オペラ批評/文学批評 R・シュトラウス『ばらの騎士』のホーフマンスタールの織糸(ノート)   ――夢見ることと認識すること/官能的なものと精神的なもの

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 もしかしたら、リヒャルト・シュトラウスとオペラ『ばらの騎士』のことを、音楽愛好者以外の人は、村上春樹騎士団長殺し』で初めて知ったのではないだろうか(そのうえ、かなりの人はシュトラウスと聞いて、ウィンナ・ワルツ作曲家のヨハン・シュトラウスと混同しているかもしれない)。

騎士団長殺し』のアイロニカルなライトモチーフは、モーツァルトドン・ジョヴァンニ』に登場する騎士団長だが、通奏低音のようにシュトラウスばらの騎士』が流れている。

 

村上春樹騎士団長殺し』の『ばらの騎士』>

 村上『騎士団長殺し』の序盤第一部第8章で、肖像画家の私に免色(メンシキ)は『ばらの騎士』を紹介する。

《「ただじっと座っていても退屈でしょう。よければ何か音楽でもお聴きになりますか?」と私は彼に尋ねた。

「もし邪魔にならなければ、何か聴きたいですね」と免色は言った。

「居間のレコード棚から、どれでもお好きなものを選んで下さい」

 彼は五分ほどかけてレコード棚を見渡し、ゲオルグショルティが指揮するリヒアルト・シュトラウスの『薔薇(ばら)の騎士』を持って戻ってきた。四枚組のLPボックスだ。オーケストラはウィーン・フィルハーモニー、歌手はレジーヌ・クレスパンとイヴォンヌ・ミントン。

「『薔薇の騎士』はお好きですか?」と彼は私に尋ねた。

「まだ聴いたことはありません」

「『薔薇の騎士』は不思議なオペラです。オペラですからもちろん筋立ては大事な味を持ちますが、たとえ筋がわかっていなくても、音の流れに身を任せているだけで、その世界にすっぽりと包み込まれてしまうようなところがあります。リヒアルト・シュトラウスがその絶頂期に到達した至福の世界です。初演当時には懐古趣味、退嬰(たいえい)的という批判も多くあったようですが、実際にはとても革新的で奔放な音楽になっています。ワグナーの影響を受けながらも、彼独自の不思議な音楽世界が繰り広げられます。いったんこの音楽を気に入ると、癖になってしまうところがあります。私はカラヤンエーリッヒ・クライバーの指揮したものを好んで聴きますが、ショルティ指揮のものはまだ聴いたことがありません。もしよければこの機会に是非聴いてみたいのですが」

「もちろんかまいません。聴きましょう」》

 第二部38章で再び『ばらの騎士』が言及される。

《それから私はリヒアルト・シュトラウスの『薔薇(ばら)の騎士』をターンテーブルに載せてソファに横になってその音楽を聴いた。とくにやることがないときに、そうやって『薔薇の騎士』を聴くことが私の習慣になっていた。免色が植え付けていった習慣だ。その音楽には彼が言ったように、確かに一種の中毒性があった。途切れもなく続く連綿とした情緒。どこまでも色彩的な楽器の響き。「たとえ一本の箒だって、私はそれを音楽で克明に描くことができる」と豪語したのはリヒアルト・シュトラウスだった。あるいはそれは箒ではなかったかもしれない。しかしいずれにせよ彼の音楽には絵画的な要素が色濃くあった。》

 そして53章でも、

《それから歌劇『薔薇(ばら)の騎士』のことも思い出した。コーヒーを飲み、焼きたてのチーズ・トーストを齧(かじ)りながら、私はその音楽を聴こうとしている。(中略)

 リヒアルト・シュトラウスは戦前のウィーンで(アンシュルスの前だったかあとだったか)、ウィーン・フィルハーモニーを指揮した。その日の演奏曲目はベートーヴェンのシンフォニーだ。物静かで身だしなみがよく、決心の堅い七番のシンフォニー。その作品は明るく開放的な姉(六番)と、はにかみ屋の美しい妹(八番)とのあいだにはさまれるようにして生み出された。若き日の雨田具彦はその客席にいた。隣には美しい娘がいる。彼はおそらく恋をしている。

 私はウィーンの町の光景を思い浮かべた。ウィンナ・ワルツ、甘いザッハトルテ、建物の屋根に翻(ひるがえ)る赤と黒ハーケンクロイツ。》

 

 村上『騎士団長殺し』で免色に、《オペラですからもちろん筋立ては大事な味を持ちますが、たとえ筋がわかっていなくても》と言われてしまった『ばらの騎士』の台本(リブレット)作家ホーフマンスタールの名前は、『騎士団長殺し』にも出てこないので、おそらくシュトラウス以上に知られていないだろう。

ばらの騎士』は1909年2月に、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールからシュトラウスシノプシスが提案されることで共同創作が開始され、1911年1月26日にはドレスデンで初演の運びとなった。モーツァルトとダ・ポンテ、ヴェルディとボーイト、プッチーニとイッリカおよびジャコーザのように、とかく台本作家の名は落とされがちだが、『ばらの騎士』ほど共同作品としての重要度が高い作品は他に類を見ないのは、残された往復書簡と作品の内実からも明らかであろう。

ばらの騎士』を論じたものはいくつかあって、岡田暁生『オペラの終焉 リヒャルト・シュトラウスと<バラの騎士>の夢』が浩瀚で漏れがないのは衆目の一致するところであろうが、副題にもあるように、ここでもシュトラウスについて力点があるのは否めない。

 そこで少しばかりホーフマンスタールの側から論じてみたい。

 

 ウィーン世紀末文学の愛好者ならホーフマンスタールの名を知らないはずもないが、そうでなければ、これももしかしたら三島由紀夫で知った人がいるかもしれない。

三島由紀夫の言葉>

 三島はホーフマンスタールに、自分と同じように早熟の詩人にして、小説(『第六七二夜のメルヘン』『バッソンピエール元帥の体験』『アンドレアス』など)、散文・批評(『チャンドス卿の手紙』『美しき日々の思い出』『道と出会い』『詩人と現代』『ヨーロッパの理念』など)、戯曲・オペラ台本(『エレクトラ』『ばらの騎士』『ナクソス島のアリアドネ』『影のない女』『塔』など)と多芸多才なうえに、古典から作品を創り出す能力(三島で言えば『近代能楽集』)に長けたホーフマンスタールに、憧れと己の影をみていたに違いない。三島が生涯にわたって書いてきたこと、遺作『豊饒の海』(とりわけ最終巻『天人五衰』末尾の聡子(月修寺門跡)の言葉と夏の日ざかりの庭)で結実したものは、ホーフマンスタールの「夢」「生」「死」の世界だった。

 ホーフマンスタールと『ばらの騎士』の本質理解のために、三島由紀夫全集からいくつか引用する。

 三島は中村光夫との対談「対談・人間と文学」で、「虚無」について問われ、

三島 大事なことなんだけど、ここに見えている現実は現実でないという考えですね。それはある意味でア・プリオリに芸術的な見方だといえるかもしれない。それを言葉で精細に表わそうとすると、これがほんとうの、人が信じるような現実になるということを言いたい。第一に言いたいのは不信です。まわりにあるのは現実ではない。あなたが座っているように見えるが、あなたはいないのだ、ものを食っているようだけれど料理なんかありはしないのだ。そういうところから出発して、それをどうして言葉で表現したらいいだろうか、一生懸命言葉で表現すれば辛うじてそれが人に見えるような現実になるという考え、それはホフマンスタールが「チャンドス卿の手紙」のなかで書いている。十九世紀末は現実の物象が信じられなくなるところからくる時代思潮というものがあって、そこから実存主義なんか出てきたんでしょう。実存主義や行動主義に入ってゆくのもそれからきたんでしょう。チャンドス卿が庭を歩いていると如露(じょうろ)がある。そのうち、どうして如露という名前がついていて、どうして如露という存在があるのかわからなくなってきた。いままでそれは自分で如露だと思って見ていたが、何だかわからなくなってしまった。そこからだんだん物が見えなくなっちゃって、こわくなって友達に手紙を書く。あれはそういう体験に対する最初の声で、それはサルトルの「嘔吐」まで行くのですね。私小説の人たちの人生体験というのは決してそういう形で出てこない。物は全部意味を持っており、意味を持っている世界のなかでいろいろなことが起こる。志賀さんの小説に出てくるお父さんは間違いないお父さんです。それからどこかの女は間違いない女で、その女がその場で消えてしまうということはあり得ない。そういうことから出発して、自分の経験したことは全部実体のあるものとして文字で表現する。そういうものは創作にちがいないから芸術にちがいないという。だけど、ぼくたちはそういうものがなくなったところから出発しているでしょう。それが虚無といえば虚無という言葉は通俗的ですけれども。》

 

 日記体の『裸体と衣裳』にはホーフマンスタールへの言及があって、文体と「批評家的資質」に対する顕彰(それは自負でもあろう)とともに、「夢に変質してゆく人生を生きる主人公の、精神的脱落の経過」という指摘に、三島『豊饒の海』の輪廻転生と脱落への親近性がある。

《夜、ホーフマンスタールの未完の小説『アンドレアス』(大山定一氏訳)を読む。作品そのものよりも、脳裡に築かれたままさまざまに修正され、ほとんど空想上の作品として完璧な形に完成されてゐたその詳細な創作ノートに愕(おどろ)かされる。ホーフマンスタールのエッセイは実に優れたものだが、小説『アンドレアス』にも、彼の批評家的資質や、白磁の上にゑがかれた藍いろの陶器の絵のやうな、ふしぎにひえびえとした文体と、夢魔的な構成の非連続感と、すべてが痛みやつれてみえながら薄荷のやうな清爽さを帯びたウヰーンの世紀末趣味とは、この作品を未完なりにいかにも魅力のあるものにしてゐる。彼がバルザックを論じて、「バルザックは透明な絵具で描いた」と言つてゐるのが思ひ出される。(中略)しかしながら、小説というジャンルの寛大な性質は、時代が移ると共に作者の企図を離れて、別個の評価をゆるすので、今日われわれはこの未完の夢魔的な作品を、ネルヴァルの小説やロオデンバッハの小説との内的類似を通して、夢に変質してゆく人生を生きる主人公の、精神的脱落の経過をゑがいた反教養小説と読むこともできるのである。》

 

 また、『戯曲を書きたがる小説書きのノート』では、ホーフマンスタールのエッセイへの賛美とともに、三島のギリシャ文化、戯曲への憧憬がホーフマンスタールにかこつけて表明されている。

ホフマンスタールの「詩についての対話」を再読した。富士川英郎氏の訳は実に名訳で、集中の「道と出会」や「セバスティアン・メルマス」は珠玉の文字である。(中略)

 ただ、ホフマンスタールが何気なくいふ、「自然で自明な形式感」といふ言葉の、ギリシャ文化への憧れの気持はきはめてよくわかる。私の戯曲文学への憧憬も結局これに尽きるやうに思はれる。(中略)戯曲は小説より一段と古いジャンルであるが、戯曲が自然の要件とする「自明な形式感」の再確認が、小説書きとしての私にとつても、大切な仕事のやうな気がするのである。》

 おそらく三島は、ホーフマンスタール『道と出会い』の、

《愛欲(エロス)の本来の決定的な所作事は、抱擁ではなくして、出会いであると私は思う。出会いの際におけるほど、官能的なものが精神的であり、精神的なものが官能的である場合はない。出会いにおいてはあらゆることが可能である。すべてが<動き>であり、すべてがそこに溶解されている。ここにはまだ情欲の伴わない相互の要求があり、信頼と畏怖の素朴な混合がある。ここには鹿のようなもの、鳥のようなもの、獣の鈍重のようなもの、天使の純粋のようなもの、神のようなものがある。ひとつの会釈はなにか無限なものである。ダンテはその『新生』が彼に与えられた或る会釈に由来したと言っている。》や、オスカー・ワイルド論である『セバスティアン・メルマス』の、

《人間と運命を分ち、不運と幸福を引きはなして、人生を陳腐なものにしてはならない。どんなものもバラバラにしてしまってはならないのだ。いたる所に全きものがあるのである。浅薄なもののうちに悲壮なものがあり、悲壮なもののうちに愚鈍なものがある。快楽と呼ばれているもののうちに、息のつまるほど不気味なものがあり、娼婦の衣裳のうちに詩的なものが、詩人の情緒のうちに俗なものがある。人間のうちにはすべてのものがあるのだ。》の「対句」に響き合うものがあったのだろう。

 

 三島の文体表現へのホーフマンスタールの影響という意味では、秋山駿との対談「私の文学を語る」がある。秋山に、《たとえば「金閣寺」に、蜜蜂が菊の花のところを飛んでいるのを見ているところがありまして、この蜂と花の関係が、「形こそは、形のない流動する生の鋳型であり、同時に、形のない生の飛翔は、この世のあらゆる形態の鋳型なのだ」とありますが、僕は前半の一語ですでに充実して完全であるように思います。後半があることによって、かえって「生の中で形態の意味がかがやく」ということの堅固な定着が、逆に薄れるように感ぜられるのです》と指摘されて、

三島 あまり両側から見ようとするから、はみだしちゃうのですね。あの部分はホフマンスタールなのです。ホフマンスタール散文詩みたいなものをねらったのです。あの小説にはわりにホフマンスタールの影響が入っている。

秋山 僕は微かにリルケかなんかかと思って。いや、やはり三島さんの一歩一歩です。

三島 リルケというよりもうちょっとヤニっこいのです。僕が対句というのは、僕が書けば、「彼は音楽を愛し美術を好んだ」というのを、ふつうは「音楽と美術が好きだった」と書くのが流行ですね。僕はどうしても「音楽を愛し美術を好んだ」と書いちゃう。そういうことです。》

 この「両側から見ようとする」というのは、ホーフマンスタールの「分離と融合」「全体」「関係性」、「自己と他者」「生と死」「夢と認識」「官能性と精神性」に対して、中庸だとか妥協だとかの非難となった諸刃の剣でもあった。

 

古井由吉『認識の翻訳者』>

『筑摩世界文学大系63 ホーフマンスタール ロート』付録に、ドイツ文学者でもあった作家古井由吉は次のように書いている。

《端正なものは、私は好きである。また繊細な素朴さ、素朴な繊細さが危険なくだりでも失われないということは文学においてももっとも望ましいことだと考えている。理性と非理性の接点から接点へ濁らずに分け入ってゆく業は、私には最高の知性のしるしとさえ思われる。また混沌の噴出さえも形の中へ受け止める慎ましさは、混沌の力をかえって際立たせる。しかし私をホーフマンスタールの作品の前で落着かせるのは、何よりもその翻訳者ふうの印象、なにか確かな原典を前において知性と感性をかえって自由に透明にはたらかせているといった趣である。

 文献的なよりどころについては私にはこれを論じる力もないが、ホーフマンスタールのこの翻訳者風の印象はおそらく、彼が孤独な近代的な自我としてではなくて文化伝統の中の一個として物を表現しているところから来るのではないか、と思われる。いや、文化伝統のただ中に支えられた人間なら、父なるもの母なるものに対して認識者である必要はない。ホーフマンスタールの作風はあきらかに認識者のそれである。ただし、その認識は伝統の形を解体して行くという態のものではなく。あくまで形の中に留まろうとするものである。文化伝統から根もとにおいてすでに切り離されて、憧れと怖れ、彼の言う《夢》でしかつながって行けない者でありながら、近代的な個とも成ろうとしない。過去と未来の双方に対して前存在(Preexistenz)的な、それゆえに伝統にも個の枠にも限定されずに際限もなく柔軟な、際限もなく分け入って行く認識的な感性――このような感性がデカタンツに堕ち入らずに過去と未来に対する倫理の中に留まろうとする時、翻訳者、媒介者の道がそこにあるのではないか。たとえば正しい象徴性を過去から未来へ認識的に媒介するということも、重い任務のひとつである。》

 古井はホーフマンスタールの訳になるソポクレスの「オイディプス王」の簡明化、透明化された優美な一節を引用してから、《世界の秩序は人間のさまざまな犠牲行為から成り、これらの行為が大から小に至るまで同じ意味を照らしあうことによって、全体が保たれる、従って、或る大きな犠牲が捧げられるべくして捧げられないならば、供物を捧げるというような日常の習俗に至るまでその意味が失われ、全体の倫理的秩序は崩壊に瀕する――これがホーフマンスタールの世界観の骨子であり、また文学観のそれである。(中略)根源にある犠牲・象徴への問い、迫りくるカオスへの凝視。伝統の簡素なかたちとなることによって、貧しい透明さになることによって、認識をあらわした詩人である。》と結んだ。

 

<川村二郎『アレゴリーの織物』>

 ドイツ文学者の川村二郎は、ホーフマンスタールとバロックベンヤミンとホーフマンスタールに関して考察した。

《思い切って簡略化してしまえば、ここでベンヤミンは、ホフマンスタールは古くカフカは新しいと言っているのである。もちろん前者が単純に旧弊だというのではない。新しさに対して充分な理解を持っている。新しさを体現する可能性さえも、潜在的に具えている。にもかかわらず、可能性を実現するにしては、古さへの未練に後髪を引かれすぎている。そのために、常時優柔不断の、首鼠両端にひとしい態度を取り続けるよりほかはない。ベンヤミンホフマンスタール批判は、そうした観測にもとづいていると思われる。》

《「並外れた変幻自在の多才ぶりは、ホフマンスタールにあっては、おのれの内なる最善のものに裏切りを働いたという意識を伴っている」と、ベンヤミンはさらに別の手紙に書いている。》

ホフマンスタールはブルクハルトとベンヤミンの双方に接触している。一般化していえば、古典的ヨーロッパの伝統を正しく継承し顕彰しようとする意向(この意向において、E・R・クルチウスやルドルフ・ボルヒャルトやR・A・シュレーダーたちが、ホフマンスタールを中心にして結ばれている)と、古典的正統を真向から敵視し、異端として斥けられ疎外された諸力を通じての破壊と変革を第一義とする意向(ベンヤミンの朋友である革命家ブレヒトにさえ、ホフマンスタールは好意的な目を向けている)との双方に、接触している。いかにもとめどのない、摂取不捨の、もしくは選択不能の社交性。くり返すが、この社交性はデモーニッシュな不気味さを孕んでいる。》

 

<ホーフマンスタール『詩人と現代』とフッサール

 木田元によれば、ホーフマンスタールは『詩人と現代』という講演を1906年12月に、ミュンヘン、フランクフルト、ゲッチンゲン、ベルリンの4か所で行っているが、おそらくはゲッチンゲンで行われた講演を、当時ゲッチンゲン大学にいたフッサールが聴講し、翌日にはホーフマンスタールがフッサールを訪問、翌年1月にフッサールがホーフマンスタールに講演への共感を次のように綴っている。

《世界に対する詩的態度についてホーフマンスタールが述べたことが、単に芸術愛好者としての自分の関心を惹いただけではなく、哲学者であり現象学者である自分の関心をも強く惹いたと述べ、それは、この詩的態度と現象学的還元によって哲学者が意識を純化してゆく作業とには共通したものが認められるからだと言っている。》

 それは、ホーフマンスタールが講演で語った、《詩人はそこに居る、そして音もなく場所を替える、全身これ眼と耳ばかりになっている、そして自分が身を置く場所の色を身にまとってしまうのです。詩人は万物に対し傍観者である、いや、むしろ身をかくしていながら万物の無言の兄弟である、そして彼が皮膚の色を変えるのはある敬虔な苦痛なのです。というのは、詩人は万物から悩みを受け、そしてその悩みを受けることによって、彼は万物を享受するのですから。この悩みながら享受するということ、これが詩人の生の全内容です。彼は悩みます、万物をそれだけ切実に感受せんがために。彼は離れ離れのものからも集団からもひとしく悩みを受けます。彼は物の個々の細部を悩み、またその関連全体を悩みます。尊いものと価値なきもの、崇高なものと卑俗なものについて、詩人はそのさまざまの境遇、さまざまの思いを身に受けて悩むのです。単に考えただけのことをも、実体のないまぼろしをも、時代の産物たる空虚な現象をも、まるでそれらが人間であるかのように、詩人はその悩みを引き受けるのです。何しろ詩人の眼から見れば人間と事物と思想と夢とは全く一つなのですから。彼が知るのはただ、彼の眼前に現れ、そこに彼が悩みを受け、悩みながら幸福を得る、そうした現象だけなのです。》に共感したのだろう。

 続けてホーフマンスタールは、《しかし時代というこの織物にはさらに繊細な糸が通されてあります。たとえ他のいかなる眼もその織糸を認めないとしても、詩人の眼がそれを見落とすことはあってはならないのです。詩人の眼は現在は筆舌に尽くせぬ形で過去と綯い交ぜになっております。自分の体の毛孔の一つ一つに、詩人は過去の日々の、顔も知らぬ遠い昔の親たち、祖先たちからの、消え去った国々の民、過ぎ去った時代からの残り伝えられた生命の澱を感じ取ります。(中略)人間の誰しもが持つ最も深い感覚が、時間と、空間と、物の世界とを人間の周囲に作り成してゆく、それと同じように詩人は過去と現在、動物と人間と夢と物、広大と微小、崇高と卑俗とから、関連の世界を作り成します。》と述べたが、詩人ホーフマンストールの織糸は『ばらの騎士』の世界そのものではないだろうか、とりわけ元帥夫人の態度は詩人のそれではなかったか。

 

吉田秀和『オペラ・ノート』から「リヒャルト・シュトラウスばらの騎士』」>

 シュトラウスとホーフマンスタールの往復書簡や『ばらの騎士』台本に当たる前に、吉田秀和の音楽が聞こえてくるような解説を押さえておく。

 吉田秀和は、自分のいちばん好きなオペラは、考えるまでもなくモーツァルトのオペラだが、そのほかに好きなオペラはなんだろう、と自分にきいてみて、『ばらの騎士』である、たぶん、そうである、と自分に返事した。モーツァルトを除けば『ばらの騎士』こそ、最もオペラ的なものの精華なのである。

《みんなはよく、「二十世紀の生んだオペラは二つしかない。ドビュッシーの『ペレアス』とアルバン・ベルクの『ヴォツェック』と」という。それはある意味では正しいのだけれど、完全に正しくはない。というのは、この二作、特に『ヴォツェック』はたしかに正真正銘二十世紀の生んだオペラには違いないのだが、スタイルとしては十九世紀のオペラの伝統に完全に則したものであり、それが十九世紀のオペラの延長線上にあるものであることは、ちょうど、プッチーニの『トスカ』や『蝶々夫人』などの場合と同じなのだ。(中略)ところが『ばらの騎士』は、オペラというジャンルが「アクチュアルな芸術としての生命を終えてしまった」、あるいは、もうそうなったも同然であり、したがって滅亡した、あるいは滅亡の寸前の危機にあるという認識があってはじめてかかれた台本によっているのである。そして、この危機の認識こそが二十世紀の刻印なのである。》

 

《ホーフマンスタールは、後年、ある手紙の中で、こう言っている。

「Pは、私の小さな戯曲群には、現実には全然存在していない社会が反映していると言ったけれど、これは正しくもあれば間違ってもいる。この種の芸術の役目は、たぶん、創造的な人間たちに与える必要のある『真』にあるのです。」

ばらの騎士』についても同じことがいわれる。この劇は、マリア・テレジア治下のヴィーンでの貴族社会の喜劇であると同じくらい、架空のそれにおけるコメディであり、その役目は、創造的人間(二十世紀初頭でも創造的人間たちとは。どこにいる人たちを指したのだろうか?)に贈られるべき「真」をおくるにあった。『ばらの騎士』とは、そういう言葉で書かれた劇なのである。

 だから、R・シュトラウスが、ここで、ワルツをさかんに用いたのは、まったく正しかった。マリア・テレジア治下のヴィーンでは、まだ、ワルツがなかったことはみんな知っている。それにもかかわらず、これは芸術的にみて許されるというのではなく、むしろそれだからこそ、これは正しかったのである。

 しかし、また、これは二十世紀初頭の「現代」の話でもいけなければ、恐らく十九世紀の話でもいけなかっただろう。それでは、日常性を超えた祝典的性格が充分に自然に芸術化されないからである。しかし、祝典的なものが自然に芸術化されなければ、オペラは成立しないのだ。ここには、それがある。オペラ本来の「真」が生まれてくるのは、そこからである。このオペラをきいて、誰もが感じる元帥夫人の悲しみと諦念の美しさにしても、それが『真』に支えられていなかったなら、一片のセンチメンタリズムにすぎなかったろう。》

 

《現在の地点からふりかえると、元帥夫人が、女性だけでなく、このオペラをみるすべての公衆の心をとらえるのに成功しているのは、ことわるまでもないことであり、その元帥夫人に歌を与えたのは、ホーフマンスタールであるのと同じくらい、R・シュトラウスであることも、言いそえるまでもない。彼女には、第一幕と第三幕に、比類のない明察と恋の入りまじった歌が与えられている。

 「今日か、明日か、それとも明後日か。そう前に自分にいってきかせたのに。これはどんな女にもふりかかってくることのはず。わたしにもわかっていた。自分で誓いをたてたはず、落ちついて耐えていこうと。」

 「正しいやり方で、あの人を愛そうと誓った。彼がほかの女性を愛したら、その愛を私が愛せばよい。でも、それが、こんなに早くやってくるなんて。この世には、他人に起こった話だったらとても信じられないようなことが、いろいろ、ある。でもそれを体験した人なら、信じられるし、どうしたらよいのかもわかってくる……」

 こういう言葉のすべてが、歌の中で、三重唱と二重唱の中で、私たちに聞こえてくるわけではない。しかし私たちは、元帥夫人の歌う声の中に、悲劇がきて並々でない決意をうながし、そうして立ちさってゆくのをきくわけである。それは、明らかに言葉の問題だが、同時に言葉が分かるわからないの問題ではない。というのはきき手は判断できなくとも、シュトラウスの音楽が、その伝達を可能にしているのだから。

 そうして、そのあとにくるゾフィーとオクタヴィアンの二重唱、

 「ぼくの感じるのは君だけ。きみ一人。ほかの一切は夢のように、ぼくから消えさった。」

 「これは夢。現実ではあり得ないことかしら。二人で、二人っきりで、いつまでもいられるなんて……」》

 

《これは古いオペラのパロディーではない。舞台なしに、音楽だけを聞いてみれば――そのために現代はレコードという実に重宝なものができた――この音楽が、たとえ『エレクトラ』のあの無調に迫った、いや局部的には無調でさえあった音楽にくらべ、穏健になったように思われるのは、視覚的なものからの印象が強く働きかけているからで、実際の音は歌も、それから至るところに顔を出す管弦楽の間奏もきわめてモダーンである。

 しかし、また、これは当時のたいていの成功作より進んでいたにせよ、前衛音楽ではなかった。シュトラウスはここで純粋音楽を書いたわけではない。ホフマンスタールR・シュトラウスは『オペラ』というジャンルを、もう一度、救い出そうとしたのである。ロマンティックなアナーキーと、それからアカデミックな硬直化の両方と戦いながら。彼らがそれに成功したことは、私がいうまでもない。》

 

 他にもオペラ『ばらの騎士』(1911年)の解説書はいくつか容易に手にすることができて、その最も優れたものは前述したように岡田暁生『オペラの終焉』だが、ホーフマンスタール自身による「書かれなかった後書き」(1911年)と「後年に書かれた序文」(1927年)ほど作品の核心、本質を言葉にしたものはない。その的確さ、深さ、目配り、現在に続く問題提起は、ホーフマンスタールの批評家的資質、自己省察による時代と社会、過去と未来を見通す眼のなせる術だ。

 

 <ホーフマンスタール「『ばらの騎士』後書」>

《一作品は一個の「全体」であるが、二人の共同作品もまた一個の全体となりえる。多くの要素が――各人の最も独自なものでさえも――同時代人には共通している。織糸は縦横に走り、類は類を求める。しいて区別する者は過ちを犯し、しいて一面を強調する者は、いつしか全体の響きが耳にはいらないことを忘れている。音楽は台本からひき裂かれるべきものではなく、言葉は生命ある形象からきり離されてはならない。「舞台」のためにこそ、この作品は創られたのであり、書物にするためでもなく、ピアノに向かって座る各個人のためなのでもない。

「人間」は無限定であり、「人形」は狭く限られている。人間関係にあっては多くのことがらが右へ左へ浮動しているが、人形同士は尖鋭で清潔な対立を守っている。戯曲の登場人物はつねに両者の中間であろう。侯爵夫人(注:元帥夫人)は孤立した存在ではなく、オックスもまた同然である。二人は対立し、しかも従属しあっている。貴公子オクターヴィアンは中間にあって、両者を結びつける。ゾフィーは侯爵夫人に向かいあっている。娘と女との対立なのであり、またしてもオクターヴィアンがその中間に割りこんで、両者を分離しながら結合する。ゾフィーは父親と同様に心底から市民的であり、したがってこの一群は、さまざまな放恣の許される貴族階級に対立している。オックスは何はともあれ、まだ貴族の片割れには違いない。ファーニナルと彼はたがいに補充しあい、一方は他方を必要とする。ただ単に現実問題にとどまらず、言わば形而上的な意味でもそうなのである。オクターヴィアンはゾフィーをひき寄せはする――だが、真実にそして永遠に、彼は彼女を自分のもとにひき寄せるであろうか。これは多分疑問として残ることであろう。このようにして人物の組合せは組合せに対立し、結合された一群は分離され、分離された一群は結合される。いっさいの登場人物は、じつは従属しあっているのであり、肝心な意味は人物相互の「関係」にこそ含まれている。それは瞬間的でかつ永遠的なものであり、ここにこそ音楽の鳴り響く空間が成就する。

 見方によっては、この作品のなかには過ぎさった時代の絵巻が粒々辛苦して描かれているとも言えよう。しかしそれは、単に眩惑なのであり、最初の浅はかな一瞥を欺きうるにすぎない。言葉からしていかなる典拠をも持たないが、しかしいまなおウィーンの都の虚空に名残りをとどめているものではある。作品全体が、予想される以上に「現在に含まれ過去」に満ちているからであろう。そしてファーニナルの徒も、ロフラーノ(注:オクターヴィアン)も、レルヘナウ(注:オックス)の輩もいまだに死にたえてはいない。ただ召使たちは現在ではもはや、これほど華麗な制服を身にまとって巷を行くことがないだけのことである。風俗習慣にしても、作りごとと思われそうなものが、じつはほとんど正真正銘の伝統であり、本当らしく見えるもの[訳注:例えば婚約の銀のばらの風習]が、じつは虚構なのである。ここにもまた、生きた「全体」が見られる。また人物の口から、おのおのの話しぶりを除いて考えることもできない。これら話しぶりは、まさに人物たちと同時に生まれたものであり、おそらく他のいかなる舞台で聞かれたよりも「口語」なのである。しかもそれが、生命が形姿となるための流出作用であろうとするのは、単独孤立しているからではなくして、ただ音楽と提携しているからにほかならない。言葉が音楽に抵抗するように見える場合は、それはおおむね意図した結果であり、言葉が音楽に献身する場合は、それは心からの抱擁である。

「音楽」こそは、きわみのない愛をたたえ、いっさいを結合する。音楽にとってはオックスといえども、嫌わしいものではない――この男の背後にあるものを感じとるからである。そしてオックスの好色づらもロフラーノの童顔も、音楽にとってはただとり変えられた仮面にすぎず、その奥からは同じ瞳がのぞいている。音楽は侯爵夫人の悲しみもゾフィーの無邪気な喜びも、ひとしく甘美な和音と見なすであろう。音楽の目的はただ一つ、生ある者の調和を流出させて、万物を歓喜へと誘うことである。》

 

<ホーフマンスタール「『ばらの騎士』序文」>

《実在するものを実在しないと想像することほど、むずかしいことはあるまい。ここに登場する人物たちも、とっくに作者の手から離れてしまった。侯爵夫人、オックス、オクターヴィアン、成金のファーニナルとその娘、また彼らのあいだに織りなされる生の絨緞。これらすべては、まるでとっくの昔からそのまま実在していたようであり、今日ではもはや私のものでもなく、作曲家のものでもない。むしろ虚空に漂い奇異な照明に輝くあの世界――劇場にこそ、すべては属しているのであり、そこでいままでしばしの生を保ってきたし、おそらく今後しばらくは生きのびることであろう。(中略)

 やがて彼(注:シュトラウス)は言った――「二人でこれを仕上げ上演させたあかつきに世間の言うことは、私にはいまから寸分たがわずわかっています。世間は、みなの期待がまた無惨にも裏切られた、この作品はドイツ民族が数十年来憧れをもって期待していた喜劇的オペラではない、などと言うでしょう。そしてそのようなレッテルを貼られて、私たちのオペラは落第ということになるでしょう。けれども私たち二人はこの仕事のあいだに、存分楽しむにちがいないのです。すぐ発ってうち[訳注:ウィーン郊外ロダウン]へお帰りなさい、そしてなるべく早く第一幕を送ってください。」 この談話はたしか、一九〇九年の三月末のことであった。(中略)

 おたがいが交した活発な、熱病じみた気ぜわしい応答のことも忘れられない。それは未知の典型的人物を動かして、それらに許されたかぎりのあらゆる組合せを作るトランプ遊びに似ていた。だがそれだけでは、生命ある形姿の織りなす小世界を創造するには、まだ力が及ばなかったことであろう。じつはその奥底に、なかば空想的でなかば現実的な一個の全体を現前せしめようとする、秘めやかな願いがあった。すなわち、一七四〇年代のウィーン――その対立し混合するさまざまの階級や、儀礼や、社会的秩序や、訛り、むしろ階級ごとにことなる種々の話しぶりや、雲に聳える宮廷のお膝もとであるという自負心や、逆にたえず身ぢかに感じられる庶民的な要素など、いっさいをひっくるめてこの都全体の雰囲気――を表現しようとする願いなのである。こうして脇役の人物たちが、わんさと登場することとなった。腰元、警部、料亭の主人、召使、家令、無頼漢、ご用商人、髪結い、下男、給仕、駕籠かき、巡査、やくざ者など。

 しかし、これらを統一するものはただ――この作品においてはすべてがそうであるが――真実で同時に虚構の、暗示と裏の意味に満ちた一種独特な言葉でなければならなかった。どの人物も同時に自己と、自分の属する社会的階層とを描きだせるような一つの言葉。それはだれが口にしても同じものである点では、時代に共通した架空の言語であるが、しかしその話手に応じて別なニュアンスを持つものである。その振幅はかなり広く、侯爵夫人のきわめて飾り気のない言葉つき(そしてこのような、ときには謙虚なまでの非常な簡素さのなかにこそ、この人物の本質が凝結している)に始まり、オクターヴィアンの、若気に甘えていたわりのなさを多少とも感じさせるような簡潔で典雅な話しぶりや、ファーニナルの口調――それは娘の口から出ると、さらにやや小生意気でしかも純情の度を加える――そしてオックスの、美辞麗句と俗悪野卑の奇妙にいり混った調子にいたるのである。この言葉こそは――ある批評家が(察するところ悪い意味で)十八世紀のエスペラントと名づけたものであった。私はこの評言を喜んで受けいれたい――これこそ、この台本を翻訳至難にするゆえんのものである。驚くべく熟練した筆を駆使して、英・仏・伊の各国語に翻訳する試みがなされてはいるが、原作の言葉の雰囲気からひき抜かれるやいなや、人物たちは若干の冷たさを帯び、輪郭の線ははるかに堅くなり、ぎこちなく対立する。そこには人物相互の協調性が欠けている――それあってこそこの作品は、そもそも生命の気を受けえたのであったが。》

 

ジジェク『オペラは二度死ぬ』>

 ジジェクは『オペラは二度死ぬ』で、ワーグナートリスタンとイゾルデ』の「愛死 Liebestod」を出発点に、『ばらの騎士』を比較対象とした。シュトラウスとホーフマンスタールの往復書簡を後記するが、ここでのジジェクの論点が二人の狙いでもあったことが分かる。

《厳密な意味で『トリスタン』の変奏といえる作品から話をはじめよう。『トリスタン』という構築物にひそむ最初の亀裂があらわになるのは、われわれが『トリスタン』を、それと対をなす作品『マイスタージンガー』とならべて読んだときである(『マイスタージンガー』が『トリスタン』と対をなすことは、次の事実によって示されている。ハンス・ザックスとエーファとのあいだに真の愛情が突発的に芽生える、オペラの鍵となる場面において、ザックスは『トリスタン』のマルケ王の悲痛な運命にふれ、自分はマルケ王のような立場に立ちたくないということをほのめかすのである)。この筋書きを実現したオペラは、シュトラウスの『ばらの騎士』である。このオペラと『マイスタージンガー』とのあいだには、明確な対応関係が存在する(通常、陸軍元帥夫人は「女ザックス」と呼ばれる)。年配の人物(ハンス・ザックス、陸軍元帥夫人)は、愛のこもった究極の犠牲的行為において若いパートナーを他人に譲り渡す。そしてこの行為のあとには、和解を示す偉大なアンサンブル(『マイスタージンガー』における五重唱、『ばらの騎士』における三重唱)が続く。そしてここでは、この行為がいかに強いられた選択の構造を備えているかを理解することが、きわめて重要である。『ばらの騎士』の終わりで陸軍元帥夫人がオクタヴィアンから手を引くとき、彼女が実際におこなっているのは、不可避なこと(時の流れ)を自主的に選択するという空虚な身振りなのである。》

 

トリスタンとイゾルデ』第二幕第二場末尾のトリスタンとイゾルデの二重唱、その自己消滅の最初の試みは、ジジェクによれば《芸術史におけるもっとも暴力的な性交中断といってよいブランゲーネの叫びによって冷酷にさえぎられる。》

トリスタンとイゾルデが希求するのは、互いの差異を無化するものへと、合わせ鏡の像のように二人で沈潜することである。これこそが、第二幕の長い二重唱の内容である。その(いささか早まった感のある)結びはこうなっている。「あなた(わたし)はイゾルデ、トリスタンは(わたし)(あなた)、もうトリスタンではなく! もうイゾルデではなく! 名を呼ぶこともなく、離れることもなく、新たに認め合い、新たに燃え上がる。とこしえに果てなく喜び(意識)をひとつにして、永遠に成長する愛、こよなく高い愛の喜び。」 分節言語は、このプロセスにおいて崩壊しているようにみえる。それは、シンタックスが不明瞭になるにつれて、ますます子供じみた、反転する鏡像のようなものになってゆく。(中略)誰にも制止できない、この自己消滅という究極の至福への上昇は、突然、暴力的に(これ以前に、夜はすぐに去ってしまうと二人にやさしく忠告していた)ブランゲーネによって中断される。ワーグナーによるト書きはこうなっている。「ブランゲーネがけたたましい叫びをあげる。トリスタンとイゾルデは恍惚としたままである。」 昼の現実が介入し、マルケ王は恋人たちを驚かす。》

 

《『ばらの騎士』は、「後朝(きぬぎぬ)」の場面、男女が熱い共寝をして過ごした翌朝の場面からはじまる。これは明らかに『トリスタン』の逆を行く動きである。『トリスタン』の終結部は、夜への沈潜を完璧に達成しているのだから。そうであってみれば、陸軍元帥夫人が『マイスタージンガー』のハンス・ザックスのように、時の流れというものが無常な力をもったものであるという良識、そして昼の生におけるありきたりの必然性や責務が闇の世界における絶対的な愛の情熱に勝るものであるという良識の持ち主であることは、驚くにあたらない。この反(あるいはポスト)ワーグナー的な力点は、冒頭のシーンのオクタヴィアンと陸軍元帥夫人の対立においてみごとに表現されている。オクタヴィアンは、ワーグナーを茶化すようなやり方で、セックスをしているあいだは主体と客体の境界線がなくなるということについて、夜に浸りつづけたまま昼を避けるという自分の望みについてしゃべりまくる(「『あなた』とは何を意味するのか? 『あなたと私』とは何を意味するのか? こうしたことにいったい意味があるのか? こうしたことにいったい意味があるのか?/……/私は、あなたを欲望するものだ。しかし『私』は『あなた』のなかでは消えてしまう……/……/なぜ昼が存在しなければならないのか? 私は昼などいらない! いったい昼のどこがよいのか? でもあなたは完全に昼の世界に属している! ああ昼が闇にならんことを!」)。それに対し陸軍元帥夫人は、彼の行儀の悪さをやさしくたしなめ、外が騒がしくなると、彼に中国屏風の陰に隠れるようにいう。こうしてわれわれは、ロココ風の色恋騒ぎとボーマルシェ風のかくれんぼう遊びからなる世界に連れ戻されるのである。だから、シュトラウスが、『ばらの騎士』においては「モーツァルト的オペラ」をつくりたかったと主張したとしても、また『ばらの騎士』の冒頭がフィガロ三部作の第三部――そこでは伯爵夫人ロジーナとケルビーノのあいだで情事が行われる――の変奏として読みうるとしても、それはあくまでワーグナーのあとに(・・・・・・・・・)到来する、ノスタルジーに満ちたモーツァルトなのである。モーツァルトの世界であれば、オペラの一行目(「昨日のきみ! 今朝のきみ! だれも知らない、思いもよらない!」――簡単にいえば、「ベッドでのきみは、なんてすばらしかったことか!」という意味――は、陸軍元帥夫人が閨房の技術に長けていることを示唆しており、この示唆の音楽的表現は、一分ほど前に、オーケストラによる前奏曲においてなされている)にあるような性行為に対するあからさまな言及は、完全に排除されていただろう。》

 

《『ばらの騎士』とモーツァルトとの共通点――これはワーグナーとは対照的な点である――は異性装である。『ばらの騎士』の幕切れの三重唱の魅力は、それが女性の(・・・)三重唱であるという事実にあるのではないか。したがって、その隠されたリビドー的なメッセージは、女性共同体のメッセージ、つまり『ノルマ』の有名な二重唱「ああ、思い出さずにはいられない!」を敷衍したものである。ここでは、『フィガロの結婚』、『フィデリオ』、『ばらの騎士』がいかに異性装を二乗しているかということに注目してみるとおもしろい。『結婚』と『ばらの騎士』において、男として歌う女(ケルビーノ、オクタヴィアン)は、侵入者に自分の身分を知られないために物語内容のレヴェルでさらに異性装を重ねなければならなくなる。その結果われわれは、女の格好をした男を演じる女に出会うことになる。》

 

《とはいっても、シュトラウスモーツァルトを分かつギャップは、性行為の位置づけにかかわっている。モーツァルトにおいて、人々はセックスをしないというわけではない。それとはまったく逆に、彼のオペラのプロットは、すべてセックスめぐって展開している。むしろ重要なのは、性行為への言及が一貫して抽象的で、世俗的な内容を欠いており、どこかしら古き良きヘイズコード時代のハリウッド映画における男女が抱擁したあとのフェイドインを思わせるところである。音楽の構成(テクスチュア)そのものがあからさまに性的なものに変わるのは、ワーグナーになってからである。『ローエングリン』や『トリスタン』の序曲がオーガズム的構造をもっているという論点は、たとえ陳腐なものであっても、的を射ている。(中略)『ばらの騎士』の、オーケストラによる短いプレリュード――これは歓喜に満ちあふれたセックスの場面の表現であり、突き上げるような動きの模倣、絶頂の瞬間をまねたホルンの歓声、快感に浸りきった余韻をともなっている――は中間的な位置にある。つまりそれは、なまの性的な情念が気取ったロココ様式に包まれたかたちで噴出したものであり、その意味では、半分想像的で半分現実的というオペラの様態自体に即したものなのである。》

 

《では、『ばらの騎士』におけるこのオープニングの逢い引きは、いかなる点において『トリスタン』における夜への沈潜と異なっているのか。『ばらの騎士』は、いわば『トリスタン』の描く行程を逆行するように、至福に満ちた夜の逢い引きからはじまって、形式的な社会的義務からなる昼の世界に戻っていくということだけではない。この後朝の効果が、ワーグナー的解決を台なしにしてしまうということだけではない。ここではすでに、性行為そのものの至福に沈潜することが妨げられているのである。陸軍元帥夫人とオクタヴィアンがホットチョコレートを飲みながら話をしているとき、彼女は、驚いたような顔をしているオクタヴィアンにこう語る。昨夜セックスをしているあいだ彼女は、クロアチアにイノシシ狩りに行っている不在の夫、元帥のことを思い浮かべていたのだ、と。これによって確認されるのは、性行為という現実的なものとその空想的な支えとを分かつギャップである(『トリスタン』全体の要点は、このギャップが脱我的な至福の極致において無効にされ、現実的なものと空想とが一致するということである)。彼女は、「あの最中に彼の夢を見るなんていったいどういうことですか」と問いただす怒ったオクタヴィアンに向かって即座にこう答える。「見たくて見たのではない」と(注)。俗にいうフロイトの性至上主義は、通常、「われわれは何をいおうと、何をしようと、結局はつねにあのこと(・・・・)について考えている」――性行為という参照項は、正確には次のようなことを示唆している。問題は、われわれは日常的な事柄を行っているとき何を考えているのかということではなく、われわれはあれを実際にしているとき何を考えている(空想している)のかということである。「性的関係は存在しない」というラカンの言葉は、結局、われわれは性行為をしているとき、それとは別のことを想像(空想)しなければならない、ということを意味しているのである。われわれは単純に、「いまこうしていることが直接与えてくれる快楽に浸りきる」ことはできない。そんなことをすれば、快楽の源泉となる緊張が失われてしまう。この要点は、『ばらの騎士』において明確に示されている。陸軍元帥夫人は、退屈な夫とのセックスの最中に若くたくましいオクタヴィアンを夢想するのではない。それとは逆に、オクタヴィアンとセックスをしている最中に、退屈で尊大な夫の幽霊が彼女の想像力に取り憑くのである。(注:ちなみに彼女の夢は、きわめてフロイト的なものである。第一に、それは、彼らの性行為を妨害する外界からの音(部屋の外で仕事をする使用人たち)を含んでいる。そのとき、その使用人たちの音は、不意に帰宅した夫がだす音として解釈されている。第二に、この夢において陸軍元帥夫人は、これまでに経験した、ある実生活の一場面を反復している。というのも、彼女はこうほのめかしているからである。夫はむかし、彼女が愛人といっしょにいたときに不意に帰宅したことがある、と。)》

 

リヒャルト・シュトラウスとホーフマンスタールの「往復書簡」>

 往復書簡集を読むと、作曲家シュトラウスと台本作家ホーフマンスタールが、オペラ『エレクトラ』の創造の後で何を目指していたのかがはっきりと見えてくる。それはまず、「喜劇を」だった。しかし、前衛的な悲劇『サロメ』、『エレクトラ』の達成の後で、ウィンナ・ワルツを多用した大衆受けする『ばらの騎士』をどうとらえるかは、この作品への評価ばかりでなく、「ホーフマンスタールとその時代」をどうとらえるかでもある。

 1911年1月26日の初演に向け、およそ2年間にわたって、二人は頻繁に書簡を交わしあう(以下、ヴィリー・シュー編『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール 往復書簡全集』中島悠爾訳から重要な部分を引用)。

 

・ホーフマンスタール(H)→シュトラウス(S)、1909年2月11日

《ところで、私たち二人にとってはるかに重要なこと(と願っているのですが)があります。ここで三日ほど静かな午後を過ごす間に、ある喜劇的オペラの完全な、全く新しいシノプシスを作りました。登場人物もシチュエーションも、全く思い切ってこっけいなもので、色どり豊かな、殆どパントマイムのように明快な筋立てで、抒情的なもの、戯れ、ユーモアの機会にも事欠かず、それどころかちょっとしたバレエさえあります。このシノプスは実に魅力的なものだと思っておりますし、いっしょに討議したケスラー伯は、もうすっかり夢中になっています。大きな役が二つあり、一つはバリトン、もう一つはファラーかメアリー・ガーデン風の、男装した優雅な女性の役です。時代はマリア・テレジア統治下のウィーン。》

 ホーフマンスタールは、まず喜劇を、だった。以下は1909年よりあと、第一次世界大戦後の言葉だが、

《次の発展段階において私がみずからを注ぎ込み、みずからの居場所とすべきものは<喜劇>です。そこでこそ私は自分の要素である孤独なものと社会的なものを融合させることができます。神秘的なものと方言的なもの、内面へ向かう言葉と外部へ向かう言葉を。》(1917年、ルドルフ・パンヴィッツ宛書簡)

《悲劇は民族の生命力が最も高まったときにふさわしく、喜劇は逆にそれが衰弱した時にこそふさわしい。不幸な戦争の後に書かれるべきものは喜劇なのです。》(1919年、カール・ブルクハルトとの会話)

《この世界には緊張が充満しすぎています。本当に喜劇が書かれねばなりません――それ以外に道は見出せないのです。》(1929年、ブルクハルト宛書簡)

 オーストリアハンガリー二重帝国、ハプスブルク帝国の崩壊という現実の中で、悲劇よりも喜劇を、ワーグナーよりもモーツァルトを、プロシア的であるよりもオーストリア的であること、プロテスタンティズムよりバロックカトリックを、孤立よりも融合を。

 ホーフマンスタール『三つの小さな考察』から「事物のイロニー」(1921年)。

ノヴァーリスの「断片集」の中に私がつぎのような記述を見つけたのは、この戦争よりもずっと前のことである。「不幸な戦争のあとには喜劇が書かれねばならない」 奇妙に簡潔な形式のこの手記は、私にはかなりいぶかしく思われた。今日の私にはもっとよく理解できる。喜劇の基本要素はイロニーである。そして実際のところ不幸になり終った戦争ほど、この世のあらゆる事物につきまとっているイロニーを私たちに明らかにしてくれるのにうってつけのものはない。悲劇は一個人であるその主人公に人工の品位をあたえる。悲劇はこの主人公を半神に仕立て、市民的な諸関係を越えた高みに持上げてしまうのである。(中略)ところが真の喜劇は、そこに登場する個としての人物を世界にたいして幾重にも束縛された関係の中へ置くのである。喜劇はすべての事物をたがいに関係づけ、そうすることによってすべてをイロニーという関係の中に据える。》

 もっとも、ホーフマンスタールとシュトラウスの「喜劇」の質については、ずっと後にホーフマンスタールが、その「どっと笑える」になってしまったことを嘆いたように齟齬がある。

 

・H→S、1909年3月16日

シノプシスは本当にすてきなものです。楽しい、殆どパントマイム風の細部に満ちています。私は全体をごくごく簡潔にまとめようと努めており、上演時間は二時間半と見積もっておりますので、《マイスタージンガー》の半分になります。ただ、従来の形式にこだわらず筆を進めておりますので、「通常の」オペラ的なものからあまりにも隔たったものを書いているのではないか、また、常に特有の口調を保持しようと努めるあまり、歌唱に適したものから離れてしまったのではないか、と心配しており、それをあなたに伺って、その上でいっそう安んじて仕事を続けたいと思っております。》

 

・S→H、1909年4月21日

《重ねてのお便り、ならびに最初のいくつかのシーン、ありがたく拝受しました。続きが待ち切れぬ思いです。いただいたシーンはとても魅力的です。まるで油か練りバターのように滑らかに作曲できるでしょう。あなたはダ・ポンテとスクリーブを一身に体顕なさったような方ですね。》

 

・H→S、1909年4月24日

《最後の幕に、どうか古風な、甘いところもあり、上っ調子なところもあるウィーン風のワルツをお考え下さい。これはこの幕全体を通して織り込まなければならないのです。》

 あの、マリア・テレジアの時代にはヨハン・シュトラウスに代表されるウィーン風ワルツなどなかったのに、という非難の元は、ホーフマンスタールの提案だった。

 

・S→H、1909年5月4日

《第一幕、きのう拝受しました。全く魅了されている、というほかはありません。本当に比類なく魅力的です。あまりにも繊細で、もしかすると大衆にはいささか繊細過ぎるかもしれません。でもそんなことは構いません。》

 

・H→S、1909年5月12日

《私はまた、全力を挙げて、喜劇的オペラの要求するもの、その可能性、そのあるべき様式を追い求めようとしており、やがて、あなたの芸術的個性のいくつかの部分にぴたりと即応するものを(ここではそれは独特の諧謔と叙情的なものの混合ということになるでしょうが)、また、何年にもわたって、いやもしかすると何十年にもわたってレパートリーに残るようなものを生み出すことができるであろうと希望しているのです。

 第三幕は最も良いものになるだろうと思っております。初めは厚かましく官能的で、やがておどけたものになり、最後は優しく響き終わるのです。

 この仕事が「余りにも繊細すぎる」のではないか、というあなたのご懸念を、私は少しも心配しておりません。筋の運びは、最も素朴な聴衆にとりましてもシンプルで分かりやすいものです。太っちょの、中年の、思い上がった求婚者が、娘の父親の愛願は得たものの、若い美青年に蹴落とされてしまう――これ以上に簡単なものはありません。でも、この作品は、これまでも努めて参りましたように、通俗的なもの、月並みなものにならないよう仕上げねばならないと思っております。と申しますのも、真の、いつまでも続く成功というものは、単純素朴な聴衆に受けただけでは決して成立するものではなく、作品の高い声望を保証してくれるのは、繊細な聴衆であり、この声望がない限り、大衆的効果がなかった時と同様、作品は失敗に終わってしまうものだからです。》

 

・S→H、1909年7月9日

《あなたの第二幕を初めて読んだときから、どうも何かしっくりしない、どこか冴えず、どこか弱く、あるべきドラマの高まりが欠けていると感じていました。きょうになって、ほぼ、何が欠けているのかが分かったのです。提示部としての第一幕、そしてあの内省的な幕切れは素晴らしいものです。ところが第二幕にはこの第一幕とのコントラストとしてぜひともなければならぬもの、そして高揚が欠けているのです。そしてそれは第三幕になってからでは遅すぎるのです。》

 

・S→H、1909年7月20日

《聴衆には「笑い」も必要だということをお忘れなく! 「ほほ笑み」や「にやにや笑い」ではありません。声を立てての「笑い」です! この作品には、今までのところ、本当にコミカルなシチュエーションが欠けています。すべて明るく、楽しくはありますが、コミカルとは言えません!》

 

・H→S、1909年8月3日

《もちろん私は、単なる明るさ楽しさと、あからさまにこっけいなものとの相違についてのあなたのご意見を、喜んで拝聴は致しますが、しかし、生き生きとした、それぞれ対照的な、個性的な人物たち、そしてどこにも退屈な筋の運びや気の抜けた会話などない、明るく楽しい雰囲気は、いずれは、よりどぎつい、よりオペレッタ風のジャンルに近い作品以上に観客の心を捉えるに違いないと考えているのです。(《マイスタージンガー》や《フィガロ》をご覧ください。そこには笑いを呼ぶものは少なく、むしろほほ笑みを誘うものが多いのではありませんか。)》

 

・H→S、1909年9月2日

《私はできることなら、この若い、ナイーブな、決してワルキューレのようでも、トリスタンのようでもない二人に、官能的なワーグナー風の激しい言葉のやりとりを口にさせたくないのです。》

 

・H→S、1910年6月6日

《元帥夫人という人物の持つ重みを失わせないために、これより短くてはならないのです。元帥夫人こそ、観客が、特にご婦人方が、これこそこのオペラの中心人物と感じ、彼女とともに一喜一憂する人物なのですから。さらにまた私は、この幕切れのすべての心理的内容を、ごく短い朗唱(パルランド)の部分を除いて、いくつかのナンバー、二重唱や三重唱の中にうまく盛り込むことができたと思っています。この幕が、単に三つの幕の中で最も愉快なものであるばかりでなく、同時にまた、最も美しい歌に満ちた幕となれば、申し分ございません。最後のカンカンとゾフィの二重唱は、あなたに与えられた詩句のパターンに合わせるよう、厳しく制約されておりましたが、しかしこのように、あるメロディに合わせて詩句を生み出すことは、私にはむしろ喜ばしいことでした。何故なら、私はそこに、何かモーツァルト的なものを感じ、また、あの長さも程度も度を越した、不愉快なワーグナー風の愛のわめき合いから離れられた、と感じたからです。全く彼が書いている、あの愛の激情に燃える二人のどなり合いは、不愉快を催させる野蛮な、殆ど動物的な代物、と申すべきでしょう。

 というわけで、あなたにご満足いただけることを願っていますし、私にとりましても、この仕事はまことに喜ばしく快いものでした。最後に「幕」と書かねばならないのが、殆ど悲しくなったくらいです。》

 ホーフマンスタールが描き続けたのは孤立した人間ではなく、人間「関係」である。従って『ばらの騎士』は人間「関係」の劇と言ってよい。「アロマーティッシュallomatisch」というホーフマンスタール独特の用語があって、アウトマーティッシュ(オートマチック=自動的)の反対語、「他動的」という意味となす。アロマーティッシュとは、自ら行動を起こせず、変化や成熟を遂げる能力に欠ける受動的な存在が、異質な他者と出会い、触れ合うことで自己内部に化学的変化を生じ、同時に相手も変化させて、お互いにより高い段階へ成長することを意味する。愛こそアロマーティッシュなものにほかならず、それはワーグナー的な激情ではない、元帥夫人のような精妙な存在であろう。

 

・H→S、1910年7月12日

《彼女(ゾフィ)がきれいな、気の良い、しかしどこにでもいるような平凡な娘だということ、それがまさにこのドラマの眼目なのです。語り口の本当の魅力、そしてまた人間性の強力な魅力は、元帥夫人にこそ求められるべきなのです。カンカンが、この交錯した二重の恋の戯れに巻き込まれるにあたって、偶然出会ったのがどこにでもいる平凡な若い女だった、というのが眼目であり、それが全体に統一を与え、二つの筋書きを束ねるのです。元帥夫人は、オックスとカンカンの間にあって、常に優位に立つ女性であり続けるのです。これらの主要人物たちに較べれば、ゾフィははっきり一段下の存在です。(中略)もし元帥夫人の人物像が充分に描き切れませんと、また、もし第三幕の幕切れが、第一幕の幕切れと強く関連づけられ、いわばこのオペラ全体の心情的な統一が確立されませんと、結局、音楽の精神的統一をも損なうことになりかねないのです。》

 

 1911年1月26日、ドレスデンでの『ばらの騎士』初演に続いて、二人は『ナクソスアリアドネ』にとりかかり、さらに1927年には『アラベラ』に向かうが、事あるたびに『ばらの騎士』に言及してやまない(結局、『ばらの騎士』を越えられなかったという批判につながる)。

 

・H→S、1911年7月23日

《さて、もう一つ、あなたが気にしておられる点について少しばかり申し上げさせていただきます。理解と無理解について、あなたにも最初お分かりにならなかったこと、また聴衆がおそらく理解しないであろうこと、批評家たちが間違いなく理解しないであろうことについてです。ある文学作品の最も詩的な部分、本来の内容は、最初は決して理解されないものなのです。理解されるのは、本来理解する必要などないこと、分かり切った筋書きの類いばかりです。《トスカ》や《蝶々夫人》などが明白な例を示しております。より高きもの、本質的なものは「例外なく」認められずに終わるのです。あのワーグナーの一八五一年の著作(注:ワーグナー『オペラとドラマ』)を思い起こしていただきましょう。今日では殆ど信じがたいことですが、彼はこう述べております。《ローエングリン》や《タンホイザー》のような、これ程単純な、これ程確かな、上手に構成されたドラマでも理解されないということ、しかも、音楽がではなく、文学、つまり台本の方が理解されず、「いったいこれは何なのだ」と言われ、明白な象徴性、民話に由来する単純な象徴性が、おぼろげにすら察しられず、登場人物たちの行動が、不合理だの、不可解だのと言われる、と。そういえばいったい――少なくとも批評家たちによって――《ばらの騎士》の単純なテキストは理解されているのでしょうか。理解した人々は、このテキストの魅力を見いだしてくれるのですが、でも批評家たちはそこにいかなる魅力をも見いだしてはくれませんでした。》

 

・S→H、1927年12月18日

《この人物像が文学的にどんなに立派に仕上がっていようとも、そしてそれがどんなに私たち芸術家の興味を引こうとも、私たちは聴衆ではないのです。そして聴衆にとっては、奇妙なことにオックスは、単にどうでもよい人物、興味のわかない人物、いや退屈な人物であるどころか、イタリアの聴衆にとっては不快な人物、全く共感を呼ばぬ人物でさえあるのです。《ばらの騎士》は最初、ワルツのもつ意味を正しく理解されずに勝利をおさめましたが、このオペラに最終的な勝利をもたらしたのは、元帥夫人だったのです。彼女の時間についての省察、あの時計のくだり、そして別れでした。》

 

・H→S、1927年12月22日

《主人公というものは、決してテキストの分量によって作り出されるものではありません。それどころか単に、この主人公に与えられる性格の特質によるものですらないのです。そうではなく、何よりも作品の内部で、その人物に与えられる位置によるものなのです。あの元帥夫人(テキストの分量から言えば、殆ど小さな役といってもよいでしょう)が、そのよい例となります。ドレスデンでの初演ののち、《ベルリン日報(ターク・ブラット)》の批評家は(相変わらず批評家たちには。平然と愚にもつかぬことばかり言う権利があるようですが)、「詩人が実に不器用に、この作品の中でただ一人共感のもてる、魅力あふれる人物を、殆ど脇役にまで落としてしまったのは残念である」、などと書いているのです。ところが実際には、元帥夫人こそ、彼女のいくつかの局面によって、完全に生きた存在となっており、もし彼女にほんの少しでも多くのせりふを語らせようとしたら、そのどの一言も余分なものになってしまうことでしょう。(中略)

親愛なる友、ご覧のとおり、よく、正しく創造されたドラマの中では、まさにそれぞれのモティーフには、それぞれの場があるのです。そしてそれらのモティーフの相互作用の中に、全体の魅力が潜んでいるのです。こうした相互作用を引き起こさぬものは、全体を損なってしまうのです。一つの例を申し上げましょう。もし誰かが、《ばらの騎士》のシノプシスを、ざっと語って聞かせてもらったとします。その人が、ここには本当の男がいない、テノールがいない。ここにいるのは男の子とブッフォだけではないか。テノールを、元帥夫人に恋慕し、この少年に嫉妬するナイト役は加えられなければならない、と言ったとしましょう。これは全くもっともらしく聞こえます。しかし今日、《ばらの騎士》のプロットが、独自の生命をもち、完結したものとしてあなたの眼前にある今、いったいあなたはどこにこの感傷的なテノールのシーンを挿入しようとなさるでしょうか。(中略)

 きちっとした形のかわりに、もっと自由な形をとったらどうか、ともあなたは述べておられます。つまり三つの幕のかわりにいくつかの場面の連続という形です。この形は目下いささかはやりになっていますが、おそらくは映画の影響でしょう。私はこの形をあまり好みませんし、このように作られたものは、厳格な形で作られたもの、例えば《マイスタージンガー》とか、《フィガロ》とか、《カルメン》とか、《ばらの騎士》のようなものよりも、はるかに早く古びてしまうだろうと思っています。(中略) 《ばらの騎士》のような喜劇に(私はこれを模倣しようとは思いませんが、この作品の長所を私は喜んで手本としたいと思っています)その魅力を与えているもの、独自の生気を与えているもの、何のかのと言ってももう十七年もその機能を保ち続けているもの、それは一つ一つの幕でさまざまな出来事が変転していくからなのです。あの第二幕のことをお考えになって下さい。高まる期待、華々しい儀式、軽やかな会話、ブッフォのシーン、リリカルな場面、スキャンダルと騒乱、そして再びくつろいだ気分、そのどれもが他のものと絡み合って展開し、生まれているのです。絶えず途切れてしまう場面の連続形式から、どうしてそれぞれの場にこれと似たような明るいくつろぎの気分が生じ得るでしょうか。》

 

・H→S、1929年5月7日

《最近私は、アルトゥール・シュニッツラーに、間もなくこの作品に対する判断をお願いするかもしれない、と申しました。すると彼はこう言ったのです。《親愛なる友、それはよほど注意しなければいけない。何年か前、《ばらの騎士》を読んで聞かせてくれたとき、私は第三幕が全然気に入らなかった。あの幕が笑劇風に成り下がってゆくのが、私には全く気に入らなかったのだ。この幕がすっかり書き改められるまで、仕事はお止めになった方がいい、と作曲家に忠告したいくらいだった。しかしもしそんなことをしていたら、私が今ではもう十二回だか十五回だかも聞いて、大いに楽しんでいるこの作品を生む喜びは、あなたにもシュトラウスにもなかったことになってしまう!》そして何と、この《笑劇風のもの》を取り入れたのは、ただただあなたのせいだったのです。あなたは私に絶えず、お手紙のたびごとに、この中にはまだ「どっと笑える」ものがない、喜劇的オペラにおいては人を笑わせるものがなければならないのだ、等々とお書きになったのです。そして今日でもなお私は、この第三幕はこの傾向さえなければ、はるかに美しいものになり得たであろうと思っているのです。このように[他人の判断というものは]すべてきわめて不確かなものなのです。》

 

 この『アラベラ』創作に関する手紙の二か月後の1929年7月、ホーフマンスタールは、息子フランツがピストル自殺し、その二日後の葬儀の出棺に際して卒中に襲われ、喪服を着たまま自宅で亡くなった。『アラベラ』台本を最後に、享年55歳の短い生涯だった。だが、その4年後、1933年にヒットラー内閣が成立した。ツヴァイク昨日の世界』やヘルマン・ブロッホホフマンスタールとその時代』を読めば、ユダヤ系だったホーフマンスタールが過酷な時代を無事に生き延び、作品を残しえたかどうかは疑わしい。

 

<『ばらの騎士』台本>

 原文のドイツ語は韻を踏んで耳に心地よい。それがわかるように、ところどころドイツ語を併記する。(引用は『オペラ対訳ライブラリー リヒャルト・シュトラウス ばらの騎士』田辺秀樹訳より。)

 第一幕、冒頭。

オクタヴィアン 

Wie du warst! Wie du bist! Das weiß niemand, das ahnt keiner!

(酔いしれた様子で) きのうのきみ! けさのきみ!

だれも知らない 思いもよらない!

元帥夫人(マルシャリン) 

Beklagt Er sich über das, Quinquin? Möcht’ Er, dass viele das wüssten?

(枕を背に身を起こして) それが不満なの カンカン?

みんなに 知ってもらいたいの?

オクタヴィアン 

(熱烈に) ぼくの天使! 違う! 嬉しいんだ

ぼくだけが きみの様子を知っている っていうことが

だれにも想像できない! だれも知らない!

Du, Du, Du! - Was heisst das „Du“? Was „Du und ich“? Hat denn das einen Sinn? Das sind Worte, blosse Worte, nicht? Du sag!

ああ きみ! きみ! でも「きみ」って何?

何なの「きみとぼく」って? 意味があるの?

言葉 ただの言葉にすぎないんだ! ねぇ 違う?

Aber dennoch: Es ist etwas in ihnen, ein Schwindeln, ein Ziehen, ein Sehnen und Drängen, ein Schmachten und Brennen:

でも やっぱりそこには 何かがある

目くるめく魅惑 抑えきれない憧れ

身を焦がす 恋の炎

Wie jetzt meine Hand zu deiner Hand kommt, das Zu-dir-wollen, das Dich umklammern, das bin ich, das will zu dir,

いま ぼくの手が きみの手に触れるように

きみに惹かれ きみを抱きしめれる

それがぼくなんだ きみを求めるぼくなんだ

でも そのぼくが きみのなかで消える……

ぼくはきみの「坊や」 でも 耳も目もどこかへ消えたら

きみの「坊や」は どこへいってしまうの?

元帥夫人 (小声で)

Du bist mein Bub, du bist mein Schatz!
Ich hab’ dich lieb!

可愛いひと あなたは 私の恋人よ!

(心をこめて) あなたが好き! (抱き合う)

オクタヴィアン 

Warum ist Tag? Ich will nicht den Tag! Für was ist der Tag! Da haben dich alle! Finster soll sein!

(急に立ち上がって) なぜ昼になるんだろう? 昼間なんてきらいだ! 何のためにあるんだ 昼間なんて!

昼間には きみはみんなのものになってしまう 暗いままならいいのに!》

 

 第一幕。

オクタヴィアン (うれしそうに) 元帥閣下は 今ごろ クロアチアの森で

熊や山猫の 狩をしているんだ

そしてぼくは 若いぼくは ここで 何の狩をしている?

(感激して) なんて幸せなんだ このぼくは!

元帥夫人 (一瞬、顔を曇らせて) 主人のことは 言わないで!

わたし 主人の夢を見たの

オクタヴィアン ゆうべの夢に? 元帥の夢を ゆうべ見たの?

元帥夫人 見たくて見たわけじゃないわ

オクタヴィアン ゆうべ ご主人の夢を 見たというの? ゆうべ?

元帥夫人 そんな目で 見ないで しかたないでしょ

あの人 急に帰ってきたの

オクタヴィアン (小声で) 元帥閣下が?

元帥夫人 中庭で 馬や人の物音がして あの人が帰ってきたの

わたし びっくりして 目が覚めた 本当に わたしって

子供みたいでしょ あの物音が 聞こえるよう

耳から離れないの あなたも何か かすかに聞こえる?

オクタヴィアン ああ たしかに何か聞こえる でも ご主人のはずがある?

だって ご主人は今 どこ? ライツェンラントだよ

エセックの向こうの

元帥夫人 きっとすごく遠いところよね?

それなら 何か別の音だわ よかった

オクタヴィアン 心配そうだね テレーズ!

元帥夫人 だって カンカン たとえ遠くにいても

あの人は ものすごく 足が速いの いつかだって――(口ごもる)》

 

 第一幕の終わり近く。儀式ばった素振りでオックス男爵が、続いて供の者、公証人、人々、召使、執事らが立ち去る。

 元帥夫人をめぐる「時」の無常のテーマが、ここ第一幕では「予兆」として元帥夫人の口から語られる(後に第三幕の「実現」と響き合う)。

元帥夫人 (一人になって) やっと 帰ったわ 思い上がった人 いやな人

若い きれいな娘を もらって そのうえ

お金まで

(ため息をつく) まるで それが 当然みたい

しかも自分が施しでもするような気で いるなんて

あら 私 何を 怒っているの? それが 世の常なのに

思い出すわ 私にも 娘の時代があった

修道院から出て すぐに 結婚

させられたけど

(手鏡をとる) あの娘は どこへ 行ってしまったの?

(ため息をついて) まるで 去年の雪を 探すようなもの!

(静かに) そうは 言ってみても――

どうして こんなことに なるのかしら

可愛いレージ―だった私が

いつの間にか お婆さんに なってしまうなんて……

お婆さん 年老いた 元帥夫人!

「ほら 昔のレージ―が あんな お婆さんになって!」

Wie kann denn das geschehn? Wie macht denn das der liebe Gott? Wo ich doch immer die gleiche bin. 

どうして そんなことに なるの?

どうして 神様は そんなことを なさるの?

私は いつだって 変わらないというのに

もし それが 仕方ない ことだとしても

なぜ こんなにはっきり 私に 見せつけなくては

ならないの?

どうして 隠しては くださらないの?

(声が次第に小さくなる) 何もかも わからない わからないことばかり

でも 私たちは (ため息をついて) それに 耐えるしかない

そして それを どう耐えるか の中にこそ

(たいそう落ち着いて) すべての 違いが あるのね――》

 

元帥夫人 (オクタヴィアンから身を離して) わかってちょうだい カンカン 私 思うの

時の流れには どうしたって 逆らえないって

つくづく そういう気がするの

wie man nichts halten soll, wie man nichts packen kann. Wie alles zerläuft, zwischen den Fingern, wie alles sich auflöst, wonach wir greifen, alles zergeht wie Dunst und Traum.

なにも 止められない

なにも 取っておけない

すべてが 流れ落ちるの 指の間から

つかんでも すべて 崩れてしまう

融けてなくなるの 霞や夢のように

オクタヴィアン よして そんなこと 言うのは

ぼくのこと もう好きじゃないって 言うんだね (泣く)

元帥夫人 お願い わかって カンカン! (オクタヴィアンはさらに烈しく泣く)

私が あなたを慰めなきゃ ならないなんて

あなたは 遅かれ早かれ 私を捨てることになるというのに (オクタヴィアンを撫でる)

オクタヴィアン 遅かれ早かれ?

(烈しい口調で) どうして そんなことを 言うの? ビシェット(注:小鹿)!

元帥夫人 お願い 気を悪く しないで!(オクタヴィアンは耳をふさぐ)

Die Zeit im Grunde, Quinquin, die Zeit, die ändert doch nichts an den Sachen. Die Zeit, die ist ein sonderbar’ Ding. Wenn man so hinlebt, ist sie rein gar Nichts. 

時ってね カンカン

そう 時って 何も変えるわけではないの

時って 不思議なものよ

忙しくしていると 何でもなくて 気づかない

でも ふいに そればかり 気になるの

時は 私たちの 周りを 中を 流れている

In den Gesichtern rieselt sie, im Spiegel da rieselt sie, in meinen Schläfen fließt sie.

人の顔の中でも 音もなく 流れている

鏡の中でも 流れている

私のこめかみでも 流れている

そして 私とあなたの 間でも――

時は やっぱり 流れているの 砂時計のように 音もなく

(やさしく) ああ カンカン! ときどき聞こえるの 時の流れる音が

――絶え間なく

(小声で) 私 ときどき 真夜中に 起きて

時計を みんな 止めてしまうの

でも 時を 恐れることは ないわね

時だって 私たちと同様 神様が 造られたんですもの

オクタヴィアン (穏やかなやさしさを込めて) いとしい人! きみは 無理にでも 悲しくなりたいの?

Wo Sie mich da hat, wo ich meine Finger in Ihre Finger schlinge, wo ich mit meinen Augen Ihre Augen suche, wo Sie mich da hat - gerade da ist Ihr so zu Mut?

ぼくが ここにいて

ぼくの指を きみの指に からませ

ぼくの眼で きみの眼を 追っているというのに

ぼくが こうして ここにいるのに――

悲しいなんて 言うの?

元帥夫人 (ひじょうに真剣な口調で) カンカン 今日か 明日か あなたは 行ってしまう

私を捨てて 行ってしまう

(ためらいがちに) 私よりきれいで もっと若い人の ところへ》

 

 第二幕、ばらの騎士オクタヴィアンとゾフィーの出会いの場面(ホーフマンスタール『道と出会い』における出会いの官能性と精神性に相当する)。

(オクタヴィアンがばらを右手に持ち、貴族らしい作法でゾフィーの方へ進み出る。彼の童顔は、はにかみで張りつめ、紅潮している。ゾフィーは、オクタヴィアンの出現に緊張しすぎて、すっかり青ざめている。二人は向かい合って立ち、おたがいの当惑と美しさによって、ますますどぎまぎするばかりである。)

オクタヴィアン (少し言葉につまりながら) 光栄にも この私が 大役を 仰せつかり

気高く 清純な 花嫁に 

私の いとこ

レルヘナウの 名において

このばらを 愛のしるしとして お渡しいたします

ゾフィー (ばらを受け取る) ご厚意 心から 感謝いたします

いつまでも 末永く 感謝いたします (当惑のための間(ま))

(ばらの香りをかいで) 強い香りが しますのね まるで 本物のばらみたい

オクタヴィアン ええ ペルシャのバラ油を 一滴 たらしてあります

ゾフィー 天国のばらのよう この世のものとは 思われない

清らかな 天国の ばらのよう そうではなくて? (オクタヴィアンは、ゾフィーが差し出したばらの上に身をかがめる。それからまっすぐに立ち、ゾフィーの口もとを見つめる。)

まるで 天国からの あいさつのよう 香りが 強すぎて

耐えられないくらい

胸が きゅんと 引っ張られるような

(小声で) こんなに 幸せだったことが

これまでに あったかしら?

オクタヴィアン (まるで無意識で言うように、いっそう小さな声で) こんなに 幸せだったことが

これまでに あっただろうか?

ゾフィー (力をこめて) あそこへ 戻らなくては! たとえ 途中で 死んでも!

でも 私は 死にはしない

それは 遠い ところ 永遠の時が

この 幸せな 瞬間の中に あるのだわ

この瞬間を 私は けっして忘れない 死ぬまで 忘れない

オクタヴィアン (ゾフィーと同時に) ぼくは 子供だった

この人を まだ 知らずにいた

Wer bin denn ich? Wie komm denn ich zu ihr? Wie kommt denn sie zu mir?

ぼくは いったい 誰なんだ?

どうして ぼくは この人のところへ?

どうして この人は ぼくのところへ?

しっかりしないと 気が遠くなりそうだ

この 幸福な 瞬間

この瞬間を ぼくは けっして忘れない 死ぬまで 忘れない》

 

 第三幕の幕切れ近く。オックス男爵は逃げ去り、彼を追って皆が殺到し、部屋に残っているのはゾフィー、元帥夫人、オクタヴィアンの三人だけとなっての三重唱、そして元帥夫人がそっと出て行くとゾフィーとオクタヴィアンの二重唱となる。元帥夫人の歌詞だけを抽出する。

元帥夫人 (感慨を込めて、つぶやく) 今日か 明日か それとも あさってか

私は ちゃんと 覚悟を していたわ

女なら だれも 避けられない さだめなのだわ

前から わかっていた はずのこと

覚悟は していた はずじゃ なかったの?

心を しっかり もって

耐えるのだと……

今日か 明日か それとも あさってか (目を拭き、立ち上がる)》

 

元帥夫人 (つぶやく) あの人を 正しい 愛し方で 愛そうと 思ってた

あの人が ほかの 誰かを 愛しても

それでも 愛そうと 思ってた でも まさか

こんなに 早く そうなる なんて! 

(ため息をつきながら) 世の中には いろいろな ことがあるわ

ひとの 話を 聞いただけでは

なかなか 信じられない ようなことが

自分で 経験して はじめて 信じられる でも

なぜだかは わからない――

あそこに 坊やが そして ここには 私が

そして 坊やは あのよその娘と 幸せに なるのだわ……》

 

                                   (了)

 

        *****引用または参考文献*****

*ヴィリー・シュー編『リヒャルト・シュトラウス ホーフマンスタール 往復書簡全集』中島悠爾訳(音楽之友社

*『ホーフマンスタール選集3 論文、エッセイ』(『詩人と現代』小堀佳一郎訳、『セバスティアン・メルマス』富士川英郎訳所収)(河出書房新社

*『ホーフマンスタール選集4 戯曲』(『薔薇の騎士』、「『薔薇の騎士』後記」、「『薔薇の騎士』序文」内垣啓一訳所収)、岩淵達治他訳(河出書房新社

*三宅新三『リヒャルト・シュトラウスとホーフマンスタール』(青弓社

*『ツヴァイク全集19,20 昨日の世界』原田義人訳(みすず書房

ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』檜山哲彦訳(岩波文庫

ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 アンドレアス』川村二郎訳(講談社文芸文庫

ホフマンスタールホフマンスタール文芸論集』(『道と出会い』所収)富士川英郎訳(山本書店)

*ホーフマンスタール『友の書』都築博訳(彌生書房)

*『筑摩世界文学大系63 ホーフマンスタール ロート』川村二郎他訳(付録:古井由吉「認識の翻訳者」)(筑摩書房

ヘルマン・ブロッホホフマンスタールとその時代』菊盛英夫訳(筑摩叢書)

岡田暁生『オペラの終焉 リヒャルト・シュトラウスと<バラの騎士>の夢』(ちくま学芸文庫

*『オペラ対訳ライブラリー リヒャルト・シュトラウス ばらの騎士』田辺秀樹訳(音楽之友社

スラヴォイ・ジジェク、ムラデン・ドラー『オペラは二度死ぬ』中山徹訳(青土社

*『オペラ『薔薇の騎士』誕生の秘密 R・シュトラウス ホフマンスタール往復書簡集』(解説 大野真)大野真監修、堀内美江訳(河出書房新社

*川村二郎『白夜の廻廊 世紀末文学逍遥』(岩波書店

*川村二郎『アレゴリーの織物』(講談社

篠田一士、諸井誠往復書簡『世紀末芸術と音楽』(音楽之友社

アドルノ音楽社会学序説』高辻知義、渡辺健訳(平凡社ライブラリー

吉田秀和『オペラ・ノート』(白水Uブックス

*『魅惑のオペラ10 リヒャルト・シュトラウス ばらの騎士堀内修他(小学館

木田元『マッハとニーチェ 世紀末転換期思想』(講談社学術文庫

村上春樹騎士団長殺し』(新潮社)

*『決定版 三島由紀夫全集40 対談2』(「対談・人間と文学」(中村光夫)、「私の文学を語る」(秋山駿)所収)(新潮社)

*『決定版 三島由紀夫全集30 評論5』(「裸体と衣裳」所収)(新潮社)

*『決定版 三島由紀夫全集27 評論2』(「戯曲を書きたがる小説書きのノート」所収)(新潮社)