文学批評/映画批評 カズオ・イシグロ『日の名残り』論

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カズオ・イシグロ日の名残り』論

                                

[序 サルマン・ラシュディの『日の名残り』書評]

 

 サルマン・ラシュディによるカズオ・イシグロ日の名残り』の書評は、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内』の「執事が見なかったもの」という題で読むことができる。

カズオ・イシグロの新作は、表面だけ見ているとほとんど物音ひとつしない。とうに壮年期を過ぎた執事スティーブンスが一週間、イングランド西部へ車で休養にでかける。彼はのんびり車を走らせながら、風景を眺め、自分の生涯を顧み、一九五〇年代のイギリス映画から抜け出してきたような、田舎の陽気な人々につぎつぎに出会う。折り目のついたズボンをはき、母音をあいまいに発音する紳士に向かって、下層階級がうやうやしく帽子をぬぐような世界だ。事実、この作品の時期は一九五六年七月なのである。だが、時代をこえたもっと他の世界、ウッドハウスの小説の召使いジーヴズの主人ウースターや、テレビの人気番組「階上と階下(階上は金持ちを、階下は貧しい人々を指す)」の執事ハドソンや料理女ミセス・ブリッジェスの世界、ジョージ・エリオットの『牧師館物語』での執事と女中頭のベラミー夫妻などの世界の雰囲気も感じられる。

 たいした事件は何も起こらない。スティーブンス氏の小旅行の山は、ダーリントン・ホールの元女中頭だったミス・ケントンを訪ねる箇所で、ダーリントン・ホールとは、すでにダーリントン卿からファラディという、よく軽口をたたいて人をまどわせる陽気なアメリカ人に代わっているものの、いまなおスティーブンスが「設備のひとつ」として働いている大邸宅である。スティーブンスはミス・ケントンを説得して、またダーリントン・ホールへ復帰させたいとおもっている。その期待は実らず、彼はひきかえす。ささやかな出来事ばかりだが、では、最後にちかくウェイマスの桟橋で、年老いた執事が赤の他人の前で泣くことになるのはなぜなのか。その赤の他人がこの執事に向かって、のんびり休んで晩年を楽しんだらと言っているのに、この陳腐だとはしても賢明な忠告にスティーブンスが従えないのはなぜか。彼の晩年がめちゃくちゃになった原因は何なのだ。

 この小説は表面的には穏やかで表現も押さえられているものの、一皮むけば、地味ながら大きな動揺が隠れているのである。『日の名残り』は実をいうと、一見その祖先のようにみえる小説の形式をみごとにひっくり返した作品なのだ。ウッドハウスの世界には、死とか変化、苦痛、悪といったものが入っている。歴史の積み重ねのなかで神聖なものとなった主従関の紐帯、両者の生き方の規範、こういうものはすでに規範としての絶対性を失い、むしろ荒廃した自己欺瞞の源になっている。陽気な田舎者たちにしても、蓋をあけてみれば戦後の民主主義的な価値観や集団の権利の擁護者となっているのでは、スティーブンスやその同類は、すでに悲喜劇的な時代おくれと化してしまったのだ。

「自分が奴隷じゃ、品位なんか持てやしないよ」と、スティーブンスはデヴォン州で泊まった家で言われる。だがスティーブンスの生涯にとっては、品位とは自分を殺して職務に励み、自分の運命を主人の運命にゆだねることだったのだ。では、権力とわれわれの関係の実態はどういうものなのだろう。われわれは権力の召使なのか、主人なのか。イギリス的であるとはどういうことか? 偉大さとは何か? 品位とは何か?――こういう大問題を精妙に、しかも底には曇りのない現実的な目を秘めながらユーモラスに提示したのは、イシグロの小説の希有な手柄である。

 ここで語られているのは、実は自分の人生観の土台だった思想によって滅びた男の物語なのだ。スティーブンスは「偉大さ」という概念に固執している。彼はそれを抑制に似たものだと思っている。(イギリスの風景の偉大さは、アフリカやアメリカの風景の「これ見よがしの品のなさ」がないところにある、と彼は信じている。)偉大さとはこういうものだとしたのは、やはり執事だった彼の父である。だが、父子のあいだの愛情が壊れたのはまさに、この概念が二人のあいだに立ちはだかって怨みの元となり、気持ちが通じなくなったからだったのだ。

 スティーブンスに言わせると、執事が偉大かどうかは、「職業人としての自己を棄てずにいられる能力と決定的にかかわっている」。これがイギリス的性格につながるのである。ヨーロッパ諸国の人間やケルト民族は、ちょっとしたことでも「騒ぎたてる」性格のせいで、立派な執事にはなれない。だが、スティーブンスはこういう「偉大さ」に憧れていたばかりに、一回きりのロマンティックな愛のチャンスを逃してしまった。自分の役割に埋没していたために、彼はかつてミス・ケントンを他の男に走らせてしまったのである。「どうして、あなたはいつでも『嘘をついて』いなければならないの? なぜ?」彼女は絶望して問いつめた。彼の「偉大さ」の正体は仮面か、臆病さか、嘘にすぎないことが、あきらかになったのである。

 彼の最大の挫折をもたらしたのは、そのもっとも深い確信だった。主人は人類の幸福のために働いているのであり、自分の名誉はこの主人に仕えることにある、と彼は信じていた。ところが、ダーリントン卿は間抜けなナチ協力者という汚名を背負って生涯を終えた。安っぽい特価品のペテロのようなスティーブンスは、すくなくとも二度は卿を拒んだけれども、主人の失墜によって消すことのできない汚名を負った気持ちになった。ダーリントン卿もスティーブンスと同じく、みずからの倫理規範によって滅びたのである。彼はヴェルサイユ条約の苛酷さは紳士的でないと考えたからこそ、ナチ協力者の悲運に走ったのだった。理想主義もまた冷笑主義におとらず、決定的に破綻することがあるのだ。

 だが、すくなくともダーリントン卿はみずからの道を選ぶことができた。「わたしにはその権利もない」とスティーブンスは呻く。

「いいかね、わたしは『信じた』のだ……ところが、自分で過ちを犯したとさえ言えない。それでは品位などどこにあるとほんとうに言いたくなるよ」。彼の生涯は愚かしい過ちだったのだ。ただひとつそれを弁護できるものは、かれに破綻をもたらしたあの自己欺瞞の才能だけである。これは、美しいと同時に残酷な物語にとって、残酷だが美しい結論ではないか。

 イシグロの最初の長編『女たちの遠い夏』(筆者註:のち邦題は『遠い山なみの光』に改題)の舞台は戦後の長崎だったが、原爆にはふれていない。新作の時期は、ちょうどナセルがスエズ運河を国有化した月にあたっているのだが、スエズでの失敗はイギリスの終焉を表すひとつの事件だったにもかかわらず、イギリスの衰退をひとつの主題としているこの小説は、その危機にふれていない。日本を舞台にした第二作『浮世の画家』も、戦争協力、自己欺瞞、無意識の自己表出という主題をあつかい、その中で想起される建前と品位の概念をあつかっていた。イギリスと日本は、表面はそれぞれにいささか不可解でも、じつはそれほど隔たっていないのかもしれない。》

 

 丸谷才一ラシュディの書評を次のように讃えた。

《最後に彼が言ふ、日英両国の小説における沈黙の技法など、まことに興味深い話題であらう。それはアンダーステイトメント、つまり抑制のきいたものの言ひ方に通じる技法である。》 

 同じくらい精妙な技法として、イシグロについてよく言われる、そして本人も有効な小説の技法(手法)だとくりかえし語っている「信頼(信用)できない語り手」についての言及がないのはどうしたことだろう。

 

カズオ・イシグロの文学白熱教室」でイシグロ自身が語っている。

《それでは次に「物語を記憶を通じて語る」というテーマに入りたいと思う。 これは物語を語る上でフィクションで使われる一つの手法で、テレビドラマや映画とは全く違うものだ。紙の上でしか描くことができない。読者も小説を読まないとこれを体験できない。だから私は小説を読むべきだと言えるのだ。 

この体験は、小説という形だからこそ得られるもので、他の形では得られないからだ。こうして私はこの手法を用い始めた。筋書きに固執して時系列に話を展開することよりも、語り手の内なる考えや関係性を追って書き出した。ジャーナリストなら信頼できないことは最悪だ。だがフィクションでは信頼できないことで面白いことが起きる。 

例えば人間は何かを思い出す時、その記憶はゆがめられている。不愉快なことはすり替えている。自分を少し誇張したりもする。フィクションで記憶を取り入れることによって「なぜ人は信頼できないんだろう?」という疑問が湧き上がる。

 「どういう時に信頼できないのだろうか?」「何かを隠そうとする理由は何なのか?」「逃げ出そうとする理由は何なのか?」「なぜ物事を変えたいと思うのか?」 

私は「信頼できない」ことは、小説家にとって非常に力強いツールだと思った。私が言う「信頼できない」とは、私たちの現実の世界で起きていることだ。人は真剣な話、重要な話をする時、実は信頼できないのだ。10代になれば、あるいは大人になればなおさら、我々はある種の達人になっている。私たちに語りかけている人は信頼できる語り手じゃないと分かっている。 

 例えば学生時代の友人にばったり出会って、君はこう言う。「やあ、元気にやっているか?離婚したって聞いたよ」「ああ、でも離婚してよかった。これ以上最良な方法はなかったよ。前より自由になったし、人生も上向きになってきた」と友人が答えたとしよう。よほどの馬鹿者じゃない限り「ああ、よかった。大丈夫なんだな」と思う人はいないだろう。それは「方便」だと分かっているからだ。 

 人は本心を明かさず、少し飾って話すことが多い。そんなことから、私たちは社会で生きているだけで物事を読み取る達人にもなっているのだ。だからフィクションを書いている時、信頼できない語り手や信頼できない物語の進行役を用いると、読者は読み取るスキルを使うことになる。現実の世界で自分を取り巻く世界や人に対して使うように。 

 私が非常に興味を持っているのは、人が自分自身に嘘をつく才能だ。他人に嘘をつくつもりがなくても、本当ではないことを言ってしまう。そのような信頼できない状態は、フィクションを書くにあたって非常に有効で、フィクションにピタリとはまる手法だと思う。》

 

 デイヴィッド・ロッジは『小説の技巧』で、『日の名残り』を例にとって(もう一つはナボコフ『青白い炎』)「信用できない語り手」についての分析をした。 

 デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』の「信用できない語り手」から。

《「信用できない語り手」とはつねに、みずからが語るストーリーの一部を成す登場人物である。信用できない「全知の」語り手というのはほとんど論理的矛盾であり、きわめて特殊な実験的テクストにおいてしか存在しえない。一方、「全知」ではない、登場人物でもある語り手にしても、まったく一パーセントも信用できないということはありえない。もしその人物の言うことが全部明らかに嘘だとすれば、それは、我々がとっくに知っていること――すなわち、小説とは虚構の産物であるということ――を再確認させるにすぎない。物語が我々の関心をそそるためには、現実の世界と同様、小説世界内部での真実と虚偽を見分ける道が与えられていなくてはならない。

 信用できない語り手を用いることの意義もまさに、見かけと現実のずれを興味深い形で明らかにできるとい点にある。人間がいかに現実を歪めたり隠したりする存在であるかを、そのような語り手は実演してみせるのだ。そうした欲求には、かならずしも本人の自覚や悪意が伴っている必要はない。カズオ・イシグロの作品の語り手にしても、決して悪人ではない。だが彼の人生は、自分と他人をめぐる真実を抑圧し回避することに基づいて進められてきたのだ。その語りは一種の告白だが、そこには、欺瞞に彩られた自己正当化や言い逃れがあふれている。最後の最後になって、自分についてある種の理解に到達するものの、その時にはもう、そこから何かを得るには手遅れだ。》

 

日の名残り』のライトモチーフのひとつは「信用できない語り手」による「盲目」性に違いなく、映画と小説を比較検討することでより明瞭になる。

 

 

[『日の名残り』を読む/見る]

 

 アンソニー・ホプキンスが執事スティーブンスを、エマ・トンプソンがミス・ケントンを演じたジェイムズ・アイヴォリー監督『日の名残り』(一九九三年)は優れた映画ではあるけれども、原作小説(一九八九年)と違って「信用できない語り手」の存在は感じられず(ということは「信用できない作者」もまた感じられない)、そこに「盲目」性はなく、はっきりと見えすぎている。あるいは、映画は見せすぎている、と表現すべきか。ラシュディの書評は、映画評であってもあってもおかしくない(正確に言えば、映画はラシュディ評のスエズ危機を語ってしまうなど抑制的ではない)。

 他にもいくつか重要な異同がある。旅に出るスティーブンスがアメリカ車フォードではなく、ドイツ車ダイムラーを主人から借りることも、かつてのナチス・ドイツとの因縁が感じられもするが、目をつぶろう。一人称小説に対して、映画はそうではないことから生じる差異が大きい。「信用できない語り手」がまさにそうだ。「省略」を脚本が補填しすぎている。映画でミス・ケントンがパブで結婚相手ミスター・ベンと逢引するシーンに、一人称小説なら屋敷で勤務中のスティーブンスが同席できるはずはないし、孫が出来るから家に戻ってきてほしいと別居して下宿先にいる妻ケントンをベンが訪ねてくるシーンを旅の途中のスティーブンスが見るはずもない。

 

 イシグロは対談で、映画を気に入っているが、小説とは「異なる芸術作品」で「いとこ」のよう、と形容しているけれども、これもまた抑制された語り口だろう。

《I was very pleased with the film……James Ivory’s The Remains of the Day which is a cousin of my The remains of the Day but it is a different work of art. It’s one I have a lot of affection for.》

 そのうえで、映画は互いの愛の感情を抑え過ぎた二人の物語となっているが、小説は自制、無私についての物語だとしている。

《In the movie, the relationship between the two main characters……was about emotional repression: they loved each other but they were just too repressed……in the book it’s not quite that, it’s about self-denial.》

 

 小説を映画と比較しながら読み進める(ページ数(P)は、カズオ・イシグロ日の名残り土屋政雄訳(早川epi文庫)による)。

 

 

「プロローグ」

 

<隠しても仕方ありますまい>

・(P11)《ところが、それから数日の間に、ファラディ様のお申し出に対する私の気持ちは一変し、頭の中では、西部地方への旅という考えがしだいに大きくふくらみはじめたのです。この急変の原因が――隠しても仕方ありますまい――ミス・ケントンからの手紙にあることは――クリスマス・カードを除けば、この七年間で初めての手紙にあることは――事実です。ただ、誤解なきように願いたいのは、私はミス・ケントンの手紙で職業意識を刺激された、ということなのです。》

⇒「隠しても仕方ありますまい」という素直そうな「露出」的告白によって、「何も隠してなどいない」「隠すような人間ではない」と読者を誘導し、この先の隠された真実を隠蔽する。あたかもフロイトの笑い話の、《あるガリツィア地方の駅で二人のユダヤ人が出会った。「どこへ行くのかね」と一人が尋ねた。「クラカウへ」と答えた。「おいおい、あんたはなんて嘘つきなんだ」と最初の男がいきり立って言う。「クラカウに行くと言って、あんたがレンベルクに行くとわしに思わせたいんだろう。だけどあんたは本当にクラカウに行くとわしは知っている。それなのになぜ嘘をつくんだ?」》(フロイト全集<8>「1905年――機知」(岩波書店))のような真実の露出をつうじた嘘。

 と同時に、察しのよい読者には、もしかすると「信頼できない語り手」(デイヴィッド・ロッジによる)ではないか、という気づきを与える。小説における隠蔽は完全に隠しきってはいけない、隠蔽ではないかと匂わせることで効果を発揮する。

 主人公である一人称の語り手、執事スティーブンスは、すぐに言訳を付け加えることを忘れない。「ただ、誤解なきように願いたいのは」「職業意識を刺激された」と。読者に、誤解するな、執事は誠実な人間の仕事なのだ、と注意する。

 

<明白な事実に盲目になっておりました>

・(P12)《じつは告白せねばなりませんが、私はこの数か月間に、仕事の上で小さな過ちをいくつか重ねてしまいました。取るに足りない些細な過ちとはいえ、これまでおよそ過ちというものに無縁であった私には、過つこと自体が心穏やかならざることでございまして、その原因についてあれこれと悲観的な考えを抱きはじめたのも、無理からぬこととご理解いただけましょう。こうした場合にとかくありがちなように、私もまた、明白な事実に盲目になっておりました。つまり、ミス・ケントンの手紙に触れるまで、私の目には単純な真実が見えていなかったのです。その真実とは、一連の過ちの原因は職務計画の不備にあって、それ以外のなにものにもない――これでございます。》

⇒読み進めても、仕事上の小さな過ち、一連の過ちが何であったのか、具体的には一向に語られない(ようやくそれらしきことがひとつだけ語られるのは半分以上過ぎてからの、銀のフォークの汚れの件にすぎない)。

 この小説のライトモチーフのひとつは「盲目」である。「信頼できない語り手」によって読者は「盲目」状態におかれたうえに、作者イシグロがあえて語らないこと、「黙説法(パラリプス)」(ジェラール・ジュネット)によって、読者は「盲目」なまま小説を読み進めざるを得ない。

 

 

<ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのは誰か』>

 バイヤール『アクロイドを殺したのは誰か』は、アガサ・クリスティーアクロイド殺害事件』を基に、心理的な「盲目」について論じている。

《真実は、隠されている反面、読者に手のとどくものでなければならない、しかも読者の目につくところにあるのでなければならない》

⇒イシグロは、あえて冒頭の数頁で、「隠しても仕方ありますまい」に続けて、「私もまた、明白な事実に盲目になっておりました」、「私の目には単純な真実が見えていなかったのです」と読者にヒントを与えつつ挑発する。

《犯人が担う役割(・・)も隠れみのとなる。まずは職業という意味での役割だが、それが社会的な信用度の高い職業である場合にはなおさらである。》

⇒スティーブンスは執事の「偉大さ」「品格」をくどいほど長々と考察して、読者が抱いている執事の社会的信用度を補強する。

《作者は読者の関心を別の指標の方へと逸らそうとする。これはいわば逆向きの偽装である。本物を粉飾して見分けられなくするのではなく、いうなれば贋物をほんとうらしく際立たせ、そちらに注意を向けさせようとすることであるからだ。ここでは隠蔽のこの第二のメカニズムを転嫁(・・)と呼ぶことにする。》

⇒この先の国際会議、秘密会談における執事としての「偉大さ」「品格」を誇示することで、恋愛感情の自制、禁止の《偽装と転嫁は一体化となって機能する》。

《この作品のもっとも重要な隠蔽形式が、語り手と犯人を一体化したことに由来しているというのも事実である。ここでは犯人が、小説全体をつうじて、これ見よがしに読者の目に晒されている。バルトの的確な表現を借りれば、『アクロイド殺害事件』では読者は犯人をいくつもの「彼」の背後に捜そうとするが、犯人はじつは「私」の背後に隠れているのである(*)。((*)「ここでアガサ・クリスティーの小説を思い出してもいいだろう。語りの一人称の陰に犯人を隠すという妙案が売りもののあの小説である。そこでは読者は犯人を物語に登場するすべての「彼」の背後に捜す。ところが犯人は「私」の陰に潜んでいたのである。アガサ・クリスティーは、ふつう小説のなかでは「私」は証言者であり、「彼」が行為者であるということを熟知していたのだ」ロラン・バルト『零度のエクリチュール渡辺淳、沢村昴一訳(みすず書房))》

⇒一人称の映画も可能ではあるが、アイヴォリー監督は大衆的わかりやすさを選んで、キャメラを神の眼としたので、「隠蔽」はなく犯人もいない。

《この小説における発話のあり方はあるあいまいさ(・・・・・)を孕んでいる。そして、アガサ・クリスティーはそれを利用することを完璧に心得ていた。というのも、この小説は独白(モノローグ)的であるため、一人称の語り手はついには全知の語り手のように思われてくるのである。》《語り手の「私」の背後に犯人を隠すというこの手法は、しかしながら、別の二つの手法をともなっていなかったら機能していないだろう。互いに緊密に繋がっている二つの手法、いずれも読者の目を欺くのに不可欠な手法である。その第一は表現のテクニック、第二は物語る内容の取捨選択にかかわる手法である。そして後者がもたらす影響は、前者の場合よりもはるかに広範囲におよぶ。表現のテクニックとは、二重の意味にとれる言説の使用(・・・・・・・・・・・・・・)ということにほかならない。》

⇒「表現のテクニック」としての、ミス・ケントンの泣き声を聞いたときスティーブンスの胸に湧き上がる「不思議な感情」、「名状しがたい感情の渦」という恋愛感情なのかそうではないのかのグレーな多義的表現。

《この小説のトリックを機能させるのに不可欠な第二の手法は、省略による嘘(・・・・・・)である。(中略)省略による嘘はじつは、推理小説における真実隠蔽の四番目のテクニックとみることができる。いずれにしてもそれは先の三大手法(筆者註:偽装、転嫁、露出)にはない特性を実質的にもっている。つまり三大手法が、作品内の現実についての読者の認識を誤らせようとするのにたいして(それが極端なかたちでなされるのが露出の場合である)、省略による嘘は、この現実の一部を読者に伝達しないことで消去してしまうのである。》

⇒「五日目」の不在、「スエズ危機」などなかったかのような「省略」をどう分析すべきか。

《妄想的活動というのはつまるところ、既存の現実を抑圧することであるよりもむしろ、それになんらかの新しい現実を置き換えることであり、解釈はこうした置き換えの運動そのものなのである。》

⇒スティーブンスには「偉大な」「品格」ある執事という職業へのパラノイア性妄想のようなものがある。これがひとたび、二十年ぶりに再会するミス・ケントンに愛されるかもしれない私、に向かうと手紙はどう解釈されるかの症例となっている。しかも、あくまでも執事としての「職務計画」、「スタッフ編成」という「仕事、仕事」にすぎないと転嫁されつつ。

 

 イシグロは『私を離さないで』をミステリー的に読まれること、ネタバレ、タネアカシにばかり興味がゆくのは本意ではない、と発言しているが、『日の名残り』のミステリー性はもっと隠微なもので、いわば「見せ消ち」、メタファー(隠喩)のレベルである。

カズオ・イシグロの文学白熱教室」からメタファー(隠喩)について引用すれば、

《私が好むメタファーは、読者がそれが比喩だと気付かないレベルのものだ。物語に夢中になって物語の行き先ばかりに気を取られて、その背景を冷静に分析したりしないで済むような。そして本を閉じた時に、あるいは思い返した時に気付くかもしれない。人生に直接関係する何かの隠喩だったから、この物語に夢中になったのだと。そのようなメタファー、隠喩が力強く威力を発揮する。》

 

<私の空想の産物だとはとても思えない>

・(P18)《これほど明らかな職務計画の欠陥に、なぜもっと早く気づかなかったのか。不審に思われる方もあろうかと存じます。しかし、長い間真剣に考え抜いた事柄には、えてしてこうしたことが起こるものではありますまいか。なんらかの偶発的事件に接し、初めて「目からうろこが落ちる」ということが……。この場合がまさにそうでした。ミス・ケントンの手紙を読み、その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望――だと私は確信しております――が込められているのを感じなかったら、私は計画を見直さなかったかもしれません。もちろん、あと一人召使がいればどれほど重要な役割を果たせるかにも気づかず、最近のすべての問題がその一人の不在から発生している、という発見もなかったことでしょう。(中略)

 状況をこのように把握してしまえば、先日のファラディ様の御親切な提案を思い返すまでに、さほど時間はかかりませんでした。なにしろ、その自動車旅行がお屋敷のために大いに役立つ可能性が出てきたのですから。西部地方へ旅行して、途中、ミス・ケントンのもとに立ち寄れば、ダーリントン・ホールにもどりたいという願いがどの程度のものか、私から直接確かめることができます。もっとも、手紙を何度読み返してみても、私には、ミス・ケントンの願いが私の空想の産物だとはとても思えないのですが……。》

⇒小説では、ミス・ケントンの手紙は、もっぱら一人称の語り手スティーブンスの意識を通して語られる。「その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望――だと私は確信しております――が込められているのを感じなかったら」との「解釈」や、「もっとも、手紙を何度読み返してみても、私には、ミス・ケントンの願いが私の空想の産物だとはとても思えないのですが……」との「妄想」かもしれない何かを、読者はひとまず信用して小説を読み進める(このさきスティーブンスの口調が弱含みになってゆくたびに眉を顰めることとなるとは知らずに)。そもそも「目からうろこが落ちる」だったのだろうか、「現実を置き換えること」を密かに待ち望んでいたのではないのか。

 

 映画では冒頭でいきなりミス・ケントンが自分の声で手紙を読みあげ、何もかも疑いようなく曝け出してしまう。

《スティーブンス様

 長いご無沙汰をいたしました。

 ダーリントン卿がお亡くなりになって、跡継ぎの新伯爵は広大なダーリントン・ホールを維持することができず、お屋敷を取り壊して、石材を5000ポンドで売りに出すという記事を新聞で読みました。

“反逆者の屋敷 取り壊し”というひどい見出しもありました。

 ホットしたことに、ルイスという米国の富豪がお屋敷を救い、あなたもお屋敷に留まれるとか。1936年の会合に参加されたあのルイス下院議員ですか?

 そちらで働いていたあの頃を懐かしく思い出します。仕事は忙しく、あなたは気難しい執事でしたが、私の人生で一番幸せな日々でした。

使用人の顔もすっかり変わった事でしょう。あの頃のように大勢のスタッフも今は必要ないでしょう。

 私の近況は暗いものです。7年前にお便りをして以来、夫とは結局破局を迎える事になりそうです。現在は下宿住まいの身です。

 将来はどうなるのか。娘のキャサリンが結婚し、空虚な毎日です。この先の長い歳月、自分を何かに役立てたいと思うこの頃です。》                                                             

 さすがにダーリントン・ホールに戻りたい、とまでは語らせないとはいえ。

 

 ここで何気なく提示されているのは、屋敷の新しいアメリカ人の持主が、小説のファラディではなく、ルイス議員(小説では、一九二三年のダーリントン・ホールでの国際会議に出席して晩餐会で「アマチュア」警告発言をした)が横滑りしていることだ。(スティーブンスの父が転倒するシーンで、映画ではダーリントン卿があづまやで国際会議に向けて三人で打ち合わせをしていて、ルイス議員の素性が話題になる。小説ではペンシルベニア州出身としか語られないが、映画ではジョセフ・P・ケネディ(相場、不動産、禁酒法などで厖大な富を得た資産家で、ルーズベルトの大統領選資金援助をした功績から一九三八年から四十年まで駐英アメリカ大使となる。小説、映画とは違ってナチス・ドイツ融和政策主義だった。J・F・ケネディの父)の時間を前倒しさせた似姿としてルイスに重ねて描いていて、そこには英国貴族階級の成金への揶揄が色濃くにじむ。

《「アメリカからは同じ日にルイス下院議員が到着する」「どういう男かね?」「詳しくは知らんがペンシルベニア州の若手議員だ。有力な外交委員会の委員で富豪の御曹司という話だ」

「精肉業か?」「車両製造?」「繊維製品? 具体的に何を?」「とんだボロ儲けしたのさ」「私の聞いた話では化粧品で財を築いたと」》)。

 しかも国際会議は一九二三年ではなく、ミス・ケントンの記憶では一九三六年?にシフトされてしまった(小説にはない映画のラストの、ダーリントン・ホールの卓球台が置かれた部屋に鳩が迷い込んだシーンで、旅から戻ったスティーブンスにルイスが一九三五年の晩餐会の場所なのを覚えているか、と語りかけるので、正しくは一九三五年のようだ)。

 この一九二三年と一九三五年との、ナチス台頭前と後との、決して合体してはならない致命的に大きな歴史的差異は後述する。

 

  さらに映画では、小説で巧妙に省略されているスティーブンスのミス・ケントン(結婚後の名前ミセス・ベン)への出発の知らせと、現在のスタッフ不足、彼女のかつての仕事ぶりへの賛辞の返信までも明示されてしまう。

《ミセス・ベン

 10月3日の4時頃そちらの町へ。その前夜コリングバーンに一泊します。村の郵便局に連絡を入れておいて下さい。

 あなたの記憶力には今も驚かされます。現在の私の雇い主は政界を引退したあのルイス議員です。ご家族も間もなく屋敷に来られる予定です。そこで問題になるのがスタッフ不足です。

 ここで改めてあなたに賛辞を呈します。結婚で去られて以来、あなたに勝る有能な後任者はいませんでした。》

 

<体面を汚さない>

・(P20)《これほど服装にこだわる私を、鼻持ちならない気障(きざ)とみなす方もございましょうが、そうではありません。旅行中には、身分を明かさねばならない事態がいつ生じるかわかりません。そのようなとき、私がダーリントン・ホールの体面を汚さない服装をしていることは、きわめて重要なことだと存じます。》

⇒たしかに立派な服装は絶大な効果を地方の人々に与えることとなる。ダーリントン・ホールの体面を汚さないという感情は、執事であることを自慢したい自分の体面と綯交ぜになっている。

 

「The Paris Review」のインタビューから。

《――『日の名残り』の舞台がイギリスに定まったのはどのような経緯で?

イシグロ: 始まりは妻のジョークからでした。その日一作目の小説についてのインタビューをするためにジャーナリストが自宅に来ることになっていました。それで彼女はこう言ったのです。「その人が真面目なしかつめらしい質問をして来たら、あなた、私の執事のふりをするというのはどう? 可笑しくていいんじゃない」 私たちはそれを面白い発想だと思いました。以来私はメタファーとしての執事に取り憑かれることになりました。

――何のメタファーでしょうか?

イシグロ: 二つあります。ひとつは我々が感情を殺し、ある種凍結してしまうことのメタファーです。イギリスの執事はおそろしいほど控えめでなくてはなりません。また周囲で起こるどんなことに対しても個人的な反応は示してはなりません。英国人気質を掘り下げるだけではなく、我々にみな共通する部分、すなわち他人に深入りすることの恐れを描くには格好の方法に思えました。

 もうひとつは、大きな政治的な決断を他人に委ねてしまう人々の象徴としての執事です。彼は言います。「私にできることは主人に仕えるためにベストを尽くすことです。代理人を通じて社会に貢献をしていますが、私自身は大きな決断は下すつもりはありません」と。私たちの多くは、民主主義の社会に生きているいないにかかわらずそのような立場に立っています。私たちのほとんどは大きな決定がなされるところの住人ではありません。私たちは自らの仕事をし、それに誇りを抱き、そのささやかな貢献が上手に利用されることを願っています。》

 

アメリカ的ジョーク>

・(P23)《自動車旅行の目的地になぜ西部地方を選んだのか。理由には、サイモンズ夫人のご本から魅力的な情景描写の一つも拝借しておけばよかったものを、私はうっかり、かつてダーリントン・ホールで女中頭をしていた者がここに住んでいる、と申し上げてしまったのです。

 私のつもりでは、要するに、お屋敷が現在小さな問題を抱えていること、その理想的な解決策が昔の女中頭に見出せるかもしれないこと、私はその可能性を探りにいきたいこと……、そんなことを申し上げたかったのだと存じます。しかし、ミス・ケントンの名前を出したとたん、私はこの話を先に進めることがいかに不穏当であるかに気づきました。なぜと申しますに、ミス・ケントンがほんとうにお屋敷にもどりたがっているのかどうか、私は確実なことを何も知りません。(中略)

ファラディ様がこの好機を見逃されるはずがありません。にやりと笑うと、わざと重々しい口調でこう言われました。

「おいおい、スティーブンス。ガールフレンドに会いにいきたい? その年でかい?」

 きまり悪いことこの上ない瞬間でした。ダーリントン卿でしたら、絶対に雇人をこのような目にはお遭わせにならなかったでしょう。いえ、ファラディ様のことを悪く言いたいのではありません。ファラディ様はアメリカの方で、なさり方がいろいろと違います。意地悪のつもりなど毛頭なかったことは、私がよく存じております。が、それにしても私にとってどれほど居心地の悪い一瞬だったか、ご想像いただけるでしょうか。

「君がそんな女たらしとは、ついぞ気がつかなかったよ」と、ファラディ様はつづけられました。「気を若く保つ秘訣かな? しかし、どんなものかな、そんないかがわしい逢瀬をぼくが取り持つというのは……」(中略)

 消え入りたいようなひとときでしたが、私にはファラディ様を非難するつもりは少しもありません。決して不親切な方ではなく、ただ、アメリカ的ジョークを楽しんでおられたのだと存じます。アメリカでは、その種のジョークが良好な主従関係のしるしで、親愛の情の表現だとも聞いています。》

⇒一方、映画では次のとおり、アメリカ的ジョークに聞こえない。そもそも映画の中のファラディならぬルイスは、あまりアメリカ的ではなく、英米の文明比較に乏しい。

《「昔勤めておりました女性スタッフがまた働きたいという意思を」

「彼女とはいい仲だったのか?」

「とんでもない。大変有能な人物です。保証いたします」

「お前をからかったんだよ。すまん」》

 これではアメリカ的ジョークになっていないし、親愛の情の表現も感じられない。

 アメリカ的ジョークは小説の一つの動線にもなっていて、途中何度かスティーブンスは試みては失敗し、そして小説の最後でスティーブンスの新たな生の動機付けにさえなるというアイロニーの種だが、ことごとく省略される。

 続いてスティーブンスは、ファラディの下品なジョークを語るが、映画では取りあげられない。

《たとえば、お屋敷に来られる予定だったある方について、奥様が同行なさるのかどうかをお尋ねしたときのことです。

「来たら困っちゃうな」と、ファラディ様はお答えになりました。「あの女を遠ざけておく方法はないかな、スティーブンス? そうだ、君がモーガンさんの厩に連れてって、あの藁の中でたっぷりもてなしてやるってのはどうだい? 君の好みのタイプかもしれないぜ」

 一瞬、何のことか私にはわかりませんでした。やがて、これは冗談だと気づき、自然な笑いを浮かべようと努力しましたが、ショックといいますか……私の感じた困惑の幾分かは、表情に残っていたに違いありません。》

日の名残り』は全編を通して、性的なことと宗教が慎重に避けられているが、ここには性的な話題がある(今一度は、サマセット州トーントンの町はずれにある馬車屋という宿に一泊した時の、下のバーでの農夫たちの会話の《「旦那、今夜はここの二階にお泊りかね?」 私がそうだと答えると、相手はいかにも気の毒そうにかぶりを振り、こう言いました。「ここじゃ、あんまり眠れないよ、旦那。なにしろ、この働き者のボブがね――と、宿の主人のほうに顎をしゃくりました――真夜中すぎまで下でがたごとやってるからね。それに朝は朝で、今度は、夜明け前から女房どのが亭主を怒鳴りつける声が響き渡るし……」(中略)ともあれ、昨夜、農夫たちが冗談半分で口にしていた、下からの騒音で眠れないだろうという予言は、残念ながら、まったく事実であったことを申し添えておかねばなりますまい。》のほのめかしと、スティーブンスのジョーク(「メンドリが時をつくる」)の失敗)。

 

日の名残り』にはP・G・ウッドハウスの大衆的人気作品、執事ジーヴズの影響があって、イシグロも参考にしたと語っている。

「The Paris Review」のインタビューから。

《――あなたはジーヴズ(訳注:イギリスの作家P・G・ウッドハウスが造形したキャラクター)のファンでしたか。

イシグロ: ジーヴズからの影響は大きいです。ジーヴズに限らず、映画の目立たないところで演じられてきた執事の姿、身のこなし、すべてから影響を受けています。彼らにはそこはかとない面白みがありました。どたばた喜劇的なユーモアではありません。普通なら気も狂わんばかりの表現を必要とされるような場面であっても彼らはそっけない台詞を口にするだけです。そこには哀愁も漂っていました。そしてその頂点にいたのがジーヴズです。》

 

 ウッドハウスについてはイーヴリン・ウォー吉田健一も頌として論じている。イーヴリン・ウォー「P・G・ウッドハウス頌」によれば、ウッドハウスは(ダウントン卿を思い起こさせるのだが)奇しくも「ヒトラーにひざまずいたという言いがかり」をつけられたという。

 映画では、かろうじて一九二三年の国際会議の準備で忙しい時に、ダーリントン卿から頼まれたスティーブンスがレジナルド・カーディナルに「生命の神秘」を教えようと試みる、ガチョウと魚のエピソードは採用された(同じくレオナルドとの紳士と淑女、アタッシュケースのエピソードは撮影されたのにカットされてしまう)。

 

 

「一日目――夜」

 

<どこまでもつづいている草地と畑>

・(P38)《私が見たものは、なだらかに起伏しながら、どこまでもつづいている草地と畑でした。大地はゆるく上っては下り、畑は生け垣や立ち木で縁どられておりました。遠くの草地に点々と見えたものは、あれは羊だったのだと存じます。右手のはるかかなた、ほとんど地平線のあたりには、教会の四角い塔が立っていたような気がいたします。

 夏のざわめきに包まれた丘の上で、顔にそよ風を受けながら立ちつくすのは、なんと気分のよいことでしたろう。あの場所で、あの景色をながめながら、私はようやく旅にふさわしい心構えができたように思います。》

⇒映画が脱落させてしまったものに、英国の美しい田園風景がある。その風景はたんに美しいだけでなく、英国的な品格や偉大さの証としてコノテーション(含意)するものだから、簡単に省略してよいものではない。

日の名残り』と似たような世界として、E・M・フォースター『ハワーズ・エンド』、イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』があって、どちらも吉田健一が翻訳している。両者とも映画化され、『ハワーズ・エンド』は『日の名残り』と同じアイヴォリー監督作品、アンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンも出演し、トンプソンはアカデミー賞主演女優賞を受賞した。『ブライヅヘッドふたたび』にはエマ・トンプソンが出演している。P・G・ウッドハウスの執事ジーヴズものを愛読した吉田は、イシグロが人物造形を学んだというエミリー・ブロンテジェイン・エア』も翻訳している。

 吉田健一は一九七七年没だから、イシグロ作品(一九八二年~)を読むことはかなわなかったが、イギリスを舞台とした『日の名残り』を読んでいたら必ずや称賛したことだろう、とりわけ「時間」の扱いに。

 もう一人、読ませたかった人物に須賀敦子がいる。イタリア文学やフランス文学に比べればアングロサクソン系文学はそれほど読んでいないのかもしれないが、須賀は一九九八年没だからイシグロを読んでいてもおかしくないが、残されたエッセイや日記にも気配をみつけられない。イシグロが影響を受けた川端康成『山の音』のイタリア語翻訳者でもあった(イシグロの影響は原作よりも小津や成瀬の映画からだったのだろう)のに。

 

 ここでは、吉田健一イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』を評した文章(『書架記』中の「ブライヅヘツド再訪」)から、その風景描写の美しさ、場所の記憶についての文章を吉田健一訳で少しだけ見ておきたい。

《……我々の宿営地はその一つの緩かな傾斜を占めてゐてその向うの地面はまだ昔のままの姿で直ぐそこの地平線を目指して登って行き、そこと我々がゐる所との間に一筋の川が流れてゐた。――それはブライト川と言つて昔は時々お茶の時間を過しに出掛けて行つたここから二マイルばかり先のブライドススプリングスといふ農園にその水源地があつた。これは川下でアヴァン河に合流する前にかなり大きな川になつてそれがここでは堰き止められて三つの湖を作り、最初のは蘆に囲まれた水溜り程度のものだつたが後の二つはもつと大きくて雲や岸に生えてゐる椈の大木を映してゐた。ここの森に生えてゐるのは凡て樫か椈で樫の木は今まだ灰色の幹や枝を剥き出しにし、椈は出たばかりの芽で微かに緑の色で刷かれ、これが緑の木の間道や広い芝生と調和するやうに入念に工夫してあつた。》

 

<この品格は、おそらく「偉大さ」という言葉で表現するのが最も適切でしょう>

・(P41)《今朝のように、イギリスの風景がその最良の装いで立ち現われてくるとき、そこには、外国の風景が――たとえ表面的にどれほどドラマチックであろうとも――決してもちえない品格がある。そしてその品格が、見る者にひじょうに深い満足感を与えるのだ、と。

 この品格は、おそらく「偉大さ」という言葉で表現するのが最も適切でしょう。今朝、あの丘に立ち、眼下にあの大地を見たとき、私ははっきりと偉大さの中にいることを感じました。》

ラシュディがとりあげた、アフリカやアメリカで見られる騒がしいほど声高な主張の景観とは違った美しさと偉大さというわけだ。小説では、「品格」と「偉大さ」に対するスティーブンスの見解が、同業の執事たちとの逸話も交えながら数頁に渡って続くが、映画では父から繰り返し聞いていた、雇主に従ってインドへ行った執事のエピソード(インドの館で晩餐の準備に手落ちがないかを食堂へ確認に行くと、虎が食卓の下に寝そべっていたので、注意深くドアを閉め、主人に耳打ちして銃の使用の許可をもらうと、数分後、三発の銃声が聞こえてきた。

 やがて茶を注ぎ足しに現れた執事に、主人は「不都合はないか」と尋ねられると、「はい、ご主人様、なんの支障もございません」と答えた、「夕食はいつもの時刻でございます。そのときまでには、最近の出来事の痕跡もあらかた消えていると存じますので、どうぞ、ご心配なきように願います」)を、映画では使用人たちの食事の場面で父に披露させた。このエピソードは、国際会議の裏でのスティーブンスの父の死、秘密会談でのミス・ケントンの結婚報告にも動ずることなく、執事の仕事を静かに完遂した達成感に連なってゆく。

 一方で、映画ではみなに披露する類ではない内的なエピソードは省略された。しかし、むしろこちらのエピソードの方が、国家的な歴史上の大きな出来事対個人の人生という、この先のナチ協力問題とも絡み合ってくるのだが(スティーブンスには兄がいたが、まだ少年だった頃に南アフリカ戦争で戦死した。ボーア人の開拓村を襲撃して民間人を殺傷するという、非イギリス的な後味の悪い作戦で、指揮官の行動は軍事上の基本を無視して無責任きわまりなく、死んだ兵隊は、兄も含めて全員犬死だった。その戦争から十年ほどたち、父の心の傷が表面的には癒えたかに見えた頃、父が執事を勤める館の主人の招待客として指揮官が滞在することになった。父の感情は最大級の憎しみだったものの従者役として職務を遂行するが、下卑た醜い元指揮官は南アフリカ戦争での「華々しい」戦歴を父にとうとうと語り聞かせる。父は心情を隠しつづけ、義務の遂行になんの手抜かりもなかったので、指揮官は屋敷を立ち去るにあたって主人に執事の優秀さを誉め、高額のチップを残していったが、父はその場で、チップの全額を慈善事業に寄付してくれるよう主人に申し出た)。

 

<一人一人が深く考え>

・(P63)《私のように偉大さを分析しようとするのは、まったく無駄なことだと考える方がおられるのは承知しております。「持っている人は持っているし、持っていない人は持っていない」と、ミスター・グレアムはいつも言っておりました。「それ以上のことは、言ってもあまり意味がない」と。しかし私は、この問題でそのような敗北主義に陥るべきではないと考えます。一人一人が深く考え、「品格」を身につけるべくいっそう努力することは、私ども全員の職業的責務ではありますまいか。》

⇒これも「徴候」である。(大きな歴史的出来事としてダーリントン卿のナチス協力について、個人的な出来事としてミス・ケントンからの恋心について)「思考」しなかった男スティーブンスのアイロニーとして機能する。『日の名残り』の各章の終り(その日の終り)は、作者がことさら主人公に主義主張を確認、強弁させ、その達成感と満足感の強さがかえって弱気や虚飾の揺らぎを嗅ぎ取らせる。

 

 

「二日目――朝」

 

<結婚生活がいま破綻しかかっていると察せられるのです>

・(P65)《それに、先日の手紙によりますと、「ミス・ケントン」と呼ぶことが必ずしも不適当ではないかもしれません。と申しますのは、悲しいことに、その結婚生活がいま破綻しかかっていると察せられるのです。もちろん、詳しい事情は何も書いてありませんし、また、ひとに聞かせるようなことでもありますまい。ただ、ヘルストンにあるベン家を出て、いまは近くのリトル・コンプトンという村で、知人のもとに身を寄せている、と書いてありました。

 結婚がこんな破局に至るというのは、もちろん悲劇的なことです。中年も相当な年になったいま、なぜこんな孤独でわびしい思いをしなければならないのか……と、その原因となった遠い過去の選択を、この瞬間も、ミス・ケントンは後悔とともに思い返しているのではありますまいか。そのような心境にあるミス・ケントンにとって、ダーリントン・ホールにもどれたらという思いが、大きな支えになっているのは、容易に想像できることです。たしかに、手紙のどこにも「もどりたい」の五文字は書いてありません。が、ダーリントン・ホールの日々への深い郷愁は文章の随所で感じられ、全体のニュアンスから伝わってくるメッセージは間違いようがありません。(中略)

 しかし、手紙にもどりましょう。ところどころに、現在の境遇に絶望しかかっているような調子が見えて、気になります。たとえば、ある箇所に「残りの人生をどう有意義に埋めていけるのか、私には想像もつきませんが……」とあったり、また、別の個所には「これからの人生が、私の眼前に虚無となって広がっています」と会ったりします。》

⇒ほとんど妄想に近いとも言いたくなる。手がかりを重視して解釈を施す。思わせぶりでもある、他人事のように、自分のことは棚に上げ、あるいは自分が原因とは思わせもせず、主語も、相手も、時間も、多義性を作者は狙って書いているのだが、映画は多義性を表現しない。

「残りの人生をどう有意義に埋めていけるのか、私には想像もつきませんが……」、「これからの人生が、私の眼前に虚無となって広がっています」は、スティーブンスの深層心理がミス・ケントンへ自己投影したものではないのか。それは再会の場面でスティーブンスに反射して、夕日のように照らすだろう。

 

<まるで落とした宝石でも捜しているかのように>

・(P68)《「あなたには悲しい思い出かも知れません。そうだったら、お許しください。でも、二人であなたのお父様を見たときのことは、いつまでも忘れられません。お父様は、まるで落とした宝石でも捜しているかのように、ずっと目を地面に向けたまま、あずまやの前を行ったり来たりしておられました」

 三十年以上も前のことです。私はともかく、ミス・ケントンが覚えていようとは思いがけないことでした。たしかに、ある晴れた日の夕方だったと存じます。(中略)

 私があの光景をいつまでも覚えているのには、これからお話しいたしますが、それなりの訳があります。それに、当時、ダーリントン・ホールに来たばかりだった父とミス・ケントンの特別な関係を考えますと、あの光景がミス・ケントンにも強い印象を残したのは、とくに意外ではないのかもしれません。

 ミス・ケントンと父は、どちらも一九二二年の春、ほぼ同時期にダーリントン・ホールにやってきました。同時期といいますのは、お屋敷がそれまでの女中頭と副執事を一度に失い――つまり、二人が結婚して退職したため――急いで二人を補充する必要に迫られたからです。》

⇒ミス・ケントンは一九二二年にやってきて翌二三年の国際会議を迎え、十数年間勤めた後、一九三六年に結婚のために去るのに、誰も指摘しないようだが、映画では国際会議が一九三五年に設定されているため、わずか二、三年の短い期間しか勤めていないことになってしまう。

 記憶をめぐる展開に、イシグロがプルーストから学んだ「1つのエピソードを次のエピソードにつなげていく」プルーストのやり方があって、このエピソードもその例だろう。

 

ノーベル文学賞受賞記念講演」から。

《ちょうどそのころ私はウイルスにやられ、何日か寝込むはめになりました。最悪期を脱し、もう寝てばかりいるのにうんざりしてきたとき、しばらくまえから寝具の中に紛れ込んでいて気になっていた何か重いものが、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第1巻であることに気づきました。せっかく手元にあるのだからと思い、手に取って読みはじめました。きっと、まだ熱が抜けきっていなかったせいもあったのでしょうか、すっかち「序章」と「コンブレー」の虜になり、何度も何度も読み返しました。単純に文章が美しかったこともありますが、それ以上に、1つのエピソードを次のエピソードへつなげていくプルーストのやり方に身震いするほど興奮したからだと思います。この作品では、出来事や場面の流れが通常の時間に従っていません。直線的な話の筋にも従っていません。そうではなく、いわば連想の脱線や記憶の気まぐれが推進力となって、話を次から次へつないでいきます。ときどき、はてなと考え込まされることがあります。あの瞬間とこの瞬間は一見無関係と思えるのに、なぜ語り手の心の中では隣り合うように存在しているのだろうか……。突然、目のまえに、私の2冊目の小説への取り組み方が開けてきました。これまでより自由に、胸躍るような方法です。この方法なら本の各ページを豊かにし、スクリーンでは捉えようのない内的な動きを読者に示せるのではないか。もし、語り手の思考の流れや記憶の漂流に従って話を展開していけるなら、ちょうど抽象画家がキャンバス上に形や色を配置していくように文章を書けるのではないか。2日前も出来事を20年前の出来事のすぐ隣に置き、両者の関係に注意を向けるよう読者を促すこともできるのではないか。そういう書き方なら、人が自らや自らの過去を理解しようとするとき、その理解を十重(とえ)二十重(はたえ)に覆って曇らせている自己欺瞞や否認の存在を暗に示せるのではないか……。私はそんなことを考えはじめました。 》

 

<私事を仕事に優先させたことなど一度もなかった>

・(P70)《もちろん、二人の雇人が互いに恋に落ちて、結婚しようというのですから、どちらがどれだけ悪いなどということは考えても仕方のないことですが、私がとくに眉をひそめたくなるのは、なかに、純粋に仕事に打ち込んでおらず、いわばロマンスを求めて職場から職場へと渡り歩く人々がいることです。この点では女中頭がとくに悪質で、この手合いは私どもの職業を汚すものと言えましょう。

 急いで付け加えておきますが、私はミス・ケントンのことを言っているのではありません。たしかに、最後はミス・ケントンも結婚のためにお屋敷をやめていきましたが、私の下で女中頭として働いている間は、まさに雇人の鑑でした。私事を仕事に優先させたことなど一度もなかったことは、私が保証いたします。

 本題からそれました。私は、いま、お屋敷かが女中頭と副執事を一度に失ったことを申し上げていたのでした。》

⇒「本題からそれました」というときが怪しい。作者の罠がある。本題からそれてなどいないのだ。主人公の抑圧された本心が漏れている、あるいは読者が察するよう手がかりを与えている。「私事を仕事に優先させたことなど一度もなかったことは、私が保証いたします」の悲喜劇。本心からなのか、気づいてもいないのか。

 映画では下記スクリプトのように、スティーブンスがミス・ケントンの採用面接で、使用人同士の結婚、とりわけロマンスを求める女中頭を諌めるシーンをわざわざ映し出すことで、最初から恋愛抑圧を地ならししている。

《「異性の客は招かぬよう。以前その方面のトラブルがあったので念のため。前の副執事と駆け落ちした者が。職場結婚ならとやかく言いません。ロマンスを求めて職場を渡り歩く不心得者がいるのです。失礼ながらそういう人が少なくない」

「確かに。使用人同士の結婚はいろいろ混乱を招きます」

「その通り」》

 しかも映画では、国際会議の最中に倒れて部屋で横になっている父がスティーブンスに、原作小説にはない、

《「ジム。母さんを愛せなかった。一度は愛していたが、他の男との事を知って愛は消えてしまった。息子には恵まれた。いい息子だ」》と語ることで、恋愛結婚の自制を促すかのように作用してしまう。

 

<「過ち自体は些細かもしれないが、その意味するところの重大さに気づかねばならない」>

・(P83)《しかし、よく考えてみますと、あの日、ミス・ケントンがあれほど大胆な口のきき方をしたかどうかは定かではありません。もちろん、長い年月いっしょに働いておりましたから、ときにはたいへん率直な意見の交換もいたしました。しかし、いまお話しているあの午後は、私どもの関係のごく初期のことですから、いくらミス・ケントンでも、あれほどずけずけと物を要ったとは思われません。たとえば、「過ち自体は些細かもしれないが、その意味するところの重大さに気づかねばならない」というようなくだりは、ほんとうにミス・ケントンが言ったことでしたろうか。考えれば考えるほど、ダーリントン卿ご自身の言葉だったような気がいたします。ビリヤード室の外でミス・ケントンとやり合ってから数か月ほどあと、私はご主人の書斎に呼ばれておりますので、あるいはそのとき言われた言葉だったのかもしれません。その数か月の間に父の転倒があり、父に関する状況は大きく変化しておりました。》

⇒すぐ続いて書斎でのダーリントン卿との会話となるが、いかに「ダーリントン卿が遠慮深く謙虚な性格であった」かがわかる。

「それでだな、スティーブンス、あれはなかったのかな、その……徴候は? つまり、お父上の負担をだな、少し軽くしてやったほうがよいと告げるような徴候は? こんどの転倒は別にしてだが……」、「過ち自体は些細なものかもしれないがな、スティーブンス、その意味するところの重大さにはもう気づかねばなるまい。お父上に全幅の信頼を置ける日は、もう過ぎ去りつつあるのだ。会議は成功させねばならん。ちょっとした失敗が命取りになるような任務には、お父上はもうつかせてはならんのではないかな?」

 そしてダーリントン卿が父の転倒現場を目撃していた描写があり、ダーリントン卿の提案を受けて早朝に、五十四年間、毎日、食卓で給仕していたという父の給仕とお盆を運ぶことの禁止伝える息子と父の職業的な品格ある会見(「簡単に、簡潔に話せ。朝中、おまえのおしゃべりを聞いているわけにはいかん」、「では、要点だけお話します、父さん」)があって、そしてまたミス・ケントンと窓から見下ろす印象的なシーンに戻ってゆく。

 銀器のなかに磨き粉がついたままのものがいくつかあった、ちり取りが廊下に出っ放しになっていた、踊り場と部屋のシナ人の置物が入れ替わっていた(みなスティーブンスの父の仕事)、父の鼻先からスープ・ボウルの上へ大きな水玉がぶら下がっているのを見てしまった。あの年齢の人には無理なほどの仕事を抱えすぎている、とのミス・ケントンの注進は映画でも二人の意地の張り合いを見せたいかのように採用されている(スープ・ボウルの件はスティーブンスが気づいて対処する)。

「些細な過ち」の意味するところの重大さはこの小説のメタファー(隠喩)でもあって、のちに秘密会談の場でレジナルド・カーディナルがスティーブンスに指摘したように、ダーリントン卿のナチス・ドイツとの関係性(「些細な過ち」が「重大な結果」となる)にオーヴァーラップしてゆくだろう。

 

<夕焼けの最後の光>

・(P93)《ミス・ケントンが手紙の中で言っているあの晴れた日の夕方というのは、この早朝の会見からすぐのことでした。いえ、同じ日の夕方だったかもしれません。客室が並ぶお屋敷の最上階に私が何の用事があって行ったのか、もう思い出せません。しかし、先ほども申し上げましたように、開いた各寝室の戸口から、夕焼けの最後の光がオレンジ色の束になって廊下へ流れ出している様は、いまでも鮮やかに思い出すことができます。そして、無人の客室の前を通っていく私を、窓に映った影法師のようなミス・ケントンが呼んだのでした。

 ダーリントン・ホールに来たばかりのミス・ケントンが、いつも父のことを気にし、父のことで何度も私に文句を言いにきたことを考えれば、あの夕方の記憶が、この三十数年間ずっとミス・ケントンの脳裡にとどまっていたのは、不思議ではないのかもしれません。二人で客室の窓から地上の父を見下ろしていたとき、ミス・ケントンには、たしかに多少の罪悪感があったに違いありますまい。

 芝生はもう大部分ポプラの影でおおわれていましたが、あずまやに向かう上り坂になった片隅だけは、まだ日に照らされていました。父は石段の前に立ち、風で髪を少し乱しながら、何事かじっと考え込んでいました。その石段をゆっくりと上り、上りおわると向きを変えて、今度は少し速く降りてきました。(中略)ほんとうに、「まるで落とした宝石でも捜しているかのように」父は地面を見据えたまま歩いていました。》

⇒ここには美しい夕暮の光景がある。映画では、石段ではなく敷石との境目ではあったものの、父の様子が再現された。小説の最後の夕暮、「日の名残り」は反復なのだ。あのときの、過ちにたじろぎ、取り戻そうと努める父の姿は、現在のスティーブンスの姿でもある。

 スティーブンスが推定するミス・ケントンの「多少の罪悪感」とは、むしろ自分へ向かうべきものではなかったか。ダーリントン卿が最後に罪悪感に苦しんだように、スティーブンスも密かな罪悪感におびえ、気づかない振りをしてきたが、旅の様々な場面で記憶は喚起される。イシグロは処女作からずっと「罪悪感」をテーマにしてきた。

カズオ・イシグロの文学白熱教室」から。

《人はいつも罪の意識を持っていたり、もっとこうすればよかったと思っているはずだ。だから私は同情も共感もする。「それを振り返りたくない。振り返らなくても別にいいだろ?」という自分たちに。「自分にできることはもうない。このままにしておこう」と。これは人間くさいことだ。》

 

<「この世に正義を」>

・(P99)《一九二三年の会議は、ダーリントン卿の長期にわたる計画が結実したものでした。見方によっては、卿は三年以上も前から、あの会議に向けて動きはじめておられたと言えるかもしれません。大戦の終わりに平和条約が調印されたとき、私の記憶では、卿がその条約にとくに大きな関心を示されたということはありませんでした。卿の関心を呼び覚ましたものは、条約そのものの分析より、カール=ハインツ・ブレマン様との友情だったと言ってさしつかえありますまい。(中略)

 ダーリントン卿ご自身も何度かベルリンを訪問されました。最初は、たしか一九二〇年の暮れ近くだったと思います。そのベルリン行きは、卿にとってじつに衝撃的なものだったようです。お屋敷にもどって数日間は、なにか、ひどく深刻に考え込んでおられました。楽しいご旅行だったかという私の問いかけに、「ショックだよ、スティーブンス。たいへんなショックだ。敗れた敵をあんなふうに扱うのは、わが国にとって不名誉このうえない。わが国の伝統とは、まったく相容れないやり方だ」と、お答えになったのを覚えております。(中略)

「ヘル・ブレマンは私の敵だった」(筆者註:ヘル=氏、様といった男子に対するドイツの敬称)と、ダーリントン卿は言われました。「だが、いつも紳士だった。二人は互いに鉄砲玉を浴びせ合いながら、尊敬もしあったのだ。紳士としてやるべきことをやっている相手に、私は悪意はもたない。戦場で一度彼に言ったことがある。『おい、いまは敵どうしだ。ありったけの力で叩き伏せてやる。だが、この戦争が終わったら、もう敵ではない。いつか、いっしょに飲もう』とな。なのに、なんたることだ。この条約は私を嘘つきにした。戦いが終わったら、もう敵ではない――私はそう言ったのだ。どうやら違ったようだ、などと、いまさらどの面(つら)下げて彼に言える?」

 その同じ夜、しばらくあとで、ダーリントン卿は重々しくかぶりを振りながら、こうも言われました。「私はこの世に正義を保つために、あの戦争を戦ったのだ。ドイツ民族への復讐に手を貸しているつもりはなかった」

 今日、ダーリントン卿についていろいろなことが言われております。卿の行動の動機について、愚にもつかない憶測がしきりに――あまりにもしきりに――飛び交っております。そうしたたわごとを聞くたびに、私はあの夜のがらんとした宴会場と、そこで卿が語られた琴線に触れるお言葉を思い出します。後年、卿の歩まれた道がどのように曲がりくねったものであったにせよ、卿のあらゆる行動の根幹に「この世に正義を」見たいという真摯な願いがあったことを、私は一度も疑ったことはありません。

 ハンブルクからベルリンへ向かう列車の中でブレマン様がピストル自殺されたのは、その夜から間もない頃でした。》

⇒この国際会議が一九二三年三月で、映画のような一九三五年ではなかったことは決定的に重要だ。なぜなら、一九三五年ではすでにヒットラーは政権奪取していたので、生臭い政治的判断が求められた(「四日目――夜」の一九三六年の秘密会談で描写され、イギリスはナチス・ドイツ宥和策をとる過ちを犯す)が、一九二三年三月時点ではミュンヘン一揆(一九二三年十一月)以前のいまだ馬の骨ともわからない人物だったから、ダーリントン卿のように「この世に正義を」という善良で真摯な願いを見ることはある程度無理からぬところがあったからだ(すでにこの時点で、ドイツの危険性を見過ごさなかった政治家もいたけれども)。

 

<アマチュアだ>

・(P147)《「卿はアマチュアだ。そして、今日の国際問題は、もはやアマチュア紳士の手に負えるものではなくなっている。私としては、ヨーロッパが早くそのことに気づいてほしいと願っているのですよ。上品で善意に満ちた紳士諸君、諸君にひとつお尋ねしましょう。諸君の周囲で世界がどんな場所になりつつあるか、諸君にはおわかりか? 高貴なる本能から行動できる時代はとうに終わっているのですぞ。ただ、ヨーロッパにいる皆さんがそれを知らないだけの話だ。わが善良なるダーリントン卿のような紳士は、困ったことに理解できないことにまで首を突っ込むのが義務だと心得ておられる。今回の会議にしたところで、この二日間はたわごとのオンパレードだった。善意から発してはいるが、ナイーブなたわごとばかりだ。ヨーロッパがいま必要としているものは専門家なのです、皆さん。大問題を手際よく処理してくれるプロこそが必要なのです。それに早く気づかなければ、皆さんの将来は悲観的だ。そこで乾杯しましょう、皆さん。プロに! 乾杯!」

⇒読み進めるうちに、アメリカの議員ルイス(映画ではファラディと同一化)の「アマチュア」発言、この先でスティーブンスがダーリントン卿の客人スペンサー卿に政治的な質問をされて答えかねたこと、一九三六年の秘密会議でのカーディナルの忠告らと衝突して、社会的・政治的に大きな混乱の時期における「正義」「善意」「アマチュア」「理想主義」は、歴史のうねりのなかで複雑な思考を促し、罪悪感を残すだろう。

 

ノーベル文学賞受賞記念講演」から。

《次はどんな作品を?という質問が出ました。よくある質問です。しかし、この方の質問は、もう少し詳しく言うと、こんな具合でした。まず、私の小説には、社会的・政治的に大きな混乱の時期を生きた人の物語が多いと指摘し、その人物は自分の人生を振り返り、暗く恥ずべき記憶となんとか折り合いをつめようとする、と前置きして、これからもそういう物語を書いていくのですか、と尋ねました。》

 

<父にも匹敵する「品格」>

・(P154)《「ミスター・スティーブンス。お気の毒に、お父様は四分ほど前に亡くなられました」と言いました。

「そうですか」

 ミス・ケントンはしばらく自分の手を見つめていましたが、やがて私の顔を見上げ、

「ミスター・スティーブンス。お悔やみ申し上げます」と言いました。「もっと何か言ってさしあげられるとよろしいのでしょうけれど……」

「いや、その必要はありません。ありがとう、ミス・ケントン」

メレディス先生はまだお見えではありません」一瞬、ミス・ケントンは頭をたれ。その口から嗚咽がもれました。しかし、すぐに平静さをとりもどすと、落ち着いた口調で「上にいらして、お父さまに会われますか?」と私に尋ねました。

「いまは、とても忙しくてだめです。たぶん、しばらくしてから……」

「そうですか。では、私が目を閉じさせてあげてよろしいでしょうか、ミスター・スティーブンス?」

「そうしてくだされば、たいへんありがたい。お願いします、ミス・ケントン」

 ミス・ケントンは階段を上りはじめましたが、途中、私が呼び止めました。「ミス・ケントン。私を薄情だとは思わないでください。この瞬間にも上に行って、父の死顔を見たいのはやまやまですが、それはできません。父も、いま私に任務を果たしてもらいたいと望んでいるはずです」

「もちろんですわ、ミスター・スティーブンス」

「いま行けば、父の期待を裏切ることになると思います」

「もちろんですわ、ミスター・スティーブンス」(中略)

 もちろん、私が同世代の「偉大な」執事たち、たとえばミスター・マーシャルやミスター・レーンと肩を並べうるなどと――おそらく過てる寛大さからでしょうか、まさにそう言ってくださる向きもあることは存じておりますが――自分の口からそのような大それたことを申し上げるつもりは毛頭ありません。一九二三年の会議、とりわけあの夜が、私の執事人生の一大転機であったと申し上げるとき、それはあくまでも、私自身の卑小な執事人生においてのことであるのをご理解ください。あの夜、私にのしかかっていた重圧の大きさを考えるなら、もしかしたら私にも、あのミスター・マーシャルや、さらには父にも匹敵する「品格」をかいま見せた瞬間が――少しは――あったと申し上げても、あるいは自分自身を不当にあざむくことにはならないのかもしれません。さよう、なぜ否定する必要がありましょうか。悲しい思い出にもかかわらず、今日、私はあの夜を振り返るたびに、いつも大きな誇らしさを感じるのです。》

⇒こうしてまたスティーブンスは、「二日目――朝」も執事への誇りを確認して満足な眠りにつくのだけれども、そうすればするほど、倒れた父をミス・ケントンや焼き肉の臭いをさせたコックのミセス・モーティマーに任せて看取らなかったことへの「罪悪感」を、「品格」と交換し、「自分自身を不当にあざむく」転嫁で記憶から抹消したいと受け取ることはできないか。

 ここでイシグロは、会議の初めから終わりまで、ロンドン観光中に足にまめができて痛みで不機嫌な、ドイツに激しく敵対するフランス代表デュポンへのどたばたした対応(父の死の所見を書いて帰ろうとするメレディス医師をデュポンの治療へと導く冷静な「品格」)と、レジナルドとの自然界談義と、父の死とをブラック・ユーモアの色づけで、人間臭さと歴史の容赦ないダイナミックな動きを万華鏡のようにくるくる回転させて巧みに表現する。

 

 

「二日目――午後」

 

<長年にわたり徹底的に考え抜いたつもりだった>

・(P165)《私どもにとりまして、議論も決定も、およそ重要な事柄はすべて、この国の大きなお屋敷の密室の静けさの中で決まるものでした。公衆の面前で華やかな式典とともに繰り広げられるたぐいのものは、しばしばそうしたお屋敷の中で何週間、何カ月にもわたってつづけられてきたことの結末であり、承認であるに違いあるにすぎません。この世界が車輪だという意味がおわかりでしょうか。それは、偉大なお屋敷を中心に回転している車輪なのです。中心で下された決定が順次外側へ放射され、いずれ、周辺で回転しているすべてに――貧にも富にも――行き渡ります。

 職業的野心を少しでももつ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ近づきたいと願ったでしょう。繰り返しますが、私どもは理想主義的な世代であり、執事としてどれだけの技量があるかとともに、その技量をどのような目的に発揮したかを問わずにはいられない世代です。誰もが、よりよい世界の創造に微力を尽くしたいと願い、職業人としてそれが最も確実にできる方法は、この文明を担っておられる当代の偉大な紳士にお仕えすることだと考えたのです。(中略)

 いま申し上げましたように、私はこの問題をこうした観点から考えたことはありませんでした。これも、旅のもつ効用というのでしょうか――長年にわたり徹底的に考え抜いたつもりだった事柄に、思いがけず、驚くほど斬新な視野が開かれるというのは……。それに、一時間ほど前のちょっとした出来事も、こんなことを考えるきっかけになったのだと存じます。小さいながら、私を落ち着かない気分にさせる出来事でした。》

⇒本当に「長年にわたり徹底的に考え抜いたつもりだった」のだろうか。「思いがけず、驚くほど斬新な視野」ではなく、しがみついているだけではないのか。「ちょっとした出来事」「小さいながら」だったのではないか。

「車輪」「回転」職業的野心」に、アイヒマン的なものが登場しうる。

 

<あのダーリントン卿の下で働いていたんですね?>

・(P172)《そして、男は私がどこに雇われているのかを尋ねました。私が答えますと、男は首をひねり、眉にしわを寄せました。

ダーリントン・ホールですか」と、独り言のように言い、さらに「ダーリントン・ホールねえ。きっとすごいお屋敷なんでしょうね。おれみたいな馬鹿でも、どこかで聞いたような気がしますからね。ダーリントン・ホール……。待てよ、あのダーリントン・ホールか。ダーリントン卿のお屋敷か。旦那、そうなんですか?」

「さよう、ダーリントン卿が三年前に亡くなられるまでは、卿のお住まいでした。いまは、ジョン・ファラディ様という、アメリカ人の紳士がお住まいになっておられます」

「やっぱり、あんたはすごいんですね、あんな場所で働いているなんて。あんたみたいな執事は、いまのイギリスにはもう珍しいんじゃありませんか?」そして、つぎのように聞いてきたときは、明らかに口調が変わっていました。「じゃあ、旦那はあのダーリントン卿の下で働いていたんですね?」

 男は探るように私を見つめていました。

「いえ、アメリカ人のジョン・ファラディ様がダーリントン家からお屋敷を買われて、私はそのファラディ様に雇われております」

「じゃ、ダーリントン卿のことはご存じないわけだ。なんだ、そうですか。ちょっと、どんなふうだったかと思いましてね。いったいどんな野郎だったんだろうかって」

 私はそろそろ出発せねばならないと言い、男の手助けに大袈裟なほどの感謝をしました。》

⇒小説ではこの男、従卒の口から「ナチ」の名は出ないが、映画では従卒は登場せずに、手紙を受け取りに立ち寄った郵便局兼雑貨屋の主人に「ナチのシンパ」と言わせ、スティーブンスはキリストを知らないと答えたペテロとなる。

《「どちらから?」

ダーリントンだ」

「聞いた名前だ。ナチのシンパだったダーリントン卿の館が?」

「私は米国から来たルイス様に雇われている執事だよ。前の持ち主は知らない」》

 

<まがい物>

・(P175)《この三十分ほどの間、心に浮かんだある考えを私がじっくり検討できたのは、周囲の静けさによるものでしょう。これほど静かな場所でなかったら、あの従卒とのやりとりで私がとった奇妙な行動を、これほど深く考えることはなかったかもしれません。奇妙な行動と申しますのは、私がなぜ相手に誤った印象を与えようとしたか、ということです。私は、まるでダーリントン卿に雇われていたことがないように振舞いました。(中略)それに、ああしたことは、今日がはじめてではないことも認めねばなりません。今日の従卒とのやりとりは、何ヵ月か前にウェークフィールドご夫婦がお見えになったときのことと、何らかの――何であるかはわかりませんが――つながりがあるに違いありません。(中略)

「ねえ、スティーブンス。あなたならわかるでしょう。このアーチだけど、見かけはたしかに十七世紀よね。でも、どうかしら。ほんとうはつい最近つくられたものではなくって? たとえば、ダーリントン卿の時代に?」

「ありうることでございます、奥様」

「とても美しいわ。でも、おそらく、数年前につくられたまがい物ね。そうじゃなくって、スティーブンス?」

「たしかなことは存じません、奥様。しかし、ありうることでございます」

 夫人は急に声を低め、こうお尋ねになりました。

「ねえ、スティーブンス。ダーリントン卿ってどんな方だったの? あなたは、ダーリントン卿のもとで働いていたんでしょう?」

「いいえ、そうではございません、奥様」

「あら、私はてっきりそうだと思っていたわ。なぜそう思ったのかしら」

 ウェークフィールド夫人はまたアーチに向き直り、それに手を触れながら言われました。

「じゃあ、はっきりしたことはわからないわね。でも、私にはやはりまがい物に見えるわ、とてもうまくつくってあるけど、でもまがい物だわ」

⇒スティーブンスの思考、認識が旅のなかでの人との出会い、静かな美しい自然に触発されて深まってゆく様子が、回想の連鎖をともなって描かれる。

 映画にはウェークフィールド夫妻は登場しない。夫妻が帰ったあとファラディから、夫人が「あれも“まがい物”、これも“まがい物”と言い出して、とうとう君まで“まがい物”にされてしまったぞ、スティーブンス」、君が以前この屋敷で働いていたことはないと言い張ったので、気まずい思いをしたと愚痴をこぼされるが、スティーブンスは雇人が過去に他人のために働いていたという印象を与えることは好ましくない、離婚歴のあるご婦人の場合、新しい夫が同席している場で最初の結婚についてあれこれ言うことがはばかられるのと同様の職業的習慣であると釈明する、その釈明がまったく不十分であることに気づいていた、と自省しつつ。

 スティーブンスは一九三五年の秘密会談で、「まがい物」のアーチの下を持ち場としていて、あたかも「君まで“まがい物”」のメタファーとなる。

 

<でたらめをもうこれ以上聞きたくないという思い>

・(P181)《もちろん、今日では、ダーリントン卿について愚かしいことを言う人がたくさんいます。ですから、それが私の行動の背景にある、とお考えになる向きがあるかもしれません。私が卿との関係を恥ずかしく思い、関係が知れるのを恐れているのだ、と。しかし、それはまったくの的はずれであることを、ここであらためて申し上げておきたいと存じます。それに、今日、卿について言われていることの大部分は、事実に無知な人にしか考えつかないでたらめばかりなのです。思えば、そこにこそ、私の奇妙な行動の原因があるのかもしれません。つまり、卿についてのでたらめをもうこれ以上聞きたくないという思いが、私にああした行動をとらせたとは考えられないでしょうか。数か月前も先刻も、不快を避けるための最も簡単な手段が、ちょっとした嘘という方便だったのではありますまいか。考えれば考えるほど、その説明が当たっているような気がしてまいりました。たしかに、ああしたでたらめを繰り返し聞くことほど、最近、私の神経を逆なですることはないのですから……。

 ダーリントン卿は高徳の紳士でした。卿についてでたらめをふりまいている輩には想像もつかないような、道徳的巨人でした。そして、最後の一日までそのままの姿でおられたことを、私はよく存じております。そのような紳士との関係を、私がなぜ恥ずかしく思いましょう。そんな途方もない主張は聞いたことがありません。お考えください。私はダーリントン卿にお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができたのです。私は三十五年間の歳月をダーリントン卿に捧げました。そして、その三十五年間、私こそ真の「名家に雇われて」いた執事だと申し上げてよかろうと存じます。これまでの執事人生を振り返るたびに、あの歳月にダーリントン卿のもとで成し遂げた諸々のことが、私に最も大きな満足感を与えてくれます。卿にお仕えできたことを私は誇りに思い、卿に対しては、私をお使いくださったことへの感謝しかありません。》

⇒しかし、「二日間――午後」もまた定型のように、ダーリントン卿のもとで働いていたことを否定した奇妙な行動を精神分析して、さまざまに気持ちが揺らぎつつも、「高徳の紳士」ダーリントン卿への賛辞と、この世界という車輪の中心にいた執事人生への、「偉大さ」と「品格」を達成した満足感と誇りと感謝で締めくくられる。

「まったくの的はずれ」と強がるときこそ怪しい。認識の深まり、反発、否定、逃走、自閉。見たいものしか見ないように、聞きたいことしか聞かない。認識したいことしか認識しない。思考していると思っている。

 

 

「三日目――朝」

 

<あながち私の独り善がりではないことがおわかりいただけましょう>

・(P192)《あの夜のご訪問は、ハリファックス卿と当時の駐英ドイツ大使リッベントロップ様の間で行なわれた、一連の「非公式」会談の初回でした。あの初めての夜、ハリファックス卿は警戒心もあらわにご到着になりました。お屋敷に案内されたあと、真っ先に発せられた言葉が、「おい、ダーリントン、私をどんな目に遭わせようというのかね。これは絶対後悔することになるな」だったことを覚えております。(中略)

「ところで、スティーブンス。先夜のハリファックス卿だがな、うちの銀器には目をむいておったぞ。あのあと、気分がすっかり変わったようだった」私は正確に覚えております。卿はあのとき、このとおりのお言葉を言われたのでした。ですから、あの夜、銀器の磨きぐあいがハリファックス卿とリッベントロップ様の会談に、小さいながら無視できない貢献をしたと申し上げても、あながち私の独り善がりではないことがおわかりいただけましょう。》

⇒一連の「非公式」会談とは、対ナチス・ドイツ宥和政策である。「これは絶対後悔することになるな」とのハリファックス卿の言葉は歴史的には正しかった。

 そして、「国際問題」「外交政策」に関与したはずのスティーブンスの「偉大な」上司への貢献が銀器の磨きぐあいだったとは。

 ここにはプルースト的連想がある。サマセット州トーントンの大通りに面した店でお茶→「マースデン」という地名の案内板→ギフェン社の銀器磨き用黒蝋燭→ダーリントン・ホールの銀器の見事さ→ハリファックス卿(チェンバレン首相とともに対ドイツ融和政策を推進)→リッベントロップ(当時の駐英ドイツ大使、のち外相)→ペテン師→ナチの歓迎→反ユダヤ主義→……。

 

<何か得体の知れない原因から生じている>

・(P201)《ここ数か月間に起こったこうした過ちは、当然のことながら、私の自尊心を傷つけました。しかし、それが単なる人手不足以上の、何か得体の知れない原因から生じていると信じる理由は何もありません。もちろん、人手不足自体も重大な問題ではありますが、ミス・ケントンがダーリントン・ホールにもどりさえすれば、そのような些細な過ちは、たちまち過去の笑い話になってしまうでしょう。ただ、ミス・ケントンの手紙の――昨夜も部屋で、あかりを消すまえに読み直してみましたが――どこを捜しても、昔の地位にもどりたいという意思が具体的に書かれていないことは、覚えておかねばなりますまい。もしかしたら、私が一執事としての希望的観測から、ミス・ケントンがそのように望んでいると勝手に解釈しているだけのことなのかもしれません。その可能性はたしかにあるようです。と申しますのは、昨夜、ミス・ケントンの手紙を読み直しながら、私はこの手紙のどこから復帰の願いを感じ取ったのかを捜そうとし、それをなかなか見つけることができないのに驚いたほどでしたから。》

⇒小説のはじめの方でしきりと出てきた「一連の過ち」「いくつかの小さな過ち」とは、たとえばファラディ様の銀器のフォークに汚れがあった過ちだったとようやくわかる。語り手スティーブンスの「それが単なる人手不足以上の、何か得体の知れない原因から生じていると信じる理由は何もありません」とは、「信じる理由は何もありません」ではあっても、信じない理由もまたない。「人手不足以上の、何か得体の知れない原因」とはつまり、かつてミス・ケントンに指摘されて見出していた、父スティーブンスと同じ老いに違いなかった。

 ミス・ケントンの手紙に関して言えば、驚くのはむしろ語りを聞かされる読者で、再会が近づくごとに、手紙の調子はトーンダウンしてゆく。

 

 

「三日目――夜」

 

ユダヤ人問題>

・(P207)《「ミスター・スティーブンス。私が怒っているのがおわかりになりませんの? あなたは平然とそこにすわって、まるで食料品の注文を出すような調子で言われましたけれど、何をなさったかわかっておられますの? ユダヤ人だからルースとセーラを解雇する? なんということを……。私にとても信じられませんわ」

「ミス・ケントン。事情は、たったいま、全部お話したではありませんか。ご主人様が決定を下されたのです。私やあなたがあれこれ議論するようなことではありません」

「でも、ミスター・スティーブンス、あなたはまったくお考えになったことがありませんの? そんな理由でルースとセーラを解雇するのは……そんなことは間違っているとは思われませんの? 私は我慢できません。そんなことがまかり通るお屋敷には、私もいたくはございません」

「ミス・ケントン、少し落ち着きなさい。あなたには自分の地位にふさわしい態度で振舞ってもらわねばなりません。これは単純明快な問題です。ご主人様が二人の雇用契約を破棄したいと言われている。それ以上、何を言う必要がありますか」(中略)

「申し上げておきますわ、ミスター・スティーブンス。明日、あなたが二人を解雇なさるのは間違っています。それは罪です。罪でなくてなんでしょう。そのようなお屋敷で、私は働く気はございません」

「ミス・ケントン。あなたに一言申し上げておきたい。このように大きな、次元の高い問題について、あなたは的確な判断を下せる立場にはありますまい。今日の世界は複雑な場所です。いたるところに落とし穴が口をあけています。たとえばユダヤ人問題にしても、あなたや私のような立場の者には、理解できないことがいくつもあるのです。私どもに比べれば、ご主人様のほうが、いくぶんなりともよい判断を下せる立場におられるとは言えませんか? 私はもう休まねばなりません。ミス・ケントン。ココアをどうもありがとう。明朝十時半です。忘れずに、二人の者をよこしてください。」》

⇒スティーブンスの「今日の世界は複雑な場所です。いたるところに落とし穴が口をあけています」、「ご主人様のほうが、いくぶんなりともよい判断を下せる立場におられる」とは、歴史的にみればダーリントン卿への皮肉にも聞えてくる。

 スティーブンスは「凡庸な悪」だったのか。ご主人様ヒットラーが決定したことに議論するようなことではないと、まるで食料品の注文を出すような調子でユダヤ人を移送したアイヒマンのような。

 ひとりひとりが意見を持つ、ときには不服従の権限を行使する、のちに田舎の居酒屋での村人ミスター・スミスの強い意見、カーライル医師のしつこい問いかけ、レジナルド・カーディナルの忠告で反復されるだろう。

 映画でも一連のユダヤ人メイド解雇事件は、小説にはない黒シャツを引き連れた反ユダヤ主義者ジェフリー卿の訪問シーンも見せながら再現されている(ダーリントン卿が友好の気持ちをもって、ドイツからの避難民エルサとアルマ(小説ではルースとセーラ)をメイドとして採用するという小説にはないシーンまで前置きに付け加えて)。

 

ハンナ・アーレントエルサレムアイヒマン』>

 ここでアーレントエルサレムアイヒマン』を見ておこう。

《しかしほらを吹くことはよくある悪徳である。そしてアイヒマンの性格にある、より特殊な、しかもより決定的な欠陥は、ある事柄を他人の立場に立って見るということがほとんどまったくできないということだった。ヴィーンでのある挿話を彼が語ったその語り方ほど、この欠陥をよく示すものはなかった。自分も部下もユダヤ人もみんな<同じ目標を追っている>と彼は考えていた。そして何か困難が生ずると、ユダヤ人役員は<心の中を打ち明け>、<歎きや悲しみのすべてを>彼にぶちまけ、助力を求めるために彼のところに駆けつけてきた。ユダヤ人は移住を<熱望>し、そして彼アイヒマンは彼らに力を貸してやるためにそこにいた。たまたま時を同じくして、ナチ当局はドイツをユーデンライン(筆者註:ユダヤ人が存在しない地)にしたいという熱望を表明していたからである。両者の熱望は一致していた。そして彼アイヒマンは<双方を満足させる>ことができた。裁判の際に話がこのこととなると、彼は一歩も譲らなかった》

《彼自身も学校時代からすでに彼を悩ませていたに違いないある欠陥――軽い失語症――をおぼろげながら自覚していて、「官庁用語[Amtssprache]しか私は話せません」と弁解した。しかしここで肝腎なことは、彼が官庁用語でしか話せなくなった原因は、紋切り型の文句(クリシエ)ではない文以外は全然口にすることができなかったからだということである。(精神科医があのように<正常>で<好ましい>と見たのは、彼のこの紋切り型の文句だったのではなかろうか? 牧師がその魂をあずかっている人々の心にあってほしいと思うあの<前向きな側面>をエルサレムで示すべき絶好の機会があらわれたのは、彼の精神の健康や心理の安定を担当していた若い警察官が緊張をほぐすためと言って『ロリータ』を彼に渡したときだった。二日後、アイヒマンは明らかに憤激の体(てい)でその本を返した。「何とも不愉快な本だ!」――”Das ist aber ein sehr unerfreuliches Buch”と彼は看守に言った。) 判事たちがついに被告に向かって、彼の今まで述べてきたことはすべて<無意味なおしゃべり>にすぎないと言ったのはいかにも正しかった――この無意味さは意識的なもので、被告はそれによって醜悪な、しかし無意味ではない考えを覆い隠していると彼らが憶測したことは別として。このような憶測は、むしろ記憶の悪いほうだったアイヒマンが、彼にとって重要な事柄や出来事に言及するたびに、驚くほど一貫して一言一句たがわず同じ決まり文句や自作の紋切り型の文句をくり返したという事実によって打ち消されるように思える。(中略)彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が思考する(・・・・)能力――つまり誰か他の人の立場に立って考える能力――の不足と密接に結びついていることがますます明白になってくる。アイヒマンとはコミュニケ―ションが不可能だった。それは彼が嘘をつくからではない。言葉と他人の存在に対する、したがって現実そのものに対する最も確実な防壁[すなわち想像力の完全な欠如という防壁]で取り囲まれていたからである。》

《私が悪の陳腐さについて語るのはもっぱら厳密な事実の面において、裁判中誰も目をそむけることのできなかったある不思議な事実に触れているときである。アイヒマンはイアーゴでもマクベスでもなかった。しかも<悪人になってみせよう>というリチャード三世の決心ほど彼に無縁なものはなかったろう。自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。もちろん、彼は自分がその後釜になるために上役を暗殺することなどは決してしなかったろう。俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。まさにこの想像力の欠如のために、彼は数ヵ月にわたって警察で訊問に当たるドイツ・ユダヤ人と向き合って座り、自分の心の丈を打ち明け、自分がSS中佐の階級までしか昇進しなかった理由や、出世しなかったのは自分のせいではないということを、くり返しくり返し説明することができたのである。大体において彼は何が問題なのかをよく心得ており、法廷での最終弁論において、「[ナチ]政府の命じた価値転換」について語っている。彼は愚かではなかった。まったく思考しないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ。》

⇒スティーブンスもまた、他人の立場に立って見ることがほとんどできず、紋切り型の執事用語で事をすまし、「おセンチな恋愛小説」を隠す幼稚な反応も似ている。ユダヤ人召使解雇や叔母の死や結婚の報告で、ミス・ケントンは「偉大な」「品格」を求めることに熱心な執事という防壁で取り囲まれた、コミュニケ―ションの不可能なスティーブンスを見たのではなかったか。レジナルド・カーディナルは、自分はどう考えているかを訊いても「ご主人様のよき判断に全幅の信頼を寄せております」とくりかえすだけの、「まったく思考しない」スティーブンスを見たのでなかったか。

 

<「なぜ、あなたはいつもそんなに取り澄ましていなければならないのです?」>

・(P215)《「おっしゃっていることがわかりませんわ」そして、私が振り向くと、ミス・ケントンはこうつづけました。「あなたはなんの疑問もお持ちでないのだと思っていました。ルースとセーラを追い出すのが正しいことだと……。それを楽しんでいるふうにさえ見えましたわ、ミスター・スティーブンス」

「違いますね、ミス・ケントン。それは正しくありませんし、私に対して公平な見方とも言えません。あの件は、私にとってたいへん気の重いことでした。心にじつに重くのしかかる出来事でした。このお屋敷の中では絶対に起こってほしくないたぐいのことでしたからね」

「では、なぜ、あのときそう言ってくださらなかったのです、ミスター・スティーブンス?」

 私は笑いました。笑いながら、なんと答えたものか、しばらく迷っておりました。しかし私が答えを思いつくまえに、ミス・ケントンが、繕っていたクッションを脇に置き、こんなふうに言いました。

「あのとき、そのお考えを私と分かち合ってくださっていたら、私にはどれほどありがたかったのか知れません。二人の女中が解雇されたときの私の気持ちを、あなたはご存知だったはずですわ、ミスター・スティーブンス。言ってくだされば私がどれだけ救われたか、あなたにはおわかりになりませんでしたの? なぜ、なぜですの、ミスター・スティーブンス? なぜ、あなたはいつもそんなに取り澄ましていなければならないのです?」》

⇒重要なこととして、スティーブンスの「笑い」がある。(日本人的な)「自然な笑い」「作り笑い」であって、ミス・ケントンとのやりとりのあちこちで指摘、発見されるだろう、スティーブンスの内面の繕いとして。

 

<転機>

・(P231)《じつを申し上げますと、最近、私はこうした思い出にふけることが多くなっております。そして、数週間前に突然のように、またミス・ケントンに会えるかもしれないと思いはじめてからは、その思い出に、とくに二人の関係を中心としたものが多くなったような気がいたします。二人の関係がなぜあのような変化を遂げたのか……。さよう、一九三五年か三六年の頃でした。長い年月を同じお屋敷で働き、仕事上の呼吸が完璧に合うまでに築き上げられてきた二人の関係は、あの頃を境に、たしかに変化したのです。最後には、一日の終わりをココア会議でしめくくるという、長い間の習慣さえ放棄せざるをえなくなりました。が、いったい何があのような変化をもたらしたのか、どういう出来事の連続でああいう事態にまでなってしまったのか、私には、いまだに納得できる答えが見つかっておりません。

 ただ、最近では、ミス・ケントンが勝手に私の食器室に入ってきたあの夜のことが、もしかしたら決定的な転機だったのかもしれないと思うことがあります。(中略)

 しかし、こんなことは、所詮、後知恵というのかもしれません。自分の過去にそのような「転機」を捜しはじめたら、そんなものはいたるところに見えてくるでしょう。ココア会議の廃止だけではありません。食器室での例の一件にしても、そう見ようと思えば「転機」と言えなくはありますまい。あの夜、ミス・ケントンが花瓶を抱えて入ってきたとき、私が少しでも違う対応をしていたら、あのあとどうなっていたか……。憶測はいくらでもできます。(中略)

 しかし、いつまでもこんな憶測をつづけていて何になるのでしょう。あのとき、もしああでなかったら、結果はどうなっていただろう……。そんなことはいくら考えても切りがありますまい、しまいには気がおかしくなってしまうのが関の山です。「転機」とは、たしかにあるものかもしれません。いま思い返してみれば、あの瞬間もこの瞬間も、たしかに人生を決定づける重大な一瞬だったように見えます。しかし、当時はそんなこととはつゆ思わなかったのです。ミス・ケントンとの関係に多少の混乱が生じても、私にはその混乱を整理していける無限の時間があるような気がしておりました。何日でも、何ヵ月でも、何年でも……。あの誤解もこの誤解もありました。しかし、私にはそれを訂正していける無限の機会があるような気がしておりました。一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか。(中略)

 私はミス・ケントンに質(ただ)さねばなりません。結婚生活が破綻したと思われ、そうだとすれば住む家のないミス・ケントンです。ダーリントン・ホールでも昔の地位にもどるつまりがあるかどうか、確認せねばなりません。

 じつは、今晩もまた、あの手紙を読み返しておりました。どうやら、私はところどころで、実際に書いてある以上の意味をそこに読み込んでいたようです。だんだん、そんな気がしてまいりました。しかし、ミス・ケントンの強い郷愁が表に現われている部分も、たしかにいくつかあるのです。その考えは変わっておりません。たとえば、「三階の客室から見える景色が私のお気に入りでした。真下には芝生、遠くにはダウンズが見えて……」などと書いてある部分では、とくにそれが感じられます。

 しかし、これもまた憶測、憶測、憶測にすぎません。明日になれば本人に確かめられることです。》

⇒「一見つまらないあれこれの出来事のために、夢全体が永遠に取返しのつかないものになってしまうなどと、当時、私は何によって知ることができたでしょうか」は、個人の小さな恋愛感情だけでなく、歴史的なとてつもなく大きい出来事、対ナチス・ドイツとの「転機」においても考えなければならない。

 スティーブンスの一人称の回想のすべてが、「憶測はいくらでもできます」、「いつまでもこんな憶測をつづけていて何になるのでしょう」、「これもまた憶測、憶測、憶測にすぎません」の自己正当化に思えてくる。

 

<おセンチな恋愛小説>

・(p236)《「ミスター・スティーブンス、私にご本を見せてください」

 ミス・ケントンは腕を伸ばし、私の手からそっと本を引きはがしにかかりました。(中略)

「まあ、ミスター・スティーブンス。嫌らしいどころか、これは、ただのおセンチな恋愛小説ではありませんか」

 もはや我慢すべきでないと思ったのは、このときだと存じます。私が実際に何と言ったのか、正確には思い出せません。しかし、断固たる態度でミス・ケントンにお引取りを願い、それでこの夜の出来事を終わらせたことは覚えております。

 このちょっとした事件の原因となった本につきましては、いま少し申し上げておくべきかもしれません。その本は、たしかに「おセンチな恋愛小説」と言われても仕方のない内容のものでございまして、ご婦人のお客様のために、読書室やいくつかの客室に用意してあるうちの一冊でした。私がそれを読んでおりましたのには、明快な理由があります。それは、その種の本を読むことが、英語力を維持し、向上させるのに、ひじょうにすぐれた方法であるからにほかなりません。(中略)たしかに「おセンチな恋愛小説」を選びがちだったのは事実ですが、それは、その種の本がよい英語で書かれ、利用価値の高いエレガントな会話を含んでいたからにほかなりません。(中略)とはいえ、いま振り返って正直に申し上げますと、ときにはそれを読んで思いがけない楽しみを味わったことも、ないわけではありませんでした。もちろん、当時の私は、いくら問い詰められても「楽しんだ」などと認めることはなかったでしょうが、いまの私には、「別に恥ずかしいことではなかったのに」という思いがあります。紳士淑女が恋に落ち、相手への気持ちを最高に優雅な言葉で語り合う小説です。それを読んで心にわずかな喜びを感じたとしても、どこに悪いことがありましょう。》

⇒勉強熱心なスティーブンスに思えるが、本当に、英語力を維持し、向上させるためだろうか。その種の本がよい英語で書かれ、利用価値の高いエレガントな会話を含んでいるとして(疑わしいが)、スティーブンスがお客様との通常の会話で使うとは決して思えないではないか。ここで、アイヒマンが官庁用語しか使えなかったことが思い浮ぶ。また、アイヒマンが相手の気持ちを思いはかることができなかったことも連想される。

 ときには思いがけない楽しみを味わったこともあったとは、スティーブンスの恋愛への好奇心と禁欲との相克を白状している。

 

<不思議な感情>

・(P250)《それに、ああした事件とほぼ同じ頃に起こったもう一つのことも、何らかの意味で「転機」だったには違いありますまい。ミス・ケントンが叔母さんの死を知った日の午後のことでした。(中略)

「明日がお葬式です。お休みをいただいてさしつかえございませんでしょうか?」

「もちろんです、ミス・ケントン。なんとかやりくりできるでしょう」

「ありがとうございます、ミスター・スティーブンス。まことに申し訳ありませんが、少し一人だけにしていただけますか?」

「わかりました、ミス・ケントン」

 私は部屋から出ましたが、そのとき、まだお悔みも言ってなかったことに気づきました。ミス・ケントンにとって、叔母さんは母親も同然の人でしたから、死亡通知がどれほどの打撃だったかは容易に想像できます。私は廊下に出たものの、すぐに引き返して、お悔やみを言うべきではなかろうかと迷いました。が、いまノックしたら、ミス・ケントンが悲嘆にくれている場に踏み込むことになるのではありますまいか。この瞬間、私からほんの数フィートのところで、ミス・ケントンは泣いているかもしれないのです。そう考えたとき、心に不思議な感情が湧き上がり、私はしばらくの間、迷いながら廊下に立ちつづけました。しかし、やはりお悔みには別の機会を待つべきだと考えて、私はようやくその場を立ち去りました。》

⇒「不思議な感情(a strange feeling)」というあいまいな両義的表現が読者を欺く。

 その後、ようやく午後になってからミス・ケントンを見かけたスティーブンスは、それまでの数時間、彼女の悲しみを少しでも軽くしてやるには何を言い、何をしてあげればよいだろうかと考えていたというのに、新しい女中たちの仕事ぶりの監督不足だと、まるで子供が好きな子に意地悪をしてしまうように詰(なじ)ってしまう。

 ミス・ケントンはそっぽを向いて、《不可解な何事かを解こうと努力している表情がよぎりました。感情が激するより先に、気が滅入ってしまった感じでした。》と語るスティーブンスの心境はどうなっているのだろうか。

 

 

<「奴隷には品格も尊厳もあったもんじゃない」>

・(p266)《ミスター・スミスからはすべての抑制が取り払われたようです。身を乗り出し、こうつづけました。

「だいたい、ヒットラーと戦ったのだって、そのためだったんでしょう? ヒットラーの言うなりになっていたら、今頃、みんな奴隷ですよ。世界全体が、一握りの主人と何百万何千万の奴隷に分れちまう。いまさら言うまでもありませんが、奴隷には品格も尊厳もあったもんじゃないですからね。だからヒットラーと戦って、やっと守ったんだ。自由な市民でいる権利をね。それがイギリス人に生れた特権ってもんですよ。どこの誰に生れついたって、金持ちだって貧乏人だって、みんな自由をもってる。(後略)」(中略)

 そして――なぜあんなことを言ってしまったのか、いまもってわかりません。ただ、あの状況の中では、そのように発言することが私に求められているように感じたのです――こう言いました。「私自身は、国内問題より国際問題に重きを置いておりました。いわゆる、外交政策ですな」

外交政策」という一言の衝撃的な効果は、私が驚くほどのものでした。一瞬にして、全員に畏怖の表情が浮かびました。私は急いで付け加えました。「いや、別に高いポストについていたというわけではありません。私はいつも非公式の立場から行動しておりまして、私に多少の影響力があったとしても、やはり非公式の場面に限定されておりましたから」しかし、驚きに満ちた沈黙はそれから何秒間もつづきました。

「あの、旦那様」と、ようやくミセス・テイラーが口を開きました。「旦那様は、ミスター・チャーチルにお会いになったことがございますか?」

「ミスター・チャーチルですか? さよう、あの方は何度か屋敷に来られました。しかし、素直に申し上げますとな、ミセス・テイラー、私が大きな問題に取り組んでおりました頃には、ミスター・チャーチルはまださほど重要な人物ではありませんでしたし、将来を嘱望されているというほどでもありませんでした。当時は、ミスター・イーデンやハリファックス卿のほうが、屋敷に頻繁に来られましたな」(中略)

「ミスター・イーデンてのはどんな人ですね? 個人的には、ってことですが。あれは、なかなかまともな人じゃなかろうかって印象をもってるんですがね。身分の高い人にも低い人にも、金持ちにも貧乏人にも、分け隔てなく話しかける人だろう、って。違いますか?」

「さよう、だいたいにおいて正しい見方でしょうな。しかし、もちろん、ここ数年間はミスター・イーデンにお会いしておりませんので、もしかしたら、重圧のもとでずいぶん変わられたかもしれません。政治に携わる人は、ほんの数年で見違えるほど変わってしまいますからね。それは、私が政治の世界で見聞してきたことの1つです」

ラシュディが「ちょうどナセルがスエズ運河を国有化した月にあたっているのだが、スエズでの失敗はイギリスの終焉を表すひとつの事件だったにもかかわらず、イギリスの衰退をひとつの主題としているこの小説は、その危機にふれていない」と指摘したように、スエズ危機への言及は抑制されている。というよりも、ラシュディは抑制された表現(understatement)と控えめに言い、サザーランドは「意図的な空白」、「芸術的目的を持った盲点」であると指摘している。

 

 ジョン・サザーランド「なぜスティーブンスはスエズ危機を聞いたことがないのか?」(けっこういいかげんなところもあって、ダーリントン卿が死亡したのは一九五六年のスティーブンスの旅の三年前と語られているから一九五三年のはずなのに一九四六年と計算され、ミス・ケントンの不幸は夫がしばしば妻を捨てて別な女のもとに走っているから、などと根も葉もないフェイクも書かれている)から。

《スティーブンスの六日間というのは、八月の終わりか九月のはじめということになる。

 当時の不吉な事件の歩み――一九五六年の次のような大事件を思い出してみよう。まず七月二六日、エジプトで、ナセル大統領がスエズ運河の国有化を発表(それまではフランスとイギリスの分割統治)。七月三一日、イギリス、フランス、アメリカが経済的制裁による報復措置。八月一六日、ロンドンでのスエズ危機をめぐる国際会議が「ダレス計画」を発表。九月九日、ナセルがスエズ運河を国際管理下に置くダレス計画を拒否。九月一九日、スエズをめぐる第二回ロンドン会議。十月二九日、イスラエルがイギリスとフランスとの長期間の秘密調停のあとエジプトへ侵攻。十月三十日、イギリスとフランスがエジプトへ最後通告、翌日から爆撃開始。スエズ戦争に関する世論の反発(とアメリカの圧力)のため、アントニー・イーデンは一九五七年一月九日、ついに辞任。

 カズオ・イシグロは一九五六年には二歳、まだ長崎に住んでいた。しかし七月から九月にかけて、スエズ危機はイギリス最大の時事問題であった。ところが『日の名残り』のどこにも、そのことは言及されていない。それなのに、スティーブンスは「私は国内問題よりも、どちらかと言えば国際問題にかかわっていました」などと自慢する。この問題は一九三九年以来の最大の国際問題であるだけでなく、それは同時にスティーブンスの世界の終わりをも意味しているのだ。もしイギリスの戦後史の中で最大の分岐点があるとすれば――すなわち古い秩序が崩壊した瞬間があるとすれば――それは一九五六年の九月である。それなのになぜこの小説にこのような盲点があるのか?

 まず確かなのは、これは芸術的目的を持った盲点であるということだ。いかにもイシグロらしい間接描写によって、彼は自分の小説が主張する主要なポイントをそれとなく示している。スティーブンスが戻っていくのは黄金色の夕刻(ダーリントン邸における日の名残り)などではない。彼はもう先のない道を歩いている。自分では知らないけれども、彼にはもう「名残り」はない。残るのは「死体」という意味の「残り物」だけだ。第二に、イシグロは微妙なアイロニーをここで提示している。イーデンがスエズであのような狂気の冒険を計ったのは、ミュンヘンの悪魔たちにけしかえられたから、すなわち「宥和政策」などあってはならないという気持ちからだ、というアイロニーである。たしかにイーデンが繰り返し言っていたのは、ナセルはヒトラーのそっくりさんだということであった。しかし時代は一九三八年とは違って、外交、国際協力――言うなれば「宥和政策」――こそがまさに採用すべき正しい政策なのであった。まさに、一九二〇年代と一九三〇年代にはあれほど悲劇的に間違っていたダーリントン卿の話し合いと緊張緩和の政策が、一九五六年の秋にはあのものずばりの正しい政策だったのである。》

 このサザーランドの見解に賛同するか否かはともかく、「芸術的目的を持った盲点」というところには惹きつけられるものがある。けれども、ミュンヘン協定とスエズ危機との、宥和政策の無効/有効の逆転という歴史的アイロニーを感じさせるための「芸術的目的を持った盲点」と言われてもピンとこない。

 

 映画では、スエズ運河でヘマをやったと村人に言わせてしまうので「盲点」は消失した。スティーブンスがミス・ケントンに再会するのは、映画では十月三日頃だから、その時点ではイーデンはまだ強硬政策をとっておらず、ヘマをやったという結末はついていなかったのではないか。

《「チャーチル首相にお会いになった事は?」

「屋敷に来られた。1930年代の初めに何度か」

「あいつが戦争を」「彼のお蔭で戦争に勝てたんだぞ」「ドイツの鉱山ストライキを武力で抑圧した」「だが戦争に勝った」「だが戦後は引退すべきだった」

「イーデン首相は?」「スエズ運河でヘマを」

「イーデン首相にも何度か会った」》

 

<「この問題につきましては、お役に立つことはかなわぬかと存じます」>

・(P281)《スペンサー様は、やや物憂げなご様子で肘掛椅子にすわり、そのままの姿勢でしばらく私をながめておられました。そして、こう言われました。

「さて、執事殿、君に尋ねたいことがある。じつは、先ほどからある問題について皆で話し合っているのだが、埒があかない。是非、君に助けてほしい。どうだろう、これほど貿易が停滞してしまったのには、やはりアメリカの債務状況が強く関係しているのだろうか。それとも、そんなことはまったくのでたらめで、じつは金本位制の廃止こそ問題の根幹にあるのだろうか」

 もちろん、この質問には少し驚きましたが、私はたちまち状況を飲み込みました。私に期待されているのは、明らかに、この質問に当惑して見せることに違いありますまい。(中略)

「まことに申し訳ございません」と私は申し上げました。「この問題につきましては、お役に立つことはかなわぬかと存じます」

 お客様方はひそひそ笑いをつづけておられましたが、このときまでに、私は居間の状況をすっかり把握しておりました。掌握していたと言ってよいかもしれません。スペンサー様はつぎにこう言われました。

「では、少し別の問題で助けていただこうかな、執事殿。フランスとボルシェビキ・ロシアが軍備協定を結んだら、ヨーロッパの通貨問題は緩和するだろうか、それとも悪化するだろうか」

「まことに申し訳ございません。この問題につきましては、お役に立つことはかなわぬかと存じます」

「やれやれ、この問題でも執事殿は助けてくれないのか」(中略)

「それなのに」とスペンサー様がつづけられました。「われわれは国の意思決定を、この執事殿や、その数百万のお仲間に委ねようと言い張っている。この議会政治という重荷を背負っているかぎり、さまざまな困難に少しも解決策を見出せないのは当たり前のことではないか。母親の会に戦争の指揮をとってくれと頼んだほうがまだましだ」

⇒このシーンは映画でも短いが効果的に再現された。

 ここにはジャン・ジャック・ルソーの「民意」「世論」「一般意思」や、「議会制民主主義」「ファシズム」という今日でも通用するテーマが問題提起されている。

「三日目――夜」もまたダーリントン卿崇拝と「忠誠心」で閉じてゆく。

 

 

「四日目――午後」

 

<圧倒的な解放感だった>

・(P296)《まったく突然に、医師はこんなことを言いました。

「無礼と思われたら困るんだが、もしかしたら、あなたはどこかのお屋敷の召使ということはありませんか?」

 この言葉を聞いたとき、私がまず感じたのは圧倒的な解放感だったことを告白せねばなりません。

「さようでございます。私はオックスフォード近くのダーリントン・ホールで執事をしております」

「そうじゃないかと思った。ほら、ウィンストン・チャーチルに会った、誰に会ったという件ね? 考えたんですよ。こいつは大嘘つきか、それとも……。そして、はっと思い当たったなんだ、簡単に説明がつくことじゃないか、ってね」

 カーライル医師は、曲りくねった急な上り坂に車を走らせながら、にっこり笑って私のほうを振り向きました。

「私には、どなたもあざむくつもりはなかったのでございます、カーライル様。しかし……」

⇒映画では小説と違ってカーライル医師は控え目ではなく、ダーリントン卿のナチスとのことがフレームアップされる。ペテロのスティーブンスはいったん知らないと答える。が、降りてガソリンを注ぎながら、あれは嘘だったと告白する。カーライル医師はスティーブンス自身の考えはどうだったのかをしつこく尋ねるが、これは秘密会談でのレジナルド・カーディナルの問いと同じ問いかけである。

 

《「ダーリントン? 英国を戦争に巻き込んだ、ナチ擁護派の貴族の?」

「その方は存じません」

「雇い主は米国人のルイス氏です」

ダーリントン卿はヒトラーと協定を結ぼうとした。その事で戦後、新聞社を名誉棄損で訴えた。エクスプレス紙かクロニクル紙か」

「存じません」

「裁判で負けた。反逆罪に問われて当然だった」

(中略)

「さっき申し上げた事は嘘です。私はダーリントン卿に仕えました。立派な方でした。真の紳士で、あの方に仕えた事は私の誇りです」

(中略)

「君も彼と同じ考えを? ダーリントン卿だよ」

「私は執事で、考えが合う合わないは関係ありません」

「だが信頼を?」

「心から。亡くなる前は、ご自分の過ちを認めておいででした。“相手を信じすぎた自分が間違ってた”と」

「なるほど」

「どうも。お手数をかけました」

(中略)

「しつこく聞いて申し訳ないが、君自身の気持ちは? 自分の過ちならあきらめもつくが、どのように

心の整理を?」

「私自身も私なりに過ちを犯したのです。その過ちを正したくて、この旅も実はそれが目的なのです」》

 あろうことか懺悔の旅とまでスティーブンスに言わせるが、原作小説では、旅の前にスティーブンスにそこまでの罪悪感、反省意識があったとは到底思えない。旅のなかで次第に意識が深まっていったはずだ。映画では「信用できない語り手」という伏線は表現されてこなかったから、このシーンを観た人は「信用できる語り手」スティーブンスの発言、自己正当化をまるごと信用してしまうだろう。しかしそれでは、最後に「ひび割れ」が入らない。

 

<ある一つの思い出が心から消えません>

・(P303)《とりわけ、ある一つの思い出が心から消えません。思い出というより、記憶の断片と言ったほうが適切でしょうか。ほんの一瞬のことが、この二十年間、なぜかいつも鮮明に思い出されるのです。それは、私が裏廊下に一人立っている記憶です。目の前には、ミス・ケントンの部屋の閉じたドアがあります。いえ、私はドアに向かって立っているのではありません。体が半ばドアのほうに向きかけて、はたしてノックしたものかどうか決断しかねているところなのです。このドアの向こう側で、私からほんの数ヤードのところで、ミス・ケントンが泣いている……。その思いにうたれた直後のことだったのを覚えております。この裏廊下での一瞬と、そのとき胸中に湧き起こってきた名状しがたい感情の渦のことは、私の脳裏にしっかりと刻み込まれ、いつまでたっても消えることがありません。

 しかし、私がなぜ裏廊下に一人立ち尽くしていたのか、どのような状況のもとでそういうことになったのかは、定かではありません。前後の様子を思い出そうとして、もしかしたら、これはミス・ケントンが叔母さんの死亡通知を受け取った直後のことではないか、と考えたこともあります。一人だけで悲しみにふけりたいというミス・ケントンを部屋に残し、廊下へ出たとたん、まだお悔みを言っていなかったことに気づいた。あのときのことではないか……と。しかし、さらによく考えてみますと、やはり違うのかもしれません。この記憶の断片は、ミス・ケントンの叔母さんの死から少なくとも数カ月たってから、全く別の脈絡の中で起こったことのようにも思われます。さよう、レジナルド・カーディナル様が不意にダーリントン・ホールに現われた、あの夜のことだったのかもしれません。》

⇒映画では、ミス・ケントンの叔母の死を知らせる手紙と、その直後に泣き声を聞いて廊下に立ち尽くすシーンは存在しない。ここにも「偽装と転嫁は一体となって機能する」の模範例がある。「胸中に湧き起こってきた名状しがたい感情(the peculiar sensation I felt rising within me.)」という多義的表現で読者を惑わす。

 

<「あなたのことをあれこれと話し合って時間を過ごしたことも多いのですよ」>

・(P315)《「ご存じかしら、ミスター・スティーブンス? 知合いと私にとって、あなたはとても重要な人物だったのですよ?」

「さようですか、ミス・ケントン?」

「そうですわ。あなたのことをあれこれと話し合って時間を過ごしたことも多いのですよ、ミスター・スティーブンス。たとえば、あなたが指で鼻をつまむ格好が私の知合いのお気に入りでしてね、ほら、食事時に、あなたが胡椒を振りかけるときになさるあの格好が……。私に会うと、やれと言ってききません。やってみせると、いつも大笑いしますわ」

「なるほど」

「それに、あなたが召使に与える“訓示”も気に入っているようですわ。あなたの演説口調の物真似では、私はもう名人クラスですもの。出だしのところをちょっとやってみせるだけで、二人とも笑い転げてしまいます」

⇒同じようなシーンが、二人の再会の場面でも現れる。

《そして、ミス・ケントンは、ドーセット州に住む娘さんの住所を私に教え、帰り道には是非立ち寄っていくようにと言いました。ドーセット州の辺りは、私の帰り道からだいぶはずれております。わたしはそのことを説明いたしましたが、ミス・ケントンはあとへ引かず、「キャサリンはあなたのことなら何でも聞いて知っているんですよ、ミスター・スティーブンス。立ち寄ってやってくだされば、大喜びしますわ」と言いつづけました。ミス・ケントンが本気であることを知り、私はたいへん感激いたしました。》

 この女心をどうとらえるべきか、生来の性格なのかはともかく、なぜかほっとするような、まるでブロンテ姉妹かジェーン・オースティンの小説のような奥行きを与えていることはたしかだ。

 

<好奇心をあからさまにする立場にはございません>

・(P320)《「残念ながら、私にはわかりかねます」

「残念ながらか、スティーブンス。ほんとうかな? ほんとうに残念ながらかな? 君は好奇心を刺激されるということがないのかい? いま、このお屋敷で決定的な大事が進行しているんだよ。君の好奇心はそれでも眠っているのかい?」

「私は、そうしたことに好奇心を抱く立場にはございません」(中略)

「好奇心が湧かないというのではございません。しかし、そのような問題につきまして、好奇心をあからさまにする立場にはございません」

「立場にない? そうか、君はそれが忠誠心だと思っているわけだ。違うかい? それが忠誠心だと思っているんだろう? 卿への? それとも国王へのかな?」

「申し訳ございません、カーディナル様。私にどうせよとのご提案でございましょうか?」(中略)

「君は平気かい? スティーブンス? ダーリントン卿が崖から転げ落ちようとしてるのを、黙って見ているつもりかい?」

「申し訳ございません。何のことを言っておられるのか、私にはよく理解できかねます」(中略)

「教えてくれないか、スティーブンス? もしかしたらぼくの言うことが正しいかもしれないとは――たとえどれほどわずかでも、その可能性があるとは――君にはまったく考えられないのかい? ぼくの言っていることに興味すら覚えないかい?」

「申し訳ございません、カーディナル様。私はご主人様のよき判断に全幅の信頼を寄せております」

⇒レジナルド・カーディナルによってダーリントン卿の客観的な姿が明かされるシーンは、カーディナルがベルギーで戦死し、新聞におぞましく書きたてられて裁判に負け、廃人同様だったダーリントン卿の居間にお茶を持って上ると悲劇的な光景だった、と再会したミス・ケントンに話されることで、一層の悲劇性を増す。

 

 映画はナチスをめぐる政治的なことに関しては小説にない補填までして主張している。

 たとえば、黒シャツを引き連れてダーリントン・ホールを訪問したジェフリー卿のユダヤ人、ジプシー、黒人に対する差別発言とドイツの収容所への強い言及が映像化されている。

《「ユダヤ人や黒人、その他の人種問題。私はナチの人種政策を擁護する。遅きに失したという感すら持っておる」

「しかし英国は……」

「懲罰システムなくして国家は統治できない。“刑務所”と“強制収容所”は呼び名の違いだけだ」》

 

 一九三六年の秘密会談で、駐英ドイツ大使リッベントロップとイギリス首相、外相らはチェコスロバキアをめぐる会話(一九三八年のズデーテン危機とミュンヘン協定を先取りしすぎているかもしれない)をしているけれども、これも映画だけの特別なシーンだ。

《「わが大英帝国を参戦させる気はない。英国から遠く離れた国の争いだ。その民族にも馴染みがない」

チェコスロバキアのために英国の若者を犠牲にするなど」

「ドイツにとってチェコはいわば裏庭。他国の介入する問題ではない」

「総統閣下は心から平和を望んでおられる。だが小国が大ドイツ帝国を愚弄すればお許しにはなりません」》

 

 

<不当に道草をくったはずがありません>

・(P326)《「ミスター・スティーブンス、先ほど私が申し上げたことを本気にしてはいけませんわ。わたしがただ愚かだったのですから」

「あなたが言われたことを本気になどしておりません。ミス・ケントン。と言うより、あなたが何のことを言っておられるのか、私には思い出すことすらできません。わが国の大事がいま二階で進行しているのです。ここであなたと軽口を叩き合っている暇はありません。あなたも、もうお休みになったほうがよろしい、ミス・ケントン」(中略)

 さよう、私の記憶に深く刻み込まれておりますのは、やはり、あの瞬間のことだったに違いありますまい。私は両手にお盆をもち、廊下の暗がりの中に立っておりました。そして、心に確信めいたものが湧いてくるのを感じておりました。この瞬間、ドアの向こう側で、私からほんの数ヤードのところで、ミス・ケントンが泣いているのだ……と。それを裏付ける証拠は、何もありません。もちろん、泣き声などが聞こえたわけではありません。が、あの瞬間、もしドアをノックし、部屋に入っていたなら、私は涙に顔を濡らしたミス・ケントンを発見していたことでしょう。当時もいまも、そのことは信じて疑いません。

 どれほどの間そこに立っていたものでしょうか。ずいぶん長い間立ち尽くしたようにも思いますが、実際はほんの数秒間だったに違いありますまい。わが国で知らぬ者のない著名な方々のご用で、私は二階へ急ぐ途中だったのです。不当に道草をくったはずがありません。》 

⇒ミス・ケントンが結婚の報告をしたのに、スティーブンスが素っ気ない言葉しかかけなかったすぐ後で、ダーリントン卿に命じられて酒蔵からとびきり上等のポートワインを持って上る途中の出来事だ。「不当に道草をくったはずがありません」の複雑な意味合いを、映画ではあろうことかドアを開けて部屋に踏み込み、悲嘆にくれて泣いているミス・ケントンを発見する。あげくのはては叔母の死亡の手紙を受け取った直後に、ミス・ケントンの仕事ぶりに手抜かりがあると詰るシーンを持って来てしまう抑制のなさ。

 

<アーチの下の持ち場>

・(P328)《ホールを横切り、私はまたアーチの下の持ち場にもどりました。そして、ほぼ一時間後にお客様がお帰りになるまで、そこで待機しつづけました。何事も起こらず、ただその場に立っていただけの一時間でしたが、あのときのことは、二十年たったいまになっても鮮明に思い出すことができます。ご想像のとおり、私はたしかに最初は気が滅入っておりました。が、立ちつづけている間に、じつに奇妙なことが起こったのです。いつの間にか、心の奥からしだいに大きな勝利感が湧き上がってきたのです。

 当時の私がこの感情をどのように分析したものか、いまでは覚えておりません。しかし、今日振り返りますと、説明は容易につくように思われます、私にとりまして、あの夜はきわめて厳しい試練でした。しかし、あの夜のどの一時点をとりましても、私はみずからの「地位にふさわしい品格」を保ちつづけたと、これは自信をもって申し上げられます。おそらく、あの夜の私なら、父も誇りに思ってくれたことでしょう。そして、私が注視しつづけた、ホールの向こうのドアの内側では――私がたったいま任務を遂行してきた部屋の中では――ヨーロッパで最も大きな影響力をもつ方々が、大陸の運命について意見を交わしておられたのです。あの瞬間、私がこの世界という「車輪」の中心にいたことを誰が疑いえましょう。そして、あの夜の私をうらやまぬ執事がどこにおりましょうか。》

⇒この「アーチ」はウェークフィールド夫人に「まがい物」と指摘されたそれである。「君まで“まがい物”」が真実であるかのように、まがい物のアーチの下に何時間も立ち尽くし、勝利と高揚感に浸るスティーブンス。一九二三年の国際会議では父の死、一九三六年の秘密会談ではミス・ケントンの結婚の報告という試練を乗り越えて、品格を守り、世界の車輪の中心にいたと自負するスティーブンス。その夜、命じられるままに、とびきり上等のポートワインを酒蔵から運んだだけなのに。

 

 

「六日目――夜」

 

<「私がそんなことを書いたはずがありませんわ」>

・(P338)《「ミスター・スティーブンス、一人で何を笑っておられますの?」

「いや……申し訳ありません、ミセス・ベン。ただ、あなたが手紙の中に書いておられたことを、ちょっと思い出したものですから。あれを読んだときは少し心配したものでしたが、いまでは無用の心配だったことがわかります」

「あら。どんなことを書いたのでしたかしら?」

「とくに申し上げるようなことではありません、ミセス・ベン」

「あら、教えてくださらなければいやですわ、ミスター・スティーブンス」

「さようですか、ミセス・ベン」と、私は笑いながら言いました。「たとえば、手紙のあるくだりで――さて、正確にはどうでしたか――『これからの人生が、私の眼前に虚無となって広がっています』というようなことを書いておられました」

「ほんとうですかしら、ミスター・スティーブンス?」やはり笑いながら、ミス・ケントンが言いました。「私がそんなことを書いたはずがありませんわ」

「いえいえ、ほんとうに書かれたのですよ、ミセス・ベン。私ははっきり覚えています」

「いやですわ。でも、そんなふうに感じた日もきっとあったのでしょうね。でも、ミスター・スティーブンス、そんな日はすぐに過ぎ去っていきます。はっきり申し上げておきますわ。私の人生は、眼前に虚無となって広がってはありません。なんといっても、ほら、もうすぐ孫が生まれてきますもの。このあと、何人かつづくかもしれませんし」

「そうですとも、ミセス・ベン。あなた方にとってはすばらしいことでしょう」

 二人はしばらく黙ったまま、ドライブをつづけました。やがて、ミス・ケントンがこう言いました。

「あなたにとってはどうなのですか、ミスター・スティーブンス? ダーリントン・ホールでのあなたには、どんな将来が待ち受けているのでしょう?」

「さて、何が待ち受けているにせよ、それは虚無ではありますまい、ミセス・ベン。私などは、そうであってくれればと願わないでもないのですよ。しかし、とんでもない。仕事、仕事、また仕事でしょう」

 二人は同時に笑い出しました。

⇒読者の誰もが気づくように、「五日目」がない。より正確には、四日目の夜から六日目の午後までが省略されていて、スティーブンスの語りの時刻は、「四日目――午後」から「六日目――夜」に飛ぶ。

 結局、小説ではスティーブンスはミス・ケントン(ミセス・ベン)に、ダーリントン・ホールに戻る気はないか、と問うことをしなかった(夫を愛しているのか、は遠まわしにしつこく尋ねたのに、というのはそれがずっと最重要の気がかりだった)、ミス・ケントンが語る身の上話、家族の現状を知れば、問うまでもなく自明だったから、いつもの奇妙な笑いで自分の感情をごまかしている。

 しかし映画でははっきりと尋ねる。

《「人手不足でして」

「お手紙で読みました。それで私も、もう一度勤めをと」

「よかった」

「ところが事情が変わったんです。もし勤めるようならこの近辺でないと。娘のキャサリンに赤ん坊ができるんです。そばにいてやりたいんです。孫が大きくなるのを近くで見たいし……」

「わかります」》

 

<「結局、時計をあともどりさせることはできませんものね」>

・(P342)《「ミスター・スティーブンス、おそらくお尋ねになっているのは、私が夫を愛しているかどうかということですのね?」

「いえ、ミセス・ベン、私はそのような大それた……」

「お答えすべきだと思いますわ、ミスター・スティーブンス。おっしゃるとおり、もうこれから何年もお会いすることがないかもしれませんもの。ええ、ミスター・スティーブンス、私は夫を愛しています。最初は違いました。最初は、長い間、夫を愛することができなかったのだと思います。ダーリントン・ホールを辞めたとき、私にはほんとうに辞めるという気がなかったのだと思います。ただ、あなたを困らせたくて、きっと、辞めることもそのための計略の一つくらいに考えていたのでしょう。それが気がついてみると、突然、西部地方に来ていて、ほんとうに結婚しているのですもの、ひどいショックでしたわ。長い間、私は不幸でした。たいへん不幸でした。でも、時間が一年一年過ぎていき、戦争があり、キャサリンが大きくなり、そしてある日、私は夫を愛していることに気づきました。これだけ時間をともにすると、いつの間にか、その人にも慣れるのでしょうね。夫は優しい、堅実な人です。そうですわ、ミスター・スティーブンス。私は夫を愛せるほどに成長したのだと思います」

 ミス・ケントンはしばらく黙り込みました。そして。こうつづけました。

「でも、そうは言っても、ときにみじめになる瞬間がないわけではありません。とてもみじめになって、私の人生はなんて大きな間違いだったことかしらと、そんなことを考えたりもします。そして、もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を――よりよい人生を――たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたのいっしょの人生を――考えたりするのですわ。そんなときです。つまらないことにかっとなって、私が家出をしてしまうのは……。でも、そのたびに、すぐに気づきますの。私のいるべき場所は夫のもとしかないのだ、って。結局、時計をあともどりさせることはできませんものね。架空のことをいつまでも考えつづけるわけにはいきません。人並の幸せはある、もしかしたら人並以上かもしれない。早くそのことに気づいて感謝すべきだったのですわ」

 ミス・ケントンのこの言葉に、私はすぐに返事をしたとは思われません。聞いた言葉を噛み締めるのに一瞬を要しました。それに――おわかりいただけましょう――私の胸中にはある種の悲しみが喚起されておりました。いえ、いまさら隠す必要はありますまい。その瞬間、私の心は張り裂けんばかりに痛んでおりました。しかし、私はやがてミス・ケントンのほうを向き、笑みを浮かべてこう言いました。

「おっしゃるとおりです。ミセス・ベン。おっしゃるとおり、いまさら時計をあともどりさせることはできません。そのような考えがあなたとご主人の不幸の原因でありつづけるとしたら、私はこれから安心して眠ることさえできなくなります。さよう、ミセス・ベン、私どもは、みな、いま手にしているものに満足し、感謝せねばなりますまい。それに、うかがったかぎりでは、あなたには満足すべき十分な理由があるではありませんか。ミスター・ベンが隠退され、お孫さんが――おそらく、これから何人も――お生まれになるのです。あなた方お二人は、きわめて幸せな年月を迎えようとしておられます。愚かな考えを抱いて、当然やってくる幸せをわざわざ遠ざけるようなことをしてはなりますまい」

「ありがとうございます、ミスター・スティーブンス。そのように心がけますわ」

「ミセス・ベン。どうやらバスが来たようです」》

⇒ここで、スティーブンスは直接話法の会話のなかでは畏まって「ミセス・ベン」と言っているけれど、地の文ではミス・ケントンのままであって、地の文がスティーブンスの深層心理、欲望を表出しているととることができる。このような深層心理による言葉の露呈は他の場面でもあって、カーライル医師からカーライル様と呼ぶのはやめてくれないか言われても、執拗に「様(sir)」と呼んでしまう(翻訳では、文末のsirの訳が難しいので、あまりわからないが)職業上の習慣をみてとれる。

 人生とはそんなものかもしれないというエッセンスが詰まっている。次の言葉をもって、ミス・ケントンの恋心を見逃していたとする読みもある。「たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたのいっしょの人生を」と呟いてはいるけれど、「愛していた」とまでは語っていないし、「たとえば」でもある。「そのような考えがあなたとご主人の不幸の原因でありつづけるとしたら」の「そのような考え」、「愚かな考えを抱いて」の「愚かな考え」もまたスティーブンスの手前勝手な解釈であるかもしれない。

「ミス・ケントンのこの言葉に、私はすぐに返事をしたとは思われません」とは、わずか二日前のことなのに遠い出来事を回想しているかのようではないか。

 

<夕方こそ一日でいちばんいい時間だ>

・(P345)《桟橋の色つき電球が点燈し、私の後ろの群衆がその瞬間に大きな歓声をあげました。いま、海上の空がようやく薄い赤色に変わったばかりで、日の光はまだ十分に残っております。しかし、三十分ほど前からこの桟橋に集まりはじめた人々は、みな、早く夜のとばりがおりることを待ち望んでいるかのようです。先ほどの人物の主張には、やはり、いくぶんかの真実が含まれているのかもしれません。しばらく前までこのベンチにすわり、私と奇妙な問答をしていったその男は、私に向かい、夕方こそ一日でいちばんいい時間だ、と断言したのです。たしかに、そう考えている人は多いのかもしれません。そうででもなければ、ただ桟橋のあかりがついたというだけで、あれだけの歓声が自然発生的に湧き上がるものでしょうか。(中略)

「おやおや、あんた、ハンカチがいるかね? どこかに一枚もっていたはずだ。ほら、あった。けっこうきれいだよ。朝のうちに一度鼻をかんだだけだからね。それだけだ。ほら、あんたもここにやんなさい」

「いえ、結構です。私は大丈夫でございます。申し訳ありません。きっと旅行でくたびれているのございましょう。申し訳ありません」

「あんたは、その何とか卿という人をよほど慕っていたんだね。亡くなってから三年たつって? その人のことがよほど好きだったに違いないな」

ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。さよう、悪い方ではありませんでした。それに、お亡くなりになる間際には、ご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気ある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でございましたが、しかし、卿はそれをご自分の意志でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は……私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意志で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」

⇒映画では、老人が、後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ、夕方が一番いい、と語るシーンは、撮られはしたがカットされてしまった。そして、なぜかミス・ケントンがベンチに坐って代役を務めた(二人の人物を一人に、二つの出来事を一つにするこの映画の手法)。「自分の意志で過ちをおかしたとさえ言えません」という重要な告白も、品格ある執事なら絶対にありえない人前で涙を流してハンカチを差し出されることもなく。

 

 イーヴリン・ウォーとの類似性は、吉田健一のエッセイ「ブライヅヘツド再訪」からも読みとれる。

《又この小説に差してゐる光が落日のものであるのは間違ひないことである。ウォオ自身が英国に差してゐるのが落日の光と見てこれを書いたので、その五年後の序文でこれが当つてゐなかったことを認めてゐても別な考へ方をするならば落日が一日の終りであることにならないのは夕日がその一日の一切を照し出すことを妨げない。これが斜陽の本当の意味であつてウォオが予想したことの性質は兎も角「ブライヅヘツド再訪」でこの光が小説の細部まで浮び騰がらせてゐる感じがするのは再びその作者が凡てを過去に置き、そのどのような記憶も逃すまいとしてこれを書いたことを我々に思ひ出させる。我々自身が落日を浴びた景色を眺めてゐる状態を考へるといいのでそれは豊かなものであるとともに眼がこの時のやうに正確に働くことはない。それは人間の精神が休息を喜ぶのに似てゐる。》

 

<ジョークの練習>

・(P353)《本腰を入れて、ジョークを研究すべき時期に来ているのかもしれません。人間どうしを温かさで結びつける鍵がジョークの中にあるとするなら、これは決して愚かしい行為とは言えますまい。

 主人が執事に望む任務としても、ジョークは決して不合理なものではないように思えてまいりました。(中略)ファラディ様は、まだ一週間はもどられません。まだ多少の練習時間がございます。お帰りになったファラディ様を、私は立派なジョークでびっくりさせて差し上げることができるやもしれません。》

⇒この小説の末尾のジョークに関するアイロニーもまた映画では扱われなかった。ダーリントン・ホールに戻ってきたスティーブンスは、迷い込んだ鳩が飛び出ていった窓を閉め(あたかもまた、仕事、仕事、仕事の執事に閉じこもるかのように)、ダーリントン・ホールを上へ上へと遠景撮影がどんどん引いて、見はるかす美しい田園風景でエンディングとなる。

 

ノーベル文学賞受賞記念講演」から。

《私が書き終えたばかりの物語は、イギリス人執事の話です。彼は誤った価値観によって人生を誤ったと悟りますが、すでに遅しです。執事として、人生最良の年月をナチ・シンパの主人に捧げてきました。自分の人生なのに、自分で道徳的・政治的責任を負わずにきたことによって、人生をいわば無駄にしたことを深く悔やみます。それだけではありません。完璧な召使いであろうとするあまり、大切に思う1人の女性がいながら、それを愛し、それに愛されることを自らに禁じます。

 

 私は書き上げた原稿を何度も読み返して、まずまず満足していました。同時に、何かが足りないという小さな思いを抑えられずにいました。

(中略)

 トム・ウェイツを聴いて、私は何をやるべきかを悟りました。イギリス人執事には最後まで感情の防壁を維持してもらい、その防壁によって自分からも読者からも自分自身を隠しきってもらう……。書いている途中のどこかで、私は無意識にそう決めていたのだと思います。いまやるべきことは、その無意識の決定を覆すことです。物語の終わりに近いどこかで、一瞬だけ覆そう。その一瞬を慎重に決め、まとった鎧に一筋のひび割れを起させよう。鎧の下にある大きくて痛ましい願いを、読者に垣間見てもらおう。》

 

 さて、イシグロが言う「物語の終わりに近いどこかで、一瞬だけ覆そう」とし、「まとった鎧に一筋のひび割れを起させよう」としたそれは、具体的にはいったいどこだろう。

 ミス・ケントンが孫娘を理由にダーリントン・ホールに戻ることを断った時だろうか。「もしかしたら実現していたかもしれない別の人生を――よりよい人生を――たとえば、ミスター・スティーブンス、あなたのいっしょの人生を――考えたりするのですわ」という思いがけない言葉を聞いた時だったか。それとも、桟橋の老人の「夕方が一日でいちばんいい時間だって言うよ」と声を掛けられ、執事の衣裳を脱いで「完全に一人だけでいるときしか」見せないはずの涙を流した時だろうか。桟橋の見知らぬ人々がジョークを言い合いながら人間的暖かさで結ばれているのに気づいた時だろうか。

 読者が自分の頭で思考することを求めているような気がしてならない。

  

 

[附 丸谷才一の『日の名残り』書評]

 

 丸谷才一の『日の名残り』書評は、『日の名残り土屋政雄訳(早川epi文庫)の解説として「旅の終り」という題で掲載された。丸谷はデイヴィッド・ロッジを高く評価しているが、彼の「信用できない語り手」について何ら言及していないのは、不思議と言えば不思議である。

ウッドハウスの滑稽小説に出て来るバーディ・ウースターとジーヴズは、ドン・キホーテサンチョ・パンサシャーロック・ホームズとワトソンと同じくらゐ有名な二人組である。呑気で人のいい貴族が社交界で失敗すると、賢明な執事が主人公を救ふといふのが、ジーヴズものの基本の型だつた。この型によつてウッドハウスは、第一次大戦の終りまでの、つまり最盛期のイギリス社会を楽しく諷刺した。
 イシグロの長篇小説『日の名残り』の主人公スティーブンスは執事である。彼は以前、政界の名士であるダーリントン卿に使へてゐて、有能な執事として自他ともに許してゐた。しかし彼には第二次大戦前夜から戦後にかけてのダーリントン卿の重大な失敗を救ふことなどもちろんできなかつたし、そして自分自身の私生活もまた失敗だつたと断定せざるを得ない。旅の終りにそのことを確認して、スティーブンスは海を見ながら泣く。夕暮である。桟橋のあかりがともる。『日の名残り』はそれゆゑ、まるでウッドハウスジーヴズもののきれいな裏返しのやうにわたしには見えた。
 つまりイシグロは大英帝国の栄光が失せた今日のイギリスを諷刺してゐる。ただしじつに温和に、優しく、静かに。それは過去のイギリスへの讃嘆ではないかと思はれるほどだ。ダーリントン・ホールはいまアメリカの富豪の所有に帰し、スティーブンスは彼に雇はれてゐるのだが、このアメリカ人は親切な男で、自分が帰国して留守のあひだ、数日イギリスを見物しろと執事にすすめる。その旅で彼が眺める田園風景と同じくらゐ、古いイギリスの倫理は肯定されてゐるやうだ。
 しかし物語は整然とそしてゆるやかに展開して(イギリスの読者たちはこの精妙な技術にホンダやソニーと同種の洗練を感じたかもしれない)、スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕つてゐた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そしてこの残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物に過ぎなかつた、といふ認識と重なりあふ。
 これは充分に悲劇的な物語で、現代イギリスの衰へた倫理と風俗に対する洞察の力は恐ろしいばかりだ。これだけ丁寧に歴史とつきあひながら、しかしなまなましくは決してなく社会をとらへる方法は、わたしを驚かす。殊に、登場人物に対する優しいあつかひがすばらしい。イシグロは執事、女中頭、貴族をユーモアのこもつた筆致で描きながら、しかし彼らの悲劇を物語つてゆく。
 あるいは、悲劇を語りながら、ユーモアを忘れない。わたしはその余裕のある態度を望み見て、イシグロが川端康成にではなくディケンズに師事してゐることを喜んだ。海を見ながら泣く執事に、見ず知らずの男は、今朝一ぺん鼻をかんだきりだと言つてハンカチを貸さうとする。執事はそれを断つてから、むやみに冗談を言ふことが好きなアメリカ人の雇ひ主のため、冗談の練習をしようと思ひ立つ。
 土屋政雄の翻訳は見事なもの。

 

 これはわたしが一九九〇年十一月に「週刊朝日」のために書いたカズオ・イシグロ日の名残り』の書評である。初出の題はわからないが、わたしの本『木星とシャーベット』に収めるときには『桟橋のあかり』といふ題をつけた。読み返してみて、大筋のところではこれでいいし、よくまとまつてゐると思ふので、敢へて再録し、その上で、枚数が足りないせいで言ひ残したことを付け加へよう。十年という歳月のせいでの変化は、たとへあるとしても僅かなはずだ。わたしは相変らず、このよく出来た長編小説に好意を寄せてゐる。

 イギリス小説史の専門家たちがよく使ふ「英国の状態」小説といふ術語がある。

 一八四〇年代のイギリスは、前世紀の経済的発展のせいで困つたことになつてゐたし、すくなくとも政治家たちや政治評論家たちはそのことに気がついてゐた。産業革命のためだ。これをカーライルは「英国の状態」問題と形容したが、この言葉は一種の流行語となり、派生語を生じた。このころに書かれた政治小説(たとへばディズレリーのもの)や社会問題小説(たとへばギャスケルのもの)が「英国の状態」小説と呼ばれるやうになつたのである。一つには、この種のことを取上げるのに肩ひじ張つた政治論や経済論よりも小説といふ女性的な形式のほうが具体的で好都合だといふ事情もあつたし、さらに、もともとイギリス小説は十八世紀以来、社会全体に対して関心をいだくものだつた。社会のなかで生きるといふ傾向の強い国民だし(従つてその反動で奇人も多くなる)、それに小説が大好きだから、自然かういふことになる。

 イギリス小説のそんな性格を十九世紀で最もよく見せるのがディケンズだとすれば、二十世紀ではE・M・フォースターだらう。そしてイシグロの『日の名残り』は、まさしく「英国の状態」小説ともいふべき、社会全体の展望の書となつてゐるが、イシグロの作品によつてまづ連想されるのはフォースターの『ハワーズ・エンド』である。その優しくて皮肉な洗練といひ、社会小説めかした野暮つたい構へを表面はちつとも見せないのに骨組はまさしく社会小説であることといひ、この長編小説は『ハワーズ・エンド』によく似てゐるのだ。

 そのための絶好の仕掛けは執事といふ主人公=語り手だつた。それはあの格式の高い、貴族支配の国の移り変りを物語るのに打つてつけのもので、どうして今まで誰もこの工夫に気づかなかつたのかといふ気がするけれど、多分みんながウッドハウスジーヴズに何となく遠慮したせいに相違ない。それとも、恐れをなした結果といふべきか。とすれば、イシグロの発明は、スリラーの方法を移入したグレアム・グリーン、少年冒険小説の設定を借用したゴールディングに近いといふことになる。彼は執事といふイギリス上流社会の特産品を滑稽小説から普通の小説へと奪還し、あの特殊な職業によつてイギリスの国運を占つた。

「従僕の眼に英雄なし」といふヘーゲルの名文句がある。ただし彼は、「それは英雄が英雄でないからではなく従僕が従僕だからだ」と言ひ添へる。服を着せたり長靴をぬがせたり、身のまはりを世話してくれる卑小な男にかかると、どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる、欠点しか目につかない、といふわけだ。さういふ理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そしてたいていの歴史小説は、英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまぜあわせることで成立つてゐる。

 イシグロの方法はさうではない。彼のスティーブンスはダーリントン卿に心服してゐた。尊敬すべき大物だと信じ切つてゐた。つまりダーリントン卿は従僕にすら軽蔑されない偉大な存在だつた。さういふ、敬愛といふよりはむしろ畏怖の対象である貴族への評価が次第に崩れてゆく、そのいはば公的な悲劇となひまぜにして、この従僕はまた私的な悲劇を持つ。女との関係を回顧して、自分が勿体ぶつてばかりゐて人間らしく生きることを知らない詰まらぬ男だつたといふ自己省察に到達するのだ。この公私両方の認識の深まり方につきあふのが『日の名残り』を読むといふことなのである。

 こんなふうに認識の深まり方に立会ふことは、普通あまり言はれてゐないけれど、小説の大切な味である。時として、主成分になる場合もあるだらう。たとへば『罪と罰』も『若い芸術家の肖像』も勘どころはそれなので、その探究の一歩一歩が、古風な宝さがしの物語に一喜一憂に近い、いや、ひよつとするとそれ以上の、楽しさをもたらすことになる。もちろんドストエフスキージョイスの主人公は学生で、知的な素質においてスティーブンスを遙かに抜く。しかしイシグロはごく普通の男の人生論的探究、知の宝さがしを描くといふ放れ業をきれいに見せてくれた。

 注目に価するのは、その一部始終の時間的構造である。まづ新しい雇ひ主であるアメリカ人がイギリス旅行をすすめてくれる所からはじまつて、スティーブンスの旅が逐一語られる。そのなかに彼の過去が織り込まれる。かつての主人のことも、女中頭とのあれこれのことも。その女との長い歳月の後に出会つて悲しい打明け話を聞き、それを思ひ出し、自分の生き方を悔いて、旅の終りに彼は泣く。現在から過去へ赴き、過去から大過去へとさかのぼつたり現在に引き返したりする入り組んだ時間の扱ひ方はまことに見事なもので、読者はすばらしい話術に引きまはされながら、つい時間といふものを存分に意識するやうになり、そのあふりで、さう言へばこの執事の生きてゐるいはば私的な時間は、もつと公的な時間である歴史のなかに包含されてゐて、その公私両方の時間をイシグロは上手に語つてゐるのだと気づくことになるだらう。

 彼が現在のイギリス人の生活とそれからこの一世紀の大英帝国の有為転変とをこんなにすつきりととらへることができるのは、もちろん彼の個人の才能も大きいけれど、外国系の作家なのでイギリスおよびイギリス人に対し客観的になることができるせいもかなりある。それから、その条件によつてイギリス小説の富を学びやすいといふこともある。話は逆ぢやないかと言はれさうだが、わたしの推論は筋が通つてゐるはずだ。ヘンリ・ジェイムズも、コンラッドも、外国系の作家であるせいでイギリス小説の伝統に深く学び、新しいものをそれに付け加へることができたといふ先例があるのだから。そして今、イシグロがイギリス小説に新しくもたらしたものは、時間といふもの、歴史といふものの、優美な抒情性かもしれない。わたしは、男がこんなに哀れ深く泣くイギリス小説を、ほかに読んだことがない。》

                                    (了)

    **********参考または引用*************

カズオ・イシグロ日の名残り土屋政雄訳(丸谷才一解説「旅の終り」所収)(早川epi文庫)

丸谷才一編著『ロンドンで本を読む 最高の書評による読書案内』(サルマン・ラシュディ「執事が見なかったもの」小野寺健訳所収)(光文社知恵の森文庫)

*Brian W. Shaffer and Cynthia F. Wong “Conversations with Kazuo Ishiguro” (univ. Press of Mississippi, 2008)

*The Remains of the Day, (1993) Movie Script

https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=remains-of-the-day-the

ジェイムズ・アイヴォリー監督映画『日の名残り戸田奈津子訳(コレクターズ・エディション [AmazonDVDコレクション])

*『吉田健一集成3』(『書架記』「ブライヅヘツド再訪」所収)(新潮社)

*E・M・フォースター『ハワーズ・エンド吉田健一訳(河出書房新社

イーヴリン・ウォー『ブライヅヘッドふたたび』吉田健一訳(筑摩書房

*P・G・ウッドハウス『P・G・ウッドハウス選集1 ジーブズの事件簿』(イーヴリン・ウォー「P・G・ウッドハウス頌」、吉田健一「P・G・ウッドハウス」所収)岩永正藤、小山太一編訳(文藝春秋

カズオ・イシグロ『特急二十世紀の夜と、いくつかのブレークスルー ノーベル文学賞受賞記念講演』土屋政雄訳(早川書房

*ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』大浦康介訳(筑摩書房

*「カズオ・イシグロ・インタビュー ~The Art of Fiction 第196回」(『THE PARIS REVIEW』2008年春号収録)

*「カズオ・イシグロの文学白熱教室」(2015年7月放送)(NHKエンタープライズ

デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(「信用できない語り手」所収)柴田元幸斎藤兆史訳(白水社

*ジョン・サザーランド『現代小説38の謎』(「なぜスティーブンスはスエズ危機を聞いたことがないのか?」所収)川口喬一訳(理想社

ハンナ・アーレント『新版 エルサレムアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』大久保和郎訳(みすず書房

ロラン・バルト『零度のエクリチュール渡辺淳、沢村昴一訳(みすず書房

*W・S・チャーチル第二次世界大戦』佐藤亮一訳(河出書房新社

フロイトフロイト全集<8>1905年―機知 』中岡成文、太寿堂真、多賀健太郎訳(岩波書店