文学批評 「川端康成『雪国』の死と官能」

  「川端康成『雪国』の死と官能」

  

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 川端康成はそれと語らないことで語る。

『雪国』といえば、誰もがまず左手の人差指のエビソードを思い浮かべるが、作品のなかには《この指だけは女の触感で今も濡(ぬ)れていて》の具体となる愛撫の場面はもちろんのこと、なぜ左手なのかさえ語られない。あたかも検閲制度をくらますかのような、書かないという伏せ字による手練手管の芸として。

 汽車の窓ガラスが鏡になる情景をはじめとして、夕景色の鏡や朝雪の鏡、牡丹雪の冷たい花びらや紅葉の山を写す鏡台の鏡は見る行為に人工的な虚構性を与える。それは蚕、蛾、蜂、羽虫といった昆虫たちが現れてはみるまに死んでゆく描写や、鳥追い祭りの焚火、繭倉の火災の雪を照らす熱い光とともに登場人物たちをモノクロームの無限の幻影に染めてゆく。

 しかし川端文学でもっとも重要なのは、終戦二日後の島木健作の死に際する追悼文の、《私の生涯は「出発まで」もなく、さうしてすでに終つたと、今は感ぜられてならない。古の山河にひとり還つてゆくだけである。私はもう死んだ者として、あはれな日本の美しさのほかのことは、これから一行も書かうとは思はない。》という、死を前にして「すでに終った」と感じる人間の、「あはれ」な美の有り様に違いない。現に存在する人間の死にかかわる探究から川端文学を捉えるとき、いまや評価が低迷し相手にされない川端文学の新しい世界が長いトンネルを抜けたかのように見えてくる。

 

<死にかかわる存在>

 ハイデガー存在と時間』には次のような文章がある。

《われわれは、純正な意味では、他者の死亡を経験することはないのであって、せいぜいつねにただ「その場に居あわせている」だけなのである。》

《死亡は、それぞれの現存在がそのときどきにみずからわが身に引き受けざるをえないものなのである。死は、それが「存在する」かぎり、本質的にそのつど私のものなのである。しかも死は、一つの特有の存在可能性を意味しているのであって、この存在可能性においては、そのつどおのれに固有な現存在の存在へとひたすらかかわりゆくことが問題なのである。》

《現存在は、実存するかぎりは、存在しうるということにとどまりつつ、そのつど未だ(・・)何ものかであるのではない(・・・・・・・)はずである。実存が、その本質をなすような存在者は、おのれが全体的な存在者として捕捉される可能性に、本質上逆らうのである。》

《現存在は、現存在が存在しているかぎり、不断に、すでにおのれの未了なのである(・・)のだが、それと同じく現存在は、いちはやくつねにおのれの終りなのである(・・)。死でもって指されている終わることは、現存在が終りに達していることを意味するのではなく、現存在というこの存在者の終りへとかかわる存在(・・・・・・・・・・)を意味する。死は、現存在が存在するやいなや、現存在が引き受ける一つの存在する仕方なのである。》

《未熟の果実はその成熟に向かってゆく。そのさい、このように成熟することにおいて、果実がまだそれでない当のものが、まだ事物的に存在していないものとして、果実に継ぎ足たされるのでは断じてない。果実自身が成熟するにいたるのであり、しかもみずから成熟するということが、果実としてのその存在を性格づけているのである。》

《死は現存在の最も固有な可能性なのである。この可能性へとかかわる存在が現存在にその最も固有な存在しうることを開示するのであって、そのような存在しうることにおいては、現存在の存在へと端的にかかわりゆくことが問題なのである。》

《死亡することは、本質上代不能なものとして私のものであるのに、公共的に出来して世人に出会われる一つの事件へと、転倒されてしまう。》

 

 川端は『雪国』はもちろんのこと、『十六歳の日記』、『葬式の名人』、『山の音』、『千羽鶴』、『美しさと哀しみと』などで、なぜあれほどまでに身内、知人、恋人あるいは愛人の死を、はじまりに、あるいは転回点ないし結末とする小説を書き続けたのだろうか。

 ハイデガーが『存在と時間』(1927年)で死にかかわる探究、考察を行ったのと同じ時代(第一次世界大戦から第二次世界大戦の間)の精神が川端にもあったと考えるのが自然ではないか。

 三島由紀夫ハイデガーを存分に読みこんでいたから、『絹と明察』の最後で登場人物に『存在と時間』の断章、《彼はハイデッガーが死について要約している三つの提言を思い出した。それはこれまで死について究明されたことの全部なのであるが、その第三の提言は、「終ってゆくことは、自分のうちに、その都度の現存在にとって全く代理できない、存在の様態を含んでいる」と云うのである。「自分の死を回避しながら、終りへの日常的存在もまた、……死を確信しているのである」》と回想させたが、三島にとって死は作品としての生涯の一貫したテーマだった。

 一方、川端が『存在と時間』を読んだという気配はない(『風土』の「序言」に、《自分が風土性の問題を考えはじめたのは、一九二七年の初夏、ベルリンにおいてハイデッガーの『有と時間』(筆者註:『存在と時間』のこと)を読んだ時である。人の存在の構造を時間性として把握する試みは、自分にとって非常に興味深いものであった。しかし時間性がかく主体的存在構造として活かされたときに、なぜ同時に空間性が、同じく根源的な存在構造として、活かされて来ないのか、それが自分には問題であった。》と記述した和辻哲郎とは交流があった)。けれども、その実存的な表現は、思想家と小説家とで厳密さに差があるにしても、深さにおいてはむしろ川端の方が『十六歳の日記』にみられる外傷を負っていただけに、書かれた言葉を超える境地に達していたとはいえまいか。そして三島と同じく、川端もまたみずからの終り方において、死にかかわる思考に十分すぎるほど自覚的であった。

 

 ハイデガーの『存在と時間』は難解だが、レヴィナスによるハイデガー存在と時間』の、死をめぐる解釈、探究、分析に関する優れた講義を導きとすることができる。それはレヴィナスがソルボンヌで教鞭をとった最後の年度の講義のうちの「死と時間」というテーマで、『神・死・時間』という講義録(本人による草稿ではなく、聴講者、テープなどから編集された)として発刊されていて、その読解から、『雪国』の死にかかわる存在の姿が見えてくる。

 より具体的には、追々『雪国』本文を引用しながら考察するとして、ここではレヴィナスの講義と『雪国』を読解するうえでの簡単なメモを( )で併記しておく。

 

《死、死ぬこと、その避けることのできない期日。そうしたことについて私たちが語り、また、考えうることはすべて、間接的なものでしかない。まず気づくのはこの点です。ひとから伝え聞くことによって、あるいは経験にもとづく知識によって、私たちはそれを知るのです。死や死ぬことやその回避不能な期日について私たちが知っていることは、それらを名づけると共に命題を言表するような言語から私たちにもたらされます。それが諺のごときものであれ、詩的なものであれ、宗教的なものであれ、私たちは共通の話から死についての知識を得るのです。》

(ここには「十六歳の日記」の作者、『雪国』のなかで執拗に昆虫の死を観察する主人公島村、死ぬために帰って来た病人を看病し、死後は墓参りを欠かさない葉子、病人のいいなずけとも噂されるが関係があいまいな駒子がいる。)

《(共感や同情、他人のために苦痛をおぼえ、他人のために「死ぬほど苦しむこと」、それらは、このうえもなく根底的な仕方で他者の身代わりになることが可能になるための条件である。あたかも自分が有罪者であるかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、他者の不幸やその終末をわが身に被りつつ、他者に対して責任を負うこと。究極の近さであろう。有罪者として生き残ることであろう(・・・・・・・・・・・・・・・・)。この意味において、他者のための犠牲は他者の死とのいまひとつの連関を生み出す。この連関、それが責任であり、責任とはおそらくひとがそのために死にうるものなのだ。生き残りとしての有罪性においては、他人の死は私のことがらである。)》

(葉子は死んだ病人に対してそれを背負っていた。では駒子と島村にとってはどうだったのかも考えねばなるまい。)

有機的生成を、果実の成熟をモデルとして現存在を考えなければならないのでしょうか。ハイデガーは両者の類似を否定してはいません。果実がこれから熟そうとしているとき、この果実は依然として青いままですから熟してはいないのですが、にもかかわらず成熟はこの果実に属しています。現存在の非全体性をなしているのは、果実にとっての成熟がそうであるように、現存在がやがてそうなるであろうところの「いまだない」です。とはいえ、死は成熟ではありません。生成する果実の完成は、かかる完成を凌駕する死ではないのです。死にゆく現存在は、成熟しつつある果実とはちがってそのすべての可能性を汲み尽くしたわけではありません。死ぬとき、現存在の可能性は現存在から奪い取られるのです。終わること、それは完成することではありません。死という終末は必ずしも長い月日を要するものではないのですから。》

(『雪国』で「あけび」の実が暗示するのは、性的隠喩というばかりではなく、死へと向かう成熟のイメージではないのか。)

《現存在にとって、死ぬことはその存在の終着点に達することではなく、どの瞬間にもその存在の終末の間際にいるということです。死はある時機ではなく、存在するや否や現存在が身に負う存在の仕方であり、したがって、「存在しなければならない」という表現は「死ななければならない」をも意味することになります。成就されざる未来において死を考えるべきではありません。逆に、このように「死ななければならない」でもあるような「存在しなければならない」を起点として、時間は根源的に思考されなければならないのです。》

(『雪国』の登場人物たちはみな、小説の時間のどの瞬間にも、「死ななければならない」でもあるような「存在しなければならない」からはじまっている。)

《不安という情動は生から逃避しようとする恐れではありません。それは、存在に投げ込まれたものとしての現存在が終末に向けて実存するということです。現存在は存在しなければなりません。が、「存在しなければならない」は「死ななければならない」でもあります。事実性がこうして再び見いだされます。が、私たちは頽落の契機を見いだします。日常生活を特徴づけている死にかんする無知は死に臨む存在のひとつの様態であり、逃避も不安との関係を証示しているからです。実存する限り、現存在は実際に死にゆくのですが、ただし、逃避、頽落の様相において死ぬのです。事物のもとに身を置き、日常生活における諸々の事物を起点として自分を解釈することで、ひとは死から逃避するのです。》

(島村は剥落の境地で「日常生活」に逃避しているのではないか。それが彼の西洋舞踊研究に向う虚ろな態度にあらわれているし、駒子は島村の生きることすべてにおける「嘘」を見抜いている。)

ハイデガーはこう答えます。逃避すること、死を自分の眼から隠すこと、それは死に臨む存在の肯定性をはらんだひとつの欠損の様相である、と。<ひと>は、おしゃべりをするということによって特徴づけられます。<ひと>のおしゃべり(・・・・・)(Gerede)をつうじて、死からの逃避であり気散じであるような死に臨む存在が解釈されます。この逃避を特徴づける特別の情緒があるのですが、それは恐れに還元された不安です。不安は恐れと化す。死は死のひとつのケース(・・・)と化す。ひとは死ぬけれども、誰も死なないのです。他人たちは死んでいく。が、それは内世界的な出来事にすぎない(ハイデガーにとっては、他者の死も内世界的な出来事であった)。死は、生じるかもしれないが、さしあたりはまだ到来していないなにかとみなされてしまう。ひとは死ぬが、私がすぐさま死ぬというわけではない。このような二義的な言葉遣いのうちで、各自性としての死ぬことは中性的な公共の出来事、雑事[三面記事]と化すのです。死に客体としての実在性を付与することで、<ひと>は、いつ起こるかもしれないという死の性格を抹消してしまいます。》

(島村が促(うなが)す駒子との会話には、「おしゃべり」をつうじての死の「三面記事」化がある。)

 

 川端の『山の音』をイタリア語に翻訳した須賀敦子に『小説のはじまるところ』というエッセイ(全集解説)があって示唆に富む。ローマ郊外のレストランで、ノーベル賞の授賞式を終えてイタリアに寄られた川端夫妻と夕食のテーブルをかこんでいたときのことだという。

《食事がすんでも、まわりの自然がうつくしくてすぐに立つ気もせず、スウェーデンでどのように日本文学が読まれているかなど話しているうちに、話題が一年前に死んだ私の夫のことにおよんだ。あまり急なことだったものですから、と私はいった。あのことも聞いておいてほしかった、このこともいっておいておきたかったと、そんなふうにばかりいまも思って。

 すると川端さんは、あの大きな目で一瞬、私をにらむように見つめたかと思うと、ふいと視線をそらせ、まるで周囲の森にむかっていいきかせるかのように、こういわれた。それが小説なんだ。そこから小説がはじまるんです。(中略)「そこから小説がはじまるんです」。なんていう小説の虫みたいなことをいう人だろう、こちらの気持も知らないで、とそのときはびっくりしたが、やがてすこしずつ自分でものを書くようになって、あの言葉のなかには川端文学の秘密が隠されていたことに気づいた。ふたつの世界をつなげる『雪国』のトンネルが、現実からの離反(あるいは「死」)の象徴であると同時に、小説の始まる時点であることに、あのとき、私は思い至らなかった。》

 

<死にかかわる情景>

『雪国』でくりかえし現れる、死にかかわる情景をみてゆく。

《「胃が痛い、胃が痛い。」と、駒子は両手を帯の間へぐっと挿(さ)し入れると、島村の膝(ひざ)へ突っ伏した。

 襟(えり)をすかした白粉の濃いその首へも、蚊よりも小さい虫がたちまち群がり落ちた。見る間に死んで、そこで動かなくなるのもあった。》 

死が駒子の近辺にも降りかかる予兆であって、落ちてゆく不吉なイメージを連ねているのだが、「襟(えり)をすかした白粉の濃いその首」がスローモーションのように艶めかしく迫って来てはストップモーションとなる映像は、カメラと化している川端文学の映画化しやすさを示唆している。

《彼は昆虫(こんちゅう)どもの悶死(もんし)するありさまを、つぶさに観察していた。

 秋が冷えるにつれて、彼の部屋の畳の上で死んでゆく虫も日毎(ひごと)にあったのだ。翼の堅い虫はひっくりかえると、もう起き直れなかった。蜂(はち)は少し歩いて転び、また歩いて倒れた。季節の移るように自然と亡(ほろ)びてゆく、静かな死であったけれども、近づいて見ると脚や触覚を顫(ふる)わせて悶(もだ)えているのだった。それらの小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広いもののように眺(なが)められた。

 島村は死骸(しがい)を捨てようとして指で拾いながら、家に残して来た子供達をふと思い出すこともあった。

 窓の金網にいつまでもとまっていると思うと、それは死んでいて、枯葉のように散ってゆく蛾(が)もあった。壁から落ちて来るのもあった。手に取ってみては、なぜこんなに美しく出来ているのだろうと、島村は思った。》

死骸を拾いながら子供達を思い出すという不吉さは、子供達を捨てたいという隠された欲望なのか。蛾は、あたかも駒子のように、《生きているかしらと島村が立ち上って、金網の内側から指で弾いても、蛾は動かなかった。拳(こぶし)でどんと叩(たた)くと、木の葉のようにぱらりと落ちて、落ちる途中から軽やかに舞い上った。》りと、東京の家に細君がいる島村の戯れの指や拳によって意のままにされる。悶死を見据える観察眼は偏執的でさえあって、時間は空間のなかに取り置かれ、「小さい死の場所として、八畳の畳はたいへん広い」といった感覚として表現される。

 

 ときに処女作なのか後の創作なのか問題視される『十六歳の日記』は、死にいたる病床の祖父を看病しながら綴った十数日分の日記を、二十七歳の時に叔父の倉で見つけて写し取り発表したもので、ところどころ十六歳当時の状況に関する自註がある。新潮社版全集での「あとがきの二」には、《「十六歳の日記」の「あとがき」に、「私がこの日記を発見した時に、最も不思議に感じたのは、ここに書かれた日々のような生活を、私が微塵(みじん)も記憶していないということだった。私が記憶していないとすると、これらの日々は何処(どこ)へ行ったのだ。どこへ消えたのだ。私は人間が過去の中へ失って行くものに就いて考えた。」と書いているが、この過去に経験したが記憶していないという不思議は、五十歳の現在も私には不思議で、私にとってはこれが「十六歳の日記」の第一の問題である。(中略)第二の問題は、このような日記をなぜ私が書いたかということである。祖父が死にそうな気がして祖父の姿を写しておきたく思ったのにはちがいないが、死に近い病人の傍でそれの写生風な日記を綴る十六歳の私は、後から思うと奇怪である。》とあるが、記憶していない、というのが川端の創作ではないとすれば、その記憶の欠落は精神病理的な何かであろうか。

 まさに松浦寿輝が『見ることの閉塞 川端康成』論で指摘したように、《「十六歳の日記」こそ、川端の作品史の総体にとって、(中略)彼の視線を禁忌で縛り、爾来、見ることを閉塞させてしまった外傷体験が、喪の光景と深い関係を持っているのは疑いえないことのように思われる。》

 さきの須賀敦子のエッセイは川端の『葬式の名人』についても触れながら、川端の出発点を言いあてる。

《『葬式の名人』(一九二三年)は、幼いときからつぎつぎと肉親に死に別れた作者の、自伝的なテーマをもとに書きおこされた作品だ。その点では、よりよく知られた『十六歳の日記』に似かよっているのだが、こちらは写実性のなかに、虚構への執心がよりなまなましくあらわれていて、そのことが作品の完成度とは別個に、文学的なおもしろさをつくっている。「生前私に縁遠い人の葬式であればあるだけ、私は自分の記憶と連れ立って墓場へ行き、記憶に対(むか)って合掌しながら焼香するような気持になる」という主人公の述懐は、そのまま、虚構=死者の世界を、現実=生者の世界に先行させる川端詩学の出発点ということができる。》

 

 ここからは『十六歳の日記』と同じく、人の死を見届けること、他者の死に居合わせることにまつわり、死の話題から逃れさせる日常性、おしゃべりのあれこれである。

《駒子は十能(じゅうのう)を持って、器用に梯子を上って来ると、

「病人の部屋からだけれど、火は綺麗(きれい)だって言いますわ。」と、結いたての髪を伏せながら、火燵の灰を掻き起して、病人は腸結核で、もう故郷へ死にに帰ったのだと話した。》

 死にに帰って来た病人(行男(ゆきお))の物語、やがて死ぬ病人のために献身する女の身の上話を温泉宿で女按摩から聞くや、「徒労」という「虚無」が島村の心に浮んで来る。

《駒子が息子のいいなずけだとして、葉子が息子の新しい恋人だとして、しかし息子はやがて死ぬのだとすれば、島村の頭にはまた徒労という言葉が浮んで来た。駒子がいいなずけの約束を守り通したことも、身を落してまで療養させたことも、すべてはこれ徒労でなくてなんであろう。》

《「ああっ、駒ちゃん、行男(ゆきお)さんが、駒ちゃん。」と、葉子は息切れしながら、ちょうど恐ろしいものを逃れた子供が母親に縋りつくみたいに、駒子の肩を摑(つか)んで、

「早く帰って、様子が変よ、早く。」(中略)

「いや。私帰らないわよ。」

 ふっと島村は駒子に肉体的な憎悪(ぞうお)を感じた。

「君達三人の間に、どういう事情があるかしらんが、息子さんは今死ぬかもしれんのだろう。それで会いたがって、呼びに来たんじゃないか。素直に帰ってやれ。一生後悔するよ。こう言っているうちにも、息が絶えたらどうする。強情張らないでさらりと水に流せ。」

「ちがう。あんた誤解しているわ。」

「君が東京へ売られて行く時、ただ一人見送ってくれた人じゃないか。一番古い日記の、一番初めに書いてある、その人の最後を見送らんという法があるか。その人の命の一番終りの頁(ページ)に、君を書きに行くんだ。」

「いや、人の死ぬのを見るなんか。」》

 島村が感じた肉体的憎悪とはいったい何であろう。むしろ「いや、人の死ぬのを見るなんか。」と言う駒子にこそ倫理的清潔感があるのではないか。他人の日記を勝手に覗き見て、「その人の命の一番終りの頁(ページ)に、君を書きに行くんだ。」などと気障な説教を吐かせる川端の筆力は、《はじめからただこの女がほしいだけだ、それを例によって遠廻りしていたのだと、島村ははっきり知ると、自分が厭になる一方女がよけい美しく見えてきた。》と自覚するいやらしさを引き摺って書きこむ冷徹さをもっている。

《「あの娘さんはどうした?」

 駒子はちらっと島村を見て、

「お墓参りばかりしてるわ。スキイ場の裾(すそ)にほら、蕎麦(そば)の畑があるでしょう、白い花の咲いてる。その左に墓が見えるじゃないの?」》

《「あの人はどうなった。」

「無論死にました。」

「君が送りに来てくれた間にか。」

「でも、それとは別よ。送るって、あんなにもいやなものとは思わなかった。」》

死はおしゃべりによって、ただの事件、事例になりさがる。それでもなお、「お墓参りばかりしてるわ。」、「無論死にました。」というおしゃべりを、停車場への見送りと同じレベルで発する駒子の強さは、興味本位の島村よりも凛とした強さがある。

川端の小説に反復される、疑似双生児のような二人の女は、死に対してどう振る舞い、見届ける男の眼にどう映るだろうか。

《駒子の愛情は彼に向けられたものであるにもかかわらず、それを美しい徒労であるかのように思う彼自身の虚(むな)しさがあって、けれども反(かえ)ってそれにつれて、駒子の生きようとしている命が裸の肌(はだ)のように触れて来もするのだった。彼は駒子を哀れみながら、自らを哀れんだ。そのようなありさまを無心に刺し透(とお)す光りに似た目が、葉子にありそうな気がして、島村はこの女にも惹かれるのだった。》

 重要な言葉が並んでいる。「美しい徒労」、「彼自身の虚(むな)しさ」、「けれども反(かえ)って」、「生きようとしている命」、「裸の肌(はだ)のように」、「自らを哀れんだ」。とりわけ、「そのようなありさまを無心に刺し透(とお)す光りに似た目が、葉子にありそうな気がして、島村はこの女にも惹かれるのだった。」には、死に寄り添う同類を選びとる嗅覚(きゅうかく)がある。

《「毎日君は蕎麦畑の下の墓にばかり参っているそうだね。」

「ええ。」

「一生のうちに、外の病人を世話することも、外の人の墓に参ることも、もうないと思ってるのか?」

「ないわ。」(中略)

「駒ちゃんをよくしてあげて下さい。」

「僕はなんにもしてやれないんだよ。」

 葉子の目頭に涙が溢(あふ)れて来ると、畳に落ちていた小さい蛾を摑(つか)んで泣きじゃくりながら、

「駒ちゃんは私が気ちがいになると言うんです。」と、ふっと部屋を出て行ってしまった。》

 死んだ蛾を摑んで泣きじゃくる葉子には死に対する責任感、思いつめた自責のようなものがあって、生き残りとしての有罪性においては、他人の死は私のことがら、なのであり、「僕はなんにもしてやれないんだよ。」から限りなく遠い。

《「駒ちゃんですか。駒ちゃんは憎いから言わないんです。」

 そう言って、気のゆるみか、少し濡れた目で彼を見上げた葉子に、島村は奇怪な魅力を感じると、どうしてか反って、駒子に対する愛情が荒々しく燃えて来るようであった。為体(えたい)の知れない娘と駈落ちのように帰ってしまうことは、駒子への激しい謝罪の方法であるかとも思われた。またなにかしら刑罰のようでもあった。》

 シテ、ワキ、ツレのような閉じない三角関係のなかで、女達の差異は消滅し、身勝手な男の内部で愛の対象が、またしても「どうしてか反って」転回する。謝罪の方法であるかとも、またなにかしら刑罰のようでもあったという背反の果て、小説の末尾、死という終末に向って、駒子と葉子は狂気においても一つになってゆく。 

《古い燃えかすの火に向って、ポンプが一台斜めに弓形(ゆみなり)の水を立てていたが、その前にふっと女の体が浮んだ。そういう落ち方だった。女の体は空中で水平だった。島村はどきっとしたけれども、とっさに危険も恐怖も感じなかった。非現実的な世界の幻影のようだった。硬直していた体が空中に放(ほう)り落されて柔軟になり、しかし、人形じみた無抵抗さ、命の通(かよ)っていない自由さで、生も死も休止したような姿だった。島村に閃(ひらめ)いた不安と言えば、水平に伸びた女の体で頭の方が下になりはしないか、腰か膝が曲りはしないかということだった。そうなりそうなけはいは見えたが、水平のまま落ちた。

「ああっ。」

 駒子が鋭く叫んで両の眼をおさえた。島村は瞬きもせずに見ていた。

 落ちた女が葉子だと、島村も分ったのはいつだったろう。人垣があっと息を呑んだのも駒子がああっと叫んだのも、実は同じ瞬間のようだった。葉子の腓(こむら)が地上で痙攣(けいれん)したのも、同じ瞬間のようだった。》

幻影としての死の情景であり、あたかも『竹取物語』か『源氏物語』浮舟のように形代(かたしろ)めいた葉子が天の河へと浮く。

 

<熟す>

 死の対極にあるもの、それは二歳で父を失ったのを皮切りに、三歳で母をも失ってしまう孤児川端にとって、生まれたての赤子の生命の源であり、熟しては残酷な時の重力を女の体に刻印する乳房であって、『千羽鶴』、『山の音』、『眠れる美女』、『美しさと哀しみと』、『虹いくたび』、『たんぽぽ』など他の小説にも長編、短編を問わず、象徴としての「乳房」は頻出する。川端の場合は、成熟した母性であるばかりでなく、ときに少女性、清らかさ、人に触れられたことのない、清楚さ、初花としての可憐な乳房であったり、モノ・フェティシズムの対象であったりもするからやっかいである。

『雪国』でも「乳房」という生な言葉ではなく、はっきり「乳房」とも、何を「もとめる」とも具体的に指し示さずに、柔らかなあたたかみに男を溺れさせる。

《少しでも腕をゆるめると、女はぐたりとした。女の髪が彼の頬で押しつぶされるほどに首をかかえているので、手は懐(ふところ)に入っていた。

彼がもとめる言葉には答えないで、女は両腕を閂のように組んでもとめられたものの上をおさえたが、酔いしびれて力が入らないのか、

「なんだ、こんなもの。畜生。畜生。だるいよ。こんなもの」と、いきなり自分の肘(ひじ)にかぶりついた。(中略)

島村の掌のありがたいふくらみはだんだん熱くなって来た。

「ああ、安心した。安心したよ。」と、彼はなごやかに言って、母のようなものさえ感じた。》

 あからさまに母なる乳房への憧憬を語ってやまないのは通俗でさえあるが、ときに作者は厚顔をも辞さない。

《駒子はそっと掌を胸へやって、

「片方が大きくなったの。」

「馬鹿。その人の癖だね。一方ばかり。」

「あら。いやだわ。嘘、いやな人。」と、駒子は急に変った。これであったと島村は思い出した。

「両方平均にって、今度からそう言え。」

「平均に? 平均にって言うの?」と、駒子は柔かに顔を寄せた。》

 生と死という時間が共存する場所としての乳房でもある。作家は「その人」と平気で口にする男と、淡々と受ける女という花柳社会の男女関係を突き放して見ている。

 死へ向けて熟すこと。「あけび」の実に、ことさらその外観からの性的な隠喩を見ようとするだけではなく、季節という時間軸の中に置かれ、そこに葉子の姿が現れることから、未熟な果実に死への過程を多重映像的に見るべきだろう。

《「旦那(だんな)、あけびの実をご存知ですか。召し上るなら取って参りますよ。」と、散歩帰りの島村に言って、彼はその実を蔓(つる)のまま紅葉の枝に結びつけた。

 紅葉は山から伐(き)って来たらしく軒端(のきば)につかえる高さ、玄関がぱっと明るむように色あざやかなくれないで、一つ一つの葉も驚くばかり大きかった。

 島村はあけびの冷たい身を握ってみながら、ふと帳場の方を見ると、葉子が炉端に坐っていた。》

 

<底>

『雪国』では「底」という形容、ある種の喩が小説の人口に膾炙した一行目から顔を出す。

《国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。》

《鏡の底には夕景色が流れていて、つまり写るものと写す鏡とが、映画の二重写しのように動くのだった。登場人物と背景とはなんのかかわりもないのだった。しかも人物は透明のはかなさで、風景は夕闇のおぼろな流れで、その二つが融け合いながらこの世ならぬ象徴の世界を描いていた。》、

あからさまに、この小説の秘密、川端文学の肝を自己解説してみせているではないか。

《村は寒気の底へ寝静まっていた。》

《水泳みたいに、雪の底を泳ぎ歩くんですって。》

《雪の底で手仕事に根をつめた織子達の暮しは、その製作品の縮のように爽(さわや)かで明るいものではなかった。》

《天の河の底なしの深さが視線を吸い込んで行った。》

悲しみと徒労のはての「底」という概念もまた「浮ぶ」と対になって重要であって、すべては奥深い死の淵の底の上に、小説の最後で映写中(幻影の中に幻影がある)の失火で焼け落ちる繭倉(紡ぎ出す空間)のように浮んでいる。

 川端の「あはれ」は、他者の死を凝視した人間の末期の眼の「底」にあるもので、官能表現こそが死の不安と虚無の果てにある「魔界」へと通じる秘術だ。

 

<表層の官能>

 川端の表層への偏執は異常なまでだ。表層のエロティシズムに溺れている。川端の初対面の人に対する「黙って、ジロジロ見」る(三島由紀夫『永遠の旅人――川端康成氏の人と作品』)無作法なまでの観察眼は、志野茶碗を愛撫するような濡れた視線である。

 ヴァレリーが語った「皮膚より深いものはない」を実践するとばかりに、表層の美に生きる主人公島村(《ヴァレリイやアラン、それからまたロシア舞踊の花やかだった頃のフランス文人達の舞踊論を、島村は翻訳しているのだった。》から、ヴァレリーの『『ドガに就て』』などを読んでいたことだろう)。

《もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡(ぬ)れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂(にお)いを嗅(か)いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。》

 触覚と視覚と臭覚の三位一体に、この場面では聴覚の不在が効果的で、「つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさ」とは『十六歳の日記』の「あとがき」と同じであり、もう何も信じてはいない、信じてはいけないという瀬戸際で、モノが現世に引き戻す。

《女の印象は不思議なくらい清潔であった。足指の裏の窪(くぼ)みまできれいであろうと思われた。山々の初夏を見て来た自分の眼のせいかと、島村は疑(うたぐ)ったほどだった。

 着つけにどこか芸者風なところがあったが、無論裾はひきずっていないし、やわらかい単衣(ひとえ)をむしろきちんと着ている方であった。帯だけは不似合に高価なものらしく、それが反ってなにかいたましく見えた。》の「帯だけは不似合に高価なもの」に、優れた「花柳小説」「風俗小説」としての、女の出自と現在の境遇を一瞬で捉える観察眼、風俗把握力がある。

《細く高い鼻が少し寂しいけれども、その下に小さくつぼんだ脣(くちびる)はまことに美しい蛭(ひる)の輪のように伸び縮みがなめらかで、黙っている時も動いているかのような感じだから、もし皺があったり色が悪かったりすると、不潔に見えるはずだが、そうではなく濡(ぬ)れ光っていた。目尻が上りも下りもせず、わざと真直ぐに描(か)いたような眼はどこかおかしいようながら、短い毛の生えつまった下り気味の眉(まゆ)が、それをほどよくつつんでいた。少し中高(なかだか)の円顔はまあ平凡な輪郭だが、白い陶器に薄紅を刷(は)いたような皮膚で、首のつけ根もまだ肉づいていないから、美人というよりもなによりも、清潔だった。》

「白粉(おしろい)」の語の頻出、皮膚の色づきの温感、髪の硬質な光り。視線と触感が求めあい溶けあうのだが、救われるのは文章に駒子と同じような清潔感があることだ。

《女がふっと顔を上げると、島村の掌に押しあてていた瞼(まぶた)から鼻の両側へかけて赤らんでいるのが、濃い白粉(おしろい)を透して見えた。それはこの雪国の夜の冷たさを思わせながら、髪の色の黒が強いために、温かいものに感じられた。

 その顔は眩(まぶ)しげに含み笑いを浮べていたが、そうするうちにも「あの時」を思い出すのか、まるで島村の言葉が彼女の体をだんだん染めて行くかのようだった。女はむっとしてうなだれると、襟(えり)をすかしているから、背なかの赤くなっているのまで見え、なまなましく濡れた裸を剥(む)き出したようであった。髪の色との配合のために、尚そう思われるのかもしれない。前髪が細かく生えつまっているというのではないけれども、毛筋が男みたいに太くて、後れ毛一つなく、なにか黒い鉱物の重ったいような光だった。》

 すかした襟から窃視する男の眼は、髪の毛に生/性/聖を感じている。

《「それでいいのよ。ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから。」と、駒子は少し顔を赤らめてうつ向いた。

 襟を透かしているので、背から肩へ白い扇を拡(ひろ)げたようだ。その白粉(おしろい)の濃い肉はなんだか悲しく盛り上って。毛織物じみて見え、また動物じみて見えた。》

 動物といえば、《熊のように硬く厚い毛皮ならば、人間の官能はよほどちがったものであったにちがいない。人間は薄く滑らかな皮膚を愛し合っているのだ。》と直截な表現もみせたが、川端の「人間」は生きものではなく「形代(かたしろ)」(人形)のような工芸性を、とりわけ少女像において伴っていて、《北国の少女の頬(ほお)の赤みがまだ濃く残っている。芸者風な肌理(きめ)に月光が貝殻(かいがら)じみたつやを出した。》のように愛玩的だ。

 風土の描写においても、表層への偏執はあきらかで、天保の人、鈴木牧之『北越雪譜』からの、雪に晒す「縮(ちぢみ)」(視覚、触覚で官能をざわつかせる表層美の最たるもの)の記述が「昔の人」の名の下に地の文と渾然一体となって長々と引用される。

《雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪の上に晒(さら)す。績(う)み始めてから織り終るまで、すべては雪のなかであった。雪ありて縮(ちぢみ)あり、雪は縮の親というべしと、昔の人も書いている。(後略)》

 

<鏡>

 表層としての鏡。輪郭や境界の不在、漠としたイメージの戯れは無内容でさえあって、感覚的なレトリックへの耽溺は好き嫌いの別れるところとなり、評価は通俗小説へと失墜しかねない。

 全集の『雪国』プレオリジナルに明らかなように、発表当初の冒頭部分は「夕景色の鏡」という章を与えられていたくらい、川端ははじめから「鏡」にこだわっていた。

《ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼(かため)がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。しかしそれは彼が心を遠くへやっていたからのことで、気がついてみればなんでもない、向側の座席の女が写ったのだった。外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明りがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭(ふ)くまでその鏡はなかったのだった。》

 くりかえし、反復、いらだちを伴って、死の臭いが忍び寄る。登場人物たちは無心でも、作者は無心ではない。

《鏡の中の男の顔色は、ただもう娘の胸のあたりを見ているゆえに安らかだという風に落ちついていた。弱い体力が弱いながらに甘い調和を漂わせていた。襟巻を枕に敷き、それを鼻の下にひっかけて口をぴったり覆(おお)い、それからまた上になった頬を包んで、一種の頬かむりのような工合(ぐあい)だが、ゆるんで来たり、鼻にかぶさって来たりする。男が目を動かすか動かさぬうちに、娘はやさしい手つきで直してやっていた。見ている島村がいら立って来るほど幾度もその同じことを二人は無心に繰り返していた。》

「あはれ」な関係の不可能性、空虚にいたる隔離、二人でいることの病(やまい)。『雪国』の叙述から疑問はいくらでも湧くが、人は決して答えを得ることはできないだろう。

《指で覚えている女と眼にともし火をつけていた女との間に、なにがあるのかなにが起るのか、島村はなぜかそれが心のどこかで見えるような気持もする。まだ夕景色の鏡から醒(さ)め切らぬせいだろうか。あの夕景色の流れは、さては時の流れの象徴であったかと、彼はふとそんなことを呟(つぶや)いた。》

 時間の流れの象徴がみな死に映りこむ。最初の発表当時、「夕景色の鏡」の次の章もまた「白い朝の鏡」という題名だった。(『川端康成全集第24巻』(『雪国(プレオリジナル)』によれば、1935年(昭和10年)から1941年(昭和16年)までに順次発表された『夕景色の鏡』、『白い朝の鏡』、『物語』、『徒労』、『萱の花』、『火の枕』、『手毬歌』、『雪中火事』、『天の河』と、1946、47年(昭和21、22年)の一部改稿『雪国抄』、『続雪国』、それらに斧鉞を経ての定稿『雪国』となった。)

《「とうとう明るくなってしまったわ。帰りますわ。」

 島村はその方を見て、ひょっと首を縮めた。鏡の奥が真白に光っているのは雪である。その雪のなかに女の真赤な頬が浮んでいる。なんともいえぬ清潔な美しさであった。》

《島村は去年の暮のあの朝雪の鏡を思い出して鏡台の方を見ると、鏡のなかでは牡丹雪の冷たい花びらが尚(なお)大きく浮び、襟を開いて首を拭(ふ)いている駒子のまわりに、白い線を漂わした。》

鏡と文学、または美術への言及は限りなくバルトルシャイテスやホッケによって狩猟されつくしているが、ほとんどの文脈はラカンセミネールで引用したアラゴン『エルザに狂いて』の『対旋律』と題された短い詩に反映されているだろう。

《お前の面影(イマージュ)は空しく私に会いにやって来て/私の中に入ろうとするが、私はただお前の面影(イマージュ)を映し出しているだけ/お前は私の方に向き直るが、そのときお前が私の眼差しの壁の上に見つけるのは/私が夢見ているお前の影、ただそれだけ/私はまるで鏡のような不幸者/映し返すことはできても、見ることはできない/私の目は鏡のように空き家で/お前の不在に取り憑かれ、何も見えない》

 さらにラカンは、《なぜなら、無意識は我われに裂け目を示しており、その裂け目を経由して神経症は一つの現実を――この現実はもちろん決定されえませんが――繋ぎ合わされるからです。》と考察し、ボルヘスは『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』で、《性交と鏡とは忌わしいものだ。百科事典にはこうある。霊的認識をもつ者にとっては、可視の宇宙は幻影か(より正確にいえば)誤謬である。鏡と父とは、その宇宙を繁殖させ、拡散させるがゆえに忌わしいものである。》と忠告したが、アラゴンの詩、ラカンの考察、ボルヘスの慧眼は、『雪国』の「鏡」を表している。

 

<見ることと見ないこと>

 見すぎることで、見えているものがふっと消えてしまう。遠ざかってゆく不安、見ることで死んでしまうという不安。「黙って、ジロジロ見」る凝視と沈黙は婚姻関係なのか、逆に言えば、視覚と聴覚は手を携えないのか。

 表層を見るものは、見えないものへも突き刺さろうと心の窓である女の眼を覗き込む。

《女は瞼(まぶた)を落して黙った。島村はこうなればもう男の厚かましさをさらけ出しているだけなのに、それを物分りよくうなずく習わしが女の身にしみているのだろう。その伏目は濃い睫毛(まつげ)のせいか、ほうっと温かく艶(なま)めくと島村が眺(なが)めているうちに、女の顔はほんと少し左右に揺れて、また薄赤らんだ。》

《女が黒い眼を半ば開いているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫毛(まつげ)であった。》

《黒い眼(め)を薄く開いていると見えるのは濃い睫毛(まつげ)を閉じ合わせたのだと、島村はもう知っていながら、やはり近とのぞきこんでみた。》

 睫毛(まつげ)は、死にいたる内面を遮蔽する簾のようにそこにあって、不躾に透見(すきみ)する男の戯れをなかば拒むのだが、境界は曖昧で、それは生と死の境界の曖昧さのようでもある。

《汽車のなかはさほど明るくはないし、ほんとうの鏡のように強くはなかった。反射がなかった。だから、島村は見入っているうちに、鏡のあることをだんだん忘れてしまって、夕景色の流れのなかに娘が浮んでいるように思われて来た。

 そういう時、彼女の顔のなかにともし火がともったのだった。この鏡の映像は窓の外のともし火を消す強さはなかった。ともし火も映像を消しはしなかった。そうしてともし火は彼女の顔のなかを流れて通るのだった。しかし彼女の顔を光り輝かせるようなことはしなかった。冷たく遠い光であった。小さい瞳のまわりをぼうっと明るくしながら、つまり娘の眼と火とが重なった瞬間、彼女の眼は夕闇の波間に浮ぶ、妖(あや)しく美しい夜光虫であった。

 こんな風に見られていることを、葉子は気づくはずがなかった。彼女はただ病人に心を奪われていたが、たとえ島村の方へ振り向いたところで、窓ガラスに写る自分の姿は見えず、窓の外を眺める男など目にも止まらなかっただろう。

 島村が葉子を長い間盗見しながら彼女に悪いということを忘れていたのは、夕景色の鏡の非現実的な力にとらえられていたからだったろう。》

 世界が二人を見つめ、語りかけ、取り囲み、内から浸され、すっぽり埋没する様子が、この小説のもっとも美しく哀しいひとときとして冒頭の汽車の窓に妖しく浮ぶ。「盗見しながら彼女に悪いということを忘れていた」とあるが、どこまでも「悪い」という感情など欠落している。

 古道具を愛玩するような手触りで語られていて、その眼力(何かを見すぎることは何も見ていないことかもしれず、遺作『たんぽぽ』の人体欠視症と表裏なのだが)を共有できなくては、川端文学の茶会、骨董鑑賞の宴に身を置く資格を欠くかのようだ。

 ラカンが『精神分析の四基本概念』の「部分欲動とその回路」で解説したように、フロイトが「視る快感Schaulust」について、つまり見ると見られるについて語っているところにしたがえば、「Schaulust」が現われるのは倒錯においてである、と考えるのがよい。川端はつねに窃視症の視る快感に浸り、《幻想が欲望の支えです。対象は欲望の支えではありません。主体は、たえず複雑さの度合いを増してゆくシニフィアンの集合との関係で、欲望するものとして自らを支えています》であって、支配し征服する暴力的なまでの眼差しに、見ている私を見る私としての小説家川端は死の虚無を解消しようとした。

 川端の眼はメルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』の「問いかけと直感」における、《見えるものが私を満たし、私を占有しうるのは、それを見ている私が無の底からそれを見るのではなく、見えるもののただなかから見ているからであり、見る者としての私もまた見えるものだからにほかならない。 一つ一つの色や音、肌ざわり、現在と世界の重み、厚み、肉をなしているのは、それらを把握している当の人間が、自分をそれらから一種の巻きつきないし重複によって出現して来たもので、それらと根底では同質だと感ずることであり、彼が自分に立ち返った見えるものそのものであり、その引きかえに見えるものが彼の目にとって彼の写しないし彼の肉の延長のごときものとなることなのである。》

 

<空白>

 黒い鉱物の重たい光のような冷たい黒髪とは対照的に、駒子は火の枕(まくら)のように熱いものを持つが、

《毛よりも細い麻糸は天然の雪の湿気がないとあつかいにくく、陰冷の季節がよいのだそうで、寒中に織った麻が暑中に着て肌に涼しいのは陰陽の自然だという言い方を昔の人はしている。島村にまつわりついて来る駒子にも、なにか根の涼しさがあるようだった。そのためよけい駒子のみうちのあついひとところが島村にあわれだった。》の「みうちのあついひとところ」が解剖学的にどの器官なのかは空白で、油絵のような描写で塗りこめないところに川端の凄みがある。危絵(あぶなえ)のように、隠せば隠すほど欲望は刺激され、かえって饒舌となる。

 接吻についても省略の美はあきらかで、

《駒子の唇は美しい蛭の輪のように滑らかであった。

「いや、帰して。」》、それだけで接吻と知れる。

 性愛はなおさらだ。文章の流れの中で、どこで実事があったのか、なかったのか。あの時の経過を仄めかす一行空けすら文体に残さない。

《島村が寝床に入ると、女は机に胸を崩して水を飲んだが、

「起きなさい。ねえ、起きなさいったら。」

「どうしろって言うんだ。」

「やっぱり寝てなさい。」

「なにを言ってるんだ。」

 女を引き摺(ず)って行った。

 やがて、顔をあちらに反向(そむ)けこちらに隠していた女が、突然激しく脣を突き出した。

 しかしその後でも、寧ろ苦痛を訴える譫言(うわごと)のように、

「いけない。いけないの。お友達でいようって、あなたがおっしゃったじゃないの。」と、幾度繰り返したかしれなかった。(中略)

酔いで半ば痺(しび)れていた。

「私が悪いんじゃないわよ。あんたが悪いのよ。あんたが負けたのよ。あんたが弱いのよ。私じゃないのよ」などと口走りながら、よろこびにさからうためにそでをかんでいた。》

《部屋に戻ってから、女は横にした首を軽く浮かして鬢(びん)を小指で持ち上げながら、

「悲しいわ。」と、ただひとこと言っただけであった。

 女が黒い眼を半ば開いているのかと、近々のぞきこんでみると、それは睫毛(まつげ)であった。

 神経質な女は一睡もしなかった。

 固い女帯をしごく音で、島村は目が覚めたらしかった。》

《「温(あたたか)い。」と、島村は駒子が近づいて来るままに抱き上げた。

「温いのは生まれつきよ。」

「もう朝晩は寒くなっているんだね。」

「私がここへ来てから五年だもの。初めは心細くて、こんなところに住むのかと思ったわ。汽車の開通前は寂しかったなあ。あんたが来はじめてからだって、もう三年だわ。」

 その三年足らずの間に三度来たが、その度毎(たびごと)に駒子の境遇の変っていることを、島村は思っていた。

 轡虫(くつわむし)が急に幾匹も鳴き出した。

「いやねえ。」と、駒子は彼の膝から立ち上がった。

 北風が来て網戸の蛾(が)が一斉(いっせい)に飛んだ。

 黒い眼(め)を薄く開いていると見えるのは濃い睫毛(まつげ)を閉じ合わせたのだと、島村はもう知っていながら、やはり近とのぞきこんでみた。

「煙草を止めて、太ったわ。」

 腹の脂肪が厚くなっていた。

 離れていてはとらえ難(がた)いものも、こうしてみると忽(たちま)ちその親しみが還(かえ)って来る。》

 視覚と聴覚の共感覚の底で、どれほどのことを語っていることか。隠された文体の肌理、語られない実事の「空白」からどこまで悦びを味わいつくすことができるのか、人は試されている。

 エロティックな器官への婉曲表現、謎めいた文章の反復と変奏は、発表された作品に対しても長い時間をかけて推敲に推敲を加え、繰りかえし編纂しつくす作者のことだから、どこまでも意識的に相違あるまい。

《細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁(ささや)きのように見えた。あの美しく血の清らかな脣(くちびる)は、小さくつぼめた時も、そこに映る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐(かれん)に直ぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。下り気味の眉(まゆ)の下に、目尻が上りもせず下りもせず、わざと真直ぐ描いたような眼は、今は濡(ぬ)れ輝いて、幼げだった。白粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合(ゆり)か玉葱(たまねぎ)みたいな球根を剥(む)いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上っていて、なによりも清潔だった。》

《「君はいい女だね。」

「どういいの。」

「いい女だよ。」

「おかしなひと。」と、肩がくすぐったそうに顔を隠したが、なんと思ったか、突然むくっと片肘(かたひじ)立てて首を上げると、

「それ、どういう意味? ねえ、なんのこと?」

 島村は驚いて駒子を見た。

「言って頂戴。それで通(かよ)ってらしたの? あんた私を笑ってたのね。やっぱり笑ってらしたのね。」

 真赤になって島村を睨(にら)みつめながら詰問(きつもん)するうちに、駒子の肩は激しい怒りに顫えて来て、すうっと青ざめると、涙をぽろぽろ落した。》

《「ねえ、あんた、私をいい女だって言ったわね。行っちゃう人が、なぜそんなこと言って、教えとくの?」

 駒子が簪(かんざし)をぷすりぷすり畳に突き刺していたのを、島村は思い出した。

「泣いたわ。うちへ帰ってからも泣いたわ。あんたと離れるのこわいの。だけどもう早く行っちゃいなさい。言われて泣いたこと、私忘れないから。」

 駒子の聞きちがえで、かえって女の体の底まで食い入った言葉を思うと、島村は未練に締めつけられるだったが、俄(にわ)かに火事場の人声が聞えて来た。》

 ここでは「女の体の底」とまで表現する。「底」が「死」を含意するならば、「女の体の死まで食い入った」とさえ深読みできる。

《部屋へ戻(もど)ると急に駒子はしょんぼりして、火燵に深く両腕を入れてうなだれながら、いつになく湯にも入らなかった。(中略)

「ううん、難儀なの。」

「なあんだ、そんなこと。ちっともかまやしない。」と、島村は笑い出して、

「どうもしやしないよ。」

「いや。」

「それに馬鹿だね、あんなに乱暴に歩いて。」(中略)

「あんた、そんなこというのがいけないのよ。起きなさい。起きなさいってば。」と、口走りつつ自分が倒れて、物狂わしさに体のことも忘れてしまった。

 それから温かく潤(うる)んだ眼を開くと、

「ほんとうに明日帰りなさいね。」と静かに言って、髪の毛を拾った。》

 細く高い鼻が少し寂しい難儀な女は生理だったのだろう。洗い立てのように清潔な女は禁忌を犯したあと、悦楽の死骸みたいな冷たい黒髪を拾ったのだ。

 まるで『源氏物語』でも読むように、主語、目的語、名詞の省略を、時制や改行や代名詞への想像力でおぎなわねばならない。だがひとたび、改行の間もふくめて、その秘密の文体を読みとるや、今まですうっと読み過ごしていた「いい女」の文脈が「急に色気がこぼれて来」て底光りするだろう。

 出逢い、再会の場面からして、気取っているかのように秘密めいている。

《「君はあの時、ああ言ってたけれども、あれはやっぱり嘘(うそ)だよ。そうでなければ、誰が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。」》の「あの時」は続いてすぐの一行空けの後に、《あの時は――雪崩(なだれ)の危険期が過ぎて、新緑の登山季節に入った頃だった》と回想され、ふたたび一行空けで現在に回帰するが、《「君はあの時、ああ言ってたけれども、あれはやっぱり嘘(うそ)だよ。そうでなければ、誰が年の暮にこんな寒いところへ来るものか。後でも笑やしなかったよ。」》と繰り返されるが、「ああ言ってたけれども」と「あれはやっぱり嘘(うそ)だよ」の「ああ」も「あれは」も、はっきりと説明されない空白として残され、読者はただあれこれ想像してみるばかり(「私はなんにも惜しいものはないのよ」「私はそういう女じゃないの」「きっと長続きしないって、あんた自分で言ったじゃないの」「私が悪いんじゃないわよ」のどれだろうか……)。

 

 最後に、『存在と時間』をめぐるレヴィナスの講義に戻ろう。

《死という現象のうちに終末や虚無化を読み取らないことなどできるわけはありません。ですが、死はなんらかの無機物や生体の破壊と同じものではありません。それは石の風化や水の蒸発と同じものではありません。これらの例においては、形態の破壊後に必ず物質が残存しますし、また、そこでは破壊の以前と以後が破壊と同じ時間の線に、同じ現れに、同じ世界に属しているからです。死という終末はある形式ないし機構の破壊と同じものでしょうか。それとも、人間の死においては、私たちは意味のある過剰ないし欠如ゆえに不安をおぼえるのでしょうか。人間の死を起点とすることで、おそらく生体のあらゆる死が理解されるのです(ここでもまた、虚無化に対する意味の過剰ないし欠如があることになろう)。

 ここにいう終末はつねに曖昧なものです。一方では、それは帰ることなき出発、死去である。が、それはまた(「彼が死ぬことなどありえようか」という言葉からもわかるように)応答がないことゆえの、その死に対する私の責任ゆえの困惑でもあります。彼の出発に際して、私は彼になんらかの受入れ先を与えることができないからです。それはいわば否定とは異なるものとして排除されたもの――排除された第三項(いかなる点においても、それはめざすべき世界ではない)として存在と虚無の矛盾をまさに排するものです。ここにおいて問いが出来するのですが、この問いは存在の諸様態から引き出されることのまったくない答えなき問いの最たるものであり、どんな問いもこの問いに疑問としてのその様態を借りているのです。

 そこに踏みとどまらなければならない。問題として立てられることなきこの問いに、理に反する逆説的なこの問いに、思考によって耐えなければならないのです。死ならびに時間について語るためには、この問いにこだわりつづけなければなりません。かの逆説が生じる場所で、その逆説のありとあらゆる意味を、それも彼岸についてのいかなる教えにも立脚することなき意味を記述しなければならないのです。

 有限なものは自分のうちから無限を引き出すことはできません、しかし、有限なものは無限を思考しなければなりません。》

 ここにはハイデガーを批判的に乗り越えて存在の彼方へと向う声も木霊している。

 

『雪国』はこのように終る。

《水を浴びて黒い焼屑(やけくず)が落ち散らばったなかに、駒子は芸者の長い裾を曳(ひ)いてよろけた。葉子を胸に抱えて戻(もど)ろうとした。その必死に踏ん張った顔の下に、葉子の昇天しそうにうつろな顔が垂れていた。駒子は自分の犠牲か刑罰かを抱いているように見えた。

 人垣が口々に声をあげて崩れ出し、どっと二人を取りかこんだ。

「どいて、どいて頂戴。」

 駒子の叫びが島村に聞えた。

「この子、気がちがうわ。気がちがうわ。」

 そう言う声が物狂わしい駒子に島村は近づこうとして、葉子を駒子から抱き取ろうとする男達に押されてよろめいた。踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった。》

「徒労」ではあろう。しかし小説『雪国』の結末での駒子の行動には、死の不安や虚無に耐える姿がある。問いに答えている。一方で、「男達に押されてよろめいた」島村は、この雪国という温泉町においては勿論のこと、死にかかわることにおいてさえ他所者なのだった。「さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」あとの三人に何が起こったのかを、見ている私を見る川端康成は空白の鏡として残した。

 

 言葉の余白で綴られた『雪国』の「あはれ」な官能の底に天の河のように横たわる終りへ、読みの人差指が届いて濡れることを、有限ゆえに無限を思考することを、不安と虚無に耐えて死にこだわりつづけた小説家は求めている。

                                 (了)

      *****引用または参考文献*****

川端康成『雪国』(新潮文庫

*『川端康成全集第10巻』(『雪国』所収)(新潮社)

*『川端康成全集第24巻』(『雪国(プレオリジナル)』:『夕景色の鏡』『白い朝の鏡』『物語』『徒労』『萱の花』『火の枕』『手毬歌』『雪中火事』『天の河』『雪国抄』『続雪国』『雪国抄』所収)(新潮社)

*『川端康成全集第34巻』(『島木健作追悼』所収)(新潮社)

*『川端康成全集第2巻』(『十六歳の日記』所収)(新潮社)

ハイデガー存在と時間』原佑、渡邊二郎訳(『世界の名著』)(中央公論社

ハイデガー存在と時間熊野純彦訳(岩波文庫

内田樹『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(文春文庫)

レヴィナス『神・死・時間』合田正人訳(法政大学出版局

三島由紀夫『絹と明察』(新潮文庫

松浦寿輝物質と記憶』(『見ることの閉塞 川端康成』所収)(思潮社

*『ちくま日本文学全集 川端康成』(解説 須賀敦子『小説のはじまるところ』)(筑摩書房

ラカン精神分析の四基本概念』小出浩之、新宮一成、他訳(岩波書店

メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』滝浦静雄木田元訳(みすず書房

ボルヘス『伝奇集』(『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』所収)篠田一士訳(筑摩書房

*鈴木牧之『北越雪譜』(岩波文庫

*ヴェレリー『ドガに就て』吉田健一訳(筑摩書房

*『三島由紀夫全集29』(『永遠の旅人――川端康成氏の人と作品』所収)(新潮社)

和辻哲郎『風土』(岩波書店