文学批評) カフカのエロスーー妹/女中/娼婦

 

 多和田葉子は多和田編『ポケットマスターピース01 カフカ』で、《カフカの小説には必ずと言っていいほど、エロスの層がある》と解説している。

 試みに、同書の『訴訟』からエロスの層を断片的に拾ってみよう。

 ビュルストナー嬢とは、《彼はまた彼女の手首をつかんだ。彼女は今度はふりほどかず、その体勢のまま彼を扉まで連れていった。(中略)「すぐ出ます」とKは言い、走り出して彼女を抱きしめ、唇にキスをして、さらに顔中にキスを浴びせた。のどが渇いた獣が、やっと見つけた湧水を舌で舐め回すように。締めくくりに首にキスをした。のどのところに。長いこと、そこに唇を押しつけたまま、じっとしていた。》

 廷吏(ていり)の妻とは、《「ここはつくづく汚いものばかりだな」とKは言った。女は、Kが本を手に取るより早く、エプロンでさっとぬぐった。せめて表面のホコリだけでも、ということか。Kは一番上の本を開いた。猥褻な絵が出てきた。男と女が裸でソファーに座っている。いやらしい絵を描こうとしているのは分かるが、下手すぎるので、男と女がいるだけにしか見えない。(中略)それ以上はページをめくる気も失せて、Kは次の本の扉を開いてみた。小説だった。タイトルは『ハンスのグレーテ調教日記』。(中略)――彼女は両脚を伸ばし、スカートを膝までめくり上げ、自分もじっとストッキングを見つめた――「きれいなストッキングだけど、でも上等すぎて、あたしには似合わないわよね」

 突然、彼女は言葉を切り、落着かせようとするみたいに、Kの手に自分の手を重ねて、ささやいた。

「静かに。ベルトルトが見てるわ!」》

 叔父の看護婦レニとは、《「誰が言ってたんだ?」とKは尋ねた。彼女の身体がぴったり胸に密着しているのを感じる。きっちり編んで頭に巻きつけた豊かな黒髪が、目のすぐ下に見える。(中略)

「うん、いい感じ」と彼女は言い、彼の膝の上で身づくろいした。スカートのしわを伸ばし、ブラウスの乱れを直す。それから彼女は両手で彼の首にしがみつき、体をのけぞらせ、長いこと彼を見つめた。

「じゃあ、ぼくが自白しなかったら、助けてくれないの?」と彼はためしに尋ねてみた。

 おれの顔に、助けてくれる女の人募集中とでも書いてあるのかと彼は思い、不思議なくらいだった。最初はビュルストナー嬢、次は廷吏の女房、きわめつきはこの看護婦だ。よっぽどおれが気に入ったらしいな。おれの膝に座って、ここがあたしの特等席って態度だぞ!(中略)

「あら!」と彼女が目ざとく叫んだ。「あたしにキスしたでしょ!」

 彼女は口を開けて、せかせかと両膝を使って彼の膝によじのぼった。Kは唖然(あぜん)として彼女を見上げた。こうして密着すると、彼女の身体からはスパイスのような刺激的な臭いが漂ってくる。彼女は彼の頭を抱えて上から覆いかぶさり、彼のうなじに歯を立て、キスをしてきたかと思うと、今度は髪の毛を口にくわえた。

「取り替えたわね」と彼女はときどき叫んだ。「ほら、やっぱりあたしと取り替えちゃった」

 そのとき膝が滑り、彼女は小さくキャッと悲鳴をあげて絨毯の上に転げ落ちかけた。Kは彼女を抱き止めたつもりが、逆に引きずり下ろされた。

「あなたを手に入れたわ」と彼女は言った。

「これ、家の鍵だから。いつでも好きなときに来てね」》

 

 多和田葉子は続ける。

カフカの小説には必ずと言っていいほど、エロスの層がある。『流刑地にて』の場合は、多くの画家の手で美術史に残された聖セバスティアヌスの姿がちらつく。樹木に縛られ、裸の上半身に矢を何本も刺されて血を流している姿は三島由紀夫を引き合いに出すまでもなく性的陶酔を表している。カフカもまた、裸の男の肌に針を刺すところを夢想せずにはこの小説を書けなかっただろうし、読んでいて吐き気と同時に、ある種の快楽を感じさせるのは、拷問する側に作者が何らかのかたちで加担しているからだろう。

 わたしは『変身』にも禁じられた性の引き起こす罪と罰の層を見てしまう。グレゴール・ザムザが本当に愛しているのは妹だが、それは近親相姦という「汚れた」罪であるから罰せられなければならない。グレゴールがいなくなれば、妹は晴れて結婚することができる。だからこの小説は妹の結婚の話で終わっている。妹への「不浄な」愛は罪状として、汚れた生き物に変身するという形でグレゴールの身体に書き込まれる。

 けがれの感覚と罪の意識はカフカの小説のいたるところに彫り込まれ、そこにはいつも性の問題が絡んでいる。ただその絡み方が特殊なので、カフカはあまり色気のない作家であるように誤解されることが多い。『訴訟』も例外ではない。無罪なのにある日逮捕された男の話、ということになっているが、わたしはヨーゼフ・Kが実は「有罪」で、そのことは本人が一番よく知っているのではないかと思う。それはヨーゼフ・Kのおかしな行動に表れる。まず、取り調べに来た男たちが同じアパートに住むビュルストナー嬢の私物を触ったことをひどく気にする。触ったのは自分ではないと言うために、わざわざ相手が帰宅するのを夜中まで待ち伏せ、強引に部屋の中にまで入り込む。女性の私的な領域に入って触りたいのがK自身ではないのかと読者のわたしに疑われても仕方ない。また、ビュルストナー嬢は身持ちが悪いと大家のグルーバッハ夫人に言われると腹をたて、大家を懲らしめるためにビュルストナー嬢と二人でこの家を出て行くところを想い描く。このとんでもない飛躍に、ニュルストナー嬢に娼婦的であってほしい、娼婦と駆け落ちしたい、などのKの願望が感じられる。また、法廷はうらぶれた路地にある売春宿のような建物で、待たされている間に法律書をひらくと卑猥な挿絵があったり、廷吏の妻がKを誘惑してきていつの間にか嫉妬劇が展開したりと、話はどこまでも逮捕の話から脱線して、性の領域にのめりこんでいく。逮捕された事件が主旋律で、女性関係が副旋律なのではない。Kは性欲を持つがゆえに有罪判決を受けそうになっているのだ。この判決は父的な神から降りてくるので、法律の力で無罪を証明するのは不可能である。カフカは、法律にふれていないのに逮捕されるKを小説に書くことで、性を有罪とする判決が全くのナンセンスであることをあきらかにしたとも言える。》

 

アーレントベンヤミンクリステヴァ

 ハンナ・アーレントは『暗い時代の人々』の「ヴァルター・ベンヤミン――一八九二~一九四〇」で、《ショーレムが、当時の作家のなかでは、ベンヤミンプルーストについでカフカに対し個人的親近感を強く感じていたと述べているが、それはまったく正しい》と書いている。

 ベンヤミンの批評的エッセイ「フランツ・カフカ」(初出一九三四年『ユダヤ展望』掲載)にはこうある。

《役所と家庭の状況は、カフカにおいていく重にも重なりあっている。城山の麓(ふもと)の村では、この点を照らし出してくれる言い回しが知られている。「『当地にはこんな決まり文句がありますが、もしかしたらあなたもご存知でしょう。お役所の決定は若い娘っこのように内気だ、というのです』。『それはみごとな観察ですね』とKは言った、……『みごとな観察です。お役所の決定には、ほかにも娘っこと共通の性質があるのかも知れませんね』」〔『城』第一五章〕。そのなかでも最も注目に値するのはたぶん、誰にでも簡単に身をゆだねる、という性質だろう。Kが『城』や『訴訟』で出会う内気な娘たちはそうであって、彼女たちは家族の懐(ふところ)のなかで、まるでベッドのなかにいるように淫(みだ)らな行為に身を任せる。Kは行く先々の到るところで彼女らを見出す。見出した後のことは、あの酒場の娘〔『城』の登場人物フリーダ〕をものにするときのように、ほとんど手間はかからない。「二人は抱きあった。小さな肉体がKの手のなかで燃えた。彼らは我を忘れて床の上を転がり、Kはこのありさまからたえず逃れ出ようとしたが無駄だった。さらに何歩か転がり、鈍い音をたててクラムの部屋のドアにぶつかると、そのままビールの小さな水たまりや、床を被っている他の汚物のなかに横たわった。その状態で何時間も過ぎていった。……Kはその間ひっきりなしにこんな気がした。自分は道に迷っている。あるいは自分の前にはどんな人間も来たことがないような、遠い異郷の地に来ている。そこでは空気でさえ、故郷の空気とはまったくちがっていて、なかにいると異質性のあまり窒息しそうだが、けれどもこの異郷の途方もない誘惑のなかでは、進み続け迷い続けること以外なにもできない」〔同前、第三章〕。この異郷のことを、われわれはまた後に聞くことがあるだろう。が、いま注目されるのは、こうした娼婦のような女たちが、決して美しいものとしては現れないということである。》

 

「汚物のなかに横たわった」「決して美しいものとしては現れない」という表現が示唆するように、ここにはクリステヴァのいう、倒錯(頽廃)と類縁関係をもつ「アブジェクト(棄却すべき、おぞましきもの)」、一神教、なかでもユダヤ教において、(食物とかその他の)排除またはタブーとして存続する「アブジェクション(棄却行為、おぞましさ、穢れ)」がある。

 クリステヴァは『恐怖の権力 <アブジェクション>試論』で、「聖なるものから離れた所で、アブジェクトは書かれる」として、《西欧近代の特質からして、またキリスト教の危機のために、アブジェクションは文化上罪以前の、より古層に共鳴し、その位相は聖書、さらに下って原始社会の穢れにまで引き戻される。<他者>が崩壊した世界においては審美的な努力――象徴機構の基盤に向けての下降――は、語る存在の不安定な境界領域の線を、語る存在の始源のもっとも間近に、つまりいわゆる原抑圧の底知れぬあの《起源》の淵近くに引き直すことに払われる。そうはいえ、<他者>に支えられているこの芸術的経験においては、《主体》と《客体》は排斥し合い、対決し、共に崩壊する。そして互いに分かち難く、汚染し合い、断罪されて、同化し得るもの、考え得るものの限界、つまりアブジェクトの境界領域に戻ってゆく。現代の偉大な文学、ドストエフスキーロートレアモンプルーストアルトーカフカセリーヌ等の文学が繰り広げられるのは、まさにこの領域である。》というように、カフカはアブジェクトの境界領域の作家であった。

 

ドゥルーズガタリ

 ドゥルーズガタリは『カフカ マイナー文学のために』(一九七五年)の「第七章 連結器」で、カフカにつきまとい、Kが『城』でも『訴訟』でも出会う若い女のタイプについて考察している。

《それでは、黒く悲しげな眼をした若い女はどういうタイプなのか。彼女たちは、しどけなくくびのあたりをあらわにしている。彼女たちはあなたに呼びかけ、あなたに身をすり寄せ、あなたのひざに坐り、あなたの手を取り、あなたを愛撫し、また愛撫され、あなたを抱き、あなたに歯形を残し、あるいは反対にあなたの歯形を残し、あなたを暴行し、あなたに暴行され、ときにはあなたを押さえつけあなたを殴りさえし、暴君的である。しかし彼女たちは、あなたが立ち去るままにしており、あるいはあなたを立ち去らせさえし、あなたを永久にほかの場所へ送ることによって、あなたを追い払う。レーニ(筆者註:『訴訟』に登場する看護婦)は、動物への変化の名残りとして、水かきのある指を持っている。しかし彼女たちは、もっと特殊な混交を示している。つまり彼女たちは、一部は姉妹であり、一部は女中であり、一部は娼婦である。彼女たちは、結婚生活・家庭生活に反対であって、そのことはすでにカフカの物語に見えている。(中略)「訴訟」と「城」は、妹・女中・娼婦の性質を、さまざまな資格で統合するこのような女たちを増加させている。城の使用人たちの娼婦であるオルガなど。ことさらにマイナーであることを望み、そこから、揺れ動かす力を得ている文学の企図のなかでの、マイナーな人物たちのマイナーな性質。

 このような三つの性質は、逃走の線の三つの構成要素と、運動の自由、言表の自由、欲求の自由という自由の三段階に対応している。(1)妹たち(・・・)。家族に属し、家族の機械を逃走させようとする最大の気持を持っているのは彼女たちである。(中略)(2)女中(・・)、若い女の使用人たち(・・・・・・・・)など。すでに彼女たちは、官僚制の機械のなかに捉えられて、その機械を逃走させようとする最大の気持を持っている。(中略)(3)娼婦たち(・・・・)。おそらくカフカにとっては、彼女らは家族・結婚生活・官僚制のあらゆる機械が交叉するところにあり、そういうものを彼女たちがさらに逃走させる。彼女たちが与えるエロチックな窒息または喘息は、けっして長続きしない彼女たちの圧力または重みからだけ由来するのではなく、非領域化の線上で、彼女たちとともにはまりこむものからも由来する。(中略)――しかし、これらの要素はいずれもそれだけでは価値を持たない。カフカが夢みる異郷的な結合が作られるためには、できれば同じ人物においてそれらの三つの要素が同時に必要である。すなわち、その女を女中として考えなくてはならないが、しかしまた、妹としても、娼婦としても考えなくてはならない(原注:階級闘争は、女中と使用人のレヴェルで、すでにカフカの家庭と店を横断していた。それは「父への手紙」の主要なテーマのひとつである。カフカの妹のひとりは、カフカが女中たちに好意を寄せ、田舎の生活を好むことを非難する気持だった。カフカが初めてフェリーツェ(筆者註:五歳年長のカフカと五年にわたり交際し、二度の婚約と婚約破棄を繰り返した)に会ったとき、彼女は《むきだしの頸》、《うつろな顔》、《ほとんどひしゃげてしまった鼻》で、大きな金歯を入れていた。カフカは彼女を女中だと思っていた(Journal,P245)。しかし、妹であるとも、娼婦であるとも思っていた。彼女はそのいずれでもなく、カフカ自身のようにすでに事務所で重要な地位にあり、やがて女支配人になる。カフカは官僚制の歯車または分節が適合することのなかに秘密の快楽を得るだろう)。》

 

カフカは、精神分析の書物に書かれているようなマゾヒズムとは何のかかわりもない。十九世紀と二〇世紀初めの精神医学による観察の方が、マゾヒズムについてのもっと正しい臨床的な見方を与えている。だから、おそらくカフカマゾヒズムの実際の見取図、そしてザッヘル・マゾッホそのひとと何か共通のものを持っている。この見取図とマゾッホそのひととのテーマは、現代的な解釈のなかでは消されているにせよ、多くのマゾヒストにおいて見出される。偶然にまかせて引用してみよう。悪魔との協約、婚約と対立してそれを厄払いするマゾヒストの《契約》、吸血鬼的な手紙への好みとその必要(或るばあいにはマゾッホが管理する手紙、或るばあいにはちょっとした新聞広告、マゾッホ=ドラキュラ)、動物への変化(たとえば、マゾッホにおける熊への変化または毛皮。これは父または母とはいかなる関係もない)、女中と娼婦への好み、牢獄の苦しい現実(このことは単にマゾッホの父が刑務所長だったことだけからではなく、子どものころのマゾッホが囚人たちを見たり、彼らをしばしば訪れていたことからも説明される。最大限の遠隔性、または、過度の隣接性を得るために、マゾッホ自身が囚人になる)、歴史的投資(マゾッホは、抑圧の長い歴史を自分の存在の仕方に関して再び取り上げるか集中させることによって、世界史の円環または分節を書こうとした)、決定的な政治的意図。つまり、ボヘミヤの出身であるマゾッホは、チェコユダヤ人であるカフカと同様に、オーストリア帝国の少数派と結びついている。ポーランドハンガリーにおけるユダヤ人の状況に対する、マゾッホの極度の関心、女中たちと娼婦たちは、家族と結婚生活での内部の必要に応じて、これらの少数派、これらの階級闘争に依存している。マゾッホもまた、彼の生活そのものであるマイナーの文学、少数派の政治的文学を作る。》

 

クンデラゼーバルト

 カフカと同じチェコ人であるミラン・クンデラは批評的エッセイ集『裏切られた遺言』(一九九三年)で、フランツ・カフカの遺言の執行者マックス・ブロートによるカフカ像(カフカ学)を批判している。

《ブロートはカフカの日記を公刊したが、すこしばかり検閲した。彼は売春婦への言及ばかりでなく、性に関するところをすべて削除したのである。カフカ学はつねにこの男性としての能力に疑義を発し、不能の殉教者について嬉々として駄弁を弄してきた。その結果カフカは、ずっと前から神経症、神経衰弱、食欲不振、発育不全の者たちの守護聖人、ひねくれ者、滑稽な気取り屋、ヒステリーたちの守護聖人になっている(オーソン・ウェルズにおいて、Kはヒステリックに叫ぶが、カフカの小説は全文学史上もっともヒステリックではないものなのだ(筆者註:オーソン・ウェルズ監督『審判』、出演者:アンソニー・パーキンスジャンヌ・モローロミー・シュナイダーオーソン・ウェルズ))。

 しかし、《売春婦への言及ばかりでなく、性に関するところをすべて削除した》というのは誤認、もしくは自説を強化するための誇張なのは、ブロート編によるカフカ『日記』の、カフカとブロートとの旅日記「ルガーノ――パリ――エルレンバッハへの旅」のパリでの記述を読めば一目瞭然である。

《合理的に整備された女郎屋。家中の大窓に清潔な鎧戸が下ろしてある。門番室には男のかわりに、見苦しくない服装の、どこの家庭にもいそうな女がいる。すでにプラークで、ぼくはいつも女郎屋のアマゾン族的な特徴のことは簡単に書いていた。それがここではもっと著しい。女門番は電鈴(ベル)を鳴らし、遊び終った客がちょうど階段を下りてくることが知らされたと言って、ぼくたちを彼女の部屋に引き留める。上で二人(どうして二人なのだろう?)見苦しくない女がぼくたちを迎える。隣室で電燈のスイッチをひねる。なかには暗がりもしくは薄明りのなかに、まだ客のつかない娘たちが座っている。彼女らは四分の三の円(ぼくたちが加わってそれを完全な縁にする)をなしてぼくたちを囲んで真直ぐ立ち、美点を生かすためのポーズをとる。選ばれた娘が大股に進み出る。マダムの握手。それで彼女はぼくを促しているのだが、ぼくの方は出口の方へ引っ張られているような気がしている。》

 このさきは、W・G・ゼーバルト『カンポ・サント』のなかの小編「スイス経由、女郎屋へ――カフカの旅日記によせて」に日記が引用されているので、そこから紹介するとしよう。ゼーバルトは少なくとも3つのカフカに関するエッセイ的な小説を書いた。『カンポ・サント』には他に「映画館のカフカ」もあり、『目眩まし』には「ドクター・Kのリーヴァ湯治旅」がある。

「スイス経由、女郎屋へ――カフカの旅日記によせて」から、パリの女郎屋までの経緯を要約すると、

《先だって知り合いのオランダ人女性が、前年の冬プラハからニュルンベルクまで電車の旅をしたと話してくれた。その旅のあいだ、カフカの日記を読みながら、ときおり眼をあげて窓のむこうを飛びすぎる雪にながながと見入っていたという。古風な食堂車は、襞の入ったカーテンと赤っぽい光を放つテーブルランプが、ボヘミアの小さな売春宿を思わせた。(中略)この話がきっかけで、私は久しぶりにカフカの日記をひもとくことになった。一九一一年の八月から九月にかけて、マックス・ブロートとともにプラハを発ち、スイスと上部イタリアを経由してパリに旅したときに、カフカがつけていたものである。それはまるで私自身が登場人物のひとりではないかと思えるほどに、すみずみに現実感があった。<マックス>(ゼーバルトの通称でもある)がたびたび登場したせいもあるのかもしれない。(中略)十五年前に私がいくつかの面妖な冒険をしたミラノで、マックスとフランツ(このふたり組はフランツの創作ではないかとすら思えてくる)は、イタリアでコレラが発生したことを知って、パリに行くことに決める。ミラノのドーム広場の小さなカフェで、ふたりは仮死と心臓刺胳について喋る。仮死も心臓刺胳も、形骸化し数十年前からもはや死に体になっていたハプスブルク帝国にあって、人々の心に取り憑いていた特殊な観念であったのにちがいない。カフカは、マーラーも心臓刺胳を望んだ、と書いている。マーラーはそのわずか数か月前、一九一一年五月十八日にレーヴ・サナトリウムで没していた。ベートーヴェンの臨終のときと同様、街を雷雲が覆って土砂降りの雨が降ったときだった。》

 ここから、パリである。

《パリの数日、ふたりはやや沈鬱な気分でいろいろな観光をしてから、恋の幸福を求めて、「合理的な調度」で「電鈴」を備えた売春宿に行く。そこではすべてがさっさと進行し、気がつけば、あっという間にもとの往来に立っている。カフカは書いている――「あそこで女たちをじっくり眺めるのは難しい。(…)記憶に残っているのは、ちょうど真ん前にいた女だけだ。歯がところどころ欠けていて、背伸びをして、恥部のあたりにこぶしを丸めて服をとりつくろい、大きな眼と大きな口を同時にすばやく開けたり閉じたりした。ブロンドの髪はくしゃくしゃだった。痩せていた。帽子を取ってはいけないことを忘れるのではないかと心配。手を帽子のつばからもぎ取らなければならない」。女郎屋にもそれなりの作法(コム・イル・フォー)があるのだ。「孤独な、長い、無意味な帰路」という言葉で締めくくられている。マックスは九月十四日にプラハに戻る。カフカはその後一週間にわたりチューリッヒエルレンバッハ自然療法療養所に滞在する。》

 

 マックス・ブロートへの誤審はさておき、クンデラは「カフカは性の実存的な様相を開示した」「性の悲しみの喜劇性を描いた最初の人間」と指摘している。

《私はカフカの性生活についてはこのようなことしか言えない。彼の時代の(あまり容易ではなかった)エロティックな生活は私たちのものとはあまり似ていなかった。当時の娘たちは結婚前にはセックスをしなかったので、独身者にとっては二つの可能性しか残されていなかった。良家の既婚婦人か下層階級の女たち、つまり売り子、女中、そしてもちろん売春婦たちであったと。(中略)

 十九世紀の小説は、恋のあらゆる戦略を見事に分析できたが、性と性行為そのものは隠蔽したままにしておいた。今世紀の最初の数十年間に、性はロマンティックな情熱という霧の外に出てくる。カフカは(たしかにジョイスとともに)小説のなかで性を発見した最初の作家のひとりなのである。彼は性を、(十八世紀流に)放蕩者たちの小サークルのための遊戯の領域としてではなく、各人の平凡かつ根本的な現実として開示した。カフカは性の実存的(・・・)な様相を開示したのである。すなわち、愛に対立する性、性の条件、制約としての他者の異質性、ひとを興奮させると同時に反発させる側面といった性の両義性、その恐るべき力がいささかも衰えないのに、なんとも途方もない性の無意味さ等々。》

 

《若いカール・ロスマン(『アメリカ』(筆者註:近年は『失踪者』と翻訳され、短篇「火夫」はその第一章に相当)の中心人物)は、女中との不幸な性的出来事のせいで父の家から追い出され、アメリカに送られる。その女中が「彼を父親にしたのだ」。性交の前に、「カール、おお私のカール」と女中が叫ぶが、「彼のほうは自分のために彼女がわざわざ積みあげてくれたらしいその温かい寝具のなかで居心地わるく感じていた……」。やがて彼女が「彼を揺すり、彼の心臓の鼓動を聴き、同じように自分のを聴くようにと胸を差し出した」。それから彼女は「じつに厭らしいやり方で彼の脚のあいだをまさぐったので、カールはもがきながら、寝具のそとに頭と首を出した」。そして「彼女は何度も自分の腹を彼に押しつけた。カールは彼女が自分の一部であるような気がした。そしてたぶんそのせいで、ぞっとするような悲哀に浸されたのだった」。

 このようなぱっとしない性交が、この小説であとにつづくいっさいの事柄の原因なのである。私たちの運命がまったくつまらないものを原因としていると自覚するのは、気の滅入ることである。しかし予期せぬつまらなさのどんな啓示も、それと同時に喜劇の源泉になる。セイコウノアトデハ、スベテノドウブツハカナシクナル。カフカはその悲しみの喜劇性を描いた最初の人間なのだ。》

《『アメリカ』のエロスの至宝はブルネルダである。彼女はフェデリコ・フェリーニを魅了した。フェリーニは久しく『アメリカ』を映画化することを夢み、『インテルヴィスタ』のなかで、その映画の夢のキャスティングの光景を私たちに見せてくれる。(中略)

 この太った醜女の素描において新しいのは、この醜女には索引力があることだ。病的な索引力、滑稽な索引力、しかしともかく索引力があるのだ。ブルネルダは嫌悪と興奮との境界にいる性の怪物なのであり、男たちの感嘆の叫びは喜劇的であるばかりでなく(もちろん、それは喜劇的である(・・・)、性は喜劇的であるのだ(・・・・・)!)それと同時にまったく真実なのである。》

 

カフカが書いたもっとも美しいエロティックな場面は、『城』の第三章にある。Kとフリーダとの性交の場面である。初めてその「つまらない小柄のブロンド女」に会ったあと、一時間もしないうちに、Kはカウンターのうしろの「ビールの水たまりや、その他の汚い物が床を覆っているなかで」彼女を抱きしめる。汚さ、それは性、性の本質と不可分なものなのだ。

しかし、その直後の同じパラグラフのなかで、カフカは私たちに性のポエジーを聞かせる。「そこで時間が去って行った、一つになった息、一つになった心臓の鼓動の時間、そのあいだKがたえず、自分はさまよっているのだ、あるいは自分より前のどんな人間よりも遠く異郷の世界に、空気さえも故郷の空気のどんな成分ももたず、あまりの異郷感に息が詰まってしまうにちがいないのに、無分別な誘惑の只中で、ただ行きつづけるほか、さまよいつづけるほか、なにもできない世界のなかにいるのだという感情をもっていた時間が」。

 性交の長さが異郷の空の下で歩行という隠喩に変わる。しかしながら、この歩行は醜さではない。それどころか、私たちを惹きつけ、私たちをもっと先に行くよう誘い、私たちを陶然とさせる。それは美なのだ。》

《第三章全体が思いがけないことの渦だと言ってよい。比較的せまい時空間のなかで、このようなことが次々と起こる。宿屋でのKとフリーダとの最初の出会い、第三者(オルガ)がいるために偽装された異様に現実的な誘惑の対話、事務机のうしろで眠っているクラムをKが見るドアの覗き穴のモチーフ(平凡だが、経験的な本当らしさからは逸脱するモチーフ)、オルガと踊る使用人たちの一隊、笞で彼らを追い払うフリーダのびっくりするような残酷さと、彼らが従う際に示すびっくりするような恐怖。宿の亭主が到着するいっぽうで、Kのほうはカウンターのしたに長々と横たわって隠れる。フリーダが到着して床に横たわっているKをみつけるが、宿の亭主にはKはいないと言う(そう言いつつも、彼女はKの胸を愛撫する)。ドアのうしろで目覚めたクラムの呼び声によって中断される性交、クラムにたいして、「私は測量師と一緒なの!」と叫ぶフリーダの驚くほど勇気ある振る舞い、それからこんな絶頂(ここでは、経験的な本当らしさから完全に逸脱してしまう)、つまりふたりの助手が彼らの上方のカウンターに座って、そのあいだずっと彼らを見守っていたということだ。》

 

                                     (了)

        *****引用または参考文献*****

多和田葉子編『ポケットマスターピース01 カフカ』(「変身(かわりみ)」多和田葉子訳、「訴訟」「火夫」川島隆訳、他所収)(集英社文庫

*『世界文学大系58 カフカ』(「城」「判決」原田義人訳、他所収)(筑摩書房

カフカ『失踪者』池内紀訳(白水Uブックス

*マックス・ブロート編『カフカ全集03 決定版 田舎の婚礼準備・父への手紙』(「罪、苦悩、希望、真実の道についての考察」「八つ折り判ノート・八冊(短篇小説、断章、スケッチ等)」「断片-ノートおよびルース・リーフから」他所収)飛鷹節訳(新潮社)

*マックス・ブロート編『カフカの日記 新版 1910-1923』(「ルガーノ―—パリ――エルレンバッハへの旅(一九一一年八月~九月)」他所収)谷口茂訳(みすず書房

*『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(「フランツ・カフカ」西村龍一訳)(ちくま学芸文庫

ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力 <アブジェクション>試論』枝川昌雄訳(法政大学出版局

*J・コーン編『アーレント政治思想集成1 組織的な罪と普遍的な責任』(「フランツ・カフカ 再評価――没後二〇周年に」山田正行訳所収)(みすず書房

ハンナ・アーレント『暗い時代の人々』(「ヴァルター・ベンヤミン――一八九二~一九四〇」)阿部齊訳(ちくま学芸文庫

W・G・ゼーバルト『カンポ・サント』(「スイス経由、女郎屋へ――カフカの旅日記によせて」「映画館のカフカ」所収)鈴木仁子訳(白水社

W・G・ゼーバルト『目眩まし』(「ドクター・Kのリーヴァ湯治旅」所収)鈴木仁子訳(白水社

*平野嘉彦『カフカ 身体のトポス』(講談社

明星聖子カフカらしくないカフカ』(慶應義塾大学出版会)

モーリス・ブランショカフカからカフカへ』山邑久仁子訳(書肆心水

エリアス・カネッティ『もう一つの審判 カフカの『フェリーツェへの手紙』』小松太郎/竹内豊治訳(法政大学出版局

ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリカフカ マイナー文学のために』宇波彰、岩田行一訳(法政大学出版局

*『現代思想 総特集カフカ 没後一〇〇年』(2023年1月臨時増刊号)(青土社

ミラン・クンデラ『裏切られた遺言』西永良成訳(集英社

*川島隆『カフカの<中国>と同時代言説』(彩流社

文学批評) 藤村『夜明け前』批評について

 

 

 島崎藤村『夜明け前』は『中央公論』に昭和四年四月から年四回連載され、第一部、第二部の構成をとって、昭和十年十月に完結し、昭和十年十一月に新潮社から刊行された。

 

小林秀雄「日本の作家だ」>

 刊行翌年の昭和十一年五月、「文學界」主催で開催された「「夜明け前」合評会」はそうそうたる面々で、村山知義舟橋聖一林房雄河上徹太郎島木健作阿部知二小林秀雄武田麟太郎の名前を見ることができる。

 

 口火を切った林房雄の、《 「夜明け前」はまことに大作だから、その批評は、合評会では第一できないし、やつても群盲魚を評する結果に終るかもしれぬ。だが、群盲も象の属性だけはそれぞれ言ひあててるんだから「夜明け前」にたいしてあんまり縮みあがらずに、思つたまゝのことを言つてもらいたい》ではじまって、林に導かれたわけではなかろうが、それぞれが好き勝手に意見した感がある(今読めば、昭和十一年の文学・思想・時制状況が透けて見える)。が、ひとり小林秀雄だけは終始黙っていて、最後に《小林 もう時間だ。》で合評会は閉じた。

 しかし、付記のような形で、「日本の作家だ(小林後記)」が掲載されていて、これがよく「合評会」での議論の要点をあげつつ、小林らしい詩的な飛躍と啖呵による目利きの一文となっている。

《この座談会で、僕は終始沈黙といふ事になつてゐる。実は当日までに「夜明け前」を通読する暇がなかつたので、傍聴してゐたのである。今、読了して後記を書くのだが、いろいろ意見を聞いてしまつて特に僕が新しく言ふところはない様である》と拍子抜けさせて始まるが、続けて読むと、藤村『夜明け前』批評のキーワード(「退屈」「思想」「詩的」「人間が描けているか」「技法」「気質」「歴史」「一切は神の心」など」)がほぼすべて表出されている。

 

《途中かなり退屈を感じたが、この小説の底には強く人をひきつける力がかくされてゐるらしく、知らぬうちにその力に捕へられてゐるといふ具合に、三日間何もせず一気に読んで了つた。いかにも静かな小説である。》

 ここで退屈というのは第一部の歴史記述のあたりであろう。

 

《成る程全編を通じて平田篤胤の思想が強く支配してゐるといふ事は言へる。(中略)僕にはどうもこの小説に流れてゐるものが思想とよぶべきものかどうかがそもそも疑問なのである。少くとも僕等の耳にひゞいてゐる思想といふ音は、この小説にはひゞいてゐない。「夜明け前」のイデオロギーといふ言葉自体が妙にひゞくほど、この小説は詩的である。この小説に思想を見るといふよりも、僕は寧ろ気質を見ると言ひたい。作者が長い文学的生涯の果に自分のうちに発見した日本人といふ絶対的な気質がこの小説を生かしてゐるのである。個性とか性格とかいふ近代小説家が戦つて来た、又藤村自身も戦つて来たものゝもつと奥に、作者が発見し、確信した日本人の血といふものが、この小説を支配してゐる。この小説の静かな味ひはそこから生れてゐるのである。》

 藤村は青野季吉との対談「一問一答」で、《結局、私も庄屋の子なんですね、それで、さういふ所から片ッ方のお百姓、農民といふやうなものの考へ方とか、いろいろな点で、ちよつと考えへ方が違ふ。現に今の時代に居ても、やつぱり自分は庄屋の子のやうな所がありましてね、そこがプロレタリアの方の人たちの時勢を観る見方なんかとも、多少違ふ所ぢやないか思ひますね。まあいいか悪いか分りませんが、兎に角私が庄屋の子に生れたといふことが、いろんな事に就て、かう立場をそこへ作らせるやうな所がありましてねえ。若しさうでなかつたならば――ああいふ家に生れなかつたならば、ああいふ小説は出て来ないかも知れませんね》と話しているが、権力階級でも下層階級でまない中間層としての庄屋の子であることの他に、街道の中継ぎという本陣の子であること、藤村自身の穏健な性格などがあいまって、小林の言う「日本人」「静かな味わひ」の発見があったのではないか。

 

《人間が描けてゐないといふ様な議論もあつたが、これは作者が意識して人物の性格とかを強調しなかつたところからくる印象ではあるまいか。みんな生き生きとしてゐる、概念的な人物は一人も出て来ない。》

《お粂の自殺や半蔵の発狂の経過を述する筆が不充分だといふ説もあるが、僕はさう思はなかつた、両方とも見事に描かれてゐると思つた。お粂の自殺の動機が不明瞭なのもあれでいゝと思ふ。明瞭であつたらかへつて不自然になる。(中略)半蔵の発狂にしてもさうである。深く心理に立入つてゐない事は、恐らく作者が極めて注意深く行つた技法で充分成功してゐると思ふ。》

 重要な場所における藤村の抑制された冷静な筆致、理性的な技巧への指摘である。

 

《もう一つ感服したのは、作者が日本といふ国に抱いてゐる深い愛情が全篇に溢れてゐる事、而も歴史の複雑な流が非常に綿密に客観的に描かれてゐる事で、林君の所謂この小説のライト・モチフ「一切は神の心」が決して単なる詠嘆として聞えてゐない点である。》

 こうして小林秀雄の常として、「日本人」「一切は神の心」などについて、論理的に解説することなく、威勢よく詩的な言葉を読者へ放り投げて批評を終えてしまう。

 

篠田一士『夜明け前』――伝統と前衛の狭間に」>

 ロラン・バルトに「人はつねに愛するものについて語りそこなう」という遺作があって、イタリアへの情熱ゆえにスタンダールはその日記文学においてイタリアへの愛を語りそこなった(が、小説『パルムの僧院』で実現した)という内容だが、その実証例であるかのように、古今東西の文学に通じた評論家篠田一士は愛する『夜明け前』について珍しく語りそこなっている。篠田は『夜明け前』の舞台、岐阜の出身であった。郷土愛への幻想(ファンタスム)ゆえか、語りそこなってはいる(激賞しつつも疑念、否定を挟まずにはいられず、しかし賞賛へと絶えず揺れ動く)が篠田ならではの地球儀的視野、伝統と前衛への歴史的展望がある。

 

『夜明け前』は何度読んでもぼくを感動させる。陶酔はますます深くなり、ぼくの月並みな思念は千々(ちぢ)にみだれ、目前の言葉と言葉の合間に、意味しえぬ意味がひろやかに、しかも幾重(いくえ)にも層をなして透(す)けてくるように思える。(中略)ぼくが想いみたものは、あるときは、ありとあらゆるものを食い尽してゆく時間についての作者の毅然(きぜん)たる形而上学であり、あるときは主人公青山半蔵の悲愴な劇的生涯であり、またあるときは、ぼくたちの祖国が、黒船の到来とともにヨーロッパから押し寄せてきた近代の巨大な波濤に身をさらしながら切り拓いてきたぼくたち自身の近代の困難さであった。(中略)

 ぼく個人の経験を語らせてもらうなら、『夜明け前』が誘いこむ陶酔は『白鯨』のそれのように、めくるめくものであり、『戦争と平和』のそれのように広大であり、さらに『失われた時を求めて』のそれのように深々たるものであった。》

 

《とりあえず、順を追って『夜明け前』が予想させる近代ヨーロッパ小説の骨法――具体的にいえば、あの十九世紀後半期のナチュラリスムが開花させた「幻滅小説」について書かねばならない。そう、青山半蔵はぼくたちのフレデリック・モロー(筆者註:フロベール感情教育』の主人公)である。半蔵もモローもひとしなみにいえば、幻(まぼろし)を夢みることによって生をはじめ、ついにはその幻のために死を迎えたひとだ。》

 

『夜明け前』歴史小説と定義してみたところでなにが分るというのだろう。『戦争と平和』を同じ定義でよんでみても、あの小説の核心はなにひとつとして明らかにはならないのだ。なるほど、『夜明け前』にはぼくたちが歴史的事件、あるいは歴史的事実と名附けるものがくわしく書きこまれている。(中略)

 たしかに、『夜明け前』における明治開国をめぐる歴史的事件の扱い方はヨーロッパのいくつかの近代小説を念頭にうかべた場合異常である。

 たとえば、ワーテルローの戦いを闇夜にきらめく稲妻のようにとらえた『パルムの僧院』や、同じ戦いの黒々とした影をその側面的な波動だけで生々しく暗示した『虚栄の市』にくらべれば、『夜明け前』における歴史的事件の扱い方を小説の常道を逸していると非難することもあながち不当ではないかもしれぬ。もちろん『戦争と平和』におけるナポレオンのモスクワ侵攻の歴史がある。だが、ここでは歴史的事件の主動者が同時に小説の主要人物であるように構成されている。ナポレオンが叱咤するボロジノの戦いはもはや歴史的事件ではなくて、ともかく一応、『戦争と平和』という小説のなかで再構成されている。

 しかし、いま同じようにぼくたちは『夜明け前』にえがかれる、武田耕雲斎一派の水戸浪士の反乱をはじめ、公武合体大政奉還をめぐる対立意見や事件の推移、あるいは京阪における外国公使の動きなどを、なんの躊躇もなしに小説的事件とみなすことができるだろうか。

『夜明け前』の主人公をかりに青山半蔵とし、その劇的な生涯をえがいた小説だと考えた場合、こうした歴史的事件の記述は少くとも純粋に小説構成のうえからは不様(ぶざま)であり、不要であるといってもいいのかもしれない。》

《また、この半蔵を作者藤村の思想的分身と見たてて、彼の進歩性を賛美したり、一方でその陰にたくみに秘められた反動的な事大主義を摘発し、非難しようともしない。

 半蔵の存在は小説のコンテクスストのなかにきわめて複雑な形で密着し、このような単純な、いわゆる思想的図式化を許さないし、また『夜明け前』そのものを粗(あら)っぽい思想小説とするには、これまたあまりにも複合した構造と精緻な内容を具えている。》

 

《この種の小説の主人公を「環境から切り離すことはできない」といい、さらに「この環境、そしてまた、そこに住んでいる人物は、観察の結果生れた非常に多くの特殊的な事実、言いかえれば現実の世界から出来上がっている。この世界が消えれば、この人物も消滅する」と断定したエリオット(筆者註:T・S・エリオット「ベン・ジョンスン論」)の言葉を読み返してみよう。もし「幻滅小説」をある批評家のひそみ(・・・)にならって「環境小説」とよぶならば、『夜明け前』ほど徹底した「環境小説」はほかのどこをさがしても一寸見附からないだろう。藤村は幕末から明治にかけての日本の歴史の断面を書こうとしたのではなくて、主人公半蔵の脳髄と感覚を囲繞(いぎょう)し、またそうしうると予想され、そして彼の想念を育むはずの環境をできうるかぎり精緻につくりだそうとしたのである。》

《もしかしたら藤村は半蔵の生涯を物語ることに小説の主眼をおいたのではなく、むしろ歴史的事件の錯雑を、そして近代日本の夜明け前の断面をえがこうとしたのではないか。こういう設問に対してぼくはいまの場合どちらも化だといっておこう。》

《この小説を「環境小説」たらしめ、主人公の夢想を客観化する切点(せってん)は外ならぬ街道であり、また、この「環境小説」を「特殊な事実」の集積に外ならぬうつろな「現実」から解き放って、永遠の相の下にその現実を再構築しようとする形而上小説に高めるのも、またこの街道であった。》

《想ってもみたまえ。この厖大な長篇はあの旧い街道について書かれた、かぎりなく荘重な文章ではじまり、もはや主人公とよぶにはあまりにも悲惨な最期をとげた人間を母なる土に復帰させる墓造りの場面をもって終る。そして、その丁度中間のところで、さまざまな歴史的記述の騒音や主人公をめぐるこちたき生の彩(いろど)りをあざ笑うかのように、あの聖句が高らかにひびきわたるのである。

  「一切は神の心であらうでござる」

 しかし、神とはなにか。ぼくたちはここでほとんど反射的に、あのヨーロッパ文学の頂点に厳として座を占めるダンテの一句、

  la sua volontate é nostra pace (主の御意思(みむね)はわれらの平和(やすき))

 を想いだす必要がある。これを知ったかぶりと笑いすてていいのだろうか。黒船の幻影につかれて狂死した半蔵。幕末の大変動をヨーロッパ文明の挑戦によるものとして、南蛮人の渡米以後の歴史を『夜明け前』第二部の冒頭に長々と書き、また、篇中いたるところに、黒船に乗ってやってきた新しいヨーロッパ人との接触にまつわるさまざまな歴史的記述を苦心の仮構をまじえながら書きつづける藤村。ヨーロッパはついに幻影であるかもしれない。だがそれが幻影であるにしろ、その幻影のうえに成立したのがぼくたちの近代に外ならぬ。『夜明け前』の作者はこの幻影を底まで洗いたてて、そのむなしさを究明しようとはしなかった。むしろ、幻影をひとつの現実として受けいれることによって、その現実に堪えうるおのれの本体とはなんであるかを探求しようとしたのだ。

「主の御意思(みむね)」と「われらの平和(やすき)」のふたつの句に明示されるふたつの人称のあいだには無限のディアレクティークを予想させ、また事実生んだが、「一切は神の心であらうでござる」という人称のまったくなく、また同時にあらゆる人称を包含する、尊大なゆるやかさをもった断定句は、ぼくたちが語りかけるべき神の姿を示すどころか、暗示することもなく、ただただおのれを空しゅうして、そこに帰依し、同化することを命ずるばかりである。》

 小林秀雄一流のレトリック的な言いまわし、「日本の作家だ」「日本的」「静かな味ひ」、そして「「一切は神の心」が決して単なる詠嘆として聞えてゐない」の核心を、篠田は「うまく語ることができない」ながらも論理的に解き明かそうと四苦八苦しているのではないか。

 

 ところで、「歴史小説」か「主人公の生涯」かに関して、藤村は青野季吉との対談「一問一答」で、巧い喩えを述べている。

《普通或る主人公を描いて行く場合には、その時代の動きといふやうなものは、それは一つの背景として扱はれるといふやうなのが、ちよつと普通でございますね。私はあれを書いてゐるうちに、主人公は主人公、背景は背景といふ風に考へないで、例へばそれを一つの楽譜に譬へてみれば、主になるメロディとそれから伴奏のやうなもの。或る時は殆ど主になる音は極く僅かしか聞こえないで、伴奏の方が主になつて居るやうな所もある。全然主人公よりも寧ろ実際の動きのやうなものの方が主もに書かれて居る所もありますけれども、私はそれを背景といふ風にはだんだん考へなくなつたんです。

 例のルービンシュタインといふ人が演奏をした時に、行って聴いてみましたが、あの人はピアノですから、もう或る時は全く左右の手の指が、寧ろ伴奏の低い方の音に集まつて居る時があるのですね。それから或る時は、今の主になる符音――基調になる方の音に集まつて居ると、さういふ風になつて居るやうでございましたが、してみると、やっぱり何も主人公の生涯だけを主にして、あとは背景だと、さう考へなくてもいいかと思つて参りましてね。そんな点がちよつと普通の長篇の書き方とは、考へ方でも違ふかも知れませんねえ。》

 

加賀乙彦「故郷と山と狂気・『夜明け前』――日本の長篇小説」>

 加賀乙彦は、自らが長篇小説作家であるばかりか精神医でもあることによって『夜明け前』を批評している。

 

島崎藤村の小説、とくに長篇小説には、初めに全体的な展望があって、それが次第に一人二人の主要人物へとクローズアップされていく、そんな構成が多い。丁度、峠の上から広々とした平野を見渡し、次第に遠景から近景へと移ってきて、そこに佇む孤独な人物へと視点を移していくような趣きである。(中略)この点の際立つのは、『家』と『新生』と『夜明け前』である。いずれの作品も最初に大勢の人々が次々に描かれ、おもむろに、それらの人々が組立てている集団からはじき出された孤影悄然とした人物が示されてくる。(中略)この集団と離脱の関係を、もっとも大きな規模でしかも徹底した形で仕遂げたのが『夜明け前』である。ここでは集団は国家になり離脱は狂気になっている。》

「集団と離脱」を藤村文学のライト・モチーフとみるのはユニークで、本質的かつ今日的である。

 

《一つの何げない記述が、実は作品の構成のうえで必須な伏線となっていることは複雑な長篇を組立てていく上に不可欠の配慮だが、さすが藤村はそこを抜け目なく押さえている。しかも一つの記述はその次に来る全く別な記述の下に潜みながらどこかで生き続け読者に影響を及ぼしていく。記述は重層し、徐々に奥行きの深い世界へと分け行っていく。

 この手法がことに鮮やかに使われているのは半蔵についての記述である。それははじめのうちほんの一行か二行の描写でありながら確実に後へ後へと響いていき、多くの人物の記述の中に埋れながらも次第に脈絡を太くしていく。(中略)

 半蔵以外の登場人物も通常の意味でのドラマを形成しない。旅行く人にとって山路の風景が並列的に移動していくように、人々は現れては消える。通常の大河小説のように多くの人物が、複雑にからみあい、親和と対立しながら、多くの支流が合さって大河となる趣がここにはない。多くの人物が現われるが、彼らは結局木曽路とそれを囲む幕末の変革期の世相を表現するための点景人物の感がある。このように長篇小説の正当的な結構とは懸け離れた方法は、或る意味で欠点とも言えるのであるが、他方ではこれが藤村独自の新しい方法となっている。多くの人物をまるで森林や橋や石畳のようにして用いることにより、かえって木曽路有機的な活力は鮮かに描出されてくるのは不思議である。》

「街道」に象徴される、常に移動する空間的、歴史に押し流される時間的な、「継起」としての文学技法。

 

 ここからは精神医的な批評であるが、加賀は小説の読み方への注意を喚起せずにはいられない。

《それは家督を息子の宗太に譲ったのにその後の財務運営が不如意で、しかもその責任を半蔵が「公共の事業のみ奔走して家を顧みない」せいにされたときである。彼は扇で息子を打とうとして、間に入った妻のお民の眉間を打ってしまう。(第二部、第十四章)

 この怒りから狂気へは一直線である。民衆のみならず家族までが彼を敵視する。最初の異常体験はそういった状況のなかで出現している。

「彼の内部(なか)にはいろいろなことも起つて来るやうになつた。妙に気の沈む時は、部屋にある襖の唐草模様なぞの情(こころ)の無いものまでが生き動く物の形に見えて来た。男女両性のあろう筈もない器物までが、どうかすると陰と陽との姿になつて彼の眼に映つて来た。」(同)

「……なにしろ、お前、変な奴が来てこの庭の隅に隠れてゐるんだらう。彼奴は恐ろしい奴さ。この俺を狙つてゐるやうな奴さ」(同)

 前者は実際に周囲にある物、「襖」とか「器物」が、その物の日常的な意味とけたはずれた物、「生き動く物の形」に見えたり、「陰と陽の姿」になって見えたという体験である。これは精神医学のほうでは妄想知覚といわれる現象で、この成因については知覚は正常だが判断が異常なためにおこるという二節性の主張をする学者と、知覚と判断とを含めた意識状態そのものの変容を問題にする学者とがあって、議論の分れるところであるが、私が感心するのは、作者が何気ない筆致でありながらこの種の異常体験を的確に描いているところである。

 後者は「変な奴」が隠れているという体験で、隠れている以上、「変な奴」の姿は見えず、その正体も見極められない。これは正常者に見えぬものが見えるという幻覚ではなく、そこに誰かが存在しているという存在感覚だけがあるので、精神医学の方では実体験的意識性と呼ばれる体験である。この実体験的意識性は幻覚の一歩手前にあって、その母体となる体験である。「変な奴」は、次第に確乎とした実体性を備え、ついには姿を現わしてくる。万福寺での月見の宴で、半蔵は「庭の暗い隅に蹲る黒いものの動き」を見る。「変な奴」がついに姿を現わしたのだ。この幻視に加えて幻聴も出現する。彼は「夜の空気を通して伝はつて来る遠い人声」に驚き両耳に手で蓋をしたりする。

 民衆と家人より離れ、孤独の極に追いやられた半蔵にはもはや誰一人として親しい人がいない。妻のお民までが「何となく遠くの方にゐるやうな」気がする。こうして「敵」の存在が確定する。言いかえれば自分以外の人間が敵であるような被害妄想の構築が完成するのである。万福寺への放火と座敷牢への幽閉は妄想世界から来る必然的な結果である。

 青山半蔵の狂気は、西丸四方(『島崎藤村の秘密』)も言っているように、医学的診断がなかなか難しい。遅発性分裂病とも神経症とも偏執病ともとれる。この問題は、藤村の父の正樹の病気を調べ、藤村自身の病跡学的研究の参考にするという意味では興味がある。しかし『夜明け前』という作品の評価にとっては診断はどうでもいいことである。ここではその狂気と作品の構成や主題との係りのみを注目すれば足りる。

 また、半蔵が作者の父をモデルにしたという事実も、小説の鑑賞にとってはどうでもいいことである。(中略)ついでに言えば、藤村が父の狂気についてどれほどまで知っていたかは極めて疑わしいと思っている。彼が父と分れて上京したのは十歳の時だし、父が亡くなったのは数年後である。むろん人づてに父の最期の様子を聞いたであろうし、執筆に当って家人に当って調べもしたであろう。しかし私が精神医として経験して来たことだが、すでに死んだ人の狂気の様子を家族から聞き出しても精神内面のことはほとんど分らないのが常である。藤村の場合も知り得たのはせいぜい寺の障子に火を付けたとか座敷牢で死んだとか、糞合戦をしたとか、外面的な事実のみであろう。(中略)

 直接のモデルは姉の園子であったかも知れない。園子は藤村が親しく知りえた唯一の病者であった。しかし『ある女の一生』を読んでも狂気の内面についてほとんど立入った分析がなされていないことに気付く。それよりも半蔵の狂気のモデルは藤村自身ではなかったかと私は思う。藤村が狂ったというのではない。半蔵の狂気に感情移入できるほどに藤村が苦悩したということである。半蔵の幻覚のところを読んだ時、私が連想したのは『新生』の一節であった。それは、孤独な旅を続けリモオジュの田舎町に来た主人公の岸本が覚える幻覚である。

「不思議な幻覚が来た。その幻覚は仏蘭西の田舎家に見る部屋の壁を通して、夢のやうな世界の存在を岸本の心に暗示した。曽ては彼が記憶に上るばかりでなく、彼の全身にまで上つた多くの悲痛、厭悪、畏怖、艱難なる労苦、及び戦慄――それらのものが皆燃えて、あたかも一面の焔のやうに眼前の壁の面を流れて来たかと疑はせた。」

 岸本の幻覚は、『エトランゼ』や『海へ』の藤村の孤独へと連なっている。半蔵の悲哀は藤村の悲哀であったろう。だからこそ、あれほどの奥行きをもって半蔵の狂気が描かれたのだと私は思う。》

 

 

篠田一士は「藤村全集月報」に「『夜明け前』小論」と題して、前述と似たような論旨を掲載したが、そこでは次のように結んだ。

《究極的にいうならば、『夜明け前』の自然は郷土的なものではない。半蔵の胸にくりかえしよみがえってくる、あの先師篤胤の言葉――「一切は神の心であらうでござる」こそは、まさにこの自然に対する最大のオマージュだったはずだ。「黒船」に乗ってきた人々の国では、自然は神に屈服すべきものであって、また、人間の営為の所産である文明の原理とは対立する。

「黒船」の人々の信仰をもたないわれわれにとって自然は文明を治(しろ)しめし、文明の原理をそこに仰ぐべきだと『夜明け前』の作者は言いたげである。この恆なる自然の目からみれば、想像的小宇宙も事実の世界をいかほどの逕庭があろうか、と彼は反問するだろう。『夜明け前』の発端はペリー来航の年で、終末の頃にはイギリス人の鉄道測量師が木曽路を調査している。この間に近代日本の出発点は定まった。そして、以来半世紀にわたってここには文明と名づけるべきものが築かれてきた。

『夜明け前』の作者はこの近代日本文明の成果に誇りをもち、そこに安堵感さえ味わっている。そして彼は、一方では、この文明の指導原理となった「黒船」の人々の思想を受け容れながら、他方では、これを当然拒むはずの思想をなおかつ、おのれの文明の根底に据えなければならない必然を倦むことなく語りつづけている。

『夜明け前』は大変気味の悪い小説である。》

 篠田は以前に、こうも論じた。

《藤村の文学はかなり懇切丁寧な批評の篩(ふるい)にかけられ、従って評価もそれ相応に行われているが、この『夜明け前』だけはつねにこうした手続きから外されているのである。それならば『夜明け前』はとるに足らぬ作品だという判定が下されているのかというとそうでもない。大方の批評はこれを傑作といわないまでも大作とよんで、敬意と賛美を怠らないが、だからといって、たとえば、『破戒』や『家』や『新生』に対する場合のように批評家が身をのりだして、この作品が大作であり、藤村文学のクライマックスであるゆえん(・・・)を究明しようとはしない。(中略)現在藤村は近代作家のなかでもっともくわしく研究されている作家のひとりだといっても言い過ぎではないだろう。にもかかわらず『夜明け前』になると、ほとんど読むに値するものがないというのは、いったいどういうことだろうか。『夜明け前』をめぐる空白は藤村の文学のみならず、近代日本文学の底にひめられた謎を無気味に指示しているようにぼくには思えてならないのだ。》

たしかに藤村『夜明け前』は鵺のような気味の悪い作品、謎かもしれない。

 

                              (了)

        *****引用または参考文献*****

島崎藤村『夜明け前 第一部(上)(下)、第二部(上)(下)』(岩波文庫

*剣持武彦編『島崎藤村『夜明け前』作品論集成Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ』(大空社)

小林秀雄「日本の作家だ(小林後記)」(村山知義舟橋聖一林房雄河上徹太郎島木健作阿部知二小林秀雄武田麟太郎「「夜明け前」合評会」(「文學界」第三巻第五号 昭和一一年五月一日(文學界社)に所収)

篠田一士『夜明け前』――伝統と前衛の狭間に」(「文學界」第一七巻第七号 昭和三八年七月一日、第一七巻八号 昭和三八年八月一日号(文藝春秋社)に所収)

篠田一士『夜明け前』小論」(「藤村全集月報」1 昭和四一年九月(筑摩書房)に所収)

加賀乙彦「故郷と山と狂気・『夜明け前』――日本の長篇小説(4)」(「文芸展望」第八号 唱和五〇年一月一五日(筑摩書房)に所収)

*『島崎藤村全集 別巻』(筑摩書房

島崎藤村青野季吉「「夜明け前」を中心として 一問一答」(「新潮」第三二年一二号 昭和一二年一二月一日(新潮社)に所収)

西丸四方島崎藤村の秘密』(有信社)

文学批評) 小池昌代――来ないものを待つ

 小池昌代の詩から歩く速さで声が聞こえて来る。

 詩集『永遠に来ないバス』(1997)。《八月は、金魚売り。/湯気の立つ/アスファルトの上を/小柄な老人の金魚売りがいく/路地の端から端にわたるだけの/淡いささやかな声を上げて》(「ゆれている水」より)の生活の陰翳の声は《風鈴の短冊も/金魚のおひれも/妹の前髪もゆれていたのだ/あらゆる面はゆれている/「かくじつなものなどひとつもないのだよ」/老人は不安をかたちに運びながら/本の台車をゆっくり/牽いていく》(同前)の頭上からの声となって降りて来る。

《家のなかから私の声があがる/私はその声を往来で聞く》(「交歓」より)の妖しく醒めた意識、《空豆はすぐにゆであがり/わたしは「待って」と言った/湯をこぼして/「食べていって」/流しのステンレスが、ぽこん、と鳴った/それなのに/行ってしまったのは。/なによ/それで》(「空豆がのこる」より)の絡みあえなさ。 《どんな声をもっているかわからない生徒たち/知らない同士がすれ違うたび/小さくて固い乳首はとがり/金属のような涼しい音をたてる/「屋内プールの水を見ていました。もらるがくずれ、もう、なにをしてもいい、という気持ちになったんです。」》(「机上の汚水」より)のノワールは都会の少女のスカートのベルトをべっとり甘くした。

 メルロ=ポンティは「哲学が表現に導こうとするのは、物そのものであり、しかも物が沈黙しているその深みからである」(『見えるものと見えないもの』)と思考したが、詩人もまた哲学者のように沈黙のものの深みからあるものが来るのを不安のうちに待つ。

『もっとも官能的な部屋』(1999)で小池は声をたよりにあるものへ近づく。メルロ=ポンティの「記述することが問題であって、説明したり分析したりすることは問題ではない」、「哲学とはおのれ自身の端緒がつねに更新されてゆく経験である、……また、哲学は一にかかってこの端緒を記述するところに在る」(『知覚の現象学』)の詩的なあらわれだ。《目に飼う馬/うま、と口に出し言い終える前に/あなたから飛び出してくるいっとうの馬が見える》(「馬のこと」より)の目に見える声のかたち。《(ほら、見てみな)/(さわってみな)//そのとき/女の手がのびるかわりに/私のなかから手がのびて/なにかとてもあたたかいものに指が触れた/ほの暗く/どこよりも深い、人間の股》(「Penis from Heaven」より)の根源的な声はどこから来てどこへいくのか。

 鷲田清一は、「メルロ=ポンティの思考には〈存在〉をめぐる深い喪失感と信頼とが表になり裏になって交差しており、それらが感覚の濃やかな襞の一つ一つにしみ込んでゆくようなまなざしのしなやかさと一つになって、奥行きのある独特の思考宇宙を構成している」のであり、「世界にはほとんど職人芸とでもいうべきある表現のスティル(文体)によってのみ近づけるような位相がある。スティルがはじめて可能にする視線というものがあるのだ。そしてそれのみが近づきうる存在の秘密とでもいうべきものが、あるいは存在のプロフイールが」と解説した。

 経験をその〈内部〉から探求し「知覚そのもののうちに身を置く」小池の詩のスティルは、メルロ=ポンティの「つねに経験のなかから〈意味〉が生まれでるその場面に立ち会おうとしてきた。その意味をその「生まれいずる状態」でとらえるという要請をわれわれはここに読み込むことができる」と重なりあう。

《茹蛸になり/途中でざばりとあがろうとすれば/「肩まで!」と怒声が飛ぶ/そのあとふいに/「あと二十数えて出ておいで」/といなくなってしまうのだった/いま/ひとりで/広い銭湯の湯に沈めば/いち/に/さん/し/ご/と声がわく》(「数」より)は存在の秘密をつかむ瞬間に違いない。

『夜明け前十分』(2001)になると声があふれだす。「声」、「ある声」、「きょう、ゆびわを」、「東北沢」、「小さな林檎」、「接触」といった詩の、生と死を厳しく問う孤独な声。《長い旅の途中/アメリカ、サンタ・フェのバスルームで/あけがた/長い長い静かな放尿の音をたてていると/世界に/私とこの音しかいないような気がしてくる/この音といったって自分がたてているのに/それは奇妙にも外側から聞こえて/私をなぐさめてくれているようなのだ/(中略)/これがわたし、わたしなのか/見えない輪のかたちに残された生の温度/おまえはいたのか/そこにいたのか/わたしはいた/生きていた/問う声が届く、そのずっとまえに》(「あけがたの短い詩」より)。

 メルロ=ポンティがくりかえし引用したフッサールの言葉は、「……まだ黙して語らない経験をこそ、その経験自身の意味の純粋な表現へともたらさねばならない」(『デカルト省察』)だった。たえざる辛苦によって、詩集『地上を渡る声』(2006)はスピノザ幾何学的美しさへと結晶化した。はじめから小池の詩には量や奥行き、位相や嵩への関心があった。そくりょう、距離、数、無限、存在、欠如、中心、垂直。深み、光、影、流れ、くぼみ、かたち。詩集全体をさまざまな声が渡り、読者もまた待っていたものがおのれに来るのを知る。

《数えるな/しゃがれた声は再び言った/日々を数えるな/生きた日を数えるな/ただ そこに在れ/そこにあふれよ》(「3」より)。 《見えない家族のまだ来ない一日目を思って、わたしのこころは、不思議にざわつく。湯気よ、立て。茶碗よ、響け。そして、揺れているカーテンを通過して、柔らかい光よ、床をあたためよ。/不意の声が、通過していった。誰のものでもない、祈りのように。》(「16」より)。

 とりわけ最後の一編が魅力的だ。貴船神社、新年一日。 《あたっていってください、というやわらかい声も、首のあたり、耳のうしろに、ぬくもってまるまって、残っている。ああ火とは、おくりものであった。わたしは炭のような地味なものになって、心になんのよどみも持たず、ひたすら澄みきって石段を降りていく。何が焼かれたのか。心の暗黒をじりじりと焦がされて、炭になったあと、灰になったあと、吹き飛ばされて、わたしはいなくなる。階段を下りていく、この身体は誰のもの。//火にあたっていってください、どうぞ火に――》(「34」より)。

                                    (了)

文学批評) 島田雅彦『美しい魂』――雪のうちに春はきにけり

                                

 一九四〇年ごろ大陸で李香蘭が歌った『夜来香』。

 ♪那南風吹来清涼、那夜鶯啼聲凄愴、月下的花兒都入夢、只有那夜来香、……

その歌詞から『古今和歌集』の二条后作「雪のうちに春はきにけりうぐひすの氷れる泪いまやとくらむ」を思いだした。

伊勢物語』四段で「月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」と男に絶唱させ、三、五、六、七十六段にその男在原業平との入内前の艶聞を一代の語り草として書き伝えられた清和天皇女御にして陽成天皇の母、二条后藤原高子である。

 皇室の恋は万葉のいにしえから豊穣を司るシャーマン的性格の発露であり、文学的には『源氏物語』の藤壷と光源氏の「もののまぎれ」がその極みであった。薩長政権は維新から二十年あまりかけて明治天皇をフレームアップしながら「近代日本の政治装置の中枢」(福田和也)とし、皇室に道徳範例を求める悪しき漢意をまとわせ(明治天皇の恋歌は全集から葬り去られた)、『皇室典範』の中に「やまとごころ」としての色好みも含めて人格を封印してゆく。他方、血統の維持、リプロダクションを最大の務めとしていることの宿痾としてか明治天皇の父孝明天皇の代から世継ぎがえられないという悲運がはじまった。

 鶯はおろか雁も魚も泪を流すのだから、どうして帝や皇太子の妃が泪を流さないということがあろうか。

 島田雅彦『美しい魂』は皇太子妃の恋を扱ったきわどい小説である(発表は雅子妃の出産を配慮して遅れた)。『新潮』誌上での島田と浅田彰の対談を透して『美しい魂』をみてゆこう。平成天皇夫妻は戦後民主主義の申し子みたいであり、その息子の皇太子はプロポーズのときに「全力でお守りしますから」と約束しておきながら実際は心身ともに雅子妃が追い詰められる結果になったのをみて、「雅子のキャリアや、それに基づく人格を否定する動きがあった」と宮内庁を通過せずに直接世論に訴えようという覚悟でSOS信号を発したと会話したうえで、

《浅田  そういう文脈で島田さんの『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』という〈無限カノン〉三部作を読み直してみて、そのアクチュアリティにあらためて驚きました。(中略)たとえば『美しい魂』では、主人公のカヲルが将来の皇太子妃不二子に「空虚の森か。真っ暗だ。穴が開いているみたいだ。その森に暮らしている人はどんな夢を見ているんだろう?」と問いかけ、不二子が「気ままな旅人になって、誰の東縛も受けずに世界中を旅する夢を見ているんじゃないかしら」と応える場面がありますね。しかも、厳しい公務に耐えられなければ、「神経をすり減らし、容易に病に至る」とまで書いてある。

島田 そんなこと書いてました?》

 頭のいい女を煙たがる世論に対して宮内庁が急ごしらえした均質化されたロイヤル・スマイルが不意の感情で崩れた瞬間、人はそこに、「外国暮らしが長く有能な外交官で、しかも外務省スキャンダルに関わらずに皇室に嫁いでいるという辺りに、彼女の可能性が未来に向かって開けていてしかるべきなんですよ」とまでアイロニカルな島田雅彦に言わしめた雅子妃の「美しい魂」と、万人のためではない差異化された「人格」を見たに違いない。たとえば歌会始でロイヤル・スマイルを氷らせ唇をふるわせたとき、あるいはようやくに子をえてのインタヴューで言葉つまらせ潤む瞳で皇太子とともにはにかんだマサコ・スマイルに。

 西欧的近代は神=王=父が(実際にもしくは象徴的に)殺されるところからはじまつたが、この国の近代は神が(象徴的に)復活し、他力によって「人間宣言」させられるところからはじまった。R・バルトは東京という都市の中心は空虚であると見抜いたが、丸山眞男が「いかに実権が空虚化していても最高の正統性は皇室にありました」と日本政事(まつりごと)の執拗低音について語った禁域では「人権宣言」も「人格宣言」もいまだなされていない。

 雅子妃の「氷れる泪いまやとくらむ」という春風が吹くことを願いつつ『美しい魂』のさわりを紹介して筆を置こう。

《――アンジュさんだったら、どうする?  英宮さまと結婚する?

――私には荷が重過ぎるわ。きっとノイローゼになってしまう。国連の仕事はほかに出来る人がたくさんいる。でも皇務が務まる人はいない。不二子さんは英宮さまのお眼鏡に適ったのよ。私も不二子さんなら、皇后になるにふさわしいと思う。英宮さまにとっては願ったり、叶ったりでしょう。

 まるで、皇室に嫁ぐことを勧めているかのアンジュの口ぶりに、カヲルは思わず口を差し挟む。

――自由を奪われるよ。逃げたほうがいい。二度と恋ができなくなる。

アンジュはカヲルを無視して、続ける。

――自分の趣味も考え方も捨てて、形式を踏襲しなければならないのでしょうね。でも、お相手が英宮さまでなくとも、結婚は自由と引き換えになされるものなのかも。(中略)女たちが自分の意思で恋を愉しんだ官廷の伝統は、明治以来、途絶えて久しいから。もし、あなたが英宮さまのお妃になられたら、この国の女性たちのために、愛し合う男と女は、生活の上でも平等だということを示して欲しい。皇太子妃がなさろうとした皇室の改革を受け継ぐことができるのは、不二子さんだけよ。

(中略)不二子はアンジュの魂胆を理解してか、あるいは優雅にはぐらかすつもりでか、「あなたは『源氏物語』を現代に蘇えらせたいのね」といい、微笑んだ。(中略)

――不二子さん、あなたの味方をする女性は大勢いるはずよ。

                                  (了)

文学批評) 或日の芥川龍之介                                                                         

 

《それから何分かの後である。厠へ行くのにかこつけて、座をはづして来た大石内蔵助は、独り縁側の柱によりかかつて、寒梅の老木が古庭の苔と石との間に、的礫たる花をつけたのを眺めてゐた。日の光はもううすれ切つて、植込みの竹のかげからは、不相変面白さうな話声がつづいている。彼はそれを聞いてゐる中に、自らな一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透つて来る寂しさは、この云いやうのない寂しさは、一体どこから来るのであらう。――内蔵助は、青空に象嵌をしたやうな、堅く冷い花を仰ぎながら、何時までもぢつと彳(たたず)んでゐた。》

 そう言葉を結んだのはちょうど十年前の大正六年夏のこと、あれが「話」らしい話のない小説だったのかもしれない、この昭和二年春には改造社の講演旅行で大阪へ行ったついでに佐藤春夫阪神間の岡本に住む谷崎潤一郎と辮天座で人形芝居を見た、人形は役者よりも美しい、殊に動かずにいる時は綺麗だった、けれども人形を使っている黒ん坊というものは薄気味悪い、現にゴヤは人物の後にたびたびああいうものをつけ加えた、僕等もあるいはああいうものに……不気味な運命に駆られているのだろう、それにしても近松の時代ものは世話ものよりも必ずしも下にあるものではない。すでに時計は午前一時をまわつて二十四日、昨日は十時過ぎには最後の客も帰って夜半から降りだした雨にここ数日の猛暑が引くかのようだ、ようやく『続西方の人』を書き終える《我々はエマヲの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上がらせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。》思えば聖書を読むようになったのは弥ぁちゃんとの結婚を芥川家から反対されてからだからかれこれ十二年になる、失恋のあと吉原に耽溺し歌もいくつか作った、薄唇醜かれどもしかれどもしのびしのびに口触りにけり、けれども白秋風の歌作りは『赤光』に感動していらいあきらめてしまった、どうして軽井沢で片山広子の歌に感慨をおぼえ旋頭歌を作ってみたのだろう、たまきはるわが現し身ぞおのづからなる、赤らひく肌をわれの思はずと言はめや、斎藤氏には以前から不眠症の薬としてアヘンエキスオピアムを処方してもらっていたけれどこの二月には独逸バイエル会社のヴェロナールを入手できたとの知らせに一オンスニ円五十五銭で届けてもらい持薬としていた。すでにヴェロナールの致死量は飲み下した念のため強力な眠剤ジアールも服用した、苦しまずに死ねる縊死は理にかなっていても女人の文字の下手さに急に愛を失ったことのある僕にとっては美的嫌悪を感じさせる、もう妻への遺書をとる手が震えてきたらしい《一、生かす工夫絶対に無用。》二階の書斎から聖書をもって妻と也寸志の寝ている八畳に入り横になったまま枕もとの聖書をぼんやり開くと涎が流れだしてきた……人形芝居を見たあと谷崎氏を引きとめて語りあかした、人生のこと文学のこと友達のこと江戸の下町の音のことはては家庭の内輪話まで持ちだして、ちょうどあの折は『改造』誌上で谷崎氏の『饒舌録』を相手に『文芸的な、あまりに文芸的な』で「話」らしい話のない小説そして構成的美観そうして詩的精神をめぐって論争していたところなのに翌日はたしか南地のユニオンとかいったダンスホールに根津の奥さんから誘われたのを幸いいっしょにダンス場を見に行った、タキシードに着替えた潤公のダンスというのは横浜時代の名残かとても勇ましく他の組にぶつかろうとお構いなしなうえ背丈の加減か少しチークダンスで根津夫人も最初は気恥ずかしそうだったのに馴れてゆくうちタンゴ、ワルツと繰り返し踊っていた、あれこそ肉体的力量、体質の相違……半透明の歯車がたくさん右の目の視野に廻転しはじめる大震災の年の八月に鎌倉雪ノ下の平野屋別荘で知り合った岡本かの子の琵琶の実のごとき明るい瞳がくるくる廻る料理がそれからそれへと食卓の上へ運ばれるように美人も続々とはいって来る、あれは上海の小有天という酒樓で三十になったばかりの大正十年の春から夏にかけて秀(ひで)しげ子の媚びと自分本位から逃れるように中国旅行したときのことまっさきに愛春という美人が来たいかにも利巧そうな日本の女学生めいた品の好い丸顔で外胸に翡翠の蝶がきらきら光ってチョウノシタぜんまいニニルアツサカナ時鴻は紅や白粉も濃艶を極めていた洛娥は黒い紋緞子に匂いの好い白蘭花を挿んだ薄命の美人だった梅逢春が座に加わったのはもう鱶の鰭の湯が荒らされた後で手なぞは子供のように指のつけ根の関節がふっくりした甲にくぼんでいて胡弓と笛とに合わせながら唄を歌いだした色の白い小造りな御嬢様じみた美人は薄紫の緞子の衣裳に水晶の耳環を下げていて名前を尋ねてみたら花費玉と宛然たる鳩の喘き声で返事をした支那の女の耳は何時も春風に吹かれて来たばかりのよう手入れの届いた美しい耳をしている西廂記の鶯鶯が髻偏雲乱挽(もとどりかたよりてくもみだれひき)  日高猶自不明眸(ひたこうしてなおおのずからめいぼうならず) 暢好是懶懶(ちょうこうこれらんらん) 半晌擡身(はんしょうみをもたげ) 幾回掻耳(いくかいみみをかく) 一声長歎(いっせいちょうたんす) というのはきっとああいうみみだったのにちがいなくちいさなかいがらのようなあいすべき

                        *

 東京日日新聞(昭和二年七月朝刊社会面)、《文壇の雄芥川龍之介(三六)氏は廿四日午前六時半市外滝野川町田端四三五の自邸下座敷八畳間に於て常用してゐた催眠剤ヴェロナールを多量に服用し自殺を遂げた》

 谷崎潤一郎、《芥川君の亡くなつた七月二十四日と云ふ日は、また私の誕生日なのである。》《私が根津夫人に敬意を表して、タキシードに着替へると、わざわざ立つてタキシードのワイシヤツのボタンを嵌めてくれるのである。それはまるで色女のやうな親切であつた。》

 根津夫人(のちの谷崎夫人松子)、《芥川氏とも踊って戴きたかったが、終始壁の人で、私は私たちの動きを追っていられる眼を感じていた。そして、美しく澄みきったその哀愁のたゝえられた眼が、絶えず心を捉えていた。》

 斎藤茂吉(青山脳病院院長)、《夜ふけてねむり死なむとせし君の心はつひに冰(こほり)のごとし》《やうやくに老いづくわれや八月の蒸しくる部屋に生きのこり居り》

 岡本かの子、《こうこうと鶴の啼くこそかなしけれいづべの空や恋ひ渡るらん》

 

                          (了)       

文学批評) 大岡昇平『花影』――愛するものについてうまく語れない

 

 

 

 

 大岡昇平が無類のスタンダリアンであり、スタンダールパルムの僧院』の翻訳、小論集『わがスタンダール』(「バルザックスタンダール」、「『パルムの僧院』について」、「スタンダールの女性観」、「スタンダールモーツァルト」、「再び『パルムの僧院』について」、「再び『赤と黒』について」、「『饒舌録』におけるスタンダール」、「日本のスタンダール」、など)があるばかりか、『武蔵野夫人』のヒロインの夫をスタンダール研究家に設定するなどもしたが、大岡の遺稿が「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私(1)」だったことは、まず知られていないであろう。

 

「愛するものについてうまく語れない」とはロラン・バルトの遺稿からとられた題名で、大岡はこのようにはじめている。

《《人はいつも愛するものについてうまく語れない》――これはロラン・バルトが、一九八〇年二月十五日に急死した時、タイプライターにセットされていた論文の題だった。彼は三月十九―二十一日ミラノで行われた「国際スタンダール学会」で特別講演をする予定で、そのために作った草稿があった。タイプに挿まれていたのは清書原稿で、少し訂正してあった。草稿と合せて「テル・ケル」一九八〇年秋号に掲載された。「みすず」八一年5月号に、三好郁朗訳が出たという。(後に Le Bruissement de la Langue,Seuil,1984所収)。

 私はこれを立命館大教授、西川長夫氏の『ミラノ人スタンダール』(小学館創造選書、一九八一年)によって書いている。バルトの趣旨はスタンダールが愛する「イタリア」についてどうどもりながら語っているかを、美しく指摘しているのだが、いま私にとって、それは問題ではない。愛するものについてうまく語れない――これは私にとって、スタンダールその人について実感されることである。

 私は『パルムの僧院』を読んだ一九三三年以来、いくつかの彼の著書、もしくは彼に関する論文を訳して来た。》

 この導入を受けて大岡は、自己のスタンダール受容史、とりわけ一九三三年の『パルムの僧院』の衝撃を語って行く。《それはただ感動的で面白い小説であるだけではなく、『ユリシーズ』『失われた時を求めて』の小説の解体の問題に新しい視点を提供するものと私には映った。この即興の連続形式、物語が次々と現われ、統一がないようで、いわば一種の詩とでもいうほかはない統一を持っている小説、垂直な文体で綴られた詩的小説――しかも五十三日で口述されたという伝説自体、価値を形成したのであった。》

 なにぶん、「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私」で遺されたのは(1)だけなので(初出は『海燕』新年特大号(一九八九年一月一日、福武書店)で、文末に《(隔月または二ヶ月おきに発表します。著者)》とあるものの、著者急逝(一九八八年十二月二十五日)のため、(1)だけで未完となった)、このさき大岡が持ち前の明晰さで、衝撃が無類である謎をどのように展開してゆくのか、「うまく語れなかった」とはどういうことなのかは不透明なのだが、ロラン・バルトスタンダールについて批評したのは次のとおりである(ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(『ロラン・バルト『テクストの出口』所収』沢崎浩平訳(みすず書房)より)。

 

ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」>

スタンダールのイタリアは、実際、一つの幻想(ファンタスム)です。彼が部分的にはそれを実現したとしてもです(しかし、彼はそれを実現したのでしょうか。どのようにしてかは、最後に述べましょう)。幻想的(ファンタスマティック)なイメージが、突然、雷のように、彼の生活に侵入してきたのです。この雷撃はイヴレアでチマローゼの『秘密の結婚』を歌っていた女優の姿で現れました。この女優は前歯を一本欠いていたのですが、実際、そんなことは雷撃にとってはたいした問題ではないのです。ウェルテルは、ドアの蔭から、シャルロッテが弟たちのためにパンを切っている所を見て、恋に陥りました。この最初の光景は取るに足らないものでしたが、それが彼を最も激しい情熱へ、そして、自殺へと導いたのでした。御存知のように、イタリアは、スタンダールにとって、真の転移の対象でした。また、ご存知のように、転移を特徴づけるのはその無償性です。転移は明白な理由なく始まるのです。音楽は、スタンダールにとって、彼が転移を始めることになる謎めいた行為の兆候です――兆候、つまり、情熱の非合理性を暴露し、同時にそれを隠蔽するものです。というのは、最初の情景が定着すると、スタンダールはそれを絶えず繰り返したからです。まるで、あれほど多くのわれわれの行動を規定する大事なもの、つまり、最初の快楽をふたたび見出そうとする恋する男のようにです。《夕方、七時に着いた。疲れ果てて。スカラ座に駆けつける。来ただけのことはあった。等々》。自分の情熱を満たすために好都合な町で下船し、着いたその晩に、すでに目星をつけていた悪所に駆けつける偏執狂のようなものです。》

 

《ミラノ的イタリア(そして、彼の至聖所、スカラ座)は、文字通り、「天国」であり、「悪」のない所であり、あるいは――ひっくり返していえば、「至高善」であるのです。《ミラノの人と一緒にいたり、ミラノ弁をしゃべっていると、私は人間が邪悪であることを忘れる。わたしの心にある邪悪な部分はすっかり、一瞬のうちに、眠ってしまう》。

 しかし、この「至高善」は語られなければなりません。全然無垢ではない一つの力、言語活動(ランガージュ)と対決しなければなりません。それは必要なことです。なぜならば、第一に、「善」はもともと拡張しようとする力を持ち、絶えず表現に向かって噴出し、何が何でも伝達されたい、共有されたいと望むからです。次に、スタンダールは作家であり、彼にとって、言葉が欠けているような充実は存在しないからです(この点で、彼のイタリア的喜びには神秘的な所が全然ないのです)。ところで、逆説的にみえますが、スタンダールはイタリアを語る術をまったく知らないのです。(中略)絶えず、《自分の考えを表現》できないことを思い知らされます。自分の情熱がミラノとパリの間に設ける差異を説明するのは《至難の業である》ことを確認します。だから、抒情的欲望の行く手にも不能(フィアスコ)が待ち構えているのです。イタリア旅行記は、皆、このように、愛の告白と表現の失敗とで織りなされています。文体の不能には名前があります。平板さです。スタンダールが思いのままにできるのは《美しい》といった空虚な言葉だけです。《私はこれまでこんなに美しい女性たちの集まりを見たことがない。彼女たちの美しさに私は思わず目を伏せる。》《わが生涯で出逢った最も美しい眼、私は、今夜、それを見たのだ。その眼は、テアルディ夫人の眼と同じ位美しく、また、それ以上に天国的表情をたたえている……》。

 

《このように、言語活動に対する懐疑は愛の過剰から生ずる失語症と合流します。イタリアや「女性たち」や「音楽」を前にして、スタンダールは、文字通り、唖然(・・)とする、つまり、絶えず、言葉を中断されるのです。この中断は、実際、間歇的です。スタンダールは間歇的にイタリアのことを語ります。ほとんど毎日、しかし、永続的に。彼はそのことを自分で(例によって)大変上手に説明します。《どんな態度を取るべきか。気違いじみた幸福をどう描くべきか……。まったく、私は続けることができない。主題が言葉の限界を越えている。わたしの手はもう書くことができない。私は明日に延ばす。私はもう自分の絵の一角を描く勇気を持たない画家のようだ。他の部分を駄目にしないように、彼は自分の描けないことを精一杯に(・・・・)alla meglio素描する……。》この精一杯に描かれたイタリアの絵はスタンダールのイタリア旅行記のすべてを占めていますが、それはなぐり描きのようなもので、いってみれば、愛と愛を語る力のないことを同時に語っています。この愛がその激しさで息を詰まらせるからです。(中略)

 イタリアへの愛を語ってはいるが、それを伝えてくれないこれらの「日記」(これは少なくとも私自身の読後感ですが)だけを読んでいると、悲しげに(あるいは、深刻そうに)、人はつねに愛するものについて語りそこなうと繰り返すのももっともだと思うでしょう。しかし、二十年後、これも愛のねじれた論理の一部である一種の事後作用により、スタンダールはイタリアについてすばらしい文章を書きます。それは、私的日記が語ってはいたが、伝えてはくれなかったこの喜び、あの輝きでもって、読者である私(私だけではないと思いますが)を熱狂させます。この感嘆すべき文章とは『パルムの僧院』の冒頭の数ページのことです。フランス軍の到着とともにミラノに《侵入した大量の幸福と快楽》とわれわれ自身の読む喜びとの間に奇跡的な調和があります。要するに、語られる印象と生み出される印象とが一致するのです。どうしてこのような転回が生じたのでしょうか。それは、スタンダールが、「日記」から「小説」へ、(マラルメの区別を採用すれば)「アルバム」から「書物」へと移り、生き生きとした、しかし、構成不能の断片である感覚を切り捨て、「物語」という、もっと適切にいえば、「神話」という、大きな媒介的形式に近づいたからにほかなりません。》

 

《要するに、「旅日記」と『パルムの僧院』との間で生じたこと――そこを通り過ぎたもの――はエクリチュールです。エクリチュールとは何でしょう。長い入門儀式の後に得られると思われる一つの力です。愛の想像物(イマジネール)の不毛な不動性を打ち破り、愛の体験に象徴的な一般性を与える力です。スタンダールは、若かった頃、『ローマ、ナポリ、フィレンツエ』を書いた頃、《……嘘をつくと、私はド・グーリ氏のようだ。私は退屈する》と書くことができました。彼はまだ知らなかったのです。真実からの迂回であると同時に――何という奇跡でしょう――、彼のイタリア熱の、ようやくにして得られた表現であるような嘘が、小説的な嘘があるということを。》

 

<「モデル小説」>

 大岡昇平『花影』(『中央公論』一九五八年八月~一九五九年八月号、中央公論社刊一九六一年)といえば、モデルとされた人物(ヒロイン葉子、脇役高島)の描写が不満であるという白洲正子の随筆(モデルとされた女性の死の直後に書かれた「銀座に生き銀座に死す」と、その三十余年の後、大岡没(一九八八年一二月)後に書かれた「いまなぜ青山二郎なのか」)が話題になりがちだが、『花影』は伝記でもルポルタージュでも、あのスタンダールが語りそこねた「日記」でもなく、『パルムの僧院』と同じ「小説」であることを忘れてはならない。

「いまなぜ青山二郎なのか」に、《「坂本睦子(むつこ)という女性がいた。私たちの間では、「むうちゃん」と呼ばれていたが、大岡昇平作『花影(かえい)』のモデルといえば、一般には通りがいいと思う。『武蔵野夫人』にも、その俤(おもかげ)があるということだが、小説の出来不出来とは別に、むうちゃんを知るほどの人々は、みな不満に感じていた。モデルが現実の人間に似ている必要はないとはいうものの、魔性のものと呼びたくなるほどの魅力を備えていた女性が、そこではただの平凡な女にひきずりおろされ、人生に疲れはてて自殺する。これではむうちゃんも浮ばれまいと、誰しもそう思うのであった」》、あるいは《「彼女のヒモの高島先生に至っては、青山さんに何か含むところがあって、小説の中で日頃の恨みつらみの仇(かた)きをとったように見え、不愉快なことおびただしい。人間には誰にでも欠点があり、特にジィちゃんのような天才には欠点の方が多かったかも知れないが、そんなものをほじくりだして何になろう。もし、ほじくりだすなら徹底的にやっつけて、殺してしまうのならわかるが、これもまたむうちゃんと同じように、ただの下らないヒモで終っているのが私には何とも歯がゆくてならないのだ」》とある。

 

 このような読み方に対しては、丸谷才一が「女人救済といふ日本文学の伝統」で、《戦後日本最高の作家は、やはり大岡昇平なのではないか》と始め、今回『野火』を何回目かに読み返して、またしてもその威容に打たれた、と断言したうえで、《長篇小説でもう一つ選ぶとすれば『花影』(講談社文芸文庫)。これはわたしのいはゆる新花柳小説に属するもので、銀座のバーのホステスがマダムとなり、落魄し、自殺するといふ筋である。哀れ深い名篇だが、発表当時の反響には納得できないものがかなりあつた。これをモデル小説と見なし、女主人公の描き方が冷酷だとか、作者が自分を甘やかしてるとか、誰それに迷惑をかけるとか、そんなことをしきりに言つたのである。文学の専門家およびその周辺にある人々のかういふ反応は、素人つぽくて滑稽だつた。大岡が住み馴れた大磯から東京へ居を移したのもこれに厭気(いやけ)がさしたせい、といふ噂を耳にしたことがある。

 しかしわたしの見る所では、女の流転の姿を描いた名篇で、女主人公への愛情にみちてゐる。読んでゐてまことに切ないが、しかし読後に一種のカタルシスが訪れる。これは多分、日本文学伝来の女人往生の物語なのだらう。『野火』におけるキリスト教への関心といひ、『花影』の女人救済といひ、大岡には意外に宗教的なものへの思慕があるのかもしれない。》の言葉だけで十分であろう。

 だいいち大岡『花影』は、白洲正子の私的にべとついた二つの随筆や、坂本睦子に関する久世光彦『女神』のゆるんだ平板さとは比較にならない「簡潔達意」の文章であり、生彩を極めている。美しさ、哀れさに冴えたヒロイン葉子への愛情に充ちあふれ、「愛の過剰から生ずる失語症」に陥ることなき、「小説的な嘘」による「鎮魂歌」「女人救済」の神話的物語となった。

 菅野昭正『小説家 大岡昇平』の、《葉子以外の人物までふくめて、「モデル」の詮索は小説の理解を歪める無用な、というよりはむしろ有害な廻り道にさえなりかねない。人間という存在の「根本的条件」としての「不幸」の普遍性に昇華した折角の人物を、特殊な個人に引きもどしてしまうからである》を持ちだすまでもなく、モデルに関連づけての小説の外在的なことではなく、作品の内在的なことを第一に批評すべきなのはあらためて言うまでもない。

 

<『花影』>

《葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったかも知れない。

「だからさ、露子の足がしびれちゃったんだよ。ひどい熱だった。便所へ行こうとしたら、立てなかったんだ」

 松崎が前から自分と別れたがっているのはわかっていた。子供はいい時に病気になったともいえる。

 黙って編棒を動かす手に、松崎の眼がついて離れないのを、葉子は感じている。なにか自分がいうのを待っているのだ。しかしいくら葉子が人が好くても、別れ話を出し渋っている男に、きっかけをつくってやるほど、人は好くない。》

 

 冒頭の《葉子は最初から男のいうことを、聞いていなかったかも知れない。》に、葉子のすべてがあるのかもしれない、あるいは大岡が書こうとした葉子のすべてが。

 

《葉子には自殺未遂の経験があって、死のうと思うことと、死ぬこととはちがうのを知っていた。戦争中、若い葉子が銀座へ出るとすぐ、川崎のある鉄工所主がバーを持たせてくれた。母と祖母と三人暮しの家にも、離れを建て増した。葉子のマダムでは心もとなかったので、工場主の差金で母のてつが勘定掛として、毎晩店へ出張って来た。同時に葉子の監督も兼ねていたわけで、彼女が客の小説家酒井志朗と親しくするのを、てつは好まなかった。(中略)工場主というのも、女は葉子一人ではなく、馴染みの芸者もいれば、映画女優もいた。(中略)てつとはもともと生(な)さぬ仲であるし、酒井にそれほど未練があるわけではない。死んでしまおうとは少女の時からの夢だったが、眼の前がただもうわずらわしくなった時、ほんとに死ぬ気になった。

 祖母と母が三島の菩提寺へ墓参に行った留守、気分が悪いといって店を休み、夜の九時ごろ離れでカルモチンを飲んだ。バーテンの柿崎が運よく酒井の使いで呼び出しに来て、すぐ医者を呼んだので、彼女は三日目に意識を取り戻した。》

 

 大岡は「『花影』限定版あとがき」(一九七二年九月)に、この作品には故三島由紀夫にからんだ個人的な思い出があります、として、《ヒロインが早くから自殺の決意を固め、準備をしていたことは、最後の章まで明かされません。人物が物語の時間の中でしていたことを書かないのは、小説のルールに違反しているかも知れません。(中略)最後の章に突然それを出したことに、三島さんは作者の技巧と認めてくれました。(中略)自殺の支度をしながら、それを誰にもいわずに普通に生きている、そういう人物を描いたこの作品がなんとなく気に入ったのだと思います。》と書いたが、葉子にはカルモチンの前歴があり、その後も男たちに死をほのめかす言葉を呟かっせていることから、必ずしも当たっていないのではないか。

 

《葉子の顔立ちは一応整っていたが、よく見ると造作にちぐはぐなところがあった。お凸の額は細い鼻と不釣合にせり出しているし、かわいらしい口元を下から支える顎は、利かん気らしく張っていた。殊にちぐはぐな感じを強めるのは、左右の眼の形が違うことだった。普段は目に立つほどの違いでもないが、人の顔を長く見詰める時なぞ、片側の瞼が下って来て、眼がちんばになってしまうのである。

 こういう欠点をかくしたのは、結局肌の白さである。子供の時から、家へ来る大人達に縹緻よしといわれ、道傍で遊んでいると、通りすがりの夫婦づれが「かわいい子ね」と囁きながらすぎて行ったりするので、その頃から自分に人を惹きつける力があるのを、葉子は知っていた。ただ近所の男の子が「白(しろ)っ子(こ)、白っ子」とはやすのは、あんまりほめているようではなかったから、

「白っ子って、なあに?」と母にきくと、

「誰がそんなことをいうんだい」とてつは眉をひそめた。「白っ子ってのは、眉毛まで白い子供さ。お前は少し髪が赤いだけで、白っ子なんかじゃないやね。東京の子は口が悪いよ」

 ある日、目黒の不動様の縁日で、「ほら、あれが白っ子さ」と指さして教えられたのは、齢は葉子と同じの七つぐらい、丈の低い男の子だった。(中略)

 そんな不具みたいな子でもない葉子が「白っ子」と呼ばれたのは、拾いっ子にかけた、棘のある言葉だと、彼女に教えたのは、神田の生れの高島先生だった。

東京弁じゃ、ひろ(・・)うはしろ(・・)うになるからな」》

 

《彼女が最初その事実を知ったのは、十四歳の春、同じ家にいた一つ年上の従兄と喧嘩した時である。

「おれはお前の従兄でもなんでもない」

 と、その男の子は切り出したのである。

 葉子の父は静岡から三里ばかり山へ入った小さな村の地主であった。掛川の商家から来た母は、酒乱の夫の虐待に堪えられず、一男一女を残して出奔していた。そこへ後妻に行ったのが、てつである。彼女には子供はなく、二年後にはその家を去ったが、三歳の葉子は彼女になついていて、てつが家を出る時も、離れようとしなかった。いずれは返すつもりで、一旦三島の実家へ連れて帰ると、こんどは祖母が葉子を離さなくなった。(中略)

 てつと血のつながりがないのを知ると、十四歳の葉子は、家の中で祖母のほかは、口を利かない子になった。よそ者という意識から、自分の中へ閉じ籠っただけではなく、それまでにてつに向けていた愛情が裏切られた理由をそこに見つけて、てつを憎むようになったのだ、と松崎は解釈している。

 葉子が自分を虐め、自分を汚すことによろこびを見つけるようになったのも、この憎悪からだと松崎は思っている。》

 

《葉子を棄ててしまおうと思ったこともあった。するとこん度は葉子の部屋に眠る晩でも、新橋駅前の路地を、泣きながら自分を探して歩く露子の夢を見たりするのである。するとそういう自分の苦しみを知らぬげの、葉子の笑顔が癪にさわって来る。

 しかしもともと松崎が葉子に惹かれたのは、そういう無智、感情のとめどのないだらしなさのせいなのである。多分祖母さん子だったためだろう、子供のまんまに固まってしまったような人の好さがあって、それが今日なお葉子の表情や仕種に、娘のような初々しさを持たせることがある。

 三十すぎて郵便貯金のかけ方一つも知らない葉子に、通帳を持たせたのは、松崎である。祖母の手から、そのまま銀座の真中に投げ出され、男達に蔽われていた葉子は、大人になるひまがなかったわけである。

 葉子に男出入の絶えないのも、結局この人の好さで触れ合うものを男のどこかに見つけて来るからだ、と松崎は思っている。そして葉子は元来頼まれれば、断り切れないたちなのである。》

 

 このあたりの葉子の生い立ちと(継)母への愛憎、そして大人になってからの性格描写、人格描写の筆致は確かであり、葉子の破綻的、破滅的な、しかし魅力的な人間性をよく表している。

 

《坂道はゆるやかに上って、小学校の正門に突当ると、その塀に沿って左右に分れる。或いは松崎が二度と通ることはないかもしれない道である。心に悩みを抱いて、この坂を上下した日々の思い出が群がり起った。

 機嫌のいい日なら、葉子は買物籠をぶら下げて、電車通まで送って来る。新橋行のバスへ乗るまで、商店の軒下で立っている。バスが走り出る瞬間、歯をむいて見せる、そんな日もあったのだが……

 目前の風景とはなんの関係のない、吉野の桜の影像が不意に浮んだのは、なぜだったろうか。三年前の春、京都大阪へ講演旅行をした帰り、奈良で待ち合せて、寺を見て廻り、翌日吉野まで足を延した。

 それが葉子のいっしょの、たった一度の旅行らしい旅行だった。中の千本が満開な頃で、大勢の酔客も気にならぬくらい美しかった。奥の西行庵まで行って、降りて来た時は、風が落ち、夕闇が迫っていた。花見客の散った後の閑散な山上の道は、花の匂いでむせるようだった。

「吉野へ行ったってことは、行かなかったよりいいわ」

 と、葉子はいったことがある。自分を忘れることはあっても、吉野は忘れないであろう。

 二人で吉野に籠ることは出来なかったし、桜の下で死ぬ風流を、持ち合せていなかった。花の下に立って見上げると、空の青が透いて見えるような薄い脆い花弁である。

 日は高く、風は暖かく、地上に花の影が重って、揺れていた。

 もし葉子が徒花なら、花そのものでないまでも、花影(かえい)を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。》

 

 名文の誉れに恥じない文体である。葉子の住む赤坂の市居の坂道から吉野の壮大で歴史的な坂道を思い浮かばせるところなどプルースト的な無意識的記憶の喚起でもあり、吉野での一日のあいだに、そして葉子との記憶のなかで移り行く、陽の光、風、匂いの「感じられる時」がある。

 

《冷たい鏡の底から、自分を見返している自分の眼に、葉子は見入っている。十一月の夕暮の外気は、打てば響きそうな固い一体となって、この一室を閉じ籠めている気配である。子供達はもう家に帰ったと見えて、隣接した小学校から潮騒のようにひびいて来る声も絶えた。昼の音は死に、夜の音はまだ生れない、そのあわいの静けさの一瞬が、葉子の支度の時なのである。

 鏡の中の顔は、もう昔の葉子ではない。若く美しく、鏡に向うのが楽しみだった頃は、足袋も真さらでなければ、穿かなかった頃だ。茗荷屋の店先で穿いてから、店まで今の言葉でいえばツー・ブロック歩く間によごすのがいやで、待たせておいた車を、銀座の裏通りを走らせたこともあった。(あの頃は銀座裏も空いていて、タクシーはノン・ストップで走り抜けることが出来た)それが今では、自分の手で何度も洗い、裏がほつれかかるまで穿く。

 睨むように見なければ、鏡の中の顔は、むかしの眼の張りを取り戻さないのだが、まさか人前で絶えず睨んでいるわけには行かない。何を睨めばいいのか。しかもその顔はいつも人に見られているのである。(中略)

 ただもう一度色を売る支度にかかるのがものういと、鏡の中の葉子の顔はいっている。昔は形ばかりパフではたけばよかった頬に、ホルモン・クリームを十分延さなければ、白粉が乗らない。唾で濡れるに任せておけば、果物のような色艶を保っていた脣は痩せて退いた。明るいルージュで描かなければ、形が出て来ない。

 眼の下の袋、眼尻の三本の皺は、なるべく見ないようにしている。眉毛もだんだん延びて来て、いつの間にか、への字眉になってしまったのを、シャドウでごまかす。高くなった額に刻まれた條も、丹念に白粉で埋めるほかはない。げらげら笑えば、顔中皺だらけになってしまうから、葉子は常にほほえんだ女になるほかはない。(中略)

 立ち上って、帯を結ぶ時になると、少しは華やかな姿になる。六畳の部屋一杯に投げ出した帯を、きりきり体を廻してしめて行く立姿が、鏡の中で、人形のように旋回して、最後に両足を揃えて正面を向いた格好は、はち切れるように肥っていた二十歳の頃より、味があるという人もいるかも知れない。その姿に満足の一瞥を与えてから、肩を黒の肩掛にくるみ、電燈を消して、暗い階段を降りる。鍵をていねいにハンドバッグにしまうと、すぐせかせかした足取りになって、冷たい十一月の風の中を、バスの停留所へ向って歩いて行く。それはもう勤めに出る女の姿なのである。》

 

《ほかの女の恋人から親切にされるのは、葉子にはいつもいい気持だった。それが亜矢子の男であれば、なおさらである。彼女は体を延して、わざと清水の身体に、よりかかるようにした。

 タクシーに乗ってから、清水は、

「畑さんは見かけほど景気はよくありませんから、気をつけなさい」

 と、なん度もいっていた。葉子は清水にもたれて眠ったらしい。赤坂のアパートの前でゆり起され、車を降りても、清水がまだ隋いて来るのに、葉子は満足した。

 部屋へ入ると、葉子はすぐ帯を解き出した。足を投げ出し、足袋を脱ごうとして、眼の前の鏡を見ると、外套のままの清水の姿が、近づいて来るところだった。

 うしろから抱きしめられて、あとはいつものことになった。》

 

 大岡の恋愛ものはロマネスクが基本ではあるが、肉体感覚が抑制された筆致で描かれて、葉子の平凡な所作、日常性からかえって生身が匂いたつ。肉体が、衰えてゆくや濃厚になって、その果てで、ついに自死へと至るのだ。

 

 丸谷才一は『文章読本』の「第九章 文体とレトリック」で、《大岡の長篇小説では『野火』がレトリカルであることをあらはに目ざしてゐるのに対して『花影』は一見レトリックを避けてゐる、といふことにならうか。銀座のバーのホステスの生涯が気取らないのを気取るといふ筆致で語られてゐるとすれば、レイテ島の敗兵の彷徨はずいぶん気取つた文体で書かれてゐるわけだ。》として、多くの例文を『野火』から引用して説明を加えたが、下記の文章には気取った結句反復(エピフォーラ)のレトリック手法がとられている(「ああ、いやだ、いやだ」)。

 

《路が交錯した林を抜けると、富士の白雪の解けた水といわれる地下水を、豊かにたたえた池があり、堰から音をたてて流れ出していた。(中略)

 自分の生涯はたしかに三島から始まっていたが、海へは出ないで、溝や沼で澱んでしまった。二度と三島に来ることはないだろうと、てつと肩を並べて岸に蹲り、痛いほど澄んだ流れを眺めながら、葉子は思った。

 各駅停車の東京行の列車は混んでいて、葉子はやっと席を見つけることが出来た。向いに坐った男達から、葉子はじろじろと見られた。

 十七歳の葉子は、自分の美しさを意識し、男達の視線はみんな快かった。美が快い重荷に感じられたが、いまはわずらわしいだけだった。

真鶴で海が暮れかかり、小田原で夜になった。葉子は眠ったらしい。(中略)

 しかし列車は動き出すと、瞼が自然に合さって来る。明るい目黒の家の離座敷だ。最初の「旦那」が、卓子の向うに胡坐をかいて、飯を食っている。箸を口へ運ぶそばから、ぼろぼろこぼしてしまう。肩から襟へいっぱいに白い飯粒だ。ああ、いやだ、いやだ。

 電車に乗っていても、高架線を走っているから、これもやはり夢だ。映画館の屋根に載った「白雪姫」の広告が、窓の外を廻って行く。あれはあたしが主演だから是非見なければならないのに、電車は止ってくれない。いや、そんなはずない。あたしは映画になんか、出たことはない。そんなに出世したことはない。これは夢なのだから、覚めなければならない。女が汽車の中で居眠りするのはみっともない。早く覚めなければならないのに、「白雪姫」の看板が、瞼に張りついて、どうしても取れない。ああ、いやだ、いやだ。》

 

 大岡は「『花影』限定版あとがき」の末尾に、《すでに死んでしまった人間から見た描写になっているところが二個所あります。第四章の鏡の前で化粧する場面と第八章の三島へ帰るところ、特に「白雪姫」の夢を見るところです》と書いている。

 また丸谷才一は「水のある風景 大岡昇平」で、大岡昇平の作品には水のイメージがよく出て来る、としてガストン・バシュラール『水と夢――物質の想像力についての試論』を参照しながら、『ハムレット』のオフィーリアのイメージを絡めて、大岡の『母』『野火』『黒髪』『花影』『武蔵野夫人』『沼津』を解読してゆく。『花影』においては、葉子の三島への道行の、白雪と澱んだ沼の水のポエジーが、さらには湯河原の温泉、自殺の前に飲む「二つのコップ」の水に、やや牽強付会ではあるが、作者の水のイメージへの執着を読みとっている。

 

《葉子もいつか、ほだされていた。看板になって、外へ出ると、

「あたし、今日はアパートへ帰りたくないわ」といった。

 清水の行きつけの本郷の旅館で、葉子は松崎と別れてから、はじめて打ち解けた気分で、男と寝た。若い清水はずいぶん女をよろこばせることを知っていたつもりだが、葉子の体には、男の欲望を吸いつくす深さがあった。欲望は繰り返し前のめりに突き進んで、崩折れる。清水はそこに見出す快楽が、彼の毎日の不安を解きほぐすように感じた時、彼は葉子に溺れかけていたのである。

 葉子の愛撫に芝居じみたところがなかったとはいえない。しかし清水はそれをみな葉子が自分の若さに負けたくないためと取った。愛されたいからだと自惚れた。

 翌る日も、弱い冬の日射が障子窓に移るのを眺めながら、部屋にこもっていた。(中略)

 その夜清水は、葉子のアパートへ泊った。「もう、だれに知られたっていいの」と葉子はいった。清水は葉子の匂いの染みた蒲団の中で目をさますのが、うれしかった。

 出勤の時間になって、鏡の前に座る葉子を、清水はうしろから抱いた。乳房にあてた手の手を重ね、頬を合せた顔が、鏡の中で笑っていた。

「葉子ちゃん、髪はこうすると、いいんだ」

 といいながら、葉子の乱れた髪をうしろにたばねると、楕円形の顔の輪郭があきらかになった。

「いや」

 葉子は衰えた皮膚が、清水の眼の前に際立つのを避けたかった。首を振ってのがれようとするのだが、清水は離さない。

「結ってあげよう。これでも、女の髪はくわしいんだ」

 タレントと親しむために、清水はスタジオで時々化粧室へ入って行く。ヘア・スタイルを指定することもあったので、いつの間にか、葉子を、リハーサルの前に、女優を扱うような気になっていた。

 赤みがかった髪を数えるように、ブラシですき上げて、上の方でたばねた。一本一本抜くのに、追いつかなくなった白髪がまじっていた。清水にとって、少年の頃、死んだ母親の頭に見出して以来である。

 葉子は清水がこれまでに知った女の中で、一番年をとっていた。朝、眼の下の袋のようなたるみを間近に見て、どきっとすることもあったが、それが気にならなくなった時、彼はますます深くなっていたのである。

 清水が結ってくれた髪を、葉子は変えなかった。彼女が男の意を迎えて化粧するのは、これが初めてであった。》

 

『花影』の後を追うように発表された「花柳小説」の名短篇『黒髪』(『小説新潮』一九六一年十月号)のヒロイン久子もまた、男遍歴の果てに、最後は自死ではなく尼寺の門をくぐるのだが、久子は葉子の「赤みがかった髪」ではなく、《彼女は当時の美人の条件はいちおう具えていたが、なによりも特徴は、その豊かな髪に会った》、《毎日鏡の前へ坐って、お昼まで、髪をすいているの。静かに静かに櫛をかけていると、だんだん緑色に光って来るような気がして、あたしの心は静まります。》であったが、モデルへの後ろ髪を引かれた、うまく語れないことへのなごりおしみ、があるのかもしれない。

 

《日曜日の歌舞伎座の空気に、葉子の気分を引き立てるものがあるわけはない。折詰の弁当と酒の匂いの流れる客席では、「妹背山」の華やかな舞台にも、以前松崎と二人で見た時のような、甘い興奮は感じられなかった。

 野方が連れて行った築地のふぐ料理屋で、葉子はその夜もしたたか酔払ってしまった。その夜の汽車で甲府へ帰る予定の野方が心配そうに腕時計をのぞいている姿と、高島のにやにや笑った顔に向って、なにか怒鳴っている自分の声が、五杯目の鰭酒が出てから、葉子のおぼえているすべてだった。そして翌朝は、待合らしい室で、野方と同じ蒲団に寝ている自分を見出した。

 これも葉子にとってめずらしいことではない。銀座に出てからは、よくあった段取りにすぎなかった。自分が酔ってしまえば、野方が帰りはしないのはわかっていた。帰さないために酔うのだということが、野方にわかりそうな飲み方をしたつもりだった。その結果も予想の通りで、ただその間の記憶が落ちているにすぎない。

 待合は大川の岸にあるらしく、欄間だけ明るい室内に、ディーゼル船の音がひびいていた。やがて眼をさました野方は葉子を抱いて、型通り、

「後悔してるんじゃないかい」

 ときいた。黙って首を振ってみせる葉子の動作も、やはり型通りのものだった。五十男としては少し異常な情熱に、それに応える葉子の体も型通りだった。或いは二十代の自分の面影を抱いている男をよろこばすために、殊更昔のままの無邪気を装ったところがあったかも知れない。》

 

 中村眞一郎は『文学の擁護』の「『花影』の位置」で、

《「さまざまの職業の人間が一堂に会する」「さまざまの男女が自己を主張する」「市民生活のドラマの場」風俗小説の舞台たり得る場の問題である。そして、丸谷氏説によれば、大岡氏は「銀座のバアを最初の手がかりにして、みごとに現代日本の鳥かん図を描きあげている」ということになる。

 しかし、私はこのバアの絵巻のなかに、「心理小説」を発見できなかったように、「風俗小説」も、残念ながら発見できなかった。もし発見できたら、私も躊躇なく『花影』を「文句なしに傑作」として推しただろう。

 何故、『花影』が風俗小説とならなかったか。それは心理小説とならなかったのと同じ理由である。つまり、人物たちが、作者によって注意深く、バアのなかに閉じこめられているからである。一般社会の中のひとつの場としてのバアではなく、バアが別世界として、作者の孤独な夢の場として設定されているからである。人物はこの特殊な場から一歩出ると、現実の闇のなかに消えてしまう。バアの背後に、より大きな複雑な世界が拡がっているという感じが少ない。だから『花影』は「現代日本の鳥かん図」にはならない。

 そして私は、それは作者が企てて及ばなかったのだ、とは思わないのである。そうではなくて、作者は「鎮魂歌」を書きたかったから、故意に、この環境を外界から切り離して、純粋化したのだろう、とそうぞうするのである。》と論じたが、そのとおりに違いない。

 

《「桜が咲いてる」と彼はささやいた。「お濠端は満開じゃないかな」

 二人は三宅坂から九段まで、街燈に照し出された花を、タクシーで見て廻った。

「まあ、綺麗」

 と葉子は、首を左右に振って、呟いた。松崎の膝へ手を突いて、

「とうとう吉野へは、連れてってくれなかったわね。うそつき」といった。

 青山墓地の桜並木の下で、車を停めた。ヘッドライトで照し出された花が、輝かしい白を重ねて、梢の方へだんだん暗くなっていた。

 葉子は口を開け、喉を反らして、幹から幹へよろけながら、退いて行った。

「綺麗だなあ、綺麗だなあ」と繰り返した。

 「食べちゃいたい」ともいった。桜の木の下に死骸が埋っているという、詩人の幻想を「とっても綺麗」といった。

 神明町の旅館で休んで、葉子を抱くと、屍のような感じがしたので、松崎ははっとした。葉子は長く松崎を離さなかった。

「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。

「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまってるの」

「ばかはおよし。桜はまだ咲いてる。来週また来るから、それまでは、死なないと約束してくれないか」

「来なくたっていいわ。遊んであげるの、今日だけよ。桜が咲いてたからだわ。あなたは奥さんとお嬢さんのとこへ、帰っちゃった人。心配しなくていいの。死ぬ前に、まだ一つ、しとかなきゃならないことがあるの」

 それは湯河原に行くことだ、と松崎は思った。高島のために、身を売るつもりなのだ。その当てがある以上、心配しなくてもいい、と彼は判断した。》

 

 この場面を白洲正子は、《先の吉野山に比べると、この夜桜は作りものみたいで、葉子の言葉も空(うつろ)に聞える。小説のスタイル上ここで再び花を咲かすことはたしかに効果的ではあろうが、それが見え見えの感じがして、ちっとも実感が伝わっては来ない。死の直前に見た花は、常の花とは違って見える筈だのに、そういう感動を読者に与えることは古臭いとでも思っているのだろうか》と書き残しているが、大岡は自暴自棄を抑制しつつも空(うつろ)になってゆく葉子を「小説的な嘘」として描ききって十分に感動的であるから、先生である青山二郎をうさんくさい嫌な奴に書かれた(たしかに作者大岡は、《「湯河原には行かないことにしたわ。高島先生がまたやっちゃったの」》の「また」のような最小の言葉で最大の暴露、嫌味を葉子に言わせもしたが)と思い込んでの、美の目利きにあるまじき、文学とは無関係の批判というものだろう。

 こうして二度あらわれる、花見といい、後に出て来る目黒の不動様での「白っ子」の声といい、絶え間なく見続ける夢といい、カルモチンによる自死といい、「反復と差異」の傷ましさがある。

 さらに言えば、二度目の現象はマルクスが『ルイ・ボナパルトブリュメール一八日』の冒頭に記した、《ヘーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番として、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。》を「小説的な嘘」によって、抑制された文体で人工的に書きこんだ小説家大岡の、茶番も辞さない冷徹な眼があり、たとえ葉子は大事件、大人物ではないとしても、《人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思う儘にではない。自分でえらんだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。》のように生きて、死んでいったことを伝えてやまない筆の冴え。

 

《ずっと前から、支度はすんでいたのである。薬の量は、若い時未遂の経験がある葉子には、わかっていた。松崎と別れてから、少しずつ買っていた。好きな時いつでも死ねる、と思えなければ、この齢になって、銀座へ出られるはずはない。

 葉子はこれが大変子供っぽい考え方のような気がしていた。自分を欺くことではないか、とも思うこともあった。(中略)

 しかし葉子が薬を飲むときめるまでには、時間がかかった。

 まだなにか、しておかなければならないこと、しのこしたことがあるような気が、始終した。洗張りに出した冬の着物が、戻って来るのを待たなければならなかったし、バー・クララの同僚に、借りたままになっている本を返し、一寸ばかりになってしまった蝋燭も捨てなければならなかった。

 男の手紙や写真を焼いて行くうちに、読んで見たくなったりした。窓を明けて、煙と匂いが出て行くのを待つ時間が、むやみと長く感じられた。火鉢にいっぱいになってしまった黒い灰を塵取に取って、表の芥箱に捨てて来るまでは、気が落着かなかった。

 死んでしまう前に医者を呼ばれるのも困るけれど、時間が経ちすぎて、あまり醜い姿で見つけられるのも、いやだった。(中略)

 土曜の夜、葉子はしたたか酔っぱらった。店がしまってから、二人の若い女給といっしょに、新橋駅前のキッチンへ連れて行った客は、いつも酔うと食べない葉子が、大きなビフテキを一枚とハヤシライスを平らげてしまったのに驚いた。死ぬときめてから、葉子は急に大食になっていた。

 アパートの前で車を降りてからも、葉子は窓を叩き、呂律の廻らない舌で、車の中の客と女給を、いつまでもからかい続けた。髪が額にかかり、化粧はくずれていたが、朗らかな笑顔であったという。それが彼女が同僚に見られた最後であった。(中略)

 整頓を終って、床を敷き終ると、部屋がひどく狭く、息苦しいように感じた。こんな部屋によく三年も住んでいられたものだと思った。世の中の重みに、押し潰されたような、狭い部屋に、自分はずっと生きていたような気がした。

 外へ出ると、薄い雲が、空一杯にひろがっていた。埃っぽい春先の風が、家々の隙間を吹き抜けて行った。

 祖母が生きていた頃住んだ、目黒の家のあたりへ行ってみる気になった。タクシーで東京の街を通る間にも、もうすぐ自分がこれらのものを見なくなるということが、ぴんと来なかった。自分が死んでも死ななくても、家や道が存在を続けるのは。あたりまえのことだった。(中略)

 路地は、見覚えのある切れ方をしているのだが、ひどく狭く見えた。祖母やてつに連れられて行った神社の森が、意外に近かった。

 境内には休み茶屋や飲み屋が増えていた。樹々は枝を切られて、申訳ほどの葉をつけているだけだった。桜はもうあら方散り盡して、貧相な汚れた花弁しか残していなかった。

 縁日の日、髪も眉も亜麻色で、お盆のような顔の、「白っ子」を見たのを思い出した。たしかに自分は「白っ子」だったと、葉子は思った。通りすがりの人が振り返って行くような綺麗な子供だった。拾われて、可愛がられた「白っ子」が、これから死のうとしているのだ。》

 

《狭い部屋で葉子は絶え間なく夢を見続けた。また戦争中へ戻っていた。砂埃の立つ広い道を、モンペを穿いた葉子は一人で歩いていた。どこかから逃げ出したところだった。行く先はわからなかった。誰かに会って、なにかを貰わなければならないはずだった。前にも後にも、同じ方角を歩いて行く人があった。空襲に会って、東京を逃げ出したところかも知れなかった。

 だからそこに線路があったら、すぐ電車に乗らなければならなかった。乗っているのは男ばかりで、葉子の腰から下を、じろじろ見ていた。葉子がモンペの下にズロースを穿いていないのを知っているらしかった。(中略)

 手を握られたので、振り返ると、丈が低い禿頭の男が千円札をつかんで、笑って差し出していた。男といっしょに行けば、電車へ乗らなくても目的地へ着けるのはたしかだった。札を手に取って、裏を返すと、変な絵が刷ってあった。

 そこで葉子は目が覚めた。死の部屋でこんないやな夢を見なければならないのが、腹が立った。夢は葉子の少女時代の経験に基いていた。てつが経営していた支那料理店の勘定を、女学生の葉子が取りに来れば払うという客があった。その応接間で見せられた絵と関係があった。

 禿頭は目黒の家で、飯を口の端からぼろぼろこぼしながら食べる工場主にちがいなかった。野方にもどうせ同じようなことをしなければならないにきまっていた。どうして湯河原へ行く気になったのだろうと、葉子は疑った。》

 

 加賀乙彦も『花影』解説で指摘しているが、最後の文章などは、有島武郎或る女』の、同じ名前のヒロイン葉子の(『花影』の葉子が受動的なのに対して『或る女』の葉子はいたって能動的という違いはあるが)、男性遍歴の末に死にいたる、現実と夢幻のあわい、交錯の手法を思わす。それは大岡の『パルムの僧院』の衝撃、《それはただ感動的で面白い小説であるだけではなく、『ユリシーズ』『失われた時を求めて』の小説の解体の問題に新しい視点を提供するものと私には映った。この即興の連続形式、物語が次々と現われ、統一がないようで、いわば一種の詩とでもいうほかはない統一を持っている小説、垂直な文体で綴られた詩的小説》という探求の一つの形であるに違いない。

 

《日は高く、花の影はまっすぐに地上に落ちて、重なっていた。その桜の根元に埋っているのは葉子だった。影は葉子の上にも落ち、重い光線が体を貫いて、地中に滲み通って行った。そしてはるか下の方で、裸身の像に集るのを見た。

(まさか、裸じゃ死ねないわ)と目覚めて、葉子は呟いた。

 四時に近所の風呂屋が開くのを待って、葉子は出掛けた。体の隅々まで洗い、髪を洗った。新しい肌着に替え、古いのは棚の中において来た。

 部屋へ帰ると、振り分けに編めるまで、扇風機でかわかして、時間を使った。

 編みながら、胸元からこみ上げて来るものがあったので、やっと泣けるかと思ったら、低い声が洩れただけで、やんだ。

 部屋の中をもう一度見廻して、乱れがないのをたしかめてから、寝巻に着替え、着物と帯をたたんで、箪笥にしまった。水と薬と手紙を盆に載せて、枕元に持って来た時、部屋が暗くなりかけているのに気がついた。

 一本残してあった煙草に火をつけたら、灰皿が洗ったまま流しに重ねてあるのを思い出して、取りに行った。寝床に横たわって、ゆっくり吸っている間に、枕元の水を呑んでしまったので、灰皿といっしょに流しへ持って行き、二つのコップへ水を持って来た。

 この時はもう電燈をつけなければ、洗いものをする手許が見えないくらい暗くなっていた。時計を見ると七時だった。薬はもし吐いてしまったら、もう一度飲むだけの量を買ってあった。その時、スタンドがついていないと、失敗するかもしれないと思った。朝、明るくなってからの方がいい、それでも間に合うと思った。

 それまでの時間をつぶす予定がなかったので、薬の一部を飲んで寝てしまうことにした。

 子供達の声で、覚めて行った。窓は明るくなっていた。夢はあったが、それをもう思い出そうとしまかった。

 鏡の前へ行って、もう一度顔を直してから、まっすぐ寝床へ向った。腿と足首を腰紐で縛り、仰向けに寝て、首だけねじって、枕元の薬へ手を延ばした。

 どこかに手違いがあって、死に損うのではないかという危惧があった。二十年前目黒の家でカルモチンを飲んだ時も、この瞬間に来た危惧であった。そこには失敗して助かればいいという望みがあったと、葉子は思っていた。

 こんどは同じ望みはないつもりだが、危惧がやはり来たことが、腹立たしかった。一度腹は立ち出すと、止めどがなく、なにからなにまで、無性に腹が立って来た。高島にも松崎にも潤子にも亜矢子にも、腹が立って来た。こんなに手間をかけて、用意したことまで、腹が立って来た。葉子は少しずつ、しかし急いで飲んで行った。

 すぐ目がくらんで、部屋の中が廻り出したのも、この前の時と同じだった。「汚い部屋」と葉子は思った。窓の外で子供達の声が高くなった。頭も体もしびれて感覚がなかったが、声だけはひびいていた。窓からのぞいて、呼んでいる。

「白っ子、白っ子」

 からかうような声だった。それから闇が来た。》

                             (了)                          

       *****引用または参考文献*****

大岡昇平『花影』(中央公論社

*『大岡昇平集5』(『花影』、「『花影』限定版あとがき」、『黒髪』、加賀乙彦「<解説>『花影』論」所収)(岩波書店

*『大岡昇平全集20 紀行・評論Ⅶ』(「愛するものについてうまく語れない――スタンダールと私(1)」所収)(筑摩書房

*『大岡昇平全集18 評論Ⅴ』(「思い出すことなど」所収)(筑摩書房

ロラン・バルト「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(『ロラン・バルト『テクストの出口』所収』沢崎浩平訳(みすず書房

白洲正子『精選 女性随筆集 白洲正子』(「いまなぜ青山二郎なのか」、「銀座に生き銀座に死す」所収)(文藝春秋社)

久世光彦『女神』(新潮社)

丸谷才一文章読本』(中央公論社

中村眞一郎『文学の擁護』(「第六回『花影』の位置」所収)(河出書房新社

*『丸谷才一全集10 同時代の文学』(「水のある風景 大岡昇平」、「女人救済といふ日本文学の伝統」所収)(文藝春秋

*菅野昭正『小説家大岡昇平』(筑摩書房

マルクス『ルイ・ボナパルトブリュメール一八日』伊藤新一、北条元一訳(岩波文庫

 

文学批評) ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』のよるべなさ

 

 

 ロラン・バルトの『彼自身によるロラン・バルト』(『ロラン・バルトによるロラン・バルト』)に収められたバルトの講演写真には、「よるべなさ」(「孤独の苦悩」)(Détresse)というキャプションが添えられている。

 

 ロラン・バルト『偶景』のなかに「パリの夜」という、日記形式をとった省察とも「小説的なもの」ともつかぬロマネスクなテクストがある。そこでバルトは繰りかえし、パスカルの『パンセ』を読んでいる。

パリ、一九七九年九月二日

 きのうの午後、ユールト(筆者註:バルトはフランス南西部バイヨンヌ近郊の村ユールト(U)に母と住み、一九七七年十月に最期を看取った)から帰る。飛行機は愚かな客で一杯だ。子供、家族連れ、私の隣りで紙袋に吐いた女、システラ〔バスク地方の球技に用いるラケット〕を持ち帰る若者。座席に小さくなって、ベルトさえはずさず、身動きせず、一時間の間、私はパスカルの『パンセ』を少し読んだ。《人間のみじめさ》の行間から、私の悲しみ全体、マムのいないUでの私の《胸ふたぐ気持》がよみがえってきた。(こうしたことはまったく書くことができない。パスカルの簡潔さと緊張を思うと……)着くとどんよりと曇っていた。(後略)》

一九七九年九月三日

 ドゥー・マゴがまた店を開けたので、フロールの客が少なくなっている。中はほとんど空だ。私は、中で、パスカルの『パンセ』を読む。何度も顔を上げながら、しかし、収穫がないわけではない。遠くない所に、騒いでいる一群(前に見たことがある)。流行りのタイプのホモたちだ。(中略)口惜しさから、寛大さから、諦めから、殿様風の瘦せ我慢から、私は彼に発つよう説得する。彼は九時に私と別れる。私はまた一人きりだ、かなり淋しい――諦める決心をする(しかし、そのことを彼にはどう告げたらいいのか。何かの口実でもう逢わないというのはひどいだろうか。しかし、これは私が望んでいることなのだ。自分の生活から失敗の名残りを一掃したくて)。私はフロールに行って、葉巻をふかしながら、またパスカルの『パンセ』を読み始めた。私が見知っている、背の高い、褐色の髪の男娼(ジゴロ)がやって来て、私に挨拶をした。(後略)》

一九七九年九月十日

 きのうの夕方、フロールでパスカルの『パンセ』を読んでいた。私の脇に細身の青年がいた。とても色白でひげがなく、不思議な美しい顔だが、官能をそそらない(合成皮革のズボンをはいている)。ばらばらの紙に書いてあるセンテンスや図式をせっせとノートに写している。見たところ、詩なのか、数学なのか、よくわからない。(後略)》

 

 バルトは『パンセ』のどこを読んでいたのだろうか。九月二日の記述にあるように、《人間のみじめさ》(「第二章 神なき人間の惨めさ」)に違いなく、そこではバルトの常の心情に近いいくつかの断章を読むことができる。

六九 あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない。》

一一〇 今ある快楽が偽りであるという感じと、今ない快楽のむなしさに対する無知とが、定めなさの原因となる。》

「定めなさ」、それは「よるべなさ」であるだろう。

 

ジュンパ・ラヒリ

 ジュンパ・ラヒリは1967年ロンドン生まれ。両親はカルカッタ出身のベンガル人。2歳でアメリカに渡り、家庭ではベンガル語、外では英語を使った。1999年「病気の通訳」でO・ヘンリー賞を受賞、同作収録の短編集『停電の夜に』でピュリツァー賞、ニューヨーカー新人賞ほか受賞。2003年長篇小説『その名にちなんで』を発表、その後『見知らぬ場所』、『低地』など、アメリカのインド系移民の世界を英語で発表した。

 家族と共にイタリアに移住し、イタリア語で、2015年にエッセイ集『べつの言葉で』、2018年に長篇小説(生れ育ったローマと思しき街に暮らす45歳の独身女性の日常生活を描いた46の断章からなる)『わたしのいるところ』、2020年に詩集『思い出すこと』、2022年にエッセイ『翻訳する私』。

 

出世作の短篇集『停電の夜に』(原書表題『病気の通訳』“Interpreter of Maladies”)は、「停電の夜に」「ビルサダさんが食事に来たころ」「病気の通訳」「本物の門番」「セクシー」「セン夫人の家」「神の恵みの家」「ビビ・ハルダーの治療」「三度目の最後の大陸」という9篇からなる。

 堀江敏幸は、《たがいの傷をまさぐるように展開していく。彼女の小説に登場するのは、多くの場合、カルカッタ出身のベンガル人を両親に持ち、ロンドンで生まれて幼少時にアメリカへ渡った彼女自身の来歴に近しい、移民とその周辺の人々である。新天地の環境や文化や人間関係を受け入れ、そこに順応しようと試行錯誤を繰り返しつつ、けっして容易ではないその道筋のあちこちで登場人物が直面する、いわば存在の根にかかわる身の置きどころのなさを、ラヒリはひとつひとつ丁寧に見つめる――関係のどんづまりや、癒しがたい孤独を描くばかりでなく、そこからの再生の可能性をも絶妙のさじ加減でほのめかしながら。》、《ラヒリの世界が読者に信頼感を抱かせる理由のひとつは、親たちの祖国にも、また米国にも心の底では馴染めず、自分の「家」は「ここ」にないとの喪失感が、そうした現実にこれから直面しようとしている世代の無垢と感応し、双方を一段成長させるところにある。》、《ラヒリの世界を独創的なものに仕立てているもうひとつの大きな理由は、移民として「はるかに遠い人を思う」ことと、身近な他者である夫や妻への無理解が表裏の関係に置かれている点だ。》《「ここ」と「むこう」の遠さを炙(あぶ)りだしている。その手つきの巧みさは、原書の表題である「病気の通訳」や「神の恵みの家」を一読すれば明らかだが、先の「停電の夜に」において、それはいっそう強く感じられるだろう。》、《作者はその闇の可能性に賭け、彼らが「はるかに遠い人を思う」ようにたがいを見つめあえる関係に移行するのか、それとも完全に離反してしまうのかを宙づりにしたまま、物語を切りあげる。》と書評した。

 そこにあるのは、ラヒリの「よるべなさ」と「新生(ヴィタ・ノーヴァ)」、再生への希望である。

 

 はじめてイタリア語で書かれたエッセイ集『べつの言葉で』で言及された小説家、詩人はモラヴィアパヴェーゼ、そしてエミリー・ディキンソンであり、共通するのは孤独の「よるべなさ」だろう。

『わたしのいるところ』で、小説言語が英語からイタリア語に変わり、登場人物がポスト・コロニアルなインド系アメリカ人たちから45歳のイタリア人独身女性となって、さらには名前や場所の固有名詞を剥ぎとられ(

ロラン・バルトは1977年以降に「小説的なるもの」を書こうとして、登場人物の名前、固有名詞を発見できず、ついにバルトの「小説」は書かれずに終わるのだけれど)、ニューヨーカー的なストーリーテラーぶりから離れた回想主体で起伏が乏しくとも、堀江敏幸が書評で指摘したことは通底している。

『わたしのいるところ』の「トラットリアで」「ネイル・サロンで」「文房具店で」「駅で」にみる他者(客商売の父娘・夫婦、客の父親と幼い娘など)への細やかな視線と揺れ動く感情、慈しみ、意地悪ともいえる神経質さ、痛み、そして「広場で」「本屋で」「バルコニーで」「道で」「わたしの家で」「レジで」「ヴァカンス中に」で繰り返される、彼女を取り囲む結婚・離婚・再婚の男女・親子の人間関係に対する冷静かつ辛辣な観察の密度は、変わらないばかりか深みを増している。しかし大切なのは、「よるべなさ」の先に、ほのかなアイロニーの暖かみ、再生への光があることで、読者が救われることだ。

 

 ラヒリは『わたしのいるところ』についてのインタビューで次のように答えている。

《――『わたしのいるところ』では場所にも人物にも名前がありませんね。

 少し前から、イタリア語で書くときにはすべてをより抽象的、より開かれたものにするために、特殊性をできるだけ排除しようとしてきました。わたしが執筆を始めたころは、あらゆるものごとがアイデンティティーを中心に回っていました。ある名前をもつことをめぐって一冊の本を書いたこともあります[訳者:長篇小説『その名にちなんで』のこと。「ゴーゴリ」と名づけられたインド系アメリカ人の少年とその家族の物語]。名前は一つのレッテルで、何かを説明するけれど、生まれや母語と同じように、自分で選ぶことができません。でも、一人の人間の本質は、押しつけられたものとは別のものですから、そこに衝突が生まれます。この衝突に興味があるんです。いまわたしは、すべてをより抽象的なものにしようとする段階にいます。わたしにとって名前を取り去ることは、ある種の重荷からの解放なのです。『わたしのいるところ』では、ローマのようでローマでなくてもかまわない、ある町の名前を取り去っています。名前がなければ、境界ももはや成り立ちません。何かを取り除くことで、いろいろなものの意味が広がる。わたしはこの穴だらけの開かれた状態が気に入っています。》

《――主人公は自分をさらけ出したい欲求と自制する必要とのあいだでつねに揺れ動いています。外からの刺激を求めながら、そこから逃れなくてはといつも感じていますね。

 ええ、それはこの本に出てくる数多くの矛盾の一つです。あらゆる意味で揺れ動いている作品なんです。ここで描かれる町にも二つの顔があって、生き生きしていながら死んでもいる。主人公は、外にでかけてはまた帰宅します。それが彼女の日常ですが、たぶんこれは誰にでも当てはまるでしょう。わたしたちは自分の内と外の両方に空間をもっています。二つの空間の境界を突き止めたい。彼女はいつも境にいます。外に引きつけられ、それからまた内側に引っ込むのです。》

《――小説は道端の碑板という死のイメージで始まります。あなたはしばしば碑板、服喪、墓などの言葉を使いますね。この作品では場所が重要な役割を果たしていますが、死ももう一つの場所なのでしょうか?

 主人公の女性は場所とつながり、死や、もう存在しないものともつながっています。そして光のほうへも向かうのです。

《――彼女を外の世界と隔てる境は生と死を分けている境と同じということですか?

 もちろんその通りです。これが境です。この本には、存在することとしないことの絶え間ない緊張があります。自分が世界に存在していると感じるのは、彼女にとって一つの挑戦です。》

《――彼女は結びつきや従属関係を望まず、自分の家族にも属していないと感じています。彼女を不安にさせるのは、この根無し草の状況なのでしょうか?

 そうとも言え、違うとも言えます。彼女は住んでいる地区、自分の日常生活に強く結びついていますが、そこに属することと離れることとのあいだでいつも揺れ動いています。英語で小説を書くようになってから、ずっと考えつづけているこのテーマを発展させ、掘り下げてみようと思いました。彼女は根を張ることの難しさに苦しんでいると同時に、自分の家を離れることに不安を感じてもいます。とどまりたい欲求とあらゆる境界を越えたい欲求に突き動かされているんです。》

《――この小説では、時を表すタイトルのいくつかの章を例外として、多くの空間を表すタイトルがつけられています。また、「自分のなかで」というタイトルの章もいくつか出てきます。彼女がほんとうに生きているのは「自分のなかで」だけと言ってもいいのでしょうか?

「自分のなかで」というのは、このような二重構造の中で彼女が存在している世界です。彼女がいて、べつの自分がいます。これらの章を「わたしのなかで」ではなく「自分のなかで」と呼ぶところに彼女の疎外感があります。このようなタイトルを選んだのは、彼女があらゆるものにより困惑した、よそよそしい視線を向けるようにしたいと思ったからです。不安定な状態がつづくのです。》

 

 ラヒリが語った、揺れ動き、自分の内と外/存在と存在しないこと/生と死の境界、不安、根なし草、疎外感、困惑した不安定とは、「孤独の苦悩」、「よるべなさ」に違いない。

 

ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』(”Dove mi trovo”)>

 ラヒリ『わたしのいるところ』の46編から、ロラン・バルトのロマネスクな断章を想わす文章をいくつか読むことで、「よるべなさ」の息遣いを感じてみたい。

 エピグラフからして、

《場所を移動するごとに、とてつもなく大きな悲しみを覚える。苦しみや喜びの思い出がある場所を離れるとき、もっとも悲しいわけではない。壺の中で揺れる液体がわたしを混乱させるように、変化そのものがわたしを不安にする。 ――イタロ・ズヴェーヴォ「エッセイと雑稿」》

 

道で

 住んでいる地区の通りで、恋愛をして、ことによるとずっといっしょにいることになったかもしれない一人の男性にときどき行き会う。彼はわたしの女友だちと暮していて、子どもも二人いる。わたしたちの関係は歩道での長いおしゃべりやコーヒーの立ち飲み、それにせいぜいちょっと並んで歩くくらいのものだ。彼は自分の計画のことをジェスチャーたっぷりに熱心に語り、歩いているとき、すでにかなり接近している体がシンクロして、ときには軽く絡みあったりもする。

 一度、彼がランジェリーの店につきあってくれたことがある。わたしは新しいスカートの下にはくストッキングを選ばなければいけなかった。スカートを買ったばかりで、その晩の夕食のためにストッキングが必要だった。わたしたちはいっしょに、台に並べられたありとあらゆる色のサンプルにざっと目を通した。サンプルはか細い透明な生地の切れ端でいっぱいの本のようだった。ブラジャーやネグリジェに囲まれた彼は、まるでわたしたちが下着屋ではなく金物屋にでもいるかのように、すっかりくつろいでいた。わたしはグリーンにするか紫にするか決めかねていた。紫を買うようにわたしを説得したのは彼だった。そして店員は、ストッキングを袋に入れながら、「ご主人は見る目がおありですね」と言った。

 このような出会いで、わたしたちのいつものそぞろ歩きは気持ちよく中断される。わたしたちは罪のないつかのまの情愛を味わう。これでは前へ進めないし、追い風もけっして受けられない。彼は清廉な男性で、わたしの友だちと子どもたちを愛している。

 わたしは誰かと人生を分かちあっているわけではないけれど、それでも強く抱きあうだけで十分だ。両頬へのキス。いっしょに歩くわずかな距離の道だけで、二人とも言葉には出さないが、望みさえすれば、何かまちがった、無益でもある冒険に乗り出すことができるとわかっている。

 今朝、彼はぼんやりしているように見える。自分の真ん前に来るまでわたしに気がつかない。橋を渡っていて、彼は一方から、わたしは反対側からやってくる。真ん中で立ち止まり、川沿いの塀に映る通行人の影を眺める。それは列になって揺れ動く亡霊、一つの世界から別の世界に移動する従順な魂のようだ。橋は平らなのに、影――固い塀に映る実質のない形――は絶えず高いところへと上っていっているように見える。不吉なゴールに向かって黙って進む囚人たちのようだ。

「いつかこの行列を撮影してみたいね。いつでも起きるわけじゃなくて、太陽の位置によるんだよ。毎回感動して見とれてしまう。魅惑的な何かがあるんだと思う。急いでいるときでもつい立ち止まってしまうんだ」と言う。

「わたしもよ」

 彼は携帯電話を取り出し、わたしに聞く。「撮ってみようか?」

「うまく撮れた?」

「ぜんぜんだめだ。こいつじゃ何も捉えられない」

 わたしたちはこの音のない光景、止まることなく動くいくつもの黒い人影を見つづける。

「これからどこへ?」

「仕事に」

「コーヒーでも飲もうか?」

「今日はもう時間がないわ」

「それじゃあチャオ、またね」

 わたしたちはあいさつをして別れる。そしてわたしたちもあの塀に映る二つの影になる。それは捉えることの不可能な日常の光景。》

 

待合室で

 四十五歳を過ぎ、ほとんど医者へ行かなかった長い幸運な時期が終わり、健康が優れないとはどういうことかわかり始める。原因不明の痛みがつづいたり、突然具合が悪くなったと思うとすぐによくなるというような、わけのわからないことが起こる。目の後ろの圧迫感は消えず、肘には激痛が走り、しばらくのあいだ顔の一部がちょっと痺れているような気がしたこともあった。お腹のあちこちに丸くて赤い斑点ができて痒くてたまらず、救急病院へ行ったことも一度ある。結局、軟膏を塗るだけで治ったのだけれど。

 何日か前から、喉の皮膚の下が不規則に脈打つような変な感じがしている。家のソファに座って本を読んでいるときだけに起きる。(中略)

 待合室は少し暗くて灯りは消えている。わたしはどちらかと言えば暑いのが好きなのだけれど、暖房が強すぎる。すぐにジャケットを脱ぐ。それにスカーフも。待っている患者はほかに一人しかいない。部屋に閉じ込められているもう一人もご婦人だ。わたしより二十歳くらい年上らしい。わたしをじっと見ている。そのまなざしに親しみはなく、冷淡な目をしている。スカーフがネックレスに絡まってしまって脱ぐことができない。ああみっともない。まるでわたしたちのあいだにテレビ画面があって、わたしが番組の登場人物であるかのように、その婦人はわたしを見つづけている。自分が間抜けだと感じながらネックレスの留め金を外し、腰を下ろす。

「このお医者さんはどうですか? いい先生ですか?」

「さあ」

 十五分、いやそれ以上待つ。婦人も待っているが呼ばれない。本も読まず、何もしない。もうテレビ画面を通してわたしを見ることもない。

 わたしも残念ながら、バッグに本を入れてくるのを忘れた。雑誌は見ない。健康や心臓病予防に関するいくつかのパンフレットに目を通すだけだ。

 この婦人はどんな病気なのだろう? 不安はあるのだろうか? 重苦しい空気を破るためにそのことを聞いてみようかとも考えた。何しろ二人だけなのだから。でも、やめておく。

 いまこのとき、喉の鼓動はぜんぜん感じないが、心臓と脳をつなぐ血管がある皮膚の下の、はっきりしない、でも心配な震えがいつかもどってくるのは確かだ。

 この婦人には誰もつき添っていない。ヘルパーも友だちも夫もいない。そして、二十年後にわたしが何らかの理由でこのような待合室に来ることになったとき、横には誰もいないだろうということを、彼女が見抜いているのではないかとわたしは気にしている。》

 

自分のなかで

 孤独でいることがわたしの仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも完璧に実行しようとし、慣れているはずなのに落胆させられる。母の影響なのだろう。彼女はいつも孤独を恐れていた。いまでは老年の暮らしに疲れ果て、わたしが電話して具合をたずねても、答えは「一人ぼっちよ」の一言だけだ。彼女には心をときめかして楽しむ機会がない。とはいっても、実際には仲のいい友だちはたくさんいて、わたしよりよほど多面的で活発な社会生活を送っているのだけれど。最後に彼女を訪ねていったときなど、電話がひっきりなしにかかってきていた。それでも、何かはわからないが、母はいつも待っているように見える。時間の流れが彼女の重荷になっている。

 わたしが小さくて、父も生きていたころ、母はわたしをいつもしっかり抱いていて、ほんのわずかなあいだでも離れたがらなかった。わたしの世話をし、一人にしないように守ってくれた。まるで孤独が悪夢やスズメバチででもあるかのように。わたしが自立した生活を築くために家を離れるまで、わたしたちは変質したアマルガムのようなものだった。わたしは彼女とあの不安、あの埋めることのできない空白とのあいだの盾だったのだろうか? わたしがこんな生活をするようになったのは、彼女の不安を恐れているからなのだろうか?

 いま、わたしたちは二人とも一人暮らしをしていて、母が心の底ではあのアマルガムをつくり直して孤独を追い払いたいと思っていること、そして彼女にとってはそれが二人のために正しい答えなのだろうとわかっている。だが、わたしが頑固に母と同じ町に住むことを拒否しているので、彼女は苦しんでいる。家ではずっと無言だし、外出のとき灯りやラジオを消し忘れることもあるけれど、自分の時間と空間を自由にできる一人の暮らしがわたしにはありがたいのだと母に言ったとしたら、信じられないという目でわたしを見て、孤独は欠乏以外の何物でもないと言うだろう。議論しても無駄だ。わたしが得られる小さな満足など、彼女は理解できない。わたしに愛着を感じてはいるが、私の考え方には関心がない。その隔たりがわたしに本当の孤独を教えてくれる。》

 

チケット売り場で

(前略)予約したい演目のリストをつくる。

「どれも一席だけでよろしいですか?と従業員が聞く。

「どれも一席で」

 来年の五月十六日の二十時三十分にはどんな気分でいるだろう? そんなことを知るのは不可能だ。チケットを手にきれいな服を着てここにもどり、座り心地のいい椅子に腰掛けることを期待しながら予約をつづける。

 わたしが劇場というものを知るようになったのは、郵便局員として窓口の向こう側で働いていた父のおかげだった。父は愛好家だったが、母は絶対に劇場へ行かなかった。

 昔、国境のすぐ向こう側にある町の公演のチケットを父が予約したことがあった。わたしの誕生日を早めに祝うためにどうしても連れていきたかったのだ。

「先にお祝いなんかするもんじゃない。縁起が悪い」と母は言っていた。だが、私の誕生日――十五歳になるところだった――には、その公演はもう終わってしまう。というわけで、わたしたちは電車を予約し、カバンに荷物を詰め、身分証明書を用意しておいた。

 出発の前夜、父は体調を崩して高熱を出した。インフルエンザのようだったが、頭を上げることもできなかった。そして何日か入院した。悪い細菌が血液に入りこんでしまい、わたしは彼と劇場へは行かず、遺体安置所にいることになった。電車での長旅、ホテル、公演の代わりに、葬儀の一部始終があった。葬式で、少し酒に酔った伯母が言った。「予想外のできごとから逃げる道はないんだからね。その日その日を生きるしかないさ」

 現金で支払いをすると、従業員がおつりをくれる。コインが一枚、地面にではなく傘の中に落ちたようだ。でも、傘は長いし濡れているので、腕を突っ込んで骨のあいだを探す気にはなれない。

 わたしの後には老人のグループがいる。劇場見学を希望する人たちで、十五分後に始まるガイド・ツアーがある。くだらないツアーだと前から思っていたが、外は土砂降りなので、わたしもそのチケットを買う。料金はとても安い。グループについていき、父の思い出につながるその場所の歴史を初めて知る。ガイドが劇場の形、緞帳の様式、天井の美しいフレスコ画の後ろに空間があることなどを説明してくれる。二世紀前に劇場をつくらせた王の名前や、大部分が焼失した火事がいつ起きたかを教えてくれる。

 いっしょにいる人たちはまるで大聖堂を見るように劇場を眺め、いろいろ質問する。設計図のオリジナルはどこにありますか? 火事のあと、違う形で再建されたのですか? 雨のせいで見学者は大勢いる。舞台は広く、散らかっている。二、三人の作業員が何かをこしらえていて、しきりに金槌で釘を打っている。

 しばらくして、ロイヤルボックスに集合する。ツアーのハイライトだ。この観光客の一団に飲み込まれ、わたしは気分が悪くなる。たちまち憂鬱になり、なんでこんなことをしていなければいけないのかと思う。ロイヤルボックスでポーズを取っている人たちがいる。昔は限られた人しか入れない特殊な場所だったが、いまではお金さえ払えば数分間、誰でも迎え入れてくれる。一人の男性はまるで女王のように自分の妻の写真を撮っている。わたしは移動しようとするが、すし詰め状態で動けない。わたしは現場を押さえられ、一人余計な共犯者として写真に収まってしまう。》

 

海で

 海沿いの村のレストランにいる。ガラス窓から今日は灰色の空と海が見える。もう冬だが、あまり風も強くなく、気持ちのいい日曜日だ。太陽は輝いていないが、雨も降っていない。

 今日は同僚の娘の洗礼式だ。彼女はわたしに来てもらいたがっていて、ほんとうは辞退したかったのだけれど、招待に応じた。べつの男の同僚が車に乗せてきてくれた。煩わしいが、残念ながらわたしは車をもっていない。(中略)

 食べて、少しワインを飲む。となりに座った人と話をする。自己紹介をして、いつから友だちと知りあいかとか、仕事の計画などを説明する。海を覆い、水平線で海と溶けあっている曇り空を眺める。この大騒ぎの彼方の安らぎ。わたしのほか誰も海の輝きに気がついていないことに驚く。

 わたしは閉所恐怖症なのだけれど、集まっている人びとから引き離され、彼らの永続的で深い結びつきから疎外されていると感じる。それなのに、よく知らない人たちの話に耳を傾けることを強いられている。肉体的にも居心地が悪い。座っているのは苦痛だし、首の上の頭が妙に重く感じられる。何もないのに喉に何か詰まっているような気がする。息をするとおなかが上下するのが見えるが、胸が苦しいような感じもする。外へ出て新鮮な空気を吸う必要がある。

 あたりを見まわす。何かつかまるもの、動かないものが必要だ。ベビーカーで眠っていた女の子は目を覚ましていて、友だちの夫の腕の中で丸くなっているのが見える。泣きだす。祖母があやしに来る。

 わたしは急に立ち上がる。トイレを探す。外にある。よかった。それならどうしても外に出なければいけない。

「奥さん、寒いですから何か羽織ったほうがいいですよ」ウェーターが注意してくれる。

 コートを着て手洗いに行き、それから姿をくらまして浜辺へ下りる。海は荒れていて雄大だ。わたしがいるのは皇帝の邸宅の廃墟の中だ。かつては海に面していて、皇帝が夏を過ごしたいくつかの部屋の境が見え、その規模がなんとなくわかる。

 今日の午後の主賓を務める女の子のことを考える。その子は自分の人生の陽気な幕開きにも気づかず、世界の歴史も知らないでいる。

 屋外の下のほうから見ると、人工的な明かりで照らされたレストランは、人でいっぱいの水族館のように見える。そこでは誰もが違う色の服を着て、誰もがゆっくりとした動きを強いられている。

 いまはもう浜辺にいるのはわたし一人ではなくて、子どもたちもこのガラスの立方体から抜け出してきている。波打ち際を走ったり、叫んだり、小石を投げたりしている。住む人のない邸宅の頑固な痕跡に囲まれた洞窟でかくれんぼしたりしている。

 野外は荒々しい音がする。風と海の激しい音、何もかも浸食する波がぶつかる音。どうしてこの荒れた海がわたしたちの気持ちをこんなに晴れやかにするのだろうと考える。》

 

ベッドで

 夜ベッドで本を読んでいると、家の下を車の轟音が聞こえる。彼らの往来がだんだんわたしの固定観念のようになってきている。とにかく、この騒音を聞きながらでないと眠れなくなっている。そして目を覚ますと――それはいつも真夜中の同じ時刻だ――、あまりにも静かで眠気が吹き飛んでしまう。その時間に車は一台も道を走っていないし、どこかへ行く人も誰もいない。眠気はだんだん消えていき、ついにはわたしから離れていく。誰でもいい、誰かが現われるのを待ちつづける。その真っ暗な時間に頭を占めるのは、暗く明晰でもある考えばかりだ。静けさが黒い空といっしょにわたしを押さえつけている。明け方の光がその考えを薄め、人生の仲間たちが家の下を通る音が再び聞こえてくるまで。》

 

《主人公の女性は場所とつながり、死や、もう存在しないものともつながっています。そして光のほうへも向かうのです。》ともラヒリはインタビューで答えている。「よるべなさ」の暗さから、覚醒の兆しが光のあたたかみとしてあらわれ、「夜明けに」からの「自分のなかで」「彼の家で」「バールで」……「すぐ近くに」「どこでもなく」「電車の中で」の最後の10あまりの断章によって、彼女は恩寵に向かって行くかのようだ。

 

夜明けに

 わたしが住んでいる建物の屋根に上れば、日が昇るのが見られる。普段わたしはとても面倒くさがりで、ベッドのぬくもりから離れるのが嫌なので、早起きして着替えて、間に合うように準備することがなかなかできない。冬は一日の始まりが遅いので、ほかの季節よりは日の出を見にいくことが多い。パジャマの上に急いでコートを羽織り、マフラーとブーツを身につけてエレベーターに乗り、建物のほかの住人たちのテーブルクロス、タオル、ジャージ、ショーツなどの洗濯物が干してあるあいだに腰を下ろす。正面の丘の起伏の多い輪郭の一部が金色にくっきりと染まるのを待つ。すべてはわずか数秒のあいだに起こる。卵の黄身のようにまんまるで光り輝く球体が姿を現し、光が解き放たれる。整然と上昇し、昇るにつれて色が白くなっていく。太陽は一ミリも動いてなどいなくて、目の錯覚、幻想だとわかってはいるのだけれど。目が痛くて見ていられなくなるまで眺めている。

 痛みを感じるのは目だけではなく、夜明けはわたしの心も締めつける。町に照りつける光が、顔を打つだけでなく骨の髄まで暖めるのを感じる。太陽が高く昇るにつれて、わたしの視線はほかの住人たちの乾いて固くなった使い古しの衣類と交差する。無精のせいで普段この日々の現象を楽しめないでいることを悔いながら、また毎日こんな風に朝を迎えるのがわたしには大変すぎることも知りながら、まぶたを通して光だけを見ようと目を閉じる。目がくらむと同時にぐったりして、蔵書に下線を引いておいたある偉大な作家の言葉を思い出す。「しばらくして、恐れおののいたわたしは、燃え上がる炎を逃れて物陰に隠れる。その炎はわたしを飲み尽くし、捕らえ、この大地のより小さい要素、虫や植物に変えてしまうのではないかと思う。……何も考えることができない。何もかも無駄に思える。人生はきわめて容易なものに見え、もう誰も気遣ってくれないとしても、誰も手紙をくれないとしてもかまわないと思う」(原注 コッラード・アルヴァーロ作『海』より。ジェーノ・パンパローニ編、ポンピアーニ社、ミラノ、一九九四年)わたしも同じように消耗しきって家にもどり、普段どおりの一日の始まりにこの文を書いている。》

 

電車の中で

 ぜんぶで五人。男が四人に女が一人、みんなだいたい同じ年頃だ。よく似ていて、浅黒い肌で小太り、よく笑う。女の子が窓際のわたしの向かいに座る前にあいさつをしてくれる。そして、わたしが本を読んでいた客室は急に活気づく。この人たちがどういう関係なのかわからない。兄弟だろうか? いとこ? 三人兄弟とカップル? 仲のいい五人の友だち?

 乗ってきて落ち着くと、みんなとてもおなかがすいているらしく、すぐに食べはじめる。クルミ、ブラッドオレンジ、乾燥イチジクなど、健康にいいのに味もいい食べ物の袋をいくつもテーブルの上に広げ、まるで二日間何も食べていなかったようにおいしそうに食べている。この食糧をみんなで分けあっている。チョコレートや果物をちぎって仲間の口に入れてやったりして、全員が母親であると同時に子どもででもあるようだ。度を越したとも思えるほどにの愛情が彼らのあいだをおおらかに流れていることに心を打たれる。彼らが生きることに夢中で、いっしょにいることに喜びを感じているのがわかる。ほかには何もいらないように見える。(中略)

 わたしにもクルミ、イチジク、チョコレート、ブラッドオレンジを勧めてくれる。どの食べ物も新鮮でとてもおいしそうに見える。けれども、わたしは冷たくて味気ないパニーノをすでに食べてしまったので、おなかがすいていない。(中略)

 テーブルの、わたしの眼鏡が入ったハードケースの横に、彼女がサングラスを置く。安物のプラスティック製で、額のしわとか、とても遠くや高いところから見た海のさざ波のように、レンズは傷だらけだ。わたしのは値段も高いし、すべすべしている。彼女はよく笑い、そのはじけた笑い方は魅力的だ。いろいろと愉快な話をこと細かに長々と語っている。男の子たちはうっとりとその話に聞き入っている。

  リュックが置かれた彼らの足下には、ポリ袋が一つあり、捨てるオレンジの皮でもういっぱいになっている。食べ物はもう何も残っていない。もってきたものはぜんぶ食べてしまった。

 つぎの駅で、彼らはあわてて立ち上がると、わたしにあいさつをし、お礼を言い、謝る。そして荷物をぜんぶもって電車を降りていく。わたし一人が本とハードケースと中身が少ししかないスーツケースといっしょに席に残される。

 その外国人グループの食欲ほどの喜びも、わたしには何も残っていない。テーブルはまたきれいになり、まわりの席は空いている。あり余るほどあったあの食べ物を少しでも味わっておかなかったことを、いまになって後悔する。彼らはわたしに、わずかなパン屑さえ残していってはくれなかった。》

 

「どこでもなく」でわたしは「よるべなさ」を自省する、《まごついて(・・・・・)、迷って(・・・)、戸惑って(・・・・)、混乱して(・・・・)、孤立して(・・・・)、うろたえて(・・・・・)、途方にくれて(・・・・・・)、自分を見失って(・・・・・・・)、無一文で(・・・・)、呆然として(・・・・・)。これらのよく似た表現のなかに、わたしは自分の居場所を見つける》ではまだあるものの、待っているばかりでなく、時の移り変わりとともに「変身」しようと動きだす、読者に寄り添って……

                                                                                     (了)

       *****引用または参考文献*****

ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』中嶋浩郎訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『別の言葉で』中嶋浩郎訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『翻訳する私』小川高義訳(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『思い出すこと』中嶋浩郎(新潮社)

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』小川高義訳(新潮文庫

ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』小川高義訳(新潮文庫

*インタビュー「ジュンパ・ラヒリ 孤独が背中を押してくれる。」聞き手:カロリーナ・ジェルミーニ、翻訳・注解:中嶋浩郎(「月刊読書情報誌 波」2019年9月掲載(新潮社))

堀江敏幸「『停電の夜に』書評 処方箋を出さない観察者」(2017/07/05、ALL REVIEWS掲載)

パスカル『パンセ』前田陽一、由木康訳(中公文庫)

ロラン・バルト『偶景』(「パリの夜」所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房

ロラン・バルト『私自身によるロラン・バルト佐藤信夫訳(みすず書房

ロラン・バルトロラン・バルトによるロラン・バルト石川美子訳(みすず書房