<『納屋を焼く』>
村上春樹の短篇小説『納屋を焼く』は、短篇小説集『蛍・納屋を焼く・その他の短篇』(1984年刊)に収められ、『全作品第1期』第3巻(1990年刊)に収録される際に加筆訂正されている。
下記引用元は、その加筆訂正された『全作品第1期』第3巻をもとに、アメリカのクノップフ社から1993年に発行された短篇小説集”The Elephant Vanishes”を村上春樹自身が日本語に翻訳した『象の消滅 短篇選集1980-1991』(新潮社)に収録されたものである。
ところどころ省略しながらも、原文の細部を生かして引用する。
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彼女とは知りあいの結婚パーティーで顔を合わせ、仲良くなった。三年前のことだ。僕と彼女はひとまわり近く歳が離れていた。彼女は二十歳で、僕は三十一だった。彼女はそもそもの最初から歳のことなんて考えもしなかった。僕は結婚していたが、それも問題にならなかった。
彼女はなんとか(・・・・)という有名な先生についてパントマイムの勉強をしながら、生活のために広告モデルの仕事をしていた。とはいっても彼女は面倒臭がって、エージェントからまわってくる仕事の話をしょっちゅう断っていたので、その収入は本当にささやかなものだった。収入の足りない部分は主に彼女の何人かのボーイフレンドたちの好意で補われているようだった。
そしてそのあけっぴろげで理屈のない単純さがある種の人々をひきつけたのだ。彼らはその単純さを目の前にしているうちに、自分たちが抱えている込み入った感情を、そこにあてはめてみたくなるのだ。
もちろんそんな作用がいつまでもいつまでも続くというものではない。そんなものが永遠に続くとしたら、宇宙の仕組みそのものがひっくりかえってしまう。それが起り得るのは、ある特定の場所、ある特定の時期だけだ。それは「蜜柑むき」と同じことなのだ。
最初に知りあった時、彼女は僕にパントマイムの勉強をしているの、と言った。「蜜柑むき」というのは文字どおり蜜柑をむくわけである。彼女はその想像上の蜜柑をひとつ手にとって、ゆっくりと皮をむき、ひと粒ずつ口にふくんでかす(・・)をはきだし、ひとつぶんを食べ終えるとかす(・・)をまとめて皮でくるんで右手の鉢に入れる。その動作を延々と繰り返す。しかし、実際に目の前で十分も二十分もそれを眺めているとだんだん僕のまわりから現実感が吸いとられていくような気がしてくるのだ。昔アイヒマンがイスラエルの法廷で裁判にかけられた時、密室にとじこめて少しずつ空気を抜いていく刑がふさわしいと言われたことがある。どんな死に方をするのか、くわしいことはよくわからないけれど、僕はふとそのことを思い出した。
「君にはどうも才能があるようだな」と僕は言った。
「あら、こんなの簡単よ。才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑がある(・・)と思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がない(・・)ことを忘れればいいのよ。それだけ」
僕と彼女はそれほどしょっちゅう会っていたわけではない。だいたい月に一回、多くて二回くらいのものだった。
彼女と二人でいると、僕はのんびりと寛ぐことができた。やりたくもない仕事のことや、結論の出しようもないつまらないごたごたや、わけのわからない人間が抱くわけのわからない思想のことなんかをさっぱりと忘れることができた。彼女にはなにかしらそういう能力があった。僕が求めていたのは、ある種の心持ちだった。少なくとも理解や同情ではなかった。
二年前の春に、彼女の両親が心臓病で死んで、少しまとまった額の現金が入ってきた。その金でしばらく北アフリカに行くという話になった。どうして北アフリカなのか理由はよくわからなかったけれど、ちょうど僕は東京のアルジェリア大使館に勤めている女の子を知っていたので、彼女に紹介した。
「本当に日本に帰ってくるんだろうね?」僕は冗談で訊ねてみた。
「もちろん帰ってくるわよ」と彼女は言った。
三ヵ月後に彼女は日本に帰ってきた。出かけた時よりも三キロやせて、まっ黒に日焼けしていた。そして新しい恋人をつれていた。僕の知る限りでは、彼女にとってはその男が最初の、きちんとした形の恋人だった。
彼は二十代後半で、背が高く、すきのない身なりをして、丁寧な言葉づかいをした。幾分表情には乏しいが、まあハンサムな部類に属するし、感じも悪くなかった。手が大きく、指は長い。
どうしてその男のことをそんなにくわしく知っているかというと、僕が空港まで二人を出迎えに行ったからだ。飛行機が着くと――飛行機は悪天候のために実に四時間も遅れて、そのあいだ僕はコーヒー・ルームで週刊誌を三冊読んだ――二人が腕を組んでゲートから出てきた。二人は感じの良い若夫婦みたいに見えた。彼女が僕に男を紹介した。我々は殆んど反射的に握手をした。
貿易の仕事をしているんです、と彼は言った。しかし仕事の内容についてはそれ以上何も言わなかった。
それから何回か彼と顔を合わせることになった。彼はしみひとつない銀色のドイツ製のスポーツ・カーに乗っていた。僕は車のことは殆んど何も知らないので詳しい説明はできないけれど、なんだかフェデリコ・フェリーニの白黒映画に出てきそうな感じの車だった。普通のサラリーマンの持てるような車ではない。
「貿易の仕事?」
「彼がそう言ってたよ。貿易の仕事をしてるんだってさ」
「じゃあ、そうなんでしょ。でも……よくわかんないのよ。だってべつに働いているようにも見えないんだもの。よく人に会ったり電話をかけたりはしてるみたいだけど」
まるでフィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビイ』だなと僕は思った。何をしているのかはわからない、でも金は持っている謎の青年。
十月の日曜日の午後に、彼女から電話がかかってきた。妻は朝から親戚の家にでかけていて、僕一人だった。よく晴れた気持の良い日曜日で、庭のくすの木を眺めながらりんごを食べていた。僕はその日だけでもう七個もりんごを食べていた。ときどきそういうことがある。病的にりんごが食べたくなるのだ。あるいはそういうのは何かの予兆なのかもしれない。
「今、おたくのわりと近くにいるんだけれど、これから二人で遊びにうかがっていいかしら?」と彼女は言った。
彼らは二時過ぎにやってきた。家の前でスポーツ・カーの停まる音が聞こえた。
「来たわよ」とにこにこしながら彼女が言った。彼女は乳首の形がくっきりと見えるくらい薄いシャツを着て、オリーブ・グリーンのミニ・スカートをはいていた。
彼はネイビー・ブルーのブレザー・コートを着ていた。以前会った時と少し印象が違うような気がしたが、それは少なくとも二日間はのばした不精髭のせいだった。
「ごはん持ってきたわよ」と彼女が言って、後部座席から白い大きな紙袋をとり出した。
我々は家の中に入って、テーブルの上に食料品を広げた。なかなか立派な品揃えだった。ロースト・ビーフ・サンドウィッチとサラダとスモーク・サーモンとブルーベリー・アイスクリーム、量もたっぷりあった。
「さあ食べちゃいましょうよ。すごくおなか減ったわ」と例によって腹を減らせた彼女が言った。
彼はどれだけ飲んでも顔色ひとつ変えなかった。僕もビールならかなり飲める。彼女もつきあって何本か飲んだ。結局一時間足らずのあいだにビールの空き缶が机の上にずらりと並んだ。ちょっとしたものだ。彼女はレコード棚から何枚か選んでオートチェンジのプレイヤーにセットした。マイルス・デイヴィスの「エアジン」が聞えてきた。
しばらくオーディオの話をしたあとで、彼はちょっと口をつぐんだ。それから「グラスがあるんだけど、よかったら吸いませんか?」と言った。
僕はちょっと迷った。というのは、僕は一ヵ月前に禁煙したばかりでとても微妙な時期だったし、ここでマリファナを吸うことがそれにどう作用するのかよくわからなかったからだ。でも結局吸うことにした。とても質の良いマリファナだった。我々はしばらくのあいだ何も言わずにそれを一口ずつ吸っては順番にまわした。マイルス・デイヴィスが終って、ヨハン・シュトラウスのワルツ集になった。不思議な選曲だったが、まあ悪くない。
一本吸い終った時、彼女が眠いと言った。寝不足のうえにビールを三本飲んで大麻煙草を吸ったせいだった。彼女は本当にすぐに眠くなるのだ。僕は彼女を二階につれていって、ベッドに寝かせた。
我々は二本めのマリファナを吸った。まだヨハン・シュトラウスのワルツがつづいていた。僕はどういうわけか小学校の学芸会でやった芝居のことを思い出した。僕はそこで手袋屋のおじさんの役をやった。子狐が買いにくる手袋屋のおじさんの役だ。でも子狐の持ってきたお金では手袋は買えない。
「それじゃ手袋は買えないねえ」と僕は言う。ちょっとした悪役なのだ。
「でもお母さんがすごく寒がってるんです。あかぎれもできてるんです。おねがいです」と子狐は言う。
「いや、駄目だね。お金をためて出なおしておいで。そうすれば
「時々納屋を焼くんです」
と彼が言った。
「失礼?」と僕は言った。ちょっとぼんやりしていたもので、聞きまちがえたような気がしたのだ。
「時々納屋を焼くんです」と彼は繰り返した。
僕は彼の方を見た。彼は指の爪先でライターの模様をなぞっていた。
「納屋の話を聞きたいな」と僕は言った。
「どうして納屋なんて焼くんだろう?」
「変ですか?」
「わからないな。君は納屋を焼くし、僕は納屋を焼かない。そのあいだにはいわば歴然とした違いがあるし、僕としてはどちらが変かというよりは、まずその違いがどういうものなのかをはっきりさせておきたいんだ。それに納屋の話は君が先に持ち出したんだよ」
彼はしばらくぼんやりしていた。彼の意識はゴム粘土みたいにくねくねとしているように見えた。あるいはくねくねとしていたのは僕の意識の方だったのかもしれない。
「もちろんそうです。他人の納屋です。だから要するに、これは犯罪行為です。あなたと僕が今こうして大麻煙草を吸っているのと同じように、はっきりとした犯罪行為です」
「つかまりゃしませんよ」と彼はこともなげに言った。「ガソリンをかけて、マッチをすって、すぐに逃げるんです。それで遠くから双眼鏡でのんびり眺めるんです。つかまりゃしません。だいいちちっぽけな納屋がひとつ焼けたくらいじゃ警察もそんなに動きませんからね」
「それで彼女はそのことを知ってるの?」と僕は指で二階の方を指しながら訊いた・
「何も知りません。実を言えば、このことはあなた以外の人間には話したことはありません。誰彼かまわずしゃべれるような類いのことじゃありませんからね」
「どうして僕に?」
「あなたは小説を書いている人だし、人間の行動のパターンのようなものに興味があるんじゃないかと思ったんです。それに僕はつまり小説家というものは何かの物事に対して判断を下す以前に、その物事をあるがままのかたちで楽しめる人じゃないかと思っていたんです。もし楽しめる(・・・・)というのがまずければ、あるがままに受け入れられるというべきかな。だからあなたには話したんです。話したかったんですよ、僕としても」
「こういう言い方は変かもしれないけれど」、と彼は顔の前で両手を広げ、それをゆっくりとあわせた。「世の中にはいっぱい納屋があって、それらがみんな僕に焼かれるのを待っているような気がするんです。海辺にぽつんと建った納屋やら、たんぼのまん中に建った納屋やら……とにかく、いろんな納屋です。十五分もあれば綺麗に燃えつきちゃうんです。まるでそもそもの最初からそんなもの存在もしなかったみたいにね。誰も悲しみゃしません。ただ――消えちゃうんです。ぷつん(・・・)ってね」
「でもそれが不必要なものかどうか、君が判断するんだね」
「僕は判断なんかしません。それは焼かれるのを待っているんです(・・・・・・・・)。僕はそれを受け入れるだけです。わかりますか。そこにあるものを受け入れるだけなんです。雨と同じですよ。雨が降る。川があふれる。何かが押し流される。雨が何かを判断していますか? いいですか、僕は何もアンモラルなことを志向しているわけではありません。僕は僕なりにモラリティーというものを信じています。それは人間存在にとって非常に重要な力です。モラリティーなしに人間は存在できません。僕はモラリティーというのはいうなれば同時存在のかねあい(・・・・)のことじゃないかと思うんです」
「同時存在?」
「つまり僕がここにいて、僕があそこにいる。僕は東京にいて、僕は同時にチュニスにいる。責めるのが僕であり、ゆるすのが僕である。たとえばそういうことです。そういうかねあい(・・・・)があるんです。そういうかねあい(・・・・)なしに、僕らは生きていくことはできないと思うんです。それはいわば止めがねのようなものです。それがないことには僕らはほどけて文字どおりばらばらになってしまいます。それがあればこそ、僕らの同時存在が可能になるんです。
「つまり君が納屋を焼くのは、モラリティーにかなった行為であるということかな?」
「正確にはそうじゃありませんね。それはモラリティーを維持するための行為なんです。でもモラリティーのことは忘れた方がいいと思います。それはここでは本質的なことじゃありません。僕が言いたいのは、世界にはそういう納屋がいっぱいあるということです。僕には僕の納屋があり、あなたにはあなたの納屋がある。本当です。僕は世界のほとんどあらゆる場所に行きました。あらゆる経験をしました。何度も死にかけました。自慢しているわけじゃありません。でももうやめましょう。僕はふだん無口なぶん、グラスをやるとしゃべりすぎるんです」
体が弛緩して、細部の動きがよく把握できなかった。でも僕は僕の体の存在そのものを観念としてくきりと感じることができた。それはたしかに同時存在的と言えなくはなかった。考えている僕がいて、その考えている僕を見守っている僕がいた。時間はひどく精密にポリリズムを刻んでいた。
「次に焼く納屋はもう決まっているのかな?」
彼は目と目のあいだにしわを寄せた。それからすうっという音を立てて、鼻から息を吸いこんだ。「そうですね。決まっています」
僕は何も言わずにビールの残りをちびちびと飲んだ。
「とても良い納屋です。久し振りに焼きがいのある納屋です。実は今日も、その下調べに来たんです」
「ということは、この近くにあるんだね」
「すぐ近くです」と彼は言った。
五時になると彼は恋人を起こし、僕の家を突然訪問したことわびを言った。ずいぶんな量のビールを飲んだはずなのに、完全に素面だった。彼は裏庭からスポーツ・カーを出した。
僕は次の日、本屋に行って僕の住んでいる町の地図を買ってきた。僕の家は郊外にあり、まわりには農家がまだ数多く残っている。したがって納屋の数もけっこう多い。全部で十六の納屋があった。
それから僕は十六の納屋の状態のひとつひとつを丁寧にチェックした。結局五つの納屋が残った。五つの焼くべき納屋だ。あるいは五つの燃え差支えない納屋だ。それから直角定規と曲線定規とディバイダーを用意し、うちを出てその五つの納屋を巡り、また家に戻ってくる最短コースを設定した。翌朝の六時、僕はトレーニング・ウェアにジョギング・シューズをはいて、そのコースを走ってみた。走るのに要した時間は三十一分三十秒だった。一ヶ月間、そんな風に僕は毎朝同じコースを走りつづけた。しかし、納屋は焼けなかった。
時々僕は彼が僕に納屋を焼かせようとしているんじゃないかと思うことがあった。つまり納屋を焼くというイメージを僕の頭の中に送りこんでおいてから、自転車のタイヤに空気を入れるみたいにそれをどんどんふくらませていくわけだ。たしかに僕は時々、彼が焼くのをじっと待っているくらいなら、いっそのこと自分でマッチをすって焼いてしまった方が話が早いんじゃないかと思うこともあった。
十二月がやってきて、秋が終り、朝の空気が肌を刺すようになった。納屋はそのままだった。白い霜が納屋の屋根におりた。世界は変ることなく動きつづけていた。
その次に僕が彼に会ったのは、昨年の十二月のなかばだった。クリスマスの少し前だった。乃木坂のあたりを歩いている時に、僕は彼の車をみつけた。品川ナンバーで、左のヘッド・ライトのわきに小さな傷がついている。車は喫茶店の駐車場に停まっていた。もっともその車は以前見たときほどぴかぴかと鮮やかに輝いてはいなかった。その銀色はこころなしかくすんで見えた。でもそれは僕の錯覚かもしれなかった。僕は自分の記憶を都合よく作りかえてしまう傾向があるのだ。僕はためらわずに店の中に入った。
僕は少し迷ったが、やはり声をかけることにした。それから我々は軽い世間話をした。話はあまりはずまなかった。もともとあまり共通の話題がないうえに、彼は何か別のことを考えているように見えたからだ。
「ところで、納屋のことはどうなったの?」と僕は思い切って訪ねてみた。
彼は唇のはしで微かにほほえんだ。「ああ、あのことをまだ覚えていたんですね」と彼は言った。そしてポケットからハンカチをとりだし、口もとを拭ってまたもとに戻した。「もちろん焼きましたよ。きれいに焼きました。約束したとおりね」
「僕の家(うち)のすぐ近くで?」
「そうです。ほんとうのすぐ近くです」
「いつ?」
「この前、おたくにうかがってから十日ばかりあとです」
僕は地図に納屋の位置を掻きこんで一日に一回その前をランニングしてまわった話をした。
「だから見落とすはずはないんだけれどね」と僕は言った。
「ずいぶん綿密なんですね」と彼は楽しそうに言った。「綿密で理論的です。でもきっと見落としたんですよ。そういうことってあるんです。あまりに近すぎて、それで見落としちゃうんです」
「よくわからないな」
彼は立ちあがって。煙草とライターをポケットに入れた。
「ところであれから彼女にお会いになりました?」と彼が訊ねた。
「いや、会ってないな。あなたは?」
「僕も会ってないんです。連絡がとれないんです。アパートの部屋にもいないし、電話も通じないし、パントマイムのクラスにもずっと出てないんです」
「どこかにふらっとでかけちゃったんじゃないかな。これまでにも何度かそういうことはあったからね」
「一文なしで、一ヵ月半もですか? 生きていくということに関しては、彼女にはそれほどの才覚はありませんよ」
彼はコートのポケットの中で何度か指を鳴らした。
「僕はよく知っているんだけれど、彼女はまったくの一文なしです。友だちらしい友だちもいません。住所録はぎっしりいっぱいだけど、そんなものはただの名前です。あの子には頼れる友だちなんていないんです。いや、あなたのことは信頼してましたよ。これは別に社交辞令なんかじゃありません。あなたは彼女にとっては特別な存在だったと思います。僕だってちょっと嫉妬したくらいです。本当ですよ、僕がこれまで嫉妬したことなんてほとんどない人間なんですけどね」彼は軽い溜め息をついた。そしてもう一度時計に目をやった。「僕はもう行きます。どこかでまた会いましょう」
僕は肯いた。でもうまくことばは出てこなかったいつもそうなのだ。この男を前にするとことばがうまく出てこないのだ。
僕はそれから何度も彼女に電話をかけてみたのだけれど、電話は料金未払いのために回線を切られていた。僕はなんとなく心配になって、彼女のアパートまで行ってみた。彼女の部屋は閉ったままだった。僕は手帳のページを破って「連絡してほしい」というメモを作り、名前を書いて、郵便受けの中に放り込んでおいた。でも連絡はなかった。
その次に僕がそのアパートを訪れた時には、ドアには別の住人の札がかかっていた。それで僕はあきらめた。一年近く前の話だ。彼女は消えてしまったのだ。
僕はまだ毎朝、五つの納屋の前を走っている。うちのまわりの納屋はいまだひとつも焼け落ちてはいない。どこかで納屋が焼けたという話もきかない。また十二月が来て、冬の鳥が頭上をよぎっていく。そして僕は年をとりつづけていく。
夜の暗闇の中で、僕は時折、焼け落ちていく納屋のことを考える。
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村上春樹の短篇小説は批評されることが少ないのだが、それでも探してみればいくつかあり、『納屋を焼く』の解釈は大きく二つに分類される。
一つは、村上が『全作品第1期』第3巻付録「『自作を語る』――短篇小説の試み」で、「僕はときどき「こういうものすごくひやっとした小説を書いてみたくなる」と書いたように、彼女は失踪したのではなく、納屋(=彼女)として焼かれた(=殺された)のであるという推論、読解。
二つめは、彼女の「蜜柑むき」パントマイムにおける《そこに蜜柑がある(・・)と思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がない(・・)ことを忘れればいいのよ》や、彼が説明した「同時存在」がほのめかす現実の世界と非現実(想像)の境界線、「パラレルワールド」の曖昧さである。そして、「モラリティー」に関する考察や、分析としてはフォークナーの小説“Barn Burning”や、新美南吉作『手袋を買いに』とのインターテキスチャーを論じたものなどが見出される。
<『レーダーホーゼン』>
村上春樹の短篇小説『レーダーホーゼン』は、短篇小説集『回転木馬のデッド・ヒート』(1985年刊)の序文「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」に続いて書き下ろされた。「はじめに・回転木馬のデッド・ヒート」はこの短篇小説集の枠組みを説明している。
《ここに収められた文章を小説と呼ぶことについて、僕にはいささかの抵抗がある。もっとはっきり言えば、これは正確な意味での小説ではない。
僕が小説を書こうとするとき、僕はあらゆる現実的なマテリアル――そういうものがもしあればということだが――を大きな鍋にいっしょくたに放りこんで原形が認められなくなるまでに溶解し、しかるのちにそれを適当なかたちにちぎって使用する。(中略)
しかしここに収められた文章は原則的に事実に即している。僕は多くの人々から様々な話を聞き、それを文章にした。もちろん僕は当人に迷惑が及ばないように細部をいろいろといじったから、まったくの事実とはいかないけれど、それでも話の大筋は事実である。》
おそらくこれは、村上のエルサレム賞受賞スピーチにおける「小説家はうまい嘘をつくことによって、本当のように見える虚構を創り出すことによって、真実を別の場所に引っ張り出し、その姿に別の光をあてることができるからです。」に相当する拡張的な嘘であろう。
村上は『全作品第1期』第5巻付録「『自作を語る』――補足する作品群」で、「いちばんよく書けているんじゃないかと思う」と発言しているが、それは『レーダーホーゼン』が村上春樹の短篇小説の特徴、彼の小説技法を巧く表現しきれたからだろう。
村上は短篇小説を発表したあとで何度も書き直すが、ここに引用する『レーダーホーゼン』も『納屋を焼く』と同じく短篇小説集”The Elephant Vanishes”を村上春樹が日本語翻訳した『象の消滅 短篇選集1980-1991』からのものではあるものの、少々事情が複雑だ。巻頭すぐの「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」によれば、《アルフレッド・バーンバウムが雑誌の意向を受けてオリジナル・テキストに手を入れて短くして訳した。アメリカの雑誌ではよくこのように編集の手が入ることがある。文化の違いもあり、読者の好みも異っているので、いたし方ない部分もある。しかし結果的にはこのアルフレッド短縮版は、作品としてなかなか悪くなかった。そういうわけで、今回そのアルフレッド版をテキストにして、僕が自ら日本語に訳してみた。本書にはその「逆輸入ヴァージョン」が収録されている。》
引用元は、前述したように、村上春樹『象の消滅 短篇選集1980-1991』に収録された『レーダーホーゼン』で、ところどころ省略しながらも、原文の文体を生かして引用する。
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「うちのお母さんはお父さんを捨てたの」と妻の女友だちがある日、僕に言う。「半ズボンがその原因だった」
僕は質問しないわけにはいかない。「半ズボン?」
「妙な話に聞こえることはわかっているんだけど」と彼女は言う。「でもね、そもそもが妙な話なわけ」
彼女は女性としては大柄なほうだ。仕事はエレクトーンの教師だが、自由になる時間の大半を、水泳やスキーやテニスにあてている。仕事のない日には、朝のランニングをすませてから、近くのプールに行ってひとしきりラップ・スイミングをする。午後の二時になるとテニスをして、そのあとはエアロビクスという段取りである。
彼女は攻撃的な性格でもないし、偏狭なところがあるわけでもない。ただ、彼女の身体は――そこに付随する精神もきっと似たようなものなのだろうが――休むことなくせわしなく働きまわっている。
彼女が結婚をしないのは、そういうことと何か関係しているのかもしれない。もちろんこれまでつきあった相手は何人かいた。大柄ではあったけれど、なかなか美人だったから。求婚され、もう少しで華燭の典というところまで行ったことも何度かあった。しかしいざ結婚式が近づいてくると、必ず何か予期せぬ問題が持ち上がって、結婚は急遽中止ということになった。
「運が悪いのよ」と僕の妻は言う。
「そうらしいね」と僕もいちおう同情する。
でも僕は、必ずしも妻の意見に同意しているわけではない。たしかに運不運というのは、僕等の人生の多くの局面を左右するし、それは時として我々のまわりに黒々とした影を落とすことになる。でも僕は思うのだけれど、もしプールを30往復し、20キロを走ることができるほどの意志の力を持ち合わせているなら、たいていの障害はなんとかして乗り越えていけるものではあるまいか? 彼女は本当は結婚なんかしたくなかったのだ、というのが僕の推論である。
日曜日の雨の午後だ。彼女は予定より二時間早くうちにやってくる。妻は買い物に出ている・
「テニスをする予定だったんだけど、それがこの雨で流れて、おかげで二時間ほど余っちゃったの。家に一人でいてもつまらないし、だからちょっと早い目に来させてもらったんだけど――ねえ、あなたのお仕事の邪魔をしちゃったかしら?」
いや、ぜんぜん、と僕は言う。あまり仕事をする気分になれなかったので、猫を膝に抱いて、のんびりビデオを見ていたところだった。そして二人でコーヒーを飲みながら、「ジョーズ」の最後の20分を見る。
映画が終わって、エンド・クレジットが出る。しかし妻が戻ってくる気配はない。だから僕らは適当に話をする。なんというか、僕はこの女性に対して好感のようなものを持っていると思う。しかし一時間ばかり彼女と会話を続けて、その結果明らかになったのは、僕らのあいだには共通の話題と言えるようなものはとくにないという事実だった。結局のところ、彼女はうちの奥さんの友だちであって、僕の友だちではないのだ。
でもそのとき彼女が出し抜けに、両親の離婚の話を持ち出したわけだ。どうして急にそんな話になってしまったのか、僕にはぜんぜん理解できない。というのは、泳ぐことと、彼女の父母が離婚したこととのあいだには――少なくとも僕の思考体系の中においてはということだが――関連性らしきものは見いだせないからだ。でもそこにはきっと何らかの理由があったのだろう。
「正確に言えば、それは半ズボンじゃないの」と彼女は言う。「レーダーホーゼンなわけ」
「あの、ドイツ人がはいている、アルプス風の革ズボンのこと? ストラップで肩にとめるようになっているやつ」
「そう、それのこと。うちのお父さんはお土産にレーダーホーゼンがほしいって言った」
「お母さんの妹がドイツに住んでいて、一度来ないかって前から誘われていたの。もちろんお母さんはドイツ語なんてしゃべれないし、生れてから外国に行ったこともなかった。でもずっと英語の先生をしていたものだから、海外に行くことに興味はあったの。もうずいぶん長いあいだその叔母に会っていなかったしね。だからお母さんはお父さんを誘った。一緒に二人で十日ばかりドイツを旅行しないかって。でもお父さんはどうしても仕事を休むことができなかった。それでお母さんは一人でドイツに行くことになったわけ」
彼女の両親はどちらかといえば仲が良い方だった。夜通し言い争いをしたりすることはなかったし、父親が荒々しく家を飛び出して、そのまま数日間帰ってこないというようなこともなかった。父親がよそで浮気をして、それで家庭が不和におちいったことが、以前には幾度かあったらしいが、今ではそういうこともなくなっていた。
「悪い人じゃないのよ。仕事はちゃんとするし。でもね、すぐに女の人に手を出しちゃうタイプだったわけ」、彼女はあっさりとそう言う。まるで他人事みたいに。
「でもその頃にはお父さんも、もうすっかり落ち着いていて、面倒なことは起こさないようになっていた」
しかし話はそう簡単ではない。十日後には戻ってくる予定だったのに、母親は結局一ヵ月半もドイツに滞在することになった。それについて家にほとんど一言の連絡もなかった。そしてようやく日本に帰国しても、彼女は東京の家には戻らず、大阪にいるもう一人の妹のところに行ってしまった。
それ以前、夫婦のあいだに不和が生じたときにも、母親はいつもただじっと苦境に耐えていた。その我慢強い様子を目にしながら、この人にはひょっとして想像力ってものがないのかしら、と彼女はよく考えたものだった。母親にとっては家庭というものがまず第一であり、何があろうとも娘を守らなくてはならなかった。だから母親が家に帰ってもこないし、電話ひとつかけてこないというようなことは、二人にとってはまさに青天の霹靂だった。
しかしある日、突然母親は自分から電話をかけてきて、夫に向かって「離婚に必要な書類を送りますから、サインして送り返してください」と言った。「どんなかたちでも、どんなやり方でも、もうあなたに対して愛情が持てなくなったんです」。そこには話し合いの余地みやいなものはないのかな、と父親は尋ねた。「ありません。申しわけないとは思うけれど、もうすっかり終わったんです」
「それは私にとっても、すごく大きなショックだった」と彼女は僕に言う。「離婚そのものがショックだったんじゃないの。両親がいつか離婚するかもしれないということは、まったく予想しないわけではなかった。だから心理的には、そういう事態に対する覚悟はある程度できていたの。もし二人がごく普通に、わけのわからない経緯抜きで、ただあっさり離婚していたとしたら、私はそれほど混乱しなかったと思う。問題はお母さんがお父さんを捨てたということじゃないのよ。彼女は私のこともひとまとめ(・・・・・)にして捨てたの。私にとってはそれがずいぶんきつかったのね」
僕は頷く。
彼女が母親に再会したのは、三年後のことである。親戚の葬儀の席だった。その頃には娘は自立して一人で暮らしていた。両親が離婚したとき、大学二年生だった彼女はそのまま家を出た。それから大学を卒業しエレクトーンの教師の職に就いた。一方母親は、受験予備校で英語を教えていた。
私が、あなたに何も説明することができなかったのは、いったい何をどのように説明すればいいのか、さっぱり見当がつかなかったからなの、と母親は打ち明けた。「いったい何が持ち上がっているのか、それすら私にはよくわからなかったの」と母親は言った。「でもそもそものきっかけは、あの半ズボンだったと思う」
「半ズボン?」と彼女は――僕がそうしたのと同じように――びっくりして聞き返した。もう母親とは一生口をきかない、と彼女は心を決めていた。しかし好奇心が彼女を捉えることになった。彼女は何はともあれ、この短い物語(というべきか)をひととおり聞かないわけにはいかなかったのだ。
レーダーホーゼンを売る店は、ハンブルクから一時間ばかり行った、小さな町にあった。
そこで母親は列車に乗って、夫のお土産のレーダーホーゼンを買うべくその町まで行った。列車のコンパートメントで、中年のドイツ人夫婦と同席した。彼女はその店の名前を教えた。ドイツ人夫婦は声を揃えて言った。「それはよろしい。ヤー、その店なら大丈夫です」。それを聞いて母親は満足した。
心地よい初夏の午後だった。町はこじんまりとして、昔風のたたずまいを保っていた。店の猫と遊んでいると、カフェの主人がやってきて、どのようなご用向きでこの町に見えたのでしょうと尋ねた。レーダーホーゼンを買いにきたのだと彼女が答えると、主人は紙を一枚とって、その店までの地図を描いてくれた。
一人で旅行するというのはなんて楽しいのだろう、彼女は丸石敷きの小道を歩きながらそう思った。考えてみれば、五十五歳の今に至るまで、一人旅をしたことなんて一度もなかったのだ。ドイツを旅行している間、彼女はただの一度も寂しいとも怖いとも思わなかったし、退屈もしなかった。目を捉えるすべての光景が新鮮であり、新奇なものだった。旅先で出会った人々はみんな親切だった。ひとつひとつの体験が、彼女の中にそれまで手つかずで埋もれていた生き生きとした感情を呼び起した。それまで彼女がいちばん近しく、大事に感じていたものは――夫と家庭と娘は――地球の反対側にあった。それらはもう頭に浮かばない。
レーダーホーゼンを売る店はすぐに見つかった。古くて小さな、いかにも職人風の店だった。ツーリスト向けの派手な看板は出ていないが、店の中にレーダーホーゼンがずらりと並んでいるのが見えた。彼女はドアを開けて、中に入った。
店の中では二人の老人が仕事をしていた。彼らはひそひそと囁くように話しながら、寸法を測り、ノートブックにそれを書き留めていた。
「Darf ich Ihnen helfen,Madame?(何かをお求めでしょうか、マダム)」、二人の老人のうちの大柄な方が母親に尋ねた。
「私はレーダーホーゼンを買いにきました」と母親は英語で言った。
「それはちっと問題を作ります」と老人は苦労して言葉を選びながら言った。「私たちは実在しないお客さまのために品物を作らんのです」
「私の夫は実在しています」と母親はきっぱりと言った。
「ヤー、ヤー、あなたの夫は実在する。もちろん、もちろん」、老人はあわてて言った。「私の英語が悪くて失礼だった。しかし私どもが言いたいのは、ここに存在しない人のためにレーダーホーゼンをお売りはできんということです」
「どうしてですか?」と母親は面食らって質問した。
「それが私どもの方針なのです。Ist unser Prinzip.お客様が私どものレーダーホーゼンをおはきになり、それをこの目で見ます。どんな具合か見ます。それから私どもはとてもじょうずに寸法を直します。そこで初めてお売りできます。私どもは当地で百年以上にわたって商売をしております。この方針で、私どもは店の評判を築いてきたのです」
「でも私は半日かけて、わざわざハンブルクからここまでやってきたんですよ。あなたのお店でレーダーホーゼンを買うために」
「申し訳なく思います」と老人は本当に申し訳なさそうに言った。「しかし例外は作れません。この世界はとびっきり不確かな場所でありました、信用を築き上げるのには時間がかかりますが、それを壊すのはわずかな間です」
母親は戸口に立ったままため息をついた。そしてどうすればこの窮状を打開できるものか、懸命に頭を働かせた。
「それでは、こういうのはどうでしょう?」と母親は提案した。「私の夫と同じくらいの体型の人を見つけて、ここに連れてきます。その人に実際にレーダーホーゼンをはいてもらって、あなたがその寸法を直します。そして私にそのレーダーホーゼンを売る」
「しかしマダム、それは方針に背きます。レーダーホーゼンをはく人は、あなたの夫ではない。その事実を私どもは知っております。それは無理な相談です」
「事情を知らないふりをしていればいいんです。あなたはただレーダーホーゼンをその人に売ります。その人は私にレーダーホーゼンを売ります。そうすれば、おたくの信用に傷はつきません。そうでしょう?お願い。ほんの少しだけ目をつぶってください。私はもう二度とドイツには来られないかもしれません。そうしたら、一生レーダーホーゼンを買うこともできなくなってしまいます」
「ふうん」。老人はむずかしい顔をした。そしてしばらく頭をひねっていたが、もう一人の老人の方を向いて、早口のドイツ語でなにやらまくしたてた。二人はひとしきりあれこれ言い合っていた。それからやっと大柄な老人が母親の方に向き直った。そして言った、「わかりました、マダム。これは今度だけの例外です――例外中の例外ですぞ。そのことはご理解くださいませ。私どもは何ひとつ知らんということにします。日本からわざわざレーダーホーゼンを買いにみえる方が、数多くいらっしゃるわけではありません。そして私どもドイツ人も、救いなく頭が固いわけではありません。あなたのご主人になるべくそっくりの背格好の人を捜してきてください。兄も、それでかまわないと申しております」
「ありがとう」と彼女は言った。それからお兄さんに向かってドイツ語で言った。「Das ist so net von Ihnen.(ご親切を感謝します)」
「それから、どうなったの?」僕は結末を知りたくて、先を促す。
「お母さんは外のベンチに座って、お父さんと同じような体型をした男の人を探したわけ。そこにまさにぴったりの人が通りかかった。お母さんは説明もなしに、ほとんど無理矢理に――というのは相手は英語がぜんぜんしゃべれなかったからなんだけど――その人をレーダーホーゼンの店までひっぱっていった」
「店の人に前後の事情を説明され、その男の人は、わかりました、そういうことならと言って、快くお父さんのかわりをつとめてくれた。彼はレーダーホーゼンをはいて、老人たちはそのあちこちを短くしたり、詰めたりした。そしてそのあいだ三人は和気あいあいとしてドイツ語で冗談を言い合っていた。作業は30分ほどで終わった。そしてその作業が終わるころには、お母さんはもう離婚しようと心を決めていたの」
「ちょっと待って」と僕は言う。「もうひとつよくわからないんだけど、その30分のあいだに何か特別なことが起こったわけ?」
「いいえ、べつに何も起こらなかった。三人のドイツ人がただにこやかにおしゃべりをしていただけ」
「じゃあいったい、何がお母さんに離婚の決心をさせたんだろう?」
「お母さんにもそれはわからなかった。そのときにはね。いったい何がどうなっているのか自分でもつかめなくて、すっかり頭が混乱してしまった。彼女にわかるのは、そのレーダーホーゼンをはいた男の姿を眺めているうちに、耐えがたいほどの嫌悪感が自分の中にわき起こってきた、ということだけだった。父親に対する嫌悪感がね。そしてそれをどこかに押しやることは、彼女にはできなかった。そのレーダーホーゼンをはいた男は、肌の色を除けば、父親にほとんどそっくりだったの。脚のかたちから、お腹の出具合から、髪の薄くなり方まで。彼は新しいレーダーホーゼンを試着しながら、とても楽しそうだった。意気揚々として、得意げだった。まるで小さな子供みたいに。そこに立って、その男の様子を見ているうちに、これまで彼女の中でぼんやりとしていたいくつかのものごとが、すごくありありとかたちをとり始めた。そこで彼女にはやっとわかったの。自分が今では夫を憎んでいるんだってことが」
妻が買い物からやっと戻ってきて、二人は女同士のおしゃべりを始める。
「それで、君はもうお母さんに腹は立てていないの?」、妻が席を外したときに、彼女にそう尋ねてみる。
「そうね。元通り仲良くなれたっていうわけじゃないのよ。でも少なくとも腹は立てていないと思う」
「それはレーダーホーゼンの話を聞かされたから?」
「たぶん。その話を聞いたあとでは、私の中にあった母親に対する激しい怒りみたいなものは、消えてしまっていた。どうしてそうなってしまったのか、一口では言えない。でもそれは、私たちが女どうしだってことと関係しているのかもしれないわね」
「でもさ、もしそこにレーダーホーゼンが出てこなかったら――つまり女の人が一人旅をして、そこでこれまでになかった自分を発見して――というような話だけだったとしたら、君はお母さんのことを許せたと思う?」
「もちろん許せなかったでしょうね」と彼女は躊躇なく答える。「重要なのはレーダーホーゼンなのよ。わかる?」
その身代わりのレーダーホーゼンを、お父さんは受け取りさえしなかったのだ、と僕は思う。
*
『レーダーホーゼン』のよくある読解としては、「女性性の語り」「矛盾を抱えた女性の自立」というフェミニズムの観点から、試着されるレーダーホーゼンというもの自体に、母が父のかつての愛人たちの表象を感じとってしまうというものだ。その拡張として、あちこち短くしたり、詰めたりしたレーダーホーゼンに、父に弄ばれた母の女性器という記号を読み取ってしまうことまで推し進められもする。
そして、母の自立物語に、セットとして娘の女性としての自立物語の反復を読みとることがついてくる。
<「偏見のない読書なんてものはたぶんどこにもない」>
『若い読者のための短編小説案内』の「文庫本のための序文」で村上は、次のように力説した。
《往々にして、僕はその作品について自分なりの仮説を立ち上げて、その仮説をもとに推論を進めていくことになります。もちろん「これは仮説ですが」と前もって断ってありますが、とにかくそこでは僕は、その作家のはいていた靴に自分の足を入れていきます。そしてその作家の目で、そこにあるものを見てみようとしています。その仮説や推論はあるいは間違っているかもしれません。書いたご本人からすれば、「俺はそんなこと思ってねえよ」ということになるかもしれません。あるいは事実と異なっていることがあるかもしれません。しかし僕としては、それはそれでかまわないのではないかと思うのです。読書というのはもともと偏見に満ちたものであり、偏見のない読書なんてものはたぶんどこにもないからです。逆な言い方をするなら、読者がその作品を読んで、そこにどのような仮説(偏見の柱)をありありと立ち上げていけるかということに、読書の喜びや醍醐味はあるのではないかと僕は考えるのです。》
<「自我にはほとんど興味がないかもしれない」>
『みみずくは黄昏に飛びたつ』(――:川上未映子/訊く、村上春樹/語る)から。
《――もう少し、村上さんの物語と自己の関係について、詳しくお伺いしたいんです。村上さんは、今回のこの本(筆者註:『職業としての小説家』)の中でも、「物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです」と書いておられます。それと同時に、興味深いと思うのは、村上さんはあるインタビューで「僕は、地上における自我というものにはまったく興味がない」っておっしゃっているんですよね。
村上 まったく、ということはないけれど、そういう種類の自我にはほとんど興味がないかもしれない。
――ほとんど興味がない。それについて、もう少し伺えますか。
村上 僕は例えば、いわゆる私小説作家が書いているような、日常的な自我の葛藤(かっとう)みたいなものを読むのが好きじゃないんです。自分自身のそういうことに対しても、あまり深く考えたりしない。何かで腹が立ったり、落ち込んだり、不快な気持ちになったり、悩んだり、そういうことってもちろん僕自身にもあるんだけど、それについて考えたりすることに興味がない。
――それらについて、書いたりしたい気持ちも……。
村上 ないと思う。それよりは、自分の中の固有の物語を探し出して、表に引っ張り出してきて、そこから起ち上がってくるものを観察する方にずっと興味があるんです。だから日本の私小説的なものを読んでると、全然意味が分からない。》
《――それは「生き生きとした、実際的な性を書けているか」というような意味の話だけでもないんです。例えば、さきほどの話の中で、女性というものが巫女(みこ)的(てき)に扱われる、巫女的な役割を担わされるということに対する……。
村上 手を引いてどこかに連れていくという話ね。
――ええ。主人公を異化する。異化されるための入口というか契機として、女性が描かれることが多い。
村上 うん、そういう要素はあるかもしれない。
(中略)
村上 でも、こう言ってしまったらなんだけど、僕は登場人物の誰のことも、そんなに深くは書きこんでいないような気がするんです。男性であれ女性であれ、その人物がどのように世界と関わっているかということ、つまりそのインターフェイス(接面)みたいなものが主に問題になってくるのであって、あの存在自体の意味とか、重みとか、方向性とか、そういうことはむしろ描きすぎないように意識しています。前にも言ったけど、自我的なものとはできるだけ関わらないようにしている。男性であれ女性であれ。》
<「乖離というか、落差みたいなものの中に、自分の影が存在している」/「現実の側だけから物語を解釈しちゃうと、ただの絵解きになっちゃいます」>
《――村上作品に対する批評や分析といったものとの距離みたいなことを伺いたいなと思います。(中略)アンデルセンが書いた「影」という小説を引用されていて(筆者註:アンデルセン文学賞受賞スピーチ)、小説家にとって大事なのは影で、その影をできるだけ正確に書くことだとおっしゃっています。その影から逃げることなく、論理的に分析することなく、一部として受け入れることで、内部に取り込んでそれを書く、その過程を経験することを共有することが小説家にとって決定的に重要な役割を持つと。(後略)
村上 僕は正直なところ、分析というのはあまり好きじゃないです。もちろんまったく分析をしないというんじゃなくて、これまでに分析みたいなことを、僕なりにちょくちょくやってきました。でもあとから思うと、だいたい間違っていた(笑)。取り入れるファクターがひとつ多かったり少なかったりしたら、分析の結果なんてがらっと変わってしまいます。もうこれ以上そういうつまらない間違いを犯したくない、というのが僕の正直な気持ちです。
(中略)
ジョセフ・コンラッドがどこかで書いていました。作家は、自分ではすごくリアリスティックに物語を書いているつもりでいて、いつの間にか幻想的な世界を書いてしまっていることがある、と。つまりそれはどういうことかというと、コンラッドにとって、「世界を幻想的に非論理的に神秘的に描くということ」と、「世界は神秘的で幻想的であると考えること」はまったく別のものなんだということなんです。そういう自生的な乖離(かいり)がある。
(中略)
その乖離というか、落差みたいなものの中に、自分の影が存在しているんじゃないかと僕は思っています。だからこそ、乖離というものが僕にとってはとても大事な意味を持ちます。僕が小説を書くときにやっているのは、僕のまわりにある世界を少しでもリアリスティックに、写実的に描こうという、それだけのことです。
(中略)
――なぜこのような飛躍が、リアルな現実の自分と、自分が書いた物語世界との間に違いが出てくるんだろうか。そのことに気づく瞬間もまた、影に関係してくる。でも気をつけなければいけないのは、なぜ村上さんが書くと飛躍が生れるんだろう、というときの、「飛躍」の部分は、あくまで現実の側の理論から解釈しないことなんですね。
村上 そう、それが大事なことです。現実の側だけから物語を解釈しちゃうと、ただの絵解きになっちゃいます。あるいは専門家の知的ゲームみたいに、僕の小説に関して、よく分析的批評みたいなことがされているみたいですが、僕はそういうのは読まないですね。それはそれとして、自立した知的戦略としては面白いのかもしれないけど、作家である僕の本来の意図とはあまり関係のないことだから。》
こういった村上の言葉を真に受ければ(作家とは嘘つきだ、ともどこかで語っていたが)、彼女は焼かれたという現実解釈や、自我を規範とするフェミニズム批評は、「もちろん」自由だが、少し的を外れているに違いない。
<「無意識下における意外性」>
レイモンド・カーヴァー『ぼくが電話をかけている場所』村上春樹訳(中公文庫)の「訳者あとがき」で、
《カーヴァーの短篇の最大の魅力は「無意識下における意外性」と言ってもいいと思う。》と書いている。
村上春樹の『納屋を焼く』、『レーダーホーゼン』にもあてはまるだろう。
<「優れた作家はいちばん大事なことは書かないものです」>
村上春樹『若い読者のための短編小説案内』で、語る。
《語られなかったことによって何かが語られている、というひとつの手応えのようなものがあります。優れた作家はいちばん大事なことは書かないものです。優れたパーカッショニストがいちばん大事な音は叩かないのと同じように。》
作者村上は『納屋を焼く』では、地図を見せて、どの納屋を焼いたのかを訊ねることを避けてとおる、デタッチメントに終始し、従って大事なことを削ぎ落し、あえて書かない。
『レーダーホーゼン』では、《「重要なのはレーダーホーゼンなのよ。わかる?」 その身代わりのレーダーホーゼンを、お父さんは受け取りさえしなかったのだ、と僕は思う。》と、彼女と僕は共犯関係のように了解しあって、「わかる?」を読者にわからせるという、いちばん大事な理由を空白にして説明しない。
<「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」>
村上春樹は、「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」(『スプートニクの恋人』)という言葉を、短篇小説『かえるくん、東京をすくう』で、「理解とは誤解の総体に過ぎないと言う人もいますし、ぼくもそれはそれで大変面白い見解だと思うのですが、残念ながら今のところぼくらには愉快な回り道をしているような時間の余裕はありません」とかえるくんに繰り返させた。
<「村上春樹は、常に体系的に誤読されている一群の作家の一人である」>
ポール・ド・マンは『盲目と洞察』の「盲目性の修辞学」で下記のように書いているが、「ルソー」という語は「村上春樹」に置換しうる。
《ルソーは、常に体系的に誤読されている一群の作家の一人である。わたしはこれまで、批評家たち自身の洞察にかかわる彼らの盲目性、彼らの述べた方法と彼らの感知したものとの隠された不一致について語ってきた。文学の歴史においてもその歴史編集においても、こうした盲目性はある特定の作家についての、くりかえし起こる異常な解釈のパターンという形をとることがある。このパターンは、高度に専門的な注釈家から、その作家を一般的な文学史の中に位置づけ分類するための曖昧な「通念(idées reçues)」にまで及んでいる。それは、その作家に影響を受けた他の作家たちを含むことすらある。もとの発話が両面的なものであればあるほど、その追随者や注釈家たちの一致した誤りのパターンは、画一的で普遍的なものになる。すべての文学言語、そしていくつかの哲学言語は本質的に両面的なものだという観念を、人は原則的にはあっさりと認めるにもかかわらず、ほとんどの文学の注釈や文学的影響に含まれている機能は、いぜんとしてこうした両面性を矛盾へと還元したり、作品の中の混乱を招く部分を隠蔽したり、あるいはもっと微妙な仕方で、テクストの内部で働いている価値づけの体系を操作することによって、何とかして両面性を払いのけようとしているのである。特にルソーの場合そうであるように、両面性がそれ自体哲学的命題の一部をなすときには、こうしたことは非常に起こりやすい。この点からみればとりわけルソー解釈の歴史は、彼が言っていないことを言ったかのようにみせるための多種多様な戦略と、そして意味を確定的に輪郭づけようとするこうした誤読の収束とに、満ち満ちているのである。それはまるで、ルソーが生前苦しんでいたと想像されるパラノイアが、彼の死後に現れて、敵も味方もこぞって彼の思想を偽装するという陰謀に駆り立ててでもいるかのようだ。(中略)ルソーの場合、そうした誤読にはほとんど常に、知的あるいは道徳的な優越性のニュアンスがつきまとっているということだ。あたかも注釈者たちは、いちばんましな場合でも、彼らの著者が取り逃がしてしまったものについて弁解したり、処方箋を出さなければならないかのように思っているのである。ある本質的な弱点のために、ルソーは混乱と背信と隠遁に陥ってしまったというのだ。と同時に、まるでルソーの弱点を知っていることが何らかの形で自分自身の強さを反映するかのように、判断を下す方は自信を回復していることが見てとれるだろう。彼は何がルソーを苦しめていたのかを正確に知っているから、あたかも自民族中心主義的な人類学者が原住民を観察したり、医者が患者に忠告するときのような、揺るぎない権威という立場からルソーを観察し、判断し、補助することができるのである。批評的態度は診断的なものとなり、ルソーはまるで、自分から助言を与えるよりも、むしろ助けを求めている存在であるかのように見なされる。批評家はルソーについて、ルソーが知りたいと望まなかった何かを知っているのである。》
(了)
*****引用または参考文献*****
*村上春樹『象の消滅 短篇選集1980-1991』(『レーダーホーゼン』『納屋を焼く』所収)(新潮社)
*村上春樹短篇集『蛍・納屋を焼く・その他の短篇』(『納屋を焼く』所収)(新潮社)
*村上春樹『全作品第1期 第3巻』(『納屋を焼く』、付録「『自作を語る』――短篇小説への試み」所収)(講談社)
*イ・チャンドン監督映画『バーニング 劇場版』
*村上春樹短篇集『回転木馬のデッド・ヒート』(『初めに・回転木馬のデッド・ヒート』『レーダーホーゼン』所収)(講談社)
*村上春樹『全作品第1期 第5巻』(『レーダーホーゼン』、付録「『自作を語る』――補足する作品群」所収)(講談社)
*川上未映子/訊く、村上春樹/語る『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮文庫)
*村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文春文庫)
*加藤典洋『村上春樹の短篇を英語で読む 1979~2011』(講談社)
*レイモンド・カーヴァー『ぼくが電話をかけている場所』村上春樹訳(中公文庫)