいかといわれた時、私は成るべくなら、懐中時計にしていただきたいと言ったのである。時計は私も四五度買っているが、碌なものを買った例がないので、買った当座は翫(もてあそ)んでいるが、元来時間の観念のない生活なので、左程必要でもないし、螺旋(ねじ)を捲くのに無精なので、つい投(ほう)り出してしまうのである。しかし質のいい時計ならやはり必要だし、兼々不便も感じていたのであるが、いつか砂子屋で尾崎一雄君のもっている芥川賞の時計が、聊(いささ)か羨ましく、つい懐中時計を所望した訳で、斎藤君が副賞をもって来てくれた時も嬉しかったが若い小山内君が、鉄皮のオメガをもって来てくれられた時は、殊に心臓が少し踊ったくらいである。(後略)》と、「元来時間の観念のない」人間であるむね吐露している。

 

「角山 榮『時計の社会史』(吉川弘文館)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談」(ALL REVIEWS)に、

《山崎 私の単なる憶測なんですが、日本には二種類の時間があったんではなかろうか、という気がするんです。農村的な、日の出に始まって日没に終る共同体的時間と、それとは別の都市的時間と。その都市的時間を持って歩くのが、芭蕉のような人ではなかったのか。

丸谷 ヨーロッパから入った機械時計を日本の時刻制度にあわせるよう改良したという話がありましたね。そうしてみると、ヨーロッパ的時間と、日本的時間、この二つの時間があるんだということを日本人は早くから発見したんだと思うんです。ヨーロッパ的な客観的時間と、日本的・主観的時間と、その二つで生きるって性格が、現在の日本人にもかなりあるような気がする。》ともある。

 

 丸谷が安佐子に仮託した「日本人の伝統的な時間感覚」とは、「近代的な個人としての自己を持ってなかったこと、連句に顕わな風雅、嗜み、四季の循環、社交性、遊戯性、混沌として複合的なこと」によって春水そして秋声に芳醇に醸し出された、「直線的に進むのではない複雑な時間処理」、「ヨーロッパ的な客観的時間とは別の日本的・主観的時間」ではないだろうか。

 

<「時間の遡行」>

 中村眞一郎が『この百年の小説』の「恋愛」の項で、秋声『仮装人物』の「時間の遡行」について言及している。

《自然主義文学の巨匠、徳田秋声は中年を過ぎて妻を失い、多くの子女を擁(かか)えた家庭が、半ば崩壊状態を迎えた時、その精神的動揺のなかでひとつの恋愛を経験し、その新しい官能的解放を通して、文学的にも新しい生命の甦(よみがえ)りを実現した。

 その甦りの記録ともいうべき記念すべき小説『仮装人物』は、そのようにして、五十歳を越して老人となることを寸前にひかえた人間の第二の人生への再出発という、奇蹟的事実の卓抜な表現となったが、同時に甚だ数の少ない「恋愛小説」ともなった。(中略)

『仮装人物』は長い恋愛が終り、主人公が相手の女性に対して、うとましさしか感じなくなった状態から書き始めている。

 彼は「すっかり巷(ちまた)の女になりきってしまって、悪くぶくぶくしている彼女の体」を抱いて、ダンスをしている。そして「心の皺(しわ)のなかの埃(ほこり)まぶれの甘い夢や苦い汁の古滓(ふるかす)」について「苦笑」しながら、回想に耽(ふけ)りはじめる。

 この、幻滅から出発している、というところが、やはり自然主義を一生奉じていた作家らしいわけであるが、しかし物語が極く短いその幻滅的導入から、忽ち「文字どおり胸の時めくようなある一夜」の記憶へと逆転して行くのである。

 この逆転、時間の遡行(そこう)は、この小説の特徴であり、しかも、遡行した時間の記憶のなかにまた別の時間が插入されるという極めて複雑な構成である。しかも、時間から時間への移り行きは専ら、主人公の回想の展開の秩序に従っている。

 と、こう説明すると、読者はまるでプルーストじゃないか、と問いたくなるだろう。

 作者秋声は、主人公がこの恋愛によって感覚が解放された時、新鮮な気持で西欧の二十世紀文学に共感する眼を見開かれたと述べていて、現にプルーストの名もあがっているのである。

 私は恐らく秋声はプルーストに触発されて、自分の経験をこのように微細に展開すること、しかもそれを専ら内面的に分析して行くことに、興味を感じるようになったものと推定している。》

 

 たしかに秋声は『仮装人物』二十二章で、主人公庸三の恋愛相手葉子を、《その頃葉子は子供が海岸に行つてゐる間を、庸三の古い六畳の方を居間にして、プルウストやコレツトの飜訳などを読み耽けり、其の暇には我が家のやうに部屋を掃除したり、庭石や燈籠に水を打つたちして、楽しげな毎日を送つてゐたが、子供達が海岸から帰つて来ると彼女の気分もがらりと変るのだつた。》とプルーストの翻訳を読む女として描写している。

『仮装人物』の起稿~刊行は昭和10~13年(1935~38年)であるが、葉子がプルーストを読み耽ると書かれた実際の年代は、その10年ほど前の昭和2年頃(1927年)であろう。対して、プルースト『失われた時を求めて』(1913~27年フランス語版刊行)の日本語訳は、『失ひし時を索めて 第一巻 第1部・スワン家のほう』(淀野隆三・佐藤正彰訳、武蔵野書院)が1931年、『第2部 スワンの恋』、『第3部 土地の名』(井上究一郎・久米文夫訳、作品社)が1933~34年であるから、作品中の葉子が読んでいたかはいたって怪しいが、ともかくも秋声は『仮装人物』執筆時には読んでいて、作品中で葉子に読ませることにしたのかもしれない。

 しかし、秋声の「時間の遡行」は、なにも『仮装人物』がはじめてというわけではなく、明治43年(1910年)の『足迹』や、大正4年(1915年)の『あらくれ』の頃からであり、時系列からしても秋声の時間の扱いはプルーストに触発されてのものではなく、秋声の生理的な癖のようなものとみるのが自然ではないか。

 

<「錯綜する時間」>

 松本徹『徳田秋聲』は、秋声の「時間」概念について分析している。とくに目覚ましいのは、西欧二十世紀文学における、個人の意識の内面に収斂される技法的な(無)意識的時間の錯綜には収まりきらない秋声の「錯綜する時間」を論じたことではないだろうか。

 松本があげた秋声の「時間の扱い」の具体例を整理すれば、秋声の「錯綜する時間」は三つに大別できそうだ。

 一つめは、中村眞一郎が指摘した「時間の遡行」、過去への回想であるが、秋声の場合は特に「迂回」への絶えざる志向となっている。

《秋聲の作品の独自性として、最も顕著なのは、時間の扱ひやうである。野口冨士男は「時間の倒叙」と呼ぶが、単に時間を転倒させるだけでなく、じつにさまざまなふうに錯綜させており、それが本格的におこなはれたのは、『足迹』が初めてである。(中略)

 時間の順序を前後させるだけのことなら、『足迹』以前にも盛んにおこなはれてゐて、たとへば『新世帯』では、「新吉がお作を迎へたのは、新吉が二十五、お作が二十の時、今から丁度四年前の冬であつた」と書き出し、ついで結婚話が持ち出された時点へと戻つて、婚礼から結婚生活を扱つてゐる。まづ現在の状況を概括的に示して、それから過去へと引き返し、現在へと向かつて述べ降つてくるのだ。これは、秋聲の愛用した形式であるものの、時間の扱ひとしてはごくありふれたものである。》

 ここからは、長編小説『仮装人物』をめぐる引用となる。

《全篇の序にあたる冒頭の部分のあと、「今庸三は文字どほり胸の時めくやうな或る一夜を思ひ出した」と、改めて書き出されてゐる。いはば、ここから本論に入るわけである。当然、読者は、このあとその一夜の叙述に入ると期待しよう。また、さう書き進めるのが、小説の一般的な書き方であらう。ところが、続きは、かうである。

   その時庸三は、海風の通って来る、或る郊外のコツテイジじみたホテルへ仕事を持つて行かうとして、ちやうど彼女が何時も宿を取つてゐた近くの旅館から、最近母を亡くして寂しがつてゐる庸三の不幸な子供達の団欒を賑はせるために、時々遊びに来てゐた彼女――梢葉子を誘つた。

 なんとも回りくどい文章だが、誘つた時点まで後戻りし、それまでの経緯を手短かに説明してゐるのである。この後、さらにかう書きつぐ。

   庸三は松川のマダムとして初めて彼女を見た瞬間……

 葉子が、自作の原稿を持つて初めて庸三を訪ねて来たとき――事実に即して云へば、ほぼ二年前へと、一気に遡ってしまふのである。最初だから、これまでの経緯を詳しく説明する必要があると云へば、そのとほりだらう。しかし、この書きやうは、連載第一回(初版本では十七頁の分量)にとどまらず、第二回も同様で、当の一夜は語られないのである。

 そして、第三回になつて「郊外のホテルの一夜――」と、改めて書き出されるものの、その「――」の次にくる文章が、またしてもかうである。

   その物狂はしい場面を思ひ出す前(・)に……

 絶えず、「前に」「前に」である。容易に先へ進まない。そして、この回では、ホテルへ一緒に行く約束を交すまでに二人が接近した経緯を主に扱ひ、それからやつと、当の一夜に触れる。それまでに初版本で三十頁が費されてゐる。なんとも恐るべき迂回である。そして、肝腎の一夜はごく簡単に記されるにとどまる。

 このやうな迂回運動が、全篇をつうじて間断なくおこなはれるのであり、連載二十六回のうち、いま見たやうに数回にわたつて大きく迂回する場合と、ときには一回のうちで幾度も小さく迂回する場合と、さまざまあつて、それが互ひに複雑にもつれ、からみあつてゐるのである。》

 

 二つめは、時間の流れの無視である。これもまた『仮装人物』からの引用になるが、

《第六回の前半――。まづ、前回に引き続いて、秋田の海岸に近い葉子の実家で、庸三が過す日々が描かれてゐるが、一行あけて、次の文章がくる、

   葉子が思ひがけなく継母の手から取戻した、長女の瑠美子をつれに、再び海岸の家へ帰つて行つたのも、それから間もないことであつた。

 庸三の帰京も、葉子の上京も書かれてゐないのにもかかはらず、いきなり葉子が東京を発ち秋田へ行つたことへと記述が跳んでゐるのである。だから、この文章を読んだ一瞬、けげんな思ひをしよう。庸三も葉子も、まだ秋田にゐるはずなのに、と。このやうな飛躍は、しかし、まだ序の口である。この続きはかうである。

   ……彼女は十六時間もかゝる古里と東京を、銀座へ出るのと異らぬ気軽さで往つたり来たりするのであつた。この前東京へ帰らうとする時彼女は卒(いざ)切符売場へ差しかゝると、少しこぢれ気味になつて、瞬間ちよつと庸三を手古摺らせたものだつた。二人は売場を離れて、仕方なしに線路ぞひの柵について泥溝(どぶ)くさい裏町を暫らく歩いた。

 とあてて、この時の描写がつづく。葉子が娘をつれに帰郷したときへと跳んだのに、すぐさま元へ戻つて、庸三が葉子を後に残して秋田を発つときのことになつてゐるのである。「この前」といふ一語が記されてゐるものの、かう目まぐるしくては、ついていくのが難しい。かうした記述が、全篇いたるところに出てくる。

 いまの引用の先を見ておくと、庸三は、葉子と一緒に裏町をしばたく歩いたあと、ひとり列車に乗る。そして、車中で秋田滞在中のもとをあれこれ思ひ出し、その叙述になる。すなはち、また過去へと遡るのだ。それから改行して、

   瑠美子をつれて葉子の乗つてゐる汽車が着いた時、庸三は長男と一緒に歩廊に立つてゐた。

 庸三が汽車に乗って東京へ向つてゐたのだから、当然、庸三が駅に着いた場面になるはずだと、誰しも思はう。ところが庸三は迎へる側で、葉子が到着するのだ、それも娘の瑠美子を連れて。だから、切符売場でもめたあげく庸三が乗つた列車でも、その後、上京して来た葉子が乗つた列車でもなくて、さらに後日、ただし、すでに記されてゐるところの、「長女の瑠美子をつれに、再び海岸の家へ帰つて行つ」てから、上京して来た時のことなのである。このことに気付くのには、少し暇がかかる。

 そして、この続きは、「葉子に取つて、彼の大きな子供は鬼門であつたが……」とあり、庸三の長男と葉子の間にこれまで起つた「細かな軋轢」二件が記される。ここでまた、筆は過去へ戻るのである。

 このやうに徹底して時間の順序を無視、先へ、あるいは後へと、奔放に跳びまはるとき、われわれの持ちあはせてゐる時間の観念が、ずたずたにされよう。》

 

 三つめ。これはほとんど指摘されていないが、「並列的同時的時間の錯綜」といえよう。『足迹』をめぐる引用。

《独特だとは、次のやうな場合において初めて云へることであらう。

 東京へ出てきたものの、真面目に働く気持のない父親は、長い間家をよそにしたあげく、下の弟をつれて田舎へ帰る、その駅での場面。

   お庄は構内の隅の方の腰掛の上に子供をおろして、持つて来たビスケットなどを出して食べさせた。子供はそれを攫(つか)んだまゝ、賑やかな四下(あたり)をきよろ/\眺めてゐた。

   父親の顔は、長いあひだの放浪で、目も落窪み骨も立つてゐた。昨日浅草の方から、母親に捜出されて来たばかりで、懐のなかも淋しかつた。母親は、主婦(あるじ)に噬(か)みつくやうに言はれて、切なげに子供を負つて馬車から降りると、二度も三度も店頭を往来して、その揚句に漸(やつ)と入つて行つた。

   父親はその時二階に寝てゐた。女の若い情人(をとこ)は、其頃勧工場のなかへ店を出してゐた。

   父親は山の入つた博多の帯から、煙草入を抜出して、マッチを摺つて傍で莨を喫(す)つた。お庄は鬚の生えた其顎の骨の動くさまや、痩せた手容(てつき)などを横目に眺めてゐた。

   汽車の窓から、弟は姉の方へ手を拡げては泣面(べそ)をかいた。

   お庄は父親に、巾着のなかゝら、少許(すこしばかり)の銀貨まで浚(さら)はれて、とぼ/\とステーションを出た。

 昨日の出来事が、現在の駅での出来事と同様に描かれてゐるのである。ビスケットを食べてゐる幼い弟、目の落窪んだ父親、やつとの思ひで店へ入つて行つた母親、二階で寝てゐた父親、煙草を喫つてゐる父親、それらは、全く同じやうに捉へられて並べられてゐる。不注意に読めば、どれが過去でどれが現在か、ごつちゃにしかねない。時間の遠近感がないのである。(中略)あらゆる事柄を、眼前の出来事として捉へ、かつ、そのやうに描き出す徹底した態度である。たとひ遠い過去のことであらうとも、現在と同じやうに扱ふ。(中略)これは、明らかに時間の「倒叙」と云ふやうなものではない。過去と現在とが一つに重なりあひさへするのである。現実には在り得ないことだが、しかし、『足迹』といふ文学空間では、起る。描き出された事柄のすべてが、眼前の、現在ないしそれに等しい時制のものとなるのである。》

 

 松本徹は、《ここで、秋聲が、プルーストと生年を同じくし、ジェイムズ・ジョイスおよびヴァージニア・ウルフより没年が二年遅れてゐるにすぎないことを思ひ出しておくのも、無駄ではなからう。いづれも時間の扱ひにおいて大胆な試みをおこなつた作家たちである。

 ただし、秋聲が、彼らと同じやうな時間の扱ひやうをしたと云うわけではない。彼らは、時計的時間にかへて、有意義的時間、とくに人間の内的時間を大胆に押したてた。秋聲もまた、時計的時間を王座から引き降した点では同じだが、それに替へて内的時間をもつてしたわけではない。その内的時間さへ無視したと云つてよからう。庸三や葉子を載せて動いてゐる客観的時間も、彼らの裡を流れる主体的な内的時間も、ともに、思ふまま断ち切つたり、逆流させたり、横すべりさせたりしてゐるのである。その点では、いま挙げた西欧の現代作家たちよりも、より徹底的で、時間の秩序、流れから恐しく自由だと云つてよからう。》と、その「野放図」ぶりをあげている。

 

<「哲学の教養」としてのアウグスティヌス「時間論」>

 前述したように、丸谷才一『輝く日の宮』で、ヒロイン安佐子は《二人の作家が時間をどう捉へたかといふおもしろい課題を解くためには哲学の教養が必要だけれど、あれはどうも苦手だなあ、もつと勉強して置けばよかつたと悔んだり》した。

 四世紀末のアウグスティヌス『告白』第十一巻「時間論」は、時間について「知っている」ということのアポリアを告白したうえで、「過去」・「現在」・「未来」のうち、体験される「現在」という時間に重きをおいたことに特徴がある。近代以降のベルクソン『時間と自由』やフッサール『イデーン』、ハイデガー『存在と時間』においても、アウグスティヌスの時間論を厳密化したうえで、「現在」における人間(ハイデガーにおける現存在)の存在の在り方を考察したものであって、その時間論を否定したものではない。

 アウグスティヌス『告白』第十一巻「時間論」の要点を読んでみよう。

「時間の三つの相違」(アウグスティヌス『告白』第十一巻、第十四章)、

《それでは、時間とはなんであるか。だれもわたしに問わなければ、わたしは知っている。しかし、だれか問うものに説明しようとすると、わたしは知らないのである。しかもなお、わたしは確信をもって次のことを知っているということができる。すなわちなにものも過ぎ去るものがなければ、過去という時間は存在せず、なにものも到来するものがなければ、未来という時間は存在せず、なにものも存在するものがなければ、現在という時間は存在しないであろう。わたしはそれだけのことは知っているということができる。しかし、それではかの二つの時間、すなわち過去と未来とは、過去はもはや存在せず、未来はまだ存在しないのであるから、どのようにして存在するのであろうか。また、現在もつねに現在であって、過去に移りゆかないなら、もはや時間ではなくして永遠であるであろう。それゆえ、現在はただ過去に移りゆくことによってのみ時間であるなら、わたしたちはどうしてそれの存在しないことにあるものを存在するということができるであろうか。》

 

「どのようにして過去と未来とは現に存在するのであるか」(『告白』第十一巻、第十八章)」、

《もしも未来と過去とが存在するなら、それらがどこに存在するかをわたしは知りたいと思う。それらがどこに存在するかを知ることができなくても、しかもわたしはそれらがどこに存在しようと、それはそこにおいて未来または過去であるのではなく、現在であるということを知っている。それらは、もしもそこにおいても未来であるなら、まだそこに存在しないのであり、またもしもそこにおいても過去であるならば、もはや存在しないからである。それゆえ、存在するすべてのものは、どこに存在しようとも、ただ現在としてのみ存在する。しかしわたしたちが過去を真実に語るとき、記憶から過ぎ去った事物ではなく、それらの事物の心象から考えられた言葉が取り出されるのである。それらの心象は、事物が過ぎ去るときに感覚によっていわば心のうちに痕跡として残されたものである。じっさい、もはや存在しないわたしの少年時代は、過去という時間のうちにあって、その過去はもはや存在しないのであるが、しかしその心象は、わたしが少年時代を回想して語るとき、現在という時間において見られるのである。心象はわたしの記憶のうちに存在するのである。つぎに未来を予言する場合にもこれと同じわけなのであろうか。まだ存在しない事物も、その心象はすでに存在して予知されるのであろうか。わたしの神よ、わたしは告白する。わたしはそれを知らないのである。しかしわたしはつぎのことを確かに知っている。わたしたちは多くの場合未来の行為を予想し、その予想は現存するのであるが、しかしわたしたちが予想する行為は未来のものであるから、まだ存在しない。しかし、わたしたちがその行為にとりかかり、予想していたことを始めるとき、そのときかの行為は存在するようになるであろう。それはそのとき未来ではなくして、現在であるからである。》

 

「わたしたちは魂によって時間を測る」(『告白』第十一巻、第二十八章)、

《しかしどうしてまだ存在しない未来のものが減じたり、なくなったりするのであるか。またどうしてすでに存在しない過去のものが増すのであるか。それはこのようなことをなす魂のうちに三つのものが存在するからではなかろうか。すなわち、魂は期待し、知覚し、記憶する。そして魂が期待するものは、知覚するものを経て記憶するものに移ってゆくのである。それゆえ、だれが未来のまだ存在しないことを否定するであろうか。しかしそれにもかかわらず、未来のものの期待はすでに魂のうちに存在するのである。また、だれが過去のすでに存在しないことを否定するであろうか。しかしそれにもかかわらず、過去のものの記憶はなお魂のうちに存在するのである。また、誰が現在という時間が一瞬のうちに過ぎ去るのであるからそれが長さを持たないということを否定するであろうか。しかしそれにもかかわらず、知覚は持続し、それを経て将来存在するものがもはや存在しないものとなるのである。》

 

 アウグスティヌス『告白』第十一巻「時間論」における、《存在するすべてのものは、どこに存在しようとも、ただ現在としてのみ存在する。しかしわたしたちが過去を真実に語るとき、記憶から過ぎ去った事物ではなく、それらの事物の心象から考えられた言葉が取り出されるのである。それらの心象は、事物が過ぎ去るときに感覚によっていわば心のうちに痕跡として残されたもの》、《過去のものの記憶はなお魂のうちに存在する》とは、「秋声的時間」の本質であって、秋声作品でよく使われる「今」は、単なる「現在」ではなく「過去」をも内包した「現在」、の「今」なのに違いない。

 

<「時間の巻き戻しの頻繁で長い運び」>

 秋声的時間を読む快楽については、古井由吉の秋声をめぐる文章を読むことから体感するのがふさわしい。

 古井由吉は徳田秋声の文庫本解説として、『新世帯・黴』(解説「世帯の行方」)、『仮装人物』(解説「空虚感を汲み尽そうとする情熱」)を書いている。古井『魂の日』には、入院したおりの読書のあれこれから導き出されたいかにも古井らしい思考の跡が記されているが、秋声に関しては冒頭の「寝床の上から」章からはじまり、「春の旅」章へと連なってゆく。

《入院早々に頸椎に故障ありと診立てられ、枕をはずしての仰臥、ときおり立つことまでは禁じられていなかったが出来るかぎりの安静を命じられ、とたんに日が永くなった。そうなると、眠るか本を読むかより、ほかに為ることもない。さっそく、入院の前日までに家で読んでいた本を鞄の中からひっぱり出した。徳田秋聲の自伝小説「光を追うて」である。手はともかく脚のほうはすでにかなり歩行困難が進んで、原因もまだ知れないのに、まるでせっかく興に乗りかけた読書を入院騒ぎのために中断されたことをもどかしがるような熱心さで読み耽る。そんな自分をなにやらあさましいようにも感じたが、読書にも平生よりは無責任の佳味があった。優柔不断の気味のある小説の主人公の名前が等(ひとし)ならば、たまたま担当となった若手気鋭の、私とは親子ほども年の隔たりがあろうと思われる容姿端麗の医師も名字が等、等先生であった。それはともかく、私が病院に持ちこんだのは臨川書店から出た秋聲全集の復刻版中の一巻で、束もある布クロス本だが、それにしては軽い、目方の軽いのには助かった。

「光を追うて」をたちまち読みつくし、それに誘われてもう一巻、明治の末年から大正初期にかけての秋聲の短篇群をおさめた巻を家族にたのんで自宅から持って来させた頃には苦しい検診も済んで、頸椎の手術が必要である旨、若い担当医から、土曜の暮れ方の病室で立話に申し渡された。家族への報告は、他人の難儀を知らせる口調に似ていた。電話を置くと仰臥に戻り、しばし息をついてから、またつぎの短篇を読み出した。

「足袋の底」、「北國産」、「晩酌」、「日向ぼっこ」。どれも陰気な小説であり、人生の陰気のきわまったような姿ばかりだった。「大祭日」、「リボン」、「二老婆」、「下宿屋」。これらの短篇の陰気は過ぎ去らない。カタルシスには至らない。永遠の相という趣で日常の内にある。しかし単純な話、なぜこれにつくづく、感銘を受けるのか、しかも足萎えになりかけている病人が、と一篇ごとに訝りながらつぎへ進むうちに、日に日に本が手に重くなり、目のほうもとかく同じ箇所をぼんやり行きつ戻りつするようになり、最後の一編を読み終えた時には本をばさりと寝床の上に取り落し、両手の指が鉤なりにこわばっていた。手術の日ももう間近だった。》(「寝床の上から」)

《読む物も一冊ずつ手もとから消えていった中で、秋聲全集の第二巻のほうが残った。これは文庫本にくらべれば嵩も目方もある本なので、整理の始まる頃に真っ先に持って帰らすつもりでいたのが、その中に収められた「足袋の底」という短篇の冒頭の場面がちらりちらりと念頭に浮ぶようになった。場末風の雰囲気のビヤホールらしきところで、爺さんがちびりちびりと酒を飲んでいる。下は土間で、硬いテーブルが置かれている。正宗の二合瓶に、塩辛いハムなどをつまんでいる。(中略)

 手術の日のそろそろ近づく頃に読んで目を留めたらしいこの箇所が、退院も来週という頃になり。「赤い豚の肉」という言葉を中心にして、ぼんやりと戻って来ていた。これから遊郭のほうへ向かうところだ。あの爺さんもたしか病みあがりだった、と思い出した。

 それでもまた三日ほど置いてから本を手に取ったものだ。前半は秋聲特有の、時間の巻き戻しの頻繁で長い運びだった。手術の前の時には初読でもないのに時間の前後を再三読みはずしては、不自由な手でページを繰り直したものだが、このたびは行きつ戻りつ、戻りつ行きつの運びが、病みあがりの思考に似ているせいか、たどりやすかった。実際に前後がどうこうというよりも、爺さんが女房や息子に背を向けて、叩き上げて呉服屋の身代まで息子にのこした自分の生涯にも背を向けた様子で、快楽ののこりをもとえて一人でうろつく姿を、周旋屋に世話された若い女の家のある路地から空咳をしながら賑やかな通りへ出てくるところやら、その女にもとうに懲りて切れて、長年疎くしていたらしい遊郭へ足を向けるところやらを、ただたどっていれば、ずいぶん読んでいる気分になった。そのうちに、(後略)》(「春の旅」)

 

                                     (了)

     *****引用または参考文献*****

*『現代日本文學大系15 徳田秋聲集』(徳田秋声『あらくれ』、『仮装人物』、『縮図』、『町の踊り場』他所収、夏目漱石「『あらくれ』評」、広津和郎「徳田秋声論」他所収)(筑摩書房)

*野口冨士男『徳田秋聲ノート』(中央大学出版部)

*野口冨士男『徳田秋聲傳』(筑摩書房)

*野口冨士男『徳田秋聲の文学』(筑摩書房)

*徳田秋声『新世帯・黴』(古井由吉解説「世帯の行方」所収)(福武書店文芸選書)

*徳田秋声『仮装人物』(古井由吉解説「空虚感を汲み尽そうとする情熱」所収)(講談社文芸文庫)

*中村眞一郎『この百年の小説』(新潮社)

*松本徹『徳田秋聲』(笠間書院)

*古井由吉『魂の日』(福武書店)

*丸谷才一『輝く日の宮』(講談社文庫)

*『日本古典文学大系64 春色梅児誉美』為永春水作、中村幸彦校注(岩波書店)

*『徳田秋聲全集 第18巻』(『光を追うて』他所収)(八木書店)

*アウグスティヌス『告白』服部英次郎訳(岩波文庫)

*『エリオット選集 第一巻』(『伝統と個人的な才能』吉田健一訳、所収)(彌生書房)

*『丸谷才一全集 第一巻~十二巻』(文芸春秋)

*「角山榮『時計の社会史』(吉川弘文館)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談」(ALL REVIEWS)

*徳田秋声「菊池寛賞を受けて」(昭和14年4月1日(「文芸春秋」第17巻第7号))

文学批評/映画批評) 川端康成『山の音』の死と性と頽廃と背徳

  

 三島由紀夫が『山の音』を川端のベストスリーと顕彰したごとく、成瀬巳喜男監督『山の音』もまた、『浮雲』『流れる』と相並ぶ成瀬映画のベストスリーといっても過言ではあるまい。

 蓮實重彦が「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」でテーマ・アップした成瀬映画の「曖昧」「生活空間」「病に倒れること」「並んで道を歩くという運動」「遁走」「せっぱつまった」「おだやかな凄惨さ」が『山の音』でも見てとれるが、成瀬の抑制が川端作品の「性」のある種の過激さを回避した。小説の「頽廃と背徳」は、脚本と配役(とりわけ修一役の上品なだけにより罪深い上原謙に負うところが大きい)において、「光と影の戯れ」の監督術によって映画の底に残った。

 

 映画でラストシーンとなる信吾と菊子が新宿御苑を並んで歩く場面は、小説では中ほどの「都の宛」章にある。小説と映画の最大の構成的な差異であるばかりか、映画では、菊子が修一と別れるのを決心していると信吾が指摘する。菊子が自由の身となることを後押ししている、自分もまた信州に隠居しようかと思う、と信吾が告げるというように、小説の結末「秋の魚」章の曖昧な一家団欒とは大きく異なる改変がある。

それもこれも、小説『山の音』は、昭和24年(1949年)の「山の音」章で始まってから5年近く、昭和25年、26年、27年と複数の文芸誌に断続的に連作的に掲載され、その後、昭和28年1月号の「都の苑」章からも順次「雨の中」、「蚊の夢」(のち「蚊の群」)、「蛇の卵」、昭和29年4月号に「鳩の音」(のち「秋の魚」)が掲載されて、昭和29年4月に単行本として刊行されたのに対し、映画は昭和29年1月15日に封切りされている。つまり原作の完結前に映画が製作・公開されている。映画の結末は、シナリオを手がけた水木洋子によって描かれた(水木は菊子を鎌倉の家から「自由に羽ばたかせてやろう」と考えた(旺文社文庫『山の音』「映画『山の音』を担当して」、昭和四十三年)という)。成瀬自身の発案によるという『山の音』映画化を、すでに『乙女ごころ三人姉妹』(原作『浅草の姉妹』)(1935年)、『舞姫』(1951年)に次ぐ三作目になるとはいえ、未完成にもかかわらず川端はどういう心持ちで了承したのか、『乙女ごころ三人姉妹』撮影当時に対談もした監督の力量を信頼していたのであろうか。

 

『山の音』を精読する前に、須賀敦子による「ちくま日本文学」『川端康成』解説、「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」から引用する。

 

<須賀敦子「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」>

《川端が長篇を仕上げるのにながい時間をかけたのは、論理的な構想に欠陥があるためではなくて、抒情の連想がじゅうぶんなふくらみをもつのに必要な、内的な時の流れを作者が必要としたからなのだ、と。まず最初に、ひとつの章が書かれ、そのあとは、つぎつぎと連想をバネにして書きつがれていく。そして、川端の作品に時として見られる書き出しと結末の可能なずれ(・・)は、連歌や俳諧の運び方をみればわかるだろう。日本古来の座の文学においては、これに参加した詩人たち自身も、最後の句がどのようになるかは、発句が詠まれた時点ではわからない。連想が詩のながれをどのように変えていくかを、ただ待つ以外に知る手だてはない。川端の場合も、これに似たことがいえる。》

《主人公尾形信吾の家族は、戦いに敗れた国の文化の伝統が崩れていくのを象徴するかのように、時代の波にほんろうされている。戦争から帰った息子は、素直でうつくしい妻の菊子をうらぎって、戦地に夫をうしなった女性と関係を持っているし、離婚寸前の娘は二児までもうけながらも、親が選んだ相手に嫁がせられたことを恨んでいる。信吾自身、妻の姉で、彼にとっては初恋の相手だった女性を想う日が多く、その埋め合わせでもあるかのように、嫁の菊子に心をかよわせる。老いの兆しが信吾に死の近いことを想わせる反面、彼をかこむ自然は、脅威をおぼえさせるほどの生命力にあふれている。しかし、季節がめぐり、秋がきて、決定的な破局は避けられたかにみえる。夫への気持のこだわりから、一度は妊娠を中絶してしまう菊子も、夫の修一も、時の経過とともに夫婦らしく落ちついていくようである。

 こう書いてくると、まるで『山の音』は家庭ばんざいのやや通俗的な小説のように思えるかもしれないが、川端は彼らしい象徴性や落し穴を貴い毒のようにあちこちにひそませて、作品にほのかな頽廃性と気品をたきこめる。》

 

<『山の音』の「死」>

 成瀬の映画では、「死」のテーマは菊子の中絶を別とすれば、信吾の友人鈴本が旧友水田の形見の能面を持参して、温泉宿で女と頓死したので極楽浄土だと噂し合う場面ぐらいだが、川端作品では、「死」への連想、逸話は執拗なほど表れる。「死」とはつまり生の限られた「時間」のことであり、かつての生の「記憶」であるから、「時間」と「記憶」の作家川端にとって重要なことであった。

 

「山の音」章

 小説の始まり近く、死の予兆である。三島由紀夫が、頻繁な改行、音の突然の断絶と中断、転調、変調、構成の乱雑さ、故意の重複による、一種の「鬼気」と称した蒼古な味の文章である。

《八月の十日前だが、虫が鳴いている。

 木の葉から木の葉へ夜露の落ちるらしい音も聞える。

 そうして、ふと信吾に山の音が聞えた。(中略)

鎌倉のいわゆる谷(やと)の奥で、波が聞える夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。

 遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の頭のなかのようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思って、頭を振ってみた。

 音はやんだ。

 音がやんだ後(あと)で、信吾ははじめて恐怖におそわれた。死期を告知されたのではないかと寒気がした。

 風の音か、海の音か、耳鳴りかと、信吾は冷静に考えたつもりだったが、そんな音などしなかったのではないかと思われた。しかし確かに山の音は聞えていた。

 魔が通りかかって山を鳴らして行ったかのようであった。》

 

《十日ほど前、新築の待合で客を待っていた。客は来ないし、芸者も一人だけ来ていて、あとの一人か二人かはおくれた。(中略)

 二月あまり前に、芸者はこの待合を建てた大工と、心中しかかったのだそうである。しかし青酸加里を呑む時になって、この分量で確かに工合よく死ねるのかという疑いが、芸者をとらえた。》

 

 信吾はよく夢を見る。ほとんどが今では死んでしまった人の夢だ。

《「今朝目が覚める前に、死んだ人の夢を二度も見ちゃったよ。」と信吾は保子に言った。

「たつみ屋の小父さんに、そばを御馳走になったんだ。」

「あなた、そのそばを召し上ったんですか。」

「ええ? さあ? 食べるといけないのか。」》

 

「雲の炎」章

 夫相原とうまくゆかない娘の房子が二人の子供、里子と赤ん坊の国子をつれて鎌倉に帰ってきた。風呂敷から手拭や着替えを出す。信吾が風呂敷包に見覚えがあると妻保子に言うと、私が嫁に来る時に、なにかくるんで来たと言い、

《「もっと古いんですよ。姉の形見なんでしょうね。姉が死んでから、植木鉢をつつんで、実家へ返して来た風呂敷ですから。大きいもみじの盆栽でした。」

「そうかね。」と信吾は静かに言ったが、みごとな盆栽のもみじのくれないが、頭いっぱいに照り明るんだ。(中略)

 信吾が少年のころ、保子の姉にあこがれたことが、保子と結婚して三十幾年後、まだ古疵なのだろうかと、もみじのくれないのある頭の一方で思った。》

 

「栗の実」章

《鳥山の告別式で、大学の同級生にでも会えるかと、信吾は焼香をすませてから、寺の門の横に立っていたが、一人も見えなかった。》

 

「島の夢」章

《水田は温泉宿で頓死(とんし)をした。葬式の時に、旧友たちは鈴本のいわゆる極楽往生だとささやきあった。しかし、若い女を連れこんでいたからと言って、水田の死がどうしてそうと推量されるのか、後(あと)で考えると少し怪しい話だった。》

 

「朝の水」章

 息子の修一に、お父さんの頭も大方白くなったと言われた時、信吾は北本を思い出した。信吾の学校仲間と言えば、戦争の半ばから敗戦の後に、運命の転落をしたものが少なくなかった。息子を戦争で死なせる年齢でもあって、北本も三人の息子を失った。鏡の前で、白毛を抜いているうちに、頭が狂ってきて精神病院へ入れられたが、すべて抜いたところで黒々とした毛が房々と生えて来たものの、いのちは延びずに死んだ、と友人は話すのだった。

 

「春の鐘」章

 養子夫婦と孫にあてた遺書を残して行方不明になっている年寄り夫婦についての新聞記事に、信吾が細君の遺書はなかったのかと保子に問うとともに、嫁の菊子に「仮に、修一と心中するとして、菊子は自分の遺書はいらないか。」とうっかり言う。

 

「鳥の家」章

 修一を問いつめて、菊子が中絶した、しかもその日のうちに医者から帰ってきたと知る。

 

「傷の後」章

 房子の夫相原が伊豆の蓮台寺で二十五六の女給風の女と心中し、女は死んだが、男は生命はとりとめるみこみ、と新聞に出る。

 

「蛇の卵」章

 信吾の大学の同期生で、肝臓癌(かんぞうがん)の友人を病院に見舞いに行ったところ、宮本の工場で青酸加里を使っているから、もし不治の癌にでもなればその毒薬をもらおうという同窓会での話を思い出した友人に、宮本からあれを頼んでくれと言われる。

 

「秋の魚」章

 出戻りの房子と二人の子どももそろって、鮎の塩焼きに箸をつけつつ、昔、田舎で、保子の姉にすすめられて、俳句をひねったことがある、という話題になる。

《「今は身を水にまかすや秋の鮎、とか、死ぬことと知らで下るや瀬々の鮎、とかいう昔の句があってね。どうやらわたしのことらしい。」

「わたしのことですよ。」と保子が言った。

「卵を産んで海にくだると、死んでしまうんですか。」

「たしか死ぬんだと思った。川の淵にひそんで年を越す鮎もたまにはあって、とまり鮎と言ったかな。」

「わたしはそのとまり鮎かもしれませんね。」

「私はとまれそうはないわ。」と房子は言った。》

 

<『山の音』の「性」と「頽廃と背徳」>

 川端文学の思わせぶりだがあからさまな含みがある「性」描写は、成瀬において、映画の検閲ゆえというより、監督の資質から抑制的となっている、というのが一般的な解釈だろう。

『山の音』の撮影が始まる前の「座談会 ちかごろの日本映画」(「婦人朝日」(朝日新聞社、1954.2))で、成瀬が、プロデューサーの藤本真澄と交わした会話があって興味深い。

《藤本 文学と映画の限界の難しさと勝負しているようなものです。

 成瀬 まあ、あの作品のなかには一見簡潔な文章の中になかなかの含みがあるのです。性的描写も川端文学にはいやらしさがない。しかし、映画ではどうしてもそれをある意味でださなければならない。文章の味の難しさというか、要するに文字と絵の感覚の違いという気がします。

(中略)

 藤本 夫婦のセックスを直接描かないで、ただ菊子は子供みたいだといっているが、そこにセックスの問題はあきらかに提出されているのが「山の音」のよさだと僕は思うね。

 成瀬 それじゃますます映画化が難しく、怖くなってきます。》

 

 映画『山の音』で性愛を連想させる映像シーンはふたつある。

ひとつめは、小説の時系列では「山の音」章四~五に相当するが小説には具体的な描写はない。酔っ払って帰ってきた修一が風呂に入らずに寝室で仰向けになる。菊子が絞ったタオルを持ってきてから襖を閉め、台所に戻る。「菊子」という修一の声。「菊子」という呼び声がまた聞える。菊子は振り向いて寝室の方を見る。明りがついている窓の屋外のロング・ショットでフェード・アウトする

 ふたつめは、小説の「雲の炎」章二の《修一と菊子の話し声が聞えた。菊子は甘えていた。》に相当するのだが、ここでも小説には具体的記述はなく、水木洋子の脚本のなせる術である。颱風の夜、布団に入って目をつぶっている修一、寝巻きに着替える菊子。激しく雨が降りそそぐ屋根瓦と明りが灯った窓のロング・ショット。菊子が窓の方に目を向け、布団に横になろうとすると、こちらを向いて来た修一に「菊子」と声をかけられる(木下千花「妻の選択――戦後民主主義的中絶映画の系譜」によれば、映倫の審査記録に「寝室に於ける(いきなり菊子の手をぐっと引き寄せる)ところ扇情的にならぬよう演出上十分に注意して戴きたい」と記されており、最終的な成瀬映画にも菊子の手をぐっと引き寄せる演出を見ることはない)。上体を起こした菊子が不安げに修一を、ついで外(窓の方あるいは義父のいる方)に視線と想いをめぐらすミディアム・ショット。庭で雨に打たれる観音像にカット・アウェイしてフェード・アウトする。

どちらもフェード・アウトしても(するからこそ)、修一が性的な欲求を抱き、これから夫婦の営みが行なわれると観客に暗示してやまない。

 してみると、川端の文章こそ性行為に結びついた具体的描写はなく(女の美しさ、性戯を思わす表現は毒の花のように潜むとはいえ)、成瀬が性描写を抑制したというのは思い込みで、むしろ具体的な水木の脚本と成瀬の演出によって、川端が余白の文章で秘した性愛を映像で浮き上がらせたというのが真実なのではないか。とりわけ視線の動きで内面を滲ませる演技が、新妻菊子(貞節を売りとする原節子)の女の複雑さを、あたかも能面を重ねて顔を上下させることによる変化のように、エロティシズムとして感じさせたのではないか。

 

「山の音」章

 はじめに登場するシーンは、いたって普通の月夜の情景かもしれないが、川端ならではの病的なエロティシズムがあるのではないか。しかも、死の匂いを纏ってもいる。

《信吾は夜なかに保子のいびきで目がさめたのかと思うことがある。電燈をつけると、保子の顔を横目で見ていた。咽をつかまえてゆすぶった。少し汗ばんでいた。

 はっきり手を出して妻の体に触れるのは、もういびきをとめる時くらいかと、信吾は思うと、底の抜けたようなあわれみを感じた。

 枕もとの雑誌を拾ったが、むし暑いので起き出して、雨戸を一枚あけた。そこにしゃがんだ。

 月夜だった。

 菊(きく)子のワン・ピイスが雨戸の外にぶらさがっていた。だらりといやな薄白い色だ。洗濯物の取り入れを忘れたのかと信吾は見たが、汗ばんだのを夜露にあてているのかもしれぬ。》

 

 小説『山の音』には敗戦後の世相を反映して、アメリカ人相手の女(「娼婦」と表現される)が背景のように登場する(映画には出てこない)。

信吾が鎌倉駅からの帰りがてら、さかな屋でさざえを買う場面では、

《「あの海老、土曜日まであるかしら。私の人が好きなのよ。」

 うしろの娘はなにも言わなかった。

 信吾ははっとして娘をぬすみ見た。

 近ごろの娼婦である。背をまる出しにして、布のサンダルをはき、いい体である。

 さかな屋の亭主はきざんだ身をまな板の真中にまとめて、三つの貝殻へ分けて入れながら、

「あんなのが鎌倉にもふえましたね。」と吐き出すように言った。》

 

《菊子が嫁に来た時、信吾は菊子が肩を動かすともなく美しく動かすのに気づいた。明らかに新しい媚態(びたい)を感じた。

 ほっそりと色白の菊子から、信吾は保子の姉を思い出したりした。

 信吾は少年のころ、保子の姉にあこがれた。姉が死んでから、保子は姉の婚家に行って働き、遺児を見た。献身的につとめた。保子は姉のあとに直りたかったのだ。美男の義兄が好きでもあったが、保子もやはり姉にあこがれていたのだ。同じ腹と信じられぬほど姉は美人だった。》

 形代として菊子。

 

《息子の嫁に菊子が来て、信吾の思い出に稲妻のような明りがさすのも、そう病的なことではなかった。

 修一は菊子と結婚して二年にならないのに、もう女をこしらえている。これは信吾にはおどろくべきことだった。(中略)

 相手の女はこんな小娘ではないのだろう。信吾はなんとなく菊子からそれを感じた。女が出来てから、修一と菊子との夫婦生活は急に進んで来たらしいのである。菊子のからだつきが変った。

 さざえの壺焼の夜、信吾が目をさますと、前にはない菊子の声が聞こえた。

 菊子は修一の女のことをなにも知らないと、信吾は思った。》

 からだつきの変化を観察し、知らずに夫婦生活を聴き耳できてしまう日本家屋の生活空間で、そう病的なことではなかった、とは逆説以外のなにものでもなかろう。

 

「蝉の声」章

《房子がブラウスを下から持ち上げて、乳を飲ませた。

 房子は不器量だが、体はよかった。胸の形もまだくずれていない。乳をふくんで乳房が大きく張っていた。》

『山の音』の「性」は、隠微で病的なそればかりではなく、生殖、出産の「性」でもあって、菊子は八人きょうだいの末っ子で、《母もこの年でと恥じ、自分の体を呪(のろ)ったほどで、堕胎をこころみたがしくじった》のであり、「島の夢」章では、床の下でのら犬テルが五匹の子犬を生む逸話にかなりの頁を割いている(映画では、菊子にまだ子供ができないという菊子を傷つける話題の他はとくに触れられない)。

 

 よその家の日まわりを見上げて信吾は、信吾の背に立っていた菊子の買物籠の縁から枝豆が出ていたのに気づく。

《花は人間の頭の鉢廻りより大きい。それの秩序整然とした量感に、信吾は人間の脳を、とっさに連想したのだろう。

また、さかんな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思った。この蕊の円盤で、雄しべと雌しべが、どうなっているのか知らないが、信吾は男を感じた。》

 

『山の音』で、信吾はたびたび夢を見る。もともと川端は夢を多用するが、あまりの頻繁さに、精神分析を読者にうながそうとしているのかと思うほどである(しかし、成瀬は映画『山の音』で「性」的な夢を採用しなかった)。

 三四年前に七十過ぎで死んだ指物師のたつみ屋には娘ばかりが六人あった。

《その六人の娘のうちの一人であったかどうか、信吾は夕方の今はもう思い出せないが、夢で一人の娘に触れたのだった。

 触れたことはたしかに覚えている。相手が誰であったかは、まったく思い出せない。思い出す手がかりをなに一つ覚えていない。(中略)

 もっとも、目をさますような刺激はなかったのである。

 これも筋道はなにも覚えていない。相手の姿も消えてしまって、思い浮かばない。信吾が今覚えているのは、ゆるい感覚だけだ。からだが合わなくて、答えがなかった。まがぬけていた。

 信吾は現実にもこれほどの女を経験したことはない。誰かはわからないが、とにかく娘なのだから、実際にはあり得ないことだろう。

 信吾は六十二になって、みだらな夢を見るのもめずらしかったが、みだらとも言えぬほど、それが味気ないものであったのには、目覚めてからもけげんに思った。》

 

 会社の女事務員の谷崎英子の乳房の小ささに関する叙述がたびたび出てくる。もともと川端は乳房への拘りが強いけれども、必ずしも母恋しではなく、少女の幼い乳房への愛着も強い。

《英子は二十二なのに、ちょうど掌(てのひら)いっぱいくらいの乳房らしい。信吾はふと春信(はるのぶ)の春画(しゅんが)を思い出したりした。》

 

「雲の炎」章

《女事務員の英子が信吾の帰り支度を手つだってから、自分もいそいで支度した。白い透き通る雨外套(あまがいとう)を着ると、なお胸がぺちゃんこに見えた。

 踊りにつれて行って、英子の乳房の貧弱なのに気づいて以来、かえって信吾はついそれが目につくのだった。》

 

 颱風の夜、信吾と保子が房子のことを話していると、

《修一と菊子の話声が聞えた。菊子は甘えていた。》

 前述したように、川端のたったこれだけの文章の秘め事を、成瀬は抑制しているように感じさせつつ、性愛を暗示する映像として表象した。

 

《英子が白いブラウスを着て、白いリボンを結んでいるのを、信吾は見た。(中略)

 耳や耳のうしろの生え際のあたりが出て、ふだん髪にかくれた青白い肌に、毛はきれいに生え揃っていた。

薄い毛織の紺のスカアトをはいていた。スカアトは古い。

乳房の小さいのも気にならぬ服装だった。》

 乳房うんぬんもさることながら、耳のうしろの生え際を「見る」眼が怖ろしい。

 

《「君は修一の女を知ってるんだろう。」

 英子は困った風だ。

「ダンサアか。」

 答えなかった。

「年上なの?」

「年上って? お宅の奥さまよりは上です。」

「美人だね?」

「ええ、おきれいですわ。」と英子は口ごもっていたが、

「でも、ひどくしゃがれ声のひとですね。しゃがれ声って言うより、声が割れているようで、二重になって出るようで、それがエロチックだっておっしゃいますの。」

「ふうん?」

 英子が口をわりそうになると、信吾は耳をふさぎたくなった。

 自身に恥辱も感じ、修一の女や英子の本性の出そうな嫌悪(けんお)も感じた。

 女のしゃがれ声がエロチックという、話の切出しにも、信吾はあきれた。修一も修一だが、英子も英子だ。

 信吾の顔色を読んで、英子は黙ってしまった。》

 

 信吾の眼は、なにも女たちだけを観察するのではない、男を透して好色の影を見る。

《その日も、修一は信吾といっしょに早く帰り、戸じまりして、一家四人で映画の「勧進帳(かんじんちょう)」を見に出た。

 ワイシャツを脱ぎ、シャツを着替える時、修一の乳の上や腕のつけ根が赤くなっているのを、信吾は見て、嵐のなかで、菊子がつけたのかと思った。》

 

「島の夢」章

 信吾は行ったこともない松島を夢に見るが、松蔭の草原で非常に若い娘を抱擁していた。

 旧友水田の遺品の能面(慈童)を英子の顔にあてていろいろに動かせる。また信吾は慈童の面に触れるほど顔を重ねてみた。

 

「冬の桜」章

《「奥さまのことを、子供だ、子供だって、よくおっしゃってましたわ。」

「君にか?」と信吾は声がとがった。

「はあ、私にも絹子さんにも……。子供だから、おやじに気に入っていると、おっしゃってましたわ。」

「馬鹿な。」

 信吾は思わず英子を見た。

 英子は少しあわてて、

「でも、このごろはおっしゃいません。このごろは、奥さまのことはおっしゃいませんわ。」

 信吾は怒りにふるえて来そうだった。

 修一は菊子のからだのことを言っていたのだと、信吾は察した。

 修一は新妻に娼婦をもとめていたのだろうか。おどろいた無知だが、そこにはまたおそろしい精神の麻痺があるように、信吾には思えた。

 修一が妻のことを絹子や、また英子にまでしゃべる、つつしみのなさもこの麻痺から来ているのだろうか。

 信吾には修一が残忍に感じられた。修一ばかりではなく、絹子や英子も菊子に対して残忍であるように感じられた。

 修一は菊子の純潔を感じなかったのか。

 末っ子で、ほっそりと色白の菊子の幼な顔が、信吾に浮んで来た。

 息子の嫁のために、息子を感覚的にも憎むのは、信吾も少し異常だと気づきながらも、自分がおさえられなかった。

 保子の姉にあこがれたために、その姉が死んでから、一つ年上の保子と結婚した信吾は、そのような自分の異常が生涯の底を流れていて、菊子のためにいきどおるのだろうか。

 菊子は修一にあまり早く女が出来たので、嫉妬のすべにも迷うありさまだったが、しかし修一の麻痺と残忍との下で、いやそのためにかえって、菊子の女は目ざめて来たようでもある。》

 映画では、信吾の内心の声を、「無理ですわね、若奥さまに娼婦みたいなこと」とまで英子に言わせる。

 

「朝の水」章

《「お父さま。まあお早い。」

 菊子は自分が顔を洗おうとしていた水を捨てて、信吾のために、洗面器へ新しい水を出した。

 その水に血がぽたぽたと落ちた。血は水のなかにひろがって薄れた。

 信吾はとっさに、自分の軽い喀血を思い出し、自分の血よりきれいだと思い、菊子が喀血したと思ったが、鼻血だった。

 菊子はタオルで鼻をおさえた。

「仰向いて、仰向いて。」と信吾は菊子の背に腕を廻した。菊子は避けるように、前へふらついた。信吾は肩をつかんで、うしろへ引くと、菊子の額に手をやって、仰向かせた。

「あ、お父さま、よろしいんですの。すみません。」

 菊子がものを言ううちに、血が掌(てのひら)から肘(ひじ)へ一筋伝わった。

「じっとして、しゃがんで、横になりなさい。」

 信吾に支えられながら、菊子はそこへうずくまって、壁にもたれた。

「横になりなさい。」と信吾はくりかえした。

 菊子は目をつぶって、じっとしていた。気を失ったように白い顔が、なにかをあきらめた子供のようにも見えた。前髪のなかの薄い傷あとが、信吾の目についた。》

 この場面を、蓮實重彦は成瀬がラヴ・シーンとして演出していると論じている、

《息子の嫁の原節子が、ただならぬ気配で白いタオルを顔にあて、義理の父親の不意の出現に驚いたようにこちらに瞳を向けているからである。彼は、顔をタオルでおさえたままの嫁の肩に手をそえ、かかえるようにその場にすわらせる。台詞はほんのわずかしか口にされず、鼻血かという父親の言葉に、嫁は詫びながらうなずくのみだ。

 山村聰はその場に横たわるようにうながすのだが、もちろん、彼が床に臥せった義理の娘のかたわらに親しくかがみこむような画面を成瀬が挿入したりするはずもない。朝の淡い光に照らされる家の前庭の光景をとらえたものも含めて、すべては十ショットもないほどの短さのうちに終わってしまう。だが、愛しあってもいない息子の子供を宿した嫁の肉体的な変調に立ち会い、手をかざして介護するという父親の立場の微妙さが、この場面に抑制のきいたエロチックなサスペンスを漂わすことになる。(中略)

 実際、クローズ・アップでとらえられた二人の表情は、瞬時の非日常性を招き寄せるにふさわしい微妙な翳りにつつまれている。彼らの存在が父親と義理の息子の嫁という関係を超え、単なる男と女として画面に生なましく露呈されるのはそのためである。抱擁を擬するかのように床に崩れおちる二人の背後に低い抒情的な音楽を響かせる成瀬巳喜男は、これをまぎれもなくラヴ・シーンとして演出している。》としたが、最後に信吾が菊子をみつめる視線に、欲望に躊躇っているのか不穏な揺らぎを感じさせるショットではあるものの、ラヴ・シーンとまではどうだろうか。

 信吾役を演じた山村聰は回想している。

《山村 それと成瀬さんとこれだけは話し合いました。私は原作を読みまして、あれは男性対女性の話、義理のお父さんと嫁との男女の話なんだと。これは、川端康成さん独特の世界で、そういう色を出すとか、そういう意識を持ってやるかどうかということを相談したんです。そうしたら成瀬さん、簡単に言いましたよ。「いやらしいからやめましょう」って。いやらしいから、その話はやめましょうって言うんで、もう、そういうことなしに、いいお父さんといい嫁ということで通したんですよ。あとは別にどこを工夫したということもないし、自然にと。ただ後で見ると、やっぱり作ってるなと。何もあそこまで作らなくてもすんだのになと、自分では思いまして……異様にかったるくて、賞をもらう(筆者註:第一回東南アジア映画祭で主演賞受賞)ほどの出来ではなかったと思いますよ。》

 

《昼飯の時、修一を近所の洋食屋に誘って、

「菊子の額の傷は知ってるだろう。」と信吾は言った。

「難産で、医者が鉤(かぎ)をかけたあとだろう。生れる時に苦しんだ名残(なごり)というわけでもあるまいが、菊子が苦しい時は、あれが目立つようだね」

「今朝ですか。」

「そうだ。」

「鼻血を出したからでしょう。顔色が悪くなると、あれが見えるんです。」

 鼻血を出したと、菊子がいつのまに修一に話したのか、信吾はちょっと拍子抜けしたが、

「昨夜(ゆうべ)だって、菊子は寝てないじゃないか。」

 修一は眉をひそめた。しばらくだまっていて、

「お父さんはなにも、よそから来た者に遠慮なさらなくてもいいんですよ。」

「よそから来た者とはなんだ。自分の女房じゃないか。」

「だから、息子の女房に、遠慮なさらなくともいいと言ってるんです。」

「どういうことだ。」

 修一は答えなかった。》

 このように、《「昨夜(ゆうべ)だって、菊子は寝てないじゃないか。」》となぜ知っているのか、《遠慮なさらなくともいい》の真意とは、「どういうことだ」と問わずにいられない、曖昧な日本の川端。

 

 修一の女絹子と同居している女池田を、英子が無理に会社の応接間に連れてきた。同じ戦争未亡人の池田は、絹子に修一と別れた方がいい、と言っていたと言い、

《「男のかたも、修一さんだって、お酔いになるといけませんわ。絹子さんにずいぶん手荒いことをなさって、歌をうたえとおっしゃるんですの。絹子さんは歌がきらいですから、しかたなしに私が小さい声で歌うこともございます。そうでもして修一さんを鎮(しず)めないと、隣り近所にみっともなくて……。私はうたわせながら、侮辱されているようでくやしかったんですけれど、これは酒癖じゃなくて、戦地の癖じゃないかしらと思いつきましたの。戦地のどこかで、修一さんはこんな女遊びをなさったのじゃないかしら。そうしますと、修一さんの乱れた姿が、自分の戦死した夫が戦地で女遊びをしている姿のように見えるんでございます。胸がきゅうとなって、頭がぼうっとして来て、なんですか、自分が夫の相手の女のような錯覚をおこして、下品な歌をうたって泣いてしまいました。後で絹子さんに話しますと、自分の夫に限って、そんなことはと思うけれど、そうかもしれないわ。それからは、私が修一さんにうたわせられますと、絹子さんも泣くようになりまして……。」

 信吾はその病的なのに、暗い顔をした。》

 

「夜の声」章

《「菊子う、菊子う。」とまた門の音がした。

 信吾は枕もとの明りをつけて、時計を見た。二時半に近かった。

 横須賀線の終電車が鎌倉に着くのは、一時前だが、それからまた修一は、駅前の飲み屋でねばっていたのだろう。

 今の修一の声を聞くと、東京の女とのあいだも、もう先が見えていると、信吾は思った。

 菊子が起きて、台所から出て行った。

 信吾はほっと明りを消した。

 ゆるしてやれよと、菊子に言うように、信吾は口のなかでつぶやいた。

 修一は菊子にぶらさがって来るらしかった。

「痛い、痛いから、放して。」と菊子が言った。

「左の手で、わたしの髪をつかんでらっしゃるのよ。」

「そうか。」

 台所に二人はもつれ倒れて、

「だめよ。じっとして……。膝にのっけて……。酔うと足がふくれるのよ。」

「足がふくれる? 嘘つけ。」

 菊子は修一の足を自分の膝(ひざ)にのせて、靴を脱がせてやっているらしい。

 菊子はゆるしている。信吾が案じるまでもなく、夫婦のあいだでは、菊子もこんな風にゆるせる時を、むしろよろこんでいるのかもしれない。

 修一の呼ぶ声を、菊子もよく聞いていたのかもしれない。

 それにしても、修一が女のところから酔って帰ったのに、その足を膝に抱き上げて、靴を脱がせてやる、菊子のやさしさというものを、信吾は感じた。

 菊子は修一を寝かせてから、勝手口と門とをしめに行った。

 修一のいびきが信吾にまで聞えた。

 妻に迎え入れられて、修一がたちまち寝入ってしまったとすると、さっきまで修一の悪酔いの相手をさせられていた、絹子という女の立場はどうなるのだろう。修一は絹子の家で飲むと荒れて、絹子を泣かせるというではないか。

 まして、修一が絹子を知ったために、菊子はときどき青ざめながらも、腰まわりなども豊かになって来たのだ。》

 

 信吾は十四五の少女が堕胎をしたという夢を見る。「そうして、なになに子は永遠の聖少女となったのである。」という言葉が残った。昨夜の夕刊の記事が夢のもとだった。

 

 信吾は菊子が妊娠しているのか、みちみち聞いてみたかったが、言いそびれそうだった。妻の保子から、女の生理について聞かなくなってしまったことを、信吾も忘れて過ごしていた。

 

「春の鐘」章

 菊子が、お茶をしている友だちにいただいた黒百合を花入に立てようとしていた。

《信吾は花を嗅(か)いでみて、

「いやな女の、生臭い匂いだな。」と、うっかり言った。

 みだらな匂いという意味ではなかったが、菊子は目(ま)ぶたを薄赤らめて、うつ向いた。

「匂いはがっかりだよ。」と信吾は言い直して、

「嗅いでごらん。」

「お父さまのように、研究はしないことにしますわ。」》

 

《菊子は慈童の面を顔にあてた。

「この紐をうしろで結ぶんですの?」

 面の目の奥から、菊子の瞳(ひとみ)が信吾を見つめているにちがいない。

「動かさなくちゃ、表情が出ないよ。」

 これを買って帰った日、信吾は茜色(あかねいろ)の可憐な唇に、危く接吻しかかって、天の邪恋というようなときめきを感じたものだ。

「埋木(うもれぎ)なれども、心の花のまだあれば……。」

 そんな言葉も謡にあったようだ。

 艶(なま)めかしい少年の面をつけた顔を、菊子がいろいろに動かすのを、信吾は見ていられなかった。

 菊子は顔が小さいので、あごのさきもほとんど面にかくれていたが、その見えるか見えないかのあごから咽(のど)へ、涙が流れて伝わった。涙は二筋になり、三筋になり、流れつづけた。

「菊子。」と信吾は呼んだ。

「菊子は修一に別れたら、お茶の師匠にでもなろうかなんて、今日、友だちに会って考えたんだろう?」

 慈童の菊子はうなずいた。

「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきたいと思いますわ。」と面の蔭ではっきり言った。》

『山の音』は「重ね」(「襲(かさ)ね」)の物語(『源氏物語』の若紫、浮舟のような)でもあって、義姉と菊子の「重ね」が、能面を重ねさせるところに象徴的、重層的にあらわれる。知人、友人のたび重なる死の通知は信吾自身の死の予感に重なる。

 

「鳥の家」章

 菊子の体調が悪そうなので、修一を問いつめると、菊子は昨日医者へ行って流産をし(人工流産=中絶)、その日のうちに帰って来たのだと言う。

《「どうしてだ。どうして、菊子にそういう考えをおこさせるんだ。」

 修一はだまっていた。

「お前が悪いんじゃないか。」

「それはそうでしょうが、今はどうしてもいやだと、片意地を張るもんですから。」

「お前がとめれば、とめられることだ。」

「今はだめでしょう。」

「その、今というのはなんだ。」

「お父さんもごぞんじのように、つまり、僕が今のままでは、子供を産まないというんです。」

「つまり、お前に女があるうちは?」

「まあそうです。」

「まあそうですとは、なんだ。」

 信吾は怒りで、胸苦しくなった。

「それは菊子の、半ば自殺だぞ。そうは思わんのか。お前にたいする抗議というよりも、半ば自殺だぞ。」

 修一は信吾の剣幕にひるんだ。

「お前は菊子の魂を殺した。取りかえしがつかないぞ。」

「菊子の魂は、なかなかあれで、強情ですよ。」

「女じゃないか。お前の女房じゃないか。お前の出方ひとつで、やさしいいたわりで、菊子はよろこんで産むにちがいないんだ。女の問題は別にしてね。」

「ところが、別でないんですね。」

「保子などが、孫を待ってることは、菊子もよく知ってるはずだ。いくらか子供のおそいのを、菊子は肩身狭く思ってるくらいじゃないのか。ほしがっているものを、産めなくさせるのは、お前が菊子の魂を殺すようにするからだ。」

「それは少しちがうな。菊子には菊子の潔癖があるらしいんですね。」

「潔癖?」

「子供が出来るのもくやしいというような……。」

「ふうむ?」

 それは夫婦のあいだのことだ。

 修一はそれほど菊子に屈辱と嫌悪(けんお)とを感じさせているのかと、信吾は疑ってみたが、

「それは信じられないね。そんなことを言って、そんな素振りがあったところで、菊子の本心とは思えないね。亭主が女房の潔癖を問題にするなんて、愛情が浅薄な証拠じゃないのか。女が拗(す)ねたのを、真に受けるやつがあるか。」と、いくらか気勢がくじけた。

「孫を見ぞこなったと知ったら、保子もなんと言うかしれない。」

「しかし、これで菊子も子供が出来るとわかったんですから、お母さんも安心でしょう。」

「なんだって? お前は後が産れると、保証出来るのか。」

「保証してもいいです。」

「そういうことが、天を恐れぬ証拠だ。人を愛さぬ証拠だ。」

「むずかしい言い方ですね。簡単なことじゃないんですか?」

「簡単なことじゃないぞ。よく考えてみろ。菊子はあんなに泣いてるじゃないか。」

「僕だって、子供はほしくないことはないんですが、今は二人の状態が悪いですから、こんな時には、ろくな子供は出来ないと思います。」

「お前が状態と言うのは、なんのことか知らないが、菊子の状態は悪くないよ。状態が悪いとすると、お前だけだ。菊子は状態の悪くなる時があるような性質じゃないよ。菊子の嫉妬(しっと)を、お前がほぐしてやらないからだ。そのために子供をうしなった。子供だけじゃすまないかもしれんぞ。」

 修一はおどろいたように信吾の顔を見ていた。》

 この場面は映画でもお寺の境内を信吾(山村聰)と修一(上原謙)の二人に並んで話しながら歩かせるロケで、《成瀬システムで行くと、一歩歩いて振り返る、次の方がまた一歩歩いて、また近づいて来る、で二人になるというふうに、成瀬独特の、あの振り返りのポジション》(『山の音』のキャメラマン玉井正夫談)によって、会話もほぼ忠実に再現される。ここだけで十分に『山の音』の「頽廃と背徳」の世界が「山の音」のように重層低音で響いてくる。

 

「都の宛」章

 信吾と菊子が並んで新宿御苑を歩くところでも、アメリカ人夫婦の他に白人相手の娼婦(娼婦と決めつけるのもどうかと思うけれども)が登場する(映画では男女の二人づれが何組かエキストラとして通り過ぎるが、アメリカ人も娼婦も現れず、つまり成瀬は余計なものは見せないのだ)。

《池はやや日本風で、小さい中の島の燈籠(とうろう)に白人兵が片足をかけて、娼婦(しょうふ)とたわむれていた。岸のベンチにも、若い二人づれがいた。》

 

 事務員を辞めて、今は絹子と同じ洋裁店で働いている英子が会社に信吾を訪ねて来た。

《英子は顔を上げて信吾を見ると、泣きそうに息をつめた。

「言ってよろしいでしょうか。私、義憤を感じて、興奮しているのかもしれませんから。」

「ふむ?」

「若奥さまのことですけれど。」と英子は言いよどんで、

「中絶なさいましたでしょう。」

 信吾は答えなかった。

 英子がどうして知ったのか。まさか修一がしゃべりはすまい。しかし、英子は修一の女と同じ店にいる。信吾はいやな不安を感じた。

「中絶をなさるのはいいとしましても……。」と英子はまたためらった。

「誰が君にそんなこと言った。」

「その病院の費用を、修一さんは絹子さんのところから、お持ちになったのですわ。」

 信吾ははっと胸が縮んだ。

「ひどいと思いましたの。あんまり女を侮辱した、なさり方ですわ。無神経ですわ。若奥さまがお可哀想で、私はたまりませんでしたの。修一さんは絹子さんにお金をお渡しになってるでしょうし、御自分のお金のようなものかもしれませんけれど、私たちはいやですわ。私たちと身分がちがうんですから、それくらいのお金、修一さんはどうにでもお出来になりますでしょう。身分がちがいますと、それでよろしいんですか。」

 英子は薄い肩のふるえ出すのをこらえていた。

「お金を渡す絹子さんも絹子さんですわ。私にはわかりませんわ。腹が立ちますし、とてもいやですし、私は絹子さんと同じ店にいられなくなってもいいから、どうしてもお話に来たいと思いましたの。よけいなことをおしらせして、いけないんですけれど。」

「いや。ありがとう。」

「ここでよくしていただきましたし、私は若奥さまが、ちょっとお会いしただけで、好きですから。」

 英子の涙ぐんだ目はきらきら光っていた。

「別れさせてあげて下さい。」

「うん。」

 絹子のことにちがいないが、もしかすると、修一と菊子を別れさせろとも聞えた。

 それほど信吾は突き落されていた。

 修一の精神の麻痺と頽廃とにおどろいたが、信吾自身も同じ泥沼にうごめいていると思われた。暗い恐怖にもおびえた。》

 この「麻痺と頽廃」のあまりに痴話めいた状況は映画ではカットされている。

 

「傷の後」章

 信吾は邪悪な夢で目覚めた。

《乳房にふれているのに、信吾は女が誰かわからなかった。わからないというよりも、誰かと考えもしなかったのだ。女の顔も体もなく、ただ二つの乳房だけが宙に浮いていたようなものだ。そこで初めて、誰かと思うと、女は修一の友だちの妹になった。しかし、信吾は良心も刺戟(しげき)も、起きなかった。その娘だという印象は微弱だった。やはり姿はぼやけていた。乳房は未産婦だが、未通と信吾は思っていなかった。純潔のあとを指に見て、信吾ははっとした。困ったと思ったが、そう悪いとは思わないで、

「運動選手だったことにするんだな。」とつぶやいた。(中略)

「あっ。」と信吾は稲妻に打たれた。

 夢の娘は菊子の化身ではなかったのか。夢にもさすがに道徳が働いて、菊子の代りに修一の友だちの妹の姿を借りたのではないか。しかも、その不倫をかくすために、苛責をごまかすために、身代りの妹を、その娘以下の味気ない女にかえたのではないか。

 もし、信吾の欲望がほしいままにゆるされ、信吾の人生が思いのままに造り直せるものなら、信吾は処女の菊子を、つまり修一の結婚する前の菊子を、愛したいのではあるまいか。》

 

《信吾は戦争のあいだに、女とのことがなくなった。そしてそのままである。まだそれほどの年ではないはずだが、習い性となってしまった。戦争に圧殺されたままで、その生命の奪還をしていない。ものの考え方も戦争で狭い常識に追いこめられたままのようである。》

 

《修一に女が出来たために、菊子と修一の夫婦関係は深くすすんだ。菊子が堕胎をした後で、二人の夫婦なかは温かくなごんだ。はげしい嵐の夜、菊子は常よりも濃く修一にあまえ、修一が泥酔して帰った夜、菊子は常よりもやさしく修一をゆるした。

 菊子のあわれさか愚かさか。

 それらのことを菊子は自覚しているのだろうか。あるいはそれとさとられないで、菊子は造化の妙、生命の波に、素直に従っているのかもしれない。

 菊子は子を産まないことで修一に抗議し、さとに帰ったことでも修一に抗議し、そこに自身の堪えがたいかなしみも現わしたわけだが、二三日でもどって来ると、自身の罪をわびるかのように、また自分の傷をいたわるかのように、修一となかよくなってしまった。

 信吾にしてみれば、なんだ、つまらない、でないこともない。しかし、まあ、よかった、ということなのだろう。

 絹子の問題はしばらく不問のまま、自然の解決を待てばいいのかと、信吾は考えもするほどだ。

 修一は信吾の息子だけれども、菊子がこのようにしてまで修一と結ばれていなければならいほど、二人は理想の夫婦、運命の夫婦なのか、信吾は疑い出すと限りがなかった。》

 信吾の奇妙な嫉妬のごとき頽廃した内面の深層心理描写。

 

「雨の中」章

 英子がまた会社に来た。

《修一の女が妊娠していると聞かせられて、信吾はぎょっとした。

「産んではいけないと、私は言いましたの。」と英子は薄い唇をふるわせて、

「昨日、お店の帰りに、絹子さんをつかまえて、そう言ってやりました。」

「ふむ。」

「だって、そうじゃありませんの? ひど過ぎますわ。」

 信吾は答えようがなく、暗い顔をしていた。

 英子は菊子のことを思い合わせて言っているのだ。

 修一の妻の菊子と愛人の来ぬことが、前後して妊娠した。世間にもあり得ることだが、自分の息子にあり得ようとは、信吾は思ってもみなかった。しかも、菊子は中絶してしまった。》

 

《菊子は修一に女のあるうちは、子供が出来るのもくやしいというような潔癖から、産まなかったらしいが、その女の妊娠は夢にも知らなかったにちがいない。

 手術を信吾に知られてから、二三日さとへ行ってもどると、修一との仲がむつまじくなったと見え、修一は毎日早く帰って、菊子をいたわっているようだが、それはいったいなんなのだ。

 善意に解釈すれば、子供を産むという絹子に、修一も苦しめられ、絹子から遠ざかって、菊子に詫(わ)びているのかもしれない。

 しかし、なにかいまわしい頽廃(たいはい)と背徳の臭いが、信吾の頭にこもるようだ。

 いったいどこから生まれて来るのか、胎児の生命までが魔ものとも思えた。

「生まれたら孫か。」と信吾はひとりごとを言った。》

 映画では、信吾は絹子の子供のことは英子からではなく、本郷の大学の側にある絹子と池田の家を訪れたときにはじめて知ることで、この「頽廃と背徳」の臭いの場面はカットされている。

 

「蚊の群」章

 絹子と池田の家。

《「戦争未亡人が私生児を産む決心をしたんですわ。なにもお願いするわけはないけれど、産ませてやっていただきたいわ。お慈悲ですから、見のがしていただきたいわ。子供は私のなかにいて、私のものですわ。」

「それはそうでしょうが、これから結婚なされば、また子供は出来るでしょうし……。不自然な子を今産まなくても。」

「なにが不自然ですの?」

「いや。」

「私がこれから結婚するときまっていませんし、子供が出来るとはきまっていませんわ。神さまのような予言をなさいますの? 前には、子供がなかったんですわ。」(中略)

「お宅のお世話にならなければ、よろしいんでしょう。絶対に泣きつかないって、私誓いますわ。修一さんと別れましたし。」

「そういうものでもないでしょう。子供のゆくすえは長いんだし、父と子の縁は切ってもつながることがありますよ。」

「いいえ、修一さんの子じゃありませんわ。」

「あなたも、修一の嫁が子供を産まなかったことは知ってるはずでしょう。」

「奥さんこそ、いくらでもお出来になりますわ。出来なければ、後悔なさいますでしょう。贅沢な奥さんに、私の気持はおわかりにならないわ。」

「あなたにも菊子の気持はわからない。」

 信吾はつい菊子と名を言ってしまった。

「修一さんが、お父さんをおよこしになったんですか。」と絹子は詰問するように言って、

「修一さんは産むなと言って、私をなぐったり、踏んだり、蹴ったり、医者へつれて行こうとして、二階から引きずりおろされました。その暴力沙汰か芝居気で、修一さんの奥さんに対するお義理はすんでいるんじゃありませんの?」

 信吾は苦い顔をした。

「ね、ひどかったわね。」と絹子は池田を振り向いた。池田はうなずいて、

「絹子さんは、洋服地のあまりぎれも、子供のなにやかやおしめになりそうなのは、今からためていますの。」と信吾に言った。

「足で蹴られましたから、子供が心配になって、後で医者へ行ってみました。」と絹子はつづけた。

「私は修一さんに言いましたわ。修一さんの子供じゃありません。あなたの子供じゃない。それで別れましたの。いらっしゃいませんわ。」

「と言うと、ほかの人の……?」

「そうです。そうお取りになって、結構ですわ。」

 絹子は顔をあげた。さっきから涙を流していたが、新しい涙が流れつづいた。

 信吾は困り果てながら、絹子が美しく見えた。目鼻立ちを仔細に見ると、いい形でないが、ぱっと来る印象は美人だった。

 しかし、やわらかい見かけによらず、絹子という女は、信吾を寄せつけなかった。》

 この修羅場においてさえ、《目鼻立ちを仔細に見ると、いい形でないが、ぱっと来る印象は美人だった》との美意識をもつ男の性(さが)、あるいは業の哀しさは川端の頽廃と背徳の世界である。

 

「蛇の卵」章

 横須賀線の車内で、鶴見駅で事故があったのでとまってると車掌が言った。信吾の前の外人が、つれの青年にわけを聞いている。

《青年は外人の大きい片腕を両手で抱き、肩に頬をつけて眠っていた。目をあいてもその姿のままで、あまえるように外人を見上げた。目をとろんと薄赤く、目(ま)ぶたはくぼんでいた。髪を赤くしていた。しかし、根もとに黒いところが出て来ていて、茶色に汚ない髪だった。毛のさきだけ変に赤かった。外人相手の男娼だろうかと、信吾は思った。

 青年は外人の膝の上の掌を上向けて、自分の手をそれに重ねると、やわらかく握った。いかにも満足したようだった。

外人は肩までのシャツで、赤熊のように毛だらけの腕を出していた。(中略)

 信吾はこの青年が遠からず死ぬような気がした。目をそらせた。

 臭い小溝のふちに、よもぎの列が青々と生いしげっていた。電車はまだとまっていた。》

 

「秋の魚」章

《からす瓜をながめていると、菊子も目にはいった。

 あごから首の線が言いようもなく洗練された美しさだった。一代でこんな線は出来そうになく、幾代か経た血統の生んだ美しさだろうかと、信吾はかなしくなった。

 髪の形で首が目立つせいか、菊子はいくらか面(おも)痩(や)せして見えた。

 菊子の細く長めな首の線がきれいなのは、信吾もよく知っていたが、ほどよく離れて寝そべった目の角度が、ひとしお美しく見せるのだろうか。

 秋の光線もいいのかもしれない。

 そのあごから首の線には、まだ菊子の娘らしさが匂っている。

 しかし、やわらかくふくらみかかって、その線の娘らしさは、今や消えようとしている。》

 死と性を底に秘めた、美しさと哀しみをあわせもつ頽廃と背徳が川端の端正な文章から匂いたつ。

                                (了)

     *****引用または参考文献*****

*川端康成『山の音』(『新潮日本文学15 川端康成集』に所収)(新潮社)

*川端康成『山の音』(山本健吉、辻原登解説)(新潮文庫)

*蓮實重彦・山根貞男『成瀬巳喜男の世界へ』(蓮實重彦「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」、玉井正夫「成瀬さんの本領は、一歩歩いて振り返る、独特の振り返りのポジションですね」所収)(筑摩書房)

*「ちくま日本文学」『川端康成』(須賀敦子解説「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」所収)(筑摩書房)

*田村充正編『川端康成作品論集成 第八巻 山の音』(山本健吉「『山の音』の菊子」、三島由紀夫「横光利一と川端康成」、中村光夫「川端康成論(三)――好色について」、鶴田欣也「『山の音』」、他所収)(おうふう)

*「ユリイカ 特集成瀬巳喜男 2025年7月号」(紙屋牧子「肉体の軋 成瀬巳喜男監督『山の音』(一九五四年)における戦後的なもの」他所収)(青土社)

*黄也「成瀬巳喜男と<不確かさ>の映画 : 1951年以降の作品を中心に」(北海道大学)

*「座談会 ちかごろの日本映画」(「婦人朝日」(朝日新聞社、1954.2)

*村川英『新版 成瀬巳喜男演出術 役者が語る演技の現場』(ワイズ出版)

*千葉伸夫『監督成瀬巳喜男 全作品と生涯』(森話社)

*川本三郎『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)

*ミツワ・ワダ・マルシアーノ編著『「戦後」日本映画論 一九五〇年代を読む』(木下千花「妻の選択――戦後民主主義的中絶映画の系譜」所収)(青弓社)

*折口信夫「山の音を聴きながら―川端康成氏の近業―」(『折口信夫全集27 評論篇1』に所収)(中公文庫)

 

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 

 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 



 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 



 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) シモーヌ・ヴェイユからつながる(ノート)

 

 

 

  

                           

 シモーヌ・ヴェイユを読むための心構えというものがある。読み手がヴェイユの真摯な言葉に触発されることによって、今までの自分を超えるものを見いだすための心得と言ってもよいかもしれない。

 

<須賀敦子「世界をよこにつなげる思想」より>

 おそらくその心構えによってヴェイユの魂と共鳴し、横へと響きあう幸福な経験をもちえた人の一人に須賀敦子がいる。須賀の想いが、「世界をよこにつなげる思想」というエッセイとして、シモーヌ・ヴェイユ『カイエ4』の月報に残されている。

 

《この夏、一九六〇年から七一年まで私がミラノで深くかかわっていたコルシア・デイ・セルヴィ書店の、創立当時の精神というのか、思想の系譜をしらべる必要があって、家の本棚をさがしたら、ヴェイユの著作と評伝などをふくむざっと二十五冊ほどの本が、エマニュエル・ムニエやシャルル・ペギーの著作と隣りあってならんでいて、その数の意外な多さに驚いた。フランス語の原書も、イタリア語のものも、まじっていて、その中の何冊かは、死んだ夫の蔵書だったから、かならずしも私が読んだとはかぎらないのだけれど、それにしても、二ダースを超すヴェイユの、あるいはヴェイユについての本と、おなじ屋根の下で暮らしていたとは、思いがけなかった。ペギーやムニエへの傾倒度にくらべて、ヴェイユとは、もっとあっさりしたつきあいかたをしていたように、じぶんでは思っていたからである。(中略)

「ユダヤ人が教会のそとにあるかぎり、じぶんはキリスト教徒にはならない」という、ヴェイユの信条に、息もできないほど感動していた時代があった。たぶん、それは、大学院を中退して、二年のフランス留学をおえたあと、いよいよひとりで模索しながらの生活をはじめたころのような気がする。(中略)

 一九七二年に出版された筑摩叢書の、リースというイギリス人の書いた『シモーヌ・ヴェーユ』(山崎庸一郎訳)は、刊行年からみて、私が夫の死後イタリアから帰って、もういちど生活の方向をたてなおそうとしていた時代に読んだらしい。ポスト・イットなどという、糊のついた便利なしおりがまだ市販されていなくて、じぶんで細く切った白い紙に、要点やら感想を書きいれたのが、降伏の旗のようにあちこちにはさんである。「多くのものが教会のそとにあります。わたしが愛していて棄てたくないと考えている多くのもの、また神の愛する多くのものがそのそとにあります。わたしが愛するのでなければ、それらのものは存在しないはずだからです。最近の二十の世紀をのぞいて、過去の巨大な拡がりをなす、すべての世紀、有色人種の住むすべての国々、白人の国々におけるすべての世俗的な生活、その国々の歴史のなかで、マニ教やアルビジョワ派のように異端として非難されるすべての伝統、ルネサンスから出て、あまりにもしばしば堕落しているとしても、全然無価値とは言いがたいすべてのもの、そういうものが教会のそとにあります」

『神をまちのぞむ』からのこの引用は、このしるしをつけた二十年まえから今日にいたるまで、そしておそらくは私の生のつづくかぎり、ずっと私のなかで、ヴェイユに大きく呼応するはずの部分である。教会の中か、そとか、というような性急な選択をすることはない、いまの私にはそんなふうに思える。それを決めるのは、おそらくは、私ではないはずだとさえ思える。(中略)

 フランスやイタリアには、青春の日々に、ヴェイユやムニエ、ペギー、そしてサン=テグジュペリを読んでそだった世代というものがあるように思う。たまに、そういう人たちに出会うと、はじめて会った人でも、たちまち「つながって」、時間のたつのをわすれて話しこんでしまう。中世までは、教会のラテン語をなかだちにして、ヨーロッパ世界はよこにつながっていた。戦後すぐの時代に芽ぶいたのは、中世思想の排他性をのりこえて、もっと大きな世界をよこにつなげるための思想だったのではないか。》

 

 アッシジと言えばヴェイユ『神をまちのぞむ』の有名な一節を思い起こすのが、ヴェイユを知る者なら自然だろう。ユダヤ人迫害が激化するナチス・ドイツ支配下のフランスを逃れたいという両親の嘆願を受入れ、アメリカへ渡る前に、ヴェイユ自ら「霊的自叙伝」と呼んだ、ペラン神父への長い手紙の一節にこうある。

《一九三七年には、アッシジで素晴らしい二日間を過しました。サンタ・マリア・デリ・アンジェリの十二世紀のロマネスクの小聖堂に、その類のない清純な素晴しさの中に、ひとりでおりましたとき、そこは聖フランチェスコがたびたびお祈りしたところですが、わたくしは何か自分よりも強いものに強いられて、生まれてはじめてひざまずきました。》

 しかし、ヴェイユは丘を降りて行き、最後まで洗礼を受けず、教会の入口にとどまって、聖職者となることを拒んだ。

 一九五七年に須賀が『聖心(みこころ)の使徒』に掲載した『アッシジでのこと』には、若い須賀に決定的ともいえる影響を与え、次のイタリア留学の熾火になったに違いないアッシジ訪問が、硬く、息の短い、体言止めまである文体、回想の過去時制ではなく現在時制で断定されがちな若い文体ではあるけれども、熱く素直に語られている。

《雨が降っていた。聖週間にパリをたち、御復活祭をローマにむかえてまもないころだった。ポルティウンコラに近い、アッシジの駅から、四キロへだてた丘のうえに、サクロ・コンヴェルトの印象的な、白い廻廊が、灰色の空を背に長くつらなってみえた。それが、私の、はじめてのアッシジだった。(中略)

 サン・ルフィーノを出て、小さな坂道を降ると、サンタ・キアラに出る。この街にはめずらしい感じの、堂々としたゴチック建築。(中略)旅行者の「私」は、いつの間にか、ややほんとうに近い「私」に席をゆずっていた。どうしてか私にはわからない。けれども私は、たしかに、サン・ダミアノには、今でも聖(サン)フランチェスカと聖(サン)キアラが、まだそっくりあの時のままの生活をふたりしてつづけているとしか思えない。(中略)

 ふたりのよろこびは自らを包みきれなくなって、いわゆる、「聖キアラの庭」で昇華する。案内の若い修道士(フラテ)はうれしそうに云われた。ここで聖フランチェスカが太陽の讃歌をつくられたのだということです、と。

 庭とは名ばかり、三方を高い石の壁にかこまれた一坪ほどの細長い空間である。(中略)

 この小ささ、そしてこの豊けさ。一週間まえあとにしてきた勉強が、パリの美しさ全部が、私の頭の中で廻転しはじめ、淡い音をたてて消えてしまった。力づよい朝の陽光にたえられず、橙々色にしぼんでしまう月見草の花のように。講義、図書館、音楽会、展らん会、議論。私にとってあれはみな、幻影にしかすぎぬものなのではなかったのだろうか。私の現実は、ひょっとすると、このウムブリアの一隅の、小さな庭で、八百年もまえに、あのやさしい歌をうたった人につよくつながっているのではないだろうか。私も、うたわなければならぬのではないだろうか。

 しばらくやんでいた雨が、またぱらつきはじめた。案内の修道士(フラテ)が、金魚の水溜りに浮んでいた二三枚の葉をとりのけてやりながらつぶやいた。雨だよ、たくさんあたっておたのしみ。》

 須賀は恥らいから秘すかのようにヴェイユのことに触れない。一行空けて、後半が待っている。

《丘を降りて汽車にのってからも、あれから三年たった今も、私には、あの時の時分のおどろきがわすれられない。(中略)夏休みも半ばをすぎ、パリに帰る日が近づいたある夕方、私は、カムパアナ家の人たちと、おわかれにアッシジの丘をのぼった。四月の雨の日の訪問からかぞえて八度目であった。私への名残りを惜しむかれらにくらべて、しかし、私の心は、もっと複雑だった。アッシジの町の後にそびえる、ロッカ・マジョオレの城跡のくずれかかった石の間を跳んで歩きながら、私は、ほんとうはどうすればいいのかわからないと思っていた。(中略)星が野が、町がこたえた。私たちのフランチェスコも、丘を降りて行った。だれでも一度は丘を降りなければならない。おまえのいのちは、この夏、ウムブリアの野にうまれた。うまれたばかりだから、わたしたちは大切にそだてた。しかし、もういいだろう。おまえにも丘をおりる時がきたのだ、と。月が登りはじめた。ひえびえとした九月の夜風が、荒れた城跡を白く吹きぬけて行った。もうあれから三年になる。あれ以来、まだ私はアッシジをたずねていない。私が丘を降りてからのはなしを、かれらは風のたよりにきいているかもしれない。そして、ひょっとしたら、いつ私が帰ってくるかも、知っているかもしれないのだ。》

 一九五七年の「いつ私が帰ってくるかも、知っているかもしれないのだ」は須賀の内部の深くにタネとして宿りつづけ、その後も何度かアッシジを訪ねている。きっとヴェイユの思いとつながりながら。

 

<『根をもつこと』――「英語版のための序文(T・S・エリオット)」より>

 なるほど、無数の解説書、編者「序文」、特集、評論、評伝があるものの、とりわけ示唆に富むのは、シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』のT・S・エリオットによる「英語版のための序文」ではないだろうか。

 

《シモーヌ・ヴェーユの著作といつまでも共にある序文が存在するとすれば、『重力と恩寵』に付されたギュスターヴ・ティボン氏の序文のように、彼女を直接に知っていた人によって書かれたものであろう。彼女の作品に接する読者は、気むずかしく激越で、しかも複雑な人格に直面する。したがって、幸運にも彼女と長いこと議論したり文通したりすることのできた人びと、なかんずく、晩年の五年間、特殊な情況のもとにおかれていた時代の彼女を知っていた人々の口添えは、今後かわることのない価値を持つことになるであろ。私はそういった資格に欠けている。》

 

《この序文を書くにあたって私がめざしたのは、まず第一に、この著者とこの独自な書物の重要性にかんして、私なりの信念を公表することであり、第二に、読者にたいして、早まった判断やおおまかな分類をしないように警告すること、すなわち、おのれの偏見を抑制すると同時に、シモーヌ・ヴェーユの偏見についても忍耐づよくなるように説得することなのである。》

 

《シモーヌ・ヴェーユの著作は、すべて死後に出版された。『重力と恩寵』――これは彼女の厖大なノートからティボン氏が編集した選文集で、フランスで最初に世に出た著作――は、その内容においてまさに感嘆に値する。しかしその形式は、いささかひとの誤解を招く種類のものである。パスカル(この作家について、シモーヌ・ヴェーユはときとして辛辣な語り方をした)との比較が、極端なまでに強調されることにもなりかねない。抜粋の持つ断片的な性格は、深い洞察力と息を呑ませるような独創性とを明るみに引き出す。だが、そのような彼女の独創性が、ときおり現われる霊感の閃きを秘めた精神にすぎないというふうにもほのめかしているのだ。》

 

《『神をまちのぞむ』と本書とを読んだ私は、まず著者の人となりを理解するようにこちらから努めるべきであることを知った。そして、彼女の全著作をなんども繰り返して読むことこそ、理解するというこの緩慢なプロセスに必要なことだと悟ったのである。彼女を理解しようとするとき――はじめて読む場合にはほとんど避けがたいことであろうが――どの程度まで、あるいはいかなる点で彼女に共鳴するか、ないしは意見を異にするかを考えて気を散らしてはいけないのだ。われわれはひたすら、ひとりの天才的な女性、その天才が聖者のそれにも似た一女性の人格におのれをさらさなければならない。》

 

《おそらく《天才》という言葉は妥当ではあるまい。かつて彼女を相手に、その信仰と懐疑について論じ合った唯ひとりの聖職者(筆者註:シモーヌ・ヴェイユ『神をまちのぞむ』の編者、「序文」のペラン神父)は、「彼女の魂は、彼女の天才とは比較にならないほど気高いものだと思う」と述べている。この言葉は、はじめてシモーヌ・ヴェーユに接したわれわれの体験が、賛成とか反対とかいう言辞で表現されるべきではないということを別のかたちで示しているのだ。彼女の見解に全面的に賛成する人、あるいは彼女のいくつかの見解と激しく対立しないですむ人を想像することはできない。しかし同意や拒絶は二義的な問題である。重要なのは、一つの偉大な魂に触れることだ。》

 

《われわれは、あちこちで、ほとんど人間を超えた謙虚さと、ほとんど腹立たしさを感じるほどの尊大さとが対照的に現れるのに接して、つよい衝撃を受ける。さきに述べたフランス人聖職者の文章には、つぎのような意味深長なくだりがある。すなわち彼によれば、「シモーヌ・ヴェーユは、客観的であろうとする高潔な望みを抱いていたが、そういう彼女が議論の最中で譲歩した」という記憶はないという。この評言は、すでに出版された大部分の彼女の作品に、解明の光を投げかけてくれる。私とて、彼女がおのれの論争の手腕に有頂天になってしまい――かかる身勝手は、『田舎の友への手紙』のパスカルも危く陥りかけた悪徳ではないかと私は思っている――論争において、相手を打ち負かす力を誇示することにかまけていたなどと信じているわけではない。むしろ、彼女の思考がすべて、真剣な体験を経たものだったために、どんな意見を放棄するに際しても、彼女の全存在になんらかの修正が要求されたのだと言うべきであろう。この変化は、苦痛なくしては起こりえなかった。言いかえれば、会話のなかで起こりうべくもなかったのだ。さらに――とくに青年たち、なかんずく、シモーヌ・ヴェーユのように諧謔を解する感覚がまったく認められぬような人びとにあっては――自己愛と自己放棄とが、われわれの目から見ると両者をとり違えてしまうほどたがいに似通っていることもありうるのだ。》

 

《われわれはシモーヌ・ヴェーユが三十三歳〔原文のまま〕(筆者註:正しく三十四歳)にして死んだ事実を忘れてはならない。彼女の社会・政治思想の円熟ぶりは、とくに本書においてきわめて顕著であると思う。しかし彼女は、なにかに向かって成長していく深遠な魂の持ち主だった。したがって彼女の三十三歳のときの哲学を、それより二十歳ないし三十歳も上の人の哲学であるかのように論評すべきではないのだ。

 このような作者の著作においては、最初から逆説にぶつかることを予期しなければならない。シモーヌ・ヴェーユは、最高の度合において、同時に三つの存在であった。すなわち、フランス人、ユダヤ人、そしてキリスト者だったのである。彼女は同胞のために苦しんで死ぬことを厭わず、許されるなら歓んでフランスへ送還されようとした愛国者だった。彼女は一九四三年、ケント州アシュフォードのサナトリウムで息を引きとらねばならなかったが、それも一つには、当時のフランスにおける一般人の公認配給量以上に食物を摂ろうとしない禁欲主義の結果であったと考えられる。また、本書が示すように、当時のフランスの過失と精神的弱点とをはっきりと見ていたという意味でも、彼女は愛国者だった。シモーヌ・ヴェーユは、ミサで熱心な祈りを捧げるキリスト者だったが、洗礼を拒絶したし、彼女の書いたものの多くは、怖るべき教会批判となっている。また彼女は熱烈なユダヤ人であり、ドイツにおけるユダヤ人迫害に苦しみ抜いた。しかし一方では、ヘブライの預言者のごとき峻厳さをもって、イスラエルを叱責した。預言者たちはエルサレムで石を投げつけられたときく〔ヘブライ人への手紙一一・三七〕。いまシモーヌ・ヴェーユは、さまざまな陣営から投石の危険にさらされている。政治思想の面で、右翼および左翼両者にたいし仮借なき批判者の姿をとっているからである。彼女は保守主義者と自称する大部分の人びとよりもはるかに誠実に秩序と階級制を愛し、同時に社会主義者と自称する大方の人びとよりもはるか真摯に民衆を愛している。》

 

《政治思想家としてであれ、いや、その他いかなる分野の思想家としてであれ、シモーヌ・ヴェーユを分類することはできない。彼女の憐れみに逆説的性格は、平衡を生み出す有力な原因となっている。一方において、彼女は一般大衆、とりわけ抑圧されている人びと――ある人間たちの邪悪と強欲とに抑圧されている人びとや、現代社会の無名の暴力に抑圧されている人びと――のための熱烈な闘志であった。彼女は、都市や農村の人びとと生活を共にするために、ルノー工場で働いたことがあったし、農業労働者として働きもした。ところが、他方では、彼女が《集団》と呼んだものー―近代の全体主義が生んだこの怪物――を激しく厭悪する、生まれながらの隠者であり個人主義者であった。彼女が心をくだいていたのは、人間の魂であった。人間の権利と義務にかんする彼女の研究は、戦時中に精神的興奮剤として使われ、かつ、今日でもなおおこなわれているある種の饒舌の欺瞞性をあばき出す。君主政治の原理を検討している部分も、彼女の明敏さと均衡と良識とをかなり印象的に示す好例であるし、フランス政治史にかんする簡単な考察は、フランス大革命の断罪であると同時に、王政復古の可能性を否定する強力な論証となっている。彼女は、反動思想家とも社会主義者とも分類することはできない。》

 

<大江健三郎『燃えあがる緑の木』より>

 シモーヌ・ヴェイユからつながる作家に大江健三郎がいる。大江文学、とりわけ『燃えあがる緑の木』におけるヴェイユの重要性を、小野正嗣が解説している。

《もしもドストエフスキーが、大江健三郎という作家にとって、同じ文学的な課題を共有し、その精神的な支えとも言える「文学的な兄」だとすれば、『燃えあがる緑の木』には、作家の「文学的な姉」とでも呼ぶべき思想家がいます。

「燃えあがる緑の木」の教会における「祈り」とはどのようなものであったかを思い出してください。ひたすら「集中(・・)」するのです。その集中(・・)の対象に何があるのかは、「救い主」とされたギー兄さん自身にもわかりません。それをザッカリー・K・高安などは、「きみの教会に、神はいないんだって?」と驚くわけです。「空屋(あきや)のごとき教会」と形容もします。ギー兄さんは、その「空屋」という比喩を「繭(まゆ)」にたとえて、ザッカリーに同意します。

   繭のなかに確かにあるものとして、神を定義したことは、私にはない。しかし自 分についていって、その繭に向けて集中(・・)する強さということは、把握(はあく)しえていると思う。しだいに手ごたえの確実になる、生きることの習慣として。繭自体なら、それこそ光り輝くようにあざやかに見えることがあるからね。

「私にできることがあれば、繭に向けて集中(・・)することだけで、しかもそれはそれなりに充実した生き方だと思う」と言うギー兄さんは、その繭が空っぽでも構わないと考えています。

   光り輝く繭といったけれども、それがもう蛾(が)の飛び立ったから(・・)の繭だったとしてもいいんだよ。空屋の教会でどうしてよくないだろうか? そのなかを充(み)たすのは、またそこから現われるのは、さきにもいったけれど、ソレのというか神のというか、先方の仕事でね。こちら側の責任ではないはず、と私は思ってるんだ。

 大切なのは、集中(・・)することを、生きる習慣とすることなのです。そのような生き方こそが、ギー兄さんにとって魂のこと(・・・・)をすることにほかなりません。このとき、集中(・・)するとは、あるものに対して注意を深く強く傾けることです。ギー兄さんの教会の「祈り」に関わる記述に触れたとき、僕がまっさきに思い浮かべたのは、独特の力強い思想を展開し、わずか34歳で亡くなったフランスの女性──「注意力とはもっとも純粋なかたちの祈りにほかならない」と書いたシモーヌ・ヴェイユです。彼女のこの言葉を、僕自身はフランスに留学中にお世話になった──その家に五年近く居候させてもらいました──敬愛する詩人のクロード・ムシャールが、ヴェイユのことを語るときに口にするのを聞いて、はっと胸をつかれた記憶があります。そして難民や移民の支援もしているクロードが、困難な立場に置かれた人たちに傾ける真摯(しんし)な「注意力」に触れるたびに、僕は心のうちでヴェイユのこの言葉を反芻(はんすう)したものです。

 大江にとって、ヴェイユがどれほど重要であるかは、さまざまな講演で語っていることからも明らかです。『燃えあがる緑の木』でも、ヴェイユはギー兄さんの思想の支柱のひとつであると感じられます。第4回で触れますが、サッチャンには放蕩生活を送る時期があります。そのとき、サッチャンはヴェイユの言葉に出会うのです。しかも、作家はサッチャンの性的冒険に手を貸す中年男性に、ヴェイユを「嫌味な論理癖」のある「フランスのインテリ女性」と揶揄(やゆ)させています。しかし、それは大江の韜晦(とうかい)というか、ヴェイユの思想にあまりにも強烈に惹きつけられそうになる自分自身を引き留めようとする仕草にも見えます。

「フランスのインテリ女性」と呼ばれたこの女性の次のような言葉が紹介されます。「勉強する目的は、注意力を訓練することにあって、その注意力の訓練をすることは祈るために役にたつ」。その言葉を聞いて、サッチャンがまず念頭に浮かべるのが、四国の森の教会であることは見逃せません。実際、『燃えあがる緑の木』の第三部においては、登場人物たちがヴェイユの言葉について語り合う場面が幾度も出てきます。

 ヴェイユの一文章について、ザッカリーはサッチャンに向けて語ります。

   ──光がどのようにして地上に現われたかという、世界中にある伝承をめぐってさ、エスキモーの物語はこうだ、といってるところね。烏(からす)がさ、夜が永遠に続いて、食物が見つけられないものだから、光がほしいと思ったら、地上が照し出された…… 《もし切実(リアル)な欲求があり、その欲求が本当に光へのものなら、光への欲求こそがそれを生み出すのだ。注意力の努力がある時には、切実な欲求がある。それより他のすべての誘引がないなら、欲求されているのは本当に光なのだ。私たちの注意力の努力が、幾年かどんな結果ももたらさないと感じられる時も、ある日、それらの努力に正確に対応した光があふれ出して魂をみたすだろう。》

 ここでヴェイユはもちろん、自然現象あるいは神秘的な力としての「光」について語っているわけですが、この一節を読むとき、僕などはこの「光」という語に大江健三郎の息子の「光」さんを重ねて読まずにはいられません。それはザッカリーも同じだったようです。ザッカリーは次のような感想を洩らすからです。

   こういうところは美しいねえ! 光(ライト)という言葉から、Kさんの家族のことも思うよ。あの家に迎えられていると、ヒカリさんの音楽のみならず、ヒカリさんの存在自体にね、家庭を照す瞬間があるのに気がつくから。考えてみると、それは家族みんなのヒカリさんへの注意力が、自然に準備してもいるんだよ。

 光=ヒカリへの注意力=集中(・・)というものからなる家庭は、それ自体がひとつの教会のようなものなのかもしれない……と夢想させられます。光への切実な欲求が光を生み出す、というヴェイユの一節が大江文学にとって重要なのは、まさにこの一節を大江健三郎が英訳で読んでいたときに、長男の光さんが生まれているからです。

 大江はそのときのことを、ある講演のなかで回想しています。長男の誕生にあわせて四国から手伝いに来てくれていた母親と「衝突」したというのです。

   そもそもの始まりは、その子供が畸型をもって生まれてきたなかで私が読んでい  た本のことを、夕食をしながら母親に話したのです。エスキモーの──いまだとイヌイットの、というでしょう──民話のひとつにこんなものがある、と書いてある。どのようにして、この世界に光があらわれたか?

   《からす(・・・)は、夜がいつまでもつづいて、食物を見つけることができないので、光がほしいと思った。そこで、大地は照らし出された。》ぼくはこの話が好きなので子供にこれにちなんだ名前をつけたい、と母親にいいもしました。それもこういうとき、フザケることのすきな私は、こう続けたんですね。──たとえば、烏とか……

    私は母親が、いや、それなら光でしょう、といってくれるのを期待していたんです。ところが、母親は真蒼になるほど腹を立ててしまったんです。そして、

   ──そうですか、それなら、烏にしなさい! と強い声でいいました。

   そのまま二人は黙っていて、夜おそく眠り、そして翌朝、私が母親にあやまって、そして世田谷区役所の支所に、光という名前を申告しに行ったのです。(『「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」』集英社文庫)

 何度読んでも胸を打たれる情景です。ここからも明らかなように、光という名前は、シモーヌ・ヴェイユの一節(『神を待ちのぞむ』と訳されるAttente de Dieuという作品のようです)に由来しているのです。ヴェイユはいわば、光さんの名付け親なのです。

光さんの誕生は大江の文学を変化させます。以後、知的な障害のある息子との共生を、大江はみずからの文学的な課題の中心において書き続けることになります。つまり、頭部に障害を持って生まれた男の子の誕生によって、大江健三郎という作家は生まれ直したのです。そして、大江文学を再生させたこの子供の存在のありようそのものを指し示すその名は、シモーヌ・ヴェイユを読むことによって大江にもたらされたのです。》

 

 上記の《もし切実(リアル)な欲求があり、その欲求が本当に光へのものなら、光への欲求こそがそれを生み出すのだ。……》は、ヴェイユ『神をまちのぞむ』の論考『神への愛を望んでの、学校教育からの正しい用い方についての考察』からの引用だが、『燃えあがる緑の木』には他にもヴェイユからの言葉が溢れている。

 

《もひとつ、『神への愛と不幸(アフリクション)』という文章にもね、光をめぐっての挿話(そうわ)があっただろう? やはりヒカリさんのことを考えないではいられないよ。もっともさ《人間は決して神への服従から逃れることはできない》という命題についてはね、それを受けとめる・受けとめないは読み手の自由だからさ。しかし、次のような部分は、発想の魅力において抵抗しがたいなあ。

《私たちがなんらかの機会に神に服従していないと感じる時、それは単に、一時、私たちが服従を欲求することをやめているということにすぎない。……、植物が、他のすべての点で同等である時、光のなかと暗闇(くらやみ)のなかとでは、同じようには成長しないということがある。それ自身の成長において、植物がなんらかの制御か選択を行なうというのではない。私たちについていえば、私たちは光のなかにいるか外にいるかに関して選択しうる植物のようなものだ。》

 ザッカリーが訳してくれるこれらの箇所の原文に傍線を引きながら、私は成城学園前から福祉事務所へ送り迎えしていた頃の、ヒカリさんのある瞬間の表情を懐かしく思いだした。それは単に光という言葉にうながされてのことだが、ヒカリさんにはそれこそ光のなかのスクスク伸びた植物のような感じがあったから。(中略)

 ――いま読んだ二番目の文章のね、不幸(アフリクション)というタイトルのところに註がついているだろう? フランス語原文のmalheurにさ、適切な英語がない、と訳者はいってる。Unhappinessでも、それよりいくらかはいいafflictionでも、malheurの不可避さ(イネヴィタビリティー)、破滅(ドゥーム)の語感はつたわらないと……日本語での不幸という場合、どうなんだろうね?

 ――不可避な、破滅といっていいものと受けとめざるをえない、そういう不幸の経験なら、日本語で生活している人間にもあると思うけど……

 ――ほかならぬサッチャン自身にさ、打たれている釘(・)、というところがあるものね。《釘(くぎ)の尖端(せんたん)は、それがあてられているポイントにこの無限のショックを伝える》。その尖端そのものという感じがあるよ。

 私は後でひとりその一節の続きを読み、自分のいったことへの強い自己嫌悪(けんお)から赤面したものだった。《極度の不幸は、肉体的な苦痛、魂の悩み、そして社会的な剥奪を意味するけれども、すべてにおいて同時に、釘なのだ。その尖端が魂のまさに中心にあてられており、空間と時間の全体をつうじて拡(ひろ)がっている、すべての必然性であるような頭を持った、釘なのだ。》》

 

《さて、私はザッカリーから英語版の購読を受ける一方、「ファイヤール」版の”Attente de Dieu”はギー兄さんの病室に届けてもらっていた。ギー兄さんは枕もとに置いてあったそれを繃帯で籠手(こて)をつけたような右手に取って、必要なページを開いて話した。

 ――私に面白かったのはね、まず《神話や民話の偉大なシンボルにおいても、福音書の譬(たと)え話においても、人間を探しもとめるのは神である》というところ。その次の、”Quaerens me sedisti lassus.”という文章は、探す(・・)とか、疲れる(・・・)とかいう単語こそ読みとりうるけれどさ、こちらにはラテン語の素養はないし、もう総領事は居られないしで、見当がつかない。おそらく「福音書」からで、フランスの知識人にはなじみの一節なんだろうね、こんな文庫版なのに註が付けてないから……

 ともかく、続いてはこう書いてある。《「福音書」のどこにも、人間の側から着手される探求の問題はない。人間は、何らかの圧力を加えられるか、決定的に呼ばれるかすることがなければ、その挙に出ることはない》。そして花嫁や奴隷がいかに主人を待つか、また畠(はたけ)のなかの真珠というような譬え話があってさ。

《神を呼びもとめ、他のすべてを断念すること、そのことのみが私たちを救うのだ。/救いをもたらす態度は、ほかのどのような行為のかたち(・・・)にも似ていない。それを表現するギリシア語はヒュポモネーだが、パティエンシアは、むしろその訳語としては不適当だ。それは待つこと、あるいは注意深く、忠実に動かずにいることである、いつまで続くかわからないが、揺さぶられることはなしに。》

 このパティエンシアという単語を見てね、K伯父さんの小説を思い出したんだよ。ヒカリが生まれてあの人に動揺があって、そこからやっと抜け出すようにして書いた『個人的な体験』ね。あの小説は、結びのくだりが三島由紀夫に批判された。それが定説になったふうでね、批評家もいまあらためて当の部分を検討することはないのじゃないだろうか?

 この病棟の婦長さんがK伯父さんの小説をよく読んでいられるから、『個人的な体験』を貸してもらったんんだ。そこにあるのを見てくれる? 最後の節。

《それから鳥(バード)は、本国送還になったデルチェフさんが、扉(とびら)に<希望>という言葉を書いて贈ってくれたバルカン半島の小さな国の辞書で、最初に<忍耐>という言葉をひいてみるつもりだった。》……ブルガリア語の<忍耐>は、ヒュポモネーに近いのだろうか、パティエンシアにだろうか? ロシア語に近い言葉のはずだから、やはりギリシア語の方にじゃないだろうか?

 K伯父さんが二十八、九歳でこれを書いた時、<忍耐>すること、待つことの意味を本当によく考えていたとは思わないよ。しかしそれから三十年のヒカリさんとの生活は、K伯父さんにヒュポモネーの意味を理解させたのじゃないだろうかね、充分に? 人生は、……それに加えて文学はといってもいいけれど、不思議なものだな。》

 

《帰り際(ぎわ)に、ギー兄さんは、ザッカリーに英訳で購読してもらう際やはり対照した方がいいからと、自分は読み終わった「ファイヤール」版の”Attente de Dieu”を渡してくれた。それは、K伯父さんのカードに書いてあったのと同じ態度だったと思う。

 私はひとりで「ペレニアル・ライブラリー」版を開く際、マユミさんから聞いて頭に残っている部分を探すことがあった。聖杯を守っている傷ついた王に探求者がどのように声をかけるか、というところは、”What are you going through?”となっているのだった。ザッカリーに、この言い廻(まわ)しの口語的な感じを質(たず)ねてみると、結局は、マユミさんのいっていた内容となるようだけれど、言葉自体としてその字面(じづら)からよく実感できるものではなかった。ところが、フランス語では、“Quel est ton tourment?”なのだ。それなら、大学の教養課程でフランス語を第二外国語としただけの私にもよく理解できるように思われた。》

 

 ヴェイユの、“Quel est ton tourment?”(「あなたはどのような苦しみをお持ちなのですか?」)に関して、大江は「注意深いまなざしと好奇心」と題して新聞に掲載している。

《長男光が、知的な障害を持っていること、そして私ら家族が、かれの作る音楽を楽しみに、なんとか静かに暮らしてきたことは、たびたび書きました。なんとかというのは、次つぎに困難は起り、かつ乗り越えられたからです。

 今年の初めから、私と光は毎日一時間の歩行訓練をしています。私らの住んでいるところは高台の突端に近い場所で、平地に降りて行く長い坂に柵(さく)で囲った遊歩道路がついており、平地に降りつくと、川にそって同じく遊歩道路が続いているのです。

    *

 光は四十二歳で、成人病の幾つかの現れを注意されています。そこで肥満を考えて、私と二人、歩くことを思い立ったわけです。しかもそれは、基本的な歩行の訓練でもあります。

 かれには視覚の障害もあり、走ることはできませんし、足にも軽度ながら問題があります。そこで電車に乗ったりコンサートに行ったりする際は、つねに私か家内が腕をとってきました。

 それを、光の自立した歩行にしてゆく、というのが素人考えの歩行訓練のプランです。腕を支えず、ただ脇について歩く。靴で地面をこすりながら歩く癖を少なくとも軽くするために、そのことと連動しているらしい、両腕を動かして歩くようにさせる。

 それをどう進めるか考えているうちに水泳クラブのコーチの友人から、樹脂製の、重さのある棒(バー)を世話してもらいました。それを手に握って歩くことで、腕を振るようになり、足も地面から離れるようになる。実際、数日の練習でその通りになり、光はそうした進歩を励みにして、毎日、進んで訓練をすることになったのです。

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。

 足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。

 さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。

 自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫? と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠(ほ)えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。

 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

    *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。

 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。

 その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。》

 

 ところで、シモーヌ・ヴェイユを最初に日本に紹介したのが加藤周一であることはあまり知られていないだろう。加藤は、『重力と恩寵』(一九四七年)がフランスでベストセラーとなってから約十年後に、「新しい人間という問題」(岩波講座『現代思想』第五巻、一九五六年)と「シモーヌ・ヴェーユと工場労働者の問題」(岩波書店『世界』一九五七年一二月号)という論考を発表している。洗礼を受けるか否かを自他に問いつづけ、ついに受けることなく生を終えたヴェイユに対し、加藤周一が死を前にして受洗した(洗礼名ルカ)ことに、ある種の感慨を覚えざるをえないのは私だけではあるまい。

                                         (了)

        *****引用または参考*****

*シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』(「英語版のための序文(T・S・エリオット)」所収)山崎庸一郎訳(春秋社)

*シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』(『須賀敦子の本棚8 池澤夏樹=監修』)(「序文(ぺラン神父)」所収)今村純子訳(河出書房新社)

*シモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』(「ギュスターヴ・ティボン(序文)」所収)(『シモーヌ・ヴェーユ著作集Ⅲ』に所収)渡辺義愛訳(春秋社)

*冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波現代文庫)

*『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』(水声社)

*須賀敦子『須賀敦子全集4』(「世界をよこにつなげる思想」(「シモーヌ・ヴェイユ『カイエ4』月報」(みすず書房)所収)(河出書房新社)

*須賀敦子『須賀敦子全集8』(「アッシジでのこと」所収)(河出書房新社)

*吉本隆明『甦るヴェイユ』(洋泉社)

*鈴木順子編『別冊環 甦るシモーヌ・ヴェイユ』(藤原書店)

*今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應義塾大学出版会)

*加藤周一『現代ヨーロッパの精神』(「新しい人間という問題」、「シモーヌ・ヴェーユと工場労働者の問題」所収)(岩波現代文庫)

*リチャード・リース『シモーヌ・ヴェーユ』山崎庸一郎訳(筑摩書房)

*大江健三郎『燃えあがる緑の木』(新潮社)

*小野正嗣「NHKテキスト 大江健三郎 『燃えあがる緑の木』 2019年9月 (NHK100分de名著)」(NHK出版)

*大江健三郎『定義集』(「注意深いまなざしと好奇心」所収)(朝日新聞出版)

*クロード・レヴィ=ストロース、ディディエ・エリボン『遠近の回想』竹内信夫訳(みすず書房)

*ジョージ・スタイナー『言葉への情熱』(「聖シモーヌ――シモーヌ・ヴェーユ」所収)伊藤馨訳(法政大学出版局)

*グレアム・グリーン『グレアム・グリーン全集21 神・人・悪魔』(「シモーヌ・ヴェイユ」所収)前川祐一訳(早川書房)

*スーザン・ソンタグ『反解釈』(「シモーヌ・ヴェーユ」所収)由良君美訳(竹内書店新社)

*モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅱ』(「断言(欲望、不幸)」所収)岩野卓司訳(筑摩書房)