文学批評 漱石『こころ』のアポリア (ノート)

 

 

 夏目漱石『こころ』は、1960年頃からほとんどの高校教科書の教材として国民的に読まれることになった。多くは高校2年の国語教科書で、「全体構成+あらすじ+(下)35~48節+その後のあらすじ」の構成からなる。「学習の手引き」によって、教師からの「教育」的メッセージ(教科書の構成からして「友情か恋愛・エゴイズムか」の二項対立に力点が置かれる)を伴って道徳的に問いかけられる(一方で教科書の教材としては文学国語から実用国語教育へと重点化が動いている現在でも教育現場での立ち位置はいまだ普遍で、『こころ』神話とも呼びたくなろう)。

 この教科書体験および夏休みの課題図書として挙げられた永遠のベストセラー(購入者が実際に全編を読みとおしたかはともかく)による『こころ』読者の記憶は、恨みつらみ、トラウマとして、あたかも「先生」の事後の記憶のように通奏低音として共鳴しつづけ、大人になって再び手に取ったとしても素直には通読できないだろう。

 今でも、時代を超えた(ゆえに時々の批評の流行も取り入れた)副読本による解説・批評(多くはステレオ・タイプな「エゴイズム」「明治の精神による殉死」であったり、深読みによる牽強付会な誤読であったり、単なる事実誤認からの類推・思い込みであったり)が溢れかえっている。

 

『こころ』読解は、その倫理的教えの装いゆえになおさら疑わしさを増す。どれほど『こころ』はアポリア(ここで「アポリア」とは、「解決困難な矛盾・難問」「パラドクス(逆説)」「アンチノミー(二律背反)」「ダブル・バインド(二重拘束)」「アンビヴァレント(両面性)」など、「決定不可能性」を意味する)に充ちていることか。『こころ』のアポリアを思いつくまま列挙すれば、

「先生の内面描写の欠如/罪の意識の過剰」、「よそよそしい頭文字など使わない(私)/友達の名をKと呼ぶ(先生)」、「明治の精神による殉死/正体の知れない不安」、「妻静(しずか)の受動性/奥さんと静の策略性/軍人未亡人の経済的下部構造(民法、土地)」、「ジラールが論じた三角関係における他者(K)の欲望」、「肉体的(肉の臭い)な恋愛の欠如/同性愛(先生と私/先生とK/先生と西洋人)をほのめかす雰囲気(「子供は出来っこない」「まず同性の私の所へ動いて来た」「あなたに満足を与えられない」という先生の声)」、「末期の父親を放って遺書を寄越した先生へ駆けつける」、「反復としての、(親の病気/電報/帰省/夏休み/縁談の回路)/(「淋しさ」/「血」/「純白」/「黒い影」/「罪悪」/「心臓(ハート)」という語)/(私/父、私/先生、先生/K、乃木大将/明治天皇という二者関係)/(伝染病(腸チフス)と病い(尿毒症))/二尺ばかり開いていた仕切りの襖」、「ユーモアの欠如/精神的向上心/精進」、「青年(私)の無邪気さという一種の狂気/真面目さ」、「パラノイア(叔父による財産横領/被害妄想/同性愛気質)」、「小説技法(エンターテイメント)としての引き延ばしによるクライマックス/遅れ/事後性/ずれ」、「信頼できない語り手としての、先生の遺書/私の手記」、「手頸の数珠を爪繰ることの表象性」、「後悔と遅れ」、「(ルソー的な)告白と弁解」、「ニーチェのいうルサンチマン」、「先生死後の私と静の関係」、「学校教材適性としての、教える—教わる/自殺誘導)」、「先生は本当に自殺したのか/どのような方法で/先生の墓はどこにあるのか/遺書・手記は公表されたのか/静は知ったのか」、……

 もう語りつくされていて、いちいち訂正、反論するのも気が遠くなる。

 ポール・ド・マン『盲目と洞察』は『盲目性の修辞学――ジャック・デリダのルソー読解』で、次のように論じている。

《ルソーは、常に体系的に誤読されている一群の作家のうちのひとりである。私が先ほど述べたのは、批評家の洞察にかんする彼ら自身の盲目性について、また批評家自身が言明した方法と、彼らが気づいていることとのあいだの齟齬、それも当人には隠されている齟齬についてである。文学史においてもその歴史叙述や資料編纂においても、この盲目性はある特定の作家にかんする解釈においてくり返し生ずる逸脱のパターンというかたちをとることがある。このパターンは、高度に専門的な註釈者から、当の作家を一般的な文学史のうちに同定し分類するための漠然とした通念にまで及んでいる。それは、その作家に影響を受けた他の作家たちを含むことすらありうる。作家の元の発言がアンビヴァレントであればあるほど、その作家の後継者や註釈家たちに一貫して生ずる誤りのパターンは、ますます斉一的で普遍的なものになる。たしかにすべての文学言語、またいくつかの哲学言語が本質的にアンビヴァレントだという考え方に原則的には同意しようという人は少なくない。しかし、見かけ上は厭うことなくそう同意するにもかかわらず、ほとんどの批評的註釈やいくつかの文学的影響は、なおもこうしたアンビヴァレントをなんとしても取り除こうとする機能を含んでいるのである。すなわちそうした機能によって、当のアンビヴァレントを弁証法的な矛盾へと還元したり、作品中のうまく収まりのつかない諸部分を覆い隠したり、あるいはより精妙な仕方で、テクスト内部で作動している価値づけの諸体系を操作したりするのである。とりわけルソーの場合のように、アンビヴァレンスそれ自体が哲学的言明の一部をなすときにはこうしたことは非常に起こりやすい。とくにルソーの解釈史においては、このような事例は枚挙に暇がなく、ルソーが言ったのとは異なることをルソーに言わせようとする多様な戦略が存在しており、これらの誤読は、諸意味の織りなす一定の明確な布置へと収束するのである。それはあたかもルソーが生前苦しんでいたと想像されるパラノイアが、ルソーの死後に出現し、それに取り憑かれて、敵も味方もこぞってルソーの思想を誤って表象しようと駆り立てられてでもいるかのようなのだ。(中略)ルソーの場合、そうした誤読には、ほとんど常に知的あるいは道徳的な優越の含みが伴っているということだ。あたかも注釈者たちは、もっとも好意的な場合でも、自分たちの作者が迷妄に陥った当のものについて弁明したり治療法を提示したりしなければならないかのようなのである。》

 この「ルソー」は、「漱石」に置換しうる。うんざりするほどなので、T・S・エリオットの引用ではじまる三つ、大江健三郎の晩年の小説『水死』、丸谷才一×山崎正和対談『夏目漱石と明治の精神』、柄谷行人漱石論(『意識と自然』)を、ノート、メモ的に引用するにとどめたい。

 

大江健三郎『水死』>

 大江健三郎の『水死』の扉裏のエピローグには、T・S・エリオットの詩『荒地』からの引用がある。

《              海底の潮の流れが

ささやきながらその骨を拾った。浮きつ沈みつ

齢(よわい)と若さのさまざまの段階を通り過ぎ

やがて渦巻にまき込まれた。

            A current under sea

Picked his bones in whispers. As he rose and fell

He passed the stages of his age and youth

Entering the whirlpool.

     ――T・S・エリオット、深瀬基寛訳 》

 

 晩年の小説家長江古義人が亡父にまつわる生涯のテーマ「水死小説」にようやく取り組むと、彼の作品を演劇化してきた劇団の女優ウナイコが現れ、漱石『こころ』の「先生」の自殺を誘引した「明治の精神」について「「死んだ犬を投げる」芝居」という形式の芝居で問いはじめる。その小説『水死』の第六章、中学校の円形劇場でのこと。

《ウナイコは、岩波の小型本全集の『こころ』を片手に、いかにも教室で授業を始めるように口を開きます。彼女はこの三年来、まず県の幾つもの中学校で演劇の出前授業をして来ましたから、高校に進学してる生徒たちとは顔なじみ。さらに熱心なリピーターが待ちうけているんです。

 芝居の建前としては、ウナイコは円形劇場を埋めた中・高校生たちに、授業をしてるんです。この国語の授業で語られる言葉に、コギー兄さんとの話合いの名残りがあることは、後半の展開についても同様、それを兄さんにいう必要もありませんが。

 ――私がこの小説を初めて読んだのは、ちょうどあなたたちの年齢でした。その時に始まって赤鉛筆や青鉛筆で、傍線を引いたり枠で囲んだり……みんなはマーカーでやるかな? ……何度も読み直してきました。ところが、最初から疑問に感じることがあったんですね。そのことから話します。

 予習として、二つ宿題をお渡ししました。第一は、この小説に出てくる言葉で大切に思う単語をひとつずつあげてもらうアンケート、そして第二としては、皆さんに私の最初の読みとりと同じく、ひとりで、『こころ』を読んでもらいました。そこで、この小説の語り手の「私」という青年が、「先生」と呼ぶ人物と親しくなる。ところがその「先生」が自殺してしまって、「先生」の遺書だけが残される。青年は大きいショックのなかでその遺書を読みといて行く……それが小説全体の構成だと知ってるわけです。遺書から、「先生」が青年にはじめて心を許した時のことを先生自身思い出している……その箇所を読んでもらいます。読み手は、私たちの劇団の俳優です。いまここにテキストを持って出て来ます。今度の場合、かれの役割はどれを読むだけですが、私たちの芝居では、それぞれの俳優や女優が、幾つもの役割を担って出て来ます。そのまま舞台に残っている人も、いったん居なくなる人もいます。新しい人物に扮して劇団の人が出てくるたび、拍手することはしなくてけっこうです。

 先生 あなたは物足なさうな顔をちよい/\私に見せた。其極(きよく)あなたは私の過去を絵巻物のやうに、あなたの前に展開して呉(く)れと逼(せま)つた。私は其時心のうちで、始めて貴方を尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或(ある)生きたものを捕(つら)まへやうといふ決心を見せたからです。私の心臓を立ち割つて、温かく流れる血潮を啜(すす)らうとしたからです。その時私はまだ生きてゐた。死ぬのが厭であつた。それで他日を約して、あなたの要求を斥ぞけてしまつた。私は今自分で自分の心臓を破つて、其血をあなたの顔に浴せかけようとしてゐるのです。私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命が宿る事が出来るなら満足です。

 ――私は最初にいった通り、小説のこの一節を読んだ時、あなたたちの年齢でした。そして単純な話ですが、青年に「先生」と呼びかけられることを受け入れて、このように親身に話をしてやる人物が主人公なんだから、この小説は、自分のような世代への教育を主題としてるんだろうと思いました。

 ところがそうじゃなかった。「先生」と「私」の間に直接の会話はありますが、「先生」はほとんどなにも青年に教えません。

「恋は罪悪ですか」と「私」が尋ね「罪悪です。たしかに」と答えを返される。家には財産があるなら、貰うものはちゃんと貰っておけ、とすすめられる……というくらいです。両方とも「先生」の生涯に翳りをもたらした問題に根ざしてたわけですが。

 そして「先生」が書いた遺書を読む段になって、私はこの作品が「先生」に遺書をつうじて自己表現させるためにだけ書かれた小説だ、と気が付きました。「先生」は社会に対して自分を閉じたまま生涯を生きたのですが、ただ一度の自己表現を目的にして遺書を書いた、と私は思いました。先生は遺書になにを表現したか? 「遺書」には、「記憶して下さい、」という半行と、「記憶して下さい。私は斯(こ)んな風にして生きて来たのです。」という二行がふくまれています。「先生」はこのようにいうことを、自分の人生で唯一の表現としたわけなんです。

 それでは「先生」が斯んな風にして生きて来た(・・・・・・・・・・・・)、という具体的な内容はどんなものだったか? 二十歳の時、「先生」は叔父さんに財産を奪い取られる経験をした。そして人に心を開くことをほとんどしなくなった人物です。学生の時一緒に暮すほど近しくした友人が、下宿の娘さんに恋しているのを知ると、当の友人にはいわないまま、自分がその娘さんと婚約してしまう。傷ついた友人は自殺します。

「先生」は、その現場を見てしまいます。ここは私が読みあげます。

 先生 私は棒立に立竦(たちすく)みました。それが疾風の如く私を通過したあとで、私は又あゝ失策(しま)つたと思ひました。もう取り返しが付かないといふ黒い光が、私の未来を貫ぬいて、一瞬間に私の前に横はる全生涯を物凄く照らしました。さうして私はがた/\顫(ふる)へ出したのです。

(中略)

 先生 私の胸には其時分から時々恐ろしい影が閃(ひら)めきました。初めはそれが偶然外から襲つて来るのです。私は驚ろきました。私はぞつとしました。しかししばらくしてゐる中に、私の心が其物凄い閃きに応ずるやうになりました。しまひには外から来ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでゐるものゝ如くに思はれ出して来たのです。

(中略)

先生 死んだ積(つもり)で生きて行かうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。然し私が何の方面かへ切つて出やうと思ひ立つや否や、恐ろしい力が何処からか出て来て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないやうにするのです。

 ウナイコは「先生」としてそのように読み進めては、また女教師の役割に戻って、高校生たちに話しかけます。これでは社会の現場に出て働く生活はむりでしょう、と……

「先生」は、残っている財産で妻とひっそり暮す生活をしてきたんですが、明治の終りの頃でもやはり例外的な生き方だったはずですよ、そのなかでかれに近づいて来た若者とめずらしく交わることになったのだ、と説明します。それは見事な手ぎわです。そして遺書に戻ります。「先生」が、次のように考え続けてきたことが示されます。自分にできることは自殺よりほかない、と……

(中略)

 先生 貴方はなぜと云つて眼を睜(みは)るかも知れませんが、何時も私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食ひ留めながら、死の道丈を自由に私のために開けて置くのです。動かずにゐればともかくも、少しでも動く以上は、其道を歩いて進まなければ私には進みやうがなくなつたのです。

 そしてウナイコは、さきに説明しておいた一節を、あたしらの胸に刻みつけるように読みあげました。

先生 記憶して下さい。私は斯(こ)んな風にして生きて来たのです。

 そして一拍置いて、――皆さんのアンケートへの回答は正確で、小説に作者が意識してたびたび使ってる言葉と、皆さんのアンケート結果が一致した、といって大いにウケました。ウナイコはアンケートで多かったのは、タイトルどおりに「心」という言葉が42通、「心持」が12通と多かったけれど、その次に多いのは「覚悟」が7通だ、と発表しました。それから、「先生」にその時は来たと覚悟させる出来事が起って「先生」は自殺することになるのだけれど、いま「覚悟」という言葉の回答が多いといったその「覚悟」の内容は次のように説明される、と情感のこもった朗読に戻りました。

 先生 すると夏の暑い盛りに明治天皇崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残つてゐるのは必竟時勢遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻にさう云ひました。妻は笑つて取り合ひませんでしたが、何を思つたものか、突然私に、では殉死でもしたら可からうと調戯(からか)ひました。

 …………

 私は妻に向つてもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積だと答へました。

(中略)

 ――最初にいったことですが、私があなたたちの年齢で『こころ』を読んだ時、初めは「教育」の本だと考えて、しかし生徒の「私」と「先生」の間に「教育」らしいやりとりはほとんどないので失望しました。ところが今になって方向付けをはっきりさせて再読しますとね、それを英語でrereadというそうですが、リリードすると、やはり「教育」の本だと思えました。「先生」の遺書になってくると、もうそこでは自分がどのような教育をするのかを先生はいう。生命をかけた「教育」です。これまでに二度読み上げた通り、こういうんです。記憶して下さい(・・・・・・・)。私は斯んな風にして生きて来たのです(・・・・・・・・・・・・・・・・・)。ここも英語にしてみるとよくわかりますが、現在完了形の言い方ね、それなら続いて「先生」が口にするはずの、やはり「教育」としての言葉は、未来形となるでしょう。私は斯んな風にして死ぬのです(・・・・・・・・・・・・・・)。

 そして小説の語り手の「私」と読み手の私たちは、もう死んでしまってる「先生」の手紙を読んだのでした。そこで皆さんのひりひとりにね、この小説の語り手の「私」になって考えてもらいたいんです。この手紙に……もう遺書となってしまってる「先生」の手紙に、あなたは教育されたと感じますか?

 舞台に立っている男女の高校生たちが、口ぐちに答えたのはこうした言葉です。まとめてみます(あたしはそれらが、これまでの出前授業の生徒たちの答えてきたところをまとめて、台詞に割りふったものだと感じました。高校生たちはとても自然に話していましたが……)。

 教育されたと思いません/教育されたと思います/それなら、どのように?/自分の尊敬している人が、死ぬ覚悟をして何もかも話して、その上で死んだのだから。あの人はこのように何もかも話してくれて、その上で死んで行ったと、生き残っている私が考えるなら、それは教育されたことでしょう? こんなに、それこそ胸にきざまれる教育は、初めてだという気がします。僕はこういう教育を受けたら忘れない。忘れられない、と思う。/きみは記憶した、「先生」が斯んな風にして生きて来た(・・・・・・・・・・・・)し、斯んな風にして死んだ、と記憶するわけね。そして一生忘れない。/しかし、それを記憶していることが、どんな内容の教育を受けとめたことになるの? 友達を裏切って、自殺させてはいけない、ということ? そんなこと、誰が知らないと思う? それが教育の内容だとして、習った内容が自分のなかで役に立つの? それは、この小説くらい特種な場合だけでしょう?/きみはそれほどイケルと思ってなかった女の子に、友達がイカレてしまって、そうなると女の子をトラレてしまうのが惜しくなる。告白すると、うまくゆく。それにショックを受けた友達が自殺する……こんなこと起こりうると思う? それほどきみたち、マジメなの? そういうことがあって、社会に出てもフリーターでいるしかなくて、そんなきみと結婚してくれる人がいたとしても、そのうち彼女は逃げだすでしょう? その前に、「平成の精神」に殉死しておくつもり?

 そこで高校生たちは、舞台にいる者も客席のもっと多くの者たちも、大笑いしました。

(中略)

 そして穴井マサオが観客席から立ち上り、発言をもとめたんです。(中略)

 ――私はきみたちの父親の年齢……とまではいわないが、年をくってる世代でね、とマサオは話し始めました。芝居を書いたり演出したりしてる人間です。この地方の出身の長江古義人さんが小説で自分を表現していられるように、私も演劇で自分を表現することをしています。及ばずながら年じゅう表現のことを考えている、そういわせてもらっていいでしょう。

『こころ』の「先生」の遺書ですが、きみたちも読んだ通り、初めの方にある言葉。「私の鼓動が停つた時、あなたの胸に新らしい命(・・・・・)が宿る事が出来るなら満足です。」「先生」は、自分の死が、遺書を読む青年の胸に、新らしい命を宿らせるようねがっている。こういうことをいって死ぬ人がいるのか、と若い私は感動した。それは私が、語り手の「私」という青年に自分を重ねたからです。こういうことを自分に対していってくれて、その言葉通り死ぬ人がいるのだとしたら、と思ったんです。

 しかしね、年をとるにつれて、自分に変化が起りました。『こころ』を読む時、ここのところを受けつけなくなっているのに気が付いた。どうも「先生」は、自分が遺書を残そうとしている青年のことを本気で考えてはいないのじゃないか? 「先生」は、ただ自分のことしか考えてないのじゃないか? その自分のこと、とは何だろう? 「先生」は、それまでずっと社会から閉じこもって、いまの言葉でいえば引きこもり(・・・・・)として生きて来た。それが、ただ一度だけ自分を「表現」しようとしている。つまり、そのように自分を「表現」すること、遺書を書くことだけが、目的だった。それでいて、自分の遺書を読むことが、ひとりの青年の胸に新らしい命(・・・・・)を宿らせると、どうして信じえたのだろう? 今日の舞台で、もう二度も声に出して読まれたけれども、この遺書のハイライトは、「記憶して下さい、」と「記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて来たのです。」という二句です。このように、押しつけがましく他人にいうことが、「先生」の「表現」なんですよ。正直いって、私はシラケルね。そうじゃないかい? 諸君!(後略)》

 

 こうして円形劇場での芝居は大成功をおさめ、松山の小劇場での大人の観客相手の再演でのこと。

《ところがめずらしく満員だった観客席の一番うしろに、レインコートを着たまま立っていた三、四人の男たちが、「死んだ犬」をブンブン振り廻して(すぐ投げてしまっては、抗議の威嚇行動を強調できない気がしたんでしょう)、高校の先生に異議を申し立てたんです。かれらがみな教育委員会の連中だったとは言いませんけど、その影響下にある……そこで中学校で行われたことを確認しに来ていた者らだとは、はっきりしています。その種の「国民」の名で、かれらの言論を一括りにします。

 国民 明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、ということを疑うのか? 最も強く明治の影響を受けた私ども(・・・・・・・・・・・・・・・・)、ともいってるじゃないか! その上で本当に、明治の精神(・・・・・)に殉じたんだ! この尊い死を貶(おとし)めるのか?

 そして国民たちの「死んだ犬」が高校の先生に投げつけられると、それに同調する一般の観客の(若い人たちの姿も目についたものですが)「死んだ犬」がバラバラ飛びもしたのです。しかし国民たちへの「死んだ犬」攻撃は、ずっと数もあり勢いもありました。そのただなかで、自殺した「先生」に扮している車椅子のウナイコが、スックと立ち上ると、白布をとって、まさに死人のように青ざめた顔を現わしました。小劇場は、静まりかえりました。ウナイコは、見事な朗唱の技術で始めました。いまやウナイコは「先生」の役を演じていた際の声で、当の「先生」について語っていました。

 先生 私は「先生」を演じていながら、この小説の最後まで来て、自分が扮している「先生」の心のなかがわかりません。この私は、じつは自分の内面がよくわからないまま、しかし死んで行こうとする気持だけ急(せ)いていた「先生」のような気がします。そして、それでも人は自殺することができる、と感じ入りもして死のうとしてるように思います。

《私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行つたものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪(と)られて以来、申し訳のために死なう/\と思つて、つい今日迄生きてゐたといふ意味の句を見た時、私は思はず指を折つて、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらへて来た年月を勘定して見ました。……私はさういふ人に取つて、生きてゐた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方(どっち)が苦しいだらうと考へました。

 それから二三日して、私はとう/\自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右(さう)だとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。或は箇人の有(も)つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。私は私の出来る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の叙述で己れを尽した積です。》

「先生」は、ほらこの通り徹底して個人の心の問題にこだわり、個人の、個人による、個人のための心の問題を、若者に解らせようと力をつくして死んだんです。それが、どうして明治の精神(・・・・・)に殉じることですか? 私の死を私のためだけのものに、取り戻させてください。それを助けるつもりで、あの国民どもに「死んだ犬」を投げつけてください、何匹も、何匹も!》

 

T・S・エリオットハムレット』論>

《観客は曖昧(あいまい)で謎めいた気分に捉えられ、勝手な意味を付与することが可能になって、『ハムレット』はいよいよ人気が高まる、というわけです。私は、それと同じようなことが『こころ』にも言えるんじゃないかという気がするんですよ》と、丸谷才一山崎正和との対談『夏目漱石と明治の精神』(2004年)で推察した。

 丸谷は、「先生」が自殺するとき遺書のなかで、乃木将軍が明治天皇に殉死したように自分も明治の精神に殉じようと思う、と書いているが、なんだか昔から納得いかない気がする、あれは小説家が作中人物を自殺させるためにあの仕掛けを使うしかなかったんじゃないか、という気がしてならない、と語ってからエリオットを引き合いに出す。

《思い出すのはT・S・エリオットハムレット論です。あのなかでエリオットは、芸術で感情を描くためには客観的相関物(オブジェクティブ・コレラティブ)――具体的な物とか事件とか――が必要であって、それがないと観客や読者を納得させられないと書いています。ところが『ハムレット』という戯曲は、ハムレットの憂鬱という感情を表現するための客観的相関物が提示されていない。だから商業的には成功したけれど、芸術作品としては失敗作である。しかし、客観的相関物のない憂鬱が提示されることによって、観客は曖昧(あいまい)で謎めいた気分に捉えられ、勝手な意味を付与することが可能になって、『ハムレット』はいよいよ人気が高まる、というわけです。私は、それと同じようなことが『こころ』にも言えるんじゃないかという気がするんですよ。》

 

 すでに1969年に柄谷行人が『意識と自然』で、このエリオットの『ハムレット』論の「客観的相関物」を手始めに漱石を論じている。

漱石の長篇小説、とくに『門』『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』などを読むと、なにか小説の主題が二重に分裂しており、はなはだしいばあいには、それらが個別に無関係に展開されている、といった感を禁じえない。たとえば、『門』の宗助の参禅は彼の罪感情とは無縁であり、『行人』は「Hからの手紙」の部分と明らかに断絶している。また『こゝろ』の先生の自殺も罪の意識と結びつけるには不充分な唐突ななにかがある。われわれはこれをどう解すべきなのだろう。まずここからはじめよう。

 むろんこれをたんに構成的破綻とよんでしまうならば、不毛な批評に終るほかはない。ここには、漱石がいかに技巧的に習熟し練達した書き手であったとしても避けえなかったにちがいない内在的な条件があると考えるべきである。この点に関して私が想起するのは、T・S・エリオットが『ハムレット』を論じて、この劇には「客観的相関物」が欠けているため失敗していると指摘したことである。エリオットはこういっている。

   ハムレットを支配している感情は表現することができないものなのであり、なぜ ならそれは、この作品で与えられている外的な条件を越えているからなのである。そしてハムレットシェークスピア自身なのだということがよくいわれるが、それはこういう点で本当なので、自分の感情に相当する対象がないためのハムレットの困惑は、彼が出てくる作品を書くという一つの芸術上の問題を前にしての、シェークスピアの困惑を延長したものにほかならない。ハムレットの問題は、彼の嫌悪がその母親によって喚起されたものでありながら、その母親がそれに匹敵しないで(・・・・・・・・・)、彼の嫌悪は母親に向けられるだけではどうにもならないということにある。それゆえにそれは、彼には理解できない感情であり、彼はそれを客観化しえず、したがってそれが彼の存在を毒し、行動することを妨げる。どんな行動もこの感情を満足させるにはいたらず、そしてシェークスピアにしても、どのように筋を仕組んでも(・・・・・・・・・・・・)、そういうハムレットを表現するわけにもいかない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)のである。(中略)われわれはただシェークスピアが、彼の手に余る問題を扱おうとしたと結論するほかはない。なぜ彼がそんなことをしたかは、解きようがない謎であって、かれがどういう種類の経験をした結果、表現することなどできない恐ろしいことに表現を与えることを望んだか、われわれには知るすべがない。(T・S・エリオット『ハムレット』傍点柄谷)

 まったくおなじことが漱石についていえよう。たとえば、『門』における宗助の参禅は、三角関係によって喚起(・・)されたものでありながら、その三角関係が宗助の内部の苦悩に匹敵しない(・・・・・)で別の方向に向けられるほかないというところに起因している。したがって、「どのように筋を仕組んでも、そういう宗助を表現するわけにはいかない」のであって、やはり漱石も「彼の手に余る問題を扱おうとしたと結論する」ことができると私は思う。それにしても、漱石は「どういう種類の経験をした結果」そのような問題をかかえこむにいたったのか、そしてそこにはどんな本質的意味があるのか。これから私が論じようとすることはすべてこういう謎にかかわっているといってよいのである。》

 さらに柄谷は『こころ』について論じた。

《『こゝろ』の隠された主題は自殺である、と私は先に述べた。それは、先生の自殺が作品の構成的必然としてでなく、作者の願望のあらわれとしてあるということである。友人を裏切ったという罪感情が、あるいは明治は終ったという終末観が、この作品をおおっている暗さや先生の自殺決行に匹敵しない(・・・・・)ことは明瞭だからだ。先生は「倫理的人間」である。だが、同時に彼は「内部の人間」(秋山駿)なのである。にもかかわらず、この小説では『門』や『行人』のようなあらわな分裂がなく、それらが重なりあって暗喩的な像を形成している。

   私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右(さう)だとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。或は箇人の有(も)つて生れた性格の相違と云つた方が確かも知れません。私は私の出来る限り此不可思議な私といふものを、貴方に解らせるやうに、今迄の叙述で己れを尽した積です。

「不可思議な私」とはなにか。それは、他者としての私(外側からみた私)と他者として対象化しえない「私」(内側からみた私)を同時に意味している。人間がもし他者としての私にすぎないならば、彼はたとえば赤シャツであり、野だいこであり、要するに単純明快であろう。「自然主義」とはそういう認識にほかならない。

 たとえば、先生は「金さ君、金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」という。しかし、『こゝろ』はそういう自然主義的認識を書いているのではない。先生自身は金によって動きはしなかったが、女によって動いた。とすれば、「女さ君、女を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」といったようなことが書かれているのだろうか。むろんそんなはずがないのだ。

 先生は誠実であり、誠実であることを苦い経験からほとんど決意のようにつらぬこうとした男である。これを忘れてはならない。にもかかわらず、誠実たらんとするまさにそのことが、彼の誠実さを裏切る。ここにはなにがあるか。われわれは自己(エゴ)をつらぬくことが誰かを犠牲にするほかない人間の関係を見るべきであろうか。そうではないのだ。漱石が見ていたのは、そういう自明の理ではない。それでは、彼がなぜ「こゝろ」という題名を付したのかはわからないのである。また、そういう理解は漱石をありふれた倫理学者のおし下げるものでしかない。たとえば、実際に先生が友人Kにある時期に告白しておけば、さしたる問題は生じなかったであろう。このばあいでも、先生が友人Kを傷つけたことにまちがいはない。ところが、先生はKの自殺が恋愛問題によるかどうかをのちになって疑っている。同じように、先生の自殺も、友人Kを死なしめた罪悪感からではないといえるのである。したがって、『こゝろ』は人間のエゴイズムとエゴイズムの確執などというテーマとは実は無縁である。漱石が凝視していたのは、依然として「正体の知れないもの」なのであって、さもなければ先生が奥さんに対して冷淡であったこと、奥さんをおいて自殺したことは、またしてもエゴイズムであると非難されねばならないはずだ。》

 

<「遅れ」と「告白」>

 さきの丸谷才一山崎正和の対談に戻るが、山崎は丸谷の方法論的分析を受けて次のように述べた。

T・S・エリオットが解釈した『ハムレット』と漱石の『こころ』を重ねてご覧になったことは、私は別の意味でも賛成です。ハムレットは、復讐(ふくしゅう)という課題を与えられていながら、いつまでもぐずぐずと引き延ばして成就(じょうじゅ)しない優柔不断な人物なんですね。最後になって外側からの偶然のきっかけが重なって、宮中の皆殺しをやって自分も死ぬという芝居です。(中略)私の見るところ、ハムレットには感情はなくて気分しかないんです。当時メランコリーという気分が知られていて、訳のわからない憂鬱、自分でも見定められない漠然とした感情の影のようなものを、そう呼んでいました。(中略)

 後世になって、その「気分」に最初に名前をつけたのがキルケゴールで、「不安」と名付けた。対象のある恐れではなく、何が不安なのかわからないから不安なんですね。つまり外に感情的相関物がないときに、人間は独特の内面状態を感じているわけで、シェイクスピアは意図的にそれを描いていたと考えているんです。

 なぜこんなことを言うかといえば、実は感情ではなく気分を持っているというところが、漱石の作品の主人公の一貫した特色だと私は思っているんです。『こころ』では、そういう人間は「淋(さむ)しい人間」と呼ばれています。そして森鷗外も、同じ漠然とした不安を懐(いだ)いていました。》

 ここには『こころ』における「遅れ」の問題がある。

 柄谷はさきの論考で「遅れ」について、「告白」と絡めて論じている。

《   Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子を開けて、玄関から坐敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の室を抜けやうとした瞬間でした。(中略)彼は「病気はもう癒(い)いのか、医者へでも行つたのか」と聞きました。私は其刹那(せつな)に、彼の前に手を突いて、詫(あや)まりたくなつたのです。しかも私の受けた其時の衝動は決して弱いものではなかつたのです。もしKと私がたつた二人曠野の真中にでも立つてゐたならば、私は屹度(きっと)良心の命令に従つて、其場で彼に謝罪したらうと思います。然し奥には人がいます。私の自然はすぐ其処で食ひ留められてしまつたのです。さうして悲しい事に永久に復活しなかつたのです。(『こゝろ』)

 これは後悔である。そして、『こゝろ』の遺書の部分はすべて、なぜあのとき真実をいわなかったのかという後悔にみちている。だが、われわれはむしろこういうべきではないか、真実というものはつねに、まさにいうべき時より遅れてほぞをかむようなかたちでしかやってこないということを。そして、このずれ(・・)には何か本質的な意味があるということを。

 真実を語るとは告白するということだ。誰でも口にしうる真実などというものは真実ではない。そして告白するということは、身を裂くような、そして、それを書きつけたならば紙が燃えあがる(E・A・ポー)ような行為である。先生は告白できなかった。なぜなら告白がたえず一瞬遅れたからである。というより、われわれはつねに告白において一瞬遅れるほかないというべきだ。いかにわれわれが真実であろうとしても、そこにはわずかのずれ(・・)が生じる。このずれ(・・)がわれわれの自己欺瞞の産物でないとしたら、いったいなにによっているのか。

 先生の告白はずるずると遅れていく。だが、たんに遅れるのではない。むしろ告白すべきことが生じたために、お嬢さんへの愛が深化していったという事情がともなっているからだ。これはどうしようもないプロセスである。たとえば、『それから』の代助も告白した。が、その告白は唐突であり機械的である、彼はそれまで自己欺瞞によって無自覚だった「自然」(真実)をさとって、かつて友人に譲った女を奪いかえす。しかし、ここにあるのは単純な図式にすぎない。つまり、自分の本心(自然)と自己欺瞞(人工)の二元的な図式があるにすぎない。

 ところが、『こゝろ』では『それから』のような木に竹を接いだような唐突さ、図式性がない。こうしようとしながら別なふうにやってしまう人間の、どうすることもできない心の動きが無理なくとらえているからだ。本心と欺瞞という図式はここでは成立しない。無意識と意識という図式は成り立たぬ。われわれは晩年のフロイトが言語の問題に関心を移したことを考えてみればよい。彼は意識と無意識についての機械的な図式では解くことのできない、一瞬のずれ(・・)を解明しようとしたのである。「超自我」なるものがわれわれの「自然」を抑圧している、などということは冗談にもならない。告白の不可能性を探っていけば、われわれは欺瞞や自尊心のかわりに、この世界で人間が存在するあり方そのものに眼を転ずるほかないのだ。いいかえれば、われわれがこの世界で存在するありようそのものがわれわれを真実(自然)から欺瞞(ずれ)させているのではないのか。「不可思議な私」とは、そのように存在するほかない人間の不可思議さである。》

 

<「心理をこえたもの」>

 つづいて柄谷は、

《  私は妻から何の為に勉強するのかといふ質問をたびたび受けました。私はたゞ苦笑してゐました。然し腹の底では、世の中で自分が最も信愛してゐるたつた一人の人間すら、自分を理解してゐないのかと思ふと、悲しかつたのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思ふと益(ます/\)悲しかつたのです。私は寂寞でした。何処からも切り離されて世の中にたつた一人住んでゐるやうな気のした事も能くありました。

   同時に私はKの死因を繰り返し/\考えたのです。其当座は頭がただ恋の一字で支配されてゐた所為(せい)でもありませうが、私の観察は寧(むし)ろ簡単でしかも直線的でした。Kは正しく失恋のために死んだものとすぐ極めてしまつたのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向つてみると、そう容易(たやす)くは解決が着かないやうに思はれて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋(さむ)しくつて仕方がなくなつた結果、急に所決したのではなからうかと疑がひ出しました。さうして又慄(ぞつ)としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じやうに辿つてゐるのだといふ予覚が、折々風のやうに私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。(『こゝろ』)

 先生は「明治の人間」として死ぬのではない。「慄(ぞつ)とする」ような荒涼たる風景のなかで死ぬのだ。むろん、彼がそういう風景を見てしまったのは「明治の人間」だったからである。しかし漱石はいささかも自分が「古い人間」だとはいってはいないので、ただ「新しい人間」たちに、彼が見なければならなかったものを、そして白樺派の青年たちが見ないでいるものを、伝えようとしているのだ。漱石の倫理観は歴史的なものだが、彼の人間存在に対する洞察はわれわれにとって切実である。(中略)

こゝろ』は人間の「心」を描いたが、心理小説ではない。それは、ドストエフスキーの小説が無限に人間の心理を剔抉しながら心理小説でないのと同じである。人間の心理、自意識の奇怪な動きは、深層心理学その他によっていまやわれわれには見えすいたものとなっている。だが、『こゝろ』の先生の「心」は見えすいたものであろうか。見えすいたものが今日のわれわれを引きつけるはずがないのだ。おそらく、漱石は人間の心理が見えすぎて困る自意識の持主だったが、そのゆえに(・・・・・)見えない何ものかに畏怖する人間だったのである。何が起るかわからぬ、漱石はしばしばそう書いている。漱石が見ているのは、心理や意識をこえた現実である。科学的に対象化しうる「現実」ではない。対象として知りうる人間の「心理」ではなく、人間が関係づけられ相互性として存在すると見出す「心理をこえたもの」を彼は見ているのだ。》

 

 最後に、大江健三郎古井由吉の対談『漱石100年後の小説家』から紹介する。

大江 私は、古井さんの書かれた「こころ」解説が好きなんです。特に最後の段落。

「無用の先入観を読者に押しつけることになってもいけないので、この辺で筆を置くことにして、最後に、これほどまでに凄惨な内容を持つ物語がどうしてこのような、人の耳に懐かしいような口調で語られるのだろう。むしろ乾いた文章であるはずなのに、悲哀の情の纏綿(てんめん)たる感じすらともなう。挽歌の語り口ではないか、と解説者は思っている。おそらく、近代人の孤立のきわみから、おのれを自決に追いこむだけの、真面目の力をまだのこしていた世代への。」

「真面目の力」が、夏目漱石から古井由吉を結ぶ、本質的なものです。》

                                    (了)

          *****引用または参考文献*****

夏目漱石『こころ』(解説:古井由吉)(岩波文庫

石原千秋編『『こころ』をどう読むか 増補版』(奥泉光×いとうせいこう文芸漫談『夏目漱石『こころ』を読む』、水村美苗×小森陽一対談『こころ 夏目漱石』、丸谷才一×山崎正和対談『夏目漱石と明治の精神』、吉本隆明講演『こころ』、山崎正和『淋しい人間』、作田啓一『師弟のきずな 夏目漱石こゝろ』(一九一四年)』、小森陽一『『こころ』を生成する心臓(ハート)』、他所収)(河出書房新社

*アンジェラ・ユー、小林幸夫、長尾直茂、上智大学研究機構編『世界から読む漱石『こころ』』(アンジェラ・ユー『『こころ』と反復』、他所収)(勉誠出版

柄谷行人『増補 漱石論集成』(『意識と自然』他所収)(平凡社ライブラリー

蓮實重彦夏目漱石論』(青土社

大岡昇平『小説家夏目漱石』(筑摩書房

江藤淳『決定版 夏目漱石』(新潮文庫

桶谷秀昭『増補版 夏目漱石論』(河出書房新社

吉本隆明夏目漱石を読む』(ちくま文庫

姜尚中『100分de名著ブックス こころ』(NHK出版)

小森陽一・中村三春・宮川健郎編『総力討論 漱石の『こゝろ』』(翰林書房

若松英輔『『こころ』異聞 書かれなかった遺言』(岩波書店

*『文藝春秋 【臨時増刊号】(特別版)「夏目漱石と明治日本」』(丸谷才一×山崎正和対談「夏目漱石と明治の精神」所収)(2004年12月臨時増刊号)(文藝春秋

大江健三郎『水死』(講談社

高橋哲哉現代思想冒険者たち デリダ 脱構築』(講談社

ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳(河出書房新社

ポール・ド・マン『盲目と洞察』宮崎裕助、木内久美子訳(月曜社

T・S・エリオット『エリオット全集3 詩論・詩劇論』(『ハムレット』中村保男訳、所収)(中央公論社

大江健三郎×古井由吉対談『漱石100年後の小説家』(『新潮』2015年10月号)(新潮社)

*『筑摩世界文学大系32 キルケゴール』(『反復』『死にいたる病』桝田啓三郎訳、所収)(筑摩書房