『源氏物語』の新しい物語「宇治十帖」は、「橋姫」からはじまり、「椎が本」「総角(あげまき)」「早蕨(さわらび)」「宿り木」「東屋(あずまや)」「蜻蛉」「手習」と続き、「夢の浮橋」で終わる。
「光」の君の世界から、「夜」「闇」「漆黒」の薫り(薫中将=女三の宮と光源氏との子(実は女三の宮と柏木との不義の子))、匂い(匂宮=明石中宮と今上帝との子)の世界へ。
宇治とは憂路(うじ)でもあろうか。また、ノワールな倒錯の巻物でもある。
以下、『源氏物語』からの引用は、與謝野晶子『全訳 源氏物語』(角川文庫クラシックス)による。
<「橋姫」――濡れる薫の隙見(すきみ)>
「橋姫」は薫二十歳(匂宮二十一歳)から二十二歳まで。八宮は光源氏の弟宮で、かつて東宮候補にもされたが敗れてからは京から宇治に籠っていた。自分の出生に疑念を持つ薫は厭世的、宗教的だが、冷泉院に伺う阿闍梨から八宮が仏法に関心が深いことを知って、宇治に通うようになる。
晩秋の頃、薫は宇治へ行く。婚期を逸している二人の娘(大君と中の君)がいる八宮は、山籠りをしていた。宇治に着くまでにすでにしとどに濡れそぼった薫の「隙見」がはじまる。視覚的欲望、窃視症。
《秋の末であったが、四季に分けて宮があそばす念仏の催しも、この時節は河(かわ)に近い山荘では網代(あじろ)に当たる波の音も騒がしくやかましいからとお言いになって、阿闍梨(あじゃり)の寺へおいでになり、念仏のため御堂(みどう)に七日間おこもりになることになった。姫君たちは平生よりもなお寂しく山荘で暮らさねばならなかった。ちょうどそのころ薫中将は、長く宇治へ伺わないことを思って、その晩の有明月(ありあけづき)の上り出した時刻から微行(しのび)で、従者たちをも簡単な人数にして八の宮をお訪ねしようとした。河の北の岸に山荘はあったから船などは要しないのである。薫は馬で来たのだった。宇治へ近くなるにしたがい霧が濃く道をふさいで行く手も見えない林の中を分けて行くと、荒々しい風が立ち、ほろほろと散りかかる木の葉の露がつめたかった。ひどく薫は濡(ぬ)れてしまった。こうした山里の夜の路(みち)などを歩くことをあまり経験せぬ人であったから、身にしむようにも思い、またおもしろいように思われた。
山おろしに堪へぬ木の葉の露よりもあやなく脆(もろ)きわが涙かな
村の者を驚かせないために随身に人払いの声も立てさせないのである。左右が柴垣(しばがき)になっている小路(こみち)を通り、浅い流れも踏み越えて行く馬の足音なども忍ばせているのであるが、薫の身についた芳香を風が吹き散らすために、覚えもない香を寝ざめの窓の内に嗅(か)いで驚く人々もあった。
宮の山荘にもう間もない所まで来ると、何の楽器の音とも聞き分けられぬほどの音楽の声がかすかにすごく聞こえてきた。山荘の姉妹(きょうだい)の女王(にょおう)はよく何かを合奏しているという話は聞いたが、機会もなくて、宮の有名な琴の御音も自分はまだお聞きすることができないのである、ちょうどよい時であると思って山荘の門をはいって行くと、その声は琵琶(びわ)であった。所がらでそう思われるのか、平凡な楽音とは聞かれなかった。掻(か)き返す音もきれいでおもしろかった。十三絃(げん)の艶(えん)な音も絶え絶えに混じって聞こえる。しばらくこのまま聞いていたく薫は思うのであったが、音はたてずにいても、薫のにおいに驚いて宿直(とのい)の侍風の武骨らしい男などが外へ出て来た。こうこうで宮が寺へこもっておいでになるとその男は言って、
「すぐお寺へおしらせ申し上げましょう」
とも言うのだった。
「その必要はない。日数をきめて行っておられる時に、おじゃまをするのはいけないからね。こんなにも途中で濡(ぬ)れて来て、またこのまま帰らねばならぬ私に御同情をしてくださるように姫君がたへお願いして、なんとか仰せがあれば、それだけで私は満足だよ」
と薫が言うと、醜い顔に笑(え)みを見せて、
「さように申し上げましょう」
と言って、あちらへ行こうとするのを、
「ちょっと」
と、もう一度薫はそばへ呼んで、
「長い間、人の話にだけ聞いていて、ぜひ伺わせていただきたいと願っていた姫君がたの御合奏が始まっているのだから、こんないい機会はない、しばらく物蔭(ものかげ)に隠れてお聞きしていたいと思うが、そんな場所はあるだろうか。ずうずうしくこのままお座敷のそばへ行っては皆やめておしまいになるだろうから」
と言う薫の美しい風采(ふうさい)はこうした男をさえ感動させた。
「だれも聞く人のおいでにならない時にはいつもこんなふうにしてお二方で弾(ひ)いておいでになるのでございますが、下人(げにん)でも京のほうからまいった者のございます時は少しの音もおさせになりません。宮様は姫君がたのおいでになることをお隠しになる思召(おぼしめ)しでそうさせておいでになるらしゅうございます」
丁寧な恰好(かっこう)でこう言うと、薫は笑って、
「それはむだなお骨折りと申すべきだ。そんなにお隠しになっても人は皆知っていて、りっぱな姫君の例にお引きするのだからね」
と言ってから、
「案内を頼む。私は好色漢では決してないから安心するがよい。そうしてお二人で音楽を楽しんでおいでになるところがただ拝見したくてならぬだけなのだよ」
親しげに頼むと、
「それはとてもたいへんなことでございます。あとになりまして私がどんなに悪く言われることかしれません」
と言いながらも、その座敷とこちらの庭の間に透垣(すいがき)がしてあることを言って、そこの垣へ寄って見ることを教えた。薫の供に来た人たちは西の廊(わたどの)の一室へ皆通してこの侍が接待をするのだった。
月が美しい程度に霧をきている空をながめるために、簾(すだれ)を短く巻き上げて人々はいた。薄着で寒そうな姿をした童女が一人と、それと同じような恰好(かっこう)をした女房とが見える。座敷の中の一人は柱を少し楯(たて)のようにしてすわっているが、琵琶を前へ置き、撥(ばち)を手でもてあそんでいた。この人は雲間から出てにわかに明るい月の光のさし込んで来た時に、
「扇でなくて、これでも月は招いてもいいのですね」
と言って空をのぞいた顔は、非常に可憐(かれん)で美しいものらしかった。横になっていたほうの人は、上半身を琴の上へ傾けて、
「入り日を呼ぶ撥はあっても、月をそれでお招きになろうなどとは、だれも思わないお考えですわね」
と言って笑った。この人のほうに貴女(きじょ)らしい美は多いようであった。
「でも、これだって月には縁があるのですもの」
こんな冗談(じょうだん)を言い合っている二人の姫君は、薫がほかで想像していたのとは違って非常に感じのよい柔らかみの多い麗人であった。女房などの愛読している昔の小説には必ずこうした佳人のことが出てくるのを、いつも不自然な作り事であると反感を持ったものであるが、事実として意外な所に意外なすぐれた女性の存在することを知ったと思うのであった。》
薫は八宮に対面して姫君の後見を託される。薫は老女弁に対面して、かつて自分が仕えていた柏木と女三の宮との関係を告げられたうえ、二人の往復の手紙を渡される。
<「椎が本」――薫の隙見>
「椎が本」は薫二十三歳の春から二十四歳の夏まで。大君二十五歳、中の君二十三歳。匂宮は初瀬詣での途中、夕霧(筆者註:光源氏と葵上との子)が用意した宇治の山荘に中宿(なかやど)する。八宮は中の君を匂宮に縁付けたいと思っている。八宮は娘たちに宇治を離れるなと戒めていたが、山寺に籠って亡くなる。薫は大君を都の近くに迎え入れたいと申し出るが、中の君はそれを軽蔑する。匂宮は夕霧の六の君との縁談を勧められているが、中の君に恋慕している。
夏になり、薫は宇治へ行く。
《その夏は平生よりも暑いのをだれもわびしがっている年で、薫も宇治川に近い家は涼しいはずであると思い出して、にわかに山荘へ来ることになった。朝涼のころに出かけて来たのであったが、ここではもうまぶしい日があやにくにも正面からさしてきていたので、西向きの座敷のほうに席をして髭侍(ひげざむらい)を呼んで話をさせていた。
その時に隣の中央の室(へや)の仏前に女王たちはいたのであるが、客に近いのを避けて居間のほうへ行こうとしているかすかな音は、立てまいとしているが薫の所へは聞こえてきた。このままでいるよりも見ることができるなら見たいものであると願って、こことの間の襖子(からかみ)の掛け金の所にある小さい穴を以前から薫は見ておいたのであったから、こちら側の屏風(びょうぶ)は横へ寄せてのぞいて見た。ちょうどその前に几帳(きちょう)が立てられてあるのを知って、残念に思いながら引き返そうとする時に、風が隣室とその前の室との間の御簾(みす)を吹き上げそうになったため、
「お客様のいらっしゃる時にいけませんわね、そのお几帳をここに立てて、十分に下を張らせたらいいでしょう」
と言い出した女房がある。愚かしいことだとみずから思いながらもうれしさに心をおどらせて、またのぞくと、高いのも低いのも几帳は皆その御簾ぎわへ持って行かれて、あけてある東側の襖子から居間へはいろうと姫君たちはするものらしかった。その二人の中の一方が庭に向いた側の御簾から庇(ひさし)の室越(まご)しに、薫の従者たちの庭をあちらこちら歩いて涼をとろうとするのをのぞこうとした。濃い鈍(にび)色の単衣(ひとえ)に、萱草(かんぞう)色の喪の袴(はかま)の鮮明な色をしたのを着けているのが、派手(はで)な趣のあるものであると感じられたのも着ている人によってのことに違いない。帯は仮なように結び、袖口(そでぐち)に引き入れて見せない用意をしながら数珠(じゅず)を手へ掛けていた。すらりとした姿で、髪は袿(うちぎ)の端に少し足らぬだけの長さと見え、裾(すそ)のほうまで少しのたるみもなくつやつやと多く美しく下がっている。正面から見るのではないが、きわめて可憐(かれん)で、はなやかで、柔らかみがあっておおような様子は、名高い女一(にょいち)の宮(みや)の美貌(びぼう)もこんなのであろうと、ほのかにお姿を見た昔の記憶がまたたどられた。いざって出て、
「あちらの襖子は少しあらわになっていて心配なようね」
と言い、こちらを見上げた今一人にはきわめて奥ゆかしい貴女(きじょ)らしさがあった。頭の形、髪のはえぎわなどは前の人よりもいっそう上品で、艶(えん)なところもすぐれていた。
「あちらのお座敷には屏風(びょうぶ)も引いてございます。何もこの瞬間にのぞいて御覧になることもございますまい」
と安心しているふうに言う若い女房もあった。
「でも何だか気が置かれる。ひょっとそんなことがあればたいへんね」
なお気がかりそうに言って、東の室(ま)へいざってはいる人に気高(けだか)い心憎さが添って見えた。着ているのは黒い袷(あわせ)の一襲(かさね)で、初めの人と同じような姿であったが、この人には人を惹(ひ)きつけるような柔らかさ、艶(えん)なところが多くあった。また弱々しい感じも持っていた。髪も多かったのがさわやいだ程度に減ったらしく裾のほうが見えた。その色は翡翠(ひすい)がかり、糸を縒(よ)り掛けたように見えるのであった。紫の紙に書いた経巻を片手に持っていたが、その手は前の人よりも細く痩(や)せているようであった。立っていたほうの姫君が襖子の口の所へまで行ってから、こちらを向いて何であったか笑ったのが非常に愛嬌(あいきょう)のある顔に見えた。》
薫は、当時の習慣としてはあり得なかった女の姿をその目で見て、大君への恋着が深まる。薫の窃視した視界の中で、それと知らずに行動する姉妹の性格描写が見事である。
<「総角」――薫が大君の髪を掻きやるも>
「総角」は薫二十四歳の秋から十二月まで。八宮の一周忌が近づき、宇治を訪れた薫は、部屋に入り込み、逃げようとする大君を掴まえて髪の毛をあげ、顔を見るが、添い臥しして語らうだけで実事には及ばない。
《仏間と客室の間の戸をあけさせ、奥のほうの仏前には灯を明るくともし、隣との仕切りには御簾(みす)へ屏風(びょうぶ)を添えて姫君は出ていた。客の座にも灯の台は運ばれたのであるが、
「少し疲れていて失礼な恰好(かっこう)をしていますから」
と言い、それをやめさせて薫は身を横たえていた。菓子などが客の夕餐(ゆうげ)に代えて供えられてあった。従者にも食事が出してあった。廊の座敷にあたるような部屋(へや)にその人たちは集められていて、こちらを静かにさせておき、客は女王(筆者註:大君)と話をかわしていた。打ち解けた様子はないながらになつかしく愛嬌(あいきょう)の添ったふうでものを言う女王があくまでも恋しくてあせり立つ心を薫はみずから感じていた。この何でもないものを越えがたい障害物のように見なして恋人に接近なしえない心弱さは愚かしくさえ自分を見せているのではないかと、こんなことを心中では思うのであるが、素知らぬふうを作って、世間にあったことについて、身にしむ話も、おもしろく聞かされることもいろいろと語り続ける中納言(筆者註:薫)であった。女王は女房たちに近い所を離れずいるように命じておいたのであるが、今夜の客は交渉をどう進ませようと思っているか計られないところがあるように思う心から、姫君をさまで護ろうとはしていず、遠くへ退いていて、御仏(みほとけ)の灯(ひ)もかかげに出る者はなかった。姫君は恐ろしい気がしてそっと女房を呼んだがだれも出て来る様子がない。
「何ですか気分がよろしくなくなって困りますから、少し休みまして、夜明け方にまたお話を承りましょう」
と、今や奥へはいろうとする様子が姫君に見えた。
「遠く山路(やまみち)を来ました者はあなた以上に身体(からだ)が悩ましいのですが、話を聞いていただくことができ、また承ることの喜びに慰んでこうしておりますのに、私だけをお置きになってあちらへおいでになっては心細いではありませんか」
薫はこう言って屏風(びょうぶ)を押しあけてこちらの室(へや)へ身体(からだ)をすべり入らせた。恐ろしくて向こうの室へもう半分の身を行かせていたのを、薫に引きとめられたのが非常に残念で、
「隔てなくいたしますというのはこんなことを申すのでしょうか。奇怪なことではございませんか」
と批難の言葉を発するのがいよいよ魅力を薫に覚えしめた。
「隔てないというお気持ちが少しも見えないあなたに、よくわかっていただこうと思うからです。奇怪であるとは、私が無礼なことでもするとお思いになるのではありませんか。仏のお前でどんな誓言でも私は立てます。決してあなたのお気持ちを破るような行為には出まいと初めから私は思っているのですから、お恐れになることはありませんよ。私がこんなに正直におとなしくしておそばにいることはだれも想像しないことでしょうが、私はこれだけで満足して夜を明かします」
こう言って、薫は感じのいいほどな灯(ひ)のあかりで姫君のこぼれかかった黒髪を手で払ってやりながら見た顔は、想像していたように艶麗(えんれい)であった。何の厳重な締まりもないこの山荘へ、自分のような自己を抑制する意志のない男が闖入(ちんにゅう)したとすれば、このままで置くはずもなく、たやすくそうした人の妻にこの人はなり終わるところであった、どうして今までそれを不安とせずに結婚を急ごうとはしなかったかとみずからを批難する気にもなっている薫であったが、言いようもなく情けながって泣いている女王が可憐(かれん)で、これ以上の何の行為もできない。こんなふうの接近のしかたでなく、自然に許される日もあるであろうとのちの日を思い、男性の力で恋を得ようとはせず、初めの心は隠して相手を上手(じょうず)になだめていた。
「こんな心を突然お起こしになる方とも知らず、並みに過ぎて親しく今までおつきあいをしておりました。喪の姿などをあらわに御覧になろうとなさいましたあなたのお心の思いやりなさもわかりましたし、また私の抵抗の役だたなさも思われまして悲しくてなりません」
と恨みを言って、姫君は他人に見られる用意の何一つなかった自身の喪服姿を灯影(ほかげ)で見られるのが非常にきまり悪く思うふうで泣いていた。
「そんなにもお悲しみになるのは、私がお気に入らないからだと恥じられて、なんともお慰めのいたしようがありません。喪服を召していらっしゃる場合ということで私をお叱(しか)りなさいますのはごもっともですが、私があなたをお慕い申し上げるようになりましてからの年月の長さを思っていただけば、今始めたことのように、それにかかわっていなくともよいわけでなかろうかと思います。あなたが私の近づくのを拒否される理由としてお言いになったことは、かえって私の長い間持ち続けてきた熱情を回顧させる結果しか見せませんよ」》
<「総角」――薫の禁欲>
厭離的な薫には、眼の快楽に加えて、禁欲という名の快楽があるのだろうか。
《薫はそれに続いてあの琵琶(びわ)と琴の合奏されていた夜の有明月(ありあけづき)に隙見(すきみ)をした時のことを言い、それからのちのいろいろな場合に恋しい心のおさえがたいものになっていったことなどを多くの言葉で語った。姫君は聞きながら、そんなことがあったかと昔の秋の夜明けのことに堪えられぬ羞恥(しゅうち)を覚え、そうした心を下に秘めて長い年月の間表面(うわべ)をあくまでも冷静に作っていたのであるかと、身にしみ入る気もするのであった。薫はその横にあった短い几帳(きちょう)で御仏のほうとの隔てを作って、仮に隣へ寄り添って寝ていた。名香が高くにおい、樒(しきみ)の香も室に満ちている所であったから、だれよりも求道(ぐどう)心の深い薫にとっては不浄な思いは現わすべくもなく、また墨染めの喪服姿の恋人にしいてほしいままな力を加えることはのちに世の中へ聞こえて浅薄な男と見られることになり、自分の至上とするこの恋を踏みにじることになるであろうから、服喪の期が過ぎるのを待とう。そうしてまたこの人の心も少し自分のほうへなびく形になった時にと、しいて心をゆるやかにすることを努めた。秋の夜というものは、こうした山の家でなくても身にしむものの多いものであるのに、まして峰の嵐(あらし)も、庭に鳴く虫の声も絶え間なくてここは心細さを覚えさせるものに満ちていた。人生のはかなさを話題にして語る薫の言葉に時々答えて言う姫君の言葉は皆美しく感じのよいものであった。
宵(よい)を早くから眠っていた女房たちは、この話し声から悪い想像を描いて皆部屋(へや)のほうへ行ってしまった。召使は信じがたいものであると父宮の言ってお置きになったことも女王は思い出していて、親の保護がなくなれば女も男も自分らを軽侮して、すでにもう今夜のような目にあっているではないかと悲しみ、宇治の河音(かわおと)とともに多くの涙が流れるのであった。そして明け方になった。薫の従者はもう起き出して、主人に帰りを促すらしい作り咳(ぜき)の音を立て、幾つの馬のいななきの声の聞こえるのを、薫は人の話に聞いている旅宿の朝に思い比べて興を覚えていた。
薫は明りのさしてくるのが見えたほうの襖子(からかみ)をあけて、身にしむ秋の空を二人でながめようとした。女王も少しいざって出た。軒も狭い山荘作りの家であったから、忍ぶ草の葉の露も次第に多く光っていく。室の中もそれに準じて白んでいくのである。二人とも艶(えん)な容姿の男女であった。
「同じほどの友情を持ち合って、こんなふうにいつまでも月花に慰められながら、はかない人生を送りたいのですよ」
薫がなつかしいふうにこんなことをささやくのを聞いていて、女王はようやく恐怖から放たれた気もするのであった。
「こんなにあからさまにしてお目にかかるのでなく、何かを隔ててお話をし合うのでしたら、私はもう少しも隔てなどを残しておかない心でおります」
と女は言った。外は明るくなりきって、幾種類もの川べの鳥が目をさまして飛び立つ羽音も近くでする。黎明(れいめい)の鐘の音がかすかに響いてきた、この時刻ですらこうしてあらわな所に出ているのが女は恥ずかしいものであるのにと女王は苦しく思うふうであった。
「私が恋の成功者のように朝早くは出かけられないではありませんか。かえってまた他人はそんなことからよけいな想像をするだろうと思われますよ。ただこれまでどおり普通に私をお扱いくださるのがいいのですよ。そして世間のとは内容の違った夫婦とお思いくだすって、今後もこの程度の接近を許しておいてください。あなたに礼を失うような真似(まね)は決してする男でないと私を信じていてください。これほどに譲歩してもなおこの恋を護(まも)ろうとする男に同情のないあなたが恨めしくなるではありませんか」
こんなことを言っていて、薫はなおすぐに出て行こうとはしない。それは非常に見苦しいことだと姫君はしていて、
「これからは今あなたがお言いになったとおりにもいたしましょう。今朝(けさ)だけは私の申すことをお聞き入れになってくださいませ」
と言う。いかにも心を苦しめているのが見える。
「私も苦しんでいるのですよ。朝の別れというものをまだ経験しない私は、昔の歌のように帰り路(みち)に頭がぼうとしてしまう気がするのですよ」》
<「総角」――姉大君に供犠されかかる妹中の君>
八宮の一周忌が過ぎる。大君は自分の形代として中の君を薫に添わせようと、弁に手引をさせて、姉妹二人が寝る部屋に薫を導くが、大君はひとり抜け出す。
《荒い風が吹き出して簡単な蔀戸(しどみど)などはひしひしと折れそうな音をたてているのに紛れて人が忍び寄る音などは姫君の気づくところとなるまいと女房らは思い、静かに薫を導いて行った。二人の女王の同じ帳台に寝ている点を不安に思ったのであるが、これが毎夜の習慣であったから、今夜だけを別室に一人一人でとは初めから姫君に言いかねたのである。二人のどちらがどれとは薫にわかっているはずであるからと弁は思っていた。
物思いに眠りえない姫君(筆者註:大君)はこのかすかな足音の聞こえて来た時、静かに起きて帳台を出た。それは非常に迅速に行なわれたことであった。無心によく眠(ね)入っていた中の君を思うと、胸が鳴って、なんという残酷なことをしようとする自分であろう、起こしていっしょに隠れようかともいったんは躊躇(ちゅうちょ)したが、思いながらもそれは実行できずに、慄(ふる)えながら帳台のほうを見ると、ほのかに灯(ひ)の光を浴びながら、袿(うちぎ)姿で、さも来馴(な)れた所だというようにして、帳(とばり)の垂(た)れ布を引き上げて薫ははいって行った。非常に妹がかわいそうで、さめて妹はどんな気がすることであろうと悲しみながら、ちょっと壁の面に添って屏風(びょうぶ)の立てられてあった後ろへ姫君ははいってしまった。ただ抽象的な話として言ってみた時でさえ、自分の考え方を恨めしいふうに言った人であるから、ましてこんなことを謀(はか)った自分はうとましい姉だと思われ、憎くさえ思われることであろうと、思い続けるにつけても、だれも頼みになる身内の者を持たない不幸が、この悲しみをさせるのであろうと思われ、あの最後に山の御寺(みてら)へおいでになった時、父宮をお見送りしたのが今のように思われて、堪えられぬまで父君を恋しく思う姫君であった。
薫は帳台の中に寝ていたのは一人であったことを知って、これは弁の計っておいたことと見てうれしく、心はときめいてくるのであったが、そのうちその人でないことがわかった。よく似てはいたが、美しく可憐(かれん)な点はこの人がまさっているかと見えた。驚いている顔を見て、この人は何も知らずにいたのであろうと思われるのが哀れであったし、また思ってみれば隠れてしまった恋人も情けなく恨めしかったから、これもまた他の人に渡しがたい愛着は覚えながらも、やはり最初の恋をもり立ててゆく障害になることは行ないたくない。そのようにたやすく相手の変えられる恋であったかとあの人に思われたくない、この人のことはそうなるべき宿命であれば、またその時というものがあろう、その時になれば自分も初めの恋人と違った人とこの人を思わず同じだけに愛することができようという分別のできた薫は、例のように美しくなつかしい話ぶりで、ただ可憐な人と相手を見るだけで語り明かした。》
<「総角」――薫の謀(はかりごと)による匂宮の中の君強姦>
薫は中の君と匂宮とが結婚すれば、大君は自分と結婚するだろうと思い、匂宮を中の君へと導く。このあたり、光源氏をマメと色好みに二分割した双極的な薫と匂宮に、分身的な、二重人格的な、そして同性愛的な姿を見ることさえできる。
モーツァルトのオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』のような姉妹と二人の男との交換劇(モーツアルトと同時代人のマルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ』『ジュリエット』の風味でもあって、さらにはやはり同時代人カントの倫理論をも喚起させる)。
《二十六日の彼岸の終わりの日が結婚の吉日になっていたから、薫はいろいろと考えを組み立てて、だれの目にもつかぬように一人で計らい、兵部卿の宮を宇治へお伴いして出かけた。御母中宮(ちゅうぐう)のお耳にはいっては、こうした恋の御微行などはきびしくお制しになり、おさせにならぬはずであったから、自分の立場が困ることになるとは思うのであるが、匂宮(におうみや)の切にお望みになることであったから、すべてを秘密にして扱うのも苦しかった。
対岸のしかるべき場所へ御休息させておくことも船の渡しなどがめんどうであったから、山荘に近い自身の荘園の中の人の家へひとまず宮をお降ろしして、自身だけで女王たちの山荘へはいった。宮がおいでになったところで見とがめるような人たちもなく、宿直(とのい)をする一人の侍だけが時々見まわりに外へ出るだけのことであったが、それにも気(け)どらすまいとしての計らいであった。中納言がおいでになったと山荘の女房たちは皆緊張していた。女王(にょおう)らは困る気がせずにおられるのではないが、総角の姫君は、自分はもうあとへ退(の)いて代わりの人を推薦しておいたのであるからと思っていた。中の君は薫の対象にしているのは自分でないことが明らかなのであるから、今度はああした驚きをせずに済むことであろうと思いながらも、情けなく思われたあの夜からは、姉君をも以前ほどに信頼せず、油断をせぬ覚悟はしていた。取り次ぎをもっての話がいつまでもかわされていることで、今夜もどうなることかと女房らは苦しがった。
薫は使いを出して兵部卿の宮を山荘へお迎え申してから、弁を呼んで、
「姫君にもう一言だけお話しすることが残っているのです。あの方が私の恋に全然取り合ってくださらないのはもうわかってしまいました。それで恥ずかしいことですが、この間の方の所へもうしばらくのちに私を、あの時のようにして案内して行ってくださいませんか」
真実(まこと)らしく薫がこう言うと、どちらでも結局は同じことであるからと弁は心を決めて、そして大姫君の所へ行き、そのとおりに告げると、自分の思ったとおりにあの人は妹に恋を移したとうれしく、安心ができ、寝室へ行く通り路(みち)にはならぬ縁近い座敷の襖子(からかみ)をよく閉(し)めた上で、その向こうへしばらく語るはずの薫を招じた。
「ただ一言申し上げたいのですが、人に聞こえますほどの大声を出すこともどうかと思われますから、少しお開(あ)けくださいませんか。これではだめなのです」
「これでもよくわかるのですよ」
と言って姫君は応じない。愛人を新しくする際に虚心平気でそれをするのでないことをこの人は言おうとするのであろうか、今までからこんなふうにしては話し合った間柄なのだから、あまり冷ややかにものを言わぬようにして、そして夜をふかさせずに立ち去らしめようと思い、この席を姫君は与えたのであったが、襖子の間から女の袖(そで)をとらえて引き寄せた薫は、心に積もる恨みを告げた。困ったことである、話すことをなぜ許したのであろうと後悔がされ、恐ろしくさえ思うのであるが、上手(じょうず)にここを去らせようとする心から、妹は自分と同じなのであるからということを、それとなく言っている心持ちなどを男は哀れに思った。
兵部卿の宮は薫がお教えしたとおりに、あの夜の戸口によって扇をお鳴らしになると、弁が来て導いた。今一人の女王のほうへこうして薫を導き馴(な)れた女であろうと宮はおもしろくお思いになりながら、ついておいでになり、寝室へおはいりになったのも知らずに、大姫君は上手(じょうず)に中の君のほうへ薫を行かせようということを考えていた。おかしくも思い、また気の毒にも思われて、事実を知らせずにおいていつまでも恨まれるのは苦しいことであろうと薫は告白をすることにした。
「兵部卿の宮様がいっしょに来たいとお望みになりましたから、お断わりをしかねて御同伴申し上げたのですが、物音もおさせにならずどこかへおはいりになりました。この賢ぶった男を上手におだましになったのかもしれません。どちらつかずの哀れな見苦しい私になるでしょう」
聞く姫君はまったく意外なことであったから、ものもわからなくなるほどに残念な気がして、この人が憎く、
「いろいろ奇怪なことをあそばすあなたとは存じ上げずに、私どもは幼稚な心であなたを御信用申していましたのが、あなたには滑稽(こっけい)に見えて侮辱をお与えになったのでございますね」
総角(あげまき)の女王は極度に口惜(くちお)しがっていた。
「もう時があるべきことをあらせたのです。私がどんなに道理を申し上げても足りなくお思いになるのでしたなら、私を打擲(ちょうちゃく)でも何でもしてください。あの女王様の心は私よりも高い身分の方にあったのです。それに宿命というものがあって、それは人間の力で左右できませんから、あの女王さんには私をお愛しくださることがなかったのです。その御様子が見えてお気の毒でしたし、愛されえない自分が恥ずかしくて、あの方のお心から退却するほかはなかったのです。もうしかたがないとあきらめてくだすって私の妻になってくださればいいではありませんか。どんなに堅く襖子は閉(し)めてお置きになりましても、あなたと私の間柄を精神的の交際以上に進んでいなかったとはだれも想像いたしますまい。御案内して差し上げた方のお心にも、私がこうして苦しい悶(もだ)えをしながら夜を明かすとはおわかりになっていますまい」
と言う薫は襖子をさえ破りかねぬ興奮を見せているのであったから、うとましくは思いながら、言いなだめようと姫君はして、なお話の相手はし続けた。
「あなたがお言いになります宿命というものは目に見えないものですから、私どもにはただ事実に対して涙ばかりが胸をふさぐのを感じます。何というなされ方だろうとあさましいのでございます。こんなことが言い伝えに残りましたら、昔の荒唐無稽(こうとうむけい)な、誇張の多い小説の筋と同じように思われることでしょう。どうしてそんなことをお考え出しになったのかとばかり思われまして、私たち姉妹(きょうだい)への御好意とはそれがどうして考えられましょう。こんなにいろいろにして私をお苦しめにならないでくださいまし。惜しくございません命でも、もしもまだ続いていくようでしたら、私もまた落ち着いてお話のできることがあろうと思います。ただ今のことを伺いましたら、急に真暗(まっくら)な気持ちになりまして、身体(からだ)も苦しくてなりません。私はここで休みますからお許しくださいませ」
絶望的な力のない声ではあるが、理窟(りくつ)を立てて言われたのが、薫には気恥ずかしく思われ、またその人が可憐(かれん)にも思われて、
「あなた、私のお愛しする方、どんなにもあなたの御意志に従いたいというのが私の願いなのですから、こんなにまで一徹なところもお目にかけたのです。言いようもなく憎いうとましい人間と私を見ていらっしゃるのですから、申すことも何も申されません。いよいよ私は人生の外へ踏み出さなければならぬ気がします」
と言って薫は歎息(たんそく)をもらしたが、また、
「ではこの隔てを置いたままで話させていただきましょう。まったく顧みをなさらないようなことはしないでください」
こうも言いながら袖(そで)から手を離した。姫君は身を後ろへ引いたが、あちらへ行ってもしまわないのを哀れに思う薫であった。
「こうしてお隣にいることだけを慰めに思って今夜は明かしましょう。決して決してこれ以上のことを求めません」
と言い、襖子を中にしてこちらの室(へや)で眠ろうとしたが、ここは川の音のはげしい山荘である、目を閉じてもすぐにさめる。夜の風の声も強い。峰を隔てた山鳥の妹背(いもせ)のような気がして苦しかった。いつものように夜が白(しら)み始めると御寺(みてら)の鐘が山から聞こえてきた。兵部卿(ひょうぶきょう)の宮を気にして咳(せき)払いを薫(かおる)は作った。実際妙な役をすることになったものである。
「しるべせしわれやかへりて惑ふべき心もゆかぬ明けぐれの道
こんな例が世間にもあるで と薫が言うと、と薫が言うと、
かたがたにくらす心を思ひやれ人やりならぬ道にまどはば
ほのかに姫君の答える歌も、よく聞き取れぬもどかしさと飽き足りなさに、
「たいへんに遠いではありませんか。あまりに御同情のないあなたですね」
恨みを告げているころ、ほのぼのと夜の明けるのにうながされて兵部卿の宮は昨夜(ゆうべ)の戸口から外へおいでになった。柔らかなその御動作に従って立つ香はことさら用意して燻(た)きしめておいでになった匂宮らしかった。
老いた女房たちはそことここから薫の帰って行くことに不審をいだいたが、これも中納言の計ったことであれば安心していてよいと考えていた。
暗い間に着こうと京の人は道を急がせた。帰りはことに遠くお思われになる宮であった。たやすく常に行かれぬことを今から思召おぼしめすからである。しかも「夜をや隔てん」(若草の新手枕(にひてまくら)をまきそめて夜をや隔てん憎からなくに)とお思われになるからであろう。まだ人の多く出入りせぬころに車は六条院に着けられ、廊のほうで降りて、女乗りの車と見せ隠れるようにしてはいって来たあとで顔を見合わせて笑った。
「あなたの忠実な御奉仕を受けたと感謝しますよ」
宮はこう冗談(じょうだん)を仰せられた。自身の愚かしさの人のよさがみずから嘲笑(ちょうしょう)されるのであるが、薫は昨夜の始末を何も申し上げなかった。すぐ宮は文(ふみ)を書いて宇治へお送りになった。
山荘の女王はどちらも夢を見たあとのような気がして思い乱れていた。あの手この手と計画をしながら、気(け)ぶりも初めにお見せにならなかったと中の君は恨んでいて、姉の女王と目を見合わせようともしない。自身がまったく局外の人であったことを明らかに話すこともできぬ姫君は、中の君を遠く気の毒にながめていた。女房たちも、
「昨夜は中姫君のほうにどうしたことがありましたのでございましょう」
などと、大姫君から事実をそれとなく探ろうとして言うのであったが、ただぼんやりとしたふうで保護者の君はいるだけであったから、不思議なことであると皆思っていた。宮のお手紙も解いて姫君は中の君に見せるのであったが、その人は起き上がろうともしない。》
かくして匂宮は中の君と結婚するが、帝と中宮に咎めを受け、雑事もあって容易に宇治を訪れることができない。
<「総角」――薫の大君への屍体愛(ネクロフィリア)>
大君が病気になり、薫は看護するが、死に至る。ここぞとばかりに死にゆく大君を視姦する薫。
《もう意識もおぼろになったようでありながら女王は薫のけはいを知って袖(そで)で顔をよく隠していた。
「少しでもよろしい間があれば、あなたにお話し申したいこともあるのですが、何をしようとしても消えていくようにばかりなさるのは悲しゅうございます」
薫を深く憐(あわれ)むふうのあるのを知って、いよいよ男の涙はとめどなく流れるのであるが、周囲で頼み少なく思っているとは知らせたくないと思って慎もうとしても、泣く声の立つのをどうしようもなかった。自分とはどんな宿命で、心の限り愛していながら、恨めしい思いを多く味わわせられるだけでこの人と別れねばならぬのであろう、少し悪い感じでも与えられれば、それによってせめても失う者の苦しみをなだめることになるであろう、と思って見つめる薫であったが、いよいよ可憐(かれん)で、美しい点ばかりが見いだされる。腕(かいな)なども細く細く細くなって影のようにはかなくは見えながらも色合いが変わらず、白く美しくなよなよとして、白い服の柔らかなのを身につけ夜着は少し下へ押しやってある。それはちょうど中に胴というもののない雛(ひな)人形を寝かせたようなのである。髪は多すぎるとは思われぬほどの量(かさ)で床の上にあった。枕(まくら)から下がったあたりがつやつやと美しいのを見ても、この人がどうなってしまうのであろう、助かりそうも見えぬではないかと限りなく惜しまれた。長く病臥(びょうが)していて何のつくろいもしていない人が、盛装して気どった美人というものよりはるかにすぐれていて、見ているうちに魂も、この人と合致するために自分を離れて行くように思われた。
「あなたがいよいよ私を捨ててお行きになることになったら、私も生きていませんよ。けれど、人の命は思うようになるものでなく、生きていねばならぬことになりましたら、私は深い山へはいってしまおうと思います。ただその際にお妹様を心細い状態であとへお残しするだけが苦痛に思われます」
中納言は少しでもものを言わせたいために、病者が最も関心を持つはずの人のことを言ってみると、姫君は顔を隠していた袖(そで)を少し引き直して、
「私はこうして短命で終わる予感があったものですから、あなたの御好意を解しないように思われますのが苦しくて、残っていく人を私の代わりと思ってくださるようにとそう願っていたのですが、あなたがそのとおりにしてくださいましたら、どんなに安心だったかと思いましてね、それだけが心残りで死なれない気もいたします」
と言った。
「こんなふうに悲しい思いばかりをしなければならないのが私の宿命だったのでしょう。私はあなた以外のだれとも夫婦になる気は持ってなかったものですから、あなたの好意にもそむいたわけなのです。今さら残念であの方がお気の毒でなりません。しかし御心配をなさることはありませんよ。あの方のことは」
などともなだめていた薫は、姫君が苦しそうなふうであるのを見て、修法の僧などを近くへ呼び入れさせ、効験をよく現わす人々に加持をさせた。そして自身でも念じ入っていた。人生をことさらいとわしくなっている薫でないために、道へ深く入れようとされる仏などが、今こうした大きな悲しみをさせるのではなかろうか。見ているうちに何かの植物が枯れていくように総角(あげまき)の姫君の死んだのは悲しいことであった。引きとめることもできず、足摺(あしず)りしたいほどに薫は思い、人が何と思うともはばかる気はなくなっていた。臨終と見て中の君が自分もともに死にたいとはげしい悲嘆にくれたのも道理である。涙におぼれている女王を、例の忠告好きの女房たちは、こんな場合に肉親がそばで歎くのはよろしくないことになっていると言って、無理に他の室へ伴って行った。
源中納言は死んだのを見ていても、これは事実でないであろう、夢ではないかと思って、台の灯(ひ)を高く掲げて近くへ寄せ、恋人をながめるのであったが、少し袖(そで)で隠している顔もただ眠っているようで、変わったと思われるところもなく美しく横たわっている姫君を、このままにして乾燥した玉虫の骸(から)のように永久に自分から離さずに置く方法があればよいと、こんなことも思った。遺骸(いがい)として始末するために人が髪を直した時に、さっと芳香が立った。それはなつかしい生きていた日のままのにおいであった。どの点でこの人に欠点があるとしてのけにくい執着を除けばいいのであろう、あまりにも完全な女性であった。この人の死が自分を信仰へ導こうとする仏の方便であるならば、恐怖もされるような、悲しみも忘れられるほど変相を見せられたいと仏を念じているのであるが、悲しみはますます深まるばかりであったから、せめて早く煙にすることをしようと思い、葬送の儀式のことなどを命じてさせるのもまた苦しいことであった。空を歩くような気持ちを覚えて薫は葬場へ行ったのであるが、火葬の煙さえも多くは立たなかったのにはかなさをさらに感じて山荘へ帰った。》
<「早蕨」>
「早蕨」は薫二十五歳の春。中の君は宇治から京の匂宮の二条院に移る。
<「宿り木」――妊娠した中の君の、薫の移り香に嫉妬し、昂奮する匂宮>
「宿り木」は薫二十四歳の春から二十六歳の夏まで。帝は藤壺女御が亡くなったので、その娘である女二の宮と薫の縁組を考える。匂宮は夕霧から娘六の宮の婿に望まれて婚約、魅了されて、中の君は夜がれが続く。懐妊した中の君は不安になり、薫に宇治へ行きたいと頼む。薫は中の君の部屋に押し入って添い臥しするが、実事はない。匂宮は中の君を訪れ、ふっくらと懐妊したお腹と腹帯に興奮し、また薫の残り香に二人の関係を怪しむことでさらに昂ぶる。翌日は二人とも遅くまで目が覚めずに、朝の支度を寝室まで運ばせる、という頽廃の極み。
《腹部も少し高くなり、恥ずかしがっている腹帯の衣服の上に結ばれてあるのにさえ心がお惹(ひ)かれになった。まだ妊娠した人を直接お知りにならぬ方であったから、珍しくさえお思いになった。何事もきれいに整い過ぎた新居においでになったあとで、ここにおいでになるのはすべての点で気安く、なつかしくお思われになるままに、こまやかな将来の日の誓いを繰り返し仰せになるのを聞いていても中の君は、男は皆口が上手(じょうず)で、あの無理な恋を告白した人も上手に話をしたと薫のことを思い出して、今までも情けの深い人であるとは常に思っていたが、ああしたよこしまな恋に自分は好意を持つべくもないと思うことによって、宮の未来のお誓いのほうは、そのとおりであるまいと思いながらも少し信じる心も起こった。それにしてもああまで油断をさせて自分の室の中へあの人がはいって来た時の驚かされようはどうだったであろう、姉君の意志を尊重して夫婦の結合は遂げなかったと話していた心持ちは、珍しい誠意の人と思われるのであるが、あの行為を思えば自分として気の許される人ではないと、中の君はいよいよ男の危険性に用心を感じるにつけても、宮がながく途絶えておいでにならぬことになれば恐ろしいと思われ、言葉には出さないのであるが、以前よりも少し宮へ甘えた心になっていたために、宮はなお可憐に思召され、心を惹(ひ)かれておいでになったが、深く夫人にしみついている中納言のにおいは、薫香(くんこう)をたきしめたのには似ていず特異な香であるのを、においというものをよく研究しておいでになる宮であったから、それとお気づきになって、奇怪なこととして、何事かあったのかと夫人を糺(ただ)そうとされる。宮の疑っておいでになることと事実とはそうかけ離れたものでもなかったから、何ともお答えがしにくくて、苦しそうに沈黙しているのを御覧になる宮は、自分の想像することはありうべきことだ、よも無関心ではおられまいと始終自分は思っていたのであるとお胸が騒いだ。薫のにおいは中の君が下の単衣(ひとえ)なども昨夜のとは脱ぎ替えていたのであるが、その注意にもかかわらず全身に沁(しん)でいたのである。
「あなたの苦しんでいるところを見ると、進むところへまで進んだことだろう」
とお言いになり、追究されることで夫人は情けなく、身の置き所もない気がした。
「私の愛はどんなに深いかしれないのに、私が二人の妻を持つようになったからといって、自分も同じように自由に人を愛しようというようなことは身分のない者のすることですよ。そんなに私が長く帰って来ませんでしたか、そうでもないではありませんか。私の信じていたよりも愛情の淡(うす)いあなただった」
などとお責めになるのである。愛する心からこうも思われるのであるというふうにお訊ききになっても、ものを言わずにいる中の君に嫉妬(しっと)をあそばして、
またびとになれける袖(そで)の移り香をわが身にしめて恨みつるかな
とお言いになった。夫人は身に覚えのない罪をきせておいでになる宮に弁明もする気にならずに、
「あなたの誤解していらっしゃることについて何と申し上げていいかわかりません。
見なれぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れなん」
と言って泣いていた。その様子の限りなく可憐(かれん)であるのを宮は御覧になっても、こんな魅力が中納言を惹(ひ)きつけたのであろうとお思いになり、いっそうねたましくおなりになり、御自身もほろほろと涙をおこぼしになったというのは女性的なことである。どんな過失が仮にあったとしても、この人をうとんじてしまうことはできないふうな、美しいいたいたしい中の君の姿に、恨みをばかり言っておいでになることができずに、宮は歎いている人の機嫌(きげん)を直させるために言い慰めもしておいでになった。
翌朝もゆるりと寝ておいでになって、お起きになってからは手水(ちょうず)も朝の粥(かゆ)もこちらでお済ませになった。》
薫は中の君から、異母妹である浮舟という女がいて、この夏、東国から上がってきたが、大君によく似ていると聞かされる。権大納言に昇進し、右大将を兼ねることになった薫は、宇治に出向いて、弁の尼から浮舟のことを聞き、仲立ちを頼む。中の君出産。薫は女二の宮の裳着(もぎ)の祝いに婿として招かれる。薫は中の君のもとに、男の子の五十日の祝いに訪ね、恋敵匂宮が産ませた若君に対面する。薫は女二の宮を邸に迎え、宇治に出向いて、初瀬の御寺に詣でた帰りの浮舟を覗き見し、生き写しのようと大君を思い出す。
<「東屋」――匂宮の浮舟強姦未遂>
「東屋」は薫二十六歳の八月、九月。浮舟の母中将の君は浮舟を中の君に預ける。匂宮は自分の邸にいる浮舟をたまたま見かけて、強姦しようとする。
《宮はそちらこちらと縁側を歩いておいでになったが、西のほうに見馴(な)れぬ童女が出ていたのにお目がとまり、新しい女房が来ているのであろうかとお思いになって、そこの座敷を隣室からおのぞきになった。間(あい)の襖子(からかみ)の細めにあいた所から御覧になると、襖子の向こうから一尺ほど離れた所に屏風(びょうぶ)が立ててあった。その間の御簾(みす)に添えて几帳が置かれてある。几帳の垂(た)れ帛(ぎぬ)が一枚上へ掲げられてあって、紫苑(しおん)色のはなやかな上に淡黄(うすき)の厚織物らしいのの重なった袖口(そでぐち)がそこから見えた。屏風の端が一つたたまれてあったために、心にもなくそれらを見られているらしい。相当によい家から出た新しい女房なのであろうと宮は思召して、立っておいでになった室(へや)から、女のいる室へ続いた庇(ひさし)の間あいの襖子をそっと押しあけて、静かにはいっておいでになったのをだれも気がつかずにいた。
向こう側の北の中庭の植え込みの花がいろいろに咲き乱れた、小流れのそばの岩のあたりの美しいのを姫君は横になってながめていたのである。初めから少しあいていた襖子をさらに広くあけて屏風の横から中をおのぞきになったが、宮がおいでになろうなどとは思いも寄らぬことであったから、いつも中の君のほうから通って来る女房が来たのであろうと思い、起き上がったのは、宮のお目に非常に美しくうつって見える人であった。例の多情なお心から、この機会をはずすまいとあそばすように、衣服の裾(すそ)を片手でお抑(おさ)えになり、片手で今はいっておいでになった襖子を締め切り、屏風の後ろへおすわりになった。
怪しく思って扇を顔にかざしながら見返った姫君はきれいであった。扇をそのままにさせて手をお捉(とら)えになり、
「あなたはだれ。名が聞きたい」
とお言いになるのを聞いて、姫君は恐ろしくなった。ただ戯れ事の相手として御自身は顔を外のほうへお向けになり、だれと知れないように宮はしておいでになるので、近ごろ時々話に聞いた大将なのかもしれぬ、においの高いのもそれらしいと考えられることによって、姫君ははずかしくてならなかった。乳母は何か人が来ているようなのがいぶかしいと思い、向こう側の屏風を押しあけてこの室へはいって来た。
「まあどういたしたことでございましょう。けしからぬことをあそばします」
と責めるのであったが、女房級の者に主君が戯れているのにとがめ立てさるべきことでもないと宮はしておいでになるのであった。はじめて御覧になった人なのであるが、女相手にお話をあそばすことの上手(じょうず)な宮は、いろいろと姫君へお言いかけになって、日は暮れてしまったが、
「だれだと言ってくれない間はあちらへ行かない」
と仰せになり、なれなれしくそばへ寄って横におなりになった。宮様であったと気のついた乳母は、途方にくれてぼんやりとしていた。
「お明りは燈籠(とうろう)にしてください。今すぐ奥様がお居間へおいでになります」
とあちらで女房の言う声がした。そして居間の前以外の格子はばたばたと下(お)ろされていた。この室は別にして平生使用されていない所であったから、高い棚(たな)厨子(ずし)一具が置かれ、袋に入れた屏風なども所々に寄せ掛けてあって、やり放しな座敷と見えた。こうした客が来ているために居間のほうからは通路に一間だけ襖子があけられてあるのである。そこから女房の右近という大輔(たゆう)の娘が来て、一室一室格子を下ろしながらこちらへ近づいて来る。
「まあ暗い、まだお灯(あかり)も差し上げなかったのでございますね。まだお暑苦しいのに早くお格子を下ろしてしまって暗闇(くらやみ)に迷うではありませんかね」
こう言ってまた下ろした格子を上げている音を、宮は困ったように聞いておいでになった。乳母もまたその人への体裁の悪さを思っていたが、上手に取り繕うこともできず、しかも気がさ者の、そして無智(むち)な女であったから、
「ちょっと申し上げます。ここに奇怪なことをなさる方がございますの、困ってしまいまして、私はここから動けないのでございますよ」
と声をかけた。何事であろうと思って、暗い室へ手探りではいると、袿姿(うちぎすがた)の男がよい香をたてて姫君の横で寝ていた。右近はすぐに例のお癖を宮がお出しになったのであろうとさとった。姫君が意志でもなく男の力におさえられておいでになるのであろうと想像されるために、
「ほんとうに、これは見苦しいことでございます。右近などは御忠告の申し上げようもございませんから、すぐあちらへまいりまして奥様にそっとお話をいたしましょう」
と言って、立って行くのを姫君も乳母もつらく思ったが、宮は平然としておいでになって、驚くべく艶美な人である、いったい誰なのであろうか、右近の言葉づかいによっても普通の女房ではなさそうであると、心得がたくお思いになって、何ものであるかを名のろうとしない人を恨めしがっていろいろと言っておいでになった。うとましいというふうも見せないのであるが、非常に困っていて死ぬほどにも思っている様子が哀れで、情味をこめた言葉で慰めておいでになった。
右近は北の座敷の始末を夫人に告げ、
「お気の毒でございます。どんなに苦しく思っていらっしゃるでしょう」
と言うと、
「いつものいやな一面を出してお見せになるのだね。あの人のお母さんも軽佻(けいちょう)なことをなさる方だと思うようになるだろうね。安心していらっしゃいと何度も私は言っておいたのに」
こう中の君は言って、姫君を憐(あわ)れむのであったが、どう言って制しにやっていいかわからず、女房たちも少し若くて美しい者は皆情人にしておしまいになるような悪癖がおありになる方なのに、またどうしてあの人のいることが宮に知られることになったのであろうと、あさましさにそれきりものも言われない。
「今日は高官の方がたくさん伺候なすった日で、こんな時にはお遊びに時間をお忘れになって、こちらへおいでになるのがお遅(おそ)くなるのですものね、いつも皆奥様なども寝(やす)んでおしまいになっていますわね。それにしてもどうすればいいことでしょう。あの乳母(ばあや)が気のききませんことね。私はじっとおそばに見ていて、宮様をお引っ張りして来たいようにも思いましたよ」
などと右近が少将という女房といっしょに姫君へ同情をしている時、御所から人が来て、中宮が今日の夕方からお胸を苦しがっておいであそばしたのが、ただ今急に御容体が重くなった御様子であると、宮へお取り次ぎを頼んだ。
「あやにくな時の御病気ですこと、お気の毒でも申し上げてきましょう」
と立って行く右近に、少将は、
「もうだめなことを、憎まれ者になって宮様をお威(おど)しするのはおよしなさい」
と言った。
「まだそんなことはありませんよ」
このささやき合いを夫人は聞いていて、なんたるお悪癖であろう、少し賢い人は自分をまであさましく思ってしまうであろうと歎息をしていた。
右近は西北の座敷へ行き、使いの言葉以上に誇張して中宮の御病気をあわただしげに宮へ申し上げたが、動じない御様子で宮はお言いになった。
「だれが来たのか、例のとおりにたいそうに言っておどすのだね」
「中宮のお侍の平(たいら)の重常(しげつね)と名のりましてございます」
右近はこう申した。別れて行くことを非常に残念に思召されて、宮は人がどう思ってもいいという気になっておいでになるのであるが、右近が出て行って、西の庭先へお使いを呼び、詳しく聞こうとした時に、最初に取り次いだ人もそこへ来て言葉を助けた。
「中務(なかつかさ)の宮もおいでになりました。中宮大夫もただ今まいられます。お車の引き出されます所を見てまいりました」
そうしたように発作的にお悪くおなりになることがおりおりあるものであるから、嘘(うそ)ではないらしいと思召すようになった宮は、夫人の手前もきまり悪くおなりになり、女へまたの機会を待つことをこまごまとお言い残しになってお立ち去りになった。
姫君は恐ろしい夢のさめたような気になり、汗びったりになっていた。乳母は横へ来て扇であおいだりしながら、
「こういう御殿というものは人がざわざわとしていまして、少しも気が許せません。宮様が一度お近づきになった以上、ここにおいでになってよいことはございませんよ。まあ恐ろしい。どんな貴婦人からでも嫉妬(しっと)をお受けになることはたまらないことですよ。全然別な方にお愛されになるとも、またあとで悪くなりましてもそれは運命としてお従いにならなければなりません。宮様のお相手におなりになっては世間体も悪いことになろうと思いまして、私はまるで蝦蟇(がま)の相になってじっとおにらみしていますと、気味の悪い卑しい女めと思召して手をひどくおつねりになりましたのは匹夫の恋のようで滑稽(こっけい)に存じました。お家(うち)のほうでは今日もひどい御夫婦喧嘩(げんか)をあそばしたそうですよ。ただ一人の娘のために自分の子供たちを打ちやっておいて行った。大事な婿君のお来始めになったばかりによそへ行っているのは不都合だなどと、乱暴なほどに守はお言いになりましたそうで、下(しも)の侍でさえ奥様をお気の毒だと言っていました。こうしたいろいろなことの起こるのも皆あの少将さんのせいですよ。利己的な結婚沙汰(ざた)さえなければ、おりおり不愉快なことはありましてもまずまず平和なうちに今までどおりあなた様もおいでになれたのですがね」
歎息をしながら乳母はこう言うのであった。
姫君の身にとっては家のことなどは考える余裕もない。ただ闖入者(ちんにゅうしゃ)が来て、経験したこともない恥ずかしい思いを味わわされたについても、中の君はどう思うことであろうと、せつなく苦しくて、うつ伏しになって泣いていた。》
匂宮の母の中宮が重態になったとの使いが来て、匂宮は参内し、中の君は浮舟を慰める。浮舟の母は強姦未遂を知って、三条の小家に浮舟を隠す。
<「東屋」――薫に抱きかかえられる浮舟>
薫は雨に濡れながら隠れ家(東屋)を訪問し、一夜を過ごす(ようやく実事あり)。夜明けに往来を通りかかる行商人の声の描写には、プルースト『失われた時を求めて』の『囚われの女』の物売りの声の描写に似たものがある。薫はまさに囚われの女浮舟を人形(ひとがた)、形代(かたしろ)のように抱きかかえて宇治へ向かう。
《夜の八時過ぎに宇治から用があって人が来たと言って、ひそかに門がたたかれた。弁は薫であろうと思っているので、門をあけさせたから、車はずっと中へはいって来た。家の人は皆不思議に思っていると、尼君に面会させてほしいと言い、宇治の荘園の預かりの人の名を告げさせると、尼君は妻戸の口へいざって出た。小雨が降っていて風は冷ややかに室(へや)の中へ吹き入るのといっしょにかんばしいかおりが通ってきたことによって、来訪者の何者であるかに家の人は気づいた。だれもだれも心ときめきはされるのであるが、何の用意もない時であるのに、あわてて、どんな相談を客は尼としてあったのであろうと言い合った。
「静かな所で、今日までどんなに私が思い続けて来たかということもお聞かせしたいと思って来ました」
と薫は姫君へ取り次がせた。どんな言葉で話に答えていけばよいかと心配そうにしている姫君を、困ったものであるというように見ていた乳母が、
「わざわざおいでになった方を、庭にお立たせしたままでお帰しする法はございませんよ。本家の奥様へ、こうこうでございますとそっと申し上げてみましょう。近いのですから」
と言った。
「そんなふうに騒ぐことではありませんよ。若い方どうしがお話をなさるだけのことで、そんなにものが進むことですか。怪しいほどにもおあせりにならない落ち着いた方ですもの、人の同意のないままで恋を成立させようとは決してなさいますまい」
こう言ってとめたのは弁の尼であった。雨脚(あめあし)がややはげしくなり、空は暗くばかりなっていく。宿直(とのい)の侍が怪しい語音(ごいん)で家の外を見まわりに歩き、
「建物の東南のくずれている所があぶない、お客の車を中へ入れてしまうものなら入れさせて門をしめてしまってくれ、こうした人の供の人間に油断ができないのだよ」
などと言い合っている声の聞こえてくるようなことも薫にとって気味の悪いはじめての経験であった。「さののわたりに家もあらなくに」(わりなくも降りくる雨か三輪が崎(さき))などと口ずさみながら、田舎(いなか)めいた縁の端にいるのであった。
さしとむるむぐらやしげき東屋(あづまや)のあまりほどふる雨そそぎかな
と言い、雨を払うために振った袖の追い風のかんばしさには、東国の荒武者どもも驚いたに違いない。
室内へ案内することをいろいろに言って望まれた家の人は、断わりようがなくて南の縁に付いた座敷へ席を作って薫(かおる)は招じられた。姫君は話すために出ることを承知しなかったが、女房らが押し出すようにして客の座へ近づかせた。遣戸(やりど)というものをしめ、声の通うだけの隙すきがあけてある所で、
「飛騨(ひだ)の匠(たくみ)が恨めしくなる隔てですね。よその家でこんな板の戸の外にすわることなどはまだ私の経験しないことだから苦しく思われます」
などと訴えていた薫は、どんなにしたのか姫君の居室(いま)のほうへはいってしまった。
人型(ひとがた)としてほしかったことなどは言わず、ただ宇治で思いがけぬ隙間(すきま)からのぞいた時から恋しい人になったことを言い、これが宿縁というものか怪しいまで心が惹(ひ)かれているということをささやいた。可憐(かれん)なおおような姫君に薫は期待のはずれた気はせず深い愛を覚えた。
そのうち夜は明けていくようであったが、鶏(とり)などは鳴かず、大通りに近い家であったから、通行する者がだらしない声で、何とかかとか、有る名でないような名を呼び合って何人もの行く物音がするのであった。こんな未明の街(まち)で見る行商人などというものは、頭へ物を載せているのが鬼のようであると聞いたが、そうした者が通って行くらしいと、泊まり馴(な)れない小家に寝た薫はおもしろくも思った。宿直(とのい)した侍も門をあけて出て行く音がした。また夜番をした者などが部屋(へや)へ寝にはいったらしい音を聞いてから、薫は人を呼んで車を妻戸の所へ寄せさせた。そして姫君を抱いて乗せた。家の人たちはだれも皆結婚の翌朝のこうしたことをあっけないように言って騒ぎ、
「それに結婚に悪い月の九月でしょう。心配でなりません、どうしたことでしょう」
とも言うのを、弁は気の毒に思い、
「すぐおつれになるなどとは意外なことに違いありませんが、殿様にはお考えがあることでしょう。心配などはしないほうがいいのですよ。九月でも明日が節分になっていますから」
と慰めていた。この日は十三日であった。尼は、
「今度はごいっしょにまいらないことにいたしましょう。二条の院の奥様が私のまいったことをお聞きになることもあるでしょうから、伺わないわけにはまいりません。そっと来てそっと帰ったなどとお思われましても義理が立ちません」
と言い、同行をしようとしないのであったが、すぐに中の君に今度のことを聞かれるのも心恥ずかしいことに薫は思い、
「それはまたあとでお目にかかってお詫(わ)びをすればいいではありませんか。あちらへ行って知っている者がそばにいないでは心細い所ですからね。ぜひおいでなさい」
と薫はいっしょにここを出ていくように勧めた。そして、
「だれかお付きが一人来られますか」
と言ったので、姫君の始終そばにいる侍従という女房が行くことになり、尼君はそれといっしょに陪乗(ばいじょう)した。姫君の乳母(めのと)や、尼の供をして来た童女なども取り残されて茫然(ぼうぜん)としていた。
近いどこかの場所へ行くことかと侍従などは思っていたが、宇治へ車は向かっているのであった。途中で付け変える牛の用意も薫はさせてあった。河原を過ぎて法性寺(ほうしょうじ)のあたりを行くころに夜は明け放れた。若い侍従はほのかに宇治で見かけた時から美貌(びぼう)な薫に好意を持っていたのであるから、だれが見て何と言おうとも意に介しない覚悟ができていた。姫君ははなはだしい衝動を受けたあとで、失心したようにうつ伏しになっていたのを、
「石の多い所は、そうしていれば苦しいものですよ」
と言い、薫は途中から抱きかかえた。》
<「浮舟」――薫の声色を使って浮舟を姦淫し、逗留する匂宮>
「浮舟」は薫二十七歳の春。薫が宇治に浮舟を囲っていることを薫の家司(けいし)(執事)仲信(なかのぶ)の婿大内記(だいないき)から聞き出した匂宮は、薫を装って関係したうえ、翌朝引き揚げる習慣の禁忌をも犯して逗留する。
《物詣(ものもう)でに行く前夜であるらしい、親の家というものもあるらしい、今ここでこの人を得ないでまた逢いうる機会は望めない、実行はもう今夜に限られている、どうすればよいかと宮はお思いになりながら、なおじっとのぞいておいでになると、右近が、
「眠くなりましたよ。昨晩はとうとう徹夜をしてしまったのですもの、明日早く起きてもこれだけは縫えましょう。どんなに急いでお迎いが京を出て来ましても、八、九時にはなることでしょうから」
と言い、皆も縫いさした物をまとめて几帳(きちょう)の上に懸(か)けたりなどして、そのままそこへうたた寝のふうに横たわってしまった。姫君も少し奥のほうへはいって寝た。右近は北側の室へはいって行ったがしばらくして出て来た。そして姫君の閨(ねや)の裾(すそ)のほうで寝た。眠がっていた人たちであったから、皆すぐに寝入った様子を見てお置きになった宮は、そのほかに手段はないことであったから、そっと今まで立っておいでになった前の格子をおたたきになった。右近は聞きつけて、
「だれですか」
と言った。咳払いをあそばしただけで貴人らしい気配(けはい)を知り、薫(かおる)の来たと思った右近が起きて来た。
「ともかくもこの戸を早く」
とお言いになると、
「思いがけません時間においでになったものでございますね。もうよほど夜がふけておりましょうのに」
右近はこう言った。
「どこかへ行かれるのだと仲信(なかのぶ)が言ったので、驚いてすぐに出て来たのだが、よくないことに出あったよ。ともかくも早く」
声を薫によく似せてお使いになり、低く言っておいでになるのであったから、違った人であることなどは思いも寄らずに格子をあけ放した。
「道でひどい災難にあってね、恥ずかしい姿になっている。灯(ひ)を暗くするように」
とお言いになったので、右近はあわてて灯を遠くへやってしまった。
「私を人に見せぬようにしてくれ。私が来たと言って、寝ている人を起こさないように」
賢い方はもとから少し似たお声をすっかり薫と聞こえるようにしてものをお言いになり、寝室へおはいりになった。ひどい災難とお言いになったのはどんな姿にされておしまいになったのであろうと右近は同情して、自身も隠れるようにしながらのぞいて見た。繊細ななよなよとした姿は持っておいでになったし、かんばしいにおいも劣っておいでにならなかった。嘘(うそ)の大将は姫君に近く寄って上着を脱ぎ捨て、良人(おっと)らしく横へ寝たのを見て、
「そこではあまりに端近でございます。いつものお床へ」
などと右近は言ったのであるが、何とも答えはなかった。上へ夜着を掛けて、仮寝をしていた人たちを起こし、皆少し遠くへさがって寝た。
薫の従者たちはいつでもすぐに荘園のほうへ行ってしまったので、女房などはあまり顔を知らなんだから、宮のお言葉をそのままに信じて、
「深いお志からの御微行でしたわね。ひどい目におあいになったりあそばしてお気の毒なんですのに、お姫様は事情をご存じないようですね」
などと賢がっている女もあった。
「静かになさいよ。夜は小声の話ほどよけいに目に立つものですよ」
こんなふうに仲間に注意もされてそのまま寝てしまった。
姫君は夜の男が薫でないことを知った。あさましさに驚いたが、相手は声も立てさせない。あの二条の院の秋の夕べに人が集まって来た時でさえ、この人と恋を成り立たせねばならぬと狂おしいほどに思召した方であるから、はげしい愛撫(あいぶ)の力でこの人を意のままにあそばしたことは言うまでもない。初めからこれは闖入(ちんにゅう)者であると知っていたならば今少し抵抗のしかたもあったのであろうが、こうなれば夢であるような気がするばかりの姫君であった。女のやや落ち着いたのを御覧になって、あの秋の夕べの恨めしかったこと、それ以来今日まで狂おしくあこがれていたことなどをお告げになることによって、兵部卿(ひょうぶきょう)の宮でおありになることを姫君は知った。いよいよ羞恥(しゅうち)を覚えて、姉の女王がどうお思いになるであろうと思うともうどうしようもなくなった人はひどく泣いた。宮も今後会見することは不可能であろうと思召(おぼしめ)されるためにお泣きになるのであった。
夜はずんずんと明けていく。》
<「浮舟」――穢(けが)れ「物忌」と偽って浮舟と愛欲に耽る匂宮>
母親が浮舟を初瀬の観音に参詣させるため迎えに来るが、右近は偽って、浮舟が「物忌」(生理)になったと御簾に張って断る。匂宮は浮舟に美しい男女の抱擁図(偃息(おそく)図(ず)、枕絵)を描き見せたり、薫との様子を聞き出そうとしたりして、愛欲に耽る。
《八時ごろになって格子などを上げ、右近が姫君の居間の用を一人で勤めた。その室の御簾(みす)を皆下げて、物忌(ものいみ)と書いた紙をつけたりした。母夫人自身も迎えに出て来るかと思い、姫君が悪夢を見て、そのために謹慎をしているとその時には言わせるつもりであった。
寝室へ二人分の洗面盥(せんめんだらい)の運ばれたというのは普通のことであるが、宮はそんな物にも嫉妬(しっと)をお覚えになった。薫が来て、こうした朝の寝起きにこの手盥で顔を洗うのであろうとお思いになるとにわかに不快におなりになり、
「あなたがお洗いになったあとの水で私は洗おう。こちらのは使いたくない」
とお言いになった。今まで感情をおさえて冷静なふうを作る薫に馴(な)れていた姫君は、しばらくでもいっしょにいることができねば死ぬであろうと激情をおおわずお見せになる宮を、熱愛するというのはこんなことを言うのであろうと思うのであったが、奇怪な運命を負った自分である、このあやまちが外へ知れた時、どんなふうに思われる自分であろうとまず第一に宮の夫人が不快に思うであろうことを悲しんでいる時、恋人が何人(なにびと)の娘であるのかおわかりにならぬ宮が、
「あなたがだれの子であるかを私の知らないことは返す返すも遺憾だ。ねえ、ありのままに言っておしまいなさいよ。悪い家であってもそんなことで私の愛が動揺するものでも何でもない。いよいよ愛するようになるでしょう」
とお言いになり、しいて訊きこうとあそばすのに対しては絶対に口をつぐんでいる姫君が、そのほかのことでは美しい口ぶりで愛嬌(あいきょう)のある返辞などもして、愛を受け入れたふうの見えるのを宮は限りなく可憐(かれん)にお思いになった。
九時ごろに石山行きの迎えの人たちが山荘へ着いた。車を二台持って来たのであって、例の東国の荒武者が、七、八人、多くの僕(しもべ)を従えていた。下品な様子でがやがやと話しながら門をはいって来たのを、女房らは片腹痛がり、見えぬ所へはいっているように言ってやりなどしていた。右近はどうすればいいことであろう、殿様が来ておいでになると言っても、あれほどの大官が京から離れていることはだれの耳にもはいっていることであろうからと思い、他の女房と相談することもせず手紙を常陸(ひたち)夫人へ書くのであった。
昨夜からお穢(けが)れのことが起こりまして、お詣(まい)りがおできになれなくなりま したことで残念に思召(おぼしめ)すのでございましたが、その上昨晩は悪いお夢を御覧になりましたそうですから、せめて今日一日を謹慎日になさいませと申しあげましたのでお引きこもりになっておられます。返す返すお詣りのやまりましたことを私どもも残り惜しく思っております。何かの暗示でこれはあるいは実行あそばさないほうがよいのかとも存ぜられます。
これが済んでから右近は常陸家の人々に食事をさせたりした。弁の尼のほうにもにわかに物忌(ものいみ)になって出かけぬということを言ってやった。
平生はつれづれで退屈で、かすんだ山ぎわの空ばかりをながめて時のたつのをもどかしがる姫君であるが、時のたち日の暮れていくのを真底からわびしがっておいでになる方のお気持ちが反映して、はかなく日の暮れてしまった気もした。ただ二人きりでおいでになって、春の一日の間見ても飽かぬ恋人を宮はながめてお暮らしになったのである。欠点と思われるところはどこにもない愛嬌(あいきょう)の多い美貌(びぼう)で女はあった。そうは言っても二条の院の女王には劣っているのである。まして派手はでな盛りの花のような六条の夫人に比べてよいほどの容貌ではないが、たぐいもない熱情で愛しておいでになるお心から、まだ過去にも現在にも見たことのないような美人であると宮は思召した。姫君はまた清楚(せいそ)な風采(ふうさい)の大将を良人(おっと)にして、これ以上の美男はこの世にないであろうと信じていたのが、どこもどこもきれいでおありになる宮は、その人にまさった美貌の方であると思うようになった。
硯(すずり)を引き寄せて宮は紙へ無駄(むだ)書きをいろいろとあそばし、上手(じょうず)な絵などを描(か)いてお見せになったりするため、若い心はそのほうへ多く傾いていきそうであった。
「逢いに来たくても私の来られない間はこれを見ていらっしゃいよ」
とお言いになり、美しい男と女のいっしょにいる絵をお描(か)きになって、
「いつもこうしていたい」
とお言いになると同時に涙をおこぼしになった。
「長き世をたのめてもなほ悲しきはただ明日知らぬ命なりけり
こんなにまであなたが恋しいことから前途が不安に思われてなりませんよ。意志のとおりの行動ができないで、どうして来ようかと苦心を重ねる間に死んでしまいそうな気がします。あの冷淡だったあなたをそのままにしておかずに、どうして捜し出して再会を遂げたのだろう、かえって苦しくなるばかりだったのに」
女は宮が墨をつけてお渡しになった筆で、
心をば歎かざらまし命のみ定めなき世と思はましかば
と書いた。自分の恋の変わることを恐れる心があるらしいと、宮はこれを御覧になっていよいよ可憐にお思われになった。
「どんな人の変わりやすかったのに懲りたのですか」
などとほほえんでお言いになり、薫(かおる)がいつからここへ伴って来たのかと、その時を聞き出そうとあそばすのを女は苦しがって、
「私の申せませんことをなぜそんなにしつこくお訊ききになりますの」
と恨みを言うのも若々しく見えた。そのうちわかることであろうと思召しながら、直接今この人に言わせて見たいお気持ちになっておいでになるのであった。》
<「浮舟」――雪の中、匂宮は浮舟を抱いて舟で小嶋へ幽閉する>
二月の十日に内裏で詩会があったあと、雪降る宿直所で薫が「衣かたしき今宵もや」とつぶやくと(『古今集』読み人知らず「さ筵(むしろ)に衣片敷きこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫」の引用)、匂宮は嫉妬し、翌日雪の中を宇治の浮舟のもとへ行き、舟で小嶋へ幽閉して、謹慎日と偽った二日間を色恋に戯れる。
《山荘では宮のほうから出向くからというおしらせを受けていたが、こうした深い雪にそれは御実行あそばせないことと思って気を許していると、夜がふけてから、右近を呼び出して従者が宮のおいでになったことを伝えた。うれしいお志であると姫君は感激を覚えていた。右近はこんなことが続出して、行く末はどうおなりになるかと姫君のために苦しくも思うのであるが、こうした夜によくもと思う心はこの人にもあった。お断わりのしようもないとして、自身と同じように姫君から睦(むつ)まじく思われている若い女房で、少し頭のよい人を一人相談相手にしようとした。
「少しめんどうな問題なのですが、その秘密を私といっしょに姫君のために隠すことに骨を折ってくださいな」
と言ったのであった。そして二人で宮を姫君の所へ御案内した。途中で濡れておいでになった宮のお衣服から立つ高いにおいに困るわけであったが、大将のにおいのように紛らわせた。
夜のうちにお帰りになることは、逢いえぬ悲しさに別れの苦しさを加えるだけのものになるであろうからと思召した宮は、この家にとどまっておいでになる窮屈さもまたおつらくて、時方(ときかた)に計らわせて、川向いのある家へ恋人を伴って行く用意をさせるために先へそのほうへおやりになった内記が夜ふけになってから山荘へ来た。
「すべて整いましてございます」
と時方は取り次がせた。にわかに何事を起こそうとあそばすのであろうと右近の心は騒いで、不意に眠りからさまされたのでもあったから身体がふるえてならなかった。子供が雪遊びをしているようにわなわなとふるえていた。どうしてそんなことをと異議をお言わせになるひまもお与えにならず宮は姫君を抱いて外へお出になった。右近はあとを繕うために残り、侍従に供をさせて出した。はかないあぶなっかしいものであると山荘の人が毎日ながめていた小舟へ宮は姫君をお乗せになり、船が岸を離れた時にははるかにも知らぬ世界へ伴って行かれる気のした姫君は、心細さに堅くお胸へすがっているのも可憐に宮は思召された。有明(ありあけ)の月が澄んだ空にかかり、水面も曇りなく明るかった。
「これが橘(たちばな)の小嶋でございます」
と言い、船のしばらくとどめられた所を御覧になると、大きい岩のような形に見えて常磐木(ときわぎ)のおもしろい姿に繁茂した嶋が倒影もつくっていた。
「あれを御覧なさい。川の中にあってはかなくは見えますが千年の命のある緑が深いではありませんか」
とお言いになり、
年経(ふ)とも変はらんものか橘の小嶋の崎(さき)に契るこころは
とお告げになった。女も珍しい楽しい路(みち)のような気がして、
橘の小嶋は色も変はらじをこの浮舟ぞ行くへ知られぬ
こんなお返辞をした。月夜の美と恋人の艶(えん)な容姿が添って、宇治川にこんな趣があったかと宮は恍惚(こうこつ)としておいでになった。
対岸に着いた時、船からお上がりになるのに、浮舟(うきふね)の姫君を人に抱かせることは心苦しくて、宮が御自身でおかかえになり、そしてまた人が横から宮のお身体(からだ)をささえて行くのであった。見苦しいことをあそばすものである、何人(なにびと)をこれほどにも大騒ぎあそばすのであろうと従者たちはながめた。
時方の叔父(おじ)の因幡守(いなばのかみ)をしている人の荘園の中に小さい別荘ができていて、それを宮はお用いになるのである。まだよく家の中の装飾などもととのっていず、網代(あじろ)屏風(びょうぶ)などという宮はお目にもあそばしたことのないような荒々しい物が立ててある。風を特に防ぐ用をするとも思われない。垣(かき)のあたりにはむら消えの雪がたまり、今もまた空が曇ってきて小降りに降る雪もある。そのうち日が雲から出て軒の垂氷(つらら)の受ける朝の光とともに人の容貌(ようぼう)も皆ひときわ美しくなったように見えた。宮は人目をお避けになるために軽装のお狩衣姿であった。浮舟の姫君の着ていた上着は抱いておいでになる時お脱がせになったので、繊細(きゃしゃ)な身体つきが見えて美しかった。自分は繕いようもないこんな姿で、高雅なまぶしいほどの人と向かい合っているのではないかと浮舟は思うのであるが、隠れようもなかった。少し着馴(な)らした白い衣服を五枚ばかり重ねているだけであるが、袖口から裾のあたりまで全体が優美に見えた。いろいろな服を多く重ねた人よりも上手(じょうず)に着こなしていた。宮は御妻妾でもこれほど略装になっているのはお見馴れにならないことであったから、こんなことさえも感じよく美しいとばかりお思われになった。侍従もきれいな若女房であった。右近だけでなくこの人にまで自分の秘密を残りなく見られることになったのを浮舟は苦しく思った。宮も右近のほかのこの女房のことを、
「何という名かね。自分のことを言うなよ」
と仰せられた。侍従はこれを身に余る喜びとした。別荘守(もり)の男から主人と思って大事がられるために、時方は宮のお座敷には遣戸(やりど)一重隔てた室まで得意にふるまっていた。声を縮めるようにしてかしこまって話す男に、時方は宮への御遠慮で返辞もよくすることができず心で滑稽(こっけい)のことだと思っていた。
「恐ろしいような占いを出されたので、京を出て来てここで謹慎をしているのだから、だれも来させてはならないよ」
と内記は命じていた。
だれも来ぬ所で宮はお気楽に浮舟と時をお過ごしになった。この間大将が来た時にもこうしたふうにして逢ったのであろうとお思いになり、宮は恨みごとをいろいろと仰せられた。夫人の女(にょ)二(に)の宮(みや)を大将がどんなに尊重して暮らしているかというようなこともお聞かせになった。宇治の橋姫を思いやった口ずさみはお伝えにならぬのも利己的だと申さねばならない。時方がお手水(ちょうず)や菓子などを取り次いで持って来るのを御覧になり、
「大事にされているお客の旦那(だんな)。ここへ来るのを見られるな」
と宮はお言いになった。侍従は若い色めかしい心から、こうした日をおもしろく思い、内記と話をばかりしていた。浮舟の姫君は雪の深く積もった中から自身の住居(すまい)のほうを望むと、霧の絶え間絶え間から木立ちのほうばかりが見えた。鏡をかけたようにきらきらと夕日に輝いている山をさして、昨夜の苦しい路(みち)のことを誇張も加えて宮が語っておいでになった。
峰の雪汀(みぎは)の氷踏み分けて君にぞ惑ふ道にまどはず
「木幡(こばた)の里に馬はあれど」(かちよりぞ来る君を思ひかね)などと、別荘に備えられてあるそまつな硯(すずり)などをお出させになり、無駄(むだ)書きを宮はしておいでになった。
降り乱れ汀(みぎは)に凍(こほ)る雪よりも中空(なかぞら)にてぞわれは消(け)ぬべき
とその上へ浮舟は書いた。中空という言葉は一方にも牽引(けんいん)力のあることを言うのであろうと宮のお恨みになるのを聞いていて、誤解されやすいことを書いたと思い、女は恥ずかしくて破ってしまった。
そうでなくてさえ美しい魅力のある方が、より多く女の心を得ようとしていろいろとお言いになる言葉も御様子も若い姫君を動かすに十分である。
謹慎日を二日間ということにしておありになったので、あわただしいこともなくゆっくりと暮らしておいでになるうちに相思の情は深くなるばかりであった。右近は例のように姫君のためにその場その場を取り繕い、言い紛らして衣服などを持たせてよこした。次の日は乱れた髪を少し解かさせて、深い紅の上に紅梅色の厚織物などの取り合わせのよい服装を浮舟はしていた。侍従も平常(ふだん)用の裳(も)を締めたまま来ていたのが、あとから送ってこられたきれいなものにすべて脱ぎ変えたので、脱いだほうの裳を宮は浮舟にお掛けさせになり手水を使わせておいでになった。女(にょ)一(いち)の宮(みや)の女房にこの人を上げたらどんなにお喜びになって大事にされることであろう、大貴族の娘も多く侍しているのであるが、これほどの容貌(きりょう)の人はほかにないであろうと、裳を着けた姿からふとこんなことも宮はお思いになった。見苦しいまでに戯れ暮らしておいでになり、忍んでほかへ隠してしまう計画について繰り返し繰り返し宮はお話しになるのである。それまでに大将が来ても兄弟以上の親しみを持たぬというようなことを誓えとお言いになるのを、女は無理なことであると思い、返辞をすることができず、涙までもこぼれてくる様子を御覧になり、自分の目前ですらその人に引かれる心を隠すことができぬかと胸の痛くなるようなねたましさも宮はお覚えになった。恨み言も言い、御自身のお心もちを泣いてお告げになりもしたあとで、第三日めの未明に北岸の山荘へおもどりになろうとして、例のように抱いて船から姫君をお伴いになるのであったが、
「あなたが深く愛している人も、こんなにまで奉仕はしないでしょう。わかりましたか」
とお言いになると、そうであったというように思って、浮舟がうなずいているのが可憐(かれん)であった。右近は妻戸を開いて姫君を中へ迎えた。そのまま別れてお帰りにならねばならぬのも、飽き足らぬ悲しいことに宮は思召した。》
薫の用意した京の邸へ移る支度をしている宇治に匂宮と薫の双方から手紙が来て、浮舟は当惑する。薫は女二の宮に浮舟を引き取ることを求めて邸を調えるが、そのことを匂宮は知る。浮舟は憂悶するばかりだが、薫は文使いと随身の挙動から、匂宮が浮舟と関係を持ったと突き止める。右近と侍従が、東国で二人の情人、二心を持った女が原因で殺害に及んだ話を浮舟にする。侍従は浮舟に匂宮を勧め、右近は宇治に住まわせたいと言うが、死を決意した浮舟は匂宮の手紙を整理する。匂宮は返事が来ないので宇治へ出かけるが、薫による警護が厳重で会えない。
<「蜻蛉」――薫のフェティシズム>
「蜻蛉」は薫二十七歳。いきなり浮舟が失踪してしまっている。
浮舟が死んだと聞いた匂宮は時方を宇治に派遣し、浮舟の母も宇治に着いて右近から説明を受ける。浮舟の衣服などを見つからない遺骸の代わりに火葬する。薫は母の病気で石山寺に参籠中だったが、遅れて事情を知り、懊悩する。匂宮は朦朧と病の床につき、見舞った薫は皮肉、嫌味を言う。当初二人は誠実に悲しんでいたものの、四十九日の法要が過ぎると、薫は小宰相の君と会いたいとか、女二の宮とともに女一の宮ももらえばよかったと思い、覗き見た女一の宮が着ていた薄物と似た単衣を、氷に濡れた女二の宮に着せ、同じように氷を持たせて、悦に入る。匂宮は亡くなった式部卿宮の娘の宮の君を薫と争う。
《日々の多くの講義に聞き疲れて女房たちも皆部屋(へや)へ上がっていて、お居間に侍している者の少ない夕方に、薫の大将は衣服を改めて、今日退出する僧の一人に必ず言っておく用で釣殿(つりどの)のほうへ行ってみたが、もう僧たちは退散したあとで、だれもいなかったから、池の見えるほうへ行ってしばらく休息したあとで、人影も少なくなっているのを見て、この人の女の友人である小宰相などのために、隔てを仮に几帳(きちょう)などでして休息所のできているのはここらであろうか、人の衣擦(きぬずれ)の音がすると思い、内廊下の襖子(からかみ)の細くあいた所から、静かに中をのぞいて見ると、平生女房級の人の部屋(へや)になっている時などとは違い、晴れ晴れしく室内の装飾ができていて、幾つも立ち違いに置かれた几帳はかえって、その間から向こうが見通されてあらわなのであった。氷を何かの蓋(ふた)の上に置いて、それを割ろうとする人が大騒ぎしている。大人(おとな)の女房が三人ほど、それと童女がいた。大人は唐衣(からぎぬ)、童女は袗(かざみ)も上に着ずくつろいだ姿になっていたから、宮などの御座所になっているものとも見えないのに、白い羅(うすもの)を着て、手の上に氷の小さい一切れを置き、騒いでいる人たちを少し微笑をしながらながめておいでになる方のお顔が、言葉では言い現わせぬほどにお美しかった。非常に暑い日であったから、多いお髪(ぐし)を苦しく思召すのか肩からこちら側へ少し寄せて斜めになびかせておいでになる美しさはたとえるものもないお姿であった。多くの美人を今まで見てきたが、それらに比べられようとは思われない高貴な美であった。御前にいる人は皆土のような顔をしたものばかりであるとも思われるのであったが、気を静めて見ると、黄の涼絹(すずし)の単衣(ひとえ)に淡紫(うすむらさき)の裳(も)をつけて扇を使っている人などは少し気品があり、女らしく思われたが、そうした人にとって氷は取り扱いにくそうに見えた。
「そのままにして、御覧だけなさいましよ」
と朋輩(ほうばい)に言って笑った声に愛嬌(あいきょう)があった。声を聞いた時に薫は、はじめてその人が友人の小宰相であることを知った。とどめた人のあったにもかかわらず氷を割ってしまった人々は、手ごとに一つずつの塊(かたまり)を持ち、頭の髪の上に載せたり、胸に当てたり見苦しいことをする人もあるらしかった。小宰相は自身の分を紙に包み、宮へもそのようにして差し上げると、美しいお手をお出しになって、その紙で掌(て)をおぬぐいになった。
「もう私は持たない、雫(しずく)がめんどうだから」
と、お言いになる声をほのかに聞くことのできたのが薫のかぎりもない喜びになった。まだごくお小さい時に、自分も無心にお見上げして、美しい幼女でおありになると思った。それ以後は絶対にこの宮を拝見する機会を持たなかったのであるが、なんという神か仏かがこんなところを自分の目に見せてくれたのであろうと思い、また過去の経験にあるように、こうした隙見(すきみ)がもとで長い物思いを作らせられたと同じく、自分を苦しくさせるための神仏の計らいであろうかとも思われて、落ち着かぬ心で見つめていた。ここの対の北側の座敷に涼んでいた下級の女房の一人が、この襖子(からかみ)は急な用を思いついてあけたままで出て来たのを、この時分に思い出して、人に気づかれては叱(しか)られることであろうとあわてて帰って来た。襖子に寄り添った直衣(のうし)姿の男を見て、だれであろうと胸を騒がせながら、自分の姿のあらわに見られることなどは忘れて、廊下をまっすぐに急いで来るのであった。自分はすぐにここから離れて行ってだれであるとも知られまい、好色男らしく思われることであるからと思い、すばやく薫は隠れてしまった。その女房はたいへんなことになった、自分はお几帳(きちょう)なども外から見えるほどの隙(すき)をあけて来たではないか、左大臣家の公達(きんだち)なのであろう、他家の人がこんな所へまで来るはずはないのである、これが問題になればだれが襖子をあけたかと必ず言われるであろう、あの人の着ていたのは単衣(ひとえ)も袴(はかま)も涼絹(すずし)であったから、音がたたないで内側の人は早く気づかなかったのであろうと苦しんでいた。
薫は漸く僧に近い心になりかかった時に、宇治の宮の姫君たちによって煩悩(ぼんのう)を作り始め、またこれからは一品(いっぽん)の宮(みや)(筆者註:女一の宮)のために物思いを作る人になる自分なのであろう、その二十(はたち)のころに出家をしていたなら、今ごろは深い山の生活にも馴(な)れてしまい、こうした乱れ心をいだくことはなかったであろうと思い続けられるのも苦しかった。なぜあの方を長い間見たいと願った自分なのであろう、何のかいがあろう、苦しいもだえを得るだけであったのにと思った。
翌朝起きた薫は夫人の女二の宮の美しいお姿をながめて、必ずしもこれ以上の御美貌(びぼう)であったのではあるまいと心を満ち足りたようにしいてしながら、また、少しも似ておいでにならない、超人間的にまであの方は気品よくはなやかで、言いようもない美しさであった。あるいは思いなしかもしれぬ、その場合がことさらに人の美を輝かせるものだったかもしれぬと薫は思い、
「非常に暑い。もっと薄いお召し物を宮様にお着せ申せ。女は平生と違った服装をしていることなどのあるのが美しい感じを与えるものだからね。あちらへ行って大弐(だいに)に、薄物の単衣(ひとえ)を縫って来るように命じるがいい」
と言いだした。侍している女房たちは宮のお美しさにより多く異彩の添うのを楽しんでの言葉ととって喜んでいた。いつものように一人で念誦(ねんず)をする室(へや)のほうへ薫は行っていて、昼ごろに来てみると、命じておいた夫人の宮のお服が縫い上がって几帳(きちょう)にかけられてあった。
「どうしてこれをお着にならぬのですか、人がたくさん見ている時に肌(はだ)の透く物を着るのは他をないがしろにすることにもあたりますが、今ならいいでしょう」
と薫は言って、手ずからお着せしていた。宮のお袴(はかま)も昨日の方と同じ紅であった。お髪(ぐし)の多さ、その裾(すそ)のすばらしさなどは劣ってもお見えにならぬのであるが、美にも幾つの級があるものか女二の宮が昨日の方に似ておいでになったとは思われなかった。氷を取り寄せて女房たちに薫は割らせ、その一塊(ひとかたまり)を取って宮にお持たせしたりしながら心では自身の稚態がおかしかった。絵に描かいて恋人の代わりにながめる人もないのではない、ましてこれは代わりとして見るのにかけ離れた人ではないはずであると思うのであるが、昨日こんなにしてあの中に自分もいっしょに混じっていて、満足のできるほどあの方をながめることができたのであったならと思うと、心ともなく歎息の声が発せられた。》
<「手習」>
「手習」は薫二十七歳から二十八歳まで。比叡山の横川(よかわ)の僧都(そうず)の母が僧都の妹尼と初瀬観音に詣でた帰り、宇治で病になり、それを聞いて宇治へ下山した僧都は宇治院の裏で濡れ泣く若い女を見つけ、小野へ連れ帰る。入水し救われた浮舟は記憶喪失なのか、何も語らないが、僧都の加持によって物の怪は調伏され意識を取り戻す。僧都が女一の宮の祈祷に赴く途中に浮舟のもとに立ち寄ると、浮舟は懇願して出家してしまう。一方、僧都は祈祷の折に、明石の中宮(匂宮の母)に一部始終を語る。浮舟の一周忌が過ぎて、薫が明石の中宮に悲しい気持を打明けると、中宮は小宰相に、僧都から聞いた話を薫に語るよう命じる。聞いて薫は愕然とするが、浮舟との再会を企てる。
<「夢の浮橋」>
「夢の浮橋」は薫二十八歳。薫が横川に僧都を訪ねて事情を聞くと、僧都は薫の様子を見て、浮舟の望みのままに出家させてしまったことを悔み、環俗をほのめかす手紙を浮舟の弟の小君(こぎみ)に託す。薫に遣わされた小君は小野に訪ね行くが、浮舟は対面を許さず、小君は落胆して京へ帰った。薫は茫然とし、誰かに囲われているのだろうかと疑ったのは、自分が宇治に浮舟をほうっておいた経験からと、本には書いてあるとやら。
(了)
*****引用又は参考文献*****
*三田村雅子、河添房江、松井健児編集『源氏研究1 特集「王朝文化と性」』(三田村雅子「黒髪の源氏物語――水の感覚・水の風景」、橋本ゆかり「抗う浮舟物語――抱かれ、臥すしぐさと身体から」、他所収)(翰林書房)
*三田村雅子、河添房江、松井健児編集『源氏研究2 特集「身体と感覚」』(三田村雅子「濡れる身体の宇治――まなざしと手触りから」、他所収)(翰林書房)
*小嶋菜温子編『王朝の性と身体 [逸脱する物語]』(吉井美弥子「物語の「声」と「身体」 薫と宇治の女たち」、小林正明「逆光の光源氏 父なるものの挫折」、他所収)(森話社)