短歌批評 「みだれ髪」

   「みだれ髪」

 

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 与謝野晶子『みだれ髪』は不幸な歌集である。名のみことごとしくて読む者がいない。俵万智の現代語訳や写真とのコラボレーションで装いを新たにし、コマーシャルに使われたとしても、歌集全体を読まれることがない。比較するに、斉藤茂吉『赤光』を知る者は短歌に関心をもつ者だけだとしても、後継のアララギ歌人たちによって精読されつづけているし、まったく異なる流派の塚本邦雄らによってさえ読解されている。『みだれ髪』は読まれつつも、読まれていない。ひとたび読んでみようと思って歌集を手に取るや、擬古典の古めかしさとも違うし難解というのでもないが、感覚的に現代とは明らかに違う近代の感覚の氾濫で気恥かしくさえなってきて、明治の熱情に圧倒されつつも、そのフルコースにゲップを抑えきれず中途で放り出すのが一般的な態度ではないだろうか。

 また、1901年に発刊され20世紀を拓いたとされる『みだれ髪』の観賞をはじめたとたん、すでに古典の仲間入りをはたしつつあることが婀娜となって、伝記的解釈や社会的コードに拘泥した入門書的解説にうんざりさせられる。

『みだれ髪』三百九十九首の歌は編年体ではなく、ゆるやかな章だてとなっている。ひとつひとつの歌が詠われた時期が、歌の理解のために重要だといわれる。明治33年(1900年)秋から翌34年(1901年)冬にかけての、前なのか、後なのか、あいだなのか、晶子・鉄幹・登美子の粟田山でのラヴ・アフェアを見据えて論じなければ誤読になると警告されもするが、しかし、そんな伝記的事実など知らなくても読めるのが『みだれ髪』であることがはじめから失念されている。

『心の遠景』や『白桜集』が到達した地平や、のちの晶子のもう一つの顔であり、やけに肩に力の入った女性論・婦人論の徴候を『みだれ髪』に見出そうとはしない。青春の書として、「嘘の書」として、恋の歌集『みだれ髪』と戯れるとき、快楽がひた寄せてくる。

 

『臙脂紫』

 

 夜の帳(ちよう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢のほつれよ

 

 上句と下旬の意味構造をどう読みとるか、「星の今を」の「星」と「今」との関係は何か、主格は何か、助詞「の」と奇妙な「を」の解釈もからめて、発表当時からいろいろ意見され、晶子自身も三度改作したという。訳そう、わかりやすく解釈しよう、などと思うべきではない。巻頭にあえて難解な歌を置いたのは読者に魔法をかけたかったからではないのか。

 一つの句のなかに二つの名詞や動詞が溢れ、初心者が思いのたけを無理やりに詰め込んだ饒舌さ。茂吉が評した《早熟の少女が早口にものいふ如き歌風》の代表格であり、一首のなかに二首、三首が内在するかのようである。「星」、「下界」といった、当時の流行りともなったギリシア神話めく西欧の審美の空気に、「夜の帳」、「ささめき」、「者のほつれ」の平安王朝の雅びを、柳桜をこきまぜるように配して錦織る。初旬、二句を細かく切ったり、意味を重層化したり、主語を曖味に転換したりして、息たえだえな恋心の震えを言葉の縫れと暗示的な音楽の朦朧性とともに表現する。そして、三句あたりに唐突に挿入したような語句でシュウシュウと意味の肌を赤らめさせる。下句は流麗に、しかも俗っぽい言いまわしで流すことで口唱性はそこなわない。

「夜の帳」、「ささめき尽きし」のけだるいエロティシズム。「星」で上昇を、「下界」で垂直降下を味わせておいて、広大無辺から「鬢のほつれ」という晶子好みの細やかさへ収斂し、感覚はジェット・コースターに乗って、右目で望遠鏡を、左目で万華鏡を覗いているかのようにめくるめく。

 これほどまでに「星」、「下界」といった神にいたる垂直な空間感覚や、「尽きし」、「今を」といった時間感覚の語を散りばめながらも、自分の世界だけに没入している。「鬢」が髪につながることからも『みだれ髪』巻頭にふさわしく、これらの巧みさを若い晶子が技巧としてではなく無意識のうちに言祝いでいたことに神がかり的天才性が煌めいている。

 

 歌にきけな誰れ野の花に紅き否(いな)むおもむきあるかな春(はる)罪(つみ)もつ子

 

「歌にきけナ。誰れ野の花に、紅き否む、おもむきあるかナ、春罪もつ。」

やや変則的なれど、晶子の口から文楽の語りの七五、七五をめぐる調子が唸り出る。竹本義太夫は大阪天王寺の出であり、三味線は琉球人が堺へ持ち込んだ蛇皮線の発展形と言われており、堺出身の晶子の父は趣味人、晶子自身も舞、三味線、琴を幼いころに習っていたことから、義太夫の風が身に泌みこんでいても不思議ではない。「紅き否む」などはずいぶんと舌足らずと非難されたのだけれども、言いまわしとしてはリズム感があるし、「おもむきあるかな」の勿体ぶった、顔の歪むような節まわしは道行にいたる恋人たちの罪への誘いのようだ。晶子の歌に初旬切れが目につくのも、それによって二句以降の七五、七五のリズム感がでるからではないか。ゆえに結句は五音ですむところを無理に二音つけたして体裁を整えたような歌が散見される。また、義太夫では、いわゆるヲクリによって、前場を引き継ぐ幕開けの言葉が無愛想に放り出されてブツっと切れ、切れておいて、そこから物語の本筋に入ってゆくことがあるが、その観客を引きずりこむ効果に近い。

「否む」の語を嘲笑うかのような否定精神の欠如。「罪」といっても原罪とは結びつかない恋の罪といったほどの自己肯定。三度までも晶子独特の「な」を使っても上滑りしない高揚感は不思議といえば不思議だ。

 紫が一番の好みだが「紅」もそれにつづく艶やかな色であり、本名の「鳳(ほう)」にちなむ鳳凰の極彩色が連想される。ここには「春」というキーワードもある。風土に根づく古色たる七五調の通底音で古今集的倫理性を無意識のうちに超えてしまった。そのうえ「罪もつ子」という時代のコードともいえる西欧ロマネスク、聖書の新鮮でエキゾチックな南蛮な香りも添えられてフィクションは完成する。悪しざまに言えば「おふでさき」を書き散らす巫女のようでもある。

 

 髪五尺ときなば水にやはらかき少女(をとめ)ごころは秘めて放たじ

 

 与謝蕪村「枕する春の流れやみだれ髪」との関連は周知のとおりだ。たしかに、ほのぼのとした春のかげろうにも似た大和絵的視野は晶子の特徴のひとつと言ってよい。「髪五尺ときなば」の序詞の巧みさ、「五尺」にみる数詞の冴えもこの歌に明らかである。オフェーリアを水に浮ばせたように、流れゆく時間から死への連想がありそうなものを『みだれ髪』には水のテーマはあっても死への連想はない。むしろ水の流れは春の流れとなって生命の羊水としてアニミズムを誇示してうねる。『みだれ髪』の歌は実体験にもとづいて詠ったと思われがちだが、二十三歳になる女が「少女ごころ」という語句を素直にもちいるはずはなく、いかに晶子が夢見ごこちな虚構性のうちに詠んだかを示唆していよう。生真面目一辺倒で読むのではなく、なめらかさとともに、ざらつきをも愛撫しよう。わずか三十一音の短歌を舌先で感じ、口蓋で味わい、喉で堪能する。

 

 血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめな

 

 変奏はこれで完成する。「血」、「夢」、「神」という『みだれ髪』の三つの重要な語句を鮮やかに登場させている。「もゆる」、「かさむ」、「行く」、「おとしめな」の四つもの動詞の主語をどうとるかで多義的な解釈が発生する。助詞の省略に加えて、説明を求めてざわめく「かさむ」、「春を」のイメージも時間も重層化し情緒的酩酊を醸し出す。

 この「神」は人格の薄い神だ。一見ギリシア神話的世界にあこがれているようだが、その人間臭さ、あるいは獣性は少しもない。客人(まれびと)、または古代神ととれなくもないが、アニミズム的な郷愁を下層にして、ただ単に恋人を憧憬として「神」と名づけてみたという白痴性かもしれない。白痴性とはあんまりというならば、谷崎潤一郎が愛する文楽を評した痴果性という言葉で言い換えてもよい。「血」という語を平然ともちいるのは、腹を切り血だらけになってからしかとうとうと語りださない義太夫の世界に慣れ親しんでのことではないのか。

『みだれ髪』三百九十九首のすべてを冒頭のこれら四首のなかにみる。あとはボルヘスのいう無限の円環。初恋の迷宮。

 

 その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

 

「の」の官能的な息つぎで酔わせ、口唱性の良さは歌集中でも一、二だ。「その子二十」に他者を見る眼の新鮮さがあると言ってみたいが、明らかにここには他者ではなく自己愛のおごりがあり、「二十」は調べからあてられた言葉であろう。ル、ル、ロ、リ、ルの軽やかな歩調が、クシの繰りかえし音とフーガを奏でながら滑ってゆく。音楽の快感で黒髪が濡れる。「うつくしきかな」の言いっぷりのとおり、美は説明しがたく、それ自体美であることを晶子は知っていた。分析的にとらえようとしても同義反復となるだけならば、官感の混合の音楽で読む者(聴く者)の内部に溶けこみ、エクスタシーをひきおこすしかないと本能的に知っていた。このような調べよく口にのる歌と、シャーマンめいた歌との織り合わせの巧みさこそ『みだれ髪』の心にくさ、核心である。

 

 臙脂色(えんじいろ)は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひとさかりの命

 

「誰にかたらむ」で胸騒がせる。フランソワ・モーリヤック『テレーズ・デスケルー』の情念を想わせるボルドー・ワインの赤のむせかえる深み。「ゆらぎ」、「おもひ」、「さかり」、「命」の発酵する言葉に三音からなるイ行脚韻を見逃してはならない。ここでも突飛な三句を挿入して上句と下句を赤のイメージでリエゾンし、下句はたたみかける「の」の律で押しきる晶子流だ。

「臙脂色は」の「は」の使い方にも意表をつくものがあるけれど、初旬切れによる呼びかけやキャッチ・コピーのうまさの他に、前の歌を受けたかのような初句を使うことがある。連歌のような規律、規則性をもつた連続性やつながりというのではないが、前の歌を読んでのイメージが朦朧としているところに、初旬で形や色がくきやかに立ち上ってくる。

 ひとつ前の歌、「紫にもみうらにほふみだれ篋(ばこ)をかくしわづらふ宵の春の神」の紫色と緋色の衣をかくしきれない宵の春の神を嘲笑うかのように、「臙脂色は」の初旬の一語で、衣を脱ぎ捨てた肉体の血をゆらぎ燃えたたせ、身もだえる。 濃艶な色ばかりだ。「臙脂色は」の歌につづく、「紫の濃き虹説きしさかづきに映る春の子眉毛かぼそき」でまた紫色に戻ってゆくが、この歌は最後に「かぼそき」という淡さの珍しさがある。そのまた次の歌は、「紺青(こんじやう)を絹にわが泣く春の暮やまぶきがさね友(とも)歌ねびぬ」と、紫の源となる赤のもうひとつの色、青を登場させ、さらには山吹襲の朽ち葉色まである絢爛さ。ここには文化都市堺ならではの友禅や縮緬のあでやかさ、蔵深くで覗き見たやも知れぬ秘画の妖しく凄艶な色づかいがあり、東北や信州出身の勤勉実直で教育者でもあった歌人たちがなりえない、日常生活レベルでの王朝文化のなごりであったに違いない。

 

 海棠にえうなくときし紅(べに)すてて夕雨(ゆふさめ)みやる瞳(ひとみ)よたゆき

 

 小さな物語があり、ヒロインがいる。そのヒロインは晶子に他ならない。たとえ現実の品子でなかったとしても、晶子に夢みられたヒロインがヤ行音のたおやかさで、少女マンガ誌『マーガレット』の世界のように描かれている。海棠とあれば、薔薇科低木の鮮やかな花に寄り添い、また夕雨に濡れる細身の美女が思い描かれよう。「紅」に口紅をみることも、女絵師の絵の具をみることもできる。塗りこめられた絵画の官能の影に、「えうなく」、「すてて」、「たゆき」のような夢さ、無常感も散りばめてあるのは、幼いころから肌身離さず親しんだ王朝文学の反映による上品なエロティシズムであって、晶子といえば濃厚と決めつけるのは早計だ。現代なら薔薇であろうが、海棠としたところに時代の色が際立つ。「紅すてて」の口紅のありようにも刻印されているが、紅を溶くことで紅差し指の指先がエロティックに仄見えてくる。瞳の黒が鮮やかに締める。

 

 水にねし嵯峨の大堰(おほゐ)のひと夜神(よがみ)紹蚊帳(rがや)の裾の歌ひめたまへ

 今はゆかむさらばと云ひし夜の神の御裾(みすそ)さはりてわが髪ぬれぬ

 細きわがうなじにあまる御手(みて)のべてささへためへな帰る夜の神

 

「夜の神」が続くのであげてみた。「夜の神」は帰ってゆくのに残される者の喪失感が欠けているし、聖書へのあくがれはあっても絶対神との対話も対立も不在である。空想の世界への解放感、水に濡れる官能、ためらう手の接触を求める繊細さがありながらも、いかにも堺の人らしいプラグマティズム、自由な個人を基本にした臆面なさが「わが」の一語に透けてみえる。ここにはまだ、和泉式部やエロイーズのような魂の救済の物語は発生していない。

「酔に泣くをとめに見ませ春の神男の舌のなにかするどき」という歌もあるが、男の言葉の舌鋒鋭きではなく、恋人のとがった舌のくちづけの激しさのようでもある。抽象的な「神」は「夜の」、「春の」と修辞されることで具体的な生身の恋人と等価となって晶子の前に現れた。しかし本当のところは、京都周辺で次々と同時代に発生し、既存教団から邪教と非難、排斥された新興土着宗教の教祖の、性的匂いさえまとう歌の秘義の師として顕現したのかもしれない。

 

 清水(きよみず)へ祗園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき

 

 プルーストのいう土地の名の力が「清水」、「祗園」という語から呪術のように立ち昇ってくる。流麗さゆえに、上旬の四つの醜いはずの濁音、ヅ、ギ、ギ、ヅに誰が気づこうか。しかし、この四つの濁音とヨ音のフーガこそが朧なほろ酔い気分を醸し出している。映像美は晶子の持ち味で、映像は固定されずに水のように流れ、映画を見るような速度感がある。「よぎる」の魔力。残像は後ろ髪をひかれるような虹色の色彩をたなびかせて流れ去る。遊歩者としてのそぞろ歩きの幸福感、悦楽は、群衆の創出者たるボードレーヌを通じて文明批評の概念となり、そのボードレールを批評したベンヤミンの流浪の不安、哀しさにも通じる。

 

 経(きゃう)はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ

 

 ここでも、初旬言いきり。数詞による一挙の把握。なめらかに口すべる音楽性。「経はにがし」、「うけためへ」には才たけたコケテイッシュさと婀娜な気配があり、男心をくすぐる術を立派に持ち備えている。「経」、「奥の院」、「菩薩」といった仏教用語がでてきても、死の深みや孤独感へと降りてゆく気配はない。『みだれ髪』が発刊された1901年は、言葉が腐れて茸のように国のなかで崩れてしまう、という文章で言語による表現の不可能性の認識を深めたホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』が書かれた年でもあるが、「歌うけたまへ」には言葉の無力感などは微塵もなく、見事なまでの形而上学性の欠如という至福に包まれていて、どこか谷崎潤一郎と似ている。

 数詞の使い方のうまさは定評のあるところで、「春の宵をちひさく撞(つ)きて鐘を下りぬ二十七段(だん)堂のきざはし」にもみられるように、市井的でありつつ宇宙的大きさをもつていて図らずも晶子の本質を示す。

 

 とき髪に室(むろ)むつまじの百合のかをり消えをあやぶむ夜(よ)の淡紅色(ときいろ)よ

 

『みだれ髪』歌集中の分らぬ歌の第一流、などと評されて素通りされがちだけれども、晶子には珍しく淡い色彩が陰影のなかに仄ゆらぐ室内楽のエロティシズムは捨てがたい。百合はマラルメの白を思わせる緊密感があり、一角獣や白い衣装とともに象徴主義の好んだ語句だが、<明星>では百合には恋の喩があるとされ、とき髪に吹きかかる吐息の白い息の香りのようになまめかしい。「消えをあやぶむ」に藤原定家好みがある。同じ音を隣接して用いることでリズム感をとるのは晶子のテクニックで、例えば、ムとム、リとリ、ヨとヨ。

 恋人が帰ってゆくことをあやぶむ女心を詠っているのだが、このような歌は晶子の現実の体験というよりも少女時代からの王朝物語の読書による憧れによるところ大だろう。巻頭歌から数時間が経過した閏房での実事の終わりの余韻を「淡紅色」は滲ませ、「乱倫の書」とも非難された『みだれ髪』の面目躍如たるものがある。

 古典的に創出される孤独感にしても、ここからあともう少しで他者性に想い到り、神との対立や形而上学や仏教思想への接近があってもよさそうなものなのに、晶子は恋の逡巡から思いの淵に沈むことはなかった。

 

 やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君

 

 道を説いた「君」が誰なのか、「道」とは仏教のそれなのか儒教のそれなのかを考証することは本質的なことではない。「やは肌」も「あつき血汐」も薄田泣菫の詩集『暮笛集』(明治32年)に見出せる原典語句ではあるが、晶子の律と三十一音の古典形式の呪力によって命を吹き込まれた。

 しかし、晶子が好んだ言葉が古めいてしまったのか、「あつき」、「血汐」、「道を説く」の一本調子が気恥かしさをもたらし、熱量や実直さ、自己陶酔から来るものなのか、顔が赤らむ。

 この歌の「ふれ」は接触することのかすかな戦きとフェティッシュな快楽、問いと答えの意味の戯れからは遠い。近松曽根崎心中』が江戸時代に演じられることなく、近年になってようやく復活したのは、江戸時代にはこの直線性、一本調子が、丸本歌舞伎の複雑性、何でもアリのよくできたヴァラエティに対し、近松世話物の近代性はおもしろみ、娯楽性に欠けたからであって、かえってそれがために明治以降に再評価されることとなったわけで、この歌の近代的情熱と似ていなくもない。情熱はロマンティックによって芸術的操作を加えられ文学化されるものなのに、晶子は情熱をストレートに文学化して人を赤面させる。情熱の狂想曲に足が一歩浮いている。

 

 さて責むな高きにのぼり君みずや紅(あけ)の涙の永劫(えうごう)のあと

 

 希有なことに、ここには精神性があるのかもしれない。「高きにのぼり」の垂直は、流されがちな水平感覚とは異なるものだ。「責むな」、「永劫のあと」には後年、ニーチェツァラトュストラ』を一日一夜で読み切ったという内面の高みへの希求が潜んでいる。晶子は外見より内面を求めた人だ。そして、<力への意思>もまた強かった。しかし「君みずや」の「君」が一般的他者や抽象化に向かわず自己肯定に向かう言葉となって外へ外へと放射された。「紅の涙」の語句にあらわれているが、それこそが明治という文化的青春時代の特徴だったのだろう。

「さて責むな」の初旬のなれなれしさでたちまち読者を晶子ワールドヘ否応なしにひきずりこむ。その応用例はいくらでもあるのだが、例えば、「とおもひてぬひし春着の袖うらにうらみの歌は書かさせますな」の「とおもひて」の水際立った口舌。

 

 春雨にゆふべの宮(みや)をまよひ出でし子羊(こひつじ)君(きみ)をのろはしの我れ

 

 記憶の底に眠っている言葉を、イメージを喚起してくれる言葉を、シュールレアリストが自動記述したように意味の関連や構文などは意識せずに口にのぼらせてみたというようなスタイル。もう一度口にだしてみれば句の順序が入れかわり助詞が変化し唇は別な音楽に震えるだろう。上句は句ごとにとぎれがちだが下句は流麗な歌と、上句は流麗な序として機能し下旬の四句、五句で対立するイメージをぶつけあう歌とがある晶子だが、この歌は後者の変形だ。映像美ゆたかな王朝物語風の濡れる序の上旬を、晶子ならではの突飛な「子羊」という十四、五歳の頃からなじんでいた聖書的語句と「君」を助詞なしの並列で受け、句またがり風に「君をのろわしの我れ」などという意味ありげな「の」で「のろわし」の前後を「君」と「我れ」の合せ鏡で挟みこみ、主体の両義性に迷いこませる。

「のろはし」はこの歌だけではない。「あえかなる白きうすものまなじりの火かげの栄(はえ)の詛(のろ)わしき君」のように、ボードレール『地獄に堕ちた女たち』やヴェルレーヌ『のろわれた詩人たち』に通底する罪への誘惑があるものの、ボードレールの孤独なヒロイックさも、ヴェルレーヌの無垢な背徳性もなく、ニーチェを手鏡にしての現代に通じる神と悪との等価性と不在といったテーマは、『みだれ髪』の自己肯定ゆえに欠如している。

 上田敏の翻訳詩集『海潮音』は1905年刊行だが、その多くは雑誌『明星』発表であり、敏は『みだれ髪』発刊の1901年8月の翌月には『明星』に好感をもった書評を寄せている。もちろん、鉄幹のプロデュースもあつたわけだが、エドガー・アラン・ポーからボードレールに引き継がれた象徴主義は、英国ラファエロ前派へと流れこみ、総合芸術としてのアール・ヌーヴオー、19世紀末芸術運動が<明星>および晶子に与えた影響はいまさら詳述する必要もあるまい。『みだれ髪』には収められなかったけれども、「ロセッチの詩にのみなれし若き叔母にかたれとせむくる舌切雀」などに退廃の芽がある。ただ、アール・ヌーヴォーには生と死の交響曲が流れているのに、春と夏からなる『みだれ髪』から死の重い響きを聴きとることは難しく、ずっと晩年の『心の遠景』まで待たねばならない。

 

 みだれごこちまどひごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳(ちゝ)おほひあへず

 

 藤原定家『近代秀歌』は古今集に言及して、《むかし貫之、歌の心たくみに、たけをよびがたく、ことばつよくすがたおもしろきさまをこのみて、余情妖艶の体をよまず》と古今集の明快さ、論理性をしりぞけた。近代人としての正岡子規は『歌よみに与ふる書』(1898年)で、《貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候》と、抽象的、観念的で、嘘や理屈があると古今集を非難してみせた。子規の思考は百年後の今日の短歌の旧態世界でも通用する批評用語として生き延びているが、ここで上田敏『『みだれ髪』を読む』における、《明らさまに云はば、今の短歌、新詩体の類はわが好まざる所、命なく、心なく、偽多く、品つくりて、たけ高き言葉に穉(いとけな)げなる思想を蔽ひしのみなる青年の作に、何の慰藉(いしゃ)、闡明(せんめい)かあるべき》をあわせ読むとき、子規とは別方向に向かった古今集批判がみえてくる。敏は続ける。《『みだれ髪』は耳を欹(そばだ)てしむる歌集なり。唯容態のすこしほのみゆるを憾(うらみ)とし、沈静の欠けたるを瑕となせど、詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。》 この評を受けえるのがこの歌だろう。「百合ふむ」の象徴表現の美しくも淫らな喩。「ごこち」のリフレイン。初句と二句にある五つもの濁音が結句「ず」にバッカスの酔いとなって沈みこむ。「頻なる」でリズム感をもった動きを映像化する。躍動感が晶子の歌にはあり、それは幼少の頃から商家でじっとしているわけにはいかずに働かされ、それにまた生涯応えてきたゆえなのだろう。

 

 ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清瀧(きよたき)夜の明けやすき

 

 音楽性のたしかさは一里と三里を入れ替えてみればわかる。下句キ音が「ほととぎす」の眼をよぎる素早い飛翔と「清瀧」の垂直の水の落下に切りこみ、雅を失うことなくピチカートを弾く。「夜の明けやすき」に光りに託した時間の推移が表現される。嵯峨の別な歌、「夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘」も視覚と聴覚が「にこ毛にひびく」の繊細さに隠しようもなくあらわれ、細密描写と遠景描写とのエピファニー

「ほととぎす」の初句切れの歌といえば式子内親王の「ほととぎすそのかみ山の旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」があり、妙なる調べと結句の孤独感はこの時期の晶子にはまだない魂の救済のコレスポンダンスで震えている。

 

 乳ぶさおさへ神秘(しんぴ)のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き

 

 過剰感と絢爛さこそ晶子の魅力だ。デリカシーなどに溺れない歓喜と熱狂。のちに岡本かの子が同じように現れた。これはもうほとんど井原西鶴好色五人女』の『恋草からげし人百屋物語』お七の、《この女思込みし事なれば、身のやつるゝ事なくて、毎日ありし昔の如く、黒髪を結はせてうるはしき風情、惜しや十七の春の花も散り散りに、時鳥までも総鳴きに、(中略)さればその日の小袖、郡内縞のきれぎれまでも世の人拾ひ求めて、すゑずゑの物語の種とで思ひける》の世の人の情と肌寄せあう。

「とばり」は巻頭歌の夜の帳の意を背景に、開かれてゆく戦き、すべり落ちる衣擦れの音で連続化、重層化されている。母なる乳房ではない官能としての「乳ぶさ」がある。「ここなる」の何気ない語句で一気に臨場感を呼び覚まし、「そとけりぬ」で日の前で動作を見つづける歓びを与える、世話物作者めいた技巧。もちろん晶子ゆえ淡さではなく「濃き」が人情物のは必要で、ベアトリーチェがダンテに指しだした心臓のように「紅」でなければならなかった。

 

 なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな

 

「君に待たるる」の可愛いおごり。待つ男は恋心ゆえに女となるが、待たせる女は待たれていると意識するときいっそう女となるだろう。恋する者にとつて待つことは錯乱であり、待つ対象は現実の存在ではなくとも、ここには逡巡は感じられない。これこそ晶子の魅力であり、そのおおいなる白痴性かもしれない。谷崎が『いわゆる痴果の芸術について』で書いた、《因果と白痴ではあるが、器量よしの、愛らしい娘なのである。だから親であるわれわれが可愛がるのはよいけれども、他人に向って見せびらかすべきではなく、こっそり人のいないところで愛撫するのが本当だと思う》の文楽についてのそれである。

 初旬「なにとなく」で気をひくところは、「な」で始め、「な」で終える円環とともにませた町娘の本能が漲っている。「花野」は晶子ゆえに秋ではなく春ととりたい。「いづこまで君は帰るとゆふべ野にわが袖ひきぬ翅(はね)ある童(わらは)」の野にいる天使は、ボッティチェルリ『春(プリマヴェーラ)』のようで、「金色(こんじき)の翅(はね)あるわらは躑躅(つつじ)くはえ小舟(をぶね)こぎくるうつくしき川」のルネッサンス的な地上への真善美の降臨を夢みるものがある。「かくてなほあくがれますか真善美わが手の花はくれなゐよ君」の歌に、晶子の地上的恋愛至上主義の勝ち誇ったポーズがはっきりとあらわれ、しかし憎らしげな気分を起こさせないところが人間的魅力に違いない。

 

『蓮の花船』

 

 漕ぎかへる夕船(ゆふぶね)おそき僧の君紅蓮(ぐれん)や多きしら蓮や多き

 

 王朝の時代、高僧は禁裏の女人お側まであがり、もののけの祈祷のために出生の秘密まで聴くことができたし、そのような位の僧ともなれば帝や関白につながる高貴の出であり、美形かつ最高の知性の持ち主であることも珍しくなく、あるいは祈祷の呪術的音楽のうちに性的魅力をカリスマ的に発散することで、女人を恋に陶酔させたであろうことは容易に想像がつく。その古層がまだ残っていて、晶子は憧れた。

「紅蓮」、「しら蓮」には仏教に内在する根源的エロティシズムがあり、それを『蓮の花船』の冒頭に据えたのは構成の妙といえよう。蓮の喩は大乗仏教につきもので、「紅蓮」の赤は交合の愛欲、生の欲望を肯定的にあらわし、「しら蓮」の白は死後の中有に死者を訪れる白い光が罪へ至る意識、浄土への希求と交錯している。

空海俗物説があるようだが、それと同じような意味で晶子俗物説が、イロニカルで偉大なる俗物としてありえよう。白と黒が神道や禅の色であるならば、晶子の色彩は、青、黄、赤、自、黒の五色からなる、空海が説いた密教に親しい。「母なるが枕経(まくらぎょう)よむかたはらのちひさき足をうつくしと見き」のフェティシズムは少しも古臭くない。

 

 のろひ歌かきかさねたる反古(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな

 

 比較的に初期のおだやかで抒情的な、品子周辺の歌人と似た口当たりのよい素直な歌からなる『蓮の花船』一連だが、この歌には屈折した感情が陰画のように焼きつけられている。蛍を握りつぶし山蚕を殺した茂吉のような残虐への嗜好が晶子の心の底にもあったのだろう。「そのなさけかけますな君罪の子が狂ひはてを見むと云ひたまへ」には調べの屈折とともに視られる私としてのマゾヒスティックな情熱が滲み染みついている。

「のろひ歌」を書きかさねた「反古」は、深層では返事を期待するために書かれた恋文ともいえる。恋文を蝶の鱗粉が黒く汚す。「おさへぬるかな」の瞬間、晶子の指先にやわらかに感じた蝶は、神なる恋

人におさえこまれた晶子と化す。

 

『白百合』

 

 おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合

 

 同語反復、自問自答の言いまわしに、論理と倫理、精神と肉体のもつれあう淫らさがある。私はあの人でありたい、あの人が私であってほしい、閉じこめられたい、溶けあいたい、視たい、視られたい。対立項を並べたてる。恋する女を間近に視る。恋と運命に苦悩するドラマチックな女と自分を同一化してゆく。他者の欲望を生きる鏡としての私は名前さえ交換する。

 晶子が敬愛した和泉式部ももつれあう淫らな言葉の泉に明晰に欲情しつづけた、「くらきよりくらき道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」、「岩邸濁言はねばうとしかけて言今ば物思ひまさる物をこそ思へ」、「おのが身のおのが心にかなはぬを思はば物を思ひ知りなん」、「誰わけん誰か手馴れぬ駒ならん人重しげりゆく庭の草叢」。

このあたりは手記的連作である。「ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし」、「友のあしのつめたかりきと旅の朝わかきわが師に心なくいいひぬ」、「いはず聴かずやだうなづきて別れけりその日は六日二人(ふたり)と一人(ひとり)」、「山蓼のそれよりふかきくれなゐは梅よはばかれ神にとがおはむ」、「京はもののつらきところと書きさして見おろしませる加茂の河しろき」など、大衆の覗き見趣味、さらには勘繰りに同性愛的ヴェールさえちらつかせているが、構成には与謝野鉄幹のプロデュースがまずあつたはずで、晶子、鉄幹、登美子の粟田山荘での出来事や書簡といった伝記的史実を詮索させ、歌の読解を趣味悪き方向へ誘ってしまうのだけれども、虚実の膜と戯れる悦びもなきにしもあらず。

 

『はたち妻』

 

 むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子

 

「つひに」恋におちることを望んでいた。恋という言葉が恋を準備していた。マルキ・ド・サド恋の罪』の遊戯性と文化的洗練からは閉ざされたところでの、あこがれろしての「罪」があり、快楽の宴を前にして、選ばれた恋する者だけに与えられる陶酔の「罪の子」という烙印を互いの額に焼きつける。いったい下旬は誰の言葉なのか。エンマ・ボヴァリーのように恋に恋している。エンマにとってルーアン大聖堂が巨大な閏房にすぎなかったように、晶子にとって「罪」という言葉は恋心の聖櫃である。エンマとレオンを乗せた馬車の狂おしさを描写するフローベールのペン先のように、晶子の下句も往復運動となってせわしい息づかいに喘ぐ。

 

 下京(しもぎやう)や紅屋(べにや)が門(かど)をくぐりたる男かわゆし春の夜の月

 

「下京や」の喚起力。「くぐりたる」に引きつづく四句、五句のイメージのぶつけあい。「かわゆし」(「かはゆし」の誤植)のコケティッシュ。どれも晶子の持ち札だ。道具立てが揃いすぎているといった酷評も受けたが、こういった、店番をする町娘や手まりをつく幼子供が口ずさみやすい歌もちりばめての『みだれ髪』である。

 

 くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる

 

 三つの「髪」を「の」でつなぐ上旬の前衛性。上旬のひらがなは髪の毛がもつれみだれてうねるようななまめきを感覚器官に引きおこし、鬼気迫るものがある。上句と下旬を結ぶ「かつ」の天才的な一語と末尾「るる」の狂想曲。「おもひみだるる」はついには、「そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂ほしき汝(なれ)よ小琴(をごと)よ片袖かさむ(琴に)」の性的欲望にまで昇華する。ここまでの肉体的官能性はその後、言語表現としてさらに深まることはなかった。

 

舞姫

 

 四条橋(ばし)おしろいあつき舞姫のぬかささやかに撲(う)つ夕あられ

 

 くきやかな映像美、それは「四条橋」の広がりと、足早に過ぎてゆく舞姫に斜め上空から直線的に注がれる「あられ」のエッチングの繊細さからなる。「おしろいあつき」人工美の舞姫の衣裳に隠されたなまめくぬくもりを、「夕あられ」という自然美によって「撲つ」サディズムに透けてみえる。

 

『春思』

 

 春みじかし何に不滅(ふめつ)の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ

 

 ワーグナー的濁音(ジ・ゾ・グ)で催眠状態に入らせるだけの力強さがある。「ちからある」の触感で晶子らしく性急に事を進める。いつしか恋してくれる者の存在が重荷となるだろう。恋する女は待つことを振りきることで男となるだろう。『伊勢物語』六十九段の「君や来し我や行きけむおもほえず夢かうつつか寝てかさめてか」が伊勢斎官の歌とされていてもどこか男が詠んだ歌の匂いがするのにあらわれている。

 しかし晶子にはかすかな触れあいの記憶の歌もある。「きのふをば千とせの前の世とも思ひ御手なほ肩に有りとも思ふ」のように、恋する者は意味を持たせたくて身構えている。晶子は与謝野寛との共著で『歌集和泉式部』を大正四年(1915年)に刊行している。

 引用すれば、《世(よ)の常(つね)の事(こと)とも更におもほえず初(はじ)めて物(もの)を思(おも)ふ身(み)なれば   (晶子)敦道親王が初めて式部の許に通ひ給ひ、その晩の別れに、「恋と云えば世の常のとや思ふらん今朝の心はたぐひだになし」と云ふ歌を詠んで「君を思ふ自分の心を世界普通の恋と思つてくれるな、今朝の別を惜む心は又とたぐひも無い程に恋しい」と云はれたのに対して、式部は此歌を以て答えました。「世間普通の恋であるか何うかは私には判断が附きません、私は初めて心から物思ひを致すのですから」と云ひました。初めから御親王だけにはどんなに心を引かれて居たかが想像せられます。之が実感の作かと疑ふ程に巧みな、そしてしみじみとする歌ではありませんか。佳作。》 ほとんど、「御手」の歌にあてはまるだろう。

 

 罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ

 

 初句「罪おほき」は「男」を修飾するとともに、うっすらと結句「我れ」にも届いている。のちにうんざりするほど精力的に繰りかえされた晶子の女性論を反映させてこの歌を読むのは愚かだ。『みだれ髪』の晶子の倫理は論理である前に生理であった。むしろ、「男こらせ」とは『歌集和泉式部』の次のような歌からくるのだろう。

《見(み)る毎(ごと)になど嘆(なげ)かする君(きみ)ならん己(おの)が心(こゝろ)に己(おの)れなりつつ   (晶子)外の女の許へ通ふやうになった男がさすがに時々には式部の許へも参ります。其れを手厳しく罵つたのが此歌です。「あなたにお目に懸るたびに、あなたはなぜさう私の心をお歎かせになるのでせう。人の悪い。御自分の姿を、御自分の藻抜けた真心の形見として私に見せつけて……」と云ひました。四五の句が巧みな警句です。佳作。》

 

 晶子は生涯に十二回の出産を経験した。《お産は二三度目が比較的楽で度び重る程初産の時の様な苦痛をすると云ふ。産み人の体質には由る事でせうが、わたしの経験した所ではよく其れが当て通る》と『産褥の記』に書いている。文学的初産としての『みだれ髪』は神秘の帳をもえる血の紅に染めて罪のエクスタシーとともに分娩されたのだろう。

 その可愛い白痴美の娘を、かがやく瞳、つやつやした唇、白い肌と豊かな黒髪を自慢した晶子の『みだれ髪』という娘を、興奮と弛緩の章だてに胸高鳴らせ、はてしなく紡ぎだされた言葉の音楽で織られた衣を一枚一枚脱がせてそのなめらかな歌の肌理を、皮膚より深いものはないとばかりに、ざらつく指さきで愛撫し、戯れとけだるさに溺れつつみだれ髪をかきやるのは私なのか晶子なのか。

             (了)

 *歌の表記は松平盟子編集『みだれ髪』(新潮文庫)に従うとともに、訳、解釈、評伝も参考とした。