文学批評 「中村真一郎『恋の泉』の「形而上的感覚」」

    「中村真一郎『恋の泉』の「形而上的感覚」」

 

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 中村真一郎は中長編小説『恋の泉』(一九六二年(昭和三七年)三月)発表と同時期、文芸誌「文学界」の一九六一年九月号から一九六二年十月号までの十四回にわたって、『文学の擁護』という、彼にしては珍しく時局的な評論を連載した。その第七回(一九六二年三月)に『形而上的感覚』がある。

《私は二十世紀の文学が十九世紀リアリズムに対立する何物かを持っているという確信を抱いていた。それは小説や詩や戯曲においてだけではなく、批判のジャンルにおいても、明らかな相違がある、と私は感じていた。(中略)フランスのデュアメルが『小説論』という書物で、ドストイェフスキイ以後の小説戯曲を、「霊的リアリズム」という言葉で定義し、それを十九世紀の「物質的リアリズム」に対立させているのを読んだ時も、直ちにその論文の筋道に納得が行った。更にその後に、人に注意されて、アメリカのエドマンド・ウイルソンが『アクセルの城』という評論で、私たちと同じように、「象徴主義」の見地から、プルーストジョイスヴァレリーとエリオットとを同じ風土の作品として一括して考える方法を提出し、それを十九世紀リアリズムから独立させていることを知った。(中略)

 科学的分析だけで現実を眺める時、そこに現れる「現実像」には、一種の魂の乾燥のようなものが感じられるに至る。

 この乾燥から人間を救うものは、微妙な内面性、音楽性、象徴性、神秘性、への感受性であり、それを「形而上的感覚」と名付けたいのである。(中略)

 ただ、私たちの人生に対する感じ方は、自然主義的なものに尽きるという風には断言できないのではないか、という気持は青年時代以来私につきまとっている。自然主義リアリズムが捉えることのできる人間というものは、たとえばオクターブの数の非常に少ない楽器の演奏のようなもので、人間の感覚はもっと広いものなのだ、という確信がある。

 そして、就中、「形而上的感覚」を、何とかして、小説形式のなかで生かしてみたい、それによって、読者の心のなかの、現代においてはとかく乾燥しがちなその感覚を、目覚めさせ得たらと、思っている。(中略)

 私が考えている、「全体小説」というものの姿も、実はこの「形而上的感覚」の問題と関係があるので、私によれば、「全体小説」というものは、単に小説が平面的に拡がりを持つ、つまり題材が広くなる、ということ――「社会小説」ということではなく、つまり、現実を自然主義的なリアリズムで平らに切って、大きな地図のようなものを描き出すということではなく、従って、作家が社会のできるだけ多くの部分の図を集めて組み合わせる、という方向でなく、人間精神の様様の相、様様の層を同時に捉える、ということであって、それは現実の透徹した映像だけでなく、夢や幻想や美的体験や、時には病的な幻視や、宗教的な恍惚感までも含めた、「人間の心の全体」を描く小説という意味なのである。そして、それは従来の自然主義の方法が、見捨ててかえりみなかった部分へ、大胆に肯定的に入りこむことになるだろう。》

 中村は、この十年ほど前、筑摩書房『文学講座・第五巻・現代文学』(一九五一年(昭和二六年)四月)の『現代文学の特質』に、ジョルジュ・デュアメルは「自然主義は、自ら現実を見ると称して、最も重要な現実である、魂を忘れた、と指摘した。」と言及し、その具体例としてプルーストについて説明するが、ここですでに、時間意識、無意志的想起、人間の内部(内的)・外部(外的)、魂という形而上的感覚を取りあげている。

《外的現象でなく、個人の内面のドラマを純粋に――というのは、そのドラマを惹起した外部の事件から切り離して、独立させて――分析したのは、マルセル・プルーストである。彼は最もつまらない物質的原因から起る(しかも、何らの論理的因果関係なしに)、最も大きな内的現実の展開、である、無意志的想起という心理学的現象に、「永遠の哲学(フイロソフイア・ペレンニス)」の根拠を発見し、それに捉えられた瞬間の人間は、二つの相異なる時間(想起される過去の一時間と想起する現在と)に全身的に同時的に生きるが故に、時間性という人間的条件を超越し、死をも克服し、永生を経験しているという、神秘的信念に立脚して、その超人間的現実の表白を小説に求めた。それ故、彼の小説は、全くの想起の秩序に従って発展し、歴史的時間を無視している。或いは、作家の構想力の展開は、歴史的時間の展開よりは、無意志的想起の展開に近い、と信じたといってもよい。即ち、彼の小説において行ったフィクションは、自然主義作家のような、事件(・・)ではなく、或る想像上の人物の回想(・・)である。

 彼の方法は、あくまで人間内部にひらけて行く世界の追求であって、それは恋愛というような他者(・・)との魂による結合現象までも、その恋愛が人物内部に惹き起す感動を、その対象である他者(・・)から全く引離してしまう、即ち、外的存在に対して、徹底的な不可知論的立場を取る、という点にまで、徹底している。それは、我々の個的な魂が、肉体の中に閉じこめられている、という、最も原初的な人間の条件を、最も深く教えてくれる作品である。》

 逆に、遡るのではなく時計を進めれば、『恋の泉』から十六年後の一九七八年(昭和五三年)五月八日号の「週刊読書人」に、「全体小説」の自分の素質にあった方法が見えてきたとして、《それはどういうものかといいますと、一つは「私」という存在は何であるか、ということですね。ここにある「私」の中には、いろいろな要素が溶け、混じり、からみ合っていて、そこにいくつかの層が重なっている。つまり「私」とは、生まれてから現在まで半世紀を生きて来た単なる個人としての「私」ではない、父母、先祖、さらにその先までの非常に長い時間の経験や記憶や知識の累積を含んだ複合的な存在だということです。これらの重層的な内面を、秩序立てたり、整理したりせずに、まるごと定着するための方法が、五十歳を過ぎて急に見えてきたのです。》と書いているが、それは、より深まった、より確信した、そして「いくつかの層が重なっている」私の内面を表現する方法論、技法を身につけたということであって、「形而上的感覚」を小説作品とするさいの、「「私」という存在が何であるか」という根本的な問いかけは、五十歳を過ぎてからということではなくて、『恋の泉』を書いた四十歳代はおろか、青春時代からあったというのが、中村のノートや日記を読みおこせばわかるだろう。

 

『恋の泉』の、プルースト的な「半覚醒」「時間意識」「意志的な記憶の探索/無意識的な回想」「同一性を与えることができない女」「官能(性愛)」「女性同性愛(ゴモラ)」は「形而上的感覚」に交錯し、収斂してゆく。さらには、やはりプルースト的な「風俗小説/心理小説」「文明批評/人文主義(ユマニスム)/芸術論」「劇中劇(小説内小説)」がある。

 そのうえ、文学的伝統の継承とモダンな創造とが表裏一体であること、近代日本文学は西欧写実主義の浅薄な影響下にあって、真の日本古典文学は西欧文学の正統に一致していることの証として、日本の「王朝物語」、『新古今集』も、文学から文学を作る緩やかな仕掛けとしてあがって来るが、それは自分が「非常に長い時間の経験や記憶や知識の累積を含んだ複合的な存在」、古典的な存在に違いないというところからも来ている。

「王朝物語」からは、ヒロインの一人唐沢優里江の混血性に『浜松中納言物語』の世界を夢み、最後に女たちの同性愛(ゴモラ)を見ては『とりかへばや物語』の夢の領域へ不意に入りこんでしまったような幻想に捉えられてゆく。

 王朝詩歌『新古今集』の「恋歌」からは、馬内侍(うまのないし)「忘れても人に語るなうたたねの夢みてのちも長からじ世を」がライトモティーフを奏で、よみびと知らず「ためしあればながめはそれと知りながら覚束なきは心なりけり」が電話での会話として引用され、かつて民部卿と渾名されていた主人公民部兼弘は最後に、ゴモラの女から民部卿藤原成範(しげのり)「道のべの草の青葉に駒とめてなほ故郷をかへりみるかな」の「なほ故郷をかへりみるかな」という呟きを聴かされることになるが、これらはどれも「半覚醒」「時間意識」「意志的な記憶の探索/無意識的な回想」「官能(性愛)」といった「形而上的感覚」の詩歌表現に他ならない。

 本論では、「形而上的感覚」に導くもの、あるいは導き出されるモティーフを主として論じることとするが、「風俗小説/心理小説」「文明批評/人文主義(ユマニスム)/芸術論」「劇中劇(小説内小説)」についても軽く触れておくこととする。

 

 暁から深夜の時計が午前三時を過ぎるまで、古典劇のように凝縮された二十四時間ほどの時間に、五人の女(混血の若い女優唐沢優里江、国際的プロデューサー柏木純子、ヨーロッパで知名な女優氷室花子(アナコ・イムロ)(氷室巴)、女権拡張論者で木戸の妻すず子、むかし『恋の泉』の主役にしようとしたがヨーロッパへ消えてしまった萩寺聡子)と二人の男(男優魚崎、テレビ・ドラマ演出家木戸)に対する主人公民部兼弘の内面は、思いがけない展開をみせる現在と、重層的な過去の記憶に翻弄されて……

 

<風俗小説/心理小説>

 デュアメルと言えば、菅野昭正は『ヴィスコンティを通ってプルーストへ』(プルースト失われた時を求めて8 ソドムとゴモラII』巻末エッセイ)で若き中村真一郎を述懐している。《プルーストの残した水準の高さがようやく認められはじめた一九二〇年代も終るころ、『失われた時を求めて』のかけがえのない功績は、風俗小説と心理小説を綜合(そうごう)したところにある、と説いたジョルジュ・デュアメルの議論である。プルーストの小説が半ば期せずしてめざした方位を巨視的に、しかし的確に見定めたこの言葉は古びているだろうか。風俗小説(それは巨大な源流バルザックに遡(さかのぼ)ってゆく) と心理小説(それは犀利(さいり)な分析家スタンダールに繋がってゆく)は、十九世紀の小説の二つの主要な流れであること、そしてプルーストはその伝統を深いところで革新しながら受けついだということを言いそえれば、デュアメルの判定の効力はいまも失われていない、と納得してもらえるだろうか。私がこれを知ったのは、デュアメル『小説論』(一九二九)をテクストに選んだ中村真一郎講師の演習に学生として出席したときだが、以来ひとつの頼れる指針として折にふれて思いだすことが少なくなかった。》

「風俗小説と心理小説を綜合(そうごう)したところ」は、中村の小説群、とりわけ『恋の泉』の功績でもあろう。男と女、恋人同士、再会した旧い仲間が互いに嘘をつき、だましあい、誤解しあう濃厚、精緻な文章はスタンダール風の心理小説の系譜で、『失われた時を求めて』のアルベルチーヌかオデットのような嘘をつく女が登場し、主人公は彼女の心理を、複数に分裂した自我をもって重層的に分析しつづけてやまない。一方、業界人の言葉づかい、態度、思考回路、精神生活に、バルザック風の風俗小説、とりわけ精神風俗が露わである。社会環境、他人の思考(外部)によって作られた社会的人格の恋愛心理(内部)は、外部と内部の絡まり合いによって、風俗小説と心理小説の綜合化をなしとげる。

 

《「優里江ちゃん、ゆうべはやっぱり、朝までリハーサルだったそうじゃないか?」

 優里江は本心では遠ざかりたいのに己れの意志に反して無理に足に停止を命じたような具合で、前かがみになって、向うを向いたままで答えた。

「どっちでもいいじゃないの。」

 その投げやりな云い方は、絶対に私と二人きりの時間では、彼女の口から出ないものだった。それは私が立ち合っていない時間での彼女の口のきき方だ、つまり私に背を見せている彼女は私の知らない他人なのだ。私の心には淋しさが満ちた。その淋しさは容易に怒りに転じた。

「あんな時に、何故、嘘を云った。」

「今朝は本当を云ったわ。」

 それはふてくされた生意気な娘の物の云い方だった。

「面倒くさいことは、私、嫌いよ。どっちだっていいじゃないの。先生が思いたい方を、いつもその通りだと思っていればいいのよ。私、いちいち弁解するの、嫌なの。」

 それから彼女の足は、もうはじめから長く引きとめるつもりのない意志の弱まりを利用して、勝手な行動を開始したような具合に、前進しはじめた。私は今の彼女の言い分けのなかに、私の愚かな疑いに対する哀れみを嗅(か)ぎつけた。彼女が今朝、帰って来て、最初に私から聞かされたのは、私の疑いの言葉だった。それは長い夜の間、私が彼女の行動に疑念を抱きつづけていたと云う事実を示すものであった。その疑念を晴らすために、彼女は幸いにも事実(朝まで稽古があったという幸運)を利用することができた。しかし、いつもそのような幸運に恵まれるとは限らないということに気のついた彼女は、一方で、しかし、もし時間があれば木戸と遊んだかも知れないという彼女の気持を附け加えることを忘れなかった。もし、別の時に、私が同じ疑念を抱いたとして、その時、彼女が実際に木戸と(或いは別の若い男と)遊んでいた場合に私が衝撃を受けるであろう度合を、予め少なくしておこうと、彼女は突嗟に計算したのだろう。

 ということは、私の疑念に対して、彼女が哀れみを覚えたと云うことで、それは私の疑念に、私の中にある劣等感を感じたと云うことに他ならない。そうして、その劣等感は、私が四十男であり、彼女が二十歳の小娘だと云う事実から来るので、それが世間で噂している「不似合」な関係ということで、その不似合さで笑われるのは、私の方なのだ。多分、そうした噂を秘かに感じとっている彼女は、それによって私に哀れみを感じ、私をそのような劣等感から解放させたく思っているのだろう。ところが、私が自分から、そのような劣等感をむきだしにした嫉妬(四十男の自分より、若い木戸と遊ぶ方が面白いだろうというニュアンスを含んだ質問)を、仕事に疲れて帰ってきた彼女につきつけたので、いよいよ哀れみを深め、そして、しかし、木戸と遊んだのでなく、仕事をしていてよかったと彼女は思ったに違いない。》

 

<文明批評/人文主義(ユマニスム)/芸術論> 

 時間としては西欧のギリシア古典劇、日本の『源氏物語』『新古今集』を代表とする「王朝文学・王朝詩歌」の時代から大戦後十数年までという(発表時の)アクチュアルな現在までふくらみ、空間としてはヨーロッパまでひろがる国際的展望をもった文明批評を、登場人物たちが背負う社会背景を書き込むことで、主人公の精神世界として辛辣に語らせる。

 時代と密着しつつも、人間観察、哲学的考察による普遍的な人文主義(ユマニスム)(「自由で独立した人格、というのが、民部卿の昔からのテーマ・ソングね。」と柏木純子に揶揄されもする)でもあって、同じ一人称小説ではあっても、近代日本文学にありがちな書生の四畳半的世界の「私小説」的狭さから抜け出した社会心理学的洞察による人間観察、社会変化の絵巻を描くのだが、つねに「私」とは何かという存在論的問いかけが通奏低音として鳴りひびいている。

 文明批評、人文主義(ユマニスム)は、芸術論、芸術の可能性、芸術の受容と切り離すことができずに密接に接合しているが、芸術と文学の伝統の尊重、つまりは真の古典的伝統の尊重とモダンな才能の両立のなかで生きようというロマンティシズムともいえる意志がある。

 

《今、彼の心のなかに、一生の終りになって、生き残ったもの――多分、彼の本性にとって、最も切実なものとして、墓にまで運んで行くものと云ったら、それは青春時代以来の、ヨーロッパへの憧(あこが)れと、それと融け合った亡妻への愛慕の念と、またそれと混り合った娘への愛情と、それだけだろう。としたら、彼が戦争中、突然、ナチス讃美者となったのも、西欧に対する憧憬の変形だったのかも知れない。彼はヨーロッパ人になりたくて、遂になりきれなかったために、錯乱現象を起した、明治以来の多くの日本の知識人のひとつの型なのだ。彼がフランス女と結婚したのも、ヨーロッパ憧憬の衝動からだろうし、それにもかかわらず、当然のことながらヨーロッパ人にはなれない苛立(いらだ)ちが、妻を憎悪させることにもなったのだ。その上、ナチスの思想の根底には、ラテン文明、特にその現代的代表たるフランス文化に対する嫉妬(しっと)と羨望(せんぼう)と憧憬との裏返しになったものがあった筈だ。そのナチズムの精神の構造に、唐沢氏が惹かれ、取りすがったのも必然の成行きだったろう。戦時中の民族主義、というより国粋主義の引導者の非常に多くが、西欧文明に対する憧憬からの転向者であったことは事実だろう。彼等が先述として、一斉に振りかざしていた、そうして唐沢教授にとっては最高唯一の存在であった平田篤胤(あつたね)の思想さえ、実はカトリック神学の剽窃(ひょうせつ)であったという説もある、そう云う国柄なのだ。

 だからこそ、拝西欧主義者から排西欧主義者となり、自分の魂を二分するような苦しみを味わった筈のこの老人も、今は平穏な晩年を迎えることができたのだろう。彼等の思想の変転の根底には、論理よりも愛が、しかもそれは満たされぬ片想いに悩む女人のような、本能的で矛盾した愛が潜んでいる。そうして、人は他人のそうした性質の愛について、裁くことはできはしない。この老人に向って、戦時中の言説の責任を取れというのは、(たとえ、その言説、また行動によって、どれほど多くの人が、実害を受けたとしても)恋に狂った人に、その口説を論理的に説き明かせと迫るようなものだ。しかも、その恋には、日本独特の、成行(なりゆき)主義、機会主義(要するに隣人と異なった意見を発表することに対する恐れ、――地縁血縁社会の特徴――)が混入しているのだ。だからこそ、戦争内閣の閣僚が戦後、平然として首相の座に昇ることも可能なのだ。彼等は殆ど個人ではない。ある群衆心理の代表者であり、群衆は責任を取ることがないのだ。》

 

《が、こうした自己規定が、実は人間を外部から捉える、歴史主義的方法の影響であることも、本当は私は自覚しているのだ。私の彷徨(ほうこう)は、確かに私の「外部の世界の論理」からすれば、私自身の素質と時代との分離から起ったものである。しかし、私は自分が偶然に地上に投げ出されたものだ、という出発点における、私自身の意志との関係では偶然に過ぎない生誕は、そのまま承認するとしても、少なくとも生れた以上は自覚的存在として、内的な論理の大筋だけは通さないと、自分に済まないわけである。そして、私自身が、もし外部の世間の眼で見られている私の肖像に満足しないと云うならば、私は私の内部の本質を静かに生育させ開花させる義務がある筈で、そしてその本質を養うのは、体験(・・)である。体験(・・)こそ、私に外部の世界の与える偶然を、私の内部でひとつの必然と化せしめる作用であり、即ち外部を内部に吸収し、内部を豊かにする操作である。通俗的な歴史主義の危険は日己を外部世界の論理で割り切ってしまう点にある。戦時中の日本の知識階級の右往左往は、根本的には個人が白己の内部を発見し成熟させる努力を怠ったからだ、とも云えなくはないだろう。自己が歴史の申し子であり、歴史の駒のひとつであるとすれば、自己の行動の責任は全て歴史のものになってしまう。だから、個人としての生き方は無責任となる。しかも、日本の伝統というものを体験として所有していないで、日本的特性とは要するに歴史の発展段階の相違にすぎないというような認識に立っているとすれば、その行動は根無し草のそれとなり、それが白己の自覚の不足によって、精神の「自由」も獲得していないとすれば、いよいよ奇怪な行動、無論理の行動となるのは当然である。

 そうして、もし、私がその轍(てつ)を踏みたくないならば、私は自己の体験に執し、そこから成熟して行かなければならないだろう。そうして、その成熟のための風土(・・)とは、やはり私の外に拡がっているものというより、私の内部からの光によって、闇のなかに輝(てら)し出された空間でなければならない。》

 

《「だけどもね。彼女の場合、日本の伝統から自由だというのは、好都合だとばかりは云えないと思うね。近代のリアリズムに対して、対立するのはいい。しかし、日本の古い伝統とも無関係だということになるとどうなるのかね。芸術は伝統のないところからは生れないからな。しかも、厄介なことには、日本の伝統は、どこの国もそうかも知れないが、貴族的伝統と庶民的伝統との二つの筋があり、このふたつの筋をどう扱い、どう評価し、どう継承するかの、真面目な議論は、まだちっとも進展していない有様だ。戦争中は専ら貴族的伝統、応仁の乱以来、隠者の手に移った王朝の美の伝統だけが問題とされ、戦後は戦国以来の庶民的伝統の方だけが強く表面へ押しだされている。いずれも片手落ちの話さ。……」

 ああ、こういう話を魚崎とするのは久し振りだ。実際、何年振りだろう、と私の心は明るくなり、私の頭は大分、明晰(めいせき)さを取り戻してきた。魚崎の話は情念の領域では、物凄(ものすご)くメフィストフェレス的になるが、こうした理性による分析の領域では、純粋に透明になることができるのだ。そして、私達の友情は、後者の世界での知的交換に依存するところが昔から多かったのだ。そこで私も話しはじめた。

「戦後の大部分の伝統論は、庶民的伝統、下からの(・・・・)伝統だけを問題としている。そうして、下から(・・・)、上から(・・・)という時、必ず上から(・・・)と云うのは駄目だという含みがある。明治維新は上から(・・・)の革命で、だから人民的でない、という風の議論だな。しかし、芸術を論じる場合、王朝美学を抜きにして、日本を考えても無意味だと思うよ。民話のようなものだけを高く評価していては、君のいう通り片手落ちで、それは、結局、現実から――裏切られることで終ると思うんだ。特に新劇の場合、伝統的な演劇との結合の問題は、遂に真剣な実践のなかで試みられていないし、又、民衆との関係だって、インテリの側からだけの啓蒙的働きかけとしてしか、新劇は当事者に埋解されていない。と云うことになると……」》

 

<劇中劇(小説内小説)>

失われた時を求めて』が小説を書くまでの小説であるのに対して、『恋の泉』はむかし書いた戯曲を上演しようとする芸術家小説である。小説の中に劇中劇、小説内小説として、すっぽり丸ごと、まとまった形で収めて読者に追体験させるのではなく、ところどころに、上演が叶わなかった過去の経緯や執筆意図やさわりを点在させ、さまざまなエピソードを纏わせて、間接的な形で、人生経験と内面の時間的深化によって再解釈された姿としてそれとなく見せる、という洗練された芸を読むことは、ミルフィーユの薄片が口蓋に触れて砕け、溶けてゆくような精妙な幸福感がある。

 その演劇論には、「文学座」で芥川比呂志加藤周一とともに活動し、ネルヴァリアンらしく混血の女優新田瑛子を妻とした日々や、ドラマ作家としての経験が生かされている。

 

《『恋の泉』とは何か。それは結局のところ――というのは、書き終えて二十年の後になってみると、という意味だが、――「愛の讃歌」の一種だろう。人は何度も繰り返して、異った相手を愛するかも知れぬ。しかし、内的体験としての愛はひとつのものなのだ。先程、木戸がキザな調子で暗誦(あんしょう)したように、『恋の泉』の主題は、最後の台詞につきる。

「私はこの泉から、またもや、新たに恋の水を掬(く)む。しかし、異なるのは杯だけで、中の水は同じものなのだ。……」女主人公はそう祈るようにつぶやきながら、手にした大きな金の杯を、泉のなかにひたす。そうして、その杯を静かに口へ持って行く。それから、その金杯は彼女の手を離れて、泉の表面に浮く。女主人公は振り返って、客席正面を向く。彼女ははじめて、素面で立つ。今や彼女は、それぞれの仮面をかぶっていた時の、街の少女、村の老いたる女、娼婦、貴族の夫人などではなく、ひとりの泉の精なのだ!

「異なるのは杯だけで、中の水は同じものなのだ。」それは、「杯」を軽視した言葉ではない。私の内部世界の中心にある「愛」は、幾つかのその都度の経験によって、その都度の相手の協力、相手の魂(内部世界)からの流出物によって、(それが私の内部の魂の流出物と化合して)豊かにされ、深められるということなのだ。だから『恋の泉』の登場人物たち(いずれもひとりの「泉の精」の役者が、それぞれの仮面を被(かぶ)って扮する)は、同じ恋の泉(・・・)のなかにひそむ愛の神への捧げ物をするのだ。二十歳の私は、そうした私の愛の哲学を予感としてしか所有していなかった。しかし、四十歳の私は今、それがたしかな体験として感じられるに至っている。そうではないのか。今日の昼、私は萩寺聡子に対する愛(十年後に突然、眼覚めた愛)の中に、現在の唐沢優里江への愛を発見した。また氷室花子のなかに萩寺聡子の変身を発見し、それは十五年前の氷室巴への愛と、現実の現在の氷室花子への愛とを、今、同時に生れさせようとしているらしい。それらは全て、私の内部のドラマなのだ。》

 

「形而上的感覚」に移る。いっそうプルースト的なモティーフ、「半覚醒」「時間意識」「意志的な記憶の探索/無意識的な回想」「同一性を与えることができない女」「官能(性愛)」「女性同性愛(ゴモラ)」は「形而上的感覚」という地下の泉からの豊潤な涌水だ。

 

<半覚醒>

 ロラン・バルトが、愛読するプルーストを引用して書いた『長いあいだ、私は早くから寝た』という文章がある。《この眠り(または、この半覚醒)とは、一体何をなすのでしょう? それがもたらすのは、<錯覚>、というより、常套句を避けるならむしろ<調子外れの意識>で、変調をきたした、揺れ動く、間歇的な意識です。時(・)の論理的な外殻は侵食され、もはや(単語の二つの部分をはっきり切り離してよいものなら)時の論理(クロノ・ロジー)はなくなっている。「眠っている人間は(あのプルーストの眠り、つまり半覚醒の、と解しましょう)。時間の糸、歳月や世界の秩序を自分の周りにぐるぐる巻きにしている[……]が、その配列がこんがらがり(・・・・・・・・・・・)、切れてしまうこともある(・・・・・・・・・・・)。[傍点引用者]」眠りが創設するのは、別の論理、揺れ動きと障壁の除去の論理であり、この新たな論理こそ、プルーストがマドレーヌ菓子の挿話、『サント・ブーブに反対する』のなかで述べられているのではビスケットの挿話において発見したものなのです。(中略)時の論理(クロノロジー)が揺さぶられると、理知的なものであれ物語的なものであれ、さまざまな断章が、物語(・・)や論理(・・)がもつ父祖伝来の法則を免れたある脈絡を形づくることとなり、そしてこの脈絡が評論(・・)でも小説(・・)でもない第三の形式を無理なく産み出していく。その作品の構造は、文字通り、ラプソディ風(・・・・・・)、つまり(その語源からして)断章を織り継いだものとなるのです。それにこれはプルースト自身が用いた暗喩でもある――作品はドレスのごとく作られる、というのですから。ラプソディ風のデキストには、さまざまな布切れや断片を交差させ、按配し、呼応させる、といった仕立屋の技術がそうであるように、独創的な技術を伴います。一着のドレスが単なるパッチワーク(・・・・・・)ではないように、『失われた時』もそうではないのです。》

『恋の泉』の冒頭もまた、『失われた時を求めて』と同じく「半覚醒」の場面ではじまり、感覚の洞窟の薄明かりに照らされる無秩序な時間を揺蕩(たゆた)う主人公がいる。そして、「さまざまな布切れや断片を交差させ、按配し、呼応させる、といった仕立屋の技術」で、ラプソディ風な「形而上的感覚」が織りあげられてゆく。

 

《……街には金色の雨が降りそそいでいた。そのなかを昂然(こうぜん)と歩いて行くのは、二十歳の私だった。青春の熱情にとって、雨に濡れることなど何物でもない。「四十歳の私ならば、神経痛を気にしなければならないが」――そんな憂鬱な反省が一瞬の間、私の脳裡を横切った。が、すぐそれは忘れられ、私はそれからまた、明るく光っている舗道のうえに、足を運んだ。その足取りも夢のなかのように(・・・・・・・・)軽やかだった。私は自由だ。私の夢想は限りなく拡がることができる。私にとって、世界はまだ生れたばかりなのだ、と私は(二十歳の私に返って)そう思った。(中略)

――いや、これは現実(・・)ではなく、回想(・・)なのだ。と、私は自分に云いきかせた。夢のなかで、過去の時間に迷い入ったのだ、と私は心の中でくりかえした。私はつい先ほど、二十歳だったし、今はまた三十歳になっている。だから、どうしてもこれは夢の中にちがいない。――それから、私は急にまたより深い夢のなかへ陥ちこんで行き、あの女の姿をありありと見た。髪を金色に縁取らせながら、昔いつもそうであったように、何か風に梢(こずえ)を揺られている木のような感じの姿を。彼女の顔を正面から眺めたなら、その姿は消えてしまうだろう。私は惧(おそ)れた。そうして、惧れながら、両腕を彼女の方に延ばした。彼女は明るく顔を輝かすと、くるりと向うへ向き返った。「ぼくは随分、長く君を探していたんだよ。ヨーロッパの何処(どこ)かへ消えてしまった君を。……」と、私は――そう、四十歳になっている、夢の中の現在の私は――云った。すると彼女は、もう一度、顔だけを向き直らせ、それから不意に消えてしまった。後には金色の煙のようなものだけが残った。(中略)

 私は眼を開くのが惜しかった。十年振りで夢のなかに現われて、そして消えて行ってしまったあの女、今、ようやくその名前を思いだした、萩寺聡子(はぎでらさとこ)の残して行った、薔薇(ばら)の花の匂いのような後味を、もう一瞬でも長く味わっていたかった。しかし、室内で鳴っているウェスタンの曲は、その聡子ではなく、唐沢優里江の存在を高らかに告げていた。》

 

<時間意識>

 外部からの歴史的秩序によって主人公の内部の時間が構築されるのではなく、内面的な求めによって編み直される、というプルーストの甘美な「時間」は、記憶による過去の現在化、感情的に想起された断片的な時間の音楽的な速度感をともなう顕れ(エピファニー)でもある。哲学的、論理的に想起しているのではなく、倫理的に想起されるのでもない。

 その一方で、容赦なく流れる現実を登場人物の内部に突きつけ、外観に刻印する残酷な時間でもある。

 小説のはじめのほうにセザール・フランク『交響変奏曲』の名前が登場するが、フランクの「循環形式」(各楽章の主題・旋律を連関させ、始めと同じ主題・旋律を終りの楽章で回帰させる手法)は、この小説の「時間意識」による「形而上的感覚」の、ノスタルジックな回帰性、統一感ある循環と重なっている。

 

《第二の画面のなかの魚崎が急に緊張した。そして、カメラが移動を開始し、彼は元の貴公子に戻ると、第三の画面に入った。その時、第一の画面に重ね衣に着換えた優里江が、別の女に裾を持たせたまま、慌(あわただ)しく入ってきた。ワンピースのその女が何か彼女に囁くと、優里江は胸のまえで掌を動かして、心臓の鼓動が激しくなっているというしぐさをした。洋服と王朝衣裳との対照が、いかにも突飛で、非現実的な雰囲気を作りだしていた。私はそこに、私と云うものを全く意識していない素顔の優里江を見た。実際、舞台やテレビで彼女を見る時は、彼女はいつも或る役に入っているのだし、私がいない場所で生の彼女を見るという機会は、ないわけである。それが全然、別の部屋にいる私の眼の前に、画面のなかに今、役から一時的に解放されている彼女を見るのは、不思議な感動だった。それは私の知らない彼女であり、そして、緊張と解放との短時間における繰り返しのためか、感情の表出が誇大になっていて、それが彼女を非常にはしたない(・・・・・)ように見せた。私は客観的(・・・)に彼女を見、そして、いわばこの局の若い連中の眼で、普段の彼女を見ているのだと思った。あれが、太った四十男である民部兼広から追いかけられて、器用に振ったという評判の娘なのだ。そして、それはいかにもその噂に適わしい感じの娘だった。あの無邪気な現代娘の肌に、四十年の経験の塵(ちり)をこすりつけるのは、何とも不似合なことだった。民部兼広が、もし私でないなら、私も容易に、その噂を信じたろう。

 彼女は役の中の女となり、邸内の部屋で魚崎や女たちと芝居をはじめた。私はしかし、今のあの洋服の女と笑い合っていた彼女の姿から受けた感動が強すぎたので、今度は舞台的幻想のなかへ入って行くことはできなかった。私の眼には、優里江はあくまで優里江のままだった。しかも、私の外の世界の彼女、世間の見ているままの彼女だった。私は身を乗りだすようにして、忙しい指示を与えている木戸の後姿を眺めながら、この軽薄な男と遊んでいる時の優里江の方が、より潑剌(はつらつ)として自然なのではないか。私の部屋のなかに捉えられている時の彼女は、寧(むし)ろ可哀そうな娘なのではないか。彼女自身はあのように私との時間を嬉しがっていても、それは自然に反することで、そして無理はいつまでも続くものではない。……そう思いながら、画面へもう一度、視線を戻してみると、そこで王朝の衣裳に包まれながら、作者の書いたままの台詞を一応、喋(しゃべ)っている優里江は、少しも王朝女性にはなっていない。相変らずのただの現代娘に過ぎないのだ。彼女は女優であるよりも先に、ひとりの若い女で、そして自分自身の生を愉しむ権利のある、従って私のような曲折を経た男の囚人となるのは、気の毒な娘なのだ。……

 それは私の外部における世界の論理であり、感情だった。私の外で生きている優里江は、そのようにして自由であるのがいい。それは時間と空間とに支配されている、外の世界の法則だろう。しかし、一方で私の内部では、私だけのための優里江が生きており、それは他人には見えないけれども、彼女自身の奥深い心の底の、彼女の精髄を流入させて作りあげた、私にとっては真の優里江なのだ。それはもし、空間を移動するとしても、私の魂と一緒であり、時を経て老いて行くとしても、私の魂と一緒なのだ。いや、私の魂がもし、外部の世界の影響で、しかし外部の世界よりも徐々に静かに年をとって行くとしても、その中で生きている彼女の面影は、いよいよ、若やいで行くだろう。周囲が暗くなればなるほど、光を増して行く燈台のように。そうして、その若やいで行く優里江の姿は、いずれは萩寺聡子の姿とひとつになり、そしてそれは「愛」の姿となって、神格化されて行くのだ。そう思いなおして画面を見ると、長い裾を重そうに動かしながら、立ったり坐ったりしている優里江の姿は、私の心の奥の愛の祭壇を前にして、愛の神への捧げ物となって踊っているもののようにも思われてくるのだった。つまり、私の外の優里江は、今や、私の内部の「愛」に奉仕する巫女(みこ)に変身したのだ。ああ、これは私の『恋の泉』の主題なのだ。私の想いは、いつもあの仕事に返って行く、と私は思った。……》

 

<意志的な記憶の探索/無意識的な回想>

 欲望の原因は相手の内部から発せられたかのように、現在という時間と並行して、いくつもの過去の時間が女たちと語らうたびに甦るが、その意識的に記憶を探求する努力によって、記憶は追想というよりも無限の忘却から成り立っていると知らされることになる。

 無意識的想起(レミニッセンス)、心の間歇は、忘却の底の記憶の編目細工、織物(テクスト)の装飾模様を、肉体の記憶によってほどく。つぎつぎと甦える色鮮やかな断片が、万華鏡をくるくる廻すとき、一瞬崩れて新たな世界を花開かせるように、人間関係も、恋愛模様も、記憶の中の女たちの一人一人を変貌させてしまう。

 

《純子の電話によれば、氷室花子なる女優が私に再会を求めているということであり、そして私に会いたいと思っているヨーロッパ在住の女性は萩寺聡子にきまっている。しかも、聡子を探して来てあげると、純子はいつか私に約束したのだ。そこで、私は萩寺聡子の正確な容貌を記憶のなかに再現しようとした。しかし、驚いたことには、それは夢のなかの映像のように、視線を集中しようとすると、忽ち漠然たるものに変ってしまう。恐らく私は今夜、ひと目、会えば、ああこの人だ、と判るだろう。そういう全体的な印象はかなり強く私のなかに残っており、それが記憶の戸口に、具体的な形となって現われようと、空(むな)しくもがいているのを感じながら、私にはそれが古くてぼやけた写真のようにしか捉えられない。そこで、今度は私は別の方、氷室花子の方から出発しようとした。私は氷室花子の容貌を思い出そうとした。こちらの方は今までも何枚も写真を見たことがあるので、何人かの女の写真を列べて、そのなかに一枚、彼女の顔があれば、私は直ちにそれを指摘することができると思う。しかし、眼を閉じて正確な素描を瞼(まぶた)の裏側に描き出そうとすると、それも少し難かしかった。私は自分が、他人の顔を細密に記憶する能力が貧しいのかも知れないと考えた。いや恐らく、人生の経験は何事もそうなのだが、類似の経験をするたびにそれは過去のその類似の経験と記憶のなかで重ねられるのだ。もしそうした頭脳による分類がなかったら、私たちの人生は、毎時、毎分が全く新たな経験だということになり、私たちの感覚は疲労に耐えないだろう。そうした苦労から私たちを免れさせてくれるのが、頭脳の仕事で、頭脳は私たちがある経験をすると、すぐそれを大急ぎで過去の幾多の類似の経験の積み重ねてある、ある分類の中へ送りこむ。丁度、郵便局で、郵便を配達先の区別によって、それぞれの箱に分けて入れるように。そうして、私の記憶のなかでも、漠然たる萩寺聡子の印象と、それから氷室花子の大体の輪郭の決った顔とは、何とかひとつの分類のなかに入れられた。》

 

《では、聡子体験(・・・・)と優里江体験(・・・・・)とは、どう照応し、どう諧和するのか。その時、突然、私の記憶の仄暗(ほのぐら)い領域に、鋭い光が投げ入れられた。それは都心のある広い庭園の池の畔(ほと)りだった。その封建時代の大名の邸跡(やしきあと)の庭園は、濃い木立の重なりの上空に、都電の音を遠い谺(こだま)のように鳴らしていた。そしてその響きが、庭園の静けさを却って際立たせていた。私は池を巡る小径(こみち)に沿った細長い岩に腰を下ろし、ぼんやりと水面を見下ろしていた。その時、向う岸から、「先生!」という高い叫び声があがり、眼を上げると、萩寺聡子が全身を笑いに揺するようにして、両手を振ってみせていた。それから彼女は池に降り、飛石伝いに、一直線に私の方に駆け寄ってきた。「危いよ」と私は叫び返した。しかし彼女は軽捷(けいしょう)な小動物のように、撥ねながら、池の中心の藤棚の下まで到達し、そこでもう一度、両手を振ってみせると、今度はその中の島からこちら岸までの、稲妻型の細い木の橋を、一気に駆け抜けて、そして私の差し伸ばした手のなかへ、飛びこんできた。彼女の少女らしい髪の匂いが、一瞬、私の鼻先に立ち昇り、上気した頬と昂奮(こうふん)した眼が、私の顔のすぐそばに押し出された。「先生、お待ちになった?」それから彼女は全身で私を押し戻すようにすると、私の両手と彼女の両手とは、二人の身体を両端に支えるような具合に、いっぱいに伸ばされた。彼女の瞳(ひとみ)はきらきらと輝き、今にもその唇からは非常に雄弁な言葉が出て来そうだった。しかし、彼女は実際には、ひとことも口をきかず、それから彼女の瞳のなかには、ゆっくりと羞恥(しゅうち)の色が浮びあがり、それから、彼女の片手は私の片手を離した。そうして、ふたりは片手を繋(つな)いだまま、小径を歩きはじめた。――それは私と研究生の彼女とが、はじめて二人きりで逢った時だった。そうして私ははじめて、この控え目な少女のなかに、激しく陽気な心の躍(はず)みを見たのだった。そしてその瞬間、私は彼女を愛した(・・・)のだ。この陽気さ、この軽捷さは、誰も他人の眼の届かない、秘密の場所で、私ひとりに向って示されただけに、殆ど愛の告白同様に、私の心を揺すったのだ。その瞬間の彼女の激動は、それは彼女の普段の態度からすれば、全く例外的な瞬間のものだった。しかし、私のなかでは、その例外的な瞬間が、私だけの聡子体験(・・・・)となって、記憶として残ったのだ。そして、同様に、優里江の方は。――ごく最近、私が半月ばかり風邪をひいて休んだあとで、研究所へ出て行った時、稽古場で賑やかに喋っていた二十人ばかりの研究生のなかで、入口に立った私に向って、一人の娘が突然に立ちあがり、そして私の胸に向って、喚声と共に、一直線に駆け寄ってきて、そして私をきつく抱きしめ、「よかったわ。早くなおってよかった。私、心配で眠れないくらいだったの。」と、叫んだ。私の鼻先を、処女の髪の匂いが包んだ。それが優里江だった。》

 

<同一性を与えることができない女>

 欲望の対象は、女たちの職業的な生態と執着的な対人関係、かけひき、恋愛模様と絡まりあって、多重映像、重層化として出現する。愛した女は、多彩な断片になって記憶の底に散乱してしまうことで、不確実性の原因であるとともに、思いだされるときには一人の女に同一化されず、並置された複数の女となって現れる。偶然と暗合による、自分の欲望に合致したイメージを、意志的記憶の、あるいは無意識的記憶の無数のイメージから選び出そうとするが分化しきれない。女は同一性を持っていない、固定化されない、ときには他者に成りすまそうとさえする。外からの光を屈折させることで、虹色の色彩をあらわすプリズムのような多面体の女を欲望、所有したいと願う複数に分裂した自我、わずか数刻の間に揺れ動く「私」は、回想によって世界を再創造する。

 

《それから、急に花子は立ち上った。

「どう、よく見て。」

 花子は危い足もとを踏みしめながら、身体をくねくねと曲げて、歩きだした。それは傷ついた鳥が、一生懸命に遁れ去ろうとしている風情だった。

「聡子でしょう? どう?」

と、彼女は私たちに後姿を見せながら、叫んだ。

 奇跡だ。その後姿はたしかに萩寺聡子だった。

「私はソーコになったのよ。監督はソーコを求めていたの。だから、私はソーコになったの。誰でも、私の後姿を見る人は、ソーコと間違えて呼びかけたわ。」

 それから、花子はくるりと振り返った。彼女の表情は弱々しく、そして、頼りなげに笑った。それも聡子だった。彼女は軽く首を傾け、私の方に手を差し延ばしかけて、ためらう風に、その手を元に戻した。

「聡子ちゃんだわ。」

と、純子が悲鳴のような声をあげた。私も思わず腰を浮かせた。花子はしかし、突然に、身体中に活力を漲(みなぎ)らせ、別人のような激しい表情に変った。あ、悪魔が素顔を見せた、と私は口の中で云った。彼女は荒々しく、元の席へ戻ると、身体をソファに投げ出した。彼女の襟もとははだけ、着物の肩先に薔薇色のネグリジェの紐(ひも)が露出した。私は思わず眼を閉じた。》

 

《しかし、巴が私の前へ差し出したものは、十五年前の雰囲気だけではない。それは、萩寺聡子の幻影でもあった。氷室巴に会うことで、聡子と会うつもりの予想を完全に裏切られたと信じきった時になって、突然に、私の眼のまえで、巴は聡子に変身してみせたのだ。この衝撃は深刻だった。それは子供の時に読んだ、あの怪談を連想させる。怪物に出会った驚きを、ある男に告げようとしたら、その男がまたその怪物に変貌してみせた、という二重の驚きを用意している怪談である。私は聡子と思って巴に会い、聡子を否定され、その後で、私自身のその驚きを心の中で整理しつくして、ようやく相手が巴であることに慣れた時になって、その当の巴が聡子を出現させた。私の意識の中では、最初は眼の前の女性が巴であって、聡子ではない、と無理に云いきかせる操作が続いたが、私の記憶のなかでは巴の映像は仲々聡子の映像から分離しなかった。遂に聡子の映像が消えて、巴の映像だけが残った。ところが、その残った巴の映像のなかから、もう一度、聡子の映像が立ち現われてきて、二つの映像がまたもや重なった、という具合になったのである。

 そしてそれは映像だけではない。その映像には愛が結びついている。私は今日一日、聡子への愛を心のなかに育てあげ、燃え上るに任せていたのだ。そうして、その愛の焔が巴によって無理やりに消されたと信じた瞬間、それは今度は巴の姿を取って、もう一度、燃え上った。私の愛は混乱した。その混乱の中で私は眼の前の巴のなかの聡子を愛し直した。――私はかつて、聡子を愛する前に巴を愛したのではないか。巴への潜在的な愛のために、後に聡子を愛することになったのではないか。とすれば、実は聡子への愛と私の信じていたものは、巴への愛ではなかったのか、とまで私は混乱のなかで推理を進めた。最後に私は巴と結婚(・・)しようと空想した青年時代の私の想いまでを想起した。(しかし、この推理は必ずしも私を納得させ得るものでもなく、また、その推理を証明するだけの記憶の回復も充分ではなかった。だから、それは単なる仮説に停まり、そして、目の前の女に対する私自身の気持が仮説に過ぎないというのは、私の気分を甚だ不安定なものとしたのだった。)》

 

《私の濁った頭のなかを、唐沢優里江が今、魚崎に抱かれている情景が一瞬、過ぎた。それが花子に対する欲望を更に刺戟(しげき)した。私は花子の肉に身を沈めることで、優里江に嫉妬するというような、外部の論理に支配されている自我を解消させ、私を悩ませ苦しませている、優里江、聡子、巴、花子という、四つの異った女の映像、また四つの異った愛を、ひとつの陶酔に溶け合せるのだ。純子が先程、電話で私にけしかけたのは、そういうことではなく、私が自我に執しながら、彼女を抱くこと、エロチックで淫猥(いんわい)な行為だったから、私は気持が醒めてしまったのだが、私が今、花子に求めているものは、そうした純子が理解しているような、二つの意識が孤立したままで抱擁するというような、二人で見つめ合いながら、快楽を鑑賞するというような行為ではない。一気に氷室花子という存在の内部と、私の内部とを融合させるための手術のごときものなのだ。》

 

<官能(性愛)>

 プルーストの官能は、アルベルチーヌへの口づけの場面においてさえ、プラトニックな精神が優位であり、憧憬、想像力を越えない。官能の陶酔を描く、というよりも、口づけの視覚性、触覚性をベルクソン的に分析、考察しつづける。それは感官の形而上学ではあっても、肉の官能のそれではないが、中村は肉欲の充足と官能の歓びという性愛の形而上学まで、快楽のエクリチュールを展開した。

 ラプソディ風な、欲望と誘惑、甘美な錯乱、エロティシズムの官能描写には、愛の反復、嫉妬の心理学の暗部に潜りこむ、宗教的体験と近親性を持ったエロスの形而上学がある。

 

《彼女は腕を差し延ばしたままで立ち上った。それから私の横へ身体を滑りこませた。彼女は今度は両腕を脇腹につけて延ばし、そして、両脚を揃(そろ)えたまま、天井に向けてゆっくりと上げて行った。両脚が垂直に立つと、一瞬、股が開かれ、それから音を立てて打ち合わされた。両脚がゆっくり降りてくる。それに伴って上半身が起き上る。両脚が床(とこ)のうえに下りきった時、上半身が私の方へねじ向けられた。乳房の間が開いて、二つの乳首が別々の方向に仰向いた。それから上半身が私の胸のうえに倒れかかってきた。

「好きよ。……」

 彼女の声は奇妙にかすれている。私はその声のなかに、昂(たか)まってきた官能への憧れを聞いた。彼女の片方の腕は私の頸(くび)のまわりに絡まりつき、もう片方の手は私の髪のなかに入れられた。私の顔の真上に、長くてよく反った睫毛がある。そして、その睫毛を透して、真剣な怒りに似た表情をしている-瞳が。私は腕を延ばして、枕許の壁のスイッチを倒した。室内は一瞬、闇に覆われた。しかし一瞬の後に窓の外の仄灯りが、その闇のあいだに忍び込んできた。

「夜が明けてきたね。」

と、私は囁いた。

「いや、私たちの夜は、これからよ。眼を閉じて。……夜を引きとめなくては。」

「夢見てのちも長からじ世を……」

 私の掌は彼女の背に沿って、臀の方へ下って行った。それは何かの花弁のように、柔らかくて、手触りのいい感触だった。彼女の彫りの深い顔の、額と鼻と口と顎とが、私の胸に食いこむように押しつけられてきた。私の腿は、彼女の腿を燃えるように熱く感じはじめていた。私の背中は彼女の長い爪に痛かった。私は我を忘れていった。》

 

《私は気紛れな男なのか。それとも愛というものは、全てそうしたものなのだろうか。私が或る瞬間に、ある女への愛に捉えられる、――「雷の一撃」という形容に適わしいような心の状態となるのは、その原因をもし分析しようとすれば、極めて復雑なものとなることは事実だ。そうして結局、その真因というものは突きとめられないからこそ、突然に、天から降って来た雷に譬(たと)えられるわけなのだろう。ぞれは、フロイト流に、リビドーの所産とも云えようし、又、孤独から遁れたいという衝動からとも考えられるし、私の心の極く奥深くに眠っている、女性に対する幼時体験が干渉したとも云えるだろうし、或いは犬儒的に云えば、その日の胃の加減かも知れない。とにかく、そうした、私たちの理智と想像との能力を超越した無数の原因の複合によって、私がある特定の女性を愛しはじめたとして、さて、その瞬間から、その原因は変化しはじめる。胃の加減は半日もすれば変ってくるし、孤独から脱出したいという欲望は、ひと度、満足させられれば、今度は再び、孤独への憧れに変貌するかも知れない。又、私の幼時体験も、現実の女性に対して、いや、この女は違うという反抗の声を上げるだろう。そうして、最も総括的で説得力のあるリビドー説といえども、性慾は極めて容易に満足させられて鎮静させられるものだ、という事実を、裏側に持っている真理なのだ。

 ところで、私は聡子とは寝たわけではない(・・・・・・・・)。その意味では、私のリビドーは満たされたとは云えない。もっと端的に云えば、男は女の肉を識った瞬間から、その女への愛が薄れるものだという、根強い俗説がある。(この俗説は、凡(あら)ゆる俗説同様、かなり普遍的に経験と合致するものなのだろうが、しかし、人は屡々(しばしば)、そのようにして女の肉を識った後でも、暫くその女から遠ざかっていれば、再びその女の肉が一新鮮に感じられるようになるという逆の事実もあるのである。)とにかく、その俗説を真理として承認するとすれば、私は聡子と最後まで行かなかったために、彼女に対する感情が解決しないままで、私の中に眠っていたのだ、という風に考えられるのだろうか。》

 

《私は今、姦淫を犯しているのだろうか。私は聡子を想いながら、優里江を抱いていることで、聡子を汚し、また優里江の肉から快楽をひき出しながら、その感覚から聡子を恢らせていることで、優里江を裏切っているのだろうか。が、私の感覚的陶酔は純一で、分裂はなかった。私には何らの罪の意識はなかった。いや、そのようにして、私の抱いている肉が、同時に優里江であり、聡子であることに、いつにない豊かな喜びを味わっていたのだ。それは背徳的行為というようなものではなく、又、恐らく私が道徳的感覚を喪失しているというようなことでもなく、肉の行為そのものが、たしかに、超個人的な要素を持っているのだ。私の自我は、その陶酔感によって、意識の中心であることをやめる。私の意識は相手の意識と融合する。今、私が味わっているこの快感は、来して私の(・・)快感なのか。彼女の(・・・)快感なのか。また、解き難く絡まり合っている四本の腕のどれが私のものであり、彼女のものなのか。今、私の背中に食いこんでいる爪は、相手のものか私のものか。またそのために感じる痛みそのものも、果して私の(・・)痛みなのか、彼女の(・・・)痛みなのか。私たちの接合した肉は、身動きするたびに、快楽を与えてくれるのだが、その身動きが、ひとつのものであると同様に、そこから生れる快楽もひとつのものだった。私たちは本当に、一匹の「四本足の獣」と化していたのだ。

 だから、そこに確かにあるのは、ひとつの快楽による陶酔状態であり、その中では、私とか優里江とか云う個々の人格は極く小さなものになり終えている。そして、それが陶酔であるのは、そのようにして、私たちの魂が自我の牢獄から遁れでるためなのではないか。としたなら、その快楽の最中に、聡子の面影を垣間(かいま)見るとしても、それが何だろう。既に、私も優里江も、ほんの僅かの瞬間にだけ、己れに返るとしても、直ぐまた次の身動きのために、意識を失わせられる。だから、そういう陶酔状態のなかで、喚起される相手の面影が聡子に入れ代ったとしても、それは聡子でさえないのだ。私たちはある特別の名前のある存在ではなく、男と女とでさえなく、ひとつの感覚と化しているのだから。》

 

<女性同性愛(ゴモラ)>

 同性愛の形而上的考察を嘲笑うかのように、同性愛をタブー視しない男の妄想は、愛する男さえ排除するゴモラの女たちによって見事に裏切られる。嘘をつく女が隠しているものは何か、というスリリングな展開。無数のイメージによる多重映像が結晶化した最後の場面では、プルーストがアルベルチーヌやヴァントゥイユ嬢の女性同性愛で書きえなかった肉欲と性愛の、幻覚と幻滅の官能的陶酔が、衰弱のイメージに犯されることなく描かれている。

 真実を探求しようと、解釈し、説明し、展望するロマネスクな視る男は、恋をしているのか、妄想しているのか、嫉妬しているのか、欲望しているだけなのか……

 

《だから、その考えからすれば、こうしたひとつの感覚を作りだすべき素材となる、二つの肉は、実は異性同士である必要さえないのかも知れない。人は同性愛という観念に嫌悪の念を覚える。しかし、それは側人の存在を目の前に想い浮べるからこそ、あの男とあの男とが裸になって抱き合うと想像するからこそ醜悪なのだ。が、もし、個人と個人との肉の交わりだという見地からすれば、男と女との肉の交わりも、同様に醜悪ではないのか。が、それをふたつの肉の存在は消滅し、ひとつの陶酔が代って生れると云う夙に考えるなら、その素材としての肉は男と女との組み合せの他に、男と男、女と女との組み合せも可能なわけだろう。私たちは快楽のなかに身を沈めている瞬間には、現に男でも女でもなくなっている。私たちは自由に感覚を相手と入れ換えているのだ。私自身、男になったり、女になったりして、自分の感覚を味わい、また相手の感覚も味わっている。だからこそ、非難され指弾されて来たにもかかわらず、人類の一部分は常に同性同士の快楽を求めてきたのだろう。そうして、もし宗教的法律的な禁圧がなかったなら、同性愛も変態的行為ではなくなるわけだ。肉の交わりにおいて、もし変態的行為があるとすれば、それは二つの肉が抱き合いながら、ひとつの陶酔を生みだすことを拒否する場合、つまり一方か両方かが、頑として個人の意識であることをやめない場合だろう。》

 

《「でも、本当に、聡子って可愛かったわ。二十五にもなって、未だ乳首が薔薇色なのよ。そうして、抱かれていて汗ばむと、押花みたいな微かな匂いが立ち昇ってくるの。寝床に入ると、いつも愛撫をせがむんだけれど、それが淋しくって死にそうだから可愛がって、って云う風に云うのね。その云い方が本当に子供っぽくて、その眼付が、いかにも頼りない淋しい迷子のようなの。抱きしめないではいられなかったわ。そのうちにあの人、貧血症になって寝たままになったの。私、あの人の分と二人分働いたわ。必死になって働いたわ。あの人は一日中、寝床のなかで待っているのね。私が帰るのは、いつも朝、明るくなってからなのよ。あの人は、身体に悪いのに、ひとりでは眠れないからと云って、眼を聞いていたわ。一生懸命、明るい表情を作ろうとして、私のためにお化粧をして待っているの。可哀そうだったし、可愛くもあった。でも、その生活は長く続けるのは無理だと思ったわ。このままでは、二人とも抱き合ったままで溺れてしまう。私はそう思った。誰か適当なパトロンを見付けて、私は別の部屋へ移り、聡子はこの部屋に置いて養ってやろう。そう思ったわ。でも、今になって、私にたかってくる男たちは、その頃の私には眼もくれなかったわ。(後略)」》

 

《やがて私は目指す部屋の前に来た。ためしに扉を押してみた。意外なことには、それは軽やかに開いた。そして、入口の垂幕が無造作に開けたままになっている部屋の奥の寝床のうえに、私はふたつの絡まり合った裸の肉を発見した。それは、またもや、双頭の蛇だった。片方の頭が急に持ちあげられると、それは髪を振り乱した、メドゥーサのような純子の顔だった。彼女はしかめ面をしながら、うわごとのように呟いた。

「どうして、今頃、来たの。いつまでたっても来ないので……」

 下の方のもう片方の頭は敷布に頬をつけたままで、謎のような微笑を浮べて、私を見つめていた。それは花子の微笑であると同時に、聡子の微笑でもあった。持ちあげられていた方の頭が、また急に床のうえに落された。その頭はまた呟いた。

「なほ古郷(ふるさと)を……なほ古郷をかへりみるかな……」

 それから、私の眼のまえで、四本の腕が、それぞれ別々の生物であるかのように、身をもたげ、お互いを求め合いはじめた。私は自分が王朝末期の悲劇的な性愛の逆転の世界、官能的陶酔の彼方(かなた)で性別も人格も生の論理もひとつの混沌(こんとん)とした甘美な無時間の恐怖に融合してしまった世界、あの『とりかへばや物語』の世界のなかへ、今、不意に入りこんでしまったような幻想に捉えられて行くのを感じながら、余りに明るい電燈の光の下で、現実とは思えぬほど、ゆるやかにうねりはじめた、白い肉塊を、眺めつづけていた。》

                              (了)

          *****参考または引用文献*****

中村真一郎『新潮日本文学48 中村真一郎集 恋の泉』(「解説」丸谷才一)(新潮社)

中村真一郎『新潮現代文学30 中村真一郎 恋の泉・四季』(「解説」篠田一士)(新潮社)

*『中村真一郎 評論全集 全一巻』(『現代文学の特質』、『文学の擁護』所収)(河出書房新社

*『中村真一郎手帳1』(清水徹『《四季》のほうへ 形而上的感覚と性愛と人文主義と』所収)(水声社

中村真一郎『重層的存在としての「私」』(「週刊読書人」一九七八年五月八日号)(読書人)

マルセル・プルースト失われた時を求めて8 ソドムとゴモラII』鈴木道彦訳(菅野昭正『ヴィスコンティを通ってプルーストへ』所収)(集英社

*『現代詩手帳 ロラン・バルト』(ロラン・バルト『長いあいだ、私は早くから寝た』吉川一義訳所収)(思潮社