演劇批評 『義経千本桜』の<象徴界>と<大文字の他者>

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 谷崎潤一郎は回想録『幼少時代』で、「団十郎、五代目菊五郎、七世団蔵、その他の思い出」という章を設けて歌舞伎経験を語っているが、そのハイライトは明治二十九年に観劇した『義経(よしつね)千本(せんぼん)桜(ざくら)』にまつわる、谷崎文学の根幹ともいえる「母恋し」だろう。

《御殿の場で忠信から狐へ早変りになるところ、狐がたびたび思いも寄らぬ場所から現われたり隠れたりするところ、欄干渡りのところなどは、もともと多分に童話劇的要素があって子供の喜ぶ場面であるから、私も甚しく感嘆しながら見た、ここで私はもう一度旧作「吉野葛」のことに触れるが、あれは私の六歳の時に「母と共に見た団十郎の葛の葉から糸を引いている」のみではない、その五年後に見た五代目の「千本桜」の芝居から一層強い影響を受けたものに違いなく、もし五代目のあれを見ていなかったら、恐らくああいう幻想は育まれなかったであろう。私はあの旧作の中で、津村という大阪生れの青年の口を借りて、次のようなことさえ述べているのである。――

 自分はいつも、もしあの芝居のように自分の母が狐であってくれたらばと思って、ど んなに安倍(あべ)の童子を羨(うらや)んだか知れない。なぜなら母が人間であったら、もうこの世で会える望みはないけれども、狐が人間に化けたのであるなら、いつか再び母の姿を仮りて現れない限りもない。母のない子供があの芝居を見れば、きっと誰でもそんな感じを抱くであろう。が、「千本桜」の道行(みちゆき)になると、母――狐――美女――恋人――と云う連想がもっと密接である。ここでは親も狐、子も狐であって、しかも静(しずか)と忠信狐とは主従のごとく書いてありながら、やはり見た眼は恋人同士の道行と映ずるように工(たく)まれている。そのせいか自分は最もこの舞踊劇を見ることを好んだ。そして自分を忠信狐になぞらえ、親狐の皮で張られた鼓の音に惹(ひ)かされて、吉野山の花の雲を分けつつ静御前の跡を慕って行く身の上を想像した。自分はせめて舞を習って、温習会(おんしゅうかい)の舞台の上ででも忠信になりたいと、そんなことを考えたほどであった。》

 谷崎は『幼少時代』に『吉野葛』から上記文章を引用、紹介したが、もとの『吉野葛』では直前にこう書いている。

徳川時代狂言作者は、案外ずるく頭が働いて、観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであったのかも知れない。この三吉の芝居なども、一方を貴族の女の児(こ)にし、一方を馬方の男の児にして、その間に、乳母(うば)であり母である上臈(じょうろう)の婦人を配したところは、表面親子の情愛を扱ったものに違いないけれども、その蔭に淡い少年の恋が暗示されていなくもない。少くとも三吉の方から見れば、いかめしい大名の奥御殿に住む姫君と母とは、等しく思慕(しぼ)の対象になり得る。それが葛の葉の芝居では、父と子とが同じ心になって一人の母を慕うのであるが、この場合、母が狐であるという仕組みは、一層見る人の空想を甘くする。自分はいつも、もしあの芝居のように自分の母が狐であってくれたらばと思って、どんなに安倍(あべ)の童子を羨(うらや)んだか知れない。(後略)》

 さすがに谷崎は鋭い。

徳川時代狂言作者は、案外ずるく頭が働いて、観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであったのかも知れない」とは、人間精神の構造の深い真理に届いている。

 谷崎がジャック・ラカン精神分析を知らなかったのは時代的に当然のことだが、そこにはラカン精神分析への気づきのようなものがある。「案外ずるく頭が働いて」という狂言作者を介して「潜在している微妙な心理に媚(こ)びることが巧みであった」には、ラカンの<象徴界>と<大文字の他者>という、女人のような足先が透けて見える。

 イラク大量破壊兵器に関するラムズフェルド国務長官の発言(2003年に英国の「意味不明な迷言(Foot in Mouth)大賞」に選ばれて有名になった)はまだ記憶に残っているであろうか。

《二〇〇三年三月、ドナルド・ラムズフェルドは、知られていることと知られていないことの関係をめぐり、発作的にアマチュア哲学論を展開した。

  知られている「知られていること」がある。これはつまり、われわれはそれを知っており、自分がそれを知っていることを自分でも知っている。知られている「知られていないこと」もある。これはつまり、われわれはそれを知らず、自分がそれを知らないということを自分では知っている。しかしさらに、知られていない「知られていないこと」というのもある。われわれはそれを知らず、それを知らないということも知らない。

 彼が言い忘れたのは、きわめて重大な第四項だ。それは知られていない「知られていること」、つまり自分はそれを知っているのに、自分がそれを知っているということを自分では知らないことである。これこそがまさしくフロイトのいう無意識であり、ラカンが「それ自身を知らない知」と呼んだものであり、その核心にあるのが幻想である。もしラムズフェルドが、イラクと対決することの最大の危険が「知られていない『知られていないこと』」、すなわちサダム・フセインあるいはその後継者の脅威がどのようなものであるかをわれわれ自身が知らないということだ、と考えているのだとしたら、返すべき答えはこうだ――最大の危険は、それとは反対に「知られていない『知られていること』」だ。それは否認された思い込みとか仮定であり、われわれはそれが自分に付着していることに気づいていないが、それらがわれわれの行為や感情を決定しているのだ。》(スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め!』)

 谷崎も、『義経千本桜』の狂言作者も、われわれの行為や感情を決定している「知られていない『知られていること』」の機微の下で書いていた。

 これから、『義経千本桜』における、ラカン精神分析の<象徴界>と<大文字の他者>の顕れを見てゆく。前半のクライマックス、「渡海屋(とかいや)の場・大物浦(だいもつのうら)の場」をとりあげるが、その理由は、<象徴界>と<大文字の他者>が跋扈しているからである。

 

<<象徴界>と<大文字の他者>>

 しかしその前に、ラカンによる<象徴界>と<大文字の他者>について共通理解を計りたい。

 ラカン自身の著作は誰もが認めるように(そして本人も「謎」による学びを企んでいるかのように)あまりに難解だ。解説書はあまたあるが、「あまり早く読んでも、あまりゆっくりでも、何もわからない」(パスカル『パンセ』69)と同じように、あまり簡単すぎても、あまり難しくても、何もわからない。おそらくはスラヴォイ・ジジェク大澤真幸の著作が最も任に適っているだろう。

 まずジジェクラカンはこう読め!』を先導とする。

ラカンの思想は、主流の精神分析思想家たちと、またフロイト自身と、どのように異なっているのだろうか。ラカン派以外の諸派と比較したときにまず眼を惹くのは、ラカン理論がきわめて哲学的だということだ。ラカンにとって、精神分析のいちばんの基本は、心の病を治療する理論と技法ではなく、個人を人間存在の最も根源的な次元と対決させる理論と実践である。精神分析は個人に、社会的現実の要求にいかに適応すべきかを教えてくれるものではなく、「現実」なるものがいかにして成立しているのかを説明するものである。精神分析は、人が自分自身についての抑圧された真理を受け入れられるようにするだけでなく、真理の次元がいかにして人間の現実内に出現するのかを説明する。》

 精神分析への誤った先入観をリセットしてから先へ進もう、耐えざる自問と貪欲な解釈者となって。

ラカンによれば、人間存在の現実は、象徴界想像界現実界という、たがいに絡み合った三つの次元から構成されている。(中略)<大文字の他者>は象徴的次元で機能する。ではこの象徴的秩序は何から構成されているのか。われわれが話すとき(いや聞くときでもいいのだが)、われわれはたんに他者と一対一でやりとりをしているだけではない。われわれは規則の複雑なネットワークや、それとは別のさまざまな前提を受け入れ、それに依拠しており、それがわれわれの発話行為を下から支えている。(中略)第一のタイプの規則(と意味)に、私は盲目的・習慣的に従うが、反省する際には、それを少なくとも部分的に意識することができる(一般的な文法規則など)。第二のタイプの規則と意味は私に取り憑いて、私は知らないうちにそれに従っている(無意識的な禁止など)。私はさらに第三の規則と意味を知っているが、知っていることを他人に知られてはならない。たとえば、然るべき態度を保つためには、汚い猥褻なあてこすりは黙って無視しなければならない。

 この象徴空間は、私が自分自身を計る物差しみたいなものである。だからこそ<大文字の他者>は、ある特定のものに人格化あるいは具象化される。彼方から私を、そしてすべての現実の人を見下ろしている「神」とか、私が身を捧げ、そのためなら私には死ぬ覚悟ができている「大義」(自由主義共産主義、民族)とか。私が誰かと話をしているとき、たんなる「小文字の他者」(個人)が他の「小文字の他者」と二人で話しているわけではない。そこにはつねに<大文字の他者>がいなければならない。(中略)

 そのしっかりとした力にもかかわらず、<大文字の他者>は脆弱で、実体がなく、本質的に仮想存在である。つまりそれが占めている地位は、主観的想像の地位である。あたかもそれが存在しているかのように主体が行動するとき、はじめて存在するのだ。その地位は、共産主義とか民族といったイデオロギー大義と似ている。<大文字の他者>は個人の実質であり、個人はその中に自分自身を見出す。<大文字の他者>は、個人の存在全体の基盤である。それは究極の意味の地平を供給する評価基準であり、個人はそのためだったら生命を投げ出す覚悟ができている。にもかかわらず、実際に存在しているのは個人とその活動だけであって、個人がそれを信じ、それに従って行動する限りにおいてのみ、この<大文字の他者>という実体は現実となるのだ。》

 

 大澤真幸の説明は多くをジジェクに拠っているが、より丁寧である。大澤が頻繁に用いる<第三者の審級>という概念は<大文字の他者>と等しいので、頭の中で読み替えればよい。

《たとえば、古典派経済学が念頭においている市場を考えてみる。アダム・スミスによれば、市場に参入している個人が、それぞれ勝手に自身の利益を最大化すべく利己的に行動することによって、社会一般にとっても最も大きな利益が得られる。各個人は、社会全体の利益のことを考える必要もないし、そもそも、どのような状態が社会にとって最も望ましいかをあらかじめ知ってはいない。彼は、ただ、自分の利益の極大化にだけに専念しているのだ。

 しかし、結果として、社会一般の利益もそれによって最大になる。このように、個人の勝手な行動――全体への配慮を欠いた利己的な行動――が、結果的に社会にとって都合のよい結果へと収束するため、アダム・スミスは、こうした状況を、社会(市場)に対して「見えざる手」が働いているかのようだ、と記述したのである。

 こうした市場のメカニズムを、歴史のメカニズムとして一般化してとらえたのが、ヘーゲルの歴史哲学である。ヘーゲルに、「ずるがしこい理性」という有名な概念がある。この概念の意義は、実例から見ると、わかりやすい。

 ヘーゲルが援用している、きわめて顕著なケースは、ブルータス等によるカエサルの暗殺である。カエサルは、大きな軍功をあげ、ライバルのポンペイウスを打ち負かし、ローマ市民にも圧倒的な人気があったため、ついに終身独裁官の地位に就いた。ブルータスたちは、カエサルにあまりにも大きな権力が集中し、ローマの共和政の伝統が否定されるのではないかと懸念し、カエサルの暗殺を決行した。クーデタは成功し、カエサルは殺害された。

 しかし、この出来事をきっかけとして、歴史が大きく動き出し、紆余曲折の末に結局、暗殺から17年後にあたる年に、政争を勝ち抜いたオクタヴィアヌスが事実上の皇帝に就任し、ローマは帝政へと移行する。

 これはまことに皮肉な帰結だと言える。ブルータスたちは、最初、カエサルが皇帝になってしまうのを防ぐために――つまりローマが帝政へと移行することがないようにと――カエサルを暗殺した。そして、その暗殺は、実際に成功した。しかし、まさにその成功こそが、共和政から帝政へのローマの移行を決定的なものにしたのだ。オクタヴィアヌスが初代の皇帝に就位するに至る出来事の連なりは、この暗殺によってこそ動き出すからである。

 ヘーゲルは、この過程を、次のように分析している。カエサルが個人的な権限を強化し、さながら皇帝のようにふるまっていたとき、実は、本人は気づいてはいないが――つまり即自的には――歴史的真理に合致した行動をとっていたのだ。共和政はすでに死んでいたのだが、カエサルや暗殺者たちを含む当事者たちは、まだそのことに気づいていなかったのである。

 したがって、暗殺者たちは、カエサル一人を排除すれば、共和政が返ってくると思ったのだが、しかし、実際には、カエサル殺害こそがきっかけとなって、共和政から帝政への転換が決定的なものになった――即自的なものから対自的なものへと転換した。それによって、「カエサル」は、個人としては死んだが、ローマ皇帝の称号として復活したのだ。

カエサルの殺害は、その直接の目的を逸脱し、歴史が狡猾にもカエサルに割り当てた役割を全うさせてしまった」(Paul Laurent Assoun, Marx et répétition historique, Paris, 1978, p.68)。この場合、まるで、歴史の真理を知っている理性が、ブルータスやカエサルを己の手駒として利用し、歴史の本来の目的(ローマ帝国)を実現してしまったかのようである。これこそが、ずるがしこい理性である。

 こうした考え方の原型は、プロテスタントカルヴァン派の「予定説」であろう。キリスト教の終末論によれは、人間は皆、歴史の最後に神の審判を受ける。祝福された者は、神の国で永遠の生を与えられ、呪われた者には、逆に、永遠の責め苦が待っている。これが最後の審判である。神による最終的な合否判定だ。

 予定説は、このキリスト教に共通の世界観に、さらに次の2点を加えた。第一に、神は全知なのだから、誰が救われ(合格し)、誰が呪われるか(不合格になるか)は、最初から決まっている。しかし、第二に、人間は、神がどのように予定しているかを、最後のそのときまで知ることができない。このとき、人はどうふるまうか。それぞれの個人は、神の判断を知ることもできないのだから、ただ己の確信にしたがって、精一杯生きるしかない。彼らは、歴史の最後の日にしかるべき判決を受けるだろう。

 これら三つの例に登場している第三者の審級(見えざる手、ずるがしこい理性、予定説の神)には、共通の特徴がある。第一に、どの例でも、第三者の審級が何を欲しているのか、何をよしとしているのか、渦中にある人々にはまったくわからない。つまり、人々には、その第三者の審級が何者なのか、何を欲望する者なのかが、さっぱりわからないのである。

 これは、第三者の審級が、その本質(何であるかということ)に関して、まったく空白で、不確実な状態である。しかし、第二に、にもかかわらず、第三者の審級が存在しているということに関しては、確実であると信じられている。第三者の審級の現実存在に関しては、百パーセントの確実性があるのだ。

 本質に関しては空虚だが、現実存在に関しては充実している第三者の審級、これがあるとき、リスク社会は到来しない。三つのケースのどれをとっても、内部の個人には、ときにリスクがある。たとえば、市場の競争で敗北する者もいる。カエサルもブルータスも志半ばで死んでしまった。カルヴァン派の世界の中では、神の国には入れない者もたくさんいる。だから、個人にはリスクがある。

 しかし、全体としては、第三者の審級のおかげで、あるべき秩序が実現することになっている。全体が崩壊するような、真のリスクはありえない。見えざる手は、最も望ましい資源の配分を実現するだろう。ずるがしこい理性は、歴史の真理に従った目的を実現するだろう。神は、しかるべき人を救済し、そうでない人を呪うだろう。》(大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』に関する朝日出版社ブログ「大澤真幸 時評」)

《民主主義は、討議によるそれであれ、投票によるそれであれ、第三者の審級の知として真理の存在を前提にしている。「われわれ」は、その真理が何であるかを知らない。だが、それを知っている人がいる。

 誰か? 第三者の審級である。第三者の審級の(「われわれ」にとっては不可知の)知を前提にすれば、討議や投票を機能させることができる。その知が、討議や投票が、そこへと収束し、または漸近するための虚の焦点となるからである。

 だから、民主主義は、単一の第三者の審級の存在を前提にしているに等しい。民主主義が、多元主義を表面上は標榜しながら、結局は、排除を伴わざるをえない理由は、ここにある。単一の第三者の審級を前提にした途端に、真理(という名前の虚偽)による支配を容認したことになるからだ。》(大澤真幸『逆説の民主主義』)

 

 うっすらとでも理解できただろうか。

大文字の他者>は、<大他者>、<他者>あるいは「A(Autre)」とも表記されることがあって、いっそうの混乱をまねいている。「超越的な他者」、「超絶的な他者」、「絶対的な第三者としての他者」、「掟」、「社会の不文律」、「第三者の審級」とも表現される。顕れとしては他に、「言語」、「天皇制」、「(ロラン・バルト『記号の国』の空虚な中心)皇居」、「(近親相姦タブーの)外婚制」、「中国の皇帝は天の意志の反映(=天子)」、「(折口信夫の)まれびと」、「御霊信仰」、「(エコロジストの)信仰対象としての自然」、「(やめられない)原子力発電」、「(日本が心理的負債を負っている)日米同盟」、「(人間天皇に代った)進駐軍」、「(山本七平が指摘した)空気」、「世間」などもあげられるかもしれない。

 それは、《ここで、あの『裸の王様』の寓話のことを考えてみよう。王が裸であるということを知らないのは誰なのか? 任意の個人が、本当は王が裸であることを知っている。王自身すらも知っているのである。それにもかかわらず、彼らは、皆、王が裸であることを知らないかのように振る舞うのだ。どうしてか? どの個人も、「他の者は、王様が服を着ていることを知っている(皆は、王様が裸であることを知らない)」という認知を持っているからだ。知らないのは、だから「皆」である。それは誰なのか? それは、王国を構成する個人たちの総和では断じてない(何しろ、どの任意の個人も「知っている」のだから)。私が「第三者の審級」と呼んできた、超越的な他者こそは、任意の個人から独立して機能するこの「皆」である。》(大澤真幸『逆説の民主主義』)のような「うまく説明できないもの」、「鈍い意味」、「あるはずのないものがある」、「ないはずのものがある」世界である。同じような譬としてマルクスは『資本論』で、《ある人間が王であるのは、他の人間たちが彼にたいして臣下として相対するからに他ならない。ところが一方、彼らは、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思いこんでいる》や、《彼らはそれを知らない。しかし、彼らはそれをやっている》と書いている。

 

 ジジェクに戻る。

ラカンいわく、症候なる概念を考え出したのは誰あろうカール・マルクスであった。このラカンのテーゼは、ただの気のきいた言い回しだろうか、あるいは漠然とした比喩だろうか、それともちゃんとした理論的根拠があるのだろうか。もし、精神分析の分野でも用いられるような症候の概念を提唱したのが本当にマルクスだとしたら、われわれとしては、このような組み合わせが可能であるための認識論的な諸条件は何かという、カント的な問いを発しなければならない。商品の世界を分析したマルクスが、夢とかヒステリー現象とかの分析にも使えるような概念を生み出すなんて、どうしてそんなことがありえたのだろうか。

 答えはこうだ――マルクスフロイトの解釈法は、より正確にいえば商品の分析と夢の分析とは、根本的に同じものなのだ。どちらの場合も、肝心なのは、形態の背後に隠されているとされる「内容」の、まったくもって物神的(フェティシスティック)な魅惑の虜になってはならないということだ。分析によって明らかにすべき「秘密」とは、形態(商品の形態、夢の形態)の後ろに隠されている内容などではなく、形態そのものの「秘密」である。夢の形態を理論的に考察することは、顕在内容からその「隠された核」すなわち潜在的な夢思考を掘り起こすことではなく、どうして潜在的な夢思考がそのような形態をとったのか、どうして夢という形態に翻訳されたのか、という問いに答えることである。商品の場合も同じだ。重要なことは商品の「隠された核」――つまり、それを生産するのに使われた労働力によって商品の価値が決定されるということ――を掘り起こすことではなくて、どうして労働が商品価値という形態をとったのか、どうして労働はそれが生産した物の商品形態を通じてしかおのれの社会的性格を確証できないのか、を説明することである。》

 歌舞伎においても、『義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」で、どうして平知盛は二度死なねばならないのか、どうして安徳天皇は不死なのか、どうして安徳天皇は娘お安になりすましていたのか、どうして桜の季節でもないのに千本桜なのか、どうして義経は武の主役のようではないのか、どうして後白河法皇は気配すら見せないのか、に「症候」と「秘密」を読み取らねばなるまい。

 

<『義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」>

義経千本桜』の作者は竹本グループの(二代目)竹田出雲・三好松洛・並木千柳による合作で、人形浄瑠璃として1747(延享4)年11月 大坂・竹本座上演、歌舞伎としては翌1748(延享5)年1月 伊勢の芝居、同年5月 江戸・中村座の上演だった。

義経千本桜』「渡海屋の場・大物浦の場」のあらすじはこうだ。

 頼朝の疑惑を受け、とうとう都落ちすることになった義経主従は、九州に逃れるべく、摂津国大物浦(現在の尼ケ崎市)の廻船(かいせん)問屋(どんや)の渡海屋(とかいや)で日和待ちをしている。渡海屋の主人は銀平(ぎんぺい)、女房お柳(りゅう)、娘お安(やす)。銀平は身をやつした義経一行を嵐が来るのに船出させた後、白装束に長刀(なぎなた)を持った中納言平知盛の姿で現れる。実は、銀平こそ西海に沈んだはずの知盛であり、やはり合戦中に入水(じゅすい)したとされていた安徳天皇とその乳人(めのと)典侍局(すけのつぼね)を、自分の娘お安、女房お柳ということにして、ひそかに平家復興を目論んでいたのだ。源氏に対する復讐の機会到来と知盛は、嵐を狙って得意の船戦(いくさ)で義経を討とうと、勇んで出かけて行く。(「渡海屋の場」)

 典侍局と安徳帝は装束を改め、宿の襖を開け放って海上の船戦(いくさ)を見守る。しかし義経はとうに銀平の正体を見破っていて返り討ちにしてしまう。典侍局は覚悟を決め、安徳帝に波の底の都へ行こうと涙ながらに訴えるが、義経らに捕えられてしまう。死闘の末、悪霊のごとき形相となった知盛が戻ってくると、安徳帝を供奉(ぐぶ)した義経が現れて、帝を守護すると約束する。帝の「義経が情、あだに思うなコレ知盛」との言葉を聞いて、典侍局は自害し、知盛は平家再興の望みが潰えたことを悟る。知盛は「大物の浦にて判官に、仇をなせしは知盛が怨霊なりと伝えよや」と言い残すと、碇(いかり)もろとも海に身を投げ、壮絶な最後を遂げる。義経安徳帝を供奉して大物浦を去る。(「大物浦の場」)

 能『船弁慶』で悪霊となって義経一行を襲う知盛の扮装をふまえ、最後に碇もろとも海に身を投げるのは、能『碇潜(いかりかずき)』で知盛が亡霊として入水するさまから取っている。

 

「渡海屋の場・大物浦の場」には平知盛安徳天皇源義経が登場するが、三人の一人一人から<象徴界>、<大文字の他者>が見てとれる。同じくらい重要なことは、不在に意味があることで、それらは後白河法皇、桜、義経の智と武である。

 まず安徳天皇後白河法皇から、天皇制について考える。

 大澤は『THINKING「O」第9号』の特集「天皇の謎を解きます なぜ万世一系なのか?」で、大澤社会学の概念<第三者の審級>(=<大文字の他者>)の視点から天皇制を論じている。

天皇は、日本の歴史の最大の謎である。天皇は、いまだに謎のままに現前している》のであり、《天皇の謎は、その最も顕著な特徴として挙げられている「万世一系」に集約されている》。しかし、皆が知るように、天皇家がずっと他を寄せ付けない強大な権力を持っていたわけではない。むしろ日本史の教科書では、脇役である時代の方がはるかに長い。だからかえって、その継続性が「謎」なのである。

《「空虚な中心x―実効的な側近p」の形式が、日本史の中で、執拗に反復され》、そして《中心の支配者としての地位は、多くの場合、世襲され》たことが、継続性の理由であり、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式が非常に有効だったことが、謎を解く鍵である。

天皇とは、従属者たちが、臣下たちが自身の意志をそこへと自由に遠心化し、そこに投射することができるような空白の身体ではないか、と。臣下たちは、自分たちの意志を、直接にではなく、「天皇は何を欲しているのか」という問いへの答えとして探求するのだ。客観的に見れば、臣下たちが見出しているのは、臣下たちの主観的で集合的な意志である。しかし、彼らは、それを、「天皇の意志」として発見する。しかし、ほんとうは「天皇の意志」は、臣下たち、従属者たちの間身体的な関係性を通じて、構成されているのである。これこそ、公儀輿論の状況である。》

 重要なのは、従属者たちは、自分たちの意志を直接に見出すことはできない、ということである。《それは、他者の意志、天皇の意志という形式でのみ見出される。というのも、「天皇の意志」という形式から独立した、固有の「自分たちの意志」など存在しないからである。天皇の身体に投射し、帰属させることを通じて、従属者たちは初めて、自分たちの集合的で統一的な意志を形成することができるのである。》

 大澤は<第三者の審級>の典型的モデルを、天皇制に見いだす。この構造を、天皇の側から見ると、天皇にとっても、すべてが「自分の意志」と表明されるにも関わらず、それはみな、従属者の意志なのだ。日本の歴史において、「空虚な中心x―実効的な側近p」という形式は、常にその終点は天皇の身体に置かれながらも、それぞれの時代の権力構造が共有している。平安時代は「天皇(x)―摂政・関白(p)」、鎌倉時代は「将軍(x)―執権(p)」、室町時代は「将軍(x)―三管領四職(p)」、江戸時代は「将軍(x)―老中・大老(p)」といったように。

 赤坂憲雄『王と天皇』は、日本のアポリアである天皇制に関して鳥瞰した論考だが、天皇制の象徴性論のヴァリエーションの一つとして山口昌男天皇制の象徴空間」(『知の遠近法』所収)に言及している。

《 天皇(・・)の(・)役割(・・)が(・)民族(・・)の(・)宗教的(・・・)集中(・・)を(・)行なう(・・・)者(・)と(・)すれば(・・・)、天皇(・・)は(・)当然(・・)現実(・・)の(・)社会的(・・・)政治的(・・・)な(・)面(・)から(・・)の(・)自己(・・)疎外(・・)を(・)行う(・・)。つまり、あらゆる政治的世界の権力を一点に集中して「中心」をつくり、なおかつ、その中心から彼自身の肉体を抜き取ってしまう。しかし、彼自身は歌舞伎の座頭のごとく、司祭として同じ一点に坐っているのである。そして政治世界とは異なる次元の「中心」を形成しているのである。ここに、天皇制の鵺的性格の一つの側面が秘められているのである。(山口昌男天皇制の象徴空間」(『知の遠近法』所収、傍点筆者)

 この部分は渡辺保女形の運命』に寄り添いつつ書かれており、はたして山口の地の文といえるのか判断がつきにくい。これに続けて、山口(=渡辺)は天皇制のそうした“両棲類的側面”を、菅原道真藤原時平そして醍醐天皇の三項関係を例にとって説明する。すなわち、“通史が説くように道真配流事件の責任はすべて藤原時平に転嫁されて、天皇そのものには傷がつかない。天皇は時平の書いた政治的筋書に署名した立場から見抜きをして政治的世界からは不可視の空間に這入ってしまい、同じ一点にとどまりながら、民俗的想像力の世界に転移して「荒ぶる道真の霊をなぐさめ、その災害から民衆を救うために」取引する司祭の立場に立つのである”と。》

 赤坂は、醍醐天皇についての伝承には誤りがあると批判しつつも、《“空無化された深淵”(渡辺)である「中心」に、歌舞伎の座頭のごとく鎮座する天皇のイメージ》はたいへん魅力的であって、全く否定しているというわけではないとしている。正面きった天皇論に劇評家の渡辺保の文章が引用されていることに少し驚くが、渡辺の『女形の運命』の該当部分は、天皇制を論じることが主目的ではなく、歌舞伎における「三角形」の「中心」としての「座頭」市川團十郎家を論じ、次いで後を襲った女形の六世中村歌右衛門へと話を進めるための歌舞伎の構造論、回り道であった。ここには、<第三者の審級>や<大文字の他者>という概念は出てこないが、「昏い世界のふるさと」、「歌舞伎の構造」という表現が近いものを言い表している。いずれにしろ、天皇の外観と役回り、関係性は、大澤が論じていることに似ている。

 渡辺保ならば、『千本桜 花のない神話』の、まさしく「渡海屋の場・大物浦の場」の安徳天皇から天皇制に言及した部分が同じことを「超越的」、「ブラック・ホール」、「日本人の深層」として語っているので、こちらから引用しよう。

《「千本桜」は『平家物語』の再現であると同時に、人間にとって戦争とはなにかを問うすぐれた戦争劇なのである。

 しかし「千本桜」がすぐれているのはさらにその先にあって、その戦争の原因がなんであり、どういう本質をもっていたかを語る。すなわち入水しようとした天皇と局を義経が助けるところ以後に本当のドラマのクライマックスがくる。(中略)天皇はだれも捕虜にすることができない。それにもかかわらず天皇の源氏討伐、平家討伐の命令によって、ある者は官軍になり、ある者は賊軍となって、戦争の勝敗に決定的な影響が出る。現にさきほどまで安徳天皇を供奉していた知盛は官軍であり、いま義経天皇を供奉してしまった以上、知盛は賊軍にならざるをえない。(中略)しかしその権力闘争に決定的な役割を果たしたのは、実は天皇制の超越性と、どちらの側にもつく両義性であった。

 その事実が明らかになるのは、あくまで義経を討とうとする知盛の目前にあらわれた安徳天皇の言葉と、それにつづく典侍の局の自殺による。まず天皇はどういうことをいったのか。

 御幼稚(ようち)なれ共天皇は、始終のわかちを聞こし召し、知盛に向はせ給ひ、朕を供奉(ぐぶ)し、永々の介抱はそちが情(なさけ)、けふ又丸を助けしは、義経が情なれば、仇(あだ)に思ふな知盛……

 天皇の「始終のわかちを聞し召し」とは悲惨な潜行をつづけてきた天皇の流浪の悲しみをいった言葉ととれるかも知れないが、実はそうではない。普通の子供だったらばとても考え及ばなかったかも知れないが、「御幼稚なれ共」さすがに「天皇」で、前後の状況を正確に判断したというのである。その判断の結果、天皇はこれまでの「介抱」の苦労は知盛の「情」として認めるが、今日ただ今の時点では自分を供奉するのは義経であるといったのだ。(中略)それこそ天皇制という社会政治制度のメカニズムをもっともよくあらわした言葉であって、状態が悪くなってくると自分を推戴している権力を自由に切り捨て、のりかえて行くのである。そして人間に「情」をささげさせて、その「情」をまた与え返すという形をとりながら、この功利的な装置が作動していくのだ。

 天皇は決してそれ自体が権力として機能するものではない。あくまで権力から超越的であって、なんらかの権力に支えられている。それでいてその権力を選択する力を保有している。したがって現実には権力それ自体よりももっと強力に作動する権力のブラック・ホールなのである。こういう天皇制のもつ政治的な構造について、このドラマほど的確にその実態を描いているドラマは他に類がない。

「千本桜」は単に「戦争」を描いただけではなく「天皇制」そのものの性格を描いている。その意味で、このドラマは日本人の深層に深く根ざしたものをもっているのだ。》

 安徳天皇の「朕を供奉(ぐぶ)し、永々の介抱はそちが情(なさけ)、けふ又丸を助けしは、義経が情なれば、仇(あだ)に思ふな知盛」という無邪気そうな言葉は、あたかもラカンによる次の笑話の、パン屋で金を払わない男のようなキョトンとさせる虚にして異を唱えさせない力がある。《彼は手を出してケーキを要求し、そのケーキを返して、リキュールを一杯要求し、飲み干します。リキュール代を請求されると、この男はこう言います、「代わりにケーキをやっただろう」。「でもあのケーキの代金はまだいただいていません」。「でもそれは食べていない」。》(ラカン『自我(下)』)

 山口が寄り添った『女形の運命』からも引用しておく。天皇制の鵺のような、両棲類的な実体のなさばかりでなく、「御霊」もまた<大文字の他者>として機能することがあるからである。渡辺自身の私的な追想と実感から来るだけに、よりなまなましく「昏い世界のふるさと」、「関係の心情の構造」という<大文字の他者>の不気味さが、日本人が弱い「情」の贈与交換の儀式を伴って、高温多湿の心情にアメーバのようにぬめぬめともたれてくる。

《私にとって天皇は一つの危険な罠のようにみえる。現実の市民生活の中で多少とも戦前の怖ろしい記憶をもつ人間にとっては、天皇が今日存在すること自体がたえられぬ痛みである。しかし一方で古代以来天皇がもっていた神話的な闇は、歌舞伎役者の背負っていた闇にも通っているのではないか。私は天皇を少しも愛さず、歌舞伎役者を愛している。しかし歌舞伎役者とは実はあの怖ろしい記憶の根源にあるものの似姿ではないのか。

 二代目団十郎がその「特殊な象徴的意味」を獲得するために利用した御霊信仰とは、本来現世に怨みを抱いて不慮に死んだ人間の霊をなぐさめるものだそうである。もしそうだとすれば、この信仰の対象の霊の中には、当然現世に対する批判が含まれるだろう。たとえば菅原道真の霊は、雷(いかずち)となって京都を襲った。道真の霊は御霊の典型的なものである。

 雷は道真を九州に左遷した当の政敵に及んだだけでなく、上下の民心、ことに天皇自身を畏怖せしめたという。伝説によれば藤原時平が一人わるい奴のようであるが、実はこういう伝説はつねに天皇制の永遠なる維持のためと、のちにのべるように天皇を宗教的次元にとどめるために、政治的実務家の側近に罪をなすりつけて終わる。むろん道真の怨念のおもむく先は、側近ばかりでなく、現体制の権威の根源である天皇自身にまで及ぶべきものである。天皇自身そういうことを知っているから、慌(あわ)てて道真の官位を復し、天神社を造営し、祭祀(さいし)をとり行って、災をさけようとしたのである。(中略)

 しかもここで大事なことは天皇が道真の霊に表面的には敵対しているようであるが、そう見えるのは政治的な次元のことであって、宗教的な次元では荒ぶる霊とそれをまつる祭主というような形になって、必ずしも対立してはいないことである。むしろ道真の霊はいつのまにか天皇と手を握ってしまう。そういう関係の心情の構造を考えると、私には天皇とたとえば道真の霊が必ずしも対立した二つのものではなく、一つのものの二つの側面だという気がする。》(渡辺保女形の運命』)

 醍醐天皇藤原時平の関係性と瓜二つなのが、『義経千本桜』における後白河法皇左大臣藤原朝方(ともかた)の関係性だ。後白河法皇の御所へ、平家を討って帰京した義経が、弁慶とともに参上するところから始まる「序段」の発端において、後白河法皇は気配さえ見せず、かわって朝方(ともかた)が院宣(いんぜん)だとして「初音(はつね)の鼓(つづみ)」を陰謀のごとく与える。

大文字の他者>の具象化である「御霊信仰」に関して補足すれば、『義経千本桜』(1747年)の前年(1746年)に同じ竹田出雲グループによる『菅原伝授手習鑑』は道真の物語であり、『義経千本桜』の翌年(1748年)の『仮名手本忠臣蔵』が『曾我物語』の流れを汲んだ怨霊に関わる物語なのは、丸谷才一忠臣蔵とは何か』に詳しい。間に挟まった『義経千本作』にもまた、平家一門、義経安徳天皇御霊信仰として機能していることを感ぜずにはいられない。

 そしてまた、作者が竹田出雲・三好松洛・並木千柳の三人による合作であることが、それぞれに他者の眼をより意識させて、<大文字の他者>を強く発動させたのではないか。

 

 知盛の反復する死と、安徳天皇の不死には、作者が「観客の意識の底に潜在している微妙な心理に媚(こ)び」た、<象徴界>と<大文字の他者>が表現されている。知盛は反復しなければならず、安徳天皇は反復してはならなかった、そればかりか天皇の最初の死もあってはならなかったのだ。

 ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』で次のように解説している。

ヘーゲルは、ユリウス・カエサルの死について論じながら、その反復理論を発展させた。(中略)反復の問題のいっさいがここに、すなわちカエサル(ある個人の名)から皇帝(カエサル)(ローマ皇帝の称号)への移行にある。カエサル――歴史的人格――の殺害は、その最終的結果として、皇帝支配(カエサリスム)の開始の引き金となった。カエサルという人格が(・・・・・・・・・・)皇帝(カエサル)という称号として反復される(・・・・・・・・・・・・・)。この反復の理由、動力は何か。一見すると答えは簡単そうにみえる。「客観的」歴史的必然性に関する、われわれ人間の意識の立ち遅れである、と。その隙間から歴史的必然性がちらりと見えるようなある行為は、意識(「民衆の意見」)からは、恣意的なものとして、すなわち起こらずともよかったものとして捉えられる。こうした捉え方のせいで、民衆はその結果を捨て去り、かつての状態を復元しようとするが、この行為が反復されると、その行為は結局、底にある歴史的必然性のあらわれとして捉えられる。言い換えれば、反復によって、歴史的必然性は「世論」の目の前にあらわれるのである。

 しかし、反復についてのこうした考え方は、認識論的に素朴な前提にもとづいている。すなわち、客観的な歴史的必然性は、意識(「民衆の意見」)とは関わりなくしぶとく生き残り、最終的に反復を通して姿をあらわす、という前提である。こうした発想に欠けているのは、いわゆる歴史的必然性そのものが誤認(・・)を(・)通して(・・・)つくりあげられる(・・・・・・・・)、つまりその真の性格を最初に「世論」が認識できなかったということによってつくりあげるのだということ、要するに真理そのものが誤認から生まれるということである。ここでも核心的な点は、ある出来事の象徴的な地位が変化するということである。その出来事が最初に起きたときには、それは偶発的な外傷として、すなわちある象徴化されていない<現実界(リアル)>の侵入として体験される。反復を通じてはじめて、その出来事の象徴的必然性が認識される。つまり、その出来事が象徴のネットワークの中に自分の場所を見出す。象徴界の中で現実化されるのである。だが、フロイトが分析したモーセの場合と同じく、この反復による認識は必然的に犯罪、すなわち殺人という行為を前提とする。カエサルは、おのれの象徴的必然性の中で――権力―称号として――自身を実現するために、血と肉をもった経験的な人格としては死ななければならない。なぜなら、ここで問題になっている「必然性」は象徴的必然性だからである。(中略)

 言い換えれば、反復は「法」の到来を告げる。死んだ、殺された父親の代わりに「父―の―名」があらわれる。反復される出来事は、反復を通じて遡及的に、おのれの法を受け取るのである。だからこそ、われわれはヘーゲルのいう反復を、法のない系列から法的な系列への移行として、法のない系列の取り込みとして、何よりも解釈の身振りとして、象徴化されていない外傷的な出来事の象徴的専有として、捉えることができるのだ(ラカンによれば、解釈はつねに「父―の―名」の徴のもとにおこなわれる)。》

 だからこそ、歴史的事実から遅れて来た『義経千本桜』において、「父―の―名」の徴のもと、知盛は父清盛の「悪」の象徴として反復して二度死ななければならなかったし、対して安徳天皇は日本の<大文字の他者>として不死であらねばならなかった。

 知盛は、《ナポレオンが最初に敗北してエルバ島に流されたとき、彼は自分がすでに死んでいることをつまり自分の歴史的役割が終わったことを知らなかった。それで彼は、ワーテルローでの再度の敗北によってそれを思い出さなければならなかった。この時点では彼は二度目の死を迎えた。つまり現実に死んだのである。(中略)ラカンは、この二つの死の差異を、現実的(生物学的)な死と、その象徴化・「勘定の清算」・象徴的運命の成就(たとえばカトリックの臨終告解)との差異と捉える。》(ジジェクイデオロギーの崇高な対象』)のナポレオンと同じように、現実的な死と、その象徴的運命の成就としての死という二つの死を『義経千本桜』で果たしたことになる。

義経千本桜』(人形浄瑠璃は1747(延享4)年11月 大坂・竹本座。歌舞伎は1748(延享5)年1月 伊勢の芝居、同年5月 江戸中村座)の「渡海屋の場・大物浦の場」に反戦のメッセージを読みとることに対して、応仁の乱から150年以上続く戦国時代の終結(「元和偃武(げんなえんぶ)」)を最後の内戦(「大阪夏の陣」(1615(慶長20)年))によって成し遂げ、それから100年以上が経過した徳川の平和の中に生活する観客の、同時代の意識の解釈として、「反戦」という現代的な概念はおかしいのではないかとも考えられよう。しかし、ベンヤミンが、歴史記述は未来から見て遡及的に記述されているのだという視点や、「メシヤ的な歴史」と表現した期待をこめた時間の見方もある。

《歴史をテクストと見なしさえすれば、現代の一部の作家たちが文学的テクストについて述べていることを、歴史についても言うことができる。過去は歴史のテクストの中に、写真版上に保たれているイメージに譬えられるようなイメージを置いてきた。写真の細部がはっきりあらわれてくるような強い現像液を処理できるのは未来だけである。マリヴォー、あるいはルソーの作品にはところどころに、同時代の読者には完全に解読できなかった意味がある。》(ベンヤミン

 マリヴォーやルソーの作品が期待している未来がなんであるのか、同時代には確定していないからだ。過去の出来事は未来の出来事への期待を孕んでいる。竹田出雲・三好松洛・並木千柳という竹本グループが、同時代の観客には完全には理解できなかった意味を含んで語っていたとしても不思議ではない。

 

義経千本桜』というタイトルと「不在」にも意味がある。本来、歴史的にも作品本文も桜の季節ではないのに「千本桜」。見せ場が少なくて主役には見えず、武がなく智も少なく仁だけで、あまり魅力のない「義経」。

ワルシャワレーニン」という小話(ジョーク)がある。

《モスクワのある絵画展に一枚の絵が出品されている。その絵に描かれているのは、レーニンの妻のナジェージダ・クルプスカヤがコムソモール〔全連邦レーニン共産主義青年同盟〕の若い男と寝ているところだ。絵のタイトルは「ワルシャワレーニン」。困惑した観客がガイドに尋ねる。「でも、レーニンはどこに?」。ガイドは落ち着き払って答える。「レーニンワルシャワにいます」。(中略)この観客の誤りは、あたかもタイトルが一種の「客観的距離」から絵について語っているかのように、絵とタイトルの間に、記号とそれが指し示す対象との間と同じ距離をおき、タイトルが指し示す実体を絵の中に探したことである。だから観客はこうたずねる、「ここに書かれているタイトルが示している対象はどこにあるんですか」。だがもちろんこの小話の急所は、この絵の場合、絵とタイトルの関係が、タイトルが描かれているものを単純に指し示す(「風景」「自画像」)ような普通の関係ではないということである。ここでは、タイトルはいわば同じ表面上にある。絵そのものと同じ連続体の一部である。タイトルの絵からの距離は厳密に内的距離であり、絵に切り込んでいる。したがって何かが絵から(外へ)抜け落ちなくてはならない。タイトルが落ちるのではなく、対象が落ちて、タイトルに置き換えられるのである。》(ジジェクイデオロギーの崇高な対象』)

「千本桜」という名前が「吉野の花の爛漫」という地理的な古代信仰を喚起し、武家文化と公家文化の両方を兼ね備えた貴種流離の英雄「義経」の武を期待させておいて、その観念と理念のうえでの「不在」は「謎」を生み「不安」を呼び覚まして、観客を幕切れまで引っ張るとは、「徳川時代狂言作者は、案外ずるく頭が働いて」いたか、「知られていない『知られていること』」の下で奇跡的な3年間が訪れた。

 さらに、ここでは多くを割かないが(詳細は渡辺保『千本桜 花のない神話』「第三章 安徳天皇は女帝か」)、安徳天皇が実は女であったという伝承を利用しての知盛の今際(いまわ)の告白、「これというも、父清盛、外戚の望みあるによって、姫宮を男(おのこ)宮と言い触らし、権威をもって御位につけ、天道をあざむき」にも、現代に通じる女帝問題の象徴として<大文字の他者>が通奏底音を奏でていることを忘れてはならない。

 

                               (了)

        *****引用または参考文献*****

(以前書いた「<象徴界>と<大文字の他者>でみる『義経千本桜』と『伽羅先代萩』」から『義経千本桜』の部分を抜粋した)

スラヴォイ・ジジェクラカンはこう読め!』鈴木晶訳(紀伊國屋書店

スラヴォイ・ジジェクイデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳(河出文庫

スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ』鈴木晶訳(青土社

大澤真幸『社会は絶えず夢を見ている』(朝日出版社

大澤真幸『逆説の民主主義――格闘する思想』(角川書店

大澤真幸『思想のケミストリー』(紀ノ国屋書店)

大澤真幸『社会システムの生成』(弘文堂)

大澤真幸『THINKING「O」第9号』(左右社)

内田樹『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(文春文庫)

ジャック・ラカン精神分析の四基本概念』小出浩之他訳(岩波書店

ジャック・ラカン『自我(下)』小出浩之他訳(岩波書店

谷崎潤一郎『幼少時代』(岩波文庫

谷崎潤一郎吉野葛蘆刈』(岩波文庫

渡辺保『千本桜 花のない神話』(東京書籍)

渡辺保女形の運命』(岩波現代文庫

渡辺保忠臣蔵――もう一つの歴史感覚』(中公文庫)

渡辺保『歌舞伎手帖』(角川ソフィア文庫

橋本治浄瑠璃を読もう』(新潮社)

丸谷才一忠臣蔵とは何か』(講談社文芸文庫

丸谷才一『輝く日の宮』(講談社文庫)

柄谷行人『日本精神分析』(講談社学芸文庫)

赤坂憲雄『王と天皇』(筑摩書房

吉本隆明『<信>の構造3 全天皇制・宗教論集成』(春秋社)

山口昌男『知の遠近法』(岩波書店

*『折口信夫全集3 古代研究(民俗学編2)』(「大嘗祭の本義」所収)(中公文庫)

*『新潮日本古典集成 平家物語(上)(中)(下)』(新潮社)

*『義経記』(岩波文庫

*『歌舞伎オン・ステージ 義経千本桜』原道生編著(白水社

*『国立劇場歌舞伎公演記録集 義経千本桜(上)(下)』(ぴあ株式会社)

*『文楽床本集 義経千本桜』(平成十五年九月文楽公演)(日本芸術文化振興会