2020-01-01から1年間の記事一覧

文学批評 ナボコフと『アンナ・カレーニナ』の「リョーヴィン―キティ」銀河を見る

《形象を注意深く見守り、思想の積み重ねは放っておくことにしよう。言葉、表現、形象こそが、文学の真の機能である。思想ではない(・・・・・・)。》 こう主張するナボコフ『ロシア文学講義』の『アンナ・カレーニナ』論(ナボコフは、「アンナ・カレーニナ…

文学批評 吉田修一『悪人』論 ――ドストエフスキー『罪と罰』から欠落したもの

吉田修一『悪人』に、ドストエフスキー『罪と罰』の殺人場面の象徴である斜めからの夕日の光を照らす。と、そこには車のライトに照らし出された峠の絞殺と、パトカーの赤いライトに照らし出された灯台の未遂現場しかない。 両者の差異を見ることで、『悪人』…

文学批評 二人の万菊 ――吉田修一『国宝』と三島由紀夫『女方』

三島由紀夫『女方』(昭和22年、1957年)と吉田修一『国宝』(平成30年、2018年)は歌舞伎の世界を描いた小説で、前者は短篇、後者は長編であり、どちらにも主役、脇役の違いこそあれ、名女形の「万菊(まんぎく)」が登場する。前者の万菊の芸名…

文学批評 ボルヘスを斜めから読むための補助線 ――『タデオ・イシドロ・クルスの生涯(一八二九~一八七四)』/『エンマ・ツンツ』/『もうひとつの死』 

・ミュージカル『エヴィータ』の人気に、実在のエヴィータ(エバ)のカリスマ性、神話性が寄与していることは否めないだろう。丸谷才一はエッセイ『私怨の晴らし方』で、『まねごと』におけるボルヘスの完璧な私怨の晴らし方を紹介してから、比較して鷗外『…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(3) ――舟橋聖一『堀江まきの破壊』

<舟橋聖一『堀江まきの破壊』> 《追ひ追ひに、ものが復興してくる中に、却て、昔より一歩乃至(ないし)数歩をすゝめたと思はれるものもあれば、どうしても、昔のものに及び難い、どこかで、今一つ、気が足りないといふものもある。これは、作る側で、工夫が…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(2)――徳田秋声『戦時風景』

<徳田秋声『戦時風景』> 《或る印刷工場迹の千何百坪かの赭土の原ツぱ――長いあひだ重い印刷機やモオタアの下敷になつていたお蔭で、一茎の草だも生えてゐない其のぼかぼかした赭い粉土(こなつち)は、昼間は南の風に煽られ、濠々と一丈ばかりも舞ひあがつて…

文学批評 『花柳小説名作選』を読む(1) ――永井荷風『あぢさゐ』

『花柳小説名作選』(丸谷才一選。以下『名作選』と略す)から永井荷風『あぢさゐ』、徳田秋声『戦時風景』、舟橋聖一『堀江まきの破壊』の三作品を読む。 荷風は別格として、徳田秋声、舟橋聖一の二人はかつて大家でありながら今ではほとんど忘れられている…

文学批評 加賀乙彦『フランドルの冬』の「精神医学」と「世界投企」(引用ノート)

加賀乙彦の「『フランドルの冬』 新しいあとがき」は次のようにはじまる。 《長編小説『フランドルの冬』は私の処女作である。一九六七年八月筑摩書房から出版された。翌六八年四月芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。一九七四年に文庫化され、その後十年ほ…

文学批評/オペラ批評 『マクベス』と『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の「二枚舌」(資料メモ) 

群 シェイクスピア『マクベス』は「二枚舌」の観点から読み解くことが出来る(残念ながら、ヴェルディによるオペラ『マクベス』には「二枚舌」の台詞で有名な「門番」の場面はないが、「二枚舌」はなにも門番の場面ばかりではなく、意味的には、「魔女」の言…

文学批評/オペラ批評 『ボヴァリー夫人』と『ランメルモールのリュシー』(ノート)

』ーと はじめに、水村美苗『本格小説』の「ルチア」を紹介したい。 軽井沢でのハイ・ティーの晩に照り渡る月の光を白い服に集めて、マリア・カラスの好きな春絵に嫌みを言われながら、よう子は歌を歌ったことがあった。それは「桜の園」の章で、雅之の父雅…

オペラ批評 プッチーニ『トスカ』に関するノート

一九〇〇年にプッチーニのオペラ『トスカ Tosca』がローマで初演されるや、ワーグナー崇拝が濃い北ヨーロッパの評論家、音楽家たちはこぞって批難した。グスタフ・マーラーの「巨匠の駄作」、リヒャルト・シュトラウスの「たちの悪い札つきの低俗作品」、ユ…

小説  文楽の男の手

「文楽の男の手」 文楽の男の手を知っていますか。 五月の東京三宅坂、国立劇場でのことです。若草色の市松単衣を着た私は楽屋を横目で見ながら狭い廊下を進みました。先を歩いていた知人の人形遣いは、女の人形をひょいと手に取るとすたすたと舞台袖に向か…