映画批評) 溝口健二『残菊物語』の「視線」と「声」のからみあい(引用の織物)  ――加藤幹郎「視線の集中砲火」と蓮實重彦「言葉の力」

 

 

 溝口健二監督『残菊物語』は驚くほどのスピードで、原作小説掲載、新派上演を経て、映画化された。

 一九三七年(昭和一二年)九月、『サンデー毎日』秋季特別号に村松楓風(しょうふう)の短篇小説『残菊物語』が掲載され、同年一〇月には巖谷三一(愼一)脚色、川尻清譚演出によって明治座新派興行で上演された(菊之助花柳章太郎、お徳を水谷八重子、五代目菊五郎喜多村緑郎)。花柳が原作を読み舞台化を希望したという。その好評により、二ヶ月後の一二月には明治座で同じく巖谷脚本、花柳主役で『続残菊物語』が上演されたが、これは原作の末章「残んの花」にあたる帰京後の菊之助の復活から、お徳と同じ病による死までである。

 そして早くも一九三九年(昭和一四年)一〇月には松竹と溝口健二によって映画『残菊物語』が公開された(菊之助を新派舞台と同じ映画初出演の花柳章太郎、お徳を同じく新派の森赫子(かくこ)、菊五郎を二代目河原崎権十郎)。これもまた花柳が映画化を望んでいたという。脚本は依田義賢、原案・構成は川口松太郎

 その後、演劇『残菊物語』は新派の看板演目となったばかりでなく、歌舞伎公演(菊之助尾上梅幸、お徳を六代目歌右衛門菊五郎市川左団次、など)、新派・歌舞伎合同公演(菊之助尾上梅幸、お徳を水谷八重子菊五郎守田勘弥、など)なども催され、他には長谷川一夫市川猿之助(二世猿翁)、藤間紫なども演じている。

 また、映画も戦後に二度リメイクされ、昭和三一年に大映長谷川一夫淡島千景で、昭和三八年に松竹映画で市川猿之助(二世猿翁)と岡田茉莉子で上映された。

 それら脚色・演出のほとんどには巖谷愼一と川口松太郎の手が入っているが、原作の菊之助の死も取り込むなど、「今度の方がこくめいなんです。だから可哀そうですよね二人とも」(水谷八重子に対する長谷川一夫談)ではあるものの、「芸道」「父(師)―息子(弟子)―好ましからざる女(だが死の際で許される)の相克・愁嘆場(新派『婦(おんな)系図(けいず)』やオペラ『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』のような)」「五代目菊五郎」に重きが置かれて、泣きに来る観客向きだ。

 ここでは、溝口健二監督映画『残菊物語』に関して、原作小説、演劇との異同を逐一(例えばクライマックスの船乗り込みの場面は原作にも演劇にも存在しない、などと)指摘することではなく、加藤幹郎「視線の集中砲火――『虞美人草』から『残菊物語』へ」と蓮實重彦「言葉の力 溝口健二監督『残菊物語』論」の「視線」と「声」の蝮のからみあいを、縦糸と横糸に木下千花溝口健二論 映画の美学と政治学』の「芸道物考」を飾り糸として、映画の時間軸にそって引用し織りあげてゆくことで、その豊かさと深さに浸りたい。

 

<『東海道四谷怪談』上演シーン/映画の舞台>

 加藤幹郎《『残菊物語』(一九三九)の怪物性、そのただごとではない雰囲気は、冒頭からわたしたち観客を打ちのめさずにはおかない。おりしも舞台のうえでは『東海道四谷怪談』が上演されているのだが、さながらテレビによる劇場中継ででもあるかのように、その歌舞伎上演のシークェンスには、舞台を見ている(はずの)特定的観客が不在である。いやしくも物語映画であるならば、舞台のうえで役者が見得をきっている以上、それを見ている(はずの)観客もまたそこに見えていなければならないはずである。演劇や小説とはちがって、それが劇映画である以上、物語は見る者と見られるものとのあいだに視線の緊張関係のなかに生まれるものだからである。それが映画史の約束事である。遅くとも一九〇八年末にD・W・グリフィスが「劇場における切り返しショット」と呼びうるものを完成して以来、映画が舞台を描写するさいには、舞台を見ている者をおさめたショットと舞台のうえの見られているもの(パフォーマンス)をとらえたショットとを交互に編集するというのが、映画史の一般的約束事であった。(中略)『残菊物語』の冒頭部が示すものは、溝口の映画史からのその大胆な離反ぶりなのである。

『残菊物語』は歌舞伎の名家の跡取り息子(尾上菊之助)を主人公にした物語であり、そのはじめと、まんなかと、おわりのつごう三度歌舞伎が上演される。本稿は第二の上演シークェンスを中心に議論を展開するが、第一の演目は前述したように『東海道四谷怪談』であり、それは妻を裏切り、その怨みをかった夫の物語である。第三の上演演目は『石橋(しゃっきょう)』で、我が子を千仞の谷に突き落とす父獅子の物語であるが、これは五代目菊五郎が養子菊之助(主人公)を旅廻りの苦業にだす『残菊物語』後半の物語に照応する。その意味で、第二の舞台で上演される『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』もまた主人公菊之助とヒロイン(内縁の妻お徳)の至上の愛を象徴することになるだろう。そして第二、第三の舞台シークェンスが『残菊物語』の主人公の半生を要約する以上、冒頭の『東海道四谷怪談』の上演もまた主人公の生き様を反映しているはずであるが、それは後述するように、この映画の結末がその冒頭とアイロニカルな照応を見せたときにはじめてその意味をもってくるはずである。》

 

<新富河岸/「生意気なことをいって、堪忍してくださいね」>

 蓮實重彦《お徳が菊之助の弟の乳母として尾上家につかえる奉公人であることは、物語の初めから見る者に知らされている。まだ乳飲み子であるその弟(筆者註:幸三、後の六代目菊五郎)が菊五郎の正妻の子ではなく、妾腹だという原作の設定が映画にどの程度まで反映しているのかはあまり明らかでないのだが、いずれにしろ、乳母のお徳は、むずがりがちな赤ん坊をだいて子守歌など口ずさみながら、真夜中の新富河岸に姿を見せる。

 そこへ、柳橋の料亭で不愉快な思いをしたばかりの菊之助が人力車で通りかかる。「若旦那様」、「ああ、お徳か」のやりとりでたがいの立場が明らかにされてから、お徳が何歩か遅れて菊之助を追うかたちで二人は歩きはじめる。手前には何本かのガス灯がともり、背後に大きな屋敷や料亭などの見える川沿いの道を進む男女を、キャメラは低い位置からあおり気味にとらえ続ける。この作品で初めてワンシーンワンショットの移動撮影が効果的に使われている充実しきった場面である。

 どうやら季節は夏で、夜半すぎとはいえ、あたりには風鈴屋をはじめさまざまなもの売りの声や拍子木が響き、ときおり着飾った女もゆきかっている。胸元で赤ん坊をあやしながら、今日は「若旦那」の舞台を見させていただいたのだとお徳はいう。親戚筋の者が菊之助の演技にあれこれ難癖をつけるのが悔しくてならず、この目で確かめてみようとしたのだが、とそこまでいって彼女は思わずいいよどむ。それで、どうだったのかと尋ねる菊之助に、彼女は黙って顔を伏せるばかりだ。下手だったのかと振り向きざまにつぶやく菊之助に向かって、お徳は、真剣なまなざしで、世間のお世辞やおだてにのってはならないとさとすようにいう。尾上家につかえる女にしてはいかにも大胆なことだとやや驚きつつも、悪意のかけらもないその真摯なものいいに誰もが惹きつけられる。「怒られてもかまわない」から正直にいってしまいますと言葉をつぐお徳は、たまには贔屓筋との遊びもよかろうが、芸のことだけは忘れてはならない、それが六代目をつぐべき「若旦那」のつとめであり、「大旦那のご得心のゆくような芸」を身につけるよう、どうか励んでほしいと訴えかける。「生意気なことをいってすみません」というお徳に、「ありがとう」の一言を返す菊之助は、かろうじて弟の乳母の「言葉の力」を受けとめ、そこから何かを感じ始めているかにみえる。咳きこむような早口でもなく、ふと言葉につまって乱れることもないそのなだらかな声の抑揚が、身うちのお説教とも、思いこみからくる身勝手な饒舌とも異なる「言葉の力」となって、菊之助のもとにとどいているようだ。(中略)

 家が近くなってから、いきなり菊之助を追い越してゆっくり向きなおるお徳は、父親の菊五郎にも母親にも見とがめられずに家に入れるように細工するので心配はないと安心させてからいきなり語調を変え、「生意気なことをいって、堪忍してくださいね」と頭をさげる。「うん」と応じて一人で歩みさる菊之助のイメージでこのシークェンスは終わりを迎える。(中略)

新富河岸の場面は原作小説には存在せず、したがって「堪忍してくださいね」の一語も村松楓風によるものではない。こうしたお徳の言葉を拾いあげていくと、依田義賢による脚本が、いつにもまして「言葉の力」をきわだたせるべくあれこれ大胆な試みをしていることが生々しく察せられる。》

 

<暇を出されるお徳/見えないヒロイン>

 加藤幹郎《『残菊物語』を見て、まず誰もが気づくことは、ヒロインお徳の顔が見えないということである。明治日本の封建社会のなかで徹底して自己犠牲をはらうかに見えるヒロインの顔が映画という視覚的媒体のなかでよく見えないということはいったいどのような事態なのか。『残菊物語』が視点ショットと切り返しを組織的に回避するフィルムであることはこれまでに見たとおりであるが、それはいいかえればこのフィルムには顔のクローズアップがもののみごとに欠落しているということでもある。(中略)

 ヒロインの顔がよく見えないという原則が『残菊物語』全体を貫いているらしいということにわたしたちが最初に気づくのは、本来ならば(「古典的ハリウッド映画文法」に照らせばという意味だが)ヒロインの顔が見えてしかるべき場面においてキャメラがことさら彼女を避けようとしているという事態に遭遇するときである。

 それは第2節で素描した花火見物シーンののち、周囲から菊之助との仲をうたがわれはじめたヒロインが菊之助の養母から難詰される場面である。そのシーンが驚くべきなのは、それがたんに光彩陸離たるワン・シーン=ワン・ショットで撮影されているからだけでなく、その巧妙なキャメラの旋回運動のうちにヒロインが見失われるという逆説がいかんなく発揮されるからである。

 ヒロインお徳は菊之助の義弟の乳母をしているが、跡取り養子の菊之助を誘惑していると周囲から誤解され、いま彼女は一方的に暇をいいわたされようとしている。(中略)たとえば部屋1をとらえていたキャメラ(①)はパンと前進によって部屋3の新しい乳母(③)を提示するが、そのさい襖と障子によって区切られた空間があたかも別ショットででもあるかのように機能する。同様にして新しい乳母が赤ん坊をヒロインから遠ざける運動(④)はガラス障子越しに提示されることによって、文字通り新しいフレーム(ショット)におさまっているかのように見える。つまりひとつらなりのキャメラの運動が、それがとらえるべき小事件(義母の難詰、新乳母の登場、幼な子の「拉致」など)を、それに応じた即興的小フレームのなかに個別的かつ連続的に提示することによって、それら小事件の論理的近接性と強度を保証するのである。ワン・シーン=ワン・ショットによるこの時間と空間の連続性は、ヒロイン以外のそこにいるすべての者たち(養母、奥の間の女中たち、新乳母)がヒロインのその空間からの放逐と不在を望んでいることを、そしてまさにそれゆえにヒロインの姿(顔)が見えないのだということをアイロニカルに指し示している。(中略)

 とまれこうしてヒロインは幼な子から引きはなされ、乳母としての身分を失い、歌舞伎の名家から立ちさらねばならなくなる。彼女の抗議の声は、彼女の顔がこの長いワン・シーン=ワン・ショット(二分二〇秒)のなかで一貫して見えないという事実においてその有効性を失う。彼女はこのトーキー映画のなかで、その独特のエロキューションによってあくまでも身の潔白を主張する(筆者註:菊五郎夫人お里に「いえ、大旦那はほんとうの芸の上だけのこと、あたしの云うのは、例えば若旦那の芸ってものにも、こう、お乳を差し上げる乳母のようなものが……」と反論して激昂させる)のだが、その声は届くべき相手に届かず、しかもこの小共同体のなかの構成員(①義母、②女中たち、③新しい乳母)のだれもが彼女に視線を投じているというのに、投じられる当のヒロインだけはだれにも視線を返すことができず、それゆえ(映画的に)無力な存在にとどまっている。彼女はその場にいる全員に見られる存在でありながら、観客にとっては不可視の存在にとどまる。彼女の顔がよく見えないということは、いうまでもなく彼女を正面からとらえたショットがないということであり、それは一義的には彼女の視線がないということ(それゆえ彼女がその場を支配することができないということであり、彼女が視線と権力の主体たりえないということ)を意味するが、二義的には彼女が逆説的に、かつ文字通りだれにもみられていない(・・)ということを示している。》

 

鬼子母神境内/「このうえ会っては、そうでなくなりそうで困ります」>

 蓮實重彦《入谷の鬼子母神茶店で二人が再開する場面でのことである。尾上家から暇を出されたお徳は、菊之助に合わせまいとする家族のさしがねで、雑司ヶ谷の親戚の家にあずけられている。勿論、六代目襲名以前の菊之助の女房になろうという下心など、いまの彼女にはこれっぽっちもない。ただ、「若旦那」の芸が五代目の期待にふさわしいものとなるよう、陰ながら祈っているばかりである。だから、今日かぎりこの家から出ていってほしいという菊之助の継母の世間体を気にした言葉にも、私は何のやましいこともしておりませんと語気鋭く応じえたのである。ただ、騒ぎが大きくなると菊之助の将来のためにもよくないと自分にいいきかせ、身を隠すしかなかった。そこへ、八方手をつくして隠れ家を捜しあてた菊之助が訪ねてくる。》

 

 加藤幹郎《『残菊物語』全編において切り返しは組織的に回避されている。じっさい、この二時間二三分の長尺映画で切り返しショットがつかわれるのは、二度目の歌舞伎シークェンス(『積恋雪関扉』)だけである(ものごとにはつねに例外がつきものだが、奉公先を追いだされたヒロインが恋しい菊之助の芝居の番付に見いるシーンにじつは一箇所だけ短い切り返しがある(加藤註:この例外が存在する可能な理由のうち、おそらくもっとも興味深いものが、ほかならぬ『残菊物語』の脚本家依義賢の回想録のなかに見られる。すなわち、「〔ヒロインの〕お徳が、もう〔恋しい〕菊之助のこともすっかり諦めたような様子で……鶏の餌の入った紙袋を手にして……ばらばらと餌をまいて、何げなく餌の紙袋に眼をやります。それは芝居の番付で出来ていて、そこに菊之助の名があるので、はっと胸をつかれ、悲しみと懐かしさのまじり合った思いで、その紙を見つめて佇んでいると、そこへ近所の茶店の婆さんが来て……『ぜひ、お眼にかかりたいというお方が、私のところにおいでになります』というので、もしや、菊之助ではないだろうかと胸をさわがせる。これだけ〔の長いシーン〕をワンカットでやるのです」(『溝口健二の人と芸術』田畑書店、一九七〇年、九〇頁)。『残菊物語』の撮影が困難をきわめたであろうことはだれの目にも明らかなのだから、苦労話ならほかにいくらでもあるはずなのに、よりによってわたしたちの議論のなかで「例外的」であるとみなされたシーンだけが特権的にこの映画の脚本家の回想録のなかでとりあげられているのである。この事実のうちに、溝口がもくろんでいたはずの『残菊物語』独自の原則(古典的切り返しは原則として使用しないこと)がそこですでに揺らいでいた事実がうかがえる。じっさい依田の回想録では、長廻しという溝口の技法のなかでは「はっと胸をつかれ」るという一見容易そうな演技がいかに女優に超絶技巧を要求するものであったかが強調される。おそらくそれゆえに「これだけをワンカットでやる」はずだったのが、そうはならなかった。))。》

 

 蓮實重彦鬼子母神の境内には、日蓮宗の修行僧が何人か念仏をたたいているほか、人影はまばらである。境内の石段を遠目にとらえたキャメラが右へと移動しながら茶屋の室内を中景におさめるとき、その殺風景な舞台装置は男女の孤独をみじめにきわだたせ、意義深い会話など交されそうにない予感を漂わせている。茶店の老女のはからいで客間に通された菊之助は、すでに来ていたお徳と火鉢を囲んで向かい合って座る。どうして身を隠したのだ、お前はあっしの心のよりどころだったという言葉に、私のようなものをそんなに思ってくれていたのかと心を動かされはするが、それでもお徳は、「出世前の若旦那のお身」のためにもう会ってはならないと口にする冷静さは見失わずにいる。会えないなら、家を出るつもりだという菊之助の言葉に、二人についてありもしないことをいいふらす世間が悔しくてならないと応じるお徳は、でも「このうえ会っては、そうでなくなりそうで困ります」といいそえ、顔を伏せて黙ってしまう。火鉢に向けてゆっくりと傾けられてゆくその髷髪が、心の中にしまっておくべきことを思わず口にしてしまったことに自分でも驚いている女の痛ましさを画面いっぱいにゆきわたらせる。その背後には、遠ざかっていた修行僧の念仏の声と鉢の音が、にわかに高まってゆく。(中略)語調こそ違っているが、『近松物語』の香川京子の「死ねんようになった」をふと思わせる女の性の始末におえぬ奥深さが、この台詞から色濃く匂い立っているといってもよい。これまでは、二人の仲をあれこれいいつのる世の中の方が間違っているといいきれはしたが、それがいつ間違いでなくなっても不思議でないあやうさをかかえこんでしまっているのだと、彼女は小柄なからだをいっそう小さくしながら身振りで表現している。

「そうでなくなりそうで困ります」とは、女としての存在をあげた困惑にほかならず、困惑せずにいたいというなら、女であることを諦めねばなるまい。だから、これは助けてほしいと訴えていることでもあるのだが、同時に、いまの菊之助に助けを求めても詮無いことと知っている女の深い諦めの表明でもあるだろう。ちなみに、鬼子母神の茶屋の場面は原作でも語られているが、「そうでなくなりそうで困ります」の一行は見当たらず、映画だけで耳にしうる言葉なのである。》

 

菊之助の勘当シーン>

 木下千花《例えば五代目菊五郎河原崎権十郎)が菊之助を勘当する名高い長回しのショット・シークェンスがいかに「映画性」を顕示しているかわかるだろう。そもそも、説話内における諸空間――玄関、庭、廊下、階段、座敷から台所までの様々な部屋――の間の距離感の演出(ミザンセヌ)こそが、舞台とは全く違う映画の真骨頂である。このような映画の特殊性があればこそ、この物語はすでに小説と新派の舞台になっていたにも拘わらず、五代目菊五郎宅に実際に出入りしていた権十郎が積極的に考証に参加し、セットによる菊五郎宅のオーセンティックな再現を試みているという逸話が、製作途中の絶好の宣伝材料として新聞に報じられたわけだ。そもそもこのシークェンスは小説では「お徳との関係がいまだに切れずにゐることがわかつた時には、菊五郎は今度こそ火の玉のやうになつて怒つた」の一行であり、戯曲では二幕一場、鬼子母神境内の茶屋で菊之助がお徳と密かに逢っていると、ちょうど一門を引き連れて参詣していた五代目がその場に踏み込んで口論し勘当に到ることになっている。依田は「舞臺脚本が頻繁に場面の轉換が不可能なため、各場面場面に不自然な無理な集中的な表現描寫のされてゐることを見抜かねばならないことである。そうしてそれは適當に映畫的に分割しなければならないのである」と述べ、そのような映画的分割の好例として、このシークェンスを挙げる。

 鬼子母神の茶屋のシークェンスの最後にディゾルヴして、やや後ろめたい気持で帰宅した菊之助が映り、そこに間髪を入れずに里が呼びかけるのは、依田によれば、密会の場へ踏み込むという緊迫した舞台の効果を代替するためであった。ここから、六分余りのショット・シークェンスは、(一)座敷で五代目が菊之助の真意を問い質す、(二)隣接した部屋で実兄・栄寿太夫(川浪良太郎)と義母・里が菊之助の説得を試みるが失敗、(三)座敷に戻った菊之助が五代目にお徳との結婚を願い出るが却下されて出奔する、という三段階に分かれている。しばしば指摘されてきたように、実父長・五代目は画面外に留まることでかえって権力を存分に行使する。「見たまま」によれば舞台でも同場面で効果的に使われていたという煙管を灰皿にうちつける音や、あるいは沈黙自体が画面外の五代目を強烈に示唆し、画面に寛いだ着物姿で現れていても(権力者はカジュアルな服装であればあるほど恐ろしいという見本である)、頻繁に栄寿によって顔がブロックされている。(二)の間、キャメラおよび人物の移動によって創り出された全く新しい構図と空間構成のなか、栄寿と里による説得が試みられるが、三人の登場人物、とりわけ里とともに、観客はつねに画面外の五代目の反応に思い巡らしては不安に脅かされる。キャメラの動きによって常に更新される画面外の空間、精密に計算された俳優の配置と運動・所作によるブロッキング、間仕切りの間に穿たれる異質の空間――映画『残菊物語』は、演劇の世界を舞台に、演劇人を主としたキャストを用い、強い間メディア性を意識すればこそ、逆に映画ミディオムの特殊性に依拠することで、その新しさ、違い。さらには芸術としての価値を確立しようと試みたのである。》

 

<大阪/「ちょっとあなた、……あなた」>

 蓮實重彦菊之助は家を出て、お徳の同行をひそかに期待しながらも、かけつけた福助の言葉にさからい、新橋駅から一人旅立つ。だが、落ちのびたさきの大阪での彼の評判が芳しいものではないことは、芝居(筆者註:『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)(三勝半七(さんんかつはんしち))』という)がはねた直後の相手役の冷淡なそぶりからして明らかだ。芸者衆の一人も走りよってはこない二流の役者として、異郷での彼は自信を失いかけている。

 そこへ、思いがけずお徳がたずねてくる。ごく自然に、二人はたった一間の二階の下宿で苦労をともにすることになるだろう。(中略)

「ねえさん」という呼び声が画面の外から響く。下宿の主の娘おつるの声である。

 その「フレーム外」の女の声とともにショットが変わり、階段を見おろす角度で置かれたキャメラが、何やら大きな道具を運びあげようとして難儀している下宿の主の元俊(志賀廼家弁慶)を急勾配に俯瞰する。それにはおよばぬといいながら急いで階段を降りて行くお徳はいったん視界から姿を消し、しばらくして、こんどは昇り口のはしに小さな顔をのぞかせ、瞳が見ているわけではない菊之助に向かって「ちょっとあなた、……あなた」と、いかにも嬉しそうに呼びかける。「あなた」というその弾んだ声からは、まるで初めてこの言葉を口にしたかのような恥じらいが立ちのぼり、見ている者は、ふとこれでいいのだろうかと戸惑いさえ覚える。

 下宿に運びこまれたのは、何の変哲もない鏡台である。役者には立派な鏡台が必要だからと誇らしげにいう女の前で、一階に降りてきた菊之助も素直に喜ぶ。だが、ここで重要なのは、自分の持ち物まで売りはらって鏡台を手に入れたらしい若い女房の健気さそのものではない。何にもまして心を打たれるのは、お徳が初めて菊之助に「あなた」と呼びかける声の晴れがましさであり、軽やかではあるがどこかあやうげなその抑揚である。(中略)

 村松楓風の原作では大阪で二人に恵まれたことになっている男子の存在を、映画は聡明に遠ざけている(筆者註:原作では「お徳は懐妊し、男の子を生んだ。其の子には菊松という名を付けた」。また、乳母は子守と違って、出産直後で乳が出ることが必須であり、原作は「一度さる処へ嫁に行ったが運悪く一年も居ないうち亭主に死なれてしまった。其の時既にお徳は妊娠していたので、先方の家で子を産み落して離縁になって帰って来てブラ/\して居るところへ、音羽屋から乳母の話しがあったので傭われて来たのであった」と説明している)。「あなた」と呼びかける女房のお徳に亭主とは異なる肉親を登場させると、これまでの物語の流れに乱れが生じかねないからである。(中略)

 階段を見上げるようにして「ちょっとあなた、……あなた」と口にするお徳の姿をロングショットのような距離感を通してフィルムにおさめている溝口健二は、明らかにその「言葉の力」をこの映画には不可欠なものとみなしている。このショットが、その後、再会した菊之助から父親の許しが出たと知らされた病床のお徳が、「じゃあ、世間晴れて、あなたと呼んでもかまわないのですね」とつぶやく瞬間を遥かに準備していることはいうまでもない。》

 

<「そのことなら、……覚悟は決めてきております」>

 蓮實重彦《旅籠の客の読んでいた新聞広告で中村福助高田浩吉)の名古屋公演を知ったお徳(森赫子)は、いまさら顔向けもできまいという菊之助花柳章太郎)にはさとられぬよう一人で夜中にその宿を訪ね、素人目にはとことわったうえで、菊之助の芸が前にくらべて遥かにしっかりしてきていると静かに訴える。歌舞伎の世界を題材にした溝口健二の「芸道もの」の『残菊物語』(一九三九)でもひときわ胸を打つ光景である。

 養子とはいえ、五代目菊五郎を父に持つ跡取り息子の菊之助が、継母里(梅村蓉子)のお徳への仕打ちに腹を立てて家をとびだしてから五年もの歳月がすぎている。その間、大阪での地道な暮らしぶり芸にはげみながらも劇団の後ろ盾を失い、いまでは旅芸人にまで落ちぶれ、木賃宿で夜をすごさねばならぬ身となっている。ところがそのご苦労がしっかりと芸に生かされております、とお徳は身を低くして語りかける。女が病身であることを知っているだけに息をつめて身まもるしかないこの場面にみなぎっている力は、いったいどこからきているのだろう。(中略)

「よし、出そう」という男の声が、いきなり「フレーム外」から響く。画面には見えていない余白を生々しく意識させる溝口ならではの卓抜な演出である。思わず「ありがとうございます」とひれ伏すお徳の背を手前にとらえたまま右手にパンするキャメラは、豪勢な旅館にふさわしい大きな床の間を背にした一人の男をとらえる。これまで「おじさん」と呼ばれていた一座の実力者の守田勘弥(葉山純之輔)である。事態の深刻さをとっくに理解している勘弥は、この名古屋公演でみっともない芝居さえしてくれなければ、菊五郎を説得して、菊之助を尾上家に戻すよい機会となるだろうと考えている。だが、そこまで口にした勘弥もいい淀まざるをえない。女房としてつくしてくれたお徳の心意気には恩義さえ感じている様子の彼も、二人の今後について、菊を寺島の家に返してやってくれますねという婉曲な言葉でさぐりを入れるしかないからだ。

 勘弥の言葉にすっと背筋をのばして横向きとなるお徳は、「別れろとおっしゃるのでございましょう。そのことなら、ちゃんと、覚悟は決めてきております」と一息にいいきる。そう口にして動きをとめる森赫子の横顔や背筋からたちのぼる気迫はただごとでない。その決意を告げるべき相手の横顔には、近寄りがたい凄みが漂っているからだ。その一瞬は、「新派」じみたところがないともいえぬこの人情話の枠からいきなり遠ざかり、映画ならではの真実ともいうべきものに見る者を立ち会わせる。(中略)

 そのお徳の台詞でこのシークェンスは終わり、簡潔なオーヴァーラップによる場面転換で、木賃宿菊之助を迎えに行く福助と、『関(せき)の扉(と)』公演の場面とがそれに続くのだが、卓抜な画面の連鎖による菊之助の「墨染」の踊りを視界におさめながら、人は、成功を祝福するかのように客席をみたす賑やかな囃子の背後に、「そのことなら、……覚悟は決めてきております」というお徳の語気の鋭さを低く反芻(はんすう)せざるをえない。

「そのこと」が女をどんな境遇に追いやるのか充分すぎるほどわかっているわれわれは、そのとき『残菊物語』で「覚悟」を決めるのはいつでもお徳の方なのだと気づく。この作品のみならず、溝口健二の多くの映画で決定的な言葉を口にするのが、ほぼ例外なしに女性であることにも改めて思いあたる。(中略)

 この台詞そのものが、原作となった村松楓風の中編小説からきているのだろうと高を括ったりしてもなるまい。事実、呆気ないほど短い原作には、お徳が福助を訪ねる名古屋の場面など書きこまれてはおらず、ましてや問題の台詞などどこにも見あたらない。福助からの手紙を菊之助があえてお徳にみせずにいたことから話がもつれるというのが原作の流れなのである。

 確かに、川口松太郎が原作の大筋を映画にふさわしく脚色し、それを依田義賢が脚本に仕立て上げたというこの作品の台詞は――その間、舞台でも上演されているが――、どれもみごとなものだといってよい。だが、「そのことなら、……覚悟は決めてきております」の一行は、数ある台詞のなかでもひときわ寒々と孤立し、他との温度差をきわだたせている。それが可能なのは、そうと一息に口にする森赫子のゆるやかな声の抑揚であり、すらりとのびた彼女の首筋であり、誰かを見ているとも思えぬその動かぬ横顔の思いつめた孤独なのであり、ここしかないという肝心な瞬間にそうした細部を画面に結集してみせる溝口健二の演出の力があったからにほかならない。》

 

<『積恋雪関扉』の上演シーン>

 加藤幹郎《じっさいこの第二の歌舞伎シークェンス(筆者註:『積恋雪関扉』)は、そこで視点ショットと切り返しがつかわれなければ、他のいかなる感情的山場でもそれをつかいようのないほどきわめつけの山場であり、この技法はそこでつかわれるためにだけつくられた修辞法であるといってかまわないほど枢要な場面である。なぜならそれは主人公菊之助が積年の苦労のすえに正統歌舞伎界に復帰できるかどうかがかかった正念場だからであり、みごと故郷に錦を飾れるかどうかという物語の山場をなす、文字通りだれもが「注視せざるをえない」強烈なサスペンスを構成する場面だからである。(中略)

 それまでの一時間二〇分ほどを基本的に切り返しなしですごしてきた『残菊物語』が、第二の歌舞伎シークェンスにきて突如過剰なまでに切り返しを畳み重ねる。じっさいこの二時間二三分の現存版全体でつかわれる切り返しはわずかに八回であり、それは二時間一〇分で二六四回もの切り返しを使用する『レベッカ』や一時間一一分で六〇回の切り返しを使用する『虞美人草』(筆者註:『残菊物語』の四年前の溝口健二作品)のようなごくふつうの映画にくらべればおよそ尋常なことではない。

 これまで主人公たちを突き放すかのような態度をとってきたキャメラは、この第二の歌舞伎シークェンスにおいて親密で主観的な情動的態度へと変貌する。なにしろ視点ショットと切り返しこそ、観客の物語参入をうながす映画話法最大の手立てであり、メロドラマ映画は観客の主人公への感情移入を促してこそ意味のある物語となる。要するに視線による感情移入を扇動することで、『残菊物語』はこの第二シークェンスではじめて、いかにも映画史の伝統にかなったメロドラマ的山場をむかえようとしているのである。(中略)

 以下、二種類のセットアップ(「見る者」と「見られる者」)で一組の切り返しを構成する総計七組の切り返しとそのヴェリアントを登場順に列挙しよう。(中略)

 シーン① 福助(いとこ)らが舞台のうえの主人公(菊之助)を見る

  セットアップA――福助らが舞台上のセットの裏から御簾越しに(菊之助を)見る(ウェスト・ショット)

  セットアップB――福助の肩越し、御簾のむこうに踊る菊之助(ミディアム・ロング・ショット)

 シーン② お徳(内縁の妻)が舞台のうえの夫=菊之助を見る

  セットアップC――お徳が舞台袖から不安気に(菊之助を)見守る(バスト・ショット)

  セットアップD――踊る菊之助(主としてウェスト・ショット)

 シーン③ 守田(おじ)らが舞台のうえの菊之助を見る

   セットアップE――守田らが花道後方から満足気な様子で(菊之助を)見る(ミディアム・ショット)

   セットアップF――守田の肩越し、遠方に菊之助ら(ロング・ショット)

 興味ぶかいことに、シーン①②③のセットアップBDFは、キャメラが対象(菊之助)をとらえるさいのありうべき三種類のショット・サイズに正確に対応している。すなわち注視とプロットの要たる菊之助は、彼にかかわる三人の人物(おじ、いとこ、内縁の妻)が彼にたいしてどれほど強い思いを抱いているか、その親密さの度合いに応じて遠景、中景、近景という三種類の(心的)距離からとらえられている。セットアップBDFのなかで唯一正統的な視点ショット(見た目のショット)はDだけであり(BFは肩越しのショット)、そしてDが三つのセットアップのなかでもっとも対象に接近しているのも、その視線の主体が菊之助と長年苦労をともにしてきた内縁の妻お徳だからである(筆者註:お徳が奈落に降りて祈る場面も有名であり、四方田犬彦は「『元禄忠臣蔵』における女性的なもの」の註で、《溝口の描く女性は、その神聖が極限に達したときに、しばしば観音像のように両手を合わせ、屈みこむ姿勢をとる。ただちに思いつかれるのは、『残菊物語』の中ほどで、お徳(森赫子)が菊之助花柳章太郎)の名古屋公演での成功を祈りつつ、そっと楽屋の袖から離れ、ひとり奈落の底へ降り来たる場面である。彼女は、夫が華麗に舞を披露している檜舞台の、まさにその地下にある暗い壁に向かって、誰知らず懸命に祈り続ける。その姿はほとんど闇に同一化するかのようで、やがて近づきつつある彼女の消滅と死を予言しているこのときお徳がとるポーズが二年後に、断髪のさいに夫の冥福を祈る瑤泉院に継承されたことは、興味深いことといえる。》と指摘している)。つづいてこの晴れ舞台の実現に手を貸したいとこの福助の視点Bが中景で、最後にもっとも関与性の低いおじの守田の視点Fが遠景で示される。

さらに興味ぶかいことには、このように組織化された三組の「切り返し」が、次のシーン④では奇妙なシャッフルと変形をこうむる。

 シーン④ 三人(お徳、福助、守田)がそれぞれ舞台のうえの菊之助を見る

  セットアップCとF

  セットアップAとF

  セットアップEとF

(中略)本来はA―B、C―D、E―Fとなるべきところに、A―F、C―F、E―Fがとってかわるということは、舞台と映画が山場をむかえるなか、F(見られる者/愛される者)に向けられたA、C、E(見る者/愛する者)三者の視線が緊張の極限値をしまし、いとこ(A)、内縁の妻(C)、おじ(E)の三人がみな同じ思いで同じひとつの愛の対象菊之助(F)を凝視しているということを指し示すだろう。つまり三つの熱い視線が舞台上の同じ一点(F)において融解するのである。この視線の集中砲火、そのめくるめく交錯においてメロドラマ映画『残菊物語』は感情のピークにたっする。なぜなら主人公菊之助(歌舞伎役者)は、その芸を見てくれる者の視線があってはじめてその存在意義を確認することができるのであり、この映画はまさに主人公がしかるべき視線を獲得する困難なプロセスとして成立しているからである。》

 

<「行っていらっしゃい」/船乗り込み>

 蓮實重彦《クライマックスの舞台は同じ大阪の下宿でありながら、名古屋のお徳が「覚悟」をきめて菊之助と別れてからどれほどの時間がたったのかはわからない。キャメラは、その粗末な二階の部屋を、鏡台の場面とはやや異なるアングルでとらえており、下宿の主の元俊が鏡台を運びあげそびれた細い階段を向かって右手におさめている。中央に敷かれた布団にはお徳が足を手前に向けて横たわっているが、その病状がさしせまったものであることを、直前のショットの医者の言葉から人々は充分すぎるほど理解している。(中略)

 お徳は、菊之助をつれてきたと勢いこむ元俊を、なぜそんなことをしてくれたのか、二人はもう会ってはならぬ身なのだと語気鋭くいさめる。身にまとった黒紋付の羽織と袴とが、尾上家に迎え入れられ、東京での芝居も成功裏に演じおえ、こうして大阪まで凱旋興行にやってきた尾上菊之助の立場の変化を痛ましく告げている。その菊之助に対して、顔をそむけたままのお徳は「あなた」と呼びかけ、「いえ、若旦那」といいなおしてから、「どうか帰ってください」とつとめて冷静にいいはる。だが、枕元に坐りこむ菊之助から、父親も二人の結婚を許してくれていると聞かされると語調をやわらげ、「じゃあ、世間晴れて、あなたと呼んでもかまわないのですね」といい、羽織のさきにのぞいた男の掌にそっと手をそえ、言葉をかみしめるように、また「あなた」とうぶやく。(中略)

 元俊から聞かされていたのだろうか、お徳は、不意に、今夜は船乗り込みの晩ではないかとつぶやく。なあに、行かなくたってかまわないと曖昧にうち消す菊之助に向かって彼女はいきなり語気を強め、ご贔屓筋あっての役者なのだから、これは行かねばならない。私は晴れて女房となった身なのだから、その言葉通りにするものですとさとすようにいい、またあとで会いにきてくださればよいとつぶやく。私は、ここで囃子を聞きながら、あなたの晴れ姿を想像している。「さ、早く行ってください。行っていらっしゃい」。

 またしても、決定的な言葉はお徳の口からもれる。「行っていらっしゃい」の一語にうながされて菊之助はゆっくりと立ち上がり、改めてお徳に目を向け部屋から遠ざかり、階段の下で向き直って「死ぬなよ」と言葉をかけるが、それがひたすらむなしい声であることは誰もが知っている。「さ、早く行ってください。行っていらっしゃい」は、文字通り女房が亭主に向けてつぶやく最初で最後の言葉となる。(中略)

 ここでのお徳がそうであるように、溝口健二における女たちは、誰もがその声を作品にふさわしくあやつりながら、男たちをその言葉通りに振る舞わせる術を心得ている。実際、いうべき言葉を口にしそびれ、胸元でおしころす女など、ここには一人としていない。女と「言葉の力」とのありうべき関係をことのほか鮮やかに描きあげたのが『残菊物語』なのであり、「芸道もの」というジャンルの一つだと理解しておくだけではとうていとらえきれない豊かな意味がそこに拡がりだしている。それが、ここまでたどってきた「言葉の力」にほかならない。》

 

 加藤幹郎《エンディング最大の見せ場である船乗り込みシーンの無気味さ、居心地の悪さ、そしてそれゆえの美しさについて検討しておかねばならない。(中略)

 この映画最大のショット・サイズは舞台のうえの菊之助を見守るお徳のバスト・ショット(セットアップC)であるが、客観的サイズはともかく、『残菊物語』でもっとも大きく見える(・・・)ショットはじつはこのエンディングまでとっておかれる。それが仰角ミディアム・ショットにおさまった船上の菊之助である。仰角であるがゆえにひときわ大きく(精神的に成長したかに)見える菊之助は、例によって切り返しへと回収されないまま、船のうえからだれとも特定されぬ相手にむかって深々と頭を下げている。船乗り込みが行われる川べりはこの立て役者を歓呼でむかえる贔屓衆でごったがえしており、あらゆるひとびとが菊之助の至芸に賛辞を惜しまない。それゆえ一見したところ彼は贔屓衆ひとりひとりにむかって頭を垂れているように見えるかもしれない。しかし彼が画面いっぱいに頭を下げている相手がだれであるのかは、切り返しなどなくとも、この二時間をこえるフィルムにつきあってきたわたしたち観客には明らかすぎるほどである。この映画では原則として切り返しはけっしておこなわれない。その大原則がここで唯一その絶対的正統性をもって報われるのである。菊之助を長年支えてきたお徳がいまこの瞬間死んでしまっている以上、菊之助の視線と挨拶(深謝と訣別のしるし)はもはや永遠に切り返されることなどないのだから(加藤註:ここで『残菊物語』が『東海道四谷怪談』三幕目「隠亡堀」の上演シークェンスからはじまったことを思いださねばならない。夫に裏切られ夫に怨みを抱きながら死んでいった妻お岩は亡霊となって川べりの夫のもとに(彼岸から此岸へと)還ってくる。しかし『残菊物語』のお徳は、たとえ道頓堀で夫に深々と頭を下げられようとも、けっして画面の内(此岸)に戻ってくることはない。『浮雲』のような凄絶なメロドラマにおいてすら死者のイメージは画面の内へ、男のもとへと回帰(フラッシュバック)するが、『残菊物語』ではその全体的な構造(お徳の徹底した不在ぶり)が、それを頑として許さない。死者の魂は彼女の見えない顔同様、けっして呼び戻されることがない。この映画の不在の現実が、逆説的に彼女の愛情の深さを表象することになるだろう。しかしまた夫菊之助の晴れ姿が徹底した仰角で撮られているという事実の内に、けっして切り返されることのない不在の妻お徳の死の床からの視線が暗示されているのかもしれない。いずれにしろ、自己の痕跡を徹底して抹消するヒロインをもつこの映画が、時局に迎合したたんなる自己犠牲の物語であろうはずがない。観客はそこに感情移入すべきヒロインをもちえないのだから)。

 

 蓮實重彦《「さ、早く行ってください。行っていらっしゃい」。その「言葉の力」に煽られるように、最後の船乗り込みの光景が視界にくりひろげられる。日本映画史にとどまらず、世界の映画においてもひときわ美しいこのラストシーンとして記憶さるべきこの光景について、あれこれ言葉をつらねるにはおよぶまい。ただ、役者たちの乗り込んだ何艘もの船のなだらかな滑走感をきわだたせているのが、ゆるやかな抑揚で女の口からもれる「言葉の力」にほかならぬことだけは、いっておかねばなるまい。そして、そのとき、「行っていらっしゃい」と男を送りだした女房は息を引きとり、この世の人ではなくなっている。

 舳先に立ってあたりの提灯の明かりと囃子の音とを顔一面に受けとめながら、尾上菊之助は、いま道頓堀で晴れの身振りを演じている自分が口にすべき言葉などもはや何もないと初めて意識したかのように、あたりをうめつくす贔屓筋の歓呼に向けて深々と頭をたれ、その両腕を高々とさしあげるばかりだ。この晴れがましくも虚しい光景のもたらす感動を語るにふさわしい語彙として、傑作のそれはあまりにも弱々しいといわねばなるまい。》

                              (了)

           *****引用または参考文献*****

村松楓風『残菊物語』(大衆文学大系16(講談社))

溝口健二監督『残菊物語』(https://archive.org/details/the-story-of-the-last-chrysaanthemum

四方田犬彦編『映画監督 溝口健二』(加藤幹郎「視線の集中砲火――『虞美人草』から『残菊物語』へ」、四方田犬彦「『元禄忠臣蔵』における女性的なるもの」、他所収)(新曜社

蓮實重彦山根貞男編著『国際シンポジウム溝口健二 没後50年「MIZOGUCHI2006」の記録』(蓮實重彦「言葉の力 溝口健二監督『残菊物語』論」他所収)(朝日新聞社

木下千花溝口健二論 映画の美学と政治学』(法政大学出版局

*藤井康夫『幻影の「昭和芸能」 舞台と映画の競演』(森話社

*赤井紀美「<芸道物>の時代――「残菊物語」を中心として」

依田義賢溝口健二の人と芸術』(田畑書店)

長門洋平『映画音響論―― 溝口健二映画を聴く』(みすず書房

*『ユリイカ1992.10 特集溝口健二』(ゴダール「簡潔さのテクニック」穂苅瑞穂訳、他所収)(青土社))

*「昭和34年8月 八月納涼大歌舞伎 筋書」

*「昭和44年7月 歌舞伎/新派七月合同公演 筋書」

*「昭和47年3月 特別興行 歌舞伎座 筋書」

岡本綺堂『明治劇談 ランプの下にて』(岩波文庫