文学批評) E.M.フォースター『ハワーズ・エンド』の諸相

  

 

 まず、フォースター『ハワーズ・エンド』の訳者でもある吉田健一が、『英国の文学』の最終章「Ⅹ その後」に書いた短い文章から始めたらどうだろうか。

《ここでは英国の文学に就て語り終るのに当り、その二十世紀文学、或は二十世紀前半の文学であつて必ずしも近代文学ではないものに触れて置きたい》として、《先ず挙げたいのは、小説家のE.M.フォオスタア(Forster)である》と始まる。

 フォオスタア(フォースター)=「彼」について、

《彼には主観がないのではなくて、彼の場合は、その質が問題なのである。それはシェイクスピア「嵐」ミランダがナポリ王の一行を見た時に言ふ、

 このやうな人達が住んでゐる世界は、/何と美しいのでせう。

といふ言葉に表されてゐる清純な驚きに最も似てゐる。そしてかういふ態度で書くにはその人間の知性が始終その周囲の現実と微妙に折り合ひ、これに柔軟に反応してゐることが必要であつて、それは単に所謂、もの解りがいいことと違ひ、解つたことに対する解らないことの圧倒的に大きな比率の感覚をいつも失わないでゐることなのである。我々が大人の世界に住んでゐて子供の驚きから遠ざからずにゐることの困難はそこにあり、その驚きとともにあることがフォオスタアの小説家としての秘密であると言へる。》

 その処女作『天使も足を踏み入れるのを躊躇する辺り』をとりあげ、

《登場人物の行動は彼にとつて尽きない興味の対象であり、従つて又その動機やさういふ行動によつて生じる結果は彼自身がそこから受ける印象と同じ新鮮な筆致で描かれてゐる。これ程に人物の言葉や行為が正確に表現を与えられたのはジェイン・オォステン以来のことではないかといふ感じさへして、又事実、もしオォステンの小説が十八世紀の小説の意識的な調整であるならば、フォオスタアは十八世紀の小説に復帰することを意識的に試みてゐるとも考えられる。

 フィイルディングやスタアンは人間に対する興味に駆られて小説を書いた。そしてフォオスタアはさういふ興味を持つことが小説の本質をなすことを、彼が小説を書く上で意識してゐる。彼にとつては現実といふもの、人間の生活といふもの一切がその痛切な関心の対象であつて、この対象に就て彼が何かの形で裁断することがないのは、応急の価値論といふ風なものが用をなさないその対象の奇異で不可解な性格をそのまま伝へる方が、自分が持つてゐる関心に忠実であることなのだと考へるからである。フォオスタアにとつて確実なのは、さういふ現実といふものとの交渉に際して人間が人間らしくなることだけであり、かうした不確実な事情が彼の興味を惹いて止まない。それはそのやうに不確実であることが美、醜、或は生命や死などの、本質的な状態を事物が呈するのを妨げないからで、彼は現実の至る所にさういふ状態にある事物とともにこの不確実な性格を発見してそれに魅せられ、更にその現実の向う側に眼を転じる。又この場合も、その関心が切実であることに変りはなくて、彼の小説をフィルディングのと比べると、もつと知的に、従つて又、それだけ徹底した形で生気に満ちてゐる。》

 ついで、『ハワーズ・エンド』に移って、

《超現実の世界が我々の生活で占めてゐる不確実な、併し事件に富む領域とさういふ事件を含めての我々の具体的な生活の両面から人間を描かうといふこのフォオスタアの試みは、彼が一九一一年に発表した「ハワアヅ・エンドの屋敷」(Howard’s End)で初めて結実した。この傑作の最も大きな特徴は、作者の主義主張に支配を受けない登場人物が、その代りに各自の主義主張を持つたその日常生活の秘密を素直に作者に明して、作者が設定した一篇の物語の世界でそのやうに自由に、彼等自身の姿をして息づき、又、場合によつては死んで行くことにある。

 主義主張とは、我々の生活で精神が占めてゐる部分を指すのであり、精神が肉体と同じ比率で、といふのは、過不及なしに、又それだけ鮮明に描かれてゐる小説は稀であつて、それがこのフォオスタアの小説を異様に爽かなものにし、我々がその為に感じる驚きは、そのままミランダが人間の世界に対して感じたものである。それがフォオスタア自身のものでもあることは言ふまでもない。ここでは、超現実の領域に対する関心は、遠くに向けられた視線がその中途で見渡す視野の広さになつて、この小説の多面的な世界を統一してゐる。この広さと切実な眼差しの対照に、我々は又しても「嵐」の世界を思はざるを得ない。(中略)

 一九一一年に出た「ハワアヅ・エンド」を今日読んで見ても、少しも古い感じがしない。それは、十八世紀の文学を支えてゐる素朴な人間観が今日の我々には新しいものであるといふことに加へて、二十世紀の人間の生活感情がフォオスタアの小説に出て来る人物の輪郭を素朴であるのみならず、克明に浮び上らせてゐるからである。彼等が生活する舞台は英国であると同時に、ヨオロツパであり、それ故に、自分達が営む生活が健全なものであることを保証する為に、彼等はその生活が国土に根を降ろしてゐることの必要を感じてゐる。(中略)

 フォオスタアは英国で創造された小説といふ形式を、二十世紀の小説家の立場から完成することを目指した。それは人間をその人間の姿で素朴に描いてこれに生命を与へることであり、十九世紀に英国の小説に起つた一種の歪曲が、まだ二十世紀の人間の肉付けをすることで登場人物を更生させる道を残してゐたのである。》

 

<エピローグ>

《「ただ結びつけることさえすれば……」》

 

<第1章>

 シュレーゲル姉妹の妹ヘレンは、ロンドン郊外にあるウィルコックス家の持ち家「ハワーズ・エンド」に招かれ、姉マーガレット(メッグ)に手紙を送る。

《まず、ヘレンがその姉に宛てた何通かの手紙から始めたらどうだろうか。》

 巧みな書き出しである。

 

《こんなことをいちいち書いたのは、あなたがいつか、人生は時には人生で、時には単に劇にすぎないことがあり、その二つを区別しなければならないといったことがあるからで、わたしは今までそれがメッグのいつもの利口ぶった出鱈目(でたらめ)と思っていたけれど、今朝は人生がほんとうに人生ではなくて芝居のように思われて、ウィルコックス一家を見ているのがとてもおもしろかった。》

 

 三通目で、

《あなたがなんというか知らないけれど、ここの人たちの若いほうの息子で、水曜日にここに着いたばかりのポールとわたしが愛し合う仲になりました。》

 

<第2章>

《マーガレットは途中で話をするのをやめて、ロンドンの朝の音に耳を傾けた。マーガレットたちの家はウィッカム・プレースにあって、そこが割に静かなのは表通りと高層建築の一山を隔てているからだった。そこでそこは水溜り、であるよりも、満潮になるとそこからは見えない海から音が流れこんできて、干潮になってまだまわりでは波が打ち合っているのに音が引いて行き、後に沈黙が残る河口に似ていた。その一山の建築は住宅ばかりで、玄関が大きな口を開け、中は門番と鉢植えの棕櫚(しゅろ)でいっぱいだったが、役には立って、向かい側のもっと古い何軒かの家にある程度の静寂を保証した。しかしそういう家もいずれは壊されて、ロンドンの貴重な地面で人間がだんだん高みに住むようになるに従って別な高層建築の一山がそこに作られることになるのだった。》

 この小説は、「都会と田舎」「住宅事情と環境問題」といった二項対立も一つのテーマであり、「英国」という島国、帝国の運命に、「海」の比喩が時間・空間的に使われる。

 

《「こういうと差し出がましいかも知れないけれど、慌ててはいけませんよ、マーガレット。そのウィルコックスというのは、どういう人たちなのかしら。わたしたちと同じような人たちでしょうか。これからもつき合って行ける人たちなのかしら。わたしはヘレンが普通の人間とは違った特別な人だと思っていますけれど、そのヘレンが解る人たちでしょうか。例えば、文学とか、芸術とかに関心があるんでしょうか。それが大事なことなんですよ、考えてみれば。非常に大事です。」》

と力説するマント夫人(ジュリー叔母。姉のエミリーは娘マーガレットが十三、ヘレンが五つで末っ子のティビーが生れたときに亡くなった)が、ティビーの枯れ草病を看病しなければならなくなったマーガレットの代わりに、姪ヘレンを救おうと、キングス・クロス駅からのりこむ。マーガレットが家に戻ると、「スベテオシマイ。テガミカカナケレバヨカツタ。ダレニモコンドノコトイワナイデ。ヘレン」という電報が待っていた。

 喜劇的な「おふざけ」、ユーモアというのも英国文学の特徴といってよい。

 

<第3章>

《汽車は無数のトンネルを通って、北に向かって進んでいた。降りるまでに一時間しかかからない旅行だったが、夫人は何度も窓を開けたり、締めたりしなければならなくて、汽車が南ウェルウィン・トンネルを通って明るくなったかと思うと、もう悲劇が起こったので名高い北ウェルウィン・トンネルに入っていた。それか広々とした牧場やテュウィン河の流れを一直線に横切る巨大な陸橋を渡り、政治家の別荘が並んでいる脇を過ぎ、時には北国街道が線路に並行して走っていて、これどんな鉄道よりも無限を思わせるものだった。(中略)

 ハワーズ・エンドに行くのにはヒルトンで降りて、これは北国街道に沿っていくつも、駅馬車の時代やそれ以前からの交通で大きくなった村の一つだった。》

「風景」の描写もこの小説を読むことの愉しみの一つだ。

 

 マント夫人は、ウィルコックス家の長男チャールスと口論をはじめてしまう。ヘレンの恋の相手、次男ポールにチャールスが問いつめる。

《「ポール、ほんとうなのか」

「わたしは――」

「はっきり返事しろ。簡単な質問に簡単に返事すればいいんだ。シュレーゲルさんは――」

「チャールス」という声が庭のほうから聞こえてきた。「チャールス、簡単な質問なんてするもんじゃありませんよ。そんなものはないんです」

 それはウィルコックス夫人、みんな黙ってしまった。

 ウィルコックス夫人はヘレンの手紙に書いてあったとおり、芝生の上を長い裾を引き摺って近づいてきて、その手に一握りの干し草も持っていた。彼女がそこにいる若いものたちやこの連中の自動車よりも、その家とそれに影を投げかけている木に属している感じがして、彼女が過去というものを崇拝し、過去だけが与えることができる本能的な叡智、――それを人が貴族的というような言葉でしか表せないでいるものを彼女が受け継いでいることがすぐに解った。彼女は高貴な家の生まれではなかったかも知れないが、その祖先たちを敬っていたことは事実で、いつもその助けを借りていた。チャールスが怒っていて、ポールが怖気づき、マトン夫人が泣いているのを彼女が見ると同時に、その祖先たちが、「お互いに傷つけ合おうとしているあの人たちを引き離しなさい。他のことは後でいい」と彼女にいった。それで彼女は質問などせず、また、社交に馴れた女ならばやったように、何も変わったことが起きていはしないという顔もしなかった。「シュレーゲルさん、叔母様をあなたの部屋か、わたしの部屋か、どっちでもあなたがいいとお思いになるほうにお連れしてくださいませんか」と彼女はいった。》

「過去だけが与えることができる本能的な叡智」は、この先、「結びつける」ための力となるだろう。

 

<第4章>

《ポールがくる前から、彼女(筆者註:ヘレン)はポールを迎えるのに適した状態になっていた。ウィルコックス家の人たちの活気が彼女を魅了し、その感じやすい精神にいくつもの新しい美の影像を生じさせた。この人たちと一日中、外に出ていて、夜は同じ屋根の下で眠ることがヘレンには人生で最大の喜びのように思われ、それが場合によっては恋愛の前触れになり得る種類の没却を来(きた)した。ヘレンはウィルコックス氏、あるいはイ―ヴィー(筆者註:ウィルコックス家の末娘)、あるいはチャールスに言い負かされるのが少しも不愉快でなくて、人生というものについての自分の考えが温室、あるいは象牙の塔で育てられたものだと非難されるのも、また、人間が平等でなければならないなどというのは嘘であり、婦人参政権も、社会主義も嘘で、芸術も文学も、それが人格を養成するのに役立つものでないかぎり、無意味だといわれるのも、けっしていやではなかった。それまでシュレーゲル家の一人として信じていたすべてのことがこうして覆されて、彼女はそれに抗議しながらも、実は嬉しくなっていた。ウィルコックス氏が、一人のしっかりした実業家のほうが十人の社会主義者よりも世間のためになることをするといったとき、ヘレンはこの奇妙な主張をなんの苦もなく受け入れて、ウィルコックス氏の車の上等なクッションの中にからだを沈めた。》

 

《英国人にとっては、こういう人間と人間の偶然の触れ合いを嘲るのは容易なことで、その中の皮肉屋にも、道徳家にも、いい材料を提供する。一時の感情といって、その感情が続いていた間はいかにも生き生きしたものだったかを忘れるのはなんでもないことである。また確かに、この忘れて嘲りたくなる本能は結局は有益なもので、それによってわれわれは感情だけでは不充分であり、男と女というのは単に放電が行われることを許すものであるだけでなくて、もっと恒久的な関係を保つことができる存在であることを認める。しかしわれわれはこの本能を高く評価しすぎて、こうした取るに足らない種類の触れ合いで天国の扉が開かれることもあることに対して眼を塞いでいる。とにかく、ヘレンの場合はその一生の間、その一生からたちまち消えた一人の青年の抱擁を凌(しの)ぐ充実した経験を遂にすることがなかった。彼は、明るくて人に見つかる危険がある家の中からヘレンを連れだして、彼が知っている小道を通って楡の大木の下まできた。彼も暗闇では一人の男で、ヘレンが愛を望んでいるときに、彼女に、「あなたをわたしは愛している」と囁いたのだった。そしてやがて彼というものはヘレンの世界から消え去ったが、彼がその木の下で相手を勤めた場面は残った。その後、年月がたって行っても、ヘレンは二度とこれに似たことに出会わなかった。》

 

 マーガレットはいった、

《「わたしはよくそれについて考えることがあるのよ、ヘレン。これはおもしろいことで、わたしも、あなたも知らない大きな外の人生、――怒ったり、電報を打ったりすることが意味がある人生っていうものがあるっていうのはほんとうなのね。そこでは、わたしたちが一番大事に思っている人と人の関係はそれほど大事じゃなくて、恋愛は夫婦財産契約、人が死ぬのは相続税を意味する。そしてわたしが困るのは、その外の人生が、それがどんなにいやなものであっても、ほんとうの人生のように思われることがあることで、――とにかく、そこには手ごたえがあるものがあるし、人間がそれで鍛えられるんですものね。またそれならば、人と人の関係というのは、しまいには人間を堕落させるのかしら」》

 

《ウィルコックス事件は、甘美と悲惨が混ざり合った思い出を後に残して、いつの間にか過去のことになり、二人はヘレンが提唱した生活の仕方を続けた。二人はお互いに、あるいは他の人たちを相手に話し合い、ウィッカム・プレースの奥行きがなくて高い家に二人が好きな、あるいは助けてやることができる人たちを集めた。二人は演説会などにも出かけて行って、この二人は二人なりに非常に政治に関心があったが、ただそれは、政治家が望むようなぐあいにではなかった。二人が願ったのは、社会がわれわれの内面の生活ですべていいと認められることを反映することで、節制とか、寛容とか、男女同権とかいうことならば二人にとって意味があったが、英国のチベットでの積極政策というようなことになると、こういう重大な問題に必要な注意を払わず、どうかすると、英帝国というもの全体を尊敬はしても、何かわけが解らないものとして片方に押しやることがあった。こういう二人は歴史の大事件の材料にならなくて、もし世界にいるのがシュレーゲル家の人たちばかりだったならば、それは血が通っていない灰色の場所になるに違いない。しかし世界がわれわれが知っている世界というものである以上、こういう人たちはそこで星のように輝いているともいえる。》

 

《二人の素性について一言ここで説明して置くと、二人はその叔母が熱心に主張したのとは違って、骨の髄まで英国人なのではなかった。しかし同じくその叔母の言葉を借りれば、いやな質のドイツ人でもなくて、二人の父親は五十年前にはドイツに今よりも多くいた型の人間であり、英国の新聞記者が好んで書き立てる挑戦的な種類のドイツ人でもなければ、英国の皮肉屋が冗談をいうときの材料になる家庭に縛られたドイツ人でもなかった。彼はむしろ、カントやヘーゲルの同国人と見るべきで、理想家であり、夢想家であって、その帝国主義は観念の世界に支配を目指したものだった。しかしこれは、彼が何もしないで一生を送ったということではなくて、彼はデンマークオーストリア、およびフランスとの戦争では、何もかも忘れて戦ったのであるが、彼は勝利の結果がどういうことになるかを、そのときはまだ予想していなかったのだった。》

 彼は英国に帰化して、地方のある大学に就職し、英国人のエミリーと結婚し、エミリーには財産があったので、ロンドンに移り、交際の範囲もかなり広くなった。

《しかし彼の心はいつも海の向こうにあって、彼の望みはその祖国を蔽っている物質主義の雲がいずれは切れ、そこから知性の柔らかな光が再び差してくることだった。》

 

<第5章>

 ベートーヴェン『第五交響曲(運命)』のクインス・ホールでの音楽会で、ヘレンが傘を間違えたことがきっかけとなって、姉妹は若い男と知りあう。

《「もっとも、それもこれもみんな、ワグナーがいけないんですよ。あれが十九世紀ではだれよりも芸術をいっしょくたにするのに尽したんですよ。わたしは音楽は今、ほんとうに危険なときにきていると思うんです、おもしろいことは非常におもしろいんですけれど。時どき、ワグナーのような大変な人が現われて、人間の頭の井戸を全部、搔きまわしてしまうんですね。そのときは水が飛び散ってすばらしいけれど、後は泥の海で、それにこの頃は井戸と井戸の間の水の流通がよくなりすぎているもんだから、なかなか澄まないんです。そしてそれはみんな、ワグナーがしたことなんですよ」

 マーガレットがいっていることはどれもこれも、若い男の頭から小鳥の群れのように飛び去っていくだけだった。もしこんなぐあいに話をすることができたなら、世界は彼のものだった。もし自分にも教養があって、外国の人間の名前を正確に発音し、見聞が広くて、どんな問題を持ちだされてもすぐにそれに答えられたら、と彼は思った。しかしそういうことができるようになるまでは何年もかかり、昼の食事に一時間と、晩になって疲れ切ってからの何時間かがあるだけでは、子どもの頃から本を読んでばかりいた余裕がある女たちに追いつける見込みは彼にはなかった。ほんとうのところは、自分もいろいろな名前を知っていて、モネやドビュッシーのことも聞いたことがあるような気がするのだったが、困るのは、彼にはそれを使って利いたふうなことをいうことができず、会場から持って行かれた傘のことが忘れられないことだった。その傘がいけないので、モネとドビュッシーの背後でその傘がドラムを打ち続けていた。》

 

<第6章>

《われわれはこの話では、非常に貧乏な人たちには用がない。そういう人たちについて考えてみようとしたところで無駄であって、それは統計学者か、あるいは詩人の領分である。この話は紳士と淑女、あるいは紳士や淑女であるふりをすることを強いられている人たちのことに限られている。

 その若い男、レオナード・バストは紳士の身分の中でも一番端に当たる所にいた。彼は奈落に落ちてはいなかったが、それが見えていて、それまでに自分が知っているものがそこに落ちてそれきりになったことが幾度もあった。彼は自分が貧乏であることを知っていて、それをはっきり人に言いはしても、そのために自分が金持ちに劣っているなどということを死んでも認めはしないのだった。その態度は立派だったかも知れないが、彼が大概の金がある人間に劣っていることは明らかだった。彼はそういう人たちほどは礼儀を知らなければ、頭もよくなかったし、からだも丈夫でなくて、人好きもしなかった。彼は貧乏だったのでその精神も、肉体も必要なだけの養分を与えられていなくて、そしてまた、彼は現代人だったから、その肉体も、精神もより上等なものを供給されることをいつも求めていた。》

 イギリス社会の下層中産階級中流階級、上層中産階級の溝と融合が織りあげられる。

 

ウェストミンスター橋を渡り、セント・トーマス病院の前を通り、ヴォークゾール区で西南鉄道本線の下になっている巨大なトンネルに入って、その中で立ち止まって汽車の轟音をしばらく聞いていた。そうすると一瞬、烈しい頭痛が彼を襲って、彼は自分の眼窩(がんか)の恰好をはっきり感じた。それからさらに一マイル歩き、カメリア・ロードという名の、今のところは自分の住居がある道路の入口がくるまで足を緩めなかった。

 彼はそこで再び立ち止まって、ちょうど、兎が自分の穴に飛びこむ前にやるように、用心深く右左を見た。そこは両側に安直に立てた集団住宅が聳えていて、その先にさらに二箇のそういう住宅が建てられつつあり、さらにその向こうにももう二箇建てるために一軒の古い家が壊されているところだった。それはロンドンのどこでも行われていることで、この町にますます多くの人間が入りこんでくるに従って煉瓦とセメントが噴水の水の慌(あわただ)しさで落ちていっては、また持ち上げられているのだった。》

 

《「ヴェニスの北方七マイルの所で――」

 この『ヴェニスの石』に出てくる有名な一章の書きだしは完璧であって、そこで詩と説得が一つになっているぐあいは見事というほかない。金持ちのラスキンが、そこでゴンドラの中からわれわれに語りかけているのである。

ヴェニスの北方七マイルの所で、もっと町の傍では低潮時にやっと水の上に出る程度の砂州がしだいに高くなり、遂に一つになって塩気が多い沼沢地を作り、その所々は盛り上がって不恰好な小丘をなし、そこに海がいくつもの細い水路になって入りこんでいる」

 レオナードはラスキンが英国一の名文家であると聞いて、その文体を勉強しようとしていた。彼はときどき、書き入れをしながら、一生懸命に読んで行った。》

 

 レオナードが二十一になったら結婚すると約束している、《手短にいえば、ちゃんとした女》ではない三十三のジャッキーが、女友だちの所から帰って来た。

《その外観は形容を絶するもので、リボンや、鎖や、頸飾りがかち合い、絡み合って、紐とベルを引く綱で蔽われているように見え、羽を空色に染めた襟巻をしていて、その片方の端が片方のよりも下に落ちてきていた。(中略)ジャッキーが、その若いときというのがどんなものだったのであっても、もうそれを過ぎているのは間違いないことで、彼女は色も香もない年齢に大概の女よりも早く転落しつつあり、その眼の表情がそれを認めていた。》

 

 ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民(ダブリナーズ)』、『若い芸術家の肖像』、『ユリシーズ』を連想させる、うす汚れた哀愁と魂の彷徨。

《食事は、レオナードが湯に溶かした固形スープで始まった。次が缶詰の牛の舌で、これは上にジェリーが少しのり、下に黄色い脂がたくさんついている斑の肉の円い塊で、最後に、レオナードが前に水に溶かして置いた別な固形の食糧でパイナップルの味がするジェリーが出た。ジャッキーはそれを結構、満足そうに食べて、時どき、その不安げな表情をした眼でレオナードを眺め、彼女の外観にはその表情に相当するものが何もなかったが、それでもそれは何か彼女の魂そのものを映しているようだった。(中略)

 そのうちに、ジャッキーがまたレオナードの膝の上にきた。カメリア・ロードの住民がちょうど、二人の頭の所にある窓の前を行ったり、きたりし、一階の住宅にいる家族が讃美歌を歌い始めた。

「あの節を聞くと寒気がする」とレオナードがいった。(中略)

 台所の向こうの暗闇から、「レン」と呼ぶ声が聞こえた。

「寝たのか」と彼は額をひきつらせていった。

「む……」

「解った」

 そのうちにまたジャッキーが彼を呼んだ。

「靴をこれから磨くんだ」と彼は答えた。

 そのうちにまたジャッキーが呼んだ。

「この一章をすませてから行く」

「何」

 彼は黙っていることにした。》

 

<第7章>

 ロンドンのシュレーゲル家の向かいの高級住宅、ウィッカム・マンションスにウィルコックス家が引越してきたのをマント夫人が発見して、ヘレンがどう思うだろうかと心配した。

《「金がものの角(かど)を取るんです」とマーガレットはいった。「それだから金がない人は大変なんです」

「でも、それはずいぶん、新しい考えね」と、ちょうど、栗鼠(りす)が木の実を集めるように新しい考えを漁(あさ)るのが好きで、ことに持ち運びに便利なのに惹かれるマント夫人がいった。

「わたしにとっては新しいけれど、しっかりした人たちは前からそれを認めていたわけでしょう。叔母様やわたしたちやウィルコックスさんたちは島の上にと同じように金の上に立っているんです。それがあまりに堅固にわたしたちの足の下にあるもんだから、わたしたちはそれがあることさえも忘れて、だれかが傍で足許が危なくなっているのを見て初めて財産があるというのが、どういうことか解るんです。昨晩、ここの炉のまわりでみんなが話をしていて、わたしは世界の魂そのものが経済的なものではないか、一番恐ろしいのは愛情のなさではなくて金のなさではないかと思い始めたんです」

「それはなんだか皮肉な考え方じゃないかしら」

「わたしもそう思います。でも、ヘレンやわたしたちは人のことをとやかく言いたくなるとき、わたしたちはそういう島の上にいて、他の人たちの大部分は海の水面の下にいるんだっていうことを考えなければならないんです。貧乏な人たちは自分が愛したい人たちの所まで行けないし、もう愛さなくなった人たちから離れることも出来ないんですから。わたしたちのような金持ちにはそれができます。もし今年の五月にヘレンとポール・ウィルコックスが貧乏で、別れるのに汽車や自動車を使うわけに行かなかったら、どんな悲劇が起こったか解らないでしょう」》

 

<第8章>

 マーガレットはヘレンとポールの問題が再燃することを心配してウィルコックス夫人に、「わたしたちが奥様のご一家とおつき合いしないほうがいいのではないかと思う」という手紙を送ると、夫人からは「ポールが外国に立った」と知らせてきた。マーガレットの馬鹿げた心配は消えたが、夫人に失礼なことをしたとの確信から、すぐさまウィルコックス夫人の住居を訪ね、寝室に通されたのだった。

《「間違っているかも知れない本能だったんです」と夫人は繰り返していった。

「別な言葉で言いますと、あの二人は恋仲になることができても、いっしょに暮らせない二つの違った型の人間だということなんですね。それは確かにそうなんでしょうね。こういうことでは十中八九、自然の要求と人間性が一致しないようなんですから」

「それはほんとうに別な言葉ですね」とウィルコックス夫人がいった。》

 

《夫人の声は美しくて迫力があったが、変化に富むものではなかった。それは絵や、音楽会や、いろんな人に会うのは、いずれもたいしたことではないし、その間に優劣もないといっているような感じがした。夫人の声が生気を帯びたのは一度、ハワーズ・エンドのことに夫人が触れたときだけだった。(中略)

「あすこには車庫もおありになるんですか」

「ええ、家の西側にあの楡の木があって、その傍に小馬の囲いができていた所に主人が先月、小さなのを作らせたんです」

 その言葉にはなんとも言いようがない響きがあった。

「その小馬は」とマーガレットがしばらくして聞いた。

「それはもうずっと前に死んだんです」

「その楡の木は覚えています。ヘレンが見事な木だといっておりました」

ハートフォード州で一番立派な楡の木なんです。お妹さんは歯のことはおっしゃいませんでしたか」

「いいえ」

「それがおもしろいんですよ。その木の幹に、地面から四フィートくらいの所に豚の歯が何本か挿してあるんです。あの辺の人たちが昔そうして、あの木の皮を少し取って嚙めば、それで歯が痛いのが直るというんです・もっとも、その豚の歯が今では木の皮にほとんど隠されていて、もうだれも木の皮を嚙みにこなくなってしまいましたけれど」

「わたしだったら行きます。わたしは民間伝承や、そういう碌でもない迷信がなんでも大好きなんです」

「あなたはほんとうにそう信じれば、あの木の皮で歯が痛いのが直ったとお思いになりますか」

「勿論です。なんだって直ったんじゃないでしょうか」

「わたしもそういうことがあったのを覚えています。――わたしは主人があすこにくるずっと前からハワーズ・エンドにいたんですよ。わたしはあの家で生まれたんです」》

 

《「どうかすると、わたしはあなたがご自分が若い女であることをお忘れになっていらっしゃるんじゃないかと思うことがあるんです」

 マーガレットはびっくりし、少し不機嫌にもなった。「わたしは二十九で、もうそう若くはありません」と彼女は答えた。

 ウィルコックス夫人が笑顔になった。

「なぜそうおっしゃるんですか。わたしが何か失礼なことか、気が利かないことを申し上げたんでしょうか」

 夫人が首を振った。「わたしはただ、わたしが五十一で、わたしにはあなたたちがお二方とも、――わたしにははっきりいえませんが、きっと何かの本にそういうことが書いてありますから、読んでください」

「解りました。――経験がないとおっしゃるんでしょう。わたしもヘレンもその点が違わなくて、そのわたしがヘレンの世話を焼いているということじゃないでしょうか」

「そう、それです。経験がないということなんですね」

「経験がない」とマーガレットは真剣で、それでいて明るい調子で繰り返していった。「勿論、わたしはまだ何も知らないんです。――何もで、ヘレンよりも少しはということもないんです。そして人生というのはむずかしくて不意にいろんなことが起こるもので、とにかく、それだけはわたしにも解ったといえます。それで、謙虚でいて人に親切にすることを心がけてどんなことにもめげないで、人を憐れむよりも愛し、困っている人たちを忘れないで、――もっとも、そういう矛盾したことを全部、いっしょにやることはあいにく、できないわけです。そこに兼ね合いということの意味があると思うんです。――兼ね合いで生きていくこと。それを初めからやるんじゃなくて、そんなことをするのは悟った気でいる人たちだけなんですから。それよりも、最後に、もっといい方法がどうしてもなくて土壇場(どたんば)にきたときに兼ね合いを持ちだして、――なんということでしょう。わたしはお説教を始めたんです」

「あなたは生きて行くことの困難をはっきりおっしゃいました」とウィルコックス夫人が影の中に自分の手を引き戻していった。「わたしはちょうどそういう言葉を探していたんです」》

 エピローグの「結びつけること」における「兼ね合い」の重要性をめぐって小説は展開する。

 

<第9章>

 マーガレットが《ウィルコックス夫人を主賓にしてやった昼の昼食会は成功ではなかった。この新しい友だちは相客に呼ばれた、「一人か二人、感じがいい人たち」とうまく合わなくて礼儀正しい行き違いとでもいうほかないものがそのときの空気だった。》

 

<第10章>

 夫人がマーガレットに、いっしょにクリスマスの買いものにきてくれないかと手紙で頼んできたので、二人で馬車でハロッズやヘイマーケット・ストアスへ買いものにでかける。

《マーガレットは一般に受け入れられている意味ではキリスト教徒ではなくて、神がかつて人間の世界で若し職人になって働いたということは信じなかった。それに対して、ここにいる人たち、あるいはその大部分はそれを信じていて、必要があれば、それを言葉にしてはっきり表明するに違いなかったが、その信仰の外面上の現われはリージェント・ストリートの店であり、ドルーリー・レーンの劇場であって、いくらかの泥が移動し、いくらかの金が使われ、いくらかの食物が料理され、食べられて、やがて忘れられるということなのだった。それでは不充分で、しかし人前では超現実をどうしたら充分に表現することができるだろうか。すべて無限のものを反映するのは人間の個人的な生活であって、人間と人間のつき合いだけがわれわれの日常生活での視野を越えて存在するものを暗示するのである。》

 作者のはしきりと魂に呼びかけるが、それは宗教的なものではない。

 

 会話の中で、マーガレットたちは、もう二、三年で借りている期限が切れれば、今の家を出て行かなければならないと知った夫人は、これからいっしょにハワーズ・エンドまでいらっしゃいませんか、あの家をお見せしたい、というのだった。いったんは、いつか他の日に連れて行っていただきます、と遠慮して別れたのだが、家に帰ってから、

《彼女はウィルコックス夫人が申し分ない妻であり、また、母親でありながら、ただ一つのことにしか情熱を傾けていなくて、それはその家であり、友だちとこの情熱を分け合うことを求めるというのは重大なことなのだということを理解した。それに対して、「他の日に」と答えるのは、馬鹿がすることだった。ただの煉瓦やセメントでできたものについては「他の日に」でかまわなかったが、ウィルコックス夫人が神聖なものにしたハワーズ・エンドの場合は、それではいけなかった。》

 マーガレットがキングス・クロス駅にかけつけると夫人がいて、《「お泊りになるんですよ。家が一番綺麗なのは朝なんです。それで泊まっていただくんで、日の出のときでないと牧場をちゃんとごらんに入れることができないんです」》となったが、プラットフォームの向こうから、ヨーク州にいるはずのウィルコックス氏とイ―ヴィーが自動車事故のせいで戻ってきて、他の日に、となるのだった。

 

<第11章>

《年を追って、夏も、冬も、結婚したばかりの頃も、母親になってからも、彼の妻はいつも同じで、常に信頼することができた。そのやさしさやその無邪気はまったく類がなかった。その無邪気は神の恵みとしか思えないもので、ルース(筆者註:ウィルコックス夫人)は世間というものについて彼女の庭の花や牧場の草と同様にまったく何も知らなかった。例えば、事業ということについては、「ヘンリー、どうして金に困らないものがもっと金を儲けようとするの」だった。政治は、「もしほうぼうの国の母親たちが集まれたならば、戦争はきっとなくなるのに」で、宗教は、――それが一時の悶着の種だったが、これはまもなく解決した。》

 

《その妻が今は土の中に埋まっていた。どこかに行ってしまったので、それをさらに辛いことにするためのように、その行き方には妻に似つかわしくない何か不可解なところがあった。「なぜもっと前にいってくれなかったんだ」と彼は嘆いて、それに対して彼の妻は、「言いたくなかったのよ、ヘンリー。――間違っているのかも知れなかったし、だれだって病人はいやですもの」と低くて聞き取りにくい声で答えたのだった。彼はその恐ろしい病気のことを、彼が旅行している間に妻が見てもらいに行った、それまで彼が会ったことがない医者に聞かされた。それでよかったのだろうか。彼女は充分に説明をしないで死んだのだった。それは悪いことで、――彼の眼はまた涙でいっぱいになった、――悪いといっても、それはなんという小さな過失だっただろうか。彼の妻が三十年間に彼の眼を盗んで何かしたのはそのときだけだった。》

 

《そこここで深い息をするのが聞こえて、それは集まったものが気を落ち着けようとしているのだった。チャールスはそれを助ける意味で、例の手紙を朗読した。「お母さまの筆蹟のもので、これがお父様に宛てた封筒に入って封がしてあった。『ハワーズ・エンドはシュレーゲルさん(マーガレット)に遺したいと思います』と書いてあって、署名も日づけもない。これは病院の婦長に託されてここに送られてきたんだ。ところで、問題は――」

 ドリー(筆者註:チャールスの妻)がそのとき、「でも、それじゃそれは正式なものじゃないじゃありませんか」といった。

「家を譲ったりするときには弁護士に頼むんじゃないの、チャールス」

 チャールスは顎を烈しく動かして、こめかみのところが盛り上がったが、ドリーはまだそれが危険信号であることを知らなくて、手紙が見たいといった。チャールスは父親のほうを見て、ウィルコックス氏は、「見せてやって」と他のことを考えているようすで答えた。ドリーが手紙をチャールスの手から取って、すぐに、「鉛筆で書いてあるじゃないの。だから、いったでしょう。鉛筆で書いたものなんか駄目なんだから」といった。

「それが法律上はなんの拘束力もないことは解っているんだ、ドリー」とウィルコックス氏がその防壁のような額の向こう側からいった。「それはわたしたちに解っていて、法律上は、その手紙を破って火にくべてもちっともかまわない。わたしたちは勿論、あなたをわたしたちの一人と思っているけれども、あなたに解らないことにはあなたは口だししないでいてもらいたい」

 自分の父親と妻の両方に対して不機嫌になっているチャールスが、「問題は――」ともう一度繰り返していった。彼は朝の食事の道具がまだ出たままになっているテーブルの一部から皿やナイフをどけて、テーブルかけに線を引いていた。「問題は、わたしたちが留守だった二週間にシュレーゲルさんが不当に――」とそこまでいって彼は言葉を切った。

「いや、そんなことはないと思う」と息子よりももう少しましな人間に生れついたその父親がいった。

「何がないんです」

「シュレーゲルさんが、――つまりそこに不当な干渉があったということだ。わたしの考えでは、問題になるのはむしろ、その、――病人が手紙を書いたときにどういう状態にあったかということだ」(中略)

 それで、彼らが必要なだけ話し合った後に、手紙を破いて食堂の炉に投げ込んだのは間違っていなくて、実際的な質の道徳家は彼等に無罪の判決をくだしていいのである。また、事物のもっと奥まで見ようとするものも、ただ一つの点だけを除いてそれがくだせる。一つだけ、動かせない事実が残っているので、それはウィルコックス家の人たちが一人の人間の願いを無視したということである。彼らに一人の女が死ぬ前に、「こうして」といったのであり、それに対して彼らは、「いやだ」と答えたのだった。(中略)

「要するに、あの人らしくないことだ、これは」とウィルコックス氏がそのときになって、はっきりいった。「もしシュレーゲルさんが貧乏で、家がなかったというのなら、少しは解る気がするが。しかしシュレーゲルさんはもう家を持っていて、もう一軒持ったところでなんになる。ハワーズ・エンドを貰ったところでどうにもならないんじゃないか」》

 

<第12章>

《マーガレットはかつて夫人に、自分が迷信を愛するといったが、それはほんとうではなかった。マーガレットのようにわれわれの魂と肉体を厚く包んでいる付加物の殻を真剣に破ろうとした女は稀で、ウィルコックス夫人の死はその仕事を手伝った。マーガレットは人間というのがどういうものであるか、また、人間がどれだけのものになることが望めるかが前よりももう少しよく解って、それまでよりももっとほんとうの人間と人間の結びつきもあるのではないかということを感じた。あるいは、われわれは希望というものを持つことができて、それは死後のことについてだけではないのだった。》

 

《ウィルコックス夫人が死ぬまでの最後の一週間にマーガレットはその人たちと何度も顔を合わせていて、彼らはマーガレットのとは違った世界に属し、ひどくもの解りが悪かったり、変に疑い深かったり、また、彼女にはなんでもなくできることがどうにもならなかったりすることがあった。しかし彼らと衝突することがマーガレットには刺激になり、チャールスに対してさえも、彼女はほとんど好意に近い興味を感じた。(中略)彼らはマーガレットには望めない「電報と怒り」の外の人生にいて、それが六月にヘレンとポールが触れ合ったときに一度、正体を現わし、今度はあの一週間にまたそれをやって、マーガレットにはその人生も意味を持ち、ヘレンやティビーのようにそれを軽蔑することはできなかった。それは手際のよさ、果断、従順などの美徳を養い、これは確かに第二義的な美徳であっても、文明はそれによって支えられていた。またそれが人間を鍛えることもマーガレットには疑えなくて、そのために人間の魂は女々しくなるのを免(まぬが)れた。こうしていろいろな種類の人間で人間というものの世界ができているとき、シュレーゲル家のものにウィルコックス家のものを軽蔑することが許されるだろうか。

「眼に見える世界に対する眼に見えない世界の優位についてあまり考えすぎてはいけないと思います」と彼女はヘレンに宛てた手紙に書いた。「その優位は事実であっても、そんなふうに考えるのは中世期の遺風で、われわれはその二つの世界を対立させずに、融和させなければならないのです」

 これに対してヘレンは、自分はそんな退屈な問題について考えるつもりは少しもないと考えてきた。この自分を見損なってはいけなくて、今、すばらしい天気で、モーゼバッハの人たちとポメラニアにあるただ一つの丘で橇(そり)遊びをして帰ってきたところなのだった。》

実生活における「男性性と女性性」の優位についてでもある。

 

<第13章>

《二年以上たって、シュレーゲル家の人たちはそれまでと同じ洗練された、しかし無為とはいえない安楽な生活を続け、ロンドンの灰色の波に優雅に漂っていた。》

 ウィッカム・プレースの家の期限が切れるときが近づいて、あと九ヵ月というところまできて、痛切な事実となった。オックスフォードに行って二年目になるティビーが春休みに帰ってきたので、マーガレットが本心を聞くと、どこに住みたいかティビーはまだ考えていなかった。これから何をするつもりかもティビーは解らなかった。

 ラノラインというような名前の奥さんが、わたしの亭主がいませんか、土曜の晩から帰ってこない、と《妖怪の足音のように深淵から現れた》が、要領を得ずに帰って行った。

 

<第14章>

 次の日、ポーフィリオン火災保険会社に勤めているバスト氏という人が尋ねてきて、彼がラノラインらしかった。

《期待された伊達男の代わりに、色も、声もない感じの、ロンドンではむしろ普通になっていて、その中心地のほうぼうに亡霊のように漂っているのがいくらでも見受けられるあの悲しげな眼つきと垂れさがった口髭がすでに身についた一人の若い男がいた。これが三代目で、文明が町に吸い寄せた羊飼い、あるいは小作人の孫であり、肉体の生活を失って、まだ精神の生活まで達していない無数のそういう人間の一人であることはすぐに解った。この若い男にも壮健な肉体の名残りや整った顔立ちの名残り以上のものがまだ感じられて、マーガレットは彼のまっすぐであってもよかった背や、もっと広くなったはずの胸を眺めながら、燕尾服一着と一つか二つの観念が動物の充足した存在に見切りをつけるのに価(あたい)するものだろうかと思った。彼女自身の場合は文化の作用がうまいぐあいに行ったが、その何週間かに彼女は、自然の状態にある人間と哲学的な傾向の人間の間にある溝があまりに大きいし、また、ますます大きくなり、それを越えようとしてあまりに多くのものがみじめなことになるので、文化に大多数のものを人間らしくする力があることを疑い始めていた。マーガレットは今そこにいる若い男が属している型の人間、――そのはっきりしない人生上の目標、精神的な面でのごまかし、外側からだけの本の読み方などをよく知っていた。》

 

 ラノライン(実はレオナード)は、クインス・ホールでのベートーヴェン『第五交響曲』の音楽会で、ヘレンはもうすっかり忘れていたが、彼女が傘を間違えて家に持ち帰った人物で、そのとき、マーガレットが渡していた名刺にジャッキーが気づいてウィッカム・プレースまで尋ねてきたのだった。

 彼は土曜日の一晩中、歩いていた、というのだ。メレディスの小説『リチャード・フェヴァレル』やスティヴンソンの『オットー』のように《大地に戻りたくて》、ウィンブルドンから森に入っていった、という。

《「一つの森を出て、その向こうにかなりのぼり坂の道がありました。あれは北部の丘原だったんだろうと思うんで、草原の中でそのうちに道がなくなると、また森に入って行ったんです。あれはひどかった。はりえにしだ(・・・・・・)だらけでね。ほんとうにこんなことをなぜする気になったんだろうと思い始めていると、ちょうど、木が一本あってその下を潜っているときに急に明るくなって、道を見つけてその先に駅があったから、そこを通った最初の汽車でロンドンまで戻ってきたんです」

「その明け方はすばらしくはなかったんですか」とヘレンが聞いた。

 そうすると、だれにも忘れられない真実がこもった声で、「いいえ」と答えた。その言葉は石投げで投げた小石のように飛んで、彼のそれまでの話でくだらなかったり、文学的だったりしたもの、スティヴンソンや、大地に戻ることや、彼が被っていたシルク・ハットがすべて崩れ落ちた。レオナードは二人の女の前で自分の声を見つけて、彼がかつて経験したことがなかった何ものかに乗り移られて話を続けた。

「明け方はただ鼠色をしているだけで、たいしたことはなかったんです――」》

 

《彼が馬鹿なことをしたとシュレーゲル家の人たちが思わなかったことは、レオナードには忘れられない一つの喜びだった。シュレーゲル家の人たちのことを考えている彼は最も彼らしくなっていて、それが次第に色褪(あ)せて行く空の下を帰って行く彼を支えていた。どういうぐあいにだったのか、貧富の差の壁が破られて、――彼にはどんなふうにいったらいいのか解らなかったが、――人間が住んでいる世界というものの驚異が何か確認されたのが感じられたのだった。「わたしの信念はだれか別な一人の人間が同じことを信じた瞬間に無限に力を得る」といった神秘主義者がいて、レオナードはシュレーゲル家の人たちと、鼠色をした日常生活の向こうにまだ何かがあるということで一致したのだった。》

 

<第15章>

 マーガレットとヘレンはレオナードの訪問のことでいっぱいになって、女ばかりの討論会クラブにでかけ、食卓で姉妹してバスト氏の話ばかりした。その晩のみんなの議論にもバスト氏が盛んに出てきた。この晩読まれた論文は「わたしの遺産をどう処分すべきか」で、バスト氏の独立心を損なうことなしに改善されるべきという話題になった。

《「だって、一番文明であるものはなんであるかといえば、自分の収入をちゃんと使いこなすことを知った人間ではないでしょうか」

「それをバストさんはしないでしょう」

「やらせてみなければいけませんよ。まるで子供か何かのように詩集や汽車の切符をやったってしようがないんですよ。そういうものが買える金をやらなければいけないんです。そのうちに社会主義の世の中になったら事情が違ってきて、わたしたちは金本位でなくてもの本位に考えるようになるかも知れません。しかしそれまでは現金を与えなければならなくて、緯(よこいと)がなんだろうと、現金が文明の経(たていと)なんです。わたしたちは金というものについてわたしたちの想像力を働かせなければならなくて、それは金が、――世界で二番目に大事なものだからなんです。だれもがその金については黙って知らん顔をしていて、はっきりと考えようとしない。――勿論、経済学というものがありますけれど、だれも自分の収入についてはっきり考えるということをしなくて、独自の思想が十中八九は独自の生活を許す収入の結果だということを認めたがらない。大事なのはお金なんですよ。バストさんにお金を分けて、理想なんていうことは心配しなくていいんです。そんなものはバストさんが自分で探してきますよ」

 マーガレットは椅子にからだをもたせかけて、他の人たちがマーガレットの説を誤解するのに熱中した。》

 この小説が書かれた時代は、「社会主義」や「女性参政権運動」が英国社会で沸き立っていた状況を考慮に入れる必要があって、しかしそれは過去のことではなく、「新自由主義」と「ケア」の両立が難しい現在(おそらくは未来)においても普遍的な課題なので、いっこうに古びないのである。

 

 討論会の帰り道、姉妹がチェルシー・エンバンクメント辺りの河岸の公園に腰を降ろして話していると、ウィルコックス氏が偶然通りかかる。さきの議論の様子を話すうちに、バストさんのことに話が及ぶと、バストの勤めるポーフィリオン火災保険会社はクリスマスまでに破産するから、今どこか別な所に変わったほうがいい、とウィルコックス氏に教えられる。そして、ハワーズ・エンドは人に貸して、自分たちはよそに引越したと知らされる。

 

<第16章>

 レオナードは、彼を助けようとした姉妹にお茶に呼ばれたが、完全に失敗だった。ポーフィリオンが駄目だと聞かされて気を悪くしていると、そこにウィルコックス氏と二匹の小犬を連れたイ―ヴィーが訪問してきた。レオナードは姉妹に根掘り葉掘りいろんなことを聞かれて分別を失い、会社の情報を得ようとしていると疑って出て行ってしまった。聞いていたウィルコックス氏は、ああいう人間は家の中に入れないようにしなければならない、とマーガレットに忠告し、

《「わたしたちのような実際家のほうが知識階級のあなたたちよりも捌(さば)けているんです。自分は自分、他人は他人というわけで、みんな、適当にやっているんだろうと、われわれと違った暮らし方をしているものもそれなりにちゃんと暮らしているんだろうという考えでいるんです。確かに、――わたしはわたしの所で働いている事務員たちがつまらなそうな顔をしているのは解りますが、それが何を隠しているかは解らないんです。そういえば、ロンドンという町だって同じことじゃないですか。あなた方がロンドンの悪口をいっていらっしゃるのを伺ったことがありますがね、もしそういってよければ、わたしはあのとき、非常に腹が立ったんですよ。あなたはロンドンについて何もご存じじゃないじゃありませんか。あなたは文明というものをその外側から見ていらっしゃるだけで、多くの場合、あなたがそうだっていうわけじゃなくても、そういう態度は不健全と不満と社会主義に人を導くものなんです」

 マーガレットはウィルコックス氏がいっていることには、それが想像力というものを裏切るものではあっても、一理あることを認めた。その言葉とともに詩の、それからまたあるいは、人間性の前線の一部が攻略されて、マーガレットは具体的な事情という、彼女がこの場合に後方の陣地をなしていると考えたものまで撤退した。》

「実際家」と「知識階級」の対立と歩み寄りの機微、英国小説らしい社会的存在としての登場人物たち。

 

《「いいえ、でも、あれはそういう型にはまった人間じゃないんです。あの人は冒険することを望んでいて、わたしたちの毎日の取り澄ました生活がすべてじゃないことを知っています。あれは下品で感情的で、本というものをありがたがっている人間ですけれど、それがあの人のすべてじゃなくて、あれはあれなりに一人の男っていうものなんです。そう、それがわたしは言いたかったんで、あれは男なんですよ」

 マーガレットがそう返事しているときにウィルコックス氏と眼が合って、ウィルコックス氏の防備が崩れることになった。マーガレットは彼の奥にいる男を見せられて、彼女は知らずにウィルコックス氏の感情を呼び覚ましたのである。この際に一人の女と二人の男が性の不思議な三角をなし、その女がもう一人のほうの男に惹かれているのではないかというので、そこにいる男が嫉妬を覚えるに至った。世の禁欲主義者たちによれば、恋愛はわれわれ人間と獣の恥ずべき繋がりを示すものであることになっているが、それはそれでかまわなくて、われわれはそれに堪えることができる。それよりもむしろ嫉妬こそ恥ずべきものなので、これがわれわれを堪えがたいぐあいに農家の庭に結びつけ、二羽の怒った雄鶏と一羽の得意げな雌鶏を想像させるのである。マーガレットは文明人だったから得意な気分になったりすることを自分に許さなかったが、ウィルコックス氏は文明人とはまだいえなくて、彼が落ち着きを取り戻して外界に対して再び防備を整えてからも、怒りを感じ続けた。》

 

<第17章>

 マーガレットは、例年どおり、スワネージのジュリー叔母のところで何日かを過ごしに行く前に引越し先を決めて置きたかったが、ロンドンでは集中することができず、無駄な時間を費やし続けた。

彼女はかつて冗談に、ストランドにある料理屋シンプソンスに行ったことがないと嘆いたことがあったが、ある日、イ―ヴィーから昼の食事をそこでしないか、許婚のカヒル氏と三人で、といってきた。シンプソンスに行くとウィルコックス氏が席にいて、心細かった彼女は嬉しくなる。ウィルコックス氏の勧めに従って、魚のパイではなく、羊の鞍下肉(サドル)を頼み、彼がギリシアキプロス島に商用と猟を兼ねてよく行ったこと、彼女が家を探しているがうまくいかないことなどを話したが、イ―ヴィーは食事の間中、マーガレットにはほとんど口を利かなくて、その日のことを計画したのが父親のほうではないかという感じがした。家はとうとう見つからずに、シュレーゲル一家はスワネージに向けて立った。

 

<第18章>

 ジュリー叔母の家で海の眺めを楽しんでいると、マーガレットにウィルコックス氏から手紙がきて、イ―ヴィーが結婚するので、デューシー・ストリートの家に住むのをやめたから、マーガレットたちに貸してもいい、すぐに(・・・)ロンドンまできて、いっしょに家を見てもらいたい、とあった。その手紙がマーガレットを落ち着かなくさせたのは、それがどういう意味のものか彼女にはよく解らないからだった。

《ウィルコックス氏が彼女に結婚を申しこむなどということを考えるのは、いかにもそういう老嬢がやりそうなことだった。彼女は前に一度、金もなくて馬鹿で器量もよくないのに、自分と少しでも交渉がある男はみんな、自分を恋しているのだと信じこんでいる一人の女を訪ねて行ったことがあった。そういうとんでもない妄想に取り憑かれているこの女をマーガレットはどんなに哀れに思い、説教し、説得しようとしたことだろうか。しかしどうにもならなくて、しまいにはマーガレットも降参した。「それはあの牧師さんはわたしが勘違いしていたのかも知れませんよ。しかし十二時の郵便を配達してきてくれる若い男は確かにわたしが好きで、現に――」マーガレットはそれ以上に醜い年の取り方というものはないといつも思っていたが、自分もそのうちに単に処女であることの圧力だけでその女と同じことになる危険があった。》

 

 さっそく二人は家の点検を始めた。大広間のような食堂、石畳の玄関、

《二人は二階の応接間に行った。ここはもっとチェルシーふうで、色がなくて訴えてくるものを欠き、女たちが食事の後でここに退き、その主人たちが下で葉巻きを吸いながら人生の具体的な各種の問題について語り続けるところが容易に想像できた。ハワーズ・エンドのウィルコックス夫人の応接間もこんなようだったのだろうか。ちょうどその考えがマーガレットの頭に浮かんだときに、ウィルコックス氏が彼女に結婚を申しこんで、マーガレットは自分の予感が当ったことを知って気が遠くなりそうになった。

 しかしこの申し込みは激烈な恋愛の場面というようなものにはならなかった。

「シュレーゲルさん」とウィルコックス氏はしっかりした声でいった。「わたしはほんとうのことをあなたに知らせずにお呼びしたんです。あなたに家などよりももっと大事なことについてお話したくてきていただいたんです」

 マーガレットはもう少しで、「知っています――」と答えるところだった。

「あなたはわたしと、――もしそういうことが――」

「ウィルコックスさん」とマーガレットはそれを遮って、ピアノに手をかけて眼を背けていった。

「解りました。後で手紙でご返事させていただけないでしょうか」

 彼はいっていることがはっきりしなくなった。「シュレーゲルさん、――マーガレット、――あなたはまだ解っていらっしゃらないんです」

「いいえ、解っているんです」とマーガレットはいった。

「わたしの妻になっていただきたいんです」

 マーガレットはすでにそこまでウィルコックス氏の気持ちを汲むようになっていて、彼がそういったとき、マーガレットは驚いたようすになった。それを彼が期待しているならば、そうしなければならなかった。ある大きな喜びが彼女を包んで、それは言葉に直せるものではなかった。》

 ここでも「解る」ということを巡って男と女が結びつこうとし始める。

 

《まだ決めないでいようと彼女は思った。あまり突然で、というこういう場合の紋切り型の形容が今となっては彼女にもちょうど当てはまり、予感は準備ではなかった。(中略)

 ウィルコックス夫人の幽霊がそこにそうしているマーガレットの辺りを絶えずさ迷い、それは喜んで迎えていいい幽霊で、マーガレットに少しの敵意も示さずに彼女を見守っているように思われた。》

 

<第19章>

《「それじゃ、そのうちに愛するようになるのね」

「ええ」とマーガレットはいった。「それはまず確かだと思う。ほんとうのことをいうと、あの人がその話をしたときからあの人を愛し始めたの」

「そして結婚することに決めたのね」

「ええ、でも、そのことであなたと話し合いたいのよ、なぜあの人には反対なの、ヘレン。それはいえないの」

 今度はヘレンのほうが景色を眺めて、しまいに、「ポールとのことがあってからなのよ」といった。

「でも、ウィルコックスさんがポールとどういう関係があって」

「あの人もそこにいたんですもの。わたしがあの日、朝の食事に降りてきて、ポールが、わたしを愛している男がびくびくしていてもう完全に無力になっていて、それでこれは駄目だということが、人間と人間の関係だけが大事で、あんな電報と怒りの外の世界は意味がないことが解ったときに、あの家の人たちはみんないたんですもの」

 ヘレンはそれを一気にいったが、それが二人の間で前から話し合っていたことについてだったのでマーガレットにもその意味が取れた。

「そういうことをいうのはおかしいんじゃないの。第一に、わたしはその外の世界ということについてあなたの考えに賛成できないけれど、これは前にも二人でやり合ったことだから。それよりも、私の恋愛とあなたのでは非常に違っているということが大事でしょう。あなたのは浪漫主義的な性質のものだったけれど、わたしのは散文だっていうことになる。ちっともわたしのほうのをけなしていっているんじゃなくて、非常にいい散文でも、いろいろと考えたうえでのことなんだから散文には違いない。例えば、わたしにはウィルコックスさんの欠点がみんな解っている。あれは感情に少しでも関係があることが恐(こわ)くて、成功することばかり考えていて過去を大事にしない。あの人が心を動かすときには詩がなくて、それだからほんとうに心を動かしたことにならない。わたしは」と彼女はそこで海が夕日に輝いているほうを見た。「あの人が精神的にはわたしほど、正直ではないとさえいってもいい。それだけ解っていてもあなたには承知できないの」

「できない」とヘレンはいった。「もっといやな気がしてきてよ。あなたはどうかしているんじゃないの」

 マーガレットは思わず不機嫌そうにからだを動かした。

「わたしはあの人でも、どんな男でも、女でも、わたしの生活の全部にするつもりはないのよ。そんなこと。わたしにはあの人には解らなくて、けっして解りはしないことがいくらでもあるんだから」》

 

《それから長い沈黙が続いて、その間にプール湾に潮が満ちてきた。「でも、何かが失われる」とヘレンが低い声で、ひとりごとのようにいった。それまであった泥沼の上を水がはりえにしだ(・・・・・・)と黒く見えるえりか(・・・)のほうに戻ってきた。》

 

<第20章>

《マーガレットは恋愛という小石に一つとしか思えないものが世間の大海に落ちたときに起こる騒ぎを不思議に思ったことがそれまでにも何度かあった。その恋愛は一人の恋するものとそれが恋しているものだけの問題であるはずなのに、この恋愛の落下でおよそほうぼうの岸が海嘯(つなみ)に襲われることになる。この騒ぎはほんとうはそれまでの各世代の精神が新しい世代を歓迎し、すべての海を自分の手の中に握っている宿命というものに反発する結果なのに違いない。しかし恋愛にはそれが解らなくて、恋愛は自分が無限であることを感じるだけでそれ以外の無限を認めず、それは一筋の日光、髪から落ちる薔薇、空間と時間の煩い交錯通りを通り越してもう一度静かに沈んで行くことしか望まない小石なのである。(中略)まず、財産と体裁という二つの大きな岩が根元まで剝(む)きだしにされ、お家自慢が水面まで上がってきてのたうちまわり、なかなか納まらず、宗教がなんとなく禁欲主義的な気分を漂わせて睨(にら)みを利かす。(中略)

 マーガレットはその騒動を予期していたので、気にはしなかった。彼女は繊細な神経の持ち主ではあっても、ものに動じない質で、理屈に合わないことや殺風景なことに堪えることができたし、それにこの恋愛沙汰には度外れなものが何もなかった。彼女とウィルコックス氏、あるいはこれからは、ヘンリーとの間柄はある打ち解けた気分が主調になっていた。ヘンリーは浪漫主義を望まず、マーガレットは無理にそれを求めるような女ではなかった。それまでつき合っていた一人の人間が自分の恋人になり、いずれは夫になるので、ただつき合っている間に相手について解ったことはすべてそのままであり、恋愛は新しい関係を生じるのでなしに、それまでの関係を裏書きするものでなければならなかった。

 そういう態度でマーガレットはウィルコックス氏と結婚することを承諾した。》

 翌日、彼は婚約の指輪を持ってスワネージにやってきてジュリー叔母さんを納得させ、子どもたちとお金のこと、結婚式をいつにするか、デューシー・ストリートの家のこと、ハワーズ・エンドのことなどを語り合った。

 

<第21章>

 チャールスが子供をあやす妻ドリーを叱っている、

《「とにかくひどいことになったんで、わたしたちはなんとかこの急場を凌がなけりゃならない。お父様の手紙にはちゃんとした返事を書く。お父様のほうでもそういう出方をしているんだから。しかしわたしはあのシュレーゲル家の人たちからは眼を離さずにいるつもりなんだ。向こうが変をことをしない間は、――聞いているのか、ドリー――こっちも人並みに振舞う。しかしもし威張りだしたり、お父様を独占したり、お父様によくしなかったり、芸術がどうのこうのといってお父様を困らせたりしたら、ただじゃ置かないから。置くもんか。あんなのにお母様の代わりを勤められてたまるか。ポールのところに知らせが行ったらなんというか」》

 

<第22章>

《翌朝、マーガレットはことにやさしくその未来の主人を迎えた。相手はもう成熟した人間だったが、まだわれわれのうちにある散文と詩を虹の橋で結びつける仕事を彼がするのをマーガレットに手伝うことができるかも知れなかった。その橋がなければわれわれは半ば修道僧、半ば獣の無意味な断片で、一個の人間になっていない離ればなれの橋板と桁(けた)にすぎないのである。その橋とともに愛が生まれて、橋の中央に降下し、灰色の背景では輝き、火を背負っては地味にそこにあって、そのいずれの面からも橋の両端の美しさが眺められるものは幸福であり、その魂が進む道はまっすぐに続いて、彼と彼をめぐる人たちは行き悩むことがない。

 ウィルコックス氏の魂はそんなふうになっていなかった。彼は子供のときからそういうことをすべて無視して、自分の中で起こっていることなんかね、ということで片づける人間に育った。彼は外観は陽気でしっかりして、勇敢でもあったが、内部は混乱するままに任せられ、もしそれを支配するものが何かあったとすれば、それは不完全な禁欲主義だった。彼は少年、夫、また男やもめの時代を通して、肉体的な情熱というものは悪いものだということを心のどこかで信じ続け、これは熱情的にそうと信じられる場合にだけ望ましいことである。宗教が彼にそう信じることの根拠を提供し、日曜日に教会で彼や彼と同様に世間体はいい人たちが聞かされる聖書の言葉は、かつては聖徒カザリンや聖徒フランシスの魂を肉体に対する白熱した憎悪で燃え上がらせたものだった。(中略)

 ただ結びつけることさえすれば、というのが彼女が説きたいことの全部だった。ただ詩と散文を結びつけることさえすれば、そのいずれもが光を発し、人間的な愛はその頂点に達することになる。もう断片的に生きるのはやめて、結びつけさえすれば、人間のうちに孤立してしか生きて行けない獣も、修道僧も死ぬのである。

 またそのことを伝えるのもそうむずかしいことではなかった。何も説教などすることはなくて、時どきそっと示すことで橋はかけられ、二人の生活を美しくするはずだった。

 しかしマーガレットは失敗した。それはヘンリーに彼女がいくら自分に念を押して扱い馴れるところまで行けない一つの性格があったからで、それは鈍重ということだった。彼が気がつかずにいることに彼はまったく気がつかなくて、これはどうにもなることではなかった。》

見えるものと見えないものを結合させる「散文」と「詩」(「情熱」)、「内部と外部」の対立の橋渡し、融和は可能なのか。

 

 マーガレットと一緒にいるところでヘンリーに出会ったヘレンが、レナード・バストからポーフィリオンをやめたという手紙がきた、と伝えると、ヘンリーは、「あれも別に悪い会社じゃないんですがね」といい放ち、月給がずっと安いデムスター銀行の支点に勤めることになった、と教えると、ヘレンに、

《彼は指を一本持ち上げて、「一言、ご忠告したいんですが」といった。

「もうご忠告はたくさんです」

「いや、一言だけ。そういう感傷的な態度を貧乏な人間に対してお取りになっちゃいけません。これはいけないことだよ、ね、マーガレット。とにかく、貧乏な人間は貧乏なんで、気の毒には思うけれど、それはただそういうものなんです。どうしても文明というものが発達を続ければ、どこかに犠牲者が出るんで、それに対してだれかの責任があるなんていうことはないんですよ。あなたも、わたしも、わたしにあの会社が困っているといったものも、それをその人にいったものも、あるいはポーフィリオンの重役たちも、その人の月給が減ったことに対して責任があるわけじゃないんです。一人の犠牲者が出たんで、それはだれにもどうにもならないことなんですよ。第一、それがその程度の犠牲でよかったっていうこともある」

 ヘレンは怒りを抑えるのでからだが震えだしていた。》

 

<第23章>

《マーガレットは大事なことをほうって置く気はしなくて、スワネージを立つ前の晩、ヘレンに自分の考えをぶちまけて小言をいった。彼女はヘレンが彼女の婚約に賛成しないことではなくて、賛成しない理由をはっきりさせないのを責めたのだった。ヘレンも自分が思っていることをあからさまに述べて、「はっきりさせないというのはほんとうよ」と自分の内部を見つめているもののようすをしていった。「でも、それはわたしにはどうにもならないことで、人生というものがそういうふうにできているんですもの」ヘレンはその頃、無意識の自我の問題に凝(こ)っていて、人間の生活の操り人形的な性格を誇張し、人間を眼に見えない人形使いが恋愛や戦争に追いやる人形のようにいっていた。マーガレットはあまりその点に固執すれば、やはり人間と人間の関係などの個性的な問題を無視することになることを指摘した。ヘレンはしばらく黙っていて、それから思いがけないことをいい、二人の間にあったわだかまりがそれで解消した。「あの人と結婚していいのよ。あなたならばそれがうまくできるかも知れないんだから」マーガレットが、これはうまくやるとか、やらないとかの問題ではないと抗議すると、ヘレンは、「いいえ、そうなのよ」といった。「そしてわたしはポールを相手にそれをやるだけの勇気がなかったの。わたしにはやさしいことしかできなくて、人に惹かれたり、人を惹いたりするだけなんだから。わたしには他の人間と面倒な関係を結ぶ力もなければ、そういうことをする気もなくて、もしわたしが結婚すれば、それはわたしを抑えつけられる強い性格の相手とか、わたしに抑えつけることができる相手とじゃなければならない。そしてそんな人間はいないから、わたしは結婚しないの。もしそれでも結婚したら、その相手はかわいそうね。わたしはすぐに逃げだすのに決まっているんだから。そうなのよ。わたしには教養がないから。でも、あなたは違っていて、あなたは立派な女なのよ」(中略)

 自分の生活がすべてであると考えている実業家と、それが無に等しいと主張する神秘主義者はいずれもこっちと向こう側で真実から逸(そ)れている。「そうね、ちょうどその間なのね」とジュリー叔母さんが昔、解ったようなことをいったことがあった。勿論、そんなことはなくて、真実は生きているあるものなのであるから、それがなんとなんの間にあるということはできない。むしろ、眼に見える世界と見えない世界の両方に絶えず入って行くことで探し当てるほかないもので、それを求める秘訣は釣り合いということにあり、初めから真実を固執するのは不毛であることにほかならない。》

 ヘレンは出始めたばかりの「無意識の自我」というフロイト理論を知っていたのだろうか。「釣り合い」という概念がライト・モティーフでもある。

 

 翌朝、マーガレットは、ヘンリーがやっている事業の帝国西アフリカゴム会社(I・W・A)の本店に行き、ウィルコックス氏といっしょにハートフォード州のハワーズ・エンドまで車で向かった。ハワーズ・エンドは、借家人のブライス氏が一ヵ月いただけで外国に行ってしまったうえに後片づけも頼まず、しかも勝手にまた貸ししようとしたのだった。

 農園に預けてある鍵をヘンリーが取りに行っているあいだ、マーガレットは外で雨宿りしたが、つと押すと戸が開いて、一人で中に入った。家の中は荒れ放題になっていたが、美しい部屋だった。

《「ヘンリー、帰っていらしったの」

 しかしそれは家の心臓がまた鼓動しだしたので、初めは微かながらだったのがだんだん強くなり、さらに力を増して雨の音を消した。

 恐がるということをするのは想像力が豊かなものではなくて、それが乏しいものがすることである。マーガレットは階段のほうへ行く戸を開けた。そうすると太鼓のような音が一時に彼女の耳を襲って、一人の背が高い、口を半ば開いて顔に何の表情も示さない年取った女が階段を降りてきて、およそあっさりと、「あなたがルース・ウィルコックスじゃないかと思って」といった。

 マーガレットは、「わたしがあの、――ウィルコックスさんの、――」と思わず吃(ども)りがちになった。

「いえ、似ていると思っただけですよ、勿論。あなたの歩き方が同じだもんで。ではまた」そういってその女は雨の中に出て行った。

 

<第24章>

 老いた女は隣の農園にいるエーヴェリーさんだった。ヘンリーはマーガレットに家の中を見せてまわり、ささやかな不動産の歴史の概略を話して聞かせもした。

《その晩は気持ちよく過ぎて行った。その一年間、彼女を苦しめていた何か慌しい精神状態がしばらくどこかに姿を消し、彼女は荷物や、自動車や、たくさんのことを知っていて二つのことを結びつけることができないせわしい人たちのことを忘れた。すべて地上の美しさというものの基準である空間の感覚がまた戻ってきて、彼女はハワーズ・エンドから初めて英国というもの全体を掴もうとした。そしてそれには失敗して、われわれが何かを見るということは、そうしようとすることを通して実現することはあっても、そうしようとすることでできるものではない。しかしその代わりに、この島国に対する愛が思いがけなく生じて、一方では肉体上の各種の喜びと、一方では言葉で言い表せないものを結びつけた。彼女の父親やヘレンはこの愛を知って、レオナード・バストはそれを手探りで探していたが、それはその午後までマーガレットから隠されていた。彼女がそれを知ることになったのは確かにあの家とエーヴェリーさんを通してであって、この、それを通してということが彼女の頭から離れなかった。彼女は、賢人は言葉で言い表わそうとしないある結論にもう少しで達する所まで行って、そこからもっと温かい地帯に引き返し、赤味がかった煉瓦や、満開の李や、春が持ってくるすべてのはっきりそれと解る喜びのことを思った。》

 

《もう一つだけ書き加えることがあって、それでその一日のことが終わりになる。二人は雨を冒して庭に出て、ウィルコックス氏はマーガレットがいったとおりだったので驚いた。その楡の木には豚の歯が何本も挿してあって、その白い先だけが木の皮の上にまだ出ていた。「実に不思議だ」と彼はいった。「だれからお聞きになったんです」

「ロンドンである冬」とマーガレットは答えた。彼女もウィルコックス夫人の名前を直接にいうのを避けていた。》

 

<第25章>

 イ―ヴィーの結婚式はロンドンではなく、田舎でやるのが彼女の好みで、ウェールスとの国境に近いシュロップシャ州のオニトンで行われることになり、マーガレットはヘンリーとつきあっている人たちと懇意になる役割を期待された。彼女はオニトンの城の廃墟を訪れ、すっかり魅了される。

 

<第26章>

 イ―ヴィーの披露宴が終わるころ、ヘレンがバスト夫婦を連れてきた。バストがポーフィリオンを辞めて勤めた銀行の人員整理で失業し、一文なしになってしまったので、その責任があるウィルコックス氏に会って、彼を雇ってもらいたいと無理矢理に連れてきたのだった。ところが、レオナードの妻ジャッキーが酒に酔ってウィルコックス氏に親しげに声をかけた。

《「行かないで、ヘンちゃん。わたしを愛していないの」

「なんていう人でしょう」とマーガレットはいって、スカートを手で引き寄せた。

 ジャッキーは片手に持っている菓子でヘンリーのほうをさして、「あなたはいい人よね」といって、あくびをした。「あなたが好き」

「ごめんなさいね。ヘンリー」

「なぜですか」と彼はいって、あまり険しい顔つきをしてマーガレットのほうを見たのでマーガレットは彼が病気になったのではないかと思った。彼のそういう態度が少し大げさすぎた。

「あなたをこんな目にお会わせして」

「謝っていただくことはありません」

 ジャッキーがまだ何かいっていた。

「なぜ、あなたのことをヘンちゃんなんていうんでしょう」とマーガレットはまだ何も解らなくていった。「前に会ったことがおありになるんですか」

「前に会ったって」とジャッキーがいった。「会ったどころじゃありゃしない。あなただってわたしと同じことになるんですよ。男って、――まあ、待ってごらんなさい。でも、男っていいね」

「お解りになりましたか」とヘンリーがいった。

 マーガレットは恐くなってきた。「なんだか解りませんけれど」と彼女はいった。「もう家の中に入りましょうか」

 しかし彼はマーガレットが芝居をやっていて、自分が見事にはめられたのだと思った。自分の生涯がこれで終わるのだった。「お解りにならない」と彼は冷たい声でいった。「わたしには解ります。あなたのご計画は大成功というわけです」

「これはヘレンの計画で、わたしのじゃないんです」

「あなたたちがこのバスト夫婦に関心をお示しになった理由も解ります。よくお考えになりました。あなたが用心深くていらっしゃるのに感心しますよ、マーガレット。そうあるべきですよ、――必要ですからね。わたしは男で、男の過去っていうものがある。わたしたちの婚約は解消したと思いになってかまいません」

 それでもまだマーガレットには解らなかった。(中略)

 マーガレットは、「それなら、あの女があなたのお妾(めかけ)さんだったんですね」と前の話を続けていった。

「あなたはいつもはっきりしたものの言い方をなさる」と彼は答えた。

「いつ頃のことなんです」

「なぜですか」

「おっしゃってください」

「十年ばかり前」

 マーガレットはそれきり黙って、そこから出て行った。これは彼女の悲劇ではなくて、ウィルコックス夫人のだった。》

 悲劇ではあっても、コメディー的な展開でもあって、オースティンのような英国小説らしい。

 

<第27章>

 ヘレンは、シュロップシャ州のホテルで、妻を寝かせてほかにだれもいなくなったバーにいるレオナードにいった。

《「わたしは、――そういうことをいっちゃいけないのかも知れませんけれど――ウィルコックスさんのようなのは間違っているんじゃないでしょうか。あるいは、それはそういう人たち自身がいけないんじゃなくて、もし『わたし』といわせる何か小さなものが初めからそういう人たちにかけていれば、それがないのを責めても仕方がないんじゃないかと思う。何かそういう恐ろしい学説があって、それによると、その『わたし』といわせるものがないのでやがてわたしたち全部を支配することになる特別な人間が生まれようとしているっていうんです。(中略)二種類の人間があって、わたしたちのように頭の真ん中から生きているものと、頭の真ん中っていうものがないからそれができないものがあるっていうことを。そういう人たちは『わたし』っていえなくて、だから、いないのも同じで、それだから超人なんです。あの金持ちのピアポイント・モーガン(筆者註:アメリカのモルガン財閥の創始者で、コレクターでもある)はけっして『わたし』といったことがないんです。(中略)そういう超人というものの中で、わたしは何かが欲しいといったものはないんですよ。それは、その次にはわたしはなんであるかということになって、それで憐(あわれ)みとか、正義とかいう問題が起きるからなんです。超人はただ、欲しいというだけで、ナポレオンならば、ヨーロッパが欲しい、青髭ならば、たくさんの女房が欲しい。ピアポンド・モーガンは、ボッティチェリが欲しいというんです。『わたし』はどこにも出てこなくて、もしそういう超人の中を覗(のぞ)いて見たら、中には何もないことが解るんですよ

 レオナードはしばらく黙っていてから、「それっじゃ、シュレーゲルさん、あなたとわたしは両方ともその『わたし』という種類の人間だと考えていいんですね」といった。

「勿論です」

「あなたのお姉様もですか」

「勿論」とヘレンはそれまでよりも少し荒い語気で繰り返していった。》

 

《レオナードは、死とか、生とか、唯物主義とかいうのは耳に快い言葉だったが、それよりも問題は、ウィルコックス氏が自分を雇ってくれるかどうかということだった。なんといおうと、ウィルコックス氏がこの世を支配していて、独自の道徳観を持って雲に聳えている超人なのだった。

「わたしは頭が悪くて」とレオナードは言いわけするほかなかった。》

 

<第28章>

 マーガレットは、今は空席がないので役に立てなかった、というバスト氏宛ての手紙をヘレン宛の手紙に同封し、ヘレンには、こちらにきてくれないか、バスト夫婦はわたしたちが面倒をみていいような人たちではない、と書いてホテルの給仕女に手渡し、バスト夫人とヘレンが話をするのを遠ざけようとした。

 

《ヘンリー自身のためにも何か釈明があるべきだった。

 しかしそれで彼女にどれだけのことが解るというのだろうか。例えば、日づけとか、場所とか、もうそれで充分と思うまでに自分一人でも想像できるいくつかの事柄とかにすぎなくて、最初の衝撃が過ぎると、ヘンリーにバスト夫人のようなものがいたというのがあまりにもそうあるべきことであるのが彼女には明らかになった。ヘンリーの内的な生活をなしているその知的な混乱や、人とのつき合いのうえでの鈍さや、抑えつけられている強い欲情は前から彼女に解っていた。その彼がそういう内面に符合する外面の生活をしたからといって彼を拒絶すべきだろうか。あるいはそうかも知れなかった。もしそれが彼女自身に対して行われたことだったならばそうすることも考えられたが、それは彼女が現われるずっと前のことだった。彼女はそう思うのを避けたくて、ウィルコックス夫人に対してなされたことは自分に対してなされたのと同じだと考えようとした。しかし彼女は理論一点張りで行く質ではなくて、服を脱ぎ始めると、怒りも、死んだものに対する思いやりも、一(ひと)騒(さわ)ぎしたい気持もすべて消えた。ヘンリーを彼女が愛しているならば、ヘンリーに都合がいいようにやるほかなくて、いつか彼女はその愛でヘンリーをもっとましな人間にするつもりだった。

 この危機に際して彼女の行動を支配したものは憐みだった。もしこういうことについて一般論を試みることが許されるならば、女の奥底にあるものは憐みである。男が女を好きになるとき、その好きになり方がいかにやさしさを伴ったものであっても、それはその女に認められる何かいい性質のためであって、女はそれが間違っていないことを示さねばならず、そうしなければ、男はまた離れて行く。しかし男のほうが愛するに価しないのは女を刺激して、その結果がどうだろうと、女の奥深くに眠っているものが動きだす。

 ここに問題の核心があった。ヘンリーを許して愛によってもっとましな人間にしなければならないので、それ以外のことはどうでもよかった。ウィルコックス夫人のなかなか安らかになれない、しかし善意に満ちた幽霊はそのままほうって置くほかなかった。夫人にとっては今はすべてが釣り合いが取れた状態に置かれていて、夫人も彼女とマーガレットの二人の生活にわたってぶざまなことをしている男を憐れむにちがいなかった。夫人は彼がしたことを知っていたのだろうか。それはおもしろい問題だったが、マーガレットは愛情と、一晩中、ウェールスのほうから流れ落ちてくる川の音にあやされて、そのまま眠ってしまった。彼女は自分がその未来の家と一つになって、それを彩り、それに彩られているのを感じ、翌朝、目を覚ましてオニトン城が霧の中から現れるのを二度目に見た。》

「釣り合い」「中間の道」「兼ね合い」「寛容」「内面と外面」の波が寄せてはかえす。対立し、分断する現実の困難や明快な解決、結論をえることの難しさに直面した人間のありかた、時には柔軟に妥協することも辞さない態度が、近現代の後継作家の共感を生むのだろう。

 

<第29章>

《「われわれ、男っていうのは一度はこういうことになる。あなたにそれを信じてもらえるかどうか。どんな強い男でも、――立っているものは転ばないように心がけるまで、もしあなたにみんな話したら、あなたも許して下さると思う。わたしはいい影響というものから、英国からさえも離れていて、ひどく寂しくて女の声が聞きたかった。それだけいえば充分。もうあなたにわたしが許せなくなるだけ話しちまった」

「そう、それで充分よ」

「わたしは――」と彼はそこで声を低くした。「わたしは地獄を通ってきたんだ」

 マーガレットは静かな気持ちでこの主張を検討してみた。ほんとうにそうだったのだろうか。そして悔恨の念に地獄の責め苦を感じたのか、それとも、やれ、やれ、これでおしまいで、さあ、これからまたちゃんとした生活に戻ろうというのだったか。もし彼女のヘンリーについての判断が間違っていなければ、やれ、やれのほうだったと思われた。ほんとうに地獄を通ってきたものは自分が男であることを吹聴したりしない。そういう男は謙虚になって、もし仮にまだ男であるというようなことが残っていても、それを隠すのが普通である。その反対に、罪を犯したものがそれを悔いながらも恐ろしい魅力を備えて現われて、その魅力でいや応なしに無垢(むく)の女を征服するなどというのは伝説にすぎない。ヘンリーはその恐ろしいところを見せようとしているのだったが、彼はその柄ではなくて、ただ誘惑に負けた普通の英国人の男であるだけだった。彼をほんとうに責めていい唯一の点、――彼がウィルコックス夫人を裏切ったということはまったく彼の念頭にないようでマーガレットはウィルコックス夫人のことが言いたくてならなかった。

 そして結局、その話の全部が彼女に打ち明けられた。それはいたって簡単な話だった。それは十年前のことで、場所はキプロス島の軍隊が駐屯しているある町だった。彼はその話の途中で時どきマーガレットに、そんなことをした彼を許すことができるかと聞き、マーガレットは、「もう許したじゃありませんか、ヘンリー」と答えた。》

 

<第30章>

 オックスフォードにいるティビーのところへ、オニトンからヘレンがきて、メッグに、しばらく一人でいたいからミュンヘンかボンへ行っているつもりだっていってくれ、という。それからイ―ヴィーの結婚式で起きたことを、バスト氏がウィルコックス氏の忠告に従ったばかりに転職したあげく首になったこと、メッグはまだ知らないと思うがウィルコックス氏に妾があって、それがバスト夫人だったことなどをティビーに話したうえで、メッグには黙っていてほしいが、補償のために、バスト夫婦に五千ポンド渡してほしい、と頼んで去って行った。ティビーはヘレンがいった宛名に手紙を書いたが、金には困っていないから件(くだん)の贈与はご辞退するということだった。それでも金を受け取ることを命令するのだとヘレンがいってきたので、ティビーが夫婦の家を訪ねると、家賃を溜めて立ち退(の)かされ、どこに行ったか解らないということだった。

 

<第31章>

《家というものにはそのめいめいの死に方があって、それは人間の場合と少しも変わらず、ある家は悲劇的な轟音とともに、ある家は静かに、しかし亡霊の都市に死後の生命を得て、またある家は、――ウィッカム・プレースの家がそうだったが、――その肉体が消える前からその魂が出て行ってしまう。この家は春にすでに弱り始めていて、そこに住む二人の女が考えている以上にこの二人の精神にもそれが影響し、めいめいにそれまで知らなかった世界を覗かせた。》

 九月になると、ウィッカム・プレースの家の家具は、ウィルコックス氏が親切にハワーズ・エンドを倉庫に提供したので運びだされた。この引越しの少し前に二人は地味に結婚式をあげ、インスブルックの近くに新婚旅行に行った。マーガレットはヘレンに会うつもりでいたが、ヘレンはイタリアに逃げてしまった。

《彼女がヘンリーを嫌っていることは明らかだった。しかし妻になったほうが二日で受け入れることができた状況に妻でもなんでもないものが二カ月もかかってまだ馴れずにいるということはないはずで、マーガレットは妹に自制力がないのをまたしても嘆かなければならなかった。それでマーガレットは長い手紙を書き、性に関する事柄については寛大であることが必要で、そういうことについてはまだほとんど何も知られていず、直接の当事者にも正確に判断して行動することはむずかしいのだから、まして社会がそういう問題に対して取る態度など無意味であることを指摘した。「基準というものがないというのではなくて、それでは道徳の否定になります。しかしわたしたちの本能の動きがちゃんと分類されて今よりもよく理解されるようになるまでは、基準を決めることはできないのだと言いたいのです」と彼女は書いた。これに対してヘレンは、ご親切にいろいろとありがとうという返事をよこして、――それは確かに妙な返事だった。彼女はさらに南に行き、ナポリで冬を越すかもしれないということを知らせてきた。》

 

 夫婦は、オニトンの家はしけているので住まずに、とりあえずはデューシー・ストリートの家に落ちつくこととなった。

 

<第32章>

 翌年の春、ドリーがマーガレットのところに訪ねてきて、姉妹がハワーズ・エンドに預けて置いた荷物をエーヴェリーさんが開けてしまって、床が本だらけになっているらしいから、チャールスがどうしたらよいか聞きに越させたのだった。

 マーガレットは悶着(もんちゃく)を自分で治めに出かけるのが一番、賢明な方法だと思って、ヘンリーの許しを得てエーヴェリーさんにていねいな手紙を書き、荷物はそのままにして置いてもらいたいといってやって、荷造りし直して村の倉庫に預けるつもりで、ヒルトンまで出かけて行った。

 

<第33章>

《それは美しい春の日で、マーガレットがそれから何カ月もの間もう味わうことがなかった純粋な幸福に満ちた最後の一日だった。ヘレンがどうしているのか解らないことに対する心配はまだ本式のものになっていなくて、エーヴェリーさんとあるいはこぜり合いをやることになるのはむしろこの遠出に興味を添え、その上に彼女はドリーの所に昼の食事を呼ばれたのを断ることに成功していた。彼女は駅からまっすぐに歩いて村の広場を横切り、村を村の教会と結ぶ長い栗の木の並み木道に入った。(中略)

 マーガレットはその道をゆっくり歩いて行って、時どき、栗の木の梢を通して光っている空を見上げたり、下の枝についている芽に触ったりした。なぜ、英国には偉大な神話というものがないのだろうか。わが国の民話は可憐(かれん)である域を脱したことがなくて、英国の田舎を歌った詩の傑作はすべてギリシアの神話に頼っている。英国人の想像力は深さにも、真実であることにかけても不足していないが、この点では失敗しているようで、それは魔女や妖精を生みだすのに止(とど)まり、夏の野原のわずかな一部に生命を与えることも、星のいくつかに名前をつけることもできずにいる。》

 

《「まず、玄関から」とエーヴェリーさんがいってカーテンを開け、マーガレットは驚いて叫び声を上げた。そこの玄関にあるのはすべてウィッカム・プレースの家からきたものばかりだった。そこに敷いてある絨緞(じゅうたん)がそうだったし、やはりそれまでの家にあった大きな仕事台が窓の下に置かれ、本棚は炉の反対側の壁に並べられ、マーガレットの父親の剣が、――それが殊に彼女に意外な感じを与えたのだったが、――鞘(さや)から抜いて本棚の地味な装釘(そうてい)の本の上に吊してあった。エーヴェリーさんはこれだけのことをするのに何日もかかったのにちがいない。

「これはわたしたちが考えていたことじゃないんで」とマーガレットは切りだした。「ウィルコックスさんやわたしは荷物を開けていただくつもりじゃなかったんです。例えば、ここにある本はわたしの弟ので、わたしはこれを弟と、それから今、外国に行っているわたしの妹のために預かってやっているだけなんです。あなたがご親切にこの家のことをしてくださるとおっしゃってくださったとき、わたしたちはこういうことまでしてくださるんだとは思っていなかったんです」

「この家をこれ以上、空(から)にして置くことはできませんよ」と相手の年取った女がいった。

 マーガレットは口論を始める気はなかった。「わたしたちの説明の仕方が足りなかったんです」と彼女は慇懃(いんぎん)にいった。「間違いだったんで、それもわたしたちが悪かったんだと思います」

「間違いばかりだったんですよ、この五十年間、奥さん。これはウィルコックスの奥さんの家で、あの人もこの家をこれ以上、空のままにして置きたくはないだろうと思うんです」(中略)

「わたしはサセックス州に新たに家を建てることに決めて、この家具の一部、――わたしがその中で貰うことになっている分はそのうちにそこに持って行くんです」彼女はエーヴェリーさんをじっと見て、どういう点で頭がおかしいのか理解しようと努めた。これは年を取って耄碌(もうろく)した女ではなくて、その皺の寄り方には機知と洒脱(しゃだつ)が感じられ、毒舌と、人目につかない気高さに恵まれた一人の女がそこにいるとしか思えなかった。

「あなたはここにもう戻ってこないおつもりかも知れませんがね、奥さん、きっと戻っていらっしゃいますよ」

「それは解りませんけれど」とマーガレットは笑顔になっていった。「今のところはそういう考えはないんです。もっと大きな家じゃなければならなくて、それが時どき、そういうお客をすることになっているもんですから。勿論、もっと後になったら、それは解りませんよね」

 エーヴェリーさんは、「もっと後になったらって、そんなこと。あなたは今ここに住んでいらっしゃるじゃありませんか」

「そうでしょうか」

「ここに住んでいらして、この十分間はここに住んでいらしたんですよ」

 それは意味をなさない言葉だったが、マーガレットは妙にだれかを裏切っているような感じがして椅子から立ち上がった。何か朧(おぼろ)げな形でヘンリーが非難されているようだった。(中略)

「そのうちに男が一人もいなくなったんです」とエーヴェリーさんが答えた。

「ウィルコックスがくるまではでしょう」とマーガレットは、自分の主人に対して公平でなければならないと思って、訂正した。

「まあね。でも、ルースは、――これはあなたに失礼なことをいっているんじゃないんですよ。あなたはだれが先にウィルコックスを取ろうと、しまいにはウィルコックスがあなたのものになることが初めから決まっていたようなんですから」

「だれとルース夫人は結婚すべきだったんですか」

「だれか軍人とです」と相手の年取った女が答えた。「だれかほんとうの軍人とです」

 マーガレットは黙っていた。エーヴェリーさんがいったことは自分がかつて行なったどんなのより手厳しいヘンリーに対する批判で、彼女は不満を感じた。》

 

 しかし、マーガレットがごまかさずにはっきり伝えると、エーヴェリーさんは笑顔で承知して鍵を返した。戻ってヘンリーと相談し、結局、村の倉庫ではなくロンドンの倉庫に荷物を預けることにする。

 エーヴェリーさんとルース夫人には超現実な魂(「見えないもの」に対するフォースターの関心)が人間化されている。

 

<第34章>

 ジュリー叔母が急性肺炎になり、ヘレンを呼び戻そうという話になったものの、叔母は回復した。それでも、英国から飛びだして、八カ月も行ったきりでいるのは、心がおかしくなっているのではないかとマーガレットは心配し、ティビーの忠告に従ってヘンリーに相談してみることにした。

《マーガレットはその前にセント・ポール寺院に入って、この寺院の円屋根はロンドンのごたごたに取り巻かれて、均整(きんせい)というものについて説教しているようにその見事な姿を現わしている。しかし中は寺院を取り巻いているものと同じで、反響や囁きが入り乱れ讃美歌はよく聞こえないし、モザイクはよく見えなくて、濡れた足跡が床で無数に交錯している。Si monumentum requiris,circumspice 記念碑が欲しいならばよほど、注意してかからなければならないとあるとおりで、ここもロンドンの延長であり、ヘレンを救うものはそこにもなかった。》

 グレアム・グリーンが評論『フランソワ・モーリアック』で指摘した、《ヘンリージェイムズの死後イギリス小説は大きな不幸に見舞われた。(中略)それというのも、ジェイムズの死とともにイギリス小説に宗教的意味が失われてしまったからであり、宗教的意味が失われるとともに人間の行為の重要性が見失われたからである。これはいわば小説の世界からひとつの次元(ディメンション)が欠けたことであって、ヴァージニア・ウルフや、E.M.フォースター氏のごとき著名な作家が描く人物も、まるで薄きこと紙のごとき世界をうろつくボール紙細工のこま(・・)そのものである》が思い起こされる。グリーンの真意がどこにあるのかは明瞭ではないが、少なくともグリーン『情事の終り』でのサラァの宗教的内省の厚みが失われていることは確かだ。

 

ヘンリーは、ハワーズ・エンドに本を取らせにヘレンをおびきよせたらどうかと提案する、車もそこまできているんだから、医者の所まで連れて行くのも造作はない、と。

《「それは駄目よ。なぜかっていうと――」とマーガレットは悲しくなって彼女の夫を見て答えた。

「ヘレンとわたしの間ではそういうことはしないから、とでも説明するほかないけれど。だれか別な人が相手だったら、それで問題はないでしょうし、そういう別な人が間違っているっていうことは勿論なくてもね」》

 しかし結局は、マーガレットは死んだのも同然の気持ちでその狩りに加わり、夫が口授するままにヘレンに宛てて手紙を書いた。

 

<第35章>

 ヘンリーは、駅から馬車で一人の婦人がハワーズ・エンドに向かったことを村の貸し馬車屋で聞きつけ、途中でマンスブリッジという医者を車に乗せて、マーガレットとハワーズ・エンドへ向かった。

《医者はまだ若い男で、ヘレンについていろいろと聞き始めた。どこか普通とはいえないところがあるかどうか、遺伝とか、先天性とかいう点ではどうか、ヘレンをその家族に対して反発させるような事件がなかったかどうかという種類だった。

「そういうことは何もありません」とマーガレットは答えて、もし自分が、「もっとも、わたしの夫がふしだらなことをしたのを非常に怒っていましたけれど」といったらば、どんなことになるだろうと思った。

「前から神経質ではあったけれど」とヘンリーは教会の脇を瞬(またた)くまに通り過ぎた車の中で、からだを腰掛けの背に沈めていった。「例えば降神術とかなんかにすぐ凝るというようなことはあって、それはしかしたいしたことじゃなかった。要するに、音楽や文学や美術が好きで、そしてわたしが見たところじゃ普通とは違っているなどということは別にない人だよ。――むしろ、非常に感じがいいお嬢さんだ」

 マーガレットの怒りと恐怖はしだいに大きくなって行った。この男たちが協同でそんなふうにヘレンに貼り紙をしたがるのとはなんということだろうか。今、狼の群れはヘレンから人間の権利を奪うために駆け寄りつつあって、マーガレットには、シュレーゲル一家の全部がヘレンとともにその危険にさらされているように思われた。普通と違っているところがあるかどうかとは、なんという愚門だっただろう。そしてそういうことを聞くのはいつも、人間というものについて何も知らず、心理学に飽きて生理学に嫌悪を感じる人たちだった。ヘレンがどんなに哀れな状態になっていても、マーガレットはヘレンの味方をしなければならないのを感じて、もし世界が二人を気違いと思うならば、二人で気違いになろうと決心した。》

 

マーガレットがいち早く車から降りて家に駆け寄ると、それまでみんなに心配に心配を重ねさせていたヘレンの行動の一切が明らかになった。ヘレンは子供ができたのだった。マーガレットは鍵でハワーズ・エンドの戸を開けてヘレンを中に押しやった。

 

<第36章>

 医者が馬車の御者に何か聞いて、二言ばかり何かウィルコックス氏の耳に囁き、もう醜聞(スキャンダル)は隠せないものになった。ヘンリーは本式に驚いてしまったようすで、しばらく地面を見つめていた。医者は家へ入りたがったが、

《「わたしたちにあなたはちっとも必要じゃないんです」とマーガレットはいった。

 二人の男はどうしたものか解らないようすで顔を見合わせた。

「わたしの妹もお産までにはまだ何週間もあるんですから、あなたが必要じゃないんです」

「マーガレット、マーガレット」

「だって、ヘンリー、もうこのお医者さんに帰っていただいてもいいでしょう。こうなったら、何がこの方にできるんです」

 ウィルコックス氏は家のほうに眼をやった。彼は医者の肩を持ってここでしっかりしたところを見せなければならないという気がどこかでしていて、事態がそう簡単なものではなくなってきた以上、彼自身がいつ医者に味方をしてもらうことが必要になるか解らなかった。

「今はもう愛情だけの問題なんです」とマーガレットはいった。「愛情、お解りになりませんか」彼女はいつものやり方に戻って、その言葉を指で家の壁に書いてみせた。「お解りになるはずだけれど。わたしはヘレンが非常に好きで、あなたはそれほどお好きじゃないんです。そしてマンスブリッジさんはヘレンをご存じでいらっしゃらない。それだけのことなんです。そしてそういう場合には愛情が優先するんです。あなたの手帳にもそのことを書いて置きなさい。マンスブリッジさん。お役に立つことがあるかも知れません」》

 そうして二人は帰って行った。

 

<第37章>

 ヘレンとマーガレットは語り合う。マーガレットは嘘をついてヘレンをハワーズ・エンドにおびきよせた裏切りを詫び、ヘレンは英国人には許せないことをしてしまって、もう英国にはいられない、という。かつてウィッカム・プレースにあった家具をヘレンは見て、郷愁にひたる。明日ドイツに立つ前の今晩、マーガレットと二人で、この家で過ごせないか、とヘレンが思いつき、マーガレットはヘンリーに相談するため、近くのチャールスの家に戻った。

 

<第38章>

 ヘンリーは、ヘレンを誘惑した男の名前をマーガレットに聞くが、彼女はヘレンから聞きさえもしていなかった。マーガレットが、ヘレンが昔の家具が懐かしく、一晩過ごしたいのだとヘンリーに伝えると、ハワーズ・エンドの将来の持ち主のチャールスやイ―ヴィーと違ってヘレンにはあの家に繋がりがない、と反対する。

《「わたしは融通が利かないように思われるかもしれないけれど、世間というのが何かと面倒なものなのを経験で知っている」とその要塞の中から答えた。「わたしはあなたの妹さんはホテルに行ったほうがいいと思う。わたしは自分の子供のことや、死んだわたしの愛する妻のことも考えなければならない。悪いけれど、妹さんがあの家からすぐに出て行くようにしてもらいたい」

「あなたはウィルコックス夫人のことをおっしゃいましたね」

「それはどういうこと」

「珍しいことです。それに対してわたしもバスト夫人のことをいっていいでしょうか」

「あなたは今日は疲れている」とヘンリーはいって、何の感情も顔に表さないで立ち上がった。マーガレットは彼のほうに飛んで行って、その両手を取った。もうそれまでのマーガレットではなかった。

「もうそんな話はやめましょう」と彼女はいった。「あなたが死んでも、今度のことの結びつき方を解らせて上げる。あなたには妾があって、それをわたしは許して上げた。そしてわたしの妹の、妹に情人ができて、あなたは妹をあなたの家から追いだそうとしていらっしゃる。その二つは別々のことなんですか。そういうのは馬鹿で偽善的で残酷で、軽蔑すべきことじゃありませんか。一人の男がいて、妻が生きている間は侮辱し、死ねば愛する妻といってもったいぶったことを並べる。その男は一人の女を玩具にして、それから捨ててその女のために他の男たちにその将来を棒に振らせる。そして碌でもない忠告を人にして、その責任は自分にないという。あなたはそういう男じゃありませんか。他にいくらもいて、それがあなたに解らないのはあなたがものごとを結びつけて考えることができないからなんです。わたしはあなたの黒も白も解らないご親切はもうたくさんです。わたしはあなたを甘やかしすぎました。あなたは一生、甘やかされてきたんです。ウィルコックス夫人もあなたを甘やかしました。だれもあなたにあなたが頭が悪いこと、許しがたいほど、頭が悪いということをいったことがないんです。あなたのような人間は後悔も口実に使うんですから、後悔しなくてもいい。ただ、ヘレンがしたことはわたしもしたのだと自分に言い聞かせなさい」

「その二つの場合は同じじゃない」と彼は口ごもりながらいった。それはまだ彼のほんとうの返事ではなくて、頭が混乱し、もう少し時間が欲しかった。

「どう違うんです。あなたはウィルコックス夫人を裏切って、ヘレンは自分を裏切っただけです。あなたはそれでも社会にいられて、ヘレンはもういられなくなっているんです。あなたはいい思いをしただけで、ヘレンは死ぬかも知れません。それを違うというその無礼をどうします、ヘンリー」

 しかしそれもなんの役にも立たなかった。ヘンリーの返事がきた。

「あなたはわたしを脅迫しようとしているらしい。それが夫に対して妻がしていいことだろうかとわたしは思う。わたしは一生、そういう脅迫は無視することにしてやってきて、あなたにも、あなたとあなたの妹さんをハワーズ・エンドに泊めるわけには行かないということをもう一度、繰り返していうほかない」》

 マーガレットは手を放し、彼は家の中に入って行った。彼女はしばらく丘を眺めてから、もう晩になっている外に出た。

家族や家庭という制度内の男女関係、伝統的な倫理・道徳の基準を崩壊させる行動。

 

<第39章>

 ヘンリーから話を聞いたチャールスは、ティビーが泊まっていたデューシー・ストリートの家で会った。この会見は短くておよそ意味をなさなくて、二人に共通のものは英語という国語だけであり、それを使って二人はどっちにも解らないことを言い表わそうとした。チャールスはヘレンにウィルコックス一家の敵を見た。チャールスは不躾な態度でティビーを問いつめ、ヘレンの相手が誰なのかを聞きだそうとした。そして、黙っているとヘレンと約束したのに、イ―ヴィーの結婚式にきていたらしい友だち名前、バストとかいう人たち、といってしまった。

 

<第40章>

《まだ月が家に隠されていたので、楡(にれ)の木の下は影になっていたが、上に、右に、左に、そして牧場一面に月光が差していた。(中略)

 これはヘレンの晩だった。それから先、ヘレンはいくらでも困難な目に会わなければならなくて、友だちも社会的な地位もなくさなければならないだろうし、その上に出産の苦痛という、まだはっきりしたことは解っていないものが彼女を待っていた。今は月の光が明るく差し、春の風が昼間の嵐の力を失って静かに吹き、実りを持ってくる大地が平和を持ってくればいいのだった。マーガレットは自分に対してさえもヘレンを責める気にはなれなかった。どんな道徳律によってもヘレンがしたことを裁くことはできなくて、それは一切であるか、無であるかのいずれかだった。(中略)

 これはヘレンの晩だった。それがどれだけの代償を払ってヘレンが克ち得たものか解らなくて、他の人間の悲しみがこの晩を傷つけてはならなかった。(中略)

 これはヘレンの晩だった。

 現在が小川のように二人の脇を流れて行った。楡の木が葉をそよがせて、この木は二人が生まれる前から葉にそういう音を立てさせ、二人が死んでからもそれをし続けるのだったが、葉が歌うものは現在の瞬間だった。その瞬間が過ぎて、木の葉がまたそよいだ。二人の感覚が鈍くなって、二人は人生を認識したようだった。そうすると、人生が過ぎて行って、木の葉がまたそよいだ。

「もう寝ましょう」とマーガレットはいった。

 田舎の平和が彼女に入って行った。それは記憶とは交渉がないもので、希望ともあまりない。またことにそれは次の五分間に対する各種の希望とは縁がなくて、それは人間の認識を越えた現在の平和なのである。その囁きは、今、といって、二人が砂利道を通って家に戻る時にまた、今、と言い、二人の父親の剣に月の光が差しているのが二人の眼に止まったとき、また、今、といった。二人は二階に行って、接吻し、外の囁きが際限なく繰り返されるうちに眠ってしまった。初めは家の影が楡の木を包んでいたが、月が高く昇るに従って家と木は分かれ、真夜中になってしばらくの間、家も木も月の光を浴びてはっきり見えた。マーガレットは目を覚まして、庭を眺めた。》

「月」が主役になってきて、はっきりと「土地の霊」(「見えないもの」)の力が感じられる。

 

<第41章>

 レオナードは後悔し、ジャッキーに対するやさしい気持ちも失わなかった。ある日、セント・ポール寺院でマーガレットを見かけたことで、後悔は告白したいという方向に向かった。しかし、レオナードにあるのはよくも悪くも宗教的次元ではない。

マーガレットの住所を調べ歩いて、ハワーズ・エンドというところに彼女が出かけていることを知る。

《彼は下宿の床を月光が忍び寄ってくるのを眺めていて、頭が疲れているときにどうかするとそうなるように、部屋の他の部分に対しては眠り、その月光に対してだけ目を覚ました。(中略)

「ジャッキー、ちょっと出かけてくるから」

 ジャッキーはよく眠っていて、月光は縞の毛布を離れてジャッキーの足の所に掛けた肩掛けまでこようとしていた。彼は何を恐がっていたのだろうか。彼が窓のほうへ行くと、月は晴れた空を落ち始めていて、その死火山や、美しい誤りによって海と名づけられたそのいくつかの明るく光る地域も見えた。》

 

《家に近づくに従って、レオナードは何も考えなくなった。彼の頭の中では相反する観念が両立して、彼は恐怖に襲われていながら幸福であり、恥じているのに、なんの罪も犯していなかった。彼がいうことは、「奥様、わたしは悪いことをしました」ということであるのを彼は知っていたが、その朝以来、それが意味を失い、彼はむしろすばらしい冒険をしに出かけてきた感じになっていた。

 彼は庭に入って行って、そこに止めてあった自動車に寄りかかって一息つき、戸が開いていたので中に入った。そう、むずかしいことはなかった。左のほうの部屋から話し声が聞こえてきて、その中にマーガレットのもまじっていた。レオナードの名前も話にでてきて、だれか彼が知らない男が、「ここにきていたのか。ありそうなことだ。これから死ぬ思いをさせてやる」といった。

「奥様、わたしは悪いことをしました」とレオナードはいった。

 男が彼のカラーを掴んで、「なんでもいいから棒を持ってきてくれ」と叫んだ。そして女たちの悲鳴が聞こえて、一本の非常によく光る棒が彼に向かって落ちてきて、彼はそれが落ちた所ではなくて心臓に痛みを感じた。それとともに本が雨になって彼の上に降ってきて、もうそれきりだった。》

 

<第42章>

 ウィルコック氏が、ハワーズ・エンドにはだれも泊まっちゃならない、財産権というものに繋がる問題で、二人にそれをつたえるために、その朝チャールスをハワーズ・エンドに行かせたのだった。ウィルコックス氏はチャールスから事件の様子を詳しく聞いた。検屍が行われるのでチャールスは出頭することになった。

 

<第43章>

 マーガレットは出産するヘレンといっしょにドイツに行き、もう戻ってはこないことに決めていた。彼女は許していなくて、許したくもなかった。彼女ははっきりヘンリーの将来を胸に描くことができた。彼はすぐに精神の健康を取り戻すのに違いなくて、彼の中心が腐っていても、それを彼や世間一般がどれだけ気にすることだろうか。

《「過失致死罪」とウィルコックス氏はもう一度繰り返していった。チャールスは監獄に行くことになるかも知れない。わたしはそれをチャールスにいう勇気がなくて、どうしたらいいのか解らない。――どうしたらいいのか。わたしはもう駄目なんだ。――これでもう、おしまいなんだ。

 マーガレットが急に彼に対して温かな気持ちになるということはなかった。彼を屈服させるのが残されたただ一つの望みの綱なのだということもマーガレットには解らなかったが、その日から次の日にかけて新しい一つの生活が始まって、検屍の結果、チャールスは起訴された。彼が罰せられるというのは理屈に合わないことだったが、法律というのはチャールスのような人間がこしらえたもので、チャールスは三年の禁固刑を言いわたされた。それでヘンリーの要塞が崩れ去った。彼は自分の妻のほかはだれにも会わなくなって、判決の後で彼はマーガレットの所に足を引きずって行き、自分をなんとかしてくれと頼んだ。マーガレットは一番やりやすいと思われる方法を選んで、彼を休養させにハワーズ・エンドに連れて行った。》

 

<第44章>

 牧場で、ヘレンの赤ちゃんと、農場のトム少年が遊んでいる。あれから一年以上もたって、マーガレットはまだハワーズ・エンドにいた。しかしハワーズ・エンドにもロンドンが忍び寄ってきていて、牧場の向こうに赤煉瓦の家が建ち始めていた。

 

《「みんな、それでいいんだな」とヘンリーが疲れた声でいった。彼の言葉遣いは昔と同じだったが、それが与える印象が前とは違って弱々しかった。「後になっておまえたちがやってきて不平をいうのは困るんだ」「いいことにするほかないんじゃないんですか」とポールがいった。

「そんなことはない。おまえがそういえば、この家をおまえに残してもいいんだ」

 ポールは不機嫌そうに眉を寄せて、手の甲を掻き始めた。「わたしは外で暮らすのがちょうど、わたしに合っていたのに、それをやめて会社の事務の監督をしに帰ってきたんですから、ここに住んだって仕方ないです」と彼はしまいにいった。「ここは田舎でもないし、町でもない所なんですから」

「そう。イ―ヴィーはどうだ」

「勿論、それで結構よ」

「ドリーは」

 ドリーは悲しみが萎(しお)れさせはしてもしっかりさせることができない小さな色褪(あ)せた顔を上げて

「勿論ですよ、お父様」といった。「チャールスが子供たちのためにこの家が欲しいんだろうと思っていたんですけれど、この前に会いに行ったとき、もうわたしたちはこの辺には住めないっていうんです。チャールスはわたしたちは名前も変えたほうがいいっていっていて、でも、なんていう名前に変えたらいいのかわたしには解らないんです。ウィルコックスって、チャールスとわたしにちょうど合った名前なんですもの」

 しばらくみんな、黙っていた。ドリーは自分が何か余計なことをいったのではないかと思って、おじけた眼つきでみんなの顔を見まわした。ポールは手の甲を掻き続けた。

「それじゃわたしはハワーズ・エンドをわたしの妻一人に残す」とヘンリーはいった。「そしてそれをみんなも承知して、わたしが死んでから騒ぎだしたりしないでもらいたい」

 マーガレットは何もいわなかった。この勝利には何か妖しく感じられるものがあって、人を打ち負かすなどということを考えたこともない彼女がウィルコックス家の人たちを突き崩し、その生活を砕いてしまったのだった。

「それでわたしは私の妻には金を残さない」とヘンリーがいった。「私の妻がそれを望んでいて、妻のものになるはずだった金はおまえたちに分けることにする。わたしに頼らなくても生活していけるように、わたしの存命中にもおまえたちに相当なものを分けるつもりで、これも妻が望むのでそうすることになった。わたしの妻も相当な金を処分して、次の十年間に収入を半分にする考えでいる。それから妻はこの家を今あすこの牧場にいる、妻の甥に残すといっている。解ったね。それでいいんだな」(中略)

 ウィルコックス氏がイ―ヴィーに接吻して、「さよなら、イ―ヴィー」といった。「わたしのことは何も心配しないでいい」

「さよなら、お父様」

 今度はドリーの番だった。彼女も何かお別れにやらなければと思って、おどおどしたようすで笑いながら、「さよなら、お父様。お母様がマーガレットにハワーズ・エンドをお残しになって、それがやっぱりマーガレットのものになるって不思議ですね」といった。

 イ―ヴィーが急に鋭く息をした。「さよなら」と彼女はマーガレットにいって接吻した。(中略)

 しかしドリーがいったことがマーガレットの興味を惹いて、やがて彼女は、「ねえ、ヘンリー、ウィルコックス夫人がわたしにハワーズ・エンドを残してくださったっていうのはどういうことなの」と聞いた。

「それはね」と彼は静かに答えた。「ずいぶん古い話なんだ。ルースが病気になってあなたに非常に親切にしてもらったものだから、あなたに何かお返しがしたくて、あまり頭もはっきりしていなくて、紙にハワーズ・エンドと書いたんだよ。わたしはよく考えて、明らかにまじめに取るべきものではなかったから、それに従わないことにしたんだが、あなたがそのうちにわたしにとってどれだけのものになるか、そのときは思ってもみなかった」

 マーガレットは黙っていた。何かが彼女の奥底で揺れて、彼女は身震いした。

「わたしが間違っていたとは思わないだろうね」と彼は屈(かが)んで聞いた。

「ええ、何も間違ったことなんかなかった」

 庭のほうで笑い声が聞こえた。「戻ってきたらしい」とヘンリーはいって、笑顔になってマーガレットを押しやった。ヘレンが片手に自分の子を抱き、片手でトムの手を引いてその暗い部屋の中に駆けこんできた。だれも黙っていられなくする嬉しそうな叫び声があがった。

「草刈りがすんだのよ」とヘレンが急(せ)きこんでいった。「大きな牧場の。全部終わるまで見ていたの。こんなに草が取れたことってないんですって」

                        一九〇八―一九一〇、ウェイブリッジにて》 

 

 たとえ同じブルームズベリー・グループで親しかったヴァージニア・ウルフが評論『E.M.フォースターの小説』で表象した「眠りの浅い人」、――すなわち、《精巧さ、巧みさ、聡明さ、洞察力、美――こういったものすべてが存在するのだ。だが、融合していないのである。結合が欠けているのだ。作品は全体として力に欠けているのだ。シュレーゲル家の人たち、ウィルコックス家の人たち、バースト家の人たちは、彼らの属する階級と環境を十分に表象し、並外れた迫真力をもって現れる。しかし、全体の効果は、これより小品だがみごとに調和している『天使も踏むを恐れるところ』ほど満足がいかないのだ。ミスタ・フォースターの資質には何かつむじ曲がりのところがあって、彼の多彩な数々の才能が互いの揚げ足とりをしがちなのだ、と私たちは再び感じさせられる。もし彼がそれほど綿密でなく、それほど公正でなく、一つ一つの状況の相異なる局面にそれほど敏感に気づいていなければ、これという一点にもっと強力に襲いかかれるだろう、と感じさせられるのだ。それに反して、彼の打撃力は消散している。室内の何かで絶えず目覚めさせられる眠りの浅い人のようだ。詩人が風刺家によって引っ張られているのだ。喜劇家が道徳家によって肩を叩かれているのだ。美やあるがままのものの興味に喜び浸って、長いあいだ夢中になったり、我を忘れたりしないのだ。(中略)だが、『ハワーズ・エンド』においては、傑作を生み出すのに必要とされるすべての資質が溶け合っている、と感じる。人物たちは私たちにとって非常に実在感がある。物語の配列はみごとだ。あの定義しがたいが非常に重要なもの、すなわち、作品の雰囲気、は知性で輝いている。これっぽっちのごまかしも、いつわりの一かけらも、留まることを許されない。そして再び、だが、さらに広大な戦場で、ミスタ・フォースターの小説のすべてに見られる戦いが展開するのだ――重要なものと重要でないものとの、実在とにせものとの、真実と嘘との戦いである。再び、喜劇は絶妙で、観察は申し分ない。だが、再び、私たちが想像力のもたらす喜びに浸りきろうとするまさにそのとき、ちょっと引っ張られて目覚めるのだ。肩を叩かれるのだ。これに目を留め、あれに目を配らねばならない。マーガレットにしろヘレンにしろ、たんに自分自身として喋っているのではない。その言葉は別の、より大きな意図を含んでいる、と悟らされる。そこで私たちは、その意味を探し出そうとして、想像力のうっとりする世界――そこでは私たちのさまざまな能力が自在に発揮されるのだが、――から、理論の薄明の世界――そこでは私たちの知力だけが忠実に働くのだ――へと足を踏み出す》であったにしても……。

 

 丸谷才一が書評で論じているように、《筋が興趣に富んでゐてしかも登場人物が生き生きして》、《息もつかせぬ変化の妙》、《登場人物の描き方は巧妙を極め、しかもユーモアに富む》であって、《イギリスの批評用語で「社会批評」といふのは、社会主義にもとづく小説の書き方のことではなく、社会の各層、いろいろの職業、いろいろの年齢の人物を喜劇的にとらへる風俗小説的方法を意味するのだが、フォースターはその社会批評の巨匠であつた。われわれはそれによつて第一次世界大戦直前のイギリスに生きることになり、新旧思想の対立とか、それを越えてあるものとかを、存分に味わふことになる》のとおりに違いない。

 

 こうして波乱万丈の末の大胆な決着まで読了すると、冒頭に引用した「英国」と「文学」について造詣深い吉田健一がフォースターについて書いた批評文のいちいちが納得でき、沁みてくる。

シェイクスピア「嵐」ミランダがナポリ王の一行を見た時に言ふ、

 このやうな人達が住んでゐる世界は、/何と美しいのでせう。

といふ言葉に表されてゐる清純な驚きに最も似てゐる。そしてかういふ態度で書くにはその人間の知性が始終その周囲の現実と微妙に折り合ひ、これに柔軟に反応してゐることが必要であつて、それは単に所謂、もの解りがいいことと違ひ、解つたことに対する解らないことの圧倒的に大きな比率の感覚をいつも失わないでゐることなのである。我々が大人の世界に住んでゐて子供の驚きから遠ざからずにゐることの困難はそこにあり、その驚きとともにあることがフォオスタアの小説家としての秘密であると言へる》の、「兼ね合い」「釣り合い」を言い表わす鋭い指摘であることか。

 次いで吉田の、『天使も足を踏み入れるのを躊躇する辺り』についての言及ではあっても、まさしく『ハワーズ・エンド』を言い当てた、

《登場人物の行動は彼にとつて尽きない興味の対象であり、従つて又その動機やさういふ行動によつて生じる結果は彼自身がそこから受ける印象と同じ新鮮な筆致で描かれてゐる。これ程に人物の言葉や行為が正確に表現を与えられたのはジェイン・オォステン以来のことではないかといふ感じさへして、又事実、もしオォステンの小説が十八世紀の小説の意識的な調整であるならば、フォオスタアは十八世紀の小説に復帰することを意識的に試みてゐるとも考えられる。

 フィイルディングやスタアンは人間に対する興味に駆られて小説を書いた。そしてフォオスタアはさういふ興味を持つことが小説の本質をなすことを、彼が小説を書く上で意識してゐる。彼にとつては現実といふもの、人間の生活といふもの一切がその痛切な関心の対象であつて、この対象に就て彼が何かの形で裁断することがないのは、応急の価値論といふ風なものが用をなさないその対象の奇異で不可解な性格をそのまま伝へる方が、自分が持つてゐる関心に忠実であることなのだと考へるからである。フォオスタアにとつて確実なのは、さういふ現実といふものとの交渉に際して人間が人間らしくなることだけであり、かうした不確実な事情が彼の興味を惹いて止まない。それはそのやうに不確実であることが美、醜、或は生命や死などの、本質的な状態を事物が呈するのを妨げないからで、彼は現実の至る所にさういふ状態にある事物とともにこの不確実な性格を発見してそれに魅せられ、更にその現実の向う側に眼を転じる。又この場合も、その関心が切実であることに変りはなくて、彼の小説をフィルディングのと比べると、もつと知的に、従つて又、それだけ徹底した形で生気に満ちてゐる。》が、フォースターの普遍的な魅力であることに悦びを抱かずにはいられない。

                              (了)

       *****引用または参考文献*****

E.M.フォースターハワーズ・エンド』(池澤夏樹個人編集『世界文学全集Ⅰ―07 ハワーズ・エンド E.M.フォースター』に所収、解説・月報:池澤夏樹吉田健一訳(河出書房新社

E.M.フォースターハワーズ・エンド』浦野郁訳(光文社古典新訳文庫

吉田健一『英国の文学』(『吉田健一集成1 批評1』に所収)(新潮社)

E.M.フォースター『小説の諸相』(『E.M.フォースター著作集8』に所収)中野康司訳(みすず書房

小野寺健E.M.フォースターの姿勢』(みすず書房

*ライオネル・トリリング『E.M.フォースター』中野康司訳(みすず書房

丸谷才一『小説家の領分 E.M.フォースター吉田健一訳『ハワーズ・エンド』(河出書房新社「世界文学全集1-7」)』(初出「週刊朝日」1992・7・3)(丸谷才一『快楽としての読書[海外篇]』(ちくま文庫)に所収)

ヴァージニア・ウルフE.M.フォースターの小説』(ヴァージニア・ウルフ『病むことについて』に所収)川本静子(みすず書房

グレアム・グリーンフランソワ・モーリアック』(『グレアム・グリーン全集21 神・人・悪魔』に所収)前川祐一訳(早川書房