文学批評 「向田邦子の『思い出トランプ』」

  「向田邦子の『思い出トランプ』」

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 向田邦子は無類の猫好きだった。早すぎた晩年のポートレートはいつも猫と一緒だ。けれども、向田はドラマや小説に犬は登場させても、猫はまずなかった。さすがに2、3のエッセイには、たとえば『猫自慢』というようなあまりにも素直な心情が書き残されていて、《恐ろしくカンが鋭くて視線ひとつで、こちらの心理の先廻りをするかと思うと、まぎれもなく野獣だな、と思い知らされたりもする。甘えあって暮しながら、油断は出来ない、その兼ねあいが面白い。》とは、自身のこと、あるいは自身の作品のことではないのか、と穿ってもみたくなる。もっとも大事なことは(そして、「いや」なことも)絶対に口にしない、書かない、という向田の「倫理と美」の兼ねあいにこそ、ずっと私たちは惹きつけられているのではないのか。

 

《「小説新潮」五十五年二月号から五十六年二月号にかけて掲載した十三篇を収めました。上梓にあたり順番は題名に因んで十三枚のカードをシャッフルしてあります。「綿ごみ」は「耳」と改題しました。 著者》

と奥付にひっそり添えられている。

 二十枚ほどの短編十三からなる、昭和55年12月の向田邦子初の小説集の題名は『思い出トランプ』(新潮社刊)で、単行本の掲載順は次のとおりである(カッコ内は「小説新潮」初出年月)。

かわうそ』(昭和55年5月号)、『だらだら坂』(昭和55年8月号)、『はめ殺し窓』(昭和55年12月号)、『三枚肉』(昭和55年11月号)、『マンハッタン』(昭和55年10月号)、『犬小屋』(昭和55年6月号)、『男眉』(昭和55年3月号)、『大根の月』(昭和55年7月号)、『りんごの皮』(昭和55年2月号)、『酸っぱい家族』(昭和55年9月号)、『耳』(昭和56年1月号)、『花の名前』(昭和55年4月号)、『ダウト』(昭和56年2月号)(第83回直木賞(昭和55年上期)は、もう少し待とう、という選考委員の声を押し切っての、『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』を対象とした受賞となったが、翌56年8月、台湾旅行中の航空機事故で、五十七歳にして帰らぬ人となる)。

 すぐ気づくように、『ダウト』というトランプ・ゲームの名前はあっても、『思い出トランプ』というそのものずばりの題名をもつ小説はない。『思い出トランプ』という名を、単行本化にあたって後から思いついたのか、掲載当初から意識していたのか知るよしもないが、その題名は向田邦子の小説の本質をよく表している。

 第一に、「思い出」とは「思い出す」こと、「回想」、記憶という「時間」イメージである。それは間(ま)(ときには隙間、瞬間)であったり、何も起きない時間や見えないひびであったり、あるいは何も起させないがための「沈黙」であったりするが、よりよく生きたいという向田文学の「倫理と美」の世界に読者を運ぶ。

 第二に、「トランプ」とは何人かが集って興じるゲームであるが、そこには否が応でも「関係性」が生じる。家族(父、母、娘、兄弟姉妹、祖母)、友、恋人、愛人などとの、表と裏、相似、秘密と嘘のアイロニカルな関係の場である。たとえ一人でするトランプ占いにしても、脳裏には自分もしくは誰かの占い相手が存在する。カードという「もの」(小道具)とゲーム進行のための「言葉」を介して、参加した人数分の物語が並列的シークエンスで浮き沈みするが、黙し、騙しあう駆け引き、ぽっかりとした亀裂があっても、ゲームであるから心底憎みきることはできないし、なにより楽しい。

 向田作品は、「食べる」「似る」「匂う」「黙る」「住む」「着る」「名づける」「友が来る」「感づく」「鏡を見る」「音をたてる」などの表象をもつが、特徴的なのは「思い出す」ときにもそれらに収斂して戯れることだろう。

 小説を書きはじめるまで脚本家、シナリオライターであったうえに、それ以前は映画雑誌「映画ストーリー」の編集部で働いていたこともあって、映画(主としてアメリカ映画)を見つくしていたから、すぐれて映像イメージ、音声イメージを喚起する文章を書いた。登場する、地方でも下町でもない東京山の手の中産階級、サラリーマン世帯という新興の時代背景と家族構成による「日常茶飯時」は、いわゆる小津調の映画が昭和24年の『晩春』から、六十歳で遺作となってしまった昭和37年の『秋刀魚の味』までで、いっぽうの向田の小説は昭和55年から56年に書かれたものという時間的差異があるにも関わらず、向田に小津の正統な継承者を感じることを禁じ得ない。

『思い出トランプ』から、小津安二郎と同じく「反復とずれ」の人だった向田邦子の特徴を余すところなく伝え、そのもっとも優れた達成となった『はめ殺し窓』を読む。小津安二郎に似ているということは少しも非難されることでないのは勿論であるから、小津を光記号と音記号の創始者としてとりあげたジル・ドゥルーズ『シネマ』の「時間イメージ」を補助線に、「食べる」「似る」「匂う」「黙る」というテーマにも触れつつ読み進める。

 

『はめ殺し窓』 

(1)

《家にも貌(かお)があり年とともに老けるものだということを、江口は知らなかった。気がついたのは、この秋の臨時異動で閑な部署に廻されてからである。

 ほとんど連日だった夜のつきあいが急に無くなり、暮れ切れない夕方の光のなかで自分の家を見ることが出来るようになった。

 家はくたびれていた。

 鉄平石(てっぺいせき)の門もモルタルの壁も、白く粉(こ)を吹いていた。能筆が自慢の重役が贈ってくれた大きな表札は、雨風に晒(さら)されささくれて、履き古しの下駄に見えた。

 この家を手に入れた十五年前は江口を気に入り引き立ててくれたが、使うだけ使うと、それこそ弊履(へいり)のように閑職に廻したのである。

 五十坪の借地に二十五坪の上物(うわもの)という小ぢんまりした住まいには不似合いな、立派すぎる表札に応えるために、江口は無理をして門の横に松を植えたが、その松も緑よりも茶色の枯れが目立ってきている。

 仕事が盛んなときは、朝はそれこそ鉄砲玉のように飛び出し、夜は送りのハイヤーで門まで横付けだったし、日曜はゴルフかくたびれて寝ているかのどちらかだったから、自分の家をしげしげと眺めることはなかった。家の貌はそのまま江口のくたびれた貌に違いなかった。

 門の横の郵便受に夕刊が差し込まれたままになっている。前はこうではなかった。

 女房の美津子は、気の利(き)くほうではなかったが、こういうことはまめで、夕刊がくるとすぐ取りに出た。食卓のそばに老眼鏡を副(そ)えて置いてあった。

 会社だけでなく、家でまで下に見られているようで腹が立つ。手荒いしぐさで夕刊を引き抜こうとして、ふと二階の窓に気がついた。

はめ殺しになった小さいガラス窓から、母親のタカが覗いている。一瞬そう思ったが、五年前に死んだタカである筈はなく、よそへかたづいた一人娘の律子であった。

 帰ってきた父親を見つけ、おどけて挙手の礼をしている。いささかだらしのない敬礼である。江口は終戦直後、進駐軍とふざけながらアメリカ式の敬礼をしていたパンパンと呼ばれる女たちを見たことがあるのを思い出した。

似ている。

 ぼんやりした薄い眉も、涙ぐんでいるような目も、涙堂(るいどう)と呼ばれる目の下の豊かなふくらみも、小さく「あ」と言っているような唇も、すべてそっくりである。これで束髪にしたら若いときのタカに生き写しである。

 一番似て欲しくない人間に、ますます似て来た。玄関へ入りながら、江口は嫌な予感がした。律子はタカと同じことをしたのではないのか。それで実家へ戻って来たのではないのか。》

 

 ドゥルーズの早すぎた晩年の代表作で、著者のそれまでの思想が注ぎ込まれた映画・イメージ論『シネマ』、その『シネマ1 運動イメージ』に続く『シネマ2 時間イメージ』の第一章「運動イメージを超えて」には次のような文章がある(以下、『シネマ』からの引用はイタリック)。

《初期から何人かのアメリカの監督たちから影響を受けているとはいえ、小津安二郎は、最初に日本的な文脈で、純粋に光学的かつ音声的状況を展開する作品を作り出した(しかし彼がトーキー映画を手がけるのはかなり遅くなってから、一九三六年である)。ヨーロッパの人々は小津を模倣したのではなく、彼ら独自のやり方で小津に合流したのである。それでもやはり彼は光記号と音記号の創始者である。彼の作品は、列車での旅行、タクシーでの移動、バスでの遠出、自転車あるいは徒歩での行程、地方から東京への老夫婦の往復、娘と母の最後の休暇、ある老人の逃避行というふうに、一つの散策(物語詩)(バラード)の形態をとる。しかしその対象とは日本の家屋の中の家族生活として把握された日常茶飯事である。カメラの運動はだんだんまれになる。トラヴェリングはゆるやかで低い「運動のブロック」であり、いつも低いところにあるカメラは非常にしばしば固定され、正面をむき、または角度が一定で、フェードではなくて簡潔なカット(・・・)が用いられる。》

 ここには向田文学を読み解く鍵がある。「その対象とは日本の家屋の中の家族生活として把握された日常茶飯事」とは向田の小説の場面のほとんどすべてだ。たしか向田自身がある対談で、TVドラマでは景色のカットや外でのロケがあると予算がかさむので、小説を書いていてもその癖から金のかからない家屋の中ばかりになる、というような主旨のことを話していて、なかば諧謔であるにしても、向田が喚起したかった映像は、自然の中での動き、運動よりも、「住む」家屋に注がれる夕方の「光」や、「鉄平石(てっぺいせき)の門」「モルタルの壁」「表札」「郵便受の夕刊」「食卓の側の老眼鏡」そして「はめ殺しになった小さいガラス窓」といった対象としての「もの」たちへの「簡潔なカット」、静かな視線なのである。

 

(2)

《「蚤(のみ)の夫婦」

 中学の入学祝いに字引きを買ってもらったとき、江口はこのことばを引いた覚えがある。

 雄の蚤は雌より体が小さいと書いてあるのをたしかめ、やっぱり本当なんだなあと感心して、それから妙に気落ちしてしまった。

 両親がこう呼ばれていたのを、子供のときから耳にしていたからである。

 父親は痩(や)せて貧相だった。

 母親のタカは、高く結い上げた束髪の分だけ背があり、たっぷりしていた。

 ふたりの婚礼の写真は嫌な色に変色して残っているが、口の悪い親戚が、「荒神箒(こうじんぼうき)と米俵」と言って笑ったそうだ。

 裾の開いた皺(しわ)だらけの袴をはいて頼りなげに立っている父は、白無垢に角かくしの花嫁に寄りかかっているように見える。

 竃(へっつい)を浄める荒神箒は、いつも台所の隅の柱にぶら下って、戸のあけ立てのたびに所在なげに揺れていた。

父親は弱虫だった。

 出掛けたとき、大きい荷物を持つのは母親のタカだった。夜に入って、風が出て寒くなったりすると、タカは自分の襟巻をはずして、夫の首に巻いていた。

 父親は夏は必ず腹をこわし、冬はいつも風邪をひいていた。勤めから帰ると、寝る前に吸入をした。こたつの上に吸入器をのせる。いきなり熱い湯気が出るとおっかないというので、先に母が口をあけ、湯気の熱さをたしかめてから、父親の首のまわりに湯上りタオルを巻き用意を整える。大きく口をあき、湯気を吸い込んでいる父の口のまわりは、蒸気の白い露がくっついて、貧相な顔はますます情けなく見えた。

 父親は寒がりで、母のタカは暑がりであった。冬でもタカは、足がほてると言って布団から足の先を出して眠っていた。

 夜中に水を飲みに台所へゆくと、翌朝の味噌汁に使う浅蜊(あさり)が桶の中で鳴いていた。貝を少し開いて、あれはどこの部分なのだろう、白い管の先を覗かせているのがあった。茶色の布団からのぞいたタカの足は、あれに似ていた。物音におどろくのか、ピュッと水を吐くのもあった。砂を吐かせるのに金気(かなけ)がいいのか、錆(さ)びた出刃包丁が水の中に突っ込まれていることもあった。

 水の中の貝も出刃包丁も、布団から出ている母の足も、いつも江口はドキンとしながら見ていた。

父はその反対でラクダの股引きをはいたまま眠っていることが多かった。

 母はよく水を飲んだ。生水が好きで、大きなコップに溢(あふ)れるほどのを、咽喉をのけぞらせて、音を立てて飲んでいた。

 父は生水は腹下しをするといって、湯ざましを作らせ、猪口(ちょこ)のように小さな湯呑みで飲んでいた。それも滅多に飲まなかった。

 母はいつも髪の生えぎわに汗を掻いていたが、父は寝汗ぐらいしか汗を掻かなかった。

 江口は子供心に、どうしてこんなに違うのが夫婦になったのだろうと思ったことがある。

「いろいろ混ぜたほうがいいんだろ」

 タカは笑いながら、

「混ぜないと、丈夫な子が生まれないからね」

 と言ったが、あれは母と一緒に足利へ行った前だったのかあとだったのだろうか。

 足利は、タカの実家である。タカは大きな紺屋(こうや)の娘だった。》

 

「はめ殺し窓」、「大きな表札」、「荒神箒(こうじんぼうき)」、「吸入器」、「錆(さ)びた出刃包丁」、「布団から出ている母の足」、「大きなコップ」。このさきに登場する「大きな籐のバスケット」、「ブランコの赤い人絹の花柄の箱」、「ねずみ色や紺の色見本をつなぎ合わせた布団」、「デパートの包装紙に包んだネクタイ」。

 第一章「運動イメージを超えて」には、小津の「もの」が「時間イメージ」で果す役割への考察がある。

《『晩春』の壺は、娘のおぼろげな微笑とこみあげる涙の間に挿入される。そこには生成、変化、移行がある。しかし変化するものの形態のほうは変化せず、過ぎ去ることもない。それは時間であり、時間そのものであり、「純粋状態の少々の時間」である。つまり直接的な時間イメージであって、それが変化するものに不動の形態を与え、この形態において変化は生じるのである。》

静物とは時間である。なぜなら変化するもののすべては時間の中にあるが、時間そのものは変化せず、時間は別の永遠の時間においてしか変化することがないだろうから。映画のイメージが最も親密に写真に対面するとき、それはまた最も根本的に写真と区別される。小津の静物は持続し、十秒間の壺として持続をそなえている。この壺の持続はまさに、変化する状態の継起を通じてとどまるものの表現である。一つの自転車もまた壁ぎわにおかれ、不動のまま静止し、とどまっているならば、持続することができる。つまり動くものの不動の形態を表象することができる(『浮草物語』)。自転車、壺、様々な静物は、時間の純粋な直接的イメージである。それぞれがそのたびに、時間において変化するものの何らかの条件において時間である。時間とは充溢であり、変化でみたされた不変の形態である。時間とは「正しさにおいて出来事の視覚的な貯蔵庫」である。》

 向田邦子は「細部に異常な興味をもち、人の虚をつく才能があった」(田辺聖子)が、「もの」は持続する「時間」そのもの、永遠の相をそなえた「出来事の視覚的な貯蔵庫」という回想の底で生き続ける。

 

『はめ殺し窓』には、たまたま「匂う」という言葉も直截な表現もないが、向田がよく舞台にした「住まい」の匂い、もっとも身近な父と母という「男と女」の匂い、「台所」の匂いが、不道徳なまでの臭気を発している。

 なにしろ『酸っぱい家族』はまるごと酸っぱい匂いにまつわる哀しい話であり、他の作品でも、何かを思い出すとき、あからさまに「匂い」が記憶と手を携えてやってくる、まるでプルースト失われた時を求めて』のように。

『三枚肉』では、

かつて半沢の不倫相手だった部下の女性の結婚式に夫婦して出席した夜、珍しく家に訪ねて来た大学時代の友達多門は、「にっちもさっちもゆかなくなって、面倒くさいから死んじまうか、と思ったことがあったんだ」と二十五年前の八方ふさがりの時期について語りだす。ガス栓をひねれば楽になれると思ったとき、半沢に本を借りっぱなしになっていたと気づき、本を抱えて三軒茶屋の半沢のところまで返しに行った。《東京の街はまだ暗かった。焼けあともまだ残っていた。焼け残った庇(ひさし)の低い家のなかから、赤んぼうの泣き声が聞えた。内風呂の湯を落としたのか、湯垢(ゆあか)のまじった人恋しい湯気が、ドブ板の間から立ちのぼった。「あの匂いに敗けたようなもんだ。ありゃこたえた……」 死ぬのが馬鹿馬鹿しくなってきたんだ、と多門はひとごとみたいな口振りで言うと、薄くなった半沢のグラスにウィスキーをつぎ足した。》 そうして、台所から三枚肉の煮物をあたためる匂いが流れてくる。

『犬小屋』では、

魚屋「魚富」の若い衆カッちゃんが達子の実家に入りびたるようになったのは、達子がまだ短大へ通っていた時分で、十年に近い昔のことになる。飼っていた秋田犬の影虎が、ひょんなことからカッちゃんがよこした魚の腹の河豚で死にそこねる騒ぎをきっかけに、カッちゃんは三日にあげず白身の魚を持ってきては影虎に食べさせていた。カッちゃんが大きな犬小屋を作った晩に、はじめて家に上り、父と母と達子と一緒にすき焼きを食べ、よくしゃべった。カッちゃんはごく当り前といった感じで、台所から上ってきて、大きなズン銅鍋に持ってきた魚を入れ、うち中に生ぐさい匂いがただよった。着換えを取りに帰った兄が、顔を舐めようとする犬を、手で押さえ顔をそむけながら、「魚くさくなったぞ」と呟いた。父と母が親戚の婚礼に招ばれて泊りがけで出掛けた夜、からだにまつわりつく魚の匂いを落すようにシャワーを浴びて、ワインを飲み、うたた寝をしていたらしい。《影虎に飛びつかれて目が覚めた。「どうしてお前、茶の間に上ってきたの」 夢うつつで、犬を押しのけ、口のまわりの熱い舌を手で払いながら、「魚くさいのよ、お前は」 言いかけて気がついた。 犬ではなく、カッちゃんだった。》 その夜、カッちゃんは睡眠薬で自殺を計り、犬小屋にもぐりこんで寝ていた。

『りんごの皮』では、

あれは戦争が終って何年目のことだったのか、一晩だけ社宅の留守番をしろと父に言いつけられた大学一年の時子は高校二年の弟菊男と、電気の来ない空家で空腹と寒さで寝つけずにいる。細目にあけた襖(ふすま)の向うで、黒い塊が動いているような気がする。「あんた、マッチ持ってないの」「持ってるわけないだろ」 声を出してみて、時子の声は、いつもの声ではなく、すこしかすれ、菊男も、男の、大人の声になっていて、闇の中で聞く声は、父にそっくりだった。《長い沈黙があり、それから匂いに気がついた。ポマードとたばこの脂(やに)をまぜたような、床屋で首に巻いてくれる白い布の、首のあたりから発する匂いだった。洗濯を怠けた靴下の匂いだった。インク消しのような匂いもまじっていた。空気が葛(くず)のように重たくなってくる。》 それから、玄関の戸をあけた菊男は、闇屋からりんごをふたつもらい、ひとつを姉にほうってよこした。隣の四畳半に引き上げた菊男の、りんごをかじる音が大きく聞え、甘酸っぱい香りが流れてくる。

『耳』では、

日向(ひなた)臭い水枕のゴムの匂いを嗅いでいると、小学生のときの、咽喉の薬だというので金柑を氷砂糖で煮る甘酸っぱい匂いがうち中に漂い、母親が自分の頬を幼い楠の額にくっつけると、魚の匂いと椿油の匂いが鼻をくすぐった。

 

(3)

《「健一は一緒じゃないのか」

 律子の靴の隣りに、当然孫の健一の小さな靴があるとばかり思っていたが、靴は一足だった。

 出迎えに出た女房の美津子は、小さく首を振り、指を一本立ててみせた。

「律子ひとりですよ」

 ということらしい。

もともと口数の多いほうではないが、固い感じの首の振り方といい、二階に気を兼ねたしぐさといい、やっぱり、という気がする。

「なんかあったのか」

 美津子は、また指を唇へ当てた。

「あとで」

 追いかけるように、

「あなたからは何も言わないで下さいな」

 囁いたところへ、足音も賑やかに律子が二階から下りてきた。

「真面目に速く帰ってくるじゃないの」

「庶務に移ってからは毎日こうよ。ねえ」

 勤めたことのない女は残酷である。一番言ってもらいたくないことを、はっきりと口に出す。

「じゃあ、暮に風呂敷を持って来ても駄目かな」

 営業部長をしていた頃、床の間が山になるほど来ていたお歳暮のことを言っているのである。

「今年からは紙袋だな」

 冗談でごまかしながら、江口は茶の間の隅に、見覚えのある律子のボストン・バッグが置いてあるのを見つけた。やはり泊るつもりで来ているのだ。

 女二人は台所へ入って、喋りながら支度をしている。

 あのときは、たしか籐(とう)で編んだ大きなバスケットだった。

 木枯しのきつい冬の晩がただった。大きな籐のバスケットを持ち、臙脂のビロードのショールで顔をかくすようにしたタカに手を引かれて、江口は汽車だか電車だかに乗っている。足利に向ったのだから東武電車かも知れない。

「どうしてお父さんはいかないの」

 江口は五つか六つだったが、こう聞いてはいけないと判っていた。

 トクさんのせいだ、ということも見当がついた。

 トクさんというのは、父の会社の給仕である。苦学生で、夜学へ通っていたらしい。無口だが大柄な男で、角力(すもう)をとらせたら会社で敵(かな)うものはないということだった。腕っぷしの強さを買われて、大掃除や庭掃除、棚吊りや煙突掃除というとうちへやって来て、タカの手伝いをさせられていた。

 時分どきになると、縁側に腰かけて、大きなアルミニュウムの弁当箱をひろげていた。うしろで茶をついでいた母のタカが、ひょいと手を出し、トクさんの弁当のお菜(かず)をつまんで口に入れたのを見たことがある。妙にドキンとした。

 籐と木で出来た箱のようになったブランコで、鴨居にぶら下げて使う子供用である。

 両脇と背もたれのところに、赤い花柄の人絹が貼ってあった。女の子みたいで嫌だったが、父親に似てなにかというと風邪を引く江口は、滅多に外へ出してもらえなかった。ブランコはよくトクさんが揺らしてくれていた。トクさんだと、父や母よりも大きく強く揺するので、幼い江口は気に入っていた。

 トクさんが来ているのに、ブランコを揺すってくれないことがあった。何をしているのか、トクさんは母と一緒に奥の座敷に入ってしまい、江口は茶の間にポツンと取り残されていた。

 ブランコがとまっても出てこない。

 江口はブランコを下りて、ひとりで揺すった。赤い人絹の花柄の箱だけが、くすんだ座敷のなかで、揺れていた。

 母に手を引かれて足利へ行ったのは、すぐそのあとだったような気がする。

 足利で江口は疫痢(えきり)になった。

 紺屋の布団は、敷きも掛けも、ねずみ色や紺の色見本をつなぎ合わせた不思議な代物だった。

 夜中に目がさめたら、東京から父が駆けつけたところだった。父はいきなり躍り上がるようにして母の頬を殴った。

 次に目を覚ましたのも、やはり夜中だったような気がする。父は母の前で畳に手をついて頭を下げていた。

 それからあとのことは記憶にないのだが、覚えているのは給仕のトクさんが、それっきり姿を見せなくなったことである。》

 

《「どうしてお父さんはいかないの」 江口は五つか六つだったが、こう聞いてはいけないと判っていた。 トクさんのせいだ、ということも見当がついた。》というように、向田文学には、聞くことを無意識に避ける「沈黙」の時間が不意に訪れる。感づいて、聞くことの結果を避け、言葉への救済にすがらず「黙る」のだが、そこにはある種の罪と悪が、魅力的でニヒルな怖ろしさと同時に密かな至福が存在する。

また、「何も起きない時間」は、《ブランコがとまっても出てこない。 江口はブランコを下りて、ひとりで揺すった。赤い人絹の花柄の箱だけが、くすんだ座敷のなかで、揺れていた。》というような、人生における無邪気で残酷な「刹那」でもあった。

 第一章「運動イメージを超えて」には、

《明らかにこの方法は、何も起きない時間という問題を最初から投げかけ、映画の進行につれてそれを増殖させることになる。確かに映画が進むにつれて、何も起きない時間は、もはや単にそれ自体で価値あるものではなくなり、ある重要な何かの効果を集積するように思われる。つまりショットとせりふはこうして沈黙によって、かなり長い空白によって引き延ばされる。》

とある。

 小津の映画における「沈黙」と同じように、向田作品においても「沈黙」や「何も起きない時間」が「ある重要な何かの効果を集積する」。向田の脚本は地の文による説明が少ない。それと同じように、向田は小説においても説明が少ないうえに、会話(台詞)でもすべては語らない。「ショットとせりふはこうして沈黙によって、かなり長い空白によって引き延ばされる」を小説の言葉に表現した。

かわうそ』では、

宅次は、ひとり娘が急性肺炎のために三つで死んだとき、厚子が竹沢医院に往診の電話を翌日までしなかったと、のちに看護婦から聞くが、厚子の頬を思い切り殴ってやると思ったのに、黙って玄関に入り、殴らなかった。

『だらだら坂』では、

崔承喜(さいしょうき)という朝鮮の舞姫の踊りを見にいった庄治は、父親が口を半分あけて手を叩き続ける横顔に、始めて見る男の顔を認め、このことは母親には言わないほうがいいと、子供心にもそのくらいの見当はついた。

『ダウト』では、

小学校二年か三年だった塩沢は、人格者といわれた父がキセル乗車をしてとがめられたことに気がついたが、母や弟妹たちに言ってはいけないことも判っていた。

 

(4)

《江口が見合いで美津子を決めたのは、母のタカと正反対だったからである。

「なんだか牛蒡(ごぼう)みたいなひとだねえ」

 見合いの帰りに、タカはそう言って、馬鹿にした笑い方をした。

 白くて大きくてしっとりしているタカにくらべれば、たしかに牛蒡だった。芯まで黒そうで、痩(や)せていた。自分は魅力がない女だ、とひけ目を持っているらしいところが気に入った。一緒に暮して面白味はないが、少くともこの女はオレを裏切ることだけはないだろう。美貌の妻を自慢しながら、一生嫉妬に苦しんだ父親の二の舞はしたくなかった。美津子は、「綺麗な奥さん」と呼ばれたことはなかったが、「地味な奥さん」「しっかりした奥さん」と言われた。江口は満足だった。

 二年目に女の子が生れた。律子である。

「おばあちゃん似ですね」

 と言われて、江口はあわてた。

 隔世遺伝というのは本当らしい。

 色が白く肥(ふと)り肉(じし)のところも、すぐ水を欲しがり汗っかきなところも、タカにそっくりだった。

 あれは律子が三つのときだったろうか。

 湯上りの江口が茶の間に入ってゆくと、律子がテレビに顔をくっつけている。

「そんなもの、なめるんじゃない」

 言いかけてドキンとした。

 律子は画面にうつった男の俳優にキスをしていたのだ。

 気がついたら、律子は畳に転がり激しい泣き声を立てていた。驚いて止めに入った美津子を突き飛ばして、江口はもう二つ三つ殴りつけた。

 美津子に、母親の恥を話したのは、その晩だったような気がする。

 年頃になって、律子はますますタカに似て来た。「綺麗なお嬢さん」と呼ばれるたびに、江口は嬉しさと苦さを半分ずつ味わった。律子の化粧の濃いとき、派手な色の服をつくったとき、男友達から電話があったとき、江口は露骨にムッとした顔になった。

 成人式のすぐあと、律子の結婚が決ったとき、一番ほっとしたのは母親の美津子より江口だった。婿がかなりの美丈夫だったことも安心の原因だった。これなら大丈夫だ。

 タカが死んだのは、結婚式の日取りが決った頃である。》

 

《二年目に女の子が生れた。律子である。「おばあちゃん似ですね」と言われて、江口はあわてた。隔世遺伝というのは本当らしい。色が白く肥(ふと)り肉(じし)のところも、すぐ水を欲しがり汗っかきなところも、タカにそっくりだった。》

「似る」とは、時間の中での再現、再認である。外見ばかりでなく、むしろ内面的なものが「似る」ことへの、怖れと恍惚、血筋というやるせなさがある。

『だらだら坂』では、

中小企業の社長の庄治は、もとは麻布と呼ばれた屋敷町のゆるやかな坂の途中に立つマンションに、はたちで色が白いだけが取柄のずどんとした大きな体のトミ子を囲っている。坂の下の煙草屋の鏡に、死んだ父親そっくりの自分の顔をみつける。年をとると枯れて萎(しぼ)む血筋らしく、また一段と鼠に似てきた。あれは小学校五年生のときだった。叩き大工をしていた父親に連れられて、崔承喜(さいしょうき)という朝鮮の舞姫の踊りを見にいったことがあった。見馴れない色の民俗衣裳をひるがえし、白い大柄な肌が汗で光っていた。庄治は、隣りの父親が誰よりも激しく手を叩いているのにびっくりした。日頃は気性の強い母親に言い負かされ、道楽といえば縁台将棋の父親の、口を半分あけて手を叩き続ける横顔は、始めて見る男の顔であった。このことは母親には言わないほうがいい。子供心にもそのくらいの見当はついた。鏡にうつっているのは、娘ほど年の違う女に逢いにゆく顔、あのときの父親の顔である。崔承喜も、ずどんとした白い大きな体をしていたような気がする。

『マンハッタン』では、

妻の杉子に逃げられて職探し中の睦夫は、十一時半になるのを待って、サンダルを突っかけ、近所の陽来軒へ行き、いつも固い焼きそばを注文する。堅い焼きそばは口の天井に突き刺さって食べにくいが、自分をいじめているようで気持がいい。「マンハッタン」というスナックの新規開店に自分でもわからずに入れ込んだあげくに、淡い夢が潰えた夜、誰かがドアをノックしている。入ったが最後、ソファに坐り、日がな一日テレビを見て、昼には固い焼きそばを食べ――死んだ母親がよく言っていた。「お前のすることはお父さんそっくりだよ」 

『大根の月』では、

大根を切り損なったのを祖母に見つかると、母親ゆずりの手(て)脚気(がっけ)の血だ、と言われる。

『ダウト』では、

教育畑一筋に歩き、人格者といわれた父の病室で、塩沢は父の口許から立ち昇ってくる、はらわたの臭いが耐えがたかった。病院の売店に夕刊を買いに行って戻ると父は死に、匂いは嘘のようになくなっていた。葬式に、定職を持ったことがない従弟の乃武夫(のぶお)が、馬鹿でっかい寿司桶を届けさせてからやって来た。葬壇の前で夜伽(よとぎ)をしながら、塩沢は乃武夫をいたぶったが、塩沢は、作り声で上司を讒訴(ざんそ)する電話を、偶然に乃武夫に聞かれたのではないか、という黒い芽を摘めずにいた。小学校二年か三年の夏休み、珍しく奥多摩へ釣りに連れて行ってくれた帰り、暗い立川駅の改札で一時間ばかり待たされた。駅長室から出てきた父は、急に老けた顔になっていた。物もいわず先に立って改札を出ると、黙って鰻丼をおごってくれた。塩沢は、父がキセル乗車をしてとがめられたことに気がついていた。母や弟妹たちに言ってはいけないことも判っていた。だが、父は、塩沢が告げ口をしたのではないかと疑っていた節がある。気のせいか、父は、前ほど心をひらいて塩沢を可愛がってくれなくなった。葬壇に寄りかかって眠っている乃武夫は、あの讒訴の声を聞かなかったのか、聞いて、聞かぬふりをしていてくれたのか。人格者といわれた父にあの夜の汚点があった。死ぬ間際に父の吐いたはらわたの匂いは、そのまま俺の匂いだ。

 

(5)

《あっけない死にかただった。

 七年ばかり前に寝たり起きたりだった夫を見送り、タカは後家になっていたが、年より十は若くみえ、元気だった。

 買物に出た帰りにバスに乗り、終点についても動かないので車掌が揺り動かしたときは、息がなかった。心臓麻痺だった。

 買物袋のなかに、デパートの包装紙に包んだネクタイが一本入っていた。

 誰に贈るつまりだったのか。通夜の席でそのはなしが出た。

「律子のお婿さんにプレゼントするつもりだったんじゃないの。おばあちゃん、若くていい男が好きだったから」

 美津子が言い、居合わせた一同もそんなとこだろうと言いあったが、江口はそうではないと思った。

 タカは、いつでもトクさんが、トクさんのような男がいないといられなかったのではないか。

 あれはたしかトクさんが顔を出さなくなってからのことだと思うが、江口はタカが二階の窓から外を見ているのに気がついた。

 梯子段の上にあるはめ殺しになった小さいガラス窓に、体をおっつけるようにして、タカは長いこと立っていた。そこから覗くと、すぐ前の高等学校の運動場が見えるのである。

 タカは、高等学校の生徒が体操でもするところを覗いていたのではないか。上半身裸で体操をしているのを江口も見たことがあった。

 父親が屋根から落ちて怪我をしたのはそのあとである。父は腰骨をいため長いこと会社を休んでいたが、あれは、はめ殺しになったガラス窓の外側に、目かくしでもつけに屋根にのぼったためではないだろうか。

 父親も、タカの煙ったような眉の下の、まばたきをすると涙のこぼれそうなうるんだ目と、「ああ」と言っているような唇の形を、窓の向う側から見ていたに違いない。

 打った父親の腰は冬になると必ず痛み、ますますじじむさくなった。

 そんな光景が頭をよぎったこともあって、タカが持っていた、贈り先不明のネクタイは、形見にとっておいてあなたが使えばいいじゃありませんか、という美津子の意見を押し切って、母の棺に納め一緒に灰にした。》

 

 第三章「回想から夢へ――第三のベルクソン注釈」では、ベルクソンは二種類の「再認」を区別していて、再認のためのイメージには「感覚運動的なイメージ」と「光学的(音声的)なイメージ」があると論じている。

《感覚運動的なイメージは実際に事物から、われわれの関心をひくもの、あるいは人物の反応へと延長されるものしかとりあげない。したがってその豊かさは、見かけだけのものである。感覚運動的イメージが、一つの事物に、それに似た多くの他の事物を、同じ平面上で結びつけることから、その豊かさはきている。(中略)それとは逆に、純粋に光学的なイメージは描写でしかなく、もはや何も知らない人物、もはや状況に反応することのできない人物にかかわるとしても、このイメージの簡素さ、このイメージがとりあげるものの希薄さ、線や単なる点、「とるにたりない微細な断片」は、そのつど事物を本質的な特異性へといたらせ、たえず別の描写へとさしむけながら、くみつくしえぬものを描写するのである。したがって光学的イメージこそが、真に豊かで「典型的」なものなのである。》

「光学的イメージ」が何の役に立つかの答えを最初に与えたのは、『物質と記憶』を著わしたベルクソンで、「回想イメージ」に結びつく。

《注意深い再認における光学的(そして音声的)イメージは、運動へと延長されずに、このイメージが呼び覚ます「回想イメージ」と関係を結ぶのである。》

『はめ殺し窓』のこの場面は、「はめ殺し窓」と「母」と「父」とのリアルなイメージが、フラッシュ・バックのように無意識に重層化されて、ありふれた時間の日常の些細に闇が忍びこんでいる。

 

 小津においては「食べるもの」よりも「食べること」が重要で、何を食べているかはほとんど焦点化されない。向田の『はめ殺し窓』においては、《時分どきになると、縁側に腰かけて、大きなアルミニュウムの弁当箱をひろげていた。うしろで茶をついでいた母のタカが、ひょいと手を出し、トクさんの弁当のお菜(かず)をつまんで口に入れたのを見たことがある。妙にドキンとした。》というように、「食べるもの」の具体的な名前は明示されないけれども、「食べること」も「食べるもの」も等価なのは他の作品からわかる。しかもそれは、思い出ばかりでなく、うつつと区別がつきがたい「夢」のなかへも溢れるうえ、「食べものを作る」ことの愛(いと)おしい回想や、お茶目でいじわるな渾名(「牛蒡(ごぼう)みたいなひと」)や比喩にまでつながる。

かわうそ』では、

脳卒中の発作の予後にいる宅次。夏蜜柑のような胸をもった妻の厚子は赤いクリーム・ソーダを飲んでいる。ストローは縦にひび割れていたらしく、割れ目から、赤いソーダ水が溢れてきた。「よせ。吸うのはよせ」 今度血管から血が溢れたら、おれは一巻の終りだ。 叫ぼうとするのだが声が出ない、というところで揺り起された。 夢かうつつか。つなぎ目がはっきりしなくなっている。新婚の頃、デパートの食堂で、ソーダ水を飲んでいて、厚子のストローがひび割れて、いきなりソーダ水があふれてきたことがあったような気がするが、色は赤だったか青だったのか。》 宅次は、ひとり娘が急性肺炎のために三つで死んだとき、厚子が竹沢医院に往診の電話を翌日までしなかったと、だいぶたってから街で看護婦から知らされ、厚子の頬を思い切り殴ってやると思ったのに、黙って玄関に入り、殴らなかったことを思い出そうとするが、頭のうしろが、じじ、じじと鳴る。障子につかまりながら、台所へゆき、気がついたら包丁を握っていた。刺したいのは自分の胸なのか、厚子の夏蜜柑のような胸なのか判らなかった。「メロン、食べようと思ってさ」

『大根の月』では、

英子が別れた夫の秀一と一緒に昼の月を見たのは、結婚指輪を誂えに出掛けた帰り、数寄屋橋のそばにあるデパートを出たところで、白い透き通った半月形の月が浮んでいた。「あの月、大根みたいじゃない? 切り損なった薄切りの大根」 英子の祖母は、包丁さばきが自慢で、正月の支度はひとりで取りしきった。《膾(なます)にする千六本は、まず丸いままの大根を紙のように薄く切るのだが、これがむつかしい。やってごらんと菜切り包丁を持たされ、言われた通りの手つきで包丁を動かすのだが、分厚くなったり、切り損って薄切りの半月になってしまう。 祖母に見つかると、母親ゆずりの手(て)脚気(がっけ)の血だ、と言われる。母親のそしりを聞くのが子供心に嫌だったのであろう、英子は半月が出来るとあわてて口に入れたものだった。そのせいか、大人になってからも、大根を切っていて切り損いが出来ると、ひとりでに手が動いて食べてしまう癖がついた。》 長男の健太が生まれて六年後、お中元にもらったハムを薄く切っていたとき、怪獣のお面をかぶった健太が台所へ飛び込んできて、まな板の上に手を伸ばした。「危いでしょ」と言ったはずみに手許が狂って切り損い、ハムは半月型になって、ひとつながりの動作で半月を口に入れたところで、健太がまたふざけて手を伸ばしてきた、「危い!」と叫んだつもりが口の中に物が入って声にならず、弾みのついた包丁に固い手応えがあって、健太の人差し指の先が二センチほど、まな板の上にころがっていた。

 

(6)

《夕食は、いつもより皿数は賑やかだったが、江口の気持は弾まなかった。

 わだかまるものがあり、口を封じられていることもあるが、女房の美津子はそれを知っていて、わざと取りとめのないはなしをしている。そのことが面白くなかった。

 自分だけ知っている。それがささやかな母親の幸福であるらしい。ちょっとした秘密めかした目まぜや、わざと選んでいるらしい明るい話題も、江口の癇(かん)にさわった。

 いずれ判ることなら、勿体(もったい)ぶらずに言ったらどうだ。およその見当はついているんだ。そう言いたい気持を押えて夕食を終えた。

 食後の果物をむきかけて、美津子は急に胸を押え前かがみになった。胆石の持病があったから、大あわてにあわてることはなかったが、雨も降り出したことではあり、医師の往診はむつかしいのではないかと案じられた。

 ところが美津子は、体を海老のように曲げながら、かかりつけの医院の電話番号を言い、

「若先生にわたしからと言えば来てくださるから」

 と言う。

 若先生といっても、四十は過ぎていたが、ゴルフ灼けした恰幅のいい男だった。

 車からおりて、傘をささずに小走りで玄関に飛び込むと、案内も待たずに美津子の横になっている座敷へ大股に歩いていった。

 何度も来てよく知っているという足のさばきであり速さだった。

 診察で胸をひろげている間は、江口も律子も隣りの茶の間で坐っていた。痛みの説明をする美津子の声音に、江口は今まで聞いたことのない湿りと甘さを感じた。

 襖(ふすま)をあけて隣の部屋へ入ってゆきたいという小さな衝動を押えた。》

 

 第一章「運動イメージを超えて」には、小津の思考形態についての指摘がある。

《哲学者ライプニッツ(彼は中国哲学の存在に無知ではなかった)は、世界は通常の法則にしたがいながら、非常に規則的に構成され収束する系列からなっていることを証明した。ただ系列やシークエンスは、小さな部分においてのみ、動揺し攪乱された秩序において、われわれに姿を見せるので、われわれはあたかも異常なことのように、断絶や不均等性や不調和を考えるのである。(中略)系列の規則性や、宇宙の通常の連続性に混乱をもたらすのは人間である。生にとっての時間、死にとっての時間、母にとっての時間、娘にとっての時間があり、それらを人間たちがかき回し、無秩序の中に出現させ葛藤の中におく。これこそ小津の思考なのである。生は単純なのに、人間は「静かな水を揺さぶり」ながら、たえずそれを複雑にする(「秋日和」の三人の相棒のように)。(中略)小津には、溝口健二の場合のように決定的瞬間を結びつけ、死者と生者を結びつけるような宇宙の線は存在しない。黒澤明の場合のように根本的問題を包み込む息吹の空間、包括する存在もない。》

 夕食、医者、湿った甘い声。「生にとっての時間、死にとっての時間、母にとっての時間、娘にとっての時間があり、それらを人間たちがかき回し、無秩序の中に出現させ葛藤の中に」おかれた小さな世界が、人生の断面を切り取る冴えた目によって、「生は単純なのに、人間は「静かな水を揺さぶり」ながら、たえずそれを複雑にする」厚塗りの時間を持った人生が透けて見える。

 同時にいくつものことが炙り出されて、しかも複雑な感情が絡みあう「並列的シークエンス」がそこにある。

 凡庸で駄目な男、多面的な女、幸福と不幸の関係性といった感情の移ろいが、光と音のイメージに匂いが積み重なって、フラッシュ・バックのようなさりげない場面転換によって間接的に浮きあがってくる。

 いくつかの回想イメージと日常些事のガラクタのようなものと、「はめ殺し窓」、「弊履(へいり)」、「涙堂(るいどう)」、「荒神箒(こうじんぼうき)」、「金気(かねけ)」といったドキッとする言葉の網に絡め取られるという向田文学を読む恩寵の時間を私たちは握っている。

 

(7)

《その夜、江口はもうひとつ裏切られた。

 台所で水を飲んでいた律子が、やはり水を飲みに来た江口に、

「お父さんにも言っちゃおうかな」

 律子は、娘時代にもそうしたように、コップを水ですすぎ、二回振って雫を切ってもとへ戻しながら、

「彼、つきあってる女の人、いるらしいの」

 と言ったからである。

 江口は笑い出していた。

 ふ、ふと湯玉が上ってくるように笑いの玉がこみ上げて来て、大きな声で笑っていた。

「なにがおかしいのよ。笑いごとじゃないわ」

 律子は唇をとがらせていた。その横顔はタカよりも母親の美津子に似ていた。江口の笑いは体の中で尾を引いていた。

 律子には可哀そうだが、よかったと思った。これでいいんだ、そのほうが本当だ。父親の仇(かたき)を、婿が討ってくれたような気もした。

 それにしても、と江口は律子の置いたコップに水を受けながら、絶対に大丈夫と思っていた美津子にあの甘い声があり、勿論それ以上のことはないにしろ、自分の知らない女の部分があったことにおどろき、律子についての見当はずれに、改めて溜息をついた。

 記憶に残るタカについてのいくつかの景色のうち、どれとどれに重たい意味があったのか。江口は父親と同じように、自分もタカに惚れていたことに気がついた。

 二階のはめ殺し窓に目かくしをする代りに、とりあえず古くなったあの表札をはずして、下手でもいいから自分の字で書き直したものを掛けることにしよう。江口はゆっくりと水を飲んだ。》

 

 第四章「時間の結晶」はことさら重要である。

《唯一の主観性とは時間であり、根底でとらえられた、時系列的でない時間であり、われわれは時間の内部にいるのであって、その逆ではない、と。われわれが時間の中にあるということは、ありふれた考えのようだが、最も高度なパラドックスなのだ。時間はわれわれの内部ではなく、まさにその反対で、われわれのほうが時間の内部性のうちに存在し、活動し、生き、変化するのだ。》

 コップで水を飲むことは、大きなコップに溢(あふ)れるほどの水を、咽喉をのけぞらせて、音を立てて飲んでいたタカへの回想イメージによって伏線がさりげなく張られている。向田作品のさりげない伏線のあれこれは、読み手の記憶を幸福な気分で呼び覚ます。「われわれのほうが時間の内部性のうちに存在し、活動し、生き、変化するのだ。」

《記憶に残るタカについてのいくつかの景色のうち、どれとどれに重たい意味があったのか。江口は父親と同じように、自分もタカに惚れていたことに気がついた。》

 ドゥルーズが紹介するベルクソン的なフェリーニの言葉は、向田の言葉でもあろう。

フェリーニの次の言葉はベルクソン的である。「われわれは記憶において構成されている。われわれは幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に(・・・)存在している」。われわれが回想を探し求めるときに、何が起きているのだろうか。過去一般に身をおかなくてはならない。ついで、もろもろの領域の間で選択しなければならない。回想が、われわれを待ち構えたり避けたりしながら、身を隠し、身を潜めているのは、どの領域なのだろうか(あれは子供の頃の友達だろうか、それとも青春時代の友達だろうか、学校のときのか、それとも兵役のときのか……)。選ばれた領域へと飛躍しなくてはならない。》

 よりよく生きるために、「幼年期に、青年期に、老年期に、そして壮年期に同時に(・・・)存在している」回想を探し求め、「もろもろの領域の間で選択しなければなら」ず、「選ばれた領域へと飛躍しなくてはならない」ことに押しひしがれそうになる時、私たちには、向田邦子がはにかみながら配ってくれた『思い出トランプ』が掌のなかにあるではないか。

                                 (了)

         *****引用または参考文献*****

向田邦子『全集(新版)1 小説一 思い出トランプ』(文藝春秋

向田邦子『全集(新版)2~11、別巻一、二』(文藝春秋

向田邦子『思い出トランプ』(解説 水上勉「向田さんの芸」所収)(新潮文庫

太田光向田邦子の陽射し』(文藝春秋

川本三郎向田邦子と昭和の東京』(新潮社)

*Kawade夢ムック『総特集 向田邦子 脚本家と作家の間で』(河出書房新社

*クロワッサン『特別編集 向田邦子を旅する。』(マガジンハウス)

ジル・ドゥルーズ『シネマ1 運動イメージ』宇野邦一、他訳(法政大学出版局

ジル・ドゥルーズ『シネマ2 時間イメージ』宇野邦一、他訳(法政大学出版局

*アンリ・ベルクソン物質と記憶』(「新訳ベルクソン全集2」)竹内信夫訳(白水社

蓮實重彦『監督 小津安二郎[増補決定版]』(筑摩書房

吉田喜重小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫