文学批評 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』とプラトン/カフカ

 

 

 

 ケント大学で英文学と哲学を専攻したカズオ・イシグロは「カズオ・イシグロ・インタビュー ~The Art of Fiction 第196回」(『THE PARIS REVIEW』2008年春号収録)で、

「『わたしを離さないで』にも中止した幾つかのバージョンがあると聞いています」と尋ねられると、それに答えてから、

「クローンを使うことの魅力のひとつは、読む人が「人間であることにどんな意味があるのか」と思わずにはいられなくなることです。魂とは何か?というドストエフスキー愛読者たちの問いに対する世俗的な道筋です。」と「魂」という語を持ち出す。

「実はあなたはドストエフスキーのファンですね」と告げられて、

「そしてディケンズ、オースティン、ジョージ・エリオットシャーロット・ブロンテウィルキー・コリンズといった、大学時代に初めて読んだ本格的な19世紀の小説も。」と語る。

「何が気に入っていますか?」との問いに、

「フィクションの中で作られた世界が私たちが住んでいる世界に多かれ少なかれ似ているという意味でのリアリズムです。また、夢中になれる作品でもあります。物語ることへの信頼があり、プロット、構造、キャラクターといった伝統的なツールが使用されています。子供の頃あまり本を読んでいなかったので、しっかりとした基礎が必要でした。『ヴィレット』と『ジェーン・エア』のシャーロット・ブロンテドストエフスキーの四大長篇小説。チェーホフの短編小説。『戦争と平和』のトルストイ。(ディケンズの)『荒涼館』。そして、ジェイン・オースティンの6つの小説のうち少なくとも5つ。これらを読んでいれば、非常に強固な基礎ができています。そして私はプラトンが好きです。」

 

プラトン――「魂の配慮」>

 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』の最終章は次のように終わる。

《数日前、提供者の一人と話していて、記憶が褪(あ)せて困るという不満を聞かされました。大事な大事な記憶なのに、驚くほど速く褪せてしまう……。でも、わたしにはわかりません。わたしの大切な記憶は、以前と少しも変わらず鮮明です。わたしはルースを失い、トミーを失いました。でも、二人の記憶を失うことは絶対にありません。

 ヘールシャム? そう、それも失ったと言っていいかもしれません。いまでも、ときどき、元生徒たちがヘールシャムを――いいえ、ヘールシャムがあった場所を――探し歩いているという話を聞きます。ヘールシャムの現状が噂になることもあります。ホテルになっている、学校だ、廃墟だ……。でも、わたしは、これだけ車で走り回っていても、自分で探そうと思ったことはありません。いまどうなっているにせよ、あまり見たいとも思いません。(中略)

 でも、申し上げたとおり、自分から探しにいこうとは思いません。どのみち、今年が終われば、こうして車で走り回ることもなくなります。ですから、わたしがヘールシャムを見つける可能性は、もうないに等しいでしょう。それでいいのだと思います。トミーとルースの記憶と同じです。静かな生活が始まったら、どこのセンターに送られるにせよ、わたしはヘールシャムもそこに運んでいきましょう。ヘールシャムはわたしの頭の中に安全にとどまり、誰にも奪われることはありません。》(P436:『わたしを離さないで』(ハヤカワepi文庫の頁数(以下同))

 

 これだけでも、『わたしを離さないで』をプルーストのような記憶の文学、ジェイン・オースティンのような人間関係(語り手キャシーと寄宿学校ヘールシャムで一緒だったトミーとルースとの三角関係)の機知と機微をめぐる物語のようだと類推することができるけれども、続く最後の文章に注目したい。

《一度だけ、自分に甘えを許したことがあります。それは、トミーが使命を終えたと聞いてから二週間後でした。用事もないのに、ノーフォークまでドライブしました。(中略)なんといっても、ここはノーフォークです。トミーを失ってまだ二週間です。わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子どもの頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。待っていると、やがて地平線に小さな人の姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました……。空想はそれ以上進みませんでした。わたしが進むことを禁じました。顔には涙が流れていましたが、わたしは自制し、泣きじゃくりませんでした。しばらく待って車に戻り、エンジンをかけて、行くべきところへ向かって出発しました。》(P438)

 最後の抑制のきいた「行くべきところへ向かって出発しました」とは「介護人」から、ルースやトミーと同じ「提供者」になって(つまりは臓器提供を二~四回行うことで「使命完了」の)死を迎えることであり、そこにはソクラテスの最期にみられる「自己への配慮」が見てとれよう。

 

 イギリスの哲学者ホワイトヘッドに「ヨーロッパの哲学伝統の最も安全な一般的性格づけは、それがプラトンについての一連の脚注からなっているということである」という有名な言葉があって、西洋哲学のすべてはプラトンの哲学の注釈に過ぎないということを意味するが、カズオ・イシグロの小説もまたプラトン哲学の果てしなき注釈となっている。

 知られているように、プラトンパイドン』は、死刑判決を受けたソクラテスの最後の日の様子を、弟子のパイドンが語って聞かせたソクラテスとの対話を、プラトンが書き残したものだが、その終幕、「ソクラテスの死」は次のとおりだ。

ソクラテスが語り終えると、クリトンがこう言いました。

「いいよ、ソクラテス。だが、ここにいる者たちやぼくに言いおくことはあるかね。子供たちのことや、ほかになにか、ぼくたちがやっておけば君が喜ぶようなことだが。」

 彼はこう語りました。「クリトン、まさにいつも語っていることだよ。なにも新しいことなどない。つまり、君たちが自分自身を配慮していれば、なにを為すにしてもぼくにもぼくの子供たちにも君たち自身にも悦ばしいことをすることになる。君たちが今、なにか約束などしてくれなくてもね。他方で、もし君たちが君たち自身を配慮することを怠れば、つまり、足跡に従うように、今語られたことと以前かに語られたことに従って生きようとしなかったら、たとえ今この場で多くのことを力強く約束してくれたところで、なにをやっても意味はないのだ。」》(114B:ステファヌス版プラトン全集の頁数(以下同))

《クリトンは、私よりももっと前から涙を抑えきれなくなっており、席を立ってしまいました。アポロドロスは、以前にもずっと涙を止められなかったのですが、この時はさらに叫び声を上げて身悶え嘆き崩れ、ソクラテス自身を除いた、その場に居合わせた私たち全員を泣き崩れさせたのです。

 すると、あの方はこう言われました。「なんということをやっているのだ。驚いた人たちだね。私はまさにこのことのために、つまり、こんな失態をしでかさないようにと、女たちを家に帰したのに。私は、静寂において死を迎えるべきだと聞いている。だから、落ち着いて、耐えなさい。」

 私たちはそれを聞いて恥ずかしく思い、涙を流すのをこらえました。(中略)

 すでに、あの方の下腹部あたりはほぼ冷たくなっていました。すると、顔を布で覆っていたのですが、その覆いを除けてあの方は言われました。これがソクラテスが最後に発した言葉です。

「クリトンよ、ぼくたちはアスクレピオスの神様に鶏(とり)をお供えする借りがある。君たちはお返しをして、配慮を怠らないでくれ。」

「そのことは、そうしよう」とクリトンは言いました。「ほかに、なにか言うことはないかね。」

 こう尋ねましたが、もはや答えはありませんでした。少しの間があって身体がピクリと動いたので、あの男が彼の覆いを外しました。あの方の目は静止していました。それを見て、クリトンは、口と目を閉じてあげたのです。

 これが、エケクラテスさん、私たちの友人で、あの頃私たちが巡り合った人々のうち、語り得る限りでもっとも善く、もっとも叡智に富み、もっとも正しくあった人の、最期でした。》(117D~118A)

 

 西洋古代哲学、古典学専攻の納富信留プラトンパイドン』の解説(光文社古典新訳文庫)に、

《現代フランスを代表する哲学者ミシェル・フーコーは、晩年に古代ギリシア・ローマの哲学へ「トリップ」したが、コレージュ・ド・フランスでの生前最後となった一九八四年二月~三月の連続講義では、『パイドン』を『ソクラテスの弁明』『クリトン』に連なる「自己への配慮」(エピメレイア)の哲学として扱い、とりわけソクラテスの最後の言葉(一一八A「クリトンよ、…」)にこだわりを示す。二月一五日の第二時限に、フーコーはこう話題を切り出した。

  あのテクスト(『パイドン』の最後の数行、より正確に言えば、プラトンによって報告されているソクラテスの最後の言葉)がずっと、哲学史における盲点、謎めいた点、小さな裂け目のようなものであり続けたということは、かなり興味深いことです。

 フーコーは比較神話学者デュメジルの解釈を援用して、伝統的な「生という病からの治癒」という解釈を退けながら、ソクラテスとの議論でクリトンがそこから癒された言論の病、つまり、 誤った言説からの解放という治癒に対して、アスクレピオス神へのお礼を言い残したと解する。「配慮を怠らないでくれ」という語は、「配慮」という哲学の主題を人々に言い遺す言葉であった。

 私は基本的にこの解釈に共感するが、それ以上に、エイズによる死を前にした哲学者が、「異様な月並みのなかにとどまっている」と評したソクラテス最期の言葉に、異様な執着を見せた点に惹かれる。「真理の勇気」を論じる最終年の講義で、フーコーがこの言葉を熱心に論じたのは、何故だったのだろう。彼が死を迎えたのは、その四ヶ月あまり後、六月二五日のことであった。

 ソクラテスが死を迎える場面は、その簡潔な描写で美しい一幅の絵画のようである。パイドンが語るソクラテスの生と死のあり方は、彼が語ってきた言葉そのものと完全に重なり、不死なる魂がそこに具現しているようである。》

 

 先に引用した『THE PARIS REVIEW』のインタビューで、「そして私はプラトンが好きです」と語ったイシグロは、「なぜ?」と訊かれて、

ソクラテスとの対話のほとんどの場合、こういうことが起きます。自分は何でも知っていると思っている男が通りを歩いていて、ソクラテスと座ることになる。そして論破される。完膚なきまでやっつけなくても、と思うかもしれませんが、プラトンが言いたいことは、善とは捉えどころのないものだということです。人は自分の人生全体を一つの信念に委ねてしまうことがあります。心底それが正しいと信じるのですが、誤っているかもしれないのです。これは私の初期作品のテーマです。自分は知っていると思っている人々についての話です。でも、ソクラテスのような人物は出てきません。彼ら自身がソクラテスの役割を果たすのです。

 プラトンの対話篇の一つで、ソクラテスがこんなことを言う一節があります。理想主義的な人たちは二度三度裏切られると人間嫌いになることがよくある。プラトンが示唆しているのは、同じことが善の意味の探究にもあてはまるということです。拒否されても幻滅すべきではない。探求は困難であるが、それでも探求し続ける義務が自分にはある、ということに気づけるかどうかにかかっているのです。」(『THE PARIS REVIEW』2008年春号収録)(Hunnewell 53-54)(森川慎也訳)

 これはプラトンパイドン』の下記部分に相当するだろう。

《「ではまず最初に、このことに注意しようではないか。」つまり、言論には何一つ健全なものがないという思いが魂に入り込まないようにし、むしろ、まだ健全な状態でないのは私たちだという事実に心すべきである。そして、男らしく勇気を持って、健全になることを強く望まなければならない。》(90E)

 

「探求は困難であるが、それでも探求し続ける義務が自分にはある」という意味で、「挑戦」という表現が『わたしを離さないで』に出てくる。

 愛し合っていて、それを証明できれば、ヘールシャムを運営している人たちによって、提供まで丸々三年間の猶予をもらえるという噂を聞いていたルース、トミー、キャシー。三人で湿地に座礁している漁船を見に行った帰り道、ルースはどこまで記憶をさかのぼってもカップルはキャシーとトミーのはずだったのに邪魔し続けたのは許しを請(こ)うことすらできないけれども、マダムから猶予をもらって、わたしがだめにしたものをあなたたち二人に取り戻してほしい、と懇願し、危険を冒してマダムの住所を調べあげていた。

 そこからルースの使命完了にいたる場面には、《最後にはわたしたちに最善を望んでくれました》(P435)という、最期のソクラテスの「配慮」と、限りある短い人生ながらも、より善く生きることへの肯定的な「挑戦」が顕れている。

《二回目の提供から三日後でした。ようやく会うことを許されたときは、もう日付が変わっていました。ルースは部屋に一人きりでした。できるだけの手当ては尽くされていたのでしょう。医師や看護婦、提供調整官の言動から、今回は乗り切れそうもないとわかっていました。病院の暗い照明の下で、ベッドに横たわっているルースを見下ろしたとき、その顔には見慣れた表情がありました。何人もの提供者に見つづけてきたあの表情です。(中略)厳密に言えば、ルースにはまだ意識があったはずです。でも、金属ベッドのわきに立つわたしからは、そのルースに意志を通じさせる手段がありませんでした。わたしはただ椅子を引き寄せ、ルースの手を両手に包んですわりつづけました。痛みの波が押し寄せてくると、ルースが手を引き抜こうとします。わたしは力を込めて、ぎゅっと握りつづけました。

 許されるかぎり、そうやってすわりつづけました。三時間か、もっと長かったかもしれません。申し上げたとおり、その三時間のほとんどを、ルースは遠く自分の体内に閉じ籠(こも)っていました。でも、一回だけ、体が恐ろしいほど不自然な捻(ね)じれ方をし、わたしがもう少しで看護婦を呼んで、鎮痛剤を、と言おうとしたときです。ほんの数秒間、わずか数秒間、ルースがわたしをまっすぐに見上げ、わたしを認めました。最後の戦いを戦っている提供者には、ふっと明晰(めいせき)さの瞬間が訪れることがあります。あれもそうした瞬間だったのでしょう。ルースはわたしを見、その一瞬、声は出ませんでしたが、言いたいことがわたしに通じました。わたしは「大丈夫」と答えました。「やってみるから、ルース。できるだけ早くトミーの介護人になる」小さな声でそう答えました。たとえ叫んでも、ルースの耳には聞こえなかったでしょうから。でも、二人の視線が結び合ったあのとき、あの数秒間、わたしにルースの表情が読めたように、ルースもわたしの思いを正確に読み取ってくれたと思います。そう願っています。その一瞬はたちまち過ぎ去り、ルースも遠くへ去りました。もちろん、ほんとうのところはわかりません。でも、ルースはきっと理解してくれたと思います。

 あの瞬間に理解できたかどうかは、実は問題ではないのかもしれません。たぶん、ルースは最初から知っていたでしょう。いずれわたしがトミーの介護人になり、あの日、車の中でルースが言ったとおりに「挑戦してみる」はずであることを。》(P360)

 

「多くの批評家が指摘するように、この小説はとても暗いと思いますか?」と問われるや、

「実は、私はいつも『わたしを離さないで』を元気の出る小説だと思っていました。以前、私はキャラクターの様々な欠点について書きました。それらは自分自身への警告であり、人生をどう過ごしてはいけないか、を示す本でした。

『わたしを離さないで』では、人間の肯定的な側面に焦点をあてることをはじめて自分に許したと感じました。たしかに、彼らに欠陥があるかもしれません。嫉妬深く、狭量で、ありふれた人間的感情を抱きがちです。でも、本質的には慎み深い三人を見せたかった。自分たちの時間が限られていることを最終的に悟ったときでも、私は彼らに自分の地位や物質的所有に気をとらわれないで欲しいと思いました。私が望んだのは、彼らがお互いのことをもっとも気にかけ、物事をあるべきよう正してゆくことでした。つまり私にとって、死すべき運命という暗い事実に対して、人間の肯定的な側面を述べることでした。」(『THE PARIS REVIEW』2008年春号収録)

 

「善き人生とはどのような人生だと思うか」という質問に対して、イシグロはここでもプラトンを引き合いに出す。

「それは非常に大きな問いです。思春期の頃、私が大学生だった頃、その年齢の人によくあるように、私はおそらく過剰なまでにプラトンといった人々に影響を受けました。プラトンはまさしくこの問いを哲学的なレベルで発したわけです――善き生とは何か? 無駄な人生とは何か? プラトンを読んでわかったことは、善き生とは何かを知るのは、実際にはきわめて困難だということです。この問いは、考えれば考えるほど、困難な問いになります。しかし同時に重要だと感じたのは、絶望しているだけではダメだということです。哲学的に孤立して、善き生を明確に定義することなど無理なのだから、この問いは諦めよう、などと言ってはいけないのです。ひょっとすると、こうした定義は無意味なのかもしれません。直観的に私が感じるのは、人はみな満足のいく人生がどういうものかを知っている。そうした人生を送っていなければ、幸せではないと感じるのでしょう。私の初期の作品は概してこういう問題を扱っていると言えます。

(中略)

 私の主人公たちについて言えば、彼らの考える善き人生とは、理想的には、(中略)単に衣食が満たされて、子どもを作って、死んでいくだけのような人生ではないのです。大半の人間は猫や犬とは違います。何らかの、奇妙で不可思議な理由によって、それ以上のことをしたいと思うのです。自分たちにこう言いたいのです――私は善きものに貢献した、人類の運動を推し進めた、自分たちが生まれた時よりもいくらかより善い世界を後ろに残した、と。私たちはみなこういう欲求を強く持っているように思います。だからこそ、たとえ取るに足らない小さな仕事をしていても(私たちの大半はそういう仕事をしています) 、どうにかして自分たちの仕事が――それは微力な貢献に過ぎないのですが――より大きな、より偉大なものに貢献していると信じようとするのです。」(Wachtel 28-29)(森川慎也訳)

 これはプラトンソクラテスの弁明』で、ソクラテスが仮想のアテナイ人に語りかける言葉のことだろう。

《「世にも優れた人よ。あなたは、知恵においても力においてももっとも偉大でもっとも評判の高いこのポリス・アテナイの人でありながら、恥ずかしくないのですか。金銭ができるだけ多くなるようにと配慮し、評判や名誉に配慮しながら、思慮や真理や、魂というものができるだけ善くなるようにと配慮せず、考慮もしないとは」と。》(29D~E)

 

 イシグロ『わたしを離さないで』にも「魂」という語がある。

 三年間の猶予をもらえる、という噂を聞いて、

《トミーの声はささやくようでした。「先生がロイに言ったこと、うっかり口を滑らせたこと、おそらく言うつもりじゃなくて言ってしまったこと。覚えてるか、キャス? 先生はロイにこう言った。絵も、詩も、そういうものはすべて、作った人の内部をさらけ出す……そう言った。作った人の魂を見せる、って」》(P270)

《「かもしれん。マダムの展示館がどこにあるか知らんけど、生徒の小さい頃からの作品がぎっしり詰まってるんだ。二人の生徒が来て、愛し合ってると言う。マダムはどうする。昔からの作品を引っ張り出して、二人がほんとにやっていけるのか、その相性を見ようとするんじゃないか。なにしろ、作者の魂を映し出すってんだから。なあ、キャス。本物のカップルか、一時ののぼせ上りか、くらい判断できるだろう」》(P271)

 

 トミーとキャシーは、ルースから受け取ったマダム(マリ・クロード)の住所を訪れ、猶予を申し出る。

 エミリ先生が言う。

《「(前略)あなたはさっき面白いことを言いましたね、トミー。マリ・クロードと話していたときです。作品は作者を物語る、作者の内部をさらけ出す、でしたか? だいたい当たっています。わたしたちが作品を持っていったのは、あなた方の魂がそこに見えると思ったからです。言い直しましょうか。あなた方にも魂が――心が――あることが、そこに見えると思ったからです」

 先生は口を閉じ、トミーとわたしは顔を見合わせました。ずいぶん久しぶりにトミーの顔を見たような気がしました。

「でも、なぜそんな証明が必要なのですか、先生。魂がないとでも、誰か思っていたのでしょうか」わたしはそう尋ねました。

 先生の顔にかすかな笑みが浮かびました。 「あっけにとられていますね、キャシー。ある意味、感動的ですよ。だって、わたしたちがちゃんと仕事をしたことの証明ですからね。あなたと言うとおり、魂があるのかなんて疑うほうがおかしい。でもね、キャシー、わたしたちがこの運動を始めた当初は、決して自明のことではなかったのですよ。(後略)」》(P398)

 

「私は人々がどの程度運命を受け入れるのかということにいつも関心を持ってきました。 [……]人は驚くほど自分たちの運命を受け入れるものです。受け入れるだけでなく、それを価値あるものにしようとします。意味のあるものにしようとするのです。」(Interview, 2011, Hammond)(森川慎也訳)

 イシグロは、クローンの受動的態度について語りながら、そうした受動性、さらには運命の受容が人間全般にもみられるものだと言う。

「私が思うに、『わたしを離さないで』の重要な点は、彼らがけっして抵抗しない、読者が期待するようなことはしない、ということです。臓器のために彼らを殺すプログラムをクローンは受動的に受け入れます。私たちの多くが受動的な傾向にあるということを描くのに一つの強烈なイメージが必要でした。私たちは自分の運命を受け入れます。おそらくクローンほど受動的に受け入れないでしょうが、それでも私たちは自分で考えている以上にずっと受け身です。自分たちに与えられたかのように見える運命を受け入れます。最終的に私がこの作品で書きたかったのは、私たちが死ぬ運命にあり、その運命から逃れられず、いつかはみな死に、永遠に生きられないということをいかに受け入れるかということだと思います。そうした運命に憤る方法はいろいろありますが、結局はそれを受け入れるしかない。さまざまな反応はあるでしょうが。ですから、私たちが老いて、ばらばらになり、死んでいくという人間としての境遇を受け入れるように、『わたしを離さないで』の作中人物たちにも彼らに定められている残酷なプログラムに対して同じように反応させようとしたのです。」(Interview, 2009, Matthews 124)(森川慎也訳)

 

 トミーが死(使命完了)を受容する準備、心構えを、ルースとの約束を果たしてトミーの介護人になっていたキャシーに告げる場面もまた、『パイドン』の「ソクラテスの死」の「静寂において死を迎えるべきだ」という思いを連想させはしないか。

《「キャス、誤解してくれるなよ。このところずっと考えてた。キャス、おれは介護人を替えようと思う」

 トミーの言葉から数秒後、わたしは自分がまったく驚いていないことに気づきました。ある意味、来るものが来たという感じだったでしょうか。でも、それと怒りは別物です。わたしは怒り、何も言いませんでした。

「四度目の提供が来るからというだけじゃない。それだけが理由じゃないんだ。ほら、先週、腎臓がひどかったろう? これからは、ああいうことが多くなる」

「だからじゃない。だから介護人なのよ。何のためにわたしがあなたの介護人になってると思うの。これから始まることのため。それがルースの望んだことよ」

「ルースが望んだのはあっち(筆者註:愛し合うことによって三年間の提供猶予をもらう)のことだ。最後の最後までおれの介護人でいることを望んだかどうかはわからん」

「トミー」と、わたしは言いました。そのときは猛烈な怒りが込み上げていたと思います。でも、できるだけ低く静かな声で言いました。「そういうことのために、わたしはあなたの介護人になったんじゃない」

「ルースが望んだのはあっちのことだ」とトミーは繰り返しました。「こっちのことは別だ。君の目の前で変なことになりたくない」(中略)

「おれはな、よく川の中の二人を考える。どこかにある川で、すごく流れが速いんだ。で。その水の中に二人がいる。互いに相手にしがみついてる。必死でしがみついてるんだけれど、結局、流れが強すぎて、かなわん。最後は手を離して、別々に流される。おれたちって、それと同じだろ? 残念だよ、キャス。だって、おれたちは最初から――ずっと昔から――愛し合ってたんだから。けど、最後はな……永遠に一緒ってわけにはいかん」》(P428)

 

カフカ――「掟の門」>

 ノーベル文学賞受賞者を発表したスウェーデン・アカデミー事務局長サラ・ダニウスのスピーチの、「イシグロの物語はジェイン・オースティンカフカをミックスしたようである」という発言に触発されたインタビュアーの質問に、イシグロは次のように答えている。

カフカは私にいろんな可能性を開いてくれたと思います。様々な異なる書き方というのを教えてくれました。私が思うに、カフカについては、書き方という点で、世界中の作家が今よりももっと参考にできる作家ではないかと思います。カフカは、書く技術という点でも、テーマ設定という意味でも様々な可能性を開きました。私たち作家は、カフカにもっと注目すべきだと考えます。私もカフカのことを意識するようにしてきましたが、彼ほどには新鮮に書くことができません。」

 

 先の『THE PARIS REVIEW』のインタビューでの、「寄宿学校を舞台とすることに特に興味があったのですか?」に対して、

「子供時代の比喩(メタファー)として素晴らしいのです。そこでは、管理者が子供たちが知っていることと知らないことを広くコントロールできる状況にあります。それは実生活で私たちが自分の子供たちに行っていることとほとんど違わないように思えました。いろいろな意味で、子供たちはバブルの中で育つのですが、私たちはそのバブルを適切に維持しようとします。不快なニュースから子供たちを保護します。あまり徹底しているものだから、小さな子供を連れて歩くときにすれ違う人々でさえ、その謀議に加わることになります。口げんかになったら止めます。大人は口げんかをするという程度の悪いニュースであっても子供の目には触れさせたくないので、拷問のことなど言うわけがありません。寄宿学校はそのような現象を具現化したものです。」と答えているが、ここにイシグロ文学におけるカフカの比喩の世界が入り込む。

 

 ベンヤミンフランツ・カフカ』に、次の文章がある。

カフカには比喩を創り出すたぐいまれな力があった。にもかかわらず彼の力は、解釈できるもののなかで決して尽きてしまわず、むしろそのテクストの解釈に抵抗する、考えられるあらゆる予防措置を張り巡らせている。慎重に、用心深く、そしてたえず不信をいだきながら、そのなかを前進していかなければならない。そして前に挙げた寓話の解釈において彼が操作したような、カフカ独特の読解法のことをつねに考えていなければならない。その遺言状のこと思い出してみてもよいだろう。彼が遺稿の破棄を委ねたその文面〔『訴訟』におけるブロートの後記〕は、少し詳細に状況を考えてみれば、掟の前の門番の返答と同じくらいその真意をはかりがたく、同じくらい慎重に吟味されるべきものなのだ。ことによったらカフカは、生きているあいだは毎日のように、解読しがたい振舞いや不明瞭な表明に直面させられたので、せめて死ぬときは周りの世界にしっぺ返しをしたかったのだろうか。》

 スラヴォイ・ジジェクイデオロギーの崇高な対象』にもカフカに関する論考がある。

カフカというと、ふつう次のように言われる――カフカは、その小説の「非合理的な」世界の中で、現代の官僚制やその中で生きる個人の運命に、「誇張され」、「空想的で」、「主観的に歪められた」表現をあたえた、と。このように言ってしまうと、次のような決定的な事実を見落としてしまうことになる。すなわち、この「誇張」が表現しているのは「実際の」「現実的な」官僚制のリビドー的機能を規定している空想そのものなのである。

 いわゆる「カフカ的世界」は「社会的現実の空想的イメージ」ではない。それどころか、社会的現実そのものの真只中で発動している空想を表現したものである。われわれは誰しも、官僚制が全能でないことをよく知っているが、それにもかかわらず、官僚的な機械装置を前にしたわれわれの行動は、官僚制は全能だという信念によってすでに規定されている。ある社会のイデオロギー形態を、その社会における実際の社会的諸関係の連結から導き出そうとする、ふつうの「イデオロギー批判」とは対照的に、精神分析的アプローチは、何よりもまず、社会的現実そのものの中で働いているイデオロギー的空想に狙いを定める。

 われわれのいう「社会的現実」とは、究極的に倫理的構成物である。それは、ある種の「あたかも……のように」に支えられている(われわれは、あたかも官僚制の全能を信じているかのように、あたかも大統領が人民の具現化であるかのように、共産党が労働者階級の客観的利益の表現であるかのように、行動する)。その信念(ここでふたたび思い出さねばならない。信念は絶対に「心理的レベル」で捉えてはならない。それは社会的領域の実際的機能の中に、具現化・具体化されているのだ)が失われるやいなや、社会的領域の全体構造そのものが崩壊してしまう。このことはすでにパスカルによって明快に表現されていた。(中略)

  なぜなら、われわれは自分を誤解してはならない。われわれは精神であるのと同程度に自動機械である。……証拠は精神しか納得させない。習慣こそが、もっとも強力な、いちばん信頼できる証拠となる。習慣は自動機械の動きを左右する。自動機械は、知らず知らずのうちに精神を引っ張っていく。(Pascal)》

 

 東浩紀大澤真幸の対談による『自由を考える 9・11以降の現代思想』で、カフカの「掟の門」が取りあげられている。

大澤 そのデリダもやっていることですが、「法」というものの本質をとらえようとするときに、よく例に出すのが、フランツ・カフカの『審判』のなかに入っている「掟(おきて)の門」という有名な寓話です。

 簡単に説明すると、田舎から来た男がいて、「掟の門」という所にたどり着きます。その門は開いているんだけれども、そこには門番がいて、入れてくれと頼んでも、まだダメだと言われるわけです。いつまでたっても門に入る許可が出ない。最後にその田舎から来た男は門の前で死んでしまいます。ほんとうは、厳密に言うと、男が「死んだ」とは書いていなくて、「眼を閉じた」と書かれているだけです。(中略)男が眼を閉じるとともに、ずっと開いていた掟の門も閉じられます。眼を閉じる直前に、田舎から来た男は、門番に尋ねるわけです。何年もここで待っていたが、自分以外の誰もここに来なかったのはなぜなのか、と。門番は、この門は、もともとお前だけのためのものだったのだ、ということを告げ知らせます。このことが、掟の門についての究極の知です。

 普通に考えると、掟の門において作用している権力は、アーキテクチャとか環境管理型の権力とはまったくの対極にあるわけです。門が閉じられていて、中に入りたいのだけれど物理的に入れないという仕様になっているのであれば、これは、単純にアーキテクチャによる管理だということになります。ところが、この話はまったく逆で、門は開いているんです。物理的には、侵入を阻止するものは何もない。にもかかわらず、なぜか入れない。そこが不思議なところです。入れない理由は、男の、内面的な自己規制であると考えるほかない。そう考えると、この掟の門は、規律訓練型の権力を表現する寓話であると解釈できることになります。

 つまり、これは、環境管理型の権力とはまったく対極的なモデルに見えます。が、別様にも解釈できると思うのです。たとえば、ユルゲン・ハーバーマスのようなフランクフルト学派の人たちが、現代社会を、「レジティマシー(legitimacy=正統性)の危機」ということで特徴づけたことがありますね。そういう観点から、管理型権力、アーキテクチャの権力というものを考えてみたらどうかと思うのです。それは、言ってみれば、レジティマシーなしの、あるいはレジティマシーが希薄な権力です。ご存知のように、マックス・ウェーバーは、物理的暴力、物理的拘束だけによる支配というものはありえないのであって、どのような支配もレジティマシーに裏打ちされているとして、有名なレジティマシーの三分類を出したわけです。このことは、今日でも、支配や権力を考えるうえでの、基本的な前提だと思うのですが、そのうえで、現代の管理型の権力を見てみると、まるで(・・・)、そこには正統的な根拠がほとんどないようにすら見える。(中略)

 だから、管理型権力のもとにあるとき、僕らは、大義なき、理由なき禁止や制約に従っていることになる。そのように考えると「掟の門」と同じ設定になるわけです。つまり田舎者には、門に入れない理由はない。そこには、どんな深い理念も深遠な理由もないわけです。ただ、入れない。つまり彼は「無内容な法」に従っているわけです。(中略)

 掟の門のありかたは、古典的な規律訓練型権力とも、あるいは管理型の権力とも解釈できる。両者をつなぐ蝶番(ちょうつがい)のような位置にあるのではないか、と思うのです。》

 

「掟の門」は小説『審判』(Der Proceß)(邦訳名は『審判』が流通しているが、原題が示すように判決にたどり着かない訴訟の過程(プロセス)の物語)の終盤に置かれた、教誨師がKに話して聞かせる寓話で、短篇集『田舎医者』に「掟の門」(Vor dem Gesetz)(「掟の門前」、「掟の前で」、「道理の前」、「法の前」などと邦訳)の表題で収められている。

 ここでは、ジャック・デリダカフカ論――『掟の門前』をめぐって』を論じた小林康夫『起源と根源 カフカベンヤミンハイデガー』に依拠して、「法の前」(Gesetzは「法」と訳される)としてあらためて引用しよう。

 

《法の前に門番が立っていた。そこへ一人の田舎者がやって来て、法の中へ入れてくれと頼んだ。しかし門番は、今は入門を許可するわけにはいかないと答えた。男は思案したが、それではもっと後なら入れてもらえるでしょうか、とたずねた。「それは可能だ」と門番が言った、「しかし今はだめだ。」法への門はいつものように開け放しになっており、門番は脇へさがったので、男はみをかがめて中をのぞこうとした。門番はそれを見ると、笑ってこう言った、「そんなに中に入りたいなら、わしの禁止にかまわず中へ入ってみるがいい。だが、これだけは覚えておくがいい、わしには威力があるのだぞ。しかもそのわしはここではいっとう下っ端の門番にすぎん。広間を一つ入るごとに門番が立っていて、先へ行くほどその威力は大きくなっていく。三番目の門番の姿でも、このわしなどは恐ろしくて眼もあげられんほどなのだぞ。」そんな厄介な事情があろうとは、田舎者はつゆほども思っていなかった。法は誰に対しても、いつなんどきでも接近可能であるべきものだ、と彼は考えていた。しかし今、毛皮の外套に身をくるんだ門番をしげしげ眺め、そのとがった大きな鼻や、濃くはないが、長くて黒々したダッタン人ふうの顎ひげを見ると、彼は、入門の許可がおりるまで待つほうがいいだろうと考えを決めた。門番は男に腰掛けを与え、門の脇のところに坐らせた。そこに腰をすえたまま、男は何日も何日も待った。男は、中へ入れてもらおうとあれこれ手をつくし、しつこく頼んでは門番を疲れさせた。時おり門番は男にちょっとした質問をし、郷里のことなどいろいろなことをたずねた。しかしそれは、お偉方たちが下々に投げるようなどうでもいい質問で、最後にはきまって、まだおまえを入れてやるわけにはいかないと言うのだった。この旅のためにいろいろと支度を整えてきた男は、門番を買収するために、あらゆる手段をつくし、どんな高価なものでも惜しみなくつぎこんだ。門番は何でも受け取りはしたが、こう言い足すのを忘れなかった。「受け取ってはおくがな、これはただ、おまえが自分のやり方に何か手落ちがあったのじゃないかとくよくよ考えずにすむように、と思ってのことだぞ。」長年のあいだ、男は門番をほとんど見つめどおしであった。彼は他にも門番たちがいることを忘れて、この最初の門番が法への入門をさまたげる唯一の障害だと思った。男はこの不幸なめぐり合わせを、はじめの何年かはあたりかまわず大声で呪ったが、やがて老いこむと、ひとり言のようにぶつくさいうだけになった。男は子供っぽくなり、長年門番を懸命に観察するうちに、毛皮の襟に蚤がついているのを見つけ、その蚤にまですがって、自分を助けてくれ、門番の気持ちを変えてくれと頼むのだった。そのうちにとうとう眼が弱ってきて、周囲が本当に暗くなってきたのか、眼の錯覚なのかどちらとも判然としない。しかし今その暗がりの中に、法の門から一すじの輝きがこうこうと射してくるのが見えた。もはや彼の余命はいくばくもない。死を前にして、男の頭の中には、積年の経験が全部凝縮して、これまで門番に一度もたずねたことのない一つの問いとなった。身体は硬直してもう起すこともままならず、男は眼で合図して門番を呼び寄せた。門番は男の上に身を低くしてかがみこまねばならない。二人の大きさの違いが、男の方にまったく不利な具合に変っていたからである。「今になっておまえはまだ何か知りたいのか」と門番がたずねた。「きりのない奴だな。」「ですが、誰もが法を求めているというのに」と男は言った、「どうしてこの長年のあいだ、私のほかには誰一人、この門に来て入れてくれと頼んだ者がなかったのでしょう。」門番は、男の最期がせまったのを見てとり、遠くなっていく耳にも届くように大声でどなりたてた。「ここではほかの誰も中に入ることはできなかった。これはあまえだけのための入口だったのだからな。さあわしは行くぞ、そしてこの門を閉める。」》

 

『わたしを離さないで』で、「掟の門」(「法の前」)に似た表象として、ヘールシャムの「森」があげられるかもしれない。

《森というのは、ヘールシャム裏手の丘の頂にある森のことです。下からは木々の暗い縁(ふち)が見えるだけでしたが、昼も夜も気になってしかたがない場所でした。わたしだけではなく、同年齢の子の多くが森を怖がっていました。ひどいときは、ヘールシャム全体が森の影に吞み込まれるような気がしましたし、窓に近づくと――いえ、窓のほうに顔を向けるだけで――遠くで不気味に待ち構えている森を感じました。(中略)

 森については、さまざまな恐怖の言い伝えがありました。たとえば、わたしたちがヘールシャムに来る少し前、一人の男の子が友達と大喧嘩して、ヘールシャムの敷地外へ逃げ出したそうです。二日後、その子は森で発見されました。体が木に結わえつけられ、両手・両足が切り落とされていたと言います。女の子の幽霊が森の中をさまよっているという噂もありました。(中略)

 保護官に訊けば、そんな話はでたらめだと言います。でも、年上の生徒たちに訊くと、もうちょっと小さい頃に保護官からじかにその話を聞いたと言います。「もう少しすれば、君らも、耳をふさぎたくなるような真実を聞かせてもらえるさ」と。》(P80)

 

 処罰の噂(隠された「真実」)によって生徒たちに内省的自己規制を促す管理型監視(「監視と処罰」「監獄」)構造が見てとれはするが、ヘールシャムでは、いつかルーシー先生の英語の授業で話題になったようなフェンスに収容所のような電気は流れておらず(P122)、ヘールシャムを出てコテージへ行く年齢になると、ある程度自由に外出できてしまうのだから、カフカ的な「掟の門」は物理的なヘールシャムにあるのではないだろう。

 むしろ、「教わっているようで、教わっていない」という「真理を知ること」の「掟の門」(「法の前」)で、「今はだめだ」と延期されつづけ、やがて提供者となって死(使命完了)を迎える。そして、キャシーとトミーの二人(一般社会を知らないという意味で「田舎者」)は猶予という期待を抱き、新たに描き上げた絵画作品(作者の魂をさらけ出す)にすがってまでマダムを訪ねて猶予の願いを申し出るが、マダムと元保護官のエミリ先生(門番)によって「掟の門」のような冷たい仕打ちを受けるというアレゴリーにあるのではないか。

 その冷たい仕打ち、「今になっておまえはまだ何か知りたいのか」というような態度とはこうだった。

《「じゃ、ほんとうに何もないんだ。猶予も何も……」

「トミー」と、わたしはつぶやき、目で止めようとしました。でも、エミリ先生がそっと言いました。

「そう、トミー。そういうものはありません。あなたの人生は、決められたとおりに終わることになります」

「じゃ、先生、おれたちがやってきたことってのは、授業から何から全部、いま先生が話してくれたことのためだけにあったんですか。それ以外の理由はなかったんですか」

「わかりますよ、トミー。それじゃチェスの駒(こま)と同じだと思っているでしょう。確かに、そういうふうに見えるかもしれません。でも、考えてみて。あなた方は、駒だとしても幸運な駒ですよ。追い風が吹くかに見えた時期もありましたが、それは去りました。世の中とは、ときにそうしたものです。受け入れなければね。人の考えや感情はあちらに行き、こちらに戻り、変わります。あなた方は、変化する流れの中のいまに生まれたということです」

「追い風か、逆風か。先生にはそれだけのことかもしれません」とわたしは言いました。

「でも、そこに生まれたわたしたちには人生の全部です」》(P406)

 

『わたしを離さないで』は、「教わっているようで、教わっていない」ことに、真実を知り、深い意味を理解すること、意味の開示の接線を引こうとして引くことを自己防衛的にためらい、拒絶、忌避、延期しつづける、アイロニカルな教養小説(ビルデュングス・ロマン)でもある。

《でも、トミーはわたしの言葉を無視し、「まだ、あるんだ」とつづけました。「先生(筆者註:ルーシー先生)の言ったことでもう一つ、よくわからんことがある。君に訊こうと思ってた。先生が言うには、おれたちはちゃんと教わってるようで、教わってないんだってさ」

「教わってるようで、教わってない? もっと一生懸命勉強しろってことかな」

「いや、そういうことじゃないと思う。先生が言ってたのは、おれたちの将来のことだ。将来、何があるかってこと。ほら、提供とか、そういうこと……」》(P48)

《いま振り返ると、そういう時期に差しかかっていたのだと思います。自分が誰で、保護官や外部の人間とどう違うかを少しは知りはじめていた時期。でも、単なる事実として知ることと、それの持つ深い意味を理解することは別物です。これと似たことは、きっとどなたも子供時代に経験しておいででしょう。出来事の細部は違っても、心への衝撃という意味では似たようなことを……。保護官がどれほど教育上手でも、理解への最後の一歩は詰めきれません。いくら話を聞き、ビデオを見、討論をし、警告を受けていても、どこか他人事。わが身のこととしての理解までは無理でした。(中略)

それでも、教えの一部は染み透っていたはずです。教えはどこかに潜み、わたしの一部となって、ああいう瞬間がやってくるのをじっと待っていたのでしょう。ひょっとしたら、もう五歳や六歳の頃から、頭のどこかには「いつか……そう遠くないいつか」と、ささやく声があったのかもしれません。「いつか、きっとどんな気持ちのものかわかるだろう」と。》(P59)

《わたしたちは、先生をそれ以上追求しませんでした。もっと知りたいのはやまやまながら、同時に、この危険地帯から早く逃げ出したいという気持ちもあり、テーブル全体に居心地の悪い雰囲気が広がりました。》(P66)

《あの日、わたしたちはなぜ黙っていたのでしょうか。九歳、十歳の子供でした。でも、そんな年齢でも、微妙な話題であることを薄々感じていたのだと思います。当時のわたしたちが何をどれだけ知っていたか、いまとなってはわかりません。》(P109)

《先生が言おうとしたことは話題にならず、たまになっても、「だから何だよ。そんなこと、とっくに知ってたじゃん」という反応がふつうでした。

 でも、それこそが先生の言いたかったことではないでしょうか。わたしたちは、確かに知っていたのです。でも、ほんとうには知りませんでした。》(P128)

《その辺りまでくると、だんだん収拾がつかなくなってきます。これ以上は誰も踏み込みたくない危険領域という感じになってきて、議論もしぼんでいきました。》(P214)

 

 アーレントカフカについて、没後二十年時(1944年)に書いている。

《小説『審判』から話を始めよう。これについてはちょっとした図書館が建つほど数多くの解釈が世に出されてきた。この小説は、自分では見つけだすことのできない法律によって裁判にかけられ、いったい何が起きたのかをつきとめることもできないまま処刑される一人の男の物語である。(中略)

 彼は弁護士を雇うが、その弁護士はすぐさま彼に、現状に適応して批判などしないことだけが唯一賢明なことだという。彼は助言を求めようと監獄の教誨師のところへ行くが、教誨師は組織が人知れず巨大なものであると説き、真相を問わないように彼に命ずる。「というのも、一切を真実として受け入れる必要はないからだ。それは必然として受け入れなければならない。」「憂鬱な結論だ」とKはいう。「それは嘘をつくことを普遍的な原理にしてしまう」。

『審判』のKがとらわれている機構の力とは、まさに、一方でこのような必然性の見かけのうちにあるとともに、他方では人びとが必然性を賛美することに由来している。必然性のために嘘をつくのは何か崇高なことだと思われていく。》

 

「真実としてではなく必然として受け入れなければならない」という「普遍の原理」の話は、エミリ先生に聞かされたルーシー先生がいなくなった理由を思い起こさせる。

《「悪い子ではありませんでしたね、ルーシー・ウェンライト。でも、しばらくしているうちに、いろいろと言いはじめたのですよ。生徒たちの意識をもっと高めるべきだ。何が待ち受けているか、自分が何者か、何のための存在か、ちゃんと教えたほうがいい……。物事をできるだけ完全な形で教えるべきだと信じていました。それをしないのは、生徒たちをだますことにほかならない、って。わたしたちはルーシーの意見を検討して、誤っていると結論しました」

「なぜです」とトミーが言いました。「なぜ誤ってるんです」

「なぜ? よかれと思っていたのは確かでしょう。ルーシーを慕っていたみたいですね、トミー。いい保護官になれる素質を持った子でしたよ。でも、理論が勝った子でした。長年ヘールシャムを運営してきたわたしたちには、経験がありました。ヘールシャム以後も踏まえたとき、何が生徒のためになるかがわかっていました。ルーシーは理想主義者でした。それ自体悪いことではありませんが、現実を知りませんでした。わたしたちは生徒に何かを――誰からも奪い去られることのない何かを――与えようとして、それができたと思っています。どうやって? 主として保護することです。保護することがヘールシャムの運営方針でした。それは、ときに物事を隠すことを意味しました。嘘もつきました。そう、わたしたちはいろいろな面であなた方をだましていました。だましていた……そう言ってもいいでしょう。でも、ヘールシャムにいる間、わたしたちは生徒を保護しました。だからこそ、あなた方には子供時代があったのです。ルーシーがいくらよかれと思っていても、あれに自由にやらせていたら、生徒の幸せなど木(こ)っ端(ぱ)微塵(みじん)です。たとえば、あなた方二人。わたしはとても誇りに思いますよ。わたしたちが与えたものの上に人生を築いてくれています。わたしたちの保護がなかったら、いまのあなた方はありません。授業に身を入れることも、図画工作や詩作に没頭することもなかったでしょう。それはそうですよ。将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一生懸命になれます? 無意味だと言いはじめたでしょう。そう言われたら、わたしたちに反論する言葉はありません。ですから、ルーシーには去ってもらいました}》(P408)

 

 イラク政府がテロリストに大量破壊兵器を提供している証拠がないことを記者会見で指摘された、2002年2月12日のアメリ国務長官ドナルド・ラムズフェルドによる返答について、ジジェクが論じている。

ラムズフェルドは、知られていることと知られていないことの関係をめぐり、突然発作的にアマチュア哲学論を展開した。

  知られている「知られていること」がある。これはつまり、われわれはそれを知っており、自分がそれを知っているということを自分でも知っている。知られている「知られていないこと」もある。これはつまり、われわれはそれを知らず、自分がそれを知らないということを自分では知っている。しかしさらに、知られていない「知られていないこと」というのもある。われわれはそれを知らず、それを知らないということも知らない。

 彼が言い忘れたのは、きわめて重大な第四項だ。それは知られていない「知られていること」、つまり自分はそれを知っているのに、自分がそれを知っているということを自分では知らないことである。これこそがまさしくフロイトのいう無意識であり、ラカンが「それ自身を知らない知」と呼んだものであり、その核心にあるのが幻想である。もしラムズフェルドが、イラクと対決することの最大の危険は「知られていない『知られていないこと』」、すなわちサダム・フセインあるいはその後継者の脅威がどのようなものであるかをわれわれ自身が知らないということだ、と考えているのだとしたら、返すべき答えはこうだ――最大の危険は、それとは反対に、「知られていない『知られていること』」だ。それは否認された思い込みとか仮定であり、われわれはそれが付着していることに気づいていないが、それらがわれわれの行為や感情を決定しているのだ。》

 

 帰り道で、二人はエミリ先生やマダムとの間にあったことをほとんど話さなかった。不意にトミーが言う、「ルーシー先生が正しいと思う。エミリ先生じゃない」。突然、車を止めさせて外へ出たトミーが、闇の中で、喚き、拳を振り回し、怒りに歪んで荒れ狂っているのを見つけたキャシーがしがみつく。

 車に戻って走りつづけた長い沈黙のあと、キャシーが言う。

《「ヘールシャムで、あなたがああいうふうに癇癪を起したでしょう? 当時は、なんで、と思ってた。どうしてあんなふうになるのかわからなくて。でもね、いまふと思ったの。ほんの思いつきだけど……。あの頃、あなたがあんなに猛り狂ったのは、ひょっとして、心の奥底でもう知ってたんじゃないかと思って……」

 トミーはしばらく考えていて、首を横に振りました。「違うぜ、キャス。違うな。おれがばかだってだけの話だ。昔からそうさ」でも、しばらくしてちょっと笑い、「だが、面白い考えだ」と言いました。「もしかしたら、そうかも。そうか、心のどこかで、おれはもう知ってたんだ。君らの誰も知らなかったことをな」》(P421)

 

 トミーはまさに、知られていない「知られていること」にあったのではないか。そして、キャシーたちみんなも、知られていない「知られていること」になることを自己保全的に恐れ、逃げて、知られている「知られていないこと」に留まろうとしつづけたのではないのか。そういった外部と内部の戯れ、現実と幻想との信頼性の手袋の裏表をイシグロは巧みに描いた。言葉、文字にはっきり表出しない精妙で朧げな「余白」「曖昧」性に、イシグロが愛好する日本文学(川端文学など)や日本映画(小津映画など)の影響を見ることも可能だろう。

 

 プラトンカフカの影響の揺らぎの下でカズオ・イシグロを読むとき、ノーベル文学賞受賞理由の、“who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”.(偉大な感情の力をもつ小説で、世界とつながっているというわれわれの感覚が幻想的なものでしかないとの底知れぬ深淵を明らかにした)というプレスリリースは、言い得て妙なのに違いない。

                                   (了)

       *****引用または参考文献*****

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』土屋政雄訳(ハヤカワepi文庫)

*田尻芳樹、三村尚央編『カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む ケアからホロコーストまで』(「生に形態を与える」マーク・ジャーング、「気づかいをもって書く」アン・ホワイトヘッド、「薄情ではいけない」ブルース・ロビンズ、「公共の秘密」ロバート・イーグルストン、「時間を操作する」マーク・カリー、「看る/看られることの不安」荘中孝之、「『わたしを離さないで』における女同士の絆」日吉信貴、「「羨む者たち」の共同体」秦邦生、「『わたしを離さないで』に描かれる記憶の記念物の手触りをめぐる考察」三村尚央、「『わたしを離さないで』におけるリベラル・ヒューマニズム批判」田尻芳樹、「クローンはなぜ逃げないのか」森川慎也、「『わたしを離さないで』の暗黙の了解」武富利亜、「『わたしを離さないで』を語り継ぐ」菅野素子、「イシグロはどのように書いているか」三村尚央、所収)(水声社

*森川慎也『カズオ・イシグロと理想主義』(「Hunnewell, Susannah. “Kazuo Ishiguro The Art of Fiction No. 196.”The Paris Review, no. 184, 2008, pp. 23-54」、「Wachtel, Eleanor. More Writers and Company: New Conversations with CBC Radio’s. Vintage Canada, 1997」森川慎也訳所収)(北海学園学術情報リポジトリ

*森川慎也『カズオ・イシグロの運命感』(「Hammond, Wally. “Kazuo Ishiguro on Never Let Me Go.” Sydney Time Out 1 Apr. 2011. Web. 19 Apr. 2011. 」、「Matthews, Sean. “‘I’m Sorry I Can’t Say More’ : An Interview with Kazuo Ishiguro.” Kazuo Ishiguro. Ed. Sean Matthews and Sebastian Groes. London: Continuum, 2009. 114-25. Print. 」森川慎也訳所収)(北海学園学術情報リポジトリ

*「カズオ・イシグロ・インタビュー ~The Art of Fiction 第196回」(『THE PARIS REVIEW』2008年春号収録)

*The Nobel Prize in Literature 2017 - Presentation Speech

*The Nobel Prize in Literature 2017-Press Release

日経ビジネスノーベル賞受賞を知っていたら、髪を洗っていた カズオ・イシグロ ノーベル文学賞決定後の会見の全記録」石黒千賀子

プラトンソクラテスの弁明』納富信留訳(光文社古典新訳文庫

プラトンパイドン納富信留訳(光文社古典新訳文庫

ミシェル・フーコー『監獄の誕生 監視と処罰』田村俶訳(新潮社)

*『ミシェル・フーコー講義集成4 精神医学の権力 コレージュ・ド・フランス講義 1973―1974年度』慎改康之訳(筑摩書房

*『ミシェル・フーコー講義集成12 自己と他者の統治 コレージュ・ド・フランス講義 1982―1983年度』阿部崇訳(筑摩書房

*『ミシェル・フーコー講義集成13 真理の勇気 コレージュ・ド・フランス講義 1983―1984年度』慎改康之訳(筑摩書房

東浩紀大澤真幸自由を考える 9・11以降の現代思想』(NHK BOOKS)

多和田葉子編『ポケットマスターピース01 カフカ』(集英社文庫

ヴァルター・ベンヤミンベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』(「フランツ・カフカ」西村龍一訳所収)(ちくま学芸文庫

ジャック・デリダカフカ論――「掟の門前」をめぐって』三浦信孝訳(朝日出版社

小林康夫『起源と根源 カフカベンヤミンハイデガー』(カフカ「法の前」所収)(未来社

ハンナ・アーレントアーレント政治思想集成1』(「フランツ・カフカ 再評価――没後二〇周年に」所収)斎藤純一、山田政行、矢野久美子共訳(みすず書房

*平野嘉彦『現代思想冒険者たち04 カフカ 身体のトポス』(講談社

スラヴォイ・ジジェクイデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳(河出文庫

スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め!』鈴木晶訳(紀伊国屋書店