文学批評/映画批評) 川端康成『山の音』の死と性と頽廃と背徳

  

 三島由紀夫が『山の音』を川端のベストスリーと顕彰したごとく、成瀬巳喜男監督『山の音』もまた、『浮雲』『流れる』と相並ぶ成瀬映画のベストスリーといっても過言ではあるまい。

 蓮實重彦が「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」でテーマ・アップした成瀬映画の「曖昧」「生活空間」「病に倒れること」「並んで道を歩くという運動」「遁走」「せっぱつまった」「おだやかな凄惨さ」が『山の音』でも見てとれるが、成瀬の抑制が川端作品の「性」のある種の過激さを回避した。小説の「頽廃と背徳」は、脚本と配役(とりわけ修一役の上品なだけにより罪深い上原謙に負うところが大きい)において、「光と影の戯れ」の監督術によって映画の底に残った。

 

 映画でラストシーンとなる信吾と菊子が新宿御苑を並んで歩く場面は、小説では中ほどの「都の宛」章にある。小説と映画の最大の構成的な差異であるばかりか、映画では、菊子が修一と別れるのを決心していると信吾が指摘する。菊子が自由の身となることを後押ししている、自分もまた信州に隠居しようかと思う、と信吾が告げるというように、小説の結末「秋の魚」章の曖昧な一家団欒とは大きく異なる改変がある。

それもこれも、小説『山の音』は、昭和24年(1949年)の「山の音」章で始まってから5年近く、昭和25年、26年、27年と複数の文芸誌に断続的に連作的に掲載され、その後、昭和28年1月号の「都の苑」章からも順次「雨の中」、「蚊の夢」(のち「蚊の群」)、「蛇の卵」、昭和29年4月号に「鳩の音」(のち「秋の魚」)が掲載されて、昭和29年4月に単行本として刊行されたのに対し、映画は昭和29年1月15日に封切りされている。つまり原作の完結前に映画が製作・公開されている。映画の結末は、シナリオを手がけた水木洋子によって描かれた(水木は菊子を鎌倉の家から「自由に羽ばたかせてやろう」と考えた(旺文社文庫『山の音』「映画『山の音』を担当して」、昭和四十三年)という)。成瀬自身の発案によるという『山の音』映画化を、すでに『乙女ごころ三人姉妹』(原作『浅草の姉妹』)(1935年)、『舞姫』(1951年)に次ぐ三作目になるとはいえ、未完成にもかかわらず川端はどういう心持ちで了承したのか、『乙女ごころ三人姉妹』撮影当時に対談もした監督の力量を信頼していたのであろうか。

 

『山の音』を精読する前に、須賀敦子による「ちくま日本文学」『川端康成』解説、「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」から引用する。

 

<須賀敦子「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」>

《川端が長篇を仕上げるのにながい時間をかけたのは、論理的な構想に欠陥があるためではなくて、抒情の連想がじゅうぶんなふくらみをもつのに必要な、内的な時の流れを作者が必要としたからなのだ、と。まず最初に、ひとつの章が書かれ、そのあとは、つぎつぎと連想をバネにして書きつがれていく。そして、川端の作品に時として見られる書き出しと結末の可能なずれ(・・)は、連歌や俳諧の運び方をみればわかるだろう。日本古来の座の文学においては、これに参加した詩人たち自身も、最後の句がどのようになるかは、発句が詠まれた時点ではわからない。連想が詩のながれをどのように変えていくかを、ただ待つ以外に知る手だてはない。川端の場合も、これに似たことがいえる。》

《主人公尾形信吾の家族は、戦いに敗れた国の文化の伝統が崩れていくのを象徴するかのように、時代の波にほんろうされている。戦争から帰った息子は、素直でうつくしい妻の菊子をうらぎって、戦地に夫をうしなった女性と関係を持っているし、離婚寸前の娘は二児までもうけながらも、親が選んだ相手に嫁がせられたことを恨んでいる。信吾自身、妻の姉で、彼にとっては初恋の相手だった女性を想う日が多く、その埋め合わせでもあるかのように、嫁の菊子に心をかよわせる。老いの兆しが信吾に死の近いことを想わせる反面、彼をかこむ自然は、脅威をおぼえさせるほどの生命力にあふれている。しかし、季節がめぐり、秋がきて、決定的な破局は避けられたかにみえる。夫への気持のこだわりから、一度は妊娠を中絶してしまう菊子も、夫の修一も、時の経過とともに夫婦らしく落ちついていくようである。

 こう書いてくると、まるで『山の音』は家庭ばんざいのやや通俗的な小説のように思えるかもしれないが、川端は彼らしい象徴性や落し穴を貴い毒のようにあちこちにひそませて、作品にほのかな頽廃性と気品をたきこめる。》

 

<『山の音』の「死」>

 成瀬の映画では、「死」のテーマは菊子の中絶を別とすれば、信吾の友人鈴本が旧友水田の形見の能面を持参して、温泉宿で女と頓死したので極楽浄土だと噂し合う場面ぐらいだが、川端作品では、「死」への連想、逸話は執拗なほど表れる。「死」とはつまり生の限られた「時間」のことであり、かつての生の「記憶」であるから、「時間」と「記憶」の作家川端にとって重要なことであった。

 

「山の音」章

 小説の始まり近く、死の予兆である。三島由紀夫が、頻繁な改行、音の突然の断絶と中断、転調、変調、構成の乱雑さ、故意の重複による、一種の「鬼気」と称した蒼古な味の文章である。

《八月の十日前だが、虫が鳴いている。

 木の葉から木の葉へ夜露の落ちるらしい音も聞える。

 そうして、ふと信吾に山の音が聞えた。(中略)

鎌倉のいわゆる谷(やと)の奥で、波が聞える夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった。

 遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の頭のなかのようでもあるので、信吾は耳鳴りかと思って、頭を振ってみた。

 音はやんだ。

 音がやんだ後(あと)で、信吾ははじめて恐怖におそわれた。死期を告知されたのではないかと寒気がした。

 風の音か、海の音か、耳鳴りかと、信吾は冷静に考えたつもりだったが、そんな音などしなかったのではないかと思われた。しかし確かに山の音は聞えていた。

 魔が通りかかって山を鳴らして行ったかのようであった。》

 

《十日ほど前、新築の待合で客を待っていた。客は来ないし、芸者も一人だけ来ていて、あとの一人か二人かはおくれた。(中略)

 二月あまり前に、芸者はこの待合を建てた大工と、心中しかかったのだそうである。しかし青酸加里を呑む時になって、この分量で確かに工合よく死ねるのかという疑いが、芸者をとらえた。》

 

 信吾はよく夢を見る。ほとんどが今では死んでしまった人の夢だ。

《「今朝目が覚める前に、死んだ人の夢を二度も見ちゃったよ。」と信吾は保子に言った。

「たつみ屋の小父さんに、そばを御馳走になったんだ。」

「あなた、そのそばを召し上ったんですか。」

「ええ? さあ? 食べるといけないのか。」》

 

「雲の炎」章

 夫相原とうまくゆかない娘の房子が二人の子供、里子と赤ん坊の国子をつれて鎌倉に帰ってきた。風呂敷から手拭や着替えを出す。信吾が風呂敷包に見覚えがあると妻保子に言うと、私が嫁に来る時に、なにかくるんで来たと言い、

《「もっと古いんですよ。姉の形見なんでしょうね。姉が死んでから、植木鉢をつつんで、実家へ返して来た風呂敷ですから。大きいもみじの盆栽でした。」

「そうかね。」と信吾は静かに言ったが、みごとな盆栽のもみじのくれないが、頭いっぱいに照り明るんだ。(中略)

 信吾が少年のころ、保子の姉にあこがれたことが、保子と結婚して三十幾年後、まだ古疵なのだろうかと、もみじのくれないのある頭の一方で思った。》

 

「栗の実」章

《鳥山の告別式で、大学の同級生にでも会えるかと、信吾は焼香をすませてから、寺の門の横に立っていたが、一人も見えなかった。》

 

「島の夢」章

《水田は温泉宿で頓死(とんし)をした。葬式の時に、旧友たちは鈴本のいわゆる極楽往生だとささやきあった。しかし、若い女を連れこんでいたからと言って、水田の死がどうしてそうと推量されるのか、後(あと)で考えると少し怪しい話だった。》

 

「朝の水」章

 息子の修一に、お父さんの頭も大方白くなったと言われた時、信吾は北本を思い出した。信吾の学校仲間と言えば、戦争の半ばから敗戦の後に、運命の転落をしたものが少なくなかった。息子を戦争で死なせる年齢でもあって、北本も三人の息子を失った。鏡の前で、白毛を抜いているうちに、頭が狂ってきて精神病院へ入れられたが、すべて抜いたところで黒々とした毛が房々と生えて来たものの、いのちは延びずに死んだ、と友人は話すのだった。

 

「春の鐘」章

 養子夫婦と孫にあてた遺書を残して行方不明になっている年寄り夫婦についての新聞記事に、信吾が細君の遺書はなかったのかと保子に問うとともに、嫁の菊子に「仮に、修一と心中するとして、菊子は自分の遺書はいらないか。」とうっかり言う。

 

「鳥の家」章

 修一を問いつめて、菊子が中絶した、しかもその日のうちに医者から帰ってきたと知る。

 

「傷の後」章

 房子の夫相原が伊豆の蓮台寺で二十五六の女給風の女と心中し、女は死んだが、男は生命はとりとめるみこみ、と新聞に出る。

 

「蛇の卵」章

 信吾の大学の同期生で、肝臓癌(かんぞうがん)の友人を病院に見舞いに行ったところ、宮本の工場で青酸加里を使っているから、もし不治の癌にでもなればその毒薬をもらおうという同窓会での話を思い出した友人に、宮本からあれを頼んでくれと言われる。

 

「秋の魚」章

 出戻りの房子と二人の子どももそろって、鮎の塩焼きに箸をつけつつ、昔、田舎で、保子の姉にすすめられて、俳句をひねったことがある、という話題になる。

《「今は身を水にまかすや秋の鮎、とか、死ぬことと知らで下るや瀬々の鮎、とかいう昔の句があってね。どうやらわたしのことらしい。」

「わたしのことですよ。」と保子が言った。

「卵を産んで海にくだると、死んでしまうんですか。」

「たしか死ぬんだと思った。川の淵にひそんで年を越す鮎もたまにはあって、とまり鮎と言ったかな。」

「わたしはそのとまり鮎かもしれませんね。」

「私はとまれそうはないわ。」と房子は言った。》

 

<『山の音』の「性」と「頽廃と背徳」>

 川端文学の思わせぶりだがあからさまな含みがある「性」描写は、成瀬において、映画の検閲ゆえというより、監督の資質から抑制的となっている、というのが一般的な解釈だろう。

『山の音』の撮影が始まる前の「座談会 ちかごろの日本映画」(「婦人朝日」(朝日新聞社、1954.2))で、成瀬が、プロデューサーの藤本真澄と交わした会話があって興味深い。

藤本 文学と映画の限界の難しさと勝負しているようなものです。

 成瀬 まあ、あの作品のなかには一見簡潔な文章の中になかなかの含みがあるのです。性的描写も川端文学にはいやらしさがない。しかし、映画ではどうしてもそれをある意味でださなければならない。文章の味の難しさというか、要するに文字と絵の感覚の違いという気がします。

(中略)

 藤本 夫婦のセックスを直接描かないで、ただ菊子は子供みたいだといっているが、そこにセックスの問題はあきらかに提出されているのが「山の音」のよさだと僕は思うね。

 成瀬 それじゃますます映画化が難しく、怖くなってきます。》

 

 映画『山の音』で性愛を連想させる映像シーンはふたつある。

ひとつめは、小説の時系列では「山の音」章四~五に相当するが小説には具体的な描写はない。酔っ払って帰ってきた修一が風呂に入らずに寝室で仰向けになる。菊子が絞ったタオルを持ってきてから襖を閉め、台所に戻る。「菊子」という修一の声。「菊子」という呼び声がまた聞える。菊子は振り向いて寝室の方を見る。明りがついている窓の屋外のロング・ショットでフェード・アウトする

 ふたつめは、小説の「雲の炎」章二の《修一と菊子の話し声が聞えた。菊子は甘えていた。》に相当するのだが、ここでも小説には具体的記述はなく、水木洋子の脚本のなせる術である。颱風の夜、布団に入って目をつぶっている修一、寝巻きに着替える菊子。激しく雨が降りそそぐ屋根瓦と明りが灯った窓のロング・ショット。菊子が窓の方に目を向け、布団に横になろうとすると、こちらを向いて来た修一に「菊子」と声をかけられる(木下千花「妻の選択――戦後民主主義的中絶映画の系譜」によれば、映倫の審査記録に「寝室に於ける(いきなり菊子の手をぐっと引き寄せる)ところ扇情的にならぬよう演出上十分に注意して戴きたい」と記されており、最終的な成瀬映画にも菊子の手をぐっと引き寄せる演出を見ることはない)。上体を起こした菊子が不安げに修一を、ついで外(窓の方あるいは義父のいる方)に視線と想いをめぐらすミディアム・ショット。庭で雨に打たれる観音像にカット・アウェイしてフェード・アウトする。

どちらもフェード・アウトしても(するからこそ)、修一が性的な欲求を抱き、これから夫婦の営みが行なわれると観客に暗示してやまない。

 してみると、川端の文章こそ性行為に結びついた具体的描写はなく(女の美しさ、性戯を思わす表現は毒の花のように潜むとはいえ)、成瀬が性描写を抑制したというのは思い込みで、むしろ具体的な水木の脚本と成瀬の演出によって、川端が余白の文章で秘した性愛を映像で浮き上がらせたというのが真実なのではないか。とりわけ視線の動きで内面を滲ませる演技が、新妻菊子(貞節を売りとする原節子)の女の複雑さを、あたかも能面を重ねて顔を上下させることによる変化のように、エロティシズムとして感じさせたのではないか。

 

「山の音」章

 はじめに登場するシーンは、いたって普通の月夜の情景かもしれないが、川端ならではの病的なエロティシズムがあるのではないか。しかも、死の匂いを纏ってもいる。

《信吾は夜なかに保子のいびきで目がさめたのかと思うことがある。電燈をつけると、保子の顔を横目で見ていた。咽をつかまえてゆすぶった。少し汗ばんでいた。

 はっきり手を出して妻の体に触れるのは、もういびきをとめる時くらいかと、信吾は思うと、底の抜けたようなあわれみを感じた。

 枕もとの雑誌を拾ったが、むし暑いので起き出して、雨戸を一枚あけた。そこにしゃがんだ。

 月夜だった。

 菊(きく)子のワン・ピイスが雨戸の外にぶらさがっていた。だらりといやな薄白い色だ。洗濯物の取り入れを忘れたのかと信吾は見たが、汗ばんだのを夜露にあてているのかもしれぬ。》

 

 小説『山の音』には敗戦後の世相を反映して、アメリカ人相手の女(「娼婦」と表現される)が背景のように登場する(映画には出てこない)。

信吾が鎌倉駅からの帰りがてら、さかな屋でさざえを買う場面では、

《「あの海老、土曜日まであるかしら。私の人が好きなのよ。」

 うしろの娘はなにも言わなかった。

 信吾ははっとして娘をぬすみ見た。

 近ごろの娼婦である。背をまる出しにして、布のサンダルをはき、いい体である。

 さかな屋の亭主はきざんだ身をまな板の真中にまとめて、三つの貝殻へ分けて入れながら、

「あんなのが鎌倉にもふえましたね。」と吐き出すように言った。》

 

《菊子が嫁に来た時、信吾は菊子が肩を動かすともなく美しく動かすのに気づいた。明らかに新しい媚態(びたい)を感じた。

 ほっそりと色白の菊子から、信吾は保子の姉を思い出したりした。

 信吾は少年のころ、保子の姉にあこがれた。姉が死んでから、保子は姉の婚家に行って働き、遺児を見た。献身的につとめた。保子は姉のあとに直りたかったのだ。美男の義兄が好きでもあったが、保子もやはり姉にあこがれていたのだ。同じ腹と信じられぬほど姉は美人だった。》

 形代として菊子。

 

《息子の嫁に菊子が来て、信吾の思い出に稲妻のような明りがさすのも、そう病的なことではなかった。

 修一は菊子と結婚して二年にならないのに、もう女をこしらえている。これは信吾にはおどろくべきことだった。(中略)

 相手の女はこんな小娘ではないのだろう。信吾はなんとなく菊子からそれを感じた。女が出来てから、修一と菊子との夫婦生活は急に進んで来たらしいのである。菊子のからだつきが変った。

 さざえの壺焼の夜、信吾が目をさますと、前にはない菊子の声が聞こえた。

 菊子は修一の女のことをなにも知らないと、信吾は思った。》

 からだつきの変化を観察し、知らずに夫婦生活を聴き耳できてしまう日本家屋の生活空間で、そう病的なことではなかった、とは逆説以外のなにものでもなかろう。

 

「蝉の声」章

《房子がブラウスを下から持ち上げて、乳を飲ませた。

 房子は不器量だが、体はよかった。胸の形もまだくずれていない。乳をふくんで乳房が大きく張っていた。》

『山の音』の「性」は、隠微で病的なそればかりではなく、生殖、出産の「性」でもあって、菊子は八人きょうだいの末っ子で、《母もこの年でと恥じ、自分の体を呪(のろ)ったほどで、堕胎をこころみたがしくじった》のであり、「島の夢」章では、床の下でのら犬テルが五匹の子犬を生む逸話にかなりの頁を割いている(映画では、菊子にまだ子供ができないという菊子を傷つける話題の他はとくに触れられない)。

 

 よその家の日まわりを見上げて信吾は、信吾の背に立っていた菊子の買物籠の縁から枝豆が出ていたのに気づく。

《花は人間の頭の鉢廻りより大きい。それの秩序整然とした量感に、信吾は人間の脳を、とっさに連想したのだろう。

また、さかんな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思った。この蕊の円盤で、雄しべと雌しべが、どうなっているのか知らないが、信吾は男を感じた。》

 

『山の音』で、信吾はたびたび夢を見る。もともと川端は夢を多用するが、あまりの頻繁さに、精神分析を読者にうながそうとしているのかと思うほどである(しかし、成瀬は映画『山の音』で「性」的な夢を採用しなかった)。

 三四年前に七十過ぎで死んだ指物師のたつみ屋には娘ばかりが六人あった。

《その六人の娘のうちの一人であったかどうか、信吾は夕方の今はもう思い出せないが、夢で一人の娘に触れたのだった。

 触れたことはたしかに覚えている。相手が誰であったかは、まったく思い出せない。思い出す手がかりをなに一つ覚えていない。(中略)

 もっとも、目をさますような刺激はなかったのである。

 これも筋道はなにも覚えていない。相手の姿も消えてしまって、思い浮かばない。信吾が今覚えているのは、ゆるい感覚だけだ。からだが合わなくて、答えがなかった。まがぬけていた。

 信吾は現実にもこれほどの女を経験したことはない。誰かはわからないが、とにかく娘なのだから、実際にはあり得ないことだろう。

 信吾は六十二になって、みだらな夢を見るのもめずらしかったが、みだらとも言えぬほど、それが味気ないものであったのには、目覚めてからもけげんに思った。》

 

 会社の女事務員の谷崎英子の乳房の小ささに関する叙述がたびたび出てくる。もともと川端は乳房への拘りが強いけれども、必ずしも母恋しではなく、少女の幼い乳房への愛着も強い。

《英子は二十二なのに、ちょうど掌(てのひら)いっぱいくらいの乳房らしい。信吾はふと春信(はるのぶ)の春画(しゅんが)を思い出したりした。》

 

「雲の炎」章

《女事務員の英子が信吾の帰り支度を手つだってから、自分もいそいで支度した。白い透き通る雨外套(あまがいとう)を着ると、なお胸がぺちゃんこに見えた。

 踊りにつれて行って、英子の乳房の貧弱なのに気づいて以来、かえって信吾はついそれが目につくのだった。》

 

 颱風の夜、信吾と保子が房子のことを話していると、

《修一と菊子の話声が聞えた。菊子は甘えていた。》

 前述したように、川端のたったこれだけの文章の秘め事を、成瀬は抑制しているように感じさせつつ、性愛を暗示する映像として表象した。

 

《英子が白いブラウスを着て、白いリボンを結んでいるのを、信吾は見た。(中略)

 耳や耳のうしろの生え際のあたりが出て、ふだん髪にかくれた青白い肌に、毛はきれいに生え揃っていた。

薄い毛織の紺のスカアトをはいていた。スカアトは古い。

乳房の小さいのも気にならぬ服装だった。》

 乳房うんぬんもさることながら、耳のうしろの生え際を「見る」眼が怖ろしい。

 

《「君は修一の女を知ってるんだろう。」

 英子は困った風だ。

「ダンサアか。」

 答えなかった。

「年上なの?」

「年上って? お宅の奥さまよりは上です。」

「美人だね?」

「ええ、おきれいですわ。」と英子は口ごもっていたが、

「でも、ひどくしゃがれ声のひとですね。しゃがれ声って言うより、声が割れているようで、二重になって出るようで、それがエロチックだっておっしゃいますの。」

「ふうん?」

 英子が口をわりそうになると、信吾は耳をふさぎたくなった。

 自身に恥辱も感じ、修一の女や英子の本性の出そうな嫌悪(けんお)も感じた。

 女のしゃがれ声がエロチックという、話の切出しにも、信吾はあきれた。修一も修一だが、英子も英子だ。

 信吾の顔色を読んで、英子は黙ってしまった。》

 

 信吾の眼は、なにも女たちだけを観察するのではない、男を透して好色の影を見る。

《その日も、修一は信吾といっしょに早く帰り、戸じまりして、一家四人で映画の「勧進帳(かんじんちょう)」を見に出た。

 ワイシャツを脱ぎ、シャツを着替える時、修一の乳の上や腕のつけ根が赤くなっているのを、信吾は見て、嵐のなかで、菊子がつけたのかと思った。》

 

「島の夢」章

 信吾は行ったこともない松島を夢に見るが、松蔭の草原で非常に若い娘を抱擁していた。

 旧友水田の遺品の能面(慈童)を英子の顔にあてていろいろに動かせる。また信吾は慈童の面に触れるほど顔を重ねてみた。

 

「冬の桜」章

《「奥さまのことを、子供だ、子供だって、よくおっしゃってましたわ。」

「君にか?」と信吾は声がとがった。

「はあ、私にも絹子さんにも……。子供だから、おやじに気に入っていると、おっしゃってましたわ。」

「馬鹿な。」

 信吾は思わず英子を見た。

 英子は少しあわてて、

「でも、このごろはおっしゃいません。このごろは、奥さまのことはおっしゃいませんわ。」

 信吾は怒りにふるえて来そうだった。

 修一は菊子のからだのことを言っていたのだと、信吾は察した。

 修一は新妻に娼婦をもとめていたのだろうか。おどろいた無知だが、そこにはまたおそろしい精神の麻痺があるように、信吾には思えた。

 修一が妻のことを絹子や、また英子にまでしゃべる、つつしみのなさもこの麻痺から来ているのだろうか。

 信吾には修一が残忍に感じられた。修一ばかりではなく、絹子や英子も菊子に対して残忍であるように感じられた。

 修一は菊子の純潔を感じなかったのか。

 末っ子で、ほっそりと色白の菊子の幼な顔が、信吾に浮んで来た。

 息子の嫁のために、息子を感覚的にも憎むのは、信吾も少し異常だと気づきながらも、自分がおさえられなかった。

 保子の姉にあこがれたために、その姉が死んでから、一つ年上の保子と結婚した信吾は、そのような自分の異常が生涯の底を流れていて、菊子のためにいきどおるのだろうか。

 菊子は修一にあまり早く女が出来たので、嫉妬のすべにも迷うありさまだったが、しかし修一の麻痺と残忍との下で、いやそのためにかえって、菊子の女は目ざめて来たようでもある。》

 映画では、信吾の内心の声を、「無理ですわね、若奥さまに娼婦みたいなこと」とまで英子に言わせる。

 

「朝の水」章

《「お父さま。まあお早い。」

 菊子は自分が顔を洗おうとしていた水を捨てて、信吾のために、洗面器へ新しい水を出した。

 その水に血がぽたぽたと落ちた。血は水のなかにひろがって薄れた。

 信吾はとっさに、自分の軽い喀血を思い出し、自分の血よりきれいだと思い、菊子が喀血したと思ったが、鼻血だった。

 菊子はタオルで鼻をおさえた。

「仰向いて、仰向いて。」と信吾は菊子の背に腕を廻した。菊子は避けるように、前へふらついた。信吾は肩をつかんで、うしろへ引くと、菊子の額に手をやって、仰向かせた。

「あ、お父さま、よろしいんですの。すみません。」

 菊子がものを言ううちに、血が掌(てのひら)から肘(ひじ)へ一筋伝わった。

「じっとして、しゃがんで、横になりなさい。」

 信吾に支えられながら、菊子はそこへうずくまって、壁にもたれた。

「横になりなさい。」と信吾はくりかえした。

 菊子は目をつぶって、じっとしていた。気を失ったように白い顔が、なにかをあきらめた子供のようにも見えた。前髪のなかの薄い傷あとが、信吾の目についた。》

 この場面を、蓮實重彦は成瀬がラヴ・シーンとして演出していると論じている、

《息子の嫁の原節子が、ただならぬ気配で白いタオルを顔にあて、義理の父親の不意の出現に驚いたようにこちらに瞳を向けているからである。彼は、顔をタオルでおさえたままの嫁の肩に手をそえ、かかえるようにその場にすわらせる。台詞はほんのわずかしか口にされず、鼻血かという父親の言葉に、嫁は詫びながらうなずくのみだ。

 山村聰はその場に横たわるようにうながすのだが、もちろん、彼が床に臥せった義理の娘のかたわらに親しくかがみこむような画面を成瀬が挿入したりするはずもない。朝の淡い光に照らされる家の前庭の光景をとらえたものも含めて、すべては十ショットもないほどの短さのうちに終わってしまう。だが、愛しあってもいない息子の子供を宿した嫁の肉体的な変調に立ち会い、手をかざして介護するという父親の立場の微妙さが、この場面に抑制のきいたエロチックなサスペンスを漂わすことになる。(中略)

 実際、クローズ・アップでとらえられた二人の表情は、瞬時の非日常性を招き寄せるにふさわしい微妙な翳りにつつまれている。彼らの存在が父親と義理の息子の嫁という関係を超え、単なる男と女として画面に生なましく露呈されるのはそのためである。抱擁を擬するかのように床に崩れおちる二人の背後に低い抒情的な音楽を響かせる成瀬巳喜男は、これをまぎれもなくラヴ・シーンとして演出している。》としたが、最後に信吾が菊子をみつめる視線に、欲望に躊躇っているのか不穏な揺らぎを感じさせるショットではあるものの、ラヴ・シーンとまではどうだろうか。

 信吾役を演じた山村聰は回想している。

山村 それと成瀬さんとこれだけは話し合いました。私は原作を読みまして、あれは男性対女性の話、義理のお父さんと嫁との男女の話なんだと。これは、川端康成さん独特の世界で、そういう色を出すとか、そういう意識を持ってやるかどうかということを相談したんです。そうしたら成瀬さん、簡単に言いましたよ。「いやらしいからやめましょう」って。いやらしいから、その話はやめましょうって言うんで、もう、そういうことなしに、いいお父さんといい嫁ということで通したんですよ。あとは別にどこを工夫したということもないし、自然にと。ただ後で見ると、やっぱり作ってるなと。何もあそこまで作らなくてもすんだのになと、自分では思いまして……異様にかったるくて、賞をもらう(筆者註:第一回東南アジア映画祭で主演賞受賞)ほどの出来ではなかったと思いますよ。》

 

《昼飯の時、修一を近所の洋食屋に誘って、

「菊子の額の傷は知ってるだろう。」と信吾は言った。

「難産で、医者が鉤(かぎ)をかけたあとだろう。生れる時に苦しんだ名残(なごり)というわけでもあるまいが、菊子が苦しい時は、あれが目立つようだね」

「今朝ですか。」

「そうだ。」

「鼻血を出したからでしょう。顔色が悪くなると、あれが見えるんです。」

 鼻血を出したと、菊子がいつのまに修一に話したのか、信吾はちょっと拍子抜けしたが、

「昨夜(ゆうべ)だって、菊子は寝てないじゃないか。」

 修一は眉をひそめた。しばらくだまっていて、

「お父さんはなにも、よそから来た者に遠慮なさらなくてもいいんですよ。」

「よそから来た者とはなんだ。自分の女房じゃないか。」

「だから、息子の女房に、遠慮なさらなくともいいと言ってるんです。」

「どういうことだ。」

 修一は答えなかった。》

 このように、《「昨夜(ゆうべ)だって、菊子は寝てないじゃないか。」》となぜ知っているのか、《遠慮なさらなくともいい》の真意とは、「どういうことだ」と問わずにいられない、曖昧な日本の川端。

 

 修一の女絹子と同居している女池田を、英子が無理に会社の応接間に連れてきた。同じ戦争未亡人の池田は、絹子に修一と別れた方がいい、と言っていたと言い、

《「男のかたも、修一さんだって、お酔いになるといけませんわ。絹子さんにずいぶん手荒いことをなさって、歌をうたえとおっしゃるんですの。絹子さんは歌がきらいですから、しかたなしに私が小さい声で歌うこともございます。そうでもして修一さんを鎮(しず)めないと、隣り近所にみっともなくて……。私はうたわせながら、侮辱されているようでくやしかったんですけれど、これは酒癖じゃなくて、戦地の癖じゃないかしらと思いつきましたの。戦地のどこかで、修一さんはこんな女遊びをなさったのじゃないかしら。そうしますと、修一さんの乱れた姿が、自分の戦死した夫が戦地で女遊びをしている姿のように見えるんでございます。胸がきゅうとなって、頭がぼうっとして来て、なんですか、自分が夫の相手の女のような錯覚をおこして、下品な歌をうたって泣いてしまいました。後で絹子さんに話しますと、自分の夫に限って、そんなことはと思うけれど、そうかもしれないわ。それからは、私が修一さんにうたわせられますと、絹子さんも泣くようになりまして……。」

 信吾はその病的なのに、暗い顔をした。》

 

「夜の声」章

《「菊子う、菊子う。」とまた門の音がした。

 信吾は枕もとの明りをつけて、時計を見た。二時半に近かった。

 横須賀線の終電車が鎌倉に着くのは、一時前だが、それからまた修一は、駅前の飲み屋でねばっていたのだろう。

 今の修一の声を聞くと、東京の女とのあいだも、もう先が見えていると、信吾は思った。

 菊子が起きて、台所から出て行った。

 信吾はほっと明りを消した。

 ゆるしてやれよと、菊子に言うように、信吾は口のなかでつぶやいた。

 修一は菊子にぶらさがって来るらしかった。

「痛い、痛いから、放して。」と菊子が言った。

「左の手で、わたしの髪をつかんでらっしゃるのよ。」

「そうか。」

 台所に二人はもつれ倒れて、

「だめよ。じっとして……。膝にのっけて……。酔うと足がふくれるのよ。」

「足がふくれる? 嘘つけ。」

 菊子は修一の足を自分の膝(ひざ)にのせて、靴を脱がせてやっているらしい。

 菊子はゆるしている。信吾が案じるまでもなく、夫婦のあいだでは、菊子もこんな風にゆるせる時を、むしろよろこんでいるのかもしれない。

 修一の呼ぶ声を、菊子もよく聞いていたのかもしれない。

 それにしても、修一が女のところから酔って帰ったのに、その足を膝に抱き上げて、靴を脱がせてやる、菊子のやさしさというものを、信吾は感じた。

 菊子は修一を寝かせてから、勝手口と門とをしめに行った。

 修一のいびきが信吾にまで聞えた。

 妻に迎え入れられて、修一がたちまち寝入ってしまったとすると、さっきまで修一の悪酔いの相手をさせられていた、絹子という女の立場はどうなるのだろう。修一は絹子の家で飲むと荒れて、絹子を泣かせるというではないか。

 まして、修一が絹子を知ったために、菊子はときどき青ざめながらも、腰まわりなども豊かになって来たのだ。》

 

 信吾は十四五の少女が堕胎をしたという夢を見る。「そうして、なになに子は永遠の聖少女となったのである。」という言葉が残った。昨夜の夕刊の記事が夢のもとだった。

 

 信吾は菊子が妊娠しているのか、みちみち聞いてみたかったが、言いそびれそうだった。妻の保子から、女の生理について聞かなくなってしまったことを、信吾も忘れて過ごしていた。

 

「春の鐘」章

 菊子が、お茶をしている友だちにいただいた黒百合を花入に立てようとしていた。

《信吾は花を嗅(か)いでみて、

「いやな女の、生臭い匂いだな。」と、うっかり言った。

 みだらな匂いという意味ではなかったが、菊子は目(ま)ぶたを薄赤らめて、うつ向いた。

「匂いはがっかりだよ。」と信吾は言い直して、

「嗅いでごらん。」

「お父さまのように、研究はしないことにしますわ。」》

 

《菊子は慈童の面を顔にあてた。

「この紐をうしろで結ぶんですの?」

 面の目の奥から、菊子の瞳(ひとみ)が信吾を見つめているにちがいない。

「動かさなくちゃ、表情が出ないよ。」

 これを買って帰った日、信吾は茜色(あかねいろ)の可憐な唇に、危く接吻しかかって、天の邪恋というようなときめきを感じたものだ。

「埋木(うもれぎ)なれども、心の花のまだあれば……。」

 そんな言葉も謡にあったようだ。

 艶(なま)めかしい少年の面をつけた顔を、菊子がいろいろに動かすのを、信吾は見ていられなかった。

 菊子は顔が小さいので、あごのさきもほとんど面にかくれていたが、その見えるか見えないかのあごから咽(のど)へ、涙が流れて伝わった。涙は二筋になり、三筋になり、流れつづけた。

「菊子。」と信吾は呼んだ。

「菊子は修一に別れたら、お茶の師匠にでもなろうかなんて、今日、友だちに会って考えたんだろう?」

 慈童の菊子はうなずいた。

「別れても、お父さまのところにいて、お茶でもしてゆきたいと思いますわ。」と面の蔭ではっきり言った。》

『山の音』は「重ね」(「襲(かさ)ね」)の物語(『源氏物語』の若紫、浮舟のような)でもあって、義姉と菊子の「重ね」が、能面を重ねさせるところに象徴的、重層的にあらわれる。知人、友人のたび重なる死の通知は信吾自身の死の予感に重なる。

 

「鳥の家」章

 菊子の体調が悪そうなので、修一を問いつめると、菊子は昨日医者へ行って流産をし(人工流産=中絶)、その日のうちに帰って来たのだと言う。

《「どうしてだ。どうして、菊子にそういう考えをおこさせるんだ。」

 修一はだまっていた。

「お前が悪いんじゃないか。」

「それはそうでしょうが、今はどうしてもいやだと、片意地を張るもんですから。」

「お前がとめれば、とめられることだ。」

「今はだめでしょう。」

「その、今というのはなんだ。」

「お父さんもごぞんじのように、つまり、僕が今のままでは、子供を産まないというんです。」

「つまり、お前に女があるうちは?」

「まあそうです。」

「まあそうですとは、なんだ。」

 信吾は怒りで、胸苦しくなった。

「それは菊子の、半ば自殺だぞ。そうは思わんのか。お前にたいする抗議というよりも、半ば自殺だぞ。」

 修一は信吾の剣幕にひるんだ。

「お前は菊子の魂を殺した。取りかえしがつかないぞ。」

「菊子の魂は、なかなかあれで、強情ですよ。」

「女じゃないか。お前の女房じゃないか。お前の出方ひとつで、やさしいいたわりで、菊子はよろこんで産むにちがいないんだ。女の問題は別にしてね。」

「ところが、別でないんですね。」

「保子などが、孫を待ってることは、菊子もよく知ってるはずだ。いくらか子供のおそいのを、菊子は肩身狭く思ってるくらいじゃないのか。ほしがっているものを、産めなくさせるのは、お前が菊子の魂を殺すようにするからだ。」

「それは少しちがうな。菊子には菊子の潔癖があるらしいんですね。」

「潔癖?」

「子供が出来るのもくやしいというような……。」

「ふうむ?」

 それは夫婦のあいだのことだ。

 修一はそれほど菊子に屈辱と嫌悪(けんお)とを感じさせているのかと、信吾は疑ってみたが、

「それは信じられないね。そんなことを言って、そんな素振りがあったところで、菊子の本心とは思えないね。亭主が女房の潔癖を問題にするなんて、愛情が浅薄な証拠じゃないのか。女が拗(す)ねたのを、真に受けるやつがあるか。」と、いくらか気勢がくじけた。

「孫を見ぞこなったと知ったら、保子もなんと言うかしれない。」

「しかし、これで菊子も子供が出来るとわかったんですから、お母さんも安心でしょう。」

「なんだって? お前は後が産れると、保証出来るのか。」

「保証してもいいです。」

「そういうことが、天を恐れぬ証拠だ。人を愛さぬ証拠だ。」

「むずかしい言い方ですね。簡単なことじゃないんですか?」

「簡単なことじゃないぞ。よく考えてみろ。菊子はあんなに泣いてるじゃないか。」

「僕だって、子供はほしくないことはないんですが、今は二人の状態が悪いですから、こんな時には、ろくな子供は出来ないと思います。」

「お前が状態と言うのは、なんのことか知らないが、菊子の状態は悪くないよ。状態が悪いとすると、お前だけだ。菊子は状態の悪くなる時があるような性質じゃないよ。菊子の嫉妬(しっと)を、お前がほぐしてやらないからだ。そのために子供をうしなった。子供だけじゃすまないかもしれんぞ。」

 修一はおどろいたように信吾の顔を見ていた。》

 この場面は映画でもお寺の境内を信吾(山村聰)と修一(上原謙)の二人に並んで話しながら歩かせるロケで、《成瀬システムで行くと、一歩歩いて振り返る、次の方がまた一歩歩いて、また近づいて来る、で二人になるというふうに、成瀬独特の、あの振り返りのポジション》(『山の音』のキャメラマン玉井正夫談)によって、会話もほぼ忠実に再現される。ここだけで十分に『山の音』の「頽廃と背徳」の世界が「山の音」のように重層低音で響いてくる。

 

「都の宛」章

 信吾と菊子が並んで新宿御苑を歩くところでも、アメリカ人夫婦の他に白人相手の娼婦(娼婦と決めつけるのもどうかと思うけれども)が登場する(映画では男女の二人づれが何組かエキストラとして通り過ぎるが、アメリカ人も娼婦も現れず、つまり成瀬は余計なものは見せないのだ)。

《池はやや日本風で、小さい中の島の燈籠(とうろう)に白人兵が片足をかけて、娼婦(しょうふ)とたわむれていた。岸のベンチにも、若い二人づれがいた。》

 

 事務員を辞めて、今は絹子と同じ洋裁店で働いている英子が会社に信吾を訪ねて来た。

《英子は顔を上げて信吾を見ると、泣きそうに息をつめた。

「言ってよろしいでしょうか。私、義憤を感じて、興奮しているのかもしれませんから。」

「ふむ?」

「若奥さまのことですけれど。」と英子は言いよどんで、

「中絶なさいましたでしょう。」

 信吾は答えなかった。

 英子がどうして知ったのか。まさか修一がしゃべりはすまい。しかし、英子は修一の女と同じ店にいる。信吾はいやな不安を感じた。

「中絶をなさるのはいいとしましても……。」と英子はまたためらった。

「誰が君にそんなこと言った。」

「その病院の費用を、修一さんは絹子さんのところから、お持ちになったのですわ。」

 信吾ははっと胸が縮んだ。

「ひどいと思いましたの。あんまり女を侮辱した、なさり方ですわ。無神経ですわ。若奥さまがお可哀想で、私はたまりませんでしたの。修一さんは絹子さんにお金をお渡しになってるでしょうし、御自分のお金のようなものかもしれませんけれど、私たちはいやですわ。私たちと身分がちがうんですから、それくらいのお金、修一さんはどうにでもお出来になりますでしょう。身分がちがいますと、それでよろしいんですか。」

 英子は薄い肩のふるえ出すのをこらえていた。

「お金を渡す絹子さんも絹子さんですわ。私にはわかりませんわ。腹が立ちますし、とてもいやですし、私は絹子さんと同じ店にいられなくなってもいいから、どうしてもお話に来たいと思いましたの。よけいなことをおしらせして、いけないんですけれど。」

「いや。ありがとう。」

「ここでよくしていただきましたし、私は若奥さまが、ちょっとお会いしただけで、好きですから。」

 英子の涙ぐんだ目はきらきら光っていた。

「別れさせてあげて下さい。」

「うん。」

 絹子のことにちがいないが、もしかすると、修一と菊子を別れさせろとも聞えた。

 それほど信吾は突き落されていた。

 修一の精神の麻痺と頽廃とにおどろいたが、信吾自身も同じ泥沼にうごめいていると思われた。暗い恐怖にもおびえた。》

 この「麻痺と頽廃」のあまりに痴話めいた状況は映画ではカットされている。

 

「傷の後」章

 信吾は邪悪な夢で目覚めた。

《乳房にふれているのに、信吾は女が誰かわからなかった。わからないというよりも、誰かと考えもしなかったのだ。女の顔も体もなく、ただ二つの乳房だけが宙に浮いていたようなものだ。そこで初めて、誰かと思うと、女は修一の友だちの妹になった。しかし、信吾は良心も刺戟(しげき)も、起きなかった。その娘だという印象は微弱だった。やはり姿はぼやけていた。乳房は未産婦だが、未通と信吾は思っていなかった。純潔のあとを指に見て、信吾ははっとした。困ったと思ったが、そう悪いとは思わないで、

「運動選手だったことにするんだな。」とつぶやいた。(中略)

「あっ。」と信吾は稲妻に打たれた。

 夢の娘は菊子の化身ではなかったのか。夢にもさすがに道徳が働いて、菊子の代りに修一の友だちの妹の姿を借りたのではないか。しかも、その不倫をかくすために、苛責をごまかすために、身代りの妹を、その娘以下の味気ない女にかえたのではないか。

 もし、信吾の欲望がほしいままにゆるされ、信吾の人生が思いのままに造り直せるものなら、信吾は処女の菊子を、つまり修一の結婚する前の菊子を、愛したいのではあるまいか。》

 

《信吾は戦争のあいだに、女とのことがなくなった。そしてそのままである。まだそれほどの年ではないはずだが、習い性となってしまった。戦争に圧殺されたままで、その生命の奪還をしていない。ものの考え方も戦争で狭い常識に追いこめられたままのようである。》

 

《修一に女が出来たために、菊子と修一の夫婦関係は深くすすんだ。菊子が堕胎をした後で、二人の夫婦なかは温かくなごんだ。はげしい嵐の夜、菊子は常よりも濃く修一にあまえ、修一が泥酔して帰った夜、菊子は常よりもやさしく修一をゆるした。

 菊子のあわれさか愚かさか。

 それらのことを菊子は自覚しているのだろうか。あるいはそれとさとられないで、菊子は造化の妙、生命の波に、素直に従っているのかもしれない。

 菊子は子を産まないことで修一に抗議し、さとに帰ったことでも修一に抗議し、そこに自身の堪えがたいかなしみも現わしたわけだが、二三日でもどって来ると、自身の罪をわびるかのように、また自分の傷をいたわるかのように、修一となかよくなってしまった。

 信吾にしてみれば、なんだ、つまらない、でないこともない。しかし、まあ、よかった、ということなのだろう。

 絹子の問題はしばらく不問のまま、自然の解決を待てばいいのかと、信吾は考えもするほどだ。

 修一は信吾の息子だけれども、菊子がこのようにしてまで修一と結ばれていなければならいほど、二人は理想の夫婦、運命の夫婦なのか、信吾は疑い出すと限りがなかった。》

 信吾の奇妙な嫉妬のごとき頽廃した内面の深層心理描写。

 

「雨の中」章

 英子がまた会社に来た。

《修一の女が妊娠していると聞かせられて、信吾はぎょっとした。

「産んではいけないと、私は言いましたの。」と英子は薄い唇をふるわせて、

「昨日、お店の帰りに、絹子さんをつかまえて、そう言ってやりました。」

「ふむ。」

「だって、そうじゃありませんの? ひど過ぎますわ。」

 信吾は答えようがなく、暗い顔をしていた。

 英子は菊子のことを思い合わせて言っているのだ。

 修一の妻の菊子と愛人の来ぬことが、前後して妊娠した。世間にもあり得ることだが、自分の息子にあり得ようとは、信吾は思ってもみなかった。しかも、菊子は中絶してしまった。》

 

《菊子は修一に女のあるうちは、子供が出来るのもくやしいというような潔癖から、産まなかったらしいが、その女の妊娠は夢にも知らなかったにちがいない。

 手術を信吾に知られてから、二三日さとへ行ってもどると、修一との仲がむつまじくなったと見え、修一は毎日早く帰って、菊子をいたわっているようだが、それはいったいなんなのだ。

 善意に解釈すれば、子供を産むという絹子に、修一も苦しめられ、絹子から遠ざかって、菊子に詫(わ)びているのかもしれない。

 しかし、なにかいまわしい頽廃(たいはい)と背徳の臭いが、信吾の頭にこもるようだ。

 いったいどこから生まれて来るのか、胎児の生命までが魔ものとも思えた。

「生まれたら孫か。」と信吾はひとりごとを言った。》

 映画では、信吾は絹子の子供のことは英子からではなく、本郷の大学の側にある絹子と池田の家を訪れたときにはじめて知ることで、この「頽廃と背徳」の臭いの場面はカットされている。

 

「蚊の群」章

 絹子と池田の家。

《「戦争未亡人が私生児を産む決心をしたんですわ。なにもお願いするわけはないけれど、産ませてやっていただきたいわ。お慈悲ですから、見のがしていただきたいわ。子供は私のなかにいて、私のものですわ。」

「それはそうでしょうが、これから結婚なされば、また子供は出来るでしょうし……。不自然な子を今産まなくても。」

「なにが不自然ですの?」

「いや。」

「私がこれから結婚するときまっていませんし、子供が出来るとはきまっていませんわ。神さまのような予言をなさいますの? 前には、子供がなかったんですわ。」(中略)

「お宅のお世話にならなければ、よろしいんでしょう。絶対に泣きつかないって、私誓いますわ。修一さんと別れましたし。」

「そういうものでもないでしょう。子供のゆくすえは長いんだし、父と子の縁は切ってもつながることがありますよ。」

「いいえ、修一さんの子じゃありませんわ。」

「あなたも、修一の嫁が子供を産まなかったことは知ってるはずでしょう。」

「奥さんこそ、いくらでもお出来になりますわ。出来なければ、後悔なさいますでしょう。贅沢な奥さんに、私の気持はおわかりにならないわ。」

「あなたにも菊子の気持はわからない。」

 信吾はつい菊子と名を言ってしまった。

「修一さんが、お父さんをおよこしになったんですか。」と絹子は詰問するように言って、

「修一さんは産むなと言って、私をなぐったり、踏んだり、蹴ったり、医者へつれて行こうとして、二階から引きずりおろされました。その暴力沙汰か芝居気で、修一さんの奥さんに対するお義理はすんでいるんじゃありませんの?」

 信吾は苦い顔をした。

「ね、ひどかったわね。」と絹子は池田を振り向いた。池田はうなずいて、

「絹子さんは、洋服地のあまりぎれも、子供のなにやかやおしめになりそうなのは、今からためていますの。」と信吾に言った。

「足で蹴られましたから、子供が心配になって、後で医者へ行ってみました。」と絹子はつづけた。

「私は修一さんに言いましたわ。修一さんの子供じゃありません。あなたの子供じゃない。それで別れましたの。いらっしゃいませんわ。」

「と言うと、ほかの人の……?」

「そうです。そうお取りになって、結構ですわ。」

 絹子は顔をあげた。さっきから涙を流していたが、新しい涙が流れつづいた。

 信吾は困り果てながら、絹子が美しく見えた。目鼻立ちを仔細に見ると、いい形でないが、ぱっと来る印象は美人だった。

 しかし、やわらかい見かけによらず、絹子という女は、信吾を寄せつけなかった。》

 この修羅場においてさえ、《目鼻立ちを仔細に見ると、いい形でないが、ぱっと来る印象は美人だった》との美意識をもつ男の性(さが)、あるいは業の哀しさは川端の頽廃と背徳の世界である。

 

「蛇の卵」章

 横須賀線の車内で、鶴見駅で事故があったのでとまってると車掌が言った。信吾の前の外人が、つれの青年にわけを聞いている。

《青年は外人の大きい片腕を両手で抱き、肩に頬をつけて眠っていた。目をあいてもその姿のままで、あまえるように外人を見上げた。目をとろんと薄赤く、目(ま)ぶたはくぼんでいた。髪を赤くしていた。しかし、根もとに黒いところが出て来ていて、茶色に汚ない髪だった。毛のさきだけ変に赤かった。外人相手の男娼だろうかと、信吾は思った。

 青年は外人の膝の上の掌を上向けて、自分の手をそれに重ねると、やわらかく握った。いかにも満足したようだった。

外人は肩までのシャツで、赤熊のように毛だらけの腕を出していた。(中略)

 信吾はこの青年が遠からず死ぬような気がした。目をそらせた。

 臭い小溝のふちに、よもぎの列が青々と生いしげっていた。電車はまだとまっていた。》

 

「秋の魚」章

《からす瓜をながめていると、菊子も目にはいった。

 あごから首の線が言いようもなく洗練された美しさだった。一代でこんな線は出来そうになく、幾代か経た血統の生んだ美しさだろうかと、信吾はかなしくなった。

 髪の形で首が目立つせいか、菊子はいくらか面(おも)痩(や)せして見えた。

 菊子の細く長めな首の線がきれいなのは、信吾もよく知っていたが、ほどよく離れて寝そべった目の角度が、ひとしお美しく見せるのだろうか。

 秋の光線もいいのかもしれない。

 そのあごから首の線には、まだ菊子の娘らしさが匂っている。

 しかし、やわらかくふくらみかかって、その線の娘らしさは、今や消えようとしている。》

 死と性を底に秘めた、美しさと哀しみをあわせもつ頽廃と背徳が川端の端正な文章から匂いたつ。

                                (了)

     *****引用または参考文献*****

*川端康成『山の音』(『新潮日本文学15 川端康成集』に所収)(新潮社)

*川端康成『山の音』(山本健吉、辻原登解説)(新潮文庫)

*蓮實重彦・山根貞男『成瀬巳喜男の世界へ』(蓮實重彦「寡黙なるものの雄弁――戦後の成瀬巳喜男」、玉井正夫「成瀬さんの本領は、一歩歩いて振り返る、独特の振り返りのポジションですね」所収)(筑摩書房)

*「ちくま日本文学」『川端康成』(須賀敦子解説「小説のはじまるところ 川端康成『山の音』」所収)(筑摩書房)

*田村充正編『川端康成作品論集成 第八巻 山の音』(山本健吉「『山の音』の菊子」、三島由紀夫「横光利一と川端康成」、中村光夫「川端康成論(三)――好色について」、鶴田欣也「『山の音』」、他所収)(おうふう)

*「ユリイカ 特集成瀬巳喜男 2025年7月号」(紙屋牧子「肉体の軋 成瀬巳喜男監督『山の音』(一九五四年)における戦後的なもの」他所収)(青土社)

*黄也「成瀬巳喜男と<不確かさ>の映画 : 1951年以降の作品を中心に」(北海道大学)

*「座談会 ちかごろの日本映画」(「婦人朝日」(朝日新聞社、1954.2)

*村川英『新版 成瀬巳喜男演出術 役者が語る演技の現場』(ワイズ出版)

*千葉伸夫『監督成瀬巳喜男 全作品と生涯』(森話社)

*川本三郎『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)

*ミツワ・ワダ・マルシアーノ編著『「戦後」日本映画論 一九五〇年代を読む』(木下千花「妻の選択――戦後民主主義的中絶映画の系譜」所収)(青弓社)

*折口信夫「山の音を聴きながら―川端康成氏の近業―」(『折口信夫全集27 評論篇1』に所収)(中公文庫)

 

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 

 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 



 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) アニー・エルノー『シンプルな情熱』の「恋愛のディスクール」(ノート)

 

 

 



 アニー・エルノー『シンプルな情熱』のエピグラフは、《《ヌウ・ドゥー》(男女間の甘い情緒をふんだんに盛り込むことで有名な大衆週刊誌のタイトルで、「あなたと二人」といった意味)というあの雑誌は、サドにもまして淫らだ。――ロラン・バルト『恋愛のディスクール』》である。

 原典のロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』から引用されたこの文章は、「OBSCÈNE みだらさ」という断章の中の《あらゆる侵犯行為に対して社会が課す税金は、今日、セックスよりはむしろ情愛の方に重い。Xが性生活について「深刻な問題」をかかえているのであれば、誰もが理解を示してくれるだろう。しかし、Yがその感傷的情熱についてかかえている問題には、誰ひとり関心をもとうとしない。恋愛がみだらなのは、それが、セックスのかわりに感傷をおこうとするからである。「感傷的老少年」(フーリエ)が恋ゆえに死ぬとしたら、情婦のかたわらで脳充血の発作を起したフェリックス・フォール大統領ほどにもみだらに見えることだろう。》の末尾に( )付きで置かれた警句となっている。

 

 エルノー『シンプルな情熱』における「書くこと」の「感情の表出、情熱のさらけ出し」という挑発的侵犯行為に他ならない「恋愛のディスクール」を読んでゆこう。

 ここで、ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』のフィギュール(型)から、たとえば、「DÉRÉALITÉ 脱現実」、「OBJETS オブジェ」、「OBSCÈNE みだらさ」、「IDENTIFICATION 同一化」、「SOUVENIR 追憶」、「INSUPPORTABLE 耐えがたい」、「MAGIE 魔法」、「CORPS 肉体」、「RETENTISSEMENT 反響」、「VOULOIR-SAISIR 占有願望」などなど、その常套句的、コード的な特性からして、エルノーの断章のほとんどすべてと対照化しうる。後述では、「⇒」でバルトのフィギュール(型)、概要(アンギュルマン)を引用することによって、共鳴の悦びを見いだすだろう。

 しかし、バルトの『恋愛のディスクール・断章』のディスクールが、「男(恋愛主体)から見た女(ないし男)(恋愛対象)」のそれであるのに対して、エルノーにおいては「女(恋愛主体)からみた男(恋愛対象)」という、女性的な感性、同性愛的な情緒性をもつバルトにおいてさえ脱落している、関係のディスクールを読むことができる。

 さらに、『シンプルな情熱』が重要なのは、ついに小説を書こうとして書きえなかったバルトが、「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」という概要に続いて、《わたしには自分のことを書く(・・・・・・・・)ことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。斬新的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて(・・・)書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とう(・・・・・・・・)でしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である》としたのに対して、小説家エルノーはともかくも「書くことについて書き」、そして「小説を書いた」ということである。(けれども、あえて言えばバルトの『明るい部屋』にはじまって『偶景』『パリの夜』などのエッセイ、日記体は立派なロマネスク、小説ではないのか、少なくともエルノー『シンプルな情熱』に隣接していて、それらの境界は曖昧だ。)

 

<道徳的判断の一時的な宙吊り>

《この夏、私は初めて、《カナル・プリュス》(有料契約方式の民放テレビ局)のチャンネルで、ポルノ指定を受けている映画を見た。(中略)ゲピエールをつけ、ストッキングを穿(は)いた一人の女のシルエットが見分けられ、男が一人いるのも見えた。(中略)こんな光景もきっと、見慣れてしまえば何ということもないのだろう。が、初めて見ると動顚してしまう。何十世紀にもわたって、何百回も世代が交替してきたのに、今日に至って初めて、ようやく、女の性器と男の性器の結合するさまや、精液を目にすることができる――昔はほとんど死ぬ気でなければ見られなかったものが、握手する手と同じくらい易々と見られるようになった。

 私には思えた。ものを書く行為は、まさにこれ、性行為のシーンから受けるこの感じ、この不安とこの驚愕、つまり、道徳的判断が一時的に宙吊りになるようなひとつの状態へ向かうべきなのだろうと。》

 

 ⇒バルト「OBSCÈNE みだらさ――現代の世論は恋愛の感傷性ということに冷淡である。恋愛主体はこの感傷性を、わが身ひとりを衆人環視の中にさらすたぐいの、強度な侵犯行為として引き受けざるをえなくなっている。つまり、ある種の価値転倒により、今日では、この感傷性こそが恋愛のみだらさをなしているのである。」

 

<惰性で生きている>

《昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと――彼が電話をかけてくるのを、そして家へ訪ねてくるのを待つこと以外、何ひとつしなくなった。なるほど私は、スーパーマーケットへも、映画館へも行ったし、衣類をクリーニング屋へ持って行きもした。読書も欠かさず、生徒たちのレポートや答案の添削・採点をすることも忘れなかった。以前と少しも変わりなく動いていた。けれどもそれは、長い年月のうちに身についた習慣だからできたことで、そうでなかったら、よほど自分を鞭打たないかぎり不可能だったと思う。自分が惰性で生きていると感じたのは、とりわけ、人と話をしているときだった。》

 

 ⇒バルト「DÉRÉALITÉ 脱現実――世界と直面した恋愛主体が体験する不在感、現実の後退現象。」

 

<目を止める箇所>

《会話の流れの中で、私の無関心を突き破ってくる話題といえば、彼、彼の役職、彼の故国、彼が行ったことのある土地などに関連する話題だけだった。(中略)私は本を読んでいても同じで、目を止める箇所はいつも、一人の男と一人の女の関係にかかわっていた。そんな箇所の記述は、Aについて私に何かを教えてくれ、私が信じたがっていることにひとつの確かな意味を与えてくれるような気がしたのだ。たとえば、グロースマン(一九〇五~六四、旧ソ連の反体制作家)の『生と運命』(著者の没後、西側で出版された小説)の中に「愛する者は、接吻するとき目を閉じる」とあるのを読むと、私は、Aは私を愛しているわ、彼は私に接吻するとき目を閉じるから、と思ってみるのだった。そのあと、本の残りの部分も読みはしたが、それはもう、他のすべての営みが一年間私にとってそうであったように、逢瀬と逢瀬の間の暇つぶしでしかなかった。》

 

⇒バルト「RETENTISSEMENT 反響――恋する者の主観性の基本的なあり方。恋愛主体の情動意識内にあっては、ひとつの語、ひとつのイメージが、苦痛にみちた反響を惹起する。」

 

<電話の声>

《私にとって、未来への展望といえば、いつ会うかを決める次の電話だけだった。職業上の必要があるとき――仕事のスケジュールは彼に知らせてあった――以外、私はできるだけ外出しないようにしていた。彼が電話をかけてくるのが自分の留守中になりはしないかと、いつも心配だったのだ。私はまた、掃除機やヘアドライヤーを使うのも、それがもとで電話のベルを聞き逃しかねなかったから、控えていた。電話が鳴り出すたびに期待で胸がはり裂けんばかりになったが、その期待は、努めてゆっくりと受話器を取り、「もしもし」と言い終わるまでしか続かぬことが多かった。相手が彼でないとわかると、私はがっかりするあまり、電話をかけてきた人のことが我慢ならなくなった。逆に、Aの声が耳に入ってくると、それまで辛い思いで、いうまでもなく嫉妬に駆られながら、いったいいつまでと内心呻きながら待ち続けていたことなど、たちまち嘘のように消えてしまうので、私は、自分はまったくどうかしていた、でも今では急に平静を取り戻しつつあると感じた。そんなとき私は、聞こえてくるその声が、自分の生活の中で度はずれて大切なものとなってしまっていることに、我ながら驚くのだった。》

 

 ⇒バルト「ATTENTE 待機――愛する人を待ちわびて、ほんのわずかな遅れ(約束の時間、電話、手紙、帰還などの)にも惹き起こされる苦悩のざわめき。」

 

<“現在”はどこにあるのか?>

《それはいつも、せいぜい数時間のことだった。私は、腕時計をしていなかった。彼の到着の直前にはずすことにしていた。彼のほうは腕時計をはずさないでいたので、私は、彼がその時計にそっと眼をやる時がくるのを恐れていた。ウイスキー用の氷を取りに台所に入るたびに、私は眼を上げてドアの上に掛けてある時計を見た。「もうあと二時間しかない」「一時間」「一時間後には、私はここにいるけれど、彼は帰ってしまっているんだわ」私は茫然として思うのだった。

「“現在”というのはどこにあるのかしら?」

 帰っていく前、彼はゆっくりと服を着た。私は、彼がワイシャツのボタンをはめるのを、靴下を、パンツを、ズボンを穿(は)くのを、鏡の方を振り向いてネクタイを締めるのを、じっと見ていた。彼が背広の上着を着てしまうと、すべてが終わる。私はすっかり、私自身を貫いて流れる時間と化していた。》

 

 ⇒バルト「RAVISSEMENT 拉致――恋愛初期に来る(後になって再構成されていることもある)周知の挿話。恋愛主体が恋愛対象のイメージに「拉致された(捉えられ魅惑された)」自分を感じている状態(俗名、ひとめぼれ、学名、遊魂状態)。」

 

<瞬間の証(あかし)>

《彼が去るとまもなく、途方もない疲労感に襲われて、私は身動きできなくなった。すぐには後片づけをしなかった。ただ眺めていた。グラス、食べ残しが載ったままの皿、吸殻でいっぱいの灰皿、衣類、廊下にも寝室にも散らばっているランジェリー、ベッドからカーペットの上に垂れ下がっているシーツ。出来る事なら、その無秩序をそっくりそのまま取っておきたかった。そこにあるどの物象を見ても、ある動作、ある瞬間の証(あかし)となっていて、全体が構成するタブローの力と痛みは、私にとっては、美術館にあるどんな作品もけっして及ばないほどのものだったから。もちろん、私自身、翌日まで洗浄はせず、彼の精液を保っていた。》

 

⇒バルト「OBJETS オブジェ――愛する人の身体が触れたものは、なにもかもその人の一部と化し、恋する者はそれに激しい愛着を感じる。」

 

<足し算>

《私はまた、彼と何回交わったか、足し算してみたものだ。毎回、新たに何かが私たちの関係につけ加わるように思えたけれど、しかしまた、そのほかならない行為と快楽の積み重ねによって、私たち二人の間が確実に隔てられていくのだとも、私は感じていた。蓄積した相手への欲望を、とことん消費していったのだから。肉体的昂奮の強度が増せば、その分を、時間の持続において失うのだった。》

 

 ⇒バルト「DÉPENSE 消費――恋愛主体が、愛を純粋消費の経済内に、「なんのためでもない現実」の経済内に置くことを求め、かつ逡巡するフィギュール。」

 

<異常者>

《私は、付き合っている人々の前で、自分の言葉の端々に、寝ても覚めても忘れられない彼のことが透けて見えたりしないようにと心がけていた。それには警戒心が要り、その警戒心を不断に引き締めているのは難しいことだったけれども。美容室で、とてもおしゃべりな女性を見かけたことがある。その女性に、しばらくは誰もがふつうに受け答えしていたのだが、ある時点で、彼女が、仰向けになって頭をシャンプー・ボウルに入れたまま、「私、神経の方を治療してもらっているの」と言った。と、たちまち、ほとんど誰にも気づかれない程度にだが、美容院のスタッフは、距離を置いた慎重な態度で彼女に接しはじめた。あたかも、つい口から滑り出てしまったその一言が、彼女の錯乱の証拠でもあるかのようだった。私は、もしうっかり「私、恋(パッション)に燃えているの」などと言ったら、自分もまた異常者と見られるだろうと不安だった。それでいて私は、スーパーマーケットのレジや銀行で他の女性たちに混じっている時には、こう訝(いぶか)ったものだ。この人たちにも、私と同じように、片時も忘れることのできない男がいるのだろうか、そうでないなら、この人たちはいったいどんなふうにしているのだろう、そんな状態で、つまり――私の以前の生活から類推すれば――心持ちにしているのは、週末、レストランへのお出かけ、美容体操のレッスン、もしくは子供の成績表といった、要するに、今の私にはめんどうくさいもの、あるいはどうでもよいものばかりであるような状態で、それでもこうしてちゃんと生きているとは……。》

 

 ⇒バルト「CASÉS 所を得る――恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」

 

<無益なもの>

《打ち明け話の折り、一人の女性または男性が、進行中の、あるいは過去の「ある男とのすごい恋愛」とか「ある人との非常に強い関係」とかを告白するのを聞くと、私は時々、自分の胸の内も明かしたくなった。ところが、いったん体験の共通性を確かめ合う陶酔から醒めると、思わず我を忘れてしまったことを後悔した。相手の言葉のいちいちに、「私もよ、私の場合も同じよ、私も同じことをしたわ、等々」と相槌を打ち続けたそれまでの会話が、一挙に、自分の情熱(パッション)の実体とは何の関係もない、無益なものに思えた。そんな真情吐露の中で、何かが失われたとさえ言ってよかった。》

 

 ⇒バルト「IDENTIFICATION 同一化――恋愛主体は、恋愛構造において自分と同じ位置を占める人物(あるいは登場人物)となら、誰とでも、苦悩の内に同一化をおこなう。」

 

<シャンソン>

《この時期、私は一度としてクラシック音楽を聴かなかった。シャンソンのほうがよかったのだ。そのうちでもとりわけ感傷的ないくつかの曲、以前は一願だにしなかった類(たぐい)の曲に、心を揺さぶられた。それらのシャンソンは、端的に、率直に、恋情(パッション)の絶対性を、またその普遍性を証言していた。シルヴィー・ヴァルタンがその頃「どうしようもないの、動物だもの」と歌っているのを耳にして、私は、それを痛感しているのが自分一人ではないことを得心したのだった。シャンソンが、進行中だった私の体験に寄り添って、それを正当化してくれていた。》

 

 ⇒バルト「JE-T-AIME わたしは・あなたを・愛しています――このフィギュールは、愛の宣言、告白にかかわるものではなく、愛の叫びの反復的発語行為にかかわっている。」

 

<焼け焦げ>

《彼が来ていたある日の午後、私は、居間の床に火から下ろしたばかりのコーヒーポットを置き、敷いてあった絨毯を、糸目が見えるほど焦がしてしまった。ところが、まったく気にならなかった。それどころか、その後、その焼け焦げが目に入るたびに、彼と過ごしたその午後を思い出して、私は幸せな気分になった。》

 

 ⇒バルト「SOUVENIR 追憶――愛する人と結びつくオブジェ、身振り、場面などについての、しあわせな、そして/あるいは、悲痛な思い出。恋愛のディスクールの文法内では、これが、半過去時制によって指定される。」

 

<小説みたいに生きている>

《その頃はいつも、自分は恋(パッション)を小説みたいに生きているという気がしたものだった。けれども今、私には、自分がその情熱(パッション)を何のスタイルで書き記しているのかわからない。自分のこの書き方が証言ふうというか、女性誌でよく見かける告白ふうなのか、それとも宣言書(マニフェスト)的なのか、調書的なのか、あるいは、もしかしたらテクスト註釈的なのか、判断がつかない。

 私は、ある愛人関係の経緯を物語っているわけではない。ことの発端から終わりまで(その半面しか私は知らない)を、日を明確に追って(「彼が十一月十一日に来た」)、あるいは大まかに追って(「数週間が過ぎた」)、語っているわけではない。私から見て、彼との関係に、時間の経過にそった物語などなかった。なにしろ私の意識には、彼がそこにいるか、いないか、それだけしかなかったのだから。私はもっぱら、「いつも」と「ある日」の間を絶えず揺れ動きながら、ひとつの激しい恋(パッション)のしるしを拾っては積み上げる。あたかもそのリストを作成していけば、私みずから、その情熱(パッション)の実体をつかむことができるかのように。当然ながら、ここでおこなう事実の列挙と記述の内には、アイロニーも自嘲もない。アイロニーや自嘲は、ある物事が自分にとって過去のものとなってしまってから、それを他人たちや自分自身に語るときの方法であって、その物事を体験している最中には用をなさない。》

《私は、自分の情熱を説明したいのではなく――説明したいとすれば、それは取りも直さず、自分の情熱を、引き受けることを回避しなければならないようなひとつの錯誤もしくは変調と見なすことになろう――、単にさらけだしたいのだ。》

 

 ⇒バルト「ÉCRIRE 書く――恋愛感情を「芸術創造」とくに文章(エクリチュール)のかたちで「表現」したいという欲求が生み出す罠、自己弁護、袋小路など。」

 

<同じ番組、同じ映画>

《夜、テレビの前で、私は、あの人も同じ番組、同じ映画を見ているかしらと思ったものだ。特に、その番組ないし映画の主題が愛かエロティシズムだった場合、シナリオに、私たちの置かれていた状況と通じ合うところがあった場合に、そう思った。そんなとき私は、彼がたとえばトリュフォーの『隣の女』を見ながら、登場人物を私たちに置き換えていると想像した。彼が事実その映画を見たと私に言うと、私はややもすれば、彼がその夜その映画を選んだのは私たちのことがあるからだと、そして、画面で演じられた私たちの物語は彼の目により美しく、あるいは少なくとももっともな裏づけのあるものと映ったに違いないと思い込んだ。(逆に、私たちの関係が彼の目に危険なものと映ったかもしれない。なぜなら映画に描かれる婚姻外の恋(パッション)の結末はきまって不幸だから、という考えも湧いたが、もちろん、そんな考えは大急ぎで退(しりぞ)けた。)》

 

 ⇒バルト「ÉCORCHÉ 生皮を剥がれた者――恋愛主体の特別な敏感さ。そのせいでごく軽い傷にも痛みを感じやすく、無防備になっている。」

 

<存在しないかのように>

《時々、私は、彼はたぶん束の間も私のことを考えないでまる一日を過ごすのだろうなと思った。私には、彼が起床するのが、コーヒーを飲むのが、話すのが、笑うのが、まるで私など存在しないかのように起居するのが見えた。四六時中彼のことに囚(とら)われている自分の状態とのこの大きなずれが、私にはまったく信じられないことに思えた。どうしてあの人には、そんなことができるのか……。しかし、彼のほうでも、自分のイメージが朝から晩まで私の脳裡を去らないと知ったら仰天したことだろう。私の在り方と彼の在り方を比べて、どちらかをより

正当と見なすような根拠はなかった。ある意味では、私のほうが、彼より幸運だったのだ。》

 

 ⇒バルト「FADING フェイディング――愛する人があらゆる接触から身を退いてゆくように思える苦痛の試練。しかもこの謎めいた冷淡さは、直接恋愛主体に向けられたものでなく、さりとて世間とか、ライバルとか、いわゆる第三者に対する好意の反映でもないのだ。」

 

<別れてしまいたい>

《電話がかかってくるか否かにもう一喜一憂しなくてすむように、もう苦しまなくてすむように、きっぱりと別れてしまいたいという気持ちに、私は絶えず傾いた。が、すぐに、訣別(けつべつ)の直後から始まるもの、何ひとつ待ち焦がれることなしに過ごさなければならない日々の連続が頭に浮かぶのだった。私が選んだのは結局、たとえどんな代償を払うことになっても、彼に自分以外の女が一人、もしかすると数人いるというような事態(つまり、私がそれから逃れるために彼と別れることを考えた苦しみよりもさらに大きな苦しみ)を我慢してでも――。》

 

 ⇒バルト「VOULOIR-SAISIR 占有願望――愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ、そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」

 

<執着(パッション)を白状する>

《その夏は、ヴァカンスに発(た)ちたくはなかった。朝、ホテルの一室で目覚め、彼からの電話をいっさい期待できない一日の始まりを思ったりするのは、気が向かなかった。けれども、旅行を断念するのは、彼に面と向かって「あなたに夢中なの」という以上にはっきりと、自分の執着(パッション)を白状することだった。別れたいという気持ちに囚(とら)われていたある日、私は、すぐに別れる代わりに、二カ月後にフィレンツェへ行くことにして、列車とホテルの予約をした。彼と別れるのに自分がイニシアティヴを取らなくてすむ、そういう形の訣別を思いついたことで、私はとても満足していた。が、出発の日がいよいよ迫ってくるのを感じると、早くから受験者名簿に登録しておきながら準備の勉強を怠ったまま試験の日を迎えるときのような気分――打ちひしがれた、何をしても無駄だといった気分に落ち込んだ。個室寝台車の寝台で、私は、一週間後にまた同じ列車に乗って、今度はパリへ戻っていく自分を想像し続けた。》

 

 ⇒バルト「CACHER 隠す――慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する。いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂)を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」

 

<記憶と狂気の間>

《私は是が非でも、彼の躰を、髪から足の指にいたるまで思い起こそうとした。そして、彼の緑色の眼や、額の上で揺れる前髪や、両肩の曲線を、細かい部分まで明瞭に思い描くことに成功した。彼の歯を、口の内部を、大腿(だいたい)部の形を、肌触りを感じた。私は思った。このイメージによる再構成とある種の幻覚、記憶と狂気の間は紙一重だと。》

 

 ⇒バルト「CORPS 肉体――愛する人の肉体が恋愛主体の心に惹起する思い、感動、関心のすべて。」

 

<同じスーツを着て>

《たびたび願い事をした。もし彼が今月末までに電話をかけてくれたら、人道的活動組織に五百フラン送る。

 どこかのホテルとか空港とかで再開することを、あるいは彼が手紙をくれることを想像した。そんな時私は、彼が言いはしなかった言葉に、けっして書きはしない言葉に返事していた。

 出かける先が、前年、彼がいた時期にも行ったことのある場所――歯科医院、教員会議など――である場合、私は、その時期に着たのと同じスーツを着て、同じ状況から同じ結果が生まれる、だからあの人が今晩電話をくれる、と信じ込もうとした。真夜中頃、がっくり気落ちして床に着くとき初めて、自分がその日まる一日、彼からの電話がかかってくると本気で信じていたことに気がつくのだった。》

 

 ⇒バルト「ISSUES 出口――手段を問わぬ苦痛解消への誘惑。これは、多くの場合破滅的な誘惑なのであるが、それでも、恋愛主体に一時的なやすらぎを与えてくれる。恋愛の危機を脱するについて考えられるさまざまな出口の、幻覚的操作。」

 

<『アンナ・カレーニナ』>

《Aがまだいた時に、あれほどまでにぼんやりした意識で読んだ本のうちのどれかを、再読してみたかった。あの頃の期待や夢が本の中に託されている、だから本を読めば、あの頃とちっとも変わらない自分の情熱をふたたび見出せる、という気がしていた。それでいて私は、読む決心をつけかね、いざ本を開こうという段になって、縁起が悪いと思って尻込みした。まるで『アンナ・カレーニナ』が、不幸を招きたくなければこれこれの頁をめくってはならないと定められている神秘の一冊ででもあるかのように。》

 

 ⇒バルト「MAGIE 魔法――魔法めいたものにすがるとか、ささやかな秘密の儀式をとりおこなうとか、誓願をたてるとかといった行為は、教養の如何を問わず、恋愛主体の人生にはかならず存在するものである。」

 

<ばらばらになりはじめている>

《今夕、RERの車内で、私の向かい側の席の女の子二人が話し込んでいた。「あの人たちなら、バルビゾン(既出フォンテーヌブローの森の北西部にある別荘地)にいるわ」と話しているのが聞こえた。私は、その地名に関連して記憶に残っていることがあったはずだが、あれは何だったかと自問した。数分後に思い出したのは、あるときAが、日曜日に夫人連れでそこへ行っていたと言っていたことだった。それは特によく憶えていることではなく、他の記憶、たとえば、ご無沙汰している女友だちの一人が住んでいる町ブリュノワ(パリ南郊の保養地)の名を小耳に挟んだときに頭の隅をよぎる記憶と、差がなかった。してみると、世界が、Aとのかかわりを越えて、ふたたび意味を持ちはじめたのだろうか? モスクワのサーカスの「猫使い」の男、バスローブ、バルビゾン……最初の夜以来、私の頭の中で、イメージや動作や話し言葉を材料として日々組み立てられてきたテクスト全体――文字で綴られたのではないひとつの情熱(パッション)の物語(ロマン)を構成するさまざまなしるしの総体が、ばらばらになりはじめている。その生身のテクストとの関係でいうと、今書いているこれは、残滓(ざんし)、ちょっとした痕跡にすぎない。もとのテクスト同様、これもまた、いつか無に帰すことだろう。》

 

 ⇒バルト「ALTÉRATION 変質――恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごろ、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」

 

<意味がないという意味>

《彼が戻ってきたのは現実ではなかったという気がしている。あの夜のことは、私たち二人の物語の時間の内のどこにも存在しない。ただ一月二十日という日付だけが、残っている。あの夜帰ってきた男も、彼がいた一年間、そしてあのあとの執筆期間、私が自分の内にずっと抱き続けていた男性ではない。ほかでもないその男性には、私は絶対に再会することがないだろう。が、それにもかかわらず、あの非現実的で、ほとんど無に等しかったあの夜のことこそが、自分の情熱(パッション)の意味をまるごと明示してくれる。いわゆる意味がないという意味、二年間にわたって、この上なく激しく、しかもこの上なく不可解な現実であったという意味を。》

 

⇒バルト「CONDUITE 行動――熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」

 

<境界を越える>

《そこまでするだけの「値打ち」が彼にあったかどうかを問うのは、いうまでもなく、まったく意味のないことだ。また、確かに私は、今述べたようなこといっさいに対して、まるで誰か他の女性のことだったかのような違和感を覚えはじめているけれど、だからといって、次のことが少しでも変わるわけではない。彼がいてくれたからこそ、私は、自己を他者から分離している境界に接近し、時折その境界を越えるようなイメージさえ抱くことができたのだ。

 私は、時間の流れを、それまでとは違う仕方で、全身で感じた。

 私は、人がその気になればどんなことを仕出かし得るか、何でもやりかねないのだということを発見した。崇高な、あるいは致命的な欲望、みっともない振る舞い、あるいはまた、自分自身がそれに頼ったり訴えたりすることになるまでは他人事(ひとごと)として見て、およそばかげていると思っていたある種の信心や行動……。彼は、彼自身の知らぬ間に、私を以前より深く世界に結びつけてくれた。》

 

 ⇒バルト「VÉRITÉ 真実――自分の愛について考える恋愛主体は、「真実というものの感動」を覚える。恋愛対象を「その真実において」見ているのは自分ひとりだと思うからであり、自分の要求はあくまで真実であり、なんとしても譲歩しがたいものだと思うからである。そうした「真実感」についてのすべての言語的挿話。」

 

<贅沢とは>

《子供の頃の私にとって、贅沢といえば、毛皮のコート、ロング・ドレス、それに海辺の別荘だった。その後、贅沢といえるのは、知識人の生活を営むことだと信じた。今の私には、贅沢とはまた、ひとりの男、またはひとりの女への激しい恋(パッション)を生きることができる、ということでもあるように思える。》

 

 ⇒バルト「ERRANCE 彷徨――すべての愛は唯一無二のものとして生きられる。いつの日か他所で再びくりかえすかもしれぬなどという思いは、恋愛主体の拒否するところである。ところが、おのが内に突如として恋愛欲望の拡散が認められることもあって、そのとき主体は、自分が死に至るまで、愛から愛へと彷徨をつづける運命にあることを了解する。」

 

 エルノーはエピグラフについて、次のように説明しているという。

《あの言葉は、私たちのこの社会では、感情の表出、情熱のさらけ出しは、セックスよりもはるかに「挑発的」で順応主義を逆(さか)なでする、という意味なんです。ロラン・バルトが数年前に書いた言葉ですが、今日、ますます現実味を増しています。私の本に少し意義を与えてくれる言葉だと思います。(《ル・ヌーヴォー・ポリティス》一九九二年四月号)》     

                                       (了)

      *****引用または参考文献*****

*アニー・エルノー『シンプルな情熱』堀茂樹訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳(ハヤカワepi文庫)

*アニー・エルノー『ある女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『場所』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『凍りついた女』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『若い男/もうひとりの娘』堀茂樹訳(早川書房)

*アニー・エルノー『戸外の日記』堀茂樹訳(早川書房)

*ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁郎訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳(みすず書房)

*ロラン・バルト『偶景』(『偶景』『パリの夜』所収)沢崎浩平、萩原芳子訳(みすず書房)

文学批評) シモーヌ・ヴェイユからつながる(ノート)

 

 

 

  

                           

 シモーヌ・ヴェイユを読むための心構えというものがある。読み手がヴェイユの真摯な言葉に触発されることによって、今までの自分を超えるものを見いだすための心得と言ってもよいかもしれない。

 

<須賀敦子「世界をよこにつなげる思想」より>

 おそらくその心構えによってヴェイユの魂と共鳴し、横へと響きあう幸福な経験をもちえた人の一人に須賀敦子がいる。須賀の想いが、「世界をよこにつなげる思想」というエッセイとして、シモーヌ・ヴェイユ『カイエ4』の月報に残されている。

 

《この夏、一九六〇年から七一年まで私がミラノで深くかかわっていたコルシア・デイ・セルヴィ書店の、創立当時の精神というのか、思想の系譜をしらべる必要があって、家の本棚をさがしたら、ヴェイユの著作と評伝などをふくむざっと二十五冊ほどの本が、エマニュエル・ムニエやシャルル・ペギーの著作と隣りあってならんでいて、その数の意外な多さに驚いた。フランス語の原書も、イタリア語のものも、まじっていて、その中の何冊かは、死んだ夫の蔵書だったから、かならずしも私が読んだとはかぎらないのだけれど、それにしても、二ダースを超すヴェイユの、あるいはヴェイユについての本と、おなじ屋根の下で暮らしていたとは、思いがけなかった。ペギーやムニエへの傾倒度にくらべて、ヴェイユとは、もっとあっさりしたつきあいかたをしていたように、じぶんでは思っていたからである。(中略)

「ユダヤ人が教会のそとにあるかぎり、じぶんはキリスト教徒にはならない」という、ヴェイユの信条に、息もできないほど感動していた時代があった。たぶん、それは、大学院を中退して、二年のフランス留学をおえたあと、いよいよひとりで模索しながらの生活をはじめたころのような気がする。(中略)

 一九七二年に出版された筑摩叢書の、リースというイギリス人の書いた『シモーヌ・ヴェーユ』(山崎庸一郎訳)は、刊行年からみて、私が夫の死後イタリアから帰って、もういちど生活の方向をたてなおそうとしていた時代に読んだらしい。ポスト・イットなどという、糊のついた便利なしおりがまだ市販されていなくて、じぶんで細く切った白い紙に、要点やら感想を書きいれたのが、降伏の旗のようにあちこちにはさんである。「多くのものが教会のそとにあります。わたしが愛していて棄てたくないと考えている多くのもの、また神の愛する多くのものがそのそとにあります。わたしが愛するのでなければ、それらのものは存在しないはずだからです。最近の二十の世紀をのぞいて、過去の巨大な拡がりをなす、すべての世紀、有色人種の住むすべての国々、白人の国々におけるすべての世俗的な生活、その国々の歴史のなかで、マニ教やアルビジョワ派のように異端として非難されるすべての伝統、ルネサンスから出て、あまりにもしばしば堕落しているとしても、全然無価値とは言いがたいすべてのもの、そういうものが教会のそとにあります」

『神をまちのぞむ』からのこの引用は、このしるしをつけた二十年まえから今日にいたるまで、そしておそらくは私の生のつづくかぎり、ずっと私のなかで、ヴェイユに大きく呼応するはずの部分である。教会の中か、そとか、というような性急な選択をすることはない、いまの私にはそんなふうに思える。それを決めるのは、おそらくは、私ではないはずだとさえ思える。(中略)

 フランスやイタリアには、青春の日々に、ヴェイユやムニエ、ペギー、そしてサン=テグジュペリを読んでそだった世代というものがあるように思う。たまに、そういう人たちに出会うと、はじめて会った人でも、たちまち「つながって」、時間のたつのをわすれて話しこんでしまう。中世までは、教会のラテン語をなかだちにして、ヨーロッパ世界はよこにつながっていた。戦後すぐの時代に芽ぶいたのは、中世思想の排他性をのりこえて、もっと大きな世界をよこにつなげるための思想だったのではないか。》

 

 アッシジと言えばヴェイユ『神をまちのぞむ』の有名な一節を思い起こすのが、ヴェイユを知る者なら自然だろう。ユダヤ人迫害が激化するナチス・ドイツ支配下のフランスを逃れたいという両親の嘆願を受入れ、アメリカへ渡る前に、ヴェイユ自ら「霊的自叙伝」と呼んだ、ペラン神父への長い手紙の一節にこうある。

《一九三七年には、アッシジで素晴らしい二日間を過しました。サンタ・マリア・デリ・アンジェリの十二世紀のロマネスクの小聖堂に、その類のない清純な素晴しさの中に、ひとりでおりましたとき、そこは聖フランチェスコがたびたびお祈りしたところですが、わたくしは何か自分よりも強いものに強いられて、生まれてはじめてひざまずきました。》

 しかし、ヴェイユは丘を降りて行き、最後まで洗礼を受けず、教会の入口にとどまって、聖職者となることを拒んだ。

 一九五七年に須賀が『聖心(みこころ)の使徒』に掲載した『アッシジでのこと』には、若い須賀に決定的ともいえる影響を与え、次のイタリア留学の熾火になったに違いないアッシジ訪問が、硬く、息の短い、体言止めまである文体、回想の過去時制ではなく現在時制で断定されがちな若い文体ではあるけれども、熱く素直に語られている。

《雨が降っていた。聖週間にパリをたち、御復活祭をローマにむかえてまもないころだった。ポルティウンコラに近い、アッシジの駅から、四キロへだてた丘のうえに、サクロ・コンヴェルトの印象的な、白い廻廊が、灰色の空を背に長くつらなってみえた。それが、私の、はじめてのアッシジだった。(中略)

 サン・ルフィーノを出て、小さな坂道を降ると、サンタ・キアラに出る。この街にはめずらしい感じの、堂々としたゴチック建築。(中略)旅行者の「私」は、いつの間にか、ややほんとうに近い「私」に席をゆずっていた。どうしてか私にはわからない。けれども私は、たしかに、サン・ダミアノには、今でも聖(サン)フランチェスカと聖(サン)キアラが、まだそっくりあの時のままの生活をふたりしてつづけているとしか思えない。(中略)

 ふたりのよろこびは自らを包みきれなくなって、いわゆる、「聖キアラの庭」で昇華する。案内の若い修道士(フラテ)はうれしそうに云われた。ここで聖フランチェスカが太陽の讃歌をつくられたのだということです、と。

 庭とは名ばかり、三方を高い石の壁にかこまれた一坪ほどの細長い空間である。(中略)

 この小ささ、そしてこの豊けさ。一週間まえあとにしてきた勉強が、パリの美しさ全部が、私の頭の中で廻転しはじめ、淡い音をたてて消えてしまった。力づよい朝の陽光にたえられず、橙々色にしぼんでしまう月見草の花のように。講義、図書館、音楽会、展らん会、議論。私にとってあれはみな、幻影にしかすぎぬものなのではなかったのだろうか。私の現実は、ひょっとすると、このウムブリアの一隅の、小さな庭で、八百年もまえに、あのやさしい歌をうたった人につよくつながっているのではないだろうか。私も、うたわなければならぬのではないだろうか。

 しばらくやんでいた雨が、またぱらつきはじめた。案内の修道士(フラテ)が、金魚の水溜りに浮んでいた二三枚の葉をとりのけてやりながらつぶやいた。雨だよ、たくさんあたっておたのしみ。》

 須賀は恥らいから秘すかのようにヴェイユのことに触れない。一行空けて、後半が待っている。

《丘を降りて汽車にのってからも、あれから三年たった今も、私には、あの時の時分のおどろきがわすれられない。(中略)夏休みも半ばをすぎ、パリに帰る日が近づいたある夕方、私は、カムパアナ家の人たちと、おわかれにアッシジの丘をのぼった。四月の雨の日の訪問からかぞえて八度目であった。私への名残りを惜しむかれらにくらべて、しかし、私の心は、もっと複雑だった。アッシジの町の後にそびえる、ロッカ・マジョオレの城跡のくずれかかった石の間を跳んで歩きながら、私は、ほんとうはどうすればいいのかわからないと思っていた。(中略)星が野が、町がこたえた。私たちのフランチェスコも、丘を降りて行った。だれでも一度は丘を降りなければならない。おまえのいのちは、この夏、ウムブリアの野にうまれた。うまれたばかりだから、わたしたちは大切にそだてた。しかし、もういいだろう。おまえにも丘をおりる時がきたのだ、と。月が登りはじめた。ひえびえとした九月の夜風が、荒れた城跡を白く吹きぬけて行った。もうあれから三年になる。あれ以来、まだ私はアッシジをたずねていない。私が丘を降りてからのはなしを、かれらは風のたよりにきいているかもしれない。そして、ひょっとしたら、いつ私が帰ってくるかも、知っているかもしれないのだ。》

 一九五七年の「いつ私が帰ってくるかも、知っているかもしれないのだ」は須賀の内部の深くにタネとして宿りつづけ、その後も何度かアッシジを訪ねている。きっとヴェイユの思いとつながりながら。

 

<『根をもつこと』――「英語版のための序文(T・S・エリオット)」より>

 なるほど、無数の解説書、編者「序文」、特集、評論、評伝があるものの、とりわけ示唆に富むのは、シモーヌ・ヴェイユ『根をもつこと』のT・S・エリオットによる「英語版のための序文」ではないだろうか。

 

《シモーヌ・ヴェーユの著作といつまでも共にある序文が存在するとすれば、『重力と恩寵』に付されたギュスターヴ・ティボン氏の序文のように、彼女を直接に知っていた人によって書かれたものであろう。彼女の作品に接する読者は、気むずかしく激越で、しかも複雑な人格に直面する。したがって、幸運にも彼女と長いこと議論したり文通したりすることのできた人びと、なかんずく、晩年の五年間、特殊な情況のもとにおかれていた時代の彼女を知っていた人々の口添えは、今後かわることのない価値を持つことになるであろ。私はそういった資格に欠けている。》

 

《この序文を書くにあたって私がめざしたのは、まず第一に、この著者とこの独自な書物の重要性にかんして、私なりの信念を公表することであり、第二に、読者にたいして、早まった判断やおおまかな分類をしないように警告すること、すなわち、おのれの偏見を抑制すると同時に、シモーヌ・ヴェーユの偏見についても忍耐づよくなるように説得することなのである。》

 

《シモーヌ・ヴェーユの著作は、すべて死後に出版された。『重力と恩寵』――これは彼女の厖大なノートからティボン氏が編集した選文集で、フランスで最初に世に出た著作――は、その内容においてまさに感嘆に値する。しかしその形式は、いささかひとの誤解を招く種類のものである。パスカル(この作家について、シモーヌ・ヴェーユはときとして辛辣な語り方をした)との比較が、極端なまでに強調されることにもなりかねない。抜粋の持つ断片的な性格は、深い洞察力と息を呑ませるような独創性とを明るみに引き出す。だが、そのような彼女の独創性が、ときおり現われる霊感の閃きを秘めた精神にすぎないというふうにもほのめかしているのだ。》

 

《『神をまちのぞむ』と本書とを読んだ私は、まず著者の人となりを理解するようにこちらから努めるべきであることを知った。そして、彼女の全著作をなんども繰り返して読むことこそ、理解するというこの緩慢なプロセスに必要なことだと悟ったのである。彼女を理解しようとするとき――はじめて読む場合にはほとんど避けがたいことであろうが――どの程度まで、あるいはいかなる点で彼女に共鳴するか、ないしは意見を異にするかを考えて気を散らしてはいけないのだ。われわれはひたすら、ひとりの天才的な女性、その天才が聖者のそれにも似た一女性の人格におのれをさらさなければならない。》

 

《おそらく《天才》という言葉は妥当ではあるまい。かつて彼女を相手に、その信仰と懐疑について論じ合った唯ひとりの聖職者(筆者註:シモーヌ・ヴェイユ『神をまちのぞむ』の編者、「序文」のペラン神父)は、「彼女の魂は、彼女の天才とは比較にならないほど気高いものだと思う」と述べている。この言葉は、はじめてシモーヌ・ヴェーユに接したわれわれの体験が、賛成とか反対とかいう言辞で表現されるべきではないということを別のかたちで示しているのだ。彼女の見解に全面的に賛成する人、あるいは彼女のいくつかの見解と激しく対立しないですむ人を想像することはできない。しかし同意や拒絶は二義的な問題である。重要なのは、一つの偉大な魂に触れることだ。》

 

《われわれは、あちこちで、ほとんど人間を超えた謙虚さと、ほとんど腹立たしさを感じるほどの尊大さとが対照的に現れるのに接して、つよい衝撃を受ける。さきに述べたフランス人聖職者の文章には、つぎのような意味深長なくだりがある。すなわち彼によれば、「シモーヌ・ヴェーユは、客観的であろうとする高潔な望みを抱いていたが、そういう彼女が議論の最中で譲歩した」という記憶はないという。この評言は、すでに出版された大部分の彼女の作品に、解明の光を投げかけてくれる。私とて、彼女がおのれの論争の手腕に有頂天になってしまい――かかる身勝手は、『田舎の友への手紙』のパスカルも危く陥りかけた悪徳ではないかと私は思っている――論争において、相手を打ち負かす力を誇示することにかまけていたなどと信じているわけではない。むしろ、彼女の思考がすべて、真剣な体験を経たものだったために、どんな意見を放棄するに際しても、彼女の全存在になんらかの修正が要求されたのだと言うべきであろう。この変化は、苦痛なくしては起こりえなかった。言いかえれば、会話のなかで起こりうべくもなかったのだ。さらに――とくに青年たち、なかんずく、シモーヌ・ヴェーユのように諧謔を解する感覚がまったく認められぬような人びとにあっては――自己愛と自己放棄とが、われわれの目から見ると両者をとり違えてしまうほどたがいに似通っていることもありうるのだ。》

 

《われわれはシモーヌ・ヴェーユが三十三歳〔原文のまま〕(筆者註:正しく三十四歳)にして死んだ事実を忘れてはならない。彼女の社会・政治思想の円熟ぶりは、とくに本書においてきわめて顕著であると思う。しかし彼女は、なにかに向かって成長していく深遠な魂の持ち主だった。したがって彼女の三十三歳のときの哲学を、それより二十歳ないし三十歳も上の人の哲学であるかのように論評すべきではないのだ。

 このような作者の著作においては、最初から逆説にぶつかることを予期しなければならない。シモーヌ・ヴェーユは、最高の度合において、同時に三つの存在であった。すなわち、フランス人、ユダヤ人、そしてキリスト者だったのである。彼女は同胞のために苦しんで死ぬことを厭わず、許されるなら歓んでフランスへ送還されようとした愛国者だった。彼女は一九四三年、ケント州アシュフォードのサナトリウムで息を引きとらねばならなかったが、それも一つには、当時のフランスにおける一般人の公認配給量以上に食物を摂ろうとしない禁欲主義の結果であったと考えられる。また、本書が示すように、当時のフランスの過失と精神的弱点とをはっきりと見ていたという意味でも、彼女は愛国者だった。シモーヌ・ヴェーユは、ミサで熱心な祈りを捧げるキリスト者だったが、洗礼を拒絶したし、彼女の書いたものの多くは、怖るべき教会批判となっている。また彼女は熱烈なユダヤ人であり、ドイツにおけるユダヤ人迫害に苦しみ抜いた。しかし一方では、ヘブライの預言者のごとき峻厳さをもって、イスラエルを叱責した。預言者たちはエルサレムで石を投げつけられたときく〔ヘブライ人への手紙一一・三七〕。いまシモーヌ・ヴェーユは、さまざまな陣営から投石の危険にさらされている。政治思想の面で、右翼および左翼両者にたいし仮借なき批判者の姿をとっているからである。彼女は保守主義者と自称する大部分の人びとよりもはるかに誠実に秩序と階級制を愛し、同時に社会主義者と自称する大方の人びとよりもはるか真摯に民衆を愛している。》

 

《政治思想家としてであれ、いや、その他いかなる分野の思想家としてであれ、シモーヌ・ヴェーユを分類することはできない。彼女の憐れみに逆説的性格は、平衡を生み出す有力な原因となっている。一方において、彼女は一般大衆、とりわけ抑圧されている人びと――ある人間たちの邪悪と強欲とに抑圧されている人びとや、現代社会の無名の暴力に抑圧されている人びと――のための熱烈な闘志であった。彼女は、都市や農村の人びとと生活を共にするために、ルノー工場で働いたことがあったし、農業労働者として働きもした。ところが、他方では、彼女が《集団》と呼んだものー―近代の全体主義が生んだこの怪物――を激しく厭悪する、生まれながらの隠者であり個人主義者であった。彼女が心をくだいていたのは、人間の魂であった。人間の権利と義務にかんする彼女の研究は、戦時中に精神的興奮剤として使われ、かつ、今日でもなおおこなわれているある種の饒舌の欺瞞性をあばき出す。君主政治の原理を検討している部分も、彼女の明敏さと均衡と良識とをかなり印象的に示す好例であるし、フランス政治史にかんする簡単な考察は、フランス大革命の断罪であると同時に、王政復古の可能性を否定する強力な論証となっている。彼女は、反動思想家とも社会主義者とも分類することはできない。》

 

<大江健三郎『燃えあがる緑の木』より>

 シモーヌ・ヴェイユからつながる作家に大江健三郎がいる。大江文学、とりわけ『燃えあがる緑の木』におけるヴェイユの重要性を、小野正嗣が解説している。

《もしもドストエフスキーが、大江健三郎という作家にとって、同じ文学的な課題を共有し、その精神的な支えとも言える「文学的な兄」だとすれば、『燃えあがる緑の木』には、作家の「文学的な姉」とでも呼ぶべき思想家がいます。

「燃えあがる緑の木」の教会における「祈り」とはどのようなものであったかを思い出してください。ひたすら「集中(・・)」するのです。その集中(・・)の対象に何があるのかは、「救い主」とされたギー兄さん自身にもわかりません。それをザッカリー・K・高安などは、「きみの教会に、神はいないんだって?」と驚くわけです。「空屋(あきや)のごとき教会」と形容もします。ギー兄さんは、その「空屋」という比喩を「繭(まゆ)」にたとえて、ザッカリーに同意します。

   繭のなかに確かにあるものとして、神を定義したことは、私にはない。しかし自 分についていって、その繭に向けて集中(・・)する強さということは、把握(はあく)しえていると思う。しだいに手ごたえの確実になる、生きることの習慣として。繭自体なら、それこそ光り輝くようにあざやかに見えることがあるからね。

「私にできることがあれば、繭に向けて集中(・・)することだけで、しかもそれはそれなりに充実した生き方だと思う」と言うギー兄さんは、その繭が空っぽでも構わないと考えています。

   光り輝く繭といったけれども、それがもう蛾(が)の飛び立ったから(・・)の繭だったとしてもいいんだよ。空屋の教会でどうしてよくないだろうか? そのなかを充(み)たすのは、またそこから現われるのは、さきにもいったけれど、ソレのというか神のというか、先方の仕事でね。こちら側の責任ではないはず、と私は思ってるんだ。

 大切なのは、集中(・・)することを、生きる習慣とすることなのです。そのような生き方こそが、ギー兄さんにとって魂のこと(・・・・)をすることにほかなりません。このとき、集中(・・)するとは、あるものに対して注意を深く強く傾けることです。ギー兄さんの教会の「祈り」に関わる記述に触れたとき、僕がまっさきに思い浮かべたのは、独特の力強い思想を展開し、わずか34歳で亡くなったフランスの女性──「注意力とはもっとも純粋なかたちの祈りにほかならない」と書いたシモーヌ・ヴェイユです。彼女のこの言葉を、僕自身はフランスに留学中にお世話になった──その家に五年近く居候させてもらいました──敬愛する詩人のクロード・ムシャールが、ヴェイユのことを語るときに口にするのを聞いて、はっと胸をつかれた記憶があります。そして難民や移民の支援もしているクロードが、困難な立場に置かれた人たちに傾ける真摯(しんし)な「注意力」に触れるたびに、僕は心のうちでヴェイユのこの言葉を反芻(はんすう)したものです。

 大江にとって、ヴェイユがどれほど重要であるかは、さまざまな講演で語っていることからも明らかです。『燃えあがる緑の木』でも、ヴェイユはギー兄さんの思想の支柱のひとつであると感じられます。第4回で触れますが、サッチャンには放蕩生活を送る時期があります。そのとき、サッチャンはヴェイユの言葉に出会うのです。しかも、作家はサッチャンの性的冒険に手を貸す中年男性に、ヴェイユを「嫌味な論理癖」のある「フランスのインテリ女性」と揶揄(やゆ)させています。しかし、それは大江の韜晦(とうかい)というか、ヴェイユの思想にあまりにも強烈に惹きつけられそうになる自分自身を引き留めようとする仕草にも見えます。

「フランスのインテリ女性」と呼ばれたこの女性の次のような言葉が紹介されます。「勉強する目的は、注意力を訓練することにあって、その注意力の訓練をすることは祈るために役にたつ」。その言葉を聞いて、サッチャンがまず念頭に浮かべるのが、四国の森の教会であることは見逃せません。実際、『燃えあがる緑の木』の第三部においては、登場人物たちがヴェイユの言葉について語り合う場面が幾度も出てきます。

 ヴェイユの一文章について、ザッカリーはサッチャンに向けて語ります。

   ──光がどのようにして地上に現われたかという、世界中にある伝承をめぐってさ、エスキモーの物語はこうだ、といってるところね。烏(からす)がさ、夜が永遠に続いて、食物が見つけられないものだから、光がほしいと思ったら、地上が照し出された…… 《もし切実(リアル)な欲求があり、その欲求が本当に光へのものなら、光への欲求こそがそれを生み出すのだ。注意力の努力がある時には、切実な欲求がある。それより他のすべての誘引がないなら、欲求されているのは本当に光なのだ。私たちの注意力の努力が、幾年かどんな結果ももたらさないと感じられる時も、ある日、それらの努力に正確に対応した光があふれ出して魂をみたすだろう。》

 ここでヴェイユはもちろん、自然現象あるいは神秘的な力としての「光」について語っているわけですが、この一節を読むとき、僕などはこの「光」という語に大江健三郎の息子の「光」さんを重ねて読まずにはいられません。それはザッカリーも同じだったようです。ザッカリーは次のような感想を洩らすからです。

   こういうところは美しいねえ! 光(ライト)という言葉から、Kさんの家族のことも思うよ。あの家に迎えられていると、ヒカリさんの音楽のみならず、ヒカリさんの存在自体にね、家庭を照す瞬間があるのに気がつくから。考えてみると、それは家族みんなのヒカリさんへの注意力が、自然に準備してもいるんだよ。

 光=ヒカリへの注意力=集中(・・)というものからなる家庭は、それ自体がひとつの教会のようなものなのかもしれない……と夢想させられます。光への切実な欲求が光を生み出す、というヴェイユの一節が大江文学にとって重要なのは、まさにこの一節を大江健三郎が英訳で読んでいたときに、長男の光さんが生まれているからです。

 大江はそのときのことを、ある講演のなかで回想しています。長男の誕生にあわせて四国から手伝いに来てくれていた母親と「衝突」したというのです。

   そもそもの始まりは、その子供が畸型をもって生まれてきたなかで私が読んでい  た本のことを、夕食をしながら母親に話したのです。エスキモーの──いまだとイヌイットの、というでしょう──民話のひとつにこんなものがある、と書いてある。どのようにして、この世界に光があらわれたか?

   《からす(・・・)は、夜がいつまでもつづいて、食物を見つけることができないので、光がほしいと思った。そこで、大地は照らし出された。》ぼくはこの話が好きなので子供にこれにちなんだ名前をつけたい、と母親にいいもしました。それもこういうとき、フザケることのすきな私は、こう続けたんですね。──たとえば、烏とか……

    私は母親が、いや、それなら光でしょう、といってくれるのを期待していたんです。ところが、母親は真蒼になるほど腹を立ててしまったんです。そして、

   ──そうですか、それなら、烏にしなさい! と強い声でいいました。

   そのまま二人は黙っていて、夜おそく眠り、そして翌朝、私が母親にあやまって、そして世田谷区役所の支所に、光という名前を申告しに行ったのです。(『「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」』集英社文庫)

 何度読んでも胸を打たれる情景です。ここからも明らかなように、光という名前は、シモーヌ・ヴェイユの一節(『神を待ちのぞむ』と訳されるAttente de Dieuという作品のようです)に由来しているのです。ヴェイユはいわば、光さんの名付け親なのです。

光さんの誕生は大江の文学を変化させます。以後、知的な障害のある息子との共生を、大江はみずからの文学的な課題の中心において書き続けることになります。つまり、頭部に障害を持って生まれた男の子の誕生によって、大江健三郎という作家は生まれ直したのです。そして、大江文学を再生させたこの子供の存在のありようそのものを指し示すその名は、シモーヌ・ヴェイユを読むことによって大江にもたらされたのです。》

 

 上記の《もし切実(リアル)な欲求があり、その欲求が本当に光へのものなら、光への欲求こそがそれを生み出すのだ。……》は、ヴェイユ『神をまちのぞむ』の論考『神への愛を望んでの、学校教育からの正しい用い方についての考察』からの引用だが、『燃えあがる緑の木』には他にもヴェイユからの言葉が溢れている。

 

《もひとつ、『神への愛と不幸(アフリクション)』という文章にもね、光をめぐっての挿話(そうわ)があっただろう? やはりヒカリさんのことを考えないではいられないよ。もっともさ《人間は決して神への服従から逃れることはできない》という命題についてはね、それを受けとめる・受けとめないは読み手の自由だからさ。しかし、次のような部分は、発想の魅力において抵抗しがたいなあ。

《私たちがなんらかの機会に神に服従していないと感じる時、それは単に、一時、私たちが服従を欲求することをやめているということにすぎない。……、植物が、他のすべての点で同等である時、光のなかと暗闇(くらやみ)のなかとでは、同じようには成長しないということがある。それ自身の成長において、植物がなんらかの制御か選択を行なうというのではない。私たちについていえば、私たちは光のなかにいるか外にいるかに関して選択しうる植物のようなものだ。》

 ザッカリーが訳してくれるこれらの箇所の原文に傍線を引きながら、私は成城学園前から福祉事務所へ送り迎えしていた頃の、ヒカリさんのある瞬間の表情を懐かしく思いだした。それは単に光という言葉にうながされてのことだが、ヒカリさんにはそれこそ光のなかのスクスク伸びた植物のような感じがあったから。(中略)

 ――いま読んだ二番目の文章のね、不幸(アフリクション)というタイトルのところに註がついているだろう? フランス語原文のmalheurにさ、適切な英語がない、と訳者はいってる。Unhappinessでも、それよりいくらかはいいafflictionでも、malheurの不可避さ(イネヴィタビリティー)、破滅(ドゥーム)の語感はつたわらないと……日本語での不幸という場合、どうなんだろうね?

 ――不可避な、破滅といっていいものと受けとめざるをえない、そういう不幸の経験なら、日本語で生活している人間にもあると思うけど……

 ――ほかならぬサッチャン自身にさ、打たれている釘(・)、というところがあるものね。《釘(くぎ)の尖端(せんたん)は、それがあてられているポイントにこの無限のショックを伝える》。その尖端そのものという感じがあるよ。

 私は後でひとりその一節の続きを読み、自分のいったことへの強い自己嫌悪(けんお)から赤面したものだった。《極度の不幸は、肉体的な苦痛、魂の悩み、そして社会的な剥奪を意味するけれども、すべてにおいて同時に、釘なのだ。その尖端が魂のまさに中心にあてられており、空間と時間の全体をつうじて拡(ひろ)がっている、すべての必然性であるような頭を持った、釘なのだ。》》

 

《さて、私はザッカリーから英語版の購読を受ける一方、「ファイヤール」版の”Attente de Dieu”はギー兄さんの病室に届けてもらっていた。ギー兄さんは枕もとに置いてあったそれを繃帯で籠手(こて)をつけたような右手に取って、必要なページを開いて話した。

 ――私に面白かったのはね、まず《神話や民話の偉大なシンボルにおいても、福音書の譬(たと)え話においても、人間を探しもとめるのは神である》というところ。その次の、”Quaerens me sedisti lassus.”という文章は、探す(・・)とか、疲れる(・・・)とかいう単語こそ読みとりうるけれどさ、こちらにはラテン語の素養はないし、もう総領事は居られないしで、見当がつかない。おそらく「福音書」からで、フランスの知識人にはなじみの一節なんだろうね、こんな文庫版なのに註が付けてないから……

 ともかく、続いてはこう書いてある。《「福音書」のどこにも、人間の側から着手される探求の問題はない。人間は、何らかの圧力を加えられるか、決定的に呼ばれるかすることがなければ、その挙に出ることはない》。そして花嫁や奴隷がいかに主人を待つか、また畠(はたけ)のなかの真珠というような譬え話があってさ。

《神を呼びもとめ、他のすべてを断念すること、そのことのみが私たちを救うのだ。/救いをもたらす態度は、ほかのどのような行為のかたち(・・・)にも似ていない。それを表現するギリシア語はヒュポモネーだが、パティエンシアは、むしろその訳語としては不適当だ。それは待つこと、あるいは注意深く、忠実に動かずにいることである、いつまで続くかわからないが、揺さぶられることはなしに。》

 このパティエンシアという単語を見てね、K伯父さんの小説を思い出したんだよ。ヒカリが生まれてあの人に動揺があって、そこからやっと抜け出すようにして書いた『個人的な体験』ね。あの小説は、結びのくだりが三島由紀夫に批判された。それが定説になったふうでね、批評家もいまあらためて当の部分を検討することはないのじゃないだろうか?

 この病棟の婦長さんがK伯父さんの小説をよく読んでいられるから、『個人的な体験』を貸してもらったんんだ。そこにあるのを見てくれる? 最後の節。

《それから鳥(バード)は、本国送還になったデルチェフさんが、扉(とびら)に<希望>という言葉を書いて贈ってくれたバルカン半島の小さな国の辞書で、最初に<忍耐>という言葉をひいてみるつもりだった。》……ブルガリア語の<忍耐>は、ヒュポモネーに近いのだろうか、パティエンシアにだろうか? ロシア語に近い言葉のはずだから、やはりギリシア語の方にじゃないだろうか?

 K伯父さんが二十八、九歳でこれを書いた時、<忍耐>すること、待つことの意味を本当によく考えていたとは思わないよ。しかしそれから三十年のヒカリさんとの生活は、K伯父さんにヒュポモネーの意味を理解させたのじゃないだろうかね、充分に? 人生は、……それに加えて文学はといってもいいけれど、不思議なものだな。》

 

《帰り際(ぎわ)に、ギー兄さんは、ザッカリーに英訳で購読してもらう際やはり対照した方がいいからと、自分は読み終わった「ファイヤール」版の”Attente de Dieu”を渡してくれた。それは、K伯父さんのカードに書いてあったのと同じ態度だったと思う。

 私はひとりで「ペレニアル・ライブラリー」版を開く際、マユミさんから聞いて頭に残っている部分を探すことがあった。聖杯を守っている傷ついた王に探求者がどのように声をかけるか、というところは、”What are you going through?”となっているのだった。ザッカリーに、この言い廻(まわ)しの口語的な感じを質(たず)ねてみると、結局は、マユミさんのいっていた内容となるようだけれど、言葉自体としてその字面(じづら)からよく実感できるものではなかった。ところが、フランス語では、“Quel est ton tourment?”なのだ。それなら、大学の教養課程でフランス語を第二外国語としただけの私にもよく理解できるように思われた。》

 

 ヴェイユの、“Quel est ton tourment?”(「あなたはどのような苦しみをお持ちなのですか?」)に関して、大江は「注意深いまなざしと好奇心」と題して新聞に掲載している。

《長男光が、知的な障害を持っていること、そして私ら家族が、かれの作る音楽を楽しみに、なんとか静かに暮らしてきたことは、たびたび書きました。なんとかというのは、次つぎに困難は起り、かつ乗り越えられたからです。

 今年の初めから、私と光は毎日一時間の歩行訓練をしています。私らの住んでいるところは高台の突端に近い場所で、平地に降りて行く長い坂に柵(さく)で囲った遊歩道路がついており、平地に降りつくと、川にそって同じく遊歩道路が続いているのです。

    *

 光は四十二歳で、成人病の幾つかの現れを注意されています。そこで肥満を考えて、私と二人、歩くことを思い立ったわけです。しかもそれは、基本的な歩行の訓練でもあります。

 かれには視覚の障害もあり、走ることはできませんし、足にも軽度ながら問題があります。そこで電車に乗ったりコンサートに行ったりする際は、つねに私か家内が腕をとってきました。

 それを、光の自立した歩行にしてゆく、というのが素人考えの歩行訓練のプランです。腕を支えず、ただ脇について歩く。靴で地面をこすりながら歩く癖を少なくとも軽くするために、そのことと連動しているらしい、両腕を動かして歩くようにさせる。

 それをどう進めるか考えているうちに水泳クラブのコーチの友人から、樹脂製の、重さのある棒(バー)を世話してもらいました。それを手に握って歩くことで、腕を振るようになり、足も地面から離れるようになる。実際、数日の練習でその通りになり、光はそうした進歩を励みにして、毎日、進んで訓練をすることになったのです。

 知的な障害とはまた別に、まじめな性格の光は、歩行訓練をする間、しゃべりません。私も、読んでいる本のことを思い出したりしています。

 足を高くあげない光は、つまずきやすいし、てんかんの小さな発作を起こすことがあります。後の場合、抱きとめておいて、地面に座らせることができれば五分ほどじっとしています。その間、周りから声をかけられることがあっても、光の頭を支えている私は応答できません。それが相手をムッとさせることは幾度となくありました。

 さて、今度の歩行訓練で、私がつい頭のなかの散漫な思いにとりつかれている時、転っていた石に足をとられて、光がバタンと倒れたのです。てんかんの発作ではなく、意識がはっきりしているので、かえって気持ちを動転させています。自分の失敗を責めてもいるようです。

 私にできることは、自分よりずっと重い光の上体を抱え起こし、遊歩道路の柵まで寄らせて、頭を打たなかったかどうか調べるくらいですが、私ら二人のモタモタした動きは頼りなく見えたにちがいありません。

 自転車でやって来た壮年の婦人が跳び降りると、―大丈夫? と声をかけながら光の肩に手をあてられました。光がもっとも望まないことは、見知らぬ人に身体をさわられるのと犬に吠(ほ)えられるのとです。こういう時、私は自分が十分に粗野な老人であることは承知の上で、しばらくほうって置いていただくよう強くいいます。

 その方が、憤慨して立ち去られた後、私はある距離を置いてやはり自転車をとめ、こちらをじっと見ている高校生らしい少女に気付きました。彼女はポケットからケータイをのぞかせて、しかしそれを出すというのじゃなく、ちょっと私に示すようにしただけで、注意深くこちらを見ています。

 光が立ち上り、私がその脇を歩きながら振り返ると、少女は会釈して、軽がると自転車を走らせて行きました。私にとどいたメッセージは、自分はここであなたたちを見守っている、救急車なり家族なりへの連絡が必要なら、ケータイで協力する、という呼びかけでした。私らが歩き出すのを見ての、微笑した会釈を忘れません。

    *

 さきの大戦の終わりに抗独戦線に参加している一人として死んだ、フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの、不幸な人間に対して注意深くあり、――どこかお苦しいのですか? と問いかける力を持つかどうかに、人間らしい資質がかかっている、という言葉に私は惹(ひ)かれています。

 ヴェイユの不幸な人間の定義は独特ですが、突然の転倒に動揺している私らも、この場では不幸な人間です。こちらが受け入れられないほど積極的な善意を示してくださった婦人も、ヴェイユの評価する人間らしさの持ち主です。むしろこういう時にも自分にこだわる(そこからの解放をヴェイユは説くのでもあります)私を変えねばなりません。

 その上で、不幸な人間への好奇心だけ盛んな社会で、私はあの少女の注意深くかつ節度もある振る舞いに、生活になじんだ新しい人間らしさを見出す気がします。好奇心は誰にもありますが、注意深い目がそれを純化するのです。》

 

 ところで、シモーヌ・ヴェイユを最初に日本に紹介したのが加藤周一であることはあまり知られていないだろう。加藤は、『重力と恩寵』(一九四七年)がフランスでベストセラーとなってから約十年後に、「新しい人間という問題」(岩波講座『現代思想』第五巻、一九五六年)と「シモーヌ・ヴェーユと工場労働者の問題」(岩波書店『世界』一九五七年一二月号)という論考を発表している。洗礼を受けるか否かを自他に問いつづけ、ついに受けることなく生を終えたヴェイユに対し、加藤周一が死を前にして受洗した(洗礼名ルカ)ことに、ある種の感慨を覚えざるをえないのは私だけではあるまい。

                                         (了)

        *****引用または参考*****

*シモーヌ・ヴェーユ『根をもつこと』(「英語版のための序文(T・S・エリオット)」所収)山崎庸一郎訳(春秋社)

*シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』(『須賀敦子の本棚8 池澤夏樹=監修』)(「序文(ぺラン神父)」所収)今村純子訳(河出書房新社)

*シモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』(「ギュスターヴ・ティボン(序文)」所収)(『シモーヌ・ヴェーユ著作集Ⅲ』に所収)渡辺義愛訳(春秋社)

*冨原眞弓『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波現代文庫)

*『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』(水声社)

*須賀敦子『須賀敦子全集4』(「世界をよこにつなげる思想」(「シモーヌ・ヴェイユ『カイエ4』月報」(みすず書房)所収)(河出書房新社)

*須賀敦子『須賀敦子全集8』(「アッシジでのこと」所収)(河出書房新社)

*吉本隆明『甦るヴェイユ』(洋泉社)

*鈴木順子編『別冊環 甦るシモーヌ・ヴェイユ』(藤原書店)

*今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應義塾大学出版会)

*加藤周一『現代ヨーロッパの精神』(「新しい人間という問題」、「シモーヌ・ヴェーユと工場労働者の問題」所収)(岩波現代文庫)

*リチャード・リース『シモーヌ・ヴェーユ』山崎庸一郎訳(筑摩書房)

*大江健三郎『燃えあがる緑の木』(新潮社)

*小野正嗣「NHKテキスト 大江健三郎 『燃えあがる緑の木』 2019年9月 (NHK100分de名著)」(NHK出版)

*大江健三郎『定義集』(「注意深いまなざしと好奇心」所収)(朝日新聞出版)

*クロード・レヴィ=ストロース、ディディエ・エリボン『遠近の回想』竹内信夫訳(みすず書房)

*ジョージ・スタイナー『言葉への情熱』(「聖シモーヌ――シモーヌ・ヴェーユ」所収)伊藤馨訳(法政大学出版局)

*グレアム・グリーン『グレアム・グリーン全集21 神・人・悪魔』(「シモーヌ・ヴェイユ」所収)前川祐一訳(早川書房)

*スーザン・ソンタグ『反解釈』(「シモーヌ・ヴェーユ」所収)由良君美訳(竹内書店新社)

*モーリス・ブランショ『終わりなき対話Ⅱ』(「断言(欲望、不幸)」所収)岩野卓司訳(筑摩書房)

 

文学批評)エミリー・ブロンテ『嵐が丘』――欲望の弁証法

 

 

 

                        

 エメラルド・フェネル脚本・監督の映画『嵐が丘』(2026年、マーゴット・ロビーがキャサリン役、ジェイコブ・エロルディがヒースクリフ役)の評価は賛否が両極化しているが、そのアダプテーションを擁護したい理由は、下記に述べる観点を完全に表現しているからである。

 

<「目に見えない世界」/「過剰」>

 辻邦生と水村美苗の往復書簡『手紙、栞を添えて』で水村は「『嵐が丘』が導く世の果て」という表題でこのように述べている。

《『嵐が丘』を読む経験――それを「快楽」と命名するのは、ためらわれる。辻さんもそうお思いになりませんか。少なくとも私にとって、それは、快楽であると同時に、何かとてつもなく恐ろしいものです。読み始めるたびに、悪夢の中にずるずると引きずりこまれるようです。偉大な作品というのは、かならずどこか遠いところまで連れてゆかれるものですが、『嵐が丘』の場合は、これ以上先へいってはならぬという、まさにぎりぎりのところまで連れてゆかれるような気がします。読み終わって本を閉じると、あたかも穴ぐらから生還したように陽の光がまぶしい。

 思うにこれは『嵐が丘』という作品そのものが、「目に見えない世界」を中心に据えているからではないでしょうか。『嵐が丘』の特異な構造は、ヒロインのキャサリンが小説の真中で死んでしまうというところにあります。そこからロマンスは復讐(ふくしゅう)劇に急展開し、ヒースクリーフが過去に恨みをもつ人間を次々と不幸に陥れていく物語に変わる。でもあのヒースクリーフの黒い情熱を、「目に見える世界」――生者の世界の枠の中で理解しようとするのは、不可能なのです。

 ヒースクリーフの怨念(おんねん)はたんに執拗(しつよう)なのではない。彼の怨念は、現実に対して必然的に過剰なのです。そしてそれは、彼の目が、「目に見えない世界」を凝視しているからにほかなりません。その世界はキャサリンが棲む死者の世界でもありますが、それ以上に、この世を超えるものを指し示す世界です。この世を超えるものの存在を知る人間にとってのみ存在することによって、必然的に過剰なものを現実にもちこんでしまう世界なのです。ヒースクリーフとキャサリンの愛。この世を超えた、あの愛の絶対性が見えない人間……この世を超えて、そのようなものが存在するのを知らない人間――彼らにとっては、あの二人の愛も存在しないのです。

 嵐の来そうな晩、羊飼いの子供が叫びます。死んだはずのヒースクリーフが女と連れだって荒野をさまよっていると。ネリーはもちろん信じません。語り手のネリーは、「目に見える世界」以外は理解しようとしない。理解しようとしないからこそ、逆に、「目に見えない世界」を読者に提示する役目を果たすのです。実際、この時まさに本を閉じようとしている読者にとって、死者が荒野をさまよう姿は、すでに何よりもリアルなものとなってしまっている。風がひゅうひゅう鳴る黒い空のもと、死んだ恋人たちが腕を組み陶然と荒野をさまよう、すさまじくも甘美な姿です。

 ご存じのとおり、作家エミリー・ブロンテの経験そのものは貧しいものでした。ヨークシャー地方の牧師の娘として生まれ、ほとんど生家を離れないまま、結婚をせずに三十歳で死んでしまいます。近隣の人の目に見えたのは、来る日も来る日も愛犬を供にヒースの荒野をさまよう、骨ばった娘の姿だけです。その娘の目が丘の向こうに、生も死も呑(の)みこむ黒い世界を見ていたのを、どうやって知ることができたでしょう。》

 

<「文学による、想像による、夢想による精進」/「悪徳・死・愛欲」>

バタイユ『文学と悪』には、こうある。

《世のすべての女性たちのなかでもとりわけエミリ・ブロンテは、特権的な呪いの対象であったように見える。別に彼女の短い生涯が、とくにひどく不幸な生涯だったというわけではない。ただ彼女は、道徳的に純潔な生涯を送りながら、しかも悪の深淵についての深い体験を味わったということである。まったく、彼女ほどに志操賢固で、勇気もあり、またまっすぐな心をもったひとはすくないだろうに、その彼女が、悪についての認識を極限にまでおしすすめていったのである。》

《それは、文学による、想像による、夢想による精進だったのだ。それというのも、三十歳でおわるその生涯のあいだ、彼女はこの世のすべての誘惑から遠ざけられていたからである。(中略)

 彼女が死後にのこしたものは、ただ数篇の詩と、『嵐が丘』だけだが、これこそ古今の文学を通じてもっともうつくしい作品のひとつなのである。

 むしろ、恋愛小説のなかで、もっともうつくしく、深く、荒々しい作品、と言おうか……

 それというのも、運命のさだめで、エミリ・ブロンテはうつくしい娘でありながら、恋をまったく知らないままでその生涯をおわるようにきめられていたのだが、それでいながら、彼女はまた情熱についての苦悩にみちた認識をもつようにさだめられていたからである。その認識とは、単に愛欲を意識の明晰さに結びつけるだけのものではなく、さらに暴力と死にも――それというのもあきらかに、死こそ愛欲の真理であり、また愛欲こそ死の真理であるからだが――結びつけるものなのである。》

《自我(・・)が、自己の外にはみ出し、自己を超越して、存在の孤独が消滅する抱擁のなかに没入する時に、はじめて飽和感を味わうことができるのだ。清純なエロティシズム(情熱としての恋)の場合にも、体と体が触れ合う肉欲の場合にも、存在の崩壊と死とがすけて見えてくるほどになると、その強烈さはこの上もなく大きなものとなる。その意味から、世のいわゆる悪徳とは、まさしくこの奥深い死の介入に由来するものだが、また肉体に具象化されない恋の苦しみも、愛に結ばれているふたりのものたちの死が近づき、彼らにおそいかかるほどにもなると、それだけに愛欲の究極的な真理の象徴となるのである。

 死すべきものたちのいかなる愛欲も、『嵐が丘』の主人公たち、キャサリン・アーンショーとヒースクリッフとの結びつきほど適切に、以上のことを具現しているものはないし、またエミリ・ブロンテほどの迫力をもって、この真理をさらけ出してくれたひともいない。》

《『嵐が丘』のなかで、キャサリンとヒースクリッフとの恋は、肉欲というものをまったく度外視して設定されているが、情熱に関するかぎりでは、ここにはたしかに悪の問題が提出されている。それはまるで悪こそ、情熱をさらけ出してみせるのにもっとも強力な手段だといった具合にである。》

《ジャック・ブロンデルがサドとエミリ・ブロンテとの次のふたつの文章を結びつけて考えたことは正しい。すなわち、サドは『ジュスティーヌ』の極悪人のひとりにこう言わせている。「破壊ほど情欲をそそり立てる行動はない。わたしはこれくらい気持よく官能をくすぐってくれるものをほかには知らない。この崇高な汚辱に身をゆだねながら味わう恍惚感に匹敵するほどのものは、まずこの世のなかにはないことだろうね」と。一方、エミリ・ブロンテもヒースクリッフにこう言わせている。「法律がもっとうるさくなく、趣味がもっと洗練されている国に生まれていたなら、わたしは宵の間の気ばらしに、このふたりのやつらをゆっくりと生体解剖しながら、じっくりたのしむこともできるんだが」(筆者註:『嵐が丘』「27章」)と。》

 

<「バイロニズム」/「ゴシック・ロマンスにして家庭小説」/「神話」>

 丸谷才一は「『嵐が丘』とその周辺」で次のように論じた。

《エミリ・ブロンテはバイロニズムの根柢にある悪への関心を学びアレクサンドル・デュマはバイロニズムをあくまで、一つのファッションとして、書割りとして、装飾として取り入れたのである。いや、こう言ったほうがいいかもしれない。エミリ・ブロンテは悪に憑(つ)かれていたのだ、そしてバイロンはただ彼女に刺激を与えただけなのだ、と。

 それはつまり、逆に言うならば、エミリ・ブロンテは善に憑かれていたということでもある。ぼくたちは、善という地を背景にしてでなければ悪という模様を見ることができないのだ。すなわち、真に悪をするどく意識するためには、深くて繊細な倫理的感覚がいる。エミリ・ブロンテはそれを持っている女であった。そして、彼女の倫理的感覚をつちかったものとしては、まずキリスト教の信仰をあげねばならないだろう。だが、こういっただけでは、なぜ同じように牧師の娘であるシャーロットの小説が、彼女の作品ほど徹底した悪の研究になっていないかという事情を説明できないであろう。個性の差だと言ってしまえば簡単だし、また、解答を逃げる卑怯な態度のように思われるかもしれない。しかし、それが唯一の真相なのである。シャーロットはエミリと違って、既成の道徳体系に積極的に反逆することのないおとなしい娘であったし、激しい反抗の身構えはシャーロットの心になかったのだ。このばあい既成の道徳体系とは、一切は善である、一切は神の御業である、というテーゼに要約することができるであろう。そしてヨーロッパ精神史はちょうど、マルキ・ド・サドがこのテーゼにおける善を悪へ、神を悪魔へと逆転させる時機にさしかかっていたのだ。エミリは、シャーロットと異って、果敢で激しい反抗を既成の道徳体系に挑むことのできる資質の持主であったから、ちょうどサドと相呼応するような悪への執着を、徹底した形で表現することができたのである。》

《エミリ・ブロンテは彼女なりのゴシック・ロマンスを書こうとして、とうとう一つの神話を書いてしまったのかもしれない。十九世紀のなかばに、ヨークシャーの牧師の娘が、それに先立つ時代に全盛を極めた荒唐無稽な物語の影響の下にあって、一篇の家庭小説を書こうとしたとき、彼女の小さな頭脳のなかに巣くっている人間性への暗い認識と超越的な宇宙論とは、そのことをはなはだしくさまたげ、このようにも強く、そして美しく歪めてしまったのかもしれない。》

 

<「啓蒙主義とロマン主義の「間」」/「カントとサド」/「理性の不安」>

『嵐が丘』(1847年出版)の冒頭は、《一八〇一年――家主をたずねてたったいま帰ってきた。》である。

 エミリー・ブロンテ(1818~1848年)が生きた時代の歴史的、精神的状況はどうであったのか。

 柄谷行人は、《カントが啓蒙主義とロマン主義の「間」に立っていた》と論じている。

《カントが『視霊者の夢』を書いた一七六〇年代には、ライプニッツ的形而上学には埋めようのない亀裂があいていた。ライプニッツにおいて感性と理性が連続的な進化の段階にあるとしたら、この亀裂は、感性と悟性の間にある。(中略)

 この「亀裂」を具体的に象徴したのは、一七五五年十一月一日のリスボン大地震である。ヨーロッパですべての聖人たちを祭るこの日、まさに信者が教会で礼拝していたときに起こったため、この地震は神の恩寵に対する疑いを巻き起こした。それは大衆的なレベルにとどまらず、文字どおり、全ヨーロッパの知的世界を震撼させた。たとえば、ヴォルテールは数年後に『カンディード』を書き、ライプニッツ的予定調和の観念を嘲笑し、ルソーも、地震は人間が自然を忘れたことへの裁きであると書いている。そのなかで、カントは地震に対して一切の宗教的な意味を与えることを拒絶し、その自然科学的原因と耐震対策を説いた。にもかかわらず、別の意味で彼がそれに揺すぶられたことは疑いがない。それは二つの面から言える。第一に、哲学を二度と瓦解しないような建築にしようとするカントのメタファー(建築術)はそこから来ているといってもよい。第二に、先に述べたように、この地震を予言した視霊者スウェーデンボルグの「知」に惹きつけられたことである。

 しかし、以後の長い沈黙のあとに発表された『純粋理性批判』には、一見してこうした「問題」は消えている。それをむしろ後退として見るべきだろうか。もしこの本が、ライプニッツ的な合理論とバロック的な経験論への批判として書かれたと読むなら、そう見えるだろう。しかし、彼はそれとは違った文脈に生きていたはずである。たしかにカントは、経験論と合理論の「間」に立っていた。彼は合理論者から見れば経験論的であり、経験論者から見れば合理論者である。むろん、誰もがいうように、彼はそのいずれでもない。しかし、むしろ注目すべきことは、彼が啓蒙主義とロマン主義の「間」にも立っていたことである。

 カントの芸術論(『判断力批判』)は、美を主観性において見いだすことにおいてロマン主義的であり、事実、ロマン主義美学の基盤を与えている。しかし、厳密には、彼は古典主義とロマン主義の「間」に立っている。それは、ゲーテが古典主義的であると同時にロマン主義的であるといわれるのと、或る意味で似ているだろう。しかし、カントが古典主義とロマン主義の「間」に立っていたと私がいうのは、彼がそれらの過渡期に生きていたという意味ではなく、それらのいずれをも「批判」する視点に立っていたという意味である。

 カントが啓蒙主義とロマン主義の「間」に立っていたというのも、同じ意味である。彼がロマン主義者から見れば啓蒙主義者であり、啓蒙主義者から見ればロマン主義者と見えることは疑いがない。》(柄谷行人「探究Ⅲ」)

 

スウェーデンボルグを前にしたカントの揺らぎを柄谷は次のように捉える。

《カントがこうした理性の欲動を見いだしたのは、『形而上学の夢によって解明されたる視霊者の夢』(一七六六年)においてである。これは、スウェーデンの視霊者スウェーデンボルグを論じた論文である。彼は基本的に、視霊という現象を「夢想」あるいは「脳病」の一種と見なしている。そこでは、ある思念が感官を通して外から来たかのように受けとめられている。だが、このヴィジョンはその鮮明さにおいて、知覚にあることがあるし、実際にそれらは区別できない。形而上学も同じことではないかと、カントはいう。なぜなら、形而上学は、なんら経験に負わない思念をあたかも実在するかのように扱っているからである。このエッセイは、その意味で「視霊者の夢によって解明されたる形而上学の夢」であるといってもよい。

 しかし、彼はスウェーデンボルグの「知」を否定すると同時に、それを否定することができない。霊という超感性的なものを感官において受けとることは、たんに想像(妄想)でしかないが、他方、霊が直観されるということは、構想力による錯覚が混じっているにせよ、それをもたらす霊の影響を推定することができないわけではない。しかし、カントは態度を決定できない。彼は、それを精神錯乱と呼んだにもかかわらず、「視霊者の夢」を真面目に扱わずにいられない。同時に、そのことを自嘲せずにもいられない。(中略)

 この『視霊者の夢』に、カントの「批判」の先駆を見いだせることはいうまでもない。すでに、ここで、彼は、主観によって構成された外部(現象)とそうでない外部(物自体)の区別について語っている。あるいは、恣意的な空想と、ヌーメナルなものを感性的に把握する構想力との区別――それはのちに、自由と自然を媒介するものとして「判断力」を措定することにつながるだろう。しかし、『視霊者の夢』を特徴づけるのは、たとえば、スウェーデンボルグを肯定すると同時に、肯定する自分を嘲笑するというような書き方である。》(柄谷行人「探究Ⅲ」)

 

 十九世紀まで俗悪なだけと言われてきたサドが二十世紀に入ると、アドルノ(『啓蒙の弁証法』)、クロソウスキー(『わが隣人サド』)、バタイユ(『エロティシズム』)、ブランショ(『ロートレアモンとサド』)、ボーヴォワール(『サドは有罪か』)、フーコー(「侵犯への序文」)、ラカン(「カントとサド」)、ドゥルーズ(『ザッフェル=マゾッホ紹介』)、パゾリーニ(『ソドムの市』)、バルト(『サド、フーリエ、ロヨラ』)らによって評価が逆転した。

 カントとサドが同時代人であると伝えるラカン『精神分析の倫理』の、メビウスの輪のような言説を知ろう。

《ショックを与えて皆さんの目を開かせるために――そういうことは我々の進歩に不可欠ですが――ここでは次のことに注目していただくだけで結構です。つまり『実践理性批判』は『純粋理性批判』の初版の七年後、一七八八年に出版されましたが、その七年後の一七九五年、<テルミドール>(訳注:フランス革命期の一七九四年七月二七日(共和歴第二年テルミドール九日)にロベスピエール派を失脚させたクーデターのこと)の直後にもう一つの著作、『閨房哲学』と呼ばれる著作が出版されているということです。

 皆さんご存じのように、『閨房哲学』は様々な理由で有名なサド侯爵の著作です。彼のスキャンダラスな名声は、最初いくつかの不運に伴われていました。彼は二五年のあいだ囚われの身でしたから、彼に対しては権力が濫用されたと言うこともできます。(中略)サド侯爵の著作は、ある人々の目には一種の気晴らしの方法と見えるかも知れませんが、実はそれほど面白いものでもありませんし、最も評価されている部分などはきわめて退屈なものです。しかし、彼の著作が筋が通らないと言うことはできません。むしろそこではまさしくカントのクライテリアが、一種の反‐道徳とも言うべき立場を正当化するために強調されているのです。

 反‐道徳パラドックスは『閨房哲学』と題された作品においてきわめて筋の通ったやり方で擁護されています。ここにいらっしゃる方々を考慮すると、ここだけは是非ともお読みいただきたいのは、「フランス人よ、共和主義者たらんとせばいま一息だ」と題された部分です。

 この部分は、当時革命下のパリで暴れ回っていた小組織のパンフレットと考えられています。このアピールに続けてサド侯爵は、権威の失墜を考慮すれば――真の共和制の到来は権威の失墜からなるというのがこの著作の前提となっています――実現可能な一貫した道徳生活の最低限度とこれまで考えられてきたものとは正反対のものを我々の行動の普遍的格率とするように提唱しています。

 実際、彼はそれをなかなか見事に擁護しています。誹謗への賛辞が『閨房哲学』のこの部分の最初に見られるのも決して偶然ではありません。彼によれば、当然向けられるべきよりもさらに悪いものを誹謗は隣人に負わせるとしても、誹謗は決して有害なものではありません。というのは、誹謗は誹謗の企てに対して用心させてくれるからです。さらに彼は続けて、道徳的法則の基本的な命令を覆すことを徐々に正当化し、近親相姦、姦通、盗み、およびそれらに付け加えることのできるものすべてを褒めそやします。十戒が定めるあらゆる法の正反対を考えてみて下さい。そうすると首尾一貫したものが得られますが、それは最終的にはこうなります。「誰であろうと他者を我々の快楽の道具として享楽する権利を我々の行為の普遍的格率とすべし」。

 サドは、この法が普遍化されて、同意しようとしまいと、あらゆる女性を誰彼なしに自由に所有する権利をリベルタンに与えるとしても、逆にこの法は、文明化された社会が夫婦関係の中で課すあらゆる義務から女性たちを解放するのだということを、きわめて筋の通ったやり方で論証します。この構想は、サドが空想的に欲望の地平に措定している水門を全開にするものであり、誰もがその貪欲さを最大限に高め、実現することを要請されるということです。

 万人にこの解放がもたらされると、そこに現われるのが自然社会です。これに対する我々の嫌悪感は、カント自身が道徳的法則のクライテリアからは除外すると称したもの、つまり感情的な要素と見なすことができるでしょう。

 もし我々があらゆる感情的要素を道徳から除外し、我々を感情的に導くあらゆる案内を消去し失効させるなら、極限においてサドの世界は――たとえその裏面であり戯画であるとしても――あるラディカルな倫理、一七八八年に起草されたカントの倫理によって統治される世界の一つの可能な達成と考えることのできるものです。

 よろしいですか、リベルタンと呼ばれる人々が残した膨大な文献、快楽人間のそれに見いだすことのできる道徳の分節化のさまざまな試みにはカントの影響がはっきりと認められるのです。》(ラカン『精神分析の倫理』)

 

 カント学者の坂部恵が、十八世紀のおわりのカントの「理性の不安」を考察している。

《ミシェル・フーコーは、『古典主義時代における狂気の歴史』において、サドの体現する「サディズム」という現象が、けっして、「エロスと同じだけ古い」ものではなく、まさに十八世紀のおわりという西欧の古典的理性の爛熟の時代に、「西欧的想像力のもっとも大きな転換の一つを構成する」集団的文化現象としてあらわれたのであること、すなわち久しく日常の理性的生活から隔離されいまや沈黙のうちに追いやられた「非理性」が、今度は世界のなかに姿をあらわす形象としてではなく、「ことばと欲望」(discours et désir)として、いいかえれば、「魂の錯乱、欲望の狂気、欲望の再現のない専横における愛と死との狂気じみた対話」としてふたたび姿をあらわしたものにほかならぬことをいい、(中略)ジャック・ラカンは、”Kant avec Sade”と名づけられた卓抜な小論において、カントの『実践理性批判』とその八年後に出されたサドの『閨房哲学』(La philosophie dans le boudoir)を対比させながら、『閨房哲学』は、まさに、『実践理性批判』の世界の底にかくされた「真実」を示すものにほかならぬこと、すなわち、カントの道徳の自律的主体を構成する一切対象にとらわれぬ形式的命法としての道徳法則は、サドのいわば主体なき思考としての幻想世界を生んだ果てしのない一種求道者的な欲望と、じつは、同一の欲望の変換過程の構造のなかに、表裏の関係をなすものとして位置づけうるものにほかならないことをあきらかにする。

 これらの見方は、いずれも、十八世紀のおわりといういわば光の時代、理性の時代ののぼりつめた頂点といってもよい時期におけるサドの存在がけっして偶然ではなく、むしろ、時代の必然的裏面あるいは陰画の部分にほかならぬことを示す点において、軌を一にするといってもよいだろう。》(坂部恵『理性の不安――サドとカント――』)

 

<『嵐が丘』「9章」――「対象a」>

 エドガー・リントンからの求婚を承諾したと家政婦のネリーに打ち明けるキャサリンの言葉を聞いてみよう。

《「なんでもないのよ」と彼女は大きな声で言いました。「ただね、天国はあたしの住むところじゃなさそうだったわ。あたしは地上に帰りたくて胸がはりさけるほど泣いたの。そしたら天使たちがひどく怒って、あたしを荒野(ムア)の真ん中にほうりだしたの。ちょうど嵐(あらし)が丘のてっぺんで、あたし目をさましてうれし泣きに泣いたわ。それだけのことでもあたしの秘密の説明になりそうよ。あたしは天国に行ったり、エドガー・リントンと結婚したりする柄じゃないわ。もしあの意地悪な兄さんがヒースクリフをあんな身分におとしさえしなければ、あたしエドガーとの結婚なんて考えもしなかったと思うの。でも、いまヒースクリフと結婚すればあたしまで落ちぶれてしまうわ。だから彼には言えないのよ。あたしがどんなに愛してるか。それもね、彼が美男子だからじゃないのよ、ネリー。彼はあたし以上にあたしなの。魂がなんでつくられているとしても、彼の魂とあたしの魂はおなじものよ。リントンの魂とは、月光と稲妻、霜と火くらいちがうわ。」》

 

 キャサリンがヒースクリフとの関係を言いあらわす表現は、愛の存在論となっている。

《「うまく言えないけど、自分をこえた自分というものがあるはずよ。あたしというものが、このからだにおさまっているだけのものだったら、あたしなんて人間は意味がないでしょう? あたしにとってヒースクリフの不幸は人生の不幸そのものだったし、それをすっかり最初から見つめ、感じてきたのよ。あたしにとって彼は人生そのものなのよ。ほかのすべてがほろびても彼だけがのこっていれば、あたしは存在しつづけるし、ほかのすべてがのこっても彼が消えれば、宇宙は大きな赤の他人になってしまう。とても自分がその一部とは思えなくなるわ。エドガーへのあたしの愛は森の木の葉みたいなもの。時がたてば変わるでしょう、冬が来て木々の姿が変わるように。自分でもはっきりわかるのよ。ヒースクリフへのあたしの愛は永久不動の岩盤みたい。見て楽しくはないけれど、なくてはならないものなのよ。ネリー、あたしはヒースクリフなのよ! 彼はいつも、どんなときにもあたしの心のなかにいるの。あたし自身とおなじように、彼だってあたしにとっていつもよろこびではないけれど、あたしの存在そのものなのよ。だから二度と言わないでね、あたしたちが分れるなんて。そんなことありっこないのよ。」》

 長椅子の陰にいたヒースクリフが「あたしまで落ちぶれてしまう」というところまで聞いてしまい、そのさきは聞かずに家を出ていってしまう。それを知ったキャサリンはとりみだし、一時的な精神錯乱、熱病にかかってしまう。

 

 スラヴォイ・ジジェクはフェネル監督作品『嵐が丘』の映画批評“WUTHERING HEIGHTS: YES, LOVE IS TOXIC!”で、《「彼はあたし以上にあたしなの。魂がなんでつくられているとしても、彼の魂とあたしの魂はおなじものよ。」という表現は、ラカンの「対象a」を「私よりも私の中にあるもの」と定義する公式を想起させないだろうか?》と論じている。

 福原泰平『ラカン』によれば、《フロイトの『悲哀とメランコリー』に描かれた、かけがえのない人物の喪失と、それに引き続いて起こる悲しみの反応の中に、このことを考えてみたい。

 人は誰しも最愛の人との別離を経験したり、大切な人を亡くしたような場合、悲嘆にくれることになる。この時、かけがえのない人物を失うということはわれわれにとって、一見自分の外の世界の出来事のように見える。しかし、先にも述べたように自己とは愛しい外部の特徴との同一化の末に形成されたものであり、外部の対象の喪失は単にそれだけにはとどまらない影響をわれわれの上に残す。外的喪失は自己内部の内的対象の喪失を引き起こし、これがまさに親しい自己の一部を失った悲しみの感情として、われわれに意識されることになる。

 こうして外的な喪失が自己の喪失となった時、われわれは自分の血肉と化していたみずからの一部と失うことになる。失われた対象はその特徴の取り入れとそれとの同一化のメカニズムによって、外部のものとみえて極めて内的な対象となっていたのである。

 こうして、われわれの前から永遠に消え去った人物はみずからが自己の内部に取り入れた対象であり、自己にとって良い対象でありながらも二度と再びめぐり会えぬ失われた対象となっていく。これこそわれわれが常に掴もうともがきながら、掴みそこねる失われた対象としての対象aの一つの現世的な姿だとはいえないだろうか。そこで逃れて失われてしまった対象とは外部の他者のようにみえて、その実、自己の内部に生み出された極めて内的な自己像だったということができるのである。

主体の消失がその補完物としての対象aを誕生させたように、対象の喪失はそれをとおして欠けてしまった自己の姿を映し出す。この両者は合わせ鏡のようにその欠けた輪を重ねて、はじめにあったはずの主体の欠如を反復する。》

 

<『嵐が丘』「12章」――「鏡像/錯乱」>

 失踪から三年後に戻ってきたヒースクリフと、キャサリンの夫エドガーとの間に衝突が起きると、キャサリンは精神錯乱に陥る。

《「あの顔が見えないの?」と彼女はじっと鏡を見つめています。

 そしてわたしがどう説明しても、それが自分の顔だということを飲みこんでくれませんので、立ちあがってわたしは鏡にショールをかぶせてしまいました。

「まだその奥にいる!」と彼女はなおもおびえています。

「いま動いたわ。だれでしょう? おまえがいなくなったら、出てくるんじゃないかしら! ああ! ネリー! ここはお化けの出る部屋よ! ひとりでいるとこわい!」

 わたしは彼女の手をにぎり、おちつきなさいと申しました。なにしろつづけざまに全身を痙攣(けいれん)させながら、魅入られたようにじっと鏡を見つめているのです。》

 ここには「鏡像」イメージの自己喪失がある。

 

《「いったいなんだったのかしらとしきりに考えてみてたら、ふしぎなこともあるものねえ、この七年間のあたしの生活は完全に空白なのよ。なにかしてたという記憶さえまったくないの。あたしはまだ子供で、お父さまの葬式がすんだばかり。大きな悲しみの原因はヒンドリー兄さんから、ヒースクリフと遊んじゃいけないと言いわたされたことなの――生まれてはじめてひとりぼっちで寝かされて、ひと晩じゅう泣きあかしたあげく、みじめなうたた寝からさめて、引き戸をあけるつもりで手をあげたのよ。そしたらそこのテーブル板に手がぶつかったじゃないの! まわりの絨毯(じゅうたん)をなでてみてたら、とつぜん記憶がよみがえって――さっきまでの悲しみは底知れぬ絶望の発作に変わったの――狂おしいほどみじめな気持ちだったけど、自分でもなぜだかわからない――一時的な精神錯乱だったので、べつに理由はないんだから――だけど、こんなふうにでも言えばわかるかしら。十二のときにあたしは嵐が丘からもぎはなされてしまったの。子供心になじんできたすべてのもの、とくに、あたしにとってかけがえのないひとだったヒースクリフをとりあげられ、あっというまに見も知らぬひとの奥さん、スラッシュクロス屋敷のリントン夫人に早変わりして、それっきりもとの自分の世界から追放された根なし草になってしまう――そう考えればなんとなく、あたしがもがき苦しんだ淵の深さがわかるでしょう。いいわよ、ネリー、かってに首を振りなさいよ、あたしの不幸はひとつにはおまえのおかげなんだから! エドガーに言ってくれればよかったのよ、あたしをそっとしておくようにと、はっきりそう言ってくれれば! ああ、からだが燃えそう! 外へ出たいわ――もういちど小さな娘になって、野育ちでたくましく、自由で……いじめられても発作どころか平気で笑いとばせたら! どうしてあたしこんなに変わったのかしら? きっとすぐもとのあたしになれるんだわ、あの丘のヒースのなかにとびこめば……もういちど窓をあけてよ、いっぱいに、あけっぱなしにしとくのよ! さあ早く、なにをぐずぐずしてるの?」(中略)

「ごらん!」と彼女は夢中で叫びました。「あれがあたしの部屋のろうそくよ、てまえで木立ちがゆれてるわ……あっちはジョウゼフの屋根裏部屋の明かり……ジョウゼフはおそくまで起きてるわね、ずいぶん? あたしの帰りを待ってるのよ、あとで門をしめようと思って。でも、そう早くも帰れないわ。ひどい道だし、歩いてくあたしの気持ちはめいってるし、それに途中でどうしてもギマートン教会のそばを通るし! あそこでなんどもあたしたち幽霊なんかこわくないって、交替にふたりで墓石のあいだに立って、幽霊でてこいとどなる競争したけれど……でもね、ヒースクリフ、いまそれをやってごらんと言われたら、あなた勇気があるかしら? あれば永久にあたしのそばにいてほしいわ。あんなところにひとりで眠るのはいやだもの。十二フィートも深く墓穴に埋められて、上に教会の建物ぜんぶのっけられても、あたしはぜったい眠らないわ。あなたが来てくれるまでは……ぜったいに!」》

 

<『嵐が丘』「15章」――「欲望の弁証法」>

 末期の際のキャサリン(キャシー)の部屋にヒースクリフが忍び入る。

《「ああ、キャシー! ああ、ぼくの命! いったいどうしたらいいんだ?」と、はじめて彼が口にした言葉にはかくそうともしない絶望がこもっていました。

 そして彼は食いいるようなまなざしで彼女を見つめました。いまにも涙がにじむかと思われるほどはげしい視線でしたけれど、それは苦悩に燃えるだけで、涙に溶けはしなかったのです。

「なにを言ってるの?」とキャサリンはそりかえり、急に眉をくもらせて彼の目を見かえしました――まるで風見鶏みたいに、たえず気まぐれに機嫌が変わってしまうのです。「あなたとエドガーがあたしの心を踏みにじったのよ、ヒースクリフ! だのにふたりともあとであたしに泣きついてかわいそうなのはぼくですと言わんばかり! かわいそうなもんですか、とんでもないわ。あたしを殺して――ご自分はますます元気が出たみたいね。ほんとにお強くていらっしゃるわ! あたしが死んだあと何年ぐらい長生きなさるつもり?」

 彼女を抱くために片膝をついていたヒースクリフは立ちあがろうとしましたが、彼女が髪の毛をつかんではなしません。

「ふたりとも死ぬまで」と彼女はせつなそうに言いつのります。「こうしてあなたをつかまえていたい! あなたが苦しくたってかまわないわ。どんなに苦しんだっていいのよ。なぜあなたは苦しまないの? あたしは苦しいのよ! あたしのことなんて忘れてしまう? あたしが土のなかにはいったら、ほっとする? いまから二十年もすると、あなたはこんなことを言うのかしら? 『あれがキャサリン・アーンショーの墓さ。ずっとむかしおれは彼女を愛していて、死なれたときはつらかった。しかし、それもむかしのこと。あれからたくさんの女を愛したし――いまでは子供たちのほうがあの女よりかわいいよ。死ぬときも、あの女のところへ行けてうれしいとは思わないだろうな。子供たちをのこして行くのが悲しいよ!』きっとそう言うんでしょう、ヒースクリフ?」

「そんなにいじめないでくれ、ぼくまで気が狂ってしまう」と叫んでヒースクリフは頭を振りはなし、歯ぎしりしました。

 ふたりの姿は、はたで見ている他人には、身の毛がよだつほど異様でした。キャサリンがこの肉体とともに精神まですててしまわないかぎり、天国はたしかに彼女の行くところではないのかもしれません。このとき彼女の表情には、たけだけしい復讐(ふくしゅう)の色がみなぎっていました。青ざめた頬(ほお)にも、血の気のない脣にも、きらめく目にも。そして指のあいだにひとつかみ握りしめているのは、さっきまでつかまえていた相手の髪の毛です。その相手のほうは、片手でからだを起こすとき、もう一方の手でキャサリンの腕をつかんだのですが、およそ病人をいたわるようなやさしい気持ちがありませんから、その手をはなしたあとを見ると青白い肌に紫色のあざが四つ、はっきりのこっていました。

「きみは悪魔にとりつかれているのか?」とヒースクリフは噛(か)みつくように言いました。「死にかけてるとき、そんなことを言うなんて。考えてみろ、いまのきみの言葉はひとつひとつぼくの記憶に焼きついて、きみがいなくなってからも永久に、ますます深くぼくの心に食いいるんだぞ。ぼくが君を殺したなんて、嘘だってことはきみがよく知っているはずだ。それに、キャサリン、ぼくに魂があるかぎりきみを忘れないことも、きみはよく知ってるじゃないか! どこまできみは身がってなんだ。きみが安らかに眠ってるとき、のこされたぼくが地獄の苦しみにもがいても、まだ満足しないのか?」

「安らかに眠れやしないわ」とキャサリンはうめくように言いました。興奮のあまり目にみえ耳にきこえるほど動悸(どうき)をうちはじめた心臓のはげしい鼓動で、わが身のおとろえを思いだしたのでしょう。

 その発作が終わるまで彼女は黙っていましたが、こんど口をひらいたときには調子がやさしくなりました――

「あなたがあたし以上に苦しめばいいなんて思ってやしないわ、ヒースクリフ。ただ、いつまでも別れたくないと思うだけ――ひとつでもあたしの言ったことであなたが悲しんだりしたら、あたしもやはり土の下でそれを悲しんでると思ってね。そしてあたしのためと思ってゆるしてね! さあ、ここへ来てもう一度膝をついてちょうだい! あなたはいままで一度だってあたしを傷つけなかったわ。ねえ、あなたが怒ったりしたら、あたしのうらみごとなんかよりずっとつらい思い出がのこってしまうのよ! こちらへ来てくれないの? お願い!」

 ヒースクリフは彼女のうしろへまわり、椅子(いす)の背ごしに身をのりだしましたが、あまり深くはかがまないために血の気がひいたその顔が彼女には見えません。(中略)

「ねえ、見たでしょう、ネリー、あのひとはほんのすこしでもやさしくして、あたしをこの世へひきとめておく気さえないのよ。あれであたしを愛してるつもりなのよ! でも、いいわ。あれはあたしのヒースクリフじゃないんだもの。あたしはいつまでもあたしのヒースクリフを愛して、いっしょにつれていくんだもの――あたしの魂のなかの彼を。それに」と彼女は考えこむような調子でつづけました。「あたしがいちばんいやなのは、なんといっても、崩れた牢獄(ろうごく)みたいなこの肉体なの。こんなところに閉じこめられているのはもうたくさん。一日もはやくあのかがやかしい世界へ逃げだして、いつまでもそこにいたいわ。」(中略)

「いまこそわかったぞ。きみはまったく残酷だった――残酷で、しかも不実だった。なんだってぼくを軽蔑したんだ? なんだって自分の心をいつわったんだ、キャシー? なぐさめてやることなんかありゃしない――これが当然のむくいじゃないか。きみは自分を殺したんだ。そうさ、そうやってキスして、泣くがいい。ぼくからもキスや涙をしぼりとるがいい。キスも涙もきみを呪(のろ)い――きみを破滅させるだろう。きみはぼくを愛していた――それなのにぼくをすてる権利があったのか? どんな権利だ――言ってみろ――エドガーにひとめぼれしたせいなのか? 不幸も、貧困も、死も、神や悪魔が押しつけるどんな苦しみも、ぼくらふたりを引き裂くことができないから、きみはそれを自分の意思でやったんだ。きみの胸をつぶしたのはぼくじゃない――きみが自分でやったんだ――自分の胸といっしょに、ぼくの胸までつぶしたんだ。ぼくはからだがじょうぶだからますますつらい。生きながらえてどうなるんだ? どんな人生がのこるんだ、もしきみが――ああ! きみなら長生きしたいかい、自分の魂が墓にはいってしまってから?」

「言わないで。もう言わないで」とキャサリンはすすり泣きました。「あたしが悪かったとしても、そのためにあたしは死んでいくのよ。それでじゅうぶんじゃないの! あなたもあたしをすてたけど、あたしはそれを責めないわ! ゆるしてあげる。あたしのこともゆるして!」

「ゆるすのはつらい。きみのその目を見てるのも、そのやせおとろえた手にさわるのも」とヒースクリフは答えました。

「もう一度キスしてくれ。そしてその目を見せないでくれ! きみがぼくにしたことはゆるすよ。ぼくを殺したひとをぼくは愛してるよ――だがきみを殺したやつは! ゆるせるはずがないだろう!」》

 

 そもそも「欲望」とは何なのか。人は「欲望」を知りえるのか。

 福原泰平『ラカン』によれば、《主体は自己とは非対称の他者の欲望にみずからのそれを重ねることでその欲望を告知されることとなったが、実はここでもう一つ複雑な事情が絡んでくる。

 主体はその欲望を他者から教えられ付与されたとはいえ、欲望の灯をともされた後は相互承認という原則を持ち出し、今度は自己の欲望する他者によってみずからが欲望されることを熱望するようになっていくのだとラカンはいう。主体はここで他者に対して、私が欲望する主体としてこれから生きていくために、自分が望まれたものであることを確認せねばならなくなった。なぜなら、欲望とはそれを他者の中に見いださねばならない本性からして、他なる意識の中にそれを見いださねばならない嫉妬深いものだからである。欲望はその本性からして、他者の欲望を欲望するものとして構築されていくことになる。

 これが一般に欲望の弁証法と言われるものである。ラカンはこの概念の理論化を図るため、ヘーゲルが「二重化された自己意識」と述べたものを用いている。一度その胸にともった欲望はその後、他者の中で自分がそれとして認められていることを目標として展開してゆくことになる。

 ラカンは彼の欲望理論の基礎となったこの欲望の弁証法についての議論を、バタイユに誘われてかよったアレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル解釈に強く負っている。コジェーヴは『精神現象学』第二部の中にこれを見いだし、主人と奴隷の死を賭した戦いの欲望なるものを描き出す。つまり、欲望の本質は相手に承認されたいと望むことであり、結果、これは相互承認の戦いを生むことになる。

 この他者の中に欲望されたいとする相互承認をめぐる二つの個体間の争いは、最終的にはどちらか一方が譲歩するか死んでしまうかといったぎりぎりの地点までたどり着く。(中略)結果、争いの真の支配者は、すべての戦いに最終的な幕を引ける死としての沈黙以外にはないということにもなってくるのである。》

 

<『嵐が丘』「16章」――「分離と融合」>

 ネリーはキャサリンが死んだことをヒースクリフに伝える。

《「苦しみもだえて目ざめるがいい!」とヒースクリフはすさまじいけんまくで叫びました。地だんだを踏んで、うめいて、とつぜん激情の発作に押しながされてしまったのです。「そうとも、あいつは最後まで嘘(うそ)つきだった! どこにいるんだ、あいつは? あそこじゃない――天国なんかじゃない――消えうせもしない――どこなんだ? ああ、あまえはおれの苦しみなんかなんとも思わないと言ったろう! だからおれも、ただひとつのことを祈ってやる――舌の根がこわばるまでくりかえすぞ――キャサリン・アーンショーよ、おれが生きているかぎり、けっしておまえが安らかに眠ったりしませんように! おれが殺したとおまえは言った――それなら怨霊(おんりょう)になっておれにとりつけ! 殺された人間は殺したやつにとりつくはずだ。地上をさまよい歩く亡霊はいくらもある。いつまでもおれのそばにいろ――姿は亡霊でもなんでもいい――おれを気ちがいにしたっていい! ただ、たのむからおれを深淵(しんえん)に、おまえのいないところに置きざりにだけはしないでくれ! ああ、ちきしょう! 言葉では言いきれない! おれの生命なしではおれは生きていけないんだ! おれの魂なしにはおれは生きていけないんだ!」

 節くれだった木の幹に頭をぶつけながら、目をつりあげて彼は吠(ほ)えたてます。もう人間というより、ナイフや槍(やり)で突きまくられた瀕死(ひんし)のけだものの叫びでした。》

 

<『嵐が丘』「29章」――「欲望を欲望する」>

 エドガーの葬式をすませた晩、ヒースクリフがキャサリン・リントン(筆者註:死ぬまぎわにキャサリン生んだ、エドガーとの娘)のもとにやってきた。 

《「話してやろうか、きのうおれがなにをしたか! エドガーの墓を掘ってる寺男をつかまえて、キャサリンの棺の上の土をどけさせ、蓋(ふた)をあけてみたんだ。彼女の顔を見たとき――まだ生前そのままだった――いっそこのままおれもはいろうかと思ってね、そこを動かんので寺男は閉口してた。しかし、風に当てると変わってしまうと彼が言うから、棺の片側をたたいてゆるめといたんだ――あとでまた土をかぶせたが――エドガーの棺のある側じゃないぜ、あんちくしょう! あんな野郎は鉛づけにでもして埋めてやればよかったよ――それから寺男に金をにぎらせて、おれが埋められるときには、ゆるめておいたキャサリンの棺の片側をとりはずし、おれのほうもはずしてくれと言っといた。はずせるようにつくらせておくからな。そうなると、エドガーの死体がこっちへ崩れてくるころには、おれたちふたりはひとつになってて、どっちがどっちかわからないだろうよ!」(中略)

 ヘアトン(筆者註:キャサリンの兄ヒンドリーの息子、キャサリンの甥にあたる)といっしょに居間ですわっていたりすると、いま出ていけばきっと彼女に会えるぞと思ってしまう。荒野(ムア)を歩いていたりすると、家へ帰れば会えるぞと思う。家を出ても、あわてて帰ってきてしまう。嵐が丘のどこかにきっと彼女がいるんだから! 彼女が使っていた部屋で寝てみても――いたたまれなくて出てしまう――とても寝ていられないんだ。目を閉じたとたんに彼女が、窓の外にあらわれたり、鏡板をあけたり、ドアからはいってきたり、子供のころと同じようにおれの枕(まくら)にあのかわいい頭をのせたりする。見たいからおれはどうしても目をあけてしまう。あけたり閉じたり、ひと晩に百回もそれをくりかえして――そのたびにがっかりして! まさに拷問だった!》

 

 アレクサンドル・コジェーヴによるヘーゲル精神現象学』講義(1930年代後半のこの講義はのちに『へーゲル読解入門』として出版されたが、聴講者には、ジャック・ラカンジョルジュ・バタイユロジェ・カイヨワメルロ=ポンティアンドレ・ブルトン、ジャン・ポール・サルトルなどがいた)の「第一章 序に代えて」から抜粋しよう。

遠まわしでわかりにくい表現ではあるが、《例えば、男女間の関係においても、欲望は相互に相手の肉体ではなく、相手の欲望を望むのでないならば、また相手の欲望欲望としてとらえ、この欲望を「占有」し、「同化」したいと望むのでないならば、すなわち、相互に「欲せられ」、「愛され」ること、あるいはまた自己の人間的な価値、個人としての実在性において、「承認され」ることを望むのではないならば、その欲望は人間的ではない》とか、《同様に、自然的対象に向かう欲望も、同一の対象に向かう他者の欲望によって「媒介され」ていなければ人間的ではない。すなわち、他者が欲するものを他者がそれを欲するが故に欲することが、人間的なのである。このようなわけで、(勲章とか敵の旗など)生物的な観点からはまったく無用の対象も、他者の欲望の対象となるから欲せられうる》などである。

つまりは、男女間の欲望は、相手の肉体を手にいれても終わることがなく、むしろますます増進してしまう。なぜなら、欲望は、生理的、動物的に満たされるような単純なものではなく、他者の欲望を欲望する(・・・・・・・・・・)という構造を内に抱えているからである。相手を手に入れたあとも、その事実を他者に教えたい、欲望されたい(嫉妬されたい)と思う。また同時に、他者が欲望するものを知り、他者がそれを欲するがゆえに手に入れたいと思う(嫉妬する)。ゆえに、欲望はつきることがない。人間の欲望は本質的に他者を必要とし、媒介による欲望によってこそ、人間は動物と異なる。

 さらにコジェーヴの、《ところで、いかなる欲望も或る価値を目指した欲望である。動物にとっての至高の価値はその動物的生命であり、動物のすべての欲望は、究極的には、その生命を保存しようという動物の欲望に依存している。したがって、人間的欲望はこの保存の欲望に打ち克つ必要があるわけである。換言すれば、人間が人間であることは、彼が自己の人間的欲望に基づき自己の(動物的)生命を危険に晒さなければ「証明」されない》とは、コジェーヴの講義に出席していたバタイユがのちに主張したような、恍惚のうちに死に至る人間的な行為だったのではないのか。

 

『嵐が丘』のヒースクリフとキャサリンは「欲望の弁証法」の渦中にいる。

                              (了)

      *****引用または参考文献*****

*エミリー・ブロンテ『嵐が丘』永川玲二訳(『集英社ギャラリー 世界の文学 (3)イギリス2 嵐が丘/バーナビー・ラッジ/ダーバヴィル家のテス』に所収)(集英社)

*エミリー・ブロンテ『嵐が丘』河島弘美(岩波文庫)

*エミリー・ブロンテ『嵐が丘』鴻巣友季子(新潮文庫)

*E・ブロンテ『嵐が丘』小野寺健(光文社古典新訳文庫)

*廣野由美子『「嵐が丘」の謎を解く』(創元社)

*ジョルジュ・バタイユ『文学と悪』山本功訳(ちくま学芸文庫)

*丸谷才一「『嵐が丘』とその付近」(『梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集』に所収)(晶文社)

*水村美苗「『嵐が丘』が導く世の果て」(辻邦生・水村美苗往復書簡『手紙、栞を添えて』に所収)(ちくま文

*川口喬一『『嵐が丘』を読む ポストコロニアル批評から「鬼丸物語」まで』(みすず書房)

*テリー・イーグルトン『テリー・イーグルトンのブロンテ三姉妹』大橋洋一訳(晶文社)

*ヒリス・ミラー『小説と反復 七つのイギリス小説』玉井暲、上村盛人、仙葉豊、服部典之、服部慶子、林和仁、米本弘一、川口能久、正木建治、三浦良邦訳(英宝社)

*福原泰平『現代思想の冒険者たち ラカン』(講談社)

*スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳(紀伊国屋書店)

*柄谷行人「探究Ⅲ」第十八回(「群像」1996年3月号に所収)(講談社)

*坂部恵『坂部恵集2 思想史の余白に』(「理性の不安――サドとカント――」所収)(岩波書店)

*ジャック・ラカン『精神分析の倫理』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之他訳(岩波書店)

*ミシェル・フーコー『狂気の歴史――古典主義時代における』田村俶訳(新潮社)

*ジークムント・フロイト『フロイト著作集6 自我論/不安本能論』(「悲哀とメランコリー」所収)井村恒郎、小此木啓吾他訳(人文書院)

*Slavoj Žižek ”WUTHERING HEIGHTS: YES, LOVE IS TOXIC!”

 (https://slavoj.substack.com/p/wuthering-heights-yes-love-is-toxic-ac6)

*アレクサンドル・コジェーヴ『へーゲル読解入門 『精神現象学』を読む』上妻精、今野雅方訳(白水社)

*小川公代、村田真一、吉村和明編『文学とアダプテーション』(春風社)

*小川公代、吉村和明編『文学とアダプテーション Ⅱ』(春風社)

文学批評) 荷風『濹東綺譚」について(ノート)

  

 荷風『濹東綺譚』は「五・一五事件」のあった昭和七年一月に玉の井を散策したことから端を発し、奇しくも「二・二六事件」があった昭和十一年九月に起稿、十月に脱稿されているが、その四年余りの間に荷風がとりわけ小説の想を練っていたとか、暖めていたという様子はうかがえない。

 もちろん荷風は「五・一五事件」のことも「二・二六事件」のことも『断腸亭日乗』に書き残している。

 

<昭和七年五月十五日の『断腸亭日乗』から>

《五月十五日。晴れていよいよ暑くなりぬ。晡下銀座に徃きて夕飯を食す。日曜日なれば街上の賑ひ一層盛なる折から号外売の声俄に聞出(きこえだ)しぬ。五時半頃陸海軍の士官五、六名首相官邸に乱入し犬養を射殺せしといふ。警視庁及(および)政友会本部にも同刻に軍人乱入したる由。初更の頃家(筆者註:荷風の家は麻布区(現港区)市兵衛町(現六本木)一丁目6番地の偏奇館で、官公庁に近接していた)に帰るに市兵衛町表通横町の角々に巡査刑事二、三名づつ佇立(たたず)み、東久邇宮(ひがしくにのみや)邸門前には七、八名立ちゐたり。如何なるわけあるにや。近年頻に暗殺の行はるること維新前後の時に劣らず。然れども凶漢は大抵政党の壮士または血気の書生らにして、今回の如く軍人の共謀によりしものは、明治十二年竹橋(たけばし)騒動(そうどう)以後かつて見ざりし珍事なり。(後略)》

 

<昭和十一年二月廿六日の『断腸亭日乗』から>

《二月廿六日。朝九時頃より灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中(うち)に積り行くなり。午後二時頃歌川氏電話をかけ来り、〔この間約四字抹消。以下行間補〕軍人〔以上補〕警視庁を襲ひ同時に朝日新聞社日〻新聞社等を襲撃したり。各省大臣官舎及三井邸宅等には兵士出動して護衛をなす。ラヂオの放送も中止せらるべしと報ず。余が家のほとりは唯降りしきる雪に埋れ平日よりも物音なく豆腐屋のラッパの声のみ物哀れに聞(きこゆ)るのみ。市中騒擾の光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とをおそれ門を出でず。風呂焚きて浴す。

  〔朱書〕森(もり)於菟(おと) 台北東門前町一五八文化村四条通

九時頃新聞号外出づ。岡田斎藤殺され高橋重傷鈴木侍従長また重傷せし由。十時過雪やむ。》

 続く二月廿七日も荷風らしく、好奇心と醒めた観察眼と我関せずの的確な文体で記録していて、ドキュメント映像などを見ると異常な緊迫感が雪景色もあってひしひしと伝わってくるものの、荷風の筆を読むに、意外とのんびりした野次馬的光景だったのかもしれない。

《二月廿七日。曇りて風甚だ寒し。午後市中の光景を見むと門を出づ。東久邇宮(ひがしくにのみや)門前に憲兵三,四名立つ。道源寺阪を下り谷町通にて車に乗る。溜池(ためいけ)より虎の門のあたり弥次馬(やじうま)続〻として歩行す。海軍省及裁判所警視庁等皆門を閉ぢ兵卒これを守れり。桜田その他内曲輪(うちぐるわ)へは人を入れず。堀端(ほりばた)は見物人堵(と)をなす。銀座尾張町(おわりちょう)四辻にも兵立ちたり。朝日新聞社は昨朝九時頃襲撃せらるたる由なれど人死(ひとじに)は無之(これなし)。印刷機械を壊されしのみなりといふ。銀座通の人出平日よりも多し。電車自働車通行自由なり。三越にて惣菜(そうざい)を贖(あがな)ひ茶店久辺留(キュベル)に至る。居合す人〻のはなしにて岡田斎藤らの虐殺せられし光景の大畧(たいりゃく)及暴動軍人の動向を知り得たり。〔この間約一行抹消〕歌川竹下織田の三子(し)と三十間堀河岸の牛肉店末広に至り晩餐をなす。杉野教授千香女史おくれて来り会す。談笑大に興を添ふ。八時過外に出るに銀座通の夜店遊歩の人出いよいよ賑(にぎやか)なり。顔なじみの街娼一両人に逢ふ。山下橋より内幸町を歩む。勧業銀行仁寿公堂大坂ビル皆鎮撫軍(ちんぶぐん)の駐屯所(ちゅうとんしょ)となる。田村町四辻に兵士機関銃を据(す)えたり。甲府より来りし兵士なりといふ。議会の周囲を一まはりせしが〔この間約六字抹消、以下行間補〕さして面白き事なく〔以下補〕弥次馬のぞろぞろと歩めるのみ。虎の門あたりの商店平日は夜十時前に戸を閉すに今宵(こよい)は人出賑なるため皆燈火を点じたれば金毘羅(こんぴら)の縁日(えんにち)の如し。同行の諸子とわかれ歩みて霊南阪(れいなんざか)を上るに米国大使館塀外に数名の兵あり。人を誰何(すいか)す。富豪三上の門内に兵士また数名休息するを見たり。無事家に帰れば十一時なり。この日の新聞には暴動の記事なし。》

 翌廿八日、廿九日も銀座に足を運ぶが、三月初一には事件の記述はフェードアウトしてしまう。

 しかし、荷風にとっては、そして『断腸亭日乗』を読む我々にとっても、二月廿六日の事件よりも、その二日前、二月廿四日の記事の方がずっと重要である。

《二月廿四日。昨夜は霽(は)れわたりし空再び曇りて風また寒し。午後徒(いたずら)に眠を貪(むさぼ)る。燈刻銀座に徃(ゆ)かむとせしが顔洗ふが面倒にて家に留り、夕餉(ゆうげ)の後物書かむと机に向ひしが何といふ事もなく筆とるに懶(ものう)く、去年の日誌など読返して徒に夜をふかしたり。老懶(ろうらん)とは誠にかくの如き生活をいふなるべし。芸術の制作慾は肉慾と同じきものの如し。肉慾老年に及びて薄弱となるに従ひ芸術の慾もまたさめ行くは当然の事ならむ。余去年の六、七月頃より色慾頓挫(とんざ)したるを感じ出したり。その頃渡辺美代とよべる二十四、五の女に月〻五十円与へ置きしが、この女世に稀なる淫婦(いんぷ)にてその情夫と共にわが家にも来り、また余が指定する待合にも夫婦にて出掛け秘戯を演じて見せしこともたびたびなりき。初めのほど三、四度は物めづらしく淫情を挑発せらるることありしが、それにも飽きていつか逢ふことも打絶えたり。去月二十四日の夜わが家に連れ来りし女とは、身上ばなしの哀れなるにやや興味を牽きしが、これ恐らくはわが生涯にて閨中(けいちゅう)の快楽を恣(ほしいまま)にせし最終の女なるべしや。色慾消磨し尽せば人の最後は遠からざるなり。依てここに終焉の時の事をしるし置かむとする。

一余死する時葬式無用なり。(中略)

一余が財産は仏蘭西(フランス)アカデミイゴンクウルに寄附したし。(中略)

一余は日本の文学者を嫌ふこと蛇蝎(だかつ)の如し。(中略)

一余は三菱銀行本店に定期預金として金弐万五千円を所有セリ。この金を以て著作全集を印刷し同好の士に配布したしと思ふなり。

夜も既に沈〻(ちんちん)としてふけ渡りたれば遺書の草案もこれにて止(や)む。》

 だが、いくら戦前では老齢とはいえ、このとき荷風いまだ五十八歳にすぎない。

 

「二・二六事件」から間もない昭和十一年三月末から荷風は玉の井に足繁く通うようになり、四月には「寺じまの記」を出している。そして五月十六日の『断腸亭日乗』に「玉の井見物の記」を載せ、九月にはほぼ毎日のように『濹東綺譚』の取材のためと称して玉の井に通ったことが『断腸亭日乗』から読み取れる。

「寺じまの記」は『濹東綺譚』の序文か、筆ならし、習作のような玉の井見聞記であり、後の『濹東綺譚』の背景、叙景描写、土地風俗に活かされてはいるものの、詩情に乏しく、荷風が得意とする会話文も硬い。これは『濹東綺譚』内小説『失踪(しっそう)』や、「わたくし」が中年のころに作ったとされる『見果てぬ夢』からの引用文でも同じ作為である。

 

<大岡信/川村二郎/丸谷才一「鼎談 荷風文学を語る」の『濹東綺譚』>

 荷風『濹東綺譚』の批評は、江藤淳「永井荷風論」のような無暗に人格面まで突っかかったものから、佐藤春夫「『濹東綺譚』を読む」のごとき頌まで多くあり、さらには伝記、考証が散見できる。

『現代日本文学大系24 永井荷風集(二)』(筑摩書房)の「月報60」、大岡信/川村二郎/丸谷才一による「鼎談 荷風文学を語る」では、「翻訳詩「珊瑚集」」、「「偏奇館吟草」」、「荷風の小説」、「散文詩「断腸亭日乗」」について打ち解けた会話がなされており、『濹東綺譚』に関する部分が一皮むけた本質の指摘なので摘録する。

川村 僕はさっき、荷風という人は本質的に非常に素直な人じゃないかといったけど、その素直さということでいえば、小説でいろいろな人間のからみ方を書くときに、細かい屈折を技巧的につけようなんてしないで、こういう女ならこういう女がいるということを、とても自然な見方で見ていく。この見方を通じてその女が大変生きいきしておもしろく読者にも見えてくるというところに感心するわけです。一般的にいって、女はとてもおもしろいんだけど、男はおもしろくないね(笑)。「濹東綺譚」は好きなほうですけどね、相手の女はとにかくよく書けていますよね。だけどそこへ行く男のほうは、作者のある程度、自画像ふうなものをもっているんだろうけど、まあ、いい気な男だよね。作者がそのいい気なところまで見て書いているかどうかということに疑問があるし、ただ、そんなところまで見なければこの小説の世界が成り立たたないかというと、むしろそういう男に対する目を切り捨てたところで小説の世界が成り立っているという気もする。

丸谷 荷風はナイーブな人だというような荷風論は今まであまりなかったんじゃないかな。何か意地悪だというふうに見るほうが強いんじゃないかな。その点、たしかに今の説はおもしろいと思う。ただ、こういうことは言えるんだよね。小説技術的にいって、人間の把握が型でいっているでしょう。だから非常に類型的なんだな。毒婦は毒婦、淫婦は淫婦、そして敵役は敵役で、人間を類型としてとらえていく。それをしかるべく配置して、それでやっていく。これはある意味でいうと小説を書くときの技術の基本みたいなもので、荷風がこれをしっかりと身につけていたのは、世間で人がいうフランス小説の影響とか江戸戯作の影響ではなしに――もちろんそれもあるだろうけど「金瓶梅」のような中国小説がずいぶん影響を与えてるんじゃなかろうかと思う。

大岡 荷風の小説はひとことでいうと変形された才子佳人小説じゃないかな。たとえば鷗外の初期の小説「舞姫」あたりにも中国の才子佳人小説の名残りがいろいろなところに指摘できるといわれているようですが、そういう才子佳人小説というものを描こうとしても、まともに受けとめれば日本には材料がない。そこで彼が材料としたのは、芸者の世界とか、色町の世界にだいたい限定された。しかし作品の骨格をなしているのは、案外才子佳人小説の大伝統で、その中でこそむしろ自由に生きいきと彼は呼吸できたんじゃないかな。

丸谷 ところが、どうも僕の読んだ範囲では、荷風は中国小説を読んだ話は書いてないんだよな。

大岡 あの人は自分のいちばん好きなものをかくしていたんじゃないか。

丸谷 かなりかくすね。あるいは意識しないほど早い時期に読んでいるのかもしれない。あれくらい漢文ができればすらすらとでしょうしね。

大岡 荷風はフランスの、ゾラなどのリアリズムの小説、詩でいえばパルナシアンたちの詩が、パリならパリの街を実に細かく具体的にとらえていることに非常に感心していますね。その態度をたとえば「濹東綺譚」を書く場合に移してくる。こまかく土地風俗を見ていって、克明に小説の中に記録していくといった態度をとっている。彼の長期にわたる小説には一貫してその態度が見られますが、ひるがえって見れば、中国の小説の伝統にもそれはあるような気がするね。

丸谷 これは話のついでだけど、たとえば「日和下駄」の場合、あれはフランスの何とかいうジャーナリストの書いたものを、留学中に読んでいて、その影響で書いたと荷風はいっている。だけどあれは寺門静軒の「江戸繁昌記」とか「新潟繁昌記」と結びついているような気がするんだけどね。

川村 「日和下駄」はいいですね。この作品には、荷風という人は観察ということがとても好きだった人だと感じがよく出ていると思う。観察の対象に関していえば、なんといっても女好きですよね。女のことを一生懸命書いている作家が必ずしも女ずきとはかぎらないと思うけど、荷風は女のいろいろな型というものを生命あらしめていくだけの、対象に対する非常な好奇心があるし、愛情があるし、そういうものに基づいた上での観察のこまかさが類型を埋めちゃって、類型と感じさせないところまでいっているという気がします。

丸谷 その腕のたしかさだね。それは本当に素晴しいものだね。ただ僕は「濹東綺譚」はあまり好きじゃないんだなあ、小説がつまらなくて、おしまいの詩がまたつまらないでしょう。

川村 あれは荷風の詩ではいいほうじゃない?(笑)

丸谷 荷風の小説の随筆体小説という問題があるでしょう。私小説否定論者の僕がこういうことを言うとおかしいが、荷風の随筆体小説はとっても好きなんですよ。

川村 たとえばどういうもの。

丸谷 「雨瀟々」「花火」非常に好きなんだ。でも「濹東綺譚」は好きじゃない。

川村 だって「雨瀟々」と「濹東綺譚」はどこで区別しますか。違うことはたしかだけど。

大岡 むずかしい問題だな。

丸谷 むずかしい問題でしょう。ただ、「濹東綺譚」は随筆体小説であるにしてはあまりにも小説くさくてそれが鬱陶しい。そういうことは言える。(後略)》

 

 丸谷才一のいう「あまりにも小説くさくて」とは、『断腸亭日乗』の昭和六年二月七日《堀口大学訳著『パリュード』美装本を寄贈せらる》や、昭和六年十二月十三日《終日家にあり。ヂットの小説『贋金(にせがね)つくり』を読む》の影響が指摘される、種田(たねだ)順平(じゅんぺい)という英語教師を登場させての作品『失踪(しっそう)』を入れ子とした「小説内小説」(額縁構造)や、小説末尾の「ここに筆を擱(お)くべきであろう」に続く詩などが顕著な特徴だろう。ここにおいて荷風の随筆体小説の魅力があまりにも勝ってしまって、本来丸谷が好むはずの構造(丸谷『樹影譚』など)がかえって鬱陶しくもうさんくさく作為的に感じてしまうという皮肉がここにある。

 

<昭和十一年五月十六日『断腸的日乗』の「玉の井見物の記」から>

『断腸亭日乗』五月十六日から、「玉(たま)の井(い)見物の記」を抽出する。

《初て玉の井の路地を歩みたりしは、昭和七年の正月堀切(ほりきり)四木(よつぎ)の放水路堤防を歩みし帰り道なり。その時には道不案内にてどの辺が一部やら二部やら方角更にわからざりしが、先月来しばしば散歩し備忘のため畧図(りゃくず)をつくり置きたり。路地内の小家は内に入りて見れば、外にて見るよりは案外清潔なり。場末(ばすえ)の小待合(こまちあい)と同じくらゐの汚さなり。西洋寝台を置きたる家尠(すくな)からず、二階へ水道を引きたる家もあり。また浴室を設けたる処もあり。一時間五円を出せば女は客と共に入浴するといふ。但しこれは最も高価の女にて、並は一時間三円、一寸(ちょん)の間(ま)は壱円より弐円までなり。路地口におでん屋多くあり。ここに立寄り話を聞けば、どの家の何といふ女はサービスがよいとかわるいとかいふことを知るに便なり。七丁目四十八番地高橋方まり子といふは生れつき淫乱(いんらん)にて若いお客は驚いて逃げ出すなり。七丁目七十三番地田中方ゆかりといふは先月亀井戸より住替(すみかえ)に来りし女にて、尺八(しゃくはち)専門なり。七丁目五七番地千里方千慧子といふ女は泣く評判あり。曲取(きょくどり)の名人なり。七丁目五十四番地工藤方妙子は芸者風の美人にて部屋に鏡を二枚かけ置き、覗(のぞ)かせる仕掛をなす。但し覗き料弐円の由。警察にて検梅(けんばい)をなす日取りは、月曜日が一部。火曜日が二部。水曜日が三部といふ順序なり。検梅所は玉ノ井市場側昭和病院にて行ふ。入院患者大抵百人以上あり女の総数は千五、六百人なり入院料一日一円なり。女は抱えといはず出方さんといふ。東北の生れの者多し。越後の女も多し。前借は三年にて千円が通り相場なり。半年位の短期にて二、三百円の女も多し。この土地にて店を出すには組合へ加入金千円を収め権利を買ふなり。されど一時にまとまりたる大金を出して権利を買ふよりも、毎日金参円ヅツを家主または権利所有の名義人に収める方が得策なり。寝台その他一切の雑作(ぞうさく)付きにて家賃の代りに毎日参円ヅツを収るなり。その他聞く処多けれど畧(りゃく)して記さず。(後略)》

 

<昭和七年の『断腸亭日乗』から>

 昭和十一年五月十六日の『断腸亭日乗』「玉(たま)の井(い)見物の記」に、《初て玉の井の路地を歩みたりしは、昭和七年の正月堀切(ほりきり)四木(よつぎ)の放水路堤防を歩みし帰り道なり。》と記された昭和七年一月十八日、廿二日の『断腸亭日乗』は次の通り。

《一月十八日。晴れて風寒し。午前執筆。午後中州病院に徃き薬を請ふ。乗合汽船にて吾妻橋に至り東武電車にて請地(うけち)曳舟(ひきふね)玉(たま)ノ井(い)などいふ停車場を過ぎ堀切(ほりきり)に下車す。徃年綾瀬(あやせ)の川口より菖蒲園(しょうぶえん)に行きし時歩みし処なり。電車停留所は荒川放水路の土手下にあり。(中略)東京府下の新開町は中野目黒巣鴨辺また池上蒲田(かまた)あたり、いづこも同じやうにて特殊の情景はなけれど、隅田川以東の地は紳士の邸宅らしきものもなく見るもの皆貧し気にて物哀れなれば、世を避けてかくれ住むにはかへつてよかるべし。(後略)》

《一月廿二日。快晴。暖気春の如し。午後中州に徃。去冬より中州に赴く日には、その帰道夕飯の頃まで処定めず散策することになしたれば、今日は清洲橋(きよすばし)の袂(たもと)より南千住行の乗合自働車に乗りぬ、浅草橋(あさくさばし)駒形(こまかた)を過ぎ田原町辺より千束町(せんぞくまち)に出て吉原(よしわら)大門前(おおもんまえ)を過ぐ。日本堤(にほんづつみ)は取除かれて平坦なる道路となれり。小塚原(こづかっぱら)の石地蔵は依然としてもとの処にあり。ここにて金町(かなまち)通の乗合自動車に乗替へ、千住大橋を渡り旧街道を東に折れ堤に沿ひて堀切橋に至る。枯蘆の景色を見むとて放水路の堤上を歩み行くに、日は早くも暮れて黄昏(たそがれ)の月中空に輝き出でたり。陰暦十二月の十五夜なるべし。枯蘆の茂りややまばらなる間の水たまりに、円(まる)き月の影盃(さかずき)を浮べたるが如くうつりしさま絵にもかかれぬ眺めなり。四木橋の影近く見ゆるあたりより堤を下れば寺嶋町(てらじままち)の陋巷(ろうこう)なり。道のほとりに昭和通玉の井近道とかきたる立札あり。歩み行くこと半時間ばかり、大通を中にしてその左右の小路(こうじ)は悉く売笑婦の住める処なり、小路の間に飲食店化粧品売る小店などあり、売笑婦の家はむかし浅草公園裏にありし時の状況と更に変るところなし。立寄りて女のはなしを聞くに、玉の井の盛場は第一区より第五区まであり、第一区は意気向(いきむき)の女多く、二区三区には女優風のおとなし向が多し、祝儀はいづれも一、二円なりといふ。路地を出るに商店つづきたる道曲り曲りてほどなく東武鉄道の停留所に達せり。電車より昇降する人甚(はなはだ)多し。江東の新開(しんかい)町(まち)にて玉の井最繁華なりと見ゆ。(後略)》

 このとき、玉の井で女を抱いた様子はない。

 

<昭和十一年の『断腸亭日乗』から>

 昭和十一年四月になると、玉の井詣は連日のようになり、取材と実事(●)を兼ねていた。

《●四月十四日。日の光忽夏のごとし。午前小品文放水路を草す。午後庭を掃ふ。夕餉して後食料品を銀座に贖ひ、玉の井を歩み四ツ木橋より乗合自働車に乗りてかへる。燈下また執筆。》

 

《●四月廿一日。八重桜満開となり木〻の若芽早くも舒びたり。午後一睡。覚めて後執筆一二時間。感興来らず。晩餐後浅草より玉の井を歩む。稍陋巷迷路の形勢を知り得たり。然れども未精通するに至らざるなり。空くもりて星なし。深更雨》

 

《●四月廿二日。晴。玉井の記をつくる。午後改造社〻員及岩波書店〻員来談。夜雨風吹起りて蒸暑し。》

 

《●四月廿三日。晴。午前執筆。午後中央公論社〻員雨宮氏来り余が全集出版の如何を問ふ。晩餐後重ねて玉の井に徃。道順その他の事につき再調を要する処多きを知りたればなり。(後略)》

 

《九月初七。晴。朝の中既に華氏九十度の暑なり。夜隅田公園を歩む。(中略)言問橋をわたり乗合自働車にて玉の井にいたる。今年三、四月のころよりこの町のさまを観察せんと思立ちて、折々来りみる中(うち)に ふと一軒憩(やす) むに便宜なる家を見出し得たり。その家には女一人ゐるのみにて抱主(かかえぬし)らしきものの姿も見えず、下婢(かひ)も初の頃にはゐたりしが一人二人と出代りして今は誰もゐず。女はもと洲崎(すさき)の某楼の娼妓なりし由。年は二十四、五。上州辺の訛(なまり)あれど丸顔にて眼大きく口もと締りたる容貌(きりょう)、こんな処でかせがずともと思はるるほどなり。あまり執(しゅう)ねく祝儀(しゅうぎ)をねだらず万事鷹揚(おうよう)なところあれば、大籬(おおまがき)のおいらんなりしといふもまんざら虚言(うそ)にてはあらざるべし。余はこの道の女には心安くなる方法をよく知りたれば、訪(と)ふ時には必(かならず)雷門あたりにて手軽き土産物を買ひて携へ行くなり。この夜余は階下の茶の間に坐り長火鉢(ながひばち)によりかかりて煙草くゆらし、女は店口の小窓に坐りたるまま中仕切の糸(いと)暖簾(のれん)を隔てて話する中、女は忽ち通りがかりの客を呼留め、二階へ案内したり茶の間は灯を消したれば上り口よりは見えざるなり姑(しばら)くして女は降り来り、「外出」だから、あなたが用がなければ一時間留守番して下さいと言ひながら、着物ぬぎ捨て箪笥(たんす)の抽出(ひきだ)しより何やらまがひ物の明石(あかし)の単衣(ひとえ)取出して着換へ始める故、一体どこへ行くのだと問へば、何処だか分からないけれど他分向嶋(むこうじま)の待合(まちあい)か円宿だらう。一時間外出は十五円だよ。お客ほど気の知れないものはない。あなたなら十円にまけるから今度つれて行つてよと言ふさへ呼吸急(せわ)しく、半帯しめかけながら二階へ上りて、客と共に降来るをしつと窺ひ見るに、白ヅボンに黒服の男、町の小商人(こあきんど)ならずば会社の集金人などに能く見る顔立ちなり。女は揚板(あげいた)の下より新聞紙につつみし草履(ぞうり)を出し、一歩先に出て下さい。左角にポストがあるからとて、そつとわが方を振向き、目まぜにて留守をたのみいそいそとして出行ぬ。一時間とはいへど事によれば二時間過るかも知れぬ臨時の留守番。さすがのわれも少しく途方に暮れ柱時計打眺むれば、まだ九時打つたばかりなるにやや安心して腰を据(す)え、退屈まぎれに箪笥(たんす)戸棚(とだな)などの中を調べて見たり。女は十時打つと間もなく思の外に早く帰り来りぬ。行つた先の様子を問ふに、向嶋の待合へつれて行かれしが初めより手筈がしてあつた様子にて、「ノゾキ」の相手に使はれしものらしく、ひよつとすると写真にうつされたかも知れない。通りがかりの初会で奇麗に十五円出すとはあんまり気前がよすぎると思ひましたと語りながら、女は帯の間より紙幣を取出し、電燈の光に透(すか)して真偽をたしかめし後、猫板の上に入れたり。早や十一時近くになりたればまた来るよとてわれは外に出でぬ。留守中にかきしこの家の間取り左の如し。

〔欄外朱書〕女の名詳(つまびらか)ならず。自分では秋田の生なりといへどもこれまた詳ならず。常州下館(しもだて)の芸妓なりし事あるが如し。(九月晦日(みそか)記入)

 (間取り図略)》

『濹東綺譚』のお雪のモデルの一人とも推定される女との出会いであろう。

 

《●九月十三日日曜日晴れて風やゝ涼しくなりぬ。読書半日晩飯すまして後隅田公園に徃く。震災後変り果てたる浅草の町を材料となし一篇の小説をつくりだしたしと思ふなり。言問橋をわたり秋葉裏の色町を歩み玉の井に至り、いつも憩(いこ)ふ家に立寄るに、女は扁桃腺を病みて下座敷の暗き中に古蚊帳つりて伏しゐたり。十一時ころまで語りてかへる。蚊の声きくもむかしめきて亦おもむきありき。》

 

《九月十五日。(前略)午後曝書。夜玉の井に徃く。途中牛の御前祭礼の飾物を見る。いつもの家にて女供と白玉を食す。一杯三十銭とは高価驚くべし。この夜女は根下りの丸髷(まるまげ)に赤き手柄(てがら)をかけ洒(さらし)木綿の肌襦袢に短き腰巻の赤きをしめたり。この風俗余をして明治四十年代のむかしを思起さしめたり。但しその頃には暑中赤きてがらや真赤な湯もじを用るものは素人にもなかりき。根下りの丸髷総髪の銀杏返(いてふがへ)しは仇ッぽく見えてよきものなり。秋の蚊の群れ来る破団扇にてばた/\と叩く響も亦むかしを思返すよすがなり。》

 

《九月十九日。(前略)電車にて向嶋秋葉神社前終点に至りそれより雨中徒歩玉の井に行きいつもの家を訪(と)ふ。横浜ちゃぶ屋にゐたりしといふ女一人新に加りたり。雨降りてやまず。路地の中(うち)人の跫音(あしおと)絶え、家の中にて蚊の鳴く声耳立つのみ。長火鉢囲みて女二人の身の上ばなし聞きて十時過に帰る。》

 

《九月二十日日曜日(前略)日曜日にて街上雑遝(ざっとう)甚だしければ電車にて今宵(こよい)もまた玉の井の女を訪ふ。この町を背景となす小説の腹案漸く成るを得たり。驟雨濺(そそ)ぎ来ること数回。十一時前雨中家に帰る。

〔欄外朱書、ただし九月廿一日の欄外にあるべきもの〕『濹東綺譚』起稿。》

 

《九月廿一日。秋霖霏霏(ひひ)。午後読売新聞記者来訪。三時過雨中昼間の玉の井を観察せむとていつもの家訪ふ。女は新に立派なる桐の重箪笥(かさねだんす)と桑の茶棚を贖(あがな)ひ下座敷に据え付けたるところ。四十歳ばかりなる抱主と二人にてあたりを掃除しゐたり。(抱主は許可地外に住居するなり。)女は箪笥が九十円茶棚が七十円。抱主より前借して出物(でもの)を買ひたるなりといふ。六時過女は髪結(かみゆい)に行くとて余の帰るを送り六丁目角にて別る。銀座食堂にて夕餉(ゆうげ)を食し八時家にかへる。雨歇(や)まず虫の声頗りなり。燈下小説起稿。》

 

《●九月廿二日。晴。午後日高君来談。哺下(ほか)また玉の井に徃く。東武電車玉の井停車場の西方に樹木鬱蒼たる別墅(べっしょ)の如き一構(ひとかまえ)あるを見、その方に歩みを運ぶ。人に問ふに安田銀行の別荘なりといふ。京成電車もと玉の井停車場はいつの頃よりか電車の運転を中止し既に線路と共に待合所の建物をも取払ひたれば、線路敷地の土手に芒(すすき)生茂(おいしげ)り、待合所の礎石プラットフォームに昇る石の階段のみ雑草の中に聳立(そびえた)ちたるさま城塞(じょうさい)の跡の如し。(後略)》

 

《九月廿三日。去(さる)七月頃朝日新聞社の記者某氏日高君を介して小説の寄稿を需(もと)めしことあり、その時は曖昧(あいまい)の返事をなし置きしにいよいよ来月中旬より拙稿入用の由申来(もうしきた)りし故病の託して辞退したり。余は菊池寛を始めとして文壇に敵多き身なれば、拙稿を新聞に連載せむか、排撃の声一時に湧起(わきおこ)り必(かならず)掲載中止の厄(やく)に遭(あ)ふべし。余はまあ年〻民衆一般の趣味及社会の情勢を窺ひ、今は拙稿を公表すべき時代にあらずと思へるなり。哺時銀座に赴き髪を理し、浅草公園を過ぎて玉の井に少憩し、再び銀座に戻り夕餉を食して家に帰るこの日秋分》

 と一応は小説の発表を断わってはみているものの、すでに連日のように玉の井取材を重ね、起稿しはじめている荷風の熱意は往時を彷彿とさせるものがある。

 

《十月五日。庭の萩まだ散らず昼の中より虫の声盛なり。小説の稿漸く進む。夕餉して後銀座にて買物をなし玉の井に立寄りてかへる。夜気冷かになりて炎暑の夜の如き勇気も今は消磨したれば、かの女の家を訪ふも今宵をかぎりにせむかなど思ふこと頻なり。燈下また執筆一時過寝に就く。

〔欄外朱書〕渋谷にて藝者と巡査の情死あり。》

 

《●十月六日。(前略)白髭橋東畔より京成バスに乗りて玉の井なるいつもの家を訪ふ。日は早く暮れたり。家には三ッ輪のやうなる髷(まげ)ひし二十一、二才の女新に来り、また雇婆も来り、茶の間にて夕餉を食しゐたり。主人も来りたればこの土地のはなしをききて、七時頃車にて銀座食堂に飰して麻布にかへる。》

 

《十月七日。秋陰昨の如し。終日執筆。命名して『濹東綺譚』となす。(後略)》

 

《十月二十日。一昨夜より降続きたる雨暮方に至りて始て霽(は)る。夕陽燦然たり。濹東の遊興なほ失せず。夜また徃きて例の家を訪ふ。帰宅後執筆。暁二時に至る。》

 

《十月廿五日日曜日晴れて暖なり。落葉を焚く。『濹東綺譚』の草稿成る。(後略)》

 

《十月廿八日。晴。笄阜君来訪。拙稿『濹東綺譚』を『朝日新聞』夕刊紙上に掲載する事となす(筆者註:昭和十二年四月から『東京朝日新聞』に木村荘八挿絵で連載)。(後略)》

 

 荷風の玉の井詣が単なる取材ではない証拠に、脱稿してからも、十月廿七、廿九、十一月初二、五、十四日に玉の井に足をのばして、ほとんど実事(●)があった、と『断腸亭日乗』から知れるぢ、そればかりか昭和十五年あたりまで頻度は少なくなっていくが「玉の井」という地名を読むことができる。

 

<『濹東綺譚』から>

『濹東綺譚』から、主人公(「わたくし」)と「お雪」との愛すべきやりとりの部分と、荷風の実地観察に基く「日和下駄」風の随筆体小説の部分を引用するが、『断腸亭日乗』に記載された細部の観察が生かされているのがすぐにわかるだろう。

 

(前略)大分その辺を歩いた後、わたくしは郵便箱の立っている路地口の煙草屋で、煙草を買い、五円札の剰銭(つり)を待っていた時である。突然、「降ってくるよ。」と叫びながら、白い上ッ張を着た男が向側のおでん屋らしい暖簾(のれん)のかげに馳け込むのを見た。つづいて割烹着(かっぽうぎ)の女や通りがかりの人がばたばた馳け出す。あたりが俄に物気立(ものけだ)つかと見る間もなく、吹落(ふきおち)る疾風に葭簀(よしず)や何かの倒れる音がして、紙屑と塵芥(ごみ)とが物(もの)の怪(け)のように道の上を走って行く。やがて稲妻が鋭く閃(ひらめ)き、ゆるやかな雷(らい)の響につれて、ポツリポツリと大きな雨の粒が落ちて来た。あれほど好く晴れていた夕方の天気は、いつの間にか変ってしまったのである。

 わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることは滅多にない。いくら晴れていても入梅中のことなので、その日も無論傘と風呂敷とだけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方(うしろ)から、「檀那(だんな)、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油の匂で結ったばかりと知られる大きな潰島田(つぶし)には長目に切った銀糸(ぎんし)をかけている。わたくしは今方(いまがた)通りがかりに硝子(ガラス)戸(ど)を明け放した女(おんな)髪結(かみゆい)の店のあった事を思出した。

 吹き荒れる風と雨とに、結立(ゆいたて)の髷(まげ)にかけた銀糸の乱れるのが、いたいたしく見えたので、わたくしは傘をさし出して、「おれは洋服だからかまわない。」

 実は店つづきの明(あかるい)い燈火に、さすがのわたくしも相合傘(あいあいがさ)には少しく恐縮したのである。

「じゃ、よくって。すぐ、そこ。」と女は傘の柄(え)につかまり、片手に浴衣(ゆかた)の裾(すそ)を思うさままくり上げた。》

 有名な『濹東綺譚』の出会いの場である。これほど人物たちの動きを伴って情景が活写された、眼に見えるような活きのいい文章は、谷崎潤一郎『細雪』冒頭の《「こいさん、頼むわ。―――」 鏡の中で、廊下からうしろへはいって来た妙子(たえこ)を見ると、(後略)》くらいではないだろうか。

 昭和十一年五月十六日『断腸的日乗』の「玉の井見物の記」の《路地口におでん屋多くあり。ここに立寄り話を聞けば、どの家の何といふ女はサービスがよいとかわるいとかいふことを知るに便なり》の舞台装置である。

 歌舞伎めいた戯作的構成として、にわか雨での男女の出会いは、荷風がこの時期に愛読した為永春水の『吾嬬の春雨』に類似している。

 

 稲妻がまたぴかりと閃(ひらめ)き、雷(かみなり)がごろごろと鳴ると、女はわざとらしく「あら」と叫び、一歩(ひとあし)後れて歩こうとするわたくしの手を取り、「早くさ。あなた。」ともう馴れ馴れしい調子である。

「いいから先へお出で。ついて行くから。」

 路地へ這入(はい)ると、女は曲るたび毎に、迷わぬようにわたくしの方に振返りながら、やがて溝(どぶ)にかかった小橋をわたり、軒並(のきなみ)一帯に葭簀(よしず)の日蔽(ひおい)をかけた家の前に立留(たちどま)った。

「あら、あなた。大変に濡れちまったわ。」と傘をつぼめ、自分のものよりも先に掌(てのひら)でわたくしの上着の雫(しずく)を払う。

「ここがお前の家(うち)か。」

「拭いて上げるから、寄っていらっしゃい。」

「洋服だからいいよ。」

「拭いて上げるっていうのにさ。わたしだってお礼がしたいわよ。」

「どんなお礼だ。」

「だから、まアお這入んなさい。」

 雷の音は少し遠くなったが、雨は却て礫(つぶて)を打つように一層激しく降りそそいで来た。軒先に掛けた日蔽の下にいても跳上(はねあが)る飛沫(しぶき)の烈(はげ)しさに、わたくしはとやかく言う暇(いとま)もなく内へ這入った。

 荒い大阪(おおさか)格子(ごうし)を立てた中仕切(なかじきり)へ、鈴のついたリボンの簾(すだれ)が下げてある。その下の上框(あがりがまち)に腰をかけて靴を脱ぐ中(うち)に女は雑巾(ぞうきん)で足をふき、端折(はしお)った裾もおろさず下座敷の電燈をひねり、

「誰もいないから、お上んなさい。」

「お前一人か。」

「ええ。昨夜(ゆうべ)まで、もう一人いたのよ。住替(すみかえ)に行ったのよ。」

「お前さんが御主人かい。」

「いいえ。御主人は別の家(うち)よ。玉の井館ッていう寄席(よせ)があるでしょう。その裏に住宅(すまい)があるのよ。毎晩十二時になると帳面を見にくるわ。」

「じゃアのん気だね。」わたくしはすすめられるがまま長火鉢の側に坐り、立膝(たてひざ)して茶を入れる女の様子を見やった。

 年は二十四、五にはなっているであろう。なかなかいい容貌(きりょう)である。鼻筋の通った円顔は白粉焼(おしろいやけ)がしているが、結立(ゆいたて)の島田の生際(はえぎわ)もまだ抜上(ぬけあが)ってはいない。黒目がちの眼の中も曇っていず唇(くちびる)や歯ぐきの血色を見ても、その健康はまださして破壊されてもいないように思われた。

「この辺は井戸か水道か。」とわたくしは茶を飲む前に何気なく尋ねた。井戸の水だと答えたら、茶は飲む振りをして置く用意である。

 わたくしは花柳病よりもむしろチブスのような伝染病を恐れている。肉体的よりも夙(はや)くから精神的廢人になったわたくしの身には、花柳病の如き病勢の緩慢なものは、老後の今日、さして気にはならない。

「顔でも洗うの。水道なら其処(そこ)にあるわ。」と女の調子は極めて気軽である。

「うむ。後でいい。」

「上着だけおぬぎなさい。ほんとに随分濡れたわね。」

「ひどく降ってるな。」

「わたし雷さまより光るのがいやなの。これじゃお湯にも行けやしない。あなた。まだいいでしょう。わたし顔だけ洗って御化粧(おしまい)してしまうから。」

 女は口をゆがめて、懐紙(ふところがみ)で生際の油をふきながら、中仕切の外の壁に取りつけた洗面器の前に立った。リボンの簾越しに、両肌(もろはだ)をぬぎ、折りかがんで顔を洗う姿が見える。肌は顔よりもずっと色が白く、乳房の形で、まだ子供を持った事はないらしい。

「何だか檀那(だんな)になったようだな。こうしていると。箪笥(たんす)はあるし、茶棚はあるし……。」

「あけて御覧なさい。お芋か何かある筈よ。」

「よく片づいているな。感心だ。火鉢の中なんぞ。」

「毎朝、掃除だけはちゃんとしますもの。わたし、こんな処にいるけれど、世帯持は上手なのよ。」

「長くいるのかい。」

「まだ一年と、ちょっと……。」

「この土地が初めてじゃないんだろう。芸者でもしていたのかい。」

 汲みかえる水の音に、わたくしの言うことが聞えなかったのか、または聞えない振りをしたのか、女は何とも答えず、肌ぬぎのまま、鏡台の前に坐り毛筋棒(けすき)で鬢(びん)を上げ、肩の方から白粉をつけ初める。

「どこに出ていたんだ。こればかりは隠せるものじゃない。」

「そう……でも東京じゃないわ。」

「東京のいまわりか。」

「いいえ。ずっと遠く……。」

「じゃ、満洲……。」

「宇都の宮(みや)にいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。」と言いながら立上って、衣紋竹(えもんだけ)に掛けた裾模様の単衣物(ひとえ)に着かえ、赤い弁慶縞(べんけいじま)の伊達締(だてじめ)を大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田(つぶし)の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓(しょうぎ)のように見えた。女は衣紋を直しながらわたくしの側に坐り、茶ぶ台の上からバットを取り、

「縁起だから御祝儀だけつけて下さいね。」と火をつけた一本を差出す。

 わたくしはこの土地の遊び方をまんざら知らないのでもなかったので、

「五十銭だね。おぶ代(だい)は。」

「ええ。それはおきまりの御規則通りだわ。」と笑いながら出した手の平を引込まさず、そのまま差伸している。

「じゃ、一時間ときめよう。」

「すみませんね。ほんとうに。」

「その代り。」と差出した手を取って引寄せ、耳元に囁(ささや)くと、

「知らないわよ。」と女は目を見張って睨返(にらみかえ)し、「馬鹿。」と言いさまわたくしの肩を撲(う)った。》

 このあたりの記述は、昭和十一年九月初七『断腸亭日乗』の探求の成果である。女の歯ぐきまでも見つくす検診のような視線、井戸水、チブスを恐れる衛生観念(荷風の父久一郎は内務省衛生局部長として近代上下水道の普及に尽力した)、冷徹な眼の持ち主でもある。何かというと明治年間を思いだしたがる荷風。

『濹東綺譚』では『腕くらべ』のような性的行為、肉慾、実事の場面はまったく描写されず、「わたくし」は話し相手だけに終始した好々爺めいているが、ここには荷風の黙説法、「隠し」がある。たとえば、「一時間ときめよう」は実事のことであり、その代金を五十銭とは別に、差し出された手の平に払っているはずである(『断腸亭日乗』五月十六日によれば《並は一時間三円、一寸(ちょん)の間(ま)は壱円より弐円までなり》)。「耳元に囁(ささや)く」言葉は、閨房での秘戯か時間のサービスであったに違いない。

 

《為永春水(ためながしゅんすい)の小説を読んだ人は、作者が叙事のところどころに自家弁護の文を挾(さしはさ)んでいることを知っているであろう。初恋の娘が恥しさを忘れて思う男に寄添うような情景を書いた時には、その後で、読者はこの娘がこの場合の様子や言葉使のみを見て、淫奔娘(いたずらもの)だと断定してはならない。深窓の女(じょ)も意中を打明ける場合には芸者も及ばぬ艶(なまめか)しい様子になることがある。また、既に里馴れた遊女が偶然幼馴染(おさななじみ)の男にめぐり会うところを写した時には、商売人(くろと)でもこういう時には娘のようにもじもじするもので、これはこの道の経験に富んだ人達の皆承知しているところで、作者の観察の至らないわけではないのだから、そのつもりでお読みなさいというような事が書添えられている。

 わたくしは春水に倣(なら)って、ここに剰語を加える。読者は初めて路傍で逢ったこの女が、わたくしを遇する態度の馴々し過るのを怪しむかも知れない。しかしこれは実地の遭遇を潤色せずに、そのまま記述したのに過ぎない。何の作意も無いのである。驟雨(しゅうう)雷鳴から事件の起ったのを見て、これまた作者常套(じょうとう)の筆法だと笑う人もあるだろうが、わたくしは之を慮(おもんばか)るがために、わざわざ事を他に設けることを欲しない。夕立が手引をしたこの夜の出来事が、全く伝統的に、お誂(あつらい)通りであったのを、わたくしはかえって面白く思い、実はそれが書いて見たいために、この一篇に筆を執り初めたわけである。

 一体、この盛場(さかりば)の女は七、八百人と数えられているそうであるが、その中に、島田や丸髷(まるまげ)に結っているものは、十人に一人くらい。大体は女給まがいの日本風と、ダンサア好みの洋装とである。雨宿(あまやどり)をした家の女が極く少数の旧風に属していた事も、どうやら陳腐の筆法に適当しているような心持がして、わたくしは事実の描写を傷(きずつ)けるに忍びなかった。》

 創作を実事とみせかけるあざとい小説的な論法、技法であって、登場人物たちを現実世界と思い込ませる。

『断腸亭日乗』七月十二日に《為永春水(ためながしゅんすい)の人情本数種を読む。けだし徃年一読せしもの成り。》と書いたように、この時期の荷風は春水をあれこれ読んでいる。戦後すぐ鴎外史伝風文体による随筆『為永春水』を発表したように、巧みな対話文、くだけた「ネエ」の使い方なども春水から学んでいる。

 

《雨は歇(や)まない。

 初め家(うち)へ上った時には、少し声を高くしなければ話が聞きとれないほどの降り方であったが、今では戸口へ吹きつける風の音も雷の響も歇んで、亜鉛葺(トタンぶき)の屋根を撲(う)つ雨の音と、雨だれの落ちる声ばかりになっている。路地には久しく人の声も跫音(あしおと)も途絶えていたが、突然、

「アラアラ大変だ。きいちゃん。鰌(どじょう)が泳いでるよ。」という黄いろい声につれて下駄(げた)の音がしだした。

 女はつと立ってリボンの間から土間の方を覗(のぞ)き、「家(うち)は大丈夫だ。溝があふれると、こっちまで水が流れてくるんですよ。」

「少しは小降りになったようだな。」

「宵の口に降るとお天気になっても駄目なのよ。だから、ゆっくりしていらっしゃい。わたし、今の中に御飯たべてしまうから。」

 女は茶棚の中から沢庵漬(たくあんづけ)を山盛りにした小皿と、茶漬茶碗と、それからアルミの小鍋(こなべ)を出して、ちょっと蓋(ふた)をあけて匂をかぎ、長火鉢の上に載せるのを、何かと見れば薩摩芋(さつまいも)の煮たのである。

「忘れていた。いいものがある。」とわたくしは京橋で乗換(のりかえ)の電車を待っていた時、浅草海苔(のり)を買ったことを思い出して、それを出した。

「奥さんのお土産(みやげ)。」

「おれは一人なんだよ。食べるものは自分で買わなけりゃア。」

「アパートで彼女と御一緒。ほほほほほ。」

「それなら、今時分うろついちゃいられない。雨でも雷でも、かまわず帰るさ。」

「そうねえ。」と女はいかにも尤(もっとも)だというような顔をして暖くなりかけたお鍋の蓋を取り、「一緒にどう。」

「もう食べて来た。」

「じゃア、あなたは向(むこう)をむいていらっしゃい。」

「御飯は自分で炊くのかい。」

「住宅(すまい)の方から、お昼と夜の十二時に持って来てくれるのよ。」

「お茶を入れ直そうかね。お湯がぬるい。」

「あら。はばかりさま。ねえ。あなた。話をしながら御飯をたべるのは楽しみなものね。」

「一人ッきりの、すっぽり飯(めし)はいやだな。」

「全くよ。じゃア、ほんとにお一人。かわいそうねえ。」

「察しておくれだろう。」

「いいの、さがして上げるわ。」

 女は茶漬を二杯ばかり。何やらはしゃ(・・・)いだ調子で、ちゃらちゃらと茶碗の中で箸(はし)をゆすぎ、さも急(いそ)がしそうに皿小鉢を手早く茶棚にしまいながらも、顎(おとがい)を動して込上げる沢庵漬のおくびを押えつけている。

 戸外(そと)には人の足音と共に「ちょいとちょいと」と呼ぶ声が聞え出した。

「歇んだようだ。また近い中に出て来よう。」

「きっといらっしゃいね。昼間でもいます。」

 女はわたくしが上着をきかけるのを見て、後へ廻り襟(えり)を折返しながら肩越しに頬を摺付(すりつ)けて、「きっとよ。」

「何ていう家(うち)だ。ここは。」

「今、名刺あげるわ。」

 靴をはいている間(あいだ)に、女は小窓の下に置いた物の中から三味線(しゃみせん)のバチの形に切った名刺を出してくれた。見ると寺島町七丁目一番地(二部)安藤まさ方雪子。

「さよなら。」

「まっすぐにお帰んなさい。」》

 荷風の細やかな観察力。『断腸亭日乗』の《余はこの道の女には心安くなる方法をよく知りたれば、訪(と)ふ時には必(かならず)雷門あたりにて手軽き土産物を買ひて携へ行くなり。》のまめな実践。

 

(前略)しかしわたくしの職業については、女の方ではとうから勝手に取りきめているらしい事がわかって来た。

 二階の襖(ふすま)に半紙四ツ切程の大きさに複刻した浮世絵の美人画が張交(はりまぜ)にしてある。その中には歌麻呂の鮑取(あわびと)り、豊信(とよのぶ)の入浴美女など、かつてわたくしが雑誌『此花(このはな)』の挿絵で見覚えているものもあった。北斎の三冊本、『福徳(ふくとく)和合人(わごうじん)』の中から、男の姿を取り去り、女の方ばかりを残したものもあったので、わたくしは委(くわ)しくこの書の説明をした。それから又、お雪がお客と共に二階へ上っている間、わたくしは下の一ト間で手帳へ何か書いていたのを、ちらと見て、てっきり秘密の出版を業とする男だと思ったらしく、こん度来る時そういう本を一冊持って来てくれと言出した。

 家には二三十年前に集めたものの残りがあったので、請われるまま三四冊一度に持って行った。ここに至って、わたくしの職業は言わず語らず、それと決められたのみならず、悪銭の出処(でどころ)もおのずから明瞭になったらしい。すると女の態度は一層打解けて、全く客扱いをしないようになった。

 日蔭に住む女達が世を忍ぶ後暗(うしろぐら)い男に対する時、恐れもせず嫌いもせず、必ず親密と愛憐との心を起す事は、夥多(かた)の実例に徴して深く説明するにも及ぶまい。鴨川(かもがわ)の芸妓(げいぎ)は幕吏(ばくり)に追われる志士を救い、寒駅(かんえき)の酌婦は関所破りの博徒(ばくと)に旅費を恵むことを辞さなかった。トスカは逃竄(とうざん)の貧士に食を与え、三千歳(みちとせ)は無頼漢に恋愛の真情を捧げて悔いなかった。》

 荷風には「世を忍ぶ後暗(うしろぐら)い男」という矜持があり、「日蔭に住む女達」に安息を求めた。

 

 わたくしの忍んで通う溝際(どぶぎわ)の家が寺島町(てらじままち)七丁目六十何番地に在ることは既に識(しる)した。この番地のあたりはこの盛場(さかりば)では西北の隅に寄ったところで、目貫(めぬき)の場所ではない。仮に之を北里に譬(たと)えて見たら、京町(きょうまち)一丁目も西河岸(にしかし)に近いはずれとでも言うべきものであろう。聞いたばかりの話だから、ちょっと通(つう)めかしてこの盛場の沿革を述べようか。大正七八年の頃、浅草観音堂裏手の境内が狭められ、広い道路が開かれるに際して、むかしからその辺に櫛比(しっぴ)していた楊弓場(ようきゅうば)銘酒屋のたぐいが悉(ことごと)く取払いを命ぜられ、現在(いま)でも京成バスの往復している大正道路の両側に処(ところ)定めず店を移した。つづいて伝法院(でんぽういん)の横手や江川(えがわ)玉乗りの裏あたりからも追われて来るものが引きも切らず、大正道路は殆(ほとんど)軒並銘酒屋になってしまい、通行人は白昼でも袖を引かれ帽子を奪われるようになったので、警察署の取締りが厳しくなり、車の通る表通から路地の内へと引込ませられた。浅草の旧地では凌雲閣(ちょううんかく)の裏手から公園の北側千束町(せんぞくまち)の路地にあったものが、手を尽して居残りの策を講じていたが、それも大正十二年の震災のために中絶し、一時悉くこの方面へ逃げて来た。市街再建の後西見番(にしけんばん)と称する芸者家組合をつくり転業したものもあったが、この土地の繁栄はますます盛になり遂に今日の如き半ば永久的な状況を呈するに至った。初め市中との交通は白髯橋(しらひげばし)の方面一筋だけであったので、去年京成電車が運転を廃止する頃まではその停留場(ていりゅうじょう)に近いところが一番賑(にぎやか)であった。

 しかるに昭和五年の春都市復興祭の執行せられた頃、吾妻橋(あずまばし)から寺島町に至る一直線の道路が開かれ、市内電車は秋葉神社前まで、市営バスの往復は更に延長して寺島町七丁目のはずれに車庫を設けるようになった。それと共に東武鉄道会社が盛場の西南に玉の井駅を設け、夜も十二時まで雷門(かみなりもん)から六銭で人を載せて来るに及び、町の形勢は裏と表と、全く一変するようになった。今まで一番わかりにくかった路地が、一番入りやすくなった代り、以前目貫といわれた処が、今では端(はず)れになったのであるがそれでも銀行、郵便局、湯屋、寄席(よせ)、活動写真館、玉の井稲荷(いなり)の如きは、いずれも以前のまま大正道路に残っていて、俚俗(りぞく)広小路、又は改正道路と呼ばれる新しい道には、円タクの輻湊(ふくそう)と、夜店の賑いとを見るばかりで、巡査の派出所も共同便所もない。このような辺鄙(へんぴ)な新開町にあってすら、時勢に伴う盛衰の変は免れないのであった。いわんや人の一生に於いてをや。

 

 わたくしがふと心易(こころやす)くなった溝際の家……お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起(おもいおこ)させる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。その家は大正道路から唯(と)ある路地に入り、汚れた幟(のぼり)の立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、なお奥深く入り込んだ処にあるので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客(ひやかし)の足音に消されてよくは聞えない。夏の夜、わたくしがラディオのひびきを避けるにはこれほど適した安息処は他にはあるまい。

 一体この盛場では、組合の規則で女が窓に坐る午後四時から蓄音機やラディオを禁じ、また三味線をも弾ひかせないという事で。雨のしとしとと降る晩など、ふけるにつれて、ちょいとちょいとの声も途絶えがちになると、家の内外(うちそと)に群(むらが)り鳴く蚊の声が耳立って、いかにも場末の裏町らしい侘(わび)しさが感じられて来る。それも昭和現代の陋巷(ろうこう)ではなくして、鶴屋南北(つるやなんぼく)の狂言などから感じられる過去の世の裏淋しい情味である。

 いつも島田か丸髷(まるまげ)にしか結っていないお雪の姿と、溝の汚さと、蚊の鳴(なく)声とはわたくしの感覚を著しく刺戟し、三、四十年むかしに消え去った過去の幻影を再現させてくれるのである。わたくしはこの果敢(はかな)くも怪し気なる幻影の紹介者に対して出来得ることならあからさまに感謝の言葉を述べたい。お雪さんは南北の狂言を演じる俳優よりも、蘭蝶を語る鶴賀なにがしよりも、過去を呼返す力に於ては一層巧妙なる無言の芸術家であった。

 わたくしはお雪さんが飯櫃(おはち)を抱きかかえるようにして飯をよそい、さらさら音を立てて茶漬を掻込む姿を、あまり明(あかる)くない電燈の光と、絶えざる溝蚊の声の中にじっと眺めやる時、青春のころ狎(な)れしんだ女たちの姿やその住居(すまい)のさまをありありと目の前に思浮べる。わたくしのものばかりでない。友達の女の事までが思出されて来るのである。そのころには男を「彼氏」といい、女を「彼女」とよび、二人の侘住居を「愛の巣」などという言葉はまだ作り出されていなかった。馴染(なじみ)の女は「君」でも、「あんた」でもなく、ただ「お前」といえばよかった。亭主は女房を「おッかア」女房は亭主を「ちゃん」と呼ぶものもあった。

 溝の蚊の唸(うな)る声は今日(もんにち)にあっても隅田川(すみだがわ)を東に渡って行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌っているのに、東京の言葉はこの十年の間に変れば実に変ったものである。

 

そのあたり片づけて吊る蚊帳(かちょう)哉(かな)

さらぬだに暑くるしきを木綿(もめん)蚊帳(がや)

家中(いえじゅう)は秋の西日や溝(どぶ)のふち

わび住みや団扇(うちわ)も折れて秋暑し

蚊帳(かや)の穴むすびむすびて九月哉

屑籠(くずかご)の中からも出て鳴く蚊かな

残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ

この蚊帳も酒とやならむ暮の秋

 

 これはお雪が住む家の茶の間に、或夜蚊帳が吊ってあったのを見て、ふと思出した旧作の句である。半(なかば)は亡友唖々(ああ)君が深川長慶寺裏の長屋に親の許さぬ恋人と隠れ住んでいたのを、その折々尋ねて行った時よんだもので、明治四十三、四年のころであったろう。

 その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這(は)い出したが、坐る場処がないので、わたくしと並んで上框(あがりがまち)へ腰をかけた。

「いつもより晩(おそ)いじゃないのさ。あんまり、待たせるもんじゃないよ。」

 女の言葉遣いはその態度と共に、わたくしの商売が世間を憚(はばか)るものと推定せられてから、狎昵(こうじつ)の境を越えてむしろ放濫(ほうらん)に走る嫌いがあった。

「それはすまなかった。虫歯か。」

「急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫(は)れてるだろう。」と横顔を見せ、「あなた。留守番していて下さいな。わたし今の中(うち)歯医者へ行って来るから。」

「この近処か。」

「検査場(けんさば)のすぐ手前よ。」

「それじゃ公設市場の方だろう。」

「あなた。方々歩くと見えて、よく知ってるんだねえ。浮気者。」

「痛い。そう邪慳(じゃけん)にするもんじゃない。出世前の身体だよ。」

「じゃ頼むわよ。あんまり待たせるようだったら帰って来るわ。」

「お前待ち待ち蚊帳の外……というわけか。仕様がない。」

 わたくしは女の言葉遣いがぞんざいになるに従って、それに適応した調子を取るようにしている。これは身分を隠そうが為の手段ではない。処と人とを問わず、わたくしは現代の人と応接する時には、あたかも外国に行って外国語を操あるように、相手と同じ言葉を遣う事にしているからである。「おらが国」と向(むこう)の人が言ったらこっちも「おら」を「わたくし」の代りに使う。》

『断腸亭日乗』九月十三日の《いつも憩(いこ)ふ家に立寄るに、女は扁桃腺を病みて》が活かされているか。

 

 わたくしはお雪の出て行った後(あと)、半(なかば)おろした古蚊帳(ふるがや)の裾に坐って、一人蚊を追いながら、時には長火鉢に埋めた炭火と湯わかしとに気をつけた。いかに暑さの烈(はげ)しい晩でも、この土地では、お客の上った合図に下から茶を持って行く習慣なので、どの家でも火と湯とを絶(たや)した事がない。

「おい。おい。」と小声に呼んで窓を叩くものがある。

 わたくしは大方馴染(なじみ)の客であろうと思い、出ようか出まいかと、様子を窺(うかが)っていると、外の男は窓口から手を差入れ、猿をはずして扉(と)をあけて内(なか)へ入った。白っぽい浴衣(ゆかた)に兵児帯(へこおび)をしめ、田舎臭い円顔に口髯(くちひげ)を生(はや)した年は五十ばかり。手には風呂敷に包んだものを持っている。わたくしはその様子とその顔立とで、直様(すぐさま)お雪の抱主(かかえぬし)だろうと推察したので、向から言うのを待たず、

「お雪さんは何だか、お医者へ行くって、今おもてで逢いました。」

 抱主らしい男は既にその事を知っていたらしく、「もう帰るでしょう。待っていなさい。」といって、わたくしのいたのを怪しむ風もなく、風呂敷包を解いて、アルミの小鍋(こなべ)を出し茶棚の中へ入れた。夜食の惣菜(そうざい)を持って来たのを見れば、抱主に相違はない。

「お雪さんは、いつも忙しくって結構ですねえ。」

 わたくしは挨拶のかわりに何かお世辞を言わなければならないと思って、そう言った。

「何ですか。どうも。」と抱主の方でも返事に困るといったような、意味のない事を言って、火鉢の火や湯の加減を見るばかり。面と向ってわたくしの顔さえ見ない。寧むしろ対談を避けるというように横を向いているので、わたくしもそのまま黙っていた。

 こういう家の亭主と遊客との対面は、両方とも甚(はなはだ)気まずいものである。貸座敷、待合茶屋(まちあいぢゃや)、芸者家(げいしゃや)などの亭主と客との間もまた同じことで、この両者の対談する場合は、必ず女を中心にして甚気まずい紛擾(ごたごた)の起った時で、しからざる限り対談の必要が全くないからでもあろう。

 いつもお雪が店口で焚(た)く蚊遣香(かやりこう)も、今夜は一度もともされなかったと見え、家中(いえじゅう)にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込もうとするのに、土地馴れている筈の主人も、暫(しばら)く坐っている中(うち)我慢がしきれなくなって、中仕切(なかじきり)の敷居際に置いた扇風機の引手を捻(ねじ)ったが破(こわ)れていると見えて廻らない。火鉢の抽斗(ひきだし)から漸(ようや)く蚊遣香の破片(かけら)を見出した時、二人は思わず安心したように顔を見合せたので、わたくしはこれを機会に、

「今年はどこもひどい蚊ですよ。暑さも格別ですがね。」と言うと、

「そうですか。ここはもともと埋地で、碌(ろく)に地揚(じあげ)もしないんだから。」と主人もしぶしぶ口をきき初めた。

「それでも道がよくなりましたね。第一便利になりましたね。」

「その代り、何かにつけて規則がやかましくなった。」

「そう。二、三年前にゃ、通ると帽子なんぞ持って行ったものですね。」

「あれにゃ、わたし達この中(なか)の者も困ったんだよ。用があっても通れないからね。女達にそう言っても、そう一々見張りをしてもいられないし、仕方がないから罰金を取るようにしたんだ。店の外へ出てお客をつかまえる処を見つかると四十二円の罰金だ。それから公園あたりへ客引を出すのも規則違反にしたんだ。」

「それも罰金ですか。」

「うむ。」

「それは幾何(いくら)ですか。」

 遠廻しに土地の事情を聞出そうと思った時、「安藤さん」と男の声で、何やら紙片(かみきれ)を窓に差入れて行った者がある。同時にお雪が帰って来て、その紙を取上げ、猫板の上に置いたのを、偸見(ぬすみみ)すると、謄写摺(とうしゃずり)にした強盗犯人捜索の回状である。

 お雪はそんなものには目も触れず、「お父さん、あした抜かなくっちゃいけないっていうのよ。この歯。」と言って、主人の方へ開(あ)いた口を向ける。

「じゃア、今夜は食べる物はいらなかったな。」と主人は立ちかけたが、わたくしはわざと見えるように金を出してお雪にわたし、一人先へ立って二階に上った。》

『断腸亭日乗』十月六日の《家には三ッ輪のやうなる髷(まげ)ひし二十一、二才の女新に来り、また雇婆も来り、茶の間にて夕餉を食しゐたり。主人も来りたればこの土地のはなしをききて、七時頃車にて銀座食堂に飰して麻布にかへる。》が活かされている。

 

《二階は窓のある三畳の間に茶ぶ台を置き、次が六畳と四畳半位の二間(ふたま)しかない。一体この家はもと一軒であったのを、表と裏と二軒に仕切ったらしく、下は茶の間の一室きりで台所も裏口もなく、二階は梯子(はしご)の降口からつづいて四畳半の壁も紙を張った薄い板一枚なので、裏どなりの物音や話声が手に取るようによく聞える。わたくしは能(よ)く耳を押つけて笑う事があった。

「また、そんなとこ。暑いのにさ。」

 上って来たお雪はすぐ窓のある三畳の方へ行って、染模様の剥(は)げたカーテンを片寄せ、「こっちへおいでよ。いい風だ。アラまた光ってる。」

「さっきより幾らか涼しくなったな、成程いい風だ。」

 窓のすぐ下は日蔽(ひおい)の葭簀(よしず)に遮られているが、溝(どぶ)の向側に並んだ家の二階と、窓口に坐っている女の顔、往(い)ったり来たりする人影、路地一帯の光景は案外遠くの方まで見通すことができる。屋根の上の空は鉛色に重く垂下(たれさが)って、星も見えず、表通のネオンサインに半空(なかぞら)までも薄赤く染められているのが、蒸暑い夜を一層蒸暑くしている。お雪は座布団を取って窓の敷居に載せ、その上に腰をかけて、暫く空の方を見ていたが、「ねえ、あなた」と突然わたくしの手を握り、「わたし、借金を返しちまったら。あなた、おかみさんにしてくれない。」

「おれ見たようなもの。仕様がないじゃないか。」

「ハスになる資格がないっていうの。」

「食べさせることができなかったら資格がないね。」

 お雪は何とも言わず、路地のはずれに聞え出したヴィヨロンの唄につれて、鼻唄をうたいかけたので、わたくしは見るともなく顔を見ようとすると、お雪はそれを避けるように急に立上り、片手を伸して柱につかまり、乗り出すように半身を外へ突出した。

「もう十年わかけりゃア……。」わたくしは茶ぶ台の前に坐って巻煙草に火をつけた。

「あなた。一体いくつなの。」

こなたへ振向いたお雪の顔を見上あげると、いつものように片靨(かたえくぼ)を寄せているので、わたくしは何とも知れず安心したような心持になって、

「もうじき六十さ。」

「お父さん。六十なの。まだ御丈夫。」

 お雪はしげしげとわたくしの顔を見て、「あなた。まだ四十にゃならないね。三十七か八かしら。」

「おれはお妾(めかけ)さんに出来た子だから、ほんとの年はわからない。」

「四十にしても若いね。髪の毛なんぞそうは思えないわ。」

「明治三十一年生だね。四十だと。」

「わたしはいくつ位に見えて。」

「二十一、二に見えるが、四ぐらいかな。」

「あなた。口がうまいから駄目。二十六だわ。」

「雪ちゃん、お前、宇都(うつ)の宮(みや)で芸者をしていたって言ったね。」

「ええ。」

「どうして、ここへ来たんだ。よくこの土地の事を知っていたね。」

「暫く東京にいたもの。」

「お金のいることがあったのか。」

「そうでもなけりゃア……。檀那(だんな)は病気で死んだし、それに少し……。」

「馴れない中は驚いたろう。芸者とはやり方がちがうから。」

「そうでもないわ。初めッから承知で来たんだもの。芸者は掛(かか)りまけがして、借金の抜ける時がないもの。それに……身を落すなら稼ぎいい方が結句徳だもの。」

「そこまで考えたのは、全くえらい。一人でそう考えたのか。」

「芸者の時分、お茶屋の姐(ねえ)さんで知ってる人が、この土地で商売していたから、話をきいたのよ。」

「それにしても、えらいよ。年(ねん)があけたら少し自前(じまえ)で稼いで、残せるだけ残すんだね。」

「わたしの年は水商売には向くんだとさ。だけれど行先の事はわからないわ。ネエ。」

 じっと顔を見詰められたので、わたくしは再び妙に不安な心持がした。まさかとは思うものの、何だか奥歯に物の挾まっているような心持がして、此度(こんど)はわたくしの方が空の方へでも顔を外向(そむけ)たくなった。

 表通りのネオンサインが反映する空のはずれには、先ほどから折々稲妻が閃(ひらめ)いていたが、この時急に鋭い光が人の目を射た。しかし雷の音らしいものは聞えず、風がぱったり歇(や)んで日の暮の暑さが又むし返されて来たようである。

「いまに夕立が来そうだな。」

「あなた。髪結(かみゆい)さんの帰り……もう三月(みつき)になるわネエ。」

 わたくしの耳にはこの「三月になるわネエ。」と少し引延ばしたネエの声が何やら遠いむかしを思返すとでもいうように無限の情(じょう)を含んだように聞きなされた。「三月になります。」とか「なるわよ。」とか言切ったら平常つねの談話に聞えたのであろうが、ネエと長く引いた声は咏嘆の音(おん)というよりも、むしろそれとなくわたくしの返事を促す為に遣われたもののようにも思われたので、わたくしは「そう……。」と答えかけた言葉さえ飲み込んでしまって、ただ目容(まなざし)で応答をした。

 お雪は毎夜路地へ入込む数知れぬ男に応接する身でありながら、どういう訳で初めてわたくしと逢った日の事を忘れずにいるのか、それがわたくしには有り得べからざる事のように考えられた。初ての日を思返すのは、その時の事を心に嬉しく思うが為と見なければならない。しかしわたくしはこの土地の女がわたくしのような老人(としより)に対して、尤(もっと)も先方ではわたくしの年を四十歳位に見ているが、それにしても好いたの惚(ほ)れたのというようなもしくはそれに似た柔く温(あたたか)な感情を起し得るものとは、夢にも思っていなかった。》

すっかり若い頃の『あめりか物語』『フランス物語』の情緒纏綿たるロマンティシズムを江戸明治の人情の世界に移植して悦んでいるのだが、ここで、《「もうじき六十さ。」「お父さん。六十なの。まだ御丈夫。」 お雪はしげしげとわたくしの顔を見て、「あなた。まだ四十にゃならないね。三十七か八かしら。」》もまた荷風の黙説法、「かくし」ないし「やつし」として、閨房での性的能力年齢をお雪に言わせてやに下がる年季が入っている。

 

《わたくしは今、お雪さんが初めて逢った日の事を咏嘆的な調子で言出したのに対して、答うべき言葉を見付けかね、煙草の烟(けむり)の中にせめて顔だけでもかくしたい気がしてまたもや巻煙草を取出した。お雪は黒目がちの目でじっとこなたを見詰めながら、

「あなた。ほんとに能(よ)く肖(に)ているわ。あの晩、あたし後姿を見た時、はっと思ったくらい……。」

「そうか。他人のそら肖って、よくある奴さ。」わたくしはまア好かったという心持を一生懸命に押隠した。そして、「誰に。死んだ檀那に似ているのか。」

「いいえ。芸者になったばかりの時分……。一緒になれなかったら死のうと思ったの。」

「逆上(のぼ)せきると、誰しも一時はそんな気を起す……。」

「あなたも。あなたなんぞ、そんな気にゃアならないでしょう。」

「冷静かね。しかし人は見掛によらないもんだからね。そう見くびったもんでもないよ。」

 お雪は片靨(かたえくぼ)を寄せて笑顔をつくったばかりで、何とも言わなかった。少し下唇(くちびる)の出た口尻(じり)の右側に、おのずと深く穿(うが)たれる片えくぼは、いつもお雪の顔立を娘のようにあどけなくするのであるが、その夜にかぎって、いかにも無理に寄せた靨のように、言い知れず淋しく見えた。わたくしはその場をまぎらす為に、

「また歯がいたくなったのか。」

「いいえ。さっき注射したから、もう何ともない。」

 それなり、また話が途絶えた時、幸にも馴染(なじみ)の客らしいものが店口の戸を叩いてくれた。お雪はつと立って窓の外に半身を出し、目かくしの板越しに下を覗(のぞ)き、

「アラ竹さん。お上んなさい。」

 馳け降りる後(あと)からわたくしも続いて下り、暫く便所の中に姿をかくし客の上ってしまうのを待って、音のしないように外へ出た。》

 さりげないが《少し下唇(くちびる)の出た口尻(じり)の右側に、おのずと深く穿(うが)たれる片えくぼ》はお雪の性的魅力を暗示している。「わたくし」に嫉妬の感情はない。

 

(前略)わたくしの胸底には先刻お雪が半(なかば)冗談らしく感情の一端をほのめかした時、わたくしの覚えた不安がまだ消え去らずにいるらしい……わたくしはお雪の履歴については殆ど知るところがない。どこやらで芸者をしていたと言っているが、長唄(ながうた)も清元(きよもと)も知らないらしいので、それも確かだとは思えない。最初の印象で、わたくしは何の拠(よ)るところもなく、吉原(よしわら)か洲崎(すさき)あたりのさほどわるくない家にいた女らしい気がしたのが、かえって当っているのではなかろうか。

 言葉には少しも地方の訛(なま)りがないが、その顔立と全身の皮膚の綺麗(きれい)なことは、東京もしくは東京近在の女でない事を証明しているので、わたくしは遠い地方から東京に移住した人たちの間に生れた娘と見ている。性質は快活で、現在の境涯をも深く悲しんではいない。寧むしろこの境遇から得た経験を資本(もとで)にして、どうにか身の振方をつけようと考えているだけの元気もあれば才智もあるらしい。男に対する感情も、わたくしの口から出まかせに言う事すら、そのまま疑わずに聴き取るところを見ても、まだ全く荒(すさ)みきってしまわない事は確かである。わたくしをして、然そう思わせるだけでも、銀座や上野辺あたりの広いカフエーに長年働いている女給などに比較したなら、お雪の如きは正直とも醇朴(じゅんぼく)とも言える。まだまだ真面目な処があるとも言えるであろう。》

 

(前略)古本の虫干だけはやっと済んだので、その日夕飯(ゆうめし)を終るが否やいつものように破れたズボンに古下駄(ふるげた)をはいて外へ出ると、門の柱にはもう灯(ひ)がついていた。夕凪の暑さにかかわらず、日はいつか驚くばかり短くなっているのである。

 わずか三日ばかりであるが、外へ出て見ると、わけもなく久しい間、行かねばならない処へ行かずにいたような心持がしてわたくしは幾分なりと途中の時間まで短くしようと、京橋の電車の乗換場から地下鉄道に乗った。若い時から遊び馴れた身でありながら、女を尋ねるのに、こんな気ぜわしい心持になったのは三十年来絶えて久しく覚えた事がないと言っても、それは決して誇張ではない。雷門(かみなりもん)からはまた円タクを走らせ、やがていつもの路地口。いつもの伏見稲荷(ふしみいなり)。ふと見れば汚れきった奉納の幟(のぼり)が四、五本とも皆新しくなって、赤いのはなくなり、白いものばかりになっていた。いつもの溝際(どぶぎわ)に、いつもの無花果(いちじく)と、いつもの葡萄、しかしその葉の茂りはすこし薄くなって、いくら暑くとも、いくら世間から見捨てられた此路地にも、秋は知らず知らず夜毎に深くなって行く事を知らせていた。

 いつもの窓に見えるお雪の顔も、今夜はいつもの潰島田(つぶし)ではなく、銀杏返(いちょうがえ)しに手柄(てがら)をかけたような、牡丹(ぼたん)とかよぶ髷(まげ)に変っていたので、わたくしはこなたから眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると、お雪はいかにもじれったそうに扉(とびら)をあけながら、「あなた。」と一言(ひとこと)強く呼んだ後、急に調子を低くして、「心配したのよ。それでも、まア、よかったねえ。」

 わたくしは初めその意を解しかねて、下駄もぬがず上口(あがりぐち)へ腰をかけた。

「新聞に出ていたよ。少し違うようだから、そうじゃあるまいと思ったんだけれど、随分心配したわ。」

「そうか。」やっと当(あて)がついたので、わたくしも俄(にわか)に声をひそめ、「おれはそんなドジなまねはしない。始終気をつけているもの。」

「一体、どうしたの。顔を見れば別に何でもないんだけれど、来る人が来ないと、何だか妙にさびしいものよ。」

「でも、雪ちゃんは相変らずいそがしいんだろう。」

「暑い中(うち)は知れたものよ。いくらいそがしいたって。」

「今年はいつまでも、ほんとに暑いな。」といった時お雪は「ちょいとしずかに。」といいながらわたくしの額にとまった蚊を掌(てのひら)でおさえた。

 家の内の蚊は前よりも一層多くなったようで、人を刺すその針も鋭く太くなったらしい。お雪は懐紙(ふところがみ)でわたくしの額と自分の手についた血をふき、「こら。こんな。」といってその紙を見せて円(まる)める。

「この蚊がなくなれば年の暮だろう。」

「そう。去年お酉様(とりさま)の時分にはまだいたかも知れない。」

「やっぱり反歩(たんぼ)か。」ときいたが、時代の違っている事に気がついて、「この辺でも吉原(よしわら)の裏へ行くのか。」

「ええ。」といいながらお雪はチリンチリンと鳴る鈴の音(ね)を聞きつけ、立って窓口へ出た。

「兼ちゃん。ここだよ。何ボヤボヤしているのさ。氷白玉(しらたま)二つ……それから、ついでに蚊遣香(かやりこう)を買って来ておくれ。いい児だ。」

 そのまま窓に坐って、通り過る素見客(ひやかし)にからかわれたり、またこっちからもからかったりしている。その間々には中仕切(なかじきり)の大阪格子(おおさかごうし)を隔てて、わたくしの方へも話をしかける。氷屋の男がお待遠うといって誂(あつら)えたものを持って来た。

「あなた。白玉なら食べるんでしょう。今日はわたしがおごるわ。」

「よく覚えているなア。そんな事……。」

「覚えてるわよ。実(じつ)があるでしょう。だからもう、そこら中浮気するの、お止しなさい。」

「此処(ここ)へ来ないと、どこか、他(わき)の家(うち)へ行くと思ってるのか。仕様がない。」

「男は大概そうだもの。」

「白玉が咽喉(のど)へつかえるよ。食べる中うちだけ仲好くしようや。」

「知らない。」とお雪はわざと荒々しく匙(さじ)の音をさせて山盛にした氷を突崩した。

 窓口を覗(のぞ)いた素見客が、「よう、姉さん、御馳走さま。」

「一つあげよう。口をおあき。」

「青酸加里か。命が惜しいや。」

「文無しのくせに、聞いてあきれらア。」

「何いってやんでい。溝ッ蚊女郎。」と捨台詞(すてぜりふ)で行き過るのをこっちも負けていず、

「へッ。芥溜(ごみため)野郎。」

「はははは。」と後から来る素見客がまた笑って通り過ぎた。

 お雪は氷を一匙口へ入れては外を見ながら、無意識に、「ちょっと、ちょっと、だーんな。」と節をつけて呼んでいる中、立止って窓を覗くものがあると、甘えたような声をして、「お一人、じゃ上ってよ。まだ口あけなんだから。さア、よう。」と言って見たり、また人によっては、いかにも殊勝らしく、「ええ。構いません。お上りになってから、お気に召さなかったら、お帰りになっても構いませんよ。」と暫くの間話をして、その挙句あげくこれも上らずに行ってしまっても、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、解けた氷の中から残った白玉をすくい出して、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。》

『断腸亭日乗』九月十五日の《夜玉の井に徃く。途中牛の御前祭礼の飾物を見る。いつもの家にて女供と白玉を食す。一杯三十銭とは高価驚くべし》から来るのであろうが、お雪の素見客との生態を、目の前で行われているかのように生き生きした音と映像で活写している。

 

《わたくしは既にお雪の性質を記述した時、快活な女であるとも言い、またその境涯をさほど悲しんでもいないと言った。それは、わたくしが茶の間の片隅に坐って、破団扇(やれうちわ)の音もなるべくしないように蚊を追いながら、お雪が店先に坐っている時の、こういう様子を納簾(のれん)の間から透(すか)し見て、それから推察したものに外ならない。この推察は極く皮相に止(とどま)っているかも知れない。為人(ひととなり)の一面を見たに過ぎぬかも知れない。

 しかしここにわたくしの観察の決して誤らざる事を断言し得る事がある。それはお雪の性質の如何(いかん)に係らず、窓の外の人通りと、窓の内のお雪との間には、互に融和すべき一縷(いちる)の糸の繋(つな)がれていることである。お雪が快活の女で、その境涯をさほど悲しんでいないように見えたのが、もしわたくしの誤りであったなら、その誤はこの融和から生じたものだと、わたくしは弁解したい。窓の外は大衆である。即ち世間である。窓の内は一個人である。そしてこの両者の間には著しく相反目している何物もない。これは何(なん)によるのであろう。お雪はまだ年が若い。まだ世間一般の感情を失わないからである。お雪は窓に坐っている間はその身を卑しいものとなして、別に隠している人格を胸の底に持っている。窓の外を通る人はその歩みをこの路地に入るるや仮面をぬぎ矜負(きょうふ)を去るからである。

 わたくしは若い時から脂粉の巷(ちまた)に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女(かのおんな)たちの望むがまま家に納(い)れて箕帚(きそう)を把(と)らせたこともあったが、しかしそれは皆失敗に終った。彼女達は一たびその境遇を替え、その身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教うべからざる懶婦(らんぷ)となるか、しからざれば制御しがたい悍婦(かんぷ)になってしまうからであった。

 お雪はいつとはなく、わたくしの力に依って、境遇を一変させようという心を起している。懶婦か悍婦かになろうとしている。お雪の後半生(こうはんせい)をして懶婦たらしめず、悍婦たらしめず、真に幸福なる家庭の人たらしめるものは、失敗の経験にのみ富んでいるわたくしではなくして、前途になお多くの歳月を持っている人でなければならない。しかし今、これを説いてもお雪には決して分ろうはずがない。お雪はわたくしの二重人格の一面だけしか見ていない。わたくしはお雪の窺(うかが)い知らぬ他の一面を曝露(ばくろ)して、その非を知らしめるのは容易である。それを承知しながら、わたくしがなお躊躇(ちゅうちょ)しているのは心に忍びないところがあったからだ。これはわたくしを庇(かば)うのではない。お雪が自らその誤解を覚(さと)った時、甚(はなはだ)しく失望し、甚しく悲しみはしまいかということをわたくしは恐れていたからである。

 お雪は倦(う)みつかれたわたくしの心に、偶然過去の世のなつかしい幻影を彷彿(ほうふつ)たらしめたミューズである。久しく机の上に置いてあった一篇の草稿はもしお雪の心がわたくしの方に向けられなかったなら、――少くともそういう気がしなかったなら、既に裂き棄てられていたに違いない。お雪は今の世から見捨てられた一老作家の、他分そが最終の作とも思われる草稿を完成させた不可思議な激励者である。わたくしはその顔を見るたび心から礼を言いたいと思っている。その結果から論じたら、わたくしは処世の経験に乏しい彼の女を欺き、その身体(しんたい)のみならずそのの真情をも弄(もてあそ)んだ事になるであろう。わたくしはこの許され難い罪の詫びをしたいと心ではそう思いながら、そうする事の出来ない事情を悲しんでいる。

 その夜、お雪が窓口で言った言葉から、わたくしの切ない心持はいよいよ切なくなった。今はこれを避けるためには、重ねてその顔を見ないに越したことはない。まだ、今の中ならば、それほど深い悲しみと失望とをお雪の胸に与えずとも済むであろう。お雪はまだその本名をもその生立(おいたち)をも、問われないままに、打明(うちあけ)る機会に遇(あ)わなかった。今夜あたりがそれとなく別れを告げる瀬戸際で、もしこれを越したなら、取返しのつかない悲しみを見なければなるまいというような心持が、夜のふけかけるにつれて、わけもなく激しくなって来る。

 物に追われるようなこの心持は、折から急に吹出した風が表通から路地に流れ込み、あち等こち等へ突当った末、小さな窓から家の内なかまで入って来て、鈴のついた納簾のれんの紐(ひも)をゆする。その音につれて一しお深くなったように思われた。その音は風鈴売が欞子窓(れんじまど)の外を通る時ともちがって、この別天地より外には決して聞かれないものであろう。夏の末から秋になっても、打続く毎夜のあつさに今まで全く気のつかなかっただけ、その響は秋の夜もいよいよまったくの夜長らしく深(ふ)けそめて来た事を、しみじみと思い知らせるのである。気のせいか通る人の跫音(あしおと)も静に冴(さ)え、そこ等の窓でくしゃみをする女の声も聞える。

 お雪は窓から立ち、茶の間へ来て煙草へ火をつけながら、思出したように、

「あなた。あした早く来てくれない。」といった。

「早くって、夕方か。」

「もっと早くさ。あしたは火曜日だから診察日なんだよ。十一時にしまうから、一緒に浅草へ行かない。四時頃までに帰って来ればいいんだから。」

 わたくしは行ってもいいと思った。それとなく別盃(べっぱい)を酌(く)むために行きたい気はしたが、新聞記者と文学者とに見られてまたもや筆誅(ひっちゅう)せられる事を恐れもするので、

「公園は具合のわるいことがあるんだよ。何か買うものでもあるのか。」

「時計も買いたいし、もうすぐ袷(あわせ)だから。」

「あついあついと言ってる中、ほんとにもうじきお彼岸だね。袷はどのくらいするんだ。店で着るのか。」

「そう。どうしても三十円はかかるでしょう。」

「そのくらいなら、ここに持っているよ。一人で行って誂(あつら)えておいでな。」と紙入を出した。

「あなた。ほんと。」

「気味がわるいのか。心配するなよ。」

 わたくしは、お雪が意外のよろこびに眼を見張ったその顔を、永く忘れないようにじっと見詰めながら、紙入の中の紙幣(さつ)を出して茶ぶ台の上に置いた。

 戸を叩たたく音と共に主人の声がしたので、お雪は何か言いかけたのも、それなり黙って、伊達締(だてしめ)の間に紙幣を隠す。わたくしは突(つ)と立って主人(あるじ)と入れちがいに外へ出た。》

 

 四、五日たつと、あの夜をかぎりもう行かないつもりで、秋袷(あわせ)の代(だい)まで置いて来たのにも係らず、何やらもう一度行って見たい気がして来た。お雪はどうしたかしら。相変らず窓に坐っている事はわかりきっていながら、それとなく顔だけ見に行きたくて堪らない。お雪には気がつかないように、そっと顔だけ、様子だけ覗(のぞ)いて来よう。あの辺を一巡ひとまわりして帰って来れば隣のラディオも止む時分になるのであろうと、罪をラディオに塗付けて、わたくしはまたもや墨田川を渡って東の方へ歩いた。(中略)

 この空地には夏から秋にかけて、ついこの間まで、初めは曲馬(きょくば)、次には猿芝居、その次には幽霊の見世物小屋が、毎夜さわがしく蓄音機を鳴し立てていたのであるが、いつの間にか、もとのようになって、あたりの薄暗い灯影(ほかげ)が水溜(みずたまり)の面(おもて)に反映しているばかりである。わたくしはとにかくもう一度お雪をたずねて、旅行をするからとか何とか言って別れよう。そのの方が鼬(いたち)の道を切ったような事をするよりは、どうせ行かないものなら、お雪の方でも後々(あとあと)の心持がわるくないであろう。出来ることなら、真(まこと)の事情を打明けてしまいたい。わたくしは散歩したいにもその処がない。尋ねたいと思う人は皆先に死んでしまった。風流絃歌の巷も今では音楽家と舞踊家との名を争う処で、年寄が茶を啜(すす)ってむかしを語る処ではない。わたくしは図らずも此のラビラントの一隅に於いて浮世半日(ふせいはんじつ)の閑を偸(ぬす)む事を知った。そのつもりで邪魔でもあろうけれど折々遊びに来る時は快く上げてくれと、晩蒔(おそまき)ながら、わかるように説明したい……。わたくしは再び路地へ入ってお雪の家の窓に立寄った。

「さア、お上んなさい。」とお雪は来る筈の人が来たという心持を、その様子と調子とに現したが、いつものように下の茶の間には通さず、先に立って梯子(はしご)を上るので、わたくしも様子を察して、

「親方がいるのか。」

「ええ。おかみさんも一緒……。」

「新奇のが来たね。」

「御飯焚(たき)のばアやも来たわ。」

「そうか。急に賑(にぎや)かになったんだな。」

「暫(しばら)く独りでいたら、大勢だと全くうるさいわね。」急に思出したらしく、「この間はありがとう。」

「好(い)いのがあったか。」

「ええ。明日(あした)あたり出来てくる筈よ。伊達締(だてじめ)も一本買ったわ。これはもうこんなだもの。後で下へ行って持ってくるわ。」

 お雪は下へ降りて茶を運んで来た。姑(しばら)く窓に腰をかけて何ともつかぬ話をしていたが、主人(あるじ)夫婦は帰りそうな様子もない。その中(うち)梯子の降口(おりくち)につけた呼鈴が鳴る。馴染(なじみ)の客が来た知らせである。

 家(うち)の様子が今までお雪一人の時とは全くちがって、長くはいられぬようになり、お雪の方でもまた主人の手前を気兼しているらしいので、わたくしは言おうと思った事もそのまま、半時間とはたたぬ中戸口を出た。

 四、五日過ると季節は彼岸に入った。(中略)わたくしは年々秋風秋雨に襲われた後(のち)の庭を見るたびたび紅楼夢(こうろうむ)の中にある秋窓風雨夕(しゅうそうふううのゆうべ)と題された一篇の古詩を思起す。

秋(あき)花ハ惨淡(さんたん)トシテ秋草ハ黄ナリ。

耿耿(こうこう)タル秋燈秋夜ハ長シ。

已ニ賞ス秋窓ニ秋ノ不レ尽キザルヲ。

那(イカンゾ)堪ンヤ風雨ノ助クルヲ二凄涼(せいりょう)ヲ一。

助クルノレ秋ヲ風雨ハ来ルコト何ゾ速(すみやか)ナルヤ。

驚破ス秋窓秋夢ノ緑ナルヲ。

………………………

 そして、わたくしは毎年同じように、とても出来ぬとは知りながら、何とかうまく翻訳して見たいと思い煩うのである。

 風雨の中(うち)に彼岸は過ぎ、天気がからりと晴れると、九月の月も残り少く、やがてその年の十五夜になった。

 前の夜もふけそめてから月が好かったが、十五夜の当夜には早くから一層曇りのない明月を見た。

 わたくしがお雪の病んで入院していることを知ったのはその夜である。雇婆(やといばば)から窓口で聞いただけなので、病の何であるのかも知る由がなかった。(後略)》

                       *

《『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』はここに筆を擱(お)くべきであろう。しかしながらもしここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年あるいは一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人(しろと)になっているお雪に廻(めぐ)り逢う一節を書添えればよいであろう。猶又、この偶然の邂逅(かいこう)をして更に感傷的ならしめようと思ったなら、摺(す)れちがう自動車とか或は列車の窓から、互に顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう。楓葉荻花(ふうようてきか)秋は瑟々(しつしつ)たる刀禰河(とねがわ)あたりの渡船(わたしぶね)で摺れちがう処などは、殊に妙であろう。

 わたくしとお雪とは、互にその本名もその住所をも知らずにしまった。ただ濹東の裏町、蚊のわめく溝際(どぶぎわ)の家で狎(な)れ暱(した)しんだばかり。一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である。軽い恋愛の遊戯とはいいながら、再会の望みなき事を初めから知りぬいていた別離の情は、強しいてこれを語ろうとすれば誇張に陥り、これを軽々(けいけい)に叙し去れば情を尽さぬ憾(うら)みがある。ピエールロッチの名著『阿菊(おきく)さん』の末段は、能(よ)く這般(しゃはん)の情緒を描き尽し、人をして暗涙を催さしむる力があった。わたくしが『濹東綺譚』の一篇に小説的色彩を添加しようとしても、それは徒(いたずら)にロッチの筆を学んで至らざるの笑を招くに過ぎぬかも知れない。

 わたくしはお雪が永く溝際の家にいて、極めて廉価にその媚(こび)を売るものでない事は、何のいわれもなく早くからこれを予想していた。若い頃、わたくしは遊里の消息に通暁した老人から、こんな話をきかされたことがあった。これほど気に入った女はない。早く話をつけないと、外のお客に身受けをされてしまいはせぬかと思うような気がすると、その女はきっと病気で死ぬか、そうでなければ突然厭(いや)な男に身受をされて遠い国へ行ってしまう。何の訳もない気病みというものは不思議に当るものだという話である。

 お雪はあの土地の女には似合わしからぬ容色と才智とを持っていた。雞群(けいぐん)の一鶴(いっかく)であった。しかし昔と今とは時代がちがうから、病むとも死ぬような事はあるまい。義理にからまれて思わぬ人に一生を寄せる事もあるまい……。

 建込んだ汚らしい家の屋根つづき、風雨(あらし)の来る前の重苦しい空に映る燈影を望みながら、お雪とわたくしとは真暗な二階の窓に倚(よ)って、互に汗ばむ手を取りながら、唯それともなく謎なぞのような事を言って語り合った時、突然閃(ひらめ)き落ちる稲妻に照らされたその横顔。それは今もなおありありと目に残って消去らずにいる。わたくしは二十(はたち)の頃から恋愛の遊戯に耽ったが、然しこの老境に至って、このような癡夢(ちむ)を語らねばならないような心持になろうとは。運命の人を揶揄(やゆ)することもまた甚しいではないか。草稿の裏にはなお数行の余白がある。筆の行くまま、詩だか散文だか訳のわからぬものを書しるして此夜の愁(うれい)を慰めよう。

(後略)》

                                    (了)

     ******引用または参考******

*永井荷風『濹東綺譚』(岩波文庫)

*永井荷風『摘録 断腸亭日乗(上)(下)』(岩波文庫)

*『荷風全集第二十三巻 断腸亭日乗 三』(岩波書店)

*野口冨士男編『荷風随筆集(上)(下)』(「寺じまの記」他所収)(岩波文庫)

*『現代日本文学大系23,24 永井荷風集(一)(二)』(「月報60 大岡信/川村二郎/丸谷才一「鼎談 荷風文学を語る」」、『為永春水』他所収)(筑摩書房)

*秋庭太郎『考証 永井荷風』(岩波書店)

*野口冨士男『わが荷風』(岩波現代文庫)

*川本三郎『荷風と東京 『断腸亭日乗』私註』(都市出版)

*磯田光一『永井荷風』(講談社)

*高橋俊夫編『近代文学作品論叢書 濹東綺譚作品論1~4』(大空社)