平野啓一郎が「〈インタビュー〉平野啓一郎 聞き手:高橋龍夫 文学とは「問い」である ──鷗外の魅力と普遍性」で次のように発言している。
《──「舞姫」を学校で読むと、「エリスがかわいそう」「豊太郎はひどい男だ」という感想になりがちですが、あらためて、今の時代に「舞姫」を読む意味は何でしょうか。
平野:「エリスがかわいそう」だということをいちばん強調しているのは、作者の鷗外自身です。だから、作者である鷗外がひどい、と非難する読み方はよくわからないですね。「エリスがかわいそう」という読みは、鷗外の意図どおりの読みなのに、作者の意図どおりに読んだ人が作者へ反発しているところが、あの作品の妙なところです(笑)。
ただ逆に、多くの古典的な作品は現代の読者にはリアリティのない話になりがちなのに、これだけ多くの人が「豊太郎ひどい」とか「エリスがかわいそう」とか、感情を揺さぶられて読んでいるというのはすごいことです。文学作品としての力強さがあります。あれほど難解な文体の作品が、今でも読者の心を動かすんだ、ということの意味こそ、もっと考えるべきだと思います。》
この「「エリスがかわいそう」という読みは、鷗外の意図どおりの読みなのに、作者の意図どおりに読んだ人が作者へ反発しているところが、あの作品の妙なところです(笑)。」には、鷗外『舞姫』のすっきりしない「異和感」、ざわざわした「奇妙な感じ」、「ひねり」、「逆説」がある。
また、「〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が読む 森鷗外『舞姫』『阿部一族』──「反自己責任論」人間への優しい眼差し」講演録では、下記のように語っている。
《────このライヴ配信に先立って行われた『舞姫』の読書会※では、「主人公・太田豊太郎は”身勝手な男”なのか」をテーマに掲げて話し合いました。結果的には、身勝手であるし、大事な時に決められない男だ、という声が多く出ました。どう思われますか。(※「文学の森」では、平野啓一郎によるライヴ配信の他に、メンバー限定の読書会も定期開催しています。)
平野啓一郎(以下、平野):僕もその意見には賛成です。『舞姫』の文章はまさに名文で、非常に好きな小説ですが、この作品の内容を良いとする人は決して多くないですね。
エリスは身ごもった自分が太田に置いて行かれると知り、精神が破綻した状態になりますが、太田は結局エリスを残して帰国しました。
ただ注目すべきは、鷗外は決して太田を美化して書いてはいないということです。十人が十人とも、エリスが可哀想だという気持ちになる書き方をあえてしています。
鷗外は文学者ですから、何か夢のようないいお話を拵えようというのではなく、ひとつの問題提起として書いているんです。「こんな一人の日本の青年がいて、どう思いますか?」と読者に問いかけている。徹頭徹尾、文学者の姿勢を崩さずに書いているところは、さすが鷗外だと思います。》
《平野:『舞姫』の主人公・太田はたしかに問題のある人物です。立身出世のためにエリスを見捨てた悪い輩だということになっていますが、その実、太田は出世欲が強かったわけではありません。では彼の何が悪いかというと、主体性がないことです。『舞姫』の最後の部分では、相沢のような良い友達はこの世に得難いものだけれど、(エリスと別れた一件について)彼を憎む一点の心が今日まで残っていると、書かれています。
「嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳理に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」(『舞姫』森鷗外全集1/筑摩書房)
太田は、親に報いるがため勉学をし、人に役立つ仕事を持ちながらも、それは自ら渇望したものではなく自分の人生ではないと感じています。エリスとの関係も成り行き任せなようで、世話になった友人や大臣に帰国を強く促され、いよいよ手立てがなくなり帰国します。この「主体性のなさ」を表す象徴的な一文があります。
「余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決断ありと自ら心に誇りしが、此決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。」(同上)
「自分の人生の決断がある」というふうに心密かに思っていたが、この決断は、たしかに物事が順調にいっている時にはあるが、逆境になった時にはほとんどないのだと、追い詰められて認識しています。
これは『舞姫』だけのテーマではなくて、鷗外文学の一つの核心です。鷗外は徹底した”反自己責任論者”ではないかと僕は考えます。結論としては、”仕方がなかった”という感じなんです。他人に対しては、同情や憐憫であり、自分に関しては”諦念”、諦めの境地というようなところがあります。
人間は、社会構造や、因習、偶然性、病、感情、義理、無意識、制度や法律的なもの、歴史やイデオロギーなど諸事情の中に構造的に位置づけられているから、順調な時でさえ、自由意志というものが一体ありえるのか、ということが鷗外の生涯の関心事だったと思います。そういう様々な枠組みの中で太田を見ると、結局、太田はほとんど自由意志がないような書き方になっているんですね。
鷗外は主人公を自分の名前に重ねて描いているくらいなので、一種の自己批判と言えます。ただしあくまで客観視して、問題として提示している。しかし同時に、太田は腑抜けた奴だとして突き放して書いているわけでけではなく、共感を込めて、”仕方がなかった”ということを受け入れつつ、誰もがエリスの状況に心打たれ哀感を持つ。この矛盾を描こうとしたのが『舞姫』ではないかと思います。》
そう説明されても、太田の有り様、「共感をこめて、“仕方がなかった”」と「一種の自己批判」の体裁であることに、ある種の「異和感」が残る。むしろというべきか、かえってというべきか、鴎外はあえて「異和感」を持つように書いているのではないか、とさえ思えてくる。この、誰しもが『舞姫』を読む時に感じざるをえない「異和感」について考えるために、柄谷行人「歴史と自然――鷗外の歴史小説」を辿ってみよう。
<転回/拡散/“やってしまってから”/在るがままに在る/動的な文体/不透明さの直視>
柄谷行人は『意味という病』所収の「歴史と自然――鷗外の歴史小説」で、《作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切りはなして作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。これは眼には見えない。われわれは作品の内側に入りこむことによってしかそれに触れられないのである。
ここで私がとりあげるのは森鷗外であるが、ごく大ざっぱにいえば、歴史小説以前の鷗外は、小説という形式によって自分の考えを述べただけのようにみえる。こういう断定はいささか乱暴かもしれない。しかし、そこに鷗外という個人の秘密はあるとしても、作家としての秘密を私は感じないのである。作家としての秘密とは、彼がなぜこういう作品を書いたとか、どんな考えをもっていたかというようなもとではない。ただ作品を通してあらわれ、しかもその作品をそれ以外のものでなくしている根源、つまりある精神の形態であり創造過程の秘密である。
歴史小説以後の鷗外の作品には、すでに鷗外という個人の生活や思想から透視することも、逆にいえば作品を通して鷗外という人間を透視することもできないような要素がある。このとき何か突然といってよいような転回が鷗外の創造上の姿勢に生じたように思われる。それはどこにも書かれているわけではないが、作品そのものが確実にそれを証しているのである。これは一つの事件であるが、どんな外的な事件とも直接には結びつけられないような性質のものである。》
続いて柄谷は「たとえば」として、『興津弥五右衛門の遺書』の改稿の意味を、『歴史其儘と歴史離れ』の文章を引用しながら論じる。
《鷗外は自作をふりかえっていう。《これは小説には、事実を自由に取捨して、纏まりを附けた迹がある習であるに、あの類の作品にはそれがない》。これは「小説といふものは何をどんな風に書いても好いものだ」(『追儺』明治四十二年)というような認識とは別個のものである。鴎外は、小説というものは何をどんなふうに書いてもよいという考えをあらためたわけではない、しかし、右にいうような小説観においては、鴎外は「事実を自由に取捨して、「纏まりを附ける」という「習」を拒絶しているのである。》
では、歴史小説以前の小説はみな「事実を自由に取捨して、「纏まりを附ける」という「習」に従ったものだったのだろうか。少なくとも『舞姫』は、あの「異和感」から察知できるように、「纏まりを附ける」からあえて逸脱した精神で書かれているのではないか。もう少し柄谷の論を読み進めてみよう。
《『興津弥五右衛門の遺書』の初稿と改稿を読みくらべてみると、「自然を尊重する」という事件が一つの中心(主題)に収斂されるかわりに拡散している。それは読み手の感情移入を拒むし、乃木殉死の解釈を読もうとすることも許さない。(中略)ただ、この改稿の意図が事件の自己完結性を極力排除するところにあったことは疑いがない。現実の世界に自己完結なものはなにもないからである。鷗外が事件を一つの中心的な主題や観念に集約することを拒んだのは、いいかえれば事件に対して透過的であるような視点を拒んだということである。ここに、鴎外の歴史小説が内包している方法的な懐疑がある。》
『舞姫』の太田の心情は「収斂されるかわりに拡散し」、「事件に対して透過的であるような視点を拒ん」ではいないだろうか。
『山椒大夫』では、安寿らの母親が人買いにだまされる過程が描かれているが、柄谷は《ここに描かれているのはべつに複雑な心理ではなく、ごくありふれた人間の行動過程なのである。母親はまず身構えまず体を動かし、そのあとから考えている。つまり彼女はまず太夫がいうがままに従ってしまい、そのつどどうしてなのかと考えているのだ。理由はいかようにも考えられるが、それはそのつどやってしまったことを合理化することにしかならない。そして、そこに見出される「動機」は結果から見出される仮構物にほかならないのである。
右の心理描写にリアリティがあるのは、鴎外がたとえば「相反する心理のせめぎ合ひ」などという仮構によって母親の行動をとらえるのではなく、行動するたびにただちに動機や理由がつくり出されるという動的な過程そのものをみているからである。いいかえれば、母親の行為を内在的な場所でとらえようとしているからである。》
後半の太田の行動を描く鷗外の記述もまた、「相反する心理のせめぎ合ひ」を越えて、「行動するたびにただちに動機や理由がつくり出されるという動的な過程そのものをみている」うえに、「内在的な場所でとらえようとしている」。
《鷗外の歴史小説は基本的に“やってしまってから”の小説である。ここでつけ加えるなら、漱石もまた乃木殉死に触発されて書いた小説『こゝろ』のなかで、“やってしまってから”を書いている。(中略)
しかし、私が今見きわめたいのは、鴎外の個人的な感慨ではなく、“やってしまってから”を書くということがふくむ一つの転倒である。ここには反アイディアリスティックな姿勢、すなわちイデアであれ主題であれ概念であれ、そういうものが先行するのではなく、“やってしまう”という人間の行為の結果がそれらしきものをつくり出すのだという姿勢がある。小説に「纏まりを附ける習」を拒絶したとき、鴎外は歴史であれ現実の人間であれ、それらを透過的にみる視点、つまりアイディアリスティック(プラトニック)な視点を基本的に否定したといってよいのである。自分の考えを小説的に書くというようなやり方を鷗外が一掃してしまったのはいうまでもないが、しかし歴史小説のなかには明らかに彼の思想がある。哲学があるといってもよい。が、それはむろんドイツ哲学から学んだものではなく、創作という過程から生まれそれと切りはなすことのできない哲学である。》
よく知られているように『舞姫』は、冒頭の名文《石炭をば早や積み果てつ》のあとすぐ、《五年前の事なりしが》で時間が遡り、《あらず、これには別に故あり。》、《あらず、これには別に故あり。》と二度韻を踏んだうえで、《これのみは余りに深く我心に彫りつけられたればさはあらじと思へど、今宵はあたりに人も無し、房奴の来て電気線の鍵を捩るには猶程もあるべければ、いで、その概略を文に綴りて見む。》と“やってしまってから”を綴って行く。歴史小説以後に「転回」があり、「歴史小説のなかには明らかに彼の思想がある」のだろうが、『舞姫』にはすでに鷗外の思想、哲学があったのではないだろうか。でなければ、あのような「異和感」は生まれることなく、アイディアリスティック(プラトニック)な視点で終わるだろう。
柄谷は『阿部一族』から阿部一族と家族ぐるみのつきあいのあった隣人柄本又七郎の、一族を討ったあとの様子を描いた場面を引用し、《われわれはここで一種の異和感をおぼえるだろう。なぜあれだけの惨事のあとで、柄本は笑っているのか、なぜ複雑な表情をしないのか、と。しかし、彼は心底から笑っていてよいのである。われわれがはぐらかされたように感じるのは、作品を読みながら倫理的にであれ美的にであれ、一つの合目的性を予期してそれが裏切られるからである。作品を読むときだけではない。われわれの行為はつねに目的措定的なのであって、むしろそれがくいちがったときにかえって現実性を感じるのである。そうだとすれば、奇怪なことが生じるのは絵空事の世界ではない、現実の世界だ。実際の世界では、整理のつかないことがつねにおこっており、むしろそれだけがおこっている。
鴎外の歴史小説は各所で右のような異和感をわれわれに与える。鷗外は世界は不条理だといっているのだろうか。そうではない。ただ世界は在るがままに在るといっているのだ。彼は《物語化》以前のわれわれの経験をとらえようとしているのである。いいかえれば、われわれが鷗外の歴史小説を読んでそこに現実的なものの感触をおぼえるとすれば、それは作品が与える異和感と切りはなすことができないのである。
鴎外のいう「自然」が、あるいは「ありの儘」が、自然主義者や心理家のいうそれとはまったく異なることはすでに明瞭であろう。「自然」とは、ひとが恣意的に区切ったり整理できないもの、矛盾していようがいまいがその矛盾自体が生きた姿であるようなもののことだ。鷗外の文体はそういう直接的な“現実”に肉薄しようとする努力が生みだしたものである。》
「作品を読みながら倫理的にであれ美的にであれ、一つの合目的性を予期してそれが裏切られるからである」、「われわれの行為はつねに目的措定的なのであって、むしろそれがくいちがったときにかえって現実性を感じるのである。」のとおり、「ただ世界は在るがままに在る」ゆえに、「《物語化》以前のわれわれの経験をとらえようとしているのである。いいかえれば、われわれが鷗外の歴史小説を読んでそこに現実的なものの感触をおぼえるとすれば、それは作品が与える異和感と切りはなすことができないのである。」として太田は現実性を纏う。
また『阿部一族』の、内藤長十郎という、かつて失錯をしたのに主君忠利に許され、「その報謝と賠償との道は殉死の外無いと牢く信ずるやうになつた」青年を描いて、《鷗外は右のように殉死を自律的・他律的であると同時に、また利己的なものとしてとらえている。それらを一挙に同時にみようとしているのである。この青年の感情は一つの全体性であって、分析(分解)することができない。分析すれば矛盾に陥るが、当人にとっては何も矛盾していないのである。
鴎外はそういう全体性を直観している。しかし、ここに言葉というもののわながある。それは分解できないものを分解し、あたかも三つの相反的な感情から構成されているかのような外見を与えるからである。それらは仮構にすぎないが、常識的にはそういう仮構で構成するかわりに、次々と否定し粘っこくうねりながらすすむことによって、それらのいずれでもない一つの全体性を開示している。つまりこれは弁証法的な表現であって、もともと弁証法はすでに直観していることを伝えようとする努力、分析的な言葉で分析しえぬものを伝えようとする努力が生みだした智慧にほかならない。
鴎外は感情をあるがままの場所でとらえようとする。そこに彼の文体、分析しながら分析しがたいものを指し示し、透明にみながら不透明なものを分泌するその文体が生れる。それが鷗外の思想なのだ。》
鷗外『舞姫』において、「自律的・他律的であると同時に、また利己的なものとしてとらえている。それらを一挙に同時にみようとしている」、「分析しながら分析しがたいものを指し示し、透明にみながら不透明なものを分泌するその文体」とは、たとえば、
《二三日の間は大臣をも、たびの疲れやおはさんとて敢て訪らはず、家にのみ籠り居しが、或る日の夕暮使して招かれぬ。往きて見れば待遇殊にめでたく、魯西亜行の労を問ひ慰めて後、われと共に東にかへる心なきか、君が学問こそわが測り知る所ならね、語学のみにて世の用には足りなむ、滞留の余りに久しければ、様々の係累もやあらんと、相沢に問ひしに、さることなしと聞きて落居たりと宣ふ。其気色辞むべくもあらず。あなやと思ひしが、流石に相沢の言ことを偽なりともいひ難きに、若しこの手にしも縋すがらずば、本国をも失ひ、名誉を挽きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝いて起れり。嗚呼、何等の特操なき心ぞ、「承はり侍り」と応へたるは。
黒がねの額はありとも、帰りてエリスに何とかいはん。「ホテル」を出でしときの我心の錯乱は、譬へんに物なかりき。余は道の東西をも分かず、思に沈みて行く程に、往きあふ馬車の馭丁に幾度か叱しつせられ、驚きて飛びのきつ。暫くしてふとあたりを見れば、獣苑の傍に出でたり。倒るゝ如くに路の辺べの榻に倚りて、灼くが如く熱し、椎にて打たるゝ如く響く頭を榻背に持たせ、死したる如きさまにて幾時をか過しけん。劇しき寒さ骨に徹すと覚えて醒めし時は、夜に入りて雪は繁く降り、帽の庇、外套の肩には一寸許も積りたりき。(中略)
後に聞けば彼は相澤に逢ひしとき、余が相澤に與へし約束を聞き、またかの夕べ大臣に聞え上げし一諾を知り、俄に座より躍り上がり、面色さながら土の如く、「我豐太郎ぬし、かくまでに我をば欺き玉ひしか」と叫び、その場に僵れぬ。相澤は母を呼びて共に扶けて床に臥させしに、暫くして醒めしときは、目は直視したるまゝにて傍の人をも見知らず、我名を呼びていたく罵り、髮をむしり、蒲團を噛みなどし、また遽に心づきたる樣にて物を探り討めたり。母の取りて與ふるものをば悉く抛ちしが、机の上なりし襁褓を與へたるとき、探りみて顏に押しあて、涙を流して泣きぬ。
これよりは騷ぐことはなけれど、精神の作用は殆全く廢して、その痴なること赤兒の如くなり。醫に見せしに、過劇なる心勞にて急に起りし「パラノイア」といふ病なれば、治癒の見込なしといふ。ダルドルフの癲狂院に入れむとせしに、泣き叫びて聽かず、後にはかの襁褓一つを身につけて、幾度か出しては見、見ては欷歔す。余が病牀をば離れねど、これさへ心ありてにはあらずと見ゆ。たゞをり/\思ひ出したるやうに「藥を、藥を」といふのみ。
余が病は全く癒えぬ。エリスが生ける屍を抱きて千行の涙を濺ぎしは幾度ぞ。大臣に隨ひて歸東の途に上ぼりしときは、相澤と議りてエリスが母に微かなる生計を營むに足るほどの資本を與へ、あはれなる狂女の胎内に遺しゝ子の生れむをりの事をも頼みおきぬ。
嗚呼、相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に一點の彼を憎むこゝろ今日までも殘れりけり。》というような「次々と否定し粘っこくうねりながらすすむ」文体であろう。
《先に述べたように、鴎外は長十郎の殉死を義腹であり論腹であり同時に商腹であるといったことになる。鷗外は「義」をめざす行動が利己的な内実をもつことを暴露して得意になる心理家ではない。鷗外のいう「自然」が自然主義者(これも心理家の一種である)のいう自然と異なるのはそこであって、彼は人間あるいはその行為を、分析すれば矛盾にみちているけれども実践的にはそれをやすやすとのりこえているものとして、いわば分ちがたい「自然」としてみようとしたのである。
しかし、もっと正確にいえば、鴎外は人間(行為)をたんに自律的・他律的・利己的なものとしてみたのではなく、意志的にふるまいながらたえず何かに強いられており、逆に何かに強いられていながらそこに自由な決断があるというような人間のあり方を動的にとらえようとしたのだ。われわれのどんな行動も自律的であるか他律的であるかの明瞭な区別はつかない。たとえば自殺は意志によると同時に生きる意欲を奪われたためでもある。われわれは截然とそれを区別しえないのである。
『山椒大夫』の母親は、自分の意思でそうしているのか強いられてそうしているのかよくわかっていない。だが、われわれは現に、強制が恣意としてあらわれ恣意が強制としてあらわれることをたえず経験しているのではないだろうか。自発的にやっているのか強いられてやっているのかがあいまいな所につねにいるのではないだろうか。鷗外の歴史小説のリアリティは、そういう不透明さを直視するところから生れる。そこに、ひとが動かそうとして動かされ、わかっていながらどうすることもできず、逆にどうすることもできないが故に自由な決断があるというような世界が浮んでくる。『阿部一族』はそういう世界であり、その他の作品もまたそうである。》
「利己的な内実をもつことを暴露して得意になる心理家ではない」鷗外は、太田を「ひどい人間」と読者に思わすよう描きながらも、彼を「たんに自律的・他律的・利己的なものとしてみたのではなく、意志的にふるまいながらたえず何かに強いられており、逆に何かに強いられていながらそこに自由な決断があるというような人間のあり方を動的にとらえようとしたのだ」という世界に漂わせることで、その「不透明さを直視」した動的な揺らぎは、透過性、合目的性、目的措定的断定を求めがちな読者に、すっきりしない「異和感」を抱かせ、ときには作者をひどいとさえ思わせるのかもしれない。
<告白>
『舞姫』を「告白」の書、「贖罪」の書として考察する人たちがいる。
「告白」は、真理の産出が期待される主要な儀式の一つとして、広まり、かつ高まった、とフーコーは『知への意志(性の歴史Ⅰ)』で述べる。
《少なくとも中世以来、西洋社会は、告白というものを、そこから真理の産出が期待されている主要な儀式の一つに組み入れていた。(中略)いずれにしろ、試練の儀式の傍らで、伝統のもつ権威によって与えられる保証というものの傍で、証言の傍で、いやそればかりではなく、観察と立証の学問的方法の傍で、告白は、西洋世界においては、真理を産み出すための技術のうち、最も高く評価されるものとなっていた。それ以来、我々の社会は、異常なほど告白を好む社会となったのである。告白はその作用を遙か遠くまで広めることになった。裁判において、医学において、教育において、家族関係において、愛の関係において、最も日常的次元から最も厳かな儀式に至るまでである。自分の犯した犯罪を告白する。宗教上の罪を告白する。自分の幼児期を告白する。自分の病いと悲惨を告白する。人は懸命に、できる限り厳密に、最も語るのが難しいことを語ろうと努める。》
フーコーが言う「異常なほど告白を好む社会」の、「最も語るのが難しいことを語ろうと努める」例をルソー『告白』に見ることができる。
ポール・ド・マンは『読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』の第十二章「言い訳(『告白』)」でルソー『告白』の中心的な一節を批評的=批判的に読む。
《ルソーは、『告白』冒頭の三書[三つの章]で語られる幼年期および思春期のいくぶん恥辱的で当惑的な数々の場面から、マリオンとリボンにまつわるエピソードをとりわけ重要な感情的意味を有するもの――物語の中に戦略的に位置づけられ、独特のひけらかし[panache]によって語られた、嘘とまやかしの紛れもない原光景――として選り出している。(中略)
このエピソード自体は一連の軽窃盗譚の一つだが、そこには一つのひねりが加わっている。トリノの貴族の家庭で使用人として雇われていたとき、ルソーは「薔薇色と銀色の小さなリボン」を盗む。窃盗が発覚したとき、彼は若い女中[マリオン]からそれをもらったと主張し、彼女に罪をなすりつけるが、そうした彼の主張には、彼女が彼を誘惑しようとしていたことをほのめかすような含みがともなっている。彼は公衆の面前で彼女と対面した際、自分の作り話を執拗に押し通し、自分に少しの害も与えなかったこの無実の少女の品行方正さを完璧なきまでに踏みにじる。しかし、彼の卑劣な非難を前にしても、彼女の崇高な善良さはたじろぎさえ見せない。「ああ、ルソーさん! 私はあなたを気立てのよい方だと思っていました。あなたは私をとても不幸になさっていますが、あなたと立場を交換したいとは思いません」。この話は二人の人間の解雇という悲惨な結末に行き着くが、ルソーはそれによって、この不運な少女の人生にその後生じたに違いない事柄について長々と――いくばくかの興味を噛みしめながら――思いをめぐらすことができるのである。
この教訓的な物語によって最初に確認されるのは、『告白』はそもそも告白的なテクストではない、ということである。告白するとは、真実の名において罪や恥を克服することである。つまり、それは認識論的な言語使用であり、そこでは善意という倫理的価値が真偽という価値に置き換えられる。(中略)
「私はありのままに告白したつもりである。だから、私がここで大罪の卑劣さを糊塗したと思われることは決してないだろう」。しかし、すべてを語るだけでは、まだ不十分である。告白すること[confess]に加えて、言い訳すること[excuse]が求められるのだ。(中略)
言い訳の随行もまた、第二書の結末でなされるルソーの熱心な釈明にもかかわらず(「この件について言う必要があったのはこれだけだ。もう二度とこのことを口にせずにいられますように」)、この弁解的なテクストを終結させることはできない。こう述べたルソーは、それよりおよそ一〇年ほどのちに『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で嘘の「免責」可能性について省察する際、この話をまたまるごと口にしている。弁解は明らかに彼自身の罪の鎮圧に失敗しており、彼がそれを忘却できるまでには至っていない。(中略)
ルソーが本当に欲していたのは、リボンでもマリオンでもない。彼が欲していたのは、現実に入手することになる人前での暴露の場面なのだ。》
ただし、フーコーの言う「語ることによって語られた過ちが消去されてゆく儀式」は暴露の場面と、『告白』中の「この件について言う必要があったのはこれだけだ。もう二度とこのことを口にせずにいられますように」という願いに託されたわけだが、十年後に『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で省察しなおすことで、完全な「消去」など不可能であったことを示していて、そこにルソーの人間的な魅力を見出すこともできる。
ド・マンの考察は、鷗外の『舞姫』と、およそ二十年後に発表された『普請中』(エリスのモデルらしき女性が来日した時の面会光景)にほぼそのまま適用できるだろう。
よく『舞姫』を、「告白」の私小説であるとか、出世のために愛を犠牲にしたとか、最後には個人よりも社会を尊重したとか、エリスへの悔恨であるとか、陸軍省での噂を封じるために先回りして(私小説性を脱した文学として)打ち明けたとか、気の進まない婚姻への当てこすりだとか、いろいろ取沙汰されるが、最新の西洋文学に通じていた鷗外は一つ理由で文学を為すほど単純ではない。鷗外の妹小金井喜美子の手記「森於菟に」を読めば、帰朝の後を追うように『舞姫』エリスのモデルとされる女性が来日し、いろいろ説得もあったらしく、快く帰国させたあとで『舞姫』を書きあげた鷗外は、その発表前に本人は不在だったが家族みんなに読んで聞かせたという。明治近代文学とその周辺に暗くじめじめした悲惨と勤勉を求めがちな読者をあざ笑うかのように、小説『舞姫』の「告白すること[confess]に加えて、言い訳すること[excuse]が求められる」悲恋ストーリーに二重に被せるように、「告白すること[confess]に加えて、言い訳すること[excuse]が求められる」露出症的な暴露の場面を作った。
小金井喜美子の手記「森於菟に」は森一族の様子も窺えておもしろいので朗読の場面を紹介する。
《年の暮近く私が千住の家へ行つて居ます時、叔父さんが車で上野の家からかけつけて、私の居るのを見て「来て居たのか丁度よかつた」、「何があつたのですか。」心配さうな顔を見て笑ひながら「何、あの舞姫の事を今度兄さんがお書きになつたから、まつ先に皆に聞せて呉れといふお使ひに来たのですよ、お父さんは往診の御留守だつて、じやああとにしてさあさあ集まつて下さい、勧進帳もどきで読み上げるから」、何でも芝居掛りになるのはいつもの癖でした。
「石炭をはや積み果てつ中等室の卓のほとりはいと静かにて熾熱燈の光の晴れがましきもやくなし。」中音に読み初めたのを、誰も誰も熱心に聞いて居ました。だんだん進む中、読む人も情に迫つて涙声になります。聞いてゐる人達も、皆それぞれ思ふことはちがつても、記憶が新しいのと、其文章に魅せられて鼻を頻にかみました。「ああ相沢兼吉の如き良友は世に又得難かるべし、されど我が脳裡に一点の彼を憎む心は今日までも残れりけり」。読み終つた時は、誰も誰もほつと溜息をつきました。暫く沈黙の続いた後、「ほんとによく書けて居ますね」といひ出したのは私でした。お祖母様はうなづきながら、「賀古さんは何と御言ひになるだらう」、「何昨夜見えたので読んで聞せたら、己れの親分気分がよく出て居るとひどく喜んで、ぐづぐづ蔭言をいふ奴等に正面からぶつつけてやるのはいゝ気持だ。一つ祝ひ酒をご馳走にならうと又夜が更けました。
それが春の国民之友に出て評判がよいものですから、今迄の何か心の底にあつたこだはりがとれて、皆ほんとに喜んだのでした。》
ここには、フーコーの言う「語ることによって語られた過ちが消去されてゆく儀式」があるが、過ちをルソーが十年後に『第四の夢想』(筆者註:『孤独な散歩者の夢想』「第四の散歩」)で省察しなおしたように、鷗外もまた二十年後に『普請中』で蒸し返すことで、消去の困難さを証明している。
『知への意志(性の歴史Ⅰ)』で、性は告白の特権的な題材であった、とされる。
《キリスト教の悔悛・告解から今日に至るまで、性は告白の特権的な題材であった。それは、人が隠すもの、と言われている。ところが、もし万が一、それが反対に、全く特別な仕方で人が告白するものであるとしたら? それを隠さねばならぬという義務が、ひょっとして、それを告白しなければならぬという義務のもう一つの様相だとしたなら? (告白がより重大であり、より厳密な儀式を要求し、より決定的な効果を約束するものとなればなるほど、いよいよ巧妙に、より細心の注意を払って、それを秘密にしておくことになる。)もし性が、我々の社会においては、今やすでに幾世紀にもわたって、告白の完璧な支配体制のもとに置かれているものであるとしたなら? すでに述べた性の言説化と、多様な性的異形性の分散と強化とは、恐らく同じ一つの装置=仕組みの二つの部品なのである。》
『舞姫』は性的「告白」としても読める。しかし、自伝的な『ヰタ・セクスアリス』を手に取って、性的「告白」の綺麗事にがっかりした者は多かろう。鷗外の告白とは、表向きそういったところに留まっているゆえ、『舞姫』における性的「告白」もまた巧妙に隠蔽(回避)されている。小説よりもかえって、鷗外の医学論文(「公娼廃後の策奈何」、「「公娼廃後策」の原材」、「公娼廃後策とフリイドリヒ、ザンデルと」、「性欲雑説」、「女子の衛生」)や、ルソー『告白』の鷗外による翻訳に目を向けたほうが、より鷗外のセクシュアルなものへの関心に近づく。
ルソー『告白』は明治二十四年、森鷗外がレクラムのドイツ語訳から部分翻訳した『懺悔記』として、「立憲自由新聞」に連載されたが、第1 巻の冒頭と、一七一二年から一七一九年までの一部、一七四三年の一部にすぎない。全文翻訳は、その11年後の大正元年、ルソー生誕二百年と連動して、石川戯庵訳『懺悔録』として翻訳された。鷗外がルソー“Confessions ”を『懺悔記』と訳したことは、その後の『告白』受容を、キリスト教的な「告白」ではなく、罪を意識して裁きを乞う仏教的「懺悔」という印象に固定したのではないか。それは「懺悔」の方が「告白」よりも日本人の耳と心に馴染み深かったゆえだろう。
明治二十四年といえば、まさに『舞姫』などドイツ三部作を執筆、発表した時期と重なるから、『懺悔記』の影は、その作為性も含めて『舞姫』にかかるだろう。鷗外翻訳の『懺悔記』(『鷗外全集2』)は、ルソー『告白』中の性的体験に関する部分を中心に選出したもので、八歳の時のランペルシエ嬢による鞭笞で快楽を覚えた有名な挿話と、ヴェネチアで遊んだ娼婦の片方の乳房に乳首がないのを発見して驚くといった挿話である。鷗外は『懺悔記』発表に先立つ明治二十二年に「ルーソーガ少時ノ病ヲ診ス」という文章を「東京医学新誌」に「医学士 森林太郎」の名で発表していて、グラーツ大学精神及び神経病教授クラフト=エービングを参照して、井戸に水を汲みに来る若い娘たちへの露出症を論じたあと、ランペルシエ嬢による鞭笞の快美を論じ、「想フニジャン、ジャック、ルーソーハ被打兼露呈症ヲ患ヒシモノナリ」と診断している(『鷗外全集29』)。有名なリボンにまつわるエピソードにはまったく触れていないことからも、鷗外にとってのルソー『告白』は性の「懺悔」以外のものではなかったようだ。
謹厳な鷗外というイメージを覆す朗読の場面のエピソードを知ると、『舞姫』を「告白」の書、「贖罪」の書として実直に読むことへの「異和感」を拭いようもない。
(了)
******引用または参考文献****
*森鷗外『鷗外全集 全38巻』(岩波書店)
*森鷗外『椋鳥通信』池内紀編(岩波文庫)
*柄谷行人『柄谷行人集1 日本近代文学の起源』(岩波書店)
*柄谷行人『意味という病』(「歴史と自然――鷗外の歴史小説」所収)(講談社文芸文庫)
*小金井喜美子「森於菟に」(「文学」第4巻第6号〈特輯 鷗外研究〉昭和11年6月)(岩波書店)
*フーコー『知への意志(性の歴史Ⅰ)』 渡辺守章訳(新潮社)
*ルソー『告白』桑原武夫訳(岩波文庫)
*スタロバンスキー『透明と障害 ルソーの世界』山路昭訳(みすず書房)
*ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー――ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』(「言い訳(『告白』)所収」土田知則訳(岩波書店)
*「〈インタビュー〉平野啓一郎 聞き手:高橋龍夫 文学とは「問い」である ──鷗外の魅力と普遍性」(大修館書店WEBサイト『国語教室』第118号)
*「〔文学の森ダイジェスト〕平野啓一郎が読む 森鷗外『舞姫』『阿部一族』──「反自己責任論」人間への優しい眼差し」講演録(平野啓一郎公式サイト)







