文学批評 「三島由紀夫『暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」

  「三島由紀夫暁の寺』論(試論) ―― 覚めつ夢みつ」

  

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 三島由紀夫豊饒の海』、その第三巻『暁の寺』は二部構成形式がとられている。全四巻のうち、第三巻だけがそのような形式であり、第二巻と第三巻のあいだで物語を転ずればよさそうなものを、あえてこの第三巻のほぼなかば、戦前・戦後、空白の7年間をはさみ、一双の屏風のように折り畳まれている。

 他の三島作品でも、このような二部構成はまずみかけない。戯曲、歌舞伎に三幕物などの多幕物があったにせよ、それは因果を積み重ねてゆくためであって、『暁の寺』のような、あきらかな切断とは違っている。

 しかし、二部にわかれた『暁の寺』ではあるが、はじめから終わりまで、いくつかのライト・モティーフが三島得意の二項対立的に、そしてそれらがある種の逆説として、蝮のように絡みあっている。

 たとえば「水と火」、またたとえば「白と赤」、「蛇と孔雀」、「黒い仔山羊と白い聖牛」、「暁と夕暮」、「神聖と汚穢」、「見るものと見られるもの」、「時間と空間」、「アポロンディオニュソス」、「聡子と慶子」、「月と太陽」、「肉体と認識」、「認識と不可能性」、あるいは「「隅田川」と「松風」」、「戦前と戦後」などである。

暁の寺』へは、第一巻『春の雪』、第二巻『奔馬』から、夢日記、登場人物、転生が流れ込み、逆に最終巻『天人五衰』への流出、予兆、種蒔きがあるわけだが、なるべくは『暁の寺』のみに集中する。

 そのうえ、第十三章から十九章までの「輪廻」と「唯識論」の、多くの読者の物語への陶酔を拒む難解な論述は、ここがなくとも小説の中で本多の感官を借りて言及されているがゆえに、つまらぬ解説となって興を削がないために深入りしない。

 

 小説の書きだしは、結びとともに、三島が細心の注意を払った芸の見せどころとしたから、どの作品をとっても技芸的であることが鼻につくほどに巧みだ。『暁の寺』も例外ではなく、「だった」、「いた」、「かった」、「た」、とあえて「た」を連ね、短い文章を少しずつ長くすることで、時間と空間を超えて読者を一足飛びに南国タイの過剰な色彩とモンスーンの湿度のただなかにワープさせてしまう。

 

《バンコックは雨季だった。空気はいつも軽い雨滴を含んでいた。強い日ざしの中に、しばしば雨滴が舞っていた。しかし空のどこかには必ず青空が覗(のぞ)かれ、雲はともすると日のまわりに厚く、雲の外周の空は燦爛(さんらん)とかがやいていた。驟雨(しゅうう)の来る前の空の深い予兆にみちた灰黒色は凄(すご)かった。その暗示を孕(はら)んだ黒は、いちめんの緑のところどころに椰子(やし)の木を点綴(てんてつ)した低い町並を覆(おお)うた。》

 

<水と火>

 

『春の雪』は、松枝侯爵邸の池の周囲を松枝清顕、本多繁邦、綾倉聡子が歩む場面から物語が動きだして、滝口の黒い犬の屍、月修寺御門跡による、元暁が髑髏の中に溜った水を飲んだというお話から展開し、水の結晶の雪、鎌倉の海が書割りとなったように、『暁の寺』もまた水からはじまって、四大の一つの火といくども会話する。

 まず、「水」にちなむところからはじめる。

 冒頭の水の文章は、この小説が水の運河をニューロンのように張り巡らせていることをそれとなく教える。ゆえに水はただの水ではない。

 

《海抜二米(メートル)に満たない町の交通は、すべて運河にたよっている。運河と云(い)っても、道を築くために土盛りをすれば、掘ったところがすなわち川になる。家を建てるために土盛りをすれば池ができる。そうしてできた池はおのずから川に通じ、かくていわゆる運河は四通八達して、すべてがあの水の母、ここの人たちの肌の色と等しく茶褐色に日に照り映えるメナム河に通じていた。》

 

 昭和十六年、本多はバンコックのオリエンタル・ホテルの、メナム河(現在ではチャオプラヤー河と呼ばれる)の眺望の美しい一室を五井(いつい)物産の手配で与えられていた。

 

《朝の暑気はすでに懲(こ)りずまに部屋を犯していた。汗に濡(ぬ)れた寝床を見捨てて、水を浴びるときにはじめて感じる肌の朝(あした)は、本多にはめずらしい官能的な体験だった。一旦理智(りち)をとおすことなしには、決して外界に接しない性質(たち)の本多にとって、ここではすべてが肌をとおして感じられ、自分の肌が、熱帯植物のけばけばしい緑や、合歓(ねむ)の真紅の花や、寺を彩(いろど)る金(きん)の華飾や、突然の青い稲妻などによって、時あって染められることによって、はじめて何ものかに接するという体験ほど、めずらしいものはなかった。あたたかな驟雨(しゅうう)。ぬるい水浴。外界は色彩のゆたかな流体であり、ひねもすこの流体の風呂に浸(つか)っているようなものだ。日本にいる本多にどうしてそんなことが考えられよう。》

 

 のちに、「本多が恋をするとは、つらつらわが身をかえりみても、異例なばかりでなく、滑稽(こっけい)なことだった」と言及される「本多の恋」は、バンコックの水に触発されたからに違いない。

 このように『暁の寺』は全編、「予感」「予兆」であり、それらが「時間」のなかでいかに裏切られていったかが二部構成の要、手袋の表裏なのである。これは、『豊饒の海』全四巻全体の縮図でもある。

「こんな姫の姿をしているけれども、実は私は日本人だ」と叫んだ七歳になられたばかりの幼い月光姫(ジン・ジャン姫)に招かれて遊びに行ったバンパイン離宮は、本多にとって忘れがたい地名になった。

 舟での道中、遠景に瞳を凝らして動きもしない姫は、小さな桃色の潤んだ舌で、本多が献上した指環の真珠を一心に舐めている。

 

《水に臨む石階が、水嵩(みずかさ)の増すにつれて犯されて、その階(きざはし)の末は池の澱(よど)みの底に隠れて見えず、水中に見える段は白い大理石が水苔(みずごけ)の緑に染まり、藻(も)さえまつわって、こまかい銀の水泡(みなわ)に覆われている。そこへ月光姫は足を手をつっこみたがって、何度も女官に制せられる。言葉はわからぬが、その水泡を指環と同じ真珠だと思って、採りたくて地団駄を踏んでいるらしかった。》

 

 水泡を指輪と同じ真珠だと思って、採りたいのに採ることができない、とはこの小説を象徴してはいないか。

 暑くなった姫は、本多がどこにもいないかの如く振舞う二人の女官が掲げる美しい更紗(さらさ)の布を対岸の人目を隠す帳(とばり)にして、裸になって水に入った。

 

《姫はなかなか静かではなかった。更紗を透かす日光の縞斑(しまふ)のなかで、たえず本多のほうへ笑いかけながら、そのやや大きすぎる子供らしいお腹(なか)を庇(かば)いもせず、女官に水をかけて叱(しか)られては、水をはね返して逃げた。水は決して清冽(せいれつ)ではなく、姫の肌の色と同じ黄ばんで褐色をしていたが、その澱(よど)んで重く見える川水も、飛沫(ひまつ)になって更紗を透かす光点を浴びるときは、澄み切った滴(しずく)を散らした。》

 

 この水浴の場面は、第二部で本多の別荘のプールの場面と合わせ鏡をなす。

 本多は海路で、年に一度のドュルガの祭礼で賑わうカルカッタへ入る。むしあつい雨の午後、カリガート寺院で、聖水を注がれた黒い子山羊の首に半月刀が振り下ろされるさまを見とどける。

 ついでカルカッタから丸一日かけて汽車でベナレスへ向かう。

 ベナレスこそが水の聖地なのだ。祈りを以て心を清め、水を以て潔めるヒンズーの儀礼がそこにあった。

 

《ベナレスは、聖地のなかの聖地であり、ヒンズー教徒たちのエルサレムである。シヴァ神の御座所(おましどころ)なる雪山(せつせん)ヒマラヤの、雪解水(ゆきげみず)を享(う)けて流れるガンジスが、絶妙な三日月形をえがいて彎曲(わんきょく)するところ、その西岸に古名ヴァラナシ、すなわちベナレスの町がある。》

 

 戦時中、本多は余暇を専ら輪廻転生の研究に充てた。第十三章から十九章までが本多なりの理解の説明となるが、十七章でタイの小乗仏教に関するところで、「水」がいかに「心」と「意識」をひたひたと浸しているか、それらが「時間」の水路となっているかが、タイの風景と姫の姿を借りて述べられている。

 

《タイの幼い王女の心に何が起っていたかを考えると、それだけに本多には、よく納得が行くように思われた。

 雨季ごとにあらゆる川は氾濫(はんらん)し、道と川筋、川筋と田の境界はたちまち失(う)せ、道が川になり、川が道になるバンコック。あそこでは幼な心にも、夢の出水(でみず)が起って現(うつつ)を犯し、来世や過去世がその堤を破って、この世を水びたしにしてしまうことが、めずらしくないに相違ない。しかも氾濫に涵(ひた)された田からは稲の青々とした葉先がのぞかれ、もとの川水も田水もおなじ太陽を浴び、おなじ積乱雲を映している。

 そのように、月光姫の心には、自分も意識しない来世や過去世の出水(でみず)が起って、一望、雨後の月をあきらかに映すひろい水域に、ところどころ島のように残る現世の証跡のほうを、却(かえ)って信じがたく思わせていたのかもしれない。堤はすでに潰(つい)え、境はすでに破れた。あとは自在に過去世が語ったのである。》

 

 プルースト失われた時を求めて』で、ヴェニスが無意識的記憶と主人公の恋に重要な役割を果たしたように、「――バンコックが東洋のヴェニスと呼ばれるのは、結構も規模も比較にならぬこの二つの都市の、外見上の対比に拠(よ)ったものではあるまい。それは一つには無数の運河による水上交通と、二つにはいずれも寺院の数が多いからである。バンコックの寺の数は七百あった」という対比で、この小説が、三島にとっての『失われた時を求めて』であったことをほのめかしている。

 

 第二部となる。

 タイ訪問から十一年後の昭和二十七年春のこと。五十八歳になった本多は、御殿場二ノ岡に富士を望む別荘を持つ。なぜ本多がそれだけの財を得たかの説明は、三島が常に、近代精神をアイロニカルに裁きつつ、歴史・社会・経済小説家でもあったかを示しているけれども、そのような全体を書いた作品は不評で、三島は常々嘆いた。

 日本へ留学で来たジン・ジャンに新橋演舞場昼の部の切符を送った本多は、「加賀見山」の長局の段を一人で聴き、「堀川」がはじまる長い幕間に庭に出た。この付近の地理は三島の名作短編『橋づくし』の舞台でもあるが、今では日本橋の真上に高速道路を掛けたのと同じ発想で川は埋め立てられ、首都高速環状線と化して水はなく、川風は渡って来ない。

 

《この劇場の風情(ふぜい)は、庭が川に臨み、夏は川風に涼むことができる点にあった。川はしかし澱(よど)んで、ゆるやかに達磨(だるま)船(せん)と芥(あくた)を流した。本多は、空襲で罹災(りさい)した屍(しかばね)を数多く泛(うか)べるほどに、工場の煙は絶えて、異様に澄んでいた戦争中の東京の川と、そこに映っていた異様に青い末期(まつご)の青空とを、今もありありと思い起すことができた。それに比べればこの汚れた川面(かわづら)こそ繁栄のしるしなのであった。》

 

 出世作仮面の告白』に汚穢屋への幼い憧れを吐露し、歌舞伎に、くさやみたいな味を嗅ぎとり、戯曲『弱法師(よろぼし)』でこの世のおわりのはずだった戦争の阿鼻叫喚、焼けて川にぎっしり浮く人間を俊徳に語らせた三島は、汚穢(アブジェクシオン)の美に生来ひきつけられていたけれど、それは悲劇ゆえの魅力であり、ベナレスで見た活気は、ギリシア好きな三島、自邸にキッチュなまでのアポロン像を作った三島の、明晰なアポロン的解釈を拒むもの、ディオニュソスの蠱惑だったろう。

 第一部と二部のあいだのすっぽり抜け落ちた時間(昭和二十年五月の山の手空襲の一週間後の、渋谷の高台の旧松枝邸への訪問を別として)の記憶は、富士の裾野に作らせている本多の別荘のプールにも映る。

 

《未完成のプールは、どんなに夥(おびただ)しい人骨を投げ入れてもなお余りそうな巨大な墓穴に見えてきた。見えてきたのではなくて、はじめからそうとしか見えようがなかった。この底へ次々と投げ落せば、骨(こつ)は水を跳ねちらかして、静まって、それまで火に乾き切っていたのが、みるみる水を含んで、艶(つや)やかにふくらみそうな感じがする。昔なら寿蔵(じゅぞう)を立ててもおかしくない年齢の本多が、事もあろうに、プールを作りかけているのだ。青い水の充溢(じゅういつ)の中で、衰えてたるんだ肉を泛(うか)ばせようという残酷な試み。》

 

 別荘からジン・ジャンが失踪した朝、本多は前夜、ジン・ジャンの処女を奪おうとして失敗した克己と二人で手分けして探すことになった。

 

《まずテラスへ出て、雨のたまったプールのなかを覗(のぞ)いた。青空を映すプールに、もしやジン・ジャンの体が横たわっていはせぬかと本多は戦慄(せんりつ)を以(もつ)て考え、この現実の世界から非現実の世界へやすやすと踏み込めるほど、今、境のガラスが粉々に砕けたという感じを持った。この朝、この世には何でもありえた、死も殺人も自殺も世界の破滅ですら。見渡すかぎり明るいみずみずしい風光の裡に。》

 

 四大のもう一つの火は、ベナレスの水を抜きには語れない。誕生にすでに寄り添う死、死はまた生へと回帰する。舟はすでにダサシュワメド・ガートを過ぎ、「寡婦の家」の下を通った。焼場のガートはすぐ北に。千の交接体位をあがめる愛染(あいぜん)の寺の黄金の尖塔は焼場のすぐ上に。舟のかたわらに浮いつ沈みつして、流れてゆく布包みが、正に幼児の屍(しかばね)に他ならぬことを知った。「何とはなしに腕時計を見た。五時四十分である。」 本多はゆくてにマニカルニカ・ガートの葬いの火を見た。

 

《しかしまだ舟とガートのあいだには、満々たる土色の水があった。暮れかかる水面には、夥(おびただ)しい献花、(カルカッタで見た朱(あか)いジャワの花もあった)、香料などが芥(あくた)になって漂い流れ、葬りの火の高い焔(ほのお)は逆しまに歴々と映っていた。》

 

 水に濡れた鏡という表層に映るものが、もし灯りであるならば、それこそは宇宙と生の秘密であると、三島はおのれの誕生の瞬間から知っていて、『仮面の告白』で自慢したのではないか。

 

《子らのあとを痩せた犬が追い、又、火に遠い片隅の階段が暗く没した水の中からは、突然、牛追いのけたたましい叫びに追い上げられて、沐浴の水牛どものつややかな逞しい黒い背が、次々と躍り上がって来たりした。階段をよろめき昇るに従って、それらの水牛の黒く濡れた肌には、葬りの火が鏡面のように映った。》

 

 火は生きものであり、浄と忌の果である。

 

《焔は時には概(おおむ)ね白煙に包まれ、煙のあいだから火の舌をひらめかせた。寺の露台へ吹きあげられる白煙が、暗い堂内に生物(いきもの)のように逆巻いていた。(略)

 六時だった。いつのまにか、焔は四、五ヶ所から上っていた。煙は悉く寺院のほうへ吹き寄せられるので、舟の本多の鼻には異臭は届かなかった。ただすべてが見えていた。》

 

「ただすべてが見えていた。」 見る人、本多。第三巻でついに主人公となった(三島が主人公としてしまった)本多は、見る人、三島の分身なのか。

 ここにおいてもまだ、理智の人、本多は「時間」から自由になることができない。というよりも、数えられる「時間」、むしろ「時刻」と言うべきか、がないと不安なのだ、ということを作者は暗に示そうとしたのか。

 火は残余を水に、土に戻す。そのとき、輪廻転生における「時間」はどういう意味をもつのか。

 

《ずっと右方に、焼かれた灰を蒐(あつ)めて、川水の浸すに委(まか)せている場所があった。肉体が頑(かたく)なに守っていた個性は消え、人みなの灰はまぜ合わされ、聖なるガンジスの水に融けて、四大(しだい)と灝気(こうき)へと環(かえ)るのであった。積まれた灰の下部は水に浸されるより先に、すでにあたりの湿った土と見分けがたくなっているにちがいない。ヒンズー教徒は墓を造らない。本多はゆくりなくも青山墓地へ清顕の墓参に行ったとき、この墓石の下には確実に清顕がいないと感じたときの、あの戦慄(せんりつ)を思い起した。》

 

 昭和二十年五月の、B29による山の手空襲の一週間後のこと、本多は訴訟依頼人の渋谷松濤の邸まで来た。その高台の裾から駅までの間は、ところどころに焼ビルを残した焼趾だった。インドで見たもの、経験したものは本多にずっとつきまとう。

 

《火葬場の匂いに近く、しかももっと日常的な、たとえば厨房(ちゅうぼう)や焚火(たきび)の匂いもまじり、又、ひどく機械的化学的な、薬品工場の匂いを加味したような、この焼趾の匂いに本多ははや馴(な)れている。幸い本郷の本多の家はまだ罹災(りさい)せずにいたのだけれども。

 頭上の夜空を錐(きり)で揉(も)むような爆弾の落下してくる金属音に引きつづき、爆発音があたりをとよもし、焼夷弾(しょういだん)が火を放つと、夜は必ず、人声とも思えぬ、一せいに囃(はや)し立てる嬌声(きょうせい)のようなものが空の一角にきこえた。それが阿鼻叫喚というものだと、本多はあとから心づいた。》

 

 やはり火は地獄の門である。プルースト失われた時を求めて』の、第一次世界大戦の爆撃下のパリの町をさまよい歩くシャルリュス男爵のようなソドムの欲望の姿はここにないが、しかしのちに、外苑の森の覗き行為というより隠微な行動と重なりあう。

「火事よ! 火事」と叫んでいるのは女の声で、本多と妻梨枝が手を携えてドアの外へ出、階段を噎せながら駈け下りてテラスへ出てプールを見ると、向う側から慶子がジン・ジャンを擁して叫んでいる。火は今西と椿原夫人の部屋からだった。火事は刻々に変容していた。火の煩瑣な装飾が、一瞬バンコックの大理石寺院の幻を与えた。

 

《外(そと)へあらわれた火が、蛇のようにすばやく馳(は)せのぼって煙の中へ身を隠すさま、黒い密集した煙から、突然、糜爛(びらん)した焔の顔があらわれるさま、……すべては迅速無類の働らきによって、火が火と手を携え、煙が煙と結んで、一つの頂点へのぼりつめようとしていた。》

 

 さっきから、この情景をどこかで見たことがあるという考えにとらわれていた。それこそはベナレスだった。

 

《本多は肩や袖にふりかかる火の粉を払い、プールの水面は燃え尽きた木片や、藻(も)のように蝟集(いしゅう)した灰におおわれていた。しかし火の輝やきは、すべてを射貫いて、マニカルニカ・ガートの焔の浄化は、この小さな限られた水域、ジン・ジャンが水を浴びるために造られた神聖なプールに逆しまに映っていた。ガンジスに映っていたあの葬(ほうむ)りの火とどこが違ったろう。ここでも亦(また)、火は薪と、それから焼くのに難儀な、おそらく火中に何度か身を反らし、腕をもたげたりした、もはや苦痛はないのに肉がただ苦しみの形をなぞり反復して滅びに抗(はむか)う、二つの屍(しかばね)から作られたのである。それは夕闇(ゆうやみ)に浮んだガートのあの鮮明な火と、正確に同質の火であった。すべては迅速に四大(しだい)へ還(かえ)りつつあった。煙は高く天空を充(み)たしていた。》

 

 三島が『金閣寺』を書いたのは昭和31年、インド政府の招待を受けてのインド取材旅行は昭和42年のことだから、金閣寺を燃やす禅僧に「生きようと私は思った」とさせる火はベナレス体験とは異質の火だったが、昭和43年作『暁の寺』の富士の裾野の火にはベナレスの火のなまなましい感覚が反映している。

 

<白と赤>

 

「たおやめぶり」の『春の雪』は藤色、「ますらをぶり」の『奔馬』は黒、『暁の寺』は赤、『天人五衰』は群青。単行本の装丁の色である。『春の雪』は白も似つかわしいが、高貴な藤色を選んだのだろう。『暁の寺』の赤もふくめて、的確な選択だった。

暁の寺』は、とりわけ第一部の南国描写において、さながら色彩の乱舞だが、全体を通せば白から赤への移行といえる。もともと三島は白の高貴さ、澄明な美が好きなのは『春の雪』を読めば、たとえば女の襟足の描写ひとつとってもすぐにわかる。

暁の寺』も、まずは白の高貴さ、冷厳さからはじまり、虹色、薔薇色、孔雀色といった色彩の氾濫のうちに、鮮やかな赤が点される。

 当今のラーマ八世の第一摂生アチット・アパート殿下がバンコックの大理石寺院へ参詣する場面から物語ははじまる。あたかも歌舞伎丸本物の舞台、『義経千本桜』、『摂州合邦辻』、『仮名手本忠臣蔵』、『菅原伝授手習鑑』を、にぎにぎしく寺社の門前からはじめる演出のように。

 

《本堂前面の印度大理石の白い円柱と、これを護る一対の大理石の獅子と、ヨーロッパ風の低い石欄とは、同じ大理石の壁面と共に、西日をまばゆく反射していた。しかし、それはただおびただしい金と朱の華文を引立たせるための、純白の画布にすぎなかった。》

 

「たとえば、ワット・ポー。」で、きらびやかな色彩の饒舌が三島の美文をもってはじまる。

 

《その烈日、その空の青。しかし本堂の廻廊の巨大な白い円柱は、白象の肢(あし)のように汚れている。

 塔はこまかい陶片を以(もっ)て飾られ、その釉(うわぐすり)は日をなめらかに反射する。紫の大塔は、瑠璃(るり)いろのモザイクの階を刻み、夥(おびただ)しい花々を描いた数しれぬ陶片が、紫紺地に黄、朱、白の花弁を連ね、陶器のペルシア絨毯(じゅうたん)を巻いて空高く立てたようだ。

 又そのかたわらには緑地の塔。日光の鉄槌(てっつい)が押し潰(つぶ)し、すりへらしたかのような石畳の上を、桃いろに黒い斑(ふ)の乳房を重たげに垂らした孕み犬がよろめいてゆく。》

 

 とめどない色彩に興奮させられたかのように、「桃いろに黒い斑(ふ)の乳房を重たげに垂らした孕み犬」のような脳髄を持つ本多が行動する。朝早く、舟を雇って対岸へゆき、暁の寺を訪れた。

 

《近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿(しなざら)を隈(くま)なく鏤(ちりば)めているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ、一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。嵌(は)め込まれた数知れぬ皿は花を象(かたど)り、あるいは黄の小皿を花心として、そのまわりに皿の花弁がひらいていた。あるいは薄紫の盃(さかずき)を伏せた花心に、錦手(にしきで)の皿の花弁を配したのが、空高くつづいていた。葉は悉く瓦(かわら)であった。そして頂きからは白象たちの鼻が四方へ垂れていた。》

 

 さながら色彩の花園で、無数の皿は精神活動の証左ではないのか。

 第二巻『奔馬』の、「ずっと南だ。ずっと暑い。……南の国の薔薇の光の中で。……」という、死の三日前の酔った飯沼勲の譫言(たわごと)の顕現かと思わせる迷宮。

 

《薔薇宮はそれ自体が自分の小さな頑(かたく)なな夢のなかに閉じこもったかのようだった。翼楼も展開部もない一つの小筥(こばこ)のような建築の印象がこれを強めた。一階はどれが入口かわからぬほど多くの仏蘭西(フランス)窓(まど)に囲まれていたが、その一つ一つが薔薇の木彫(もくちょう)を施した腰板の上部に、黄、青、紺の亀甲の色(いろ)硝子(ガラス)の小窓を塡(は)め込んでいた。庭に面した仏蘭西窓は、悉(ことごと)く半びらきにひらいていた。》

 

 薔薇宮とは何であるのか。どれが入口かわからぬほど多くの仏蘭西窓をもつ薔薇宮とは。

 赤と白は浄化の極地、ベナレスのマニカルニカ・ガートで、本多の目に飛び込む。そうして、赤と白は墨色と化す。

 

《シヴァとサティの祠(ほこら)の横のゆるい勾配(こうばい)の階段に、赤い布におおわれた屍が、ガンジスの水にひたされたのち、火葬の順番を待って、凭(もた)せかけてある。人形(ひとがた)なりに屍を包んだその布が、赤いときは女のしるしである。白いときは男のしるしである。これを薪に載せて火を放つ際、牛酪(バタ)と香料を投げ込む仕事ののこっている親族たちが、剃髪の僧と共に、天幕の下で待っている。(略)

 屍は次々と火に委(ゆだ)ねられていた。縛(いまし)めの縄は焼き切れ、赤や白の屍衣(しえ)は焦(こ)げ失(う)せて、突然、黒い腕がもたげられたり、屍体が寝返りを打つかのように、火中に身を反らしたりするのが眺められた。先に焼かれたものから、黒い灰墨の色があらわになった。ものの煮えこぼれるような音が水面(みなも)を伝わった。焼けにくいのは頭蓋(ずがい)であった。》

 

 頭蓋からなる理智の人、「本多の心を、水晶のような純粋な戦慄で撃った」白が現れる。

 

《火のそばへ来ても愕(おどろ)かぬ聖牛は、やがて隠亡の竹竿に追われて、焔の彼方(かなた)、寺院の暗い柱廊の前に佇(たたず)んでいた。柱廊の奥は闇であったから、聖牛の白は、神々(こうごう)しく、崇高な知恵に溢(あふ)れてみえた。焔の影がゆらめき映るその白い腹自体が、ヒマラヤの雪が月かげを浴びたかのようだった。(略)

 そのときだった。聖牛は、人を焼く煙をとおして、おぼろげに、その白い厳かな顔をこちらへ向けた。たしかに本多のほうへ向けたのである。》

 

 白い聖牛がこちらを向く、という現象で三島は何を言いあらわしたかったのか。輪廻の象徴とは思いがたい。理智の人をみつめる犯しがたき厳かで冷徹な白は、荘厳な肉との、獣における無垢の綜合で、あらゆる虚無の向うからすべての不可能性を知らしめる。

 昭和二十年六月の光の下、渋谷の旧松枝侯爵邸に足をのばした本多は、広漠たる焼趾にのこる庭石に腰かけている人の藤紫のモンペの背を見る。

 

《女は顔を斜めにあげた。顔を見て、本多は怖(おそ)れた。黒い髪が鬘(かつら)であることは、不自然な生え際(ぎわ)の浮み具合からすぐにわかり、両眼の窪(くぼ)みも皺(しわ)も深く埋(うず)もれるほどに塗り籠(こ)められた白粉(おしろい)から、宮廷風な、上唇を山型に下唇をぼかして塗った口紅の臙脂(えんじ)が鮮やかに咲き出ている。その言語を絶した老いの底に、蓼科(たでしな)の顔があった。(略)

 さるにても蓼科の老いは凄(すさ)まじかった! その濃い白粉で隠されている肌には、老いの苔(こけ)が全身にはびこり、しかもこまかい非人間的な理智(りち)は、死者の懐ろで時を刻みつづける懐中時計のように、なお小まめに働いているのが感じられた。》

 

 白は、老いの無常にもあからさまで、冷たい死としての白でもある。

 本多は、別荘の芝生を横切って西端の涼亭(ちん)から、夜明けの富士を見るのを、何よりのたのしみにしていた。

創作ノートに「富士(・・)をレスビアニズムの象徴とし」、「富士信仰と女性神の信仰」とあるが、本文でも、「竹取物語」の先行テクストとされる都良香(みやこのよしか)の「富士山の記」を読んだ本多は、「貞観(ぢやうぐわん)十七年十一月五日に、吏民旧(ふる)きに仍(よ)りて祭を致す。日午(ひる)に加へて天甚だ美(よ)く晴る。仰ぎて山の峯(みね)を観(み)るに、白衣の美女二人有り、山の巓(いただき)の上に双(なら)び舞ふ。巓を去ること一尺余(ひとさかあまり)、土人(くにひと)共に見きと、古老伝へて云(い)ふ」という件りに、むかし読んだ幽かな記憶を思いだす。

これに加えるに、「浅間神社の祭神が木花開耶姫(このはなさくやひめ)という女神である」ことが心をしきりに誘った。「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」は火中出産の話から浅間神社の火の神であるとともに富士山本山浅間神社においては噴火を鎮めるための水の神でもあるという二重性をおび、かつ安産の神でもあって、それがジン・ジャンの水着姿を見た梨枝の「まあ、あの体なら、ずいぶん沢山子供が生めそうだこと」の皮肉につながっているだろう。

 

《富士は黎明(れいめい)の紅に染っていた。その薔薇(ばら)輝石(きせき)にかがやく山頂は、まだ夢中の幻を見ているかのように、寝起きの彼の瞳(ひとみ)に宿った。それは端正な伽藍(がらん)の屋根、日本の暁の寺のすがただった。(略)

六時二十分、すでに曙(あけぼの)の色を払い落とした富士は、三分の二を雪に包まれた鋭敏な美しさで、青空を刳(く)り抜いていた。明晰(めいせき)すぎるほどに明晰によく見えた。(略)

 この富士がすべての気象に影響し、すべての感情を支配していた、それはそこにのしかかり存在している清澄(せいちょう)な白い問題性そのものだった。》

 

 三島によくある、もってまわったような「白い問題性」とは何か。

 夜の外苑でむつみあう白い裸の下半身、ピンポン玉のように白い男の尻、槇子のうつむいた項のかつて若い勲が惹かれた香わしい白、それらの隠微な白は純潔、明晰からは遠く、あたかも富士についての次の文章のような眩暈である。『松風』、『羽衣』をも思い起させるような。

 

《富士は冷静的確でありながら、ほかならぬその正確な白さと冷たさとで、あらゆる幻想をゆるしていた。冷たさの果てにも眩暈(めまい)があるのだ、理智(りち)の果てにも眩暈があるように、富士は端正な形であるがあまりに、あいまいな情念でもあるような、ひとつのふしぎな極であり、又、境界であった。その堺(さかい)に二人の白衣の美女が舞っていたということは、ありえないことではない。》

 

<神聖と汚濊>

 

 たとえば、愛らしい挿話に装われているが、本質を露呈するバンパイン離宮でのあるエピソード。

姫は笑った。笑うとき、姫は必ず本多の顔を見上げていた。零れ落ちる神聖。

 

《姫の一言で、急に女官たちがざわめき立ち、姫を取り囲んで、旋(つむ)じ風(かぜ)がころがるように、本多を置き去りにして行ったのがおどろかされたが、目ざす小館を見て、本多にも納得が行った。姫は尿意を催したのである。

 姫の尿意! これが本多に、痛切な可愛らしさの印象を与えた。子供を持たぬ本多には、自分にもし幼ない娘があったら、こうもあろうかと想像されることがみな概念的で、こんな突然の尿意のように、肉の愛らしさが鼻先をよぎって飛ぶことははじめてだった。彼はできることなら自分が手を貸して、姫の滑らかな褐色の腿(もも)を内から支えて、さしてあげたいとさえ私(ひそ)かに思った。》

 

 ここには『仮面の告白』の汚穢屋へのあこがれと同質のものがある。

また、ジン・ジャンの肉に囚われた一瞬でもあって、ジン・ジャンの尿意の記憶は、第二部で、夢など見ないような本多の夢となってあらわれる。

 本多は午後ベナレスに着くと、長い汽車旅行の疲れにもめげず、すぐ案内人の手配をたのんだ。

 

《さるにてもベナレスは神聖が極まると共に汚穢(おわい)も極まった町だった。日がわずかに軒端(のきば)に射(さ)し込む細径(ほそみち)の両側には、揚物や菓子を売る店、星占い師の家、穀物粉を秤売(はかりう)りする店などが立並び、悪臭と湿気と病気が充ちていた。ここを通りすぎて川に臨む石畳の広場へ出ると、全国から巡礼に来て、死を待つあいだ乞食(こじき)をしている癩者(らいしゃ)の群が、両側に列をなしてうずくまっていた。たくさんの鳩(はと)。午後五時の灼熱(しゃくねつ)の空。乞食の前のブリキの缶には数枚の銅貨が底に貼(は)りついているだけで、片目は赤くつぶれた癩者は、指を失った手を、剪定(せんてい)されたあとの桑の木のように夕空へさしのべていた。》

 

 三島が『近代能楽集』にとりあげた『弱法師(よろぼし)』の盲目の癩者、俊徳丸が現実世界にいた。俊徳丸は別な姿でもう一度、薔薇色と白の神々しさで登場する。舟はガーツの一つ、ケダール・ガートの前へ近づきつつあった。本多の目は、大階段の中央に下り立って、水垢離に臨もうとしている薔薇いろに輝く雄偉な老人に惹きつけられた。夕光のなかにみずみずしい白桃色の肌を、まわりから隔絶した気高さで示していた。「かがやく白桃の皮膚は一そう崇高に眺められた。彼は白癩(びゃくらい)だったのである。」 白は神聖の象徴であるが、穢れの極北ともなる。

 

《すべてが浮遊していた。というのは、多くのもっとも露(あら)わな、もっとも醜い、人間の肉の実相が、その排泄物(はいせつぶつ)、その悪臭、その病菌、その屍毒(しどく)も共々に、天日のもとにさらされ、並の現実から蒸発した湯気のように、空中に漂っていた。ベナレス。それは華麗なほど醜い一枚の絨毯(じゅうたん)だった。》

 

「それは神聖さの、信じられないほどの椀飯(おうばん)振舞なのであった。」

 

《マニカルニカ・ガートこそは、浄化の極点、印度風にすべて公然とあからさまな、露天の焼場なのであった。しかもベナレスで神聖で清浄とされるものに共有な、嘔吐(おうと)を催おすような忌(いま)わしさに充(み)ちていた。そこがこの世の果てであることに疑いはなかった。》

 

「四大へ還るための浄化の緩慢、それに逆らう人間の肉の、死んだあとにもなおのこる無用の芳醇(ほうじゅん)」

 

《インドでは無情と見えるものの原因は、みな、秘し隠された、巨大な、怖ろしい喜悦につながっていた! 本多はこのような喜悦を理解することを怖れた。しかし自分の目が、究極のものを見てしまった以上、それから二度と癒(い)やされないだろうと感じられた。あたかもベナレス全体が神聖な癩(らい)にかかっていて、本多の視覚それ自体も、この不治の病に犯されたかのように。》

 

 そうして、あの白い聖牛がこちらを向いて、水晶のような純粋な戦慄で心を撃った。

 戦時中、本多は余暇を専ら輪廻転生の研究に充てた。「新刊書がおいおいつまらないものばかりになってゆくにつれて、戦時中の古本屋の埃(ほこり)にまみれた豪奢(ごうしゃ)は募って来た」とは、三島の実体験でもあったのだろう、そのまま第二部の戦後の空虚を予見している。

 本多は、西洋の輪廻転生についても多くを学んだが、紀元前五世紀のイオニアの哲学者ピュタゴラスの説は、先行するオルペウス教団の秘教の影響を受けていて、さらに、それはディオニュソス信仰の末裔なのである。ディオニュソスといえば、ギリシア好きだった三島が多大な影響を受けたニーチェ悲劇の誕生』のアポロンとの比較のそれである。

 

ディオニュソスはアジアから来た。この狂乱と淫蕩(いんとう)と生肉啖(くら)いと殺人をもたらす宗教は、正に「魂」の必須(ひっす)な問題としてアジアから来たのである。理性の澄明(ちょうめい)をゆるさず、人間も神々も堅固な美しい形態の裡にとどまることをゆるさないこの狂熱が、あれほどにもアポロン的だったギリシアの野の豊饒(ほうじょう)を、あたかも天日を暗くする蝗(いなご)の大群のように襲って来て、たちまち野を枯らし、収穫を啖(くら)い尽したときのすさまじさを、本多はどうしても自分の印度体験と比べて想(おも)い見ずにはいられなかった。》

 

 本多は小用を催して夢からさめた。ふいに断ち切られた夢の断片が笹くれ立っている。本多が夢を見るとは。

 

《そのとき立宴の天幕の中から、かがやかしい悲愴な喇叭の調べが起った。足下の地が割れて、金色の衣裳の月光姫が、金色の孔雀の翼に乗ってあらわれた。喝采する人々の頭上を、孔雀は鈴を鳴らすような羽音で飛びめぐった。

 金の孔雀の胴にまたがった月光姫の、光る褐色の腿の附根がまぶしく仰がれた。さるほどに月光姫は、ふり仰ぐ人々の頭上へ、香りの高い小水の驟雨をふらした。》

 

 あのバンパインの幼い姫の尿意の、現実の時間を飛び越えての再現が本多の夢の中で醸成された。厠を探しにホテルに入った本多は、どの部屋のベッドにも必ず柩(ひつぎ)が載せてあるのを見た、尿意をこらえかねて、「その柩の中へ小水をしようとしたが、神聖を犯す怖(おそ)ろしさに出来なかった。」 そこで目がさめたのだが、こんな夢をフロイト的にどう解釈するかには深入りしないとして、疑いようのない幸福感があったのである。

 

《その燦然たる幸福感を、もう一度、つづきの夢のなかで味わいたいものだと彼は念じた。あそこには、誰憚(はばか)るもののない喜びの、輝やかしい無垢(むく)が横溢(おういつ)していた。その喜びこそ現実だった。よし夢にすぎぬとも、本多の人生の、決して繰り返されぬ一定の時間を占領した喜びを、現実と考えなくて何が現実だろう。》

 

「現実と考えなくて何が現実だろう」にこそ逆説的に、『暁の寺』、ひいては『豊饒の海』のライト・モティーフがある。

 

<蛇と孔雀>

 

 はじめから蛇は、ラストシーンの予兆として、いかにも思わせぶりに幾度も顔を出す、エデンの園の耳打ちする蛇のように具体的に。一方、孔雀は思念の象徴として、ゆるやかに歩み寄ってくる。

 最初は、白い大理石寺院の造形における無機質の蛇だったものが、そのうち生きものとなって滑りはじめる、登場人物たちの視覚にあからさまに。

 

《ポインテッド・アーチ形の窓々は、内側の紅殻(べんから)をのぞかせながら、その窓を包んで燃え上る煩瑣(はんさ)な金色(こんじき)の焔に囲まれていた。前面(ファサード)の白い円柱も、柱頭飾から突然金色(こんじき)燦然(さんぜん)とした聖蛇(ナーガ)の蟠踞(ばんきょ)する装飾に包まれ、幾重にも累々(るいるい)と懸る朱い支那瓦(しなかわら)の反屋根(そりやね)は、鎌首(かまくび)をもたげた金色の蛇の列に縁取られ、越屋根(こしやね)のおのおのの尖端(せんたん)には、あたかも天へ蹴上(けあ)げる女靴の鋭い踵(かかと)のように、金いろの神経質な蛇の鴟尾(しび)が、競って青空へ跳ね上っていた。》

 

 幼いジン・ジャン姫の話をきいた夜おそく、本多はホテルで、三十年前の清顕の夢日記を取り出した。夢のなかの孔雀の白い糞。

 

《そうだ。本多の記憶どおり清顕は、シャムの王子たちを邸(やしき)に迎えてしばらく後、シャムの色鮮やかな夢を見て、これを記憶している。

 清顕は「高い尖(とが)った、宝石をいっぱい鏤(ちりば)めた金の冠を戴(いただ)いて」、廃園を控えた宮居の立派な椅子に掛けている。

 それで見ると、夢に、清顕はシャムの王族になっているのである。

 梁(うつばり)には夥(おびただしい)しい孔雀(くじゃく)がとまっていて白い糞(ふん)を落し、清顕は王子がはめていたエメラルドの指環(ゆびわ)を、わが指にはめている。

 そのエメラルドの中に、「小さな愛らしい女の顔」が泛んでいる。》

 

 ジン・ジャンの謁見の場、薔薇宮のいたるところに薔薇模様は欄干、シャンデリア、絨毯に執拗に繰り返されていた。微風が北向きの窓から通ってきた。

 

《たまたまそこへ目が行ったとき、突然、黒い影が窓枠にとびついたのを感じて本多は慄然(りつぜん)とした。するとそれは緑いろの孔雀(くじゃく)であった。孔雀は窓枠にとまって、緑金にかがやくなよやかな頸(くび)を伸ばした。羽冠が影絵をなして、権高(けんだか)な顱頂(ろちょう)に、微細な扇のようにひらいた。

 

 貢物の真珠の小筥が第三、第二の女官の手を経、第一の女官の手で検(あら)ためられて姫の手に届いた。「愛らしい褐色の指はジャスミンの花輪を冷淡に捨て」、真珠を取り上げて熱心に見入った。子供らしい些(いささ)か乱れた白い歯並びが洩れた。安堵した本多だが、のちに自身がジャスミンの花輪のようにあしらわれるのも知らずに見つくす。

 

《指輪が筥に蔵(しま)われて第一の女官に預けられた。姫がはじめてはっきりした怜悧(れいり)な声で物を言われた。そのお言葉は三人の女官の唇を、緑蛇が合歓(ねむ)の枝から枝へ見えがくれに伝わって来るように渡った末、最後に菱川の通訳によって、本多の耳に到着した。姫は「ありがとう」と言われたのである。》

 

 ことさらに蛇のイメージが使われる。

 本多が輪廻転生(りんねてんしょう)の語にはじめて触れたのは、三十年前、清顕の家で月修寺門跡(もんぜき)の法話聴聞してのち、フランス訳の「マヌの法典」を繙(ひもと)いたときのことだった。「マヌの法典」が告げる輪廻の法(ダルマ)は、

 

《畜生に転生する罪は精細に規定され、バラモンの殺害者は、犬、豚、驢馬(ろば)、駱駝(らくだ)、牛、山羊(やぎ)、羊、鹿(しか)、鳥の胎に入り、バラモンの金を盗んだバラモンは、千回、蜘蛛(くも)、蛇、蜥蜴(とかげ)および水棲(すいせい)動物の胎に入り、(中略)野菜を盗む者は孔雀(くじゃく)となり、(中略)果実を盗む者は猿になるのだった。》

 

 松枝侯爵邸の跡地で偶然出逢った九十五歳の蓼科に卵を二つ頒けてやると、蓼科は無邪気な喜びと感謝をあらわし、石のへりで卵を割ると、夕空へひろげた口から、しらじらと光る総入歯の歯列のあいだへ流し込んだ。お返しとして、手提げ袋の中から一冊の和綴の本を本多の手へ委ねた。「大金色(だいこんじき)孔雀明王経(くじゃくみょうおうきょう)」だった。この女性神は、かつて本多がカルカッタで参詣したカリガート寺院の血なまぐさいカーリー女神の像こそ、孔雀明王の原型なのだった。

 

《もともと孔雀明王経は、蛇毒を防ぎ、あるいは蛇に咬(か)まれてもたちまちこれを癒(い)やす呪文を、仏陀が説いたという事になっている。》

 

「創作ノート」にも書かれた伏線である。

 

《本多がしたその孔雀明王経の話に、慶子は甚だ興味を示した。

「蛇に咬(か)まれたとき利(き)くんですって? それはぜひ教えていただきたいわ。御殿場の庭にはよく蛇が出るんですもの」

「陀羅尼(だらに)のはじめのところを一寸(ちょっと)おぼえていますがね。

怛儞也他(たどやた)壱底(いつち)蜜(みつ)底底里(ちちり)蜜(みつ)底底里(ちちり)弭里(びり)蜜底(みつち)

というんです」

「チリビリビンの歌みたいだわ」

と慶子は笑った。》

 

 別荘。

 

《そうだ。きのうは涼亭のそばで蛇を殺した。二尺ほどの縞蛇(しまへび)だったが、きょうの客をおびやかすような事態を防ぐために、石でその頭を打って殺した。この小さな殺戮(さつりく)が、きのうは終日、本多を充実させていた。心の中に、青黒い鋼(はがね)の発条(バネ)が、死に逆らう蛇ののたうちまわる油照りする体の残像として形づくられた。自分にも何かが殺せた、と感じることが暗鬱(あんうつ)な活力を養った。》

 

 大正時代の弁護士夫人で、芸者上りの欣々女史は、美貌と驕奢(きょうしゃ)を以てきこえたが、良人の死後、もはや奢侈の叶わぬことをはかなんで自殺したのだったが、芝刈機を携えて遠ざかる運転手の松戸に妻の梨枝が叫んだ。

 

《「欣々女史は蛇を可愛がっていて、いつもハンドバッグの中に生きた小蛇を入れていたというじゃありませんか。ああ、忘れていた。きのうあなたは蛇を殺したと言っておいででしたね。宮様がおいでの間に、蛇でも出たら大へんだわ。松戸さん、蛇を見つけたら、必ず始末して下さいよ。但(ただ)し決して私の目に触れないようにね」》

 

 叫ぶ妻の咽喉元の老いに、戦時中に渋谷の焼趾で会った蓼科と、蓼科がくれた孔雀明王経を思い起し、蛇に咬まれたときに唱える呪文を梨枝に教えるが、梨枝は興味の片鱗も示さなかった。

 一方、孔雀に乗ったジン・ジャンの世界にこそ、『暁の寺』で三島がもっとも言いたかったことがある。

 

《飛翔するジン・ジャンをこそ見たいのに、本多の見るかぎりジン・ジャンは飛翔しない。本多の認識世界の被造物にとどまる限り、ジン・ジャンはこの世の物理法則に背くことは叶わぬからだ。多分、(夢の裡を除いて)、ジン・ジャンが裸で孔雀に乗って飛翔する世界は、もう一歩のところで、本多の認識自体がその曇りになり、瑕瑾(かきん)になり、一つの極微の歯車の故障になって、正にそれが原因で作動しないのかもしれぬ。ではその故障を修理し、歯車を取り換えたらどうだろうか? それは本多をジン・ジャンと共有する世界から除去すること、すなわち本多の死に他ならない。》

 

「共有する世界から除去すること、すなわち本多の死」。

消防自動車が別荘に到着したときには、火はもはや衰えていた。

 

《ほかに落着くところとてなかったので、皆はおのずから涼亭に集まった。そこで出た話は、ジン・ジャンがたどたどしく、さっき火をのがれてここへ来たとき、芝生から一匹の蛇があらわれて、その茶色の鱗(うろこ)に遠い火の照りを油のように泛ばせながら、非常な速さで逃げて行った、と語ったことである。》

 

 蛇の鱗に泛ぶ火は、ベナレスでの「水牛の黒く濡れた肌には、葬りの火が鏡面のように映った」と同じではないか。これらの表層に泛ぶ映像は本多の心と認識の何だったのか。

 最終四十五章。一息に時間は昭和四十二年に飛ぶ。本多は、たまたま東京の米国大使館に招かれて、バンコックのアメリカ文化センター長をしていた米人の夫人で、三十をすぎたタイのプリンセスに会った。昭和二十七年の御殿場の火事のあと間もなく帰国したジン・ジャンはその後、消息を絶っていたが、思いがけなく十五年後に、米国人の妻になって東京に戻って来たと、その瞬間本多は信じた。

 本多は薔薇いろのタイ絹の服を着た夫人に近寄って、漸く二人で話す機会を得た。ジン・ジャンを知っているか、と本多は尋ねた。「知っているどころか、私の双生児(ふたご)の妹ですわ。もう亡(な)くなりましたけれど」と夫人は晴れやかに英語で答えた。どうして亡くなったのか、何時(いつ)、と本多は性急に訊いた。夫人の語るところはこうだった。バンコックの邸で、花々に囲まれて暮らしていたが、「二十歳になった春に、ジン・ジャンは突然死んだ。」

 

《侍女の話では、ジン・ジャンは一人で庭へ出ていた。真紅に煙る花をつけた鳳凰木(ほうおうぼく)の樹下にいた。誰も庭にはいなかった筈(はず)なのに、そのあたりから、ジン・ジャンの笑う声がきこえた。遠くこれを聴いた侍女は、姫が一人で笑っているのをおかしく思った。それは澄んだ幼ならしい笑い声で、青い日ざかりの空の下に弾(はじ)けた。笑いが止(や)んで、やや間があって、鋭い悲鳴に変った。侍女が駈(か)けつけたとき、ジン・ジャンはコブラに腿(もも)を咬(か)まれて倒れていた。

 医師が来るまでに一時間かかった。その間にみるみる筋肉の弛緩(しかん)や運動失調があらわれ、睡気(ねむけ)と複視を訴えた。延髄麻痺(まひ)や流涎(りゅうせん)が起り、呼吸はゆるく、脈は不整で迅(はや)くなった。医師が着いたのは、すでにジン・ジャンが最後の痙攣(けいれん)を起して息絶えたあとであった。

 第三巻 おわり》

 

 こうして本多が共有する世界から除去されるのではなく、ジン・ジャンが除去され、孔雀はついにあらわれず、第三巻は「庭」の情景のあとに終わる。最終巻の月修寺の「庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……」と同じ、何もない時間。

 

<時間と幻>

 

暁の寺』は「時間」をめぐる物語でもある。それは輪廻転生を扱っているからというばかりではない。

 バンコックからバンパインへの舟路に、ジン・ジャン姫が、遠景に瞳を凝らしていた。

 

《……本多にはそのとき、幼ない姫の見ているものが何ものか即座にわかった。

 姫は時間と空間とを同時に見ていた。すなわち、彼方(かなた)の驟雨の下の空間は、本来ここから見える由(よし)もない未来か過去かに属していた。身を現在の晴れた空間に置きながら、雨の世界を明瞭に見ていることは、異なる時間の共存でもあり、異なる空間の共存でもあって、雨雲が時間のずれを、はるかな距離が空間のずれを垣間見せていた。いわば姫はこの世界の裂け目を凝視していたのである。》

 

 バンパイン離宮での時間は、水を隠喩としたプルースト的な時間の形而上学である。

 老女官はみな、英語は片言しか話せず、タイ語を音楽のように耳で楽しむ時間が流れる。

 

《……すべてが言葉の通じないところで、しかも意志の疎通(そつう)をことさら試みなかったところで、起った出来事というものは、それを記憶に移せば、何ら手を加えるまでもなく、そのまま美しい小さな絵の連鎖になって、いくつかの同じ寸法の、金(きん)の煩(わずら)わしい装飾を施した額縁に納まるものだ。そこで流れた時間はひたすら一瞬の絵心のために結ぼおれ、快活な時間の粒子が、ひときわ泡立って踊動するかと見れば、それはたとえば、水の底深く下りてゆく石段の真珠へ、さしのべた姫の手の幼ないふくらみ、しかもその指、その掌(てのひら)の清潔で細緻(さいち)な皺(しわ)、頬にふりかかった断髪のいさぎよい漆黒、その鬱(うつ)したほどに長い睫(まつげ)、黒地に施した螺鈿(らでん)のように黒い小さな額にきらめく池水の波紋の反映などの、刹那(せつな)の絵すがたを形づくるためにひた(・・)と静まるのだ。時間も泡立ち、蜂(はち)の唸(うな)りに充(み)ちた日ざかりの苑(その)の空気も、そぞろ歩く一行の感情も泡立っていた。珊瑚(さんご)のような時間の美しい精髄があらわになった。そうだ。そのとき姫の幼時の曇りない幸福と、その幸福の背後に連なる一連の前世の苦悩や流血は、あたかも旅中に見た遠い密林の晴雨のように、一つになっていたのだった。》

 

 プルーストのようなめくるめく文体。

 幻、時間の不連続性、断絶、不在。覚めつ夢みつ。最終巻巻末の、すべてが夢、何もないことではないのか、という壮大な否定がここに映っている。

 ベナレス、牡山羊の犠牲壇に傘もささぬ一人の女が来て、ガンジスの水の聖水を柱に注ぎ、韓紅いの小さなジャワの花を散らして一心に祈っている。額の祝福の朱点が、彼女自身の犠牲の血のように一点鮮やかに見える。

 

《本多は魂のゆらめきを、一種の恍惚(こうこつ)と云いがたい忌(いま)わしさとのまじり合った感情を味わった。その感情の注射するところ、まわりの情景がおぼろになって、祈っている女の姿だけが緻密に映る。不気味なほどに緻密に映る。もうこれ以上細部の明瞭(めいりょう)さ、その含んでいる忌わしさに耐えきれぬと感じたときに、突然女の姿はそこになかった。彼は今まで幻を見ていたのかと疑ったが、そうではなかった。立去った女のうしろ姿は、開け放った裏門の粗い鉄の唐草模様の彼方(かなた)に見られたからである。祈っていた女と、立去った女との間に、どうしてもつながらない断絶があるのだった。》

 

 幻はアジャンタの洞窟寺院でも出現する。第一の窟は礼拝堂(チャイティア)である。天井や四壁を埋めるフレスコの半裸の女たち。一見、アジャンタの場面は小説にとって余計な、冗長の部分であるようだが、実は、アジャンタの洞窟こそが記憶の窟(いわや)、非在の遺跡、幻の象徴なのだ。

 

《すべてが本多に、バンコックの月光姫の成人した面影を偲(しの)ばせた。稚(おさ)ない姫とちがうのは、これら画像の女の熟れた肉体で、乳房はいずれも今にも裂けそうな柘榴の球体に色づいている。(中略)

 ――第一の洞窟(どうくつ)を出ると、烈(はげ)しく銅鑼(どら)を打ち鳴らすような熱帯の日光が、今しがた見たものをたちまち幻に還元し、人はあたかも昼のまどろみに覚めつ夢みつしながら、一つ一つ、心の忘れられた古い記憶の窟(いわや)を歴訪するような心地にさせられるのだった。(中略)

 何もないことのほうが、却って幻を自在に描かせた。(中略)

 色彩の皆無が、本多の心を寛(くつ)ろがせた。仔細(しさい)に見れば、石卓の小さな凹(くぼ)みにむかしの紅殻(べんから)の色が消えがてに残ってはいたけれども。

 そこに今まで誰かがいて立ち去った?

 誰がいたのだろうか?

 石窟の冷気のなかに一人でいて、本多は周囲に迫る闇が、一せいに囁(ささや)きかけて来るような心地がした。何の飾りも色彩もないこの非在が、おそらく印度へ来てはじめて、或(あ)るあらたかな存在の感情をよびさましたのだ。衰え、死滅し、何もなくなったということほど、ありありと新鮮な存在の兆を肌に味わわせるものはなかった。》

 

 真珠湾攻撃のニュースで沸き立つ日の昼休み、本多は食後の散歩に出て、自然に二重橋前の広場を目ざしていた。ひろい歩道は人に溢れていた。二重橋の前に群れ集る人の日の丸の手旗、その万歳の喚声。三島が『春の雪』をあの日露戦争の弔いの写真ではじめたのは、映る心象、時間を、幻を、読者の深層に澱ませたかったからに違いない。

 

《そのとき本多の目に、冬日に照らされたひろい玉砂利の空間が、突然広漠たる荒野に見えてきた。三十年も前に清顕に見せてもらった日露戦役写真集の、あの「得利寺(とくりじ)附近の戦死者の弔祭」の写真がありありと記憶に泛(うか)び、目前の風景と重なり合い、果てはそれを占めるにいたった。あれは戦いの果て、これは戦(いくさ)のはじめであった。それは不吉な幻だった。(中略)

 これがあの写真の背景であった。そして画面の丁度中央に、小さく、白木の墓標と白布をひるがえした祭壇と、その上に置かれた花々が見え、何千という兵隊がこれを取り囲んでうなだれていたのである。

 本多の目はこの幻を歴然と見た。ふたたび万歳の声と、目に鮮やかな日の丸の手旗の波がよみがえって来た。そのことは、しかし、いいしれぬ悲傷に充(み)ちた感銘を本多の心に残した。》

 

「時」を知ること。

「時」を知るとは、『豊饒の海』においては、三つの黒子(ほくろ)が時の継続の証、幻の象徴として機能する。ジン・ジャンの黒子は、本多の目に現れたり、現れなかったりする。そして、現われる時は決まってジン・ジャンがエロスに身を委ねるとき、あるいは本多がジン・ジャンの姿態にエロスを求めるとき・・・

 占領下の荒廃した帝国ホテルで、食後ジン・ジャンがパウダー・ルームへ行くと、本多はかつてバンパインで幼ない姫が女官たちに囲まれて、小用に立った時のことを思い出し、それにつれて、褐色の川で、水浴をする姫の裸の姿を想起した。その脇腹にあるべき三つの黒子に目を凝らしたのだった。

 

《姫が手をあげるときがあった。平たい小さな胸の左の脇(わき)、ふだんは腕に隠されているところへ、思わず本多は目をやった。その左の脇腹に、あるべき筈の三つの黒子(ほくろ)はなかった。あるいは淡い黒子が、褐色の肌色に紛れているのではないかと思って、瞳(ひとみ)が疲れるほどに、機を捕えてはそこへ視線を凝らしたのであったが……。》

 

まるで、ナボコフ『ロリータ』での、ロリータとロリータの母との比較のような、息の長い文体による時間を超えた、舐めるような視線の螺旋、美文による海との照応(コレスポンダンス)。

 

《本多の願っていることは、実に単純で、愛と名付けるのは却(かえ)って不自然だったに違いない。今の姫の一糸纏(まと)わぬ裸をすみずみまで眺め、あの小さな平たい胸が今はいかに色づいて、巣からのぞく巣鳥のように頭をもたげ、桃いろの乳首が不服そうに尖(とが)り、褐色の腋(わき)が折り畳んだほのかな影を含み、腕の内側に敏感な洲(す)のような部分が露(あら)われ、未明の光りのなかですでにすべての成熟の用意ができあがったところを点検して、幼ない姫の肉体との比較に心をおののかせたい、というだけのことなのだ。腹が無染(むぜん)の柔らかさで漂う央に、小さな環礁(かんしょう)のように鎮(しず)まる臍(へそ)。護門神ヤスカの代りをつとめる深い毛に護(まも)られて、かつてはただきまじめな固い沈黙であったものが、たえまのない潤(うる)んだ微笑にまで変ったもの。美しい足の指が一本一本ひらき、腿(もも)が光り、成長した脚がすらりと伸びて、生命の踊りの規律と夢を一心に支えるありさま、それをひとつひとつ嘗(かつ)ての幼ない姿と照合してみたかったのだ。それは「時」を知ることだ。「時」が何を作り、何を熟れさせたかを知ることだ。その丹念な照合の末、左の脇腹の黒子が依然として見当らなければ、本多はきっと最終的に彼女に恋するだろう。恋を妨げるのは転生(てんしょう)であり、情熱を遮るのは輪廻(りんね)だからだ。……》

 

 最期の部分には、三島独特の逆説の論理、道徳があって、にわかには真意を理解しがたい。

 覗き穴のおぼろな丸い額縁のなかで、克己がジン・ジャンの手の上へ手を重ねた。

 

《本棚に身を寄せて、今度は気配だけで探ろうとした。闇が想像力を野放しにし、想像のほうがはるかに論理的に、一つ一つの階梯(かいてい)を昇って行った。ジン・ジャンの脱衣はすでにはじまり、慄然たる裸をひらいていた。そして微笑と共に左手をあげたとき、左の脇腹(わきばら)に、この悩ましい熱帯の夜空のような肉体のしるしの星、あの三つの連なった黒子(ほくろ)が現われた。本多にとっては、不可能のしるしが。……本多は目を覆(おお)うた。星の幻は闇の中で忽(たちま)ち砕けた。》

 

「……本多は目を覆うた。星の幻は闇の中で忽(たちま)ち砕けた」とはいったいどういうことなのか。

 慶子が「そろそろ泳ぎましょうか」と言うと、「ええ」とジン・ジャンはふりむいて微笑した。本多はこの言葉を待っていたのだ。水着への、境界への、フェティッシュなまでの凝視。

 

《そのときジン・ジャンは、白い海水帽を一旦卓に置くと、両手をあげて黒い美しい髪をたくし上げた。そのすばやい、むしろぞんざいな動きの間に、丁度都合のよい位置にいた本多は、左の腋(わき)の下方を注視した。水着の上半分はあたかもエプロンのような形をしており、胸あての上方に首をめぐる紐通しが、背へ廻った左右両端にこれを享(う)ける紐通しがついていたが、胸あては胸乳(むなぢ)の麓(ふもと)をあらわに見せるほど刳(く)りが大きく、脇(わき)を隠すのはただ、その胸あての両端が細まって紐通しにいたる帯の部分だけである。従って腋の下方は常でも見えるのに、両手をあげると帯がやや引上げられるから、今まで見えなかった部分も隈(くま)なく見える。本多はそこの肌も他所(よそ)と何ら変りがなく、緊密な肌の連続に何一つ翳(かげ)りも継目もなく、日を受けても自若として、黒子(ほくろ)の一つの薄い痕跡(こんせき)さえ見つからないことをつぶさに確かめた。本多の心には喜悦が湧(わ)いた。》

 

 覗き穴から見える仄明りの下の、慶子とジン・ジャンとの蝮の絡みあい。このレスビアンの描写は、中村眞一郎『恋の泉』末尾と双璧をなす。

 

《ジン・ジャンの美しい黒い乳房は汗にしとど濡れていた。右の乳房は慶子の体に押しつぶされて形を歪(ゆが)め、健やかに息づいている左の乳房は、慶子の腹を撫でつづける左腕に、ゆたかに擁されていた。そのたえず揺れる肉の円墳(えんぷん)の上に乳首はまどろみ、汗が、この赤土の新しい円墳に明るい雨の光沢を添えた。

 このときジン・ジャンは、慶子の腿が自由な動きに委(ゆだ)ねられているのを嫉妬(しっと)してか、その腿をもわがものにしようとして、左腕を高くあげて慶子の腿をつかむと、自分の顔の上へ、もう息をしなくてもすむように、しっかりと宛(あて)がった。慶子の白い威ある腿がジン・ジャンの顔を完全に覆(おお)うた。

 ジン・ジャンの腋(わき)はあらわになった。左の乳首よりさらに左方、今まで腕に隠されていたところに、夕映えの残光を含んで暮れかかる空のような褐色の肌に、昴(すばる)を思わせる三つのきわめて小さな黒子が歴々(れきれき)とあらわれていた。》

 

<認識と不可能性>

 

 理(ことわり)と本多の恋と認識の果て。解釈を拒む、「記憶もなければ何もないところ」。これらが、縒り合された糸となって、マニ車のような苧環から繰りだされる。

 

《病者も、健やかな者も、不具者も、瀕死(ひんし)の者も、ここでは等しく黄金(こがね)の喜悦に充ちあふれているのは理(ことわり)である。蠅も蛆(うじ)も喜悦にまみれて肥(ふと)り、印度人特有の厳粛な、曰(いわ)くありげな人々の表情に、ほとんど無情と見分けのつかない敬虔(けいけん)さが漲(みなぎ)っているのも理である。本多はどうやって自分の理智(りち)を、この烈(はげ)しい夕陽、この悪臭、この微(かす)かな瘴気(しょうき)のような川風のなかへ融(と)け込ませることができるかと疑った。どこを歩いても祈りの唱和の声、鉦(かね)の音(ね)、物乞(ものご)いの声、病人の呻吟(しんぎん)などが緻密(ちみつ)に織り込まれたこの暑い毛織物のような夕方の空気のなかへ、身を没してゆくことができるどうかか疑わしい。本多はともすると、自分の理智が、彼一人が懐(ふとこ)ろに秘めた匕首(あいくち)の刃のように、この完全な織物を引裂くのではないかと怖(おそ)れた。

 要はそれを捨てることだった。》

 

 ベナレスのマニカルニカ・ガートで究極のものを見た晩、本多は寝酒の力を借りて眠った。夢にさまざまな事象があらわれた。すべての観念、すべての神々が、力をあわせて巨大な輪廻の環の把手をまわしていた。

「インドの人はそれを知っているのではないか、という怖れが、夢の中まで本多を訪れた省察だった。」

 

《夢のあいまいさ奇怪さにもまして、現(うつつ)に見たものは、もっとしたたかな、もっとはげしく解釈を拒んでいる謎(なぞ)であった。その事実の熱さのほうが、目がさめてみると、身心にはっきりと残っていた。彼は熱病にかかったように感じた。》

 

 心の中が鏡のように映る。

 帝国ホテルで、「ジン・ジャンの指に濃緑のエメラルドの指環がはめられたとき、本多はその遠い深い声とこの少女の肉とが、はじめてしっくりと融け合う瞬間を見た心地がした。」

 

《「君は子供のころ、私のよく知っていた日本の青年の、生れ変りだと主張している。本当の故郷は日本だ、早く日本へ帰りたい、と言って、みんなを困らせていた。その日本へ来て、この指環を指にはめたのは、君にとっても一つの巨(おお)きな環を閉じることになるんだよ」

「さあ、わかりません」とジン・ジャンは何の感動もなしに答えた。(中略)

「日本へ来たのは、お父さんに日本の学校がいいと教えられて、留学に来ただけです。……もしかするとね。私、このごろ考えるのです。小さいころの私は、鏡のような子供で、人の心のなかにあるものを全部映すことができて、それを口に出して言っていたのではないか、思うのです。あなたが何か考える、するとそれがみんあ私の心に映る、そんな具合だった、思うのです。どうでしょうか」》

 

 これは、『豊饒の海』全巻末尾の、いまや月修院門跡となった聡子の言葉、「それも心々(こころごころ)ですさかい」と同じことではないのか。「記憶と言うてもな、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようなものやさかいに」の果て、「それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……その上、ひょっとしたら、この私ですらも……」とすれば、本多が転生を望んでいた、というのもあながちありえないことではない。「記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った」という、認識の極北。

 

《この年になって、はじめて彼の奥深いところで、変身の欲望が目ざめていた。あれほど自分の視点を変えずに他人の転生(てんしょう)を眺めて来た本多は、自分の転身の不可能性についてさして思い悩むこともなかったのに、いよいよ年齢がその最終の光りで、平板な生涯の野を一望のうちにしらじらと照らし出す時期が来てみると、不可能の確定が、却(かえ)って可能の幻をそそり立てた。》

 

 本多の恋が認識に関わっている。

 

《その日も亦(また)、ジン・ジャンの不在を梃(てこ)にして、ジン・ジャンを想(おも)う日になった。本多は曾(かつ)て知らなかった少年期の初々(ういうい)しい恋心に似たものが、五十八歳のわが身に滲透(しんとう)してくるのに愕然(がくぜん)とした。

 本多が恋をするとは、つらつらわが身をかえりみても、異例なばかりでなく、滑稽(こっけい)なことだった。恋とはどういう人間がするべきものかということを、松枝清顕のかたわらにいて、本多はよく知ったのだった。》

 

 もっとも重要な文章が次にあらわれる。薔薇のコンポートのような、認識の爪。慾望の不可能性。

 

《ジン・ジャンの場合、この花弁の肉の厚いシャム薔薇(ばら)を神秘化する作業は、御殿場の一夜でほぼ完成した。それはジン・ジャンを、決して手の届かぬ、(そもそも彼の手の長さと認識の長さとは同じ寸法だったから)、決して認識の届かぬところへ遠ざける作業だった。見ることによって得られる快楽も、見ることのできない領域が前提になっていなければならない。インドのあのような体験から、この世の果てを見てしまったと感じた本多は、認識の爪(つめ)がとどかぬ領域へ獲物を遠ざけることによって、日だまりに横たわり、樹脂のこびりついた毛を舐(ねぶ)っている。怠惰な獣の嗜慾(しよく)をわがものにしようと思ったのである。そのような怠惰な獣の姿にわが身をなぞらえようとしたとき、本多はわが身を神になぞらえようとしていたのではなかったか?

 自分の肉の欲望が認識慾と全く並行し重なり合うということは、実に耐えがたい事態であったから、その二つを引き離さぬことには、恋の生れる余地はないことを本多はよく知っていた。からみ合った一双の醜い巨樹の間(はざま)に、どうして一茎の薔薇が芽生えよう。恋はそのふてぶてしい気根を垂らしたどちらの樹(き)にも、寄生蘭(きせいらん)のように花ひらくべきではなかった。おぞましい認識慾にも、五十八歳の腐臭を帯びた肉慾にも。……ジン・ジャンは彼の認識慾の彼方(かなた)に位し、又、慾望の不可能性にのみ関わることが必要だったのである。(中略)

 むかし清顕が絶対の不可能性にこそ魅せられて不倫を犯したのと反対に、本多は犯さぬために不可能をしつらえていた。なぜなら彼が犯せば、美はもうこの世の中に存在する余地がなくなるからだった。》

 

 三島作品の構造はつねにこれである。『仮面の告白』、『愛の渇き』、『金閣寺』、『女方』、『サド侯爵夫人』、『弱法師』……。清顕型と本多型、それぞれの不可能性、逆説のドラマ。

 

《……現実のジン・ジャンは、しかし、本多の見るかぎりのジン・ジャンである。美しい黒い髪を持ち、いつも微笑をうかべ、約束はつねにあやふやな、そうかと思えばひどく決然とした、感情の所在の不透明な少女である。しかし見るかぎりのジン・ジャンが凡(すべ)てではないことは明らかであり、見えないジン・ジャンに焦(こ)がれている本多にとっては、恋は未知に関わっており、当然ながら、認識は既知に関わっている。認識をますます推進させ、未知を認識によって却掠(ごうりゃく)して、既知の部分をふやして行けば、それで恋が叶うかというと、そうは行かない。本多の恋は、認識の爪(つめ)のなるたけ届かない遠方へ、ますますジン・ジャンを遠ざけようとするからである。》

 

 見たいという欲望につながる。しかし、見ることで完結しないことを本多は知っていたし、本多をついに主人公に格上げした三島ははじめからわかっていた。

 

<見ることと見られること>

 

 本多が覗き穴から、隣のゲスト・ルームのトゥイン・ベッドを覗くと、遠いほうのベッドに、槙子は白っぽい寝間着で座っていた。槙子が見下ろしているのは、薄明のなかにうごめいているベッドの人影、椿原夫人の腿に青白く痩せた今西の腿がまつわりつく姿だった。椿原夫人は謡曲隅田川』の、息子を亡くした哀しみから逃れることができない母であり、ここにある白は、たおやめぶり、というよりも、すがれた肉の衰弱した世界で、三島も愛読したトーマス・マンの『魔の山』の人間喜劇を想起させる。

 

《槙子はその白銀に光る白髪をたゆたわせ、自若として見下ろしていた。性こそちがえ、槙子が自分と全く同じ人種に属するのを本多は覚(さと)った。》

 

 見るという認識の手段の多重映像。見ると見られるの交互性。

 本多は誘惑者の資格を徹底的に欠いていた。

 

《一つの宇宙の中に自足しているジン・ジャン、それ自体が一つの宇宙であるジン・ジャンは、あくまでも本多と隔絶していなければならない。彼女はともすると一種の光学的存在であり、肉体の虹(にじ)なのであった。顔は赤、首筋は橙(だいだい)いろ、胸は黄、腹は緑、太腿(ふともも)は青、脛(はぎ)は藍(あい)、足の指は菫(すみれ)いろ、そして顔の上部には見えない紫外線の記憶の足跡と。……そしてその虹の端は、死の天空へ融(と)け入っている。死の空へ架ける虹。知らないということが、そもそもエロティシズムの第一条件であるならば、エロティシズムの極致は、永遠の不可知にしかない筈(はず)だ。すなわち「死」に。》

 

 五月の公園の夜。林の外周の自動車路のヘッド・ライトが、針葉樹林を神殿の列柱のように見せ、草生(くさふ)の上を走るときの戦慄。見るだけで決して見られぬ存在、という不可逆性。

 

《その中に一瞬うかぶ、まくれた下着の白の、ほとんど残虐(ざんぎゃく)なほどの神聖な美しさ。たった一度、その光芒が、ほのかに目をあいた女の顔の上をまともに擦過したことがある。なぜ目をあいていたのが見えたのか。一滴の光りの反射が瞳(ひとみ)に落ちるのが見えたからには、たしかに女は、半眼ながら、目をひらいていたのにちがいない。それは存在の闇を一気に引き剝(は)がした凄愴(せいそう)な瞬間だったから、見える筈のないものまで見えてしまったのだ。

 恋人たちの戦慄と戦慄を等しくし、その鼓動と鼓動を等しくし、同じ不安を頒(わか)ち合い、これほどの同一化の果てに、しかも見るだけで決して見られぬ存在にとどまること。その静かな作業の執行者は、あちこちの木蔭(こかげ)や草むらに蟋蟀(こおろぎ)のように隠れていた。本多も、無名のその一人だった。》

 

 見ることの形而上学

 

《そこでジン・ジャンの、人に知られぬ裸の姿を見たいという本多の欲望は、認識と恋との矛盾に両足をかけた不可能な欲望になった。なぜなら、見ることはすでに認識の領域であり、たとえジン・ジャンに気付かれていなくても、あの書棚の奥の光りの穴からジン・ジャンを覗(のぞ)くときには、すでにその瞬間から、ジン・ジャンは本多の認識の作った世界の住人になるであろう。彼の目が見た途端に汚染されるジン・ジャンの世界には、決して本当に本多の見たいものは現前しない。恋は叶えられないのである。もし見なければ又、恋は永久に到達不可能だった。》

 

 死に至る覗き。見ることの怖ろしさ。

 

《覗く者が、いつか、覗くという行為の根源の抹殺によってしか、光明に触れえぬことを認識したとき、それは、覗く者が死ぬことである。》

 

<聡子と慶子>

 

 橋本治は『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』の「第一章『豊饒の海』論」の、「三 『暁の寺』のジン・ジャン――あるいは、「書き割り」としての他者」で、『暁の寺』のジン・ジャンに関する部分には種本がある、インスパイアされたと公言している『浜松中納言物語』とは別の種本で、四世鶴屋南北による『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)』がそれであると言っている。『桜姫東文章』の、「清玄は本多茂邦、桜姫はジン・ジャン、そして旧華族の令嬢であると思しい久松慶子が釣鐘権助に相当する」としている。

 ちなみに『桜姫東文章』のあらすじは、橋本治も書き表しているが、ここでは国立劇場監修による『歌舞伎公演記録集』から引用する。

 

長谷寺の僧清玄(せいげん)と相承院の稚児白菊丸は心中を決意するが、清玄は死に遅れてしまう。(江の島稚児ヶ淵の場)

 それから十七年。吉田家の息女桜姫はお家騒動で父と弟を失い、家宝の都鳥の一巻を盗まれる。生まれつき左手が開かないために入間悪五郎(あくごろう)との婚約も解消され、世をはかなんだ姫は、出家しようと長谷寺の高僧清玄を訪ねる。清玄が祈祷を行うと不思議にも左手は開き、中から白菊丸の持っていた香箱が現れる。それを見た清玄は、桜姫が死んだ白菊丸の生まれ変わりであることを知る。 一方、釣鐘(つりがね)権助(ごんすけ)に命じて都鳥の一巻を盗ませ姫の父を殺害させた悪五郎は、吉田家の横領を企てる。(新清水の場)

 桜姫が剃髪の支度をしていると、悪五郎の使者として権助が現れる。姫は権助の彫物を見て、かつて自分を犯した男であると気付き、密かに子を産み落としたこと、権助が忘れられずに自分も同じ彫物をしたことを告げ、再び関係を持つ。そこへ悪五郎が踏み込み、不義を咎める。姫の落とした香箱を証拠に相手は清玄だと誤解されるが、白菊丸への罪障の念から、清玄はあえて濡れ衣を着て寺を追われる。(桜谷草庵の場)

 不義の罪で身分を奪われた桜姫と清玄のもとに、里子に出していた桜姫の赤子が戻される。白菊丸の面影に迷った清玄が姫に言い寄るところへ悪五郎らが現れ、争ううちに赤子は清玄の手に渡る。(稲瀬川の場)

 赤子を抱いて桜姫の行方を尋ねる清玄は、さまよう姫と三囲(みめぐり)の堤ですれ違う。(三囲の場)

 同じく不義の罪で寺を追われた残月(ざんげつ)と局(つぼね)長浦の住む本所の庵室で病身の清玄は養われるが、金包みを持っていると誤解されて二人に殺されてしまう。そこへ桜姫と権助が来合わせる。権助は、姫を回説こうとする残月の不義を言い立てて庵室を奪い取った上、姫を女郎にするために出掛けてゆく。その留守中に、落雷によって蘇生した清玄は再び姫に迫るが、争ううちに誤って死んでしまう。(岩淵庵室の場)

 権助は、金目当てに町内の捨て子の世話を引受ける。そこへ、枕元に清玄の幽霊がつきまとうというので、小塚原の女郎屋から桜姫が戻されてくる。権助の留守中に現れた清玄の幽霊は、捨て子が実は権助と姫の子であり、清玄と権助が兄弟であると告げる。そして酔った権助の言葉から、彼こそが父と弟の仇であることが分かり、桜姫は権助と赤子を殺す。(山の宿町権助住居の場)

 桜姫は捕手に追われるが、家臣に助けられ、都鳥の一巻も戻って吉田家は再興する。(三社祭の場)」

 

 橋本治らしい着想で、頷けるところもある。つけ加えれば、桜姫の腕の彫物は、清顕の三つの黒子に相当するともいえよう。久松慶子は、釣鐘権助が桜姫を犯したように、ジン・ジャン姫をたぶらかし、肉をもてあそんではいるけれども、慶子と本多の関係は悪くないのだから、その見立てにはやや無理がある。本多の好意はジン・ジャンに裏切られ、邪険にされるというところは確かにそうだとはいえるが、驕慢な女性の思わせぶりにのせられつつも、終のところで邪険にされる失恋構造は三島作品における一つの型でもあって、『仮面の告白』の主人公の初恋、アフェアーもそれだった(伝記的に言えば、三島自身も似た経験をしている)。

 それよりも、久松慶子が綾倉聡子の生まれ変わりという設定はありうる。もちろん、聡子は死んではいないから転生ではないが、『春の雪』以来、『奔馬』でも逢おうとしてとどまり、『暁の寺』でも逢うことを避け、本多の眼の前から四十年も消えてしまっている以上は、たとえ、互いの年齢があわなくとも、本多の意識の中で生れ変りのような位置づけを与えられている。

「創作ノート」を典拠にして、作者の意図を決めつけるのは誤りのもとだが、少なくとも、そのような思考、発想を、一時は抱いたということ、最終的に作品に顕れたにしても顕れなかったにしても、顕れ方によっても、それぞれ意味は生じる。三島が残した「創作ノート」には次のような記事が見てとれる。

「聡子とそっくり同じ顔の女に惚れる。レスビアニズム。(中略)本多は、尼の聡子に会はせぬやう配慮する」

「姫日本へやつてくる。聡子or第三巻の女とよく似た女とLesbian Love」

「聡子にそつくりな女性の出現。月光姫これに惚れる。(中略)月光姫と聡子そつくりの女のベッドシーンを見てしまひ、黒子の出現を見る」

 清顕と聡子の性愛を、ジン・ジャン(清顕の転生)と慶子(聡子そのものであることも初期に検討はしたが、とらなかった)のレスビアニズムという形式で覗き見た本多にとって、慶子は聡子でなければならなかった。

 一見、慶子と聡子は似ていないようでいて、作者の深層心理に忠実に、細部において顕現する瞬間がある。

暁の寺』はジン・ジャンの肉の物語でもあって、最終巻『天人五衰』の終わりで、慶子は「松枝清顕は、思いもかけなかった恋の感情につかまれ、飯沼(いいぬま)勲(いさお)は使命に、ジン・ジャンは肉につかまれていました」と言うが、慶子もまた肉の女だった。

『春の雪』の聡子は、霞町の下宿で「ようやく、白い曙の一線のようにみえそめた聡子の腿に、清顕の体が近づいたときに、聡子の手が、やさしく下りてきてそれを支えた」り、鎌倉由比ヶ浜で「清顕の小さな固い乳首が、自分の乳首に触れて、なぶり合って、ついには自分の乳首を、乳房の豊溢(ほういつ)の中へ押しつぶすのを」感じたりといった官能にまみれる時間があったにしても、聡子が肉を感じさせる場面は少なく、「肉体の外(はず)れ、肉体の端(はな)で起っている」ように遠かった。

 では、『暁の寺』に聡子はどうあらわれるか。第一部の終わり、第二十一、二十二章のエピソード、

 昭和二十年六月、本多が渋谷の松枝邸趾で、九十五歳になった蓼科を見つけ、その口から綾倉家の様子をたずねる、

 

《「聡子さんには会われますか?」

 と思わず本多は胸のときめきを覚えて訊いた。

「はい。その後両三度お目にかかりました。伺いますと、それはそれは御親切にして下さいまして、この私のような者に、今夜はお寺に泊ってゆけ、などと、それはそれはおやさしく……」(中略)

「聡子さんはお元気なのですね」

 と本多は重ねて問うた。

「お達者でいらっしゃいますとも。それに何と申しましょうか、ますます澄み切ったお美しさで、この世の濁りを払ったお美しさが、お年を召してから、却って冴えていらしたようでございますよ。ぜひ一度お訪ねなさいまし。さぞ懐しく思し召すでございましょう」

 本多は率然と、鎌倉からの帰途の自動車に聡子とただ二人同車した、あの深夜のドライブを思い出した。

 ……それは「他人の女」であった。しかもあのとき、無礼なほどに聡子は女だった。(中略)

突然、疎(まば)らな残雪の央(なか)の古井戸のような二つの目に、瞳(ひとみ)が流れ、すばやく一閃(せん)の媚(こ)びが走った。

「本多さんもお姫様にが思し召しがおありになったのでしょう。わかっておりましたよ」》

 

 第二部は、慶子からはじまる。時こそ七年間が過ぎているが、読者の脳裏には、第一部末尾の聡子への追憶の残像がある。

 

《「みごとな檜林(ひのきばやし)をお造りになったのね。以前はこのへんは木一本立っていない荒地だったのに」

 と本多の新らしい隣人は言った。

 久松(ひさまつ)慶子(けいこ)は堂々たる婦人だった。

 五十歳に垂(なんな)んとしていたけれども、整形美容をしたという噂(うわさ)のあるその顔に、些(いささ)かはりつめすぎ光沢のよすぎる若さを持していた。》

 

 この吉田茂にもマッカーサー元帥にもぞんざいな口をきける、アメリカ占領軍の若い将校を情人にしている、一生遊び暮した女は、何の象徴なのか。

 慶子を招じ入れて、本多は薪に火をつけようとするが、『金閣寺』の禅僧のようには火をつけられない。

 

《「お手つだいするわ」

 と慶子は堂々と腰をかがめた。永いこと、固い唇の間にはほんのすこし舌尖(したさき)を挟(さしはさ)んで、本多の不器用を眺めていた末に、そう言ったのである。彼女の胸は、本多のあげた目の先に、無極限のひろがりを以(もっ)て見えた。ウェイストをくびらせたスーツの仕立のために、タイト・スカートの腰の青磁いろは、巨(おお)きな李朝(りちょう)の壺(つぼ)のように充溢(じゅういつ)していた。》

 

 慶子がどんなに聡子と違ってみえても、あるいは違う人物造形のようにみえても、何気ない細部に同じ肉は顕れる。『春の雪』の、清顕に先立って山道をゆき、目ざとく咲残りの竜胆(りんどう)を見つけて摘む場面、「平気で腰をかがめて摘むので、聡子の水いろの着物の裾(すそ)は、その細身の躰に似合わぬ豊かな腰の稔(みの)りを示した。清顕は、自分の透明な孤独な頭に、水を掻(か)き立てて湧(わ)き起る水底(みなそこ)の砂のような細濁(ささにご)りがさすのをいやに思った」の腰と同じである。そのうえ、性格的にも次の描写を読めば似ているばかりか、三島作品の一つの型としての女の強さ。

 

《慶子はきわめて親切で知的でもあったが、或るやさしさの欠如が目立った。文学美術音楽の話をさせても、よしんば哲学の話をさせても、香水や頸飾(くびかざり)の話をするのと同じように、女らしい贅沢(ぜいたく)や逸楽の味をこめて語り、決して芸術も哲学もむきだしの形を露(あら)わさぬながら、知識はゆたかで、甚だしい疎密(そみつ)はあったが、部分的にはずいぶん透徹していた。

 明治大正の上流夫人が、固苦しい貞女気取か、とんでもないはねかえりの、どちらかに偏していたことを思うと、慶子の中庸を得ていることはおどろくほどであった。しかし彼女を妻にした男の苦難は察しがついた。決して苛酷(かこく)なわけでもないのに、何か微妙なことについて容赦しないという気構えが、つねに感じられたからである。》

 

 橋本治が、清玄が桜姫に邪険にされるようだと言う、三島の手馴れで、エメラルドの指環を見上げる窓から投げ返された本多は、慶子を訪れる。指環を慶子からジン・ジャンに反(かえ)してほしい、とお願いに。

 

《「私はジン・ジャンに恋しているんだと思いますよ」

「まあ」

 と慶子は、嘘(うそ)ばかり、という目色で華やかに笑った。

 慶子がその次に言った言葉には、一種決然たるものがあった。

「わかったわ。今のあなたには、何かぞっとするほど莫迦(ばか)らしいことをなさる必要があるわけね。たとえば」とムームーの裾を軽くもちあげた。》

 

「たとえば、私のこの足の甲に接吻(せっぷん)でもしてごらんになったら?」と慶子は言い、さきの願いをきいてくれる交換条件としてなら、と本多はうずくまって、思い切って、絨毯の上にひれ伏した。

 

《そうして見る慶子のサンダルは、尊い祭具さながら、力を入れて踏みしめている五本の指の真紅の爪の上へ、なだれかかっている褐色や茶や白い乾果がおごそかに、やや筋張った神経質な足の甲を守っていた。(中略)足の甲に接吻してから目をあげると、光りはすべて、ハイビスカスの花々を透かした暗い緋色(ひいろ)になり、そこに二本の白い美しい柱がほのかな静脈の斑(ふ)を見せてそそり立ち、はるかの天空に、小さな真黒な太陽が、黒い光芒(こうぼう)をふり乱して懸っていた。》

 

 インドのカーリー女神のような、あるいは孔雀明王のような女への、マゾヒスティックな欲望。

 本多はジン・ジャンに恋することで、清顕に恋していたのかもしれず、また聡子に恋することで、慶子に恋していたのかもしれない。そして、清顕と聡子と二人ながらに恋することで、ジン・ジャンと慶子と二人ながらを恋し、結ばれることを願っていたのかもしれず、それゆえに心の覗き穴にそれを見た。プルーストゴモラの愛を、ヴァントゥイユ嬢やアルベルチーヌのようなレスビアニズムを。決して達成されえない愛は、三島にとっての天皇もまたそうだったともいえよう。そのような覚めつ夢みつの不可能性こそが三島作品の泉だった。

                      (了)