文学批評 不可能な「恋愛小説」として藤沢周平『蟬しぐれ』を読む

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f:id:akiya-takashi:20220309170117j:plain (井上ひさし作成「海坂藩城下図」)

 

 藤沢周平『蟬しぐれ』の文庫本(新装版)解説で、湯川豊は稀に見る「青春小説」と讃えている。

丸谷才一は『闊歩する漱石』中の一章「三四郎と東京と富士山」で、この小説を、始め、半ば、終りの三部に分けた上で、始めの部分を絶讃し、半ばの部分はどうも精彩を欠くと指摘し、要するに小説の後半部分は話が朦朧(もうろう)として鮮烈な感銘が残らない、といっている。その通りであろう。

 登場人物はもっと積極的に行動するのでなければならないはずだが、三四郎は初心(うぶ)な青年で慎しみ深いから、自分から進んで美禰子に何かする、ことがない。さらなるは、美禰子の在り方。当時の日本では、中流階級の娘から男に迫ることなどは普通はあり得ない。丸谷は、だから「……風俗の現実を重んじ、わりに写実的な味でゆかうとする以上、美禰子に奔放な行状をさせるわけにはゆかない」とていねいに説明している。

 さらにその上で、漱石はドラマを毛嫌いしていたふしがあり、『三四郎』が若い男女のドラマである恋愛小説にはいよいよなりにくかった、ともいっている。

 この漱石のドラマ嫌いということについてはいま脇に置いて、明治末期の風俗として三四郎と美禰子の恋愛が成立しがたかったという事態はぜひ記憶にとどめておきたい。時代が、若い男女二人の関係を朦朧とさせているとすれば、江戸時代中期(と思われる)、東北の一隅にある海坂藩では(架空の藩であるとしても)、若い男女の恋が成立するのはさらにさらに厳しいと考えられる。しかも、『蟬しぐれ』の二人、文四郎とふくは、小禄下士とはいえ武士階級に属しているのである。

 江戸時代、とりわけ武家社会では、男女のことに関してはさまざまに大きな制約があった。藤沢周平はその制度的制約をきっちり守りながら、またときには制約を巧みに利用しながら、文四郎のふくへの思いを独自のしかたで書き切っている。そのことによって、『蟬しぐれ』が稀にみるほどの青春小説になっているのだが、それについてはこの解説がもう少し進んだところで詳しく考えてみることにしたい。(後略)》

 なるほど『蟬しぐれ』は「青春小説」であり、さらには「成長小説(ビルドゥングス・ロマン)」でもあろう。しかし「恋愛小説」として読むとき、さらに深みを増すのではないか。というよりも、実際に多くの読者は「恋愛小説」として本を閉じたのではないだろうか。

 それも湯川が指摘したような、《江戸時代、とりわけ武家社会では、男女のことに関してはさまざまに大きな制約があった。藤沢周平はその制度的制約をきっちり守りながら、またときには制約を巧みに利用しながら、文四郎のふくへの思いを独自のしかたで書き切っている》という時代の制約以上に、年齢的に恋愛をはっきりと自覚する以前に、別れの挨拶もできなかったという悔いのもと、恋愛対象が、遠い江戸で、藩主の側女になってしまうという、もはや困難な恋愛、不可能な恋愛、成就がかなわぬ恋愛についての「恋愛小説」として読みはしなかったか。

 湯川豊は解説を、《虚構の時間のなかで助左衛門とお福さまが、二人の青春の場面を手をたずさえるようにして確かめあうのである。確かめあっても、その後の行き場はない。二人は別れるしかない。そして二人のなかで生きつづけた青春の時間が、宙空に浮かぶように残る。完璧、と言いたいような青春小説がそのようにして残る。》と結んだが、不可能だった恋愛の時間が、宙空に浮かぶように残るのを、「恋愛小説」と呼ぶことに躊躇う必要はあるまい。

 ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』で恋愛のフィギュール(型)を80(「不在」「嫉妬」「待機」「破局」「追放」「憔悴」「狂人」など)列挙したが、『蟬しぐれ』にはそのうちの4分の1程度しかあてはまらないだろう。それらしくとも、普通の恋愛のフィギュールからずれている。あるいは該当しない(たとえば「嫉妬」「苦悩」「肉体」「いさかい」「恋文」など)。しかも該当、非該当以前に、主人公に「恋愛主体」としての自己認識は希薄であり、「恋愛対象」はずっと不在である。それでもなお、『蟬しぐれ』はエピソード、逸話、イメージ、後悔が育んだ「記憶」と「時間」「歳月」の魔力によって、不可能な「恋愛小説」を「恋愛小説」あらしめたことで読者を魅了する。

 同郷の丸谷才一藤沢周平への弔辞で、「小説の名手であり、文章の達人」と呼びかけた、洗練された文体の素晴らしさ、みずみずしい自然風景描写、ロマンチックな北方性とリアルな心理分析、知的な構成からなる『蟬しぐれ』(および同時期に書かれた『三屋清左衛門残日録』)の魅力は、同じく丸谷の言葉にそって言えば、藤沢が青春から中年にかけてのころ、ヨーロッパの文学に親しみ、影響されて、本式の方法を中心部に秘めることになり、おのづから作中人物に寄せる愛着の深さ、その造型の堅固さ、笑いとユーモアの方法で世界が安定し、奥行が深くなって、遠い昔の人物たちに隣人たちに寄せるような親しみを覚えることになった、という批評の最良の現れであろう。

『蟬しぐれ』に、藤沢文学の特徴である「時代小説」「青春小説」「成長小説」「剣客小説」「推理小説」「市井小説」「恋愛小説」が洗練された形で多層的に表現されていることは強調するまでもないが、ここでは「恋愛小説」(しかもその不可能性を超越しての)にフォーカスしたい。

 かくして、不可能な「恋愛小説」として、バルト『恋愛のディスクール・断章』の恋愛のフィギュールも参照しながら、『蟬しぐれ』を《「章」》を追って読み進めてゆく。

 

《「朝の蛇」》

「小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで」

 中編小説『蟬しぐれ』は地理空間としての川の自然描写と、川岸の市井の人々(ここでは下級武士)の地に足の着いた生活描写ではじまり、小説の最終局面「逆転」での五間川の舟による脱出行によって、「川」というテーマの円環構造となっている。川はよくある隠喩だが、「時間」の流れを連想させるライトモティーフである。こういう構成の重要さを藤沢周平は若い頃のヨーロッパ文学愛読(シュトルム、カロッサ、チェーホフなど)から学んだのであろう。

9(以下、文春文庫(1971年刊、全一冊)のページ数を表示)《海坂(うなさか)藩普請組の組屋敷には、ほかの組屋敷や足軽屋敷にはみられない特色がひとつあった。組屋敷の裏を小川が流れていて、組の者がこの幅六尺にたりない流れを至極重宝にして使っていることである。

 城下からさほど遠くはない南西の方角に、起伏する丘がある。小川はその深い懐から流れくだる幾本かの水系のひとつで、流れはひろい田圃(たんぼ)を横切って組屋敷がある城下北西の隅にぶつかったあとは、すぐにまた町からはなれて蛇行しながら北東にむかう。

 末は五間川の下流に吸収されるこの流れで、組屋敷の者は物を洗い、また汲(く)み上げた水を菜園にそそぎ、掃除に使っている。浅い流れは、たえず低い水音をたてながら休みなく流れるので、水は澄んで流れの底の砂利や小石、時には流れをさかのぼる小魚の黒い背まではっきりと見ることが出来る。だから季節があたたかい間は、朝、小川の岸に出て顔を洗う者もめずらしくはない。

 市中を流れる五間川の方は荷舟が往来する大きな川で、ここでも深いところを流れる水面まで石組みの道をつけて荷揚げ場がつくってあり、そこで商家の者が物を洗うけれども、土質のせいかそれとも市中を流れる間によごれたのか、水は大方にごっている。その水で顔を洗う者はいなかった。

 そういう比較から言えば、家の裏手に顔を洗えるほどにきれいな流れを所有している普請組の者たちは、こと水に関するかぎり天与の恵みをうけていると言ってよかった。組の者はそのことをことさら外にむかって自慢するようなことはないけれども、内心ひそかに天からもらった恩恵なるものを気に入っているのだった。牧文四郎もそう思っている一人である。》

 

「いまのようにそっけない態度をとるようになったのはいつごろからか」

 下級武士の養子である牧文四郎十五歳、小柳ふく十二歳のときの些細なエピソードから物語は始まる。親友の小和田逸平と、もう一人の親友島崎与之助を性格描写とともに一筆書きしてみせる。

11《文四郎が川べりに出ると、隣家の娘ふくが物を洗っていた。

「おはよう」

 と文四郎は言った。その声でふくはちらと文四郎を振りむき、膝(ひざ)を伸ばして頭をさげたが声は出さなかった。今度は文四郎から顔をかくすように身体の向きを変えてうずくまった。ふくの白い顔が見えなくなり、かわりにぷくりと膨(ふく)らんだ臀(しり)がこちらにむいている。

 ――ふむ。

 文四郎はにが笑いした。隣家の小柳甚兵衛の娘ふくは、もっと小さいころからいったいに物静かな子供だったが、それでも文四郎の顔を見れば、朝夕尋常の挨拶をしていたのである。

 いまのようにそっけない態度をとるようになったのはいつごろからかと、文四郎は考えてみる。やはり一年ほど前からである。そのころに何かふくに疎(うと)まれるようなことをしたろうかと思うのだが、それにはまったく心あたりがなかった。

「そんなことは考えるまでもない。娘が色気づいたのよ」

 その話をしたとき、親友の小和田逸平が露悪的な口ぶりで断定し、またやはりそのとき一緒にいたまじめひと筋のもう一人の親友島崎与之助が色気づくという言葉の意味がわからず、それをわからせるのに小和田と一緒に大汗を掻(か)いたことを思い出したが、文四郎はいまでも小和田逸平の断定には疑いを持っている。

 ――ふくは、まだ十二だ。》

 

「文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂(にお)いがひろがった」

 小説の舞台は北国にもかかわらず、『蟬しぐれ』には日射しと光が満ちあふれている。見晴るかす空間の広がりと空の高さ、そして序曲(プレリュード)のような蝉の鳴声。突然の、ためらいがちな接触を越えた行為の純粋さを裏切るかのような血の匂い。生殺ししなかった蛇のイメージは、小説の最後の緊迫した場面「逆転」での追手の男の頸をさぐって血脈を絶つ行為に回帰するだろう。

12《いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。

 頭上の欅の葉かげのあたりでにいにい蟬(ぜみ)が鳴いている。快さに文四郎は、ほんの束(つか)の間放心していたようだった。そして突然の悲鳴にその放心を破られた。(中略)

 悲鳴をあげたのはふくである。とっさに文四郎は間の垣根をとび越えた。そして小柳の屋敷に入ったときには、立ちすくんだふくの足もとから身をくねらせて逃げる蛇を見つけていた。体長二尺四、五寸ほどのやまかがしのようである。

 青い顔をして、ふくが指を押さえている。

「どうした? 嚙(か)まれたか」

「はい」

「どれ」

 手をとってみると、ふくの右手の中指の先がぽつりと赤くなっている。ほんの少しだが血が出ているようだった。

 文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂(にお)いがひろがった。ぼうぜんと手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げて来たのだろう。

「泣くな」

 唾(つば)を吐き捨てて、文四郎は叱った。唾は赤くなっていた。

「やまかがしはまむしのようにこわい蛇ではない。心配するな。それに武家の子はこのぐらいのことで泣いてはならん」

 ふくの指が白っぽくなるほど傷口の血を吸い尽くしてから、文四郎はふくを放した。これで多分大丈夫と思うが、家にもどったら蛇に嚙まれたと話すようにと言うと、ふくは無言で頭をさげ、小走りに家の方にもどって行った。まだ気が動転しているように見えた。

 やりかけの洗濯物が散らばっている洗い場に跪(ひざまず)くと、文四郎は水を掬って口をゆすいだ。それから立ち上がってさっきの蛇をさがした。やまかがしは無害だとも言われるが油断は出来なかった。いたら殺すつもりである。

 蛇は文四郎の家とは反対側の、山岸の家との境にある小暗い竹やぶの中で見つかった。尾をつかんでやぶから引きずり出すと、蛇は反転して歯むかって来たが、文四郎は蛇を地面にたたきつけ、最後に頭を石でくだいてとどめを刺した。生殺しはいけないと教えられている。》

 

「まるで田楽豆腐に見える」

 伝記的背景から、不遇な心情を表現するために初期は暗澹とした闇を抱えた作品の多かった藤沢だが、中期の『用心棒日月抄』あたりからユーモアの味を具えるようになって、この作品にも、ところどころで闇が迫るとはいえ、日射しと白い光、くっきりとおおらかな人物像を与えている。とはいえ、同時期の『三屋清左衛門残日録』などで読者を楽しませた「故郷の味」の描写を、『蟬しぐれ』にも食べ物のシーン、飲み食いの場がいくつかあるにも関わらず、散漫、冗長を警戒したゆえなのか、極端に筆を抑えていて(小説末尾のクライマックスではこばれるのは「膳の物」の一語)、藤沢の構成意識、文体の克己心には驚嘆すべきものがあると言わねばなるまい。

19《道場がある鍛冶町から、裏道を少し歩くと五間川のひろい河岸通りに出る。道場を出た文四郎と小和田逸平、島崎与之助は、まるめた稽古着を竹刀にむすびつけて、と言っても不精者の逸平は紐をむすぶ手間を嫌って稽古着に竹刀を突っ込み、それがまるで田楽豆腐に見えるのだが、それをかついで河岸通りを南に歩いて行った。

 大きな田楽豆腐をかついでいるような逸平を見て、すれちがう町びとが笑いをこらえる顔で通りすぎるのに、逸平はいっこう平気な顔をして歩いている。西にかたむいてもまだ暑い日射しが河岸通りに照りわたり、青々とした柳の枝の陰に入るとほっとするほどだった。》

 

「はじらいのいろがうかぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした」

 まだ幼いとはいえ、徐々に自意識が成長してきている男女を藤沢は巧みに表現している。

30《文四郎は隣の小柳に何か変わったことはなかったかと聞きたかったが、我慢した。

 しかし翌朝、文四郎が頭上で蟬が鳴いている小川べりに出ると、ふくが物を洗っていた。ふくは文四郎を見ると、一人前の女のように襷(たすき)をはずして立ち、昨日の礼を言った。ふくはいつもと変わりない色白の頬をしていた。

「大丈夫だったか」

 文四郎はそう言ったが、ふくの頬が突然赤くなり、全身にはじらいのいろがうかぶのを見て、自分もあわててふくから眼をそらした。》

 

《「夜祭り」》

「ふくの顔にうかんでいる喜びのいろは、まったく無邪気なものだった」

 現実的な母と対比して、少女ふくの無邪気な喜びにはある種の救われがあって、小説全体を五感とともに幸福感で照らす。

31《一段落して、文四郎は水桶にひしゃくをもどすと、額の汗をぬぐった。日は西に回って、裏の雑木林の影が菜園の半ばを覆っているけれども、表の生垣、粗末な門のあたりにはまだ強い夏の日射しがはじけていた。空気は燃えるように熱く、その暑い空気を掻(か)き立てるように、雑木の中で蟬が鳴いていた。文四郎は全身に汗をかいていたが、はだしの足のうらだけは気持ちよくつめたかった。(中略)

 登世(筆者註:文四郎の母)は小柳の女房がまたしても無躾(ぶしつけ)な頼みごとをしに来たと思ったには違いないが、考えていることはそれだけではないだろう。登世は十二になったふくを、もはや子供とは認めていないのである。そのふくを夜祭りに同道しろという、小柳の女房の無神経さにも腹を立てているはずだった。

 だが文四郎が承知の返事をすると、ふくは顔を上げて文四郎と登世を見た。ふくの顔にうかんでいる喜びのいろは、まったく無邪気なものだった。ふくは顔ばかりでなく、全身で喜びを現していた。よほど祭りに行きたかったとみえる。文四郎は承知してよかったと思った。

 小柳の親子がこもごも礼をのべて門を出て行くのを見とどけてから、母が言った。

「いったいどういう了簡(りょうけん)でしょうね、あのひとは」

 文四郎は黙っていた。母の不機嫌がありありとわかり、へたなことを言ってそなたも祭りに行くのはおやめ、などと言われてはかなわないと用心していた。だが母はそれ以上は言わず、ふくをつれて行ったら、ひとに目立たないようにしろとつけ加えただけだった。》

 

「ふくは夜目にもわかるほど顔を赤くしたが、やがて文四郎の背に隠れながら水飴をなめた」

 与之助が対立する子供たちに連れ去られて殴られているのを文四郎と逸平が助けに走って、素手での乱闘となる。じっと待っていたのは、ふくだ。まだ子供だ、と思いこむことで安心する文四郎とは大人なのか子供なのか。明るい灯火による光と影、無言でうしろについて来る少女。いつしかこのイメージも忘れられないものとして最終章「蟬しぐれ」でふく(お福さま)の口から語られる。

41《どこかに連れ去られたという与之助を考えながら、文四郎はしばらく放心してまわりのそういう人びとを眺めていたようである。そしてはっと気がついてふくを振りむいた。

 ふくはどこにも行かず、文四郎のすぐうしろにいた。そして文四郎と眼が合うとはにかむように笑った。

「飴を喰うか」

 文四郎が聞くと、ふくは眼をみはり、すぐにはげしく首を振った。

「遠慮するな。金はあるんだ」

 と文四郎は言い、間もなく前に来た飴屋から、水飴をひと巻き買ってふくにあたえた。ふくは夜目にもわかるほど顔を赤くしたが、やがて文四郎の背に隠れながら水飴をなめた。

 ――まだ、子供だ。

 と文四郎はふくを思った。その感想には、なぜか文四郎を安心させるものが含まれていた。(中略)

 時どき傷む脇腹をおさえながら、文四郎はいそいで吉住町に引き返した。行列は通りすぎて、通りの人影はまばらになっていた。明るい燈火だけが、がらんとひろい道を照らしていて、その隅にふくが待っていた。

 ふくは鼻血の顔を見て眼をみはったが、文四郎が帰るぞと言うと無言でうしろについて来た。》

 

「嵐」

 五間川が嵐で氾濫しそうになって、外出中の父助左衛門に代わって文四郎が土手に駆けつける。遅れて現われた助左衛門が、土手を切ることで金井村の田が水没するのを防ぐため、切る場所を上流に変更するよう進言し受けいれられる様子を目の当たりに見て、文四郎は父のようになりたいと思う(のちに文四郎は、金井村の人々が、助左衛門が反逆罪で捕らえられたおりに助命嘆願書を提出していたことを知るという物語の伏線ともなっている)。

 

《「雲の下」》

「かすかな悲哀感のようなもの」

 文四郎はかすかな悲哀感のようなものを二度感じる。一度目はふくが大人になりつつあることに(ふくの臀(しり)のあたりと、裾からこぼれて見えた白い足首)。二度目はふくの家の貧しさに(普通には脱け出せようのない、階級、身分制度)。それらが、ふくの運命、未来を左右してゆくことになると文四郎はまだ気づくはずもない。

78《考えこんでいたので、文四郎は自分の家の前で、門から出て来た隣のふくともう少しでぶつかりそうになった。

「明けましておめでとうございます」

 ふくは抱えていたものを袖(そで)に隠しながら、顔を赤くして挨拶した。

 文四郎が挨拶を返すと、ふくはそそくさと背をむけ、小走りに自分の家の門に駆けこんで行った。

 そのうしろ姿を、文四郎はたちどまったままぼんやりと見送ったが、自分が見送ったものがふくの臀(しり)のあたりと、裾からこぼれて見えた白い足首だったのに気づいて、はっとわれに返った。

 ――おれはいま……。

 いやしい眼をしなかっただろうかと、文四郎は自問した。いや、大丈夫だったんじゃないかと、いささか自信なげな内部の声が答えた。

 棒のようだったふくの身体に丸味が加わって来たのは、去年あたりからだったように文四郎は思っている。昨日は肩の丸味に気づいたと思うと、今日はいつの間にか皮膚が透きとおるようにきれいになっているのにびっくりするというふうに、要するにふくは、日一日と大人めく齢ごろで、いまもふくの一瞬の身ごなしに現れた女らしさが、自分をおどろかしたのだと文四郎にはわかっていた。

 ――ふくも……。

 いよいよ大人になるのか、とかすかな悲哀感のようなものを感じながら、文四郎は道に背をむけて門を入った。(中略)

 突然に文四郎は、さっき会ったふくが正月なのにふだん着のままだったのを思い出していた。小柳の家は文四郎の家よりも家禄で五石少ない。そのことを文四郎は日頃忘れているが、小柳の貧しさは尋常でないようだった。

 文四郎の家も貧しくて、父の助左衛門も文四郎も、ふだんよく登世の繕ったものを着ているけれども、米をよそから借りるほどではない。しかし子供が二人多く、家禄が五石少ないとそういうことになるのかと、改めて小柳の貧しさに気づくようだった。

 ――借りても……。

 返さなければなるまい。その米をどうするのかと、文四郎は袖に米を隠したふくの姿を思いうかべた。するとまた、かすかな悲哀感に似たものが心をかすめるのを感じた。》

 

窈窕たる淑女、君子の好逑か、と文四郎は思った

 藤沢周平は教師の道を歩んでいた若いころ、漢詩、漢学を学んでいた。「窈窕淑女」(上品で奥ゆかしい女性)は「君子の好逑」(有徳の人、ないし青年のよき配偶者)で、ぼんやりとふくのことを思いはしても、恋愛感情は希薄である。不可能な恋愛というのは、恋愛主体がまだ幼すぎて複雑な恋愛感情にまみれていないことから来る。

81《居駒塾の塾生は二十人ほどである。居駒礼助の静かで沈着な声が、国風の詩を読み上げていた。

  関々たる睢鳩(しょきゅう)    

  河の洲(す)にあり    

  窈窕(ようちょう)たる淑女    

  君子の好逑(こうきゅう)     

  

  参差(しんし)たる荇菜(こうさい)    

  左右にこれを流(もと)む  

  窈窕たる淑女    

   寤寐(ごび)にこれを求む  

  

  これを求めて得ず

  寤寐に思服す    

  悠なる哉 悠なる哉 

  輾転(てんてん)反側す     

 読み終わると、居駒は丁寧に解釈を加え、この詩はうつくしい娘をもとめる男の気持ちをうたったものだと言った。そして最後に、返事がもらえないので寝ている間もそのことが気になる。長い長い夜を寝(い)ねがたくてしきりに寝返りを打つと説明したとき、塾生のうしろの方でくすくす笑った者がいた。居駒は顔を上げた。

「笑ったのは江森か」

「はい。申しわけありません」

 そう言ったのは、山根清次郎の取り巻きの少年の一人だった。にきびづらの男である。

「詫びはよい。今日は立って家にもどれ」

 日ごろは温厚な居駒が、見違えるようなはげしい声で叱った。江森が恐れて塾を出て行ったあとで、居駒は言った。

孔子は、詩は以て興ずべく、以て観ずべく、以て群すべく、以て怨(えん)ずべしと言っておられる。江森はこの詩をただの男女の交情をうたったものと侮(あなど)ったようだが、そういうものではない。この詩は領主のしあわせな婚姻を祈る歌とされ、また朱子は周の文王とその室太姒(たいじ)をたたえた歌かという説を立ててもおるが、いずれにしろここには、しあわせな婚姻をねがう人間の飾らない気持ちが出ている。四民の上に立つ諸子は、このような庶民の素朴な心や、喜怒哀楽の情を理解する心情も養わねばならぬ。大事なことである」

「……」

「武士としておのれを律することはまたべつ。詩を侮ってはならん」

 窈窕たる淑女、君子の好逑か、と文四郎は思った。ぼんやりとふくのことを考えていると、逸平が膝をつついて餅はまだかと言った。》

 

《「黒風白雨」》

「文四郎は蟬しぐれという言葉を思い出した」

 まるで叫喚の声のように蝉の鳴声が不安な心に幾たびも共鳴してやまない。父助左衛門が藩の派閥抗争の中で反逆罪に問われる。

91《組屋敷がある町に帰りつくまでに、文四郎はもう一度遠くの町角を駆け抜ける槍の一隊を見、また下城の道筋を逆に城にむかっていそぐ裃姿の武士を何人か見た。武士は一人あるいは二人の供をつれ、あきらかに役持ちの拝領屋敷がかたまる内匠(たくみ)町から来た男たちだとわかった。何事か異変が起きたという推測に、間違いはなさそうだと文四郎は思った。

 しかし矢場町にもどると、そこは蟬の声だけが高く、町はひっそりと静まりかえっていて、城に異変が起きているなどということは嘘(うそ)のように思われた。(中略)

 その空地の中に、山ゆりやかんぞうの花が咲き、日陰になった暗い雑木林の中では蟬が鳴き競っている様子を横目に見ながら、文四郎は空地の前を通りすぎた。蟬の鳴き声はまるで叫喚の声のように耳の中まで鳴りひびき、文四郎は蟬しぐれという言葉を思い出した。

 家にもどると、母が夜食の仕度をしていた。あけてある台所の窓から西日が射しこみ、そこから裏の木々で鳴く蟬の声も入って来る。何事もなく夜食の仕度をしている母を見ると、文四郎は来る途中で見た異変を思わせるさまざまな光景が、急に遠方に遠のいたような気がして来た。(中略)

 昼の暑気が残って、窓をあけておいても部屋の中は暑かった。そしてあいた窓から時どきかなぶんや蛾(が)が入って来て、行燈(あんどん)のまわりをうるさくとび回るので、文四郎はよけいに気が散り、書物の文字は頭の中を素通りするだけだった。あきらめて部屋の外を眺めていると、闇の奥で時どき蟬がじじと鳴いた。

 道場の稽古の疲れが出て、少しうとうとしたらしく、文四郎は表に人声がしたとき、とっさに何刻ごろなのかわからなかった。しかし声は隣家の小柳甚兵衛だとすぐにわかって、文四郎は立ち上がるといそいで玄関に出た。(中略)

 帰る兄を見送って、文四郎は門の外まで出た。兄の言うとおりだった。矢場町から南と東にあたる方角に、ところどころ天を焦がす火のいろが見え、その火におどろいたのか、矢場跡の雑木林に眠れぬ蟬の鳴く声がした。

 容易ならぬことが起きたのだという実感が、文四郎の胸を重苦しく圧迫してきた。(中略)

 龍興寺は城下の北東、百人町にある曹洞(そうとう)宗の大寺である。門内に入ると境内の砂利に、午後の白い日が照り付けていた。鐘楼から本堂の裏にかけて、小暗い森ほどに杉や雑木が生いしげり、そこにも蟬が鳴いていた。》

 

「二十前後と思われる美貌(びぼう)の女性は、じっとうつむいたまま、伏せた眼を一度も上げなかった」

 蟬しぐれを浴びて、美貌の女性の出現による先々への期待と怖れが、心憎いばかりに読者を引っ張ってゆく。

104《大方は大人だったが、文四郎より小さい男の子の姿も見えた。女性は一人だけだった。面長の二十前後と思われる美貌(びぼう)の女性は、じっとうつむいたまま、伏せた眼を一度も上げなかった。縁側の外は朴(ほお)の木やもみじの木立で、そこから遠い照り返しがとどき、そのせいで人びとの顔は青ざめて見えている。(中略)

 文四郎の名前が呼ばれたのは五番目だった。さっき仏殿の入り口にいた横柄な物言いをする男たちの中の一人が案内に立ち、文四郎は仏殿の板の間から日のあたる廊下に出た。そして長い廊下を奥にすすむ途中で、文四郎の前に呼ばれた若い女性がもどって来るのに会った。女は眼を伏せたまま、会釈してすれ違って行った。取り乱したふうには見えず、青白い頬だけが文四郎の眼に残った。》

 

「密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いている」

『蟬しぐれ』は蝉の鳴声と同じほどに「光」のカメラワークに優れている。「日射し」「白い光」「灯火」など、藤沢周平という優れた撮影監督による映像美が瞼の裏に焼きつく。「日の光を弾いている」といった美文と「狂ったように鳴き立てる蟬の声」が読者の胸を掻き鳴らす。父は文四郎との短い別れの場で、「わしを恥じてはならん。そのことは胸にしまっておけ」と言い残した。

107《その部屋の一方は多分庭に面しているはずだったが、襖をしめ切ってあるので光は外からは入って来なかった。ただ武士が出て行ったところははじめから襖が一枚ひらいたままで、そこから文四郎が来た方角とは反対側の廊下の明るみが部屋にさし込んでいる。

 冷えた空気が澱(よど)んでいるうす暗い部屋に、文四郎がじっと座っていると、何の前触れもなく、部屋の入口に人が立った。逆光のために顔は見えなかったが、文四郎はひと目でその人影が父の助左衛門だとわかった。(中略)

 はたして塀の角を曲がると、ひとに見られている感触は不意に消えた。そこは片側が龍興寺の長い土塀、片側に古びた足軽屋敷がつづく道で、土塀の内側に森のように密集する木々が、風にゆれては日の光を弾いているのが見わたせる。そこから狂ったように鳴き立てる蟬の声が聞こえて来た。》

 

「人間は後悔するように出来ておる」

 十七歳の逸平の「人間は後悔するように出来ておる」という言葉はやけに大人じみているが、この小説のライトモティーフが「後悔」「悔やみ」「悔恨」であることを宣言している。「言うことがあった」のを思いつかないこともあれば、のちのふくのように思いつめていたのに言い出せなかったこともある。「後悔」とは過去の出来事への反省、執着であるから、時間の遡りの意識、追憶こそが、この不可能な恋愛の物語を、「恋愛小説」とする力学に相違ない。

111《「何が起きたのか、聞きたいと言ったのだが……」

 言いたいのはそんなことではなかったと思ったとき、文四郎の胸に、不意に父に言いたかった言葉が溢れて来た。

 ここまで育ててくれて、ありがとうと言うべきだったのだ。母よりも父が好きだったと、言えばよかったのだ。あなたを尊敬していた、とどうして率直に言えなかったのだろう。そして父に言われるまでもなく、母のことは心配いらないと自分から言うべきだったのだ。父はおれを、十六にしては未熟だと思わなかっただろうか。

「泣きたいのか」

 と逸平が言った。二人は、歩いて来た道と交叉(こうさ)する畑に沿う道に曲がり、幹の太い欅(けやき)の下に立ち止まっていた。旧街道の跡だというその道は、欅や松の並木がすずしい影をつくり、そこにも蟬が鳴いていた。

「泣きたかったら存分に泣け。おれはかまわんぞ」

「もっとほかに言うことがあったんだ」

 文四郎は涙が頬を伝い流れるのを感じたが、声は顫(ふる)えていないと思った。

「だが、おやじに会っている間は思いつかなかったな」

「そういうものだ。人間は後悔するように出来ておる」》

 

《「蟻(あり)のごとく」》

「寺の奥から介錯(かいしゃく)の声が聞こえてはこないかと耳を澄ましたが」

 白熱した光がふりそそぐ視覚の底で、聴覚が刺激される。「耳を澄ましたが、人声は聞こえず」といったん否定しておいて、「耳に入って来るのは境内の蟬の声だけだった」が、喧しいのにかえって非情な静けさを呼び覚ます。

118《堪え難い時が過ぎて行った。真昼どきの白熱した光が門前に待つ人びとにふりそそぎ、その暑さも堪え難たかったが、それよりもいま寺内ですすんでいることが、待つ人びとの気持ちを火で煎(い)るように堪えがたくするのである。

「このまっ昼間に、死人をひき取れとは……」

 不意に大声を出したのは、昨日の対面のまえに関口晋作の父親と名乗って、係役人の磯貝に切腹の理由をただした老人だった。老人は屈強の男三人と一緒に、寺の堀に無造作によせかけた戸板のそばに立っていた。

「藩は死者を遇する作法を知らん」(中略)

 龍興寺のうしろは、田畑や雑木林が残る場所だが、門前も小店やしもた屋がならぶわびしげな商人町である。道をへだてた町の通りに、さほど多くはないもののいつもどおりにひとが行き来するさまを、文四郎はぼんやりと眺めた。そうしながら、寺の奥から介錯(かいしゃく)の声が聞こえてはこないかと耳を澄ましたが、人声は聞こえず、耳に入って来るのは境内の蟬の声だけだった。》

 

「車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ」

 白っぽい光を浴びて、文四郎が道場の齢下杉内道蔵と、父の遺体を乗せた荷車をひいて坂をあえぎながら登るとき、組屋敷の方からふくが駆けて来た。映画やテレビドラマでは、効果を増すために杉内道蔵は消されて文四郎ひとりで運ばせ、ふくを駆けよらせている。また、テレビドラマでは小説どおりにふくに梶棒をひかせているが、映画では荷車の後ろを押させている。梶棒をひかせるほうが、父の遺体の足がみえる後部を押させるよりも自然で、藤沢文学の特徴ともいえる、「寄り添う女」の共苦、凛とした一心さが表現されるし、重い苦渋は押すのではなく曳くものだ。

126《のぼり坂の下に来た。そしてゆるい坂の上にある矢場跡の雑木林で、騒然と蟬が鳴いているのも聞こえて来た。日は依然として真上の空にかがやき、直射する光にさらされて道も苗木の葉も白っぽく見える。

「さあ、押してくれ」

 道蔵にひと声かけると、文四郎は最後の気力を振り絞ってのぼりになる道をはしり上がった。

 車を雑木林の横から矢場町の通りまでひき上げたときには、文四郎も道蔵も姓根尽きはてて、しばらく物も言えずに喘いだ。車はそれほどに重かった。

 喘いでいる文四郎の眼に、組屋敷の方から小走りに駆けて来る少女の姿が映った。たしかめるまでもなく、ふくだとわかった。

 ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心な力をこめて梶棒をひいていた。》

 

「――ふくは、顔をみせなかったな。」

 文四郎の牧家は家禄を四分の三減じられ、普請組を免じられて葺屋(ふきや)町の長屋に移ることとなった。

 ロラン・バルトのフィギュール「変質:恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごと、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」として、文四郎の迷いなのか、恋愛対象の「変質」、罪人の家から、ふくもまた離反したのではないか、のようなものが認められるが、すぐにふくの母が禁じているのではないか、と考えなおされる。この時、ふくはまだ恋愛対象とはなっていないとはいえ。

129《梶棒は嘉平がにぎり、文四郎は後について車を押しながら家を出た。組屋敷の前を通り抜け、矢場跡にさしかかるとまた雑木林の蟬の声が聞こえてきたが、その声はこころなしか以前よりも衰えてきたように思われた。

 ――夏も、だんだんに終わる。

 と思いながら、文四郎は車を押した。ひどい夏だった、とも思った。

 車を押しても父の遺骸をはこんだときのように、道行くひとにじろじろ見られることはなかった、そして長い道のりではあっても、途中に矢場町のまわりのように坂があるわけでもなかった。むしろ道はいくらか下り加減になっていて、車を押すには楽だった。

 ――ふくは、顔をみせなかったな。

 と、ふと思った。

 組屋敷を去る自分を、ふくが見送ってくれるかも知れないと考えたわけではない。しかしふくは通夜にも葬式にも来てくれたので、両隣への挨拶は今朝母がして行ったから見送りということはないにしても、どこかでそれとなく顔をみせるのではないかと漠然と期待していたのは事実である。

 だがふくは裏の洗い場にもいなかったし、車をひき出す音を聞きつけて門に出て来ることもなかった。

 がらんとして、日射しだけが明るかった小川べりの洗い場が眼に浮んで来た。しかしその光景に、すぐに顔をそむけて家に引き返して行った宮浦の女房の姿が重なった。

 ――ふくの家だって……。

 家の中ではどう言っているか、わかるものではないと文四郎は思った。甚兵衛とふくは、通夜にも葬式にも出てくれたものの、あれだけ米を貸せ、塩を貸せとひんぱんに出入りしていた甚兵衛の女房は、事件以来一度も文四郎の家に姿をみせなかったのである。女房は、ふくが文四郎の家に近づくのを禁じているのかも知れなかった。》

 

《「落葉の音」》

「ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった」

 葺屋(ふきや)町のぼろ長屋に、江戸へ発つことになった十三のふくがたずねてくる。道場に稽古に行っていた文四郎は、たまたまいつもと違う稽古をしたせいで、会うことができなかった。

 バルト「不測のできごと:ささいなできごと、偶然のできごと、不測のできごと、ばかばかしく、とるにたらない、くだらぬできごと、恋愛の生に影をおとすさまざまの襞。悪意の偶然がたくらんだかのようなこれらのできごとを核として、その反響が、恋愛主体の幸福志向を妨げることになる。」が該当する。ふくの挨拶を受けられなかった文四郎は「残念だった」と思う程度だったが、のちには「後悔」としてくりかえし思い起こされることになって、「恋愛小説」の枠組みが生じる。川と橋が別離を表象し、白っぽい光と赤い火が記憶に刻印される。

 ここでは作者の伝記的なことを書き連ねはしないけれども、結核療養からのいくつかの経験(婚約解消、妻の死)から、運命的な出会いと別離が藤沢文学の重要なテーマとなっている。映画ではデヴィッド・リーン監督『逢びき』、小説では本棚に残った愛読書としてシュトルム『聖ユルゲンにて』、ウジェーヌ・ダビ『北ホテル』、チェーホフ『谷間』、カロッサ『ルーマニア日記』があげられ、スパイ小説としてグレアム・グリーンヒューマン・ファクター』に感嘆しているが、そこには様々な出会いと理不尽な別離への共感が見てとれる。

148《長屋の生け垣を入って、自分の家の戸をあけた。ただいまもどりましたと、土間から声をかけるとすぐに母が出て来た。

「小柳のふくさんが、たったいま帰ったばかりだけど……」

 と母は言った。おちつかない顔いろをしている。

「そのあたりで出会いませんでしたか」

「いや」

 文四郎の胸にあかるいものがともった。ふくの名前を聞くのはひさしぶりだった。

「ここに来たんですか」

「それがね、急に江戸に行くことになったと、挨拶に見えたのですよ」

「江戸に? それは、それは」

「明日たつのだそうです。江戸屋敷の奥に勤めることになったとかで、その話はあとにして……」

 母は指で外を指した。

「ちょっと追いかけてみたらどうですか、まだそのへんにいるかも知れませんよ」

「わかりました」

 文四郎は竹刀と稽古着を上がり框(がまち)にほうり出して、家をとび出した。

 いっさんに走って、ふくが帰りそうな道をさがした。そしてあげくは川岸の道まで行ってみたが、ふくの姿は見当たらなかった。

文四郎は橋をわたって、五間川のむこう岸まで行ってみた。そこにもふくの姿は見えなかった。文四郎は橋をもどり、なおも葺屋町から河岸に出る道をさがしたが、やはりふくには会えなかった。

 ――しまったな。

 と思った。大橋市之進のしごきがなかったら間に会ったはずだ。いやその前に、犬飼兵馬と稽古試合などをやらなかったら、もっとずっと前に家にもどっていたはずだと思ったが、後の祭りだった。

 文四郎は五間川の下流の方に歩いて行った。やがて町を抜けて、川の土手に出た。日は落ちてしまって、白っぽい光が野を覆っていた。遠くに火を焚(た)く煙が立ちのぼり、その下に赤い火が見え隠れするのも見えている。

 ――江戸に行くのか。

 と文四郎は思った。それも母の言葉から判断すると、ふくは江戸屋敷に行って台所勤めや掃除女をやるわけではなく、奥に勤めるようである。藩主の正室は寧姫、いまはお寧さまと呼ばれるひとだが、するとふくはそのお寧さまの身のまわりに仕えることになるのだろうか。思いがけない境遇の変化だと、文四郎は思った。ふくとの間に、にわかに越えがたいへだたりが生まれたような気がした。

 ――それにして……。

 わかりにくい葺屋町の奥の長屋まで、ふくはよくたずねて来てくれたと思った。文四郎は、何となくたずねて来たのがふくの独断のような気がしている。

 ふくの母はあのとおりの人間である。事件が起きると、一度も文四郎の家に足を踏みいれなかった。甚兵衛は人のいいおやじだが、気働きがすぐれた人間とは言えず、江戸に行くのだから牧の家に挨拶に行って来いと娘に指示したとも思えなかった。

 ――ふくは多分、自分の考えで来たのだ。

 それも、おれに会いにと、文四郎はさっきから胸にしまっておいた考えを、そっと表に持ち出してみた。

 その推測には何の根拠もなかったが、動かしがたい真実味があった。ふくはおれがいなくて、力を落としてもどったのではなかろうか。そう思うと、文四郎はふくのその気持ちが自分にも移って、気分が沈んで来るのを感じた。ふくに会ったらどうだったろうかということまでは考えなかった。ただ会えなかったことが、かえすがえすも残念だった。》

 

「男女の世界のことは、ほんのわずかにのぞきみる程度のことしかわからなかったが」

 父とともに藩への謀叛で切腹させられた道場の高弟矢田作之丞の未亡人淑江への密かな心の乱れが、子供から大人へ成長してゆく文四郎の蠢く副筋として絡み、読者に隠微な期待を抱かせる。

151《――また、来ている。

 と文四郎は思った。重苦しい気分がもどって来た。

 風采(ふうさい)も身ごなしもさっそうとしているその若い武士が尋ねて来るのは、文四郎とは別棟に住む矢田作之丞の遺族の家である。

 矢田の遺族は、矢田の母と嫁の二人で、母親は盲目だった。ほとんど外に出て来なかった。矢田の家も、作之丞が切腹させられたあと絶家にはならず、家禄を減らされて別命があるまでいまの長屋に住むように指示されたのだった。

 たずねて来る若い武士が、矢田の遺族とどういうつながりがあるのかわからなかった。だが、その武士と矢田の未亡人といっては痛々しいほどに若い嫁との間に、近ごろおだやかでないうわさがあることを、文四郎は母の遠まわしな言葉で知った。ある夜、長屋の誰かがおそくなって長屋の前まで帰って来た時、手をつないだ矢田の嫁と若い武士が暗い野道から上がって来たのと、ぱったり顔をあわせたというのである。

 うわさの真偽は不明だった。若い武士が何者なのかも知れなかった。ただ文四郎は、その若い武士が、何の用があるのかは知らず、かなりひんぱんに矢田家をおとずれて来るのを見、またときには、淑江(よしえ)という名前の矢田の嫁が、その若い男を見送って垣根の外まで出るのを見かけるだけである。

 しかし長屋でささやかれているうわさは、文四郎に何とはない不快感をあたえるものだった。その不快感から、文四郎は矢田の嫁と顔をあわせると軽い辞儀をしたあとに顔をそむけることがあった。

 矢田の残した嫁はうつくしいひとだった。龍興寺の建物の中で見たときもきれいなひとだと思ったが、あかるい日の下で見ると、そのひとは白い肌にかすかに血のいろをうかべ、頬はなめらかで、やや目尻の吊(つ)った勝気そうな眼が黒く澄んで、夫を喪(うしな)ったいまも若い人妻のかがやきに包まれているのだった。四肢はよくのび、着物の下の胸と腰にはまぶしいほどに肉が盈(み)ちているのも見てとれた。

 そのひとを見ると、文四郎は生前の矢田作之丞とは似合いの夫婦だったろうと思わざるを得なかった。矢田も上背があり、男らしい風貌を持つ美男子だったのである。

 ――あまり、変な真似はしてもらいたくない。

 と文四郎は思っている。

 男女の世界のことは、ほんのわずかにのぞきみる程度のことしかわからなかったが、文四郎は矢田の嫁のあかるすぎる表情が気になった。

 不快感は、あのひとはいつか死んだ矢田を裏切るのではないかという予感がもたらすもののように思われた。》

 

「取り返しのつかない過失だったように思われて来る」

「後悔」は時間とともに果実が熟れてゆくように爛熟する。追憶の反復は記憶の中の出来事を強化し、時には感情を肥大化せしめ、あるいは偽りの記憶とさえなりえるのだが、この場合の直観は間違っていなかった。

154《――ふくに会いたかったな。

 と文四郎はぼんやりと思った。ふくのことを考えると、不思議に気持ちがあかるくなるようだった。それはふくが、逸平や杉内道蔵とはまた違った意味で、信用してかまわない人間だからだろうと文四郎は思った。ふくは反逆者とか罪人とかいうまわりの言葉に惑わされずに、文四郎が陥った苦境を理解していたはずである。女の子らしく、未熟だがやさしい素直な気持ちで。

 江戸に行くことを告げるために、わざわざたずねて来たのがその証拠だと、文四郎は思った。ふくは、まわりはどうあれ自分はむかしもいまも少しも変わらないこと、もしかしたら江戸に行っても変わらないことを言いたくてたずねて来たのではなかろうか。

 そう思うと、文四郎はやはりふくに会えなかったことが取り返しのつかない過失だったように思われて来るのだった。もし推察するような気持ちを抱いてたずねて来たとすれば、それはふくの告白にほかならないことになろうか。それにどうこたえるかはべつにして、そのときそこに居合わせなければいけなかったのではないか、と文四郎は思っている。

 その過失のために、今度はこのあと二度とふくに会えないような、暗い気持ちにとらわれはじめたとき、母の登世が部屋の外から、客だから入り口まで出るようにと言った。》

 

《「家老屋敷」》

「文四郎の内心を掘り下げて行くと」

 藤沢周平はロマンチックな描写につづけて、リアルな分析を行う。そこには「時代小説の質があがつた」と丸谷才一に批評させた近代性がある。《そのひとが目の前にいないときは、文四郎はそのひとに対して概(おおむ)ね寛容で、好意的になっている。そういう文四郎の内心を掘り下げて行くと……》には、作者の姿が見えすぎているきらいがあるとはいえ、明快さに気持ちよくさせられる。

162《長屋の前の生け垣のそばまでもどって来たとき、中からひとが一人道に出て来た。頭巾(ずきん)で顔をつつみ、胸に風呂敷包みをかかえたすらりとした身体つきの女は、矢田の未亡人だった。

 矢田の未亡人は、生け垣を左に曲がろうとしたが、すぐに道を歩いている文四郎に気づいたらしく、二、三歩もどって声をかけて来た。

「お散歩ですか、文四郎どの」

 未亡人はなれなれしく言った。矢田の未亡人は誰かに同じ長屋の牧家のことと、文四郎が作之丞と石栗道場の同門であるのを聞いた様子で、一年ほど前から文四郎を見かけると声をかけて来るようになった。

「ごめんなさい。頭巾のままで」

 と未亡人は言った、強い化粧の香が文四郎の鼻をうった。(中略)

 未亡人は、武家の女子にはめずらしく、気取らずあかるい気性の女性だった。だがひとを惹(ひ)きつけるそのあかるさも、いまの文四郎には軽躁(けいそう)でうさんくさいものに思われた。それにいまの言い方は、こちらを年少の男子と侮ってはいないだろうか。年少には違いないが、おれはもう子供ではない。

 文四郎がむっとして立っていると、矢田の未亡人はやっと笑いをひっこめた。

「ご機嫌がわるいようですこと」

「そんなことはありません」

「そうかしら。お隠しにならなくともけっこうですよ」

 矢田の未亡人はまたいたずらっぽい表情になりかけたが、すぐに思い返したように、文四郎を呼び止めたのは頼みごとがあったからだと、まじめな口調で言った。

「わたくしがお針の内職をしていることは、おかあさまからお聞きですね」

「はあ」

「今年の春から、子供の着物も仕立てることにしました。どうぞまたお客様を紹介してくださるようにと、おかあさまに申し上げてくれませんか」

 そう言えばわかるからと言って、矢田の未亡人は文四郎の胸近く顔を寄せ、にっとほほえむと背をむけて去った。

 どことなくなまめいて見える矢田の未亡人の肩や臀(しり)、白足袋の足もとなどが、にごってよどんでいる日暮れの気配の中を遠ざかるのを、文四郎はしばらくぼんやりと見送ったが、すぐに気づいて眼をそらした。(中略)

 そのひとが目の前にいないときは、文四郎はそのひとに対して概(おおむ)ね寛容で、好意的になっている。そういう文四郎の内心を掘り下げて行くと、そこにはありきたりの若者らしく、年上のうつくしい女人に惹かれる気持ちがひそんでいる。しかしそれを認めたくないために、正体不明の武士とか、化粧の香とか、あかるすぎる人柄とかに非難の材料をみつけたがるといったようなものなのだが、本人はそれには気づかず、自分のそういう気持ちの変化をいくらか不思議に思うのだった。

 文四郎は頭を振った。是認したとはいえ、未亡人の化粧の香はやはり濃くて、強い香は頭の芯(しん)まで入り込んで来たような気がしている。》

 

「突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのである」

 父を死に追いやった里村家老から家老屋敷に呼び出される。旧禄(二十八石二人扶持(ぶち))に復し、郡奉行支配を命ぜられる。吉報を江戸にいるふくに知らせたいと思った。とはいっても、手紙もままならない時代の、身分的にも手の届かない世界にふくは行ってしまっている。

 バルト「嫉妬:愛のさなかに生じる感情で、愛する人が自分以外の誰かを愛しているのではないかというおそれから来る。」のではあるが、『蟬しぐれ』では、ふくが「自分以外の誰か」を「愛している」か否かを問うこと以前に、藩主という最高位の者の側女であることによって、もはや恋愛小説の根幹である「嫉妬」の感情が成立しえない。ここに不可能な「恋愛小説」である最大の由縁がある。

 バルト「底なしの淵に沈む:恋愛主体が、絶望、あるいは歓喜のせいで襲われる心神沮喪の発作。」は、《では、終わったのだと文四郎は思っていた。その思いは唐突にやって来て、文四郎を覆いつつみ、押し流さんばかりだった。》であり、バルト「占有願望:愛する人をわがものにしようと望みつづけるからこそ、恋愛関係につきもののあの苦しみがあるのだ。そう悟った恋愛主体は、あの人に対する一切の「占有願望」を放棄する決意を固める。」とは、《平静さを取り戻し、数え切れない禁忌から成り立っている日常に、少しずつもどって行く自分を感じていた。ふくとのことは、何事もなかったように振る舞うことだと思った。そうすれば、それはもともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。》であるが、恋愛感情を意識した初めからすでに終わってしまっていた恋とも言える。封建制とは、《もともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。》という権力統治が人心の隅々まで静かに行き渡っていることで、そこに恋愛と結婚の基盤がある。

 ともかくも、バルトの恋愛のフィギュールが、蟬しぐれのように、目くるめく白い光を浴びて一挙に押し寄せてくるのは、禁忌がとかれることで、おふくが「恋愛対象」に昇華してきているからであろう。

177《知らせておけば、そのことはいつか江戸にいるふくの耳にもとどくだろうと、文四郎は考えていたのである。そのことをぜひ、ふくに知らせたかった。

 文四郎の眼にはいまも、父の遺体をはこんで来た車をひいたふく、通夜の席で、ひっそりと涙をながしてくれたふくの姿が消えずに残っていた。牧の家が潰(つぶ)れずに残り、文四郎が郡奉行支配下に入って家をつぐことを知れば、ふくはひとごとならず喜ぶはずだという確信がある。(中略)

「ふくに、殿様のお手がついたのだそうです」

「……」

 女房の言葉を理解するまで、ちょっとの間があった。しかしその言葉は、つぎの瞬間何の苦も無く腑(ふ)に落ちて、文四郎の頭の中で音立ててはじけた。文四郎は目の前が真っ白になったような気がした。

 つぎに文四郎は、怒りとも屈辱とも言いがたいもののために、顔がカッと熱くなるのを感じた。小柳さまは、これからまだまだ出世なさいますよ、という山岸の女房の声が遠く聞こえた。

 しかし、山岸の家を出て路上にもどったときには、その怒りに似た気持ちはおさまっていた。かわりに文四郎を覆いつつんで来るべつの感情があった。

 ――そうか。

 では、終わったのだと文四郎は思っていた。その思いは唐突にやって来て、文四郎を覆いつつみ、押し流さんばかりだった。

 蛇に嚙(か)まれたふく、夜祭りで水飴(みずあめ)をなめていたふく、借りた米を袖にかくしたふく。終わったのはそういう世界とのつながりだということがわかっていた。それらは突然に、文四郎の手のとどかないところに遠ざかってしまったのである。

 そのことを理解したとき、文四郎の胸にこみ上げて来たのは、自分でもおどろくほどにはげしい、ふくをいとおしむ感情だった。蛇に嚙まれた指を文四郎に吸われているふくも、お上の手がついてしまったふくも、かなしいほどにいとおしかった。

 文四郎は足をとめた。そして物思いの炎が胸を焦がすのにまかせた。そこは矢場跡の空地のはずれで、振りむいても組屋敷の通りがひっそりとのびているだけで、ひとの姿は見えなかった。芽吹いた雑木林の奥からかすかに遊ぶ子供の声が洩(も)れて来るだけである。文四郎の放恣(ほうし)な物思いをじゃまする者も、咎(とが)める者もいなかった。

 ――あのとき……。

 と文四郎は強い悔恨に苛(さいな)まれながら、たずねて来たふくに会えなかった日のことを思い出している。あのときふくは、このようにしてやがて別れが来ることを予感していたのだろうか、と思った。

 その考えは文四郎を堪えがたい悔恨で覆いつつんだが、その一方で文四郎は、いまのはげしい物思いが、ふくとの別れが決まったからこそ、禁忌を解かれた形であふれ出てきていることを承知していた。禁忌をといたのは文四郎自身だが、ふくとの突然の別れがおとずれなかったら、ひとにはもちろん、自分自身にさえ本心をさらけ出すようなことは決してなかったろう。

 文四郎は平静さを取り戻し、数え切れない禁忌から成り立っている日常に、少しずつもどって行く自分を感じていた。ふくとのことは、何事もなかったように振る舞うことだと思った。そうすれば、それはもともとなかったことになる仕組みを文四郎は承知していたし、その種の抑制に堪える訓練も積んでいた。自分にとってもふくにとっても、いま必要なのはそういうことだとわかっていた。》

 

《「梅雨ぐもり」》

「ひとには言えないかすかな不遇感を味わうのだった」

 バルト「ひとり:このフィギュールは、恋愛主体にとっての人間的孤独ではなく、その「哲学的」孤独を指している。これは、今日の主たる思惟体系(ディスクール体系)が、どれひとつとして情熱恋愛をとりこもうとしないがゆえの孤独である。」とは、『蟬しぐれ』における「不遇感」に当たる。「不遇感」は恋愛におけるそればかりではなく、父の唐突な死とうす汚れた長屋にすて扶持で養われて、前途にのぞみを見出せずに罪人の子と白眼視されていることが支配的であって、背景には藤沢自身の伝記的な不遇感があるだろう。

 不遇感は「悔い」とも連動し、バルト「追放:恋愛状態の断念を決意した主体は、おのが「想像界」から追放される自分の姿を、悲しみとともにながめる。」であるとともに、バルト「所を得る:恋愛主体には、自分のまわりの人がすべて「所を得ている」と見える。誰もがみな、さまざまな契約関係からなる実用的で情動的な小体系をそなえていて、自分だけがそこからしめだされていると感じるのだ。そのことで彼は、羨望とあざけりのないまぜになった感情を抱く。」でもある。

188《不遇感といえば、文四郎の胸の底にはもうひとつ溶解しきれない鬱屈の種子がある。言うまでもなく、藩主の側女(そばめ)になったふくのことだった。

 境遇がちがってしまったふくを、いつまでも女々しく思い詰めているというのではなかった。ふくに対する気持ちにはきっぱりと清算がついている。それはいかにもいとおしむべき過去だったが、しかしいまは過去でしかないものであることがわかっていた。

 ただ文四郎の胸の底から、時おり嚥下(えんか)しがたい何かの魂のようにうかび上がって喉(のど)につかえる想念がある。ふくが普通の家の嫁となったのではなく、藩主の側女になったことに対するこだわりだった。ふくの本意ではあるまいと思うのである。ふくは手折られた花にすぎない。

 出世した甚兵衛夫婦はともかく、藩主の側女に挙げられたふく自身が喜んでいるとは思えなかった。ふくはしあわせではあるまい。

 そういう考えは文四郎をいっとき胸ぐるしくし、そのときも文四郎は、ひとには言えないかすかな不遇感を味わうのだった。ふくのことで、文四郎が何ものかを失なったのはたしかだったのである。》

 

「真実を言うわけにもいくまいと思った」

 バルト「誘導:恋愛主体が特定の対象を愛するに至るのは、それが欲してしかるべき対象であることを、誰かが彼に示したからである。どれほどに特殊なものであろうと、恋愛の欲望はすべて、誘導によって発見されるものなのだ。」とは、逸平が指摘する「おまえはあの娘と契っていたのじゃないのか」が相当するだろう。

しかし、バルト「隠す:慎重さのフィギュール。恋愛主体は自問する、いとしい人に対して自分の愛を打ちあけるべきかどうかではなく(これは告白のフィギュールではないのだ)、自分の情熱の「ざわめき」(荒れ狂い)を、自分の欲望を、自分の悲嘆を、要するに自分の過熱ぶり(ラカンの用語でいえば自分の熱狂(・・・・・))を、どの程度に隠しておくべきであるかを。」に逃げるのは、思春期によくあることで、『蟬しぐれ』における「恋愛」とは、相手が存在するうちは「恋愛」意識がなく、相手が不在(そのうえ身分的に手が届かない位につく)になってから「恋愛」と意識されてくるという「恋愛小説」としての困難さ、不可能性から来るのだが、積極的に行動できなくとも、心理的には相手が不在であることによって、かえってドラマを高めさえする。「自分で気持ちにケリをつけるしかないんだ」と文四郎はわかっていた。

 松明からこぼれる火が水に落ち、白っぽい夜気があたりをつつむ様子など、藤沢の自然描写は抒情詩のようだ。

205《「うわさというのは、おまえの隣に住んでいた小柳のおふく、あの子にお上の御手がついたというんだが、聞いたか」

「うわさじゃない。ほんとのことだ」

 と文四郎は言った。

「それにおふくはもう子供じゃない。りっぱな娘だ」

「そうか、やっぱり知っていたのか」

 ふうむ、と逸平は顔をしかめたが、突然に言った。

「おれの見当違いだったら誤るが、おまえはあの娘と契っていたのじゃないのか」

「ばかな」

 と文四郎は言ったが、顔が熱くなるのを防げなかった。逸平を大した眼力の持ち主ではないかと思った。その事実はないが、胸にそういう気分がひそんでいたことは否定出来ない。

「ふくが江戸に行ったのは一昨年だ。さっき子供ではないといったが、江戸に行くころのふくはむろん大人でもなかった。そんな小娘と行く末を契ったり出来るわけがない」

「そうか、おれの見当違いか」

 逸平は首をかしげた。

「それならいいが、おれはどうも貴様が近ごろ以前と変わったように思えてな。それはおふくのせいじゃないかと考えたのだ」

「それは考え過ぎだ。おれはどこも変わってなどおらん」

「そうか、それならいいんだ」

 言ってから逸平は、やや突き放すように言った。

「よしんばそうだとしても、そのへんは親友といえども口出しはむつかしいところだからな。自分で気持ちにケリをつけるしかないんだ」(中略)

五間川の河岸まで行って、そこで提灯をわたし、提灯をさげた逸平が橋を渡るのを見とどけてから、文四郎は踵(きびす)を返したが、五間川の上流の方に裸火が燃えているのを見て足をとめた。

 五間川がちょうど東の方に曲がる、その曲がり角のあたりに動いているのは松明(たいまつ)だった。動いている人影は二、三人。そしてそこまでかなり遠いにもかかわらず、松明からこぼれる火が水に落ちるのも見えた。どんな魚を取っているのかはわからないが、松明を使って川魚を取っているらしい。霧のように白っぽい夜気が、そのあたりをつつんでいる。

 しばらく眺めてから、文四郎はさっき来た道をもどりはじめた。

 ――今夜は……。

 逸平に二つもほんとうのことを言うのを避けてしまったな、と文四郎は思っている。一つはむろんふくのことである。しかしふくは以前は知らずいまは藩主の側女である。逸平のような聞き方をされては、真実を言うわけにもいくまいと思った。》

 

「両腕を広げて、軽く文四郎を抱きかかえた」

 小説にはみだらな酩酊感も必要であって、清廉潔白な道徳観だけでは面白くないことを、藤沢はチェーホフなどから学んでいた。よく藤沢は江戸市井ものの叙情性から山本周五郎に似ていると言われ、本人はあまり好ましく思わなかったようだが、決定的に違うのは、山本が不思議なまでに性描写をせずにいられなかったのに対し、藤沢にその性向はなかったということだ。

207《そして長屋の門のかわりをしている生け垣の切れ目まで来たとき、前方の道に急に人の気配が動いた。一人は足音を残して駆け去り、もう一人は文四郎が立ち止まっている方にゆっくり近づいて来る。暗がりにうかんだのは矢田の未亡人の白い顔である。それで文四郎は、走り去ったのが誰かがわかった。

 いつものように文四郎が、憤りとかすかな羨望(せんぼう)のまじる気分につつまれて立っていると、未亡人が身体が触れ合うほど近くまで来て立ちどまった。そしていつもとはちがう物憂いような声で、文四郎さんなのねと言った。そしてつぎに未亡人は思いがけない行動に出た。両腕を広げて、軽く文四郎を抱きかかえたのである。はっと思ったときは、未忘人は身体をはなしていた。

「雨が降ってきましたよ」

 やはり物憂げな声でそう言うと、矢田の未亡人はすたすたと家の方に去って行った。化粧の香と骨細な腕の感触があとに残った。

 ――みだらな人だ。

 と文四郎は思った。だがそのみだらさが、かすかな酩酊(めいてい)感をもたらしたのも確かだった。》

 

《「暑い夜」》

「矢田の未亡人の立場の危うさが見えて来て、文四郎はぞっとした」

 矢田の未亡人淑江の実弟布施鶴之助が、姉の家で白刃を構えるのをとどめたことから文四郎は鶴之助と知りあう。淑江が藩によって身動きできない事態に追いこまれていると教えられ、家の存続という封建的大義に縛られた、生殺しのような女の悲しみにやり場のない義憤を抱くが、そこにはふくの境遇への悲しみと義憤も、バルト「共苦:愛する人が恋愛関係とは無縁の理由で悲しんだり脅えたりしているのを見る、感じる、あるいは知るたびごとに、恋愛主体は激しい共苦を感じる。」で通底しているだろう。

209《すると別棟の長屋の、矢田の遺族の家の前あたりで、男が二人白刀を構えて向き合っているのが眼に入った。

 どこの家でも、まだ戸をあけ放して涼を取っているために、灯は外に洩(も)れて二人の姿がはっきりと見えている。一人は矢田の未亡人をたずねて来る例の若い男だった。そしてもう一人は、それよりずっと若く、文四郎と同年ぐらいかと思われる武士だった。

 鋭い女の声がした。入り口のまえに出て来た矢田の未亡人の声である。

「鶴之助さん、刀を引きなさい。何ですか、野瀬さまに失礼じゃありませんか。あなたは何か誤解しているのです」

 未亡人は一歩前に出た。

「さ、刀を引いて。話合えばわかることです。みっともない真似はおよしなさい」

「前に出るんじゃない」

 若い武士がはげしく叱咤(しった)した。(中略)

「矢田家から離別してもらうことは出来んのか。その方がいいように思うがな」

「それがだ。姉がいれば矢田の家に養子が許されるかもしれないという意見が、上の一部にあるらしい。それで去るに去れない微妙な立場にいるわけだ」

「ふうむ」

 文四郎は腕を組んだ。事情がのみこめると、矢田の未亡人の立場の危うさが見えて来て、文四郎はぞっとした。小雨の降る闇の中で、腕に抱きしめられたことを思い出したのである。

「なるほど。そうなると野瀬などという人物がたずねて来るのは、ごくまずいことになるな」

「まずいもまずい」

 布施は舌打ちせんばかりの顔になった。

「それで、今夜はまさかと思ったが、様子をたしかめに来たら、何のことはない。野瀬が来て、二人で親しげに話しをしておる。頭に来たから表に引き出して、刀を抜けと言ってやったのだ」

「野瀬というのは何ものなのだ」

「野瀬郁之進(いくのしん)、三百石の御奏者野瀬家の嫡男だ。けしからんことに、この男にはもう妻子がいるのだ」

 と布施は言った。

布施の言葉は文四郎をおどろかした。それでは二人の交際は、正札つきの不倫ではないかと思ったのである。

「どうしてそういうことになったのかな」

 文四郎が言うと、布施は話せば長いことになると言った。

 布施の姉淑江は子供のころからの美貌で、成人したらきっと身分高い家から嫁にのぞまれるにちがいないと言われた。布施の両親は周囲からそう言われるのを嫌ったが、淑江が十七のときに御奏者の野瀬家から縁談が持ちこまれて、周囲はそのことを先に言いあてた形になった。

 だがその縁談は、結納を済ませたあとになって突然に破談となった。理由は野瀬の方の親戚の一人が、身分違いを楯(たて)に強硬に縁組みに反対したからだと言われた。布施の両親は激怒した。

 布施の家は七十五石である。その身分違いを懸念して最初に野瀬からの縁談を辞退したのは布施の家の方である。それを先方に、要は本人次第、容姿、心ばえともに野瀬の嫁としてはずかしからぬ娘と見込んでの申し込みだからと説得されて、ようやくその気になったところにことわりの使者が来たのだから、布施の家の者が怒るのは当然だった。(中略)

「もっとも姉も親たちも、その破談で深く心を痛めたというわけでもなかった。というのも、それからわずか三月ほどのちに、姉は矢田作之丞どのと縁組みがまとまったからだ。作之丞どのは百石の御納戸勤めだが、剣が出来、人物も野瀬などより数等すぐれていた。いまも思い出すが、そのころは姉もわが家もしあわせな気分にひたっていたものだ」

 布施は口をつぐんだ。そしてぽつりと、作之丞どのがあんなことになるとは思わなかったと言った。

 布施の言い方には、義兄の矢田をあがめている気持ちがあふれていたので、文四郎も、矢田作之丞は道場でもっとも尊敬した先輩だったと言った。そしてため息をひとつついてから言った。

「なるほど、それで事情がのみこめたな」

「いや、まだ全部は話していない」

 と布施が言い、さらに声をひそめた。

寡婦となった姉に近づいた野瀬の気持ちはわからんでもない。許し難いのはあの男が姉に、暮らしの足しにと金をあたえていたことだ。そして姉はそれを受け取っている。破廉恥な話ではないか」

 破廉恥な話だと言って文四郎を見た布施の顔に羞恥(しゅうち)のいろがみなぎった。》

 

《「染川町」》

「「こっちに来る直前に聞いた話だが、お福さまは御子が流れたらしい。流産だ」」

 与之助は蝋漆役という小役人の出とはいえ、十五の齢で秀才ぶりをみこまれて江戸に留学していたが、一時帰国のさい、文四郎に江戸屋敷のふくのうわさを聞かせる。

 バルト「うわさ話:愛する人がゴシップの種になり、下世話な話のさかなにされているのを聞くとき、恋愛主体が感じる心痛。」が相当しそうに思うが、与之助のうわさ話は、ゴシップ、下世話な話というわけではなく、もっと切実なものがあって、否定的な意味あいからずれる。

240《「こっちに来る直前に聞いた話だが、お福さまは御子が流れたらしい。流産だ」

「……」

 文四郎はいきなり、何か切れ味の鈍い、たとえば鉈(なた)のようなもので身体のどこかを切られたような気がした。その痛みは、ゆっくりとひろがり、胸の中にまで入って来た。

 ――そうか。

 お手がつくということは、当然そういうことだったのだ。殿の子を産むということだったのだと思っていた。しかし、十五のふくは、殿の子を産むことをのぞんだろうか。

「おい、どうした」

 与之助にのぞきこまれて、文四郎ははっと顔を上げた。

「流産したというのは、どういうことだろうな。身体の具合がわるかったのか」

「それが、だ。ひと口には言いにくいが……」

 与之助は声を落とした。

「おふねさまを知っているな」

「松乃丞さまのおふくろさまだろう。名前は聞いている。大変な勢力家だというではないか」

「そのとおり」

 と与之助は言った。

「お福さまの流産は、おふねさまの指し金だといううわさがあるらしい。つまり、殿の御子はもういらんということだと、おれに話した人間は言っていたな」

「ふむ」

「殿の寵愛をひとり占めにしている、さっそくに御子は身籠(みごも)るというわけで、おまえの知っているおふくさんは、おふねさまに憎まれているらしいのだ」 

「……」

「お福さまはいま下屋敷におられるのだが、殿が見かねて国元に帰すのではないかといううわさもある」

「御役ご免か」

「いや、そうではないだろう。江戸よりは安全な国元に置くというだけのことだろうよ」》

 

「「ただ言ったようなことがあったことだけは話しておきたかったのだ」」

 バルト「多弁:これはイグナチオ・ド・ロヨラの用語であるが、自分の心の傷や行動のなりゆきについて、とめどなく語りつづける恋愛主体の、内的なことばの奔流を指す。恋愛にまつわる「言述活動」の誇張的形式。」とは、ここでの堰を切ったように内心を吐露する文四郎がぴったりだが、言述に誇張はなく、朝の光に似た深いかなしみを伴う誠実さにとどまっている。

246《文四郎は、そのときの状況を与之助に話して聞かせた。大橋市之進にしごかれて、帰りがいつもよりおくれたこと、道場から帰ってみると、たずねて来たおふくがもう帰ったあとだったことなどである。

 「おれはさっき、相思相愛などというものは何もなかったと言った。その言葉にいつわりはない。しかし、そのときのことはいまだに気持ちにひっかかっているんだ」

 「……」

 与之助は盃を手ににぎったまま、黙って文四郎を見ている。

「おふくはそのとき十三だ。男女の情を解していたとは思えない」

 文四郎が言うと、与之助にもたれかかっていたおとらが顔を上げて、おふくってだあれと聞いた。与之助がおまえは黙っていろと頭をこづいた。文四郎がつづけた。

「しかし、その日おふくは自分の意志でおれに会いに来たのだと思う。別れを言いにだ。ところが、ひと足ちがいでおれは会えなかった。その後悔はいまもまだつづいている、といってよかろうな」

「……」

「むろんおれも、そのころはまだ、男女の情の何たるかなどということはわかりはしない。だがそのときふくに会っていたら、何かを言ったはずなんだ。何を言ったろうかということは、いまだによくわからん。しかし、多分何か大事なことを言ったろう」

「……」

「もっとも、こういうことに気づいたのはそのときじゃなくて、もっとずっとあと。今年になってあのひとの身分が変わったと聞いたときだ」

「文四郎、もっと飲め」

 今度は与之助が酒の残っている銚子をさがし、文四郎に酒をついだ。 

「ひょっとしたら、おれのひとり合点かも知れん」

 と文四郎は言った。盃にわずかにつがれた酒をすすった。

「ひとり合点なら救われるのだが」

「いや、ひとり合点とは思えないな」(中略)

「相思相愛の間柄などというものではなかった。むろん契りもしなかった。だが子供ごころにも、似たような気持ちの通いはあったかも知れん。それがそんなに大事なことかどうかもわからんが、ただ言ったようなことがあったことだけは話しておきたかったのだ」

「……」

「そうせぬと、おまえをいつわったようになるからな」

「逸平には話したのか」

 いやと文四郎が首を振ると、与之助はわかったと言った。それじゃおれのさっきの話しはつらかったろうとつづけ、酔いの回った顔だったが、深い眼のいろで与之助は文四郎を見た。与之助は銚子をつかみ上げた。(中略)

 おふくは人の子を流産し、おれはこんなところで酔い潰(つぶ)れているかと文四郎は思った。朝の光に似た深いかなしみが胸を満たして来た。》

 

《「天与の一撃」》

「無用の危険なうつくしさに見えた」

 バルト「悪魔:恋愛主体はしばしば、自分が言語の魔につかれていると感じる。そのせいで彼は、自ら自分を傷つけたり、恋愛関係が彼のために作り上げてくれるはずの楽園から、わざわざ自分を放逐――ゲーテの表現によれば――したりするはめになる。」の変形として、不遇な立場に落された者同士の、相手を気遣う気持ちから発展して、凄艶(せいえん)な印象が加わった未亡人の美しさに惹かれてゆく危険性は、この後の未亡人の道連れが文四郎だった可能性さえあると想像させる悪魔的なものだ。

251《長屋の人びとをおどろかせた夏の夜の事件があってから、矢田の未亡人はほとんど外に出なくなった。それでも日々の暮らしの物を買うためか、たまに家を出ていそぎ足に外に行くことがあったが、そういうときも帰りは早く、またいそぎ足にもどって来た。

 日々の物といっても、青物や魚は触れ売りの商人を家の土間まで呼び入れて買いもとめ、未亡人はなるべく長屋の者の前に顔を出さないようにしているように見えた。

 ――当然だろう。

 と文四郎は思っている。奔放な性格のようにみえても、さすがにああいう事件があったあとも平気でいられるほどに、厚顔な女性ではなかったらしいと、そのことで文四郎は奇妙な安堵(あんど)をおぼえたのだが、しかし未亡人が現在おかれている立場を考えると、同情も禁じ得なかった。

 ――逃げ場がないからな。

 と思う。養子の可能性が残っていては、矢田の家をはなれられないのは自明のことだった。また、長屋の者と顔を合わせたくないからといっても、いまの家は藩命で住む家である。どこに逃げるわけにもいかない。未亡人のそういう立場が見えていた。

矢田の未亡人を気の毒に思う気持ちの底には、同病相あわれむ思いがある。事件を機会に、はっきりと不遇な立場に落された者同士の、相手を気遣う気持ちがある。

 ――だが、それだけでもないな。

 と文四郎は思っていた。未亡人は、この前のことがあってから幾分やつれた。そしていっそううつくしくなったように思われる。

 未亡人の顔は痩(や)せて、頬骨のとがりが現れた。だが、皮膚は透きとおるように白くなり、眼は憂いを宿して、本来の美貌に凄艶(せいえん)な印象が加わった。未亡人の立場にはそぐわない。無用の危険なうつくしさに見えた。そして文四郎は、自分が未亡人のそういううつくしさに、ひそかに惹(ひ)かれていることを承知していた。》

 

《「秘剣村雨」》

 文四郎十八歳、石栗道場を代表する剣士となって、熊野神社の奉納試合で小野道場の興津新之丞を下し、空鈍流の秘剣村雨が伝授される。秘剣を伝えるのは元家老で藩主の叔父に当る加治織部正だが、織部正は文四郎の父の切腹事件が何であったかを説明したうえで、秘剣を伝える。

 

《「春浅くして」》

「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」

 バルト「自殺:恋愛の領野では、自殺の欲求が頻繁に見られる。ごくささいなことで惹起されるのだ。」とあるが、矢田の未亡人の自殺は、たとえ恋愛感情ばかりではないにしろ、悲劇性と死の匂いにおいて近松門左衛門の道行に似ている。封建制下、近松姦通物の恋の道行においても、気丈に先導するのは女のほうではないか。「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」とは、大人でも難しい発言であろう。

《たなびくような白っぽい光は、文四郎に矢田の未亡人を焼く荼毘のけむりを連想させた》とあるが、なるほど『蟬しぐれ』で頻出する、「蝉の鳴声」は「悔恨」の伴奏なのと同じように、「白っぽい光」は葬送イメージの背景、現実から意識が遠のく世界の表徴に違いない。

293《「どうした?」

 とっさに不吉なものが胸にかすめるのを感じて、文四郎は鋭い声になった。

「姉上の身に、何かあったのか」

「死んだ」

 と布施は言った。そして顔はもどしたものの、深くうつむいてしまった。

「亡くなったと? いつのことだ」

「わかったのは一昨日だ」

 布施はようやく顔を上げた。そして呆然(ぼうぜん)としている文四郎に、なぜか弱々しく笑いかけようとした。

「姉は、ばかな女子だったよ」

「事情を聞かしてくれるか」

「むろんだ。その話しを聞いてもらいたくて来たのだ」

 と布施は言った。

 矢田の未亡人の失踪(しっそう)が、実家である布施の家に知らされたのは五日前である。布施には心あたりがあった。すぐに野瀬家に走った。

 はたして布施鶴之助の思ったとおりだった。野瀬家でも、郁之進(いくのしん)が昨日、外に出たまま夜になっても家に帰らず、ついに朝になってしまったので、心あたりに人をやり、大騒ぎで行方をたずねているところだったのである。

 そのうちに城中に勤める郁之進の友達が、郁之進夫婦のために関所手形をもらってやったことが判明した。行先は隣国の桃ガ瀬という温泉地である。それで鶴之助の姉淑江(よしえ)が、郁之進とともに城下を出奔したことが明らかになったのである。

 両家では探索の人間を呼びもどした。そして極秘のうちに、鶴之助の兄と郁之進の叔父が出国願いを出して桃ガ瀬にむかった。しかし桃ガ瀬に着いてみると、そこには郁之進と淑江は来ていなかったが、追手の二人はある予感にうながされるままに、温泉地の周辺をさがし回った。そして村里から遠くはなれた山麓(さんろく)の隅で、相対死(あいたいじに)に死んでいる二人をみつけたのである。

「ほら、山をひとつ超えるとむこうは雪も少ないし、日射しもこっちよりつよいような気がするだろう」

 と鶴之助は言った。隣国のことを言っているのである。

「二人の遺骸(いがい)は、まんさくの花が咲いている日あたりのいい斜面に、少しはなれて横になっていたそうだ。相対死といったが……」

 鶴之助はまた顔を背けて、あらぬ方を見た。感情が激するのを押さえる様子である。

「帰って来た幸太の話しでは、失礼、幸太は兄が連れて行った下男だ。幸太が言うには、相対死ではなくて、姉が野瀬を刺し、返す刀で自害したように見えたそうだ。野瀬は刀を抜いていなかったそうだよ」

「姉上は気性のつよいおひとだった。さもあらんか」

 と文四郎は言った。

 不意に、出奔は矢田の未亡人が持ちかけたことにちがいあるまい、と思った。あのひとは、いつどうなるというあてもない藩の処置に疲れはて、自分で矢田家の処遇に決着をつけるつもりで、郁之進を道連れに出奔したのではないか。

「矢田家に対する藩の処遇は、いまにして思えば生かさず殺さずというようなものだった。女子には耐えられなかったかも知れん」

「しかし、何も野瀬のような男と出奔することはなかった」

 と鶴之助は言った。文四郎を見た眼が赤くなっていた。

「もう少し、ましなやり方がありそうなものだ」

「男のわれわれにはわからぬ女子の気持ちというものもあろう」

 文四郎は微笑した。矢田の未亡人を攻めたくはなかった。ふり返ってみれば、予期せぬ重い不幸に見舞われた女性だったようでもある。(中略)

 河岸の道にぶつかる三叉(さんさ)路まで出て、文四郎は来た道をひき返した。すると通りすぎて来た町が一望に見えたが、町の様相はさっき家を出て来たときとは一変していた。日射しはまだ家々の屋根のあたりにとどまっていたが、その光は急速に衰え、街路にははやくも薄暮の白っぽい光がただよいはじめている。

 たなびくような白っぽい光は、文四郎に矢田の未亡人を焼く荼毘のけむりを連想させた。》

 

《「行く水」》

「その縁組はあっさりと決まった」

 一年ほどが過ぎ、藩では世子の志摩守が病弱を理由に隠居し、里村家老派の推す異母弟の松之丞が新たな世子を名乗って志摩守を継いだ。文四郎は郷村出役見習いとして出仕を命じられた。

 文四郎の「結婚」は、この時代の婚姻の仕組み、社会制度をよく反映している。持ち込まれた縁談に文四郎は口出しせず、おそらく事前に顔も見ることなく、母が気に入った嫁ならかまわず、身分(牧家二十八石に対し相手の家は二十五石)の釣り合いが重要なのである。ここに恋愛の紛れこむ余地はなく、それゆえに矢田の未亡人の(死に至る恋愛もどきの)いきさつは小説の構成上、重要な対称として機能している。

314《もうひとつの身辺の変化は、二月に妻をもらったことである。縁組は前年の秋にまとまり、二月になって上司と烏帽子(えぼし)親の藤井宗蔵、小和田逸平と杉内道蔵、ほか親戚数名だけの簡素な式を挙げた。

 文四郎の妻になったのは、青苧(あおそ)蔵役の岡崎亀次の次女せつである。色の浅黒い十人なみほどの容貌を持つ目立たない娘だったが、無口で父母を大事にするという話を、登世は気にいったらしく、上原の妻女が何度目かに持って来たその縁談にはじめて乗り気を示した。

 その後、実家の嫂(あによめ)が母に頼まれてその娘を見に行ったり、多少のいきさつがあったあとに、その縁組はあっさりと決まったのである。文四郎は口出しをしなかった。母が気にいった嫁なら、それでかまわないと思っていた。母の登世は、文四郎の城勤めが近づいたころから、言動にやや老いを感じさせるようになっていた。母に楽をさせてやるべきだった。岡崎は二十五石取りで、身分も釣り合っていた。》

 

「逝(ゆ)く者はかくのごときか、昼夜を舎(お)かず」

 江戸から国元の藩校に戻ってきた与之助が、お福(ふく)が藩主の指示で金井村の欅御殿に匿われていると告げる。

 バルト「報告者:友情のフィギュール。ただし、その恒常的役割は、むしろ、恋愛主体を傷つけることにあるらしい。愛する人について、一見ささいであたりさわりのない情報を提供してくれるのだが、結果的にはそれが、愛する人のイメージをそこなうことになるのだ。」とあっても、イメージをそこなうということからずれている。

 ふたたび、過ぎてしまった時間、歳月が川の表徴によって文四郎の意識を流れてゆく。なお、藤沢周平が与之助に、「おれはこのお言葉から教訓を読み取るのは好かん」と語らせたように、藤沢文学から処世訓、人生論ばかりを読みとろうとするのは作者の望むところではないだろう。 

322《「証拠というと?」

 文四郎が与之助の顔を見た。すると与之助がうなずいて、誰にも言うなよ、事実なら藩の秘事だと言った。

「お福さまは身籠(みごも)っているというのだ」

「殿の御子を?」

「むろん、殿の御子だ」

 愚かしいことを聞くな、という眼で、与之助は文四郎を見た。

 文四郎は肌が栗立(あわだ)った。国元は側室おふねと結びつく稲垣、里村派の天下である。そのことが洩れたら、お福のいのちがあぶないのではないか。

「それは事実か」

「お福さまのそばに懇意にしている女中がいる」

 およねと懇意にしているその女中は、お福が屋代家に預けられるときに、供して送って行った。そしてその先で、屋代家の者がお福の妊娠のことを言い、大事の身体だからゆっくり養生するようにと言うのを聞いて、耳を疑ったという。

「およねは、お福さまが屋代家から国元にかえされたのも、お上のご指示だと信じている」

「その女子が言うだけだな」

 と文四郎は言った。

「にわかには信じがたい話だ」

「しかし事の真相というものは、往々にしておよねのような女たちがにぎっているものだ。と言っても、おれも半信半疑の気持ちはぬぐえぬが……」

 与之助は、書物を油紙の荷の中に押し込み、紐(ひも)でしばりながら言った。

「いずれ話の真偽はわかることだ」

「そうだな」

孔子さまは川のほとりに立って言われた。逝(ゆ)く者はかくのごときか、昼夜を舎(お)かずとな。おれはこのお言葉から教訓を読み取るのは好かん」

 と与之助は言った。

「夜も日もなく、物の過ぎゆく気配をさとって孔子さまは嘆じられたのだ。両手をあげてな。われわれのまわりもずいぶん変わった」

「同感だ」

 と文四郎は言った。》

 

「変わらないものがどこにあろうか」

 文四郎は、郷方の田圃見廻りを装って、金井村にある欅御殿の様子を探る。

 バルト「不在:恋愛対象の不在――その原因と期間を問わず――を舞台にのぼせ、これを孤独の試練に変えようとする言語的挿話。」の中でバルトは、《耐え忍ばれる不在とは、忘却以外の何ものでもない。つまり、わたしは間歇的に不実となるのである。それが生き残るための条件なのだ》と書いているが、そのとおりのことが文四郎にも起きる。そして文四郎の優れたところは自己省察を他者(ふく)にも推量できることだ。

329《「郷方出役、牧文四郎です」

 文四郎が名乗ると武士はうなずいた。手でどうぞ行ってくれという身振りをした。

  ――言った名前を……。

 あの男たちはお福に伝えるのだろうか、と文四郎は思った。しかしそれで胸がときめくようなことはなく、文四郎は伝えても伝えなくてもどちらでもいいことだと思った。

 繭(まゆ)に籠(こも)るように、藩主の子を腹に抱いて別邸に籠っているお福の姿が見えている。それは文四郎の記憶にあるふくとは、異なる女人のようにも思われた。そういう感じをうけたのははじめてだった。

 孔子さまは川のほとりに立って言われたと話した与之助の声が、耳に甦(よみがえ)って来た。流れ行く水のように、夜も昼も物のいのちは過ぎて行き、変化する、変わらないものがどこにあろうかと文四郎は思った。

 父の死、矢田淑江の死、秘伝、出仕、祝言と、ここ数年の間に文四郎の身辺は激変した。そしてその間、ひと筋にふくを思いつめたというのではなかった。時には忘れた。そしてまた、ふくの方も尋常でない変化をくぐり抜けて来たのである。牧文四郎の名前を聞いて、ふくが懐かしがるとはかぎらない。

 しかも側室お福は孤立無援ではなく、藩主がちゃんと護衛をつけていたのである。おれが気遣うことはなかったと思いながら、文四郎は村はずれに立ちどまって欅御殿のあたりを振りむいた。》

 

《「誘う男」》《「暗闘」》《「罠」》

 村廻りとして働きはじめた文四郎は、父が代官の不正を糾そうとして里村家老に切腹させられた、と事件の真相を知る。お福は欅御殿で密かに出産したらしい。かつて父が属していた横山家老派は里村家老派への反抗の姿勢を強め、文四郎も誘われる。一方、文四郎は里村家老から、反対派の陰謀から守るために欅御殿から旧知のお福の御子を奪って来るよう藩命を受けてしまう。文四郎は罠と気づくが、お福と御子の命を救うために秘策をもって、小和田逸平、布施鶴之助とともに欅御殿へ向かう。

 

《「逆転」》

「気持ちのどこかでふくの変貌を恐れてもいた」

 バルト「変質:恋愛の領野にみられる現象で、恋愛対象についての反・イメージの瞬間的算出。恋愛主体は、ほんのささいなできごと、かすかな表情などが原因で、「善きイメージ」が突如として変質し、転覆するのを見る。」ということを文四郎は怖れたのであるが、ここで藤沢がうまいのは、ふくに文四郎の嫁の名をあげさせ、子がまだなことまで知っていたと示すことで、二人の距離をふくの側から縮めさせるところだ。

396《――五年ぶりか。

 と思った。ふくがお福さまに変わり、その変貌はどのようなものかと思ったのである。胸をときめかせているのは、疑いもなく再会の喜びだった。しかし文四郎は、気持ちのどこかでふくの変貌を恐れてもいた。

 ひろびろとした玄関に入ると、そこには二十過ぎほどに見える女が手燭(てしょく)を持って出迎えていた。武家ではなく町方の女に見えたが、垢抜(あかぬ)けした容貌からみて、この女が青柳町の信夫屋に現れた当人かとも思われた。文四郎たち三人は、中年の武士とその女にみちびかれて建物の奥に入って行った。

 案内の男女は、灯影が洩れる外まで行くと、襖の外に跪(ひざまず)いて中に声をかけた。部屋の中から低い応答の声があって、文四郎たちはつぎにまぶしいほどにあかるい部屋の内に招き入れられた。

「文四郎どの、お顔を上げてください」

 正面の席で声がした。臆したような低い声だったが、言葉ははっきり聞こえた。大人の声に変わってはいるが、それはやはりふくの声である。

 その声がつづけて言った。

「おひさしゅうございましたな」

「御方さまもお変わりなく……」

 文四郎は顔を上げた。するとそこにふくが坐っていた。ふくは想像したようなきらびやかな打掛を羽織ることもなく、武家の女房ふうの簡素な姿をしていた。そしてすっきりと頬が痩せて、化粧のせいか伝え聞く苦労のせいか別人のように凄艶(せいえん)な顔に変わっているものの、よくみれば細くて黒眼だけのような眼、小さな口もとは紛れもなくふくだった。

文四郎は熱いものがこみ上げて来て、胸がつまるように思いながらつづけた。

「ご健勝の様子にて、何よりと存じます」

「堅くるしい挨拶はこのぐらいにしましょう」

 とふくは言った。声がやわらかく笑いをふくんだように聞こえ、文四郎はふくの方が自分よりも冷静なのを感じた。

 おもかげはむかしのふくでも、眼の前の女性は一児の母親で、お福さまでもあるのを忘れてはならん、と文四郎が自分をいましめたとき、そのお福さまが言った。

「おかあさまは変わりありませんか」

「は、いささか年寄りましたが丈夫でおります」

「文四郎どのが、こうしてわたくしと会うことを知っておられますか」

「いや、今夜は内密の用で母には話しておりません」

「おせつさまにもですか」

「……」

「お子はまだだそうですね」

 ふくは矢つぎばやに言ったが、文四郎が顔に戸惑いのいろをうかべると気弱そうに微笑し、ついでその微笑も消した。》

 

「気がつくとお福が文四郎の手に縋(すが)っていた」

 ふくは文四郎の説得に応じたものの、里村派の襲撃を受ける。文四郎らは刺客たちを倒し、文四郎と子を抱いたふくは、父の助命嘆願書をまとめた金井村役人藤次郎の発案で夜の五間川を舟で逃避行する(映像イメージとして溝口健二監督『近松物語』のおさん茂兵衛の舟の道行シーンを連想させるが、こちらには船頭がいる)。やがて舟から上り、織部正の杉ノ森御殿に庇護を求める。

 バルト「接触:このフィギュールは、欲望対象の肉体(より正確には、肌)とのかすかな接触によって惹起される内的ディスクールの全体にかかわる。」のお福の縋った手は、遠い記憶を喚起し、変化する、変わらないものがどこにあろうかと思っていた文四郎を、幸福なことに裏切る。

 お福と抱き合った姿を見ていた追手の息の根を止めることで、小説冒頭のやまかがしと同じように、生殺しを避ける。

412《五間川は下流に行くと幅十軒を超え、必ずとも名前のような小河川ではないが、金井村のあたりでは幅が狭かった。その上にかなりの水量があるにもかかわらず、あちこちに砂洲が頭を出しているのが見えた。だが権六は何の苦もなく舟を深みに乗せて行く。

「夜も漕(こ)ぐことがあるのか」

 と文四郎が聞いた。

 急病人を乗せて、何度か城下まで行ったことがあると権六は言った。

「もっとも、年がら年じゅうのぼりくだりしている川ですからな。眼つぶったって川筋はわかります」

「ほう、そういうものか」

「旦那さん、柳の曲がりを過ぎたら提灯は消しても構いませんよ」

 と権六は言った。多分藤次郎から耳打ちされたのだろう。権六にも危険の在りかはわかっている様子だった。

 その危険が眼に入って来たのは、権六の竿さばきを信用して提灯の火を消してから間もなくだった。赤々と燃えるかがり火が見えた。火は左に二カ所、右に一カ所で、方角から見て金井村、青畑村から城下に入る道を押さえていることがあきらかだった。

 柳の曲がりを過ぎてから、流れはゆるやかに西北にむかい、舟は城下に近づいて行った。権六は舟を流れにまかせていた。時どきちゃぽと竿の音がするのは舟の方向を定めるのだろう。城下の端にあるかがり火は、権六にとって恰好の目印になっているようでもあった。しかしその火は、どんどん近づいて来てやがて船の上までほのかに照らし出すほどに近くなった。

「伏せて」

 文四郎はお福に警告した。自分も背をまるめて伏せた。(中略)

二人は足音をしのばせて屋敷の横を通りすぎた。うしろで咳(せき)ばらいの声がした。そして気がつくとお福が文四郎の手に縋(すが)っていた。

 道がふたたび暗やみにもどっても、お福はすがった手をはなさなかった。文四郎は、父の遺骸をはこんで龍興寺から組屋敷にもどったとき、走って来て車を引いた昔のふくを思い出していた。おとなしい外見の内側に一点の強さを隠しているお福の性向が、いままた暗い道に立ち現れて来たようだった。

 あのときもそうだったのだと、文四郎は江戸に行く前の夜に葺屋(ふきや)町の長屋をたずねて来たお福を思い出している。ただおとなしく、かよわいだけの娘に出来ることではない。それだけの強さを秘めていても、押し流されるほかはなかったお福の歳月が見えたように思い、文四郎は胸が熱くなった。

 文四郎は一度お福の手を解くと、改めて自分から握りしめてやった。お福の手は汗ばんでいるようにしめっぽく、骨細だった。お福は文四郎に手をひかれると、ほとんどしなだれかかるように身を寄せて歩いた。お福の身体の香が、文四郎の鼻にとどいた。

「文四郎さん」

 長い沈黙に堪えかねたように、ついにお福が文四郎の名前を呼んだ。か細くふるえる声に、文四郎はお福がいま何を訴えようとしているかを読み取った気がした。お福は多分、自分の身の上を通りすぎた理不尽な歳月のことを聞いてもらいたがっているのだ。

だがお福が切羽詰まった声音で文四郎を呼んだとき、文四郎は背後にもうひとつの物の気配を聞いていた。堀に沿ってすべるように動いて来る物の気配……。

 文四郎は立ち止まると、向き直ってお福の背を掻(か)き抱いた。むせるような肌の香とはげしい喘(あえ)ぎが文四郎をつつんだ。お福は文四郎の腕の中でふるえつづけている。片手に子供、片手にお福を抱き寄せたまま、文四郎は顔は動かさずに眼だけで背後の道をさぐった。はたして左後方の堀の下に、黒くうずくまっているものがある。石のように動かないが、それは人間だった。

 ――ふむ。

 やはり十人目がいたのか、と文四郎は思っていた。うしろの闇にうずくまっているのは村上七郎右衛門が残した見届け役にちがいなかった。(中略)

 男は苦痛の声を洩らさなかった。そして呼吸が次第に消えて行くのがわかった。文四郎は手さぐりに男の頚(くび)をさぐり、血脈を絶った。お福と抱き合った姿を見た人間を生かしておくことは出来なかった。

 もとの場所にもどると、子供を抱いたお福がうなだれて立っていたが、文四郎を見ると、ほっと顔を上げた。

「片づき申した」

 文四郎はそれだけ言うと、また子供を受け取り、お福の手をひいて歩き出した。手をひかれるのをお福は拒まなかったが、さっきのように身体を寄せてはこなかった。もっとも、加治屋敷の高い門が、そびえるように闇にたちはだかっているのがもう見えていた。

 文四郎の手短かな説明と頼みを聞くと、加治織部正は無造作にうなずいた。

「よろしい。わしがかくまって進ぜよう。まかせろ」

「よしなに、お頼み申しまする」

 とお福が言った。お福は落ちついていた。軽い辞儀と低いがしっかりした声音には、そこはかとない威厳までそなわり、お福は織部正を恐れてはいなかった。

  暗い路上で息を乱したお福のおもかげはなく、文四郎はお福が藩主の寵めでたい一人の側妾にもどったのを感じた。》

 

《「刺客」》

 追放処分となった里村の命による刺客が文四郎を襲撃するが返り討ちにされる。横山派が藩政の実権を握ることになり、この度の功績によって、また父助左衛門の過去の功績が認められ、文四郎は三十石が加増される。

 

《「蟬しぐれ」》

「それにしても大胆なことをなされる」

 バルト「行動:熟慮のフィギュール。いかに振舞えばよいかという、多くは無益な問題を、恋愛主体は苦悩とともに問いつづける。なんらかの選択を前にするたびに、何をなすべきか、いかに振舞うべきかを自問してやまないのである。」は、お福には逡巡として、文四郎には素早い決心として訪れた。これまでのお福(ふく)の生涯は、「生殺し」に近かったとも推察でき、ならばそれを絶てるのは矜持とともに生きてきた文四郎しかあるまい。

453《二十年余の歳月が過ぎた。

 若いころの通称を文四郎と言った郡奉行牧助左衛門は、大浦郡矢尻村にある代官屋敷の庭に入ると、馬を降りた。

 かがやく真夏の日が領内をくまなく照らし、風もないので肺に入る空気まで熱くふくらんで感じられる日だった。助左衛門は馬を牽(ひ)いて、生け垣の内にある李(すもも)の木陰に入れてやった。(中略)

「はい、簑浦(みのうら)の三国屋の番頭がこれを持って参りました」

 中山は助左衛門に一通の封書をわたした。嵩(かさ)がなく、手触りもうすい封筒は、上書きに牧助左衛門様とあるだけで署名がなかった。

「ほかに伝言は?」

 と助左衛門は言ったが、中山はただこれをおわたししてくれと置いて行っただけですと言った。

 首をひねりながら助左衛門は自分の部屋に入った。机の前に坐って封書をひらいたが、簡単な文言を読みくだすとともに、助左衛門は顔から血の気がひくのを感じた。

 このたび白蓮(びゃくれん)院の尼になると心を決め、この秋に髪をおろすことにした。しかしながら今生に残るいささかの未練に動かされて、あなたさまにお目にかかる折りもがなと、簑浦まで来ている。お目にかかれればこの上の喜びはないが、無理にとねがうものではない。万一の幸運をたのんでこの手紙をとどけさせると文言は閉じられ、文四郎様まいると書いてあった。そこにも署名はないが、それがお福さまがよこした手紙であることは疑う余地がなかった。

 ――尼になられるのか。

 と助左衛門は思った。白蓮院は藩主家ゆかりの尼寺である。さきの藩主が病死して一年近い月日がたっていた。おそらくお福さまは、その一周忌を前に髪をおろすつもりなのだろう。

 ――しかし……。

 それにしても大胆なことをなされる、と思いながら、助左衛門は本文から少しはなして二行に書いてある二十日には城にもどる心づもりに候、という文句をじっと見つめた。二十日といえば今日のことである。その二行の文字は、助左衛門に決断を迫っているようにも見えた。

 助左衛門は立ち上がって着替えた。決心がつくと、支度する手ははやくなった。部屋を出ると中山を呼んで外出を告げ、さらに台所をのぞいて徳助に飯はいらないとことわった。

 馬に乗って外に出ると、また真昼の暑熱が助左衛門を厚くつつんで来た。菅笠(すげがさ)をかぶっていても、暑熱は地面からはね返って来て顔を焼く。たちまち汗が流れ出た。》

 

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」

 バルト「告白:恋愛主体が愛する人に対し、自分の愛のことを、その人のことを、二人のことを、激情は抑えつつも雄弁に語りかけようとする傾向。告白とは、秘めた愛を打ち明けることでなく、恋愛関係の形式に加えられる果てしない注釈にかかわっている。」のだが、お福さまの大胆でいて一見さりげない言葉は告白にしてはあまりに重く、もはやその困難な自由、不可能性という禁忌によって、反作用のように「恋愛小説」の純度を高める。ついで、この小説のライトモティーフを表象する言葉を、長い間不在だったふくが呟く、「うれしい。でも、きっとこういうふうに終るのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」が来る。

「はかない世の中」……もうここからは「恋愛小説」として省略してよい一行とてない。

458《案内された部屋に入ると、そこに切り髪姿のお福さまとお供と思われる少女が一人いた。十三、四かとみえる少女である。

「ひさしくご無音つかまつり……」

 助左衛門が挨拶をのべると、お福さまはかすかに笑ってうなずき、番頭に用意のものをはこぶようにと言った。

「お昼はもうお済みですか」

 番頭と少女が部屋を出ていくと、お福さまはそう言った。城奥の支配者となったお福さまを見ることはめったにないが、しかしまったく見かけないというのではなく、助左衛門は何年に一度かは寺社に参詣(さんけい)に行くお福さまに出会ったり、また在国中の藩主が催した御能拝見の席で眼にしたりしているが、いずれも遠くから眺めただけである。

 近々とお福さまを見るのは、欅御殿から加治織部正屋敷にお福さま母子を護送して以来のことだった。そのころにくらべると、お福さまは顔にも胸のあたりにもふくよかに肉がついたように見えるが、顔は不思議なほどに若々しく、もはや四十を越えた女性とは思えないほどだった。お福さまの眼は細いままに澄み、小さな口もともそのままだった。膝の上の指は白く細い。そして、その身ごなしや物言いには、やはりお福さまと呼ぶしかない身についた優雅な気品が現れていた。

「山からもどったばかりで、昼飯はまだ食しておりません」

「それはさぞ、おなかが空いたことでしょう」

 お福さまはゆったりと言った。

「番頭の話では、今日まで山に行っておいでだったそうですね」

「そうです」

「ここにはおいでになれないかと思いましたよ」

「どうにか、間に合いました」

 助左衛門は言ったが、実際にはお福さまがなぜ山視察がわかっている助左衛門の様子もたしかめず、しかも城に帰るぎりぎりの時刻にあの手紙を差しむけて来たのかがわかっていた。間にあわなければ、それはそれでかまわないとお福さまは考えていたのではなかろうか。

 お福さまもやはり、助左衛門に会うのがこわかったはずである。事情はどうあれ、それで喪に服している元側室が忍んで男に会う事実が変わるわけはないのだ。ぎりぎりの時刻に手紙をよこしたのは、その時刻に二人の運を賭(か)ける気持ちがあったようでもある。間に合うも間に合わぬも運命だと。

 しかしお福さまは、少なくともいまはその恐れを顔に出してはいなかった。注意深くその顔いろを眺めながら、助左衛門が山の話をしていると、足音がして宿の女が二人、膳の物と銚子(ちょうし)、盃をはこんで来た。

「御酒を少し召し上がれ。私も一杯いただきます」

 女たちが去ると、お福さまはそう言って銚子を取り上げ、助左衛門に酒をついだ。助左衛門も、黙ってお福さまの盃に酒を満たしてやった。

「遠慮なくくつろいでください」

 とお福さまは言った。

「さっきの子は信用できる者です。万事心得ていて、私が呼ぶまでは誰もこの部屋には近づかぬよう見張っているはずです」

「さようですか」

 助左衛門は盃をあけた。酌をしようとするお福さまを制して、自分で盃をついだ。

「ここにはいつ参られましたか」

「五日前です」

 やはりそうか、と助左衛門は思った。五日前に来たが、ようやく城にもどる今朝になって助左衛門に会う決心がついたのだ。

「しかし、大胆なことをなされましたな」

「ええ」

「もっとも、あなたさまは子供のころから一点大胆な気性を内に隠しておられた」

 お福さまは声を出さずに笑った。するとその顔に、子供のころのふくの表情が現れた。

「文四郎さん」

 不意にお福さまは言った。

「せっかくお会い出来たのですから、むかしの話をしましょうか」

「けっこうですな」

「よく文四郎さんにくっついて、熊野神社の夜祭りに連れて行ってもらったことを思い出します。さぞご迷惑だったでしょうね」

「いや、べつに」

「あのころのお友達は、その後どうなさっておられますか」

 お福さまは言い、指を折った。

「小和田逸平さま、島崎与之助さま」

「よくおぼえておられましたな」

「小和田さまは身体が大きく、こわいお方で、島崎さまは秀才でいらしたけれども、ひょろひょろに痩(や)せて……」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「島崎与之助は、あるいはお聞き及びかも知れませんが、いまは藩校の教授を勤め、数年たてば学監にのぼるだろうと言われています。それから小和田逸平は御書院目付に変わり、子供が八人もおります」

「まあ、御子が八人」

 お福さまは笑い声を立てたが、ふと笑いをとめ、文四郎さんも出世なされてとつぶやいた。

「文四郎さんの御子は?」

「二人です」

 助左衛門の子は上が男子、下が娘で、上の息子はすでに二十歳。今年から小姓組見習いに召しだされている。

「娘も、そろそろ嫁にやらねばなりません」

「二人とも、それぞれに人の親になったのですね」

「さようですな」

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」

 いきなり、お福さまがそう言った。だが顔はおだやかに微笑して、あり得たかも知れないその光景を夢みているように見えた。助左衛門も微笑した。そしてはっきりと言った。

「それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております」

「ほんとうに?」

「……」

「うれしい。でも、きっとこういうふうに終るのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから。はかない世の中……」

 お福さまの白い顔に放心の表情が現れた。見守っている助左衛門に、やがてお福さまは眼をもどした。その眼にわずかに生気が動いた。

「江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家をたずねたのをおぼえておられますか」

「よくおぼえています」

「江戸に行くのがいやで、あのときはおかあさまに、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みに行ったのです」

「……」

「でも、とてもそんなことは言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家にもどったのを忘れることが出来ません」

 お福さまは深々と吐息をついた。喰い違ってしまった運命を嘆く声に聞こえた。お福さまは藩主に先立たれ、生んだ子ははやく大身旗本の養子となり、実家はあるものの両親はもういなかった。孤独な身の上である。

「この指を、おぼえていますか」

 お福さまは右手の中指を示しながら、助左衛門ににじり寄った。かぐわしい肌の香が、文四郎の鼻にふれた。

「蛇に嚙まれた指です」

「さよう。それがしが血を吸ってさし上げた」

 お福さまはうつむくと、盃の酒を吸った。そして身体をすべらせると、助左衛門の腕に身を投げかけて来た。二人は抱き合った。助左衛門が唇をもとめると、お福さまはそれにもはげしく応(こた)えて来た。愛隣の心が助左衛門の胸にあふれた。

 どのくらいの時がたったのだろう。お福さまがそっと助左衛門の身体を押しのけた。乱れた襟を掻きあつめて助左衛門に背をむけると、お福さまはしばらく声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振りむいたときには微笑していた。

 ありがとう文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。

「これで、思い残すことはありません」》

 

「その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がした」

 バルト「制限する:やがてくる不幸を軽減すべく、主体は、恋愛関係がもたらす快楽のありかたにあらかじめ制約を加えるような制御方法に望みをかける。まずはそうした快楽を保持し、十二分に享受することであり、さらには、快楽と快楽を隔てるあの広大で沈鬱な領域を、考えようのないものとして括弧に入れてしまうことである。つまり、愛する人のことを、彼が与えてくれる快楽以外のところでは「忘却」してしまうことなのだ。」だが、制限する自由さえ困難であるところに「恋愛小説」は書かれた。

 ふくの今現在の境遇、《お福さまは藩主に先立たれ、生んだ子ははやく大身旗本の養子となり、実家はあるものの両親はもういなかった》という、やはりここでも理不尽な別離に見舞われた女の運命を、最後の最後に読者に届ける演出手法が心憎い。

 最後に、女の「救われ」はあったのか。蟬しぐれが響く、白い光の底で、《記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がした》と《今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい》との相反する複雑な感情に揺らぎながら、《お福さまに会うことはもうあるまいと思った。》

 会わなくとも、会わないからこそ、忍ぶ恋のような記憶の「恋愛」が、二人の生がある限り永遠に続く。

463《階下に降りると駕籠(かご)が待っていた。時刻を定めて迎えに来た駕籠は、はたしてただの町駕籠だった。駕籠はお福さまを美濃屋にはこび、お福さまはそこからさらに駕籠を乗り換えて城にもどるのだろう。 

 お福さまと待女が、無言のまま会釈して駕籠に入るのを、助左衛門は馬のくつわを執りながら見守った。そして駕籠が門を出てから、宿の者に会釈して自分も門の外に馬を牽き出した。砂まじりの白く乾いた道を遠ざかる駕籠が見えた。そして駕籠は、助左衛門が見守るうちに、まばらな小松や昼顔の蔓(つる)に覆われた砂丘の陰に隠れた。それを見届けてから、助左衛門は軽く馬の顔を叩き、一挙動で馬上にもどった。ゆっくりと馬を歩かせた。

 ――あのひとの……。

 白い胸など見なければよかったと思った。その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、助左衛門の気持ちは一方で深く満たされてもいた。会って、今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい。

 助左衛門は矢尻村に通じる砂丘の切り通しの道に入った。裾短かな着物を着、くらい顔をうつむけて歩いている少女の姿が、助左衛門の胸にうかんでいる。お福さまに会うことはもうあるまいと思った。

 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蟬しぐれが、耳を聾(ろう)するばかりに助左衛門をつつんで来た。蟬の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼(や)ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。

 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。》                                

                                    (了)

         *****引用または参考文献*****

藤沢周平『蟬しぐれ』(文春文庫)

*『藤沢周平全集 別巻 人とその世界』(文藝春秋

*『藤沢周平全集23』(「小説の周辺」「ふるさとへ廻る六部は」他所収)(文藝春秋

*『「蟬しぐれ」と藤沢周平の世界』(文春ムック(オール讀物))

*『藤沢周平の世界』(文藝春秋

*『藤沢周平のこころ』(文春ムック(オール讀物))

藤沢周平『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)

藤沢周平『橋ものがたり』(新潮文庫

*鯨井佑士『藤沢周平の読書遍歴』(朝日出版社

湯川豊『海坂藩に吹く風 藤沢周平を読む』(文藝春秋

藤沢周平『海坂藩大全 上、下』(『山桜』『花のあと』他所収)(文藝春秋

藤沢周平『用心棒日月抄』(新潮文庫

ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』三好郁朗訳(みすず書房

チェーホフ『ともしび・谷間 他7篇』松下裕訳(岩波文庫

*カロッサ『ルーマニア日記』高橋健二訳(岩波文庫

*シュトルム『聖ユルゲンにて 他一篇』国松孝二訳(岩波文庫

*ウジェーヌ・ダビ『北ホテル』岩田豊雄訳(新潮文庫

グレアム・グリーンヒューマン・ファクター』加賀山卓朗(ハヤカワepi文庫)

デヴィッド・リーン監督映画『逢びき』