文学批評 ナボコフ『フィアルタの春』を読む――細部と記憶の螺旋

 

 

                                       

 ナボコフ自身もっともお気に入りの短篇小説だという『フィアルタの春』は、ロシア語で書かれた(1936)(のちに自ら英訳(1956))最後の小説だが、比較的初期の作品ながら、すでにナボコフ作品の特徴、秘密の種をほぼすべて持ち合わせている。

 

 ナボコフ『賜物』の第3章で主人公フョードルは家庭教師先に向かう途中で、自分の「思考の多面性」という能力を発揮できない現状を嘆く。

《だって、ぼくには自分の言葉があって、それを使えばどんなものでも――ブヨだって、マンモスだって、千種類の雲だって――創り出すことができるのに。一万人、十万人、いや、それどころか、ひょっとしたら百万人のうち、自分一人にしか教えられないこの上なく神秘的で精妙なこと、それを教えられたらいいのに。例えば、思考の多面性について。それはこういうことだ。君はある人間を見つめると、その人間の姿が中まで水晶を通すようにくっきりと見えてしまう、まるで自分で息を吹き込んで作ったガラス製品みたいに。ところがそれと同時に、この澄みきった境地をまったく邪魔することなく、どうでもいいような細部に気がつくのだ――例えば、電話の受話器の影がちょっと押しつぶされた巨大な蟻に似ているとか。そして(このすべては同時に起こるのだが)、第三の思考が頭をもたげ始める。それはロシアの小さな駅でのよく晴れた夕べの思い出だったりする。つまり、誰かと会話をしているとき、外面では自分自身の言葉の一つ一つ、内面では相手の言葉の一つ一つを捉えてその周りを駆けまわっているのに、その会話とは合理的な関係が一切ないことを何やら、ふと思い出してしまうということだ。》

 

 若島正が「ナボコフの多層思考――短篇「フィアルタの春」を読む」で、『賜物』に書かれた「多層思考」(=「思考の多面性」)について論考していて、この部分の重要性指摘の慧眼は眼を見張るものがある。《第一は、今目にしている人物のレベル、第二は今ふと気がつく物の細部のレベル、そして第三は過去の記憶のレベルである。》

 しかし、『フィアルタの春』のクライマックス場面への適用については残念ながら読みと詰め手を間違えているのではないか。ナボコフの言葉、「合理的な関係がいっさいない」と書いていることを鵜呑みにするわけにはいかないと、若島の論理によって深層部で照応させるのだが、どうにも心と知に響かない。ナボコフ読解に時に必要なこととはいえ、うがちすぎであろう。ここでは詳述を避けるけれども、石の温かさとニーナの肉体が持つぬくもり、雪景色の中の燃えるように熱かった首筋を照応させ、銀紙の輝き、コップの照り返し、海のきらめきと曇りがちだったのに太陽が照りだしたことを照応させて、ニーナは肉体も心も温かく、誰とでも寝る、身持ちが悪いということではなく、心の広さ、利己心のなさを表していることがこの短篇を支える論理である、と多層思考を適用させるのは無理がある。ナボコフの主義主張を誰よりもよくわかっているはずなのに(わかりすぎているからこそ、ナボコフの言葉に単純に騙されまいとするのか)、ナボコフがインタヴュー、小説、講義の中で、ウィーンの妖術師と嫌ったフロイトの夢判断・精神分析のようであり、かつまた自分の小説は二流作家トーマス・マンと違って「社会的な目的も道徳的メッセージもない」という主義にも反している。

 頭で読書をするのではなく、ぞくぞくする背筋で、多層思考におけるモザイク模様の細部と記憶の「合理的な関係がいっさいない」にも関わらず胸をときめかせ、締めつける精妙さ、芸術的な悦びを享受しながら、クライマックス場面をはじめ、いくつかの場面を精読すれば、つねにこの多層思考(思考の多面性)があり、さらには小説全体の構造が細部の喚起力と記憶の夢見による螺旋になっていることに気づくであろう。

 

『フィアルタの春』で読みとるべき「細部」とは以下のようなことだ。

ナボコフナボコフロシア文学講義』にその例が述べられている。

トルストイアンナ・カレーニナ』第一編第九章のスケートの場面は詩的比喩の宝庫だ。(この講義でナボコフが引用する文章は、この小説のガーネット訳にナボコフが手を加えたものであり、教室での朗読に適するよう、多少省略したり、言い換えたりしてある――編者。なお、ナボコフはガーネット訳をきわめて貧弱だとし、ところどころで誤りを指摘、訂正している。[ ]はナボコフの註記)。

《キティの従兄(いとこ)のニコライ・シチェルバツキーは、短いジャケツに細いズボンという恰好で、スケート靴のままベンチに腰を下ろしていたが、リョーヴィンの姿を見つけると大声で呼びかけた。

「よう、ロシア一のスケーター! いつ来たんです。すばらしい氷ですよ、さあ、早くスケートをお着けなさい」

「ぼく、スケートがないんですよ」リョーヴィンは答え、彼女の前でそんなに大胆かつ無造作な態度をとるニコライにびっくりしながらも、彼女のほうは見ずに、しかも一刻たりとも彼女の姿を視界から見失わなかった。太陽が近づいて来るのが感じられた。(中略)彼女の滑り方は全く危なげであった。彼女は紐でつるした小さなマフから両手を出して、万一に備えていたが、リョーヴィンの方を向いて、彼の姿を認めると、自分の臆病を恥じるような笑みを見せた。カーブが終ると、弾力のある片足で一蹴りして、まっすぐに従兄の方へ滑りこんで来た。そして従兄(いとこ)の手につかまると、笑顔でリョーヴィンに会釈した。彼女はリョーヴィンが思っていた以上に美しかった……だが、予期せぬことのようにいつも彼を驚かすのは、彼女のつつましい、落ち着いた、誠実そうな目の表情だった……

「もうずっと前から来ていらして?」キティは彼に手を差しのべながら言った。「あら、すみません」と付け足したのは、マフから落ちたハンカチを彼が拾って渡したのだった[トルストイは作中人物を鋭く監視する。作中人物を喋らせ、動かすが、その言葉や行動は、作者が作った世界のなかでそれ自体の反応を生み出す。このことがお分りだろうか。よろしい]。

「あなたがスケートをなさるなんて、知りませんでした。とてもお上手ですね」

キティは注意深く彼の顔を見つめたが、それはなぜ相手がどぎまぎしたか、その原因を見きわめようとするふうだった。

「あなたにほめていただくなんて、光栄ですわ。だって、こちらでは今でも、あなたがすばらしいスケーターでいらしたという評判ですもの」黒い手袋をはめたかわいい手で、マフに落ちた細い霜の針を払いおとしながら、キティは言った[再びトルストイの冷徹な目]。

「ええ、昔はずいぶん夢中になって滑ったものでした。なんとか完璧を期そうと思いましてね」

「あなたは何事も夢中になってなさるのね」キティは微笑しながら言った。「お滑りになるところを、ぜひ拝見したいわ。さあ、スケートをおつけになって。ご一緒に滑りましょうよ」

《一緒に滑る? そんなことがあっていいものだろうか》リョーヴィンはキティの顔を眺めながら思った。

「すぐ、はいて来ます」彼は言った。

そしてスケートをつけに行った。》

 この「マフに落ちた細い霜の針」こそ、ナボコフが重視した形象の「細部」である。ナボコフは「注釈ノート」に、「(40)スケート場」の註釈に続いて、次の註釈を加えた。

《(41)雪の重みで巻毛のような枝をすべて垂らしている庭園の白樺の老樹は、新しい荘重な袈裟で飾り立てられたように見えた。

 すでに述べたように、トルストイの文体は、実用的(「寓意的」)比喩が豊富である一方、主として読者の芸術的感覚に訴える詩的直喩や隠喩がふしぎなほど見あたらない。この白樺の木は例外である(少し先に「太陽」や「ばら」の比喩が出てくる(筆者註:《太陽が近づいて来るのが感じられた》、《リョーヴィンにとっては、この群衆の中から彼女を見つけることは、刺草(いらくさ)の中からばらの花を探すように、いとも容易だった》)。これらの老樹はまもなくキティのマフの毛皮の上に少量の輝かしい霜の針を落すだろう。

 リョーヴィンが求婚の最初の段階でこの象徴的な白樺の老樹を意識したことは、この小説の最後の部分で激しい夏の嵐に悩まされる別の白樺の林(それについて最初に語るのは兄のニコライである)と比較してみれば、たいそう興味深い。》

 ローマン・ヤコブソンが、「トルストイはアンナの自殺を描こうとして、主に、その手提について書いている」と換喩的方法の例としてあげたアンナの赤い手提の描写は、「細部」の力による喚起力を示している。

《細部の組合せは官能的な火花を発するが、その火花なしでは一冊の書物は死んだも同然である》。

 ナボコフは、一八七〇年代の夜行寝台車の内部をスケッチして見せ、赤い手提に注目する。片方が破れた手袋、マフに落ちた細い霜の針、分娩に邪魔なイヤリング、白い毛糸の目をひと目ひと目ひろうきゃしゃな手首、などトルストイはどんな仕草も見逃さず(しかも作者の姿を見せず神のごとく偏在して)素晴らしい細部を物語に織りこんだ。

《アンナの赤い手提は、トルストイがすでに第一篇第二十八章で描写している。「玩具のような」「ごく小さな」と形容されたその手提は、しかし次第に大きくなる。ペテルブルクへ帰る日、モスクワのドリーの家を出ようとして、アンナは奇妙な涙の発作におそわれ、上気した顔を小さな手提に押しあてる。このとき手提に入れたのは、ナイトキャップや、バチストのハンカチなどである。この赤い手提を再び開くのは鉄道の車輛に落ち着いてからで、そのときは小さな枕や、イギリスの小説や、そのページを切るためのペーパーナイフなどを取り出し、そのあと、赤い手提はかたわらでうたたねする女中の手に預けられる。四年半後に(一八七六年五月)アンナが汽車に跳びこんで命を絶つとき、この手提は彼女が最後に投げ捨てる品物であり、そのときは手首から外そうとして少し手間どるほどの大きさである。》

 ナボコフはこういった細部を読むことにこそ小説の愉楽があるとしたが、『フィアルタの春』には「細部」が髪飾りのように散りばめられていることに注意しながら読み進めよう。

 

 ついで、「螺旋」とは、ナボコフ『初恋』(自伝的小説『記憶よ、語れ』に組み込まれた)の末尾の、細部(『ロリータ』の萌芽)と記憶の溶けていく螺旋イメージを連想するのがよい。

《私たちが帰途の旅を続ける途中で一日だけ滞在したときには、もうコレットはパリに戻っていて、そこの小鹿公園で、冷たい青空の下、私はコレットと最後の再開をした(きっと双方の家庭教師が気をきかしてくれたのだろう)。彼女はフープとそれを廻す短い棒を持っていて、身につけているなにもかもが秋物で、パリっ子らしい、都会の女の子ふうのとてもお洒落で似合う服装だった。彼女が女家庭教師から受け取って弟の手の中にすべりこませたお別れの贈り物は、砂糖をまぶしたアーモンドの小箱で、それは私のためにだけくれたはずだったが、たちまち彼女は離れていき、きらめくフープを突っつきながら光と影の中を抜け、私が立っているそばにある枯葉がつまった噴水のまわりをくるくるくるくると廻った。その枯葉は私の記憶の中では彼女がつけていた靴と手袋の革と混じりあっていて、そこにたしか、彼女の衣裳のどこかに(もしかするとスコットランド帽についているリボンか、それともストッキングの模様か)、ガラスのおはじきに封じこめられた虹色の螺旋をそのとき連想させたものがあったのを憶えている。私は今でもその虹のかけらを手に持っているような気がして、それをどこにぴったりはめこんだらいいのかわからないでいるうちに、コレットはフープと一緒にさらに速く私のまわりを走り、環状になった低い塀の交差アーチ形が砂利道に投げかける細い影の中にとうとう溶けていってしまう。》

 

 螺旋ということでは、『賜物』第1章に登場する、鏡と樹影をめぐる主人公の視線と思考の螺旋的な動きとその文体がナボコフの特徴である。

《角の薬局に向かって道を渡るとき、彼は思わず首を回し(何かにぶつかって跳ね返った光がこめかみのあたりから入ってきたのだ)、目にしたものに対して素早く微笑んだ――それは人が虹や薔薇を歓迎して浮かべるような微笑だった。ちょうどそのとき、引っ越し用トラックから目もくらむような平行四辺形の白い空が、つまり前面が鏡張りになった戸棚が下ろされるところで、その鏡の上をまるで映画のスクリーンを横切るように、木々の枝の申し分なくはっきりした映像がするすると揺れながら通り過ぎたのだ。》

 

 少し脱線するようではあるが、ナボコフにおける「鏡」「ガラス」「影」「窓」は同じようなテーマ群にある。

 ナボコフの短篇小説にもあった(はず)という、主人公の樹影の記憶を題材に丸谷才一は『樹影譚』を書いた。そのナボコフの短篇の実在性に関して村上春樹が『若い読者のための短編小説案内』で推論し、三浦雅士は『出生の秘密』でとりあげた。対してナボコフの樹影にまつわる小説としては『ベンドシニスター』に半分ほど似たような記述があると秋草俊一郎が指摘した、《それはあたかも、ある土地に生えている樫の樹(以下、固体樹Tと呼ぼう)が、その樹独特の影を、緑と褐色の地面に投げかけているところを見かけた人物が、自宅の庭に、おそろしく手の込んだ装置を組み立てはじめるようなものだ。その装置は、ちょうど、翻訳者の霊感や言語が原作者の霊感や言語とは違うように、それ自体としては特定のいかなる樹とも似てはいないが、さまざまな部品や、照明効果、そよ風を発生させるエンジンといったものの精妙な組合せによって、完成の暁には、固体樹Tの影とまったく同じ影を投げかけるようになる――もとの樹と同じ輪郭が同じように変化し、同じ二つ、あるいはひとつの斑点が、一日の同じ時刻、同じ場所にちらちらと揺れるのだ。》

 自作品の翻訳者(母語ロシア語から亡命したアメリカの英語へ)でもあったナボコフならではの翻訳論、技法論ともいえるもので、記憶を呼び起こすトラウマ的な樹影(たしかに『ベンドシニスター』の冒頭と末尾にも樹影(そして水溜りに映る影)のイメージがでてくるが、過去・記憶への円環的な技法の梃とはなっていない)とは違っているだろう。

 ついでにいえば、ナボコフ『青白い炎』の詩の第一行は『わたしは窓ガラスに映った偽りの青空に/命を絶たれた連雀の影だった。』である。

 

『フィアルタの春』を読む(以下、引用はナボコフ『フィアルタの春』(『ナボコフ短篇全集Ⅱ』に所収のロシア語版)沼野充義訳からとし、適宜『ナボコフの一ダース』に所収の英語版(中西秀男訳)を参照した)。

 

《フィアルタの春は曇っていて、うっとうしい。何もかもがじめじめしている。プラタナスのまだら模様の幹も、トショウの茂みも、柵も、砂利も。青みがかった家々は、やっとのことで立ち上がり、手探りで支えを捜そうとしている人たちのようだ。彼方には、その家並みをでこぼこで不揃いな縁取りにして、青白いかすかな光に照らされた聖ゲオルギー山のおぼろな輪郭が見えているのだが、その姿が絵葉書のカラー写真とこれほど似ていない季節は他にないだろう。この山の絵葉書は(ご婦人がたの帽子や、辻馬車の御者たちの若々しい姿から判断して、写真はおよそ一九一〇年頃のものではないか)、紫水晶(アメシスト)の結晶を歯のようにむきだして見せる石と貝殻が織り成す海のロココ美術の間にはさまれ、固まりついて動かなくなった回転木馬のような売り台の上で押し合いへし合いしていて、旅行者がやって来るとすかさず出迎えてくれる。空気は暖かく、焦げ臭いにおいを漂わせている。海は雨をたらふく飲んで塩気も薄れ、くすんだオリーブ色になった。波はもっそりしていて、泡立とうにも、決して泡立つことができない。

 まさにそんなある日、ぼくはまるで目そのものになったかのように開く――町の真ん中の急勾配の坂道で、いっぺんにあらゆるものを取り込みながら。絵葉書の売り台も、珊瑚でできたキリスト磔刑像を並べたショーウィンドウも、片隅が濡れて舐め取られたように壁からはがれている巡業サーカス団のポスターも、青みがかった灰色の古い歩道に落ちた、まだ未熟で黄色いオレンジの皮も。歩道のあちこちには、まるで夢を透かして浮き出てくるかのような奇妙なモザイク模様の名残が残っていた。ぼくはこの小さな町が好きだ。それは、この名前の響きのくぼ地に、あらゆる花のうちでも一番ひどく踏みしだかれてきた小さく暗い花の砂糖のように甘く湿った匂いが感じられるからだろうか、それともヤルタという響きが調子っぱずれに、しかしはっきりと聞こえるからだろうか。あるいはこの町の眠たげな春がとりわけ魂に香油を塗りこむような作用を及ぼすからなのか。わからない。》

「まるで目そのものになったかのように開く」のは主人公だけではなく、読者もまた「目」となってシネマ的な映像と色彩を甘受する、感官を刺激されて記憶の中に揺らめく細部……「プラタナスのまだら模様の幹」「青」「焦げ臭いにおい」「キリスト磔刑図」「巡業サーカス団のポスター」「夢を透かして浮き出てくるかのような奇妙なモザイク模様」「名前の響き」「小さく暗い花の砂糖のように甘く湿った匂い」「魂に香油を塗りこむような作用」……。

 

 目頭を充血させ、ちろっと舌なめずりしたイギリス人の視線の先にニーナの姿を見つけたのだった。

《彼女とはもう十五年ごしの……友達づきあいというべきか、それともロマンスなのか、正確にはなんと呼んだものかよくわからないが、ともかくそんな間柄で、この十五年の間、いつ会っても、彼女はすぐにはぼくのことがわからない、といったふうだった。今度も、ニーナはぼくのほうに半ば顔を向け、好奇心もあらわに、よくわからないけれどひょっとしたら、とでも言いたげな愛想のいい風情で、一瞬の間、じっと立っていた。その首には影をまとい、レモンのように黄色いスカーフを巻きつけている。このスカーフだけが、飼い主よりも先に知り合いを見つけた犬のように動き出し――それからニーナが急に叫び声をもらし、両手をあげ、十本の指を宙に踊らせたのだった。そして道の真ん中で、昔からの親友に会った喜びを隠さず熱烈に表しながら(別れ際にぼくのために十字を切ってくれたときと同じ優しさで)、口全体で三度、ぼくの頬にキスをし、並んで歩き始め、ぶら下がるようにぼくの腕にしがみつき、跳ねたり滑ったりしてなんとか歩調を合わせた。脛(すね)の脇にスリットの入った赤茶色の細身のスカートのせいで、歩きにくいらしい。》

  否応なく「時間」の観念が介入してくる。「十本の指を宙に踊らせた」「細身のスカート」に注意せよ。

 

「ちょっと待って、わたしをどこに連れて行こうっていうの、ヴァーセンカ[ヴァシーリイの愛称]ったら?」

《どこにって、過去にもどるんだ。きみと会ったときはいつもそうしていたように、発端から最後の付け足しまで、これまで蓄えられた筋書きのすべてを繰り返すかのように。ロシアのお伽噺で物語が新たに前に進もうとするとき、それまでに語られたことのすべてがもう一度拾い集められるように。》

 英語版で言えば、《過去へ連れ戻すんだ、過去へ連れ戻すんだ》(“Back into the past,back into the past,as I did every time I met her,repeating the whole accumulation of the plot from the very beginning up to the last increment.”)。

 

 ニーナとの記憶・回想は、発端(序幕)から最後まで、フィアルタでの「現在」を挟みながら二重螺旋となってほぼ時系列で進んでいく。実は、小説の最後まで読めばわかるのだが(途中でも、何度か呟くようにフィアルタでの時間もまた回想だと匂わされてはいて、例えば、「これが最後の出会いだとわかっていたとしても」とか「これが一生で最後の食事になるとも知らないで」など)、フィアルタでのことも「現在」ではなく、語り手はミラノ駅に立って(第三の時間)、フィアルタでのひと時を回想しているのであって、回想内・回想という額縁回想小説、つまりは三重螺旋になっている。

 記憶の中のそのときどきのニーナのコケティッシュで抒情的な細部と、ニーナへの感情、思いを、ニーナとは違って自分でどう扱っていいのかわからない主人公(語り手)の心理描写が素晴らしい。

《ニーナとの出会いの序幕はとても昔、ロシアでのこと。時代の記憶のあちこちがもう古い舞台衣装のように擦り切れてしまっているが、舞台裏から左翼運動の轟が聞こえていたことから判断すれば、きっと一九一七年のことだろう。名の日の祝いか何かで、ぼくは叔母さんのルガ近郊の屋敷に遊びに行った。澄み切った田舎の冬のことだった(屋敷に近づいたことを示す最初の印として脳裡に焼きついているのは、白い野原の真ん中にぽつんと立っている赤い納屋だ)。ぼくは貴族高等学校を卒業したばかり。ニーナには婚約者がいた。彼女はぼくと同い年で、二十世紀とも同い年の十七歳、小柄で痩せていたのに、いやそれだからこそだろうか、そのときは歳よりもかなり上にみえたし、三十二歳になったいまはその逆に歳よりもずっと若く見える。(中略)いずれにしろ、追憶の装置がきちんと働きはじめるのは、明かりに照らされた家に戻ろうと、重苦しい雪だまりの中の細い小道を一列になって歩いているところからだ。(中略)ぼくは足を滑らせたはずみに、誰かに押しつけられた電池切れの懐中電灯を落とし、手探りしたがすぐには見つけられなかった。そしてぼくが畜生といった言葉を思わず口にすると、すかさずそれを聞きつけて小声でせかせか元気に笑う声がした。何か面白いことが起こると予期するような笑いだ。そしてニーナがさっとぼくのほうを振り返った。いまニーナとは言ったけれども、そのときぼくが彼女の名前を知っていたとは思えない。そもそも知り合っていっしょに何かをしたり、話をしたりする機会など、それまでなかったのではないか……。「だあれ?」とニーナは好奇のまなざしでたずねたが、ぼくはもう彼女のすべすべした首にキスしようとしていた。襟首のあたりがまるで燃えるようなのは、キツネの毛皮のせいで熱く蒸れてしまったせいだろう。この毛皮がしつこくキスの邪魔になったのだが、そのうちに彼女のほうからぼくの肩をつかみ、いかにも素直にあっさりと自分の唇をぼくの唇に押し当てたのだった。それは敏感に反応する、仕事熱心な唇だった。(中略)それから出発のときまでぼくたちは互いに何の話をすることもなく、将来について何の約束もしなかった。いまにして思えば、そのときすでに、はるか彼方に向けて未来の十五年が動き始めていたのだけれども。》

 こういう文章を読むと、ナボコフ『アーダ』の第4章に「時間の織物」という言葉があるが、隠喩やアナロジー、穏やかな抽象概念、過去から現在への時間の織物の肌触りこそ小説の悦びであるというのが理解できる、

《僕の目的は、時間の織物に関する論考という形式を取り、そのヴェールのような実質を考察していく過程で、例証となる隠喩がゆっくりと増え、きわめてゆっくりと論理的な恋愛物語を構築していき、過去から現在へと移行し、具体的な物語として花開いて、またちょうど同じくらいにゆっくりとアナロジーを逆転させ、穏やかな抽象的観念へとふたたびほどけていくような、一種の小説を書くことだったんだ》

 

 ふいにフィアルタの春の季節に戻る。

《「最後に会ったのは、パリだったかな」と、ぼくは言った。暗い木苺色の唇をし、頬骨の張った小ぶりな彼女の顔に、お馴染みの表情の一つを呼び起そうと思ったのだ。すると案の定、彼女はつまらない冗談はよしてよ、とでも言わんばかりに、薄笑いを浮かべた。もう少し詳しく言えば、運命がぼくたちの出会いの場所に指定した(そのくせ、運命自身は姿を現したことがない)あちこちの町も、プラットホームも、階段も、そしてちょっと小道具めいた横丁も――そのすべてがすでに演じ終えられた他の人生の残り物であって、ぼくたちの運命の演技にはほとんど関係がないので、そんなことに触れることじたいほとんど悪趣味だ、とでも言わんばかりの表情をニーナはしたのだ。

 ぼくは彼女といっしょに、行き当たりばったりにアーケード街の商店の一つに入った。》

 

 ふたたび回想が挟まれる。

《ロシアを出てから最初に会ったのは、ベルリンの友だちのところだった。ぼくは結婚を控えていたころ。彼女は婚約者と別れたばかりだった。部屋に入ったとき彼女の姿を遠くから認めたぼくは、部屋にいた他の男たちに思わず目を走らせ、自分よりも彼女と親しいのは誰か、正確に見て取った。彼女はソファの端で小柄で心地よさそうな身体をZ字形に折り曲げ、両足をソファの上に載せて坐っていた。やはりソファの上、片方の踵(かかと)のすぐそばには灰皿が置かれている。そしてぼくの顔をまじまじと見つめ、ぼくの名前をじっと聞いてから、彼女は唇から植物の茎のように長いシガレット・ホルダーを離し、長く引き伸ばしながら嬉しそうに「まさか!」と叫んだ(つまり、「自分の目が信じられない」という意味だろう)。すると、ただちに皆に――そして真っ先にニーナ自身に――ぼくたちが古くからの友だちのように思えたのだった。彼女はキスしたことなどまったく覚えていなかったけれども、その代わり(やはりキスを通じて)何か琴線に触れるような大事なことがあったという漠然とした印象が残っていた。それは友情の記憶のようなものだが、肝心の友情は現実にはぼくと彼女の間には一度も存在しなかったのだ。そんなわけで、その後積み上げられていったぼくたちの関係も、もとはと言えばすべて、ありもしない架空の幸せの上に築かれたのだということになる。》

 この場面の細部は反復、変奏されるだろう、「Z字形」「踵のすぐそばには灰皿」「長いシガレット・ホルダー」「まさか!」……。「ありもしない架空の」ということでは、小説の内容も、ニーナも、ひいては小説自体がそうではないかと、見せ消ち地獄が見えて来る。

 

《一年後にぼくはウィーンに発つ弟を見送るために妻と駅にいた。列車が窓を閉め、背を向けて去り、ぼくたちがプラットホームの反対側にある出口に向かったとき、パリ行きの急行列車の前に不意にニーナの姿が見えた。彼女はバラの束の中に顔を浸し、群をなす人たちに囲まれている。それはぼくにとって腹立たしいほど見知らぬ人たちで、環をなすように立ち、まるで物見高い野次馬が路上の喧嘩や、捨て子や、怪我人を眺めるような様子で彼女を見ていた。》

 ぼくは彼女にエレーナ・コンスタンチノヴナ、つまり妻を紹介し、ニーナの結婚する相手の名前フェルディナンドが始めて出た。

《ぼくの手には見分けがつかなくなるほどくしゃくしゃになった入場券が握り締められ、頭の中では十九世紀の歌が――それにしても、いったいどうして、こんな歌が記憶のオルゴールから流れ出てくるのだろうか――執拗になり続けている。(中略)

  あなたは結婚するんですってね(オン・ディ・ク・チュ・トゥ・マリ)

  そしたらわたしが死ぬって知りながら(チュ・セ・ク・ジャン・ヴェ・ムリール)

 その声がたちまちまるで炎の雲のように、彼女の全身を吞み込んでしまうのだった。そしてこのメロディと、心を悩ます悔しさと、音楽によって呼び起された結婚と死の結びつき、そして思い出にまとわりつき、旋律の所有者であるかのような歌声そのものが、その後何時間もぼくの心を休ませてくれなかった。》

 死のイメージがうっすらとまとわりつく。

 

《さらにその一、二年ほど後、用事でパリに行ったときのこと。会わなければならない俳優の泊まっていたホテルの階段の踊り場で、ぼくとニーナは互いに示し合わせたわけでもないのに、またしてもばったり出会ってしまった。彼女は降りていこうとするところで、手に鍵を持っていた。「フェルディナンドはフェンシングをしに出かけたの」と彼女は打ち解けた調子で言い、まるで唇の動きを読むようにぼくの顔の下半分をまじまじと見つめ、一人で何やら考え込んでさっと決めたらしく(彼女は愛のためなら比類のない機転を利かせた)、踵(きびす)を返し、ぼくを連れて水色のビーバークロスの絨緞の上を、華奢なくるぶしを見せ、身体を揺らしながら進んだ。彼女の部屋のドアの前には椅子があり、その椅子の上には朝食の食べ残しを載せたトレイがあった。ナイフには蜜の跡が見え、灰色の陶製の皿には無数のパン屑が散らばっている。しかし、部屋の掃除はもう終わっていて、ぼくたちが部屋に入ったとき吹きこんだ隙間風のせいで、鋳鉄製の狭いバルコニーへの出口になっている観音開きの大きな窓が活気づいて左右にちょっと開き、その間にモスリンのカーテンの白いダリアの刺繡をあしらった縁飾りが吸い込まれた。そしてドアを閉め鍵をかけたときようやく、窓は幸せのあまりうっとりとしたような吐息とともにカーテンの襞(ひだ)を解放した。少し後でこのバルコニーに出てみると、朝の空っぽで陰気な通りはライラックのような青味を帯び、ガソリンと秋の楓の葉の匂いが漂ってきた。そう、起こったのはごく簡単なことだった。ぼくたちは昂揚のあまり何度か叫び声をあげ、少しくすくす笑っただけで、それはロマンティックな用語法には相応しくないものだったから、「不倫」などという錦の言葉を並べ立てる余地はない。その後、ニーナとの逢瀬は病的に痛ましい感覚に毒されることになるのだが、そのときぼくはまだそんなことを感じるどころではなかったから、きっとまったく陽気な顔で(ニーナのほうも陽気だったに違いない)二人でいっしょにホテルから旅行代理店か何かに行って、なくなったとかいう彼女のトランクを探し、それから、彼女の夫と当時の取り巻きが待つカフェに出かけたのだ。》

 たくみな細部としてのカーテンの効果は決定的である。このロシア語版では二人が寝たらしいと思わせるけれども、英語版ではもっとぼかされている。

 

 カフェでのニーナの夫フェルディナンドの姿(戯画化された、冒涜的でもあるキリストの「最後の晩餐」図を連想させもする)と取り巻きたちの態度と、彼への感情と関係性についての複雑な内心の、俗悪で世俗な活写もナボコフ文学のロマンティシズム一辺倒ではないリアリズムがあって、フィアルタでの現在時間に戻るや長いキャンディうぃしゃぶってフェルディナンドが歩いてくる。少し遠くのでこぼこした舗道の真ん中に銀紙が投げ捨てられている。

 と思うと、またニーナとの度重なる引き合わせ場面の引いては寄せるさざ波のような追憶となる。

 ことによったら(信頼できない)語り手による妄想、妄執という部類ではないか(例えばラストで、どこからともなく彼女の手にスミレの花束が現れるなんて)という思いが湧いて来ないでもない(ナボコフには幻想イメージ、分身、二重人格者、信頼できない語り手が出現しない小説が珍しいくらいだ)。

《それにしても、自分でもわからない。この小柄で肩幅の狭い「プーシキン好みの可愛い足をした」(これはきざで感傷的な亡命ロシア詩人の一人がぼくの前で言った言葉だ。彼はニーナにプラトニックに恋い焦がれていた何人かの男たちの一人だった)女は、ぼくにとって何だったのだろう[「プーシキン好みの可愛い足」とはプーシキン作の長篇『エヴゲニイ・オネーギン』第一章三十-三十二節を踏まえたもの。女性の「可愛い足」に対するフェティッシュな賛美があって有名な部分]。もっとわからないのは、運命はいったい何の目的で彼女とぼくを始終引き合わせていたのか、ということだ。ぼくたちにどうしろと言うのだろう。パリで顔をあわせてから彼女にはかなり長いこと会わなかったのだが、その後、家に帰ってみるとニーナがいた、なんてこともある。彼女はぼくの妻とお茶を飲み、ベルリンのタウエンツィーン通りのバーゲンで買った絹のストッキングを手にとって調べていて、ストッキングの下から婚約指輪が透けて見えていた。ある秋には、秋の木の葉と手袋とゴルフ場の景色を満載したファッション雑誌で彼女の姿を見かけた。ある年の復活祭には彩色した卵(イースターエッグ)を送ってきたし、別の年のクリスマスには雪と星の絵葉書を送ってきた。リヴィエラの海岸では、黒いサングラスをかけ粘土の素焼きのように日焼けしていたので、あやうく彼女とは気づきそこねるところだった。またあるとき、たまたま用事を頼まれて面識のない人の家に立ち寄ったとき、玄関のコート掛けにかかった外套の間に(つまり、その家には客が来ていたわけだが)彼女の毛皮外套(シューバ)を見つけたこともある。》

 ロシア人ならその詩をいくつでも暗唱できるプーシキンへのナボコフの崇敬は著作のそこかしこに見てとれる(プーシキン『エヴゲニイ・オネーギン』はナボコフによる英訳と詳細な注釈本は全4巻からなる)のだが、ここでも顔をのぞかせている。

 

 ニーナの夫フェルディナンドに対して語り手はひねた批評を加えるのだけれども、ナボコフ自身のアイロニカルな姿、影が透けて見える。そしてフェルディナンドが女性を描いた文章にはナボコフ的文体のパロディめいた「署名」がなされている。

《また別のとき、彼女は夫の本のページからぼくにうなずきかけてきた。それは端役のメイドを描いた箇所だったけれども、ニーナの面影をとどめていたのだ(それは夫の自覚的な意図には反していたのかも知れなかったが)。「彼女の顔立ちは……」とフェルディナンドは書いていた。「細心に描かれた肖像画というよりは、自然を瞬間的に写した写真だった。そのため、思い出そうとしても、容貌の特徴がばらばらにちらりと浮かぶだけで、その他には何も残らない。張り出した頬骨、そこで光を受けて浮かび上がるふっくらしたうぶ毛、琥珀色の暗がりをたたえすばやく動く目、結ばれた唇に浮かんだ親しげな笑みはいまにも熱い口づけに変りそう……」》

 

ピレネー地方を旅行したとき、ぼくは一週間ほどある邸宅に泊めてもらったが、その家の人たちはニーナの知り合いで、そのときたまたま彼女も夫といっしょに客として逗留していた。その家で過ごした最初の夜のことは決して忘れられないだろう。ぼくは待っていた。ニーナは夜中にぼくのところに忍んで来るだろう、そう確信していたのだ。ところが彼女はやって来ない。(中略)そして翌日、ヒースの茂った丘を皆で散歩したとき、昨夜は待っていたのに、とニーナに言うと、彼女は自分のうかつさを悔んで手を打ち鳴らし、すばやく目を走らせて、さかんに手ぶりをまじえて話をしているフェルディナンドとその友だちの背が充分に離れているか目測した。》

 

 いったい、ニーナとの情事は続いていたのか、愛人関係、「不倫」と呼ばれる類いだったのか、次々と回想される出会いの文章からはただ顔を合わせていただけと読めるが、しかし行間で匂わせているようでもある。それともパリのホテルでの朝の実事だけだったのか(もっともこのことさえ思わせぶりな記述だった)、語り手をどこまで信頼すべきなのか。語り手はフェルディナンドの本に対して《どうして作り話で本が書けるのか》《作り話など、何のためになるというのか》《想像力を持つなんて自分の心(・)だけにしか許さないだろう》《記憶というものは真理が投げかける夕べの長い影なのだから》と批評していたが、それらはナボコフの文学的態度へのパロディとなっていて、あらためて二人の何度かの出会いに関しての次のような内省を聞かされると愛人となって何かあったように読め、曖昧な記憶の影の中を彷徨うことになる。

《ぼくが不安になったのは、何か愛しく、優美で、またとないものがぼくの濫用のせいで空しく浪費されていたからだ。ぼくはまったく行き当たりばったりに、哀れなくらい魅惑的な小さなかけらを勝手に奪い取る一方で、ひょっとしたらそれが囁き声で約束してくれていたのかも知れない、つつましくも確かなものを全部無視していた。ぼくが不安を感じたのは、とにもかくにもニーナの生活を、つまりこの生活の嘘とうわごとを受け入れようとしていたからだ。ぼくが不安を感じたのは、混乱は別になかったのだが、それでもやはり、少なくとも自分自身の存在の抽象的な解釈の次元では、ある種の選択を迫られていたからだ――選択というのは何かと言えば、一方に、ぼくが妻や娘たちやドーベルマンの飼い犬といっしょに坐って(それから野の花を編んで作った花輪や、指輪、そして細身のステッキもある)、絵のような構図に収まる世界、つまりこの幸せで、賢明で、善良な世界があり、他方、もう一つの、何と言ったらいいか……。はたして、ニーナといっしょに暮らすことなどできるのか。ほとんど想像することもできないような、熱烈で耐えがたいほどの悲しみにあらかじめ満たされた暮らし、一瞬ごとに震えながら過去の静けさに耳を澄ますような暮らし。そんなものが可能なのだろうか。とんでもない、ばかげている! 彼女だって、いまの夫と懲役のような愛で固く結ばれているじゃないか……。ばかげている! それならニーナ、ぼくはきみをどうしたらよかったんだろう。ぼくたちの一見気楽なようでいて、実際には絶望的な出会いの繰り返しのせいで少しづつ蓄えられてきた悲しみの在庫を、いったいどこに売りさばけばいいのだろう。》

 ここにはロマンティック・アイロニーがある。

 

 フィアルタに戻り、映画のようなスピード感と、文章によるホワイトアウト/フェードイン技法をもって、クライマックスに突入する。

《フィアルタは古い町と新しい町でできている。しかし、新と旧はあちこちで互いに絡みあっていて……相争っている。》と現在に戻れば、プラタナスの木陰に胴長の黄色く巨大なコガネムシのようなイカルス社製の自動車がとまっていて、ニーナがその車でいっしょに行きましょうよ、と行けないことを知っているくせに誘う。

《磨き上げられたコガネムシの鞘翅に沿って、空と木の枝のグアッシャ画が広がっている。弾丸のような形のヘッドライトの一つの金属部分に、ぼくと彼女の姿が一瞬映し出された――映画の国の細身の通行人が二人、自動車の丸みを帯びた表面を通り過ぎていく。それから数歩進んだところで、ぼくはなぜだか後ろを振り向いた。すると、一時間半先に実際に起こることが見えたような気がしたのだ。自動車用のヘルメットをかぶったニーナとフェルディナンドとセギュールの三人がコガネムシに乗り込む。ぼくに微笑みかけ、手を振る彼らの姿は透明で、まるで幽霊のよう。彼らの身体を透かして世界の色が見えている。と、突然、自動車ががくんと動き出し、走り去り、三人の姿が小さくなっていった(そして十本の指を全部使ったニーナの最後のあいさつ)。ところが実際には、自動車はまだじっとその場に止まっていて、欠けるところのないつるつるした卵のような姿を見せていたのだ。》

 イギリス人のテーブルには鮮やかな深紅の飲み物の入った大きなコップが載っていて、テーブルクロスに楕円形の照り返しを投げかけている。

《痩せぎすの小さな手から手袋を取り、ニーナはこれが一生で最後の食事になるとも知らないで、大好物の貝を食べていた。》

 フェルディナンドが「批評」に悪態をつく。イギリス人が立ち上がり、蛾(ナボコフの好きな鱗翅類)を一匹つかまえ、器用に小箱に入れた。ポスターでたびたび登場していたサーカスが先触れを送ってよこしたらしく、遠くの方からラッパとツィターの音が聞えてきた。

 古い石の階段が気に入って、二人で登っていった。《段を上ってゆくニーナの足が作る鋭角をぼくは見つめていた――スカートの裾を引き上げながら、というのも先ほどはスカートの長さのせいで、今度は細さのせいでそうせざるを得なくなったわけだが、彼女は灰色の石段を登っていく。》

 その身体からはおなじみの温もりが漂ってきて、この前の、つまり最後から二番目になる彼女との出会いの様子を心に思い浮かべていた。パリで夜会に呼ばれたときのことで、《彼女は身体をZ字形に折り曲げてソファの端に腰をおろし、灰皿を踵の脇に置いていた。そして細長いトルコ石のシガレット・ホルダーを唇から離し、長く引き伸ばしながら嬉しそうに「まあ!」と言った。その後、一晩じゅう、ぼくは胸が張り裂けそうだった。》

《そしてある紳士が別の紳士にこんなことを言っているのを聞いた。「可笑しいことにね、みんな同じ匂いがするんですな。香水を透かして焦げたような匂いがね、瘦せこけた栗色の髪の女はみんな」。そしてよくあるように、何を指しているのかもわからない、こういった俗悪な言葉が思い出のまわりにきっちりと絡みつき、悲しみを養分にして育っていったのだ。》

 石段を登りきると、でこぼこの空き地に出た。

《ぼくたちはまるで何かに耳を傾けるかのように、その場にたたずんだ。上に立っていたニーナは微笑みながらぼくの肩に手を置き、微笑みをくずさないよう慎重にぼくにキスをした。そのとき堪えがたいほど強烈に(それとも、いまそんなふうに思えるだけだろうか)ぼくはかつて二人の間にあったことのすべてを、それこそ今回と同じような最初の口づけから、もう一度体験し直した。そして、安っぽく形式ばった親しい「きみ(トゥイ)」という呼びかけを、表現力豊かで心のこもった敬称の「あなた(ヴイ)」に替えて――というのも、世界一周を果たした船乗りがすっかり豊かになって最後に戻ってくるのが、やはりこの「あなた」なのだから――ぼくは言った「もしもぼくがあなたを愛しているとしたら?」ニーナはぼくにさっと目を向けた[ロシア語の「トゥイ」は親しい間柄で使う二人称代名詞。ここで「トゥイ」から「ヴイ」に切り替えるのは唐突で異様]。ぼくは同じ言葉を繰り返し、何かを付け加えようと思ったが……何かが蝙蝠のように彼女の顔をちらりとよぎった。すばやく、奇妙で、ほとんど醜いと言ってもいいくらいの表情だった。ニーナはいつも卑猥な言葉でも気軽に、まるで楽園にいるかのように口にしてきたのに、今回はうろたえてしまった。ぼくも気詰まりになった……。「冗談だよ、冗談」慌ててぼくは大声で言いながら、横からニーナの右胸の下あたりまで手を回して軽く抱き寄せた。どこからともなく彼女の手にはぎっしりと花の詰まった束が現れた。無欲に香りを放つ、暗い色合いの小ぶりなスミレ(フィアルカ)だった。そしてホテルへの帰路につく前に、ぼくたちは石造りの手すりの前でしばらく立ち止まったが、すべては以前と同じように絶望的だった。しかし、石は身体のように温かく、ぼくはそれまで目にしていながら理解していなかったことを突然理解したのだ。どうしてさきほど銀紙があれほどきらきら輝いていたのか、どうして海がちらちら光っていたのか。フィアルタの上の白い空はいつの間にか日の光に満たされてゆき、いまや空一面にくまなく陽光が行き渡っていたのだ。そしてこの白い輝きはますます、ますます広がっていき、すべてはその中に溶け、すべては消えていき、気がつくとぼくはもうミラノの駅に立って手には新聞を持ち、その新聞を読んで、プラタナスの木陰に見かけたあの黄色い自動車がフィアルタ郊外で巡回サーカス団のトラックに全速力で突っ込んだことを知ったのだが、そんな交通事故に遭ってもフェルディナンドとその友だちのセギュール、あの不死身の古狸ども、運命の火トカゲ(サラマンダー)ども、幸福の龍(バシリスク)どもは鱗が局部的に一時損傷しただけで済み、他方、ニーナはだいぶ前から彼らの真似を献身的にしてきたというのに、結局は普通の死すべき人間でしかなかった。》

 

 ベルリンでの二度目の出会いと最後から二番目のパリでの出会いでは、ソファで身体をZ字形に折り曲げ、踵の脇に灰皿を置いたニーナが唇から長いシガレット・ホルダーを離す。白い雪の中でのロシアでの初めての出会いと白い陽光に満たされたフィアルタでの最後の口づけ。ナボコフは円環やメビウスの輪の構造(例えば、『賜物』の書き出しは、小説のラストで主人公がこれから書くと宣言する小説の冒頭部分に相当していて、あたかもプルースト失われた時を求めて』をなぞっている)を好むが、これらの対称形に挟まれた過去は、ニーナの死によって環(輪)を閉じることなく、細部と記憶の螺旋を描きながら“Back into the past,back into the past”と唱えながら、“as I did every time I met her,repeating the whole accumulation of the plot from the very beginning up to the last increment.”とばかりに白く輝いて溶けていく。

                                   (了)

         *****引用または参考文献*****

ナボコフ『フィアルタの春』(『ナボコフ短篇全集Ⅱ』に所収、ロシア語版)沼野充義訳(作品社)

ナボコフ『フィアルタの春』(『ナボコフの一ダース』に所収、英語版)中西秀男訳(サンリオSF文庫

ナボコフ『賜物』(世界文学全集Ⅱ―10、ロシア語版)沼野充義訳(河出書房新社

ナボコフ『アーダ』若島正訳(早川書房

ナボコフ『初恋』(『ナボコフ短篇全集Ⅱ』に所収)若島正訳(作品社)

若島正ナボコフの多層思考――短篇「フィアルタの春」を読む」(「英語青年 特集ナボコフ生誕100年」(1999年11月)(研究社)

毛利公美「時間の壁を超えて――ナボコフ『フィアルタの春』における彼岸のテーマ」(「ロシア語ロシア文学研究」1996-10-01)(日本ロシア文学研究会)

*中田晶子「失敗する読者」(「日本ナボコフ協会 会報『KRUG』Ⅰ巻1号」(1999年9月))

村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)

丸谷才一『樹影譚』(文春文庫)

三浦雅士『出生の秘密』(講談社

ナボコフ『ベンドシニスター』加藤光也訳(サンリオ文庫

ナボコフ『青白い炎』富士川義之訳(岩波文庫

*秋草俊一郎『アメリカのナボコフ 塗りかえられた自画像』(「日本文学のなかのナボコフ――誤解と翻訳の伝統」所収)(慶應義塾大学出版会)

ナボコフナボコフロシア文学講義』小笠原豊樹訳(河出文庫

*Vladimir Nabokov ”The Portable NABOKOV”(“Spring in Fialta”,”First Love”)(THE VIKING PRESS)

文学批評 丸谷才一『後鳥羽院』(ノート) ――「しかし」で転回/多層化する後鳥羽院和歌

 

 

                                        

 丸谷才一『日本詩人選10 後鳥羽院』(以下、『後鳥羽院』と略)は「歌人としての後鳥羽院」「へにける年」「宮廷文化と政治と文学」からなる。第二版で、「しぐれの雲」「隠岐を夢みる」「王朝和歌とモダニズム」の三篇を追加した。

 開巻第一の「歌人としての後鳥羽院」冒頭は、「書き出し」が大事だとした丸谷の術の見せどころとなっている。すなわち、世間常識的な定説にならって否定ないし疑問を投げかけておいて、逆接の接続詞(「しかし」「ところが」)でコペルニクス的に転回し、いやおうなく読者を巻き込む。感想ではなく、具体的な論証・引用で次々と的を射ながら、同時に作者の批評姿勢・方法・態度を公開する(丸谷は《小林秀雄の文章は威勢が良くて歯切れがよくて、気持ちがいいけれど、しかし何をいっているのかがはっきりしない》(『文学のレッスン』)詩的な批評を嫌い、河上徹太郎の明晰さを擁護した)。

 ここでは、後鳥羽院藤原定家の時系列的な関係性を論じた「へにける年」と、承久の乱の文化的、政治的な意味を考察した「宮廷文化と政治と文学」については触れず、後鳥羽院の秀歌鑑賞である「歌人としての後鳥羽院」を取りあげる。

 

歌人としての後鳥羽院」の冒頭は次のとおりである。

 

<人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は

《 人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は

後鳥羽院御集』建暦二年十二月二十首御会。また、『続後撰和歌集』巻第十七雑歌中。

後鳥羽院御集』など誰も読まない。『続後撰和歌集』にいたってはさらに読まれないと言ってよかろう。それにもかかわらずこの後鳥羽院の歌がすこぶる人口に膾炙(かいしゃ)し、「ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく」よりも、「見渡せば山もと霞むみなせ川ゆふべは秋と何思ひけむ」よりも、さらに「我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ」よりもよく知られているのは、ひとえに『小倉百人一首』の力である。すなわち藤原定家後鳥羽院の最高の作品としてこの一首を選んだわけだ。あるいはすくなくとも、上皇の歌としてはこの一首を選ぶようにと、息子の為家に言い残したわけだ。

 実を言うとかつてわたしはこのことに不審をいだいていた。定家が誰よりも恐れていたらしい当代の上手の、全作品を代表させるに足る歌とは思えなかったからである。もちろん『小倉百人一首』が定家の撰であることを疑い、室町以降の定家崇拝にあやかってでっちあげた伝説にすぎないとしりぞけるならば話は別だろう。しかしわたしは、いわゆる実證的研究の成果よりは長い歳月にわたる伝承のほうを重んずるし、それにどうやら最近は、この伝承のかならずしも迷妄ではないという学説がかなり有力なように見受けられる。これは、たとえ百歩ゆずっても、定家の意向が隅々まで反映していたと見るのが無難だろう。大部分は彼の手によって編まれたものを、ほんの一部分、後人の恣意によって手直しをするという事態は、当時の定家の名声から見てどうもあり得ないことのような気がする。すなわち、定家はやはりこの一首を後鳥羽院の代表作と見なしたのであろう。

 T・S・エリオットの名台詞(めいせりふ)をもじって言えば、定家と意見を異にすることは危険である。それはおそらく、ジョンソン博士と意見が分れることよりももっとあやういはずで、よほど覚悟を決めた上のことでなければならない。だが困ったことに、一応そうは認めながらもわたしは相変らずこの歌に感心しなかったのである。

 そのころのわたしの解釈は、至ってありきたりの単純なものであった。一体この歌の語句で問題なのは「をし」と「あぢきなく」くらいのもので、それとても前者は『大言海』に従って「愛(メ)ヅベシ。イツクシ。ヲカシ」と受取、後者もまた同じ辞書の言う「快カラズ思フ。ツラシ。ナサケナシ。無情」と見ればそれですむだろう。もともと難解では決してない歌なのである。しかしわたしがありきたりの解釈と言ったのはそういう語釈の問題ではなく、いわば倒幕の決意を秘めた政治的な歌として見ていたという事情にほかならない。国歌大系本の『続後撰和歌集』には、「人もをし人もうらめし」の注として、「前の人は忠良の臣を指し、後の人は鎌倉幕府の専横者を指す」とあるが、わたしも大体こういう具合に考えて内容の浅さをさげすんでいたらしい。そして、敢えて言い添えておくならば、普通はおおむねそういう性格の歌として受取られているのではないかと思う。

 ところがわたしの考えは、江戸末期の国学者、岡本况斎の『百首要解』によって打ち砕かれたのである。况斎は言う。

『源氏』、須磨、「かかる折は人わろく、うらめしき人多く、世の中はあぢきなきものかな、とのみ、よろづにつけて思(おぼ)す」とあるを用ひさせ給ひて一首となさせ給ひしなるべし。あぢきなく。心にかなはでせんすべなきをあぢきなしといへり。俗ににがにがしといふに似たりと県居翁いはれき。をしは愛の字をよめり。一首の意。せんすべきなき世を思(おぼ)しつづけ給ふにつきては、おんみづからの行く末いかがあらんと、よろづ御こころまかせ給はぬままになつかしく思(おぼ)す人もあり又うらめしく思す人もあり、と也。

 こうなれば話は違ってきて、たちまち『源氏物語』の地平が開けるわけである。『吾妻鑑』の陰鬱な日常のかわりに『源氏物語絵巻』の華麗な幻があらわれると言うほうがもっと具体的かもしれない。とにかく後鳥羽院はこのときみずからを光源氏になぞらえていた。水無瀬の離宮はまだ造営されていなかったけれども、水無瀬殿と須磨とを二重写しにすれば、そういう後鳥羽院の心意気は最も鮮かにとらえられるであろう。おそらく定家がこの歌を『小倉百人一首』に撰抄した動機としては、このような前代への思慕を喜ぶ気持が強く働いていたにちがいない。王朝の古典趣味ないし古典主義によって歌の奥行を増すことは、彼の歌学の基本だったからである。あるいは、文学の伝統を重んじることこそ彼の文学の核心にほかならないからである。

 そして王朝の風情をなつかしむ心でもう一押し押せば、幕末の国学者の言う「なつかしく思す人」とはすなわち寵妃、寵童であり、「うらめしく思す人」とは意に従わなかった女たち、少年たちということになるだろうか。「世」にはまた「男女の仲」という意もあるからだ。

 けれども光源氏の場合にも後鳥羽院の場合にも、もちろん恋愛だけに話を限ってはいけないだとう。彼らにはいずれも政治生活があったからである。と考えれば、ここの「世」には二重の意味が仕掛けられていることになるし、一首全体が恋の哀れと政治の悲しみとの双方を詠んだ、こみいった細工の歌となってあらわれるように思われる。》

 どうだろう、ここまでくれば、本書における丸谷の態度・方法をすでにほとんど言い尽くしている。すなわち、恋と政治とエロティシズムの「複雑で新鮮な味わい」の、時空を超えた多義的で多層的な鑑賞、批評である。

 

 以下、「しかし」「ところが」からの文章を引用するが、その前段部分は類推できると踏んでのことである(もちろん必要に応じて補完)。

 

<我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ>

《ところがここに『後鳥羽院御百首』に附した古注(文体から推して室町期のものと目される)があって、わたしに言わせれば一首はそう読むのが正しい。いわく。

   われこそはと云ふ肝要なり。家隆卿隠岐国へ参り、十日ばかりありて帰らんとし     給ふに、海風吹き帰りがたければ、我こそ新じま守となりて有れ共、など科なき家隆を 波風心して都へかへされぬとあそばしける。されば俄かに風しづまりて家隆卿都へ帰られしとなり。

 ただし、藤原家隆藤原定家と対照的なくらい、承久の乱以後も後鳥羽院に盡したことは事実だけれど、実を言えば彼は隠岐へは一度も行っていない。当時の旅の難儀と家隆の老齢を思えば、ただちに納得のゆくことである。つまりこの注釈の伝える挿話は後人の虚構に属するので、室町のころには和歌の功徳をたたえる説話がむやみにはやっていた。

 しかしわたしの言いたいのは、後鳥羽院が沖の海の浪風に「我こそは」と呼びかけるとき、それはみじめな流人として、しかも自分のため、哀願しているのでは決してなく、この島を守る者として、誰か他人のため、海に命令しているのだということである。その誰かとは荒天のため舟を出せずに当惑している漁師であると考えてもいいわけで、「新じま守」という言葉には、案外、つい先日まで支配していた日本の国全体の広さにくらべれば、こんな小島を司るくらいすこぶる易しいという自負がこめられているかもしれない。》

《われわれは、『増鏡』の単純な泪にまどわされて第一句の複雑なユーモアを見落としてはならないだろう。配所に生きる終身囚が寛濶に冗談を言う趣こそ、一首の最大の魅力なのである。

 ただし、単にユーモアを狙っただけのものとして見るのでは一面的になる。それは、滑稽とないまぜになっているだけにいよいよ哀切で、諧謔を弄しているだけいよいよ沈痛なアイロニーなのである。そういう風情を味わうためには、折口信夫の鑑賞が最も参考になるだろう。彼は『女房文学から隠者文学へ』のなかでこの歌に触れ、これは小野篁の「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ蜑(あま)の釣り舟」、および在原行平の「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」を「創作原因」にしているものだが、「小野篁在原行平が、同情者に向つて物を言うてゐるのとは、別途に出てゐる」と述べた。

  此歌には、同情者の期待は、微かになつてゐる。此日本国第一の尊長者である事の誇りが、多少、外面的に堕して居ながら、よく出て居る。歌として、たけを思ひ、しをりを忘れた為、しらべが生活律よりも積極的になり過ぎた。さう言ふ欠点はあるにしても、新古今の技巧が行きついた達意の姿を見せてゐる。叙事脈に傾いて、稍、はら薄い感じはするが、至尊種姓らしい格(ガラ)の大きさは、十分に出てゐる。

 折口にしては珍しく、「稍」とか「感じはするが」とか、但し書きの背後にためらいがあらわなのは、おのずから一首の貫禄を示すものだが、彼の指摘する「しをり」が忘れられ「しらべ」が強すぎるという二点は、わたしの言うユーモアやアイロニーのためには不可欠の仕掛けであった。しかし「格(ガラ)の大きさ」という言葉は、「我こそは」と大きく出てそのまま一気に詠み下した筆太な勢いをとらえて見事である。さすがは釋迢空と感嘆してもよかろう。》

 

<ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく>

《『新古今』歌風についてはさまざまに形容されているが、言葉の曖昧性ないし多義性を存分に利用していることはあまり指摘されていないような気がする。だが、何も余情(よせい)妖艶の歌のみに限らず、いわゆるたけ高きさまの場合にも、この手の工夫はずいぶんなされているようだ。曖昧さが詩の特質の一つであり、しかも日本語の一特色である以上、『新古今』時代の歌人たちがこれを利用しなかったはずはないし、第一、縁語とか掛け詞とかいう和歌の基本的な技巧そのものが曖昧性を目ざしているのである。『新古今』の歌人たちはそういう伝統的な技法を極度に複雑化することに腕を競いあった。そして『新古今集』の秀歌で古来論議のかまびすしいものは、みなここのところで話がもつれたものなのである。》と前置きしたうえで、

《たとえば藤原定家の「み渡せば花ももみじもなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕ぐれ」について二種の解がある。第一は花も紅葉もない、すなわち春秋二季の代表的な美の欠如した、その喪失の風情を歌っていると取るものである。そして第二は、海辺の秋の夕暮の蕭条たる眺めには花も紅葉も敵すべくはないと見るものである。(中略)

 しかしわたしには、見渡せば桜も紅葉もない、海のほとりの苫葺きの小屋からの秋の夕暮れにしくものはない、桜も紅葉もこれにはかなわぬ、という二重に入り組んだこころを、この三十一文字に託したように思われてならないし、事実、一首の読後われわれの心に残る朦朧(もうろう)たる印象の総体は、強いて散文に直せばこうなるような何かなのである。そして、定家がもしこういう趣を狙い、こういう工夫をこらしていたとするならば、同種のことを同時代の歌人たち、殊に彼の好敵手である後鳥羽院が試みようとしなかったと見るのは、詩人の仕事の現場に立会おうとしない者の見方であろう。そこでこの一首はわたしにとって、「春こそ空にほのぼのときにけらし」と「天のかぐ山ほのぼのと霞たなびく」の二つを、「ほのぼのと」によって、強引にしかも巧妙に結びつけた歌と見えてくるのである。これならば三夕の歌の一つにおける定家の発明にくらべ、遥かに単純なからくりにすぎないから、後鳥羽院には楽々と詠み捨てることができたはずだ。その程度の、至ってたどりやすい曖昧性なのである。ただし実を言えば、その易しさがかえって誤解を招くもとになるのだけれども。

 折口信夫は『新古今』の歌の散文訳を評して、鶏の羽根をむしったようになると嘲ったそうである。これは詩の訳そのものの宿命という局面のほかに、もう一つ、解釈を一方にしぼり単純化するせいで、『新古今』特有の模糊たる情趣が失われることも大きいのではないか。》

 

<鶯のなけどもいまだふる雪に杉の葉しろきあふさかのやま>

古今集』の「梅が枝にきゐる鶯春かけてなけどもいまだ雪は降りつつ」の本歌どりであり、《二つをくらべることは、『古今』と『新古今』の歌風について考えるうえでずいぶん役に立ちそうな気がする》、《本歌では視覚の喜びは関心の対象となっていない。鶯と雪という取合せはもっぱら時間の相のおもしろさでとらえられ、季節はずれの事象に対する知的な配慮だけが全体を覆っている》と前提したうえで、

《ところが本歌どりのほうになると、「ふる雪に杉の葉しろき」といきなりつづく効果のせいで杉の葉のみどりと白い雪とが衝突し、その鮮やかな色彩美に驚くわれわれの脳裡において、鶯いろの春の鳥は白雪の上に姿をあらわす。その訪れ方はまことに優雅で、ここでは春鶯囀はいささかも眼の楽しみをさまたげず、むしろつつましく伴奏しているようである。(中略)こういう鮮麗な色彩への関心は後鳥羽院の好みだったし、(たとえば「此の比は花も紅葉も枝になししばしな消えそ松のしら雪」)、また『新古今』時代一般の(たとえば慈円の「もみじ葉はおのが染めたる色ぞかしよそげにおける今朝の霜かな」)そして殊に藤原定家の、得意の業であった(たとえば「ひとりぬる山どりのをのしだりをに霜おきまよふ床の月かげ」)。この流行にはおそらく舶載された宋の絵画の影響がありそうな気がする。》

 

<見渡せば山もと霞むみなせ川夕べは秋と何思ひけん>

《しかし第三に、彼が個人としてでも詩人としてでもなく、いわば帝王として見渡したという局面があった。このことを最もあらわに示すのは、建保四年二月の百首歌のおしまいの一首、

  見渡せばむらの朝けぞ霞ゆく民のかまども春に逢ふころ

である。(中略)おそらく後鳥羽院はみずからを古代の聖天子になぞらえて国見をおこない、「民のかまど」の繁栄を慶賀していたのである。そのとき「煙」が「霞」に変じ、「立ち立つ」や「にぎはひ」が「春に逢ふ」と婉曲に取りなされるのは、『万葉』や『古今』と違う『新古今』の優雅というものであったろう。

 国見という、高所から国土を見渡して賛美する農耕儀式は古代における天皇の行事であったが、それはやがて時代の移り変わりと共に政治的・呪術的な意識が薄れ、単に風景を観賞するだけの美的な性格のものに変ったらしい。(中略)もちろん一応のところ、後鳥羽院は水無瀬の離宮において春の夕景色を楽しんでいたし、そのとき『枕草子』以来の風景美論は彼の心を去来していた。しかしこのとき、そういう美的な意識の底に、自分は帝王として国見をしているのだという誇り、この眺望はすべて自分の所有するところだという満足が揺れ動いていなかったと判断するのは、むしろ困難なことのような気がする。時に国見に最もふさわしいはずの春であったし、それに上皇は自分を古代の帝王に擬することなど大好きな、芝居っ気の多い性格だったにちがいない。ゆったりとした調べの快さはもともと後鳥羽院の天性のものだが、ここでは古人をしのぶ(あるいは気取る)ことによって、それがいsっそう見事に、そして自然に発揮されることになった。しかもそのいわゆる帝王ぶりが下の句の知的な感触(「秋は夕といふは、常のことなるに、夕は秋とあるは、こよなくめづらか也」と宣長は評した)によってあざやかな

『新古今』調に旋回しながら、それでもなお上の句の鷹揚な味わいをそこなわないあたり、まことに嘆賞に値する。三句切れによって連歌さながらにまっぷたつに割れた上の句と下の句の、衝突と調和の呼吸は、疎句歌の妙趣を模範的に示すものであろう。ここにはほとんど後鳥羽院のすべてがある。》

 

<むかしたれあれなん後のかたみとて志賀の都に花をうゑけん>

 藤原良経の「むかしたれかかる桜の種をうゑてよし野を春の山となしけん」と同工異曲である。

《しかし良経が「むかし」をなつかしんで詠んだ歌は、単に自然としての太古と現在とを対比するだけの若々しくて単純な味のものなのに、ここではむしろ人事として過去と現在とがくらべられ、歴史への感慨の底に個人の悲しみがちらつくという、複雑な仕掛けになっている。配所にあって年老いてゆく上皇は、桜を植えたばかりのころの「志賀の都」と二重映しにして、かつての自分の栄華を眺めているのである。》

 

<み渡せば花の横雲たちにけりをぐらの峯の春のあけぼの>

《しかしわたしはこの歌に執着したい気持を捨てることができないし、同じ小倉の峯の春景色にしても、定家の描いたもの(筆者註:「しら雲の春はかさねてたつた山をぐらの峯に花にほふらし」)よりももっと絵画美に富んでいるように思われるのである。(中略)後鳥羽院の狙いは純粋な色彩美にあった。すなわちわれわれは、「花の横雲」の匂やかな明るさから「春のあけぼの」の薄明を経て「をぐらのみね」の晦暗に至るまでの展望を一時に楽しむことができる。しかもその晦暗は単なる暗さではなく、「小暗し」の「小(を)」によって微妙な限定をつけられ、こうして明暗の対照と調和はまことに洗練された意匠を形づくるのである。》

 

<みよしのの高ねの桜ちりにけり嵐もしろき春のあけぼの>

《しかしここで言っておかなければならないのは、それにもかかわらずこの一首が俊成(筆者註:「又やみんかたののものに桜がり花の雪ちる春の明ぼの」)の模倣ではなく、個性に根ざした自己表現の成果だということである。ちょうど定家が俊成の詠の時間性を歌った局面に留意し、それを掘り下げることで清新な頽廃の詩を創造したと同じように、後鳥羽院は俊成の和歌のドラマチックな様式美という局面に注目し、そこから出発して一種メロドラマチックな、あるいはサディスチックと呼んでもいい豊麗な壁画を描いた。》

 

<夏山の繁みにはへる青つづらくるしやうき世わが身一つに>

《しかし一首の妙味は、上の句が一応はまさしく序詞でありながら、それ以上の何かに高められていることである。夏山の繁みを苦しげに這う一本の青つづらは、ひょっとすると王朝の優雅な趣味に逆らうのではないかと案じられるほど鮮明に差出され、次にとつぜん、憂き世の苦しみを一身に引受けている男の姿が映し出される。その呼吸は映画のモンタージュ手法に似ているが、もっと直接的には、連歌の影響を受けた疎句の放れ業であろう。》

 

<野はらより露のゆかりを尋ねきてわが衣手に秋風ぞ吹く>

《しかし一首の鑑賞で最も重要なのは、第一句「野はらより」である。一体「野原」という言葉は、『源氏物語』若菜 上に、「霜枯れわたれる野原のままに、馬、車のゆき通ふ音、しげくひびきたり」とはあるものの、雅語ないし歌語という性格の乏しい言葉だったのではないかという気がする。「野」や「野辺」や「野中」にくらべてかなり格式の落ちる言葉だったのではなかろうか。『新古今』以前の七つの勅撰集のうち、この語をもってはじまる句を持つ歌が、「拾遺」の「さわらびや下にもゆらむ霜がれの野原のけぶり春めきにけり」と、『金葉』の「ゆふ露の玉かづらして女郎花野原の風にをれやふすらむ」の二首しか見当らないことは、こういう推測を多少は支えてくれるだろう。ところが『新古今』になると、この言葉ではじめる句が四首もあるのだから(たとえば源家長、「けふは又しらぬ野原に行き暮れぬいづくの山か月はいづらん」)、どうやらこの時期に言語意識が改まって、「野原」がとつぜん歌語として取入れられたものらしい。これは一つには語彙をふやしたちという欲求のあらわれだろうが、その際、藤原俊成のよって高められた『源氏物語』への尊敬が大きく作用し、若葉の巻の先程あげたくだりが恰好の言いわけとなったのではなかろうか。

 なかんづく勇ましいのは後鳥羽院で、この言葉でいきなり歌いだすという放れ業をやってのけた。これを放れ業と呼ぶのは大袈裟に聞えるかもしれないけれど、『国歌大観』、『続国歌大観』を通じて「野原」という言葉が冒頭に来るのはこの一首だけなのである。おそらく『新古今』時代の歌人たちにとって、この第一句は呆れるほど衝撃の強いものだったに相違ない。それは歌うべからざるものを歌おうとする破天荒な姿勢なのである。》

 

<橋ひめのかたしき衣さむしろに待つ夜むなしきうぢの曙>

 橋姫は『新古今』時代の代表的な題材で、宇治の女を詠む流行は、たくさんの名歌を残している。たとえば、「さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月をかたしくうぢの橋ひめ」藤原定家、「はしひめの袖の朝霜なほさえてかすみふきこす宇治の川風」俊成卿女、などいくらでもあげられる。

《しかし、これは発生的には古代信仰にかかわる話だから、まず民俗学のほうを一わたり調べなければなるまい》

ということで、《柳田国男によれば、「橋姫といふのは、大昔我々の祖先が街道の橋の袂に、祀ってゐた美しい女神のことで」、宇治橋に限らず、諸国の数々の橋に橋姫がいた痕跡があるし(たとえば甲斐の国玉(くだま)の大橋、近江の瀬田橋、青梅街道の淀橋、伊勢の神宮宇治橋)》というふうにあたってゆく。『新古今』時代の歌人たちは、何よりも『古今』の「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらん宇治の橋姫」読人しらず、に魅せられたらしい。ところで、『源氏物語』の「総角(あげまき)」の「中絶えしものならなくに橋姫の片敷く袖や夜半に濡らさん」という匂宮の歌を介して、「宇治十帖」の世界が寄り添っていた気配がある。

 さらに丸谷は、《ここで当然、歌枕としての宇治川ということが問題になる。(中略)しかし歌枕について考える場合、地名が掛け詞や序という修辞の工夫によってさまざまの色調をおび、さまざまの観念と結びつくことを忘れてはならない。阿武隈(あぶくま)川は動詞「逢ふ」を含み、小夜(さや)の中山は「さやか」という名詞を呼び起す。同様に宇治は「憂し」という形容詞を見えがくれに示して一首の含蓄を深めるのである》と、「宇治」と「憂(う)し」との言葉の重層性に言及したあと、モダニズムの定義を展開して「七夕説話」と「橋姫」の共通点に到る。

《しかし、もう少し別種の文学的技法の問題がある。これは二十世紀のヨーロッパに広く見られる現象だが、文学者たちは写実主義から脱出する手がかりを神話に求め、主義から脱出する手がかりを神話に求め、競ってさまざまの神話を枠組としながら彼らの世界を表現した。それはパスティーシュであり、あるいはパロディであり、あるいは再解釈という形をとったけれども、この「いわゆる神話的方法を用いたなかで、詩を代表するのはヴァレリーの『若いパルク』とエリオットの『荒地』、戯曲を代表するのはジロドゥーの『アンフィトリオン38』とサルトルの『蠅』、そして小説を代表するのはジョイスの『ユリシーズ』とトーマス・マンの『ファウスト博士』ということになろうか。とにかくよりぬきの傑作がむやみに多くて選択に苦労するほどこの方法は一世を風靡したのである。

 こういう態度の根柢には、人間性は時代によって変るものではなく、古代だろうと現代だろうと本質的には同じだという認識があるにちがいない。そしてこれはわれわれのほうから見ると、単に十九世紀の歴史主義への反動となるかもしれないけれど、実は十九世紀の思考が全人類史の例外なのである。歴史主義という近代の病患に犯されぬ限り、人間は常に普遍的なものを尊んできたし、それゆえ神話はこれほど久しいあいだ、何千年の昔から人間の魂をとらえてきたのだ。二十世紀文学の神話的方法は、こういう健全な人間観を再認識し、健全な文学観を再建するための試みにすぎない。

 とすれば、わが王朝の歌人たちが一種の神話的方法を採用したのはいささかも驚くに当らない話だろう。その最も代表的なものは七夕説話で、『古今集』の歌人はたとえば織女の心になって、

  ひさかたの天の河原の渡し守きみ渡りなば梶かくしてよ

と詠み、そして『新古今集』の歌人はたとえば、表むき七夕の歌と見せかけながら、

  七夕のと渡る舟のかぢの葉にいく秋かきつ露の玉づさ

という実は恋歌を詠んだ。そしてわたしの見たところ、『新古今』歌人たちが七夕説話に次いで重んじたものは橋姫伝説にほかならない。

 当然、七夕と橋姫という二つの神話の共通点を探しだすのが必要な手つづきになるわけだが、これは至って易しい。いずれも恋愛神話であり、いずれも悲劇的な設定であると答えればそれで要は尽しているのである。》

 それから丸谷は、《しかし二つの悲恋物語をもうすこし眺めれば、第三の共通点に気がつくことになる。いずれも、いっしょに暮している男女ではなく、ときどき逢う仲だということである》と風俗的な視点も考察し、高群逸枝『日本婚姻史』の「擬制婿取婚」に目配りして、《『源氏物語』に典型的に示される王朝ふうの男女関係は、亡んでいたか、あるいはすくなくとも亡びかけていたのであろう》から《王朝ふうの自由な男女関係が衰えたことを寂しんでいたのであろう》とした。さらには、

《しかしこの男女関係の問題にからんで、もう一つ注目に価する要素がある。平安後期から娼婦の数がふえ、貴顕こぞって白拍子と遊女とを好み、なかには宮廷に出入りする者もあったという現象がそれで、当代歌壇における橋姫ばやりの最も直接的な原因としてはおそらくこれをあげるのが正しいだろう。(中略)そして後鳥羽院が娼婦たちをすこぶる愛したことは、この傾向をいよいよ助長したにちがいないのである。上皇がこの種の女を後宮に入れた例としては、亀菊のことが最も知られている》と平安後期の白拍子・遊女好みの影響にまで及び、橋の女には複合的、多層的なイメージがあって、《それはまた、凡俗な日常に生きる同時代の娼婦にさえも至高の女神の面影を見出だし、変転の諸相を隈なく探ることによって普遍的な人間を捉えるという神話的方法の精髄なのである》と論じた。

 

<駒なめてうちいでの浜をみわたせば朝日にさわぐしがの浦波>

《しかし「朝日にさわぐ」はこれだけ卓抜な句でありながら誰にも模倣されなかったし(『国歌大観』所収の厖大な数の和歌のうち、この句を含むのは後鳥羽院の一首だけである)、それゆえ当然、制の詞(筆者註:中世歌学で使用を制限・禁止した語句。定家の子、為家の歌論書「詠歌(えいが)一体(いってい)」が,特定歌人が創出した個性的表現を「主ある詞」として,後人が安易に模倣・濫用するのを戒めたことに始まる)とならなかった。これはたとえば藤原定家の「雪の夕ぐれ」(「駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ」)がくりかえし取入れられたあげく(たとえば、永福門院の「鳥のこゑ松のあらしのおともせず山しづかなる雪のゆふぐれ」)、制の詞に指定されたという事情とほとんど好対照をなすであろう。新鮮すぎるとわたしは言ったが、おそらく後世の歌人たちはこの一句に、王朝文学の正統から逸脱した危険なもの――尚武の気風と革命(あるいは反革命)の興奮を嗅ぎあて、それゆえ「朝日にさわぐ」を盗まなかったのではないか。》

 

<袖の露もあらぬ色にぞ消えかへるうつればかはる嘆きせしまに>

《一首はわたしの見るところ五段がまえになっていて、第一にその心がわりがあり、第二に「袖の露」が「あらぬ色に」すなわち紅涙(筆者註:血の涙)になる。第三にその紅涙さえ(「も」はまずこの意味で使われる)消える(「消えかへる」は「消ゆ」を強調した語)。第四に、秋が草葉に置いた露が消え、第五に、嘆きのあまり自分の露の命もまた消え入りそうでなのである。この第四と第五の層の、草の露および露の命の存在を暗示するために「袖の露も」の「もまた」があるだろう。

 しかし、これだけこみいったことを三十一音に収めた芸もさることながら、最も嘆賞に値するのは、そのはなはだしい多肢と複雑にもかかわらず、調べがまことにおっとりとしていて、天衣無縫なことである。いわゆる帝王調の歌を詠む天皇はほかにもいるし、いわゆる『新古今』調の歌人は数多い。しかし、これだけの高度な技巧を身につけた帝王調の歌人は、日本文学史にただ一人しかいなかった。》

 

<「あとがき」>

 生前、丸谷は挨拶の名人と言われた(『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』というスピーチ集がある)が、この「あとがき」は見事な挨拶となっている。全文を引用するわけにはいかないが、その一端だけでも感じ取れるだろうか。

《しかし、わたしが『新古今』に熱をあげることになったのは、今となっては遠い昔のある日、何かの用で菊池さんのお宅に伺った際、書架にあった「日本歌学大系」の端本を見て、借りて帰ったのがきっかけのような気がしてならない。そのなかの『東野州聞書』に書きとめてある、

                           藤原定家

  生駒山あらしも秋の色に吹く手染の絲のよるぞ悲しき

の正徹の分析にたちまち心をとらえられたのである。それは当時わたしが、永川玲二、高松雄一小池滋、沢崎順之助、その他の同僚たちと一緒にジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読みながら、主として彼らのおかげで発見することができた『フィネガンズ・ウェイク』解読の方法と何一つ変るところがないように感じられた。このときわたしは日本の中世文学を理解し、それと同時に西欧の二十世紀文学を理解したのではなかろうか。あるいは、明治維新以後百年の文学の歪みを知ったのではなかろうか。エリオットの言う「伝統」という概念の真の理解は、まことに奇妙なことに、あるいは当然なことに、わたしの場合「日本歌学大系」によってもたらされたのである。わたしは夢中になって中世の歌論を詠み、『新古今』を読んだ。あるいは、ジョイス=エリオットの方法によるものとしての『新古今』を読んだ。わたしがホメロス以後、ないし柿本人麿以後の文学の正統に近づくためには、ただこの態度しかなかったのである。

 そしてわたしは二重三重に恵まれていた。『新古今』の読み方について教えを乞うたとき、佐藤さんは言下に、本居宣長以降のいわゆる新注に就くことをしりぞけ、連歌師たちの注釈を読めと語ったのである。わたしは自信をもって、『フィネガンズ・ウェイク』や『荒地』をはじめとする二十世紀のイギリス文学と、『拾遺愚草』や『後鳥羽院御集』を代表とする日本中世文学との鮮明な対応という線をたどることができた。図書館の書架でたまたま手にした『後鳥羽院御百首』の室町期の古注によって、小学教科書で教わって以来、久しいあいだ疑問としていた、

                           後鳥羽院

  我こそは新じま守よ沖の海のあらき浪かぜ心してふけ

の謎がとけたのも、このころだったような気がする。そしてこの歌にこだわることは、必然的に、折口信夫の学問へとわたしを導いて行ったし、『女房文学から隠者文学へ』というかけ値なしの傑作はわたしと『新古今』との関係をいっそう深いものにしてくれた。それは日本文学史全体のなかに後鳥羽院と定家とを据えることによって、実は彼らを世界文学のなかにまことに正しく位置づけていたのである。》

 

 こうして、一気に日本文学史と世界文学とを同じ地平で眺めることができるし、事実、無数の可逆的な視線が丸谷才一後鳥羽院』には張りめぐらされている。

 

 ここで突飛なようだが、関容子『芸づくし忠臣蔵』(文春文庫)の丸谷才一「解説」をもって締めくくりとしたい。丸谷の「解説」には、関容子の本について解説しながら自己の方法を開陳している自身の姿が見える。『忠臣蔵』を後鳥羽院和歌に、歌舞伎・日本演劇を日本文学史に置換し、大成駒に藝談を聞く構成・エピソードを「人もをし人もうらめしあぢきなく世をおもふ故にもの思ふ身は」の書き出しと比べてみるがよい。

《歌舞伎の運命に対して強い危機感をいだいてゐる人が、『忠臣蔵』をテクストにして書いた歌舞伎總論なのだ》、《関容子は『忠臣蔵』といふ好個の話柄によつて、日本演劇が生きつづけてゆく姿を具体的にとらへようとした》、《大切なのはこの志の高さと新しさである。そこにはかつての好劇家のそれとは次元を異にする歴史意識がある》、《藝談と逸話を次々に披露しながら、取捨選択によつて批評をおこなひ、さらにはもちろん『忠臣蔵』を論じ、『忠臣蔵』の生成と歴史を説いてゐます》。

《まづ歌右衛門を岡本町に訪ねて藝談を聞くところからはじまるのだが、そのとき、案内の人に成駒屋の愛犬の名を聞いて置き、通された客間でその犬がゆつくりと著者に近づいて来ると、左手を犬に伸ばして小さな声で「花子ちゃん」と呼ぶ。「犬がわずかにシッポを振り、(中略)大成駒が花のように笑っていた」。(中略)開巻第一に伝説的な名女形を持つて来て景気をつけるといふ意味でも、自分の方法を明かすといふ意味でも、この冒頭はじつにうまく行つてゐる》。

 もちろん、関容子が「文庫本のためのあとがき」で述べているように、《考えてみると、物に憑かれたように「忠臣蔵忠臣蔵」と言い暮らしてきました。どうやら丸谷才一先生の『忠臣蔵とは何か』を読んでからなおのことそうなったように思います。とりわけ、判官の非業の死を勘平がもう一度(世話物バージョンで)繰返すのだ、という指摘を読んだときの、目の前の霧がパッを晴れたような衝撃。それに導き出されて、勘平があのあばら家の中で一人浅葱の紋服に着換えるのは、判官の白装束水裃姿に重なる、既に死装束であり、美男の切腹を主題にした遁走曲なのだ、と気づいたのでした。実はここが私の自慢の箇所で、でもあの本に出会わなかったら、「とは何か」と考える態度を勉強することがなく、これは単なる芸談コレクションで終っていたかも知れません》のとおり、「とは何か」によって裏打ちされての『後鳥羽院』なのである。                                                                   (了)

         *****引用または参考文献*****

丸谷才一『日本詩人選10 後鳥羽院』(筑摩書房

*『丸谷才一全集』(新潮社)

丸谷才一後鳥羽院 第二版』(ちくま学芸文庫

丸谷才一『新々百人一首』(新潮社)

丸谷才一『笹まくら』(新潮文庫

折口信夫折口信夫全集第一巻 古代研究(國文學篇)』(「女房文學から隠者文學へ」所収)(中公文庫)

*関容子『芸づくし忠臣蔵』(丸谷才一「解説」所収)(中公文庫)

保田與重郎後鳥羽院』(講談社

 

文学批評 吉岡実、禁欲と侵犯の窃視者

 

                                   

 詩人吉岡実に、舞踏家土方巽についての『土方巽頌――<日記>と<引用>による』という書物がある。その「補足的で断章的な後書」によれば、

《「土方巽とは何者?」誰もがそう思っているにちがいない。この人物と二十年の交流があるものの、私には「一個の天才」を十全に捉えることは出来ないだろう。そこで私は自分の「日記」を中心に据え、土方巽の周辺の友人、知己の証言を藉り、そして舞踏家の箴言的な言葉を、適宜挿入する、構成を試みた。まさしく、「日記」と「証言」に依る「引用」の『土方巽頌』である。》

 その方法にならい、吉岡実の詩、散文や討議・対談の発言を「引用」して、「吉岡実とは何者?」に少しでも迫ってみたい。吉岡は「補足的で断章的な後書」の最後にこう引用したではないか、《「私たちのように思考する者にとっては、あらゆる事物がひとりでに踊るのだ」》(ニーチェ)。

 

吉岡実をめぐる対話 没後三十年を機に 朝吹享二+城戸朱里」(『みらいらん 2020 Summer第6号 特集吉岡実』に所収)の発言と、松浦寿輝「後ろ姿を見る――『サフラン摘み』の位置」(『特装版 現代詩読本 吉岡実』に所収)からの引用を軸に、「討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」や吉岡の散文などを絡めながら吉岡実の詩と踊りたい。

 

<「吉岡実をめぐる対話 没後三十年を機に 朝吹享二+城戸朱里」>

《城戸:いちばん重要なのは、吉岡実が、徹底したリアリストであったということだと思います。

 吉岡さん自身が自らの詩を一行、一行、リアリズムと語ったことがありましたが、あれだけ異形(いぎょう)の詩が、吉岡さんにとってはリアルなものとして把握されていた。

 それは、いったいなぜなのか。ここに吉岡実を理解するひとつのポイントがあると思います。

 吉岡さんは社会人としては戦後、筑摩書房に勤め取締役までなったわけで、少なからぬ友人が語っているように、きわめて常識的な人でもありました。コーヒーが好きで、舞踏や美術を愛し、俳句や短歌を好んで読まれていましたが、同時にストリップとポルノ映画の愛好家でもあった。そして、そうしたものから詩想を汲み上げていったわけですが、その意味では、吉岡さんの詩はリアルな何かから始まって、吉岡実という触媒が介在することによって異形の詩の言葉が生成していくという印象がありますね。》

 

 ストリップに関して補足すれば、

 大岡信吉岡実もストリップ劇場に行ってせんべいをぼりぼりかじったりしている連中のなかで出し物を見てると気持ちが安まるってことがあったでしょう。宮沢賢治はストリップには通わない。朔太郎は何やらこわごわと行ったんじゃないか。吉岡実は嬉々として行った(笑)。「岐阜のどことかはすごいよお」とかいう情報を彼から聞いて、なるほど筑摩書房の重役さんはいろんなところへ行っとるなあと思った(笑)。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

 その「リアル」(あるいは「半具象」)に関連して、吉岡実の数少ない散文のうち、「読書遍歴」「リルケロダン』――私の一冊」と、自他ともに詩論を書かなかった吉岡にしては稀有な「わたしの作詩法?」から引用しておこう。

《昭和十六年八月から満州へ出征し、朝鮮済州島終戦を迎えるまでの、四年六ヵ月、わたしは果してどんな本を読んだか、その多くを記憶していない。軍隊の悲惨な日々の中で、ひそかに日記と詩を書きながら、折にふれて、岩波文庫リルケの『ロダン』を読んでいた。内務検査の時、わたしはいつも厩舎の寝藁の中へ、七、八冊の翻訳書を匿したものだ。ゲーテの『親和力』もその数少ない私物品の一つだった。リルケの『ロダン』の手仕事の精神が、戦後のわたしの詩作へ大きく影響しているといえる。》(「読書遍歴」)

《さて、リルケの『ロダン』であるが、巨匠ロダンへの詩人の純粋な魂が、いかに傾倒していったかの、告白の書である。しかし、私にとっては、ロダンの偉大さは、どうでもよかった。透明な空間へ鋳こまれたような、リルケの言葉――肉体の鎖、螺条、蔓。罪の甘露が痛苦の根からのぼって行く、重くみのった葡萄のように房なす形象――というような陰影深い詩的文体に、私は魅せられた。(中略)

ロダン』一巻は、リルケロダンの精神と彫刻を賛美しながら、自己の「試論」を展開しているように、私には思われた。だが真の啓示を受けたと、いえるのは次の章句である。

  何物かが一つの生命となり得るか否かは、けっして偉大な理念によるのではなく、 ひとがそういう理念から一つの手仕事を、日常的な或るものを、ひとのところに最後までとどまる或るものを作るか否かにかかっているのです。

 この言葉はおそらく、ロダンの言葉であると同時に、またリルケの理念といってもよいのだろう。私は一つの方向を指示された思いだった。それからは、詩を書くときはつとめて、職人が器物をつくるように、「霊感に頼ることなく」、手仕事を続けてきたのである。それらの詩篇が、詩集『静物』へと生成していったのであった。》(リルケロダン』――私の一冊)

 

《或る人は、わたしの詩を絵画性がある、又は彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造形への願望はつよいのである。詩は感情の吐露、自然への同化に向って、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えても、多肢な時間の回路を持つ内部構造が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれど、いくつかの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。》(「わたしの作詩法?」)

 

《  苦力

支那の男は走る馬の下で眠る

瓜のかたちの小さな頭を

馬の陰茎にぴったり沿わせて

ときにはそれに吊りさがり

冬の刈られた槍ぶすまの高梁の地形を

排泄しながらのり越える

支那の男は輝く涎をたらし

縄の手足で肥えた馬の胴体を結び上げ

満月にねじあやめの咲きみだれた

丘陵を去ってゆく

より大きな命運を求めて

朝がくれば川をとび越える

馬の耳のあいだで

支那の男は巧みに餌食する

粟の熱い粥をゆっくり匙で口へはこびこむ

世人には信じられぬ芸当だ

利害や見世物の営みでなく

それは天性の魂がもっぱら行う密儀といえる

走る馬の後肢の檻からたえず

吹きだされる尾の束で

支那の男は人馬一体の汗をふく

はげしく見開かれた馬の眼の膜を通じ

赤目の小児・崩れた土の家・楊柳の緑で包まれた柩

黄色い砂の竜巻を一瞥し

支那の男は病患の歴史を憎む

馬は住みついて離れぬ主人のため走りつづけ

死にかかって跳躍を試みる

まさに飛翔する時

最後の放屁のこだま

浮かぶ馬の臀を裂く

支那の男は間髪を入れず

徒労と肉欲の衝動をまっちさせ

背の方から妻をめとり

種族の繁栄を成就した

零細な事物と偉大な予感を

万朶の雲が産む暁

支那の男はおのれを侮辱しつづける

禁制の首都・敵へ

陰惨な刑罰を加えに向う

(中略)

 これは兵隊で四年間すごした満州の体験である。

支那の男」とは、当時の満人である。満人というより、「支那の男」の方がスケールが大きいと思ったからである。彼らは裸馬を巧みに乗りこなしていた。馬は満馬といって、小形であるが、大変気質が激しく、乗りにくい。

 わたしたち輜重兵は、馬運動と称して、毎日のように、馬にのって遠くの部落まで。高粱畑を越して行った。冬は刈られた高粱が、まさに鑓先を揃えて、どこまでも続く。万一にも落馬したら、腹にでも顔にでも突きささるだろう。そんな恐怖感があった。(中略)「排泄しながらのり越える」とは、兵隊とはいえ、わたしたちの中には、排泄の場所は習慣として、一定のところへするが、満州では、満人部落の周辺といわず、曠野に道に、排泄物がちらばっている。もちろん家畜のものもあるが、排泄物こそ彼らの力であるように思えた。極寒の兵舎の厠のぞっとする底で、火山の噴出物のような排泄物の氷った塊の山をつるはしで崩していた満人の見えない顔。(中略)或る別の部落へ行った。兵隊たちは馬を樹や垣根につなぐと、土造りの暗い家に入って、チャンチュウや卵を求めて飲む。或るものは、木のかげで博打をする。豚の奇妙な屠殺方法に感心する。わたしは、暗いオンドルのかげに黒衣の少女をみた。老いた父へ粥をつくっている。わたしに対して、礼をとるのでもなければ、憎悪の眼を向けるでもなく、ただ粟粥をつくる少女に、この世のものとは思われぬ美を感じた。その帰り豪雨にあい、曠野をわたしたちは馬賊のように疾走する。ときどき草の中の地に真紅の一むら吾亦紅が咲いていた。満人の少女と吾亦紅の花が、今日でも鮮やかにわたしの眼に見える。揚柳の下に、豪華な色彩の柩が放置されているのも、異様な光景だ。ふたをとって覗いて見たらと思ったが、遂に見たことはない。びらんした屍体か、白骨が収まっているのだろう。みどりに芽吹く外景と係りなく。やがて黄塵が吹きすさぶ時がくるのだ。

 反抗的でも従順でもない彼ら満人たちにいつも、わたしたちはある種の恐れを抱いていたのではないだろうか。(中略)

 彼らは今、誰に向って「陰惨な刑罰」を加えつつあるのか。

 わたしの詩の中に、大変エロティックでかつグロテスクな双貌があるとしたら、人間への愛と不信をつねに感じているからである。》(「わたしの作詩法?」)

 

 満州体験と詩篇「苦力」については、

 平出隆《「苦力」というのは特徴のある詩なんですけれども、一つは吉岡さん自身の身ごなしのようなものが見えてくるような作品ですね。いろんな方がエッセイで生身の吉岡さんの身ごなしについて語っているんですけれども、「支那の男」の身軽さ、舞踏性すらある身軽さ、そういうものが詩人自身の身体表現にもつながってゆくわけですね。このことは例えば土方巽さんとの交りなんかともかかわっていくように思えます。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 大岡信吉岡実と同世代の大学まで行ったような人たち、つまりエリートコースに否応なく乗ってしまって軍隊に学徒動員みたいな形で行った人たちと彼との違い、一兵卒で招集されて満州へ行って馬と格闘したという違いが、吉岡実の最晩年まで貫いているように思うんです。だけどそうであるから吉岡実は孤立していたかというとそうじゃなかった。そのことがこの人の場合、詩人の栄光としてあったと思います。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

《朝吹:詩集『僧侶』において特筆すべきは肉体の特出性です。吉岡実の詩の物質性についてはすでに指摘しましたが、ここにあらわれる肉体のプレゼンスも凄い。

 ここでとりわけ注目したいのは「管」です。「はげしい空腹と渇き/やみから抽き出された/一つの長い管を通りぬけ/坐りこんだ臓物」(仕事)とか「流通する熱と臭気をぬきながら 肛門につながる管をけんめいにたぐり出す 抑えきれぬゴムの状態で かさばりはじめ 部屋中を占めてのたうちまわる」(伝説)とか「もろい下の躰の管をすすむ血の粗い無責任な軍隊を見すごす」(固形)の出てくる「管」です。次の『紡錘形』の有名な「下痢」もそうですし、疫病で言えば、ペストではなく「コレラ」(『神秘的な時代の詩』)なんですね。人がただ単なる一本の筒であり管になってしまう。まさにアントナン・アルトー的というか、器官なき身体というか。これは強烈です。

 この肉体の(あるいは肉体の空洞化の)プレザンスはしかし言葉のプレザンスそのものなわけです。エロスもそうですね。禁忌への侵犯、羞恥の暴露という要素も言葉の問題として考えています。例えば「死児」の「首のない馬の腸のとぐろまく夜の陣地/姦淫された少女のほそい股が見せる焼かれた屋根/朝の沼での兵士と死んだ魚の婚礼」ここは特にポルノグラフィックなエロスはないのですが、グロテスクな像をむすぶ言葉が重なって、そのイメージの動き、つまり言葉の動きのなかに怖ろしいエロスがあらわれてくる。見てはいけないものを見てしまうエロスがある。「水のもりあがり」でも「女と魚 くらい鏡の割れ目からもりあがってくる水」のような見てはいけないモノを暴露するエロスがあるのですね。》

 

 大岡信吉岡実の愛用した言葉の一つに「いかがわしい」という言い方があります。いかがわしい世界を書きたいという欲望があって、それは『僧侶』ではひじょうに明確にあるんですね。あれは昭和三十三年に出た詩集です。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

《朝吹:『神秘的な時代の詩』は『静かな家』から始まり『サフラン摘み』に至る、それまでのグロテスクなまでの肉のプレザンスによるエロスとはまた異なるエロティシズムが充溢する三部作ともいえる詩集のひとつなのですが、(中略)『僧侶』『紡錘形』の形而下的な肉のあらわれから形而上的なエロスへ、と言っていいかもしれません。『静かな家』でいえば、「桃 あるいはヴィクトリー」に「わ ヴィクトリー/挽かれた肉の出るところ/金門のゴール?」「かがやかしく/大便臭い入江/わ ヴィクトリー/老人の口/それは技術的にも大きく/ゴムホースできれいに洗浄される」といったあいかわらず管化した筒としての肉が描かれますが、どこかきらきらかがやいているところがある。「わたしたち再びうまれるとしたら/さびしいヴィオレット色の甘皮からだ/それはいじるより見る方が美しい」(聖母頌)とあるように見るという、エロスの対象への距離が重要になってくる。それはエロスの後退ではなく、どこまでも到達できない対象への痙攣的な欲望を示しているのだと思います。「夕焼けの空のストロベリージュースを/きみの母の血でなければ/かれらの妹の植物化した直腸の液」(内的な恋唄)のように肉なんだけどどこか遠い。この距離感は批判ではありません。むしろ距離がつくられることでかがやかしいエロスが浮き上がってくる。『神秘的な時代の詩』の「少女こそぼくらの仮想の敵だよ!/夏草へながながとねて/ブルーの毛の股をつつましく見せる」(聖少女)、ここから『サフラン摘み』のアリス詩篇は直結していますね。「それにしてもわしは覗きたい 袋とペチコートの内側を/なまめかしい少女群の羽離れする 甘美な季節の終り/かくも深く彼女らの皮膚を穿ち 水と塩を吸い/夜は火と煙を吹き上げる 謎の言語少女よいずこ」(『アリス』狩り)覗き見、視姦の密かな悦び。しかし、一体何を見ているのか? 言語少女なのです。視姦されているのは言語なのだというのは重要ですね。》

 

《城戸:吉岡実においては「見る」ことが、詩の発端にあったということは重要ですよね。その意味では、吉岡さんにとって、舞踏や美術とストリップやポルノ映画も同じ次元にあるものだったのでしょう。》

 

 天沢退二郎《『薬玉』や『ムーンドロップ』の言葉の在り様、行をズラして括弧でくくって仕切りとして上から見れば見えるということはどこからくるかというと、一つは映画だと思うんですね。吉岡実が好きだったものの一つは映画で、特にロマンポルノなんかはよく観ていましたよね。(中略)吉岡実の詩法が映画と関係があると気づいたんですね。例えば映画のカメラ・アイが玉ノ井の私娼窟で客と娼婦が寝ているところを上からスーと見ているわけですよ。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

《朝吹:確かに「見る」のだけど、言語化することによって、新たに見直すということが起きるのですね。言葉によって新たに見るのです。そういう重層化した「窃視」の構造が明白に意識されるのが『サフラン摘み』なのでしょう。アリスの写真を見るという行為から始まるわけですが、作品化の過程で、言葉によって、見るということがもう一度見られることになる。言葉による「窃視」がもう一度起きる。その重層化が生々しく禍禍しくもあるのですね。》

《城戸:これは私の個人的な思いなのかも知れませんが、エロスとタナトスの壮麗な絵画のような吉岡実の詩を読んでいると、あのニーチェの名高い箴言、「深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗いているのだ」を思い出すんです。まるで、自分が逆に見つめられ、詩的惨劇と喜劇のなかに巻き込まれてしまうような。これは吉岡実の詩が単純な平面的情緒のなかに完結するのではなく、複層とその逆転から成り立っているからかも知れません。》

 

 

松浦寿輝「後ろ姿を見る――『サフラン摘み』の位置」>

《だが『サフラン摘み』に至って「見る」が回帰する。ここで詩人が、見えないものをたしかに見えていることをわれわれは疑うことができない。実際、詩篇《マダム・レインの子供》を読むたびにわれわれは「マダム・レインの子供」をたしかに見て(・・)、ほんの少し死にたくなるだろう。この驚くべき凝視の力とニヒリズムの輝きを浴びてそうならない者がいるとしたら、その読者は吉岡実の詩とはついに無縁の衆生なのである。

 しかしそれならば、マダム・レインの不可視の子供は初期吉岡実の実存世界と同質の空間に棲んでいるのかと言えば必ずしもそうは言えないというところに、『サフラン摘み』の位置の両義性が露呈しているのだ。(中略)ここにあるのは、可視と不可視を分かつ境界線上の記号の戯れが、猛々しい軽さの闖入によってその基盤を揺るがされ、ほとんど自壊しかけながらなお実存的想像力によって充填され支持されて辛うじて機能している不安定な均衡状態である。》

 

 ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』に、《サルトルは『存在と無』の中のもっとも見事な個所で、他人の実在という次元で、眼差しを機能させています。もし眼差しがなかったとしたら、他人というものは、サルトルの定義にしたがえば、客観的実在性という部分的にしか実現されえない条件にまさに依存することになってしまいます。サルトルの言う眼差しとは、私に不意打ちをくらわす眼差しです。つまり、私の世界のあらゆるパースペクティヴや力線を変えてしまい、私の世界を、私がそこにいる無の点を中心とした、他の諸々の生命体からの一種の放射状の網へと秩序づけるという意味で、私に不意打ちをくらわす眼差しです。無化する主体としての私と私を取り巻くものとの関係の場において、眼差しは、私をして――見ている私をして――私を対象として視ている人の目を暗点化させるにまで至る、という特権を持つことになります。私が眼差しのもとにあるかぎり、私はもはや私を視ている人の目を見ることはできないし、逆にもし私が目を見れば、そのときは眼差しは消えてしまう、とサルトルは書いています。

 これは正しい現象学的分析でしょうか。そうではありません。私が眼差しのもとにあるとき、私が誰かの眼差しを求めるとき、私がそれを獲得するとき、私は決してそれを眼差しとしては見ていない、というのは真実ではありません。

 眼差しは見られるのです。つまり、サルトルが記述した、私を不意打ちするあの眼差し、私を恥そのものにしてしまう――というのはサルトルが強調したのはこの恥という感情ですから――あの眼差し、それは見られるのです。私が出会う眼差しは、これがサルトルのテクストの中に読み取ることができるものですが、見られる眼差しのことではまったくなくて、私が〈他者〉の領野で想像した眼差しにすぎません。

 彼のテクストに当たってごらんになればお解りになると思いますが、彼は視覚器官に関わるものとしての眼差しの出現のことを語っているのでは決してなくて、狩りの場合の突然の木の葉の音とか、廊下に不意に聞こえる足音とか――これはどういうときかというと、鍵穴からの覗きという行為において彼自身が露呈するときです――のことを言っているのです。覗いているときに眼差しが彼に不意打ちをくらわせ、彼を動揺させ、動転させ、彼を恥の感情にしてしまうのです。ここで言われている眼差しは、まさに他人そのものの現前です。しかし、眼差しにおいて何が重要かということを我われが把握するのは、そもそも主体と主体との関係において、すなわち私を視ている他人の実在という機能においてなのでしょうか。むしろ、そこで不意打ちをくらわされたと感じるのは、無化する主体、すなわち客観性の世界の相関者ではなくて、欲望の機能の中に根をはっている主体であるからこそ、ここに眼差しが介入してくるのではないでしょうか。

欲望がここでは覗視の領野において成り立っているからこそ、我われは欲望をごまかして隠すことができるのではないでしょうか。》

 

《『サフラン摘み』のこうした危うい過渡期的性格を体現しているものは、後ろ姿(・・・)のイメージであるように思われる。「見ること」の戯れ自体、ここではすでに他人には見えないものが詩人には見えるという特権的想像力の発現ではなく、見たくないものをあえて見ずにはいられないという脅えと受苦の体験へと位相をずらしており、それはそれで十分に徴候的であるが、さらにその当の「見る」べきものが、正面を見せずに後ろ向き(・・・・)で登場しているという点が注目に値するだろう。

  裸のマダム・レインは美しい

  でもとても見られない細部を持っている

  夏ならいいのだが

  雪のふる夜をマダム・レインは分娩していたんだ

  うしろからうしろからそれは出てくる

  これはクレタの王宮の華麗な壁面の中で四つんばいになってサフランを摘んでいるあの少年の、

  岩の間には蒼い波がうずまき模様をくりかえす日々

  だがわれわれにはうしろ姿しか見えない

というこの「うしろ姿」と同じ方向づけを持ったイメージであるように思われる。マダム・レインと同様に少年もまた後ろ向きになって何ものかを分泌しているのだが、彼の突き出された尻から落ちてくる「一茎のサフランの花の香液のしたたり」とは、それに続く「白い三角波」や「猿の首」――「波が来る 白い三角波/次に斬首された/美しい猿の首が飾られるであろう」――ともどもに、それを見たら「そのたびぼくらは死にたくなる」といった種類の光景に属しているものだろう。(中略)やはり『サフラン摘み』に収められている詩篇《自転車の上の猫》にも、「禁欲的に/薄明の街を歩いてゆく/うしろむきの少女」が登場している。

 なるほど『僧侶』の時期の《感傷》にはすでに「桃をたべる少女はうしろむき」という戦慄的な一行が含まれているので、これが『サフラン摘み』で初めて出現したイメージであるとは必ずしも言いきれないのはたしかだが、《感傷》の場合は、語られざる一語としての「尻」を媒介にしての「隠喩」的でもあり「提喩」的でもある桃と少女との結合が必然的に要求する後ろ姿だったのであり、これはたいへん官能的ではあるが思いのほか自然(・・)なイメージでもあると言える。》

 

 吉岡実には、「尻(臀)」への窃視症的偏執があって、丸い(《その球体の少女の腹部と/関節に関係をつけ/ねじるねじる》(「聖少女」)ハンス・ベルメールの人形や、《いままでに彼女の全作品を見ている。そしてその美しい裸に、美しい夢を紡いできた》というブリジット・バルドー(同じく尻フェチのゴダールはバルドーの尻を撮りたいがために映画『軽蔑』を撮影した)、卵、固体と液体、腸(管、筒)、便器、下痢、排泄、肛門などと照合する。

《ときに牝の尻の穴 柔媚な

紅の座を嗅ぎつけ 嫣然と眦をほそめてゆく

時――ああ果は 滂沱たる放尿の海》(「寓話」)

《中の一人が誤って

子供の臀に蕪を供える》(「僧侶」)

《めいめい死児の裸の臀を叩く》(「死児」)

《割れた少年の尻が夕暮れの岬で

突き出されるとき》(「サフラン摘み」)

《わしの知っとる

「もう一人のアリスは十八歳になっても 継母の伯母に尻を

鞭打たれ あるときはズックの袋に詰められて 天井に吊る

される 美しき受難のアリス・ミューレイ……」》(「『アリス』狩り」)

 

《朝吹:『ムーンドロップ』の表題作「ムーンドロップ」はナボコフの章句を借用したと註記されながら、もちろんナボコフもあるのだけど、「ロベルト夫人の下着の下の梨形の/(臀部)/その全体の重み/その(共犯性)」とむしろクロソウスキーへの言及がなされる。引用とか地の文とかの区別もどんどん無化されていて、むしろちりぢりになっている。》(「吉岡実をめぐる対話 没後三十年を機に 朝吹享二+城戸朱里」)

 

 クロソウスキー『ロベルトは今夜』で「窃視」と「尻」は、

《それから彼は、ロベルトの高くもちあげられた動かない手をとらえ、手袋を脱がせて手首をにぎりしめ、背後から彼女の黒のスカートをまくりあげ、尻をあらわにして愛撫しはじめた。ロベルトは、あらわな手ににぎりしめた手袋が落ちるにまかせながら、自分の体にかがみこんでいるヴィクトールを押しのけようとした。彼がいまにも語りかけようとしたのに気づいたロベルトは、手袋をつけていない手のひらを彼の唇にあてた。いっぽうヴィクトールは、まるみのある彼女の尻をなでまわしていた。やがて彼女は、ヴィクトールの口にあてた手のひらをひっこめて、下にさげ、指をのばしてヴィクトールの一物をにぎり、払いのけようとこころみながらも、けっきょくは手放さずに上体をのけぞらせた。(中略)

 それからヴィクトールは、やすやすとロベルトを向きかえさせた。いまやアントワーヌに、うら若い伯母の尻、目、膝のくぼみ、黒いコルセットをつけた長い脚などを見せる時であった。ヴィクトールは、背後から彼女の二つの手首をにぎり、彼女を一物の上にすえつけた。そして彼女は爪先だって、このどうにもあらがいがたい試練をうけいれることになった。アントワーヌはカーテンの後にかくれていた。あまり感動が激しくて、その情景を見つめていることができなかったのである。だがこのとき彼は、しわがれた叫び声を聞いて思わず飛びあがり、もう一度その情景をのぞきこまずにはいられなくなった。》

 同じくクロソウスキーの『ディアーナの水浴』の罪深い「窃視」と「尻」打ち、

《アクタイオーンは牡鹿の頭で自分の顔をかくし、《女神めあてに仮面を被った》とはわれながら実に悪賢いと思いながら、泉に向って進み、洞窟の中にかくれようとする。彼は彼女が来るのを待つ。》

《彼は片手で銀の弓を彼女から奪い、もう片方の手で女神が箙に近づけていた方の手首を押えると、いまや彼女の耳を弓で打ちはじめ、彼女が打撃を避けようとして頭を下げる間に、テュニックは落ち、帯はほどけ、箙は地面に矢をばらまき、そしてついに彼は彼女の尻をまくり上げ、弓も砕けんばかりの一撃を喰わせるが、まるでそれは銀の弓が自分からディアーナの尻の上で踊っていると思わせかねない。そして事実、彼女の暗闇からは光あふれる三日月の角が姿を現わし、彼女はその光輝を長く影の深い手でいまだに隠している。だが尻打ちが激しくなればなるほど、三日月は大きく昇る。そして偶像の臀部に隙間が開くので、アクタイオーンは頭を下げてそこに突っ込む。いまや彼は自己の召命の終点にある。》

 

 吉岡実が「わたしの作詩法?」で自解したように、クロソウスキーもまたリルケに(こちらは直接)学んだ、芸術家としての禁欲(拘束)的苦行と規範の人だった。あるインタヴュー(「エロス・ベルゼバブ株式会社」)で、

《一九二五年にリルケが最後にパリにいた時、毎晩のように家にやって来て、皆で雑誌に新しく出た文章や、モーリャックやジッドの小説などの読書会をしたものでした。その時私が第一に教えられたことは、極めて本質的なことで、それが私の人生を大きく支配する考えとなりました。それは、創造には苦行と絶対的謙下の精神が必要なのだ、ということです。芸術家はその作品の中に消え去らねばならない。無私無欲の創造を行う、修道僧のような不撓不屈の精神――ここに最大限の謙下の意味がある――そして瞑想の対象を生み出すという喜びより外の喜びは持たない。ただし、実際の創作の前にあらかじめ規範を定めておき、それを完全に遵守する。このリルケの教えから、私は絶対的受動性という考えを得たのだと思います。つまり、創造し制作しようという欲求に拘束を課して、表現のあらゆる様式に強制的な規範を設けるわけです。》

 

 平出隆《吉岡さんの詩の変化というのは、こういうものは使っちゃいけないという自分なりのルールのようなものがその時点で確かなものとしてあって、それを自己侵犯していくものとして出てきますね。固有名詞の問題と言い、引用の問題といい。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

 入沢康夫《やはりエロティックなものグロテスクなものも本当はもっとあるわけですよ。でも全部それを出しているとは思いませんね。こういうものを文字にしてはいけないという気持ちが強く働いていたんでしょうね。》

 大岡信《私生活においてもぼくらが知らないようなところで、ひじょうに禁欲的な生活をしていたように思うんですね。》

 入沢康夫《そうですね。これを書いては自分の芸術家としての品格、作品の品格にかかわるということがあったみたいですね。》(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎・ 平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」)

 

 松浦は続ける、《ところで、「後ろ姿を見る」という主題に関しては、まだ語られることが残っている。というのも、「死にたくなる」のを避けようとするあまりか、われわれは未だマダム・レインの「とても見られない細部」を具体的に(・・・・)見てとるべく眼を凝らそうと努めてはいないからである。凝視の必要があるだろう。少年または女性の裸体を「うしろ」から見るというのはどういうことか。つまり、そこにはいったい何が「見える」のかを具体的に問わねばなるまい。(中略)「死の器」への言及に続く、「球形の集結でなりたち/成長する部分がそのまま全体といえばいえる/縦に血の線がつらなって/その末端が泛んでいるように見えるんだ/比喩として/或る魚には毛がはえていないが/或る人には毛がはえている」といった部分に、女陰のイメージを読み取らないことは難しい。本来は「生の器」としてあるべきなのに、「ムーヴマンのない」「体操のできない」「恐しい子供」しか産み落とせないがゆえに「死の器」と呼ばれている女性性器こそ、それを見るか見ないかがこの詩篇において終始問題にされている当のものなのである。マダム・レインの美しい裸体の持つ「とても見られない細部」とは性器にほかならず、そして「恐しい子供」というのも実は彼女の性器それ自体の外在化されたイメージにほかなるまい。(中略)吉岡実における女陰は、人目につかぬ深みに身を隠しつつ言葉の表層にその屈折した垂直的な照り映えをゆらめかすことでおのが存在を誇示している何かといったものではない。それは、言葉の表層にあからさまに現前しつつ、絶えずその水平面上でのイメージ連結の、無方向的な力の戯れを組織しつづけている負の陥没点なのだ。(中略)

  迂回せよ

      月の光に照らされて

               あらわに見えて来る

       〔膣状陥没点〕……

             (《〔食母〕頌》『ムーンドロップ』所収)

 露わに見えているがゆえに「迂回」を強いられる陥没点としての女陰は、或る意味では吉岡実の創造したあらゆる詩的イメージのうちで至高のものである。それは、単に特異な吉岡的エロティシズムの一構成要素というだけのものではない。それはまず、見ることと見ないこととをめぐるまなざしの遊戯の対象として特権的なものであり、そのかぎりにおいて、詩人の視線が世界と関わり(あるいは関わりを拒み)、その関係の(あるいは疎隔の)ありようを分節化するその仕方の雛形を示している極めつけのオブジェである。吉岡実の詩の官能性が窃視症的なエロティシズムに染め上げられていることは間違いあるまいが、「エロス」と「見ること」という二つの主題のどちらが彼にとって本質的であるかと言えば答えは明らかだろう。女体の官能性への関心がまずあってそれを見ることが次に問題となるのではなく、他の何にも先行して吉岡実はまず見る人(・・・)なのだ。というよりむしろ、覗く人(・・・)と言うべきかもしれぬ。そして、見る行為が、その内包する孤絶と距離の意識を尖鋭化させていった挙句に窃視者の脅えと快楽へと近づいてゆくとき、そこに覗き(・・)の対象として唯一至高なるものとしての女性の秘部の主題が大きくせりあがってくることになるのである。それは見えないもの、見たくてたまらないもの、選ばれた瞳の持つ幻視の力によってのみ見ることのできるもの、しかし見ることはできてもそれに触れたりそれを享受したりすることはできないものだ。そうした意味では、吉岡実の創造したすべてのイメージは女陰のヴァリエーションにすぎないとさえ言えるかもしれない。》

 

 ジュリア・クリステヴァは、穢れ、おぞましさというアブジェクト(abject)について、『恐怖の権力 <アブジェクション>試論』で、《おぞましきもの(アブジェクション)に化するのは、清潔とか健康の欠如ではない。同一性、体系、秩序を攪乱し、境界や場所や規範を尊重しないもの、つまり、どっちつかず、両義的なもの、混ぜ合わせである。言い換えれば、良心にあふれた裏切者や嘘つきや犯罪者、人助けだと言い張る破廉恥な強姦者や殺人者……。およそどんな犯罪でも、法の脆さを目立たせるので、アブジェクトとなる。だが計画的な犯罪、狡猾な殺人、偽善に満ちた復讐はなおさら法の脆さを人前に晒すために、より一層アブジェクトである》、《おぞましきもの(アブジェクト)は倒錯〔頽廃〕と類縁関係をもっており、私が抱くおぞましさ(アブジェクション)の感情には超自我に根差している。アブジェクトは倒錯的〔頽廃的〕だ。なぜならそれは禁止や法則や掟に見切りをつけることも引き受けることもせずに、その向きを変え、道を誤らせ、堕落させるからである》、《恐怖症はしばしば窃視症へと脱線してゆく。窃視症は対象関係の構成にとって構造的に不可欠であり、対象がアブジェクトの方向へ揺れ動いてゆくたびに現われる。それが真の意味の倒錯となるのは、主体/客体の不安定さを象徴化する作業に失敗した場合に限られる。窃視症はアブジェクションのエクリチュールの同伴者である》と書いたが、吉岡実もまた同伴者に違いない。

 

 吉岡実「私の好きなもの」(一九六八年)

ラッキョウブリジット・バルドー、湯とうふ、映画、黄色、せんべい、土方巽の舞踏、たらこ、書物、のり、唐十郎のテント芝居、詩仙洞、広隆寺のみろく、煙草、渋谷宮益坂はトップのコーヒー。ハンス・ベルメールの人形、西洋アンズ、多恵子、かずこたちの詩。銀座風月堂の椅子に腰かけて外を見ているとき。墨跡をみるのがたのしい。耕衣の書。京都から飛んでくる雲龍、墨染の里のあたりの夕まぐれ。イノダのカフェオーレや三條大橋の上からみる東山三十六峰銀なかし。シャクナゲ、たんぽぽ、ケン玉をしている夜。巣鴨とげぬき地蔵の境内、せんこうの香。ちちははの墓・享保八年の消えかかった文字。ぱちんこの鉄の玉の感触。桐の花、妙義の山、鯉のあらい、二十才の春、桃の葉の泛いている湯。××澄子、スミレ、お金、新しい絵画・彫刻、わが家の猫たち、ほおずき市、おとりさまの熊手、みそおでん、お好み焼。神保町揚子江の上海焼きそば。本の街、ふぐ料理、ある人の指。つもる雪》

 

 吉岡実年譜(吉岡陽子編)

《一九九〇年(平成二年)七十一歳

一月、国立劇場で正月公演の歌舞伎を観る。「文学界」一月号に詩「沙庭」を発表(最後の詩篇となる)。二月、会田綱雄死去。声帯麻痺のため声が嗄れ 嚥下力も落ち食欲が細る。二十八日、道玄坂百軒店の道頓堀劇場へ行く(長年親しんだストリップ・ショーの見納め)。三月、共済病院で内科の精密検査を受け結果は正常。折笠美秋死去。四月十五日、自宅で誕生日を祝う。りぶるどるしおるの一冊として『うまやはし日記』書肆山田より刊行。鈴木一民、大泉史世、宇野邦一が来宅。差入れの料理とワインで祝杯。近所に住む吉増剛造から復活祭のチョコレートの玉子と〝誕生日おめでとう〟のメッセージが届く。足腰弱り体重三七・五キロの痛々しい七十一歳。一週間で体重二キロ増えるが不調。足の甲が亀のように浮腫む。二十二日、雨の中渋谷駅前で見舞いの飯島耕一夫人と妻が会い入院を勧められる。二十三日、共済病院で検査の結果、翌日入院。腎不全のため週三回の人工透析を受ける。二四時間体制で中心静脈の栄養点滴。『うまやはし日記』弧木洞版限定一〇〇部、書肆山田より刊行。五月九日、結婚記念日。初めての輸血。大泉史世から贈られた銀のスプーンでゼリーひと口食べる。二十五日、白血球六〇〇から二〇〇に減少し個室に移され面会謝絶。三十日、妻の夜の付き添いが許される。重態。三十一日、午後九時四分、急性腎不全のため永眠。臨終には妻の他、居合わせた鈴木一民、妻の親友辻綾子、従妹太田朋子が立ち会った。六月一日、自宅で仮通夜。二日、巣鴨の医王山真性寺で本通夜。三日、葬儀。町屋火葬場で茶毘に付された。》

 ちなみに国立劇場正月公演の演目は、「矢の根」(二代目尾上左近(現四代目尾上松緑)、七代目尾上菊五郎、五代目中村富十郎)、「水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)」(十二代目市川團十郎)、「雪振袖山姥(むつのはなふりそでやまんば)」(四代目中村雀右衛門、五代目中村富十郎)だった。

                                    (了)

       *****参考(吉岡実の詩)*****

「僧侶」

四人の僧侶

庭園をそぞろ歩き

ときに黒い布を巻きあげる

棒の形

憎しみもなしに

若い女を叩く

こうもりが叫ぶまで

一人は食事をつくる

一人は罪人を探しにゆく

一人は自潰

一人は女に殺される

四人の僧侶

めいめいの務めにはげむ

聖人形をおろし

磔に牝牛を掲げ

一人が一人の頭髪を剃り

死んだ一人が祈祷し

他の一人が棺をつくるとき

深夜の人里から押しよせる分娩の洪水

四人がいっせいに立ちあがる

不具の四つのアンブレラ

美しい壁と天井張り

そこに穴があらわれ

雨がふりだす

四人の僧侶

夕べの食卓につく

手のながい一人がフォークを配る

いぼのある一人の手が酒を注ぐ

他の二人は手を見せず

今日の猫と

未来の女にさわりながら

同時に両方のボデーを具えた

毛深い像を二人の手が造り上げる

肉は骨を緊めるもの

肉は血に晒されるもの

二人は飽食のため肥り

二人は創造のためやせほそり

四人の僧侶

朝の苦行に出かける

一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく

一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく

一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる

一人は死んでいるので鐘をうつ

四人一緒にかつて哄笑しない

四人の僧侶

畑で種子を播く

中の一人が誤って

子供の臍に蕪を供える

驚愕した陶器の顔の母親の口が

赭い泥の太陽を沈めた

非常に高いブランコに乗り

三人が合唱している

死んだ一人は

巣のからすの深い咽喉の中で声を出す

四人の僧侶

井戸のまわりにかがむ

洗濯物は山羊の陰嚢

洗いきれぬ月経帯

三人がかりでしぼりだす

気球の大きさのシーツ

死んだ一人がかついで干しにゆく

雨のなかの塔の上に

四人の僧侶

一人は寺院の由来と四人の来歴を書く

一人は世界の花の女王達の生活を書く

一人は猿と斧と戦車の歴史を書く

一人は死んでいるので

他の者にかくれて

三人の記録をつぎつぎに焚く

四人の僧侶

一人は枯木の地に千人のかくし児を産んだ

一人は塩と月のない海に千人のかくし児を死なせた

一人は蛇とぶどうの絡まる秤の上で

死せる者千人の足生ける者千人の眼の衡量の等しいのに驚く

一人は死んでいてなお病気

石塀の向うで咳をする

四人の僧侶

固い胸当のとりでを出る

生涯収穫がないので

世界より一段高い所で

首をつり共に嗤う

されば

四人の骨は冬の木の太さのまま

縄のきれる時代まで死んでいる

 

サフラン摘み」

クレタの或る王宮の壁に

サフラン摘み」と

呼ばれる華麗な壁画があるそうだ

そこでは 少年が四つんばいになって

サフランを摘んでいる

岩の間には碧い波がうずまき模様をくりかえす日々

だがわれわれにはうしろ姿しか見えない

年の額に もしも太陽が差したら

星形の塩が浮かんでくる

割れた少年の尻が夕暮れの岬で

突き出されるとき

われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める

波が来る 白い三角波

次に斬首された

美しい猿の首が飾られるであろう

目をとじた少年の闇深く入りこんだ

石英のような顔の上に

春の果実と魚で構成された

アンチンボルドの肖像画のように

腐敗してゆく すべては

表面から

処女の肌もあらがいがたき夜の

エーゲ海の下の信仰と呪詛に

なめされた猿のトルソ

そよぐ死せる青い毛

ぬれた少年の肩が支えるものは

乳母の太股であるのか

猿のかくされた陰茎であるのか

大鏡のなかにそれはうつる

表意文字のように

夕焼けは遠い円柱から染めてくる

消える波

褐色の巻貝の内部をめぐりめぐり

『歌』はうまれる

サフランの花の淡い紫

招く者があるとしたら

少年は岩棚をかけおりて

数ある仮死のなかから溺死の姿を藉りる

われわれは今しばらく 語らず

語るべからず

泳ぐ猿の迷信を――

天蓋を波が越える日までは

 

「マダム・レインの子供」

マダム・レインの子供を

他人は見ない

恐しい子供の体操するところを

見たら

そのたびぼくらは死にたくなる

だからマダム・レインはいつも一人で

買物に来る

歯ブラシやネズミ捕りを

たまには卵やバンソウコウを手にとる

今日は朝から晴れているため

マダム・レインは子供に体操の練習をさせる

裸のマダム・レインは美しい

でもとても見られない細部を持っている

夏ならいいのだが

雪のふる夜をマダム・レインは分娩していたんだ

うしろからうしろからそれは出てくる

形而上的に表現すれば

「しばしば

肉体は死の器で

受け留められる!」

球形の集結でなりたち

成長する部分がそのまま全体といえばいえる

縦に血の線がつらなって

その末端が泛んでいるように見えるんだ

比喩として

或る魚には毛がはえていないが

或る人には毛がはえている

それは明瞭な生物の特性ゆえに

かつ死滅しやすい欠点がある

しかしマダム・レインの所有せんとする

むしろ創造しようと希っている被生命とは

ムーヴマンのない

子供と頭脳が理想美なのだ

花粉のなかを蜂のうずまく春たけなわ

縛られた一個の箱が

ぼくらの流している水の上を去って行く

マダム・レインはそれを見送る

その内情を他人は問わないでほしい

それは過ぎた「父親」かも知れないし

体操のできない未来の「子供」かも知れない

マダム・レインは秋が好きだから

紅葉をくぐりぬける

 

            *****引用または参考文献*****

*『特装版 現代詩読本 吉岡実』(討議 大岡信入沢康夫天沢退二郎平出隆「自己侵犯と変容を重ねた芸術家魂――『昏睡季節』から『ムーンドロップ』まで」、宮川淳「言語の光と闇」、高橋康也吉岡実がアリス狩りに出発するとき」、松浦寿輝「後ろ姿を見る――『サフラン摘み』の位置」、守中高明吉岡実における引用とパフォーマティブ」、飯島耕一「青海波(せいがいは)」、吉田文憲「覚めて見る、夢」、瀬尾育生「詩は死んだ、詩作せよ」、朝吹享二「エニグム・アノニム」、「代表詩40選」、他所収)(思潮社

*『現代詩手帖 1995.2 特集 吉岡実再読』(「討議戦後詩 野村喜和夫・城戸朱里・守中高明「第一回 吉岡実」」、城戸朱里「「吉岡実」を現在として」、他所収)(思潮社

*『現代詩手帖 1980.10 増頁特集 吉岡実』(鈴木志郎康「詩への接近」、高橋康也吉岡実と劇的なるもの」、三浦雅士「葉の言葉」、「対談 吉岡実金井美恵子」、三好豊一郎「半具象」、千石英世「胚種としての無」、四方田犬彦「内部の貝と外部の袋」、飯田善國「<謎(エニグマ)>に向かって」、他所収)(思潮社

野村喜和夫『詩のガイアをもとめて』(「吉岡実、その生涯と作品」)(思潮社

*『現代詩文庫14 吉岡実詩集』(吉岡実「わたしの作詩法?」、飯島耕一吉岡実の詩」、他所収)(思潮社

*『現代詩文庫129 続・吉岡実詩集』(思潮社

*『現代の詩人1 吉岡実』(鑑賞 高橋睦郎)(中央公論社

*『みらいらん 2020 Summer第6号 特集吉岡実』(「吉岡実をめぐる対話 没後三十年を機に 朝吹享二+城戸朱里」、他所収)(洪水企画)

吉岡実『「死児」という絵〔増補版〕』(「懐しの映画――幻の二人の女優」、「読書遍歴」、「うまやはし日記」、「リルケロダン』――私の一冊」、「ロマン・ポルノ映画雑感」、「ポルノ小説雑感」、「想像力は死んだ 想像せよ」、「手と掌」、「官能的な造形作家たち」、他所収)(筑摩書房

吉岡実土方巽頌――<日記>と<引用>による』(筑摩書房

リルケロダン』高安国世訳(岩波文庫

*『夜想22 特集クロソウスキー』(「ピエール・クロソウスキー「エロス・ベルゼバブ株式会社」杉原整訳」所収)(ペヨトル工房

ピエール・クロソウスキー『ロベルトは今夜』遠藤周作、若林眞訳(河出書房新社

ピエール・クロソウスキーディアーナの水浴』宮川淳豊崎光一訳(美術出版社)

ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力 <アブジェクション>試論』枝川昌雄訳(法政大学出版局

ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之・新宮一成・鈴木國文・小川豊昭訳(岩波書店

小林一郎吉岡実の詩の世界――詩人・装丁家吉岡実の作品と人物の研究」(「<吉岡実を語る」「吉岡実年譜」「吉岡実書誌」「吉岡実参考文献目録」ほか)http://ikoba.d.dooo.jp/index.html

文学批評 大江健三郎初期小説の皮膚的な表層/深層(引用ノート)

 

 

 

                                   

 まず、皮膚、表皮、表層に関わる種々言説を反芻してから、大江健三郎の初期小説における皮膚的な表層/深層について読み直し(リリーディング)してゆこう。

 

《…おお、このギリシア人! 彼らは、生きるすべをよくわきまえていた。そのためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること、仮象を崇めること、形式や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信仰することが、必要だったのだ! このギリシア人らは表面的であった――深さからして(・・・・・・)!》(ニーチェ『悦ばしき知識』序文)

《表皮性(・・・)。――深みのある人間はすべて、いつかは飛び魚のようになって波浪の切っ先にたわむれ遊ぶことに、至福の思いをいだくものだ。彼らが事物における極上のものとして評価するのは、――それらが表面を、つまりその表皮性(この表現を咎(とが)めなさるな)をもつということだ。》(ニーチェ『悦ばしき知識』第三書、断章二五六)

《動物的意識の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、――意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、郡畜的標識に化する(・・・)。》(ニーチェ『悦ばしき知識』第三書、断章三五四)

《皮膚を取った人間の内側にある美的不快さ――血の固まり、糞尿の腑、吸い込み吐き出す無数の怪物たち――ぐにゃぐにゃと醜く、グロテスクで、そのうえ、不快な臭気を発している。それゆえそのようなものは考えない(・・・・)ようにするというわけだ。》(ニーチェ『遺された断想』一八八一年春~秋)

 

《「皮膚はあなたの外脳ともいえます、よろしいですか、――発生学的にはあなたの頭蓋骨のなかのいわゆる高等器官の装置と同一の性質のものです。中枢神経も、よろしいですか、表皮層がすこしばかり変形したものにすぎません。そして、下等動物にあっては、中枢と末梢の区別はだいたいまだ存在していなくて、かれらは皮膚で嗅ぎもし、味わいもするのです、そうお考えになるべきでして、だいたいにおいてかれらは皮膚感覚を持っているだけなんです」》(トーマス・マン魔の山』第五章)

 

《人間においてもっとも深いもの、それは皮膚だ》(ポール・ヴァレリー固定観念』)

 

精神分裂病の患者の身体の第一の様相は、一種の濾過機としての身体である。フロイトは、精神分裂病の患者は、自分の身体の表層や皮膚に無数の小さな孔が開いているのを察知できる能力があることを強調している。その結果、身体すべてが深層そのものになり、基本的な退化を表象する、口の開いたこの深層のなかへすべてを導入して、くわえ込む。すべてが身体であり、身体的である。すべてが身体の混淆であり、身体のなかにあり、嵌入であり、浸透である。》(ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』第13のセリー 精神分裂病の患者と少女)

 

《ところで、深層の歴史は最も恐ろしいもの、メラニー・クラインが忘れられない場面を描いた恐怖の演劇によって始まる。そこでは生後一年の幼児が、同時に舞台であり俳優であり劇である。口唇性、つまり口と乳房は、底のない深層である。母の乳房と身体のすべてが、良い対象と悪い対象とに分裂しているだけでなく、攻撃的に空虚になり、切断されて断片化し、こま切れの食べものになる。こうした部分対象を乳児の身体のなかに入れると、内的な対象に攻撃性の投射が生じ、それらの対象が逆に身体のなかへ投射される。こうして注入された断片がまたいわば有毒で迫害的であり、爆発しやすく毒性の物質であって、子どもの身体を内部から脅かし、母の身体のなかでたえず作り直される。そこで、たえまなく注入をくり返す必要がある。注入と投射のシステムのすべてが、深層での、深層による身体のコミュニケーションである。そして口唇性は、自然に人肉を食べる風習と肛門愛へと延長される。肛門愛においては、部分対象は、子どもの身体も破裂させうる糞便である。なぜなら、一方の断片はつねに他方への迫害者になり、乳児の《受難》を作るこの忌わしいまぜものでは、迫害者がいつも迫害される者になるからである。普遍的な下水だめである、口唇=肛門、または食物=糞便というシステムでは、身体が破裂したり、破裂させたりする。内的で、注入され、投射され、食物的で糞便的であるこの部分対象の世界を、われわれはシミュラークル(・・・・・・・)の世界と呼ぶ。メラニー・クラインはこれを子どものパラノイア分裂病的態勢として記述している。》(ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』第27のセリー 口唇性について)

 

 

 一般に、『東京大学新聞』に掲載されて批評家の注目を集めた処女作『奇妙な仕事』(1957)から、『死者の奢り』(1958)、『飼育』(1958)等の短編小説、初の中長編小説『芽むしり仔撃ち』(1958)、転回点となった長編小説『個人的な体験』(1964)ないし『万延元年のフットボール』(1967)までを初期小説と呼んでいる。これら初期小説群には一つの特徴がある。それは「皮膚」だ。「皮膚」が発する激しい「臭い」であり、「液体」がしたたり、まとわりつく「濡れる」イメージである。表層と深層の表裏一体性。

中期、および後期において、それらはあからさまではなくなるが、それでも「口唇性」「肛門愛」のような徴候となって顔をもたげる。

 

<『奇妙な仕事』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 師渡辺一夫訳のピエール・ガスカール『けものたち』に影響を受けたと作家自身が回顧している処女作『奇妙な仕事』からして、すでに「皮膚」をめぐる表徴に噎せかえっている。「皮膚」には、きまって「臭い」と「液体」が付随している。「皮剝ぎ」の場面は、初期小説で強迫的に繰り返される。

14《犬殺しが棒をさげて待っている仮囲いの中へ犬を引っぱって僕は入って行く。背にすばやく棒を隠して犬殺しはなにげなく近づいて、僕が紐をもったまま充分に距離を犬からあけると、さっと棒を振りおろし、犬は高く啼(な)いて倒れた。それは息がつまるほど卑劣なやりかただった。腰の革帯から抜きとった広い包丁を犬の喉にさしこみ、バケツへ血を流し出してから、あざやかな手なみで皮を剥ぎとる犬殺しを見ながら僕は生あたたかい犬の血の臭いと特殊な感情の動揺とを感じた。》

15《まっ白く皮を剝がれた、こぢんまりしてつつましい犬の死体を僕は揃えた後足を持ちあげて囲いの外へ出て行く。犬は暖かい匂いをたて、犬の筋肉は僕の掌(て)の中で、跳込台の上の水泳選手のそれのように勢いよく収縮した。》

16《それに、毒を使うとね、死んだ犬が厭(いや)な臭いをたてるんだ。犬には良い匂いをたてて、湯気をあげながら皮を剝(む)かれる権利があるとは思わないか。》

17《洗うための毛皮をさげて女子学生が出て来た。彼女の厚ぼったく血色の悪い皮膚は青いままで上気していた。血に濡れ、厚く脂のついた毛皮は重く、ごわごわしていた。それは濡れた外套(がいとう)のように重かった。僕は女子学生が水洗場へ運ぶのを手伝った。》

 ここにはすでに「皮」、「臭い(匂い)」、「血濡られた液体」イメージが頻出し、殺される犬ばかりでなく、一緒に仕事をした女子学生を特徴づける皮膚の健康状態として表れた。

 

 

<『死者の奢り』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 次の引用こそ、初期大江の文体を明示するものはあるまい。ここには、『奇妙な仕事』の二番煎じと揶揄されながらもリライトせずにはいられなかった内容・表現を濃密化させた「皮膚」、「臭い」、「液体」の3点セットが融けあっている。

31《死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴(な)じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向かって凝縮しながら、しかし執拗に体をすりつけあっている。彼らの体は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼(まぶた)を硬く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘つく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。》

 

 それらは、「光」と「熱」と「触感」で動物的に強化される。

32《開かれたドアの向こうから夜明けの薄明に似た光と、濃くアルコール質の臭いのする空気が、むっと流れ出て来た。その臭いの底に、もっと濃く厚ぼったい臭い、充満した重い臭いが横たわっていた。それは僕の鼻孔の粘膜に執拗にからみついた。その臭いが僕を始めて動揺させたが、僕は白っぽい光のみちた部屋の内部を見つめたまま、顔をそむけないでいた。》

34《羞恥からのほてりが皮膚の奥の根深いところで、しこりのように固まり、そのまま熱くひそんでいた。》

34《僕は彼らの裸の皮膚に天窓からの光が微妙なエネルギーに満ちた弾力感をあたえているのを見た。あれは触れた指に弾んだ反撥を感じさせるだろうか。脚気の腓(ふくらはぎ)のようにぐっと窪むのかな。》

 

 ふたたび登場する女子学生は、さらに皮膚状態という「外部」で特徴づけられ、妊娠という「内部」と結びつく。

53《「あなたは、ほんとうに若々しいわ」と笑わないで女子学生はいった。

 僕は女子学生の厚ぼったい皮膚が黄ばんでいる広い顔を見た。顔一面の注意力が弛緩しているように、女子学生は疲れてだらけきった表情をしていた。僕よりきっと二つは年上なのだろう、と僕は思った。

「私、艶のない皮膚をしてるでしょう?」と女子学生が、まばたかない強い眼で僕を見かえしていった。「妊娠しているせいよ」》

62《僕は女子学生の濃い隈のある瞼やざらざらした頬の皮膚をまぢかに見ると、疲れが濡れて重い外套(がいとう)のように体を包むのを感じた。しかし僕は低い声で笑った。

「するとね」と女子学生は自分も声だけ笑いながら粗い睫(まつげ)を伏せていった。「私のお腹の皮膚の厚みの下にいる、軟骨と粘液質の肉のかたまり、肉の紐につながって肥っている小さいかたまりが、この水槽の人たちと似ているように思えてくるのよ」》

 

《物》に推移し始めている少女の死体の「内側へ引きしまる褐色の皮膚」という「包み」。セクスという「裂け目」。外部/内部の「境界」、皮膚的な「界面」。

58《僕は体中が拭いきれないほど汚れているような気がし、また体中のあらゆる粘膜が死者の臭いのする微粒にこびりつかれて強張(こわば)っているような、いたたまれない気がした。

 隣の部屋でドアを開き、出て行く靴音がした。僕は水槽の縁についていた手を離し、古い水槽の部屋に戻って行った。管理人は運搬車を押して先に帰っていた。解剖台には、濡れた麻布が覆ってあり、あの傍に教授だけが残っていた。あの布の下で、あんなに生命にみちたセクスを持つ少女が《物》に推移し始めているのだ、すぐにあの少女は、水槽の中の女たちと同じように堅固な、内側へ引きしまる褐色の皮膚に包まれてしまい、そのセクスも脇腹や背の一部のように、決して特別な注意を引かなくなるだろう、と僕は考え、軽い懊悩(おうのう)が体の底にとどこおるのを感じた。》

 

 

<『飼育』>(冒頭数字は『大江健三郎自選短編』(岩波文庫)引用ページ数)

 情景、風景、天候描写においても、霧、雨が頻出し、登場人物たちの皮膚を濡らす。

102《僕と弟は、谷底の仮設火葬場、灌木の茂みを伐り開いて浅く土を掘りおこしただけの簡潔な火葬場の、脂と灰の臭う柔らかい表面を木片でかきまわしていた。谷底はすでに、夕暮と霧、林に湧く地下水のように冷たい霧におおいつくされていたが、僕たちの住む、谷間へかたむいた山腹の、石を敷きつめた道を囲む小さな村には、葡萄色(ぶどういろ)の光がなだれていた。》

120《金属の味を口腔にひろげる、雨のように大粒の霧がなだれかかり、僕を息苦しくし、髪を濡らし、襟が垢で黒ずみ捩(よじ)れているシャツの毛ばだちに、白く光る水玉を作った。そこで僕らは足うらに柔らかい腐った落葉のすぐ下を流れる清水が布靴をとおして、足指を凍えさせることよりも、荒あらしく群生した羊歯(しだ)類の鉄の茎で皮膚を鋭く傷つけられること、その執拗にはりつめた根の間でひっそり眼をひらいている蝮(まむし)を刺激して跳びつかれたりしないように気を配らねばならなかった。》

149《僕らの古代めいた水浴の日の夕暮、夕立が激しく谷間を霧の中へとじこめ、夜がふけても降りやまなかった。翌朝、僕と弟と兎唇は降り続く雨を避けて倉庫の壁ぞいに食物を運んだ。(中略)僕らはたえまなく笑っている黒人兵の腕を引いて広場に出た。谷間を霧が急速に晴れて行き、樹木は雨滴を葉の茂りいっぱいに吸いこんで厚ぼったく雛(ひな)のようにふくらんでいた。風がおこると樹木は小きざみに身ぶるいして濡れた葉や雨滴をはねちらし、小さく瞬間的な虹を作り、そこを蟬が飛びたつ。僕らは嵐のような蟬の鳴き声と回復しはじめる暑気の中で、地下倉の降り口の台石に腰かけたまま、長い間、濡れた樹皮の匂う空気を吸った。》

 

とりわけ『飼育』においては、「臭い」という生理的な感官刺激が強烈だ。まず、これまでの都会小説からワープした「村」の火葬場の死者の臭いから始まる。それも《甲虫の一種が僕らの硬くなった指の腹にしめつけられてもらす粘つく分泌液のような》という感官。

102《僕は二日前、その火葬場で焼かれた村の女の死者が炎の明るみのなかで、小さい丘のように腫れた裸の腹をあおむけ、哀しみにみちた表情で横たわっているのを、黒ぐろと立ちならぶ大人たちの腰の間から覗き見たことを思い出した。僕は恐かった。弟の細い腕をしっかり掴み僕は足を速めた。甲虫の一種が僕らの硬くなった指の腹にしめつけられてもらす粘つく分泌液のような、死者の臭いが鼻孔に回復してくるようなのだ。》

 

「僕」の生理的感覚も、「皮膚」と「瑞々しい液体」と、「袋」「膜」という表現によって監禁状態となり、内包化される。

107《僕も弟も、硬い表皮と厚い果肉にしっかり包みこまれた小さな種子、柔らかく瑞みずしく、外光にあたるだけでひりひり慄(ふる)えながら剥かれてしまう、甘皮のこびりついた青い種子なのだった。》

110《失望が樹液のようにじくじく僕の体のなかにしみとおって行き、僕の皮膚を殺したばかりの鶏の内臓のように熱くほてらせた。》

118《僕らは疲れきって食欲もなかった。そして体いちめんの皮膚が、発情した犬のセクスのようにひくひく動いたり痙攣(けいれん)したりして、僕らをかりたてるのだった。黒人兵を飼う、僕は体を自分の腕でだきしめた。僕は裸になって叫びたかった。

 黒人兵を獣のように飼う……。》

157《ねばねばした袋の中で、僕の熱い瞼(まぶた)、燃える喉、灼けつく掌が僕自身を癒合(ゆごう)させ、形づくり始めた。しかし僕には、そのねばつく膜を破り、袋から抜け出ることができない。僕は早産した羊の仔のように、ねとねと指にからむ袋につつまれているのだった。僕は体を動かすこともできない。》

161《「臭うなあ」と兎唇はいった。「お前のぐしゃぐしゃになった掌、ひどく臭うなあ」

 僕は兎唇の闘争心にきらめいている眼を見かえしたが、兎唇が僕の攻撃にそなえて、足を開き、戦いの体勢を整えたのも無視して、彼の喉へ跳びかかってはゆかなかった。

 「あれは僕の臭いじゃない」と僕は力のない嗄(しゃが)れた声でいった。「黒んぼの臭いだ」》

 

 黒人兵の臭いは、獣のように飼う「飼育」にふさわしい。ここでも液体イメージが溢れ、濡れて美しい。「熟れすぎた果肉」、「しみとおって」、「脂っこい」、カラバッジオバロックの降下する光を浴びたような熱い映像。

129《しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ばし、背に剛毛の生えた太い指で広口瓶を取りあげると、手もとに引きよせて匂いをかいだ。そして広口瓶が傾けられ、黒人兵の厚いゴム質の唇が開き、白く大粒の歯が機械の内側の部品のように秩序整然と並んで剝き出され、僕は乳が黒人兵の薔薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを見た。黒人兵の咽(のど)は排水孔に水が空気粒をまじえて流入する時の音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を糸でくくったように痛ましくさえ見える唇の両端からあふれて剝き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を流れ、黒く光る強靭な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひりひり震えた。僕は山羊の乳が極めて美しい液体であることを感動に唇を乾かせて発見するのだった。》

130《喉から胸へかけての皮膚は内側に黒ずんだ葡萄色の光を押しくるんでいて、彼の脂ぎって太い首が強靭な皺を作りながらねじれるごとに、僕の心を捉えてしまうのだった。そして、むっと喉へこみあげてくる嘔気のように執拗に充満し、腐食性の毒のようにあらゆるものにしみとおってくる黒人兵の体臭、それは僕の頬をほてらせ、狂気のような感情をきらめかせる……》

 

146《僕らの村には、一つの市を焼く火より熱い空気が終日たちこめていたのだ。そして、黒人兵の体の周りには、風の吹きこまない地下倉で一緒に坐っていると、気が遠くなるほど濃密で脂っこい臭い、共同堆肥場で腐った鼬の肉のたてるような臭いがぎっしりつまってきていた。僕らはそれをいつも笑いのたねにして涙を流すほど大笑いするのだったが、黒人兵の皮膚が汗ばみはじめると、僕らは傍にいたたまれないほど、それは臭いたてた。》

 

 父の仕事である鼬の「皮剝ぎ」に僕は誇りを持っている。《父の太い指さきで乾きやすいように脂をしごかれる皮の襞(ひだ)ひだを見つめている。そして板壁に干された毛皮が爪のように硬く乾き、そこを血色のしみが地図の上の鉄道のように走りまわっている》という映像的で官能が臭いたつ表現。

145《黒人兵がやって来ると、僕と弟は皮剝ぎ用の血に汚れ柄に脂のこびりついたナイフを握りしめた父の両側に息をつめて膝をつき、反抗的で敏捷な鼬の十全な死と手際よい《皮剝がれ》を見物客の黒人兵のために期待するのだった。鼬は死にものぐるいの最後の悪意、凄まじい臭気をはなちながら絞め殺され、父のナイフの鈍く光る刃先で小さくはじける音をたてながら皮が剝がれると、そのあとには真珠色の光沢をおびた筋肉にかこまれた、あまりにも裸の小さく猥らな体が横たわる。僕と弟がその贓物をこぼさないように注意して、それを共同堆肥場へ棄てに行き、汚れた指を広い木の葉でぬぐいながら帰って来ると、すでに鼬の皮は脂肪の膜と細い血管を陽に光らせ、裏がえされて板に釘づけられようとしている。黒人兵は唇を丸め鳥のような声をたてながら、父の太い指さきで乾きやすいように脂をしごかれる皮の襞(ひだ)ひだを見つめている。そして板壁に干された毛皮が爪のように硬く乾き、そこを血色のしみが地図の上の鉄道のように走りまわっているのを見て黒人兵が感嘆する時、僕と弟は父の《技術》をどんなに誇りに思ったことか。》

 

 

<『芽むしり仔撃ち』>(冒頭数字は『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫)引用ページ数)

 大江文学にしばしば登場する小動物とその「死骸」、天候は雨や霧といった液体に閉じ込められている。どろどろした膠質の「粘液」、「べとべと」、死んだ血と皮、「腐蝕」、「あふれ」、「化膿」、皮膚の下のせめぎあい、「吐いた」というおぞましき穢(けが)れ(アブジェクション)。

7《夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。そして僕らは、夜のあいだに乾かなかった草色の硬い外套を淡い朝の陽に干したり、低い生垣の向うの舗道、その向う、無花果(いちじく)の数本の向うの代赭色の川を見たりして短い時間をすごした。前日の猛だけしい雨が舗道をひびわれさせ、その鋭く切れたひびのあいだを清冽な水が流れ、川は雨水とそれに融かされた雪、決壊した貯水池からの水で増水し、激しい音をたてて盛りあがり、犬や猫、鼠などの死骸をすばらしい早さで運び去って行った。》

39《犬たち、猫、野鼠、山羊そして仔馬まで、数かずの動物の死骸が小さい丘のように積みあげられ静かに辛抱強く腐敗しようとしている。獣たちは歯をくいしばり瞳をとろけさせ肢をこわばらせている。膠質の粘液にかわって流れ、まわりの黄色く枯れた草と泥土をべとべとさせる彼らの死んだ血と皮、そして、そこだけ奇妙に生きいきして激烈におそいかかる腐蝕から耐えぬいている数しれない耳。

 動物たちには太く肥えた冬の蠅が黒い雪のように降りつもってくりかえし低くまいたち沈黙にみちた音楽を僕らの驚きに感覚を失いはじめる頭へあふれこませた。》

40《しかし僕らは獣たちのかたまりから力強く噴出し、濃い液体の層のように鼻孔はもとより顔の皮膚にまでむっと触れてくる臭気のなかで茫然と立っているだけだった。その猛然とふきあげうねりをおこす悪臭は僕らをかりたてる要素をはらんでいた。発情した牝犬の下肢に小さい鼻をおしあてて熱心にその臭いをかいだことのある子供ら、昂奮している犬の背をあわただしくなでさすって短い時間とはいえ危険なその快楽を享受する勇気と向う見ずな欲望をもった子供らだけが獣たちの死骸のたてる臭気から、優しく人間的な信号、誘いかけを受けとることができるのだ。僕らは眼をはりさけるほど見ひらき、音をたてて鼻孔を膨張させた。》

144《始め、毛皮の焼けるひそかな乾いた音がしていた。それから脂が溶けて流れ、じゅうじゅう音をたてて燃え、火の粉が弾け散り、肉の塊りの焼ける濃厚な匂いがたちこめて僕らのまわりの空気をねばっこくした。それは鳩やモズ、雉を焼いた時たちのぼった、生きいきして精気にみちた匂いではなく、重い死の味をたたえているのだった。僕は屈みこんで、野菜の芯、米粒、鳥の肉の硬い筋などを少し吐いた。手の甲で唇をぬぐう僕を李は疲れきってうつろな眼で見ていた。そこから洪水のように疲れが僕の躰の中へ流れこんでき、皮膚の下でせめぎあった。しかし犬を焼く匂いのなかに屈みこんでいることにも耐えられないのだ。》

176《村長は僕の胸ぐらをつかみ、僕を殆ど窒息させ、自分自身も怒りに息をはずませていた。

「いいか、お前のような奴は、子供の時分に絞めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」

 彼は陽に焼けた皮膚に汗をうかべ青ざめて高熱の発作に苦しむ病人のようだった。そして化膿した歯茎の臭いたてる息を僕の顔いちめんに唾と一緒に吐きつけ、彼自身震えていた。》

 

 

<『個人的な体験』>(冒頭数字は『個人的な体験』(新潮文庫)引用ページ数)

 アフリカの地図の説明が頭部のイメージを喚起する。それも、《腐蝕(ふしょく)しはじめている死んだ頭》、《皮膚を剥(は)いで毛細血管をすっかりあらわにした傷ましい頭》という、主人公の受難を先取りするかのような部位を持って。

5《アフリカ大陸は、うつむいた男の頭蓋骨(ずがいこつ)の形に似ている。この大頭の男は、コアラとカモノハシとカンガルーの土地オーストラリアを、憂わしげな伏眼で見ている。地図の下の隅の人口分布を示す小さなアフリカは腐蝕(ふしょく)しはじめている死んだ頭に似ているし、交通関係を示す小さなアフリカは皮膚を剥(は)いで毛細血管をすっかりあらわにした傷ましい頭だ。それらはともに、なまなましく暴力的な変死の印象をよびおこす。》

 

 次の会話は、メラニー・クラインの「良い乳房」「悪い乳房」を連想させる。

128《「あなたは、自分でこしらえあげた性的な禁忌を、早く壊してしまわなければならないわ。そうしなければ、あなたの性的な世界は歪(ゆが)んでしまうわ」

「そうだよ、いまぼくはマゾイズムについて考えていたところなのさ」と探りをいれるように鳥(バード)はいった。(中略)

「あなたが恐怖心の対象をヴァギナおよび子宮に限るなら、あなたの戦うべき敵はヴァギナと子宮の国にしか住んでいないわ、鳥(バード)。それで、あなたはヴァギナと子宮のどういう属性を恐れているの?」

「いま、いったようなことさ。その奥不覚に、きみの好きな言葉を使うと、もうひとつ別の宇宙があるように感じられるんだ。暗黒やら無限やら、ありとある反・人間的なものがつまっている奇怪な宇宙があるという気がするね。そこへ入ってゆくと別の次元の時間体系におちこんで、戻ってこれなくなりそうだから、ぼくの恐怖心には宇宙飛行家のもの凄(すご)い高所恐怖症に似たところがあるよ」

 火見子の論理の先に自分の羞恥(しゅうち)心(しん)を刺激するものを予感して、それをはぐらかそうと韜晦(とうかい)的なことをいっている鳥(バード)を火見子は直截に追撃した。

「ヴァギナおよび子宮を除外すれば、あなたは女性的な肉体に対してとくに恐怖心をもたないと思う?」

 鳥(バード)はためらってから顔を赭くして、

「とくに重要じゃないが、乳房……」といった。

「もしあなたが、わたしに背後から近づくなら恐怖心をかきたてられないですむわけね」と火見子はいった。》

 

 

<『万延元年のフットボール』>(冒頭数字は、『万延元年のフットボール』(新潮社)引用ページ数)

 ここにも、メラニー・クライン的な口唇性=肛門愛がある。肛門愛、マゾイズムは大江にとって持続するテーマであり続ける、作者が少年時代に亡くなった「父」が初期小説(『飼育』『芽むしり仔撃ち』など)では重要な役割を果たす(後期小説でも『水死』(これもまた液体に濡れるイメージ)などでリライトされ続けるが)のに対して、奇妙なまでに不在だった「母」が、中・後期小説において、村の神話的な物語の語り手として立ち現れて来るのを、精神分析的な観点からどう捉えるべきだろうか?

7《それから.僕は自分が火葬に立ちあった友人を、観照した。この夏の終りに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に胡瓜をさしこみ、縊死したのである。(中略)

どろどろにとけてなにかえたいのしれぬものにかわった甘酸っぱい薔薇色の細胞を、涸渇した皮膚がダムのようにせきとめている。朱色の顔をした友人の肉体は、かれが憐れにも勤勉に狭い暗渠をくぐりぬけるように生きて、しかも向うがわに脱け出すまえに、突然おしまいにしてしまった二十七年の生涯のいかなる時においてよりも緊迫した、危険な実在感をたたえて、軍隊風の簡易ベッドに横たわり、傲岸に腐敗しつづけた。皮膚のダムは決潰をせまられている。発酵した細胞群が肉体そのものの真に具体的な死を、酒のように醸している。生き残った者らはそれを飲まねばならない。友人の肉体が百合のように匂う腐蝕菌とあい関って刻む濃密な時間は、僕を魅惑する。》

 

                                (了)

       *****引用または参考*****

*『大江健三郎自選短編』(『奇妙な仕事』『死者の奢り』『飼育』所収)(岩波文庫

大江健三郎『死者の奢り・飼育』(江藤淳「解説」所収)(新潮文庫

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫

大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫

大江健三郎万延元年のフットボール』(新潮社)

大江健三郎『懐かしい年への手紙』(講談社文芸文庫

*『大江健三郎全小説4』(『水死』所収)(講談社

*『大江健三郎全作品1』(『運搬』所収)(新潮社)

*『ニーチェ全集8 悦ばしき知識』信太正三訳(ちくま学芸文庫

*『ニーチェ全集 第1期第12巻』(『遺された断想』所収)(白水社

*『ニーチェ全集 第2期第5巻』(『遺された断想』所収)(白水社

*谷川渥『鏡と皮膚』(ちくま学芸文庫

ガストン・バシュラール『水と夢 物質的想像力試論』及川馥訳(法政大学出版局

*J・P・サルトル存在と無』松浪信三郎訳(人文書院

*ピエール・ガスカール『けものたち・死者の時』渡辺一夫、佐藤朔、二宮敬訳(岩波文庫

トーマス・マン魔の山』関泰祐、望月市恵訳(岩波文庫

*『すばる』(2021年3月号)(「文芸漫談 奥泉光いとうせいこう 大江健三郎『芽むしり仔撃ち』を読む」所収)(集英社

*ディディエ・アンジュー『皮膚―自我』福田素子訳(言叢社

ポール・ヴァレリー固定観念』菅野昭正、清水徹訳(『ヴァレリー全集3』に所収)(筑摩書房

*『大江健三郎 作家自身を語る』聞き手・構成:尾崎真理子(新潮社)

*尾崎真理子『大江健三郎 全小説全解説』(講談社

蓮實重彦大江健三郎論』(青土社

柄谷行人『終焉をめぐって』(『大江健三郎アレゴリー』『同一性の円環――大江健三郎三島由紀夫』所収)(講談社学術文庫

合田正人『法のアトピー』(『現代思想 特集:表層のエロス』1994年12月号に所収)(青土社

ジル・ドゥルーズ『意味の論理学』岡田弘宇波彰訳(法政大学出版局

ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力 <アブジェクシオン>試論』枝川昌雄訳(法政大学出版局

美術批評 ゲルハルト・リヒター論(ノート) ――痕跡と灰/移動と転回

 

 


  スラヴォイ・ジジェク柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス』におけるパララックスな読解に影響され、これまで書いてきた事柄を再編成して『パララックス・ヴュー』を上梓した。

 その柄谷は『パララックス・ヴュー』の書評(朝⽇新聞掲載:2010年03月07日)に、《カントは『純粋理性批判』で、たとえば、「世界には始まりがある」というテーゼと「始まりがない」というアンチテーゼが共に成立することを示した。それはアンチノミー(二律背反)を通してものを考えることである。しかし、カントはそれよりずっと前に、視差を通して物を考えるという方法を提起していた。パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。実は、そのことを最初に指摘したのは、私である(『トランスクリティーク——カントとマルクス』)。(中略)彼は本書で、政治経済から自然科学におよぶ広範な領域に、パララックス・ヴューを見いだした。「光は波動である」と「光は粒子である」という両命題を認める量子力学はいうまでもない。》

 ところで柄谷は『トランスクリティーク ――カントとマルクス』で、マルクスに「移動と転回」を見ている。

柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス

《最後に付け加えておくが、私は『資本論』にマルクスの仕事の最高の達成を見出すにもかかわらず、それをマルクスの最終的な立場として見なすべきでない、と考えている。それはこの本が未完成であるというだけではない。重要なのは、すでに明らかなように、マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようが――彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえる――だめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしに存在しない。》

 マルクスばかりでなく、これからジャック・デリダゲルハルト・リヒターにも「移動と転回」を見てゆきたいのだが、ひとまずジジェク『パララックス・ヴュー』のリヒターに関する言説に戻る。

スラヴォイ・ジジェク『パララックス・ヴュー』

《われわれは、現代絵画のうちに、似たような現象――測りがたくてほとんど識別不能なもの、ことばで言いあらわせない[je ne sais quoi]、であり、これが大きな差異の原因になる――を認めることができる。ゲルハルト・リヒターの絵画のあるものの特色となっているのは、(わずかに置き換えられ/ぼかされた、本物の)写真のリアリズムから、色のしみという純粋な抽象への突然の移行、あるいは対象をまったく欠いたしみのテクスチュアからリアリズム的表現へという逆の移行である――まるで、気づいたら突然、メビウスの輪の反対側にいたかのようである。リヒターは、絵画がカオスから出現するあの神秘的な瞬間(あるいは、その反対、はっきりとした鏡のような像が、意味のないしみにぼやけていく瞬間)に焦点をあわせる。そして、これが、われわれをラカン対象aのもとへつれていく。対象aは、まさしく、あの測りがたいXであって、このXが、しみのテクスチュアから、調和した絵画表現をつくるのである。それは、『二〇〇一年 宇宙の旅』の終わりにちかい有名な場面に似ている。そこでは、強烈な抽象的な視覚的運動の超現実的なたわむれが、幻想-空間のハイパー・リアリズム的な表現にかわる。この場合、リヒターは、通常の関係を転倒する。かれの絵画では、写真的リアリズムは、人工的で構成されたものという感じをあたえる。これにたいし、「抽象的な」かたちとしみの相互作用には、はるかに「自然な生命」が存在している。あたかも、非具象的なかたちの混乱した強さは、現実の最後の残存であるかのようである。したがって、現実の残余から、明白にそれと確認できる表現に移行するとき、われわれは、この世のものとは思われない幻想空間にはいりこむ。その空間では、現実は、回復不能なまでに失われている。移行は、純粋にパララックス的であって、対象のうちでの移行というよりは、見られる対象にたいするわれわれの態度における移行である。

 この理由から、リヒターは、たんなるポストモダンの芸術家ではない。かれの作品は、むしろ、モダニズムポストモダニズムの分裂そのもの(あるいはモダニズムからポストモダニズムへの移行)にたいするメタ評釈なのである。もしくは、別の表現をするなら、次のように言えるだろう。視覚芸術におけるモダニズムの開始の最初の身振りをあらわす二つの作品を考えてみよう。マルセル・デュシャンの自転車のレディー・メイド展示、そしてカジミール・マレーヴィチの白い背景に置かれた黒い正方形である。これらの両極端は、ヘーゲルの対立物の思弁的同一性を思わせるやりかたで関係する。そして、リヒターが追求しているのは、まさしく、この両極端のあいだでの移行(・・)――かれの場合は写真的リアリズムから純粋に形式的な最小の区別という抽象への移行――そのものを把捉することにほかならない。》

 

 東京国立近代美術館でのゲルハルト・リヒター展(2002年6月~10月)にあわせて『ユリイカ ゲルハルト・リヒター 生誕90年記念特集』(2022年6月号)が発刊され、多彩な論考が掲載されている。基本的な共通理解も兼ねて、以下にいくつかの論考を引用する。引用の織物の縦糸である。

これらリヒターに関する記述は、リヒターの作品が、後ほど紹介するデリダの「痕跡と灰」に関する言説・思考(引用の織物の横糸)と絡まり合っているかを示唆している。二人のパララックスでパフォーマティブな「移動と転回」の生涯と作品、言説と実践は、互いに微分方程式による接戦を描いている。

 

・清水穣『ビルケナウの鏡 ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》インスタレーション

 清水穣は『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』の翻訳をはじめ、日本におけるリヒターの紹介を長く勤めてきていて、絵画、写真、ドイツ文学、思想に詳しい。これから各引用ごとに、重要なキーワードを列挙して、読みの一助としよう、とりわけ後述するデリダとの類縁性の証拠となる言葉を。

それらは、「生涯に亘る負債」「トラウマ」であり、「破壊のモルフォロジー(形態)」「「樹皮の下に埋葬された」であり、「レイヤー」「シャイン」であり、「灰色」「グレイ・ペインティング」「灰色-鏡-ガラス」であり、「還元」「反復」である。

《《ビルケナウ》連作は、敗戦直後のドレスデン芸大で、当時世間に出回り始めたベルゲン・ベルゼンやブーヘンヴァルト強制収容所の写真を初めて目にして以来、それに取り憑かれてしまった画家が、実現に至らなかった過去二回の試行を経て、まるで生涯に亘る負債を返すかのように、ようやく完成させた作品である。「生涯に亘る負債」とは、第三帝国の東の外れ(ニーダーシュレージエン、現ポーランド領のボガティーニャ)で育った、すなわち車で二時間も走れば最寄り(!)の強制収容所グロース・ローゼンに到り、そのさらに東にはアウシュヴィッツが控えているような地方で育った少年(一九三二年生まれ、敗戦時一三歳)は、責めを負うべき大人ではないが無知な子供でもないから、連行されていったユダヤ人の運命について、ナチス優生学的政策によって強制入院させられた叔母の運命(監禁と薬物投与の末の餓死)と同じくらいには、漠然と知っていただろうが、その知を遥かに超える凄惨な画像が、青年リヒターの意識に突き刺さり、そのトラウマが生涯に亘って尾を引いてきたということである。》

 

《ここから、ビルケナウの基本インスタレーションを、リヒターの作品に沿って読み解いていきたい。まず四点の絵画作品がある。リヒターは、四枚の元写真をカンヴァスに投影しグリザイユで描き写した。その具象画の層がほぼ乾いたあとで、赤、緑、黒、白の絵具の層をアブストラクト・ペインティングの要領で何重にも重ね、写真画像を完全に塗りつぶした。ディディ=ユベルマンの言葉を借りれば、ビルケナウは絵具が繰り広げる「破壊のモルフォロジー」から生まれる「樹皮」の下に埋葬された、と。絵画完成の直後、リヒターは四枚の油絵と全く同じサイズのデジタルコピーを制作し、油絵とそのデジタルコピーを向かい合った壁面に、完全に正対するように掛ける。さらにそれぞれのデジタルコピーは四等分され、細い切れ目が十字に走っている。》

 

《レイヤーの出現、すなわち、画像が不可視の透明な面の上に載っているという質が露わになることをリヒターは「シャイン」と呼び、それは自分の「一生のテーマ」だと言う。(中略)

フォト・ペインティングは、描き出した写真画像にボカシやブレを加え、本来ピントが合うはずだった面としてレイヤーを出現させる。従ってレイヤーに見立てた《四枚のガラス》(CR160,一九六七年)がその純粋な骨格であり形式的な極相であった。リヒターは写真の具象に頼らないシャインの出現に向かい、まずはボケ・ブレを極大にして、レイヤーと画面が一つに重なる(これがリヒターの「灰色」の含意である)灰色の画面、つまりグレイ・ペインティングを制作する。灰色-鏡-ガラスはすべてレイヤーの変奏なのである。》

 

《ディディ=ユベルマンのリヒター論『Wo Es war』は、終盤に驚きの展開を見せ、デリダが序文を寄せたことでも有名な、ニコラ・アブラハム+マリア・テレクの『狼男の言語標本』から「7」の概念を取り出してくる。アナセミーとは「表皮」と「核」の二重統一体であり、暗号化された表皮が、決してそれ自体としては取り出されないトラウマの核を、虚ろな「Innenhof中庭」として包んでいる、と。ちょうど、パウル・ツェラーンの詩に「Auschwitz」という核が包まれているとして、それは決して独立して表に現れず、「zwischenlaut(語中音)」「grauschwarz(灰黒色)」「auf schwärzlichem Feld(黒ずんだ原野で)」といった暗号の音素に包まれているように(平野嘉彦『土地の名前、どこにもない場所として ツェラーンのアウシュヴィッツ、ベルリン、ウクライナ』)。そしてビルケナウの基本インスタレーションとはこの「中庭」ではないだろうか。破壊のモルフォロジーは、過去のビルケナウへの埋葬ではなく、ビルケナウというトラウマの直前の状態への還元である。四枚の油絵では、絵具の物質性と拮抗しながら、無数のレイヤー=表皮は、「直前」への遡行を反復している(アブストラクト・ペインティングの方法)。リヒターはそれをフラットなデジタルコピーに変換し、正対させることによって、無数のレイヤーが映り込んだ一枚の鏡面像――究極のレイヤー――として出現させる(ドローイングの方法)。》

 

・飯田高誉『戦争の記憶と野蛮の起源、そして恐怖と哀悼』

 ここでは「《1977年10月18日》」「《September》」という「日付」に注意したい。「思い出すことに固執し」「傷口を開いておく」リヒターは、デリダパウル・ツェランについて論じた『シボレート』の「灰」「日付」「反復」「回帰」の具象となっている。

《リヒターは、このドイツ赤軍派を題材にした一五点の絵画で構成された連作《1977年10月18日》を制作した。このタイトルの日、三人の赤軍派テロリスト、アンドレアス・バーダー、グドルン・エスリン、ジャンカール・ラスぺが、シュトゥットガルト刑務所シュタムハイムにおいて命を絶った。リヒターはこの連作に、その日には既に亡くなっていたウルリケ・マインホーフの若き肖像画も加えたのだった。一九八八年に制作されたこの作品シリーズは、生前のグドルン・エスリンや遺体となったマインホーフ、監房、愛聴していたレコードプレーヤー、葬式などの警察によって撮影された写真をベースにした油彩絵画の表現方式によって成り立っている。(中略)

 リヒターにとって「9・11」に遭遇したことは、結果として必然だったのかもしれない。この事件から四年後に崩落直前のダメージを受けた世界貿易センタービルを題材にした《September》(二〇〇五年)という、決して大作ではないが、劇的なタイトルの絵画作品が生まれた。(中略)

 作品《1977年10月18日》に引き続き、「私という人間ではなく、作品自身」を示したプロジェクトをさらに進め、『War Cut』(二〇一二年)を書籍として発表した。「私は、二〇〇二年夏から《1987Abstract Painting no.648-2》の絵画作品の部分写真二一六枚を撮り始め、その撮影から一年後に、イラク戦争が始まった二〇〇三年三月二〇日と二一日の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたすべての記事(テキスト)と二一六枚の写真を組み合わせた」とリヒターは述べている。(中略)対談相手のヤン・トルン=ブリッカーは、「あなた(リヒター)は思い出すことに固執しています。傷口を開いておくのです。それは疑いなく、あなたが望むと望まないに関わらず、戦争に関わる一つの形式です」と応じている。(中略)《1977年10月18日》や《September》における過酷な現実と虚構の関係性が相見えることで<仮象=光>を生みだし、それによって照らし出された象貌の輪郭がさだまる。「歴史をゴミのようにすて去ってしまうのではなく、べつの方法で、適切にとりくまねばならない」というリヒターのことばは、今の我々に何を暗示し示唆しているのであろうか?》

 

沢山遼『二つの体制』

 リヒターの「ジレンマ」「アンヴィヴァレンツ」、「二極性」の「往還」「解体」「宙吊り」、「選択することができない、あるいはしない」という態度は、デリダ脱構築、パフォーマティヴなそれと近似している。

《リヒターの絵画には、つねに、いくつかのジレンマ、アンヴィヴァレンツが介在してきた。彼の絵画は、つねに二つの軸を抱えながら、その両極を揺れ動くような運動を示してきたからである。そこには、大きく分けて三つの二極性が認められる。すなわち、(1)写真⇔絵画、(2)具象⇔抽象、(3)ハンド・メイド⇔レディメイド。リヒターの仕事は、その二極性を往還しつつ、その弁別を解体し、宙吊りにする、という点に向けられているように見える。何かを選択することができない、あるいはしない、というその態度は、鏡や写真の受動的な性質とも深く関わっている。》

 

・長谷川晴生『ゲルハルト・リヒターの「わかりにくさ」とドイツの歴史』

 ここにおける「多様性」「わかりにくさ」はデリダのそれでもある。

《リヒター自身、美術作品の「意味」が過剰に解釈されてしまう現状に対しては、ながらく否定的な態度をとってきた。リヒターの文章とインタヴューを集めた『テクスト』からは、その手の発言をいくらでも抜き出すことができる(邦訳はゲルハルト・リヒター『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社)。一九六四年から六五年にかけての「ノート」では、リヒターはこう述べている。「芸術作品において、理屈は問題ではない。解釈できてしまうような意味を含んだ絵画は、劣った絵画である。絵画とは、見通せないもの、非論理的で、無意味なものとして表される。[……]絵画はものを多様性と無限において表現するので、ただ一つの意見やただ一つの見解といったものは現れてこなくなる」(邦訳二四一頁)。こうした絵画における意味の拒絶は、先に挙げた「わかりやすい」同時代作家たちへの批判にもつながっている。「八五年三月二五日。キーファー展。あれらのいわゆる絵画。もちろん、あれは絵画などではない。[……]なぜなら、作品の内容が文学的な動機をもっているからだ。[……]明快な定義がない限り、作品上のすべては連想の役に立つという状況を利用しているのだ……」(邦訳二五四頁)。(中略)

 絵画は絵画でしかないのであって、そこに「意味」などあるべきではない、とゲルハルト・リヒターはながらく主張してきた。ともすれば安易に、露悪とともに「ドイツの歴史」を雄弁に語ろうとする同時代の作家たちとは、次第に疎遠になっていった。他方、リヒターもまた、活動を純粋なアブストラクト・ペインティングに限定することはせず、どうしても「意味」を予感させてしまう「ドイツの歴史」的題材を対象としたフォト・ペインティングを制作し続けてもきたのである。

 してみれば、リヒターのわかりにくさは、いわば二重のものにほかならない。第一に、リュパーツやポルケやキーファーのような、「ドイツの歴史」に対する、誰が見ても即座に「意味」がわかるイロニーを欠いているところ。そして第二に、にもかかわらず「ドイツの歴史」から離れようとしないところである。こうした困難な位置に進んで身を置いてきた美術作家を最もよく理解したのが、かのアドルノに師事した、同じように「わかりにくい」映画作家(筆者註:アレクサンダー・クルーゲ)であったことは、実に自然な結末であったのかもしれない。》

 

池田剛介『分割と接合 ゲルハルト・リヒター《リラ》

「生み出されると同時に否定されてしまう」とはデリダの言説もそうだ。

《リヒターは一九八六年のインタヴューにおいて、アブストラクト・ペインティングに対する解釈をめぐってバンジャミン・ブクローと激しく対立している。

 アブストラクトについてブクロ―は次のように言う。ありとあらゆる技法が統一感なく用いられており、色彩においてもとりとめがない。ここで行われているのは、かつて絵画において用いられてきたレトリックを大袈裟に示すことなのであり、アブストラクトは絵画に対する批判的シミュレーションではないか、と。

「感情的、精神的な効果を生む色彩の力が、君の作品においては生み出されると同時に否定されてしまうから、その力はいつもプラスマイナス、ゼロになってしまうわけだし、色の順列組み合わせが多すぎて、もはや秩序ある色彩のハーモニーともいえないし、色彩や空間性に秩序づけられた関係が存在しないのだから、コンポジションを論じることもできない」。(中略)

 リヒターは素朴とも思えるほどの率直さで反論している。「僕の絵画に、コンポジションも関係性もないなんて思えないね。ある色をべつの色の隣に置くとき、自動的にその色はもう一つの色へと関係するんだから」。》

 

・関貴尚『イデオロギーとの別れ T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに

 ここでは、「絵画の下層に埋もれているのはしたがって、画家の過去の記憶であり、そこでは瓦礫に埋もれた故郷の風景が、グレイの絵具によって文字通り塗りつぶされているのだ」、「リヒターの絵画の異質さは、そのような観ることの不可能性に起因するものだが、しかし、それによってむしろ、観ることの要請が逆説的に強化される」という指摘に注目したい。いずれにしろ、リヒターに「戯れ」「いかがわしさ」を感じる人はいるし、なおさらデリダを批判する人は多い。

ゲルハルト・リヒターの画業を辿ってみると、グレイという色が繰り返し登場することに気づく。白黒写真にもとづく一九六〇年代の初期の「フォト・ペインティング」シリーズにおいてすでに使用されていたこのグレイという色が、リヒターの実践を規定しつづけてきた特権的な色であるということは一見してあきらかだ。だが、リヒターはなぜグレイにこだわるのか。(中略)画家の言葉を引けば、「グレイ。それはなんの声明も発せず、感情も連想も喚起しない。[……]それは他の色にはない「無」を可視化する能力をもっている」。》

《じっさい、一九六八年から七六年までの一時期に描かれたいわゆるモノクローム絵画である「グレイ・ペインティング」のシリーズが、「失敗した」具象絵画の「塗りつぶし」に端を発するという事実は、そのような見方を強めるだろう。一九六八年の《都市風景M8(グレイ)》では、厚塗りされたグレイの絵具のマチエールが、色面の背後から建物の存在をうっすらと浮かびあがらせている。ここで眼を向けるべきは、後年になってリヒターが告白しているように、グレイの絵具によって覆われたイメージが、画家の故郷であり、第二次大戦中に連合軍の無差別空爆によって壊滅させられた都市でもあるドレスデンの光景と重ねられていることだ。絵画の下層に埋もれているのはしたがって、画家の過去の記憶であり、そこでは瓦礫に埋もれた故郷の風景が、グレイの絵具によって文字通り塗りつぶされているのだ。

 リヒターの絵画の異質さは、そのような観ることの不可能性に起因するものだが、しかし、それによってむしろ、観ることの要請が逆説的に強化される、ということは指摘されるべきだろう。(中略)一九八一年のノートのなかで、リヒターは次のように書いている。

  絵画とは、目にみえず理解できないようなものをつくりだすことである。絵画によって、目にみえず理解できないものが具体的なかたちをとり、認識されるべきなのである。だから、優れた絵画は理解できない。理解不可能性の創造。

 リヒター絵画における強度はゆえに、観ることの不可能性と、そこから算出される理解不可能性の経験によって担保されている。したがって、この画家の芸術実践は、何よりもまず、秘匿された対象との関係においてこそ問われなければならない。(中略)

 ところで、美術史家のT・J・クラークは、二〇一一年にテート・モダンで開かれた大規模なリヒター展にさいして、「グレイ・パニック」と題されたテクストを発表している。タイトルにある「グレイ・パニック」とは、一九六〇年代に多く描かれたグレイの絵画群を指すが、ここでクラークは、写真をもとに描くという手法が。「事物をほとんど塗りつぶすというアイデア」、すなわち「隠蔽」に関与すると指摘している。

  リヒターにおいて写真から制作するというアイデアは、そもそものはじまりからして事物をほとんど塗りつぶすというアイデアと深く結びついていたように思われる。写真からある種の不手際な隠蔽がまるで内なる香水のように生じているのだ。[……]そこで語られるのは、偽りの過去への固着――おそらくは東ドイツからの亡命者のそれ、ヒトラー以後のドイツ全体のそれ――である。家族の秘密、暗闘の心、妥協した両親の絶望的な嘲笑(この言葉は適切だろうか)。[……]一、二点のカンヴァスが象徴的に――効果なく――もたらしている外観の輝きは、アウシュヴィッツ以後の哲学や芸術に対して何もできず、グレイにグレイを塗り重ねている。》

 

《だが、そこで追及されている「理解不可能性の創造」は、こういってよければ、絵画がほとんどあらゆる受容(要求)を満たすことのできる、きわめて都合のよい空虚な容器と化すリスクと紙一重ではないだろうか。じっさいリヒターは、あからさまな態度を隠さない。クラークが示唆するように、「両立不可能性」――抽象的かつ再現的、伝統的かつ前衛的、疎外的かつ親密的(マインホフとエンスリンの絵画における、疎外された状況とその親密なものへの変容は、まさしくそのような両義性を帯びていた)――こそが、この画家の芸術実践を貫いている。「今世紀最高の画家」といわれるほどのポピュラリティの獲得が、その卓越した理解不可能性=両立不可能性によって達成されているとすれば、リヒターの芸術は結局のところ、その批評的可能性を空洞化させることに帰着するだろう。(中略)

最後にクラークの文章をまたひとつ引いておこう。リヒターに対する彼の懐疑の眼差しは、批評家(美術史家)としての彼の「確信」に由来するものである。

  リヒターが写真という事実の周囲を延々とさまようこと[……]で、現代の「絵画と具象」の問題が解決し、適切なしかたで枠づけされさえしたのだと確信して、テート・モダンの展示室から出てくる鑑賞者を想像できないのだ。また、この作家の抽象絵画がまさしく、絵画における失われた「表現」の領野(即時性、個人性、純粋な喜び)を、その困難にもかかわらずふたたび掘り起こそうと辿りなおしているのだと確信して――リヒターがわたしたちにそう確信させようとしているとさえ判断して――鑑賞者がこの展示を後にするとも思わない。[……]それぞれ一〇フィート近い正方形のカンヴァス群の不完全な甘美さ(その最良の作品においては、いかがわしさと快楽主義が共存している)は、「芸術とは何か」という出発点から遠く離れている。

 リヒターは絵画と写真、抽象と具象というカテゴリーのあいだで戯れているにすぎない。少なくともそうクラークは確信している。この碩学の批評の矛先は、リヒターの絵画にはらむそのような「いかがわしさ」にこそ向けられているのである。》

 

丹生谷貴志ゲルハルト・リヒターの余白に……』

 ここでは、「ベンヤミンの言う「マール=タッシュ=瘢痕」」「ベンヤミン的に言えば「聖痕にしてレプラの皮膚の上の赤い斑点」に注目したい。それはデリダの「痕跡」「灰」に通じるだろう。

《さらに悪意ある者なら、再度俗な言い方を口まねすれば、「リヒターは先行する“流行作”を否定的に写し直すことで脱構築し再提出するというやり方で勝利を収めて来た画家であって、それ故に一見彼の作品は多様な技法・多様な作風を仮面のように変えて行くように見えるが、実はそれは一種の<脱構築的コピーの多様さ>であって、その作画技術(絵の巧さ)の妙才は驚くべきものだとしても、しかしそこには彼にしか帰せない表現の独創性というものが欠けている」とでも言うかもしれない。》

 

《「コピーする者・描き写す者」としての画家リヒターは自分の周囲に、「人間の言語」の縁を開示するもの、そこで泡立つように現象してきたありとあるイメージを集め、それを「描き写す」……そしてその「描き写し」は単なるコピーではなく、「人間の言語」の縁として長城のように囲む「最後の縁」を片っ端から、ベンヤミンの言う「マール=タッシュ=瘢痕」へと化すためにそれらの「イメージ=縁」を再度掘削し、開き、「別のもの」へと変容させるために「描き写す」のである。その付加/加筆作業において、あたかも、「現代美術」という長城壁面いっぱいの連鎖の一々が、ベンヤミン的に言えば「聖痕にしてレプラの皮膚の上の赤い斑点」と化し、その背後の後退の、物質的擾乱として拡がる「ある地点」に実在するはずの「基底」へと、すべてを差し向けることになるだろう。……つまり、ゲルハルト・リヒターという比類ない「描き出す人」において、「初めて」、「現代芸術」は、ベンヤミン的な意味での「絵画芸術」となるのである。

 リヒターは「現代絵画」全体が「絵画芸術」と「成る」ための、「最後の加筆者」となるだろう。》

《……二〇〇二年、ニューヨーク近代美術館で、その時点でのリヒターのほぼ全作をそろえたかのような大回顧展を開き、殆ど熱狂に近い大成功を収める。観客はそこに驚くほどに多様な作風をマスカレードのように付け替える作家を見出し、「現存する最大最高の現代画家」を再認し……しかし、一人の独創的な作家を前にしたというよりも、どれもこれもが奇妙に「懐かしい何かを思い出させる」かのような気分になったのではないかと、想像する(中略)……リヒターによって「美術館」は「ミュージアム」という名称の語源にかえり、つまりは広大な「メモリアム空間」となり……いうまでもなく、「メモリアム」はまた、「墓碑」でもある。要はリヒターの作品群は「美術館」をベンヤミンの言う「空間化された斑紋/タッシュ」にかえるのだ……つまり、「墓石/墓標」……断るまでもなく、それは悪意あるものなら口にするかも知れない、「遂に美しい引導を渡された現代美術」のような否定的な事態を意味するのではない、と、ベンヤミンの読者なら知っているはずである。》

 

 ようやくデリダである。これまで引用してきたリヒターに関する言説(織物)の「絵画」「芸術」を「哲学」「思想」に置きかえても全く違和感がないだろう。

・梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』(ジャック・デリダ『シボレート パウル・ツェランのために』『火ここになき灰』)

 引用の織物の横糸に相当するデリダの困難な読解の一助として、『火ここになき灰』の訳者梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』から引用する。「灰」について語るよりもむしろ灰そのものを作り出すテクストというのはリヒターに似ている。また、思い出すことに囚われたリヒターは、亡霊、幽霊を背負い続けているとも言えよう。

デリダは『精神について』と題されたハイデガーについての講演を「わたしは、亡霊と炎と灰についてお話ししようと思う」という言葉で始めている。これにかぎらず、いくつかのデリダのテクストにおいてもまた、灰は非=回帰の記号として何度も回帰してくることになる。

 その中でも、「パウル・ツェランのために」という副題をもつ『シボレート』は、灰についての数多くの言及を含んでいる。とはいえ、この書物は直接に灰を論じたものではない(そもそも灰を直接論じるなどということが可能だろうか)。ここでデリダがもっぱら扱うのは特異性にまつわる問題である。日付や固有名はたった一度だけ生じる特異な出来事を示していながら、同時にその出来事を記念し、反復し、ある仕方で回帰させるものでもある。なるほど日付や固有名が指示するのは、これこれのもの、唯一で特異な取り返しのきかぬ絶対的な事柄である。だが、もしそれがいかなる仕方でも反復しえないならば、それは生起した時を超えて持続することはできず、また他者に伝えることもできないだろう。なんらかの形で反復可能でないかぎり、またその同一性において分割可能なものでないかぎり、それを誰も読み取ることができないし、表現し、伝達し、理解することもできないだろう。だが日付や固有名が示すのは、特異でありながら、かかるものとして再び回帰し、反復し、読み取り可能となるものにほかならない。

  絶対的な特異性を賦与ないし供託しつつ、それら(=コード化された刻印)は同時に、度を同じくして(・・・・・・・)、そしておのずから、記念[日]化への可能性によって除去=刻印(デマルケ)されなければならないのだ。それらが際立つものとなるのは、事実、それらの読み取り可能性がなんらかの回帰の可能性を告げる範囲内においてのみなのである。ここでいうのはなにも、再来しえぬものそれ自体が絶対的に回帰してくるということではない――誕生あるいは割礼は一度しか場をもたないということ、それはまさに明証事そのものである。そうではなくて、この世でたった一度だけ起こり、二度と再び帰り来ぬもの自体の、亡霊的再来ということである。日付とは亡霊なのだ。だが、不可能な回帰のこの再来は、日付の中に刻印されている。それはコード――たとえばカレンダー――によって保証された記念日[anniversaire]の[指]環[annneau]の中に刻印され、明記されているのである。

 日付や固有名が読みうるものになるためには、すなわち別の時、別の場において他者によって反復されうるものになるためには、おのれの生起の時と場、すなわちその特異性を失わなければならない。それこそが「日付はおのれの刻印を除去することによっておのれを刻印する」ということの意味であり、何かを意味するためには、意味する当のものを喪失せずにはいないのである。したがって、ここには、唯一無二のものと記号、特異性と反復可能性という、両立不可能なものの出会いがあるのであり、回帰しえぬものの再来がつねに問題になる。つまりそこには唯一のものの分割、特異性の喪失が見られるのである。デリダは「その読解可能性はその特異性の喪失という無残な報いを受け取ることになるのだ。これは、読解そのものに対する喪である」と述べている。興味深いのは、この喪失の経験において日付が「ある日、ただ一度だけ、ある固有名のもとにそこで焼き尽くされたものが何であるかさえわからない灰の本質なき灰となるかもしれない」と言われていることである。デリダによれば「名は、灰のこの運命を日付と分け持っている」のである。このように日付や固有名、さらには痕跡一般の経験は、「灰」のそれと重なっていく。》

 

 下記は、まるでリヒターの作画術について説明しているかのようだ。

《灰について語るよりもむしろ灰そのものをつくり出すテクスト、灰を回収しようとする言説の動きを遮断し、自己の内に破綻や中断、開口が書き込まれているテクスト、スピーチ・アクトでいう遂行的側面[le performatif]と事実確認的側面[le constatif]のあいだの、またメタ言語レベルと対象言語レベルのあいだの区別がもはや定かではないテクスト、『火ここになき灰』においてわれわれは、そうしたテクストを可能にするための数々の仕掛けを見ることができる。(中略)

 第三に、デリダはここで複数の声による対話(ポリローグ)という構成をとり、哲学に特有の匿名で中性的な言説を放棄してしまう。そこから少なくとも四つの重大な帰結が生じてくるように思われる。ポリローグにおいては、

(1)単一の言説の直線的な展開という形式は失われ、かわりに複数の言説が互いに他を中断し合いながら断続的に継起していく。そこでは中断や句切り、空白が何度も、しかし規則化されない仕方で書き込まれており、言葉を中断し他に明け渡すことによって、もっと別の声が呼び起こされる。ブランショがいみじくも指摘したように、ポリローグの生成を可能にしているのは中断に他ならない。(中略)

(2)ある声の述べることが即座に他の声に引き継がれ、打ち消され、あるいは反転されることによって、灰に特有のダブルバインド(消滅/出現、運/不運、収奪/固有化)の運動が書き込まれる。(中略)

(3)一つの声は、たとえそれがなにかある対象について語る場合であっても、対話の状況におかれている以上、他の声に呼びかけ、他の声を参照することをやめない。(中略)

(4)対話である以上、伝統的な哲学の言説のように、匿名の作者が万人に語りかける中性的な形式はとらずに、対話者への参照、呼びかけ、そして発話の状況そのものの舞台化がある。そうしたレフェランスは、主題論的な統一を求めたり自己を全体化すると称する言説に、いわば穴を穿ち、縫合不可能な裂け目をつくりだす。》

 

                                  (了)

         *****引用または参考文献*****

*『ユリイカ ゲルハルト・リヒター 生誕90年記念特集』(2022年6月号)(青土社)に所収

(清水穣『ビルケナウの鏡 ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》インスタレーション』)

(飯田高誉『戦争の記憶と野蛮の起源、そして恐怖と哀悼』)

沢山遼『二つの体制』)

(長谷川晴生『ゲルハルト・リヒターの「わかりにくさ」とドイツの歴史』)

池田剛介『分割と接合 ゲルハルト・リヒター《リラ》』)

(関貴尚『イデオロギーとの別れ T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに』

丹生谷貴志ゲルハルト・リヒターの余白に……』)

(新藤淳『視差のリアリズムへ リヒターのクールベ』)

(西野路代『ビルケナウの白いページ ゲルハルト・リヒター『93のディテール』詩論』)

(浅沼敬子『ゲルハルト・リヒター 鏡としての絵画』)、他

ゲルハルト・リヒター『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』清水穣訳(淡交社

*平野嘉彦『土地の名前、どこにもない場所として ツェラーンのアウシュヴィッツ、ベルリン、ウクライナ』(法政大学出版局

ヴァルター・ベンヤミン『絵画芸術とグラフィック芸術』(『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』に所収)浅井健二郎訳(ちくま学芸文庫

柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス』(岩波書店

スラヴォイ・ジジェク『パララックス・ヴュー』山本耕一訳(作品社)

東浩紀存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(新潮社)

*梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』(洛北出版)

ジャック・デリダ『シボレート パウル・ツェランのために』飯吉光夫、小林康夫守中高明訳(岩波書店

ジャック・デリダ『火ここになき灰』梅木達郎訳(松籟社

ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』足立和浩訳(現代思潮社

ジャック・デリダ「声と現象」林好雄訳(ちくま学芸文庫

ジャック・デリダ『哲学の余白』高橋充昭、藤本一勇訳(法政大学出版局

映画批評 濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』のエモーションを感じとるために(ノート)

  

 

 

 

 映画『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督の卒論は「ジョン・カサヴェテスの時間と空間」であり、学生時代にレイ・カーニー編『ジョン・カサヴェテスは語る』を読みこんだと述懐している。『ジョン・カサヴェテスは語る』はカサヴェテスが自作について、さまざまな媒体で語った発言の引用から構成されている。

 それにならって、シナリオ、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』の経糸に、インタビュー、濱口による映画評論や対談・鼎談、『ドライブ・マイ・カー』に対する批評の横糸を織り込み、『ドライブ・マイ・カー』について知っておくべき事柄の引用の織物(テクスチャ―)を織りあげる(引用文献名は、最後尾の「引用または参考文献」リスト番号で示す)。織物から聴こえてくる「声」、「言葉の力」、「見る」こと、なめらかなカメラの視線、演技とは何か、それらの「重ね合わせ」は、エモーションを追及し、記録した映画を深く感じとるためにいくばくか役立つだろう。

 まず濱口の二つの映画評論をみておく。一つは、蓮實重彦について語りつつも自分語り的な要素を持って、溝口健二『残菊物語』を論じている。もう一つは小津安二郎東京物語』の原節子に関して。どちらも、「映画になりたい」濱口の基本的な態度、関心を宣言している。

 

溝口健二『残菊物語』/森赫子=お徳の言葉と声のエモーション>

 濱口竜介の24蓮實重彦論「遭遇と動揺」(工藤庸子編『論集 蓮實重彦』)は、濱口の蓮實との遭遇と動揺について自分語り的要素をもって書かれている。

 まず「遭遇」。

《ついに果たした「蓮實重彦」との遭遇は、小津安二郎によってもたらされたものだ。私にとって、事態は必ずしもその逆ではない。

『監督 小津安二郎』は己の視線をカメラに漸近させ続ける著者のみが可能にした潜在的な小津作品として存在している。(中略)それは「見る」ということだ。カメラという自動機械への予め決められた敗北を生きながら、それでも「見る」ということを通じてしか映画が制作されえないというごく根本的な事実を『監督 小津安二郎』は示している。カメラが撮影現場で写し取ったものを、映写機はそのままスクリーンへと映し出す。つまりカメラと観客は同じものを見るという最早ほとんど意識さえされない事実を、何度でも生起する「できごと」へと一対の瞳が組織し直した書物、それが『監督 小津安二郎』だ。》

 ついで「動揺」。

《ここで話題にしたいのはその『国際シンポジウム 溝口健二――没後五〇年「MIZOGUCHI 2006」の記録』に収められた蓮實重彦の『残菊物語』論だ。

「言葉の力」と題されたこの『残菊物語』論を読んだ時の鈍い動揺を忘れることができない。それまでに目を通していた蓮實重彦の批評とは一読して手触りの違うものだったからだ。それこそ「蓮實的」な批評の代名詞とも言うべき映画の画面における「主題」の発見、及びその列挙的な反復とそこからの飛躍、すなわち魔術的な説得力をこの『残菊物語』論が欠いていたからだと思う。

 そこで顕揚されているのは、主演のひとり・お徳を演じる森赫子に宿った「言葉の力」である。(中略)

 当然いつも通り、論の中には溝口作品における画面の濃密な叙述が存在する。しかし、溝口が一シーン一ショットを手法として完成させたとも言えるこの作品において画面=ショットの叙述は必然的に映画における「物語の解説」というおそらくは筆者自身が最も忌むべきものへと危うく接近していく。

 この法外のアプローチは「主題論的批評」が小津安二郎に対して理想的に機能したようには、決して溝口に対しては機能し得ないということへの蓮實重彦自身の深い自覚に基づくものだろう。》

《では、溝口健二の「重ね合わせ」とは何か。それは想像し得る最もオーソドックスな方法である。現場において脚本に基づき、その立体化を図る全スタッフ・キャストの力を「凝集」することだ。そして、蓮實重彦の『残菊物語』論はまさに溝口の「重ね合わせ」を解くための現場への旅としてある。

  「そのことなら、……覚悟は決めてきております」の一行は、数ある台詞のなかで もひときわ寒々と孤立し、他との温度差をきわだたせている<脚本>。それが可能なのは、そうとひと息に口にする森赫子の緩やかな声(・)の抑揚であり<演技・録音>、すらりと伸びた彼女の首筋であり<造作・照明・撮影>、誰かを見ているとも思えぬその動かぬ横顔の思いつめた孤独なのであり<立ち上がったキャラクター=フィクション>、ここにしかないという肝心な瞬間にそうした細部を画面に結集してみせる溝口健二の演出の力(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)があったからにほかならない。(<>。傍点は引用者)

 照明・美術・衣装・メイク等々現場のあらゆる要素が反映して役者の演技ができあがる。それがフィクションという現実の空白地を出現させることがある。カメラ、そしてマイクが狙い定めるのはその出現したフィクション、それを立ち上げる「現場」そのものの記録であり、以上でも以下でもない。そして、フィクションを必ずや立ち上げるべくカメラそばを頑として動かない溝口がそのすべての不動の中心となる。》

《図像による例示さえ許されない音声それ自体の叙述は、当然どこまで言っても曖昧であり、それを同定する言葉は必然的な貧しさをまとわざるをえない。森赫子=お徳の声を描写する「凛々しさ」も「なだらかさ」も「晴れがましさ」も、どれだけ周到に選ばれたとしてもその貧しさから逃れることはできないし、そのことを彼が自覚していないわけもない。にもかかわらず、彼は「貧しさ」の側に立ちながら叙述を続ける。そのことが人をこのうえなく動揺させる。》

《小津作品を見返したときの『監督 小津安二郎』がそうであったように、『残菊物語』を見返すこと、その中のお徳の声を聞き取ることは、「言葉の力」が『残菊物語』――溝口を語る無二のテキストであることを確信させる。叙述によってシーンのすべてを漏らさず立ち上げようとする蓮實重彦の執念に、カメラ脇を陣取ってそこから動かなかったという溝口健二自身の像が重ね合わせられる。そこにはやはり「映画になりたい」という馬鹿げた欲望をきわめて厳密な手続きでもって遂行しようとする極めて愚直な男の肖像が浮かび上がるのみだ。ここでも彼は、数十年前の自身の宣言(筆者註:『表層批評宣言』)を相も変わらず実行している。

  真に機能した「方法」が人目に触れたりはせず、時空を超えた事件としてあり、いつまでも醜い「原理」や「体系」として抽象空間に残骸をさらしたりはしないということ、つまり「方法」は「批評」の前にも後にもなく、「批評」と同時的に体験されるものであって、その時にのみ積極的な価値を生きうる[…]

 これは「批評」を「制作」と置き換えてもまったく同様だろう。この『残菊物語』論を読んだ動揺が、今も私を次なる場所へと誘っている。》

 

小津安二郎東京物語』/カメラの前の原節子のエモーション>

 濱口竜介は「『東京物語』の原節子」という文章を、二〇一五年九月の原節子逝去を受けた27『ユリイカ 特集 原節子と<昭和>の風景』(2016年2月号)に寄せている。

《このような追悼文めいた文章を書く資格があるかどうかも怪しい。にも拘らず、私は書かなくてはならない。そして、書くとすれば小津安二郎監督の『東京物語』の原節子=紀子について語る、ということ以外にはあり得ない。それを見て得た驚きは、私がこの文章を書き得る極めて限定的な、しかし決定的な理由だ。そのことは今、私が映画を撮り続ける理由の一つですらある。

 私が、驚いたものは、それ自体珍しくもない。おそらく誰しもが、驚きはしないでも心を揺さぶられる『東京物語』の最終部における原節子笠智衆のやりとりだ。その中で原節子がカメラを正面にして見せる表情に、驚いた。映画作りを続けながら、今の驚きを深めている。一体、人はあのような表情をし得るものなのだろうか。いや、し得るのだ。その証拠映像が残っている。疑いようはない。

 明らかに演技をしているにも拘らず、いやもしかしたらそのことによって、ただ信じることしかできないような人がそこに映っている映像。いわゆる「人間」を描いたとか。そういうことではない。むしろ新たにここで人間が創造されており、その瞬間にカメラが間に合っている、ということ。『東京物語』の原節子は私が知る限り、このように表現し得る世界にたった一つの映像なのだ。なぜそのようなことが可能なのか。

 その問いに身を浸すならば、原節子に捧げるこの文章は、避け難く小津安二郎の方法を巡る小論にもなる。私にとっては原節子について語ることは、小津安二郎のカメラの前に立った原節子について語る以外ではあり得ない。そのようなアプローチを取るのは、間違いなく小津自身が「映画の演技」を巡る不可能性を十二分に自覚した上で、あのカメラの位置を選択したからだ。あの原節子は偶然写ったものではあり得ない。そこには明確に、小津の選択した方法がある。》

《紀子が「いいえ」の人であったように、周吉は「いやあ」の人だ。「いやあ」もまた、ここまで場を和らげるために発されてきた。その点で二人は似ている。先ほど「いいえ」は一定の距離間を前提としていると書いたが、ここで為される「いいえ」「いやあ」という気遣いの応酬は、距離を作るより、本当にわずかずつだが二者を近づけてしまう。際限ない気遣いが、互いの示す柔らかさが、それまでとは違う自分を表す素地となる。紀子は「いいえ」で覆い隠していた自身の秘密を露わにしようとする。「いいえ」が「でも」に変わる瞬間がやってくる。

①紀子「いいえ(・・・)。あたくし、そんな、おっしゃるほどのいい人間じゃありません。お父さまにまでそんな風に思って頂いてたら、あたくしの方こそ却って心苦しくって」

②周吉「いやあ(・・・)、そんなこたあない」

③紀子「いいえ(・・・)、そうなんです。あたくし狡いんです。お父さまやお母さまが思ってらっしゃるほど、そういつもいつも昌二さんのことばかり考えてるわけじゃありません」

④周吉「ええんじゃよ(・・・・・・)、忘れてくれて(・・・・・・)」

⑤紀子「でも(・・)このごろ、(目下げて)思い出さない日さえあるんです。忘れてる日が多いんです。あたくし、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、ふっと夜中に考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとっても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待ってるんです。狡いんです」

⑥周吉「いやあ(・・・)、狡うはない」

 ④の周吉の台詞は元々台本では「いやあ、忘れてくれてええんじゃよ」となっていたが、小津の手で書き換えられて「いやあ」が削除され、周吉が紀子へぶつけるより直接的な(しかし気遣いの)台詞となっている。そのことが紀子の「でも」を引き出すための小津の最後の一矢だろう。ここにおいて紀子の感情の発露を助けることと、原節子の表現を助けることに、ほとんど違いはないはずだ。先ほどのような「世の理」を説く理知的な態度ではない。自身の、誰にも見せなかった秘部を晒そうとしている。「いいえ、今のままでいいんです」と言った紀子ではない。「でも」「このままじゃいられないような」「寂しい」「何かを待ってる」紀子が顔を出そうとしている。

東京物語』を見直して幾度目かに⑤の部分が、紀子の正面ショットではなく、一貫して周吉の背中を手前に、奥に紀子を配する形のワンショットで撮られていることに気づき、驚いたことがある。紀子が自身を晒け出していくその過程、そこにはやはり目の前の周吉=笠智衆の反応を、演技の助けとして必要とすると小津は考えたのだろうか。カット割りは、現在映像で確認できる通りに台本に書き込まれている。ただ、シナリオ上の指示は(目下げて)とあるだけだが、映像上の紀子=原節子は一度顔を上げて、笠を見る。笠もその時は原の動きと呼応するように顔を原の方に向ける。二人は見つめ合い、最後の「ずるいんです」で原はまた顔を下げる。声にはそれまでにない激しい抑揚が具わるが、それを大げさなものとは感じられない。

 原の演技はできあがった。しかし、まだ映画は完成ではない。小津はここでかつての自分が言った通りに映画劇が「現実そのものよりもつと完全な、そしてもつと納得のできるやうなものであらうとする努力」を自ら実践する。原の正面にカメラを据えるのだ。それがいかに過酷なことであろうと、それをしなくてはならない。果たして、原はカメラに向かって、面を上げる。その瞳には涙が輝いている。

  紀子「いいえ、狡いんです。(目に涙)そういうことお母さまには申し上げられな かったんです」

  周吉「ええんじゃよ。それで。やっぱりあんはええ人じゃよ、正直で」

  紀子「(目下げ)とんでもない」

 誰しもがここで「とんでもない」と目を反らす紀子=原節子を記憶している。シナリオ上の(目下げ)の指示以上の瞬発力を持って彼女が目を反らすのは、「とんでもない」が「いいえ」を否定とし得ない彼女が咄嗟に選び取る否定と拒絶の言葉だからであり、結果選ばれたその強い言葉は誰も見たことのなかったその首筋を浮き立てるほどの勢いを彼女に与えた。原がカメラから目を反らすのは、その瞬間、紀子=原が自身の最も柔らかな秘部を晒すことの限界と、映画が映画であることの臨界が同時に訪れるからだ。どれだけ優しい義父も、どんな観客もその先を目にすることは許されてはいない。

 ただ、ここに及んで個人的な感慨を、誤解を恐れず述べるならば、私はその紀子=原節子の表情を見たときに「まるで自分のよう」に感じたのだ。他者から見たら笑って肯定し得る程度の「秘密」であることを理解しつつ、それを決して差し出せないこと、そのことが尚更恥ずかしく、しかしそれを勇気をもって差し出そうとして起こるすべての仕種の中に、年齢・性別・生きた時代・あらゆるプロフィールの違いを超えて、私は自分自身のうちに在る最も高貴な一片を見せてもらったような、その存在を教えてもらったような気がするのだ。それは今も私の中の他者としてある。ごく勝手に思うのは、この映像を、この紀子=原節子を見た人には誰でもそれが起こるのではないか、ということだ。「あらゆる人の中の私」をこの瞬間、原節子は垣間見せてくれているのではないか。

 小津は最後に、もうひと足掻きしてみせる。目を逸らした紀子を前にして、周吉は立ち上がり、亡妻の形見の時計を紀子に渡す。ここで、小津の撮影台本には周吉の一言が書き加えられている。「なあ 貰うてやっておくれ」。映画の中で、この一言は紀子の表情に乗せて響く画面外の音としてある。ここまで示したすべてのやり取りの中で発話者が映らないのはこの瞬間だけだ。この小津にとってはずいぶん例外的な音声を聞き取って、原の表情は震える。そして面を下げ、泣き顔を見られないように顔を両手で完全に覆ってしまう。しかし「貰うてやっておくれ」がもたらす猶予の間だけ観客は、台詞の響きに呼応して瞳の涙が揺れるのを見つめることを許されている。我々は束の間、しかし確かにそれを見る。何度でも見ることができる。

 どうすれば映画は、このような瞳を収め得るのか。結局、どこまでもわからない。笠はカメラが自身に向いていないときも、カメラ脇で自身の台詞を原に実際に与えただろうか。そうして原が、この遊戯じみた撮影の中で演じることを励ましたろうか。わからない。それについて述べた資料は見つけられなかった。ただひとつ言えるのは、カメラの脇には常に小津がいたであろう、ということだ。この日のためにあらゆる準備をした小津がいる。小津が見ている。そのことが原をどれだけ励ましたか、計ることはできない。》

 

 さて、本線の『ドライブ・マイ・カー』に戻ろう。

 

<ファーストシーン>

 32「シナリオ『ドライブ・マイ・カー』」(『シナリオ 2021年11月号』)から。

1 家福のマンション・夫婦の寝室(早朝)

薄明の外光が徐々に入り込んでくる寝室。女が裸の上半身を起こし、フレームインしてくる。

ダブルベッドの上に座る女の肩のラインを、薄明かりが白く浮かび上がらせる。逆光で女の表情や乳房は確認できない。女は家福の妻、音(45)だ。音が口を開く。

音 「彼女は時々、」

家福「うん」

音 「山賀の家へ空き巣に入るようになるの」

家福「山賀?」

音 「彼女の初恋の相手の名前。同じ高校の同級生。でも山賀は彼女の想いを知らない。彼女も知られたくないから、それで構わない。でも、山賀のことは知りたい。自分のことは何も知られずに、彼のことは全部知りたいの」

  ベッドに横たわり、頬杖をついて女を見つめる家福(45)

家福「それで空き巣に入る」

音 「そう。山賀が授業に出てるとき、彼女は体調が悪いと言って早退する。山賀は一人っ子で、父親はサラリーマン。母親は学校の先生。家に誰もいないこともクラスメイトから聞いて知ってる」

家福「どうやって中に入る? 普通の女子高生が」

音 「彼女は当たりをつけてた通り、玄関脇にある植木鉢の下を探る。そこに鍵がある」

家福「(笑う)不用心だな……」

(後略)》

 

11-1木下千花「やつめうなぎ的思考」より。

濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』は、やわらかく青みがかった大きな窓を背景に、ぬらりと身を起こしたまま語る女の黒いシルエットで始まる。女は言う。「続き、気になる?」

 本作が村上春樹の同名作品ばかりではなく、短編集『女のいない男たち』(文春文庫、2016年)にいっしょに納められた他の短編からも想を得ていることを知っている者なら、すぐに思い当たるはずだ。「ああ、「シェエラザード」だ」と。シェエラザードは、同名の短編小説において、ある秘密組織の「ハウス」に滞在している語り手の男性の元に1、家事と性的サーヴィスを提供するため週に2回ほどやってくる30代の主婦であるが、性行為のあと、あたかも『千夜一夜物語』の美妃のように面白い話を語って聞かせるのだ。

 しかし、類似はすぐに疑問を招き寄せる。なぜこの女、音(おと)(霧島れいか)は、ベッドの上に半身を起こして語っているのか。夫であり、この映画の主人公である家福悠介(西島秀俊)が裸身をベッドに横たえて耳を傾けているさまが、すぐにミディアムクロースアップで続くというのに。Postcoitusの寝物語というものは、親密なけだるさに身を任せて水平姿勢で行うものであり、「シェエラザード」でもそうなっているではないか。なお、ここで問うているのは、「原作」や現実世界における慣習との当然ありうべき些末な差異ではなく、身体と演出をめぐる主題系である。取り急ぎこう答えることで本論を語り起こそう——だって、音はやつめうなぎだから。》

 

11-2坂本安美「音という旅」より。

《夜が明けようとしている時間帯だろうか、大きな窓の外には水に滲んだインクのように濃い青色がぼんやりと空を染め、その下に広がる街がうっすらと見えてくる。形を帯びようとしている世界を背後に、黒いシルエットが私たちの目の前に現れる。音(霧島れいか)、それが女の名前であり、影絵のように動くそのほっそりとした身体からは低い声が響いてくる。彼女と共にベッドにいる男、夫の悠介(西島秀俊)は、微睡みながらもその声が語る「恋する空き巣の少女」の物語に聞き入っている。人間関係の深淵なる部分、「親密さ」を映画でとらえるという、現在の日本映画においては稀有な試みを続けている濱口竜介の最新作『ドライブ・マイ・カー』は、一組の男女のまさにもっとも親密で、秘められた場面、セックスの後のベッドでの会話から始まる。》

 

11-3ティエリー・ジュス「喪に服し、エロティシズムに満ちた長い精神の旅」より。

《『ドライブ・マイ・カー』はかなり長いプロローグで幕を開け、ここで喪と心を揺さぶるエロティシズムが刻まれた精神的な冒険の基盤を築いてみせる。それは、淀みなく素晴らしい最初のシーンで表現される。セックスの後のベッドにほとんどささやくような声が響き渡る場面に観客は浮遊させられるだろう。そこから、濱口はゆっくりとわれわれを驚きに満ちた迷宮に誘う。》

 

12「対談 濱口竜介×野崎歓 異界へと誘う、声と沈黙 <映画『ドライブ・マイ・カー』をめぐって>」より。

野崎歓:まず、うかがいたいと思うのは冒頭の場面についてです。試写で観ていて、周りの人たちも息をのむ感じがありました。女性の裸体が映るけれども、背後から撮られていて、かつ逆光でもあり顔が見えない。霧島れいかさん演じる家福音という女性が夫婦でのセックスの後、寝室で夫に向かって不思議な物語を語り出すのですが、あそこで決定的に何かが刻印された感じがしました。あのシーンはいつ生まれたのでしょう?

濱口:冒頭部分はプロットの段階ですでに書き込んでいました。短篇「ドライブ・マイ・カー」を映画化するうえでの様々な変更について、まずは原作者である村上春樹さんに許諾を取らなければいけない。頻繁にやり取りするのは難しいので、「映画化するうえでこういうことをやりたい」というのをできるだけ最初に村上さんに提示しなければいけない。

 話をどう膨らませていくか、まず短篇集『女のいない男たち』を繰り返し読むところから始めました。そして短篇「ドライブ・マイ・カー」以外に、同書に入っている短篇「シェエラザード」「木野」を新たに取り入れようと決めました。「シェエラザード」のほうは、短篇「ドライブ・マイ・カー」にはない主人公の妻の描写を足す必要性から、そして主人公の家福悠介(西島秀俊)が最終的にどこへ向かっていくのかと考えたときに、「木野」の要素を加えようと思いついた。家福は具体的にどういう仕事をしているのかというと、原作に「ワーニャ伯父さん」の話が出てきますから、ならば彼はこの戯曲の演出をしているんだと考えていきました。

 ただ、妻がセックスの後に物語を語りだすという、「シェエラザード」を基にした設定は、映画の途中で突然出てきたらすごく奇妙なわけです。そこでまずこの状況を当然のこととするようなリアリティの地平を最初に設定する必要性があります。実際この映画は――というより村上春樹さんの小説自体がと言ってもいいのですが――リアリズムではあるけれども、気がついたら現実から浮遊して別の世界へ行ってしまうようなところがある。それを成立させるため、この映画のリアリズムの基準がどのへんにあるのかを設定しなければいけない。冒頭は「こういう映画で、ここから始めます」という、観客への宣言なんです。(中略)

野崎:冒頭のシーンがどうしてここまでインパクトがあるのか、それはある種の乖離を含んでいるからです。女性の声が聞こえてくるけれども、我々はまだ彼女の顔もちゃんと見ていないので、聞こえてくる声と今見ている女性の姿が一致しているのかどうかよくわからない。しかも声が語る内容が「彼女」という三人称なので、物語と寝室の中の現実がどう結びついているのかもわからない。何か危うさを経験させられるんです。そこで存在感を放つのは「声」です。この女性がその後どうなるかまでは我々は予測できないけれども、何かがズレているという印象は強く受ける。まるで巫女のように、彼女の謎の声の力が魅惑的に働いています。》

 

21「特別鼎談 濱口竜介(映画監督)×三宅唱(映画監督)×三浦哲哉(映画批評家) 映画の「演出」はいかにして発見されるのか――『ドライブ・マイ・カー』をめぐって」より。

三宅唱:映画をどんな場面から始めるのか、重要だと思うんです。『ドライブ・マイ・カー』のファーストシーンはシナリオ通りですか? なぜあの場面から映画を始めたんでしょう。

濱口:シナリオ通りだし、そもそもプロット通り。基本的に映画の始まりって、観客にとってのリアリティの水準をどこに設定するかにおいて重要だと思っています。この映画の家福夫婦には昼と夜の生活があって、昼は普通に妻の家福音(おと)(霧島れいか)は脚本家として、夫の家福悠介(西島秀俊)は俳優として生活しているんだけど、夜になると二人はセックスし、そのあとで妻の音がトランス状態に入って物語を話し出すという設定がある。これを昼から始めると夜の場面で「おいおい、どういうことだ」となると思うんですけど、夜の場面から始めると、観客にとってその場面がこの映画のリアリティの基準というか「そういうものだ」という受け止め方になるのではないかと。普通の流れでは受け入れづらい要素を、ある種の映像の強度とともに最初に示すことで、観客にまずそれを受け入れてもらうことから始められる、逆にそうしないとこの話を進めるのが難しくなるということはすごく考えていました。(中略)

三浦哲哉:「これ何?」「これ誰?」ってなって、1時間後に初めてわかるみたいな。そういう息の長さを受け入れることを観客に期待している。この映画の冒頭も同様に大胆で過激な入り方ですよね。

濱口:ありがとうございます。実際のところ、こういう「わからなさ」を含んだ語りは『悲情城市』や『牯嶺街少年殺人事件』(1991)をイメージしてたりもしたので、ご指摘嬉しいです。ただ、こういう始め方が可能になるのは最後の方の展開との兼ね合いもやっぱりあるんですよ。

三宅:最後とは?

濱口:プロットを書いた時点で、最後の雪山の場面、家福が妻を思っていろいろな言葉が溢れてくるところまで、最後のセリフもプロットにはほとんどそのまま書いてあって、その段階で、喪失から再生へ、という非常にベタというか「王道」の語り方が見えた。観客も最終的には理解でき、もしかしたら共感もできる題材を扱っているんだなと。それがわかっていたからこそ、逆にここで負荷もかけられた。最終的には観客に報いるものにできるから大丈夫だと。だから実際に撮影する段階でも、けっこう語りの無理は効くはずだと思いながら前半は作っていた感じです。》

 

<音楽/音のエモーション>

6「石橋英子×濱口竜介、映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を語る」より。

《最初に石橋さんと音楽についてお話しをした時は、「風景みたいな音楽を」とお願いしたと思います。映画のなかに流れる空気と同化しているような音楽を、と。そうお話しをしたのは、まだ映画の形も見えてない頃でした。》

《音楽の方向性についてやりとりしていくなかで、終盤、「もう少しだけエモーションを感じられるものにならないか」とお願いしたんです。石橋さんの音楽に、映像と観客とを結びつける役割を担ってもらいたかった。》

《出来上がったエンディングテーマに、石橋さんは今までになくエモーショナルなメロディを入れたと思うんですけど、それがまったくトゥ・マッチではないというか、ほんとにこの映画にふさわしい、すごく微妙なラインを行くもので、本当に感激しました。すごく大変だったろうなと思いましたけど。》

 

30「『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」より。

《──アンビエント的な音もあれば、エンディングテーマのようなメロディアスな楽曲もあります。特にエンディングテーマは余韻を損ねず、映画と程よい距離感を保っています。具体的なオーダーは出されましたか?

濱口:映画音楽に関しては、いちばん初めに「風景みたいな」「人間的な感情とは遠くにあるイメージで」とオーダーしました。それは撮影前のことで、そういうオーダーが石橋さんにも合っていると思ったんですが。ただいざ撮ってみるとその要素は映像が十分に持っていると気づきました。それで、より一般的な映画音楽に近い形の「映画と観客を一層感情的につないでくれるような音楽を」とオーダー変更しました。バンド編成の楽曲はそれに基づいてつくっていただいています。先ほど、西島さんの演技に関して「嘘じゃないエモーションを探りつつ、進んでいく」とお話ししましたが、エンディングテーマから受けた印象もすごくそれに近くて、開かれたメロディを持っているけれど、過剰にセンチメンタルやエモーショナルではない。石橋さんはもともと極端にメロディアスな音楽には抵抗をお持ちだったかとも思います。でも、上がってきたラッシュを見ていただいた際に「この映画自体、音楽のよう」と言ってもらえました。短い感想でしたが、熱が感じられて「石橋さんが感じた、その感覚を使ってエンディングテーマをつくってください」とお願いしました。結果としてエンディングテーマはみさきの表情とも響き合って、終わりというよりは始まりを感じさせるものになってくれたと思います。》

 

43「【単独インタビュー】『ドライブ・マイ・カー』で濱口竜介監督が拡張させた音と演技の可能性」より。

《──この作品に関してはどのようにサウンドデザインを考えられたのですか?

濱口:野村みきさんという、フランスで音を学んできた方に、音に関しては基本的に統括していただきました(※クレジットではリレコーディング・ミキサー)。日本だと、伝統ということなのか、台詞(声)、音楽、効果音の担当者それぞれがフェーダーのつまみを持っていると聞きます。よく聞くのは、自分の音を聴きたい、聴かせたいと思うのか、音を上げ合う傾向があると。ある種の競争関係があるんですけど、本作では野村さんが音全体をトータルに判断して、僕に提示してくれます。

──日本で映画を観る場合の理想的なサウンドデザインとは?

濱口:一般的な日本映画の場合、多少、行き当たりばったりの音響設計になっていることが多い気がします。音楽をべったり貼ったりとか、環境音を付けておけば良いだろう的な。声を聞かせるのと、ノイズを聞かせるのを同時にやるわけですが、どっちもちゃんと聞こえるというにサウンド設計しておくことが大事なことですね。

先ほど少し、カメラが捉える体のサインの話をしましたが、基本的に体に起きていることは、カメラはフレームの範囲内に関しては全部捉えてしまいます。それは拡大すれば、当然より良く見えるし、撮影現場では思いもよらなかったことも見えてしまいます。だから、どんな大きなスクリーンで観られても問題がないように、現場でやることを、ひたすらちゃんとやるようにしています。限界まで、よく見ようとすること。音も同じことで、大音量ではごまかせずに聞き取られてしまうことが多くあります。なので、できるだけ何度も聞き返しながら、細かい部分まで聞こえてくるように努力しています。》

 

44「濱口竜介監督インタビュー!『ドライブ・マイ・カー』の“サウンド”に込めた狙いと“特別な”村上春樹作品への想い」より。

《――監督は今までも音にこだわりがあったと思いますが、『ドライブ・マイ・カー』では特にそれが感じられました。

濱口:基本的には、車のサーブ(SAAB)のエンジン音というのが基本の音になっていて。あれを聴いているのがすごく気持ちいい、というのがあったので、その音がベースになっています。また、いくつかの場所を移動していく中で、東京と広島で鳴っている音が違うし、広島の音も都市部と島では違う。そして後半、別の場所に行くと無音のような空間もある、という感じですね。

――あの無音の空間がすごく印象的でしたし、いわゆるアンビエントサウンド(環境音)やルーム・トーンと言われるバーや室内の音も印象的ですね。普段はそういう音の存在は頭ではわかっていても、映画を観ながらあまり意識しないことが多いのですが、それが邪魔にならずに、なおかつ、そこにある音の存在を意識することが出来た。この音の素晴らしさが発見でした。

濱口:それは本当にありがたいですね。野村さんがやっているのも、そういうことなんです。日本ではセリフ、効果、音楽の担当者が個別に主張しつつ整音するという現場が多かったようです。3人が思い思いで“この音を聴かせたい”というのではなくて、それをミキサーの感性で総合的に音をミックスする、ということを野村さんはすごく考えていらっしゃった。その成果だと思います。もちろんセリフがすごく大事だということは前提として、その中で環境音というものがどう共存できるか、ということを配慮していただいたと思います。

――主人公の妻の名前が音(おと)というのは、やはりここに関係があるのですか?

濱口:いやあ、本当にダイレクトな名付け方というか(笑)。もちろん名付けた時に、大丈夫かなとは思ったんですが、変えられなかった。音の話であり声の話でしかあり得ない、という感覚があったからと思います。》

 

ちなみの、家福が音の不貞行為を目撃してしまうときにレコードから流れてくる音楽はモーツァルト「ロンド ニ長調 K.485」。ロンド形式とは異なる旋律を挟みながら、1つの主題を何度も繰り返す形式。

 

<家福(かふく) 音(おと)/霧島れいか

6《霧島さんの声はとても魅力的で、ずっと聴いていられるんですよ。嫌味なところがまったくないというか、“余計な意図”が感じられない。だから家福も聴いていられるんだと思うんですけど。彼女の声が流れていることで、あの車がどういう空間なのかもわかる。》

 

21《三浦哲哉:家福音のキャラクターは人間関係の要だからこの映画にとってすごく大事ですよね。彼女の描写でこけたら映画の骨格が揺らぐじゃないですか。おそらく細心の注意を払われたと思うんですが、キャストが決まってから当て書き的にどれくらい調整したんでしょうか。

濱口:ええ、細心の注意を払いました。当て書きというか、キャスティングが決まってから変えた部分はそんなに多くないんです。本読みをした結果で語尾とかは変えたりしますけど、内容に関してはほとんどそのまま。リハーサルには本読みに慣れてもらうっていう目的もあるし、家福と音の関係性を二人に理解してもらう目的もあるので、西島さんと一緒に自分たちの過去についてのテキストっていうのを作ってもらったりしました。たとえば娘が死んだあとの場面だとか、大学時代で二人が演劇サークルで出会った場面だとか、そんなにドラマティックなものではなく、ごく普通の会話を本読みして演技するっていう練習も兼ねてやってもらったんです。そうすれば二人の間で共有されるいろいろな記憶ができるんじゃないかと。

 もうひとつは『ハッピーアワー』のときに開発した「17の質問」〔映画におけるキャラクターの来歴、心情、関係性について記された脚本以外のテキストを濱口竜介監督は総称して「サブテキスト」と呼び、「17の質問」はその一つとして『ハッピーアワー』制作につながる「即興演技ワークショップ」内で発明されたもの。キャラクターに対し「幸せですか/それはなぜですか/何が大切ですか……」といった17の質問を与え、それに対しキャラクターの立場に立って答えを用意することで、その造形に深みをもたらすことを狙った手法。詳細は『カメラの前で演じること』(左右社)17-18頁を参照〕ですね。これは自分自身がシナリオを書く上でも多少助けになるんで、自分がどういうキャラクターを想定しているのかを理解するために、まず自分で書いてみる。ちゃんと見せられるものに整えてから、これを役者さんに渡して、「これは僕の考えたことなんでぜんぜん違うと思うんですけど」と伝えつつ、「ちょっとこれを自分でも考えてください」とメインキャラクターのキャストには全員やってもらってます。

 で、考えてもらうモチベーションとしてもアウトプットの場が必要で、確か霧島さんと岡田くんにはちょっとだけ互いにインタビューし合う〔役者同士が自身の配役を演じながらお互いにインタビューを行うことで配役への理解を深める、という方法も先述した「即興演技ワークショップ」内で発明されたものとのこと。その試みの厚みを高めるために、先に記したいくつかの「サブテキスト」が大きな力となったという。『カメラの前で演じること』16-17頁などを参照〕ってこともしてもらいました。ただ、それでもやっぱりこの音という女性を演じる上では難しいところは残るので、霧島さんは岡田さんとも楽屋で出会って会話をするといった場面の本読みとリハーサルをしてもらったり、そこにプラスして「たとえば二人の間にはこういうことがあったんじゃないか」という内容の書かれたサブテキストを渡してます。そういうのが演技の基盤にならないかな、と。

三浦:なるほど。音役にはカリスマ的な人物をあてたい、というのが普通の発想だと思うんですよ。理想を言えばケイト・ブランシェットのような女性がいて、みんながその人を崇拝するという感じであればわかりやすい。でもこの映画の音という人物像は、あくまで関係性で成立してるのが本当に素晴らしい。そこで伺いたいのは、岡田さんが演じる高槻との関係は、サブプロットを作る段階でどれぐらい踏み込んだのかなんです。二人が肉体関係を持っていたのかどうかが中盤の、家福と高槻の会話劇の焦点になるわけじゃないですか。これは演出の水準ではどうしていたのかなと。

濱口:岡田さんへの演出としては「高槻が音と関係を持ったかどうかはわかりません」と伝えてます。実際、家福が浮気現場を発見するシーンで、霧島さんは(岡田さん以外に)別の男性キャストとも浮気現場の場面を演じてます。「編集上どっちを使うかわかりません」と岡田さんにも伝えていまして、「関係があったかもしれないしなかったかもしれない」ということを前提にいました。先ほどお話ししたように、リハーサル段階では高槻と音は会話程度の関係性しか作っていなくて、高槻が音を素敵だなって思うぐらいのステージに留めていました。とは言ってもこういう話の展開だとやっぱり関係があったんじゃないかと岡田さんは認識してしまうと思うので、「セックスではないけれどこういうシチュエーションで音の話を聞くはあった」という内容のサブテキストを渡して、それも合理的に起こりうると伝えています。後々の話になりますけど、高槻の演技についてはテイクごとに「いまのはちょっと関係があったっぽく見える」とか「ちょっといまのはイノセント過ぎる」みたいなことを話し合っていて、最終的にはそれを編集も含めて調整しているんです。岡田くんにとっては正解がなさすぎて申し訳なかったですが、結果的に曖昧さを保ったまま、とても素晴らしく演じてくれたと思います。1度観た人の解釈の多くは高槻と音は関係があったという意見に落ち着きがちですけど、いやいや、はたしてそうでしょうか……というのは言っておきたいところです。》

 

43《──この小説には、真ん中に妻の「不在」があり、それはある意味主人公よりも大きな存在です。その大きな穴のようなものを映像化するのは、チャレンジだったのでは?映画では、霧島れいかさんが演じる妻・音を登場させていますね。

濱口:映画では、実像を出さない限り、存在をビビッドに感じることはできないので、妻の音を描くことは自然な決断でした。「不在」を表現するためには、映像においては「実在」を描くべきだと思いました。誰かに語られる物や人は、基本的に実像から離れています。誰かに語られた時点で、その人の肉体ではないわけです。一方で、実像を撮るということは、本人が(スクリーンに)登場するということ。家福が何を語ろうと、実像の方が(観客にとって)重くなります。映画において、言葉を用いた「語り」というのは相対的に弱いものであって、原作の通りに語りのみで構成すると、家福が音について語っていることがかなり突拍子もないので、本当にそうなのかという疑問が残ったでしょう。

──映画では音は、より主体性をもって登場しますが、音の人物像をどのように作り上げていったのでしょうか。

濱口:音は理解し難い存在ですが、生身の役者さんに演じていただく以上、ある程度理解の糸口がないと演技はできません。演じた霧島さんと共有したのは、二人にとって娘を亡くしたというのが決定的なターニングポイントとなって今に至っているのだろう、ということでした。原作だと家福の視点で語られた「妻」だけが出てくるのですが、実際にこの女性を見ていれば、観客が、家福が言うことに「それは違うんじゃないの?」という視点を持つこともできます。その観客の違和感のようなものが、家福の気づきとともに解消されるようなところまで話をもっていこうとしました。》

 

44《――霧島れいかさんが音を演じていますが、同じく村上春樹さん原作の『ノルウェイの森』のレイコのイメージがあるせいか、どこか村上ワールドの匂いがしますね。

濱口:音は、ぜひとも素敵な人にやってもらわねばならない役だ、と思って霧島さんにお願いしました。『ノルウェイの森』もやられていたので、それが吉と出るか凶と出るかは判断つかないところがあったんですが、霧島さんにお話をしたら「すごくやりたい」と言っていただいて。とてもリスクのある役でもあるのに。》

 

<エモーション>

30《──ラスト近くの長回しに関してもお聞かせください。実は最初に見たとき、西島さんの演技にそれまでと違う印象を受けて、少し戸惑ったんです。物語の流れからすれば違ってないとおかしいのですが、俳優が俳優を演じる「演技の二重化」とも異なる、何か独特のエモーションが宿っているように感じました。

濱口:撮影現場で感じていたことを素直に言うと「西島さん、本当に繊細にやってくれた」ということです。あの雪山の場面は、企画開発初期のプロットの段階からセリフも含めて書いていて、何というか複雑な構造を持つこの物語を「誰にでも届く」ものにしてくれるものだと感じました。プロデューサーたちが、この企画がいわゆる「商業映画」として成立すると判断するうえでの拠り所にもなっていたと思います。だからこそ、すごく危険なセリフでもあって、もっと大きく演じられてしまう可能性もありました。でも実際の演技を観ながら、僕が撮影現場で感じていたのは、西島さんが一言一言を自分にとって嘘にならないよう、それこそテキストと自分の「折り合い」をつけながら進んでいっているような感覚でした。それは家福というキャラクターにとっても必要なことだと思えた。撮影現場でも感動しましたが、先日のカンヌ映画祭で観客と一緒に観た時に改めて自分でも感動しました。何というか、西島さんがこの役を演じることを、自分自身にとってもとても重要なものとして感じてくれていたんだな、と思いました。あそこには過剰な形ではない、正確なエモーションと呼びたくなるものがあると感じています。》

 

12《野崎:雪の中でのシーンは第一のクライマックスだと思いますが、すでに我々は冒頭のベッドシーンや車の中で、あれだけすごい語りを見せられています。それが雪の中での語りとなると、今度は二人とも突っ立ったまま延々と台詞を言っている、という感じが強く出てしまう可能性がありますね。演出家としてはこの困難にどういう覚悟で臨まれたんでしょう。

濱崎:たしかに一番怖いところではありましたね。いかにも日本映画的と言うとあれですが、説明的になりかねない台詞の積み重ねで、感情的な解決まで果たして到れるか。他に何の仕掛けもなく、とにかくこれでやるしかないと。個人的には、この場面が二人にとっての舞台のように見えたらよいと思っていました。「演技」にしか見えないかも知れない。でも、これは彼らが生きるために必要な言葉なんです。

 俳優の最良の演技はまさにそういう言葉として響きます。それが起きれば、この困難も克服できると思いました。》

 

 ベタな雪山のシーンのシナリオ。トタン屋根がわずかに土から露出している小高い場所で、母にはサチという別人格があった、とみさきが語り始める。ここにも「演技」という言葉が出てくる。

32《77 北海道・みさきの家の跡地(昼)

(前略)

みさき「母が本当に精神の病だったのか、私をつなぎとめておくため演技をしていたのか、わかりません。ただ、仮 に演じていたとしても、それは心の底からのものでした。サチになることは、母にとって地獄みたいな現実を生き抜く術(すべ)だったんだと思います」

  土にタバコを差し込む。煙を出すタバコを見つめる。

みさき「地滑りが起きたあのとき、私は母が死ぬことは、つまりサチが死ぬことだと理解していました。それでも、私は動かなかった」

  みさきは立ち上がり、手をはたく。斜面を登る。

  家福が手を差し伸べる。

みさき「汚いです」

  家福はそのまま手を差し伸べる。みさきはその手を握る。家福はみさきを引き上げる。無言の二人。

  みさきは、家福の手を離さずに言う。

みさき「家福さんは、音さんのこと、音さんの、そのすべてを、本当として捉えることは難しいですか?」

  家福はみさきを見つめる。

みさき「音さんに何の謎もないんじゃないですか。ただ単にそういう人だったと思うことは難しいですか。家福さんを心から愛したことも、ほかの男性を限りなく求めたことも、何の嘘も矛盾もないように私には思えるんです。おかしいですか」

  家福は答えられない。みさきは手を解く。

みさき「ごめんなさい」

家福「僕は、正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。僕は、深く、傷ついていた。気も狂わんばかりに。でも、だから、それを見ないフリをし続けた。自分自身に耳を傾けなかった。だから僕は音を失ってしまった。永遠に。今わかった」

  みさきは家福を見つめる。

家福「僕は、音に会いたい。会ったら、怒鳴りつけたい。責め立てたい。僕に嘘をつき続けたことを。謝りたい。僕が耳を傾けなかったことを。僕が強くなかったことを。帰ってきて欲しい。生きて欲しい。もう一度だけ話がしたい。音に会いたい。でも、もう遅い。取り返しがつかないんだ。どうしようもない」

  みさきは首を振り、家福を抱きしめる。

  家福は肩を震わせる。みさきは肩に顔をつける。

  家福は顔を上げる。家福がみさきを抱きしめる。

家福「生き残った者は死んだ者のことを考え続ける。どんな形であれ。それがずっと続く。僕や君は、そうやって生きてかなくちゃいけない」

  強く抱き合う二人。

家福「生きていかなくちゃ」

  家福はみさきの背中を強くさする。

  みさきも家福を強く抱きしめる。

家福「大丈夫。僕たちはきっと、大丈夫だ」

  二人は同じ方向にそっと目をやる。》

 この最後の「生きていかなくちゃ」は、次のシーンとなる本公演舞台の最後の、ソーニャ(ユナ)の「生きていきましょう」に対応する。

 

31「『ハッピーアワー』濱口竜介監督インタビュー「エモーションを記録する」」より。

《——最近の濱口監督の作品を拝見していると、見えないものに対する興味が非常に強いように感じるんです。『親密さ』や『不気味なものの肌に触れる』にしても、タイトルだけ見てもカメラに映るものでは決してないわけです。『ハッピーアワー』で言うと、途中にいなくなってしまうある人物が他の人物たちにその後もずっと影響を与え続けます。見えなくなったものが登場人物たちを縛りつけるとさえ言ってもいいかもしれません。

濱口:この大構造が何から発想されているかというとジョン・カサヴェテスの『ハズバンズ』なんです。4人の親友同士の男性がいてひとりが死んでしまう。残りの3人が三日三晩遊び回るわけですけど、そのときに遊べば遊ぶほど、騒げば騒ぐほど、観客には悲しみが体感されるということが起きるような気がしました。そのとき僕は映画の中に、人生よりもずっと濃密な感情を見たような気がするんですね。僕は『ハズバンズ』というものに、もしくはすべてのカサヴェテス作品に「エモーション」を感じるわけです。そして、実のところそれを見なければきっと映画を作るという選択肢自体そもそもなかったような気がします。このエモーションというものを追求しない限り、僕には映画を作る意味というのはないんです。そうきちんと思えるようになったのは最近のことですけど。なので、答えになるかはわからないんですけれど、エモーションというのは当然見えないんだけれど、見えるもの、聞こえるものを通じて感知されるものだと思うんです。その点では、風みたいなものですね。映画の中で木や衣服が揺れたら風が見えなくても、「風が吹いてる」って思うでしょう。それは実は観客の中に吹いている。同様にエモーションが観客のうちに生まれるのも、見ているもの、聞いているものを通じてです。『ハズバンズ』みたいに設定が見え方に影響を与えることも、もちろんあります。でも、間違いなく僕は演じているベン・ギャザラやピーター・フォークを通じてエモーションを感じた。

 つまり、演者を通じてエモーションは現れる。そのためには映っている演者の身体をその次元に至らせないといけない。どうやったら常にそれが起こるかというのは未だにわからないです。それでも、演者の身体から生まれてくるようなエモーションを直に捉えたいということはずっと考えています。演者を介してエモーションが観客のうちにまで生まれるということは、他者でしかない人と人の間に「つながり」が生まれるということです。センチメンタルな言い方になりますけどそうなんだと思います。それは例えばジーナ・ローランズや『東京物語』の原節子が見せてくれたものだとも思います。それは人の人生を変えるぐらいの体験なんです。僕もまた、エモーションを直接的に撮りたい。作劇ということはもちろん重要なんだけど、究極的には風を撮るみたいにエモーションを記録したい。そういう、すごく単純な欲望があります。》

 

37「石橋英子×濱口竜介インタビュー「素晴らしい映画音楽は隠されたエモーションを引き出してくれる」より。

《濱口:音楽はやっぱり、映像以上に観客の心情と密接であり得ますよね。(ジョン・)カサヴェテス映画の音楽を手がけているボー・ハーウッドという作曲家がいて、映画におけるエモーションを音楽が全く邪魔しないんですよね。ハーウッドはカサヴェテスと一緒にサウンドデザインもやっていたらしく、ゴダールみたいに『ここだ!』ってタイミングで音楽が入ってくる。『こわれゆく女』(1974)でジーナ・ローランズが子どもをバス停で迎えるシーンでかかるのが、爽快な音なんです。それがその空間全体を表しているようでもあり、入ってくる1音で雰囲気を変えることができている。あの感じはなかなか出せないなと。ボー・ハーウッドは今に至ってもそこまで有名な音楽家ではないと思いますが、ぜひもっと再評価されてほしいです。

石橋英子:結構埋もれている映画音楽家は多いと思います。でも映画の音楽として機能している以上、それは仕方のないことだとも思います。カサヴェテスは音色、音が出てくるタイミングなど、本当にジャストですよね。

濱口:音楽がそのシーンをつくっていくようなところもあるんだけど、それが全然過剰じゃなくて、この画面からこういう感情を読み取っていいんだと翻訳してくれる。そうやって、隠されたエモーションを引き出してくれるのが素晴らしい映画音楽なのではないかと思います。単に映像とその場で撮った音響を組み合わせただけでは表現できない部分を、映画音楽に助けに来てもらうみたいな。

石橋:私は人生の中でいちばん大事な映画が『オープニング・ナイト』(1977)なんです。10代のときに観て衝撃を受けて。最後の舞台上の、カサヴェテスとジーナ・ローランズのやり取りを見て、どんなに歳をとって経験を積んでもあのようにはみ出して踏み出して生きていかなきゃいけないんだと思いました(笑)。

濱口:僕も人が生きるってこんなにもポテンシャルがあるんだ、とカサヴェテスの映画を観て理解したというか。それは本当に現実を捉えてつくられたものであり、現実の中にそういう可能性があるということだから、すごく力付けられますよね。『ドライブ・マイ・カー』でも演劇を扱っていますが、『オープニング・ナイト』は話の流れとは全然つながらない演劇を即興でやっているんですよね。舞台にも観客が入っていて、実際の客席の反応があってラストシーンとして成り立っているし、強度を持つ。何より、実際の観客の前であの即興をする勇気がすごいなと。

石橋:破綻しちゃってますもんね。

濱口:そう。でもそこで突き抜けて、ジーナ・ローランズが演じる女優の生きる力が回復したと本当に感じることができる。だから、そこへの道は遥か先だなと。自分に時間がたっぷりあるとは思ってはいけないというか。カサヴェテスが『オープニング・ナイト』を撮ったのは、自分が生まれた年だったんですよね。たぶん撮影当時カサヴェテスは47歳くらいで、僕は今年43歳なので、そこまで年齢は変わらないんですよね。》

 

43《──例えば、ジョン・カサヴェテスは感情を引き出す演出に長けていることで、彼の作品での俳優の感情表現をひとつのロールモデルという若い俳優も多いですね。濱口さんとしては、同じことをやっていると思いますか?それとも正反対のことをやっていると?

濱口:それはどちらかと言うと、アメリカ人と日本人の違いではないかと感じています。例えば、フランス人はこんな風にしゃべるし、アメリカ人はこんな風にしゃべる、あるいは身体のふるまいによって出てくるものがありますよね。僕もジョン・カサヴェテスのような感情表現に非常に憧れた時期があるし、今も実際に憧れはあります。でもそれは、日本人の極めて抑制的な身体からは普通は出てこない表現だと今は考えています。日本人にそのような感情表現を課して表現してもらったとしても、かなり無理した形にしかならないから、あまり意味がありません。まずは自分たちが使っている身体を出発点にしないと、(良い感情表現には)辿り着けないでしょう。》

 

<脚本/テキスト/サブテキスト>

7「祝・カンヌ映画祭脚本賞! 映画『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」より。

《もともと、脚本はなるべく共同で手がけたほうがいいというのが僕の考えです。複数の視点が入ったほうがいいだろうと。それでプロデューサーの山本晃久さんに相談したところ、それなら大江さんはどうか、と紹介していただきました。この作品は当初、韓国の釜山で撮る予定だったので、まずは山本さん、大江さんと僕とで釜山に行きシナリオ・ハンティングをしながら構想を練っていきました。そうして僕がプロットを書き上げ、大江さんにそれを見てもらい、その都度意見をもらいながら直していく。脚本も、基本的にそういう作業分担で進んでいきました。ただ、冒頭で妻の音が語る「やつめうなぎ」の話は、ここは他とはまったく別のものとしてあったほうがいいと思い、大江さんにまず書いていただきました。》

7《高槻という男は、決して観客にわからせてはいけない、複雑な部分がある。岡田さんにも高槻のキャラクターについては何度か話し合いましたが、結局は「わからないですよね」と言うしかない。その「わからなさ」が映画に必要なので。かといって単純に「わからないなりに演じてみましょう」とはできない。

 これは僕の他の映画でもそうなんですが、役者さんたちには、いつも脚本の他に役の背景や性格などが想像できるようなサブテキストをお渡ししています。岡田さんにも「高槻がこういうことを口にする背景にはこんなことがあったかもしれない」ということを書いたサブテキストを渡して拠り所があるようにしました。そういうふうに演技の環境をつくっていって、結果として岡田さんの演技は素晴らしかった。》

 

<会話/言葉>

7《なぜ会話劇か、ということには2つの理由があると思います。大前提として、会話を書くことで僕自身が書く物語を理解していくところがあるからです。プロットの段階では、「本当にこんな展開ありえるかな?」という思いがどこかにある。それが会話を書いていくことで「なるほど、こういうこともあるかもしれない」という気持ちに変わっていく。自分が書いているものが何なのか、会話を書くことでようやく本当に理解できるんです。

もうひとつは、自分がよく見ていた90年代くらいのある種の日本映画が、あまりにも“しゃべらなさすぎ”という感覚を自分が持っていたことです。実際は、我々はもっと会話をして生きていますよ、という思いが昔からありました。

沈黙の状態と、何かをしゃべっている状態。どっちが嘘がばれやすいかといえば、やはりしゃべっている状態です。だから役者にたくさん台詞を言わせることは、リアリズムの映画にとっては弱点にもなる。ただ、「本読み」の手法を始めてからは、その弱点を克服できるような、別種のリアリティが加わった気がしています。本読みというのは基本的に反復練習であり、それが役者の体に与えるものをこれまで探ってきました。その繰り返しのなかで、ふと役者から出てくる言葉やリアクションのリアリティに、毎回驚かされるんです。》

 

18「村上春樹の芯を食うために努力したこと 『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督」より。

《我々の日常は、ルーティンから成り立っていて基本的には閉じられている。

 閉じているから安心できるけれど、閉じることで吹きだまることはある。

 言語化できない、なんだかわからないモヤモヤを、我々は少なからず抱えています。

 他人も同様に、別のルーティンのうちに閉じた状態にあって、互いにモヤモヤを抱えている。

 そんなある人とある人が出会ったとき、偶然それが新たな扉を開くことがある。

会話が互いのモヤモヤを解消するということがありますよね。

 「話せてよかった」っていうことは単純にあります。

 会話っていうのは言葉の意味だけをやり取りするのとは違います。

 他者と話して初めて引き出される言葉があるわけですけど、その言葉を通じて自分のモヤモヤした感情の正体をつかめることがある。

 本来なら同じ場所にはいないような二人が出会ってしまうということが、この映画では繰り返されます。

 偶然を通じて、出会うはずじゃなかった人が出会って、初めてこんな自分がいたんだと発見する。

 それが家福とみさきに起きていることです。

 劇中での西島さん演じる家福と、岡田将生さん演じる高槻の会話は、より激しいものです。

 会話というよりは、お互いがお互いの秘めた感情を出し尽くすように言葉をぶつけ合う場面です。

 ここでは言葉による解放があります。

 ようやく互いに抱えていた違和感を吐き出せている場面だとも思います。

 二人の演技も素晴らしい。》

 

30《──家福と岡田の対峙が終わり、みさきがその会話を受けてあるセリフを口にします。それは観客にもそう信じさせないといけない言葉で、傍観者的な位置にいた彼女が家福の人生に介入するポイントでもあります。そこで失敗すると、たとえ劇映画でも、そのなかのリアルが破綻するわけですよね。

濱口:脚本に書いた時点では、公園のリハーサルで家福が「いま何かが起きた」と言うのと同様に、「これは本当にそう聞こえるのか」と、かなり不安になりました。でもこういうのって、やっぱり脚本を読む役者やスタッフへの宣言でもあったと思いますね。ここはそうでなきゃいかんのだ、という。ただ、原作にある高槻の言葉は、そういうことを起こし得るものだと感じてもいました。あそこは原作では、高槻の言葉が「彼のどこか深いところから出てきた。演技でないのは明らかだった」というふうに、ある種の真実の響きを持つものとして家福に解釈されています。自分も読みながらそれをまさに感じた。描写によって説明されたからではなく、高槻の言葉そのものに、既に「ろ過」されたような印象があったんだと思います。それは、村上さんが執筆時にまさにそのような境地に至って書かれたからではないかと想像します。その感覚があったので、テキストをきちんと身体化して口にするときにそれは起きるのではないか、という期待があったんだと思います。実際にあの場面での岡田くんは素晴らしい。原作の核とも言える部分を素晴らしく表現してくれました。》

 

12《濱口:家福と高槻の対話シーンは、おっしゃったように、みさきが運転席で聞いていることがとても大事でした。原作と違い、家福と高槻は、バーでは決してああいうふうには話さない。彼女が聞いていることが、あの二人にドライブをかけている部分がきっとある。また二人のあの話を聞くことによって、みさきの物語内での地位も特権的なものになってくる。そうすることで、後に行われる家福とみさきのドライブがそれまでとは何か違うものを共有しているように見える。そうなってくれたらよいなと考えていました。》

 

 車内での、家福と高槻の対話シーンのシナリオ。「異界」が出現したような。

32《66 ~サーブ・走行車内(夜)

  無言の車内。高槻が口を開く。

高槻「家福さん」

高槻「僕は空っぽなんです。僕には何もないんです。テキストが問いかけてくる。そのことは、僕が音さんのホンに感じていた気がします。それを求めて、僕はここまで来たんです。だから、音さんが僕たちを引き合わせてくれたっていうのは、やっぱり本当です。やっとわかりました」

  家福は高槻を見る。そして車窓を見る。

  口を開く。

家福「僕と音の間には」

高槻「はい」

家福「娘がいた。四歳の時に肺炎で死んだ。生きていれば二十三歳だ」

  みさきがバックミラー越しに家福をちらと見る。

家福「娘の死で、僕らの幸せな時間は終わった。音は女優を辞めた。僕はテレビの仕事をやめて、舞台に戻った。音は数年間、虚脱状態だった。それが、あるとき突然、物語を書き始めた。いや、語り始めた。音の最初の物語は……、僕とのセックスから生まれた」

  高槻、家福をじっと見つめる。

家福「セックスの直後に、音は突然語り始めた。でも翌朝、彼女の記憶はおぼろげだった。僕は全部覚えていたから、語り直した。彼女はそれを脚本にして、コンクールに送った。それが受賞して、彼女の脚本家としての第一歩となった。セックスをすると時折、『それ』は彼女に訪れた。『それ』を語って、僕に覚えさせた。次の朝、僕が語り直す。彼女はそれをメモしていく。いつしか、それが習慣になった。セックスと、彼女の物語は強くつながっていた。一見関係がないような話でも。オーガズムの端っこから話の糸を掴んで、紡いでいく。それが音の書き方だった。すべてじゃない。でも、彼女のキャリアのピンチに、『それ』はいつもやってきた。その物語は、娘の死を乗り越えるための僕たちの絆になった」

高槻「……」

家福「僕たちは相性のいい夫婦だったと思う。生きて行くのに、お互いを必要としていた。日々の暮らしも、彼女とのセックスも、とても満ち足りたものだった。少なくとも僕にとっては。でも、音には別の男がいた。

  家福は高槻を見る。

  高槻は目を逸らし、みさきをちらと見る。

家福「彼女なら、大丈夫だ」

  目が合う家福とみさき。

家福「音は別の男と寝ていた。それも一人じゃない。おそらくは彼女が脚本を書いていたドラマの俳優たちと。一つの関係はドラマの撮影が終わると終わって、次のものが始まると、また別の関係が始まった」

高槻「……証拠はあるんですか」

家福「目撃したこともある。音は自宅に彼らを連れてくることもあった」

  高槻は家福を見ている。

家福「それでも僕は、彼女の愛情を疑ったことはないんだ。疑いようがなかった。音はすごく自然に僕を愛しながら、僕を裏切っていた。僕たちは確かに、誰よりも深くつながっていた。それでも、彼女の中に僕が覗き込むことができない、どす黒い渦みたいな場所があった」

高槻「家福さんはそのことを、音さんに直接聞いたことはないんですか」

家福「僕が一番恐れていたのは音を失うことだった。僕が気づいていることを知ったら、僕たちは同じ形ではいられなかったろう」

高槻「音さんが聞いてもらいたがっていたという可能性はないですか?」

家福「……君は何か、聞いているのか? 音から」

  家福は高槻を見つめる。車内に沈黙が降りる。

  高槻が口を開く。

高槻「僕が音さんから聞いた話をしてもいいですか?」

家福「ああ」

高槻「とても不思議な物語です。女子高生が、初恋の男の家に空き巣に入るんです」

家福「その話なら……、僕も知っている。前世がヤツメウナギだった少女の話」

高槻「そうです。少女は空き巣を繰り返し、自分の『しるし』をそこに置いていきます」

家福「彼女はある日山賀の家のベッドで自慰行為をしてしまう。誰かが帰ってくる。それが誰だかわからないまま話は終わる」

高槻「いえ。……終わっていません」

  家福は高槻を見つめる。

家福「君は、この先を知ってるのか」

高槻「ええ」

家福「じゃあ、誰なんだ。階段を昇ってきたのは」

高槻「もう一人の空き巣です」

家福「もう一人の」

高槻「はい、それは山賀でも父でも、母でもありませんでした。ただの空き巣です。そして、その空き巣は半分裸の彼女を見つけて、強姦しようとします。彼女はそこにあった山賀のペンを男の左目に突き立てました。彼女は必死に抵抗し、こめかみや首筋に何度も何度も、ペンを突き立てます。気がつけば空き巣はそこに倒れていた。彼女は空き巣を殺したんです」

  家福はふと、自分の頬に触る。

高槻「返り血を浴びた彼女は、シャワーを浴びて家に帰ります。(中略)」

  家福は高槻を見る。高槻は一息つく。

高槻「僕の知っている話はここまでです。話はこれで終わっているのかもしれませんし、続いているのかもしれません。後味のいい話ではないですけど、それでも僕はこの話を伺った時に、何か大事なものを音さんから受け渡されたような気がしました」

  家福は何も言えない。高槻は家福を見る。

高槻「家福さん」

  高槻は息を吸う。

高槻「僕の知る限り、音さんは本当に素敵な女性でした。もちろん僕が知っていることなんて、家福さんが知っていることの百分の一にも満たないと思います。それでも僕は確信を持ってそう思います。そんな素敵な人と二〇年も一緒に暮らせたことを、家福さんは感謝しなくちゃいけない。僕は、そう思います。でもどれだけ理解し合っているはずの相手でも、どれだけ愛している相手でも、他人の心をそっくり覗き込むなんて無理です。自分が辛くなるだけです。でもそれが自分の心なら、努力次第でしっかりと覗き込むことはできるはずです。結局のところ僕らがやらなくちゃならないことは、自分の心と上手に、正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか? 本当に他人を見たいと思うなら、自分自身を深く、まっすぐ見つめるしかないんです。僕はそう思います」

  家福は高槻を見つめ、答えない。高槻はため息をつく。車内に再び沈黙が降りる。》

 

 次のシーン67で、ホテルで高槻が降り、家福はみさきの助手席に座りなおす。

32《68 サーブ・走行車内(夜)

  家福も、みさきも黙っている。

  車内の沈黙を破って、みさきが口を開く。

みさき「嘘を言っているようには聞こえませんでした」

  家福がみさきを見る。

みさき「それが真実かどうかはわからないけど、高槻さんは自分にとって本当のことを言っていました」

  家福は答えない。

みさき「わかるんです。嘘ばかりつく人の中で育ったから。それを聞き分けないと生きていけなかった」

  家福はタバコを取り出し、みさきに示す。

みさき「いいんですか」

家福「ああ」

  家福はタバコに火を点け、みさきのくわえたタバコにも火を点ける。タバコを吸う二人。

  家福は風を当てるようにサンルーフから手を出す。

  タバコを指に挟んだ家福の掌が風を受ける。

  みさきの手もサンルーフから出てくる。

  風を受けるふたつの掌。車は街を抜けていく。》

 

 音の語りの中で、彼女が山賀のペンを突き立てたのがもう一人の空き巣の左目だったことには注意を払ってしかるべきだろう。家福が自動車事故を起こしたのは、左目の緑内障による視野の狭窄(盲点)だったからであり、その話を聞いて「家福はふと、自分の左頬に触る」のだ、意識下で何か(音を理解できない盲点)が働いて。

 家福が終わっていると思った音の物語を高槻はいつ聞いたのかという問題がある。シナリオのシーン20で、音は家福とセックスしながら、前世がヤツメウナギだったと話し、山賀の家で誰かが帰ってくるのが誰かわからないまま物語は終わってしまう。シーン21の翌日の朝、「昨日の話」「覚えてる?」と音に聞かれた家福は「ごめん、昨日のはよく覚えてない。僕もほとんど眠っていたから」と嘘をついて家を出ようとすると、音は「今晩帰ったら少し話せる?」と家福に言う。シーン22で家福は音との対峙から逃げるように車内で時間をつぶす。シーン23でようやく戻ってきた夜、音が倒れているところを発見する。したがって、高槻が話した物語の続きは、家福が出かけていた昼間(シーン22の裏)、音が高槻に(セックスしながら?)話す(しかし、「今晩帰ってきたら少し話せる?」が、もし音の告白の予兆だとすれば、心理的には腑に落ちない)時間しか存在しえない。あるいは音は、家福に話す前に、続きも含めて物語をすでに高槻に語っていて、家福にはその前半部だけを死の前日に語ったというのか。単なるシナリオの時間的な齟齬かもしれないが、物理的な時間の窮屈さ、不自然さを感じさせない力があるとだけ言っておこう。

 

<喪失と再生/村上春樹

10インタビュー「いま、「弱さ」でしか男を描けない――村上春樹原作でカンヌ脚本賞受賞の濱口竜介監督が語る」より(以下同)。

《僕もその点(筆者註:主人公の男性が「女性に去られる」という設定)は、村上作品の面白さの一つだと思っています。今回の作品でもその設定をいただきつつ、「女性に去られた男性が自分と向き合う」までをきちんと描きたいと思いました。

「女性に去られる」というのは、未だに男性の根源的な恐怖でしょう。男性にとって自分が一番信頼していた他者である女性がいなくなってしまうのは、人生が土台から揺らいでしまうことです。もちろん、女性が男性に去られる場合もありますが、どこかニュアンスが異なる気がします。今回は男性が、そこからどう抜け出して人生を立て直すか。それがこの映画の基本的な運動になります。》

《その本(筆者註:『村上春樹河合隼雄に会いにいく』(「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁をこえてつながる」ことがコミットメント(人との関わり合い)の本質))は僕も好きで20代前半の頃読んでいました。特段そのことを意識して来たわけではないのですが、原作『ドライブ・マイ・カー』の中の「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」という岡田将生さん演じる俳優の高槻の言葉は、彼自身の深いところから発せられた言葉として家福に受け取られるし、村上さんが書かれたその高槻の言葉自体が、きっとそうなんだろうという説得力を持つものでした。

 なので、そのシーンは映画の中で実現したいと思いましたし、結果的に映画の核となる部分にもなりました。》

 

32《74 道路(夜)

  口を開く家福。

家福「音が死んだ日」

みさき「はい」

家福「出掛けに彼女が、『帰ってきたら話がしたい』と言った。柔らかな口調だったけど、決意を感じた。何の用事もなかったけど、ずっと車を走らせ続けた。帰れなかった。帰ったらきっと、もう同じ僕たちではいられないんだと思った。深夜に帰ると、音が倒れていた。救急車を呼んだけど、意識はそのまま戻らなかった。もしほんの少しでも早く帰っていたら。そう考えない日はない」

みさき「……私、母を殺したんです」

  家福、みさきを見る。みさきの次の言葉を待つ。

みさき「家が地滑りに巻き込まれたとき、私もそこにいました。私だけが崩れた家から、這い出すことができました。這い出したあと、しばらく半壊した家を眺めていました。そうしていたら次の土砂が来て、家は完全に倒壊しました。母は土砂の中から遺体で発見されました。私は母が中に残っていることを知っていました。なぜ助けを呼ばなかったのか。助けに行かなかったのか、わかりません。母を憎んでいたけど、それだけではなかったので」

家福「……」

みさき「この頬の傷はその事故のときについたものです。手術をすればもっと目立たなくできると言われました。でも、消す気になりません」

家福「もしも僕が君の父親だったら」

みさき「え」

家福「君の肩を抱いて言ってやりたい。『君のせいじゃない、君は何も悪くない』って」

みさき「……」

家福「でも、言えない。君は母を殺し、僕は妻を殺した」

みさき「はい」

  サーブが走っていく。》

 

14インタビュー「濱口竜介監督が明かす『ドライブ・マイ・カー』創作の裏側、「村上春樹の長編小説の手法を参考に」」より。

長編映画にするにあたって、村上春樹さんが長編小説でやられているようなことは意識をしました。村上さんのインタビューを読むのはとても興味深くて、大いに参考にした面もあります。複数の世界が同時に走っているような感じというか。一番わかりやすいのは本作の中にも登場した演劇『ワーニャ伯父さん』です。『ドライブ・マイ・カー』の世界と『ワーニャ伯父さん』の世界、そしてもう一つ、家福の妻の音が紡ぐ物語が同時進行しています。それがお互い世界の見え方をちょっとずつ翻訳し合って、多くは語られないキャラクターの内面まで示唆する。最終的にそれが一致していく、そしてなにか希望のようなところまでたどり着くという、村上さんが長編小説でやられるような手法が、結果的にですけれど、すごく参考になったと思います。》

 

18《僕は2016年に1年間ボストンに住んでいました。ハーバード大学ライシャワー日本研究所に、文化庁の支援制度を使って行ったんです。

 そのライシャワー研究所に村上さんも在籍されていたことがあったそうで「ここが村上春樹が走った道か」と思ったりしました。

 勝手ながら、どこにいても異邦人的な感覚があるのは似ているのかもしれないと思います。

 読んでいて、どこにいたとしても埋めることができない違和感みたいなものが、おそらくあるんじゃないかと。

 村上さんの文章は、その違和感を原動力にして、他者とのつながりをすごく求めるように書かれている印象です。

 村上さんの小説はファンタジー的な要素がふんだんにあるのに、リアリズムという印象を受けるのが不思議。

 「マジックリアリズム」的と評する人もいるようですけれど、ありえないことが繰り返されるのに、「あ、あるのかも」と納得してしまう。

 それは僕自身も目指すところではあります。》

 

 村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』が収録された、4短編小説集『女のいない男たち』から、映画にアダプテーションされ、台詞となった重要なセンテンスをピック・アップする。

 

『ドライブ・マイ・カー』:

《「そのとおり」と家福は言った。「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない」》

《かなり長いあいだ高槻は黙っていた。それから言った。

「僕の知る限り、家福さんの奥さんは本当に素敵な女性でした。もちろん僕が知っていることなんて、家福さんが彼女について知っていることの百分の一にも及ばないと思いますが、それでも僕は確信をもってそう思います。そんな素敵な人と二十年も一緒に暮らせたことを、家福さんは何はともあれ感謝しなくちゃいけない。僕は心からそう考えます。でもどれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に(・・・)他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐに見つめるしかないんです。僕はそう思います」

 高槻という人間の中にあるどこか深い特別な場所から、それらの言葉は浮かび出てきたようだった。ほんの僅かなあいだかもしれないが、その隠された扉が開いたのだ。彼の言葉は曇りのない、心からのものとして響いた。少なくともそれが演技ではないことは明らかだった。それほどの演技ができる男ではない。》

 

『独立器官』:(言及されないが)

《「そして僕は思うのですが、僕らが死んだ人に対してできることといえば、少しでも長くその人のことを記憶しておくくらいです」》

 

『木野』:

《「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく」と木野は答えた。でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、と木野は認めた。本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。》

 

<『ワーニャ伯父さん』>

14《(筆者註:『ワーニャ伯父さん』が置かれた理由は)原作に書かれていたからです。そして明らかにワーニャは家福と、ソーニャはみさきと対応付けられています。読んでいるうちに、それを意義深く思うようになりました。村上さんも、意識的にかはわからないけれど、その対応関係があってこの原作にこの戯曲のことを書き込んでいるように感じました。そもそも自分が『ドライブ・マイ・カー』をやりたいと思った理由は、『演じること』を取り扱っているからでした。演じるということはなんなのか、未だによくわからないんです。台詞やト書きは脚本家なり劇作家が書いたものです。つまりは役者は基本的に『言われたことをやっている』というのが演技の実態です。役者自身にはそれをやったり言ったりする内発的な理由がない。それが、本当に稀に、信じるに値する演技を目にすることがあります。ある人が、まったく違う人格として振る舞い、言葉を発するのを見て、それを信じざるを得ないような心境になる。このメカニズムって一体なんだろう、それはまだ全然わかっていない。そのメカニズムについて考えたいんだけど、それを商業映画の枠組みでやるのは難しいことです。ただ、原作自体がそれを扱っているので、おもしろい物語を作ることを試しつつ、演技のメカニズムについて考えられる。それがこの物語を選んだ最も大きな理由の一つです。》

 

15「カンヌで4冠受賞!『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介 × 三宅唱 × 三浦哲哉 鼎談」より。

《『ワーニャ伯父さん』の上演されるのも観ていたし、戯曲も読んでもいたんですが、ものすごく印象に残っている劇でもなかったんです。でも『ドライブ・マイ・カー』を読んで、家福がワーニャを演じるという前提で『ワーニャ伯父さん』を読んでみると、想像がどんどん膨らんでいって。家福がこれを演じるのはつらいだろう……という視点で読んだときに改めて、チェーホフのテキストの強度や普遍性に打たれる体験をしました。誰が思ってもおかしくないようなことがセリフになっている。みんなの根っこにそのまま届くような「すべての人の言葉」とでもいうものが、ここには書かれている、と気づきました。この映画が約3時間になった理由として、チェーホフのテキストにものすごく引っ張られたっていうのがあると思います。》

 

18《原作で主人公・家福は俳優である、そして(三浦透子演じる)みさきは運転手である、と示されているんですけど、運転手は車を運転するのでいいとして、では俳優は具体的に何をするのか。

 原作の中で、家福が「ワーニャ伯父さん」を演じると書いてあって、ここに注目しました。

 僕の前作映画『寝ても覚めても』ではチェーホフの「三人姉妹」をちょっとだけ引用しているんですけど、その頃からチェーホフには興味を持っていました。

「ワーニャ伯父さん」は観劇もしたし、原作を読んだことも多分あったんですけど、あらためて家福が演じるという仮定で読み始めたら「これは面白い」と。

 多くを語らない、家福という人の内面を示すものになると思いました。

 映画の中で、村上さんの文章をそのまま使う部分はほぼないんですけど、チェーホフの戯曲はむしろそのまま引用しました。

 「チェーホフ」のテキストの強度や場面が、この映画を違う次元に押し上げてくれました。

 最初「ワーニャ伯父さん」はディテールでしかなかったけれど、やがて本筋となって、最後のシーンにつながっていきました。

 起承転結での「結」の部分を、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」が担うことになったんです。》

 

30《──劇中劇の演目であるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』のテキストは、多くのシーンに使われています。これはどう振り分けたのでしょうか。テキストが「強い」ぶんだけどこにでも使える、あるいは慎重な作業が求められたのではないかと想像しました。

濱口:結局、普遍的な部分を選ぶ、ということだと思います。端的に言えば「これ、俺じゃないか、私じゃないか」と思ってしまうような場面が核になります。照明助手で来ていただいた方が、スタッフ間で話していたときに「いや、もう、(自分たち)皆ワーニャでしょ」と言ったらしくて、それはすごく納得できる気がしました。ワーニャって本当に情けない、悔やんでばかりの人間で、思っていたとしても口に出すのが憚られるようなことばかり言うし、彼自身も後でそのことを恥じたりもする。それはエレーナやソーニャもそうですが、誰もが腹の底で感じているけど口には出せていないような感覚が、あの戯曲ではあられもなく言語化されています。読んでいてそういう箇所にたどり着くたびにメモしたりすると、自然と当時のロシアの風俗に関わる部分は捨象されて、今の日本で誰かが思っていたとしてもおかしくない言葉が残る、という感じだったと思います。

 あとはメインの物語で流れている感情との関わりですかね。たとえば嫉妬であったり、苦悩であったり、その言葉が口にされることで、自身のことを語ることの少ない登場人物たちがより立体的に見えるようなものを選びました。

 最後まで悩んだのは、車のなかで響く音の声です。ここはいかようにも編集の可能性があったので、霧島さんにもすこし多め・長めに録音してもらったものを、先に言ったような立体性を目指しつつ、『ワーニャ伯父さん』の内容も少しわかるよう、補完的に配置していった、という感じです。》

 

『ワーニャ伯父さん』の台詞は、車の中で響く音の声、葬式直後の舞台、2年後の広島でのオーディション、本読み、立ち稽古、舞台稽古、本舞台で口に出される。車内と舞台の、ある場面で特定の台詞が口にされて意味を持ち、しかも反復されることで意味が深まり、映画のライトモティーフを表象する。いかに巧みに引用されているか、シナリオを追ってゆこう。

なお、原作(クレジットにあげられた4チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』浦雅春訳(光文社古典新訳文庫))とシナリオの台詞の差は少ないが、あえて言えば簡略化の方向にある。

 

32(以下、同)《6 家福のマンション・居間(早朝)

(前略)

音 「これ」

 音がカセットテープを手に持って、家福に差し出す。

音 「『ワーニャ伯父さん』」

家福「ああ」

音 「吹き込んどいたやつ。もう要るでしょ?」

家福「ありがとう」

  二人はまたキスをする。(後略)》

シーン6ではじめて『ワーニャ伯父さん』という名前が出てくる。この時点では二人の間には仲睦まじさしか感じられない。

 

7 走行車内(午前)

  信号で止まるサーブ。家福はポケットからカセットテープを取り出す。テープを車のデッキに入れる。

  再生すると、音の声が流れてくる。

音の声「どうぞ、おひとつ。……何だか飲む気がしないな。……じゃあ、ウォッカに?

  複数の声色を微妙に使い分けて、複数人を表現しているが、過剰ではない。

  •     *     * 

  車は高速に乗っている。家福は運転しながら、無感情に自分の台詞を暗唱する。

家福「誰にも僕の気持ちはわからない。夜も眠れない。悔しさと、怒りで。むざむざ時間を無駄にした。その気になれば、僕だって、何でも手に入ったのに、この年になったら、もう無理だ

音の声「おじさん、つまんないわ。そんな話

  •     *     *

  サーブは、成田空港に近づいていく。

音の声「お前、なんだか以前の自分の信念を責めているようだね。でも悪いのは信念じゃありません。悪いのはお前自身です」》

「どうぞ、おひとつ」は『ワーニャ伯父さん』の第一幕冒頭のマリーナ(年老いた乳母)とアーストロフ(医者)の台詞であるから、これから『ワーニャ伯父さん』が始まると意識される。

次いで、家福の声と音の声が、ワーニャとソーニャに対応し、台詞の言葉は『ワーニャ伯父さん』のテーマの基調を暗示させて、観るもの、聴くものに届いて来る。これが映画の基調でもあると、すぐ後に続くシ-ン11の音の不貞シーンで感じられる、というようにサスペンスめいた展開で観客を後押しする。

 

シーン21で、音が「今晩帰ったら少し話せる?」と聞くと家福は「もちろん。何でわざわざそんなこと聞くの」と答える。

22 東京の街・走行車内(昼)

  車を走らせる家福。

  台詞を呟きながら、運転をしている。

音の声「あの人は、それで身持ちはいいのかい?

家福「そう、残念ながら

音の声「どうして、残念ながらなんだ?

家福「それは、あの女の貞淑さが徹頭徹尾まやかしだからさ。そこにはレトリックがふんだんにある。が、ロジックはない

  ゆっくりと、時間を稼ぐように走らせる家福。

  •     *     *

  夜になっても、家福はまだ運転をしている。

  赤信号で止まる車。

家福「……人生は失われた、もう取り返しがつかない。そんな思いが昼も夜も、悪霊みたいに取り憑いて離れない。過去は何もなく過ぎ去った。どうでもいい。しかし現在は、もっとひどい。ぼくの人生と、愛は、どうしたらいい? どうなってしまったんだ……

  クラクションが鳴らされる。

  信号は青に変わっている。車を発進させる家福。

音の声「あなたが愛だとか、恋の話をされると、私、頭がぼーっとして何をお話すれば良いのかわからなくなるの

  •     *     *

  家福のマンション駐車場。

  サーブは自動ドア前で待つ。ブザーが鳴り響く。

音の声「あー……くわばらくわばら

家福「ソーニャ、なんてつらいんだろう。この僕のつらさがお前に分かれば

音の声「仕方ないの。生きていくほかないの。ワーニャ伯父さん、生きていきましょう

  家福はポケットから目薬を取り出し、左目に差す。

  パーキングのドアが開き、サーブは中に入っていく。

音の声「長い長い日々と、長い夜を生き抜きましょう。運命が与える試練にもじっと耐えて、安らぎがなくても、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。そして最期の時がきたら大人しく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、泣きましたって、つらかったって

  車外でブザー音が鳴り響き続ける。》

  

「身持ちはいいのかい?」「あの女の貞淑さが徹頭徹尾まやかしだからさ」の言葉が家福の心の中で音に向かっている。

「長い長い日々と、長い夜を生き抜きましょう」は劇の最後の台詞であり、かつ映画の終盤、今度は本舞台で演じられる台詞でもあって、ここで一度聴かせておくことで、効果を上げるだろう。そして、劇の最後までテープを回していたことから、長い時間、家福が車を乗り回して家に帰ろうとしなかったかがそれとなくわかる。次の23のシーンで、家の中に入った家福が倒れている音を発見することで、よりドラマチックに残響してくる。

 

25 劇場(昼)

  『ワーニャ伯父さん』第一幕。ワーニャを演じる家福。アーストロフを演じるドイツ人俳優。テレーギンを演じるマレーシア人俳優が舞台上にいる。

(中略)

家福「ああ、そうとも、大いにやっかんでいるさ!

  家福、大きく息を吸い込む。台詞が出てこない。

家福「……やつの最初の細君、つまりぼくの妹だけれど、それはすばらしい、やさしい女性だった。……その妹は、やつのことを心底愛していたよ。汚れを知らない崇高な人間が天使を愛する愛し方だった。……で、やつの後妻というのが、君たちも今しがた見かけたとおり、美人で聡明な女性だ。……どうしてなんだ?

  家福は、アーストロフ役を見る。アーストロフ役は戸惑う。

アーストロフ役「(ドイツ語)あの人は、身持ちはいいのか?

家福「そう、残念ながら

アーストロフ役「(ドイツ語)どうして、『残念ながら』なんだ

家福「それはあの女の貞淑さが徹頭徹尾まやかしだからさ……

  家福は大きく息をつき、舞台袖にはけてしまう。

テレーギン役「(マレー語)ワーニャ、そんなことを言わないでおくれ、頼むよ……

  相手のいないテレーギン役は二の句が継げず、アーストロフ役と目を見合わせる。

アーストロフ役(ドイツ語)黙れ、このあばた面

テレーギン役「(マレー語)いや言わせてもらう。私は妻に逃げられた。別の男と結婚式の翌日に。私が、平凡だから

  舞台袖で、頭を抱える家福。》

 舞台でワーニャを演じることの苦しみが示される。バーでの高槻との会話で、家福は「チェーホフは、恐ろしい」「彼のテキストを口にすると、自分自身が引きずり出される」「そのことにもう、耐えられなくなってしまった。そうなると僕はもう、この役に自分を差し出すことができない」と語り、のちに逮捕された高槻の代役として家福自身が演じたらと提案されるや、「無理です」と答えることとなる。

テレーギンもまた「女のいない男たち」の一人である。

 

27 アヴァン・タイトル

  夜。部屋の電灯に照らされた音の唇が呟く。

音 「私は思うの。真実というのは、それがどんなものでも、それほど恐ろしくはないの。いちばん恐ろしいのは、それを知らないでいること……

  回るカセットテープ。テープの回転とサーブ900の車輪の回転がディゾルブする。車を走らせる家福。》

 ここだけ、音の声だけではなくて、暗闇の中で電灯に照らされ、幻影か回想のように音がテープに台詞を吹き込むシーンが映像化されることから、この音の言葉「いちばん恐ろしいのは、それを知らないでいること」の重要性が強調されている。

 

39 劇場・オーディション会場(稽古場)(午前)

  立ち上がり、見つめ合う高槻とジャニス。高槻がジャニスを指差す。

高槻「(以下、高槻は日本語)ははーん、あなたはずるい人だ

ジャニス「(以下、ジャニスは北京語)どういう意味?

高槻「ずるい人だ。百歩ゆずって、ソーニャさんが苦しまれているとして、まあ、その仮定はよしとしましょう。でも

ジャニス「何をおっしゃっているの

  高槻はジャニスの方ににじり寄る。ジャニスは後退する。

高槻「あなたはよくご存知だ、どうして私が毎日こちらに伺うのか。どうして、誰に会いたくってここにやって来るのか。あなたは魔物だ。かわいい顔した魔物だ

ジャニス「(高槻の台詞とかぶる)ケモノですって?

高槻「きれいな毛並みの、妖艶な魔物だ……。あなたのような魔物には生け贄が必要なんだ

  高槻はジャニスの顔を掴む。

ジャニス「気でも違ったの?

  ジャニスはそれを振り払う。笑う高槻。高槻はジャニスの両腕を掴む。会場の鏡に押し付ける。

高槻「ずいぶん遠慮深いんだなあ

ジャニス「私は誓って、あなたが考えてらっしゃるような人間じゃない。そんな低俗な女じゃないの。絶対に

  逃げようとするジャニス。抑え込む高槻。

高槻「誓うことなんかありません。余計な言葉はいらない。美しい人だ! このきれいな手!

  高槻はジャニスの手にキスをする。ジャニスは手を引き離す。

ジャニス「もうたくさん

高槻「(ジャニスの腰を抱き寄せ)いいですか。これは避けがたい運命です

  ジャニスにキスをする高槻。すっかり見入る家福。

  ジャニスはキスを受け入れかけて、拒む。

ジャニス「お願いです。やめてください。放してください

  高槻はジャニスを離さない。またキスをする二人。

高槻「明日、森までいらっしゃい。二時に。いいですね? いいですね? いらっしゃいますね?

ジャニス「行かせて

  高槻がもう一度キスをする。ジャニスは拒みながらも受け入れていく。家福は立ち上がる。

  パイプ椅子が倒れる。高槻とジャニスが家福を見る。

家福「そこまで。失礼。ありがとう。Thanks

  二人は会釈し、会場を出る。家福はため息をつく。》

 もちろん家福は、高槻の行為に音の記憶を呼び覚まされて動揺している。

 

44 劇場・地下駐車場(夜)

音の声「お別れに際して、老人から謹んでご忠告申し上げる。みなさん、大切なのは仕事をすることです。仕事をしなくてはなりません」》

 

50 劇場・稽古場(昼)

リュウ女が男の親友になるのには、順序がある。まずはお友だちから、次に愛人、そしてようやく親友ってわけだ

高槻「凡庸な哲学だ

家福「高槻、一度、自分のテキストに集中してみろ。ただ読むだけでいいんだ」》

 

61 トンネル

家福「どうにかしてくれ。ああ、やりきれん。僕はもう47だ。仮に60まで生きるとすると、まだ13年ある。長いなあ。その13年を、僕はどう生きればいいんだ

  トンネルを抜けるサーブ。トンネルを抜けると海が広がる。窓外の青空と海を見る家福。》

 

62 平和記念公園(昼)

  移動する俳優たち。稽古場所を探している。(中略)

  陽光のもと、野外で稽古をしている家福と俳優たち。少し離れたところでみさきも見ている。

  エレーナ(ジャニス)とソーニャ(ユナ)の場面。

ジャニス「(以下、北京語)涙ぐんだりして、どうしたの?

ユナ「(以下、手話)別に。なんでも。なんだか勝手に(涙を指す)出てきたの

(中略)

ジャニス「(ユナの頬にキスする)私、心底願っているの、あなたには幸せになってもらいたいって……。(立ち上がる)私は平凡な、添え物みたいな存在なの。音楽をやっても、夫の家でも、恋をしていても。どこにいても私は、添え物でしかない。正直に言うわね、ソーニャ

ジャニス「よくよく考えたら私、とっても不幸なの。この世には、私の幸せなんてない。……何を笑ってるの?

ユナ「あたし、幸せ。とってもとっても幸せ

  感情が高ぶってきて辺りを歩き回るジャニス。

ジャニス「……なんだかピアノでも弾きたくなってきた

  ユナは強く、ジャニスを後ろから抱きしめる。

ユナ「弾いて。聞かせて

家福「OK」

  緊張を緩めるユナとジャニス。じっと見ていた周囲の面々も姿勢を崩す。

家福「今、何かが起きていた。でも、まだそれは俳優の間で起きているだけだ。次の段階がある。観客にそれを開いていく。一切損なうことなく、それを劇場で起こす」》

 演劇法についての成果が見えた瞬間。エレーナ(ジャニス)に音の影がある。

 

78 劇場

  満員の観客、『ワーニャ伯父さん』の公演が行われる。ワーニャを演じているのは家福だ。

(中略)

ジャニス「(以下北京語)こんなの地獄よ! 私、今すぐ出て行く!

家福「ぼくだって才能もあれば、頭もある。度胸だってあるんだ。まともに人生を送っていれば、ショーペンハウエ  ルにだって、ドストエフスキーにだってなれたんだ。戯言はもうたくさんだ! ああ、気が狂いそうだ。母さん、ぼくはもうダメです。ダメだ!

駒形「教授の言うとおりになさい!

  ユナは衛藤にすがりつく。

家福「母さん! ぼくはどうすりゃいいんです? いや、いい、言わなくっていい。どうすりゃいいか、いちばんぼくが分かってる。(ロイに向かって)いいか、今に思い知らせてやる!

駒形「ジャン!

  家福は勢いよく退場する。舞台袖で荒い呼吸を整える。ユンスや木村が心配そうにそれを見る。

  拳銃を手に取り、再び舞台へ出ていく家福。》

 

80 劇場

  ワーニャを演じる家福。

  ソーニャを演じるユナと向かい合う。

家福「ソーニャ、なんてつらいんだろう! このぼくのつらさがお前に分かれば!

  手話で語りかけるユナ。字幕が舞台上に示される。

ユナ「仕方がないの。生きていくほかないの

  ユナが家福の顔に両手を当て、自分の方を向かせる。

ユナ「ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々と、長い夜を生き抜きましょう。運命が与える試練にもじっと耐えて、安らぎがなくても、今も、年を取ってからもほかの人のために働きましょう。そして最期の時がきたら大人しく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、泣きましたって、つらかったって

  家福は、ユナを見て涙を流す。

ユナ「そうしたら神様はあたしたちのことを憐れんでくれるわ。そして、伯父さんとあたしは明るくて、すばらしい、夢のような生活を目にするの。あたしたちは嬉しくて、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返る。そうしてようやくあたしたち、ほっとひと息つくの! あたしたちそう信じてる、強く、心の底から信じているの…………。その時が来たらあたしたち、ゆっくり休みましょうね……

  ユナが家福を抱きしめる。

  二人は顔を観客席の側に向ける。

  二人越しの客席を、カメラは捉える。

  徐々に暗転し、客席から拍手が聞こえる。》

 

<演じること/本読み/多言語演劇>

15《「本読み」をして、大まかなことを決めたら、基本的に本番での演技は、俳優にお任せしています。なのであの場面に限らず、演技のニュアンスは基本的に、俳優自身から出てきたものなんですよ。もちろん動きや方向は、指示をしますけど感情的な面は、俳優から「たまたま」出てくるものだと考えています。結果的に「俳優からたまたま出てきたものをたまたまうまく捉えられたな」というテイクのみをつなげていきます。そういう偶然を映画のなかでどう位置づけていくか、を考えて編集していきました。》

15《役者みんな素晴らしい演技をみせてくれた、と思っているんですが、一番基盤となったのは、やっぱり西島さんがちゃんと相手役を見聞きしてくれたことだと思ってます。基本的に『ドライブ・マイ・カー』は「家福が誰かを見ている映画」なんです。俳優一人一人見せ場があって、各々その場でちゃんと爆発してくれているんだけど、その支えは「家福、と言うか西島さん本人がちゃんと見て聞いてくれていた」ってところにある。撮っていて、それはすごく幸運なキャスティングだと思いました。一方で、その西島さんが心情吐露するクライマックスでは、三浦さんがその役割を担ってくれた気がしています。》

 

19「映画『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」より。

《――劇を作っていく過程で、俳優たちの演技のグラデーションが描かれていきますよね。高槻(岡田将生)の演技が最初は上手くいっていないのがだんだん良くなってきたり、女性二人の演技でたしかに何かが起きた、という感動的な瞬間が描かれたり。俳優さんたちはこうした演じ分けをどのように行っていたんでしょうか。

濱口:演じ分けというものはないです。もちろん、そこに脚本を読んできた役者さん自身の解釈は入ると思いますが、それも「本読み」でふるい落とした上で撮影に入るので、本当に単純に、どのシーンも「一生懸命やってもらう」ということです。重要なのはカメラの置き方、映し方。演技のどこに焦点を当てるかによって見え方は全然違ってくるので、あとはこちらの撮り方によって物語に当てはめさせてもらうわけです。たとえば、カメラに背中を向けていたら、どれだけいい演技でもそういう風に見せることは難しい。それは舞台の観客にとってもそうでしょう。その感覚を利用したりしたと思います。

――すると演技自体が変わるのではなく、撮り方の違いで変化を見せるということですか。

濱口:そこはすごく複合的です。どれだけ準備したかで演技はまったく変わってきますから。たとえば公園でのジャニス(ソニア・ユアン)とユナ(パク・ユリム)のシーンはみんなでしっかり準備してやったからこそあれほど素晴らしい演技になったわけです。一方で、高槻とジャニスの演技が上手くいかない場面では、ある程度ぶっつけ本番でやる必要がありました。幸か不幸か、演技って普通にやったら上手くいかないもの。ただ、実際やったら「あれ、意外といいじゃないか」と現場ではなってしまった。少なくともわかりやすく「ひどい」演技にはならなかった。ただ、たとえこちらが思ったような演技にならなくても、「いや、もっと下手にやってくれ」とは絶対に言わないですね。役者を演じて、かつわざわざ下手に演じることは、役者さんには非常につらい体験になりますから。だから撮れたものを受け入れた、ということのほうが実際かも知れません。結果的に、その場面がそこまで良くないように見えるとしたら、後半の場面における演技の伸びが素晴らしかったからだと思います。カメラと演技の関係も後半になるほど、研ぎ澄まされていく印象がありました。》

 

21《三宅唱:楽屋で岡田将生さん演じる高槻という人物と出会うわけですが、なんで楽屋に設定されたんでしょう?

濱口:基本的に構造としてあそこしかないって考えていたんです。なぜかといえば、高槻と家福(悠介)の接点は家福の妻である音にしかないから。ああいう形で家福の仕事場に音が連れてくるっていう状況でしか基本的には会いようがないと考えていまして。とは言いつつ、基本的には楽屋というかメイクルームというのかな、たぶんそこが好きなんです。舞台を取り扱った映画は多々あって、名シーンというほどのものはパッとはあまり思いつかないけど……。

三浦哲哉:『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(1976)(筆者註:カサヴェテス作品)とかね。

濱口:そうですね、『オープニング・ナイト』(1977)(筆者註:カサヴェテス作品)もそうだし、鏡見て付け髭をつけてるような奴らというのを、我々はいろんな映画で何度も見たような気がするじゃないですか。そんな空間が撮りたくてこの題材を選んでいるところもあるし、こういう空間がないと俳優には仕事もプライベートもないだろうと思うんですよね。あの空間で着替えたりメイクをしたり落としたりしないと、プライベートに戻れない。俳優の仕事はわかりやすくそうですけど、単純に仕事ってそうじゃないですか。ある種の準備段階や儀式がないと向かえない。単純にそういうものを撮りたかったんだと思う。後半でも同じような空間は撮りたかったけど、一番最後にちょろっと出てくるぐらい。鏡がある空間だということも含めて、メイクルームは演劇を扱っているこの映画と密接に結びついている場所なんじゃないかと考えていました。

三浦:二人の応答で気づかされたんだけど、後半で高槻が警察に捕まるときに「着替えていいですか」って言うじゃないですか。それもこことつながってますよね。》

 

43《──映画中、家福が演出しているのは「ワーニャ伯父さん」の多言語演劇です。この多言語演劇という要素を取り入れようと思ったのは、今日なトピックスでもあるダイバーシティを意識したのでしょうか?

濱口:そういう風に観てもらえもするものとは思いましたが、「多様性」ということを特に考えてはいません。多言語演劇については、もともと「演技」の視点で発想したものです。

多言語演劇においては、まず相手の言葉がわからない。ただ、本読みをやっていると、段々とこの音の後に自分はこういうことをするんだという理解ができてきます。相手の言うことを、言語によってではなく音で理解していき、また、相手がどういうニュアンスで話しているのかは、相手をよく見ていないと把握できないので、「相手を見る、聞く」ということにフォーカスができるようになる。相手の声や体といった、言葉の意味以外の要素にフォーカスすることで、おそらくより良い演技が生まれやすいと思いました。良い演技をするために一番シンプルな方法を考えたときに、思いついた方法です。》

 

<カメラ>

19《原理原則は、古典映画に倣って、カメラを一番ものごとがよく見えるところに置くことです。一番よく見えるところにカメラを置き、かつ一番よく見えるところに置き続ける。それさえちゃんとできれば、あとはもう実際にカメラの前で起こっていることを調整していけばいい。映画の現場では、基本的にそれをひたすら繰り返しているんだと思います。自分もできるだけ、カメラに近いところから見る。一番ものごとがよく見えるところである以上、悪い面も隠しようなく映ります。だから、よく見えるところから被写体が十分に魅力的に見えるところまで持っていかなくてはならない。それができたら、それを積み重ねていく。

 ただそうはいっても、じゃあ向かい合っている二人の視線をどう撮るのか、という問題は残る。特に二人が二人とも魅力的な場合、それを撮るベストなポジションとはどこなのか。どちらを見るべきなのか、編集段階まで決められないとも感じます。そういうときは申し訳ないけど、演じ直してもらい、それぞれにカメラを向けて何度も撮ることになります。

二人の役者が演技するなかで、ある相互反応みたいなものが起きたとします。その相互反応は外側から捉えればある程度は映る。ただ映画というのは、その捉えたものを常に再構成しないといけない。そのために、切り返し場面を撮ったり引きで撮ってみたりと色々な素材を用意するわけですが、じゃあいわゆる「編集素材」が十分にあればいいかというとこれがまたそうでもない。やはり一個一個の断片のなかで相互作用による「何か」が確かに記録されていなければ、編集時にどれほどがんばろうとその相互作用としての「何か」は再び立ち現れてはこない。切り取り方や編集で映画はどうとでも作れる、ということはありえない。やはりまずは現場で「何か」を起こさないといけない。それは映画を作る上で常に感じていることです。

――この映画でまさにすごい「何か」が起こっているシーンは、高槻と家福が、車の中でお互い正面を向いて喋るシーンだと思います。あそこは、それぞれ車の中に置いたカメラに向かって喋っているわけですよね。

濱口:はい、ただ一応相手役にはカメラの脇にいてもらいました。岡田くんが話しているときは、西島さんにはカメラの横のトランクみたいなところにすごく無理な体勢でいていただき、岡田くんにもその逆をやってもらいました。ただ、それ以上に大事だったのは、一度お互いに見合いながら通しで演じてもらうことです。一度は通してみないと真正面に入っても演じるのが難しくなるし、通しのテイクでOKが出ない限り真正面に置くことはありません。

――普段も、切り返しの場面を撮る際には必ず通しでまず撮るんですか。

濱口:最近の作品ではほぼそうですね。まずテスト代わりに引きで撮り、次に切り返しで、という進め方が多いです。引きで撮った場面が思いがけず一番よく撮れていた、ということもあるので、よほど危険なシーンでない限りは兎に角テストはそこそこに、いきなり本番から始めることが多いです。現場でNGを出すことも滅多にない。実際通しの演技のどこかには必ずよいところがあります。舞台公演みたいな感じです。もちろんどの公演も良し悪しはあるでしょうけど、お客さんにとっては一回きりの演技なのだからすべての公演はOKでないといけない。あらゆるテイクで、とにかく一回一回一生懸命演じてもらい、ひたすら繰り返すうち気づいたらカメラの位置が変わっている、というのが役者さんの感じ方ではないかと思います。ただ通しの演技は役者さんにとって演じやすい部分もある半面、繰り返しがあまりに多いと本当に疲れるはずなので、どこでバランスを取るかは未だに難しい問題ですね。》

 

30《──みさきが運転する車内で家福の座る位置が変化していきます。それに伴い、ふたりが似た葛藤を持つこともだんだん明らかになる。ポジションと移動のタイミングは、脚本の段階で練られていましたか?

濱口:ある程度は脚本段階で考えました。でも、それが正しいと確信するのは現場においてですかね。微妙に位置調整をすることはありましたが、基本的には最初に考えたとおりです。初めに家福が座るのは助手席の後ろで、みさきの運転の手さばきが見えるポジションです。バックミラー越しに表情も見えるけれど、監視するようなポジションでもある。次は運転席の後ろ、相手が見えない席に移ります。これは信頼の証のひとつだし、まだお互いをよく知らないふたりが居心地よくいられるためのポジションでもあります。彼らが深い話を始めるとしたら「ここしかない」と思いました。そこでのふたりは、まだお互いに見つめ合う関係性ではないし、相手を十分に認識していない。でも共に「知りたい」と思って話し始めるなら、このポジションだろう、と。それを経て助手席に移ります。タイミングとしては、家福はとっさにそこに座ってしまう。高槻(岡田将生)と距離を置きたい衝動に準じて助手席に乗り込みますが、それによってみさきとの関係が一歩進む。そこからポジションの移動はありません。だからどちらかといえば、関係からポジションが生まれるというよりも、その逆ですね。座った席から関係が生まれていきます。

先日、伊藤亜紗さん、北村匡平さんと鼎談した折に、伊藤さんがすごく腑に落ちることを言ってくださいました。「濱口さんの映画は人間関係から捉えられがちだけど違う気がする。存在があって、それが互いに影響を与え合っているのではないか」と。そして、おそらく物理的な近さはやはり、その影響力を左右するのだとも思います。車内のポジションも、距離が近くなることで存在同士の影響が強まります。また存在が与え合う影響は、言葉や実際に何かを受け渡すことでも生まれます。その影響があっちへ行ったりこっちへ行ったり、また自分のもとへ戻り帰ってくる。それは脚本を書くうえで、構築するというより「物語を見つけ出す」作業なんです。その、存在同士の影響関係を発見できれば、物語がしっかり進行すると考えています。逆に言うと、それを発見するまでは十分に進まない、というところもあります。》

 

<ロード・ムーヴィー/空間と時間>

40「濱口竜介の理知的な語り、独自の映画論に唸る。『ドライブ・マイ・カー』における“間”の解釈とは?」より。

村上春樹の原作小説と映画の「間(あいだ)」について「映画とはそもそもフィクションと現実の間にあるもの」とする。

濱口:カメラを使って映画を作る最小の単位に“ショット”があり、空間と時間を区切るものです。まず、フレーム(画角)によって空間を区切らなくてはいけない。そしてカメラの回し始めと終わりにより、時間を区切らなくてはいけない。どこからどこまでを区切るかが監督の仕事だと言ってもよいと思います。

 この作業において、現実とフィクションの間(はざま)がすでに発生します。というのは、カメラというのは人間の知覚能力より遥かに優れた光学的記録能力を持っているので、現実そのままの知覚的記録がなされます。一方で、これは現実のすべてを記録したものではなく、空間的・時間的断片としてしか捉えることができません。これは現実の映像ではなく、フレームの外側やカメラを回し始める前になにが起きているかわからないので、そこには常にフィクションの可能性があります。ショットを撮るという映画の最小単位の中に、すでにフィクションと現実が存在しています。この断片と断片を組み合わせ、現実とはまったく違うもう一つの現実みたいなものを作り上げていくのが劇映画、フィクションになります。》

40《劇中、家福(西島秀俊)とみさき(三浦透子)を乗せた赤い車は、映画の前半では安芸灘大橋を渡り、後半ではいくつかのトンネルを抜けていく。その「間」についての考察に対し、濱口監督はこう答えた。

濱口:橋は、レイヤーを一望できる場所です。一つのレイヤーがあり、もう一つのレイヤーに向かい、その先にはまたレイヤーがある。トンネルは、それが目隠しをされている状態で、どこを走っているのかわからないぶん、抽象度が高い空間になります。後半に行くにつれてトンネルの描写が増えていくのは、この映画の抽象度が上がっていくことと比例しています。空間も時間も凝縮されたものになり、昼のショットからトンネルを抜けると夜になり、晴れている空間からトンネルを抜けると雨が降っているなど、トンネルを抜けるとすでに変わってしまっているところを編集で選びました。トンネルを潜り抜けることで、キャラクターも変わっていき、それが観客にも届く変化になると思っています。》

 

43《──車の中の会話ということでいえば、イランのアッバス・キアロスタミの『そして人生はつづく』などいくつか名作が思い浮かびますが、参考にした作品などはありますか?

濱口:キアロスタミのことは、考えました。というか、キアロスタミ映画のような場面が撮れるんじゃないか、というのがこの原作を映画化のために提案した大きなモチベーションのひとつでもありました。

 撮影方法で言えば、車でのシーンの撮り方って“あるようでないような”ものなんですね。ある程度よく見えなくてもいいと考えれば、いくらでもある。ただ、よく見えるポジションは限られている。こういう画面でないと気持ちが悪いという尺度が自分の中にあるので、そう考えていたら自然とキアロスタミのカメラポジションは参考になりました。

──具体的には、どのようなカメラワークだったのですか?

濱口:できるだけツーショットを撮らない。車の中というのは独特の空間で、特にこういう4、5人乗り程度の車であれば、誰か一人を撮っても観客はみんな席の配置が理解できるという稀有な空間なんです。普通の部屋だったら、部屋全体を撮って、各人の切り返しに入らないと観客はその位置関係がわからないのですが、車の中の場合は、引きの画を撮らずとも位置関係がわかる。引きの画は、観客に安定感を与えるのですが、圧倒的な安定感は観客の想像力の働きを鈍くするものでもあります。車というのは誰もが基本的な空間の構造を理解しているからこそ不安定な空間にすることができ、引きの画を撮らずに、そこできっとこう座っているんだろうなという想像だけで進んでいくことができます。このことで観客を巻き込んでいきたかったんです。

──西島さんは最初、後部座席に座りますね。

濱口:車の中で座れる場所はすべて使わないと、画面があまりに単調になってしまいます。助手席に座るというのはある程度特別な関係だとすると、家福が助手席に座るのは後半まで延ばしたい。》

 

<ベッドシーン/浮気シーン>

20「カンヌ4冠『ドライブ・マイ・カー』の誠実さ 濱口竜介に訊く」より。

《――映画『ドライブ・マイ・カー』は、霧島れいかが演じる音(おと)と西島秀俊の演じる家福(かふく)が裸でベッドにいるシーンから幕を開けます。劇中のベッドシーンはどれも、過剰に身体を映さず、女性が受け身にばかりなっていない点が印象的でした。撮影にあたり、監督が留意された点はありますか?

濱口:役者が少しでも嫌がっていれば、身体に現れるのがどれだけ些細な兆候であってもカメラはそれを捉えます。そして、それを映画から見て取る注意深い観客も必ず出てきます。ですからまずは役者と脚本の相性をキャスティングの段階で考慮しました。霧島さんがこの役を受けてくれたのはとても幸運だったと思います。

 カメラの前で肌を見せて、映像として記録に残るということには、基本的にとても高いリスクがあります。ですから脚本には「この程度の演技や表現が必要になる役です」ということを最初から明記して、その条件を前提に役を受けてもらいました。

 ベッドシーンをきちんと撮るのはぼくにとっても初めての経験だったので、普段は描かない絵コンテを描いたり、過去の映画のワンシーンを見せたりして、「このように撮ります」とできるだけ具体的にお伝えしました。事前に着衣の状態で、動きをリハーサルもしました。役者さんに明確にイメージを持ってもらうだけでなく、これ以上の演技は必要がないのだと知ってもらい、その点では安心してもらうためです。》

――実際の撮影現場ではいかがでしたか?

濱口:「あれもこれも」と追加の要望をしないようにしました。ベッドシーンに限らず、お願いしていた前提を現場で崩さない人だと思ってもらうことは、役者さんとの信頼関係においてすごく大事なことです。

加えて、ベッドシーンは基本的にあまり人に見られたくないものだと想像できるので、撮影は各部署、できうる限り女性スタッフのみで、必要最低限の人数で行ないました。

「もし少しでも嫌だと思えば、言ってくだされば撮影を止めます」ということは、ご本人にお伝えして、全体にも共有しました。ちなみに同様のことは西島さんにもお伝えしました。男性はそういうシーンを恥ずかしがらない、というわけでもないと思ったし、ベッドシーンを演じるのがどれだけ怖いかということは、現場に行ってみないとわからないと想像したので。そういう段取りの結果、役者さんが演技に集中できるようになればと考えていました。》

 

30《今回は何よりも性描写に物語上の必然性がありました。原作を読んで、映画にそのような描写が明示的にないと信じられない話になるだろう、これはやらないといけない、と。なので「現場で俳優やスタッフに強いる緊張」は、今回は受け入れるべきと思いました。考えたのは、その緊張の負荷が俳優に偏らないように、ということでした。カメラの前に立つ人と後ろにいる人の負荷は埋めがたい差があるわけですが、せめて少しでもマシになるようにコミュニケーションは心がけました。

「愛し合うふたりのセックスにカメラが立ち会うのは不可能だ」というカサヴェテスの発言があります。僕はこれに概ね同意しているし、これからも撮る気はありません。僕はその言葉を「それに対応するカメラポジションがそもそも存在しない」とも解釈しています。三宅唱監督が『きみの鳥はうたえる』(2018)を撮ったあとにも、その問題に関して訊ねました(*注)。すると「撮れると思う。なぜなら彼らは『愛し合っているふたり』とは違うから」と答えが返ってきて、「まあ、確かに(笑)」と思ったんですが、本作ではそれに近い感覚がありましたね。家福と音(霧島れいか)は愛し合っている夫婦ではあるけれど、セックスの瞬間は──特に居間のソファで撮っている場面においては──肉体が触れていても、精神的には限りなく離れている。それなら撮れるのではないかと思いました。

*(『ユリイカ』2018年9月号 特集「濱口竜介」に「三宅唱監督への10の公開質問」として所収)》

 

43《──コロナ禍の影響で、『ドライブ・マイ・カー』の撮影が中断している時に『偶然と想像』を撮られたそうですが、同時期に撮ったことにより、それぞれの作品に影響はありましたか?

濱口:あったと思います。僕の場合、直近の長編に向けて短編という実験を行いますが、『偶然と想像』でチャレンジした細かな要素が、『ドライブ・マイ・カー』にも活かされました。

 小さなことでいうと、『偶然と想像』の第1話で車で話しているシーンがありますが、そのシーンを撮ったことで、車の中で話すシーンというのはどういうものになるのか、より理解できました。第2話では性的な場面がありますが、『ドライブ・マイ・カー』にもそれは活かされています。僕は直接的に性的な場面はそれまであまり撮ったことがなかったので、その経験は大きなものになりました。例えば俳優に対して(そのようなシーンを撮る際に)どのようにコミュニケーションをとるのが望ましいのか、ということを学びました。》

 

21《三浦:鏡といえば、その直後にある音の浮気の場面も鏡越しに撮られていました。

濱口:そうなんですよ。浮気の場面に関しては、ロケーションを見に行ったときに、どうやってこの現場を目撃するんだっていう問題があったんですが、あの家に実際に住んでいる方がまさにあの位置に鏡を立てていて、なるほど、これなら見えると思い、そのまま採用したんです。

三宅:浮気の場面、最初ってトラックインしてます?

濱口:してます。

三宅:浮気現場がちょっとずつ見えてきて、相手の男の顔はギリギリ見えないけど、二人がセックスしてることはわかる。そのカットの次は、それを見ていた西島さんの顔の正面カットじゃなくて、鏡の中の西島さんだっけ?

濱口:トラックインして、そこで一度レコードのヨリに行って、そこから抱き合う二人越しの鏡の中の西島さんの姿、そして表情のヨリがあって、もう一度西島さんの肩越しにまた鏡を撮って、そこから西島さんがフレームアウトするっていう流れ。

三宅:そうか、間にレコードカットが入るのか。

濱口:そうそう。で、ここは途中にレコードのカットを入れないとなんかね……入れなくてもいいはずなんですが、ああいう場面っていまだにどう撮ったら良いかわかんないんですよ、レコードのカットがないと居心地が悪かった。

三宅:それわかる感覚かもしれない。こういう場面ってシナリオ上はとてもわかりやすい出来事にも思えるから、簡単に撮れそうな気もするんだけど……なんて言えばいいんでしょうね。盛り上げようと思えば盛り上げられるし、そっけなくもできるんだけど、何が面白いのか、こういう場面をどこから見ればいいのか、どう段取りを組めばいいのか、映画そのものをゼロから毎回考えさせられちゃう。

濱口:セックスをしている二人は西島さんを見てないから、じゃあカメラはどこにあればいいのかと考えた結果、あのレコードのある位置がカメラの位置に近いんではないかと。この選択は本当に自分の居心地にしか理由がないんですけど。

三宅:考えに考えて、最後は自分の居心地や生理を根拠にするってことが、正しいというか、それでしかないのかもですね。最初のトラックインの直後にすぐ西島さんの顔カットにつながないのはなぜか、言葉にしてもらえますか?

濱口:それは直接性が強過ぎるってことなのかな、悪い意味でベタっていう。「妻の浮気を発見して驚いてる男」への寄りからの、妻と男の切り返しがやっぱりちょっと耐え難いというか、ワンクッション欲しくなった。

三宅:その感覚はよくわかります。それから、発見の瞬間の演技も難しいと僕は思うし、だからそれにOKをだすのもなんだか難しくて、僕はつい、発見後の行動だけを捉える方向にいくんだけれど、でも発見の瞬間が必要な場面かもなあ。悩む。

濱口:まさにそれを見てしまうっていう瞬間は、結局撮り得ないっていうことなんじゃないですかね。

三浦:西島さんへの指示はこのときどういう感じだったんですか?

濱口:ここは引きを先に撮ってるんです。東京編はロケーションの中で順撮り的に撮っているんですが、この場面もリハーサルをして妻との関係性もある程度わかってる状況で、西島さんが見ているところをまず引きで撮る。でも西島さんの寄りを撮るとき、霧島さんは目線の先にいない。基本的に役者さんがお芝居をするとき、相手にもフレームの外でも演技してもらうようにするんですが、これはさすがにそうしなかった。なので「これはさっきの記憶を使ってやってください、自分が出ていきたいと思ったタイミングで出て行ってください」ってことだけ伝えました。

三宅:よくここで正面の顔のカットを撮りましたね。

濱口:でも、編集で使わない可能性も当然あるわけですよ。ある種のベタさはやっぱりあるので。ただ、西島さんが非常に曖昧な表情をしてくれた気がしたので、これだったらいいんじゃないかと。》

 

<撮影現場/重ね合わせ>

20《言葉によって伝えられないことを、どうやったら尊重しあえるかというのはどこまでも悩ましいですが、違和感があるときに、たとえ具体的にならないとしても、できるだけそれを伝え合うということに尽きるのかなと思いました。「違和感がある」ということ自体を言葉にしたり、言葉以外の合図を出したりして。それは自分やこの現場にとっては、むしろウェルカムなことなんだということを共有することが大事だと思います。

 映画撮影の現場でも、どこかに違和感があるときには、でき得る限り、先に進まないようにする。そのようにしていかないと、撮影しても結局その違和感がどこかに映り込むことになります。それはフレーミングや編集では排除しきれないものです。だから、できる限り現場の全員が違和感を表明できる現場が望ましいと思っています。ただ、これは現場が大きくなれば当然難しい。本当にこの「NOと言える」感覚が現場の隅々まで行き渡るには、もっと時間的な余裕が必要だと感じています。》

 

21《最後に声を大にして言いたいのは、三浦さんには政治的な映画だと言っていただきましたが、実際それはそうで、こういう作品を作るには、そもそもの作り方を変えなければならない。で、作り方を変えるには、僕一人では足らなくて、それはたとえば先ほどの話にあった助監督の川井さんの現場運営やスケジュールを切ってくれた監督補の渡辺さんの仕事のおかげなんです。リハーサルの時間をきちんととるとか、どれだけ撮影の時間が詰まっていても本読みの時間は確保してもらうとか。ひいては、役者さんを尊重するとか、そういうことも含めて映画制作全体の理解が更新されなければつくれないタイプの映画なんですね。川井さんや渡辺さんの仕事は、そうした面でこの映画にものすごく根本的な力を与えてくれた。それがこの日本の映画業界でどれほど重要かというのはどれだけ強く言っても足りないぐらいだと思っています。この映画の撮影はいろいろと運が良過ぎたと言いましたけど、これをこの一本の幸運で僕自身は終わらせたくない。そのためには一人ひとりが作りながら変わっていかなくてはいけない。その変わっていく一つの実例として『ドライブ・マイ・カー』があるんだとも思っています。二人のおかげで、そういう「作り方」の面でこの映画が少なからず特異なものであるということを言う機会をもらって、それがとてもありがたく思いました。》

                                  (了)

      *****引用または参考文献(順不同)*****

1.DVD『ドライブ・マイ・カー』(ビターズ・エンド)

2.映画『ドライブ・マイ・カー』パンフレット(編集・発行:ビターズ・エンド)

3.村上春樹『女のいない男たち』(「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」「独立器官」他所収)(文春文庫)

4.チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』浦雅春訳(光文社古典新訳文庫

5.「『ドライブ・マイ・カー』で石橋英子が築く、静かなる映画音楽の革命とは」(「musit」すなくじら、Sep28.2021)

6.「石橋英子×濱口竜介、映画『ドライブ・マイ・カー』の音楽を語る」(「GQ JAPAN村尾泰郎、8.30,8.31,2021)

7.「祝・カンヌ映画祭脚本賞! 映画『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」(「GQ JAPAN」月永理絵、8.18,8.19,2021)

8.「『ドライブ・マイ・カー』脚本の魅力を徹底解説 “解釈の遅延”という発想とジャンルの横断」(「Real Sound」小野寺系、2021.9.5)

9.「濱口竜介が描いてきた“わかる”感覚の特別さ 『ドライブ・マイ・カー』を起点に紐解く」(「Real Sound」野村玲央、2021.10.2)

10.インタビュー「いま、「弱さ」でしか男を描けない――村上春樹原作でカンヌ脚本賞受賞の濱口竜介監督が語る」(「Frau」熊野雅恵、2021.8.4)

11.「NOBODY 特集『ドライブ・マイ・カー』」((11-1)木下千花「やつめうなぎ的思考」、(11-2)坂本安美「音という旅」、(11-3)ティエリー・ジュス「喪に服し、エロティシズムに満ちた長い精神の旅」)

12.「対談 濱口竜介×野崎歓 異界へと誘う、声と沈黙 <映画『ドライブ・マイ・カー』をめぐって>」濱口竜介野崎歓(『文學界2021年9月号』)(文藝春秋

13.東浩紀「多視点的な映画『ドライブ・マイ・カー』に感銘受け、希望を見た」(「AERA」2022.2.21)

14.インタビュー「濱口竜介監督が明かす『ドライブ・マイ・カー』創作の裏側、「村上春樹の長編小説の手法を参考に」」(「MOVIE WALKER PRESS」取材・文:平井伊都子、2021.8.24)

15.「カンヌで4冠受賞!『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介 × 三宅唱 × 三浦哲哉 鼎談」(「キネマ旬報 WEB」2021.8.20)

16.「『ドライブ・マイ・カー』対話の“壁”を越える、「言葉」への知的探求」(「CINEMORE」SYO,2021.8.20)

17.「西島秀俊が語る! カンヌ4冠『ドライブ・マイ・カー』の“チャレンジと驚きと喜び”に満ちた撮影現場」(「BANGER!!!」SYO,2021.8.20)

18.「村上春樹の芯を食うために努力したこと 『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督」(「CLEA」文=CLEA編集部、2021.8.14)

19.「映画『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」(「文春オンライン」月永理絵、2021.8.20)

20.「カンヌ4冠『ドライブ・マイ・カー』の誠実さ 濱口竜介に訊く」(「CINRA」井戸沼紀美、2021.8.20)

21.「特別鼎談 濱口竜介(映画監督)×三宅唱(映画監督)×三浦哲哉(映画批評家) 映画の「演出」はいかにして発見されるのか――『ドライブ・マイ・カー』をめぐって」(「かみのたね」2021.9.08(フィルムアート社))

22.三浦哲哉「批評『ドライブ・マイ・カー』の奇跡的なドライブ感について」(「群像」2021年9月号(講談社))

23.沼野充義「村上―チェーホフ―濱口の三つ巴――『ドライブ・マイ・カー』の勝利」(「新潮」2021年10月号)

24.濱口竜介「遭遇と動揺」(工藤庸子編『論集 蓮實重彦』(羽鳥書店))

25.蓮實重彦『監督 小津安二郎』(筑摩書房

26.蓮實重彦「言葉の力 溝口健二監督『残菊物語』論」(蓮實重彦山根貞男編著『国際シンポジウム溝口健二 没後50年「MIZOGUCHI2006」の記録』(朝日新聞社))

27.濱口竜介「『東京物語』の原節子」(『ユリイカ 特集 原節子と<昭和>の風景』2016年2月号(青土社))

28.レイ・カーニー編『ジョン・カサヴェテスは語る』遠山純生、都筑はじめ訳(ビターズ・エンド、幻冬舎

29.レイモンド・カーニー(レイ・カーニー)『カサヴェテスの写したアメリカ』梅本洋一訳(勁草書房

30.「『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督インタビュー」取材・文/吉野大地、2021年8月(神戸映画資料館

31.「『ハッピーアワー』濱口竜介監督インタビュー「エモーションを記録する」」取材・構成:渡辺進也「NOBODY」)

32.「シナリオ『ドライブ・マイ・カー』 濱口竜介、大江崇充」(『シナリオ 2021年11月号』)(日本シナリオ作家協会

33.「Ryûsuke Hamaguchi on Drive My Car | NYFF59」(Film at Lincoln Center)

https://www.youtube.com/watch?v=-18rVXCD1f0

34.「RYUSUKE HAMAGUCHI Screen Talk | BFI London Film Festival 2021」(BFI)(https://www.youtube.com/watch?v=Lg4AfGxciz4

35.「Drive My Car Q&A (Long Version) - Ryûsuke Hamaguchi」(Backstory Magazine)(https://www.youtube.com/watch?v=1aoMRgQ295M

36.「Ryusuke Hamaguchi ('Drive My Car' writer and director) on the film's 'universal' theme of grief」(GoldDerby / Gold Derby)(https://www.youtube.com/watch?v=eX8ehGCge7Q

37.「石橋英子×濱口竜介インタビュー「素晴らしい映画音楽は隠されたエモーションを引き出してくれる」(「Numero TOKYO」2021.12.31)

38.村上春樹柴田元幸『翻訳夜話』(文春新書)

39.河合隼雄村上春樹村上春樹河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫

40.「濱口竜介の理知的な語り、独自の映画論に唸る。『ドライブ・マイ・カー』における“間”の解釈とは?」(「MOVIE WALKER PRESS」2022.2.6、文/平井伊都子)

41.「卒業生インタビュー - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 濱口竜介さん 2003年 文学部美学芸術学専修課程卒業 映画監督」(インタビュー日/ 2017.12.13 インタビュアー/ 野崎 歓、文責/ 松井 千津子)

42.「どこまでも明瞭で、だからこそ底知れない ――濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』について」早川由真(

「悲劇喜劇」2021年09月号)

43.「【単独インタビュー】『ドライブ・マイ・カー』で濱口竜介監督が拡張させた音と演技の可能性」立田敦子Atsuko Tatsuta(「Fan’s Voice」2021.8.27)

44.「濱口竜介監督インタビュー!『ドライブ・マイ・カー』の“サウンド”に込めた狙いと“特別な”村上春樹作品への想い」(「BANGER!!!」 2021.08.19 、石津文子)

45.三浦哲哉『『ハッピーアワー』論』(羽鳥書店

46.濱口竜介、野原位、高橋知由『カメラの前で演じること――映画『ハッピーアワー』テキスト集成』(左右社)

47.『ユリイカ2018年9月号 特集=濱口竜介』(青土社

 

文学批評 不可能な「恋愛小説」として藤沢周平『蟬しぐれ』を読む

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f:id:akiya-takashi:20220309170117j:plain (井上ひさし作成「海坂藩城下図」)

 

 藤沢周平『蟬しぐれ』の文庫本(新装版)解説で、湯川豊は稀に見る「青春小説」と讃えている。

丸谷才一は『闊歩する漱石』中の一章「三四郎と東京と富士山」で、この小説を、始め、半ば、終りの三部に分けた上で、始めの部分を絶讃し、半ばの部分はどうも精彩を欠くと指摘し、要するに小説の後半部分は話が朦朧(もうろう)として鮮烈な感銘が残らない、といっている。その通りであろう。

 登場人物はもっと積極的に行動するのでなければならないはずだが、三四郎は初心(うぶ)な青年で慎しみ深いから、自分から進んで美禰子に何かする、ことがない。さらなるは、美禰子の在り方。当時の日本では、中流階級の娘から男に迫ることなどは普通はあり得ない。丸谷は、だから「……風俗の現実を重んじ、わりに写実的な味でゆかうとする以上、美禰子に奔放な行状をさせるわけにはゆかない」とていねいに説明している。

 さらにその上で、漱石はドラマを毛嫌いしていたふしがあり、『三四郎』が若い男女のドラマである恋愛小説にはいよいよなりにくかった、ともいっている。

 この漱石のドラマ嫌いということについてはいま脇に置いて、明治末期の風俗として三四郎と美禰子の恋愛が成立しがたかったという事態はぜひ記憶にとどめておきたい。時代が、若い男女二人の関係を朦朧とさせているとすれば、江戸時代中期(と思われる)、東北の一隅にある海坂藩では(架空の藩であるとしても)、若い男女の恋が成立するのはさらにさらに厳しいと考えられる。しかも、『蟬しぐれ』の二人、文四郎とふくは、小禄下士とはいえ武士階級に属しているのである。

 江戸時代、とりわけ武家社会では、男女のことに関してはさまざまに大きな制約があった。藤沢周平はその制度的制約をきっちり守りながら、またときには制約を巧みに利用しながら、文四郎のふくへの思いを独自のしかたで書き切っている。そのことによって、『蟬しぐれ』が稀にみるほどの青春小説になっているのだが、それについてはこの解説がもう少し進んだところで詳しく考えてみることにしたい。(後略)》

 なるほど『蟬しぐれ』は「青春小説」であり、さらには「成長小説(ビルドゥングス・ロマン)」でもあろう。しかし「恋愛小説」として読むとき、さらに深みを増すのではないか。というよりも、実際に多くの読者は「恋愛小説」として本を閉じたのではないだろうか。

 それも湯川が指摘したような、《江戸時代、とりわけ武家社会では、男女のことに関してはさまざまに大きな制約があった。藤沢周平はその制度的制約をきっちり守りながら、またときには制約を巧みに利用しながら、文四郎のふくへの思いを独自のしかたで書き切っている》という時代の制約以上に、年齢的に恋愛をはっきりと自覚する以前に、別れの挨拶もできなかったという悔いのもと、恋愛対象が、遠い江戸で、藩主の側女になってしまうという、もはや困難な恋愛、不可能な恋愛、成就がかなわぬ恋愛についての「恋愛小説」として読みはしなかったか。

 湯川豊は解説を、《虚構の時間のなかで助左衛門とお福さまが、二人の青春の場面を手をたずさえるようにして確かめあうのである。確かめあっても、その後の行き場はない。二人は別れるしかない。そして二人のなかで生きつづけた青春の時間が、宙空に浮かぶように残る。完璧、と言いたいような青春小説がそのようにして残る。》と結んだが、不可能だった恋愛の時間が、宙空に浮かぶように残るのを、「恋愛小説」と呼ぶことに躊躇う必要はあるまい。

 ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』で恋愛のフィギュール(型)を80(「不在」「嫉妬」「待機」「破局」「追放」「憔悴」「狂人」など)列挙したが、『蟬しぐれ』にはそのうちの4分の1程度しかあてはまらないだろう。それらしくとも、普通の恋愛のフィギュールからずれている。あるいは該当しない(たとえば「嫉妬」「苦悩」「肉体」「いさかい」「恋文」など)。しかも該当、非該当以前に、主人公に「恋愛主体」としての自己認識は希薄であり、「恋愛対象」はずっと不在である。それでもなお、『蟬しぐれ』はエピソード、逸話、イメージ、後悔が育んだ「記憶」と「時間」「歳月」の魔力によって、不可能な「恋愛小説」を「恋愛小説」あらしめたことで読者を魅了する。

 同郷の丸谷才一藤沢周平への弔辞で、「小説の名手であり、文章の達人」と呼びかけた、洗練された文体の素晴らしさ、みずみずしい自然風景描写、ロマンチックな北方性とリアルな心理分析、知的な構成からなる『蟬しぐれ』(および同時期に書かれた『三屋清左衛門残日録』)の魅力は、同じく丸谷の言葉にそって言えば、藤沢が青春から中年にかけてのころ、ヨーロッパの文学に親しみ、影響されて、本式の方法を中心部に秘めることになり、おのづから作中人物に寄せる愛着の深さ、その造型の堅固さ、笑いとユーモアの方法で世界が安定し、奥行が深くなって、遠い昔の人物たちに隣人たちに寄せるような親しみを覚えることになった、という批評の最良の現れであろう。

『蟬しぐれ』に、藤沢文学の特徴である「時代小説」「青春小説」「成長小説」「剣客小説」「推理小説」「市井小説」「恋愛小説」が洗練された形で多層的に表現されていることは強調するまでもないが、ここでは「恋愛小説」(しかもその不可能性を超越しての)にフォーカスしたい。

 かくして、不可能な「恋愛小説」として、バルト『恋愛のディスクール・断章』の恋愛のフィギュールも参照しながら、『蟬しぐれ』を《「章」》を追って読み進めてゆく。

 

《「朝の蛇」》

「小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで」

 中編小説『蟬しぐれ』は地理空間としての川の自然描写と、川岸の市井の人々(ここでは下級武士)の地に足の着いた生活描写ではじまり、小説の最終局面「逆転」での五間川の舟による脱出行によって、「川」というテーマの円環構造となっている。川はよくある隠喩だが、「時間」の流れを連想させるライトモティーフである。こういう構成の重要さを藤沢周平は若い頃のヨーロッパ文学愛読(シュトルム、カロッサ、チェーホフなど)から学んだのであろう。

9(以下、文春文庫(1971年刊、全一冊)のページ数を表示)《海坂(うなさか)藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷にはみられない特色がひとつあった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺にたりない流れを至極重宝にして使っていることである。

 城下からさほど遠くはない南西の方角に、起伏する丘がある。小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで、流れはひろい田圃(たんぼ)を横切って組屋敷がある城下北西の隅にぶつかったあとは、すぐにまた町からはなれて蛇行しながら北東にむかう。

 末は五間川の下流に吸収されるこの流れで、組屋敷の者は物を洗い、また汲(く)み上げた水を菜園にそそぎ、掃除に使っている。浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで流れの底の砂利や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背まではっきりと見ることが出来る。だから季節があたたかい間は、朝、小川の岸に出て顔を洗う者もめずらしくはない。

 市中を流れる五間川の方は荷舟が往来する大きな川で、ここでも深いところを流れる水面まで石組みの道をつけて荷揚げ場がつくってあり、そこで商家の者が物を洗うけれども、土質のせいかそれとも市中を流れる間によごれたのか、水は大方にごっている。その水で顔を洗う者はいなかった。

 そういう比較から言えば、家の裏手に顔を洗えるほどにきれいな流れを所有している普請組の者たちは、こと水に関するかぎり天与の恵みをうけていると言ってよかった。組の者はそのことをことさら外にむかって自慢するようなことはないけれども、内心ひそかに天からもらった恩恵なるものを気に入っているのだった。牧文四郎もそう思っている一人である。》

 

「いまのようにそっけない態度をとるようになったのはいつごろからか」

 下級武士の養子である牧文四郎十五歳、小柳ふく十二歳のときの些細なエピソードから物語は始まる。親友の小和田逸平と、もう一人の親友島崎与之助を性格描写とともに一筆書きしてみせる。

11《文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。

「おはよう」

 と文四郎は言った。その声でふくはちらと文四郎を振りむき、膝(ひざ)を伸ばして頭をさげたが声は出さなかった。今度は文四郎から顔をかくすように身体の向きを変えてうずくまった。ふくの白い顔が見えなくなり、かわりにぷくりと膨(ふく)らんだ臀(しり)がこちらにむいている。

 ――ふむ。

 文四郎はにが笑いした。隣家の小柳甚兵衛の娘ふくは、もっと小さいころからいったいに物静かな子供だったが、それでも文四郎の顔を見れば、朝夕尋常の挨拶をしていたのである。

 いまのようにそっけない態度をとるようになったのはいつごろからかと、文四郎は考えてみる。やはり一年ほど前からである。そのころに何かふくに疎(うと)まれるようなことをしたろうかと思うのだが、それにはまったく心あたりがなかった。

「そんなことは考えるまでもない。娘が色気づいたのよ」

 その話をしたとき、親友の小和田逸平が露悪的な口ぶりで断定し、またやはりそのとき一緒にいたまじめひと筋のもう一人の親友島崎与之助が色気づくという言葉の意味がわからず、それをわからせるのに小和田と一緒に大汗を掻(か)いたことを思い出したが、文四郎はいまでも小和田逸平の断定には疑いを持っている。

 ――ふくは、まだ十二だ。》

 

「文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂(にお)いがひろがった」

 小説の舞台は北国にもかかわらず、『蟬しぐれ』には日射しと光が満ちあふれている。見晴るかす空間の広がりと空の高さ、そして序曲(プレリュード)のような蝉の鳴声。突然の、ためらいがちな接触を越えた行為の純粋さを裏切るかのような血の匂い。生殺ししなかった蛇のイメージは、小説の最後の緊迫した場面「逆転」での追手の男の頸をさぐって血脈を絶つ行為に回帰するだろう。

12《いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。

 頭上の欅の葉かげのあたりでにいにい蟬(ぜみ)が鳴いている。快さに文四郎は、ほんの束(つか)の間放心していたようだった。そして突然の悲鳴にその放心を破られた。(中略)

 悲鳴をあげたのはふくである。とっさに文四郎は間の垣根をとび越えた。そして小柳の屋敷に入ったときには、立ちすくんだふくの足もとから身をくねらせて逃げる蛇を見つけていた。体長二尺四、五寸ほどのやまかがしのようである。

 青い顔をして、ふくが指を押さえている。

「どうした? 嚙(か)まれたか」

「はい」

「どれ」

 手をとってみると、ふくの右手の中指の先がぽつりと赤くなっている。ほんの少しだが血が出ているようだった。

 文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂(にお)いがひろがった。ぼうぜんと手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げて来たのだろう。

「泣くな」

 唾(つば)を吐き捨てて、文四郎は叱った。唾は赤くなっていた。

「やまかがしはまむしのようにこわい蛇ではない。心配するな。それに武家の子はこのぐらいのことで泣いてはならん」

 ふくの指が白っぽくなるほど傷口の血を吸い尽くしてから、文四郎はふくを放した。これで多分大丈夫と思うが、家にもどったら蛇に嚙まれたと話すようにと言うと、ふくは無言で頭をさげ、小走りに家の方にもどって行った。まだ気が動転しているように見えた。

 やりかけの洗濯物が散らばっている洗い場に跪(ひざまず)くと、文四郎は水を掬って口をゆすいだ。それから立ち上がってさっきの蛇をさがした。やまかがしは無害だとも言われるが油断は出来なかった。いたら殺すつもりである。

 蛇は文四郎の家とは反対側の、山岸の家との境にある小暗い竹やぶの中で見つかった。尾をつかんでやぶから引きずり出すと、蛇は反転して歯むかって来たが、文四郎は蛇を地面にたたきつけ、最後に頭を石でくだいてとどめを刺した。生殺しはいけないと教えられている。》

 

「まるで田楽豆腐に見える」

 伝記的背景から、不遇な心情を表現するために初期は暗澹とした闇を抱えた作品の多かった藤沢だが、中期の『用心棒日月抄』あたりからユーモアの味を具えるようになって、この作品にも、ところどころで闇が迫るとはいえ、日射しと白い光、くっきりとおおらかな人物像を与えている。とはいえ、同時期の『三屋清左衛門残日録』などで読者を楽しませた「故郷の味」の描写を、『蟬しぐれ』にも食べ物のシーン、飲み食いの場がいくつかあるにも関わらず、散漫、冗長を警戒したゆえなのか、極端に筆を抑えていて(小説末尾のクライマックスではこばれるのは「膳の物」の一語)、藤沢の構成意識、文体の克己心には驚嘆すべきものがあると言わねばなるまい。

19《道場がある鍛冶町から、裏道を少し歩くと五間川のひろい河岸通りに出る。道場を出た文四郎と小和田逸平、島崎与之助は、まるめた稽古着を竹刀にむすびつけて、と言っても不精者の逸平は紐をむすぶ手間を嫌って稽古着に竹刀を突っ込み、それがまるで田楽豆腐に見えるのだが、それをかついで河岸通りを南に歩いて行った。

 大きな田楽豆腐をかついでいるような逸平を見て、すれちがう町びとが笑いをこらえる顔で通りすぎるのに、逸平はいっこう平気な顔をして歩いている。西にかたむいてもまだ暑い日射しが河岸通りに照りわたり、青々とした柳の枝の陰に入るとほっとするほどだった。》

 

「はじらいのいろがうかぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした」

 まだ幼いとはいえ、徐々に自意識が成長してきている男女を藤沢は巧みに表現している。

30《文四郎は隣の小柳に何か変わったことはなかったかと聞きたかったが、我慢した。

 しかし翌朝、文四郎が頭上で蟬が鳴いている小川べりに出ると、ふくが物を洗っていた。ふくは文四郎を見ると、一人前の女のように襷(たすき)をはずして立ち、昨日の礼を言った。ふくはいつもと変わりない色白の頬をしていた。

「大丈夫だったか」

 文四郎はそう言ったが、ふくの頬が突然赤くなり、全身にはじらいのいろがうかぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした。》

 

《「夜祭り」》

「ふくの顔にうかんでいる喜びのいろは、まったく無邪気なものだった」

 現実的な母と対比して、少女ふくの無邪気な喜びにはある種の救われがあって、小説全体を五感とともに幸福感で照らす。

31《一段落して、文四郎は水桶にひしゃくをもどすと、額の汗をぬぐった。日は西に回って、裏の雑木林の影が菜園の半ばを覆っているけれども、表の生垣、粗末な門のあたりにはまだ強い夏の日射しがはじけていた。空気は燃えるように熱く、その暑い空気を掻(か)き立てるように、雑木の中で蟬が鳴いていた。文四郎は全身に汗をかいていたが、はだしの足のうらだけは気持ちよくつめたかった。(中略)

 登世(筆者註:文四郎の母)は小柳の女房がまたしても無躾(ぶしつけ)な頼みごとをしに来たと思ったには違いないが、考えていることはそれだけではないだろう。登世は十二になったふくを、もはや子供とは認めていないのである。そのふくを夜祭りに同道しろという、小柳の女房の無神経さにも腹を立てているはずだった。

 だが文四郎が承知の返事をすると、ふくは顔を上げて文四郎と登世を見た。ふくの顔にうかんでいる喜びのいろは、まったく無邪気なものだった。ふくは顔ばかりでなく、全身で喜びを現していた。よほど祭りに行きたかったとみえる。文四郎は承知してよかったと思った。

 小柳の親子がこもごも礼をのべて門を出て行くのを見とどけてから、母が言った。

「いったいどういう了簡(りょうけん)でしょうね、あのひとは」

 文四郎は黙っていた。母の不機嫌がありありとわかり、へたなことを言ってそなたも祭りに行くのはおやめ、などと言われてはかなわないと用心していた。だが母はそれ以上は言わず、ふくをつれて行ったら、ひとに目立たないようにしろとつけ加えただけだった。》

 

「ふくは夜目にもわかるほど顔を赤くしたが、やがて文四郎の背に隠れながら水飴をなめた」

 与之助が対立する子供たちに連れ去られて殴られているのを文四郎と逸平が助けに走って、素手での乱闘となる。じっと待っていたのは、ふくだ。まだ子供だ、と思いこむことで安心する文四郎とは大人なのか子供なのか。明るい灯火による光と影、無言でうしろについて来る少女。いつしかこのイメージも忘れられないものとして最終章「蟬しぐれ」でふく(お福さま)の口から語られる。

41《どこかに連れ去られたという与之助を考えながら、文四郎はしばらく放心してまわりのそういう人びとを眺めていたようである。そしてはっと気がついてふくを振りむいた。

 ふくはどこにも行かず、文四郎のすぐうしろにいた。そして文四郎と眼が合うとはにかむように笑った。

「飴を喰うか」

 文四郎が聞くと、ふくは眼をみはり、すぐにはげしく首を振った。

「遠慮するな。金はあるんだ」

 と文四郎は言い、間もなく前に来た飴屋から、水飴をひと巻き買ってふくにあたえた。ふくは夜目にもわかるほど顔を赤くしたが、やがて文四郎の背に隠れながら水飴をなめた。

 ――まだ、子供だ。

 と文四郎はふくを思った。その感想には、なぜか文四郎を安心させるものが含まれていた。(中略)

 時どき傷む脇腹をおさえながら、文四郎はいそいで吉住町に引き返した。行列は通りすぎて、通りの人影はまばらになっていた。明るい燈火だけが、がらんとひろい道を照らしていて、その隅にふくが待っていた。

 ふくは鼻血の顔を見て眼をみはったが、文四郎が帰るぞと言うと無言でうしろについて来た。》

 

「嵐」

 五間川が嵐で氾濫しそうになって、外出中の父助左衛門に代わって文四郎が土手に駆けつける。遅れて現われた助左衛門が、土手を切ることで金井村の田が水没するのを防ぐため、切る場所を上流に変更するよう進言し受けいれられる様子を目の当たりに見て、文四郎は父のようになりたいと思う(のちに文四郎は、金井村の人々が、助左衛門が反逆罪で捕らえられたおりに助命嘆願書を提出していたことを知るという物語の伏線ともなっている)。

 

《「雲の下」》

「かすかな悲哀感のようなもの」

 文四郎はかすかな悲哀感のようなものを二度感じる。一度目はふくが大人になりつつあることに(ふくの臀(しり)のあたりと、裾からこぼれて見えた白い足首)。二度目はふくの家の貧しさに(普通には脱け出せようのない、階級、身分制度)。それらが、ふくの運命、未来を左右してゆくことになると文四郎はまだ気づくはずもない。

78《考えこんでいたので、文四郎は自分の家の前で、門から出て来た隣のふくともう少しでぶつかりそうになった。

「明けましておめでとうございます」

 ふくは抱えていたものを袖(そで)に隠しながら、顔を赤くして挨拶した。

 文四郎が挨拶を返すと、ふくはそそくさと背をむけ、小走りに自分の家の門に駆けこんで行った。

 そのうしろ姿を、文四郎はたちどまったままぼんやりと見送ったが、自分が見送ったものがふくの臀(しり)のあたりと、裾からこぼれて見えた白い足首だったのに気づいて、はっとわれに返った。

 ――おれはいま……。

 いやしい眼をしなかっただろうかと、文四郎は自問した。いや、大丈夫だったんじゃないかと、いささか自信なげな内部の声が答えた。

 棒のようだったふくの身体に丸味が加わって来たのは、去年あたりからだったように文四郎は思っている。昨日は肩の丸味に気づいたと思うと、今日はいつの間にか皮膚が透きとおるようにきれいになっているのにびっくりするというふうに、要するにふくは、日一日と大人めく齢ごろで、いまもふくの一瞬の身ごなしに現れた女らしさが、自分をおどろかしたのだと文四郎にはわかっていた。

 ――ふくも……。

 いよいよ大人になるのか、とかすかな悲哀感のようなものを感じながら、文四郎は道に背をむけて門を入った。(中略)

 突然に文四郎は、さっき会ったふくが正月なのにふだん着のままだったのを思い出していた。小柳の家は文四郎の家よりも家禄で五石少ない。そのことを文四郎は日頃忘れているが、小柳の貧しさは尋常でないようだった。

 文四郎の家も貧しくて、父の助左衛門も文四郎も、ふだんよく登世の繕ったものを着ているけれども、米をよそから借りるほどではない。しかし子供が二人多く、家禄が五石少ないとそういうことになるのかと、改めて小柳の貧しさに気づくようだった。

 ――借りても……。

 返さなければなるまい。その米をどうするのかと、文四郎は袖に米を隠したふくの姿を思いうかべた。するとまた、かすかな悲哀感に似たものが心をかすめるのを感じた。》

 

窈窕たる淑女、君子の好逑か、と文四郎は思った

 藤沢周平は教師の道を歩んでいた若いころ、漢詩、漢学を学んでいた。「窈窕淑女」(上品で奥ゆかしい女性)は「君子の好逑」(有徳の人、ないし青年のよき配偶者)で、ぼんやりとふくのことを思いはしても、恋愛感情は希薄である。不可能な恋愛というのは、恋愛主体がまだ幼すぎて複雑な恋愛感情にまみれていないことから来る。

81《居駒塾の塾生は二十人ほどである。居駒礼助の静かで沈着な声が、国風の詩を読み上げていた。

  関々たる睢鳩(しょきゅう)    

  河の洲(す)にあり    

  窈窕(ようちょう)たる淑女    

  君子の好逑(こうきゅう)     

  

  参差(しんし)たる荇菜(こうさい)    

  左右にこれを流(もと)む  

  窈窕たる淑女    

   寤寐(ごび)にこれを求む  

  

  これを求めて得ず

  寤寐に思服す    

  悠なる哉 悠なる哉 

  輾転(てんてん)反側す     

 読み終わると、居駒は丁寧に解釈を加え、この詩はうつくしい娘をもとめる男の気持ちをうたったものだと言った。そして最後に、返事がもらえないので寝ている間もそのことが気になる。長い長い夜を寝(い)ねがたくてしきりに寝返りを打つと説明したとき、塾生のうしろの方でくすくす笑った者がいた。居駒は顔を上げた。

「笑ったのは江森か」

「はい。申しわけありません」

 そう言ったのは、山根清次郎の取り巻きの少年の一人だった。にきびづらの男である。

「詫びはよい。今日は立って家にもどれ」

 日ごろは温厚な居駒が、見違えるようなはげしい声で叱った。江森が恐れて塾を出て行ったあとで、居駒は言った。

孔子は、詩は以て興ずべく、以て観ずべく、以て群すべく、以て怨(えん)ずべしと言っておられる。江森はこの詩をただの男女の交情をうたったものと侮(あなど)ったようだが、そういうものではない。この詩は領主のしあわせな婚姻を祈る歌とされ、また朱子は周の文王とその室太姒(たいじ)をたたえた歌かという説を立ててもおるが、いずれにしろここには、しあわせな婚姻をねがう人間の飾らない気持ちが出ている。四民の上に立つ諸子は、このような庶民の素朴な心や、喜怒哀楽の情を理解する心情も養わねばならぬ。大事なことである」

「……」

「武士としておのれを律することはまたべつ。詩を侮ってはならん」

 窈窕たる淑女、君子の好逑か、と文四郎は思った。ぼんやりとふくのことを考えていると、逸平が膝をつついて餅はまだかと言った。》

 

《「黒風白雨」》

「文四郎は蟬しぐれという言葉を思い出した」

 まるで叫喚の声のように蝉の鳴声が不安な心に幾たびも共鳴してやまない。父助左衛門が藩の派閥抗争の中で反逆罪に問われる。

91《組屋敷がある町に帰りつくまでに、文四郎はもう一度遠くの町角を駆け抜ける槍の一隊を見、また下城の道筋を逆に城にむかっていそぐ裃姿の武士を何人か見た。武士は一人あるいは二人の供をつれ、あきらかに役持ちの拝領屋敷がかたまる内匠(たくみ)町から来た男たちだとわかった。何事か異変が起きたという推測に、間違いはなさそうだと文四郎は思った。

 しかし矢場町にもどると、そこは蟬の声だけが高く、町はひっそりと静まりかえっていて、城に異変が起きているなどということは嘘(うそ)のように思われた。(中略)

 その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蟬が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通りすぎた。蟬の鳴き声はまるで叫喚の声のように耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蟬しぐれという言葉を思い出した。

 家にもどると、母が夜食の仕度をしていた。あけてある台所の窓から西日が射しこみ、そこから裏の木々で鳴く蟬の声も入って来る。何事もなく夜食の仕度をしている母を見ると、文四郎は来る途中で見た異変を思わせるさまざまな光景が、急に遠方に遠のいたような気がして来た。(中略)

 昼の暑気が残って、窓をあけておいても部屋の中は暑かった。そしてあいた窓から時どきかなぶんや蛾(が)が入って来て、行燈(あんどん)のまわりをうるさくとび回るので、文四郎はよけいに気が散り、書物の文字は頭の中を素通りするだけだった。あきらめて部屋の外を眺めていると、闇の奥で時どき蟬がじじと鳴いた。

 道場の稽古の疲れが出て、少しうとうとしたらしく、文四郎は表に人声がしたとき、とっさに何刻ごろなのかわからなかった。しかし声は隣家の小柳甚兵衛だとすぐにわかって、文四郎は立ち上がるといそいで玄関に出た。(中略)

 帰る兄を見送って、文四郎は門の外まで出た。兄の言うとおりだった。矢場町から南と東にあたる方角に、ところどころ天を焦がす火のいろが見え、その火におどろいたのか、矢場跡の雑木林に眠れぬ蟬の鳴く声がした。

 容易ならぬことが起きたのだという実感が、文四郎の胸を重苦しく圧迫してきた。(中略)

 龍興寺は城下の北東、百人町にある曹洞(そうとう)宗の大寺である。門内に入ると境内の砂利に、午後の白い日が照り付けていた。鐘楼から本堂の裏にかけて、小暗い森ほどに杉や雑木が生いしげり、そこにも蟬が鳴いていた。》

 

「二十前後と思われる美貌(びぼう)の女性は、じっとうつむいたまま、伏せた眼を一度も上げなかった」

 蟬しぐれを浴びて、美貌の女性の出現による先々への期待と怖れが、心憎いばかりに読者を引っ張ってゆく。

104《大方は大人だったが、文四郎より小さい男の子の姿も見えた。女性は一人だけだった。面長の二十前後と思われる美貌(びぼう)の女性は、じっとうつむいたまま、伏せた眼を一度も上げなかった。縁側の外は朴(ほお)の木やもみじの木立で、そこから遠い照り返しがとどき、そのせいで人びとの顔は青ざめて見えている。(中略)

 文四郎の名前が呼ばれたのは五番目だった。さっき仏殿の入り口にいた横柄な物言いをする男たちの中の一人が案内に立ち、文四郎は仏殿の板の間から日のあたる廊下に出た。そして長い廊下を奥にすすむ途中で、文四郎の前に呼ばれた若い女性がもどって来るのに会った。女は眼を伏せたまま、会釈してすれ違って行った。取り乱したふうには見えず、青白い頬だけが文四郎の眼に残った。》

 

「密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いている」

『蟬しぐれ』は蝉の鳴声と同じほどに「光」のカメラワークに優れている。「日射し」「白い光」「灯火」など、藤沢周平という優れた撮影監督による映像美が瞼の裏に焼きつく。「日の光を弾いている」といった美文と「狂ったように鳴き立てる蟬の声」が読者の胸を掻き鳴らす。父は文四郎との短い別れの場で、「わしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」と言い残した。

107《その部屋の一方は多分庭に面しているはずだったが、襖をしめ切ってあるので光は外からは入って来なかった。ただ武士が出て行ったところははじめから襖が一枚ひらいたままで、そこから文四郎が来た方角とは反対側の廊下の明るみが部屋にさし込んでいる。

 冷えた空気が澱(よど)んでいるうす暗い部屋に、文四郎がじっと座っていると、何の前触れもなく、部屋の入口に人が立った。逆光のために顔は見えなかったが、文四郎はひと目でその人影が父の助左衛門だとわかった。(中略)

 はたして塀の角を曲がると、ひとに見られている感触は不意に消えた。そこは片側が龍興寺の長い土塀、片側に古びた足軽屋敷がつづく道で、土塀の内側に森のように密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いているのが見わたせる。そこから狂ったように鳴き立てる蟬の声が聞こえて来た。》

 

「人間は後悔するように出来ておる」

 十七歳の逸平の「人間は後悔するように出来ておる」という言葉はやけに大人じみているが、この小説のライトモティーフが「後悔」「悔やみ」「悔恨」であることを宣言している。「言うことがあった」のを思いつかないこともあれば、のちのふくのように思いつめていたのに言い出せなかったこともある。「後悔」とは過去の出来事への反省、執着であるから、時間の遡りの意識、追憶こそが、この不可能な恋愛の物語を、「恋愛小説」とする力学に相違ない。

111《「何が起きたのか、聞きたいと言ったのだが……」

 言いたいのはそんなことではなかったと思ったとき、文四郎の胸に、不意に父に言いたかった言葉が溢れて来た。

 ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。母よりも父が好きだったと、言えばよかったのだ。あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのだろう。そして父に言われるまでもなく、母のことは心配いらないと自分から言うべきだったのだ。父はおれを、十六にしては未熟だと思わなかっただろうか。

「泣きたいのか」

 と逸平が言った。二人は、歩いて来た道と交叉(こうさ)する畑に沿う道に曲がり、幹の太い欅(けやき)の下に立ち止まっていた。旧街道の跡だというその道は、欅や松の並木がすずしい影をつくり、そこにも蟬が鳴いていた。

「泣きたかったら存分に泣け。おれはかまわんぞ」

「もっとほかに言うことがあったんだ」

 文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声は顫(ふる)えていないと思った。

「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」

「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」》

 

《「蟻(あり)のごとく」》

「寺の奥から介錯(かいしゃく)の声が聞こえてはこないかと耳を澄ましたが」

 白熱した光がふりそそぐ視覚の底で、聴覚が刺激される。「耳を澄ましたが、人声は聞こえず」といったん否定しておいて、「耳に入って来るのは境内の蟬の声だけだった」が、喧しいのにかえって非情な静けさを呼び覚ます。

118《堪え難い時が過ぎて行った。真昼どきの白熱した光が門前に待つ人びとにふりそそぎ、その暑さも堪え難たかったが、それよりもいま寺内ですすんでいることが、待つ人びとの気持ちを火で煎(い)るように堪えがたくするのである。

「このまっ昼間に、死人をひき取れとは……」

 不意に大声を出したのは、昨日の対面のまえに関口晋作の父親と名乗って、係役人の磯貝に切腹の理由をただした老人だった。老人は屈強の男三人と一緒に、寺の堀に無造作によせかけた戸板のそばに立っていた。

「藩は死者を遇する作法を知らん」(中略)

 龍興寺のうしろは、田畑や雑木林が残る場所だが、門前も小店やしもた屋がならぶわびしげな商人町である。道をへだてた町の通りに、さほど多くはないもののいつもどおりにひとが行き来するさまを、文四郎はぼんやりと眺めた。そうしながら、寺の奥から介錯(かいしゃく)の声が聞こえてはこないかと耳を澄ましたが、人声は聞こえず、耳に入って来るのは境内の蟬の声だけだった。》

 

「車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ」

 白っぽい光を浴びて、文四郎が道場の齢下杉内道蔵と、父の遺体を乗せた荷車をひいて坂をあえぎながら登るとき、組屋敷の方からふくが駆けて来た。映画やテレビドラマでは、効果を増すために杉内道蔵は消されて文四郎ひとりで運ばせ、ふくを駆けよらせている。また、テレビドラマでは小説どおりにふくに梶棒をひかせているが、映画では荷車の後ろを押させている。梶棒をひかせるほうが、父の遺体の足がみえる後部を押させるよりも自然で、藤沢文学の特徴ともいえる、「寄り添う女」の共苦、凛とした一心さが表現されるし、重い苦渋は押すのではなく曳くものだ。

126《のぼり坂の下に来た。そしてゆるい坂の上にある矢場跡の雑木林で、騒然と蟬が鳴いているのも聞こえて来た。日は依然として真上の空にかがやき、直射する光にさらされて道も苗木の葉も白っぽく見える。

「さあ、押してくれ」

 道蔵にひと声かけると、文四郎は最後の気力を振り絞ってのぼりになる道をはしり上がった。

 車を雑木林の横から矢場町の通りまでひき上げたときには、文四郎も道蔵も姓根尽きはてて、しばらく物も言えずに喘いだ。車はそれほどに重かった。

 喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けて来る少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。

 ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて梶棒をひいていた。》

 

「――ふくは、顔をみせなかったな。」

 文四郎の牧家は家禄を四分の三減じられ、普請組を免じられて葺屋(ふきや)町の長屋に移ることとなった。

 ロラン・バルトのフィギュール「変質:恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごと、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」として、文四郎の迷いなのか、恋愛対象の「変質」、罪人の家から、ふくもまた離反したのではないか、のようなものが認められるが、すぐにふくの母が禁じているのではないか、と考えなおされる。この時、ふくはまだ恋愛対象とはなっていないとはいえ。

129《梶棒は嘉平がにぎり、文四郎は後について車を押しながら家を出た。組屋敷の前を通り抜け、矢場跡にさしかかるとまた雑木林の蟬の声が聞こえてきたが、その声はこころなしか以前よりも衰えてきたように思われた。

 ――夏も、だんだんに終わる。

 と思いながら、文四郎は車を押した。ひどい夏だった、とも思った。

 車を押しても父の遺骸をはこんだときのように、道行くひとにじろじろ見られることはなかった、そして長い道のりではあっても、途中に矢場町のまわりのように坂があるわけでもなかった。むしろ道はいくらか下り加減になっていて、車を押すには楽だった。

 ――ふくは、顔をみせなかったな。

 と、ふと思った。

 組屋敷を去る自分を、ふくが見送ってくれるかも知れないと考えたわけではない。しかしふくは通夜にも葬式にも来てくれたので、両隣への挨拶は今朝母がして行ったから見送りということはないにしても、どこかでそれとなく顔をみせるのではないかと漠然と期待していたのは事実である。

 だがふくは裏の洗い場にもいなかったし、車をひき出す音を聞きつけて門に出て来ることもなかった。

 がらんとして、日射しだけが明るかった小川べりの洗い場が眼に浮んで来た。しかしその光景に、すぐに顔をそむけて家に引き返して行った宮浦の女房の姿が重なった。

 ――ふくの家だって……。

 家の中ではどう言っているか、わかるものではないと文四郎は思った。甚兵衛とふくは、通夜にも葬式にも出てくれたものの、あれだけ米を貸せ、塩を貸せとひんぱんに出入りしていた甚兵衛の女房は、事件以来一度も文四郎の家に姿をみせなかったのである。女房は、ふくが文四郎の家に近づくのを禁じているのかも知れなかった。》

 

《「落葉の音」》

「ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった」

 葺屋(ふきや)町のぼろ長屋に、江戸へ発つことになった十三のふくがたずねてくる。道場に稽古に行っていた文四郎は、たまたまいつもと違う稽古をしたせいで、会うことができなかった。

 バルト「不測のできごと:ささいなできごと、偶然のできごと、不測のできごと、ばかばかしく、とるにたらない、くだらぬできごと、恋愛の生に影をおとすさまざまの襞。悪意の偶然がたくらんだかのようなこれらのできごとを核として、その反響が、恋愛主体の幸福志向を妨げることになる。」が該当する。ふくの挨拶を受けられなかった文四郎は「残念だった」と思う程度だったが、のちには「後悔」としてくりかえし思い起こされることになって、「恋愛小説」の枠組みが生じる。川と橋が別離を表象し、白っぽい光と赤い火が記憶に刻印される。

 ここでは作者の伝記的なことを書き連ねはしないけれども、結核療養からのいくつかの経験(婚約解消、妻の死)から、運命的な出会いと別離が藤沢文学の重要なテーマとなっている。映画ではデヴィッド・リーン監督『逢びき』、小説では本棚に残った愛読書としてシュトルム『聖ユルゲンにて』、ウジェーヌ・ダビ『北ホテル』、チェーホフ『谷間』、カロッサ『ルーマニア日記』があげられ、スパイ小説としてグレアム・グリーンヒューマン・ファクター』に感嘆しているが、そこには様々な出会いと理不尽な別離への共感が見てとれる。

148《長屋の生け垣を入って、自分の家の戸をあけた。ただいまもどりましたと、土間から声をかけるとすぐに母が出て来た。

「小柳のふくさんが、たったいま帰ったばかりだけど……」

 と母は言った。おちつかない顔いろをしている。

「そのあたりで出会いませんでしたか」

「いや」

 文四郎の胸にあかるいものがともった。ふくの名前を聞くのはひさしぶりだった。

「ここに来たんですか」

「それがね、急に江戸に行くことになったと、挨拶に見えたのですよ」

「江戸に? それは、それは」

「明日たつのだそうです。江戸屋敷の奥に勤めることになったとかで、その話はあとにして……」

 母は指で外を指した。

「ちょっと追いかけてみたらどうですか、まだそのへんにいるかも知れませんよ」

「わかりました」

 文四郎は竹刀と稽古着を上がり框(がまち)にほうり出して、家をとび出した。

 いっさんに走って、ふくが帰りそうな道をさがした。そしてあげくは川岸の道まで行ってみたが、ふくの姿は見当たらなかった。

文四郎は橋をわたって、五間川のむこう岸まで行ってみた。そこにもふくの姿は見えなかった。文四郎は橋をもどり、なおも葺屋町から河岸に出る道をさがしたが、やはりふくには会えなかった。

 ――しまったな。

 と思った。大橋市之進のしごきがなかったら間に会ったはずだ。いやその前に、犬飼兵馬と稽古試合などをやらなかったら、もっとずっと前に家にもどっていたはずだと思ったが、後の祭りだった。

 文四郎は五間川の下流の方に歩いて行った。やがて町を抜けて、川の土手に出た。日は落ちてしまって、白っぽい光が野を覆っていた。遠くに火を焚(た)く煙が立ちのぼり、その下に赤い火が見え隠れするのも見えている。

 ――江戸に行くのか。

 と文四郎は思った。それも母の言葉から判断すると、ふくは江戸屋敷に行って台所勤めや掃除女をやるわけではなく、奥に勤めるようである。藩主の正室は寧姫、いまはお寧さまと呼ばれるひとだが、するとふくはそのお寧さまの身のまわりに仕えることになるのだろうか。思いがけない境遇の変化だと、文四郎は思った。ふくとの間に、にわかに越えがたいへだたりが生まれたような気がした。

 ――それにして……。

 わかりにくい葺屋町の奥の長屋まで、ふくはよくたずねて来てくれたと思った。文四郎は、何となくたずねて来たのがふくの独断のような気がしている。

 ふくの母はあのとおりの人間である。事件が起きると、一度も文四郎の家に足を踏みいれなかった。甚兵衛は人のいいおやじだが、気働きがすぐれた人間とは言えず、江戸に行くのだから牧の家に挨拶に行って来いと娘に指示したとも思えなかった。

 ――ふくは多分、自分の考えで来たのだ。

 それも、おれに会いにと、文四郎はさっきから胸にしまっておいた考えを、そっと表に持ち出してみた。

 その推測には何の根拠もなかったが、動かしがたい真実味があった。ふくはおれがいなくて、力を落としてもどったのではなかろうか。そう思うと、文四郎はふくのその気持ちが自分にも移って、気分が沈んで来るのを感じた。ふくに会ったらどうだったろうかということまでは考えなかった。ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった。》

 

「男女の世界のことは、ほんのわずかにのぞきみる程度のことしかわからなかったが」

 父とともに藩への謀叛で切腹させられた道場の高弟矢田作之丞の未亡人淑江への密かな心の乱れが、子供から大人へ成長してゆく文四郎の蠢く副筋として絡み、読者に隠微な期待を抱かせる。

151《――また、来ている。

 と文四郎は思った。重苦しい気分がもどって来た。

 風采(ふうさい)も身ごなしもさっそうとしているその若い武士が尋ねて来るのは、文四郎とは別棟に住む矢田作之丞の遺族の家である。

 矢田の遺族は、矢田の母と嫁の二人で、母親は盲目だった。ほとんど外に出て来なかった。矢田の家も、作之丞が切腹させられたあと絶家にはならず、家禄を減らされて別命があるまでいまの長屋に住むように指示されたのだった。

 たずねて来る若い武士が、矢田の遺族とどういうつながりがあるのかわからなかった。だが、その武士と矢田の未亡人といっては痛々しいほどに若い嫁との間に、近ごろおだやかでないうわさがあることを、文四郎は母の遠まわしな言葉で知った。ある夜、長屋の誰かがおそくなって長屋の前まで帰って来た時、手をつないだ矢田の嫁と若い武士が暗い野道から上がって来たのと、ぱったり顔をあわせたというのである。

 うわさの真偽は不明だった。若い武士が何者なのかも知れなかった。ただ文四郎は、その若い武士が、何の用があるのかは知らず、かなりひんぱんに矢田家をおとずれて来るのを見、またときには、淑江(よしえ)という名前の矢田の嫁が、その若い男を見送って垣根の外まで出るのを見かけるだけである。

 しかし長屋でささやかれているうわさは、文四郎に何とはない不快感をあたえるものだった。その不快感から、文四郎は矢田の嫁と顔をあわせると軽い辞儀をしたあとに顔をそむけることがあった。

 矢田の残した嫁はうつくしいひとだった。龍興寺の建物の中で見たときもきれいなひとだと思ったが、あかるい日の下で見ると、そのひとは白い肌にかすかに血のいろをうかべ、頬はなめらかで、やや目尻の吊(つ)った勝気そうな眼が黒く澄んで、夫を喪(うしな)ったいまも若い人妻のかがやきに包まれているのだった。四肢はよくのび、着物の下の胸と腰にはまぶしいほどに肉が盈(み)ちているのも見てとれた。

 そのひとを見ると、文四郎は生前の矢田作之丞とは似合いの夫婦だったろうと思わざるを得なかった。矢田も上背があり、男らしい風貌を持つ美男子だったのである。

 ――あまり、変な真似はしてもらいたくない。

 と文四郎は思っている。

 男女の世界のことは、ほんのわずかにのぞきみる程度のことしかわからなかったが、文四郎は矢田の嫁のあかるすぎる表情が気になった。

 不快感は、あのひとはいつか死んだ矢田を裏切るのではないかという予感がもたらすもののように思われた。》

 

「取り返しのつかない過失だったように思われて来る」

「後悔」は時間とともに果実が熟れてゆくように爛熟する。追憶の反復は記憶の中の出来事を強化し、時には感情を肥大化せしめ、あるいは偽りの記憶とさえなりえるのだが、この場合の直観は間違っていなかった。

154《――ふくに会いたかったな。

 と文四郎はぼんやりと思った。ふくのことを考えると、不思議に気持ちがあかるくなるようだった。それはふくが、逸平や杉内道蔵とはまた違った意味で、信用してかまわない人間だからだろうと文四郎は思った。ふくは反逆者とか罪人とかいうまわりの言葉に惑わされずに、文四郎が陥った苦境を理解していたはずである。女の子らしく、未熟だがやさしい素直な気持ちで。

 江戸に行くことを告げるために、わざわざたずねて来たのがその証拠だと、文四郎は思った。ふくは、まわりはどうあれ自分はむかしもいまも少しも変わらないこと、もしかしたら江戸に行っても変わらないことを言いたくてたずねて来たのではなかろうか。

 そう思うと、文四郎はやはりふくに会えなかったことが取り返しのつかない過失だったように思われて来るのだった。もし推察するような気持ちを抱いてたずねて来たとすれば、それはふくの告白にほかならないことになろうか。それにどうこたえるかはべつにして、そのときそこに居合わせなければいけなかったのではないか、と文四郎は思っている。

 その過失のために、今度はこのあと二度とふくに会えないような、暗い気持ちにとらわれはじめたとき、母の登世が部屋の外から、客だから入り口まで出るようにと言った。》

 

《「家老屋敷」》

「文四郎の内心を掘り下げて行くと」

 藤沢周平はロマンチックな描写につづけて、リアルな分析を行う。そこには「時代小説の質があがつた」と丸谷才一に批評させた近代性がある。《そのひとが目の前にいないときは、文四郎はそのひとに対して概(おおむ)ね寛容で、好意的になっている。そういう文四郎の内心を掘り下げて行くと……》には、作者の姿が見えすぎているきらいがあるとはいえ、明快さに気持ちよくさせられる。

162《長屋の前の生け垣のそばまでもどって来たとき、中からひとが一人道に出て来た。頭巾(ずきん)で顔をつつみ、胸に風呂敷包みをかかえたすらりとした身体つきの女は、矢田の未亡人だった。

 矢田の未亡人は、生け垣を左に曲がろうとしたが、すぐに道を歩いている文四郎に気づいたらしく、二、三歩もどって声をかけて来た。

「お散歩ですか、文四郎どの」

 未亡人はなれなれしく言った。矢田の未亡人は誰かに同じ長屋の牧家のことと、文四郎が作之丞と石栗道場の同門であるのを聞いた様子で、一年ほど前から文四郎を見かけると声をかけて来るようになった。

「ごめんなさい。頭巾のままで」

 と未亡人は言った、強い化粧の香が文四郎の鼻をうった。(中略)

 未亡人は、武家の女子にはめずらしく、気取らずあかるい気性の女性だった。だがひとを惹(ひ)きつけるそのあかるさも、いまの文四郎には軽躁(けいそう)でうさんくさいものに思われた。それにいまの言い方は、こちらを年少の男子と侮ってはいないだろうか。年少には違いないが、おれはもう子供ではない。

 文四郎がむっとして立っていると、矢田の未亡人はやっと笑いをひっこめた。

「ご機嫌がわるいようですこと」

「そんなことはありません」

「そうかしら。お隠しにならなくともけっこうですよ」

 矢田の未亡人はまたいたずらっぽい表情になりかけたが、すぐに思い返したように、文四郎を呼び止めたのは頼みごとがあったからだと、まじめな口調で言った。

「わたくしがお針の内職をしていることは、おかあさまからお聞きですね」

「はあ」

「今年の春から、子供の着物も仕立てることにしました。どうぞまたお客様を紹介してくださるようにと、おかあさまに申し上げてくれませんか」

 そう言えばわかるからと言って、矢田の未亡人は文四郎の胸近く顔を寄せ、にっとほほえむと背をむけて去った。

 どことなくなまめいて見える矢田の未亡人の肩や臀(しり)、白足袋の足もとなどが、にごってよどんでいる日暮れの気配の中を遠ざかるのを、文四郎はしばらくぼんやりと見送ったが、すぐに気づいて眼をそらした。(中略)

 そのひとが目の前にいないときは、文四郎はそのひとに対して概(おおむ)ね寛容で、好意的になっている。そういう文四郎の内心を掘り下げて行くと、そこにはありきたりの若者らしく、年上のうつくしい女人に惹かれる気持ちがひそんでいる。しかしそれを認めたくないために、正体不明の武士とか、化粧の香とか、あかるすぎる人柄とかに非難の材料をみつけたがるといったようなものなのだが、本人はそれには気づかず、自分のそういう気持ちの変化をいくらか不思議に思うのだった。

 文四郎は頭を振った。是認したとはいえ、未亡人の化粧の香はやはり濃くて、強い香は頭の芯(しん)まで入り込んで来たような気がしている。》

 

「突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのである」

 父を死に追いやった里村家老から家老屋敷に呼び出される。旧禄(二十八石二人扶持(ぶち))に復し、郡奉行支配を命ぜられる。吉報を江戸にいるふくに知らせたいと思った。とはいっても、手紙もままならない時代の、身分的にも手の届かない世界にふくは行ってしまっている。

 バルト「嫉妬:愛のさなかに生じる感情で、愛する人が自分以外の誰かを愛しているのではないかというおそれから来る。」のではあるが、『蟬しぐれ』では、ふくが「自分以外の誰か」を「愛している」か否かを問うこと以前に、藩主という最高位の者の側女であることによって、もはや恋愛小説の根幹である「嫉妬」の感情が成立しえない。ここに不可能な「恋愛小説」である最大の由縁がある。

 バルト「底なしの淵に沈む:恋愛主体が、絶望、あるいは歓喜のせいで襲われる心神沮喪の発作。」は、《では、終わったのだと文四郎は思っていた。その思いは唐突にやって来て、文四郎を覆いつつみ、押し流さんばかりだった。》であり、バルト「占有願望:愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ。そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」とは、《平静さを取り戻し、数え切れない禁忌から成り立っている日常に、少しずつもどって行く自分を感じていた。ふくとのことは、何事もなかったように振る舞うことだと思った。そうすれば、それはもともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。》であるが、恋愛感情を意識した初めからすでに終わってしまっていた恋とも言える。封建制とは、《もともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。》という権力統治が人心の隅々まで静かに行き渡っていることで、そこに恋愛と結婚の基盤がある。

 ともかくも、バルトの恋愛のフィギュールが、蟬しぐれのように、目くるめく白い光を浴びて一挙に押し寄せてくるのは、禁忌がとかれることで、おふくが「恋愛対象」に昇華してきているからであろう。

177《知らせておけば、そのことはいつか江戸にいるふくの耳にもとどくだろうと、文四郎は考えていたのである。そのことをぜひ、ふくに知らせたかった。

 文四郎の眼にはいまも、父の遺体をはこんで来た車をひいたふく、通夜の席で、ひっそりと涙をながしてくれたふくの姿が消えずに残っていた。牧の家が潰(つぶ)れずに残り、文四郎が郡奉行支配下に入って家をつぐことを知れば、ふくはひとごとならず喜ぶはずだという確信がある。(中略)

「ふくに、殿様のお手がついたのだそうです」

「……」

 女房の言葉を理解するまで、ちょっとの間があった。しかしその言葉は、つぎの瞬間何の苦も無く腑(ふ)に落ちて、文四郎の頭の中で音立ててはじけた。文四郎は目の前が真っ白になったような気がした。

 つぎに文四郎は、怒りとも屈辱とも言いがたいもののために、顔がカッと熱くなるのを感じた。小柳さまは、これからまだまだ出世なさいますよ、という山岸の女房の声が遠く聞こえた。

 しかし、山岸の家を出て路上にもどったときには、その怒りに似た気持ちはおさまっていた。かわりに文四郎を覆いつつんで来るべつの感情があった。

 ――そうか。

 では、終わったのだと文四郎は思っていた。その思いは唐突にやって来て、文四郎を覆いつつみ、押し流さんばかりだった。

 蛇に嚙(か)まれたふく、夜祭りで水飴(みずあめ)をなめていたふく、借りた米を袖にかくしたふく。終わったのはそういう世界とのつながりだということがわかっていた。それらは突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのである。

 そのことを理解したとき、文四郎の胸にこみ上げて来たのは、自分でもおどろくほどにはげしい、ふくをいとおしむ感情だった。蛇に嚙まれた指を文四郎に吸われているふくも、お上の手がついてしまったふくも、かなしいほどにいとおしかった。

 文四郎は足をとめた。そして物思いの炎が胸を焦がすのにまかせた。そこは矢場跡の空地のはずれで、振りむいても組屋敷の通りがひっそりとのびているだけで、ひとの姿は見えなかった。芽吹いた雑木林の奥からかすかに遊ぶ子供の声が洩(も)れて来るだけである。文四郎の放恣(ほうし)な物思いをじゃまする者も、咎(とが)める者もいなかった。

 ――あのとき……。

 と文四郎は強い悔恨に苛(さいな)まれながら、たずねて来たふくに会えなかった日のことを思い出している。あのときふくは、このようにしてやがて別れが来ることを予感していたのだろうか、と思った。

 その考えは文四郎を堪えがたい悔恨で覆いつつんだが、その一方で文四郎は、いまのはげしい物思いが、ふくとの別れが決まったからこそ、禁忌を解かれた形であふれ出てきていることを承知していた。禁忌をといたのは文四郎自身だが、ふくとの突然の別れがおとずれなかったら、ひとにはもちろん、自分自身にさえ本心をさらけ出すようなことは決してなかったろう。

 文四郎は平静さを取り戻し、数え切れない禁忌から成り立っている日常に、少しずつもどって行く自分を感じていた。ふくとのことは、何事もなかったように振る舞うことだと思った。そうすれば、それはもともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。自分にとってもふくにとっても、いま必要なのはそういうことだとわかっていた。》

 

《「梅雨ぐもり」》

「ひとには言えないかすかな不遇感を味わうのだった」

 バルト「ひとり:このフィギュールは、恋愛主体にとっての人間的孤独ではなく、その「哲学的」孤独を指している。これは、今日の主たる思惟体系(ディスクール体系)が、どれひとつとして情熱恋愛をとりこもうとしないがゆえの孤独である。」とは、『蟬しぐれ』における「不遇感」に当たる。「不遇感」は恋愛におけるそればかりではなく、父の唐突な死とうす汚れた長屋にすて扶持で養われて、前途にのぞみを見出せずに罪人の子と白眼視されていることが支配的であって、背景には藤沢自身の伝記的な不遇感があるだろう。

 不遇感は「悔い」とも連動し、バルト「追放:恋愛状態の断念を決意した主体は、おのが「想像界」から追放される自分の姿を、悲しみとともにながめる。」であるとともに、バルト「所を得る:恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」でもある。

188《不遇感といえば、文四郎の胸の底にはもうひとつ溶解しきれない鬱屈の種子がある。言うまでもなく、藩主の側女(そばめ)になったふくのことだった。

 境遇がちがってしまったふくを、いつまでも女々しく思い詰めているというのではなかった。ふくに対する気持ちにはきっぱりと清算がついている。それはいかにもいとおしむべき過去だったが、しかしいまは過去でしかないものであることがわかっていた。

 ただ文四郎の胸の底から、時おり嚥下(えんか)しがたい何かの魂のようにうかび上がって喉(のど)につかえる想念がある。ふくが普通の家の嫁となったのではなく、藩主の側女になったことに対するこだわりだった。ふくの本意ではあるまいと思うのである。ふくは手折られた花にすぎない。

 出世した甚兵衛夫婦はともかく、藩主の側女に挙げられたふく自身が喜んでいるとは思えなかった。ふくはしあわせではあるまい。

 そういう考えは文四郎をいっとき胸ぐるしくし、そのときも文四郎は、ひとには言えないかすかな不遇感を味わうのだった。ふくのことで、文四郎が何ものかを失なったのはたしかだったのである。》

 

「真実を言うわけにもいくまいと思った」

 バルト「誘導:恋愛主体が特定の対象を愛するに至るのは、それが欲してしかるべき対象であることを、誰かが彼に示したからである。どれほどに特殊なものであろうと、恋愛の欲望はすべて、誘導によって発見されるものなのだ。」とは、逸平が指摘する「おまえはあの娘と契っていたのじゃないのか」が相当するだろう。

しかし、バルト「隠す:慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する、いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂(・・・・・))を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」に逃げるのは、思春期によくあることで、『蟬しぐれ』における「恋愛」とは、相手が存在するうちは「恋愛」意識がなく、相手が不在(そのうえ身分的に手が届かない位につく)になってから「恋愛」と意識されてくるという「恋愛小説」としての困難さ、不可能性から来るのだが、積極的に行動できなくとも、心理的には相手が不在であることによって、かえってドラマを高めさえする。「自分で気持ちにケリをつけるしかないんだ」と文四郎はわかっていた。

 松明からこぼれる火が水に落ち、白っぽい夜気があたりをつつむ様子など、藤沢の自然描写は抒情詩のようだ。

205《「うわさというのは、おまえの隣に住んでいた小柳のおふく、あの子にお上の御手がついたというんだが、聞いたか」

「うわさじゃない。ほんとのことだ」

 と文四郎は言った。

「それにおふくはもう子供じゃない。りっぱな娘だ」

「そうか、やっぱり知っていたのか」

 ふうむ、と逸平は顔をしかめたが、突然に言った。

「おれの見当違いだったら誤るが、おまえはあの娘と契っていたのじゃないのか」

「ばかな」

 と文四郎は言ったが、顔が熱くなるのを防げなかった。逸平を大した眼力の持ち主ではないかと思った。その事実はないが、胸にそういう気分がひそんでいたことは否定出来ない。

「ふくが江戸に行ったのは一昨年だ。さっき子供ではないといったが、江戸に行くころのふくはむろん大人でもなかった。そんな小娘と行く末を契ったり出来るわけがない」

「そうか、おれの見当違いか」

 逸平は首をかしげた。

「それならいいが、おれはどうも貴様が近ごろ以前と変わったように思えてな。それはおふくのせいじゃないかと考えたのだ」

「それは考え過ぎだ。おれはどこも変わってなどおらん」

「そうか、それならいいんだ」

 言ってから逸平は、やや突き放すように言った。

「よしんばそうだとしても、そのへんは親友といえども口出しはむつかしいところだからな。自分で気持ちにケリをつけるしかないんだ」(中略)

五間川の河岸まで行って、そこで提灯をわたし、提灯をさげた逸平が橋を渡るのを見とどけてから、文四郎は踵(きびす)を返したが、五間川の上流の方に裸火が燃えているのを見て足をとめた。

 五間川がちょうど東の方に曲がる、その曲がり角のあたりに動いているのは松明(たいまつ)だった。動いている人影は二、三人。そしてそこまでかなり遠いにもかかわらず、松明からこぼれる火が水に落ちるのも見えた。どんな魚を取っているのかはわからないが、松明を使って川魚を取っているらしい。霧のように白っぽい夜気が、そのあたりをつつんでいる。

 しばらく眺めてから、文四郎はさっき来た道をもどりはじめた。

 ――今夜は……。

 逸平に二つもほんとうのことを言うのを避けてしまったな、と文四郎は思っている。一つはむろんふくのことである。しかしふくは以前は知らずいまは藩主の側女である。逸平のような聞き方をされては、真実を言うわけにもいくまいと思った。》

 

「両腕を広げて、軽く文四郎を抱きかかえた」

 小説にはみだらな酩酊感も必要であって、清廉潔白な道徳観だけでは面白くないことを、藤沢はチェーホフなどから学んでいた。よく藤沢は江戸市井ものの叙情性から山本周五郎に似ていると言われ、本人はあまり好ましく思わなかったようだが、決定的に違うのは、山本が不思議なまでに性描写をせずにいられなかったのに対し、藤沢にその性向はなかったということだ。

207《そして長屋の門のかわりをしている生け垣の切れ目まで来たとき、前方の道に急に人の気配が動いた。一人は足音を残して駆け去り、もう一人は文四郎が立ち止まっている方にゆっくり近づいて来る。暗がりにうかんだのは矢田の未亡人の白い顔である。それで文四郎は、走り去ったのが誰かがわかった。

 いつものように文四郎が、憤りとかすかな羨望(せんぼう)のまじる気分につつまれて立っていると、未亡人が身体が触れ合うほど近くまで来て立ちどまった。そしていつもとはちがう物憂いような声で、文四郎さんなのねと言った。そしてつぎに未亡人は思いがけない行動に出た。両腕を広げて、軽く文四郎を抱きかかえたのである。はっと思ったときは、未忘人は身体をはなしていた。

「雨が降ってきましたよ」

 やはり物憂げな声でそう言うと、矢田の未亡人はすたすたと家の方に去って行った。化粧の香と骨細な腕の感触があとに残った。

 ――みだらな人だ。

 と文四郎は思った。だがそのみだらさが、かすかな酩酊(めいてい)感をもたらしたのも確かだった。》

 

《「暑い夜」》

「矢田の未亡人の立場の危うさが見えて来て、文四郎はぞっとした」

 矢田の未亡人淑江の実弟布施鶴之助が、姉の家で白刃を構えるのをとどめたことから文四郎は鶴之助と知りあう。淑江が藩によって身動きできない事態に追いこまれていると教えられ、家の存続という封建的大義に縛られた、生殺しのような女の悲しみにやり場のない義憤を抱くが、そこにはふくの境遇への悲しみと義憤も、バルト「共苦:愛する人が恋愛関係とは無縁の理由で悲しんだり脅えたりしているのを見る、感じる、あるいは知るたびごとに、恋愛主体は激しい共苦を感じる。」で通底しているだろう。

209《すると別棟の長屋の、矢田の遺族の家の前あたりで、男が二人白刀を構えて向き合っているのが眼に入った。

 どこの家でも、まだ戸をあけ放して涼を取っているために、灯は外に洩(も)れて二人の姿がはっきりと見えている。一人は矢田の未亡人をたずねて来る例の若い男だった。そしてもう一人は、それよりずっと若く、文四郎と同年ぐらいかと思われる武士だった。

 鋭い女の声がした。入り口のまえに出て来た矢田の未亡人の声である。

「鶴之助さん、刀を引きなさい。何ですか、野瀬さまに失礼じゃありませんか。あなたは何か誤解しているのです」

 未亡人は一歩前に出た。

「さ、刀を引いて。話合えばわかることです。みっともない真似はおよしなさい」

「前に出るんじゃない」

 若い武士がはげしく叱咤(しった)した。(中略)

「矢田家から離別してもらうことは出来んのか。その方がいいように思うがな」

「それがだ。姉がいれば矢田の家に養子が許されるかもしれないという意見が、上の一部にあるらしい。それで去るに去れない微妙な立場にいるわけだ」

「ふうむ」

 文四郎は腕を組んだ。事情がのみこめると、矢田の未亡人の立場の危うさが見えて来て、文四郎はぞっとした。小雨の降る闇の中で、腕に抱きしめられたことを思い出したのである。

「なるほど。そうなると野瀬などという人物がたずねて来るのは、ごくまずいことになるな」

「まずいもまずい」

 布施は舌打ちせんばかりの顔になった。

「それで、今夜はまさかと思ったが、様子をたしかめに来たら、何のことはない。野瀬が来て、二人で親しげに話しをしておる。頭に来たから表に引き出して、刀を抜けと言ってやったのだ」

「野瀬というのは何ものなのだ」

「野瀬郁之進(いくのしん)、三百石の御奏者野瀬家の嫡男だ。けしからんことに、この男にはもう妻子がいるのだ」

 と布施は言った。

布施の言葉は文四郎をおどろかした。それでは二人の交際は、正札つきの不倫ではないかと思ったのである。

「どうしてそういうことになったのかな」

 文四郎が言うと、布施は話せば長いことになると言った。

 布施の姉淑江は子供のころからの美貌で、成人したらきっと身分高い家から嫁にのぞまれるにちがいないと言われた。布施の両親は周囲からそう言われるのを嫌ったが、淑江が十七のときに御奏者の野瀬家から縁談が持ちこまれて、周囲はそのことを先に言いあてた形になった。

 だがその縁談は、結納を済ませたあとになって突然に破談となった。理由は野瀬の方の親戚の一人が、身分違いを楯(たて)に強硬に縁組みに反対したからだと言われた。布施の両親は激怒した。

 布施の家は七十五石である。その身分違いを懸念して最初に野瀬からの縁談を辞退したのは布施の家の方である。それを先方に、要は本人次第、容姿、心ばえともに野瀬の嫁としてはずかしからぬ娘と見込んでの申し込みだからと説得されて、ようやくその気になったところにことわりの使者が来たのだから、布施の家の者が怒るのは当然だった。(中略)

「もっとも姉も親たちも、その破談で深く心を痛めたというわけでもなかった。というのも、それからわずか三月ほどのちに、姉は矢田作之丞どのと縁組みがまとまったからだ。作之丞どのは百石の御納戸勤めだが、剣が出来、人物も野瀬などより数等すぐれていた。いまも思い出すが、そのころは姉もわが家もしあわせな気分にひたっていたものだ」

 布施は口をつぐんだ。そしてぽつりと、作之丞どのがあんなことになるとは思わなかったと言った。

 布施の言い方には、義兄の矢田をあがめている気持ちがあふれていたので、文四郎も、矢田作之丞は道場でもっとも尊敬した先輩だったと言った。そしてため息をひとつついてから言った。

「なるほど、それで事情がのみこめたな」

「いや、まだ全部は話していない」

 と布施が言い、さらに声をひそめた。

寡婦となった姉に近づいた野瀬の気持ちはわからんでもない。許し難いのはあの男が姉に、暮らしの足しにと金をあたえていたことだ。そして姉はそれを受け取っている。破廉恥な話ではないか」

 破廉恥な話だと言って文四郎を見た布施の顔に羞恥(しゅうち)のいろがみなぎった。》

 

《「染川町」》

「「こっちに来る直前に聞いた話だが、お福さまは御子が流れたらしい。流産だ」」

 与之助は蝋漆役という小役人の出とはいえ、十五の齢で秀才ぶりをみこまれて江戸に留学していたが、一時帰国のさい、文四郎に江戸屋敷のふくのうわさを聞かせる。

 バルト「うわさ話:愛する人がゴシップの種になり、下世話な話のさかなにされているのを聞くとき、恋愛主体が感じる心痛。」が相当しそうに思うが、与之助のうわさ話は、ゴシップ、下世話な話というわけではなく、もっと切実なものがあって、否定的な意味あいからずれる。

240《「こっちに来る直前に聞いた話だが、お福さまは御子が流れたらしい。流産だ」

「……」

 文四郎はいきなり、何か切れ味の鈍い、たとえば鉈(なた)のようなもので身体のどこかを切られたような気がした。その痛みは、ゆっくりとひろがり、胸の中にまで入って来た。

 ――そうか。

 お手がつくということは、当然そういうことだったのだ。殿の子を産むということだったのだと思っていた。しかし、十五のふくは、殿の子を産むことをのぞんだろうか。

「おい、どうした」

 与之助にのぞきこまれて、文四郎ははっと顔を上げた。

「流産したというのは、どういうことだろうな。身体の具合がわるかったのか」

「それが、だ。ひと口には言いにくいが……」

 与之助は声を落とした。

「おふねさまを知っているな」

「松乃丞さまのおふくろさまだろう。名前は聞いている。大変な勢力家だというではないか」

「そのとおり」

 と与之助は言った。

「お福さまの流産は、おふねさまの指し金だといううわさがあるらしい。つまり、殿の御子はもういらんということだと、おれに話した人間は言っていたな」

「ふむ」

「殿の寵愛をひとり占めにしている、さっそくに御子は身籠(みごも)るというわけで、おまえの知っているおふくさんは、おふねさまに憎まれているらしいのだ」 

「……」

「お福さまはいま下屋敷におられるのだが、殿が見かねて国元に帰すのではないかといううわさもある」

「御役ご免か」

「いや、そうではないだろう。江戸よりは安全な国元に置くというだけのことだろうよ」》

 

「「ただ言ったようなことがあったことだけは話しておきたかったのだ」」

 バルト「多弁:これはイグナチオ・ド・ロヨラの用語であるが、自分の心の傷や行動のなりゆきについて、とめどなく語りつづける恋愛主体の、内的なことばの奔流を指す。恋愛にまつわる「言述活動」の誇張的形式。」とは、ここでの堰を切ったように内心を吐露する文四郎がぴったりだが、言述に誇張はなく、朝の光に似た深いかなしみを伴う誠実さにとどまっている。

246《文四郎は、そのときの状況を与之助に話して聞かせた。大橋市之進にしごかれて、帰りがいつもよりおくれたこと、道場から帰ってみると、たずねて来たおふくがもう帰ったあとだったことなどである。

 「おれはさっき、相思相愛などというものは何もなかったと言った。その言葉にいつわりはない。しかし、そのときのことはいまだに気持ちにひっかかっているんだ」

 「……」

 与之助は盃を手ににぎったまま、黙って文四郎を見ている。

「おふくはそのとき十三だ。男女の情を解していたとは思えない」

 文四郎が言うと、与之助にもたれかかっていたおとらが顔を上げて、おふくってだあれと聞いた。与之助がおまえは黙っていろと頭をこづいた。文四郎がつづけた。

「しかし、その日おふくは自分の意志でおれに会いに来たのだと思う。別れを言いにだ。ところが、ひと足ちがいでおれは会えなかった。その後悔はいまもまだつづいている、といってよかろうな」

「……」

「むろんおれも、そのころはまだ、男女の情の何たるかなどということはわかりはしない。だがそのときふくに会っていたら、何かを言ったはずなんだ。何を言ったろうかということは、いまだによくわからん。しかし、多分何か大事なことを言ったろう」

「……」

「もっとも、こういうことに気づいたのはそのときじゃなくて、もっとずっとあと。今年になってあのひとの身分が変わったと聞いたときだ」

「文四郎、もっと飲め」

 今度は与之助が酒の残っている銚子をさがし、文四郎に酒をついだ。 

「ひょっとしたら、おれのひとり合点かも知れん」

 と文四郎は言った。盃にわずかにつがれた酒をすすった。

「ひとり合点なら救われるのだが」

「いや、ひとり合点とは思えないな」(中略)

「相思相愛の間柄などというものではなかった。むろん契りもしなかった。だが子供ごころにも、似たような気持ちの通いはあったかも知れん。それがそんなに大事なことかどうかもわからんが、ただ言ったようなことがあったことだけは話しておきたかったのだ」

「……」

「そうせぬと、おまえをいつわったようになるからな」

「逸平には話したのか」

 いやと文四郎が首を振ると、与之助はわかったと言った。それじゃおれのさっきの話しはつらかったろうとつづけ、酔いの回った顔だったが、深い眼のいろで与之助は文四郎を見た。与之助は銚子をつかみ上げた。(中略)

 おふくは人の子を流産し、おれはこんなところで酔い潰(つぶ)れているかと文四郎は思った。朝の光に似た深いかなしみが胸を満たして来た。》

 

《「天与の一撃」》

「無用の危険なうつくしさに見えた」

 バルト「悪魔:恋愛主体はしばしば、自分が言語の魔につかれていると感じる。そのせいで彼は、自ら自分を傷つけたり、恋愛関係が彼のために作り上げてくれるはずの楽園から、わざわざ自分を放逐――ゲーテの表現によれば――したりするはめになる。」の変形として、不遇な立場に落された者同士の、相手を気遣う気持ちから発展して、凄艶(せいえん)な印象が加わった未亡人の美しさに惹かれてゆく危険性は、この後の未亡人の道連れが文四郎だった可能性さえあると想像させる悪魔的なものだ。

251《長屋の人びとをおどろかせた夏の夜の事件があってから、矢田の未亡人はほとんど外に出なくなった。それでも日々の暮らしの物を買うためか、たまに家を出ていそぎ足に外に行くことがあったが、そういうときも帰りは早く、またいそぎ足にもどって来た。

 日々の物といっても、青物や魚は触れ売りの商人を家の土間まで呼び入れて買いもとめ、未亡人はなるべく長屋の者の前に顔を出さないようにしているように見えた。

 ――当然だろう。

 と文四郎は思っている。奔放な性格のようにみえても、さすがにああいう事件があったあとも平気でいられるほどに、厚顔な女性ではなかったらしいと、そのことで文四郎は奇妙な安堵(あんど)をおぼえたのだが、しかし未亡人が現在おかれている立場を考えると、同情も禁じ得なかった。

 ――逃げ場がないからな。

 と思う。養子の可能性が残っていては、矢田の家をはなれられないのは自明のことだった。また、長屋の者と顔を合わせたくないからといっても、いまの家は藩命で住む家である。どこに逃げるわけにもいかない。未亡人のそういう立場が見えていた。

矢田の未亡人を気の毒に思う気持ちの底には、同病相あわれむ思いがある。事件を機会に、はっきりと不遇な立場に落された者同士の、相手を気遣う気持ちがある。

 ――だが、それだけでもないな。

 と文四郎は思っていた。未亡人は、この前のことがあってから幾分やつれた。そしていっそううつくしくなったように思われる。

 未亡人の顔は痩(や)せて、頬骨のとがりが現れた。だが、皮膚は透きとおるように白くなり、眼は憂いを宿して、本来の美貌に凄艶(せいえん)な印象が加わった。未亡人の立場にはそぐわない。無用の危険なうつくしさに見えた。そして文四郎は、自分が未亡人のそういううつくしさに、ひそかに惹(ひ)かれていることを承知していた。》

 

《「秘剣村雨」》

 文四郎十八歳、石栗道場を代表する剣士となって、熊野神社の奉納試合で小野道場の興津新之丞を下し、空鈍流の秘剣村雨が伝授される。秘剣を伝えるのは元家老で藩主の叔父に当る加治織部正だが、織部正は文四郎の父の切腹事件が何であったかを説明したうえで、秘剣を伝える。

 

《「春浅くして」》

「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」

 バルト「自殺:恋愛の領野では、自殺の欲求が頻繁に見られる。ごくささいなことで惹起されるのだ。」とあるが、矢田の未亡人の自殺は、たとえ恋愛感情ばかりではないにしろ、悲劇性と死の匂いにおいて近松門左衛門の道行に似ている。封建制下、近松姦通物の恋の道行においても、気丈に先導するのは女のほうではないか。「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」とは、大人でも難しい発言であろう。

《たなびくような白っぽい光は、文四郎に矢田の未亡人を焼く荼毘のけむりを連想させた》とあるが、なるほど『蟬しぐれ』で頻出する、「蝉の鳴声」は「悔恨」の伴奏なのと同じように、「白っぽい光」は葬送イメージの背景、現実から意識が遠のく世界の表徴に違いない。

293《「どうした?」

 とっさに不吉なものが胸にかすめるのを感じて、文四郎は鋭い声になった。

「姉上の身に、何かあったのか」

「死んだ」

 と布施は言った。そして顔はもどしたものの、深くうつむいてしまった。

「亡くなったと? いつのことだ」

「わかったのは一昨日だ」

 布施はようやく顔を上げた。そして呆然(ぼうぜん)としている文四郎に、なぜか弱々しく笑いかけようとした。

「姉は、ばかな女子だったよ」

「事情を聞かしてくれるか」

「むろんだ。その話しを聞いてもらいたくて来たのだ」

 と布施は言った。

 矢田の未亡人の失踪(しっそう)が、実家である布施の家に知らされたのは五日前である。布施には心あたりがあった。すぐに野瀬家に走った。

 はたして布施鶴之助の思ったとおりだった。野瀬家でも、郁之進(いくのしん)が昨日、外に出たまま夜になっても家に帰らず、ついに朝になってしまったので、心あたりに人をやり、大騒ぎで行方をたずねているところだったのである。

 そのうちに城中に勤める郁之進の友達が、郁之進夫婦のために関所手形をもらってやったことが判明した。行先は隣国の桃ガ瀬という温泉地である。それで鶴之助の姉淑江(よしえ)が、郁之進とともに城下を出奔したことが明らかになったのである。

 両家では探索の人間を呼びもどした。そして極秘のうちに、鶴之助の兄と郁之進の叔父が出国願いを出して桃ガ瀬にむかった。しかし桃ガ瀬に着いてみると、そこには郁之進と淑江は来ていなかったが、追手の二人はある予感にうながされるままに、温泉地の周辺をさがし回った。そして村里から遠くはなれた山麓(さんろく)の隅で、相対死(あいたいじに)に死んでいる二人をみつけたのである。

「ほら、山をひとつ超えるとむこうは雪も少ないし、日射しもこっちよりつよいような気がするだろう」

 と鶴之助は言った。隣国のことを言っているのである。

「二人の遺骸(いがい)は、まんさくの花が咲いている日あたりのいい斜面に、少しはなれて横になっていたそうだ。相対死といったが……」

 鶴之助はまた顔を背けて、あらぬ方を見た。感情が激するのを押さえる様子である。

「帰って来た幸太の話しでは、失礼、幸太は兄が連れて行った下男だ。幸太が言うには、相対死ではなくて、姉が野瀬を刺し、返す刀で自害したように見えたそうだ。野瀬は刀を抜いていなかったそうだよ」

「姉上は気性のつよいおひとだった。さもあらんか」

 と文四郎は言った。

 不意に、出奔は矢田の未亡人が持ちかけたことにちがいあるまい、と思った。あのひとは、いつどうなるというあてもない藩の処置に疲れはて、自分で矢田家の処遇に決着をつけるつもりで、郁之進を道連れに出奔したのではないか。

「矢田家に対する藩の処遇は、いまにして思えば生かさず殺さずというようなものだった。女子には耐えられなかったかも知れん」

「しかし、何も野瀬のような男と出奔することはなかった」

 と鶴之助は言った。文四郎を見た眼が赤くなっていた。

「もう少し、ましなやり方がありそうなものだ」

「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」

 文四郎は微笑した。矢田の未亡人を攻めたくはなかった。ふり返ってみれば、予期せぬ重い不幸に見舞われた女性だったようでもある。(中略)

 河岸の道にぶつかる三叉(さんさ)路まで出て、文四郎は来た道をひき返した。すると通りすぎて来た町が一望に見えたが、町の様相はさっき家を出て来たときとは一変していた。日射しはまだ家々の屋根のあたりにとどまっていたが、その光は急速に衰え、街路にははやくも薄暮の白っぽい光がただよいはじめている。

 たなびくような白っぽい光は、文四郎に矢田の未亡人を焼く荼毘のけむりを連想させた。》

 

《「行く水」》

「その縁組はあっさりと決まった」

 一年ほどが過ぎ、藩では世子の志摩守が病弱を理由に隠居し、里村家老派の推す異母弟の松之丞が新たな世子を名乗って志摩守を継いだ。文四郎は郷村出役見習いとして出仕を命じられた。

 文四郎の「結婚」は、この時代の婚姻の仕組み、社会制度をよく反映している。持ち込まれた縁談に文四郎は口出しせず、おそらく事前に顔も見ることなく、母が気に入った嫁ならかまわず、身分(牧家二十八石に対し相手の家は二十五石)の釣り合いが重要なのである。ここに恋愛の紛れこむ余地はなく、それゆえに矢田の未亡人の(死に至る恋愛もどきの)いきさつは小説の構成上、重要な対称として機能している。

314《もうひとつの身辺の変化は、二月に妻をもらったことである。縁組は前年の秋にまとまり、二月になって上司と烏帽子(えぼし)親の藤井宗蔵、小和田逸平と杉内道蔵、ほか親戚数名だけの簡素な式を挙げた。

 文四郎の妻になったのは、青苧(あおそ)蔵役の岡崎亀次の次女せつである。色の浅黒い十人なみほどの容貌を持つ目立たない娘だったが、無口で父母を大事にするという話を、登世は気にいったらしく、上原の妻女が何度目かに持って来たその縁談にはじめて乗り気を示した。

 その後、実家の嫂(あによめ)が母に頼まれてその娘を見に行ったり、多少のいきさつがあったあとに、その縁組はあっさりと決まったのである。文四郎は口出しをしなかった。母が気にいった嫁なら、それでかまわないと思っていた。母の登世は、文四郎の城勤めが近づいたころから、言動にやや老いを感じさせるようになっていた。母に楽をさせてやるべきだった。岡崎は二十五石取りで、身分も釣り合っていた。》

 

「逝(ゆ)く者はかくのごときか、昼夜を舎(お)かず」

 江戸から国元の藩校に戻ってきた与之助が、お福(ふく)が藩主の指示で金井村の欅御殿に匿われていると告げる。

 バルト「報告者:友情のフィギュール。ただし、その恒常的役割は、むしろ、恋愛主体を傷つけることにあるらしい。愛する人について、一見ささいであたりさわりのない情報を提供してくれるのだが、結果的にはそれが、愛する人のイメージをそこなうことになるのだ。」とあっても、イメージをそこなうということからずれている。

 ふたたび、過ぎてしまった時間、歳月が川の表徴によって文四郎の意識を流れてゆく。なお、藤沢周平が与之助に、「おれはこのお言葉から教訓を読み取るのは好かん」と語らせたように、藤沢文学から処世訓、人生論ばかりを読みとろうとするのは作者の望むところではないだろう。 

322《「証拠というと?」

 文四郎が与之助の顔を見た。すると与之助がうなずいて、誰にも言うなよ、事実なら藩の秘事だと言った。

「お福さまは身籠(みごも)っているというのだ」

「殿の御子を?」

「むろん、殿の御子だ」

 愚かしいことを聞くな、という眼で、与之助は文四郎を見た。

 文四郎は肌が栗立(あわだ)った。国元は側室おふねと結びつく稲垣、里村派の天下である。そのことが洩れたら、お福のいのちがあぶないのではないか。

「それは事実か」

「お福さまのそばに懇意にしている女中がいる」

 およねと懇意にしているその女中は、お福が屋代家に預けられるときに、供して送って行った。そしてその先で、屋代家の者がお福の妊娠のことを言い、大事の身体だからゆっくり養生するようにと言うのを聞いて、耳を疑ったという。

「およねは、お福さまが屋代家から国元にかえされたのも、お上のご指示だと信じている」

「その女子が言うだけだな」

 と文四郎は言った。

「にわかには信じがたい話だ」

「しかし事の真相というものは、往々にしておよねのような女たちがにぎっているものだ。と言っても、おれも半信半疑の気持ちはぬぐえぬが……」

 与之助は、書物を油紙の荷の中に押し込み、紐(ひも)でしばりながら言った。

「いずれ話の真偽はわかることだ」

「そうだな」

孔子さまは川のほとりに立って言われた。逝(ゆ)く者はかくのごときか、昼夜を舎(お)かずとな。おれはこのお言葉から教訓を読み取るのは好かん」

 と与之助は言った。

「夜も日もなく、物の過ぎゆく気配をさとって孔子さまは嘆じられたのだ。両手をあげてな。われわれのまわりもずいぶん変わった」

「同感だ」

 と文四郎は言った。》

 

「変わらないものがどこにあろうか」

 文四郎は、郷方の田圃見廻りを装って、金井村にある欅御殿の様子を探る。

 バルト「不在:恋愛対象の不在――その原因と期間を問わず――を舞台にのぼせ、これを孤独の試練に変えようとする言語的挿話。」の中でバルトは、《耐え忍ばれる不在とは、忘却以外の何ものでもない。つまり、わたしは間歇的に不実となるのである。それが生き残るための条件なのだ》と書いているが、そのとおりのことが文四郎にも起きる。そして文四郎の優れたところは自己省察を他者(ふく)にも推量できることだ。

329《「郷方出役、牧文四郎です」

 文四郎が名乗ると武士はうなずいた。手でどうぞ行ってくれという身振りをした。

  ――言った名前を……。

 あの男たちはお福に伝えるのだろうか、と文四郎は思った。しかしそれで胸がときめくようなことはなく、文四郎は伝えても伝えなくてもどちらでもいいことだと思った。

 繭(まゆ)に籠(こも)るように、藩主の子を腹に抱いて別邸に籠っているお福の姿が見えている。それは文四郎の記憶にあるふくとは、異なる女人のようにも思われた。そういう感じをうけたのははじめてだった。

 孔子さまは川のほとりに立って言われたと話した与之助の声が、耳に甦(よみがえ)って来た。流れ行く水のように、夜も昼も物のいのちは過ぎて行き、変化する、変わらないものがどこにあろうかと文四郎は思った。

 父の死、矢田淑江の死、秘伝、出仕、祝言と、ここ数年の間に文四郎の身辺は激変した。そしてその間、ひと筋にふくを思いつめたというのではなかった。時には忘れた。そしてまた、ふくの方も尋常でない変化をくぐり抜けて来たのである。牧文四郎の名前を聞いて、ふくが懐かしがるとはかぎらない。

 しかも側室お福は孤立無援ではなく、藩主がちゃんと護衛をつけていたのである。おれが気遣うことはなかったと思いながら、文四郎は村はずれに立ちどまって欅御殿のあたりを振りむいた。》

 

《「誘う男」》《「暗闘」》《「罠」》

 村廻りとして働きはじめた文四郎は、父が代官の不正を糾そうとして里村家老に切腹させられた、と事件の真相を知る。お福は欅御殿で密かに出産したらしい。かつて父が属していた横山家老派は里村家老派への反抗の姿勢を強め、文四郎も誘われる。一方、文四郎は里村家老から、反対派の陰謀から守るために欅御殿から旧知のお福の御子を奪って来るよう藩命を受けてしまう。文四郎は罠と気づくが、お福と御子の命を救うために秘策をもって、小和田逸平、布施鶴之助とともに欅御殿へ向かう。

 

《「逆転」》

「気持ちのどこかでふくの変貌を恐れてもいた」

 バルト「変質:恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごと、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」ということを文四郎は怖れたのであるが、ここで藤沢がうまいのは、ふくに文四郎の嫁の名をあげさせ、子がまだなことまで知っていたと示すことで、二人の距離をふくの側から縮めさせるところだ。

396《――五年ぶりか。

 と思った。ふくがお福さまに変わり、その変貌はどのようなものかと思ったのである。胸をときめかせているのは、疑いもなく再会の喜びだった。しかし文四郎は、気持ちのどこかでふくの変貌を恐れてもいた。

 ひろびろとした玄関に入ると、そこには二十過ぎほどに見える女が手燭(てしょく)を持って出迎えていた。武家ではなく町方の女に見えたが、垢抜(あかぬ)けした容貌からみて、この女が青柳町の信夫屋に現れた当人かとも思われた。文四郎たち三人は、中年の武士とその女にみちびかれて建物の奥に入って行った。

 案内の男女は、灯影が洩れる外まで行くと、襖の外に跪(ひざまず)いて中に声をかけた。部屋の中から低い応答の声があって、文四郎たちはつぎにまぶしいほどにあかるい部屋の内に招き入れられた。

「文四郎どの、お顔を上げてください」

 正面の席で声がした。臆したような低い声だったが、言葉ははっきり聞こえた。大人の声に変わってはいるが、それはやはりふくの声である。

 その声がつづけて言った。

「おひさしゅうございましたな」

「御方さまもお変わりなく……」

 文四郎は顔を上げた。するとそこにふくが坐っていた。ふくは想像したようなきらびやかな打掛を羽織ることもなく、武家の女房ふうの簡素な姿をしていた。そしてすっきりと頬が痩せて、化粧のせいか伝え聞く苦労のせいか別人のように凄艶(せいえん)な顔に変わっているものの、よくみれば細くて黒眼だけのような眼、小さな口もとは紛れもなくふくだった。

文四郎は熱いものがこみ上げて来て、胸がつまるように思いながらつづけた。

「ご健勝の様子にて、何よりと存じます」

「堅くるしい挨拶はこのぐらいにしましょう」

 とふくは言った。声がやわらかく笑いをふくんだように聞こえ、文四郎はふくの方が自分よりも冷静なのを感じた。

 おもかげはむかしのふくでも、眼の前の女性は一児の母親で、お福さまでもあるのを忘れてはならん、と文四郎が自分をいましめたとき、そのお福さまが言った。

「おかあさまは変わりありませんか」

「は、いささか年寄りましたが丈夫でおります」

「文四郎どのが、こうしてわたくしと会うことを知っておられますか」

「いや、今夜は内密の用で母には話しておりません」

「おせつさまにもですか」

「……」

「お子はまだだそうですね」

 ふくは矢つぎばやに言ったが、文四郎が顔に戸惑いのいろをうかべると気弱そうに微笑し、ついでその微笑も消した。》

 

「気がつくとお福が文四郎の手に縋(すが)っていた」

 ふくは文四郎の説得に応じたものの、里村派の襲撃を受ける。文四郎らは刺客たちを倒し、文四郎と子を抱いたふくは、父の助命嘆願書をまとめた金井村役人藤次郎の発案で夜の五間川を舟で逃避行する(映像イメージとして溝口健二監督『近松物語』のおさん茂兵衛の舟の道行シーンを連想させるが、こちらには船頭がいる)。やがて舟から上り、織部正の杉ノ森御殿に庇護を求める。

 バルト「接触:このフィギュールは、欲望対象の肉体(より正確には、肌)とのかすかな接触によって惹起される内的ディスクールの全体にかかわる。」のお福の縋った手は、遠い記憶を喚起し、変化する、変わらないものがどこにあろうかと思っていた文四郎を、幸福なことに裏切る。

 お福と抱き合った姿を見ていた追手の息の根を止めることで、小説冒頭のやまかがしと同じように、生殺しを避ける。

412《五間川は下流に行くと幅十軒を超え、必ずとも名前のような小河川ではないが、金井村のあたりでは幅が狭かった。その上にかなりの水量があるにもかかわらず、あちこちに砂洲が頭を出しているのが見えた。だが権六は何の苦もなく舟を深みに乗せて行く。

「夜も漕(こ)ぐことがあるのか」

 と文四郎が聞いた。

 急病人を乗せて、何度か城下まで行ったことがあると権六は言った。

「もっとも、年がら年じゅうのぼりくだりしている川ですからな。眼つぶったって川筋はわかります」

「ほう、そういうものか」

「旦那さん、柳の曲がりを過ぎたら提灯は消しても構いませんよ」

 と権六は言った。多分藤次郎から耳打ちされたのだろう。権六にも危険の在りかはわかっている様子だった。

 その危険が眼に入って来たのは、権六の竿さばきを信用して提灯の火を消してから間もなくだった。赤々と燃えるかがり火が見えた。火は左に二カ所、右に一カ所で、方角から見て金井村、青畑村から城下に入る道を押さえていることがあきらかだった。

 柳の曲がりを過ぎてから、流れはゆるやかに西北にむかい、舟は城下に近づいて行った。権六は舟を流れにまかせていた。時どきちゃぽと竿の音がするのは舟の方向を定めるのだろう。城下の端にあるかがり火は、権六にとって恰好の目印になっているようでもあった。しかしその火は、どんどん近づいて来てやがて船の上までほのかに照らし出すほどに近くなった。

「伏せて」

 文四郎はお福に警告した。自分も背をまるめて伏せた。(中略)

二人は足音をしのばせて屋敷の横を通りすぎた。うしろで咳(せき)ばらいの声がした。そして気がつくとお福が文四郎の手に縋(すが)っていた。

 道がふたたび暗やみにもどっても、お福はすがった手をはなさなかった。文四郎は、父の遺骸をはこんで龍興寺から組屋敷にもどったとき、走って来て車を引いた昔のふくを思い出していた。おとなしい外見の内側に一点の強さを隠しているお福の性向が、いままた暗い道に立ち現れて来たようだった。

 あのときもそうだったのだと、文四郎は江戸に行く前の夜に葺屋(ふきや)町の長屋をたずねて来たお福を思い出している。ただおとなしく、かよわいだけの娘に出来ることではない。それだけの強さを秘めていても、押し流されるほかはなかったお福の歳月が見えたように思い、文四郎は胸が熱くなった。

 文四郎は一度お福の手を解くと、改めて自分から握りしめてやった。お福の手は汗ばんでいるようにしめっぽく、骨細だった。お福は文四郎に手をひかれると、ほとんどしなだれかかるように身を寄せて歩いた。お福の身体の香が、文四郎の鼻にとどいた。

「文四郎さん」

 長い沈黙に堪えかねたように、ついにお福が文四郎の名前を呼んだ。か細くふるえる声に、文四郎はお福がいま何を訴えようとしているかを読み取った気がした。お福は多分、自分の身の上を通りすぎた理不尽な歳月のことを聞いてもらいたがっているのだ。

だがお福が切羽詰まった声音で文四郎を呼んだとき、文四郎は背後にもうひとつの物の気配を聞いていた。堀に沿ってすべるように動いて来る物の気配……。

 文四郎は立ち止まると、向き直ってお福の背を掻(か)き抱いた。むせるような肌の香とはげしい喘(あえ)ぎが文四郎をつつんだ。お福は文四郎の腕の中でふるえつづけている。片手に子供、片手にお福を抱き寄せたまま、文四郎は顔は動かさずに眼だけで背後の道をさぐった。はたして左後方の堀の下に、黒くうずくまっているものがある。石のように動かないが、それは人間だった。

 ――ふむ。

 やはり十人目がいたのか、と文四郎は思っていた。うしろの闇にうずくまっているのは村上七郎右衛門が残した見届け役にちがいなかった。(中略)

 男は苦痛の声を洩らさなかった。そして呼吸が次第に消えて行くのがわかった。文四郎は手さぐりに男の頚(くび)をさぐり、血脈を絶った。お福と抱き合った姿を見た人間を生かしておくことは出来なかった。

 もとの場所にもどると、子供を抱いたお福がうなだれて立っていたが、文四郎を見ると、ほっと顔を上げた。

「片づき申した」

 文四郎はそれだけ言うと、また子供を受け取り、お福の手をひいて歩き出した。手をひかれるのをお福は拒まなかったが、さっきのように身体を寄せてはこなかった。もっとも、加治屋敷の高い門が、そびえるように闇にたちはだかっているのがもう見えていた。

 文四郎の手短かな説明と頼みを聞くと、加治織部正は無造作にうなずいた。

「よろしい。わしがかくまって進ぜよう。まかせろ」

「よしなに、お頼み申しまする」

 とお福が言った。お福は落ちついていた。軽い辞儀と低いがしっかりした声音には、そこはかとない威厳までそなわり、お福は織部正を恐れてはいなかった。

  暗い路上で息を乱したお福のおもかげはなく、文四郎はお福が藩主の寵めでたい一人の側妾にもどったのを感じた。》

 

《「刺客」》

 追放処分となった里村の命による刺客が文四郎を襲撃するが返り討ちにされる。横山派が藩政の実権を握ることになり、この度の功績によって、また父助左衛門の過去の功績が認められ、文四郎は三十石が加増される。

 

《「蟬しぐれ」》

「それにしても大胆なことをなされる」

 バルト「行動:熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」は、お福には逡巡として、文四郎には素早い決心として訪れた。これまでのお福(ふく)の生涯は、「生殺し」に近かったとも推察でき、ならばそれを絶てるのは矜持とともに生きてきた文四郎しかあるまい。

453《二十年余の歳月が過ぎた。

 若いころの通称を文四郎と言った郡奉行牧助左衛門は、大浦郡矢尻村にある代官屋敷の庭に入ると、馬を降りた。

 かがやく真夏の日が領内をくまなく照らし、風もないので肺に入る空気まで熱くふくらんで感じられる日だった。助左衛門は馬を牽(ひ)いて、生け垣の内にある李(すもも)の木陰に入れてやった。(中略)

「はい、簑浦(みのうら)の三国屋の番頭がこれを持って参りました」

 中山は助左衛門に一通の封書をわたした。嵩(かさ)がなく、手触りもうすい封筒は、上書きに牧助左衛門様とあるだけで署名がなかった。

「ほかに伝言は?」

 と助左衛門は言ったが、中山はただこれをおわたししてくれと置いて行っただけですと言った。

 首をひねりながら助左衛門は自分の部屋に入った。机の前に坐って封書をひらいたが、簡単な文言を読みくだすとともに、助左衛門は顔から血の気がひくのを感じた。

 このたび白蓮(びゃくれん)院の尼になると心を決め、この秋に髪をおろすことにした。しかしながら今生に残るいささかの未練に動かされて、あなたさまにお目にかかる折りもがなと、簑浦まで来ている。お目にかかれればこの上の喜びはないが、無理にとねがうものではない。万一の幸運をたのんでこの手紙をとどけさせると文言は閉じられ、文四郎様まいると書いてあった。そこにも署名はないが、それがお福さまがよこした手紙であることは疑う余地がなかった。

 ――尼になられるのか。

 と助左衛門は思った。白蓮院は藩主家ゆかりの尼寺である。さきの藩主が病死して一年近い月日がたっていた。おそらくお福さまは、その一周忌を前に髪をおろすつもりなのだろう。

 ――しかし……。

 それにしても大胆なことをなされる、と思いながら、助左衛門は本文から少しはなして二行に書いてある二十日には城にもどる心づもりに候、という文句をじっと見つめた。二十日といえば今日のことである。その二行の文字は、助左衛門に決断を迫っているようにも見えた。

 助左衛門は立ち上がって着替えた。決心がつくと、支度する手ははやくなった。部屋を出ると中山を呼んで外出を告げ、さらに台所をのぞいて徳助に飯はいらないとことわった。

 馬に乗って外に出ると、また真昼の暑熱が助左衛門を厚くつつんで来た。菅笠(すげがさ)をかぶっていても、暑熱は地面からはね返って来て顔を焼く。たちまち汗が流れ出た。》

 

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」

 バルト「告白:恋愛主体が愛する人に対し、自分の愛のことを、その人のことを、二人のことを、激情は抑えつつも雄弁に語りかけようとする傾向。告白とは、秘めた愛を打ち明けることでなく、恋愛関係の形式に加えられる果てしない注釈にかかわっている。」のだが、お福さまの大胆でいて一見さりげない言葉は告白にしてはあまりに重く、もはやその困難な自由、不可能性という禁忌によって、反作用のように「恋愛小説」の純度を高める。ついで、この小説のライトモティーフを表象する言葉を、長い間不在だったふくが呟く、「うれしい。でも、きっとこういうふうに終るのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」が来る。

「はかない世の中」……もうここからは「恋愛小説」として省略してよい一行とてない。

458《案内された部屋に入ると、そこに切り髪姿のお福さまとお供と思われる少女が一人いた。十三、四かとみえる少女である。

「ひさしくご無音つかまつり……」

 助左衛門が挨拶をのべると、お福さまはかすかに笑ってうなずき、番頭に用意のものをはこぶようにと言った。

「お昼はもうお済みですか」

 番頭と少女が部屋を出ていくと、お福さまはそう言った。城奥の支配者となったお福さまを見ることはめったにないが、しかしまったく見かけないというのではなく、助左衛門は何年に一度かは寺社に参詣(さんけい)に行くお福さまに出会ったり、また在国中の藩主が催した御能拝見の席で眼にしたりしているが、いずれも遠くから眺めただけである。

 近々とお福さまを見るのは、欅御殿から加治織部正屋敷にお福さま母子を護送して以来のことだった。そのころにくらべると、お福さまは顔にも胸のあたりにもふくよかに肉がついたように見えるが、顔は不思議なほどに若々しく、もはや四十を越えた女性とは思えないほどだった。お福さまの眼は細いままに澄み、小さな口もともそのままだった。膝の上の指は白く細い。そして、その身ごなしや物言いには、やはりお福さまと呼ぶしかない身についた優雅な気品が現れていた。

「山からもどったばかりで、昼飯はまだ食しておりません」

「それはさぞ、おなかが空いたことでしょう」

 お福さまはゆったりと言った。

「番頭の話では、今日まで山に行っておいでだったそうですね」

「そうです」

「ここにはおいでになれないかと思いましたよ」

「どうにか、間に合いました」

 助左衛門は言ったが、実際にはお福さまがなぜ山視察がわかっている助左衛門の様子もたしかめず、しかも城に帰るぎりぎりの時刻にあの手紙を差しむけて来たのかがわかっていた。間にあわなければ、それはそれでかまわないとお福さまは考えていたのではなかろうか。

 お福さまもやはり、助左衛門に会うのがこわかったはずである。事情はどうあれ、それで喪に服している元側室が忍んで男に会う事実が変わるわけはないのだ。ぎりぎりの時刻に手紙をよこしたのは、その時刻に二人の運を賭(か)ける気持ちがあったようでもある。間に合うも間に合わぬも運命だと。

 しかしお福さまは、少なくともいまはその恐れを顔に出してはいなかった。注意深くその顔いろを眺めながら、助左衛門が山の話をしていると、足音がして宿の女が二人、膳の物と銚子(ちょうし)、盃をはこんで来た。

「御酒を少し召し上がれ。私も一杯いただきます」

 女たちが去ると、お福さまはそう言って銚子を取り上げ、助左衛門に酒をついだ。助左衛門も、黙ってお福さまの盃に酒を満たしてやった。

「遠慮なくくつろいでください」

 とお福さまは言った。

「さっきの子は信用できる者です。万事心得ていて、私が呼ぶまでは誰もこの部屋には近づかぬよう見張っているはずです」

「さようですか」

 助左衛門は盃をあけた。酌をしようとするお福さまを制して、自分で盃をついだ。

「ここにはいつ参られましたか」

「五日前です」

 やはりそうか、と助左衛門は思った。五日前に来たが、ようやく城にもどる今朝になって助左衛門に会う決心がついたのだ。

「しかし、大胆なことをなされましたな」

「ええ」

「もっとも、あなたさまは子供のころから一点大胆な気性を内に隠しておられた」

 お福さまは声を出さずに笑った。するとその顔に、子供のころのふくの表情が現れた。

「文四郎さん」

 不意にお福さまは言った。

「せっかくお会い出来たのですから、むかしの話をしましょうか」

「けっこうですな」

「よく文四郎さんにくっついて、熊野神社の夜祭りに連れて行ってもらったことを思い出します。さぞご迷惑だったでしょうね」

「いや、べつに」

「あのころのお友達は、その後どうなさっておられますか」

 お福さまは言い、指を折った。

「小和田逸平さま、島崎与之助さま」

「よくおぼえておられましたな」

「小和田さまは身体が大きく、こわいお方で、島崎さまは秀才でいらしたけれども、ひょろひょろに痩(や)せて……」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「島崎与之助は、あるいはお聞き及びかも知れませんが、いまは藩校の教授を勤め、数年たてば学監にのぼるだろうと言われています。それから小和田逸平は御書院目付に変わり、子供が八人もおります」

「まあ、御子が八人」

 お福さまは笑い声を立てたが、ふと笑いをとめ、文四郎さんも出世なされてとつぶやいた。

「文四郎さんの御子は?」

「二人です」

 助左衛門の子は上が男子、下が娘で、上の息子はすでに二十歳。今年から小姓組見習いに召しだされている。

「娘も、そろそろ嫁にやらねばなりません」

「二人とも、それぞれに人の親になったのですね」

「さようですな」

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」

 いきなり、お福さまがそう言った。だが顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そしてはっきりと言った。

「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」

「ほんとうに?」

「……」

「うれしい。でも、きっとこういうふうに終るのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」

 お福さまの白い顔に放心の表情が現れた。見守っている助左衛門に、やがてお福さまは眼をもどした。その眼にわずかに生気が動いた。

「江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」

「よくおぼえています」

「江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」

「……」

「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家にもどったのを忘れることが出来ません」

 お福さまは深々と吐息をついた。喰い違ってしまった運命を嘆く声に聞こえた。お福さまは藩主に先立たれ、生んだ子ははやく大身旗本の養子となり、実家はあるものの両親はもういなかった。孤独な身の上である。

「この指を、おぼえていますか」

 お福さまは右手の中指を示しながら、助左衛門ににじり寄った。かぐわしい肌の香が、文四郎の鼻にふれた。

「蛇に嚙まれた指です」

「さよう。それがしが血を吸ってさし上げた」

 お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして身体をすべらせると、助左衛門の腕に身を投げかけて来た。二人は抱き合った。助左衛門が唇をもとめると、お福さまはそれにもはげしく応(こた)えて来た。愛隣の心が助左衛門の胸にあふれた。

 どのくらいの時がたったのだろう。お福さまがそっと助左衛門の身体を押しのけた。乱れた襟を掻きあつめて助左衛門に背をむけると、お福さまはしばらく声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振りむいたときには微笑していた。

 ありがとう文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。

「これで、思い残すことはありません」》

 

「その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がした」

 バルト「制限する:やがてくる不幸を軽減すべく、主体は、恋愛関係がもたらす快楽のありかたにあらかじめ制約を加えるような制御方法に望みをかける。まずはそうした快楽を保持し、十二分に享受することであり、さらには、快楽と快楽を隔てるあの広大で沈鬱な領域を、考えようのないものとして括弧に入れてしまうことである。つまり、愛する人のことを、彼が与えてくれる快楽以外のところでは「忘却」してしまうことなのだ。」だが、制限する自由さえ困難であるところに「恋愛小説」は書かれた。

 ふくの今現在の境遇、《お福さまは藩主に先立たれ、生んだ子ははやく大身旗本の養子となり、実家はあるものの両親はもういなかった》という、やはりここでも理不尽な別離に見舞われた女の運命を、最後の最後に読者に届ける演出手法が心憎い。

 最後に、女の「救われ」はあったのか。蟬しぐれが響く、白い光の底で、《記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がした》と《今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい》との相反する複雑な感情に揺らぎながら、《お福さまに会うことはもうあるまいと思った。》

 会わなくとも、会わないからこそ、忍ぶ恋のような記憶の「恋愛」が、二人の生がある限り永遠に続く。

463《階下に降りると駕籠(かご)が待っていた。時刻を定めて迎えに来た駕籠は、はたしてただの町駕籠だった。駕籠はお福さまを美濃屋にはこび、お福さまはそこからさらに駕籠を乗り換えて城にもどるのだろう。 

 お福さまと待女が、無言のまま会釈して駕籠に入るのを、助左衛門は馬のくつわを執りながら見守った。そして駕籠が門を出てから、宿の者に会釈して自分も門の外に馬を牽き出した。砂まじりの白く乾いた道を遠ざかる駕籠が見えた。そして駕籠は、助左衛門が見守るうちに、まばらな小松や昼顔の蔓(つる)に覆われた砂丘の陰に隠れた。それを見届けてから、助左衛門は軽く馬の顔を叩き、一挙動で馬上にもどった。ゆっくりと馬を歩かせた。

 ――あのひとの……。

 白い胸など見なければよかったと思った。その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、助左衛門の気持ちは一方で深く満たされてもいた。会って、今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい。

 助左衛門は矢尻村に通じる砂丘の切り通しの道に入った。裾短かな着物を着、くらい顔をうつむけて歩いている少女の姿が、助左衛門の胸にうかんでいる。お福さまに会うことはもうあるまいと思った。

 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蟬しぐれが、耳を聾(ろう)するばかりに助左衛門をつつんで来た。蟬の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼(や)ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。

 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。》                                

                                    (了)

         *****引用または参考文献*****

藤沢周平『蟬しぐれ』(文春文庫)

*『藤沢周平全集 別巻 人とその世界』(文藝春秋

*『藤沢周平全集23』(「小説の周辺」「ふるさとへ廻る六部は」他所収)(文藝春秋

*『「蟬しぐれ」と藤沢周平の世界』(文春ムック(オール讀物))

*『藤沢周平の世界』(文藝春秋

*『藤沢周平のこころ』(文春ムック(オール讀物))

藤沢周平『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)

藤沢周平『橋ものがたり』(新潮文庫

*鯨井佑士『藤沢周平の読書遍歴』(朝日出版社

湯川豊『海坂藩に吹く風 藤沢周平を読む』(文藝春秋

藤沢周平『海坂藩大全 上、下』(『山桜』『花のあと』他所収)(文藝春秋

藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳(みすず書房

チェーホフ『ともしび・谷間 他7篇』松下裕訳(岩波文庫

*カロッサ『ルーマニア日記』高橋健二訳(岩波文庫

*シュトルム『聖ユルゲンにて 他一篇』国松孝二訳(岩波文庫

*ウジェーヌ・ダビ『北ホテル』岩田豊雄訳(新潮文庫

グレアム・グリーンヒューマン・ファクター』加賀山卓朗(ハヤカワepi文庫)

デヴィッド・リーン監督映画『逢びき』