子兎と一角獣のタピストリ(6)「魂をゆるがすベナレス」

    「魂をゆるがすベナレス」

 

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 北インド、ベナレス(ヴァラナシ)に行ったのは、その地名を知ってから三十四年めのことだった。

 三島由紀夫の輪廻転生と唯識をめぐる物語「豊饒の海」四部作の第二巻『暁の寺』に《ベナレスの魂をゆるがすような景観》とある。昭和四十二年にベナレスを訪れた三島は横尾忠則にこう語ったという。「インドヘ行く時期は運命の業が決める」

 私は『暁の寺』を昭和四十五年十一月の三島事件直後に読んだ。正直なところ事件よりもベナレスのほうが、さらには遺作として三カ月後に発行された第四巻『天人五衰』の聡子の言葉のほうがずっと衝撃だった――その言葉をわかりたくて京都の大学に進んだのかもしれない。

暁の寺』におけるベナレスヘの旅は、第一巻『春の雪』で友人松枝清顕と綾倉聡子の悲恋を、第二巻『奔馬』で勲(清顕の転生)の割腹を見届け、今またその生まれ変わりとおぼしきタイ王室の月光姫に出会った理智と法の人本多の眼(見る人三島の分身)をとおして描かれる。

《ベナレスは、聖地のなかの聖地であり、ヒンヅー教徒たちのエルサレムである。シヴァ神の御座所なる雪山ヒマラヤの、雪解(ゆきげ)水を享けて流れるガンジスが、絶妙な三日月形をゑがいて彎曲するところ、その西岸に古名ヴァラナシ、すなはちベナレスの町がある。》

 天国への主門と考えられ、ここの水を浴びれば、来世の至福は居ながらにして成るベナレスは《神聖が極まると共に汚穢(をわい)も極まつた町だつた。(中略)多くのもつとも露わな、もつとも醜い、人間の肉の実相が、その排泄物、その悪臭、その病菌、その屍毒も共々に、天日のもとにさらされ、並の現実から蒸発した湯気のやうにか陸中に漂つてゐた。》

 ガンジスの沐浴階段(ガート)のひとつで、のちにいくたびか記憶に甦る焔と水の映像を本多は見る。《マニカルニカ・ガートこそは、浄化の極点、印度風にすべて公然とあからさまな、露天の焼場なのであつた。しかもベナレスで神聖で清浄とされるものに共有な、嘔吐を催ほすやうな忌はしさに充ちてゐた。そこがこの世の果てであることに疑ひはなかつた。(中略)ずつと右方に、焼かれた灰を蒐めて、川水の浸すに委せてゐる場所があつた。

 肉体が頑なに守つてゐた個性は消え、人みなの灰はまぜ合はされ、聖なるガンジスの水に融けて、四大と灝気へと還るのであつた。》

 出世作仮面の告白』に汚穢屋への幼い憧れを吐露し、歌舞伎に、くさやみたいな味を嗅ぎとり、戯曲『弱法師(よろぼし)』でこの世のおわりのはずだった戦争の阿鼻叫喚、焼けて川にぎっしり浮く人間を幻視した作家は、汚穢(アブジェクシオン)の美に生来ひきつけられていたけれど、それは悲劇ゆえの魅力であり、ベナレスで見た活気は明晰なアポロン的解釈を拒むものだったろう。

《インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦につながつてゐた― 本多はこのやうな喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が、究極のものを見てしまつた以上、それから二度と癒やされないだらうと感じられた。》

 この刹那三島は直感したのに違いない。肉体があのように魂の仮の器であるのならば、すなわちこの現実のすべても唯(ただ)、識(こころ)の生みだした……。

『春の雪』で聡子は皇室をめぐる禁忌の恋のはてに清顕の子を中絶して奈良月修寺でお髪(ぐし)を下ろす。一方清顕は聡子に誠を示そうと春の雪舞う寺へと日参するも会うことかなわず、熱に犯され二十歳で死んでしまう。最終巻『天人五衰』末尾で、月修寺門跡となって本多の前に六十年ぶりに姿をあらわしたいまなお美しい聡子の言葉とは何であったのか。

 清顕のことで最後のお願いにここへ上りましたとき、御先代はあなたに会わせて下さいませんでした、と本多が言うと紫の被布の門跡は同じ言葉を繰り返す。「その松枝清顕さんといふ方は、どういふお人やした?」 《本多は、失礼に亙らぬやうに気遣ひながら、多言を贅して、清顕と自分との間柄やら、清顕の恋やら、その悲しい結末やらについて、 一日もゆるがせにせぬ記憶のままに物語つた。(中略)「えらう面白いお話やすけど、松枝さんといふ方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やらお人違ひでつしやろ」》

 門跡は本多の則(のり)を超えた追求にも少しもたじろがず、声も目色も少しも乱れずに、なだらかに美しい声で語った。《「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののやうに見せもすれば、幻の眼鏡のやうなものやさかいに」 「しかしもし、清顕君がはじめからゐなかつたとすれば」と本多は雲霧の中をさまよふ心地がして、今ここで門跡と会つてゐることも半ば夢のやうに思はれてきて、あたかも漆の盆の上に吐きかけた息の曇りがみるみる消え去つてゆくやうに失はれてゆく自分を呼びさまさうと思はず叫んだ。「それなら、勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。……その上、ひよつとしたら、この私ですらも……」 門跡の目ははじめてやや強く本多を見据ゑた。「それも心々(こころごころ)ですさかい」》

 門跡は折角だからと庭を案内する。《数珠を繰るやうな蝉の声がここを領してゐる。そのほかには何一つ音とてなく、寂莫を極めてゐる。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。庭は日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。……  「豊饒の海」完》

 昔、インド行きをすすめる女と恋におちたが、すぐに思いしらされた。すでに美しい女の心に私は空なのだった。未熟な私は責めを負った。聡子の言葉がようやくわかった。薔薇を摘んできた女は識っていたのだ。

 三島のベナレス叙景に加えるものはない。だが三島はガンジスに我が身を浸していないだろう。トラブルつづきの旅で出会った生きとし生けるものたちそのままにあたたかなガンジスの水は煩悩まみれの私にもやさしかった。川は昇る朝日を浴びてしんとしていた。……