「谷崎『卍』とサド」
たしかに、谷崎潤一郎『卍』は批評しにくい小説である。
たとえば、《『卍』は論じにくい小説であり、一種ぬめぬめした、まつわりついて来るような魅力にもかかわらず、これまでまともな論評を受けたことがほとんどなかった》(佐伯彰一『開かれた小説 谷崎潤一郎 IV』)というように、無視されるか、どこか紋切型な批評がなされたうえで、転換期かつ多作期ゆえに大谷崎山脈とでも名付けたい他の峯(『蓼喰う蟲』や『吉野葛』など)に筆致は移ってしまう。
紋切型ではない言説で『卍』の本質を抉った一行があったとしても、その直感的な言葉がさらに卍巴となって論じられた様子はない。
オーソドックスな批評が的外れというわけではなく、少し観点をずらすだけで『卍』の現代性があぶりだされてくるだろう。明快な論述で、海外文学にも詳しい伊藤整の『『谷崎潤一郎全集』解説』が、全作品を見通したうえで簡潔にまとまっているから、『卍』『私の見た大阪及び大阪人』を含む第十七巻と、『蓼喰う蟲』『饒舌録』を含む第十六巻の解説から要点を紹介しつつ、《谷崎氏が容赦なく深淵の中へ手をつつこみ、登場人物を冷酷に破滅に追ひ込んでゆく手腕》(三島由紀夫『解説(「新潮日本文学6谷崎潤一郎集」)』)を味わうこととする。
<関西言葉/スタンダール>
第一に、《「卍」は阪神地方の知識階級の女性の日常語で書かれた小説として、特にその文体が問題になった。しかし、雑誌に掲載された第一回は標準語に近い文体であったが、第二回以後大阪言葉に改められ、単行本になるとき全体が大阪言葉で統一されたのである。関西の言葉には、一般の文章語なる口語体にない柔軟さと、微妙な陰翳の把握力とがあって、特に女性の心理描写に適切である。》
大阪言葉のレベル、標準語を大阪言葉に直した若い秘書たちの回想記、義太夫の声への言及などの論があるが、ひとつだけあげれば野口武彦のそれであろう。
《谷崎が意識していたのはもっぱら「関西夫人の紅唇より出づる上方言葉の甘美と流麗」であったにちがいない。しかし、才能ある作家の秘密はこの聴覚的エロティシズムの背後に複合的に存在しているものをすべて洞察してしまうことにある。谷崎は同時に、大阪弁の持つかわいた即物的なユーモアを聞き落すことはなかったのである。》(『故郷としての異郷――関西移住と「古典回帰」をめぐって』)
谷崎は『私の見た大阪及び大阪人』で書いたように、「寝物語には大阪の女が情がある」という声をもって、園子ひとりの女の体のような肉感的な語りで、錯綜した時間と空間と人間関係の物語を紡ぎ出したのだった。『私の見た大阪及び大阪人』の中で、谷崎は文章読本風の解説を施している。
《小説「卍(まんじ)」を書く時に実は始めて気が付いたのだが、大阪の言葉はそういう点が妙に粗(あら)い。最初に東京語で書いて、それを大阪語に直そうとすると、二種類の表現に対して一種類しか表現法のないことがある。(中略)東京語で「それなら」、「でございますなら」、「だといたしますなら」等々の区別をつける時にも、大阪では「それやったら」で大概済ましてしまう。そしてこの例がよく示しているように、丁寧ないい廻し、敬語法の種類が非常に少い。これはちょっと上方として意外に思うが、事実そうなのだ。東京には「遊ばせ言葉」を始めとして尊敬の程度、職業年齢階級等の複雑な変化に応ずるいい表わし方が実に豊富だ。「する」という言葉一つに対しても、「します」「なさる」「なさいます」「遊ばす」「遊ばします」「いたします」「するんです」「するのでございます」「しますんです」「いたすのでございます」「するの」「するのよ」「するわ」「するわよ」「するんだわ」「するんだわよ」「してよ」「しやがる」――まあ思い出せるだけでもこんなにあって、 一つ一つ皆幾らかずつ気分が違う。大阪語にはとてもこんなに沢山はあるまい。(中略)で、とにかくそういう風だから、大阪語には言葉と言葉との間に、此方が推量で情味を酌み取らなければならない隙間(すきま)がある。東京語のように微細な感情の陰までも痒(かゆ)い所へ手の届くようにいい尽す訳に行かない。東京のおしゃベリは何処から何処まで満遍なく撫で廻すようにしゃべるが、大阪のは言葉数が多くても、その間にポツンポツン穴があいている。言語としての機能からいえば東京語の方が無論優(まさ)っており、現代人の思想感情を表わすにはこれでなければ用が足りないであろうが、しかし隅々(すみずみ)までホジクリ返すように洗い浚(ざら)いいってしまうのは、何んとなく下品なものだ。東京語の方が余計丁寧ないい廻しを使ってかえって品悪く聞えるのは、そのためなのだ。つまり自由自在に伸びるから、言葉に使われる結果になる。ぜんたい「無言」を美徳と考える東洋にあっては、言語もその国民性に叶うように出来ているのだから、その理想に背くように発達させると、少くともその言語に備わる美点は失われてしまう。今日こんなことをいっても一般には通用しないだろうが、さすがに関西の婦人の言葉には昔ながらの日本語の持つ特長、――十のことを三つしか口へ出さないで残りは沈黙のうちに仄かにただよわせる、――あの美しさが今も伝わっているのは愉快だ。たとえば、猥談(わいだん)などをしても、上方の女はそれを品よくほのめかしていう術(すべ)を知っている。東京語だとどうしても露骨になるので良家の奥さんなどめったにそんなことを口にしないが、此方では必ずしもそうでもない。しろうとの人でも品を落さずに上手に持って廻る。それが、しろうとだけに聞いていて変に色気がある。》
関西の言葉は女体のように肉感的ではあるけれども、「上方として意外に思うが」、「ポツンポツン穴がある」、「隅々(すみずみ)までホジクリ返すように洗い浚(ざら)いいってしまうのは、何んとなく下品」で、「十のことを三つしか口へ出さないで残りは沈黙のうちに仄かにただよわせる」という省略と余韻の特徴を谷崎は、次のような「スタンダールから得る痛切な教訓」に応用したのに違いない。
というのは、『卍』を書いた同時期に谷崎は、内外の作品を読み漁り、スタンダール、ハーディ、キングスレー、ジョージ・ムーアなどに触手を伸ばして、スタンダールの『パルムの僧院』を五百ページからある英訳本で読み、『カストロの尼』を、中断したとはいえ英訳本から重訳している。スタンダールからは、文体、構成、人物描写、語りの工夫を学び取ろうとしたわけだが、『饒舌録』に、《筋も随分有り得べからざるやうな偶然事が、層々畳々と積み重なり、クライマックスの上にもクライマックスが盛り上つて行くのだが、かう云ふ場合、余計な色彩や形容があると何だか譃らしく思へるのに、骨組みだけで記録して行くから、却つて現実味を覚える。小説の技巧上、譃のことをほんたうらしく書くのには、――或はほんたうのことをほんたうらしく書くのにも、――出来るだけ簡浄な枯淡な筆を用ひるに限る。此れはスタンダールから得る痛切な教訓だ》と書き残している(この教訓は『細雪』の有名な結末に最も生かされたし、水上勉『越前竹人形』を女主人公が帰省する十八章以下は省略したほうがよい、と批評したのも同じことだ)。
谷崎は『卍』単行本に添えた『卍(まんじ)緒言』中で、《此の書の内容に就きて、嘗てこれを改造誌上へ連載せし當時、二三の浮説ありしことを耳にしたり。その一は此の小説にはモデルありと云ふもの。他の一は、佛蘭西小読の翻案なりと云ふもの。尚他の一は、作者がその佛蘭西小論を讀むために、佛語に練達せる婦人の秘書を使用しつつありと云ふもの。されど噂は皆事實にあらず、此の一篇は作者が肚裡の産物にして、モデルも種本もあることなし》と書いているが、ここでいう仏蘭西(フランス)小説はスタンダールのことだ。たしかに翻案ではなく、いっけん嫋々たる園子の関西の女言葉の、隙間と省略と余韻の助けを借りて、教訓通りに、「筋も随分有り得べからざるやうな偶然事」が「層々畳々と積み重なり、クライマックスの上にもクライマックスが盛り上つて行く」さまを、「却つて現実味を覚える」さまで、《同性愛の具体的な描写が一行もないレズビアニズムの物語》(丸谷才一)として、読者の想像をほしいままにさせて描いたのだった。
<古典への回帰/伊勢物語>
第二に、《「卍」もまたその現実把握の方法、その表現の方法において、標準語的リアリズムから脱し、関西語を通して、古典的な表現の領域へ入ろうとする試みの一つと見ることもできる。古き日本の伝統的説話方法によって、古典的写実手法の成立する第一歩がそこに築かれているからである。》
古典への回帰ということでは、『卍』執筆前に、大阪を訪れた芥川龍之介とともに近松『心中天網島』を文楽鑑賞し、この演目について同時期の『蓼喰う蟲』におおいに書いたことから、『卍』の光子、柿内夫人園子、柿内に、小春、おさん、冶兵衛のなぞりをみる向きがあるけれども、三人とも全く異なった役回り、心理、関係であることは論じるまでもない。
谷崎と古典といえば『源氏物語』がすぐに思い浮かぶが、本人が『「細雪」回顧』に素直に書き残している。《「細雪」には源氏物語の影響があるのではないかと云うことをよく人に聞かれるが、それは作者には判(わか)らぬことで第三者の判定に待つより仕方がない。しかし源氏は好きで若いときから読んだものではあるし、特に長年かかって現代語訳をやった後でもあるから、この小説を書きながら私の頭の中にあったことだけはたしかである。だから作者として特に源氏を模したと云うことはなくても、いろいろの点で影響を受けたと云えないことはないだろう。》
「小説を書きながら私の頭の中にあった」という意味では、谷崎の随筆『雪後庵夜話』の『「義経千本桜」の思ひ出』に、『武州公秘話』に千本桜の影響があることや、『吉野葛』に團十郎の葛の葉から糸を引いているばかりか五代目菊五郎の千本桜の芝居から一層強い影響を受けたものがあったに違いないと書いている。また『蘆刈』は『大和物語』一四八段、『伊勢物語』八十二段の惟喬親王の水無瀬宮が頭の中にあったはずで、それと同じような意味で『卍』には『伊勢物語』の影がうっすらとだがあったに違いなく、古典回帰は関西語の使用ということだけではあるまい。
『伊勢物語』とは、初段『初冠(うひかうぶり)』で春日野の姉妹に懸想し、六段『芥川』で女を盗み出して暗い夜道を川のほとりまで逃げ、二十一段『世のありさま』で夫婦の心が離れてそれぞれ別の相手との関係を持つようになり、二十三段『筒井筒』で二人の女の間で迷い往き来し、八十二段『狩の使い』では夢うつつに禁忌の伊勢の斎宮と密通し再び逢うことかなわず、結局は権力に追放されてしまう不運な男の物語、古層としての「穢れ」を幾重にも纏った物語である。
たとえば光子と綿貫が園子に着物を持って来てほしいと呼び出した旅館の名は「井筒」で、光子の家は在原業平が植えたと言い伝えられる蘆屋の「汐見桜」の近所、蘆屋川にかかる「業平橋」も登場する。持ち運んだ着物を着せて暗い道を綿貫と共に送ってゆく蘆屋は、当時は追い剥ぎや強姦もあるさみしい所で『芥川』のような罪の暗さがある。些細なことだが、夫柿内は「伊勢」の四日市へ帰る人を湊町の駅まで送って行った後に、妻園子と光子が忍びあっている旅館井筒を不意に訪れる。光子と園子「姉(ねえ)ちゃん」は幾度となく若草山に登り、生駒山の方を眺めやるが、『初冠(うひかうぶり)』の「むかし、男、うひかうぶりして、平城(なら)の京(きやう)、春日(かすが)の里にしるよしして、狩に往(い)にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから(姉妹)住みけり」と『筒井筒』の空間と重なる。『世のありさま』のように、園子は結婚してから楽しい夫婦生活を味わったことがなくて心も肉体も離れ、前の事件を起こしている。
薬を飲んで寝込む園子が、誰かと光子が通じているらしいのを夢うつつのうちに感じる「その三十一」は、『狩の使い』の「君や来(こ)し我や行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか」「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとはこよひ定めよ」と多重映像化する。
《私と、夫と、光子さんと、お梅どんと、四人が何処(どこ)ぞい旅に出かけて、宿屋の一と間に蚊帳(かや)吊(つ)って寝てて、六畳ぐらいの狭い座敷で、同じ蚊帳の中に、私と光子さん中に挟(はさ)んで両端に夫とお梅どん寝てる。………そんな光景が夢の場面の一つのようにぼんやり頭に残ってますねんけど、部屋の様子から考えたら、ほんまの事が夢に交り込んだのんに違いないのんで、これもあとで聞きましたのんに、夜遅うになってから私の布団隣りの部屋い引張って行きましたら、光子さん眼工覚ましなさって、「姉ちゃん、姉ちゃん」と譫言(うわごと)みたいに云いつづけて、「姉ちゃんいてへん、うちの姉ちゃん返して! 返して!」云うてポロポロ涙こぼしなさるのんで、しョことなしに又同じとこに寝さしたんやそうですさかい、それが夢では宿屋の座敷になってるのんですが、まだその外にもいろいろ不思議な夢あるのんで、これも宿屋みたいな所(とこ)に私が昼寝してましたら、傍(そば)に綿貫と、光子さん小声で内証話してて、「姉ちゃんほんまに寝てはるねんやろか」「眼エ覚ましたらいかん」云うて、ヒソヒソしゃべってるのんが切れ切れに聞えますのんを、私はうとうとしながら聞いてて、此処は一体何処やねんやろ? きっといつもの笠屋町の家に違いない、生憎(あいにく)其方(そっち)い背中向けて寝てるのんで、二人の様子見えへんけど、見えんかてもう分ってる。自分はやっぱり欺(だま)されたんや、自分にだけ薬飲まして、こんな目エに遇(あ)わしといて、その間アに光子さん綿貫呼びやはったんや、エエ、口惜(くや)しい、口惜しい、今跳び起きて二人の面皮(めんぴ)剥(は)いでやろ!と、そない思うのんですけど、起き上ろとしても体の自由利けしません。声出してやろ思て一生懸命になればなる程、舌硬張(こわば)って動けしませんし、眼工あくことすら出来しませんのんで、エエ、腹立つ、どないしてやろ思てる間アに又いつやらうとうとしてしもて、………そいでも話声まだ長いこと聞えてて、その男の方の声が、おかしいことに綿貫でのうて夫の声に変ってしもてて、………こないなとこになんで夫いるねんやろ? 夫あないに光子さんと親しいのんか知らん? 「姉ちゃん怒りやはりますやろか?」「なあに、園子かてその方が本望ですやろ」「そしたら三人仲好うして行きまひょなあ」と、―――そんな工合にポツリポツリ耳に這入ったのんが、今考えてもよう分れしませんねんけど、二人の間でほんまに話してたもんやのんか、それとも夢の中ながら想像で事実補うてたのんか、………それがあのう、………こいだけやったらみんな自分の心の迷いで根工も葉アもない幻見たんや、そんな事実あろう筈(はず)ないと打ち消してしまいますねんけど、その外にもまだ忘れることの出来ん場面覚えてますし、………それも初めは阿呆(あほ)らしい夢や思てましたのんが、薬さめて意識ハッキリして来るにつれて、外の夢だんだん消えてしまいますのんに、その場面だけ却って頭い焼き付いてて、疑う余地ないようになって来ましてん。》
<セックス/暗黒小説>
第三に、《セックスがいかに強く人間を支配しているか、ということであり、また美はいかに危険な働きで人間生活を崩壊させるか、ということである。(中略)この作品では、同性愛の女性と自分の夫と三人で心中した時に、死に遅れた柿内園子という女主人公が、二人の後を追って自殺したいと思いながらも、夫と徳光光子とが死後の世界で自分を邪魔にするのではないかと考えると、その自殺もできない、という本当の絶望に追い込まれる、という風に描かれている。》
この点については、心理的マゾヒズムに焦点をあわせた河野多惠子の批評が有名であるが、より重要なのは、マゾヒズムに対峙するサディズムの症例語源となったマル・キ・サドではなく、文学者、哲学者としてのサドに言及した丸谷才一の『卍』評である。
丸谷才一『一双の屏風のように』は、さすがの慧眼で論点が月並みではない。といっても冒頭の、《これは調べがゆきとどいてゐないせいかもしれないが、『卍』と『蓼喰ふ蟲』とを一対の作品として見立てた谷崎潤一郎論のあることをわたしは知らない》は丸谷にしてはどうしたことか見立て違いのような気がする。というのも、知るところでは、同時期に書かれ、同じように昭和初期の関西が舞台の『蓼喰う蟲』に言及されずに『卍』だけが論じられることはほとんどないからである。おそらくは互いに言及されてはいても、しっかりと比較対照されていないと言いたかったのであろう。
共通点をあげたうえでの差異の見立てこそが重要である。すなわち、
《二作品の共通点のことから相違点のことへと話はおのづと移つてゆく。そして、『蓼喰ふ蟲』と『卍』とが対をなすといふ見立ては、実はこの相違点のせいでいよいよ強まるのである。二つの中編小説は、一方の静と他方の動、前者の明と後者の暗、彼の雅と此(これ)の俗といふ具合に事ごとに対蹠的で、さながら両者を合して一とすれば現実界の全貌が得られるかのごとくである。このとき一九二〇年代後半の京阪神は、もはや単なる一地方ではなくなり、もつと普遍的な一世界となつてわれわれの前にそそり立つであらう。すなはちこれを一言で言つてしまへば、家庭小説としての『蓼喰ふ蟲』と暗黒小説としての『卍』との双璧といふことにならうか。
このうち、暗黒小説云々のほうについては、さほど異論があらうとは思へない。不能の青年の性的妄想に端を発して、有夫の女と良家の子女との同性愛、そして嘘をつくのに巧みな美貌の娘が彼女を慕う夫婦者と共に三人で心中し、あげくの果て妻が一人だけ生き残るといふグロテスクな筋立ては、冒頭と結末にあざやかに据ゑられた素人絵の観音像のせいもあらうか、いよいよ、歌舞伎に仕立てられたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌないしサドといふ趣を見せるのだ。つまりこの「光子観音」にはどうやら泰西の聖母像の面影があるらしく、この聖なるものに対し冒瀆の限りを盡すことで、聖母はいよいよあがめられるといふ複雑な仕掛けになつてゐるらしい。(中略)
谷崎は自分の職業のなかの反社会的な特性に注目し、それを誇張することによつて、健全な市民社会に真向から対立する背徳の物語を書いたと思はれるからである。さう考えれば『卍』は暗黒小説ふうの芸術家小説といふことになり、あの光子観音はこの世の汚辱の限りを吸ひつくして玲瓏と光り輝く芸術作品の理想を、あの『刺青』の、折りからの朝日を受けて燦爛(さんらん)と照りはえる「女の背(せなか)」とくらべて格段に成熟した形で、示したものとなるかもしれない。》
残念ながらこれ以上の詳述は丸谷によってされなかったけれども、この言説を引き金に、三島由紀夫による谷崎論と比較することで、谷崎文学はいよいよ開かれてゆく。
<十八世紀フランス文学/サド>
丸谷の《いよいよ、歌舞伎に仕立てられたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌないしサドといふ趣を見せるのだ》が言うところの、サドに代表されるフランス十八世紀文学への論及は、短いながらも十本ほどの谷崎論を求められるままに書いた三島由紀夫が指摘したところだった。
昭和四十年七月三十一日の毎日新聞掲載『谷崎潤一郎氏を悼む』の《「鍵」「瘋癲老人日記」こそ、中期の傑作「卍」の系列に属するもので、フランス十八世紀文学のみがこれに比肩しうる、官能を練磨することによつてのみえられる残酷無類の抽象主義であり、氏の文学のリアリズムの本質をあからさまに露呈したものであつた。それは臨床医科の人間認識であり、氏の「人間」に対する態度決定が、場合によつてはやすやすと「文学」を乗り越えるやうな、ひどく無礼千萬なものを暗示してゐた。》や、同日の朝日新聞掲載『谷崎文学の世界』の《私は「痴人の愛」が、のちに「卍」に発展し、「卍」がのちに、十八世紀フランス文学の過酷な人間認識とその抽象主義をわがものにしたかのやうな、「鍵」と「瘋癲老人日記」の制作にいたるこの系列を、谷崎文学の重要なキーと考へる。》、そして昭和四十五年の『解説(「新潮日本文学6谷崎潤一郎集」)』の《この傑作に見られる、フランス十八世紀風な「性」の一種の抽象化、性的情熱の抽象主義》があって、これらはみな同じような文脈である。
しかし、フランス十八世文学、とりわけサドを持ちだして来るとき、「性的情熱」「性の抽象化」ばかりでなく、エクリチュールも関係してくると言わざるを得ない。
ロラン・バルト『サド・フーリエ・ロヨラ』(篠田浩一郎訳、みすず書房)の「はしがき」にある《サドからフーリエへ、脱落するもの、それはサディズムである。ロヨラからサドへは、神との対話である。その他の点については、同じひとつのエクリチュールなのである。すなわち、同じ、分類の楽しみであり、同じ、切り分けよう(キリスト者の身体を、犠牲者の身体を、人間の霊魂を)とする熱情、同じ、すべてを記数法の対象にしようとする強迫観念(あらゆる罪、刑罰、情念、さらには計算の誤りさえも数えあげること)、同じ、イメージの(模倣、画面、集会の)実践、同じ、社会的、エロス的、幻影的体系の縫合だ。》(篠田浩一郎訳、みすず書房)が、まず該当する。
この「分類」「切り分け」「記数法の対象にしようとする強迫観念」「イメージの実践」「社会的、エロス的、幻影的体系の縫合」としてのエクリチュールの「固執性」の『卍』におけるあからさまな例は、園子と光子の手紙を先生に見せる「その七」、「作者註」のサド的なエクリチュールである。
《作者註、柿内未亡人がほんの一部分だと云ったところのそれらの文殻(ふみがら)は、約八寸立方ほどの縮緬(ちりめん)の帛紗(ふくさ)包みにハチ切れるくらいになっていて、帛紗の端が辛(かろ)うじて四つに結ばれていた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭は紅(くれない)を潮(ちょう)し、そこを抓(つね)っているように見えた。やがて中から取り出された手紙の数々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのようであった。なぜならそれらは悉(ことごと)くなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷(もくはんず)りの封筒に入れられているのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやっと這入る程に小さく、その表面に四度刷り若(も)しくは五度刷りの竹久夢二風の美人画、月見草、すずらん、チューリップなどの模様が書かれてある。(後略)》、《(五月六日、柿内夫人園子より光子へ。封筒の寸法は縦四寸、横二寸三分、鴇(とき)色地に、桜ン坊とハート型の模様がある。桜ン坊はすべてで五顆(か)、黒い茎に真紅な実が附いているもの。ハート型は十箇で、二箇ずつ重なっている。上の方のは薄紫、下の方のは金色。封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取ってある。(後略))》、《(五月十一日、光子より園子へ。封筒縦四寸五分。横二寸三分。オールドローズの地色の中央に幅一寸四分程の広さに碁盤目が通っていて、その中に四つ葉のクローバーを散らし、下の方に骨牌(かるた)が二枚、ハートの一とスペードの六とが重なっている。(後略))》
<交代性/連鎖>
次に、『サド・フーリエ・ロヨラ』の「サド II」の「連鎖」にある「交代性」、「連鎖」こそは、『卍』の<柿内―園子―光子―綿貫>から<園子―綿貫>、<綿貫―柿内>を経て、<園子―柿内―光子>へ転回する、とめどない交代的人間関係、慾望の連鎖に他ならず、まさに私の欲望は他者の欲望というわけだ。
《サド的人間関係(ふたりのリベルタンのあいだの)は相互的ではなく、交代的である(ラカン)。交代はたんなる順番、結合的動きだからだ。《美しい天使よ、いまはしばらくのあいだ犠牲者だが、間もなく迫害者となる……》この横すべり(認知からたんなる待機状態への)はもろもろの人間関係の非道徳性を保証するものだ(リベルタンはたがいに愛想がいいが、しかしまた殺し合いもする)。この結びつきは双数的でなく、複数的だからだ。もし生れることがあるとして、友情は取り消し可能だし、また循環する(ジュリエット、オランピア、クレアウィル、ラ・デュランヘ)だけでなく、とりわけあらゆるエロス的連結関係が一夫一婦制的定式からはずれる傾向をもっている。可能となるとたん、 一対に連鎖(・・・・・)が置き換えられる(ボローニャの修道女たちが数珠(・・)の名で実践しているもの)。連鎖の意味は、無限のエロス的言語活動を起動すること(ほかならぬ文が一個の連鎖ではなかろうか)、言表行為の鏡を砕くこと、快楽をしてその出発点に復帰せしめないようにすること、パートナーたちを分離させることによって交換を無益に増加させること、あたえる者に返さず、返さないであろう者にあたえること、原因を、根源を他のところに(・・・・・・)そらさせること、ひとりが始めた動作を他のひとりによって完結すること、である。どの連鎖もだれをも受け入れるため、飽和状態もここでは一時的なものにすぎない。ここでは何ひとつ内在的なもの、何ひとつ内的(・・)なものも生れることがないからだ。》
「その三十一」と「その三十三」から引用すれば、サド的人間関係、交代性、連鎖はあきらかだ。
《そないして暫(しばら)くたちましたら、「おい」云うて私の手工取って、「どうや、気分ええのんか? もうちょつとも頭痛いことないか? まだ起きてるねんやったら、僕話したいことあるねん」云うて、「お前、………知ってるねんやろ?………どうぞ堪忍(かんにん)してくれ、運命や思て怺(こら)えてくれ」「ああ、そんなら夢やなかってんなあ。………「堪忍してくれ、なあ、堪忍すると一と言云うてくれ」そない云われてもしくしくしくしく(・・・・・・・・)泣いてばっかりいる私を、いたわるように肩さすってくれながら、「僕かてあれ夢と思いたい. ………悪夢や思て忘れてしまいたい。………けど、僕、忘れること出来んようになってしもた。僕は始めて恋するもんの心を知った。お前があないに夢中になったのん無理ない云うこと今分った。お前は僕のことパッションないない云うたけど、僕にかてパッションあったんや。なあ、僕もお前許す代り、お前かて僕許してくれるやろ?」「あんた、そないなこと云うて復讐(ふくしゅう)する気イやねんなあ。今にあの人とグルになって、うち(・・)独りぼっち(・・・)にさそ思て、………」「馬鹿なこと云いな! 僕そんな卑劣な男やない! 今になったらお前の気持かて分ったさかい、何で悲しい思いさすもんか!」自分は今日も事務所の帰りに光子さんと会うて相談して来た。私さい承知してくれたら、あとは自分が一切引き受けて、綿貫の方もちょっとも心配ないように片附けてやる。光子さんも明日は家い来なさるやろけど、私に会うのん極まり悪がってなさって、「あんたから姉ちゃんに詫(あや)まっといて頂戴」云われて来た。と、そないに云うて、自分は綿貫みたいな不信用な男やないよって、綿貫に許したこと自分にも許してくれたらええやろ云うのんですが、そら、成る程、夫の方は人欺すようなことせんとしても、気がかりやのんは光子さんですねん。夫に云わしたら「自分は綿貫と違うよって大丈夫や」云いますねんけど、私の身イになったらその「違う」云うこと心配の種やのんで、なんせ光子さんは始めてほんまの男性ちゅうもん知んなさった、そんだけ今迄(いままで)より真剣になんなさるかも分れへんし、そのために私捨てなさっても、「不自然の愛より自然の愛貴い」云う立派な口実ありますし、良心の苛責(かしゃく)も少いですやろし、………もし光子さんにそんな理窟(りくつ)云われたら、夫にしたかって間違うてることしなさい云う訳に行けしませんし、ひょ(・・)ッとしたらあッちゃこッちゃ(・・・・・・・・)説き伏せられて、しまいには「光子さんと結婚さして欲し」云い出さんとも限れしません。「僕とお前とは誤まって夫婦になったのんや。性の合わんもんこないしてたらお互の不幸やさかい、別れた方がええ思う」―――と、いつぞそない云われる日イ来るのやないやろか? そしたら常時恋愛の自由口にしてながら「イヤや」云うこと出来しませんし、世間の人かて私みたいなもん離縁しられるのん当り前や思うやろ、今かいそんな行末のこと考えて、取り越し苦労したとこでしョうないようなもんの、どうも私にはきっとそないなる運命みたいな気イするのんですが、そうか云うて、今の場合」、人の頼み聴かなんだら自分も明日から光子さんの顔見られんようになるのんで、「あんた信用せえへんのやないけど、何や知らん悲しい予覚して、―――」云うてしくしくしく(・・・・・・)いつ迄でも泣いてますと、「そんな馬鹿なことあるもんか。そらみんなお前の妄想(もうそう)や。誰ぞ一人でも不幸になったら三人で死のやないか」云うて、夫も泣きだして、とうとう二人で夜が明ける迄泣き通してしまいましてん。》
ほとんど、二人でいることの病、いや、三人でいることの病、といったところとなる。
《あの健全な、非常識なとこ微塵(みじん)もなかった夫までが、いつや知らん間に魂入れ替ったように、女みたいなイヤ味云うたり邪推したりして、青オイ顔ににたにた(・・・・)笑い浮べながら光子さんの御機嫌取ったりしますのんで、そんな時の物の云い方や表情のしかたや、陰険らしい卑屈な態度じっ(・・)と見てましたら、声音(こわね)から眼つきまでとん(・・)と綿貫生き写しになってるやあれしませんか。ほんまに人間の顔云うもん心の持ちようでその通りに変って来るもんやと、つくづく思いましてんけど、それにしたかて怨霊(おんりょう)の崇り云うようなこと、先生どない思やはりますやろ? 取るに足らん迷信や思やはりますやろか? なんせ綿貫はあない執念深い男ですやさかい、蔭で私等呪てて、何ぞ恐い禁厭(まじない)でもして、夫に生霊(いきりょう)取り憑(つ)いてたかも分れしません。そんで私「あんた段々綿貫みたいになって来るわなあ」云うてやりますと、「自分でもそない思てる」云うて、「光ちゃん僕を第二の綿貫にするつもりやねん」云いますのんで、もうその時分の夫云うたら総(す)べての運命に従順になってしもてて、自分が第二の綿貫にさされること拒まんばっかりか、却ってそれ幸福に感じてるらしいて、薬飲むのんも、しまいには進んで飲まされること願うようになって来ましてん。》
<冒瀆/表層>
丸谷の、《聖なるものに対し冒瀆の限りを盡すことで、聖母はいよいよあがめられるといふ複雑な仕掛けになつてゐるらしい。》と、《谷崎は自分の職業のなかの反社会的な特性に注目し、それを誇張することによつて、健全な市民社会に真向から対立する背徳の物語を書いたと思はれるからである。》
これも、サドと同じ心理構造ではあるが、「穢れ」(アブジェクション)の問題がある。「穢れ」ということになれば、あの美しい『細雪』末尾の雪子の下痢を思いださずにはいられないが、それは谷崎文学の「表層性」「白い肌理」「女体」というテーマと関連してくるし、深層としての『伊勢物語』が古層において暗黒小説であったこととも関連してくる。
白い肌のような表層性、女体としての谷崎小説は、1990年前後に、渡部直己『谷崎潤一郎 擬態の誘惑』、谷川渥『谷崎潤一郎 文学の皮膚』などで例証されているが、すでに三島由紀夫は『文学講座1 谷崎潤一郎』(1951年)と、『谷崎潤一郎論』(1962年)で鋭く指摘されている。
前者では「女体」を、《およそ谷崎氏ほど幻影をゑがくのに拙劣な作家はない。戯曲「鷺姫」の幻影はその無数の失敗の一例である。しかし「蘆刈」のお遊さまと、「卍」のレスビアンとの間には、幻影と現実の実質的差異ではなく、同質の観念の距離があるだけなのである。いづれも百パーセントにちかい成功を収めている。「卍」のレスビアンは最短距離で眺められた女体の生理学であり、「蘆刈」のお遊さま、「細雪」の雪子は、最長距離で眺められることによってやうやく非現実性を確保しえた現実の美、現実の女体なのである。》と論じ、後者では「表面」を、《輝くやうな女の背中がある。花びらのやうな女の蹠がある。こんな明晰な対象の存在する世界で、自意識が分裂を重ねてゐる暇があるだらうか? 無雙の作者の定めた法律によつて、目に見えるものだけが美でありうるやうな世界で、精神がナルシシズム(自己陶酔)に陥つてゐる暇があるだらうか? 私が、美術史上では起りえたかもしれぬが、文学史上では起りえない事件が起つた、と冒頭に言つたのは、このやうな谷崎文学の、比類のない表面的な性質について言つたのである。あらゆる分析を無益にしてしまふこの世界では、死とエロティシズムの対決でさへ、悲劇とはならずに、法悦と幸福を成就する。そこに語られる敗北の幸福、屈辱の幸福、老残の幸福には、いつでも対象の深い「表面」へ飛び込むことのできるダイバーの決意がかがやいてゐる。それは近代の天才によつて書かれたもつとも肯定的な文学といへるであらう。》と批評した。
たしかに『卍』にも表層への興味が隠しつつも仄見える。光子は「船場(せんば)の方にお店のある羅紗(らしゃ)問屋のお嬢様」であり、「夫婦の寝室は神聖なもんや云うさかいに」という光子に観音のポーズをさせるために園子はベッドのシーツを剥がすと、光子はゆるやかにまとう。
《それに日本画の方のモデル女は体よりも顔のきれいなのんが多いのんで、そのY子と云う人も、体はそんなに立派ではのうて、肌(はだ)なんかも荒れてまして、黒く濁ったような感じでしたから、それ見馴(みな)れた眼(め)エには、ほんまに雪と墨程の違いのように思われました。》、《うしろから光子さんに抱きついて、涙の顔を白衣の肩の上に載せて、二人して姿見のなかを覗(のぞ)き込んでいました》、《シーツの破れ目から堆(うずたか)く盛り上った肩の肉が白い肌をのぞかせてるのを見ますと、いっそ残酷に引きちぎってやりとうなって、夢中で飛びついて荒々しゅうシーツ剥がしました。》
<動的小説/『細雪』プレテクスト>
丸谷に戻って、《一方の静と他方の動、前者の明と後者の暗、彼の雅と此(これ)の俗といふ具合に事ごとに対蹠的で、さながら両者を合して一とすれば現実界の全貌が得られるかのごとくである。》
これも三島と読み比べれば、昭和三十七年の朝日新聞掲載の三島『谷崎潤一郎論』において、フランス十八世紀文学への論及のなかで、その本質を、一歩踏み込んだ「動的小説」という言葉でとらえている。
《そして「鍵」にはじまり「瘋癲老人日記」にいたつて高度に開花した「老い」のモチーフは、氏の文学に微妙な変化をもたらした。それはおそらくフランス十八世紀文学にしか類縁を求めえないやうな、小説の特殊な機能の獲得であつて、氏の文学は、それまでの、いはば作品全体の美的構造が状況を創造しかつ保障してゐるやうな小説(「細雪」がその極致であらう)から、作品の内部において登場人物が刻々状況を設定し創造して行かざるをえないやうな動的な小説に変つた。》
つまりは、『蓼喰う蟲』や『細雪』のような静に対する『卍』の動的性格、暗黒小説面の指摘である。これをあえて捻って考えると、軍部の干渉によって書かれなかった『細雪』の暗黒面、動的な面を『卍』が予告しているのではないか、『卍』は幻の『細雪』のプレテクストなのではないか、という推論が導きだせる。
谷崎には『「細雪」回顧』という随筆があって、『細雪』執筆時の苦労や楽屋話が吐露されている。はじめのほうに、中央公論に掲載されるはずの三回めの所が陸軍省報道部将校の「時局にそわぬ」によってゲラ刷りになったまま日の目を見るに至らなかったこと、その後も上巻に予定した枚数で私家版の『細雪』を出したところが取締当局を刺激して刑事の訪問を受けたことがあったと述懐されている。そうして、《こう云う謂(い)わば弾圧の中を、兎(と)に角(かく)ほそぼそと「細雪」一巻を書きつづけた次第であったが、そう云っても私は、あの吹き捲(ま)くる嵐(あらし)のような時勢に全く超然として自由に自己の天地に遊べたわけではない。そこにそこばくの掣肘(せいちゅう)や影響を受けることはやはり免れることが出来なかった。たとえば、関西の上流階級の人々の生活の実相をそのままに写そうと思えば、時として「不倫」や「不道徳」な面にも亙(わた)らぬわけに行かなかったのであるが、それを最初の構想のままにすすめることはさすがに憚(はばか)られたのであった。これは今日から考えれば、戦争という嵐に吹きこめられて徒然(いたずら)に日を送ることがなかったのであるし、今云うように頽廃(たいはい)的な面が十分に書けず、綺麗(きれい)ごとで済まさねばならぬようなところがあったにしても、それは戦争と平和の間に生れたこの小説に避け難い運命であったとも云えよう。》とある。
完成をみた『細雪』にまったく暗黒面がなかったかといえばそのようなことはなく、とりわけ四女の妙子をめぐっては、過去の新聞の出来事や、奥畑の啓ぼんとの引き続く「不道徳」、啓ぼんと妙子による語りの虚実、啓ぼんと最後は金でけりをつける話、赤痢と薬、板倉の壊疽と肢の切断、バーテンダーとの妊娠から隠れ出産、分娩促進剤、死産の話があり、幸子には出血と流産と黄疸が、清い雪子にも月の病によるシミと女性ホルモン注射と汽車に乗ってからも止まらない下痢が、幸子の娘悦子の神経衰弱、女中お梅どん(はからずも『卍』の女中と同じ名前)の不潔さが、といった穢れ現象を意外なほどあちらこちらに関西の上流階級の実相として垣間見せてはいる。
一方『卍』は、《作品の内部において登場人物が刻々状況を設定し創造して行かざるをえない》という「動的小説」として、光子の避妊と堕胎騒動と偽装妊娠と流産狂言、便所で「出る出る」と光子はうめき、園子は前の事件をもち、啓ぼんにそっくりな綿貫という男、綿貫と光子の虚実、新聞の三面記事にのってしまい、綿貫と金でけりをつけ、バイエルの薬で夢うつつとなり、柿内夫人の前の事件と、夫柿内と光子は「不倫」を犯す。
『卍』で登場人物四人に動的に拡散している頽廃、暗黒面は、『細雪』ではまばらな雪となって静かに降ってはいても、一面積もるほど筆を及ばすことは自重されたのに違いない。
まさに『卍』は、幻の暗黒小説としての『細雪』プレテクスト、作品が過去現在の実生活をなぞる私小説作家ではなく、作品が未来の生活を予兆、予覚しつづけた谷崎潤一郎にふさわしい小説だった。
(了)