文学批評 「ナボコフ『ロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」

ナボコフロシア文学講義』による『アンナ・カレーニナ』と『或る女』」

 

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  横浜桜木町紅葉坂(もみじざか)を能楽堂へと上るとき、有島武郎或る女』(明治44年(1911年)から大正2年(1913年)にかけて雑誌「白樺(しらかば)」に『或る女のグリンプス』という題で連載、その後、改作、後編が補筆され、大正8年(1919年)に『或る女』として刊行)のヒロイン早月(さつき)葉子(ようこ)が坂を下りてくる姿が甦る。

《倉地が部屋を出ると葉子は縁側に出て手欄(てすり)から下を覗(のぞ)いて見た。両側に桜並木のずっ(・・)とならんだ紅葉坂(もみじざか)は急勾配(きゅうこうばい)をなして海岸のほうに傾いている、そこを倉地の紺羅紗(こんらしゃ)の姿が勢(いきおい)よく歩いて行くのが見えた。半分がた散り尽した桜の葉は真紅(しんく)に紅葉して、軒並みに掲げられた日章旗が、風のない空気の中にあざやかに列(なら)んでいた。その間に英国の国旗が一本交って眺(なが)められるのも開港場らしい風情を添えていた。

 遠く海の方を見ると税関の桟橋(さんばし)に繋(もや)われた四艘(そう)程の汽船の中に、葉子が乗って帰った絵島丸(えじままる)もまじっていた。真青に澄み亙(わた)った海に対して今日の祭日を祝賀する為(た)めに檣(ほばしら)から檣にかけわたされた小旌(こばた)が翫具(おもちや)のように眺められた。

 葉子は長い航海の始終を一場の夢のように思いやった。その長旅の間に、自分の一身に起こった大きな変化も自分の事のようではなかった。葉子は何がなしに希望に燃えた活々(いきいき)した心で手欄を離れた。(中略)

 往来に出るとその旅館の女中が四五人早仕舞をして昼間の中を野毛山の大神宮の方にでも散歩に行くらしい後姿を見た。そそくさと朝の掃除を急いだ女中達の心も葉子には読めた。葉子はその女達を見送ると何んという事なしに淋(さび)しく思った。

 帯の間に挟(はさ)んだままにしておいた新聞の切抜きが胸を焼くようだった。葉子は歩き歩きそれを引出して手携に仕舞いかえた。旅館は出たが何所に行こうと云うあて(・・)もなかった葉子は俯向(うつむ)いて紅葉坂を下りながら、さしもしないパラゾルの石突きで霜解けになった土を一足々々突きさして歩いて行った。》

 斎藤茂吉に「有島武郎氏なども美女と心中して二つの死体が腐敗してぶらさがりけり」と歌われ、永井荷風断腸亭日乗』に《七月八日 午前愛宕下谷氏の病院に往く。待合室にて偶然新聞紙を見るに、有嶋武郎(ありしまたけお)波多野(はたの)秋子(あきこ)と軽井沢の別荘にて自殺せし記事あり。一驚を喫す》の軽井沢情死でばかり記憶されている有島だが、『或る女』を読んでみれば、小説としての完成度の高さに目を瞠ることだろう。

 

<葉子の血と唇>

 有島が与謝野晶子とただならぬ関係にあったという噂は信じにくいが、『或る女』にはこんな一文がある。紅椿のような唇の愛子が古藤からもらった書物は《黒髪を乱した妖艶(ようえん)な女の顔、矢で貫かれた心臓、その心臓からぽたぽた落ちる血の滴(したた)りが自(おのずか)ら字になったように図案化された「乱れ髪」という標題》だった。

 この「血」に注目してみたい。そして近年、『或る女』葉子をフェミニズムの視点で論ずることが流行っているが、そんな味気ない読みではなく、〈恋愛の現象学〉としての葉子の内面と肉が絡みあい含みあうテクストの赤い織糸をほどいてゆきたい。ヒステリーの執拗底音としたいからか、あきらかに血についての描写が目につく。一途な葉子の血は、しばしば熱く湧きたち、ときに黒い毒血を小悪魔的に見せつけ、ついに死を予感させて冷たく鬱血する。

《息気せわしく吐く男の溜息(ためいき)は霰(あられ)のように葉子の顔を打った。火と燃え上らんばかりに男の体からはdesireの焔(ほむら)がぐんぐん葉子の血脈にまで拡(ひろ)がって行った》、《女の本然の差恥(しゅうち)から起る貞操の防衛に駆られて、熱し切ったような冷え切ったような血を一時に体内に感じながら》、《冷たい血がポンプにでもかけられたように脳の透間という透間をかたく閉ざした》にみる熱の感覚。

《倉地の事を一寸でも思うと葉子の血は一時に湧(わ)き上った》、《鼻血がどくどく口から顎(あご)を伝って胸の合せ目をよごした》にみるときめきやすさ。

《一度生血の味をしめた虎の子のような渇慾が葉子の心を打ちのめすようになった》、《出来るならその肉の厚い男らしい胸を噛み破って、血みどろになりながらその胸の中に顔を埋めこみたい》、《静脈を流れているどす黒い血が流れ出る》狂おしさ。

 聞く耳を失ってゆく葉子の思いこみの激しさは《肉感的に厚みを帯びた、それでいて賢しげに締りのいい二つの唇》、まるで子宮の粘膜を露出したような「唇」に失調しがちな情をさらけだす。なんども下唇を噛む。たびたび唇を淋しく震わす。昔の男に出くわして唇が白くなる。《際立って赤く彩られた唇》は美貌の女の生命の象徴である。それなのに手術後の下腹部の疼痛に葉子の《かさかさに乾き切った唇からは吐く息ばかりが強く押し出された。そこにはもう女の姿はなかった。》

 ついに男の言葉は無力だった。《情に激して倉知に与えた熱い接吻》に濡れる唇を開き、美しく揃った歯並みをみせて愛に生きたある女の魂が中有(ちゆうう)へと浮遊する。

 有島はハヴロック・エリスの『性の心理学的研究』を読むことで「ヒステリー」を知り、『或る女』の前篇にあたる『或る女のグリンプス』を改作し、後編を書き継いだと日記「観想録」に書いているが、あからさまにテーマ性と結びつき、閉じられた同棲空間での限られた人物による鬱陶しい自然主義的物語が破滅に向かってゆく後編は、汽車や船による移動とさまざまな階層の人々(明治のブルジョア社会と日本のキリスト教信者たいの偽善を象徴する田川法学博士夫妻、五十川女史、内田、木村、親類や、木部(きべ)、岡といったどこか得体の知れない人物を挟んで、船底の下級水夫たちまで)が登場する社会風俗小説的な面ももつ前篇に比べて成功したとは言いがたい。

 葉子は子宮後屈症と子宮内膜症の併発に苦しみ、おそらくは手術の失敗による予宮底穿孔の激痛にうめき、叫ぶところでロマンは終わる。

《「痛い痛い痛い……痛い」

 葉子が前後を忘れて我を忘れて、魂を搾(しぼ)り出すようにこう呻(うめ)く悲しげな叫び声は、大雨の後の晴れやかな夏の朝の空気をかき乱して、惨(いた)ましく聞え続けた。》

 フロベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と語った以上に、有島武郎は早月葉子だったのに違いない。

 

<アンナの白いレース>

 有島武郎は日記に残したように、トルストイの『アンナ・カレーニナ』を読み、意識、変容させて『或る女』を書き継いだが、変容の中味が重要だ。

 ならば、アンナはどういう女か。忘れられない魅力が二つ。「複雑な感情」と「誠実さ」。

 ナボコフの『ロシア文学講義』の『アンナ・カレーニン』(『アンナ・カレーニナ』ではなく『アンナ・カレーニン』表記を強く主張しているので、以下引用文では『アンナ・カレーニン』のママとする)を片手に読み進める。

《アンナの奇妙に両面的な性情は、初めての登場の際に彼女が演じる二重の役割にすでに認められる。つまり、アンナは優しい気転と女性独特の知恵によって、(著者註:兄夫婦の)こわれた家庭生活に調和を回復するが、同時に若い娘(キティ)の(ヴロンスキーヘの)恋心を踏みにじるという、悪女の役割を演じるのである。》

 キティの眼に映るアンナの《肉の引き締った頸筋と真珠の首飾りも魅惑的なら……生気にあふれた美しい顔も魅惑的だったが、その魅惑にはどことなく残酷で、恐ろしいところがあった。》

 ときには恋愛の苦しさゆえ意地の悪い表情が浮かびもするが、振子は常に美徳へ揺れ戻る。《自分の行為を秘密の情事に限定してしまうことが、アンナにはできない。その誠実で情熱的な性格は、ごまかしや秘密を不可能にする。》

 トルストイが自分自身を投影した、大文字で書かれた「良心」の人リョービンすら、肖像画のアンナの美しさに酔ったあとで実物を見るや、許しがたい女のはずなのに《アンナには知性と優雅さと美貌のほかに、誠実さがあった》と感じてしまう。

 エンマ・ボヴァリーがロドルフと遠乗りするときの青いヴェール、レオンとルーアンで逢引きするときの黒いヴェールとは違って、アンナは偽りのヴェールを身につけなかった。キティが過大にアンナの魅力を意識する舞踏会の夜の場面、アンナの心の明暗を不思議な幻像が通りすぎるペテルブルク行きの夜汽車の場面、そして観劇する場面のそれぞれのアンナの白いレースの、エルミタージュのように豪華絢爛たる美的貴族主義、芸術的感性は、ドストエフスキーの騒々しい感傷主義からは遠いものだ。

 舞踏会で《アンナは、キティがあれほど望んでいた紫の衣装ではなく、胸を大きくあけた黒いビロードの衣装をつけ、古い象牙のように磨きあげられた豊かな肩や、胸や、手首のほっそりと、きゃしゃな、丸みをおびた腕をあらわにしていた。この衣装はすべてベニス・レースで縁取りがしてあつた。その頭には、少しの入れ毛もない黒々とした髪に、三色すみれの小さな花束がさしてあり、それと同じ花束が、黒リボンのベルトの上にもとめてあって、白いレースのあいだからのぞいていた。》

 夜汽車の席についてイギリス小説のページを切っても《ほかならぬ自分自身が生きて行きたい思いでいっぱいだった》アンナは身が入らない。ヴォロゴヴァ駅で停車した汽車から、脱いだばかりのケープとプラトーク(ショール)を身につけて吹雪のプラットホームに出る。そこでアンナはあとを追って乗車していたヴロンスキーから《心の中で願いながらも、理性で恐れていたまさにそのことを》聞くが、このプラトークはきっと白いカシミア・レースだったろう。

 駆け落ちから首都に戻って、劇場に出かけたアンナは《パリで仕立てた、ビロードをあしらつた、明るい色の胸あきのひろい、絹の衣装を着て、高価な白いレースの髪飾りをつけていたが、それは顔をくっきり浮きださせて、そのきわだった美貌を、さらに効果的にしていた。》 遅れて入ったヴロンスキーは桟敷を見まわす。《それはレースで縁どられた、日のさめるほど美しい、傲然とほほえんでいる顔であった。》 けれど偽善的な社交界は人目につく女にさらし者の気持を味わわせるのだった。

 最後の一日のジョイスに先立つ「意識の流れ」にも一瞬レースが点減する。

《プラットホームを歩いていた小間使いふうのふたりの女が、うしろを振り返って、アンナをながめ、その衣装についてなにやら声高に品定めをしていた。

「あれは本物だわ」そのふたりはアンナが身につけていたレースのことを、いった。》

 ささいなものと普遍的なもの、精神的愛情と肉体的情熱のあいだを往き来する本物の女。と、貨物列車が入って来た。手首から赤い手提げを外すのに手間取るアンナ。膝をつく。《あたしはどこにいるんだろう? なにをしているんだろう? なんのために?》

 

<有島の『アンナ・カレーニナ』読書歴>

「観想録」によれば、有島の『アンナ・カレーニナ』(1877年刊行)読書歴は、明治36年(1903年)3月、はじめてトルストイに関する記事として、『我が宗教』を贖い、読後感を書いたことからはじまる。米国留学中にトルストイ日露戦争観を読んで感銘を受け、フランスから船に乗って紅海、インド洋を経て帰国途中の明治40年(1907年)3月、『アンナ・カレーニナ』の英訳を読んで連日のように日記に残している(有島がどの英訳を手に取ったか不明だが、ナボコフが誤訳例を二、三あげて「極めて貧弱である」と非難したガーネット夫人訳(1901年)の可能性がある)。

《私はトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んで、彼の文学上の識見の深い泉にただ驚かされている。実に彼こそ、人間の心を読み取ったものである。然し、その題材の取扱い方には、恐らくツルゲネフか、或はフランス作家の克明な模倣の跡がある。(中略)プリンス・ステファン・オブロンスキイは素晴らしい。アンナは、その取扱い方が派手であり力強くはあっても、何処か曖昧である。エカテリナ(筆者註:キティ)はもっと、生き生きと書かれてもいい。トルストイの小説中には端役の人物がいないように思われる。凡ての者が、動き、呼吸し、それぞれ特有の情熱と理智を付与されている。》(明治40年(1907年)3月9日)

《独逸の温泉場でのキテイの生活は、生き生きと描かれて、読者をひきつける。ヴァレンカ(筆者註:ロシア娘ワーレンカ)は各頁に光彩陸離と輝く端役人物中の一人である。レビン(筆者註:リョーヴィン)の所有地での生活は、その生活にふさわしい自然や田園の美しさに読む者の心を奪う程、絵画的で、真に迫っている。》(3月10日)

《レビンとキテイが新しい気力を出して、彼等の愛情を新たにした。あちこちに、甚だ面白い心理研究がある。あちこちに、甚だ忠実な写実的描写がある。》(3月16日)

《私は『アンナ』を、限りない満足をもって読み了った。これは実に素晴らしい作品で、読者に大きな刺激を与える程力強く、涙を催させる程美しい。私の印象では、それは、その高尚な調子と呵責なき煉獄と凡てを抱く同情心ある点において、ダンテの「神曲」に十分較べ得られるものである。人の性を見抜く彼の眼は広くて深い、人間性の二つの流れ、一つは一般の道に逆らい、他は正道に従って行くものが、互いに驚くほど、はっきりと並び進み、果ては同じ運命に終っている。読者はアンナやキテイの運命を知ることは出来る。然し、トルストイの心理解剖を信じて始めてあれほどの同情が持てるのだ。キテイの一生は所謂幸福なものである。学ぶべきもの、賞めるべきものが、数多ある――心の貧しさ――感情の素直さ、曇りのない叡智、調和のとれた情緒、世人に対する合理的な態度など。アンナの場合は異なっている。彼女の生涯は嵐のようである。否、暴風雨である。彼女は、もし弱者に会うならば、それを打ち挫くであろうし、強者に会えば自ら打ち挫かれるであろう。而も彼女は、両者を避けようとはしない所か、そのどれかを捉える事を寧ろ好んでいる。神はかかる人類を生み出す。そして、それは必ず苦しむ。憐れな魂よ! 生れながらの征服者――であると同時に生れながらの敗北者この世の中の最も悲劇的な逆説である。世人をして、かかる魂を、その常識という低級な尺度で測らしめること勿れ。世間は彼女を知っていないのだ。彼女はこの世に属しているものではないのだ。――迷子の天使とでも言うがよかろう。可哀想な魂よ!》(3月23日)

 思えば、『アンナ・カレーニナ』発刊のたかだか三十年後のことだから、今日から見れば、同時代文学のようにさえ思えてしまうのだが、有島がキティやアンナの善良な面ではなく、ひたすらアンナの悲劇的な魂にだけ惹かれていることが、過剰なまでに見てとれ、有島の思想、内面にずっと育まれていた偏った思い入れが『或る女』葉子の血肉となったことは疑いえない。

 

<生涯>

或る女』と『アンナ・カレーニナ』は一見していくつかの対照を持つ。たとえば恋と苦悩と死への旅立ち、新橋駅とペテルブルク鉄道の停車場、ヒロインに魅力を感じつつも批判的な有島に似た古藤とトルストイに似たリョービン、など。それゆえに、トルストイおよび『アンナ・カレーニナ』の日記読後感から始まって、登場人物や場面の類似性について国文学研究者のあいだで比較文学的に論じられたが、残念ながら手前味噌の感が強い。

 たしかに両者の生涯、境遇は少しばかり似たところがあって、ナボコフによれば、

《伯爵レオ(ロシア語でレフ、またはリョフ)・トルストイ(一八二八-一九一〇)は、休息を知らぬ頑健な男で、生涯にわたって自分の官能的な気質と極端に傷つきやすい良心との間で引き裂かれていた。彼のなかの放蕩者が都会の肉欲の喜びを求めるのと同じ程度に情熱的に、彼のなかの禁欲主義者は静かな田園の道を歩もうとしたが、欲望はともすれば道を踏み誤らせるのだった。

 青年時代に、この放蕩者は更生の機会をつかんだ。その後、一八六二年に結婚してから、トルストイは家庭生活に暫くの平安を見出し、財産のぬかりない管理と――ヴォルガ地方に豊かな土地を持っていた――自分の最良の執筆とに二股をかけた。巨大な『戦争と平和』(一八六九)や不滅の『アンナ・カレーニン』を生み出したのは、この六〇年代と七〇年代前半のことである。更に七〇年代末以後、四十歳を越してから、彼の良心が勝利をおさめた。倫理が美学や個性を圧倒し、そのあげくには、妻の幸福や、平和な家庭生活や、高度の文学的成果などをいけにえとして、彼が道徳的必然性と考えたものに捧げることとなる。道徳的必然性とはすなわち、合理的なキリスト教道徳に従って生きること――個人主義的な芸術の色鮮やかな冒険ではなくて、人類一般の簡素な厳しい生活である。(後略)》

 対して有島武郎の生涯はおおむね次のように語られるが、キリスト教への共感と反発、財産(北海道に農場を持っていた)という共通点が、似ているという感覚に寄与するのだろう。

 東京小石川出身。薩摩藩士で大蔵官僚、実業家の父有島武と母幸の長男として明治11年(1878年)に生まれる。弟に洋画家・小説家の有島生馬、小説家の里見弴(とん)。
 横浜英和学校、学習院中等全科を卒業し、札幌農学校に入学。 札幌農学校在籍時の校長は新渡戸稲造内村鑑三の感化をうけて基督教会に入会する。卒業後、軍隊を経験し、明治36年(1903年)米国に留学し、ハーバード大学などで学ぶ。ホイットマンイプセンを愛読、欧州を外遊して、明治40年(1907年)帰国。英語講師をつとめる。弟生馬を通じて志賀直哉武者小路実篤らと出会い、人道主義の立場に立て「白樺」同人として小説や評論を発表したが、次第に信仰的懐疑が深まり教会や内村から離れた。
 大正5年(1916年)、妻安子の死を契機に文学に打ち込み、小説『カインの末裔』、『生れ出づる悩み』、『迷路』、『或る女』、評論『惜しみなく愛は奪う』などを発表する。ロシア革命を機に北海道の有島農場の小作人解放を宣言するが思うように運ばず、文芸・思想上も行きづまる。大正12年(1923年)、「婦人公論」記者波多野秋子との恋愛の縺れから、6月軽井沢で情死。享年46歳。

ナボコフは、《私は偉大な作家たちの尊敬すべき生涯をいじくりまわすのは嫌いだし、それらの生活を垣根ごしに覗き見するのも嫌いだ。いわゆる「人間的良心」というやつの俗悪さも嫌いだし、時の回廊から聞えるスカートの衣擦れや忍び笑いも嫌いなのだ。どんな伝記作者も私の私生活の片鱗すら捉えることはできないだろう。》とも書いているように、伝記的批評を書き連ねるつもりはないし、ましてモデル穿鑿は空しい。

 

<時間>

 ナボコフトルストイの「時間」の扱いの素晴らしさを繰りかえし賞揚する。そればかりか(ここでは長くなるので引用しないが)実際の時間的データさえも解説して見せる。

《この作家が発見したことの一つで、不思議にも従来批評家たちが決して気づかなかったことがある。その発見というのは――トルストイはもちろん自分の発見を意識しなかったのだが――私たちの時の概念と非常に快適かつ正確に一致する生活描写の方法ということである。(中略)トルストイの散文は私たちの脈搏に合せて歩み、その作中人物は、私たちがトルストイの本を読んでいるとき、窓の下を通りすぎる人たちと同じ歩調で歩きまわる。(中略)してみれば年輩のロシア人たちが夜お茶を飲みながら、トルストイの作中人物のことをまるで実在の人物のように語るのも、もっともなことであろう。トルストイの主人公たちは、彼らにしてみれば、自分たちの友人に似ている人物であり、あたかも本当にキティやアンナと踊ったことがあるかのように、あるいは例の舞踏会でナターシャと出会ったかのように、あるいは行きつけのレストランでオブロンスキーと食事をしたかのように、はっきりと目の前に見える人物たちなのである。》

《この小説に描かれた事件の始まりは一八七二年二月であり、終りは一八七六年七月――全部で四年半という時間の流れである。小説の舞台はモスクワからペテルブルクへ移り、四つの田舎の領地を転々とする。》

《『アンナ・カレーニン』の時間的秩序は、文学史上独特の芸術的時間感覚の上に築かれている。この作品の第一編(全百三十五ページ(モダン・ライブラリ版のページ数)が三十四の小さな章に分れている)を通読した読者は、数多くの朝、昼、晩、少なくとも数名の人物の一週間分の生活が詳細に生き生き述べられている、という印象を受けるに違いない。》

トルストイの巨大な『アンナ・カレーニン』を知的に鑑賞するための鍵とは何か。その構造を解く鍵は、時間に関する配慮ということである。トルストイの意図、トルストイの成果は、七人の主要人物に同時性をもたせることであって、トルストイの魔術が読者の内部に生み出す喜びを合理的に説明するためには、その同時性をこそ私たちは追究しなければならない。》

 一方、加賀乙彦は『或る女』の文庫本解説にこう書いている。

《物語の時間は、きっかりと一九〇一年(明治三十四年)の九月初旬から翌年の夏に限定されてある。すなわち秋、冬、春、夏の一年間にすべての出来事がおこるように設定されている。葉子の乗った船が渡航中にアメリカのマッキンレー大統領が襲撃され(一九〇一年九月六日)死亡している(九月十四日)から、それが分る。このように小説の時間が歴史的時間とはっきりと同時に進行していることが、この小説の特色である。いつの時代、いつの時とも知れない抽象的な世界ではなく、現実を踏んまえてフィクションの世界が展開している。

 現実の歴史的出来事とフィクションとが平行して、あるいは交錯して書かれている小説と言えば、トルストイの『戦争と平和』やフロベールの『感情教育』が思い出されるが、有島武郎は熱烈なトルストイの読者であって、その影響がここにも見いだされる。》

 小説の時間が歴史的時間と同時に進行していることに関しては、ナボコフも「註釈ノート」で言及している。第一編の「ボイストがヴィスバーデンに向ったという風説」に関して、《一八七二年二月二十三日(旧暦十一日)金曜日である――こうして、この小説の始まりの日がうまい具合に決定される》として、《あなた方のなかには、私やトルストイがなぜこんな下らないことにこだわるのだろうと思う人がいるかもしれない。芸術家というものは自分の魔術、すなわちフィクションを現実的に見せるために、時折、トルストイがやったように事実を引用し、特定の明確な歴史的枠組を作るのである》と述べた。

 有島の『或る女』も時間意識が構造にあらわれている小説だが、《その作中人物は、私たちが有島の本を読んでいるとき、窓の下を通りすぎる人たちと同じ歩調で歩きまわる》とまで言えるかどうか。

アンナ・カレーニナ』と『或る女』の最も大きな差異は、前者には両輪となって比較される二つの主題と、アンナの両面的な性情があるのに対して、後者には一つの主題と、葉子の単純な性情しかないことだ(もっと言えば、主題は二つどころか多面的であり、両面的な性情をもつのはアンナだけのことではなく登場人物のみなが何かしらそうである)。

アンナ・カレーニナ』における二つの主題とは次のようなことになる。

《八つの編の最初の編の主要主題は、オブロンスキーの家の揉めごと(そこから小説がはじまる)であり、第二主題は、キティ―リョーヴィン―ヴロンスキーの三角関係である。

 この二つの主題、二つの拡大されたテーマ――オブロンスキーの浮気と、ヴロンスキーへののぼせ上りがアンナのために断ち切られたときのキティの傷心と――は、悲劇的なヴロンスキー―アンナの主題への序奏である。ヴロンスキー―アンナの主題は、オブロンスキー―ドリーの揉めごとやキティの傷心のようには滑らかには解決されないだろう。ドリーが五人の子供たちのために気紛れな夫を間もなく赦してしまうのは、彼女が夫を愛しているからであり、またトルストイが、子供をもつ夫と妻は神の掟によって永遠に結ばれていると考えるからである。キティは、ヴロンスキーに失恋してから二年後にリョービンと結婚し、トルストイの考える完璧な結婚生活を始める。だが、十ヵ月の説得ののちにヴロンスキーの情夫となったアンナは、自分の家庭生活の崩壊に直面し、物語の始まりから四年経って自殺するのである。》

その差異は、「観想録」に記されたように、有島が選び取った集中と選択、あるいは限界でもあろうが、偉大なトルストイと比較するのは酷に違いあるまい。

  

<アンナと葉子>

 ナボコフはアンナを次のように紹介する。

《世界文学において最も魅力的な女主人公の一人、アンナは、若く、美しく、基本的に善良な、そして基本的に破滅を運命づけられた女性である。非常に若かった頃、善意の伯母の口ききで、すばらしい経歴をもつ将来有望な役人と結婚したアンナは、ペテルブルクの社交界でも最も活気のある交際範囲のなかで、満足した生活を送っている。小さな息子を熱愛し、二十歳年上の夫を尊敬し、もちまえの生き生きとした楽観的な性質で、生活のもたらす表面的な楽しみのすべてを味わっている。

モスクワへ旅行したときに出逢ったヴロンスキーに、アンナは激しい恋をする。この恋は彼女のまわりのすべてを変えてしまう。見るもののすべてが違った光のなかで見える。ペテルブルクの鉄道駅での有名な場面では、モスクワから帰って来る彼女を迎えに来たカレーニンを見て、その巨大で不恰好な耳の大きさやかたちにアンナは突然気がつく。それまで夫を批判的に見たことがなかったから、その耳にも気づかなかったのである。》

 一方の葉子は、結婚の相手木部が《ややもすると高圧的に葉子の自由を東縛するような態度を取る》ようになるや、 一緒になって二ヶ月めに夫のもとを失踪してしまう女だった。はからずも妊っていた子を分娩したあと、もはや世にない母が婚約を決めたキリスト者木村との結婚をなんとなく承知して会うためにシヤトルまで船出する。太平洋の海(外の世界との通い路)の上で船の事務長倉知の野生のとりことなり、木村には病いと嘘をついて横浜に戻ってしまう。けれどもそこまで思い切った反社会的行動にでたにも関わらず、紅葉坂の旅館を皮切りに同棲をはじめた倉知はいっこうに入籍しようとせず、《腹部の痛みが月経と関係があるのを気付》いて、もしや懐妊ではと胸躍らせる女でもあった。

 貧民窟のような水夫部屋に入ることも嫌がらない女、西洋向きに誂えたけばけばしいきものを脱ぎ捨てて《白く細い喉を攻めるようにきりっと重ね合わされた藤色(ふじいろ)の襟(えり)、胸の凹(へこ)みに一寸(ちょっと)覗かせた、燃えるような緋(ひ)の帯上の外は、濡(ぬ)れたかとばかり体にそぐって底光りのする紫紺色の袷(あわせ)、その下に慎(つつ)ましく潜んで消える程薄い紫色の足袋》の凄艶な女は、愛されるよりも愛したがるfemme fetalであり、しかし抗いがたく愛すれば愛するほど対象は逃げてしまう。

 水村美苗に「「或る女」、誰にもひそむ邪悪な心(半歩遅れの読書術)」と題された文章がある。

《大人になって読んだ本というのは、記憶の中ですべて漠としている。十代で読んだ本と比べての話である。十代で読んだ本は、まさに「血となり肉となり」という表現通り、身体の一部となってしまっている。(中略)

よく読んだ本の一つに有島武郎の『或る女』(新潮文庫)があった。私は最近『本格小説』という題の作品を書いたが、思えば一九一九年に出版された『或る女』は、すでに正真正銘の本格小説であった。骨格のある長編であり、華やかな文体で綴られながら、突き放したリアリズムが全編を貫いている。

 十五歳ぐらいの子供に何が面白かったのであろうか。

 新橋発の汽車、横浜の安っぽい旅館、一等での船旅等、印象に残る場面は数限りないが、くり返し読んだのは、女主人公、葉子の恐ろしいほどの人の悪さに、薄気味悪い思いを抱きながらも、魅了されたからである。
 時代を間違って生まれたという葉子は、世の因習に反抗して生きた、「新しい女」だということになっている。だが私から見た葉子は、どの時代に生を受けようと、救いようのない女である。美点も欠点も極端に兼ね備えているという設定だが、読んでいてリアルなのは、傲慢、僭越、身勝手、媚び、計算高さなどの邪悪な心である。そしてその邪悪な心との対称でいよいよ妖しさを増す美しさである。
 ことに他人を見る視線が凄まじい。親戚は「泥の中でいがみ合う豚」と片づけ、他の女が「死にかけた蛇ののたうち廻る」ように嫉妬するのを喜ぶ。人にものを渡すときは「犬にでもやるように」渡す。葉子は常に「冷やかにあざ笑いながら」世を見下しているのである。
 人道主義者の有島武郎フェミニストである。人類の歴史の中で女が「男性の奴隷」となり「本能の如き嬌態」を示すようになったのを嘆く(『惜しみなく愛は奪う』)。だがそのような結構な人道主義で、あの筆の冴えが生まれる訳はない。あの執拗さが生まれる訳はない。

 今、有島武郎を読む人は少ないであろう。だが葉子の邪悪さなど実は誰の心にもひそむものであり、『或る女』を読むと小説家の視線がひきしまる。そんな本がまだ文庫本で手に入るのは嬉しいことである。》

そんな有島の葉子に比較して、日本の研究者たちのようにトルストイのアンナをもヒステリーの女と規定して事足れりとするのは間違っている。

《アンナはただの女、単なる女性一般のみごとな標本ではなくて、充実した、緻密な、重々しい品性をそなえた女性である。その性格にまつわるすべては意味深く、印象的であって、そのことはこの女性の恋愛についても言える。もう一人の作中人物、公爵夫人ベツィのように、自分の行為を秘密の情事に限定してしまうことが、アンナにはできない。その誠実で情熱的な性格は、ごまかしや秘密を不可能にする。あの夢見る田舎女、崩れかけた堀の蔭を通って交換可能な情夫のベッドへ忍んで行く、あの物欲しげな自堕落女、エンマ・ボヴァリーとは違うのである。》

 古藤をさえ誘惑しようとした葉子は、エンマとアンナの「あいだ」に位置する女であろうか。夢幻的な情緒、夢み、夢みさせる女を、有島は尾崎紅葉風文体の匂いさえ漂わせて描写する。

《香水や、化粧品や、酒の香をごっちゃ(・・・・)にした暖かいいきれ(・・・)がいきなり古藤に迫ったらしかった。ランプがほの暗いので、部屋の隅々(すみずみ)までは見えないが、光の照り渡る限りは、雑多に置きならべられたなまめかしい女の服地や、帽子や、造花や、鳥の羽根や、小道具などで、足の踏みたて場もないまでになっていた。その一方に床の間を背にして、郡内(ぐんない)の布団の上に掻巻(かいまき)を脇(わき)の下から羽織った、今起きかえったばかりの葉子が、派手な長襦袢(ながじゅばん)一つで東欧羅巴(ヨーロッパ)の嬪宮(ひんきゅう)の人のように、片臂(かたひじ)をついたまま横になっていた。そして入浴と酒とでほんのり(・・・・)ほてった顔を仰向けて、大きな眼を夢のように見開いてじっと(・・・)古藤を見た。その枕許(まくらもと)には三鞭酒の瓶が本式に氷の中につけてあって、飲みさしのコップや、華奢(きゃしゃ)な紙入れや、かのオリーヴ色の包み物を、しごき(・・・)の赤が火の蛇(くちなわ)のように取り巻いて、その端が指輪の二つ嵌(はま)った大理石のような葉子の手に弄(もてあそ)ばれていた。
「お遅う御座んした事。お待たされなすったんでしょう。……さ、お這入りなさいまし。そんなもの足ででもどけて頂戴(ちょうだい)、散らかしちまって」
 この音楽のようなすべすべした調子の声を聞くと、古藤は始めてillusionから目覚めた風で這入って来た。葉子は左手を二の腕がのぞき出るまでずっ(・・)と延ばして、そこにあるものを一払いに払いのけると、花壇の土を掘り起こしたように汚い畳が半畳ばかり現われ出た。》

 

<登場人物たち>

「わかりにくい女」と評される葉子に比べて、古藤をはじめ木部(きべ)、木村、岡といった男たちの、言葉で理解、解釈し、意味づけたがる頭でっかち、ストイックな説教くささ、わかりやすさは、有島が逸脱したいと願いつつもその傾向と生涯葛藤した共同体のいかがわしさだ。野性的で豪放な倉知でさえ、明治大正における粗野な日本男児(・・・・)の一典型に過ぎない。

 倉知はヴロンスキー、古藤はリョービン、木村はカレーニンに似ていると言われもするが、違いの方が大きい。何より有島はトルストイと違って彼等の内面に入らず、葉子の視線と心でしか彼等を描写しない。葉子の妹愛子と恋愛を起さず、説教するだけの古藤と違ってリョービンはキティとキリスト教的愛を育むことで第二の主題となる。木村はカレーニンより単純な男である。倉知よりヴロンスキーはずっと教養が高い。

 ナボコフはヴロンスキーを《大して深みのある男ではないし、決して才能に恵まれた男でもないが、まあ時流に乗った男とでも言ったらいいか》とか《凡庸な精神のもちぬしである鈍感なヴロンスキー》とか《己の衝動を満足させるためにのみ生きている》などというように褒めてはいない(ナボコフは《もちろん、ヴロンスキーは、エンマの粗野な愛人、あの田舎紳士ロドルフとは比較にならぬほど、教養の高い男である》という一節を再考の要ありとして括弧に入れたが、消さなかった)が、ペテルブルク鉄道の停車駅(モスクワ)での魅力的なアンナとの出逢いの場面を読むだけで、猿(ましら)のように出現した倉知とは違って、ヴロンスキーが最上級の社会に属する都会的な感受性に溢れた精神の持主とわかる。

《ヴロンスキーは車掌のあとから車の中へ入って行ったが、車室の入口のところで、中から出て来たひとりの貴婦人に道をゆずるため、立ち止った。社交界に出入りしている人間特有の勘で、ヴロンスキーはこの貴婦人の外貌を見たとたん、相手が最上級の社会に属する人だと悟った。彼は会釈してから、車室へ入ろうとしたが、なんとかもう一度この貴婦人を振り返って見たいという切実な思いにかられた――それは、相手が非情な美人だったからでも、その姿全体にただよっている繊細な感じや、つつましい優雅さのためでもなく、相手がそばを通りすぎたとき、その愛らしい表情の中に、一種独特のいつくしむような、優しいところがあったからであった。彼が振り返ったとき、彼女もまた顔をこちらへ向けた。濃い睫毛のために黒ずんで見える、そのきらきらしたグレイの瞳は、まるで相手が誰であるか気づいたかのように、さも親しそうに、じっと彼の顔を見つめたが、すぐまた、誰かを探しているように、通りすぎて行く群衆のほうへ転じた。この一瞬の凝視の中に、ヴロンスキーは相手の顔に躍っている控え目な、生き生きした表情に気がついたが、それは彼女のきらきらしたまなざしと、その赤い唇を心もち歪めている、かすかな微笑とのあいだにただよっているのだった。何かしらありあまるものがその姿全体にあふれて、それがひとりでにひとみの輝きや、微笑の中に表われているかのようであった。》

 古藤と比較されるリョービンについて見てみよう。

リョービンと、公爵令嬢キティ・シチェルバツキーとの求愛と結婚の物語である。他のどんな作中人物よりも、このリョービンにトルストイは自分自身を投影しているのだが、これは道徳的な理想のもちぬしであり、大文字で書かれた「良心」の人である。良心はこの人物に決して猶予を与えない》とか《すなわち、愛がもっぱら肉体的愛であるということはあり得ない。なぜならその場合、愛は利己的であり、利己的であることによって、愛は何かを創造する代りに破戒するのだ。従って、そのような愛は罪深い。そしてこの要点を芸術的にできるだけ明瞭に示すため、トルストイは驚くべき形象の流れのなかで、二つの愛を描き分け、生き生きしたコントラストをつけて並べてみせた。片方にはヴロンスキー―アンナの肉体的愛(官能性豊かな、しかし不吉で、精神的に不毛な情緒のただなかでの戦い)、他方には、リョービン―キティの(トルストイの用語によるなら)真正のキリスト教的愛。ここにも豊かな官能性はあるが、それは責任とやさしさと真実と家族の喜びという純粋な雰囲気のなかで、バランスがとれ、調和している》とされているが、有島もまた古藤に自分自身を投影したとはいえ、コントラストをつけるリョービン―キティのような愛の物語が欠落しているから、とても「レーヴィンよりも作品の内容に有機的にむすびついている」(本多秋五「「白樺派」の文学 有島武郎論」)とは言えまい。

 トルストイの「説教」に対してナボコフは、

《多くの人は矛盾した感情を抱いてトルストイに接する。人はトルストイのなかの芸術家を愛するが、同じ人間のなかの説教者にはひどく退屈するのである。しかしそれと同時に、芸術家トルストイから説教者トルストイを分離することはむずかしい。(中略)

芸術家の領域に説教者が踏みこむことは、すでに述べた通り、トルストイの小説の場合は必ずしもはっきりしていない。説教のリズムは、あれこれの作中人物の内省のリズムから解きほぐしにくい。だが時として、というよりかなりしばしば、何ページも何ページも物語の余白としか思えないような部分がつづき、戦争や結婚生活や農業問題について私たちが(・・・・・)どう考えるべきか、トルストイが(・・・・・・)どう考えるかが語られるとき――魔力は消え失せ、私たちのすぐそばに坐って、私たちの生活に参加していた親しい人物たちは別の部屋に連れて行かれてしまう。》と論じている。

 説教については有島も辟易して、

《アンナは、その離婚のことを、色々考えている。夫はこの問題について、冷淡に振舞っている。レビンは、国の財政に立入っているし、そして凡てが、平凡で、ありふれている。作者自身よく知っているにしても、話の筋に深い関係のない事実に深入りすることは、トルストイのいつもの欠点だと私は思っている。》(明治40年(1907年)3月15日)と日記に残しているけれども、「古藤というのは私です」(黒沢良平宛手紙(大正八年9月5日))という古藤の、後編第四十一章の葉子と倉知への雄弁などは、話の筋に関係するとはいえ、言葉だけの鼻じらむ有島の説教となっている。

 木村はカレーニンとはまったく立場も地位も違ううえに、性格も複雑さを欠く。

《アンナの夫のカレーニン、そっけない廉直な男、純理論的な徳目においては残酷な男、理想的な国家公務員、友人たちとの偽道徳を喜んで受け入れる俗物的官僚、偽善者、暴君。稀にはこの男も善良な行動を、やさしい身ぶりを示すことができるが、それはたちまち忘れられ、出世への配慮の下に踏みにじられる。アンナがヴロンスキーの子供を生んだあと、ひどく具合が悪くなって、臥せっているその枕許で、差し迫った彼女の死を覚悟した(そうはならないのだが)カレーニンは、ヴロンスキーを赦すと言い、真のキリスト教徒の卑下と寛容の気持をこめて彼と握手する。あとではいつもの冷ややかで不愉快な人格に戻るのだが、このときばかりは差し迫った死がこの場を照らし出し、アンナは無意識のうちにヴロンスキーとこの男を同じように愛していると思う。》

 ペテルブルクの鉄道駅での有名な場面で、モスクワから帰って来る彼女を迎えに来たカレーニンを見て、《あら、まあ! なんだってあの人の耳はあんなになったんだろう》と夫の堂々たる押しだしを、とりわけ丸帽子の鍔(つば)を支えている耳朶を眺めながら、アンナはそう思った、という場面を、『或る女』における木村の鼻の先きの涙、《木村は自分の感情に打負かされて身を震わしていた。そしてわくわくと流れ出る涙が見る見る眼から溢(あふ)れて、顔を伝って幾筋となく流れ落ちた。葉子は、その涙の一雫(ひとしずく)が気まぐれにも、俯向(うつむ)いた男の鼻の先きに宿って、落ちそうで落ちないのを見やっていた》を発見して、似ていると喜ぶのはあまりに愚かしい。

 

<アンナ――幻想/夢、前兆/暗示、死>

アンナ・カレーニナ』の「構造」を論じる中で、「移動」という技法について、

《汽車や馬車はこの小説において重要な役割を演じている。例えばアンナはすでに第一編で、ペテルブルクからモスクワへ、再びペテルブルクへと、二度の汽車旅行をする。》とナボコフは書いている。

 汽車からアンナが外に出てヴロンスキーと出逢う場面は、強い印象を読者に与えたが、ヒロインが移動の途中で寒を求めるなどで外に出るや、幻想または夢の構成要素、成分を見て、それを「意識の流れ」の文体によって将来を暗示させる前兆と暗示の技法こそが、『アンナ・カレーニナ』と『或る女』の最大の共通点ではないだろうか。

 ナボコフは解説[ ]を加える。

《アンナはドアをあけて、外へ出た。風はまるでアンナが出るのを待っていたかのように[又しても風についての情緒的思いこみ。悩める人間は自分の情緒を物象に転嫁する]、うれしそうに口笛を吹きながら、彼女を摑み、引きずって行こうとしたが、アンナは冷たい鉄棒にしっかり掴まって、服の裾を抑えながら、プラットホームへ下りると、車輛の蔭へ入った。風はステップの上では強かったが、列車の蔭になったプラットホームは静かだった……

 恐ろしい吹雪は停車場の外れから、立ち並ぶ柱の列に沿って突進し、列車の車輪のあいだで口笛を吹いた。列車も、柱も、人も、見える限りのものは片側から雪をかぶり、その雪は次第に厚くなっていった。[さて、のちに夢の構成要素となる次の個所に注目せよ]。前かがみになった男の影がアンナの足もとをかすめたかと思うと、鉄を打つハンマーの音が聞えた。「電報をよこせ!」という怒ったような声が、向う側の荒れ狂う闇の中から起った。……外套に身を包み、雪をかぶってまっ白になった人びとが。駆けぬけて行った。火のついた煙草をくわえたどこかの紳士が二人、そばを通りすぎた。アンナはたっぷり空気を吸うために、もう一度大きく息をついた。それから列車の鉄棒につかまって車内に入ろうと、マフの中から片手を出した途端に、軍の外套をまとった一人の男が、すぐそばに現れて、停車場のゆらめくランプの光をさえぎった。アンナは振り向き、すぐにヴロンスキーの顔を認めた。相手は帽子のひさしに手をあてて会釈すると、何か御用は、何かお役に立つことはありませんか、と尋ねた。アンナはかなり長い間、なんとも答えないで、じっと相手の顔を見入っていた。そして相手が影の中に立っていたにもかかわらず、その顔と目の表情を読みとった。いや、読みとったような気がした。それはきのうあれほど強くアンナの心をうった、あの従順な歓喜の表情であった……

「あなたが乗ってらっしゃることは、少しも存じませんでしたわ。どうしてこの列車に乗ってらっしゃるの」鉄棒につかまろうとした片手を下ろして、アンナは言った。その顔には抑えきれぬ喜びと活気が輝いていた。

「どうして乗っているかですって?」相手はまともにアンナの目を見つめながら、鸚鵡返しに言った。「どうしてかはお分かりでしょう。あなたのいらっしゃるところにいたいから、ぼくはこの列車に乗っています。それ以外にはどうしようもなかった」(後略)》

 ヴロンスキーとアンナの両者が見る夢が、どのような印象のかずかずによって形成されているかの調査を進めるナボコフは、第一編第十八章からヴロンスキーとアンナの初めての出逢いの場面を引用したあと、

《この貴婦人、すなわちアンナと一緒に汽車に乗って来たヴロンスキーの母親が、息子をアンナに紹介する。オブロンスキーが姿を見せる。そして全員が下車しようとしたとき、騒ぎが起る(ロドルフは血を溜めた金盥(かなだらい)の上でエンマを初めて見たのだった。ヴロンスキーとアンナの出逢いもやはり血におびやかされている)。

「五、六人がおびえたような顔つきで、そばを駆け抜けて行った。異常な色(黒と赤)の制帽をかぶった駅長も、同じように駆けだして行った。何か異常なことが起ったことは明らかであった」。まもなく分ったことだが、線路番が、酔っていたのか、あるいは極寒を防ごうと外套を深くかぶりすぎていたのか、バックして来た汽車の音が聞えず、轢き殺されたのである。残された未亡人のために何かしてやれないものだろうかとアンナが言い――線路番は大家族を養っていた――ヴロンスキーはアンナをちらと見て、じき戻るからと母親に言う。彼がその場で線路番の遺族に二百ルーブリ与えたことが、やがて判明する。(外套を深くかぶっていた男が轢かれたという点に注目せよ。また、その男の死がアンナとヴロンスキーの間にある種の繋がりを生み出すという点に注目せよ。のちに二人が見る双子のようによく似た夢を論じる際、これらの要素は一つ残らず必要となるだろう)。

「行き来する人たちは、まだあの事故の話をしていた。『まったく、恐ろしい死にざまだなあ』ある紳士は通りすがりに言う。『まっ二つにちぎれたっていうじゃないか』『ぼくはそうは思わないね。あっという間もないから、いちばん楽な往生ですよ』ともう一人が言った。[アンナはこの言葉を心にとめる]。『なんとか防ぐ方法はないものかね』三人目が言った。

「アンナは馬車に乗った。オブロンスキーは妹が唇をふるわせ、やっと涙を抑えているのを見て驚いた。『アンナ、どうしたんだい』と彼は訊ねた。『不吉な前兆だわ』『くだらん』とスチーヴァ(著者註:オブロンスキーの英国風愛称)は言った」。》

 また、競馬の場面のヴロンスキーの行動には深い象徴性が含まれている、と指摘される。

《フルフルの背骨を折ることと、アンナの生活を破戒することとは、ヴロンスキーにとって類似行動なのである。彼が不義の肉体を見下ろして立つアンナの精神的転落の場面(第二編、第十一章)でも、瀕死の馬を見下ろして立つヴロンスキー自身の肉体的転落の場面(第二十五章)でも、同じ「下顎を震わせて」と言う言葉が繰り返されることに注意せよ。》

 そして姦通の場面では、アンナの肉体は彼女の恋人によって、彼女の罪によって、踏みにじられ、ずたずたに切り刻まれるという、凶暴な殺人に置き換えられた倫理的な比喩があって、列車に轢断された男から始まった死の主題がいっそう展開したと指摘したあと、ようやく、一年後の二つの夢を鑑賞する支度が整ったとして、第四編第二章から引用、解説する。

 ヴロンスキーが家に帰ると、アンナから手紙が来ていて、彼を家に入れてはならぬと夫に申し渡された筈なのに、自宅へ招くのは変だと一瞬考えたものの、行くことに決めた。軽い食事をとるとソファに横たわったが、眠りに落ち、恐怖に身を震わせながら目をさます(以下、長くなるのでヴロンスキーの夢は省略する)。 遅くなってしまって、情夫アンナの家に入ろうとしたとき、出て来たカレーニンに出くわすが、カレーニンはちょっと唇を動かし、片手を帽子にかけると、通りすぎ、馬車に乗りこんで行ってしまった。

《「もう、いや!」彼の姿を見るや、アンナは叫んだ。叫ぶのと同時に、目には涙があふれた。「いやよ。こんなふうにつづいていったら、ずっと早く起ってしまう!」

「起ってしまうって何が」

「何が、ですって? 待っていたのよ、苦しい思いで、一時間も、二時間も……いえ、よしましょう……あなたと喧嘩なんかしたくない。きっと来られないわけがあったのよね」アンナは両手を彼の肩にかけ、喜ばしげな深いまなざし――と同時に探るようなまなざしでヴロンスキーを長いこと見つめた……。(第四編、第二章)

[アンナがまっさきに言うことが、漠然とではあるが彼女の死の予感と結びついている点に注意せよ]。

「夢?」ヴロンスキーは鸚鵡返しに言い、一瞬、自分が夢で見たあの百姓のことを思い出した。

「そう、夢なの」アンナは言った。「もうずっと前に見たんだけど。その夢のなかで、私が自分の部屋に駆けこむの、何か忘れ物をしたか、調べることがあって。夢ではよくそういうことがあるでしょう」アンナは恐怖に目を大きく見開きながら言った。

「そしたら、寝室のすみっこに何かが立っているのよ」

「馬鹿馬鹿しい! よくそんなことを本気になって……」

 だがアンナは彼に口を挟ませなかった。この話はアンナにとってあまりにも重大なことだった。

「その何かがくるっとこっちを向いたの。見ると、それは顎ひげをぼうぼうに生やした、小柄な、こわいお百姓なの。逃げようとすると、お百姓は袋にかがみこんで、両手で何かごそごそやっているのね……」[アンナは同じ言葉――「顎ひげをぼうぼう生やした」を使う。ヴロンスキーの夢では、袋や、フランス語の中味ははっきりしなかった。アンナはそれらを確認している]。

 その百姓が袋の中をかきまわしているしぐさを、アンナはして見せた。その顔には恐怖の色が浮んでいた。ヴロンスキーも自分の夢を思い出して、同じ恐怖が心の中いっぱいにひろがっていくのを感じた。

「ごそごそやりながら、それはそれは早口のフランス語で、《Il fault le battre le fer,le broyer,le pétrir……》[この鉄を叩いて、砕いて、練りあげなくちゃならん]って言うの……恐ろしくて恐ろしくて、早く目がさめて……でも、目がさめたのも夢の中なのね。それで、これは一体どういう意味だろうと考えていたら、コルネい[召使い]が言うの、『お産で、お産で、お亡くなりになりますよ、奥様、お産で……』そこで本当に目がさめたの」[アンナはお産では死なない。子供ではなく魂の誕生、信仰の誕生の際に死ぬのである]……》

《ここでアンナの夢とヴロンスキーの夢を比較してみよう。二つの夢は本質的に同一の夢であり、どちらも一年半前の鉄道の印象――汽車に轢かれた線路番の印象を土台にしている。しかしヴロンスキーの場合、本来のぼろを着た惨めな男は、熊狩りに参加した勢子の百姓によって置き換えられて、というより演じられている。アンナの夢には、ペテルブルクへの汽車の旅から得た印象――車掌やストーブ係の男――が付け加えられている。どちらの夢でも、おぞましい小柄な百姓は顎ひげをぼうぼう生やし、何かをごそごそと探っている――これは「すっぽりくるまった」という観念の残存物である。どちらの夢でも、百姓は何かの上にかがみこみ、フランス語で何か呟いている――早口のフランス語は、トルストイのいわゆる偽りの世界において、アンナとヴロンスキーの両者が世間話に用いる言葉である。だが、ヴロンスキーはそれらの呟きの意味を聞きとれない。アンナはそれを聞きとる。そのフランス語の内容は、鉄という観念、叩かれ砕かれる何かという観念であり、その何かとはアンナなのである。》

 

<葉子――幻想/夢、前兆/暗示、死>

或る女』の葉子はどうか。外に出て、幻想を見る場面は三つある。

 一つは、前編第一章から第三章の新橋から横浜へ向かう列車で前夫の木部(きべ)孤筇(こきよう)と偶然出会うのだが、葉子は「汽車に酔ったんでしょうかしらん、頭痛がするの」と古藤に云い残して、デッキに出て外の風にあたる。

《そうやって気を静めようと眼をつぶっているうちに、睫(まつげ)を通し袖を通して木部の顔とことにその輝く小さな両眼とがまざまざと想像に浮かび上って来た。葉子の神経は磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、堅くこの一つの幻像の上に集注して、車内にあった時と同様な緊張した恐ろしい状態に返った。停車場に近づいた汽車はだんだんと歩度をゆるめていた。田圃のここかしこに、俗悪な色で塗り立てた大きな広告看板が連ねて建ててあった。葉子は袖を顔から放して、気持ちの悪い幻像を払いのけるように、一つ一つその看板を見迎え見送っていた。所々に火が燃えるようにその看板は眼に映って木部の姿はまたおぼろになって行った。その看板の一つに、長い黒髪を下げた姫が経巻を持っているのがあった。その胸に書かれた「中将湯」という文字を、何気なしに一字ずつ読み下すと、彼女は突然私生児の定子の事を思い出した。そしてその父なる木部の姿は、かかる乱雑な聯想(れんそう)の中心となって、またまざまざと焼きつくように現われ出た。

 その現われ出た木部の顔を、謂(い)わば心の中の眼で見つめている中に、段々とその鼻の下から鬚(ひげ)が消え失せて行って、輝く眸(ひとみ)の色は優しい肉感的な温みを持ち出して来た。汽車は徐々に進行をゆるめていた。稍(やや)荒れ始めた三十男の皮膚の沢(つや)は、神経的な青年の蒼白(あおじろ)い膚(はだ)の色となって、黒く光った軟かい頭(つむり)の毛が際立(きわだ)って白い額を撫(な)でている。それさえがはっきり(・・・・)見え始めた。列車はすでに川崎停車場のプラットフォームに這入って来た。葉子の頭の中では、汽車が止まりきる前に仕事をし遂(おお)さねばならぬという風に、今見たばかりの木部の姿がどんどん若やいで行った。そして列車が動かなくなった時、葉子はその人の傍(そば)にでもいるように恍惚(うつとり)とした顔付きで、思わず識(し)らず左手を上げて――小指をやさしく折り曲げて――軟かい鬢の後れ毛をかき上げていた。これは葉子が人の注意を牽(ひ)こうとする時にはいつでもする姿態(しな)である。》

 この場面の印象は、葉子の見る夢や幻想の成分にはならないけれども、「中将湯」は定子を思い出させた以上に、のちに葉子を苛むことになる婦人病の漢方薬であることに注意すべきである。

 二つめは前編第十三章で、葉子はアリューシャンの寒気のなかの甲板に出る。「意識の流れ」が表現される。

《そこだけは星が光っていないので、雲のある所がようやく知れる位思い切って暗い夜だった。おっかぶさって来るかと見上(みあぐ)れば、眼のまわる程遠のいて見え、遠いと思って見れば、今にも頭を包みそうに近く逼(せま)ってる鋼色(はがねいろ)の沈黙した大空が、際限もない羽を垂れたように、同じ暗色の海原に続く所から波が湧(わ)いて、闇(やみ)の中をのたうちまろびながら、見渡す限り喚(わめ)き騒いでいる。耳を澄して聞いていると水と水とが激しくぶつかり合う底のほうに、

「おーい、おい、おい、おーい」

と云うかと思われる声ともつかない一種の奇怪な響きが、舷(ふなべり)をめぐって叫ばれていた。(中略)もうどんどんと冷えて行く衣物(きもの)の裏に、心臓のはげしい鼓動につれて、乳房が冷たく触れたり離れたりするのが、なやましい気分を誘い出したりした。それに佇んでいるのに足が爪先からだんだんに冷えて行って、やがて膝(ひざ)から下は知覚を失い始めたので、気分は妙に上ずって来て、葉子の幼ない時からの癖である夢とも現(うつつ)とも知れない音楽的な錯覚に陥って行った。(中略)

 屈辱、屈辱……屈辱――思索の壁は屈辱というちかちかと寒く光る色で、いちめんに塗りつぶされていた。その表面に田川夫人や事務長や田川博士の姿が目まぐるしく音律に乗って動いた。葉子はうるさそうに頭の中にある手のようなもので無性に払い除(の)けようと試みたが無駄(むだ)だった。皮肉な横目をつかって青味を帯びた田川夫人の顔が、攪(か)き乱された水の中を、小さな泡(あわ)が逃げてでも行くように、ふらふらとゆらめきながら上のほうに遠(とおざか)って行った。先(ま)ずよかったと思うと、事務長のinsolentな眼付きが低い調子の伴音となって、じっ(・・)と動かない中にも力ある震動をしながら、葉子の眼睛(ひとみ)の奥を網膜まで見透(みとお)すほどぎゅっ(・・・)と見据えていた。(中略)

 やがて葉子はまた徐(おもむ)ろに意識の閾(しきい)に近づいて来ていた。

 煙突の中の黒い煤(すす)の間を、横すじかいに休らいながら飛びながら、上って行く火の子のように、葉子の幻想は暗い記憶の洞穴の中を右左によろめきながら奥深く辿って行くのだった。自分でさえ驚くばかり底の底に又底のある迷路を恐る恐る伝って行くと、果てしもなく現われ出る人の顔の一番奥に、赤い衣物を裾長に着て、眩(まばゆ)いほどに輝き渡った男の姿が見え出した。葉子の心の周囲にそれまで響いていた音楽は、その瞬間ぱったり静まってしまって、耳の底がかーん(・・・)とするほど空恐しい寂莫の中に、船の舳(へさき)の方で氷をたたき破るような寒い時鐘(ときがね)の音が聞こえた。「カンカン、カンカン、カーン」……。葉子は何時の鐘だと考えて見る事もしないで、そこに現われた男の顔を見分けようとしたが、木村に似た容貌(ようぼう)がおぼろに浮かんで来るだけで、どう見直して見てもはっきり(・・・・)した事はもどかしい程分らなかった。木村である筈はないんだがと葉子はいらいらしながら思った。「木村は私の良人(おっと)ではないか。その木村が赤い衣物を着ているという法があるものか。……可哀そうに、木村はサン・フランシスコから今頃はシヤトルの方に来て、私の着くのを一日千秋の思いで待っているだろうに、私はこんな事をしてここで赤い衣物を着た男なんぞを見つめている。千秋の思いで待つ? それはそうだろう。けれども私が木村の妻になってしまったが最後、千秋の思いで私を待ったりした木村がどんな良人に変るかは知れ切っている。憎いのは男だ……木村でも倉地でも……また事務長なんぞを思い出している。そうだ、米国に着いたらもう少し落着いて考えた生きかたをしよう。木村だって打てば響く位はする男だ。……彼地(あつち)に行って纏(まとま)った金が出来たら、何と云ってもかまわない定子を呼び寄せてやる。あ、定子の事なら木村は承知の上だったのに。それにしても木村が赤い衣物などを着ているのはあんまりおかしい……」ふと葉子はもう一度赤い衣物の男を見た。事務長の顔が赤い衣物の上に似合わしく乗っていた。葉子はぎょっ(・・・)とした。そしてその顔をもっとはっきり(・・・・)見詰めたい為めに重い重い瞼を強(し)いて押開く努力をした。

 見ると葉子の前にはまさしく、角燈を持って焦茶色(こげちゃいろ)のマントを着た事務長が立っていた。》

 この「赤い衣物の男」は、当時の受刑者が着ていたことから後編の倉知の犯罪(軍事秘密漏洩)を暗示しているのだが、『アンナ・カレーニナ』の、外套を深くかぶって轢き殺された、顎ひげがぼうぼう生えている男を想わせはしないか。

 三つめは、シヤトルの港で上陸せずに倉知と一緒になってまんまと木村を追い帰した日の夜の夢で、前編の末尾にあたる。この場面の前に二度ほど、倉知が葉子を手籠めにしようとする場面があるのだが、どちらも未達に終っている(ような)ので、一つ寝床に入った二人が描写される最初の場面だが、(この日までにすでに済んだことなのかどうかもわからないが)肉欲は描写されないばかりか、倫理的な葛藤すらも稀薄である。葉子の見る夢は「黒血」がどくどく流れる不吉さで、そのうえ後編での二人の決定的な行き違いを暗示している。

《「おやすみにならないの?」

と葉子は鈴のように涼しい小さい声で倉地に云ってみた。大きな声をするのも憚(はばか)られるほどあたりはしん(・・)と静まっていた。

「う」

と返事はしたが事務長は煙草(たばこ)をくゆらしたまま新聞を見続けていた。葉子も黙ってしまった。

 やや暫らくしてから事務長もほっと(・・・)溜息をして、

「どれ寝るかな」

と云いながら椅子から立って寝床に這入った。葉子は事務長の広い胸に巣喰(すく)うように丸まって少し震えていた。

 やがて子供のようにすやすやと安らかな小さな鼾(いびき)が葉子の唇から漏れて来た。

 倉地は暗闇(くらやみ)の中で長い間まんじりともせず大きな眼を開いていたが、やがて、

「おい悪党」

と小さな声で呼びかけてみた。

 然し葉子の規則正しく楽しげな寝息は露ほども乱れなかった。

 真夜中に、恐ろしい夢を葉子は見た。よくは覚えていないが、葉子は殺してはいけないいけないと思いながら人殺しをしたのだった。一方の眼は尋常に眉の下にあるが、一方のは不思議にも眉の上にある、その男の額から黒血がどくどくと流れた。男は死んでも物凄(ものすご)くにやりにやりと笑い続けていた。その笑い声が木村々々と聞こえた。始めの中は声が小さかったが段々大きくなって数も殖えて来た。その「木村々々」という数限りもない声がうざうざと葉子を取捲(とりま)き始めた。葉子は一心に手を振ってそこから遁(のが)れようとしたが手も足も動かなかった。

木村……

木村

木村    木村……

木村    木村

木村    木村    木村……

木村    木村

木村    木村……

         木村

木村……

 ぞっとして寒気(さむけ)を覚えながら、葉子は闇の中に眼をさました。恐ろしい凶夢のなごりは、ど、ど、ど……と激しく高くうつ心臓に残っていた。葉子は恐怖におびえながら一心に暗い中をおどおどと手探りに探ると事務長の胸に触れた。

「あなた」

と小さい震え声で呼んでみたが男は深い眠りの中にあった。なんとも云えない気味悪さがこみ上げて来て、葉子は思いきり男の胸をゆすぶってみた。

然し男は材木のように感じなく熟睡していた。》

アンナ・カレーニナ』に戻れば、姦通の場面は倫理的な形象とともにアンナの死を暗示していたのだった。

《倫理的立場から見れば、この場面はフロベールの同様の部分――ヨンヴィル郊外の日当たりのいい小さな松林でのエンマの恍惚とロドルフの葉巻――とはずいぶん異なっている。このエピソードを一貫して流れているものは、姦通を凶暴な殺人に置き換えるという倫理的な比喩であり、この倫理的な形象のなかで、アンナの肉体は彼女の恋人によって、彼女の罪によって、踏みにじられ、ずたずたに切り刻まれる。つまり、アンナは何らかの圧倒的な力の下の犠牲者である。

 ヴロンスキーにとっては殆ど丸一年のあいだ人生の唯一の望みとなっていたもの……アンナにとってはとても考えられぬような恐ろしいものであり、それだけにいっそう魅惑的な幸福の夢であったもの――その望みが今や叶えられたのである。ヴロンスキーは蒼白な顔をして、下顎を震わせながら、アンナの前に立っていた。

「アンナ! アンナ!」彼は震える声で言いつづけた……殺人者が自分で殺した死体を見るとき味わうに違いない気持を、彼は味わっていた。彼がその生命を奪ったこの死体こそ、取りも直さず二人の恋であり、その恋の第一段階であった……自分の精神的裸形を恥じる気持がアンナを打ちひしぎ、それはヴロンスキーにも伝わった。しかし犠牲者の死体にたとえどれほど恐怖を感じようとも、殺人者はそれを切り刻み、どこかへ隠し、殺人によって得たものをあくまで利用しなければならない。

 そこで憎しみを欲望のように抱きながら、殺人者は死体に跳びかかって、引きずりまわしたり、切り刻んだりする。ヴロンスキーも同じように、アンナの顔を肩に幾度となくキスの雨を降らせた。》

 

源氏物語』は『若莱』の巻に至ってようやく物語の成熟によりおもしろさを増すが、『アンナ・カレーニナ』でトルストイは、その第一編から七人の主要登場人物一人一人(アンナを廻るように、牡蠣とシャブリから快楽を作り出すのが教養の目的だと屈託ない兄オブロンスキー、五人の子供たちのために気まぐれな夫オブロンスキーを赦すドリー、自分の正しさに満足を覚えるアンナの夫カレーニン、衝動を満足させるために生きるヴロンスキー、トルストイ自身を投影した「良心」の人リョービン、ヴロンスキーに失恋してから二年後にリョービンと結婚するキティの若々しい愛らしさ)の楽器を鳴らし、諸事件はアンナの悲劇的運命を最後まで奏でる。一方、『或る女』は前編が『アンナ・カレーニナ』第一編のような豊かさをみせておもしろいものの、後編になると凝縮して部屋の内で反響するばかりだ。

アンナ・カレーニナ』と『或る女』、二つの小説は夢と幻想で同じ旋律を奏でながらも、交響楽と室内楽ほどに差異のほうが際立つのである。それでもなお、一度でも『或る女』を読みとおせば、アンナほどではないにしても、葉子のたぐいまれな魅力ゆえに再び戻ってきたくなるに違いない。

                        (了)

         *****参考または引用文献*****

有島武郎或る女』(加賀乙彦「解説――愛の孤独と破滅」所収)(新潮文庫

*『有島武郎全集11』(「観想録」所収)(筑摩書房

ウラジーミル・ナボコフナボコフロシア文学講義』(「レオ・トルストイ『アンナ・カレーニン』」所収)(小笠原豊樹訳)(河出文庫

トルストイアンナ・カレーニナ』(木村浩訳)(新潮文庫

水村美苗「「或る女」、誰にもひそむ邪悪な心(半歩遅れの読書術)」(「日経新聞」朝刊2004年2月1日)

前田愛近代文学の女たち 『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで』(岩波現代文庫

辻井喬『深夜の散歩』(「作家ノート 有島武郎と『或る女』」所収)(新潮社)

篠田一士『日本の近代小説』(「もうひとりの「或る女」」所収)(集英社

柄谷行人『増補 漱石論集成』(「漱石試論Ⅰ 階級について」所収)(平凡社ライブラリー

*『現代日本文学大系35 有島武郎集』(本多秋五「「白樺派」の文学 有島武郎論」所収)(筑摩書房