文学批評 「中上健次『枯木灘』の果てしなき「反復」」

  「中上健次枯木灘』の果てしなき「反復」」

 

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 中上健次枯木灘』を読む者は、否が応でも冒頭から、「~った」「~った」「~だった」「~だった」と連続する文章に接して、酷い文体だ、なんたる悪文か、という思いに襲われずにはいられない。

《空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲き、昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいに人を染めた。その木の横にとめたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。組を、秋幸の義兄文昭が取りしきっていた。文昭は、「道具をそろえることなど、人夫にさせたらええ」とよく言った。「それで日傭賃を出しとるんやから、人夫らに楽させること要らん」そう言われても秋幸は人より一時間ほどはやく起きて土方道具を点検し、揃えることをやめなかった。つるはしが好きだった。シャベルが好きだった。秋幸はそう思った。それらによって、土を掘りおこし、すくう。十人居る常やといの人夫らに自分の分け与えた道具で仕事をさせる、それが今の自分の役目だと思っていた。義父の繁蔵はそんな秋幸を「組もったら、文昭よりええ親方になる」と言った。》

 しかし、これほどに完了形が連続する文体は意識的には違いなく(他の中上作品を読んでいればすぐにわかる)、中上が好んだジャズのような、あるいは執筆時に聴き続けていたというJ・S・バッハ「ブランデンブルク協奏曲」のフーガのような、はじめはごく軽く、しだいに強度を増す反復で、熱狂の川に流され溺れる自分に驚く。

 ここには、メルクマークのような「夏ふよう」(《空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲き、昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいに人を染めた。》《紀子の家は玄関が格子戸になっていた。その家にも板塀の向こうに夏ふようのような木の白い花が咲いているのが見え、格子戸を入る紀子を見送りながら秋幸は、奇妙な符合だと思った。そのいつか通りかかった男の家でもそれと同じような白い花の木を見た。》《服を着替えて外に出た。倉庫の横の夏ふようが、またにおった。毎年その甘いにおいをかいだ。風がなかった。浴衣姿の名古屋の子が製材所の方から、夏ふようの前に立っている秋幸の方へむかって駈けてくる。後から追っているのが白痴の子だった。》)が早くも現れている。

 また、のちに執拗に反復される「土を掘りおこして働く」秋幸がそこに在る。

 完了形の文体はすぐその後も果てしなく続く。

《道具を積み終ってから秋幸は家に入った。外気にさらされていた秋幸には家の温い空気が疎ましく感じられた。母のフサが起き出してつくっている茶がゆのにおいがした。茶の香ばしいにおいが家のいたるところでした。二年前、新しく建て直した家だった。母のフサが秋幸を連れ、繁蔵が文昭を連れて一緒に暮らした家よりはるかに広かった。庭があった。庭に大きな池をつくり、繁蔵は錦鯉を放していた。錦鯉はひのき造りのこの家に似合っていた。》

 ときには、次のような畳み掛ける文体でせっつく。

《竹原秋幸、その名前が嫌だ。竹原フサ、その名が嫌だ。秋幸は背に広がった鳥肌と不快感が何故なのか分からないまま思った。浜村秋幸、その名も嫌だった。》

 中上が、いわゆる紀州三部作の『岬』『枯木灘』『地の果て 至上の時』に造形した実父“その男”(浜村龍造)とは異なる、『熊野集』で書いた現(うつつ)の実父を評したシャブ中毒者のような行為の繰り返し、反復は、こと文体だけではない。読み進めてゆくと、「エピソードの反復」と、「関係性の反復」が寄せては返す大小の波のように、小説の大地を浸蝕し続けていることに眩暈を感じ、読み終えれば、目の前に広がるのは、この世の荒涼たる枯木灘だった。

 

<登場人物とあらすじ>

枯木灘』は雑誌『文藝』に、昭和五十一年十月号から昭和五十二年三月号まで六回にわたって連載された。その最終回に付された「主要登場人物」の解説を、複雑な血縁関係(関係を知ることは構造を知ることになる)把握のために引用する(『中上健次全集3』の解題(石原千秋)から)。

 

竹原秋幸…本編の主人公。フサと“その男”(浜村龍造)との子。まず私生児としてフサの亡父、西村籍に入り、中学卒業時に義父繁蔵が認知する形で竹原籍に入る。現在は紀伊半島南端の町で義兄の文昭が経営する土木業竹原組の人夫頭、二十六歳。 フサ…亡夫西村勝一郎との間に郁男、芳子、美恵、君子を生み浜村龍造との間に秋幸を生み、秋幸だけを連れ子として文昭を連れた竹原繁蔵と結婚。 繁蔵…六人兄弟の次男。ユキの弟で文造の兄。フサと結婚し秋幸の義父となる。土方請負師。 郁男…秋幸の種違いの兄。二十四歳の時、三月三日に自殺。 美恵…秋幸の種違いの姉。郁男と住み家事をしていたが実弘と駆け落ちし、郁男が自殺した家で所帯を持つ。 美智子…美恵・実弘の子、十六歳の高校生で十九歳の五郎と駆け落ちし、現在妊娠中。 ユキ…秋幸の義父繁蔵の姉。父親が早死にし、六人兄弟を養うため十五歳で女郎に売られる。 …ユキ、繁蔵の長兄、仁一郎の妾腹の子、秋幸の幼な友達。 一…養護施設にいたが繁蔵の末弟、文造の里子となり、現在は繁蔵に預けられている。五歳。 浜村龍造…出身不明の大男。秋幸の実父だが、秋幸には“その男”と意識されている。秋幸誕生の時、バクチの喧嘩で刑務所に服役していた。現在は成功し浜村木材と書いたトラックに乗っている。 秀雄…龍造とヨシエとの子。秋幸の腹違いの弟。 さと子…龍造が娼婦キノエに産ませた子。秋幸の腹違いの妹。秋幸との間に秘密がある。」

 

 さらに、あらすじ理解として二つの出来事を付け加えておく。秋幸は腹違いの妹さと子と近親相姦を犯していて(前作『岬』の結末)、秋幸はその「秘密」を復讐心から実父龍造に告げるが、近親姦でアホの子が出来てもかまわない、と相手にされない。秋幸の種違いの姉美恵の娘美智子の駆け落ち相手五郎が、秋幸の腹違いの弟秀雄らの不良連中に襲われて重傷を負う事件からほどなく、「きょうだい心中」の音頭が路地に響く盆の川流しの夜に、秀雄に殴りかかられた秋幸は、秀雄の頭を石で打って殺してしまう。

 

<反復における死と生の演劇的な戯れ(ジユ)>

 ジル・ドゥルーズは『反復と差異』の序論に、こう書いている。

「そしてニーチェだが、彼はこう述べている。すなわち、意志を束縛しているすべてのものから、意志を解放するために、反復を、意欲の対象そのものにすること。なるほど反復は、それだけですでに、束縛するものである。しかし、ひとが反復で死ぬとすれば、ひとを救い、病を癒やし、そして何よりもまず他の反復を癒やしてくれるのもまた、反復である。したがって反復には、落命と救済の神秘的な戯れ(ジユ)のすべてと、死と生の演劇的な戯れ(ジユ)のすべてと、病と健康の定立的な戯れ(ジユ)のすべてが、同時に存在するのだ(永遠回帰における反復の力(ピユイサンス)たるただひとつの同じ力(ピユイサンス)による、病めるツァラトゥストラと快癒しつつあるツァラトゥストラを参照せよ)。」(ドゥルーズ『差異と反復』序論)

 

 秋幸にとって、土方として土を掘り返すこと、日と共に働き、日と共に働き止めることは、束縛であると同時に癒やし、救済の、生の、健康の戯れ(ジユ)でもあった。風景に、自然に、染まるように、描写はこれでもか、これでもか、と秋幸にとっての反復というよりも、中上にとっての、小説を書くという束縛であると同時に癒やし、救済の、生の、健康の戯れ(ジユ)でもある反復として、執拗に反復描写される。

《土方の一日は太陽とは切っても切り離せない。日と共に働き、日と共に働き止める。夏の盛り、凍えた土の冬をもその日が雨でない限り働いた。夏は日が長く、冬は短かった。》

《秋幸はまた働いた。自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。》

《川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひらいた二つの眼から血管に流れ込み、自分の体が明るく青く染まっていく気がした。そんな感じはよくあった。土方仕事をしている時はしょっちゅうだった。汗を流して掘り方をしながら秋幸は、自分が考えることも判断することもいらない力を入れて堀りすくう動く体になっているのを感じた。土の命じるままに従っているのだった。硬い土はそのように、柔らかい土にはそれに合うように。秋幸はその現場に染まっている。時々、ふっとそんな自分が土を相手に自瀆をしていた気がした。いまもそうだった。》

《秋幸は単につるはしを土にふりおろす掘り方が好きだった。日は秋幸を風景の中の、動く一本の木と同じように染めた。風は秋幸を草のように嬲った。秋幸は土方をやりながら、自分が考えることも知ることもない、見ることも口をきくことも言葉を聴くこともないものになるのがわかった。いま、つるはしにすぎなかった。土の肉の中に硬いつるはしはくい込み、ひき起こし、またくい込む。なにもかもが愛しかった。秋幸は秋幸ではなく、空、空にある日、日を受けた山々、点在する家々、光を受けた葉、土、石、それら秋幸の周りにある風景のひとつひとつへの愛しさが自分なのだった。秋幸はそれらのひとつひとつだった。土方をやっている秋幸には日に染まった風景は音楽に似ていた。さっきまで意味ありげになむあみだぶとともなむほうれんぎょとも聴こえていた蝉の声さえ、いま山の呼吸する音だった。》

 

 落命と救済の神秘的な戯れ(ジユ)のすべてと、死と生の演劇的な戯れ(ジユ)のすべてと、病と健康の定立的な戯れ(ジユ)のすべてが、同時に存在するような反復、それが郁男をめぐる物語を繰りかえす秋幸だった。

 美智子は美恵の娘で、郁男は美恵の実兄、秋幸は種違いの弟だ。

《ふと秋幸はその美智子が、美恵の最初の子として生れた時のことを思い出した。秋幸が十歳の時だった。子供の頃肋膜を患い体が弱くカンのきつい美恵は中学を出ても他の秋幸の姉たち、芳子や君子のように他所の土地に奉公に出されることもなく、この土地にいた。実際秋幸には今考えてもその頃一体どういう具合に自分の血の繋った者たち、母のフサや種違いの兄、姉たちが暮らしていたのか記憶がなかった。長女の芳子は名古屋の練糸工場に奉公に出、その工場の跡とり息子に見染められて結婚した。秋幸より六つ上の三女の君子は、中学を出て一ヵ月ほどこの土地にいて、大阪の今池でバーをやっているイトコに子守りを頼まれて出て行った。種違いの姉が十七歳の時だった。フサに連れられ、浜そばの木造の助産婦の派出所の暗い廊下をとおった。美恵は中学を出て一年ほど兄の住む家に暮らし、フサが秋幸一人連れて養父に嫁いだので、養鶏をやっていた兄の郁男の家事一切をやっていたのだった。その美恵が、フサにも郁男にも内緒で家出したのだった。家出して男と一緒に飯場で暮らしている、と噂が入ったのはしばらく経ってからだった。郁男が連れ戻してきた。気性の激しいフサが、その美恵を見るなり、髪をつかみ、「この娘は、このバチアタリは」と、泣いて許してくれと言う美恵を畳にこすりつけた。(中略)

 その赤ん坊の美智子が大きな腹をして帰ってきたのだった。秋幸には、そっくりそのままかつて昔あったことを芝居のように演じなおしている気がした。いや、自分が、かつて十六年前の兄と同じ役を振り当てられている気がした。兄の郁男は、美恵をどう思っていたのだろうか、と思った。》

 

 種違いの兄郁男に対する秋幸の原風景は、近親姦と弟殺しの匂いで噎せかえっている。かつて幼い秋幸を連れて繁蔵のもとに行ってしまった母フサに取り残された郁男は、妹の美恵と生活をともにした。

《共同井戸で兄の郁男の衣服を洗っている美恵に「美恵ちゃんたら、若夫婦みたいやね」と言う路地の者がいた。そんな時美恵は知らん顔をした。そういう噂があるのは知っていた。》

《噂がまた路地の家々を伝う。秋幸が男の眼に見つめられ、思い出したその噂もそうだった。誰がそれをのぞいていたわけでも、見たわけでもなかった。郁男が「きょうだい心中」のように美恵に恋し、美恵はそれを拒んで実弘と駆け落ちした。根も葉もない噂ではあったが、秋幸には、根のようなもの、葉のようなものが分かった。》

 そして、飲んだくれるようになった郁男は母親フサと種違いの弟秋幸に殺意を抱き、夜ごとに母を訪ねるようになった。

 

<反復するがゆえに抑圧する>

「私は、抑圧するがゆえに反復する、というのではない。私は、反復するがゆえに抑圧するのであり、私は、反復するがゆえに忘却するのである。私は、或る種のものごと、あるいは或る種の経験を、まずはじめに、反復という様態でしか生きることができないがゆえに、抑圧するのである。」(ドゥルーズ『差異と反復』序論)

 

 夜ごと、母と秋幸の家に包丁を手にやってくる郁男の眼は、やがて秋幸の眼となる。

《秋幸は、思い出した。兄がこの道を逆にたどって、刃物を持って殺しに来た。郁男は、かつて母と母の子一族で住んで、今、美恵夫婦が住む家に、一人で暮らしていた。その頃、長女の芳子は、名古屋の練糸工場の跡取り息子に嫁いでいた。三女の君子は、大阪の西成・今池でバーのママをやっているイトコの家へ子守りに行っていた。母のフサと秋幸がその家を出てからも一緒に暮らして飯の準備、洗濯をしていた次女の美恵は、実弘と駆け落ちして姿をくらましてそれでもどってきたが、その家には寄りつかず実弘の実家に身を寄せていた。郁男は酒びたりだった。酒に酔い、この道を独り、母を、弟の秋幸を殺してやる、と歩いた。郁男は、畳に包丁をつき刺し、「われらァ、ブチ殺したるから」と叫んだ。》

 のちに秋幸は、腹違いの弟秀雄を見て、殺意を抱く。

《秋幸は、郁男を想い出した。郁男は秋幸の種違いの兄だった。秋幸はそう思いつき、或る事に思い当り愕然とした。郁男は、今の秋幸と同じ気持ち、同じ状態だったのだ。秋幸は薄暮の中に立ったまま、空にまだある日をあびて、自分の眼が黄金に光る気がした。

 殺してやる。秋幸は思った。郁男はその時、そう思ったのだった。その時の郁男の眼は、今の秋幸だった。郁男は何度も何度も鉄斧(よき)や庖丁を持って、路地の家から“別荘”の辺りにある義父の家へ、フサと秋幸を殺しにきた。秋幸は生き続けて二十六歳になり、郁男は二十四歳で首を吊った。》

 秋幸は繰り返し思い出す。思い出すことは反復であり、抑圧するがゆえに反復する、というのではなく、反復するがゆえに抑圧する。中上は、反復して書くことで、さらに抑圧の強度を高めるかのように。

《兄の郁男の死は繰り返し繰り返し思い出してきたのだった。十幾年前、三月三日の雛を飾って祝う女の節句の日の朝、二十四の若さで酒びたりになり、幻聴がすると言っていた郁男は突然、首をつったのだった。その日の前の夜、郁男は仏壇にむかって経をあげた。経をあげている最中にも幻聴があったらしかった。素肌にはおったジャンパアの胸をはだけて、「よし、よし」とうなずいた。「皆んなに手を出すな、おれが行く」そうどなった。それは謎の言葉としていつまでも残った。》

《兄の郁男は、郁男は、十四年前、フサをも秋幸も殺すことは出来ず、アルコール中毒のためか、たえず幻聴がすると言った。二十四歳の郁男は、素裸の上にはおったジャンパアの中に、交信機でも入っているというように、うんうんとうなずいた。「そうや」と言った。首をかしげて聴き入り、「あかん」と言った。死ぬ前日の夜、郁男は義父の家の仏壇に坐った。火をあげ、線香をたき、一時「なむみょうほうれんげきょ」と宗旨の違う念仏をとなえた。また幻聴がした。「あかん、よっしゃ、おれ一人行く」そしてその朝、郁男は、路地のいま美恵夫婦が住んでいる家の柿の木で首をつった。あっと言う間だったと、その郁男が朝早くから何をするのだろうと窓のすき間からのぞいていた路地の女が言った。》

 秋幸は、腹違いの弟秀雄を殺害することで、郁男が自殺によって中断せざるをえなかった悲劇の物語を演じきる。だから、郁男は秋幸である。秋幸は郁男となる。秀雄は郁男にとっての秋幸である。秋幸は反復への恐怖を抱いていたが、しかし秋幸は、反復という様態でしか生きることができない。

《ふと、秋幸は思った。身震いした。秋幸は自分が十二歳の時、二十四で死んだ郁男にそっくりだと思った。郁男の代わりに秋幸は、秋幸を殺した。秀雄が十四年前の、秋幸だった。》

 まるで、反復するがゆえに忘却することができるかのごとく、秋幸は果てしなき反復に身を投じている。

《郁男と秋幸を殺した。仕方がなかった。二人を殺さなければ、秋幸が殺された。秋幸はそう思った。いや秋幸は、秀雄が、あの時、郁男に殺された秋幸自身であり、実際には首を吊って自死する郁男のような気がした。郁男が諌めるように死んだ十二歳の時から、秋幸は郁男を殺したと思ってきた。すでに人は殺していた。その時から秋幸は、声変りがし、陰毛が生え、夢精をし、日増しに成長する秋幸自身におびえた。骨格は、その男に似て太かった。自分の毛ずね、地下足袋をはく足、それらは獣のものであって到底人間のものとは思えなかった。それは人殺しの体だった。》 

 

 盆踊りで唄われる「きょうだい心中」の音頭が通奏低音となる。郁男と美恵という実の兄妹の近親姦的噂は、美恵の駆け落ちと、すぐそのあとの郁男の自殺によって宙ぶらりんとなったが、前作『岬』の結末で腹違いの妹(と予感した)さと子を抱いた秋幸だが、『枯木灘』では、今や互いに妹と兄とはっきりわかっている。

《涙をふいたさと子が「兄ちゃん、きょうだい心中でもしよか」とぽつんと言った。

「あほを言え」秋幸は答えた。きょうだい心中とは町中のそこかしこで盆踊りに唄われる音頭だった。兄が二十で妹が十九、という歌い出しだった。兄が妹に恋をし、病の床につき、せめて一夜でも想いを遂げさせてくれと頼む。きょうだいではないかと妹は兄をたしなめるが、兄はきかない。妹は一計を案じた。自分には好きな男がいる、それは虚無僧の姿でいる、それを殺してくれるなら、と言う。兄は夜、その虚無像を斬る。悲鳴をきき、それが妹であったことを兄は知った。兄は、自分で死んだ。》

 そのうえ、二人の実父龍造のもとにさと子と出向いた秋幸の口から面と向かって「秘密」は暴露されるが、近親姦で、アホの子が出来ても、しょうないことじゃ、つくれ、つくれ、アホでも何でもかまん、と骨抜きにされたうえに、真の「秘密」はそこにはなく、行商の母にかわって育ての母だった姉の美恵に抱いた思いこそが「秘密」だったと秋幸は心の底で知って、ますます郁男を演じることとなる。

《秋幸は顔をあげ、子供らが三人で裸になり水遊びする青く光る渓流を見ながら、人にしゃべるべき秘密、さと子との秘密は、さと子を抱いた、自分の腹違いの妹と性交した、そんなことではない、と思った。その女は美恵のようだった。それが秘密だ、と秋幸は思った。その新地の女は、秋幸のはじめての女だった。二十四のそれまで秋幸は女を知らなかった。それは姉の美恵が禁じた。》

 

<反復の喜劇>

「反復の喜劇というものと反復の悲劇というものがある。反復は二度現われる、一度は悲劇的な運命のなかで、もう一度は喜劇的特徴のなかで、ということは必然的でさえある。」(ドゥルーズ『差異と反復』序論)

 

 大きな男浜村龍造の物語は、噂を通して繰り返し語られる。曰く、株主の一人が不渡り手形を出した材木屋の株を手に入れ、たちまち材木屋を倒産させたとか、農地改革でほとんどを手放した地主佐倉の土地に火事が相次ぎ、大きな鬼のような男が火をつけて廻っているとか、有馬の土地を買い占め、小作人に蜜柑をつくっていればよいと言っておいて一切を抜き取ったとか、娼婦キノエに産ませた新地の実娘さと子をケダモノのように抱いた(秋幸のことが歪められて龍造の話になったと秋幸はすぐにわかった)とか……。

三年の刑を終えて出て来た龍造がフサを訪ねて、息子秋幸を渡すことを拒絶されたという、フサ、ユキ、美恵から聞く噂は、記憶にはない秋幸に原風景を与え、これもまたなんどでも反復して止まない。

《男はさがした。フサの家から三軒先の共同井戸のそばに美恵がいた。男の子がたらいに張った水を手でかき出していた。水がタプタプと音をたてて揺れていた。美恵が歩み寄る男を見つめていた。男は子供の前に立った。「坊」と呼んだ。男は名前を知らなかった。美恵は眼を細めていまにも泣きそうな顔だった。男は名前を思い出した。フサが自分の種を孕んだと知った時、男ならこれ、女ならこれと言ったことがあった。ヒロユキともアキユキとも言った記憶がある。

「アキユキ」と男は呼んでみた。

 子供は顔をあげた。

 秋幸にはその男との初めての出会いも記憶にはなかった。》

 龍造についての浜村孫一をめぐる噂は、《自分こそ今あらたに生まれなおした浜村孫一だと言いたい》男の、貴種流離譚につなげたがる反復の喜劇に違いなかった。

《或る時、こんな噂が流れた。熊野の有馬の土地に、浜村家先祖代々の碑をたて、元をただせば馬の骨などではさらさらなく、戦国の時代、織田信長の軍に破れた浜村孫一という武将が先祖である、と言いはじめた。人の失笑を買っていた。》

《秋幸が聴いたその噂はろくなものではなかった。体の大きな妙に威圧する男は突然、金を持って来て、住職をたぶらかし郷土史家をたぶらかし、元々このあたり一帯にある言い伝えでしかなかった浜村孫一の碑を建てたのだった。その浜村孫一と浜村龍造を結ぶのは単に浜村という姓だけにすぎなかった。浜村龍造はれいれいしく町長や村長、県会議員を呼んで碑建立の除幕式をやり、青年会館で講演会をやった。盆に踊るちんば踊りとは、織田信長との合戦に破れた浜村孫一がびっこを引き、片眼になり、熊野の山を下りてきた時の名残りだ、と郷土史家は言った。》

 龍造の文脈には、兄妹近親姦(禁忌の同母兄妹であったり、緩やかだった異母兄妹であったり)が主旋律となっている『古事記』の、《火の神を産み、女陰が焼けて死んだ伊邪那美命を葬った窟は来るまで五分たらずのところにある。神話の中の黄泉はここだった。このあたり一帯だった。そこに男は碑を建てた。石碑は男の永久に勃起しつづける性器だった》という原初の物語がある。ここは平清盛、重盛、維盛の熊野詣の地である以上に、維盛入水の地(それに伴う落人の地)とも伝えられているうえに、路地の者たち(被差別部落)の歴史的出自伝説や文化人類学民俗学における山人学説も重層化されている(噂をふれまわるユキによれば、《孫一の一統が敗走する道が、竹原一族や路地に住む者の半数ほどの遠つ祖の移動の経路に似ているということだった。(中略)また山中にダイダラボッチという、大男の片足の神がいる、と言った。ユキは、秋幸の顔を見て、「そんなによう似とるんやったら、ヘイケらいう大昔の先祖でなしにその孫一という人に、先祖をしようかいね」とからかった。》)。

 

枯木灘』に続く、紀州三部作の最終巻『地の果て 至上の時』は、秋幸が龍造の所業を反復するように、三年後に刑務所から出て来たところからはじまるが、その反復の強度は文体的にも、関係においても決して強くない。 “その男”浜村龍造は、大きな男、王のような、反撥と対決の、どこかから見ている神のような存在ではなく、理解しあえる民主的な相手となって秋幸と語らう。最後に、秋幸が龍造を殺すことを期待する緊張感は、物分かりのよい龍造が郁男を隔世遺伝的にならうかのように首を吊って自殺してしまうことであっけなく裏切られる。敗北者としての悲劇性もまとわず、『熊野集』で吐露した現実の父が見せつける弱々しさをさらけ出した父龍造の敗北者的な首吊りを、声をかけて制止することなく、黙って見ていることしかしなかった息子秋幸という関係の構造にこそ、三度めの反復として中上がこの小説にかけたポスト・モダン的な思いがあったのだろう。

 路地の消滅と同期して、そこにあるのは、もはやギリシア悲劇旧約聖書のような愛憎と悲嘆の古典的な物語の反復ではなく、近親姦でアホの子ができてもしょうがない、つくれ、つくれ、アホでもなんでもかまん、と骨抜きにされた出来事と同じような、構造と関係の「ずらし」、物語の反復の解体、脱構築(デコンストラクシヨン)であった。

 発表当時、この後日譚小説の評判はよくなかった。しかし中上はのちのちまで自信作だと語り、批評家の何人かは、類まれな小説だと力説している。小説理論、民俗学、現代哲学の勉強家だった中上健次が、それらの知識で自作を語っているのを読むことができる。今、それらを読み返して思う。中上健次は、なによりも小説家だった。

                                    (了)

            *****引用または参考文献*****

*『中上健次全集1~15』(集英社

*『別冊太陽 没後二〇年 中上健次』(平凡社

*『中上健次と熊野』柄谷行人渡部直己編(太田出版

中上健次『現代小説の方法』高澤秀次編(作品社)

柄谷行人坂口安吾中上健次』(講談社文芸文庫

渡部直己中上健次論 愛しさについて』(河出書房新社

四方田犬彦『貴種と転生・中上健次論』(新潮社)

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳(河出文庫