文学批評 「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」

 「幸田文『崩れ』から青木奈緒『動くとき、動くもの』へ」

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『崩れ』幸田文

 幸田文『崩れ』のはじめの一節は、なんととぎれとぎれだろう。

《ことし五月、静岡県山梨県の境にある、安部峠へ行った。これは県庁の自然保護課で、ふとした雑談のうちに、その峠に楓の純林があり、秋のもみじもさることながら、初夏の芽吹きのさわやかさはまた格別ときき、ぜひ見たいと願って、案内していただいたのである。》

 なぜこれほどに句読点が多いのか。息せききっている。幸田文の文章はこんなであったかと思いつつ読み進めた。

《その日、楓は芽生きにはちと時期が早すぎたが、林はいい風情で見ごたえがあり、山気に身も心も洗われて、私は大満足の上機嫌で、秋にはもう一度と思いつつ下山した。私にはこうした旅が一番うれしい。》

 心がはやっている。若々しく華やいでいる。胸がどきどきして、説明したくて、息つぎの連続になっていたのだと気づく。さらに読み進めれば、その文体は、口調を彷彿とさせるきびきびした句読点づかいであって、決して息の長い、のっぺりした文体ではないことがわかってくる。とぎれとぎれと思わせたのははじめの一節だけで、そのあとはもうすっかり心地よい文体にのって目がのびのびとさきへさきへと急ぐ。

 幸田文らしい言葉づかい、たとえば「都会住み」「心がしかむ」とか、「はじめまして」「これはこれは思いがけなく」「一寸通して下さんせ」の挨拶用語で平文にアクセントをつけることに着目し、リズムに弾んでゆく気持ちを確かめるのも一興だが、ここでは『崩れ』の二つの魅力に着目して読んでみたい。

 ひとつは、理解を深めるということ。もうひとつは、声の働き。

 とりわけ前者は大事で、それはおそらく、幸田露伴から幸田文へ伝わり、のちに青木玉をへて青木奈緒に伝わっていった四代の芯をなすものである。例を順に引用する、

「理解を深める」というのは、少なくとも三つの欲求からなる。まずなによりも「わかりたい」という強い思いがあり、次いでそのために「五感で感じたい」と切実に思い、最後にそれを「言葉で伝えたい」なのだ。因果なことに文を業(なりわい)にしている幸田文は「言葉で伝えたい」から、自分が理解を深められなければどうして人に言葉で伝えられようか、といつでも思っている。

 みてゆくように、崩れに向かう前も、実際に崩れを前にし、崩れに立ち、崩れをあとにするときも、内省しつづけている。

 だから『崩れ』には哲学がある。身をもって知り、心にしみいる思想だ。そのうえ、フランスの哲学書は美しい文章をもつことが必要条件であるという意味に似ている。必ずしも美文ということではなく、生活のきものを身にまとったような端正な美である。

 少し廻り道になるかもしれないが、崩れに出会い、それを書きはじめるまでの、本人いわくのごたく(・・・)を、独特のちょっとふるめかしくもきっぷのいい言葉づかいを堪能しながら聞いてみよう。誰もがとりあげるが、まず「種」の逸話がおもしろい。七十二歳をすぎた幸田文が、理解したいとはやる気持ちは理屈ではなく、「また種が芽を吹いたな」という思いしきりからだった。

《心の中にはもの種がぎっしりと詰っていると、私は思っているのである。一生芽をださず、存在すら感じられないほどひっそりとしている種もあろう。思いがけない時、ぴょこんと発芽してくるものもあり、だらだら急の発芽もあり、無意識のうちに祖父母の性格から受継ぐ種も、若い日に読んだ書物からもらった種も、あるいはまた人間だれでもの持つ、善悪喜怒の種もあり、一木一草、鳥けものからもらう種もあって、心の中は知る知らぬの種が一杯に満ちている、と私は思う。》

 だから柄にもなく奈良の三重塔建立の手伝いをしたことにしろ、「偶然に得たほんの些細なつてにとびついて」捕鯨のキャッチボートに乗ったことにしろ、種の発芽によるとしか思えない。

《今度のこの崩れにしろ、荒れ川にしろ、また種が吹いたな、という思いしきりである。あの山肌からきた愁いと淋しさは、忘れようとして忘れられず、あの石の河原に細く流れる流水のかなしさは、思い捨てようとして捨てきれず、しかもその日の帰途上ではすでに、山の崩れを川の荒れをいとおしくさえ思いはじめていたのだから、地表を割って芽は現れたとしか思えないのである。》

 ここまでは、わかりたいという欲求の種が芽吹くさまであるが、芽吹いた若葉を育てあげることの難しさは文章を書くことにたずさわるものにとっては、ただ伸びればよいというものではなく、人さまにみせられるものとしてどうするのかということだ。

《だが、ここで早くも困難に出逢っている。文学では、こうした大きな自然を書くことのできがたさだ。むろんそれは書く者の素養や、能力や精神の未熟によるものであって、書けなければやめて、書けることを書くほかないのである。》

 若葉の芯は強い。「狭く細いのが本性だ」と自分を判断しているのに、「わが」とか「大きく広い」といった、「かつて無い、ものの思いかたをするのは、どうしたことかといぶかる」。

《本来はこんなごたく(・・・)は書くべきではなく、自分ひとりの中で始末するのが道ときまっている。ただお詫びとおゆるしを乞いたいのである。私にはどう足掻いてみても、崩れだのあばれ川だのという、大きな自然は書く手に負えないのである。でも、その姿を私はどうかして、お伝えしたいと切に思う。》

 思いくれて専門家の書いた大谷崩れの歴史と地形に関する「実にすらっと、よく読みこめる」文章を紹介してみせる。自分が書いた崩れの現場状況はじれったくてたまらず、地形も、大きさも、量も、何も伝えていないと嘆く。けれども「正直にいって、あれしか私には書けない。あの通り見たし、思ったし、感じた」という幸田文の文章こそが、専門書の面積、量、高さ、深さ、凹凸では伝えられない心の襞を、実際にその目で見て、納得して、読み手に伝えてくる。

 しかし、「じれったい」という文章にしてからが、背筋をぞくっとさせる悪寒で膝をわななかせ、読み終えたときには魂ごとあちらに持っていかれる凄みをもってはいまいか。

《プツプツと小石を噛んだような具合で車がとまり、ドアがあけられた。妙に明るい場所だなという感じがあり、車から足をおろそうとして、変な地面だと思った。そして、あたりをぐるっと見て、一度にはっとしてしまった。巨大な崩壊が、正面の山領から麓へかけてずっとなだれひろがっていた。なんともショッキングな光景で、あとで思えばそのときの気持は、気を呑まれた、というそれだったと思う。自然の威に打たれて、木偶(でく)のようになったと思う。》

 情緒に流されず、地理、地学を正確に書きだす能力もたいしたものだというのは、読めばすぐにわかる。そのうえでやはり、下町の粋な言葉が自己の内面に向かう叙情の質は作家、随筆家の力量である。次の文章の、微妙に言いかえながら繰りかえされる言葉のリズムは、『崩れ』一編のなかでもっとも美しい部分のひとつとして記憶されるだろう。

《そこは昨日の安部峠から西方へむけて続く山並みだが、尾根を境にして向側はやはり山梨県になる。南を開放部にして、弧状一連につらなる山並のうちの、大谷山領(標高約2000メートル)の山頂すぐ下のあたりから壊(つい)えて、崩れて、山腹から山麓へかけて、斜面いちめんの大面積に崩壊土砂がなだれ落ち、いま私の立っているところもむろんその過去いつの日かの、流出土砂の末なのである。五月の陽は金色、五月の風は薫風だが、崩壊は憚ることなくその陽その風のもとに、皮のむけ崩れた肌をさらして、凝然と、こちら向きに静まっていた。無惨であり、近づきがたい畏怖があり、しかもいうにいわれぬ悲愁感が沈殿していた。》 菜の切り口のように瑞々しい文体である。

 これで終わらないのが幸田文らしい。本心をのぞかせた文が、ひょいと気持ちをこちらに引き寄せ、共感をよぶ。読む者の心も揺らぎ、すなわち崩れの現場に、きっと人生そのものの隠喩であると直感させて、引きずり出される。

《立ちつくして見るほどに、一時の驚きや恐れはおさまってゆき、納まるにつれて――いま対面しているこの光景を私はいったい、どうしたらいいのだろう、といったって、どうしてみようもないじゃないか――というもたもたした気持が去来した。》

 もたもたしている気持ちを人に伝えることは難しい。話題も話題である。

《大谷崩れを見てショックを受けたのが、五月のはじめ、その後六月下旬まで私は落着きなく過ごした。そのあいだは逢う人ごとに、崩れる山と荒れ川の話を訴えた。けれども手応えのある反響は、ほとんどなかった。多くはただ、へええ、と聞き流されるだけであり、またもう少しよく話をきこうとしてくれる人からは。どうしてそんな無関係なことを、そんなに気にするのかと不信がられた。》

 なんともやるせない。本当のことを言えば、このもたもたの正体は何だろうかとためつすがめつ言葉にふりかえってのごたく(・・・)こそが『崩れ』一冊の魅力だ。しかしそこは気性である。じくじくはしない。「どうもこうもない」 さっと割り切る。種の芽吹きは心もとない。とにかく動きだす。七十二歳の体力で、「目に見、耳に聞いてこようということになる」。崩れるとは何かを、崩壊の感動を、つかみたいと、無理をしてでもあちこちへ行く。いくつかの言葉に出あう。あるときは声の形にもなる。「弱い」という言葉にもそうして出あった。

《「だいたい崩れるとか、崩壊とかいうのは、どういうことなんですか」

 そうねえ、と所長さんはちょっと間をおいて、地質的に弱いところといいましょうかねえ、という。ふしぎなことにこの一言が、鎮静剤のように効いて私は落付いた。はっきりいえば、弱い、という一語がはっとするほど響いてきた。私はそれまで崩壊を欠落、破損、減少、滅亡というような、目で見る表面のことにのみ思っていた。弱い、は目に見る表面現象をいっているのではない。地下の深さをいい、なぜ弱いかを指してその成因にまで及ぶ、重厚な意味を含んでいる言葉なのだった。》

 ここからが幸田文らしい。芭蕉七部集解読などをとおして父露伴に肉声で教えられたのは、次のようなことにまで思いを及ぼすことだろう。長くなるが大事なところなので略さず引用する。

《知識をもつ人ともたない者との、ものの思い方の違いがくっきりと浮かんでいて、私のあたふたした騒がしさは消されたのだろうと思う。弱いという言葉は身近にいつも使う言葉だが、その言葉からの連想といえば、糸なら切れる、布なら破れる、器物なら壊れる、からだなら痛々しい、心ならもどかしい、ということになろうか。その弱い(・・)が、山腹一面を覆う崩れ、谷を削って押出す崩れ、にあてて使われる。私は崩れの表面を知って、痛々しく哀しく、且つまた、どう拒みようもなく屈服を強いる巨大な暴力、というような強さに受取っていたが、この人は逆に弱いといって、深い土の中のことを私に教える。そういえば読んだどの本にも、よくその言葉が出ていた――脆弱、軟弱、薄弱などと。いまいわれれば思いだすが、私はそこを浅く読み流していたわけで、ここが読書力というか、読書態度というか、点数のつくところだろうし、また一面からいえば、肉声で教えられるということが時にいかに身にしみるか、文字の言葉でなく声で話される言葉が、時にどんなにはっきり頭に入るか、ともいえるところである。読んだのではただ通り過ぎた弱い(・・)が、語られてぴたりと定着し、しかも目の中にはあの大谷崩れの寂寞とした姿が浮かんでおり、巨大なエネルギーは弱さから発している、という感動と会得があってうれしかった。》

 あちこちの崩壊地を見て歩きながら、因果なことに崩れについて思いつづける。言葉をいろいろかえてみたいと考える。焼いたり、煮たりして、素材を味わいつくす。たとえば、こういう言葉にはた(・・)と立ち止まる。

《これもまた崩壊の一つの型だろうか、ナメと呼ぶのだそうだ。そう聞いたとたんに、滑らかのナメか、嘗める、舐めるのナメか、並ぶのナミかと思ったが、そんなことを聞きほじっているより、足許へ神経がいってしまった。》

 オノマトペをまじえて、夢中でおしゃべりしている。

《一歩一歩に、ぞっ、ぞっという音がする。大きな岩石をわたるのもこわいが、小粒に揃ったガサガサの上もまた別のこわさがある。でもさすがに富士のお中道で、この砂礫の斜面にも、なんとなく渡りどころが細く踏み固まっている。が、ちょっと足を外すと、ずっと他愛なく崩れる。そしてその崩れた一つ一つの粒が、ほろほろとさも軽げに転げおちていく。なんでもないようでいて、ぞくぞくしてくるこわさ――ここでもし転んだら、五十二キロの体重は、この小さい粒に運ばれて、難なくはるか下までもっていかれてしまうだろう、と想像が走る。手をひいてもらうわけにはいられなかった。川を渡り終って固い土の上に立ったとき、ふり返ってみて、ナメとはやはり「滑」だろうかなあと思った。》

 五感が言葉を一つつかんだ瞬間だ。つぎつぎとありきたりの言葉を、自分が納得できるところまで言いかえてゆく。そういう気迫がなければ人になど伝わらない。たとえばこうだ。

《そろりそろりと登れば、足もとのフクロソウが目にはいる。目の底にはもっと強く残っている、大沢谷の姿がある。谷とはなんだろう、とそればかり思う。両側から窪められたところ、剥がれたところ、はざま、物の落込むところ、そして何よりも、岩石を運ぶ道筋だと思った。》

 辞書を引いてきて、それで事足りるとか、他人の解釈を披露してすむような「どうにもこうにも」ではすまなかった。何ひとつ知らない、なさけない自分を知っているから学習をおこたらない。

《地すべりといい、地崩れという。二語が同じ現象をさしているのか、違うのか、私はその定義を知らない。すべりは崩れのうちの一つの型、というべきなのかとも思うがわからない。先に書いた静岡県大谷崩れ、富士山の大沢崩れも、崩れと呼びならしてきてはいるものの、崩壊といいたく思う景状であるが、これもまた崩れのうちの一つの型といえようか。でも大谷大沢と、松之山とは見た目にはっきり違いが分かる。》

《ここでは見るもの聞くものから、ひりひりするような痛みが心へ伝わってきた。書いて伝えなければいけない、平安な土地に、こういうことは思いも知らずに暮している人にも、知ってもらいたい、伝えたい――と何度おもったことか。》

 これなのだ、幸田文を動かし、そうして私たちを動かすものは。

 日光男体山の崩れを見れば、こう考える。

《ここでは崩壊を崩れとは呼ばず、薙(なぎ)という。大薙、古薙。御真仏薙、観音薙、その他たくさんの薙がある。》

 言葉は生きていることを身にしみて知っている。

《ろくな機械も道具もなかった昔の人達が、大自然の力にひしがれながらも、泣き泣きじいっとその災害の状況をみつめ、特徴をつかんだ言葉でいっているのである。そう言いはじめた人たちの心中を思いやると、その惨状、その悲しさが今の私にも伝わってくる気がする。》

 そのまた伝承者でありたいと願っている。ゆえに、常源寺川をさかのぼって、砂防のメッカといわれる鳶山の崩壊を見にでかけ、明治のはじめにオランダ人のデレーケという土木技術者が次のように語ったことに、心はすぐに反応する。

《「これは川というものではない、滝である。」そして、「――これは滝である――感情のみえるいい言葉だ」。

「感情のみえる」とは、それこそいい言葉ではないか。

 鳶山の崩壊へ向かうためにトンネルにはいる。トンネルの幅の狭さ、天井のひくさに、こわいなと思う。そして、

「ふと、狭いという言葉の、“底”に思い当たった気がした」。》

 “底”という表現に驚かされ、ついで胸に突きささってくる。たかが「狭い」という一語の底を覗き見、手で触れて確かめずにはいられない性分だった。“底”に届く目は、幸田文を背負うという建設会社社長の用意した背負紐の細部ですら見あやまらない。

《真新しい大幅の白モスリンである。わざわざ用意したものであることはすぐわかる。私は老女で目は確かでない。だが、その大幅のモスリンの裁ち目がきちんと三ツ折ぐけに仕立てられているのは、見逃さなかった。お宅の方か、あるいは誰か、とにかくおんなのひとの手をわずらわせたものであることは確かだった。》

 細やかな目配り、凛とした日常、切れめ正しい清潔さ、艶っぽさもまたその文体の魅力であることはあらためて言うまでもない。

《鳶は富士山大沢崩れとも、静岡大谷崩れともまた様子がちがう。憚らずにいうなら、見た一瞬に、これが崩壊というものの本源の姿かな、と動じたほど圧迫感があった。むろん崩れである以上、そして山である以上、崩壊物は低いほうへ崩れ落ちるという一定の法則はありながら、その崩れぶりが無体というか乱脈というか、なにかこう、土石は得手勝手にめいめい好きな方向へあばれだしたのではなかったか――私の目はそう見た。そして同時に耳が、なにか並外れた多数の打楽器が乱打されるのを想像していた。》

 ここからがすごい。

《あとで反響して思ったことだが、あれはきっとからだ中で、あの風景に呑まれまいとして抵抗していたのかと思う。目と耳は奪われていたと思う。目と耳は引ずられたのだから、ここが私の弱さだろうし、いい方をかえれば、感覚過敏だったといえる。首と腰は突張ってこらえたのだから、多分目や耳よりも頼もしかった――逆にいえば、それだけ鈍感だったのだろう。鈍感で仕合わせした。首も腰ももっていかれてしまっては、それこそ私の崩壊になってしまう。五感は私のただ一つの大切なよりどころだが、五体もまた大切な防護の役をしてくれる。》

 感覚をひらきつつも、純粋さを自制し、冷静に自分を見つめなおす。

 だが、まだ声の働きについて紹介できていない。ニ、三、とりあげてみよう。

《ここまで来てあきらめるのはくやしいし、かといって第一にすべきことは安全だし、どちらとも決めかねている時、先に岩を越した人が、とてもはっきり見えてるよォ、と呼んだ。思わず、連れてってえ、私、見たい、ここを登らせてえ、と頼んだ。こうなると、見えも、格好もない、手も足も胴も、みんな持ち上げてもらった。》

 渾身の気迫を内に秘めて、なんと可愛いおばあさんだろう。

《こんなところを登るなんて、一人でのぼるのも、負われて登るのも、どちらも恐しく、さりとてどうしても避けてはいられないし、せっぱ詰って正直に、こわいといった。大丈夫ですよ、すいすいと上っちゃいますよ、と皆さんが笑う。見ていると本当に皆さん、すいすいと上った。でも五十二キロの加重を背負っている社長さんは慎重にこちら側の壁面を登り、ついであちら側の壁面をのぼりきった。ああ済んだ、と思うともう私はこらえられず、休みましょう、おろして下さい、とわめいた。》

「わめいた」がいい。

 相手の声も幸田文の五感に響いてくる。

《わさびをもう少し探そうという。私もついていった。手を少しのばしたのでは少し届かないあちら岸に、幾株かを見つけた。男ならひとまたぎ、女でもちょっと跳ねれば、難なく越せる狭い水である。そのとき、ダメ、と声がかかった。こんなに狭い谷だけれど、この種の谷は用心が必要で、沢の石は不安定なものが多いから、考えなしに乗れば、ぐらりと動いて足を外されるし、ころんだら、ほら、見てごらんなさい、こういう角ばった石では案外な怪我になる時もある、と教えられた。》

 やがて、「昨日の目昨日の気持と、今日の目今日の心は、まるで違ってしまった」と思いしる。次の会話もいい。

《「それじゃ素直にいって、困りもの、もてあましものというわけですか」

「――もてあましているひまなんかないんです。ずうっと国でも県でも、担当の者は努力し続けてきた結果、昔よりずっとましになったんです。でも人の力は自然の力の比じゃないし、その点がどうも仕様のないことです」

 私は不遠慮にもてあましものといったけれど、県の人は笑うばかりで、その言葉を避けて言わなかった。言わないだけにかえって、先祖代々からの長い努力が費されたのだろうと、推測せずにいられなかった。人も辛かったろうが、人ばかりが切なかったわけでもあるまい。川だって可哀相だ。》

 そして、もっともよく知られた声は、連絡電話のそれだ。

《「――幸田さんは年齢七十二歳、体重五十二キロ、この点をご配慮――どうかよろしく」》

『崩れ』は作者生前には一冊の本とならなかった。晩年の幸田文は、こればかりではなく、雑誌に発表したものを本として残すことに執着をみせなくなっていたらしいが、『崩れ』をめぐる事情は、娘青木玉による「あとがき」に詳しい。

《昭和五十一年十一月から五十二年十二月までほぼ一年余、十四回の連載が終り母はほっとして機嫌が良かった。「これからまだ、あそこへも行きたいし、調子がよければもう一度尋ね直したい所もあるしね」 連載という月々の制約を離れ時間に追われない取材を望んで其の後も旅はつづけられ、母のストックは溜っていったが、何か今一ツ思うところに及ばないらしく、一冊の本にまとめる話しが持ち上った時、そうする気はありながら、もう少し書き足したいからと延した。》

「もう少し書き足したい」もの、「何か今一ツ思うところに及ばない」ものとは、何だったのだろう。あれほどまでに理解を深め、言葉で伝えたはずなのに、まだ納得できなかったものとは。

それは、「崩壊とは、その最中はもとよりだろうが、崩壊前の姿も、崩壊後の姿も、なんと切なく胸にせまるものか」》と思わせた、「とき」というものではなかったか。「とき」を経ての崩れの姿、それはもはや七十二歳の作者に書き足せるものではなかった。

 

『動くとき、動くもの』青木奈緒

「はじめに」は、さっと読み流すつもりだった。けれども、いきなりとらえられてしまった。読みはじめの数行から魅了されることなどそうあるものではない。どちらかというと「あとがき」から読みはじめたい誘惑にかられ、「はじめに」は言いわけめいたごたく(・・・)が書きつらねてあるのですぐにページを繰ってしまうのだが、これは「あとがき」にしてもよさそうな内容だった。しかしやはり、崩れの現場に向かうはじまりの決意の文に相違なかった。

 その「はじめに」を全文、引用したいくらいだが、そうもいくまい。

《およそ四半世紀という時が流れました。

 時ほどに、誰にとっても、長く、そして短く、つかみどころのないものも少ないのではないでしょうか。四半世紀といえば人生の四分の一以上ですから、これから日々を重ねるとなれば持ち重りする長い歳月であり、ふと気がついて顧みれば、過ぎてきてしまった足あとでもあります。》

 本の題名にもなったように、この本の主題は「とき」であろう。そして、「とき」によって動くもの、「とき」によっても動かないもの、を念頭においている。動かない「とき」というものはない。「持ち重りする」、「過ぎてしまった足あと」、このどこか懐かしい、しかし情に流されない、端正な言葉がうれしい。

《今、四半世紀という区切りでふり返っているのは、私の祖母、幸田文が晩年に日本各地の崩壊地を見て歩き、それを雑誌に連載していた頃から過ぎた時間です。》

 青木奈緒は、幸田文青木玉につながる書き手であることに、ある種複雑な思いを持ちながら、書くということをはじめた。似ているところばかり探されることから、似ていないことを書こうと力んでもいたようだ。けれども、この『動くとき、動くもの』の「はじめに」を読むとき、そんなところからは脱けでている作者を発見する。きっとそれは、祖母と同じ崩れの現場を見、五感で感じ、言葉を探したことで確信に変わっていった「とき」の力に違いない。

 これから『動くとき、動くもの』を読み進めてゆくが、あえて似たところばかり探すことを避けたりはしない。それはそれで喜ばしいからである。

「はじめに」は何より話の進め方がうまい。自在な接続の変化で、文の段落は変えられる。それら段落のはじめの一行を読みとおしてゆくだけで、前へ前へと歩む自分に気づく。崩れの現場に立つ青木奈緒の思いと同じ歩調、息遣いになっている。

《その頃、私は足かけ十二年暮していたドイツから、ようやく日本へ帰ってきておりました。(中略)

 大沢のことは、いずれ改めて書くこともありましょうから、詳細は省きますが、(中略)

 いかんせん、祖母はもはや融通無碍な存在となりました。(中略)

 その一方で、「崩れ」をお読みくださっている方々はどうでしょう。(中略)

 けれどそうした興味も日々の忙しさに立ち消えになるか、行きにくい場所に二の足を踏まれるか……。(中略)

 その方々へ向けて、発信しようと思います。(中略)

 七十二歳の老練がつかみとった景色は、老眼だったとはいえ、その半分の私の目をはるかにしのぎます。(中略)

 それを承知の上で、四半世紀たった今、孫にまでつづいたご縁を有り難くお受けして、私もまた崩れの現場を見に行くことにしました。(中略)

 見せて頂くのは、それだけではありません。(後略)》

 どうだろう。ここには若々しい書き手がいる。「あとにつづく孫のことなど考えてもくれなかった祖母の筆力は、書く身になって読めば気おされるばかりです」と嘆きつつも、「かつて祖母が書き残したものを手がかりに、ふたたびその場を訪れれば、それは四半世紀という時の中へ入って行く楽しみでもあります」と書かれた『動くとき、動くもの』によって崩れを見に行く。

 最初は桜島である。

 青木奈緒も理解したいと思いつづける。納得したいと心がわめく。飛行機に同行している全国治水砂防協会の理事長さんの声から、さっそくはじまる。

桜島はきれいな山ですよ」と教えられれば、「ひとことにきれいな山という表現だった。専門家の言うきれいな山とは素人目とどこが違うのだろう」と思いは言葉に向かう。そして、「都会住みの私が持つ身勝手な尺度で計って納得できるような何かを、容易には与えてくれそうにない」と、もたもたした自分をどうにかしたいと思う気性が芽吹く。

 桜島へ渡る前に、崖崩れによる土石流の災害を受けた竜(りゅう)ヶ水(みず)の駅ホームに立ち、その記念碑を読んでの感想はこうだ。

《頭では充分理解した。

 にもかかわらず、その場所に立った私の感想は、どうもこの程度の傾斜なら日本のそこら中で見かけるような気がする、というものだった。土石流が流れくだった跡が残っているでもなし、今現在治まっているこの場所が、それほどまでに危ない土地だということが、どうもぴんと来ない。》

 まだ五感がじっくりきていないのだ。

《専門家がついていて危険を教えてくれるのに、それがわからない。妙だと思われるかもしれないが、えてして素人とは、そういうものではなかろうか。これまで訪ねた幾つかの崩壊地で、私には目の前の危険を指さされながら、理解できなかったことがなん度かある。それは繁った緑におおわれていたからであり、その場所がおよそ危険とは無縁の、にぎやかな観光地であったからである。危険を見抜く目を持たない哀しさが、同時に素人のお気楽と言える。》

 そうして、「だが、似たような谷はその隣りにも、またその隣りにも、ずっとつづく。ここがそれほどに危険な場所なら、谷のひとつひとつに災害に対する措置を施す必要があるまいか」と、むちゃを言いだすさまは、幸田文が『崩れ』の最後で、有珠山の降灰に覆われた林樹を助ける方法はないかとカッカするのにそっくりである。

「あともうひと息わかりたい、という思いがあって」、つき動かされる。もう結論めいた言ってしまえばことを、崩れを見に行くことは、わかりたいという思いそのものである。だからそれは、力ゆえに崩れてゆくことではあっても、ぐずぐずと腐ってゆく崩れではない。幸田文が「ナメ」で立ち止まったように、青木奈緒は「こうした浸蝕をガリーと呼ぶのだそうだが、近づけば近づくほどにおそろしい」と思いながらも、違う場所ではまた違ったことを思う。

《崩壊からエネルギーをもらうというのもおかしな話かもしれない。けれど、もし私がどうしようもない悲しみを背負ったら、行ってみたいと願う場所は崩れる山という気がしてならない。悲しみのあまり、無体にあばれたくなった心を山にあずけ、もっと大きく途方もないスケールで崩し、流してもらう。心の荒れが治まったら、山をとくと見るがいい。ここにあるのは崩壊だけではない。留まりがんばるねばり腰も、潔く別れてはねだす活力も、そして人の手を借りて起死回生する力をも秘めている。》

「崩れ」は崩れつつ、「起死回生する」再生の力でもある、とは新たな気づきではないか。

 青木奈緒も声からひとつの言葉を探りあてる。普通なら聞き流してしまう言葉を両手のひらですくいあげ、差しだす。言葉で伝える行為で、一気に相手に理解の崖をかけあがらせる。

《前日から私たちをずっとご案内くださっている大隅工事事務所の所長さんが、こうおっしゃっていた。ひどくもろい地質にとって一番安定性のある形が、ここに見られる「直」なのだ、と。確かにこれ以上削られる心配のない「直」が、行きつくところまで行った安定なのかもしれない。》

正直の「直」、素直の「直」。「弱い」に対する「直」。「弱い」の根源の単位は力だが、「直」は力のありよう、姿である。力は動かす原因で、姿は動いた結果である。因は果となり、果は因となり、次々と変容する。姿もまたすでに力を秘めていて、動く。

《さらにおそろしいのは、たとえ尾根から谷への山襞がまっすぐに安定していたとしても、雨が降るたびに谷は土石流を運ぶ道筋となって、谷底が削りとられることである。山襞の足元がどんどん浸蝕されれば、ついには切り立った山襞が中空にせり出すような按配になる。当然いつかは持ち切れないから、それまで安定だった面も、尾根から谷底へ一気にどかっと崩れる。》

 青木奈緒もまた、知ってもらいたい、伝えたい、心に届けたい、と思うのに、うまくいかないもどかしさに何度となくとまどう。心に届く、届かない、といったことで、幸田文が大谷崩れを見てショックを受け、逢う人ごとに崩れる山を訴えても、ただ、へええ、と聞き流された情景そのままに、「因果」と「縁」がここにはあって、「因果」は「動くとき」によって生じ、「縁」は「動くもの」の目に見える形であろう。

《「日本のあちこちに崩れている山があるの」

「ふーん、それで? どうしてあなたがそこへ行くの?」

「そこに崩れをとめる砂防の施設があってね……」

 まずいなぁ、と途惑いながらの説明に説得力があるわけもない。以後、いくら意をつくそうと努力しても、相手の顔には、それがどうしておもしろいのかねぇ、という怪訝な面持ちがはりついたままである。どうも「砂防」という言葉自体、聞く人の心に届いていない気がする。まるで意味をともなわない三つの音でしかないような。》

 こうして「砂防」という語につきあたる。

《妙な言葉だな、と心中わだかまりを持ちながら、便利さにかまけていつのまにか私も使うようになっていた。自分自身うやむやな言葉をあやつって、相手に納得してもらえないのは当然のなりゆきと言える。》

 理解しようとする思考の足跡を言葉に書き写せば、それは文学といえるものになってゆく。

《さて、その「砂防」である。正直に教えを請うてみれば、期待に違わずおもしろい言葉であり、この国に住んできた人々が何をおそれ、何を防ごうとしてきたかに想いをめぐらすきっかけともなる。》

 青木奈緒が祖母の「崩れ」につけくわえた三つのうち、その一が、歴史の視点である。おそらく幸田文は、老いた自分を鼓舞するため、あえて前だけを見たのであろう。他の二つはグローバルな思考と、社会的な視座であるが、ここでは触れない。

「砂防」という語をめぐり、「ひとつ驚きなのは」天武天皇の頃の木の伐採禁止令や、江戸時代には砂留と呼ばれ、記録に「土砂溢漏防止」というくだりがあって、それを縮めたという説が有力なこと、「明治になるとちらほら「砂防」という言葉が使われ始め」ているといった史実を紹介している。が、これで終わっては語源を書き並べる凡百の書き手にすぎない。

《背景を知って、なお心に残る余韻がある。

 ずっと昔から相手にして闘ってきたのは砂ばかりではなく、土も含まれた「土砂」だった。だが言葉をとやかく言うはるか昔から、この国ではあばれる川を治め、山の崩れをとめる工事や対策が必要だったのだ。まずは山に木が植えられ、堅固な堰堤が築かれた。

 言葉はそれよりずっと遅れて、誰が言い出したともなくあっさり生まれた「土砂溢漏防止」なんてまどろっこしい言い方では間に合わない切羽つまった現実があったのか、それとも徳川幕府から明治という新しい風が吹きぬけた時代に気風(きっぷ)のいい誰かが、えいやと縮めてしまったのか。生まれが定かでない言葉であるがゆえに、逆にみんなが目ざすところは、言わずとも昔からはっきりしていたように思えてならない。》

 言葉は生きていると知っている作者がここにいる。生きている言葉しか使うべきでないと骨身に教えこまれている代々である。言葉を生かすために、本から学び、人に教わる。六甲山系の災害の歴史、地質学、緑について紹介したすぐあとにこういう文がある。

《私がここにこうして書いてきたことは、言わずもがな、すべて人づてに得た知識である。今回伺った

六甲砂防工事事務所の所長さんが街や山、川をご案内くださりながら教えてくださったことである。どこを見たらいいか、どう理解したらいいか、すんなり腑に落ちるというのはいかにも気持よく、つくづく幸せなことだと思う。

 いったんわかってしまえば、さらなる裏づけを自分で発見できることもある。それがすばらしい喜びとなることは言うまでもない。》

 しかし、これだけでは満足できない。

《けれどどうして最初の一歩を自分ひとりで踏み出すことができないのだろう。例えば天井(てんじょう)川だ。どうして自分では気づかなかったのだろう。坂をあがると川があるというのは、素人感覚でもいかにもおかしな話ではないか。そこに着目できさえすれば、土砂へ、山へ、と視点をつなげてゆけるだろうに。》

 そして、思いは定まる。

《いつかそのうち、どこか見知らぬ土地を訪ね、その土地の自然の特徴を何がしか、砂防につながる何かにひとりで気づくことができたら……。天井川がつづく神戸の街を見てから、これを当面の私の目標としたいと思うようになった。》

 独学の人、露伴の血なのであろうか。「いつかそのうち」。 しかし、窮屈ではない。

 六甲の山の上から、霧が絶えず動く夜景を見ては思う。

《街の明かりは守られている。

 砂防とはなんだろう。霧に向かって問うてみる。

 弱いところを理解してくれ、大きく包んで守ってほしいと願うのは、何も世の女性ばかりではあるまい。砂防というのはもしかしたら包容力かもしれない。そう思い至って、ふたたび息を吹きかえした夜景を見ながら妙に面映(おもは)ゆかった。》

 六甲の山から、滋賀の田上(たなかみ)山へ向かう。田上山から流れ出すものが瀬田川、淀川につながるように、「砂防」とは何かは、「流れ」につながる。水だけではなく、土砂もある流れ。土砂の流れは、緑がうしなわれたことにつながる。

 技師が「田上山の砂防さん」、「鳥の鳴かぬ日はあっても、砂防さんの通らぬ日はない」と呼ばれたと聞いて、「砂防さん」という言葉の、「いかにもやさしく心に落ちつく。親しみも、有り難みもこめて、呼びかけられたに違いない」と「生きたあたたかみ」を言葉そのものに感じてしまうのだった。

 次のエピソードに若い感性がうかがえるだろう。祖母にとって特別の地だった立山常願寺川の鳶崩れを訪れる旅に向かい、『崩れ』立山行きの章を読みかえす青木奈緒は、「ここまで動いてきた時間、そしてこれから動いてゆく先は定かのようで、つきとめようとすれば漠として確かめがたい」といえるまでの経験をすでに積んできていた。けれども、

《富山へ向かって離陸したばかりの飛行機の中で、本を手にやたら動じている自分に気づいた。今からこんなに動揺していては、見るものもまともには見えなかろう。まずは落ち着かなければ、と山行きの備えとりあえず買っておいたペットボトルのお茶を飲もうとふたを開けた。その手元がくるってキャップは床へすとんと落ち、折りしも上昇している機内でキャップは拾うまもなく通路を転がり、たちまちどこかへ姿を消した。

(中略)いったん山から離れたものは、岩石にしろ土にしろ、その瞬間がそれまで抱えていてくれたものとの別れで、もう二度ともどってはこられないことをペットボトルが示していた。

 どうしたことか、今日はむやみと気持ちを持ってゆかれそうな気がする。ふたの開いたお茶をもてあまし、飛行機の座席で落ち着かなかった。》

 ここからは、とにかくいい話である。

立山の所長さんがおっしゃる。

「どうです、先を歩きますか。今日は天気がいいから、行ってみますか」

(中略)行きたい気はする。訊かれているのは私であり、返事が求められていた。

(中略)谷もまた、問うているようだった。これ以上入ってくる気か、と。

  そのとき、いとこと添えてくださったのは、かつて祖母を背負ってくださった社長さんだった。

「あなたが行くなら、私も行くよ」

 そうして目の前に寄せかけられた数段の古い木のはしごをのぼって、ちょいと先へいらした。私もつづいた。》

 声の力があった。

《この方のお背中を拝借して祖母は谷をのぼった。よくも、よくも、と思う。小さい子供なら、おんぶお化けはやめられない、と甘えもしようが、大人の、しかも道なき道のおんぶは話が違う。負う方も苦労なら、負われる方もまた自分の体重をどうする術もなく、心にのしかかるつらさは尋常ではなかろう。双方にとって半端が許されない、限度いっぱいの谷行きだったに違いない。

 そして今、時が流れ、孫の私がふたたびご一緒して歩いている不思議さに打たれる。感情はつき動かされてはけ口を求めている。ふと視線をあげれば、あれが鳶崩れに違いない、と思われる大崩壊がこちらを見おろしている。

 感情にかまける余裕はこの場所にない。澄んだ山の空を射抜く陽ざしに、ぬぐってもしぼり出る汗が目を刺激する。足元をあやまってはいけない。》

 情があって、気があって、強さがある。「時が流れ」、しかし時は変奏しただけかもしれない。社長さんにおんぶされて砂防堰堤をのぼりきるや「おろして下さい」と幸田文はわめいた。垂直の堰堤をのぼりきる少し前で、青木奈緒もまわわめく。写真を撮っておいてあげたらどうかぁ、とはるか下を見ながら楽しそうに声をかける社長に、

《「写真なんかいいから、早く先へ行ってください。早く!」

 私は社長さんをどなりつけていたと思う。もはや、いっぱいいっぱいだった。》

 ヘリコプターで鳶崩れの上空へ出て、立山カルデラをずらっと見おろせば、また思いはあそこへ飛ぶ。

《改めて、崩壊とはどういうことだろう、と思う。人の生活に被害が及ばなければ単なる自然現象のひとつであり、人をおびやかして初めて考慮の対象となるのだろうか。本当にそれだけかなぁ、とヘリコプターの中で地に足がつかぬ思いを抱える。》

 糸口をたぐりよせる。一足飛びの答えなど見つからないのは、自分という存在と向いあったドイツ暮らしで承知している。

《私の気になっていたのは、砂防に興味を持って見て歩く先々で、いつも同じ表現に出くわすことだった。非常にもろい地質で、崩れやすい、というような説明をこれまでなん回も読んだことがある。もちろん崩れているのだから、もろくてあたりまえなのだろうが、それでは逆にもろくない山というのをどこかで見られないものだろうか。》

「もろい」という表現をつかって、祖母の見出した「弱い」という語を裏側から見ようとしているのだ。それはヘリコプターから見下ろす景色のように、表層に姿を見せているはずで素人には見出せない。

《山にかかる淡いまき雲は手をのばせば届きそうな近さにありながら、他愛なく、せっかくつかんだと思っても結局手の内には何も残らないのかもしれなかった。》

 稗田山の小谷村を訪ね、物語性、神話性というものの琴線に触れる。

《このあたりでは山の崩壊を「ぬけ」と言うらしいが、驚くほどにどなたもが、いつどこで何があったか記憶にとどめておいでだ。何しろ地すべりはあるし、山も崩壊するし、その上姫川があばれる。どこの一家がどの災害で、どこへ引っ越して行ったか。記憶の引出しから楽々ととりだして、今起こっているかのように話してくださる。こともなげにお話しくださること自体が、実はご自身が生まれるなん代も前のできごとであったりする。

 時間感覚を失い、一瞬で谷や村が埋まる話にすっかり頭を混乱させ、私はたぶんカルチャーショックを受けていたのだと思う。》

霧があがり、祖母も母も見られなかった稗田山の崩れを目にして、「もしかしたら見るべきでないものを見てしまったのかもしれない」というほどの「まがまがしい」姿が押しよせてくる。

《気持ちの上で気おされているのだから、知識でどうにか建てなおしをはかろうとした。そして「山が落っこちた」という言葉にであう。納得のいく理由もなく、いきなり山が落っこちたのである。目に見える限り、確かにそうなのだ。もはやすべての抵抗をやめ、私はなんでも信じる気になっていた。》

青木奈緒の文には「気」という語がたくさんでてくる。

小谷村をあとにして見事な砂防事業の跡を描写し、乱伐で荒廃に追いやった人の醜さと、「どうだい、なんともいえなくえらいもんじゃないか」と心にしみる言葉を生ましめる砂防の人のすばらしさを紹介し、祖母が薙の言葉が生きているのを知ったように、孫娘は谷と沢にあう。当時をしのぶよすがは、唯一谷の名前に残っているのかもしれない。地獄谷、日影沢、泥沢、悪沢。名前はくりかえし、口に出して呼ぶものだから、こうした名前をつけざるをえなかった理由に思いをはせる。

「いつかそのうち……」の想いは、小さい頃、ご飯を食べるのが遅くて母に言われた、「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味わいを知らず」につながる。

 日光で男体山華厳の滝を見ても単なる観光スポットにすぎず、「砂防なければ日光なし」と言われるほどに崩れと縁深き場とは思わない。

《私はいったい何を見て、「見た」と思ったのだろう。まさに心ここにあらざれば、だった。》

 それはまた、「すごい」というひとことで片付けずに、自分の言葉で説明なさい、と小さい頃になん度か母に言われた覚えにつながる。祖母が「五感は私のただ一つの大切なよりどころだが、五体もまた大切な防護の役をしてくれる」と直感したごとく、青木奈緒は「身体は目となって、頭は完全に停止していた。五感は頭のバックアップがあって初めて五感たり得ることを、大沢崩れの崖っぷちに立って知ったのである」を導きだす。

 崩れを歩くことで哲学している。

《私にとって日光は、見ること、見たと思うことの不確かさを認識する場所である。》

《かつて私は、心ここになく男体山を見た。今度は心を寄せて見ようと思えば、余計な感情が足を引っぱる。》

 いくつかの、いい会話がある。ひとつだけここに記す。

《「それにしてもよほど行いが悪いんでしょうかね。あいにくのお天気で」

 久しぶりに所長さんにお逢いする嬉しさに、おしゃべりの口も軽かった。

「砂防にかかわる者として、なるべくそういう言い方はしないようにしてるんですよ」

 他愛なく口にしたつもりが、理由を聞けばなるほどと思う。お天気と人の行いを、まさかまともに関連づける人はない。それはお互い承知の上とするつもりが、冗談にしろそういう表現をすれば、災害にあった人はみんな行いが悪いことになってしまう。》

 こうしていくつかの崩れを見て歩き、祖母が崩れにはじめて出あった大谷崩れに向かう。崩壊土砂の量は東京ドーム百杯分と説明書きで読んでもとても実感のわくたとえではないと思い、崩れのあるところへ行く。崩壊について多少のことはわかるようになってきているのに、どこか波長があわず、もてあます。

《けれど知識とは別に、何かもっとはっきりした印象を、まだ探しつづけていた。大谷崩れには祖母の文章の一節を引いた碑も建てられているのに、そこに書かれた「いうにいわれぬ悲愁」と、私が今、目にしている景色には、ずいぶん違いがあるように思われる。祖母がここを訪ねてから四半世紀たった時間の変化が山に現れているのだとしたら、それは時の変化というより、どちらかと言えば、季節の移ろいかもしれなかった。》

 そして「おわりに」へ辿りつく。「はじめに」では語りつくせないものがあって、全文紹介したいほどだが、きりがないからやめておこう。ただ言っておきたいのは、たしかに『動くとき、動くもの』という題名をつけた気持ちと手ごたえの芯がここにある。

『動くとき、動くもの』、それは幸田文が「何か今一つ思うところに及ばない」といったものの核心に違いない、と今や青木奈緒は知っている。

                                 (了)