文学批評) 志賀直哉『暗夜行路』論(引用ノート)――非「多孔的な自己」/両義性/偶数性/ネガティヴ・ケイパビリティ

 

 

小林秀雄志賀直哉論』(昭和13年(1937))>

 志賀直哉は「続創作余談」(新潮文庫『暗夜行路』(昭和12年(1936年))の「あとがき」)の最後に、《『暗夜行路』を恋愛小説だと云った小林秀雄河上徹太郎両氏の批評がある。私には思いがけなかったが、そういう見方も出来るという事はこの小説の幅であるから、その意味では嬉しく思った。所謂恋愛小説というものには興味がなく、恋愛小説を書きたいとは少しも思わなかったが、『暗夜行路』が若し恋愛小説になっているとすれば、それも面白い事だと思った》と書き残している。該当する小林秀雄志賀直哉論』を一読すれば、《威勢がよくて歯切れがよくて、気持ちがいいけれど、しかし何を言っているのかがはっきりしない(丸谷才一『文学のレッスン』)》うえに、文学批評というよりもモンテスキューばりの人生論、処世訓めいているが、主人公の「極めて排他的な幸福の探求」という倫理の指摘は、小林秀雄特有のアイロニーだった感は否めない。

 

《「暗夜行路」は傑(すぐ)れた恋愛小説である。通読して幾年ぶりでほんとうの恋愛小説に出会ったろうと思ったが、それほど現代では恋愛小説と呼ぶ事の出来るものが払底(ふってい)している。だが恋愛という大きな事実が払底しているわけではないのだから、小説家は恋愛に触れないで小説を書く事は依然として困難なのである。従って恋愛小説めいた恋愛小説は無論、沢山あるわけだ。だがそういう作家の唯一の口実、現代人は恋愛めいた恋愛しかしないという口実は、あまり当てにならない。寧(むし)ろ恋愛めいた恋愛しかしない少数の人は恋愛小説の影響下にある。

恋愛という烈(はげ)しい粗野な情熱は、万人に平等だ。僕等は機会あるごとに野蛮人に立還っている。現代小説家のペンは、もはや其処まで下って来る事を止めて了った。何処にも根を下す事が出来ない様な恋愛的心理の葛藤は、非常に多く描かれているが、恋愛の本質的な幸福や不幸は、新聞の三面記事が、これを引受けている有様だ。もともと恋愛は文学的なものではない。人々が考える様に文学に翻訳し易いものではない。古来、恋愛文学の氾濫は、それだけに駄作も亦非常な数に上る事を語っているとも言える。(中略)

「暗夜行路」には、恋愛の戯画に類する様なものの片鱗(へんりん)さえない。登場する男女の間に、心理上の駆引なぞ一切見られない。すべては性慾という根本的なものに根ざし、二人が、言わば行為によるその理想化に協力する有様が、熱烈な筆致で描き出されている。恋愛とは、何を置いても行為であり、意志である。それは単に在るものでなく、寧ろ人間が発見し、発明し、保持するものだ。だから、恋愛小説の傑作の美しさ、真実さは、例外なく男女が自分等の幸福を実現しようとする誓言に基くのである。そこから「暗夜行路」の強い倫理的色彩が発する。志賀氏のモラリストとしての素地は、この作品で初めてその全貌(ぜんぼう)を現した観がある。(中略)

 世の中には、外部の物が傷つけ様もない内の幸福があり、何物も救い様のない深い不幸がある事を僕等は知っているし、そういう幸不幸を識るのには、又別の智慧(ちえ)が要る事も知っている。別の智慧と言っても、少しも格別な智慧ではない。生活の何たるかを生活によって識った者には、誰にでも備わった確かな智慧だ。「暗夜行路」は、この確かな智慧だけで書かれている。だから、この主人公が、極めて排他的な幸福の探求から始めて、幸福とは或る普遍的な力だという自覚に至るまでの筋道を理解するのにどのような倫理学も必要としない。それほどこの筋道はごく自然な筋道であり、この主人公の掴んだものは、恐らく深い叡智(えいち)だが、その根は一般生活人の智慧のうちにある。》

 

中村光夫志賀直哉論』(昭和28年(1953))>

 中村光夫は、極端に男性を中心にしか感受性の働かない作家が男女間の倫理の問題を扱うのは、それ自身無意味なことで、相手の人間のエゴをみとめない志賀直哉には、この一番大切な前提が欠けている、と論理明快に批判的である。その「主題」として倫理的言辞を弄し、謙作がなにか求道者めいた印象を与えていても、どんな倫理的思想を求め、行動しているかというと、そこには何もないと手厳しい。作者はいつも謙作と重なりあって、彼の感受性を通じて、彼の立場から対象を描くだけである。この小説で内面の働きを持つのは、彼だけであり、他の人々は彼から外観を観察されるだけで、ここには小説の本来である人間対人間の葛藤も、それにもとづく主人公の内的な発展もなく、主人公の「気分」しかない、と西洋(とりわけフランス)文学に通じた中村らしく、世界文学的には常識的な指摘で、当時まだ根強かった「私小説」作家としての志賀直哉の高評価を墜落させた。

 最近の「ケアの倫理」からすると、『暗夜行路』の主人公時任謙作は「排他的で世俗的な人間主義」そのものである。他者との間に回路が通じているのが共鳴しやすい「多孔的な自己」であるとするなら、他者から閉ざされた近代的な自己、「緩衝材に覆われた自己」、つまりは非「多孔的な自己」の代表格であって、直子はその所有物、犠牲者といってもよい。

 

《では実際主人公に、父の外遊中に母と祖母との間に生れた子といふ、異常な出生をあたへることで、何を意図したかといふと、彼はそれについて次のやうに云ひます。

「主題は女の一寸したさういふ過失が、――自身もその為に苦しむかも知れないが、それ以上に案外他人をも苦しめる場合があるといふ事を採りあげて書いた。仏蘭西とかウヰーンの小説が人妻のさういふ事を余りに気楽に扱つてゐる。読者は自身を姦通の対手の男の立場に置いて鑑賞するから、さういふ不道徳も中々魅力があるわけだ。『クロイツェル・ソナタ』のやうな小説もあるが、シュニッツレルなどをさういふ意味で若し面白いと感ずるなら、恥づべき事であり、少し馬鹿げてゐると思った。主人公は母のその事に祟られ、苦しみ、漸くそれから解脱したと思つたら、今度は妻のその事に又祟られる――それを書いた。」(続創作余談)

 これはいろいろな意味で興味ある言葉です。》

 

《いまひいた「続創作余談」も作者のもつともらしい顔付にだまされずによく読んでみれば、いはば小説の筋書にすぎないので、倫理思想の外観はしてゐても内容は思想として意味をなしてゐません。

 女の過失がどれほど男を苦しめるかといふ問題は、そこからひとつの倫理をひきださうとすれば、同様な男の過失が女をどんな風に苦しめるかといふ設問に必ずぶつかる筈です。むろん同じやうに苦しむと考えなくとも、まるで違つた苦しみ方をするとも考へられるし、あるひはまつたく苦しまないとしても、もしそれが事実から得られた結論ならかまひませんが、ともかくこの設問なしに、今云つた事実から、ひとつの倫理をつくりあげることはできない筈です。

 なぜならどんな倫理も人間対人間の規約である以上は双務的であり、ことに友人家族恋人などの間ではそれがはつきりしてゐるからです。(中略)

 正常な考への道筋から云へば、「女の過失のために男が苦しむ」の「反対の場合」は、「男の過失のために女が苦しむ」である筈です。ところが志賀直哉の場合は、まったく自然に(・・・)この命題が彼の心に浮んで来ないのです。(中略)

 かういふ極端に男性を中心にしか感受性の働かない作家が男女間の倫理の問題を扱ふのは、それ自身無意味なことです。彼がエゴイストだからなどといつても事態は同じことです。なぜならエゴイストにとつて倫理的思索の第一歩は相手の人間のエゴをみとめることにあるのですが、志賀直哉には――そして時任謙作にも――男女間の問題を生活に即して考へる(・・・)限り、この一番大切な前提が欠けてゐるのです。

「暗夜行路」は、作者がその「主題」として倫理的言辞を弄してゐるにもかかはらず、また一般には謙作がなにか求道者めいた印象をあたへてゐるにもかかはらず、では彼がどんな倫理的思想を求め、あるいはそれによつて行動してゐるかといふと、そこにはまつたく何もないのです。前篇の第一部第九章にある地球と人類の将来をめぐる謙作の考察、また同じく第二部第十一章から第十三章にかけて栄花の半生に対して述べられた同情的意見など、謙作の生活の実際から浮きあがつたたんなる感想の域を出ないものであることは、やがて謙作が気附く通りです。》

 

《人間に対する独自な見解と、既存の芸術への批判がなければ、作家の独創とは空言にすぎない筈ですし、それゆゑ彼の個性に根ざす倫理と美学とは、広大な精神の世界における彼の位置を示す経度と緯度の役目を果します。

 ところが、ここでも彼の「意図」は思想として吟味するにたへない内容しか持ちません。

仏蘭西とかウヰーンの小説が人妻のさういふ事を余りに気楽に扱つてゐる。読者は自身を姦通の対手の男の立場に置いて鑑賞する」といふ言葉も、「仏蘭西やウヰーンの小説」の実物と照らしあはせて見ると、ほとんど滑稽な誤解です。シュニッツラーはともかくとして、フランスの姦通を扱つた代表的な小説である「ボヴァリー夫人」や「赤と黒」について考へれば、それがまつたく的を外れてゐることは明らかです。

 エンマやレナール夫人が「気楽」に「さういふ事をしてゐる」とはよほど神経が異常な読者でなければ思へぬ筈です。むしろ逆に「さういふ事」を真面目にとりすぎ、それに人生的な意味をあたへすぎたところにこれらの小説の女主人公たちの欠点があるとも云へるのです。彼女達にとつて結婚後の恋愛は、「過失」どころではなく、その人生の唯一の歓びの源であり、結果として生命を犠牲にしても悔いないことなのです。

 エンマは現代人の眼で見れば、馬鹿で感傷的で、好色な女かも知れませんが、彼女が「気楽」に生きていたら、あのやうな「悲しい醜悪」な事件の結末は来なかつた筈です。

 次に、「読者は自身を姦通の対手の男の立場に置いて鑑賞する。」というのも、姦通小説の読みとしては、特殊な例外です。なぜなら一般に姦通を主題とした小説は、ことにフランスでは、女性が主人公の立場に立つのが通例であり、したがつてもし「さういふ不道徳に魅力」を感ずるやうな弊害があるとすれば、それは主として女性の読者におこることなのです。小説が女性の寝室から起り、女性を対象として発達したのは、ヨーロッパの近代小説全体の歴史として云へることです。

 したがつて作家が「姦通の対手の男」を主人公にしたり、また彼を直接に内面から描くやうな場合はむしろ例外なのですが、さういふ時にでも、ジュリアン・ソレルやウロンスキーの心理描写を読み、彼等の真似を「気楽」にしたいと思ふ読者はゐない筈です。(中略)

 彼がヨーロッパ小説からうけた影響が、多くの大正期の作家と同様に(あるひは彼等のうちでもとくに)対象の真の性格とはまつたく無縁な得手勝手といふ意味で自己中心のものであり、その「独創」も既成の作品あるひは伝統との断絶といふ意味での消極的な性格に限定されてゐることが、「暗夜行路」の制作にあたつてもはつきり示されてゐるのは興味のあることで、この芸術的孤立はさきにふれた内容の倫理的空白と相呼応するものです。すなはち「暗夜行路」といふ題名は、美学の上から見ても象徴的なのです。(中略)

 志賀直哉の思想がつねに彼の感情と合体し、その肉体を越えぬ「気分」が家族の間でしか倫理の役割を果さなかつたと同様に、彼に「暗夜行路」の「主題」をあたへたのは、「仏蘭西やウヰーン」から輸入された小説よりも、彼が生活を通じて接触し、皮膚に感じられた文壇の空気であると考へる方が自然です。》

 

《「主人公謙作は大体作者自身。自分がさういふ場合にはさう行動するだろう、或ひはさう行動したいと思ふだらう、或ひは実際さう行動した、といふやうな事の集成と云つていい。」と作者は「続創作余談」に云ひますが、このやうな自己理想化を作者が主人公との臍の緒のつながりを断ち切らない形で行ふとき、一方においては自分の社会的地位を主人公の生活の背景としてそのまま読者におしつけるとともに、他方もし本来の私小説ならば生活それ自体によって限度を與へられる筈の自己美化が、手放しで行はれる結果を生むのは当然です。(中略)

作者はいつも謙作と重なりあつて、彼の感受性を通じて、彼の立場から対象を描くだけです。この小説で内面の働きを持つのは、彼だけであつて、他の人々は彼から外観を観察されるだけです。

 したがってここには小説の本来である人間対人間の葛藤も、それにもとづく主人公の内的な発展もなく、ただ対象のうつりかわりと同じリズムをくりかへす主人公の心の呼吸の連続しかありません。》

 

《「もういい。実際お前の云ふ事は或る程度には本統だらう。然し俺から云ふと総ては純粋に俺一人の問題なのだ。今、お前がいつたやうに寛大な俺の考へと、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになつて呉れさへすれば、何もかも問題はないんだ。イゴイスティックな考へ方だよ。同時に功利的な考へ方かも知れない。さういふ性質だから仕方がない。お前といふものを認めてゐない事になるが、認めたつて認めなくたつて、俺自身結局、其所へ落ちつくより仕方がないんだ。何時だつて俺はさうなのだから……」

 後篇の終り近く、伯耆の大山に登る前に謙作は直子にかう云ひます。おそらくこれが全篇を通じて謙作の唯一の素直な告白であり、彼が結婚によつて彼なりに成熟したことを示す言葉と思はれます。

「総ては純粋に俺一人の問題」であり、「お前といふものを認めてゐない事になるが、……仕方がない」のは、何も直子の場合に限つたことでなく、誰に対しても謙作がとつて来た態度です。そしてかうした態度に自分で気附くのに、直子の存在を要したとすれば、直子は微かながら、彼にとつての唯一の外界とも云へます。この長篇の末尾で謙作の病床を見舞ふ直子の心理がただ一箇所だけ内面から描写され、この二三枚がいはば謙作だけを通して描かれた千枚ちかい長篇の構成上、唯一の例外をなしてゐるのは、この意味で興味あることです。

「そして、直子は、『助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分は此人を離れず、何所までも此人に隋いて行くのだ』といふやうな事を切りに思いつづけた。」といふ章句で、この長篇が結ばれてゐるのは、ほとんど象徴的な重味を感じさせます。

 直子はここに登場するすべての人物のなかで、独立の内面を興へられた唯一の存在であり、彼女がそれを興へられることで、この長篇は終るのです。》

 

《思想としては幼稚な妄想しか抱けず、精神に「発展」はなく、ただ環境の変化にもとづく「移転」があるだけのこの青年も、かうした内面の空白と表裏する肉欲の衝動の生々しさにかけては、我国の近代小説に比類のない存在です。(中略)

 徳川時代以来、遊里文学の長い伝統を持つ我国の小説に、これほど野暮で健康な性欲が、正面から堂々と、しかも自然現象を扱ふやうに冷静な手附きで表現されたことはかつてなかったので、「暗夜行路」にくらべれば、「蒲団」の主人公の恋ははるかに精神的なのです。「志賀直哉氏の眼は、自然主義作家の眼より尚一層センチメンタルな分子を含んでゐない」といつた広津和郎の言葉は、性欲を描く態度にもあてはまります。彼はそれを「少しも逃げる態度でなしに、同時に力んだ気持もなしに」扱ひます。ここで僕等は彼がその下端に属してゐた特殊な階級の性的羞恥心の欠除を思ひあはせるべきかも知れません。

 谷崎潤一郎志賀直哉の文体にまづ粘り強い腰と強靭な肉体を感ずると云つてゐるのは、彼の態度の自然さにくらべれば、自分の性欲小説がいかに観念的誇張にみたされてゐるかを知つての言葉と思はれます。

 たしかバーナード・ショウが結婚前の娘にはすべて「チャタレー夫人の恋人」を読ませるべきだと云つたそうですが、それと同じ意味で、「暗夜行路」も未婚の娘たちに「男性」とは何かを教へる最上の教科書です。男といふものが、どんなに真面目ではにかみ屋で精神的には潔癖な青年でも、彼等だけの世界では何をしてゐるか、あるひは少なくとも何をなし得るか、そしてどういふ気持でそれをするかを、この小説ほどはつきりと真正面から教へる書物はありません。》

 

《「暗夜行路」はひとりの男が動物から人間になる経過を「主題」としてゐるとも考えられます。人間になることはむづかしく、ほとんど不可能なのです。何故なら倫理のない社会で人間は動物として生きるほかはなく、西洋から輸入された明治の文明は、まづ男性の倫理を壊してしまつたからです。》

 

柄谷行人私小説の両義性――志賀直哉と嘉村磯多』(昭和47年(1972))>

 柄谷行人は、志賀直哉の世界が「他者」の欠落ばかりでなく、「私」もまた欠落していて、ただ「気分」がすべてを支配していると指摘する。「不快」にはじまり「調和的気分」に終るという自己完結性は、彼がいかなる意味でもこの「世界」から外に出なかった結果である、と指摘する。志賀の小説の狭さは、彼が身辺事実を素材にしたからではなく、意識の狭さであって、自己にとって疎遠(そえん)な観念や現実が入る余地がなく、彼の「世界」はあまりにも明確であり閉じられていて、曖昧(あいまい)なものが入るすきまがなかったのである。そして、志賀直哉に対する評価がつねに両義的であらざるをえないのは、彼がこの意識の狭さ・貧しさにもかかわらずではなく、逆にそのためにこそ(・・・・・・・)確固たるものを実現しえたというところにある、と論じる。

 

《ほとんどすべての作品が徹頭徹尾「主人公の気持」あるいは「気分」でつらぬかれているのである。むしろこういうべきではないだろうか、主人公の「気分」が書かれているのではなく、「気分」が主人公なのだ、と。

 これは言葉の綾(あや)ではない。実際に志賀直哉の小説では、「気分」が主体なのである。そこでは「気分」はたしかに私の「気分」ではあるが、私が所有するものではなく、どこからかやってきて私を強いるものである。こういえば、私小説とは私を書くものでありエゴセントリックで他者を欠如した世界だという定説(ていせつ)に背反(はいはん)するようにみえるかもしれない。だが背反はしない。志賀直哉の世界では明らかに「他者」が欠落しているが、「私」もまた欠落しているので、ただ「気分」がすべてを支配しているというまでである。》

 

《愛するためには他者が自己とはっきりと区別された者として意識されていなければならないが、彼の愛は自己愛と対象愛がまだ未分化な段階にある。もう一つ、これと関連していえるのは、志賀の小説の主人公がこのような「気分」で動くのは、他者と自己が未分化な「家」というものの範囲内(はんいない)において、あるいは家族と似たような交友範囲内においてであり、実際志賀はその外に出たことはない、というようなことである。

 たぶん右の見方はまちがっていない。一言でいえば、それは志賀直哉の幼児性ということになる。》

 

《重要なのは、彼の恣意に属さない「気分」が判断においても知覚においてもある絶対性をもってつらぬいているということだ。そこでは彼はけっして自由ではない。(中略)

 木村敏は『自覚の精神病理』や『人と人との間』で、この「気」がドイツ語でいうes、すなわち非人称主体と同じものではないかと言っている。この意見には私も同感である。たとえば、周知のように、ハイデッガーは”Es ist einen unheimlich”(気味が悪い)という日常的表現から、彼の現存在分析の主要な部分を展開している。彼は、非人称判断の主語esを、主観と客観という認識論的レベルに先立つものとして、つまりより基礎的なものとしてとりだしたのである。このことは、言葉とは別個に、心理学的に対象化しうる感情や感受性があるのではなく、逆に心理学的こそ実は言葉にもとづくのだということを意味している。》

 

《彼の小説は「不快」にはじまり「調和的気分」に終る。この自己完結性は、彼がいかなる意味でもこの「世界」から外に出なかった結果である。白樺派としては、彼はせいぜい武者小路実篤エピゴーネンであり、「近代的自我の確立」などという主題とは本質的に無縁であった。しかし、われわれはそれを批判しても意味がない。志賀直哉志賀直哉でしかありえなかったところに、むしろ積極的な意味を見出すべきである。

 志賀の小説の狭さは、彼が身辺事実を素材にしたからではない。その狭さは、彼の意識の狭さである。彼には、自己にとって疎遠(そえん)な観念や現実が入る余地がなかった。それらは無駄なものであり剰余(じょうよ)にすぎないようにみえたのである。彼の「世界」はあまりにも明確であり閉じられていて、曖昧(あいまい)なものが入るすきまがなかったのである。キリスト教もまた彼には禁欲思想にすぎなかった。だが、彼は抽象的煩悶に縁がなかったとしても、この禁欲思想に文字通り苦しんだことは疑いがない。そしてまた、彼が「不快」というものに圧しつぶされるほどに苦しんだことも疑いがないのである。》

 

《したがって、想像力・思想性の欠如がそれ自体問題なのではない。むしろ志賀直哉は、虚構や観念を書こうとした多くの他の作家よりも、はるかに作家たるべき本質を固有していた。彼を作家たらしめたのはあの「不快」であり、彼自身が自覚するしないにかかわらず一つの直観的な思想にほかならなかったあの「気分」なのである。他の凡庸(ぼんよう)な作家には、いかに奔放(ほんぽう)な構想力に恵まれていたとしても、あるいは頭でおぼえこんだ社会認識をもっていたとしても、志賀を作家たらしめた本能はなかった。無論彼の“本能”は動物的でも原始的でもなく、ただ彼自身が本質的に存在するか否(いな)かに関する直観的な識別力(しきべつりょく)にほかならなかったのである。

 志賀直哉に対する評価がつねに両義的であらざるをえないのは、彼がこの意識の狭さ・貧しさにもかかわらずではなく、逆にそのためにこそ(・・・・・・・)確固たるものを実現しえたというところにある。一つをとって他を捨てることはできないし、無いものねだりをすることもできないのだ。》

 

《彼ら(筆者註:志賀直哉と嘉村磯多)は「私」を書いたが、その「私」は「世界」に閉じこめられたものであり、そこには恣意性がありえない。驚くべきことは、彼らが私についてだけ書きながら、恣意性をまぬかれていたということだ。自己を客観化し世界を客観的に対象化しようとする精神は、必ず恣意性(主観性)につまずかざるをえない。客観性とは一つの神話であり、われわれは「世界像」を世界ととりちがえているにすぎない。志賀や嘉村にはかかる世界像による混乱や錯誤がまったくなかった。彼らは確実なものを、あそらくは確実なものだけを見た、あるいは見させられた。》

 

蓮實重彦『廃棄される偶数 志賀直哉『暗夜行路』を読む』(昭和49年(1974))>

 蓮實重彦は「上昇=下降」「快=不快」「緊張=弛緩」「双極性」「類似」「比較」「選択」「反復」「二」「偶数性」といった語彙を巡る「主題(テーマ)」批評を蓮實的な言葉によって戯れてみせ、《いかにも弛緩しきったその総体的な印象にもかかわらず、実は細部のイメージや挿話のかずかずがいかにも意義深い有機的な共鳴関係をかたちづくり、志賀に先行する世代や同世代の長編作家にはとても可能であったとは思えないほどの緊密な小説的な構造体として、読む意識を不断に刺激しつづけているという事実》を指摘した。

最後の場面は、病いのなかで、必要とされているのは、二者択一ではなく、偶数原理そのものを解消させること、偶数的世界を統禦していた「選択」原理の崩壊の歓喜の表明にほかならないのだが、それはジョン・キーツのいう「ネガティヴ・ケイパビリティ(negative capability)」(筆者註:「短期に事実や理由を手に入れようとはせず、不確かさや、神秘的なこと、疑惑のある状態の中に人が留まることができるときに表れる能力」を示すが、価値判断を保留する、あるいは二つの価値基準の間で宙づりになることという意味でもある(小川公代『世界文学をケアで読み解く』))に他ならない。

 

《『暗夜行路』は長篇としての緊密な構成をそなえてはおらず、作中人物の表情もまた、有機的な成長や複雑な葛藤の跡を残しながら、それにふさわしい時間の重みを担いうるものともなってはいない。短篇的な細部がおさまるこの鮮明な輪郭は、だから時間を超えて遥かに反響し、共鳴しあうべき別の挿話を見いだしえぬまま、そのつどそこに置きざりにされてしまう。(中略)この作品が、いかにも弛緩しきったその総体的な印象にもかかわらず、実は細部のイメージや挿話のかずかずがいかにも意義深い有機的な共鳴関係をかたちづくり、志賀に先行する世代や同世代の長編作家にはとても可能であったとは思えないほどの緊密な小説的な構造体として、読む意識を不断に刺激しつづけているという事実を改めて確認すべく、あえて二つの舶来煙草(筆者註:「サモア」と「アルマ」)の挿話に執着せずにはいられなかったのだ。》

 

《『暗夜行路』にあっては、男はきまって「上」におり、「女」は一貫して下に位置している。しかも、二つの性を一つに結ぶ垂直軸にそった上昇(・・)=下降(・・)の運動を始動せしめるのは、必ずといっていいほど、「快」=「不快」の「双極性」を伴っている。まず、その事実をたしかな感触のもとにまさぐっておかねばならない、登喜子の存在によって全身のこわばりが快くほどけてゆくのを感じる引手茶屋の二階座敷、あるいは「豊年だ!豊年だ!」の叫びがもれるいかがわしい娼家の二階座敷などがそうであるように、謙作は一貫して「上」に位置しながら、「下」からの女の出現を待っているのだ。》

 

《あまたの断片的な記憶の中で何故かとりわけ鮮明な輪郭におさまっているのは、「母と一緒に寝て居て、母のよく寝入つたのを幸ひ、床の中に深くもぐつて行つた(・・・・・・・・・・・・・)といふ記憶」である。理由もそれと知れぬまま恥かしさの印象のみが残っているその思い出には、双極性の軸として母の肉体がまぎれもなく重要な役を演じている。兄の手紙によって母の過失を知らされた謙作に甦ってくるのは、屋根に登った時の記憶であり、同時に、母の床に深くもぐって行った時の事だからである。実際、彼が緩慢な時の流れを耐えながら身をさらしているのは、不断に反復される上昇=下降運動であり、それにつれて拡がりだす「快」=「不快」、「緊張」=「弛緩」の双極的世界なのだ。》

 

《母がそうであったように、妻の直子もまた不義を犯すという物語の展開ぶりには、「比較」から「反復」へと伸びる「二」の「主題」体系が介入している。しかも直子の不祥事それ自体が、従兄の寝ている二階への階段を登るという上昇運動に操作されているのだから、志賀的双極性の性的側面がそこにあからさまに示されているといえようが、そのことで垂直性の深淵を極め尽したと思っている謙作の周辺には、飛行機までが墜落してその感慨を検証する。だから、走りかけた列車のデッキから直子が突き落されても、誰ももう驚くことのない「主題」論的な一貫性が、謙作を完璧に閉じこめているのである。志賀は、謙作の行為を「発作的」だと書いているが、いまやわれわれは、これほど「発作」から遠い身振りを想像することができないまでに、この「作品」の「主題」系列と親しく戯れ切っているのだ。妻の直子は、階段を登って地上を離れたことで罪を犯した以上、再び地表へと押し戻されねばならない。》

 

《謙作との結婚生活をはじめたばかりの直子は、その夫に向って、自分が文学的な教養をまったく欠いていることを素直に告白している。謙作も謙作で、その事実をむしろ快く思ってさえいるようだ。「文学が解つたり、風流が解つたりすると云ふ事は一種の悪趣味だ」と宣言する彼の言葉に、「妙なお説ね。私、それも解らないわ」と応じて、彼女は無邪気な笑い声をたてる。だが、『暗夜行路』の後篇は、まさに、この何もわからない(・・・・・・・)直子が、何かをわかってしまう瞬間に到達するまでの、残酷にして困難な教育的な歩みなのだ。》

 

《この「過失」の主題は、とうぜんのことながら「類似」から「選択」へと進む「二」の主題体系によって導きだされるものだ。それは、結婚当初の謙作が直子に語る「償罪」をめぐる二つの姿勢の「比較」の中に姿をみせている。人はいかにして犯された罪を懺悔するかという点をめぐって、彼は、いまは芸者をしている「栄花」という女義太夫と「蝮のお政」という旅役者を例に引き、「現在、罪を犯しながら、その苛責の為め、常に一種張りのある(・・・・・・・)気持(・・)を続けてゐる栄花の方が、既に懺悔し、人からも赦されたつもりでゐて、其実、心の少しも楽しむ事のないお政の張りのない気持(・・・・・・・)よりは、心の状態として遥かにいいものだと思ふ」という。かつて「栄花」と呼ばれた女義太夫は、嬰児殺しをしてまで男と別れようとはしない「芸者の中でも最も悪辣な女」として知られ、「蝮のお政」は、男を殺した自分の過去を芝居に仕組んで、日々、罪ある過去を悔いながら各地を巡業して歩くという女である。(中略)「懺悔と云ふ事も結局一遍こつきりのものだから」という謙作が「蝮のお政」の中に認めているのは、過去を物語として提示しつつ現在を回避することの安易さであり、「懺悔もいつそ懺悔しなければ悔悟の気持も続くかも知れない」と考える謙作が「栄花」の中に感じとっているのは、過去を現在へと不断に投影しつつ生きることが開示する物語の困難である。(中略)「そんなら、どうすればいいの」という直子の問いに、謙作は無言で応じるしかない。だが彼は、そのときの自分の欠語を、母親の不義の記憶に触れたためだと思っている。ところがその真の理由は、謙作が幽閉されている偶数的世界そのもののうちに存在するのだ。たがいに類似した「栄花」と「蝮のお政」とを比較し、その一方を選ぶという二者択一の姿勢こそが自分から言葉を奪っている事実に、彼は気づいてはいない。それが彼自身に明らかにされるのは、妻の不倫という「過失」が現実のものとなった瞬間であるにすぎない。

 謙作は、直子の罪を許そうとして許すことができない。だが『暗夜行路』という長篇の独創性は、この内面の葛藤という精神分析的な状況を、いささかも心理的な側面からは描こうとしていない点に存している。許すということ、それは自分が「蝮のお政」の悔恨芝居の素直な観客になることだ。許さないこと、それは「栄花」の悪辣さを小説に書こうとすることだ。そして、いま謙作に必要とされているのは、その二者択一ではなく、そうした偶数原理そのものを解消させることにほかならない。》

 

《ほんの短い終りの数行ほどだが、「作品」には直子の意識だけが書きつけられており、夫の存在は、その対象でしかなくなっている。だがそれを、主人公の二重化と理解してはならない。主人公という一つの役割の中で、夫と妻が一つに融合したのである。

 ことによったらもう死んでしまうのかもしれないと思われた夫の顔を、「直子は引き込まれるやうに何時までも」見つめている、そしてこう心の中でつぶやく。

  「助かるにしろ、助からぬにしろ、兎に角、自分は此人を離れず、何所までも此人に隋いて行くのだ」

 この感慨は、日本女性としては典型的なあの自己犠牲の精神といったものとはまったく無縁の場でつぶやかれたものと考えなければならない。それは、「作品」の構造から自分が排除されてはおらず、夫とともにその磁力を蝕知しうる自分を確認しえたものが、偶数的世界を統禦していた「選択」原理の崩壊を身をもって生きる瞬間の歓喜の表明にほかならぬのだ。》

                              (了)

        *****引用または参考文献*****

志賀直哉『暗夜行路』(新潮文庫

柄谷行人『意味という病』(「私小説の両義性――志賀直哉と嘉村磯多」所収)(講談社文芸文庫

蓮實重彦『「私小説」を読む』(「廃棄される偶数 志賀直哉『暗夜行路』を読む」所収)(講談社文芸文庫

中村光夫志賀直哉論』(筑摩書房)(漢字は新字に置きかえた)

小林秀雄志賀直哉論』(『小林秀雄全作品10』に所収)(新潮社)

安岡章太郎志賀直哉私論』(文藝春秋

阿川弘之志賀直哉(上)(下)』(岩波書店

*町田栄編『志賀直哉『暗夜行路』作品論集』(クレス出版

平川祐弘鶴田欣也編『『暗夜行路』を読む 世界文学としての志賀直哉』(新曜社

*小川公代『世界文学をケアで読み解く』(朝日新聞出版)

*キャロル・ギリガン『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』川本隆史山辺恵理子、米典子訳(風行社)

*チャールズ・テイラー『世俗の時代』千葉眞監訳、木部尚志、山岡龍一、遠藤知子訳(名古屋大学出版会)