美術批評 ゲルハルト・リヒター論(ノート) ――痕跡と灰/移動と転回

 

 


  スラヴォイ・ジジェク柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス』におけるパララックスな読解に影響され、これまで書いてきた事柄を再編成して『パララックス・ヴュー』を上梓した。

 その柄谷は『パララックス・ヴュー』の書評(朝⽇新聞掲載:2010年03月07日)に、《カントは『純粋理性批判』で、たとえば、「世界には始まりがある」というテーゼと「始まりがない」というアンチテーゼが共に成立することを示した。それはアンチノミー(二律背反)を通してものを考えることである。しかし、カントはそれよりずっと前に、視差を通して物を考えるという方法を提起していた。パララックス(視差)とは、一例をいうと、右眼で見た場合と左眼で見た場合の間に生じる像のギャップである。カントの弁証論が示すのは、テーゼでもアンチテーゼでもない、そのギャップを見るという方法である。実は、そのことを最初に指摘したのは、私である(『トランスクリティーク——カントとマルクス』)。(中略)彼は本書で、政治経済から自然科学におよぶ広範な領域に、パララックス・ヴューを見いだした。「光は波動である」と「光は粒子である」という両命題を認める量子力学はいうまでもない。》

 ところで柄谷は『トランスクリティーク ――カントとマルクス』で、マルクスに「移動と転回」を見ている。

柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス

《最後に付け加えておくが、私は『資本論』にマルクスの仕事の最高の達成を見出すにもかかわらず、それをマルクスの最終的な立場として見なすべきでない、と考えている。それはこの本が未完成であるというだけではない。重要なのは、すでに明らかなように、マルクスがたえず移動し転回しながら、それぞれのシステムにおける支配的な言説を「外の足場から」批判していることである。しかし、そのような「外の足場」は何か実体的にあるのではない。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、それはむしろいかなる足場をも無効化するのである。重要なのは、観念論に対しては歴史的受動性を強調し、経験論に対しては現実を構成するカテゴリーの自律的な力を強調する、このマルクスの「批判」のフットワークである。基本的に、マルクスはジャーナリスティックな批評家である。このスタンスの機敏な移動を欠けば、マルクスのどんな考えをもってこようが――彼の言葉は文脈によって逆になっている場合が多いから、どうとでもいえる――だめなのだ。マルクスに一つの原理(ドクトリン)を求めようとすることはまちがっている。マルクスの思想はこうした絶え間ない移動と転回なしに存在しない。》

 マルクスばかりでなく、これからジャック・デリダゲルハルト・リヒターにも「移動と転回」を見てゆきたいのだが、ひとまずジジェク『パララックス・ヴュー』のリヒターに関する言説に戻る。

スラヴォイ・ジジェク『パララックス・ヴュー』

《われわれは、現代絵画のうちに、似たような現象――測りがたくてほとんど識別不能なもの、ことばで言いあらわせない[je ne sais quoi]、であり、これが大きな差異の原因になる――を認めることができる。ゲルハルト・リヒターの絵画のあるものの特色となっているのは、(わずかに置き換えられ/ぼかされた、本物の)写真のリアリズムから、色のしみという純粋な抽象への突然の移行、あるいは対象をまったく欠いたしみのテクスチュアからリアリズム的表現へという逆の移行である――まるで、気づいたら突然、メビウスの輪の反対側にいたかのようである。リヒターは、絵画がカオスから出現するあの神秘的な瞬間(あるいは、その反対、はっきりとした鏡のような像が、意味のないしみにぼやけていく瞬間)に焦点をあわせる。そして、これが、われわれをラカン対象aのもとへつれていく。対象aは、まさしく、あの測りがたいXであって、このXが、しみのテクスチュアから、調和した絵画表現をつくるのである。それは、『二〇〇一年 宇宙の旅』の終わりにちかい有名な場面に似ている。そこでは、強烈な抽象的な視覚的運動の超現実的なたわむれが、幻想-空間のハイパー・リアリズム的な表現にかわる。この場合、リヒターは、通常の関係を転倒する。かれの絵画では、写真的リアリズムは、人工的で構成されたものという感じをあたえる。これにたいし、「抽象的な」かたちとしみの相互作用には、はるかに「自然な生命」が存在している。あたかも、非具象的なかたちの混乱した強さは、現実の最後の残存であるかのようである。したがって、現実の残余から、明白にそれと確認できる表現に移行するとき、われわれは、この世のものとは思われない幻想空間にはいりこむ。その空間では、現実は、回復不能なまでに失われている。移行は、純粋にパララックス的であって、対象のうちでの移行というよりは、見られる対象にたいするわれわれの態度における移行である。

 この理由から、リヒターは、たんなるポストモダンの芸術家ではない。かれの作品は、むしろ、モダニズムポストモダニズムの分裂そのもの(あるいはモダニズムからポストモダニズムへの移行)にたいするメタ評釈なのである。もしくは、別の表現をするなら、次のように言えるだろう。視覚芸術におけるモダニズムの開始の最初の身振りをあらわす二つの作品を考えてみよう。マルセル・デュシャンの自転車のレディー・メイド展示、そしてカジミール・マレーヴィチの白い背景に置かれた黒い正方形である。これらの両極端は、ヘーゲルの対立物の思弁的同一性を思わせるやりかたで関係する。そして、リヒターが追求しているのは、まさしく、この両極端のあいだでの移行(・・)――かれの場合は写真的リアリズムから純粋に形式的な最小の区別という抽象への移行――そのものを把捉することにほかならない。》

 

 東京国立近代美術館でのゲルハルト・リヒター展(2002年6月~10月)にあわせて『ユリイカ ゲルハルト・リヒター 生誕90年記念特集』(2022年6月号)が発刊され、多彩な論考が掲載されている。基本的な共通理解も兼ねて、以下にいくつかの論考を引用する。引用の織物の縦糸である。

これらリヒターに関する記述は、リヒターの作品が、後ほど紹介するデリダの「痕跡と灰」に関する言説・思考(引用の織物の横糸)と絡まり合っているかを示唆している。二人のパララックスでパフォーマティブな「移動と転回」の生涯と作品、言説と実践は、互いに微分方程式による接戦を描いている。

 

・清水穣『ビルケナウの鏡 ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》インスタレーション

 清水穣は『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』の翻訳をはじめ、日本におけるリヒターの紹介を長く勤めてきていて、絵画、写真、ドイツ文学、思想に詳しい。これから各引用ごとに、重要なキーワードを列挙して、読みの一助としよう、とりわけ後述するデリダとの類縁性の証拠となる言葉を。

それらは、「生涯に亘る負債」「トラウマ」であり、「破壊のモルフォロジー(形態)」「「樹皮の下に埋葬された」であり、「レイヤー」「シャイン」であり、「灰色」「グレイ・ペインティング」「灰色-鏡-ガラス」であり、「還元」「反復」である。

《《ビルケナウ》連作は、敗戦直後のドレスデン芸大で、当時世間に出回り始めたベルゲン・ベルゼンやブーヘンヴァルト強制収容所の写真を初めて目にして以来、それに取り憑かれてしまった画家が、実現に至らなかった過去二回の試行を経て、まるで生涯に亘る負債を返すかのように、ようやく完成させた作品である。「生涯に亘る負債」とは、第三帝国の東の外れ(ニーダーシュレージエン、現ポーランド領のボガティーニャ)で育った、すなわち車で二時間も走れば最寄り(!)の強制収容所グロース・ローゼンに到り、そのさらに東にはアウシュヴィッツが控えているような地方で育った少年(一九三二年生まれ、敗戦時一三歳)は、責めを負うべき大人ではないが無知な子供でもないから、連行されていったユダヤ人の運命について、ナチス優生学的政策によって強制入院させられた叔母の運命(監禁と薬物投与の末の餓死)と同じくらいには、漠然と知っていただろうが、その知を遥かに超える凄惨な画像が、青年リヒターの意識に突き刺さり、そのトラウマが生涯に亘って尾を引いてきたということである。》

 

《ここから、ビルケナウの基本インスタレーションを、リヒターの作品に沿って読み解いていきたい。まず四点の絵画作品がある。リヒターは、四枚の元写真をカンヴァスに投影しグリザイユで描き写した。その具象画の層がほぼ乾いたあとで、赤、緑、黒、白の絵具の層をアブストラクト・ペインティングの要領で何重にも重ね、写真画像を完全に塗りつぶした。ディディ=ユベルマンの言葉を借りれば、ビルケナウは絵具が繰り広げる「破壊のモルフォロジー」から生まれる「樹皮」の下に埋葬された、と。絵画完成の直後、リヒターは四枚の油絵と全く同じサイズのデジタルコピーを制作し、油絵とそのデジタルコピーを向かい合った壁面に、完全に正対するように掛ける。さらにそれぞれのデジタルコピーは四等分され、細い切れ目が十字に走っている。》

 

《レイヤーの出現、すなわち、画像が不可視の透明な面の上に載っているという質が露わになることをリヒターは「シャイン」と呼び、それは自分の「一生のテーマ」だと言う。(中略)

フォト・ペインティングは、描き出した写真画像にボカシやブレを加え、本来ピントが合うはずだった面としてレイヤーを出現させる。従ってレイヤーに見立てた《四枚のガラス》(CR160,一九六七年)がその純粋な骨格であり形式的な極相であった。リヒターは写真の具象に頼らないシャインの出現に向かい、まずはボケ・ブレを極大にして、レイヤーと画面が一つに重なる(これがリヒターの「灰色」の含意である)灰色の画面、つまりグレイ・ペインティングを制作する。灰色-鏡-ガラスはすべてレイヤーの変奏なのである。》

 

《ディディ=ユベルマンのリヒター論『Wo Es war』は、終盤に驚きの展開を見せ、デリダが序文を寄せたことでも有名な、ニコラ・アブラハム+マリア・テレクの『狼男の言語標本』から「7」の概念を取り出してくる。アナセミーとは「表皮」と「核」の二重統一体であり、暗号化された表皮が、決してそれ自体としては取り出されないトラウマの核を、虚ろな「Innenhof中庭」として包んでいる、と。ちょうど、パウル・ツェラーンの詩に「Auschwitz」という核が包まれているとして、それは決して独立して表に現れず、「zwischenlaut(語中音)」「grauschwarz(灰黒色)」「auf schwärzlichem Feld(黒ずんだ原野で)」といった暗号の音素に包まれているように(平野嘉彦『土地の名前、どこにもない場所として ツェラーンのアウシュヴィッツ、ベルリン、ウクライナ』)。そしてビルケナウの基本インスタレーションとはこの「中庭」ではないだろうか。破壊のモルフォロジーは、過去のビルケナウへの埋葬ではなく、ビルケナウというトラウマの直前の状態への還元である。四枚の油絵では、絵具の物質性と拮抗しながら、無数のレイヤー=表皮は、「直前」への遡行を反復している(アブストラクト・ペインティングの方法)。リヒターはそれをフラットなデジタルコピーに変換し、正対させることによって、無数のレイヤーが映り込んだ一枚の鏡面像――究極のレイヤー――として出現させる(ドローイングの方法)。》

 

・飯田高誉『戦争の記憶と野蛮の起源、そして恐怖と哀悼』

 ここでは「《1977年10月18日》」「《September》」という「日付」に注意したい。「思い出すことに固執し」「傷口を開いておく」リヒターは、デリダパウル・ツェランについて論じた『シボレート』の「灰」「日付」「反復」「回帰」の具象となっている。

《リヒターは、このドイツ赤軍派を題材にした一五点の絵画で構成された連作《1977年10月18日》を制作した。このタイトルの日、三人の赤軍派テロリスト、アンドレアス・バーダー、グドルン・エスリン、ジャンカール・ラスぺが、シュトゥットガルト刑務所シュタムハイムにおいて命を絶った。リヒターはこの連作に、その日には既に亡くなっていたウルリケ・マインホーフの若き肖像画も加えたのだった。一九八八年に制作されたこの作品シリーズは、生前のグドルン・エスリンや遺体となったマインホーフ、監房、愛聴していたレコードプレーヤー、葬式などの警察によって撮影された写真をベースにした油彩絵画の表現方式によって成り立っている。(中略)

 リヒターにとって「9・11」に遭遇したことは、結果として必然だったのかもしれない。この事件から四年後に崩落直前のダメージを受けた世界貿易センタービルを題材にした《September》(二〇〇五年)という、決して大作ではないが、劇的なタイトルの絵画作品が生まれた。(中略)

 作品《1977年10月18日》に引き続き、「私という人間ではなく、作品自身」を示したプロジェクトをさらに進め、『War Cut』(二〇一二年)を書籍として発表した。「私は、二〇〇二年夏から《1987Abstract Painting no.648-2》の絵画作品の部分写真二一六枚を撮り始め、その撮影から一年後に、イラク戦争が始まった二〇〇三年三月二〇日と二一日の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたすべての記事(テキスト)と二一六枚の写真を組み合わせた」とリヒターは述べている。(中略)対談相手のヤン・トルン=ブリッカーは、「あなた(リヒター)は思い出すことに固執しています。傷口を開いておくのです。それは疑いなく、あなたが望むと望まないに関わらず、戦争に関わる一つの形式です」と応じている。(中略)《1977年10月18日》や《September》における過酷な現実と虚構の関係性が相見えることで<仮象=光>を生みだし、それによって照らし出された象貌の輪郭がさだまる。「歴史をゴミのようにすて去ってしまうのではなく、べつの方法で、適切にとりくまねばならない」というリヒターのことばは、今の我々に何を暗示し示唆しているのであろうか?》

 

沢山遼『二つの体制』

 リヒターの「ジレンマ」「アンヴィヴァレンツ」、「二極性」の「往還」「解体」「宙吊り」、「選択することができない、あるいはしない」という態度は、デリダ脱構築、パフォーマティヴなそれと近似している。

《リヒターの絵画には、つねに、いくつかのジレンマ、アンヴィヴァレンツが介在してきた。彼の絵画は、つねに二つの軸を抱えながら、その両極を揺れ動くような運動を示してきたからである。そこには、大きく分けて三つの二極性が認められる。すなわち、(1)写真⇔絵画、(2)具象⇔抽象、(3)ハンド・メイド⇔レディメイド。リヒターの仕事は、その二極性を往還しつつ、その弁別を解体し、宙吊りにする、という点に向けられているように見える。何かを選択することができない、あるいはしない、というその態度は、鏡や写真の受動的な性質とも深く関わっている。》

 

・長谷川晴生『ゲルハルト・リヒターの「わかりにくさ」とドイツの歴史』

 ここにおける「多様性」「わかりにくさ」はデリダのそれでもある。

《リヒター自身、美術作品の「意味」が過剰に解釈されてしまう現状に対しては、ながらく否定的な態度をとってきた。リヒターの文章とインタヴューを集めた『テクスト』からは、その手の発言をいくらでも抜き出すことができる(邦訳はゲルハルト・リヒター『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社)。一九六四年から六五年にかけての「ノート」では、リヒターはこう述べている。「芸術作品において、理屈は問題ではない。解釈できてしまうような意味を含んだ絵画は、劣った絵画である。絵画とは、見通せないもの、非論理的で、無意味なものとして表される。[……]絵画はものを多様性と無限において表現するので、ただ一つの意見やただ一つの見解といったものは現れてこなくなる」(邦訳二四一頁)。こうした絵画における意味の拒絶は、先に挙げた「わかりやすい」同時代作家たちへの批判にもつながっている。「八五年三月二五日。キーファー展。あれらのいわゆる絵画。もちろん、あれは絵画などではない。[……]なぜなら、作品の内容が文学的な動機をもっているからだ。[……]明快な定義がない限り、作品上のすべては連想の役に立つという状況を利用しているのだ……」(邦訳二五四頁)。(中略)

 絵画は絵画でしかないのであって、そこに「意味」などあるべきではない、とゲルハルト・リヒターはながらく主張してきた。ともすれば安易に、露悪とともに「ドイツの歴史」を雄弁に語ろうとする同時代の作家たちとは、次第に疎遠になっていった。他方、リヒターもまた、活動を純粋なアブストラクト・ペインティングに限定することはせず、どうしても「意味」を予感させてしまう「ドイツの歴史」的題材を対象としたフォト・ペインティングを制作し続けてもきたのである。

 してみれば、リヒターのわかりにくさは、いわば二重のものにほかならない。第一に、リュパーツやポルケやキーファーのような、「ドイツの歴史」に対する、誰が見ても即座に「意味」がわかるイロニーを欠いているところ。そして第二に、にもかかわらず「ドイツの歴史」から離れようとしないところである。こうした困難な位置に進んで身を置いてきた美術作家を最もよく理解したのが、かのアドルノに師事した、同じように「わかりにくい」映画作家(筆者註:アレクサンダー・クルーゲ)であったことは、実に自然な結末であったのかもしれない。》

 

池田剛介『分割と接合 ゲルハルト・リヒター《リラ》

「生み出されると同時に否定されてしまう」とはデリダの言説もそうだ。

《リヒターは一九八六年のインタヴューにおいて、アブストラクト・ペインティングに対する解釈をめぐってバンジャミン・ブクローと激しく対立している。

 アブストラクトについてブクロ―は次のように言う。ありとあらゆる技法が統一感なく用いられており、色彩においてもとりとめがない。ここで行われているのは、かつて絵画において用いられてきたレトリックを大袈裟に示すことなのであり、アブストラクトは絵画に対する批判的シミュレーションではないか、と。

「感情的、精神的な効果を生む色彩の力が、君の作品においては生み出されると同時に否定されてしまうから、その力はいつもプラスマイナス、ゼロになってしまうわけだし、色の順列組み合わせが多すぎて、もはや秩序ある色彩のハーモニーともいえないし、色彩や空間性に秩序づけられた関係が存在しないのだから、コンポジションを論じることもできない」。(中略)

 リヒターは素朴とも思えるほどの率直さで反論している。「僕の絵画に、コンポジションも関係性もないなんて思えないね。ある色をべつの色の隣に置くとき、自動的にその色はもう一つの色へと関係するんだから」。》

 

・関貴尚『イデオロギーとの別れ T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに

 ここでは、「絵画の下層に埋もれているのはしたがって、画家の過去の記憶であり、そこでは瓦礫に埋もれた故郷の風景が、グレイの絵具によって文字通り塗りつぶされているのだ」、「リヒターの絵画の異質さは、そのような観ることの不可能性に起因するものだが、しかし、それによってむしろ、観ることの要請が逆説的に強化される」という指摘に注目したい。いずれにしろ、リヒターに「戯れ」「いかがわしさ」を感じる人はいるし、なおさらデリダを批判する人は多い。

ゲルハルト・リヒターの画業を辿ってみると、グレイという色が繰り返し登場することに気づく。白黒写真にもとづく一九六〇年代の初期の「フォト・ペインティング」シリーズにおいてすでに使用されていたこのグレイという色が、リヒターの実践を規定しつづけてきた特権的な色であるということは一見してあきらかだ。だが、リヒターはなぜグレイにこだわるのか。(中略)画家の言葉を引けば、「グレイ。それはなんの声明も発せず、感情も連想も喚起しない。[……]それは他の色にはない「無」を可視化する能力をもっている」。》

《じっさい、一九六八年から七六年までの一時期に描かれたいわゆるモノクローム絵画である「グレイ・ペインティング」のシリーズが、「失敗した」具象絵画の「塗りつぶし」に端を発するという事実は、そのような見方を強めるだろう。一九六八年の《都市風景M8(グレイ)》では、厚塗りされたグレイの絵具のマチエールが、色面の背後から建物の存在をうっすらと浮かびあがらせている。ここで眼を向けるべきは、後年になってリヒターが告白しているように、グレイの絵具によって覆われたイメージが、画家の故郷であり、第二次大戦中に連合軍の無差別空爆によって壊滅させられた都市でもあるドレスデンの光景と重ねられていることだ。絵画の下層に埋もれているのはしたがって、画家の過去の記憶であり、そこでは瓦礫に埋もれた故郷の風景が、グレイの絵具によって文字通り塗りつぶされているのだ。

 リヒターの絵画の異質さは、そのような観ることの不可能性に起因するものだが、しかし、それによってむしろ、観ることの要請が逆説的に強化される、ということは指摘されるべきだろう。(中略)一九八一年のノートのなかで、リヒターは次のように書いている。

  絵画とは、目にみえず理解できないようなものをつくりだすことである。絵画によって、目にみえず理解できないものが具体的なかたちをとり、認識されるべきなのである。だから、優れた絵画は理解できない。理解不可能性の創造。

 リヒター絵画における強度はゆえに、観ることの不可能性と、そこから算出される理解不可能性の経験によって担保されている。したがって、この画家の芸術実践は、何よりもまず、秘匿された対象との関係においてこそ問われなければならない。(中略)

 ところで、美術史家のT・J・クラークは、二〇一一年にテート・モダンで開かれた大規模なリヒター展にさいして、「グレイ・パニック」と題されたテクストを発表している。タイトルにある「グレイ・パニック」とは、一九六〇年代に多く描かれたグレイの絵画群を指すが、ここでクラークは、写真をもとに描くという手法が。「事物をほとんど塗りつぶすというアイデア」、すなわち「隠蔽」に関与すると指摘している。

  リヒターにおいて写真から制作するというアイデアは、そもそものはじまりからして事物をほとんど塗りつぶすというアイデアと深く結びついていたように思われる。写真からある種の不手際な隠蔽がまるで内なる香水のように生じているのだ。[……]そこで語られるのは、偽りの過去への固着――おそらくは東ドイツからの亡命者のそれ、ヒトラー以後のドイツ全体のそれ――である。家族の秘密、暗闘の心、妥協した両親の絶望的な嘲笑(この言葉は適切だろうか)。[……]一、二点のカンヴァスが象徴的に――効果なく――もたらしている外観の輝きは、アウシュヴィッツ以後の哲学や芸術に対して何もできず、グレイにグレイを塗り重ねている。》

 

《だが、そこで追及されている「理解不可能性の創造」は、こういってよければ、絵画がほとんどあらゆる受容(要求)を満たすことのできる、きわめて都合のよい空虚な容器と化すリスクと紙一重ではないだろうか。じっさいリヒターは、あからさまな態度を隠さない。クラークが示唆するように、「両立不可能性」――抽象的かつ再現的、伝統的かつ前衛的、疎外的かつ親密的(マインホフとエンスリンの絵画における、疎外された状況とその親密なものへの変容は、まさしくそのような両義性を帯びていた)――こそが、この画家の芸術実践を貫いている。「今世紀最高の画家」といわれるほどのポピュラリティの獲得が、その卓越した理解不可能性=両立不可能性によって達成されているとすれば、リヒターの芸術は結局のところ、その批評的可能性を空洞化させることに帰着するだろう。(中略)

最後にクラークの文章をまたひとつ引いておこう。リヒターに対する彼の懐疑の眼差しは、批評家(美術史家)としての彼の「確信」に由来するものである。

  リヒターが写真という事実の周囲を延々とさまようこと[……]で、現代の「絵画と具象」の問題が解決し、適切なしかたで枠づけされさえしたのだと確信して、テート・モダンの展示室から出てくる鑑賞者を想像できないのだ。また、この作家の抽象絵画がまさしく、絵画における失われた「表現」の領野(即時性、個人性、純粋な喜び)を、その困難にもかかわらずふたたび掘り起こそうと辿りなおしているのだと確信して――リヒターがわたしたちにそう確信させようとしているとさえ判断して――鑑賞者がこの展示を後にするとも思わない。[……]それぞれ一〇フィート近い正方形のカンヴァス群の不完全な甘美さ(その最良の作品においては、いかがわしさと快楽主義が共存している)は、「芸術とは何か」という出発点から遠く離れている。

 リヒターは絵画と写真、抽象と具象というカテゴリーのあいだで戯れているにすぎない。少なくともそうクラークは確信している。この碩学の批評の矛先は、リヒターの絵画にはらむそのような「いかがわしさ」にこそ向けられているのである。》

 

丹生谷貴志ゲルハルト・リヒターの余白に……』

 ここでは、「ベンヤミンの言う「マール=タッシュ=瘢痕」」「ベンヤミン的に言えば「聖痕にしてレプラの皮膚の上の赤い斑点」に注目したい。それはデリダの「痕跡」「灰」に通じるだろう。

《さらに悪意ある者なら、再度俗な言い方を口まねすれば、「リヒターは先行する“流行作”を否定的に写し直すことで脱構築し再提出するというやり方で勝利を収めて来た画家であって、それ故に一見彼の作品は多様な技法・多様な作風を仮面のように変えて行くように見えるが、実はそれは一種の<脱構築的コピーの多様さ>であって、その作画技術(絵の巧さ)の妙才は驚くべきものだとしても、しかしそこには彼にしか帰せない表現の独創性というものが欠けている」とでも言うかもしれない。》

 

《「コピーする者・描き写す者」としての画家リヒターは自分の周囲に、「人間の言語」の縁を開示するもの、そこで泡立つように現象してきたありとあるイメージを集め、それを「描き写す」……そしてその「描き写し」は単なるコピーではなく、「人間の言語」の縁として長城のように囲む「最後の縁」を片っ端から、ベンヤミンの言う「マール=タッシュ=瘢痕」へと化すためにそれらの「イメージ=縁」を再度掘削し、開き、「別のもの」へと変容させるために「描き写す」のである。その付加/加筆作業において、あたかも、「現代美術」という長城壁面いっぱいの連鎖の一々が、ベンヤミン的に言えば「聖痕にしてレプラの皮膚の上の赤い斑点」と化し、その背後の後退の、物質的擾乱として拡がる「ある地点」に実在するはずの「基底」へと、すべてを差し向けることになるだろう。……つまり、ゲルハルト・リヒターという比類ない「描き出す人」において、「初めて」、「現代芸術」は、ベンヤミン的な意味での「絵画芸術」となるのである。

 リヒターは「現代絵画」全体が「絵画芸術」と「成る」ための、「最後の加筆者」となるだろう。》

《……二〇〇二年、ニューヨーク近代美術館で、その時点でのリヒターのほぼ全作をそろえたかのような大回顧展を開き、殆ど熱狂に近い大成功を収める。観客はそこに驚くほどに多様な作風をマスカレードのように付け替える作家を見出し、「現存する最大最高の現代画家」を再認し……しかし、一人の独創的な作家を前にしたというよりも、どれもこれもが奇妙に「懐かしい何かを思い出させる」かのような気分になったのではないかと、想像する(中略)……リヒターによって「美術館」は「ミュージアム」という名称の語源にかえり、つまりは広大な「メモリアム空間」となり……いうまでもなく、「メモリアム」はまた、「墓碑」でもある。要はリヒターの作品群は「美術館」をベンヤミンの言う「空間化された斑紋/タッシュ」にかえるのだ……つまり、「墓石/墓標」……断るまでもなく、それは悪意あるものなら口にするかも知れない、「遂に美しい引導を渡された現代美術」のような否定的な事態を意味するのではない、と、ベンヤミンの読者なら知っているはずである。》

 

 ようやくデリダである。これまで引用してきたリヒターに関する言説(織物)の「絵画」「芸術」を「哲学」「思想」に置きかえても全く違和感がないだろう。

・梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』(ジャック・デリダ『シボレート パウル・ツェランのために』『火ここになき灰』)

 引用の織物の横糸に相当するデリダの困難な読解の一助として、『火ここになき灰』の訳者梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』から引用する。「灰」について語るよりもむしろ灰そのものを作り出すテクストというのはリヒターに似ている。また、思い出すことに囚われたリヒターは、亡霊、幽霊を背負い続けているとも言えよう。

デリダは『精神について』と題されたハイデガーについての講演を「わたしは、亡霊と炎と灰についてお話ししようと思う」という言葉で始めている。これにかぎらず、いくつかのデリダのテクストにおいてもまた、灰は非=回帰の記号として何度も回帰してくることになる。

 その中でも、「パウル・ツェランのために」という副題をもつ『シボレート』は、灰についての数多くの言及を含んでいる。とはいえ、この書物は直接に灰を論じたものではない(そもそも灰を直接論じるなどということが可能だろうか)。ここでデリダがもっぱら扱うのは特異性にまつわる問題である。日付や固有名はたった一度だけ生じる特異な出来事を示していながら、同時にその出来事を記念し、反復し、ある仕方で回帰させるものでもある。なるほど日付や固有名が指示するのは、これこれのもの、唯一で特異な取り返しのきかぬ絶対的な事柄である。だが、もしそれがいかなる仕方でも反復しえないならば、それは生起した時を超えて持続することはできず、また他者に伝えることもできないだろう。なんらかの形で反復可能でないかぎり、またその同一性において分割可能なものでないかぎり、それを誰も読み取ることができないし、表現し、伝達し、理解することもできないだろう。だが日付や固有名が示すのは、特異でありながら、かかるものとして再び回帰し、反復し、読み取り可能となるものにほかならない。

  絶対的な特異性を賦与ないし供託しつつ、それら(=コード化された刻印)は同時に、度を同じくして(・・・・・・・)、そしておのずから、記念[日]化への可能性によって除去=刻印(デマルケ)されなければならないのだ。それらが際立つものとなるのは、事実、それらの読み取り可能性がなんらかの回帰の可能性を告げる範囲内においてのみなのである。ここでいうのはなにも、再来しえぬものそれ自体が絶対的に回帰してくるということではない――誕生あるいは割礼は一度しか場をもたないということ、それはまさに明証事そのものである。そうではなくて、この世でたった一度だけ起こり、二度と再び帰り来ぬもの自体の、亡霊的再来ということである。日付とは亡霊なのだ。だが、不可能な回帰のこの再来は、日付の中に刻印されている。それはコード――たとえばカレンダー――によって保証された記念日[anniversaire]の[指]環[annneau]の中に刻印され、明記されているのである。

 日付や固有名が読みうるものになるためには、すなわち別の時、別の場において他者によって反復されうるものになるためには、おのれの生起の時と場、すなわちその特異性を失わなければならない。それこそが「日付はおのれの刻印を除去することによっておのれを刻印する」ということの意味であり、何かを意味するためには、意味する当のものを喪失せずにはいないのである。したがって、ここには、唯一無二のものと記号、特異性と反復可能性という、両立不可能なものの出会いがあるのであり、回帰しえぬものの再来がつねに問題になる。つまりそこには唯一のものの分割、特異性の喪失が見られるのである。デリダは「その読解可能性はその特異性の喪失という無残な報いを受け取ることになるのだ。これは、読解そのものに対する喪である」と述べている。興味深いのは、この喪失の経験において日付が「ある日、ただ一度だけ、ある固有名のもとにそこで焼き尽くされたものが何であるかさえわからない灰の本質なき灰となるかもしれない」と言われていることである。デリダによれば「名は、灰のこの運命を日付と分け持っている」のである。このように日付や固有名、さらには痕跡一般の経験は、「灰」のそれと重なっていく。》

 

 下記は、まるでリヒターの作画術について説明しているかのようだ。

《灰について語るよりもむしろ灰そのものをつくり出すテクスト、灰を回収しようとする言説の動きを遮断し、自己の内に破綻や中断、開口が書き込まれているテクスト、スピーチ・アクトでいう遂行的側面[le performatif]と事実確認的側面[le constatif]のあいだの、またメタ言語レベルと対象言語レベルのあいだの区別がもはや定かではないテクスト、『火ここになき灰』においてわれわれは、そうしたテクストを可能にするための数々の仕掛けを見ることができる。(中略)

 第三に、デリダはここで複数の声による対話(ポリローグ)という構成をとり、哲学に特有の匿名で中性的な言説を放棄してしまう。そこから少なくとも四つの重大な帰結が生じてくるように思われる。ポリローグにおいては、

(1)単一の言説の直線的な展開という形式は失われ、かわりに複数の言説が互いに他を中断し合いながら断続的に継起していく。そこでは中断や句切り、空白が何度も、しかし規則化されない仕方で書き込まれており、言葉を中断し他に明け渡すことによって、もっと別の声が呼び起こされる。ブランショがいみじくも指摘したように、ポリローグの生成を可能にしているのは中断に他ならない。(中略)

(2)ある声の述べることが即座に他の声に引き継がれ、打ち消され、あるいは反転されることによって、灰に特有のダブルバインド(消滅/出現、運/不運、収奪/固有化)の運動が書き込まれる。(中略)

(3)一つの声は、たとえそれがなにかある対象について語る場合であっても、対話の状況におかれている以上、他の声に呼びかけ、他の声を参照することをやめない。(中略)

(4)対話である以上、伝統的な哲学の言説のように、匿名の作者が万人に語りかける中性的な形式はとらずに、対話者への参照、呼びかけ、そして発話の状況そのものの舞台化がある。そうしたレフェランスは、主題論的な統一を求めたり自己を全体化すると称する言説に、いわば穴を穿ち、縫合不可能な裂け目をつくりだす。》

 

                                  (了)

         *****引用または参考文献*****

*『ユリイカ ゲルハルト・リヒター 生誕90年記念特集』(2022年6月号)(青土社)に所収

(清水穣『ビルケナウの鏡 ゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》インスタレーション』)

(飯田高誉『戦争の記憶と野蛮の起源、そして恐怖と哀悼』)

沢山遼『二つの体制』)

(長谷川晴生『ゲルハルト・リヒターの「わかりにくさ」とドイツの歴史』)

池田剛介『分割と接合 ゲルハルト・リヒター《リラ》』)

(関貴尚『イデオロギーとの別れ T・J・クラーク「グレイ・パニック」を手がかりに』

丹生谷貴志ゲルハルト・リヒターの余白に……』)

(新藤淳『視差のリアリズムへ リヒターのクールベ』)

(西野路代『ビルケナウの白いページ ゲルハルト・リヒター『93のディテール』詩論』)

(浅沼敬子『ゲルハルト・リヒター 鏡としての絵画』)、他

ゲルハルト・リヒター『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』清水穣訳(淡交社

*平野嘉彦『土地の名前、どこにもない場所として ツェラーンのアウシュヴィッツ、ベルリン、ウクライナ』(法政大学出版局

ヴァルター・ベンヤミン『絵画芸術とグラフィック芸術』(『ベンヤミン・コレクション5 思考のスペクトル』に所収)浅井健二郎訳(ちくま学芸文庫

柄谷行人トランスクリティーク ――カントとマルクス』(岩波書店

スラヴォイ・ジジェク『パララックス・ヴュー』山本耕一訳(作品社)

東浩紀存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』(新潮社)

*梅木達郎『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』(洛北出版)

ジャック・デリダ『シボレート パウル・ツェランのために』飯吉光夫、小林康夫守中高明訳(岩波書店

ジャック・デリダ『火ここになき灰』梅木達郎訳(松籟社

ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』足立和浩訳(現代思潮社

ジャック・デリダ「声と現象」林好雄訳(ちくま学芸文庫

ジャック・デリダ『哲学の余白』高橋充昭、藤本一勇訳(法政大学出版局